女「……お兄さん、童貞なんですか?」 (118)



男「はい、これ」

女「……なんです、これ?」

男「見れば分かるだろ。缶コーヒーだ」

女「くれるんですか?」

男「そういう意味で差し出したつもりだけど」

女「お心遣いどもです。でもわたし、コーヒー飲めないです」

男「そう。じゃあこっち飲めよ」

女「……どもです」

男「……」

女「いただきます」

男「どうぞ」

女「……ひょっとして、わたしがコーヒー苦手だったらお茶を渡そうと思って両方買ってきたとかですか?」

男「そんなに気の回る奴に見えるか?」

女「見えるか見えないかで言ったら、見えませんけど」

男「じゃあ、結果的にそうなっただけだろ」

女「……そ、かもですね。ありがたくいただきます」



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男「……」

女「……あったかいですね」

男「そうかい。よかったな」

女「これが人のぬくもりというやつでしょうか」

男「たぶん違うと思う」

女「やさしさが身にしみます」

男「やさしさじゃない。ついでだ」

女「ついでですか」

男「この寒空の下で俺だけが温かい飲み物を飲んでたら嫌な感じだろう」

女「わたしは気にしないですよ」

男「俺が気にする」

女「誰も見てないのにですか?」

男「まあな」

女「へんなの」


女「……さっきは、すみませんでした」

男「さっき?」

女「はい」

男「……ああ、あれか」

女「たいへんもうしわけなく……」

男「気にするな。俺は気にしてない」

女「わたしが気にします」

男「変なやつだな。まあ、いきなり悲鳴をあげられるとは思わなかったけど」

女「てっきり不審者だと思って……」

男「……そんな不審者っぽいかな、俺」

女「あ、いえ。お兄さんがどうこうとかじゃなくてですね」

男「というと?」

女「こんな真冬に、しかも平日の真っ昼間に、こんな寂れた神社の境内に人がいると思わなかったものですから」

男「俺もそう思ってたよ」


女「お兄さんはここで何してたんです?」

男「なにって……ぼーっとしてた」

女「こんな寒いとこでですか?」

男「まあ……そうだな」

女「変わってるんですね」

男「そういう気分だっただけだよ」

女「いわゆる……いわゆるひとつの」

男「……いわゆるひとつの?」

女「あんにゅいですか」

男「アンニュイ」

女「あれ、間違えました?」

男「いや、響きがやたら洒落てるよな、アンニュイ」

女「アンニュイアンニュイアンヌ……」

男「……」

女「発音むずかしくないです?」

男「たしかにね」


男「きみはなにしてたの」

女「きみ、って初めて言われました」

男「……はあ」

女「あんまり言わなくないです? きみって」

男「まあ……そうかもだけど。ほかになんて呼べばいいのかもわからない」

女「ふむ」

男「『あなた』は仰々しい。『おまえ』は馴れ馴れしい」

女「なるほど」

男「気に入らないならやめるけど」

女「いえ、どちらかというと気に入りました。きみでいいです」

男「そうですか」

女「はい。きみでよろしくおねがいします」

男「……」

女「どうかしました?」

男「いや、まあいいや。それで、きみはなにしてたの」


女「わたしはおさんぽです。日課なんです」

男「日課?」

女「はい。毎日ここまで歩いてから帰るんです」

男「じゃ、毎日ここに来てるんだ」

女「ですね」

男「……平日の昼間に?」

女「あ、ええと……はい」

男「学生だよな?」

女「え、と……」

男「……ま、いいや。平日の昼間にぼーっとしてることについては、俺も人のこと言えないしな」

女「あ、お兄さんもニートなんですか?」

男「ニートなのかよ」


女「あ、あれ、違いました?」

男「違う。……や、まあ、似たようなもんだけどさ。てっきり不登校かなにかだと思った」

女「当たらずとも遠からずですね。不登校をこじらせてやめちゃいました」

男「なるほど」

女「じゃあお兄さんはニートじゃないわけですか」

男「一応な」

女「仲間を見つけたと思ったのに……残念です」

男「ニートじゃないことにがっかりされたのは初めてだよ」

女「それじゃあ、お兄さんはどうしてこんな時間から神社であんにい……アンニュイしてたんですか?」

男「……べつにそんなつもりじゃないけど……なんか部屋に帰りたくなかったし、晴れてるから散歩でもしようかと」

女「ほうほう。……あれ、どこかに行った帰りってことですか?」

男「夜勤明けだよ」

女「……え、いま何時ですか? お昼すぎですよね。夜勤明けですか?」

男「だからまあ……九時にあがって、そのままぼーっとして……」

女「……」

男「ぼーっとしてたら、きみが来たから」

女「何時間ぼーっとしてたんですか……ニートみたいですね」

男「ニートに言われるとそんな気がするな」


女「……寒くなかったです?」

男「寒かった」

女「よく耐えられましたね。この二月の寒空の下」

男「耐えてたというよりは、動くのも面倒だったって感じだけど」

女「自分に酔ってないとできないですよね」

男「そんな気もするな」

女「自分に酔ってたんですか?」

男「俺が思うに、自分に酔ってないと断言できるやつは断言できる自分に酔ってる」

女「……つまり?」

男「酔ってる部分もあっただろうな」

女「なるほどですねえ」

男「いや、テキトーに言ったんだけどな」

女「テキトーに言わないでください。まじめに考えちゃったじゃないですか」

男「どっちでもいいよ」


女「夜勤って、たいへんじゃないです?」

男「まあ、慣れれば別に平気なんじゃないか。夜勤って言ってもコンビニバイトだし」

女「つかぬことをお聞きしますが、お兄さんいくつです?」

男「ハタチ」

女「えっ」

男「その『えっ』は何の『えっ』だよ」

女「もっと上だと思ってたのでびっくりしました」

男「そうですか」

女「ちなみにわたしは十七です」

男「……」

女「その沈黙は何の沈黙ですか」

男「……いや」

女「どうせもっと下だと思ったんでしょう」

男「や、まあな」

女「ふん。いいです。慣れてますから」


女「かたや二十歳フリーター、かたや十七歳ニート……」

男「……」

女「世の底辺ですね」

男「自分で言って悲しくないか?」

女「誰かに言われる前に自分で言った方が傷つかなくていいですよね」

男「こじれてるなあ……わからんでもないけど」

女「素晴らしき理解者の登場です。自虐していきましょう」

男「巻き込むなよ」

女「自分の人生は終わったんだって考えると楽になりますよ」

男「急に重いことを言うなきみは……」

女「えっと、そうでしょうか?」


男「ま、べつにいいんじゃないの、高校やめてニートやってるくらい」

女「……そ、ですかね」

男「俺の方がひどい。ハタチ過ぎてコンビニバイトだからな」

女「ええ……。でも働いてるじゃないですか、フリーターって」

男「高校を出る年齢を過ぎてフリーターやってると、人生が重たくてな」

女「……訊いていいかわかんないんですけど、なんで普通に就職しないんです?」

男「……や、まあ」

女「はい」

男「最初に就職したとこが、なかなかにひどいとこでな」

女「ふむ。ブラックですか」

男「……というほどでもなかったのかもしれないけど」

女「……?」

男「なんやかんやあって倒産して……」

女「倒産」

男「まあ、繋ぎでバイトでもやるかって始めたんだよ」

女「な、なるほど……それはまた、それはまたですね……」


男「楽なバイトって考えてコンビニに入ったけど、給料が足りないから夜勤に回るだろ」

女「はあ」

男「そんで夜勤やってると、なんだかやけに気持ちが暗くなるっていうかな」

女「……そうなんです?」

男「人によるのかもしれないけど。まあ、仕事終わってから買い物に行けたりするのはいいよなとは思う」

女「あー、いいところもあるんですね」

男「夜明け頃にさ、空が明るくなる頃に駐車場の掃除するんだよ」

女「はい」

男「そうすると、近くの電線にカラスがバーって並んでて、朝焼けに映えてさ、ああいう瞬間はまあ好きだな」

女「おー」

男「ま、フリーターって現実を思い出すとつらくなるけど」

女「おー……」

男「あと、掃除が終わって一時間もすると朝のピークタイムだからな」

女「すごそう」

男「自分が何やってんのかよくわかんなくなるよ」

女「や、でも、がんばってて偉いです」

男「……まあ、所詮バイトだし」

女「卑下しないでください。わたしなんてニートですよ」

男「微妙に反応しづらいなそれ……」

つづく


男「ま、がんばって仕事に慣れようかと思ってるうちに、辞め時を見失ってな」

女「辞め時ですか」

男「俺が抜けたら、他の夜勤の人の休みなくなっちゃうんだよな」

女「……えっと、人のことを気にしてたら、ずっとやめられないのでは?」

男「俺も他人事だったときはそう思ってたんだけど……あとはまあ、惰性もあるな」

女「惰性ですかー」

男「そんなこんなで、ぼんやり過ごしてるうちに一年近く経ってた」

女「分かります。ぼんやりしてると時間ってあっというまですよね」

男「ホントに」

女「わたしも気付いたら学校行かなくなって一年経ってました」

男「ああ、うん、そんな感じ」


女「毎日が日めくりカレンダーみたいにあっさり過ぎてくんです」

男「日めくりカレンダーみたいにね」

女「はい」

男「俺、去年の一月に日めくりカレンダーを買ったんだよ」

女「おお、どんなですか?」

男「どんな? いや、普通だけど」

女「そですか」

男「で、毎日一枚ずつちぎってくわけだよ、あれを」

女「はいはい」

男「でも、途中で一回面倒になって、めくらなかった日があって」

女「……ふむ?」

男「次の日に一気にちぎるか、と思ってたんだよ」

女「はい。それで?」

男「おしまい」

女「……」

男「……」

女「そのカレンダー、どうしたんですか?」

男「そのまんま。俺の部屋の日付は去年の二月で止まってるんだ」

女「象徴的ですねえ……」


男「しかしさ、こんなこと言ったら失礼かもしれないけど」

女「はい」

男「ニートって外に出るんだな」

女「……ええと、まあ、人によると思いますけど、はい」

男「人によるのか」

女「パターンにもよると思います。わたしの場合、不登校こじらせたアレなので、あんまり出ないですが」

男「でも、毎日散歩してるんだろ」

女「それは、ええと、そうですね……なんと言ったものでしょうか」

男「何か理由があるわけだ」

女「……まあ、最初の頃は、本当に外に出なかったんですよ、恥ずかしながら」

男「それって、どうしてなんだ?」

女「……どうしてでしょうね。学校行ってないのにそのへんを歩いてるのも、罪悪感があると言いますか」

男「そういうもんか」


女「それで、ひきこもりがちだったんですけど……」

男「……そんなに恥ずかしい話?」

女「ど、どうしてそう思うんですか」

男「顔が赤いし、言いにくそうだから」

女「まあ……お恥ずかしい話なんですが」

男「うん」

女「運動不足がたたって……去年の秋に……」

男「……秋に?」

女「家の階段から転がり落ちまして……」

男「ええ……」

女「腰をしたたかに打ちました」

男「それって運動不足が原因なのか……?」

女「とにかくそれで、立ち上がれなくなって、家族に救急車を呼んでもらって……」

男「……それは、大変だったな」


女「いえ、大変だったのはそこからなんです」

男「……というと?」

女「救急車が来る前に、腰の痛みがよくなったんです」

男「……うん。大変か? それ」

女「で、でも、救急車まで呼んだわけですから、いまさら痛くないなんて言い出せなくて……」

男「いや言い出せよ」

女「担架にのせられて、『大丈夫ですか』って声をかけられて、病院に運ばれて……」

男「うん」

女「担架からベッドに移されて、診察されて……でも、その時点でもう、なんか、立てそうなくらい平気なんですよ」

男「……はあ」

女「でももうやり通すしかないと思って、痛いふりをしながらレントゲンまで撮ってもらって」

男「……」

女「『まあ、なんともないね』って言われました」

男「まあそうだろうな?」

女「そのあと、歩きにくいふりをしながら病院から帰ったんです」

男「図太いんだか繊細なんだかわかんないな、それ」


女「思い出すと本当に恥ずかしくて恥ずかしくて」

男「それは、まあ……恥ずかしいな」

女「恥ずかしくて、もう階段から二度と滑り落ちてなるものかと、運動不足を解消するためにですね」

男「だからそれ、運動不足が原因なのか?」

女「お兄さんはニートの運動不足レベルを舐めてます。体をどこかにぶつけるなんてしょっちゅうですよ」

男「それも運動不足というより注意力不足じゃないか?」

女「……」

男「……」

女「と、とにかく、それで散歩を始めたんです」

男「まあ、事情はわかったよ……悪いことではないだろうしな、べつに」


女「あんな恥ずかしさは二度と味わいたくないです」

男「救急車が来たときにもう大丈夫だって言えてたら傷は浅かったのにな」

女「そう、なんでしょうけど。恥ずかしいし、怖かったし」

男「ふうん」

女「……やっぱり、だめですよね」

男「え?」

女「そういうの、はっきり言えないと」

男「……んん。まあ、よくある話なんじゃない?」

女「そ、ですか?」

男「俺もまあ、似たような状況になったらどうするかわかんないな」

女「お兄さんも?」

男「まあな」

女「……そですか」


女「お兄さんは救急車って乗ったことあります?」

男「ない。入院したことはあるけど」

女「入院ですか?」

男「たしか風邪がこじれて肺炎になったんだったかな」

女「なるほど」

男「病院の売店って好きなんだよ。わけもなくクロスワードパズルとか買いたくなるんだ」

女「クロスワードパズルですか?」

男「あれ、俺だけかな」

女「わたしは……詩集とかのイメージですね」

男「詩集? 売ってるか、そんなの?」

女「あとは廉価版のコミックスとかですね」

男「コンビニでも売ってるだろ、そんなの」

女「あの、お兄さん。クロスワードの雑誌もコンビニで売ってますよ」



女「あ、ていうか、あの、お兄さん、夜勤なんですよね。もう帰って寝た方がいいような」

男「平気。今晩は休みなんだ」

女「そうなんですか」

男「じゃなかったら、ぼーっとして過ごさないよ」

女「そ、ですか。……でも、どっちにしても、寒いですし、もうそろそろ、帰ったほうがよくないですか?」

男「ああ、まあ……」

女「……帰らないんですか?」

男「最初に言ったと思うけど、帰りたくないからここでぼーっとしてるんだよ」

女「……ん、そですか」

男「帰ったほうがいい?」

女「と、とんでもないです。そもそもわたしにそんなこという権利ないですから」

男「それはまあそうだろうけど」



女「あの、聞いていいかわかんないんですけど、なんで帰りたくないんです?」

男「……まあ、べつに家自体が嫌なわけじゃなくて」

女「ところでお兄さん、実家暮らしですか?」

男「……まあ」

女「親のすねかじりつつ?」

男「まあ……金は入れてるけど、そういう面が大きいな」

女「おそろいです!」

男「……まあ、観点によってはそうかもな」

つづく


女「おうちで何かあったんですか?」

男「べつにそういうわけじゃないよ。ホントにこのまま帰るのが嫌なだけ」

女「ふむ?」

男「仕事あがりで、帰って、寝るだろ」

女「はい」

男「起きたら夕方で、まあ、深夜まで起きてて、でも夜だし暇だから寝るだろ」

女「はあ」

男「でも明日の夜は仕事だし、それに備えて明日の夕方も寝なきゃいけないだろ」

女「……あー」

男「俺の休み、半分くらいは寝るだけで終わるんだよ、今のうちに活動しないと」

女「なんていうか、人によっては時間を奪われ続けそうですね……」


男「部屋に戻ったら寝ちゃうから、帰りたくないわけだ。時間もったいなくて」

女「なかなかに難儀ですねえ」

男「どうだろうな。俺がそういうタイプってだけかも」

女「でも、こんなところでぼーっとしてるのももったいなくないです?」

男「まあ、そうなんだけど、帰ったところで寝るだけだから」

女「趣味とかないんですか?」

男「趣味というほどのものは……」

女「ないんですか」

男「本読んだり漫画読んだり、映画観たりドラマ観たりはするけど、漫然と」

女「漫然と、ですか」

男「そう。暇だから、漫然と」

女「寂しい人生ですね……」

男「そういうきみは?」

女「えっと……あんまり何もしてないですね」

男「ふむ」



女「なにぶん、学校もいかずバイトもせずにブラブラしてる身分ですから、お小遣いもねだれませんし……」

男「まあそうか」

女「そうなると、テレビかネットでも見てるしかないんですけど」

男「じゃあ、一日中ネットみたりテレビ見たり?」

女「ところがネットだと、ニートとかの話題になると途端にこう……」

男「こう?」

女「はりのむしろ?」

男「まあ……フリーターも似たようなありさまだから言わんとすることは分かる」

女「とにかくネットはそういうのを踏むのが怖くて、あんまり見れないです」

男「じゃあテレビ?」

女「も、あんまりおもしろくないので……」

男「じゃあいったい何やってんの……?」


女「えっと……」

男「……」

女「瞑想……?」

男「嘘つけ」

女「……引きませんか?」

男「引かれるようなことしてんの……?」

女「……ソシャゲです」

男「ん?」

女「延々とソシャゲをしてたんです。無課金で。数にして五作品ほど」

男「それは……」

女「スタミナ消費が終わる頃には半日過ぎてます。残りはイベント次第ですね」

男「……虚無のなかで生きてるな」

女「あとはブラウザゲーとか、一人向けアプリとかしてました」

男「……」

女「スリザリオ、おもしろいですよ」

男「俺も人のことは言えないが、きみも相当だな」

女「最近はやめました。さすがにまずいと思ったので……」


女「しかしそうすると、わたしもお兄さんも、なんだか時間を浪費してますね」

男「たしかにな」

女「でもでも、ビジョンだけはあるんですよ」

男「ビジョン」

女「せっかくですし、絵とかイラストの練習しようって思ったりとか」

男「ふむ」

女「ほら、ネットとかでも講座サイトとか動画とかありますし、時間だけはあるわけですからね、練習はし放題」

男「いいじゃんか。絵の練習してるわけだ」

女「……してません」

男「……あ、そう」


女「飽き性っていうか、集中力が続かないっていうか……寝て起きるとだいたい何もする気がなくなって……」

男「はあ」

女「……趣味って、どうやったら手に入るんでしょう?」

男「なきゃ駄目だってもんでもないと思うぞ」

女「でもソシャゲはなんとなく……まずいじゃないですか」

男「じゃあ、絵の練習をしろよ」

女「それが、なんというか、なにかに集中しようとすると、ふっ、と」

男「ふっ、と?」

女「『わたし、こんなことしてる場合なんだろうか?』という考えが頭をよぎるんです」

男「あー」

女「おかげで映画一本観るのもなかなかうまくいかないです」

男「ニートってのもなかなか大変だな……わかるけど」



女「でもお兄さん働いてるじゃないですか!」

男「バイトだけどな」

女「働いてる人にはニートの気持ちはわかりませんよ!」

男「底辺マウントを取るな」

女「底辺マウントってなんかおもしろい響きですね」

男「まあ冗談はともかく、気持ちはわからないでもないかもしれないよ」

女「ホントですか……?」


男「こないだ成人式があったんだよ」

女「あ、はい。そっか。ハタチですもんね」

男「まあそれで、同窓会とかあるわけだろ」

女「そういうものらしいですね」

男「まあ、たまたま連絡とってた友達に誘われたから、中学の同窓会に出たわけだ」

女「ふむふむ」

男「当然だけど、高校出て就職したやつは働いてるし、大学行ったやつは大学通ってるわけだ」

女「……あー」

男「みんなが大学で勉強したり遊んだりしたり、就職したり、中には結婚して子供がいるやつまでいるわけだ」

女「うわあ……怖い」

男「そのなかで俺は……失業してコンビニバイトだろ」

女「……」

男「何やってるんだろうっていう焦りが、やっぱりあるよな」

女「な、なんかごめんなさい……」

男「いや……俺が悪いんだしな……」



女「倒産はお兄さんのせいじゃないですよ」

男「っても、コンビニバイトに甘んじて生活してたのは俺だしな」

女「つかぬことお聞きしますけど……彼女さんとかいないんです?」

男「あー」

女「いるんですか?」

男「それが、会社が倒産する直前に、一度いたことはあるんだけど」

女「ふむ?」

男「同じ会社の子だったし、倒産したらお互い恋愛どころじゃなくなって……」

女「あー……」

男「別れた」

女「倒産に人生ボロボロにされてますね……」

男「何が起きるかわかんないもんだよな……」


女「それ以来はいないわけですか」

男「コンビニバイトの身で誰かと付き合おうなんて恐れ多いという気持ちもあってな」

女「ええ、気にしすぎでは?」

男「かもしれないけど……まあ単純にモテないのもある」

女「モテないんですか?」

男「モテそうに見えるのかよ」

女「うーん……」

男「……」

女「見えませんね」

男「だろ」


女「あ、でもべつに、特別マイナス要素があるとかではない気がするので、いても不思議じゃない感じは」

男「フリーターってだけでマイナス要素だろ」

女「そこまで卑屈にならなくても……」

男「まあ……俺もこじらせてる部分はあるかもしれないが」

女「ていうか、それを言ったらわたしなんてニートですし」

男「無限ループかよ。まあ、彼女なんて後にも先にもそのくらいだな」

女「あとにもさきにもっていうと、学生時代も……?」

男「や、なんていうか」

女「はい」

男「俺も引きこもりがちであんまり学校とか行ってなかったし。……行ってたとしてもできなかったと思うけど」

女「え……そうなんですか」



男「まあ……そう」

女「えっと……じゃあ、もしかして」

男「ん」

女「……お兄さん、童貞なんですか?」

男「……」

女「……」

男「……あー」

女「……」

男「言うにことをかいてそれか?」

女「……あ、ごめんなさい。とっさに思いついてしまったので」



男「……まあそうだよ。童貞だよ。なんだこれは」

女「あ、いえ。ちょっとホッとしてます」

男「なんでだよ」

女「えっと……ほら、わたしもまともな恋愛経験とかないので」

男「……ので?」

女「年上でもそういう人がいるんだなあと思うと、ちょっと安心しました」

男「下を見て安心するなよ」

女「お兄さんもニートを見て安心できるんだから、ウィンウィンですよ」

男「ニートを見て安心してたら、そんな気持ちになってる自分が大丈夫かって不安になるよ」

女「ふへへ」

男「ふへへじゃねえよ」


つづく



男「でも、きみもパッと見ただけだとニートには見えないけどな」

女「……え、いま、どこからそんな話題になりました?」

男「いや、なんとなく思っただけ」

女「……ニートには見えませんか?」

男「うん。ニートってもっとこう、なんか、こう言ったらアレだけど、小汚いイメージ」

女「それはニートに対する偏見ですよ」

男「それにきみ、普通に喋れてるし。引きこもりってあんまり話せないイメージ」

女「や、話すのはあんまり、得意じゃないです」

男「そんな感じしないけど」

女「いまは、けっこうがんばって喋ってます」

男「……なんでがんばってんの?」

女「……えと。なんででしょう」



男「まあ、俺もあんまり、しゃべるのは得意じゃないけど」

女「それこそ、そんなふうに見えないです」

男「そうかな。俺、人と目を合わせるの苦手なんだよな」

女「あ、わたしもです」

男「目を合わせて平気な人って、どんな訓練を積んでるんだろう」

女「不思議ですよね、絶対居心地悪いですもん」

男「……や。目を合わせられないことについての自信は人一倍ある。きみには負けない」

女「なんでそんな変なところに自信持ってるんですか?」


男「試してみるか?」

女「え?」

男「目を合わせて、どっちが先にそらすか」

女「え、それ、言い出す時点でお兄さんの方が強いじゃないですか」

男「まあまあ。お互いちょっと死力を尽くしてみよう」

女「……ええ」

男「じゃあ、用意スタートではじめるぞ」

女「……仕方ないですね」


男「用意……スタート」

女「えっ、はやっ」

男「……」

女「いま、トの時点で逸らしてましたよね。わざとですよね」

男「いや、限界だった」

女「お兄さんも相当アレですね……」

男「なにやってるんだろうな」

女「ちょっと、もうちょっとがんばってみましょう? 死力を尽くすって言ったじゃないですか」

男「もう限界だよ……」

女「いいですから、もう一回」



女「いいですか、せーの、で始めますよ」

男「まじかよ」

女「せーの」

男「……」

女「……」

男「……」

女「お兄さん、まつげ長いですね」

男「……」

女「あっ、そらした」

男「なあきみ全然平気そうじゃない? 詐欺だろこれ」

女「お兄さんがめちゃくちゃ緊張した様子だったので、逆に平気でした」

男「俺、引きこもりに負けたのか……」

女「元気だしてくださいお兄さん、収入では負けてませんよ」

男「ニートに収入でマウントとったりしねえよ」


女「第一、目を合わせ続けることなんかより、バイトしてる方が偉いです」

男「バイトだぞ」

女「でもコンビニってほら、煙草の銘柄覚えたりとか、宅配便の荷物の受け入れとかするんですよね」

男「詳しいな」

女「前、自分でもできるバイトとかないかなって覚えて調べて諦めました」

男「まあ……話だけ聞くと意外とハードル高いよな」

女「お客さんになにか聞かれたら、おどおどするしかできない気がします」

男「今みたいな感じだったら全然できそうだけど、俺なんかよりも」

女「いまは……うん。いまはいくらかましですけど、わたしも相当ですから」


男「そんな感じ、全然しないけど」

女「えと、わたし、ほら、舌足らずじゃないですか」

男「そう?」

女「そです。かつぜ……かつれつ……」

男「カツレツ?」

女「か、つ、ぜ、つって、言えない」

男「ああ……滑舌」

女「かつ、ぜ、つって言えないくらい、滑舌が悪いので」

男「気にすることじゃないと思うけど。滑舌の悪い政治家だっているくらいだし」

女「高校で、さんざん言われました。かつぜ、つ、悪いって。わざとやってるんじゃないかとか」

男「……ふうん。そんなやついるんだ」



女「自分で言うのもなんですけど」

男「ん」

女「わたし、まあ、そこそこかわいいと思うんです」

男「……ほんとに自分で言うのもなんだな」

女「そりゃ、クラスで一番とか、上位とかじゃないかもしれないですけど、そこそこ」

男「まあ……そう思うよ」

女「いちおう、いろんなとこ、気を使ってるつもりでしたし」

男「うん」

女「でも……誰かに媚びたりとか、してるつもりじゃなかったです」

男「……そ」

女「でも、どうなんだろ。気づかないだけで八方美人だったのかな。角が立つの、嫌いだったから」

男「……」

女「みんなそうじゃないのかな。わたし、いい子ぶってるつもりなんか、なかったです」

男「……」

女「お兄さん?」

男「……え?」

女「……今、寝てました?」

男「いや、寝てない。聞いてた聞いてた」

女「ひ、ひっどい!」


男「や、大変だったな、うん」

女「テキトーな返事……」

男「まあ、実際大変だったな、とは思うけど」

女「……そうです」

男「大変だったね」

女「……そうです。たいへんだったんです」

男「……」

女「わたし、悪くない。……悪くない、ですよね」

男「かもね」

女「それとも、やっぱり、うまく振る舞えなかったのが、よくなかったのかな」

男「さあ」

女「……ずっと、そんなこと、ぐるぐる考えてたら、一年過ぎてました」

男「……そうな」



女「……すみません、見ず知らずの人に、こんな話」

男「や、まあ、いいんじゃないの」

女「……そですか?」

男「俺だってきみには感謝してるんだよ」

女「感謝?」

男「おかげで、ひとりでぼーっと過ごして、なにやってんだ俺はって気持ちにならずに済んでるからな」

女「……じゃ、わたしはお兄さんの休日の恩人ですね」

男「そういうことになる」

女「わたしがいてうれしいですか?」

男「調子に乗るな」



男「まあ、だからべつに、多少の愚痴くらいなら聞けるよ」

女「……ありがたい、ですけど、なんでそんなによくしてくれるんですか?」

男「そんなつもりないけど」

女「誰にでもこうなんですか?」

男「まさか。そもそも会話が成立すること自体珍しいのに」

女「じゃ、わたしだけ特別ですね」

男「まあ、ニートに会うのは初めてだからな」

女「わたしがニートだからやさしくしてくれるんですか?」

男「そういうわけでもないし、やさしくしてるつもりもない」

女「……よくわかんないです」

男「まあ、俺も誰かとこんなふうに話すのはひさびさだからな」


女「でも、お友達とかいるんですよね?」

男「ん?」

女「さっき、同窓会誘われたって言ってたじゃないですか」

男「や、まあ、ついでみたいな感じだったけどな」

女「ついで?」

男「うん。べつにそいつとも、連絡頻繁にとってるわけでもないし」

女「そういうものですか」

男「フリーターこじらせると、就職してたり学校行ってたりする奴に劣等感覚えるだろ」

女「はい」

男「それでなんか、一緒にいるのが居心地悪くなって、距離ができたりな」

女「……あー」

男「わかる?」

女「わかります。わたしも中学の頃のともだちと全然連絡とらなくなりました」

男「まあ俺の場合、土日もバイトだから純粋に休みが合わないのもあったんだけど」

女「じゃあ、最近は人ともあんまり会わずに……?」

男「客に挨拶してる時間が一番長いよ」

女「お互い孤独な人生ですね……」

男「自意識に押しつぶされそうになるよな……」


女「……外にあんまり出なくなってから、なんか、どんどんだめになっていきます」

男「駄目に?」

女「はい。学校の知り合いに会ったとき、今何してるのって聞かれるのが怖いから、外出も億劫ですし」

男「あー、うん。それはある」

女「でもわたしはもっとひどいんです」

男「たとえば?」

女「コンビニのレジに並ぶのが怖いです」

男「……おー」

女「家の電話が鳴っても出れないですし……」

男「おー」

女「宅配便の荷物の受け取りもできないです。居留守使います」

男「なかなかだな」

女「最近は、たまに外に出たときに誰かの笑い声が聞こえると、自分が笑われてる気分になって……」

男「重症だな……」


女「一度、バイトしようと思って、探したこともあるんです」

男「うん」

女「でも、本屋さんとか、ゲーム屋さんも、だいたい高校生以上とか、高卒以上とかって書いてあって」

男「……」

女「そういうの見てると、なんか、自信がなくなってきて……」

男「結局暗い話になってきたな……」

女「履歴書に中退って書くのも、なんだか怖いし、見られてどう思われるんだろうって……」

男「まあ……そうだよなあ」

女「……でも、そんなこと言って、結局逃げてるだけなのかもしれないです」

男「……」

女「ちゃんと働ける自信、ぜんぜんないし」


男「ま、これはべつに他意があるわけじゃないんだけど」

女「……?」

男「俺だってべつにちゃんと働けてないぞ」

女「……ええ? でも、一年は続いてるんですよね」

男「失敗しないわけじゃない」

女「そう、なんですか?」

男「最初の頃はそれこそ、弁当のあたため頼まれてソースつけっぱでレンジに入れて破裂させたり」

男「煙草間違えたり、釣り銭渡し間違えたり、チキン頼まれたのにポテト渡したり」

女「……誰でもそうだって言いたいんですか?」

男「いや、俺は相当ミスしてる方。とんだ店員だよな」

女「……自分で言います?」


男「商品の二重打ちするし、からあげ床に落とすし、缶へこませるし、ポイントカード持ってるか聞かなくてお客さんに怒られるし」

男「かと思えばいちいち聞くと嫌な顔されるし」

男「パンあたためるかどうか訊けって客に怒鳴られたり」

男「かと思えば『温めるわけねえだろ。そんくらいわかんねえか』って怒鳴られたり」

男「弁当に箸つけ忘れて怒鳴られたり」

男「かと思えば『いつも箸いらないって言ってるのになんで入れるんだ!』って怒鳴られるし」

男「毎日来てる客ならともかく、週一でしか来ない客が常連ぶるんじゃねえよ……」

女「なんていうか、なんていうかですね……」

男「……まあ、俺、他の人が普通にできること、あんまりできないみたいだ。それでも最近は、ミスも減ってきたけど」

男「毎日同じ煙草買ってくお客さんの顔覚えて、最近は言われる前にそれとって、頷きだけ返されたりしてる」

女「それすごいですね、わたし、できないと思います」

男「どうだろうな。でも、俺だってできてないし、できてなくても金はもらえるよ」

女「……」


男「でも、コンビニバイトだってこんなありさまで、必死になってようやくできるようになってきたんだ」

男「それなのにさ、普通の人が普通にやってる仕事なんて俺にできんのかな」

男「そう考えると、普通に仕事探すのも怖くて、だから惰性っていうより、本当は、俺も怖いのかもな」

女「……そ、なんですか」

男「うん。普通に大学行ってるやつだって、バイトとかちゃんとしてるんだろうなって思うと、俺は本当に……」

女「……」

男「まあ……無能なんだろうなって思うよ」

女「……えと、じゃあ、おそろいですね?」

男「そうだな」

女「……なんでこんな話になったんですか?」

男「いや、普通になんか、励まそうとしたつもりだったんだけど、あまりに俺が無能すぎて……」

女「げ、元気だしてください、お兄さん。がんばってるだけ偉いですから……」

男「そう言ってくれるのはきみだけだよ……」

女「……な、なんでわたしが励ましてるんですかね?」

男「……さあ?」

つづく


女「そういえば、ふと思い出したんですけど」

男「ん」

女「さっき、病院の売店の話したじゃないですか」

男「ああ、クロスワードパズル」

女「そうそう。わたしが売店って言われたときに詩集を思い出すの、お母さんのせいかもしれないです」

男「どういう意味?」

女「小学生の頃、わたしも入院したことがあるんです。そのとき、暇だろうからって売店で詩集を買ってきてくれたんです」

男「詩集。へえ。洒落たお母さんだな」

女「どうだろ。わたし、小説とか苦手でしたし……」

男「ふうん」

女「谷川俊太郎の詩集。わたし、好きだったんです」

男「二十億光年の孤独?」

女「そうそう。『万有引力とは──』」

男「『ひき合う孤独の力である』って?」

女「よくとっさに出てきますね」

男「あー、まあね」



女「詩とか読むんですか?」

男「いや、あんまり」

女「『さて朝食には嘲笑を食おうか』……」

男「……『祈りを食おうか、と考える』」

女「知ってるじゃないですか」

男「ほとんど知らない。でもそれはかっこいい」

女「わかります、わかります。読んでるんじゃないですか」


男「あのさ、さっき、集中力が続かないって話してただろ、きみが」

女「あ、はい」

男「俺も、小説とか映画は途中で集中切れるんだよ。でも詩はさ、小難しいのじゃなければ読めるわけだ」

女「あー」

男「頭にかかる負荷が少ない」

女「まあたしかに」

男「それで読んだりはするだけ」

女「でも、なかなかいませんよね、詩読むよって言う人」

男「なのかな。まあ、詩ってよくわかんないしな」

女「たしかにですね」


男「それに、なんか恥ずかしくない?」

女「どうしてですか?」

男「『休日なにやってんの?』『本読んでます』『どんなの?』『谷川俊太郎の詩集とかですね……』」

男「って言えないだろなんか」

女「ま、まあ……たしかに……」

男「なんか恥ずかしいだろ。だからあんまり人には言わない」

女「なるほど……」

男「……」

女「でも、ここにほら、趣味を同じくする者がひとりいますよ! 語れますよ!」

男「べつに語りたくはない」


女「じゃあ、どれが好きですか?」

男「……」

女「ほら、恥ずかしがらずに」

男「きみは?」

女「えっ、わたし?」

男「きみはどれが好きなの?」

女「……えっと、『春』とか……」

男「漢字の方?」

女「そです」

男「『かわいらしい郊外電車の沿線では』……だっけ?」

女「『春以外は立入禁止である』。それです!」

男「あれもいいな」

女「あれもいいです。で、お兄さんは?」

男「それ」

女「ずるい。……なんか恥ずかしいですね、これ」


男「……腹減ったな」

女「……そろそろ帰っちゃいます?」

男「きみは? ただの散歩なんだろ」

女「あ、えっと、そうですね。お兄さんが帰るならわたしも帰ります」

男「じゃあ、もうちょっといようかな」

女「なんです、それ」

男「べつに深い意味はないけど」

女「……」

男「帰ったってからっぽの部屋があるだけだしな」

女「悲しいこと言いますね」

男「生活が悲しいんだ」


女「もっと明るいことを考えましょうよ」

男「きみに言われると変な感じだな」

女「何がしたいとか、何がほしいとか、考えた方がいいんです、きっと」

男「……きみニートじゃん」

女「脈絡もなく心をえぐらないでください」

男「いや、どう考えてもこれまでの発言と矛盾してる気がしてな」

女「べつに……暗いことばっかり考えてるわけじゃないです、わたしだって」

男「そう?」

女「ただ落ち込みやすいだけです」

男「そいつは困ったな」

女「たいへん困っております」



男「明るいこと、ね」

女「お兄さんは、ほしいものとかないんですか?」

男「……ほしいもの……」

女「はい」

男「……思いついてもあとでむなしくならないか?」

女「『空想が罪だろうか』ですよ」

男「ええ……」

女「いいから、ほしいもの、ほしいもの」

男「……安心?」

女「……いや、ほしいですけど」

男「安らぎとか……」

女「あの、そういうんじゃなくて、もっとこう、物質的な」

男「……金」

女「急に即物的すぎませんか?」

男「金があれば生活にゆとりができるだろ。ゆとりができればバイト辞められるだろ。バイト辞められれば失敗しないだろ?」

女「めちゃくちゃ後ろ向きですね……」

男「俺だけなのかな」

女「正直めっちゃくちゃ分かりますけど……」


女「関係ないんですけど、わたし、漫画とか苦手なんです」

男「ホントに関係ないな。なんで?」

女「好きなんですけど、完結すると寂しくなりませんか?」

男「ああ」

女「好きな漫画なら好きな漫画だけ、好きだった期間が長ければ長いだけ、寂しくなるじゃないですか」

男「そういう意味か」

女「なんか、置き去りにされてる気がするし。それに、最初はだめだった人が、徐々に真人間に成長したりすると……」

男「……」

女「なにひとつ変われないままの自分をつきつけられてる気がしますよね……」

男「難儀な性格してんな……」



女「ちょっと前に、匿名のメッセージアプリをやってたんです」

男「匿名? ツイッターとかじゃなくて?」

女「そのアプリの中だけで、見ず知らずの人のつぶやきみたいなのが見られて、気になった人にメッセージを送れるタイプです」

男「……出会い系?」

女「違います。友達機能とかなくて、その日話した人とも次の日会えるかわからないってタイプですね」

男「ああ」

女「それで、仲良くなった子がいたんです」

男「でも、次の日会えるかわからないんだろ?」

女「メインのタイムラインみたいなのがあって、名前は表示されてるので、今日もいるなって思ったらメッセージ送って、みたいな」

男「ふうん」

女「その子も引きこもりだったんですけど……その子、春から通信制の学校通おうと思うって言うんです」

男「……」

女「がんばってって言ったけど、わたし、置き去りにされたみたいな気分でした」

男「……まあ、分かるけど」



女「だからなんか……なんか、わたし、なんて言ったらいいかわからないんですけど……」

男「うん」

女「……どうしたらいいんですかね?」

男「……」

女「……」

男「……さあ?」

女「……訊いたわたしがバカでした」

男「どうにかしなきゃって思うわけだ」

女「それは、まあ、わたしだって、でも……」

男「うん」

女「一人じゃ買い物もできないのに、電話にも出れないのに、働くなんて無理だし、学校なんて、人なんて怖いし」

男「うん」

女「怖い、怖くて……」

男「うーん、そっか」


女「お兄さん、なんか、冷たいですね」

男「そういうわけじゃないけど」

女「もっと親身になってください」

男「今日初めて会った相手にか?」

女「お兄さんには、そうかもしれないけど、わたしには……ひさしぶりに会話した、家族じゃない人です」

男「……」

女「去年の秋からおさんぽしてて、今日、初めて人に会ったんです」

男「……誰かに会いたかった?」

女「会いたかった。……会いたくなかった。話したかった。話したくなかった」

男「……」

女「わかんないです……」


女「目をさますたびに、みんなが当たり前の生活をしてるんだろうなって思うんです」

女「そうするとなんだか……置いてけぼりにされてるみたいで、ずっと……」

女「みんなわたしのこと忘れちゃうんだって、みんなわたしがいなくても平気なんだって」

女「なんにも変わらない生活をしてるんだって、わたし、誰にも必要とされてないんだなって……」

女「そんなふうに、思って……」

男「……ん、そう」

女「……お兄さん、ちょっと笑ってますよね」

男「いや、怒らないでほしいんだけど、ちょっと笑ってる」

女「なにがおかしいんですか」

男「嬉しいんだよ」

女「……なにが」

男「俺みたいなやつがいるなって」

女「……」


女「お、お兄さんは、ちゃんと外に出て、バイトして、買い物もできるから……」

男「……うん」

女「だ、だから、わたしのこと、そんなふうに言えますけど、わたしは……」

男「うん」

女「わたしは……」

男「……」

女「どうして、こうなっちゃったかな……」

男「きみのせいじゃないよ」

女「……そ、ですかね」

男「そう思うよ」

女「な、なんか、軽い……」

男「他人事だからな。でもそう思うよ」



女「……わたし、悪くないですかね」

男「さあ?」

女「どっちですか」

男「俺が悪くないって言ったって、べつにきみが楽になるわけじゃないだろ」

女「……」

男「誰かに悪くないって言われたって、きみはたぶんつらいままだろ」

女「で、でも!」

男「ん」

女「いまは悪くないって言ってほしかったです! 悪くないよって言ってください!」

女「そんなんだからお兄さん童貞なんですよ!」

男「脈絡もなく心をえぐるな」

女「さっきのお返しです」

男「なんてやつだ」

つづく
48-5 覚えて → 思って


男「さっき、ほしいものを考えてみろって言っただろ」

女「……? はい」

男「たとえばだけどさ、べつに、失敗しないような人間になりたいって思うわけじゃないんだよ」

女「……」

男「そりゃなりたいけど、そうじゃなくて、ホントは、失敗しても、今日はこんな失敗したって、そう報告できる相手がいりゃいいなって思う」

女「……」

男「そんで、馬鹿みたいに弱音吐いたり、愚痴言ったりさ、そういう相手がいたらいいなって思うことはあるよ」

女「……」

男「それだけでなんか、もうちょっとやれる気がするんだよな」

女「……そ、ですか?」

男「俺はだけどな」


女「……お兄さん、あの」

男「ん」

女「わたし、明日もここに、散歩に来ますよ」

男「……」

女「だから……」

男「……えー」

女「な、なんで嫌そうな顔するんですか!」

男「いや、嫌そうっていうか……べつに嫌ではないけど、明日は俺夜仕事だし」

女「あ、そ、そうでしたね……」


男「……たとえばだけどさ」

女「……はい?」

男「今はうまく考えられないかもしれないけど、きみにだって通信制の高校に通うって選択肢はあるわけだろ」

女「……」

男「べつにそうしたらって言いたいわけじゃないけどな」

女「……スクーリングとかあるんです。それも、調べました。人に会うの、怖いです」

男「……」

女「ひとりで学校行って、いろいろ、できる気がしないです」

男「まあ、そういう話じゃなくてさ。バイトの募集が高卒以上ばっかだって言うけど、コンビニならだいたい関係ないし」

女「接客なんて、できる気しないですもん。きっと向いてないです」

男「……きみには俺が接客向きに見えるか?」

女「見えないです。……あ、ほんとだ。見えないですね」

男「……まあとにかくだ」


女「なにが言いたいんです?」

男「高認受けて専門にいくとか、短大目指すとか、べつに選択肢なんて山ほどあるだろ」

女「……」

男「べつになにかしなきゃいけないっていうんじゃなくて、つまりまあ……」

女「つまり……?」

男「あんまり焦るな。ひきこもりが先のことあれこれ考えても暗くなるだけだぞ」

女「……」

男「……」

女「さ、先のこと考えさせるようなことさんざん言ったあとにそれですか!」

男「いやホント俺無能だな、励まし方がまったくわからん」

女「……まったくもう」


男「じゃあさ、もしいろいろ考えて、それでも何もできそうになかったら」

女「……なかったら?」

男「そうだな……」

女「……」

男「……」

女「……お兄さん?」

男「……いや、やっぱなんでもない」

女「……いまプロポーズしようとしました?」

男「してねえよ」

女「『俺んとこ来るか?』ってパターンじゃなかったですか?」

男「いまの俺にニートを養うだけの甲斐性はねえよ。ていうか実家だよ」


男「そうじゃなくて、べつに弱音くらい聞いてやるよって話」

女「……ほんとうですか」

男「気が向いたらな」

女「もてあそばないでください」

男「それとも一緒に職業訓練でもいくか? ソフトの使い方覚えれば事務系の仕事なんてたぶん山程あるぞ」

女「……できる気がしないです」

男「俺もしない」

女「自分ができないことを人にさせようとしないでください」

男「高望みさえしなけりゃ、働き口探すだけならきっと難しくないよ」

女「……」

男「働くのはつらいけどな」

女「……フリーターのくせに偉そうに」

男「ニートが言っちゃいけない台詞だろそれ」


女「……ちょっと、考えてみます」

男「まあ、無理すんなよ」

女「お兄さん、こんど、お兄さんの店に、買い物しにいってもいいですか」

男「……いいけど、夜中だぞ」

女「大丈夫です。昼夜逆転なんてしょっちゅうですから」

男「そうじゃなくて、女の子ひとりで夜に出歩くなよ」

女「お兄さん、ふるーい」

男「……いや、知ったことじゃねえけどさ」

女「今度、買い物の練習しにいきます。店、教えてください」

男「まあ、いいけどさ」

女「それにお兄さん、嘘つきみたいだから、愚痴聞くって言って、二度と来ないかもしれないし」

男「いいけどさ。それ、嘘つきな俺が違う店教えたらどうする?」

女「……えっと」

男「……」

女「……死ぬ?」

男「重いよ」



女「お兄さんはどうするんですか」

男「ん」

女「さんざんわたしに説教しておいて、自分はフリーターに甘んじる気ですか」

男「全国のフリーターに謝れ」

女「わたしはお兄さんに言ってるんです」

男「……ま、そうな」

女「……」

男「そのうち探すかって考えてたのに、ずっとなあなあにしてたからな……」

女「お兄さんも、がんばってください」

男「……」

女「そしたら、わたしもがんばります」

男「そうな。……まあ、ハロワにでも行って、いいのがなかったら派遣にでも登録するか。バイトよりはマシだろう」

女「……そういうもんですか?」

男「たぶんな。でもま、ど田舎なんて、仕事選ばなきゃ山程あるだろ。介護とか、工場とかでも」

女「……お兄さん、なんも考えてないわけじゃないんですね」

男「どうだろうな。結局考えてただけで実行に移さなかったのは、自信がないからだし」

女「……」


男「でもま、なんだろうな……」

女「……?」

男「働き口見つからなくたって、仕事でミスしたって、クビになったって、給料安くたって」

男「きみに話せるなら笑い話にできそうな気がするよ」

女「……おお」

男「ん」

女「やっと素直になりましたね」

男「なんだ、素直って」

女「わたしの持つ、包容力、に、既にお兄さんはやられてるわけですね」

男「いや、ニート見てると安心できるだろ?」

女「さっきニート見て安心してる自分に不安になるって言ってたくせに!」

男「冗談だって」


女「……あれ」

男「ん」

女「誰か来ましたね」

男「急に小声になるな、きみは」

女「か、隠れないと……」

男「なんでだよ」

女「……あれ」

男「子供だな」

女「……親子連れですね」

男「……ここ、人来ないんじゃないの?」

女「いつもは……あ、でも、いつもはこんな時間までいないので」

男「……おい」

女「はい?」

男「こっちに近付いてないか? 子供」

女「あ……あう」

男「驚くくらいにビビるなきみは。なんで俺とは話せるんだよ」

女「……悲鳴をあげたからですかね」

男「あー」


子供「……」

男「めっちゃ見てくるな」

女「……」

男「きみ、何歳?」

子供「……」

男「……」

母親「どうも、こんにちは」

男「……あ、こんにちは」

女「……」

子供「……」

男「何見つめ合ってるんだよ」

女「や、えと」


男「ね、きみ、何歳?」

母親「……ほら、何歳、だってよ」

子供「……さんさい」

男「三歳かあ。おっきいなあ。その風船どうしたの?」

子供「……もらった」

男「もらった? どっかで配ってるのか」

女「……」

母親「今日オープンした喫茶店で配ってたんです」

男「へえ。喫茶店」

子供「ほっとけーき」

男「ホットケーキ? 食べてきたのか。いいな。お散歩ですか?」

母親「ええ、いい天気ですから、少し歩こうと思って」

男「……ああ、ホントだ。いつのまにかずいぶん日が出てますね」

女「……」

男「ぜんぜん気づかなかったな。……な?」

女「え? あ……そ、ですね」


母親「ごめんなさいね、デートの邪魔しちゃって」

男「ああ、いえ」

母親「ほら、もう行きましょう?」

子供「……」

母親「ばいばいって」

子供「……ばいばい」

男「ばいばい」

女「……」

男「ほら、手振ってるぞ。振り返してやれよ」

女「あ……はい」

男「……お、笑ってるぞ」

女「……お、お兄さん」

男「ん」

女「……う、うらぎりもの……」

男「……なにがだ?」


女「普通に人と話せてる……」

男「無視するわけにもいかないだろ」

女「もっと挙動不審になってほしかったです」

男「きみといるとそういう落胆のされかたばっかりだな」

女「わたしなんて、やっぱり子供とすらしゃべれない……」

男「そうか? 普通だったろ」

女「そんなことないです。絶対目とか泳いでましたもん」

男「気にしすぎだろ。ちょっと人見知りなのかなってくらいにしか思われないよ」

女「……絶対へんに思われました」

男「さっきの親子、そんな目できみのこと見てたか?」

女「……え?」

男「普通だったろ」

女「……それは、まあ」

男「劣等感があるのはわかるけど、他人が自分を悪く思ってると思いこむのは、それはそれで失礼だろう」

女「……フリーターのくせに、偉そうに」

男「きみのそれは『返す言葉がない』って意味だなと分かってきた」


男「しかし、喫茶店か。そういや、オープンするって聞いたな。今日だったのか」

女「……」

男「どうしたんだよ」

女「やっぱりわたし、お兄さんに愚痴聞いてもらう資格ないです」

男「なに、急に」

女「お兄さんみたいにちゃんとしてないし。人とうまく喋れないし」

男「めんどくさいやつ」

女「……そです。わたし、めんどくさいんです。ほっといてください」

男「なんだよ……」

女「……」


女「……だめです、わたしはやっぱり」

男「ま、無理することないけど」

男「さっきの親子だって、きみのことニートで引きこもりだなんて思わなかったと思うよ」

女「……そ、ですかね」

男「間違いない」

女「どうしてそう言えるんですか」

男「たいていの人はニートのひきこもりがこんな時間に外で誰かといるなんて思わないからな」

女「……そ、そういう問題ですか?」

男「実際、デートとか言われたろ」

女「あ、そうだ! いつからデートしてたんですかわたしたちは!」

男「デートじゃないですって言ったら説明がめんどくさいだろ」

女「そ、そうかもですが」


男「ま、気にすんなって言っても落ち込むんだろうから、べつにいいけどさ」

女「……つ、つめたい」

男「なんて言ってほしいんだよ」

女「……なにか言ってほしいわけじゃ、ないですけど」

男「じゃあ、なにが問題なの」

女「だから、わたしは……だいいち、お兄さん、わたしなんかと話してても、退屈でしょう」

男「ん?」

女「話下手だし、もっと、有効な時間の使い方ってものがあると思うんです」

男「退屈しないよ」

女「……なんでですか」

男「だってきみ、おもしろいからな」


女「……でも、すぐ暗いこと言うし……」

男「今みたいにな」

女「……そです」

男「俺もそうだ。お互い様だろ。それで俺は、べつにそれが不快じゃない」

女「……」

男「きみが不快だっていうなら、そりゃ仕方ないけど」

女「不快なんて!」

男「……」

女「不快なんてことは、ない、ですけど……」

男「じゃ、問題ないだろ?」

女「……お兄さんと話してると、わたし、バカみたいです」



男「俺のほうがバカだからな。きみと話してると、悩みのない生活してるなって思うよ」

女「ばかなことで悩んでる方がばかなんです」

男「俺はそういうやつの方が好きだけど」

女「急に告白しないでください」

男「してねえよ。ふたりだと急に舌が回るようになるなきみは」

女「内弁慶なんです」

男「俺は内かい」

女「……や、すみません、内とか言って」

男「なんでそこで謝る。卑屈か」

女「卑屈にもなります……」


女「お兄さんはテキトーすぎます」

男「そうでもないつもりだけど……」

女「……」

男「そういえばさ」

女「はい?」

男「さっき小学生の頃入院してたって言ってたけど、病気かなにか?」

女「急に話題が戻りますね。やっぱりテキトーじゃないですか」

男「なんとなくな」

女「なんでだと思います?」

男「階段から滑り落ちて骨でも折ったんだろ」

女「ひどい」

男「で、なんで?」

女「……スキー場で転がって骨を折ったんです」

男「階段よりひどかった」


女「……おなかすきました」

男「そうだな」

女「いま、何時だろ」

男「さあな」

女「お兄さん、眠くないです?」

男「……まあな」

女「仕事帰りなのに、長々と付き合わせて、ごめんなさい」

男「べつに、付き合わされたと思ってないよ」

女「そ、ですか?」

男「袖振り合うも多少の縁だろ」

女「袖擦り合うも多生の縁です」

男「意味はだいたい同じだろ」

女「お兄さん、情けは人のためならずを『情けは人のためにならないぞ』って意味だと思ってるタイプですね?」

男「違うの?」

女「ちがいます。ばーかばーか」

男「……ここぞとばかりに」



女「……多生の縁かはわかりませんけど」

男「うん?」

女「散歩してたの、ほんとは、運動不足のせいだけじゃないんです」

男「……」

女「毎日が変わらないから、変えられないから、ずっとどこかで、何かが起きるのを待ってたんです」

女「だれかがどこかに連れ出してくれないかって」

女「なにかが起きて、変われるんじゃないかって」

女「そんなの他力本願だってわかってたけど……でももう、自分じゃなにもわからないから」

男「ホント他力本願だな」

女「……もうちょっと、わたしにやさしくしてくれてもいいじゃないですか」

男「はいはい」

女「……決めてたんです。もしここで誰かに会えたら、そのときは、がんばってお話しようって」

男「……ふうん」


女「ばかみたいって思いますか? 買い物いくのも怖いくせに、そんな願掛けみたいな……」

男「いや……ああ、どうだろうな。バカみたいかもな」

女「……ひどいー」

男「俺も似たようなもんだって意味だよ」

女「……?」

男「なにか起きてくれないかと思って、家に帰れなかったんだ」

女「……おそろいですね」

男「まあな」

女「ばーか」

男「なんだよ」


男「で、願掛けの結果はどうだった?」

女「……んん。まあ、悪くはないと思います」

男「それはよかった」

女「……お兄さんは」

男「ん?」

女「お兄さんは、わたしに会えてよかったですか?」

男「んー」

女「ていうかよかったですね、わたしに会えて。ひさしぶりに若い女の子と会話する気分はどうですか?」

男「と、とつぜん自信満々だな……」

女「……や、つい」

男「照れ隠しか」

女「ちがいます、ちがいますー」


男「さて」

女「……ほんとに、また来てくれますか?」

男「ん? たぶんな」

女「……来なかったら、恨みますからね」

男「ずいぶん懐かれたな」

女「……まんざらじゃないくせに」

男「悪い気はしないけどさ」

女「……じゃあ、おやすみなさい」

男「なあ、腹減ってないか?」

女「……?」

男「おやつの時間だ。甘いもんでも食いにいこう」

女「……え?」




男「さっきの子からホットケーキの話聞いてから、ずっと食べたかったんだよ」

女「え、でも……わたし、お金ないです」

男「払わせる気ならニートを誘わないよ」

女「……で、でも、おごられる理由がないです」

男「ついでだよ」

女「ついで?」

男「この寒空の下に女の子を残して、ひとりでホットケーキ食いにいくのも嫌な感じだろう」

女「……わたしは、気にしないですけど」

男「俺が気にする」

女「……へ、へんなの」


女「喫茶店の場所、知ってるんですか?」

男「バイト先の先輩が言ってたから、なんとなくは」

女「……どのあたりですか?」

男「銀杏並木があるだろう。今時期は葉が落ちきって、枝に雪がつもって、きらきら光ってる」

女「場所の具体性がゼロですね」

男「印象重視だからな。まあ、とにかくその向こうだ」

女「……わたし、風船もらえるかな」

男「さあ? まあ、でも」

女「……?」

男「『風船ください』って言えば、断られることもないだろうと思うよ」

女「……言えるかな」

男「どうだろうな」

女「……」

男「どうする? 行くか?」

女「……えと」

男「うん」

女「ほんとに、いいんですか?」

男「俺が誘ってるんだよ」

女「……へんなの」



女「……なんで、そこまでしてくれるんですか」

男「ここは神社だしな」

女「……?」

男「こいつはもう、思し召しってやつなんだろうと思うことにした」

女「思し召し、ですか」

男「そう」

女「……ろ、ロマンチスト……似合わない」

男「うるせえよ。願掛けとかしてたやつが」

女「わたしのはシリアスですもん!」

男「どっちでもいいよ。行くか?」

女「……行きます」

男「そう。じゃあ行こう」


男「二月ともなると、昼間はあったかいな」

女「……」

男「春はもうちょっと先か?」

女「……そうですね」

男「……」

女「……お兄さん、詩をひとつ、思い出しました」

男「詩?」

女「はい。吉野弘の、二月の小舟という詩です」

男「……」

女「『冬を運び出すにしては、小さすぎる舟です。春を運びこむにしても、小さすぎる舟です』」

男「……『ですから、時間が掛かるでしょう。冬が春になるまでは』」

女「知ってるんですか?」

男「こないだ本屋に平置きされてたよ」

女「……『川の胸乳がふくらむまでは、まだまだ、時間が掛かるでしょう』」

男「……公衆の場で詩をそらんじるなよ。恥ずかしいやつ」

女「お、お兄さんも乗っかったじゃないですか」

男「生きることは恥を晒すことだからな」

女「それっぽいこと言ってごまかそうとしないでください。それに、どうせ、他には誰もいないんですから、平気です」

男「……ま、たしかにな」


男「それにしても……」

女「……」

男「いい天気になったな、いつのまにか」

女「……ふふ」

男「なに気持ち悪い笑い方してんだ」

女「ひどい。なんでもないもん。……ただ、ほんとに、いい天気ですねって」

男「散歩にはうってつけの日」

女「……それにしても」

男「ん?」

女「おなか、すきました」

男「ほんとにな」

女「たくさんたべちゃうかもしれません」

男「……控えめにしてくれよ、こちとらフリーターだからな」

女「しかたないですね。……ひかえめに、しておいてあげます」

おしまい

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