八九寺真宵「はにかみましょうか?」阿良々木暦「是非お願いします!」 (7)

梅雨時に連想する草花を尋ねられた際に、まず初めに紫陽花を思いつく人が大多数を占めるであろうことは、想像に難くない。

かくいう僕もそのひとりではあるものの、紫陽花に対してそこまで思い入れがあるわけではないので、むしろ紫陽花のイラストとセットで描かれることの多い蝸牛にこそ、目を惹かれる。

「ふむふむ。ちなみに阿良々木さんは、実際に紫陽花の葉っぱの上に蝸牛が這っている姿を、その目で見たことがあるのですか?」
「そう言えば、実際に見たことはないな」
「でしょうね。紫陽花の葉には毒がありますので」

食べられもしない毒の葉の上をわざわざ這いずり廻るほど蝸牛は暇ではありませんよと、蝸牛の怪異となり、そして今は神となった、八九寺真宵が得意げに薀蓄を聞かせてきた。

とはいえ、後から調べたところ必ずしも全固体に毒が含まれているわけではないらしいので、あくまでも一般論として、僕は受け止めた。

「じゃあ、お前も紫陽花が嫌いなのか?」
「私は葉っぱなんて食べないので、特別に好きでも嫌いでもありませんが、その紫陽花のお花を見て阿良々木さんが私の元に足を運ぶきっかけとなった今ならば、大好きになれそうです」

なんだか紫陽花に手柄を全て取られた気分だ。
別にきっかけなんかなくたって気が向いたらいつでもこの北白蛇神社に足を運ぶ敬虔なる信者であるこの僕を、今と同じように目一杯の愛を込めて大好きだと言って貰いたいものである。

「あらあら、不満そうですね、あらあらさん」
「あらあらなんて普段言わないような台詞をわざわざ前に付けてまで名前を間違えるのはやめろ。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、かみました」
「違う、わざとだ」
「はにかみましょうか?」
「是非お願いします!」
「にぱっ!」

にぱっと八九寺真宵の可憐な笑顔が咲き誇る。
嬉しそうにはにかむ幼い少女が神様だと言うことも忘れて、僕はお持ち帰りしそうになった。

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「いけませんね、阿良々木さん」
「悪い。僕としたことが、つい」
「私が北白蛇神社の神様であることを差し引いたとしても、幼い少女を誘拐するのは犯罪です」

そんなことはわかってる。重々承知の上で。
それでも、可愛い八九寺を持ち帰りたかった。
だからつい、行動に移した次第である。
いやはや、これは困ったことになったぞ。
首尾よく自宅に幼い少女を連れ込んでしまった僕は今、自己を正当化する方法を考えていた。
何か良い方法はないものかと悩み、閃いた。

「阿良々木家を神社に改築しよう」

神社の神様を持ち去ることが問題であると言うならば、僕の自宅を改装して新たな神社とするというのはどうだろう。我ながら名案である。

「たとえそうしたとしても、幼い少女を連れ去った容疑が晴れることはありませんよ」
「なに、人に罪はつきものさ」
「それは戒めの言葉であって、断じて開き直りの言葉ではありませんよ、罪人さん」

いつになく厳しい八九寺に戒められるという新たなプレイに目覚めかけている僕に対し、やれやれと嘆息を吐いた神様はこんな質問をした。

「もっと私に厳しくして欲しいですか?」
「もっとお前に優しく甘えさせて欲しい」
「でしたら、甘噛みをして差し上げます」

よくかむ神様からの、甘噛み。
なんて甘美な響きなのだろう。
厳しい八九寺も悪くないが僕としては断然、優しい幼い少女のバブみに甘える方が良かった。

「それではどこを甘噛みしましょうか?」
「おいおい、八九寺は何も知らないんだな」

幼い可愛い少女に甘噛みされて嬉しい場所など、それこそ有史以前から決まりきっている。

「肘だ」
「は?」

キメ顔でガッツポーズをして肘を強調する僕のことを、不思議そうに八九寺は見上げた。

「あの、阿良々木さん」
「ん? どうした、八九寺」
「どうして、よりにもよって肘なんですか?」
「気持ち良さそうだから」
「はあ」

理由などあってないようなものだ。
腕を伸ばした際に余る肘の皮膚を甘噛みされるのは、さぞ気持ち良いだろうと僕は考えた。
だからずいっと腕を突き出すと、やや躊躇いながらも、八九寺は余った肘の皮を甘噛みした。

「……はむっ」
「おっ?」

幼い少女の小さな唇が肘に触れたその瞬間。
ほんの一瞬だけ、僕の脳髄に電流が迸った。
しかし、それだけだった。長続きはしない。

「ぷはっ……ご不満ですか?」
「いや、別に不満というわけではないけど……」
「やれやれ、阿良々木さんはわがままですね」

まるで年下の少年に向けるような困った笑みを浮かべながら、真宵お姉ちゃんは膝を叩く。

「とりあえず、膝の上に寝てみてください」
「うん。わかった」

すっかり童心に返った僕は、素直に従った。

「八九寺、何をしてるんだ?」
「阿良々木さんのお耳を露出しています」

閑話休題。ということで。
八九寺の膝に横向きに頭を乗せた僕は現在、幼い少女によってお耳を露出させられていた。
近頃かなり伸びた僕の髪を神様は掻き分け、目当ての耳たぶを見つけるとおもむろに口を寄せて、噛んだ。

「……はむっ」
「っ……!?」

八九寺の幼い唇が僕の耳たぶに触れたその瞬間、堪え切れずに嬌声が漏れてしまい、それを耳にして調子づいた神様は口付けたまま這うように軟骨まで移動して、繰り返し甘噛みした。

「あむっ……ふむっ……はむっ」
「は、八九寺、これはいくらなんでも……」
「ぷはっ」

あまりの快感に耐え切れず、待ったをかけるとようやく八九寺は僕の耳から口を離して。

「失礼……はみました」

そんな上手いことを言って冒頭と同じくはにかむものだから、僕はもう居ても立っても居られずに、湧き上がる衝動をそのまま口にした。

「八九寺、頼みがある」
「どうしました、阿良々木さん?」
「僕がおしっこを漏らすまで、はみってくれ」

そんな僕のあられもない願いを聞いた神様は、何も言わずに黙って甘噛みを再開してくれた。

「そろそろ、おしっこ出そうですか?」

あれからどれくらいの時が流れただろう。
体感的にはごく短いひとときのように感じられたが、それなりに時間は経っているらしく。
流石に疲れた様子の八九寺を、僕は気遣った。

「八九寺、疲れたか?」
「そうですね、ちょっと疲れてきました」
「いいんだ。無理はしなくていい。出なかったら出なかったで、諦めることにする」

何事も諦めが肝心である。
そもそも耳を甘噛みされておしっこを漏らす方が稀であり、特異体質であると言えよう。
凡庸な僕には、その才能がなかっただけだ。

だから八九寺が気にすることなんてないのに。

「諦めるなんて、言わないでください!」
「八九寺……」
「私が経験不足なのは自覚しています。なにぶん、男の人の耳を開発するテクニックを身につけていないので、阿良々木さんにはさぞもどかしい思いをさせてしまっているでしょう」

悔しそうにそう語る八九寺は、幼い頃に落命したこともあり、どうしても経験不足であることは否めない。しかし、それがどうした。
それでも、一所懸命、僕の耳を噛んでくれた。
ならば、そんな八九寺に僕は報いたいと思う。

「それでも私は、阿良々木さんに……!」
「ありがとう、八九寺。その気持ちだけで、もう充分だ。すげー気持ち良かったよ」
「それは……幼い私に対する、同情ですか?」
「同情なんか、するもんか」

思うがまま、正直に、僕は白状した。

「僕はただ、幼い少女に耳を噛まれて思わず、おしっこではなく、糞を漏らしただけだ」

誠に残念ながら、僕に幼い少女に耳を噛まれておしっこを漏らす才能はなかったが、その代わりに、糞を漏らす才能だけはあったらしい。
ただそれだけのことであり、それが全てだった。

後日談というか、今回のオチ。

「脱糞したのなら、早く言ってくださいよ!」
「フハッ!」
「何を嗤っているのですか!」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「嗤って誤魔化す阿良々木さんなんて嫌いです」

ネタバラシの愉悦に浸り、高らかに哄笑を響かせた僕であったが、八九寺に嫌われるのは嫌だったので、やむなく正気を取り戻した。

「黙って漏らして悪かったよ」
「どうして言ってくれなかったんですか?」
「八九寺が一所懸命、僕の耳をはみってくれているのに、それを邪魔するのは気が引けてな」

そんな風に、苦し紛れの言い訳をする僕を見る八九寺の眼差しは、またも困った年下の少年を見るかのようで、僕は再び、バブみを感じた。

「そんな悪い子には、お仕置きです」
「耳たぶを噛み千切るのだけは勘弁してくれ」
「ご安心ください。それでは、いきますよ?」

そう言って、八九寺は僕の頬に、キスをした。

「ちゅっ」
「んなっ!?」
「失礼……啄ばみました」
「な、なんで……?」
「神社に足を運んでくれたお礼です」

呆然とする僕の間抜け面を、くすりと笑って。

「好きですよ、阿良々木さん。紫陽花よりも」

冗談めかしてはにかむ八九寺を見て、毒があるのは紫陽花の葉ではなく、むしろ蝸牛の方ではないかと、僕にはそう思えてならなかった。

それはそれとして。

「吸血鬼、パンチ!」
「ぐあっ!?」

幼い少女に頬を啄ばまれた僕が。
その後、幼い吸血鬼に怒られて。
吸血鬼パンチを喰らったことは。
もはや、語るまでもないだろう。


【まよいキッス】


FIN

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