男「それは、宇宙の彼方」 (169)

男「おい」

女「……」

男「いつまで教室にいるつもりだ」

女「……」

男「おい」

女「……」

男(……無視か)

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男「おーい」

女「……」

男「日本語通じてるか?」

女「……あ」

男「あ?」

女「なに?」

男「……はぁ」

 放課後の誰もいない教室で一人、ぽつんと自分の席に座っている。

 視線は真っ直ぐ前へ、何かを見ているわけでもなく。

 ただジッと前を見つめている。

男「なにって、お前がずっと一人で教室にいるから」

女「迷惑?」

男「迷惑……ってわけじゃないが」

 表情はボーっとしたまま、視線はこちらに傾いてくる。

 なんという、純粋かつ、無垢な瞳。

男「一人でボーっとしてたから、ちょっと心配になっただけだ」

女「……」

 何も答えず、静かに立ち上がり、そのまま席を立って教室を出ようとする。

 その時、スクールバッグを持っていないことに俺が気づいた。

男「お、おい、荷物は?」

女「大丈夫」

男「大丈夫じゃないだろ。堂々と置き勉か?」

女「置き勉?」

男「知らないのか?」

男「今、お前がしようとしていることだ」

 手渡すために、机に掛かっているスクールバッグを持ち上げる。

 異様に軽い。というか、何も入っていないな、この重さ。

男「これ、中入ってるか?」

女「入ってない」

男「ちょ、ちょっと待て」

 机の中を見る。何も入ってない。

男「お前、何も持ってきてないのか!?」

女「……」

 丁寧に頷く。とんだ不良少女だ。

男「お前、いつも授業中どうしてんだ!?」

女「……さあ?」

 首を傾げて、踵を返し、教室を後にした。

男「お、おい! 待て!」

 彼女は少しスキップ気味で歩く。その歩調は、異様に速い。

男「待てって言ってんだろ!」

 俺も勢いよく追いかける。廊下は走らない。

女「……」

男「! うおっ」

 急に止まる。俺は勢いを止めきれずに軽くぶつかった。

男「え……?」

 その感触は、やけに柔らかかった。

 もちろん、女性なのだから柔らかくて当然ではあるのだが。

 そういうレベルではない。質量がまるでないような。

 まるで人間ではないような。軽さと柔らかさに驚く。

男「……急に止まるな」

女「……」

 ぶつかった本人が後ろを見上げてきて、超至近距離で目が合う。

男「……ッ」

 吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳。

 まるでガラス玉。気泡は一切ないほど透明で、なんの混じりけもない。

女「……♪」

 笑った気がした。

 ボーっとしていた表情が、少しだけ明るくなる。

男「なんだよ」

女「落ち着く」

 この密着した状態で落ち着くな。

男「は、離れろ」

女「……」

 身体が離れると、表情がボーっとした状態に戻る。

 なんなんだこいつ。

女「……」

男「いや待て、行こうとするな」

女「なに?」

男「お前、いつも学校に何も持ってきてないのか?」

女「?」

 不思議そうに頷く。何も間違いはないとでも言いたげだ。

男「とにかく、スクールバッグは持って帰れ。俺は風紀委員だから看過できない」

女「風紀委員?」

 何も知らんのかこいつは。


また明日。

毎日10レスずつ投稿できたらと思います~。

男「風紀委員は、学校生活の乱れやらを取り締まる委員だ。」

女「乱れ?」

男「そうだ。お前はそもそも勉学に励む気がないとみた」

 だからこそ、俺の立場上見過ごすわけにはいかない。

女「よくわからない」

男「あのなぁ……」

 頭を抱える、というのは正にこういうことを言うのだろう。

男「……」

女「……」

男「お前、家こっちなのか?」

女「……」

 頷く。迷いはない。

 何故か一緒に歩いている。

 現在帰宅途中だ。

 だが、俺の家の方向ではない。

男「なんでスクールバッグを持とうとしない?」

女「重い」

男「重くないだろ。何も入ってないんだぞ」

 今現在、俺が何故かスクールバッグを持っている。

 手渡してもすぐに引きずって、手を離してしまうのだ。

 置いて行っても気にせずにどこかへ行こうとするので、俺が持っているのだ。

男「ん?」

女「持つ」

男「やっと持つ気になったか」

女「試す」

男「いや、試すんじゃなくて頑張って持つんだ」

 スクールバッグを手渡す。腕がガクンと下がる。

女「重い」

男「お前の腕、どうなってんだ!」

 しかし、困ったことになった。

 家に帰るのかと思いきや、一向にその気配がない。

 ずっと歩き続け、先ほど入った住宅街を抜ける。

男「家はどこにあるんだ?」

女「家?」

男「そうだ。帰らないのか?」

女「遠い」

男「遠い?」

 上空を指さす。空はもう夕焼け色だ。

 いや、だからなんだ。

男「そろそろ限界だ。住所教えろ」

女「住所?」

 この流れに慣れない。

男「どうすりゃいいんだ……」

女「困ってる?」

男「困ってるよ」

女「……」

 付けている髪留めを取って、俺に差し伸べる。

男「なんだ?」

女「あげる」

男「なんでだよ」

女「……」

 上目遣いをしながら、目を閉じる。

男「……は?」

 待て待て待て。

 どういう展開なんだこれ。

女「……した?」

 いや、何を。

男「何させるつもりだ」

女「あげる。する」

男「いや、だから何をするんだ」

 頼むから誰か翻訳してくれ。

女「……あげる」

 髪留めを突きつけてくる。そして、目を閉じる。

女「……する」

 苦肉の策で考えた結果、目を閉じた。

 正解は何かわからない。ただ、同じようにしてみせた。

男「……もういいか?」

 返事はない。

 どれくらい経ったかわからないが、そのまま数十秒くらい目を閉じていたかもしれない。

男「どうすればいい」

 俺の声は孤独に響くだけだ。

男「目、開けるぞ?」

 それも、反応はない。

男「開けるからな!?」

 もう一度確認して、俺は恐る恐る目を開けた。

男「……あれ?」

 目の前には人の姿が無くなっていた。

男「……なんだよ」

 離れていく気配も音も一切しなかった。

 どうやっていなくなったのかは謎だ。

 遠くに行けるほど、目を閉じてはいなかったはず。

男「……ん?」

 俺の手に、先程突きつけられていた髪留めが握られていた。

 自ら手に取った記憶はないのだが、何故持っているんだ?

男「なんだってんだ……」

 疑問がずっと残り続ける。謎だ。

 跡形もなく、姿を消していた。

男「……あ」

 髪留めと俺の手の中に。

 空のスクールバッグを床に残して。

姉「遅いです」

男「……すみません」

姉「心配していたのですよ。なにかがあったのではないかと」

男「い、いえ、特に何も」

姉「では、寄り道ですか……?」

男「う……」

 きちんと説明して、納得してもらえるだろうか。

 俺には一つ上の姉がいる。

 同じ学校で風紀委員であり、何故か学級委員を兼任する超優等生。

 帰宅と同時に腕を組んで待っている姉に詰問されるのであった。

男「??というわけでして」

 今日、帰宅が遅れた理由を説明してみる。

 眼鏡に手を掛けながら、適度に相槌を打つ。話をしっかり聞いてくれていたが、

姉「意味が分かりません」

 と、一蹴された。

 まあ、そりゃそうだろう。

姉「その生徒は、どこに行ったんですか?」

男「いや、それは俺もわからなくて」

姉「そのまま、帰ってきたと」

男「……仰る通りです」

姉「……それは?」

 持っているスクールバッグに目をやる。

 スクールバッグを、俺は二つ持っていた。

姉「どうして、二つも持っているのですか?」

男「これは、その娘のです」

姉「……持って帰ってきたのですか!?」

男「そ、そうです。どこに行ったかわからないので、そのままにすることもできず」

姉「た、確かにそうですね……明日返しましょうね」

 驚いた顔を落ち着かせ、姉は軽く息を吐いた。

男「もちろんです。明日返します」

 これで一件落着と思いきや。

姉「そういえば、どうして拳をずっと握っているんですか?」

男「!」

 驚いて手の力が抜ける。

 髪留めは綺麗に真下に落ちて行った。

男「あっ……」

姉「落としましたよ……。ん……これは?」

男「え、えっと……さっき話した娘の髪留めです」

姉「……」

男「……」

姉「い、いやらしい!」

 その後、姉を納得させるのはとても苦労した。

 姉の影響で俺もずいぶんと真面目ではあるが、姉は特に筋金入りだ。

 髪留めで何故「いやらしい」となるのかはわからなかったが、とにかく生真面目すぎる。

 そんなことはどうでもよくて。

男「あいつは一体なんなんだ」

 自分の部屋のベッドで、髪留めを部屋の照明にかざして呟いた。

 髪留めを手渡した彼女は、通称「不思議っ娘」と呼ばれていた。

 ふわっとした癖っ毛で、常にボーっとした顔をしている。

 人と話しているところはほとんど見たことがない。というか、ほとんど空気だ。

 瞳はとにかく澄んでいて綺麗で、先ほども述べた通り引き込まれるような感じだった。

 毎日のように教室に誰もいなくなるまで居座り、気づくといない。

 少し目を離した隙に、帰っていたのだ。

 だからいつも通り今日、俺は風紀委員の仕事(所謂雑用)を終えて、教室の戸締りの為に出向いたというわけ。

 いつもなら不思議っ娘の存在を確認したら、声は掛けずに廊下を練り歩き、いなくなるまで待つことが多い。

 しかし、今日だけはやけに長い間居座っていた。だから、声をかけたのだが。

 そして、帰路で姿をくらました。物音も立てずにだ。

男「そもそも明日、登校してくるのか?」

 それすらわからない。謎だ。

 なにはともあれ、明日になってみないと、どうしようもない。

 俺は消灯して、就寝した。


 俺は電車通学をしている。

 姉とは同じ学校だけれど、登校時間はズラしていた。姉の方が俺より早く登校する。

 家から電車は五分ほどで、そこから十五分電車に揺られ、徒歩十分ほどで学校に到着する。約三十分ほど。

 近いような遠いような、そんな登校時間だ。

男「ふわぁ……」

 最寄り駅に到着して、電車を待っていた。

 寝ぼけまなこで向かいのホームを眺める。どちらも大勢の人がいる。

男「……ん?」

 向かいのホームに、何やら知っている人が立っている。

男「あれは……不思議っ娘!?」

 慌てて彼女のいるホームへと向かう。あっちは学校と逆だ。

 この時間帯の電車を逃したら、間違いなく遅刻。

 向かっている途中で、電車が到着した音が聞こえる。そして、乗客待ちの音楽が鳴りだす。

 人が多くて、向かいに行くのに時間がかかる。

男「……くそっ!」

 やっとの思いで彼女のいるホームに到着したが、既に電車は出発していた。

 彼女の姿はなかった。

男「おいおい……。あっ」

 そして、俺が乗るべきホーム側に、電車がやってきて、発車した。

 俺の遅刻が確定したのだった。

 遅刻確定かと思いきや、急いでみるとギリギリ、遅刻を免れることができた。

 汗はダラダラ、息は絶え絶えになりながら席に着く。そして、すぐにチャイムが鳴る。

男「はぁはぁ……えっ」

 目を見開いて俺は驚いた。何故なら、視界に余りにも信じられない現実が映し出されていたからだ。

男「……どうして」

 不思議っ娘が、いつもと変わらない様子で席に座っていた。

 さっき、向かいのホームで見たのは、見間違えだったのか。

 しかし、さっき見たのは他人の空似なわけがない。

 間違いなく、彼女だった。

男「おい」

 一限の終わり、虚空を見つめている彼女に声をかける。

女「……」

 見上げて、俺を見る。髪留めはもちろんしていなかった。

男「……はぁ」

 一つ大きな溜息を吐いて、俺は身軽なスクールバッグを机横のフックに掛けた。

男「急にいなくなるよ。昨日相当心配したんだぞ。あと、これ」

 髪留めを渡す。というか、机に置いた。

男「これ、なんで俺が持ってるんだ? よくわからないけど、返すぞ」

女「あ」

 髪留めを見つめて声を上げた。

女「つけて」

男「え?」

女「ん、つけて」

 頭をこちらに向ける。

 髪留めを付けろって言ってるのか?

男「自分でやれよ」

女「……」

 感情の無い瞳が、こちらを見ている。

 この目で見られると、なんだかばつが悪い。

男「わかったよ。どうなっても怒るなよ」

 ゆっくり頷いて、頭を向けてくる。

男「……」

 指示も無く、確かこの辺りで留まっていたと思われる場所の髪をすくう。

 ジッとしたまま、目を閉じている。

 どうすればいいんだ、これ。

男「……できた、ぞ?」

女「……」

 髪に触れて、髪留めがしっかりついていることを確認する。

 違和感はなくできた、とは思う。

 確認を終えると、彼女は立ち上がる。

男「なんだ?」

女「……座る」

 自分が先ほど座っている椅子の表面を指さしながらそう言った。

男「座る?」

 これは、彼女の席に座るように促されているのか?

 立ったまま、何も言わない不思議っ娘。

 どういう意図かは知らないが、まあいい。

 俺はとりあえず、言われるまま彼女の席に座った。

男「それで、どうした……っておい!?」

 突然、彼女は俺の膝の上に座った。

女「……」

男「ちょっと待て! 何してる!?」

女「落ち着く」

男「そうじゃねえ!」

 彼女はやはり、軽い。

 まるで一つの羽がふわりと触れているような感触。

 およそ人間座られているとは全く思えなかった。

男「……どけ」

女「……?」

 なんで首を傾げる。

 周りにじろじろと見られる。当然だ。

 こんなの、どう考えても異常だ。

 チャイムが鳴り始めた。

 もうすぐ二限目が始まってしまう。

男「おい、聞こえてただろ? チャイム鳴ってるぞ」

女「チャイム?」

 またこれか!

男「お前は何も知らないのか?! チャイムがなったら授業が始まるんだ!」

女「授業?」

男「もはやそこからわからないのか?! どうやって人生歩んできた!」

女「人生?」

 もうダメだ。

 この後、教科担任にえげつないほど白い目で見られたのは言うまでもない。

姉「どうしてここに呼び出されたのですか?」

男「……」

 放課後、俺は指導室にやってきた。

 ここは、基本的に使用されることはなく、お飾りのようになっている。

 それでも、現在ここに姉と二人でいるのは『使用しなければならないことが起きてしまった』ということだった。

姉「姉として恥ずかしいです。何をしたのですか?」

男「それは……」

 今日の、一部始終を伝えると、姉はどんどんと赤面し始め、最終的には耳まで真っ赤にした。

姉「……いつからそんな子になってしまったのでしょう……」

 汗ばんだ額をハンカチで拭いながら、姉が寂しそうに独り言ちた。

姉「それで、その娘は一緒に来なかったのですか?」

男「えっと……来るよう伝えたんですが、来てないです」

姉「連れてきなさい」

男「は、はい!」

 座らせていた椅子から即立ち上がり、すぐに指導室の出口に急いだ。

 そして、扉を開くと。

男「うおっ」

女「……」

男「来てたのか」

 不思議っ娘は、扉のスレスレの場所に立っていた。

男「姉さん、来てました」

姉「ふむ……それでは、そこに座ってください」

 姉が指さした方に、椅子が二つ並んでいた。

 俺は彼女よりも先に歩いて、奥にある椅子に腰を下ろした。

 しかしその後、彼女の行動には問題があった。

姉「……」

男「……」

女「……」

姉「あ、あの?」

男「はい!」

姉「こ、こ、こ、これはどういう状況ですか!?」
 
 察しの良い人はわかっているだろう。

 また、彼女が俺の膝の上に座っているのだ。

姉「風紀委員としての自覚はどこに行ったんですか!」

男「俺が座れって言ったと思いますか!?」

女「落ち着く」

男「感想は聞いてねえ!」

姉「うう……」

 朱に染まった顔で、姉は机に突っ伏した。

 あの難攻不落の姉を、不思議っ娘はやすやすとダウンさせたのだった。

男「おい」

女「……?」

男「なんだってあんなことしたんだよ」

 姉から解放された俺は、また何も入っていないスクールバッグを持って、彼女と行動を共にしていた。

 教室に置きっぱなしにして帰ろうとしていたので、わざわざ俺が回収したのだが。

女「落ち着く」

男「落ち着くからやったのか?」

女「……」

 無言で頷く。

男「はぁ……」

 落ち着くからってあんなことするか、普通。

 しかも、こちらの意思も無視で、だ。

女「迷惑?」

男「迷惑ではないが……うーん……」

 どちらかというと、困惑であって。

 別に迷惑だとは思ってない。

 これは本心だ。

男「お前の行動は謎だらけで、何がしたいのかわからん」

女「行動?」

男「うーん、なんといえばいいやら……」

女「……」

男「他の人にはしない方がいい。やるなら俺だけにしとけ」

女「どうして?」

男「それは、他人には迷惑になるかもしれないからだ」

 というか、こいつはどうやってこれまでの人生を歩んできたんだろうか。

 謎は深まる。

女「……」

 表情から、理解しているとは到底思えない。

男「あと、わかったら頷くだけじゃなくてちゃんと返事をしろ」

女「へんじ?」

男「声を出すんだ。『はい』とか、『うん』とかだ」

女「……はい? うん?」

男「『はい』、『うん』」

女「はい、うん」

男「どっちかだけでいい。『はい』か『うん』のどちらかだけ」

女「うん」

男「うん、それでいい」

 なんだこの会話。

 本当に不思議なやつだ。

 今日はとことん、彼女に付き合ってやろう。そう思った。

 なんの合図もなく、自由に歩く。

 そんな彼女を追いかける。

女「……」

 急に立ち止まる。

男「ん? どうした?」

女「……」

 彼女は自らの背中を指さす。

男「なんだ」

女「……うん」

男「そこは相槌じゃないだろ」

女「……」

 正面を向きながら後ろにいる俺にトコトコとバックで急接近してくる。
 
 そして、俺に身体を密着させてきた。

男「お、おい」

女「落ち着く」

 さっきと同じ体勢だ。

 だけど、場所は廊下ではなく、ここは外だ。

女「知りたい?」

男「ああ?」

女「私のこと」

 また、上目遣いの至近距離だった。

男「そりゃあ、まあ」

 気になるわな。

女「はい? うん?」

 それじゃあどっちにしても同じことなんだが。

男「うん」

女「うん」

 会話が成り立っているかは正直怪しい。

 不思議っ娘は俺の身体から離れて、歩き出した。

男「お、おい」

女「……」

 ついてこい、と言われているような気がした。

男「……」

 軽く頷いて、ついていくことにする。

 一体、どこに向かう気だ。

 とにもかくにも、ついていかざるを得ないか。

女「着いた」

男「え……ここって」

 周りを見渡す。ここは、昨日と同じ場所だ。

 彼女が忽然と姿を消した、まさにその場所。

男「また消えたりしないよな?」

女「うん」

男「……で、ここに何があるんだ?」

女「家」

 さっと指をさす。その先には。

 さきほどまであったはずの建物が、姿を消していたのだった。

男「えっ……」

 指さした場所だけが、ごっそりと。

 それ以外は何も変わっていない。

男「どうやって……うおっ!」

 突然強い風が吹き荒れた。

男「な、なんだ……!?」

 目を開けてられない。

 それほどの強風だ。

男「だ、大丈夫か……!?」

 彼女を見やる。一瞬見えた姿は、風などまるでないかのような表情。

 つまり、いつも通りだった。

 ただ、制服だけが大きくなびいていた。

男「……ん?」

 強風が止んだ。

 眼を開き、彼女が見据えている場所に俺も目をやる。

 そこには、どこかで見たことがあるような円盤状の物があった。

 所謂、世間一般的に、『UFO』と呼ばれているような形をしていた。

男「……な、なんだありゃ」

 サイズは相当大きい。少し遠くからでもわかる存在感。

 そして、奇妙な異物感。

女「……」

 彼女は物怖じせず、その物体に向かっていく。

男「お、おい……」

 こちらを向く。

 しかし、何も言わないまま、またUFOへと進んでいった。

 俺はついていくしか選択肢がないじゃないか。

男「なにがどうなってるんだ……」

 夢にしてはなにもかもがリアル過ぎる。

 流れる空気と言い、このUFOの存在感と言い。

 何もかも、現実離れした現実なのだ。

 彼女はUFOの目の前に止まり、口を開いた。

 よくわからないが、その時微かにノイズのような音が耳に入った。

 恐らく、何か声を発していたように思えたが、明らかに聞き取れる音声ではなかったのは確かだ。

 しばらくするとUFOの一部分が静かに音を出して、中へと続く入り口を形成した。

男「は、入るのか?」

女「うん」

 間髪入れずに、答えてくる。

女「私の家」

男「え――」

 彼女は、それ以上何も言わずに、中に入っていった。

 彼女の家。

 いや、これは明らかに家じゃないぞ。

 どこかのアトラクションみたいじゃないか。

 これを『家』とは呼びたくない。というか、どう考えても呼べない。

 あまりにも無機質過ぎる。色味も、眼がおかしくなりそうなほどの単色。

 それでも、入っていってしまったのだから。

 ついていくしかないのだろう。

男「はぁ……」

 大きく息を吐いて、仕方なく中へと足を踏み入れた。

 中はとてもじゃないが、生活感がまるでない、銀色の世界だった。

 というのも、周りは冷たい鉄のような内装で、家というよりは研究所のような様相だ。

 そもそも、何も物がない。遠近法がおかしくなりそうだ。

 音もなく、ニオイも無く。殺風景にもほどがある。

 外の世界から隔絶されているとすら感じた。

男「お、おじゃまします」

 しかし不思議っ娘が家だと主張するなら、俺もそれに従わざるを得ない。

 だからこその、「おじゃまします」だ。

女「……」

 当の彼女は、何も言わなかった。

女「おじゃまします」

男「いやいや、違うだろ」

女「うん?」

男「『うん』でもない」

女「なに?」

男「『ただいま』だな。自分の家なんだから」

女「ただいま」

 ……まあ、いいだろう。

女「……待ってて」

男「どこ行くんだ?」

女「……」

 これでもかと言わんばかりの無視。

 奥へと歩いていき、姿を消した。

 待たされる俺はばつが悪くなって軽く頭を掻いた。

 彼女を待つことにしたのだ。

 というか、それしか術がない。

?「客人ですか」

男「あっ……」

 不意に声をかけられる。

男「お、おじゃましてます」

?「ふむ、なるほど」

男「……はい?」

?「『おじゃましてます』ね」

 声の主はゆっくりと俺の方に近づいてくる。

?「それは、どういう時に使うんですか?」

男「え……人の家に来た時に、でしょうか」

?「ふむふむ、なるほど」

男「あの……」

?「なんでしょう?」

男「えっと……」

?「『あなたは誰ですか?』ということでしょうか」

 まったくもって、そのとおりだった。

 中性的な見た目、しかし声は男性の低さ。

 ただ、年齢が容姿から想像できない。

?「申し遅れました、私は……」

男「……」

?「こちらの言葉では”素体”……"素体"の父、とでも言っておきましょうか」

男「……」

 素体?

父「"素体"と最近、交流をしていて、とても助かります」

男「……」

父「我々はまだ知らないことばかりですので、あなたのような生身の人間の存在は非常に有り難い」

男「あの、ちょっとまってください」

父「なんでしょう」

男「"素体"って、なんですか?」

 目の前にいる男は、何一つ表情を変えずに俺に近寄ってきた。

父「ふむ……なんと呼ぶのが正解か、よくわかりませんが」

 顎を擦りながら、視線を宙に向ける。

父「先ほどあなたと一緒にこの場所に来た、『アレ』のことですよ」

男「……」

 アレ。

 おそらく。

 いや、間違いなく。

 不思議っ娘のことを言っているのだろう。

父「私達は、この星の者ではありませんから」

 ハッキリとそう言う。

男「……証拠は?」

父「この場所が最大の証拠だとは思いますけれど」

 突然目の前に現れた謎の建物。

 ここが、最大の証拠。

父「あなた達人間と交流する為に作成した"素体"、それが『アレ』なのです」

男「……」

 理解が追いつかない。

 『この星の者ではない』?

 『人間と交流する為に作成した』?

父「まだまだ未完成品ですけどね」

 つまり、

 彼女は、人間じゃないってことなのか?

父「私達は"素体"を通してあなた方の文化や言語を学習している最中なのです」

男「それにしては、アイツと違って流暢ですね」

父「『アレ』はただの"素体"ですから」

 だからその、"素体"ってなんだよ。

父「我々は意思を持ち、思考ができる。しかしながら『アレ』にはできません。"素体"は所詮『容れ物』ですから」

 『容れ物』。

男「アイツは、人間じゃないってことですか?」

父「そうですね」

 あっさりと肯定する。

男「……」

父「でも、良くできているでしょう。見た目はおそらく人間にしか見えないと思います」

男「ええ」

父「しかし、中身は残念ながら……お察しの通りで」

 この男の表情は、彼女よりもわかりやすかった。

男「もっと、ちゃんとしてやらないと学校で浮きますよ」

父「そこは安心してください。"素体"は人間に限りなく認識しづらく設定しておりますので」

男「え」

父「授業で"素体"が指名されたことがありましたか?」

男「え……」

 そういえば、一度もないかもしれない。

 というか、入学式で自己紹介もしてなかった気がする。

 気づけばそこにいて、当たり前のように存在していた。

父「感知・認識しづらいようにしておりますから」

 そんなことができるのかよ。

 少し、合点がいく。

 不思議っ娘は、俺以外と会話しているところを見たことがない。

 ましてや、誰かが彼女のことを話しているのも聞いたことがない。

 でも、それなら。

父「『どうして自分は?』と思ったでしょう」

男「! ……ええ」

 学習中なのに先読みしてきやがる。

父「我々も理解不能な状態です。驚くべきことです」

 「こんなことは初めてですから」と。

 無表情なトーンでの物言い。

 しかし、俺にとっては驚くべきことではない。

 俺にはハッキリと彼女がわかる。

 確かに周りの連中が無反応なのは色々と不可解ではあった。

 認識しづらくなっているという点は、納得できる。

父「そして、困っていることがもう一つ」

 宙に向けて立てた人差し指をこちらに向けられる。

父「あなたに知られてしまったことです」

男「?」

父「我々は存在を知られないように対処していたのですが……予想外です」

男「どういうことですか?」

父「『アレ』が、勝手に連れてきたのですよ」

男「え……」

父「我々の意に反して、ね」

 不思議っ娘が……?

男「……?」

父「だからこそ、我々もあなたの前に姿を現わさざるを得なくなったということです」

男「……どうして?」

父「記憶を消去するためですよ」

 口角を上げて、微笑んでいるように見せた。

 奥底では明らかに笑っていない、見よう見まねの表情だ。

 その笑みに、俺は鋭い恐怖を覚えた。

父「我々はこの星のことをもっと知らねばなりません。

  あなたが誰かに吹聴してしまう可能性と、ここでその可能性を消すこと、

  確実に後者の方が効率が良いと思いませんか? 私はそう思うのです。

  我々は実験を好みません。あくまで自然な生態を観察・調査を行いたい。

  だからこそ、あなたに記憶を保有させたまま野放しにはできない……。

  存在を消さないだけ、有難いと思っていただければ幸いです」

男「……!?」

 身体が動かない。

 筋肉が硬直して、身体が同じ状態で留まり続ける。

父「大丈夫です。すぐに終わりますよ」

 顔へ徐々に近づいてくる手。

 俺は、抵抗できない。



父「それでは、またどこかで?―?―?―?―?―

       

 












 










 ――――――――――コンコン。

 扉を叩く音がした。

男「ん……」

 見慣れた天井が視界に広がる。

男「あれ……」

 上体を起こし、周りを見渡す。

姉「起きましたか」

 扉の向こうから、姉の声が聞こえる。

男「おはよう、姉さん。どうしたの?」

姉「おはようございます。いつもの時間に起きてこなかったので、起こしに来ました。」

 几帳面な口調で姉は言った。

男「ありがとうございます」

姉「……珍しい返事をしますね」

男「ノックで起きたからさ」

姉「そうですか。どういたしまして。私はもう出るので、あなたも支度してくださいね」

 廊下から聞こえる足音が遠くなる。

男「……うーん」

 軽く頭をかく。少しだけボサッとした髪を自然な流れで整える。

男「ん?」

 もう片方の手に何か違う感触がした。

 それは、女物の髪留めだった。

男「……」 

 家を出て、いつもより遅い電車に乗って、学校に向かう。

 少しばかり混んだ車内の中で何も考えずにただ揺られて到着を待つ。

 なんのことはない一日が、今日も始まるようだ。

男「……」

 窓から外を眺めると、風景はまるで高速で進むスライドショーだ。

 電車から見える当然で確実で当たり前の景色。

 軽く欠伸が出かけて、口元を手で押さえる。目元から涙が少し滲んだ。

 俺自身も、いつも通りと変わらない。

 最寄り駅に着いて、改札を出る。

 学生と社会人の群れが改札から散り散りに自分の目的の場所へと向かっていく。

男「なんだってんだ」

 学校に向かう途中、小さく呟いた。

 不意に出た言葉だ、これといって意味はない独り言。

男「……」

 何もない、普通の日常がここにはある。

 だけど。

男「……くそっ」

 ポケットに入っている、今朝の髪留めを手に取る。

 俺には一生縁が無いであろう、淡い色の髪留め。
 
 なら、それを何故俺が持っているのか。

 姉に見せたら絶対に怪しまれる代物だ。

姉『どうしてそのような物をあなたが持っているんですか!』

 姉の血相を変えた顔で、震えた手で眼鏡を押さえているのが目に浮かぶ。

男「……参ったな」

 身に覚えのないものだから、捨てれば良いのだが。

 もしかしたら誰かのものかもしれない。

 というか俺は、いつからこれを持っていたのか。

 まったく思い出せない。

男「……」

 学校に到着しても、ずっとその事が気になっていた。

 自分の席に座りながら、髪留めを眺める。

 毎日の日常の中で、

 この髪留めだけが違和感だった。

男「何考えてんだか」

 俺は少しだけ、この髪留めに期待していた。

 いつもの日常が少しだけ変わるような、

 そんな期待を。

 チャイムが鳴り響いて、今日も授業が始まる時間を告げた。

男「んー」

 何の気なしに、伸びをした。

 結局髪留めを持っていることで何かが変わるなんてことはない。

 日常なんていうものは早々変わることはないのだから。

 教科担任がやってきて、授業が始まる。

 ……のだが。

男「……ん?」

 何かが違う。

男「!?」

 俺は勢いよく席から立ち上がった。

「ん、どうした?」

 教師が目を丸くして俺を見る。教室の全員がほぼ教師と同じ視線でこちらを見ていた。

男「あ、いや……すみません」

 恐る恐る席に座る。少し戸惑いつつも、教師は授業を開始した。

 俺は机の横に掛けたスクールバッグの中を覗く。

男「……おかしい」

 俺は毎日、次の日の授業の教科書を前日に確認して入れておく。

 欠かさず行っていることで、これを忘れるようなことはない。

 朝はできるだけやることを削ぎ落したい、その為にやっていることだ。

 勘違いが無いよう、何度も確認し、宿題があればそれもやっておく。

 姉ほど几帳面ではないが、できることはやりたいという気持ちはある。

 身近にあれほど真面目な人がいれば、影響を受けることは自然だ。

 ずぼらな性格をなんとかカバーするために行っていた手段。

 準備されていた教科書は、全く違う時間割のものだった。

 いよいよおかしい。

 昨日の事を思い出してみようにも、全く思い出せない。

 ご飯の記憶も、授業の記憶も、観たテレビも。

 そういえば、髪留めを持っている時点でおかしいことに気づかねばならなかった。

 日付を見てみる。やはりおかしい。

 ただ、何故おかしいのかはわからない。

 ガラッと教室の扉が開く音がした。

 もう授業は始まっているのに、だ。

男「……!?」

 見知らぬ女の子が、そこにはいた。

男(えっ……)

 その女の子は教卓のある方の扉から、トコトコと教室内を歩く。

 しかし教師は淡々と授業を進めている。

 生徒達も、静かに授業を受けている。

 誰も彼女に気づいていない。

 いや、明らかに無視されている。

 でも俺にはハッキリと見えている。

 ただ誰かはわからない。

 そして何故誰も反応しないのかも。

 その娘は一番後ろの空いている席に座った。

 何事も無かったように。

 彼女は間違いなくそこに存在するのに。

 そもそも、あの席、なんで空いてるんだ?

 一限の授業が終わった。

 俺は真っ先にさきほどの女の子の元に向かった。

男「……」

 彼女は無言で、真っ直ぐ目の前を見ていた。

女「……」

男「……あの」

女「……」

 こちらを見ない。

 無視されるとばつが悪い。

男「えっと……」

 ただ、この異常な空気の答えを知りたかった。

 そもそも彼女は誰なのかわからない。

 もしかすると、声をかけるのも、関わるのも危険かもしれない。

 それでも、声をかけた理由は一つだった。

男「これ……あなたの、ですか?」

 俺は髪留めを彼女の目の前の視界に入るように見せた。

 確信などあろうはずもない。
 
女「……」

 彼女が微かに首を動かしたようにみえた。

女「……」

 無言で、差し出された髪留めを見つめる。

男「……」

女「……」

 そしてゆっくりと見上げて、

女「もってて」

 と、言った。

男「え?」

女「もってて」

 と、言うと、彼女はまた首の向きを戻し、真っ直ぐ前を見つめた。

男「……」

 『もってて』ということは。

 彼女の物なのだろうか。

 教科書が無くても案外となんとかなるもので、今日の授業は全て終了した。

 彼女はボーっとしていた。昼食時間もずっと何も変わらず視線も変わらなかった。

 そしてそれを教師は咎めない、誰も、だ。

女「……」

男「……」

 彼女の事が気になりつつ、俺は風紀委員の定例会に向かうために教室を離れた。

 うちの校風は他の学校にくらべて自由ではあるが、風紀委員が存在する。

 以前は緩い取り締まりではあったが、姉が非常に真面目なために最近ではしっかりとしている。

 この週一の定例会も、姉の提言によるものだ。

姉「どうしたのですか?」

男「あ、姉さん」

 いつも定例会が行われる教室の前で、姉とでくわした。

姉「今日は定例会でしたっけ?」

男「え、そうだと思ってきたんだけど」

姉「定例会は明日ですよ?」

男「えっ……」

姉「意識が高いのは良いことです。明日、またちゃんと来てくださいね」

男「は、はあ……」

姉「あ、委員としてのお仕事は忘れずに」

男「も、もちろん」

 姉は少し機嫌が良さそうにしてその場を去っていった。

 俺はきまりが悪くて、頭を掻いた。



 風紀委員の雑用を終えて、改めて自分の教室に出向く。

女「……」

 見知らぬ少女は全く同じ体勢で席に座っていた。

男「ふぅ」

 少しだけ安心した自分もいた。

 髪留めのことが気になっていたし、何よりも彼女が何者なのかも気になっていた。

 誰もいない教室に、男女が二人。

 こんなとこ、姉に見られたら即気絶だろう。

男「えっと、教室閉めるから」

 少し遠くから声を掛ける。

女「……」

 彼女は無反応だ。

男「……えーっと、聞こえてる?」

 結局近づいて話すしかないようだ。

 俺は彼女の真横に近づき、声をかけようとしたその時。

女「待ってた」

 彼女が、そう言った。

女「ついてきて」

 彼女は席を離れて、教室を出ていく。

男「いや、ちょっと、待って!」

 教室の窓の戸締り確認し、前の扉を閉める。

 流石に風紀委員の仕事をせずに追いかけることはできない。

 後ろの扉を慌てて開けると、彼女は目の前に立っていた。

男「おわっ、びっくりした」

 彼女は俺の言葉に一切反応せず、そのままトコトコと歩を進めた。

 何故だろう。

 彼女のことは今日会って、どんな人間なのかも一切わからないにも関わらず。

 「ついてきて」と一言言われた俺は、自然とその指示に従ってついていっている。

男「ど、どこに行くんだ?」

女「……」

 彼女は歩を止めない。ただその速度は恐ろしく遅い。

 並行して歩けば確実に追い抜いてしまうほどに。

 だから俺は彼女の後ろを更に遅い速度でついていった。

 のだが。

男「……!」

 急に彼女が止まり、ぶつかりかける。

 いや、結局ゆるやかにぶつかってしまった。

 彼女は小柄で、俺の胸あたりに頭がぶつかる。

 ぶつかったのにも関わらず、衝撃の異常な軽さに驚く。

男「すまん、大丈夫か?」

女「……うん」

 彼女がこちらを向いた時、異様な違和感を抱く。

 以前、このような経験をしたことがあるような気がする。

 しかし身に覚えはまるでない。

男「えーっと……離れないのか?」

女「うん」

 それは非常に困る。

男「流石に道端で密着してると色々問題があると思うぞ」

 初対面でなんだこの密着度は。

女「うん」

 『うん』ではない。

男「仕方なくだからな」

 彼女の肩にそっと手をやり、身体を離した。

女「……」

 彼女は自分の頭がさっきまであった俺の胸元をジッと見つめる。

男「な、なんだ?」

女「ついてきて」

 一言放って、また歩き始めた。

 よくわからない。

 ただ彼女をこのまま放っておけなかった。

 何かがあるような気がする。

 これはただの勘でしかないが。

女「ここ」

 再度ピタッと立ち止まり、彼女がとある場所を指さす。

 指さした場所には何もない。空き地のような場所だ。

男「ここがなんなんだ?」

女「うん」

 『うん』しか言えないのか?

男「えーっと、なんかの冗談なのか?」

 少し呆れた俺は頭をめんどくさそうに掻く。

 おまけにアクビも出る。

男「ふわぁ~……ん?」

 アクビをした際に少しだけ目を閉じた、その刹那。

 目の前の空き地に、異物が現れた。

男「な、んだあれ?」

 驚いたせいで、一瞬どもってしまう。

女「……」

 彼女は『それ』に向かっていく。

男「いやいや」

 圧倒的な異物感、宇宙的な何か。

 間違いなく想像されているUFOのような形を模した何かだ。

 なんの冗談なんだ。

 しかし確かに目の前に存在している。

男「はぁ」

 仕方なく、俺は彼女についていくことにした。

男「おじゃまします」

 自然と中に入ると、俺はそう言っていた。

 中身は外側の灰色の鉄の色同様に生活感の無い色をしているのかと思いきや。

 想像よりも通常の家に近いインテリアをしていた。

男「というか、なんだこれ……」

 ほとんど俺の家に近い。

 いや、ほぼ俺の家だ。

 ソファにテレビ、台所、お手洗いの場所。

 物や色まで全て一緒だ。

 ここまで似ていると不気味過ぎる。

男「どうなってんだこれ……」

?「今回はお早いですね」

男「!」

 奥から誰かの声が聞こえる。

 明らかに、彼女の声ではない。

 というか、何故だか聴き慣れた声。

?「どーも」

 そこには、俺の姉の姿があった。

男「姉さん!?」

 いや、姉ではあるが様子がおかしい。

 いつも綺麗に整えている髪は乱れ、眼鏡を外している。

 胸元も大きくはだけ、服もしわくちゃだ。

 弟でなければ、同一人物とはわからないほどに荒れた姿だ。

 正直、弟としては見たくない姿でもある。

姉?「ああ、今はこの"ガワ"にしていたんでしたっけ」

 よくわからないことを言うと、クルンと身体を回してみせる。

 その瞬間、別人が姉の代わりに現れた。

父「父です。……と言っても今のあなたには何がなんだか、でしょうが」

 まったくその通りだ。

男「あの、なんなんですかこれ」

 理解が到底できない為、縋る思いで目の前の人間に聞く。

 中性的な見た目をした男。

 彼女は何も言わず、ただ俺の横に立っていた。

父「あなたのおかげでデータがたくさん取れました」

 いや、話を進めるな。こっちは何もわかってないんだぞ。

男「どういうことですか?」

父「ちょっと失礼……」

 少し疲れたような顔をして俺の額に手を当てる。

 何故か俺は抵抗しなかった。

 いや、できなかったに近い。

男「!」

 ズキっと頭が響く。

 痛みと同時に、何かが流れ込んでくるような感覚。

男「うおっ、おおおお……」

 視界が禍々しく滲み、目を閉じていても頭が重くてクラクラする。

 そして脳内で鮮明なイメージが浮かんでくる。

 現れたのは、さっきの彼女だった。

父「あなたの記憶です」

男「俺の記憶?」

父「と言ってもほんの一部ですが」

 次々と謎の情報が頭を駆け巡っていく。

 不思議っ娘。

男「不思議っ娘!」

 ふと我に返り、気づくと叫んでいた。

父「思い出しましたか」

男「どうなってるんですか、これ」

父「一から説明した方が、良いでしょうね」

 大きく、深いため息を吐いて、彼は語り始める。

父「あなたがここにやってきたのは、数えきれないほどの回数に及びます。

  我々が始めて遭遇したことを1回と数えるのであれば今回が記念すべき88888回目です」

 それはなんというか、

男「末――」
父「『末広がりだ』と言うのでしょう?

  8回の時も88回の時も888回の時も8888回の時もあなたはそう仰いましたね。

  私はあなたの記憶と共に、時を戻しました。
  
  スクールバッグの中身に違う曜日の教科書があって驚くのもセットです」

男「え……」

 意味の分からない理論をさもありなんという感じで進めていく。

父「時を戻すのは容易ではありません。時は戻ってなどくれないのです。常識です」

男「それじゃあどうやって」

父「『時を戻す』というのは、非常に語弊がありますね。

  改めます、私は『世界自体を一新させている』のですよ、何度も何度も」

 より意味が分からない。

父「全ての世界設定をコピーして、全く同じ世界を作成するのです。

  そうですね、『パラレルワールド』と言うとわかりやすいでしょうか。

  世界の設定をそのままに、世界自体を作り直しているんです。

  ただこれには、二つの制約があります。

  ①起点となる世界設定は一度しか切り取ることができない。

  ②世界が再作成する起因を設定し、同じ事象が起きた場合に再作成(リセット)される。

  『あなたが初めてここにやってきた日』をAとします。

  そして我々が世界の再作成(リセット)を行った理由は、
  
  『あなたに我々の存在が知られてしまったこと』に起因しますから、
  
  この日をB、トリガーとし、Aの地点に戻ります。

  つまり、あなたはここにやってきた回数は今回で88888回目になるのです」

  気が遠くなる。

男「88888日も同じようなことをしているってこと……か?」

父「それは違います」

  彼は、我が家に酷似しているインテリアを顎で示す。

父「我々は"素体"の行動方針を幾度となく変更していました。

  そのため、あなたが"素体"と接触する時間、場所、方法は全てに差異があります。

  そしてここにやってくるまでの時間は、長い時は1ヶ月に及ぶこともありました。

  この空間は、あなたが"素体"を家に招いた時に記憶したレイアウトを参考に配置しました。

  私があなたのお姉様の姿になっていたのもそれが理由です」

 家に招き入れた?

 俺が、不思議っ娘を?

父「"素体"を通じて様々なデータを取得できると同時に、どうしても避けられないことがありました。

 というよりも、あなた自身が"素体"に関与しなかったパターンは一度もありません。

 まあ、だからこそ先ほど申し上げたような回数なのですが。

 "素体"は粒子の存在を極限まで希薄化させることで、他人とは関わりを持たないようにしています。

 あくまで俯瞰的な調査・観察を行うためにそのように作成しました。なのにですよ?
 
 あなたは必ず"素体"の存在に気づく。

 絶対に、確実に、当然のように。何故なのです?」

 そんなことを俺に言われても。

父「現在88887ケースを経て、我々の言語能力も格段に向上しました。

 しかし困ったことに、あなたは必ずここにやってきて、世界は再作成(リセット)されてしまうのです。

 あなたはどんな状況になろうとも、必ず"この場所"にやってくるのです。絶対に」

男「なら、俺から彼女を遠ざければいいのでは?」

父「それができたら苦労はしませんよ。

 残念ながら、一時的に保存された世界設定を覆すことはできないのです。

 再作成(リセット)された世界では、その役割を全うしなければなりません」

男「どういうことですか?」

父「あなたが"素体"を認知しているため、"素体"に役割が生まれてしまっているのです。

 だから、あなたの付近にいなければならない、そのように役割が設定されているのです」

男「それはおかしいだろ。俺は記憶を消されてるんだから、彼女のことを知らないはずじゃないか」

父「あなたの記憶は、消していなかったのですよ、今の今まで」

男「え?」

父「今回初めて、あなたから『"素体"の存在』の記憶を消しました。

  だからあなたは"素体"の存在を再作成(リセット)時点で知らなかった。

  でも、それはおかしいでしょう? あなた自身は、再作成(リセット)時点より後の記憶がないのは当然ですが、

  それ以前に"素体"と関わりを持っているのですから、全く認知していないということはおかしいのです。

  関係値を0にしたはずが、結局あなたはここに来てしまった。

  しかも、全パターン中今回が最短です」

男「……」

父「世界はまた繰り返す。細かく言えば、新しく作り直しているわけですが」

 ここまで聞いてみても。

 にわかには信じられない。

父「もううんざりですよ、正直」

男「ま、待ってくれ」

父「?」

男「何か、方法はないのか? その再作成(リセット)とやらから逃れる方法は」

父「ありません。あなたがここに来てしまったのですから」

男「ぐっ」

  即答するなよ。

女「一つだけ、ある」

男「!」

 不思議っ娘が口を挟んだ。

父「……」

女「全ての記憶を同期」

男「???」

女「上書き」

父「無理です、人間の脳内の膨大な記憶を全て同期することは不可能です」

 おい、話についていけんぞ。

父「"素体"が申し上げているのは、

  『再作成(リセット)の上書き』です」

 再作成(リセット)の上書き。

父「再作成(リセット)には起因となる事象が存在します。

  その事象が再度起こることで世界は再作成(リセット)されます。

  今この世界の再作成(リセット)される事象はあなたの行動が起因となっている。

  そのため、あなたはこの世界のキーになっています」

男「キー」

父「はい。そこで"素体"の考えは、再作成後の世界で起きた全てのパターンをあなたに同期させ、

  この世界に『再作成(リセット)後』の記憶を持ったあなたを作成し、別の世界設定に更新・上書きしようということです」

 もちろんこの説明で理解ができるはずもない。

父「『起因となっているあなた』と『起点以降の記憶を同期したあなた』は同一人物ではありません。よって、役割も変わります。

  再作成(リセット)後の記憶を持った状態での再作成(リセット)はパラドックスが起きてしまうからです。

  例えば私のように再作成(リセット)後にも記憶を保持している人間は、この世界設定からは蚊帳の外、というわけです。

  つまり、あなたは世界の再作成(リセット)のキーとしての役割から解放され、世界設定外の人になれるということです。

  私は記憶を保持しているのでこの世界の役割から外れていることになります」

男「と、とりあえずそれをやれば再作成(リセット)からは抜け出せるってことなのか?」

父「はい。……ですが」

 深く考え込むように、顎に手をやる。

 とてつもなく、人間っぽい仕草。

父「非常にリスクのある方法なのです」

 そこはなんとなく理解できる。

 おそらく、今回を除く88887回分の記憶を俺に入れるってことになるわけで。

 1回目であろう記憶をさっき入れられただけでも眩暈、頭痛は相当なものだった。

 それを、あと88886回分しなければならないとなると、無謀だということは安易に想像できる。

男「もし、俺が死んだりしたらどうなるんだ? そうなればここに来ることもなく、起因が起きず、再作成(リセット)は起きないんじゃないか?」

父「そうですが、それをあなたは望みますか?」

男「いや……」

 無論だ。死にたくはない。

男「わかった、じゃあ少しずつ俺の何万回分の記憶を入れてくれ。流石に一気は無理だ」

父「あなたがここに来た日、つまり今日の日付変更時に世界は再作成(リセット)されてしまいます」

男「? そうなのか」

父「小分けにして入れ直すでは、おそらく間に合いません」

男「……俺はこの記憶を入れて、世界はどうなるんだ?」

父「……」

 おい、急に黙るな。

父「パターンは二つ」

男「……」

父「記憶の同期が完了し、再作成(リセット)されない。

  もしくは、

  記憶の同期に失敗し、脳の機能が停止した上で、再作成(リセット)される」

  つまり、

  88889回目に突入します」

男「……」

 釈然としない数字だ。

男「つっても俺は、また何も知らないまま、88889回目に行くんだろ」

父「そうですね」

 88888回目の今の俺を犠牲にして。

 別の俺がまた世界を生きる。

 なんだかわけのわからん感覚だ。

男「わかった。じゃあ一気に頼む」

父「よろしいのですか?」

男「やらなきゃ変わらないならやるしかないだろ」

 聞いた時点でやると決めてはいた。

 気づけば、敬語じゃなくなっている。

 この際どうでもいい。

 ただ、もう一つ気になる点がある。

男「もう一つ聞いていいか?」

父「はい」

男「再作成(リセット)を抜け出した後、あんた達はどうする?」

父「そうですねえ、私はこの星からは去るでしょう。

  "この場所"もまた、役割を担っているので離れることができないのですよ」

男「……不思議っ娘は」

父「"素体"も役割を終えるわけですから、廃棄になるでしょう」

 無感情のまま、彼は言い放つ。

男「……成功したら、二つ、約束して欲しい」

父「はい」

男「一つは、あいつのことを"素体"と二度と呼ぶな。

  あんたからしたらただの物かもしれないが、俺にとっては違う。

  だから、もうその呼び方はしないでくれ」

父「了解しました」

男「あと、もう一つ――

 彼は非常に勇ましく果断だ。

 数万ケースに及ぶ再作成(リセット)を行っても、必ずここに辿り着く。

 これはありえないことだ。

 世界はこれほどまでに何度も何度も再作成(リセット)されることなど無かった。

 ユニークな事が今、目の前で繰り広げられている。

 だが、彼は非常に悲しく痛ましい。

 彼は88888回の中で、何度も記憶の同期に挑戦している。

 しかし、成功したことはない。全て、失敗している。

 この地球に生きる「人間」という生き物は、残酷なほど脆い。

 信じられない出来事に携われていることは嬉しいことだ。

 だが、この再作成(リセット)は終わらない。

 彼は記憶同期に耐え得る身体性能を持ち合わせていない。

 だが、私はそれを伝えても無駄だとわかっている。

 なぜなら、再作成(リセット)すれば彼の記憶は消えるからだ。

 数万のパターンを経て、私も大きく成長したようだ。

 しかし、この成果を母星に届けることができないのは非常に歯痒い。

父「準備はよろしいでしょうか?」

 無骨な硬い椅子に腰掛けている俺に、確認の声を掛ける。

男「……ああ」

 俺は静かに深呼吸をして、その時を待った。

父「それでは、参ります」

 彼は俺の額に両の掌をあてがう。

男「……」

父「では、また会いましょう――――――――――

 
 
  
  
  
  
  
 
 
 
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
    

 
 
  
  
  
  
  
 
 
 
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
     

 
 
  
  
  
  
  
 
 
 
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
    




    

 
 
  
  
  
  
  
 
 
   
  
 
 
 
 
   
 
 
 
    
 
 
       

                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   
                                                                                                   

 ―――――――――コンコン。

 扉を叩く音がして目が覚めた。

男「ん……」

 いつもの天井が視界に広がる。

男「あれ……」

 上体を起こし、周りを見渡す。

姉「起きましたか」

 扉の向こうから、姉の声が聞こえる。

男「おはよう、姉さん。どうしたの?」

姉「おはようございます。いつもの時間に起きてこなかったので、起こしに来ました。」

 几帳面な口調で姉は言った。

男「ありがとうございます」

姉「……珍しい返事をしますね」

男「ノックで起きたからさ」

姉「そうですか。どういたしまして。私はもう出るので、あなたも支度してくださいね」

 廊下から聞こえる足音が遠くなる。

男「……うーん」

 軽く頭をかく。少しだけボサッとした髪を自然な流れで整える。

男「ん?」

 片方の手に何かが当たる感触がした。

 それは、女物の髪留めだった。

男「……」 

 家を出て、いつもの電車に乗って、学校に向かう。

 混雑した車内の中で何も考えずに吊り革につかまり、ただ揺られて到着を待つ。

 なんのことはない一日が、今日も始まるのだ。

男「……」

 窓から外を眺めると、風景は高速で進むスライドショーのようだ。

 電車から見える確かに変わらない当たり前の景色。

 軽く欠伸が出かけて、口元を手で押さえる。目元から涙が少し滲んだ。

 俺自身も、いつも通り。

 最寄り駅に着いて、改札を出る。

 学生と社会人の大群が改札から一斉に自分の目的の場所へと向かっていく。

男「なんだかなぁ」

 学校に向かう途中、俺は小さく呟いた。

 不意に出た言葉だ。

 これといって意味はない独り言。

男「……」

 何もない、普通の日常がここにはある。

 だけど。

男「……あー」

 ポケットに入れていた今朝の髪留めを手に取る。

 俺が使うことはないであろう、パステルカラーの髪留め。
 
 なら、それを何故俺が持っているのか。

 姉に見せたら絶対に不安にさせてしまうような代物だ。

姉『どうしてそのような物をあなたが持っているんですか!』

 姉の血相を変えた顔で、震えた手で眼鏡を直している姿が目に浮かぶ。
 
 姉は想像力が豊かだ。そうに違いない。

男「……うーむ」

 身に覚えのないものなら、捨てれば良いのだが。

 もしかしたらうっかり手に取ってしまったのかもしれない。

 というか俺は、いつからこれを持っていたのか。

 はっきり思い出せない。

 男「……」

 学校に着いても、頭の中ではその事が気になっていた。

 自分の席に座りながら、髪留めを眺める。

 毎日の日常の中で。

 この髪留めだけが特別だ。

男「なんてことはない」

 俺は少しだけ、この髪留めを強く握った。

 何かが変わる、かも。

 まあ、そんなわけはない。

 チャイムが鳴り出して、授業が始まる時間を告げた。

男「んー」

 無意識に伸びをした。

 結局、髪留め自体で何かが変わるなんてことなんてない。

 あるとすれば、バタフライエフェクトみたいなもんだろう。

 教科の担任がやってきて、授業が始まる。

男「……」

 椅子に小さく座り直す。

 なんてことのない毎日だ。

 朝から夜になるだけ。

 今日から明日に変わるだけ。

 そういう日常は、なんて素晴らしいことだろう。

男「おい、教科書」

 俺はそばにいる一人に声をかける。

男「ちゃんと持ってきたか?」

 声をかけられた生徒がスクールバッグからゴソゴソと教科書を取り出す。

女「うん」

男「よし。あとこれ、髪留め。なんでか俺が持ってた」

女「うん」

男「つけてやる、ジッとしてろ」

女「うん」

 なんてことのない日常が始まる。

 何度も繰り返した日々を経て、今、この世界がある。

 今も作られた世界はどこかに存在する。

 きっと、

 それは、宇宙の彼方。



男「それは、宇宙の彼方」 END
















































































男「もしもし」

父『ご無沙汰しています』

男「普通に電話繋がるんすね」

父『まあ、原理は一緒ですから。チューニングしてしまえばこの通り』

男「着信画面に見たことない文字の羅列が出てるんですけど」

父『我々の言語です』

男「へえ……」

父『まあそんな話は置いておいて』

男「はい」

父『その後、あの娘は大丈夫ですか?』

男「はい。今……おい、電話中だぞ」

女「落ち着く」

父『おやおや、お熱いご様子で』

男「ひやかさないでください。

  ……それで、なんの電話ですか?」

父『先日の記憶同期についての調査結果が出ましたので、そちらについてです』

男「ああ」

父『記憶同期でわかっていると思いますが、記憶同期の実施は88888回の中で何度も行っていました』

男「はい、そうみたいですね」

父『今回以外の失敗の原因は、全てあなたの脳内キャパシティの限界を大きく上回り、記憶が入りきらなかったことにあります』

男「……」

父『しかし、前回までと今回で唯一の差異がありました』

男「それは……なんなんですか?」

父『髪留めです』

男「髪留め?」

父『あの娘は以前も申し上げた通り、我々が作成した"素体"です。

  これに関しては説明として申し上げているので、

  "素体"と呼ぶことをご容赦いただけると有難いです』

男「はい」

父『彼女の髪留めもまた、我々が作成した物です。

  なので同様のものとほとんど遜色はございませんが、素材が違います。

  この地球には存在しない素材ですね。日本語でいうと……なんでしょうね』

男「大丈夫です、言わなくても」

父『そうですか? ……それで、あなたは髪留めをポケットに入れたまま記憶同期を行った。

  髪留めが記憶同期のサポートをしていたようです』

男「なんでそんなことが?」

父『予想するに、あなたの身体では耐えられない情報量が脳内に巡る際、どうしても処理しきれなかったっことが原因で失敗していました。

  しかし、我々の星に由来する素材で生成された髪留めを持っていたことによってあなたの身体だけでなく、その処理に干渉を与えたのだと考えられます』

  あなたが最短であの場所に来たことで、髪留めを持っている状態が偶然にも生まれたわけですね』

男「……そういえば、こいつは、全部覚えてるんですか?」

父『彼女に私は『長期記憶保持機能』を付加していませんでした。

 もちろん、今は違います。ほとんど人間と遜色なく作成しているつもりですので』

男「ほとんど人間……にしては無表情ですよ」

父『表情豊かな方が良いですか? お好みで胸も身長も顔も変えられますよ』

男「うーん……全部大丈夫です」

父『初めてあなたを連れてきた時点で、彼女の行動は全て我々の意に反することでした。

  我々は行動方針を命令することはできます。ただ、これは絶対的な行動を約束しません。

  最終的には彼女の判断で動くのですが……まさかまさかです』

男「まさか、ねぇ」

父『あと、もう一つ』

男「はい?」

父『彼女には長期的な記憶保持機能はありませんでした。

  なのに何故、あなたを最短で我々の場所に連れてくることができたのか』

男「? はい」

父『それも全て髪留めです。髪留めに記憶を吹き込み、瞬時に同期したのだと思います』

男「……そんなことできるんですか?」

父『我々と情報を共有したり伝達する為に機能ですから、理論上では可能ですね』

男「なるほど」

父『ただ、あの髪留めがあなたを助けられるほどの品物だったかどうかは定かではありません』

男「?」

父『まあ、それでもです。上手く行ったわけですし、

  あなたがいなければ彼女はもうこの世にいないわけですから』

男「ああ……」

父『約束は守りましたからね、我々は義理堅いんです』

男「……ありがとうございます」

父『なんだか不思議な感覚ですね』

男「何がです?」

父『あなたとこんなお話をするようになったことがです』

男「ああ」

父『あなたは今、異星交遊しているんですよ』

男「初めて聞く単語ですよそれ」

父『まあ、また』

男「はい」

父『彼女の近況を教えていただくために、定期的に連絡致します』

男「監視してるわけじゃないんですか?」

父『もうサンプル集めは不要ですよ、88888回も行ったんですから』

男「ああ……」

父『なので是非、あんなことやそんなことやこんなこと、なさってください。

  私は見てませんので、心置きなく』

男「何言ってんすか。……それにしても、定期的にってやけに過保護ですね」

父『もちろんです。なにせ私は、あの娘の"父"ですから』

男「……人間っぽいこと言いますね」

父『娘をよろしく頼みますね』

男「は、はい……」

父『あ、お義父さんと呼んでもいいんですよ』

男「な、なに言ってんすか」

父「ははは、冗談です。それでは、失礼します」

 プツッ

男「……ふぅ」

女「……」

 彼女がこちらをジッと見つめていた。

「落ち着く」という俺の胸元、超至近距離で。

男「どした」

女「……」

 何も言わないが、ずっとこちらを見ている。

男「はぁ」

 校舎の屋上には涼しげな風が寄り添い、部活の喧騒が聞こえる。

 あの日から一ヶ月以上が経った。

 どうやら、今日という日は世界が再作成(リセット)を繰り返していた時には迎えることができなかった日のようだった。

男「お前は何度も繰り返してたんだな」

女「……」

男「俺も後追いで繰り返し体験したわけだけど、

  ……ああ、そうか。覚えてはいないんだよな」

 彼の話によれば。

 あの時の彼女の記憶はほとんどないってことだ。

 おそらく断片的な、というか直前の記憶を髪留めに吹き込んだだけ。

 残りの8万回以上の記憶はないんだ。

 普通、人間の記憶なんて朧げなものなのだが。

 脳内に直に転送された記憶は非常に鮮明だった。

 映画を観に行ったり、商店街に出かけたり。

 一緒に飯を食べたり、遊園地に行ったり。

 想像できないほどに色んな場所に出かけていた。

 その行動の最たる理由。

 俺は、多分きっと、

 いや、間違いなく、

 彼女のことが好きだからだろう。

 不思議な彼女の魅力に、どんどん惹かれていたんだと思う。

 どの記憶でも、俺は笑っていた。

男「俺はすげえ覚えてるけど、お前は覚えてないんだもんな」

 軽くため息を吐いてみる。

女「……」

 彼女はボーっとしていて、俺の胸元から離れない。

 ほとんど人間と変わらない彼女は、以前よりも質量を持っているように感じる。

 もちろん、元々小柄なので多少の差ではあるが。

女「これから」

男「ん」

女「一緒に経験する」

 彼女は俺から離れて、しっかりとこちらを向き直す。

女「今のあなたと」

男「……そうだな」

女「うん」

 俺も、そうすることにしよう。

 今の彼女と一緒に。

後日談「あれからとこれから」 END

去年の4月にスレを立てて、急ぎ足で完結しました。

よくわからない部分ありましたら補足も致します。

ありがとうございました。またどこかで。

このSSまとめへのコメント

1 :  MilitaryGirl   2022年04月21日 (木) 08:06:26   ID: S:rfK32I

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