泉瑛太「美緒は……鼓動が早いんだな」夏目美緒「全部……瑛太のせいだから」 (14)

「泉には関係ないじゃんっ!」

そんな瞬間は私の予定にはないと思ってた。

「関係ないんだから黙っててよ!」

中学の頃から随分長いこと片思いをして。
なかなか終わりに出来なくて、拗らせて。
そうやって大人になるのだと思っていた。

「なんだよそれ……」

これは私の問題で、私自身の落ち度だから。
どうして彼が。よりにもよって、泉瑛太が。
こうも食い下がってくるとは思わなかった。

「俺だって、夏目のこと……!」

俺だってと、たしかに彼はそう言った。
この問題は彼の問題でもあると言ったのだ。
それが果たしてどんな意味を持つのか。

気にならないと言えば、きっと嘘になる。

「中学の時から……知ってんだからさ」

言葉は時に不便でその真意は伝わりにくい。

「関係ないは……ないだろ」

ひとは何かを伝えたくても伝わらない時、こんな風に諦めた表情をするのだと知った。

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「ごめん……余計なこと言った」

思わず眉を顰める。余計なこと?
余計なことって、どういう意味?
泉は真剣に、何かを伝えようとしていた。
それなのにどうして、諦めてしまうのか。

「ごめん……先、帰る」

いつも泉はそうだ。悪くもないのに謝って。
先に帰るのが在り方であると誰が決めたの。
男の子のそういうところが、理解出来ない。

彼が行ってしまう。私をひとり置き去りに。
トボトボと肩を落として石段を下っていく。
それなのに私は、何も言えずに見送るだけ。

泉もきっと辟易としているだろう。わかる。
女の子のそういうところが理解出来ないと。
しかし私も彼も相手に理解して欲しいのだ。

不器用な私たちは言わなければわからない。
相手が何を思っているか。
自分が何を考えているか。
そうしたことを言わなければ、わからない。

とはいえそれは億劫であり怖さがある。
話してくれる分にはちゃんと聞くのに。
自分から話すとなると、尻込みをする。

「こんな瞬間……私の予定にはないのに」

そうした瞬間は、気がついたら訪れるのだ。

「泉先輩におしっこかけてもいい?」
「だめ」

私を呼び出した彼女は、小宮恵那。
同じ高校に通うひとつ下の後輩だ。
写真部に在籍しており、廃部を免れるべく。
目下奮闘中のカメラマンの卵の、筈なのに。

「そ。じゃあ、そういうことで」

ひらひらと手を振って、彼女は去っていく。
後輩の癖に、先輩を敬う様子は微塵もない。
都合の良いときだけ会長会長と呼んで頼ってくる癖に。けれど、そんな彼女を憎めない。
本当にわかっているのか。私は不安だった。

後日、その不安は見事に的中してしまった。

「えへへ……ごめん、会長。かけちゃった」
「だめって言ったのに……」

偶然、体育でもないのに体操着姿のふたりと遭遇して、小宮恵那はあっさり白状した。

「じゃあな、夏目」
「ちょっと、泉。待ちなさいよ」
「夏目には関係ないだろ」

ああ、そう。そういうこと。意趣返し、ね。

「関係ないって……なに?」
「か、会長……ひとまず、落ち着いて」
「小宮さんは黙っててっ!」

自分の怒声に自分で驚く。
もっと私は冷静だと思っていた。
頭は冷えきっていて、指先がかじかむ。
こんなにも寒いのに、胸の奥だけは熱い。

「小宮は先に帰ってていいから」
「でも……」
「これは俺と夏目の問題らしい」

私の目を見つめたまま、彼はそう告げた。
ふたりの問題であると、はっきり認めた。
何か言いたげな小宮さんに、優しく諭す。

「ここで逃げたら、俺はきっとだめになる」
「泉先輩……」
「だから、ケリをつけてくる」

おやおや、まあまあ。格好つけちゃって。
へー。ふーん。ほーん。なるほどねー。
泉って、かわいい後輩の前だとそうなんだ。

「泉先輩……ご武ウンを!」
「イントネーションおかしくない?」

粋な後輩の計らいによって、肩の力が抜けた彼が微笑むと、小宮さんもにっこり嗤った。
へー。ふーん。もしかして付き合ってるの?

「で、なに?」
「それはこっちの台詞なんだけど」

小宮さんを帰らせた泉がいけしゃあしゃあと要件を尋ねてきたので、私は説明を求めた。

「別に、ただのコミュニケーションだよ」
「具体的に彼女と何をしたの?」
「それ、今この場で言わないといけない?」
「へー言えないんだ」

くそぅ。泉瑛太め。このやろう。
中学の頃はもっと純朴な奴だったのに。
どうしてこんな風に育ってしまったのやら。

「話してもいいけど、ここでは無理」
「じゃあ、場所を変える?」
「ついてきて」

流石に人通りの多い廊下で話すような内容ではないらしく、私たちは場所を変えた。
つい先程まで泉と小宮さんが過ごしていたと思われる自習室へと、私は連れ込まれた。

「入って」
「変なことしないでよ?」
「別に、連れ込んだつもりはないし」
「ずいぶん手馴れてるみたいだけど?」
「夏目が俺に用があるって言ったんだろ」

言い合いながら、ドキドキしてる。変なの。

「で、俺と小宮がどうかした?」
「小宮さんのことを、その……」
「だから、なに?」
「泉は……どう、思ってるの……?」

福岡から転校してきた彼が毎日座って自習をしていると思われる長椅子に並んで腰掛けて、促された私は恐る恐る本題を尋ねた。

「どうって?」
「……質問に質問で返さないでよ」

またあの時と同じだ。初詣の時の再現。
私たちは不器用だから、踏み込めない。
相手の間合いに入るのを遠慮してしまう。
彼は、はあ、と、大きな長嘆を吐いてから。

「いい子だと思うよ」
「っ……」
「正直、たまに煩わしくなる時もあるけど、小宮は小宮なりに俺を支えてくれているからさ……だから、俺はあいつに感謝してる」

泉はなるべく誠実に胸中を語ってくれた。
それはきっと嘘偽らざる彼の本心だろう。
それが本当ならば、私には関係なくなる。

でも泉は。『ふたりの問題』とそう言った。

「なあ、夏目」
「……なによ」
「どうして、泣いているんだ?」

言われて気づく。知れず、涙が流れていた。

「ごめん……ちょっとなんか、しんどくて」

こんな筈ではなかった。涙が溢れ出る。
よもやここまで堪えるとは思わなんだ。
もっと冷静に振る舞えると思っていた。

「もしよければ」
「……ありがと」

差し出されたハンカチを、受け取って。
滴り落ちる涙を拭う。泉の匂いがする。
同時にほんの僅か、小宮さんの匂いも。
瞬間、私は一線を越える決意を固めた。

「ねえ、泉」
「なんだよ」
「小宮さんとここで何をしてたの……?」

踏み越える。ふたりのボーダー・ラインを。

「写真を撮ったんだ」
「写真って、どんな?」
「あいつと一緒に、映った」

小宮さんと泉は写真を撮ったらしい。
しかし、ならば何故。彼女の匂いが。
彼のハンカチに染みついていたのか。

「当ててあげよっか?」

過った最悪の答えを、直球で彼に伝えた。

「きっと、泉の膝の上に乗った小宮さんがおしっこを漏らしたんでしょ?」
「まあ……概ね、そんな感じ」

やっぱり。嫌な予感ほど、当たるものだ。
というか、そんな感じとはどんな感じだ。
そんな経験したことないからわからない。

「そんなことされても嫌いにならないの?」
「ならないよ。嫌いになるわけないだろう」
「それは、どうして……?」
「それがあいつの……恵那の良さ、だから」

許せない。そんなの絶対に、私は認めない。

「泉、ちょっと動かないで」
「えっ?」
「私も膝の上に、乗るから」

言うより早く私は行動した。彼の膝に跨る。

「ちょ、ちょっと、夏目……?」
「美緒」
「は?」
「小宮さんのこと、下の名前で呼んでた」
「あ、あれはあいつが先に……」
「私も下の名前で呼んで……瑛太」

これは決して懇願ではなく、命令だった。
まるで別人が私の口で命じているみたい。
我ながらゾッとするような冷たい声音だ。

だから瑛太に拒否権などありはしなかった。

「と、とにかく、膝から降りてくれ」
「やだ」
「夏目……頼むから、降りてくれよ」
「降りて欲しいなら、美緒って呼んで」
「そう呼べば、膝から降りてくれるのか?」
「さあ……試してみたら?」

往生際の悪い瑛太に、トドメを刺してやる。

「み、美緒……膝から降りてくれ」
「じゃあ、次は肩車にする?」
「み、美緒さん……? もう勘弁して」
「勘弁……してあげない」

ふんだ。誰が許すものか。断固、拒否する。
瑛太は女の子のことを全然わかっていない。
小宮さんはともかく私はそう簡単ではない。

「じゃあ、どうすればいい?」
「まずは自分で考えるべきじゃないの?」
「それもそうか……わかった」

こちらの指摘を素直に受け取り彼は顎に手をやって真剣に悩み始めた。思わず見惚れる。
その横顔が、あまりにも魅力的だったから。

「瑛太」
「いま考えてるから」
「うん。わかってる」

本当に、彼が熟考していて良かった。
こんな火照りきった顔は見せられない。
それにここまで隙だらけな彼は珍しい。
だからこそ、私は泉瑛太にトドメを刺せる。

「はむっ」

躊躇いは一瞬。思いきって彼の耳朶を喰む。

「あぐっ!?」

ぶちゅっ!

「フハッ!」

勝った。勝利の2文字がくっきり浮かんだ。
響き渡った水音に勝利を確信し愉悦を抱く。
みたか小宮恵那。私の勝ちだ。完全勝利だ。

泉瑛太は私のものだ。絶対誰にも渡さない。

「ああっ!? あああ! ああああっ!?!!」

ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~!

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

湧き上がる愉悦が哄笑となり、忌まわしき浮気現場である自習室に高らかに響き渡る。
ここであったことを上書きして、塗り潰す。
泉瑛太はこの瞬間だけを記憶してればいい。

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

そのほかのことなど、一切、考えさせない。

「くそっ……夏目、よくも……!」
「美緒って呼んでって言ったでしょ?」

ああ、糞を漏らした瑛太の怨嗟が心地良い。
今だけは特別に優しくしてあげられる。
よしよしと頭を撫でてから、胸に抱いた。

「な、夏目……?」
「だから、美緒だってば」
「美緒……さん」
「さんは要らない」
「……美緒、苦しい。離して」
「だぁめ。しばらくこうするの」

ごめんね、瑛太。苦しい思いをさせて。
私は不器用だから、言葉が下手なんだ。
だからせめて高鳴る鼓動で想いを伝えたい。

「美緒は……鼓動が早いんだな」
「全部……瑛太のせいだから」
「ていうか、膝が濡れてるんだけど……?」
「それも……全部、瑛太のせいだからっ!」
「フハッ!」

だってさ、言えないじゃん。そんなこと。
脱糞した瑛太を見て、失禁したなんてさ。
だから何も言わずに、彼の頭を掻き抱く。

「だからさ、お願い。わかってよ……瑛太」

自習室の香りを胸いっぱいに吸い込み、どうかこの想いが彼へ伝わるように私は祈った。


【It's not just because I love poop】


FIN

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