【ミリマス】育「ドラマ こんじき雛」 (65)

※劇中劇的なお話になります。男役の子もいます。ご注意ください



タタタタ…

エミリー「はぁ……はぁ……」


隣藩の武士A「おい、いたか?」

隣藩の武士B「いや、こっちにもいねぇ。くそっ、どこへ消えやがった?」

隣藩の武士A「まあいい。なにせ相手は異人の娘だ。あの金色の髪は相当目立つ。どこに隠れようと無駄だ」

隣藩の武士B「そうだな。向こうから尻尾を出すのも時間の問題だ。無論、関所も固めてあるしな」

隣藩の武士A「よし。一旦引き上げるぞ」

タタタ…

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エミリー「……ホッ」

エミリー(退いてくださいましたか……けれど、私はいつまで逃げ続けなければならないのでしょう……)


山賊A「ほぉ、こりゃたまげた」

山賊B「ああ。まさか俺が生きてるうちに異人の娘に会えるとは思わなかったからな」

エミリー「!?」

山賊C「どうしやすかい? まさかこのまま捕まえて大人しくお役人に引き渡すなんて手はねぇですよね」

山賊A「もちろんだ。お役人からの謝礼なんかより、もっとお高い値がつく手段なんていくらでも探せるからなぁ」

山賊D「グヘヘ……」

エミリー「N…No……Help me……」

育「待て。お前たち、山賊か。そこで何をしている」

山賊C「なんだこの小僧?」

育「隣の茉莉藩の者だ。私用の帰りに、たまたま妙な男たちを見かけたものでね」

山賊A「フンッ。侍の子か知らんが、小便臭いガキが一丁前な口をほざきやがって」

山賊B「見てわからねぇか? 大の大人が4人いるんだ。このとおり得物もある。お前に何ができるってんだ?」

育「その大の大人が寄ってたかって女の子をいじめているだなんて。あきれてものも言えないね」

山賊D「ハァ? お前、まさかこいつを助けようってか? 笑わせるな。仮にも侍だろ。お役人のご意向に逆らうつもりか」

育「お役人って……そうか。どうせこの子が異人ってだけで捕らえようとしてるんだろうけど、我が藩ではそういうことはしない方針なんだ」

山賊A「ええ御託はいい! 邪魔をするならここでくたばってもらうぞ!」ジャキン

育「ねぇ君、拙者の言葉がわかるかい?」

エミリー「えっ――は、はい!」

育「良かった。それじゃあ、頭を伏せてこっちに」

エミリー「はい!」

山賊D「あっ、こいつ!」

育「はぁぁっ!」ジャキン

ザシュッ

山賊D「ぐああっ!」

山賊C「テメェただじゃおかねぇぞ!」

キィン キィン ザシュッ

山賊C「ギャアア」

山賊A「くそっ、こうなったら」

山賊B「力ずくでも異人の娘を」

エミリー「きゃああ!」

育「させない!」キィン!

ギュッ

エミリー「えっ――」

育「君、名前は?」

エミリー「はい、エミリーと申します」

育「拙者は中谷育吾郎。よろしくね、エミリー殿」

山賊B「ごちゃごちゃくっちゃべってんじゃねえ!」

キィン キィン

育「だいじょうぶ。すぐ終わらせる。拙者からはなれないで」

エミリー「は、はい……」ドキドキ

山賊A「調子に乗るな! 挟み撃ちにしてやる!」

山賊B「刀一本で止められると思うなよ!」

育「悪いね」スッ

キィン キィン

山賊A「何!? 左手に小太刀……!?」

山賊B「二刀流……だと……」

育「安心して。みんな峰打ちだから」ザシュッッ

山賊A・B「ぐああ……」ドサッ

育「まったく。悪いことなんてするもんじゃないよ。――君、ケガはない?」

エミリー「はい! 助けていただきありがとうございます! 育吾郎さま、お強いんですね。あら?」


ひなた「育吾郎さんやー、急にいなくなるからびっくりしたべさ――って、はや~!?」

ひなた「なまらべっぴんな娘さんだねぇ。あたし異人さんなんて生まれて初めて見たよぉ。……あと、この寝転がってる人らは?」

育「ひなた殿、今はゆっくり説明してる場合じゃなさそうだ。すぐに関所まで戻って、我が藩の顔見知りを一人連れてきてくれないかな」

育「この子の身の安全を守りたい。とりあえず我が藩に連れてくるのが一番だと思う。そこで拙者に考えがあるんだ」

ひなた「何やらのっぴきならない事情みたいだねぇ。わかったよぉ。あたしに任せるべさ」

――関所


隣藩役人「なるほど。道中に出くわした山賊を成敗したか。見事じゃぞ若者。きっと茉莉守様もお喜びだろう」

育「いえ。もったいなきお言葉」ドヤ

ひなた「さすが育吾郎さんだべさ」

茉莉藩役人「それでどうやらこの者らは主に我が藩で悪さを働いていたようで、深く問い質す必要があると考えました」

育「しかし峰打ちとはいえ傷を負わせてしまったので、こうして包帯を……」

隣藩役人「確かに、それなら茉莉藩の医者に診てもらうのが早そうですな……山賊は計5人。子どもも1人いるのか」

ひなた「この娘さん、身寄りがなくてこの人らに拾われたんですって。育吾郎さんから逃げようとしたときに斜面を転げ落ちてしまったみたいで」

隣藩役人「ああ、それで顔や頭にも包帯を……承知致しました。茉莉藩のみなさんには日頃から世話になっていますからね。このままお通りください」

育「ありがとうございます!」

茉莉藩役人「ふう……人助けとはいえ、知り合いを欺くのは少々気が引けるな」

育「ごめんなさい……それと、ご協力感謝します」

茉莉藩役人「構わんよ。それに、我らの殿だって同じ状況ならそなたと同じことをしただろうからな」

茉莉藩役人「山賊たちのことは拙者に任せておくといい。育吾郎殿は彼女を城下までお連れするんだ。何、殿なら理解してくださるはずだ」

ひなた「育吾郎さんのご家族にはあたしから事情を伝えておくべさ」

育「ありがとう、ひなた殿」

茉莉藩役人「殿との謁見に必要な文書は拙者がしたためておいた。これを育吾郎殿に」

育「ありがとうございます。武士の誇りに懸けて、必ずエミリー殿を安全に殿の元へお連れしてみせます」

茉莉藩役人「うむ。良い返事だ。それでは二人とも、気をつけて」

育・エミリー「ありがとうございました!」

育「ごめんね。君を助けるためとはいえ、縄で両手をしばったりなんかして」

エミリー「いえ。お気遣いありがとうございます。足の疲れも、関所で少し休んだのでもう平気です」

育「城下までは一本道だけどまだかなり距離があるから、疲れたらすぐに言ってね。それに人通りも少ないし何が起きるかわからない。拙者から離れないでね」

エミリー「うぅ、そうですね。もしやこの辺りにも山賊がいるのですか?」

育「ううん。山賊はいないけど、野生のイノシシとか、あとは妖怪が出ることもあるそうだから」

エミリー「よ、妖怪ですか!? はぅぅ、さすが八百万の神々が住まう神秘の国……」

育「そうだ。エミリー殿、これを持っていて」

エミリー「これは、育吾郎さまの小太刀……」

育「万が一のことがあったらそれを使うんだ。もちろんそんな事態が起きないよう、拙者が全力で守ってみせるよ。だからあくまでお守り代わりだね」

エミリー「育吾郎さま…///」

育「ところで、エミリー殿はどうして日本に? 隣藩の役人に追われていたようだし、何か事情があるみたいだけど……」

エミリー「はい。長い話になりますが……私の両親は、故郷英吉利で町医者をしておりました。それが二年ほど前から、自分たちの培った医学を諸外国に広めるべく世界を旅して回っていたのです」

育「そうだったんだね。なんて立派な……」

エミリー「そうして少し前にこの日本にやってきたのですが、異国からの来訪に厳しい制限があると聞き及び、私たちはその制限のない和蘭陀人を称して入国することにしました」

エミリー「それからしばらく各地を回り、隣の藩で町医者一家として過ごしておりましたが……あるとき医院を訪れた和蘭陀に詳しい方と父が親しくなって――」

育「まさか、それがきっかけで――」

エミリー「はい。私たちが和蘭陀人ではなく英吉利人であることがお役人様方にばれてしまったんです」

エミリー「私は両親に促され、先に逃げ出すことができたのですが……両親が今どこでどうしているかはわかりません。もしかしたら、お役人様のところに連れて行かれてしまったのかも……」

育「それは心配だね……。大丈夫。殿なら必ず力になってくれるよ」

――茉莉城


育「――ということで、身の危険にあると思われるエミリー殿のご両親を見つけ出していただきたいのです」

まつり「ふむ。事情は理解したのじゃ。近頃は各地で疫病も流行りつつあると聞く。異国の医学を学ぶことは我が国にとっても価値のあることのはずじゃ。無論、悪意なき人を妄りに捕らえる必要もない」

まつり「エミリーよ。余が力になるのじゃ。この茉莉藩主徳川松利が人脈を駆使し、必ずご両親の居所を突き止め身の安全を確保してみせるのじゃ」

エミリー「ありがとうございますお殿様!」

まつり「さて、そういうわけでそなたにはしばらくこの藩で過ごしてもらうことになるのじゃが……エミリーよ、いかがなのじゃ?」

エミリー「?」

まつり「余の城なら安全であるし、異国からの客人と考えればもてなすのも礼儀。じゃが一方で知り合いのいない城下で一人過ごすというのも心細かろうと思うのじゃ」

エミリー「というと――身を寄せていただく場所を、私が決めて良いのですか?」

まつり「もちろんなのじゃ。さあ、希望を申してみるのじゃ」

エミリー「えっと、私は――育吾郎さまの暮らす、美里恩村に行ってみたいです! よろしいでしょうか」

育「もちろんだよ! 殿のお墨付きがあるのなら、長老や村のみんなも歓迎してくれるはずだよ」

まつり「何かわかれば余の方から連絡しよう。では育吾郎よ、エミリーを任せたのじゃぞ」

育「はい!」

――城下町


エミリー「そうですか。育吾郎さまのお父さまは、城下に働きに出ておられるのですね」

育「うん。滅多に会えないのは寂しいけど、拙者は父上以上に立派な武士になりたいんだ。今の拙者にできることは日々鍛錬に励み、村の安全をしっかり守っていくことだね」

エミリー「育吾郎さま、ご立派でしゅ――おや?」

育「どうしたんだい? その家に何か気になるものでも――」

エミリー「Wow……! お人形がたくさん、こんなに綺麗に飾られて……」

育「そっか。エミリー殿は雛人形を見るのは初めてだったね」

エミリー「育吾郎さま、あの素敵なお人形さんたちは、ヒナニンギョウというのですか?」

育「そうだよ。この国では、この時期になると女の子のいる家では人形をかざってすこやかな成長をおねがいする風習があるんだ」

エミリー「Wonderful! なんて素敵なならわしでしょう――はっ! 失礼しました……私ったらはしたない……」

育「だいじょうぶだよ。自分のふるさとの言葉なんだ。はずかしがらなくったっていいんだよ」

エミリー「ですが、私の国の言葉は日本のみなさんにとっては未知の言語……わからない言葉を話すのは失礼ではありませんか?」

育「そんなことないよ。わからないから知りたいって思えるんだ。拙者はもっと知りたいよ。エミリー殿のこと、英吉利のこと、西洋の医学のこと……」

エミリー「育吾郎さま……」

育「そうだ。城下ならきっと人形職人の方も住んでいるはずだ。お店に並んでいる人形を見せてもらえるかもしれないよ」

エミリー「本当ですか? ぜひ見てみたいです!」

育「よし。それじゃあ行ってみよう!」ギュッ

エミリー「あっ――」

育「城下は人も多い。絶対はなれちゃいけないよ。さあ、行こう」

エミリー「は、はい」ドキッ

エミリー(育吾郎さま……私よりも年下だそうですが、ずっと私の身を案じてくださるとても紳士的な方です)

エミリー(それにこのきらきらとした笑顔……まさに、東の海に登る太陽のような……素敵でしゅ……)


こうしてエミリーはしばらく美里恩村にある育吾郎の家に身を寄せることになったのだった。

――それから数日後


エミリー(村に滞在させていただくわけですから、お仕事もしっかりこなさなくては)

エミリー(育吾郎さまのお母さまの家事のお手伝いはもちろん、昨日から参加させていただけるようになったひなたさんの畑仕事もしっかり覚えていかないと――)

村の子どもA・B「……」ガサゴソ

エミリー「あら? こんにちは」

村の子どもA「あれが父ちゃんたちが言ってた異人さんか。髪も肌もおらたちと全然違うぞ」

村の子どもB「なのに着物着て草履はいてるんだね。へんなのー!」

エミリー「えっ――」

育「こら! お前たち、何をしてるんだ!」

村の子どもA「わあっ、育吾郎だ!」

村の子どもB「逃げろー!」

育「まったく……。エミリー殿、大丈夫?」

エミリー「はい。大丈夫です。お心遣いありがとうございます。けれど、少しびっくりしてしまいました」

育「ごめんね。あの子たちには拙者がきっちり言い聞かせるから」

育「ふつうの村人にとっては、この村の中の世界がすべてだ。別の場所に嫁や婿に行く人以外は、みんな一生を村の中で過ごす。小さな村だけど、ずっとここにいれば争い事とも無縁でいられるからね」

エミリー「確かに今までいくつかの町や村に滞在させていただきましたが、どこの方も異国人が珍しいご様子でした」

育「どこも同じようなものなのかもしれないね。それでもこの村の人はみんな、ひなた殿のように争いを好まない穏やかな働き者ばかりだよ。だから拙者はこの村も村の人たちも大好きなんだ」

育「決して裕福でなくても、文句ばかり吐いて何もしないような怠け者は誰一人いない。拙者も立派な武士になって、優しい人々が争い事を気にせず色んな所に出かけられる世の中を作っていけたらいいな」

エミリー「育吾郎さまなら、きっと素敵なお侍さんになられるはずです」

育「そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとう」

育「けど珍しがられるのは慣れているといっても、さっきみたいなことがそう何度も起きるのは拙者が見ていられない。今日はずっといっしょにいるよ」

エミリー「えっそんな……お、お忙しいのではないですか?」

育「平気だよ。母上から頼まれていたおつかいも済ませたし、勉強なら日が沈んでからでもできるからね。エミリー殿、何かしたいことがあれば言ってみて」

エミリー「したいことですか。あの……私、竹刀を振ってみたいです。育吾郎さまがご自宅で毎朝されているようには、上手にできないでしょうけど……」

育「それくらいならお安いご用だよ。護身術にもなるし、拙者が教えてあげるね」

――翌日


村人たち「おお、あの異人の娘さん、木下さんちの畑を手伝っているのかい」ジロジロ


エミリー(どこの村でも同じでしたが、やはり視線を感じると気になってしまいます……)

ひなた「ごめんねエミリーちゃん。みんな異人さんが珍しくて、ちょっこし浮き足立ってるだけなんだわ。じきに慣れてくれるはずだから」

エミリー「はい。大丈夫です。育吾郎さまから、みなさん素敵な方だと伺っていますし」

ひなた「うん。みんなあたしと同じで気が小さいところがあるけど、優しい人ばかりだべさ」

エミリー「……あの、失礼なのですがひなたさんと育吾郎さまは、どういったご関係なのでしょう。もしや許嫁とか……」

ひなた「えぇ!? あたしと育吾郎さんがかい? そんなんじゃないよぉ」

エミリー「それでは、私を助けてくださったとき、どうしてお二人はご一緒だったのですか。失礼ですが、農家の娘さんが武家のご子息と剣の稽古とは、かなり珍しいのではないかと」

ひなた「エミリーちゃんは本当にあたしらの国の事情に詳しいんだねぇ。異国の人に自分の国をこんなに好きになってもらえてると思うと、なんだかくすぐったいべさ」

ひなた「……そのとおりだよ。農家の、それも女の子が、お侍さんを指導されている先生に剣の稽古をつけてもらえるなんて、とっても珍しいことだよぉ。あたしが頼み込んだんさ」

エミリー(ひなたさん……? なんだか寂しそうなお顔をされたような)

ひなた「エミリーちゃん、ちょっこし長い話になるけど、いいかなぁ?」

エミリー「ええ。私は構いません。ただ、ひなたさんが話しにくい内容でしたら、無理に話されなくても……」

ひなた「とんでもないよぉ。こうやって新しいお友達と思い出話ができれば、兄ちゃんもきっと喜んでくれるはずだわ」

エミリー「お兄さん……ですか?」

ひなた「あたしにはね、6つ年上の兄ちゃんがいたんだ。10年前に亡くなってしまったけどね」

エミリー「えっと、ひなたさんは数え年で15歳と伺いましたから……お兄さまが亡くなられたのは数え年で11歳の頃……」

ひなた「うん。今の育吾郎さんと同じ歳のときだべさ。最近の育吾郎さんを見てると、なんだか兄ちゃんに似てきた気がして懐かしい気持ちになるんだわ」

ひなた「といっても、あたしも小さかったからあんまり兄ちゃんのこと覚えてないんだけどね」

ひなた「村の裏手にあるあの山――芙美台山っていうんだけど、そこには昔から、蘇芳童子っていう女の子の姿をした鬼が棲んでるんだ」

エミリー「鬼……ですか? それは言い伝えなどではなく?」

ひなた「その鬼はね、10年に一度腹を空かせて山を下りてきて、美里恩村に住む男の子を一人さらって食べてしまうんだわ」

エミリー「なんて恐ろしい……まさか、ひなたさんのお兄さんはその鬼に――」

ひなた「うん。鬼に喰われちまったんだわ」

ひなた「……エミリーちゃんは、武家屋敷の近くにある蔵のことを知っているかい?」

エミリー「ええ。とても立派な建物でしたが、育吾郎さまのお父さまはもちろん、他の武家の方のお屋敷のものではないようですね?」

ひなた「そう。あの蔵はねぇ、村人みんなのもの。この村を支えるたった一つの名産品、染め物を貯蔵するための蔵なんだ」

エミリー「なんと、染め物! そういえば先日城下で商人の方々が話されているのを耳にしたのですが、この村の赤い染め物は逸品だとおっしゃっていましたね」

ひなた「そう、真っ赤な染め物……芙美台山の麓には三角池っていう池があってね。鬼が村の子どもを喰らった年は、それから49日間だけ池の水が赤く染まるんだ」

ひなた「その水で染めた布は、貴族に愛好される蘇芳って染め物に負けんくらいの綺麗な生地に仕上がって、とっても高く売れるんだよ」

ひなた「だからその49日間は、村人総出で機を織って染め物をするんだ。そして次の10年後までそれを少しずつ売って食いつないでいく……そうやってこの村は今日までやってきたんだって」

エミリー「そんな……では、村に実りをもたらすために鬼に生贄を捧げているのも同然ではないですか」

ひなた「あたしがかすかに覚えてるのは、鬼に連れて行かれる直前に頭を撫でてくれた兄ちゃんのなまらあったかい手……そのとき兄ちゃんは、こう言ってたんだ」

ひなた「ひなた、達者でな。お前や村のみんなが幸せに生きてくれるなら、おらは満足だ……ってね」

エミリー「そんな……」

ひなた「だからあたしはせめて、兄ちゃんの代わりに家を守っていけるような強い人にならねばと思って、それで育吾郎さんのお父上や近くの武家の人らに何遍も頼み込んで剣を習い始めたんだべさ」

エミリー「……ひなたさんのお兄さんはひなたさんと同じく、とてもお優しい方だったんですね」

ひなた「兄ちゃんがいなくなってからもう10年……兄ちゃんのことを話す機会もすっかり減って、このままみんな兄ちゃんのことを忘れちゃうんじゃないかと思うと、寂しくてね」

ひなた「けど育吾郎さんは今でも兄ちゃんの墓参りをしてくれるんだ。すごいよねぇ。自分が生まれる前に死んで、会ったこともない人だっていうのに……」

エミリー「育吾郎さまは、本当にこの村のことを案じていらっしゃるんですね」

ひなた「そうだよぉ。育吾郎さまが立派なお侍さんになられる頃には、きっともっと良い村になってるだろうねぇ。楽しみだよぉ」

育「……そっか。ひなた殿から鬼の話を聞いたんだね」

エミリー「はい。とても恐ろしく、理不尽なことだと感じました。それにひなたさんは、お兄さんを……」

育「そうだね。10年前、ひなた殿の兄上は鬼に喰われて亡くなられた。拙者はまだ生まれていなかったけど、そのときの出来事はひなた殿や村の長老たちから聞いているよ」

エミリー「前回鬼が来た年から今年で10年……ということは、また今年鬼がやってくるということでしょうか」

育「そうだね。無論拙者は鬼を迎え撃つつもりでいるけど……事はそう簡単な話ではないんだよね」

育「村の経済は鬼が与えてくれる赤い水によってどうにか成り立っている。なぜならその水を使った染め物しか名物がないから――その話も聞いたんだよね」

エミリー「はい……」

育「でも拙者は、この村の名物がそれしかないなんて思わない。エミリー殿、ちょっと拙者に着いてきてくれないか。見せたいものがあるんだ」

エミリー「? なんでしょう――」

――村はずれの丘


育「この花なんだ」

エミリー「Wow! 鮮やかな赤色の花びらと深い緑の葉……なんて素晴らしい色彩の対比でしょう。雅を感じます」

育「この花、どこにでも咲く珍しくもない品種なんだけど、美里恩村に生えているものは不思議といろんな色の花びらをつけるんだ。青っぽい花も見たことがあるよ」

エミリー「青い花ですか。確かにそれは珍しいですね」

育「拙者は二年前からこの場所の土を耕して、種を植えて世話をしてるんだ。ひなた殿から内緒で土や肥料を少しだけ分けてもらってね」

エミリー「内緒で、ですか?」

育「うん。ひなた殿には感謝してもしきれないよ。彼女の家だって、自分たちが食べる分の野菜や果実をギリギリで育ててるんだから」

エミリー「以前ひなたさんから、美里恩村の土地はあまり農業に向かないので、余所から土を買い付けたり肥料を工夫しているんだと伺いました。それでも自給自足が精一杯だと……」

育「貴重な土や肥料を分けてもらっている以上、拙者は絶対にこれを成功させたい。この丘を色とりどりの花で埋め尽くして、余所の村や町の人に景色を楽しんでもらえるくらいの名所にしたいんだ」

育「そしてここにお茶屋を建てて観光客のみなさんに召し上がってもらえたりなんかしたら、村の経済にだって良い影響をもたらせるはずだよ」

エミリー「お花を眺めながらお茶とお菓子を楽しむ……はぁ、なんて素敵なんでしょう」

育「みんなが気づいてないだけで、この花は間違いなく村の名物だ。だから村のみんなには自信を持ってほしいんだ。鬼に好き放題されている場合じゃないよ」

エミリー「私もそう思います。もし私に育吾郎さまの夢を叶えるために何かお力添えができるなら、とっても嬉しいです」

育「夢……そうだね。そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとうエミリー殿。でも拙者の夢は、この村のことだけじゃないんだ」

育「この国は今、一部の異国としか交流しない政策をとっている。そうすることで余計な争い事を避けることができているのも確かだ」

育「でも拙者は、いつか文化や価値観の違う人々と心を通じ合わせることができるような世の中を作りたい。たくさん勉強して、そういう素敵な世を作るために貢献できる武士になりたいんだ」

育「文化や価値観の違いは争いの引き金なんかじゃない。相手をもっと知りたい、仲良くなりたいって気持ちさえあれば、それは心を通わせるきっかけになるはずだ」

エミリー「育吾郎さま……」

育「だからね、今こうしてエミリー殿に出逢えて、仲良くなれたことがとっても嬉しいんだ。やっぱり拙者の考えは間違ってなかったんだって思えた。エミリー殿のおかげなんだよ」ニコッ

エミリー「そ、そんな、私のおかげだなんて……///」

育「心配しなくても、鬼は必ず拙者が倒すよ。村はもう、鬼に頼らなくてもやっていける。拙者はそう信じてるからね」


村の子どもA・B「うわああああーーーっ!!」


エミリー「悲鳴です! 村の方から……」

育「あの子たちの声だ! 何かあったのかもしれない。行ってみよう」

村の子どもA「うぇぇぇん……」

村の子どもB「いやだあああ! 放してえええええ!!!」

桃子「フンッ……小便臭い小童どもが。好きなだけ喚くがいい」


育「待て!」

桃子「ん?」

育「栗色の髪に二本の角……お前が芙美台山の蘇芳童子か」

桃子「その覇気、そして儂に凛と立ち向かう勇ましい目……やはり見立てどおりだったか。獲物自らぬけぬけと現れおるとは」

育「何が言いたいか知らないが、その子らを放せ! さもなくば拙者がお前を叩き斬る!」

桃子「ほぅ……もちろん構わんぞ。儂はこんな雑魚どもに興味はないからのう。ほれ、行くがよい」ポイッ

村の子どもA・B「うわぁぁぁん!育吾郎~!」ダッ

育「お前たち、早くこっちに――」

桃子「そう……こんな雑魚ども、どうなろうと儂の知ったことではない」カッ

エミリー「あっ、危ない!」

ドガァン!

村の子どもA・B「ぎゃああああ!!」

エミリー「ああっ!」

育「そんな……おい、二人ともしっかりするんだ! ぐっ……こんな小さい子になんてことを!」

桃子「フフッ、一度安心した顔が絶望に堕ちる有様……まあ雑魚にしては悪くない寸劇を見せてもらったぞ」

育「許さない……お前は拙者が必ず叩き斬る!」

桃子「いいだろう。かかって来るが良い。どのみち貴様に儂を倒すことは絶対に叶わん。なぜなら貴様は最初から儂の掌の上にあるのじゃからな」

育「なんだって?」

桃子「言葉通りじゃ。最初から――10年前、母親の腹の中におるときからもう決まっておったのだ。貴様が儂に食われる運命はな!!」スッ

ゴゴゴゴ…

育「なっ、体が動かない……力が抜けて……刀が……」カランッ ドサッ

エミリー「育吾郎さま!!!」

育「エミリー殿……この子らを連れて、早く……逃げ、て……」


村人A「おい、どうした?」

村人B「待て、あれって……」

村人C「ひぃっ!」

ひなた「どうしたんだい? あ、ああ……」

エミリー「みなさん、大変です! 鬼が現れてこの子たちが襲われて……育吾郎さまが連れて行かれそうなんです! 助けてください!」

村人D「なんだって!?」

村人E「そうか、育吾郎は11歳……」

桃子「やれやれ。ようやく村人どものお出ましか」

エミリー「さあ、これだけの数の人がいて逃げられると思わないことです。早く育吾郎さまを放しなさい!」

桃子「五月蠅いやつめ。異人の娘か。儂に楯突くのなら好きにするがいい。だがこの腰抜けの村人どもが貴様の味方をするかのう?」

エミリー「どういう意味ですか?」

桃子「儂がこの村の小童を喰らい、そして山の池が赤く染まる。それがこの村唯一の恵みじゃ。そんなことがもう何百年と続いておるのだ」

桃子「学のない村人どもでもわかるんだろうな。自分たちが、鬼である儂のもたらす恵みの残渣を啜ることでしか生き長らえん無力な家畜であることをな!」

エミリー「なっ……美里恩村のみなさんを馬鹿にしているのですか!? みなさん優しくて素敵な方ばかりです。あなたなんかに愚弄されて黙っておられるわけがありません。ねぇ、みなさん――」

村人たち「……」

エミリー「みなさん、どうして何も反論しないのです? このままでは育吾郎さまが連れて行かれてしまいます。早く鬼を止めないと……」

村人たち「……」

ひなた「……」

エミリー「ひなたさん……」

ひなた「ひっ……!」

エミリー「ひなたさんと育吾郎さまはお友達なんですよね。このまま黙って見ているだけでいいのですか」

ひなた「エミリーちゃん……」

村人G「ひなた、わかっておるな?」

ひなた「うぅ……」

エミリー「そんな、どうして……」

桃子「フンッどうじゃ。これがこの村の憐れな人間どもの実情なのだ。理解したのなら貴様も郷に従い、この食物連鎖を受け入れることだな」パァァ

育「」ゴゴゴゴ…

エミリー「だ、だめです……育吾郎さま!」

桃子「安心しろ。儂がこいつを喰らうのは、儂の妖力が骨の髄まで浸透し極上の味に仕上がってから。それまで三晩かかる。心の準備くらいならさせてやれる」

桃子「それまでに貴様はどんな選択をするか……尻尾を巻いてこれを受け入れるのか、それでも尚この小童を取り戻しに儂の元へ現れるのか。フフッ、楽しみにしておるぞ」

ヒュンッ

エミリー「……ひなたさん、すぐにこの子たちの傷の手当てを」

ひなた「う、うん……」

チャッ

エミリー(育吾郎さまの落とした愛刀……お借りいたします)

ひなた「エミリーちゃん、どこへ行くんだい?」

エミリー「鬼を討ち払うためには鍛錬が必要です。これからお殿様のところへ参りご教授いただくことにします。育吾郎さまは必ず、私が村へ連れ帰ってみせますから」

村人H「だ、ダメじゃ! 人質を取り戻せば、鬼がくれる赤い水が手に入らず染め物が作れなくなる。村は破滅じゃ!」

村人I「それに剣の心得もない娘さん一人であの恐ろしい鬼を倒すなど無茶じゃ! あんた、死ぬつもりかい!?」

エミリー「やってみなければわかりません。いずれにせよ私はこれから三日間で、できる限りを尽くすつもりです」

エミリー「勝手なのは承知です。ですが育吾郎さまさえおられれば、鬼の力に頼らずとも美里恩村はやっていけるはずです。みなさんどうか私を止めないでください。失礼します」

ひなた「エミリーちゃん……」

――茉莉城


まつり「ふむ……育吾郎が山に棲む鬼に連れ去られ、三日後には喰われてしまうと……」

エミリー「そうです。事は急を要します。お殿様はご存じないかもしれませんので説明いたしますと、芙美台山に棲む鬼というのは――」

まつり「いや、それについては余も存じ上げておるのじゃ。……じいよ。あれを持って参るのじゃ」

ガラッ

家臣「殿、こちらご所望の巻物にございます」

まつり「ふむ。ではこれをエミリーに」

家臣「かしこまりました。――ご客人、こちらを」スッ

エミリー「ご丁寧にありがとうございます。これは……巻物、ですか?」

まつり「うむ。絵巻物と呼ばれるものなのじゃ。エミリーよ。読んでみるのじゃ」

エミリー「申し訳ございませんお殿様。私、言葉は話せるのですが、読み書きはまだ自信がなく……」

まつり「それもそうか。では余が声に出して読むとするのじゃ」

昔々のことです。小さな鬼がひとりで野山を歩いておりました。

この鬼は地獄で仲間ともめ事を起こしたため、住処を追われ、たったひとり地上をあてもなく彷徨っていたのです。

ひとりぼっちの鬼はお腹を空かせていました。獲物である人間を食べなければ、餓死してしまいます。

しかし歩けども歩けども、どこにも人間はいません。やがて鬼は歩く力も尽きて、その場に座り込んでしまいました。

ずっとずっと寂しい思いをしてきた鬼は心も体も疲れ果て、涙もとうに枯れていました。

すると――。

「やぁやぁ、娘っ子がこんなところでひとりぼっちでどうしたんだい?」

声をかけたのは、近くの村に住む男の子でした。

彼は名物のない寂れた村の人々に少しでも楽な暮らしをしてもらおうと、毎日わらじや笠を作っては一山越えた先の町へ売りに歩いていたのです。

お腹が空いて返事のできない様子を見かねた男の子は、手持ちの荷物から乾飯を取り出して、水でふやかせて鬼に差し出しました。

「ほら、これをお食べ。喉も渇いているだろう。水も全部飲んでくれ。おらは平気だ。この程度、家まで我慢すればいいさ」

男の子はそう言ってにっこり微笑みました。しかし鬼は男の子の顔を黙って見つめたまま、乾飯も水も口にしようとしません。

不思議がって尋ねてきた男の子に、鬼は答えました。

「儂は飯も水も口に入れん。その代わり、お前が欲しい。このままお前さんが帰ってしまえば、儂はここでひとりぼっちじゃ」

「のうお前さん、儂の婿にならんか? さすればわしは見返りに、そこに見える三角池の水を真っ赤に染めて差し出そう」

「その水で染め物を作れば、きっと高く売れる。村人みんなが豊かに暮らせるだろう」

鬼がそう言うと、山の麓にある三角池がたちまち鮮やかな赤色に染まりました。

驚いた村人の一人がそこにボロ巾をくぐらせてみると、あら不思議。見違えたように綺麗な赤い布になったではありませんか。

これには村人も大喜び。男の子の両親も、息子を快く婿に送り出してくれました。

こうして男の子は鬼の夫となり、共に山へ行くことになりました。

「これでそなたとわしはずっと一緒じゃ。何があっても、わしの元を離れるでないぞ」

鬼は安心しました。これでもう、お腹も心も寂しくありません。

しかしそれでも鬼は生きているのでだんだんお腹が空いてきます。だんだん寂しくなってきます。

けれどもこの村にはいつの時代も、優しい男の子がいます。彼らが婿に来てくれるから、鬼は寂しくないのです。

だから鬼は感謝の思いを込めて村人たちに真っ赤な池の水を贈るのです。

鬼はいつまでも彼らとずっと一緒。寂しい思いをすることはもう二度とありません。

だって、みんながいるから。


めでたし、めでたし――。

エミリー「……なんですか、このお話は」

まつり「鬼に息子を食われた母親がいつしか創作し、次の標的の母親へと伝え受け継がれていったという物語なのじゃ。他の藩でもお伽噺として親しまれているそうなのじゃ」

まつり「実際村には恵みがもたらされておる。心優しき男の子は村を救った英雄ともいえよう。そう捉えれば、この物語もある意味では的を射ているのかもしれんのじゃ」

まつり「他方、このように考えでもせねばとても気持ちを整理することなどできない、そんな遺された者の心を慰めるために創り出された、優しき嘘の物語とも呼べるのじゃな」

エミリー「……恐れながら申し上げます。お殿様は、どういったご了見で私にこんなお話を聞かせたのですか。これを聞けば私が納得して引き下がるとでもお考えでしょうか」

家臣「この者、殿に向かって……!」

まつり「待て。――エミリーよ、続けるのじゃ」

エミリー「私は受け入れられません。育吾郎さまは、鬼の餌になるためにこの世に生を受けられたわけではないはずです」

エミリー「価値観の異なる人同士が手を取り合える世の中を作りたい――育吾郎さまは、そんな夢を私に話して聞かせてくださいました」

エミリー「異人である私が美里恩村で健やかに過ごすことができるのも、そんな夢を叶えるべく邁進されている育吾郎さまがおられるからです。私は育吾郎さまに、まだ何も恩を返せていません」

エミリー「お願いいたしますお殿様! どうか、私に鬼を討ち取るすべをご教授いただけませんか? 藩で最も偉大なお方であるお殿様なら、きっとご存じと思い、馳せ参じました」

エミリー「決してたった三日の鍛錬で強くなれるなどと自惚れているわけではございません。それでも私は、育吾郎さまの未来をこの手で護りたいのです」

まつり「ふむ。エミリーよ。余が見込んだとおりじゃった。大和撫子とはかくあるべきという姿、見せてもらったのじゃ」

まつり「これからの時代、女性たちがそなたのように強く凜々しく美しく輝けるよう、余も大名として精進せねばならぬのじゃ」

まつり「エミリーよ、そなたはまことに天晴なのじゃ!」

エミリー「そ、それでは――」

まつり「しかし、余は大名といえどただの武士。強い魔を祓う力は持ち合わせておらんのじゃ。だが伝手ならある。そなたに知り合いの祈祷師を紹介するのじゃ」

エミリー「ありがとうございます!」

まつり「……ところでエミリーよ。天晴とは、そなたの故郷の言葉でなんというのじゃ?」

エミリー「えっと……申し訳ございません。アッパレとは、どういった意味の言葉なのでしょうか」

まつり「そうじゃなぁ。先ほどのように相手を賞賛する際に使う言葉なのじゃが――そうじゃ。字にすると『天が晴れる』と書くのじゃ」

エミリー「天が晴れる……なるほど! それでしたら、こんな言葉がございます――」

――翌朝


紬「あなたがエミリーさんですね。お話は伺っております」

エミリー「お初にお目にかかります。祈祷師さまでいらっしゃいますね。よろしくお願いいたします」

紬「こちらこそ。……ふむ。見たところ、あなたには霊能力などの特殊な素養は備わっておられないようですね」

エミリー「ええ。私はごく普通の人間で間違いないでしょう。これまでそのような力とは無縁で過ごしていました」

エミリー「無論そんな私がたった二日で鬼を退治するほどの力を身に着けられるなどと、思い上がった考えを抱いているわけではありません」

エミリー「ですが、それでも行動したいと思いました。これは私の願い。お殿様にも手出しは無用とお伝えいたしました。誰に頼るでもなく、他ならぬ私が刀を取り立ち向かうべきことなんです」

紬「それほど強い思いをもって取り戻したい人がいると……そういうことなのですね」

エミリー「祈祷師さま、私はどんな厳しい修行にも耐え抜いてみせます。ですからどうかご教授ください。私に、育吾郎さまを鬼から取り戻すすべを」

紬「あなたの思いはよく理解できました。ええ。私なら力になれるはずです」

エミリー「それでは、まずどのような修行から入ればよろしいでしょうか」

紬「いいえ。厳しい修行は必要ありません。そもそも鬼とは地獄の住人。私のような祈祷師であっても単独で挑めば勝ち目はないでしょう」

エミリー「そ、そんな!」

紬「ですが鬼と育吾郎さんを引き離す方法ならあります。そしてその術は、私では効果が得られません。あなただからこそ使える術です」

エミリー「私だからこそ……? 教えてください。それはどのような術ですか?」

紬「使うかどうかは、あなたの判断に任せます。そうですね……この術に必要な技能があるとすれば、覚悟でしょうか」

エミリー「覚悟、ですか?」

紬「はい。大切な人を守るため、他の何かを捨てる……そんな強い覚悟です」

――期限の晩、美里恩村 長老の家


ひなた「……」

長老「……」

村人J「ひなたや、何も言わんでもわかるな。鬼を退治するのをやめるよう、エミリー殿を説得するんじゃ」

ひなた「……」

村人K「どうしたひなた。返事をせんか」

ひなた「長老……みんな……悪いけど、あたしにはそれはできないべさ」

村人L「な、なんじゃと!?」

ひなた「蘇芳童子の蘇芳の染め物は、美里恩村の名物だべさ。10年前、兄ちゃんが喰われたときに作られた染め物は今も売れ続けて、だからあたしらは今日もどうにか暮らしていける」

ひなた「お前の兄ちゃんは村のみんなの英雄なんだって、みんなそう言ってあたしや家族を励ましてくれてきたよね」

村人M「ひなた……」

ひなた「あのお伽噺が広まったおかげで、色んな地方の人が染め物を買ってくれてる……美里恩村のことも鬼のお伽噺の村だって知ってもらえてる。お話に感動したって言ってくれるお客さんもいるべさ」

ひなた「でも、どんなに染め物が売れても、お伽噺が有名になっても、みんなそれしか眼中にない。誰も兄ちゃんのことを知らないし、知ろうともしてくれないんだ」

ひなた「10年前に貯めておいた在庫もあとわずか……それが売れたら、もう兄ちゃんが遺してくれたものは村から一つ残らず消えてしまう」

ひなた「長老、みんな……本当にこれで良いと思ってるのかい? それでも育吾郎さんを、兄ちゃんと同じ目に遭わせるのかい?」

ひなた「あたしの兄ちゃんが命を投げ打って守りたかった村は……こんな村だったのかい?」

長老「……」

村人N「ぐっ……」

村人O「ひ、ひなたよ、村のしきたりに従わねばどうなっちまうか、お前さんの歳ならもうわかってるはずじゃろ?」

村人P「そ、そうじゃ! 村八分じゃぞ! こいつはお前さんだけの問題じゃない。おとっつぁんやおっかさんだってただじゃ済まねえんだぞ」

長老「皆の衆、静まるのじゃ」

村人Q「ちょ、長老……?」

長老「しきたりとはそこに住まう人が生活のために作るもの……じゃが人を縛り不便をもたらす機能だけが残ったのなら、もはや枷でしかない。人が人の営みに支配されては本末転倒じゃ」

村人R「長老……しかし、鬼を討つってことは、三角池の赤水を、蘇芳の染め物を手放すってことですぞ」

長老「育吾郎が美里恩村の将来を案じ、色々と思案しておることは儂も知っておる。この村で誰よりも村の今後を考え行動を起こそうと奮闘しておるのが育吾郎じゃ」

ひなた「あ、ありゃあ、ばれてたのかい」

村人S「だけども、染め物なしにこれからどう生活していくんです? 育吾郎が立派になって村を豊かにしてくれるまで我慢するんですかい?」

長老「儂が今日まで生きてきたこの美里恩村の良きところは、村人が皆博打などを好まぬ堅実な働き者ばかりなところじゃ」

長老「人が未来を見通すことはできぬ。じゃが若者の未来を信じることは愚かな賭けじゃろうかのう」

村人たち「……」

長老「儂の老いた目がまだ物事の正鵠を射抜けているのなら、少なくとも育吾郎を信じることを博打とは呼べぬはずじゃ。なぜなら育吾郎という若者は、それだけの信頼を皆に見せておるからだ」

村人T「だ、だがこれから鬼を討つとしても……エミリー殿に助太刀できるほど肝の据わった者が村にいるのかい」

村人U「男連中は老いも若きもみんな蘇芳童子に怯えて生きてきたんじゃ。おらもみんなも、兄弟や友達が山に連れて行かれるところを見ちまってるんだから……」

長老「どんなに力の弱い人間にもできることならある。何かを成そうと奮闘する者を信じて見守ることじゃ。堅実に、こつこつとな」

ひなた「そ、それじゃあ……」

長老「ひなたよ、エミリー殿を激励するのじゃ。きっと喜んでくれるはずじゃ」

ひなた「は、はい! ありがとねぇ、長老」タタッ

村人V「……良かったんですか、長老」

長老「ああ。世は諸行無常。元より本来変わらねばならんはずのものを放置したままあの世へ行くのは心残りじゃったからのう」

村人W「それで、育吾郎が密かに思案してることって何なんです? 長老はご存じなんでしょう」

長老「ほっほっほっ。皆の衆、これから忙しくなるぞ。まあ10年に一度あれだけ大量の機織りをこなしてきた者たちじゃ。きっと良い結果をもたらせるじゃろう」

――芙美台山麓


エミリー「……」

エミリー(育吾郎さまの愛刀……今の私にはとても心強いです。どうか私を導いてください)

エミリー「いざ、参りましょう」


ひなた「エミリーちゃーん!」

エミリー「ひなたさん!」

ひなた「はぁ、はぁ……間に合った。エミリーちゃん……その、あたし……こんな大変なときだってのに、何もできないで……」

ひなた「せっかく今まで剣の稽古をつけてもらってきたのに、あたし鬼が来てからずっと、怖くて家の中でずっと震えてたんさ……」

ひなた「なんのために稽古を受けさせてもらったんだろうね。こんなんじゃ、死んだ兄ちゃんにも笑われてしまうわ……」

エミリー「ひなたさん……いいえ、ご自分を責めないでください。ひなたさんは、争い事を好まない穏やかな心の持ち主……お兄さまもそれをよくご存じなはずです」

エミリー「ひなたさんのように優しい方に争い事を強いるような世の中になってはならない……育吾郎さまもそうおっしゃっていました」

エミリー「大丈夫です。私が必ず、育吾郎さまをこの村へ連れ戻してみせます。どうか見守っていてください」

ひなた「だけども、あたしにもエミリーちゃんの力になれることがないかと思って……それで、これを」

エミリー「これは……お守りですか?」

ひなた「兄ちゃんの形見なんだ。いつもあたしが肌身離さず持ってるんだけど、今はエミリーちゃんが持っていてほしいんだ」

エミリー「ありがとうございます、ひなたさん。とても心強いです」

ひなた「そ、そうなんだろか……」

エミリー「ええ。ですからひなたさんたちは、育吾郎さまの帰りを待っていてください。そして戻られた育吾郎さまと共に、素敵な村を作っていってください」

ひなた「……エミリーちゃん、まさか――」

エミリー「一緒にお野菜の世話をしたこと。折り紙を折ったこと……ひなたさんと過ごした時間はずっと忘れません。どうか、お元気で」ペコリ タタタ…

ひなた「エミリーちゃん! ……行ってしまったべさ。そんな、まさか鬼と差し違えるつもりで……」

まつり「いや、それだけはさせんのじゃ」

ひなた「あ、あなたは?」

まつり「ふふっ。余は通りすがりの貧乏旗本の三男坊、徳田松之助なのじゃ。心配せんでも、エミリー殿の身は余とこちらの祈祷師の先生が守るのじゃ」

紬「ええ。ですからあなたは村のみなさんがこれ以上動揺なさらぬよう、みなさんの傍にいてあげてください」

ひなた「わ、わかったべさ。けども……お兄さん、立派なお馬さんをお持ちなんだねぇ」

まつり「ほ? これは借り物の馬なのじゃ。とにかくそういうことなのじゃ。よろしく頼むのじゃぞ」

ひなた「は、はぁ……」

パカラパカラ…


紬「恐れながら……お殿様、あなたは本当に身分を隠される気がおありなのですか? 貧乏旗本がこんなに美しい白馬に乗れるはずがないでしょう」

まつり「はて。普段城下ではこう申せば誰も疑わないのじゃが……変なのじゃ」

ルミちゃん「ヒヒーン!」

――芙美台山、中腹


エミリー「おや?」

ヒラヒラ

エミリー(桃の花びら? まるで私を誘うかのように……鬼の妖術でしょうか。ここは、ついて行ってみましょう)

ヒラヒラ

エミリー(花びらが木の根の隙間に……鬼はこの奥ですね)

ギュルルル ギギギ…

エミリー「! 私が入った途端、木の根の門が閉じて……逃げ場はない、ということですね。元より逃げるつもりなどありませんが」

???「カタカタ……」

エミリー「!? なんですか」

人骨たち「カタカタ……」

エミリー「ひぃっ! こ、これはまさか……鬼に喰われた方々のご遺骨……」

人骨たち「カタカタ……!」ブンッ

エミリー「くっ、どうか鎮まりください。私はあなた方に危害を加える気はありません」

エミリー(可哀想に。成仏できず、ずっとここを彷徨っておられるのですね……おや?)

とある人骨「カタ……カタッ」ピタ…

エミリー(この仏さま、急に攻撃を止められました。よく見ると他の方々より、まだ骨が新しいような……もしや)

エミリー「あなた、これに見覚えがあるのですね?」サッ

とある人骨「!!」ガガガ

エミリー「つまりあなたは、ひなたさんのお兄さま」

他の人骨たち「カタカタ……!」ブンブンッ

エミリー「ひなたさんのお兄さま、どうかお願いです。みなさんを落ち着かせていただけませんか? お守りはお返しいたしますから」

とある人骨「カタ…カタ…」スタスタ

エミリー(今です! 鎮魂のお札をみなさんに――)

とある人骨「カタ…カタ…」

エミリー(ひなたさんのお兄さまが、みなさんを堰き止めてくださっている……?)

エミリー「ありがとうございます。みなさんの御霊は、のちほど村の方々が必ず供養してくださるはずです。それまでどうか待っていてください」タタタ



……


まつり「いかがなのじゃ?」

紬「いいえ。どれほど外側から念を送ろうともびくともしません。この折り重なった木の根自体が、強力な結界として機能しているのでしょう」

まつり「かの鬼がこの山に何百年と棲んでおるのなら、そこに生えた木々は鬼の支配下にあるも同然、ということなのじゃな」

紬「そう考えるのが妥当でしょう。これより祭壇を組んでより強力な祈祷を行います。ただ、門がいつ開くかは保証しかねます。その間もしエミリーさんに危機が迫っても助太刀できません」

まつり「月がもうこんなに高く……エミリーがここに入ってから随分経ってしまったようなのじゃ」

まつり「もどかしいが、今は見守りそして信じるときなのじゃな。エミリーが育吾郎を心から信じておるように」

――芙美台山、最深部


エミリー「……」

桃子「まさか本当にここまでやってくるとはな。褒めてやらねばならんのう」

エミリー「約束通り育吾郎さまは返していただきますよ。そしてあなたの首は私がもらい受けます。お覚悟を」

桃子「フン。貴様にも見えるじゃろう。儂の玉座に並べられた骸の数々。皆儂が喰らってきた麓の村の小童の成れの果てじゃ」

桃子「同時に、あの何の取り柄もないつまらん村に幾多の恵みがもたらされた証でもある」

エミリー「何を言いますか。あなたがそれだけ多くの人を殺めてきた証の間違いでしょう」

桃子「何度も言わせるな。あんな村、儂がおらねばとっくの昔に滅んでおったのだ」

エミリー「そうでしょうか。育吾郎さまがおられさえすれば、美里恩村があなたの呪縛に囚われる時代は終わることでしょう」

桃子「信じておるのか?」

エミリー「ええ。私は信じています。育吾郎さまは将来立派な武人へと成長され、必ずや美里恩村をあなたの手に頼らない素晴らしい村へと発展させることでしょう」

桃子「くだらん。こやつがそんな偉人になるとなぜ言い切れる? 儂を倒せば恵みは奪われ、あの村は滅びる。貴様は村の者どもに災いをもたらそうとしているのだぞ?」

桃子「儂と貴様、あの村にとって害獣なのは果たしてどちらじゃろうのう?」

エミリー「私をうろたえさせようとしても無駄です。力を誇示して人を弄び跳梁跋扈す悪しき鬼――私はあなたのような卑怯者の言葉を聞く耳など持ちませんので」

エミリー「それとも、私に倒されるのがそんなに怖いのですか? 人を喰らう鬼が、私のような者を恐れる理由などないはずですが」

桃子「ちぃ……小娘の戯言と放っておけば好き放題ほざきおって。定められた事柄は一つだけ……あの村は儂に飼い慣らされることでしか存在できぬ。今までもこれからもな!」

エミリー(よし。そのまま私の挑発に乗りなさい。そうすれば決着もすぐに――)

桃子「来い、髑髏ども」

エミリー(えっ――)

人骨たち「カタカタカタ…」

エミリー「そんな……! みなさんの御霊は先ほど確かに鎮めたはず……」

桃子「笑わせてくれる。持ち主の消え失せた空っぽの骨に霊魂もクソもあるか。こんなもの儂の妖力で動くだけのただの人形に過ぎん」

エミリー「……許せません。あなたは何の咎もない人の、その亡骸までをも冒涜するというのですか!?」

桃子「――殺れ」

人骨たち「カタカタ……!」ダッ

エミリー(迂闊でした。これは想定外です)

エミリー「くっ……!」ヒュイン

桃子「どうした? 躱してばかりではないか。その立派な刀でひと思いに斬ってしまえば良かろう。儂は構わんぞ? こんな玩具、替えならいくらでも効くのだから」

人骨たち「カタカタ……!」ブンッ

エミリー「きゃあっ!」

桃子「まさか、できぬのか? 無理もないか。なにせ貴様の惚れた男も夜明けにはこうなるのだからな!」

エミリー(やはりあの絵巻物のお伽噺は虚構だったのですね。この鬼は、村人や喰らってきた人たちを餌や道具としか思っていない……)

エミリー(おかげで躊躇う必要などないと改めて理解できました。私が成すべきことはただ一つ……!)

人骨たち「カタカタ……!」ドカッ バキッ

エミリー「うぅ……みなさん、どうか……鎮まりください……」ヨロ

桃子「憐れよのう。道具でしかないと説明してやったというのに、それでも呼びかけ続けるとは……これが情に絆される人間の性か」

育「ぐ……」

桃子「――ん?」

育「……」

桃子「気のせいか。儂の妖力が染み渡る中で、自我を保てるわけがないのだからな」

人骨たち「カタカタ……!」ドゴッ グシャッ

エミリー「う、うぅ……」

エミリー(なんとか、なんとかしてこの状況を打破しないと……。ひなたさんのお兄さまはここには来ていない。なら、止める方法は必ずあるはず……)

桃子「どうじゃ、痛むか? 無抵抗に殴られ続ければ、いずれ貴様も倒れてしまうぞ。さあ、余計な情など捨ててとっとと斬ってしまえ」

エミリー「……育吾郎……さま……」ドサッ カランッ

桃子「無様じゃのう。一度も振るうことなく刀を取り落とすとは。異人が付け焼き刃で侍の猿真似など、似合わぬことをするから――」


ドゴッ!!


桃子「がはっ……こいつ、なぜ動ける!?」

育「……お前……よくも、エミリー殿を……」

桃子「おのれ、家畜の分際で儂に逆らうなど……身の程を知れ!!!」カッ

育「うわあ……あ……」バリバリ ガクッ

エミリー「育吾郎さま……!!」

桃子「そうだ。そうやって跪きながら、家畜らしく儂の血肉になる刻を待っておれば良いのだ。……ん?」

育「はぁ……エミリー殿に……手を、出すな……」

桃子「まだ立ち上がるか。この死に損ないめ。――髑髏ども、その娘はもういい」スッ

人骨たち「カタカタ……!」ガシッ

育「ぐ……放、せ……」

桃子「そうじゃ。そのまま夜明けまで小童を黙らせておけ。……異人の娘よ、先ほど貴様がこいつらを斬らずにおいてくれたおかげじゃ。感謝するぞ」ニヤ

エミリー「はぁ……はぁ……」

桃子「折角じゃ小童。冥土の土産としてその目に焼き付けておくがいい。貴様を助けに参じたばかりに、この娘が儂に取り殺される様をな!」ガシッ

育「や、やめろ……ぐあっ……」カタカタ

エミリー「あぁ……」

桃子「フンッ。……今の貴様なら腕一本で充分じゃ」ググッ…

エミリー「う……」

桃子「安心しろ。じき楽になる」

ブンッ ドスッ

桃子「何――?」

エミリー「はぁ、はぁ……この機をずっと覗っていました……」

桃子「ほう……小太刀と、おまけに飛び退ける体力まで隠しておったか。だがこの程度の反撃で振り解こうとも結果は同じじゃ。時間稼ぎにもならんぞ」

エミリー「いいえ。これで、王手です……」

桃子「何だと?」

育「エミリー殿……? 何を……」

エミリー「育吾郎さま……あなたと過ごした時間は、ずっとずっと私の宝物です……」シュッ

桃子「小太刀で自らの腕に傷を? 貴様、一体……」

エミリー「悪しき鬼よ。あなたに僅かでも傷を負わせることさえできれば……私の勝ちです」スッ

桃子「なっ……その術は、まさか」

エミリー「呪術、別れの鋒――」

~~回想~~


紬「こちらが呪術に必要な経を彫り込んだ石です。まずはこれをあなたに……」

エミリー「石……ここに鬼を封じるのですね」

紬「ええ。ではこれから手順を説明します。よく聞いていてください」

紬「まずは――ほんの一滴で構いません。育吾郎さんの刀で鬼に一撃を見舞い、刀身にその血をつけてください」

紬「続いてその刀であなた自身に傷を入れ、刀身を血で染めてください。術を使うあなたと、対象の鬼、両者の血で染まった刀をこの石に突き立てるのです」

紬「そうすれば術が解けない限り、件の鬼は育吾郎さんはおろか、美里恩村にさえ一切近づくことができなくなります」

紬「ただしその効果の持続は術をかけた本人……すなわちエミリーさん、あなた自身に懸かっています」

エミリー「私に、ですか?」

紬「この術はその昔、ある高僧が生涯唯一愛したという恋人を救うために編み出したとされるもの……相手を想う強い気持ちがあるからこそ、強い力で魔を封じることができたわけですね」

紬「彼は恋人に取り憑いた強力な魔物をこの術で引き剥がし、引き換えに死ぬまで恋人に触れることも会うことも、一度もなかったといいます」

紬「別れの鋒……誓った別れを放棄すれば、その強力な呪いも解けてしまう。彼は別れを選び続けることで恋人を死ぬまで守り通した――これはそういう術なのです」


~~~~~~

桃子「ぐぁぁあぁぁ……!」ガクッ

ゴゴゴゴ……

桃子「貴様……封印の術だと……!? ……おのれェェェ!!」

エミリー「これであなたはもう育吾郎さまに触れることはおろか、美里恩村に近づくこともできません」

桃子「……馬鹿め。その術を使うことが何を意味するか、わからぬのか? 貴様は儂にかけた呪縛と引き換えに、この小童や村に近づくことはできなくなるのだぞ」

育「なんだって……? エミリー殿、そんな……」

エミリー「ええ。この鬼の言うとおりです、育吾郎さま。けれど構いません。私の願いはあなたを……あなたの描く明日の世界を、鬼の魔の手からお護りすること」

エミリー「それが叶うのであれば、私の心の内の事情など安いものです。この一生をかけて、必ずや育吾郎さまを護り通してみせます!」

育「心の内って……」

桃子「愚かな人間が自惚れた戯言を……面白い。いいだろう。貴様は必ずや寂しさに負け小童と再会し、術は解ける。それが人間の奸しき性というもの。さすれば儂は舞い戻り、この小童を喰うだけじゃ」

エミリー「悪しき鬼よ。どんな言葉で惑わそうとも私は迷いません。さあ、私がここを去れば術は発動します。その永き静寂の中で、あなたが踏みにじってきた数多の命と向き合い続けなさい!」

育「待って、エミリー殿……!」

エミリー「いけません、育吾郎さま。私はもう、振り返ることはできません。その覚悟を決めて、ここにやってきたのです。どうか私の我儘を、お許しください」

育「それでは、拙者は君に何を返せばいいんだ……君の覚悟と想いに報いることができるのか……?」

エミリー「いつの日か、あなたが話して聞かせてくれた素敵な世が訪れると信じて、遠くから見守っております。……さようなら」

育「エミリー殿……」


桃子「再会すれば惚れた男はたちまち死ぬ。二度と会わねば村は滅び男は路頭に迷う……フン。なんと馬鹿な娘よ……」

シュウウウ……

――数時間後


育「う……」

まつり「ほ? 気がついたのじゃな」

育「わっ、殿!? どうしてここに」

まつり「エミリーからは手出しは無用と言われておったのじゃがな。とはいえ放っておくわけにもいかずここまで参じたのじゃが……」

まつり「生憎鬼の住処への入口は結界で幾重にも閉ざされていてな。結局エミリーが奴を封じるまで、余はどうすることもできんかったのじゃ。情けないのじゃ。しょんぼり殿なのじゃ」

育「そうだ! 殿、エミリー殿は……今どちらに」

まつり「本人からこの藩を離れたいとの申し出があったもので、余の旧知の藩主である天州殿の元に引き渡すことにしたのじゃ」

育「天空守様のところへですか。やっぱりエミリー殿は、もう戻らないつもりで……」

まつり「余の城で匿うという手段もあると申したのじゃが、本人が聞かぬものでな。そなたの息吹を感じられる場所にいると決意が揺らぐやもしれん、ということなのじゃろうな」

育「そうですか……」

まつり「幸い天空藩には隠れ吉利支丹も多いし、天州殿の人脈ならエミリーのご両親の行方もじきにわかることじゃろう。ちなみに天州殿自身もまた吉利支丹なのじゃ」

育「ええっ!? ……お言葉ですが殿、今の幕府の求心力はどうなっているんですか」

まつり「古くさい価値観やしきたりは崩壊しつつある、ということなのじゃ。親藩大名から余のような者が現れている時点で窺い知れることなのじゃ」

育「た、確かに」

まつり「そんなわけでエミリーの今後については心配はいらぬのじゃ。それよりも育吾郎よ、余に何か申したいことがあるのではないか? 顔に書いておるのじゃぞ」

育「殿……ご無礼を承知で、お願いがございます。拙者に、異国の学問を学ばせていただけませんか」

育「拙者は、エミリー殿の思いに報いたいのです。いつか異国の人と手を取り合い心を通じ合わせられる世が訪れるよう、武士として一生をかけて尽力したいのです」

まつり「育吾郎よ、その言葉を待っておったのじゃぞ。余の改革にもそなたのような若い力が必要なのじゃ。今後も勉学と鍛錬に励み、必ずや立派な武人となるのじゃぞ」

育「はい!」

まつり「いやはや、まこと天晴――そうじゃ。育吾郎よ、エミリーの故郷の言葉では“天晴”をこう言うらしいのじゃ」

まつり「グッデイ・サンシャイン!とな」

育「グッデイ・サンシャイン!ですか。すてきな響きですね。うん……ずっと覚えておこう」

まつり「しかし子どもの骨がこんなにも……これから皆を供養してやらねばならんのう」

育「ええ。……あれ? この仏さんが首に提げているのって、ひなた殿のお守りだ」

まつり「そういえば山へ登る前、エミリーが村娘からお守りを受け取っているのを見たのじゃ」

育「他の仏さんよりも骨が新しい……きっとこの方がひなた殿の兄上に違いない。そっか。エミリー殿が見つけてくれていたんだ」

まつり「これで皆ようやく村に帰れるのじゃな。さあ、育吾郎も早く戻って皆に元気な顔を見せるのじゃ」

育「ええ。そうさせていただきます」

まつり「おや、もう日の出なのじゃ。ほ――」

育「わぁ……」

まつり「驚いたのじゃ。辺り一面、満開の桃の花でいっぱいなのじゃ。これも鬼を封じた効果か」

育「とってもきれいです。そうか。鬼の城は、桃の木が折り重なってできていたんですね」

育(エミリー殿とは、これからもこの太陽の光の下で繋がっていられる……だからどうか見ていてね。君が叶えてほしいと言ってくれた世界を、きっと作ってみせるから)

育「桃の花――そうだ。殿、もう一つお願いを申してもよろしいですか」

――その頃


紬「本当にこれで良かったのですか?」

エミリー「はい。私が選んだ道です。後悔はありません」

紬「こうなってしまっては、もう手紙を送ることもできませんよ」

エミリー「手紙のやり取りを続ければ呪術の効力が薄まりやがて解けてしまう、という話でしたね……なら最初からしない方がいいはずです」

紬「しかし……」

朋花「あら~茉州殿から聞いていた以上に強情な娘さんのようですね~」

紬「お殿様」

朋花「ようこそ、我が天空藩の船へ。あなたがエミリーさんですね~」

エミリー「天空藩のお殿様ですね。よろしくお願いいたします」

朋花「いかにもです。さて、茉州殿からお話は伺っています。結論から言いましょう。あなたのご両親は無事です。つい先日より我が藩で医師として働いてもらっていますよ~」

エミリー「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」

紬「良かったですね、エミリーさん。……しかし茉莉藩でもあの藩との交渉には難儀していたそうですが、よく身柄の引き渡しに応じてくれましたね」

朋花「そこに関しては我々の方が畑だということです。我が天空武士団を舐めてもらっては困りますよ~」

紬「……エミリーさん、これからはこれからで何かと大変でしょうけど、どうか達者で暮らしてくださいね」

エミリー「は、はい。もちろんです。育吾郎さまに負けないよう、私も信念を持って生きて参ります」

紬「ええ。以前よりも成長なされたあなたとの再会を、ご両親も待ちわびておられることでしょう」


こうしてエミリーは天空藩で両親と再会し、また共に暮らせるようになった。

やがてエミリー一家はその時代の日本の医学発展に多大な功績を残し讃えられ、その後惜しまれながらも故郷イギリスへと帰って行った。

――それから50年後


エミリーの孫「おばあさま、ただいま!」

エミリー「おかえりなさい。日本への旅は楽しかったかしら?」

エミリーの孫「はい! おばあさまから聞いていたとおり、とっても素敵な国でした! ねぇおばあさま、私ジャパンでとても面白いものを見つけてきたんです」

エミリー「面白いもの?」

エミリーの孫「おばあさまが私に話して聞かせてくださっていた、雛人形というものなのですが――ほら!」

エミリー「!! これは――」

エミリーの孫「とっても可愛らしいですよね。この女性のほうの人形は、『こんじき雛』と呼ばれているそうです。なんでも、ある地方で縁起物とされているそうで」

エミリーの孫「伝承によると、とある村でのちに村の英雄となられた方の命を救った少女がいたそうです。曰く、その少女は金色の髪をした異国の人であったと……」

エミリー「……」

エミリーの孫「村ではその少女の勇気を讃え、村の女の子たちが強く凜々しく美しい女性に育つよう願いを込めて、こんじき雛を飾るようになったそうですよ」

エミリーの孫「それに聞いてください♪ 私、このお雛様にそっくりだって褒められてしまったんです。まったく、ジャパンのみなさんはお世辞がお上手なんだから――」

エミリーの孫「――おばあさま? どうされたのです。どうして泣いているのですか?」

エミリー「いいえ。なんでもないわ。ふいに、遠い日の出来事を思い出してしまって……そうですか。ちゃんと実っていたのですね。私のあのときの気持ち……」

エミリーの孫「思い出話ですか? ぜひ聞きたいです! おばあさまは今の私くらいの歳の頃、ジャパンで過ごしていたんですよね」

エミリー「ええ。そうね……では話してみようかしら。太陽の昇る国で出逢った勇ましいお侍さんの話……私の初恋の話をね」


おわり

ありがとうございました。

ここの先輩劇中劇のヒール役板についてきたな
乙です

>>1
エミリー役 エミリー(13) Da/Pr
http://i.imgur.com/nCfM0Zo.jpg
http://i.imgur.com/ILZiQFy.jpg

>>3
中谷育吾郎役 中谷育(10) Vi/Pr
http://i.imgur.com/URuX0bd.png
http://i.imgur.com/DbdHIxE.png

>>6
ひなた役 木下ひなた(14) Vo/An
http://i.imgur.com/tusAMxG.jpg
http://i.imgur.com/Wn8buxu.jpg

>>11
徳川松利役 徳川まつり(19) Vi/Pr
http://i.imgur.com/s3X9XYA.png
http://i.imgur.com/nC8gxdQ.jpg

>>23
蘇芳童子役 周防桃子(11) Vi/Fa
http://i.imgur.com/Q2JWB2C.jpg
http://i.imgur.com/3lWdMKy.png

>>35
祈祷師役 白石紬(17) Fa
http://i.imgur.com/ZekW9X1.png
http://i.imgur.com/6M8RxhB.png

>>59
天州役 天空橋朋花(15) Vo/Fa
http://i.imgur.com/6eFMDSP.jpg
http://i.imgur.com/E3hYPoe.jpg

>>57
「グッデイ・サンシャイン!」
http://youtu.be/XGCS8UBJe8I?t=79

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