飛鳥「ボクが私だった頃」 (5)
ボクは飛鳥。二宮飛鳥だ。十四歳なりにアイドルとして活動して、良き友を――麗しき魔王や天才のマッドサイエンティストとでも言おうか。そんな二人をはじめ、今まで――沢山の偶像たちと世界を共有してきた。
「ふぅ……」
魔法瓶にいれたコーヒーを口にしながら、事務所の屋上でため息をつく。雪がチラつく、この鉛色の空の下、今日という特別な日々を一人で迎えていた。
そう。今日は二月三日だ。この日は節分だと多くの人は語るが、僕にとっては豆まきなんかよりも大事なことが成される日だ。
誕生日。誰が呼んだか、十四歳中二病アイドルなどという異名も、名を変えるだろう。
ボクはそんな人生の節目を、プロダクションの屋上で、一人迎えていた。
「少し、胸が苦しくなってきたかな」
十五歳。人間としても、女性としても、大きく変化する時期だ。体の発育は進み、下着も買い替えなければならないだろう。
まったく、人間という生き物は、どうしてこうも変わってばかりいるのだろう。
――当然か。ボクもまた、変わったのだから。
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一年と少し前、ボクは地元の静岡県で、富士山の見える中学校への道を歩いていた……いや、少し違うな。ボクはその頃、自らを『私』と呼んでいた。
私、二宮飛鳥は、自分で言っていてなんだが、静かな女子生徒だったと思う。スカートは膝より下の校則で定められた長さで、この亜麻色の髪も腰のあたりまで伸ばしていた。
流行に疎く、友達は少なく、勉強にもスポーツにも熱を見いだせない。ただ、漠然とした日々を送っていた。
「だというのに、今やこんな恰好なのは、笑えるね」
ダメージファッションを着こなし、常日頃からスカートは短く、エクステは毎日色を変えている。
それもこれも全て、あの日が変化の始まりだった。
『私』、二宮飛鳥が、『ボク』二宮飛鳥へと変化を始めたのは、商店街の福引だった。買い物を頼まれたついでに、溜まっていた福引のチケットを貰ったので回してみたら、男性ロックグループのライブ券が当たった。
二名様と記されたそれを、ボクはどうしていいかわからずにいた。私の頃は、引っ込み思案だったから、仕方ないね。
そういう意味では、蘭子に似ているかもしれない。心にある本当の言葉を口に出せなくて、ファンの間で熊本弁だとか笑われている言葉。そんな蘭子に、本当によく似ていた。
今、ここにいる私は、何かが違う。心の奥底にいる本当の自分と、私は違う。誰に相談しても、思春期だからの一言で済ませられてしまった感情。
それが解き放たれたのが、引っ込み思案だった私が、勇気を出してアイドルのライブに一人で向かったときだった。
静岡、所謂田舎で行われるライブだ。やってきたロッカーたちも無名のようで、観客も少ない。空は今日の様に鈍色で、帰り始める観客もいた。
そういうセカイなのだ。人気にならなければ淘汰されるだけの偶像。でもボクは、そんなロッカーのライブに夢中になっていた。掻き鳴らされるギターやベース、とてもではないが真似できないようなドラム。そして、センターを務める、色鮮やかなエクステを汗と共に振り回す男性ボーカル。どんなに観客がいなくなっても全力だった彼らに、私は感動した。
男とは、こんなにもカッコいいのか。偶像とは、こんなにも美しいのか。初めてのライブは、私の心にヒビを入れた。その時だったかな、彼に……プロデューサーに出会ったのは。
あのロッカーたちを束ねる、346プロダクションのプロデューサー。ライブが終わった後も会場に残っていたボクを、彼は見つけた。
やっと、見つけてくれたね。カエルラの咲いてJewelでボクが歌う歌詞、そのまんまの意味で、ボクは有象無象の女性の中から見つけてもらい、選ばれたのだ。
ステージを降りて、彼は名刺を差し出した。東京にある、アイドルの事務所。彼は、私だった頃のボクにも、新たな世界を見せてくれたのだ。
だけど、まだ、ボクは私だった。名詞だけ受け取ると、逃げるようにステージを去ったのは、なぜだったかな。
きっと、怖かったのだと、今なら思える。非日常への扉を開けてくれるプロデューサーに、引っ込み思案の私は、別のセカイへ行くことを怖がった。でも、名詞だけは、なぜか大切にしていた。
次第に、私はヒビが割れて崩れていった。あのロッカーたちの曲を聞くたびに、どんどん崩れていく私は、スカートを短くして、髪もバッサリ切って、あのボーカルの様にエクステを付けるようなになった。
けれど、セカイとは子供に厳しいものだった。スカートの丈も、エクステも、まるで犯罪の様に扱われ、正された。
だったら、そんな大人たちでも、正せないことをしてやろう。そう思ったのが、十四歳の誕生日だ。私、二宮飛鳥は、一人称を変えた。ボク、二宮飛鳥へと。
言動も、考えも、このセカイを見る場所も変えた。ボクはそうして、『痛いヤツ』になったのだ。
そして、窮屈な田舎から出ていった。溜めていたお年玉を使って、東京の――346プロダクションへ向かった。
しかし、
「あの時は困ったね」
誰に言うでもなく呟くと、白い吐息は純白な雪の中に消えていく。あの時のボクも、部外者で子供だからと、追い出されて、雑踏に消えた。
やれやれと、見慣れない東京の街並みを歩きながら、ボクはダメージファッションに身を包んで、都会を歩いた。沢山の人がいて、様々な出会いがある。だからきっと、あの出会いも必然だったのかもしれない。
夜へと暗くなる街並みの中、口笛を吹いていた。どこかへ泊まるお金はあっても、ボクは、口笛を吹きながら、ただ歩いた。
そして夜の公園で、たった一人の口笛ライブをしていたら、来てくれた。あの時の、プロデューサーが。
「やれやれ、口笛の一つも吹けやしないか……。それとも……ここへ、惹かれてきたのかい?」
再開したプロデューサーは、おそらく、ボクをあの時の二宮飛鳥だと気付いていないだろう。とことんまで変わってやったのだ。理解るわけない。しかし、
「探したよ」
その一言に、胸の鼓動が早くなる。難しい言葉を口にして誤魔化してけれども、覚えていてくれたのだろうかと、期待を寄せていた。
「アイドルにならないか」
直球なプロデューサーの言葉に、「君はボクのことを何も知らない」などと、つい癖で口にしていた。
それでも、プロデューサーはキミも同じだと言ってくれた。
「キミってやつは……もしかして……」
痛いヤツ。そう喉まで出かかった言葉を飲み込んで、本気でアイドルにしてくれるのかと聞いた。
その答えは、私ではなく、ボクが待ち望む言葉だった。
「非日常への扉を開けよう」
その時は誤魔化したけれども、確信していた。扉の先に、ボクが欲しいモノがあると。
ボクは難しい言葉をひたすらに並べると、プロデューサーの手を取った。アイドルになるために。
「ここにいたのか」
過去を懐かしんでいたら、君は屋上の扉を開けて来てくれた。その手に、梱包された何かを持って。
それはなんだい? と聞けば、忘れたのかと肩をすかしていた。
「誕生日おめでとう、飛鳥」
まったく、君というやつは……いつの間にか、ボクの人生の節目に立ち会うほどに、近くにいてくれる存在となっていた。
渡された物は、誕生日プレゼントだろうか。開けていいのかと聞けば、きっと喜ぶと自信たっぷりに胸を張っている。
「これは……」
コーヒーの豆が、小瓶に入れられていた。どうやらブルーマウンテンのようで、高かっただろうと、今度はこっちが呆れた。
「飛鳥が、初めて辞めないでいてくれたアイドルだからな。安いもんだよ」
あのロッカーたちは、ボクが来る前に解散していた。ボク自身も、ずいぶんと燻っていたけれど、目の前のキミが導いてくれた。人気アイドル二宮飛鳥へと。
「早速頂こうか。もう、魔法瓶も空だからね」
そうして、ボクとキミは屋上を後にする。階下には、これでもかと346プロダクションのアイドルがそろっていた。みんなが、誕生日おめでとうと言いながら。
柄ではないが、少しばかり嬉しくて涙が出そうだった。だけど、ボクはひねくれものなんでね。すました顔で、礼を告げる。
もちろん、キミにも。
「さぁ、十五歳のアイドル生活をはじめよう」
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