静香「まさか、こんな日が来るだなんて」 (102)

静香「は……? え、ちょ、ちょっと待ってください」

あまりに想定外、また唐突なプロデューサーの言葉に、静香は思わず制止の声をかける。
そして動揺を抑えられぬままに聞き返した。

静香「き、聞き間違いじゃないですよね?
  今、千早さんと私のデュオ、って聞こえたんですけど」

P「ああ、聞き間違いじゃないよ。
 次の公演では、千早と静香に二人で新曲を歌ってもらおうと思ってるんだ。
 もちろん、二人の了承を得られればだけど」

静香の様子とは正反対、プロデューサーは一度目と同じようにさらりと繰り返した。
また千早も落ち着いた様子で、穏やかに微笑んだ。

千早「私と静香のデュオ……ふふっ。
  ありがとうございます、プロデューサー。ぜひ、やらせていただければと」

P「良かった、千早ならそう言ってくれると思ったよ」

即答で了承した千早の微笑みはどこか高揚しているようにも見える。
それを見てプロデューサーは満足げに頷いたのち、
その横で放心したように口を半開きにしている静香に目線をずらした。

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P「それで、静香はどうだ? 受けてくれるか?」

静香「…………」

P「? 静香?」

まるで聞こえなかったかのように未だ黙ったままの静香。
その横顔を見つめるうち、千早の笑顔には不安げな影が差す。

千早「……もしかして、あまり気が進まないかしら。
  私はいつかあなたと歌ってみたいと思っていたから、とても楽しみに思っているのだけれど……」

と千早が言い終わるか終わらないか、
その瞬間に静香はびくりと肩を跳ねさせて勢いよく千早に向き直り、

静香「はっ……ひゃいっ! よ、よろしくお願いします! 千早さん!!」

裏返った声で半ば叫ぶようにそう言って頭を下げた。
その勢いに、千早は思わず目を丸くし、プロデューサーは安心したように失笑した。

P「あはは、気合は十分だな。良かったよ。
 それなら早速、曲を渡そうと思うんだけど大丈夫か?」

千早「はい、問題ありません。静香、よろしくね。お互いに頑張りましょう」

静香「は、はいっ! よろしくお願いします!!」

P「よし、じゃあこれがその曲だ。
 二人ならそれを見ればどんな曲かすぐ分かると思うけど、一応流してもみるから聴いてみてくれ」

そうしてプロデューサーは二人に楽譜を渡し、音楽プレイヤーを再生する。
だが、今の静香には紙に書かれた文字も流れる音楽も、上滑りしていくようだった。
自分が、憧れの先輩と二人で、デュエットする。
ただその事実だけがぐるぐると頭の中を巡っている。

あの千早さんと。
ずっと憧れた、今も憧れてる、尊敬する先輩と、二人で歌う。
いつかはそんな日が来たらいいな、なんて、夢に思ったことが無いわけじゃない。
けど、まさかこんなに早くその日が来るだなんて……!

P「……と、こんな感じの曲だ。どうだ静香、何か感想はあるか?」

自分の名前を呼ばれ、ようやく静香はハッと目が覚めたように手元から目を上げる。
曲はもう止まっていた。

静香「は、はい! 頑張ります!」

P「そ、そうか。意気込みはやっぱり十分みたいだな」

プロデューサーの苦笑いを見て遅れて気付いた。
しまった。
プロデューサーは曲の感想を聞いたんじゃないか。
なのに頑張ります、だなんて素っ頓狂な回答を……。

よりによって憧れの先輩の前でこんな失敗を犯すなんて。
そんなふうに赤面する静香の想いを知ってか知らずか、
プロデューサーはそれ以上質問を重ねることなく、今度は千早に向き直った。

P「千早はどうだ? この曲について、何か感じたことはあるか?」

そうだ、千早さんなら。
千早さんの意見なら絶対に参考になる。
さっきうわの空だった分、しっかり聞かないと。
きっと素晴らしい解釈を色々な言葉で聞かせてくれるはずだ。

そう確信し、静香も千早に顔を向けた。
しかし……

千早「……」

期待と尊敬のまなざしを向けた先にあったのは、
手元の紙に目線を落としたまま沈黙する千早の姿。
じっと黙って俯くその横顔は、少なくとも静香は見たことのないものだった。
何か悩んでいるような、迷っているような、そんなふうに見えた。

静香「……千早さん?」

沈黙に耐え兼ね、静香は口を開く。
それを合図にしたかのように、ここで初めて千早が顔を上げた。

千早「プロデューサー。今日、レッスンルームはもう取っていますか?」

P「うん? ああ、一応二人で使えるように予約してあるけど……」

千早「そうですか。なら……静香、今日はあなたが使って。私は別の場所で練習するから」

静香「え……? ど、どうしてですか? 二人で一緒に練習は……?」

当然抱くべき疑問を静香はそのまま口にした。
だが千早の方も当然そう聞かれることが分かっていたように、まっすぐに静香を見て答える。

千早「まずは個別にこの歌について考えて、練習して……。
  それから、二人で歌う。私はそうするべきだと思ったの」

静香「そ……そう、なんですか?」

千早「もしあなたに何か意見があるなら聞かせてちょうだい。
  初めから二人で練習した方がいいと思ったのなら、話し合って決めましょう」

静香「え……? い、いえ、私は……。
  千早さんがそうした方がいいって言うなら、そうします。
  わかりました、それじゃあ、まずは個別に練習しますね」

千早「……ええ。しっかり、練習しましょう。お互いに」

そう言い残して、千早は控室をあとにした。
困惑した表情で扉が閉まるのを眺めていた静香は、その表情をそのままプロデューサーに向ける。

静香「ぷ、プロデューサー。千早さん、どうしたんでしょう……?
  なんだか、いつもと様子が……」

P「……そうだな。でも、これが千早が曲について考えた結果、ってことなんだろう」

P「ただ、千早はいつ二人で歌うかまでは決めてなかったよな。
 あまり長く時間を取り過ぎるのも良くないだろうから……一週間が目安かな。
 あとで千早にもそう言っておくよ」

静香「一週間……。その間に、私は自分のパートを完璧にしないといけない、とことですね」

P「公演まで日にちはあるから、必ずしも一週間で完璧にする必要はないと思うけど……」

静香「いいえ、絶対完璧にします!
  千早さんがわざわざ個別の練習期間を作ってくれたのに、期待を裏切りたくありません!
  絶対に……絶対に足を引っ張らないようにしなくちゃ……!」

P「……」

静香「? なんですか、プロデューサー。何か言いたいことがあるんですか?」

P「ん……いや、なんでもない。まずは静香の思うように、この曲を練習してみてくれ」

静香「言われなくてもそのつもりです。それじゃあ私、早速レッスンに行ってきますね!」




数日後

翼「――しーずーかちゃんっ♪ レッスンお疲れさま!」

静香「! 翼、未来! いつの間に来てたの?」

未来「あー、やっぱり気付いてなかったんだ! 結構前から居たよ?
  さっき歌ってる時の、一番の途中くらいから!」

静香「ほ、本当? ごめんなさい、気付かなくって……」

翼「それ、今度千早さんと歌うって言ってた曲だよね? なんかカッコイイ感じ!」

未来「うんうん! カッコイイ!
  それに私、なんだか静香ちゃんと千早さんっぽいなーって思っちゃった!」

静香「えっ? 私と、千早さんっぽいって……?」

未来「えーっと、最後の方にあった、『君に憧れ~君を待ってて~』ってとこ!
  あそことか、静香ちゃんと千早さんっぽいなって!」

翼「そんな歌詞だっけ? なんか違わない?」

静香「『君に憧れ 君を待ち焦がれ』、ね。
  でも、私はともかく千早さんは別に、私を待ち焦がれてなんかないと思うけど」

未来「そうなの? でも静香ちゃん、前言ってなかった?
  『千早さんも、私と歌うのを楽しみって言ってくれた』って」

静香「もう、そんなの社交辞令に決まってるじゃない。
  千早さんは優しいからそうやって言ってくれたの。私だって別に真に受けてなんかないわよ」

翼「えー? その話したとき、すっごく嬉しそうだったのに?」

静香「あ、あのときは私も浮ついてたの! 今は違うから!」

静香「それより、二人とも何しに来たのよ? 何か用事があったんじゃないの?」

翼「んー、用事って言うか、ちょっと静香ちゃんのレッスン見学しようかなーって」

未来「翼が暇そうだったから私が誘ったんだー♪」

翼「あ、でもあんまり長くは居られないよ? 今日見たいテレビあるし」

静香「そ、そう。まぁそういうことなら別にいいけど……。
  だったらせっかくだし、何かおかしなところとかがあったら教えてくれる?」

未来「えっ、私たちが? でも静香ちゃんの歌におかしなとこなんて見つけられるかなぁ?」

静香「無ければ感想でもいいから。私はあと数日でこの歌を完璧に仕上げなくちゃいけないの。
  どんなことでも、少しでも意見が欲しいのよ」

翼「静香ちゃん、すっごいやる気~。いいよ、そういうことなら、しっかり見ててあげる♪」

静香「ありがとう。それじゃ……」




静香「――ふぅ……。今のはどうだった? Bメロの入りを少しだけ変えてみたんだけど」

未来「うん! すっごくかっこよかった!」

静香「……そ、そう。やっぱり未来の感想はそれなのね……。
  翼はどう? さっきと比べて、どうだったかしら」

翼「んー……。あんまり細かいとこはよく分かんないけど、
  静香ちゃん、ちょっと休憩した方がいいんじゃない? なんかダンス遅れてるとこあったし」

静香「うっ……。い、今は歌の感想を聞いてるの!」

翼「えー? だってよく分かんないんだもん。私はどっちもかっこよかったって思うなー」

静香「そう、なの? 翼がそういうのなら、今のところはそこまで強く意識することはないのかしら……」

未来「あーっ、静香ちゃんってば、翼の感想だけ参考にしてるっぽい!
  私だってかっこよかったって言ったのにー!」

静香「そ、そんなことないわよ! 未来の意見もちゃんと参考にしてる!」

未来「うそだー! 私の時と反応が全然違うもん!」

静香「う……し、しょうがないでしょ! だって未来ったら、『かっこいい』しか言わないんだから!」

未来「だって本当にかっこいいんだもん! 静香ちゃんがかっこいいのが悪いんだよー!」

静香「どういうことよ!?」

翼「あれ、もうこんな時間? それじゃ私もう帰るね。二人とも、また明日ー♪」

未来「あ、うん! じゃあね翼、バイバーイ!」

静香「……も、もう今日は終わりにしようかしら。なんだかいつもよりずっと疲れたわ……」




――曲をもらってからの数日間。
静香は毎日、一生懸命に練習した。
時にはプロデューサーに見てもらいながら、時には未来や翼に感想をもらいながら。
千早のパートナーとして、絶対に足を引っ張ることないよう、懸命に考え、懸命に努力を重ねた。
そして……。

P「さて、と。いよいよ明日、千早と歌うわけだけど……仕上がりは十分みたいだな」

未来「静香ちゃんすごーい! かっこよかった!」

翼「これなら本当に『カンペキ』って感じじゃない?」

静香「ほ、本当? 良かった……」

未来「きっと千早さんも褒めてくれるよ! だってすっごくかっこいいもん!」

静香「だから未来はそればっかり……ううん。ありがとう、未来。
  それに翼と……ついでに、プロデューサーも、ありがとうございます」

翼「えへへっ、どういたしまして!」

P「俺はついでなのか……。まぁ確かに、大したアドバイスはしなかったけど」

P「でも静香、お礼を言うのはまだ早いぞ。
 千早とはまだ一度も合わせてないわけだし、それに本番だってまだまだ先なんだからな」

静香「わ、わかってますよ! けど、大丈夫です。
  明日もきっと……いいえ、絶対に完璧に歌ってみせます。
  それで明日からは、千早さんと二人で更に完成度を上げていきますから!」

P「ああ、その意気だ。と、気合も入れたところで、今日はそろそろ切り上げて帰ろう。
 明日ベストな状態で歌えるように、喉と体を休めておかないとな」

翼「わっ、ほんとだ! いつの間にかこんなに時間経ってたんだ!」

未来「私たち明日はお仕事だから見学はできないけど、でも応援してるね!
  静香ちゃん、明日がんばってね!」

静香「ええ……ありがとう、頑張るわ。二人がこんなにレッスンに付き合ってくれたんだから……。
  情けない格好は見せられないもの!」

そうして、いよいよ当日。
一週間、千早の提案の通りに二人はそれぞれ個別で練習を重ねた。
その成果を出すのが今日この日。
千早と初めて二人で歌う日……静香にとっての、もう一つの『本番』の日。

千早「おはようございます」

静香「お、おはようございます!」

レッスンルームの扉を開けた千早に、先に来て待っていた静香は緊張気味に挨拶を返す。
そんな静香に、千早は穏やかに微笑んだ。

千早「今日はよろしくね。静香」

静香「はっ……はい! よろしくお願いします!」

P「よし。それじゃあ早速、歌ってみるか?
 静香は早くから来て発声も済ませてるし、千早の方も、もう準備はできてるんだろ?」

千早「はい、問題ありません。すぐにでもいけます」

P「静香の方も大丈夫か? 緊張してないか?」

静香「は……はい、大丈夫です!」

P「……よし。それじゃあ二人とも立ち位置に付いてくれ。曲を流すぞ」

静香は駆け足に、千早は緩やかに、始めの位置につく。
そして……曲が流れ始めた。

イントロ、そしてまずは静香のパート。
歌い出し――緊張していた静香ではあったが、発声に無理はなく、音程は僅かほどもずれていない。
まさに、『完璧』だった。

よし、ちゃんと歌えてる!

安堵しつつ、だが緊張感は維持したまま全力で歌い続けた。
が……この時、プロデューサーだけが気付いた。
静香が歌い出したその瞬間、千早の表情が歪んだことに。




――曲が終わった。
一週間の練習の成果をすべて曲にぶつけた静香の顔に浮かんでいたもの……。
それは、笑顔だった。

静香「ち……千早さん、どうでしたか!
あの、私は、えっと……き、綺麗に合ったと思うんですけど……!」

始まるまでの緊張が嘘のように、期待を顕わにして千早の評価を求める静香。
それだけでも、静香にとって今の歌唱がどれほどの手ごたえを感じるものであったかが分かる。
しかしそれも当然、確かに静香は完璧に千早の相手を務めた。
一寸の狂いなく、完璧に千早に合わせていた。
それはまさしくこの一週間の努力の成果が100%出た結果であった。
だが……

千早「……静香、もう一度お願いできるかしら」

静香「え?」

千早「プロデューサー。今度は撮影をお願いします。携帯電話で構いません。
  私たちの歌っている光景を、撮影していただければと」

P「……ああ、わかった」

発言の意図を問うこともなく、プロデューサーはポケットからスマートフォンを取り出す。
その様子を困惑の色を浮かべて見ていた静香に、千早は向き直る。

千早「次は、もっといいものを歌えるように……頑張りましょう」

静香「あ……は、はい! お願いします!」

何か納得のいかない部分があったのかも知れない。
だとすればきっと自分のせいだ。
次はもっと、もっと完璧に合わせないと……!

笑顔から一転、静香が先ほどよりも更に強い緊張感を抱く中、曲が再び流れ始めた。

――二度目の挑戦。
今度も……やはり、完璧だった。
「変わらず」完璧に静香は歌い上げた。
そして先ほどよりも集中力を上げ、より正確に自己評価した結果……
静香の自己評価は変わらなかった。

しかし今度は恐る恐る目を向けた千早の横顔は、やはり一度目のときと同じだった。
明らかに千早は納得していない。
そのことは静香にもはっきりとわかった。

でもどうして?
わからない。
千早さんはもちろん、私だって、何一つミスはおかしていないはず。
私たちの歌声は、完璧に合っていた。
それなのにどうして……?

……きっと、自分の技量では分からないほどの細かなミスがあったに違いない。
静香の思考がそこに至ったのは当然のこと。
だから静香は、千早に聞こうとした。
しかし口を開く直前、千早が早口気味に言った。

千早「動画はあとで送ってください。私と静香の両方に」

プロデューサーにそう言い残し、千早は踵を返す。
そして部屋の隅に置いた荷物を持ち、出口へ向かって歩いて行った。

静香「ち……千早さん……?」

P「……今日はもういいのか?」

千早「はい。今日はもう……これ以上やっても、無意味ですから」

静香「ッ……!」

半ば呟くように言って、千早はレッスンルームを出た。
しかしその言葉は静香をその場に留めておくことはなかった。

静香「ま……待ってください! 千早さん!!」

静香は叫び、千早のあとを追って駆け出す。
弾くように扉を開き、廊下に出たすぐそこに千早の後姿が見えた。

静香「あ、あの……! ごめんなさい! 私のせいですよね……!?
  私が実力不足だから、その……!」

千早のすぐ後ろについて、静香は懸命に自身の実力不足を詫びる。
すると千早はようやく足を止め、前を向いたまま言った。

千早「……いいえ。あなたの実力は、何も問題ないわ。とても上手に歌えていたと思う」

静香「え……? で、でも、それじゃあどうして……?
  千早さんだって、あ、当たり前ですけど、私よりもずっと上手で、なのに……」

自分に問題ないのなら、自分より上の千早にだって何も問題はないはず。
なのにどうしてあんなに納得いかない様子を見せていたのか。
抱いた疑問を率直に発した静香だが、それを聞いた千早は下げた両腕の先で拳をぐっと握った。
そして振り返り、静香を真っ直ぐに見つめた。

千早「さっきの歌……。あなたは、完成度は何%だと思う?」

静香「え? えっ、と……」

想定の外からの質問に、静香は答えに詰まる。
でも、答えないと。
目を伏せ、逡巡し、そして恐る恐る口を開いた。

静香「……60、いえ……ご、50%くらい、でしょうか……」

『80%』。
本心では、静香はそう答えたかった。
自分としてはそれだけの手ごたえはあった。
だが千早の様子を見て素直にそんなことを答えられるはずもない。
だから本来の自己評価よりもずっと、ずっと低い数値を答えた。
しかし……

千早「0%。私はそう思ってる」

静香「なっ……!?」

思わず息を呑んだ。
そんな馬鹿な。
あれが、0%……!?
だって、あんなに綺麗に、完璧に合っていたのに……!
それが、ゼロだなんて、どうして……!?

困惑と混乱を浮かべ、ただただ茫然とする静香。
そんな静香を尻目に、千早は再び背を向ける。

千早「……また、一週間後に歌いましょう。
  あまり期間をあけることはできないから、これが限度……」

静香「あ、あの……」

千早「今の私たちでは、あの歌を歌うことはできない。
  もし一週間で何も変わっていなければ……今回の出演は、辞退しましょう」

静香「っ!? そんな……! ど、どうすれば……どうすればいいんですか!?
  私、わからないんです! どうすればいいのか、私……!
  お、教えてください、千早さん! アドバイスを……! お、お願いします!!」

ほとんど泣きそうになりながら、縋り付くように叫ぶ静香。
しかし次の瞬間、ほんの一瞬振り向いた千早の顔に浮かんでいた表情が、静香の呼吸を止めた。
深い……深い、悲しみの色。
そのまま何も言わずに立ち去る千早を、静香は呆然と立ったまま見送ることしかできなかった。




響「おはようございまーす!」

静かだった控室に元気が挨拶が響く。
その声の主に向けて、千早は顔を上げた。

千早「我那覇さん……それに、水瀬さん。おはよう」

伊織「おはよ、千早。って……何よ、そんな辛気臭い顔しちゃって」

千早「え? ご、ごめんなさい。私、そんな顔をしていたかしら」

響「もしかして、今度の公演のことで何か悩んでるのか?
 だったら自分、相談に乗ってあげるぞ!」

伊織「今度の公演って……確か、静香とデュオで歌うのよね? 上手くいってないの?」

千早「……そう、ね。あまり順調とは言えないかしら」

響「わかった! ダンスが上手く踊れないんでしょ!
 千早も静香も、歌はすごいけどダンスはまだまだだからなー。
 それなら自分が教えてあげるさー!
 千早が練習してるとこ何回も見たから大体覚えてるし! なんでも聞いて!」

千早「あ、いいえ、違うの。上手くいってないのはダンスじゃなくて、寧ろ歌の方で……」

響「へっ? そうなの?」

伊織「あら……。珍しいこともあるのね。あんた達が上手く歌えないなんて……。
  私も何度か聞かせてもらったけど、そんなに難しい曲だったかしら?」

伊織の言葉に、千早は目を伏せてしまう。
こんな千早は久しぶりに見る、と伊織と響は心配そうに互いに目を合わせた。
しかしすぐに表情を崩して、

伊織「さっき響も言ってたけど、話くらいは聞いてあげるわ。
  一人で悩んでるくらいなら、さっさと話しちゃいなさい。
  その様子だとプロデューサーにも相談してないんでしょ?」

千早が顔を上げると、優しい笑みを浮かべた伊織と、その後ろでうんうんと頷く響が目に映った。
それを見てようやく、千早の表情にも笑みが戻る。

千早「二人とも、ありがとう……。相談とは少し違うのだけれど、一つ、お願いをしもいいかしら」

響「もちろんなんでも言ってよね! カンペキな自分がどんなお願いでも叶えてあげる!」

伊織「私はなんでもとは言わないけど……。聞くだけ聞いてあげるわ。お願いって何なの?」

千早「その……。今度の公演で私が静香と歌う曲、あれを今から、私と歌ってみて欲しいの」

えっ? と響と伊織の声が重なる。
千早の頼み事は、それだけ二人の想定の外であった。
伊織は意表をつかれながらも、千早の真剣なまなざしを受けつつ発言を咀嚼し、
それから浅くため息をついて言った。

伊織「悪いけど、私は無理よ。今からっていうのはさすがにね」

響「えっ! なんだよー伊織、冷たいぞ!」

伊織「しょうがないじゃない。何度か聞いたって言っても、覚えられるほど聞いたわけじゃないんだから。
  ちょっと時間をもらえればいけると思うけど、私はこのあと別の予定が入ってるもの」

千早「……そうよね。ごめんなさい、無理を言って」

きっぱりと断った伊織ではあるが、中途半端に引き受けないのも千早を思ってのこと。
それを千早自身も理解しており、謝罪を口にしながら微笑んだ。
その表情に感じたのは気まずさか、面映ゆさか、
伊織は千早から目を逸らして響に問いかける。

伊織「で、あんたはどうなのよ? 今から歌えそうなの?」

すると響は、待ってましたとばかりに胸を張り、ふふんと鼻を鳴らした。

響「もちろん、歌えるぞ! 自分、ダンスだけじゃなくて歌もカンペキだからね!
 この曲でだって、千早に『勝ってみせる』!」

千早「っ!」

響「あ、でもちょっと待ってて。一応! 一応歌詞とか確認するから!
 けどすぐに準備できるから、千早もちゃんと体温めておいてよね!
 練習だからって、負けるつもりはないぞ!」

伊織「そういうことなら、私は審査員でもやってあげようかしら。
  どっちの勝ちか、ちゃんと見ててあげるからがんばんなさい。にひひっ♪」




響「――はぁ、はぁ……ど、どうだ! 伊織、どっちの勝ち!?」

歌い終え、響は息を切らせながら伊織に判定を求める。
伊織はそんな響に向けて薄く笑い、

伊織「そうね。まぁ、そんな気はしてたけど……やっぱり千早の勝ちね」

響「うがーーーー! 悔しいぞーーーーーー!!!
 確かにちょびっとだけ負けてたかなとは思ってたけど……。でもやっぱり悔しいーーーー!!!」

伊織「今回は仕方ないわよ。千早はこの曲をずっと練習してたわけだし……。
  って、こんな感じで良かったの、千早? なんか勝手に勝敗で盛り上がっちゃったけど」

千早「……」

伊織の問いに、千早は答えない。
ただ黙って胸元に手を置き、俯いているその姿は、自身の鼓動を確かめているように見えた。
そんな千早に伊織が改めて声をかけようとした、その直前。

千早「ありがとう、我那覇さん、水瀬さん……。
  二人のおかげで改めて確認できたわ。この曲に私が求めているものが、何なのか」

響「千早が求めているもの……?」

伊織「……よく分からないけど、ちょっとでも気分が晴れたなら良かったわ」

千早「ええ。まだ上手くいくか分からないし、不安ことはあるけれど、でも、もう大丈夫」

伊織「そう。じゃ、私はもう行くわね。響、あんたも行くわよ」

響「えっ、自分も!? でも自分、千早にリベンジ……」

伊織「それは公演が終わってからにしなさい。千早にも準備があるんだから。ほら、さっさと来る!」

響「うぐぐ……! 千早、今度は負けないからね!
 自分、もっともっとカンペキになって、いつか歌でも千早に勝ってみせる!
 あ、でもダンス勝負もしてみたいぞ! ねぇ千早、今度はダンスで自分と……」

伊織「あーもううるさいわね! 来なさいって言ってるでしょ!」

そうして最後はずいぶん騒がしく、響たちはレッスンルームを去っていった。
千早は微笑みを浮かべてしばらく扉を見つめた後、
表情を改めてプロデューサーから送られた動画を見返す。

……0%。
心の中でもう一度呟く。

そう、この動画の私と静香は、この曲をまったく表現できていない。
私だけでは駄目なんだ。
静香と二人で……同じ気持ちで歌わなければ、駄目なんだ。
けど、今のままでは絶対に気持ちは合わない。

これが正解かは分からないけれど……。
でも、お願い。
気付いて。
あなたが自分で気付かなければ、きっと私が駄目になる。
だからお願い。
私はあなたを待っているから……。



静香「――わかりません。何度聞かれたって、わからないものはわからないんです……!」

P「……」

静香「プロデューサー、あなたはわかってるんですよね!?
  なのにどうして教えてくれないんですか!? もう時間が無いんですよ!?
  あと一週間で答えを見つけられなければ、私は……」

P「その時は……仕方がないと思ってる。
 中途半端な状態でステージに立たせることは、俺もしたくないからな」

静香「仕方ないって……!」

P「お前が自分で気付くんだ、静香。
 俺からアドバイスするのは簡単だけど、でもそれじゃ、きっと駄目なんだ」

静香「っ……もういいです! そういうことなら、もうプロデューサーには頼りません!」

大きな音を立てて扉が閉まり、控室には静寂が戻る。
少し経ち、プロデューサーが息を吐いて椅子に腰を下ろしたとき、もう一方の扉が静かに音を立てた。

ジュリア「よぉ、やっと終わったかい?」

P「! ジュリア……聞いてたのか?」

ジュリア「あれだけ大声を出してたんだ、嫌でも聞こえるさ。
    ま、途中から聞き耳を立てちまったのは否定しないけどな」

P「あはは……恥ずかしいな。それじゃあ、話の内容も全部聞こえちゃってたか?」

ジュリア「まぁね。……上手くいかなかったんだろ? チハとあの曲を歌ってさ」

P「ああ……。一人で歌っていた時には、よく歌えてると思ったんだけど。
 そんな予感がしなかったわけじゃないけど、思った以上に顕著だったよ。
 二人で歌うと、あそこまで違って聞こえるなんてな……」

ジュリア「だろうね。あたしにもなんとなくわかるよ。
    あの曲、聞かせてもらったが……。ありゃあ確かに、シズには難しいよな。
    なんせ、相手があのチハなんだ」

P「……」

ジュリア「ったく、あんたも人が悪いよ。あんな歌を、あの二人に歌わせて……。
    しかも、何もアドバイスしないなんてな」

P「……ジュリア。もしかしたら、静香はジュリアのところにアドバイスを求めに行くかも知れない。でも……」

ジュリア「わかってる。何も気付いてないふりをするさ。それでいいよな?」

P「すまない、無理をさせてしまって」

ジュリア「別に無理なんかしてないよ。あたしだって、あんた達と……。
    あんたとチハと、同じ気持ちだ。
    そりゃ、きっちり教えてやればあの子はすぐに理解するだろ。
    でもそうやって教えられて歌うあの曲と、自分で気付いて歌うあの曲は、多分まったく違うものになる」

ジュリア「だからあんたもチハも、シズに何も教えてやらない……。教えてやれないんだろ?」

P「ああ……。少なくとも俺はそう考えてる。
 今の静香が抱えている問題には、静香自身で気付いた方がいい。結構、大きな賭けになるけどな」

ジュリア「ただ、もし本当にシズが自分で気付ければ……きっと、とんでもないことになる。だよな」

P「……自分でも、プロデューサーとしてどうかと思ってるよ。
 こんなギャンブル性の高い手に出るなんてな……。
 でも、やっぱり期待してしまうんだ。この曲を、理想の形で歌えるようになった時……。
 あの二人はどれだけ成長してくれるんだろう、ってさ」

ジュリア「ははっ、いいね。あたしはそういうの、嫌いじゃないぜ?
    ってことで、あたしも乗らせてもらうさ。あんたの、大きな賭けってやつにね」

P「ああ。ありがとう、ジュリア」




ジュリア「――悪いね。助けになってやれなくてさ」

静香「いえ……。こちらこそ、時間を取らせてしまってごめんなさい」

ジュリア「……頑張りなよ、シズ」

静香「はい……。それじゃ、もう行きますね。ありがとうございました……」

扉を閉め、静香は俯いたまま部屋を離れる。
もう、ため息すら出ない。
頼みにしていたジュリアでさえ何も分からないと言う。
プロデューサーは頼れないし、次はどうすれば……。

と、自分の足元しか見えていなかった静香の耳に、正面からの声が聞こえた。

春香「静香ちゃん……? どうしたの?」

静香「え? ……あ……」

春香「なんだか、ずーっと下を向いて歩いてたけど……」

静香「あ、いえ、その……。ごめんなさい、ちょっと、考え事をしてて……」

春香「考え事って……。もしかして、今度の公演のこと? 千早ちゃんと一緒に歌うんだよね?」

静香「……」

春香の言葉に、静香は一度上げた顔を再び下げてしまう。
そんな静香の様子を見て、春香は心配そうに眉根を寄せる。
が、すぐに優しく微笑んで言った。

春香「もし、私で良かったら話くらいは聞いてあげられると思うけど……どうかな?
  私なんかじゃ頼りないって思うかも知れないけど……」

静香「い、いえ! 頼りないだなんてそんなこと……。その……それじゃ、いい、ですか?」

春香「うん、もちろん!」

そうして、静香はこれまであったことを話した。
自分のせいで千早を失望させてしまったこと。
それなのに原因がわからないこと。
当の千早には何も教えてもらえないこと……。

静香「春香さんは……何か、わかりませんか……?
  さっきの動画を見て……私に何が足りないか……」

春香「うーん……。歌はすごく上手だと思うよ。足りないところなんて、見つけられないくらい……。
  でも、千早ちゃんは納得してくれなかったんだよね?」

静香「はい……完成度は0%だ、って……」

春香「それで、何も教えてくれなかったんだよね。いつもは優しく教えてくれるのに」

静香「っ……そうなんです。きっと、私が失望させてしまったせいで……!」

泣きそうな声でそういう静香を、春香は少しの間見つめる。
そして、穏やかな口調で言った。

春香「本当に失望しちゃってたら、一週間も待ってくれないと思うよ?」

静香「え……」

春香「それに静香ちゃん、言ってたよね? 千早ちゃん、すごく悲しそうな顔をしてた、って。
  それってやっぱり、千早ちゃんもまだ静香ちゃんと一緒に歌いたい、
  って思ってくれてるってことじゃないかな」

静香「……で、でも……。それじゃあ、どうして、何も教えて……」

春香「いつもは優しく教えてくれる千早ちゃんが、何も教えてくれなかったのは……。
  『そうしなきゃいけない』って、千早ちゃんが思ったから、かな」

静香「あ……さっきジュリアさんにも、近いことを言われました。
  『チハなりの考えがあってのことなんだろう』、って……」

春香「うん。千早ちゃんがそうしなきゃいけないって思ったから、きっと何も教えてあげないんだと思う。
  だから、私が言ってあげられるのもこのくらいかな。
  千早ちゃんが『何も教えない』って決めたのに、私が色々教えちゃったらズルになっちゃうもんね」

春香「……って、千早ちゃんがどう思ってるかなんて、全部ただの想像なんだけど」

そう言って、バツが悪そうに春香は笑う。
確かに、春香の言ったことはすべて春香の想像に過ぎない。
だが少なくとも、千早と対等に話すことのできるジュリアも同じことを考えていた。
そのことが、二人の言葉に十分以上の説得力を持たせていると静香は感じた。
千早が自分に何も教えてくれないのは、失望したからではなく、何か考えがあってのこと。
そうするべきだと判断してのこと……。

静香「……ありがとうございます、春香さん。
  まだ完全に失望されたわけじゃないかもって思えて、少しだけ、気が楽になりました」

春香「本当? ちゃんと力になれてたら嬉しいな。
  でも、ごめんね。何も教えてあげられなくて」

静香「いえ、いいんです。春香さんとジュリアさんの言葉を信じて、なんとか自分で答えを探してみます」

春香「うん! それじゃ、私もう行くね。がんばってね、静香ちゃん」

にっこりと笑い、手を振ってその場をあとにする春香。
が、静香がその背に向けて頭を下げようとしたとき、不意に立ち止まって振り返った。

春香「あ、でも最後にこれだけ教えちゃうね。
  千早ちゃん、静香ちゃんとあの歌を歌うって決まった時、すっごく嬉しそうにしてたんだ。
  私、あんな千早ちゃん久しぶりに見たかも」

静香「……そう、なんですか?」

春香「うん。ちょっぴり静香ちゃんが羨ましくなっちゃったくらい。
  だから、私も二人のこと応援しなきゃって思ってるんだ。
  静香ちゃんが千早ちゃんと一緒にあの曲を歌うの、楽しみにしてるね!」

そう言い残して今度こそ去っていく春香。
その背中に向けて、静香は黙って深く深く頭を下げた。

今日はこのくらいにしておきます。
続きは明日の晩に投下します。
明日で最後までいきます。




静香「……」

春香と話をしてから、静香はそれまで以上に動画を見た。
自分と千早が歌う、あの動画を。

ジュリアと春香の言葉のおかげで多少は気力が戻ったのは確かだ。
千早が自分と歌うのを楽しみにしてくれていたというのも事実だと、信じることにした。
けれど、だからと言って問題が解決するわけではない。
『0%』の原因は、未だにわかっていないのだ。

未来「わー! これ、千早さんと歌った時の動画? かっこいい~!」

静香「きゃあっ!? み、未来!?」

静香「もう、いきなり耳元で大きな声を出さないでよ! びっくりするじゃない!」

未来「でへへ~、ごめんなさ~い」

振り向いた先に居たのは未来。
そして、じっと動画を見つめる翼だった。

未来「でもでも、やっぱり静香ちゃんも千早さんも、すっごく上手だね!
  いいな~、私もこれ、生で聴いてみたかったな~!」

未来の表情からは、お世辞などではなく心からそう思っていることがわかる。
しかし、今の静香はそれを素直に受け止められる状態には無かった。

静香「……別に、千早さんはともかく、私は上手なんかじゃ……」

未来「え~、そうかなぁ? 私は上手だと思うけど。ね、翼もそう思うよね?」

目を逸らして自嘲気味に言った静香に対し、やはり未来は素直に自分の感想を述べる。
そんな未来の言葉を、静香は半ば呆れたように聞き流そうとしていた。
しかし……次いで述べられた翼の感想が静香の心臓を跳ねさせた。

翼「ん~……。上手とは思うけど、私的にはちょっとイマイチかも」

静香「……!」

未来「えー! イマイチって、なんでなんで!? かっこいいじゃん!」

翼「そう? だってこの静香ちゃん、あんまりすごくなくない?
 っていうか、なんか本気で歌ってないっぽい?」

「そんなことはない」。
普段の静香なら即座に出たであろうこの一言が、この時ばかりは出なかった。
それよりもまず、困惑した。

本気で歌ってないなどと、練習している時にはそんなこと、一度だって言われたことがない。
第一自分はこの時、他のどの時よりも本気で歌ったつもりだ。
記憶を振り返っても、動画を見ていても、絶対に私は全力を出していると確信できる。

しかし、翼にはそうは見えなかったのだ。
そしてその翼の反応は、何より千早の反応に近いものであると静香は感じた。

静香「つ……翼、どうしてそう思ったの!? 教えて、お願い!!」

目の前に見えた光明に、静香は思わず飛びつく。
しかし翼はその勢いに押され気味に、

翼「どうしてって言われても……。わかんない、なんとなくそんな感じがしただけで……。
 っていうか静香ちゃん、これもしかして本気で歌ってたの?」

静香「っ……それ、は……」

嫌味でもなんでもなく、ただただ純粋な疑問としてぶつけられたその問いに、静香は沈黙してしまう。
そしてそんな静香に向けて、翼はひと際軽い口調で言った。

翼「だったら、私の方がかっこよく歌えるかも。
 私も一回千早さんと歌ってみたかったし、今からでもパートナーに立候補しちゃおっかなー?」

本心か、冗談か、あるいは翼なりの発破だったのか。
それはわからない。
ただ少なくとも、この言葉に対して静香は間違いなくすぐに反論するだろうと、翼と未来はそう思っていた。
ジュリアとユニットを組んだときのように、自分の立場を譲らないものだと思っていた。

しかし、違った。
静香はほんの一瞬、口を開けて何か言いかけたかと思えば、眉根を寄せて俯いてしまった。

「駄目」「千早さんのパートナーは私だ」……。
当然、そう言いたかった。
だが言いかけたその瞬間、あの時の千早の表情が蘇った。
自分に向けられた、深い悲しみの表情。
それを思い出した途端、言葉が出なくなった。
胸を張って、自分こそがパートナーにふさわしいのだと主張することができなくなってしまった。

そんな、自分たちの想像とは違う明らかに様子のおかしい静香を見て、翼と未来は顔を見合わせる。
それから数秒後、翼は静香を気遣うような笑みを浮かべて言った。

翼「えっと……もしかして、千早さんと歌う自信なくなっちゃったとか?
 だったら、本当に私が静香ちゃんの代わりに出た方がいいかもだね」

静香「え……」

翼「無理だったら今回ダメでも、また次がんばればいいよ。
 大丈夫! 私なら千早さんが相手でも自信なくしちゃうとか多分ないし!」

これも翼の悪意のない素直な言葉である。
そのことは静香にはわかっていた。
だからこそ強く拒否することもできず、
また自分の気持ちの整理が付いていないこともあり、静香は言葉に詰まってしまう。
そうして言葉を選んでいるうちに、部屋のドアノブが外から回された。

P「っと……。すまない、三人で何か話してるところだったか?」

未来「あっ、プロデューサーさん……」

翼「プロデューサーさん、いいタイミング!
 ねぇねぇ、今度の公演、私が静香ちゃんの代わりに出てもいいですか?」

P「え? 静香の代わりって……どういうことだ?」

翼「なんか静香ちゃん調子悪いみたいだから、私が代わりに出てあげようかなって!」

翼からの唐突な提案に、プロデューサーは訝しむように目を細める。
そして確認を求めて静香に目を向けると、静香は一瞬目を泳がせたのち、言った。

静香「わ、私は大丈夫です、問題ありません。翼が勝手に言ってるだけですから、気にしないでください。
  それに、今更メンバーを変えるなんて……」

プロデューサーに弱気なところを見せたくないという意地からか、
喉元で詰まっていた言葉を静香は一気に吐き出すように言った。
しかし翼はそんな静香を尻目に、プロデューサーに向けて尋ねる。

翼「プロデューサーさん、もうメンバーの変更は無理なの? 私が出ちゃ、ダメ?」

聞いたところで答えは決まっている。
認められるわけがない。
静香は当然返ってくるべきプロデューサーの答えを待った。
しかし……プロデューサーの反応は静香の予想を外した。

P「……」

思案するように口元に手をやり、目を伏せて黙り込むプロデューサー。
その様子に、静香は声をかけようとする。
だがそれより先に、プロデューサーは目線を上げ、

P「翼。静香の代わりに歌うってことは、静香よりもいい歌を歌う自信があるってことだよな?」

翼「はい、ありますよ? いつもの静香ちゃんだったら大変かもだけど、
 さっきの動画見た感じだったら大丈夫だと思いまーす!」

P「そうか。だったら、今から静香と歌ってみてくれ。静香と千早が歌う、あの曲を」

静香「なっ……!?」

耳を疑った。
それはつまり、自分と翼の歌を聴き比べるということなのか。
静香は血相を変え、掴みかからんばかりの勢いでプロデューサーに詰め寄る。

静香「何を言ってるんですか、プロデューサー!? どういうことですか!?」

P「翼に静香の代わりが務まるかどうか、これで判断する。
 翼には千早のパートを歌ってもらうけど、それでいいか?」

静香「は、はぁ!? だから、何を言って……」

翼「えっと、歌詞見ながらでもいいですか? メロディは覚えてますけど、歌詞はちょっと微妙かもだし。
 あ、それからダンスも大体覚えてるけどまだ全部は無理かなー」

P「歌だけで構わないよ。歌詞も見ながらでいい。純粋に、歌だけを聴き比べようと思うから」

翼「良かったぁ。それなら大丈夫でーす! プロデューサーさん、ありがとうございまーす♪」

静香「ちょ、ちょっと待って、翼! プロデューサーも、本気で言ってるんですか!?
  そんな、千早さんに相談もせずに……!」

P「千早にはあとで説明するよ。きちんと説明すれば納得してくれるさ。
 っていうか、ここで静香が自分の方がふさわしいって証明できれば問題ないはずだろ?」

静香「そ、それはそうですけど、そういう問題じゃ……!
  ちょ、ちょっと、未来! 未来も何か言って!」

未来「ええっ!? わ、私は、えっと、えっと……!
  し、静香ちゃんは千早さんのことが大好きだし、静香ちゃんに歌わせてあげた方がいいと思いますっ!」

翼「えー? だったら私だって千早さんのこと好きだよ?
  千早さんすっごく優しいし、歌も上手だし、綺麗だし!」

未来「そ、そっか、それじゃあ、えっと、えっと……。うぅ~! 静香ちゃんごめ~ん!」

静香「っ……も、もう! しっかりしてよ……!」

P「静香……。そんなに自信がないのか? 翼に勝てないって、そう思ってるのか?」

静香「そ、そういうわけじゃ……」

翼「それじゃ決ーまり! 私も千早さんと歌いたいし……久しぶりに本気、出しちゃおっと♪」

静香「っ……」

わけがわからない、わけがわからない!
二人とも本当に、本気で言ってるの?
今から私と翼のどっちが千早さんにふさわしいか決める?
そんないきなり、心の準備もできてないのに……!

静香の混乱など知りもしないかのように、プロデューサー達は即座に準備を始めた。
その間も静香はただ流されるまま、ほとんど混乱した状態で、あっという間に歌う準備が完了してしまう。

P「それじゃ、曲を流すぞ。準備はいいか?」

翼「はーい!」

明るく返事をする翼に対し、静香は黙って目を伏せたまま。
だがそれに構わず、プロデューサーは音楽プレイヤーに手を伸ばした。
曲が流れ始め、そして――

――かじかんだ唇 ほどいた歌声が――

未来「! 静香ちゃん……」

始まりの静香のパート。
だがその歌声には……なんの気迫も、気持ちもこもっていなかった。
自分のパートが来たから歌い始めたはいいものの、静香は未だに混乱したままだった。

どうしてこんなことになったんだろう。
どうして今、私はこの歌を歌っているんだろう。
この歌を賭けて、千早さんのパートナーの座を賭けて、翼と歌う?
意味がわからない。
どうしてそんなことになったの?
何かの冗談としか思えない。

今の自分の置かれた状況に、まったく現実感がない。
実感がない。
そんなおぼろげな感覚のまま歌い出した静香のパートが終わり、次いで翼のパートが始まる。

が、その瞬間。
静香の全身の皮膚が粟立った。

――今ならわかる ためらいかき消して――!

雷に打たれたような感覚。
静香は目を見開き、翼を見た。

その歌声、表情。
間違いない……。
翼は、『本気』だった。

こんな翼、見たことが無い。
今までだって翼が全力でパフォーマンスをしたことはあった。
けど、何かが違う。
これは、この歌声は……『私に勝つため』の歌だ。
私に勝って、そして、この歌を、私の立場を……私から奪うための……。

その時に静香の覚えた感情。
それは、恐怖だった。

負ける。
このままじゃ負ける。
絶対に負ける。

こんなの勝てるはずがない。
あの翼が、私よりもずっと才能のある翼が、私に勝とうとしてる。
私に勝つために本気を出してる。
それに比べて、私はどう歌えばいいかも分からないまま。
そんなの、勝てるわけがない……。

でも……もしかしたら、これでいいのかな。
だって私の歌じゃ、千早さんを満足させられない。
だって、理由がわからないんだもん。

千早さん、私はどうすれば良かったんですか?
どうすれば私は、あなたを満足させることができたんですか?
わかりません。
私には、わからないんです。

だから……いいですよね?
翼ならきっとあなたを満足させられる。
私なんかより、翼の方がずっと、ずっと……。




  『私は、いつかあなたとも歌ってみたいと思っていたから、とても楽しみに思っているのだけれど……』

 「ッ……!!」

瞬間、全員が息を呑んだ。
プロデューサーも、未来も、歌っている翼ですら。
静香以外の全員の呼吸が、一瞬止まった。

『変わった』。
歌声がまるで質量を持ったかのように、その場の全員を体を揺らした。

しかし静香本人はそのことに全く気付いていない。
意に介していない。
彼女の頭にあるのは、ただ一つだけの感情のみ。


嫌だ。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……!!


P「……静香……っ!」


千早さんは喜んでくれてた。
私と歌うことを、楽しみにしてくれていた……!
それなのに……!
私はもう、もうこれ以上、あの人を悲しませたくない!!

だから……勝つんだ!!
絶対に!!
私が!! 私が絶対に勝つ!!
負けたくない! 負けたくない!! 絶対に負けたくないッ!!!

――存在証明する “蒼”生きてゆくための証
響け この胸のファクター――!

それはその場の誰も聴いたことのない歌声だった。
誰も見たことのない最上静香がそこに居た。
気合、気迫などと言う言葉では到底表せない。
鬼気迫る静香の姿がそこにはあった。

自分の全てを。
それこそ命を懸けているとすら思えるほどの必死な姿。
アイドルとしては何かが違えばマイナスに作用しかねないその感情はしかし、
この時ばかりは聴く者、見る者全員の心を惹き付け、揺さぶった。
そしてその感情は――

翼「っ……あははっ!」

笑い声など聞こえるはずはない。
だが確かに翼は今、笑った。
そして、

――感情共鳴する “奏”強く解き放つ可能性-メロディ-
  今日だって 歌い続けてる――!

翼の歌が一段階上がった。
いや、引き上げられた。
静香の歌に惹かれ、引かれ、さらに高みへと引き上げられた。

だが静香はそれにも気付かない。
自分が引き上げたのだとは微塵も思っていない。
静香はただただ勝つためだけに歌っていた。

まだだ。
まだ勝ってない。
翼はギアを一つ上げた。
きっともっと上がる。
なら私ももっと上げないと。
もっと、もっと、もっと!!
もっともっともっともっともっと!!!
勝つために!
私が勝つんだ!!
絶対に、絶対に絶対に勝つんだ――!!

静香「――……ハアッ、ハアッ、ハアッ……!」

……たった一曲。
たった一曲歌っただけで、こんなにも息を乱した静香の姿が今まであっただろうか。
何百メートル、何千メートルと全力疾走したかのような疲弊した姿。
だがその眼光は一分も曇っていない。
曲が終わってなお、誰一人、一言も発することができなかった。

が、そんな中ふうと大きく息を吐いて、

翼「あーあ、ずるいなぁ静香ちゃん。いきなり本気出しちゃうんだもん」

額を汗に濡らし、翼が笑顔でそう言った。
それを合図にしたかのように、次いで拍手が鳴り響く。

未来「すっ……すごいすごいすごぉーーい!!
  静香ちゃん、す、すごかった! ほんとに、ほんとのほんとに、すっっっごく、すごかった!!」

P「……同感だよ。俺じゃなくたって、誰も文句なんて言わない……。
 この曲を千早と歌うのは……静香。お前しか居ない」

P「翼も、それでいいな?」

翼「はーい、異論なしでーす。ちょっぴり悔しいけど……でも、しょうがないよね」

翼も間違いなく本気だった。
だからこそ、その表情からは確かに悔しさを感じ取れた。
しかしそれ以上に、静香への称賛が込められていた。

翼「だってさっきの静香ちゃん、本当にすごかったもん……。なんか、あの動画がウソみたい」

未来「うん! うん! 私は動画の静香ちゃんもカッコイイと思ったけど、でもでも、
  さっきの静香ちゃんの方が、ずーっと、ずーーーっとかっこよかった!!」

各々の表情と言葉で静香を称える二人。
静香はそんな二人を、まだ少し乱れた息を整えながら見つめ、それから、

静香「プロデューサー……。もし、もし今のが、『そう』なのだとしたら……。
  私……本当にバカでした。何も……なんにも、わかってなかった……」

P「……ああ。でも、今は違う。静香はやっと見つけられたんだ。
 二人で歌うこの歌の、答えを」

静香「っ……プロデューサー、千早さんは今どこに……!」

P「スケジュールを考えると、多分今は控室だ」

静香「わかりました、ありがとうございます! 私、行ってきます!」

返事を待つことなく、静香はレッスンルームを飛び出した。
三人は暫時閉まった扉を見つめ、それからプロデューサーが翼に向いて言った。

P「……ごめんな、翼」

翼「? 何がですか?」

申し訳なさそうに眉根を寄せるプロデューサーを、翼はきょとんとした顔で見上げる。
そしてプロデューサーが何か言う前に、

翼「謝ってもらうことなんて何もないと思いますよ?
 私ちゃんと本気出したし、プロデューサーさんだって、
 もし私が静香ちゃんに勝ったら千早さんにお願いしてくれてたでしょ?」

P「それは、もちろんだ。でも……」

翼「あっ、そうだ! よく分からないですけど、謝ってくれるなら今度一緒にデートしましょうよ!
 大人っぽくてステキなお店、連れて行って欲しいなぁ~」

未来「えーっ、なんでなんで? 翼ずるーい! 私も一緒に行きたい!」

翼「ダーメ! デートなんだから二人だけで行くの! ね、プロデューサーさん?」

P「……そうだな。ごめんな、未来。未来はまた今度な」

屈託のない笑みで未来とじゃれ合う翼。
その横顔を見ながらプロデューサーは、ありがとう、と心の中で呟いた。




控室の前で立ち止まり、静香は呼吸を整える。
そうしてぐっと体に力を入れ、ドアノブを回した。

千早「! 静香……」

真っ先に目に入ったのは、椅子に座ってテーブルに目を落としていた千早の姿。
千早もこちらに気付いたのを見て、静香は部屋に入り、

静香「千早さんごめんなさい! 私、千早さんに、とても、とても失礼な態度を取っていました!」

千早「え……?」

勢いよく頭を下げた静香に、千早は目を丸くする。
そして千早が何か言うより先に、静香は頭を下げたまま絞り出すように続けた。

静香「千早さんは私に、本気でぶつかってくれてたのに、私、そんなことにも全然気付かないで……。
  勝手に、私は千早さんより下なんだからって……。
  足を引っ張らないように、って……そんなことしか考えてなくて……!
  千早さんの想いを、無視するようなことを……! 本当に、ごめんなさい!」

千早「っ……! 静香、それじゃあ……」

そこでようやく、静香は頭を上げる。
そして半ば泣きそうな顔で、

静香「千早さんは、最初から私のことを……対等に見てくれてたのに……。
  それなのに、私……。でも、やっと気付きました……。
  千早さんの、言う通りでした……。
  あんなの、本当に0%です……。でも気付いたんです、私、気付きました、だから、その……。
  わ……私と、あの歌を……! お、お願いします! 歌ってください、千早さん!」

必死に言葉を紡ぐ静香の姿を、千早は目を見開いて暫時見つめた。
それから椅子を引いて立ち上がり、

千早「……ありがとう、静香。あなたが気付いてくれて、良かった……。本当に、ありがとう」

そう言って、深く頭を下げた。
その千早の行動に、静香はやはり驚いた。

千早「本当にあのやり方であってたのか……。私も、実は不安だった。
  あの歌に私の求めていることが絶対に正しいなんて言えるはずないのに、
  あんなやり方であなたを不安にさせてしまったこと……」

千早「もしかしたら全部間違っていたかもしれない。
  私の気持ちを、あなたに直接伝えるという方法もあったかも知れない。
  けれどそうしてしまうと、私はまた、『上の立場』としてあなたに接してしまう。
  そんな気がして……。だからあんな方法しか取れなかったの」

辛そうに表情を歪めながら話す千早を、静香もまた、胸を締め付けられる思いの中見つめる。
しかし千早はふっと表情を緩め、

千早「けれど、あなたは気付いてくれた。
  私の気持ちに……私がこの歌に求めていたものに。私が、あなたに求めていたものに。
  私と同じ答えに、至ってくれた」

静香「千早さん……」

千早「だから、本当に感謝してる。もう一度言うわ。ありがとう、静香」

そう言い、千早は再び頭を下げる。
そんな千早の姿に、今度は静香は動揺することはなかった。
謝罪と、感謝。
それぞれの想いを込めて頭を下げ合うこともまた、対等の一つの在り方なのだと感じ、
千早と対等になれたことに喜びを感じ、笑みすら零れた。

しかし……数秒後。
顔を上げた千早がそこに浮かべていた表情が静香の笑みを消した。

千早「嬉しいわ……これで、やっと……。あなたと、高め合うことができる」

静香「ッ……!」

畏怖――静香が抱いた感情はそれに近い。
口調こそ普段の千早と変わりないが、それは今まで見たことのない表情。
向けられたことのない感情。
『先輩と後輩』などという優しい関係ではない。
全身の産毛か逆立ち、内臓が裏返ったような感覚すら覚えた。

いや……でもきっとこれは、初めから向けられていたものだ。
ただ自分が気付いていなかっただけ。
つまり静香は今、初めて本当の意味で理解した。
如月千早に対等に見られるということがどういうことなのかを。

だからこそ、静香は笑った。
足元から上る悪寒を、全身に立つ鳥肌を、最大限の喜びだと感じ、笑顔で言い放った。

静香「はい。こちらこそ……本番を、楽しみにしています」




ジュリア「――おいおい、そりゃマジか……」

静香「はい、マジです。プロデューサーにも話はしました」

あっさり答えた静香に、ジュリアは驚きつつも笑みを浮かべる。

ジュリア「ウチらの……D/Zealの時とは正反対……。『本番まで全く合わせない』なんてな。
    よくもまぁ、そんな大胆なやり方を許す気になったよ」

静香「そうかも知れません。確かにプロデューサーとしては、止めるべきなんでしょうね。
  でも、意外とあっさり……」

ジュリア「そうじゃない。あたしが驚いてんのは、シズ。あんたがそんな手に出たってことさ」

静香「えっ?」

きょとんとした表情を浮かべる静香に笑みを向け、ジュリアは遠くを見やる。
そして思い起こすようにして続けた。

ジュリア「ま……確かにそういうスタンスで歌うなら、そのくらい徹底した方が面白いかもな。
    『練習試合』無し、本番一発の真剣勝負。それがやれるってんなら、その方がいい」

静香「ジュリアさん……。それじゃあやっぱり、ジュリアさんも気付いてたんですね。
  千早さんが何を求めてたのか……。『何もわからない』なんて言ってたくせに」

ジュリア「ん? あぁ……ははっ。バレちまったか」

静香「……もう、意地が悪いんだから」

ジュリア「けど、おかげでいい歌が歌えるようになっただろ?」

静香「それはまぁ……その通りですけど」

ジュリア「おい拗ねんなって、シズ。ほら、このお茶やるからさ」

静香「ジュリアさんの飲みかけじゃないですか。要りません」

静香はぷいと顔を逸らし、その横顔にジュリアはいたずらっぽい笑顔を投げかける。
そのまましばらく肩を揺らして笑い続け、それからふっと、穏やかに言った。

ジュリア「それで? 調子はどうだい? チハには勝てそうか?」

静香「……わかりません。あれから、何度も千早さんのライブ映像を観ました。
  今まで以上に、何度も。けどそのどれもが、今までとは全く違うように見えて……。
  私はこの人とステージで本気でぶつかり合うんだ、って思ったら……。やっぱり少し、怖くなります」

ジュリア「でも、退くつもりはない。そうだよな?」

静香「はい。千早さんは今でも、私の目標で、憧れで、尊敬すべき先輩です。
  でも、だからこそ、私は……あの人に勝ちたい。
  勝って……ただあの人の後を追うだけじゃなくて、
  あの人のライバルとして、隣に並んで走り続けたい。そう思ってます」

いつからか、静香は逸らしていた顔を真っ直ぐにジュリアに向けていた。
そしてその瞳を正面から受け、ジュリアはほんの一瞬体が震えるのを感じた。

ジュリア「ははっ……こりゃあ楽しみだ。
    シズとチハのぶつかり合い、あたしも見させてもらうよ」

静香「ありがとうございます」

ジュリア「っと、そろそろ行かないとな。そんじゃ、また明日な」

静香「はい。今日はありがとうございました」

ジュリア「ああ……そうだ。一つ気になったんだが……。
    本番まで一切合わせないってのはどっちの提案だ? シズ? それともチハ?」

静香「え? えっと……。言い出したのは千早さんです。けど、私も同じことを考えてました」

ジュリア「……なるほど。二人して、か。ますます楽しみになってきたよ。
    最高のパフォーマンス、期待してるぜ?」

静香「はい、もちろんです。頑張ります!」




P「――二人とも、準備はいいか?」

静香「もちろんです」

千早「問題ありません」

瞳はプロデューサーを真っ直ぐに見据え、一切の揺らぎが無い。
千早はもちろん静香も、今から始まるステージへと臨む態勢は完全に整っている。
それを確認し、プロデューサーは軽く頷いた。

P「本当に今日この瞬間まで、二人で歌うことはなかったわけだけど……。
 だからこそ最高のステージになるって、俺も信じてるよ。お前たちと同じようにな」

その言葉に対し、千早と静香はただ黙って強く頷き返す。
プロデューサーはそんな二人に対し薄く笑い、

P「それじゃ、俺は最後の打ち合わせをしてくる。二人は出番までここで待機していてくれ」

そう言い残し、その場をあとにした。

そうして、千早と静香はそこに残される。
僅かな沈黙。
だがそれはすぐに、静香の穏やかな声で破られた。

静香「……いよいよ、ですね」

千早「ええ」

静香「今日まで、何度も観ました。千早さんのライブ映像を。
  あなたと本気でぶつかり合うイメージを持つために。それで私、改めて思ったんです」

ここで静香は、千早に向き直る。
そして真っ直ぐに千早の目を見据え、

静香「やっぱり、千早さんはすごいです。あなたは私よりもずっと高いところに居る。そう思いました」

自らを下に、相手を上に置く発言。
それは少なくとも今の千早が求めていないもの。
だが千早は表情を変えずに、続きを促すように静香を見つめ返した。
その想いに応えるように、静香もまた千早から視線を逸らさずに、一呼吸置いて言った。

静香「私は、千早さんへの憧れを捨てるつもりはありません。
  だって……あなたならきっとまた私を超えてくれるって、そう信じてますから」

千早は息を呑んだ。
静香が揺るぎなく言い放った言葉……『きっとまた私を超えてくれる』。
それはつまり、自分の勝利を前提とした発言。
これ以上ない宣戦布告。
自身を鼓舞するため、千早に意志を示すため。
そんな意味合いも幾分かはあっただろう。
だがそれは間違いなく、静香の本心であった。

勝利宣言と同等の言葉をあの静香が、あの千早に言い放った。
その事実に千早は身震いした。
笑みすら零れかけた。
だが、まだ早い。
ぐっとこらえ、千早は目線を逸らす。
そしてステージを見据え、

千早「なら、証明してみせて。言葉ではなく、ステージで。あなたの歌で」

静香「ええ……。もちろん、そのつもりです」

――暗転。
拍手と歓声が徐々に収まり、わずかなざわめきと余韻を残す。
そして、ついにその時がやって来た。

照明が点くと同時にイントロが流れ始め、観客は再び沸き立つ。
次いでそこに立っている二人の姿を認める。
如月千早と、最上静香。
今日の目玉のステージである、765プロが誇る二人の歌姫によるデュエット。
必然、客席は最高潮の盛り上がりを見せる。

が、その時。
何割かの観客が気付いた。

何か違う。
ステージに立つ二人の醸し出す雰囲気は、いつものそれと何かが違う。
二人でデュエットをしようなどという雰囲気ではない。
例えるならそう、まるで、『闘争』に赴くような……。

その何割かが抱いた違和感は次の瞬間、会場全体に波及した。

――かじかんだ唇――

ほんの1フレーズ。
否、直前にマイクが拾った微かな呼吸音。
それが届いた瞬間に空気が一変した。
最上静香の声に、聴いた者全員が一瞬にして惹きつけられた。

しかしこの時、真の意味で静香の『変化』に気付いたものが果たして何人居ただろう。
少なくとも二人……。
プロデューサーと千早は、この静香の歌を聴いた瞬間にかつてない衝撃を受けた。

それは、あの時。
静香が翼と歌った時、プロデューサーが薄々予感していたこと。
予感しつつも、信じがたかったこと。

765プロの……いや、全アイドルの中でもトップクラスの歌唱力を誇る歌姫、如月千早。
その千早の歌唱力を……。
間違いない。
今、この瞬間。

最上静香は、明らかに上回っていた。

千早「……」

ああ――なんということだろう。
なんて素晴らしい。
なんて素敵なことだろう。
待ち望んでいた日が、こんなにも早く来るだなんて。

あなたはずっと私のあとを追っていた。
まだまだ未熟な私を慕い、敬い、憧れてくれていた。

付き合いの長い子たちの中には、私に本気でぶつかってくれる子も居た。
だってみんなは先輩でも後輩でも無いから。
だから当然、対等にぶつかってきてくれる。

けれど、あなたは違う。
あなたは後輩で、私は先輩。
それは紛れもない事実。
あなたが私に憧れてくれているということも、否定しようのない事実。
だから、もしかしたらあなたは私と対等になることはないんじゃないかって思ってた。
対等に見てくれないんじゃないかって、そう、思ってた。

でも違った。
あなたは私に憧れたまま、私と対等になろうとしている。
憧れを抱いたまま、私を超えようとしている。
本来なし得ないはずのことをなそうとしている。

だからこそ、だからこそこんなにも凄まじい……。
こんなにも素晴らしい……!
あなたの歌声は、私の想像を超えて高みへと昇ってくれた!
なんて素晴らしいことだろう!
なんて素敵なことだろう!
こんなにも身近に歌を高め合う相手が居たなんて!
ああ、嬉しい、嬉しい、嬉しい……!
あなたが居れば、私はもっと……もっと高みへと飛び立てる!

静香「っ……!!」

――それはほとんど無意識。
静香を見ていた多くの観客がその瞬間、逆側を向いた。
視線が、意識が、引き寄せられた。
そう……如月千早に。
その理由を真に理解している者はやはり少ない。

だがこれもやはり、静香は十全に理解した。

ああ――なんて凄い。
なんて凄い、なんて凄い……!
千早さん……あなたは本当に底が知れない!

私の意識の変化は、確実に私を成長させてくれた。
私自身そのことを強く強く感じた。
だから私は確信してた。
ただの意気込みとは違う、必ず今日あなたに勝つことができるのだと、そう確信していました。
あなたならまたすぐに私を追い越してくれるのだとも。

そして実際に、私はあなたを超えた。
慢心なんかじゃありません。
確かに今の私は、映像で見たあなたを超えていた。
自信を持ってそう言えます。

でも、でも……それはほんの一瞬だけ!
こんなにも早くだなんて!
ああ、あなたはやっぱり凄い……!
あなたはもうこの瞬間に、また私よりも高みへと昇ってしまった!
でも……そんなあなただからこそ、私は超えてみたい!
あなたに、勝ってみたい!!

P「っ……静香、千早……!」

最早誰しもが心を奪われていた。
心だけではない。
全身が、五感の全てが、二人の歌に支配された。
一人として言葉を発することが出来ない。
だが興奮は最高潮に達していた。

これがデュエット?
とんでもない。
まるで格闘技……いいや、それすら生ぬるい。
抜き身の刀で切り結んでいるかのような、文字通りの『真剣勝負』。
鎬を削り、互いに一歩も退かず、どこまでも高め合う。

最上静香と如月千早。
二人のアイドルの『進化』の瞬間を今、目の当たりにしていた。

静香「……!」

凄い、凄い、凄い。
まだ高みに昇るんだ。
まだ羽ばたいていくんだ!
ほんの一瞬私が追い抜いても、すぐに抜き返してくる!
まるで果てが無い!
限界が見えない!
なんて凄い人なんだ……!
そう、そうだ……そんなあなただからこそ、私は――!

千早「っ……」

なんて凄まじい。
なんて素晴らしい。
なんて素敵な!
こんな時間を過ごせる日が来るだなんて!
アイドルになって良かった!
歌い続けていて良かった!
歌に出会えて良かった!
あなたに出会えて良かった!
そう、やっぱりそうだ……あなたのような人を、私は――!

――君に憧れ
――君を待ち焦がれ

さあ歓びの調べを……!

……静寂――。
だが全員が理解している。
そうこれは、嵐の前の静けさ。
最後のぶつかり合いに向け力を溜め込んでいるかのような、そんな静けさ。

これで決まる。
ぶつかり合い、殴り合い、切り結んだ真剣勝負が。
より高みへ到達するのは果たしてどちらか。
最後の戦いが始まる。

息を呑み、固唾を呑み、全員が見守る。
勝負の行く末を。

溜めて、溜めて、溜めて……。
二人は、飛翔した――




――ステージ裏。
最上静香、如月千早の両名はどちらからともなく歩みを止める。
向かい合い、そして、

千早「……ありがとう、静香」

静香「ありがとうございました、千早さん」

互いに穏やかに微笑んだ。
と、同時に横に顔を向ける。

P「二人とも、最高のステージだった。本当に……本当に、最高だったよ」

千早「プロデューサー……」

静香「……」

称えるプロデューサーに、二人の向ける眼差しはまったく同じものだった。
プロデューサーはその眼差しを受けて、薄く笑って言った。

P「まず、言っておくけど……。
 プロデューサーとして、今日の二人のパフォーマンスに優劣は付けられない。
 それだけ二人のステージはすごかった。俺も感動したくらいにな」

ここで言葉を切り、改めて二人の目を見る。
そして一呼吸置き、

P「けど……。そんな言葉じゃ、二人は納得しないよな」

静香「はい。ぜひ、第三者から見た結果を……お願いします」

静香を見、千早を見て、プロデューサーは沈黙する。
だがそれも数秒。
決意するように目を閉じ……。
真っ直ぐに千早を見据えて言った。

P「今の勝負、勝ったのは千早だと思う。
 終盤は確実に、千早の方が静香を上回り続けていた」

それを聞き、静香は目を伏せる。
そして一呼吸置き、口を開いた。

静香「……私も、そう思ってました。競り合っていたのは中盤まで。
  終盤は、私は一度も千早さんを超えることはできなかったんだって、わかってました……。
  でも、客観的な意見も貰えて……なんていうか、少しすっきりした気持ちです」

伏し目がちにそう言った静香の表情は、どこか晴れやかさを感じるものだった。
静香は顔を上げ、改めて千早を見据える。

静香「千早さん、改めて今日はありがとうございました。
  千早さんの本気を受け止めることができて、すごく、嬉しかったです」

千早「……ええ。またいつか、もう一度こんなふうに歌えるのを楽しみにしているわ」

短く言い交し、握手を交わし、二人は控室へと戻っていった。

控室に戻るまでも、戻ってからも、二人の間に会話はほとんどなかった。
気まずさとは少し違う。
ただ、多く言葉を交わそうとは二人とも思わなかった。

千早「――それじゃあ、私はもう行くわね。静香はまだここに居る?」

静香「はい。まだ、汗が引かなくて」

気恥ずかしそうに笑った静香に、千早は微笑みを返す。
そして、また明日ね、と一言言い残して扉を閉めた。




春香「お疲れ様、千早ちゃん」

千早「! 春香……」

廊下の壁に寄りかかっていた春香は、千早を見てにっこりと笑う。
後ろ手に手を組み、微笑んだまま千早に数歩寄った。

春香「静香ちゃん、どうだった? 打ち上げは? ……なんて、聞くまでもない感じかな」

千早「……ええ。とても、打ち上げに誘えるような雰囲気じゃなかった」

春香「そっか。すごかったもんねー、二人とも!
  なんていうか、バチバチバチーって火花が飛んでるみたいに見えちゃった!」

千早「そうね……。私も、静香も、本気だった。でも、だからこそ……」

そこで千早は目を伏せる。
何か言い淀んだような、言葉を選んでいるような、そんなふうに見えた。
しかし春香はそんな千早に対して表情を変えずに、

春香「それじゃ、どうしよっか」

千早「えっ?」

春香「このあとのこと。
  静香ちゃんが誘えなかったら、二人だけでご飯食べに行こうって約束してたけど……。
  千早ちゃん、今は他にやりたいことがあるんじゃない?」

両手を後ろに回したまま、いたずらっぽく顔を覗き込むように言う春香。
そんな春香を千早は目を丸くして見つめたのち、観念したと言うようにふっと笑った。

千早「春香ったら、お見通しなのね」

春香「もちろん! 私と千早ちゃんの仲だもん。なーんて♪」

冗談めかして言う春香に、千早は微笑みを返す。
それから、少し表情を改めて言った。

千早「ごめんなさい。約束を破ってしまうことになるけれど……。
  今は私、歌いたいの。さっきのステージの感覚がまだ残っているうちに……。
  あんな気持ちで歌ったのは久しぶりだから、
  この気持ちが少しでも強く残っているうちにもう何回か歌っておきたくて。それに……」

と、千早は目を伏せて一呼吸置く。
そして汗を握り込むように、胸元でぐっと拳を握り、

千早「今、立ち止まってしまえば……きっと次は負けるから」

不安、喜び、焦燥感、高揚感、様々な感情の入り混じったその表情は複雑なものであったが、
それでも春香には千早の気持ちが分かる気がした。
また同時に、はっきりと「負け」を口にした千早の姿に、態度には出さない程度に驚きを感じた。
だがきっと間近で静香を見ていた千早だからこそ、
それほどまでの切迫感を覚える何かを感じ取ったのだろう。
そして改めて、今日のステージが彼女たちにとって大きなきっかけとなったことを、春香は十全に理解した。

千早「だから、その……。どのくらいまでかかるか分からないから、春香は先に帰ってて。
  二人でご飯を食べる約束は、またいつか必ず……」

一転、申し訳なさそうな表情を向ける千早。
そんな千早に、やはり春香は変わらない笑顔を向けたまま、

春香「ううん、別にいつかじゃなくていいよ。今日一緒に食べよう?」

え? と千早が疑問符を浮かべた直後、春香は後ろ手に回していた手を前に出す。
その手には、コンビニの袋が提げられていた。

春香「さっきのステージ見ててね、千早ちゃんならきっとそう言うだろうと思って急いで買ってきたんだ。
  私の分も買ってあるから、レッスン前に一緒に食べようよ」

千早「え、っと、それじゃあ、春香も……?」

春香「えへへへ……。できれば、レッスンのお手伝いさせてもらえたらなーって。
  もちろん、千早ちゃんの迷惑じゃなかったら、だけど」

千早「春香……」

迷惑か、迷惑じゃないか、なんて。
もちろん答えは決まってる。

千早「ええ……ありがとう。それじゃあ、付き合ってもらうわね」

微笑んで言った千早に春香も笑顔を返し、二人はレッスンルームへと向かって行った。




未来「――うわぁーーん! 静香ちゃん良かったよぉーーーー!
  すっごく、すっごくすっごくすっっっっごくかっこよかった!!」

控室に泣き声とも歓声ともつかない声が響く。
その横で、翼も感嘆したように言った。

翼「私もかっこよかったと思うなー。
 なんかすごすぎて、静香ちゃんがちょっと遠くに行っちゃったって感じ」

静香「遠くにって……別にどこにも行ってないわよ。でもありがとう、二人とも」

薄く笑い、静香は素直に二人の称賛を受け取った。
そんな静香に、未来は頬を紅潮させたままにっこりと笑い、翼も微笑みを向けた。

翼「静香ちゃん的にはどうだった? 千早さんとの勝負、楽しかった?」

その問いに、静香は振り返るように目を伏せる。
そして微笑んだまま、

静香「ええ。追いつけなかったのは残念だけど……でも、楽しかった。
  千早さんの全力を間近に感じられたのもすごく勉強になったし、それに……」

翼「……静香ちゃん?」

不意に黙り込んでしまった静香の顔を、翼が覗き込む。
しかしすぐに静香は顔を上げ、少し申し訳なさそうに笑った。

静香「ごめんなさい……。なんだか、まだ少し頭がぼんやりしてて……。
  思ってた以上に疲れちゃったみたい。
  千早さんはあんなに余裕がありそうだったのに、やっぱり私、まだまだね」

未来「そっか……。本当に千早さんってすごいんだね!
  私はどっちもすごかったって思ったけど……」

静香「もう、未来ったら……。千早さんがすごいなんて、前から分かってたことでしょ?」

翼「それで静香ちゃん。今日の打ち上げどうする? 行けそう?」

その言葉に、静香は再び目を伏せる。
そして半ば呟くようにして言った。

静香「ん……そうね。今日はちょっと、やめとこうかな」

翼「うん……わかった。それじゃ、また元気な時に三人で行こ!」

静香「ええ。それじゃ、私はもう少し休んでいくから二人は先に帰ってて」

翼「はーい。じゃ、また明日ね!」

未来「えーっ? 本当に帰っちゃうの? 私、もうちょっと静香ちゃんとお話したいのにー!
  ステージの感想とか、もっともーっと言いたいことあるんだよー!」

翼「しょうがないでしょ? それに未来だって、もうすぐ見たいテレビあるんじゃないの?」

未来「そうだけどー、うぅ~……」

無邪気な様子で不満を口にする未来に、静香は思わず失笑する。
それから冗談めかして叱責した口調を作って言った。

静香「もう、未来? 言ったでしょ、私は疲れてるの。今日くらい休ませてよね。
  感想なら明日たっぷり聞かせてくれればいいから」

未来「うぅ……はーい、ごめんなさい。
  それじゃ元気になったらいっぱい、いーっぱい、お話しようね!」

はいはい、と静香はため息交じりに笑って返す。
そんな静香に改めて別れの言葉を述べて、翼と未来はドアノブを回した。
そうして出て行こうとする二人に静香は手を振って見送る。
が、扉が閉まり姿が見えなくなる直前。

未来「あっ、待って待って! これだけ言いたかったの忘れてた!」

静香「? 未来?」

慌てた様子で上半身だけ隙間から覗かせる未来。
まだ帰らないのか、と静香は呆れたような笑顔を浮かべる。
そして未来はそんな静香に向けて明るい声で、

未来「静香ちゃん、次はきっと千早さんに勝ってね! 私、応援してるから!」

笑顔の中に、どこか悔しさを感じるような。
そんな表情と声を残して、扉を閉めた。

部屋に一人。
聞こえるのは自分の息遣いと、遠くで聞こえる何かの音だけ。
だが静香の目には、耳には、未来が最後に残した表情と言葉が残り続けていた。

静香「……次はきっと勝ってね、か……」

まったく、簡単に言ってくれるんだから。
でも……未来、悔しそうだったな。
それだけ私のこと、本気で応援してくれてたんだ。
きっと翼も。
私に勝って欲しいって本気で思ってくれてたんだ。

静香「……次はきっと勝つ……」

次は、きっと。

復唱する。
未来が言った言葉が、何度も頭の中で回る。

次は勝つ。
次は。
次は。

……。
私、負けたんだ。

なんでかな。
ずっと分かってたことなのに、今になってやっと実感が湧いてきた。

みんな本気で応援してくれてたし、私も間違いなく本気だった。
今までに無いくらいの最高の歌が歌えたとも思う。
でも、それでも勝てなかった。

そんなの、当たり前でしょ。
だって相手は千早さんだもの。
私が本気を出したからって、簡単に勝てるような人じゃない。
そんなの当たり前。

静香「…………」

……ああ。
まさか、こんな日が来るだなんて。
全然思ってもみなかった。
想像もしてなかった。
千早さんと戦って、千早さんに負けて。
そして、そのことを……。
こんなにも悔しく思う日が来るだなんて。

握った拳が震える。
肩が震える。
息が苦しい。
嗚咽が抑えられない。
涙が止まらない。

悔しい……。
悔しい、悔しい、悔しい……!

勝てなかった!
本気だったのに、全力だったのに、勝てなかった!
どれだけ追いすがっても、あの人は私を置き去りにして、
どんどん、どんどん高い所へ飛び去って行った……!

静香「……っ」

……負けない……!
次は勝つ……絶対に勝つ……!
あなたを超えてみせる……あなたより高みへ昇って見せる!!

部屋に一人。
聞こえるのはあの時の、自分の歌声と千早の歌声だけ。
静香は心の中で何度も繰り返した。
悔しさを、決意を、強さを、憧れを、決して忘れぬよう。
何度も、何度も。

これで終わりです。
付き合ってくれた人ありがとう、お疲れ様でした。

3rdで歌ってる翼と静香の組み合わせもあって良かった
乙です

「アライブファクター」
http://www.youtube.com/watch?v=-v0xmhTutgI

>>1
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/shRbIcW.jpg
http://i.imgur.com/Czn3H0B.jpg

如月千早(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/fRks4gt.png
http://i.imgur.com/cE68np1.jpg

>>9
伊吹翼(14) Vi/An
http://i.imgur.com/QWjS9EX.png
http://i.imgur.com/rijUYqs.jpg

春日未来(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/aQyOApp.jpg
http://i.imgur.com/RvIBg6R.jpg

>>26
我那覇響(16) Da/Pr
http://i.imgur.com/SLTNejc.png
http://i.imgur.com/URVLoLq.jpg

水瀬伊織(15) Vo/Fa
http://i.imgur.com/b0Ktfcy.png
http://i.imgur.com/IYFRkW1.jpg

>>34
ジュリア(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/hiMDmRw.png
http://i.imgur.com/iT7Xn9F.png

>>37
天海春香(17) Vo/Pr
http://i.imgur.com/2cfYBmz.jpg
http://i.imgur.com/MR6xiK1.jpg

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