【ミリマス】人形の願い (51)

・地の文
・軽度の越境要素有
・捏造山盛り

よろしければお付き合いください

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初めて会う人だった。
でも、この業界の人なんだなっていうのは分かる。
……テレビ局のカフェスペースなんて、関係者くらいしか来ないしね。

「相席、いいですか?」

その男の人は優しそうな笑顔を浮かべていた。
うん、営業スマイル……ってわけじゃないかな。
着てるスーツもちゃんとしてるし、第一印象は合格。

「はい、どうぞ」

周りにはいくつか空席もあるのに、なんでわざわざここに?
そう思うけど、こういうことが次のお仕事に繋がったりするからね。

それに、収録が早く済んじゃったからまだ時間がある。
一人でボーっとして時間を潰すよりはいいかなって。

「ありがとうございます」

さて、どんな話なんだろう。
面白い話ならいいけど。

そんな気持ちがちょっと顔に出ちゃってたのかもしれない。
男の人は、いきなり本題に入った。

でもそれは、まるで予想外の話だった。

「周防桃子さん、アイドルになりませんか?」


「……アイドル?」

突然出てきた言葉に、頭がちゃんと回ってくれない。
アイドルって、あれだよね。
ステージで歌って踊って。
時にはバラエティタレントみたいなお仕事もして。

そのアイドルに、桃子が?

「はい」

しっかり目を見て頷いた男の人から名刺を受け取る。
芸能事務所765プロダクション。
肩書きはプロデューサー。

その事務所の名前は桃子も知ってる。
少数精鋭主義のアイドル事務所で、所属アイドルはみんな売れっ子っていう。
そんな所のプロデューサーさんなんだ。

オジサンって呼んだら傷つきそうな、そんな歳に見えるのに。
こう見えて優秀な人なのかな。


「今、弊事務所では新プロジェクトを立ち上げているところなんです」

これまでの少数精鋭から一転して、大規模な新人募集を行う。
併せて新設する劇場を拠点として活動していく。

プロデューサーさんは、そういう説明をしてくれた。

「そのプロジェクトに、桃子を……?」

「やってみたいと、そう思ってもらえるなら」

面白そうだな、って思った。
同じ芸能界でも、桃子の知らない世界のお話だったし。
こういう説明をきちんとしてくれるのも、ちょっと嬉しかったし。

でも、アイドルをやってみたいかっていうと、それはちょっと違う気がする。
だって桃子は子役だから。
今のこのお仕事、好きだから。

桃子が今何を考えてるのか、プロデューサーさんも分かってるみたい。
だって、ダメで元々、みたいな顔してるもん。


……じゃあなんでこの話を桃子に?
そんな疑問が浮かんできて、一つ閃いたことがある。
この人は、変に誤魔化さずにちゃんと答えてくれる。
何となくなんだけど、そんな気がするんだ。

「何で桃子なの?」

これはきっと、イジワルな質問だと思う。
だから、逆に聞いてみたくなった。

「桃子が、子役の周防桃子だから?」

きっと、あの時の事を思い出したからだ。
元子役の岡崎泰葉さんが、アイドルとして活躍してるのを知ったからだ。
だから、こんなことを聞いてみたいって思ったんだ。


***************************


家に帰っても誰もいない。
だからご飯も一人で食べる。
そんなことにもいつの間にか慣れちゃった。

ご飯を温め直してる間にリビングのテレビをつけて。
ニュースにバラエティ、ドラマ……
適当にチャンネルを変えるけど、これっていうのがない。

「まあ、見たいものも特にないんだけど」

独り言をこぼすと、画面に音楽番組が映った。
まあ、これでいいか。

別に静かなのが寂しいとかじゃなくて。
自分以外の音がないと落ち着かないっていうか。

「……誰に言い訳してるんだろ」

温め直しが終わった音で我に返った。
ちょっと恥ずかしい。
別に、誰が聞いてるわけでもないんだけどさ。


「いただきます」

きちんと手を合わせる。
もちろん返事なんてないんだけど。
用意してくれたお母さんに、ありがとうを忘れないようにしたいから。

テレビからはアップテンポな曲が流れ出した。
三人組の男の人が踊りながら歌ってる。
誰だっけ、どこかで見た気がするんだけど。

「うん、美味しい」

一人の食事は味気ない、なんて話はよく聞く。
でも、気にしなければ気にならないと思うんだ。
一人の方が気楽なこともあるし。
それに……


『それでは、続いてのゲストです』

ふと気づくと、さっきのグループの出番は終わっていた。
真面目に聞いてたわけじゃないけど、サビの部分が耳に残ってる。
後で曲名調べておこう。

『近頃人気急上昇中のアイドル、岡崎泰葉さんです』

「え……?」

手が止まって、目は画面に釘付けに。
聞いたことのある名前が、聞いたことのない紹介をされていたから。

やがて登場したのは、初めて見るのにどこか見覚えのある人だった。

『よろしくお願いします』

その声を聞いて、はっきりと思い出した。
記憶の中よりもずっと柔らかい声だけど、でも、間違いない。
岡崎泰葉さんだ。


『いやー。久しぶりだねぇ、泰葉ちゃん』

『ふふ、その節はお世話になりました』

『あの泰葉ちゃんが、今や立派なアイドル!』

『いえ、まだまだです』

画面の向こうでは、親しげなやり取りが交わされている。
この司会の人とは一緒にお仕事をしたことがある。

「あの時、泰葉さんも一緒だったんだよね」

それからしばらくして、泰葉さんは子役を辞めた。
だから、あれが泰葉さんとの最後のお仕事だったんだ。
あの時の泰葉さん、なんて言ってたんだっけ……


『それでは岡崎さん、よろしくお願いします』

記憶を辿っているうちに、泰葉さんのステージが始まる。
最初は別に、そんなに興味もなかった。

一緒にお仕事をしたことはあっても、仲良しってわけじゃないし。
泰葉さんを意識してたことはあったけど、それも昔の話だし。
ただ、チャンネルを変える理由が見当たらなかっただけ。
……そのはずだったのに。

いつの間にか、画面から目が離せなくなっていた。

歌もダンスも、特別上手ってわけじゃない……と、思う。
ひとつ前のグループのダンスは、もっと迫力があった。
泰葉さんより綺麗に歌う人だって、何人も知ってる。

じゃあ、なんで?
それはきっと、見たことのない泰葉さんだったから。

子役時代の泰葉さんのことはよく知ってる。
演技のお手本にって、研究したこともある。

だから、笑ってる泰葉さんも、楽しそうな泰葉さんも知ってる。
でも、画面の中の泰葉さんは、そのどれとも違った。

「これが泰葉さんなの?」

嬉しそうで、楽しそうで、誇らしげで。
全部、初めて見る泰葉さん自身の表情だった。

胸の奥の方が、ジクジクする。
……何でこんな気持ちになるんだろう?


***************************


どんな答えが返ってくるんだろう。
答え次第では、もうちょっと考えてあげてもいいかな、なんて。

「……ふぅ」

小さなため息が聞こえた。
その表情は降参、って言ってるみたい。

「そうですね。それがないとは言い切れません」

プロデューサーさんは素直に認めた。
下手は言い訳は通じないって、分かってるみたい。
……そんな計算はなくて、単にバカ正直なのかもしれないけど。

「周防さんのネームバリューは魅力的ですから」

桃子の予想通りの言葉だった。
いくら事務所の名前が知られてても、新人を売り出すのは大変だもの。
でもその中に、桃子みたいな有名人がいたら。
話題にもなるし、売り込みも楽になるもんね。


「ですが、あくまでそれはきっかけです」

プロデューサーさんがこっちを真っ直ぐに見てる。
相変わらず柔らかい表情だけど、声は真剣だ。
この人はきっと、本当のことを話してる。
それが伝わってきた。

「じゃあなんで?」

「周防桃子さんを見たくなったんです」

「……意味分かんない」

実はプロデューサーさん、桃子の現場をこっそり見学してたんだって。
目的は、桃子をスカウトするかどうかを判断すること。

こうしてお話してるってことは、お眼鏡に適ったってことだよね。
まあ、スカウトを受けるかどうかは別の話だけど。

「実際、周防さんの演技は凄かった」

そっち方面は素人なんですが、だって。
そういう人にもちゃんと伝わる演技ができてたなら、嬉しいな。

「あ、ありがと」

でも、いきなりストレートに褒めるのは卑怯じゃないかな。
思わず答えに詰まっちゃったじゃない。


「だから余計に、気になったんです」

プロデューサーさんの表情が引き締まる。
重要で、でも言いにくい何か。
本当にそれを言っていいのかどうか、迷ってるみたいな顔だった。

「いいよ。怒らないから言ってみて」

先回りしてあげると、少しだけ緊張が解けたみたい。
小さく息を吐き出した後、続きの言葉をくれた。

「出番が終わったあとの表情が、です」

「……え?」

「出番が終わると、あなたは共演者やスタッフに如才なく挨拶をしていました」

当たり前じゃない。
収録は桃子一人でできるものじゃないんだし。
次のことだってあるんだから、そうするのが当然だよね。


「ですが、現場の皆さんから周防さんへの意識が切れた時です」

えっと……?
桃子、何か変なことしてたっけ。
思い当たるものがないんだけど。

「その時の空虚な表情が、今も脳裏にこびりついているんです」

いきなり頬っぺたを叩かれたような衝撃だった。
頭の中が真っ白になって、プロデューサーさんの言葉が呑み込めない。

「誰であれ、あんな表情をさせてはいけないと、私は思うんです」

嘘だ。
そんなこと、あるわけない。
桃子がそんな表情する、理由がないもの。
きっと何かの間違いだよ。
そうに決まってる。

「だから周防さん……」

「……っ!」

目の前が真っ暗だった。
反射的に立ち上がっていたことにも、気づいてなかった。


***************************


あれは確か、泰葉さんと初共演した時のこと。
名前のある役が貰えたのは、それが初めてだった。
主演の泰葉さんに挨拶に行って、そこで聞いたんだ。

泰葉さんみたいになるにはどうすればいいの、って。

そのお仕事が貰えた時、お父さんもお母さんも喜んでくれたから。
もっともっと頑張れば、もっともっと喜んでくれるって、そう思ったから。
だから、天才子役、なんて言われていた泰葉さんに聞いてみたんだ。

「私みたいな人形には、ならないほうがいいよ」

桃子を見ながら、別の誰かを見る目で。
桃子に話しながら、別の誰かに話す声で。
泰葉さんは言った。

桃子には分からなかった。
その言葉の意味も。
その表情の理由も。


それが分かったのは、ずいぶん後になってから。
周防桃子の名前が売れてきて。
メインの役も貰えるようになって。
子役っていうお仕事が分かるようになってからだった。

どんなに凄い演技ができても、子どもじゃダメなんだ。
だって、子どものワガママで迷惑をかけちゃいけないから。

スケジュールの遅れは、関係者全員に影響する。
現場や裏方はもちろん、場合によってはスポンサーにまで。
それがどういうことかを、ちゃんと理解してないといけないんだ。

お仕事をする以上、子どもだからって甘えは許されない。
周りの大人に期待されていることを正しく把握できなきゃいけない。
その期待に応えなきゃいけない。

大人にとって理想的な、子どもらしい子どもでいられること。
それだけじゃなくて、物わかりのいい子どもでもいなきゃいけない。
子役っていうのは、そういうものを求められてるんだよ。


そんな子ども、どこにいるんだろうね?
そんなの、見た目が子どもなだけの大人じゃない。

役という衣装を着せられて。
ポーズも表情も望まれるままに。
必要のない時は手を煩わせることなく。
……ホント、お人形さんだよね。

でも、桃子はそんなに嫌じゃなかった。
演技のお仕事は好きだし。
それ以外のことだって、プロとして当たり前のことだもん。


でも一つだけ、損したかなって思うことがある。
桃子には、外で一緒に遊ぶような友だちがいない。
別に友だちがほしいとか、そういう話じゃないんだけど。

クラスのみんなには、桃子が別世界の人のように見えるみたいなんだ。
テレビに出るお仕事をしてるんだから、当然だよね。

それに、桃子にとってクラスのみんなは子ども過ぎるんだ。
別にみんなが悪いわけじゃないのは分かってるよ。
だって、子どもが子どもなのは普通のことだもの。

だから、桃子とみんなの間には壁があるんだ。
お互いに遠慮してるうちにできちゃった、見えない壁が。


その壁は、桃子とその周りの大人との間にもある。
みんな、桃子のことをちゃんと見ないで子ども扱いするんだ。

確かに桃子は、お仕事の時は子どもっぽく振る舞ってるよ?
だって、桃子みたいな子どもが生意気なことを言うと、大人は気にするんだもの。
それで現場の雰囲気が悪くなったら、お仕事に影響しちゃうかもしれないじゃない。

大体の人は、そんな桃子の考えまでは理解してくれない。
目に見える分かりやすい姿だけで判断するんだ。

「ま、別にいいんだけどね」

そういうものだっていうことは分かってるし。
桃子がそうなるようにしてることでもあるし。


……でも。
時々考えちゃうんだ。
もし桃子が子役をやってなかったら、って。

クラスのみんなと普通に友だちになって。
休みの日にはみんなと一日中遊んで。
子ども扱いにモヤモヤすることもなくて。

そういう、ただの周防桃子だったらどうなってたんだろう、って。

子役として有名になっていくと、お父さんとお母さんは段々仲が悪くなっていった。
きっと桃子が、子どもらしくない子どもになっちゃったからだ。
だから、もしそうじゃなかったら、なんて考えちゃうんだ。

でも、想像はいつも途中で止まっちゃう。
だって桃子は子役だから。
演技のお仕事が好きだから。

だから……
でも……


***************************


よく分からない何かが頭の中を掻き回してクラクラする。
閉じた目を開くと、自分の靴が見えた。
視界がまだ少し暗い。

「私はアイドルのプロデューサーです」

静かな声だった。
なんでか分からないけど、スッと耳に入ってくる。

「私にできるのは、周防さんをスカウトすることだけです」

ちょっとだけ冷静になれて、プロデューサーさんの方を見る。
膝の上に置かれた手に力が入ってる。

「ですがもし……」

力が抜けて立ってられなかった。
そんな桃子を、ソファがポスンって受け止める。

プロデューサーさんが心配そうにこっちを見てる。
大丈夫だよって笑顔で返したいんだけどな。
今、ちゃんと笑える自信がないや。


「失礼しますね」

プロデューサーさんが、テーブルに置きっぱなしになってた名刺を裏返す。
何か書いてるけど、これって……電話番号?

「縁が薄い相手の方が言いやすいこともありますから」

そんなことを言いながら、もう一度名刺を差し出してくる。
手書きの電話番号は、表にあるのとは違う番号だった。
個人的な番号、ってことだよね。

愚痴くらいなら聞きますよ、ってことなんだろうけど。
こういうことする意味、分かってるのかな。

「本当は、スカウト承諾の連絡が一番嬉しいんですが」

うん、分かってないっぽいね。
この人大丈夫なのかな、色んな意味で。


「……アイドルの話は、前向きに検討させてもらいます」

「それは何よりです」

プロデューサーさん、嬉しそう。
単なる社交辞令なのに。

……うん。
でも、ちょっと違うかな。

正直に言って、アイドルへの興味はない。
でも、この人なら大丈夫かもって、そんな気がする。
何の保証もないけど。

「それでは失礼しますね」

席を立ったのは、桃子が落ち着いたのが分かったから。
何となく、本当に何となくなんだけど。
この人は、そういう人なんだと思う。

「……ありがと」

小さなお礼は、スーツ姿の背中には届かなかった。


***************************


プロデューサーさんは、桃子のことを心配してた。
会ったばっかりなのに。
きっと、アイドルじゃなくてもいい、みたいなことまで言おうとしてた。
桃子のことをスカウトしに来たのに。

でも、その言葉は聞きたくなかった。
最後まで聞いちゃったら、向き合わなくちゃいけないから。

時々感じてた疑問とか、不安とか。
そういう、ボンヤリとしたものがはっきりしちゃいそうだったから。

「でももう、逃げてちゃダメだよね」

気付いちゃったことを無かったことにはできない。
それならちゃんと、考えなきゃ。
私が、周防桃子がどうしたいのかってこと。


演技のお仕事は好き。
それはずっと変わらない。

じゃあ子役のお仕事は?
今はもう、すぐに好きって答えられなくなってる。
別に嫌いになったわけじゃない。
ただ、何かが邪魔して、簡単には答えられないんだ。

『その時の空虚な表情が、今も脳裏にこびりついているんです』

あの時のプロデューサーさんの言葉が耳に残ってる。
こうやって冷静になれて、気付いちゃったんだ。

桃子はずっと、子役として求められるものに応えてきた。
そしたらいつの間にか、どこに桃子がいるのか分からなくなってたんだね。

子役として演技をすること。
お仕事のために『いい子』でいること。
そこに必要なのは、桃子自身じゃない。
みんなが求める周防桃子を演じてただけなんだ。


「……人形、か」

いつか聞いた泰葉さんの言葉を思い出す。
泰葉さんは子役の時、自分を人形って言ってた。

でも、この前テレビで見た泰葉さんはそうじゃなかった。
人形なんかじゃなくて、泰葉さんだったんだ。
アイドル岡崎泰葉を演じてたわけじゃない。
それくらいは分かるもの。

桃子もあんな風になりたいの?
……分からない。

でも、いつかきっと子役が嫌になるような、そんな気がする。
その時に演技のお仕事まで嫌いになっちゃったら。
……それだけは嫌。

「相談、してみよっかな」

少しお話しただけで、まだ全然知らない人なのに。
他の大人とはちょっと違うのかなって思った。
信じてみてもいいのかなって思った。

全部勘違いなのかもしれないけど、でも……


***************************


今日の収録は予定通りに進行したから、まだ時間はある。
でもやっぱり、待たせるのはよくないよね。
だって、桃子がお願いして来てもらってるんだし。

小走りでスタジオを出ると、もうプロデューサーさんは待っていた。
約束の時間まで、まだ三十分くらいあるんだけどな……

「遅れてごめんなさい」

「はは、仕事柄待つのには慣れてますから」

うん、まあ、待たせちゃったのは事実だよ?
でもさ、桃子はちゃんと時間前に来たよね?
それなのに、そんなこと言っちゃうの?

「ごめんなさい。実は、全然待ってないんです」

きっと、不機嫌な顔になってたんだと思う。
プロデューサーさんが慌てて謝った。


「……どういうこと?」

謝るくらいなら最初から言わなければいいのに。
ジト目でプロデューサーさんを見上げる。
ま、言い訳くらいは聞いてあげましょう。
桃子は優しいからね。

「今日も周防さんの仕事を見学してましたので」

……全然気づかなかった。
桃子、スタジオ内の人たちのことは一通り把握してたと思ってたんだけどな。
っていうか、それならそれで声をかけてくれればいいのに。
そしたら余計な手間をかけなくてよかったじゃない。

「まあ、面識のある方もそれなりにいましたから」

プロデューサーさんは苦笑いしてる。
桃子と会ってるのが知られると面倒になるってことかな。

まあ、知られたくないのは桃子も同じだけどさ。
アイドル事務所の若手プロデューサーと、人気子役。
お話づくりが上手な人なら、いくらでも面白いものが書けるもんね。

……つまり、プロデューサーさんなりに気を遣ってくれたってこと?
それならそれで、最初の台詞はいらなかったよね?


「ありがと、プロデューサーさん」

ともかく、桃子のことを考えてくれたお礼を伝える。
プロデューサーさんは目を丸くして頭を掻いてる。
別に変なことを言ったわけじゃないと思うんだけどな。

「あなたは……いえ、行きましょうか」

歩き出したプロデューサーさんの後について行く。
何を言おうとしたんだろう。

背中を見ながら歩いていると、すぐ近くの駐車場に着いた。
プロデューサーさんは後部座席のドアを開けてこっちを見てる。

「どうぞ、乗ってください」

お話するなら助手席の方がいいんだけど。
ああでも、桃子はお客さんだもんね。
軽く頷いて車の中に滑り込む。


車が走り出しても、しばらくの間は無言だった。
こういう時、どうやって話せばいいか分からない。
話を聞いてもらいたいって思ってたのに、声が出てこない。

膝の上の自分の手と、ミラー越しのプロデューサーさんの顔を見比べて。
何度か口を開いて、また閉じて。
そんなことをずっと繰り返していた。

赤信号で車が停まると、コポコポって音が聞こえてきた。
何だろうって顔を上げると、目の前に紙コップが差し出されている。
思わず受け取って、プロデューサーさんを見る。

「ウチのアイドルが淹れてくれたんです。美味しいですよ?」

両手で持ったコップがほんのりあったかい。
良い匂いがフワッと広がる。
気付いた時には口をつけていた。

ほんのちょっとだけ苦くて、でも甘い気もする。
すごく不思議な味だった。

「……美味しい」

「でしょう?」

嬉しそうな声につられて桃子も笑っちゃった。

さっきまでが嘘みたいにリラックスしてる。
お茶のお陰、なのかな。


「そういえばさっき、何を言おうとしてたの?」

自分でも驚くくらい、スッと言葉が出てきた。
信号が変わって、車がゆっくりと動き出す。

「さっき?」

「駐車場に行く前、何か言いかけてたでしょ?」

あの時のプロデューサーさんは、なんだか悲しそうに見えた。
驚いてるようにも見えたし、何かを我慢してるようにも見えた。
何でそんな顔をしたのか、桃子には全然わからない。

「……自分勝手な感心と同情ですよ」

「どういうこと?」

吐き出すような声だった。
なんでこんな風に話すんだろう。


「周防さんは私が口にしていないことまで察していましたよね」

そうだったっけ?
でも、そういうのは当たり前だと思ってた。
現場でも、あいまいな指示しか出さない監督さんとかよくいるし。

「これだけ歳が離れていれば、普通はそんなことできないんです」

普通、っていう言葉が引っ掛かった。
それはつまり、桃子が普通じゃないってことだよね。

「そうならなければならなかった環境を思うと、ね」

ミラー越しに目が合う。
プロデューサーさんは申し訳なさそうな顔をしていた。

「ですが、それを私が言うのは周防さんへの侮辱になりはしないかと」

その後に続いた、すみませんって言葉は聞かなかったことにした。
だって、そんな風に桃子のことを見てくれた人は数えるほどしかいなかったから。

大人はみんな、見たいものだけを見るんだと思ってた。
桃子が本当は何を考えてるかなんて、興味ないんだと思ってた。

良い子で振る舞う桃子を歓迎してくれる。
台本通りの演技をする桃子を褒めてくれる。
ただ、それだけだったから。

「ありがと」

でも、この人は違うかもしれない。
そう思った途端、ポロポロと言葉がこぼれ出した。


――――――
――――
――

演技のお仕事が好きなこと。
子役のお仕事に迷いが出始めたこと。
お父さんとお母さんが、段々仲が悪くなってること。
岡崎泰葉さんのこと。

言わなくていいことまで言っちゃった気がする。
だってプロデューサーさん、相槌打つの上手なんだもの。

「周防さん、アイドルになりませんか?」

一通り吐き出すと、いきなりそう言われた。
そんな軽い感じで言われて、はいって言うと思ってるのかな。


自然と視線が険しくなる。
運転中のプロデューサーさんは気付いてないみたいだけど。

「同じ芸能界ですから、これまでの周防さんの経験を活かせますよ?」

桃子に見えるように指を一本立てる。
怪しげなセールストークを聞いてる気分になってきた。
ついさっきまで、頼りになる感じだったのになぁ。

「その経験は、我々にとっても大きな助けになりますし」

二本目の指が立った。
そういう打算的な話は、今は聞きたくなかったのに。
理解はできるし、変に隠されるよりはいいんだけどさ。

「そして、ここからが本題なんですが」

急に声の調子が変わった。
車が停まって、プロデューサーさんが振り向く。

「少し、お付き合いいただけませんか?」

柔らかい笑顔だった。
信じてもいいのかなって、そう思えた時と同じ表情だった。


***************************


車を降りて少し行くと、遊歩道があった。
木漏れ日の中、二人並んで歩く。

小川を流れる水の音が耳に優しい。
周りの木立が街の音を遠くに感じさせる。

「なぜ周防さんをスカウトしたのか、という答えなんですが」

遊歩道と小川が交差して、小さな橋が架けられていた。
その手前のベンチに腰かけて、プロデューサーさんが話し出す。

「見てみたいと思ったんですよ」

隣を見上げると、その視線は空に向いてる。
何を見てるのかなって、ちょっと気になった。

「笑ったり、泣いたり、怒ったり。そういう、ごく普通の周防さんを」


ざあって木の葉が鳴って、風が通り過ぎていく。
木漏れ日が小川に反射してる。

なんでか分からないけど、プロデューサーさんは楽しそうな表情だった。
桃子なんかよりもずっと子供っぽい顔をしてる。

どうしてそんな顔ができるの?
どうやったらそんな顔ができるの?

「分かんないよ」

だって、そんなもの必要なかったもの。
ちゃんと演技をして、いい子でいれば問題なかったもの。
桃子が本当はどう思ってるかなんて、誰も気にしなかったもの。

「なんでアイドルなの?」

子役がアイドルになって、何が変わるんだろう。
どっちにしても、求められる役割を演じるだけじゃないの?


「これはあくまで、ウチの事務所の考え方、ですが」

桃子の疑問にそう前置きして、プロデューサーさんが話し出す。

「アイドルに必要なのは、等身大の姿なんです」

無理に求められる役をこなすんじゃなくて、ありのままで。
そういう姿を見せることが大事なんだって。

……そんなの、綺麗事だよ。
それだけでやっていけるほど、芸能界は甘い所じゃないもの。

現場で使いにくいって思われたら、もうお終い。
お仕事なんてあっという間になくなっちゃう。
だからみんな、演出とかそういうのに従うんだよ。

「その分、面倒事の一切は我々裏方が引き受けますので」

思わず隣を見上げる。
簡単に言ってるけど、その顔は堂々としていた。

「それがウチのやり方なんですよ」

喉まで出かかってた言葉が引っ込んじゃった。
信じたいって、そう思っちゃったから。


「さて、周防さん」

プロデューサーさんがこっちを向く。
こうやって話し出してから、初めて目が合った気がする。
桃子を見る目があんまり真っ直ぐだから、気付いたら背筋が伸びていた。

「あなたは、どうなりたいですか?」

その声が、深い所で反響する。
短い質問に、すぐに答えが出てこない。

「桃子が、どうなりたいか……」

目を閉じて、口の中で繰り返す。
自分の事なのに、何も分からない。
何でだろうって考えて、その答えはすぐに見つかった。

だって、自分で考える必要がなかったから。
自分の意見なんて必要なかったから。


最初はただ、言われたとおりにしてただけ。
それだけでお父さんもお母さんも褒めてくれた。
それが嬉しくて、喜んでる顔がもっと見たくて。
だから桃子は、演技のお仕事が好きになったんだ

それが段々と、楽しいだけじゃダメになっていった。
周りの人からの期待を感じるようになって。
それに応えないといけなくなっていった。

普段から子役周防桃子を演じるようになって。
そうしていると、新しいお仕事だって貰えるようになった。
でもそこには、桃子自身の考えなんて必要なかったんだ。

多分、そのころからだったと思う。
お父さんとお母さんのケンカが増えだしたのは。

でも、桃子にはどうしていいか分からなかった。
分からないまま、ここまで来ちゃったんだ。

ああ、そうか。
桃子、本当の意味で大人になったんじゃなかったんだね。


目を開けると、同じ姿勢のプロデューサーさんがいた。
桃子の答えをじっと待ってくれてた。

「桃子、大人になりたい」

桃子にできる事なんて、何もなかったのかもしれない。
でも、だからって、何もしなくていい訳じゃなかったんだ。
探せば、何かあったかもしれない。
ほんの少しでも、今とは違ってたかもしれない。

「もう、同じ後悔はしたくないから」

分からなくても、怖くても。
それでも考えて、行動できるようになりたい。
それがきっと、大人になるってことだから。

今の桃子じゃ全然足りないけど。
いつかはそんな風になりたい。

それが今の、正直な気持ち。


「私で良ければ、ぜひお手伝いさせてください」

プロデューサーさんの顔を見て我に返る。
桃子、何でこんなことまで喋っちゃったんだろう。

でも、後悔とかはあんまりない。
桃子のことをちゃんと受け止めてくれてるのが伝わってくるから。

……桃子にお兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかな?

「今回のプロジェクトでは、幅広い年齢層から、様々な個性の持ち主を募集する予定です」

真面目な顔で話すプロデューサーさんに、そんなことを考えた。
どこか抜けてて、頼りないようにも見える顔。
でもなんだか、悪くないかもって思えたんだ。

「そんな仲間と支え合い、切磋琢磨する環境は、きっと周防さんの成長の糧となるでしょう」

「でも桃子、アイドルになりたいわけじゃないんだよ?」

半端な気持ちでやっていけるほど、芸能界は甘い所じゃない。
それは桃子が一番よく分かってる。

「大丈夫。周防さんなら必ず、アイドルとして輝けます」

間を置かずに答えが返ってきた。
信じきってるって、そんな表情で。


「なんで言い切れるの?」

だって、会ったばっかりじゃない。
だって、お互いに知らないことの方が多いじゃない。

それなのにプロデューサーさんは笑ってる。
木漏れ日を浴びながら、自信満々に。

「勘です」

「…………え?」

耳を疑った。
何を言ったかは聞こえてたけど、何を言ってるのか分からない。
目が点になるって、こういう時に使うんだね。


「案外バカにできないものなんですよ?」

どんどん呆れ顔になっていくのが自分でもわかる。
でも、プロデューサーさんは笑ったまんまだ。

「理屈で説明できないことってありますからね」

それを説明するのが大人だと思うんだけど。
……なんだか、何を言ってもムダな気がしてきた。

「アイドルには、そういう魅力も必要なんです」

だってプロデューサーさん、こんななんだよ?
桃子一人真面目に考えるの、馬鹿らしくなっちゃうよ。

「という訳で周防さん、アイドルになりましょう」

そんな、勢いで押せば何とかなるみたいな言い方……
文句の一つも言ってやろうと口を開いて、気付いちゃった。

ちょっとだけ、指先が震えてる。
表情は笑顔だけど、目が笑ってない。


「ふふ」

思わず笑いがこぼれた。
これで隠せてるつもりなのかな。
子役の桃子をだませると思ったのかな。

無理矢理軽い話にしなくてっていいのに。
不器用な演技で、気遣いを隠さなくたっていいのに。

桃子、伊達に子役をやってきた訳じゃないんだよ?
本当に色んな人とお仕事してきたんだから。
信用していいかどうかなんて、お話してれば分かるんだから。

「なってあげてもいいよ、アイドル」

勢いよく立ちあがって、そのまま遊歩道の真ん中まで歩く。

この人なら大丈夫。
桃子の事、分かってくれる。
これから一緒に見つけてくれる。

そう思ったら勝手に言葉が出てきた。

「ただし、条件があります」

くるっと回ってプロデューサーさんと向き合う。
きょとんとした顔と目が合った。


「条件?」

「桃子のことは呼び捨てにすること。丁寧語もナシ」

人差し指を立てる。
別に、さっきのプロデューサーさんの真似って訳じゃないけど。

「お仕事のパートナーなら、遠慮しちゃダメだからね?」

「……ああ、分かった」

少し間があったけど、まあいっか。
これから慣れていけばいいんだしね。

「桃子もプロデューサーさんのこと、お兄ちゃん、って呼ぶから」

「え? お、お兄……!?」

二本目の指を立てると、呆気にとられた顔で桃子を見てる。
ふふ、思った通りだね。


「なに? オジサンのほうがいいの?」

「いや、そういう事じゃなくて。プロデューサーって呼べばよくないか?」

そういう答えが返ってくるのも予想通り。
でも、ここは押し切っちゃわないと。

「桃子、まだ認めてないから」

「え?」

「プロデューサーとしてのお兄ちゃんは、まだ認めてないから」

お仕事のパートナーとしてはなんか頼りない気がするし。
いい人だとは思うけど、それとこれとは話が違うよね。
ちゃんとお仕事できる人じゃないと、困るのは桃子なんだから。

だから別に、おかしなことは言ってない。

「だから、お兄ちゃんはお兄ちゃんなの!」


「いや、しかし……」

まだ何か言いたそうにしてる。
思ってたよりも強情みたいだね。
でも、桃子も譲るつもりなんてないんだから。

「お兄ちゃん。芸能界では桃子の方が先輩なんだよ?」

「それは、まあ……」

「じゃあ、先輩の言うことは聞かないとね」

「そんな無茶な」

「知らないの? 芸能界は理不尽な所なんだよ?」

口を開いて何か言おうとして。
結局それを飲み込んで、くしゃくしゃと頭を掻いた。

「……分かったよ、降参だ」

言いながら、お兄ちゃんが両手をあげる。
渋々って感じだけど、桃子を見る目は優しい。

何をどう分かったのか、聞いてみたくなった。
でも、墓穴を掘っちゃいそうな気がする。
だからまあ、これでいっか。


「それじゃよろしくね、お兄ちゃん?」

「ああ。こちらこそ、桃子」

差し出された手を握る。
固いけどあったかい、おっきな手だった。

桃子がこの先どうなりたいのか。
実はまだ、はっきりとは分かってない。

でもきっと、大丈夫だよねって思える。
桃子一人じゃないんだって、それが分かるから。

そうだよね、お兄ちゃん?


<了>

というお話でございました

桃子先輩が何でPをお兄ちゃんって呼ぶのか、その妄想の成れの果てです
口調その他に不自然な点があろうかとは思いますが、何卒お許しください


お読みいただけましたなら、幸いです

こういうスカウト理由もドラマあっていいね、乙です

周防桃子(11)
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シンデレラガールズから
>>8
岡崎泰葉(16)
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