上杉風太郎「一花、お前はかわいいよ」中野一花「ッ……!」 (29)

モノローグ

幼い頃、寝る前に母が物語を読んでくれた。
あまりよく覚えていないけれど、淡々と朗読する母の声を聴きながら、私たちはすぐ眠った。

今となっては物語なんてほとんど読むことはなくなった私でも、有名なシンデレラと白雪姫くらいなら、そのあらすじ程度は記憶している。

たしか、意地悪な姉達に虐められたシンデレラが魔女に魔法をかけられかぼちゃの馬車に乗ってお城の舞踏会で王子様とダンスを踊り、油断した隙に魔女に毒リンゴを食べさせられて眠ってしまい、王子様のキスで目覚めるんだっけ?

はて、ガラスの靴はどこにいったのか。

とにかくそんな曖昧な記憶ではあるものの、一点だけ両作品に共通するテーマはとても印象に残っており、それが『嫉妬』であると知った。

嫉妬とは厄介なもので酷く忌まわしい感情だ。

特定の存在に対する所有欲、独占欲、支配欲。
そんな執着心を封じ込めようと思えば思うほどに、胸は締めつけられるように痛み、嫌な自分と向き合うこととなり、逃げられないと悟る。

私はシンデレラではなく白雪姫でもなかった。
五つ子の長女の私は、意地悪な姉で、魔女だ。
そんな自分が許せなくて、毒リンゴを食べた。

私は眠り続ける。王子様のキスを夢見ながら。

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「一花」
「んぅっ……」
「一花、起きろ」

散らかり放題の自室で私は眠っていた。
その眠りを妨げるこの人物は果たして誰か。
寝ぼけた私は夢の続きだと思い込み、願った。

「王子様……キスして」
「は?」

王子様はポカンと口を開けて、呆然自失。
おかしい。記憶の中の物語と反応が違う。
本来ならばキスをされてから目覚める筈。

ならば、これは、恐らく、夢ではない。

「あ、あれ? フータローくん?」
「ああ、そうだ」
「お、王子様じゃなくて?」
「王子様じゃなくて悪かったな」

ようやく目を覚ました私を冷たい目で見下して、上杉風太郎がすぐ傍らに佇んでいた。
飾り気のない服装と髪型の彼は、お世辞にも愛想が良いとは言えず、単刀直入に告げられる。

「一花、今から勉強するぞ」
「は、はい?」

寝起きの頭に、その言葉の意味は伝わらない。

「勉強って、こんな朝っぱらからフータローくんはお姉さんに何を教えて欲しいのかな?」
「教えるのは俺だ」
「わお! いつになく大胆ね!」
「ふざけるのはやめろ」

ひとまず先程の失態を帳消しにするべくふざけてみたけど、彼はお気に召さなかったらしい。
仕方なく、真面目にその意図を尋ねてみる。

「朝から勉強なんてどういう風の吹き回し?」
「教育方針を変えた」
「生徒に無断で独断で?」
「ああ、俺は俺の好きなようにする」

なんて自分勝手なのだろう。
呆れて言葉も出ないけれど。
この家庭教師らしいと思う。

「それで、どう変えたの?」
「一花、お前はいつも眠そうだな」
「ええ、いつも眠いわ」
「だから、起きてすぐ勉強させることにした」

なるほど。それはたしかに理に適っているが。

「おやすみ」
「あ! コラッ! 二度寝をするなっ!?」

寝起きの特権である二度寝を、私は敢行した。

「起きろ、一花。起きて、勉強をしてくれ」
「条件があります」
「じょ、条件、だと……?」

目の前で二度寝されて困り果てた家庭教師に、生徒の私は図々しくも条件を突きつけた。

「フータローくんも、一緒に寝よ?」
「ふざけるな! なんだその条件は!?」

なるべく可愛く見えるように添い寝を要望したつもりだけど、朴念仁の彼には通じなかった。
仕方ない。それらしい理由をでっち上げよう。

「別にふざけてなんかないよ」
「俺にはふざけているとしか思えん」
「私は真剣よ、フータローくん」
「真剣におかしなことを言わないでくれ」
「ひとまず私の話を聞いて」
「はあ……わかった。聞くだけは聞いてやる」

生徒のわがままに辟易とするフータローくんを見て、思わず嗜虐的な笑みが溢れそうになるが、ぐっと堪え、努めて真面目に私は述べた。

「そもそも寝起きに勉強は無理があります」
「いや、ありがちな勉強のやり方だと思うが」
「少なくとも、私には無理です」

きっぱりと断言する。だって眠たいもん。
普段滅多に使わない敬語を用いると妹の五月のような口調になり、彼が狼狽えるのがわかった。
フータローくんは、五月と相性が悪いのだ。
それを逆手にとって、私は強引に話を進めた。

「まずは、ウォーミングアップをしましょう」
「ウォーミングアップ?」

この場合はウェイキングアップのほうが正しいのかも知れないけど馬鹿な私にはわからない。

「あと5分だけ、布団でゴロゴロしたら起きる」
「それになんの意味があるんだ?」
「だから、ウォーミングアップよ」

自分でも何を言ってるのかよくわからない。
なので当然、彼を困惑させることとなった。
顎に手をやり答えなど用意していない難問の解を考える彼は隙だらけであり、その腕を掴み。

「いいからほら、おいで」
「うわっ! な、なにすんだ!?」
「大丈夫大丈夫。怖くない怖くない。お姉さんに全部任せてフータローくんは天井の染みを数えていればいいからリラックスリラックス」
「リラックスなんか出来るか!?」

布団に招き入れようとしたら暴れられた。
それはそうだろう。なにせ私は今、全裸だ。
ちゃんといつもパジャマを着て眠るのだけど、寝ている間にそれを全て脱いでしまうのだ。
そんな私の悪癖を知っている彼は照れている。

「あはは。フータローくん、顔真っかだよ」
「お、お前な……物事には限度ってもんが」
「もしよかったら、ちょっと触ってみる?」

揶揄い半分で彼の手を胸元に誘おうとすると。

「やめろっ!」
「きゃっ!?」

本気で拒絶されて、思わず悲鳴をあげる私に。

「一花。お前はもっと、自分を大切にしろ」
「フータロー、くん……?」
「誰にでも触らせていいもんじゃないだろ」

そんなの、当たり前じゃん。
誰にも触らせたことなんてないよ。
誰でもいいわけじゃなくて、君だから。
なのに、どうしてわかってくれないの?

「っ……」
「い、一花……?」

堪えきれず、一雫の涙を流すと彼は狼狽して。

「わ、悪い。手、痛かったか?」

そんな見当違いな心配をする彼が、私は好き。

「ぷっ……やーい。嘘泣きに引っかかった」
「お前な……そういうの、マジでやめろ」
「女の子を泣かせたらいけないんだよ?」
「嘘泣きだろうが」
「それでもいけないの。だから、お仕置きね」
「お仕置き? なんだよ、それ」
「罰として、添い寝して」

そんな暴虐無人なわがままを言っても彼はやれやれと首を振るだけで、それ以上拒絶しない。
そんな優しい家庭教師のことが、私は大好き。

「ねえ、フータローくん」
「話しかけるな。今、素数を数えてる」
「何かお話を聞かせて」
「71、73、79……なんだよ、お話って」
「なんでもいいから、話して」

彼と横並びに寝てみたはいいものの、これが思ったよりも気恥ずかしいもので困ってしまう。
なのでそんな無茶振りを彼にしてみたところ。

「83、89、97……よし。話してやろう」
「え、ほんとに?」

まさか本当に話してくれるとは思わず、まじまじと彼の横顔に期待の眼差しを注いでいると。
不意に、彼がニヤリと、悪い笑みを浮かべて。

「名付けて、【5匹の子豚】だ」
「5匹の子豚? 3匹じゃなくて?」
「ああ、お前たちは五つ子だからな」

まあ、なんて失礼な。
よもや子豚呼ばわりをされるなんて。
でも、そんな無遠慮なところも大好きだ。

「お姉さんに聴かせてみなさい」
「ふん。せいぜい有り難く拝聴しやがれ」

彼は語る。どこかで聞いたことのある物語を。

あるところに、5匹に子豚が居ました。
5匹の子豚は一軒の家に身を寄せて、時には喧嘩をしつつも仲睦まじく暮らしていました。

そんなある日のこと。

子豚たちの暮らす町に悪い狼が現れました。
このままではいずれ皆食べられてしまいます。
なので、子豚たちは一ヶ所にまとまらずにそれぞれ別の家を建てて暮らすことにしました。
木や石の家を建て、狼の襲撃に備えています。

しかし、一番上の子豚は面倒臭がりな性格で、これまで皆と一緒に暮らしていた吹けば飛ぶような藁の家の中で眠りこけておりました。

当然、そんなずぼらな子豚は悪い狼の餌食になってしまいましたとさ。めでたし、めでたし。

「ちょっと」
「ん? どうかしたか?」
「全然めでたくないんだけど?」
「そうか? それはなによりだ」

あんまりなエンディングに文句を言うと、彼は悪戯が成功した少年のようにほくそ笑んだ。
思わず見惚れてから、そんな場合ではないと思い直した私は添い寝する彼の頬を突っついて。

「フータローくんは私を食べるつもりなの?」
「まさか。もう腹は壊したくない」

これは流石に失礼がすぎる。もう怒ったぞぉ。

「だったら私が君を食べちゃうから!」
「あ! おい! なにすんだ!? やめろって! わかった! 続きを話してやるから!」

彼のシャツボタンを外すと、すぐに降参した。

「続きって、さっきのお話しの?」
「ああ、そうだ。実は続きがある」
「ふん。聞くだけ、聞いてあげる」

言外に次はないと告げると彼は生唾を飲んで。

「どうして一番上の子豚は残ったと思う?」
「えっ? なにそれ、どういう意味?」
「もしも自分がその状況になったことを想定して、考えてみろ。たぶん、すぐにわかる筈だ」

促されて、考えてみる。想像してみる。
もしも私たち姉妹の敵が現れたのなら。
きっと私は、妹たちを守ろうとするだろう。
たとえ、狼にその身を捧げてでも、必ず。

「あっ……なるほど、囮になったのか」
「囮の他にも丈夫な家を建てる為の建築資材を妹たちから奪わないように配慮したとも言える。怠け者の姉豚はそうして皆を守ったんだ」

考えてみれば実にシンプルな話だった。
それでもこうもすんなり正解を導き出せると嬉しいもので、笑みを浮かべると頭を叩かれた。

「痛ったい! なにするのよ!」
「痛いのが嫌なら身を守れ」
「フータロー、くん……?」
「何度でも言うぞ、一花。自分を大切にしろ」

自己犠牲をすんなり導き出した私を家庭教師である彼は叱る。叩かれた頭が痛くて涙が出た。

「な、なにも泣くことはないだろう!」
「だ、だって、だって……ふぇええん」

堰を切ったように泣きじゃくる私をみて、またもや狼狽した彼は、ややあって、おずおずと。

「泣くな……一花」

ぽんぽんと、ぶっきら棒に頭を撫でてくれた。

「妹のらいはの為なら、俺も同じことをする」
「そんな……駄目だよ。自分を大切にしないと」
「ああ……そうだな。でも、仕方ないよな」
「うん……仕方ないね。それが役割だから」

それはあまりにも不器用な慰め方で、余計に泣けてきてしまう。自分の愚かさが身に染みた。

「少しは落ち着いたか?」
「うん……こんなに泣いたの、久しぶり」

私は普段、あまり泣かない。
私が泣けば、妹たちが不安がるから。
だから怖くても悲しくても我慢してきた。
なのに、どうも彼の前だと調子が狂う。

「駄目だね、私……お姉ちゃん失格だよね」

そう自嘲して涙を拭うと、彼は鼻を掻きつつ。

「……いいんじゃないか、たまには」
「えっ?」
「たまにはこうして……誰かに甘えてもさ」

言われて気づく。私は誰かに甘えたいのだと。

「ねえ……フータローくん」
「なんだ?」
「君は私に甘えられたら、迷惑、かな……?」

尋ねながら、自分の正気を疑う。なんだそれ。
私は何を言っているのだろう。頭がおかしい。
馬鹿という自覚はあったけどいくらなんでも。
こんな質問したら彼を困らせるに決まってる。

「ご、ごめんね! 変なこと聞いちゃって」
「いいぜ」
「ありえないよね高校生にもなって……え?」
「だから、甘えてもいいと言った」

思わず耳を疑っていると、彼は照れ臭そうに。

「い、一応、俺も兄ちゃんなんだぜ……」

たしかに彼はらいはちゃんのお兄ちゃんだ。
当然、兄としての作法や心構えはある筈で。
ならば良いのだろうか。思いきり甘えても。

「フ、フータロー、お兄ちゃん……」
「すまん。それだけは勘弁してくれ」
「ふふっ。勘弁して、あげない」

青い顔をする隣の彼に私は抱きつき、甘えた。

「い、一花、流石にくっつきすぎだろ」
「兄妹なんだから平気よ」
「そんなわけあるか!」
「私をらいはちゃんだと思って接して」
「んなこと言われても……」

無茶は重々承知の上。それでも後に引けない。

「それとも……フータローお兄ちゃんは」
「一花……?」
「妹に対して、変な気持ちになっちゃうの?」
「ッ……それだけは、絶対、ありえねェッ!」
「だったら、平気でしょ?」
「くっ……!」

我ながらタチが悪いとは思う。
しかし、どうしようもなかった。
もっと近くで、彼とくっついて居たい。
たまには、妹の気分を味わいたかった。

「わ、わかったよ! 勝手にしろ!」
「やった! ありがと、お兄ちゃん!」
「ただし、お前も妹らしさを心掛けろ!」
「はーい! フータローお兄ちゃん!」

なんて元気に返事をしたはいいものの、妹らしさとやらに見当がつかず、しばらく悩んで。

「フータローお兄ちゃん」
「なんだ?」
「妹らしくってどうしたらいいかな」

結局答えがわからず、家庭教師に教えを乞う。

「まあ、明確な定義なんかないだろうけどさ」
「フータローくんはどう思うの?」
「たぶんそれは、放っておけないってことだ」
「はい?」

彼にしては珍しく要領を得ない返答に首を傾げると、どうも納得のいく表現が見つからないらしく、頭を掻きながらしどろもどろな口調で。

「だから、こう、俺が居ないとダメみたいな」
「ああ~……ん? ごめん。全然わかんない」

なんとか言葉の意味を汲んで飲み込もうとしたけど、丸飲みは不可能で噛み砕く必要がある。

「つまり、何が言いたいかというと……」
「何が言いたいの?」
「妹は全裸で抱きついたりしないってことだ」

なるほど。ひとまず離れて、彼の話を聞こう。

「これでいい?」
「服を着ろ」
「めんどいからこのままがいい」

駄々を捏ねると、お兄ちゃんは折れてくれた。

「ま、お前の裸なんてもう見慣れてるしな」
「それはそれでなんだか複雑なんですけど」

まるで私の身体に飽きたかのような物言いに不貞腐れて頬を膨らませると不意に彼は笑って。

「なんか今の顔は妹っぽかった」

そう言う彼の顔はたしかにお兄ちゃんっぽい。

「さて、そろそろ兄妹ごっこ遊びは終わりだ」
「え~もうちょっと付き合ってよ」

駄々を捏ねると、彼は不敵に嗤い、指摘する。

「なあ、一花」
「な、なに、改まって」
「そろそろトイレに行きたいんじゃないか?」

図星を突かれてギクリとするも演技しておく。

「別に、平気だけど?」
「寝起きなら誰だって用を足したくなる筈だ」
「よ、余計なお世話だから」

とはいえ、一度意識すると気になってしまう。

「っ……!」
「んん? どぉしたぁ? 一花ぁ?」
「な、なんでもないったら」
「急にモジモジして、顔色が悪いぞぉ??」

むかつく。もし私が二乃だったらぶっ飛ばす。

「あの、フータローくん……」
「ふぅ……ようやく観念したか」
「違うよ。そこのペットボトルを取って」
「ペ、ペットボトル、だと……?」

散らかり放題の汚部屋には当然ながら空のペットボトルが散乱している。それを利用しよう。

「こ、これでどうするつもりだ……?」
「あら、察しが悪いわね。用を足すのよ」
「このペットボトルに?」
「そう。ふっ……我ながら天才的な閃きだわ」
「いいやお前は馬鹿だ! 頭が悪すぎる!!」

やはり才能とは窮地に陥って初めて目覚めるらしく、覚醒した私は彼からペットボトルを受け取り、布団の中で飲み口をそこに当てがった。

「これで準備よし」
「さ、さあて、俺は少し席を外そうかな!」

準備完了を告げると、怖気付いた彼はそそくさと布団から出ようとしたので引き留める。

「ダメ。ここに居て」
「い、一花……?」
「私は君に嫌われたくないの……わかってよ」
「いや、だったら普通にトイレでしてこいよ」
「もう間に合わないってわかってよ……ばか」
「馬鹿はお前だろうがって、震えてんのか?」

涙目で彼の腕を掴む私の手は震えていて、彼に嫌われることに対する恐怖心が表れており。
それを察したのか、彼はやれやれと首を振り。

「わかったよ。傍に居てやる」

ああ、やっぱり私はこの人のことが大好きだ。

「ごめんね、フータローくん」
「なんだよ、急に潮らしくなって」
「こんな馬鹿で情けない生徒でごめんなさい」

留まってくれた家庭教師に自らの醜態を謝罪すると、彼はくしゃくしゃと私の短い髪を撫で。

「そんなところが、最近可愛く思えてきた」
「か、かわっ……!?」

フータローくんが、私を可愛いって。
彼の目には私は可愛く映っているらしい。
それは役者を目指す私にとってどんな映画評論家の賞賛よりめ喜ばしく、とても嬉しかった。

「そうでも思わないとやってられないからな」
「へっ?」
「無理にでも可愛いと思わないと、お前たち姉妹の家庭教師なんて務まらないという意味だ」

あっそ。なーんだ。はいはい、わかってるよ。

「髪、伸ばそっかな……」
「は? なんで?」
「その方が君の好みかと思って」
「いや、見分けつかなくなるからマジやめて」

ふんだ。髪の長さで見分けられなくなるような家庭教師なんて皆から嫌われればいいじゃん。

「それに、その……」
「まだ何かあるの?」
「短いほうが、お前には似合ってると、思う」
「っ……!」

はい決めました。もう一生髪は伸ばしません。

>>16の「潮らしく」は「しおらしく」の誤りです
確認不足で申し訳ありませんでした
それでは以下、続きです

「ね、可愛いって、もっかい言って?」
「嫌だね。あれは言葉の綾だ」
「可愛いって言って、頭を撫でて」
「なんで俺がそんなことを……」
「お兄ちゃんだから」

すっかり形骸化した設定を蒸し返して詰め寄ると、彼は心底嫌そうな顔をしておざなりに私の頭をペシペシ叩いて、すごくむかつく口調で。

「はいはい、かわいいかわいい」
「もっと真面目にやってよ」
「んなこと言われても……」
「らいはちゃんと同じように、やって」

彼の妹を引き合いに出すと、ようやく観念したらしく、咳払いをしてから真剣な声音で。

「一花、お前はかわいいよ」
「ッ……!」

思わず息が詰まって、顔があっつい。恥ずい。

「これでいいか?」
「う、うん……ありがと」
「これからはちゃんと言うことを聞けよ?」
「ぜ、善処しましゅ」

こんなご褒美にがあるなら、いくらでもお願いを聞いてあげたいというか、もうお姉さんは君の奴隷になってもいいかなって本気で思うよ。

「ふうん? 珍しく素直じゃねーか」
「お、おかしい?」
「別に。ただ少し意外だと思っただけだ」
「誰だって……きっと嬉しいよ」

自分で要求したけど、こんなの反則だと思う。

「なるほどな。褒めて伸ばすのもありか」
「フ、フータローくん……?」
「お前がここまで従順になるなら、他の奴らもベタ褒めして飼い慣らすべきかも知れんな」
「そ、そんなのダメだよっ!?」

思わず叫んでしまった。
そのくらい、嫌だった。
それは紛れもなく嫉妬。

やっぱり、私は最低だ。
長女の癖に、心が狭い。
そんな自分が、嫌いだ。

「どうした、一花……?」
「フータロー、くん……」
「なんだよ」
「私は……私はね、君に嫌われたくないよ」
「いや、まったく話が見えないんだが」

察しが悪くて助かる。醜い自分が見えてない。

「よくわかんないけどよ」

それでも彼なりに想いを汲んでくれたらしく。

「誰にだって、嫌なところはあって、そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて、だから嫌われるのが怖いってのは、まあ、なんとなくわかる」
「うん……」
「だけど、嫌なところも含めてお前はお前なんだからさ……その、あんまり気にすんなよ」

時折、彼は鈍感でなくなるから困ってしまう。

「フータローくん」
「なんだよ」
「君は私の何を知ってるの?」

彼が私についてどこまで知っているのか気になり、尋ねると、彼は再び鈍感な男の子となり。

「いや、正直全然わからん」
「はあ……お姉さん、君にはガッカリだよ」
「でもまあ、妹が居る立場としてだったらなんとなく、大変さとか、辛さはわかるつもりだ」

鈍感な男の子は、今度は兄の表情を浮かべて。

「だから、お前はよくやってると思うよ」

嬉しさが胸を満たしてじんわり広がっていく。

「フータローくんは上から目線だね」
「ああ、俺は家庭教師だからな」
「今は私のお兄ちゃんでしょ?」
「兄だろうが姉だろうが関係ない」

いろんな一面がある家庭教師はきっぱり諭す。

「俺は俺の好きなようにする。だから、一花。お前も、お前の好きなようにすればいい」
「……はい」

その教えを生徒として姉として、受け入れた。

「というわけで……」
「どういうわけだ?」
「そろそろお姉さん限界なんだけど?」
「限界というと?」
「おしっこ」

すごく良い雰囲気だけど仕方ない。
なにせ、もう随分と我慢に我慢を重ねた。
先程の教えの通りに、私は私の好きにする。

「やっぱり俺は席を外す……」
「はい、フータローくん。これ持ってて」
「お、俺に持たせるつもりか!?」

この期に及んでまたしても生徒を置き去りにして逃げ出そうとした悪い家庭教師には、罰としてペットボトルを持たせて強制的に拘束した。

「動かさないでね。狙いが外れるから」
「む、無茶を言うなよ!?」
「私は私の好きなようにするの!」
「わ、わかったよ! ちゃんと持っててやるから、するならさっさと済ませてくれ!!」

彼が好きなようにしろと言った。ついさっき。
故に、拒否権はなく、私はわがままを通せる。
彼が持ったペットボトルに、今から放尿する。
想像しただけでゾクゾクする。背徳感が募る。

「フータローくん、出すよ」
「い、いちいち言わなくていいから」
「こっち見て。私の目、見てよ」
「っ……お前、熱でもあんのかよ」

彼と目が合うと途端に顔が火照るのがわかる。
熱なんてあるに決まってる。燃え盛っている。
そんな熱情が熱いおしっことなりて、迸った。

「んっ……ふぁっ」

ちょろろろろろろろろろろろろろろろろんっ!

「フハッ!」

あらあら。興味ない振りしてしょうがないな。

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

ああ、これやばい。
おしっこしてるところ見られた。
耳障りな筈の哄笑がすごく心地いい。
気持ち良すぎて、癖になりそうだ。

「はあ……はあ……全部、出たよ?」
「……そのようだな」

いっぱい出た。
きっとペットボトルはたぷたぷだろう。
私のおしっこの重みが彼に伝わっている。

「すげー重い」
「い、言わないで」
「すげー熱い」
「言わないでってばっ」
「すげー可愛かった」
「~~~~~~~~~っ!?」

死んじゃうかと思った。
羞恥心からの悦び。愉悦が溢れる。
嬉しすぎて、胸が苦しい。すごく幸せだった。

「フータローくん……ズルい」
「はあ? ズルいのはお前だろ?」
「な、なんのことよ……」
「おしっこしてる姿が可愛いとか卑怯だろ」

卑怯で結構。彼が悦ぶならなんだってしよう。

「はあ~スッキリした」
「よし。じゃあ、そろそろ勉強を……」
「スッキリしたから、おやすみ~」
「やっぱりな! だと思ったよ!」

今日、私は学んだ。
ペットボトルがあれば布団から出ずに済む。
彼のおかげでまたひとつお利口さんになれた。

「三度寝なんて許さん! 早く起きろ!」
「あと5分だけ、お願い」

可愛く見えるように首を傾げてみたが、正直期待はしておらず、鈍感な彼には通じないだろうと思っていたのだけど、存外、効いたらしく。

「はあ……あと5分だけだぞ」
「ありがと! フータローくん、大好き!」
「はっ……言ってろ、馬鹿が」

一世一代の告白を鼻で笑われてしまったけど、不思議と落ち込むことはなく、私は彼の腕を抱きしめて再び眠りについた。そして夢を見る。

シンデレラの姉は妹が憎いわけではなく、悪い王子様から可愛い妹を守ろうとしたのだと。
白雪姫の魔女は、美しいお姫様を眠らせることによって悪い王子様から守ろうとしたのだと。

甚だ都合の良い解釈だと思うけれど、それは見方を変えればとても優しい解釈とも取れる。
【5匹の子豚】も、そんな優しい物語だった。

私は彼のそんな素朴な優しさを愛おしく思う。

願わくば、悪い王子様のキスで目覚めたい。
叶わないのならば、このまま眠り続けて悪い狼に食べられてしまっても一向に構わない。
それは自己犠牲ではなく、自分の為の願いだ。

そう遠くない将来、新郎の彼の隣に新婦として立つ自分の姿を夢見て、私は眠り続ける。


【5匹の子豚と眠るシンデレラ】


FIN

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