佐々木「やっぱりキミは優しいね」キョン「そうか?」 (21)

綺麗な薔薇には棘がある。

とはよく言ったもので、確かに俺の乏しい人生経験上、それはこの世の真理であると言えた。
幸か不幸か俺の周囲には綺麗な薔薇と呼べる女子が多数存在しており、そしてなんの因果か関わり合った彼女らには1人の例外もなく棘があり、時にはその鋭い棘の先端に猛毒がたっぷりと塗られていた、なんてこともあったりした。

「やぁ、キョン。待ちくたびれたよ」

だから、自宅の前に佇んでいた中学時代の同級生に声をかけられるまで、その唯一の例外と呼べる存在に気づくことは、出来なかった。

「佐々木……」
「おや? 覚えていてくれたとは、意外だね」

忘れる筈がないだろうとは今の俺には言えず。

「様々な女の子達との思い出に浸っていた今のキミに、すぐに思い出して貰えるとは光栄だね。てっきり、僕のことなんて一切合切すっぱり忘れてしまっているとばかり思っていたよ」

まるで見透かしたようなことを言いながら、くつくつと喉の奥を鳴らすその特徴的な笑みを久しぶりに耳にして、変わらないなと、思った。

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「何をしてるんだ、こんなところで」
「キミに会いに来たのさ」

そんな、まるでメロドラマの台詞のようなことを言って、佐々木は格好良く口の端を曲げた。

「ずふ濡れじゃないか」

ボブカットの髪や、ほっそりとした顎や、そして身に纏う他校の制服から水滴が滴っている。
季節は梅雨で、今日は朝から土砂降りだった。
そんな中、傘もささずに待っていたらしい。

「風邪引いちまうぞ」
「心配してくれるのかい?」
「当たり前だろ」
「では、キミの家にお邪魔させて貰ってタオルの一枚でも恵んでくれたら有難いのだけどね」

まるで口実のように、佐々木は要求してきた。

「とにかく、上がれよ」
「ありがとう、キョン。お邪魔します」

促すと礼儀正しくお辞儀をして家に上がった。

「キミのTシャツは僕にはブカブカだね」
「贅沢言うな」
「これ以上の贅沢など、そうそうないとも」

佐々木を家に上げて、ひとまず着替えさせた。
当然ながら女物の服など持ち合わせておらず、母親の衣類を中学の同級生に着せるのは気が引けたので、俺のTシャツを貸してやることにした。
無論、妹の服は流石にサイズが合わなかった。

「それでも一応、律儀に持ってくるところが実にキミらしい。まさかとは思うが、貧相な身体つきの僕には、小学生の妹さんの服が丁度良いと、そう一瞬でも考えたのではあるまいね?」

さて、どうだったかな。ノーコメントだ。

「僕だって、少しは女らしくなった筈さ」
「そうか?」
「そうとも」

未だに一人称に僕を用いている辺り、特筆すべき成長は見受けられないが、ダボダボのTシャツの裾から伸びるすらりとした脚線美だけは妙に艶かしく映り、俺はそこから視線を逸らした。

「あまり露骨な反応はやめたまえ」

そんなことを言われても、困っちまう。

「見たいのならば、見ればいいさ」

別に減るものではないしと、佐々木は言う。
それでは遠慮なく、とはいくまい。
見れば見るほど、様々なことを想像しちまう。
たとえば、Tシャツの下の事情、だとか。
濡れた下着はどうしたのだろう、だとか。

「知りたいかい?」
「……いや、やめておこう」

降参とばかりに諸手を挙げると、佐々木はさも可笑しそうにくつくつと笑い、俺のベッドの端にちょこんと腰かけて、その長い脚を格好良く組んでから、ポンポンとシーツを手で叩いた。

「キミのベッドなのだから、座りたまえよ」
「いや、俺は……」

横並びに座ることを避け、椅子に腰かけようとした俺の手首を、佐々木は掴み、引き留めた。

「キョン、こっちに来て」

まるで懇願するかのようなその声音と、手首に触れる冷え切った指先から伝わる震えで、どうやら何かあったらしいと、俺は悟り、従った。

「それで? 何があったんだ?」

隣に腰かけて説明を求めると佐々木は困ったような顔をして苦笑し、困りごとを打ち明けた。

「まあ、よくある話さ」

彼女の口から伝えられたのは、よくある話。
クラスの男子に告白をされた、だとか。
それをその場で丁重にお断りした、だとか。
そんなどこにでもある青春の一幕が幕を開け、そして幕を閉じたのが今日ことだったらしい。

「それで落ち着かない気持ちになった僕は、遥々キミの家まで出向いたとそういうわけさ」
「傘もささずにか?」
「その方が、キミの気を引けると思ってね」

その狙い通り、まんまと俺は気を引かれ家に上げてしまったのか。我ながら単純な男である。

「それで、俺にどうしろと?」
「別に。キミに会って、話したかっただけさ」

俺ごときが、力になれるとは到底思えないが。

「キミに会えて、とても楽になれたよ」

そう言って貰えると、なんだか嬉しくなるな。

「なあ、佐々木」
「なんだい?」
「ひとつだけ、聞いても構わないか?」

俺の疑問は、そう難しいことじゃない。
どうして佐々木はその告白を断ったのか。
その理由を聞いてみたかったの、だが。

「悪いけど、質問は受け付けないよ」

佐々木はやんわりと、そう言って拒否した。
言いたくないのならば、言わなくていいさ。
あまり人の恋路に首を突っ込むものではない。
馬に蹴られるのは回避したいし、豆腐の角に頭をぶつけるような間抜けを晒すのは、御免だ。

それに何より口を噤んだ俺を見て、佐々木は。

「賢明なキミを、僕は好ましく思っている」

そんな告白紛いなことを口にして、こちらの手を取り、指を絡めて恋人繋ぎをしてきたから。
沈黙は金也とは、よく言ったものだと思った。

「手、冷たいぞ」
「キミの手は温かいね、キョン」

何も出来ない俺は、だからこそ、持て余した火照りを冷え切った佐々木に分け与えてやった。

「キミは永遠というものを信じているかい?」

しばらく静かな時が流れ、そのあまりの居心地良さを振り切るように、佐々木に尋ねられた。

「そんなもの、あるわけないだろ」

その質問に対して、俺は即答した。
この世界に永遠なんてものは存在しない。
何も変わらないなんて、ありえない。
それが、良きにしろ悪きにしろ、だ。
永遠に変わらないのなら、永遠の停滞である。
それは退屈と同義であり誰もそれを望まない。

「とてもキミらしい思想で、実に興味深い」
「お前はどう思ってるんだ?」
「概ねキミの同感だね。永遠なんて、虚構さ」

永遠なんて、虚構さと、佐々木は言い捨てた。
それが告白してきた相手を振った理由だろう。
なんの根拠も確信もないが、そう思えた。

それはもしかしたら、佐々木の苗字が昔変わったことに起因するかも知れないが、そのことについてあまり深く考えることはやめておこう。
それが俺の父親について、中学時代からこれまでの間、一度も詮索をしてこなかった佐々木に対する、せめてもの礼儀だった。

「ありがとう、キョン」

不意に、佐々木は強く俺の手を握る。
まるで、この先ずっと離さないとでも言わんばりの勢いだが、それは所詮は女の握力であり、俺が振り払おうと思えばすぐに解けるだろう。

もし仮に、涼宮ハルヒならば。
きっと、俺の手を握り潰している。
その辺りが、棘のある女との、違いだった。

「また、女の子のことを考えているね?」

指摘され、図星を突かれた俺は弁明を諦めた。

「話してみたまえよ、キミの女性遍歴を」
「俺はこれまで女と付き合ったことはない」
「ほう? 要するに、ただの遊びというわけか」

どこをどう解釈したらそんな結論になるんだ。
女と付き合ったことがないのは紛れもない事実だし、むしろ純情だと褒めて欲しいくらいだ。

「男子高校生以上に不純で不埒な生き物を、僕は寡聞にして見たことも聞いたこともない」

なんだその偏見は。とはいえ。
悲しい哉、その男子高校生についての見解に対して男子高校生である俺は反論出来なかった。
そんな情けない俺を見て、佐々木はやれやれと嘆息をして、聞き捨てならないことを言った。

「本当に男子高校生とは度し難い。こんな貧相で男みたいに振る舞う僕に好意を持つなんて、女ならば誰でも良いのかと疑ってしまうね」
「それは違うだろ、佐々木」

俺は即座に、その発言に対して強く反論した。

「お前に告白してきた男がどんな奴かは知らんが、人の好意をそんな風に邪推するな」

少しばかり、キツイ口調だったかもしれない。
それでも、佐々木の反応は意外だった。
あの佐々木が。いつも大人びている佐々木が。
まるで、叱られた子供みたいに目を泳がせて。

「ごめんよ、キョン……そんなに、怒らないで」

非を認め謝罪する彼女は、酷く弱々しかった。

「……もう、怒ってないさ」
「本当かい?」
「ああ。だから、そんな顔するな」

そんな今にも泣きそうな顔なんて似合わない。

「キミは、優しいね」

どうだろう、俺は優しいのだろうか。
たとえば、どこぞの団長様のように一度火がついたら最後、いつまでも燃え盛り、激怒し続けるような人間ではないことは間違いないが、それは果たして、優しさと呼べるのだろうか。

涼宮ハルヒは、意思が強い。
だから激情も、長持ちするのだろう。
それに対して俺は、意思が弱い。
だから激情も、すぐに霧散するのだろう。

それが本当に、優しさと呼べるのだろうか。

「それでも、キミは僕を叱ってくれた」

とんっと、佐々木が俺の肩に側頭部を委ねて。

「キミは優しくて、素敵な男子高校生さ」

半乾きの髪から漂う甘い香りに、慰められた。

「さて、キョン」
「どうした、佐々木」
「そろそろキミの女性遍歴を披露したまえ」

頃合いだろうと、佐々木はくつくつ笑う。
それにつられて苦笑しながら、俺は高校に進学して以来、重ねに重ねた武勇伝を披露した。

あらかじめ言っておくが、これは断じて女性遍歴などではなく、手に汗握る伝奇物語である。

涼宮ハルヒに出会い。
そして宇宙人や未来人に出会い。
過去、現在、そして未来を行き来して。
時には命の危険に遭遇し。
時には世界の運命を左右する危機に直面するという、我ながら飽きの来ない学生生活を語っていると、呆れた様子の佐々木に指摘された。

「ほらみたまえ。女の子との物語ばかりじゃないか。これが女性遍歴でなくて、なんなのさ」

なるほど、たしかに俺の武勇伝にはどれも美少女が絡んでいることに改めて気づき、やはり綺麗な薔薇には棘があるものだと確信を深めた。

「浮ついた話をしたつもりはないんだがな」
「顔がにやけている時点で説得力は皆無だよ」

たしかに、語っていて俺は楽しかった。
美少女にまつわる話題を話すことに専念するあまり、男の超能力である古泉の話題を丸々端折ってしまった俺を、誰が責められようか。

男子高校生とは、そういう生き物なのだから。

「それにしても、キョン」
「なんだ?」
「それだけ異性と接していて、未だに誰とも付き合わないとは、もはや異常だと僕は思うね」

だから浮ついた話ではないと言っただろうが。

「ふむ。もしかすると……」
「なんだよ」
「誰か心に決めた女性でもいるのかい?」
「さあな」

無論、そんな相手など、いやしない。
敢えてはぐらかしたのは、意地である。
そんな俺のちっぽけなプライドを佐々木は見透かして、くつくつ笑い、ごく自然な動作で、するりと腕を絡めてきた。いや、絡め取られた。

「それなら、キミの片腕は僕が貰っておこう」

それは果たしてどういう意味だろうか。
気にはなったが、尋ねるのは難しい。
俺は難題を棚上げして、話を逸らした。

「そう言えば、ついこの間のことなんだが」
「どうかしたのかい?」
「ハルヒに膝に乗られて小便をかけられてさ」

いやあ、参った参ったと、そう口走ったら。

「……キョン」
「ん?」
「その話、詳しく聞こうじゃないか」

冷え切った目をした佐々木に、詰問された。

「詳しくもなにも、いま話した通りだ」

何ひとつとして、難しいことはない。
膝の上に乗ったハルヒが、小便を漏らした。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
だからそう説明すると佐々木は昏い目をして。

「ふむ……実に興味深いね」
「佐々木……?」

まるで苦虫を噛み潰すように奥歯を軋ませる佐々木は、いつもの沈着冷静さは見受けられず、端的に言って激怒しているように見えた。
そんな佐々木が恐ろしくて、ぶるっていると。

「つまり、キミはマーキングされたわけだ」
「マ、マーキング……?」

身に覚えのないことを言われて、首を傾げる。

「まだわからないのかい? キミはその時、その瞬間に、涼宮さんの所有物となったのさ」
「所有物って、そんな大袈裟な……」
「悠長なことを言っている場合ではないよ」
「えっ?」
「すぐに上書きしなければならない」
「上書きって、どうするつもりだ……?」

恐る恐る尋ねると、佐々木は当然とばかりに。

「今から僕は、キミにおしっこをかける」

その宣告には佐々木の強い決意が滲んでいた。

「じょ、冗談はやめろって」
「僕が冗談でこんなことを言うとでも?」

あまりに突然且つ、急勾配な急展開に狼狽する俺に対して、佐々木は本気であることを示すように立ち上がり、そして膝の上に、跨った。

もう少し、詳しく描写しよう。

跨る為には、当然ながら大股を広げる必要があり、その際にTシャツの下から覗く、真っ白な太ももが露わとなって、俺の目に焼き付いた。

それだけでも大事件と言えるのだが、問題の本質はそこではなく、より根本的な、根本の部分について、懸念や杞憂が当たっていたようだ。
先述した考察ならぬ妄想は間違いではなく、一向に下着を脱ぐ素振りを見せない佐々木は。

やはり、ノーパンであると確信した、その時。

「……何か?」
「いえ! なんでもありません!」
「それなら、よろしい」

見透かされて、見抜かれて、見下されて。
同級生相手に、つい敬語になっちまった。
佐々木にも鋭い棘が備わっているとはな。

やはり、綺麗な薔薇には棘があるらしい。

「キョン、何か言い残すことは?」

いよいよ、その時が近づいてきた。
ゴクリと生唾を飲み込み、乱れた息を整える。
最後に何を言い残すのかは事前に決めていた。

「お前みたいな美少女でも小便をするんだな」
「っ……!」

ぼっと、真っ赤になった佐々木を見て。
我が人生に一片の悔いなしと覚悟を決めて。
滴り落ちた黄金の煌めきを、一身に浴びた。

ちょろろろろろろろろろろろろろろろろんっ!

「フハッ!」

何故だろう、愉悦が込み上げてくる。

笑い事ではないのに、嗤い声が止まらない。
イかれているかって? ああ、そうとも。
狂っているかって? ああ、そうかもな。

だけど、仕方ないだろう。
どうしようも、ないだろう。
どうすることも、出来ないだろう。

目の前で、佐々木が、漏らしているのだから。

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

誰におかしいと言われようとも。
誰に軽蔑され、蔑まれようとも。
今この時この瞬間の愉悦だけは。

俺だけのものであり、誰にも邪魔はさせない。

「キョン、いくらなんでも近所迷惑だよ」
「あ、すまん」

誰にも邪魔はされないとは言ったものの、流石に近隣住民に迷惑をかけるわけにはいかず、俺はすぐさま正気を取り戻して、謝罪をした。

「全部、出たよ」

そんなことは見ればわかる。
膝の上は佐々木の尿でびちゃびちゃだ。
ならば何故、分かり切ったことを言うのか。
その真意は、凡百な俺でもすぐにわかった。

佐々木はきっと、俺に褒めて欲しいのだ。

「偉かったな、佐々木」

頭を撫でながら褒めてやると、佐々木はまるで子供みたいに嬉しそうな顔をして抱きついてきた。

「やっぱりキミは優しいね」
「そうか?」
「うん。優しくて素敵な、僕だけのキョンだ」

自分が優しい人間なのかは未だにわからない。
それでも、目の前の女を優しく抱きしめるくらいならば、俺にも出来そうだと、そう思えた。

「ところで、キョン」
「なんだ?」
「僕は今日、新たな発見をしてしまった」

そう言って佐々木は困ったようにくつくつ笑い。

「どうやら優しいキミにも、棘があるらしい」

その棘とやらがどこに生えているのかなんて。
そんな、分かり切ったことを、説明するなど。
綺麗な薔薇でも何でもない俺には、憚られた。


【佐々木とキョンの荊棘】


FIN

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