曜「神隠しの噂」 (325)

ラブライブ!サンシャイン!!SS

ダイヤ「吸血鬼の噂」
ダイヤ「吸血鬼の噂」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1562365941/)

の続編です。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1573103874


ちか「ねー、よーちゃん」


声がして振り向くと、跳ねた髪と背負ったランドセルを揺らしながら、千歌ちゃんが海の方を見ていた。


よう「? どうしたの?」

ちか「あれみて」


千歌ちゃんが指差す先──砂浜に、何かが流れ着いている。


よう「……ふね?」


そこにあったのは一艘の船だった。

とは言っても、もちろん普通の帆船や客船などではない。

そんなものが浜辺に流れ着いていたらもっと大騒ぎになっている。

じゃあ、ヨットやボート? ……いや、もっともっと小さな船だ。

それは大きさにして、60cmほどの小さな船──木で出来たミニチュアの船だった。


ちか「ちっちゃいおふねだね! かわいいね!」


千歌ちゃんは楽しげな声で笑いながら、船の方へと駆け出そうとする。


よう「……」


私はそんな千歌ちゃんの腕を引っ張るようにして、止める。


ちか「わっとと……? どうしたの? おふね、ちかくでみないの?」

よう「ちかちゃん、ふねの上……」

ちか「……上?」


千歌ちゃんを促し二人で目を向けた、木の船の上には──


ちか「……え」


魚が横たわっていた。


ちか「なに……あれ……」


木で出来た小さな船の上に──魚が横たわっていた。

先ほどまで楽しそうだった千歌ちゃんも、その異様な光景に言葉を失っていた。

ただ、私はあれが何かに少しだけ心当たりがあった。船乗りであるパパから聞いた、船にまつわる蠱い……。


よう「あれ……のろいだとおもう」

ちか「のろい……?」

よう「木でつくったふねの上に、のろいたい人が、みにつけてたものを、のみこませた魚をのせてながすとね」

ちか「う、うん……」

よう「ふねとお魚のかみさまがかんちがいして……のみこませたもののもちぬしが、けされちゃうんだって」

ちか「じ、じゃあ……あれって……」

よう「うん……だれかがだれかをけしちゃおうとしてるんだとおもう……」

ちか「…………」


これはパパから聞いた迷信。

ただ、実際目の当たりにするのは初めてだった。


ちか「……どうして、そんなこと……」

よう「……わかんない」


他人にいなくなって欲しいなんて感情、当時の私には、そして千歌ちゃんにも全く無縁のことだった故に、二人して酷く困惑した。


ちか「……こわいな」

よう「……うん、こわいね。もういこ? ちかくにいたくないよね」

ちか「んーん、そうじゃなくて……」

よう「?」


千歌ちゃんは酷く悲しそうな顔をしながら、


ちか「だれかが、だれかをけしちゃおうとしてるなんて……こわいよ……」


そう言葉を漏らす。


ちか「それに……じぶんがしらないところで、だれかにけされそうになってたら……こわいよ……」

よう「ちかちゃん……。……ちかちゃんはだいじょうぶだよ、ともだちもいっぱいいるし」

ちか「そう……かな……」


私は震える親友の手を握って、


よう「だいじょうぶだよ」


目を見て、伝える。


ちか「よーちゃん……」

よう「それに……」

ちか「それに……?」

よう「もし、ちかちゃんになにかあったら、わたしがまもるからっ!」


少し照れくさいけど、ニカッと笑いながら、千歌ちゃんにそう伝えると、


ちか「よーちゃん……うん」


千歌ちゃんは少し安心したのか、和らいだ表情で笑顔を見せてくれた。


ちか「チカになにかあったら……よーちゃんがまもってね」

よう「うん! やくそくする!」


私は千歌ちゃんから頼られるのが嬉しくて、誇らしくて、彼女の手を引っ張りながら、意気揚々と歩き出す。

それに釣られるように、千歌ちゃんも私と一緒にトコトコと歩き出す。

私はこのときから、高海千歌を守る騎士になったのだ。

千歌ちゃんは私を頼ってくれるし、私は千歌ちゃんに頼られる。

だから……千歌ちゃんは困ったら、いつでも私を一番に頼ってくれると──勘違いしていた。


──
────
──────



──6月10日月曜日。


千歌「…………」


浦の星女学院の中、廊下で前方を歩く千歌ちゃんの背中を見つけて、


曜「千歌ちゃん! おはよ!」


声を掛ける。


千歌「ひっ……!」


その声に驚いたのか、千歌ちゃんが声をあげながら、飛び上がる。


千歌「よ、曜ちゃん……」

曜「ひっ……って酷いなぁ」

千歌「あ、あはは……ご、ごめん……」

曜「…………」


こちらに振り向く千歌ちゃんの全身を観察する。

もう衣替えも過ぎたというのに、夏服ではなく、冬の制服に袖を通し、脚には普段余り千歌ちゃんが穿いてこないような、真っ黒なストッキング姿。

校舎内だと言うのに、鍔の広い帽子を被っているし、何より目を引くのは真っ白な手袋だった。

学生のオシャレの範疇を超えている気がしてならない。

まるで強い日差しを異様に嫌う、深層の令嬢を思い起こさせるような……そんな姿だった。


曜「千歌ちゃん……やっぱり何かあった?」

千歌「え……う、うぅん。な、なにもないよ……」


千歌ちゃんは顔を引きつらせながら誤魔化してくる。

嘘が下手すぎる。


曜「千歌ちゃん……悩みがあるなら聞くよ?」

千歌「…………」


千歌ちゃんだって、華の女子高生だ。

日差しが気になることだって、あるかもしれない。

どんな些細なことでもいい。

話して欲しかった。頼って欲しかった。


千歌「……な」

曜「……な……?」

千歌「なんでも……ない……」

曜「…………」


それでも、千歌ちゃんは、話してくれない。


千歌「……ご、ごめん……もういくね」


千歌ちゃんは踵を返して、歩き出そうとする。

私は咄嗟に──


曜「あ……ま、待って……!」


千歌ちゃんの手を掴んでいた。

なんとなく──今、千歌ちゃんを放っておいちゃ、いけない気がしたから。

だけど、


千歌「……!! 放してっ!!!」


──パシンッ!

私が掴んだ手は──乾いた音と共に、振り払われていた。


曜「え……」

千歌「あ……」


──千歌ちゃんに、手をはたかれた。


曜「…………」

千歌「あ……いや……その……」

曜「あ、はは……ご、ごめん……そんな、嫌がられると思ってなくて……」

千歌「ご、ごめん……なさい……」


千歌ちゃんは真っ青な顔で謝ってくる。


曜「う、うぅん……私こそ、ごめんね」

千歌「……ごめんっ」


千歌ちゃんは泣きそうな顔をしたまま、今度こそ踵を返して、教室の方へと走り去ってしまった。


曜「…………」


一人残された私は、はたかれた自分の手を見つめる。

守ると誓って、あの日繋いだ手が、今はじんじんと痛かった。

そんなに強くはたかれたわけじゃないはずなのに、何故だか……すごく、すごく……痛かった。


──
────
──────



千歌ちゃん。

どうして、私を頼ってくれないの。

私、千歌ちゃんのためなら、なんだってするのに。

どんなことがあっても、私は千歌ちゃんの味方でいるつもりなのに。

理由はわからないけど……千歌ちゃんは今、闇の中にいる。

闇の中を一人で歩いて、苦しんでいる。

やっぱり、助けなきゃ。

放っておいちゃだめだ。

私は走り出した。

闇の中を歩く千歌ちゃんの背中を追って。


曜「千歌ちゃん!!」


声を張り上げる。

闇の只中を一人で歩き続ける千歌ちゃんの背中に向かって。


千歌「…………」


だけど、千歌ちゃんは振り向かない。


曜「千歌ちゃんっ!!!」


さっきよりも大きな声で呼ぶけど、それでも千歌ちゃんは振り返らない。

なら、こっちにも考えがある。

私は歩きづらい闇の中で、クラウチングの姿勢を取る。

短距離なら得意だ。

嫌がっても、私の走力なら絶対追いつける。

追いついて、何が何でも千歌ちゃんを救うんだ、守るんだ。

全身に力を込めて、弾けるように飛び出す──

歩きにくい闇の中で必死に足を動かす。


曜「千歌ちゃん!!」


名前を呼ぶ。


曜「千歌ちゃんっ!!!」


だけど、何故なのか。全然距離が縮まらない。


曜「千歌ちゃんっ!!!!」


名前を叫ぶのに、千歌ちゃんは全然反応しない。

まだ、足りないのか──

私は胸いっぱいに空気を吸い込んで、ありったけの大声で名前を呼ぼうとした。

そのとき──


 「──千歌さん──」


闇の中に……声が、響いた。


千歌「……!!」


その声がした途端、さっきまで肩を落として、下を向いていた千歌ちゃんが、顔をあげたのが背中側から見てもわかった。

そして、千歌ちゃんは……その声のする方に一目散に駆け出した。


曜「え……」


──私の声には見向きもしなかったのに。


 「──千歌さん──」


声がする方へと、ぐんぐん進んでいく。


曜「待ってよ……」


気付けば、闇の中に取り残されていたのは──私だった。


曜「……なんで」


急に強い風が吹き荒び、どこからともなく現れた大量の木の葉によって、視界が覆われていく。


曜「私が……守るって……」


途切れ途切れの視界の遥か先で、長い黒髪を揺らして腕を広げて待っている人が居る。

あの人は、よく知っている。

浦の星女学院の生徒会長で、Aqoursの仲間で──私の記憶が間違ってなければ、千歌ちゃんと接点が余りないはずの人だった。


曜「なんで……その人なの……」


悪視界のその先を走る千歌ちゃんが、その人の胸に飛び込んでいく。


曜「……待ってよ……」


そのまま、二人は光に包まれて、だんだんと見えなくなっていく。


曜「待ってよ……」


私を一人、この闇に残して……。


曜「千歌ちゃん……」


──さて、この物語は、この風と木の葉の吹き荒ぶ、闇の中から始まる。


曜「千歌ちゃん……待ってよ……」


──ただ、最初に断っておこう。この物語は……ただ、私──渡辺曜が、


曜「千歌……ちゃ──」


──幼馴染に失恋をするだけの話。

そんな気持ちを抱えて、消えて、居なくなる。そんな物語だ──




    *    *    *





 「──うちゃん、曜ちゃーん……」

曜「ん……ぅ……」


身体を揺すられている。


曜「千歌……ちゃん……?」


ゆっくりと目を開けると──目の前で葡萄色の髪の少女が少し困ったような顔をしていた。


梨子「千歌ちゃんではないけど……」

曜「梨子ちゃん……」

梨子「だいぶうなされてたけど……大丈夫? もう、放課後だよ?」

曜「放課後……?」


言われて辺りをきょろきょろと見回すと、そこは見慣れた2年生の教室だった。


曜「……夢、か」


気付けば首の周りが脂汗でびっしょりだった。

授業中にうっかり寝落ちして、そのまま悪夢を見ていたらしい。

内容は……なんだったっけ。

懐かしいような、胸が詰まるような……最終的にかなりしんどい夢だった気がするけど。

まあ、夢なんてそんなもんだ。どんな悪夢でも目が覚めてしまえば思い出せないなんてよくあること。


曜「あはは……なんか変な夢見てたっぽい」

梨子「変な夢?」

曜「内容は全然思い出せないんだけど……」

梨子「えぇ……。まあ、平気ならいいんだけど……」

曜「うん、起こしてくれてありがと、梨子ちゃん」

梨子「二学期が始まったばっかりだからって、授業中に居眠りしてちゃダメよ? 千歌ちゃんじゃないんだから……」

曜「あはは、面目ない……」


私は頭を掻きながら、きょろきょろと辺りを見回す。


曜「ところで……その千歌ちゃんは?」

梨子「えっと、千歌ちゃんなら、放課後になった瞬間部室に行ったけど……」

曜「あ……そっか。そうだよね」


──ズキリ。また胸が鈍く痛んだ。


曜「放課後になったら、会える時間だもんね」


そう、ちょっと前に千歌ちゃんと付き合い始めた──あの人に。


曜「──ダイヤさんに……」


自分で改めて口にして、また少しだけ胸が詰まるような感じがした。





    *    *    *





──本日は9月9日月曜日。

夏休みが終わり、本格的に二学期が始まった放課後。

私は梨子ちゃんと一緒に部室へと足を向ける。

その道すがら、


梨子「それにしても、びっくりしたよね」


梨子ちゃんが唐突に話を切り出す。


曜「ん、何が?」

梨子「千歌ちゃんとダイヤさんのこと」

曜「ん……ああ。そうだね」

梨子「もう……3ヶ月くらい前だっけ? 千歌ちゃんが急に学校に来なくなって……」

曜「そのあと、ダイヤさんともども季節はずれのインフルエンザに罹って……」

梨子「二人とも復帰したと思ったら、付き合い始めてたんだもんね」

曜「あはは……ホントにね」


あえて誰も突っ込まないけど、千歌ちゃんとダイヤさんが揃って学校を休んでる間に何かがあったのは明白だった。

それが何かはわからないけど……。


梨子「ただ、よかったよね」

曜「え?」

梨子「千歌ちゃんがまた元気になってくれて」

曜「あ、ああ……うん、そうだね」


ただ、梨子ちゃんの言うとおり、再び学校に来るようになったときには、千歌ちゃんはいつもの太陽のような笑顔でいっぱいだった。

──そんな安心も束の間、時期が時期だったから、その後の期末試験の補講で、やつれていったって言うのは余談だけど……。


梨子「千歌ちゃんが元気になったのって……たぶん、ダイヤさんのお陰だよね」

曜「……たぶんね」

梨子「意外だったなぁ……まさか、ダイヤさんと千歌ちゃんが……ね」

曜「……うん」

梨子「羨ましいなぁ……恋人かぁ」

曜「……」


梨子ちゃんが羨ましがるのはわからなくもない。

それくらい二人は仲睦まじいカップルになっていた。

今ではすっかりAqours内公認カップルと言ったところだ。

二人でそんな話をしながら歩き、ちょうど部室のある体育館に差し掛かったところで、


 「──わぁぁぁあああああああ!!!?」

曜・梨子「「!?」」


急に部室の方から、大きな声が聞こえてきた。

この声は──


曜・梨子「「果南ちゃん!?」」


梨子ちゃんと二人で声を揃えると同時に走り出す。

すぐさま部室に走ると、果南ちゃんが部室の入り口で、


果南「ぁ、ぁ、あわわ……」


真っ青な顔をして、尻餅をついていた。


梨子「果南ちゃん!? どうしたの!?」

果南「り、りりり、梨子ちゃん……!! ちちちち千歌が……!!」

曜「!? 千歌ちゃんに何かあったの!?」


果南ちゃんの言葉を聞いて、反射的に部室内にいるであろう千歌ちゃんの方に目を向けると──


千歌「ほぇ?」


千歌ちゃんの口元が真っ赤な液体に塗れていた。


曜「……」

梨子「……あー」

果南「な、何二人とも落ち着いてるの!!? ち、千歌が……千歌が血塗れで……!? ってか、あれ食べてる!! 絶対人とか食べてる!!」

曜「果南ちゃん落ち着いて」

果南「お、落ち着けるわけないでしょ!? ち、千歌が……ひ、人を襲って……あわわわ……」


完全にてんぱっている果南ちゃんに向かって梨子ちゃんが溜め息を吐きながら、


梨子「あれ……トマト」


そう伝えると、


果南「……え?」


果南ちゃんがポカンとした表情で千歌ちゃんの方に顔を向ける。


千歌「んっと……果南ちゃんも食べる……?」


千歌ちゃんは困った顔をしながら、果南ちゃんにそう訊ねた。


果南「な、なんだぁ……びっくりした……」


言いながら、そのままへなへなと梨子ちゃんにもたれかかる。


梨子「わわ……! 果南ちゃん大丈夫!?」

果南「ほっとしたら、力が……」


そんな果南ちゃんの姿を見て、千歌ちゃんは、


千歌「……もう! 皆、トマト食べてるくらいでいちいち驚かないでよ! 突然おっきな声出すから、こっちがびっくりしたよ!」


そういいながら、ぷくーっと頬を膨らませる。


果南「いや、だって……」

梨子「大丈夫だよ、果南ちゃん。私もこの前、教室で同じような反応したから……」

曜「あはは……あのときの梨子ちゃんの錯乱っぷりも、大概だったもんね……」

梨子「だ、だって……!」

千歌「おちおちトマトも食べてられないよ……あむ」


そう言いながらも、千歌ちゃんは更にトマトを丸齧りしながら、口の周りを真っ赤な液体で汚している。


果南「というか、なんで部室でトマトなんか食べてるのさ……」

千歌「んー……部室で待ってても誰も来ないから、おやつに」


そんな反応をする前方の千歌ちゃんとは反対側、私の背後から突然、


善子「──おやつにトマトって……アナタ、キャラブレしてるわよ?」


善子ちゃんのツッコミが入る。


曜「あ、善子ちゃん」

善子「善子じゃなくて、ヨハネ」

花丸「マルたちもいるよー」

ルビィ「ぅゅ……みんな入り口でどうしたの……?」


入り口で果南ちゃんを介抱している後ろから一年生たちの姿。


曜「ちょっと、いろいろあって……」

果南「ってか、全然部室でトマト食べてることの説明になってないし!」

梨子「千歌ちゃん、最近トマトブームが来てるみたいで……お昼ご飯もトマト、水筒の中身もトマトジュースだし……」

千歌「おやつにトマト常備は基本だよね!」

ルビィ「カバンの中で潰れて大変なことになりそう……」

千歌「大丈夫! トマトしか入ってないから、滅多に潰れたりしないよ!」

曜「それは大丈夫とは言わないような……」


揃って苦笑していると──


 「──あら……それは、興味深いお話ですわね」

曜「っ!?」


再び背後から、声──今度は凛とした通る声が聞こえてきて、ビクリとする。

振り返るとそこには……漆黒の髪を携えた大和撫子──ダイヤさんの姿。


千歌「!? え、あ、えーっと……」

ダイヤ「……千歌さん? カバンの中に教科書は入っていないのですか?」

千歌「そ、そのー……ほら、トマトで汚れたらいけないかなって」

ダイヤ「聞き方を変えますわね。教科書はどう持ち歩いているのですか?」

千歌「……つ、机の中、かなー」

ダイヤ「まあ……! まさか、学校の机と、千歌さんの家の机の引き出しは繋がってるということでしょうか……!?」

千歌「……! そうそう!! そうなの!」


占めたとでも言わんばかりに、ダイヤさんの発言に激しく頷く千歌ちゃんに、


善子「……のび太の部屋の引き出しがタイムマシンのある場所に繋がってる的な……?」


善子ちゃんが肩を竦めながら、補足する。


ダイヤ「そんなわけないでしょう!!」

千歌「ひぃっ!!!?」


案の定、ノリツッコミ気味にダイヤさんに一蹴されたけど。


ダイヤ「教科書は常に持ち歩かなければ、予習復習が出来ないではありませんか!!」

千歌「予習復習なんて、梨子ちゃんとダイヤさんと花丸ちゃんくらいしかしてないよっ!!」

梨子「えー……」

曜「あはは……」

花丸「そもそもマルは予習復習以外でも教科書読むの好きだけどな~。読み物として結構面白いんだよ?」

千歌「嘘でしょ!? ……でも、善子ちゃんはしてないよね!!」

善子「……ママがうるさいから、最低限はやってるわよ」

千歌「そんなぁっ!? 果南ちゃん!! 果南ちゃんはしてないよね!?」

果南「すごい不名誉な期待をしてるみたいだけど……私は普通に予習復習してるよ?」

千歌「う、裏切り者!!」

果南「裏切り者って……」


果南ちゃんは呆れたように肩を竦める。


千歌「……ルビィちゃん」

ルビィ「ぴぎっ!?」

千歌「信じてるよ」

ルビィ「え、えぇっと……ル、ルビィは……」


急に信頼のまなざしを向けられたルビィちゃんが言葉に詰まっていると、


ダイヤ「ルビィは後で別にお説教をするとして……」


ダイヤさんから、そんな一言。


ルビィ「えぇぇ!!? と、とばっちりだよぉ……」


……ルビィちゃん、確かにたまーに宿題サボって千歌ちゃんと結託して逃げ回ってたりしてたっけ。それじゃ、予習復習はしてないよね……。


ダイヤ「千歌さん? 少しわたくしの躾が甘かったようですわね」

千歌「し、躾って……」

ダイヤ「わたくしの“恋人”が、このような体たらくでいいと思っていますの……?」

千歌「いや、その……」


ダイヤさんから詰問され、涙目でしどろもどろになっている千歌ちゃんを尻目に、


曜「“恋人”……か……」


私は思わず、そう呟いていた。


善子「……曜?」


善子ちゃんが、僅かに反応を示したけど、


曜「……うぅん、なんでもない」

善子「……そう?」


すぐに誤魔化す。


ダイヤ「うふふ♪ 千歌さん、少しわたくしと一緒にお勉強しましょうか?♪」

千歌「ダイヤさんっ!!」


千歌ちゃんは急に立ち上がり、ダイヤさんにタックルするように飛びついて、


千歌「大好きっ!!」


いきなり愛の告白をし始めた。


ダイヤ「……ありがとう、千歌さん。わたくしも貴女のことが大好きですわ。お勉強が終わったら、また聞かせてくださいませ」

千歌「ぐっ!? 愛の告白攻撃が全く効いてない!?」

ダイヤ「もういい加減慣れましたわ。そんな方法で逃げようとしたってそうは行きませんわ。むしろ……」

千歌「む、むしろ……?」

ダイヤ「そういう姑息な手を使う千歌さんには、きっちりお灸を据えないといけないことが、よーーーーーくわかりましたわ」

千歌「え、ちょ、ま、待って……」

ダイヤ「さ、わたくしが見てあげますから……しっかり、お勉強しましょうね、千歌さん……♪」

千歌「あ、の……」

ダイヤ「……着席っ!!」

千歌「は、はいぃ!!」


ダイヤさんの号令で、千歌ちゃんは椅子に即座に腰を下ろす。


梨子「すっかり、尻に敷かれてる……」

果南「ま、千歌にはあれくらいがちょうどいいのかもね」


梨子ちゃんと果南ちゃんが一部始終を見て呆れていると──


鞠莉「Sorry. 遅くなったわ……って、みんなどしたの?」


遅れてやってきた、Aqoursの最後のメンバー鞠莉ちゃんが、部室の入り口辺りで呆れている皆を見て、不思議そうな顔をしていた。


果南「あ、鞠莉。……いつもの」

鞠莉「ああ……メオトマンザイね」

善子「とりあえず……いい加減部室に入らない?」

梨子「そうだね……」


言いながら、一部始終を見て入り口で立ち往生していたメンバーたちがぞろぞろと部室内へと入っていく。

そんな皆の姿を後ろからぼんやり眺めていると──


鞠莉「……曜? 入らないの?」

曜「……え?」


鞠莉ちゃんが再び不思議そうな顔をしながら、私にそう訊ねてきた。


鞠莉「ぼーっとしてたヨ? 大丈夫?」

曜「あ……うん、ちょっと呆気に取られちゃって……あはは」

鞠莉「そう……?」


適当に誤魔化しながら、私も部室の中へと入っていく。


ダイヤ「それでは三次関数からやっていきましょうか」

千歌「……じ、持病の癪が……」

ダイヤ「千歌さん?」

千歌「……はいぃ」


二人の姿を見ながら、思わず、


曜「…………私だったら、もっと優しく教えてあげるのに……」

鞠莉「……」


──ボソッと、そんなことを呟いていた。





    *    *    *





千歌「だいたい、びぶん? って何の役に立つのさ……」

ダイヤ「微分するとグラフの傾きが求められますわ」

千歌「求めてどーすんのさっ!」

ダイヤ「そもそも微分は複雑な関数を線型近似で捉える考え方ですわ」

千歌「……? せんけーきん……なんて……?」


──ああ、そうじゃないって……千歌ちゃんにそんな難しい言い方しても、わかんないって……。


ダイヤ「今の千歌さんに説明するのは難しいから、とにかく問題を解いてください」

千歌「うぅ……だって、微分って意味わかんないんだもん……」

ダイヤ「最初から諦めていたらいつまで経っても進まないでしょう? わからないところがあったら逐一教えてあげますから、とにかくやってみてください」

千歌「はいぃ……」


ダイヤさんに言われた通り、千歌ちゃんは唸りながら数式を書き始める。


果南「あはは……千歌も大変だね」

梨子「千歌ちゃん数学苦手だからね……」

善子「数学得意なやつなんて居るの……?」

果南「私、数学得意だよ?」

善子「え゛」

果南「ん~? 善子ちゃん? その反応はどういう意味なのかな~?」

善子「え、あ、いやー……果南は勉強苦手ってイメージが勝手に……ってか、善子じゃなくてヨハネ!!」


千歌ちゃんとダイヤさんの勉強会を見ながら、皆口々に話しているけど……。


千歌「うぅ……頭痛い……」

ダイヤ「ほら、頑張って?」


皆、気にならないのかな……あんな無理矢理勉強させたら千歌ちゃんが、可哀想──


鞠莉「曜?」

曜「……え?」


再び鞠莉ちゃんに声を掛けられて、思考を引き戻される。


鞠莉「どうしたの? なんか怖い顔してるヨ?」

曜「え……あ、っと……いや、数学って確かに難しいよねって思って……あはは」

千歌「……むぅ」


私の言葉を聞いて、千歌ちゃんが急にむくれる。


千歌「曜ちゃんが数学難しいなんて言い出したら、チカに出来るわけないじゃん……」

曜「え!? あ、いや、そういうことじゃ……」

梨子「曜ちゃん、数学の成績結構よかったもんね」

鞠莉「この間の期末は学年6位だったっけ」

曜「!? な、なんで鞠莉ちゃんが私の成績知ってるの!?」

鞠莉「理事長だからネ。生徒たちの成績には一応目を通してるんだヨ?」

千歌「学年6位にも難しい数学なんて、私に出来るはずなーい!!」

ダイヤ「曜さんは貴女と違ってちゃんと予習復習をしてるから、出来るのですわ」

曜「…………」

千歌「……曜ちゃんは器用だから予習復習とかしなくても成績いいもん」

曜「え、あー……いや、えっと……」

ダイヤ「そんなわけないでしょう。曜さんだって、ちゃんと影で努力をしているはずですわ。そうでしょう? 曜さん」

曜「えっと……まあ、その……少しくらいは……」

ダイヤ「ほら見なさい」

曜「…………」


……正直なことを言うと、千歌ちゃんが言うとおり、予習復習といった類の学習はあまりやったことがなかった。

そもそも学校のテストって授業でやった範囲しか出ないし……授業をちゃんと聞いていれば点数はちゃんと取れると思う。

ただ、経験上こういうことは口にすると、皆嫌な顔をするので、こういうときは話を合わせることにしている。

そんな私の胸中を知ってか知らずか──


鞠莉「みんな予習復習なんてするんだ……。真面目だネ」


鞠莉ちゃんはあっけらかんと言い放つ。


果南「……確かに鞠莉の部屋で教科書とかあんまり見た覚えないかも」

鞠莉「大体、学校のテストなんて授業でやった範囲しか出ないじゃない。ちゃんと授業を聞いてれば満点取れるでしょ?」

曜「……!」


先ほど私が思っていたのと同じようなことを鞠莉ちゃんが口にする。

──いや、さすがに満点は無理だけど……。


梨子「ま、満点はどうかな……」

ルビィ「ぅゅ……鞠莉ちゃん、しゅごい……」

善子「ま、まさか能力者……!?」

ダイヤ「こんなこと言っていて学年1位なんですから、納得が行きませんわ……」

千歌「あれ? そうなの? 三年生の成績って、ダイヤさんが一番なんだと勝手に思ってた」

果南「小学校の頃から定期テストの成績は鞠莉とダイヤの頂上決戦だったんだけど……」

ダイヤ「悔しいことにわたくしが点数で上回っているのは、国語と日本史だけですわ……英語はともかく、他の科目でも勝てないのは……」

果南「英語、世界史、数学、物理、化学辺りはいっつも鞠莉が1位なんだよね……。国語と日本史もダイヤの方が上ってだけで、鞠莉はいっつも2位だしね」

善子「……もしかして、Aqoursって超エリート集団なんじゃ……」

花丸「そもそも生徒会長と理事長がいる時点で異常ずら。特に理事長」

善子「頭の作りが根っこから違うのかしら……?」

鞠莉「才能の違いはあるかもネ♪」

果南「まあ、鞠莉だし……」


話を聞きながら、私は少しだけ鞠莉ちゃんに親近感を覚えていた。

同じようなことを考えてる人、居たんだ……。


ダイヤ「まあ……鞠莉さんみたいな例外のことは置いておいて、千歌さんは勉強をしないと」

千歌「えー……やっぱり、やるの……?」

ダイヤ「一学期の期末の補講……どれだけ大変だったと思っているのですか。追試のときも、結局わたくしがマンツーマンで教えてあげてやっと赤点回避ギリギリだったではありませんか」

千歌「うぅ……だってぇ……」

ダイヤ「やらないと出来るようになりませんわよ」

千歌「うぅ……わかったよぉ……」


相変わらず厳しいダイヤさんの姿を見て、


果南「ふふ」


急に果南ちゃんが笑い出す。


ダイヤ「? どうかしましたか?」


ダイヤさんが果南ちゃんの反応にキョトンとした顔をする。


果南「いや、二人とも仲良いなって、思って」

善子「これ……仲良いの?」

果南「だって、私が千歌に勉強教えようとしても、泣き喚いて逃げるだけだったし」

千歌「!?/// い、いつの話してるのさっ!/// それ小学生のときとかでしょ!///」

果南「そうだよ~? あまりに千歌の成績が悪いからって、美渡姉に頼まれて、教えに行ったら、もう泣くわ叫ぶわで大変でさ……それに比べて、ダイヤの言うことなら素直に聞くんだなって」

千歌「い、今はそんなことないもんっ!///」

果南「でも、ダイヤが勉強教えてくれて、ちょっと嬉しいって思ってるでしょ?」

千歌「…………ちょっとだけ……///」


千歌ちゃんは頬を赤らめながら、言う。


果南「いやー妬けちゃうね」

梨子「羨ましいなぁ……」

ダイヤ「……コホン///」


果南ちゃんと梨子ちゃんの言葉にダイヤさんがわざとらしく咳払いする。


ダイヤ「千歌さん! 浮かれてる場合ではありませんのよ? 成績が悪いと部活動にも支障が出るのですから……」

果南「そういうダイヤも結構浮かれてるんじゃない?」

ダイヤ「……え?」


果南ちゃんはそう言いながら、ダイヤさんの髪留めを指差す。

──薄い若葉色のクローバーの葉っぱのような形をしたハート型の髪留めだった。


果南「髪留め新しくしたみたいだけど……なんかダイヤっぽくないセンスなんだよねぇ」

ダイヤ「……!?///」

梨子「あ……それは私も同じこと思ったかも……。どっちかというと……」

果南「──千歌のセンスっぽいよねぇ……」


果南ちゃんがニヤっとしながら言う。


ダイヤ「ぅ……///」

果南「恋人からの贈り物を身に付けてるなんて……いやー浮かれてるよね」

ダイヤ「ち、ちが……!/// これは、前にしていた髪留めを着替えの際に紛失してしまって……その代わりで……///」


ダイヤさんのその言葉に、私は少しだけ身動いだ。


善子「……? 曜?」

曜「あ、いや……なんでもない」


果南「それでわざわざ千歌からの贈り物を~?」

千歌「えっとね、失くしちゃったって言うから、プレゼントしたの。お返しに……」


そう言いながら千歌ちゃんは、髪の右側の髪留めに触れる。

そこには、いつもの三つ葉のヘアピンではなく──トランプのダイヤのようなマークを模した水色の髪留めがあった。


梨子「あ、やっぱり……! 前から気になってたんだけど……お返しってことはそれ、ダイヤさんから貰ったヘアピンだったんだね」

花丸「お互い贈り合ったアクセサリーを身に付けてるなんて、ロマンチックずらぁ~」

ダイヤ「えっと……いや、ですから、これは……その……///」


皆、口々に千歌ちゃんとダイヤさんのことをからかい始める。


曜「…………」


その光景を見て、私は胸の中のモヤモヤがどんどん大きくなっていくのを感じた。

ああ、なんか、やだな……。

これはきっとすごく幸せなことのはずなのに、素直に応援出来ていない自分が居て……。


鞠莉「まぁ……ダイヤ」

ダイヤ「な、なんですか、鞠莉さんまで……!!///」

鞠莉「その……あんまりはしゃぐと、見えちゃうよ?」

ダイヤ「……? 見える……? 何がですか?」

曜「…………?」


ダイヤさんが再びキョトンとした顔になる。


千歌「あ、ちょ……ま、鞠莉ちゃ──」


一方で千歌ちゃんが急に焦りだした。

二人の様子を見ながら、鞠莉ちゃんは──制服の左襟の少し内側辺りを人差し指で、トントンと叩いてみせる。

釣られて、ダイヤさんの左首の辺りを見ると──


曜「……え」

ダイヤ「……? ……!!?///」


ダイヤさんはそれが何かに気付き、急に顔を茹蛸のように真っ赤にして、首元に手の平を当てて覆い隠した。


ダイヤ「ち、ち、千歌さぁぁぁぁぁ~ん!?///」


そして、立ち上がり、軽く涙目になりながら、千歌ちゃんを睨みつける。


千歌「え、あ、その、なんというか」

ダイヤ「どうして、貴女はいつもいつも、ココに痕を付けるのですか……っ!!///」

千歌「……く、癖?」

ダイヤ「そんな癖、今すぐ直しなさいっ!!///」

千歌「い、いやぁ……身に染みちゃったというか……」


二人の問答を見て、


花丸「今のって……」

善子「あのときの絆創膏と同じ場所よね……」

梨子「わぁ……/// ほ、本物……初めて見ちゃった……///」

果南「ここまで来ると逆に生々しいなぁ……」

ルビィ「え? え? どういうこと……?」


皆、様々な反応を示す。

それは、ダイヤさんの真っ白い肌に出来た真っ赤な痕──つまり、キスマーク。

そして、そのキスマークを作ったのは、どう考えても……──


曜「……っ!!!」


──ガタッ! 私は思わず、椅子から立ち上がってしまった。


善子「!? び、びっくりした……」

鞠莉「曜……?」

曜「あ……えっと……」


私が音を立てて立ち上がったせいか、部室内は急に静まり返ってしまう。


曜「そうそう……!! 私、今日高飛び込みの方に顔出す予定だったの思い出してさ!」

千歌「え、そうなの?」

鞠莉「……」

曜「うん! 高飛び込みの後輩にたまには来て欲しいって言われちゃってさ、あはは。だから、今日は先に帰るね!」


まくし立てるように言い訳をして、荷物を持って部室から逃げるように飛び出す。


曜「皆、また明日! お疲れ様!」

善子「ちょ……曜……!」


善子ちゃんが何か言いかけてた気がするけど……私は無視するように下駄箱までダッシュする。

──もう……これ以上あの場に居たくなかった。

これ以上、あの二人のやり取りを見ていたら……言ってはいけないことを言ってしまいそうな気がしたから、私は……──





    *    *    *





曜「……はぁ」


下駄箱に上履きを収めながら、溜め息を吐く。

我ながら、強引な誤魔化し方だった。

あんな下手くそな誤魔化しじゃあ……。


善子「──……曜!」


こんな風に、人が追ってきちゃう。


曜「……ん。どうしたの、善子ちゃん?」

善子「どうしたの、じゃないわよ……」


さて、どうやって誤魔化そうかな……。


善子「ねぇ、曜……」

曜「なにかな?」

善子「嫌なら、嫌って言った方がいいわよ……?」

曜「……なにが?」

善子「なにがって……」


善子ちゃんが困った顔をする。


善子「……はぁ。言いたくないなら無理に追求はしないけど……あんまり抱え込まない方がいいわよ?」

曜「……私、そんなに抱え込んでるように見える?」

善子「かなり」

曜「……そっか」


善子ちゃんは帰る方向が同じということもあって、実のところ一緒に過ごしている時間が結構長い。

加えて善子ちゃん自身、他人をよく観察してる子だし、自分が思っている以上に見られているのかもしれない。


善子「今にも呪いとか黒魔術にでも頼りそうな雰囲気よ」

曜「…………」


その言葉に下駄箱から外履きを取り出す動作が一瞬止まる。


善子「え……? ま、まさか、マジでそんなことしてるの……?」

曜「いや、まさか……善子ちゃんじゃあるまいし」

善子「そ、そうよね……。……って、人のことなんだと思ってるのよ!? それに善子じゃなくてヨハネよ!!」

曜「えー、善子ちゃん好きじゃん、そういうの」

善子「……それは否定しないけど……思い通りにならないからって、そんなものに頼っても良いことなんてないもの」

曜「……? どうして?」


少し意味を図りかねて聞き返す。

黒魔術とか呪いとかって、そういうときに行うイメージだけど……。


善子「そういうのって、大概ストレートに目的が成就しないからよ」

曜「ストレートに目的が成就しない……?」

善子「猿の手……とかが有名だけど……わかる?」

曜「……うぅん、知らない」

善子「ジェイコブズの小説に出てくる猿の手のミイラなんだけど……持ち主の願い事を三つ叶えてくれるの」

曜「うん」

善子「ただ、その願いは本人の望まない形で成就される」

曜「望まない形……?」

善子「お話の中に出てくるのだと……息子が冗談半分に家のローンの残りを払うのに200ポンドが欲しいと願ったら、後日勤務先で事故に遭って亡くなって、彼が受け取るはずだった勤労報酬が両親の手に渡った……その額が丁度──」

曜「──200ポンドだった……」

善子「そういうこと」

曜「それは、なんというか……皮肉な話だね」

善子「願いを叶えてくれるお話って世の中にたくさんあるわ。私の考え方だと、動機の違いはあるけど、誰かを呪うことも同じようなものだと思ってる」

曜「だから、そういうのに頼っても最終的には良くない結末になるってことが言いたいのかな……?」

善子「まあ、ざっくり言えばね。……人を呪わば穴二つとも言うし、人を呪おうとした代償は大抵同じように呪いとして返ってくるわ」


曜「なるほどね……」

善子「だから……辛くても、そんなものに頼っちゃダメよ?」

曜「……覚えてはおくよ。ありがとう、善子ちゃん」

善子「わかったなら、いいわ。……明日はちゃんと部活に来てね。マリーも心配してたから」

曜「え……鞠莉ちゃんが……?」

善子「最近ずっと曜のこと気に掛けてるわよ? 気付いてなかったの?」

曜「……」


言われてみれば、鞠莉ちゃんに声を掛けられること……多かったかもしれない。


曜「……わかった、出来る限り部室にも顔出すよ」

善子「ん、そうしてあげて」

曜「うん」


私は善子ちゃんとのやり取りを終え、学校を後にする。

身体さえ動かせば、きっと……きっと、このモヤモヤも少しは和らぐと思うから……。





    *    *    *





──高飛び込みの台の上で息を整える。


曜「…………ふぅ」


踏み切り台の端に立ち、


曜「────」


踏み切る。

決める技はもちろん演技番号“317C”──前逆さ宙返り三回半抱え形だ。  (*演技番号:飛込競技には演技に番号が定められていて、4桁表記の場合、それぞれ一桁目は飛込方法、二桁目は宙返りの有無、三桁目は回転数、四桁目は姿勢を表している。)


曜「────」


前向きに踏み切って、そのまま後方に3回転半回転する大技。

同年代だと自分以外に出来る人は見たことがない。

視界が回転しながら、10mの高さを一気に落下する。

そして、出来る限り水飛沫を立てないように真っ直ぐ着水──





    *    *    *





曜「……ふぅ」


水面に顔出し、プールサイドへと泳いでいくと、


後輩「渡辺先輩!! さすがです!」


後輩が賞賛の言葉を投げかけてくる。


曜「あはは、ありがと」

後輩「やっぱり渡辺先輩の飛び込み見ると、気が引き締まるなぁ……。最近先輩、全然来てくれなくて皆寂しがってたんですよ?」

曜「ごめんね、ちょっとスクールアイドルの方が忙しくってさ……」


水からあがりながら、苦笑い。

言われて気付いたけど、高飛び込みに顔を出したのは本当に久しぶりだった。

それくらい夢中で、スクールアイドルをやっていたから。

そんなことを考えていたら、突然、


 「──忙しいなら、そのまま来なければ良いのに」

曜「……!」


少し離れた場所から辛辣な言葉が飛んでくる。


曜「あ、えっと……先輩……」


声の主は、自分が高飛び込みを始める前から、同じプールで飛び込みをやっていた一つ年上の先輩だった。


先輩「……皆真剣にやってるんだけど? スクールアイドルだかなんだか知らないけど、浮ついてる半端な人に飛び込みやって欲しくない」

曜「……すいません」

後輩「……そ、そんなの渡辺先輩の自由じゃないですか……!」

曜「ゆうちゃん、いいから」

後輩「で、でも……」

先輩「大して出入りもしないのに……後輩従えて、良いご身分ね」

曜「……そんなつもりは……。先輩の邪魔にはならないように練習するんで……」

先輩「……ふん」


低姿勢で居たら、先輩は機嫌悪そうに、飛び込み台の方へと歩いていってしまった。


曜「……ふぅ」


なんとかやり過ごせた。


後輩「渡辺先輩……! なんで言い返さないんですか……!!」

曜「ん……いや、だって、一応向こうの方が先輩だしさ」

後輩「でも……渡辺先輩の方が飛び込みうまいんだから……」

曜「……ほら、そういうこと言ってると、ゆうちゃんも目付けられちゃうよ?」

後輩「いいんですよ! どうせ、来年になったら東京の体育大に進学するって言ってましたし!」

曜「まだ半年以上あるでしょ……自分から居辛くしてどうすんのさ」


後輩を嗜めながら、私はプールサイドを出て行こうとする。


後輩「え、わ、渡辺先輩……もう帰っちゃうんですか!?」

曜「うん、まあ……馬渕先輩の邪魔しちゃ悪いからさ」

後輩「そんな……」

曜「ほら、練習頑張りなよ」

後輩「はい……」


そう言うと、後輩はしゅんとした様子でプールサイドへと戻っていった。

よしよし……。


曜「……はぁ……」


更衣室への道すがら、溜め息が漏れる。

もともと、あの先輩とは折り合いが悪かった。

特に私が大会で成績を残すようになってからは、たびたび突っかかられて大変だった記憶がある。

まあ……自分より後から入ってきたやつが、ちやほやされてたら、そりゃ面白くもないだろうし。仕方のない話だと思う。

……とは言っても、私は大会記録とかにはそこまで興味がなかったし、張り合っていたわけでもない。

だから、嫌味を言われることこそあったものの、本格的にケンカみたいな衝突を起こしたことはない。これまでも適当に謝っておけば、どうにかなった……それに。


曜「…………今までは、千歌ちゃんが応援してくれてたから……」


私が飛ぶたびに、千歌ちゃんが、すごいすごいと、笑ってくれたから。

だから、私は誰に何を言われても、落ち込むことなく、気にすることなく……飛べたんだ。飛び続けられたんだ。

でも、今は……──


曜「…………」


──ツー、と。頬を水滴が伝う。

ぶんぶんと頭を振って、水を飛ばす。


曜「……はぁ……」


気分転換に来たつもりだったのに、かえってモヤモヤしてしまった。


曜「なんか、うまくいかないなぁ……」


私は肩を落としたまま、プールを後にするのだった。





    *    *    *





曜「……はぁ」


今日何度目かわからない溜め息を吐きながら、日の傾き始めた帰り道をとぼとぼ歩く。

思ったよりプールに居られなかった為、想定より早く帰路につくことになってしまった。

どうしようかな……帰って衣装作りでもしようかな……。

ぼんやりと今後の予定を考えながら、歩いていると──


 「──てりゃっ♪」

曜「……!?」


急に後ろから、何かに抱きつかれる。

──痴漢……!?

そのまま手が胸の方に伸びてきて、胸を鷲掴みにされる。


曜「っ!!」

 「Oh...!! これは果南にも劣らない、逸ざ──」


咄嗟に痴漢の腕を掴んで、


 「──え!?」

曜「とぉりゃぁぁぁ!!!」


そのまま、背負い投げする。

パパから教わった護身術だ。


 「Ouch!!」


痴漢は目の前でお尻を打ち付けて声をあげ──


曜「って……え?」

 「いたた……」


目の前で尻餅をついていたのは男性ではなく、女性……どころか、

見覚えのある制服と、太陽の光を反射してキラキラと光る金色の髪の美少女──


曜「ま、鞠莉ちゃん!?」

鞠莉「あ、あはは……まさか投げられるとは思ってなかったわ……」

曜「え、ご、ごめんっ!? てっきり、変質者かと思って……!!」


すぐさま手を取って、鞠莉ちゃんを立ち上がらせる。


鞠莉「ちょっとびっくりさせようと思っただけだったんだけど……逆にびっくりさせられちゃったわね」

曜「いや、びっくりはしたよ……。大声とかあげられても知らないよ……?」

鞠莉「果南はこれくらいじゃ驚かないんだけどなぁ……」


果南ちゃんはどれだけ鞠莉ちゃんから日常的に胸を揉まれてるんだろうか……。


曜「ホントにそのうち訴えられるよ……」

鞠莉「んーまあ、そのときはそのときで……?」

曜「はぁ……。……それより、どうしたの?」

鞠莉「んー……? なんていうかなー……曜、様子がおかしかったから……つけてきちゃった♪」


そう言いながら、鞠莉ちゃんは可愛らしく舌を出す。


曜「……え、学校から……?」

鞠莉「いや、さすがにプールを出て来たところからだけど……」

曜「……そ、そっか」

鞠莉「そうよ? 曜の居るプール調べるの大変だったんだから~」


鞠莉ちゃんはそうおどけてるけど……飛び込み台のあるプールなんて限られてるし、場所の特定はそんなに難しくはないと思う。

それよりも……。


曜「もしかして……私が出てくるまで待ってたの……?」

鞠莉「ん……? まあ、いつ出てくるからわからないから、そうするしかないし……」

曜「待ってるなら、メールでも送ってくれればよかったのに……」


というか、なんで帰り道で背後から抱きつく必要があるのか……。


鞠莉「だって……」

曜「だって……?」

鞠莉「曜、わたしが居るって知ったら、うまい理由つけて、逃げちゃう気がして」

曜「…………に、逃げないよ?」

鞠莉「……ホントに?」


鞠莉ちゃんが真正面から私の瞳を覗き込んでくる。


曜「……ぅ……」


思わず目を逸らす。


鞠莉「ほら、やっぱり……」

曜「……」

鞠莉「……と言うわけで、マリーは曜とお話をしにきました」

曜「……は、話って言われても……」

鞠莉「少し場所を移しましょうか」


そう言って、鞠莉ちゃんは私の手首を掴む。


曜「え、えっと……」

鞠莉「逃げちゃダメだからネ?」

曜「あ、あはは……」


そのまま、私は鞠莉ちゃんに連行されるのだった。





    *    *    *




鞠莉「夕日……綺麗ね」


沈んでいく夕日を眺めながら、鞠莉ちゃんが感嘆の声をあげる。

そんな沈む夕日が綺麗に見えるここは──沼津港に位置する大型展望水門『びゅうお』だ。

水門ではあるけど、上部は屋内展望台になっていて、駿河湾を見渡すことが出来るようになっている。

中央通路の窓から夕日を眺めていた鞠莉ちゃんは満足したのか、真ん中の椅子に腰掛けた私の隣に腰を下ろして、


鞠莉「それで……曜は何に落ち込んでるのか、聞かせて貰えないかな……?」


優しげな口調でそう問いかけてきた。


曜「…………」


ただ、何をどう言ったものか……。

何をどこまで言って良いのか……。


鞠莉「……んー、やっぱりわたし相手じゃ、喋りづらい?」

曜「い、いや……そんなこと、ないけど……」


これは私だけの問題じゃない。

千歌ちゃんも……そして、それ以上にダイヤさんは鞠莉ちゃんとの距離が近い。

そんな場所で二人のことを安易に口にするのは……。


鞠莉「曜」

曜「な、なに……?」

鞠莉「今はわたししか居ないよ?」

曜「え……?」

鞠莉「具体的なことは訊いてみないとだけど……なんか、もやもやしてるんでしょ?」

曜「それは……」

鞠莉「別に口外とかしないし、言いたくないことを言えっていうつもりもないからさ。単純に曜が今思ってることを、わたしに教えて欲しいな」

曜「……鞠莉ちゃん……」


……私が思ってること、か……。

なんだろ、私は今……何を思ってるんだろう。


曜「……あの……ね」

鞠莉「うん」

曜「……私、千歌ちゃんとはホントに昔っからの大親友でね」

鞠莉「うん」

曜「お互い何でも言い合える仲だと、思ってたんだ……だけど、スクールアイドルフェスティバルが終わった後くらいからさ、千歌ちゃんちょっと様子がおかしかったでしょ?」

鞠莉「……そうね」

曜「季節外れの冬服……ストッキング、帽子に手袋……。……明らかに何かあって……あの千歌ちゃんが毎日のように、すごく悲しくて辛そうな顔してて……私、千歌ちゃんの力になりたいって思って、声を掛けたんだけど……」

鞠莉「けど……?」

曜「……なんでもないって」

鞠莉「……」

曜「それどころか……拒絶されて、距離を置かれて……」


思わずあのとき、振り払われた手を見つめる。

あのときを思い出して……胸が痛む。


曜「ずっとどうにかして、力になりたいって思ってたのに……千歌ちゃんはそのまま、学校に来なくなっちゃって……」

鞠莉「……」

曜「次に千歌ちゃんに会ったのは、千歌ちゃんがまた登校するようになってからだった。久しぶりに会った千歌ちゃんはいつもみたいにニコニコしててね、ああよかったなって……最初は思ったんだよ? だけど……」


──その直後に、彼女“たち”から伝えられた。


曜「……戻ってきた千歌ちゃんは、気付いたらダイヤさんと恋人同士になってた」

鞠莉「……そうね」

曜「それで、気付いたんだ……私──うぅん、私だけじゃない。他のAqoursの皆すらも拒絶した千歌ちゃんを救ったのは……たぶん、ダイヤさんだったんだって」

鞠莉「……」

曜「でもさ、千歌ちゃんが元気になったんだったら、それって良いことのはずなんだよ。……なのに、なのに、私……何度も何度も考えちゃうんだ……──もし、私がもっと早くに気付いていたら……千歌ちゃんの隣に居たのは、ダイヤさんじゃなくって、私だったんじゃないかって……」

鞠莉「……曜」

曜「たまたま、千歌ちゃんが一番苦しいときに、ダイヤさんが隣に居ただけなんじゃないかって……思ったら、なんか、すごく……悔しくて……っ……」


気付いたら、涙が溢れだしていた。


曜「そこで、やっと気付いた……私、千歌ちゃんのこと……──好きだったんだって……。一番、傍に居たいって思うくらい、好きだったんだって……っ……」

鞠莉「……そっか」

曜「でも、もう……遅くて……。……千歌ちゃん、毎日ダイヤさんのこと、幸せそうに話して……そう……すごく、すごく幸せそうに話すんだよ……っ……」


千歌ちゃんを見ているだけで、千歌ちゃんがどれほどダイヤさんが好きなのかが痛いほど伝わってきて……。


曜「それを聞いてるのが辛くて……そのたびに……千歌ちゃんが一番苦しいときに、ちゃんと隣に居たかったって……っ……ダイヤさんじゃなくて、なんで私を選んでくれなかったんだろうって……想っちゃう、自分が……嫌で……っ……」

鞠莉「……うん」

曜「でも、千歌ちゃんが……っ……幸せなら……っ……私も、祝福してあげないとって……想うのに……っ……全然、そう想ってあげられてなくて……っ……」


──気付けば、感情が止まらなくなっていた。


曜「……千歌ちゃんが、ダイヤさんと一緒に、居るところ、見てると……っ……胸が苦しくて……っ……ダイヤさんが、千歌ちゃんに話しかけてるの見ると……すごく、嫌な気持ちに……な、って……っ……!」


──ああ、こんなところまで話すつもり……なかったのにな。


曜「早く居なくなって欲しい……って……っ……どっか行ってって……想っちゃって……っ……! そんな自分も……嫌で……っ……」


──いっそ、こんな私……親友の幸せを願えない私なんて──


曜「──消えて、なくなりたい……って……っ……」


もう、涙も感情も溢れ出して止まらなかった。

そのとき──


鞠莉「曜……」


ふいに、鞠莉ちゃんに抱き寄せられる。


鞠莉「そんなに、自分を責めなくていいのよ……?」

曜「だって……っ……だって、わたし……っ……!」

鞠莉「むしろ、偉いよ……」

曜「……え……」


鞠莉ちゃんは私を抱きしめて、頭を撫でながら、そう言う。


曜「え、らい……? ……なに、が……?」

鞠莉「だって、辛いのは曜自身なのに……それを言ったら千歌やダイヤが悲しむって、嫌な想いするって思ったから、ずっと一人で抱え込んでたんでしょ……?」

曜「だ、だって……っ……私が辛いかどうか、なんて……っ……千歌ちゃんにも、ダイヤさんにも……っ……関係、ないし……っ……」

鞠莉「まあ……それはそうかもしれないけど……。……わたしだったら、それがわかってても、ダイヤや千歌に怒っちゃうと思うな」

曜「……ひっぐ……っ……ぐす……っ」

鞠莉「二人の間の話とは関係ないってわかってても、自分の気持ちが抑えきれなくて、二人に八つ当たりしちゃうと思う。……だから、苦しくても一人で我慢できてた曜は、偉いよ」

曜「……そんなんじゃ……ないもん……っ……」


唇を噛んで俯く私に、


鞠莉「ねぇ、曜」


鞠莉ちゃんは言葉を続ける。


曜「な、に……っ……?」

鞠莉「どうして、曜は辛いのを我慢しようとするの?」

曜「だ、って……っ……千歌ちゃんの、幸せ……っ……私が、邪魔しちゃ……いけない、から……っ……」

鞠莉「そうなの?」

曜「私、のは……ただの、嫉妬、で……醜い、部分、だか、ら……っ……」

鞠莉「……曜、よく聴いてね」

曜「…………?」

鞠莉「それは確かに嫉妬かもしれないし、どうにもならない嫉みなのかもしれない。……でも、確実に曜はそれで苦しいんでるし、悲しんでる」

曜「…………ぐす……」

鞠莉「曜は誰かが苦しんでたり、悲しんでたりしたら……それは放っておいて良いことだと思う?」

曜「……おも、わない……」

鞠莉「なら、それと一緒。感情は比較級じゃない。自分がどう感じるかだから。それがどんな理由でも、曜が苦しいな、悲しいなって思ってたら……曜は苦しくなくなる方法を考えて良い、悲しくなくなる方法を考えて良いんだよ」

曜「…………」

鞠莉「確かに、自分が苦しくならないように、悲しくならないようにするために、誰かを傷つけたりするのはよくないことだと思う。だけどね、だからって、そのために曜が一人で傷ついて、苦しんで、悲しいままで居て良い理由にもならないんだよ?」

曜「じゃあ……っ……どうしたら……っ……」

鞠莉「だから、わたしが居るんでしょ?」

曜「え……」

鞠莉「曜の苦しい気持ち、悲しい気持ち……わたしが全部受け止めてあげるから」

曜「鞠莉、ちゃん……」

鞠莉「……すごく、辛いことを言うとね……。曜の千歌への気持ちは、今からじゃほぼ確実に成就しないと思う」

曜「……っ……!」

鞠莉「でも……それでも、わたしは曜に前を向いて欲しいな……。だって、苦しそうな曜、見て居たくないもん。……でも、現実は思い通りにいくことばっかじゃない」

曜「…………」

鞠莉「だから……事実を受け止めたその上で……自分の気持ちと、悲しいって、苦しいって気持ちと向き合って……乗り越えて欲しい。今すぐに出来ないなら、目を逸らしてもいいし……一人じゃ出来ないなら、わたしが手伝うから」


曜「……いい、の……? ……迷惑じゃ……ない……?」

鞠莉「迷惑だって思うくらいだったら、今ここにいません。……曜」


鞠莉ちゃんは改めて、わたしのことを、ぎゅーーっと抱きしめる。


鞠莉「よく、ここまで一人で頑張ったね……偉いよ。……よしよし」

曜「……っ……!」


──ああ……そっか。

鞠莉ちゃんの前では、もう隠さなくて……いいんだ。

悲しい気持ちも、苦しい気持ちも……自分の醜い、この気持ちも……。


曜「……ぅ、ぁ、ぁあ……っ……!! ぅぁぁあぁ……っ……!!」


なんだか、肩の力が抜けた気がした。


曜「──なん、で……っ……!! なん、で、ダイヤさん、なの……っ……!! ずっ、と……ずっと、千歌ちゃん、の……そばに、いたの……わたし、だった、のに……っ……!!」

鞠莉「……うん、そうだね」

曜「……わたしも……っ……ちかちゃんの、となりに……っ……いたかったよぉ……っ……!」

鞠莉「……うん……辛いね……曜」

曜「……ぅ、ぁあああぁああああ……っ!!」


夕暮れに照らされて真っ赤に染まる『びゅうお』の中で……私は、鞠莉ちゃんに抱きしめられたまま、自分でも驚くくらいに大きな声で泣きじゃくるのだった。





    *    *    *





──あれから、結構な時間泣き続けていた気がする。


曜「…………はぁ……」

鞠莉「落ち着いた?」

曜「……泣きすぎて、頭痛い……」

鞠莉「まあ、あれだけ泣いたらね」

曜「泣けって言ったの鞠莉ちゃんじゃん……」

鞠莉「泣けとは言ってないけど……それはそうと、少しはすっきりした?」

曜「……うん、少しすっきりした」

鞠莉「そう、それならよかった」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「ん?」

曜「ありがと……」

鞠莉「ふふ、いいのよ。また、もやもやしたら遠慮なく言ってね? 話ならいくらでも訊くから」

曜「えっと……いいのかな──んぃぃぃっ!?」


急に鞠莉ちゃんに両頬を引っ張られる


鞠莉「……まだ、そんなこと言っているのは、このお口デースか~?」

曜「まりひゃん、いひゃぃ~!」

鞠莉「今更遠慮なんてしなくていーの! わたしが思ってることはさっき言った通りなんだから」


そう言いながら、やっと解放してくれる。


曜「いたた……」

鞠莉「次、ミズクサイこと言ったら、もっと引っ張るから」

曜「わ、わかった……もう遠慮しません」

鞠莉「よろしい。……それにね、今回に関しては曜の気持ち……少しはわかるつもりだから」

曜「え……?」


少しはわかる……?

どういうことだろう……私の千歌ちゃんへの想いみたいなのと同じ……。

……まさか──


曜「鞠莉ちゃん……もしかして、ダイヤさんのこと……」

鞠莉「え? ……ああ、いや、そういうことじゃなくてね」

曜「?」

鞠莉「その、なんというか……わたし、チカッチとダイヤの件……結構前から知ってたというか」

曜「……? 結構前って……?」

鞠莉「実はね……ゴールデンウイークのときにもチカッチ、ちょっと様子がおかしかったのよ」

曜「え……そうなの……?」

鞠莉「そのとき、ダイヤに頼まれて……ホテルの部屋を貸したりしたんだけど──あ、もちろんいかがわしい用途じゃないからね? それ自体は、ゴールデンウイーク中に解決したみたいだったんだけど。たぶんスクールアイドルフェスティバル後のチカッチの異変も、それの延長だった気がするのよね……」

曜「そうだったんだ……。えっと、それで私の気持ちがわかるってのはどういう……?」

鞠莉「あ、えっとね……。……スクールアイドルフェスティバルの後、ダイヤに何があったのか訊ねても……答えてくれなくて」

曜「え……前のときはいろいろ手伝ったんでしょ?」

鞠莉「そうなのよっ! 酷いと思わない!? あのタイミングで除け者にされるとは思ってなくって、マリー激おこプンプン丸だったんだからっ!」


鞠莉ちゃんがわざとらしく、頬を膨らませて、頭に人差し指で角を作る。

激おこプンプン丸のジェスチャーだと思う。たぶん。


鞠莉「まあ、ホントに切羽詰ってたのは端から見てても理解できたから……事情があったんだと思うんだけどね。あの時期、ダイヤも相当憔悴してたし……ただね」

曜「……ただ?」

鞠莉「それでも……最後まで頼ってくれなかったのは、正直寂しかった……」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「でも、今更解決した問題ひっくり返して追及するのも野暮でしょ? 事情があって、わたしに話さなかったんだろうってこともわかってるんだし……。まあ、後で千歌とダイヤから二人揃ってのお礼を言われたりはしたけどね。やっぱり内容は教えてくれなかったけど」

曜「……千歌ちゃんに起きた問題って、結局なんだったんだろう……」


改めて考えてみると、謎が多すぎる。

明らかに何かがあったことには皆気付いているのに、ダイヤさん以外、千歌ちゃんに何があったか知らないって、一体どんなことだろう……。


鞠莉「んー……まあ、たぶん、想像も出来ないような不思議なこと……?」

曜「いやまあ……そりゃそうだろうけど」

鞠莉「ダイヤ風に言うなら……メンヨーなことかしら?」

曜「メンヨー……? ……ああ、面妖ね」


不思議なこと。奇妙なことって意味の面妖だよね。


曜「……?」


少しだけその言い回しに違和感を覚えた。


曜「鞠莉ちゃん、もしかして、心当たりがあるの?」

鞠莉「ん……? んーまあ……なんとなく……」

曜「なんか歯切れ悪いね……?」

鞠莉「まあ……いろいろあるのよ」

曜「……? なんかよくわかんないけど……」


たぶん、説明が難しいこと……なんだと思う。

私がとりあえず、そういうことにして納得したのと、ほぼ同時くらいに、

──ブーブー、と鞠莉ちゃんの方からバイブレーションの音がした。


鞠莉「ん……迎えの車が下に着いたみたい」

曜「いつの間に……」

鞠莉「曜、今日はそろそろ帰りましょうか。家まで送るわ」

曜「あ、うん」


私は鞠莉ちゃんに促されて、一緒に『びゅうお』を降りていく。

──こうして、この日を境に、ここは私と鞠莉ちゃんが本音で語り合うための場所になったのだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「それじゃ、また明日ね」

曜「うん、ばいばい。鞠莉ちゃん」


曜が自宅に入っていったのを見届けてから、


鞠莉「それじゃ、淡島方面までお願いね」

運転手「かしこまりました」


ドライバーに車を出してもらう。

外を見ると、日も暮れて、すっかり夜の時間が始まっていた。


鞠莉「……」


車窓からぼんやり、流れる景色を眺めながら、わたしは曜のこれからのことを考えていた。

今日、ああして思っていることを洗いざらい吐き出させてあげたことはよかったと思う。

だけど……だからといって、心の整理が全部ついたなんてことは絶対にない。

千歌とは同じ学校、同じ教室である以上、行けば会わざるを得ないし、ダイヤも部活では確実に会う。

ダイヤと千歌が同時に居る場所にも、だ。

こればっかりは曜の中で納得が出来るようになるまで、待つしかない問題だけど……。


鞠莉「……気持ちを伝えられない恋愛は……辛いわよね」


そう、一人呟く。

成就する見込みのない、伝えることも出来ない、好きな気持ちを抱え続けるというのは……なかなか酷な話だ。


鞠莉「チカッチも……罪な子なんだから」


わたしは曜を憂いて、帰りの車の中で一人、そんなことをぼやくのだった。





    *    *    *





──9月10日火曜日。

下駄箱から教室に向かう道すがら、


曜「ん……? あれって……」


千歌「んー……! 重い!」

ダイヤ「あとちょっとですから、頑張ってください」


偶然、千歌ちゃんとダイヤさんが並んで本を運んでいるところを見つける。


曜「…………」


朝から仲良いな……あの二人。

早速、胸がざわざわしだす。

理由はわからないけど……歩いていく方向を鑑みるに、どうやらあの大量の本を生徒会室に運んでいるようだった。


千歌「ねぇー……やっぱ、わざわざ生徒会室に持ってかなくてもよくない……?」

ダイヤ「いえ、せっかく善子さんにリストアップして貰った本ですし……長期貸出の許可も取れたのですから」

千歌「……はぁー……重い……2ヶ月前だったら、楽勝で持てたのに……」

ダイヤ「いいではないですか、本当に身も心も普通に戻ったということですわよ」

千歌「そうだけどさー……」

ダイヤ「それに……わたくしたちの経験はきっと、困っている人の役に立ちますわ」


……二人は何の話をしているんだろう……?

聞こえてくる内容に、なんとなく耳を澄ませているものの、全く内容が理解出来ない。

──二人の間でしかわからないやり取りなんだろうな。

勝手に盗み聞きした私が悪いんだけど……酷く胸がもやもやする。

そんなことを考えていると、二人は生徒会室の方へと歩いていって見えなくなった。


曜「……教室いこ……」


落ち込むってわかってるんだから、最初から目を逸らして教室に向かえばよかったな……。




    *    *    *





──滞りなく一日が進み、例の如く、お昼は千歌ちゃんが足早に生徒会室に行ってしまうので、梨子ちゃんと一緒に食べて……。

時間は放課後。


果南「──ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」


果南ちゃんの掛け声でステップを踏んでいる今は、屋上で練習の真っ最中だ。

幸いなことに、今日は千歌ちゃんのお勉強会はないようなので、こうしてダンス練に取り組んでいる。


果南「よし……とりあえず、一旦これくらいにしよっか。10分休憩ー」

花丸「ず、ずらぁ……も、もうだめ……」

ルビィ「あわわ……! 花丸ちゃん、しっかりしてぇ……!!」


ダウンする花丸ちゃんと、それを介抱するルビィちゃんを視界の端で捉えながら、


曜「…………」


屋上の端っこの方に一人で腰を下ろす。

すると、中央の辺りで、


千歌「ねぇねぇ、梨子ちゃん。曲出来たー?」


千歌ちゃんがとてとてと梨子ちゃんの方へと訊ねに行く姿が目に入る。


梨子「あ、うん。編曲はまだだけど……今回は歌詞が出来るの早かったし、詩自体もすごくよかったから、すぐイメージが湧いたよ」

果南「へー? あの千歌の筆が速いなんて珍しいね。歌詞見てみたいな」

ダイヤ「わたくしも気になりますわ」


Aqoursの作詞担当、作曲担当を中心に果南ちゃんとダイヤさんを含めた4人が集まって、千歌ちゃんの手元にある歌詞ノートに視線を集中させている。


ダイヤ「まあ……! これは……」

果南「へー……ラブソングか」


──ラブソング……。

ぼんやり皆の会話を聞きながら、その単語に一人で引っかかる。

……このタイミングで千歌ちゃんが書いたラブソングの歌詞って……それ、どう考えても……。


千歌「えへへ……なんか、びっくりするくらい歌詞がたくさん溢れてきて……」

果南「これも恋の力かぁ……」

梨子「だよね。なんか、私読んでて感動しちゃったもん」

千歌「そんなに褒められたら照れちゃうなぁ……/// でも、自分でも会心の出来だったと思う!」

梨子「うん! 私もこんな素敵な歌詞だから、曲もすぐに浮かんできたよ! 一応まだ完成品ではないけど……聴いてみる?」

千歌「聴きたい!」

果南「あ、私も……。振り付け決めるための参考にしたいし」


梨子ちゃんが差し出した音楽プレイヤーに挿さったイヤホンを千歌ちゃんと果南ちゃんが、それぞれ片耳ずつのイヤホンで聴き始める。


千歌「……おぉ……!」

果南「……可愛らしい曲調だね。こういうの好きかも」

梨子「気に入って貰えたようでよかった……」

千歌「いやー、当たり前だよぉ……さすがAqoursのメロディーメーカー……梨子ちゃんさまさまだよ」

ダイヤ「千歌さん、わたくしも聴いてみたいですわ」

千歌「あ、うん」


千歌ちゃんからイヤホンを手渡されて、ダイヤさんも音楽を聴き始める。


ダイヤ「……これは、確かに……!」


どうやら、ダイヤさんも気に入ったようで、好感触を示している。

一方で、果南ちゃんは、歌詞ノートと照らしあわせながら、


果南「~♪」


鼻歌を歌いながら、早速パート分けを考えている様子。


果南「……ここなんだけどさ」

千歌「んー?」

果南「2番のこの、“言えなくて黙っちゃうときは~”の部分、せっかくだし、千歌とダイヤの二人で歌ってみたら?」

ダイヤ「え!?///」

千歌「えへへ……/// 実は、私もここはダイヤさんと歌えたらなって想いながら書いてたんだよね……///」

梨子「ふふ……私もここ読んだとき、なんか千歌ちゃんとダイヤさんの距離感っぽいなって思ったなぁ。私も良いと思う」

ダイヤ「い、いや……/// で、ですが……///」

果南「もう……何今更恥ずかしがってんのさ……歌詞書いた本人もダイヤとのこと想像して書いたって言ってんだから」

ダイヤ「……/// こ、こういうものは全員の意見を聞いてからの方がいいですわ……!///」


そう言いながら、ダイヤさんは果南ちゃんから歌詞ノートを取り上げて、きょろきょろと辺りを見回し始めた。


曜「…………」


──正直、今はこっち来ないで欲しいな……。

目の前で見せ付けられて、ただでさえしんどいのに……。

でも、そんな私の胸中をダイヤさんが知る由もなく、


ダイヤ「……?」


彷徨うダイヤさんの視線は私の方を見て止まる。


曜「…………」

ダイヤ「曜さん──」


──ああ、ダイヤさんがこっち歩いてくる。

どうしよ……。歌詞とかこの際、適当に割り振ってくれればいいのに……。

……ダイヤさんと話したくないな。

私の前まで歩いてきた、ダイヤさんは私の前で中腰になって、


ダイヤ「曜さん、あの……」


案の定、訊ねてきた。


曜「……あはは、パート割り、私はどこでも──」

ダイヤ「いや、そうではなくて……大丈夫ですか……?」

曜「……え?」

ダイヤ「顔色、悪いですわよ……?」

曜「…………」


歌詞のことを訊きにきたのかと思ったけど──違った。

単純に私が暗い表情をしてたから、心配されたんだ……。


曜「あ、はは……大丈夫……」


ダイヤさんは私の様子を心配して話し掛けてくれたのに……私、話したくないなんて……。

また、酷い自己嫌悪に襲われる。


ダイヤ「ですが……本当に顔色が悪いですわ。……休憩に入っても、全然水に口をつけていませんでしたし……。まだ残暑もあるし、軽い熱中症かもしれませんわね……」


ダイヤさんが私の体温を確認するためなのか、急におでこの方に手を伸ばしてくる。


曜「!? い、いや……ホント、大丈夫だから……!」


私はそれにびっくりし、急に立ち上がろうとして──


曜「──あ、れ……?」


足元がもつれ、後ろに向かってバランスを崩す。


ダイヤ「!? 曜さん!」


ダイヤさんが声をあげ、咄嗟に手を伸ばしてくる。

でも、後方に倒れそうになる私には届かず、私はそのまま倒れ……──なかった。


鞠莉「……もう、無理しないでって言ったじゃない」

曜「鞠莉……ちゃん……」


気付けば、いつの間にか背後に回っていたのか、鞠莉ちゃんが受け止めてくれていた。


ダイヤ「……はぁ、よかった……」


目の前でダイヤさんが安堵の息を漏らす。


曜「あ、あれ……おかしい、な……」


気付けば身体にうまく力が入らない。

頭がくらくらする。


鞠莉「……ホントに軽い熱中症みたいね。保健室に連れて行くわ」

ダイヤ「お願いしますわ……鞠莉さん」

曜「…………」


私……何してるんだろう。


鞠莉「曜、行きましょ。歩ける?」

曜「……うん」


鞠莉ちゃんに支えられて、よろよろと屋上を後にする。

その折に、


ダイヤ「曜さん……」


ダイヤさんが、


ダイヤ「無理しないでくださいませね……」


声を掛けてくれる。

私は──


曜「…………」


あまりに自分が情けなくて、返事をすることもままならなかった。





    *    *    *





保健室のベッドに横になって、首や脇を氷嚢で冷やしながら、熱中症の治療をしてもらう。


鞠莉「氷枕作ったヨ。頭の下、いれるからちょっと頭あげて」

曜「ん……」


氷枕が頭の下に入ったのを確認してから、頭を乗せると──


曜「……気持ち良い……」


ひんやりしていて、気持ち良かった。


鞠莉「そう、よかった」


鞠莉ちゃんはそう言いながら、私のベッドのすぐ横に置かれた椅子に腰を下ろして……私の頭を撫でてくれる。


曜「……私、何してるんだろう」

鞠莉「んー?」

曜「……熱中症なんて……これでもアスリートなのに……」

鞠莉「スポーツ選手でも熱中症にかかることくらいあるよ」

曜「…………ダイヤさん、心配してた」

鞠莉「……そうだね」

曜「……私は……こっちこないでって、そんなこと思うばっかで……」


一方で、ダイヤさんは、私が休憩に入ってから、一口も水を飲んでないことにも気付いていた。

私だけじゃない、きっとAqoursの皆の様子を伺っていたんだ……。


曜「……私、自分のことばっかだ……こんなんじゃ、ダイヤさんに、千歌ちゃん取られて……当然だよね……」

鞠莉「曜……」


取られたなんて言い回しさえ傲慢で、言った端から更に自己嫌悪に襲われる。

取られるどころか……同じ土俵にすら立ててない。


鞠莉「曜……そんなに思いつめなくていいのよ……?」

曜「…………」

鞠莉「余裕がないときは誰にだってあるからさ……むしろ、もっと早く声掛けてあげるべきだったよね……あの話聞くの、辛かったでしょ……?」


あの話──千歌ちゃんとダイヤさんが一緒のパートで歌う、ラブソング……。


曜「…………っ……」


ああ、ダメだ……また、涙が出て来た。


鞠莉「ごめんね、曜……」

曜「鞠莉ちゃんの……せいじゃ、ないよ……っ……」

鞠莉「……」

曜「悪いのは……弱い、私……っ……」

鞠莉「曜……」


自分を責めても何にもならないとわかっていても、自己嫌悪が止められない。

そんな弱い自分のせいでまた、鞠莉ちゃんにも迷惑を掛けている。

本当に自分で自分が嫌いになりそうだ。


鞠莉「…………えっと」


鞠莉ちゃんは何かを言いかけて、


鞠莉「…………」


だけど、結局口を噤む。

何かを言うかどうか迷っているようだった。


曜「…………なにかな」


私が促すと、


鞠莉「…………えっとね」


鞠莉ちゃんは、意を決したように、話し始めた。


鞠莉「しばらく、Aqoursをお休みするのはどうかなって……」

曜「……」

鞠莉「ほら、高飛び込みの方に行けば、サボりではないでしょ? 少し離れて気分転換するのも悪くないんじゃないかなって──」


そんな提案。だけど……。


曜「……高飛び込みの方にも……今はあんまり行きたくないな」

鞠莉「……え?」


鞠莉ちゃんはその言葉に驚いたような顔をした。


鞠莉「どうして……?」

曜「……出る杭は打たれるって言うのかな……ちょっと、先輩に目付けられちゃってて……あんまり居場所……ないんだよね」

鞠莉「でも……曜って高飛び込み始めて結構長かったよね……? 先輩ってことは昔から居たんでしょ? どうして今更……」

曜「……今までなら、千歌ちゃんが居てくれたから。千歌ちゃんが……喜んでくれたから……気にならなかった……」


そう……千歌ちゃんが応援してくれたから、先輩の嫌味なんて全く気にならなかった。

むしろ、眼中になかったまである。

私が飛んだら、千歌ちゃんが喜んでくれる、それだけで私が飛び込みを続ける理由は十分だった。十二分だった。

でも今は──


曜「……千歌ちゃんは、もう……ダイヤさんのことしか見えてないから……」


ズキリ、ズキリと胸が痛み、悲鳴をあげる。


鞠莉「曜……」

曜「私……ダメだね……。千歌ちゃんのためとか言いながら……実はずっと千歌ちゃんに依存してたみたいでさ……」

鞠莉「…………」


ホントにどうしようもない。

そろそろ、鞠莉ちゃんからも呆れられ、見捨てられるかもしれない。

そう、思ったけど……。


鞠莉「じゃあ、さ」


見捨てるどころか、


鞠莉「わたしが応援しに行くって言ったら──また高飛び込み、出来る……?」

曜「え……?」


鞠莉ちゃんは、更に一歩踏み込んできた。


曜「でも……」

鞠莉「ただの同情ってわけじゃないヨ? よく考えたらわたし、曜の高飛び込み、ちゃんと見たことなかったし、見てみたいなって思って……ダメかな?」

曜「……」

鞠莉「わたしの応援じゃ、曜の心を満たすには、足りないかもしれないけど……」

曜「そ、そんなことないよ……!」

鞠莉「そっか、じゃあ明日は一緒にプールね」

曜「あ……」


うまいこと誘導されたようだった。


鞠莉「まあ、本当にその先輩がイヤだって言うなら、無理強いするつもりはもちろんないけどね」

曜「……うぅん。鞠莉ちゃんが見ててくれるなら……頑張ってみる」

鞠莉「そう?」

曜「うん」


これはきっとチャンスなんだ。

鞠莉ちゃんがくれたチャンス……。

千歌ちゃんに依存している、情けない自分を変える……チャンスなんだ。

自分にそう言い聞かせる。


鞠莉「じゃあ、今日は明日のためにゆっくり休みましょうか」


そう言って、鞠莉ちゃんは再び私の頭を撫で始める。


曜「……鞠莉ちゃんは練習に戻ったほうが……」

鞠莉「あら……マリーの看病じゃ不満?」

曜「……ぅ……そういうわけじゃ……」

鞠莉「じゃあ、ここにいるね」

曜「…………わかった」

鞠莉「……ふふ、よろしい」


どうやっても鞠莉ちゃんには敵わないようだ。

私は観念して、目を瞑る。


鞠莉「おやすみ……曜」


目を瞑り、身体の力を抜くと疲れていたのか、思ったより早く意識はまどろみの中に沈んでいった。

私の意識が落ちるまでの間、鞠莉ちゃんがずっと、頭を撫で続けてくれていたからなのか、私は久しぶりに心の底から安堵したまま眠ることが出来たのだった──





    *    *    *





──9月11日水曜日。

放課後、私と鞠莉ちゃんは一緒に飛び込みの出来るいつものプールを訪れていた。

私は10mの飛び込み台に上り……そこから、主に大会時に用いられる観覧用の席に目を向けると、鞠莉ちゃんと目が合う。

すると鞠莉ちゃんはニコっと笑って、手を振ってくれる。

距離が離れているから、何か喋っても言ってることはわからないけど……鞠莉ちゃんがちゃんと見てくれていることだけはよくわかった。


曜「……よし」


──飛ぼう。

飛び込み台の先端に立ち、行う技は一昨日同様、私の一番得意な前逆さ宙返り三回半抱え形──

息を整える。

集中し、思考がクリアになっていく。

この瞬間だけは、私は何にも邪魔されない。

──トン。

踏み切ると同時に、身体を浮遊感が包み込む。

回る視界の中、中空で抱え形に移行し、

──ザプン。

身体は真っ直ぐに着水する。

たぶん、ほとんど水飛沫も上がらなかった、完璧だ。


曜「……ぷは。……よし」


水面から顔を出して、思わず拳を握る。

観覧席の方を見ると、鞠莉ちゃんが拍手しているのが見えた。


曜「えへへ……」


思わず手を振ると、それに気付いた鞠莉ちゃんが手を振り返してくれる。

ああ、やっぱり……誰かが見てくれてるだけで、なんか嬉しいな。

今日、こうして来てよかったかもしれない。

そんなことを考えながら、プールサイドに上がると──


先輩「…………」

曜「……!」


先輩がこっちに冷めた視線を向けていた。


先輩「…………」

曜「えっと……なんですか……?」

先輩「……」


先輩は何度か私と観覧席の方を見比べたあと、


先輩「ふーん……いつもの子じゃないんだ」


そんな言葉を零す。


曜「……」

先輩「新しいファンが出来てよかったわね」


相変わらず刺々しい。


曜「ファンとかじゃないです……」

先輩「そうなの? スクールアイドルとかやってるのって、自分のファンを増やすためなんでしょ?」

曜「それはあくまでスクールアイドルとしてのファンです。高飛び込みとは関係ありません」

先輩「へぇ……」

曜「……すいません、もう行っていいですか」


私は先輩の横をすり抜ける。

真っ向から相手をしてもしょうがない。

今日はせっかく鞠莉ちゃんが見に来てくれてるんだ、出来るだけたくさん飛んで、鞠莉ちゃんにもっと私の飛び込みを見せてあげなきゃ。


先輩「そのスクールアイドルとやらで、全然来なかったのに、最近やけに張り切ってるのね、渡辺さん」


無視だ、無視。


先輩「もうスクールアイドルは飽きちゃったってことかしらね」


関わるな。


先輩「もしかして、うまく行ってないのかしら」

曜「……!」


──足が、止まってしまった。


先輩「あら、図星?」

曜「……」

先輩「だから、逃げて来たんだ、高飛び込みに」

曜「な……」

先輩「よかったわね。ここなら貴方をちやほやしてくれる人がごまんと居るものね。むしろ……」


悪意のある言葉が容赦なく向けられてくる。


先輩「一緒にスクールアイドルやってる子は、可哀想ね……貴方みたいないつでも活動を切り捨てられる人がグループに居て」

曜「……!!!」


その言葉はさすがに我慢ならなかった。


曜「……取り消してください」

先輩「……なんで?」

曜「何も知らない先輩にそこまで言われる筋合いないです」

先輩「でも、うまくいかなくて逃げてきたのは事実なんでしょ?」

曜「……! い、いや……それは……」

先輩「……やっぱり逃げてきたんじゃない」

曜「…………っ」


悔しいけど、うまい切り替えしの言葉が見つからなかった。

私は……確かに、辛くて、逃げてきたんだ。


先輩「渡辺さんさ」

曜「……?」

先輩「大会でミスしたことある?」

曜「……え?」


藪から棒に飛び出した質問に、ポカンとしてしまう。

大会でのミス……? 公式な場での失敗ってこと……だよね……。


曜「えっと……ない、ですけど」

先輩「……だと思った。皆言うものね、貴方は──渡辺さんは“天才”だからって」

曜「……何が言いたいんですか?」

先輩「普通ね……誰だって失敗して成長するものなのよ」

曜「……?」


なんだろう……? 先輩は突然、何の話をしているんだろう……?


先輩「私も……ここのスイミングスクールの他の子たちも。……それどころか、コーチたちも。……全員含めても、自信満々にミスしたことがないなんて言えるのはこの場で貴方くらいよ」

曜「……? ごめんなさい、何が言いたいのか全然わからないんですけど。ミスしたことがないのが悪いことなんですか?」

先輩「わからない? まあ……わからないんでしょうね。……今ここにいる人たちは皆、そんな自分の失敗と向き合って、それでも続けてる人たちなの。貴方と違って」

曜「……?」

先輩「貴方はそんな当たり前の“失敗”を積み重ねてこなかった。だから、ちょっとスクールアイドルがうまく行かなかっただけで耐えられなくて──逃げ出したんでしょ?」

曜「な……」

先輩「だから、さっき言ったのよ。一緒にやってる子が可哀想って。スクールアイドルにそこまで詳しいわけじゃないけど……母数が多くて上の方に行くのは大変だってことくらいは知ってるわ。皆きっと何度も失敗しながら、それでもめげずに、何度も挑戦するのに──」


先輩は冷たく私に言葉のナイフを向けてくる。


先輩「貴方みたいに、失敗の怖さも痛みも知らない人は……ちょっとうまくいかなかったら逃げ出しちゃうんだもの」

曜「……ち、ちが……!」

先輩「でもよかったわね。必死に頑張っている人たちから、逃げ出して、切り捨てても……ここでは皆貴方を“天才”として扱ってくれるもの」

曜「……違うっ!! 私はそんな理由で高飛び込みをやってるんじゃないっ!!」

先輩「じゃあ、なんで渡辺さんは高飛び込みを続けてるの?」

曜「そんなの……!! ……!」


──そんなの……なんだ……?

私は、なんで高飛び込みをしてるんだっけ……。

……千歌ちゃんが、喜んでくれる……から……? それが……理由……? じゃあ、千歌ちゃんが居ない今、私が高飛び込みをする理由は……何……?


先輩「そういえば……今日は……いつも仲良しなあの子、いないのね」

曜「……っ!」

先輩「なんだっけ……チカちゃんだったっけ。……ああ、そっか、そっちもか」

曜「……え」

先輩「──その子とも、うまく行かなくなっちゃったから、切り捨てちゃったんでしょ?」

曜「……っ!!」


──次の瞬間には、無意識に手が出ていた。

私は、先輩の競泳水着に掴みかかっていた。


先輩「何? 違うの?」

曜「なんで……そんなこと、言われないといけないんですか……」


私の気なんか、なんにも知らない癖に。


先輩「……昔っから、チカちゃんチカちゃん言ってる、貴方のその不真面目な姿勢が気に入らなかったからよ」

曜「……!?」

先輩「まるで周りの人間には一切興味がない。自分が興味があるのはそのチカちゃんとやらだけ。周りの期待も、努力も、嫉妬も、羨望も、全部無視して自分がやりたいときに、その子の応援を、歓声を、賞賛を得るためだけに、飛び込む姿勢が……!」

曜「……っ」


だんだんと語気を増していく先輩の言葉に気圧される。


先輩「でもそれだけなら、我慢できた……たった一人のためだけに飛び続けるなんて、正直かっこいいわよ。憧れる。でも、今日来てるのは、違う人? なにそれ? 賞賛を送ってくれれば誰でもいいって? 何? 私たちが必死に自分たちの人生削ってやってることは貴方にとっては、うまくいかなかったときに自分を鼓舞してくれる賞賛を浴びるためだけの道具だって言うの?」

曜「ち、違います……そういうことじゃ……」

先輩「それなのに……!! そんな人にいくら努力しても、勝てないなんて……そんなの酷くない……? 残酷すぎない……?」

曜「…………」

先輩「貴方今年はスクールアイドルをやってたから、高飛び込みの夏季大会にも出なかったでしょ……? 私は高校生活最後の大会だったから、渡辺さんに最後の挑戦をするつもりだった……なのに、貴方は大会にすら出てなくて……。結局最後まで勝てなかったけど、辞めちゃったんだったら仕方ないって無理矢理自分に言い聞かせてた……なのに、なんで今戻ってくるのよ……」

曜「私……」

先輩「……高飛び込みの大会なんて、いつ出ても優勝できるからってこと……?」

曜「ちが……います……」

先輩「……ねぇ、貴方がいるだけで、自分といかに“才能”が違うのか……思い知らされるの……。もう、いい加減にしてよ……。私、プロを目指してるの……渡辺さんはプロになるの……?」

曜「…………」


──私は小さく首を振った。

私の夢は船長だ。高飛び込みでプロになろうなんて……考えたことがなかった。


先輩「じゃあ、邪魔しないでよ……お願いだから……! 趣味でやってる人が、たまに来て才能だけ見せ付けて、帰っていくなんて……酷すぎると思わないの……?」

曜「…………ごめん……なさい……」


先輩がそんなことを思っていたなんて、考えたこともなかった。

先輩はずっと傷ついていたようだった。私がずっと傷つけていたようだった。

ただ、何よりも辛いのは──今先輩がどうして傷ついているのかが、全然実感として理解出来ないことだった。

自分より上手い人が居たら、それより上手くなればいいだけじゃないか?

なんで、それで傷付くのか……理屈はわかる気がするけど、実感として理解が出来ない。

私が……おかしいのかな……。


 「──ケンカ……?」 「──え、相手渡辺先輩じゃん……」 「──また馬渕先輩から突っかかったんじゃないの……?」 「──今コーチいないの?」


気付けば周囲では、他の子たちが遠巻きに見ながら、ひそひそと話をしていた。


 「──ごめんなさい! ちょっと通してください……!」


その奥から、通る声が聞こえてきた。

声のする方に視線を向けると──目を引く金髪が見えた。


曜「鞠莉……ちゃん……」


鞠莉ちゃんは真っ直ぐ私の方に歩いてきて、先輩との間に入ってから、


鞠莉「……あの、ごめんなさい」


先輩に向かって頭を下げた。


曜「!? ま、鞠莉ちゃん……!?」

先輩「…………」

鞠莉「曜の飛び込みが見たいって無理矢理お願いしたのは……わたしなんです……。ごめんなさい」

曜「ま、鞠莉ちゃん……!」

鞠莉「練習の邪魔をしてしまったことは、謝ります……ただ」

先輩「……?」

鞠莉「……あなたは曜のこと、何もわかってない。……あなたが曜の能力に嫉妬するのは自由だけど……あなたの勝手な価値観で、曜を値踏みしないで」


──突然現れた、金髪美少女が、頭を下げたと思ったら、今度は突然啖呵を切るという状況に誰も追いつけず、この場に居た人物全員が唖然としてしまっていた。

……私を含めて。

ただ、何故か先輩だけは、


先輩「…………そう」


感情的だった先ほどとは打って変わって、逆に落ち着いた顔をしていた気がする。


鞠莉「曜、行きましょ」

曜「え、あ……うん」


鞠莉ちゃんに手を引かれて、プールサイドから出て行く。

背後で、私たちがプールから出て行ったことによって、事態はとりあえず終息したんだと理解した場内は、いつもの練習風景の喧騒へと戻っていくのがわかった。


鞠莉「曜……ごめんね」

曜「え……」

鞠莉「わたしの方こそ事情がよくわかってなかった……」

曜「……うぅん、鞠莉ちゃんのせいじゃないよ。むしろ、変なことに巻き込んじゃってごめんね」

鞠莉「うぅん、大丈夫。あと……」

曜「?」

鞠莉「曜の飛び込み──最高にかっこよかったヨ!」


そう言って、鞠莉ちゃんはにっこりと笑うのだった。





    *    *    *





──さて、所変わって、私たちは再び『びゅうお』で中央通路のベンチに座って、夕日を眺めていた。


曜「……ねぇ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「んー?」

曜「私……飛び込み、やらない方がよかったのかな……」


私が居るだけで、傷つく人が居る……それなら、いっそ──


鞠莉「そんなことないよ」

曜「でも……」

鞠莉「……だって、スポーツの世界だもの。極端ではあるのかもしれないけど、あんまり努力しなくても出来ちゃう人も居れば、たくさん努力しても全然上手くならない人も居る。それって仕方のないことだよ」

曜「……」

鞠莉「そして、同時に誰も彼もが、その事実を受け止めきれるわけでもない」

曜「……そういう、ものなのかな……」

鞠莉「せいぜい、わたしはそう思ってる。……それに、曜」

曜「?」

鞠莉「あなた、あの先輩が何に傷ついてたのか……正直よくわかってないんじゃないかしら?」

曜「!」


ギクリとする。


曜「な、なんで……」

鞠莉「あー……まあ、なんかそうじゃないかなって思ってたんだ……──曜って、わたしと似たところあるから」

曜「え……? 鞠莉ちゃんと……? 私が……?」

鞠莉「天才肌なところとか」

曜「自分で言っちゃうんだ……」

鞠莉「実を言うとね……わたし、昔似たようなことで、友達とケンカになったことがあるの」

曜「そうなの……?」


鞠莉ちゃんの友達……。


曜「イタリアの友達とか……?」

鞠莉「ん? ああ、違う違う。その友達ってのは、ダイヤのことだヨ」

曜「え!? ダイヤさん!?」


確かに、鞠莉ちゃんとダイヤさんってくだらないことでよく口論してるイメージだけど……。


鞠莉「小学生の頃だったかなぁ……あのときのダイヤってすごい泣き虫でね」

曜「え……あのダイヤさんが……?」

鞠莉「いやもうすごかったのよ? ちょっと大きな音がしただけでびっくりして泣き出しちゃったり」

曜「そ、想像出来ない……」

鞠莉「間違いなく今のルビィよりもよく泣いてたわ。まあ、そんなダイヤだけど……家が厳しいのは昔からだったみたいでね」

曜「うん」

鞠莉「ある日、定期テストの結果について……ご両親に叱られたんだって」

曜「酷い点を取っちゃったってこと……?」

鞠莉「ううん。全教科95点以上だったみたい」

曜「え? じゃあ、なんで……」

鞠莉「わたしが全教科満点だったから」

曜「……え?」

鞠莉「黒澤家って、なんでも一番じゃないといけないって家訓があるみたいでね、勉学で一番が取れなかったダイヤは……酷く叱られたそうなの」

曜「……酷い」


鞠莉「まあ、酷いとは思うけど、こればっかりはご家庭の方針だからね……。それでね、それが何度か続いたあと、ある日ね……ダイヤに言われたの」



──────
────
──


ダイヤ「まりさんがいると……また、しかられてしまいますわ……わたくし、いっぱいおべんきょうしてるのに……」

まり「……そんなこと言われても」

ダイヤ「そ、そうだ……! まりさん、おうちでどんなおべんきょうをしているのですか!? それをおしえてくれれば……」

まり「えっと……いえでべんきょうしたことないけど」

ダイヤ「……え?」

まり「だって……テストの問だい、かんたんだし……」

ダイヤ「そ、そんな……な、なにかほかにとくべつことをしてるんでしょう!? それをおしえてください……!」

まり「なに、とくべつなほうほうって……してないよ、そんなこと……」

ダイヤ「そんな……じゃあ、わたくしいつまでたっても……」

まり「ねえ、ダイヤ」

ダイヤ「な、なんですか……?」


──
────
──────



鞠莉「──今考えてみると、あのとき言ったことはかなり無神経だったって思うなぁ……」

曜「なんていったの……?」

鞠莉「『なんでダイヤは、100点とれないの?』って」

曜「……うわ……」

鞠莉「……いや、もうあのあとは酷かったわ。ダイヤが見たこともないような怒り方で暴言を浴びせかけてきて、それに対してわたしもSell wordにBuy wordで大喧嘩になっちゃってね」

曜「……売り言葉に買い言葉?」

鞠莉「Yes ! ……わんわん泣きじゃくるダイヤと取っ組み合いのケンカになって……結局、最終的には果南が気付いて仲裁に入ってくれたんだけど」

曜「……けど?」

鞠莉「果南に押さえつけられながらも、ダイヤに向かって──」


 まり『泣くくらいなら、さいしょっから100点とればいいじゃん!! バカダイヤ!!』


鞠莉「って、追い討ち掛けちゃってねぇ……」

曜「……うわぁ……」

鞠莉「そのあとはしばらくケンカ状態だったかな。まあ、その辺は子供のケンカだから、しばらくして気付いたら元の距離感に戻ってたんだけどね。……そういえば、その頃からだったかな」

曜「? 何が?」

鞠莉「ダイヤが、滅多に泣かなくなったの……」


鞠莉ちゃんは懐かしむように、話す。


鞠莉「それからしばらく経って……中学三年生になったときだったかな。毎日のように、受験勉強をしてるダイヤを見て、やっと客観的にわかるようになったんだけど……たくさん勉強をしても、思うように成績が伸びなくなっちゃうことって、どうやら普通の人にはあることなんだって」

曜「……」

鞠莉「果南にその話をしたら、『気付いてなかったの!?』って驚かれちゃったわ。どっちかというと特殊なのは、わたしの方だったみたい」


「まあ、それでも国語と日本史だけは努力で追い抜かされたんだから、ダイヤの能力も相当だと思うけどね」──と鞠莉ちゃんは肩を竦めながら付け足す。


曜「あれ……? でも、結局それだと何も解決してないような……」

鞠莉「ん?」

曜「だって、結局鞠莉ちゃんは勉強しなくても、ダイヤさんより良い点が取れちゃうんでしょ……?」

鞠莉「んーまあ、そうね」

曜「どうやって解決したの……?」

鞠莉「えっとね……この話、結論から言うとダイヤが嫌だったのは、テストの点でわたしに勝てないことでも、親から叱られることでもなかったのよ」

曜「え……?」


どういうことだろう……? 私は首を傾げてしまう。


鞠莉「一度ね、ダイヤがそんなに辛いなら、わたしが点数を下げればいいんだって思って、わざと全部の問題を間違えたことがあったの」

曜「……それはまた極端だね」

鞠莉「ただ、そのときテストの結果を見て、ダイヤはやっぱり怒ってね。こう言ったの」


 ダイヤ『手を抜いた貴方に勝っても、何もうれしくありませんわっ!!』


曜「……」

鞠莉「それで思ったの……ダイヤが怒ってたのは、自分の努力に見向きもしないわたしが、気に食わなかったんじゃないかって。本質って結局話してみないとわからないことが多いからさ。だから、それ以来ダイヤに対しては思ったことは出来るだけ言うようにしてるの。お陰で口喧嘩は増えたけど……ダイヤも随分本音をぶつけてくれるようになったし。仲の良さは曜の知ってるとおりよ」

曜「あ、あれ……? じゃあ、もしかして先輩も……」

鞠莉「たぶん……曜の眼中にすら入ってないことが、嫌だったんだと思うよ? せめてライバルとして認めて欲しいって、思ってたのかもね」

曜「そう、なんだ……。……そういうことなら、言ってくれればいいのに」


そうすれば、あんなギスギスしないで済んだかもしれないのに……。


鞠莉「いやー……そういうタイプの人って、かっこつけたがるからさ。ダイヤもそうだけど、自分をライバルとして認めろーなんて言い出せないみたいよ?」

曜「そういうもんなのかな……」

鞠莉「まぁ……実のところどうなのかは本人にしかわかんないけど……。特にわたしたちはそういう人たちの気持ちを汲んであげるのは苦手っぽいし」

曜「……そっか」

鞠莉「だから、結局最終的には話すしかないのかなって……価値観なんて皆違うからネ。少しずつ理解し合いながらすり合わせるしかないんだと思うよ」

曜「……うん。……それはそうと……困ったなぁ」

鞠莉「ん?」

曜「さすがにしばらくは……あのプールに近寄れないかなって……」

鞠莉「あー……まあ……なんか、ごめんね」

曜「いや……大丈夫。どっちにしろ、一人じゃ近寄らなかっただろうし……。それよりも、高飛び込みの方に行かないんだったら……これからどうしようかな」


高飛び込みに行かないということは、Aqoursをお休みする口実がなくなったということでもある。


鞠莉「まあ、とりあえず明日は練習はお休みしましょうか。まだ体調が本調子じゃないってことにしてね。わたしの方から皆には伝えておくから」

曜「い、いいのかなぁ……?」

鞠莉「嘘もホーベンだよ? それこそ本当にまた体調崩したら、迷惑が掛かっちゃうから」

曜「……うん……じゃあ、そうしようかな……」

鞠莉「あとは……お互い、何か良い案を考えて来て、明日発表するってことでどうかしら」

曜「何も思い浮かぶ気がしないけど……」

鞠莉「そのときはそのときよ。とりあえず考えてみて、二人で話し合ってみたら意外と妙案が見つかるかもしれないしネ」

曜「だといいなぁ……」

鞠莉「まあ、焦らず行きましょう? ちゃんと付き合うから」

曜「うん……ありがと、鞠莉ちゃん」


気付けば窓の外の夕日は沈み、夕闇が空を覆い始めているところだった。





    *    *    *





一昨日同様、鞠莉ちゃんの家の車で自宅まで送ってもらって、今は自室。


曜「何か考えるって言ってもなぁ……」


今は鞠莉ちゃんに言われた宿題を考えている真っ最中。だけど、まるで良い案なんて思いつかない。

というか、簡単に思いつくならこんなに困っていない。

ただ……今日に関しては部活に行かなかったからか、少しだけ気持ちは落ち着いていた。


曜「やっぱり……会わないことが正解なのかな……」


とはいえ、それじゃ問題を先送りにしてるだけで、何も解決しない。


曜「うぅーん……」


頭を抱えながら、椅子の背もたれにもたれかかりながら、天井を仰ぐ。


曜「うーん……」


唸りながら、背もたれにもたれかかっていると、どんどん身体が後ろに仰け反っていき、最終的に逆さまになった自室が視界に広がっていた。


曜「……こんなことしても、なんにも……ん?」


ふと──自室の模型の棚が目に入る。

大好きな船の模型がたくさんおいてある大きめな棚だ。


曜「…………」


私は、身を起こす。

思いついたかのように、棚についている、小物入れの引き出しを開け、その中にある──小さな小物を見つめて──


曜「……い、いやいやいや……何考えてるんだ、私!」


すぐに思い直して、引き出しを閉めた。


曜「……はぁ。……ホント、どうしよ……」


私は再び頭を抱える。

そんなこんなで……どうやら、眠れない夜はまだまだ続きそうだなと思うのだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「うーん……失恋から立ち直る方法……」


曜に考えるように言った手前、自分が何も思いつかないというのも情けないと思い、いろいろ考えてはいるのデスが……。


鞠莉「……会わないって選択肢が難しいのがNeckなのよね……」


とはいえ、曜の千歌への想いが成就する可能性は二人を避け続けるよりも、更に困難だ。

千歌とダイヤが別れるなんて、それこそそんな未来の方が想像出来ないし……。


鞠莉「となると……もっとストレートに失恋の傷を癒す方法を考えた方がいいのかしら」


失恋の傷を癒すって言うと……。


鞠莉「テッパンなのは、新しい恋を探す、かしらね……」


新しい恋……。

んーまあ、曜は千歌が好きなくらいだし……女の子でも有りっちゃ有りなんだろうけど……。


鞠莉「問題は相手側よね……」


まあ、曜って人気者だから、誰でも良いなら相手に困らなさそう……。


鞠莉「でも出来るなら曜の事情を知ってる人の方がややこしくないわよね……」


そんな都合のいい人……。

……。


鞠莉「あら……?」


そこで気付く。


鞠莉「いるじゃない……適任が……!!」


わたしは妙案を思いついて、


鞠莉「これよ……!! これしかないわ! なんでもっと早く思いつかなかったのかしら!」


わたしは月明かりに照らされる部屋の中で、一人テンション高めに自分のナイスアイディアを賞賛するのだった。




    *    *    *





──9月12日木曜日。


 鞠莉『ごめん! 曜! 急な理事長の仕事が入っちゃって……。夕方には向かうから、いつもの場所に先に行って待ってて!』


……と、言われ、私は綺麗な夕日が眺められるくらいの時間になってから、三たび『びゅうお』に訪れていた。

まさか、一週間に3回もここに来ることになるとは……。

そろそろ受付のおじさんに顔覚えられちゃうんじゃないかな……。

まあ、それはそれで別にいいんだけどさ。

鞠莉ちゃんを待ちながら、いつもの中央通路のベンチで夕日を眺める。

改めて、しっかり見てみると、海の向こうに沈んでいく太陽をこんな高い場所から見ることが出来るのはなかなか絶景だった。

海の方に目を向けると、漁のためなのか、灯りを点した船がいくつか見える。

その船たちは、真っ赤な夕日を反射した海に浮かんでいて──まるで、炎の上を渡っているようにも見える。

小さい頃は、海を眺めるのが好きだったし、家から近かったから、よく遊びに来ていたけど……高校生になった今だと、同じ景色もまた少し違うようにも見えてくる。

たまに、こうしてじっくり展望台から景色を眺めるのも悪くないのかもしれない。

ぼんやりとそんなことを考えていたら──


鞠莉「はぁ……はぁ……曜、お待たせ……!」


鞠莉ちゃんが息を切らしながら姿を現す。


曜「鞠莉ちゃん! もしかして、走ってきたの……?」

鞠莉「遅くなっちゃったからね……バス停から遠いのよ、ここ……」

曜「バスで来たんだ?」

鞠莉「さすがに車で来て、帰るまで待っててって言うのもね……。……まあ、それはともかく曜、ちゃんと考えてきた?」


鞠莉ちゃん息を整えながら、私の横に腰を下ろす。


曜「うーんと……考えはしたんだけど……良い案が思い浮かばなくて……」


──まあ……悪い案なら思い浮かびかけたけど……。


鞠莉「まあ、曜が簡単に思いつくようなら、それこそ今悩んでないものね」

曜「仰る通りで……」

鞠莉「でも、安心して? このマリーが妙案思いついちゃったんだから!」

曜「え、ホントに……?」

鞠莉「ええ!」


鞠莉ちゃんは自信満々な様子だ。

期待して、いいのかな……?


鞠莉「失恋の傷を癒すには、どうすればいいと思う?」

曜「どうって……」


それが思いつかないから困ってるというか……。


鞠莉「答えは簡単、新しい恋をすること!」

曜「うん、まあ、よくそう言うよね」

鞠莉「そういうことよ!」

曜「…………ん?」


……えっと? つまり……?


曜「私に新しい恋を探せって……言いたいの?」

鞠莉「Yes !」

曜「ええー……」

鞠莉「不満そうね」

曜「いや、だって……」

鞠莉「だって?」

曜「千歌ちゃん以上に好きになれる人……居ないよ」

鞠莉「ふふ……曜のその一途なところは嫌いじゃないわ。でも、チカッチと恋人には、もうなれないかもしれないけど……ちゃんと友達としてでも、一緒に居られた方がいいって思ってるんだよね?」

曜「うん……そうだけど……」

鞠莉「なら、気持ちを切り替えるために、新しい恋を探すのも……悪くないんじゃないかなって」


鞠莉ちゃんはそう言う。


曜「…………」

鞠莉「……新しい恋を探すのは……嫌?」

曜「嫌……というか……」

鞠莉「というか?」

曜「……それって、相手の人にすごく失礼じゃないかな」

鞠莉「失礼?」

曜「だって、つまり……千歌ちゃんの代わりになる人を探すってことでしょ……」


それはなんというか……すごく相手の気持ちをないがしろにしている気がしてならない。


鞠莉「……ふふ」

曜「……? な、なに……?」

鞠莉「曜なら、そう言うと思った」

曜「え……?」

鞠莉「曜、優しいもんね」

曜「えっと……?」


思わず、頭にハテナが浮かぶ。

鞠莉ちゃんは私が了承しないってわかった上で、これを妙案だって、自信満々に言ってるってこと……?

きっと私は心底不思議そうな顔をしてたんだと思う。

そんな表情を見てか、鞠莉ちゃんは言葉を続ける。


鞠莉「曜は自分のためだけに、新しい恋を見つけに行ったり出来ないし、ちゃんと気持ちを向けられないまま恋愛を始めたり出来ないってことは、わかってるよ」

曜「……?」

鞠莉「だからね、わたし考えたの。新しい恋って言っても……別に振りでもいいんじゃないかなって」

曜「振り……? 恋人の振りをするってこと?」

鞠莉「そう。恋人の振りをして、自分はチカッチじゃなくって、その人と恋してるんだーって思い込むの」

曜「う、うん……?」

鞠莉「人間、振りを続けてるだけでも、意外とそれに引っ張られて順応するものなのよ? だから、自分が好きなのはチカッチじゃないって日常的に思えるくらいの状況を作っちゃえば、少しずつ傷も癒えてくんじゃないかなって」

曜「そう……なのかな……」

鞠莉「今は……チカッチのことで頭がいっぱいだから、ことあるごとに苦しくなっちゃうんじゃないかな……。だから、少しずつでも、チカッチから意識を外せるようにすれば……そのうち気持ちも落ち着くと思うの」


なるほど……。


曜「んっと……まあ、なんとなく言いたいことはわかったんだけどさ」

鞠莉「?」

曜「でもそれだと……恋人の振りをしてくれる相手が必要だよね」

鞠莉「そうなるわね」

曜「そんなこと、してくれる人……居るのかな」


詰まるところ、鞠莉ちゃんが言っているのは、千歌ちゃん以外の誰かと恋人ごっこ的なことをしようという話だ。

私の気持ちが落ち着いたら、恋人ごっこを終わりにしてくれる人じゃないといけないし……。

今回は理由が理由だから、私がどうして恋人ごっこの相手を欲しているのかを理解してくれる相手である必要がある。

つまり……。


曜「事情を知っていて、全部終わったら元通りの関係に戻れて、私に恋愛感情を抱いていない、かつ恋人のように一緒に時間を使って過ごしてくれる人ってことだよね……? そんな人、居るの……?」


誰かと付き合ったことがあるわけじゃないから想像でしかないけど……恋人同士って、お互いが好きだから一緒に居続けられるもので、そういう気持ちがない状態で長期間、長時間一緒にいるのはいろいろ大変な気がする。

それこそ、そんな中で気を遣わないで居られる相手なんて本当に限定される。

でも、鞠莉ちゃんは──


鞠莉「居るわ」


自信満々にそう答える。


曜「……どこに?」

鞠莉「ここに」

曜「え!? こ、ここ!?」


私は思わず辺りを見回してしまう。

まさか、候補の人をすでに連れてきていた……!?

いくらなんでも周到すぎる……。

ただ、きょろきょろと辺りを見回しても、それらしき人の影はない。


鞠莉「む……だから、ここって言ってるでしょ?」

曜「え……?」


鞠莉ちゃんをじっと見つめる。……どこ?


鞠莉「……はぁ。曜ってば、思ったより察しが悪いのね」

曜「えっと……ごめんなさい……?」


私、何で謝ってるんだろう……。


鞠莉「ここには、わたししか居ないでしょ」

曜「う、うん……だから、誰なのかなって」

鞠莉「Oh...」


鞠莉ちゃんが頭を抱える。


曜「……?」

鞠莉「だから──わたしが曜の恋人の振りをしてあげるって言ってるの!」

曜「………………え?」


鞠莉ちゃんの言葉に思わずポカーンとしてしまう。


鞠莉「曜の事情を知っていて、終わったら元の関係に戻れて、曜に恋愛感情を抱いていない、かつそれをわかった上で恋人のように振舞って一緒に過ごしてくれる相手。ね? ぴったりでしょ?」

曜「……えっと」


私は酷く困惑していた。つまり今、私は鞠莉ちゃんから、一緒に恋人ごっこをしようと提案されている。


曜「いや、でも……さすがにそこまでしてもらうのは……」

鞠莉「曜」


遠慮気味に言う私に対して、鞠莉ちゃんは名前を呼びながら、私の手に自らの手を添えてくる。


鞠莉「……わたしは曜に元気になって欲しい。その気持ちに嘘偽りはないよ」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「もちろん無理強いするつもりはないけど……わたしは曜が元気になってくれるなら、恋人の振りくらいいくらでもするよ?」

曜「…………」


恋人の振りにどれくらいの効果があるのは正直よくわからない。

だけど、このまま何もしないまま、いつまでも千歌ちゃんへの未練に振り回されて、苦しいままで居ても、何も変わらない。

それなら、いっそ……。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「ん、なにかな」

曜「私……変わりたい」

鞠莉「うん」

曜「千歌ちゃんへの気持ち……いつまでも引きずったままで、居たくない……」

鞠莉「うん」

曜「……わがまま続きで申し訳ないけど……鞠莉ちゃんが嫌じゃなかったら……私と恋人の振り、してくれませんか?」

鞠莉「ふふ……最初からそのつもりだって言ってたじゃない」

曜「……うん」

鞠莉「交渉成立だネ♪ それじゃ、わたしたちはこれからはCoupleだよ?」


その言葉を聞いて、私は先ほどから添えられていた鞠莉ちゃんの手を──握った。


曜「鞠莉ちゃん……よろしくお願いします」

鞠莉「うん♪ こちらこそ、よろしくね、曜♪」


こうして、私と鞠莉ちゃんの奇妙な恋人ごっこが始まったのだった。

……この恋人ごっこが、どんな結末に向かって行くのかなんて、知る由もないまま──





    *    *    *





──その日の夜。

お風呂からあがって、自室に戻ると……。


曜「……ん?」


机に置いておいたスマホのランプがチカチカ点灯していることに気付いた。


曜「誰だろ……」


スマホを手にとって、確認してみると──


曜「あ……」


LINEのメッセージ受信の通知だった。

相手は──


曜「鞠莉ちゃんからだ……」


10分ほど前に、鞠莉ちゃんからのメッセージを受け取っていたようだ。

内容は……。


 『Mari:曜、今何してる?』


といったもの。


 『YOU:ごめん、お風呂入ってた💦💦』


気付かなかったことを謝るメッセージを打つと、


曜「……お?」


一瞬で既読が付く。

そして、


 『Mari:よかった・・・。反応なくて、無視されてるのかと思った』


すぐにそんなメッセージが返ってくる。


 『YOU:無視なんてしないよ~❗️』


返事をしながら、『もしかして鞠莉ちゃん……ずっと携帯握ったまま、返信待ってたのかな……?』などと考えていると、


 『Mari:このまま返事がなかったら、朝までスマホとにらめっこするところだったわ』


まさにそうだったようだ。


 『YOU:ごめんごめん💦それで、どうしたの❓』

 『Mari:恋人だったら、夜連絡取り合うものかなって』


曜「なるほど」


 『YOU:なるほど💡』


思わず口に出したことと同じ文面を送ってしまう。

確かに恋人同士ってそういうイメージかも。

私がメッセージを送ってから、少しだけ間をおいて、


 『Mari:迷惑じゃなかった?』


そんなメッセージ。


 『YOU:まさか❗️LINEしてくれて嬉しいYOU❤️』

 『Mari:よかった』


なんとなく、鞠莉ちゃんの送ってくる文面を見ていて思う。


曜「鞠莉ちゃん……もしかして、緊張してるのかな?」


いつもに比べると少し雰囲気が硬い気がする。

まあ、鞠莉ちゃんって思ったより、事務的な連絡が多いから、文章はカッチリしてるイメージもあるにはあるんだけど、

……緊張してるなら、こっちから話しかけてあげた方がいいのかな。

などと思い話の続きを考えていると──ピコ。


曜「お」


メッセージが届く。


 『Mari:通話掛けていい?』

 『YOU:いいYOU』


返答すると、すぐに鞠莉ちゃんからの音声通話の着信が入る。


曜「もしもし?」

鞠莉『あ、曜……ごめんね、急に』

曜「うぅん、大丈夫」

鞠莉『その……えっと……』

曜「?」

鞠莉『へ、変じゃなかった……?』

曜「変?」

鞠莉『あ、あのね……! わたしあんまり年下の子とLINEってしたことないから……』

曜「そうなの?」

鞠莉『う、うん……。ユニット内での連絡くらいはあるけど……梨子とも善子とも、直接はあんまりしないし……。そ、それで、変じゃなかった……?』

曜「うーん、そうだなぁ……変とは思わなかったけど、緊張してるのかなーとは」

鞠莉『や、やっぱり……』


電話口から聞こえてくる鞠莉ちゃんの声は少しおろおろとしていて、いつもの自信満々な姿からはちょっと想像が出来なかった。でも、それがなんだか可愛いなと感じて、


曜「……くす」


思わず、笑ってしまう。


鞠莉『!? な、なんで笑うの!?』

曜「ふふ、ごめん……なんか、鞠莉ちゃん可愛いなって思って」

鞠莉『か、かわ……年上をからかうんじゃありまセーン!!』

曜「ごめんって。でも、頑張ってスマホいじってる鞠莉ちゃん想像したら……ふふ」

鞠莉『もう! 笑わないでってばぁ……』

曜「ごめんごめん」

鞠莉『……その……恋人なら、きっと連絡取り合うし……わたしが年上だから、リードして……連絡とかもこっちからあげた方いいのかなって。……言い出しっぺもわたしだし……やっぱり、変かな……?』

曜「うぅん、気遣ってくれて嬉しいよ。ありがと、鞠莉ちゃん」

鞠莉『そ、そっか……それなら、よかった』

曜「それに……」

鞠莉『?』

曜「なんか、鞠莉ちゃんが緊張してるのって新鮮だったから。良い経験が出来たなーって」

鞠莉『!? わ、わたしだって緊張くらいしますっ! それに……』

曜「?」

鞠莉『振りでも……初めての恋人なんだよ……? 緊張くらい……するもん……』

曜「……っ!」


普段見ることのない、しおらしい反応に、少しだけドキっとした。


曜「へ、へー……初めてなんだ……? ……意外かも」

鞠莉『意外……? そんなにシリガルガールだと思われてたなら、心外かも……』

曜「いや、尻軽とかそんな意味で言ったわけじゃないけど……鞠莉ちゃんって経験豊富そうだから」

鞠莉『そう……?』

曜「ほら……イタリアとかって、ナンパ多いって言うでしょ?」

鞠莉『ああ、まあ、そうね。ナンパは多いわね』

曜「だから、留学中に恋人が出来ててもおかしくないかなって……」

鞠莉『もう……別に恋愛しにイタリアに留学してたんじゃないのよ? ナンパはよくされたけど……』


されてたんだ……。まあ、鞠莉ちゃん可愛いもんね。


鞠莉『全部やんわりお断りしたわ。お陰でナンパの断り方ばっかりうまくなっちゃった』

曜「あはは、それはそれで、ある意味経験豊富かもね」

鞠莉『笑い事じゃないのよ? 結構しつこい人もいたんだから……。……とまあ、それはいいとして』

曜「?」

鞠莉『あの……また、今日みたいに夜に連絡してもいい?』

曜「! もちろん! いつでも待ってるよ!」

鞠莉『よかった……じゃあ、確認したいことは確認出来たから、今日はもう寝ようかな』

曜「うん、ありがとね、鞠莉ちゃん」

鞠莉『ふふ、気にしないで? わたしたち“恋人”なんだから♪』

曜「ふふ、うんっ」

鞠莉『それじゃ、また明日、学校で。Good night. 』

曜「うん、おやすみ、鞠莉ちゃん」


就寝の挨拶を最後にお互いの通話が終わる。


曜「……おやすみ、か」


……昔は千歌ちゃんとも、たまにこうして夜に電話したりしてたっけ。

気付いたら、すごい長電話になっちゃって、お互いお母さんに怒られて、慌てて『おやすみ!』って言いながら電話を切ったり──


曜「……い、いけないいけない」


また、千歌ちゃんのことを考えてしまっていた。

せっかく、鞠莉ちゃんが恋人の振りをしてくれてるんだ、私も必要以上に千歌ちゃんのことをあんまり考えない努力くらいしないと……。

──ただ……。『おやすみ』って言い合える人が居るのは……素直に嬉しいことなのかも。


曜「……あ、あれ……?」


気付くと、なんか顔がニヤけていた。

私、思ったより、この恋人ごっこを楽しめているのかもしれない。


曜「……あーなんか、今日は良い夢みれそう!」


私はなんだか、気分が良いまま、夢の世界へと旅立つのであった。




    ✨    ✨    ✨





鞠莉「……はぁ」


わたしは通話の切れたスマホを見ながら、思わず溜め息を吐く。


鞠莉「なんで、わたしが緊張してるのよ……」


なんだか、曜にかっこ悪いところを見せてしまった気がしてならない。


鞠莉「……経験豊富そう、かぁ」


わたし、曜からそういう風に思われてたんだ……。


鞠莉「イメージ壊しちゃったかな……」


そりゃ、わたしも出来ることなら年上として、余裕の振る舞いで曜を引っ張って行きたいけど……。


鞠莉「……ダメよマリー。弱気になっちゃ……! 曜の恋人役、自分でやるって決めたんだから!」


そうだ、曜の笑顔を取り戻すためだ。わたしがここで臆してどうする。

明日からも恋人役として、曜とこなしていくつもりの予定はたくさんある。


鞠莉「これからよ! これから挽回していくんだから! 覚悟するのよ、曜……マリーがメニモノミセテあげマース……!!」


本人が居ない中、わたしは一人気合いを入れながら、明日に備えて床に就くのだった。

──緊張の煽りなのか、心臓が早鐘を打ち続けているせいで、なかなか寝付けなかったのは、余談デスが……。





    *    *    *





──9月13日金曜日。


千歌「あー……授業終わった~……」


4時間目の授業の終わりを告げるチャイムと共に、千歌ちゃんが伸びをする。


梨子「ふふ、お疲れ様。今日も行くの?」

千歌「あ、うん!」

梨子「いってらっしゃい」

千歌「いってきまーす!」


梨子ちゃんとの手短なやり取りを終えて、千歌ちゃんは意気揚々と教室を飛び出して行った。


曜「千歌ちゃん、もう行っちゃったんだ?」

梨子「うん。お待ちかねって感じだよね」


梨子ちゃんはそんな千歌ちゃんの様子を微笑ましげに笑うけど、私はいつも複雑な気持ちになる。

やっぱり、私……心が狭いのかな。

……やめやめ。こういうことを考えてもまた落ち込むばっかりだ。


曜「私たちもお昼、食べよっか」

梨子「うん」


二人でカバンから、お昼ごはんを取り出す。


梨子「……曜ちゃん」

曜「ん?」


気付くと、私の取り出したお昼ごはんを見て、梨子ちゃんが可哀想なものを見るような目をしていた。


梨子「カロリーメイト……」


どうやら、私のお昼ごはんがカロリーメイト一箱なのが、気になるらしい。


曜「……梨子ちゃんも食べる?」

梨子「いや、そういうことじゃなくて……サンドイッチとか買ってくればいいのに」

曜「久しぶりにカロリーメイトな気分だったんだよね」


普段はプールにある自動販売機で練習終わりに買うことが多いんだけど……しばらく、いかなさそうだし。


梨子「気分でカロリーメイトが候補にあがるの……? 曜ちゃんって、たまに独特だよね……」

曜「そうかな……?」


梨子ちゃんと会話をしながら、箱を開けようとしていたところに──


 「曜ー? いるー?」


突然、声を掛けられる。


曜「え?」

梨子「?」


声のする方を向くと──


鞠莉「チャオ~」

曜「鞠莉ちゃん?」


教室の入り口の辺りで鞠莉ちゃんがひらひらと手を振っていた。


曜「どうしたの?」


席を立って、鞠莉ちゃんの元へと歩み寄る。

その間、私の向かいの席に座っていた梨子ちゃんの姿を認めて、


鞠莉「あ……もしかして、梨子ともうお昼食べちゃってた……?」


と訊ねてきた。


曜「うぅん、これから食べようかなって思ってたところだったんだけど……」

鞠莉「それならよかった……。梨子ー!」


鞠莉ちゃんは教室の入り口から梨子ちゃんに声を掛ける。


梨子「?」

鞠莉「曜、借りてくわねー!」

曜「え!?」

鞠莉「それじゃ、行きましょ、曜」

曜「え、ええ……?」


私は手にカロリーメイトの箱を持ったまま、鞠莉ちゃんに引っ張られるように連行されるのだった。


梨子「……行っちゃった……?」


梨子ちゃん一人、教室に残して。





    *    *    *





さて、鞠莉ちゃんに連れてこられたのは……。


曜「理事長室……?」

鞠莉「さあ、曜。椅子を用意したから、座って?」


確かに、机を挟んで理事長の座る椅子の反対側に椅子が置いてあった。


曜「う、うん」


言われたとおり、腰を掛ける。


鞠莉「そういえば、曜……お昼ごはんは?」

曜「あ、えっと……これだけど」


手に持っていた、カロリーメイトの箱を見せると、


鞠莉「……? なにそれ? 薬……じゃないわよね?」

曜「え、もしかして、カロリーメイト……知らない?」

鞠莉「Calorie Mate...?」


どうやら、反応を見る限り本当に知らないっぽい。

カロリーメイトの説明をしようとして、


曜「えーと……」


思った以上にどういうものかの説明が難しいことに気付く。


曜「……栄養食的な……?」

鞠莉「……なんでそんな味気なさそうなものをお昼に……?」

曜「あ、味気なくなんかないよ! これチョコ味だもん!」

鞠莉「Chocolate...? 暑くて溶けちゃったりしないの?」

曜「あーうまく説明できない! お腹に溜まるお菓子みたいな感じ!」

鞠莉「Hmm...お菓子なのね?」


鞠莉ちゃんは未だに不思議そうにカロリーメイトの箱を見つめているけど、ひとまずは納得してくれた様子。


曜「それはそうと……なんで、私は理事長室に?」

鞠莉「あら? 言ってなかったっけ……」

曜「?」


言いながら、鞠莉ちゃんは大きめのバスケットを取り出した。


鞠莉「お昼……一緒に食べようと思って」

曜「へ……?」

鞠莉「……なんで、そんな反応なのかしら」

曜「え、あー、いや……一緒に食べるってことを全然考えてなかったから」

鞠莉「もう……! わたしたち、一応恋人なのよ? お昼くらい一緒に食べる方が自然じゃない!」

曜「言われてみれば……そうかも」


確かに恋人ごっこをするなら、よりリアルに恋人らしい振る舞いをしなくちゃ意味ないし……。


鞠莉「それとも……迷惑だったかな……?」


言いながら、鞠莉ちゃんがしゅんとした表情を見せる。


曜「!? ま、まさか! 私も頭が回ってなかっただけで、鞠莉ちゃんと一緒にご飯が食べられるなら嬉しいよ!」

鞠莉「ふふ、それならよかった」


鞠莉ちゃんは柔らかい表情で笑いながらバスケットを開ける。

すると、中には二人分のサンドイッチが用意されていた。


曜「わ! おいしそう……! これ、鞠莉ちゃんが作ったの?」

鞠莉「うぅん。うちの家の使用人に作ってもらったわ」

曜「使用人って……」

鞠莉「ええ、ホテルオハラのシェフよ」


お昼ごはんをシェフに作ってもらうんだ……さすが、小原家。

ついでに言うなら……おいしそうではあるものの、具材がなんなのかがぱっと見でよくわからない。

料理はする方だから、食材には詳しいつもりなんだけどな……。


鞠莉「とりあえず、食べない? あんまりのんびりしてると、お昼休み終わっちゃうから」

曜「あ、うん」


とりあえず、サンドイッチをバスケットの中から一つ取り出す。

すると──


曜「……!?」


とてつもなく香ばしい良い匂いが漂ってくる。


鞠莉「? どうしたの?」

曜「え、いや……?」


たぶんだけど、具材からじゃなくて……これ、パンの匂い……?

焼きたて以外でこんなにパンの匂いが気になるのは生まれて初めてかもしれない。


鞠莉「あむ」


そんなことを考えている間に、鞠莉ちゃんはサンドイッチを食し始めている。

その一方で、全然食べ始めない私を不思議に思ったようで、


鞠莉「……? もしかして、曜、サンドイッチ苦手だった……? 一応生魚は使わないようにお願いはしたんだけど……」


そう訊ねてくる。


曜「い、いや、そんなことないよ!?」


サンドイッチが苦手なんていうピンポイントな人はあんまり聞いたことがない。

いいや、とりあえず食べよう……。

手に取ったサンドイッチは、ゆで卵らしきものが見える、タマゴサンド。


曜「いただきます」


そのまま、口に運んで、齧ると──


曜「……!?」


塩気と共に、ぷちぷちとした食感。

これは──魚卵……?

というか、


曜「なにこれ……!? めちゃくちゃおいしい……!?」


魚卵らしきものもだけど、ゆで卵も今まで食べたことがないような濃厚な味。

それに魚卵の塩気が絶妙にマッチしている。

……というか、この魚卵……!


曜「ま、鞠莉ちゃん……?」

鞠莉「ん?」

曜「この黒いのって……まさか」

鞠莉「……? キャビアでしょ?」


さも当然のように、返答される。


鞠莉「あれ、もしかしてキャビア、食べたことない……?」

曜「普通ないよ!?」

鞠莉「そうなの? 今、曜が食べてるやつはBoiled silky fowl eggとCaviarのサンドよ」

曜「シルキーフォウル……?」


えっと……?? ボイルドエッグはゆで卵のことだろうけど……。

ボイルとエッグの間に入ってる言葉は……品種? シルキー……絹?


鞠莉「あ、えっとね、Silky fowlは日本語でウコッケイのことよ」

曜「う、烏骨鶏!?」


烏骨鶏卵って、高級鶏卵じゃん!!


曜「え、このサンドイッチ1個でいくらくらいするの……!?」

鞠莉「んー……? 1万円くらいかな……?」

曜「あ、あはは……」


私、こんな高級品食べていいのかな……。急に恐れ多くなってきた。


鞠莉「ん……やっぱり、口にあわなかった……? おいしくなかったら、残してもいいんだよ?」

曜「むしろ、残せないよ!?」


残したら罰が当たる。確実に。

というか、味に関してはとんでもなくおいしい。

口当たりも良くて、かなり食べやすい。

パンもふわふわで、なんかすごく良い香りがするし……。

とんでもなく高級品で気後れするという部分さえ除けば、いくらでも食べていられそうなくらいだ。

……まあ、あんまり気後れしてると、鞠莉ちゃんが気を遣うから、もうこの際、気にしないことにしよう。

そうだ、これは鞠莉ちゃんにとっては普通の食材。普通の食材……。


鞠莉「おいしい?」

曜「うん……こんなおいしいサンドイッチ初めて食べたかも」

鞠莉「なら、よかった……他の具材のもあるから、どんどん食べてね」

曜「う、うん!」


よ、よし……次のサンドイッチは──

照り焼きチキンのような見た目……。

もうすでに高級品の予感しかしないけど、いいから食べてみよう……。


曜「……あむ」


照り焼きチキンサンドイッチ(仮)に齧り付くと……。


曜「ん……?」


確かに鳥の肉ではあるんだけど……やや、独特な食感と味。

アン肝に似てる……? ……いや、微妙に違うけど。

ただ、これもまた味が濃厚で、とてつもなくおいしい。

そして、さっきのキャビアサンド同様、パンの良い香りが鼻を抜けていく。


曜「鞠莉ちゃん……これは……?」

鞠莉「それはフォアグラの照り焼きサンドね」

曜「は、ははは……なるほどー……」


キャビアと来て、次はフォアグラかー……。

じゃあ、次はトリュフかなー……?

頑張って自分の庶民スイッチをオフにしながら、フォアグラサンドを嚥下する。

──さあよし、どこからでも掛かって来い……トリュフサンド(仮)……!!

覚悟を決めて、次のサンドイッチに手を伸ばす。


曜「ん……」


見た目は……ハムとチーズのサンドかな。

……どうみてもハムが高級そうな生ハムにしか見えないのは、もうこの際、考えないことにしよう。


曜「あむ」


──口の中に広がるチーズとハムの濃厚な味わい。

あ、普通においしい……。

シンプルにおいしいチーズと、おいしいハムを、おいしいパンで挟んだサンドイッチの味が口内に広がり幸せな気持ちになる。


鞠莉「それはね、ブリーチーズとイベリコ豚の生ハムのサンドよ」

曜「なるほどね!」


何がなるほどなのか、もう自分でもよくわかんないけど、確かイベリコ豚って高級な豚だったよね……。

ブリーチーズって言うのは……まあ、たぶん高級品なんだと思う。


鞠莉「ちなみにそのブリーチーズはちゃんとフランスから取り寄せたものよ」

曜「なるほどね!」


なんか、よくわかんないけど、きっと高級品なんだ。

余りに異次元の高級品が多すぎて、相槌が適当になる。


曜「あれ、そういえば……?」

鞠莉「?」

曜「トリュフはないんだね」


キャビア、フォアグラと来たから、てっきりトリュフが来るんだとばっかり思っていたから、逆に意表を突かれた気がする。


鞠莉「ん……? トリュフなら、ずっと食べてたじゃない」

曜「……へ?」


鞠莉ちゃんの予想外の返答に、間抜けな声が出る。


曜「え……トリュフ……え?」

鞠莉「もう……このパン、どう考えても、トリュフを練りこんであるでしょ?」


トリュフそこだったかー!!


曜「そ、そうか……! パンからする、この香ばしい匂いはトリュフか……!?」

鞠莉「あれ……? もしかして、トリュフの匂い嗅いだことなかった……?」

曜「ないよ!? あるわけないじゃん!!」

鞠莉「じゃあ、気付かなくても仕方ないか……特徴的な香りだから、知ってれば普通気付くものね」


というか、パンにトリュフを練りこんであるなんて、予想できない。


鞠莉「曜はどれが好きかしら? わたしはチーズとハムのやつが好きなんだけど……」

曜「全部おいしい!!」


まあしかし、これは正直な感想だった。

食材のレベルが自分が普段食べているものに比べると数ランクは跳ね上がってるせいなのか、脳が味を分解して理解する前に、おいしいという情報しか認識出来なくなっている節があるけど……。

どれも、とにかくおいしいということには変わりなかった。


鞠莉「よかった……曜、いっぱい食べそうだから、ちょっと多めに用意してもらったから。好きなだけ食べてね?」

曜「わ、わーい!」


こんなおいしいものを好きなだけ食べていいなんて、本当に幸せなんだけど……。

私の庶民脳は、果たしてこの行き過ぎた贅沢を捌き切ることが出来るのか……。

でも、


鞠莉「ふふ……♪」


ニコニコしながら、私の食事を見守っている鞠莉ちゃんの手前だ。


曜「い、いただきまーす!」


私は再び、サンドイッチに手を伸ばすのだった。





    *    *    *





曜「──ごちそうさまでした」

鞠莉「全部食べちゃったわね、そんなにおいしかった?」

曜「うん、想像を絶するおいしさだった」

鞠莉「ふふ、ならよかった」


……味はね。

私は今日の昼食だけで、一体何日分の食費と同等の食事をしたのかとかはあんまり考えたくない。

庶民の感性だと、聞くだけでお腹が痛くなりそうだし……。


鞠莉「ねえ、曜」

曜「ん……?」

鞠莉「それは食べないの?」


そう言って鞠莉ちゃんが指差した先に視線を配ると──

あったのは私が持ってきた、カロリーメイト。


曜「う、うん……まあ、今日は鞠莉ちゃんがお昼用意してくれてたし」

鞠莉「でも、お菓子なんでしょ?」

曜「うーんと……お腹に溜まるから」

鞠莉「食べないんだ……」


何故か、鞠莉ちゃんは少ししゅんとした表情になる。


曜「……もしかして、食べてみたいの?」

鞠莉「!」


私がそう言うと、鞠莉ちゃんは控えめに頷く。


曜「じゃあ……一緒に食べよっか」

鞠莉「曜のだけど……いいの?」

曜「いいのいいの!! 私だって、サンドイッチ貰っちゃったんだし!」


むしろ、カロリーメイトで相殺出来るとはまるで思えない。たぶんリアルに1000倍くらいお値段が違う。


鞠莉「ちょっと紅茶淹れるわね!」


一方で私の胸中を知ってか知らずか──いや、たぶんわかってないけど──紅茶を淹れに席を立つ鞠莉ちゃん。

好きでよく食べてる私が言うのもなんだけど……カロリーメイト一個にこの気合いの入れよう。

お嬢様はどこで何に興味を持つのか、よくわからない。

鞠莉ちゃんだったら、それこそ沼津中のカロリーメイトを買い占めたり出来ちゃいそうなのになぁ。


鞠莉「はい、これ曜の紅茶」

曜「あ……ありがとう」


鞠莉ちゃんは早速紅茶を淹れ終えて、席に戻ってくる。

ついでに可愛らしい小皿も用意される。たぶん、カロリーメイトを置く用だ。

箱を開けて、中から袋を取り出して、開けると、見覚えのある長方形のフォルムが顔を出す。

鞠莉ちゃんが用意してくれた小皿に、カロリーメイトを出して乗せる。


鞠莉「ふーん……見た目はショートブレッドみたいね」

曜「ショートブレッド……?」

鞠莉「知らない? スコットランドの伝統菓子なんだけど……」

曜「へー……そういうのがあるんだ」


今日は新しい知識がたくさん増えてくな……。


曜「とりあえず、食べていいよ」

鞠莉「それじゃ、いただきます」


鞠莉ちゃんはカロリーメイトを丁寧に手で一口サイズに折ってから、口に運ぶ。

おお……私だったら何も考えずに齧るのに……。これだけでもなんか育ちの良い、お嬢様っぽい。


鞠莉「あむ……」

曜「どう? おいしい?」

鞠莉「……んー……もそもそする」

曜「まあ……だろうね」

鞠莉「でも……味は嫌いではないかも……。なるほど、確かにチョコ……というかココアっぽい風味はするわね」

曜「でしょ? カロリーメイトはいろいろ味があるけど、チョコは一番人気なんだよね」

鞠莉「そうなんだ。他にどんな味があるの?」

曜「えっと……プレーン、チーズ、フルーツ……あと、メイプルがあったかな」

鞠莉「あら……意外とバリエーションが豊富なのね」

曜「あと、今はもうないけど、ポテトとベジタブルってのもあったかな」

鞠莉「……稀少な味のやつもあるのね」

曜「稀少というか……販売終了というか……」


ベジタブルに関しては、もはや存在を知ってる程度だしね……。

私がちっちゃい頃になくなっちゃったし。


鞠莉「Hmm...今度取り寄せてみようかしら」

曜「え……? カロリーメイトを……? そんなに気に入ったの?」


なんか、すごい好感触って感じでもなかった気がするんだけど……。


鞠莉「だって、これ曜が好きなものなんでしょ?」

曜「う、うん……まあ、そうだけど」

鞠莉「恋人の好きなモノだし……ちゃんと知っておきたいなって」

曜「!」

鞠莉「変かな?」

曜「へ、変じゃないよ!」

鞠莉「ふふ。なら、よかった」


やや喰い気味に返答しながらも、鞠莉ちゃんの健気な考え方にまたしてもドギマギしている自分が居た。

なんだか、鞠莉ちゃんが私のことをすごく真剣に考えてくれていることが素直に嬉しい。

あくまで恋人の振りなのに……。鞠莉ちゃん……優しいな。


鞠莉「んー? わたしの顔に何かついてる?」

曜「え……? あ、いや……」


感激して思わず、鞠莉ちゃんのことを見つめてしまっていたようだ。


曜「えっとね……鞠莉ちゃん、いろいろ考えてくれてて、嬉しいなって……なんか、ホントの恋人みたいって……」

鞠莉「──……なっちゃう? ホントの恋人に?」

曜「え!?/// い、いや、そんな、いきなり、わ、私、やっぱり、千歌ちゃんが、好きで……あ、あれ、でも、鞠莉ちゃんと一緒に居るのは、それを吹っ切るためで、あ、あれ???」

鞠莉「……ぷ」

曜「え?」

鞠莉「ぷ、くくく……ごめん、冗談のつもりだったんだけど。そんな焦ると思わなくって」

曜「あ……///」


カァーっと顔が赤くなるのがわかる。


鞠莉「でも、よかった」

曜「な、何が……?///」

鞠莉「少しは曜の心を千歌から奪えるくらいには恋人役、出来てるみたいだから」

曜「あ……」


確かに、そうかもしれない。

鞠莉ちゃんと一緒に居るときは、千歌ちゃんのこと、いつもより考えてないかもしれない。


鞠莉「恋人ごっこ作戦、思ったより順調ね」

曜「う、うん……そうだね……///」


未だに顔が熱い。

でも、なんだか悪い気分ではなかった。


鞠莉「ふふ」

曜「こ、今度はなに……?///」

鞠莉「曜はいちいち反応がCuteだな~って思って」

曜「~~/// も、もう! からかわないでよ~!///」

鞠莉「ふっふ~ん♪ 昨日の仕返しなんだから」

曜「うぅ……///」

鞠莉「ほら、残りのカロリーメイトも食べちゃいましょ? お昼休み終わっちゃうわ」

曜「は、はぁい……///」


うぅ……たぶん今、耳まで真っ赤だよぉ……。

最終的には鞠莉ちゃんのペースに圧倒されて、たじたじになってしまったけど、なんだかんだで私は鞠莉ちゃんと二人で楽しくて刺激的な昼食を取ったのだった。





    ✨    ✨    ✨





曜が教室に戻った後、一人カップやお皿の片づけをしている真っ最中、


 『──……なっちゃう? ホントの恋人に?』


鞠莉「……わたし……何言ってるのかしら……///」


わたしは勢いで言ってしまった台詞を思い出して、一人赤面していた。

そもそも、今回の恋人ごっこ……キモは実際には恋人にはならないことなのに。


鞠莉「ちょっと……浮かれすぎじゃない? マリー?」


カチャカチャとカップを片付けながら、一人自問自答する。


鞠莉「少し……感情移入しすぎ……? ……うぅん、でもテキヲダマスニハ、マズミカタカラって言葉もあるし……!」


少し感情移入しすぎなくらいの方が丁度いい……はず。

……あれ? そういう意味の言葉だったっけ? まあ、いっか……。





    *    *    *





鞠莉ちゃんとの昼食を終えて、教室に戻ると、


梨子「あ、曜ちゃん。鞠莉ちゃんとどこ行ってたの?」


梨子ちゃんに何をしてたのかを訊かれる。

まあ、突然連れ去られちゃったもんね……。


曜「鞠莉ちゃんと一緒にご飯食べてた」

梨子「鞠莉ちゃんと? ……二人で?」

曜「う、うん」

梨子「……ふーん」


なんか、察したみたいな反応。

恋人ごっこだから、たぶんその察しは間違ってるんだけど……。

……あ、いや、ごっこでも恋人だから当たってるのかな……?

そんなどうでもいいことを考えていると、


千歌「曜ちゃん、梨子ちゃん、ただいま~」


ご機嫌な様子の千歌ちゃんも戻ってくる。


梨子「おかえり、千歌ちゃん」

曜「おかえり」

千歌「うん! ……ん?」


突然、千歌ちゃんが何かに気付いたように、私に近づいてくる。


曜「……? 千歌ちゃん?」

千歌「……」


そして、そのまま顔を近付けて来た。


曜「!?/// え、な!?///」


千歌ちゃんは私の顔の前で、


千歌「……くんくん」


匂いを嗅いでいた。


千歌「曜ちゃん……めちゃくちゃおいしそうな匂いがする」

曜「へ……?」

千歌「チカにナイショでおいしいもの食べたでしょ!」

曜「あ、あぁ……」


びっくりした……。

匂い嗅いでただけか……。


梨子「曜ちゃん、鞠莉ちゃんとお昼ごはん食べてたみたいだよ?」

千歌「鞠莉ちゃんと!? これは超高級食材のニオイがする……!!」

梨子「千歌ちゃん、犬みたいだね……」

曜「たぶん……トリュフの匂いだと思う」


私もあの香りにはびっくりしたくらいだし……。


梨子「トリュフ……?」

千歌「マジで超高級食材じゃん!?」

曜「鞠莉ちゃんがサンドイッチ用意してくれて……」

千歌「いいないいな! トリュフなんて、まだ食べたことないよ!」

曜「トリュフだけじゃなくて……キャビアとフォアグラも……」

梨子「え、曜ちゃん学校で世界三大珍味体験会してたの……?」

曜「期せずして……」

千歌「いいなー! チカは三大珍味はキャビアしか食べたことないから……」

梨子「むしろ、キャビアはあるんだ……」

千歌「うん! ダイヤさんが親戚からの貰ったキャビアを分けてくれて!」

曜「へ、へー……」


また、千歌ちゃんから不意にダイヤさん要素が飛び出してくる。どこから来るのかわかったもんじゃない。


梨子「二人ともいいな……羨ましい」

千歌「鞠莉ちゃんに頼んだら、チカたちにも分けて貰えないかな……? 梨子ちゃん、今度私たちも、曜ちゃんと一緒に鞠莉ちゃんのところに──」

梨子「邪魔しちゃダメよ、千歌ちゃん」

千歌「ほぇ……?」

梨子「ね、曜ちゃん」

曜「え、あ……いや……」


答えに窮する。

正直、千歌ちゃんが来てしまうと、今回恋人ごっこをやっている意味がなくなっちゃうし、かといって否定すると、鞠莉ちゃんと本当に恋人なんだと勘違いされる気がする。

……いや、それでもいいのかな。

別に千歌ちゃんに知られても……もう、あんまり関係ないし。

むしろ、そういう風に思われてた方が……諦めも付くのかな……?


千歌「ん……?? どゆこと?」

曜「えっと……」

梨子「ふふ、二人とも授業始まるよ」

千歌「あ、うん」


梨子ちゃんがそういうと、千歌ちゃんはとことこと自分の席に戻っていった。


曜「……」

梨子「曜ちゃんも」

曜「あ、うん」


促されて、私も席に戻る最中──

私は千歌ちゃんに今後、どう思われたいのかを考えていた。





    *    *    *





──さて、本日の授業も全て終わり、放課後になった。

案の定、千歌ちゃんは弾けるように、部室に飛び出していってしまったので、今は一足遅れて梨子ちゃんと二人で部室へ向かっている真っ最中。

その道すがら、


曜「あ……」


廊下で鞠莉ちゃんの姿。


鞠莉「あら……?」


鞠莉ちゃんも、すぐに私たちに気付いたのか、こっちに歩いてくる。


鞠莉「曜、梨子、お疲れ様」

梨子「お疲れ様」

曜「う、うん……お疲れ様……?」


何故か、語尾に疑問符が付く。

お昼にからかわれた影響なのか、まだちょっとだけ鞠莉ちゃんを直視するのが恥ずかしい。

続きの言葉に窮していると、


梨子「……」


──ポンと背中を押される。


曜「わ!?」


つんのめって、


鞠莉「きゃ!?」


鞠莉ちゃんに抱きつくような形になってしまった。


曜「え、わっ!? ご、ごめん、鞠莉ちゃん……!?」

鞠莉「あら、曜ったら……こんな場所で、ダ・イ・タ・ン♪」

曜「い、いや、そうじゃなくて……!?」


背中を押したであろう梨子ちゃんの方を振り返ると、


梨子「あ! 私教室に忘れ物しちゃった! 曜ちゃん、鞠莉ちゃん、先に部室行ってて!」

曜「あ、ちょっと梨子ちゃん!?」

梨子「また後で!」


そう言いながら、梨子ちゃんは教室へとUターンして戻って行ってしまった。


鞠莉「Hm...?」

曜「…………」

鞠莉「…………あー、これもしかして、気を遣われたってことかな?」

曜「たぶん……そうだと思う」

鞠莉「……まずったネ」


鞠莉ちゃんは少し困った顔をする。

たぶん、鞠莉ちゃんもそこまで周知させるつもりじゃなかったってことなんだと思う。

ただ、私は──


曜「ねぇ……鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん……?」

曜「鞠莉ちゃんが、嫌じゃなかったらでいいんだけど……」

鞠莉「うん……?」

曜「Aqoursの皆の前では、もうそういうことにしちゃダメかな……?」

鞠莉「え……?」


鞠莉ちゃんは私の言葉に少し驚いたような表情をする。

少し悩んだ素振りをしたあと、


鞠莉「ちょっと、こっち来て」


腕を引っ張られ、理事長室の方向へと歩き出す。

まあ、他の人に内容を聞かれるとややこしくなるもんね。

──私たちは無言のまま、再び理事長室の戸をくぐって、二人きりになった。

しっかり、扉を閉めたことを確認してから、鞠莉ちゃんは会話の続きを切り出した。


鞠莉「そういうことって……つまり恋人同士だってことにしちゃうってことだよね? ……わたしはどっちでも構わないけど……。曜はそれでいいの?」

曜「……あのね、私考えてたんだ」


私は鞠莉ちゃんの問いに対して、午後の授業の間、ずっと考えていたことを話し始める。


曜「私の気持ちってさ……きっと、もうどんなに頑張っても千歌ちゃんに届かないからさ」

鞠莉「……」

曜「それならさ、千歌ちゃんにも勘違いしてもらって、恋人が居る人として扱ってもらえたら……吹っ切れるのも早いのかなって」

鞠莉「Hmm...」


鞠莉ちゃんは私の言葉を聞いて、少し考え込む。

しばらく、唸ったあと、


鞠莉「……いきなり、千歌からそう思われるって、結構辛いと思うヨ? 耐えられる?」


そう問いかけてくる。

確かに、それは一人で考えている間も思ったことだ。

千歌ちゃんからもそういう扱いをされるのは……それなりに堪えるかもしれない。


鞠莉「そんなに急ぎ足で、気持ちに整理をつけようとしなくてもいいのよ……?」


鞠莉ちゃんは気遣ってそう言ってくれるけど、


曜「……私、こうして鞠莉ちゃんに付き合ってもらってるのに、未練たらたらだからさ」


教室に戻って、千歌ちゃんが顔を近付けてきたとき──期待してしまっていた。

もしかしたら、千歌ちゃんは本当は私のことをって……頭のどこかで期待してしまった。

そんなことはありえないって、何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに。

ダイヤさんと一緒にいる姿を見て、もうそんなことはありえないって、理解してたはずなのに。


曜「荒療治が必要なのかなって……」

鞠莉「曜……」

曜「私ね……千歌ちゃんと昔みたいな、友達の距離感に戻りたい」

鞠莉「…………」

曜「そのためにはね、自分が思ってるよりも、もっともっと頑張って千歌ちゃんへの想いを、忘れないといけないんじゃないかって……思ったんだ」

鞠莉「…………Hmm...」


鞠莉ちゃんは再び唸りだす。


鞠莉「……曜の気持ちはわかった。だけど……一度そういうことにしたら簡単には戻せないよ?」


鞠莉ちゃんそう言う。これは一度進めたら、簡単には元に戻れない問題だ。


曜「……わかってる」

鞠莉「……きっと、辛いよ?」

曜「……うん」

鞠莉「それでも、平気?」

曜「……鞠莉ちゃんが居てくれるなら……頑張れる気がする」

鞠莉「……そっか」


鞠莉ちゃんは肩を僅かに竦めて、一息間を置いてから、


鞠莉「なら、わたしもみんなの前で、曜の恋人として振る舞うね」


私の考えに乗る意思を示してくれたのだった。





    *    *    *




果南「それじゃ、ペア作ってストレッチからー」

全員「「「「「「「はーい」」」」」」」


果南ちゃんの号令で、皆がペアを作り始める。


ダイヤ「まずは上半身からやりましょうか」

千歌「うん!」


千歌ちゃんは当然のようにダイヤさんとストレッチを始める。


花丸「ルビィちゃん、マルとしよっか」

ルビィ「うん!」

善子「!?」


花丸ちゃんとルビィちゃんがペアを組んだ瞬間、善子ちゃんの表情が引きつる。

……恐らくペア相手が見つからない展開になりそうだからだろう。


曜「……」

善子「……!」


……あ、目が合った。


善子「くっくっく……共鳴してしまったようね、リトルデーモン曜」


そんなことを言いながらあぶれた善子ちゃんがこっちに歩いてくるが、


梨子「善子ちゃん、一緒にやろっか」

善子「え!?」


梨子ちゃんが肩を掴んで止める。


梨子「果南ちゃんも手伝ってくれる?」

果南「いいよー」


ついでに果南ちゃんも呼び寄せて、三人組を作る。

その際、梨子ちゃんと目が合って──私に向かってウインクをしてきた。

ありがと、梨子ちゃん。内心でお礼を述べる。


鞠莉「じゃあ、曜。わたしたちも始めましょうか」

曜「あ、うん」


梨子ちゃんはすっかり私と鞠莉ちゃんの関係に対して協力的な姿勢を取ってくれていた。

ただ……騙しているような気分にもなってくる。


曜「…………」

鞠莉「後ろめたい?」


前屈の補助をしている鞠莉ちゃんが後ろから小さな声で問いかけてくる。


曜「……まあ、ね」

鞠莉「……ただ、どっちにしろ、そう思い込んでいてくれてるなら都合がいいから……今は遠慮なく乗らせてもらいましょう? 遅かれ早かれ言うつもりなら、尚更」

曜「そうだね」


まだ嘘はついていない。教えてないことがあるだけだ。

後はこの調子で自然に千歌ちゃんに私たちの関係が伝われば、次のステップだ……。

何気なく、少し離れたところに居る千歌ちゃんに視線を配る。


千歌「いっちにー、さんしー」

ダイヤ「にーにー、さんしー」


今日も相変わらず千歌ちゃんはダイヤさんと二人で仲良さ気にストレッチをしている。


曜「…………」


まだ、胸はもやもやする。

これから、このもやもやを忘れていかなくちゃいけないんだ……。


鞠莉「……」


そんな私を見かねてだったのか、


鞠莉「曜……」


鞠莉ちゃんが名前を呼んで、私の頭を撫でる。


鞠莉「……無理しないでね」

曜「……うん、ありがと」


私は鞠莉ちゃんの言葉に静かに頷いた。

でも、今を変えるために……頑張ろう──





    *    *    *





果南「──ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」

花丸「ず、ずらぁ……!」

果南「マル! あとちょっと、頑張って!」

千歌「はっ……はっ……!!」

果南「千歌! テンポズレてる!」

千歌「ご、ごめん!」

果南「はい、ラストー!」


果南ちゃんの指導の下、ステップ練習。

花丸ちゃんはもう息があがって、かなり苦しそう。


果南「……よし、終わりー! 皆お疲れ様」

花丸「ず、ずらぁ……も、もうダメずらぁ……」

ルビィ「わー!? 花丸ちゃん、しっかりしてぇー!?」


終わりの合図と共に、崩れ落ちる花丸ちゃん。

前にも見たような……。


善子「はぁ……はぁ……今日の練習は、ハード、だったわね……」

梨子「そ、そうかも……」


ただ今日はホントにきつかったのか、梨子ちゃんと善子ちゃんもへばり気味だ。


鞠莉「そこー! へばる前にクールダウンちゃんとしなくちゃダメよー?」

花丸「ず、ずらぁ……」


割と余裕があるのは、比較的体力のある私と鞠莉ちゃん。それと……。


千歌「ぬあー……なんでテンポずれちゃうのかなぁ」

ダイヤ「少し走り気味でしたわね……ちゃんと拍を意識しないと」


──千歌ちゃんとダイヤさん。


果南「千歌とダイヤ、随分体力増えたんじゃない? 前はテンポ気にするどころか、へばってた気がするけど」

千歌「ダイヤさんと一緒に、いろいろ鍛えてたからねー」

果南「へぇ? 二人で秘密特訓でもしてたの?」

千歌「まぁ、そんな感じ!」


……秘密特訓かぁ。

どんだけあの二人は一緒に居るんだろうか……。

また、もやもやしそうになったところに、


鞠莉「曜」


声を掛けられる。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「はい、スポーツドリンク」

曜「ありがと……」

鞠莉「どういたしまして。ちゃんと水分補給してね」

曜「うん」


……また、二人に気を取られて熱中症になっちゃったら、困るもんね。

鞠莉ちゃんから受け取ったスポーツドリンクに口を付けていると……。


ダイヤ「はーい、それでは今日の練習はここまでにしましょう。各自クールダウンはしっかりやるように」


ダイヤさんが手を叩きながら、本日の練習を締めに入ってた。


ダイヤ「あと、曜さん」

曜「!? な、なに……?」


急に呼びかけられ、驚いてどもる。


ダイヤ「いえ……この間の新しい曲のパート分けのこと、結局訊けず仕舞いだったので……」

曜「あ、あぁ……」


そうだった。あの日、私は倒れて保健室に行ったあと帰っちゃったから……。


曜「……私はどこでもいいよ」

ダイヤ「そういうわけには行きませんわ。全員に意見を聞かないと平等ではありません」


正直、本当にこの話はしたくないんだけど……。

こんなとき、ダイヤさんの真面目な性格が嫌な方向に噛み合ってしまう。

でも、仕方ない……。


曜「ん……歌詞見せて」

ダイヤ「はい」


ダイヤさんから歌詞ノートを受け取り、歌詞を眺める。

そこに記されていたのは確かに、可愛らしい恋の詩だった。

思わず、少しだけ視線をあげて、ダイヤさんをチラ見する。

──千歌ちゃんが、きっとダイヤさんを想って書いた歌詞……。


ダイヤ「どこか、気に入った部分はありましたか?」

曜「……んっと」


再び、歌詞ノートに視線を落とすが──

雑念が混じってなかなか内容が頭に入ってこない。

どうしても、千歌ちゃんとダイヤさんの顔が頭を過ぎる。


曜「…………」

千歌「あ、よーちゃん! 気に入っても二番の歌詞は私とダイヤさんが歌うからねっ!」

曜「っ!!」


そんなところに突然、千歌ちゃんが飛び込むように話題に加わってくる。


ダイヤ「だから、その意見を皆さんに訊いているところなのですわ!!」

千歌「だーかーらー、皆いいって言ってるじゃん! ね? ねねね? よーちゃんもいいでしょ?」


ああ、もう……やめてよ……。

そんな話、私の目の前で、しないでよ。

そんな話、私に振らないでよ……。

だんだん、嫌な動悸がしてくる。

なんだか、眩暈がして、気が遠くなってきた。


ダイヤ「曜さん、千歌さんの話は聞かなくていいので……」

千歌「ぶー!! なんでそんなこと言うのー!?」


──もう、やだな……。

思考が完全に止まりそうになった──そのときだった。


「──ここがいいんじゃない?」


私の背後から、手が伸びてきて、歌詞ノートの上を滑る。

──鞠莉ちゃんの手だった。

鞠莉ちゃんの白い指が、歌詞をなぞる。


曜「“わかってと”……“すねちゃう”……“私だから”……」

鞠莉「曜って──自分の気持ち、隠しちゃう子だから……きっと、曜のパートはここ」

曜「……鞠莉ちゃん」

鞠莉「そして……わたしのパートはそのすぐ下。ここは曜と一緒に歌いたいな」

曜「え……」


歌詞を追って、そこにあるワード。


鞠莉「だから、歌を通して、私に曜の気持ちを伝えて?」


──“いつか出会う恋人に伝えたいこと”──


鞠莉「このいつかは……今でもいいよね?」

曜「鞠莉……ちゃん……」


鞠莉ちゃんの手が、私の手に優しく添えられる。


千歌「え……?」

ダイヤ「え、鞠莉さん、それは……?」

鞠莉「ごめんね、歌い出しは“わたしたち”が貰うから。二番は好きにして?」

ダイヤ「え、あ、はい」

千歌「え……え? もしかして、曜ちゃんと鞠莉ちゃん……?」


千歌ちゃんが目を見開いて、私と鞠莉ちゃんを交互に見つめる。


鞠莉「曜、行きましょ」

曜「あ……」


そのまま、ノートをダイヤさんに押し付けるように渡してから、鞠莉ちゃんは私の手を引いて歩き始める。


鞠莉「それじゃ、みんなチャオ~♪」

曜「…………」


鞠莉ちゃんは私を連れて、強引にその場を後にしたのだった。





    *    *    *





屋上からの階段を一段一段、手を繋いだままゆっくりと下りる。


曜「鞠莉ちゃん……もう、平気だよ……」


そう声を掛けるけど、


鞠莉「…………」

曜「鞠莉、ちゃん……?」


鞠莉ちゃんは私の手を離してはくれなかった。

そこで、やっと気付く。

繋がれた鞠莉ちゃんの手が……震えていた。


曜「鞠莉ちゃん……?」

鞠莉「…………」

曜「どうしたの……?」

鞠莉「……知らない人は……いいよね」

曜「え……?」

鞠莉「曜が……どれだけ、苦しんでるか……知らない人は……」

曜「鞠莉、ちゃん……?」

鞠莉「……毎日いっぱい悩んで、悩んで、悩んで……先に進みたいって、頑張りたいって……曜は想ってるのに……」

曜「…………」

鞠莉「……ごめんね、曜」

曜「どうして謝るの……?」

鞠莉「順を追ってみんなに知らせるつもりだったのに……今のはどう考えても、強引過ぎた……。……でも、曜の気持ち考えたら、我慢できなかった……ごめん」


その言葉でやっとわかった。

鞠莉ちゃんは、静かに怒っていた。

何も知らないままの千歌ちゃんとダイヤさんに。

だから、あんな対抗するような物言いをしたんだ……。


鞠莉「ごめん……」

曜「うぅん……助けてくれてありがと、鞠莉ちゃん……。あのままだったら、私……たぶんダメになってた」

鞠莉「……」

曜「それに、なんだろう……なんか、ちょっとだけスカっとしたかも」

鞠莉「……ホントに?」

曜「うん。千歌ちゃんもダイヤさんもポカンってしちゃっててさ……ちょっと、面白かった」

鞠莉「……うん」

曜「なんか、してやったり……って感じだったよ。……こんなこと言ったら性格悪いかな?」

鞠莉「……曜」


不意に、鞠莉ちゃんに手を強く引かれて──そのまま、抱きしめられた。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「辛いのに……何にもしてあげられなくて……ごめんね……」

曜「……うぅん、そんなことないよ」

鞠莉「もっと、器用に出来れば……」

曜「あはは、当初の目的ちゃんと達成されたよ?」


当初の目的──わたしたちの関係を、千歌ちゃんに、知られること。


鞠莉「……」

曜「これで……いいんだよ」

鞠莉「……うん」

曜「……このまま、ここで抱き合ってたら、誰か来ちゃうよ? だから、泣き止んで……ね?」

鞠莉「べ、別に……泣いてない……」


鞠莉ちゃんはわたしから離れながら、すぐに背を向けて、私と繋いだ手とは逆の手で目元を拭う。


鞠莉「わたしが泣いてたら……それこそ、おかしいじゃない……」


そう言いながら、再び私の手を引いて鞠莉ちゃんが歩き始める。

確かに、ちょっと変なのかもしれないけど、少しだけわかる気もした。


曜「鞠莉ちゃん……ありがと」


鞠莉ちゃんは、私を想って、怒って、泣いてくれてるんだ。

それが、何故だか……すごく心が温かくて、嬉しかった。


鞠莉「……曜」

曜「ん……なにかな」

鞠莉「……勢いでいろいろ言っちゃったけど……歌詞について言ってたことは、全部本音だから」

曜「……え」

鞠莉「あの部分は……曜と歌いたい」

曜「鞠莉ちゃん……うん。私も鞠莉ちゃんと歌いたい」

鞠莉「うん……」

曜「想ってることも……いっぱい鞠莉ちゃんに伝えるね」

鞠莉「うん……」


不器用な私だけど……何故だか、鞠莉ちゃんになら、素直に伝えられる気がするから……。





    *    *    *





さて、あの後部室で練習着から制服に手早く着替えて、下校することにした。

幸い……なのかはわからないけど、私たちが着替えを終えるまで、結局誰も部室には来なかったため、鞠莉ちゃんと二人で下校する。

もしかしたら、梨子ちゃんが気を遣って、皆を引き止めてくれてたのかもしれないけど……。

鞠莉ちゃんと二人バスに揺られながら、帰路を進んでいく。


鞠莉「ねぇ、曜」

曜「ん?」

鞠莉「明日からの三連休……どうする?」

曜「明日から……あ、そっか月曜祝日だっけ……」


確か敬老の日だったかな……つまり月曜まで学校はお休みだ。

ついでに言うなら、再来週の月曜も秋分の日だから、二週連続で月曜が祝日の三連休ということになる。


鞠莉「とりあえず、予定が特にないなら……」

曜「?」

鞠莉「明日はマリーのお部屋に泊まりに来ない?」

曜「え、お泊り?」

鞠莉「ほら、恋人なら……そういうのもありなのかなって」


……なるほど。

確かに、恋人ならお泊りくらいはするか……。


曜「わかった、じゃあ明日は鞠莉ちゃんのところに泊まりに行くね」

鞠莉「あら……意外とすんなり」

曜「ええ? 泊まりに来てほしかったんじゃないの?」

鞠莉「そうだけど……もっと恥ずかしがるかなって思ったのにつまんない反応だなーって」

曜「ええー……」


どうやら、本人的には私をからかいたかった様子。

鞠莉ちゃんって、ちょっといたずら好きなところあるよね。


曜「まあ、多少思うところはあるけどさ」


私たち、ごっことはいえ、付き合い始めてまだ2日だし。

それでお泊りは普通のカップルにしては、めちゃくちゃ気が早い。

だけど……。


曜「単純に鞠莉ちゃんが普段どんな部屋で、どう過ごしてるのか、知りたいなって思って」

鞠莉「ふふ、なにそれ……そんなに変わったことないわよ?」

曜「……いや、たぶんそれはないと思う」


絶対にカルチャーショックの連発だと思う。


鞠莉「えー? 曜の中でわたしってどんなイメージなのかしら……」

曜「まあ、それを確かめるためにもさ、お泊りするのも悪くないかなって」

鞠莉「ふーん。まあ、誘ったのはこっちだし、曜が乗り気なら全然問題はないんだけど」

曜「ふっふーん、鞠莉ちゃんの私生活暴いちゃうからねー?」

鞠莉「ふふ、かかってきなさい! カエリウチでーす!!」


いや、返り討ちにされるのは困るんだけど……。


曜「じゃあ、お昼ごろに淡島に行くね」

鞠莉「ええ、待ってるわ。それじゃ、明日ね」


そう言って鞠莉ちゃんは席を立った。

気付けばバスは、もう淡島への船着場に着くところだった。


曜「うん、また明日。ばいばい」

鞠莉「チャオ~」


バスから降りる鞠莉ちゃんを見送って、私は一人の帰路につく。

……さて、


曜「……これから、どうなるんだろう」


千歌ちゃんとダイヤさんのこと、鞠莉ちゃんとのこと。

いろんなことが少しずつ変化を始めた。

これが良いことなのか、悪いことなのかはまだわからないけど……。

それでも、一人でうじうじしてた時期よりはよほど心は前を向いていた。

このまま、少しでも良い方向に進んでくれれば良いなと思いながら、私は車窓を流れる景色をぼんやりと眺めながら一人下校するのだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「……はぁ」


夜。自室で今日のことを思い出しながら、わたしは一人溜め息を吐いていた。

──『ごめんね、歌い出しは“わたしたち”が貰うから。二番は好きにして?』──

……我ながら、なんであんなこと言ってしまったのか。

別にダイヤや千歌が憎いわけじゃない。

わたしはそもそも二人のことは応援してるし、自分が背中を押した部分も多分にあると思っている。

ただ……曜の胸中を考えたら、どうしても黙っていられなかった。


鞠莉「うぅぅー……わたしが冷静で居てあげないといけないのに……」


千歌とダイヤのことで曜が辛くなったら、いつでもフォロー出来るようにとは考えてたけど……。

いざ、直面したときにわたしが冷静さを欠いちゃったら、意味ないじゃない……。


鞠莉「しっかりしないと……!」


最近こんなことばっかりだけど、改めて気を引き締めるよう自分に喝を入れていると。

──ピコン。とメッセージの受信音。


鞠莉「あら……? 曜から……」


 『YOU:マリちゃんまだ起きてる~❓』

 『Mari:起きてるよ』


返信を送ると、既読が付くと同時に──通話の着信を受ける。


曜『あ、鞠莉ちゃん?』

鞠莉「Good evening. 曜」

曜『今、大丈夫だった?』

鞠莉「ええ、特に何もしてなかったから」

曜『ならよかった~。なかなか、連絡来ないから寝ちゃったのかと思ってた』


言われてみれば、昨日自分から夜に連絡したいと言ったのに、忘れていた。


鞠莉「Sorry...うっかりしてた」

曜『うぅん、大丈夫。ちょっと寝る前に声が聴きたかっただけだから』

鞠莉「ふふ……ありがと。わたしも曜の声が聴けて嬉しい」

曜『えへへ……うん。それじゃ、明日お昼頃に淡島の方、行くからね』

鞠莉「ええ、待ってるわ」

曜『うん! それじゃ、おやすみ。鞠莉ちゃん』

鞠莉「Good night. 曜」


就寝の挨拶を交わして、本当にただ声を聴くためだけの通話が切れる。


鞠莉「……おやすみ、曜。良い夢見てね……」


通話が切れて、メッセージ欄表示になったスマホに向かって呟く。

すると──ピコ。という音と共に、カモメのような丸っこいキャラクターが『おやすみ!』と言っているスタンプが送られてくる。


鞠莉「ふふ」


聞こえていないはずだけど、返事をしてくれたみたいで嬉しくなる。

わたしもお気に入りの馬のキャラクターのスタンプで『おやすみ』を返して、スマホを机に置く。


鞠莉「さて……! 明日は曜が泊まりに来るんだから、気合いいれないとネ!」


わたしは目一杯のオモテナシをするために、明日に備えて、床に就くのだった。





    *    *    *





──9月14日土曜日。

お昼頃、約束通り家を出るため、玄関で靴を履いていると。


曜ママ「あら、曜ちゃん……お出かけ?」


ママに声を掛けられる。


曜「あ、うん」

曜ママ「遅くなる?」

曜「あ、えっと……実は友達の家に泊まりに行くんだけど……」


そういえば、すっかりママに言うのを忘れていた。

いくらもう高校生になったとは言え、外泊を報告しないのはさすがにいただけない。


曜ママ「あら……千歌ちゃんのところ?」

曜「うぅん、今日は鞠莉ちゃんのところにお泊りなんだ」

曜ママ「鞠莉ちゃんって……あの金髪の綺麗な先輩よね? ホテルオハラのお嬢様なんだっけ」

曜「うん」


さすがに、鞠莉ちゃんはこの辺一帯の有名人なだけはある。面識のないママでも、それくらいのことは知っているようだった。


曜ママ「曜ちゃんが千歌ちゃん以外の子のお家に泊まりに行くなんて、珍しい……」

曜「あはは……まあ、たまにはそういうこともあるよ」

曜ママ「ふーん……?」


何故か、ママは訝しげに私のことを見てくる。


曜「何~? そんなにじろじろ見るほど珍しいの?」

曜ママ「そういうわけじゃないけど……。でも曜ちゃんにも千歌ちゃん以外の子との交流が増えて安心してるわ」

曜「む……人を友達少ないみたいに言わないでよ」


むしろ、この辺だったら多い方だし。たぶん。


曜ママ「ふふ、ごめんごめん。でも曜ちゃんと仲良くしてくれてる先輩なら、ママも挨拶したいな? 今度ママがいるときにお家に呼んでくれないかしら?」

曜「えー? いいよ、恥ずかしい……」

曜ママ「連れてきてくれたら、曜ちゃんの大好きな、ママお手製ハンバーグ作ってあげるんだけどな~」

曜「む……」


いや、いまどきの女子高生をハンバーグで釣ろうなんて……。

……ママの作るハンバーグが絶品なのは認めるけど……。


曜「はぁ……わかった。今度ね」

曜ママ「ふふ、楽しみにしてる」

曜「はいはい……それじゃ、行ってくるね」

曜ママ「行ってらっしゃい」


ママに見送られながら、外に出る。

──外はもう9月だと言うのに、まだまだ日差しの主張が激しい。


曜「……良い天気だなぁ……」


日焼けしたくない人は嫌かもしれないけど……。

こんな日は、良いお散歩日和かもしれない。


曜「んー……」


太陽の光を浴びて、一度伸びをしてから、


曜「よし! 行くか!」


私は淡島に向かうために、バス停を目指すのだった。





    *    *    *





──バスに揺られること40分。


曜「よっと……」


私は淡島行きの連絡船の出ている船着場に到着する。

更にここから船で淡島に行くわけだけど、連絡船の時間までは少し時間があるから、少し待つことになる。


曜「それにしても、ホントに良い天気だなぁ……」


行くときも思ったけど、今日は本当に気持ちの良い快晴だった。

すぐ傍に海があるのも相まってか、なんだかテンションがあがってくる。

そんな陽気な気分なのは私だけじゃないのか、辺りを見回すと、それなりに人の姿が見える。

……まあ、三連休の初日だしね。

そんなことを考えながら、船着場の方へ歩いていると──


曜「……ん?」


船着場の辺りで、赤い髪を両側でピッグテールに結っている、見覚えのある女の子の姿……。


曜「……ルビィちゃん?」

ルビィ「……え? あ、曜ちゃんだー」


名前を口にすると、ルビィちゃんはすぐに私に気付いて、とてとてと近寄ってくる。


曜「こんにちは、ルビィちゃん」

ルビィ「うん! こんにちは」

曜「こんなところでどうしたの? ルビィちゃんも淡島に?」

ルビィ「あ、うぅん……ルビィはお散歩してただけだよ」


……やっぱり今日はお散歩日和のようだ。


曜「一人でお散歩してるの?」

ルビィ「うん。夕方になったら、花丸ちゃんと一緒に善子ちゃんの家に泊まりに行くんだけど……今は一人でお散歩してるんだぁ」

曜「……そうなの?」

ルビィ「うん」

曜「へー……ちょっと意外かも」

ルビィ「え?」

曜「ルビィちゃんって、インドアなイメージだったから……天気が良いって言っても、散歩で歩き回ってる印象ってそんなにないからさ」


それにルビィちゃんの家から、この船着場までも歩くと結構な距離だ。

30分くらいかな……?


ルビィ「あはは……その……三連休は皆お泊りするみたいだから……」

曜「……?」


まあ……私も鞠莉ちゃんのお部屋に泊まりに行くところだから、確かにそうなのかもしれないけど……?


ルビィ「あのね、朝から千歌ちゃんが来てるから……」

曜「…………」


なるほどね……。


曜「千歌ちゃんが、泊まりに来てるんだね……」

ルビィ「うん」

曜「それで……追い出されちゃったの?」


私は少し眉を潜めた。

いくら二人っきりで過ごしたいからって、それは酷くないだろうか。

ただ、ルビィちゃんは私の言葉に対して、


ルビィ「あ、うぅん! そういうことじゃなくて……」


首を振る。


ルビィ「千歌ちゃんもお姉ちゃんも、ルビィが一緒にいたら三人で遊んでくれるよ?」

曜「そうなの?」

ルビィ「うん! 千歌ちゃんも『妹が出来たみたい!』って言って優しくしてくれるし……」

曜「じゃあ、どうして……」


それなら、時間まで3人で遊べば良いのに……。


ルビィ「その……ね。出来るだけ、二人っきりにしてあげたいなって……思って」

曜「……!」

ルビィ「……二人ともすっごく仲良しだけど……やっぱり、ルビィが居たら出来ないお話とか、出来ないこととか……いっぱいあるんじゃないかなって思って……」

曜「…………まあ、それは……」

ルビィ「たまにね、二人が一緒にご飯作ってるところとか、後ろから見てることがあるんだけど……二人ともすっごく楽しそうでね。ルビィと居るときも楽しそうにはしてるけど……それとはちょっと違うというか」

曜「…………」


なんだか、ルビィちゃんの話を聞いていて、いろんな意味で心が苦しくなってくる。

ルビィちゃんと比べて、自分はなんて発想が貧しいんだろうか……。


ルビィ「きっと、あれが恋人の距離なんじゃないかなって……」

曜「……そっか」

ルビィ「二人とも、すっごく幸せそうだから……二人が幸せなら、ルビィも嬉しいから……」

曜「…………」


だから、ルビィちゃんは一人で散歩をしてる……と。


曜「……ルビィちゃんは、優しいね」


思わず頭を撫でてしまう。


ルビィ「わっ!? 曜ちゃん……?」

曜「私が同じ立場だったら……ルビィちゃんみたいに出来ないよ……」


絶対に……出来ない。

傍に居た親しい人が、急に他の誰かに夢中になっちゃったら……。

今みたいに、寂しくて、悲しくて、どうすればいいかでごちゃごちゃになって……泣いちゃうかもしれない。


ルビィ「曜ちゃん……」

曜「ルビィちゃんは……良い子だね」

ルビィ「…………」


私はルビィちゃんを褒めながら、頭を撫でるけど……ルビィちゃんは何故か少しだけ目を伏せる。


ルビィ「……あのね、曜ちゃん」

曜「ん……?」

ルビィ「ルビィ……良い子なんかじゃないよ」

曜「え……?」


ルビィちゃんは俯き気味に言葉を続ける。


ルビィ「……ホントはね、すっごく寂しいの……。ルビィだけのお姉ちゃんが……千歌ちゃんに取られちゃったみたいで……」

曜「……!」

ルビィ「前だったら、お姉ちゃん……ルビィのことが一番って言ってくれたけど……今は絶対、お姉ちゃんの一番は千歌ちゃんだから……」

曜「……」

ルビィ「こんなこと思っちゃいけないって、わかってても……お姉ちゃんを取らないでって、千歌ちゃんに対して思っちゃう自分も居て……」

曜「ルビィちゃん……」


……ルビィちゃんの境遇は、私と似てるのかもしれない。

対象は違うけど……あの二人が恋人同士になって、寂しい想いをしている。


ルビィ「だから、ルビィ全然良い子じゃないよ……あはは」


そう言いながら、ルビィちゃんは力なく笑う。


ルビィ「でも……お姉ちゃんが千歌ちゃんのことを好きになってくれてよかったとも思ってて……。上手く説明できないけど……」

曜「……そっか」


ルビィちゃんはルビィちゃんなりに……自分の気持ちと向き合おうとしてるのかもしれない。


ルビィ「それに、寂しいけど……花丸ちゃんも善子ちゃんも居るし……いつまでも、ルビィがお姉ちゃんのこと独り占めしてちゃダメだとも思うから……」

曜「……やっぱり、ルビィちゃんは偉いよ」

ルビィ「あはは……ありがと、曜ちゃん」


……きっと、私もこうやって、少しずつ千歌ちゃんから離れていかないといけないんだ……。

少しセンチメンタルな気分になりながら、そんなことを考えていたら、


ルビィ「……あれ? そういえば……曜ちゃんは淡島に用があったんじゃないの?」

曜「え……?」


ルビィちゃんの言葉で我に返る。

思い出したかのように、船着場に目を向けると──連絡船が船着場に着こうとしていた。


曜「やば!? 船来てる!? ごめんルビィちゃん!! もう行くね!!」

ルビィ「え!? う、うん! 気をつけてねー!」


ルビィちゃんと別れて、すぐさま連絡船の方へとダッシュする。


曜「間に合えええーーー!!!」


こうして、私は慌しく船着場を後にするのだった。





    *    *    *





曜「んー……到着」


船から降りて、桟橋に足をつけると、


鞠莉「曜」

曜「あれ、鞠莉ちゃん?」


待っていた鞠莉ちゃんに出迎えられた。


曜「今から、着いたよって連絡しようと思ってたのに……もしかして、待ってくれてた?」

鞠莉「ええ。ここで待ってれば絶対会えるし」

曜「ごめんね、暑かったでしょ?」

鞠莉「うぅん、大丈夫よ」


言いながら、鞠莉ちゃんはいかにもお嬢様が被っていそうな、真っ白な女優帽を整えながら、


鞠莉「…………」


私の顔をじーっと見つめてくる。


曜「えっと……何かな……?」

鞠莉「曜……汗掻いてる」


鞠莉ちゃんはそう言いながら、ポケットからハンカチを取り出して、おでこの辺りの汗を拭いてくれる。


曜「え!? あ、いいって……! ハンカチ汚れちゃうよ……」

鞠莉「いいから、じっとして。それにハンカチは汗を拭くためにあるのよ?」

曜「ぅ……」


鞠莉ちゃんは私を一言で大人しくさせ、丁寧に汗を拭いてくれる。


鞠莉「これでよし……」

曜「……ありがと、鞠莉ちゃん」

鞠莉「ふふ、どういたしまして。それより、そんなに暑かった? 確かにいい日差しだけど……曜って、もしかして汗っかき?」

曜「ふ、普通くらいだよ!」


スポーツしてるから、多少は代謝が良いほうかもしれないけど……。


曜「ちょっと船に乗り遅れそうになって、走ったから……」


淡島はそこまで遠くないため、船が島に着くまでに汗が引ききってくれなかったということだ。


鞠莉「んー? そんなにマリーに早く会いたかったんだ~?♪」

曜「あはは……実を言うと、そうなんだよね」


別に隠すことでもないし、素直に答える。実際に楽しみだったし。

まあ、鞠莉ちゃんなら、私が来るの待ってくれてそうってのもあったけど。実際に待ってたしね。

ただ、私の回答に対して、


鞠莉「────///」


何故か鞠莉ちゃんは顔を赤らめて、変な表情をしていた。

困ったような、びっくりしたような、呆気に取られたような、それでいて恥ずかしいような……そんな変な顔。


曜「鞠莉ちゃん?」

鞠莉「え、あ、えっと……そ、そう? 楽しみにしてたのね」

曜「う、うん……?」

鞠莉「なら、早く行きましょ?」


そう言って鞠莉ちゃんは私の手を掴んで、歩き出す。


曜「お、お願いします……?」


なんかちょっと様子が変だけど……私なんか変なこと言ったかな?

そんな私の胸中を知ってから知らずか、鞠莉ちゃんは私の手を引きながら、ぐんぐん歩いていく。

全然こっち見ないし、話しかけてこないし……不味いこと言ったのかも……。

ただ──


鞠莉「……♪」


話こそしないけど、少しだけ機嫌が良いようにも見える。

まあ、怒ってないなら、とりあえず大丈夫……なのかな?





    *    *    *





鞠莉「──さ、入って」

曜「お、お邪魔しまーす……」


さて、鞠莉ちゃんに手を引かれて訪れた場所は──もちろん、あのホテルオハラの8階、鞠莉ちゃんの自室だ。

隅から隅まで掃除の行き届いた廊下を抜けて辿り着いたその部屋は、


曜「ひ、広い……」


ここで家族が暮らしていると言われても疑わないくらい広い部屋だった。

いや、部屋というか……。


曜「い、家……?」


そもそも、鞠莉ちゃんの部屋という割に、その室内はいくつもの空間にわけられている作りのようだ。

とりあえず通されたのはリビング──そもそも自室にリビングがあるのがもうよく意味がわからない。


鞠莉「どうしたの? 立ち止まって……」

曜「いや……私がここに入っていいのかと思って……」

鞠莉「……? よくわかんないけど、好きな場所でくつろいでていいんだよ?」


……くつろげる気がしない。


鞠莉「あ、もしかして~」

曜「……?」

鞠莉「曜ったら、初めて恋人の部屋に来たから緊張しちゃってるんでしょ~?」


そういう問題じゃない。


曜「と、とりあえずさ」

鞠莉「?」

曜「鞠莉ちゃんの部屋、もっとじっくり見てみたいな~……?」


敵情視察というか……先に出来る限り、目を通して全容を把握したい。そうじゃないと、後から知る情報で心臓が持たない気がする。


鞠莉「そう? じゃあ、案内するわね」

曜「う、うん! お願い!」


そもそも自室って案内するものなのかという疑問はさておき、鞠莉ちゃんに案内をお願いする。


鞠莉「まずここがリビング。ソファでもテーブルでも曜の好きな場所でくつろいでいいからね」

曜「う、うん」


試しにソファに座ってみると──身体が沈みこんでいく。


曜「うっわ……ふかふか……」


座るということがこんなに幸福なのかと思ってしまうくらい座り心地の良いソファー。

もはや自室のベッドよりも快適な気がする。


鞠莉「それで、そこから見えると思うけど、そこがバルコニーね」


リビングからは鞠莉ちゃんの言うとおり、バルコニーに繋がっていて外に出ることが出来る。

もうすでにふかふかのソファーに根っこが生えそうだったけど、鞠莉ちゃんがバルコニーの方に歩いていくので、私もどうにかソファーの誘惑を振り切って、バルコニーの方についていく。

外に出ると、目の前には海が広がっていた。


曜「うわ……すご……」


さすが高級ホテルの最上階……絶景だ。

鞠莉ちゃんは毎日こんな景色を見ながら寝起きしてるんだ……。まあ、ここは寝室じゃないけど……。

こんな機会滅多にない気がして、思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう。

すると左手後方にも僅かにだけど、バルコニーが見切れていた。


曜「あれは隣の部屋のバルコニー?」

鞠莉「ええ、寝室のバルコニーよ」

曜「……へ、へー」


隣の部屋ってそういうつもりで訊いたわけじゃなかったんだけどな……。

どうやら鞠莉ちゃんの部屋にはバルコニーが二つもあるらしい。


曜「ここで、紅茶とか飲みながら海を眺めたらすごい優雅かも……」

鞠莉「あら……ここが気に入ったの? マリー的にはアフタヌーンティーはそっちの部屋でするんだけど」

曜「そっち……?」


鞠莉ちゃんが指差すほうを見ると、リビングに隣接した、屋根付きの小さな屋内スペースがある。

バルコニーから室内に戻り、そっちの方を覗いてみる。


鞠莉「ちょっと、ちっちゃい部屋だけどね」


鞠莉ちゃんはそんな風におどけるけど……他の部屋が広すぎるだけで、別に言うほど小さいというわけでもない。

中には確かにお茶するのに最適なテーブルが置いてある。


鞠莉「もちろん曜とも後でアフタヌーンティーをするつもりなんだけど……バルコニーの方がいい?」

曜「うぅん、そっちの部屋がいい」

鞠莉「そう?」

曜「鞠莉ちゃんがいつもどういう風に過ごしてるかの方が知りたいし」

鞠莉「ふふ……そっか」


私の言葉を聞いて、鞠莉ちゃんは嬉しそうに微笑む。


鞠莉「あ、そうそう……もし半端な時間にお腹が空いたら、そこのキッチンで何か作れるからね? 冷蔵庫に入ってるものは好きに使っても大丈夫だから」

曜「キッチンまであるの!?」


ホントに部屋というか、家みたい……。


鞠莉「あとは寝室とバスルームくらいかな……そっちも見る?」

曜「見る!」


鞠莉ちゃんの部屋は見て回るだけで軽く探検気分になれる。

正直こんな部屋に泊まれるというだけで、来た甲斐があると思えるレベルだ。

──鞠莉ちゃんに連れられて、寝室に入ると、当たり前だけど、大きなベッドがあった。

天蓋付きで物語のお姫様が使っているような……いわゆる、お姫様ベッドだった。初めて見たかも……実在してたんだ、お姫様ベッドって……。


鞠莉「今日はこのベッドで一緒に寝ましょうか?」

曜「え」

鞠莉「だって、ベッド一個しかないし」


まあ、さすがに鞠莉ちゃんの部屋なのに、鞠莉ちゃん以外の人の分のベッドもあったら変だもんね……。

とはいえ、こんなお嬢様以外が近付いてはいけないんじゃないかという、神聖なオーラを放っているベッドにお邪魔するのは、本当に気が引ける。


曜「い、いや……それなら私はリビングで寝るよ。ソファーふかふかだったから、あれでも十分寝れるし」


というか、さっきも同じようなことを思ったけど、下手したら自室のベッドよりも快眠出来そう。


鞠莉「それはダメ。さすがに曜をベッドから追い出すわけにはいかないわ」

曜「え、えー……でも……」

鞠莉「もちろん、マリーがソファーで寝るのもイヤだけど」


嫌なんだ……。

まあ、鞠莉ちゃんがソファーで寝て、私がこのお姫様ベッドで寝るのはもうなんかいろいろダメな気がする。

ついでに言うなら、鞠莉ちゃんはベッド以外で寝なさそうというか……なんか、ソファーで一晩を過ごしてる姿が想像が出来ない。

それに、何故かこのホテルの使用人に怒られるんじゃないかという気さえしてきて、改めて鞠莉ちゃんがとびっきりのご令嬢であることを認識させられる。


鞠莉「だ~か~ら~、曜はわたしと一緒にベッドで寝るのよ?」

曜「ぅ……でも……」

鞠莉「むー……何か不満?」

曜「いや、だって……一緒のベッドって」

鞠莉「恋人なんだからいいじゃない」

曜「むしろ、だから問題というか……」


友達同士だったら、一緒のベッドでもいいけど、なんか恋人だと……。


鞠莉「あら……曜ったら、もしかして……」

曜「……?」

鞠莉「エッチなこと想像してるの?」

曜「!?///」

鞠莉「わー……やらしーなー……曜はわたしのこと、そういう目で見てるのね」

曜「見てないよ!?///」

鞠莉「じゃ、問題ないわよね」

曜「ぐ……!!/// わかったよ!/// 一緒のベッドくらいなんでもないよっ!///」

鞠莉「OK. 納得してくれて嬉しいわ」

曜「はぁ……」


納得というか、誘導されたというか……。

まあ、私も変に考えすぎだとは思う。別に鞠莉ちゃんとだし、女同士だし……そこまで、深く考えなくてもいいか……。

ベッドをどう使うかばっかに執着しててもしょうがないので、他に何かないか見回してみると──


曜「……?」


近くの棚の上に、雑多に置かれた謎の物体たちを見つける。


曜「なにあれ……?」

鞠莉「ん? あぁ、えっと……魔除け?」

曜「魔除け……?」


私は少し首を捻りながら、その棚に近付いてみる。

本当に雑多に物が置かれていて、なかには本当に変な置物とかもある。


曜「これも魔除けなの? これは……牛……?」


牛のような造形の置物を指差す。赤と緑と紫の三種類が置いてあった。


鞠莉「それはトリトデプカラね。ペルーの魔除けグッズよ」

曜「へー……? じゃあ、この唐辛子みたいなのは?」

鞠莉「それはコルノ。イタリアに伝わるお守りよ」

曜「ふーん……?」


かなり雑多に置かれているけど、一つ一つ指差して聞いてみると、鞠莉ちゃんはすらすらとそれが何かを答えてくれる。


曜「このキラキラした玉みたいなのは?」

鞠莉「それはバリ島の魔除けグッズ。ガムランボールね」

曜「この指輪は?」

鞠莉「アイルランドのクラダリングよ」

曜「このメダルは?」

鞠莉「不思議のメダイ。フランスのカトリック教会で作られたものよ。描かれてる女性は聖母マリアね」

曜「へー……知らなかった」


浦女ってミッションスクールだから、案外どこかで見てるかもしれないけど。

それはそれとして……。


曜「鞠莉ちゃん、こういうの興味あったんだね」

鞠莉「ん……興味があるというか、なんというか……」

曜「……?」


なんだか歯切れが悪い。

興味がないのに、こんなに詳しいはずないと思うんだけど……。


曜「家庭の方針とか……? なーんて……」


これは、半ば冗談交じりに言ったつもりだった……が、


鞠莉「……まあ、そんな感じなのよね」


鞠莉ちゃんは予想外にも控えめに首を縦に振る。


曜「え!? えーっと……」


その返答に逆に動揺してしまう。

そんな私の様子を見かねてか、鞠莉ちゃんは肩を竦める。


鞠莉「とは言っても、そんな大げさな話じゃないわ。……なんか遠いご先祖様が退魔のお仕事……? をしてた、みたいな話でね」

曜「退魔のお仕事……? えっと、ゴーストバスター的な……?」

鞠莉「たぶんね……わたしもそれ以上はよく知らないんだけど。ただ、そのせいなのか、ちっちゃい頃から世界各地の魔除けとかをパパから貰ってたの。元から家にあったのも結構あるしね」

曜「へー……」

鞠莉「これだけいろいろあると、善子のこと笑えないわよね」


確かにそう……というか世界各地から集めている分、下手したら善子ちゃんよりも本格的かもしれない。

……まあ、魔除け的なものをこんなごっちゃに置いておいていいのかはよくわからないけど。


曜「鞠莉ちゃんはこういうの……信じてるの?」

鞠莉「ん? ……うーん、そうねぇ……」


私の質問に対して、鞠莉ちゃんは人差し指を唇に当てながら考え始める。


鞠莉「……常日頃から意識してるってほどじゃないけど……これだけ、世界中であるであろうと考えられてることだからね。あっても不思議じゃないとは思ってるかな。だから──」


そこまで言いかけて、鞠莉ちゃんはハッとした顔をして言葉を止める。


曜「? どうしたの?」

鞠莉「いや、その……」

曜「え、気になる……」

鞠莉「……。……まあ、言いかけたわたしが悪いわね。……千歌の身に起きてたのはそういうことだったんじゃないかって思ってる」

曜「え」


そういうことって……つまり。


曜「千歌ちゃんは……悪霊みたいなのに取り憑かれてたってこと……?」

鞠莉「具体的に何かまではわからないけど……たぶん、そういう非日常的なことが起こってたんだと思う」


そういえば……鞠莉ちゃんは前にも、『びゅうお』で似たようなことを言っていた気がする。

そのときは意味がよくわからなくて、流していたけど……。


鞠莉「詳しいってほど、詳しいわけじゃないけど……わたしはそういうことに少しは理解があったから、二人の力になれると思って協力しようとしてたんだけどね。……結果的にその必要はなかったみたい」


鞠莉ちゃんはそう言っておどけるけど、


曜「……そんなことないよ」


必要がなかったなんてことはない気がする。


鞠莉「……そうかな」

曜「だって、何も言わずに部屋を貸してあげたりしたんでしょ? それって鞠莉ちゃんに理解があったからなわけだし……」

鞠莉「うん……」

曜「それに後でお礼も言われたって言ってたじゃん。それって、千歌ちゃんにとっても、ダイヤさんにとっても、ありがたかったからってことだしさ」

鞠莉「……そうね」


鞠莉ちゃんは私の言葉を聞いて、少し遠い目をした。


鞠莉「あはは、なんかごめんね? 千歌とダイヤの話するつもりじゃなかったんだけど……」

曜「うぅん……むしろ、聞けて安心したかも」

鞠莉「安心……?」

曜「うん……ずっと、知らないことばっかでさ。千歌ちゃんに聞いても教えてくれなかったし。……でも、言えない理由がちゃんとあったのかなって、改めて思ったから」


あのときの拒絶も……もしかしたら、私を巻き込まないためだったのかもしれないって思えるし……。


鞠莉「そっか……」

曜「うん」


改めて、鞠莉ちゃんの部屋に置かれている魔除け棚を見てみる。

世界中でこれだけの数の魔除けが存在してるんだ。確かに鞠莉ちゃんの言うとおり、そういう不思議なことが身近な誰かに起こることもあるのかもしれない。

ゆっくりと、視線を上に泳がせていくと──


曜「あれ……」


棚の少し上の壁に掛けてある物が目に留まる。

Uの字のような形をした、金属……。


曜「これって確か……蹄鉄だっけ……?」


それは蹄鉄──馬の蹄に付ける鉄だった。


鞠莉「蹄鉄にも魔除けの効果があるのよ?」

曜「そうなの?」

鞠莉「ええ、主にヨーロッパで魔除けの力があると、信じられているわ」

曜「へー……」


これも魔除けグッズの一つなんだ……。ただ、壁に掛けてあるというのもあるけど、一つだけ一際目立っている気がする。

そんな私の視線に気付いたのか、


鞠莉「これね、実はお気に入りなの」


鞠莉ちゃんはそう補足してくれる。


曜「お気に入り?」

鞠莉「うん。わたし馬が好きだから……この蹄鉄も昔、乗馬をしたときに貰った物で想い入れが強いの」


鞠莉ちゃんはじっと蹄鉄に視線を注ぎながら続ける。


鞠莉「馬は人と違って……正直だから、好き。そんな馬を守ってくれてた蹄鉄が、巡り巡ってマリーのところに来て、マリーを魔からも守ってくれるなんて、素敵だなって思って……」

曜「……」


──馬は人と違って、正直だから。

何故だか、その言葉から言い知れない重みを感じた。

あまり表に見せないけど、鞠莉ちゃんは私と1個しか歳が違わないのに、立場が全然違う。

いろいろ思うことがあるのかもしれない。そんなことを急に思い知らされる。

鞠莉ちゃんは、私には想像も出来ないような重いモノを背負って日々を過ごしている。

ここ数日で鞠莉ちゃんと過ごして、いろんな鞠莉ちゃんの新しい面を見つけているけど……それでも、まだ全然わかってないのかもしれない。

だからなのかな、


曜「鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん?」

曜「もっと鞠莉ちゃんのこと、聞きたい」


私はもっと、鞠莉ちゃんのことが知りたくなった。


鞠莉「ふふ……ありがと♪ でも、焦らなくてもお話する時間はいっぱいあるからね?」

曜「うん……!」


今日は楽しい一日になりそうだ。

そんなこと予感させながら、私と鞠莉ちゃんのお泊り会が始まった。





    *    *    *





鞠莉ちゃんに部屋を一通り見せてもらった後、


鞠莉「そろそろかしらね……」


と鞠莉ちゃんは呟いた。


曜「? 何が?」


私が鞠莉ちゃんに訊ねた直後──コンコンと部屋の入口の方からノックの音がした。


曜「……? お客さんかな?」

鞠莉「今、開けるわ」


鞠莉ちゃんがそう言いながらドアを開けると、


使用人「失礼します。鞠莉お嬢様」


メイドの格好をした人が恭しく頭を下げているところだった。

そして、そのメイドさんの横には、ピカピカの配膳ワゴン。そしてその上にある豪華な感じのスタンド──確か、ケーキスタンドって言うんだっけ──には綺麗に飾られた可愛らしいケーキやマカロンが並んでいた。


使用人「奥までお運びしますか?」

鞠莉「うぅん、ここまででいいわ。下がって大丈夫よ」

使用人「かしこまりました。失礼致します」


メイドさんは再び恭しく頭を下げて、踵を返し、背筋を伸ばして部屋を去っていく。

部屋に残されたのは、豪華なスイーツを載せた配膳ワゴン。


曜「えっと……?」


これは……つまり?


鞠莉「アフタヌーンティーにしましょうか」

曜「あ、う、うん!」


そういえば、さっきあとでするって言ってたっけ……。

まさかこんな豪華なスイーツが出てくると思わなかった。

……もしかして、鞠莉ちゃんは毎日こんなアフタヌーンティーを……? ……たぶん、そうなんだろうなぁ。

鞠莉ちゃんは、先ほどアフタヌーンティーを普段していると言っていた部屋に、スイーツたちを運んでいく。


曜「あ……! 私も手伝うよ!」


慌てて手伝おうとすると、すぐに鞠莉ちゃんから手で制された。


鞠莉「曜はお客様なんだから、いいの。それより、コーヒーと紅茶どっちがいい?」

曜「えっと……」


紅茶の方が飲みなれてるけど……。


曜「鞠莉ちゃんは普段どっちにするの?」

鞠莉「ん? わたしは気分によって変えてるけど……今日はコーヒーにしようかな」

曜「じゃあ、私もコーヒーがいい」

鞠莉「無理にあわせなくてもいいのよ?」

曜「……鞠莉ちゃんと同じやつがいい」

鞠莉「あら♪ 曜ったら、可愛いこと言うのね?」


鞠莉ちゃんはティールームのテーブルにスイーツたちの載ったアフタヌーンスタンドを置きながら、くすくすと笑う。


曜「むー……笑うことないじゃん」

鞠莉「ふふ、ごめんね。でも、そう言ってくれて嬉しい」


鞠莉ちゃんはニコニコしながら、キッチンの方へと足を向ける。


鞠莉「それじゃ、すぐに淹れるから、座って待ってて」

曜「はーい」


鞠莉ちゃん、コーヒーを淹れに行ってしまったので、改めてこれから頂くらしい、スイーツたちに目を向ける。

三段になっているケーキスタンドは最下段に色とりどりのフルーツが綺麗に並べられている。


曜「いちご、オレンジ、メロン、ブルーベリー……あとこれはラズベリーかな?」


二段目には小ぶりなショートケーキとチョコのパイ。そして、一番上にはカラフルなマカロンが置かれている。

花丸ちゃんじゃなくても、女の子なら、その可愛らしい雰囲気だけで大喜びしそうなスイーツたち。

……なんだろう……こんなに贅沢な思いしていいのかな。

何故か罪悪感すら覚える。

スイーツたちを前に強張っていると、


鞠莉「曜、お待たせ──……どうしたの?」


戻ってきた鞠莉ちゃんが、首を傾げていた。


曜「いや……なんでもない」

鞠莉「そう?」


鞠莉ちゃんは不思議そうな顔をしながら、コーヒートレイに乗っけていた二つのカップを机の上に置く。

するとすぐにコーヒーの良い薫りが鼻腔をくすぐった。


曜「わ……良い薫り……」

鞠莉「ふふ、そうでしょ?」


鞠莉ちゃんは相変わらずニコニコしたまま、私の向かいに腰を下ろした。


曜「……あれ、そういえばアフタヌーンティーって、ティーじゃなくてもいいの?」

鞠莉「んー? まあ、本場だと紅茶だけど……個人で楽しむだけだし、好きなモノを飲めばいいと思うわ」

曜「……まあ、それもそっか」


私は納得して、コーヒーに口をつける。

真っ黒な液体が、喉の奥へと滑り落ちていく。


曜「…………」

鞠莉「ふふ」


また、鞠莉ちゃんがくすくすと笑い出す。

……たぶん、私が少し眉を寄せたからだと思う。


鞠莉「苦いでしょ」

曜「…………」

鞠莉「ふふ、ミルクと砂糖はここにあるから」


トレイに置かれたミルクと角砂糖を視線で示しながら、鞠莉ちゃんも私同様コーヒーに口をつけた。


鞠莉「……ふぅ、やっぱり落ち着くわね」

曜「……鞠莉ちゃん、ブラック……?」


特に、砂糖とかを入れている様子はなかったし……。


鞠莉「うん。わたしはブラックが一番好きだから」

曜「…………私もブラックでいい」

鞠莉「もう、何意地張ってるの?」

曜「意地張ってないもん」


言いながら、再びコーヒーカップを傾ける。

……苦い。

ただ、苦味の中に絶妙なコクを感じる。

鞠莉ちゃんのお気に入りだし、確実に良いコーヒーに違いない。

すぐにおいしさを理解して飲めるようになる……はず。


鞠莉「ふふ。ケーキ取ってあげるわね」


鞠莉ちゃんはコーヒーを少し飲んでは顔を顰めている私を見て、またくすくす笑いながら、ショートケーキをお皿に取ってくれる。


鞠莉「ケーキの甘さとよく合うから、食べながらゆっくり飲めばいいと思うわ」

曜「……そうする」


取ってもらったケーキをフォークで小さく切りながら、口に運ぶ。


曜「……おいしい」


もはや、バカの一つ覚えみたいにそんな感想しか出てこない。

見た目はありふれたショートケーキだけど、スポンジはふわふわ、生クリームも口の中で溶けるようだ。

きっと一流のパティシエが作ってくれてるんだろうな……。

確かにこの甘さなら、苦いコーヒーとも相性が良いかもしれない。

再び、コーヒーに口をつけてみると、


曜「…………」


ダメだ、やっぱり苦い。


鞠莉「ふふ♪」


鞠莉ちゃんまだ笑ってるし。


鞠莉「大人しく砂糖とミルク入れたらいいのに」

曜「むー……」


別にコーヒーが苦手なんてことはないんだけどな……。あんまりブラックでは飲んだことはないけど。


曜「なんか……場にそぐわないというか」

鞠莉「場にそぐわない?」

曜「アフタヌーンティーなんて大人っぽいのに、苦くて飲めないなんて言ったら……なんかかっこ悪いし。いや、別に飲めるけど」

鞠莉「なるほどねぇ……」


鞠莉ちゃんは優しい眼差しを向けたあと、


鞠莉「まあ、曜の味覚はまだまだお子様ってことかもね」


打って変わって意地悪なことを言う。


曜「だ、だから……ブラックでも飲めるって」

鞠莉「そっかそっか~♪」


相変わらず鞠莉ちゃんはニコニコしている。


曜「……むぅ、私がコーヒーに苦戦してるの、そんなに面白い……?」

鞠莉「んー? そういうわけじゃないけど」

曜「じゃあ、なんでそんなに楽しそうなのさ……」

鞠莉「ふふ、だって……曜って意外と負けず嫌いなんだってこと、発見しちゃったから」


鞠莉ちゃんはフォークを使って小さくしたケーキを、優雅に口に運びながら楽しそうにそう言う。


鞠莉「曜っていつも一歩引いて皆をサポートしてくれることが多いけど……実は負けず嫌いで、コーヒー一つでそんな風に意固地になっちゃう可愛い一面が知れたから、嬉しいなって」

曜「……///」


理由を聞いて、なんだか恥ずかしくなってしまった。

表情を隠すように、コーヒーカップを傾けると、


曜「……苦い」


やっぱり、コーヒーは苦かった。


鞠莉「ふふ、やっと認めた♪」


また鞠莉ちゃんが楽しそうに笑っているのを見ていたら、なんだか意固地になってるのもバカバカしくなって来て、大人しくミルクと角砂糖を入れることにした。


曜「……おいしい」


適度に甘くしたことによって、さっきよりもコーヒーの味がわかる。

確かに鞠莉ちゃんがおススメするだけあって、今まで飲んだどんなコーヒーよりも美味しかった。

……ありのままの味で楽しめないのは悔しいけど。


鞠莉「ふふ……わたしの前ではかっこつけたりしないで、素直な曜で居て欲しいな」

曜「素直でって言われても……」

鞠莉「コーヒーはミルクと砂糖がないと苦くて飲めない、お子様な曜も可愛くて好きよ?」

曜「っ/// だーかーらー!!///」

鞠莉「ふふ、冗談よ♪」

曜「……も、もう……///」


素直で居て欲しいって言う割りに、すぐからかうんだから……。


曜「……私、かっこつけたいのかな」

鞠莉「まあ、人間誰しも大なり小なり、かっこよくありたいものじゃないかしら」

曜「それは……まあ」

鞠莉「ただ、曜はちょっと頑張りすぎかな……」

曜「頑張りすぎ……?」

鞠莉「自分に対処出来ない領域になっても、頑張って周りの人の中にある自分のイメージを壊さないようにしてるというか、さ」

曜「……そんなことない……よ?」

鞠莉「ホントに?」

曜「…………」


口では誤魔化すけど、心当たりはたくさんある。

特に……千歌ちゃんの前ではそうだった。

そして今でも……千歌ちゃんの前で、かっこわるい私になりたくない。見られたくない。

私は思わず項垂れてしまう。

そんな私を見てか、


鞠莉「ただ……どうしても守りたいものはあるものよね」


鞠莉ちゃんは肩を竦めながら呟く。

きっと、鞠莉ちゃんには今の私の心の中は丸裸なんだと思う。

千歌ちゃんにだけは……かっこわるい姿を見られたくない。そんな私の気持ちはわかっているんだろう。


鞠莉「だからね」

曜「……?」

鞠莉「そんな不器用な曜が、ありのままの自分で居られる場所に……わたしが、なってあげられればなって思うの」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「だから、いいのよ。かっこわるくても。わたしはそんなことで曜を見る目が変わったりなんかしないって、もう知ってるでしょ?」

曜「……うん」


もう散々、鞠莉ちゃんの前で情けない姿を見せてしまってるし、助けてもらってる。

それでも、鞠莉ちゃんは呆れたりなんかしないで、私の手を握ったまま、傍に居てくれる。

今も、こうして、すぐ傍に……。


曜「……皆、鞠莉ちゃんみたいだったらいいのに……」

鞠莉「ふふ……それはそれで大変かもよ?」

曜「そうかな……」

鞠莉「なんでも言えばいいものでもないからね……。だから、曜は今悩んでるんだし」


まあ、それもそうか。

言ったらなくなってしまうものも、きっとある。

だから、言えずに悩んでるんだもんね……。


鞠莉「だから、言える相手に言って、甘えればいいんだと思うよ。曜にとっては、その相手がわたしってだけよ」

曜「うん……ありがと、鞠莉ちゃん」

鞠莉「ふふ、どういたしまして。今度からは、苦いの我慢してブラックで飲まなくてもいいからね?♪」

曜「っ/// も、もうーだからー!!///」


ちょっと気を抜くと、またこうしてからかわれてしまう。


鞠莉「ふふ♪」


でも、鞠莉ちゃんが楽しそうだし……まあいっか。





    *    *    *





──さて、絶品スイーツに舌鼓を打つ中で、私はコーヒーを飲む鞠莉ちゃんを見て、


鞠莉「……ん? どうかしたの? じーっと見つめて」


鞠莉ちゃんや私の使っているコーヒーカップが気になっていた。


鞠莉「もしかして……優雅なマリーに見蕩れちゃったのかしら~?」

曜「いや、そうじゃないけど……」

鞠莉「む……ここは照れながら慌てるところよ? 曜」

曜「はいはい……。それよりも、そのカップ……」

鞠莉「ん?」

曜「理事長室にあったやつと全く同じ柄だよね? もしかして、わざわざ持ってきたの?」


そう、私が気になっていたのは、この前理事長室でお昼ご飯を食べたときに使っていたカップと、今使っているカップの柄が全く同じものだということ。


鞠莉「あら……よく気付いたわね」

曜「綺麗なコーヒーカップだったから、印象に残ってて……」

鞠莉「なるほどね。でも、これは家用なの。理事長室にあるのとは別のものよ」

曜「そうなんだ? 同じ柄のカップを揃えてるってこと?」


自分で言いながら、鞠莉ちゃんってそういう拘りありそうだなと、勝手なイメージがある。


鞠莉「曜、今わたしはこういうのやたら拘りそうとか思ってるでしょ」

曜「…………」


鞠莉ちゃんはエスパーなのかもしれない。


鞠莉「まあ、お気に入りなのには変わりないけどね。理事長室のカップも、自室のカップもパパから貰ったものなの」

曜「鞠莉ちゃんのお父さんが……? わざわざ2セット分、コーヒーセットを揃えてくれたってこと?」

鞠莉「うーん、ちょっと違うかな」

曜「?」

鞠莉「今わたしたちが使ってるのは14歳の誕生日に貰ったもので、理事長室にあるのは15歳の誕生日に貰ったものなの」

曜「……え?」


わざわざ、同じものを違う年の誕生日に……?


鞠莉「うふふ、不思議そうな顔してるわね」

曜「いや、まあ……」

鞠莉「あのね、わたしのパパってホテルのオーナーだから、ほとんど家に居ないの。……家に居ないどころか日本にすら居ないから、会うのは年に数回だけ」


そういえば、オハラグループは世界的なホテルチェーンなんだっけ……。

これだけ大きなホテルのオーナーということは、さぞかし忙しいだろうというのは想像に難くない。


鞠莉「ただね、マリーの誕生日だけは絶対に帰ってきてお祝いしてくれるの。そんなパパからの贈り物なんだけど……」

曜「けど……?」

鞠莉「14歳の誕生日にね、自分用のカップが欲しいって言ったら、このコーヒーセットをプレゼントしてくれてね。わたし本当に嬉しくって、何度もパパに『ありがとう!』、『大好き!』って、伝えたんだけど……パパったら、娘にそう言われたのがよっぽど嬉しかったのか、次の年も同じコーヒーセットをプレゼントしてくれたの」

曜「……あー、それで二つあるんだ」

鞠莉「わたしのパパってそういうところがあるのよね。小さい頃に欲しいぬいぐるみがあってお願いしたら、次の年も同じぬいぐるみだったり……」

曜「……でも、分かる気がするな」

鞠莉「あら、そうなの?」

曜「私のパパも、普段は定期船の船長だから、ちっちゃい頃から滅多に家に帰ってこなくて……。会う機会が少ないから、たまに家に帰ってきても、私の好きなモノがパパの中で更新されてなかったりするんだよね」

鞠莉「……ふふ、わたしたちそういう部分でも似たもの同士なのね?」

曜「あはは、そうだね」


思わぬところで新たな共通点が見つかる。


曜「でも……滅多に会えないパパだけど、かっこよくって、頼もしくって……大好きなんだよね」

鞠莉「そこも同じね」


鞠莉ちゃんはコーヒーを飲み干して、空っぽになったカップを持ち上げながら、慈しむような視線をそのカップに注いでいた。


鞠莉「ホントは、何を貰っても大好きなパパからの贈り物だったら嬉しいんだけどね。でも、パパはいつだって、少しでもわたしが喜ぶものを贈りたいって思ってくれてるの。そんなパパからの贈り物だから、このカップはすっごく大切なマリーの宝物」

曜「……ホントに大好きなんだね」

鞠莉「ええ、自慢のパパだもん」


言いながら、鞠莉ちゃんは幸せそうに笑う。

その笑顔を見るだけで、心の底から鞠莉ちゃんはお父さんが好きなことが伝わってくる。

私もパパが好きな娘だからなのか、そんな鞠莉ちゃんを見ているだけで、無性に嬉しくなってくる。


鞠莉「ただ、今はパパにすっごい迷惑掛けちゃってるけどね」

曜「え?」

鞠莉「わたしが理事長に就任できたのも、パパがわがままを聞いてくれたからだし」

曜「あ、なるほど……」


まあ、そりゃそうか……。鞠莉ちゃんの能力が高いことは疑うべくもないんだけど、それでも高校生が理事長になるなんて、どう考えても普通に出来ることじゃない。

小原家は学校への寄付も多額にあるらしいし、そんな小原家の当主──つまり鞠莉ちゃんのパパが助力してくれているのは明らかだった。


鞠莉「もちろん、理事長になるための努力はしてきたつもりだけどね。……まあ、いくらパパが融通を利かせてくれたって言っても、高校生理事に対して良い顔しない大人はたくさんいるんだけどね」

曜「……やっぱり、そうなの?」

鞠莉「まあ、どうしてもね……。それでも、仕事はちゃんとこなしてるから、滅多なことじゃ突っつく隙も与えてないけどね♪ 来週の議事も軽くこなしてきちゃうんだから♪」


鞠莉ちゃんはそう言って、得意気に笑顔を作るけど、理事長という立場は私には想像も出来ないようなプレッシャーがあるんじゃないだろうか。

きっと一回りも二回りも年上の大人たちに囲まれて、理事会の長を務めている。

逆に言うなら、そういう大人たちからしたら十代の女子生徒が理事会を仕切っているという事実は、いくら学校スポンサーの娘だからといっても簡単に納得出来ない人がいるのも仕方のない話だ。

だけど、鞠莉ちゃんから理事会絡みの話はほとんど聞いたことがない。

……機密とかで言えないことも少なくないんだろうけど、それでも大部分は私たちに心配を掛けないために、一人で処理しているんじゃないだろうか。

そんな風に考えていたら、急に鞠莉ちゃんが心配になってくる。


鞠莉「ふふ、どうしたの? シンミョーな顔しちゃって」

曜「いや……鞠莉ちゃん、理事長辛くなったりしない……?」

鞠莉「あら、心配してくれるの? 曜ったら、優しい♪」

曜「茶化さないでよ……」

鞠莉「ごめんごめん♪ ……確かに大変なことばっかだけど、それでもわたしは自分でやると決めて、理事長に就任したから大丈夫よ」


鞠莉ちゃんは、凜とした面持ちではっきりとそう答える。


曜「ホントに……?」

鞠莉「ホントだヨ」


鞠莉ちゃんはまた優しい顔に戻って、私の問いかけに柔和な笑顔で答えてくれる。

でも、やっぱり心配だな……。だからと言って、私に何が出来るのかわからないけど……。


曜「何かあったら言ってね……? 私、鞠莉ちゃんのためなら、何でもするから……!」

鞠莉「ありがと♪ でも、何でもなんて軽々しく言っちゃだめよ? 曜のそうやってすぐ安請け合いしちゃうところ、悪い癖なんだから」

曜「ぅ……」


痛いところを突かれる。


鞠莉「ホントにダメなときは、わたしもちゃんと人を頼るから、心配しないで?」

曜「うん……」

鞠莉「ごめんね、せっかくのティータイムなのに、暗くなる話しちゃったね」

曜「うぅん、大丈夫」

鞠莉「ほら、まだマカロンも残ってるから、頂きましょう?」

曜「うん」


きっと、今出来ることは鞠莉ちゃんといろんなことをお話して、鞠莉ちゃんのことを知ることなのかな。

今日のこのアフタヌーンティーの時間だけでも、新しい鞠莉ちゃんをたくさん知ることが出来たし、心配したところで……私に理事長の代わりは絶対出来ないだろうし。

だから、今は鞠莉ちゃんとこの時間をゆっくり楽しむのに集中することにして、マカロンを口に運ぶ。


曜「……おいしい」


相も変わらず、マカロンは他に言葉が出てこないくらい、ただただおいしかった。





    *    *    *





アフタヌーンティーを終え、鞠莉ちゃんがカップを片付けている音を聞きながら、私はソファーでぼんやりしていた。

ティータイムの準備のとき同様、手伝うように申し出たけど、


鞠莉『ダ~メ♪ 曜は座って待ってて?』


と、追い返されてしまった。

どうやら、今回に関して鞠莉ちゃんは徹底的に私をおもてなしをしたい様子。

まあ、鞠莉ちゃんがその方がいいなら、無理に手伝おうとするのも変だもんね。


曜「……ふぁ」


ふかふかのソファーに沈み込みながら待っていると、なんだか眠くなってきた。

ケーキスタンドは外の配膳台車に載せておくと、あとで使用人の人が持って行ってくれるそうで、鞠莉ちゃんがやっているのはカップの片付けだけ。

そこまで時間の掛かることじゃない。つまりまだ5分くらいしか経ってないはずなんだけど……。


鞠莉「あら、曜……眠い?」

曜「……っは! お、起きてる起きてる!」


鞠莉ちゃんに声を掛けられて、頭を振る。


鞠莉「お昼寝する?」

曜「いや……大丈夫」


このふかふかのソファーに座るからいけないんだ。

私はソファーの魔の手から逃げるために、立ち上がる。


鞠莉「別にわたしはお昼寝でもいいよ?」

曜「せっかく鞠莉ちゃんの家に来たのに、寝て過ごすなんて勿体無いよ!」


どっちにしろ夜は寝るわけだし。


鞠莉「そう? それじゃ……何しましょうか」

曜「……えーっと」


時間的にはまだ夕方前。

言われてみれば、特に何も決めずに来たため、やることがない。

えーっと……友達の家の定番と言えば……。


曜「ゲームとか……?」

鞠莉「Game?」


善子ちゃんの家に行ったら、山のようにゲームがあるから、それで遊んだりする。

鞠莉ちゃんの家なら、きっと善子ちゃんでも持ってないようなゲームも……。

期待しながら、テレビの方に目を向けるが──ゲーム機らしきものが一切見当たらない。


鞠莉「……あ、もしかしてVideo gameのこと?」

曜「う、うん、そうだけど……」

鞠莉「ごめんなさい……わたしあんまり興味がなくて、果南の家くらいでしか、やったことないの」

曜「え、いや、謝るようなことじゃないよ」


どうやら、お嬢様は一周回ってテレビゲームをあまりやらないらしい。


鞠莉「んー……今から買う?」

曜「え、本体ごと……?」

鞠莉「使用人にお願いすれば、たぶん夜までには──」

曜「いやいいよ!? そこまでしてやりたいわけでもないし!?」

鞠莉「そう……?」


実際問題この感じだと、1時間後くらいには室内に新型ゲーム機とゲームソフトが各種揃うという善子ちゃん垂涎な状態になりそうだけど、別にテレビゲームがやりたくて来たわけじゃないし……。

うっかり、鞠莉ちゃんの前でここに無いものを口にすると、調達しようとしてしまうということを念頭に入れなおして、


曜「うーん……」


何をしようか再び考え始める。


曜「二人で出来る遊び……」

鞠莉「……あ、チェスならあるけど」

曜「チェスか……」


出来なくはないけど、どっちかというと将棋の方が得意。

というか、何故か鞠莉ちゃんに勝てる気がしない。別にやってるところを見たことがあるわけじゃないから、強そうっていうイメージでしかないけど。


鞠莉「あとは、トランプとか……? 二人でやれるゲームって限られるけど……」

曜「うーん……」


確かに二人だと、スピードかポーカーくらいしか思いつかない。

これまたイメージだけど、何故か鞠莉ちゃんにポーカーで勝てる気がしない。

まあ、それはいいとして、やっぱりテーブルゲームを二人でやるのは少し味気ない気もする。


曜「鞠莉ちゃん、何かやりたいこととかない?」

鞠莉「わたし?」

曜「うん、友達が泊まりに来たらやりたかったこととか……それこそ、果南ちゃんが泊まりに来たりしないの?」

鞠莉「うーん……最近は全然なのよね。果南って、あまりにフホーシンニューするから、家の人に目を付けられてて出入りしづらいし」


果南ちゃんは果南ちゃんで何やってるんだか……。


鞠莉「……あっ!」


突然、鞠莉ちゃんが何かを思い出したかのように声を上げて──


鞠莉「……い、いや……やっぱなんでもない……」


言葉を取り下げる。


曜「え、なんか思いついたんじゃないの?」

鞠莉「思いついた……けど……。これは、曜とする遊びじゃないというか」

曜「……?」


私とする遊びじゃないってなんだろう。逆に気になる。


曜「言うだけ言ってみてよ」


促すと、


鞠莉「…………」


鞠莉ちゃんは急に無言になって、目を逸らす。


曜「……鞠莉ちゃん、ホントになんの遊びを思いついたの……?」

鞠莉「いや……その……」


今度は後ろで手を組んだまま、もじもじとし始めた。

……え、何?


曜「…………?」

鞠莉「……あ、あのさ」

曜「う、うん」

鞠莉「……聞いても、笑わない?」

曜「……たぶん」

鞠莉「……たぶんじゃ言えない」

曜「そんなこと言われても、聞いてみないとわからないし……というか、聞かれたら笑われるような遊びなの?」

鞠莉「それは……」


どんな遊びだろうか。考えてみる。

……この鞠莉ちゃんの言うのを恥ずかしがってる反応。


曜「……まさか、おままごと……?」

鞠莉「曜はわたしのこと、なんだと思ってるの?」

曜「えー……」


ジト目を食らう。

そもそもあんな意味深な反応するのが悪いんじゃん……。

後は、そうだなぁ……。


曜「……お医者さんごっことか」

鞠莉「あら……別に曜がやりたいならいいけど? マリーの身体を好きに診察してもいいのよ? あ、それとも診察されたい方かしら?」


ヤバイ、藪蛇だった。

どう考えてもセクハラされまくる。

というか、日常的にメンバーの胸を鷲掴みにしてる鞠莉ちゃんが、今更それで恥ずかしがるわけもないか。


曜「ダメだ、思いつかない。笑わないから教えて」

鞠莉「取ってつけたような、約束ね……」

曜「だって、気になるし……」

鞠莉「……はぁ、わかった。言いかけた、わたしが悪いものね……」


鞠莉ちゃんはやっと観念してくれた。


鞠莉「え、えっとね……」

曜「うん」

鞠莉「……その……」

曜「うん」

鞠莉「……かくれんぼ……したい……///」

曜「……うん?」


……かくれんぼ?


曜「かくれんぼって……かくれんぼ?」

鞠莉「……うん……///」


鞠莉ちゃんは恥ずかしそうに目を伏せている。

……まあ、確かに高校生になってかくれんぼがしたいって言うのは少し恥ずかしい気持ちはわからなくもない。

笑うようなことじゃないけど。それはそうと……。


曜「なんで、かくれんぼ?」


鞠莉ちゃんとかくれんぼの結びつきが想像出来ない。


鞠莉「……あ、あのね。実はわたし、ちっちゃい頃ってママの言いつけであんまり外に出して貰えなかったんだけど……」

曜「そうなの?」

鞠莉「うん……でも、日本に来てからは、よく果南が連れ出してくれて」

曜「……あー……だろうね」


幼少期の果南ちゃんは、好奇心旺盛、負けず嫌いで無鉄砲、海に陸にを駆け回る、超快活元気っこだったし。

私も千歌ちゃんと一緒に果南ちゃんの後ろを付いて回って内浦や沼津を冒険していたことを思い出す。

鞠莉ちゃんとダイヤさんも、きっとそんな感じだったんだと思う。


曜「そのときにかくれんぼしてたの?」

鞠莉「……うん」

曜「なるほど……?」


まあ、それはいいとしても。

やっぱり、なんでかくれんぼなのかの理由にはあんまりなってない気がする。


曜「鞠莉ちゃん、かくれんぼ好きなの?」

鞠莉「好き……というか」

曜「?」

鞠莉「わたし……かくれんぼで鬼になって、勝てたこと一度もなくて……」

曜「……え?」

鞠莉「外でやるのだけじゃなくて、わたしの部屋でやっても、果南ったら隠れるの上手すぎて……何時間も探してるのに、全然見つからなくて……」


……言われてみれば、果南ちゃんって鬼ごっこはもちろんだけど、こういう子供の遊びは何やっても強かった気がするなぁ。


鞠莉「先に帰っちゃったんだって、思って寂しくなって泣き出したりしたら、どこからともなく出てくるんだもん……」

曜「……」


とは言っても、鞠莉ちゃんの部屋でも、となると、鞠莉ちゃんが探すのが下手というのもありそう。

まあ、果南ちゃんが隠れるの上手いのも事実だけど。


鞠莉「わたし、ほんっと悔しかったの……! だから、何度も挑戦してたのに、中学生くらいになったら……」


 果南『え……? さ、さすがにそろそろかくれんぼはいいかなぁ……あはは』


鞠莉「って言うのよ!? 勝ち逃げなんて、ずるいと思わない!? ダイヤも……」


 ダイヤ『さ、さすがにもうかくれんぼをするような年齢でもないでしょうに……』


鞠莉「って言って、相手にしてくれないのっ!!」

曜「ダイヤさんも見つけられなかったんだね……」


話に聞く限りでは幼少期のダイヤさんって、頭隠して尻隠さずな感じで隠れるの下手そうな印象なんだけど……。

よほど鞠莉ちゃんは、鬼役が向いていないらしい。


鞠莉「初めて会ったときはあんなに隠れるの下手だったのに……なんで、かくれんぼになると、あんなに隠れるの上手なのよ……」


なんかぶつぶつ言いながら、何か思い出してるみたいだけど……。


曜「……あーつまり、かくれんぼで勝ちたいのに、高校生になって誰も相手してくれなくなっちゃったってことか」

鞠莉「……/// そ、そうよ!? 悪い!?///」

曜「いや、別に悪くないけど……」


恥ずかしいのはわかったけど、怒らないで欲しい。

とは言ったものの……。


曜「でも、かくれんぼか……」

鞠莉「なっ!? ここまで言わせておいて、曜も相手してくれないの!?」

曜「いや、かくれんぼをやるの自体はいいんだけど……今、室内でやると隠れる場所かなり限定されない?」

鞠莉「む……それは」


小さい頃は入り込める隙間がたくさんあった。

それこそ、鞠莉ちゃんの部屋なら、かなり隠れる場所もあっただろう。

だけど、高校生ともなるとそうも行かない。隠れることが出来る場所はかなり限定されてしまう。

複数人居るならともかく、一対一だと隠れる方があまりに不利になりすぎるし、ゲームとしては微妙な気がする。

逆に、外でやるとしたら淡島は大きすぎるし……適度な大きさの公園とかならまだしも。……だからといって、かくれんぼをするために島から出るのも本末転倒な気がするし。


鞠莉「それなら、ホテル全体を使いましょう!」

曜「いや、それはまずいでしょ!?」


いくら鞠莉ちゃんがホテルオハラのお嬢様だからっていっても、他の宿泊客も居るであろう施設で大々的にかくれんぼはどう考えてもまずい。

隠れる場所はたくさんありそうだから、面白そうではあるけど……。


鞠莉「むー……」

曜「かくれんぼは今度公園とかでやろ?」

鞠莉「わかった……」


不満げではあるものの、一応納得してくれたようだ。


鞠莉「それじゃ、結局これからどうするの?」

曜「……そうだった」


話が元の場所に戻ってきてしまった。


曜「うーんと……かくれんぼしてくれなくなった、果南ちゃんとは何をしてたの?」

鞠莉「え? ……えーと、お散歩したり、お話したり?」

曜「……じゃあ、お話しよっか」

鞠莉「……それもそうね」


別に無理に何かして遊ばなくても、鞠莉ちゃんと話したいことなんて山ほどあるんだった。


曜「なんかここまでの会話、全部無駄だったような……」

鞠莉「そう? わたしはかくれんぼの約束してくれたから、満足だけど」

曜「あはは……満足していただけたなら何よりです」


と、いうわけで私たちはのんびりとソファーでくつろぎながら、会話を始めるのだった。





    *    *    *




曜「──……ん……」


──なんだか、頭の下に柔らかい感触。

……あれ、私……何してたんだっけ……。


曜「……ん、ぅ……」


ゆっくりと目を開けると、


鞠莉「おはよ、曜」


鞠莉ちゃんの顔がすぐ目の前にあった。


曜「あれ……鞠莉ちゃん……」


ぼんやりとした、頭で考える。

……確か、鞠莉ちゃんとお話してて……。

…………。


曜「……私、もしかして、寝ちゃってた……?」

鞠莉「うん、話してたら割とすぐにうとうとし始めたから」

曜「ぅ……ごめん……」


よくよく考えてみたら、眠くなるからソファーから離れて何かしようとしたのに、結局ソファーに戻って話してたら、そりゃこうなる。


鞠莉「それで、感想は?」

曜「……感想?」


なんのことかと思ったけど、


鞠莉「わたしのひ・ざ・ま・く・ら♪」

曜「……。……!?///」


鞠莉ちゃんから見下ろされているこの状況、言われて気付く。

私は膝枕をされていた。


鞠莉「マリーの膝、気持ちよかった?」

曜「え、あ、はい」

鞠莉「ふふ~ん♪ そうよねぇ~曜ったら寝ぼけたまま、わたしのフトモモに頬ずりしてたもんね~」

曜「……!?/// し、してないよ!?///」


……してないよね!?

眠くなってきてからの記憶がほとんどないから、自信がない。


鞠莉「ふふ♪ じゃあ、してないってことにしておいてあげるわね♪」


鞠莉ちゃんはいたずらっぽく笑う。

またしても、鞠莉ちゃんにからかわれる口実を与えてしまった。


曜「……はぁ」


軽く頬を掻きながら、身体を起こそうとすると、


鞠莉「だ~め、もう少しこのまま」


鞠莉ちゃんがおでこに人差し指を押し当てて、私が起き上がるのを阻止する。


曜「え、えぇ……?」

鞠莉「それとも、マリーの膝枕に不満でもあるの?」

曜「……滅相もございません」

鞠莉「よろしい♪」


どうせ、逆らっても丸め込まれるので、大人しく鞠莉ちゃんの言うことに従う。

それに……別に不満があるわけじゃないし。……恥ずかしいけど。


鞠莉「……ふふ♪」


鞠莉ちゃんは嬉しそうに微笑みながら、私の髪を撫で付ける。


曜「……鞠莉ちゃん、楽しそう」

鞠莉「ええ、曜のいろんな反応が見れて楽しいわ♪」

曜「そっかぁ……」


まあ、鞠莉ちゃんが楽しいなら、いっか……。


鞠莉「……ねぇ、曜」

曜「ん……?」

鞠莉「わたし……曜の恋人、ちゃんと出来てるかな?」


鞠莉ちゃんが突然そんなことを訊ねて来た。


曜「うん、出来てると思う。鞠莉ちゃんと居ると毎日楽しいし……」


まあ、本当の恋人が居たことがないから、本当に恋人らしいのかと言われるとよくわかんないけど……。


鞠莉「そっか……なら、よかった」


ただ、鞠莉ちゃんは私の言葉を聞いて、ほっとしたように胸を撫で下ろす。


曜「膝枕してくれてるのも……恋人っぽいよ」

鞠莉「ふふ……確かにそうかも。膝枕をしてあげたのなんて、曜が初めてなんだからね?」

曜「それは、光栄かも……」


なんて、言いながら、少し申し訳ない気持ちにもなる。

恋人の振りなのに、初めてを貰ってしまって……。

今後、鞠莉ちゃんの恋人になる人に心の中で謝罪をしてしまう。


曜「……」


鞠莉ちゃんの膝の上に頭を乗せたまま、ぼんやりと窓の方に視線を向けると、外はもう日が落ちて夜になっていた。

さっきはまだ夕方だったのに……。


曜「私……結構眠ってたんだね」

鞠莉「そうだね……きっと疲れてたんだヨ」

曜「……そうかも。それより、ごめんね……ずっと膝枕させてて、鞠莉ちゃんこそ、疲れてない?」

鞠莉「ふふ、大丈夫よ。むしろ、曜の可愛い寝顔を特等席で眺められたから、疲れなんて吹き飛んじゃうわ♪」

曜「……ぅ……/// ま、また、そういうこと言う……///」


今日は鞠莉ちゃんにやられっぱなしだ。全く油断も隙もないというか……。


鞠莉「気兼ねなんてしなくていいの。今はマリーが曜の恋人なんだから……ね?」

曜「……うん」


ああ、なんか……嬉しいな。

振りなんだとしても、自分だけを大切にしてくれる人がいるのって……。

──千歌ちゃんも、ダイヤさんと居るときは、こんな気持ちなのかな。


曜「…………」


また、不意に二人のことを思い出してしまって、急に苦しくなる。

何やってんだろ、私……。


鞠莉「……てい」

曜「あたっ!?」


急に鞠莉ちゃんにおでこの辺りをチョップされた。


鞠莉「……また、ダイヤと千歌のこと考えてたでしょ」

曜「ぅ……」


どうやら、顔に出ていたらしい。


鞠莉「……今はわたしのことだけ、考えて」

曜「え……う、うん……」

鞠莉「……悲しいことも、寂しいことも、忘れて……マリーのことだけ考えて」

曜「……うん」


改めて、何のために鞠莉ちゃんが傍に居てくれるのかをよく考えよう。

努めて、二人のことを考えないように──鞠莉ちゃんのことだけを考えるように、しないと。


曜「……鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん、なぁに、曜」

曜「ありがとね」

鞠莉「ふふ、どうしたの?」

曜「なんか、急にお礼言いたくなっただけ」

鞠莉「そっか……」


鞠莉ちゃんは軽く相槌を打つと、再び私の頭を撫でてくれる。


鞠莉「直にディナーになると思うから。今日は曜の大好きなものをお願いしたから、期待しててね♪」

曜「ホントに!?」


なんだろう……楽しみだなぁ。

私は鞠莉ちゃんの膝の上で、夕食の献立に思いを馳せながら、ゆったりとした時間を過ごすのだった。





    *    *    *





曜「………………」


机の上に並べられたディナーを見て、言葉を失う。


鞠莉「ホントは、和食でもよかったんだけど……どうしても和食は生魚が多いから」


鞠莉ちゃんの言うとおり、洋食メニューでローストビーフやスープにサラダ。あと、なんか名前のわからないテレビとかで見るフランス料理っぽいものが並んでいる。

いや、ぶっちゃけそれはいいとして……それ以上に異彩を放っているメニューが私の目を引いた。

それは棒状で、クッキーのような質感をしていて、表面には小さな穴が開いている。

そう、まるで、カロリーメイトのような──……というか、どう見てもカロリーメイトだった。

それが、真ん中あたりで斜めに切られていて、綺麗にお皿に盛り付けられている。

半分サイズに切られたカロリーメイトがそれぞれ4本ずつ、綺麗に並べられたものが二皿。


鞠莉「ふふ♪ 曜ったら、じーっと見つめちゃって……。やっぱりソレが好きなのね?」


違う、そうじゃない。


鞠莉「いろいろ味があって、迷ったけど……今日はデザートとして出したわけじゃないから、メイプル、フルーツ、チョコレートは除外したわ」

曜「そ、そーなんだー……」


気遣いの方向性が、方向音痴を通り越して、迷子になっている。


鞠莉「でも、ちゃんと四種類とも、別の味を用意したわ」

曜「……ん?」


言われて気付く。確かに四本とも、よーく見たら微妙に見た目が違う。カロリーメイトの味はプレーン、チョコレート、フルーツ、メイプル、チーズの五種類だ。

そのうち、三種類を除外しているということはプレーンとチーズと……あとの二つは、なんだろう……? そこまで、考えて、私の頭の中にある可能性が浮かんできた。


曜「……まさか、ポテトとベジタブル……?」

鞠莉「ええ、そのまさかよ!」

曜「嘘!? どうやって手に入れたの!?」

鞠莉「小原家のコネクションを総動員して、業者に掛け合ってみたの。そしたら、特別に作ってくれることになって」


昨日の今日で、そんなことが可能なのか……。小原家恐るべし……というか、金持ちパワーの使い方を全力で間違っている。


鞠莉「本当はカロリーメイトスティックがよかったんだけど……チョコレート味はこの前、曜に貰ったけど……ライトシナモン味は食べたことなかったし」


そもそも、その商品の存在を知らないし……。長年カロリーメイトを愛食してきたから、人よりは遥かに詳しいつもりだったんだけど……。

鞠莉ちゃんは昨日食べたときは、カロリーメイト自体知らなかったから、調べたのかもしれない。変なところで真面目だ。

まあ、それはともかく、


曜「……ポテトに、ベジタブル……」


先ほどまで、鞠莉ちゃんのズレた感覚に困惑気味だったけど、未知の味のカロリーメイトによって、俄然興味をそそられていた。

特にベジタブルだ。ポテトは小さい頃に何度から食べたことこそ、あったものの、ベジタブルは完全に未知の領域だ。

販売終了からすでに12年も経過してるため、さすがに実物を見るのすらほぼ初めてだ。

もしかしたら、お母さんと買い物に行った際に、店に陳列されているものを見たことくらいはあったかもしれないけど、本当にその程度。


鞠莉「キョーミシンシンみたいだネ?」

曜「う、うん……ベジタブルは本当に初めて見たし……」

鞠莉「それじゃ、早速食べましょう? わたしも早く味わってみたいし」

曜「ヨーソロー!」


私たちは早速カロリーメイトに手を付ける──まさか、ローストビーフも自身が食欲の対象として、カロリーメイトに負ける日が来るなんて思ってもみなかっただろう。

私は、綺麗に並べられたカロリーメイトからベジタブル味らしきものを手に取って、齧る。


曜「あむ……」


一方、鞠莉ちゃんは前回同様、小さく一口サイズに手で折ってから口に運んでいた。


曜「……もぐもぐ」


咀嚼してみると、独特な風味を感じる。……野菜の風味だと言われれば、わからなくもない。


鞠莉「……ふむ、なるほどね」

曜「?」


そんな私を尻目に、鞠莉ちゃんは何やら、顎に手を当てて、頷いている。


鞠莉「これは乾燥させたCarrotとGreen pepperが入ってるのね」

曜「え、そうなの……?」

鞠莉「あとは全体から感じるこの風味……なにかしら……Tomato……?」


すごい……鞠莉ちゃん、カロリーメイトを食べて原材料を味利きしてる……。

確かに言われてみれば、ドライベジタブルのようなものが、あるのがわかる。


曜「えーっと……キャロットだから、ニンジンと……グリーンペッパー? って言ってたっけ? それなのかな?」

鞠莉「ん? Green pepper知らないの……? ……あ、そっか、ピーマンのことよ」

曜「あ、ピーマンのことなんだ」

鞠莉「そういえば、日本ではピーマンって言うのが一般的だったわね。他にもSweet pepperとかBell pepperなんて言われたりもするわ」

曜「へー」


鞠莉ちゃんといるとそのうち英語ペラペラになったり……しないか。でも、勉強になる。

それはそうと、ベジタブル味。思った以上に味が濃くて癖になる。

意外と好きかもしれない。……まあ、今後食べられる機会はなさそうだけど。


鞠莉「なるほどね……こうして、少しでも素材の味を再現しようとする姿勢、面白いかもしれないわね」


鞠莉ちゃんは鞠莉ちゃんで、カロリーメイトに興味を持ってくれたようだ。

……いや、鞠莉ちゃんみたいなお嬢様がカロリーメイトを常備してるのは、それはそれでなんか見たくないから、変にハマったりしないか心配だけど……。


曜「それじゃ、次はポテト味」


私は次のカロリーメイトに手をつける。

……というか、半分になったカロリーメイト4本──即ち2本分だから、正直これだけでそれなりのカロリーなんだけど、いいのかな……?

まあ、いっか……今日くらいは。


鞠莉「こっちはどんな味がするのかしら?」


鞠莉ちゃんがポテト味を一口大に折ると、


鞠莉「あ、あら……?」


ポロポロと崩れてしまう。


鞠莉「Oh...この味は随分脆いのね」


そう言って、眉を顰める。

そういえば、ポテト味ってやたらぽそぽそしてるんだっけな。

過去に数回だけ食べた記憶から、そんなことを思い出す。

それはそれとして、私はさっきと同じように、ポテト味を齧る。

鞠莉ちゃんも、崩れて少し不恰好になってしまった、欠片を口に運ぶ。


曜「……もぐもぐ」

鞠莉「…………これは」

曜「マッシュポテトだ」
鞠莉「マッシュポテトね」


言葉が揃う。

そう、確かにこんな味だった。


鞠莉「あと、ナチュラルチーズの味がするわね」

曜「うん。ちょっとチーズの後味がするんだよね」


加えて、


鞠莉「……飲み物が欲しくなるわね」

曜「あはは……そうだね」


ポテト味はただでさえ、もそもそしているカロリーメイトの中でも、輪をかけてぱさぱさだから、口の中から水分が急速に奪われていくのがわかる。

ああ、なんか懐かしいな、この味……。


鞠莉「気に入ってもらえた?」

曜「うん! すっごい、サプライズだった!」


まさか、販売終了したカロリーメイトを食べられるとは思ってもみなかった。


鞠莉「よかった。取り寄せた甲斐があったわ」

曜「ありがと、鞠莉ちゃん!」

鞠莉「ふふ、気にしないで? 曜のためだったらこれくらいオヤスイゴヨウなんだから♪」


鞠莉ちゃんが笑いながら、


鞠莉「それじゃ、他の味も……」


と、プレーン味やチーズ味に手を伸ばそうとしたところで、


曜「あ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「?」


私は止めることにした。


曜「カロリーメイトもいいけど……せっかく用意してくれたご飯もあるんだし、こっちも食べよ?」

鞠莉「……それもそうね。物珍しいから、ついカロリーメイトにばっかり意識がいっちゃってたわ」


……よし。

たぶん、私の予想が間違ってないなら、ここでカロリーメイト四本を全部食べてしまうのはたぶんよくない。

鞠莉ちゃんを促して、出された高級そうな料理に手を付けることにした。


曜「……お、おいし……!!」


カロリーメイトから放れて、ローストビーフに手を付けたのはいいんだけど……結局、私は芸のない感想を呟いてしまうのだった。





    *    *    *





鞠莉「……」


食後、鞠莉ちゃんはソファに腰を下ろして食休みをしていた。

やっぱり、私の予想通り──鞠莉ちゃんは夕食を食べきることが出来なかった。

カロリーメイトは結構お腹に溜まる。鞠莉ちゃんはほとんど食べたことがなかったから、しょうがないけど、結局鞠莉ちゃんの分もほとんど私が食べることになった。

鞠莉ちゃんは残していいと言っていたけど……私は、出された食事を残したくないタイプだから、鞠莉ちゃんの分も含めて、全ておいしく頂いたのだった。

もちろん、鞠莉ちゃんの分の残りのカロリーメイトもだ。

それにしても、一食でカロリーメイト三本に、各種料理を食べてしまったのは、たぶんカロリーオーバーだ。

食べた分ちゃんと運動しないとなぁ……。


曜「鞠莉ちゃん、大丈夫?」

鞠莉「ん……うん。ちょっと、食べ過ぎたなーってだけ。……曜こそ、よく平気ね?」

曜「あはは、私は普段から結構食べるから……」

鞠莉「さすがアスリートね……」


動く分たくさん食べるから、胃袋は大きい方だと思う。

お陰でおいしいご飯を残さずに済んだし。


鞠莉「……このあとにBig eventが控えてるのに……」

曜「ビッグイベント?」


何かやるんだろうか……?

もう夜だし、あんまり騒がしくは出来ないと思うんだけど……。


鞠莉「ええ、曜も毎日してることよ」

曜「毎日してること……? 筋トレ……?」

鞠莉「ヨガならすることもあるけど……毎日筋トレしてるの?」


逆に訊かれてしまった。


曜「まあ、うん。筋トレって出来るだけ継続した方が効果があるし」


やりすぎは禁物なんだけどね。


鞠莉「なるほどね……曜の並々ならぬPhysicalはそういうところから、生み出されているのね……。でも、残念ながら、筋トレじゃないわ」


じゃあ……なんだろ……?

私が困惑した表情で首捻っていると、


鞠莉「もう……誰もが毎日することがあるでしょ」


鞠莉ちゃんが呆れたように言う。


曜「……睡眠」

鞠莉「さっきはぐっすりだったわね」

曜「……食事」

鞠莉「まだ食べるの……?」


あとは……。


曜「……お風呂?」

鞠莉「やっと、辿り着いたネ……そう、Bath timeデース!」


どうやら、鞠莉ちゃんの言うビッグイベントとやらは入浴のことだったらしい。

まあ、確かに高級ホテルに備え付けの浴室には興味がある。

ただ、そんなビッグイベントっていうほどなのかな……? まあ、鞠莉ちゃんはお風呂に入るの好きっていうのは果南ちゃんから聞いたことがあるような気はするけど……。


鞠莉「も・ち・ろ・ん……一緒に入るんだヨ?」

曜「……え?」

鞠莉「お泊りなんだから、トーゼンでしょ?」

曜「……!? い、いや、いいよ! お風呂くらい一人で入れる!」

鞠莉「マリーとお風呂入るの、イヤなの?」

曜「ぐ……!!」


また来た……! でも、何度も同じ手は通用しないよ、鞠莉ちゃん……!


曜「一緒にお風呂入ったら、鞠莉ちゃん絶対私の胸揉むでしょ!?」

鞠莉「うん」

曜「即答!? 悪気がなさすぎるでしょ!?」

鞠莉「あ、それとも……揉まれるよりも、揉む方が良い……? それはちょっと恥ずかしいんだけど……///」


あ、それは恥ずかしいんだ……。って、そういう問題じゃなくて……!


曜「鞠莉ちゃん!」

鞠莉「何?」

曜「私たち、仮にも恋人なんだよね?」

鞠莉「Yes.」

曜「なら、さすがに一緒にお風呂は……不健全だよ!」

鞠莉「でも、女同士よ? 友達と一緒にお風呂入ったことないなんて言わないでしょ?」

曜「そ、れはそうだけど……! でも、私たち恋人なんでしょ!?」

鞠莉「ええ、だからハダカノツキアイが必要だと思って!」

曜「え、ええー……」

鞠莉「それとも……曜は、マリーとお風呂に入ると、不健全なことしちゃうの?」

曜「しないよ!?」

鞠莉「なら、いいじゃない」

曜「……ぐぬぬ」


不味い。また、誘導されてる。でも、ここで鞠莉ちゃんのペースに呑まれて屈しちゃダメだ……!!


曜「で、でもさ……!」

鞠莉「……んー、曜」

曜「な、何……?」

鞠莉「……そんなにイヤ?」

曜「え」


鞠莉ちゃんの声が急に悲しそうなトーンになる。


鞠莉「……本当にイヤなら、別にいいよ」

曜「え、いや……」

鞠莉「曜が、わたしがいつもどうしてるか知りたいって言ってたから……今日はわたしの全部を曜に見てもらうつもりで……でも、ちょっと空回っちゃってたみたい……ごめんね」

曜「!? い、いや、そんなことないって……!!」

鞠莉「でも……曜がイヤがることしちゃってるし……」

曜「してないよ!! 別に嫌じゃないって……!!」


しまったと思っても後の祭り。

鞠莉ちゃんは鞠莉ちゃんなりに私のことを考えてくれてたのに……私はいろいろ理由をつけて、そんな鞠莉ちゃんの気持ちを拒絶してしまったのかもしれない。

よくよく考えてみれば、鞠莉ちゃんの言うとおり、同性の友達とお風呂に入ったことなんて何度もある。

それなのに、今こうして意固地になって一緒に入浴することを断る理由なんてないんじゃないだろうか。


鞠莉「…………」

曜「入ろう! お風呂! 私、鞠莉ちゃんと一緒にお風呂に入りたい!」

鞠莉「OK♪ そこまで言われたら一緒に入らないわけにいかないものね♪ じゃあ、すぐにお湯張ってくるから、ちょっと待っててね♪」


鞠莉ちゃんはすぐさまソファーから立ち上がって、すたすたとバスルームの方へと歩いていく。


曜「……」


──騙された。頭を抱える。

でも、あんな声出されたら、拒否なんて出来ないし……。


曜「もう鞠莉ちゃんに逆らうのはやめよう……」


たぶん、私じゃ鞠莉ちゃんには勝てない……。

観念して、バスルームに行った鞠莉ちゃんの後を追う。


鞠莉「~♪」


鞠莉ちゃんはバスタブにお湯を入れながら、鼻歌を歌っているところだった。

改めて見てみると、大きなお風呂だ。

もちろん温泉とかに比べると小さいけど、個室のお風呂にして十分豪華な様相だった。

ぼんやりと浴室を確認していると、


鞠莉「あ、曜。服脱いで待っててくれる?」


鞠莉ちゃんに、入る準備をするように言われる。


曜「え、でも今お湯入れ始めたところでしょ……?」


さすがに10分とか裸で待ってるのは嫌なんだけど……。


鞠莉「? うん、そうだけど?」


言いながら、脱衣室に戻ってきた鞠莉ちゃんが自分のブラウスのボタンを外し始める。


曜「え」

鞠莉「? どうしたの?」

曜「いや、今から服脱いでたら風邪引いちゃうって……」


だって、まだお湯も全然張ってないし……。

そう思って、バスタブの方に視線を配ると──お湯はもうバスタブの半分くらいまで入っていた。


曜「……え」


というか、よく見ると、蛇口から出ている水の勢いが、私の知ってるソレとは比べ物にならないほどの量が出ている。


鞠莉「さっきからどうしたの……?」

曜「……お湯張るの早くない?」

鞠莉「……? 普通1~2分でしょ?」

曜「…………ソウダネ」


ここがどこかを忘れていた。ここは淡島が誇る、超高級ホテル・ホテルオハラだった。

お風呂にも私の知らない仕組みがあってもおかしくはない……──ちなみに後で確認してみたところ、ホテルオハラの個室のお風呂は80秒でお湯張りが出来るみたいだ。


鞠莉「ほら、早く曜もお風呂入りましょ? お湯が溢れちゃうわ」

曜「ソウダネ」


何故かカタコトになりながら、衣服を脱ぐ。これから、私たちはバスタイムへと突入するようです。





    *    *    *





鞠莉「さあ、曜。マリーの準備はいつでも大丈夫よ?」


鞠莉ちゃんが湯船に浸かったまま、両手を広げている。

全く何の準備なんだか……。


曜「まず身体洗わないとね……」


とりあえず、無視する。


鞠莉「あ、身体洗うなら、そこのボディスポンジを使ってね♪」

曜「うん、ありがと」


言われたとおり、ボディスポンジを手にとって、ボディソープをつけて泡立てる。

──すると、普段鞠莉ちゃんからほんのり香る匂いがしてくる。


鞠莉「曜ったら、マリーと同じFragranceに包まれちゃうわね♪」

曜「…………/// 鞠莉ちゃんの方が良い匂いするよ……///」

鞠莉「まあ! ありがと♪」


苦し紛れに反撃を試みるが、華麗にいなされる。

鞠莉ちゃんは意識するなと言いたいのか、意識させたいのかどっちなんだろうか。

まあ、このまま手に持ったままでもしょうがないので、左腕にボディスポンジを当てて、洗い始める。


鞠莉「ほーうほう……曜は左腕から洗うのね」

曜「……///」


なんだか、めちゃくちゃ恥ずかしい。


鞠莉「曜ったら、顔真っ赤だよ~? 湯船に浸かる前からのぼせちゃった?」

曜「~~~///」


わかってる癖に……。

ただ、これはいちいち受け答えをしちゃダメだ。

パパっと全身を洗い、すぐにシャワーで流す。

烏の行水には自信がある。


鞠莉「む……」


次、シャンプー。

髪を濡らしてから、シャンプーを手に出して、頭に付けて泡立てる。

髪が短い分、シャンプーもすぐ終わる。


鞠莉「……髪洗ってる間は曜の引き締まった身体が見放題ね♪」

曜「っ///」


鞠莉ちゃんのセクハラ攻撃が全く衰えない。

とにかくパパっと洗うしかないんだ……!! というか、私は何と戦ってるんだろうか。

──洗い終わったらすぐにシャワーで、洗い流す。

コンディショナーも流れるようにして、同じように洗い流す。


曜「……よし!」

鞠莉「むぅ~……もう終わり~?」

曜「み、見せ物じゃないよ!///」


私は、ささっと湯船に浸かって身体を隠す。


鞠莉「ふっふっふ……やっとマリーの元に来たわね、曜」

曜「!?///」


向かいで鞠莉ちゃんが手をわしわしとし始めたので、咄嗟に両腕で身体を庇うようにして身を引く。


鞠莉「もう~そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない。女同士なんだから~」

曜「…………」

鞠莉「もう、曜ったらウブなんだから~♪」

曜「……………………」


なんか、だんだん腹立ってきた。


曜「それもそうだね」


私は腕を下ろす。


鞠莉「あ、あら……?」

曜「女同士、恥ずかしがることなんて何もないもんね」


そのまま、向かいにいる鞠莉ちゃんに近付いて、


曜「じー……」


鞠莉ちゃんの身体を凝視する。


鞠莉「なっ……/// も、もう~曜ったら~。マリーのNice bodyに見蕩れちゃった?」

曜「うん、鞠莉ちゃんってスタイルいいよね」


凝視したまま、淡々と伝える。


鞠莉「ぐ……/// そ、そうでしょ~?」

曜「うん、特におっぱいおっきくて羨ましいな~」

鞠莉「/// よ、曜もおっぱい大きいわよ? 果南に負けず劣らずなかなかのものを持ってて──」

曜「そうだね、この前揉まれちゃったもんね。──こんな風に」


私はこの間の仕返しとでも言わんばかりに、鞠莉ちゃんの胸に手を伸ばした。


鞠莉「ゃ……///」


正面から、胸を軽く揉むと──手の平に伝わる柔らかい感触と共に、鞠莉ちゃんが可愛らしい声を上げた。


曜「…………ぁ……ぇっと……///」


予想に反した、しおらしい反応に、逆に恥ずかしくなってしまう。


鞠莉「曜の……えっち……///」

曜「!?/// も、元はと言えば、鞠莉ちゃんが先にやってきたんじゃん!?///」

鞠莉「……ま、まあ、それはそうね……///」


鞠莉ちゃんがもじもじしながら、小さく身を捩る。


鞠莉「……よ、曜が触りたいなら……いいよ……?///」

曜「……!?///」


鞠莉ちゃんの反応に思考がフリーズする。なんか、変な空気になってきた。


鞠莉「……もう、揉んだりしないの?///」

曜「ぅ……///」


もう、ダメだ、限界だ。私は鞠莉ちゃんの胸から手を放す。


鞠莉「……意気地なしなのね///」

曜「……も、もうなんとでも言ってください……///」


セクハラするのに、されるとこんな反応するなんて、ずるい……。


鞠莉「…………でも、初めてだったかも……///」

曜「……え?」

鞠莉「……他の人から、直で胸を触られたの……初めて……///」

曜「!?///」

鞠莉「……どうだった……?///」

曜「ど、どう!?///」

鞠莉「感想くらいあるでしょ……?/// マリーのおっぱいに触ったんだから……///」


感想……感想!?

どうして、こんなことになったと頭の中で思考がぐるぐるする中、鞠莉ちゃんが上目遣いで感想を求めてくる。


曜「え、えっと……柔らかかったです!?///」


何故か、敬語になる。


鞠莉「ふ、ふーん……/// そっか……///」


それだけ言うと、今度は鞠莉ちゃんが自分の身体を腕で庇うようにして身を引く。


曜「あ、あの……ご、ごめん……///」


ここまで露骨な反応をされてしまうと、もはや疑いようがない。これは完全に鞠莉ちゃんも恥ずかしがっていた。

正直、ホンキでこんな反応されると思ってなくて、謝ってしまう。


鞠莉「……別にいいよ/// 減るもんでもないし……///」

曜「ぅ……///」

鞠莉「それに……」

曜「?」

鞠莉「曜なら……いいよ?/// 恋人だもん……///」

曜「!?///」


あ、あれ……恋人ならいいのか……? でも、私と鞠莉ちゃんは恋人ごっこなだけで……あれ……?

お湯のせいなのか、恥ずかしいせいなのか、頭が熱くなってきて、思考がまとまらない。


鞠莉「曜……っ?///」


鞠莉ちゃんが再び上目遣いでこっちを見つめてくる。


曜「~~~/// も、もう出るね!!///」

鞠莉「え!?」


空気に耐えられなくなって、私は湯船から飛び出した。


曜「ま、鞠莉ちゃんはごゆっくりー!!///」

鞠莉「え、あ……」


──脱衣所まで、逃げおおせてから……。


曜「……なんか……疲れた……」


私はそう呟いて、一人項垂れるのだった。





    *    *    *





バスローブを纏い、お風呂から上がって、早一時間が経過しようとしていた。

ぼんやり、リビングのソファで天井を仰ぐ。


曜「……鞠莉ちゃん……遅いなぁ……」


鞠莉ちゃんはお風呂好きとは聞いていたけど……本当に長かった。

私なんかは、じっとしていられない性質のせいか、小さい頃から烏の行水で怒られたもんだ。


曜「よくパパから、百まで数えなさいって言われたっけ……」


一人で昔のことを思い出してぼやいていると……。バスルームの方から扉が開く音が聞こえてきた。

どうやら、鞠莉ちゃんがお風呂から上がったようだ。

程なくして、鞠莉ちゃんがリビングに顔を出す。


鞠莉「……」

曜「鞠莉ちゃん、お風呂長かったね」

鞠莉「え、あ、うん……」


鞠莉ちゃんは少しぎこちない動きで、私と同じようにソファに腰を下ろす。


曜「……あ、あのー……鞠莉ちゃん?」

鞠莉「……ん……?」

曜「……遠くない?」


この部屋のソファはひらがなの『く』の字のように直角に二つのソファがくっついているんだけど……。

たまたま端っこに座っていた私と、完全に逆端の位置に鞠莉ちゃんは腰を下ろしていた。


鞠莉「あ、いや……」


先ほどまでの調子はなんだったのかと言いたくなるくらい、鞠莉ちゃんは視線を泳がせながら、言葉に窮していた。


曜「鞠莉ちゃん……?」

鞠莉「……よ、曜……!」

曜「!? は、はい!?」


急に大きな声で名前を呼ばれて飛び上がる。


鞠莉「ごめんなさい……!!」

曜「……へ?」


そして、勢いよく頭を下げられて、困惑してしまう。


曜「え、き、急にどうしたの!?」

鞠莉「……曜に、イヤな想いさせちゃったから……」

曜「嫌な想い……?」

鞠莉「お風呂……わたしと一緒に入るの、イヤだってちゃんと言ってたのに……わたしが無理矢理……」


鞠莉ちゃんは消え入りそうな声で言う。


曜「え!? い、いや、そんなことないって!?」

鞠莉「だって、すぐにあがっちゃったし……」

曜「ち、違う……! あ、あれは……その……///」

鞠莉「その……?」

曜「……は、恥ずかしすぎて、耐えられなかっただけ……///」

鞠莉「ホント……?」


鞠莉ちゃんがか細い声で訊いてくる。


曜「ホントだよ!」

鞠莉「……そっか、それならよかった……」


鞠莉ちゃんは心底、ホッとしたような声で言う。


鞠莉「わたし……曜のこと、からかい過ぎちゃったかもって……」

曜「あはは……あれくらいのことで怒ったりしないって」


まあ、からかいすぎだとは思うけど……。

とはいえ、あれが鞠莉ちゃんなりのコミュニケーションくらいに捉えているつもりだ。


鞠莉「曜……」

曜「なにかな……?」

鞠莉「……近くに行って良い……?」

曜「もちろん」


私は自分の隣をぽんぽんと叩く。


鞠莉「うん……♪」


すると、鞠莉ちゃんはおずおずと私のすぐ隣に移動してきて──そっと手を重ねてきた。


曜「鞠莉ちゃん……?」

鞠莉「……わたしね、どうすれば曜の恋人らしく振舞えるか、ずっと考えてたの」

曜「……」

鞠莉「恋人って、どういう距離感なんだろうって……。一緒にご飯を食べたり、膝枕してあげたり……一緒にお風呂も入るのかなって」


今日一日、やたらと鞠莉ちゃんのスキンシップが激しかった理由がやっとわかってきた。

鞠莉ちゃんなりに、恋人同士のお泊りを再現しようとしていたんだ。


鞠莉「わたしが、曜の心の隙間を埋めてあげるんだって……息巻いて……でも、結局よくわからなくって……」

曜「鞠莉ちゃん……」


考えてみれば、鞠莉ちゃんも恋人が出来たことはないと言っていた。なら、恋人同士の距離感だって、鞠莉ちゃんも手探りのはずだ。

私が恋人の振りだということに拘って、変な一線を引いていたせいで、実は鞠莉ちゃんも悩んでいたんじゃないだろうか。


鞠莉「ねぇ、曜……どうすれば、わたし、曜の恋人らしく振舞える……?」


鞠莉ちゃんは、振りでもホンキでやってくれていたんだと改めて認識する。

それも、全て──私の失恋の傷を癒すために……。だけど……。


曜「……えっとさ」

鞠莉「……うん」

曜「……正直、よくわかんない」

鞠莉「……」

曜「恋人居たことないし……でも、それは鞠莉ちゃんも同じだよね。私、勝手にイメージで鞠莉ちゃんは大人だから、うまいこと良い距離感を作ってくれるって、勝手に思い込んでたかもしれない……」

鞠莉「ご、ごめん……頼りなくって……」

曜「あ、ち、違う……! そうじゃなくってね」

鞠莉「……?」

曜「なんていうか……わからないものを無理矢理わかった振りしてもしょうがないというか……ホントは二人でちゃんと考えなくちゃいけなかったんだよね……でも、私、鞠莉ちゃんが優しいから、甘えきっちゃってて……」

鞠莉「曜……」

曜「……それに、元はと言えば、これは私の問題でさ。私が考えないで、鞠莉ちゃんにまかせっきりなのは、よくなかった……ごめん」


そこまで言ったところで──鞠莉ちゃんがおでこ同士をコツンとぶつけてきた。


曜「!?/// ま、鞠莉ちゃん……!?///」


至近距離の鞠莉ちゃんから、お風呂上り特有の良い匂いがする。

ホントにさっき言ったとおり、ボディーソープよりも、鞠莉ちゃん本人の方が良い匂いがする気がした。


鞠莉「曜だけの問題じゃないよ……」

曜「え」

鞠莉「……曜に元気になって欲しいっていうのは、わたしのワガママだもん……。だから、もうこれはわたしの問題でもあるの……」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「どうすれば……曜は、元気になれる……?」

曜「…………それは」


わからない。……私の胸の中にある、わだかまりがどうすれば解消されるのか。それは結局わからないままだけど……。


曜「……わからないけど……今日は鞠莉ちゃんのことばっか考えてたよ」

鞠莉「え……」

曜「今日は、ホントに楽しかった。鞠莉ちゃんのこと一日中考えてて……全然辛い気持ちにならなかったよ」

鞠莉「曜……」

曜「最近、毎日千歌ちゃんとダイヤさんのことで、苦しくて苦しくて、しょうがなかったのに……鞠莉ちゃんが傍に居てくれる間は、楽しい」

鞠莉「そっか……」

曜「だから、鞠莉ちゃんが嫌じゃなかったら……もう少し、恋人の振り……続けて欲しい……かも」


本来こんなお願いをするのは、道理に反していることなのかもしれないけど。


鞠莉「もう……最初からそのつもりだヨ……」


鞠莉ちゃんはそう言いながら、私の頭を撫でてくれる。


曜「ただね、無理して恋人を演じなくてもいいと思うんだ」

鞠莉「……?」

曜「一緒に居るだけで、嬉しいし、楽しいからさ……急に恋人らしいアクションとかをする必要ってないんじゃないかなって」


それこそ、恋人だったら、キスしたり、抱き合ったり……仲が深まればもっと親密なスキンシップをするものなのかもしれないけど。さすがに今、鞠莉ちゃんとそういうことは出来ない。あれは本当に愛し合っている人同士がする行為だと思うから。

じゃあ、どこまでが恋人のすることで、どこまでが恋人の振りでもすることなのか、なんて言われても明確な線引きなんて存在しないだろう。


曜「私は、恋人らしく振舞うよりも……ただ、単純に鞠莉ちゃんと一緒の時間を過ごしたいなって」


たぶん、この恋人ごっこというややこしい関係の中で、私から提示出来る、私の想う距離感は、そういうことだと思う。

自分の言葉で、鞠莉ちゃんに気持ちを伝えると、


鞠莉「……なんか、わたしが焦っちゃってたみたいね」


くっつけたおでこを離しながら、鞠莉ちゃんが苦笑いして、そう言う。


鞠莉「わたしも……曜と一緒の時間を共有したい。恋人ごっこだとか、そういうこと以前に」

曜「うん。……なんか、ごめん。いっぱい悩ませちゃったみたいで……」

鞠莉「うぅん、恋人の振りを提案したのは、わたしだもの……でも、もう焦らない。曜が自然に笑えるまで、わたしが隣で支えるね」

曜「うん……ありがとう、鞠莉ちゃん」


ここまでしてくれる鞠莉ちゃんに報いるためにも、私は自分の気持ちとしっかり向き合わないと……。

改めて、それを再認識させられた。


鞠莉「えっと……それじゃあ、さ」

曜「ん?」

鞠莉「わたし……今日はソファーで寝るね?」

曜「え?」

鞠莉「だ、だって……一緒のベッドは……恋人すぎるかなって……?」

曜「……っぷ」

鞠莉「!? な、なんで笑うのよ!?」

曜「ご、ごめん……恋人すぎるってなんだろうって思って……っ。鞠莉ちゃんって、ちょっと極端なところあるよね……っ」


私が笑いを堪えていると、


鞠莉「……むー」


鞠莉ちゃんは納得行かないのか、可愛らしくぷくーっとほっぺを膨らませる。


鞠莉「じゃあ、どうするの……?」

曜「ふふ……いいよ、今日は鞠莉ちゃんのベッドで二人で寝よう?」

鞠莉「いいの……?」

曜「きっと、あんま難しく考えないでさ、ただお互いがしたいとおりにすればいいんだと思う」

鞠莉「したいとおりに……」

曜「鞠莉ちゃんは私と一緒に寝るのは嫌?」

鞠莉「イヤなわけないわ」

曜「私も鞠莉ちゃんと一緒のベッドで寝るのは──ちょっぴり恥ずかしいけど、嫌じゃないよ」

鞠莉「! そ、そっか……」


きっと、今の今まで、私も、鞠莉ちゃんも、恋人の振りという肩書きに引っ張られて、距離を測りかねていたんだと思う。

でも、私は鞠莉ちゃんと一緒の時間を過ごしているだけで、辛いことを忘れられた。

だから、それだけで良いんだ。それだけで……私の心は十分癒されているんだ。

大事なことは、鞠莉ちゃんと一緒に過ごしていると、嬉しいし、楽しい。ただ、それだけなんだと、私は思う。


曜「鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん」

曜「傍に居てくれて、ありがとう……鞠莉ちゃんが居てくれるお陰で、最近は楽しいよ」

鞠莉「うん……曜の力になれてるなら、わたしも嬉しい」


きっと、こういうあったかい気持ちを積み重ねていけば……私の心の中の苦しい部分も、癒えていくんだ……。

今はそう、前向きに捉えられるようになった気がする。……これで、良いんだよね……? これで……。





    *    *    *





曜「──それじゃ、お邪魔します」


就寝時間になって、私はさっき言ったとおり、鞠莉ちゃんのベッドにお邪魔する。


鞠莉「ようこそ、マリーのベッドへ♪」


招き入れられるように鞠莉ちゃんのベッドに潜ると、お日様の匂いがした。

きっと、今日のためにしっかりベッド周りの手入れもしていたのだろう。

そして、それに加えて──


鞠莉「ふふ……♪」


すぐ近くに居る鞠莉ちゃんから、先ほど同様の良い匂いがする。


曜「……///」


やっぱり、ちょっと照れ臭い。

お互い横向きに、向かい合うようにして転がっているため、自然と見詰め合う形になる。

部屋の電気は消しているからほとんど見えないけど、鞠莉ちゃんがこっちをじーっと見つめているのが、なんとなく気配でわかった。


曜「ま、鞠莉ちゃん……?///」

鞠莉「ん?」

曜「寝ないの……?」

鞠莉「曜が寝たら、寝るわ」

曜「ええ……何それ……」

鞠莉「だって曜の寝顔、So cuteなんだもん♪ さっき、膝枕したときに確認したんだから、間違いありまセーン」

曜「はぁ……」


さっきはからかいすぎたとか言ってたのに、反省してるんだか、してないんだか……。第一この暗さじゃ見えないでしょ……。

私は目を瞑る。


鞠莉「ふふ、Good night. 曜」

曜「おやすみ……」


不意に、頭を撫でられる。


曜「……」

鞠莉「♪」


目を瞑ったままでも、なんとなく、鞠莉ちゃんがご機嫌なのがわかった。

こんなことばっかされてたら、恥ずかしくて寝れなさそう──なんて、思ってたけど、

一定のリズムで、何度も何度も、髪を撫でられているうちに、だんだんと意識がふわふわしてくる。

なんだか心地良い。

……鞠莉ちゃん、撫でるの上手……。

沈んでいく意識の中、声がする──


 「曜……安心して、休んでね……マリーが傍にいるよ……」


そのまま、私はすーっと眠りに落ちていった。





    ✨    ✨    ✨





曜「……すぅ……すぅ……」

鞠莉「……」


曜が可愛らしく寝息を立て始めて、早30分と言ったところだろうか。


曜「まり……ちゃん……」

鞠莉「……!」


名前を呼ばれて、思わず曜の顔を見つめてしまう。


曜「……ん……。……すぅ……すぅ……」

鞠莉「……」


さっきから、寝言で名前を呼ばれるたびに、曜の寝顔を見つめてしまっている自分が居る。

酷く目が冴えていた。

というか──ドキドキしていた。


鞠莉「はぁ……///」


曜を起こさないように、小さく溜め息を吐く。

今日ははしゃぎすぎた。

お風呂でも一人、悶々と後悔していたけど……本当に今日ははしゃぎすぎだ。

恋人ってどういうことをするのか、というのを考えていたのは本当だけど……でも、それは半分だ。

もう半分は──曜に触れたい、傍に居たいという気持ちが何故か抑えられなかっただけ。

いや、何故か……なんて、言うまでもない気もするけれど……。


鞠莉「……わたし……」


──困った。

あの『びゅうお』で曜の本音を聞いて以来、何かとわたしを頼ってくれるようになった曜が、可愛くてしかたない……とは思っていたものの、それはあくまで後輩として、だけのはずだったのに。

傍に居て、触れ合っている間に、曜の魅力に気付きつつある。


鞠莉「…………」

曜「ん……ぅ……」

鞠莉「……曜……?」

曜「……ち、か……ちゃ……」

鞠莉「…………」

曜「………………すぅ…………」


でも、ダメだ。

曜の心は、まだ──


鞠莉「……わたしじゃ……ダメかな……」

曜「…………すぅ……すぅ……」

鞠莉「……なんて……何言ってるんだろ、わたし……」


ここでわたしが変にアクションを起こしたら、曜はきっと困惑して……更に迷わせてしまうだろう。

今はちゃんと、演じなきゃ──可愛い後輩を助けてあげる、優しいお姉さんのような先輩を……。

きっと、曜がわたしに望んでいることも、そうだと思うから。


鞠莉「...Good night. 曜……」


わたしも目を瞑る。

このまま曜の寝顔を見つめていたら、本当に朝まで眠れなさそうだったから。


曜「……ま、り……ちゃん……」

鞠莉「……///」


ただ、目を瞑ってからも、なかなか寝付けなかったのは……言うまでもないかしらね。





    *    *    *





──ぼんやりと目を開ける。


曜「ん、ぅ……どこ……ここ……?」


見たこともない空間の中、キョロキョロと辺りを見回す。

激しく吹き荒ぶ風の中、木の葉が狂ったように舞い踊っている。

全然前が見えない。


曜「誰か……」


木の葉を手で掻き分けるようにして、前に進むと──


千歌「……」

曜「! 千歌ちゃん……!」


舞い狂う木の葉の間に僅かに千歌ちゃんの姿が見えた。

思わず、手を伸ばす。

だけど──


千歌「……」


千歌ちゃんはふいっと背を向けて、走り出してしまう。


曜「! 千歌ちゃん!! 待って……!!」


──どこに行くの。言い掛けて、気付く。

どこって、そりゃ……。


曜「ダイヤさんの……ところ……だよね」


私は、力なく腕を下ろし……足を止めた。

程なくして、千歌ちゃんの背中は、舞い狂う木の葉に覆い隠されて、完全に見えなくなった。


曜「…………やだ」


胸が、痛い。


曜「……やだ……」


千歌ちゃん。こっちを見てよ。

私を……見てよ。

昔みたいに、私の傍で……笑ってよ。

その笑顔を──ダイヤさんに向けないで……。


曜「……っ……」


ああ、まただ。

私は──なんて醜いことを考えているんだ。

どうして、そんなことを考えてしまうんだ。


曜「……ぐ……ぅ……」


締め付けられる胸の痛みと共に、自己嫌悪まで襲ってくる。

──消えてなくなりたい。

そう思った瞬間、より一層、強い風が吹いて。


曜「…………」


私は、踊り狂う木の葉に飲み込まれて……──消えてしまったのだった。




    *    *    *





曜「──!!!」


意識が覚醒すると共に、ベッドから跳ね起きた。


曜「はぁ……っ!! はぁ……っ!! はぁ……っ!!」


酷く、悪い夢を見た気がする。

肩で息をし、酷い動悸がする。そして、全身が寝汗でびっしょりになっていた。


曜「はぁ……はぁ……」


なんて、悪夢だ……。

顔を顰めながら、思わず夢を反芻するが──


曜「……あ、あれ……?」


夢の内容が、よく思い出せない。


曜「……」


なんだか、最近もこんなことがあった気がする。

いつだったっけ……。


曜「……まあ、夢だし。考えてもしょうがない、か……」


気分が悪いまま、伏し目がちに、周囲に目を配ると、


鞠莉「……すぅ…………すぅ…………」


鞠莉ちゃんが、可愛らしく寝息を立てながら、眠っていた。


曜「……美少女」


そんな言葉が口を衝く。

まるでお人形さんのような、天使を彷彿とさせる寝顔だった。

昨日は散々からかわれたせいで、彼女の中にちょっとした小悪魔を感じていたけど……やっぱり鞠莉ちゃんって、改めてじっくり見てみると、本当に整った顔立ちとお嬢様特有の雰囲気なのか、一生見ていられると思うくらいの美人さんだよね。


鞠莉「……すぅ…………すぅ…………」


鞠莉ちゃんは、規則正しい寝息を立てたまま、熟睡している。

ぼんやりと部屋にある時計に目をやると、時刻は7時半過ぎ。もう朝だ。


曜「……さて、どうしようかな」


休みの日だし、鞠莉ちゃんはこのまま寝かせておいてあげたいけど……。


曜「とりあえず、シャワー借りようかな……」


大量に掻いた寝汗で、気持ち悪いし……。

私は、鞠莉ちゃんを起こさないように、こっそりとシャワーを浴びに行くことにした。





    *    *    *





──さて、汗を軽く流して、ベッドに戻ると、


鞠莉「……すぅ…………すぅ…………」


鞠莉ちゃんは相変わらず、熟睡している。

時刻は8時を回ろうとしていた。


曜「……起こしてあげた方がいいのかな……?」


この時間に起きれば、割と余裕を持って、今日の予定も立てられるし。

そう思い、ベッドの上の鞠莉ちゃんを優しく揺すってみる。


曜「鞠莉ちゃーん、朝だよー」

鞠莉「……すぅ…………すぅ…………」

曜「……あ、あれ?」


微塵も起きる気配がない。


曜「ま、鞠莉ちゃーん」


さっきよりも少し強めに揺する。


鞠莉「……ん……ん、ぅ…………」


あ、起きたかな……?


曜「鞠莉ちゃん、朝だよ」

鞠莉「……ょー……?」


……ょーってなんだろう……? あ、私の名前か。


曜「おはよ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「……?」

曜「朝だけど、起きる?」

鞠莉「……?」

曜「……鞠莉ちゃん?」

鞠莉「…………?」


鞠莉ちゃんは不思議そうな顔のまま、ぼんやりと私を見つめている。

しばらくぼーっと私を見つめたあと、


鞠莉「……すぅ…………」


瞼は閉じられ、再び寝息を立て始めた。


曜「……もしかして、鞠莉ちゃんって、めちゃくちゃ朝弱い……?」


どうしようかな……。まあ、無理に起こす必要もないか。

せっかくだし、朝の淡島をぐるっと散歩でもしてこようかな。

そう思い、ベッドから離れようとすると──


鞠莉「……だぁ……めぇ……」

曜「え!?」


急に腕を引っ張られた。

そして、そのまま、


鞠莉「んぅ…………」

曜「え、ちょ!?/// ま、鞠莉ちゃん!?///」


ベッドに引きずり込まれる。


鞠莉「ょー…………」

曜「ちょっ……///」


そのまま、鞠莉ちゃんの抱き枕状態に。


曜「ま、鞠莉ちゃん……!?///」

鞠莉「んー…………?」

曜「鞠莉ちゃん……!/// 私、抱き枕じゃないから……!!///」

鞠莉「…………ょー」

曜「ょーじゃなくて……!/// いや、曜だけどっ!!///」

鞠莉「…………?」


すごい、キョトン顔してるっ!! いや、キョトン顔の鞠莉ちゃんは可愛いけども……。


曜「ほ、ほら……/// 私、抱き枕じゃなくて……///」

鞠莉「…………ん、ぅ……」

曜「むぎゅっ!?///」


そのまま、鞠莉ちゃんの胸元に抱き寄せられる。

あ、なんか良い匂いする……。じゃなくて……!!


曜「ま、鞠莉ちゃ……///」

鞠莉「……すぅ…………すぅ…………」

曜「寝てる!?」


私を抱きしめたまま、鞠莉ちゃんは熟睡を始める。


曜「ま、鞠莉、ちゃーん……///」

鞠莉「……すぅ………………すぅ…………」


あ、ダメだ、これ絶対に起きないやつだ。


曜「ぐ……ど、どう、にか……///」


身体を捩って、脱出を試みるも、


曜「……お、思ったより……力、強い……」


ぎゅーっと抱きしめられているせいで、なかなか抜け出せない。

それでも、どうにか抜け出そうと、身じろぎしていると、


鞠莉「や、ぁ…………」

曜「……///」


更に強く抱き寄せられる。

あ、ダメだ。脱出も出来ないやつだ、これ。


曜「ま、鞠莉ちゃーん……///」

鞠莉「……すぅ…………すぅ…………ょー…………」


鞠莉ちゃんが息を吸うたびに、胸が上下して、否応なしに鞠莉ちゃんの豊かな胸部に意識を持っていかれる──というか、現在進行形で顔のほとんどが鞠莉ちゃんの胸に埋まっている状態で意識するなというのは流石に無理がある。


曜「……ど、どうしよ……///」


恥ずかしくて、死にそうだ。


鞠莉「……すぅ…………すぅ…………」


そんな私の胸中を知る由もない鞠莉ちゃんは完全に眠っている。

……一応、自分の名誉のために言うと、私はこの後もどうにか脱出出来ないか、頑張った。

頑張ったけど……全ては無駄で、鞠莉ちゃんはまるで起きる気配がなかったし、私を放してくれる気配もなかったのだった。





    *    *    *





 「──う……曜……?」

曜「……ん……ぅ……」


声がして、ぼんやりと目を開けると──


鞠莉「あ、起きた? Good morning. 曜♪」

曜「……」


鞠莉ちゃんに抱きしめられたまま、私は頭を撫でられているところだった。

しまった……結局あのまま、放してもらえないまま、眠ってしまったようだ……。


曜「……おはよう」

鞠莉「もう、曜ったら……朝起きたら、胸に飛び込んできてるんだもん。びっくりしたのよ?」

曜「…………」

鞠莉「甘えんぼさんなんだから……♪」


完全に誤解なんだけど……まあ、もういいや。突っ込む気力がない。


曜「今、何時……?」

鞠莉「……えーっと、1時」


つまり既に午後。寝坊ってレベルじゃない。


曜「鞠莉ちゃんって、朝弱いんだね……」

鞠莉「んー……そうね、あんまり強くないかも」

曜「あんまり……ね……」


あまり自覚はないご様子で……。

私はどうにか、照れを隠しながら、鞠莉ちゃんから離れて、時計を確認すると、確かに午後1時を指していた。


鞠莉「とりあえず、ご飯にしましょう?」

曜「うん」


本日は、朝食──もとい、昼食から一日が始まるようだ。





    *    *    *





さて、待つこと十数分で、部屋に食事が配膳され、私たちはテーブルに着いたんだけど、


曜「…………」


出てきたのは目玉焼き、ベーコン、それにトーストとサラダという、いかにもな朝食メニューだった。

鞠莉ちゃんの家なのに、普通だ……。


鞠莉「どうしたの?」

曜「あ、うぅん。醤油ってある?」

鞠莉「もちろん♪ はい、Soy sauce.」

曜「ありがと」

鞠莉「曜はSoy sauce派なのね。何を掛けるのかわからなかったから、いろいろ用意してもらったけど……Worceser sauce, Ketchup, Mayonnaise...」


なるほど。より取り見取り。用意が良い。


鞠莉「Sugar, Tabasco, Vinegar, Mustard, Chili oil...」

曜「ん……?」


砂糖、タバスコ、お酢、マスタード……チリオイルってのはラー油のことかな……?


鞠莉「Okonomiyaki sauce, Tonkatsu sauce, Sake...」

曜「いやいや、網羅しすぎでしょ!? というか、サケってお酒だよね!?」

鞠莉「意外と合うらしいわよ? 使ったことはないけど……」

曜「私たち未成年なんだから、ダメでしょ……。というか、砂糖辺りから、急にマイナーになったね……」

鞠莉「そう……? 日本人の半分はFried eggにタバスコを掛けるんじゃないの?」

曜「え」

鞠莉「違うの?」

曜「むしろ、誰から聞いたの……?」

鞠莉「善子だけど」


どうやら津島後輩には、よく言って聞かせないといけないことがあるようだ。

鞠莉ちゃんはただでさえ庶民と少しズレているところがあるのに、いい加減なことを教えないで欲しい


曜「多いのは、醤油かソース辺りだと思うけど……」

鞠莉「そうなんだ」

曜「ところで鞠莉ちゃんは何で食べるの?」

鞠莉「Salt and pepperよ」

曜「塩コショウ……」

鞠莉「……? どうしたの?」

曜「いや、鞠莉ちゃんにしては普通だなって」

鞠莉「……曜は、わたしに何を期待してるの……?」


鞠莉ちゃんがジト目を向けてくる。


曜「いやだって……というか、鞠莉ちゃんが目玉焼きを食べたことがあるっていうのがそもそも意外だし」

鞠莉「Sunny-side upくらい、ホテルの朝食でも普通に出るわよ……?」


鞠莉ちゃんは言いながら、上手に白身をナイフで切り、黄味につけて優雅に口に運んでいる。

なるほど……ナイフとフォークでどうやって食べるのかと思ったけど、そうやって食べるのか……。

私も醤油を掛けたあと、倣うようにして目玉焼きを食べ始める。


曜「……ん」


一言で言うと、この目玉焼きは今まで食べたことのない濃厚な味がした。

これもこの間のサンドイッチ同様、烏骨鶏卵かそれに類する高級な卵で出来ているのかもしれない。

朝食から贅沢をしている気分になる。いや、もうお昼だけど。


鞠莉「それにしても、今日はどうしようかしらね……」

曜「ん?」

鞠莉「このあとの予定」

曜「あー……」


起きるのが遅かったからすでに2時前だしなぁ……。


鞠莉「このまま、ここで過ごすのでもいいんだけど……」

曜「……うーん」


まあ、確かにそれは魅力的な話ではある。

ただ、ここにいるとなんだか、堕落していきそうという懸念もあるし……そうだなぁ。

いろいろ考えていると、


曜「……あ」

鞠莉「?」


あることを思い出した。


曜「ねえ、鞠莉ちゃん。よかったら今日はウチに泊まりに来ない?」

鞠莉「ウチって……曜の家ってこと?」

曜「うん! ママに鞠莉ちゃんの家に泊まりに行くって話したら、今度連れて来なさいって言われちゃってさ」

鞠莉「わたしは別に構わないけど……いきなりで大丈夫?」

曜「たぶん大丈夫! ウチ割と自由利くから、急に友達が泊まることとかよくあるし! 一応確認はしてみるけど」

鞠莉「そう? なら、泊まりに行っちゃおうかな」

曜「うん! それじゃ、早速にママに聞いてみるよ!」





    *    *    *





さて、ママに連絡したところ、二つ返事でOKを貰えたので、今、私は鞠莉ちゃんと一緒に自宅に向かうバスの中。そろそろ目的地に到着しようとしている。

鞠莉ちゃんのお泊りの準備を手伝って、島を出てから、バスに揺られて40分。

時刻は4時半頃。


鞠莉「Hmm...次からはもっと早起きしないとだネ……」

曜「あはは……そうだね」


この時間の動き出しになると、沼津で何かしようとするには少し遅い。

私は最悪、歩いて帰れる距離に家があるにしても、夜の7時を過ぎたらお店が閉まり始めちゃうしね。


曜「お、着いたね」


市場町のバス停で降りて、ここから徒歩10分ほどで私の家だ。


鞠莉「このルートだと曜の家を挟んで、沼津港は反対側になっちゃうのね……」

曜「うん、そうだね。三津シーの方からなら、沼津港まで行くバスがあるけど……。マリンパークから乗ると、ここが最寄のバス停になるかな。鞠莉ちゃん、沼津港に行きたかった?」


正直生魚が苦手な私は沼津港にはあまり足を運ばないんだけど……。

あ、でも最近プリンが話題になってるんだっけ? 確か深海プリンだっけ……? スイーツがあるなら、鞠莉ちゃんと一緒に食べに行くのも悪くないかもしれない。

でも、鞠莉ちゃんの目的はそれではなかったらしく。


鞠莉「せっかく、こっちまで来たから……『びゅうお』に行くのもいいかなって思ったんだけど」

曜「あーなるほど」


確かに私たちと言えば、『びゅうお』みたいになっているところがある。のんびりお話するには悪くない場所だ。


曜「なら、後で行く? 別に大した距離でもないし……」

鞠莉「うぅん、今日はいいかな。曜のお母様にもちゃんとご挨拶しなくちゃいけないし」

曜「そんなご挨拶だなんて……ママ、普通の人だよ?」


そんな話をしながら、永代橋を渡り、狩野川沿いに南下していく。

すると、直に自宅が見えてきた。


曜「それじゃ、鞠莉ちゃん。渡辺家へようこそ」

鞠莉「ふふ、お邪魔します」


わざとらしく恭しい素振りをしながら、ドアを開けて、鞠莉ちゃんを招待する。


曜「ただいまー」


お母さんに聞こえるように、帰宅を伝えながら、靴を脱ぐ。


曜「鞠莉ちゃんもあがってあがって」

鞠莉「ええ」


促すと鞠莉ちゃんもブーツを脱ぎ始める。

そんな中、奥の方から、


曜ママ「おかえりなさい、曜ちゃん」


ママが顔を出す。


曜「ただいま、ママ」

鞠莉「初めまして、小原鞠莉です。今日はお世話になります」


ママの姿を確認すると、鞠莉ちゃんは礼儀正しく頭を下げる。


曜ママ「初めまして、曜の母です。いつも曜ちゃんと仲良くしてくれてありがとうね? 少し窮屈なお家かもしれないけど、自分の家だと思ってくつろいでくれていいからね」

鞠莉「はい、ありがとうございます」


ママの言葉に鞠莉ちゃんが柔和に微笑む。さすが鞠莉ちゃん、初対面の大人相手でも、全然余裕の素振りだ。


曜ママ「それにしても、鞠莉ちゃん……美人さんね」

鞠莉「いえ、そんな……ありがとうございます」

曜ママ「曜ちゃんが迷惑掛けてない? おてんば娘で普段から落ち着きがなくって……鞠莉ちゃんみたいな、落ち着いた子から見ると喧しいかもしれないけど……」


失礼な、誰がおてんば娘だ。


鞠莉「いえ、そんな……曜には──えっと、曜さんにはいつも助けられてばっかりで……」

曜ママ「ふふ、いつもの呼び方で大丈夫よ」

鞠莉「あ、はい……! 曜は普段から、気配りの出来る優しい子ですよ。皆からも頼りにされてます」

曜ママ「それならいいんだけど……曜ちゃんったらね、この間も──」

曜「あーもう!! ママ、話長い! 鞠莉ちゃん、部屋いこ!」

鞠莉「え、でも……」


鞠莉ちゃんがブーツを脱いだのを確認してから、二階の自室に引っ張る。

このまま、ここに居たら絶対ママが余計なこと言うからね。


曜ママ「ふふ、ごゆっくり。7時には夕飯にするから、降りて来てね」

曜「はーい」

曜ママ「今日はママ張り切っちゃうんだから♪」

鞠莉「お夕食、楽しみにしてます」

曜「はいはい、ほどほどに張り切ってね」


適当にママをあしらいながら、自室を目指して階段を上る。


鞠莉「……綺麗なお母さんね。曜にそっくりだったわ」

曜「そうかな……? あんま似てないと思うんだけど……私、目元とかはパパ似だし」

鞠莉「確かに、曜の方が垂れ目かもね」

曜「ママったら、怒るとさらに目尻が釣りあがって、こーんなになるんだよ?」


私は目尻を引っ張りあげながら、鞠莉ちゃんに見せてあげる。


曜ママ『曜ちゃーん? 聞こえてるわよー?』

曜「げっ……」


地獄耳め……。


鞠莉「……くすくす」


鞠莉ちゃんがくすくすと笑い出す。


鞠莉「お母さんと仲良いのね」

曜「えぇ……? そう見えた?」

鞠莉「うん、そう見えた」


まあ、特別仲が悪いなんてことはないけど……。

ただ、鞠莉ちゃんにはすごく仲が良く見えたらしい。


鞠莉「──羨ましいな……」

曜「……?」

鞠莉「あ、うぅん。なんでもない」

曜「そう……?」


羨ましい……か。

そういえば、私、鞠莉ちゃんのお母さんってどんな人か知らないな。

鞠莉ちゃん、お父さんにも滅多に会えないって言ってたし……お母さんともあんまり会えないのかもしれない。

まあ、本人がなんでもないと言うなら、無理に詮索するようなことじゃないかもしれないけど……。

──さて。


曜「ここが私の部屋だよ。どうぞ」


鞠莉ちゃんを自室に招き入れる。


鞠莉「……ここが曜の部屋なのね」


鞠莉ちゃんが部屋の中に入ってキョロキョロと辺りを見回す。

私の部屋は当たり前だけど、鞠莉ちゃんの部屋に比べるとめちゃくちゃ小さい。

特別狭いって程じゃないけど……。


鞠莉「布が壁に……これは洋裁用の棚?」

曜「あ、うん、そうだよ。そこの棚にはミシンとかがしまってあるんだ」

鞠莉「さすが、Aqoursの衣装担当ね……」


私の部屋は四隅にある棚と、窓際に置かれた長方形の机、そしてベッドで構成されている。

……そういえば、


曜「布団……出しておかないと」


今日の寝床の確保をせねば、と思った矢先。


鞠莉「曜~?♪」


鞠莉ちゃんに肩を掴まれる。


曜「ぅ……」

鞠莉「今日も一緒のベッドで寝たいな♪」

曜「いや……鞠莉ちゃんのベッドほど、おっきくないし……」


あのお姫様ベッド、詰めれば3~4人は寝れそうなサイズだったし……。

それに比べて、私のベッドはどう考えても一人用だ。


鞠莉「大丈夫よ~今朝みたいに、マリーに甘えてくれればこの大きさでも十分事足りるわ♪」


むしろ、それが問題なんだって……。

間違いなく、寝ぼけた鞠莉ちゃんの犠牲になる。


鞠莉「……ダメ?」

曜「……後で考える」

鞠莉「ふふ、期待してるわね♪」


ここで、ダメと言い切れないのが私の悪いところだ。

私が肩を竦めて、どうしようかを思案していると、


曜ママ『曜ちゃーん? 飲み物取りに来てくれるー?』


階下のママに呼ばれる。


曜「はーい。鞠莉ちゃん、ちょっと待っててね」

鞠莉「ふふ、おかまいなく~」


鞠莉ちゃんに出す飲み物を取りに、私は一人、ママの下へと向かうのだった。




    ✨    ✨    ✨





鞠莉「じっと待ってるのも良いんだけど~♪」


わたしは曜の部屋をぐるりと見渡しながら、


鞠莉「人の部屋にきたら、何か面白いものがないか探すに限るわよね♪ 棚の中に何か面白いものとか、ないかしら~?」


近くの棚の引き出しを何気なく開けてみて、


鞠莉「……え」


わたしは言葉を失った。

これって……。


鞠莉「なんで……こんなものが……?」


そういえば、この間部室で──


曜『鞠莉ちゃーん』

鞠莉「!?」


ドアの向こうで曜に呼ばれて、反射的に引き出しを閉める。


曜『手塞がってるから、ドア開けてー』

鞠莉「Yes. 今開けるわ~」


曜が戻ってきてしまったから、これ以上確認するわけにもいかず、わたしはドアの方へと歩を進める。

でも、どうして……。

どうして、曜の部屋に……──この間、ダイヤが失くしたと言っていた、ヘアピンがあるのかしら……?





    *    *    *





部屋に戻ってきてから、少し鞠莉ちゃんの様子が変だった。


鞠莉「…………」


何か、考え事をしているのか、持ってきた麦茶をじーっと見つめたまま固まっている。


曜「鞠莉ちゃん?」

鞠莉「……え?」

曜「大丈夫……? ぼーっとしてるけど……」

鞠莉「……あ、えっと……は、初めて曜の家に入ったから緊張、してるのかも?」

曜「えー? 今更……?」


さっきまで元気に私と同衾の約束を取り付けようとしてた癖に……。


曜「もしかして……」

鞠莉「……! な、なに……?」

曜「鞠莉ちゃん、一人にされると急に不安になるタイプでしょ」

鞠莉「え……あ、う、うん。そんな感じかな?」


鞠莉ちゃんはまたぐるりと室内を見回して、


鞠莉「ほら……あそこの棚にある船の模型とか、壊しちゃったらいけないじゃない?」


船の模型が飾っている棚を指差す。


曜「別に触らなければ壊れないよ~」

鞠莉「それはそうだけど……。でも、何かの拍子に、とか考えるとちょっと緊張しないかしら?」

曜「まあ、わからなくはないけど」

鞠莉「模型とか……人が頑張って作ったものだと、弁償すればいいってものでもないし……。あれ、曜が自分で作ったの?」

曜「うん。パパに手伝って貰ったやつとかもあるけどね」

鞠莉「そうなんだ」

曜「手伝って貰ってたのは、ちっちゃい頃だけどね。今考えてみたら、貴重な休日なのに、一日中パパに手伝って貰っちゃって……」

鞠莉「あら……一日中一緒に遊んで貰えて、むしろ嬉しかったんじゃないの?」

曜「……実を言うと、ちっちゃい頃はパパが相手してくれるのが嬉しくて作ってました」


船が好きな私は、小さい頃はよくパパと一緒に船の模型を作ったものだ。特にフェリーの模型が多い。

中学生くらいになってからは、ボトルシップなんかにも手を出していたり。

お陰で自室の棚もだいぶ埋まってきた。


鞠莉「それにしても……やっぱり、曜って手先が器用なのね」

曜「なんか好きなんだよね、細々した作業が。お陰で目が悪くなっちゃったけど」


細かい作業に集中してると、近くばっかり見るから、目に悪いんだよね。


鞠莉「わたしはあんまり細かい作業は得意じゃないから……素直に羨ましいわ」

曜「確かに鞠莉ちゃんって、いろいろ豪快だもんね」

鞠莉「ん? それは褒めてる? 貶してる?」

曜「……褒めてるよ?」

鞠莉「ふーん。変な間があったけど、まあイイデショウ。……ここにあるので全部なの?」

曜「うぅん、パパの部屋にもあるし……。それと別に、飾ってる部屋もあるんだよね」

鞠莉「へぇ……? わざわざ、専用の部屋まで?」

曜「大きめなやつとかは部屋には置けないからね、後で見る?」

鞠莉「ちょっと、興味あるわね……」

曜「じゃあ、後でね」

鞠莉「ええ」


そんな約束を取り付ける。

まあ、ご飯のあとでいいかな。

──その後も鞠莉ちゃんと会話をしていたら、時間はあっという間に過ぎ去って、すぐに夕飯の時刻となるのだった。




    *    *    *





曜「わぁっ!」

鞠莉「Wao! おいしそうなハンバーグデース!」


7時になって、言われたとおり二人で一階に降りてくると、食卓にはおいしそうなハンバーグが三つ並んでいた。


曜ママ「二人とも、良いタイミングで降りてきたわね。ちょうど今呼びに行こうと思ってたの」

曜「いやーナイスタイミングだね♪」


私はご機嫌なまま、椅子に座る。


鞠莉「曜ったら、ご機嫌ね?」


鞠莉ちゃんに突っ込まれてしまう。


曜「ん、えっと……」

曜ママ「ふふ、曜ちゃん、ママのハンバーグ大好きだもんね♪」

鞠莉「ああ、なるほど♪」

曜「ち、ちょっと、ママ!///」

曜ママ「鞠莉ちゃんをウチに連れてくるって話も、最初は渋ってたのに、ハンバーグ作ってあげるって言ったら、急に乗り気になっちゃって」

曜「なってないよ!?」

鞠莉「あら……曜、もしかして今日招待してくれたのは、ハンバーグのためだったの……?」

曜ママ「ごめんなさいね……ゲンキンな娘で」

曜「だから、そうじゃないって言ってるじゃんっ!///」

鞠莉「ま、冗談だけど♪」

曜ママ「もう、曜ちゃんったら、すぐホンキにしちゃうんだから~♪」


なんで、この二人、妙に息があってるんだろうか。


曜「……それより、食べていい?」

曜ママ「はいはい、どうぞ召し上がれ」

曜「いただきます!」

鞠莉「いただきます」


早速ハンバーグを、ナイフで切って口の運ぶ。


曜「……あむ……おいしい……」


悔しいけど、ママのハンバーグは本当においしい。

今でも夕飯の献立がハンバーグだと言われると、今でも思わず寄り道せずに家に帰りたくなるくらいだ。


鞠莉「……! おいしい……!」


鞠莉ちゃんもママのお手製ハンバーグを口にして、びっくりしたように目を見開いていた。


曜ママ「ふふ、お口に合ったようで何よりだわ♪」

鞠莉「本当においしいです……! ウチのシェフが作ったものより、おいしいかも……」

曜ママ「あら……高級ホテルのお嬢様のお墨付きがもらえるなんて嬉しい♪」

曜「おかわり!」

鞠莉「え!? 曜、もう食べちゃったの!?」

曜ママ「はいはい、食べ盛りだもんね」


ママがお皿にハンバーグを載せて持ってきてくれる。


曜ママ「これで終わりだからね?」

曜「はーい♪」

鞠莉「あ、あの……」

曜ママ「ん? 何かしら」

鞠莉「これ、一体なんのお肉を使ってるんですか……?」

曜ママ「スーパーで買った、普通の合挽き肉よ」

鞠莉「え……ほ、本当に……?」

曜ママ「もちろん」

鞠莉「何か隠し味とか……」

曜ママ「うーん……私なりに研究して作ってはいるけど、そうだなぁ……一番の隠し味は」

鞠莉「か、隠し味は……?」

曜ママ「曜ちゃんと、パパへの愛情、かな♪ 今日はパパは居ないけどね」

鞠莉「あ、愛情……ですか」


なんか、ママが恥ずかしいこと言ってる……。

でも、鞠莉ちゃんも思わず、何か特別な作り方をしてるんじゃないかと思うくらいにはおいしかったようで、


鞠莉「愛情……愛情でご飯がおいしくなるのね……」


やたらと関心したように頷きながら、ハンバーグを味わっている。

そんな様子を見て、ママは、


曜ママ「鞠莉ちゃんにも好きな人が出来たら、きっとわかるようになると思うわ」


なんてことを言う。


鞠莉「そういうものなんですか……?」

曜ママ「ええ、そういうものよ。私もパパにおいしいって言ってもらうために、いっぱい料理の研究したもの」

鞠莉「Oh.. The way to a man's heart is through his stomach. ──男性の心をつかむには、まずは胃袋からって言いますものね……素敵」


鞠莉ちゃんは感激してるけど、正直私は耳にタコが出来るほど聞いてる話だ。

ママも大概、パパのこと大好きだからなぁ……。

まあ、私には負けるだろうけど。


曜ママ「そして、パパの胃袋を掴んで、結婚して……曜ちゃんが生まれて、曜ちゃんもパパと同じように私の作ったハンバーグをおいしいって言って食べてくれてる」

曜「……もぐもぐ……」

曜ママ「そういうとき、いっつも、パパと結婚して良かったな。曜ちゃんが生まれてきてくれてよかったなって……思うのよね」

曜「…………もぐもぐ……///」

鞠莉「ふふ……曜ったら、照れてる」

曜「…………照れてない///」

曜ママ「曜ちゃんって、意外と照れ屋さんだからね~」

曜「だから、照れてないって……///」


2つ目のハンバーグも完食して、一緒に出されたライスとスープに手を付ける。


鞠莉「ご家族三人とも……仲が良いんですね」

曜ママ「そうね、今でもパパと曜ちゃんと、仲良し家族だと思うわ。ね、曜ちゃん?」

曜「…………そうなんじゃない」


そういう話を、私に振らないで欲しい。

鞠莉ちゃんの前で、お母さん大好き! なんて言うと思ってるんだろうか。


曜ママ「はぁ、最近曜ちゃんが冷たくて、ママ悲しいなぁ……」

曜「いや……普通だって」

曜ママ「今でもパパのことは大好きなのにね。ママ、寂しいなぁ」

曜「パパは特別」

曜ママ「……そうよね~。ちっちゃい頃はパパと結婚するって言ってたもんね」

曜「……ぶふっ///」


スープをむせる。


鞠莉「あら♪ 曜ったら、可愛いこと言ってた時期があったのね♪」

曜ママ「聞いてよ、鞠莉ちゃん。曜ちゃんったらね、娘はパパと結婚出来ないって知ったとき、もう一日中泣き喚いて、部屋に閉じこもっちゃったのよ」

鞠莉「へ~……よっぽど大好きだったのね」

曜「マ、ママ……その辺で……///」

曜ママ「それで、私に向かって『ママはパパと結婚しててずるい!』なんて言うんだもん」

鞠莉「あら、可愛い♪ もっと、聞きたいです、その話」

曜「ちょ……! 鞠莉ちゃんっ!?///」


鞠莉ちゃんが乗ってくると、ママは楽しげに話し始める。


曜ママ「──パパが仕事に行くときは、曜ちゃんいっつも泣いちゃってね~。パパ仕事いかないで、曜と一緒に居て~って」

鞠莉「まぁ♪」

曜「何歳のときの話してるのっ!!///」

曜ママ「──パパがお休みに友達と飲みに行っちゃったとき、曜ちゃんったら、いじけちゃって……もう、私とも全然口利いてくれなかったのに、パパが帰ってきたら、パパ~パパ~寂しかったよ~って。それ以降、パパったら、あんまり飲みにも行かなくなっちゃったから、私としても嬉しかったんだけどね~♪」

鞠莉「ふふ、娘には敵いませんね」

曜「も、もう、勘弁して……///」


次から次へと飛び出す、渡辺曜のパパエピソード。

それを鞠莉ちゃんに聞かれるって……なんだ、この羞恥プレイは……。

そして、極めつけは、


曜ママ「曜ちゃんが、何歳までパパとお風呂入ってたか……鞠莉ちゃん、知ってる?」

曜「!?/// マ、ママッ!!!///」

鞠莉「えっと……小学校1年生くらい……?」

曜ママ「小学校5年生なの」

鞠莉「5年生……それは結構遅くまで」

曜「ママッ!!!////」

曜ママ「それもね、自分から一緒に入るの止めたとかじゃなくて……もう曜ちゃんは、大人の身体になるから、一緒には入れないんだよって、パパと私の二人掛かりで説得してね……大変だったわ。もう泣くわ、喚くわ、部屋に閉じこもるわ、スネるわで……」

曜「~~~~~ッ!!////」


私は、椅子から勢いよく立ち上がる。


曜ママ「あら、曜ちゃん。ご飯が食べ終わったら?」

曜「ごちそうさまっ!!////」

曜ママ「はい、おそまつさま♪」


食べ終わった食器を流しに下ろす。


曜ママ「あら、部屋戻るの~? 今いいところなのに……」

曜「お風呂っ!!///」


こんな話してるところにとどまれるわけないし……!!


鞠莉「あら、一人でお風呂入れる?♪」

曜「~~~~ッ!?/// 入れるよっ!!!////」

鞠莉「ふふ、そっか♪」


ダメだ、鞠莉ちゃんとお母さん、波長が合い過ぎている。

このままじゃ、やられる……。私は、顔を真っ赤にしながら、そそくさと食卓を後にし、お風呂に急ぐのだった。





    ✨    ✨    ✨





曜ママ「ふふ、ちょっとやりすぎちゃったかもね」


曜のお母さんは、そう言いながらくすくすと笑う。

それにしても……。


鞠莉「本当に、仲が良いんですね」


本当にそう思う。わたしは……ママとは絶対こんな会話は出来ない。


曜ママ「ふふ、仲が良いのが自慢だと思ってるからね」

鞠莉「正直、羨ましいです……」

曜ママ「鞠莉ちゃんは、お母さんとこういう話しないの?」

鞠莉「しないというか……出来ないというか……。わたしの母は、ものすごく厳しくて……」

曜ママ「……そうなんだ」

鞠莉「曜のお母さんみたいに、娘のことを考えてくれる母親じゃないから……」


いつも、わたしを縛り付けることばかりに躍起なママだから……。

なんてことを口にするわたしを、


曜ママ「鞠莉ちゃん、自分のお母さんをそんな風に言っちゃダメよ?」


曜のお母さんはそんな風に窘める。


鞠莉「…………」

曜ママ「もちろん、いろんなご家庭があると思うから、一概にどうとは言えないけど……でも、きっと鞠莉ちゃんのお母さんも鞠莉ちゃんのことを想って、いろいろ厳しくしているんだと思うわ」

鞠莉「そう……なのかな……」

曜ママ「子供が思ってる以上に、親って上手に気持ちを伝えられないものだからね……。でも、厳しくしてくれるってことは、絶対に鞠莉ちゃんのためを想ってのはずよ。愛がなければ厳しくも出来ないもの」

鞠莉「……はい」

曜ママ「なんて、ごめんね。部外者に言われても困っちゃうわよね」

鞠莉「いえ……。曜のお母さんが言うなら、そうなのかなって……思います」

曜ママ「あら……どういうことかしら?」

鞠莉「曜……良い子過ぎるくらい、良い子だし……そんな曜を育てた、お母さんの言葉だから……」

曜ママ「…………」

鞠莉「見てるこっちが心配になるくらい、良い子で……普通の人だったら、怒っちゃうような場所でも、飲み込んで、抱え込んで……それなのに、自分が想ってしまったことにすら、罪悪感を覚えて、一人で傷ついちゃうくらい、優しくて……」

曜ママ「……そっか」


言ってから、果たしてこんなこと、曜の親御さんに言うべきことだったのかと思ったけど、曜のお母さんは、


曜ママ「鞠莉ちゃんが、曜ちゃんの傍に居てくれてよかったな」


なんて、言う。


鞠莉「そう、ですか……?」

曜ママ「曜ちゃんの気持ち……ちゃんとわかってくれる人が居てくれて、ちょっと安心した」

鞠莉「いや……そんな……」

曜ママ「曜ちゃん……千歌ちゃんと、何かあったんでしょ?」

鞠莉「……え!?」


曜のお母さんの言葉にびっくりして、思わず顔をまじまじ見つめてしまう。


曜ママ「わかるわよ。私は曜ちゃんのママだもの」

鞠莉「……」

曜ママ「具体的に何があったかまではわからないけどね……。曜ちゃん、ずっと苦しそうだったから」

鞠莉「……そう、ですか」


言葉に詰まる。やっぱり、近しい人から見てもわかるくらい、曜の心はずっと悲鳴を上げているんだ。


曜ママ「ただね」

鞠莉「?」

曜ママ「最近、少し元気になったから、何かあったのかなって思ってたんだけど……──鞠莉ちゃんが傍に居てくれるからなんだなって」

鞠莉「……ホントですか……?」

曜ママ「ええ。鞠莉ちゃんと一緒に過ごしてる曜ちゃんの姿を見て、確信した。今、曜ちゃんの心の支えは鞠莉ちゃんなんだって」

鞠莉「……そ、っか……」


曜のお母さんからそう言って貰えて、心底ホッとしている自分が居た。

果たして、自分は曜の力になれているのか、正直それがずっと不安だった。

でも、せいぜい、曜の最も近しい家族から見て、わたしは力になれていると言って貰えたことが、単純に嬉しかった。


鞠莉「……あ、あの」

曜ママ「なぁに?」

鞠莉「……わたしは、曜にとって……──千歌の代わりになれてますか……?」


彼女の包み込むような母性の前で、油断していたのかもしれない。わたしは曜のお母さんに、余計な質問をしてしまった。


曜ママ「……」


曜のお母さんが真剣な表情になる。


曜ママ「……鞠莉ちゃん」

鞠莉「は、はい」

曜ママ「私はね……誰かが誰かの代わりになんて、なれないと思うわ」

鞠莉「……」

曜ママ「千歌ちゃんは千歌ちゃん。鞠莉ちゃんは鞠莉ちゃん。それぞれ、曜ちゃんにとって、大切な人。それは変えようがないものだと思う」

鞠莉「はい……」


言われてから、わたしはなんて当たり前のことを訊ねてしまったんだと、後悔する。


曜ママ「だから、鞠莉ちゃんは千歌ちゃんの代わりには、絶対なれないと思うかな」

鞠莉「……」

曜ママ「ただ、ね……」

鞠莉「……?」

曜ママ「不安になる気持ちはわかるかな……」

鞠莉「え……」

曜ママ「頭でわかってても、相手の中にある自分の存在が、他の誰かに劣ってるんじゃないかって……そう思っちゃうことはあるもんね。若い内は特に」

鞠莉「…………」

曜ママ「でも、鞠莉ちゃんは鞠莉ちゃんだし、曜ちゃんも鞠莉ちゃんに──千歌ちゃんの役割って言うのかな……そういうものを求めてはいないと思うわ」

鞠莉「……はい」

曜ママ「だから、鞠莉ちゃんは千歌ちゃんにならなくていい。鞠莉ちゃんのまま、曜ちゃんを想って、大切にしてくれたら……ママは嬉しいかな」

鞠莉「……はい」


──ああ、優しいお母さんだな……。曜があんな良い子に育った理由が、わかる気がした。


鞠莉「わたし……これからも曜の傍に居ます」

曜ママ「ふふ、ありがとう、鞠莉ちゃん」


わたしは、わたしなりに、曜を大切に想って、傍に居よう。

曜のお母さんと話をして、わたしはそんなことを心に誓ったのだった。





    *    *    *





曜「──……ぶくぶくぶく……///」


全く酷い目に遭った。

さっきから湯船に顔を半分沈めながら、悶々としている。

ママもあんなこと、鞠莉ちゃんに言わなくてもいいのに……とんだ赤っ恥だ。


曜「ぶくぶくぶく……。……こんなことなら、鞠莉ちゃん連れてくるんじゃなかった……」


鞠莉ちゃんは何も悪くないけど──いや、悪乗りしてたから、鞠莉ちゃんも悪いかも……?

どっちにしろ、鞠莉ちゃんとママが一緒に居る場に居合わせると、完全に標的にされることがよくわかった。

そんな、鞠莉ちゃんたちもそろそろ夕食が終わった頃だろうか。


鞠莉『──曜~?』

曜「!」


噂をすればだ。脱衣所から、鞠莉ちゃんに呼ばれる。


曜「なに~?」

鞠莉『お湯加減どう?』

曜「丁度良い感じ~」


やっぱり、我が家のお風呂は落ち着く。

昨日は慌しい入浴になってしまった分、今日はゆっくり湯船に浸かろうと思っていたわけだ。


鞠莉『そっか♪ じゃあ、入るね?』

曜「……は?」


──何の脈略もなく、浴室に鞠莉ちゃんが入ってくる。


鞠莉「おじゃましマース♪」

曜「!?///」


もちろん、全裸だ。いや、服着てても困るけど。


曜「な、なんで……!?///」

鞠莉「せっかく、お泊りだから、一緒にお風呂に入らないと、と思って♪」


それは昨日聞いた。


曜「私、一人で入れるって言ったじゃんっ!!///」

鞠莉「曜は一人でも良いかもしれないけど、マリーが一人じゃイヤだったの」

曜「え、ええ……」


鞠莉ちゃんはシャワーで身体を軽く流したあと、


鞠莉「曜、もっと詰めて?」


湯船に入ってくる。


曜「はぁ……///」


思わず溜め息を吐いてしまう。

全く、鞠莉ちゃんは昨日の今日で何を考えているんだろうか。


鞠莉「……曜♪」

曜「ん」


鞠莉ちゃんは名前を呼びながら、私の手を握ってくる。


曜「……?」


なんだろうと思ったけど、鞠莉ちゃんは、


鞠莉「♪」


私の手を握ったまま、ニコニコしているだけだった。


曜「鞠莉ちゃん?」

鞠莉「ん?」

曜「急に……どうしたの?」

鞠莉「えっとね、曜と手を繋ぎたかったの」

曜「……え……そ、そうなんだ」

鞠莉「うん♪」


てっきり、胸を揉まれたり、もっと際どいところまで、触ってくるような、セクハラを警戒していたので拍子抜けしてしまう。

鞠莉ちゃんは、特にそれ以上は何もせず、ただ手を握っているだけ。


曜「……??」


逆に困惑してしまう。……いや、まあ、変なことされないに越したことはないんだけど。


鞠莉「曜」


再び名前を呼ばれる。


曜「なに?」

鞠莉「傍に居るからね」

曜「…………うん」


唐突過ぎて、よくわからないけど──鞠莉ちゃんが傍に居てくれるのは、純粋に頼もしいし、嬉しかった。

だから、私も素直に頷く。

その後も……


鞠莉「♪」


一緒に入浴をしたわけだけど……結局、鞠莉ちゃんはただ手を繋いでいるだけだった。

どうしてかは、やっぱりよくわからなかったけど……鞠莉ちゃんが嬉しそうだったから、まあいっか……。





    *    *    *





曜「──ここが、さっき言ってた部屋だよ」


入浴後、鞠莉ちゃんと一緒に模型を飾ってる部屋にやってきた。


鞠莉「Wao...!」


鞠莉ちゃんが驚きの声を上げる。

それなりのサイズの模型がある部屋だ。驚くのも無理はない。

もちろん、置いてあるのは数隻だけど、それでも十分な迫力がある。


鞠莉「……?」


その中でも、一際目を引く模型がある。鞠莉ちゃんもそれが気になったようで、


鞠莉「これ……木造の模型……?」


木で出来た模型に興味を示す。

60cm程の大きさのフェリーの模型。


曜「これね、パパが乗ってたフェリーと同じ型なんだ」

鞠莉「そうなの? これも、曜と曜のお父さんで作ったの……?」

曜「あはは……さすがにこれは職人さんに作ってもらったものだよ」


いくら手先が器用と言っても限度があるしね。ここまで来たら、もう市販模型の範疇ではないから、素人には難しい。


鞠莉「わざわざ職人さんに……?」

曜「えっとね、これ……実は奉納する予定のものだったんだ」

鞠莉「ホーノー……?」


鞠莉ちゃんが不思議そうな顔をして聞き返してくる。


曜「内浦の方にね、海上での安全祈願をする神社があって、そこに船の模型を奉納する場所があるんだ」

鞠莉「それじゃあ……これはそこに……?」

曜「うん。パパは前にも言ったけど、船長さんだから、安全祈願で奉納させてもらう予定だったんだ。……まあ、本来は漁船の安全祈願らしいんだけどね」

鞠莉「へぇ……でも、それじゃどうして奉納しなかったの?」

曜「あー、えっとね……」

鞠莉「?」

曜「……ちっちゃい頃の私がね、『パパの船と同じだ』って、この木造模型をすっごく気に入っちゃって……。いざ奉納しようってときに、すごいダダをこねたらしくって」


正直、そのときの記憶はおぼろげにしか残ってないんだけど……。


曜「ちゃんとした職人さんに造ってもらったもので、お清めとかも済んだあとだったから、パパもママも相当困っちゃったらしいんだけど……」

鞠莉「ふふ……曜ったら、ちっちゃい頃から本当に船が好きだったのね」

曜「あはは……そうだね。結局、私のために奉納は取りやめになって、こうして家に飾ってるんだ」

鞠莉「可愛い娘には敵わなかったのね」

曜「それもあるんだろうけど……」

鞠莉「けど?」

曜「そのとき、パパに言われたんだ」



──────
────
──


曜パパ『曜。このお船は、水難から曜を守ってくれるんだぞ』

よう『すいなんってなーに?』

曜パパ『水に関係する災難のことだよ』

よう『よう、およぐのとくいだからへいきだよ?』

曜パパ『ははっ。そうだな。でも、なにかあったとき、曜を守ってくれるように、ここに残すことにしたんだ』

よう『そうなの?』

曜パパ『だから、これは曜だけを守ってくれる船だから……大切にするんだぞ』

よう「うん! わかった!」


──
────
──────



曜「ちょうどそれくらいのときに高飛び込みを始めたのもあって、神社に奉納するよりも、もっと私の身近な場所に置いて、私を水難から守ってくれるようにって……ここに残してくれたんだ」

鞠莉「……素敵な話ね」

曜「ちゃんとお清めもしてたからね。本来の目的とは違っちゃったけど……ご利益は十分あるのかなって」

鞠莉「可愛い娘を泣かせないためにも、本来するはずだった奉納を取りやめてでも、残してくれたなんて……曜は本当にご両親から愛されているのね」

曜「うん、そうかも……」


これだけ立派な木造模型だ。きっと安くない額を支払って造ってもらったものだろうに。

それでも、最終的に私を想って、ここにこの船を残してくれたパパとママには感謝しなくてはいけないだろう。


曜「……今ではパパが乗ってるフェリーも代替わりしちゃったから、晴れてこの木造フェリーは私を守るためだけに、渡辺家にあるって感じかな」

鞠莉「ふふ、曜の守り神様なのね?」

曜「そんなとこ」


まあ、この部屋に入るのも、久しぶりだから、こうしてじっくり見たのも久しぶりだというのは余談かな。


曜「パパに会えなくて寂しいときは、よくこの部屋でこの船を見てたな……」


パパが乗ってる船と同じ木の船の傍で……。

何故だか、不思議と安心したことを覚えている。

やっぱり、この船には守り神のようなものが憑いているのかもしれない。


鞠莉「これからも、ずっと……曜を守ってくれるといいね」

曜「うん……」


鞠莉ちゃんとそんな会話をしながら、私たちは部屋を後にする。

船はまた再び、私を守るために、私に一番近いこの家で、眠りに就く──





    *    *    *





──さて、


鞠莉「それじゃ、曜。一緒に寝ましょ?♪」

曜「……しまった、忘れてた」


気付けば、すっかり就寝時間だった。

鞠莉ちゃんはすでに、私のベッドの上で両手を広げてスタンバっている。


曜「……やっぱり、一緒に寝るの?」

鞠莉「もちろん♪ 昨日も一緒に寝たじゃない」

曜「……まあ、そうだけど」


やっぱり、私のベッドは二人で寝るには狭いと思うんだけど……。


鞠莉「曜♪ おいで♪」

曜「……はぁ、まあいっか……」


昨日みたいに、変に傷つけちゃっても、誰も得しないし……。

私がベッドに手を掛けると、僅かにギシッと音を立てて、ベッドが軋む。

やっぱり、二人で使う用じゃないんだなと思う。


鞠莉「ハグ~♪」

曜「果南ちゃんじゃないんだから……///」


両手を広げていた鞠莉ちゃんに抱きしめられる。

やっぱり、抱きしめられるのは照れ臭いなぁ……。


鞠莉「それじゃ、寝ましょっか♪」

曜「はいはい……///」


リモコンで部屋の電気を消して、二人で横になる。

もちろん、横になっても私は鞠莉ちゃんに抱きしめられたままだ。


曜「……鞠莉ちゃん……///」

鞠莉「ん~?」

曜「……やっぱ、このまま寝るの……?///」

鞠莉「もちろん♪ イヤ?」

曜「……嫌ではない……///」

鞠莉「じゃあ、問題ナッシングデース。曜が眠るまで、マリーがちゃんと傍に居るからね♪」

曜「ん……///」


嬉しいやら、恥ずかしいやらで反応に困る。

まあ、いいや……寝よう。寝ちゃえば恥ずかしさとか関係ないし。

私は早々に目を瞑る。


鞠莉「ふふ……曜、Good night.」

曜「……おやすみ、鞠莉ちゃん」


力を抜いて、眠る体勢に入ると、鞠莉ちゃんがゆっくりとしたリズムで背中をぽんぽんしてくれる。

もう、ちっちゃい子供じゃないんだけどな……。

ただ、そんな考えとは裏腹に、不思議とリラックス出来て、すぐに眠くなってくる。


鞠莉「背中をぽんぽんするとね、お母さんのお腹の中に居た頃の心臓の音を思い出して、安心するんだって」


──へぇ……そうなんだ。


鞠莉「それに、人は背中を触られると、幸せホルモンって呼ばれてるオキシトシンが分泌されて、安心するのよ」


──鞠莉ちゃんは、ホント物知りだなぁ……。

だんだん身体から力が抜けて、意識がゆっくり沈んでいく。


鞠莉「曜……おやすみ……」

曜「…………」


私は、ふわふわと温かい気持ちに包まれながら、ゆっくりと眠りに落ちていった──





    ✨    ✨    ✨





曜「…………すぅ……すぅ……」

鞠莉「曜……寝ちゃった……?」

曜「…………すぅ……すぅ……」


どうやら、眠ったようだ。


鞠莉「曜……」


ぎゅーっと抱きしめる。


鞠莉「……曜……」

曜「…………んぅ……ま、り……ちゃん……」

鞠莉「ふふ……ここに居るよ……」

曜「…………すぅ……すぅ……」


なんだか、幸せだった。

わたし……曜のこと、好き、なのかな。

好きになっちゃったら……困っちゃうな。


曜「………………ん……」

鞠莉「……曜?」

曜「………………いか、ないで……──……ちか……ちゃん……」

鞠莉「…………」


ちょっと冷静になる。

目的を忘れちゃわないようにしないと……。


鞠莉「わたしも……早く寝ようかな」


わたしは曜を抱きしめたまま、目を瞑る。


曜「…………すぅ……すぅ……」


穏やかな曜の寝息を聞きながら、眠りに落ちていくのだった。





    *    *    *





──風が強かった。

一人だった。


曜「…………」


見えないけど、舞い狂う木の葉の向こうに千歌ちゃんが居るのがなんとなくわかった。

──そして、一緒にダイヤさんが居ることも。


曜「…………」


吹き荒ぶ木の葉は、私を飲み込んでいく──





    *    *    *





曜「──…………」


目が覚める。


鞠莉「すぅ……すぅ……」


起きると、案の定、鞠莉ちゃんに抱きしめられていた。

また、変な夢を見た。

内容は──やっぱり、思い出せない。ただ、悪夢だったと思う。息苦しい……夢。

悪夢を見ると、酷く疲れる。

もぞもぞと動きながら、部屋の時計に目を向けると──時刻は朝7時。

もう起きてもいい時間だったけど、


曜「……寝よ」


なんだか、起きて活動をする気にはなれなかった。


鞠莉「……ん……ぅ……ょー……?」

曜「あ、ごめん……起こしちゃった? もうちょっと寝てて大丈夫だよ」

鞠莉「……んぅ……」


鞠莉ちゃんは寝ぼけたまま、私を抱きしめる。

昨日と同じみたいだ。

ただ、今日は私もまだ寝ていたいから、この方がいいかな……。


鞠莉「……ょー…………」

曜「うん……一緒に寝よ」

鞠莉「…………んー…………」


また悪夢を見るかもしれないけど、鞠莉ちゃんが傍に居てくれるから、少しだけ怖い気持ちも和らぐ。

私は目を瞑って、再び眠りの世界へと、旅立つのだった。





    *    *    *





──……さて、私たちが起きたのは前日同様、午後の1時だった。


鞠莉「んー……よく寝た……」

曜「変なリズム付かないようにしないとなぁ……」


今日で三連休も最終日。9月16日月曜日。本日は敬老の日だ。

二人で、着替えを済ませ、一階に降りていくと、


曜ママ「おはよう。二人揃って、随分なお寝坊さんね」


早速、ママに突っ込まれてしまう。


鞠莉「おはようございます」

曜「おはよう……我ながら寝すぎたとは思う」

曜ママ「でも、鞠莉ちゃんがぐっすり眠れたようでよかったわ」


えー……私は?


鞠莉「はい、居心地が良くて……よく眠れました」

曜ママ「ふふ、ならよかった」


ふと、そこで、ママが外着なことに気付く。


曜「ママ、出掛けるの?」

曜ママ「ええ、駅の方に買い物に行くから……曜ちゃんも出掛けるなら戸締りはちゃんとしてね」

曜「了解でありますー」

曜ママ「それじゃあ、鞠莉ちゃん、ゆっくりしていってね」

鞠莉「はい、ありがとうございます」


ママは鞠莉ちゃんに手を振りながら、パタパタと忙しなく、出掛けて行ってしまった。


曜「鞠莉ちゃん、随分ママに気に入られたみたいだね~」

鞠莉「ふふ……気に入ってもらえたなら、嬉しいわ」

曜「なんせ、娘そっちのけだからね……ママったら、鞠莉ちゃんが可愛いから……」

鞠莉「大丈夫よ。曜のお母さんは曜のことも大好きだから」

曜「ええ……? そうかなぁ」

鞠莉「そうなのよ♪」


まあ、愛されてるな、とは思ってるけどさ……。

それはともかく、何も食べてないから、お腹が空いた。


曜「なんかご飯作ろうか」

鞠莉「もうお昼だものね……手伝う?」

曜「いや、今日は私が作るよ。鞠莉ちゃんは座って待ってて」

鞠莉「そう? じゃあ、お言葉に甘えて……」


鞠莉ちゃんをリビングに残して、私はキッチンに向かう。


曜「──さて」


ここ数日、鞠莉ちゃんの高級料理に舌鼓を打っていたため、料理をするタイミングがなかったけど、実は私も料理が得意だということを鞠莉ちゃんに思い出してもらういい機会だ。

キッチンで食材を確認すると──


曜「卵に……焼きそば。なら、あれしかないでしょ……!」


私は得意料理を作り始めた。





    *    *    *





鞠莉「──ん~! So good !」


完成したヨキソバを食べながら、鞠莉ちゃんが嬉しそうに声を上げた。


鞠莉「前にも食べたことあったけど……やっぱり、曜のヨキソバは絶品だね!」

曜「鞠莉ちゃんのご飯に比べるとどうしても庶民っぽいんだけどね」

鞠莉「そう? ジャパニーズオマツリな感じでわたしは好きよ?」

曜「あー確かに屋台メニューだからね」


私も空きっ腹を満たすために、ヨキソバを食す。……うん、やっぱりこの味だよね。

我ながら、今日も上手に出来た。


鞠莉「曜って、料理上手よね……わたしも少しは料理した方がいいかしら」

曜「鞠莉ちゃんって料理しないの?」

鞠莉「うーん……あんまりしないかな。苦手ってわけじゃないけど」

曜「そういえば、前煮込み料理作ってたよね。……シャイ煮だっけ?」

鞠莉「Yes ! シャイ煮はマリーの得意料理だヨ! おいしかったでしょ?」

曜「まあ、確かに……味はおいしかった」


見た目は……非常に独創的だった。


鞠莉「味は……? もう、それじゃそれ以外ダメだったみたいじゃない!」


それに関してはノーコメント。

あ、ただ……。


曜「マンボウを食べられたのは良い経験だったかも」

鞠莉「あら……曜はシャイ煮のマンボウが気に入ったの? なかなか渋いところをあげるのね」


確かに、あのときはマンボウ以外にも、アワビ、カニ、イセエビ、サザエ、キンメダイのような高級海鮮をはじめとして、牛肉や、何故か松茸もあった気がする。


曜「えっと……単純にマンボウ、好きなんだよね。動物として」

鞠莉「そうなの?」

曜「うん! 海の生き物の中では一番好きかも」


まあ、好きな生き物を食べるっていうのは複雑でもあったんだけど……。

そもそも、食べられるなんて知らなかったし。

そういう知識面を含めて、良い経験だったな、と。


鞠莉「……なら、いつか水族館にマンボウ、見に行く?」

曜「うん! 行きたい!」


マンボウって意外と見れる水族館が少ないから、連れて行ってくれるなら純粋に嬉しい。

マンボウを見るためだけに県外まで一人で行くのは少しハードル高いからね。


曜「いつ行く!?」

鞠莉「今日これから! ……と、言いたいところだけど、さすがに今から県外に行っても水族館が閉まっちゃうからね。マンボウはもっと長いお休みのときにしましょう?」

曜「了解であります!」


言われてみて、改めて時間を確認すると、すでに午後2時を過ぎていた。

むしろ、今から水族館どころか、出掛けるにしては少しのんびりな気はする。


曜「鞠莉ちゃん、この後行きたいところとかある……?」

鞠莉「そうねぇ……」


まあ、昨日と違って、沼津はすぐそこだから、今から街に出ても十分遊ぶ時間はあるけど。

ただ、鞠莉ちゃんは、


鞠莉「今日も曜とのんびりお話したいかな」


お話を所望してくる。


曜「あ……それじゃあさ、あそこ行かない?」

鞠莉「ふふ、なるほど、あそこね♪」


二人で顔を見合わせて笑う。この後の行き先はどうやら決まったようだった。





    *    *    *





曜「──やっぱり、話するなら、ここだよね!」


私たちが訪れたのは、もちろんここ──『びゅうお』だ。


鞠莉「ふふ、もうすっかり定番の場所ね」


二人で展望台に昇るための入口へと入っていく。

『びゅうお』は100円しか掛からないし、人もそんなに多くないうえに、喫茶店みたいに追い出される心配もないから、ゆっくり話すには最適な穴場だと思う。


曜「すいませーん。大人二人で」


受付で二人分の200円を出すと、中から受付のおじさんが私と鞠莉ちゃんの顔を見ながら、


受付人「お嬢ちゃんたち、また来たんだね」


と言いながら、ニコニコしていた。


曜「あ、あれ……? もしかして、私たち顔覚えられてます?」

受付人「そりゃ、女子高生が揃ってよく来るなんて珍しいからね」


確かに、言われてみればそうかもしれない。


曜「ここから見える景色が好きで……なんか落ち着くんですよね」

鞠莉「ふふ、そうね……。わたしもここから見える海──特に夕焼けは好きかもしれないわ」

受付人「いや、嬉しいねぇ……。この水門も最近は滅多に閉めることがないから、展望台として好きって言ってくれる子がいると、ここで受付してる甲斐があるってもんだよ。今日もゆっくりしていってくれよ、お嬢ちゃんたち」

鞠莉「はい、ありがとうございます♪」

曜「ありがとうございます!」


二人でチケットを受け取って、展望台へと昇ります。





    *    *    *





──『びゅうお』展望室。

二人でいつもの中央通路の椅子に腰掛けながら、私と鞠莉ちゃんのお話タイムが始まる。


曜「……顔、覚えられちゃったね」

鞠莉「結構、頻繁に来てるものね……」


観光客ならともかく、地元の女子高生が頻繁に来てたら、そりゃ覚えられもするか。


鞠莉「まあでも、受付の人も喜んでたし、良いんじゃないかしら」


鞠莉ちゃんはくすくす笑いながらそんな風に言う。


曜「それもそうかもね。……それに、きっとこれからも来るだろうし」

鞠莉「その内、顔パスになったり?」

曜「するかなぁ?」

鞠莉「特別に年間パスポート作ってもらえたり」

曜「『びゅうお』の年パスかぁ……」

鞠莉「毎日通わなくちゃね?」

曜「ふふ、鞠莉ちゃんとなら、いいよ」

鞠莉「!/// うん、わたしも曜となら、毎日来たいな」

曜「じゃあ、年パス作ってもらえるように今から毎日通わないとね」

鞠莉「ふふ、年パス作ってもらうために、毎日通うのって順序が逆よね」


二人で顔を見合わせてくすくす笑ってしまう。

……なんか、楽しいな。鞠莉ちゃんと一緒に話してると、楽しい。


曜「鞠莉ちゃん」

鞠莉「んー?」

曜「一緒に居てくれて、ありがとう……」

鞠莉「ふふ、どうしたの?」

曜「ホントにこの三日間、楽しかった……。毎日起きたら鞠莉ちゃんが傍に居て、寝るまで鞠莉ちゃんとお話して……」

鞠莉「曜……うん、わたしも楽しかったわ」

曜「えへへ……ちょっぴり恥ずかしかったけど……抱きしめてくれたり、頭撫でてくれたり、手を繋いだりするのも……嬉しかったよ」

鞠莉「! ホント……?」

曜「うん」


ああ、なんでだろ。ずっと恥ずかしがってたはずなのに、ここだと──鞠莉ちゃんと本音でお話する、この場所だと、素直に気持ちが伝えられる。


鞠莉「……曜」

曜「ん」

鞠莉「手……繋いでいい……?」

曜「うん」


隣あった鞠莉ちゃんが手を重ねてくる。私もその手を握り返す。


曜「鞠莉ちゃんの手……あったかいね。なんか、手繋いでると心までぽかぽかしてくる」

鞠莉「ふふ、ありがと。曜の手も……あったかいよ」


なんとなく、さっきよりも強く手を握る。すると、ほぼ同じタイミングで鞠莉ちゃんも私の手を強く握ってくる。


鞠莉「ふふ」

曜「えへへ……」


二人で顔を合わせて笑ってしまう。

私たち、考えてること同じみたいだ。

そういえば、鞠莉ちゃんが『私と似てる』って、話をしたのも、ここだったな。

ここなら、全部の気持ちを包み隠さず、鞠莉ちゃんと共有出来る。そんな気がした。


曜「鞠莉ちゃん」


だから、今言おうと思った。


曜「……千歌ちゃんへの気持ち……少しずつ整理が付いてきた……と、思う」

鞠莉「……!」


鞠莉ちゃんが少し驚いたような表情をした。

無理もない。鞠莉ちゃん、この週末は意識してこの話題に触れないようにしていたから。私の方から振ってくるとは考えてなかっただろう。

だからこそだ──私の口から、言い出さないと。


曜「いつまでも、くよくよしてちゃだめだって……鞠莉ちゃんが傍に居てくれるお陰で、ちょっとずつそう思えるようになってきた」

鞠莉「……」

曜「だから、私もう平気──」


──ふいに、


曜「……!?」


ほっぺたを引っ張られた。


曜「ま、まりひゃん……? にゃにするの~……?」

鞠莉「曜……焦らないの」

曜「ふぇ……?」

鞠莉「少しずつ前を向けるようになったって、そう言ってくれたのは嬉しい。だけど、いきなり全部平気になんかならないでしょ?」

曜「…………」

鞠莉「気持ちは一かゼロじゃないから、ゆっくりでいい」

曜「……うん」


鞠莉ちゃんは真剣な声音で話しながら、ほっぺたを引っ張っていた手を離す。


鞠莉「本当に……心の底から、千歌への気持ちに答えが出てからでいいから。それまで、いくらでもわたしが傍に居るから……ね?」

曜「……うん」


鞠莉ちゃんの手がほっぺの方から、私の手に戻ってきて、重ねられる。

やっぱり、鞠莉ちゃんが傍に居てくれてよかったな……。

鞠莉ちゃんは私のペースに合わせて傍に居てくれる。だから、安心して本音を伝えられる。


曜「鞠莉ちゃん……ありがとう」


そんな鞠莉ちゃんに報いるためにも、私は無理にでも前を向いて歩かないとね……。

ふと、見た『びゅうお』の窓の先では──今日も海が夕日で真っ赤に燃えていたのが、印象的だった。





    ✨    ✨    ✨





曜「──それじゃあね、鞠莉ちゃん。また明日」

鞠莉「Good bye. 曜。お母さんによろしく伝えておいてね」

曜「了解であります!」


──例の如く、『びゅうお』まで車で迎えに来てもらい、今、曜を彼女の自宅の前で下ろしたところだ。

この三日間を一緒に過ごした曜と別れて、わたしは帰路につく。


鞠莉「……もう平気……か」


曜はそんな風に言った。だけど、眠っている間、曜が千歌の名前を呼んでいたことを、わたしは知っている。

曜の心は、まだ千歌の方を向いている。


鞠莉「…………」


曜は優しい子だから、わたしに迷惑を掛けないように、出来るだけ早く解決しようなんて、思っているに違いない。

だけど、こういうことは焦っても良いことはない。だって、気持ちは理屈じゃないから。

まあ、とはいえ……どうやら、順調ではあるようで、安心はしている。


鞠莉「このまま、何も起こらないまま……曜の心が癒えてくれればいいな」


わたしは一人呟く。

……だけど、わたしの祈りも虚しく、問題は──すぐに起きることになる。





    *    *    *





9月17日火曜日。

連休が明けて、本日からまた学校だ。


曜「おはよ、梨子ちゃん」

梨子「あ、おはよう、曜ちゃん」


教室に着くと、梨子ちゃんの姿。千歌ちゃんの姿は見当たらない。……また生徒会室かな。


梨子「ねえねえ、曜ちゃん」

曜「ん?」

梨子「この週末って……鞠莉ちゃんと過ごしてたりしたの?」

曜「え、まあ、うん」

梨子「や、やっぱりっ! 何して過ごしたの!?」

曜「えっと……? 鞠莉ちゃんの家に泊まったり、私の家に泊まったり……」

梨子「お泊り!? ああ、もう……曜ちゃん、隅に置けないんだから……」


なんだろうと思ったけど……そういえば、金曜日に鞠莉ちゃんが──『ごめんね、歌い出しは“わたしたち”が貰うから』──という啖呵を切ったまま屋上を後にして、そのままだった。

つまりまあ、梨子ちゃんは今、私が鞠莉ちゃんと恋人として週末を過ごしていたと思っているということだろう。


梨子「とにかく、鞠莉ちゃんとは良い感じなんだね!」

曜「あ、あはは……まあ、そんな感じ」

梨子「頑張ってね、曜ちゃん!」

曜「あ、ありがと」


これが恋人ごっこじゃなければ、本当に嬉しい激励だったんだろうけど、正直少し後ろめたくもある。

まあ、この方向性で通すことにした以上は、仕方ない。

朝からやや興奮気味な梨子ちゃんと会話をしていると、


千歌「あ、曜ちゃん、梨子ちゃん、おはよー」

曜「!」


背後から突然、千歌ちゃんの声がして、ビクリとする。


梨子「あ、千歌ちゃん、おはよう」

千歌「二人とも何の話してたのー?」

梨子「えっとね……鞠莉ちゃんとの話」

千歌「……あ」


千歌ちゃんが私の方に視線を向けてくるのがわかった。


曜「え、っと……」

千歌「その、曜ちゃんと鞠莉ちゃん……そう、なんだよね」

曜「……あ、あー……えっと……うん……」

千歌「そっか……! やっぱりそうなんだね! えへへ、なんか嬉しいな。おめでとう、曜ちゃん!」

曜「…………っ」


顔が引き攣りそうになって、咄嗟に視線を外す。


千歌「曜ちゃん?」

曜「…………」


いや、ダメだ……。なんのために、千歌ちゃんにそう思ってもらうことにしたんだ。

これは、受け入れなくちゃ。


曜「──千歌ちゃん、ありがと!」


全身全霊の作り笑顔を千歌ちゃんに向けると、


千歌「うんっ!」


千歌ちゃんは心底嬉しそうに笑った。

それとほぼ同時に──キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴る。


千歌「わ、やばっ!? ホームルーム始まる!」

梨子「もう……ホームルームギリギリまで何してたの?」

千歌「生徒会室居たのっ!」

梨子「あーなるほどね……」


席に戻る千歌ちゃん。私も前方に視線を戻しながら── 一人、達成感に満たされていた。

──出来た。ちゃんと、出来た。

前だったら、千歌ちゃんに勘違いされることを、耐えられなかったのは間違いない。

だけど、今、ちゃんと千歌ちゃんに向かって笑えた。

もう、大丈夫だ。私、大丈夫なんだ……!

私は自分の成長に心躍る気持ちだった。やっと協力してくれている、鞠莉ちゃんに報えるんだと、思っていた。

──……これが、ただの一時の傲りだとも知らずに。





    *    *    *





──事件はお昼休みに起こった。

案の定、千歌ちゃんは、昼休みの開始と共に生徒会室に直行してしまった。

まあ……私も教室では食べないんだけど……。


梨子「曜ちゃんも、鞠莉ちゃんのところ行くの?」

曜「あ、うん……ごめんね、梨子ちゃん……?」

梨子「ふふ、私のことなんて、気にしなくていいのよ? ほら、早く鞠莉ちゃんのところに──……あら?」

曜「ん?」


梨子ちゃんの視線が、床を見つめていた。私も釣られて、視線の先を見ると──ハンカチが落ちていた。

みかんがたくさん描かれた柄のハンカチ。


梨子「これ……千歌ちゃんのかな」


梨子ちゃんが床のハンカチを拾い上げる。


曜「千歌ちゃんがハンカチ……?」


千歌ちゃんってハンカチを持ち歩くような性格だっけ……。

でも、こんなみかんの主張の強い柄、千歌ちゃんの私物としか思えないのも事実。


梨子「そういえば、千歌ちゃん……最近よくダイヤさんにハンカチを持ち歩くように怒られてたような……」

曜「ああ……なるほど」


そういうことなら、納得が行く。


梨子「これ……どうしようか?」

曜「……なら、私が届けてくるよ」

梨子「……え? でも、曜ちゃん鞠莉ちゃんのところに行くんじゃ……」

曜「別に行く途中に生徒会室に寄るだけだよ」

梨子「……まあ、それもそっか。じゃあ、はい」


梨子ちゃんからハンカチを受け取り、


曜「それじゃ、行って来るね」

梨子「うん、お願いね」


私はハンカチだけを手に持って、教室を後にする。

今日も鞠莉ちゃんがランチを用意してくれているらしいから、荷物は特に持たず、私はひとまず生徒会室に向けて歩き出す。

──生徒会室には、ダイヤさんも居る。

今こそ、自分を試すときが来た。

千歌ちゃんとダイヤさんが一緒に居る場でハンカチを届けて、笑って乗り越えられたら……私はもう大丈夫だ……!!


曜「ちょっと待っててね、鞠莉ちゃん。今日は良い報告が出来ると思うから……!」


私はそう息巻いて、ずんずん進んでいく。

──この選択が大きな間違いだったことに、気付くこともなく……。





    *    *    *





──生徒会室前に辿り着く。


曜「……よし」


生徒会室の扉に、手を掛けようとした、そのとき──中から声が聞こえてきた。


 「──え、ダ、ダイヤさん……」


……ん。なんだろう……? 千歌ちゃんの声……だよね。それは間違いない。


 「……じっとしていてください」

 「……っ!? え、ち、ちょっと、待って……!?」


──このとき、直感的に嫌な予感がした。同時に脳が急に警鐘を鳴らし始める。今すぐ、この場を離れろ、と。

ただ、その警鐘とは裏腹に、私の視線は、生徒会室の覗き窓から、中へと注がれる。

千歌ちゃんの後姿が見えた。

──逃げろ。


 「ダ、ダイヤ、さん……こ、ここ……学校……」

 「だから、なんだと言うのですか」


その千歌ちゃんの先に、見切れている、黒髪。ダイヤさん。

──見るな。


 「え、や、で、でも……っ」

 「いいから、じっとしていて」

 「ひゃ、ひゃい……っ」


──耳を塞げ。

──今すぐ、振り返って、駆け出せ。

頭の中の警鐘がどんどんどんどん大きくなっているのに、私は、視線を、外せない。

──今なら、間に合う。逃げろ。逃げろ。逃げろ。見るな。見るな。見ちゃダメだ。


 「ダイヤ……さん……っ」


私の視線の先、

二人の影が、

重なった。





    ♣    ♣    ♣





千歌「ぅ…………///」

ダイヤ「……はい、もういいですわよ」

千歌「……へ……?」

ダイヤ「頭にゴミがついていましたわ……全く、身嗜みはしっかりしないといけませんわよ?」

千歌「な、なんだぁ……びっくりした……」

ダイヤ「……? 何がですか?」

千歌「だって、急に迫ってくるから……キスされるのかと思った……///」

ダイヤ「はぁ!?/// 学校でそのような破廉恥なこと、するわけないでしょう!?///」

千歌「だから、びっくりしたんじゃんっ!!///」

ダイヤ「全く……/// 馬鹿なこと言ってないで、お昼ご飯にしますわよ……///」

千歌「は、はぁい……/// ……あれ?」

ダイヤ「今度はなんですか……」

千歌「いや、ドア、ちょっと開いてる……」

ダイヤ「……開けたドアはちゃんと閉めなさいと、いつも言っているでしょう」

千歌「わ、わかってるよぉ……ちょっと、忘れてただけじゃん。………………あれ? これ……」

ダイヤ「千歌さん?」

千歌「……私のハンカチ……? いつの間に落としちゃったんだろう……」





    *    *    *




──頭の中が、真っ白だったり、真っ黒だったりして、自分が今何を考えているのかすら、よくわからない。

ただ、心の中がぐちゃぐちゃだった。

自分があの後、どうしていたかが思い出せない。

気付けば、私は走っていた。

学校から、逃げるように、走り出していた。


曜「──見たくなかった」


走りながら、言葉が勝手に飛び出した。


曜「──見たくなかった、見たくなかった、見たくなかった、見たくなかった……!!!!」


涙が溢れてきた。

ショックだった。

千歌ちゃんが、ダイヤさんと、

キス、してた。


曜「……あ、はははは、もう平気っ!? 何がっ!?」


平気なわけ、なかった。

全然、ダメだった。

二人は恋人で、そういうこともしているのはわかってた。

なのに、実際に、目にしたら。

ダメだった。

体が熱い。

頭が割れそうだ。

耳がよく聞こえない。

視界がぼやけてる。

そして、何より、

心が悲鳴を上げていた──





    ✨    ✨    ✨





──いつまで経っても、理事長室に顔を出さない曜に痺れを切らして、わたしが2年生の教室に顔を出したのは、お昼休みが始まってから30分ほど経過してからのことだった。

2年生の教室を中を覗くと、生徒がまばらにいるだけで、曜の姿はなかった。


鞠莉「…………?」


確か、曜の机は……。

記憶を頼りに曜の席を見ると、カバンだけが取り残されていた。

しかし、教室内を見回しても、当の本人の姿はどこにもない。


鞠莉「……どこにいったのかしら……?」


私は眉を顰める。

そのとき、


梨子「あれ? 鞠莉ちゃん?」


背後から梨子の声。たまたま教室に戻ってきたところだったようだ。


鞠莉「梨子……曜、知らない?」

梨子「え? 曜ちゃんなら、昼休みが始まってすぐに、鞠莉ちゃんのところに──……来てないの?」

鞠莉「ええ……」

梨子「え……でも、ハンカチを届けたら、すぐに向かったはずだし……まだ来てないなんてことは」

鞠莉「ハンカチ……?」

梨子「うん……教室に千歌ちゃんのハンカチが落ちてたから、生徒会室に居る千歌ちゃんに届けて……それから、鞠莉ちゃんのところに向かうって……」

鞠莉「……!」


酷くイヤな予感がした。


鞠莉「ごめん、梨子! ちょっと探してくるわ!」

梨子「え!? う、うん!」


わたしは早足で、生徒会室に向かって足を向ける──





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──入るわよ!!」

千歌「わひゃぁっ!?」

ダイヤ「ピギャッ!? な、なんですか、急に!?」


生徒会室のドアを思いっきり開けると、ダイヤと千歌が驚いて飛び跳ねる。

わたしは、生徒会室の中をキョロキョロと見回す。

だけど、もちろん曜の姿はない。


ダイヤ「鞠莉さん? どうかしましたか……?」

鞠莉「……ここに曜、来なかった?」

ダイヤ「曜さん……? 来ていませんけれど……」

鞠莉「そう……」


梨子の言っていたことが正しいなら、間違いなく曜は生徒会室に向かっている。

何か手がかりがないか、視線を生徒会室内に泳がせていると──


千歌「曜ちゃん、探してるの……?」


千歌の方に目が留まる。

千歌ではない。千歌の方──千歌のお弁当のすぐ横に置かれた、みかん柄のハンカチに。


鞠莉「千歌、そのハンカチ。落としたんじゃなかったの?」

千歌「ふぇ? なんで鞠莉ちゃんが知ってるの? さっき、生徒会室の前で落としちゃって……」

鞠莉「……!」


梨子は教室に落ちていたと言っていた。でも、千歌は生徒会室の前に落ちていたと言っている。つまり……曜はここに来ていた可能性が高い。

ここまでの情報で、十中八九、悪いことが起きたのを察することが出来た。

恐らく曜は、千歌とダイヤの──何かを見てしまったんだ。


鞠莉「……お昼の時間、邪魔しちゃってごめんね」

ダイヤ「え……あ、はい……」


踵を返して、生徒会室を後にする。


鞠莉「曜を探さないと……」


わたしは曜を探しに校舎内の捜索を始めた。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──……ここにも、居ない」


人の居ない部室を見回して、眉を顰める。

先ほどから、保健室をはじめ、職員室、視聴覚室、家庭科室、音楽室、化学室、ついでに1年、3年の教室、念のため理事長室も再び見てみたが……曜の姿は見当たらなかった。


鞠莉「あとは、図書室……和室とか……?」


図書室はともかく、和室に曜がいるとは思えないけど……。


鞠莉「……一旦、2年生の教室も見てみたほうがいいかしらね」


もしかしたら、戻ってきているかもしれない。そう思い、2年生の教室に足を向けると──


梨子「! 鞠莉ちゃん……!!」


梨子が青い顔をして駆け寄ってくる。


鞠莉「梨子……」

梨子「曜ちゃんがどこにも居ないの……! 教室にも、食堂にも、屋上にも……! お手洗いも覗いてみたけど、どこにも見当たらなくって……!」

鞠莉「……っ」


ここまで学校中を探し回って居ないとなると……校舎内には居ない可能性もある。


梨子「どうしよう……曜ちゃん、もしかしたら、何かの事件に巻き込まれて……!」

鞠莉「梨子、落ち着いて」

梨子「で、でも……!!」


焦る梨子を落ち着かせる最中、ちょうど予鈴が鳴る。


梨子「予鈴……」

鞠莉「梨子はこのまま、授業を受けて? 曜はわたしが絶対見つけるから」

梨子「わ、私も手伝う……!」

鞠莉「それだと教室に戻ってきたときに、すれ違いになっちゃうわ。もし、曜が教室に戻ってきたら、わたしに連絡してくれればいいから」

梨子「う、うん……」

鞠莉「後、状況がよくわからないから、無闇に人に言わないでね?」

梨子「え、ど、どうして……?」

鞠莉「もしかしたら、ちょっとデリケートな内容の可能性もあるから……女の子なら、わかるでしょ?」

梨子「! う、うん、わかった」


とりあえず、適当な理由をつけて梨子を説得する。

大騒ぎになって、曜が戻ってきづらくなってしまったら、事態が更に悪化しかねない。

教室に戻ってくるという線には保険で、梨子に居てもらうとして……──ただ、教室には千歌も居る。曜が教室に戻ってくる可能性はかなり低い気はする。

曜が何を見てしまったのかはわからない。もしかしたら、わたしの予想も全然見当違いな可能性もある。だけど……。


鞠莉「……曜が何の理由もなしに、約束をすっぽかすはずない」


それは断言出来た。

山勘かもしれないけど、わたしは曜はもう校舎内に居ないとアタリを付けて、廊下の隅に寄って携帯を取り出す。


鞠莉「……わたし。今すぐ浦女の方まで車を出して」


手早く、足を手配して、校舎外を捜索するために、わたしは昇降口の方へと歩き出した。





    *    *    *





曜「……は、ぁ……はぁ……」


無我夢中で走って、気付けば──自分の部屋に居た。

眩暈がする。

頭が痛い。

脳が酸素を要求している。

肺が潰れそうだ。

心臓が口から飛び出るんじゃないか。

脚がガクガクと笑っている。

脚だけじゃない、全身の筋肉が悲鳴を上げている。

時間の感覚がよくわからなかったけど、恐らく1時間以上走っていた気がする。

走って──なんで、ここに来た……?

私の手が、棚の引き出しに伸びる。


曜「…………はぁ…………はぁ……!!」


そして、伸びた手は──引き出しの中にあった、真っ白なヘアピンを、握りこんでいた。




    ✨    ✨    ✨





昇降口まで来たところで、曜の下駄箱を確認する。


鞠莉「……靴はある」


合理的に考えるなら、下駄箱に外履きが置いてあるなら、曜は校舎内に居る可能性の方が高そうだけど……。

実のところ、曜の行き先にはなんとなくアタリがついていた。

少し悩んだけど、荷物は教室に置いたままだし、靴だけ持って行くのも変なので、そのままにして昇降口から出る。

そのまま校門から、浦の星女学院を出ると、すでに小原家の車が到着していた。仕事が早くて助かる。

後部座席に乗り込みながら、


鞠莉「……出して」

運転手「かしこまりました」


私は曜を追うために──沼津方面に向かう。





    *    *    *





曜「…………」


ぼーっと景色を眺める。

今日も海は青かった。

太陽の光を反射して、きらきら光る海。その上を風に煽られながらトンビが飛んでいる。

今日も何も変わらない。何も変わらない、はずなのに……。


 「──やっぱり、『びゅうお』に居た……」


声がした。


曜「……鞠莉、ちゃん……」

鞠莉「……この時間からふらふらしてたら、補導されちゃうヨ?」

曜「……ごめん」

鞠莉「……上履きは?」

曜「……家に置いてきた。……気付いたときにはもう、ボロボロだったけど」

鞠莉「そ……」


鞠莉ちゃんが私の隣に腰を下ろす。そのまま、ゆっくりと私の手を握って、


鞠莉「……何があったの?」


訊ねてくる。


曜「………………キス、してた」

鞠莉「……そっか」

曜「…………」

鞠莉「……」

曜「…………わかってた、はずなのに」

鞠莉「……うん」

曜「…………頭の中、ぐちゃぐちゃになっちゃって……」

鞠莉「……うん」

曜「……苦しくて……苦しくて……っ……」

鞠莉「……曜──」


鞠莉ちゃんが、名前を呼びながら、私を抱きしめる。


曜「……っ…………もう、平気だって……思ったのに……ダメだった……っ……」

鞠莉「……うん」

曜「……私……ぜんぜん、ダメだ…………っ……。……鞠莉ちゃんが……そばにいて、くれたのに……っ……なんにも……かわってない……っ……」

鞠莉「……大丈夫だよ」

曜「……気持ち、落ち着いたと、思ったのに……っ……二人が、キスしてるの……見た瞬間……っ……」

鞠莉「……」

曜「……嫉妬で……おかしくなりそうだった……っ……」


黒い感情が胸の中に溢れてきて……。


曜「……わたし……ダメだよ……っ……」

鞠莉「曜……」


鞠莉ちゃんが、ぎゅーっと私を抱きしめる。


曜「…………っ……」

鞠莉「……曜。思ってること言っていいよ」

曜「……………………」

鞠莉「わたししか、いないから」

曜「………………ちかちゃん……」

鞠莉「……」

曜「…………ちかちゃん……っ……わたしをみてよ…………っ……」

鞠莉「……」

曜「……ちかちゃんが……わたしをみてくれるなら……なんでも、するからさぁ……っ……。……ダイヤさんじゃなくて……わたしを……みてよぉ……っ……」

鞠莉「……」

曜「…………ちかちゃん……っ……」


私は、鞠莉ちゃんの胸の中で、自分でも情けなくなるくらい、ただ千歌ちゃんの名前を呼び続けた。大好きな、届かない想いを、吐き出し続けた……。





    *    *    *




曜「…………」

鞠莉「……もう、平気?」

曜「…………平気じゃない」

鞠莉「……わかった。じゃあ、もうしばらく、ぎゅってしてるね」

曜「…………うん」


鞠莉ちゃんがぎゅっとしてくれると、不思議と落ち着いた。

というか、今、鞠莉ちゃんにまで見放されたら、本当におかしくなってしまいそうで、怖かった。

私は鞠莉ちゃんの背中に手を回して、服をぎゅっと掴む。


鞠莉「……大丈夫、どこにもいかないから」

曜「…………うん」


鞠莉ちゃんはそう言いながら、頭を優しく撫でてくれる。


曜「…………鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん」

曜「…………千歌ちゃんと……ダイヤさん……恋人同士、なんだね……」

鞠莉「……そうだね」

曜「………………これからも、二人はどんどん、仲良くなってくんだろうなぁ……」

鞠莉「…………」

曜「…………受け止め、られるかな……」


頭で想像していたものよりも、現実で目にしたショックが大きくて、本当にこの恋を──この叶わぬ恋を振り切れるのか……自信がなくなっていた。


鞠莉「……だから、わたしがいるんだよ」

曜「……鞠莉ちゃん……」

鞠莉「……苦しいことが、あったら、逃げていいよ。そのときは、わたしが絶対見つけるから」

曜「……うん」

鞠莉「……悲しいことがあったら、わたしがぎゅってするから」

曜「……うん」

鞠莉「悲しい気持ちが、全部なくなるまで……わたしが傍に居るヨ」

曜「……うん」

鞠莉「……曜」

曜「ん……」

鞠莉「……明日、学校来られる?」

曜「……正直、行きたくない。……でも、行く」


ここで、学校に行かなくなったら、本当に私はダメになっちゃう気がするから……。


鞠莉「そっか……偉いね」

曜「偉くなんか……ないよ……」

鞠莉「うぅん……偉いよ。曜は偉い……」

曜「…………」


鞠莉ちゃんは、そう言いながら、ずっと私のことを励まし続けてくれた。

この後も、何度か先ほど同様、『もう平気?』と聞かれたけど、私はそのたびに『平気じゃない』と答えると、鞠莉ちゃんは『わかった』と言って、抱きしめてくれた。

結局、私たちが『びゅうお』を去ったのは、真っ赤に燃える海が火種を失って、黒い顔を覗かせた頃になってからだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「それじゃあね、曜」

曜「うん……」

鞠莉「……。……やっぱり、わたし泊まって行った方がいい?」

曜「あ、いや……大丈夫。さっき、いっぱいぎゅってしてもらったから……」

鞠莉「そう? いくら甘えてもいいのよ?」

曜「えっと……あのね」

鞠莉「?」

曜「これ以上、鞠莉ちゃんに甘えてると……ホントに離れられなくなっちゃう気がするから……」

鞠莉「そっか、わかった」


わたしは大人しく、曜の考えに頷いた。

本人がいいと言ってるなら、これ以上べったりするのも良くない気がしたから。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「ん?」

曜「ホントに……ありがと」

鞠莉「ふふ……他ならぬ曜のためだもの、気にしないで」

曜「うん……ありがとう」

鞠莉「それじゃ、明日学校、ちゃんと来てね?」

曜「うん」


曜が家の中に入っていくのを見届けてから、車を出してもらう。

もろもろの確認のためにスマホを取り出して、


鞠莉「……あ」


梨子からLINEが来ていることに気付く。梨子に報告するのを忘れていた。


 『梨子:曜ちゃん、見つかった・・・?』

 『Mari:見つけたわ。今家に送り届けたところ』


梨子に返信をすると、すぐに返事が来る。


 『梨子:よかった・・・みんな、心配してたよ』

 『Mari:ちょっと、いろいろあってね・・・みんな、何か言ってた?』

 『梨子:何かあったのかとは聞かれたけど、鞠莉ちゃんが一緒にいるって言ったら、みんなそれ以上は追及してこなかったよ』


結局、今日は練習に全く参加できなかった分、皆からもいろいろ訊かれると思っていたから、正直梨子の機転に救われた。


 『Mari:ありがとう、助かるわ』

 『梨子:やっぱり・・・内容は聞かない方がいい?』

 『Mari:うん・・・ごめん、そうしてくれると助かるかな』

 『梨子:わかった。もしまた、他のみんなに聞かれたら、ごまかしておくね。曜ちゃんの荷物と靴は放置しておくわけにもいかないと思ったから、一応、私が持ち帰ったよ。明日曜ちゃんに返すね』

 『Mari:なにからなにまで、Thank you. 梨子』


最後に『どういたしまして』とメッセージの添えられたスタンプが送られてきて、会話が終わる。


鞠莉「……ふぅ」


わたしは車の中で一息吐く。

遅かれ早かれこういうことはあると思っていたけど……。


鞠莉「……キスか」


曜はキスしているところを見てしまったと言っていたけど、正直あのダイヤが校内でそんなハレンチなことするとは思えない──もとい、そういう度胸があるとは思えない。

今回に関しては、曜の見間違いか、勘違いだとは思うけど……重要なのはそこじゃない。

二人のそういうスキンシップを見ると、今の曜は傷つく、ということだ。

曜も言っていたけど、二人が恋人としてのスキンシップをしているだろうというのは、Aqoursの全員がわかっていることだ。

結局のところ、最終的に見なければいいとか、そういう問題ではなく、その事実を曜自身が心から受け止められないと、根本的な解決にはならない。

もっともっと時間を必要とすることだ。


鞠莉「……やっぱり、一筋縄で気持ちに整理なんてつかないわよね」


今回の曜の落ち込みようは、今まで見た中でも郡を抜いていたし……しばらく、気を付けて見てあげた方がいいかもしれない。


鞠莉「明日は……迎えに行こうかな」


曜の家は学校とは反対方向だけど……せっかくだから、車を出してもらって迎えに行こう。

一人だともしかしたら、学校に行く勇気が持てない可能性もあるしね……。

わたしは帰りの車の中、車窓を流れる夜の内浦を眺めながら、ずっと曜のことを考え続けていた。





    ✨    ✨    ✨





──9月18日水曜日。


鞠莉「よっと……」


ホテルから出港した船から降りて、辺りを見回す。

本島に着いた今は午前の6時。まだ小原家の車は到着していないようだった。

遅い……と言いたいところだけど、昨日は重要なタイミングで全速力で駆けつけてくれたわけだし、大目に見よう。

車を探す最中、ふと接岸してある一艇の水上スキーが目に留まる。

この水上バイクには見覚えがあった。


鞠莉「これ、果南の……?」


確かに、果南は朝早くから、ダイビングショップの準備をしているから、水上バイクに乗っているのはおかしくないけど……。なんで本島に停めてあるのかしら?

ここに水上バイクがあるということは、恐らく近くにいるはずと思い、キョロキョロと周囲を探してみると、


鞠莉「……あ、いた」


近くに見覚えのある、紺碧のポニーテールを見つける。


鞠莉「かなーん!」


手を振りながら、果南に声を掛けると、


果南「? 鞠莉?」


果南が振り返る。そして、それと同時に果南の影に隠れていた、もう一つの人影に気付く。


花丸「ずら?」

鞠莉「花丸?」


こんな早朝から何してるのかしら……?

珍しい組み合わせだし……。


果南「鞠莉、おはよ」

花丸「鞠莉ちゃん、おはようずら~」

鞠莉「Good morning. 二人とも」

果南「どうしたの? こんな朝早くから」

鞠莉「それはこっちのセリフよ? こんな朝早くから、花丸と二人なんて珍しいわね。何かあったの?」

果南「ん……あー……えっとね」


果南が眉を顰める。


鞠莉「? 言いづらいこと? Assignation──逢引?」

果南「違う」

花丸「実は、果南ちゃんに御祓いのお願いをされて……」

鞠莉「……オハライ?」


今度は私が眉を顰める番だった。朝から何をやってるんだろう。


花丸「実はね、果南ちゃん、朝の仕事をしてるときに、流されてる船を見つけたらしくって」

鞠莉「船?」

果南「あ、船って言っても、そこらへんにある普通の小船じゃないよ? 木で出来たちっちゃな船の形をしたものなんだけど」

鞠莉「……?」


それって、曜の家にあったような木造の模型みたいなものかしら……?


花丸「実はね、昔っから、この辺には、その木の船を使ったお蠱いがあるんだよね」

鞠莉「そうなの……? 聞いたことないけど」

果南「この辺って言っても、ここよりももうちょっと大瀬の方にある話なんだけどね……。まあ、その……ちょっと縁起の悪いやつなんだよね」

鞠莉「Hm...?」

花丸「……ざっくり言うと、嫌いな人を消す呪いみたいなやつなんだよね」

鞠莉「Curseデスか……。確かにそれは穏やかじゃないわね」


しかも、嫌いな人を消すだなんて……。


果南「……まあ、昔からある話だから、稀に見ることはあったんだけどね。ほとんどはただの悪戯なんだろうけど……」

花丸「狐狗狸さんみたいに、興味本位って言うのはありそうだよね」

鞠莉「それを今日たまたま見つけたってこと?」

果南「うん。仕事してたら、沖の方に流れてきててさ……」


なるほど。……とは言うものの、


鞠莉「木の船が流れてるだけで呪いって言うのは……ちょっと極端じゃない?」


さすがにそれだけで呪い断定は、早計な気がする。

すると、花丸が、


花丸「あ、えっとね……ただ、船を流すだけじゃなくて、上に魚を乗せて流すんだよ」


と、補足をする。


鞠莉「Fish?」

果南「そ。その魚に、居なくなって欲しい人の身に付けていた小物とかを飲み込ませて流すんだよ」

鞠莉「……急に悪趣味な話になってきたわね」


再び眉を顰めてしまう。確かにそれは呪いっぽい手順かもしれない。


花丸「それで、マルが呼ばれて、その木の船と魚を、じいちゃんに引き渡したところだったんだよ」

鞠莉「花丸の家って、そういうこともやってるんだ?」

花丸「本来は神道系の儀式らしいから、仏教のお寺では管轄外なんだけど……御祓いくらいは、別にお寺でも頼まれれば普通にするからね。たぶん、このあと、お焚き上げすることになると思うずら」

果南「まあ……たぶん、そこまでしなくても何もないとは思うけど……気味悪くてさ」

鞠莉「あー……果南、そういうの苦手だもんね」

果南「……/// 別にそういうわけじゃないし……/// 不吉だなってだけ」

鞠莉「素直に怖がれば、可愛げもあるのに」

果南「うるさいな……余計なお世話だよ」


果南が苦い顔をする。


花丸「まあ、何もないと思うのはマルも同意見だけど」

鞠莉「そうなの?」

花丸「うん。聞いてた方法と細かい手順が違ったし」

鞠莉「? どういうこと?」

果南「本来、船に乗せる魚は、『神池』っていう特別な池で捕まえてきた淡水魚なんだよ。でも、私が今日見つけたのに乗ってたのは鯖だったんだよね」

鞠莉「サバ……。……呪いをやった人は、随分適当なのね」

果南「あはは……それには同意かな。そんなにじっくり見たわけじゃないけど、木の船も、かなり造りが雑だったし……だから、やっぱり悪戯かなって」

花丸「魚を乗せて流すくらいの断片的な情報しか知らなかったのかもね。それか時間がなかったか。『神池』はここからじゃ遠いし。どっちにしろ、趣味が悪いことには変わりないけど」

鞠莉「ふーん……」


まあ、人を呪いたいなんて思う人の気持ちなんて、別に知りたいとも思わないから、なんでもいいんだけど。


果南「ところで、鞠莉」

鞠莉「What?」

果南「あれ、鞠莉の家の車じゃない?」

鞠莉「え?」


果南が指差した方を見ると、小原家の車が到着して、わたしを待っているところだった。


鞠莉「いけない……忘れてた。二人とも、後でね」

果南「うん、また学校で」

花丸「ばいばーい」


二人と別れて、わたしは車に乗り込む。


運転手「おはようございます。鞠莉お嬢様」

鞠莉「Good morning. 待たせて、ごめんなさい。曜の家まで、お願い」

運転手「かしこまりました」


呪いなんかより、今は曜の下へ行くことの方が大事だ。

わたしは、運転手を促して、早朝の内浦を走り出すのだった。





    *    *    *





曜「……ママ、おはよう」

曜ママ「おはよう。早く朝ごはん食べちゃってね」

曜「はぁい……」


ママがパタパタと忙しなく朝の支度をしている中、私は非常に憂鬱だった。

学校……行きたくないな。

千歌ちゃんと、どんな顔して会えばいいんだろうか……。

でも、鞠莉ちゃんと約束したし……ちゃんと行かなきゃ。

あんなことの直後で夢見は最悪だったし──相変わらず内容は思い出せない──食欲はないけど、頑張って食べよう……。

ご飯と味噌汁を胃袋に詰め込む作業をしていると──ピンポーンと音が鳴る。


曜ママ「あら? 朝からお客さん……」


ママが玄関の方に小走りに向かっていく。朝から誰だろう。

──数分後、リビングに戻ってきたママの隣には、


鞠莉「チャオ~♪」

曜「ま、鞠莉ちゃん!?」


鞠莉ちゃんの姿。


曜ママ「鞠莉ちゃんも朝ごはん食べていく?」

鞠莉「いえ、朝食は取って来たので、大丈夫です」

曜「え、鞠莉ちゃん、どうしたの……?」

鞠莉「んー? 曜を迎えに来たの♪」

曜「迎えって……家、逆の方向だし……」

鞠莉「だって、曜に会いたかったんだもん♪」

曜「鞠莉ちゃん……」

曜ママ「あらあら、二人とも仲良しさんね♪」

曜「ちょっと待ってて! 朝ごはんすぐ食べちゃうから!」

鞠莉「ふふ……まだ時間あるからゆっくりで大丈夫よ」


そうは言うものの、待たせるのも申し訳ないので、私はご飯をかき込むのだった。





    *    *    *





鞠莉「学校まで、お願いね」

運転手「かしこまりました」


鞠莉ちゃんが運転手さんにお願いすると、車は朝の沼津市内を浦の星女学院に向かって走り出す。

私はというと、鞠莉ちゃんの隣に座ったまま、鞠莉ちゃんと手を繋いでいた。


鞠莉「ふふ♪」


鞠莉ちゃんが突然笑う。


曜「な、なに……?」

鞠莉「うぅん、昨日から曜が素直に甘えてくれて嬉しいなって思って♪」

曜「ん……///」


面と向かってそう言われるのは恥ずかしいから、ぷいっと顔を背けて、景色に目を向ける。

でも、手は繋いだまま。


鞠莉「ふふ……」


千歌ちゃんと顔を合わせるのは、不安だけど……鞠莉ちゃんの顔を見たら、少しだけ勇気が貰えた気がする。

今日も……頑張ろう。





    *    *    *





──浦の星女学院、昇降口。


鞠莉「荷物と靴は梨子が後で持ってきてくれるみたいだから」

曜「うん」


今日は通学に使う革靴がなかったから、運動靴で登校してきた。

これは、袋にでも入れておこうかな……。


鞠莉「ああ、あと……」

曜「?」


鞠莉ちゃんから何かが入った袋を手渡される。

中を覗いてみると──新品の上履きが入っていた。


曜「え」

鞠莉「ボロボロな上履きじゃイヤでしょ? 新しいの用意したから」

曜「え、いや、でも……お、お金払うね」

鞠莉「別にいいよ。あげるから」

曜「で、でも……」

鞠莉「じゃあ、マリーからのプレゼントってことじゃダメ? ちょっと色気のないプレゼントだけど……」

曜「鞠莉ちゃん……。……ありがとう」


確かに実際問題、ボロボロの上履きで校内を歩いていたら変に目立つだろうし、有り難く頂戴することにした。

早速履かせてもらう。


鞠莉「サイズ、平気?」

曜「うん、ぴったり」

鞠莉「そっか、ならよかった」


新品の上履きを履いて、教室に向かって歩き出そうとする私の背中を鞠莉ちゃんが──ポンと、叩く。


鞠莉「お昼に、理事長室で待ってるから、いってらっしゃい」

曜「……! ……うん、いってきます」


息を整え、鞠莉ちゃんからの激励を胸に、私は教室へ歩き出した。





    *    *    *





教室に着くと──


梨子「! 曜ちゃん……!」


梨子ちゃんが駆け寄ってきた。


曜「梨子ちゃん、おはよう」

梨子「おはよう……大丈夫?」

曜「うん」

梨子「これ……荷物」


梨子ちゃんから自分のバッグと袋に入った革靴を受け取る。


曜「ありがとう。面倒掛けちゃって、ごめんね」

梨子「うぅん……何があったのかはわからないけど……無理しないでね?」

曜「うん、ありがとう、梨子ちゃん」


踏み込んで来ないでくれる梨子ちゃんの優しさが身に沁みる。

梨子ちゃんに感謝しながらも、改めて教室の中に視線を配らせてみると──


千歌「…………」


千歌ちゃんがこちらをちらちらと気にしていた。

千歌ちゃんの姿を見た瞬間──昨日の生徒会室での光景がフラッシュバックして、


曜「──……っ……」


胸が軋む。

でも……ケンカしているわけでもないのに、千歌ちゃんを避けるわけにもいかない。

小さく深呼吸して、千歌ちゃんの隣の席──即ち、自分の席へと歩き出す。


曜「ち、千歌ちゃん……おはよう」

千歌「曜ちゃん……。……おはよう、体調大丈夫……?」

曜「う、うん……」


千歌ちゃんの顔が直視できない。


千歌「曜ちゃん……?」


ああ、ダメだ……やっぱり、私──


梨子「千歌ちゃん、曜ちゃん本調子じゃないみたいだから……」

千歌「あ……それもそうだよね、ごめん」

曜「いや……こっちこそ、ごめんね」


そのまま、千歌ちゃんと目を合わせずに、私は机に突っ伏した。


千歌「…………」


千歌ちゃん……今、私のこと心配してる。

それはわかった。でも──そんな今でも、千歌ちゃんの心の中心には、ダイヤさんが居る気がして、胸の痛みが、止まらなかった。




    *    *    *





──お昼休み。

私は教室から逃げるようにして、理事長室に直行していた。

──コンコン。理事長室の扉をノックするが、反応がない。

ノブに手を掛けてみると……。


曜「……鍵閉まってる」


どうやら、早く来すぎたようだった。


鞠莉「──……曜? もう来てたんだ」

曜「!」


待ち人来たり。振り返ると、鞠莉ちゃんの姿。


曜「鞠莉ちゃん……」


鞠莉ちゃんの姿を見ると、不思議と安心する。


鞠莉「ふふ……早く一緒にご飯食べましょうか」

曜「うん……!」





    ✨    ✨    ✨





──お昼の時間が終わり、わたしは曜と別れて、教室へと戻ってきた。


鞠莉「…………」


昼休みの時間いっぱい、曜は理事長室に居た。

曜……よほど、千歌と顔が合わせ辛いのね……。

無理もない。

今は少しでも、わたしが曜の近くに居てあげないと……。


 「──りさん、鞠莉さん?」


わたしはある種の義務感さえ感じていた。曜に頼られていることが嬉しかったというのもあるけど……。

今は、わたしの隣が曜の居場所だから──


ダイヤ「鞠莉さんっ!!」

鞠莉「!?」


急にすぐそこで大声がして、びっくりして顔をあげる──声の主はダイヤだった。


鞠莉「な、なんだ……ダイヤか……」

ダイヤ「なんだとはご挨拶ですわね……。……これ、先ほど、教諭の方から、預かりましたの」

鞠莉「ん……?」


ダイヤから手渡された書類が入っている封筒を受け取る。


ダイヤ「きっと、重要書類だと思いますわ。ちゃんと届けましたからね?」

鞠莉「あ、うん。Thank you. ダイヤ」


書類なら、理事長室に届けてくれれば、そのうち読むのに……。

あ、でも……今は、理事長室は曜との空間だから、邪魔しないでくれたなら、それはそれでいっか。


ダイヤ「……鞠莉さん」

鞠莉「……?」

ダイヤ「貴方……大丈夫ですか……?」

鞠莉「What...? 何が?」

ダイヤ「いえ……少し、ぼんやりしていたので」

鞠莉「え……そうかな」

ダイヤ「……気のせいなら、いいのですけれど。しっかりしてくださいませね。貴方はこの学校の理事長なのですから」

鞠莉「もう、ダイヤったら心配性なんだから♪ マリーはこのとおり、元気全開よ?」

ダイヤ「……それなら、構いませんわ」


ダイヤは肩を竦めて、自分の席へと戻っていった。

その様子を見ていた、果南が、


果南「……? 鞠莉、またなんかやったの?」


失礼な質問を投げかけてくる。


鞠莉「なんで、わたしが何かした前提なの……?」


わたしは思わず難しい顔になってしまう。


鞠莉「いつものダイヤのシンパイショーが発動しただけデース」

果南「ふーん……まあ、理事長の仕事について少しでもわかるのって、生徒の中じゃダイヤくらいだもんね」

鞠莉「それについても、わたしはちゃんとやってるから大丈夫なんだけどなー」


それに今は曜のことの方が大事だ。

理事長も大事だけど、今は曜の傍に居てあげたい。わたしはただ、そんなことを考えていた。





    ✨    ✨    ✨





千歌「──それじゃ、明日の梨子ちゃんのお誕生日会についての会議を始めます!!」


チカッチがホワイトボードを叩きながら、会議を始める。

──今は放課後、スクールアイドル部の部室だ。

明日の9月19日は梨子の誕生日だから、今日はお祝いの準備をしようということになっていた。

ちなみに、この場での欠席者は梨子とダイヤ。

チカッチ曰く──『梨子ちゃんにはうまいこと話つけて、今日の部活はないって言っておいた!』──とのことだけど、十中八九、梨子が察してくれたってだけな気はする。

一方でダイヤは、仕事がまだ片付いてないとのことだった。

メンバーの誕生日のお祝いよりも大事な仕事デースか……。

相変わらずの生真面目さにやれやれと思ってしまう部分もあるけど、それもまたダイヤだ。

そして、何より──


曜「……ん? 何?」

鞠莉「ふふ……うぅん、なんでもないよ」


すぐ隣の席に腰掛けている曜のことを考えると、ダイヤには悪いけど、今は安心かもしれない。なんて思ってしまう。

まあ、せめて、気持ちが落ち着くまでは……ね。

昨日の今日では、曜もしんどいだろうし……。

思わず、机の下で、曜の手を握ってしまう。


曜「!」


曜は少しびくっと肩を竦ませたけど、


曜「……」


そのまま、控えめにわたしの手を握り返してくれた。


善子「……そこのリア充たち、聴いてる?」


千歌同様、ホワイトボードの前で計画担当をしている善子が、睨んでくる。


鞠莉「聴いてマース♪ ほら、早く続けて続けて♪」

善子「……はぁ。まあ、やることやってくれれば、別にいいけど……それじゃ、買出し斑は千歌と花丸と果南。飾り付け斑は私と曜と鞠莉ね。ダイヤはどうしようかしら……」

千歌「ダイヤさんは買出し斑がいいです!」

善子「うっさい、バカップルのバカ担当」

千歌「え、酷い!」

花丸「……そうなると、ダイヤさんはプル担当なのかな」

果南「プル担当……? まあ、それはともかく後から来て、買出し組を追いかけるのは効率悪いでしょ。ダイヤは飾り付けに入ってもらったほうがいいよ」

千歌「ちぇ~……いいもんいいもーん」


そんな中、隅っこの方に居た一人が、おずおずと手をあげた。


ルビィ「あ、あのぉ~……ルビィの担当は……」

果南「……?」

千歌「……?」


果南と千歌が、不思議そうな顔をした。


善子「……? ……あ、えっと……そうね」

花丸「ルビィちゃんは飾り付けでいいんじゃないかな。ルビィちゃんはそういう作業、得意だし」

善子「ルビィ……。……そ、そうね。ルビィは飾り付け担当で」

曜「……?」


何故か急に歯切れが悪くなった、善子を見て、曜が首を傾げる。


鞠莉「曜?」

曜「……あ、いや……なんでもない……?」


曜は曜で、不思議そうな顔をしていた。

恐らく、みんなのルビィちゃん? の扱いがよそよそしいことが気になったんだと思う。

でも、仕方ない。だって、マルが連れてきたお友達なんだし。


鞠莉「それじゃ、みんな作業を──」


始めようと言い掛けた、そのとき──


ダイヤ「──鞠莉さんっ!!!」

鞠莉「!?」


部室の引き戸を勢いよく開けながら、ダイヤが入ってきた。


千歌「ダイヤさん……?」

ダイヤ「はぁ、はぁ……!! 鞠莉さん、貴方何をしてるのですか!?」

鞠莉「え……何って……」


息を切らせながら、わたしの方に近寄ってくる。


ダイヤ「いいから、早く来なさい!!」

鞠莉「え……?」


ダイヤはそのまま乱暴にわたしの腕を掴んで、部室から引っ張っていく。


曜「鞠莉ちゃん……?」


そのとき、曜と繋いでいた手が離れて──彼女の不安そうな顔が目に入る。


鞠莉「ダイヤ……! 引っ張らないで!!」

ダイヤ「いいから来なさいっ!!!」

鞠莉「……!!」


普段の怒っている雰囲気とは明らかに違う。これは長年の付き合いから来る勘だけど──憤怒というより、叱責のニュアンスが感じられた。


鞠莉「わ、わかった……」


わたしは大人しく、ダイヤと共に部室を出ることにした。


曜「……」


──曜……ちょっとの間、離れるね。ごめんね。




    ✨    ✨    ✨





ダイヤ「鞠莉さん、貴方本気で忘れていますのね!?」

鞠莉「え……?」

ダイヤ「……ぼーっとしていると思った時点で、もっとしっかり確認するべきでしたわ」

鞠莉「忘れてるって……なに、が……」


──サーっと血の気が引いていく。今日って……。


ダイヤ「……やっと思い出しましたわね」

鞠莉「……理事会議事……」


完全に失念していた。

理事長としての仕事を放り出してしまっていた。


ダイヤ「いつまで経っても理事長が来ないと、わたくしのところに話が来て……案の定、部室でのんきに部活をしていましたのね」

鞠莉「……ごめん」

ダイヤ「全校にアナウンスしなかったのは、先方が貴方のメンツを気遣ってくれたからのようですけれど……。……曜さんに御執心なのは結構ですが、自分の責を忘れるのはどうかと思いますわよ」

鞠莉「……」


返す言葉がなかった。

ダイヤの言うとおり、曜の傍に居ることで頭がいっぱいだった。

ただダイヤは、わたしが余りに真っ青な顔で俯いていたせいか、


ダイヤ「…………まあ、しかし。失敗は誰にでもありますわ。しっかり、謝罪をすれば、そこまで極端に責められるようなことでもないでしょう」


フォローをしてくれる。


ダイヤ「わたくしも一緒に謝罪しますので──」

鞠莉「……いい」

ダイヤ「……ですが」

鞠莉「……これは、わたしのミスだから。一人でちゃんと、頭下げて、議事に参加してくる」

ダイヤ「……そうですか」

鞠莉「……教えてくれて、ありがとう。ダイヤ」

ダイヤ「いえ……。……わたくしも、少し言い過ぎましたわ。議事頑張ってください」

鞠莉「うん……行って来る」


わたしは、自分のミスに後悔しながらも、理事会議事を行っている、会議室へと、一人急ぐのだった。





    *    *    *




ルビィ「……よいしょ……んー!!」

曜「あ、ルビィちゃん、そこ代わるよ」

ルビィ「あ、ごめんね……曜ちゃん。ルビィ、背が低くて……」

曜「あはは、これくらい謝るようなことじゃないって」


ルビィちゃんの代わりに、高いところの飾りをつける。


曜「これでよし」

ルビィ「ありがと、曜ちゃん」


着々と飾り付けは進んでいる。

そんな中ルビィちゃんが、


ルビィ「ねぇ……曜ちゃん」


耳打ちをしてくる。


曜「何?」

ルビィ「……ルビィ、なんかしちゃったのかな……」

曜「……ん」


言われてルビィちゃんの視線の先を見ると、


善子「……」


善子ちゃんが私たちの視線に気付いて目を逸らす。


曜「確かに……なんか、皆、変だよね」

ルビィ「うん……。曜ちゃんと花丸ちゃん以外、なんかよそよそしいというか……」


なんでだろうか。

もしかして、梨子ちゃんの誕生日の二日後にはルビィちゃんの誕生日があるから、そのためのサプライズの準備とか……?

でも、ならなんで私はそれを知らないんだろう……。

……こういうときは、ストレートに訊いちゃう方が早い。


曜「ちょっと、善子ちゃんに直接訊いてくるよ」

ルビィ「え、ええ!? で、でも……」

曜「何かあったんだとしたら、早めに解決しておきたいでしょ?」

ルビィ「ぅゅ……わ、わかった……」


人のことだったら、訊きにいけちゃうのになぁ……。

これが自分のことだったら、絶対こうはいかないのがもどかしい。


曜「──善子ちゃん」

善子「……何? あと、ヨハネ」

曜「ルビィちゃんと何かあったの?」

善子「何かって……? 何もないわよ。ありようがないじゃない」

曜「いやでも、よそよそしいなって……ルビィちゃん気にしてたよ?」

善子「……むしろ、アンタがすごいのよ」

曜「……? どういうこと?」

善子「言葉通りの意味よ……これだから、コミュ強は……」

曜「……? なんかよくわかんないけど、何もないならちゃんと仲良くするんだよ? 同じ一年生なんだから」

善子「……わかったわよ。善処する」


なんだか、歯切れが悪いことには変わりないけど、何か不満があるわけではなさそうだ。

それをルビィちゃんに伝えると、


ルビィ「そっか……よかったぁ」


ルビィちゃんは心底安堵したような息を吐いた。

──ただ、この後も、準備を黙々と進めている中、何故か善子ちゃんは、ルビィちゃんには全然近付こうとしなかったのだった。





    *    *    *





曜「こんなもんかな……」

善子「そうね……それじゃ、帰るわね」


善子ちゃんが手早く荷物をまとめて、出て行こうとする。


曜「え、善子ちゃん、もう帰るの?」

善子「……これ以上やることもないし。あと、ヨハネだからね?」

曜「いやまあ……別にいいけど」

善子「何? 一緒に帰りたいの? それなら、考えてあげなくもないけど」

曜「私は鞠莉ちゃん待つから」

善子「……聞いて損した。ごちそうさま。それじゃ、また明日ね」


善子ちゃんは肩を竦めて、部室から出て行ってしまった。


ルビィ「ぅゅ……やっぱり、ルビィ、何かしちゃったのかな……」

曜「うーん……」


確かに方向は同じなんだから、ルビィちゃんと一緒に帰ってもいいものなのに。

ただ、本人が何もないと言ってる以上なんとも……。

なんて、考えていたら、


 「──あら……もう善子さんは帰ってしまわれたのですわね?」


急に出入り口の方から声を掛けられて、びくっとする。


曜「ダ、ダイヤさん……」

ルビィ「お姉ちゃん……」

ダイヤ「ごめんなさい、準備のお手伝い、ほとんど出来なくて……」

ルビィ「うぅん……生徒会の仕事があったんでしょ? 仕方ないよ」

ダイヤ「ルビィ……ありがとう」

ルビィ「もうお仕事終わったなら、一緒に帰ろ……?」

ダイヤ「ええ、そうですわね。曜さんはどうしますの?」

曜「あ、えっと……鞠莉ちゃんを待とうかなって」

ダイヤ「……そうですか」


ダイヤさんは少し思案顔をしてから、


ダイヤ「──鞠莉さんのこと、お願いしますわね」


そんな意味深なことを言う。


曜「え?」

ダイヤ「それでは、帰りましょうか。ルビィ、いきますわよ」

ルビィ「あ、うん。ばいばい、曜ちゃん」

曜「う、うん……また明日」


去っていく二人を見送る。


曜「……お願いしますって、どういうことだろう」





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「…………」


重い足取りで部室を目指しながら、先ほどまでのことを反芻する。

今日の議事は酷いものだった。

まず入って早々、『理事長、重役出勤ですね』と、わたしをあまりよく思ってないであろう役員に、きつい皮肉を浴びせられて、頭を下げた。

しかし、これは仕方ない。議事を忘れていたのは、わたしだ。

だけど、今日の議事中、何かと揚げ足を取られることが多かった。

──『学業と理事長の両立は大変でしょう』とか『煌びやかな部活を行うのも結構ですが、ちゃんと理事長としての仕事に集中出来てますか?』とか……。


鞠莉「……はぁ」


でも、隙を見せてしまった自分が悪い。

もともと特殊な立場なんだし、一層注意を払うべきだった。


鞠莉「……曜の前ではしっかりしないと」


部室が近くなってきたところで、切り替える。

今は曜に気を遣わせるときではない。

──部室を窓から覗くと、中で曜が一人で待っているところだった。

……わたしのこと待っててくれたのかな。


鞠莉「──曜、お疲れ様」

曜「あ、鞠莉ちゃん!」

鞠莉「ごめんね、待っててくれたの?」

曜「うん」

鞠莉「そっか……」

曜「鞠莉ちゃん、結局なにがあったの?」

鞠莉「んー? まあ、ちょっと急ぎの仕事が入っちゃって」


嘘だけどね……。議事があるのは、もともと決まってたことだし。


曜「そうなんだ」

鞠莉「でも、もう終わったから」

曜「……ねぇ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん?」

曜「今日……泊まりに行っていい?」

鞠莉「! もちろん、曜ならいつでも大歓迎だヨ!」

曜「じゃあ、先に校門で待ってるね! ママに連絡しないといけないから!」


そう言いながら、曜は部室を飛び出していった。

それにしても、急にお泊りの提案をされたのは、正直驚いた。

それくらい曜は今、不安なのかもしれない。


鞠莉「わたしが、しっかりしないと……」


車の手配の連絡を入れながら、わたしも曜の後を追って、校門へと向かうのだった。





    ✨    ✨    ✨





──ホテルオハラ。


曜「やっぱりこのソファー、最高……」

鞠莉「ふふ……また寝ちゃうわよ?」

曜「鞠莉ちゃんも隣来て?」

鞠莉「ふふ、わかった♪」


もう、曜ったら、実は膝枕して欲しかったのかしらね?

なんだか、笑ってしまう。

言われたとおり、隣に腰を下ろすと──


曜「……鞠莉ちゃん」


曜に抱きしめられた。


鞠莉「え……」

曜「……」

鞠莉「よ、曜……? 急にどうしたの?」

曜「……嫌なこと、あったんだよね」

鞠莉「え」

曜「……理事長のお仕事で何かあったの?」

鞠莉「ち、ちょっと待って……わたしはいつも通り──」

曜「いつも通りじゃないよ」

鞠莉「……!」

曜「鞠莉ちゃんのこと……ずっと、見てたもん……わかるよ」

鞠莉「……いや……その……」

曜「言いたくないなら、言わなくていい」

鞠莉「…………」

曜「でも……鞠莉ちゃんが辛そうにしてるのは放っておけないよ」

鞠莉「……」

曜「だって……鞠莉ちゃんも、私が辛いときにぎゅって……してくれたもん……」

鞠莉「……っ」


より強く、曜がわたしを抱きしめるからか、何故だか、急に、

涙が溢れてきた。


鞠莉「…………っ……」

曜「鞠莉ちゃん……いつも、一人で背負って、戦ってるんだよね……私たちのために、ありがとね……」

鞠莉「……わ、わたし、は……っ……」

曜「ありがとう……鞠莉ちゃん……」

鞠莉「……ちがうの……っ……わたし、失敗……しちゃって……っ……」

曜「……うん」

鞠莉「…………隙、見せちゃいけない……って、わかってたのに……っ……わたし、しっかり出来なきゃダメって……わかってたのに……っ……」

曜「……いろいろ言われちゃった……?」

鞠莉「……ぅ……っ……ぐす……っ……。……じぶんの、せい……だけど……っ……スクールアイドル……なんかに、かまけてるから……って……いわれ、て……っ……。……わ、わたし……くやしくて……くやしくて……っ……!」

曜「……うん」

鞠莉「……スクール、アイドル……っ……すごいのに……っ……! ばかにされて……っ……でも、いいかえせなくて……っ……!」

曜「……うん」

鞠莉「……くだらなくなんか……ないのに……、くだらなくなんか……ないのにっ……! ……ぅ、ぐす……っ……」


うまく言葉がまとまらない。

涙と一緒に、ただ悔しかったという気持ちが言葉と一緒に溢れ出してくる。

でも、曜は──


曜「……うん……。悔しいよね……」


わたしが泣き止むまで、ただ、頷いて話を訊き続けてくれたのだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「……はぁ……」

曜「落ち着いた?」

鞠莉「……泣きすぎて、疲れた」

曜「あはは……かもね」


気付けば、もうすっかり日も暮れてしまっていた。


鞠莉「……曜」

曜「ん?」

鞠莉「……最初から、こうするつもりで、泊まりたいとか言ったでしょ」

曜「……ばれた?」

鞠莉「……ばか」


曜の胸に顔を埋める。


曜「だって……放っておけなかったし……嫌だった?」

鞠莉「……うぅん……言えてちょっとすっきりした……」

曜「そっか、ならよかった……」

鞠莉「……悔しい」

曜「……そうだよね、いろいろ言われて──」

鞠莉「そっちじゃなくて……」

曜「え?」

鞠莉「わたしが曜を慰めるつもりだったのに、逆に慰められちゃって悔しいの……っ!」

曜「ええ……」

鞠莉「……ごめん。曜も辛いのに……」

曜「うぅん、だから……かな」

鞠莉「……だから……?」

曜「苦しいとき……悲しいときに……誰かが傍に居てくれることが、どれだけ嬉しいか……教えてくれたのは、鞠莉ちゃんだから……」

鞠莉「曜……」

曜「だから、私が悲しいときは、鞠莉ちゃんに傍に居て欲しいし……鞠莉ちゃんが悲しいときには、私が傍に居てあげたい」

鞠莉「……///」


まるでプロポーズみたいだ。聞いているうちに、なんだか、だんだん恥ずかしくなってきたので、


曜「わぷっ……!?///」


仕返しに曜を無理矢理、自分の胸元に抱き寄せる。


鞠莉「今度は曜が抱きしめられる番なんだから……」

曜「ご、強引すぎでしょ!?///」

鞠莉「……抱きしめられるより、抱きしめる方がしっくりくるのよ!」

曜「ま、鞠莉ちゃん、苦しいってー!///」

鞠莉「曜」

曜「な、なに!?///」

鞠莉「......Thank you.」

曜「! ……うん」


いろんなことを、気負いすぎていたのかもしれない。

曜とは──支えて支えられて、そういう関係を築いていけるなら、悪くないなと、そんなことを思ったのだった。





    ✨    ✨    ✨





──あの後、一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、あっという間に就寝の時間。

ベッドに入ったら、曜はすぐに寝入ってしまった。

今日は、朝から気を張っていただろうし……更に、わたしのことも考えてくれていたから、疲れたんだと思う。


曜「…………すぅ……すぅ……」

鞠莉「曜……寝ちゃった……?」

曜「………………ん、ぅ………………すぅ……すぅ……」

鞠莉「…………」


暗闇の中で、じーっと……曜の顔を見る。

穏やかな寝顔だった。

なんだか、見ているだけで温かい気持ちでいっぱいだった。幸せだ。

支えて、支えられて、曜とそんな関係になりたい。心の底から、わたしはそう思っていた。

もう、自分の気持ちに嘘は吐けない。わたし──


鞠莉「曜のことが……好き」

曜「…………すぅ…………すぅ……」


我ながら、困ったことを、と思ってしまうけど、もう自分を誤魔化しきれないくらいに、好きになってしまった。

今日の出来事が決め手だった。一番近くで、ここまでわたしを想って抱きしめてくれる人を好きになるなという方が無理がある。


鞠莉「……Guiltyなんだから」

曜「…………んぅ……………………すぅ…………すぅ……」


だから、わたしは胸の内で新たな決意をする。

──曜を振り向かせる。

千歌のことなんて、忘れちゃうくらい、曜を夢中にさせてみせる。


鞠莉「......Be prepared.(……覚悟しておいてよね)」

曜「………………すぅ…………すぅ……」


一人、目の前に愛しい人に宣戦布告をして、わたしも明日に備えて眠るために、目を瞑るのだった。





    *    *    *





千歌「梨子ちゃん、誕生日おめでとう~っ!」
果南「梨子ちゃん、誕生日おめでとう!」
ダイヤ「梨子さん、誕生日おめでとうございます」
曜「梨子ちゃん、誕生日おめでとう!」
善子「リリー、誕生日おめでとう」
花丸「梨子ちゃん、誕生日おめでとうずら~」
鞠莉「梨子、Happy birthday!!」
ルビィ「梨子ちゃん、誕生日おめでとうっ!」

梨子「皆……ありがとう!」


9月19日木曜日。放課後、梨子ちゃんの誕生日パーティが始まった。

皆でケーキを切り分けて、雑談しながら楽しくパーティは進行する。


千歌「そういえば、昨日聖良さんから連絡があったんだよね」

ダイヤ「本当ですか?」

千歌「今週も週末は三連休でしょ? そのタイミングで東京に行く予定らしいんだけど、土曜に沼津の方にも来てくれるみたい」

果南「へー、じゃあ土曜はSaint Snowと合同練習かな? 専用メニュー作っておかないと」

梨子「……専用メニュー?」

果南「ほら、聖良も理亞も体力あるし、ランニング20kmくらいは──」

善子「そんなに走ったら堕天しちゃうじゃないっ!?」

鞠莉「善子はもともと堕天使なんだし、堕天しても大丈夫なんじゃないの?」

善子「は……! た、確かに……」

梨子「そこ、納得しちゃうんだ……」


皆、口々に雑談をしているように見えるけど……。

少しだけ、妙な違和感があった。


ルビィ「──あ、あの……えっと……ルビィ……だけ、フォークもらってない……」

花丸「あれ、ホントずら!? フォーク配ってたの善子ちゃんだよね!? せっかくダイヤさんがケーキを切り分けてくれたのに、これじゃ食べられないよ!! 酷いずら!!」

善子「え?」

ルビィ「う、うぅん、大丈夫だよ花丸ちゃん……ルビィ、影が薄いから……えへへ」

花丸「ルビィちゃん、優しすぎだよ……もう、善子ちゃん! 反省してよね!」

善子「はぁ……なんか、ごめん……?」

曜「…………」


何か、ここ数日、メンバーのルビィちゃんへの反応が変な気がする。


ダイヤ「ああもう、ルビィ……! 口の周りにクリームが付いていますわ……!」

ルビィ「え、どこ?」

ダイヤ「もう、拭いてあげますから……」

曜「……」


でも、花丸ちゃんとダイヤさんはいつも通り……かな?


曜「ねぇ、鞠莉ちゃん……」

鞠莉「ん?」


隣の鞠莉ちゃんに耳打ちをする。


曜「皆のルビィちゃんへの反応……変じゃない?」

鞠莉「そう……?」

曜「うん……なんか、よそよそしいというか」

鞠莉「……そうかな……?」

曜「……」


ただ、鞠莉ちゃんに訊いてもピンとこないようで……。私がおかしいのかな……。

──まあ、梨子ちゃんの誕生日にわざわざ騒ぎ立てるのも空気を悪くしちゃうし……。

違和感が続くようだったら、ちゃんと話し合おうかな。

そう思い、この場は流してしまった。

この時点で──これが最悪の事態に対する予兆だったと、気付くべきだったのに。





    *    *    *





──翌日。お昼休みのことだった。

いつものように、理事長室に向かう途中、たまたま廊下でルビィちゃんが歩いている後ろ姿を見掛ける。


ルビィ「…………」

曜「……?」


ルビィちゃんは、何故か辺りをきょろきょろしながら、廊下の隅の方を歩いていた。


曜「ルビィちゃん……? どうしたの?」


後ろから声を掛けると、


ルビィ「ピギッ!?」


ルビィちゃんがびっくりして飛び跳ねる。


ルビィ「あ……よ、曜ちゃん……」

曜「ご、ごめん……驚かせるつもりはなかったんだけど。なんか、変な歩き方してたから」

ルビィ「え、えっと……なんか、今日すごい人とぶつかるから……」

曜「……人とぶつかる? 走ってきた人とか?」

ルビィ「うぅん……歩いてる人とぶつかるんだぁ……」

曜「……?」


思わず怪訝な顔をしてしまう。


ルビィ「なんでかわかんないんだけど……まるで、前から来る人、ルビィが見えてないみたいで……」

曜「……?」


ますますわからない。見えてないってどういうことだろう。


ルビィ「あはは……ルビィ、やっぱり影が薄いから……」

曜「そんなことないと思うけど……」


まあ、理由はどうあれ、こんなびくびくしながら校内を歩いているなんて、少し可哀想だ。

せめて、誰かと一緒なら──


曜「ん……っと、あっ!」


たまたま、廊下を歩いていた、善子ちゃんを見つける。

まあ、一年生の教室も近いし、おかしなことではないけど。


曜「善子ちゃーん!」

善子「? 曜? 呼んだ?」

ルビィ「あ……よ、曜ちゃん……」

曜「? どうかした?」

ルビィ「ぅゅ……」


何故か、ルビィちゃんは私の影に隠れてしまう。

一方で呼ばれた善子ちゃんが、私のすぐ傍まで近付いてくる。


善子「何か用事?」

曜「あ、うん。なんか、ルビィちゃんが今日、よく人とぶつかるみたいで……」

善子「……? ルビィちゃん?」

曜「……? それでさ、善子ちゃんが一緒に居てあげたら、少しは安全かなって」

善子「はぁ……? まあ、いいけど」

ルビィ「ぅゅ……」

善子「この子と一緒に居ればいいのよね」

曜「……? う、うん……」


──なんだ、この会話。

微妙に噛み合っていない感じがして、気持ち悪い。


ルビィ「よ、曜ちゃん!!」

曜「!?」


そのとき、急にルビィちゃんが私を強く引っ張って、


ルビィ「だ、大丈夫……だから……。ルビィ……一人で、平気だから……」


涙目でそう訴えかけてきた。


曜「ルビィ……ちゃん……?」

ルビィ「ご、ごめんね……よし──つ、津島さん……!!」

曜「は……?」


ルビィちゃんは、一年生の教室の方に走っていってしまう。

いや、それよりも──津島さん……?

私は眉を顰める。


曜「……善子ちゃん、ルビィちゃんとケンカでもしてるの?」

善子「ケンカというか……」

曜「というか……?」

善子「──あの子、初めて見たんだけど……同じクラス……よね、たぶん」

曜「……は?」


善子ちゃんの言葉に、ポカンとしてしまう。


曜「いや……ルビィちゃんだよ? 黒澤ルビィ」

善子「黒澤……? ダイヤの親戚かなんか?」

曜「いや、ダイヤさんの妹だよ!? 何言ってるの!?」

善子「何言ってるのって言われても……ダイヤに妹がいるとか知らなかったし……」


──善子ちゃんは本当に何を言ってるんだ。


曜「善子ちゃん、それ本気で言ってるの!?」

善子「え、ち、ちょっと……さっきから、アナタ変よ……?」


──変なのは私じゃない。何が起こってるんだ。

何故か善子ちゃんが、ルビィちゃんのことを知らない人だと言っている。

私が混乱しているところに、


鞠莉「──曜? どうしたの?」

曜「! 鞠莉ちゃん……!」


鞠莉ちゃんの姿。

理事長室は同じ一階にあるから、私の声を聞きつけて、やってきたのかもしれない。

いや、今はそれどころじゃない。


善子「ちょっとマリー……曜がおかしいのよ」

曜「私はおかしくなんかないって!! むしろ、おかしいのは善子ちゃんだよ!!」


──よりにもよって、仲間のことを忘れるなんて。


鞠莉「Wait... 何があったのか説明して?」

曜「善子ちゃんが、ルビィちゃんと会ったことがないって……」

鞠莉「Ruby...?」

曜「え……」


鞠莉ちゃんの反応を見て、嫌な予感がした。


鞠莉「ルビーちゃん? ……ちゃんってことは、人の名前……よね? ダイヤの親戚かなにか……?」

曜「うそ……」

善子「マリーもそう思うわよね……。なんか曜は、ダイヤの妹だって、言ってて……」

鞠莉「ダイヤの妹……? ……居たような、居なかったような……」

曜「何言ってるの!? ルビィちゃんだよ!! 黒澤ルビィちゃん!!」

鞠莉「えっと……」


鞠莉ちゃんは私の言葉を受けて、少し考えた素振りをしたけど、


鞠莉「……ごめん、知らないわ」


返ってきたのは結局そんな反応だった。


曜「そ、そんな……」

善子「ねぇ、曜……アナタ疲れてるんじゃない……? この前も体調不良で早退したみたいだし……」

鞠莉「曜……ちょっと、ごめんね」


鞠莉ちゃんがわたしのおでこに手を当ててくる。


鞠莉「熱は……なさそう」

曜「…………」

善子「まぁ……あとはマリーに任せるけど、無理しちゃダメよ」

曜「……あ……うん……」


善子ちゃんが肩を竦めて、教室に戻っていく。


鞠莉「曜……大丈夫? 保健室で休む?」

曜「……そうする」


なんだか、頭痛がしてきた。


鞠莉「それじゃ、付き添うね」

曜「いい……一人で行く」

鞠莉「え、でも……」

曜「ごめん……一人にして……」

鞠莉「う、うん……」

曜「……今日のお昼は、ごめん……ちょっと、食欲ないから……」

鞠莉「わかった……無理しないでね」

曜「うん……ありがと……」


私はよろよろと一人、保健室へと向かう。

──何が……起きてるの……?





    *    *    *




お昼休みいっぱいを保健室で過ごし、気分が快復しないまま、昼休みが終わってしまい教室に戻ってきた。


曜「…………」

梨子「曜ちゃん……? 顔色悪いよ?」

千歌「大丈夫?」


教室に戻ってきて早々、二人からも心配される。

そうだ、二人に聞いてみればいいんだ。

さっきのことは何かの間違いだったのかもしれない。


曜「千歌ちゃん……梨子ちゃん……」

梨子「ん?」 千歌「なに?」

曜「ルビィちゃん……わかる……?」


祈るような気持ちで訊ねた。

でも、


梨子「……? 人の名前、なのかな……?」

千歌「えっと……ごめん、知らない」


返ってきたのは、残酷な回答だった。


曜「…………。……そう、だよね」


私はそのまま、机に突っ伏す。


千歌「よ、曜ちゃん!?」

曜「……ちょっと……寝る」

梨子「え、寝るって……これから、授業……」

曜「起こさないで……」


私は、目を瞑った。

あまりに現実感のない、現実から、目を背けるために──





    *    *    *





──風が吹いている。

ああ、またこの夢だ。

起きたら忘れちゃうのに、夢を見るたびに、この夢を前にも見ていたことを思い出す。

ただ──今日だけは、少し様子が違った。

普段、私を掻き消さんばかりに吹き荒れている、木の葉たちは私の周囲ではなく──少し離れた場所で舞い狂っていた。


曜「何……?」


木の葉の先に目を凝らすと──真っ赤な髪をピッグテールに縛った女の子が、泣いていた。


曜「ルビィ……ちゃん……?」


間も無く、木の葉はルビィちゃんを飲み込み──完全にその姿は見えなくなった。





    *    *    *





 「──う、ちゃん、曜ちゃん……」

曜「……ん……」


揺すられて目を覚ます。


千歌「あ……曜ちゃん、起きた」

曜「……」

梨子「大丈夫……?」


千歌ちゃんと梨子ちゃんが、心配そうに私のことを見下ろしていた。


千歌「これから、部活行くけど……曜ちゃん、来れそう?」

曜「…………」


行って確認しなくちゃいけないことがある。だけど……。


曜「……ごめん……体調悪いから……帰るね……」

梨子「あ、うん……お大事に」


もし、部活に行って、誰もルビィちゃんを知らなかったらという考えが過ぎって、急に怖くなった。

少なくとも── 一番信用していたはず、鞠莉ちゃんすら知らなかったことが相当堪えていた。

ここまで四人に訊いて、四人とも知らないと言われ、先ほどまで感じていた、自分がおかしいんじゃないかという冗談みたいな考えが、逆に現実味を帯びてきてしまった。

とにかく、今誰かと話していると、変になりそうだった。





    *    *    *





家に帰って、ベッドに横たわったまま、ぐるぐると思考を続けて、気付けばもう午後6時を過ぎていた。


曜「…………ダメだ、考えてもわかるはずない」


何故か、皆ルビィちゃんのことを忘れている。鞠莉ちゃんですら。

考えられる可能性は……壮大なドッキリとか……?

そうだとしたら、趣味が悪い話だ。


曜「……こうしてても、何も変わらない」


私はスマホを手にとって、LINEを開く。


曜「ルビィちゃんと直接話をした方がいい……」


『友だち』のリストを開いて、スクロールする。


曜「ルビィちゃん……ルビィちゃんは……」


だけど、なかなかルビィちゃんが見つからない。

……それどころか、


曜「あれ……?」


ルビィちゃんを見つけることなく、スクロールは一番下まで辿り着いてしまった。


曜「まさか……」


何度か、スクロールを上下させてみるけど、結局ルビィちゃんの名前はどこにも見当たらない。


曜「ルビィちゃんの連絡先が……消えてる……」


私はルビィちゃんの連絡先を消去した覚えはない。

……もしかして、


曜「──ホントに……ルビィちゃんって知らない人……なの……?」


本当に私が疲れすぎていただけで、黒澤ルビィという人間は最初から存在していなかった、とか……?


曜「……いや、そんなはずない……あるはずない……」


自問自答するものの、現に皆は知らなかった。

得も言われぬ恐怖がどんどん心を侵食していく。

そのときだった。

──ピロン。

LINEの音だ。


 『Mari:曜、大丈夫?』


鞠莉ちゃんからだった。


曜「……鞠莉ちゃん」


──もうどうすればいいかわからなくて、怖かったんだと思う。

気付けば、私は鞠莉ちゃんに通話を飛ばしていた。





    ✨    ✨    ✨





──LINEにメッセージを送ったら、曜から、返信の代わりに通話が飛んできた。


鞠莉「もしもし、曜?」

曜『……鞠莉ちゃん……』


曜は酷く疲れた声をしていた。


鞠莉「曜……大丈夫……?」

曜『鞠莉、ちゃん……あのね』

鞠莉「うん」

曜『私……おかしくなっちゃったのかも、しれない……』

鞠莉「おかしく……?」

曜『……Aqoursのメンバーって……何人……?』

鞠莉「え?」


曜から投げかけられた疑問。間違えるはずのない、その問いに、


鞠莉「──8人だよね?」


わたしはそう答えた。


曜『…………』

鞠莉「……違うの?」

曜『鞠莉ちゃん……私、Aqoursは9人居たと思うんだ……』

鞠莉「……?」

曜『でも……9人目のこと……私しか覚えてなくて……連絡先も、なくなっちゃってて……』

鞠莉「…………」

曜『ごめん……私……変なこと……言ってるよね』


曜は消え入りそうな声で言う。


鞠莉「……もうちょっと、詳しく教えて」

曜『……え』

鞠莉「Aqoursの中に消えた9人目が居て……それを曜しか覚えてないんだったら、大問題じゃない」

曜『信じて……くれるの……?』

鞠莉「曜が、こんなことで嘘吐かないことくらい、知ってるもの」

曜『鞠莉ちゃん……うん』


曜は一息吸ってから、話し始めた。


曜『黒澤ルビィちゃんって子……わかる?』

鞠莉「黒澤ルビー……お昼に言ってた子だよね?」

曜『うん……ダイヤさんの妹で、Aqoursのメンバーなんだけど……』

鞠莉「Hm...」


確かに全く覚えがなかった。

ダイヤに妹がいるなんて話は聞いたことがないし。


曜『……何故か、そのルビィちゃんのことを皆忘れちゃってて』

鞠莉「…………ちょっと、一度確認したいことがあるから、掛け直していい?」

曜『え、うん……いいけど、なにするの?』

鞠莉「ダイヤに直接確認する」

曜『え、でも……』

鞠莉「……おかしなやつだって思われるかもしれないけど、まあそのときは冗談として流せばいいかなって。それに……」

曜『それに……?』

鞠莉「曜が居るって言ってるんだもん。きっと、そうなんだと思う」

曜『! うん……!』

鞠莉「だから、ちょっと待っててね」

曜『わかった……!』


──曜との通話を切り、そのまま今度はダイヤに通話を飛ばす。

キッチリ3コール程鳴ったところで、


ダイヤ『はい』


ダイヤが通話に応答する。


鞠莉「Good evening. ダイヤ♪」

ダイヤ『こんばんは、鞠莉さん。どうかされましたか?』

鞠莉「ダイヤにちょ~っと訊きたいことがあってネ」

ダイヤ『訊きたいこと、ですか?』

鞠莉「うん。ダイヤって、妹いたっけ?」

ダイヤ『はぁ?』

鞠莉「ほら、答えて」

ダイヤ『……? 妹……いも、うと……?』

鞠莉「……?」

ダイヤ『…………………………』

鞠莉「ダイヤ……?」


電話の先でダイヤが押し黙る。


鞠莉「もしもーし、ダイヤー?」

ダイヤ『あ……はい……』


ダイヤの様子が、少しおかしい。


鞠莉「大丈夫?」

ダイヤ『……はい』

鞠莉「……。……それで、妹いたっけ?」

ダイヤ『………………居なかった……気が、します……』

鞠莉「……そっか。ありがと」

ダイヤ『いえ……』

鞠莉「訊きたかったことは、それだけだから、チャオ~♪」

ダイヤ『はい……では、また明日』


──ダイヤとの通話が終わる。すぐさま、曜に掛け直す。

通話を飛ばすと、待っていたからだろうか、曜はすぐに出てくれた。


曜『鞠莉ちゃん、ダイヤさんなんて言ってた……?』

鞠莉「妹は、居なかった気がするって言ってたヨ」

曜『……。……や、やっぱ……そうだよね』


曜の意気が沈む。


鞠莉「待って、曜」

曜『え……?』

鞠莉「ダイヤは、居なかった気がするって言ったのよ」

曜『うん……だから……──気がする……?』

鞠莉「そんな曖昧な言い方……普通するかな?」


家族構成について、そんな言い回しは普通しない。

気がするなんて言い方は、言いたくないか、正確にわからないときに使う言葉だ。


曜『じ、じゃあ……! ルビィちゃんは……!』

鞠莉「うん。……ダイヤすらも忘れかけてる妹が居る可能性はあると思う」


もちろん、ダイヤに言えない事情があるって可能性も、一応残ってるけど……話した感じでは、ダイヤ自身もよくわかってなかったようにも取れた。

もし、曜の言っている前提通りなら、ダイヤの様子がおかしかったことにも、家族だからこそ引っかかる違和感があったということなら説明が付く。

そして、何より──他ならぬ曜が言っていることだ。私は、曜のことは、曜の言ってることだけはなにがあっても信じたい。


鞠莉「曜は、おかしくないよ。おかしくなってるのは、たぶんわたしたち」

曜『……!』

鞠莉「理由はわからないけど……何かが起こってるんだと思う」

曜『鞠莉ちゃん……! いなくなっちゃった、ルビィちゃんを……探さないと……!』

鞠莉「Of course ! もちろんデース!」





    *    *    *





鞠莉ちゃんに連絡をしてよかった。

自分自身が信用出来なくなりかけていたけど、鞠莉ちゃんが私よりも、私を信じてくれた。


曜「鞠莉ちゃん……ありがとう」

鞠莉『ふふ、どういたしまして♪ 曜の力になれたなら……嬉しいわ』

曜「うん……!」


──さて……状況を整理しよう。


曜「ルビィちゃんはもともと存在していて……何かの理由で私以外の人から忘れられちゃってるんだよね」

鞠莉『そうみたいね……とは言っても、わたしも忘れちゃってるから、心当たりは全くないのよね……』

曜「……だよね。そうだったとしても、ルビィちゃんと連絡を取る方法もないし……どうすればいいのか」

鞠莉『……そうよね。そのルビーって子が、今どうなってるのかもよくわからないし……』


確かに、あまりに唐突に起きた出来事だ。理由がわからないと対処のしようがない。


曜「何か原因が……あるのかな」

鞠莉『そうね……。何の理由もなしに、人が消えるなんてこと……。……人が消える……?』

曜「……鞠莉ちゃん?」

鞠莉『……なんか、つい最近、聞いた気がする……。なんだっけ……』

曜「え……?」


人が消えることについて……?


鞠莉『…………そうだ、思い出した。船の呪い……』

曜「えっ!?」

鞠莉『!?』


鞠莉ちゃんから、『船の呪い』というワードが飛び出してきて、思わず大きな声をあげてしまう。


鞠莉『び、びっくりした……曜も知ってるの?』

曜「え、あ、いや……まあ、うん……」

鞠莉『内浦に昔からある呪いだって、果南は言ってた』

曜「果南ちゃんから聞いたの……?」

鞠莉『ええ。つい最近、その呪いの船を見たって話をしててね』

曜「へ、へー……」

鞠莉『もしかしたら……ルビーちゃんはその標的にされちゃったんじゃないかしら……?』

曜「ルビィちゃんが……」


確かに、こんな不可思議な現象が起こってるわけだし、呪いのせいだと言われると、妙な説得力がある。


曜「でも、誰がそんなこと……」

鞠莉『それはわからないけど……ただ、本当にその船の呪いが原因なんだとしても、ちょっと気になることはあるんだけど……』

曜「気になること?」

鞠莉『うん……。花丸曰く、その呪いはやり方を間違ってるから、失敗してるって言ってたのよね』

曜「そうなんだ……?」


どちらにしろ、手掛かりが少なすぎるな……。

再び思案に入ろうとした瞬間──ピロンとLINEの通知音が鳴る。


鞠莉『あら……? なにかしら……?』

曜「あれ? 鞠莉ちゃんも? ……ってことは、グループの方か」


画面を確認してみると、『Aqours』のグループチャットに千歌ちゃんからのメッセージが入っていた。

内容は──


 『ちか★:明日はSaint Snowの二人が来てくれることになったから、朝学校に集合だよ!』


とのこと。


鞠莉『……どうする?』

曜「……うーん」


正直、ルビィちゃんのことを調べたいけど……。


曜「……明日は顔を出そう。皆が居る場所なら何か他に手掛かりがあるかもしれないし」

鞠莉『……まあ、それもそうね。わかった、じゃあ、ひとまずは明日考えるってことでいい?』

曜「うん」


これ以上、二人で話してても手掛かりが見つかりそうもないし……。急いだ方がいいのかもしれないけど、闇雲に探るよりも、皆が集まる場に顔を出した方がいい気がした。

他でもない、Aqoursの問題なわけだし……。

場合によっては、全員が居る場で話をしたら、協力してくれる可能性も十分あるし。


曜「鞠莉ちゃん」

鞠莉『ん?』

曜「ホントにありがとね……私、自分がおかしくなったんじゃないかって、怖かった」

鞠莉『……うぅん、むしろ、わたしに相談してくれてありがとう、曜』

曜「えへへ……やっぱり、鞠莉ちゃんが一番信用できるな」

鞠莉『!/// も、もう……そういうこと、急に言うんだから……///』

曜「え?」

鞠莉『……うぅん、なんでもない/// それじゃ、また明日ね』

曜「うん、また明日」


──鞠莉ちゃんとの通話を終え、


曜「……待っててね、ルビィちゃん」


私は、明日に備えるのだった。





    *    *    *





──翌日。9月21日土曜日。


千歌「そろそろかなー? さっき連絡があったんだけど……」


浦の星女学院の校門にAqours総出で待っている状態──ルビィちゃんは居ないけど……。

そんな本日は、皮肉なことにルビィちゃんの誕生日でもある。

ただ、私と鞠莉ちゃんを除いた、ここに居る6人はそれにほとんど違和感を抱いていない様子。


鞠莉「……曜」


ふいに、鞠莉ちゃんが手を握ってくれた。


曜「……うん」


タイミングを見て、ルビィちゃんの話を皆の前で切り出す。

そういう算段になっていた。

ただ、思ったよりSaint Snowの二人が早く着くとの連絡があったため、こうして全員で校門に集まって待っているところだ。


千歌「あ、来た! おーい!!」


千歌ちゃんの声で皆が一斉に視線を向ける。

向こうも気付いたようで、こっちに向かって駆けて来て、


聖良「──……皆さん、お久しぶりです!」

理亞「……久しぶり」


息を整えながら、Saint Snowの二人が私たちに笑顔を向けてくれる──理亞ちゃんはやや仏頂面だけど。


ダイヤ「お久しぶりです……聖良さん。またお会い出来て、本当に嬉しいですわ……!」

聖良「ダイヤさん……そうですね。あの日以来ですから」

千歌「聖良さーん!!」


千歌ちゃんが、聖良さんに飛び付く。


聖良「おっとと……いいんですか? ダイヤさんの前ですよ?」

ダイヤ「ふふ、千歌さんも嬉しいのですわよね」

千歌「うんっ!」


千歌ちゃんとダイヤさんが何やら聖良さんと楽しげに話している一方で、


理亞「……」


理亞ちゃんは何やらキョロキョロしている。


善子「理亞? どしたの?」

理亞「……いや」

聖良「理亞は、今日ここに来ることをずっと楽しみにしていたんですよ」

理亞「ね、ねえさま!///」

善子「へー」


善子ちゃんが面白いものを見るようにニヤニヤしだす。


理亞「ち、違う……別にそんなんじゃない……///」

善子「じゃあ、何そわそわしてんのよ?」

理亞「……あの子はどこ」

梨子「あの子……?」

曜・鞠莉「「……!」」


まさか──


理亞「……ルビィよ。まさか居ないなんて言わないでしょ?」


理亞ちゃんの口から飛び出したのはルビィちゃんの名前だった。

だけど、


千歌「るびー……?」

果南「宝石……?」

梨子「えっと……どういうこと?」

善子「……なんか、昨日もそんな話されたような……。なんだっけ」


まず、千歌ちゃん、果南ちゃん、梨子ちゃん、善子ちゃんが首を傾げ、


聖良「……ルビィ……?」


聖良さんも不思議そうに理亞ちゃんの顔を見る。


理亞「え……な、何……?」


皆の反応を見て、理亞ちゃんが動揺した表情を見せる。

そのとき、クイクイっと、隣から袖を軽く引っ張られる。


曜「?」

鞠莉「……」


もちろん、袖を引っ張ったのは鞠莉ちゃん。

鞠莉ちゃんは目でダイヤさんの方を示す。


ダイヤ「…………るびぃ……」

曜「……」


やっぱり、ダイヤさんの中には微かに違和感が残っているようだった。


鞠莉「……あと、花丸も」


耳打ちされて、花丸ちゃんの方にも視線を向けると、


花丸「…………ルビィ……あ、れ……なんだっけ……」


花丸ちゃんも違和感があるようだった。


理亞「……ルビィ居ないの?」


あからさまにガッカリした様子の理亞ちゃんに、


善子「……いや、だからそれ何? ……人の名前?」


善子ちゃんが追い討ちを掛けるように、言葉をぶつける。


理亞「はぁ……? 何言ってんの……?」

善子「いや、それはこっちのセリフなんだけど……」

理亞「ルビィ、黒澤ルビィ。知らないなんて、言わせない」

善子「知らないわよ」

理亞「っ!!」


──ガッと、理亞ちゃんが善子ちゃんの胸倉に掴みかかった。


善子「っ!? え、な、なに!?」

聖良「理亞!?」

理亞「……何があったのか知らないけど、よくそんな冗談真顔で言えるわね」

善子「は、はぁ!? だから、ホントに知らないんだって……!!」

理亞「まだ言うか……!!」


ヤバイ──そう思って、止めに入ろうとした瞬間。


千歌「──ダイヤさんっ!!?」


千歌ちゃんが急に、ダイヤさんの名前を叫んだ。


曜「!?」


咄嗟にそっちに目を向けると、


ダイヤ「黒澤……る、びぃ……るびぃ……?」


ダイヤさんが頭を抱えて蹲っていた。


千歌「ダイヤさん!! しっかりして……!!」

理亞「……な、なに……?」

善子「…………どういうこと……?」


気付けば、一触即発だった、理亞ちゃんと善子ちゃんも呆気に取られていた。


鞠莉「──マル!?」

曜「っ!」


今度は、鞠莉ちゃんが花丸ちゃんに駆け寄る。


花丸「ルビィ……ちゃん……。……あ、あれ……なん……だっけ…………わ、忘れちゃ……いけない……はず、なのに……」

鞠莉「マル……!」

果南「ち、ちょっと……! ダイヤもマルもどうしちゃったの!?」


こっちもか……!!

ルビィちゃんのことで少しでも違和感の残っていた二人が、急に苦しみ始めた。


千歌「ダ、ダイヤさん……っ!!」

ダイヤ「……ルビィ……る、びぃ……? だ、め……おもい、だせない……」

千歌「き、救急車っ!! 誰か救急車呼んでっ!!」

果南「千歌、落ち着いて……!!」

千歌「落ち着けるわけないじゃんっ!!」

ダイヤ「……づぅっ……!!」

千歌「ダイヤさんっ!?」

花丸「あ、たま……われる……」

鞠莉「マル!! しっかりして……!!」

梨子「え、えっと!? 999!? あ、あれ!? 救急車って何番!?」


全員が混乱している。

かくいう私も、どうすればいいのかわからずに居ると──

──パンッ!!!!


聖良「“全員落ち着きなさい!!”」


聖良さんが両手を強く叩いて音を鳴らしてから──全員に“命令”した。


果南「え、あれ……」

鞠莉「……あ、わたし」

梨子「……あ、119番だ……」

聖良「梨子さん。救急車は呼ばなくても大丈夫ですよ。皆さんも一度、落ち着いてください」


何故か、聖良さんの言葉で数人が我に帰ったように落ち着きを取り戻した。私を含めて。


千歌「落ち着けって言われても……!!」

聖良「千歌さんも、とにかく今は落ち着いてください」

千歌「……っ」

ダイヤ「…………は、ぁ……ぅ……っ゛……」

千歌「ダイヤさん……」


ただ、千歌ちゃんとダイヤさんは変わらず……そうだ、花丸ちゃんは……!


花丸「ずら……」

鞠莉「マル……大丈夫?」

花丸「う、うん……聖良さんの声聴いたら、なんか落ち着いてきた……」


何故かダイヤさんと違って、花丸ちゃんの容態は回復していた。


善子「え、今何したの……?」

聖良「周りの人を落ち着かせる言い方があると聞いたことがあって、それを試しただけですよ。……尤も、一度では効かない人も居るみたいですけど」

千歌「……!」

ダイヤ「…………ぅ……せいら……さん……」

聖良「千歌さん、もう一度言いますね。落ち着いてください」

千歌「……うん、ごめん。ありがと、聖良さん」


今一瞬、千歌ちゃんと聖良さんが目で会話してた気がするけど……。


聖良「とりあえず、ダイヤさんと花丸さんを保健室に運んだ方がいいでしょう」


そうだった、今はそっちが優先だ。


花丸「マ、マルは大丈夫ずら……」

鞠莉「……一応、大事をとって保健室にいきましょ?」

花丸「わ、わかったずら……」

果南「それじゃ、ダイヤは私が運ぶ」

千歌「私も手伝う……!」


全員が保健室に向かおうとする中、


聖良「曜さん、鞠莉さん」


急に名指しで呼び止められる。


曜「え?」

鞠莉「What ?」

聖良「二人はここに残ってもらえますか」

理亞「ねえさま……?」

聖良「理亞も」

理亞「え、うん……」


皆が保健室に向かう中、何故か私と、鞠莉ちゃん、理亞ちゃん、そして聖良さんの4人が残る。

聖良さんの方を見ながら、鞠莉ちゃんが耳打ちしてくる。


鞠莉「……それにしても、大したカリスマね。一声で皆を落ち着かせるなんて」

曜「うん……聖良さんに落ち着けって言われた瞬間、スッと落ち着いたというか……」

理亞「ねえさまはすごいんだから、当然」


話が聞こえていたのか、何故か理亞ちゃんが胸を張る。まあ、確かにすごかったけど。


聖良「……さて、皆さん、行ったみたいですね」

鞠莉「それで、何でわたしと曜だけ残されたのかしら?」

聖良「……お二人とも、先ほどの騒ぎについて、何か知ってますよね」

曜「!? ど、どうして……?」

聖良「皆さんを観察していましたが……ルビィさんの名前が出たとき、貴方たちは反応が明らかに違いました」

鞠莉「……なるほどね」

曜「……すごい、観察力」


トップレベルのスクールアイドルは伊達じゃないってことか……。……いや、関係あるかな……?

それはそれとして、聖良さんの言葉を聞いて、理亞ちゃんが私の目の前に来て、


理亞「……何が起きてるの」


急にガンを飛ばしてきた。


理亞「……悪ふざけだったら、許さないから……」

聖良「理亞、やめなさい」

理亞「ルビィは……どこ?」

曜「私たちも……ルビィちゃんを探してるんだ」

理亞「探してる……?」

聖良「どうやら……ワケ有りのようですね。話を訊きましょうか」

鞠莉「なら、理事長室に行きましょう。あそこなら、落ち着いて話せると思うから」

聖良「わかりました。理亞もいいですね」

理亞「……わかった」


鞠莉ちゃんに促されて、私たちは理事長室へと移動する──




    *    *    *





理事長室に到着して、全員が入室したのを確認してから、鞠莉ちゃんが扉を閉めようとしたら、


聖良「あ、鞠莉さん。そのままで少し待ってもらえますか?」

鞠莉「え?」


何故か、聖良さんに止められる。

そのまま、5秒……10秒……。


鞠莉「……ねえ、閉めちゃだめ?」

聖良「……もう、閉めていいですよ。ただ、ゆっくりお願いします」

鞠莉「……? わかった」


聖良さんの許可が下りて、ゆっくり扉を閉める。

……何、今の?


理亞「それで、何が起こってるの」


それはそれとして、とでも言わんばかりに、早速、理亞ちゃんが話を切り出してくる。


聖良「理亞、焦らない」

理亞「だって……!」

聖良「まず、事実の確認からしましょう。お二人とも、ルビィさんのことを覚えているということでいいんですか?」

鞠莉「いいえ。わたしは、そのルビィちゃんのことは知らないわ」

理亞「な……!?」

曜「覚えてるのは私だけなんだ」

鞠莉「わたしは曜に聞いて、おかしいことに気付いたってところかしら……」

曜「数日前までは、皆、顔と名前が一致しない、くらいだったんだけど……今日見た感じだと、ルビィちゃんの存在ごと忘れちゃってる感じだったよね……」

聖良「なるほど……かくいう私も、ルビィさんのことは存じ上げていなくて……」

理亞「え」

聖良「ただ、理亞が嘘を言っているとも思えない……。となると、自分の記憶を疑うべきかと思いまして」

鞠莉「……真っ先に、そんな発想になる?」

聖良「鞠莉さんが曜さんの言葉を信じたように、私も理亞の言葉を信じただけですよ」

理亞「ね、ねえさま……!」


あまりに察しが良すぎるとは思わなくもないけど……聖良さんって、確かに見透かしたところがあるし、出来そうと言えば出来そうではある。

どっちにしろ、協力してくれるなら、助かるし、そこを疑う理由もないか……。


聖良「理亞は覚えているようですが……Aqoursの中では、曜さん……それと、ダイヤさんと花丸さんが忘れかけという状態なんですか?」

鞠莉「ええ、そうだと思う。わたしたちも確認しようとしてたところだったんだけど……二人の様子はあなたたちが見た通りよ」

曜「二人とも、最初は引っかかってたって感じだったけど……少ししたら苦しみ始めてたよね」

聖良「……恐らくですが、外因的な力で無理矢理記憶を消されかけていて……それに抗うように思い出そうとしたから、負担が掛かって、強い頭痛に襲われたんじゃないでしょうか」

鞠莉「見た通りなら、そんなところかしらね……。わたしも聖良と同意見かな」

聖良「ただ、問題はそこではありません」

曜「……?」

鞠莉「……なんで、曜なのかってことかしら」

曜「え……?」

聖良「はい……。ダイヤさんは親族ですから、納得が行きます。花丸さんも……ルビィさんへの記憶に強い執着が見えました」

理亞「うん、花丸は親友だって、前にルビィが言ってた」

聖良「……失礼を承知で言いますけど、曜さんはそれに匹敵するほど、ルビィさんと仲が良かったんですか?」

曜「うーんと……。……まあ、同じCYaRon!だし、衣装はよく一緒に作ってたから、仲は良いとは思うけど……花丸ちゃんよりも上かと言われると、さすがに……」

鞠莉「それを言うなら、理亞ちゃんもじゃない?」

理亞「な……そんなことない」

曜「でも、理亞ちゃん、ダイヤさんとか花丸ちゃんと違って、完全に覚えてるんだよね」

理亞「当たり前。忘れる理由がない」

鞠莉「あら~♪ Loveだね~♪」

理亞「!?/// そ、そういうわけじゃ……!///」

鞠莉「でも、ルビィちゃんのお姉さんのダイヤや、親友だっていうマルよりも深く覚えてるんでしょ? 理亞ちゃんはルビィちゃんのことが大好きで大好きで堪らないってことじゃない♪」

理亞「ち、違う!!///」

曜「鞠莉ちゃん……その辺で」


理亞ちゃんが面白いことになってるのはわかるけど、話が本筋からズレてる。


聖良「別の条件があるか、複数の条件があるか……」

鞠莉「確かに傾向として、ルビィと近しい人間ほど、影響を受けていないっていうのはありそうよね。例外が居るだけで」


例外、つまり私のことだと思う。


聖良「あとは……物理的な距離、でしょうか」

鞠莉「物理的な距離……住んでる場所ってこと?」

理亞「でも、ねえさまは覚えてないんでしょ?」

聖良「そうですね……。ですから、ルビィさんと近しくて、物理的な距離が遠かった理亞は、記憶の改竄から逃れられたんだと思います」

鞠莉「Hmm...? ……まあ、理亞はAqoursとはいろいろ条件が違うからいいとして、結局曜は? 内浦の方だけに効果があったんだとしたら、善子が覚えてないことが説明出来ないわ」

聖良「……正直、検討も付きませんね。曜さん、最近ルビィさんと、何か重要なこととかを話したりしていませんか?」

曜「じ、重要なこと……?」

鞠莉「えらくAboutな質問だネ……」

曜「具体的には……」

聖良「そうですね……。精神状態や、健康状態、人間関係……の話でしょうか。事象的に密接なのはこの辺りだと思うので」

曜「うーん……」


ルビィちゃんとした、話……ルビィちゃんと……。

──『……ホントはね、すっごく寂しいの……。ルビィだけのお姉ちゃんが……千歌ちゃんに取られちゃったみたいで……』──


曜「……あ!」

鞠莉「何か、心当たりがあるの?」

曜「関係してるかはわからないけど……ルビィちゃん、ダイヤさんとの距離感について……ちょっと悩んでた」

聖良「もうちょっと具体的に」

曜「あ、いやー……」


この話……勝手に人にしていいのかな。


鞠莉「まあ、人の悩みは勝手には言いづらいとは思うけど……」

理亞「曜さん……お願い」

曜「…………」


まあ、事態が事態か……。ごめんね、ルビィちゃん。

心の中で謝って、私は話すことにした。


曜「ダイヤさん……まあ、その……恋人が出来たでしょ?」

聖良「はい」

理亞「え……そ、そうなの……?」

鞠莉「へぇ……聖良は知ってたんだ」

聖良「まあ、いろいろありまして」

鞠莉「……ふーん」

理亞「そ、そうだったんだ……恋人……///」


理亞ちゃんの反応が可愛い。まあ、それはともかく続けよう。


曜「それで、まあ……その恋人にダイヤさんを取られちゃったみたいで寂しいって……」

理亞「ルビィ……そんなこと思ってたんだ」

聖良「……なるほど。それは確かに人間関係の悩みですね」

鞠莉「でも、これが今回の話に関係してるのかしら……?」

聖良「それはわかりませんけど……もしかしたら、直近で相談をされていた、というのが記憶が薄れにくくなる条件だったのかもしれません」

曜「……まあ、ダイヤさんや花丸ちゃんだったら、相談事もされてるか……」


そして全員の視線が、理亞ちゃんの方に集まる。


理亞「……え!?」

鞠莉「理亞ちゃん。ルビィちゃんから、何か悩みを訊いたりしたことある?」

理亞「まあ、あるけど……電話でよく話してるし」

聖良「曜さん、その話を聞いたのはいつのことかわかりますか?」

曜「えっと……先週の土曜かな」

聖良「なるほど。……直近がどの程度の期間を指すのかはわかりませんけど、最近相談を受けた人ほど忘れないという説はありますね」


聖良さんがそんな形でまとめるけど、


鞠莉「Hmm...」


鞠莉ちゃんは唸り声を上げる。


聖良「納得行きませんか?」

鞠莉「……なんかしっくりこないのよね……なんか条件って言う割にふわふわしてるというか」

聖良「確かに……仮説の域は出ませんが……」


二人が、仮説について話し合う中、


理亞「……忘れてない人の条件ってそんなに重要?」


理亞ちゃんが二人の会話に割って入った。


曜「ん……どういうこと?」

理亞「結局忘れてない人が居て、その人がルビィを助ける意思のある人。忘れちゃった場合は他の人から事情を聞かないと協力しようがない人。それ以上のことじゃない気がする」

鞠莉「……まあ、それはそうかもしれないわね」

聖良「確かに……存在そのものを忘れてしまう以上、その条件そのものを知ったところで、収穫は少ないかも知れませんね。そこから覚えている人を割り出して、協力者を増やすことは出来るかもしれませんが……」

理亞「重要なのは、どうやってルビィを見つけるかじゃない? 人が増えたところで、方法がわからなかったら、意味ないし」

聖良「……理亞の言うとおりですね。この話は一旦ここまでにしましょう」


話が次に移る。


曜「……じゃあ、どうやってルビィちゃんを見つけるか、だね」

鞠莉「って、言ってもね……消えた人間を探し出す方法……」

理亞「……まず、なんで居なくなったのか」

聖良「そうですね……。原因がわかれば、対策もありそうなものですが……」

鞠莉「原因……やっぱり、アレかな」

聖良「……アレとは?」

鞠莉「……最近、近くの海で、昔からある、嫌いな人を消しちゃうおまじない……というか、呪いの痕跡みたいなのがあったのよ」

曜「…………」

聖良「呪い……呪術ですか」

理亞「ルビィが誰かに呪われたってこと?」

鞠莉「ただね……その痕跡からして、その呪い自体は手順が間違ってたから、恐らく効力はないって話だったんだけど……」

聖良「間違っていたというのは、どういうことですか?」

鞠莉「供物って言うのかな……? 魚を使う呪いらしいんだけど、本来淡水魚を使うところで、海水魚を使ってたらしいのよね」

聖良「……もしかして、それが原因では?」

鞠莉「? いや、だから、間違ってたから効力はないって……」

聖良「いや、逆です」

鞠莉「逆?」

聖良「……手順を間違ったことで、本来呪いを掛けたい相手への効力は発揮されなかった。……ですが、そういう儀式はデリケートなものが多いのではないでしょうか」

鞠莉「……? 何が言いたいの?」

聖良「失敗したことによって……本来向くべきでない方向に、効力を発揮してしまったんだとしたら?」

曜「本来向くべきでない方向……?」

聖良「例えば……呪詛返しのように、術者本人に跳ね返ってしまうような……」

曜「え……」


それって、つまり……。


理亞「それは絶対にないっ!!」


だが、理亞ちゃんが、聖良さんの意見に立ち上がりながら、反論をする。


理亞「ルビィが人を呪うなんて、絶対にありえない!!」


そう、失敗した呪いが跳ね返るというなら、それは即ちルビィちゃんが呪いを行ったということになる。


聖良「可能性の話よ、理亞」

理亞「そんな可能性絶対ない!!」

鞠莉「理亞ちゃん……落ち着いて。……呪いが本来掛かるべきじゃない人に掛かることがあるのはわかった。でも、理亞ちゃんの言うとおり、動機がないとそんなことしないんじゃない?」

聖良「……大好きな姉を奪われたというのは動機になり得ませんか?」

曜「…………」

理亞「ねえさま!!」

鞠莉「……まあ、それは」

曜「──私もルビィちゃんは、呪いはやってないと思う」

鞠莉「? 曜……?」


急に口を挟んできた私を見て、鞠莉ちゃんが不思議そうに私の顔を見つめてくる。


聖良「理由は?」

曜「ルビィちゃんは泳げないし、釣りも得意じゃないから、魚を手に入れる方法がない」

聖良「なるほど……不発したであろう、呪いの痕跡自体、ルビィさんが用意出来るものではなかったと」

理亞「それだけじゃない。ルビィはそんなこと絶対にしない。しようとも思わない。仮に思っても、絶対に実行できない」

聖良「理亞……だから、これは可能性の話で……」

理亞「だから、そんな可能性、最初から1ミリもない!!」

聖良「……。……そこまで言うなら、ルビィさんが呪いを行ったという可能性は外しましょう」

鞠莉「……となると、あとは……他の誰かがやった呪いのとばっちりを受けたとか……?」

聖良「呪いが正しく機能している線が薄いなら、そうなりますかね……」


一瞬、聖良さんが、私の方をチラリと見てくる。


曜「? なんですか?」

聖良「いえ……。……この場合なら、一応ですが、呪術を行った本人がわからなくても、ルビィさんを助ける方法があるかもしれません」

理亞「!? ホント!?」

聖良「もし、ルビィさんが本当にただ、とばっちりを受けたのだったら……ですけど」

鞠莉「どうするの?」

聖良「簡単です。ルビィさん本人に御祓いを受けてもらえばいいんです。本来掛かる理由がないのであれば、一度祓ってしまえば、呪いは本来行くべき場所だったところに行くと思います」

鞠莉「本来行くべき場所って?」

聖良「そうですね……この場合だと、本来呪詛返しを受けるはずだった人、でしょうか」

鞠莉「……なるほどね」

理亞「でも、ねえさま……肝心のルビィがいない」


理亞ちゃんが顔を顰める。でも、確かに理亞ちゃんの言うとおり、その御祓いを受ける本人が居ないんじゃ、どうしようもないような……。

ただ、そんな私たちの考えを覆すように、


聖良「いえ……恐らくですけど、ルビィさんはすぐそこに居ると思います」


聖良さんはそう言った。


曜「え?」

理亞「は?」

鞠莉「What ?」


三人揃って、ポカンとしてしまう。


鞠莉「……聖良、ごめん。何言ってるのか、よくわかんないんだけど」

聖良「曜さん、さっき言ってましたよね」

曜「え?」

聖良「数日前までは顔と名前が一致しない程度だったと」

曜「言いましたけど……」

聖良「それはつまり……変わったのは、ルビィさん自身ではなく、周りの人の認識です」

鞠莉「Hm...?」

聖良「徐々に、周りが認識出来なくなっていっただけで、ルビィさんは何も変わっていないんだとしたら?」


つまり……。


曜「ルビィちゃんは今、透明人間みたいになってるってこと……?」

聖良「近いですね……他者の認識に干渉出来なくなっているという方が正確でしょうか」

理亞「じゃあ、ここにいるの!? ルビィ、出てきて!! お願い……!!」

聖良「理亞、ルビィさんは他者に干渉が出来ないんです。もしここに居ても反応することは難しいと思います」

鞠莉「……もしかして、理事長室に入るとき、しばらく扉を開けてたのって」

曜「居るかもしれない、ルビィちゃんを理事長室に招きいれるため……?」

聖良「はい」

鞠莉「……聖良、あなた……最初からある程度アタリが付いてたの?」

聖良「まあ……現象そのものは、有名な怪奇現象の一つなので、昔似たような事例の話を本で読んだことがあって」

理亞「有名な怪奇現象……?」

聖良「皆さん、心当たりがありませんか? ある日、突然、居たはずの人間が忽然と姿を消してしまう怪奇現象のこと……」


聖良さんに問われて、考える。考えてみて……割とすぐに答えに辿り着いた。


鞠莉「...Spirited Away」

曜「神隠し……?」

聖良「そうです、神隠しです」

曜「でも、神隠しって……行方不明になるってやつじゃないの?」

聖良「パターンがいくつかあります。原因になる怪異もいろいろ居ますし……本人が行方不明になるものから、存在そのものが消えるものまで多岐にわたって」

曜「存在が消えちゃうやつは知らないんだけど……」

鞠莉「いや……確かに、世界中でそういう現象自体はあるって言われてるヨ」

曜「そうなの?」

鞠莉「ただ、存在そのものが消えちゃう場合、Spirited away──神隠しが起こったことを認識出来る人間もいなくなっちゃうから……伝承そのものが極めて残り辛いのよ」

聖良「本来は原因になった怪異を突き止めることが出来るなら、詳細に弱点を調べることで、より正確性をあげられるんですが……。多分、今回はそこまでする時間はないので」

理亞「時間がない……? どういうこと?」

聖良「理亞、曜さんも。……ルビィさんの顔、思い出せますか?」

理亞「……? そんなの、当たり前……」

曜「……あ、あれ……?」


言われて、頭にルビィちゃんの顔を思い浮かべようとするけど、なんだがモヤが掛かったような感じで、上手く顔が思い出せない。


理亞「あ、あれ……な、なんで……」


理亞ちゃんも同様のようだった。


聖良「なんらかの理由で、理亞や曜さんのように、忘れない人が居ることがあっても、それは恐らく一時的なものです。最終的にこの神隠しという現象に目的が存在するなら、それは対象の完全消滅のはずです」

曜「神隠しの……目的……?」

聖良「怪異現象は、人間に理解できるかはともかく、絶対に目的が存在します。今回に関しては、呪いが起因だと仮定するなら、それは呪いの成就です」

鞠莉「呪いの成就……もともと、人を消す呪いだから……」

聖良「恐らく、対象の存在の完全な抹消なのではないでしょうか」

理亞「そんな……!!」

聖良「そして、それは徐々に進行していっている。……最終的に理亞や曜さんの記憶からも抹消される。恐らく、ダイヤさんや花丸さんのような、近しい人たちの記憶からも完全に消えてしまうようになったら、かなり危険信号だと思います」

鞠莉「……なるほど」

理亞「じゃあ、急がないと……!!」

聖良「ええ、ですから、出来る限り早くルビィさんに御祓いを──」

鞠莉「待って」


鞠莉ちゃんが聖良さんを制止する。


曜「鞠莉ちゃん……?」

聖良「なんでしょうか?」

鞠莉「時間がないのはわかった。現象との照らし合わせから説得力もそれなりにあると思う。だけど、重要なことが証明出来てない」

曜「重要なこと……?」

鞠莉「ルビィちゃんが今ここに居るっていう根拠はなに?」

曜「え? でも、ルビィちゃんがさっき部屋に入ってこれるように扉開けて待ってたんじゃ……」

鞠莉「仮に聖良が言うとおり、認識が出来なくなる怪異が原因で、ルビィちゃんが見えなくなってるんだとしても、わたしたちについてきて、今ここに居る保証がないわ」


……確かに、言われてみれば。


鞠莉「もし、お祓いの準備が出来たとしても、ルビィちゃんが今、全然違うところに居たとしたら、全部意味がない……むしろ、そこからルビィちゃんを探すことになると、Time upになっちゃう可能性が高いわ……」

聖良「そうですね。ですから、まずはルビィさんがここにいることを確認する。それからです」

鞠莉「どうやって……? 認識出来ないんでしょ?」

曜「あ、でも……透明人間みたいになってるんだったら、例えばペンを持ち上げてもらうと目の前で浮き上がるんじゃ……」

聖良「いえ、それは出来ないと思います。私たちが直接存在を認識出来うる動作を行うことは恐らく不可能でしょう」

鞠莉「それじゃ、どうやって……」

聖良「直接的ではなく、間接的に認識すればいいんですよ」

理亞「間接的に、認識……?」

聖良「……超常を騙す、とでもいいますか。鞠莉さん、ペンありますか?」

鞠莉「あるけど……」


聖良さんは、椅子から立ち上がり、鞠莉ちゃんから受け取ったペンを窓から近い方の机の端に置く。


聖良「あと、窓を開けてもらっていいですか?」

鞠莉「わかった」


鞠莉ちゃんは言われたとおり、理事長室の窓を開ける。

すると軽く風が吹き込んでくる。


聖良「いい風ですね。……これだと、見ていないうちに、“偶然”風でペンが机の端から端に移動するかもしれませんね」

鞠莉「……!」

曜・理亞「「……?」」

聖良「それでは、一度、全員部屋の外に出ましょうか」

鞠莉「わかったわ。さぁ、曜も理亞ちゃんも外に出て」


鞠莉ちゃんが私たちの背中を押す。


曜「え、うん……」

理亞「……? これで何がわかるの?」





    *    *    *





部屋の外で待つこと、2分程。


聖良「十分すぎるほど、時間が経ったと思います」

鞠莉「ええ」

曜「どういうこと?」

聖良「見ればわかりますよ」

理亞「……?」


鞠莉ちゃんが、ドアを開けると──やっぱり誰も居ない理事長室内が広がっている。


曜「これで何が……あれ?」


さっき机の端に置いたペンが逆の端に移動していた。


聖良「風に吹かれて、“偶然”、逆側まで転がったようですね」

鞠莉「そうね」


鞠莉ちゃんは言いながら、ペンの位置を元に戻す。


聖良「次は1分で戻ってきましょう──」


──1分後、同様に部屋に戻ると、ペンは再び、逆端に移動していた。


曜「……まさか」

聖良「“偶然”私たちの認識出来ない、自然現象によって、ペンが移動してしまったようですね」

理亞「……もしかして」

鞠莉「誰も見ていないところだったら、これが風によって動いたのか、それとも“別の何か”が動かしたのかを証明する術はない」

聖良「つまり、私たちはこれが動いた理由を主観的に認識することは出来ません」


もう、ここまで来たら私でも理解出来た。

このペンは──ルビィちゃんが移動させたものだ。


曜「ルビィちゃん……! そこに居るんだね……!」

聖良「他者の認識によって、行動が阻害される怪異現象であるなら、逆に他者の認識がなくなれば、行動は阻害されなくなる。怪異の仕組みを逆手に取った裏技のようなものですね」

理亞「ここまでわかれば……!」

曜「後は御祓い……」

鞠莉「それで、お祓いってのはどうやってやるの?」

聖良「簡単ですよ。強い魔除けになるものに触れればいい」

理亞「それで平気なの……? 呪いなんでしょ? そんな簡単に祓えるの?」

聖良「理亞や曜さんの主張を信じるなら、ルビィさんは完全にとばっちりを受けただけです。本来呪いのような極めて強い怪異現象は、対象を強く限定することによって、その効力を発揮するものです。相手を間違えていたら、その効力は激減するはず。魔除けの効果のあるもので、一時的に剥がしてしまえば、後は本来呪詛返しを受けるはずだった人の元に返っていくと思いますよ」

曜「じゃあ、後は……魔除けの道具さえあれば……」

理亞「魔除け……」

聖良「より、想い入れの強いものであるほど、効果があると思います。何かありますか?」


これには心当たりがあった。

──『蹄鉄にも魔除けの効果があるのよ?』──

──『わたし馬が好きだから……この蹄鉄も昔、乗馬をしたときに貰った物で想い入れが強いの』──


曜「鞠莉ちゃん!」

鞠莉「ええ!」


次の目的地は決まった。

ホテルオハラの鞠莉ちゃんの部屋だ。





    ✨    ✨    ✨





あの後、車を呼び、淡島への船着場まで送ってもらって、今からホテルオハラに行く船に乗り込むところだ。

ここまで来る際も、理事長室の扉を完全に開け放ち、出来る限り、ゆっくり歩いて、車に乗るときも念には念を入れて5分ほど、扉を開け放ってから、出発した。


曜「ルビィちゃん……船、乗れてるかな」

聖良「こればかりは、もうルビィさんを信じるしかないので……」

鞠莉「大丈夫よ、もう船を着けて10分は経つし……」

理亞「ルビィ……」

聖良「そうですね……そろそろ出発してもらいましょう」

鞠莉「ええ」


わたしは躁舵手にお願いして、船を出してもらう。


理亞「ルビィ……いるなら、私の服、掴んでてね……ここで落ちたりしたら、ホントに怒るじゃ済まないんだから」

曜「ルビィちゃん! 私の服も掴んで大丈夫だからね!」


さて……ここは曜と理亞ちゃんに任せるとして、


鞠莉「聖良、ちょっと」

聖良「……はい、わかりました」


わたしは聖良を促して、甲板に出る。

まあ、甲板と言っても小型船舶だから、人が数人立てる程度の広さだけど……。

ただ、風の音もあるから、二人だけの話をするには十分な場所だ。


聖良「話があるんですよね」

鞠莉「……ええ。……あなた、何者?」

聖良「何者……ですか」

鞠莉「怪異現象について詳しすぎるわ」

聖良「趣味……と言っても、納得してもらえませんか?」

鞠莉「別に詰問するつもりはないわ。助けてもらってるわけだし……でも、ただの詳しい人というには、視点や考え方も専門家と言っても遜色がないし……」

聖良「そこまで褒めていただけて、光栄ですね」

鞠莉「それで、あなたは何者なの?」

聖良「そうですね……詳細の全ては明かせないんですが……鞠莉さん、あなたに近い生業の人間だと思ってもらえれば」

鞠莉「……!?」

聖良「小原鞠莉さん。貴方、そういう家系の末裔ですよね」


以前、曜には話したことだけど……もちろん聖良には話したことがない。


鞠莉「……もしかして、わたし、そういう世界だと有名人なの?」

聖良「ええ、知っている人は知っていますよ。鞠莉さんがというより、貴方のご先祖様が、ですけど」

鞠莉「……そっか。聖良は現役の人なの?」

聖良「……まあ、現役といえば現役ですね。ただ、理亞はそのことを知りません」

鞠莉「道理で、理亞ちゃん、ところどころ話についてこれてなかったわけね……」

聖良「出来れば理亞には内緒にしておいてくれると嬉しいんですが……」

鞠莉「ええ、もちろん聖良の意向に従うわ。ごめんなさい、問い詰めるようなことしちゃって」

聖良「いえ……鞠莉さんは警戒心が強いくらいでいいと思いますよ。守るものも多いでしょうから」

鞠莉「そう言ってくれると助かるわ。……それじゃ、中に戻りましょうか」


わたしは用件を済ませたので、船室に戻ることにしたのだった。後はホテルに着くのを待つだけだ──





聖良「……今後とも、私の正体を知られないで居られることを祈りますよ。特に鞠莉さん、貴方には……」





    *    *    *





──鞠莉ちゃんの部屋。


鞠莉「──そろそろ、いいかしら?」

聖良「そうですね……扉を開け放って5分。ちゃんと付いて来られているなら、部屋の中に入っていると思います」

鞠莉「それじゃ、ちょっとここで待っててね」


鞠莉ちゃんはそう言って、奥の部屋に例の蹄鉄を取りに行く。

もちろん、取りに行くだけだから、すぐに戻ってきて、


鞠莉「これが、魔除けの蹄鉄」


蹄鉄を聖良さんたちに見せる。


聖良「……なるほど、これは良い物ですね」

理亞「そうなの……?」

聖良「蹄鉄自体魔除けとして重宝されるものですし、それに加えて手入れも行き届いています……大事に扱っていることがよくわかる。想い入れの強さはどれだけ大事にしているかに左右されるものですから、その点においては全く問題がないと思います」

鞠莉「Thank you. あとはこれをルビィに触れてもらうだけ……」

聖良「出来れば手に持ってもらうのが望ましいですね」

鞠莉「わかった。ルビィちゃん、ここに置いておくから、手に持ってもらえるかしら」

聖良「手に持って、祈ってください。元に戻れるように……」


鞠莉ちゃんと聖良さんが、恐らくここに居るであろうルビィちゃんに語りかける。


鞠莉「……それじゃ、みんな、一旦外に出ましょう」

曜「うん」

理亞「わかった」

聖良「後は……成功を祈るだけですね」


私たちは鞠莉ちゃんの部屋から出て、戸を閉める。


曜「……」

理亞「ルビィ……」


理亞ちゃんが目を閉じて、祈っている。

私も、胸中で祈る。……ルビィちゃん、お願い帰ってきて……!

──そのとき、


鞠莉「──……ルビィ? そうだ、黒澤ルビィ……!」

聖良「……黒澤ルビィさん……本当にどうして、忘れていたんでしょうか」


二人がルビィちゃんの名前を呼んだ。


曜「! 鞠莉ちゃん! 聖良さん! 記憶が……!」

理亞「ルビィ……!!」


理亞ちゃんが戸を押し開けて、飛び込むように鞠莉ちゃんの部屋に戻ると──


ルビィ「……り、理亞ちゃん……!」


胸の前で鞠莉ちゃんの蹄鉄を握り締めた、ルビィちゃんの姿があった。


理亞「ルビィ……!!」


そのまま、理亞ちゃんがルビィちゃんに抱きつく。


ルビィ「理亞ちゃん……! ルビィのこと、見えてる……?」

理亞「うん……ちゃんと、見えてる」

ルビィ「そっか……よかった……よかったよぉ……っ……」


ルビィちゃんは安心したのか、ポロポロと泣き出してしまう。


理亞「ルビィ……もう、大丈夫だから」

ルビィ「うん……っ……」

曜「ルビィちゃん」

ルビィ「曜ちゃん……っ」

曜「よく、頑張ったね……」


頭を撫でてあげると、


ルビィ「ふぇ……っ……うぇぇ……っ……こわかったよぉ……っ……。ルビィ、これから……ずっと、ひとりぼっちなのかなって……っ……」

理亞「大丈夫……ちゃんと見つけたから」

ルビィ「うん……っ……」

鞠莉「ルビィ……」

ルビィ「鞠莉ちゃん……!」

鞠莉「ごめん……わたし……ルビィのこと……」

ルビィ「うぅん……鞠莉ちゃんが助けようとしてくれてたの、ずっと見てたから……えへへ……っ」

鞠莉「うぅん、全部、曜のお陰よ。曜が居なかったら、わたしは忘れてることすら気付けないままだったもの……」

ルビィ「曜ちゃん……ありがとう……っ」

曜「無事にルビィちゃんが戻ってきてくれて……よかったよ」


こうして、私たちは無事、ルビィちゃんを救出することに成功したのだった。





    *    *    *





お昼過ぎになって、私たちはとりあえず本島に戻ることにした。

現在はルビィちゃんを含めた5人で船で戻っているところ。


鞠莉「──ダイヤも目を覚ましたみたい。ただ、大事を取って今日は家に帰ったみたいね」

曜「他の皆もルビィちゃんのこと、思い出したみたいだね……よかった」


先ほど、鞠莉ちゃんと一緒にメンバーに連絡を取ってみたところ、全員のルビィちゃんへの認識は正常に戻っていた。

ただ、ルビィちゃんが消えていたという事実は、実際に解決に立ち会った、私と鞠莉ちゃん以外は覚えていない様子だった。


鞠莉「なにはともあれ、イッケンラクチャクデース」

聖良「……と言いたいところですが、その前に。ルビィさん」

ルビィ「は、はい……なんですか……?」

聖良「今回の出来事について、何か原因に心当たりはありませんか?」

ルビィ「心当たり……呪いをやってたかって話……ですよね?」

理亞「ねえさま……!」

聖良「あくまで確認です」

ルビィ「理亞ちゃん、大丈夫だよ。……えっと、ルビィは呪いとかはホントに心当たりが、ないです……むしろ、そういう呪いがあることも今日初めて知ったくらいで……」

聖良「そうですか……。すみません、問い詰めるような物言いをしてしまって」

ルビィ「いえ……大丈夫です。聖良さんがいろいろ皆に教えてくれたから、助かったんだし……」

聖良「そう言って頂けると、助かります」

ルビィ「──あ……でも」

聖良「?」

ルビィ「呪いじゃないけど、ここ何日か……ずっと、変な夢を見てたかも……」

理亞「変な夢……?」

ルビィ「うん……すごい葉っぱの竜巻みたいなのが、どんどん大きくなって……ルビィもそれに巻き込まれちゃう夢……」

理亞「……? なにそれ……?」

ルビィ「わかんないけど……。その竜巻の中に……誰か居たような……」

聖良「……何かの暗示の可能性はありますね。もしかしたら、その夢の中の竜巻の中心に居た人が原因だったのかもしれません」

鞠莉「そういうものなの?」

聖良「夢は精神や記憶の集合体ですし……あくまで考え方の一つでしかないんですが、夢を見ているときは他人との意識が結びつきやすい状態だという考えもあります」

曜「それじゃ、全く関係のないルビィちゃんがあんな目にあったのは……」

聖良「もしかしたら、呪術を行った張本人と夢で同調してしまったのかもしれません。……尤も、確かめる術がないので、完全に憶測ですけど」

理亞「理由はなんでもいいけど、ルビィが関係ないってわかったなら問題ない。……まあ、私は最初からわかってたけど」

ルビィ「えへへ……うん♪ 理亞ちゃんもありがとう♪」

理亞「……/// ルビィはライバルなんだから、勝手に居なくなられたら、困るって思っただけ……///」

ルビィ「うん♪」

理亞「次の大会までにまた居なくなったりしたら怒るから」

ルビィ「うん♪」

理亞「ぅ……/// ニヤニヤしないでよ……///」

ルビィ「ルビィも理亞ちゃんと競いあえるの、楽しみにしてる!」

理亞「……ふん/// 当然じゃない///」


競い合えるのを楽しみにしてる……か。


鞠莉「……曜?」

曜「ん?」

鞠莉「どうかした?」

曜「ん……いや、なんかルビィちゃんと理亞ちゃんの関係、羨ましいなって」

鞠莉「羨ましい?」

曜「うん……切磋琢磨してるって言うかさ……。お互いライバルだって、認め合って、励めてるというかさ……」

鞠莉「……そうね」


私には……ない要素だ。

ついこの間だって、それが出来なくて、先輩を怒らせちゃったばっかりだし。


鞠莉「曜、関係は人それぞれあるから、曜は曜のペースでいいのよ?」

曜「あはは、わかってる……でもね」

鞠莉「……うん」

曜「もし……二人みたいに、誰かと認め合って、競い合って、向き合い続けられたら……私は今日も飛んでたのかなって……」


あの水面に向かって──スッと飛び込んでいたのかなって。


鞠莉「曜……」

曜「……って、ごめん。こんな話、今することじゃないよね、あはは」


どちらにしろ、もう高飛び込みはやらない気がしていた。だって──もう私は、自分自身が高飛び込みをしている理由が、よくわからないし……。





    *    *    *





ルビィ「ぅゅ……風強い……」

理亞「船がかなり揺れてる……」

鞠莉「ちょっと風が出てきたネ……」


船着場に船が着いて。これから、降りようというタイミングで風が強くなってきた。


曜「太陽はこんなに元気で、いい天気なのになぁ……」

聖良「海辺はもともと風が強いですから……」


まず、聖良さんと私が船から降りる。次に理亞ちゃんが船から顔を出し、


理亞「ルビィ」

ルビィ「あ、うん」


ルビィちゃんの手を引いて、降りるのを手伝ってあげる。


鞠莉「あら♪ 理亞ちゃんったら、かっこいい♪」

理亞「……海に落ちればいいのに」

鞠莉「やだ、酷いわね~」


最後に鞠莉ちゃんが船から降りようとした、瞬間──突風が吹いた。


鞠莉「え──」

曜「!?」


鞠莉ちゃんが、甲板の上でバランスと崩す。

その瞬間──体が勝手に動いた。


曜「──鞠莉ちゃんっ!!」


岸から戻るようにして、甲板に飛び移り、鞠莉ちゃんの手を掴んで引っ張る。

そのまま、鞠莉ちゃんと立ち位置を入れ替わるようにして──


曜「……!」

鞠莉「!! 曜っ!!」


──私は、海に落ちた。





    *    *    *





──自分が落ちた衝撃で、たくさんの泡が周囲を踊っていた。

海に落ちたのなんて、何年振りかな。

……小さい頃はよく落ちてたっけ。

……あれ、なんでだっけ? なんで、私、よく海に落ちてたんだろう……。

海の中で開いた目には──水面から差し込むように伸びた、陽光。

そして、広がる。青──青、青……。

──ああ、そうだ。

この景色が好きだったんだ。

上も下もない。

全てが青に包まれた、この世界が、自由で。この世界に飛び込んだ瞬間、なんだか生まれ変わったような気がして。

最初はただ、パパの船を待っている間に、飽きてきて、走り回ってたら堤防の先で蹴躓いて──バッシャーンって。それが初めて海に落ちた日。

でも、それが気持ちよくて、楽しくて、いつしかあの大きな船の先から、飛び込めたら、もっともっと気持ちよさそうだって。

私は、あの日、そう思ったんだ。

そうだ、私は──

──この青い景色を、世界を、見たかったんだ。もっともっと深く、長く……。





    *    *    *





曜「──ぷはっ!」


水面から顔を出す。


鞠莉「──曜っ!!」


上から声が降ってきた。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「曜!! 今、浮き輪投げるから!!」

曜「うぅん、大丈夫ー!」


私はそのまま、岸まで泳ぎ、タラップをよじ登る。


曜「あはは、びしょびしょだ」


全身ずぶ濡れで、座ったまま苦笑していると──


鞠莉「曜……!!」


鞠莉ちゃんが、船から飛び降りて、私の方に駆け寄ってくる。


鞠莉「ごめん、曜……!!」

曜「……」

鞠莉「曜……!? どこか痛いの……!?」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「な、何……!?」

曜「やっと、思い出したよ」

鞠莉「え……?」

曜「……私が、なんで──高飛び込みをしてたのか」





    *    *    *





曜「──……さて」


──目の前に広がる、一面のプール。

そして、その近くに聳える飛び込み台。


先輩「──何しに来たの……?」


そして、先輩の姿。


曜「先輩」

先輩「……何?」

曜「これから、飛びます。見てもらえますか」

先輩「……? フォームチェックが今更必要? コーチにでも頼めば?」

曜「それじゃ、飛んでくるんで!」

先輩「え、ちょっと……!?」


言葉を並べるよりも、きっと見せた方が早いから。





    ✨    ✨    ✨





先輩「……馬鹿馬鹿しい」

鞠莉「……待って」


去ろうとする曜の先輩を制止する。


先輩「また、貴方……?」

鞠莉「曜を……ちゃんと見てあげて」

先輩「……」

鞠莉「お願い」

先輩「……プロ顔負けの前逆さ宙返り三回半抱え形を見て、学習しろってこと?」

鞠莉「さぁ……? それはわからないけど……」


曜は、見つけたと言っていた。なら──


鞠莉「きっと、答えを見せてくれるから」

先輩「……はぁ」





    *    *    *





飛び込み台に立つ。

今日飛ぶのは、いつもの前逆さ宙返り三回半抱え形じゃない。

これが一番──青の世界を、上も下もない、あの世界を感じられる気がしたから。

私が、続ける理由を、感じられると思ったから。

もう迷いはなかった。

──トン。

私は、踏み切り、青の世界へと──飛び込んだ。





    *    *    *





──私は、ただ真っ直ぐに飛び込んだ。

いつものように回転を加えることなく、ただ、真っ直ぐに。


曜「──ぷはっ」


私がプールから顔を出すと、


先輩「……どういうつもり……!」


先輩がプールサイドまで、近付いてきていた。まるで問い詰めるように、声を上げる。


曜「先輩……見てくれましたか?」

先輩「“100A”……! 前飛込み伸び型って……! ……あんな初歩的な技、貴方は今更やる必要ないでしょ!?」

曜「……でも、飛びたかったんです」

先輩「え……」

曜「ただ、飛び込みの気持ちよさを、楽しさを、また思い出したくって……難しいことが何一つない、一番基本的なあの技で」

先輩「飛び込みの……楽しさ……?」

曜「先輩、前に私に訊きましたよね。どうして飛び込みを続けるのかって……。私、飛び込み……好きなんです。上も下もない、あの青だけの世界に飛び込む、あの瞬間が……」

先輩「……」

曜「誰のためでもない、あの景色が見たくて、あの瞬間を感じたくて……私は飛び込むんです」

先輩「……!」

曜「千歌ちゃんのためでも、鞠莉ちゃんのためでも……コーチのためでも、周りの人のためでもない……。私は私のために飛ぶんです」

先輩「……」

曜「先輩は、何のために飛びますか……?」

先輩「……私は……。……」

曜「……私は、これからも飛びます。飛び込みを続けます。だって、あの世界に飛び込む、あの一瞬が……大好きだから」

先輩「……」

曜「……誰に何を言われても、私は飛び続けます」

先輩「……そう」

曜「先輩」

先輩「……何?」

曜「高飛び込み……好きですか?」

先輩「好きよ」

曜「えへへ、じゃあ、私たち、同じですね」

先輩「……はぁ、馬鹿らしくなってきた」


先輩は踵を返して、プールサイドから出て行こうとする。

その際、


先輩「そんなに好きなら……勝手に飛べばいいじゃない」


そんな言葉を残して、プールから去っていった。


曜「……ふぅ」


私がプールサイドに掴まっていると、


鞠莉「──曜、お疲れ様」


上から優しい声。


曜「……鞠莉ちゃん」

鞠莉「これが……曜の答えだったんだよね」

曜「うん……やっと、思い出したんだ」


──あの日、堤防から落ちた海で見た、あの景色がまた見たくて。

その話を毎日のようにしていたら、パパとママが、連れてきてくれたのが、この飛び込みプールだった。

ここなら、いっぱい飛び込んでも誰も怒らない。それどころか、私が飛ぶと、何故か皆が喜んでくれる。

私は嬉しくて、毎日飛び込みを続けた。いっぱいいっぱい飛び込んで、そのうち、そんな私を一番近くで応援してくれる人──千歌ちゃんと出会って。

知らず知らずのうちに、千歌ちゃんに恋をして。気付けば、千歌ちゃんが喜ぶから、飛ぶようになっていて。千歌ちゃんに想いが届かなくなって、なんで飛び込むかを見失ってしまっていたけど……。


曜「私……好きだったんだ。飛び込みが──大好きだったんだ……!」

鞠莉「……ふふ、そっか」


今日は、ただそれを先輩に言いたかった。

あの日、ちゃんと答えられなかった、私の答えを、見せるために。


曜「……先輩、私のこと認めてくれたかな……」

鞠莉「それはわからないけど……きっと、曜の気持ちは伝わったと思うわ」

曜「……うん!」


ずっと悩んでばっかりだったけど、わだかまりに一つ決着を付けられた気がして、私は安心を覚えていた。





    ❄️    ❄️    ❄️





──私と理亞は現在、東京に向かう電車の中に居ます。


聖良「理亞、良かったの? もう少し、皆さんと一緒に居ても……」

理亞「別にいい。今会っても、あんなことがあった直後じゃ、落ち着いて話せないだろうし」

聖良「そうですか……」


確かに、問題は解決したとはいえ、ダイヤさんや花丸さんが体調を崩していたのは事実。

無理をさせてはいけないという理亞の考えは尤もかもしれません。


理亞「そういえば、ねえさま」

聖良「なんですか?」

理亞「結局どうして、曜さんはルビィのこと覚えてたのか、わからなかったけど……」

聖良「……そうですね。まあ、解決したのなら、理亞の言ったとおり、知る必要のなかったことなんだと思いますよ」

理亞「まあ、それもそっか……」


確かに、あの呪いとやらの効力は私の吸血鬼性によるガードすらも打ち破って影響を与えてきた。吸血鬼と同等の知名度のある怪異が原因なのかもしれない。

理亞は私よりも更に濃い吸血鬼性のお陰で、影響をほとんど受けなかったようですが……──もちろん、ルビィさんへの信頼度も起因していたと思います。

一方で曜さんは私が見た限りでは完全に一般人だった。

その彼女が、何故ルビィさんを忘れることがなかったのか……。可能性としては──


理亞「ねえさま」

聖良「何ですか?」

理亞「ルビィに憑いてた呪いって結局どうなったの?」

聖良「……恐らく本来の呪詛対象の元へ返ったんだと思います」

理亞「元のって……」

聖良「……理亞。ルビィさんは無事助かったわけですから、これ以上は考える必要のないことですよ」

理亞「でも……」

聖良「これより先は、あくまで自業自得の領域ですから」

理亞「……うん」

聖良「それより、東京に行ったら遊園地を回るんでしょ? 今から行きたいところに目星を付けておいたら?」

理亞「……わかった。……時間無駄に出来ないしね」

聖良「ええ、全部回ると言っていましたからね」


……ルビィさんから、祓われた呪いは恐らく、今理亞にも言ったとおり、本来行くべき場所に戻っていったと思う。

場合によっては、戻っていった先が、呪いを司る神霊の元で、これ以上何も起きない可能性もありますが……。


聖良「どちらにしろ……本当に因果応報であるなら、私はそのルールに従うまで。私もその理の中に居る存在ですからね……」

理亞「? ねえさま、何か言った?」

聖良「いえ、なんでもないですよ」


ただでさえ、リスクを冒して手を貸したのですから。これ以上は、本人の問題です。


聖良「……健闘を祈りますよ」


私は東京に向かう電車の中で、一人呟いたのだった。





    *    *    *





──9月22日日曜日。


曜「よし……飛ぶぞー!!」


今日は、一日プールで過ごすつもりで居た。

Aqoursの練習は結局、大事を取って今週はお休みになってしまったので、三連休は丸々暇になってしまった。

鞠莉ちゃんと一緒に過ごすのも有りだったんだけど……。

今日は久しぶりに思いっきり飛び込みをしたい気分だった。

わだかまりもせっかく解消できたわけだしね!

胸中で気合いを入れながら、プールサイドに足を踏み入れると、


女の子「……」

曜「おっとと……」


前から歩いてきた女の子とぶつかりそうになって、とっさに避ける。


曜「ごめん! ちゃんと前見てなかった、大丈夫?」


振り返って声を掛けるが──


女の子「……」


その子は、そのまま反応せず、更衣室の方へ歩いていってしまった。


曜「……? まあ、いっか……」


別に怪我はなさそうだし……。





    *    *    *





今日は何故だか、非常にスムーズに飛べていた。

たまたま仲の良い人が少ない日だからかもしれない。

呼び止められることが一切ない分、これはこれで集中できて助かる。


曜「よっし……! もう一本!」


今日は本当に調子がいい。再び、飛び込み台を昇って行く。

その際、


曜「ん?」


後ろから私以外の人が昇ってきていることに気付く。

10mの飛び込み台は使う人が少ないから珍しい。

もちろん、飛び込み台は順番に一人ずつしか飛べないから、早く飛んで順番を回さないとね。

──飛び込み台に立つ。

たまには、後飛び込みでもしてみようかな。

踏み切り台の端に逆向きに立つと──


女の子「……」


先ほどの女の子の姿が見えた。

順番待ちをしているはずの子。

その子が──


女の子「──飛びます……!」

曜「え……?」


私が居るにも関わらず、手を挙げてから、こっちに向かって歩いてくる。


曜「ち、ちょっと!? ストップ!!」

女の子「……」


制止するも、女の子は止まらない。


曜「っ!!」


私は咄嗟に、女の子の脇をすり抜けるようにして、彼女の後ろ側に逃れる。


曜「は……はっ……!!」


どうにか、回避出来たけど、心臓が爆音を立てていた。

当たり前だ、危うく落とされかねない状態だったわけだし。


曜「何考えてるの!? 危ないでしょ!?」


思わず振り返って、大きな声を出すが、


女の子「──ふぅー……ふっ!!」


女の子は私のことを無視して、飛び込んで行ってしまった。


曜「え……」


──こんなことは、本来ありえないことだ。

高飛び込みは高所からの競技ゆえに、一歩間違えるととても危険。飛び込み台の使い方についても、事故がないように細心の注意を払う。

この場所で、あんなことをするのは、よほど相手が嫌いか、もしくは──


曜「私のこと……見えて……ない……?」


認識出来ていないとしか、思えなかった。





    *    *    *





プールを後にして、私は考えながら歩く。

先ほどの現象。

つい昨日見たのと同じだった。

ルビィちゃんの身に、起こったことと。


曜「…………」


昨日の、ルビィちゃんが消えかけた、神隠しの呪いと。


曜「……ルビィちゃんは、ただとばっちりを受けただけだった」


即ち──本来、罰を受けるはずの人間が居たはずで……。

ルビィちゃんの呪いは、あくまで追い払っただけだ。じゃあ、追い払った呪いは……本来の呪詛返しの対象の元へ行くと聖良さんは言っていた。

そして、流してしまったけど、結局わからず仕舞いだったことがあった。

それは──


曜「どうして……私がルビィちゃんを覚えていたのか……」


問題が解決してしまったから、すっかり忘れていた。

いや、そもそも──


曜「問題は……解決、してなかったんだ……」


ルビィちゃんから祓われた、呪詛の行き先は──本来、消えるはずだった人の元。


曜「……そっか。……そう、だよね」


私のやったのは、中途半端だったから、違うと勝手に思い込んでいたけど……神様は許してくれなかったんだ。

私は、肩を落として、帰路につく。





    ✨    ✨    ✨





──スマホの画面を点けてみる。


鞠莉「……連絡……ない、か」


今日、何度目だろうか。一日中、曜からの連絡を待っていた気がする。

いや、なくてもおかしくはない。だって、今日は特に一緒に過ごす約束はしていなかったし。


鞠莉「……曜……今、何してるかな……」


でも、曜のことが気になって、他のことは何も手がつかなかった。

だから、今日はこんな感じで、ずっとスマホと睨めっこをしている。


鞠莉「何やってんだろ……わたし……」


ここ数日、毎日のように曜と顔を合わせていたからか、曜と会えないことを思った以上に寂しく感じている自分が居ることに気付く。


鞠莉「これがいわゆる、Lovesickってやつなのかしら……」


気付けば、曜のことで頭がいっぱい……。曜に会いたいな……。曜の声が聴きたいな……。


鞠莉「……もういい、悩んでてもしょうがない」


わたしは、どうにでもなれと言った気持ちのまま、曜へ通話を発信した。

1コール……2コール……3コール。

だけど、曜は出てくれない。


鞠莉「やっぱり……急過ぎたかな……」


諦めかけたそのとき、


曜『……もしもし、鞠莉ちゃん?』

鞠莉「! もしもし、曜!?」


電話が繋がった。


曜「どうしたの?」

鞠莉「え、えーっと……」


しまった、何を話すか考えてなかった。


鞠莉「……デート!」

曜「へ?」

鞠莉「明日、デートしましょ!?///」


咄嗟に出た口実はデートへのお誘いだった。


曜「え、えーと、明日?」

鞠莉「明日、暇ある?」

曜「ある、けど……」

鞠莉「じゃあ、沼津に、1時!」

曜「え、う、うん」

鞠莉「待ってるから!!///」

曜「え、ちょ、鞠莉ちゃ──」


急に恥ずかしくなってきて、通話を切る。


鞠莉「デ、デート……誘っちゃった……///」


散々恋人ごっこと称して、二人で過ごしていたはずなのに、改めてデートに誘ってみた今、顔がとても熱かった。


鞠莉「曜…………曜…………」


自分が暴走気味な自覚はあったけど、気持ちの抑え方がよくわからなくなっていた。

曜のことで本当に頭がいっぱいで……。


鞠莉「……明日……楽しみだな……」


胸の高鳴りが、自分を突き動かしている。

なんだか、不思議な感覚だったけど、イヤじゃなかった。

これが──


鞠莉「恋なんだ……」


トクントクンと高鳴る胸の鼓動を噛み締めながら。


鞠莉「曜……」


わたしは大好きな人の名前を呼びながら、明日を待つ──





    ✨    ✨    ✨





──翌日。9月23日月曜日。本日は秋分の日。

私は沼津駅の前で曜が来るのを待っているところだった。


鞠莉「曜……まだかな」


時刻は12時50分を回ったところ。

正直早く着き過ぎた。

もう20分くらいはこうして、待っている。


 「──おーい!」

鞠莉「!」


声がする方に振り返ると、


曜「鞠莉ちゃーん!」


曜が手を振って駆け寄ってきているところだった。


鞠莉「曜……!」

曜「はぁー……はぁ……ごめん、待った?」

鞠莉「うぅん、さっき着いたばっかりよ」

曜「ホント? よかった……まさか、鞠莉ちゃんが先に来てるなんて思わなくって……」

鞠莉「む……それはどういう意味デースか……?」

曜「だって、鞠莉ちゃん、朝弱いし……」

鞠莉「今日は早起きしたもん……」


デートが楽しみすぎて、目が冴えてしまい、5時くらいには起きてたなんて言えないけど。


鞠莉「それより、曜……」


曜の手を握る。


鞠莉「……デート、始めましょ?///」

曜「えへへ……うん。今日はよろしくね、鞠莉ちゃん」


曜との一日が始まった。





    ✨    ✨    ✨





曜「ところで、どこに行くの?」

鞠莉「えっとね……映画を見たいなって」

曜「映画か……いいね!」

鞠莉「うん♪」


二人で、駅前の映画館が入っているショッピングモールへと足を運ぶ。

──到着した映画館内は、祝日ということもあり、人の入りはそこそこだった。


鞠莉「結構人が多いわね……」


二人で館内を進んでいくと、急に腕を引っ張られた。


鞠莉「きゃ!? 何!?」


慌てて、振り返ると──


曜「い、いたた……」


曜が尻餅をついていた。


鞠莉「曜、大丈夫!?」

曜「あ、うん……ごめん。人にぶつかっちゃって……」

鞠莉「もう! 尻餅つくほど、勢いよくぶつかってくるなんて、乱暴な人がいるのね!?」

曜「あはは、鞠莉ちゃん、大丈夫だから」


曜はお尻をはたきながら、立ち上がる。


曜「人が多いから、出来るだけ早く中に入っちゃおうか」

鞠莉「そうしましょうか……。曜は何か見たい映画とかある?」

曜「んー……そうだなぁ……。……鞠莉ちゃんはどれがオススメ?」

鞠莉「わたし? わたしは、そうねぇ……」


アクション、コメディ、サスペンスチックなものやアニメまで、いろいろとあったけど、わたしは──


鞠莉「あれが見たいな……」


洋画のラブロマンスを指差す。


曜「じゃあ、それにしよっか」

鞠莉「いいの?」

曜「うん、鞠莉ちゃんが好きな映画って、興味あるし」

鞠莉「曜……えへへ、うん♪ それじゃ、チケット買わないとね」

曜「うん」


チケット受付まで、二人で行き、チケットを購入する。


鞠莉「すみません、高校生二枚ください」

受付「学生証お持ちですか?」

鞠莉「はい。えっと……」


学生証を出そうとしたところで、


曜「鞠莉ちゃん……ごめん、学生証忘れちゃった」


曜が耳打ちしてくる。


鞠莉「……ん、忘れちゃったなら、しょうがないか。ごめんなさい、高校生1枚と大人1枚で」

受付「かしこまりました」


チケットを買って、ロビーで待つ。


鞠莉「もう、曜ったらおっちょこちょいなんだから」

曜「あはは、ごめん……」

鞠莉「ふふ、まあ、別にわたしは大人料金でもいいんだけどね。飲み物はどうする? 買ってくるけど」

曜「じゃあ、オレンジジュースがいいな」

鞠莉「了解♪ ちょっと待っててね」

曜「はーい」


──あまり待たせても悪いから、手早く二人分のジュースを買って、戻ってくると。


鞠莉「あれ……? 曜……?」

曜「あ、鞠莉ちゃーん、こっちこっちー」

鞠莉「? あ、いた」


曜はやたらと隅っこの方で待っていた。


鞠莉「もう……居なくなっちゃったのかと思ったわ」

曜「え」

鞠莉「え?」

曜「あ……いや、人が多かったから、端っこで待ってようかなって」

鞠莉「そう? はい、これオレンジジュースね」

曜「あ、うん。ありがとう」


──曜に飲み物を手渡したタイミングで、丁度、わたしたちが見ようとしていた映画の入場アナウンスが響く。


鞠莉「Good timingデース♪」

曜「あはは、そうだね」


曜と一緒に移動して、チケット受付にチケットを2枚提示する。


受付「? 一名様ですか?」

鞠莉「え? 二人ですけど……」

受付「えっと……? 二名様ですか……?」

鞠莉「……? 二人です」

受付「はぁ……」


何故か受付の人は首を傾げながら、二枚の半券をもぎる。


受付「ごゆっくりどうぞ」

鞠莉「……? 何今の……」

曜「ま、まあ……いいじゃん! 通れたんだし!」

鞠莉「……まあ、いいけど」


変な受付さんもいるものね……?





    ✨    ✨    ✨




曜「いやぁ……よかったね」

鞠莉「ふふ、曜ったら、思った以上に夢中になってみてたわね?」

曜「え、そうかな?」

鞠莉「もしかして、ラブロマンス結構好き?」

曜「……実は、結構好きです」

鞠莉「ふふ、やっぱり♪」

曜「よくイメージじゃないって言われるんだけどね……」

鞠莉「あら……わたし的にはイメージ通りなんだけどなー」

曜「え、そうなの?」

鞠莉「曜って実はすっごい乙女だからね♪」

曜「う……/// からかわないでよ……/// 鞠莉ちゃんこそ、どうなのさ」

鞠莉「わたし? んー、普通によく見るけど……」

曜「今回の映画の感想は?」

鞠莉「素敵な映画だったと思うわ。特に『いつまでも、何があっても、貴方のことを想い続けます』って想いを伝えるシーン……すっごく共感しちゃった」

曜「……共感したんだ」

鞠莉「ええ。わたしも……大好きな人の傍にいるためだったら、全部を投げ出せるもの。その人と一緒に居るためだったら、他に何もいらないわ」

曜「……そっか」

鞠莉「曜はそう思わないの?」

曜「……うぅん。私もそう思うよ」

鞠莉「だよね♪」

曜「……うん、私もそう思う……」

鞠莉「……?」

曜「……ねえ、鞠莉ちゃん! 次はどこいこっか?」

鞠莉「えーっと……それじゃあ──」





    ✨    ✨    ✨





 「いらっしゃいませー」


次に来たのはカフェ。


鞠莉「少し混んでるわね……」

曜「そうだね」


わたしは、順番待ちの名簿に名前を書く。

ただ、2名だったこともあり、思ったよりも待つことはなく、


店員「2名様でお待ちのオハラ様~」


すぐに名前を呼ばれた。


鞠莉「はい」

店員「……? 2名様でお待ちのオハラ様ですか?」

鞠莉「……? はい」

店員「……かしこまりました! お席にご案内します」

鞠莉「……?」


何? 今の間……?


曜「ほら、鞠莉ちゃん。いこ?」

鞠莉「あ、うん」





    ✨    ✨    ✨






鞠莉「曜は何にする?」

曜「えっと……鞠莉ちゃんと同じやつ」

鞠莉「あら♪ 相変わらず可愛いこと言うのね♪」


わたしはもう決まっていたから、店員を呼ぶ。


店員「はい、お願いいたします」

鞠莉「ドボシュ・トルテとレモンティーを二つずつ」

店員「えっと、二つずつでよろしいですか?」

鞠莉「? はい」

店員「かしこまりました。少々お待ちください」


注文を受けて、店員はパタパタと店の奥の方へと歩いていく。


鞠莉「ん……」


なんか、今日は変な反応をされることが多い気がする。


曜「鞠莉ちゃん、レモンティーでよかったの?」

鞠莉「ん?」

曜「いや、コーヒー頼むのかなって思ってたから」

鞠莉「んーだって、マリーと同じものだから、コーヒーだと、曜がニガイニガイ~ってなっちゃうと思ったから~」


意地っ張りな、曜をからかうように言うと。


曜「そっか……ありがとう、鞠莉ちゃん」


曜は嬉しそうに微笑みながら、お礼を言う。


鞠莉「え? う、うん、どういたしまして」


あれ……てっきり、また膨れちゃうかと思ったんだけどな。


曜「鞠莉ちゃんが、気遣ってくれて……嬉しいよ」

鞠莉「そ、そう……?」


まあ、喜んでくれたなら……いいの、かな?





    *    *    *





鞠莉ちゃんはどこに行っても優しかった。

私の手を優しく握って、私の目を見て、私のことを想って、いろんなことを考えてくれる。

嬉しかった。

鞠莉ちゃんの気持ちが、すごく、すごく嬉しくて……なんだか、幸せだった。

私は──もう、そんな風に扱ってもらう資格なんて、ないのに。

鞠莉ちゃんはきっと……どんな風になっても、わたしを守ろうとしてくれる気がする。助けようとしてくれる気がする。

でも……私は、もう……。

──……だから、私は、一人で決意をする。

私の……こんなどうしようもない、私の運命に……これ以上、鞠莉ちゃんを巻き込まないために。これ以上、鞠莉ちゃんに迷惑を掛けないために──





    ✨    ✨    ✨





──カフェでお茶をして、そのあとショッピングをして……。

わたしはどこに行っても、ドキドキしていた。

手を繋いだまま、二人で歩いて、たまに目が逢うと、


曜「ん? どうかした? 鞠莉ちゃん」

鞠莉「う、うぅん、なんでもない……///」


更にドキドキして。

ああ、どうしよう……幸せだ。

曜と一緒に居られるだけで、わたし幸せなんだ……。

──でも、わたしは……もう一歩先の幸せが欲しい。

曜の──恋人になりたい。


鞠莉「……曜」

曜「ん?」

鞠莉「……あそこに行かない?」

曜「……『びゅうお』?」

鞠莉「うん」

曜「……わかった。いこっか」


あそこで、わたしたちが本音を伝え合えるあの場所で──想いを伝えよう。

わたしは一人、覚悟を決める。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「ふふ、今日も夕日が綺麗ね」

曜「……そうだね」


二人で燃える海を見つめながら、いつもの椅子に腰を下ろす。


鞠莉「……ねぇ、曜」

曜「ん?」

鞠莉「じ、実はね……話があって」

曜「…………話って?」

鞠莉「あ、あのね……わたし、ね……」


ドキドキと、胸が高鳴り始める。

これから、曜に──告白する。


曜「…………」

鞠莉「わ、わたし……今日すっごく楽しかったの」

曜「うん」

鞠莉「その……だから、また一緒に曜とデートしたいなって……」

曜「……そっか」

鞠莉「……曜、あのねっ」


──告白を切り出そうとした、そのときだった。


曜「待って」


曜に言葉を遮られる。


鞠莉「え……?」

曜「……実は、私の方からも、鞠莉ちゃんに話しておきたいことがあるんだ」

鞠莉「え……」

曜「いや……むしろ、私が先に切り出すべきかなって」


それって……もしかして。

──ドキドキドキドキ。胸の高鳴りが加速していく。


曜「──鞠莉ちゃん」

鞠莉「は、はい……!!」


曜がわたしの目を真っ直ぐ見つめてくる。

その瞳は──……酷く、悲しそうだった。


曜「……恋人ごっこ、終わりにしよう」

鞠莉「…………え」


曜の言葉に、固まった。


曜「……もう、今日で終わり」

鞠莉「…………えっと、どういう、意味……?」

曜「言ったとおりの意味だよ。もう恋人の振り、終わりにしよう」

鞠莉「……お、終わりにして……どうするの……?」

曜「どうって? ……元に戻るだけだよ。今までどおり、同じ部活の先輩後輩に」

鞠莉「元……に……?」


先ほどの幸せな高鳴りが、急に苦しい動悸に変わっていく。


鞠莉「なん……で……?」

曜「…………」

鞠莉「ねぇ……曜……なんで、急に……なんで……?」


途切れ途切れの言葉で問いかけながら、曜の手を握るが、その手が震えてしまう。

怖くて、苦しくて、本当は曜の手が震えてるんじゃないかと思ってしまうくらい、わたしの手は震えていた。


曜「…………」


曜は心底、苦々しそうな顔をした。


曜「……言わなきゃ、ダメ?」

鞠莉「え……」

曜「……言わなきゃ、わかんない?」

鞠莉「……わ、わかんないよ……っ」

曜「……そっか」


曜がわたしから視線を外して上を向く。

何……? どういうこと……?


曜「……………………。…………じゃあ、言うけどさ」


曜は長く息を溜めたあと、


曜「……正直、鞠莉ちゃんさ……」


わたしと目を合わせないまま、


曜「──千歌ちゃんの代わりになってないんだよね」


そんな言葉を吐き捨てた。


鞠莉「……ぇ……」

曜「……千歌ちゃんの代わりにならないんじゃ……意味、ないよね」

鞠莉「……意味……ない……」


曜の言ってる言葉の意味が、理解出来ない。

曜は、何を言ってるの……?


曜「だから、もう終わり」

鞠莉「……ゃ……」

曜「…………」

鞠莉「……ぃゃ……なん、で……そんなこと……言うの……?」

曜「……私おかしなこと言ってるかな? それとも──」


曜は再び大きく息を吸ってから、


曜「………………自分が千歌ちゃんの代わりになれるって、本気で思ってたの?」


更に残酷な言葉を吐き出した。


鞠莉「……っ……!!」

曜「……ねえ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「……っ!!」


わたしは曜の手を──振り払って、後ずさるように、立ち上がる。


鞠莉「……さいっ……てい……」

曜「…………」

鞠莉「曜……あなた……最低よ……っ……そんなこと……言う人だなんて……思わなかった……っ」

曜「……違うよ。……千歌ちゃんの代わりになろうとしたのは──鞠莉ちゃんじゃん」

鞠莉「……っ!」

曜「でも、鞠莉ちゃんは代わりにはならなかった。それだけでしょ?」


もう聞きたくなかった。

わたしは踵を返す。


曜「帰るの?」

鞠莉「……もう、二度と話しかけないで……あなたのことなんて──」

曜「……ことなんて?」

鞠莉「……っ…………さよなら」

曜「……」


カツカツと、『びゅうお』内に乾いた靴の音が響く。

気付けば、燃える海はすっかりその火を失って、少しずつ少しずつ暗い、闇が侵食を始める時間になっていた──まるで、今のわたしの心の中のように。

嘘だと信じたかった。タチの悪い冗談だって、言ってほしかった。でも、曜は──追ってきてはくれなかった。




    *    *    *





鞠莉ちゃんは、去った。


曜「…………っ……これで、いいんだ……っ……」


私は一人、椅子の上に縮こまる。


曜「これで……いい、んだ……っ……」


気付けば、涙が溢れてきていた。


曜「泣くな……っ! 私が泣くのは……ずるだよ……!!」


涙を拭いながら、自分を怒鳴りつける。


曜「鞠莉ちゃん……ごめん……ごめんなさい……っ……」


泣きたいのは、鞠莉ちゃんの方だ。

きっと、鞠莉ちゃん……すごく傷ついた。

でも、でも……。


曜「こうするしか……っ……ぅ……ぐすっ……」


 施設員「──……誰もいないね」


曜「だって……っ……だって……っ……」


 施設員「……『びゅうお』消灯しまーす」


曜「……私、もう……」



……消えちゃうんだもん──




    ✨    ✨    ✨





──自宅に帰ってから、わたしはベッドに潜り込んで、


鞠莉「…………ぅ……っ……ぐす……ぅ……ぅぇぇ……っ……」


ひたすらに泣き続けていた。

この世の終わりみたいな、絶望感に包まれていた。

これは現実なんだろうか。


鞠莉「…………曜…………曜……っ……」


名前を呼ぶたびに、涙が溢れてくる。

大好きで、呼ぶだけで、幸せになれる魔法の名前のはずだったのに。

今は、名前を呼べば呼ぶほど、胸が苦しくなる。

なのに、何度も何度も、名前を呼んでしまう。


鞠莉「…………曜…………っ……! ……なんで……なんでぇ……っ……!」


曜があんな風に思っていただなんて、知りたくなかった。


鞠莉「…………曜……っ……! ……曜……っ……!」


涙が枯れるまで、わたしはただ、泣き続けた。

苦しくて、悲しくて……ただ、泣き続けた──





    ✨    ✨    ✨





──翌日。9月24日火曜日。

……朝から最悪の気分だった。

教室についた今も、それは変わらない。


鞠莉「…………」


酷くイライラする。


果南「あのー……鞠莉?」

鞠莉「何……」

果南「いや……なんかあったの?」

鞠莉「……ほっといて」

果南「……わ、わかった……ごめん」


苛立ちを隠す気にすらなれなかった。


ダイヤ「鞠莉さん」

鞠莉「……何」

ダイヤ「余りに不機嫌オーラがダダ漏れすぎて、皆さん怖がってますわよ」

鞠莉「……そう」

ダイヤ「……はぁ」

鞠莉「……ごめん、これ以上、話しかけないで」

ダイヤ「……まあ、いいですけれど。……放課後までには機嫌、治してくださいませね」

鞠莉「…………」


そんなことを言われても機嫌が治る気なんて全くしなかった。

案の定、わたしは一日中とにかく不機嫌なままだった。





    ✨    ✨    ✨





──放課後。


鞠莉「……部活」


足は果てしなく重いが、顔くらいは出した方がいい。

イライラしすぎて、もはや体調が悪い。

今のわたしを見たら、曜は何を思うかしら。

考えたくない……。

ただ、それは杞憂だったようで、


鞠莉「……みんな、お疲れ」

ダイヤ「お疲れ様。もう揃ってますわよ」

鞠莉「…………」


部室内を見回すが、そこには曜の姿はなかった。


梨子「鞠莉ちゃん……大丈夫……?」

善子「なんか……死にそうな顔してるわよ……?」

鞠莉「……曜は?」

果南「……? いや、部活だと思うけど……」

鞠莉「は?」

ルビィ「ピギッ!?」


声にドスがきいていたのか、ルビィがビクっとする。

いや、そんな声にもなる。

部活って、まさか、曜……わたしと顔合わせづらいから、兼部先の水泳部に逃げたってこと……?


花丸「ま、鞠莉ちゃんから、まがまがしいオーラが出てるずら……」

鞠莉「……帰る」

千歌「え!? 帰るって……これから、部活……」

鞠莉「…………」


もう返事をする気力もなかった。

ああ、そういうことか。結局全部を投げ出したんだ、曜は。

千歌も、Aqoursも──わたしも。


鞠莉「…………っ」


また、涙が勝手に溢れてきたから、袖で拭う。

もう今日は帰って寝よう。

……疲れてしまった。





    *    *    *





──誰も居ない。

もう、真っ暗だ。


曜「……怖いよ……っ」


誰も私に気付かない。


曜「……寂しいよ……っ」


世界にただ一人、取り残されて、


曜「……やだ……っ……やだ……っ……」


消えていく。

存在が、少しずつ、消えていく。


曜「……はっ……はっ……はっ……!」


恐怖で心臓が嫌な鼓動を刻み続け、冷や汗で全身がびっしょりになり、涙が止まらない。


曜「やだ……っ……誰か、助けて……っ……」


消えたくない。

全部、自業自得かもしれない、それでも、消えたくなかった。怖くて、怖くて──


曜「……鞠莉、ちゃん……っ……」


名前を呼んでしまう。

いつも、私を助けてくれた、大好きな人の名前を……。

あんなことを言って、遠ざけた手前。

ワガママなのは承知の上だけど……それでも、


曜「鞠莉ちゃん……っ……怖いよ……寂しいよ……」


私は、彼女の名前を、呼び続ける。

届くことのない声で──呼び続ける。





    ✨    ✨    ✨





9月25日水曜日。

今日も変わらず、イライラしていた。

ただ、仕事が溜まっていたため、今は理事長室に篭もっている。


鞠莉「…………」


コーヒーを飲みながら、ふとカップの話を曜としたな、などと思い出して。


鞠莉「! ……もう、忘れるのよ、マリー……!」


ぶんぶんと首を振る。

もう終わったことだ。もうわたしには関係ない。関係ないんだ……。

そのとき──コンコン。扉がノックされる。


鞠莉「……どうぞ」

ダイヤ「失礼します」


入ってきたのは、ダイヤだった。


鞠莉「……何?」

ダイヤ「まだ、不機嫌なのですか?」

鞠莉「別にいいでしょ……」

ダイヤ「はぁ……今日も部活には顔を出さないのですか? もう練習も終わって、皆着替えているところですけれど……」

鞠莉「……わたし以外にも言う相手が居るでしょ?」

ダイヤ「……? 誰ですか?」

鞠莉「……っ」


ダイヤがとぼけた顔をして、イラっとする。


鞠莉「もう一人、部活に来てないのがいるでしょ!?」

ダイヤ「え……?」

鞠莉「……は?」

ダイヤ「ごめんなさい、誰のことですか?」

鞠莉「曜よ!」

ダイヤ「……? よう……?」

鞠莉「…………」


なんだ、ダイヤもグルなのか……。

少しでも気持ちを静めようと、コーヒーに口を付けるが、イライラしすぎて、味がよくわからない。


ダイヤ「あの……鞠莉さん……」

鞠莉「何……」

ダイヤ「もしかして……よう、とは……人の名前ですか……?」

鞠莉「え……?」


ダイヤの言葉に、カップが手から滑り落ちた。

──パリンッ。


ダイヤ「!? 鞠莉さん!? 大丈夫ですか!?」

鞠莉「ダイヤ……! 今なんて言った……!?」

ダイヤ「え、いや、だから大丈夫ですかと……」

鞠莉「違う、それより前……!! 曜が……なんですって!?」

ダイヤ「え……ですから、その、よう……? というのは人の名前、ですか……?」

鞠莉「…………まさ……か……」


態度が急変したと思ったら、急に姿を見せなくなった曜。そして、今のダイヤの反応──全てが一気に結びついて、血の気が引いていく。


ダイヤ「鞠莉さん、それより、お怪我は……」

鞠莉「──曜……っ!!」


わたしは、理事長室を飛び出した。


ダイヤ「え!? ちょっと!! 鞠莉さんっ!?」


パパから貰った大切なコーヒーカップは──床に落ちて、バラバラに砕けてしまっていた。

今のわたしは、それどころではなかった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──曜っ!!」


部室の引き戸を乱暴に開けながら、曜の名前を叫ぶ。


ルビィ「ピギッ!?」

花丸「ずらっ!?」

千歌「ま、鞠莉ちゃん……?」

果南「鞠莉……今日はどうしたの……?」

鞠莉「曜!! 曜は!? 曜はどこ!?」

善子「よう……?」

梨子「えっと……鞠莉ちゃんに特別用事はないけど……? 強いて言うなら部活?」

鞠莉「ふざけてる場合じゃないの!! 曜よ!! 渡辺曜!!」

梨子「え、ええ……?」


思わず梨子の肩を掴んで揺すってしまう。


ダイヤ「ちょっと鞠莉さん!!」


背後から、追いついてきたダイヤが、わたしの肩を引っ張る。


ダイヤ「急にどうしたというのですか!!」

鞠莉「ダイヤ!! 曜は!? 曜はどこ!? 来てないの!?」

ダイヤ「だから、何の話ですか!?」

鞠莉「……っ!」


ダメだ、ダイヤはもう忘れてる。……そうだ!!


鞠莉「ルビィ!!」

ルビィ「ピギィッ!?」

鞠莉「あなたは覚えてるわよね!? 曜のこと!!」

ルビィ「ふぇ、ふぇぇ!? な、なに……? ルビィ、なんかしちゃったの……っ!?」

鞠莉「違う!! 曜!! 渡辺曜!! 覚えてるでしょ!!? ねぇっ!!」

ルビィ「だ、誰……っ……ルビィ、知らないよ……っ」

鞠莉「っ!! なんであなたが覚えてないのよっ!!?」

ルビィ「ピギッ!! ご、ごめんなさい……っ!!」

鞠莉「あなた、曜に助けてもらったでしょ!? なんで、そのあなたが……!!」


ルビィの肩を掴んで揺する。


ダイヤ「鞠莉さんっ!! いい加減にしてください!!」


ダイヤがルビィとの間に割って入ってくる。


ルビィ「お、おねぇちゃん……」

ダイヤ「貴方、先ほどから、おかしいですわよ!?」

鞠莉「……どうしよう……どうしよう……っ……!」


ルビィがダメ……あとは……。


千歌「……よう……わたなべ、よう……」

鞠莉「……!! 千歌!! 曜のこと覚えてるの!?」


今度は千歌の肩を掴む。……いや、もはや縋っていた。


千歌「…………よう……よう……? ……よう……わた、なべ……よう……?」

鞠莉「そう!! 曜よ!! あなたの幼馴染の渡辺曜!!」

千歌「……し、しってる?? しらない?? ……よう、だれ? ……え? しって……いっづ……っ……!!」


急に、千歌が頭を抱えて、蹲る。


鞠莉「……っ!! 千歌、お願い!!」

千歌「あ、たま……い、たい……、よう……ちゃ……ん……づぅっ……!!」

鞠莉「千歌っ!!」

ダイヤ「──やめてくださいっ!!!」


ダイヤが血相を変えて、千歌をわたしから引き剥がす。


ダイヤ「千歌さん!? 大丈夫ですか!?」

千歌「……あ、たま……われ、る……」

鞠莉「千歌、お願い!! 思い出して……!!」

千歌「…………づぅっ゛……」

ダイヤ「お願いやめてっ!! 千歌さんが苦しんでる!!」

鞠莉「……っ!!」


混乱する頭の中で、この間、聖良が言っていたことを思い出す。

──『恐らく、ダイヤさんや花丸さんのような、近しい人たちの記憶からも完全に消えてしまうようになったら、かなり危険信号だと思います』──

もう、曜の記憶は千歌にしか残ってない。そして、千歌の記憶も消えかかっている。


鞠莉「……見つけなきゃ!!」

果南「え、ちょっと、鞠莉っ!?」


もう時間がない……!!

わたしは、一人部室を飛び出した。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「車回して!!! 早く!!! お願い!!!」


電話口に叫びながら、校門から飛び出す。

どこを探せばいい!? 曜はどこにいる!?

いや、ルビィはこの状況になったときにはすでに姿が見えなくなっていた。

どこかわかるだけじゃダメだ……!!


鞠莉「そうだ!! 魔除け……!!」


ホテルオハラまで取りに行く余裕がある……?

船を回してもらう……?

混乱する思考の中、必死に最善手を考える。


 「──鞠莉ー!!」

鞠莉「!?」


背後から声がして、振り返る。


果南「はぁ……はぁ……!! 急に、どうしたのさ!?」


声の主は、果南だった。


鞠莉「果南……説明してる暇は──」


そこで──ハッとする。


鞠莉「果南今日、淡島から何で本島まで来た!?」

果南「え……? 水上バイクだけど……」

鞠莉「鍵貸して!!」

果南「え!?」

鞠莉「お願い……っ!」

果南「い、いいけど……」


果南がポケットから出した鍵を、半ばひったくるようにして受け取る。


果南「ちょ、鞠莉、ウェットスーツは!? まさか、制服のまま乗るつもり!?」

鞠莉「ごめん!! 後でちゃんと返すから!!」


わたしは全速力で、浦の星女学院前の下り坂を走り出した。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──はぁ……はぁっ……果南の水上バイク……あった!!」


途中で拾ってもらった車から飛び出し、淡島行きの船着場近くに着けてあった、水上バイクに乗り込もうとした瞬間──


鞠莉「きゃっ!?」


──ザブン。焦っていたせいか、足を滑らせて海に落ちてしまった。


鞠莉「……げほっげほ……っ……時間、ないのに……!!」


這い上がるようにして、水上バイクに跨って、鍵を回してエンジンを入れる。


鞠莉「……お願い、間に合って……!!」


祈るようにして、水上バイクを発進させる。

──ブルンブルンと音を立て、風と水面を切り裂きならが、水上バイクが発進する。


鞠莉「早く……早く……っ!!」


焦りながら、一直線にホテルオハラに向かって突き進む。

水上バイクのお陰で、海上の移動はかなり時間短縮出来た。

ホテルオハラの専用の船着場に水上バイクを停めて、そのまま自分の部屋へ走る──


鞠莉「エレベーター……!! 待ってられないわよっ!!」


階段を二段飛ばしで、全速力で駆け上がる。

脚が悲鳴をあげているが、おかまいなしだ。

それどころじゃない。

最上階にある、自分の部屋に辿り着いたら、そのまま、乱暴に扉を開けて──

ベッドルームにおいてある、魔除けを蹄鉄ごと乱暴に、近くにあった適当な袋に詰め込んで持ち出す。

そのまま、来た道を戻る形で、階段を全速力で駆け下りる。

そのとき──疲労しきった脚がもつれて、


鞠莉「!?」


身体が浮遊感に包まれる。

気付いたときには、階段の踊り場で蹲っていた。

──階段を踏み外した。


鞠莉「……づ、ぅ……っ!」


五段ほど、落ちて、身体を打った。一番上からじゃなかったのは、不幸中の幸いだろうか。


鞠莉「……早く……曜の……ところに……」


魔除けの入った袋を拾いながら、立ち上がる。


鞠莉「……づっ……!!」


右足首に強烈な痛みが走る。

落ちた拍子に足をくじいたのかもしれない。


鞠莉「ぁぁ゛……!!」


それでも、足を引き摺って、歩き出す。


鞠莉「曜の、ところに……行かなきゃ……!!」


足がズキズキ痛むが、それでもわたしは止まるわけにはいかなかった。


鞠莉「曜は……曜は……消えちゃうのが、わかってたんだ……っ」


今思い返せば、あのデートの日、気付けるだけの兆候はいっぱいあった。

尻餅をつくくらい思いっきり人からぶつかられたり、二人居るのに一人だと間違われたり、やたら曜がわたしの注文にあわせてきていたのも全部──もう、わたし以外に見えていなかったんだ。

そして、最後のあのとき──


鞠莉「もう消えちゃうって、わかったから……わざと、わたしから嫌われようと……したんだよね……っ」


そうじゃなきゃ、曜があんなこと言うはずなかった。あんなものが曜の本心なわけなかった。

わたしは、もっと曜を信じてあげなくちゃいけなかった。

寂しがりのあの子は、きっと今、一人で泣いてる。一人ぼっちで泣いている。

だから、わたしが傍に行って、見つけてあげなくちゃ……一秒でも早く……!!


鞠莉「曜……ごめんね……っ……気付いて、あげられなくて……っ……。今行くから……っ……曜……っ!!」





    ✨    ✨    ✨





──水上バイクで、本島へ戻る。


鞠莉「……づっ……」


さっきくじいた右足首がズキズキする。

ウェットスーツどころか、マリンブーツも履いていないため、革靴の中には水が入り放題だし、靴下はびしょ濡れだけど……。


鞠莉「患部が冷えて、むしろ丁度いいんだから……っ!!」


強がりながら、岸まで水上バイクをかっ飛ばす。

──本島に戻ってきたところで、水上バイクを再び岸に着け、車へ走る。


鞠莉「……ぅ、ぐ……っ……」


足の痛みが、どんどん酷くなっている。

下手したら、捻挫しているかもしれない。

でも、今は……今は、それよりも、


鞠莉「曜……っ……!!」


曜の下へ、行くんだ。

──足を引き摺ったまま、車に乗り込む。


運転手「お嬢様……!? お怪我を……!?」

鞠莉「お願い、いいから出して!! 『びゅうお』まで……!!」


──わたしは曜が居るはずの、『びゅうお』へ急ぐ。





    ✨    ✨    ✨





足をくじいてしまったせいで大幅に時間をロスしてしまった。そのため、『びゅうお』についた頃には、もう夕日が沈みかけている時間になっていた。


鞠莉「曜、どこ……っ!!」


人影のない、『びゅうお』の中でわたしは、叫ぶ。


鞠莉「曜……!!」


足を引き摺りながら。

ここにいるはずだと。


鞠莉「曜……っ……!!」


中央通路を見通しても、曜の姿は認められない。


鞠莉「曜……!! どこ……っ……!!」


必死に曜の名前を叫ぶ──だけど、一向に曜を見つけることは出来ない。


鞠莉「曜…………っ」


まさか、間違えた……!?


鞠莉「っ……!!」


足を引き摺りながら、わたしは『びゅうお』の中をくまなく探したが──結局、曜を見つけることは出来なかった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「曜……一体どこ……曜……っ」


車に戻って、必死に頭を回転させる。

気付けば日はすっかり落ちて、時刻は午後7時半を過ぎようとしていた。

曜の行きそうな場所……。


鞠莉「ダメ……わかんない……」


『びゅうお』以外は絶対ありえないと思っていた。

他に曜が行きそうな場所……。


鞠莉「……そうだ、自宅」


渡辺家なら、ありえる。


鞠莉「曜の家……じゃなくて、ここから狩野川沿いに北上して!!」

運転手「は、はい。承知しました」


恐らく、もう運転手には、『曜の家』じゃ伝わらない。

だから、ざっくりとした方向を伝えて、前まで来たら停めてもらうしかない。

わたしは、最後の望みを懸けて──渡辺家へと急ぐ。




    ✨    ✨    ✨





渡辺家が近付いてきたところで──


鞠莉「ここで停めて」

運転手「はい……」


運転手を促し、車を降りる。

渡辺家の方へ、足を引き摺って歩いていくと──

家の前に人影が一つ。

辿り着いた渡辺家の軒先に居たのは──


曜ママ「鞠莉……ちゃん……?」


曜のお母さんだった。


鞠莉「……! あの、曜は……! 曜は居ませんか……!」

曜ママ「鞠莉ちゃん……曜ちゃんが……曜ちゃんが居ないの……」

鞠莉「……!」


まだ、曜のことを覚えている……!


鞠莉「曜を、曜を最後に見たのはどこですか!?」

曜ママ「……鞠莉ちゃん……曜ちゃんが……どんどん、消えていくの……」

鞠莉「……!」

曜ママ「大切な……たった一人の娘なのに……」


会話が上手く噛み合わない。相当、混乱している。現在進行形で刻一刻と、記憶が消えかけてるんだ。


鞠莉「……落ち着いてください……。曜は絶対にわたしが見つけます」

曜ママ「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「曜を最後に見たのは……どこですか?」

曜ママ「それが……思い出せないの……」

鞠莉「……っ」


最後の手掛かりだと思ったのに……。


曜ママ「でも……」

鞠莉「?」

曜ママ「曜ちゃんの……声を聴いた気がする……」

鞠莉「声……?」

曜ママ「……いつもの場所に、居るから……って」

鞠莉「…………」


いつもの場所……。


鞠莉「いつもの……」

曜ママ「いっつ……っ……!!」


急に曜のお母さんは頭を抱えて蹲る。


鞠莉「!? 大丈夫ですか!?」

曜ママ「い、嫌……曜ちゃんが……消えてく……曜ちゃん……!!」

鞠莉「っ……!!」


今まさに、曜のお母さんの記憶からも、曜が消えようとしている。

恐らく、曜のお母さんの記憶から消えてしまったら……もう取り返しがつかない。


鞠莉「少しだけ、ここで待っていてください……絶対に曜は、見つけ出します……!!」

曜ママ「曜、ちゃん……」


わたしは足を引き摺りながら、車に戻り。運転手に──


鞠莉「ごめんなさい……あそこの家の人を介抱してあげて」


そうお願いして、


運転手「それは構いませんが……鞠莉お嬢様は……?」

鞠莉「わたしは、まだ……行くところがあるから。……お願いね」


わたしは歩き出す。

ズキズキと痛む足を引き摺りながら──曜の下へ。





    ✨    ✨    ✨





もう、曜がどこに居るのか検討もつかなかった。

でも──『いつもの場所に、居るから』──


鞠莉「……これはわたしに宛てたメッセージ」


あんな拒絶をされて尚、自意識過剰かもしれないけど、何故かそうだと確信出来た。

わたしに宛てたメッセージであるなら、曜の居る場所は──


鞠莉「やっぱり、『びゅうお』以外、ありえない……!!」


足を引き摺りながら、『びゅうお』に戻る。だが、あと数十メートルのところで──『びゅうお』の展望室の照明が落ちた。


鞠莉「……!?」


──午後8時、閉館時間だ。


鞠莉「待って……!!」


わたしは走り出す。


鞠莉「……っ゛……!!」


もちろん、足には激痛が走る。

でも、今止まるわけにはいかない。

死に物狂いで走る。


鞠莉「……ぐ……ぅ……っ……!!」


やっと思いで辿り着いて、わたしは『びゅうお』の入口のドアを押し開いた。


鞠莉「──はぁ……はぁ……っ!!」

受付人「おや、お嬢ちゃん……もう今日は閉館だよ」


いつもの受付のおじさんが閉館の準備をしている真っ最中だった。

もう展示室の中には入れない。だけど、諦めるわけにはいかなかった。


鞠莉「……お願いします……!! 中に入れてください……!!」

受付人「いやぁ、そういうわけにもいかないよ」

鞠莉「お願いします!!」


思いっきり頭を下げる。


受付人「いや、頭を下げられても……」

鞠莉「土下座すればいいですか……!?」

受付人「え、いや……」

鞠莉「お金が必要ならいくらでも払います……!! お願いします、中に入れてください……!!」

受付人「……い、いや」

鞠莉「お願いします……!! ここに──ここにわたしの大切な人が居るんです!! わたしのことを待ってるんです……!!」

受付人「中には誰も居ないよ……? 確認もして──」

鞠莉「お願いします!!! 今だけでいいんです!! 今……今行かないと──」


わたしは目に涙をいっぱい溜めて、


鞠莉「──後悔することすら、出来なくなっちゃうから……っ!!!」


懇願した。


受付人「……」


あまりにわたしの懇願が鬼気迫っていたのか、


受付人「……ちょっとだけだよ」

鞠莉「!」


受付のおじさんは、許可をくれた。


受付人「常連さんだから特別に。ただし、今回だけだよ」

鞠莉「ありがとうございます……っ!!」


曜──待っててね……!! 今行くから……!!




    *    *    *





曜「──……やっぱり、私、このまま消えちゃうんだな」


最後の最後になって、恐怖が一周してしまったのか、不思議と落ち着いていた。

恐らく、今日が終わるのを待たずして、私は居なくなる。

そんなことが直感的に、理解出来た。

それくらい、“存在”が希薄になっていることが、自分でも理解できるくらいに、消えかけていた。

いや、落ち着いているのは、もしかしたら──最後に嬉しいことがあったからかもしれない。


曜「──最後に……鞠莉ちゃんが来てくれた……っ」


夕日で真っ赤に染まる『びゅうお』の中で、鞠莉ちゃんは私を必死に探していた。

私も必死に声を張り上げたけど──もう、鞠莉ちゃんには届かなかった。


曜「しょうがないよね……っ……姿も見えない……声も聞こえないんじゃ……場所がわかっても、どうにもならない……」


それに、自分で決めて遠ざけたんだ。鞠莉ちゃんを、傷つけてでも、一人で居なくなろうって……。

それでも──それなのに、あんなに酷いことを言ったのに、ここに来てくれたことだけで、十分だった。最後に姿を見れただけでも、嬉しかった。鞠莉ちゃんには、もう、感謝の気持ちでいっぱいだった。最後の最後まで、ワガママで素直じゃない、私の傍に居ようとしてくれた、鞠莉ちゃんには。


曜「鞠莉ちゃん……っ……」


名前を呼んでも、もう誰にも届かない。

そして先ほど、この廊下の明りも消えて、『びゅうお』は閉館した。そんな今、もうここに人が来ることはない。

この場所で、鞠莉ちゃんとの思い出がたくさん詰まったこの場所で……終わるみたいだ。

──カツ。


曜「……?」


──カツ、カツ、カツ。

静かな館内に靴音が響く。


曜「……誰……?」


近付いてくる、靴音の方に目を向けると──


鞠莉「……はぁ……はぁ……っ……曜……っ……」

曜「鞠莉……ちゃん…………?」


──鞠莉ちゃんだった。鞠莉ちゃんが右足を引き摺りながら、こちらに向かって歩いてくる。


曜「……鞠莉、ちゃん……」

鞠莉「曜……そこに居るんだよね……」

曜「……! 鞠莉ちゃんっ!! 私、ここに居るよ……!!」

鞠莉「曜……」


鞠莉ちゃんは私が居ることに気付いてくれている。

だけど、私の姿は、もう鞠莉ちゃんにも見えないし、声も聞こえない。


曜「鞠莉ちゃん……!!」


──そのとき、ふと、


鞠莉「曜……」

曜「!!」


──何故か、目が逢った。

そのまま鞠莉ちゃんが、真っ直ぐ近付いてくる。


曜「鞠莉ちゃんっ!! 鞠莉ちゃん……!!」

鞠莉「曜……」


鞠莉ちゃんは“いつもの場所”に──中央通路の、いつも鞠莉ちゃんが座っていた席に、腰を下ろして。

“隣の席”に居る、私の──手を、握った。


鞠莉「──やっと、見つけた……っ」

曜「鞠莉……ちゃん……?」

鞠莉「曜……隠れるの上手すぎだよ……? わたし、泣いちゃうかと思った……っ」

曜「私の声……聴こえるの……?」

鞠莉「聴こえるよ……ちゃんと、聴こえるし……曜のこと……ちゃんと見えてるよ……っ」

曜「ホントに……? でも……なんで……?」

鞠莉「これがあるから」


言われて見た、鞠莉ちゃんと私の繋がれた手の間には──


曜「蹄鉄……」


鞠莉ちゃんのお守りがあった。


鞠莉「このお守りが……わたしと曜を繋いでくれてる……」

曜「鞠莉ちゃん……っ」

鞠莉「曜……みつけたよ……っ……?」

曜「……! あはは、鞠莉ちゃん……かくれんぼで見つけるのも……上手じゃん……っ……下手だって、言ってたのに……っ」

鞠莉「それは、曜だからだよ……曜だから、見つけられるんだよ……。……ごめんね、一人にして……怖かったよね……」

曜「でも……見つけてくれたよ……っ……」

鞠莉「うん……っ……」

曜「…………鞠莉ちゃん……この間は、酷いこと言って……ごめん……ごめんなさい……っ」

鞠莉「いいよ……全部、わたしを遠ざけるために言った嘘だったんだもんね……曜が消えていく、辛さを……わたしが味わわないために……」

曜「…………それでも、ごめん……。私……鞠莉ちゃんを千歌ちゃんの代わりだなんて……思ってないよ……」

鞠莉「ふふ、知ってるよ……。そもそもマリーにはそんな嘘、通用しないんだからね……? 曜が、ホントは寂しくて、ずっと一人で泣いちゃってたことも……わたし、知ってるんだから……」

曜「……あはは、やっぱり、鞠莉ちゃんには敵わないや……」


ホントに鞠莉ちゃんは私のことはなんでもお見通しみたいだ。


鞠莉「──曜……」

曜「ん……」


鞠莉ちゃんは、優しい眼差しで、私の顔を真っ直ぐ捉えて、


鞠莉「I love you.」


言う。


鞠莉「わたし……曜のことが……大好きだよ」


鞠莉ちゃんはそのまま──私の唇に軽く、キスをした。


鞠莉「曜──愛してる」

曜「…………うん……っ……うん……っ」


その拍子に、私の目から、ポロポロと涙が溢れ落ちる。

気付けば、鞠莉ちゃんも私と同じように、大粒の涙を流していた。


曜「嬉しい、なぁ……っ……」

鞠莉「曜……帰ろう?」

曜「……帰りたい……っ」

鞠莉「……? 帰るんだよ?」

曜「……出来ないんだよ……っ」

鞠莉「……え……?」

曜「……もう、間に合わないんだ……っ」

鞠莉「どういう、い、み……」


鞠莉ちゃんが目を見開いた。


曜「私……今、鞠莉ちゃんにどう見えてる?」

鞠莉「……なんで、なんで曜が透けてるの……?」

曜「……やっぱり、そうだよね」

鞠莉「曜……なんで……!! 蹄鉄はちゃんとあるのに……!!」

曜「ダメ、なんだよ……私は……──呪われてるから」

鞠莉「え……」

曜「ルビィちゃんと違って……魔除けを使っても、呪いが返る先がないから……」

鞠莉「なに……言ってるの……?」

曜「私だけ、ルビィちゃんをずっと忘れないで居られたのは……本来、私が受けるはずの呪いを、代わりにルビィちゃんが受けてたから」

鞠莉「……うそ……そんなの、うそよ……」

曜「全部自業自得だったんだ……。ルビィちゃんの呪いの元が私だったなら……私への効果が薄くても、おかしくないもんね。……ごめんね……鞠莉ちゃん……最後まで、ダメな私の……傍に居てくれて、ありがとうっ」

鞠莉「ダメ……諦めちゃダメ……っ!! 一緒に帰るの……っ!! 曜……っ!!」

曜「ありがとう、鞠莉ちゃん……その気持ちだけで、もう死ぬほど嬉しいよ……」

鞠莉「何言ってるの!! もっと嬉しいこと、これからもいっぱいあるから……曜……!!」

曜「……でも、もう、私……歩けないから」

鞠莉「え……」


鞠莉ちゃんが私の下半身に目を向ける。


鞠莉「な、に……これ……。……脚が……ない……」

曜「どんどん脚が薄くなっていって……朝には、もうこうなってた。私の脚……もう、存在してないみたい」

鞠莉「やだ……待って……っ……!」


鞠莉ちゃんがいやいやと首を振る。その、拍子に更に大粒の涙が、ポロポロと零れ落ちる。

だけど、無情にも──少しずつ少しずつ、鞠莉ちゃんと繋がれた手が透明になっていく。


鞠莉「いやっ!! 曜、行かないでっ!!」

曜「ごめんね……っ……鞠莉ちゃん……っ……」

鞠莉「魔除け……!! まだ、いっぱいあるから……!! 曜……!!」

曜「ありがとう……鞠莉ちゃん」

鞠莉「曜っ!!」

曜「……いっぱい迷惑掛けて、ごめんね」

鞠莉「曜……っ……曜……っ……!」

曜「私の傍に居てくれて──本当にありがとう。……ばいばい」





鞠莉「あ……」


曜が──すぅっと見えなくなる。


鞠莉「曜……? 曜……嘘だよね? 曜……」


先ほどまで繋いでいた手で、手繰るけど、もう曜が居たはずの場所には、何もない。


鞠莉「…………ぁぁぁっ……!! 曜……っ……!! 曜……っ……!!!」


曜の名前を呼ぶけど、もう返事はない。


鞠莉「なにが……なにが呪いよ……っ……!! 神だか、悪魔だか、知らないけど……勝手に曜のこと連れてかないでよっ!!!」


虚空に向かって叫ぶ。


鞠莉「なんで、曜ばっかり、苦しい想いするのよ……!!! 悲しい想いするのよ……!!! すごい力があるなら、ちゃんと、平等にしてよっ……!!! ねぇっ……!!!」


声を張り上げる。だけど──答えるモノは何も居ない。


鞠莉「曜……っ……わたしを……一人にしないでよぉ……っ……」


わたしは、一人、闇に溶ける真っ黒な海の見える、この『びゅうお』で──かけがえのない、最愛の人を失った。




こうして……渡辺曜は、最悪の結末の下──この世界から……消滅したのだった。




    ✨    ✨    ✨










    ✨    ✨    ✨




──……あれから、一週間が過ぎた。10月3日木曜日。

ここは三年生の教室。


鞠莉「…………」


──カリカリカリ。


鞠莉「…………」


──カリカリカリカリ。


鞠莉「…………」

果南「……ねぇ、鞠莉」


──カリカリカリカリカリカリ。


果南「鞠莉ってば……!」

鞠莉「……なに?」


──カリカリカリカリ。

わたしは手を止めずに果南に返事をする。


果南「っ……! それやめてって!!」

鞠莉「…………なんで?」

果南「今の鞠莉……怖いよ……毎日毎日、一日中ずっとノートに同じ文字書いてて……」

鞠莉「…………果南には、関係ない」

果南「ねぇ……鞠莉、どうしちゃったの……? おかしいよ……いつもの鞠莉に戻ってよ……」

鞠莉「──You're the one who's weird. (おかしいのはあなたたちの方でしょ。)」

果南「え……」

鞠莉「……」

果南「……鞠莉、今なんて言ったの……? 英語……だよね……?」

鞠莉「…………」

果南「鞠莉…………」

鞠莉「……集中できないから、話しかけないで」

果南「…………。……ごめん」


そう言うと、果南はやっと自分の席に戻ってくれた。

──曜が消えてから、一週間。

わたしは、ノートにひたすら文字を書いていた。

忘れないために。『曜』の名前をひたすらに。


鞠莉「──曜……絶対、忘れない。わたしは、忘れたりしないから……」


──ひたすら、書き続ける。

曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜──


鞠莉「……っ」


目がチカチカする。眠い。


鞠莉「……っ!」


──ダメだ、寝ちゃダメだ。

眠気を飛ばすために頭を振る。

そのまま、机の横に掛けていた、白いビニール袋の中から、缶コーヒーを無造作に掴み、プルタブを開けて、


鞠莉「……コクコクコク……」


胃の中に流し込む。

──不味い。


鞠莉「…………」


──カリカリカリ。

飲み終えたら、再び書き始める。


ダイヤ「……缶コーヒーですか」


今度はダイヤが話しかけてきた。


鞠莉「…………」

ダイヤ「コーヒーへの拘りの人一倍強い貴方が、缶コーヒーを飲むなんて思いませんでしたわ」


──カリカリカリ。ああ、うるさい。今、大事なことをしているのに。


ダイヤ「珍しくわたくしに勉強法を訊ねてきたと思ったら……そんなこと、いつまで続けるつもりですか?」

鞠莉「……」


それは感謝してる。書くというのは思った以上に、記憶の定着に効果があることが実感できた。でも、邪魔しないで欲しい。


ダイヤ「……酷い隈ですわよ。ちゃんと鏡、見ていますか?」

鞠莉「…………うるさい」

ダイヤ「……そうですか」


ダイヤはそれ以上は何も言わなかった。


鞠莉「…………」


──カリカリカリ。





    ✨    ✨    ✨





──放課後、理事長室。


鞠莉「……ふぅ」


手早く、理事長としての仕事に方をつけて、帰りの仕度を始める。

その折──コンコン。戸がノックされる。来客のようだ。


ダイヤ「失礼します」


顔を出したのは、ダイヤだった。


鞠莉「……何?」

ダイヤ「部活、今日も来ないのですか? 皆さん、待っていますわよ」

鞠莉「……皆さん? よく言うわね」

ダイヤ「……」

鞠莉「8人しかいないAqoursなんて、Aqoursじゃない」

ダイヤ「ではその、貴方の言う9人目は……今、何処にいると思うのですか?」

鞠莉「……」


わたしはダイヤを無視して、荷物をまとめる。

ダメだ、話をしてると、イライラする。

早く家に帰ろう。帰って、ノートの続き。


ダイヤ「鞠莉さん……」

鞠莉「あなたたちに……わたしの気持ちはわからない」

ダイヤ「……」

鞠莉「……もう、放っておいて……」

ダイヤ「そう……ですか……」

鞠莉「……鍵、閉めたいから、早く出て」

ダイヤ「……鞠莉さん」

鞠莉「……今度は何?」

ダイヤ「お願いですから……家に帰ったら、ちゃんと寝てくださいね……酷く疲れた顔をしていますわ……」

鞠莉「……」


わたしは再びダイヤを無視した。

寝てる暇なんてない。

眠るわけには、いかない。

ダイヤを追い出すようにしながら出た、理事長室の施錠をしている最中、


鞠莉「ぅ……っ……!」


急に激しい吐き気に襲われて、わたしは口元を押さえる。


ダイヤ「!? 鞠莉さん……!!」


それを見て、よろけたわたしを支えるために、ダイヤが手を伸ばしてくる。

でも、


鞠莉「っ!! 触らないでっ!!」


──パシン。わたしはダイヤの手を払いのけた。


ダイヤ「っ……」

鞠莉「やめて……!! わたしの中の曜が、消えちゃう……っ……!」


曜のことを覚えてない人が触れたら、もしかしたら、その影響で、わたしの中からも曜が消え去ってしまうんじゃないか。

そんな強迫観念のせいか、他人から触れられるのが怖かった。

果たしてそういうものなのかは、全くわからない。でももう、この世でたった一人しかいないんだ。渡辺曜を覚えている人間は──わたししか居ない。

だから、わたしは何がなんでも、この思い出を守らなきゃいけない。わたしが忘れたら、曜が居た事実さえ、なくなってしまう。


ダイヤ「……鞠莉さん」

鞠莉「……もう、あっち行って……っ!」

ダイヤ「……ごめんなさい。……落ち着いたらでいいので、一度、部室に顔を出してください。……皆さん、本当に心配していますから」

鞠莉「…………っ」


わたしは今度こそ、ダイヤから顔を背けて、逃げるように、下校する。





    ✨    ✨    ✨





自宅に帰って、すぐさまノートを開く。


鞠莉「……曜」


──カリカリカリ。


鞠莉「……曜……っ」


──カリカリカリカリ。


鞠莉「……ぅ……ぐす……っ……。……曜……っ」


ポタポタとノートに涙が零れて、字が掠れた。


鞠莉「曜……」


まるで、今の曜の存在のように、ぼやけて、見えなくなっていく。

日に日に、曜への記憶が薄れていく。


鞠莉「……っ」


今日何本目かわからない、缶コーヒーを引っつかんで、無理矢理飲用する。


鞠莉「……ぅ……げほっ……げほっ……」


──おいしくない。

いつも飲んでるコーヒーに比べると、最初は泥水かと思った。

でも、いちいちコーヒーを淹れてる余裕なんかない。この際、カフェインさえ取れればいい。

とにかく眠りたくなかった。

──……曜が消えて、三日目の朝。

起きたら、曜の顔が思い出せなくなっていた。

泣きながら、思い出そうとした。

でも、何度思い出そうとしても、記憶の中の曜の、顔の部分だけが黒く塗りつぶされたように、思い出せない。

そこから、二日間、徹夜した。

四日目の深夜。気付けば、机の上で寝落ちしていた。

──起きたら曜がどんな声だったのかが思い出せなくなった。

大好きな人の声なのに。忘れるはずないのに。忘れていいはずないのに。


鞠莉「曜…………曜…………」


だから、寝る間も惜しんで、曜の名前を書く。

曜を心に、体に、頭に、刻み込むために……。


鞠莉「……いたっ……」


不意に、右手の親指の付け根に痛みを感じて、ペンを落とす。


鞠莉「……っ……」


手首はとっくに腱鞘炎を起こしていた。


鞠莉「……ダメ……書かなきゃ……」


曜の字を書かないと、曜が消えるという強迫観念に襲われて、すぐにペンを握るけど──

手が震えて、うまく持てない。


鞠莉「……ぅ……っ……うぅ……っ……曜……っ……」


左手に持ち替えて、続きを書き始める。

利き手じゃないから、曜の字が歪む。

まるで、今のわたしの記憶のように。


鞠莉「曜……やだ……消えないで……っ」


わたしは泣きながら、ただ曜のことを、曜の名前を、書き続ける──





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──……あ……れ……」


ぼんやりと目を覚ます。

どうやら机で眠ってしまったようだった。


鞠莉「わたし……何してたんだっけ……」


机の上を見ると──


鞠莉「……ひっ」


そこにはノート。そして、おびただしい量の同じ文字の羅列。

──曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜──


鞠莉「な、なに……こ、れ……?」


──口に出してから、青ざめた。


鞠莉「曜……!! 渡辺曜!! 曜、曜、曜……!!」


全身に冷や汗が噴き出してくる。

また忘れかけていた。

傍らにある、缶コーヒーをまた、取り出して、


鞠莉「……ゴクゴクゴク……!」


一気に飲み下す。


鞠莉「……はっ……はっ……寝ちゃダメだったのに……!! 寝ちゃダメだったのに……っ!!」


本当に、忘れかけていた。曜が全部消えかけていた。


鞠莉「ぅ……ぉぇ……」


もう何度目かわからない、酷い吐き気に襲われる。

気持ち悪い。

ダメだと思い、席を立とうとするけど、


鞠莉「あ……れ……」


身体に力が入らない。

エネルギーが切れてしまったのか。


鞠莉「…………」


わたしはコーヒーと一緒の袋に入っていた、黄色い箱を取り出す。

──カロリーメイトのチョコレート味。

曜が初めて、わたしにわけてくれた、カロリーメイトと同じ味。


鞠莉「……ぁーん……」


悪心のせいで、全く食欲はないけど、無理矢理口に放り込む。


鞠莉「…………もぐ……もぐ……っ」


咀嚼するたびに、なんだか涙が出てきた。


鞠莉「……曜……曜の大好きなカロリーメイトも……いっぱい、あるよ……? 一緒に食べよ……? ねぇ……曜……っ……」


曜に問いかけるように、言うけど。

応えはもちろん返ってこない。

それどころか、


鞠莉「……ぅ……ぉぇ……」


食べたそばから、吐き気がする。それを無理矢理、次の缶コーヒーで胃に流し込む。


鞠莉「は、ぁ……はぁ…………」


息を切らせながら、よろよろと椅子から立ち上がる。


鞠莉「吐いちゃ……ダメ……。せっかく食べたのに……時間が無駄になる……」


確か、どこかに吐き気止めがあったはず……。

ついでに、手首も冷やそう……。保冷剤をタオルで巻いて、手首に当てれば問題ないはず。

薬箱と冷凍庫からそれぞれ、必要としていたものを見つけて、すぐに机に戻る。


鞠莉「続き……」


気休め程度だけど、吐き気止めを手早く水で飲んでから、再びノートと向き合う。

右手首を、タオルで包んだ保冷剤の上において、左手で再び曜の名前を書き始める。

チラリと見た時計は明け方の3時を示していた。

わたしは眠気と吐き気に耐えながら、ひたすらノートに名前を刻み続ける──





    ✨    ✨    ✨





朝になったら、学校に登校する。

車での送迎は眠ってしまうので、早めに出て徒歩で学校に向かう。

ただ、寝不足のままで、浦の星女学院までの長い道のりを歩くのはなかなか辛い。

加えて、幸い大事にこそ至らなかったものの、あの日くじいた足は、まだ少し痛む。

足の痛み、頭痛と吐き気、全身にある倦怠感と戦いながら、学校を目指す。

学校に着いたら、授業が始まるまで──いや、授業が始まっても、ノートに曜の名前を書き続ける。

途中、果南が話しかけてきた気がするけど、どうせ昨日と言ってることは変わらない。

午前の授業が終わり、昼休みになったら、すぐにカロリーメイトとコーヒーを胃に詰め込んで、再開する。

右手首の腱鞘炎は明け方からずっと冷やしていたのと、手首用のサポーターを付けて応急処置をしたため、少しだけ痛みが和らいでいた。


鞠莉「曜……曜……」


ぶつぶつと曜の名前を呼びながら、書き続ける。

気付けば、昼休みが終わり、放課後になる。

理事長としての仕事を昨日出来るだけまとめて片付けたので、今日は少し余裕がある。

早く家に帰って、集中しよう。

そう思って、席を立つと──


果南「鞠莉……」


教室の出口を果南が塞いでいた。


鞠莉「……どいて」

果南「……せめて、部活に顔を出して」

鞠莉「...Why?」

果南「皆、心配してる……」

鞠莉「……」


何が皆だ。その中に、曜は居ないのに。


鞠莉「……」


話にならないと思い、果南の横をすり抜けようとすると──


果南「待って」


果南に腕を掴まれた。


鞠莉「っ!? 放してっ!?」


振り払おうとするが、果南の力が強くて振りほどけない。


果南「言ってダメなら……引き摺ってく」

鞠莉「いやっ!! お願い、放して……っ!!」

果南「……っ。行くよ、鞠莉」

鞠莉「いや、いやぁっ!! 放してっ!! 曜が!! 曜が消えちゃう……っ!!」


パニックを起こして、叫ぶわたし。

それを無視して、部活へと引っ張っていく果南。

恐らく、周囲から見たら異様な光景だったと思う。

だけど、それでも、果南はしっかりとわたしの腕を掴んで、放してはくれなかった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──はな、して……!! 放してよぉ……っ!!」

果南「……部室、着いたよ」

鞠莉「……!!」


果南はそう言いながら、やっと掴んでいた腕を放してくれた。

わたしはそのまま、逃げるように果南から離れて、床にへたり込む。


梨子「鞠莉ちゃん……」

善子「マリー……」


顔を上げると、梨子と善子が、可哀想なものを見るような目をしていた。


花丸「鞠莉ちゃん……顔色が……」

ルビィ「大丈夫……? 鞠莉ちゃん……」


花丸が、ルビィが、病人を見るような目を向けてくる。


果南「鞠莉……お願い、何があったのか話してよ……心配なんだよ」

鞠莉「…………」


背後から果南の声。

ダメだ、早く逃げなくちゃ。

わたしは、へたり込んだまま、じりじりと後ずさる。


果南「鞠莉……」


ただ、出口の方には果南が居る。

どうするかを考える中、


千歌「鞠莉ちゃん……」


千歌が、へたり込むわたしの前に身を屈めて、顔を覗き込んできた。


鞠莉「……!」

千歌「鞠莉ちゃん……私たちは敵じゃないよ……」


そう言いながら、わたしの頬に触れようとしてくる。


鞠莉「……ひっ」


──パシン。

わたしは千歌の手をはたく。


千歌「……っ」

鞠莉「やだ……こないで……」


恐怖で涙が溢れてきた。

このままじゃ曜が消される。曜との思い出が奪われる。


ダイヤ「鞠莉さん……落ち着いてください。貴方は今、傍目から見ていても一目でわかるくらいに疲弊しすぎている。正常に物事を捉えられていませんわ」

鞠莉「……っ!!」


また、おかしいと言われた。


梨子「鞠莉ちゃん……悩みがあるなら、力になるよ?」

善子「……というか、頼りなさい。今のマリーは見てられないわ……」

花丸「ご飯、ちゃんと食べてる……? ちょっとやつれてる気がするずら……」

ルビィ「隈も酷いよ……? もしかして、眠れてない……?」

果南「鞠莉……皆、鞠莉の様子が変だってことに気付いてるんだよ……」

鞠莉「……はっ……はっ……はっ……!!」


わたしはおかしくない。わたしはおかしくない。わたしは、おかしくない。


千歌「……鞠莉ちゃん……怖くないよ……」


千歌が再び、手を伸ばしてきた。


鞠莉「……っ!!」


その手を──力の限り、弾くように、叩いた。


千歌「っ……!!」


かなりの力を込めたからか、千歌がよろけて、テーブルの脚にぶつかる。


果南「千歌……!」

千歌「うぅん……大丈夫。ちょっとよろけただけ」


なんで、みんな、わたしがおかしいなんて言うんだろうか。知らないからだ。覚えてないからだ。

曜が──渡辺曜がこの世界に確かに居たことを覚えてないからだ。

仲間だと言いながら、わたし以外の人たちは──曜を忘れたんだ。


鞠莉「......I'm not weird... I'm not weird... I'm not weird...! (…………わたしはおかしくない……。わたしはおかしくない……。わたしはおかしくない……!)」

善子「マ、マリー……?」

梨子「鞠莉ちゃん……?」


善子と梨子は、意味が理解出来ないのか、困惑したような声をあげる。

ただ、わたしの頭にはどんどん血が上って行く。


鞠莉「...You're the one who's weird ! (……おかしいのはあなたたちの方よ!)」

花丸「ず、ずら!?」

ルビィ「ピギ……!」


怒気の篭もった英語に、花丸とルビィが怯む。


鞠莉「Even though our precious friends are gone, you are living as if nothing had happened ! (大切な仲間が居なくなったのに、さも何事もなかったかのように過ごしてる!)」

果南「ま、鞠莉……」

千歌「鞠莉ちゃん……」


もう言葉が止まらなかった。


鞠莉「Is that your friends ? Are you making fun of me !? (それで仲間? バカにしてるの!?)」

ダイヤ「……」

鞠莉「You girls are ── (あなたたちなんか──)」

ダイヤ「鞠莉さんっ!!」

鞠莉「!!」


ダイヤの声にビクリとして、言葉が止まる。


ダイヤ「それより先は……言ってはいけないことですわ」

鞠莉「ぁ……ぁ……」


ダイヤに咎められた瞬間、自身の状態を急に意識してしまった──身体が熱い、地面が揺れてる、気持ち悪い、頭が痛い。ただでさえ睡眠をほとんど取ってない、疲れきった身体のまま、大声を張り上げたせいか、一気に気分が悪くなり、


鞠莉「ぁ……──」


そのまま意識が遠のいていく。


果南「鞠莉!?」

千歌「鞠莉ちゃんっ!!」

鞠莉「……ぁ……ぅ……」


真っ暗な視界の中、果南と千歌の声がすぐ近くで聞こえる。


果南「救急車っ!! 誰かっ!!」

鞠莉「…………ぅ……」


わたしの意識は、


鞠莉「……ょ……ぅ……」


そのまま、闇の中に落ちていった──





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──……ん……ぅ……」


目が覚めると──見覚えのない天井があった。


ダイヤ「……やっと、目が覚めましたか」

鞠莉「……ダイヤ……?」


傍らから、ダイヤの声がして、寝起きでぼんやりとした頭のまま、名前を呼ぶ。


鞠莉「ここ……どこ……?」

ダイヤ「病院ですわ」

鞠莉「病院……?」

ダイヤ「貴方、部室で倒れたのですわよ。覚えていませんか?」

鞠莉「部室で……倒れて……?」


ダイヤの言葉を聞いて、徐々に思い出してきて──


鞠莉「……!!」


青ざめる。


鞠莉「い、今何時……!?」

ダイヤ「夜の9時ですわ」

鞠莉「9時……!?」


倒れたのは恐らく3時過ぎ。6時間近くも眠ってしまったことに気付く。


鞠莉「曜……!! 曜!! 曜!!」


咄嗟に名前を呼ぶ。大丈夫だ、まだ忘れてない。


ダイヤ「……」

鞠莉「ノート!! わたしのノートは!?」

ダイヤ「鞠莉さんの荷物なら、ここに」


ダイヤの膝の上には、わたしのスクールバッグがあった。


鞠莉「っ!! 返して!!」


ベッドから身を起こそうとして、


鞠莉「あ、れ……」


全然身体が起こせないことに気付く。

ついでに、腕から管が伸びていることにも気付いた。


ダイヤ「別に、取ったりしませんわ。欲しいのはこれでしょう?」


そう言いながら、ダイヤはバッグの中から、ノートを取り出して、わたしの胸の辺りにポンと置く。


鞠莉「……っ!!」


わたしは、そのノートを抱きしめるように、自分の身に寄せる。


ダイヤ「……寝不足や疲労困憊だけでなく、カフェインの中毒症状が出ていたそうですわ」

鞠莉「……」

ダイヤ「あとで診察の際に言われると思いますが、当分コーヒーは控えた方がいいでしょう。それと、点滴を打ってもらっているので、しばらくしたら落ち着くとは思いますが……せめて、今日くらいは安静にしていることですわね」

鞠莉「……」

ダイヤ「それにしても……」

鞠莉「……?」

ダイヤ「大切な仲間が居なくなったのに、さも何事もなかったかのように過ごしている、わたくしたちが許せない……ですか」

鞠莉「……え」

ダイヤ「何、驚いたような顔をしているのですか。他の方はともかく、わたくしはあれくらいのリスニングなら出来ますわ。浦の星女学院の生徒で貴方の次に英語が出来るのはわたくしなのですわよ?」


別に英語で喋ったのは咄嗟に出てしまっただけで、隠そうという意図があったわけではないけど、あの暴言を聞き取られていたことに、少し動揺してしまう。


鞠莉「…………じ……事実だもん……」


ベッドの上で少しでも、身を引くようして、ダイヤと距離を取ろうとする。


ダイヤ「……まるで、自分は誰にも理解されず、誰も信じられず、脅えて、自分の世界に閉じこもろうとしているようですわ」

鞠莉「……っ」

ダイヤ「……世界にたった一人、取り残された気がして、周りの人が全て敵に見える……」

鞠莉「……ダ、ダイヤに……わたしの、何がわかるのよ……」

ダイヤ「……そうですわね。ごめんなさい」


ダイヤは意味深なことを言った割りに、わたしの言葉を聞くと、すぐに謝罪をする。


ダイヤ「鞠莉さん」

鞠莉「……何?」

ダイヤ「……今貴方が抱えているノート。それは貴方にとって、とても大切なモノなのですわよね」

鞠莉「……」


コクンと頷く。


ダイヤ「それと、手首のサポーター……腱鞘炎ですか。わたくしに暗記法を訊ねてきたわけですから……忘れないため、書き続けているのですわよね」

鞠莉「……」

ダイヤ「貴方は、わたくしたちが忘れてしまった、何かを忘れないようにしている。違いますか?」

鞠莉「……だったら、なんなのよ……」

ダイヤ「そう、邪険に扱わないで欲しいのですが……」

鞠莉「わたしが……わたしが最後なの……わたしが、頑張らないと、曜が……消えちゃうの……。……お願い……もう、邪魔しないで……」

ダイヤ「……わかりました」


ダイヤは踵を返して、病室から出て行こうとする。


ダイヤ「ただ、最後に──」

鞠莉「……?」

ダイヤ「それはただ忘れないだけで、良いモノなのですか?」

鞠莉「! ……それは」

ダイヤ「それと、もし貴方が全てを一人で背負っていると思っているのでしたら……それは勘違いですわ」

鞠莉「かん、ちがい……?」


ダイヤは何を言っているんだろうか。わたししか、覚えてないのは事実のはずなのに。ダイヤはわかってないから、そんな無責任なことを言うのだろうか。


ダイヤ「今の貴方に言っても、届かないかも知れませんけれど……。……もし、そうじゃないと少しでも思えるのでしたら──生徒会室で待っていますわ」


そう残して、ダイヤは病室を後にした。


鞠莉「……待ってるって……言われても……」


もしかして、ダイヤは本当は曜のことを覚えている……とか……?


鞠莉「……いや、そんなはずない」


何度も確認した。でも、ダイヤを含め、Aqoursの誰も、曜のことどころか、それが人の名前だということすら理解できなかった。

もし、このまま話していたら……曜が居ないことが当たり前の人たちと接していたら。本当に曜が消えてしまう気がする。

その考えはあまり変わらなかった。

ただ──『それはただ忘れないだけで、良いモノなのですか?』──この言葉が、頭の中でぐるぐると回り続けていた。





    ♦    ♦    ♦





──さて、鞠莉さんの面会時間ギリギリになってしまったため、エントランスに戻ってきた頃にはすっかり照明も落とされていた。


ダイヤ「千歌さん、お待たせしました」


暗い病院のエントランスで待っていた彼女に、声を掛ける。


千歌「! ダイヤさん、どうだった……?」

ダイヤ「……貴方の言うとおりでしたわ」

千歌「やっぱり……──今の鞠莉ちゃんは、あのときの私と同じなんだ……自分一人が周りと違うことが怖くて、苦しくて、寂しくて、どうにもならなくなっちゃってた私と……」

ダイヤ「はい……。ですが、今は警戒心が強すぎて、詳しい事情を訊くことは出来ませんでした。さすがにあのときと同じようには行きませんわね……」

千歌「うん……私にとってのダイヤさんみたいな人が居てくれれば、鞠莉ちゃんも話しやすいかもしれないんだけど……」

ダイヤ「わたくしも果南さんも拒絶している状況ですからね……。……あとは、鞠莉さんを信じるしかありませんわ」

千歌「うん……」





    ✨    ✨    ✨





あのあと、軽い診察を受けた。

ダイヤも言っていたとおり、カフェイン中毒の症状が出ていたらしく、酷い吐き気はそれが原因だったらしい。

案の定、当分はコーヒーはおろか、カフェインを含む飲み物は飲まないように、注意された。

眠りたくないという旨は伝えたものの、当然聞き入れてもらえず、部屋の明りは消されてしまったので──


鞠莉「曜……曜……曜……」


横になったまま、ひたすら曜の名前を小さな声で呼び続ける。

眠らないようにしないと……。


鞠莉「……曜……。……会いたいよ……」


顔も、声も、記憶がおぼろげで……思い出せないけど、曜への気持ちは忘れていない。

曜が温かかったことは、覚えてる……。


──『ただ忘れないだけで、良いモノなのですか?』──


鞠莉「……良くない」


会いたい。

また会って、話したい。


鞠莉「……曜」


まだまだ、朝まで長い。

わたしは布団を被って、曜の名前を呼び続ける──





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「……」


──翌朝。目が覚めて、顔を顰めた。

もちろん、自分の体たらくにだ。


鞠莉「曜……曜……渡辺曜。……よかった、覚えてる」


心底ホッとする。

眠らないようにとあれほど自分に言い聞かせていたのに……。

ゆっくりと身を起こし、時間を確認すると、朝の6時だった。

とはいえ、久しぶりにたくさん眠った気がする。

そのお陰か、何日か振りに頭がすっきりとしていた。

本日は10月5日土曜日。

恐らくお昼過ぎまでは、病院からは出られないと思う。

学校がないのは不幸中の幸いだろうか。

ただ、仮に学校があったとしても、今日は学校に行く気はなかった。

何故なら──今日はやりたいことがあるから……。





    ✨    ✨    ✨




お昼過ぎに再び軽く診察を受けて、退院となった。

わたしは病院から、そのままの足で、とある場所を目指していた──


鞠莉「……よし」


わたしが来たのは、飛び込み台の設置されているスイミングスクールのあるプール──つまり、曜の通っていたプールに訪れていた。





    ✨    ✨    ✨





 「ねぇ、見て、あの人」

 「わ、金髪……! 外人さんかな? 誰かの知り合い?」

 「わかんないけど……すっごい美人さんだね……」


プール施設内の観覧席で観ていると、そんなひそひそ話が聞こえたり、聞こえなかったりするけど、そんなことはどうでもいい。

わたしはただ、飛び込みをしている人たちをじっと眺めていた。

曜はつい最近まで、確かにここで高飛び込みをしていたんだ。

今日はここに──曜の痕跡を辿りに来た。

もしかしたら、曜がずっと居た場所には、曜が確かに居たという何かが残っているかもしれないと思ったからだ。

何かが、何かはわからない。

わからないけど……。ただ、忘れないようにするだけじゃ、曜への大切な気持ちは薄れてしまうんじゃないかと、そう思ったから。


鞠莉「……」


ただ、じーっと見つめていても、曜がいつも飛んでいた一番高い飛び込み台──10mの台から飛び込む人はなかなか現れなかった。


鞠莉「やっぱり、高い台は使う人が少ないのね……」


まあ、あれだけ高いわけだし……。わたしも飛べと言われたら、絶対に断ると思う。

そんな高さからぴょんぴょん飛んでいた曜のすごさを改めて実感する。


鞠莉「……もっと、曜の高飛び込み、見せてもらえばよかったな」


曜が大好きだと言った、高飛び込みを。


鞠莉「……ぐす……っ……ああもう、やだ……わたしったら……っ……」


涙が溢れてきて、思わずハンカチで目を押さえる。

涙が落ち着くまで、しばらく押さえてから──再び、顔をあげると、


鞠莉「あら……?」


10mの飛び込み台の上に人影があった。


鞠莉「あの人……」


見覚えのある人だった。


鞠莉「曜の……先輩……」


──それは、曜の先輩だった。思わず気になって注視してしまう。

改めて見ていると……曜の先輩の演技は見事なものだった。

前に後ろに、いろんな方向から捻りを加えながら、いくつも技を成功させている。

ただ、一つだけ──

前向きに踏み切り、後ろに向かって宙返りする演技だけは、うまく行かないのか、飛び込んで、水面に顔を出す度に悔しそうな顔をし、再び台に昇る姿が印象的だった。

あれは、きっと、


鞠莉「前逆さ宙返り三回半抱え形……」


曜が得意としていた、必殺技だ。

見ていて、簡単そうと思ったことは一度もないけど、曜があまりに綺麗に飛ぶので、あそこまで苦戦している姿を見ると、改めて本当にとてつもなく高難度の技だったということを再認識する。

──ザパン。

また、水飛沫があがった。

水飛沫を立てないほど、評価の高い、高飛び込みにおいて、あれは恐らく失敗なのだろうなどと思いながら注視していると──


曜の先輩「……」


ふいに、水面に顔を出した、曜の先輩と目が合った。


鞠莉「……」


なんとなく、会釈すると、向こうも会釈を返してくれた。

……意外に良い人?

曜が居るときにしか、接したことがなかったので、割とイヤな人だと思っていたけど……。

ただ、曜の先輩はその演技は最後に、プールから上がって、いなくなってしまった。

もしかしたら、見られるのは好きじゃない人だったんだろうか。


鞠莉「まあ……いっか」


別に見てただけで、何をしたわけでもないし。

わたしは再び、他の人の飛び込みの観察を始めた。

結局、そのあとも……曜の先輩以外で、10mの台から飛び込む人は居なかったけど……。





    ✨    ✨    ✨





──しばらく、ぼんやりといろんな人の飛び込み演技を観ていると、


 「──貴方、誰かの知り合い?」

鞠莉「?」


声を掛けられて、振り返る。


鞠莉「……あ」

曜の先輩「こんにちは」


声の主は曜の先輩だった。

観覧席なので、先ほどと違って競泳水着ではなく、私服を着てはいるが。


鞠莉「Good afternoon. ……こんにちは」

曜の先輩「よかった、日本語は喋れるのね」

鞠莉「……まあ、日本人だし」


どうやら、この口振り、わたしのことは知らないようだ。

曜が居なければ出会うことがなかった人だからだろうか。

曜が居なくなった今、わたしがこの人と知り合いである理由が存在しない。

だから、曜が居ない=この人とわたしは初対面ということになるのだろう。たぶん。


曜の先輩「…………」


何故か、じーっと見つめられる。


鞠莉「なにか……?」

曜の先輩「いや……ごめんなさい。貴方、どこかで会ったことない?」

鞠莉「……」


なんだ、その下手なナンパのようなセリフは、と思ってしまう。

まあ、確かに会ったことはあるけど……。


鞠莉「……あなたが覚えていないだけで、会ったことはあるかもね」

曜の先輩「貴方、不思議なことを言うのね」


肩を竦めながら、曜の先輩はわたしの隣の席に腰を下ろす。


曜の先輩「……それで、誰かの知り合いなの?」

鞠莉「……そんなところ」

曜の先輩「そっか、羨ましい」

鞠莉「羨ましい……?」

曜の先輩「高飛び込みって、施設が限られてるから、わざわざ遠くから通ってる人が多いのよ。私もその一人。だから、経験者ならともかく、練習まで観に来てくれる人なんて普通いないのよね」

鞠莉「……そうなんだ」


曜はいつも千歌が応援に来ていたと言っていたし、曜がこの人の癇に障ってしまったのは、そういう羨望や嫉妬も一つの原因だったのかもしれない。

それはそうと、わたしは少し気になることがあった。


鞠莉「あの……」

曜の先輩「? なにかしら?」

鞠莉「……どうして、ずっとあの技を練習してたの……?」

曜の先輩「あの技……? ……ああ、前逆さ宙返りのことかしら」

鞠莉「はい。三回半抱え形の……」

曜の先輩「詳しいわね。素人が見ても、回転数ってなかなか数えられないと思うんだけど。……そうね、あの技を飛べないと、勝てない気がするのよ……」

鞠莉「……? ……誰に……?」

曜の先輩「それが……わからないのよね」

鞠莉「わからない……?」

曜の先輩「……その誰かに勝ちたくて、その誰かよりすごいと証明したくて、ずっと練習を続けてきたんだけど……それが誰か、わからないのよね」

鞠莉「……え……?」

曜の先輩「……ごめんなさい。変な話かもしれないわね」

鞠莉「い、いや……。……でも、相手がわからない今でも、その技を練習し続けるのは、なんで……?」

曜の先輩「なんで……。……意地かしら」

鞠莉「意地……?」

曜の先輩「……確かに誰か思い出せないけど、心の底から悔しい、負けたくないって気持ちが……何故か、あるのよ」

鞠莉「……」

曜の先輩「それに突き動かされて、飛んでる気がする」

鞠莉「……変なこと言ってもいい?」

曜の先輩「私も変なこと言ったし、いいわよ」

鞠莉「わたし……さっきの技を飛べる人が知ってるの」

曜の先輩「……」

鞠莉「そして、その人は……ここでその技を飛んでいた」

曜の先輩「……そうなんだ」

鞠莉「……驚かないの?」

曜の先輩「……普通なら驚くか、変な冗談だと思うんだろうけど……。何故か、納得した。その人が……私が飛ぶ理由なのかもね」

鞠莉「……!」

曜の先輩「……回答、これで大丈夫だったかしら」

鞠莉「……うん」


わたしは、席を立つ。


曜の先輩「帰るの?」

鞠莉「……ええ」

曜の先輩「そっか、また観に来るといいわ」

鞠莉「……そうするわ」


わたしは、プールを後にした。





    ✨    ✨    ✨




鞠莉「…………」


わたしが、次に訪れたのは──沼津港近くの、とある家。

曜の家だ。

家の外から、じーっと観察してみる。

曜が居たときと、変わらない。玄関表札には渡辺の文字。


鞠莉「変わってない……」


そう、曜が居たときと、“変わらない”のだ。

──『貴方が全てを一人で背負っていると思っているのでしたら……それは勘違いですわ』


鞠莉「……もしかして……そういうこと……?」


一つの事実に辿り着きかけ、立ち尽くしていると、


 「あら……? ウチに御用かしら……?」

鞠莉「え……?」


先ほど同様、背後から声を掛けられて振り返る。

そこに居たのは──買い物袋を腕に提げた、


曜ママ「こんにちは」


曜のお母さんだった。


鞠莉「え、えっと……こんにちは」

曜ママ「あら……綺麗な日本語ね。外人さんかと思ったんだけど」

鞠莉「あ、いえ……ハーフなんですけど、日本人です」

曜ママ「そうなのね。それで、我が家に何か御用?」

鞠莉「あ、いや、その……立派なお家だなと思って」

曜ママ「まあ♪ ありがとう、嬉しいわ♪ でも、私一人には大きくってね……」

鞠莉「……お一人なんですか?」

曜ママ「ホントはね、旦那さんが居るんだけど……フェリーの船長さんだから、滅多に帰って来なくなってね。だから、今は実質一人なの」

鞠莉「……そう、なんですか」

曜ママ「子供が居たら、丁度良い広さなんだけどね……」


『子供が居たら、丁度良い』──その物言いに、何か引っかかりを感じた。


鞠莉「……!」


そして、気付く。


鞠莉「あの、この家っていつから住まれてますか……!?」

曜ママ「え? そうね……ここに越してきたのは、大体14~5年くらい前かしら……?」

鞠莉「……! ……そういう、ことだったんだ」

曜ママ「え?」

鞠莉「ありがとうございます!! 用事が出来たので、失礼します!!」

曜ママ「あ、待って、貴方名前は?」

鞠莉「──鞠莉です!」

曜ママ「鞠莉ちゃん……なんだか、初めて会った気がしないし、可愛いから気に入っちゃった♪ またいらっしゃい」

鞠莉「はい……!!」


わたしは、走り出した。





    ✨    ✨    ✨





曜の先輩は、明らかに“曜を意識した”技の練習を続けていた。

そして、渡辺家。

この一軒家に越してきた、タイミング──14~5年前というのは、


鞠莉「曜が産まれてからすぐ……!」


子供が産まれて、越してきた3人の家。

逆に言うなら、子供が居ないなら広すぎる家。

つまり──


鞠莉「曜が産まれてないなら、あそこに渡辺家があるのはおかしい……!」


つまり、曜が消えてしまった今も……曜の居た痕跡はあちこちにあったんだ。

──『……もし、そうじゃないと少しでも思えるのでしたら──生徒会室で待っていますわ』──

これは、全ての人を完全に拒絶して、誰の話も聞こうとしなかった、わたしに、ダイヤがくれたヒントだった。


鞠莉「──ダイヤッ!!」


生徒会室のドアを思いっきり、押し開く。


ダイヤ「……ふふ、鞠莉さん。校舎内で走るのは、ぶっぶーですわよ?」

千歌「! 鞠莉ちゃん……!」


ダイヤの隣には千歌の姿。


鞠莉「ダイヤ、千歌……わたし…………!!」

ダイヤ「ふふ、土曜日ですが、ここで待っていた甲斐がありましたわね」

千歌「だから言ったでしょ? 鞠莉ちゃんは来るって……!」

ダイヤ「あら、わたくしもそう言いましたけど?」

千歌「んーー!! なんでもいいや!! 鞠莉ちゃん!!」


千歌が手を差し伸べてくる。

わたしは──


鞠莉「千歌……!!」


千歌の手を握って、そのまま、その手を撫でながら謝る。


鞠莉「はたいて……ごめんなさい……っ……痛かったよね……」

千歌「うぅん……。鞠莉ちゃんの心は、それよりもずっと痛かったんだって、わかってたから……」

鞠莉「千歌……」

千歌「それに、私も前に同じようなことやっちゃったから……あはは」

ダイヤ「鞠莉さん」

鞠莉「ダイヤ……!」

ダイヤ「話してくれますか? 何があったのかを」

鞠莉「……うん……!」


わたしは二人に、事情の説明を始めた。





    ✨    ✨    ✨





ダイヤ「──つまり、その呪いとやらで、最初にルビィが消えかけ、その後本来の呪詛対象であった、曜……さんが、消えてしまった。……そういうことですか」

鞠莉「……うん。どこまで信じられるかはわからないけど……」

ダイヤ「いえ、むしろ、その話が事実なら合点のいくことがいくつかあります」

鞠莉「合点がいくこと……?」

千歌「うん。実はね、私とダイヤさん……最近お互いの間にあった不思議なことは出来るだけ隠したりしないで、共有することにしてるんだけど……」

ダイヤ「わたしくと千歌さん、つい最近、保健室に担ぎ込まれたことがあったでしょう?」

鞠莉「保健室に……ああ」


ダイヤはルビィが消えかけたときに、そして同様に、千歌は曜の身にそれが起こったときだと思う。


ダイヤ「お互い倒れて、保健室に居たこと……というか、お互いがお互いを看病したことは覚えているのですが……」

千歌「でも、倒れた理由がわからなくって……何か起きてるんじゃないかって、思ってたんだ」

ダイヤ「わたくしたちは、二人でこの違和感の原因を探っていたのですが……。その直後に、鞠莉さん──貴方がわたくしたちが知らないことを言い始めた。Aqoursは9人居ると」

鞠莉「う、うん」

ダイヤ「わたくしも正直、それ自体は半信半疑だったのですが……これを見て、考えが変わりました」

鞠莉「これ……?」

千歌「鞠莉ちゃん! これだよ!」


そう言って、千歌がわたしに見せてきたのは──


鞠莉「歌詞ノート……?」


千歌の歌詞ノートだった。


ダイヤ「千歌さんの書いた新曲の歌詞の、最初のフレーズ……おかしくありませんか?」

鞠莉「最初のフレーズ……」


言われて、目を通すと──


鞠莉「──あ……」


そこにあったのはマーカーの引かれていない一番最初のフレーズ。その次の部分に紫のマーカーが引かれている。

メモ書きには紫の部分から矢印が伸びていて、『鞠莉ちゃんパート』と書かれている。


ダイヤ「二人で首を捻っていたのですわ。何故一番のAメロだけ、鞠莉さんの名前しかないのか。そして、何故歌の冒頭は誰も割り振られていないのか」

千歌「ここって……消えちゃった曜ちゃんって子と、鞠莉ちゃんが一緒に歌うはずのパートだったんじゃないかな!?」


──『曜って──自分の気持ち、隠しちゃう子だから……きっと、曜のパートはここ』──

──『そして……わたしのパートはそのすぐ下。ここは曜と一緒に歌いたいな』──


鞠莉「……曜……っ……。うん……曜と、一緒に……歌いたかった……パート……っ……」


Aqoursの中にも……ちゃんと、残ってたんだ。

曜と、一緒に決めたモノが。


千歌「それで気になって、今までの歌詞のパート分けも調べてみたんだけど……」

ダイヤ「案の定、他の曲も不自然に一人分のパートが浮いている状態になっていたのですわ」


つまり、ダイヤと千歌はそれに気付いて、わたしとコンタクトを取ろうとしていたんだ。

だけど、わたしが拒絶していたから、どうにか機会を探って……。


ダイヤ「これらの現象を踏まえて、わたくしはこう考えています。人一人が、消えるというのは、生半なことではありません。一人の人間が生まれ、育つ中で、世界に多くの影響与えます。親や友人、それ以外にも何気なく関わったことのあるいろいろな人に、物事に対して。その全ての影響をゼロにするなんて、それこそ世界を作り変えないと不可能ではないでしょうか」

鞠莉「……そっか、だから曜の家はそのままだったし、曜の先輩は前逆さ宙返りを飛ぼうとしていた……」


動機のルーツが狂うと根本的な他の人間の人生すらも歪めてしまう。いわゆるバタフライエフェクトというやつだ。

曜の先輩は曜が居なければ、あそこまで上達しなかった可能性。曜が居たから、負けまいと、いろいろな技を身に付けることが出来たのかもしれない。

そして曜の両親は曜が産まれていなかったら、あの家には越してこなかっただろうし、曜じゃない子供を産んでいた可能性もある。だけど、そうじゃなかった。


ダイヤ「もちろん、その呪いというものが、世界そのものを根本から作り変えてしまう、途方もないものの可能性もありますが……今はまだそう成り得ない、理由が一つありますわ」

鞠莉「成り得ない……理由……?」

ダイヤ「鞠莉さん、貴方が居ることです」

鞠莉「……わたしが……居る……」

ダイヤ「貴方が、曜さんを覚えているから、世界は曜さんの痕跡を全て消すことは出来ない。何故なら、あなた一人でも覚えている人間が残っていたら、世界に大きな矛盾が生まれてしまうから。そしてそれは同時に──曜さんはまだ完全に消えては居ないということの証明なのではないでしょうか」

鞠莉「……!」


つまり──


ダイヤ「忘れない? それだけではありませんわ。曜さんそのものを取り戻せる可能性は、まだきっと残っています!」

鞠莉「……ホント……?」


わたしはダイヤの言葉に目を見開いた。


千歌「鞠莉ちゃん!」

ダイヤ「鞠莉さん。一緒に曜さんを──取り戻しましょう」

鞠莉「……っ……! ……うんっ!」


わたしは、ダイヤと千歌と共に、曜を取り戻すため、動き出したのだった。





    ✨    ✨    ✨





ダイヤ「曜さんを取り戻すためには、まずやらなくてはいけないことがいくつかあります」

千歌「やらなきゃいけないこと?」

ダイヤ「はい。まず、原因の特定ですわ」

鞠莉「原因の特定……」

ダイヤ「鞠莉さんの言うとおりなら、呪いだとは思いますが……もし、呪いなのだとしたら具体的にどういう呪いなのか、です」

千歌「船の呪いでしょ? それなら、私もちっちゃい頃に聞いたことあるよ。嫌いな人を消しちゃう呪いだったかな」

ダイヤ「いえ、具体的にというのは、呪いの方法や効果よりもどういった神霊、もしくは怪異・妖怪を起因としているかですわ」

千歌「……? どういうこと?」

鞠莉「それって……現象そのものを引き起こしてる怪異によって、対策が変わるから……?」


これは以前、聖良が言っていたことだ。


ダイヤ「ええ、そのとおりですわ。多くの怪異には弱点が存在します」

千歌「弱点……」

ダイヤ「根本的に苦手なものがあったり、対抗する呪文や、神格におけるルーツ、レゾンデートル自体が特定条件下で弱点になりうる場合もあります」

鞠莉「吸血鬼にニンニクとか、口裂け女にポマードみたいなことよね」

ダイヤ「ええ、そのとおりですわ。もし、曜さんを消し去ってしまった呪いの大本に妖怪や神が存在しているなら、それを知ることで対抗手段になるはずですわ」


言いながら、ダイヤは席を立ち、


ダイヤ「確かこの辺りに……そういった図鑑が……」


本棚をあさり始めた。


鞠莉「……なんで、そんなものが生徒会室に……?」


わたしが一人首を傾げていると、


千歌「図書室から、借りてきて、置かせてもらってるんだよ」


と千歌が説明してくれる。


鞠莉「図書室から? わざわざ……?」

千歌「うん。その……私たちもなんというか、いろいろあってさ。それでダイヤさんがね──『わたくしたちの経験はきっと誰かの力になれると思いますの』って言って、いろんなことを調べてたんだよ」

鞠莉「ダイヤが……そんなことを」

千歌「それに……ここ数日、ダイヤさんね、ずっと鞠莉ちゃんの力になるために、調べ物してたんだよ」

鞠莉「え……」

千歌「『鞠莉さんは絶対ここに来るから』って、『きっと今が、あのときの恩を返す機会です』って」

鞠莉「ダイヤ……」

千歌「やっぱり事情があって、詳しいことは言えないんだけど……私もダイヤさんも、鞠莉ちゃんにはすっごい感謝してる。だから、協力は惜しまないよ! それにさ……」

鞠莉「それに……?」

千歌「私にも、ダイヤさんにも……鞠莉ちゃんに迷惑を掛けて、掛けられて、一緒に進む覚悟があるから」

鞠莉「……!」


それはいつの日か、わたしの口から千歌に言ったこと。


千歌「私たちは、鞠莉ちゃんを信じてる。だから……鞠莉ちゃんも、私たちを信じて?」

鞠莉「……うんっ……千歌も、ダイヤも……ありがとう……っ」


わたしが誰も信じられなかった間も、ダイヤも千歌も、わたしを信じて待っていたと言われて、少し涙ぐんでしまう。


ダイヤ「お礼なら、曜さんを助けてからで良いですわ」

鞠莉「うん……! 絶対、曜を助ける……!」


わたしは力強く頷いた。


ダイヤ「それでは、わたくしは神隠しの、妖怪や神霊の類との関連性について調べようと思いますが……その前に。鞠莉さん、何か曜さんが消える前に気になったことは、ありませんでしたか?」

鞠莉「何か……」

ダイヤ「不思議なことを言っていたとか、不思議な目にあったとか……何かきっかけがあったのなら、それがヒントになると思うのですが」


何か……曜の身に起きてたこと……。


鞠莉「……そういえば、曜……悪夢を見ることが増えたって言ってたかも」

ダイヤ「悪夢ですか……具体的にどのような内容ですか?」

鞠莉「内容は……起きると忘れちゃうって言ってた……」

ダイヤ「……悪夢は凶兆なことが多いので、大きなヒントになりそうでしたが……。わからないものは仕方がないですわね。今ある情報から、考えましょう」

鞠莉「……あ、でも」

ダイヤ「?」

鞠莉「曜じゃないけど……ルビィも消える直前に悪夢を見たって言ってた。大量の木の葉の竜巻に飲み込まれる夢って」

ダイヤ「……なるほど。もしルビィと曜さんが同じ呪いを起因としているなら、ルビィの見た夢は曜さんの夢に近い可能性が高いですわね。ありがとうございます、きっと何かのヒントになると思いますわ」


ダイヤはお礼を言いながら、追加で棚から本を選び始める。


千歌「ねーねー、ダイヤさん!」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「私は何すればいい?」

ダイヤ「そうですわね……千歌さんには、呪いそのものについて調べてもらいたいですわ」

千歌「呪いそのもの?」

ダイヤ「ええ。実際にどんな呪いだったかは、噂通りなのかもしれませんが、もっと詳細に知れば何かわかることがあるかもしれませんし」

千歌「わかった!」

鞠莉「あ、それなら……果南や花丸に訊くといいと思う」

千歌「果南ちゃんと花丸ちゃん?」

鞠莉「海で船を見つけたのは、その二人だったから……」

ダイヤ「なるほど……確かに見つけた張本人に訊いた方がより詳細がわかるかもしれませんわね。千歌さん、お願いできますか?」

千歌「らじゃー! まっかせて!」


ダイヤからお願いされるや否や、千歌が飛び出そうとする。


鞠莉「待って! 千歌!」

千歌「ほぇ?」

鞠莉「わたしも……連れて行って」

千歌「ん、私は構わないけど……」

鞠莉「……わたし、果南にも、みんなにも謝らないと……」


みんな心配してくれていたのに、わたしが一人殻に閉じこもって、拒絶してしまったことを……。


ダイヤ「……鞠莉さん、あまり気に病みすぎないでください」

鞠莉「で、でも……!」

ダイヤ「極端ではありましたが……鞠莉さんの考え方自体は間違って居なかったと思います」

鞠莉「え?」

ダイヤ「実際問題、曜さんを覚えているのが貴方一人なのは事実です。そして、貴方の認識が周りの覚えていない人と同調してしまったら……恐らく、そのとき曜さんは本当に消えてしまうでしょう」

鞠莉「……!」

ダイヤ「人間、周りの言っていることに認識を引っ張られる性質があります。鞠莉さんの言うように、曜さんが消えてしまったことをちゃんと理解してくれる人なら問題ないと思いますけれど……。わたくしや千歌さんは、なんというか……非日常に免疫があります。ですが、誰も彼もが真正面から理解できるわけではありません。今この時点で、全てを話すのは得策ではないかも知れませんわ……」

鞠莉「……」


確かに、花丸はともかく、果南はこういう話は滅法苦手だ。最悪、調べごと自体を辞めて欲しいと言われてしまうかもしれない。

だけど……。


鞠莉「でも……ちゃんとごめんって言いたい」

千歌「鞠莉ちゃん……」

ダイヤ「……まあ、貴方ならそう言うと思っていましたけれど。なら、ちゃんと仲直りしてきてくださいませね? 果南さん、ずっと鞠莉さんのこと気に掛けていたのですから」

鞠莉「うん……!」

千歌「それじゃ、ちょっと果南ちゃんと花丸ちゃんに連絡してくるから、待っててね!」

鞠莉「うん、お願いね、チカッチ」


千歌が一人、電話をするために生徒会室の外に出る。


ダイヤ「それでは、鞠莉さんも、出る準備をしてください。こちらはわたくしの方で調べておきますので」

鞠莉「……その前に、ダイヤ」

ダイヤ「? なんですか?」

鞠莉「……曜のことで、ダイヤに伝えておかないといけないことがあるの」

ダイヤ「……このタイミングで切り出したということは、千歌さんには聞かれたくないということですか?」

鞠莉「……うん」

ダイヤ「……わかりました、聞きましょう」

鞠莉「あ、あのね……その、呪いってさ」

ダイヤ「はい」

鞠莉「今回は失敗しちゃったから、対象がおかしくなっちゃって……曜やルビィが呪われることになっちゃったわけだけど……」

ダイヤ「そう、ですわね……。呪術の実行者が、曜さんだったから、それが跳ね返ってしまった、という話でしたわね」

鞠莉「うん……。……少なくとも、曜は自分でそう言ってた。……あの、それでね……その……もしその呪いが成功してたら、呪われてた対象……なんだけど」

ダイヤ「……。……なるほど、わたくしということですわね」

鞠莉「……!」

ダイヤ「なんとなく、話の流れでわかりましたわ……」


ダイヤは肩を竦める。


ダイヤ「わかりました。それを踏まえた上で、調べてみますわ」

鞠莉「え……それだけ……?」

ダイヤ「それだけとは?」

鞠莉「だ、だって……ダイヤが呪われちゃってたかもしれないんだよ……?」

ダイヤ「そうかもしれませんが……現にわたくしは、こうして無事ですし」

鞠莉「それは……そうかもしれないけど……」

ダイヤ「なんですか……わたくしを呪うような人は助けられない、とでも言って欲しかったのですか?」

鞠莉「それは……困る……」

ダイヤ「でしょう?」

鞠莉「でも……ダイヤは良いの……?」

ダイヤ「……そうですわね……」


ダイヤは少し考える素振りをしてから、答える。


ダイヤ「恨まれていたのだとしても……曜さんとわたくしは、同じAqoursの仲間だったのでしょう? なら、助ける理由としては十分ですし……それにもし、わたくしが曜さんから恨まれるようなことをしてしまったのだとしたら……それは、わたくしと曜さんの間の問題ですわ」

鞠莉「…………」

ダイヤ「曜さんが戻ってきてから……わたくしが、曜さんとの間で解決しないといけない問題ですわ」

鞠莉「ダイヤ……」

ダイヤ「……自分が誰からも恨みを買わない、出来た人間だなんて、そんなのは思い上がりです。特にわたくしは立場の問題もありますから……そういうこともあるのかなと」

鞠莉「…………ダイヤは、強すぎるよ」


わたしも、立場上、誰かに恨まれる可能性くらいは考えたことがある。それでも、ここまで毅然とした態度で言ってのけるのは並大抵の話ではない。

それでも、ダイヤは、


ダイヤ「……いえ、わたくしは弱い人間ですわ」


自分を弱いと言う。


ダイヤ「……ですが、そんな弱いわたくしを、強くしてくれた人が居る」

鞠莉「強く……してくれた人……?」

ダイヤ「──千歌さんですわ」

鞠莉「……!」

ダイヤ「千歌さんと一緒に……逃げない強さを知りました。ですから、わたくしは例えこれから助けようとしている人から恨まれているのだとしても、今やることは変わらないと思っています。それと……」

鞠莉「それと……?」

ダイヤ「もし、わたくしが呪われて消えることになってしまったとしても……そのときは、千歌さんが助けてくれますから。怖くありませんわ」


ダイヤは何一つ、それを疑うことのない、真っ直ぐな瞳でそう言ってのけた。ダイヤは、心の底から、千歌のことを信頼しているんだ……。


ダイヤ「それに、鞠莉さんにとって大切な人なのでしょう?」

鞠莉「! うん。……すごく、大切な人」

ダイヤ「わたくしも、大切な人を助けるときに、貴方に力を貸してもらいました。でしたら、貴方が今、大切な人を助けたいと思っているなら、手を貸すのが人の義というものでしょう」

鞠莉「ダイヤ……」

ダイヤ「ですから、貴方は余計な心配をしていないで、曜さんを助けることだけ考えていれば良い。そのあとのことは、今ある問題が解決してから考えることですわ」

鞠莉「うん……。……ありがとう、ダイヤ。…………」

ダイヤ「……まだ、何かあるのですか?」


わたしの沈黙に言外のニュアンスを感じたのか、ダイヤが更に訊ねてくる。


鞠莉「あ、いや……。……これは今言ってもしょうがないというか……あくまで主観というか」

ダイヤ「良いから言ってくださいませ。今、貴方の主観ほど、大事なものはないのですわよ?」

鞠莉「……う、うん…………あのね。こんなこと言った直後で矛盾してるのはわかってるんだけど……。……わたし、曜が誰かを呪ったりしたなんて……どうしても信じられなくて」

ダイヤ「でも、本人がそう言ったのでしょう?」

鞠莉「そうだけど……曜が、本当にそんなことするのかなって……」

ダイヤ「……。……それはわたくしには判断出来かねますが……それも含めて、今から確認してきてください」

鞠莉「……わかった」


会話がひとまず決着したところで、


千歌「果南ちゃんと、花丸ちゃんと連絡取れたよ!」


千歌が顔を出す。


千歌「……って、あれ? 二人ともどうしたの?」

ダイヤ「いえ、なんでもありませんわ。それでは、二人とも、よろしくお願いします」

鞠莉「ええ」

千歌「? まあ、いいや! 行ってくるね!」


わたしは千歌と一緒に、果南たちに会うために生徒会室を後にした。





    ✨    ✨    ✨





──さて、わたしたちは、十千万旅館前の砂浜を訪れていた。ここなら、花丸も家が近いし、果南も水上バイクを停められるから、二人と待ち合わせるには丁度いい。


千歌「──果南ちゃんも花丸ちゃんもそろそろ着くって」

鞠莉「うん……」


二人は千歌に呼び出してもらったし、あとは待つだけ。

ただ、わたしは酷く緊張していた。

特に果南には本当に酷い態度を取ってしまったから……謝って許してもらえるか……。


千歌「鞠莉ちゃん」


そんな、わたしの背中を千歌が、ポンと叩く。


千歌「大丈夫だよ、友達だもん。話せばわかってくれるよ」

鞠莉「千歌……。……うん」


話すためにここに来たんだもんね。怖気づいてる場合じゃない。

わたしは腹を決める。

──程なくして、海の方からエンジン音が聞こえてきた。


鞠莉「!」

千歌「果南ちゃんの水上バイクの音だ!」

鞠莉「うん……!」

千歌「果南ちゃーん!!」


千歌が大きな声をあげながら、果南に向かって手を大きく振ると──すぐに気付いたのか、果南はこっちに向かって一直線に海上を突き進んでくる。


鞠莉「…………すぅ……はぁ」


わたしは深呼吸する。落ち着いて、ちゃんと謝ろう。

それだけでいい。

近付いてくる水上バイクは、すぐに砂浜の辺りで停止し、果南が降りて、こちらに向かってくる。


果南「──や、千歌。……鞠莉も」

鞠莉「……っ」


わたしは、前に一歩出て、


鞠莉「果南……本当にごめんなさい……」


頭を下げた。


果南「鞠莉……」

鞠莉「……果南は心配してくれてたのに……わたし……ずっと、理解しようともしないで……」

果南「……いいよ」


──ふわりと、下げたままの頭を撫でられた。


鞠莉「果南……?」

果南「頭なんか下げなくていいよ……。鞠莉には鞠莉の事情があったんだよね?」

鞠莉「うん……っ」

果南「嫌われてないなら、それでいい。別に私も怒ってたわけじゃないからさ」

鞠莉「ありがとう……果南……っ」

千歌「ふふ……よかったね、鞠莉ちゃん」

鞠莉「うん……っ」

 「──それに顔色も随分よくなったずら」

鞠莉「!」

果南「あ、マル」

花丸「千歌ちゃん、鞠莉ちゃん、果南ちゃん。こんにちは」


気付けば、花丸も到着していた。


鞠莉「マ、マル……わたし……」

花丸「マルは鞠莉ちゃんが元気そうな姿が見られたから満足だよ。それこそ、何か言われたりしたわけじゃないし、鞠莉ちゃんが謝る必要なんてないよ」

鞠莉「! うん……っ……ありがとう……マル……」


わたしは二人から許してもらえて、心の底から安堵する。


果南「マルの言うとおり、だいぶ顔色よくなったね……安心したよ」

鞠莉「うん……ホントに、心配掛けてごめんね」

花丸「もう許したずら♪ それはそうと……千歌ちゃんから訊きたいことがあるって、言われて来たんだけど……」

果南「そうだった……訊きたいことって?」


さて……仲直りも重要だったけど、ここからが本題だ。


千歌「あ、えっとね……つい最近、果南ちゃんと花丸ちゃんが、ここで呪いの船を見たって聞いて……」

果南「船……ああ」

花丸「確かに、見たけど……」

鞠莉「それについて、もうちょっと詳しく、教えてもらえないかなって……」

花丸「詳しくって言うと?」

鞠莉「えっと……どういう呪いなのかとか」

果南「どういう、か……鞠莉には前にも説明したけど、魚に居なくなって欲しい人の身に付けていた小物とかを飲み込ませて、小さな木彫りの船に乗せて流すんだけど……」

千歌「えっと……『神池』の魚じゃないといけないんだっけ?」

果南「そうそう」


ここまでは前にも聞いていたことだ。『神池』と言われる神聖な地の魚が必要だという話だった。

ふと、疑問に思う。


鞠莉「その『神池』ってどこにあるの?」

花丸「えっと……確か、学校よりもずっと先……西伊豆の方だよね」

果南「うん、大瀬崎の方だよ」

鞠莉「大瀬崎……」


確かに大瀬崎は浦の星女学院よりも、更に半島を西に進んだ先だ。


果南「そこにある大瀬明神にある池のことだよ。海から20mくらいしか離れてないのに、淡水池で、鯉とか鮒がものすごい数いるんだよ。それだけ海が近いのに淡水の池として存在してるのは昔から不思議がられてて、伊豆七不思議の一つとしても有名なんだ」

鞠莉「果南……詳しいわね」

果南「あの辺は、ダイバーにとっては聖地だからね。わたしもあの辺りに潜りに行った際はお参りに行ったりするよ」

千歌「へー、そこまでは知らなかったや」

花丸「ただ、あの呪いに関しては完全に不発だったからね。今回に関してはそもそも『神池』は関係ないずら」

鞠莉「それに関してなんだけど……」

花丸「ずら?」

鞠莉「あの呪い……手順を間違えたせいで、変な形で呪いが発動しちゃったりは……」

花丸「ありえないずら」

鞠莉「え……?」


花丸に速攻で否定されて、ポカンとしてしまう。


花丸「御祓いはちゃんとやったずら。あのあとで、じいちゃんにも確認したし」

鞠莉「で、でも……そういう儀式ってデリケートなものなんじゃ……」

花丸「デリケートだからこそ、御祓いをして清めるんだよ。そういうことで、災厄が関係のないところに降りかからないようにするために」

千歌「えっと、それじゃ、呪いは完全に御祓いしちゃったってこと?」

花丸「うん。それが出来てないなら、わざわざ御祓いをした意味がないずら」

鞠莉「……そ、そうだよね」

果南「まあ、それに……あれはどうやっても成立しないだろうし」

鞠莉「……? どういうこと……?」

果南「あの呪いってさ、『神池』の神聖な魚を採った人に罰を与えるために神様が浚っちゃうっていうやつなんだけど……」

千歌「そのときに、神様が飲み込まれてる小物を見て、それの持ち主が犯人だと勘違いしちゃうんだっけ……?」

果南「そう。だけど、今回に関しては、神様が魚が飲み込んでる小物を確認出来ないんだよ」

鞠莉「確認……出来ない……? なんで……?」

果南「だって、今回見つけた船に乗ってたのは鯖だったんだからさ」

鞠莉「……?」


確かにそう言っていた気がする。


千歌「鯖だったら、ダメなの?」

果南「うん。だって……あそこの神様──天狗様は、そもそも鯖が苦手だし」


果南はあっけらかんと言うのだった。





    ✨    ✨    ✨





ダイヤ「──つまり、振り出しに戻ってしまったというわけですか……」


果南たちの話を聞いたことを、そのまま伝えるとダイヤは困ったように肩を竦めた。


鞠莉「ごめん……」

ダイヤ「まあ、良いではないですか。曜さんは貴方が信じたとおりの方だったということですわ。今回の船の呪いも例に漏れず、どこぞの誰かが悪戯で行っただけのものだったということです」

鞠莉「うん……」


確かにそういう意味では悪くなかったけど……。とはいえ、これが呪いでないなら、何が原因だというんだろうか。


ダイヤ「どちらにしろ、得られた情報もありますわ。なるほど、天狗ですか」

千歌「んー、でも結局呪いじゃないんだったら、天狗のことも関係ないんじゃない?」

ダイヤ「いえ、そうでもありませんわ。先ほど調べてわかったことなのですが、人が忽然と姿を消す現象──即ち『神隠し』は日本では『天狗隠し』と言われることがあるそうですわ」

千歌「そうなの?」

ダイヤ「ええ。それに、天狗は強風を司る神霊や妖怪の類ですから、ルビィが夢に見た、吹き荒ぶ木の葉というのも天狗のイメージと合致していますし。起こっていることと、天狗の相関性は十分にあります」

鞠莉「呪いとは関係がないんだとしても……天狗とは関係があるかもしれない」

ダイヤ「そういうことですわ」

鞠莉「でも……呪いじゃないんだとしたら、なんで曜は自分のことを呪われてるなんて言ったのかしら……」

ダイヤ「それについてなのですが……曜さんはもしかしたら、もともと自分が呪われていると、思って居なかったのではないでしょうか」

鞠莉「……? どういうこと?」

ダイヤ「考えてもみてください、もし本人が呪いを行っていたんだとしたら、ルビィを取り戻す際に、呪詛が術者本人に返って来ると聞いた時点で、大なり小なり対策をすると思いませんか?」

鞠莉「……確かに。……そのままじゃ、確実に自分に呪いが返って来るってわかってるわけだものね」


聖良にその話をされたときも、曜は特に変わりなかったし、ルビィを助けたあとも、特別に何か対策をしているような素振りはなかった。

つまり……。


鞠莉「曜は……消える直前になるまで、自分が人を呪ったことに気付いてなかった……? そんなことがあるの……?」


いや、結論だけ言うと、曜が人を呪ったってこと自体は違ったんだけど……。


ダイヤ「……そうですわね。それが最大の疑問ですわ」


ダイヤも一緒に首を捻る。……が、


千歌「あーでも、ちょっとわかる気がする」


悩むわたしたちの疑問に割って入ったのは、千歌だった。


ダイヤ「わかる……とは?」

千歌「ほら、例えばさ、学校の帰りに、石とか蹴ってるときに、たまたま蹴っていた石がすっぽ抜けて、お地蔵様にぶつかっちゃったりしたとするじゃん?」

ダイヤ「……貴方、そんな罰当たりなことをしていたのですか?」

千歌「た、例え話だって……! えっと、そのときはびっくりして、大丈夫かなとか思うけど、まあ結局気にせずやり過ごしちゃうとするじゃん」

鞠莉「Hm...?」

千歌「でも、その後、何日か経って、高熱が出たりしたら……『ああ、あのときお地蔵様を怒らせちゃったんだ』って思わない?」

ダイヤ「千歌さんと違って、わたくしにはそのような経験がないのですが……」

千歌「だから、例え話だって!」

ダイヤ「詰まるところ……後ろめたさを感じはするものの、これくらいなら大丈夫……と思っていたのに、後になって自分に災厄が降りかかってきたとき、思い返せばあれが原因だったのか、と思い込むという話ですわよね」

千歌「そんな感じ」

鞠莉「じゃあ、曜は……」

ダイヤ「誰かを呪い掛けようとした。けれど、最後まで実行は出来なかった。ですが、自分の存在が消えかけて……実行しかけたことだけで十分呪いが発動してしまったと、勘違いしてしまった……ということでしょうか」


今ある情報から予測をするなら、それが一番しっくりくる。

ただ、仮にそれがそうなんだとしても……。


鞠莉「──曜が消えちゃった理由は……結局、何……?」


それがわからないとどうしようもない。


ダイヤ「そうですわね……。……ですが、何のきっかけも、理由もなく、こんなことが発生するとは思えません」

鞠莉「……きっかけ」

ダイヤ「鞠莉さん、何か思い当たる節はありませんか? ……曜さんのことはもう貴方しか覚えていません。ですから、もしきっかけを見つけられるとするなら、貴方の曜さんとの記憶から手掛かりを見つけるしかありませんわ……」

鞠莉「…………」


頭を捻る。きっかけ……きっかけ、何か……。


千歌「きっかけって、例えばどういうの?」

ダイヤ「そうですわね……それこそ、千歌さんのように、お地蔵様に悪戯をしてしまったとか」

千歌「いや、だからしてないからね?」


曜がそんなことをするとは、あまり思えない。


千歌「あとは……神頼みとか?」

ダイヤ「人が消えるようにお願いをしてしまった……ということですか?」

千歌「わかんないけど……人の手に負えないことなら、そういう感じなのかなって」

ダイヤ「ふむ……。ですが、そのような願いを聞き入れてくれる神がいるのだとしたら、世の中はもっと人が居なくなってそうですわね」

千歌「すごい、切実だったとか?」

ダイヤ「それは願いが叶う場合ですわ。今回は逆ですので」

千歌「あ、それもそっか……」


頭を捻っても、正解にたどり着ける気がしない。だけど……ただ、こうして時間を無駄に費やすわけにもいかない。

わたしは椅子から立ち上がる。


ダイヤ「鞠莉さん……?」

鞠莉「ちょっと……曜と過ごした場所に行ってみる……何かあるかもしれないから」

ダイヤ「そうですか。それが良いと思いますわ……お願いします」


少しでも、ヒントを探さないといけない。

わたしは一人……あの日以来、足を踏み入れていなかった、あの場所に行くことにした。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「…………」


高いソレを見上げる。

ここ海の街、沼津に聳える、大きな水門──『びゅうお』。

あの日、曜と最後の言葉を交わした後、わたしはどうしてもこの場所からは足が遠のいてしまっていた。

でも、ここには曜との思い出が一番たくさんある。

曜を辿るなら、ここだと思った。


鞠莉「よし……」


扉を押し開け、受付に入る。


鞠莉「……こんにちは」

受付人「お嬢ちゃん、久しぶりだね」

鞠莉「お久しぶりです。大人一人お願いします」

受付人「100円だよ」

鞠莉「はい」


いつものおじさんに100円を払い、入場する。

長い長いエレベータを昇り──展望室に出ると……今日も海が真っ赤に燃えていた。

そのまま、中央通路に向かうと──


鞠莉「え……」


グレー味のかかった髪をした、見覚えのある姿が、目に飛び込んできた。


鞠莉「曜……?」

 「ん……?」


名前を呼ぶと、彼女がこっちに顔を向ける。


 「あら、貴方……」

鞠莉「……あ」


声を聞いて、曜じゃないことに気付く。同時に、曜と間違えた理由もわかった。


曜ママ「鞠莉ちゃん?」


そこに居たのは、曜のお母さんだった。





    ✨    ✨    ✨




鞠莉「……ここ、よく来られるんですか?」

曜ママ「そうね……昔はよく来てたかな」

鞠莉「昔……?」

曜ママ「船を見に、よく来ていたんだけど……」

鞠莉「船……」

曜ママ「いつも、旦那さんの乗っているフェリーを待っていたわ。ここじゃ、フェリーは見えないのに」

鞠莉「…………」

曜ママ「いつくるかな? いつくるかな? って……。そう、私に何度も訊いてきて……。でも……」

鞠莉「でも……?」

曜ママ「そんな風に訊ねてきたあの子が……誰だったのかが、思い出せない……」

鞠莉「…………」


──それは、きっと、幼い日の曜との記憶だ。薄ぼんやりとエピソードとしてだけ、曜のお母さんの記憶に存在しているのかもしれない。


曜ママ「もう……何年も前のことだから……その子も、もう大きくなったんだろうな……」

鞠莉「…………っ……」


なんだか、すごくやるせない気持ちになった。

わたしは、曜を連れて帰ると言ったのに、結局、曜のお母さんの下に曜を連れて帰ることはできなかった。

目の前で、消えるのを、ただ泣きながら見ていることしか……出来なかった。


鞠莉「……じゃあ、どうして今日はここに?」

曜ママ「ん……そうだなぁ。……あの子が、ここにいる気がしたから、かな」

鞠莉「……そう……ですか」

曜ママ「鞠莉ちゃんは?」

鞠莉「え?」

曜ママ「鞠莉ちゃんは、どうしてここに来たの?」

鞠莉「わたしは……」


わたしは……。


鞠莉「……わたしも、その子に会える気がしたから」

曜ママ「ふふ……鞠莉ちゃん、面白いこと言うのね」


曜のお母さんはくすくす笑う。


曜ママ「その子……今はどんな子になってるかな……。……きっと、鞠莉ちゃんと同じくらいだと思うんだけど。あ、もしかして同じ学校だったりするのかしら?」

鞠莉「…………実はそうなんです」

曜ママ「ホントに? よくお話するの?」

鞠莉「はい……いっぱい、いっぱい、いろんなことを話しました」

曜ママ「どんな話?」


わたしは、問われて、曜と話したことを思い出す。


鞠莉「部活の話……スポーツの話……好きなモノの話……それと──恋の話を、しました……」

曜ママ「まあ♪ 青春ね」

鞠莉「でも……あの子の恋は届かない恋で……」

曜ママ「……そうなんだ」

鞠莉「辛そうで、悲しそうで、寂しそうで……わたし、放っておけなくて……」

曜ママ「……うん」

鞠莉「わたし……本当は、なんて言ってあげれば、よかったんだろう……」


なんて言えば……こんなことにならなかったんだろう。


曜ママ「……今その子がどんな子になってるのかは、わからないけど……もし、私が鞠莉ちゃんの立場だったら……」

鞠莉「だったら……?」

曜ママ「……告白を勧めたかな」

鞠莉「……望みゼロでもですか……?」

曜ママ「うん、無理矢理にでも、告白させたと思う」

鞠莉「どうして……」

曜ママ「だって、そうじゃないと、終われないから」

鞠莉「終われ……ない……?」

曜ママ「届かなかった想いは……その先、消えることなんてないから」

鞠莉「そ、そんなこと……。……失恋の傷は、時間と共に癒えるって言うじゃないですか……っ」

曜ママ「そうね……時間と共に癒える。だけど、消えてなくなったりしない」

鞠莉「……」

曜ママ「傷が癒えて、苦しくなくなってから……ああ、ちゃんと伝えておけばよかったって思うの。ずーっと、思うのよ」

鞠莉「…………」

曜ママ「私もそうだった、いっぱい恋して、いっぱい失恋して、たまに成功して、付き合って、別れて、付き合って、別れて……その先で今の旦那さんに出会った。だけどね──ちゃんと、想いを伝えられずに終わっちゃった恋は……今でも後悔してるかな」

鞠莉「…………!」

曜ママ「だから、私だったら、何がなんでも、届かなくても、叶わなくても、自分の気持ちを真っ直ぐに伝えた方がいいよって背中を押すかな。そうじゃないと……ずっと、残っちゃうから」


わたしは……。


曜ママ「……って、おばちゃんの恋愛感なんて聞いても面白くないわよね、ごめんなさい」

鞠莉「…………わたし……っ……」

曜ママ「鞠莉ちゃん?」

鞠莉「…………ごめん、なさい……っ……」

曜ママ「え、鞠莉ちゃん!?」


気付いたら、泣いていた。

わたしは……間違えていたんだ。

わたしが傍に居れば、癒えると思ってた。

曜の、千歌への想いが、消えると思ってた。

違った……違ったんだ……。


鞠莉「……わたし……っ……ずっと、曜が……叶わない恋に向き合わない方向にばっかり……引っ張ってた……っ」

曜ママ「……」

鞠莉「……ホントは、わたしが……っ……曜に頑張る、勇気を……あげなくちゃ……いけなかったのに……っ……」


逃げて良いって、甘やかして。

決着をつけさせないで、目を逸らさせて。

曜から……曜自身が、自分の恋に立ち向かう勇気を──奪ってたんだ。


鞠莉「……もっと、早く……もっと、早く、立ち向かう勇気を……曜に教えてあげられたら……っ……」


きっと、曜は、消えることなんてなかった。

誰も恨まず、誰も呪わず……もっと、笑えたんじゃないだろうか。


曜ママ「鞠莉ちゃんは……その、曜ちゃんって子が、大事だったのね」

鞠莉「……っ」


両手で顔を覆って、溢れ出てくる涙を隠しながら……コクリと小さく頷く。


曜ママ「そっか……曜ちゃんは、泣くほど大切に思ってくれる人が居てくれて……幸せな子だね」

鞠莉「幸せなんかじゃ……っ……わたしは……曜を……間違わせた……っ……」

曜ママ「……鞠莉ちゃん……ごめんね。私、鞠莉ちゃんの気持ち考えないで、無責任なこと言っちゃったね……」


曜のお母さんはわたしの頭を優しく撫でながら、そう言う。


鞠莉「…………っ」

曜ママ「確かに告白させてあげた方がすっきりは出来たかもしれない……今の結果にはならなかったのかもしれないけど……。……でも、それでも、鞠莉ちゃんが曜ちゃんを大切に想って、選んだ道なら、それでいいんだよ?」

鞠莉「……でも……曜は……っ」

曜ママ「……曜ちゃんに、鞠莉ちゃんの気持ちは伝わらなかった?」

鞠莉「……」

曜ママ「鞠莉ちゃんが……曜ちゃんをすごく大切に想ってる気持ちは……伝わらなかった?」

鞠莉「……伝わり……ました……」

曜ママ「そのとき……曜ちゃんはなんて言ってた?」

鞠莉「…………ありがとう……って」

曜ママ「じゃあ、そうなのよ」

鞠莉「…………」

曜ママ「鞠莉ちゃんが傍に居てくれて……曜ちゃんは嬉しかったのよ」

鞠莉「…………わたしは……っ」

曜ママ「ん」

鞠莉「…………わたしは……これから、どうすれば……いいですか……っ」


間違ってしまったわたしは、どうすればいいのか。曜を失う結果を選んでしまったわたしは……どうすればいいのか……。答えなんて、曜のお母さんに訊いても、返って来るはずないのに。

でも、


曜ママ「そんなの簡単よ」

鞠莉「え……?」


曜のお母さんは自身満々に、


曜ママ「次は、間違わないようにすればいい。もっと良くなるように、一緒に考えてあげればいいの。何度でも一緒に考えてあげれば、それだけでいいの」


そう答えた。


曜ママ「鞠莉ちゃんも、まだ子供なんだから……全部上手くできるわけじゃない。うぅん、大人にだって、全部上手くなんかできない。失敗してもいいの。だからね、もし大切な人が転んじゃったら……すぐ隣で、また手を取ってあげて? そうしたら、きっとまた笑ってくれるから」

鞠莉「…………っ……はい……っ」


曜のお母さんは、わたしが泣き止むまで、優しく頭を撫で続けてくれたのだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「船……通りませんね」

曜ママ「もうこの時間になっちゃうとね……」


わたしが落ち着いた頃には、夕日は沈み、夜の時間になっていた。


曜ママ「鞠莉ちゃんは、船は好き?」

鞠莉「……好きかな」

曜ママ「そっか。……じゃあ、私の家に来る?」

鞠莉「え?」

曜ママ「実はね、いっぱい船があるのよ?」

鞠莉「……模型じゃないですか?」

曜ママ「む……ばれちゃったか。旦那さんが好きでね……たくさん船の模型があるの」


──知ってる。曜が教えてくれたから。


曜ママ「そのなかにはね、木で出来た、立派なお船もあるのよ?」


──それも知ってる。曜が教えてくれた。曜の守り神……。


鞠莉「守り……神……?」


なに……? わたしの中で何かが引っかかった。


曜ママ「まあ♪ すごい、よくわかったわね……! そうなの、そのお船は守り神なんだって♪」

鞠莉「え……?」

曜ママ「実はね、大瀬崎のある大瀬明神に奉納する予定だったの。……ただ、あまりに出来がよかったのか……奉納したくないって……あれ、あの人がそう言ったんだっけ……?」

鞠莉「大瀬明神……?」

曜ママ「そうなの。あそこの神社は海上の安全祈願をする神社だから……。旦那さんの船の旅が安全でありますようにって……」

鞠莉「……神……様……。……曜の……神様……」


──『何のきっかけも、理由もなく、こんなことが発生するとは思えません』

──『神頼みとか?』


神に頼んだ。曜が。


──『……今ではパパが乗ってるフェリーも代替わりしちゃったから、晴れてこの木造フェリーは私を守るためだけに、渡辺家にあるって感じかな』

──『ふふ、曜の守り神様なのね?』


一番近くに居る神様に……心から願ったんだ……じゃあ、一体……何を……?

いや……わたしは、曜の、願いを……聞いたはずだ。

あの日、この場所で、初めて曜が、泣きながら話してくれた、あのときに──


──『千歌ちゃんが……っ……幸せなら……っ……私も、祝福してあげないとって……想うのに……っ……全然、そう想ってあげられてなくて……っ……』

──『……千歌ちゃんが、ダイヤさんと一緒に、居るところ、見てると……っ……胸が苦しくて……っ……ダイヤさんが、千歌ちゃんに話しかけてるの見ると……すごく、嫌な気持ちに……な、って……っ……!』

──『早く居なくなって欲しい……って……っ……どっか行ってって……想っちゃって……っ……! そんな自分も……嫌で……っ……』


鞠莉「……あれが……曜の、願い、だったんだ……」


────『──消えて、なくなりたい……って……っ……』────


呪いなんかじゃない──神様が……曜の願いを、叶えただけだったんだ……。





    ✨    ✨    ✨





──深夜。


千歌「うわ……真っ暗」

ダイヤ「千歌さんはここで運転手さんと待っていてください」

千歌「うん……二人とも、気をつけてね」

鞠莉「ありがと。それじゃ、千歌のことお願いね」

運転手「はい、お嬢様もお気をつけて」

鞠莉「Thanks. ダイヤ、行きましょう」

ダイヤ「はい」


わたしたちは駐車場から、海岸沿いを歩き出す。

真っ直ぐ目的地に向かって歩く中、右手側には海が広がっていて、寄せては返す波の音が、静かな夜の大瀬崎に響いていた。

──そう、ここは大瀬崎。

わたしたちは、大瀬明神を目指していた。


鞠莉「ここに……曜がいるのね」

ダイヤ「ええ。恐らくは……」

鞠莉「曜……待っててね」


わたしたちは神社に向けて、歩を進める。





    ✨    ✨    ✨




ダイヤ「天狗隠し──天狗浚いとも言います。神隠しの中でも天狗が原因とされるものを、こう呼称するそうですわ。天狗が子供を浚い、数ヶ月から数年ほど経ったある日、突然消えたはずの子供が戻ってきて、天狗から教わった知識や術、経験の話をすることから、天狗が原因だと判明するそうです」

鞠莉「じゃあ、曜もそのうち帰されるのかしら……」

ダイヤ「どうでしょうか……。天狗そのものというより、今回の場合は天狗隠しの性質を持った神隠しというだけなので、本当に怪異であるところの天狗とお目にかかれるのかは微妙なところですわね。……それよりも、もう一つ、天狗には神隠しに関係のある逸話があって、こちらの方が今回のケースに近いかもしれません」

鞠莉「逸話……?」

ダイヤ「隠れ蓑笠というものをご存知ですか?」

鞠莉「うぅん、知らないわ」

ダイヤ「隠れ蓑笠は天狗が身に纏っている蓑笠で、これを纏うと姿が見えなくなるそうです。そして、この蓑笠は燃やして灰にしても、効果があるそうで、灰を身体に掛けるだけで姿が見えなくなるそうですわ」

鞠莉「姿が見えなくなる……」

ダイヤ「今の曜さんはこの灰を全身に被っているような状態なのかもしれませんわね」

鞠莉「……蓑笠相手でも、用意してきた対策は効くの……?」

ダイヤ「恐らくは大丈夫だと思います。あくまで性質は天狗に付随しているものだと思うので。というか、今回重要なのは天狗隠しの方ですし、持ってきた対策はあくまで天狗隠しへの対策ですから」


──二人で話しながら歩くこと数分。程なくして、鳥居が見えてくる。

ダイヤと一緒に鳥居、そして道の両脇に立っている灯篭の間を抜けると、


鞠莉「ん……」


暗がりで見え辛いが、横に扇のような形をした、石造らしきものがあった。


鞠莉「うちわ……?」

ダイヤ「これは……天狗がよく手に持っている団扇ですわね。確か強風を巻き起こすことが出来る団扇だったと思います」

鞠莉「……噂通り、ホントに天狗の神社なんだ……」

ダイヤ「そのようですわね……。ここまで来て、天狗が関係ないと言われても困るのですが……」


二人で鳥居の先に続く道を進んでいく。


ダイヤ「暗いので、気をつけてくださいませね……」

鞠莉「ダイヤもね……」


街頭なんてあるはずがないので、本当に真っ暗な林の間を抜けていく。

しばらく、歩くと──


鞠莉「……! 池……」


大きな池が見えてきた。


鞠莉「ここが……『神池』なのね」

ダイヤ「こんな岬の先の先なのに……」

鞠莉「うん……」

ダイヤ「鞠莉さん……耳を澄ませてみてください……」

鞠莉「?」


言われたとおり、耳を澄ませてみると──静かな真夜中の林の向こうから……微かに音が聴こえて来る。


鞠莉「……波の音」

ダイヤ「波の音を聴きながら、見ているのが池だなんて……不思議な光景ですわ……。……『神池』と言われて神聖視されるのも納得ですわね……」

鞠莉「そうだネ……」


二人で池の畔に立つと──


鞠莉「……?」


池の中で何かが動いていた。

そして、それらが顔を出す。


鞠莉「……鯉?」


それも一匹ではない、二匹、三匹……いや十数匹が寄ってきて、口をパクパクとしている。


鞠莉「Oh...餌をねだってるのかしら……?」

ダイヤ「人の気配に気付いて、寄ってきたのかしら……。人が餌をくれることを知っているのかもしれませんわね……」

鞠莉「夜なのに、元気ね……。……でも、ごめんね。今日は餌はないの。また今度あげるからね」

ダイヤ「……行きましょうか」

鞠莉「ええ」


池を通り過ぎて、社殿を探す。

暗くて、道がわかり辛いけど……しばらく二人で歩いているうちに、狛犬と鳥居のある場所に出る。

そして、鳥居の根元の部分に、大きな下駄の置物がある。


ダイヤ「一枚刃の下駄……」

鞠莉「天狗の下駄……ってことかしらね」

ダイヤ「ですわね」


恐らく、この先に……この神社の神霊──天狗を祀っている、社殿がある。


ダイヤ「鞠莉さん……心の準備はよろしいですか?」

鞠莉「……大丈夫。行きましょう」


わたしはダイヤと一緒に、社殿に続く石段を登っていく──





    ✨    ✨    ✨





一番上の社殿には思いの外、すぐに辿り着いた。

社殿を見上げると──


ダイヤ「……これは……すごいですわ」


本殿の屋根のすぐ下に、豪華な木の彫刻が堂々とその存在感を放っていた。

やはり暗がりで見え辛いが、目を凝らして見てみると、それが何かわかる。


鞠莉「天狗……」


見事な天狗の彫刻だった。


鞠莉「……すぅ……──ふぅ……」


深呼吸する。


鞠莉「ダイヤ……下がって」

ダイヤ「……はい」


これから、この天狗たちのすぐ傍で──曜を返してもらう。


鞠莉「……神様……ごめんなさい。あなたに悪気がないのはわかってます……でも……とても、大切な人だから──曜を……曜を返してください……」


ゆっくりと息を吸って──唱える。


鞠莉「──鯖食った、鯖食った。……鯖食った曜──」


ダイヤに教えてもらった、文言を──



──────
────
──



ダイヤ「天狗隠しで行方不明になった人を呼び戻す文言があるそうです」

鞠莉「モンゴン?」

ダイヤ「ええ。その文言を唱えたら、山で天狗隠しに遭った人が戻ってきたという話があるそうです」

鞠莉「なんて、文言なの?」

ダイヤ「『鯖食った』と言うそうですわ。天狗が鯖を苦手としていることが起因していると考えられているそうです。その文言の後ろに、居なくなってしまった人の名前を付けて呼ぶと、行方不明になった人が戻ってくるそうですわ」

鞠莉「……そんな簡単なの?」

ダイヤ「ええ……ですが、これはあくまで戻ってくるだけですわ。鞠莉さんの言うとおり、曜さん自身が消えることを望んでしまったのだとしたら……今度は、曜さん自身が消えないことを望まないと、解決はしません」

鞠莉「……うん。わかった」


──
────
──────



鞠莉「鯖食った曜。鯖食った曜」


──曜、お願い……。戻ってきて。

祈りながら、唱え続けると──ビュゥゥと強い風が吹く。


鞠莉「……っ!」


その風に舞うように、大量の木の葉が目の前を踊る。

そして、気付けば──


曜「──…………あ……れ……?」

鞠莉「……っ……!! 曜……っ……!!」


曜が姿を現していた。





    *    *    *




──誰かに呼ばれた気がした。

そう思って、目を開けたら──


曜「……鞠莉、ちゃん……?」

鞠莉「……曜……っ!! 曜……っ……逢いたかったよ……っ……」


鞠莉ちゃんに抱きしめられていた。


曜「……あれ、私……なんで……消えたんじゃ……」

鞠莉「わたしが……呼んだの……戻ってきてって……っ」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「……もう……消えたりしたら……許さないんだから……」

曜「……あはは、また鞠莉ちゃんに見つけられちゃったんだ……私」

鞠莉「当たり前よ……わたし、曜を見つける名人なんだから……」

曜「うん……ありがとう」


鞠莉ちゃんを抱き返す。

しばらく、二人で抱き合ってから──


鞠莉「……曜、聞いて欲しいことがあるの」


鞠莉ちゃんは私の顔を真っ直ぐ見つめて、言う。


曜「何かな……?」

鞠莉「……あのね。わたし、間違ってた」

曜「間違ってた……?」

鞠莉「曜が苦しいなら、目を逸らせば良いって思ってた……だけど、そうじゃなかった……。……それじゃ、曜はいつまで経っても、悲しい現実を、乗り越えられないんだって、やっと気付いた……」

曜「……」

鞠莉「わたしは……悲しい現実と戦えるように。向き合えるように。勇気を持てるように。曜の背中を押してあげなくちゃいけなかった」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「……曜。きっと、悲しいこと、辛いこと……いっぱいあるけどさ……逃げないで、立ち向かおう……。……わたしが傍に居るから……一緒に……前に進もう……?」

曜「鞠莉ちゃん……うん」


私は鞠莉ちゃんの言葉に静かに頷いた。

そして──


曜「……ダイヤさん」


鞠莉ちゃんの後ろで待っていた──ダイヤさんに声を掛けた。


ダイヤ「……曜さん」


きっとこの場にダイヤさんが居るということは、そういうことだろう。


曜「……私、ダイヤさんに……言わなくちゃいけないことがあります」

鞠莉「…………」


鞠莉ちゃんが、私の手を静かに握るけど。

私は逆の手、その指をゆっくりとほどく。


鞠莉「曜……?」

曜「傍で……見てて。……私、ちゃんと向き合ってくるから」

鞠莉「! ……うん」


一歩前に出て、ダイヤさんと向き合う。


曜「ダイヤさんにね、謝らないといけないことがあるんだ」

ダイヤ「……呪いのこと、ですか? 安心してください、曜さんはわたくしのことは呪っては──」

曜「うぅん、違う。そうじゃなくてね……」


私は上着のポケットから、ソレを取り出した。


ダイヤ「……それは……」


──真っ白な髪飾り。


曜「ダイヤさんの……ヘアピン……。……取ったの、私だったんだ」



──────
────
──


部活終わりの着替えの最中。


曜「あれ……これ」


私はたまたま、落ちてたヘアピンを見つけて、拾ったんだ。

すぐに返そうと思ったんだけど──


ダイヤ「…………」

千歌「ダイヤさん? どうかしたの?」

ダイヤ「髪留めが……どこかに行ってしまって……」

千歌「ありゃりゃ? 着替えてる間に取れちゃったのかな……? 一緒に探そうか?」

ダイヤ「いえ……もう粗方探したので……大丈夫ですわ。そろそろ新しいものを買おうと思っていたので」


あ、ヘアピンならここに──


千歌「あ、ならさっ!」

ダイヤ「?」

千歌「私が新しいの選んであげる!」

ダイヤ「本当ですか?」

千歌「うんっ! とびっきりダイヤさんに似合うの、選んであげるからっ!」

ダイヤ「ふふっ。それでは、せっかくですから、わたくしも千歌さんの髪留めを選んで差し上げますわ。モノを失くしたはずなのに、逆に楽しみが出来てしまいましたわね」

千歌「うん! じゃあ、今度のお休み一緒に買いに行こうね!」


…………。

私は、髪留めを自分の制服のポケットに──ねじ込んだ。


──
────
──────



曜「返す機会……なくなっちゃって……」

ダイヤ「そう……だったのですか……。でも、気を遣ってくれたのでしょう? 気に病むことでは……」

曜「違うんだ」

ダイヤ「……え?」

曜「……私、ダイヤさんのヘアピンを持ち帰ったとき、思い出しちゃったんだ……。あの呪いを……」

ダイヤ「…………」

曜「船の……呪いを……」


私は、幼い頃、聞かされた、恐ろしい呪いのことを──思い出してしまった。

木で出来た船の上に、消えて欲しい人の身に付けていた小物を飲み込ませた『神池』の魚を乗せて、流す。そんな呪いのことを。


曜「嫉妬するたびに……苦しくなるたびに……私は……ダイヤさんを、呪いそうになった……」

ダイヤ「嫉妬……? ……曜さん、もしかして……貴方……」

曜「──私の大好きな、千歌ちゃんを……取っちゃった……ダイヤさんのことを……っ……」

ダイヤ「…………そういうこと……だったのですわね……」


ダイヤさんは私の言葉を聞いて、やっと理由がわかったとでも言わんばかりのいろんな感情の篭もった表情をした。


曜「何度も、何度も……嫉妬するたびに……消えて欲しいって……心のどこかで、思っちゃってた……。その度に、ああなんて私は醜いんだろうって……何度も、何度も……思って……」

ダイヤ「曜さん……」

曜「それでも、我慢してた。我慢できてるつもりだった……。でも、あの日──千歌ちゃんと、ダイヤさんが……キスしてるのを見ちゃった日。……私はしまってたはずの、ヘアピンを……気付いたら握り締めてた」


醜い嫉妬の感情で頭がいっぱいになって。


曜「呪われて、消えて、居なくなって、もうどこか行ってって……ヘアピンを握り締めて……ダイヤさんを消そうとした」

ダイヤ「…………」

曜「…………私、あのとき、本気だったと思う」

ダイヤ「……では、何故」

曜「…………」

ダイヤ「何故……呪いを実行しなかったのですか……?」

曜「──千歌ちゃんが……。ダイヤさんが居なくなったら……千歌ちゃんが……悲しむと思ったから……っ」

ダイヤ「…………」

曜「千歌ちゃんが、泣いてる姿を想像したら……出来なかった。……出来るわけ……なかった……っ」

ダイヤ「曜さん……」

曜「……ごめん、ダイヤさん……。……こんなやつ……こんなこと思うような私、消えて当然なんだ……っ……」


ぎゅっと、拳を握り締める。

私は、本当に罪深いことをしようとしたんだ。人から軽蔑されて、当然なことを。


ダイヤ「……曜さん」

曜「…………軽蔑したよね。仲間を、こんな風に思うやつのことなんか……」


当たり前だ。私はそれだけのことをしたんだ。

だけど、


ダイヤ「軽蔑なんて、していませんわ」


ダイヤさんは、そう言葉を返す。


曜「え……?」

ダイヤ「確かに……消えて欲しいなどと思われるのは、悲しいですが……仕方がないと思います。わたくしが、貴方の大切な人を……取ってしまったのですから」

曜「…………」

ダイヤ「もちろん、頼まれても、千歌さんの手は絶対に離しません。譲るつもりもありません。ですが……もし、逆の立場だったら……わたくしは、きっと貴方を恨んでいました」

曜「え……」

ダイヤ「……恨み、妬み、嫉み、もしかしたら、呪っていたかもしれません」

曜「……ダイヤさん……が……?」

ダイヤ「わたくしだって、同じ人間ですのよ? 誰かを羨んだり、許せないと思うこともありますわ。……ましてや、千歌さんを取られたら、尚更。だって、わかるでしょう……?」

曜「え……?」

ダイヤ「──千歌さんに出会ってしまったら……あの人以外、ありえないって、思ってしまいますもの」

曜「…………そうだね……。……そうなんだよね……」


ああ、よくわかってるなぁ……。そりゃそうだよ。この人は、千歌ちゃんの恋人だもん。


ダイヤ「……人は嫉妬します。自分が欲しがっても手に入らないのに、誰かがそれを持っていたり……自分の想い人が、他の誰かと恋仲になってしまったら……心のどこかで恨んでしまうこともあります。あって、当然ですわ。それでも…………曜さんは、わたくしを呪わなかったのでしょう? 心の中で思っていたことに対して、誰がそれを悪く言えますか? それは……人が持っていて、当たり前の感情ですわ」

曜「でも……っ」

ダイヤ「ですから、いいのです。わたくしが許せないなら、許さなくて。……ですが、それでもわたくしは千歌さんの隣に居続けます。居続けて──きっといつか、曜さんにも認めてもらえるくらい、千歌さんに相応しい人になって見せますから」

曜「…………そっか……っ」


最初から、ぶつかってもよかったのかもしれない。

ぶつかられても、この人は……ブレたりなんかしなかったんだ。

恨まれようが、妬まれようが、嫌われようが──呪われようが。

この人は、胸を張って、千歌ちゃんの隣に居ることを選び続けたんだ。

それがわかって、


曜「──…………もう、十分、相応しいよ……っ」


やっと、私は、そう思えた。


曜「ダイヤさん……っ」

ダイヤ「はい」

曜「千歌ちゃんのこと……泣かせたら……許さないからね……っ……?」

ダイヤ「……肝に銘じておきますわ」

曜「……っ……ぐす……っ………………はぁーぁ……」


思わず大きな溜め息が漏れた。


曜「…………ダイヤさんが、もっと嫌なやつだったら良かったのに……」

ダイヤ「……それでも、千歌さんは渡しませんけれど?」

曜「……かもね。ダイヤさん、頑固だから」


私は、やっと肩の力が抜けた気がした。


曜「……なんか……すっきりした」

鞠莉「曜……」

曜「鞠莉ちゃん……もう、私、大丈夫だよ」


そう言って、鞠莉ちゃんに笑いかけようとした、そのとき──


 「──大丈夫じゃないっ!!」


境内に大きな声が響いた。


曜「え……」


太陽のような。私が、心から好きになった、声。


千歌「はぁ……はぁ…………大丈夫じゃ……ない、もん……っ」

曜「千歌……ちゃん……?」


千歌ちゃんが、息を切らして、立っていた。


ダイヤ「千歌さん!? 車の中で待っていてと……!!」

千歌「ダイヤさんは黙ってて!! 今、曜ちゃんと話してるのっ!!」

ダイヤ「は、はいっ!!」

千歌「曜ちゃん……っ……!!」


千歌ちゃんはそのまま、私に大股で歩きながら、近付いて、


千歌「曜ちゃん……っ……」


私に抱きついてきた。余りに勢いよく、抱きつかれたせいで、思わず尻餅をつく。


曜「千歌……ちゃん……?」


でも、千歌ちゃんはそんなことお構いなしに、尻餅をついた私に抱きついたまま、喋り始めた。


千歌「なんで……忘れちゃってたんだろう……私……。……曜ちゃん……」

曜「千歌ちゃん……」

千歌「大切な……曜ちゃんのこと……」

曜「…………」


抱きついたまま、千歌ちゃんが私の顔を見上げてくる。


千歌「やっと……また話せるね……曜ちゃん。……あのね……実は私……ずっと、訊きたかったことが、あったの……」

曜「え……?」

千歌「チカのこと……嫌い……?」

曜「!? そんなわけないっ!! 嫌いになんてなるはずないじゃんっ!!」

千歌「そっか……よかった……っ」


千歌ちゃんは急に何を言いだすんだ。そんなことありえるはずないのに。


曜「なんで、そんなこと思うの!? むしろ、私は──」

千歌「曜ちゃん、ずっと、チカと話しづらそうにしてたから……」

曜「え……」

千歌「気付いてないと思ってたの……? いっつも、一緒に居たんだから……それくらい、わかるもん……っ」

曜「…………私……」

千歌「……でも、自分から訊くの……怖くて……。……もし、ホントに嫌われてたら……どうしようって……っ……」

曜「なんで……嫌いになる理由なんて……」

千歌「私……ぶっちゃったから……」

曜「え……?」

千歌「曜ちゃんのこと……ぶっちゃったから……」

曜「ぁ……」


きっと、あの日の、廊下でのことだ。

──『……!! 放してっ!!!』 パシンッ──


曜「そんなこと……ずっと、覚えてて……」

千歌「そんなことじゃないもん……っ……私、ずっと謝らなくちゃって……っ……」


千歌ちゃんだって、余裕がなかったからだと思うのに……。

ああもう……こういうところなんだ。

自分が苦しくても、他の誰かのことを大事に想える、優しい心。

千歌ちゃんのこういうところに私は──


曜「……千歌ちゃん」

千歌「ふぇ……っ?」

曜「……好きだよ」

千歌「曜……ちゃん……?」

曜「私……千歌ちゃんに恋してるんだ……千歌ちゃんのこと……好きなんだ……」

千歌「…………………………」

曜「……千歌ちゃん。好きです。私と……付き合ってください」

千歌「…………………………ごめんなさい。……大好きな人が……すごくすごく、大切な人が居るから……曜ちゃんとは、お付き合い、出来ません……」

曜「……だよね」


ああ──フラレた。私は思わず天を仰いだ。


千歌「もしかして……曜ちゃんが、『消えたい』なんて……神様にお願いした理由って……」

曜「……うん」


千歌ちゃんの言葉に頷く。


千歌「…………ぅ」

曜「……ぅ?」

千歌「ぅ曜ちゃんのっ!!!! おおばかやろうーーーーっ!!!!」

曜「!?」

千歌「なんで、それで消えたいなんてお願いするのっ!? ねぇっ!!!」

曜「え!? ちょ!? まっ!?」

千歌「消えちゃうんだよっ!? 曜ちゃん、居なくなっちゃうところだったんだよっ!!?」


千歌ちゃんが、私の肩を掴んで激しく前後に揺する。


千歌「一緒に遊んだことも!! アイス二人でわけあったことも!! 二人で一緒に学校通ったことも!! ダンスの練習したことも!! わかんないところ教えあったことも!! お泊りしたことも!! いたずらして怒られたことも!! ケンカして泣きながら仲直りしたことも!! 一緒にライブで踊ったことも!! 全部、全部、忘れちゃうところだったんだよ!? なかったことになっちゃうところだったんだよっ!!?」

曜「え、ち、千歌ちゃ……」

千歌「私、そんなの……っ……やだよぉ……っ……曜ちゃんが、居なくなっちゃったら……やだよぉ……っ……」


千歌ちゃんが目の前で、ポロポロと大粒の涙を流しながら、泣いていた。


千歌「……恋人には……なれないけど……っ……それでも、曜ちゃんは、すっごく大切な人だもん……っ……なのに、一人で勝手に……居なくならないでよぉ……っ……ばかぁ……っ……」

曜「……っ……!!」


──私は、思い違いをしていた。

好きな人だとか、恋人だとか、それ以前に──


曜「……私……私も……千歌ちゃんが、すごく大切……だよ、ぉ……っ……!!」

千歌「最初から……っ……知ってるもん……っ!! そんなことぉ……っ……!!」

曜「……わたし、ちかちゃんと……! ……ずっと、ともだちで、いだいよぉ……っ……!!」

千歌「……ぞれも、じっでるよぉ……っ!!」

曜「……やだよぉっ!! ぢがぢゃんど、はなれだぐないよぉ……っ!!」

千歌「……わだじも……ようぢゃんが、いなぐなっぢゃったら……やだよぉ……っ!!」


気付けば、お互い、涙でぐしゃぐしゃになって、抱きあったまま、わんわん泣いていた。


千歌「……ごれがらも……どもだぢがいいよぉ……っ!!」

曜「……わだじも……どもだぢがいいよぉ……っ!!」


涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったまま、二人で抱きあいながら、子供のように泣きじゃくって、叫び続けた。

最初から、これでよかったんだ。

こうやって、真正面から思ってることを言えば、よかったんだ。

ただ、それだけで、よかったんだ。



鞠莉「曜……よかったね……っ」

ダイヤ「……一件落着のようですわね」

鞠莉「うん……そうだね……っ」



すごくすごく遠回りをしてしまったけど……こうして、私の恋を巡る物語は無事──大切な幼馴染に失恋をして、終わりを迎えたのだった。




    *    *    *










    ✨    ✨    ✨




──さて、あの夜から早くも二週間近くが経過しようとしていた。

そんな本日は10月18日金曜日。


ダイヤ「──え? ……では、結局、鞠莉さんはフラレてしまったのですか……?」


隣を歩いていたダイヤが、ポカンとした表情でそんなことを言う。


鞠莉「うん、まあね」

ダイヤ「……てっきり、このまま貴方が曜さんとくっつくのだとばかり……」

鞠莉「まあ……曜なりに思うところがあるみたい。わたしの目の前で、あんな情熱的な告白を、他の子にしちゃった手前だもんね」

ダイヤ「それは確かにそうなのですが……。……そうですか」


ダイヤは難しそうな顔をする。

言いたいことはわかるけどね。


鞠莉「曜、変なところで生真面目だからね~」

ダイヤ「……それで、良いのですか?」

鞠莉「ん?」

ダイヤ「鞠莉さんは、それでも」

鞠莉「大丈夫大丈夫」

ダイヤ「?」

鞠莉「あれから毎日告白してるから。昨日で12連敗中」

ダイヤ「…………」


ダイヤ、額に手を当てて、小さく唸る。


ダイヤ「曜さんも曜さんですが……鞠莉さんも鞠莉さんですわね……」

鞠莉「でも、いいの。わたし、諦める気ゼロだから」

ダイヤ「まあ……貴方たちがそれでいいなら、わたくしはこれ以上何も言いませんけれど」


そう言って、ダイヤは肩を竦めた。

──さて、あの一件のあと、わたしは部活に顔を出し、Aqoursの全員に謝罪をした。

もちろん、怒っている人は誰一人居なかったけど。

そして、曜のことを忘れている人も一人も居なかった。

……曜が消えていた事実を覚えていた人も、曜を含めて、解決のあの場に居合わせた、わたしたち4人以外には居なかったけど。

そういえば、あの一件と言えば……。


鞠莉「そういえば、ダイヤ。あのこと、ちゃんとルビィと話し合ったの?」

ダイヤ「……ええ。千歌さんを交えて、先週末に話し合いをしましたわ」


──ルビィのこと。

呪いはそもそもなかったわけで、とばっちりを受けたわけじゃなかったルビィはどうして巻き込まれたのか?

その理由は──


ダイヤ「……自分が居なくなれば、千歌さんとわたくしはもっと二人で過ごせるのに、などと言っていたので……」

鞠莉「怒ったの?」

ダイヤ「抱きしめました」

鞠莉「だよね」


どうやら、曜と非常に近い性質の願いが、共鳴してしまったということらしかった。

曜の守り神の癖にルビィの願いまで叶えるなんて……神様的には、サービスのつもりだったのかしらね?


鞠莉「というか、神にも魔除けが効くのね……」

ダイヤ「……神も魔も解釈の違いみたいなところがありますからね。他宗派のお守りなら十分効果を発揮するということかもしれませんわ」

鞠莉「ふーん……そういうものなのね」


今度はわたしが肩を竦めた。神様って思ったよりいい加減な存在なのかも……。


鞠莉「そういえば……」

ダイヤ「なんですか?」

鞠莉「どうして、わたしは曜のこと覚えていられたのかな……」


曜がルビィを覚えていたのは、同じ神様の力を起因にしていたからだ。

だけど、わたしにはそう言ったことは何一つなかったはず。


ダイヤ「はぁ……そんなもの今更言うまでもないでしょう」

鞠莉「え?」

ダイヤ「愛の力ですわ」

鞠莉「……そっか」

ダイヤ「ええ」


全く、ダイヤはたまに、恥ずかしいことを堂々と言うんだから。

でも……きっと、ダイヤの言うとおり、わたしの曜への愛が、記憶を繋ぎ止めてくれたんだよね……。

もし、それが本当なら、恋が叶わなかったのだとしても、曜を好きになってよかったと思える気がした。


ダイヤ「そういえば、この後はどうするのですか?」

鞠莉「わたし? デート♪」

ダイヤ「曜さんと?」

鞠莉「Yes♪」

ダイヤ「……曜さんも、いつまでも変なのに付きまとわれて大変そうですわね」

鞠莉「誰が変なのよ!? 今さっき自分で言った言葉、忘れたの!?」

ダイヤ「それはそれですわ」

鞠莉「はぁ……ダイヤこそ、チカッチとデートしないの?」

ダイヤ「千歌さんは、今日はルビィと二人でショッピングですわ」

鞠莉「え……ついに寝取られたの……? しかも妹に……」

ダイヤ「そんなわけないでしょう!? というか、『ついに』とはなんですか!!」

鞠莉「It's joke.」

ダイヤ「はぁ……三人で話し合って以来、ルビィとの時間も大切にしようということになりまして……」

鞠莉「あら、そうなの?」

ダイヤ「それで、ルビィが──」


────
──

ルビィ『千歌お姉ちゃんっ』

千歌『!?』

ルビィ『あ、だ、ダメだったかな……? お姉ちゃんの恋人さんだから、千歌ちゃんもお姉ちゃんみたいな感じかなって思って……』

千歌『もっかい』

ルビィ『え?』

千歌『One more.』

ルビィ『なんで、英語……? 千歌お姉ちゃん?』

千歌『……っ!! もっかいっ!!』

ルビィ『ええ……?』

──
────


ダイヤ「すっかり、千歌さんもルビィの妹力にメロメロになってしまったようで」

鞠莉「やっぱり、寝取られてるじゃない」

ダイヤ「寝取られていませんわ!? 千歌さんはルビィの魅力にも気付きましたが、今でも一番は、わたくしに決まっていますわ!」

鞠莉「……ああ、その自身満々な態度が、日に日に曇っていく未来が見えマース……」

ダイヤ「ふん。なんとでも仰いなさい。わたくしと千歌さんの間にヒビなんて、そう簡単に入りませんから」

鞠莉「はいはい、ゴチソウサマ」


全く羨ましい、信頼関係ね。


ダイヤ「それよりも、鞠莉さんも頑張ってくださいね。曜さんとのこと」

鞠莉「Thank you. 絶対、曜のことトリコにしてみせるんだから♪」

ダイヤ「本当にお願いしますわよ? 新曲を歌うときに、ギクシャクされたら迷惑ですからね」

鞠莉「まっかせなサーイ♪」


わたしは胸を張って答えるのだった。





    *    *    *





──バシャバシャバシャ。


鞠莉「きゃっ!?」

曜「おー……君たちは相変わらず元気いいねー……。ほら、今あげるから」


私が餌を池に向かって放ると──バシャバシャバシャバシャ!!!

先ほどと比にならないレベルで鯉たちがくんずほぐれつして、餌の争奪戦を始める。


鞠莉「Oh my god...」

曜「あはは……確かにある意味ちょっとショッキングな光景だよね」


──私と鞠莉ちゃんは、学校が終わった後、大瀬崎の大瀬明神を訪れていた。


鞠莉「……あのときは深夜だったけど、日中になると、更にすごいわね……」

曜「この池だけで、一万匹以上、鯉や鮒がいるらしいよ」

鞠莉「なんか……言われても想像つかないんだけど……一万匹も池に入り切るの?」

曜「さぁ……。……この池自体、入ったり魚を捕ったりすると、神罰が下るって言われてて、一切詳しい調査はしてないんだってさ。だから、水深もわかんないんだって」

鞠莉「そうなんだ……。……ゴリヤクありそうだし、せっかくだから、もっと餌あげておこうかしら」


鞠莉ちゃんが、餌をぱらぱらと落とすと、鯉たちが、また大暴れしながら、餌を争奪し始める。


鞠莉「なんか……ちょっと楽しくなってきたかも」

曜「あはは、ほどほどにね」


なんだか、子供の頃を思い出す。

パパと、ママと、三人で、おおはしゃぎしながら、鯉に餌をあげた記憶がある。

──バシャバシャバシャ。


鞠莉「えっと……もう、餌が……」


──バシャバシャバシャバシャ!!


鞠莉「…………」

曜「あはは……たぶんここに居たらずっと餌ねだられるよ」

鞠莉「……また、今度ね」

曜「それじゃ、行こうか」

鞠莉「ええ」





    *    *    *





──本殿。


曜「…………」

鞠莉「…………」


二人でお賽銭を入れてから、二礼二拍手一拝。


曜「…………」

鞠莉「…………」

曜「…………」

鞠莉「…………」

曜「………………よし」

鞠莉「………………ん」


お参りを済ませる。


曜「何をお参りしたの?」

鞠莉「んー? この間は、騒がしくして、ごめんなさいって」

曜「それにしては長かったような……」

鞠莉「ついでに、わたしの恋も成就させてくださいって」

曜「なかなかふてぶてしいね……」

鞠莉「お願いするだけならタダかなって。それで、曜は?」

曜「ん……私はね──」


私は本殿の、天狗の彫像を見上げながら、答える。


曜「もう……私は大丈夫だから。今まで守ってくれて、ありがとう……って」

鞠莉「……そっか」

曜「うん」


もう、私は十分守ってもらったから。これからは自分の力で歩いていきます、と。

そう伝えるために、今日ここに来た。


鞠莉「それじゃ、行きましょうか」

曜「待って」

鞠莉「? What ?」


そして、もう一人。私を守るために、ずっと傍に居てくれた人に──伝えるために、ここに来た。


曜「鞠莉ちゃん、あのね……私、鞠莉ちゃんが居てくれたから、今もここに居られるんだ。……本当にありがとう」

鞠莉「もう、今更ミズクサイんだから」

曜「……千歌ちゃんのことも、ダイヤさんのことも……やっと自分の中で決着がついたと思ってる。鞠莉ちゃんが、傍に居て、背中を押してくれたから」

鞠莉「それは、曜が頑張ったからだヨ」

曜「うぅん……鞠莉ちゃんが居てくれなかったら絶対に出来なかったよ。……だから、ありがとう」

鞠莉「……もう/// ……改めて言われると照れくさいデース……/// ねぇねぇ、曜」

曜「ん?」

鞠莉「I love you.」

曜「うん、ありがとう」

鞠莉「……なんか、せっかくの不意打ちが、さらっと流された」

曜「うぅん、ホントに嬉しいよ。鞠莉ちゃんが、私のことを想ってくれて……私のこと好きになってくれて」

鞠莉「その調子で、曜もわたしのこと好きになってくれたらなー……」

曜「鞠莉ちゃん」

鞠莉「んー?」

曜「私、実はね、ずーっと自分の気持ちと向き合いながら考えてたんだ。考えて、考えて……考えて、答えを出してきたよ。だから、今日……私の想いも伝えるね」

鞠莉「え……」


──叶わない願い。

──届かない想い。

きっと、生きていたら、そういうものはたくさんあるんだと思う。


曜「私ね……鞠莉ちゃんには本当に感謝してるんだ。悲しいとき、傍に居てくれた。寂しいとき、手を握ってくれた。苦しいとき、抱きしめてくれた」


それでも、人は……そういう成就しない想いから、目を逸らさず、苦しくて、時に挫けそうになっても……最後は前を向かないといけないんだと思う。


曜「それが、すごく嬉しかった……。……もし、出来るなら、鞠莉ちゃんが私にしてくれたように、私も鞠莉ちゃんの傍で、鞠莉ちゃんの力になりたい。私の中にある気持ちも、言葉も、全部、鞠莉ちゃんに伝えたい」

鞠莉「……! …………曜……っ」


だって、そうじゃないと──本当に自分を大切にしてくれる人を、想いを、見落としてしまうかもしれないから。

変わっていく未来に希望を持ちながら、頑張って前を向いて、その度に誰かと手を取り合いながら──先に進むんだ。


曜「だから、ちゃんと伝えるね」

鞠莉「うん……っ……」


だって、それが──


曜「私、鞠莉ちゃんのことが────」


──誰かと一緒に生きていくということだと、今の私は……心の底から、そう想えるから。





<終>


終わりです。お目汚し失礼しました。


西伊豆の方、大瀬崎の大瀬明神には実際に神池と呼ばれる不思議な池が存在します。
神様の住まう池とされていて、池に入ったり、そこに住む魚と捕ったりした人間には天罰が下るとされています。
他にもビャクシンと呼ばれる珍しい木が自然群生している樹林もあり、国の天然記念物に指定されているそうです。
海も透き通るほど綺麗ですし、とても神秘的な場所なので、興味のある方は、是非一度訪れてみて欲しいです。
(営業時間は17時まで(冬季は~16時)です。作中のように深夜に入ることは出来ません)

注釈:この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


それでは、ここまで読んで頂き有難う御座いました。

また書きたくなったら来ます。

よしなに。

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