魔王と魔法使いと失われた記憶 (761)



はじめに


・本作は現在進行中の「オルランドゥ大武術会」のパラレルワールド的な話です。
ただし、過去作含め直接的な繋がりはほぼありませんので、予備知識ゼロでも問題なく読めます。

・コンマスレではありません。安価のみ、ごく一部で使わせてもらいます。
(頻度は多分ラストまで通して2、3回です)

・全て地の文で展開します。R15程度の描写はあるかもしれません。
また、残虐描写が所々出ますのでご注意下さい。

・キャラクターは全員新規です。過去作やオルランドゥ~のキャラクターは出ません。
ただ、スターシステム的に外見が近い人物は出ます。地理は過去作やオルランドゥ~とほぼ共通です。

・なろうに後日加筆修正して転載する予定です。なお、こちらの方が早く読めます。
週1程度の更新になろうかと思います。(ある程度キリのいいところまでまとめて投下します)

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1596798444

最初に、主人公の外見だけ決めます。

なお、名前は「エリック」です。

1 14歳程度の少年(実年齢28歳)
2 20代半ばの青年(実年齢28歳)
3 ちょい悪風の中年(実年齢35歳)

3票先取です。
(なお、これ以外の安価は当分ありません)

1で決定しました。投下まで少々お待ちください。




むかし、といってもそう遠くないむかしのこと。

ある山のふもとに、小さいけどゆたかな国がありました。

花はうつくしく、ごはんはおいしく、人はどこまでもやさしく親切でした。

北にまぞくの国が、南にはヒトの大きな国がありました。2つの国は長いあいだあらそっていましたが、国ざかいのこの国はずっと平和でした。
けっしてこの国はおかさないように、ヒトの王さまとまおうさまがきめていたからです。

この国ざかいの国の王さまは、とてもかしこく、そしてとてもじひぶかい人でした。
何十年もつづいたヒトとまぞくのあらそいを終わらせたい、ずっと思っていました。

そこにまおうがやってきました。「おれといっしょにへいわを作ろう」と持ちかけてきたのです。王さまはこころよくそれをうけいれました。







……しかし、それはまおうのわなだったのです。








まおうは夜、みんながねしずまったころにあばれだしました。
そして、たった、たったひとばんでその国の人たちを、かしこい王さまもふくめてほとんどみなごろしにしてしまったのです。






生きのこったのは、たった3人。王女さまと、やどのかんばんむすめと、町外れに住むエルフのまほうつかいだけでした。
そして、命からがら南の国ににげこんだかのじょたちは、「まおうをたおして!!」とさけびました。


すぐにまおうをたおすためのとうばつたいがくまれました。
しかし、まおうはとても強く、小さな国にたった1人だけなのにそのすべてをうちやぶりました。
たくさんの人がぎせいになりました。死にました。

そして、もうだめだとだれもが思った時、ある青年が立ち上がったのです。







「ぼくがまおうをたおして、世界を平和にする」


それこそがゆうしゃさまです。








ゆうしゃさまはつばさのはえたまほうつかいと、とてもつよいせんし、そして心やさしいそうりょといっしょに小さな国にむかいました。
まものやまおうがころした人たちがつぎつぎとゆうしゃさまにおそいかかります。そのすべてをゆうしゃさまはたおしました。



そして……ついにゆうしゃさまはまおうをたおしたのです。やっと、世界に平和がおとずれました。



#

私はパタン、と絵本を閉じた。子供の頃、よく読んだ本だ。
実際にこの出来事が起きたのは、私が2歳の頃らしい。その後すぐにこの絵本が作られ、そして子供たちが皆読むようになった。

勇者による英雄譚。それを読んで、憧れない子供はいない。
そして、悪逆の限りを尽くした魔王に怒らない子供もいない。

私もそうだった。魔族は悪であり、許されない存在なのだと聞かされて育った。


そう、実際に魔族と出会うまでは。




その人は、とても親切な人だった。まるで兄のように、親のいなくなった私に接してくれた。
どこか私を邪険にしていた叔父夫婦ではなく、彼を慕うようになったのは当然だった。あるいは、それは私の初恋だったのかもしれない。







しかし……私の12歳の誕生日に、彼は叔父夫婦を惨殺した。







その時の記憶は、私にはない。というより、彼が叔父夫婦を殺した前後の記憶が、すっぽりと抜けている。
気が付くと、彼は既に処刑された後だった。どこか、現実味がなかった。


私が知っているのは、彼が人を殺めたというただの「事実」でしかない。


だからこそ、私はこの研究を始めた。そして研究は、完成に近付こうとしていた。







「魔王と魔法使いと失われた記憶」








第1話



コポコポコポ…………

実験室のケトルが音を立てている。私は急須にお茶の葉を入れた。

「プルミエール、ちょっといいかしら?」

「あー、すみません!すぐお茶を……」

「そうじゃなくって。お菓子がないのよ、テルモン産のマロングラッセ」

向こうからアリス・ローエングリン教授の困惑した声が聞こえた。ケトルの火を氷結魔法で消し、彼女がいる書斎へと向かう。

「え?そこの戸棚にあったはずじゃ」

「ないのよそれが。せっかく楽しみにしてたのに……」

「私は食べてないですよ?」

「分かってるわよ。あなたはそんなことしないもの。ここに今日来た可能性があるのは……」

「……エリザベートですね。あの娘、本当に食い意地が張ってるから……」

アリス教授は笑いながら肩をすくめた。

「あら、決めつけはよくないわよ?そういうときのためのあなたの魔法じゃないの」

「ああ……それもそうですけど。でも、まだまだ改良が必要で」

「だからこそよ。学会発表前の予行演習と思って、見せてごらんなさいな」

私は口を尖らせた。私の同僚、エリザベート・マルガリータは天真爛漫だけど少し常識を欠いたところがある。トリス王家の出らしいけど、もう少しなんとかならないかしら。

まあ、とりあえずの確認……ということでいいか。

「教授が最後にマロングラッセを確認したのは?」

「そうねぇ、2時間ぐらい前かしら。氷結魔法を緩めに戸棚にかけておいたのよね。
そして講義のために席を外したから……貴女が来たのは?」

「30分前ですね。じゃあ、その間ってことですか」

私は水晶玉を取り出し、そこにマナを通していく。小さく、地の精霊に働き掛ける詠唱を始めた。



「深き地の中より生まれ出る者
悠久の時を生き続ける者
汝に感謝と我が願いを伝えん
今より2刻、それより1刻半の間に汝が見たものを映せ……」


ぼわっと水晶玉の表面が歪む。そこには、上から見た書斎が映し出されていた。

「うん、私が出ていく所が見えるわね。『再生』、早められる?」

「はい。まだ『倍速』程度ですけど」

「本当は5倍速ぐらいまで行ってほしいのだけどね。そこはこれからの課題かしら」

「再生」を始めて20分ほどすると、窓から何かが入ってきた。

「……これは」

「猫、ねぇ。それも黒猫。最近研究棟に住み着いたって子かしら」

それは顔をあげると、スンスンと鼻を鳴らす様子を見せた。まるで犬みたいだ。
そして、一直線に戸棚に向かうと……器用に戸棚を開けてマロングラッセを咥えると、そのまま窓から去ってしまった。

「……まさか猫だなんて。というか、こんな器用な猫っているものなんですか?」

「あらら、『偽猫(デミキャット)』かもしれないわよ?最近、愛玩用に飼っている人多いらしいし。
あれなら子供ぐらいの知能があるから、不思議じゃないわ」

「偽猫なら尻尾は2本のはずですが、あの猫は……」

「1本だけだったわね。ここの魔道士が手を加えたのかもしれないわ」

アリス教授はクスクス笑っている。確かに、ここオルランドゥ魔術都市には変な魔術士がたくさんいる。
偽猫に普通の猫の真似をさせる人がいてもおかしくはない、か。

「まあ仕方ないから、お茶の時間にしましょう?
お湯、もう一度沸かし直しておいてね」

私は苦笑しながら厨房に戻る。研究の合間に飲むトリスの緑茶は格別なのだった。

#

「にしても、大分こなれてきたわね。今までにない魔法であるのは確かだわ」

ズズッ、とアリス教授がお茶を啜った。私はマロングラッセの代わりに、エリザベートの故郷の土産「セベー」を齧る。少ししょっぱいけど、トリス茶にはそれがよく合う。

「ありがとうございます。でも、まだまだ課題は山積です。『再生速度』はまだ上げなきゃいけないですし、それに……」

「もっと昔のことを精霊を通して映し出すのは、マナが全然足りてない。引いてはマナの効果がまだ非効率であるという証明……でしょ?」

私は小さく頷いた。

「ええ。さすがですね。精霊魔法なら教授の右に出る人はいませんけど」

「あらあら、私には貴女の発想はなかったわ。精霊の『視覚』を再現することで、その場所で何があったかを映し出す。
あなたの『追憶(リコール)』は、唯一無二のものよ。もっと自信を持ちなさいな。
それに、『思い出させる』んでしょう?10年前に、何があったか」

「……はい」

「貴女の記憶は、誰かによって消されている。それを取り戻すことは、私にすら無理だったわ。
どうして貴女の記憶が消されたのかは分からない。何か、貴女が知ってはいけない真実を隠すためかもしれない。
でも、貴女の『真実を知りたい』と思う気持ちは止められないわ。だから、私は貴女に精霊魔法を教えることにしたの。そして、それはもうすぐ実を結ぶわ」

教授が私に微笑みかけた。

「プルミエール・レミュー。貴女の魔法は、きっと多くの人を救うでしょう。学会が終わったら、各国から召し抱えの文が届くはず。そのために、もう少し頑張らなくちゃね」

「はい!それも、教授のおかげです」

「やあねぇ、御世辞を言っても何も出ないわよ?
……ところで、もし文が来たらどこに行くつもり?」

「え?……それは、多分……アングヴィラじゃないかと。私、あそこで育ちましたし」

窓から風が吹き込んできた。教授は少し険しい顔になって、開いたままだった窓を閉める。

「……あそこはやめときなさい」

「えっ……何でですか?」

私は困惑した。完全にアングヴィラに戻るつもりでいたからだ。

私の生まれは大陸北東部のテルモン皇国だけど、叔父夫婦の死の後は南西のアングヴィラ王国で育った。
記憶を失ったままの私を、たまたまテルモンを訪問していたクリス・トンプソン宰相が拾ったのだ。
そして、私は彼の庇護の元育てられた。オルランドゥ魔術学院に入れたのも、彼の口利きがあってのことだ。
私に父の記憶はほとんどない。だけど、トンプソン宰相は……私にとっては、親も同然だ。

だからこそ、アングヴィラに戻らないという選択肢はなかった。私の「追憶」で、彼の恩に報いる。そのつもりだった。

だから、教授の言ったことを私は理解できなかった。困惑したままの私に、教授は首を振る。

「いいからやめておきなさい。貴女のためよ」

私は思わずテーブルを叩いた。ガチャンとグラスが揺れ、溢れた緑茶がテーブルクロスを濡らす。


「どうしてなんですかっっ!!!」


教授は無言のまま、天井を見上げた。

「いつかは伝えないといけないけど、私にはまだ確信がない。もう少し、待ってちょうだい。
学会が終わり、今は秘している貴女の魔法が世に知られるようになったら……きっと理由を教えられると思う」

「……一体何を」

「真実を知ることは、時に残酷なのよ。……仕官の件なら、もしモリブスから話が来たら通してあげる。古い友人がいるの」

教授は溢れたお茶を布巾で拭き取った。

「お茶、淹れ直すわね」

教授があんな頭ごなしに言うなんて初めてだ。……でも、その時の私には、彼女の言うことが全く分からなかった。

#

お茶の後の微妙な空気は、1人の闖入者によって破られた。

「教授!プルミエールさんっ!お茶にしましょ!」

「……エリザベート、もう済ませたわよ?」

「えっ……私抜きで?ひどいっ」

「遅刻する貴女が悪いのよ。ここでの論文執筆は、3の刻からと決まってなかった?」

エリザベートは時計を見る。針は4と半刻を指していた。

「ありゃあ……確かに。大遅刻ですねぇ」

「まあ貴女の論文は詰めの段階だし、もう来なくても大丈夫かもしれないけど」

ばつが悪そうに、エリザベートは頭をかく。

「うう……すみません。あ、プルミエール。そっちはどう?」

「うん、まあまあ順調」

「そっかそっか。どんな魔法なのか、楽しみだよぉ。プルミエールだったら、さぞすごいんだろうなぁ」

「あなただって。でも、同じ研究室でも学会まで研究内容は秘密なのよね」

ウフフ、と教授が笑った。

「まあ、新しい魔術ってのはそれだけの価値があるからね。昔からの慣例、ってとこかしら。
実際、事前に漏れた結果盗用されて大問題になったこともあるから」

「でも教授は知ってるんですよね、プルミエールの研究」

「ええ、でも教えないわよ」

「むー、残念。ところで、ぜんっぜん話は変わるんですけど。『魔王』、出たらしいですよ」

「『魔王』?……ズマのハンプトン大魔候、ではなくて?」

エリザベートが声を潜める。

「違いますよ。モリブスに、自称魔王が出たそうなんです」

「自称?意味ないじゃない、それ」

「ええ。でも、ご存じの通りエルフの情報網ってそこそこ正確なんですよ。で、そいつって魔力の質が異常に高かったらしいんです」

「……悪さは?」

「今のところ。ただ、オルランドゥ方面に向かったとかなんとか」

アリス教授が黙った。

「……こっちに?」

「ええ。だから注意した方がいいって、さっき連絡が。見付けたら即警察にと」

「悪いことをしてないのに、警察を呼ぶの?」

やれやれ、とエリザベートが首を振った。

「だからこそよ。魔王の正体は分からない。けど、高い魔力を持った魔族なんて、それだけで危険でしょ?
何かしでかす前に捕まえておかないとダメじゃん。あなたの叔父さんたちだって、魔族に殺されたわけでしょ?」

「……まあ、そうだけど」

「何が切っ掛けで魔族の『獣性』が解き放たれるかなんて、分からないでしょ?だからこれは仕方ないのよ。まして自称魔王なんて、ロクな奴じゃないだろうし」

確かにそうだろう。概して魔族には、悪人が多いとされている。
だから各国で人権は制限されている。多民族国家で比較的寛容な、ロワールやモリブスですら、だ。

「……あまり遅くまでやらない方がいいわね、2人とも。
特にプルミエールは魔法を使わせちゃったし、もう上がっていいわ」

「え、いいんですか?」

「学会、来週でしょ?論文も大事だけど、実技が上手く行かなかったら意味はないわ。
今日は早めに帰って、体力を回復させときなさい」

「あっ、ありがとうございます!」

教授はヒラヒラと手を振った。

#

私の家は、オルランドゥ魔術学院から歩いて10分ぐらいの所にある。
家からはオルランドゥ大湖が近い。マナに溢れたあの湖畔を歩くと、それだけで力が湧いてくる気がする。

ゆっくりと歩いていると、ぐう、とお腹が鳴るのを感じた。
夕食時には少し早いけど……ま、いっか。最近お酒も飲んでなかったし、少しぐらいはいいだろう。

「へい、らっしゃい。ってプルミエールじゃん」

「おひさです、カトリさん」

湖の側に立つレストラン……というかカフェに入ると、カウンターの向こうからピョコンと長い耳が立つのが見えた。

「うん、久し振りだねえ。学会が近いって聞いたから、しばらく来ないもんだとばかり思ってたよ」

「今日は早く帰れたんです。だから、学会前の気晴らしってことで」

「いいねえ。今日はいいのが揚がってるんだ、ちゃちゃっと捌いてやんよ」

白い歯を見せて、ウサギの亜人……カトリさんが笑った。旦那さんのウカクさんは、厨房みたいだ。

「いいですね!何ですか?」

「オルディック海老だよ。今、旦那が海老の煮込みスープを作ってるけど、あたしは活け造りだね。これはあたしからのおごりってことでいいかい?」

「あっ、わ、悪いですよ」

「いいからいいから。学会が上手く行ってあんたが仕官したら、その時に出世払いさ」

奥からウカクさんが現れ、奥の席にいる客に料理を出しに行った。
後ろ姿しか見えないけど……随分小さいな。亜人かホビットかしら。テーブルには皿が結構積まれている。

「ありがとうございますっ。で、お酒ですけど」

にぃ、とカトリさんが笑った。

「ちゃんとあるよぉ。アングヴィラ産の葡萄酒の白、『コルナック』」

「わぁすごい!でも、高いんでしょ?」

「まあね。でも、これもおごっちゃう」

「え?」

カトリさんがチラリと奥の客を見て、私に耳打ちした。

「それがさ、あの客が『前払い』って言ってドカンと払ったのよね。受け取れないって言ったんだけど、聞かなくって」

「え、いくらぐらい?」

「それが100万ギラ!2週間分の売上だよ?まあ、それに見合うぐらい良く食べるんだけどさ……」

100万ギラ??魔術学院を首席で卒業した仕官者の初任給2ヶ月分並みじゃない……

「何者なんですか?」

カトリさんは肩をすくめた。

「さあ。というか、子供なんだよねぇ。本人は28だとか言ってたけど。
気味が悪いけど、お金は確かに持ってたからそれ以上は聞かないことにしといた。何より、魔族っぽいのよねぇ」

ゾクリ、と身体に震えが走った。まさか……

「『魔王』?」

「なーに突拍子もないこと言ってんのさ。相手は子供よ?確かに怪しいも怪しいけど、魔王はないわよ」

奥の席の男……いや少年は、ウカクさんと何やら話している。こっちの会話には気付いてないようで、ほっとした。

「そう……ならいいんですけど」

「とりあえず、これ付け出しね。ちょっと待ってて、葡萄酒の栓抜くから」

チーズをトリス名産の調味料「ソミ」に漬けたものを出すと、カトリさんがコルク抜きを探し始めた。
私は奥の席の少年をもう一度見る。……そんなに魔力は感じない。
魔王は異常に魔力が高いってエリザベートが言ってたから、やっぱり気のせいかな。

トクトクと葡萄酒がグラスに注がれる。口にすると、キリッとした刺激が喉を通り抜けた。その奥には、芳醇な香りと甘味。

「美味しいっ!!」

「でしょ。どんどん飲んでね」

しばらくすると、お酒と料理の美味しさで、奥の席の少年のことはすっかり忘れてしまったのだった。

#

「じゃあカトリさん、また~」

「プルミエール、足元には気を付けてねえ」

「らいじょうぶれすよぉ。家までは3分もないですしぃ」

うーん、自分で喋っていて呂律が怪しい。2本開けたのはやり過ぎだったかな……

ふらふらと、家に向かって歩く。上級学生には1人1軒の家が貸し与えられる。研究に専念してほしい、という魔術学院の意向であるらしい。
小さいけど、そこそこ快適で嫌いではない。あと少しでここともお別れと思うと、ちょっと残念だけど。



…………ザッ


背後から音が聞こえた。……何だろう。振り向くけど、誰もいない。

また歩き始める。家が見えてきた。


…………ザッ、ザッ


今度は気のせいじゃない。ハッキリと、足音が聞こえる。
嫌な予感がして振り向いた。そこには……




「動くな」


黒装束の男が2人。そしてそのうちの1人は、私の背中に剣を突き付けている。


「…………え」

「叫ぶな。叫んだり声を出したら殺す。大人しく我々についてこい」

「……何者、なの」

酔いが一気に抜けていくのが分かった。まずい。これは、まずい。
でも、魔法を使っても……詠唱している間に刺されるだろう。もちろん、私に武術の心得なんて、ない。

黒装束の男は、底冷えのする声で告げた。

「お前に言うことはない。ただ、ついてくればいい」

「……何を、しようと、いうの」

歯がガチガチと震える。目からは涙が溢れてきた。


そんな。こんな所で、私は……殺されるの??


男は何も言わず、剣をさらに突き付ける。プツ、と制服のローブが貫かれる音がした。


「お前が知る必要もない。今殺されたいか?」


足に力が入らない。絶望で、私はその場に座り込みそうになった。



その刹那だ。


…………ザンッッッ




「……あっ」


何か、光るものが私の目の前に走った。黒装束の男の首が大きくかしげ……そしてボドリと落ちた。

鮮血が、噴水のように上がる。


「え」


もう一人の男が口にした瞬間、彼の首も地面に落ちた。
首をなくした身体だけが、2体目の前に立っている。


これは、悪夢?酔いが見せた、悪夢なの?
しかし、降り注ぐ紅い雨は……これが現実であることを示していた。



恐怖が全身を駆け抜ける。


「……キッ、キャア……むぐっ」


叫ぼうとした私の口を、誰かが塞いだ。


「黙れ。逃げるぞ」

「んぐうっっっ!!?」

「黙れ、と言っている」


口を塞ぐ主の顔が見えた。月光に照らされた、その顔は……




浅黒い肌に尖った耳。そして、まだ幼さを残した顔。


まさか、あの店にいた彼…………


次の瞬間、私の意識は、消えた。


#


それが、私……プルミエール・レミューと、「魔王」エリック・ベナビデスの出会いだった。


第1話はここまで。

キャラクターの外見設定などは後程。

キャラクター紹介

プルミエール・レミュー(22)

女性。出身はテルモンの首都、皇都テルモン。12歳の時に「英雄」の一人にして現アングヴィラ王国宰相のクリス・トンプソンの庇護のもとアングヴィラに移住。
魔力の突出した才を認められる形で16よりオルランドゥ魔術都市に留学する。
現在6年生(現在の基準で言えば修士2年)。成績優秀であり、「土地の記憶」を呼び起こす魔術を研究している。

身長162cm、体重53kg。少し長めの黒髪で眼鏡をかけている。
地味めの外見であり服装にも無頓着だが、顔立ちは整っており磨けば光る。巨乳。研究一筋で恋愛経験はない。
酒好きでありしかも強め。酔うと笑い上戸になる。
基本的には控えめな優等生キャラだが、若干天然気味の毒舌を吐くことも。自分に自信があまりなく、ノリも少し暗い。それは言うまでもなく過去の出来事に由来するものである。




第2話



「んっ……」

目が覚めると、見知らぬ天井が見えた。どうやら布団の中らしい。

……


「きゃああっっっ!!?」


私は跳ね起きた。自分が、下着だけの姿だと気付いたからだ。


「騒ぐな、小娘」


高い声が響く。その主は窓際に座り、鋭い視線を私に向けていた。

「心配しなくても手を出しちゃいない。血塗れのまま寝かせるわけにもいくまい」

その通りで、私の身体も髪もきれいな状態のようだった。ということは……

「ま、まさか……私を裸に……??」

「睡眠魔法をかけてる間にな。……繰り返すが、手は出してはいない」

顔から火が吹き出そうになった。そんな……父さん以外の男の人に、生まれて裸を見られたなんて……

「ど、どういうつもりなのっっ!!?」

「だから血塗れのままだとシーツが汚れるだろう?ここは普通のホテルだ、きれいなままにしておくのが礼儀だろう」

浅黒い肌で分かりにくいけど、彼の顔も赤くなっているようだった。

「……本当に、何もしてないのよ、ね」

「……初対面の女、それも意識を失っている女に無理矢理するほど俺は外道じゃない。
にしても暢気なものだ、殺されかけたというのに、自分の裸の心配か」

私はハッとなった。そうだ、黒装束の男たちに刃を突き付けられ、そこに彼が現れた……

「……あ、あなたは何者なの」


「俺か。俺の名は、エリック」


エリック……古にいたという「大魔王」と同じ名だ。

「噂の『魔王』って、あなたなの」

少し驚いた表情を見せた後、彼はニィと笑った。

「話が早いな。そうだ、俺が『魔王』だ」

こんなに小さいのに?という言葉を私は飲み込んだ。不意を突いたとはいえ、一瞬で2人を殺したこの子が普通であるはずがない。
ガタガタと身体が震えた。昨日の夜のことを思い出したのと、これから彼が一体何をするのかということへの恐怖からだった。

「な……何で『魔王』が、私を」

「別に殺そうとか思ってるわけじゃない。もちろん身体が目当てでもない。
俺の目的は、お前をサンタヴィラ王国跡地に連れていくこと」

「……サンタヴィラ??」

自らを魔王と名乗る少年は頷いた。

「そうだ。先代の『魔王』ケインが、国民を皆殺しにした、その地だ」

「一体、何のために」

「お前に『思い出させてもらう』ためだ。20年前、あそこで本当は何があったかを」


……ドクン


ちょっと待って。この子……まさか、私の魔法を知っている??そんな馬鹿な!?

驚きのあまり固まっている私に、自称魔王は笑いかけた。

「お前が思うほど、オルランドゥの情報管理は堅くないんだよ。
お前が一週間後の学会に合わせて発表する新魔法『追憶』。そのことぐらい、俺は知っている。そして、お前を狙った連中もどういうわけか知っていた」

「……え」

「『追憶』はこれまで国家が秘密としてきた機密を暴きかねない。権力者にとっては、この上なく危険な魔法だ。
だから、『追憶』のことを知ったならお前を消したいと思ってる連中は少なくないはずだ。殺すまではいかなくても、生涯自分の監視下に置こうとするだろう」

「嘘……じゃあ、昨晩のも」

「多分な。どこの誰かは分からない。少なくとも、今日の新聞には昨日の殺しのことは書いてない」

そう言うと、魔王はポイと私に新聞を投げた。

「俺も軽く死体をあらためたが、証拠はなしだ。まあ、魔族じゃなかったからズマの人間じゃない」

「そん、な……」

「だから、お前に選択肢はない。このまま魔術学院に戻っても、昨日みたいに襲われるのが落ちだ。俺と一緒に、サンタヴィラに行くしかねえんだよ」

「……『サンタヴィラの惨劇』には、生き証人の『3聖女』もいるわ。魔王が国を滅ぼしたのは、歴史的な事実……」

急に魔王がこっちにやってきて、首根っこを掴んだ。


「それが事実だと、誰が決めた??人が言えば、それが事実になるのか??ああっ???」


「か……は……」

息が、苦しい。小さい身体なのに、なんて力だろう……意識が、遠退き始める。

魔王は我に返ったのか、急に力を緩めた。

「げほげほっ!!げふっ……」

「……すまない。……だが、俺はサンタヴィラの惨劇を疑っている」

「ど、どうして……」

「……俺の知る魔王は、そんなことをする人間じゃないからだ」

「え」

少しだけ、沈黙が流れる。

「……まさか、あなたって」

「そうだ。……魔王ケイン・ベナビデスの息子だ」

「でも、あれは20年前で……」

この子はどう見てもせいぜい15ぐらいだ。基礎学校の生徒だと言われても通るだろう。20年前に生まれているはずがない。

魔王が苦笑した。

「魔族の寿命は他の種族とそう変わらん。だが、俺のベナビデス家だけは別だ。エルフの連中並みには生きる。
だから、俺の成長は普通の半分だ。もちろん、お前よりは長く生きている」

「……じゃあ、28歳って」

チッ、と魔王が舌打ちする。

「あの店主、余計なことを……」

本当に年上だったのか。それなら、この態度の大きさは少し納得が行く。

「じゃあ、あなたは……父親の無念を晴らそうと」

「そんなんじゃない。ただ、納得が行かないだけだ。
父上があの国を滅ぼした、それは多分事実だろう。だが、俺の知る父上と『魔王ケイン』は全く噛み合わない。
真実を知りたい。ただ、それだけだ」

魔王が真っ直ぐ私を見た。漆黒の瞳はどこまでも深い。




ああ、彼も私と同じなのか。



この少年……というよりこの男性のことを、私は全く知らない。一般的な、邪悪な魔族なのかもしれない。
ただ、嘘をついているわけでは全くなさそうだった。特に、自分が知らない真実を知りたいと願う心には曇りがない。
それぐらいは、目を見れば分かる。それに、邪気を孕んだマナは彼からは感じ取れなかった。


しかし……決断はできなかった。アリス教授に、一言相談したかったからだ。


「……少し、考えさせて」

「そんな余裕はないぞ。ここにいられるのも、せいぜい今日が限界だ。これからお前を狙う連中は増えていく。だったら、早めに逃げを打つ」

「でもっ!!教授に、一言言わないと!」

「お前が今会いに行けば、確実に教授も巻き込むぞ??行き先を知っているはずだと拉致されるかもしれない。
アリス・ローエングリンは有能な魔術師らしいが、暗殺者を撃退できるほどなのか?」

私は言葉に窮した。魔王が溜め息をつく。

「失踪の件は、後で伝書鳩でも飛ばしておけば済む。今は、オルランドゥから逃げるのが先だ。……少し、席を外す」

「え」

「血塗れの服を着たら目立つだろう?新しい服を買う。それでモリブスに向かうぞ」

「サンタヴィラって、ここからだと北西じゃ?アングヴィラ経由で行った方が……何で逆方向へ」

魔王が苛立った様子でまた舌打ちした。

「馬鹿か?ここの東にあるのはアーデンの森だ。ただでさえ魔物が多くて俺でもお前連れじゃ危ない。
しかも安全なルートはアングヴィラの管理下だ。魔族の俺が通れると思うか?小娘」

「……私は小娘じゃない。プルミエール。プルミエール・レミュー」

「小娘もプルなんとかも一緒だろう?とにかく、東に行って最短距離は無謀だ。西からオルランドゥ大湖を反時計回りで行く」

「そんなっ!!遠回……」

そう言いかけて私はやめた。


……これはむしろ好都合かもしれない。その道程なら、テルモンも通る。つまり……


「追憶」で、10年前の事実が分かるかもしれない。


私は首を縦に振った。

「……分かった。でも、一つ聞かせて。サンタヴィラに行って、もし真実が分かったら……その時、私はどうなるの?
……そしてあなたはどうするつもりなの」

「前者については、ちゃんと報酬付きで解放してやる。金は唸るほどあるから、全てが終わったらそれなりに不自由のない日々が送れるはずだ。
後者については……分からない。どうするのか、自分でも分からない」

「え?」

魔王は悩んでいるようだった。まるで、見た目相応の少年みたいに。

「……ただ、俺は……ベナビデス家の長として、それを知るべきだと思う。どんな残酷な真実であっても。
それを知らないと、俺は……そして魔族は、先には進めない」

「……あなた……」

魔王が苦笑した。

「これぐらいでいいだろう?夜にはホテルを出る。少し寒いかもしれないが、しばらくは下着で我慢してくれ」

そう言うと、小さな魔王は部屋を出ていった。

#

「じゃあ、行くぞ」

魔王はフードをすっぽりと被った。私はというと、魔法使い御用達の黒いローブ姿だ。「いつも慣れている服装の方がいいだろう」ということらしい。
これからは長旅になる。魔王の背中には、2人分の着替えがギッシリと詰まったザックがあった。魔法使いと行商人、ということで通すのだという。

教授には、まだお別れの言葉を言えてなかった。無断でオルランドゥを出ることには、とても罪悪感がある。今日は安息日だったからいいけど、明日私が来ないと知ったらどんなに悲しむだろう。

……それでも、私が狙われているのが事実なら。そして、その被害が教授たちにも及ぶのなら。この決断は、もうやむを得ないことなのだ。

辺りはすっかり暗くなっている。今日は徒歩で隣町のユージーンまで行くらしい。
ここからは15キメドほどある。……そんなに長い距離を歩いたことなんて、今まであっただろうか。

「どうした」

「……いえ、大丈夫」

魔王に促され歩き始める。彼のことを信用したわけじゃない。でも、私を守ってくれるのは、彼だけだ。
私が使える攻撃魔法なんて、たかが知れている。昨晩のことを思い返すと、改めて身震いがした。

オルランドゥの街を出ようとした、その時だ。


……ゾクン


向こうに、強い魔力を感じる。魔王も足を止めた。

「……いるな」

「待ち伏せ!?まさか、あれも私を……」

「恐らくはな。多分、街の各出口に人員を配置している。かなり組織だった動きだ。ただ……あそこにいるのは1人だけだな、そこは救いだ」

「どうして1人だけなの」

「そもそもの人員が少ないのだろうさ。あとは単純に……あそこにいる奴は強い。昨日の間抜けとは、明らかに違う。1人でも十分、ということだろう」

「どうするの?」

魔王は一瞬黙った。

「やり過ごせればいいがな。だが、望み薄だ。一応、フードで顔は隠しておけ」

少し進むと、ハッキリと待ち伏せする人物の姿が見えた。木に寄りかかり、街灯の明かりが男を照らしている。
軽装だが、目は鋭く隙がない。私でも、彼が訓練を受けた人間だとすぐに分かった。

「そこの魔法使い、止まれ」

ビクッと、私は金縛りのように固まった。

「な、何ですか一体」

「フードを上げろ。確認だ」

その時、魔王が何かを私に手渡した。……指輪?


次の瞬間。



ゾワアアアアアアッッッッ!!!



彼から、強い魔力の奔流が放たれた!!まさか、これで力を押さえ付けていた?

魔王が剣を抜く。小振りの短剣だ。

「命が惜しければ、黙って通せ」

男は少し驚いたような表情になったけど、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。

「噂の『魔王』か」

「分かってるなら話が早い。歯向かうなら殺す」

「冗談が下手だな」

男はぬらり、と深紅の大剣を抜いた。





「『遺物』が一つ『スレイヤー』。この剣の錆にしてやるよ」



第2話はここまで。

後程エリックのキャラ設定を投下します。

こちらも更新を始めました。
内容は今のところ同一です。多少加筆修正が今後あるかもしれません。

https://ncode.syosetu.com/n7453gk/

キャラクター紹介

エリック・ベナビデス(28)

男性。出身はズマ魔侯国の首都、エリコグラード。8歳の時に「サンタヴィラの惨劇」が発生、その際に国を追われる。
その後の消息は(現在の所)不明。何者かの手引きでオルランドゥ魔術都市に「魔王」を称して現れた。
父親は「サンタヴィラの惨劇」を引き起こした「魔王ケイン」。彼にとっての魔王は決して悪人ではなかったようだが……?

160cm、55kg。浅黒い肌に赤みがかった短髪。
見た目は13ぐらいの少年にしか見えない。ただ、目付きだけは外見不相応に鋭い。大食漢でありよく寝る。本人曰く「燃費が悪い」。
偉そうな物言いをするが基本的には紳士。女性に対する免疫はあまりない。感情の沸点は低いが、冷静になるのも早い。





第3話






「遺物」??そんな、馬鹿な!?


この大陸には「遺物」と呼ばれる幾つかの武具がある。そのどれもが、使い手に強大な力を与える、らしい。
かのアングヴィラの勇者にして国王の、アルベルト・ヴィルエールも「遺物」を使って魔王ケインと相対したという。

そして、「遺物」の多くは国宝として大切に保管されている。一般人が目にできる代物ではないし、私も見たことがない。
もちろん、実際に使われるなんてことは……まずあり得ない。そのはずだ。


しかし、目の前の男は……確かに「遺物」と言った。



魔王が腰を落として半身に構えた。金髪の男が嗤う。

「その構え、ダーレン寺流か」

「……だから何だ」

「魔王がまさかダーレン寺の薫陶を受けているとはな。実に興味深いが……」

男が構える。


「2人ともここで消えてもらう、ぜっ!!!」


……迅いっ!!?


大きく振りかぶってからの荒々しい一撃を、魔王はすんでの所で後ろに避けた。間合いはまだ遠かったはずなのに……


その刹那。


クンッ


地面に刺さるかと思われた大剣が、急に上へと跳ね上げられた!
あんな重そうな剣なのに、男はそれをダガーか何かのように軽く扱っている??


ブオンッッ


風圧がここまで聞こえてくる。魔王はというと、その追撃も大きく後方に跳んで交わしていた。


「小娘、逃げろ!!」


「え」


魔王が叫ぶと、すぐに次の剣撃が彼を襲った。それも何とか避けたみたいだけど……


恐怖で足が……動かない。

金髪の男が、ニヤリと私を見て笑った。

「心配するな、お前はすぐには殺さない。じっくり愉しんでからだ」

攻撃をしながらなのに、なんて余裕……魔王は逃げるだけで手一杯というのに。

魔王が「チッ」と舌打ちをした。

「馬鹿が……!!逃げろと言ったはずだ!!」

「アホが、逃がさねえよ!!そもそも、お前本気じゃないんだろう!?やってみせろよ、『魔王様』がよぉっ!!」

男の攻撃が、さらに迅さを増した。あんな重そうな剣だ、一発食らったらそれで終わりなのは目に見えてる。
魔王の顔からも、焦りの色が見て取れた。


横薙ぎの一撃を、魔王は大きく後ろに避ける。間合いが僅かに広がった。その時、彼の口が動いた。



「加速(アクセラレーション)、2」


凄まじい量のマナが、彼に集まるのが分かった。そして。


魔王の姿が、消えた。




ザンッッッ!!!


「がはああっっっ!!?」


男の苦痛の叫び。そして、魔王は……男の向こう側にいた。


「かはっ……てめえっっ……何をしたっっ!!?」

「『2』では反応されたか……驚いたな」

男は腹部を押さえている。大量の血が流れているのが、ここからでも分かった。
しかし、魔王はもう一度剣を構える。男がまだ戦えると思っているようだった。

「次は仕留める」


「できるか……な!!!」



ザクリ


男が地面に剣を突き刺す。すると……男の身体が紅く光り始めた!!?
血は止まり、苦痛に歪んでいた男の顔に生気が戻ってくる。これは……回復魔法??いや違う、もっと別の何かだ。


まさか、これが……「遺物」の力??


そして、男は大剣を引き抜くと……私の方を振り向き、ニタァと笑った。


「予定変更だ、女からやらせてもらうっ!!」



ズオンッッ


さっきより遥かに速く、男が踏み込んできた!!あっという間に私との距離が詰まる。


紅い剣が、私の頭上に見えた。


……ダメだ。私はここで……死ぬんだ。



目をつぶった、その刹那。






「アクセラレーション、5ッッッ!!!」





「な??」


「きゃあッッ!!?」


暴風のような、何かが吹いた。一瞬のうちに、男の姿が小さくなる。


気が付くと、私は……魔王に抱きかかえられていた。ハァッ、ハァッと荒い息が聞こえる。

「愚か者め……!!逃げないからこうなるっ!!」

「ご、ごめんな、さい……」

「クソが……俺一人なら、『3倍速』で戦えたがっ……」

遠くの金髪の男が、ブンブンと大剣を振り回している。

「おいおい、何だ今の??俺でも見えなかったぜ?」

魔王は私を置くと、荒い呼吸のままゆっくりと男に向かい歩き始める。マナの量が、酷く減っているのが分かった。
私を助けるために使った、あの「加速5」というのは……多分、彼の切り札だったんだ。

「お前が、知る必要は、ない。そして……もう一回ぐらいは撃てる」

魔王がまた短剣を構えた。男の表情が、再び引き締まる。

「……何?」

「お前も、分かってるだろう?『2倍速』ですら、お前は……致命傷を避けるのに手一杯だった。
そして、多分……お前も切り札を使った。あれがスレイヤーとかいう……『遺物』の力か」

「……だとしたら?」

「お前は、『5倍速』には、対応できない。ここで俺に斬られて……終わりだ」

街灯に照らされた男から、感情が消えた。重い沈黙が数秒続いた後、男は何かを呟く。



空間に黒い歪みのようなものが現れた。あれは、まさかっ……


「転移魔法っ??」


男は私たちを睨む。

「9割ハッタリだが……確かに、あれを撃たれたら、俺は死ぬ。仕方ねえ、撤収だ」

「貴様の名は?」


「……デイヴィッドだ。またな、『小僧』」


そう言うと、男は空間の歪みに消える。同時に、魔王はその場に崩れ落ちた。

「大丈夫っ!!?」

「阿呆、がっ……!!ザックの中に、薬瓶がある……丸薬があるから、飲ませろっ……」

私は急いでザックを漁った。……あった、これだ。
瓶の中には黒い丸薬が5個入っている。私はその1つを取り出した。……凄い刺激臭がする。これを飲ませるの?

「いいから、早くっ……!!そうだ、それでいい」

魔王は丸薬を口にすると、顔をおおきく歪ませた。そして、水袋を手にすると、苦渋の表情で流し込む。

「うえっっ……!!!相変わらず、酷い味だっ……クソっ、最悪の気分だな……」

「ごめんなさいっ!!私が逃げなかったせいで……」

チッ、と魔王がまた舌打ちした。

「全く、だ。貴重な『霊癒丸』を、ここで使うことになるとはな……!!よくそれで生きてこれたな、小娘」

返す言葉もない。私は唇を噛んで俯いた。

「……こいつを守りながらサンタヴィラまで行くのか、さすがの俺も自信がなくなってきたぞ……。しかし、行かなければ仕方ない、か」

よろめきながら、魔王が立ち上がった。

「……本当に、大丈夫なの?」

「あれは……マナを無理矢理詰めた、一種の強壮剤だ。一応、ユージーンまでは歩ける。多分」

私は辺りを見渡した。今の、誰かに見られたりしいていないだろうか?


魔王が首を振った。

「……生命の気配がない。街の門番は、あのデイヴィッドという男に事前に殺されているな」

「嘘……」

「大方、俺に全てを擦り付けるつもりなんだろう。……こうなった時のことまで考えていたわけだ」

果たして、門のそばには袈裟斬りに両断された死体が2体転がっていた。私の胃から、少し前に食べたシチューが逆流しそうになる。

「うぷっ……」

「……弔ってやるか」

魔王はそういうと、死体に手を触れた。急速にそれはしぼんでいき、やがて砂になって消えた。

「何をしたの?」

「……腐食魔法の一種、としておくか。惨殺された死体など誰も見たくはないだろう。特に、こいつらの家族は」

数分かけて、「弔い」は終わった。血がまだ辺りに残っているけど、一晩経てば地面に染み込むだろう。

「……行くか」

魔王は小さく言った。その目は……微かに濡れている?


それは気のせいだったのだろうか。

#

疲れと精神的な衝撃から、ユージーンに着くまで会話はほとんどなかった。
着いたのは深夜。安宿に着くと、魔王は無言で金貨1枚を眠そうな女将に渡した。

「夜分すまない。行商の身だ、これで一部屋頼む」

「これって……ちょっと、宿代の10倍だよ?」

「深夜押し掛けた迷惑料込みだ。他言無用で頼む」

女将は首をひねりながら、私たちを部屋へと案内した。埃っぽい部屋だけど、文句は言えない。

「とっとと水浴びでもしてろ。俺は先に寝る」

「ちょっと!」

「聞きたいことは明日聞いてやる。ただ、朝早めにユージーンを出るぞ。モリブスで人が待ってるんでな」

「人?」

ベッドの布団を被りながら、魔王が言った。


「俺のパトロンだ。ジャック・オルランドゥ」


……オルランドゥ……魔術都市と、同じ名字?


「ねえ、どういうこと?」

呼び掛けたけど、魔王はもうスウスウと穏やかな寝息を立てていた。

第3話はここまで。

アリスなどのキャラクター紹介は後日。

質問などありましたらどうぞ。

設定紹介

「遺物」

遥か過去に作られた武具の総称。その全てが現在では再現不可能な技術で作られている。
作り手は「神」とされているが、一切は不明。ただ、そのどれもが超常の力を有している。
デイヴィッドの「スレイヤー」は地面に突き刺すことで本人の回復・強化を促していたようだ。まだ何かあるかもしれないが、現状は詳細不明。

(大体遺物=神器。ただ、ジュリアンは本編には出ません)

魔術都市オルランドゥ

マナが豊富なオルランドゥ大湖のほとりにある。人口は約1万人。風光明媚な観光地でもある。
都市としては自治権を持っており、モリブス政府でも簡単には干渉できない。
学院長は合議制によって選ばれる。当代の学院長はローマン・ゴールディ。基本的に政治的野心には乏しく、研究の邪魔さえされなければいいというスタンス。
各国から最も優れた魔術師が集まり、魔術や科学の研究を行っている。
半面、各国からのスパイも多く最新の魔術を盗もうと虎視眈々。野心ある学生がやってくることもなくはない。
このため、研究成果は一定の実が結ばれるまでは秘中の秘とされ外に出ることはない。それでも発覚する時はある。





第4話



涼しい風が頬を撫でる。疲れは残っていたけど、今日は何とかなりそうだ。
ユージーンで馬を買ったからだ。魔王が御し、私はその後ろの鞍に座っている。胸が少し当たるけど、きっと彼は気にしないだろう。

「……馬、なんでオルランドゥで借りなかったの」

「借りられると思うか?俺たちに対する警戒体制が敷かれていた以上、その場で身元を調べられるのが落ちだ。そうしている間に拘束されたら終わりだろう?
どうにも世間のことを知らんようだな、小娘」

「なっ……!?」

実年齢は上だと知っていても、少年に小馬鹿にされた口調で言われるとさすがにムッとした。
馬を操る魔王が呆れたように振り向く。

「そもそも、俺なしではお前はただ殺されるか、さもなきゃ一生塔の中だ。少しは身をわきまえろ」

「何ですって??」

反論しようと思ったけどやめた。私はもう2回も彼に助けられている。路銀だって彼任せだ。傲慢でいけすかないけど、確かに彼は命の恩人なのだった。

黙っている私を見て、「……ふん」と魔王は前を向いた。

馬は冒険者ギルドで買うことができた。相変わらず相場の数倍で買っていたけど、あの金はどこから手に入れているのだろう?
元がズマの皇子というのが本当だとしても、サンタヴィラの惨劇から20年も経っている。そんなに金がもつものだろうか。

そもそも、私はあまりにこの男のことを知らない。長旅になるなら、互いのことをもっと話すべきではないか。……好き嫌いは別にしても。

「ねえ」

「何だ」

声をかけたはいいけど、何から話すべきか思い付かない。そもそも、男性とちゃんと話すこと自体、今までの人生の中でそう多くはなかったのだ。

「……」

「……変な奴だな」

「あの……魔王ケインって、どんな人だったの」

魔王が馬を止めてじっと私を見た。……触れてはいけない話だっただろうか。

「……それがどうした」

「ただ、訊きたかっただけだけど……」

小さな溜め息が聞こえた。

「お前には関係のないことだろう」

「でも、あなたはサンタヴィラの惨劇の真実を知りたがっている。彼が、そんなことをする人じゃないと思っているからでしょ?それに、あなたもそこまで悪い人じゃない、多分」

「何を根拠に」

「何となく。それに、魔法使いはマナでその人の性質が分かるの。あなたは偉そうでちょっとムカつくけど」

ふん、と魔王が鼻を鳴らした。

「……小娘が偉そうに」

「でも、あなたが知る魔王ケインは、御伽噺の絵本のような極悪非道の悪党じゃない。そうでしょ?」

「……随分魔族に同情的なんだな」

「同情的じゃないけど……全ての魔族が、悪い人じゃないと知ってるだけ」

そして、そうだと思いたいから……私は「追憶」を産み出した。

魔王は馬を再び歩ませた。

「……父上は優しい人だった。厳しいが、少なくとも俺にとってはいい父親だった。
敵には容赦はない。刺客を斬り捨てたのを見たこともある。だが、理由もなしに誰かを殺すなんてことは、絶対にしない人だ」

「サンタヴィラ王国が何かした、と?」

「分からない。だが明らかに今語られている『魔王ケイン』は、俺の知る父上ではない。
とりあえず、次の宿場町で飯を食うぞ」

それきり、魔王は黙ってしまった。

#

「……おかわり」

フードをすっぽりと被ったまま、魔王が空になった皿を突き出す。テーブルの上には、早くも3枚の皿が重ねられていた。

「よく食べるのね……」

「俺は燃費が悪いからな。人より多く食らうし、多く寝ないといけない。とりあえず、この肉のスパイス炒めと『レー』を頼む」

「私、あれ苦手なのよね……」

「オルランドゥは一応モリブス領内だろう?食べないのか」

「辛いのダメなのよ……」

モリブスに行くのは3年ぶりだ。とにかく全部の料理がスパイスが効いていて辛いのだけど、「レー」は特に辛い。
サラサラで真っ黒なスープは、とても人間が食べる代物とは思えない。お米と一緒に食べるのだけど、私は2口で挫折した。

魔王が小馬鹿にしたように笑う。

「小娘は舌まで小娘だな。だから甘口の『ウー・ドレー』しか食えないのか」

「これは辛くないもの。ミルクのまろやかな風味が麺に絡んで美味しいわよ。嫌いなの?」

「辛さこそモリブス料理の真髄だろう?ミルクで誤魔化すのは邪道だ」

スパイス炒めと「レー」が運ばれてきた。ここの「レー」は特に黒い気がする。本当に、あれは同じ食べ物なのかしら。
私は「ウー・ドレー」の白い麺を啜った。甘味の中に複雑なスパイスの香りが拡がる。

「んぐっ……モリブスに、詳しいの?」

「まあな。昨日少し話したが、俺の後援者はモリブスにいる。俺もそいつのところで世話になったんでな」

「ジャック・オルランドゥだっけ?オルランドゥ魔法学院と、何か関係が……」

「もちろんある。だが、それについては本人の口から聞いてくれ」

魔王が匙を口に運んだ。表情は変わらないけど、額には汗が滲んでいる。

私のことを知っていたのは、それが理由なのかしら。



魔王が急に、匙を止めた。


「……いるな」

「追っ手?」

「多分。視線を感じる」

私も辺りを見渡した。……確かに、食堂の片隅に1人、明らかに常人じゃない魔力の人がいる。彼か。

「どうするの?」

「直接絡むまでは無視だ。宿泊する予定のイスラフィルで仲間が待ち伏せしているかもしれないが、その時は殺るしかないな。
……小娘、本当に戦闘向きの魔法はないのか」

「戦闘?私も戦えというの?」

「当然だ。昨晩のデイヴィッドみたいなのがいたら、俺一人だけでは守りきれん」

渋い顔で返された。

でも、当然私には戦った経験なんてない。さらに言えば、精霊魔法はあまり戦闘向きの系統ではないのだ。

考えろ。本当に彼に頼りっきりでいいのか……

「あ」

あった。彼を支援できそうな魔法で、私が使えそうなものが。

私は小さく頷いた。

「一応」

「相手はチンピラじゃない。一昨日の間抜け2人も、一応訓練は受けていたはずだ。本当に通用する程度のものなんだろうな?」

「実際に試したことはないの。でも、自信はそれなりにある」

「……信用するからな」

「助けられてばかりじゃ、悪いもの」

魔王が苦笑した。

「その意気込みやよし、だな。腹八分目だが、ひとまず外に出……」

魔王の視線が例の男に向けられた。男は、こっちに向かってまっすぐ歩いてくる。

どうしよう、と思っているうちに彼は私たちの所に来た。



「よう、お二人さん」


「何の用だ」

険しい目で魔王が彼を見る。背は185センメドぐらい。短い黒髪の痩せた男で、どことなく軽薄そうな感じだ。耳が長くて色白だから、エルフだろうか。

「すまねえな。間違ってたらすまねえが、そこのちっちゃいフードのが『魔王様』でいいか?で、巨乳の姉ちゃんがプルミエール・レミュー嬢」

「……だとしたら何だ」

男はニヤニヤしながら私たちのテーブルに座る。そして、出てきた言葉は私の……そして恐らくは魔王の想像の外にあるものだった。



「俺を雇わねえか?」


「……は?」


何を言ってるんだろう?この男がただ者ではないのはすぐに分かるけど……

「追っ手じゃないの?」

「いや、追っ手だ。あんたらの捕縛指令は、各国政府によって出されてる。で、そのための特務部隊が名目上協力して組まれてる。俺もその一人ってわけだ。
だが、俺にとってはチビの魔王と巨乳ちゃんを捕まえてもそんなにいいことがない。所詮悲しき宮仕え、部下の手柄は上司の手柄、なわけさ」

「……金次第で動くとでも?」

金で動く人は危険だ。もっと高いお金を出す人がいたなら、こいつは速攻で裏切る。
魔王もそう思っているようで、表情の険しさは増していた。


しかし、彼の答えはまた予想外のものだった。


「俺をサンタヴィラまで連れていく。それだけでいい」




「……何??」


魔王の怒気を孕んだ言葉に、男が肩をすくめた。

「あー、すまんすまん。ただ、俺はお前さんたちをどうこうするつもりはねえぜ。
むしろ協力したいと思ってる。どうだ」

「要らん。一切信用ならん。そもそも、お前は誰だ?」

しまったなあ、とこぼしながら男が頭をかく。

「俺の名はランパード。ビクター・ランパードだ。まあ、見ての通りトリス森王国の人間だ」

「トリス……まさか、エリザベートの知り合い?」

「ああ、そういや姫様のご学友だったな。まあまあ長い付き合いだぜ、あのトンチキ姫様とは。
まあ、この申し出を断ってくれても構わない。俺は勝手に支援させてもらうからな」

味方は多い方がいい。それに、このランパードという男が本当にエリザベートの知り合いなら、確かに信頼には足るはずだ。
ただ、魔王はじっとランパードを見ている。彼の下した結論は……

※安価1回目

1 ……分かった
2 ……断る


※3票先取


※1だとややコメディ色が強くなります。2だと2人のイチャイチャ(?)が増えます。

※ストーリーの大筋には変わりはありません。





「断る」




ランパードは苦笑した。

「……まあ、そう来るだろうよ」

「トリスのことだ、どうせ裏があるんだろう?それが何であれ、邪魔はさせない」

「邪魔はしねえって」

「エルフは信用ならん」

「嫌われんなあ」

ランパードはそう言うと、席を立った。

「ま、それならそうでいいさ。上にはお前さんたちは見付からなかったと伝えとく。
ああ、忠告な。テルモンの連中がイスラフィルで待ってるぜ。まあ、お前らならどうとでもするだろうが……人死に出したら目立つぜ。そんだけだ」

テルモンが??そこは……私の祖国だ。

「ちょっと待って!!」

周囲の視線が私たちに集まる。しかしランパードは振り向かず、そのまま去っていった。

魔王が険しい顔で私の裾を引く。

「馬鹿がっっ……!注目を浴びてどうする?そもそも、奴の言うことを素直に信じるつもりか?」

「でもっ……彼は『テルモンの人間が待ち伏せしてるって』……」

「ああ、そうだろうよ。言っただろう、お前の『追憶』はどこの国にとっても都合が悪い代物だ。だから、世界中がお前を狙ってる。
そして、あのランパードという男もお前を利用しようとしていただけに過ぎん。人を安易に信用するな、愚か者がっ」

そうか……彼は私たちを罠にはめようとしていたのかもしれなかったのか。……自分の甘さが嫌になる。

「行くぞ、これ以上注目を浴びるのはまずい」

「……あなた、もっと色々知ってるんじゃないの」

イスラフィルに向かう道中、私は魔王に訊いた。お昼を食べてから、彼の機嫌はずっと悪い。それはあのランパードという男によるものなのか、それとも私の迂闊さによるものなのか。……きっと両方だろう。

「色々とは、何だ」

「私を狙っている人たちの正体。色々な国が狙っているって言ってたけど……」

魔王は数秒黙った後、口を開いた。

「知ってどうなる」

「今から向かうモリブス公国も、私たちの敵なの?」

「……あそこは、まだマシだ。少なくとも、統領のベーレンは協力者だ。ただ、閣内にはお前を消したいと思っている連中が多いだろうな」

そうなのか。とすれば、そこまで心配しなくてもいいのかな。

「じゃあ、あのデイヴィッドって男は」

「……分からん。ただ、あいつは……間違いなく、国の中枢に近い人間だ。『遺物』持ちの時点で、普通の暗殺者じゃない」

魔王はまた口を閉ざす。何か、言葉を選んでいる気がした。

「まだあんなのがいるの?」

「……多分な……ん」

魔王が馬を止めた。

「……少し早いお出迎えのようだな」

30メドぐらい先に、男たちが立ち塞がっているのが見えた。

イスラフィルまではまだ1、2キメドはあるはずだ。目撃者が多くなる街中ではなく、街道で待っていたということか。


背筋に冷たいものが流れる。


「殺すの?」

「それしかあるまい」

私は昨日の、そして一昨日の夜のことを思い出した。……2日続けて惨い死体を、私は見ている。しばらく……というかできれば一生、人が死ぬのは見たくない。

「……やめて」

「殺らなきゃ殺られるんだぞ?」

「……そうでもないわ」

私は馬を降りて、男たちに向けて歩いていく。……近くには川が流れている。これは好都合だ。

「おい」

「すぐ終わるわ」

小さく呪文を呟く。



「清廉なる水の精霊よ
真実の姿を偽りに、偽りを真に曲げよ
心に惑いを、惑いを真実に変えよ……」


霧が一気に辺りにかかっていく。……上手く行った。

「何をした?」

「説明は後で。今のうちに通るわ、霧の中では何もしないで」

馬に飛び乗り、霧の中を進む。魔王の背中に手を触れ、魔法の効果が彼に及ばないようにした。

途中、男たちが剣を振り回しているのが見えた。私たちには、全く気付いてない。


そして……私たちは無事にイスラフィルに着いた。

#

「結局、あの魔法は何だ」

宿のベッドに座りながら、魔王が訊く。私は少し得意気になって答えた。

「精神魔法と精神感応魔法の合成術。『幻影の霧』とでも言うべきものね。
霧の中に入ると、認識が歪められて幻覚を見るの。一度かかったら、1刻は正気を失うわ。水場が近くにないといけないけど」

魔王の目が、初めて驚きで見開かれた。

「即興か?」

「ううん、昔作った魔法。研究論文に仕上げるほどのものじゃないけど……」

「……精神感応魔法の素養があるとはな」

「教えてもらったの。親代わりの、クリス・トンプソン宰相に」


その瞬間、魔王の目が憎悪に燃え、私の胸倉を掴んだ。



「……あの男が親代わり、だと?」


「えっ!?ええ、そうだけど……」

「クソッ!!!」

魔王が私を軽く突き飛ばした。私はもう一つのベッドに倒れこむ。

「きゃっ!!?何するのよ!!そもそも、トンプソン宰相に、何か恨みでも……」

魔王は努めて冷静になろうと呼吸を整え……そして告げた。


「……当然だろう??……あの男は、父上を討った勇者の一行にいた。仇なんだよ」


第4話はここまで。設定などはまた後程。

なろうの方をアップしました。一部微妙に表現を変えています。

設定紹介

レー……
カシミールカレーのような何か。本家よりは具が多い。

ウー・ドレー……
カレーうどんのような何か。カレーに牛乳を併せたような感じのスープが人気。

モリブスはメキシコ辺りの地理ですが、この世界(時代?)においてはインド的な食文化になっています。
また、「ソミ」は味噌です。カッテージチーズの味噌漬けが第1話で少し出ています。




第5話





モリブスに近づくにつれ、香辛料の匂いが濃くなった。嫌な感じじゃないけど、何とも形容しようのない匂いだ。


ここに来るのは3年ぶりだ。アリス教授に連れられて、貴族連に挨拶しに行った時以来か。


モリブス公国は、北ガリア大陸南東部に位置する。ここ10年ぐらいでかなり大きくなった国だ。

新興の南ガリア大陸からの交易が盛んで、ドワーフやオーク、オーガなど南からの異種族も少なくない。オルランドゥ魔術都市も、名目上はモリブスの統治下にある。

非常に陽気なお国柄だけど、治安は決して良いとは言えない。法よりも暴力、秩序より混沌というのがモリブスの伝統である、らしい。以前モリブスに行った時も、屈強な女護衛を3人ほど雇っていたような気がする。そうしないと襲われるから、だそうだ。


今回、私の護衛は……護衛と言えるのかよく分からないけど……自称魔王の少年だけだ。

ただ、彼との会話は、昨晩からすっかりなくなってしまった。目線すら合わせようとしない。

馬に揺られながら、会話の糸口を探ろうとしてもなしのつぶてだ。別に、気に入られようとかそう思っているわけじゃないけど……酷く不安になる。



原因は分かっていた。私が、彼の仇の一人であるトンプソン宰相に育てられたという事実だ。


父親の魔王ケインが討たれるべき存在だったのは、彼も認めている。それでも、あの怒り方は……何か異常なものを感じた。
あるいは、魔族の国であるズマ魔侯国と長年対立関係にあったアングヴィラ王国自体にいい印象を抱いていないのかもしれない。


……でも、だからといって会話までしなくなるなんて。その狭量さに、私は寂しさを覚えていた。
こんなので、これから先上手くやっていけるのだろうか?


街道の人通りはどんどん増えていく。とりあえずの目的地であるモリブスまで、もう少しのようだった。

#

「降りろ」

今日、初めて私に魔王が投げかけた言葉は、冷たい命令だった。

そこはモリブスの外れにある一軒家だった。木造で、かなり年季が入った建物のようだ。

「ここに、あなたの後援者が?」

「無駄口を叩くな、俺についてこい」

玄関のドアを魔王が乱暴に叩く。……返事がない。
もう一度ドンドンと魔王がやると、「うっせえなあ」という声が聞こえてきた。

「足悪いんだから上がってこいよ。エリック、お前だろ?鍵は開けてある」

「チッ」

ギイィ……と錆びた音と共にドアが開く。家の中は何かよく分からない紙と本で散乱していた。

「言ったのに片付けもできんようだな……」

ブツブツ言いながら、魔王が2階へと上がる。ギシギシと、階段がきしんだ。
そして、2階の奥の部屋のドアを無言で開けると、そこには……


「よう、エリック」


車椅子に乗った、痩せた魔族の男がいた。


「えっ!!?」

「まあ、知っているのは一部の教授と学園長だけだがな。魔族が創立者であることも含め、秘中の秘だ。
特に20年前からは俺について触れること自体ご法度になっちまった。こいつの親父のせいでな」

魔王がジャックさんを睨む。

「だから小娘を連れて来たんだろう」

「ハハハ、まあな。もともと魔族への風当たりは強かったが、さすがに窮屈に過ぎる。
お蔭で碌に研究もできやしねえ。……ゲホゲホっ」

体調が良くないのだろうか、ジャックさんの顔色はどこか白っぽく見える。

「大丈夫ですか??」

「んー、大丈夫……でもねえんだがな。まあ、そんなことはどうだっていい。
とりあえず、俺とエリックの目的は同じだ。サンタヴィラの惨劇の真実を知りたい。俺もエリックの親父、ケインとは古い仲でね、あいつがあんなことをやらかしたのには理由があると踏んでる。
そして、それを知ることが、魔族全体のためになると思ってる」


「……え?」

「要は冤罪の可能性がある、ってことだ。まあ、ケインがサンタヴィラ王国を壊滅させたという証人は『三聖女』がいるわけだがな。だが、絶対にあれには裏がある。
それが分かれば、魔族復権につながる可能性すらある。そうだろ、エリック」

魔王は「……ふん」と短く言った。

「……さっきから不機嫌だな。まあいい。で、それを知るにはプルミエール・レミュー、だったか?お前の『追憶』が必要だ。ただ、今のお前の力量ではとても20年前のことまでは『思い出させられない』」

「ちょっと待ってください!?私、名前言いましたっけ??」

「言ったろ?俺は魔術学院の管理者だと。ある程度生徒の情報は知ってるんだよ。勿論、その研究内容もな」

そうか、魔王が私のことを知っていたのは、この人経由だったのか。少し腑に落ちた。

「で、修業を付けてやるってわけだ。アリスは優秀な魔術師だが、研究者肌だからな。マナの効率的な作用方法を教えるには、俺の方が向いている。まあ、厳しく行かせてもらうが、そこは覚悟しとけよ」

「はっ……はい」

「あと、勿論ただで教えるわけじゃない。ちと、その前にやってもらいたいことがある。お前ら2人でな」

「え」

魔王も訝し気な顔になった。

「どういうことだ?」

「ぼちぼち貴族連による次期統領選挙が始まるわけだがな。有力候補者とその周辺で、殺しが相次いでいる。現統領で俺のダチ、ジョイス・ベーレンも側近が殺された。
序列2位の貴族、ロペス・エストラーダの周りだけ被害がないからこいつの指図だとは思うんだが、証拠がない」

「まさか、その証拠を?」

「そういうことだ。レミューをここに呼んだのは、そういう背景もある。『追憶』を使い、調べてもらいたい」

ゴクリ、と私は唾を飲み込んだ。……まさか、モリブスの権力争いに巻き込まれるなんて。

魔王が険しい顔になってジャックさんに詰め寄った。

「ちょっと待て。お前も知ってるだろうが、こいつは狙われてるんだぞ??」

「そうだ。ただ、ジョイスの手によるものじゃない。まあ政敵を殺しまくっているであろうエストラーダは、真相を知られかねないから消したがっているだろうがな。
どちらにしろ、安心して腰据えて修業したいなら、まずこの件の解決が必要ってわけだ」

「お前自身が解決すりゃいいだろ」

ジャックさんが呆れたように息をついた。

「この車椅子の身体でできるわけねえだろうが。いい年なんだからもう少し考えて物を言え、親父が泣くぞ?
というか、お前らがギクシャクしてんのもどうせお前が勝手にむくれてるんだろ?」

「……はあ??」

「図星だろ。そもそも、お前に女に対する免疫がないのは知ってる。まして、この娘の器量はなかなかだ。どう話せばいいのか分からねえんじゃねえのか?」

「そんなわけがっ!!」

魔王の顔が真っ赤になっている。

……え、そうなの?

「レミュー、エリックはこういう男だ。中身は見た目相当のところがあるが、悪い奴じゃない。ま、気長に付き合ってくれ」

「えっ……は、はあ……」

「チッ!!行くぞ!!!」

魔王は叫ぶと、部屋を出ていってしまった。

「ったく、素直じゃない奴だな……とりあえず、最近の殺しについての情報だ。一昨日の夜、ユングヴィ教団モリブス支部の前で大司教補佐のミリア・マルチネスが殺された。
何人か彼女と一緒にいたにもかかわらず、目撃者は何故かいない」

「……最近ですね。それにしても」

「ああ、奇妙だ。間違いなく、犯人は只者じゃない。もし何か分かったら、俺のところに来てくれ。修業はその後付けてやる」

#

魔王はジャックさんの家の前で待っていた。そして歩き出すなり小さく呟く。

「……すまなかったな」

「え」

「お前がトンプソンに育てられようと、奴はお前じゃない。俺が勝手に頭に血が上っていただけだ、許せ」

「あ……うん。いいの、気にしてないから」

「……そうか」

魔王はほっとしたのか、少し微笑んだ。……こうしてみると、結構かわいい所もあるんだな。
馬にまたがると、魔王がこちらを振り向いた。少し、顔が赤い。

「すまないが……その、胸が当たる。気持ち、離れてくれないか」

「あ……ごめん」

私も慌てて身体を離した。

彼は、何だかんだで私を女の子として見ているのかな。そう思うと、今までの行動が急に恥ずかしく思えてきた。
ただ、私も恋らしい恋をしたことがない。どうやって彼と向き合うべきなのだろう。


そして、目的地のサンタヴィラは……まだ遥か遠い。


第5話はここまで。

設定紹介

モリブス公国

北ガリア大陸南東部に位置する合議制商業国家。南ガリア大陸との交易でここ10年で急速に栄えた。遥か東のアトランティア大陸とも交流がある。
非常にラフでフランクなお国柄。南ガリアからの移民もあり他民族国家だが、人間優位で不満は少なくはない。

ズマから流れてきた魔族も少なくなく、北ガリア大陸の中では比較的魔族の存在が受け入れられている国でもある。
特に現在の統領、ジョイス・ベーレンは民族融和を掲げている。ただ、抵抗勢力も多く一連の改革が十分に進んでいるとも言い難い。

貴族連と呼ばれる特権階級が支配階層。各貴族には「無頼衆」と呼ばれる私兵がいる。一種のマフィアで、裏社会を形成している。そして、無頼衆同士の抗争は日常茶飯事。移民の多さもあり、治安は決して良くはない。

なお、上の記述からも分かる通り、今回は別大陸にも文明があります(ただしそこまで栄えてはいない)。
モリブスも港町という設定です。





第6話




ユングヴィ教団の大聖堂は、街の真ん中にある。鋭い尖塔と、その上部の大時計はモリブスのシンボルだ。
何でも500年前、世界を救った英雄とその仲間が私財を投げ打って作ったらしい。
ユングヴィ教団というとイーリス聖王国の印象が強いけれど、元を辿ればここが発祥なのだという。一生のうち一度は必ずここを訪れるのが、熱心なユングヴィ教徒の決まりだ。

私たちは、その下にいた。初秋とはいえ、モリブスの陽射しは暑い。私は眼鏡を外し、眼を拭った。

入口には、山のように花束が積まれていた。ユングヴィ教団の大司教補佐、ミリア・マルチネスが殺された現場だ。
彼女と思われる似顔絵も幾つかあった。どれも優しそうな婦人の顔だ。
今も目を腫らした老婦人が、フロアロの花を持ってやってきたところだ。随分慕われていたんだな。

「何か、御用ですか」

若い男が、私たちに呼び掛けた。

「あの……ちょっと」

「少し、ここで調べたいことがある。手間は掛けさせない」

魔王が言うと、男の額に少し皺が寄った。

「……子供の、それも魔族が来るところではありません。立ち去り……」

「『全ての種族に等しき救いを』。それがミリア・マルチネスの教えだったはずだが?」

魔王が鋭く言い返す。男の表情が、さらに険しくなった。

「……ネリド大司教は、『神を信じる者のみが救われる』と仰ってます。魔族は神を信じないのでしょう?勿論、ユングヴィ教も」

「だからと言ってここで俺たちが何をしようと勝手だ。お前らに迷惑は掛けん、だから消えろ」

「……何ですって」

男が魔王に掴み掛かろうとしたのを、私は間に入って止める。

「ちょ、ちょっと!!す、すみません、本当に大したことではないんです。ただ、1刻……いえ、半刻の間、ここにいさせてください。
死者を弔うのは、人も魔族も関係ないはずです」

「……」

男がじっと私を見る。そして「ふんっ」と言うなり踵を返した。

「……やれやれ」

「『やれやれ』じゃないわよ!もう少し穏便にできないの?」

「穏便にできないのはあいつの方だ。そもそも、お前はモリブスのユングヴィ教団の事情を知らんだろう?」

「……え」

魔王は呆れたように首を振った。

「ユングヴィ教団の中で、ミリア・マルチネスは改革派だった。ジョイス・ベーレンに近い立場だったと言える。
ただ、ルイ・ネリドら主流派はずっと煙たがってたからな。主流派は『無頼衆』ともつるんでいたから、改革派の首魁の死は好都合なんだよ」

「え……そうだったの?詳しいのね……」

「俺もそこそこ長くモリブスにいたからな。このぐらいは知っている。マルチネスが死んだ、ということはこれもジャックが言っていた一連の殺しとみて間違いない」

魔王が花束の山の前にしゃがみこみ、少しだけ手を合わせた。私もつられて同じようにする。

「……さて、やるか。『追憶』は使えるな?」

「2日前の宵8刻、よね。少し時間は掛かるけど」

「思い出させる」までの時間が長いほど、魔力も時間も消費する。半刻で終わらせる自信はそんなにないけど……やるしかない、か。

小さな声で詠唱する。全神経を大地に集中し、精霊の「動き」を水晶玉に集めた。
「再生時間」が短いのは救いだった。いつ殺されたかが大体分かっているから、無駄な時間の「再生」は少なくてすむ。

半刻より前に、ぼんやりと水晶玉に映像が浮かび上がった。大聖堂入口の薄明かりが、中年の女性と若い男性2人を照らしている。
何か話しているようだけど、会話内容は声が小さすぎて分からない。……この辺りも、要改善かな。

「これが『追憶』か……真ん中の女が、マルチネスだな」

「多分」

そして、彼女が階段を降り始めた時だ。


ナイフを持った腕が、突然彼女の腹部を貫いたのだ。




「え??」


少し時間を「巻き戻す」。人の姿は、3人以外にない。なのに、虚空から腕が飛び出している。


……こんなことがあるの??透明になる魔法なんて……見たことも聞いたこともない。


魔王も訝しげに水晶玉を見ている。


「もう一度見せろ」

「……うん」

惨劇が再び映し出される。……私には、虚空から腕が急に出てきたようにしか思えない。

魔王は無言で考えている。10秒ぐらいして「そうか」と口を開いた。

「どうしたの?」

「妙だな。俺も魔法には然程詳しくはないが、仮に『透明化』という魔法があるなら腕だけが実体化はしない。そもそも、ナイフごと直前まで透明にはならないはずだ。
『幽体化』なら魔族に伝わる魔法にあるからそれだと思ったが、幽体になると物理的に物は持てない。透過するからな」

「……だとしたら?」

「さっき見ていて、僅かに空間が歪んでいた。まるで何かに身を隠していて、そこから腕だけが伸びたような……そんな感じだ。
俺の読みでは、魔道具……いや、何かしらの武具によるものだと思う」

「そんな魔道具や武具なんて、聞いたこともないわ」

「俺もない。だが、『遺物』ならできる可能性がある。
つまりは、遺物を持てる立場の人間が彼女を殺している可能性大だ。エストラーダ候は高齢だから、恐らくはその意向を汲んだ誰かによるものだな」

私はゾクンと身を震わせた。「遺物」……あのデイヴィッドという男が持っていたものと、似た何か??

ということは……

「……ちょっと待ってよ?じゃあ、今ここでこうしていること自体が危険じゃないの?
こうやっているのを、後ろから刺されたら……」

「いや、それは多分ないな」

自信ありげに魔王が言い切る。

「どうして?」

「マルチネスを昼間に殺せるなら殺しているはずだ。彼女は街頭での説法も多かったからな。
つまり、夜に襲わないといけない理由があったってことだ。多分、白昼堂々とは使えないのだろうな。あるいは、昼は行動できないか、だ」

魔王が立ち上がった。

「どこに行くの?」

「『無頼衆』の一つ、『ワイルダ組』だ。あそこは俺に貸しがある」

#

モリブスの繁華街を通り過ぎ、旧市街に入ると異臭が鼻を突いた。香辛料の香りに生臭い何かやすえた臭いが混じった、酷く不快な空気だ。
街並みもボロボロの建物が目立つ。道行く人たちは皆身なりがみすぼらしく、目がギラギラと光っていた。

……というか、男たちは皆私に視線を向けている気がする。まるで、獣のような……そんな感じだ。

「ビクビクするな、堂々としろ」

「でっ、でも……」

目の前にオークが2人、その後ろにオーガが1人立ち塞がった。

「よう、姉ぢゃん。これがら飯でも食わねが」

「えっ、用事が」

「いやいや、旨い店知ってるだよ。悪いことはしねがらよ……」

下品た笑いを浮かべるオークの1人の首筋に、魔王がナイフを突き付けた。

「死にたいか?」

「てっ、でめえっ……ガキのぐせにっ……!」

そうしている間に、残りのオークが私を羽交い締めにしようとする。魔王は懐から何か取り出すと、それをオークに投げ付けた。

「ぎゃああっっ!!」

オークの肩には投げナイフが深く刺さっている。オーガが一歩、前に出てきた。

「お、おめえ……ぶっと、ばす」


ブォンッッ


拳の風圧が私にも届いた。それを魔王は事も無げに交わす。

「マイカの旦那、やっぢまってくでぜえっ!!」

「幻影の霧」を詠唱しようにも、そんな余裕はなさそうだった。マズいっ。

しかし魔王は、一瞬のうちにオーガの懐に入る。

「あ」


ドグッッッ!!


その瞬間、身長2メドはゆうに超える巨体が……浮いた。


「げぶっっ……」


オーガはその場にしゃがみこんだ。魔王は「ふん」と左拳を見る。右手にはナイフがあるから、刺したわけではないみたいだ。

「喧嘩を売るなら相手を見てやれ、雑魚が」

「だ、旦那ぁぁ?……ごの、ワイルダぐみに喧嘩さ売っで、ただでずむど……」


「何だい、騒がしいねえ」

向こうから狐の耳のようなものを付けた女性が男2人とやってきた。男の1人はコボルトで、もう1人は場違いにも思える燕尾服を着た人間の男性だ。
女性は白く長い髪で、扇情的な露出の多い服を着ている。ツンと張った乳房と少し厚みのある唇は、同じ女の私から見ても色っぽい。
お尻から尻尾が何本かゆらゆらと揺れている。……娼婦、じゃなさそうだな。

「あ゛、姐ざんっ!!」

ナイフを抜いて、もう1人のオークが叫んだ。

「何だい、3人がかりで女の子を拐おうとしたのかい?しかも護衛の男に返り討ちとは情けないねえ、恥を知りな。
にしても、地味なようでかなりの上玉だねぇ……何の用があって……あら、あんたは」

狐耳の女性が魔王に気付いたようだ。

「そっちに向かう手間が省けたぞ、デボラ」

「あら、エリックじゃないかい!いつ戻ってきたんだい?」

デボラと呼ばれた女性が笑いながら魔王の手を取った。

「昨日だ。訊きたいことがあってな。にしても、相変わらず躾がなってないな。俺のことも知らん下っ端か」

「南から来た新人さ、すまないねえ。後でキツく言っとくから、機嫌直しておくれよ」

……随分馴れ馴れしい女性だな。彼女の目線が、私に向く。

「で、この娘は?まさか、『これ』かい」

小指を立てた女性に、魔王が呆れたように首を振る。

「……違う。色々こちらも都合があってな。一緒に行動している。
それで、少し落ち着いて話したい。できれば人払いした場所でだ」

「へえ、そっちから褥に誘うなんて成長したじゃないか。あたしなら大歓迎だけど?」

「……馬鹿が。真面目な話だ」

「ごめん、その女性って」

デボラと呼ばれた女性が「へえ」とニヤニヤしながら私たちを見る。

「ああ、こいつは……」

「ごめんねぇ、あたしはデボラ。これでもワイルダ組の組長やってんだ。あんたは?」

……この人が?無頼衆をまとめているのが、女性とは思わなかった。

「私は、プルミエール・レミューです。その……オルランドゥにいたことがあります」

「へえ、魔法使いかい。なるほど……訳ありみたいだねえ」

魔王がデボラさんを睨む。

「お前には関係のないことだ」

「ま、あんたのことだ。言いたくなかったらそれでいいさ。じゃ、組に行こうか」

#

ワイルダ組の応接間は、思いの外飾り気がなかった。無頼衆というと、派手で怖い先入観があったけど……

「つまらない部屋だろう?」

デボラさんが部屋を見渡して言う。

「いえ……そんなんじゃ」

「いいんだよ、本当のことさ。旦那は不要な物を置くのを嫌がったからねえ」

彼女の視線の先には肖像画がある。仏頂面のコボルトの男性が腕を組んでいた。

「……旦那さん、ですか」

「そうさ、1年前に殺された」

燕尾服の男性がお茶を運び、無言で一礼する。

「悪いね、パーネル」

「失礼します」

出てきたのはモリブス流のミルクティーだ。甘く色々な香辛料が入っているもので、少し癖がある。
口にすると、複雑な香りが広がった。甘さの中に華のようなふくよかさがあるというか……苦味はあるけど、このお茶は嫌いじゃない。

「……美味しいです」

「だそうだよ?エリック」

「なぜ俺に振る」

「ん?理由が必要かい?」

魔王はムッとしてお茶をフーフー吹き出した。熱いのダメなのかな。

「ま、それはそれとして。旦那の仇を取ったのがエリックさ。本当はジャックに頼みたかったけど、彼は病気だからねえ。
遣わされたのが14ぐらいの子供だった時はどうしたものかと思ったけど、まあ結果としては本懐を遂げられたよ」

あ、借りってそういうことか。なるほど……

「無駄話はいい、本題に入らせてくれ」

「ああ、すまないねえ。で、何だい。無茶な話じゃなきゃ聞くよ」

「最近相次いでいる要人の暗殺。下手人に心当たりはあるか」

サッとデボラさんの顔色が変わった。

「……あんた、確かしばらくモリブスにいなかったね」

「ああ、野暮用でジャックの所にいた。モリブスの市街に来たのは1ヶ月ぶりぐらいだが」

「そうかい、知らないはずだよ。夜に出歩くのは止めときな」

「……何?」

デボラさんがお茶を飲み、深い溜め息をついた。

「この1ヶ月、夜になると原因不明の殺しが起きるんだ。しかも誰がやったかも分からない。
殺されたのは要人が多いけど、堅気も結構殺されてる。女子供もね」

「……え」

「誰が呼んだか、殺しの犯人をこう呼ぶようになった。『幽鬼クドラク』ってね」

クドラク……昔話の吸血鬼の名前だ。でも、そんなの実在するわけがない。

魔王の表情が険しくなった。

「心当たりはあるか?ロペス・エストラーダの身内だと踏んでる。しかも恐らくは『遺物』持ちだ」

デボラさんはしばらく黙った。

「……身内、ねえ……」

「やはりな、誰だそいつは」

「でもあり得ないね。エストラーダ候には歳を取ってからできた若い娘しかいない。それも、病弱でずっと屋敷から出たことのないような箱入り娘さ。
間違っても殺人なんてやれるわけがない。手掛かり1つ残さず、屈強な衛士も一突きで殺してるんだ。間違いなく達人の域だよ、あれは」

女性か……なら違うかな。

それでも魔王は食い下がる。

「そいつの名は」


「確か……ファリス。ファリス・エストラーダだったっけねえ」

第6話はここまで。

訂正です。

>>112は「2日前」→「3日前」です。
第5話の後、1日経過しています。

設定紹介

ユングヴィ教団

北ガリア大陸で広く信仰されている宗教。一神教ではあるが、神への帰依を強く主張する原理派と、人に交わることを是とする世俗派が存在する。両者の対立の歴史は長い。
大陸北部のイーリス聖王国は原理派による宗教国家。世俗派の中心であるモリブス公国との関係は良くない。
ユングヴィ教団自体はモリブスが発祥とされており、聖人ブレイズが神との会合により開いたものと伝えられている。
その一番弟子で世界救済の英雄の1人であるジュリア・ヴィルエールがイーリスに国を興した際、2つの宗派が分かれた。

ただ、同じ世俗派でも方向性により対立があり、大司教補佐のミリア・マルチネスはより宗教色の強い改革派であった。現大司教のルイ・ネリドは旧守派で、貴族との癒着が強く政治への関与も頻繁に行っている。
教団は医療など社会インフラを担っており、教団員は一定の社会的尊敬を集めている。なお、教団員育成のためのユングヴィ学院がイーリスとモリブスそれぞれにある。

言うまでもなくブレイズは「一族」のブレイズで、ジュリアは「崩壊した~」のジュリアです。
なお、「オルランドゥ大武術会」の大封印が完全な形で(もちろんシデとダナ抜きで)遂行された世界線のため、本作では「一族」は基本的に完全に消失しています。




第7話




エストラーダ候の家は新市街の高級住宅街にある。デボラさんから伝えられた住所に行くと、高い壁で囲まれた邸宅が見えた。

「すごい……お城みたい」

「『七貴族』の家はどこもこんなものだ。まあ、やはり正面から接触するのは至難の業だな」

邸宅の門には衛士が2人。確かに、立ち入るには許可か何かが要るだろう。

それにしても……これって。

「……中からこっそり抜け出すって、難しそうね」

「だな。抜け出すには壁を何とか越えるしかないが、普通の身体能力じゃ無理だ。
それに、昼にそんなことをしたらさぞ目立つだろう。仮にそんなことをするのなら、夜しかない」

「……本当に、そのファリスさんが『クドラク』だと思ってるの?病気の女の子なんでしょ?」

「ということになってるが、本当かどうかは分からん。何にせよ、クドラクと一度相対しないと何とも言えん」

「私たちを狙って、クドラクが外のどこかの国から来たという可能性は?」

魔王が首を振る。

「それにしては、統領でもないエストラーダに肩入れし過ぎている。
もちろん、エストラーダに政権転覆してもらいたいと考える連中……テルモンの皇帝ゲオルグ辺りの差し金という可能性はあるが。一般人まで殺す理由はない」

「それはファリスさんだってそうでしょ?」

「会ってみないとどういう人物か分からんだろう。か弱い少女が殺人鬼だったという例はなくはないからな」

「でも、剣の達人っていうのはおかしくない?」

魔王が額に皺を寄せた。

「しつこい奴だな……ただ、分からんことが多過ぎるのも確かか。一度ジャックに報告したいが、今から行くと帰りは夜だ。
『追憶』を使いたいところだが……」

衛士がこちらを見ている。フードをすっぽり被った男に、黒いローブの魔法使いというのは……やっぱり目立ちすぎるよね。
とても時間をかけて「追憶」を使える感じではない。そもそもいつからいつまでを「再生」すればいいのかが分からない以上、使う魔力は膨大になりそうだった。

「一度、引き揚げようか」

「……その前にだ。バザールに行くぞ」

「え?」

「小娘、お前が何でオークに絡まれたか分からんのか?お前は浮きすぎている。……色々と。
せめて身なりぐらいは周りに合わせろ」

「へ?ちょ、ちょっと!!」

魔王が足早に歩き出した。「周囲から浮いているのはあなたもじゃない!」と叫びかけたけど、それをやったらいよいよ不審者だ。

というか、周りに合わせるって……

早足で歩く私たちと、若い女の子2人がすれ違った。おへそを出した、露出の多い服だ。モリブスではよくある服だけど……


……まさか、私にあんな格好をしろというの?

#

バザールに入ると、街中に香る香辛料の匂いがさらに濃くなった。
その空気があまりに刺激的過ぎて、軽く目眩がするほどだ。

モリブスのバザールは、北ガリア最大の市場だ。南ガリアからの不可思議な食べ物、テルモンやズマで産出される鉱物や貴金属、そして遥か東のアトランティア大陸で作られた工芸品……その全てが集まっている。
ここで買えないものはない、らしい。武具だけじゃなく、怪しげな薬だって「裏バザール」なら手に入るということだ。

魔術に使う薬を求めて3年前に来た時は、教授と一緒だった。だから全然心細くなかったけど、今回は違う。
魔王が何を考えているのか、さっぱり分からない。というか……あんなのを着たら恥ずかしくて消えてしまいそうだ。

「ねえ、やめてよ……服なんていいから」

「馬鹿が。狙われている身というのが分かっているのか?今も誰かが……あるいはクドラクがお前を探しているのかもしれんのだぞ」

「でもっ!!あんな服なんて着たら……」

私が耐えられない。私の顔は地味だから、周りに合わせれば目立たなくなるかもしれないけど……でも嫌なものは嫌だ。
しかし、それを魔王に伝えて聞き入れるだろうか?力ずくで着させられるだけだろう。

唇を噛みながら、私は彼についていく。……やっぱり、私の気持ちは分かってもらえないのかな。


「……着いたぞ」


魔王があるテントの前で足を止めた。そこにあったのは。


「……え?」


そこには、見るからに上等なドレスが並んでいた。記事の光沢からして絹だろうか。
どれもゆったりとした感じで、落ち着きの中に上品さを感じさせる意匠だ。

「これって……」

「お前の服を買いに来たのだが?他国から来た良家の令嬢とその護衛という設定なら、モリブスであれば差程目立たんだろう。
それともまさか、モリブスの娘どものような破廉恥な服を着させるとでも思ったか?」

唖然として返す言葉がない。その通りだから。

魔王が呆れたように、大きく息を吐いた。

「本当に馬鹿だな、小娘……お前のその胸で『ビキ』なんて着たら、オークでなくても発情するぞ。
『私はここにいますから犯して下さい』と宣言してるようなものだ。もう少し物を考えろ」

「お、犯す……?」

「……お前、姿見を見たことは?」

「あ、あるわよ、そのぐらい」

「なら男に抱かれたことは?」

「……あるわけないじゃない」

彼は小さく「だろうな」と呟いた。

「自分の容姿をもう少し考えろ。お前は……その、男にとっては……目の毒だ」

「……どういうこと?」

私が不細工、ということだろうか。地味だとは思ってるけど……

魔王の顔は真っ赤になっている。

「と、とにかくだっ。さっさと買って宿に戻るぞ」

魔王は幾つかのドレスをパパッと選んで店主に渡す。

「120万ギラ貰おうか」

……120万ギラ??そんなに高いの??

店主の顔を見るとニヤニヤと笑っている。絶対にボッタクリだ。

バザールの品は値札がない。どれも店主との交渉で決まる。最初の言い値は大体がかなり高い。
しかし、これはいくら何でも高過ぎだ。魔族だから、相当吹っ掛けてるんだ。

しかし魔王は……

「そんなのでいいのか?」

平然と金を出そうとしている。

「ちょ、ちょっと!!」

「何だ小娘」

「何でいきなりそんな大金払おうとしてるの?馬鹿なの??」

「馬鹿とは何だ、身の程を……」

「それはこっちの台詞よ!?バザールで最初の言い値通りに払う客なんていないわよ、そもそも相当高いわよこれ?」

「そういうものじゃないのか?」

ムッとした様子で魔王が言う。ダメだ、全然分かってない。

「違うわよ……というかあなたの金銭感覚ってどうなってるのよ。オルランドゥのカトリさんのお店でも、100万ギラとかあり得ない額払ってたでしょ!?」

「あれは口止め料込みだ」

「にしても高過ぎ。そもそもどこからお金出してるのよ……」

「母上が持っていた宝石があるからな。ジャックに預けてるが、食うには困らん」

……それで20年も生きてこれたって、どれだけの価値がある宝石だったんだろう。
とにかく、彼は私に物を考えろと言うけど、彼は彼で全然世間のことを知らないのはよく分かった。

コホンと咳払いの音がした。

「で、買うのか?買わないのか?」

「あ、買います!でも120万はちょっと」

「いや、それ以上はまからんな」

店主はニヤリと笑う。こっちの財布に120万以上あることが見透かされたのだ。これはまずい。

「でも、高過ぎます!」

「南ガリアの最高級の絹だ、これでも安いぐらいだが?」

……これはいけない。買うか、別の店にするかしかない。
辺りを見渡すと、バザールでドレスを売っている店はあまりなさそうだった。服を売っている店はあっても、あの露出の多い「ビキ」ばかりだ。あれは着れない。

どうしよう……。魔王は「払えばいいじゃないか」と相変わらず言ってるし。

仕方ない、ここはもう妥協するしか……


「ちょい待ちな。これ、本当に南ガリア産か?」


後ろから声がする。どこかで聞いたような……


振り返ると、そこには背の高いエルフがいた。



「……ランパードさん??」


「よう。おお、『エリック』も一緒か」

魔王が腰の短剣に手を掛けた。

「貴様……なぜここに。そして、なぜ俺の名を」

「名前はちと調べれば分かるさ。あと、ここに来たのは偶然だ。信じるかどうかはお前さんたち次第だがな」

「攻撃の意思はない」と言うかのように、ランパードさんが手を上にあげた。

「パッと見だが、そのドレスはテルモンの大量生産品だな。1着せいぜい3万ギラってとこか。
南ガリア産の本物でも20万ギラが相場だが」

「えっ、そうなんですか?」

店主を見ると、「余計なことを言いやがって」とでも言いたげにランパードさんを睨んでいる。

「服買うならこんなボッタ店じゃなく、もうちょいちゃんとしたとこを知ってるぜ、ついてきな」

ランパードさんが私たちを手招きする。後ろで「クソッッ!!」と店主が叫ぶのが聞こえた。

「あっ、ありがとうございます!!」

「いいってことよ。『魔王様』はお気に召さないらしいがな」

魔王が低い声で言った。

「……何故、モリブスにいる」

「言ったろ?『勝手に支援させてもらう』ってな。あと、別件で用事があってな」

「……用事?」

「ああ。『幽鬼クドラク』の調査だ。貴族選が無事終わってくれねえと色々都合が悪い。
で、モリブスから不穏な動きがあると連絡を受けてな。それでここにいるってわけだ」

……この人って何者なんだろう?エリザベートとも知り合いみたいだし、追っ手なのに私たちを殺すどころか協力するとか言っている。

「なるほどな」と魔王が呟く。

「貴様、『草』か」

「『草』?」

ランパードさんが苦笑する。

「いや、ちと違うんだがな」

「妙だとは思っていた。エリザベート・マルガリータと知己であるらしい点からして、ただの男ではあり得ない。
小娘、トリスのエルフは各地に『草』と呼ばれる諜報員を送り込んでいる。恐らく知らないだろうが」

ブンブンと首を振る。そんなの、初めて聞いた。

「草はどこにでもいる。ある者は商人に、ある者は市民に身をやつしている。……一番多いのは娼婦や男娼だがな。多分、こいつは……その元締めだ」

「……さすが魔王だ、なかなかいい推測だぜ。8割は合ってる」

「……何?」

「これ以上は言えねえな。ま、俺が敵じゃねえことは分かってくれ。とりあえず服屋行った後、酒でも飲みながら話そうや」

#

「じゃ、再会を祝して……って何だよその仏頂面は」

「俺が喜ぶと思うのか?貴様は。エルフは信用ならんと言ったはずだ」

リンゴジュースが入ったグラスを片手に魔王が言う。お酒は飲めないらしい。

「でもあのボッタクリ店で大損こかずに済んだだろ?素直に感謝しとけよ」

ニヤリとランパードさんが笑う。私は自分の服を見た。

緑色の簡素だけど上品さがあるドレスだ。身体の輪郭が見えにくい、ゆったりとした意匠なのもいい。
何でも、肌触りのいいトリス綿で作られているらしい。モリブスでも上流階級御用達の店なのだそうだ。値段はそこそこしたけど、10万も行っていない。

「……ふん」

「まあいいや。じゃ、乾杯と行くか」

チン、と私とランパードさんのグラスが触れた。魔王も渋々グラスを合わせる。
私は金色の液体を喉に流し込んだ。炭酸の刺激と喉越しが心地いい。

「ぷはあっ!!やっぱ暑いモリブスにはモリブスエールだな!!これに辛い料理がまた合うんだわ」

ランパードさんは鶏のスパイス焼きを頬張った。

「……で、お前さんたちは何でモリブスに残ってるんだ?てっきり先に行ってるものだと思ってたが」

「……白々しい」

「いや、マジで知らねえんだよ。お前さんたちの監視は確かに任務のうちだが、四六時中見てるわけでもねえ。ぶっちゃけ、今日会ったのはマジで偶然だ」

一気にランパードさんがグラスを飲み干す。

「ま、お前さんたちがここにいるってことについちゃ、言えねえ理由もあるんだろうがな」

「……『幽鬼クドラク』について、知ってるんですか」

私が言うと、ランパードさんは驚いたように目を見開いた。

「……お前さんたちも絡んでるんか。早速狙われたとかか?」

「いえ。でも私たちもそいつを追ってるんです。何か、御存知なんですか」

「……お前さん、何か知ってるな」

魔王とランパードさんとの間に、不穏な空気が流れる。

「……知っていたら何だと言うんだ」

「いや、繰り返すが俺はお前さんたちの協力者だ。少なくともこの件については利害が一致している。
だから取引だ。そっちが情報を出せば、俺もそれに見合った何かをする」

「等価交換か。狡猾なエルフらしい」

「情よりも理だぜ。そうでないとこの稼業はできねえ。で、どうなんだ」

魔王はしばし黙り込んだ。私から言った方がいいだろうか。

「……えっと、私はそうは思ってないんですけど……彼は、ある人を疑ってるみたいなんです」

「……!!誰だそいつは」

チッ、と魔王が舌打ちした。

「余計なことを……」

「でも、このままじゃ何もできないでしょ?ランパードさんなら、打開策があるかもしれないじゃない」

「手出ししにくい相手か」

魔王が溜め息をつき、小声で言った。

「……ファリス・エストラーダだ。恐らくは『遺物』持ちだ。ロペス・エストラーダなら、遺物を持っていても不思議じゃないからな。
姿を消す効果がある代物だ。ひょっとしたら、肉体増強の効果もあるかもしれない」

「エストラーダの娘か!確かに俺もその可能性はまず考えたが、肉体的にあり得ねえと思ってたぜ」

「だが、遺物を使っているならあり得なくはない。夜間にしか犯行を行えないのも、家を抜け出す機会が警備が手薄な夜しかないからだ。
闇に紛れ、遺物の力で逃走する。そして、父の政敵を次々襲う。……一般人も殺しているのは理屈が分からないが」

ランパードさんが、エールのおかわりを頼んだ。

「エストラーダは確かにベーレンと対立してるが、奴はあまり汚い手を使わないはずだぜ。
無頼衆を使うのは、序列3位のラミレス家や5位のゴンザレス家のやりそうな手口だ。エストラーダは、ユングヴィのネリド大司教は使うが直接汚ねえことはしねえ」

「……何が言いたい?」

「もし、だ。娘の犯行だとしたら、独断かもしれねえってことだ。エストラーダはそれを知らないか、あるいは困り果てているかもしれねえ」

大きなエールのグラスが運ばれてきた。その半分ぐらいを、ランパードさんは一気に飲む。

「エストラーダ候に、クドラクがファリスさんかもしれないってことを言うんですか??」

「いや、いきなりはな。ただ、医者のふりをして潜り込み、ファリスと接触するぐらいはできる」

「え?」

そんなことができるというの?

ランパードさんはニッと口を広げた。

「ファリス・エストラーダは不治の病らしいが、トリスの医術は試してないはずだ。というわけで、医者を騙る」

「でもっ、それって……」

「いや、実際ある程度医術の心得はあるからな。とりあえず、明日試してみるか。
お前さんたちはどうする?魔王はさすがに家に入れないだろうが」

「……同席、できるんですか」

「助手ということで、姉ちゃんはどうよ。魔王、お前さんもそれでいいだろう?」

「ふん」、と魔王が鼻を鳴らした。

「……勝手にしろ」

#

「うーん!ひっさびさに飲んだぁ」

私は大きく伸びをした。空は既に暗くなり始めてるけど、このぐらいなら大丈夫だろう。

「嬢ちゃん、なかなかいけるな。今度は時間無制限でやろ……っと怖い怖い」

魔王がランパードさんを睨みつけた。

「そんなに威嚇しなくてもいいのに」

「エルフには心を許してはならん」

「でも、ランパードさんいい人だよ?」

「……どうだか」

ランパードさんが、「じゃあ明日朝の10の刻にここで会おうぜ」と手を振った。私も手を振り返す。

「ええ!!よろしくお願いしまーす」

魔王はムッとした様子で歩き始めた。……これって、ひょっとして。

「えー、まさか私とランパードさんが仲良くしてるから機嫌悪いの?」

「……馬鹿がっ。そんな嫉妬などという感情は、俺は持ち合わせてないっ」

……魔王の表情は暗くて分からない。でも、ひょっとして……照れてたりするのかな。

「んふふっ」

何か、年下の子を見てるようで可愛いな。フードの下の表情を覗いてやろう。
私が彼の前に出ようとしたその時だ。


魔王が急に立ち止まった。



「あたっ」

彼の背中に当たってしまった。……やりすぎたかしら。

「えっと……ひょっとして、怒って……」

「……静かにしろ。……何かおかしい」

私は辺りを見た。人通りは減ったけど、変な人はいない。

「誰もいないじゃない」

「いや、いる。……ごくわずかだが、気配がある」

私にはマナも何も感じない。魔王の気のせいじゃないだろうか。


刹那。


「避けろッッッ!!!」


「え」


魔王が私を突き飛ばす。そして……






バシュッッッッッ!!!!







私が見たのは。


虚空から伸びた腕と、切り裂かれた魔王のフード。


そして、飛び散る鮮血だった。




第7話はここまで。

キャラ紹介

ビクター・ランパード(58)
男性。エルフであり短い黒髪と尖った耳が特徴。軽いノリながらどことなく底知れない印象の男。トリス森王国出身。
30前後の見た目だが、その実58歳とかなりの年長。エルフの寿命は人間の2倍であるため、外見とは裏腹に知識は相当豊富。本人曰く医術の心得もある。
戦闘能力は不明だが、かなりの能力があると思われる。

身長185cm、70kgの痩せた体躯。酒が好きな様子であり、フランクな物言いをする。
実はかなりトリスでも高位にあるもよう。プルミエールの友人であり王族のエリザベート・マルガリータとも知己であるらしい。

追っ手として遣わされたと言っているが、それが本当なのかは甚だ怪しい。
エリックとプルミエールにサンタヴィラに着くまでの協力を申し出たが、警戒したエリックにより断られた。その真意は不明。
ただ、トリスが世界各地に送り込んでいる諜報員「草」の元締めに近い立場にあることは確かであり、「情より理」を重んじるリアリストでもある。

なお、ランパードの口調が「崩壊した~」シリーズのランダムに似ていますが、これは仕様です。
ランパードがランダム本人でないことは明言しておきます。





第8話






「ま……『エリック』!!」


思わず魔王と言いかけて言い直した。ただでさえ騒ぎになりかけてるのに、火に油を注ぐようなことをしてどうするの?

魔王はというと、斬られた右腕を押さえていた。血がボタボタと流れている。決して浅くはなさそうだった。


「逃げ…………!?」


今度は私にもハッキリ見えた。空間の歪みだ。
それは、私の方に向かって来るっ!!?


地面に倒れていた身体を、僅かにひねった。


「キャッ!!?」


ザクッ


本当に、間一髪だった。顔の横の地面に、血塗れの短剣が突き刺さっている。それを握る腕は……存外に細い。


「間に合わんかっっ!!!加速(アクセラレーション)3!!!」


魔王が叫ぶ。そして、左手だけで私を抱えあげると彼は猛然と逃げ出した。


私たちのいた広場が、みるみる間に小さくなっていく。通り過ぎる人々が、目を丸くしているのが分かった。


しかし……200メドほど走ったところで、魔王は……止まった。褐色の顔色が、土気色になっている。


もう、体力がもたないんだ。私から血の気が引いた。


「ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ…………!!!」

「ちょっと、大丈夫なの?それにその傷っ」

「いいから、逃げろっ…………!!ぜえっ、ぜえっ……俺の代わりは、いるが、お前の、代わりは……はあ、はあっ……いないっ……!!」

「嫌よ!!あなた、死ぬつもりなのっっ!!?」

「死には、しないっ……だが……」

魔王が私たちが襲われた広場を見た。誰かがこっちに来ている感じはしない。けど……逃げ切れた気も、全然しない。

私は黙って彼を背負った。身体が私より小さくて助かった。おぶって歩くぐらいはできる。


そして、僥倖だったのは……広場に噴水があったことだ。

小声で詠唱する。……間に合って!!


3メドぐらい先に歪みが見えたのと、詠唱が終わったのはほぼ同時だった。


「幻影の霧(ミラージュ・ミスト)!!!」


私たちの前を霧が包む。……やった!!

私はここに残るかどうか迷った。残れば、「クドラク」を捕まえられるかもしれない。
でも、霧の中からは人の気配が消えていた。逃げられた?ううん、多分、動いてないんだ。霧が晴れるまで、待っているのかも……

それに、何より……魔王が心配だった。荒い息遣いが耳元で聞こえる。意識があるのかすら分からない。
医者?いや、魔族の彼を診てくれるとは思えない。ユングヴィ教団も味方になってくれそうもない。
ジャックさんの家は遠すぎる。とすれば、残るのは……

#

「デボラさんっっ!!!」

ドアを叩くと、コボルトの男が怪訝そうに私を見下ろした。

「……何だこんな夜に……お前は」

「大変なんですっっ!!!」

男はすぐに魔王の様子に気付いたようだった。

「……すぐに呼んでくる」

上の階から、薄手の服を着たデボラさんがかけ降りてきた。

「どうしたんだいっっ!!?……その傷はっ」

「『クドラク』にやられたんですっっ!!急に、襲ってきて……」

「……入りな。あたしが治療する」

「え」

「怪我の治療には自信があるんだ。狐人の魔力、なめんじゃないよ」

すぐに魔王はベッドに寝かされた。フードの下を見ると、右肩に近い所がごっそり抉れている。骨が見えてないのが不思議なほどだ。

「……酷いね。エリック、意識は」

「一応……ある」

魔王の具合はさらに悪くなっているように見えた。デボラさんは荒縄で傷口の上を縛ると、お酒を持ってきた。

「……え?」

「消毒さ。モリブス南部特産の『テキ』を濃縮したものだよ。痛いけど、我慢しな」


トポトポトポ…………


「ぐああああああああっっっっ!!!!」


魔王が絶叫する。それと同時に、デボラさんが両手をかざした。掌が乳白色に光ると、鮮血で濡れていた魔王の傷口の色が、変わり始める。

「……すごいっ……」

モコモコモコと、失われたはずの肉が盛り上がってきた。治癒術って、こんな感じだっただろうか?

「言ったろ?狐人の魔力、なめんじゃないってね。亜人はオルランドゥには入れないけど、魔法を学べるのは魔術学院だけじゃない」

「まさか、ジャックさんの所?」

額から汗を流しながら、デボラさんが笑う。

数分後に魔王の傷は、すっかりなくなっていた。

「これでよし……と。彼はうちの組の後見人なのさ。旦那とはダチでね。旦那がいなかったら、彼に惚れてたかもしれないねえ」

「それにしても、この魔法……」

「『時間遡行(アップストリーム)』さ。誰にでも使えるもんじゃないらしいけどね。でも、肉体は戻っても、失われた血と体力はそう簡単には戻らない。
いくらエリックが頑強と言っても、薬湯飲ませて1日は寝とかないとダメだね。酒で傷から入った毒は消したけど」

魔王はさっきお酒をかけられたのが余程苦痛だったのか、意識を失っているようだった。デボラさんが緑色の液体を瓶からグラスに注ぐと、彼の枕元に置く。

「意識が戻ったら、こいつを少しずつ飲ませてやりな。にしても……クドラクがそれほど強いとは、ねえ」

「いきなり空間から腕が伸びてきたんです。完全に不意を突かれて……」

「他に気付いたことはあるかい?」

「腕は細かった気がしますけど、それ以外は……」

デボラさんがしばらく黙った。

「……そうかい。もし何か分かったら、あたしらにも教えとくれ。できる限りはする」

#

部屋の明かりは煌々と付いている。クドラクが襲ってきた時に、すぐに分かるようにということだった。
薄闇の中でも、近い距離なら歪みがそこにあるのは見えた。まして明るい場所なら、それなりの違和感はあるだろう。クドラクが夜にしか現れない理由の一つが分かった気がした。

「ん……ぐ……」

苦しそうに魔王が呻く。私は綿の布で、彼の顔に流れる汗を拭き取った。

こうして見ると、本当に少年にしか見えない。でも、私は……また彼に救われてしまった。

「……ごめんなさい」

唇を噛んで呟く。

私は、彼に何かしてあげられただろうか?守られることに甘えてはいなかっただろうか?
そんな心の緩みが、クドラクに存在を知られる理由になってしまったのでは?

目の辺りが熱くなってくる。……本当に、私は……世間知らずの小娘なんだ。



「……なぜ、泣く」


かすれ声が聞こえた。魔王が、うっすらと目を開けている。

「……!!意識がっ」

「……ここは、どこだ」

「ワイルダ組。……デボラさんが、傷を治したの」

「……お前が連れてきた、のか」

私は無言で頷いた。魔王がフッと笑った。

「……すまなかったな」

「え」

「俺も、周囲への警戒を欠いていた。許せ、あれは俺の責任だ」

「違うっっ!!私が、お酒に酔って浮かれてたから……」

小さく彼が首を振る。

「いや……あそこで襲ってくるとは、思わなかった。想定が、甘過ぎた」

「え」

私は薬湯の存在を思い出した。グラスを口元に持っていくと、彼は一口飲んだ。

「……苦いな」

すぐに顔をしかめる。

「……確かに、お前は狙われている。が、周囲に人がいる所で、しかもまだ宵になる前に来るとは、考えてなかった」

「それって、どういう……」

「焦り、だろうな。正体が知られることへの……ただ、『霧』に入っても無闇矢鱈に暴れてはいなかった。あの危険性を知っていたか、あるいは直感で動かぬ方がいいと考えたか……」

魔王が私に微笑みかけた。……こんな顔で笑う彼を、初めて見た。

「ともあれ、救われたのは……俺の方だ。あそこで霧を張らなかったら……『アレ』を使わざるを得なかった」

「『アレ』?」

「俺の、本当の切り札だ。使えば、確実にクドラクは殺せる。
だが……俺だけじゃなく、お前も、いや周囲の無辜の人々も傷付ける。いや、殺しかねない。だから、助かった。ありがとう」

顔が熱くなるのを感じた。素直に感謝されるなんて……思ってなかったから。

「えっ、あっ、うん……私こそ」

コホン、と魔王が咳払いをした。

「……それで、明日は、行くのか?」

そうだった。エストラーダ候の邸宅に、ランパードさんと訪れる予定なのだった。
もし、ファリスさんがクドラクだとしたら……私は、自分を狙う相手の前にノコノコと出向くことになる。

しかし……あの腕。一瞬しか見えなかったけど、男性にしては細過ぎるようにも思えた。
「追憶」で再生すれば、特徴とかもう少しハッキリと分かるかもしれない。そして、それがファリスさんのそれと一致するなら……

私は首を縦に振った。

「……ええ。クドラクの正体を確認するなら、行くべきだと思う」

「だが、恐らくエストラーダは、お前の人相を知ってるぞ?それに、あのランパードがお前を守る保証もない」

「それは、そうだけど……」

変装で何とか誤魔化せるだろうか?……正直、自信がない。

魔王がふうと溜め息をついた。

「俺は、変装についてはよく知らん。だが、ワイルダ組のウィテカーなら詳しいはずだ」

「……え?」

「あいつは元々、暗殺者だった。変装ならお手の物だ」

#

翌朝。待ち合わせの広場に向かうと、既にランパードさんが待っていた。医者らしく、白装束を着ている。

「お待たせしました」

「……どちら様だい?」

キョトンとした様子で、彼が私を見る。それもそうだろう。髪の色は黒ではなく緑。眼鏡はなく、耳はエルフのように尖っている。

「私です、プルミエールです」

「……嬢ちゃんか??」

私は唇に指を当てた。

「ええ。少し、変装を」

「……幻覚魔法か、それもかなり高度な。そんなのも使えたのか?」

「いえ、ある人にかけてもらったんです」

ウィテカーさんはデボラさんの弟らしい。亜人じゃないように見えたのだけど、何でも彼らは人間と狐人との子供なのだという。
亜人が強く出たのがデボラさんで、人間が強く出たのがウィテカーさんとのことだ。
複雑な家庭そうだったけど、そこには立ち入らないことにしておいた。

そしてやはり、彼もジャックさんの指導を受けた、らしい。「見た目を少し変えるぐらいなら問題ない」って言ってたけど、これは少しなんてもんじゃない。
眼鏡も幻覚魔法で消している。デボラさんといい、相当な使い手であるのはもはや疑いがなかった。

ランパードさんは怪訝な顔をしている。

「ある人……誰だそいつ」

「言うことはできないんです。それより……」

「……魔王だな。聞いたぜ、ここで襲撃があったと。狙われたのか」

小さく頷いた。

「ええ。彼は傷を負って、今別のところに」

「……そうか」

彼は鞄から新聞を取り出し、私に手渡した。


「旧市街入口で2人死亡、『クドラク』か」


「……え」

「ここで襲撃があってから数時間後だ。恐らくは恋人同士、どこかの連れ込み宿にでも行こうとしたんだろうが。夜が更けてから歩くのは自殺行為ってことだな」

「嘘っ、まさか……」

私たちが狙われた巻き添えになって?

しかし、ランパードさんは首を横に振る。

「クドラクの餌食になっているのは、要人だけじゃねえ。一般人も普通に殺されてる。お前さんたちが襲われたのは必然だったかもしれねえが、こいつらは違う。
クドラクは、言ってみれば……理性半分、狂気半分の獣のようなもんだ。だからこそ対応しにくい」

「狂気……」

「『遺物』の効果かもな。俺も詳しくは知らねえが、『遺物』の中には精神に影響を与えるものがあるとも聞くからな」

私はデイヴィッドという男を思い出していた。今にして思えば、彼の言動も少しおかしかった。まるで戦闘、いや殺戮を楽しんでいるような……

「とにかく、危なくなったらすぐ退くぜ。……って何をしている?」

「『追憶』を使うんです。確か場所は……この辺りでしたか」

「『追憶』……?現場を映し出す、ということは」

「ええ。何か特徴がないかと」

私は水晶玉を取り出し、詠唱を始めた。時間も場所もほぼ正確に分かっているから、それほど時間は掛からずに済む。
程なくして、魔王が刺された場面が浮かび上がった。暗いけど、街灯の灯りで腕は見える。

「……これが『追憶』か……意外とハッキリ見えるものだな……」

ランパードさんが呟く。突きが迅過ぎて腕が見えたのは一瞬だけど、何回か繰り返し見ているうちにあることに気付いた。

「……あ」

「どうした、嬢ちゃん」

「これを見てください」

私は「追憶」の作動を一旦止めた。水晶玉の映像が固定される。

「……これは」

「ええ。手首に何か着けてます。……アミュレット?」

宝石が幾つかついたアミュレットだ。見るからに高そうなものだけど……

「ファリス・エストラーダがこれを着けていれば……」

「多分、間違いないです」

#

「何だお前らは」

衛士が怪訝そうに私たちを見る。ランパードさんが鞄から何かの巻物を取り出し、広げてみせた。

「トリス森王国の一級医術士、ビクター・ランパードだ。ファリス嬢の件で、ロペス・エストラーダ候と話したい」

「……何だって?」

「悪いが、こいつは本物だ。マリア・マルガリータ女王の印も入っている。
ファリス嬢が長く床に臥せってると聞いてな。確か、治したら賞金が出るんだろ?」

衛士が顔を見合わせた。

「……本当に、トリスの医術士か」

「ああ。世界でも数人しかいない一級医術士だぜ。助けになると思うが」

「閣下に話をしてくる。そこで待て」

衛士の一人が邸宅へと入っていく。私はランパードさんに耳打ちした。

(あれって、本当に本物なんですか)

(間違いなく本物だぜ)

(トリスの医術士って、簡単になれるものじゃないですよね)

ハハハ、とランパードさんが笑う。

(一応これでもお前さんの3倍近く生きてるからな。ま、本当に治療をするかは見て決めるが)

(治療?魔法を使うんじゃ)

(治癒魔法も使うが、トリスの医術は「切って治す」。身体の中にある病巣は、生命力を高める治癒魔法だけじゃ消えないからな)

そんな方法があるとは知らなかった。エルフの技術はほとんど知られてないけど、やはり独特なものなんだな。

5分ほどして、小柄な老人が衛士と共にやって来た。ランパードさんが跪くのを見て、私もそうした。この人が、エストラーダ候か。

「お会いできて光栄です、閣下」

「トリスの一級医術士とは、真か」

「確かに」

老人は衛士が持っていた巻物を読むと「ふむ」と呟いた。

「確かに、マリア・マルガリータ女王の筆跡だ。その女性は?」

「私の助手です。施術を行うなら、助手が不可欠ですから」

「身体を切り裂き、病巣のみを取り出す……か。トリスの施術の話は聞いている。確かに1人では無理な所業だ。良かろう」

邸宅の中に入ると、豪奢な応接室に通された。

「マルガリータ女王は健勝か」

「お元気であります」

「そうか。私と同世代というのが信じがたい……ともあれ、ファリスのことであったな」

「ええ。ご病状、思わしくないとか」

エストラーダ候が溜め息をついた。

「元より身体が丈夫ではなかったが……3ヶ月ほど前から、具合が悪くなってな。特に頭痛が酷いそうだ」

「なるほど、その他の病状は」

「ここ最近は、身体を起こすのもやっとだ。手遅れでなければいいと思っている……」

エストラーダ候は辛そうに俯いている。これが演技とは思えない。

「一度、お嬢様に会わせて頂くことは」

「……無論だ。治してくれるなら、金に糸目はつけん」

彼と共に2階へと上がる。その一室のドアを、エストラーダ候が叩いた。

「私だ。入って大丈夫か」

「……いいですわ」

か細い声が聞こえた。入ると、黄金色の長い髪の少女が身体を起こして窓の外を見ている。

「ファリス、トリスから医術士が来た。報償金の話を聞いたようだ。今日の具合は」

「気分は、そこまで悪くはありませんわ」

ふわり、と少女が笑った。多分、私より少し若い。随分と痩せてしまってるけど、貴族の女の子らしい気品のある美しさだ。
ゆったりとした長袖の服を着ている。手首の辺りは、見えない。

「そうか……お前の母親も早く逝ってしまった……お前を喪うことは、耐えきれん」

「大丈夫ですわ。御父様より早く逝くことは、しませんもの。この方たちが、お医者様ですか?」

「そうだ」

ランパードさんが、再び跪く。

「トリス森王国が一級医術士、ビクター・ランパードです。どうかお見知りおきを。こちらが、助手の」

しまった。本名を伝えるわけにはいかない。偽名なんて、考えてなかった。

「……プ、プル。プル・レムです」

「変わったお名前ですのね。エルフって、初めて見ましたわ」

ウフフ、とファリスさんは微笑む。コホコホと、軽く咳をした。

「大丈夫かっ??」

「え、ええ。……コフコフッ。このぐらいは、どうとでも」

「少し診させて頂きます」

ランパードさんが手を彼女の頭に当てた。厳しい表情をすると、「失敬」と今度は胸に手をやる。

「こ、こらっっ!!何と破廉恥……」

「肺の中を見ているのです。今度は腕を」

服を捲し上げた。右手首には……何も着けていない。


良かった。やはり魔王の勘違いだった。
そもそも、こんなか弱く、大人しそうな子がクドラクなわけがない。

ランパードさんが息をつく。

「なるほど。……ここで結果を話しますか?」

「ファリス、お前は」

「……構いませんわ」

一拍、ランパードさんが間を置いた。

「率直に申し上げます。非常に難しい施術を要するかと思います。頭の中、脳内と肺に悪しき塊があるようです。私をもってしても、取り除けるかは……5分」

エストラーダ候が息を飲むのが、私にも分かった。ファリスさんはというと……相変わらず微笑んでいる。

「……5分、か」

「どのような施術ですの」

「一度、痛みを消し深い眠りについていただきます。その上で、私が施術を。
助手もユングヴィから追加で調達しましょう。治癒魔法をかけながらの長丁場になりますゆえ」

「ファリス、お前……」

「御父様。やらねば私は死ぬのでしょう?ならば、やるしかないではないですか」

……凄い子だな。こんなに肚が据わった言葉は、私には吐けない。絶対に慌てふためいてしまうだろう。

「……そうですか。ならば施術の詳しい説明を致しましょう。閣下、場所を変えます」

チラリとランパードさんが私を見た。「空振りか」という落胆の色が見える。


その時、視界の端に何か光るものが見えた。化粧台の上にあるものは……



ドクン


鼓動が強くなった。あれは、まさか!?


「おい、どうした……あ」

ランパードさんも、私の視線の先にあるものに気付いたようだった。表情が凍り付く。


そう、そこにあったのは……あのアミュレットだ。


第8話はここまで。

トリスの医術は現代の外科に近いものです。薬などの代わりに治癒魔法を使って対応するとお考え下さい。

キャラ紹介

デボラ・ワイルダ(30)
女性。狐耳に少し厚めの唇の妖艶な女性。身長168cm、59kgで豊かな乳房を持つ。子供はいない。
ワイルダ組の組長を亡き夫から継いだ。夫はコボルトで無口な人物であったらしい。元はモリブス裏社会の用心棒的なことを弟のウィテカーとやっていた。
生まれはモリブスで、父親はテルモンのある高名な冒険家であった。アトランティア大陸からの移民である狐人の母親と出会い、姉弟が生まれた。
なお、両親は15年ほど前にオルランドゥ大湖の調査に出たきり行方不明になっている。

冒険者だった両親の伝手でジャック・オルランドゥに師事。その後独立したという経緯があり、魔術の腕は極めて高い。
特に物質の状態を元に戻す「時間遡行」は、世界でも使える人物がほぼいない。なお、父親もその使い手であった。
ワイルダ組の組長(大姐)となってからはそのカリスマ性で高い支持を受けている。南ガリアからの移民も多く受け入れており、人望は厚い。

なお、一度だけエリックと関係を持っている。彼女からすれば夫の仇を射った御礼とのことで、心は依然夫にある。
エリックもそれを知ってか、それ以上は求めていない(というかヘタレなのでできなかった)。
ちなみに、夫の仇は7貴族の一角ゴンザレス家傘下の無頼衆であった。

余談ですが、時間遡行を使える点からも分かる通り、彼女(とウィテカー)はシデの子孫です。
両親が登場することは多分ないと思いますが、未定です。





第9話



「……施術の流れは以上です」

ランパードさんの説明に「本当に大丈夫なのか」とエストラーダ候が不安がった。
無理もない。頭蓋に穴を明け、そこから病の巣を切り抜くなんて……正直、現場を見たら倒れそうだ。

ランパードさんは難しい顔をして頷く。

「施術には万全の注意を払います。ただ、私の腕をもってしても5分です。
さらに、肺の病も厄介です。脳を何とかした後、こちらにも手をつけねばなりません」

「本当に、助かるんだろうな?」

「お嬢様を助けられるのは、世界では私以外に1、2人かと」

「……分かった。金は幾らでも払う」

「それについては治った後にでも。……ところで、お嬢様は最近変ではありませんか?」

来た。本題だ。

「変……とは?」

「夜いなかったり、あるいは何か部屋で物音がしたり……」

エストラーダ候が首を捻る。

「さて……そもそも、ファリスは数メドを歩くのもやっとだぞ?メイドの助けを借りねば厠で用も足せん」

ランパードさんが訝しげに私を見た。しかし、あのアミュレットは間違いなくクドラクが着けていたものだ。

「朝はどうですか」

「昼まではまず起きん。さっき身体を起こしていたのを見て驚いたくらいだ」

どうもエストラーダ候はファリスさんがクドラクであるかもしれないことに気付いてないようだ。ランパードさんの推測は、やはり正しいのかな。

しかし……昨晩のクドラクの動きは、どう考えても病人のものではなかった。「遺物」が力を与えているとしか考えられない。
そして、ひょっとしたらあのアミュレットこそが……

私は2人の会話に割り込んだ。

「ちょっといいですか」

「どうしたプルミ……プル」

コホンとランパードさんに咳払いをした。流石に正体を知られたらまずい。

「エストラーダ候、お嬢様の化粧台に、アミュレットがありましたが……あれは?」

「おお、気付いたか。外しているのは珍しいと思ったのだ。あれは母親の形見の一つだ」

「形見、ですか」

「そうだ。輿入れの時に持ってきたものでな。あいつの家の家宝であったと聞いている」

「家宝」

「そうだ。常に着けておってな……亡くなる前に、ファリスに託したのだ」

「失礼ですが、奥様も病で?」

エストラーダ候が辛そうな顔で俯いた。

「違う。15年前……自ら命を絶ったのだ」

「え」

「詳しい理由は知らん。ただ、『幸せでした』とだけ……その話は、もういいか」

「……そうですか、すみませんでした」

15年前……「追憶」を使って「思い出させる」には、私の力はまだ十分じゃない。
すごく時間をかければ真相が分かるかもしれないけど、そこまでする必要もないように思えた。何より、そんな余裕はない。

ランパードさんの表情がさらに鋭くなっている。

「その家宝、何か特別な由来が」

「私も詳しくは知らん。ただ、特別なまじないが込められていると聞いたことはある」

「よもや、『遺物』とか」

「まさか。……もう片方の形見は、明らかに尋常のものではないが」

「……そうなのですか?」

身を乗り出すランパードさんに、エストラーダ候が苦笑いする。

「すまん、施術とは関係がない話だな」

「それもお嬢様が?」

「ああ、女物なのでな。一度でいい、あれを着たファリスが見たいものだが……この話は、これでいいだろう」

女物……ドレスか何かかな。エストラーダ候は話を打ち切りたがっている。
ファリスさんがクドラクである可能性は考えてなさそうだけど、何か隠してる気がする。

「失敬。施術の日程を決めたいのですが……少し、助手と相談させてくれませんか」

「ここではダメなのか」

「ユングヴィからも応援が必要ですから。一度、退かせて頂きます。午後にまた、伺わせて頂きたく」

「そうか。では、暫し待とう」

#

「……限りなく黒だな」

エストラーダ邸を出るなり、ランパードさんが口を開いた。

「あのアミュレットと、もう一つドレスか何か。どちらも『遺物』だろう。どんな代物かは分からないが、それでファリスはクドラクになっているっぽいな」

「でも、どうしてそんなことを?それに、あの子が人殺しをするなんて、とても……」

ランパードさんが立ち止まり、エストラーダ邸を見た。2階の彼女の部屋に、人影は見えない。

「そこは分からねえが……実は、クドラクは『2代目』なんだよ」

「え?」

「今から18年前にも、モリブスの要人が次々暗殺される事件があった。3年ぐらいそんなことが続いてな。誰が言い始めたか、その暗殺者は『幽鬼クドラク』と呼ばれるようになった。
犯行の頻度は今のより遥かに少なかったが、手口は酷似してた。俺がモリブスにいるのは、そういう背景もある」

「……まさか」

「さっきの会話で確信した。『初代』はファリスの母親だ。自殺した理由は分からねえが、前のクドラクが消えた時期とはほぼ重なる。
母親の遺志を継いだ、というのは考えすぎかもしれねえが……エストラーダの口振りからして、母親については何か知っていそうだな」

そうだったのか。しかし……どうすればいいのだろう?

私の中に、恐ろしい考えが浮かんだ。

「ひょっとして、施術をわざと失敗して……」

「いや、限りなく黒だがそれはやらないしやれねえ。医術士として、治すものは治す。それが誇りだからな。
ただ施術をするなら、白だと確信した時だ。殺すために治すほど意味のないことはねえよ」

「ならこのまま放置、ですか?」

「それも被害が増えるだけだろうな。悩ましいのは、施術日を決めた場合ファリスが動く可能性があることだ。
『施術するしかない』とか言ってたが、施術中に死ぬ可能性は考えるはずだ。施術日前になったら、確実にクドラクは現れる。もしファリスがクドラクなら、な」

「でも、このまま黙っているわけにもいかないですよね……」

ランパードさんが頷いた。

「一番手堅いのは、施術日を告げた上でその前に動いた所を叩くってことだな。ただ、そのためには対策が欲しい。
『遺物』の性質が分かりゃやりようもあるんだが……」

どこかに「遺物」に詳しい人がいればいいのだけど。


……ひょっとして、あの人なら。


#

「今日はお前だけか」

意外そうにジャックさんが言った。既にウィテカーさんの魔法の効果は切れている。

ランパードさんは「俺は外で待つ」と控えていた。ジャックさんと顔を合わせたくない事情がありそうだけど、そこは今問題じゃない。

「はい。……私がクドラクに襲われたところを、まお……エリックが庇って」

「容態は」

「大丈夫です。デボラさんが治してくれましたので」

ジャックさんがふうと息をつく。

「そうか、あいつらともう会っていたか。俺のことも聞いてるな」

「ええ、後見人だとか」

「一応な。で、俺の所に来たということは収穫があったということだな」

私はクドラクの正体がファリスさんかもしれないことと、アミュレットの話をした。ジャックさんは煙草を吸いながら黙って聞いている。

「それで、アミュレットと……多分ドレスなんですけど。『遺物』だとしたら、心当たりはありますか」

「ちょっと待ってろ」

ジャックさんは本棚から厚い本を取り出す。

「それは?」

「今まで判明している『遺物』の一覧だ。まあ国家の最高機密として秘匿されているものも少なくないが、それでも結構な範囲では押さえられてる。
オルランドゥには『遺物』の研究者もいるからな。管理者たる俺の所にも、ある程度の情報は集まっている。……アミュレットとドレスだったな」

横から覗くと、まるで辞典のように索引がある。……こんなに「遺物」ってあったんだ。

「一応言うが、『遺物』もピンキリだ。『3級』だとただの魔術具に毛が生えた程度の力しかない。普通にそれと知らず売られてたりもするからな」

「……どこにあるのかまで記録されてるんですね」

「こいつは第6版だから、情報は今から5年前時点のものだな。言うまでもないが、この一覧自体がかなりの希少品だ。オルランドゥでも、数人しか持ってないはずだな……と、アミュレットはこの辺りか」

ジャックさんが指差したページには「聖人ディオのアミュレット」とある。挿し絵は……まさしく私が見たあのアミュレットだ。

「『2級』……ですか?」

「等級は評価者が独断と偏見で決めてるからな。そもそもこいつは初版から記述が変わってないから、あまり当てにはならんぞ」

記述を読み進める。……これは。

#


「聖人ディオのアミュレット」
等級:2級
場所:モリブス・ベルチェル家
初出:初版(聖歴402年)
概要:ベルチェル家に伝わる遺物。ミゲル・ベルチェルからの聞き取りを基に記す。
着用者と対象者が接触時、対象者の思考を読み取れる。
夜間に着用した場合、着用者の身体能力を限界突破させる。ただし肉体的・精神的反動も大きく、継続的使用は心身の病に繋がるとされる

#

「ベルチェル家って」

「今から30年ほど前に跡絶えた貴族だ。ロペス・エストラーダの妻がベルチェル家かは知らないが」

……読み直すと寒気がした。これは……ファリスさんの病って、このアミュレットのせいなの??


そして、合点が行った。ファリスさんは、エストラーダ候が本当に何を求めているのかを、これを使って知ってたんだ。あるいは、彼女のお母さんも。


「……さっきお前が言ったこととも符合するな。間違いない、これを使ってファリス・エストラーダは『クドラク』になった。
死にかけの病人でも、これを着けていれば夜に限り無敵の怪人になれるというわけだ」

「……とすると、もう一つのドレスって」

「少し待て。……これか」

#


「フローラのドレス」
等級:推定1級
場所:モリブス・ベルチェル家
初出:初版(聖歴402年)
概要:ベルチェル家に伝わる遺物。ミゲル・ベルチェルからの聞き取りを基に記す。
ロングドレスで色は不定。ただし現物は見せてもらえず。
ベルチェル家の家業に関連するためか?気配遮断かつ視覚の混乱に関連すると推測

#

「……家業?」

「ベルチェル家は昔暗殺者を多く飼っていたらしいな。とすれば、これを使っていても驚かない。
この2つの組み合わせか……なるほど、相性はいい」

ふーっ、とジャックさんは白い煙を吐いた。

「……私が見たあの歪みは、ひょっとして」

「ドレスの生地、だったのだろうな。周囲に姿を溶け込ませる効果か……厄介だな」

「どう対応すればいいんでしょう?」

暫くジャックさんは考えていたが、やがてニヤリと笑った。

「……エリックなら何とかできるな」

「そうなんですか?」

「本人にこの話をしたら、俺と同じ結論に辿り着くはずだ。
まあ、それについては本人から聞いてくれ。ここで出歯亀している奴には聞かれたくないだろうからな」

「え」

ジャックさんは呆れたように灰皿に煙草を押し付ける。

「俺が気付かんと思ったか?部屋の隅だ」

彼の視線の先にはネズミがいた。「しまった」と言わんばかりにそれは穴からどこかに逃げていく。

「あれって……」

「『憑依(ポゼッション)』だな。小動物を操り、感覚を共有する。諜報活動には最適な魔法だ。
使えるのはごく限られたエルフしかいないが、まさかそいつが協力者か?」

「……はい」

嘘をついても仕方がない。それにしても、ランパードさんが盗み聞きとは……正直ショックだ。

ジャックさんは「やれやれ」と首を振った。

「連中を信用しすぎるな。奴らはいざとなれば簡単に裏切る。エリックも言っていただろう」

「……すみません」

「……外にいるのはトリスの高位にある人物か。エリザベート・マルガリータの差し金かもな」

「えっ」

「あの女、馬鹿に見えてなかなかの狸だぞ。まあ、アリスがお前とエリザベート姫を同じ研究室にしたということは、あいつなりの考えがあるんだろうが。
とにかく、奴らを100%の味方とは思わんことだ。奴らは奴らなりの目的があって動いているからな」

#

「どういうつもりなんですか」

開口一番、私は木陰にいたランパードさんを問い詰めた。バツが悪そうに頭を掻きながら、彼が答える。

「ジャック・オルランドゥは、エリック同様俺らを信用してないからな。情報の共有のためには仕方なかった」

「でも盗み聞きなんてっ!?」

「怒るのは無理もねえ。ただ、繰り返すが『俺らと嬢ちゃんたちの利害は一致している』。
俺がこの件について嬢ちゃんたちに不利益になるようなことはしねえ。それだけは誓って言える」

「じゃあ他の件では敵に回るってこともあるんじゃないですか?」

「かもな。ただ、俺の有用性を知っているからこそ、ジャック・オルランドゥは情報を『敢えて漏らした』」

「え」

ランパードさんの目が、一瞬だけ鋭くなった。

「狸はどっちだって話だぜ……食えねえ奴だ。
まあ、俺にエリック・ベナビデスの真価は教えたくないらしいな。『加速』以外に何があるのかは知らねえが。
俺はクドラク討伐が成功すりゃそれでいい。もはやファリスがクドラクだというのは確定的だ。施術日はいつにする?」

「……どちらにせよ、告げたら」

「すぐにファリスは動くだろうな。せっかくだから、施術は明日にでもしておくか。つまり、今夜決着が付くだろうな」

「その前に、いいですか」

「ん?」

「一度、彼女と話してみたいんです。魔王の所に行った後、エストラーダ邸に同行させてくれませんか」

私はまだ迷っていた。ファリスさんがクドラクであるのは間違いない。

でも、目の前で見たクドラクのあの邪気と、儚いファリスさんの印象は、未だに全く重ならないのだ。
もし凶行が「遺物」のせいなら、彼女は殺されるべきじゃない。


救えるならば、救いたかった。たとえ魔王に「甘い」と罵られようと。


「……分かった。とりあえず、4の刻にまた会おうぜ」

#

「ん、戻ったか」

モグモグとシロップ漬けのパイ「バクラバ」を食べながら、魔王が言った。ベッド横のテーブルには、コーヒーと思われる琥珀色の液体が入っている大きめのカップがある。

「随分元気そうね」

「まあかなり寝たからな。んぐっ、お前も食うか」

「……じゃあ一つ」

パイをつまんで口に放り込むと、途轍もない甘さの中に濃いナッツの香りがした。モリブスの料理はとにかく味が濃いのだけど、お菓子もその例外じゃない。
砂糖抜きのコーヒーで口の中を洗いながら食べると美味しいのだけど、単独ではいかんせんくどい。

私がカップに手をやると、魔王が少しムッとした様子になった。

「俺のも残せ」

「もちろん。あむっ……クドラクの正体、あなたの言う通りみたい」

「ファリス・エストラーダか。やはりな」

魔王はふん、と得意気に鼻を鳴らす。私はエストラーダ候とのやり取りと、ジャックさんから「遺物」について聞いたことを告げた。

「……で、施術は明日の予定。ずずっ……多分、今晩クドラクは襲ってくるんじゃないかって」

「迎撃か。策は」

「ジャックさんは、あなたなら自分と同じ結論に達するだろうって言ってたけど」

魔王はまた「バクラバ」をつまんだ。視界にネズミや猫は……いないみたいだ。

「……『アレ』を使え、か」

「それって……前に言ってた『切り札』?」

「いや、それとは違う。あれよりも自分への負担は軽いが、周辺への被害が大きいのは同じだ。
それでもかなり確実に深手は与える。相手の姿が見えないなら、これぐらいしか手がない」


魔王が耳打ちした。……そんな技があるの??


でも、確かにこれなら姿が見えようが見えまいが関係ない。何故なら「避けられない」から。


「デボラたちには、後で説明する。綿密な下準備が必要だからな。そして、ここで重要なのは……『囮』だ」

「まさか、私が囮に?」

「お前しかいるまい。あのエルフにも協力して貰うがな。もちろん、安全は極力確保する」

そう、魔王の策は囮を必要とする。そして誘き寄せた先に……魔王がいる。

「ちょっと待って。ファリスさんがクドラクだとしても……『遺物』のせいだとしたら、救えるかもしれないじゃない?」

「馬鹿か??」と罵られるものだと思っていた。しかし、彼の言葉は予想外のものだった。




「それも道理だ。だから、お前が判断しろ」



「え」

「もし、ファリスが討たれるべきだと思うなら、旧市街の噴水前に来い。作戦を決行する。
救えると思うなら、今晩はジャックの所に身を寄せろ。あのエルフにもそう伝えておけ」

魔王は真っ直ぐ私の目を見ている。私を信頼してくれている、のかな……

私は小さく、でもしっかりと頷いた。

「分かった。あなたの身体は?」

魔王はシロップを舐めとり、静かに笑う。

「休養は十二分に取った。今度は不覚は取らん」

#




それからの数時間の出来事を、私は決して忘れないだろう。




第9話はここまで。バクラバは実在するトルコのお菓子「バクラヴァ」がモデルです。
ヘーゼルナッツやピスタチオが入っており、濃いコーヒーとよく合います。

キャラ紹介


ジャック・オルランドゥ(46)
男性。魔族であり、オルランドゥ魔術学院のオーナーと言える存在。
創立家であるオルランドゥ家は代々魔術学院の運営と研究を陰ながら支えてきた。
ただ、魔族が表立った活動をするのを世間は良しとしないとの判断から、ジャック含め裏方に徹している。とはいえ研究者からの献金で経済的には一切不自由しない。
ジャック本人も凄腕の魔術師であり、魔術研究者。ただ、さる理由で数年来体調を崩しており、車椅子なしではろくに行動もできない。
かつては冒険者としての顔もあったらしく、デボラらの両親とはそこで付き合いがあったようだ。
世間的な知名度はないが、ランパードら一部の上層階級では名が知られた存在ではある。

身長178cm、58kgの痩躯。灰色の髪に白っぽい褐色の肌をしている。体調を崩す前はもう少し体重があったらしい。
魔族を含め、亜人などのマイノリティの支援を行ってもいる。民族融和派のベーレン候とは親しく、実は政策にも関与していたりもする。
エリックの父親ケインとも付き合いが深かったようだ。もちろん「サンタヴィラの惨劇」については疑念を持っており、それがエリックを支援する理由ともなっている。
プルミエールの指導教官であるアリス・ローエングリンとは浅からぬ仲のようだが……?

ジャックはヘビースモーカーです。書き忘れました。

言うまでもなく、「崩壊した~」のジャックの子孫に当たります。なお、ノワールに相当する人物がいるかは未定です。




第10話




「ん、来たな」

噴水前でランパードさんは待っていた。左手に持っていた水筒を鞄にしまう。少し、お酒の臭いがした。

「大丈夫なんですか?飲んでて」

「気付け薬のようなもんだ。で、お前さんたちはどうするんだ?何かしら策はあるんだろ」

私は簡単にこれからの動きを説明する。最後どうするのかを決めるのが私だと告げると、少し驚いたような顔をされた。

「ファリスに会わせることは認めたが、そこまでの権限を与えんのか?
そもそも、ファリスは間違いなくクドラクだ。普通に見逃すのはあり得ねえぞ?」

「……分かりません。でも、彼には彼なりの考えがあると思うんです。
それに、もし凶行が彼女の意思ではなく、『遺物』のせいだとしたら?病気だって、あのアミュレットとかのせいなんでしょう?彼女からそれを引き離せば……」

ふーっ、とランパードさんが息をついた。

「俺は嘘をついた。施術の成功確率な、5分は大嘘だ。せいぜい1割っきゃない。
脳と肺の病巣は、アミュレットのせいだとしても取り除くのは困難だ」

「え」

「1割の確率でしか助からねえってエストラーダに告げたら、確実に追い出されるだろ?だからああ言った。
どっちにしろ、ファリスは助からねえ。なら、これ以上の犠牲が出る前に何とかしてえんだよ」

「『遺物』を彼女から引き離せばいいだけじゃないですか?それに、治る可能性はゼロじゃないんでしょう?」

「……まあ、そうなんだがな」

ランパードさんは奥歯に物が挟まった言い方をする。魔王が「エルフは信用ならない」と言った理由が分かる気がした。この人は、いつも核心部分を隠している。

「何かあるんですか?教えてください」

ランパードさんが辺りを見た。

「……ここじゃ話せねえな。俺らに気付いちゃいねえが、向こうに怪しいのがいる」

チラリ、と視線が右を向いた。15メドぐらい先のベンチに、新聞を広げている男性がいる。……離れているけど、かなりの魔力の持ち主なのは分かった。背筋に冷たいものが流れる。

「お前さんたちが先に進んでないのを察して、モリブスに討伐部隊が集まり始めた。
それについちゃ、後で詳しく話す。この件も、そんなに無関係じゃねえ」

「……!!?」

ランパードさんがゆっくりと噴水から離れ始めた。新聞の男は、動く気配がない。

新市街に入った所で、ようやく彼が口を開いた。

「ここまでくりゃいいか。……『遺物』を奪ったら、その後どうすんのかという話だ。まして『1級遺物』なら、確実に欲しがる奴がいる。殺してでも奪い取りてえ奴もいるだろう。
そして、件のアミュレットとドレスの組み合わせは凶悪だ。副作用が大きかろうと、世界の勢力図を塗り替えかねない程度には。使う人間によっちゃ、最強の暗殺者の誕生だ」

「何が言いたいんですか」

「まず、クドラクが『遺物』使いかもしれねえってことは既に疑われてる。俺のとこにも別のとこから情報が入ったからな。
んで、仮に見逃して命を救ったとしても、このままならファリスは『遺物』目当てにいつかは狙われる。
病人で素人のあの嬢ちゃんですらアレだ。訓練された奴に渡ったら、どうなるかは簡単に見当が付くだろ?」

「……どうやっても、見捨てるしかないってことですか?そんなの……惨すぎます」

「救えるなら救いたいがな」

エストラーダ候の邸宅が見えてきた。ランパードさんは視線を彼女がいるはずの2階へと向ける。

「肝心なのは、一連の凶行に対するファリスの意思だ。もし自ら望んでやったなら……特に一般人の殺害は、全く許されることじゃねえ。
その時は俺も『クドラク』殺害に全面的に協力させて貰うぜ。
もしそうじゃないなら……『遺物』を何とかした上で、明日施術だ。上手く行く自信はないが、全力は尽くす。
幸い、ファリスはお前さんを狙う討伐部隊とは無関係らしい。上手く助けられたら、保護も含めて検討することになるが」

「……彼女に自覚があるかを見極めろ、そういうことですね」

ランパードさんが頷く。

「お前さんにどれだけ人を見る目があるかは知らねえ。ただ、トンチキ姫からお前さんの評価は聞いてる。……信頼するぜ」

#

「失礼します」

私はファリスさんの部屋に入った。この前のように、身体を起こしてじっと窓の外を見ている。アミュレットは……化粧台の上だ。

「……貴女は、プルさん、だったかしら?」

コホコホと咳をしている。見るからに、少し辛そうだ。

「はい。施術日が決まりましたので、その説明にと」

「エルフのお医者様は?」

「エストラーダ様に説明しております。お嬢様には、私が」

「そう。どのような形で行うのでしょうか」

私は簡単に流れを説明する。ファリスさんは黙ってそれを聞いていた。

「……施術後1、2日は睡眠魔法で眠っていただきます。痛みが抜けましたら治癒魔法と薬湯中心の治療になります。完癒までは、差し当たり術後2週間ですが……」

「その後には、普通に歩けたりするのかしら」

「ええ。ただ、落ちた体力が戻るまでは要療養です」

ファリスさんが小さく息をついた。

「……外の世界は、簡単には見れないのですね」

「……確か、ずっとお身体が」

「ええ。この屋敷の外に出たのは、数えるほどしかないのです。このまま、朽ちていくのは……絶対に嫌」

僅かに口調が強くなった。

「数えるほどしか、外出されたことがないのですか」

「……ええ。お母様に連れられて、幼い頃に何回か。亡くなってからは、お父様が心配して……」

「外に出たいと言ったことは」

ファリスさんが寂しそうに首を振った。

「何回も。でも、お父様は聞き入れませんでしたわ……。あ、お父様のことは愛しておりますわ。でも、このままだと……私は、『誰にも覚えて貰えない』」

「え」

「……もっと色々な人に会いたいし、自分が生きていたという証を……コフコフッ、残したいのです。このまま死ぬのだけは……コフコフッ!!」

「大丈夫ですか?」

辛そうなファリスさんの背中をさする。掌に、薄い紅が見えたのが分かった。

「はあっ、はあっ……ええ、この程度なら」

「でも血がっ!?」

「肺に病があるのですから、当然ですわ。……とにかく病を治さないと……」

この人は、生まれてからずっと籠の中の鳥だったんだ。広い大空に憧れるのは当然だろう。
……私とそんなに歳が変わらないはずなのに、どんなに辛かっただろうか。



……「忘れられたくない」、か。


自分の人生が無駄だったと思いながら死んでいく。これほど虚しく、悲しいことはない。
なぜ、ファリスさんが死ぬ可能性が小さくない……むしろ高い施術を受けることに躊躇いがなかったか、分かった気がする。

だとすれば、このことは伝えておかないと。

「……ファリス様、大切なお話があります」

「何でしょう?」

「施術の成功確率です。ランパード先生は5分と仰いましたが……実は、もっと」

うふふ、とファリスさんが笑った。

「自分の身体です。施術が賭けに近いものとは知ってますわ。それでも、生きる可能性がそれしかないなら、私は施術を選びますわ」

「……お強いのですね」

「いえ、それしかないだけですわ」

「それでもです。……私なら、きっと耐えられない」

「……私もですわ」

ファリスさんが一瞬目を伏せた。

「え」

「ランパード先生が来られるまで、私は絶望しておりましたの。このまま、生きる証も残せず逝くのかと。
でも、あなた方が来られて、私は生きようと思えましたの。今までのお医者様で、慰めとはいえ『治せる』と仰った方は、一人もいませんでしたから」

彼女の笑顔に、心が傷んだ。彼女がクドラクだとしても……この子の根は、20の女の子なのだ。真っ直ぐな、芯の強い。


……この子が自分の意思で人を殺しているはずがない。そのはずだ。


「……私たちが、必ず貴女を治します。ご心配なされないで」

「プルさんはお優しいのですね」

「い、いえっ!?……そんなことは」

「ありますわ。本当のことを伝えて下さった。嘘は、必ず明らかになりますもの……そして、その時どれほど傷付くか」

私は、自分の身分は勿論、姿すら偽っている。それを知ったら、彼女はどれだけ悲しむだろう。
動揺を顔に出さないよう、私は必死で堪えた。

ダメだ、今は真実を明かす時じゃない。

「……私は、ただの助手です。買い被り過ぎです」

「うふふ。謙遜なされないで」

直接、クドラクについて訊こうかとも思った。でも、きっと「知りませんわ」と返されるだけだろう。彼女の人となりを知れただけでも十分だ。

あとは、アミュレットを何とかしないといけない。あれを使わなければ、彼女が凶行を起こすことはないはずだ。

私は、化粧台の上のアミュレットに視線を移す。

「……ところで、あのアミュレットは?エストラーダ様からは、お母様の形見だと」

「ええ。とても貴重なものと聞いていますわ」

「手にとっていいでしょうか?」

「いいですわ」

化粧台に向かおうとしたその時。


「……ゲフゲフ、ゲフッッ!!!ゲーッフゲフゲフッ……!!」


さっきとは比べ物にならないぐらい、ファリスさんが激しく咳き込んだ。口からは、血が一筋二筋垂れている。

「大丈夫ですかっっ!!?」

「ゲフゲフッッ!!!このぐらい、ゲフッ、平気、ですわ……」

「先生を呼んできますっっ!」

私は階段を駆け降りた。ランパードさんとエストラーダ候を連れて戻ってくると、ファリスさんはハァハァと荒い息を吐いている。

「ファリスッ!!」

「もう、落ち着きましたわ……お父様、心配なさらないで」

「しかし明日施術だぞ?本当に問題ないのか」

ランパードさんがチラリと私を見た。私は頷く。

「……極力早く、お嬢様の体力があるうちに施術をする必要があります。明日、やりましょう」

「そうか……分かった。貴公に委ねよう」

「明日は早めに伺います。本日はお暇致しましょう。……プル、行くぞ」

部屋を去ろうとする私たちを、ファリスさんが呼び止めた。

「お待ちになって」

「何でしょう?」

「プルさんと仰いましたね。……施術が終わりましたら、是非お友達になってはくれません?」

「え」

「同じぐらいの歳の人で、こんなに長く話したのは初めてでしたの。よくって?」

「……はいっ」

私は彼女に微笑む。その瞬間、あることに気付いて、血の気が一気に引いた。





右手首に、アミュレットがある。




#

「……どうした、さっきから黙ってるが」

私たちは旧市街に向けて歩く。しかし、着いてほしくないという想いが足取りを鈍らせていた。

「分からないんです」

「クドラクの犯行が、ファリスの意思かどうか、か?」

「はい。……彼女と話していて、しっかりとした、強い心を持った子だと思いました。彼女が人殺しなんてするはずがないって。
でも……去り際、彼女はアミュレットを着けていた。私がランパードさんを呼びに下に行く前は、化粧台にあったのに」

「見間違いじゃねえだろうな」

私は首を振る。そうだったら、どんなに良かっただろう。しかし、間違いない。

そもそも、咳をしたタイミングがおかしかった。あの咳がわざととは思えないし、思いたくないけど……
私がアミュレットに触れるのを避けるためと考えたら、説明がついてしまう。

ランパードさんの目が鋭くなった。

「厄介だな。……もしファリスが自分の意思でクドラクになっているとしたら、それなりに頭は回る。あるいは……」

「私たちは警戒されてる?」

「かもな。エストラーダは信用しきっているが」

私は、騙されていたのだろうか?彼女の言葉に嘘があるとは思えない。でも……行動は確かに不可解だ。

空は茜色から藍色へと変わろうとしている。もう、迷っている時間は、ない。


ランパードさんが、急に空を見て叫んだ。




「上から来るぞ!!気を付けろっっっ!!!」



視線を上げる。そこには……僅かに歪んだ空が見えた。まさかっっ!!?


ドズンッッッッ!!!


私が駆け出すのと、私がいた地面にナイフが刺さったのは、ほぼ同時だった。


第10話はここまで。短めの10.5話を近いうちに投稿します。

キャラ紹介

ロペス・エストラーダ(68)
男性。164cm、60kgの小柄な老人。白髪だが髪量は豊か。口髭を生やしている。
重々しく上から目線の物言いをするが、高圧的ではない。モリブス政界では保守派であり、開放政策には徹底して反対の立場を貫いている。
調整型の政治家であり、平時においては有能。人望はそれなりに厚く、無頼衆に頼りがちな七貴族の中では相当にクリーンでもある。

ユングヴィ教団のネリド大司教との付き合いは深い。権力の源泉ともなっている。
実のところ、汚れ仕事はネリドらがやっている側面は否定できない。勿論、エストラーダもその点は認識している。その意味で清廉潔白ではない。

元の序列は第6位だったが、20年ほど前から政敵の変死などを受け勢力を拡大。現在の地位を手に入れる。
無論エストラーダの周辺は徹底して捜査されたが、何もなく無罪放免となった。
背景には初代クドラク(エストラーダの妻、レナ・エストラーダ)の暗躍があったのだが、その点をどこまでエストラーダが知っていたかは10話時点では不明。
1人娘で妻の忘れ形見、ファリス・エストラーダを溺愛している。





10.5話





お母様が亡くなられた時のことは、はっきり覚えている。


自ら、懐剣で喉を突く日の前の夜だった。お母様が、私の寝室に来たのだった。

「ファリス、起きてる?」

「むにゅ……なあに、おかあさま」

「貴女に、渡したい物があるの」

「え?」

お母様は、ベッドから起き上がった私に、アミュレットと綺麗なドレスをくださった。

「これ、なあに?」

「貴女が大人になってから、着てほしいの。お母様からの贈り物よ」

「なんでわたしにくれるの?」

お母様が急に私を抱き締めた。

「お母様はね、これから遠い所に行くの」

「どおして?」

「……そのアミュレットを着けてごらんなさい」

私は、言われるがままそれを着けた。手首には当然大きすぎて、肩まで行ってしまったけど。

そして、お母様は私の手を取った。


お母様の思考が、頭に流れ込んでくる。


まだ幼かった私には、それが何かほとんど分からなかった。でも、一つだけハッキリ分かったことがある。


お母様は、病気だ。それも、決して治らない病気にかかっている。



「……おかあ、さま?」


「ファリス。お父様に苦労はかけたくないの。だから、『お母様がお母様でなくなる前に』、先に逝くことにしたの」

「やだっ!!!わたし、おかあさまとはなれたくな…………」

お母様が、さっきより強く私を胸に抱き締めた。お母様の目は、涙で溢れていた。

「私だって、貴女やお父様と離れたくないの!でも、これは……定めなの。ベルチェル家に生まれた者の……」

「……やだよぉ……おかあさま、いかないでよぉ……!!」

「……貴女には、長く生きてもらいたいの。だから、これを使うのは、本当に必要な時だけ。……それで、お父様を助けてあげて。私の分まで」

「でもっっ!!」


お母様が、私の額に指を当てた。意識が、急に遠ざかっていく。


「20に……この夜……思い出せる……どうか……」


途切れ途切れの言葉が聞こえた。そして、私は……この数分間の全てを「忘れた」。

#

それが、お母様が使った忘却魔法と知ったのは、20になった半年前のことだ。


そして、私は全てを思い出した。お母様が何者であったのか。何故命を絶ったのか。


私が、何をすべきかも。


#

お医者様たちが帰って行くのを窓から見送り、私はベッドから起き上がった。
身体は鉛のように重い。お母様がかかったあの病は、私の命も奪おうとしていた。


それでも、やらなきゃいけない。お父様のために。そして、私のために。


私の身体は、生まれついて弱かった。お父様は、私を心配して私を極力外に出さずに育てた。
多分、そんなに長くは生きられないとお医者様も仰っていた。これが私の定めなのだと、どこか諦めたように日々を過ごしていた。


それが、20の誕生日に全て変わった。お母様が、私に託したものの正体を知ったからだ。


戦慄しなかったか、というと嘘になる。お母様がお父様のために多くの人を殺めたと知った時、私は心臓が止まりそうになった。
しかし、お母様はそうやって、お父様を支えてきたのだ。そして、お母様は私にその役割を託した。



アミュレットを左手でさする。力が、一気に湧いてきた。


私は、生きていた証ヲ残したイ。それが何であレ、誰かの役にたっタという確かな手応エを得たかっタ。


お母様ハ、これを使いすぎるナと言っていタ。「自分が自分でなくなル」「命を削ル」と。
それハ、間違いナイことだっタ。意識ガ消え、見知らヌ誰かヲ殺めルことガ増えてキタ。
それでモ、奇跡的ニ私を治せル医者が現れタ。まダ、時間ハあル。


クローゼットに向かイ、ドレスを手ニ取ル。


殺サねバならなイのは、あの人ダ。プルミエール・レミュー。彼女が生きてイレば、いつカはお母様ノことハ明らカになル。
そしテ、彼女ハ……医者ト共に現レた。理由ハ分かラナい。でモ、変装していタのは分かっタ。マナが、同ジだっタかラ。
お父様は、彼女ヲとてモ警戒しテイた。お父様にトッテ、彼女ハ……生キテイテハナラナイ存在ダ。


オ父様ハ、私ガクドラクとイウコトをシラナい。ソレでイイ。
ソシて、コレが……サイごノコろシダ。



プルミエールさん、貴女とはもっと別の形で出会いたかった。「追憶」さえなければ……こんなことをしなくてもよかったのに。


……涙が、一筋流れ……


ワタシハ、クドラクニナッタ。


第10.5話はここまで。

補足しますと、彼女の母親はかなりの魔術の素養がありました。彼女もそれを受け継いでいたため、マナからプルミエールを判別できたというわけです。

後半、カタカナ混じりで読みにくくて申し訳ありません。アミュレットと脳腫瘍による精神侵食と人間性の喪失を表現したつもりです。

レナ・エストラーダ(享年32)

女性。ファリス・エストラーダの母。旧姓はベルチェル。30年前に「闇に潜った」貴族、ベルチェル家の最後の当主。
ベルチェル家は暗殺者を多く抱えていたが、当のベルチェル家も暗殺者の一族であった。
権力争いに破れたことで表舞台から姿を消し、裏社会で生きるようになる。
なお、アミュレットとドレスは大昔の装束だったが、副作用の大きさから使うことは厳に禁じられていた。

レナもまた暗殺者として育った。忘却魔法などを使えるのもそのため。
ロペス・エストラーダは元々彼女の標的であったらしい。色々あって雇い主を裏切り、歳の離れた彼の妻となる。愛情は本物だったようだ。
それが故に、当時微妙にうだつが上がらなかったエストラーダを暗殺によって助けるようになる。その際に、禁忌となっていた「遺物」に手を付けた。
結果、アミュレットの副作用で病気(脳腫瘍)を発症。精神に異常を来たし始めていたこともあり、手遅れになる前にと自殺した。

普段は無口だが優しい女性であり、よき妻でありよき母であったようだ。




第11-1話




誤算だった。まさか素性を知られているとは。
そして、ファリスの意思は存外に強い。俺ともあろう者が、完全に甘く見ていた。

ベルチェル家は、当主を失ってもなおベルチェル家だったということか。
暗殺者としての血筋か、はたまた幼い頃の薫陶か、あるいはあのアミュレットのせいか……とにかく、ファリスの殺意は本物だ。

プルミエールは既に逃げ出している。しかし、彼女は所詮魔法使いだ。身体能力は一般人にも劣る。


……不本意だが、俺が壁になるしかねえな。


腰に下げている刀に手をかける。「遺物」でこそないが、ランパード家に伝わる大業物だ。

ナイフが地面から引き抜かれた。歪みが大きく動こうとした時こそ、最大の好機!


ザッッッ!!!


大きく右足を踏み込み、腰の回転を使って「剣から鞘を抜く」。十二分に加速された初撃は、一撃必殺の威力を以てファリス……いや「クドラク」の背後を斬った。


そのはずだった。




「なっ??」


……手応えが……ない??


いや、違う。まるで風にたなびく布を斬ったかのように、威力が減じられている!?

クドラクが、こちらを向いたのが分かった。


「ジャマスルナ、イシャ」

「ぐっ……行かせるかよっ!!」

日は徐々に沈み始めている。これ以上暗くなると、完全に姿は把握しきれなくなる。足止めできるのは、今しかねえっ!!

俺は逃げ出すクドラクを追いながら詠唱を始めた。プルミエールはさっきの一撃のお蔭で10メドほど先にいる。間に合うはずだ……多分。

「星の力よ、我に力をっ……重力波(グラビディ)っ!!!」

プルミエールに追い付きかけていたクドラクの足が急に止まる。上手く行ったっ!!
荒事はあまり得意じゃねえが、これだけは自信がある。
重力波。見えない波動を当てることで、相手の動きを著しく鈍らせる。これと居合術の組み合わせは、幾度となく俺を助けてきた。

逃げるんじゃねえぞ、今度は確実に斬……


ズズッッ


「……嘘だろ!!?」


クドラクが、プルミエールを追おうとしている。もちろんさっきよりは遅い。しかし……それでも成人女性並みの速さで、彼女を追い始めた!?

「ぐっ……」

俺は刀を握る右手に力を込めた。重力波の効果はそう長続きしねえ。それにしても、あれだけの短時間で動けるようになるとは……怪物だ。

それでも、もう一撃……!!


ズバッッッッ!!!!


脇腹を、熱い物が貫いた。……短刀だ。迅、過ぎる。



「ぐあっっっ!!!」


「ジャマスルナ、トイッタ」


貫かれた場所の傷を押さえる。内臓まで傷は行っていないが、それでも苦痛は苦痛だ。
治癒魔法で血を止めにかかったが、それでももう俺が奴を追うことはできねえ。……完敗だ。

「常識……外れだろうがっ……!!」

プルミエールの姿はかなり小さくなった。クドラクが作る空間の歪みも遠ざかっちゃいるが、一応足止めという目標は達成できた、か。

この分なら、プルミエールは噴水前に辿り着けるだろう。そこからは、ワイルダ組の連中がひたすら遠距離攻撃を仕掛けながら、袋小路にクドラクを追い詰めていく、らしい。
上手く行くかは知らねえ。ただ、最後に魔王エリックが控えているらしいのは分かった。俺に知られたくない、本領を以てクドラクを討つわけか。

しかし……俺の想像以上にクドラクは強い。あんな速度だとは、思いもしなかった。

そして……もう一つ分かったこと。それは……


クドラクは理性のない獣ではない。


奴は俺を「医者」と言った。俺をちゃんと認識できているということだ。
そして、この脇腹への一撃。……恐らく、わざと急所を外している。

なぜか?俺に死なれちゃ困るからだ。クドラクは生きたがっている。自分を治す医者を殺しては本末転倒だ。

つまり……思考能力はちゃんとある。ということは、袋小路で罠を張るエリックの作戦は……見透かされ得る。

「クソがっ……」

俺は何とか立ち上がった。どこに追い詰めるかまでは聞かされてはいねえ。しかし、このままでは、多分……


作戦は失敗する。


短いですが第11-1話はここまで。この回は複数視点で展開します。計5~6パートです。
第12話から、少しずつエリック視点を増やす予定です。

技・魔法紹介

「重力波」
重力魔法。見えない波動を相手に当てることで、一時的に対象にかかる重力を2倍とする。使い手はかなり限定されており、ランパードはじめ数えるほどしかいない上級魔法。
詠唱を伸ばすことで重力量を増やすことが可能。今回は詠唱時間が取れなかったため2倍どまりだったが、それでも並の相手ではろくに行動ができなくなる。
ランパードは重力波→居合斬りの連続技を得意としており、これだけでかなりの相手を斬っている。

2倍の重力でクドラクが動けたのはランパードの計算外であったが、3倍以上なら目的は達成できたかもしれない。
なお、ランパードの真の切り札はまだ温存されている。





第11-2話





「来たかい」

「ああ、デボラ義姉さん。向こうから走ってくる」

義弟のラファエルが鼻をひくつかせた。あたしは視線を落としたまま呟く。

「走ってくる?」

「ああ。誰かに追われてるみたいだ」

「プルミエールは今どのへんだい」

「ここから100メドぐらい。もうすぐ着く」

「いきなり異常事態だね」

あたしはサッと手をあげた。身を潜めていた組員たちが、噴水の周りにいる一般人たちを追い出しにかかった。
この辺りはワイルダ組のシマだ。往来はある程度あたしらの好きなようにできる。
だからこそ、ここを作戦の視点にした。周囲への被害は、最小限に抑えたい。

にしても、本来はここでクドラクが来るのを待ち伏せるはずだった。既に追われているのは、かなり計算外だ。

「クドラクがどこにいるか分かるかい?」

「いや、匂いがしない。血の臭いなら、ここから200メドぐらい離れた所に1人。まだ生きてる」

「匂いすら残さないのかい……厄介極まりないね」

掌に汗が滲む。面倒な、一銭にもならない頼みごとを引き受けたもんだ。
だけど、これはワイルダ組にとって必要なことだ。うちのシマを好き放題荒らす怪物は、始末しなきゃいけない。


そして、何より……あたしのためにも。
あれは、あたしの仇かもしれないのだから。

#

父さんと母さんが消えたのは、15年前のことだ。当時から冒険者として十分な名声を得ていた父さんと母さんは、モリブス統領府からの依頼も多く請け負っていたようだった。

その中の一つに、オルランドゥ大湖の調査がある。直径最大1200キメド、北ガリア大陸の中央に位置する巨大湖だ。
その全貌は謎に包まれている。湖の水は多くのマナを含み、そこで生きる生き物は超常のものも少なくないと聞く。
湖にある島から「遺物」が発見されたこともあるという。しかし、恐ろしく危険なため、十分な調査はほとんどなされていない。
かつては湖ではなく、巨大な空洞であったとも言われているけど。

とにかく、父さんと母さんは度々オルランドゥ大湖に赴いていた。2人が消えた日も、いつもの調査と変わらなかった。妙に険しい、父さんの顔を除いては。

『どうしたの、父さん』

『……デボラ、今回は帰りが遅くなるかもしれない』

『……?どういうこと?』

父さんは一瞬言い淀んだ。

『少し、調査範囲を拡げようと思ってね。もし、1ヶ月して帰らないなら、ジャックの元を訪ねるといい』

『……危ないの?』

ハハハ、と父さんは笑った。

『いや、少し遠出するだけだ。きっと戻るから、心配しないでくれ』

父さんが何か隠しているのは、何となく分かった。当時のあたしは15歳。既にジャックさんから、初歩的な魔術も教わり始めていた。物の道理は、ある程度分かる。

『……帰ってきてね』

父さんは笑いながら、母さん譲りの銀髪をくしゃくしゃとやった。



それが、父さんとの最後の会話だ。


父さんと母さんが消え、悲しみに打ちひしがれているあたしたちの耳に、ある噂が入ってきた。


それは、2人を殺したのは、「クドラク」ではないか、ということだ。


クドラクの話は聞いていた。要人ばかりを狙う、見えない殺人鬼。正体は一切不明。手掛かりもない。
噂を聞いた時、まさかと思った。しかし、ジャックさんの元にベーレン侯が来た時、漏れてきた2人の会話はその噂を補強するものだった。


『殺されたとすれば、相手はクドラクか『六連星』だろう』


「六連星」が何かは、今でも知らない。ジャックさんにそれとなく聞いたけど、はぐらかされた。
ただ、クドラクが父さんたちを殺したかもしれないと聞いて、あたしの心に暗い炎が点った。


しかし、それからすぐに……クドラクの活動は止まる。やり場のない怒りを抱えながら、あたしは15年生きてきた。

#


そして、クドラクは再び現れた。仇かどうかは分からない。しかし、心の暗い炎が再び燃えるには、十分だ。


ラファエルの目が鋭くなる。駆けてくるプルミエールの姿が、ハッキリと見えた。

「来たぞっ」

彼女の背後に目を凝らす。辺りは少し暗くなったが、空間の違和感は視認できた。
プルミエールとの距離は……2、30メド。その差は急激に詰まっている。

猶予はない。あたしは立ち上がった。


「野郎どもっっ!!撃てっっ!!!」


一般人に変装していた組員が5人、一斉にハンドボウを構えた。プルミエールが噴水前を通り過ぎると同時に、姿を隠しているクドラクに矢が放たれる!!


パサパサパサッ


「え」


矢が……通らない?外れたんじゃなくて?何かに当たった矢は、枯れた小枝のように地面に落ちる。


「冗談、だろ?」


鎧を中に着込んでるとでも?いや、それじゃあの俊敏な動きは理解できない。あの耐久力……「遺物」の力かっ!?

クドラクは矢に構わずプルミエールを追う。その差はもう5メドまで詰まっていた。



まずいっ!!


「ウィテカーッッ!!!」


あたしは叫ぶと同時に駆け出した。懐にある「魔導銃」を握り、力を込める。
マナ量に比例した「魔弾」を放つ代物だ。あたしなら、一撃必殺の威力になる。

そして、フードを被ってベンチに座っていたウィテカーが、姿を見せた。その姿は……プルミエールに瓜二つ。

あたしたちが足止めのために用意した、もう一つの手段だ。

「…………!!?」

クドラクの移動速度が鈍った。一瞬でもいい、銃を撃つだけの時間を稼ぐっ!!
彼女に変装したウィテカーも、クドラクに向けて走り出す。彼が懐剣を抜いた。

「姉さんっ!!!」

「……コシャクナッッ」


ザシュッッ!!!


……短剣が、ウィテカーを貫いた。


「……姉、さん、今、だ」


崩れ落ちようとするウィテカーに向けて叫びたくなる気持ちを、何とか抑えた。
これは、彼が作った隙だ。それを逃す手は、ない。

あたしは引き金に手を掛ける。


「うおおおおおっっっっ!!!」



ドォォォンッッ!!!


魔導銃から放たれた「魔弾」はクドラクの側面を直撃した。歪みが数メド吹っ飛ぶ。



仕留めたと思ったあたしの喜びは、すぐに絶望へと変わった。





……ゆらり


クドラクは立っていた。空間に、右膝から下が浮かんでいる。傷は負っているようだけど……致命傷じゃない。


「……あ、ああ……」


ゆっくりとクドラクはあたしに近付いてくる。ウィテカーは倒れたまま動かない。早く彼の元に行かなきゃいけないのに、恐怖で身体が……動かない。


「……ジャマダ」


来るべき衝撃に備え、あたしは身を屈めた。


しかし、クドラクは……あたしを素通りすると、再び凄まじい勢いで駆け出した。

「……え?」

何が起きたのか、理解ができなかった。振り返ると、プルミエールの姿は遥か向こうだ。彼女を見失うのを恐れた?

何にせよ、助かったらしいのは確かだった。ウィテカーの元に行くと、夥しい出血で地面が濡れている。「時間遡行」なしでは助からないだろう。

あたしは精神を掌に集中した。幸い、刺されてからは間もない。出血量は酷いけど、何とかなる。そう信じた。

プルミエールはまだ逃げているはずだ。結果的に、時間は稼げたことになる。





最後の頼みは……エリック、あんたしかいない。




第11-2話はここまで。11-3話は多分プルミエール視点で短めです。

設定紹介


オルランドゥ大湖

北ガリア大陸中央に位置する巨大湖。直径は最大1200キロにも及ぶ。ほぼ円のような形であり、水はマナで溢れている。
オルランドゥ魔術都市は、大湖の恩恵を強く受けた都市でもある。

湖の全貌は謎に包まれている。湖には幾つか島があるようだが、人工物があるなど不自然な点も多い。島から「遺物」が発見されたとの噂もある。
湖の生物はどれも巨大で凶暴。湖畔近くは安全だが、中央に行くに従い危険度は指数関数的に上昇する。

多くの冒険者が湖に挑んでは散っているが、巨万の富が得られるかもしれないことから湖に赴く者は後を絶たない。
北ガリア大陸の各国家も調査団を派遣しているが、その成果は徹底して秘されている。
ただ、十分な成果を得られたと判明している事例は、今のところない。

言うまでもなく、オルランドゥ大湖=「穴」です。
ただし塞がれたのではなく湖と化しています。この全貌が明らかになるとすれば、本作からさらに500年以上はかかるでしょう。
なお、jもここに生息していますが、彼女が登場することは多分ありません。





第11-3話






「はあっ、はあっ、はあっ」


全力で脚を動かす。視界は涙と汗で滲んでいた。
地面を蹴る足音は聞こえない。しかし、後ろから何かが猛烈に迫ってくる予感だけは感じた。


心に過るのは、恐怖と……その倍の後悔。……なぜ私は、あの時ファリスさんに対してもっと強く出なかったのだろう?


私は彼女の前で、クドラクのことを一言も言わなかった。
警戒されたくなかったから?違う、私は彼女がクドラクだと思いたくなかった。だから、あんな迂遠な言い方で彼女を探ってしまった。

止める機会は幾らでもあった。アミュレットを手に取って彼女が咳き込んだ時、見捨てていれば?戻って彼女がアミュレットを着けているのに気付いた時、無理矢理彼女のベッドに向かっていれば?


そうしなかったのはなぜか。……答えは出ていた。



「ぐあっっ!!!」


後方から、ランパードさんの叫び声が聞こえた。私は振り返ろうとして、寸前でやめた。

遅くなるから?違う、ランパードさんが傷付いたのを、確認したくなかったからだ。そして、追ってくるのがファリスさんであるという事実も。


私は、何て情けない女なんだろう。
こんなに事実から目を背けようとしている人間が、真実を知る魔法を使う?



……お笑いだ。


それでも、逃げないと死ぬ。モリブス旧市街の噴水が見えてきた。せめて、作戦だけは遂行しないとっ……!!

カフェにいるデボラさんが立ち上がったのが、視界の端に見えた。


「野郎どもっっ!!射てっっ!!!」


ワイルダ組の組員たちがハンドボウを構える。そして、一斉に矢が放たれた!


しかし、デボラさんの表情はすぐに固まる。そして、私に向けて駆け出した!?


まずいっっ、もう差は……ほとんどない。


「ウィテカーッッ!!!」


私に変装していたウィテカーさんが姿を現す。

私は息切れして倒れそうになるのをこらえた。ここで倒れたら、全て無駄になってしまう。
目的の袋小路までは、あと300メド。それまでは、何がなんでも辿り着かなきゃ!!


後方で「ドォォォンッッ!!!」という炸裂音が聞こえた。デボラさんが何かしたんだ。

ひょっとして……と思って振り向く。しかし。



タタタタタタッッッ


片足だけが、凄まじい勢いで地面を蹴って私を追ってきている。


その異常な光景に、私は戦慄した。明らかに、この世のものじゃない。

まだクドラクとの距離はある。でも、息切れが酷い。もう、体力は……限界だ。
「幻影の霧」を使おうにも、これじゃまともに詠唱なんてできやしない。その場に立ち止まれば、どんなにか楽か。


絶望が、私の身体を覆い、押し潰す。


「ワンッ、ワンッ!!!」


……犬?振り返ると、大型犬がクドラクの脚に噛み付こうとしていた。


「……え?」

「グッッッ!!?」


どういうことだろう?しかし、クドラクの脚は止まった。

今の隙に!!私は、最後の力を振り絞る。目的の袋小路が見えてきたっ!!


「ソコニナニカイルナッッ!!?」


ファリスさんが……いや、クドラクが叫ぶ声が聞こえる。私との距離は、もう10メドもない!!
路地の入口まで、残り5メド……間に合って、お願いっっ!!


その刹那。路地から黒い影が飛び出てきた。手には短剣が握られている。


「小娘、よくやった……あとは俺が殺る」


「エリック!!?」


彼は私を路地に弾き飛ばすと、低い声で呟いた。





「加速(アクセラレーション)10 音速剣」








ザンッッッッッッ!!!!!




周りの家の壁が、真っ二つに切断される。……そして。




クドラクは……ドレスが破れた状態で、はるか後方に吹っ飛んでいた。




第11-3話はここまで。次回、ようやくもう一人の主人公のエリック視点です。

なお、犬についてはちゃんと理由があります。

武器紹介

「フローラのドレス」

1級遺物。ドレスとあるが身体全体を覆うクロークのような形状であり、周囲の風景と同化させる作用を持つ。
よく見ると周囲とはやや違和感があるが、それでも夜なら判別は至難。
着用者の姿は見えなくなるが、内部からは外が見えるようになっている。極めて軽量。
それだけではなく、一定時間宙に浮くことも可能になる。
ファリスはこれを利用し、自室の窓から飛ぶことで自宅を抜け出していた。帰る時にもこの能力を使っている。

その隠密能力、飛行能力に加え、布とは思えないほどの耐久性が一級遺物である所以。
少々の衝撃なら簡単に吸収する。着用者に致命的打撃が与えられると、その程度に応じてドレスが肩代わりする。
この観点からすると、デボラの攻撃は十分な攻撃力があったことになる。無論、エリックの「音速剣」は言うまでもない。





第11-4話





俺がまだガキの頃の話だ。


俺は父上と鹿狩りに出ていた。魔法の実践も兼ねたものだ。
3頭を仕留めて得意気になって帰ろうとした時、それは起こった。


グロロロロロ……


地響きのような唸り声が聞こえた。魔獣??でも、今の自分ならっ!

そんな俺の肩を、父上は押さえた。

『何をするんですか、父上』

『相手が何物か分かっているのか』

『分かりません。でも、俺なら……』

ギロリと睨まれ、俺は硬直した。

『阿呆が。死ぬつもりか?』

『え……何がいるのか、御存知なのですか』

『いや、確信はない。だが、状況を判断しろ。全てにおいて、現状の把握が全てに優先する。……狙いは鹿だろう、置いて立ち去るぞ』

『でもっ、勿体無くは……』

『命より優先されるものはない。俺たちが殺られる可能性は、ゼロではないのだから』

あの勇猛で途轍もなく強い「魔王ケイン」にしては、あまりに臆病なんじゃないか?少しの落胆と共に、俺は背中に背負っていた3頭の死骸を置いた。


その時だ。


『逃げるぞっ』


父上が、俺の手を引いた。次の瞬間。


ゴオオオオッッッ!!!!


上空から炎のブレス??父上がいなければ、丸焦げになっていた。
見上げるとそこには……巨大な紅い龍。


『『加速(アクセラレーション)』だっ!!!』


父上に言われる通り発動する。紅龍はあっという間に小さくなった。

『はあっ、はあっ……す、すみません、父上……』

『言わぬことではない。あれは紅蓮龍『シューティングスター』だ』

『え』

『勝てぬ相手ではない。だが、お前を守りながら戦うのは、困難と察した。
唸り声の質から、奴である可能性をまず考えた。そして不安定な足場、そしてお前の存在。総合的に判断すれば、『加速』を使った逃亡が最善だ。
何も考えずに突っ込むことは勇気ではない。蛮勇だ』

静かに、しかし重く父上は言う。返す言葉もない。俯く俺に、父上は続けた。

『攻めることが悪いわけではない。だが、状況を冷徹に判断しろ、ということだ。何を優先すべきか、誰を救うべきか。その成功可能性はいかほどか。
戦でも政でも、その判断こそが全ての基になる。忘れるな』

『……はい』

#


その時の記憶は、今でも鮮明に残っている。
父上があれからすぐ後に「サンタヴィラの惨劇」を起こしたから、なおさらだ。


#

小娘の姿と、その背後にいるクドラクを目にした時、俺は咄嗟にあの時のことを思い出していた。

本来、小娘が路地に逃げ込みクドラクがそれを追ってきたのを迎撃する予定だった。しかし、小娘の体力はもうもちそうもない。
全身が消えているはずのクドラクの右足だけが見えているのも奇妙だった。既に、戦闘は行われていると見るべきだった。

この作戦は、クドラクが見えないことを前提としたものだ。だが、姿が一部とは言え見えるのなら……攻撃方向を限定した、無差別攻撃は必要ない。
何より、もう一刻の猶予もない。小娘を死なせないためには……


ダッッッ!!!


今出るしかない。


「小娘、よくやった……あとは俺が殺る」


「エリック!!?」


俺は小娘を路地へと弾き飛ばす。クドラクは、すぐそこまで迫っていた。


剣を構え、小さく呟く。



「加速(アクセラレーション)10 音速剣」



短剣を薙ぐ。音速まで加速されたその素振りは、衝撃波となり前方にあるもの全てを破壊する。
効果は絶大だ。しかし、細かい狙いが付けられない。だからこそ、路地へと誘い込む手筈だった。

だが、大まかな場所さえ分かっていれば……問題はないっっ!!



ザンッッッッ!!!!!



見えない斬撃が家の壁を両断した。そして、クドラクは……後方へと吹っ飛ぶ。



殺ったという安堵は、束の間のものだった。
ドレスが散り散りになったのを見て、強烈な違和感をおぼえたのだ。


……なぜ身体が両断されない!!?


「エリック!!!」

「出るな小娘!!終わっては……」



ゆらり


クドラクが立ち上がった。痩せ細った手足。下着だけの身体には、肋が浮いている。
髪は前へと垂れ下がり、それはまるで、伝承上の……


「……幽鬼だ」



それは無言で俺に猛烈な勢いで向かってくる!!


そんな馬鹿なッ!?あれを食らって生きていることなどっ!!!


ギイィィンッッ!!!


振り下ろされた懐剣を受ける。激しい衝撃が、腕と肩に走った。
この身体で、この膂力。……おかしい。これが、「遺物」の力なのか??


「ジャマヲ、スルナ」

「……死に損ないがっ!!」

身体を捻りながら力を逃す。速度、膂力ともに人外のそれだが、技術では俺に及ばないのは組んでみて分かった。

後方に跳びながら首筋に横薙ぎを入れる!


ヒュンッッ


首だけを器用に後ろにずらした、だと!?

反応速度が、人間のそれではない。「加速」の2倍速を常に使っているような動きだ。

さっき、極一瞬だけ「10倍速」を使った俺の消耗を考えると……かなり厳しい相手だ。長引かせることはできない。



「……加速(アクセラレーション)2」


一気に踏み込む。持続時間は、「2倍速」ならせいぜい15秒!この間に、決着を……


「ニィ」


下から懐剣が跳ね上げられた!?俺はそれを僅かに交わす。
もう一度首筋に剣を振り下ろすが、これも僅かに外された。やはり、理外の動きだ。……ならばっ!

振り下ろした右腕の陰に、左拳を隠す。怪物とはいえ女にこれを叩き込むのは惨いが、もはややむを得ないっ!!

右脚の親指に力を入れ、そこを起点に腰をさっきとは逆方向に回す。左拳の先にあるのは……クドラクの肝の臓だ。


ダーレン寺流奥義が一つ……「零勁」。


ドグンッッッッ!!!!


「カハッ!!?」


クドラクの身体が、崩れ落ちる。身体の内部に力を送り込む「零勁」を、2倍速で撃ったのだ。立てる存在は、いない。いるはずが……


ビッッッ!!!


「何ッッッ!!?」


予想外の反撃。頬に、熱い痛みが一筋流れた。
思わず再び距離を取る。口元から血を流しながら、クドラクは……嗤っていた。


「……イタミハネ、モウカンジナイノ。コノカラダハ、モウコワレカケ。
……ダカラ、アナタノコウゲキハ、イミガナイ」

どういうことだ?ファリス・エストラーダの意思は、もうないのか?

もう一度、攻撃を仕掛けるべきか。俺は逡巡していた。

もう「加速」の効果は切れる。効果が切れたなら、クドラクの攻撃に反応するのは……恐らくはできない。
だが、痛みは感じずとも打撃は与えているはずだ。さっきのような超反応ができるとは思えない。……思いたくもない。


刹那、クドラクが動いた。


迎撃する!そう思い、構えた俺の横を、奴は嗤いながら通り抜けた。


「しまったっっ!!!」


奴の狙いは……路地の奥にいる小娘かっっ!!!


奴の動きは若干鈍ってはいたが、それでも一瞬反応が遅れた。「加速」の効力はまだ残っている。しかし……追い付けるのか??


振り向いて後を追う。路地の入口から、怯えている小娘の……プルミエールの顔が、月光に照らされた。


「オワリヨ」




何を救うべきか、何をすべきか。父上の言葉が、脳裏を過る。
今から追っても間に合わない。しかし……


俺は、右手を振りかぶった。


ザクッッッ!!!!


投げ付けた短剣が、クドラクの肩口に突き刺さる。致命傷ではない。それでも動きは、僅かに止まった。


その時間だけで、俺にとっては十分だ。大きく踏み込み、右脚の親指で地面を「噛む」。……そして。


ドグンッッッッ!!!


2発目の「零勁」を背中に受け、クドラクが「グッッ」と呻いた。俺は刺さっていた短剣を、思い切り上へと薙ぐ!!




「それは、俺の台詞だ」



ザシュッッッ



アミュレットを着けた右腕は、懐剣ごと宙に舞った。



第11-4話はここまで。エリックの戦闘スタイルは、短剣による攻撃と打撃を組み合わせた独特のものです。
遠距離では魔法もある程度使えますが、基本は「加速」を生かした超接近戦が得意です。
なお、「加速」には幾つかの秘密があります。

後で簡単な多数決を取ります。

技・魔法紹介

「音速剣」

「加速」の10倍速を極一種使い、剣を振るうだけの技。しかしその速度は音速をゆうに超えるため、それに伴う衝撃波が発生する。
これを以て広範囲を攻撃するのがこの技の骨子である。ただ、その性質上対象は無差別にならざるを得ず、細かい狙いも付けられない。
エリックが最初袋小路に呼び込もうとしたのは、確実に音速剣の衝撃波を当てるためだった。

「加速」の使用時間は極僅かだが、10倍速のため魔力の消費は激しい。撃てる回数は(他に魔法を使っていないという前提で)現状2回が限度。
威力は高いが使い勝手が難しい技で、エリック自身これを使ったことは数えるほどしかない。

なお、「加速」使用中の打撃力は通常より大きく跳ね上がっている。
このため、音速剣の直当てはかすった程度でも絶大な威力になる。

多数決です。第11-5話の視点はどちらにしますか?
ストーリーの大枠には影響がありません。
(なお、第11話は短めの11-6話で終わります)

1 プルミエール
2 エリック

3票先取です。

何かしらご意見、ご感想があれば歓迎です。よろしくお願いします。

上げます。





第11-5話





目の前で、クドラクの右腕が飛んだ。鮮血が迸り、彼女はその場に膝から崩れ落ちる。


その向こうで、魔王が短剣を振りかぶったのが見えた。止めを刺そうとしているんだ。


「やめて!!!」


私の言葉に、月明かりに照らされた魔王の顔が訝しげに歪む。

「何故だ」

「これ以上傷付ける必要なんてないっ!!もう、『ファリス』さんは……」

彼女が戦えないのは、見て明らかだった。ハァ、ハァと浅い息をつきながら、左手で切り落とされた右腕の傷を押さえている。


そして、彼女が座る地面には……血の池ができていた。
もう、助からない。私にも、それが分かった。


魔王が短剣の血を拭い、鞘に納める。

「苦痛を長引かせるだけだ」

「……そうかもしれない……でも……少しだけ、話させて」

「何を話す」

「……何でこんなことをしたのか、せめてそれだけでも……」

クドラクが……いやファリスさんが顔を上げた。口元には微笑みがある。



「ありが、とう」


「え」

思いもかけない言葉に、私は固まった。

「やっと、終わりに、できた……いつか、止めてくれる人が……ごぷうっ……!!」

口から大量の血が吐き出された。

「もうしゃべらないでっっ!!……死んじゃう……!!」

「いい、の。……助からないことは、分かってる……」

ファリスさんの目の光が消えかかっている。


その時、魔王が彼女の背中に手を当てた。……掌が、黄色く光っている。


「気休めだ。生き延びるのはもう無理だが……数分、寿命は延びる」

彼女の呼吸が、少し穏やかになったように感じた。治癒魔法をかけたんだ。

「エリック……」

「話したいことがあるのだろう?そのぐらいの時間は作らせてやる」

「……ありがとう」

彼の優しさが、胸に染みた。でも、それに浸っている時間はない。

「……これは、あなたの意思なの」

彼女は、自嘲気味に笑った。

「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわ……。私は、生きている証を残したかったし、お父様の役にも立ちたかった。
そして……貴女は危険だった。貴女の……『追憶』は、お母様が何者かを、暴いてしまう」

「エストラーダ候は、お母様の行いを」

「やはり、全て知ってたのね」

私は無言で頷く。ファリスさんが、憑き物が取れたように穏やかな表情になった。

「……お父様は、命令は、してないわ。でも、お母様がクドラクというのは、気付いていたと思う。私が、クドラクというのは……きっと知らないけど。
……とにかく私は、自分の意思で、クドラクになることを選んだわ。でも、すぐに自分が自分でなくなることに……気付いた」

「……それって」

ファリスさんの視線が、転がったままの右腕に向いた。

「あの、アミュレット……あれは、ベルチェル家にかけられた、呪い。かつての当主の意思が込められた、呪いなの」

私ははっとした。確か、彼女の母親の家って……

「まさか」

「……身に付けた者は、過去の当主の技術を受け継ぐの。そして、暗殺者としての業も。
……その末路は、人間性の喪失。脳の病と共に、自分が失われるの」

「あなた、そこまで知ってて、何でっ……!!」

「それで、いいと思っていた。このまま朽ちるくらいなら、と。でも、そう考えること自体……私は呪いにかかっていたのかも……ゴフウゥ!!」

再び、彼女は血を吐いた。

「ファリスさんっっ!!!」

「ハアッ、ハアッ……いいの」

視線が、魔王に向いた。

「……お願いが、あります……あのアミュレットを……壊して」

魔王は小さく頷いた。

「無論だ」

「……ありがとう」

声が弱々しくなっている。……もう、治癒魔法の効果が……切れるんだ。私の目から、涙が溢れた。



ファリスさんは、私の命を狙った。それでも……彼女もまた、犠牲者なのだ。あのアミュレットの。


「……プルミエール、さん」

彼女が声を絞り出した。だらんと垂れ下がった左手を、思わず握る。


「……ええ」

「……あなたとは……ちがう、かたちで……」

「ファリスさんっっっ!!!」



彼女から一筋、涙が流れる。最期の言葉は、聞き取れなかった。







泣き続ける私と、無言で立ち尽くす魔王と、ファリスさんの亡骸を、月光は静かに照らしていた。








第11-6話






いつか、こうなることは分かっていた。


もし地獄があるとするなら、私の末路はそこだろう。赦されようとは思っていない。
でも、薄れゆく視界の中、私の心によぎったのは……後悔だった。


私は、ずっとお父様のために生きてきた。私にとっての世界は、お父様だけだった。
だから、お父様のお役に立ちたくて、私は禁忌を犯した。それが二度と戻れない過ちだとしても。
そうすることが、私の生きている証になると信じていた。お父様の思念からクドラクの「活躍」を読み取る度に、私は例えようのない喜びを得られた。


でも、死と共に呪いから解き放たれようとする今なら、それはどうしようもない誤りであったと分かる。
そう思うことこそ、まさにアミュレットの呪いだったのだ。


お母様もまた、それに囚われていたのだろう。だから、アミュレットとドレスを私に託した。
お母様を恨む気持ちはない。ただ、なぜ呪いにかかってしまったのだろうという疑問はある。


それは決して、私には知り得ないことだ。
ただ、一つ言えるのは……私もお母様も、救われない存在であったという事実。


目が掠れる。目の前で、プルミエールさんが泣いている。貴女を殺そうとした、私のために。




……私も、貴女のように、縁のない人のために生きることができたのだろうか。
その可能性は、あった。たとえ残りの命が少なくても、多くの人と関わることはできた。


闇に生きるのを選んでしまったのは、私自身だ。そして、それから解き放ってくれたのは……貴女。もう……遅すぎたけど。


「……プルミエール、さん」


「……ええ」


彼女が左手を握ったのが分かった。もう、身体の感覚はさっきからなくなっているけど……その手の温もりだけは、はっきりと分かった。


「……あなたとは……ちがう、かたちで……」


プルミエールさんが、何か叫んでいる。もう、それが何かは分からない。




せめて、生まれ変わったなら。


貴女と、友達になりたい。叶わぬ夢だとしても。








そして、私の意識は、消えた。





第11-5、6話はここまで。


重苦しい話が続いたので、しばらく緩い感じにするかと思います。
第12話はエリック視点です。あるキャラが登場します。

武器・防具紹介

「聖人ディオのアミュレット」

2級遺物。ただ、ベルチェル家の血族以外では能力をフルに発揮できないためこの評価であり、ベルチェル家の人間が着けた場合は特級に迫る能力を持つ。
アミュレットとあるが腕輪のようなもので、宝石をあしらった豪奢な造りになっている。

夜限定で身体能力を爆発的に引き上げる効果を持つ。正確には着用者の脳のリミッターを外している。
このため、使用者の脳に非常に重い負担がかかる。脳腫瘍ができやすいのはこのためであり、精神面でも異常を来しやすい。
ファリスが一般人を殺害していたのもこのためで、倫理観が壊れていたからである。

また、ベルチェル家の歴代当主の技術や記憶を継承させる効果もある。
ベルチェル家自体は300年近く続いているが、これが使われていたのは最初の150年ほどであり、ある程度の地位を築いてからは着用は禁忌とされていた。
素人同然でろくに暗殺者としての教育を受けていないファリスやレナが凄腕の暗殺者然としていたのは、この技術継承の結果である。
魔法の素養が2人にあったのもこれに由来する。

なお、遺物が他人に渡ることをランパードは警戒していたが、ベルチェル家の人間以外には十全に使えない仕様のため結果的には杞憂だった。

キャラ紹介

ファリス・エストラーダ(20)

女性。ロペス・エストラーダ候の一人娘。長い金髪の女性で、鼻が高い整った顔立ちをしている。
病弱のため身体は痩せており、身体能力はアミュレットなしでは極めて低い。子供の頃から病弱で、「外に出たい」「父親の役に立ちたい」という想いが非常に強かった。
20の誕生日になり母親であるレナの死の真相を知ったこと、そしてアミュレットを着用してしまったことで運命が暗転する。

もっとも、アミュレットの副作用を知っていたとしても、彼女がその誘惑に抗えたかはかなり怪しい。
世界がエストラーダ邸の中で完結しており、対等な友人が遂にできなかったことが道を踏み外す原因となったと言える。
もし相談相手がいたなら、そして別の形で世界と関わることができたならば、彼女が「クドラク」となることはなかっただろう。

彼女自身の性格は極めて真面目であり、多少近視眼的ではあるが善良な性質だった。
もしアミュレットの「呪い」に囚われず、かつ健康であったなら良い為政者となっていただろう(ただし、理想主義であるため敵も多かっただろうが)。

余談ですが、アミュレットの元ネタは言うまでもなくアレです。
(変愚にはそのものズバリのアイテムが登場します)





第12話





鋭い南国の陽射しに、俺は思わず身を捩った。

体力はまだ回復しきっていない。「音速剣」に、2倍速での「零勁」2発。さらにその後も「腐蝕」を使っている。戻りきるまでには、あと1日はかかるだろう。
壁に掛かった時計を見ると、正午の半刻前だった。本当はまだ寝ていたかったが、部屋の暑さと明るさはそれを許しそうにもなかった。

「……ちっ」

舌打ちをしつつ、身体を起こす。やることは幾つもある。ワイルダ組の本部に、いつまでもいるわけにはいかない。

……そういえば、小娘は俺を起こしに来ていない。大体俺より早く起きているはずだが。

部屋を出ると、ラファエルの姿があった。

「やっと起きたんすね」

「小娘は」

「まだ部屋す。昨日は、色々ありましたから」

軽く鼻を鳴らして、彼は肩を竦めた。

「……寝ている、というわけではなさそうだな」

「まだ堪えてるみたいすよ。涙のしょっぱい匂いがしますもん」

「……馬鹿が」

小娘は、ファリス・エストラーダがクドラクになった経緯について、ある程度知っているのだろう。
それにアミュレットが関与していることも、薄々分かった。小娘なりに、ファリスに同情する面はあるのかもしれない。

だが、先に進まないと話にもならない。そもそも、誰が奴を救えたというのだ。

苛立ちと共に小娘の部屋に向かおうとした俺を、ラファエルが呼び止めた。

「あ、ちょっと待ってください。客人が来たみたいす」

「客人?」

「ええ。多分、あのエルフです。それと、もう一人……女すね」

「……女?」

エルフ……ビクター・ランパードか。あの一件の後、デボラの治療を受けたと聞いている。
その後どこかに消えたらしいが。女とは、奴の協力者か。

呼び鈴が鳴る。下の階にいるデボラが「なんだい」と不機嫌そうに言ったのが聞こえた。

「エリック、客だよ」

やはり俺に用か。俺は溜め息をついて、シャツのまま下に降りる。

「ランパードか、手短に……」



「あ、エリックだ!!」



緑髪の小柄な女が飛び付いてきた。俺はそれをひらりと交わす。
ドスン、と壁にぶち当たると「いてて……」と女が額をさすった。

「酷いじゃないですかぁ、20数年ぶりの再会ですよ?」

「お前のような女は知らんな」

「ひっどーい!絶対覚えてるよね?ねえ?」

「知らんものは知らん」

女はむくれるとランパードの方を見た。

「ビクター!何か言ってやってくださいよぉ!!」

「……姫、さすがにそれはねえよ。20数年ぶりに、それもガキの時以来会ってない知人にいきなり抱き付かれそうになったら、俺でも逃げるぜ」

「ビクターまで!?もう、こうなったらプルミエールのとこ行くもん……」

「やめとけ」

俺は険しい顔で女……エリザベート・マルガリータに言う。

「とても、そんなおちゃらけたノリに付き合う気分じゃないはずだ」

「……昨日のが理由ね」

「ランパードから聞いたか。クドラクを倒すための作戦を遂行していた」

「そりゃ知ってるよ、だって私も参戦したもの」

「「……何!?」」

俺とランパードの声が重なった。

「ちょっと待てトンチキ姫よぉ?そんなの一切聞かされてねえぞ?俺は今日あんたがこっちに来るって話しか……」

「あー、いや、嫌な予感したんだよねぇ。だから前日にこっそりこっちに来て、貴方の様子見てたわけ。
そしたらヤバそうなことになってるみたいだから、私のできる範囲でこっそりと、ね?」

……話が読めない。何かの魔法を使ったのは間違いないが……

「……こっそりって、何をしたんだよ」

「『憑依(ポゼッション)』を使った足止め。あのワンちゃんにはかわいそうなことをしたけど。
でも、あの怪物を倒せたのは、私のおかげでもあるわけですよ」

エリザベートがない胸を張る。

デボラが訝しげに彼女を見た。

「……このお子様、知り合いかい?」

「お子様じゃないですぅ。これでも27、適齢期の乙女なんですから。
あ、私エリザベート・マルガリータといいます。トリス森王国の第三皇女やってます。で、貴女は?いわゆる『姐さん』?」

「……あたしはデボラ・ワイルダだ。一応、この組を仕切らせてもらってる。
というかトリスの姫様まで来るとはどういうことだい?あのクドラクの件、そこまで大事なのかい」

ランパードが「あー」と苦笑した。

「いや、ここに来たのはそれだけじゃねえんだけどな。聞いてるかもしれねえが、嬢ちゃん……プルミエール・レミューは狙われてる。
モリブスのラミレス家含め、各国政府に。エストラーダ候は全く別の事情で消したがっていたようだが」

「各国政府に??エリックが連れてきた時点でただの娘じゃないとは思ってたけどねぇ……」

「で、トリス森王国は彼女を保護したい。で、俺だけでなく彼女……エリザベート皇女も協力することになったってわけだ。元々、オルランドゥ魔術学院では御学友だったしな」

エリザベートが真顔になった。

「そういうことです。プルミエール・レミュー嬢はさる理由で我が国にとっては重要な人材です。
そこで、トリスとしてはでき得る限りの支援をしたい。ここを訪れた理由の一つは、それを彼女に伝えるということにあります」

「解せんな」

俺の言葉に、エリザベートがムッとした様子になった。

「何がですか」

「まず、ランパード。お前、元は各国合同の討伐隊の一員と言っていたな?それがどうして俺たちに手を貸す?
トリスの意思がどこにあるか明確じゃない。討伐隊には、トリスも協力しているのだろう」

「……こちらも一枚岩じゃねえとだけ言っとく。ただ、こちらは女王の意を受けて動いている。そこは理解してくれ」

「女王の意?」

「これはまだ言えねえ話だ。だが、サンタヴィラにお前さんたちを連れていくのが、女王の意思だ。
信じる信じねえはそっちの勝手だが、敵がわざわざクドラク退治なんてクソ面倒なことに首突っ込むわけがねえことは分かるだろ?」

色々引っ掛かる。しかしとりあえずはいいだろう。

「分かった。2点目。俺たちを保護するなら、なぜエリザベートが来る必要がある?第三皇女とはいえ、そいつは貴人だ。お前なら、これがいかに危険な案件か理解しているはずだ」

「それは私から」

エリザベートが軽く手を挙げた。

「貴方の言う通り、これはかなり危険な案件です。ただ、プルミエールは私の親友なの。彼女を助けるために……」

「それだけじゃないな。単に助けるなら、こうやって俺の前に姿を現すはずがない」

ペロッとエリザベートが舌を出した。

「あー、まあ誤魔化されないかぁ。子供の頃から、妙に理屈っぽかったもんね」

「王族同士の交流会で、2、3回会った程度だろう?むしろ俺のことをよくそこまで覚えているな」

「同年代の王族なんて、貴方くらいだったもん。そりゃ覚えてますよ。で、何が言いたいの?」

「お前が小娘に接触するには、何かしら別の理由があるだろう。保護だけなら、そこのランパードだけでも十分なはずだ」

彼女がチラリとランパードを見た。

「結論から言や、俺だけでは不充分ということが分かった。嬢ちゃんには伝えたが、討伐隊がモリブスに集まっている。
ここに滞在し続けること自体危なくなってるが、最大の問題は『六連星』という精鋭が来てるらしいってことだ」

「……『六連星』?」

「ま、知るわけねえわな。これは、王族など一部しか知らねえ最上級機密事項だ。……ん」

ランパードの視線がデボラに向いている。顔色が青ざめているのが分かった。

「どうした」

「いや……続けとくれ」

ランパードが、出されたお茶を口にした。

「六連星は、各国から選抜された少数精鋭の独立遊軍だ。北ガリアの治安維持に携わっていると聞いている。
トリスは前から参加してねえし、モリブスも今の六連星に人は出してねえと思う。ロワールは……微妙だな。
とにかく連中について分かってることは少ねえ。構成員全員が『遺物』、それも特級持ちってくらいか」

俺の脳裏に、オルランドゥを出る時に出会ったあの男の顔が過った。


「……デイヴィッドという男も、その一人か」

「……!!やはり会ってたか」

「知っていたな」

バツが悪そうに、ランパードが頭を掻いた。

「いや……まあ妙だとは思ってた。オルランドゥから脱出しようとするお前さんたちを誰が止めるかって話は、最後まで聞かされなかったしな。
ただ、『六連星』絡みだろうとは直感した。そうか、デイヴィッド・スティーブンソンか」

「何者だい、そいつは」

俺より先に、デボラが口を開いた。

「『六連星』が誰によって構成されてるかはほとんど知られてねえんだ。ただ、スティーブンソンだけは例外だ。
魔王ケインを討伐した4勇者の1人、ヘンリー・スティーブンソンの弟。アングヴィラ王国近衛騎士団の団長だな」


身体が総毛立つ。4勇者……父上の仇の親族か!!


「……まあ、お前さんにとっては因縁の相手だな。向こうにとってもそうだろうが」

「……奴もここに?」

「いや、そこまでは知らねえんだ。まあ、デイヴィッドが来てるならすぐに分かるだろうが。手段を選ばねえからな」

デボラが真剣な表情で視線を落としている。……訳あり、か。

こほん、とエリザベートが咳払いをした。

「とにかく、貴方たちを守るには、私も加わった方が安全ってことです。
私はそんなに強くないけど、『憑依(ポゼッション)』と感知魔法だけならビクターよりも上だから。それと、アリス教授にお願いされたお使いもあるし」

「お使い?」

「そ。ジャック・オルランドゥ公の所に行くんでしょ?私も一緒に連れていってくれませんかねぇ」

「どういうお使いなんだ」

「手紙を託されてて。私が直接渡せって」

……何だか妙なことになってきた。こいつとは20数年ぶりの再会だが、この妙なノリにかき回されるのは変わらないのか。

俺は軽く溜め息をつく。

「……好きにしろ」

「やったあ!じゃ、早速……」

ランパードが「ちと待てや」とエリザベートの裾を引っ張った。

「もう一つの用件が済んでねえだろうが」

「もう一つ?……ああそっか」

「こっちを先に片付けねえといかんだろ。クドラク退治の後始末だ。
実はさっきエストラーダ候のとこ行ってな、ファリス嬢が消えたって大騒ぎになってる。
んで、クドラクの死体も『遺物』の残骸もないと来た。官憲に言えねえのは分かるが、死体とかどこに隠した?」

俺はふう、と息をついた。

「ない」

「……は?」

「だからない。俺が『消した』」

上の階で塞ぎ込んでいる小娘を思った。あいつはもう、納得しているだろうか。していないだろう。
だが、こうするしかなかった。俺たちに注目が集まらず、かつエストラーダ候を多少なりとも傷付けずに済むには。

#

月明かりの中、事切れたファリス・エストラーダの手を小娘が握り続けていた。

「……もう、いいだろう」

「え」

「俺たちは去らなきゃいけない。そして、この死体をどうにかする必要がある」

「……どうにか、って」

俺は一息ついた。これが残酷な宣告だというのは理解している。しかし、言わねばならない。


「死体を……塵にする」


「ダメエッッッ!!!」

小娘が叫ぶ。俺は腰を屈め、小娘と目線を合わせた。

「ならこいつを放っておくのか?処分する時間はないぞ?
ここはワイルダ組の縄張りだが、だからと言って好き勝手できるわけでもない。死体を別の所に運ぶ際、一般人に見られでもしたら?」

「け、警察に言えば……」

「そうしたら俺たちの存在が公になるぞ?お前が狙われていないならいい。だが現実は違う。
私は的ですと弓兵100人の前に身を晒すようなものだ。それでいいのか?」

「でもっっ!!……塵にするなんて……そんなことしたら、ファリスさんの生きていた証は……」





「自分の命と甘ったるい感情のどちらが大事だっ!!!」




小娘の身体がビクッと震えた。唇を噛み、嗚咽しながら俯く。

「そんなの……哀し過ぎるっ……!」

「だが、他の選択の余地は、ない」

俺はファリスの右腕を掴むと「腐食」を使い塵にした。……もう、俺の体力もない。早めに済ませないといけない。
続いて、アミュレットを短剣で切り刻む。そのうちの、魔力がない一欠片以外を錆びさせ、踏み潰した。

「これだけは残しておいてやる」

それを小娘の側に置く。彼女は俯いたまま、ただ泣くだけだ。
動かなくなったファリスを仰向けに寝かせた時も、特に抵抗はなかった。



そして数分後、彼女は塵となって消えた。



#

それから俺たちはデボラと合流した。ウィテカーは深傷を負っていたが、命は取り留めたという。
小娘は、ずっと無言だった。デボラが話し掛けても、ほとんど反応を示さなかった。まして、俺の方は見向きもしなかった。

……俺の判断は、間違っていたのか。しかし、そうするしかなかった。
小娘がファリスにどんな思い入れを持っていたかは知らない。それを知ればまた違ったのだろうが、そんな余裕もなかった。




そう、仕方なかったのだ。




#

俺は天井を見上げた。小娘は、まだ引きこもっている。
どうやれば、あいつに前を向かせられるのだろう。時間が経てば、解決する類いの話なのか。

そんな俺の様子に、ランパードは気付いたようだった。

「……どうやって死体を消したかは知らねえが、嬢ちゃんは納得してなさそうだな。だから、ここに姿を現さないわけか」

ランパードがやれやれと首を振った。

「……やむを得ない処置だ。後で話に行く……」

はあ、とエリザベートが呆れたように息をつく。

「さっさと行ってあげた方がいいですよ?あの子、結構繊細ですし」

「何?」

「どうせ『こうするしかないんだ』って理屈で通したんでしょ?それ、一番やっちゃダメ。
女の子は共感してもらいたい生き物なのですよ。ね?ビクター」

ビクターが渋い顔になった。

「……なんで俺に振るんだよ」

「んー?何ででしょう。ま、それはともかく。
一言謝ってちゃんとプルミエールの想いを聞いてあげた方がいいんじゃないですか?2人がどういう関係かは知らないですけど」

……想いを聞く、か。確かに、それは必要なことかもしれない。

「……分かった」

「んふふ。エリックはやっぱり女の子の扱いが下手ですねぇ」

「……何か言ったか?」

「えー?何もぉ」

ガキの頃と変わらず、どこか人を食ったような奴だ。だが、言っていることは、多分正しい。
「チッ」と舌打ちをして、俺は立ち上がった。



その時、応接室のドアがバンと開いた。……いつぞやのオークだ。


「あ゛、姐ざんっっ!!だいへんでがす!!」

「何だい騒々しいねえ。一体何があったってだい」

「ぞれが……」

オークははぁはぁと息を切らしている。異常事態が起きたのは、すぐに分かった。弛緩していた部屋の空気が、一気に引き締まる。

「何だい、言ってみな」



「エストラーダ邸が、ぎえまじだ」



第12話はここまで。次回はプルミエール視点からです。

第11-3話にて犬がファリスを噛んだのは、実はエリザベートの妨害だったわけです。

キャラクター紹介

エリザベート・マルガリータ(27)

女性。トリス森王国第3皇女。オルランドゥには留学生として在籍している。
身長146cm、37kgの小柄な少女(?)。ストレートで肩までかかる緑髪に、額の辺りに白いリボンをつけている。胸は慎ましい。
丁寧語を混ぜた独特の喋り方をする。性格は天真爛漫で甘いもの好きと幼い印象すらあるが、実はかなり計算高く裏で色々やっていることも多い。
ジャックの指摘通り、ランパードの行動の一部は彼女からの(そしてマルガリータ女王からの)指示である。その肚の底はなかなか読めない。

基本は善良であり、プルミエールに対する友情も確かなもの。
ただ人を食ったような言動も多く、ナチュラルに鬼畜な発言をすることも少なくない。
エリックとは幼少期に数回会っており、その度にエリックは一杯食わされていたもよう。20数年ぶりに会ったにもかかわらず覚えていたのはこのためである。
(そしてからかいがいのある相手として、エリザベートもエリックを覚えていた)

ランパードとの関係は現在のところ不明。彼女が生まれた時からの付き合いであるのは疑いない。

なお、CVは小原好美さんのイメージです。





第13話






彼女の人生は何だったのだろう。


昨日の夜から、ずっとそればかり考えていた。
ファリスさんは、必死で「生きていた証」を欲しがっていた。なのに、彼女が生きていた痕跡は……私の掌の中にある、この金属の欠片しかない。
亡骸も何も、なくなってしまった。こんな終わり方は……あまりに、惨過ぎる。

魔王が選んだ方法は、きっとやむを得ないことだったのだろう。私の身に危険が及ばないようにするには、彼女を塵にすることで、私たちが関わった痕跡を消すのが最善だというのは分かる。
私が彼女に対して持っている感情は、魔王の言う通り単なる甘ったるい感傷に過ぎないのかもしれない。


それでも。……彼女は、こんな人生の結末を望まなかったはずだ。


なら、私は昨晩何をすべきだったのだろう?何度心に問うても、答えは出てこない。
ただ、私にできることは……非情な選択をした、魔王を恨むことしかなかった。それは、きっと間違っているのだろうけど。

#

気が付くと、窓からは南国の強い日射しが差し込んでいた。時計はとうに正午近い。
でも、何かしようとする気力は、私にはなかった。恐らく、これからエストラーダ侯に彼女の最期を伝えなければいけない。それは彼にとっても、私にとっても……あまりに辛いことになるだろう。

ノックの音がした。私はそれを無視した。

「俺だ」

魔王だ。今、一番会いたくない相手だ。

「……」

「……すまなかった」

何を詫びているのだろう。今更遅い。

黙っている私に、魔王はドア越しに話し続ける。

「俺は、お前とファリス・エストラーダとの間に何があったか、知らない。
だが、お前の事情も……もう少し聞くべきだった。俺の選択が間違っていたとは思わないが……しかし、一方的に決めてしまった」

「……あなたは、何がしたいのよ」

沈黙が流れた。

「……お前の力を借りたい」

「はあ?」

「そんな気分ではないだろうことは、分かっている。ただ……異常事態が起きた。ロペス・エストラーダが、家ごと消えた」

私は思わず跳ね起きた。泣き腫らした目のまま眼鏡をかけ、ドアを開ける。魔王は、険しい表情でそこにいた。

「……何ですって?」

「ついさっき、報告があった。詳しいことは分からないが、とにかくエストラーダ邸が文字通り消えた。
何があったかを探るには、お前の『追憶』が必要だ」

呆気に取られる。……それって、まさか。

魔王は、私が何を言おうとしているのかを察したかのように頷いた。

「そもそも妙だった。なぜファリス・エストラーダがお前を狙っていたのか。
恐らく、ロペス・エストラーダに他国からお前の討伐依頼が来ていた可能性は高い。もし、その依頼者が彼女のことを知っていたら?」

「あっ……!!」

ランパードさんは、他国からの討伐隊がモリブスに集まり始めていると言っていた。
彼らが「クドラク」を使って、私を殺しに来ていた可能性は……ゼロではない。

魔王は頷いた。

「ファリスが消えた翌日すぐに、エストラーダ侯に異変があった。偶然にしては、あまりに出来過ぎている。
恐らく、彼女は……あるいはエストラーダ侯は監視されていた。そして、クドラクが消えたと見るや否や、エストラーダ侯は用無しとして『消された』」

「それじゃ……ファリスさんは」

「一連の暗殺は彼女の意思によるものだとしても、昨日の襲撃はそれだけではない可能性がある。つまり、黒幕がいるかもしれない。
『クドラク』が死んだことで、そいつはファリス・エストラーダが生きていた証を根本から消そうとしている」

私は戦慄した。……ファリスさんは、ただ利用されていた?

魔王は少し目を閉じた後、話を続ける。

「都合のいい奴だと思うかもしれない。お前は、俺を許せないと思っているかもしれない。
だが……ファリスが哀しい存在だったという認識は、俺にもある。だから……」

彼は言葉を探しているようだった。

彼の決断に、納得したわけではない。ただ、このままだと……ファリスさんは、あまりに救われない。

私は彼の目を見た。

「……やるわ」

#

階段を下りた先にいたのは、あまりに予想外の人物だった。

「プルミエール!!久し振りぃ!!」

「エリザベート!??何故、あなたがここに??」

「んー、説明は後で。話はエリックから聞いてるよね?」

「ええ。エストラーダ侯が、邸宅ごと消えたって」

ランパードさんが険しい表情で私を見た。

「そうだ。俺の推察が正しければ、相手は相当厄介だ。だが、その前に状況を把握しなきゃいけねえ。
そのためには、お前さんの『追憶』が必要だが……姫、同行頼めるか?」

「うん、任せて」

「エリザベートが?」

「感知魔法だけなら、オルランドゥでも教授たち以上だったのは知ってるよね。
極端に高いマナを持つ者や、強い敵意や殺意を持つ者は、200メド先にいても分かる。そこから退避する手段もあるしね。
で、少し離れた場所で、ビクターとエリックには様子を見てもらいます。襲撃を万一受けた時の保険ね」

ランパードさんは「了解だ」と短く言った。

「嬢ちゃんが『追憶』を発動している間の護衛は、俺たちがやる。消えた時の状況が分かり次第、ジャック・オルランドゥのとこに行く。
館を消したのが魔法によるものなのか何なのか、既に館はこの世にはないのかそれともどこかにまだあるのか、その辺りの相談をすることになるな。恐らくは、今後の対応策も」

デボラさんも含め、ここにいる全員が重々しい雰囲気を身に纏っていた。一体、黒幕とは何者なのだろう?

#

「『六連星』?」

エリザベートが唇に指を当てた。

「あまり声を出さないでください。近くにはそれっぽいのはいないけど、誰が聞いているかは分からないから」

「……分かった。そんなに危険なの」

「世界各国で最も腕の立つ武芸者や魔法使いによって構成される、独立治安部隊。
『サンタヴィラの惨劇』を機に作られたと聞いてるわ。第二の『魔王ケイン』を生み出さないように……ということになってる。
全員が『特級遺物』持ちという話よ。そして、貴女を襲ったデイヴィッドという男もその一人」

あの男か!!言われてみれば納得だ。背筋に冷汗が流れる。

「そんなのが、今モリブスに……」

「という話。そして、エストラーダ侯とその邸宅を消したのも、多分『六連星』の誰かね」

「……ちょっと待って。独立治安部隊って言った?」

「うん。貴女の『追憶』は、国際秩序を根本から覆しかねないと思われてるんじゃないかな。
特に『サンタヴィラの惨劇』の真実が明らかになると、とても各方面に都合が悪いみたい」

「真実??」

エリザベートは、警戒するようにきょろきょろと辺りを見た。

「私もそこはよく分からない。でも、『サンタヴィラの惨劇』が単なる魔王ケインによる暴虐の結果でないのは確かだと思う。
だから、私たちは貴女たちを支援してるの。真実を明らかにするために」

「何でトリスはそこまで真実を求めてるの?」

「……うーん、よく分かんない。お母様は分かってるのだと思うけど」

彼女は肩をすくめる。

「でも、私が貴女を何とかしたいというのも本当よ。長年の友達の力になりたいって、当たり前じゃないですか」

「……ありがとう」

新市街が見えてきた。エストラーダ侯の邸宅近くには、野次馬が群がっている。

「うーん……2、3人、あの中にそれなりの魔力の人間がいますねぇ」

「追っ手?」

「多分」

魔王とランパードさんは、私たちの後方20メドぐらいを歩いている、らしい。
私は変装しているけど、おおっぴらにここで「追憶」を発動するわけにはいきそうもなかった。

「どうするの?」

「ん、ちょっとここは私に任せて。少し外すけど、すぐに戻る」

そう言うと、エリザベートは野次馬の中に入っていった。そして言葉通り、1分もしないうちに戻ってくる。

「準備おしまい。じゃあ、今からちょっと気を失うから、警戒とかよろしくねぇ」

「え、気を失うって、ちょっと!!?」

そう言うと、彼女は私の胸の中に倒れ込んだ。魔法か何かを使ってるんだろうけど……この間に何かあったらどうするの?

2、3分ぐらいしただろうか。急にエリザベートが目をぱちくりさせた。

「エリザベート??」

「んあ……おはよ」

「おはよって……大丈夫なの?」

「うん。とりあえず、邪魔者はもういないよ」

「え?」

「へへー。ちょっとね。じゃ、エストラーダ邸に行こっか」

何をしたのだろう?随分と自信ありげだけど。
とりあえず野次馬をかき分け、先へと進む。そこで目にしたのは、信じがたい光景だった。



「……本当に、何もない」


そう、「何もない」。まるでそこが前から更地だったかのように。エストラーダ邸があった痕跡は、跡形もなくなっていた。

縄で警察が通行制限をかけている。元々家があった所で、彼らが何か色々調べているのが見えた。

「ここで『追憶』を使っちゃう?」

「……ここからだと、門があった場所の『記憶』までしか分からないわ。でも、誰がここを訪れたぐらいは分かる。その後、どうやって家が消えたかも」

「了解。じゃ、お願い」

幸い、いつ頃消えたかの情報はある。私たちに絡んできたあのオークが、デボラさんの命令でちょうどエストラーダ邸を監視していたからだ。
彼の説明によると、「一瞬目を離した隙に、光と共に消え去った」らしい。転移魔法の存在は知ってるけどそんな大規模なものは聞いたことがないし、大体転移魔法は光なんて発することはない。つまり、私が知らない何かの魔法で消したのだろう。

私は小声で詠唱を始める。5分ほどして、水晶玉に邸宅が消える10分ほど前の「記憶」が映し出された。

「……これといって変なことは……あ」

ユングヴィ教団の司教らしき人が2人、門番に話しかけているのが見えた。

「これ、声は分からないの?」

「そこはこれからの改善点。でも、訪問者が分かっただけでも随分違うかも」

2人のうち1人は太目で髪が禿げ上がった初老の男だ。もう一人は……細い目で白髪の中年男性のようだ。
禿頭の方はモリブスのユングヴィ教団によくある服だけど、白髪の方はあまり見たことがない服だ。長袖で、南国には似つかわしくないようにも思える。これは確か……

「イーリスのユングヴィ教団の服だね。イーリスの原理主義派とモリブスの世俗派は、対立してたはずだけど」

訝し気にエリザベートが呟く。

態度からして、禿頭の方が白髪の男に気を遣っているようだった。この男が、「六連星」?

そして、2人が邸宅に入ってちょうど10分ぐらいした時に、異変が起きた。


「……何これ!!?」


光の柱が、突然空から降り注いだ。それは半球状に広がり、エストラーダ邸を包み込むと……光と共に、それは消えた。



「……こんな魔法、見たことない」

「私も。……アリス教授なら、これが何か分かるのかな」

「どうだろう。とにかく、予定通りジャックさんの所に……」


エリザベートの表情が固まっている。


「どうしたの??」

「逃げなきゃ」

「え?」

「旧市街の方から、とてつもないマナの持ち主が近付いて来てる。ビクターと魔王にも知らせないと!!」

彼女が私の手を引いた。異変に気付いたのか、フード姿の魔王とランパードさんが木陰から姿を現す。

「どうしたっ!?」

「誰か来てる!!すぐにここから離れますっ!!」

「ってどうすんだよ!?」

エリザベートはポケットから黒い球を取り出すと、それを地面に投げつけた。
地面に、漆黒の空洞が姿を現す。

「すぐに『閉じちゃう』から!!早く入って!!」

エリザベートに背中を押され、私は「穴」の中に落ちていった。

#

……

…………

トスッ

「……ここは!?」

着いた先は、ワイルダ組の応接間だった。部屋を掃除中と思われる組員が、目を丸くしている。

やがてエリザベートや魔王、そしてランパードさんも天井から「落ちてきた」。エリザベート以外の2人は、何が起きたのか理解できないという様子だ。

「……どういうことだ?」

「魔術具『転移の球』を使いました。転移できる距離には制限があるし、事前に指定した場所までしか戻れないけど、転移魔法と違ってすぐに発動するの。緊急避難にはもってこいの道具」

冷汗を流しながらエリザベートが言う。ランパードさんは「おいおい……」と呆れ顔だ。

「そんなもん持ってたのかよ。そもそも、何でそんなものを?」

「アリス教授に何個か持たされたの。きっと必要になるだろうからって」

教授は私たちに起きていることをある程度知っているのだろうか。彼女に会って話してみたいけど、今はただ感謝しかない。

部屋にデボラさんが入ってきた。

「あんたたち……いつの間に??」

「ごめんなさい。多分、『六連星』と遭遇しそうになったので逃げてきました。
ここに私たちが長居するのも危険です。すぐに移動します」

深々と頭を下げるエリザベートに、デボラさんは思いもよらないことを言った。

「ジャック先生の所に行くんだろ?あたしも連れてきな」

「……え?」

「ちょいとあたしとその『六連星』とは訳ありでね。部外者というわけでもないのさ。
早くここを離れた方がいいんだろ?馬ならすぐ出す」

「いいのか?昨晩のことが知られたら、他の組員にも危害が……」

魔王の言葉に、デボラさんが苦笑する。

「まあ、知らぬ存ぜぬで通すさ。それに、あたしらの庇護者はベーレン侯だからね。
いかにそいつが偉かろうと、モリブスの今の統領であるベーレン侯相手に簡単に弓は引けないさ。
ラファエル!!馬5頭、とっとと準備しなっ!!」

「えっ?私、馬を1人で乗ったことなんて……」

「大丈夫、純粋な馬じゃなくってユニコーンとの混血種さ。人の言葉も多少は解するから、子供が乗ってもちゃんと走る」

デボラさんを先頭に本部を出る。厩の前には、もう5頭の白馬が用意されていた。

「義姉さん、お気をつけて」

「ああ。ウィテカーのこと、頼んだよ」

「無論す」

そうラファエルさんに言うと、デボラさんが馬に乗った。

「良く聞きな。目的地はジャック・オルランドゥ公の家だ。全速力で頼んだよっ!!!」

「ヒヒーン!!!」と、返事をするかのように5頭が嘶く。私が何とか鞍の上に乗ると、馬は物凄い勢いで走り出した。

#

「ジャック先生!いるかい?」

馬で走ること半刻ほど。追っ手に追われることもなく、私たちはジャックさんの家に着いた。
デボラさんの呼びかけに、気だるげな声が中から返ってくる。

「デボラか。久し振りだな。組は順調か?」

「まあね。今日はそれどころじゃないんだ。客人を連れて来……」

「分かってる。エリックとプルミエール、そしてお前は入れ。出歯亀エルフとその主人はまかりならん」

ランパードさんがはあ、と溜め息をついた。

「とことん嫌われてんなあ。何でそこまで嫌うかねえ」

「単純に入れんからだ。俺の部屋は客を呼ぶには狭すぎる」

確かに、ジャックさんの部屋はただでさえ散らかっている。魔導書ばかりで足の踏み場もない。
さらに、彼は足が不自由だ。玄関先まで出てくるのも一苦労のはずだ。
私たち3人で多分ギリギリで、5人も入る余地は確かになさそうだった。

エリザベートはというと、平然とした様子でニコニコしている。

「ま、会話には参加できませんけど様子は見れますし。ジャックさん、そのぐらいは許してくれますよね?」

「お前がエリザベートだな。……好きにしろ」

ジャックさんの言葉を聞くと、エリザベートが私の背中に手を軽く当てた。

「よしっと。これで視界は共有できたよ」

「え?」

「『憑依』の応用。実はあれ、人間相手にも使えちゃうんだよね。
余程縁が強いか、相手の魔力が自分を下回っている場合にしか使えないんだけど」

「エストラーダ侯の所で気を失ったのって、まさか」

「そ。嘘の証言者に成りすまして3人を引きはがしたってわけ。とにかく、会話の内容とかは私にもちゃんと伝わるから安心して」

これが彼女の研究内容なのだろうか。少なくとも、こんな魔法は聞いたことがなかった。

「まあ、一応外での見張り役も必要か。それは俺たちがやっておくから、お前さんたちは中でジャック・オルランドゥと話してきな」

「そゆこと。あ、これアリス教授からの手紙ね。何が書かれてるかは知らないんだけど」

エリザベートは鞄から封書を取り出した。ごく普通の手紙みたいだ。

「分かった。これを渡せばいいのね」

「うん。じゃ、よろしくねぇ」

#

「なるほど、な。……『六連星』か」

ジャックさんは煙草を灰皿に押し付けた。もう灰皿には潰れた煙草が数本転がっている。

私たちの説明を、ジャックさんは煙草を吸いながら黙って聴いていた。煙が部屋に充満し、少し息苦しい。

「やはり、知ってたんだね。それがあたしらの仇かい」

「……!!どうしてそれを」

「ガキの頃、先生とベーレン侯が話していたのをこっそり聞いちまったのさ。クドラクか六連星か、どっちかがあたしらの両親を殺したんじゃないかってね」

ジャックさんは、深く煙草の煙を吸う。そして白煙を吐き出すと、少しだけ目を閉じた。

「どちらかといえばクドラクの方が可能性が高いと思っていたがな。正直、真実は藪の中だ。
それこそ、プルミエールの『追憶』を使えば話は別だが。とにかく、状況はよく分かった」

彼は本棚からあの「遺物」の目録を取り出した。

「お前らの言う通り、エストラーダ邸を消したのは六連星の誰かが濃厚だ。転移術に近いが、俺の知識をもってしても事前準備なしにそれほどの質量を瞬時に消し去る魔法は存在しない。
恐らくは、転移術の力を増幅させる『遺物』を使ったと見るのが妥当だろう」

「小娘が言うには、エストラーダ邸に入って行ったのは2人ということだが」

「片方はモリブスのネリド大司教で間違いないな。外見からしてまず間違いない。
イーリスのユングヴィ教団服を着ていたのが、六連星と見て間違いないだろう。白髪の男でネリドが下手に出ていたことからすると……ミカエル・アヴァロン大司教か」

「……!!六連星の構成員を知っているのか?」

「いや、外見上の特徴から判断しただけだ。デイヴィッド・スティーブンソンもそうだが、六連星は恐らく貴人としての表の顔を持っている奴が大半だ。そうでないと特級遺物は持ち得ないだろうからな。
だから、六連星に弓を引くことは、世界に対して弓を引くこととほぼ同義と思うべきだろう」

ジャックさんは苛立ったように、煙草の火を灰皿に押し付ける。そして懐から、また紙巻き煙草を取り出して口にくわえた。

「そんな……じゃあどうすればいいんですか?」

「お前たちが世界に喧嘩を売る覚悟があるかどうか次第だ。まあ、エリックは当然覚悟を決めているようだがな」

「無論だ」

魔王の目はゆるぎない。私には、まだそこまでの覚悟はできていない。けど……

「どうして、その……アヴァロン大司教はエストラーダ邸を消したんでしょう」

「不都合、だったからだろうな。お前らの推測通り、クドラク事件の背後には六連星……アヴァロンがいた可能性が極めて高い。そのことが知られるのを恐れたのだろうな」

「そんなの……自分の都合で、罪のない使用人さんたちまで巻き添えにしたってことですか!!?」

「俺はミカエル・アヴァロンの人となりを詳しくは知らない。教義に厳格、魔族弾圧では先陣を切る『聖人』ということぐらいか。少なくとも、俺は酒をそいつと飲みたいとは思わない」

そう言うと、ジャックさんは目録をパラパラとめくる。そして、あるページで止まった。

「前にも言ったが、これに書かれているのは現在判明している『遺物』の情報でしかない。だからこれに書かれていない『遺物』があっても一切驚かない。
だが、イーリスにあって、なおかつ特級遺物となると……これしかないな」

彼が指差した文字は……



「冥杖グロンド 等級:特級」



第13話はここまで。第14話は多分エリック視点による修行編です。

「転移の球」はとても便利ですが、誰もが持っているわけでは当然ありません。
アリス・ローエングリンによる独自の改良が施された品です。

なお、手紙の中身は次回になります。

第13話はここまで。第14話は多分エリック視点による修行編です。

「転移の球」はとても便利ですが、誰もが持っているわけでは当然ありません。
アリス・ローエングリンによる独自の改良が施された品です。

なお、手紙の中身は次回になります。

多重投稿になってしまいました……申し訳ありません。

アイテム紹介

「転移の球」

魔術具の一種。「遺物」ではなく、あくまでアリス・ローエングリンの手によって開発された魔術具である。
事前に持ち主が「登録」しておいた場所に戻ることが可能。ただし、転移距離は5キロと限定されている。
さらに、利用者にある程度の魔術の心得があることが前提のため、誰にでも使えるわけでもない。
アリスはエリザベートに対し事前に使い方を教えていたので、スムーズな運用が可能であった。

通常の転移魔法は発動まで30秒ほどかかるが、この魔術具を使えば一瞬で目的地に通じる「穴」を形成できる。
ただ、穴が閉じるまでは10秒ほどしかない。あくまで緊急避難に特化した品である。

アリスは精霊魔法の第一人者だが、これにも大地の精霊の力を使っている。
地面に穴ができるという形態はそのため。逆に言えば、室内使用ができないというデメリットもある。
アリスは「改良すべき点が山ほどある」とこの魔術具を評している。
もし難点を全て解消すれば、革命的発明となるだろう。ただし、そのためのハードルも極めて高いのだが。





第14話





ミカエル・アヴァロン。名前だけは聞いたことがあった。父上と対立していた、イーリスの大司教。
そして、「サンタヴィラの惨劇」後、一気に魔族弾圧を展開した「聖人」。……「四勇者」と並ぶ、不倶戴天の敵だ。

俺は運命の悪戯に感謝した。こんなにも早く、奴に出会えるとは。魔族の、そしてズマの国民のためにも……奴は俺が殺さねばならない。

俺の様子に気付いたのか、ジャックが渋い顔になった。

「入れ込み過ぎだ。ちゃんと読んだのか?」

「……もう一度読む」

俺は目録に改めて目を通す。……これが「グロンド」か。

#

「冥杖グロンド」
等級:特級
場所:イーリス・ユングヴィ大聖堂
初出:初版(聖歴402年)、第3版にて補遺(聖歴445年)
概要:ユングヴィ教団に代々伝わる神宝の一つ。他にも神宝があるようだが、公になっているのはこれのみ。
大司教の継承式のみ持ち出されるものであり、持ち主に多大な魔力をもたらすとされる。
古の勇者の一人も、これを使い世界を平和に導いたとされるが、詳細は定かではない。
補遺:聖歴444年、大司教マックス・マクシミリアンが乱心。私情から、対立していた司教ジェイムズ・ハーグリーブスとその部下17人を「消失」させる事件が発生した。
イーリス王国軍が彼を拘束した際に彼がグロンドを持っていたことから能力が判明。本人ごと空間転移を行うことが可能になるというもの。
範囲は最大半径50メドにも及び、かつ発動までの時間は転移術より遥かに短い。転移先からの帰還はグロンド所持者のみが可能である。
なお、ハーグリーブス司教らは行方不明になってから1ヶ月後、ズマ魔候国の山中で魔獣に喰われて殺害されていたのが判明した。

#

「なるほどな。やはりエストラーダ邸を消したのは、このグロンドの力ということか」

「特徴とも合致するから、間違いないな。とはいえ、いかに『特級遺物』とはいえ、その力を引き出すのは本人の資質がないと意味がない。
アヴァロン大司教自体も、相応の使い手と見るべきだろう」

小娘がはっと何かに気付いた。

「……って、これって……エストラーダ侯とかは、今別の所にいるってことですよね??だとしたら、助けられるんじゃ!?」

「どうやって探す?イーリスからズマまでは300キメドは優に離れている。それぐらいの距離を転移できることからして、探す範囲は膨大になるぞ?
転移先が魔獣の棲み処なら、辿り着くことすらままならん。この目録のハーグリーブスのように、食われて死ぬのが落ちだ」

ジャックの言う通りだろう。デボラの表情も険しい。

「ってこれ……帰還できるのは一人だけかい?」

「俺も詳しくは分からないが、この目録を読む限りではそうだな」

「となると、モリブスのネリドもついでに消されたことになるね。あんな奴どうなったって構わないけど、これはこれで大変なことになるんじゃないか?」

その通りだ。改革派のミリア・マルチネスが殺されただけでなく、旧守派で無頼衆との繋がりも深かったルイ・ネリドも消えたとなれば、モリブスのユングヴィ教団は大混乱に陥るだろう。
状況はどうも俺たちだけの話では済みそうもない。とっととこの国を去りたいが、小娘の修行をジャックにつけてもらわないと始まらない。
それは多分数日では終わらないだろう。厄介なことになった。

「だろうな。ジョイス……モリブス統領、ジョイス・ベーレンがじきここに来ることになるだろう。プルミエールは一度会っておいた方がいいな」

「ベーレン候か」

会ったことは1度ある。人間としては、まあまあ信用の置ける印象ではあった。
ワイルダ組の後援者でもある。表立っての支援は望めないが、何かしらの後添えがあるかもしれない。

「これは紛うことなき政変だ。7貴族の序列2位と、ユングヴィ教団の首魁が消えたわけだからな。
クドラクの件は、むしろこの前振りでしかなかったとすら言える。で、お前の修行だが」

小娘が封書を差し出した。

「その前に、これを。アリス教授からの手紙です」

それを受け取ると、ジャックはピッと切断魔法を使い封を切る。
中身を読み出すと、愉快そうにクックックと笑い出した。

「……面白い。あの女、この状況を読んでいたな」

「え?」

「何?」

アリス・ローエングリン。小娘の師に当たることは聞いている。精霊魔法の第一人者であり、40そこそこにしてオルランドゥ魔術学院教授という異例の出世を遂げている、らしい。

ジャックは手紙をテーブルに広げた。

「大分前に、奴はオルランドゥを出ている。今あそこにいるのは、途轍もなく精巧に作られた傀儡だ」

「「は?」」

プルミエールが手紙を手に取る。俺も横からそれを覗き見た。

#

ジャック・オルランドゥ殿

御無沙汰をしています。お身体はどうでしょうか?
既に私の学生2人が、そちらにお邪魔していることかと思います。2人の指導、よろしくお願いします。

私は今、テルモンに向かっているはずです。デイヴィッド・スティーブンソンが動いたのは確認しました。
エリザベートをそちらにやりましたが、状況は切迫していると認識しています。
私もこのままでは命が危ういと重い、精霊を宿らせた傀儡に私の影武者をさせています。思考、行動の癖など全て私に忠実ですから、余程でない限り看破されないでしょう。
私の側にいたエリザベートすら、恐らく気付いていないはずです。今頃仰天しているのではないかしら。

テルモンに行くのは陽動のためです。エリック・ベナビデスとプルミエールが力を付けるだけの時間を稼ぐには、多少の無茶が必要です。詳しくは話しませんけれども。
私のことを案じられるかもしれませんが、その点の心配は無用です。私が分の悪い賭けをしないのは、よく御存知でしょう?

一服したら、会いに行きます。そう時間は掛からないでしょう。
くれぐれも、身体はご自愛下さいませ。

貴方の

アリス・ローエングリン

#

「ぴゃあ!!!」という声が外から聞こえた。さしものエリザベートも、全く予想だにしてなかったようだ。
小娘はというと、プルプル手を震わせている。信じられない、とでも言いたげな表情だ。

「教授……一体どういうことなの??」

「ジャック、ひょっとして初めから」

煙草を加えながら、ジャックがニヤリと笑う。

「その通り。あいつに情報は流してたのは俺だ。プルミエールが狙われるであろうことも、お前が彼女を『浚いに』来るであろうこともあいつは分かっていた。
黙っていて悪かったが、あいつもお前らの支援者だったってわけだ。勿論、俺がプルミエールの『追憶』を知っていたのもアリス経由だ」

「どういう経緯だ?そもそも、お前とこのアリスって女はどういう関係だ」


「元嫁だ」


「……はぁ??」

「ええっっ!!?」


俺と小娘が叫ぶ。デボラだけは「ああ」とさほど驚いた様子はない。

「確かにいたねえ。思い出したよ、あの女(ひと)かい」

「お前ら姉弟が居候していた時はまだ一緒に住んでいたからな。別れたのはそれからしばらくしてからだな」

「まあ、魔法馬鹿同士だったからねえ。別れたって話を聞いた時はさほど驚かなかったけど、付き合いはまだあったんだねぇ」

「嫌い合って別れたわけではないからな。よく連絡は取っていたし、エリックの話もしている。もちろん、こいつが何を望んでいるのかも」

流石の俺も驚いた。人間側に協力者がいたとは。

「六連星のことも把握してたようだな。陽動っていうからには、何かしらでテルモン方面に連中の注目を集めようという考えだろう」

「陽動って……危険じゃないんですか!!?」

「無茶はするが危険は冒さない、それがアリス・ローエングリンという女だ。まあ、やるからには成算があるってことだろ」

「解せないねえ」

デボラが口を挟んだ。

「何で教授様がこんな厄介ごとに首を突っ込むんだい?あんたの役に立ちたいからといっても、こいつはちと度が過ぎるよ」

ジャックは煙草を灰皿に押し付けた。

「俺もアリスも、20年前の『サンタヴィラの惨劇』には疑念を持っている。
ケインとの付き合い上、理由無しにあんなことをするはずがないと確信しているからな。旧友の汚名をそそぐというのが理由の一つだ。
そして、六連星が出張ってきて確信したが、これは間違いなく国家絡みでの陰謀だ。そうじゃなければ、プルミエールは狙われない」

ジャックはコフコフ、と軽い空咳をした。少し、話しているのが辛そうにも見える。

「……事の背景がろくでもないことは、察しが付いてる。このまま、『歴史の真実』が明らかにされないままのほうが、世界は平和なんだろうが……ゴフッ」

「ジャックさん!!大丈夫ですかっ??」

「ん……まあ、まだ大丈夫だ。とにかく、アリスが時間を作ってくれている間に、お前らを鍛えないといかん」

「時間……どれぐらいだ」

俺の問いに、ジャックが黙った。

「分からん。ただ、最低1週間、恐らくは2週間までは粘れるだろう。どの程度グロンドの転移に融通が利くかにもよるが、あれを頻繁に使えないならアヴァロンは陸路でテルモンに向かうはずだ。
ここからテルモンは往復に2週間はかかる。その間に、『追憶』の使い勝手を向上させないといかんな。無論、奴を討てるだけの力も身に付けたいところだ」

「……たかが2週間でできるのか?」

「それはお前がよく知っているだろう?」

ニィというジャックの笑みに、俺は初めてここに来た時のことを思い出して身震いした。体術にはある程度自信があったが、魔法はからきしだった俺に根本から魔法の基礎を叩き込んだのが彼だ。
その修行は思い出したくもない。あの苛烈なのを、もう一度やるのか?

クックック、とジャックが面白そうに笑う。

「冗談だよ。課題は明白だ。お前は『加速』の持続時間、プルミエールは『追憶』の効果範囲の拡大。エリザベートにもちと稽古を付けてやるかな。
課題が明白だから、そこまで時間はかからんよ。まあ苦労はしてもらうが」

「あたしにも……頼めるかい」

「……お前もか」

デボラが頷く。

「誰が父さんと母さんの仇かは分からない。ファリスの母親なのかもしれない。
だけど、もしもの時のためだ。もう一度、あたしを鍛えてはくれないかい?」

「いいだろう。じゃあまず手始めに、俺の家の掃除をしろ」

「は?」

「俺の他に4人も寝泊まりするんだ。幸い、この家は相応に広い。散らかってる本を整理すりゃ、それなりに何とかなるだろ」

#

「何だか妙なことになりましたねぇ……。あのアリス教授が偽者で、ジャックさんの元奥さんというのにも腰を抜かしましたけど」

パタパタとはたきで塵を払いながらエリザベートが言う。額には汗が滲んでいる。

「皆ここに滞在するのは仕方ないさ。あたしらを匿う意図もあるんだろう?」

デボラの言う通りだ。俺たちがジャックを頼る可能性は、少し考えれば分かりそうなものだ。それでも、アヴァロンという男がここを襲わないだろうと確信できるのには理由がある。
それは単純に、ジャックが当代一の大魔導師だからだ。彼の知名度は高くはないが、彼以上に魔術の腕が立つ男は父上以外に見たことがない。
アヴァロンがジャックのことを知らないとは思えない。とすれば、こちらに追手は迂闊には来ないはずだ。

俺は魔道書を持ち上げた。やたらと重い。横の男は背の高さを活かしてひょいひょいと片付けている。

「……さっきから思っていたが、何故お前もいる?」

「そりゃあ姫のお守りだろ。てか俺も命は惜しいんでね、一人でモリブス市街に残る選択はねえよ」

ランパードが本を片手に言う。ジャックは酷く渋い顔をしていたが、安全面から結局こいつも泊めることになってしまった。「俺が人質に取られたらまずいだろう?」とはこいつの弁だ。

「にしても、どれも面白そうな本ですね。読み耽ってしまいそう」

「そりゃあ天下のオルランドゥ家の正統後継者だからね。蔵書の質は魔術学院の大図書館に勝るとも劣らないさ。
あたしやウィテカーも、よくここに入り浸ってたものだよ」

俺は魔道書が微かなマナを帯びていることに気付いた。なるほど、ここのマナの濃さはそういうことか。
昔極端に濃い濃度のマナの下で鍛練をさせられ閉口したが、これはそれの亜種ということのようだ。掃除をしろと命じたのには、相応の理由があるということだ。


片付けは半日がかりで終わった。幸い外に異変はない。今日のところは逃げ切ったと言えそうだった。

「ふえぇ、疲れたぁ……お腹空いたぁ……って誰が作るの?」

「そう言えば……ジャックさん、足悪いし誰が身の回りのお世話してるんだろう?」

俺は辺りを見渡した。そういえば「あいつ」にまだ会ってないな。

「ここから街まではかなりありますものねぇ。食糧の調達とかも必要だし。どうなんですそこのとこ」

「あたしに話を振るのかい?あたしらが居候してた時は、普通にアリスさんが食事作ってたけどねぇ。まだジャック先生も五体満足だったし」

デボラが困惑したように言う。

「……召し使いがいる。ただ、今日は見てない」

「いるのかい?こんなに散らかってて?」

「散らかってるのが好きな奴だ。というか散らかしたのは多分そいつだ。どこに行っているのだか……」

ニャァ、と黒猫がドアから入ってきた。

「あら、猫ちゃん。……この子、どこかで見たことがありますねぇ……」

「そうね。アリス教授のとこにいた猫も黒猫……」


「それはそうだにゃ。それがボクだからにゃ」



「「「???」」」


猫が喋る。そしてクルッと宙返りすると、12、3ぐらいの少年の姿になった。半ズボンに半袖で、褐色の肌をしている。

「な゛??」

「やはりいたか、『シェイド』」

ニシシ、と笑うと奴はプルミエールに抱き付いた。

「えっ!!?」

「んー、やっぱり美人さんだにゃ。このおっぱいに埋もれ……」

スリスリとプルミエールの胸に頬擦りする奴に、ゴスッ、俺は拳骨を脳天に食らわす。「あだっ」っとシェイドは飛び退いた。

「何するにゃ!!このチビ!!」

「お前もだろう?相変わらず女癖の悪い奴だな」

「おっぱいは正義にゃ!!それに、ボクの可愛さに落ちない女の子はいないにゃ!あ、あっちにも狐耳のお姉様がいるにゃあ!」

シェイドはデボラに向けて駆け出す。それを彼女は前蹴りで吹っ飛ばした。

「あぐ……暴力反対にゃあ……」

「頭の弱いガキは嫌いだよ。というか何だいこいつは。亜人かい?」

「いや、こいつは……」

車椅子の音がする。ジャックだ。

「シェイド、飯の支度をサボって何油を売ってる?」

「あ、御主人!!ただいまにゃ、買い出しは終わってますにゃ」

「女漁りの間違いだろ?ったく、お前が仕事しないから家がいつまでたっても片付かん」

「あのぉ、この子は……」

「俺の召し使いだ。『偽猫』を基にした魔術生命体だな」

「にゃ!!シェイド・オルランドゥ21歳だにゃ!絶賛お嫁さん募集中にゃ!!」

「ガキが何言ってやがる。せめて召し使いとしての仕事を最低限できるようにしろ。飯はどうした?」

「あぐ、今から作りますにゃ……ちょっとお待ちを」

そう言うとシェイドはパタパタと厨房に向けて駆け出した。

「何だいありゃあ。そもそも21って」

「13年前に偽猫を捕まえてな。俺の身の回りの世話をするためにアリスが残した。偽猫としての年齢を足すとあんな感じだ」

「にして騒々しい奴だねぇ……」

デボラが眉を潜めている。プルミエールは呆気に取られた様子だ。

「……人に化けるんですね……」

「『人化術』だな。あれは学会にも発表されてない。ユングヴィの奴らが五月蝿いからな」

ジャッ、ジャッと鍋を振る音が聞こえる。香ばしいスパイスの薫りが漂ってきた。やっと飯にありつけそうだった。

#

「どうぞ召し上がれにゃ!!」

テーブルにはバターと鶏の「バー・レー」、そして鶏と長魚のスパイス炒めがある。俺が好きな辛口の「カシ・レー」ではないが、仕方ない。シェイドは辛いのが苦手だ。

「あっ、美味しい!!食べやすくて」

「本当ですねぇ!モリブス料理ってクセがある印象だったけど、これなら大丈夫かも」

「喜んでもらえて光栄ですにゃ。ささ、取り分けますにゃ」

シェイドはプルミエールの皿にばかり料理をよそっている。……気分が悪い。
それはどうもエリザベートも同じようだった。理由は違うが。

「えっと、私にはないんですかねぇ?」

「おっぱいない子はダメにゃ、出直して来いにゃ」

「な、なんですってぇ!!?」

パシッとジャックがシェイドをはたき、ランパードがエリザベートを押さえる。

「馬鹿者がっ。こいつらは客人だ、手を出すことはまかりならん」

「えー」

「第一、礼をちゃんと学べと言っているだろう?何年俺の召し使いをやっている?」

「だって……これは耐えられませんにゃ」

ジャックが深い溜め息をついた。

「すまんな。どうも理性は獣のままのようだ。遠慮なく突き放して構わん」

「は、はぁ」

エリザベートはまだ額に青筋を立てている。まあ、当然だが。

「何ですかこの侮辱。私は貴方より大分歳上ですよ?ランパードも何か言ってやって下さいよ」

「ま、まあまあ。貧乳は希少価値と……いでっ」

ランパードが激しく痛がった。脛でも蹴られたか。

「おふざけはこの程度にして、だ。モリブスの様子は」

「やはり緊迫してましたにゃ。ラミレス家主導で厳戒態勢が敷かれてますにゃ。
彼らがエリックたちに気付くのは、あのままだと時間の問題だったはずですにゃ。ここに逃げたのは大正解にゃ」

「他に気付いたことは」

「ユングヴィが荒れてますにゃ。後任を誰にするかで」

「当然だな」

ジャックがナプキンで口を拭く。

「明日早くに、多分ベーレンが来る。修行はその後……」


一瞬のうちに、ジャックの表情が変わった。


「……誰か来る」

「何っ!!?追手か」

「いや、それにしては人数が少ない。3人、それも……」

「一般人にかなり近いマナですねぇ」

エリザベートは怪訝そうに窓の外を見る。どういうことだ?

「一応、応対は俺がする。異変があったら出て構わん」

「……分かった」

ジャックが車椅子で玄関へと向かう。一般人が、たった3人?

「誰だろう?」

「見当も付かないね。ここは隣とは相当離れてる。理由もなしに来るとこじゃない」

窓をそっと見る。玄関に来た男たちは……


「あっ」


プルミエールが声をあげる。俺もすぐに気付いた。

3人のうちの1人に見覚えがあった。モリブスに来て、ミリア・マルチネスの死の状況を見た時に対応した、あの若い男だ。

第14話はここまで。次回はプルミエール視点です。
多少心理描写が多めになるかもしれません。

キャラ紹介

シェイド(21)

男性(雄)。身長164cm、54kg。黒髪に褐色の肌の猫耳少年。笑うと八重歯が見える。
元は魔獣「偽猫」だったのをジャックとアリスが手を加え、魔術生命体とした存在。倫理には反しているが、2人ともその点は無頓着である。
アリスが離婚の際に生活能力がないジャックのためにと残した存在だが、シェイド自身は料理以外の家事はあまり得手ではない。
こっそりと(?)魔術書を読み漁っており、片付けないので家は散らかり放題である。

街に出る時は亜人のふりをしている。女好きであり、特に巨乳で歳上の女性が好み。ナンパのためよく家を空けている。
自分の見たくれの良さを自覚しており手を付けた女性も多いが、あまりに浮気性なので長続きはしない。
また、貧乳には価値がないという信念があり、エリザベートには全く関心がなかった。

ジャックとアリスのメッセンジャーのような役割もしており、第1話ではエリックについての情報を伝えに来たところだった。
なお、この際は猫に化けている。この姿での移動速度は恐ろしく速い。
またオルランドゥ姓を名乗ってはいるが、当然養子ではない。本人はジャックの跡を継ぐつもり満々ではあるが。





第15話




ユングヴィ教団の人が来て数分後、ジャックさんが戻ってきた。

「安心しろ、追手ではない。俺に依頼だ」

「ネリドの捜索かい」

「そうだ」

「でもあんたはこの身体だ?捜索依頼なんて意味がないじゃないか」

「俺なら妙案があると思っていたようだな。ああ、お前らがここにいることは気付いてないようだったから安心しろ」

私は胸を撫で下ろした。少しはゆっくり、安心して眠れそうだ。

「で、何て返事したんだ?その妙案ってのがあるのか」

「一応、受けることにした」

「放っておけばいいじゃねえか。魔王やお嬢ちゃんにとっては、ネリドもエストラーダも敵だろうよ」

「テキ」を飲み干し、ランパードさんが言う。ジャックさんは小さく首を横に振った。

「モリブスを完全に味方に付ける必要がある。ジョイスはともかく、ユングヴィは向こう側だ。あと恐らくは、他の貴族もな。
ユングヴィに恩を売っておけば、ここからの活動が大分しやすくなる。今後の布石、というわけだな」

「にしても、さっきどこにいるか分からないとか言ってたじゃねえか。捜索なんて意味がねえだろ」

ジャックさんが私と魔王を交互に見る。

「そこで、お前たちの出番というわけだ」

「え?」

「どういうことだ」

「まずプルミエールには『追憶』を磨いてもらう。『追憶』の難点は音声再生ができないという点だ。どういう経緯でネリドとエストラーダが消されたか分かれば、アヴァロンが主犯だと確定できるはずだ。
そして、その上でアヴァロンを捕縛する。そのためにはエリック、お前の力が必要だ」

「……殺すのではなく、捕縛?」

「『死人に口なし』だろう?それに、アヴァロンを生かしておかないとエリザベートの『憑依』を使ってネリドたちの居場所を探ることもできん」

エリザベートの顔色が真っ青になった。

「ちょ、ちょっと待ってください!?そんなことできるわけが……第一、それってもろに外交問題……」

「イーリスの大司教がモリブスの大司教を害した時点でもう外交問題だろう?それを証明した上でなら、風当たりも少なかろう。
イーリス王家がどういう反応を示すかは知らんが、正義は我にありということだな。
あと、ついでにお前も鍛えるからそのつもりでいろ。条件次第で誰にでも『憑依』できるようになるはずだ」

トクトクと瓶からお酒を注ぎ、ランパードさんがニヤリと笑った。

「これを奇貨に一気に引っ掻き回すつもりだな」

「そういうことだ。まあ、ネリドやエストラーダが生きているとは思わん。ただ、主犯を捕まえれば少なくともモリブスでは堂々と動けるようにはなる。
アリスがどれぐらいの時間を作ってくれるのかは知らないが、その間にアヴァロンを捕まえるだけの力量を付けさせよう。多少の無茶はするが」

「無茶?」

「それは明日のお楽しみだ。じゃあ、飯を済ませてとっとと寝るぞ」

「ん?部屋はどうすんだ。掃除して大分広くはなったが」

ジャックさんの家は存外に広かった。使われていなかった客間が3つあるから、この人数が泊まることは問題ない。
ランパードさんが言っているのは、部屋割りのことだろう。普通に考えたら男女で分かれるのだろうけど……

「俺は御免被る。エルフと一緒というのはな」

嫌そうな顔をして魔王が言う。……また始まった。いい加減心を開けばいいのに。

「おいおい、男女が一緒ってのは……」

「……今更それ言います?」

エリザベートが頬を膨らませた。彼女も反論するのはちょっと意外だ。

「え」

「普通に私とビクター、プルミエールとエリックでよくないですか?デボラさんは余っちゃいますけど」

「あ、私はお邪魔虫なんで1人で寝るさ。そこのエロ猫が夜這いに来たら蹴り飛ばすつもりだけどね」

「に゛ゃ!!?そ、そんなことはしないにゃ?」

シェイド君が叫んだ。……あ、そのつもりだったんだ。ジャックさんがはあ、と息をつく。

「前科があるだろうが。まあ、安全のためにもその組み合わせが妥当だな。くれぐれも盛るなよ」

「……?」

「するわけがないだろう」

魔王は険しい表情だ。彼とはもう何日も一緒の部屋で寝ているけど、男性としては驚くほど紳士だというのは知っている。……会話もろくにないのだけど。

エリザベートを見ると、「何のことですかねぇ」と明後日の方を見ている。ランパードさんは「ハハ……」と苦笑していた。

「……ん?」

魔王が私の袖を引っ張った。

「寝るぞ」

「う、うん」

#

部屋は少し埃っぽいけど、掃除したお陰でそこそこ清潔にはなっていた。私は軽くお風呂で汗を流した後、寝間着に着替える。
昨晩のことがあってから身体を洗ってなかったから、随分さっぱりした。

魔王はというと、本を読み漁っているようだった。

「魔術書?」

「ああ。明日からジャックの指導が始まる。準備だけはしておかんとな。ああ、これがお前の分だ。今晩じゃなくてもいいから、少し読んでおけ」

「あ、ありがとう……これって?」

「『マナの持続的運用法』についてのジャックの論文だ。昔のことを『思い出させる』には、不可欠だからな」

魔王は物凄い勢いでパラパラと本を読んでいる。こうしてみると、やはり彼はただ者じゃないと思う。
しかし、表情には余裕がない。というか、いつもそうだ。今日は特にそうかもしれない。

「もう遅いから、明日にしたら?それに、身体もまだ洗ってないでしょ?」

「明日朝入るからいい」

……何だか、少し不安になってきた。彼は、余りに自分を追い立て過ぎている。

「ねえ、一つ聞いていい?」

「何だ」

「あなたって、趣味とかってないの?」

「……ないな。旨いものを食うのは嫌いではないが、楽しみというほどでもない」

「本当に?」

「……何が言いたい」

魔王が紙を捲る手を止めた。

「……何かに焦っている気がして。あなたが楽しそうにしているのを、見たことがないもの」

「……それのどこが悪いっ」

「……前に、全てが終わったらどうするつもりなのか訊いたことがあるわよね。そして、あなたは『分からない』って。
私には20年前にサンタヴィラで何があったか『まだ』分からない。でも、あなたがそれを知りたがっているのは知ってる。自分を含めた、全てを犠牲にしてでも」


バンッッ!!!


大きな音に、私はビクッとした。魔王が魔術書を机に叩きつけたのだ。

「お前に何が分かるっっ!!!」

「……だから、分からないの。でも、何があなたをそこまで追い込んでいるのかは知りたい。
……あなたが悪い人じゃないのは、いい加減分かってる。何度も命も救われたわ。
でも、あなたは……何か『大義』のために自分を殺してる気がする。見てて、辛くなるの」

魔王が怒りの余り震えているのが分かった。ランプの灯りに照らされた彼の顔色は、まるで御伽噺の鬼神のように真っ赤だ。
一瞬、彼が飛び掛かろうとしたように思えた。私は刹那、目をつぶって身を屈める。



……しかし、魔王は襲ってこなかった。代わりに聞こえたのは、落胆とも悲嘆とも付かない溜め息だった。


「……何故、俺やジャックがこんなことをしようとしているか、ちゃんと話したことがなかったな」

「え」

魔王は俯くと、そのまま静かに席に座り直した。その表情は、影になって見えない。

「俺たちは『サンタヴィラの惨劇』を疑っている。あれが父上の意思ではなく何者かによって引き起こされた事件ではないかと。
そして、それは……『魔王ケイン』を、ひいては魔族そのものを世界の仮想敵とするためのものだったのではないかと」

「……何のために?」

「どこの国も矛盾や不満を抱えている。その怒りを魔族に向けさせることで、世を平安に保ちたいのではないかというのが……俺たちの仮説だ。
勿論、『4勇者』も虚構だ。お前の育ての親、宰相トンプソンも含めてな」

「違うっ!!」と声に出かかったけど、私はそれを耐えた。今は、彼の話を聴く時だ。
何より、それを否定しきれない自分がいた。「六連星」デイヴィッドは、4勇者の親族なのだ。

魔王が震えている。

「……だが、同胞がその虚構の犠牲になっているのは……耐えられん。俺はズマ魔候国の正統後継者にして真の魔王だ。同胞たちを救う……責務がある」

「ズマ魔候国って、ハンプトン大魔候がいるじゃない」

「ハッ」と心底軽蔑しきった様子で魔王が吐き捨てた。

「あれは自らの富と安寧しか考えていない僭王だ。奴も討たねばならん。民のためにも」

「討たねばならない人が、そんなにいるのね」

「……そうだ。トンプソンもデイヴィッドも、ハンプトンもアヴァロンもだ。だが……俺には力が足りない。昨日、それを思い知った」



……しかし、魔王は襲ってこなかった。代わりに聞こえたのは、落胆とも悲嘆とも付かない溜め息だった。


「……何故、俺やジャックがこんなことをしようとしているか、ちゃんと話したことがなかったな」

「え」

魔王は俯くと、そのまま静かに席に座り直した。その表情は、影になって見えない。

「俺たちは『サンタヴィラの惨劇』を疑っている。あれが父上の意思ではなく何者かによって引き起こされた事件ではないかと。
そして、それは……『魔王ケイン』を、ひいては魔族そのものを世界の仮想敵とするためのものだったのではないかと」

「……何のために?」

「どこの国も矛盾や不満を抱えている。その怒りを魔族に向けさせることで、世を平安に保ちたいのではないかというのが……俺たちの仮説だ。
勿論、『4勇者』も虚構だ。お前の育ての親、宰相トンプソンも含めてな」

「違うっ!!」と声に出かかったけど、私はそれを耐えた。今は、彼の話を聴く時だ。
何より、それを否定しきれない自分がいた。「六連星」デイヴィッドは、4勇者の親族なのだ。

魔王が震えている。

「……だが、同胞がその虚構の犠牲になっているのは……耐えられん。俺はズマ魔候国の正統後継者にして真の魔王だ。同胞たちを救う……責務がある」

「ズマ魔候国って、ハンプトン大魔候がいるじゃない」

「ハッ」と心底軽蔑しきった様子で魔王が吐き捨てた。

「あれは自らの富と安寧しか考えていない僭王だ。奴も討たねばならん。民のためにも」

「討たねばならない人が、そんなにいるのね」

「……そうだ。トンプソンもデイヴィッドも、ハンプトンもアヴァロンもだ。だが……俺には力が足りない。昨日、それを思い知った」

この人は、多くのものを背負い過ぎている。見た目は子供だけど、普通の人が背負ったらすぐに潰れてしまいそうな業を背負ってしまっている。
そして、それを自分だけで抱え込もうとしている。魔族のために。


……そんなの、もつわけないじゃない。




私は立ち上がった。そして、取ったのは……自分でも思いもかけない行動だった。



ぎゅっ




気が付いた時、私は彼を抱き寄せていた。何でこんなことをしたのか、自分でもよく分からない。ただ、なぜかこうするしかないように思えた。

「むっ……なっ、何をするっ!?」

その間数秒。我に返った魔王が、力で私を押し返した。

「ご、ごめんなさい!!ど、どうしたんだろう、私……」

沈黙が流れる。それを破ったのは、彼の方だ。

「……すまん。もう一度、抱いてくれないか」

「……えっ」

「嫌ならいい。二度と、我儘は言わん」

私より小さい彼が、さらに小さく見えた。それが悲しく、愛おしく見えて……私はもう一度、彼を胸に抱いた。
気が付くと、私は彼の頭を撫でていた。……本当に私、どうしちゃったんだろう?


どのぐらいそうしていただろうか。今度は優しく、彼が私から身体を離す。


「……ありがとう。臭くはなかったか」

「えっ、その、何も感じなかったけど」

本当のことだ。というより、そんなことに気が回らなかった。

魔王がフッと笑う。

「変わった趣味だな。……今から、風呂に入る。先に、寝てていいぞ」

「え、でもあなたは」

「俺もすぐに寝るから安心しろ」

そう言う彼の顔は心なしか穏やかに見えた。タオルを持って、魔王が部屋を出ようとする。ドアを開けた時、彼は不意に私に振り向いた。

「小娘。俺のことを『エリック』と呼ぶことを許す」

「……?」

「魔王じゃ言いにくかろう。何より、俺が魔王であるのが知れたら不都合もいいところだ。まあ、もう何回か呼んでいたようだが」

「そうだけど……」

魔王が穏やかに微笑んだ。



「とにかく、明日から疲れるぞ。しっかり寝ておけ。……おやすみ、『プルミエール』」

第15回はここまで。諸事情あり遅れ&短めです。申し訳ありません。

次回は会談&修行です。アリスがどんな手を打ったかが分かります。

キャラ紹介

アリス・ローエングリン(39)

女性。身長155cm、43kgの小柄な体型。童顔であり、数年前までは20代前半と言われても通るほどだった。
さすがに40近くなり目尻に皺が見えるようにはなってきたが、それでも歳不相応には若い。なお、胸は控えめ。
穏和な人格者として通っており、天才肌の研究者としては例外的に指導者としても定評がある。

40手前でオルランドゥ魔術学院の教授となる事例はほとんどなく、精霊魔法の分野では第一人者。「追憶」の開発にも多少なりとも貢献している。
ただ、ややマッドサイエンティストな側面もあり、精霊の力を借りることで魔獣をより高次の生命体にさせたり、精巧な傀儡に自分の疑似人格を乗り移らせたりもしている。
進歩のためなら多少の倫理観は覆されてもよいと考える危うさのある女性である。
なお、実はギャンブル好きで滅法強い。もっともプルミエールら学生の前ではその顔はほとんど見せていない。

ジャック・オルランドゥは元夫。恋人というよりは研究者としての同志という意味合いが強かったらしい。
結局互いの研究を優先した結果離れて暮らす方がいいという結論に達し離婚。ただ、愛情は残っており関係も良好である。
なお、子供はいない(できなかった)。シェイドはその意味で子供に限りなく近い存在でもある。

エリックに絡む一連の計画は第1話以前から把握しており、プルミエールの情報をエリックに教えたのも彼女である。
エリザベートの行動など、彼女がそれとなく誘導している面も大きい。
背景には元夫への協力以上の動機がどうもあるようだが、詳細は不明。

なお、アリスは「崩壊した~」シリーズのアリスの子孫に当たります。
傀儡などについては彼女が遺した一部オーバーテクノロジーを活用しているようです。





第16話





目覚めると時計は6時を指していた。少し早く起きてしまったかしら。
魔王……エリックはすうすうと静かな寝息を立てている。こうして見ると、本当にただの年下の男の子にしか見えないんだけど。


「……かわいい、かも」


言ってから思わず口をふさいだ。何言ってるんだろう、私。そもそも急に彼を抱き締めたり、ちょっと行動がおかしくなってる。

「ん……」

エリックが身動ぎした。しまった、聞かれたかな……。

「あ、お、おはよう」

「ん……変な奴だな」

彼が目を擦る。良かった、気付いてない。

「ま、まだ寝てていいと思う。6時過ぎたばかりだし」

「……もうそんな時間か」

大きく伸びをすると、エリックはおもむろに着替え始めた。無駄な肉のない褐色の肌が、朝日に照らされて光る。

「え、ちょ、ちょっと?」

「……今更恥ずかしがることもないだろう。心配するな、お前が着替える時はいつも通り外に出てやる」

「そ、そうだけど……」

やっぱりどう接したらいいか困ってしまう。別に恋人になったとか、そういうわけでもないのに。


……恋人、か。


私はちゃんとした恋をしたことがない。子供の頃に出会った「あの人」に感じていたのは、恋愛感情というよりは大人への憧れだろう。
トンプソン先生……クリス・トンプソン宰相に対して持っていたのは畏れと尊敬が入り交じった感情で、これも多分恋じゃない。
異性と接することがほとんどなかったこともあって、私は22の今まで生娘のままだ。

だから、今私が抱えている気持ちが何なのかは、自分でもよく分からない。
これが恋というものなのだろうか?それとも、ただの同情?……頭が混乱する。

そもそも、エリックは私をどう思っているのだろう。昨晩、やっと私を「小娘」ではなく、名前で呼んでくれるようになったけど。
もし彼が私を「女」と見ているのなら、私はどうすればいいのだろうか。受け入れるべきなのかどうか、それすらも分からない。

……考えるのは、今はやめよう。考え出すと、頭がまとまらなくなる。

「終わったぞ」

私もローブを手に取る。

「うん。じゃあ、少しだけ待ってて」

「了解だ……と言いたいが」

エリックが窓を見た。振り向くと、黒い影が窓の縁の所に見える。……あれって。

「舐めるなっっ!!」

窓をバンと開けると、黒猫は「にゃあ」と鳴いて狭い窓枠を駆けて行った。

「シェイド君?」

「……判断がつかんな。ただ猫にしては随分こちらの様子を見ていたが」

顔を真っ赤にしながらエリックが言う。

「まさか、覗き?」

「ジャックも言っていたが、あいつは手癖が悪い。お前も気を付けろ。部屋の外で待っている」

「あなたも、覗かないでね」

「……馬鹿が」

ふん、と鼻息を鳴らすと彼は静かに出ていった。

#

「あれはお前じゃないだろうな」

朝食の席で、エリックがシェイド君に言う。彼の頬には手形がハッキリと残っていた。

「何の話にゃ?」

「とぼけるな。小娘の……プルミエールの着替えを覗こうとしてただろう?猫に化けて」

「ん?してないにゃそんなの。だって……」

デボラさんがハムを乗せたパンを齧り、盛大な溜め息をついた。

「こいつ、私の着替えを覗いてやがったんだよ。すぐに気付いて平手打ちかましてやったさ」

ギロッとデボラさんがシェイド君を睨んだ。彼は身をモジモジさせている。

「怖いにゃお姉さん……でもそれがいいにゃ」

「先生、どんな教育してんだい?覗き魔だけじゃなく被虐趣味まであるのかい」

「返す言葉もないな。女癖以外は優秀なんだが」

エリックがデボラさんを見た。

「デボラ、シェイドが来た時間は?」

「確か、6時過ぎだねえ」

ちょうど猫が通った時間だ。

「ボクを疑うなら筋違いにゃ。それに、エリックがいるのに手は出せないにゃ。こいつ怖いにゃ、容赦ないにゃ」

「……それもそうか。じゃあ、あれはただの猫……ん」

「そういえば」

エリザベートとランパードさんが、まだ起きてない。「そのうち起きるだろ」とジャックさんは言ってたけど。

「おはようございまぁす」

欠伸をしながらエリザベートがやってきた。後ろからついてきているランパードさんは、どこか疲れた様子だ。

「あれはお前か」

「ん?あれって?」

「猫だ。俺たちの部屋を覗いていた」

「……ああ、あれ」

ランパードさんが前に出た。

「すまねえな、『草』からの連絡があってな」

「『草』?」

「そうだ。アヴァロン大司教だが、明け方前にモリブスを発ったらしい」

ニヤリ、とジャックさんが笑う。

「やはりな」

「昨晩話していた、アリス・ローエングリン教授の策ってヤツか?」

「そうだ。俺も詳しくは知らない。だが、あいつの行き先がテルモンだということを考えると、薄々見当は付く。
大方、テルモンの反皇帝勢力に動きがあったんだろう。イーリスとテルモンは一応同盟国だ。ユングヴィの原理主義派も多い。
アヴァロンは、表向きは教団員の保護でテルモンに向かったと考えるべきだろう」

「まさか……ローエングリン教授が煽動でもしてんのか?」

「直接手を下すような女じゃない。ただ、『何かおかしなこと』を引き起こした可能性は高いな。例えば、反皇帝勢力の首魁、カール・シュトロートマンの演説が街中で流れたり、とか」

「んなことができるのか」

ジャックさんが私を見た。

「お前なら分かるだろう?」

「……まさか」

「そうだ。『追憶』は大地の精霊が『過去に見たもの』を水晶などに映し出す。とすれば、『今見ているもの』を何かに映し出すこともできると思わないか?」

……可能だ。というか、それなら私にもできなくはない。ただ、やる意味がないと思っていた。
もし、遠くの場所に映し出せることができたら……それは確かに有益だろう。アリス教授なら、この程度は簡単にやってのける。

「理解できたようだな」

「でも、それって……教授が反皇帝勢力と手を組んでる、ってことですよね?どうしてそんなことを」

「それは本人から聞いた方がいいだろうな。一つ言えるのは、あいつにはあいつなりの事情があるってことだ」

ジャックさんがミルクを飲んだ。事情?一体何だと言うのだろう。

デボラさんが訝しげに口を開く。

「とにかく、しばらくアヴァロンは戻ってこない。そう考えるべきってことだね?
ただ、行ったっきり戻ってこないってこともあり得るんじゃないのかい」

「プルミエールの『追憶』が仕上がって、ネリドとエストラーダの消失にアヴァロンが関わっていると分かれば、それだけでもかなり効く。
もちろんアヴァロンを捕縛できれば最上だが。エリックとプルミエールの存在は邪魔極まりないはずだから、何かしら手は打ってくるはずだ」

「それって、アヴァロン以外の誰かが来る可能性があるってことかい」

「後で来るジョイスは俺の協力者だ。ラミレス家は敵としても、連中では派手に軍隊を動かすことはできない。無頼衆を使おうにも、俺相手に喧嘩を売るほどの度胸もないだろう。
だからこそ、アヴァロンはクドラクを使おうとしたわけだ。できることなら大事にならずに、こいつらを殺したかったからな。
それができるのは、アヴァロン本人以外だとかなり限られる。アヴァロンのグロンドなら、存在そのものを消し去れるからな」

デボラさんが「なるほどねぇ」と干し肉を焼いたやつを口に運んだ。ジャックさんが私たちを見る。

「時間的な猶予はこれでできた。後はお前ら次第だ」

#

「にしても、何であの猫は私たちの部屋にいたんだろう」

お皿を洗いながらエリザベートに言う。彼女は布巾でお皿を拭きながら私を見た。

「部屋が分からなかったからじゃない?猫の目って、そんなに良くないから」

「そんなものかなあ」

それにしては、じっと見られていたような気がする。シェイド君なら、まあ分かるのだけど。

「考えすぎだよぉ。ていうか、何でこんなに疲れるんだろうね」

床を箒で掃きながら、デボラさんが辺りを見た。

「これ、昨日も思ったけど……この家自体のマナ濃度が高いね。魔術書から発せられるものだけかと思ってたけど、そこかしこにマナの発生源がある。前はこうじゃなかったけどねえ」

「なるほど、家事自体が修行の一環なわけですか」

そう、朝食を食べ終わると「シェイドだけでは片付かん」ということで私たちも家事の手伝いをさせられていた。エリックとランパードさんは薪割りをしているはずだ。
人遣いが荒いなあと思ったけど、やはりそれなりに意味があることみたいだ。

「寝室はマナが濃くなかったから、まだ良かったですけど」

「そう言えばそうだねえ。さすがにそこまで先生も鬼じゃな……」

「甘いな」

急にジャックさんが車椅子で現れた。口元には意地悪そうな笑みが浮かんでいる。

「ひあっ!!ビックリしたぁ」

「甘いとはどういうことです?」

「昨日は初日だったからな。これからこの家のマナ濃度を徐々に上げていくぞ。寝ている間も修行というわけだ。まずはマナの総量と体力を増やす。
近いことを昔エリックにもやったが、それよりも負荷は掛けさせてもらう。当然『夜の運動』なぞやっている暇も余裕もないぞ」

「『夜の運動』?」

ギクッ、とエリザベートの動きが固まった。

「まあお前らは安心だ。エリックのヘタレはよく知っているからな。そろそろジョイスが来るから、手早く終わらせておけ」

「は、はいっ」

ジャックさんが去ると、エリザベートが大きな息をついた。

「消音魔法掛けてて気付くとか……」

「何やってたのよ、あなた」

「プルミエール、気付かないのかい……そいつら、『番』だよ」

「『番』?」

「要は夫婦ってことさ。違うかい?」

「は???」

思わず大声が出た。

え?エリザベートって結婚してたの??そりゃ私より少し歳上だけど、見た目はこんな子供なのに。

エリザベートは「ははは……」と苦笑している。

「厳密には『番』予定なんですけどねぇ。まだ正式には婚約の儀を行ってないから」

「トリスの風習は知らないけど、こんな早いうちから結婚するとはねぇ。まあ、好色多淫でエルフは有名だから、若くてヤッてても驚かないけどさ」

「むう、失礼な。ロックモールやベルバザスの娼婦と一緒にしないでくれますかねぇ。私はビクター一筋で10年ですよ?」

「……え、そんなのずっと一緒に勉強してきて初耳なんだけど」

「休暇とかの際に、ね。ま、別に隠しておくことでもなかったんだけど」

さすがにちょっと驚いた。言われてみれば、2人の距離感とか納得するものがあるけど。

「……そ、そうなんだ……というか、あの黒猫、もしあなたたちが、その……してるとこに来たらどうしたんだろ」

「え」

エリザベートの表情が固まる。

「ご、ごめん。変なこと言っちゃったかな」

「いや、違くて。『草』の猫、三毛猫なんだけど」

部屋に重苦しい沈黙が流れた。……私たちの知らない誰かが、偵察に来ている?それともただの猫?

不安を抱えているうちに、呼び鈴が鳴った。

第16話はここまで。長さとしてはこのぐらいがちょうどいい気がしてきました。
次回はエリック視点です。会談と修行、そして不審な影の話です。

用語紹介

「番」

トリス森王国特有の結婚形態。トリスは一夫多妻(ないしは多夫多妻)制であり、結婚は「番」契約に基づく。
男性は女性の元に通う「通い婚」であり、女性同士の同意があれば他に妻を持つことが許される。
ただし女性も他の男性と「番」になることが可能であり、基本的にイニシアチブは女性側にある。つまり、一夫多妻制ではあるが女性優位社会である。

エルフは他国(ないしは他種族)から好色と揶揄されることが多いが、これは強ち間違いでもない。
娼婦(男娼)にトリス出身者が多いのは困窮によるものではなく、敢えて好んで選ぶ者が少なくない。
これはエルフという種族の生殖能力が低く、試行回数を増やさないと種として存続し得ないからである。「番」制度の背景にも、こうした事情がある。
なお、男性、あるいは女性同士でも「番」にはなれる。可能性は大幅に下がるが、魔法を使えば同性間の生殖も可能である。

「番」契約を結べるのは16歳からだが、一般的にこの年齢では性行為は不可能であるため適齢期は30歳以上(多くは35歳前後)である。
この観点からすると、政治的な事情があるにせよエリザベートとランパードの事例はかなりトリスにおいても珍しいと言える(しかも特定の相手のみとなると極めて珍しい)。

この辺りは現在減速運転中の「オルランドゥ大武術会」と共通しています。

多分今日投下しますが、以下の点について検討中です。

・タイトル変更。妙案ありますでしょうか……
どうにもタイトル付けるのは苦手です。

タイトルは少し考えます。ここのタイトルはそのままで、なろうだけ変える可能性が高そうではありますが。

更新開始します。





第17話





「よう、久し振りっちゃね」

陽気に大男が手を上げる。髪は禿げ上がり、顎髭を生やしている。どこぞの山賊か何かかとしか思えない出で立ちだが、この男がモリブス統領、ジョイス・ベーレンだ。

「御無沙汰しております」

「エリックも元気そうたい。にしても、随分賑やかやねえ。弟子は取らん言うてなかったか?」

ベーレン候の言葉は南ガリア訛りが強い。オーガの血が入っているとも聞く。
オーガやオークは粗暴な種族との印象が強いが、十分な知性を持ち合わせた者も決して少なくない。ただ、人の言葉が構造上発音しにくいだけなのだ。
ベーレン候は混血だからか、さすがに流暢だ。それでも独特の訛りはある。

ジャックが苦笑した。

「まあ、成り行きだな。それに、期間限定だ」

「……身体は大丈夫なんか」

「しばらくはもつだろう」

「煙草はほどほどにしとき。アリスちゃんが悲しむけん」

「あいつも承知の上さ。小姑みたいな説教をしにここに来たわけではないだろう?」

ベーレン候が頷く。

「まあ、知っての通りっちゃ。ロペス・エストラーダとルイ・ネリドが消えた。どっちも俺とは敵対してたけど、さりとて不在なのも困る。そして、それが意味することが何かも大体は分かる」

「……そうだな。話に入る前にここにいる奴らを一通り紹介しておこう。この眼鏡が、件(くだん)のプルミエール・レミュー」

プルミエールが遠慮がちに一礼した。

「で、このチビエルフが」

「チビは失礼じゃないですか??あ、私はトリス森王国の……」

「第3皇女エリザベート・マルガリータっちゃ?で、そこの背の高いのが、ビクター・ランパード卿やね」

「え、会ったことって……」

「いや、ない。申し訳ないんけど、頭ん中を少し読んだたい」

「『読んだ』?」

ベーレン候が人懐っこい笑みを浮かべた。これがあるからこの男は憎めない。

「っちゃ。ベーレン家は代々『精神感応術』が使えるんよ。要は、思考の表層を覗けるっちゃ。
アングヴィラのクリス・トンプソンのような水準じゃなかけど、色々便利なんよ。こうやって驚かしたりな」

「相変わらず人が悪いねえ」

「はは、まあ手品みたいなもんたい。不快にさせたなら謝るっちゃ」

苦笑するデボラにベーレン候が笑った。エリザベートは少しむくれている。

「……まあいいですけど」

「にしても、トリスも絡んできたのは驚いたたい。あのマルガリータ女王の考えることはよう分からん」

「それはお母様に言ってくださいます?」

「それもそうっちゃ。まあ、もう魔族だけの問題じゃなかね」

ジャックが頷く。俺も感じ始めてはいたが、これは単に魔族を差別から解放するための闘争ではない。もっと根の深い何かだ。

俺とプルミエールが「サンタヴィラの惨劇」の真実を明らかにすることにどんな意味があるかは分からない。ただ、それが北ガリアの勢力図を一変させる何かに繋がり得るのは、もはや疑いがない。
だからこそトリス王家は動いているのだろう。そして、南ガリアとの交易で主導権を確立したいモリブスもだ。

「……どういうことなんですか?」

プルミエールの言葉に、ベーレン候が「うーん」と唸った。

「俺も正直なところ全て分かってるわけじゃなかよ。
ただ『六連星』が動いたということは、北ガリアの中核国であるアングヴィラ、テルモン、イーリスにとっては不都合ってことなんは間違いなか。ロワールが何考えとるかはちと分からんけど。
言ってみればこれは、覇権を巡る争いになりかねんわけたい。違うか、エリザベート姫にランパード卿」

「俺も全貌を聞いたわけじゃねえぜ。ただ、女王は何かを感じ取ってるな」

ランパードの目がエリザベートに向く。彼女も首を縦に振った。

「お母様の『千里眼』が何を見たかは知らない。でも、それなりの根拠がなければこんなことはしないです」

「やろ?俺としては南ガリアとの交易の邪魔にならなきゃいいんよ。ただ、イーリスが土足でこちらの庭を荒らすんなら考えがあるっちゃ。
まあ、表立って喧嘩売るわけにもまだいかんけど、協力はさせてもらうつもりたい」

プルミエールが頭を下げる。

「ありがとう、ございます」

「ええって。ただ、モリブスという国としてあんたらを保護するにはイーリスの……アヴァロン大司教の関与を示す証拠がなか。
それに、あんたらも知っての通りこちらも一枚岩じゃないけん。ラミレス家やゴンザレス家は元より親テルモンや。連中の動きを抑えるには、然るべき何かが要るけん」

「それは俺も既にこいつらに伝えている。とりあえず、こいつらが力を付けるまで7貴族の残りと無頼衆を押さえてくれ。時間はそうかけさせん」

「了解っちゃ」

エリザベートが手を挙げた。

「ちょっと、いいですか?貴方自身の身の安全は」

「それは心配なか。な、ジャック」

「基本的にお前が害される心配は薄いと思ってるが、過信は禁物だぞ?相手は『六連星』だ、何をしてくるか分からん」

「それもそうたい。ま、気をつけとくっちゃ」

そういうとベーレン候は立ち上がった。そして霞のように消えていく。

「「……消えたっ!!?」」

「どうしてあの人は普通に帰らないのかねえ」

驚くプルミエールとエリザベートをよそに、デボラが肩をすくめた。俺もベーレン候とは数えるほどしか会っていないが、ほぼ毎回こうだ。

「用心深いんだよ、あいつは。あの図体でな」

「転移魔法、じゃないですよね……」

「いや。そもそも、さっきまでここにいたのはジョイスの『分身体』だ。あいつはああ見えて俺の同期でな。幻影魔法では右に出るものがいない。
精神感応術はむしろおまけみたいなものだ」

そうらしい。父上とも知己だったと聞く。涙ながらに想い出を一晩中語られたこともあった。少々暑苦しいが、嫌いな人物ではない。

エリザベートが首を傾げる。

「ということは、本人は別の所にいるわけですか」

「ああ。それは俺にも分からない。クドラク……ファリス・エストラーダが父の政敵である奴を狙わなかったのはそういうことだ。
何せどこにいるのかすらよく分からんのだからな。とにかく、これで準備が整ったというわけだ」

ニヤリとジャックが笑った。

「また、あれか」

「それが一番効率がいい。今回は濃度をさらに濃くするぞ。その上で、幾つか負荷をかけていく」

2年前のことを思い出し、いささかうんざりした。24時間、体力が削られ続けるのは俺でもさすがに厳しい。

「こむ……プルミエールやエリザベートにも、同じ内容をやらせるのか?」

「このぐらいしてもらわんとな。じゃあ、行くぞ」

#

「……ふう」

修練が一服し、俺はベッドに身体を投げ出した。プルミエールはというと、部屋に戻るなりしゃがみこんで動かない。

それも当然だろう。高いマナ濃度の下での魔力展開。それに加えて筋力と持久力を高めるための運動。
俺の場合、それに加えて庭でランパードとの地稽古までやらされている。相当な使い手であるはずのランパードすら、最後は碌に動けなくなっていた。

1時間の休憩後は夕食、そして家事だ。この家事がまた地味に堪える。

「……大丈夫、か」

「ぜ、全然、大丈夫じゃ、ない……ベッドにすら、辿り着けない……」

俺は力を振り絞り彼女に肩を貸した。フラフラになりながら彼女を寝かせる。

「……あり、がと……でも、力が、抜けてく……」

「肝心なのは体力とマナの使い方だ。無駄なく使わないと、すぐに衰弱するぞ……。
寝ている間もマナの濃度は上がっていく。身体に、効率のいい使い方を、身体に叩き込ませろ」

「そんなことを、いっても」

「……仕方がない」

俺はザックから瓶を取り出した。「霊癒丸」を1粒取り出し、歯で半分に噛み切る。……酷い苦味と刺激臭が口に拡がった。

半分は無理矢理飲み込み、もう半分を彼女の掌に渡す。

「飲め」

「え」

「飲まんともたんぞ」

プルミエールはなぜか躊躇している。顔が妙に赤い。

「……不味いのは我慢しろ」

「そ、そう……でも、これって、あの……」

「何を躊躇っている」

プルミエールは意を決したようにそれを飲み込んだ。「うえ」という呻きが漏れる。すぐに血色が良くなってきた。

「……凄い。酷い味だけど」

「元々これはジャックの薬だからな。前の時も使っていたものだ。半粒だけでも、疲労回復に十分な効果はある」

「ありがとう……でも、これって貴重なものなんでしょ?」

「これはジャックからもらったものだ。まあ、多少の補充は利くはずだ」

「そう……」

また顔が赤くなっている。俺の顔も、つられて熱くなっているような気がする。

……私情を挟まないと、俺はこの旅を始めた時に決めていたはずだ。ここまで、情に脆くなっていたのか?

俺は頭を振る。いかん、疲労のせいで考えがおかしくなっている。

窓の外を見た。空は茜色に染まり始めている。モリブスの乾いた風が、頬に当たった。

「……ん?」

バルコニーに、何かが見えた。……黒猫?それはまるで、部屋の中を覗き見ようとでもしているかのようだ。
シェイドか?いや、あいつも同じような修練を受けている。覗きをする気力なぞあるはずもない。
とすれば、今朝の黒猫か。……どこか引っかかる。

「プルミエール、ちょっと来い」

「え?」

黒猫を見るなり、彼女の顔から血の気が引いた。

「あれって……」

「やはり、今朝の猫か」

「多分……でも、気味が悪い」

やはりプルミエールも同じことを考えていたようだった。あれは不自然だ。

「エリザベートやランパードの猫か?」

「違う。今朝来たのは三毛猫って言ってた。黒猫じゃない」

「となると……別のエルフによるもの、ということか」

「……そうなるわ。エリザベートたちも認識してると思う」

嫌な予感がした。やはり、アヴァロンはこちらを監視しているのか?ジャックがいるとはいえ、ここも安全ではないのか。

「ジャックに言った方が良さそうだな」

「その必要はない」

いつの間にか、ジャックが部屋にいた。その表情は険しい。

「知っていたのか?」

「ランパードから話は聞いた」

その後ろからランパードが現れた。

「すまねえな。どうもありゃ、うちのもんらしい」

「お前が『草』の元締めじゃないのか?」

「そうだ。が、前にも言ったがトリスも一枚岩じゃねえ。女王とは別の指揮系統が存在する。
俺も表向きはそっちの命を受けてたが、どうにも裏切りに気付かれたらしいな」

「何だそれは」

「知ってるかどうか分からねえが、トリスの女王は政(まつりごと)はやるが行政には参画しねえ。この長が司祭長のジェラルド・ヴァレンチンだ。
ジェラルドは女王の『番』の一人だが、政略上のもんで夫婦関係はない。で、トリスの実権を握りたがってる。所詮は小物だが」

ジェラルド・ヴァレンチンか。名前は聞いたことがある。権力欲は強いが、臆病な男であるらしい。

「マルガリータ女王に弓を引けるような男でもないだろう?いくら他国と歩調を合わせるにせよ、そっちの方が立場が強いんじゃないのか」

「まあな。しかもエリザベートも俺と一緒にいる。それを承知で喧嘩を売るなんてことはできねえはずだ。
だからこそ気になる。何のために偵察しているのか」

「ここの守りは?」

ジャックが窓の外を見た。もう黒猫はいない。

「基本、変なのが来たらすぐに分かるはずだ。それに、俺の力量を知っていたら下手な手は打てない」

「……とすると?」

「手を出しているのはジェラルドではない可能性があるな。あるいはただの猫か。心当たりは?」

「猫に心当たりはねえな。他にちょっかいを出してきそうな奴……」

数秒考えた後、ランパードの顔色が変わった。



「あっ!!?」


「どうしたんですか??」

「いや、まさか。しかし……あり得る」

「えっ、ちょっと!!?」

プルミエールの制止も聞かず、ランパードが部屋を出ようとする。ジャックがそれを引き留めた。

「待て。もう少し説明しろ」

「まずいことになってるかもしれねえんだ、ちと1、2日外してもいいか??」

「どういう要件だっ!?」

「『草』が乗っ取られたかもしれねえ。少なくとも、侵食されてる。それができる人間を、1人だけ知ってる。そして、マルガリータ女王とも敵対し、ジェラルドに近い人間を」

「誰だそいつは??」

ランパードが自分を落ち着かせるためか、大きく息をした。





「シェリル・マルガリータ。マリア・マルガリータ女王の父親違いの妹にして……幽閉中の『ダークエルフ』だ」



今回はここまで。北九州弁もどきが出てますが、訛りを表現するためのものですのでご承知ください。

次回は短めです。六連星側の話になります。

キャラ紹介

ジョイス・ベーレン(51)

男性。身長204cm、体重105kgの偉丈夫。頭は禿げていて、強面の風貌もあり山賊か何かにしか見えない。
母親がオーガであり、声帯の構造上訛りがある。南ガリア出身者は大なり小なり訛っている。
温厚で陽気な男であるが、政治家としては理知的でリベラル。また、通商政策に力を入れており「儲かればええんよ」というのが口癖。移民政策も進めている。
半面、治安政策には甘い。この点でロペス・エストラーダとは鋭く対立していた。
もっとも人間性は互いに認めあっていたらしく、敵対者というよりは好敵手に近い関係でもあったようだ。

オルランドゥ魔術学院の卒業生でもあり、ジャックとは学生時代からの旧知の仲。
エリックの父である魔王ケイン、そしてデボラの父であるリオネル・スナイダとも親しかったようだ。
幻影魔法については達人級であり、本人の意思通り動く「分身体」を作る「分身(ダブル)」は彼にしかできない魔法である。
なお分身体は触れたりもするので、看破はほぼ不可能である。ただし、食事だけはできない。





第17.5話







……ザシュッッ!!!



血飛沫が宙に舞う。巨体が、ゆっくりと倒れていく。


極白の雪が、紅に染まる。袈裟斬りに斬られた男は、薄く嗤いながら動かなくなった。


そう。最期の顔は……確かに嗤っていた。深く、牙を見せながら。



「ざまあみろ」



そんな声が、どこからか聞こえた気がした。


もう、知性も理性もないはずなのに。まるで、呪いをかけているような、低く、歪んだ声。



いや、それは確かに呪いだ。
なぜなら……今でもこうして、奴の……魔王ケインの死を、夢に見るのだから。


#


「……ハッ」


私は正気に戻った。執務室の机に、突っ伏していたらしい。
時計を見る。幸い、意識を失っていたのは10分程度だったようだ。

ノックの音がする。

「陛下」

「入れ」

深く一礼して、その翼人は入ってきた。短く切り揃えられた金髪の男が、指を眼鏡に当てる。

「時間です」

「……そのようだな」

私は、机の釦を押した。本棚が独りでに開き、その中から巨大な「モニター」が現れる。


そして、その画面は瞬く間に6分割された。出席者は……3人か。


「まず御苦労様です、アヴァロン大司教。今どちらに」

『ロックモールですよ。色事に興味はないですが、ここしか会談ができないなら仕方がない』

「テルモンの状況は聞き及んでますか」

『ええ。カール・シュトロートマンが動いたようですね。あの暗愚なゲオルグでは、対応しきれますまい』

「貴方自ら向かう必要もないでしょう。エリック・ベナビデスと……プルミエール・レミューの捕縛を優先しないとは、貴方らしくもない」

『ユングヴィの教えを守ることの方が重要です。何より、血を見るのは苦手なのですよ。殺生は神の思し召しにも反します故』

澄ました顔で良く言う。自分が殺すか、魔獣に殺させるか程度の違いでしかない。この偽善者が、私は堪らなく嫌いだ。

「コホン」

私の後ろにいる翼人が小さく咳払いをした。気付かれたか。

「貴方のことだから、別の手段を打っているのでしょう?」

『無論。まだ、来てないようですが』

モニターの中上の青年が、小さく言った。

『シェリル・マルガリータか』

『さすが『拳神』、察しがいい』

『『分かる』だけだよ、アヴァロン大司教。むしろ、よく口説けたものだね』

『あそこにエリザベート・マルガリータとビクター・ランパードがいると伝えたら乗り気になりましてね』

フフ、とアヴァロン大司教が笑う。左下の男が舌打ちした。

『ゴチャゴチャうるせえんだよ、腐れ司教が。正面から行ってぶった斬ればいいだろうが?』

「デイヴィッド、口を慎め。不敬だぞ」

デイヴィッドが不服そうに、もう一度舌打ちをする。

『陛下、なんでこんな奴らとつるんで『六連星』なぞ作った?んなの、アングヴィラだけで……』

「しかし、『秘宝』は……遺物含めて、我らが共同で管理せねばならん。我らがこうして話しているのも、秘宝のお蔭だ。
そして、秘宝は危うい。誰も手にしてはならぬ。我ら以外は」

『だから俺を呼び戻し、サンタヴィラ跡地に向かわせた。分かってんだよ、んなのは。ただ、まだるっこしく陰険なやり方は、俺の性に合わねえんだよ。
つーか、シェリルはともかくあとの2人はどうした??』

「ナイトハルト伯は北方の蛮族の討伐だ。ゲオルグ帝が動けばいいものを。オーバーバックの居場所は……誰にも分からん」

『オーバーバック?どこかで死んでるんじゃねえか??あるいは、レナ・エストラーダみてえにいつの間にか死んだとかか?』

「死んでいたら、私が察している。口が過ぎるぞ、デイヴィッド」

翼人の言葉に、デイヴィッドが黙った。

『……すまねえ、言い過ぎた』

『とにかく、あの2人……いや、4人についてはシェリルに任せました。彼女の力は、『クドラク』以上に暗殺向きですから。
ここに出てこないことからして、既に行動を始めたようですね』

「……そのようですね」

シェリル・マルガリータか。魔族とエルフの間に産まれた、禁忌の子。その身は、長年幽閉されている。

しかし、それでもなお彼女は影響力を行使し続けている。姉のマリア・マルガリータ女王の目を巧みに盗みながら。それを可能としているのは、彼女が持つ「パランティア」の力だ。
彼女は「クドラク」同様に、「姿が見えない」。しかし、決定的に違うのは……

「陛下」

後ろから声をかけられる。つい、思考に耽っていたらしい。

「失礼をした。貴方の予定は」

『テルモンに行きユングヴィ教徒の保護を。シュトロートマン一派への対応については、ナイトハルト伯が戻り次第任せるつもりです。
その後は『魔女シェリル』の首尾次第でしょうね。まず心配は要らないと思いますが』

『アリス・ローエングリンが行方不明らしいが』

「拳神」ロイド・ロブソンが呟く。アヴァロン大司教の顔が、僅かに歪んだ。

『何ですって』

『僕の『知る』程度の話だ。オルランドゥでは騒ぎになり始めている。監禁しようとしたら傀儡だったらしい』

『……『秘宝』、ですかっ!??』

顔を紅潮させる大司教に、ロブソンが首を振った。

『そこまで僕には『分からない』。ただ、彼女とその元夫、ジャック・オルランドゥには最大限の注意を払うべきだ。いかに『魔女シェリル』であっても、討てるとは限らない』

『……それもそうですね』

大司教から余裕が消えた。私は後ろの翼人を見る。

「どうする」

「捜索隊を展開しましょう。デイヴィッド、指揮を頼めますか」

『サンタヴィラの監視と捜索はいいのか』

「さしあたりそちらを優先しましょう。オルランドゥに向かってください」

『人使いが荒いな、大将』

デイヴィッドが溜め息を付いた。この男も彼には逆らえない。

「とにかく、『魔王エリック』と『想起者プルミエール』の処理はシェリルに一任しよう。では、各々方」

モニターが一斉に消えた。私は椅子にもたれかかる。

「お疲れですか」

「やむを得ん。そろそろ家督をユリアンに譲りたいものだが」

「あのお方にはまだ荷が重いかと」

「……それもそうか」

私は苦笑した。そう、荷が重い。このような秘密は、息子に引き継がせるものではない。断じて。

私は立ち上がった。

「行かれますか」

「ああ、民の声を聞くのが、王の仕事だ」


「変わりませんね、貴方は……アルベルト陛下」


「陛下はよせ、所詮婿養子だ。クリス、デイヴィッドへの指示は任せる」

「御意」


そう言うと、翼人……宰相、クリス・トンプソンは深く頭を下げた。

短めですが今回はここまで。

次回は多分プルミエール視点です。
色々オーバーテクノロジーが出てますが、今後もこうした要素が出ます。

キャラ紹介

アルベルト・ヴィルエール(38)

男性。184cm、75kgの栗色の髪の男性。ヴィルエール王家のフィリア・ヴィルエールは妻。側室はおらず、1男1女がいる。
20年前、魔王ケインを討った勇者。その剣の腕は現在においても天下無双である。
温厚篤実な人格者であり、民の声を良く聞き吸い上げる名君。前代がやや専制気味だったこともあり、なおのこと民に慕われている。

ただし、その裏では「六連星」を組織しており、清廉潔白な人物というわけでもない。
魔王ケインの死については重大な秘密があるようだが……?
また、明らかに文明レベルを逸脱した「秘宝」を幾つか使っているもよう。その真実は、まだ闇の中である。

なお婿養子である。婿入り前の名はアルベルト・オーディナルであり、一貴族の跡取りに過ぎなかった。

上のキャラ紹介から色々察するものがあろうかと思いますが、展開はお楽しみに。

なお、今回の展開に合わせ、なろうの方の題名とあらすじを変更しています。





第18話





ランパードさんが姿を消して、2日が経った。連絡は、まだない。
さすがのエリザベートも、修練に集中できていないようだった。顔色は悪く、疲労も溜まっているみたいだ。


バサッ


「す、すみませんっ!!もう一度……」

「いや、いい。お前はもう休んでおけ」

床に落ちた魔術書を拾おうとしたエリザベートに、ジャックさんが溜め息混じりに言った。

「でもっ!!?」

「ランパードが心配なのだろう?だが、集中できないなら修練の意味はない。むしろ邪魔だ」

エリザベートが涙目で唇を噛む。こんなに悔しそうな彼女を初めて見た。

「先生、言い方キツくないかい?」

「だが、これくらいせねばならん相手だ。『魔女シェリル』については、説明されただろう?」

デボラさんが何か言おうとしてやめた。私は一昨日のことを思い出す。

#

「ダークエルフ?」

私の問いに、ランパードさんが頷いた。

「私も詳しく知らないけど、確かエルフの間で、稀に生まれてくるという」

「そうだ、『忌み子』だ。トリスに災いをもたらすとして、生まれた瞬間から国家の管理下に置かれる。
実の所、完全なる偶然で生まれてくるわけじゃねえ。魔族とエルフが『番』になった場合、小さい確率で生まれることが分かっている」

「そのどこが問題なんだい、愛し合って生まれた子だろう?」

デボラさんの言葉に、ランパードさんが首を振る。

「これがどういうわけか、強大な……途轍もなく強大な魔力を持って生まれてくるんだよ。しかも、今までの事例からして例外なく『邪悪』。
トリスは余程のことをやらかさねえと死刑はしねえ。ただ、過去のダークエルフは、大体大量殺人を犯し、そして処刑されてる。
だから、生まれたら即拘束、監禁だ。赤ん坊に罪はねえが」

エリザベートが同意した。

「シェリル叔母様も、何人も人を殺したと聞くわ。私もシェリル叔母様のことは、怖くてお母様に聞いたことがない。
でも、どうして叔母様は処刑されてないの?」

「理由は2つ。まず、単純に王族だからだ。ソフィア前女王は、恋多き女だった。そして、魔族を『番』としたことの責任を取って……というより、ダークエルフを生んだことの責任を取って自死した、らしい。
姫が生まれる前のことだし、きっと聞かされてねえと思うが」

エリザベートの顔が蒼白になる。

「……そうだったの」

「ああ。ただ、王族は処刑できない。マリア様も、負い目があるんだろうな。だから徹底した監視下に置くだけに止めている」

「ちょっと待て。じゃあなぜ殺人を犯したと分かる?ずっと監禁されてるんだろう?」

エリックの言う通りだ。ずっと動けないなら、人殺しなんてできるはずがない。


しかし、ジャックさんの口から飛び出したのは、驚くべき言葉だった。




「『憑依』、それも離れた場所にいても、接触しなくてもできる類いのものか?」


「さすが、ジャック・オルランドゥ。知ってたか」

「『魔女シェリル』の噂は聞いたことがある。15、6年ぐらい前に自らを『シェリル』と名乗る女が、『歓楽都市ベルバザス』に出現したと。
そして暗黒街を牛耳り、エルフの娼婦たちを瞬く間に支配下に置いた、らしいな」

いつも余裕の笑みを浮かべているランパードさんが、とても険しい顔になった。

「そうだ。そして俺が派遣された。厳密には、俺とその部下3人だ。
しかし……犠牲を払った。重い、重い犠牲を……」

「部下は全員」

「殺されたさ。希少品のはずの銃を、それも見たことがないものを、奴は持っていた。……多分、あれは遺物だ。
それでも俺は、何とか『シェリル』と名乗る女を討ったさ。だが、そいつはエルフじゃなく、人間だった。
そして、3ヶ月後に再び……今度はロワールのニャルラで『シェリル』が現れたんだよ。『自分はトリス王家のシェリル・マルガリータだ』と名乗る、『亜人の女』が、な」

ジャックさんが煙草に火を付けた。

「『魔女シェリル』はどこにでも現れる。そして、世界のあらゆる歓楽街を支配する。
伝説じみた存在だが、確かにエルフの『憑依』を使っていれば説明は付くな。
そして、さっき言っていたもう一つの理由は……本当にシェリル・マルガリータが関与しているかという証拠がない、ということだな?」

「そういうことだ。そして、どうやって『憑依』しているのかも分からねえ。監視も異口同音に『彼女はそこにいた』と言いやがる。
マリア様の『千里眼』ですら、シェリルが動いたという証拠は押さえられてねえんだ。
ただ、マリア様に対して弓を引こうとしているのは確かだ。ジェラルドとも利害は一致する。いや、待てよ……」

ランパードさんが叫んだ。

「まさかっ、シェリルは『六連星』かっ!!?」

「あり得ることだ。歓楽街を支配していたなら、それなりの連中とも付き合いがあるだろうな。アヴァロンとどういう接点があるのかはよく分からんが」

「そうか、道理で……いよいよ俺が行かねえとまずいな」


ランパードさんが玄関へと向かう。「待って!!」とエリザベートが彼の袖を掴んだ。

「私も行きますっ!」

「ダメだ。姫を危険には遭わせられねえ。何より、あいつの手口は2度戦った俺が、よく知ってる。対処法を知らないとまず終わりだ」

「でもっ!!?」

ランパードさんが唇を噛む。エリザベートを抱き寄せようとしたけど、逆に突き放した。


「言うことを聞けっ!!……あんたまで喪うことは、俺には耐えられねえんだよ」


「ビクタァ……」

「大丈夫、必ず戻る。心配するな」

ジャックさんが眉をしかめた。

「そんな約束ができるのか?そもそも、何のために行く」

「『草』の誰かがシェリルに乗っ取られてるはずだ。まずはそこから手を付ける。
シェリルの厄介な所は、まるで疫病のように自分が支配できる範囲を拡げていくってことだ。だから、誰が『中枢』かを把握する。
ただ、俺だけで倒せる相手でもねえ。中枢が誰か分かった時点でこっちに戻る。緊急回避の手段は、ちゃんと持ってるからそこは安心していいぜ」

「緊急回避……?あっ」

ランパードさんはエリザベートに黒い球を1つ見せた。

「いつの間に!!?」

「そ、『転移の球』だ。無茶はしねえから、安心しな」

くしゃくしゃと頭を撫でられ、エリザベートが涙目になる。

「本当に……ちゃんと帰ってきてくださいね?」

「ああ、約束だ」

ランパードさんが走り去っていく。その間、エリックだけは……終始無言だった。

#

しかし、それから全く音沙汰がない。「『中枢』が分かったらシェリルを叩く」ということで、それに備えて修練をしているわけだけど……
シェリルって人が「六連星」としたら、それはあのデイヴィッドと同格ということだ。そこまでの相手に、付け焼き刃でどこまで迫れるのだろう?

エリザベートが、床に落ちた魔術書を拾った。

「……やります」

「次気を抜いたら、分かってるな?」

「はいっ」

私も合わせて、マナを自分の周りに展開する。身体が酷く重い。
地味だけど、基礎が一番辛いのは本当に確かなことだった。発展的演習は、もう少し先らしい。


その時だ。


チリリン


呼び鈴が鳴った。誰だろう?
玄関に行くと、そこにいたのは……


「すまんっちゃ。ジャック、おるか」


ベーレン候?表情は真剣……というより、無表情だ。

「ジャックさん、ベーレン候が」

「……何?」


車椅子に乗って彼が顔を出した、その瞬間だ。


「プルミエールっっ!!!そいつから離れろっっ!!!」


「え」


ベーレン候はおもむろに懐に手を入れる。そして、そこから出されたのは……銃だった。




……刹那。



「加速(アクセラレーション)5ッッ!!!」


バァンッッッ!!!


ザンッッ


銀色の煌めきが、目の前を走る。ベーレン候の右手首が銃と共に宙に舞った。
次の刹那。「ドスンッッッ」と鈍い音と共に、ベーレン候の巨体が崩れ落ちる。当て身を当てて気絶させたのだと、すぐに分かった。


「デボラっ!!!すぐに処置をっ!!!」



「わ、分かった!!!」


向こうからデボラさんとシェイド君が駆けてくる。シェイド君が激しく流れる血を押さえながら、治癒魔法をかけ始めた。

「出血が激しいにゃ!!」

「待ちなっ!手首はあたしが繋げる、あんたは回復魔法をかけ続けな!!」

「繋げる??できるのかにゃそんなの??」

「つべこべ言わずにやるんだよ!!」

「わ、分かったにゃ!!……睡眠魔法も平行にゃ??」

シェイド君にジャックさんが頷く。

「多分、精神はシェリルの支配下だ。しばらく眠らせるしかないな」

「え」

「ジョイスが『分身体』で来ないなんてあり得ないからな。生身で来たのが分かった瞬間、尋常ではないと判断した」

コフコフと、ジャックさんは軽く咳をするとエリックを見た。彼は短剣の血を拭い鞘に収めたところだ。

「助かった。調子はどうだ?」

「まあ、軽くはなったな」

平然とエリックが言う。

「あ、ありがとう……また、助けられちゃった……」

「当然のことをしたまでだ。それより」

エリックの視線がエリザベートへと向く。彼女は呆然と立ち尽くすばかりだ。

「あ……ああ……」

「ランパードだと思った、か」

「……帰ってくるんじゃ、なかったの?」

「焦りすぎだ。ただ……」

ジャックさんも渋い顔になった。

「あまり、いい状況ではないな。俺はランパードの力量や性格を詳しくは知らない。ただ、ここに戻ってこられる状況にないのは確かだ」

「……まさか……」

震えるエリザベートを私は抱き締めた。……そんなことは、想像したくもない。

ジャックさんは首を振った。

「殺された可能性は否定できないな。ただ、ここにジョイスが来たということから考えて、その可能性は薄い」

「どうして分かるんですか?」

「シェリルの手口として、『憑依』かそれに類した洗脳を使ってると俺は見た。そして、誰が一番俺たちに警戒されないかと問われたら、それはジョイスではなくランパードだ。
ジョイスが来た瞬間に察知できていたから難を逃れたが、ランパードだったら俺も油断しただろうな。
つまり、ランパードの利用価値は高い。シェリルがそれをしなかったということは、勢い余って殺してしまったか重傷かという可能性もあるが……」

ジャックさんが煙草に火を着けた。

「まだ潜んでいるのが一番ありそうだな。それも、簡単に逃げられない状況で」

「……『転移の球』を持ってるのに?」

「あれは俺も知っているが、屋内じゃ使えん。つまり、外に出ること自体が容易ではないということになるな」

「助けに行かなきゃ」

涙を拭って、エリザベートが外に出ようとする。私は彼女の袖を掴んだ。

「ちょっと待って!?どこにいるのか分からないのよ!?」

「でも行かなきゃ!!これ以上待ってても……取り返しが付かなくなってからじゃ遅いのよ!!?」

「落ち着け」

溜め息混じりにジャックさんが言う。

「ジョイスから話をまず聞こう。シェリルの状況が分かるかもしれん」

「え?さっきは眠らせるしかないって……」

「そうだ。眠っている間、デボラにちと働いてもらう」

「……あたし、かい?」

「そうだ。『時間遡行(アップストリーム)』の効果を忘れたか?」

「……あ、ああっ!!?そういうことかいっ!」

ニヤリと彼が笑う。

「そう、脳に掛ければ、洗脳は解けるはずだ。多少時間と体力は使うがな」

#

「……ん」

「気付いたか」

「……ちょっと待て。なんで拘束されとると??」

ベーレン侯の意識が戻った。ジャックさんがデボラさんの方を見る。

「どれぐらい戻した?」

「半日。今朝ぐらいの記憶にはなってるはずだね」

「いいだろう。ジョイス、お前、この銃に見覚えは」

エリックが手首ごと吹き飛ばしたものだ。簡素な造りで、特注品というほどでもないらしい。

「ないっちゃ。俺ならもう少しマシなのを使うたい」

「……だろうな。お前なら『魔導銃』の方を使うはずだ」

「『魔導銃』?」

私の問いに、デボラさんが魔術紋が入った銃を見せた。

「これだね」

「どうしてあんたもそれ持っとるん?」

「あたしが独立するときにアリスさんからね。あんたも持ってたんだね」

「アリスがオルランドゥに赴任する時に餞別代りにもらったと。それより、もうええやろ?何でこんなことになっとるか、説明してくれっちゃ」


一通りジャックさんが今日のことを話すと、ベーレン侯が眉を顰めた。

「……洗脳されてたんか」

「ああ。心当たりは」

「……今日はラミレス家のエマニュエルと会う予定だったっちゃ。もちろん、ラミレス家がアヴァロンとの繋がりがあることは承知の上だったから、俺本人が会うつもりは全くなかったんやけど」

「エマニュエル・ラミレスが『シェリル』?」

私の言葉に、ベーレン侯が考える素振りをした。

「どうやろな。『憑依』についてはよく分からんけど、普通に考えたら相手は同じ女性のはずたい。男に憑りついたら違和感がすごいはずやし」

「だろうな。ラミレス家に近い誰かか?いや……普段地下室に籠っているはずのお前に接触するなら」

「……嫁か!!」

ベーレン侯の顔に朱が差した。

「彼女がシェリルの『中枢』とは考えにくいが……誰かが彼女を洗脳し、そこからお前にと考えるべきだな。とすれば、昨日今日の彼女の行動が分かればいい」

「んなのどうすれば……」

ジャックさんがニヤッと笑い、私を見た。


「修練の成果を見せる時だな、プルミエール・レミュー」


18話はここまで。寝落ちしていました……

次回は多少?推理ものに近いテイストです。

武器紹介

魔導銃

使用者のマナに応じた魔力弾を放つ銃。一種の魔法発動装置であり、銃とはその見かけが似ている程度である。
弾の速度や威力は使用者の力量に比例するため、ジャックが使えば特級遺物並みの破壊力になる。
遺物のようにも見えるが、アリスが秘密裏に開発した兵器である。アリスがなぜこのような兵器を作れるのかは現状では不明。

なお、銃はこの世界では希少であり、ジョイスが持っていた簡素なものでも相当に高価である。
また、銃の遺物も存在する。ランパードが最初に遭遇した「シェリルの憑依体」はこの持ち主であった。
魔導銃は当然流通していないが、少なくとも3丁は現存する。そのうち1つはデボラに、もう一つはジョイスに渡っている。





第19-1話





その日のモリブスは、小雨が降っていた。雨除けの外套が、俺たちの顔をすっぽりと隠している。
外套から滴る雨がうざったいが、姿を見られてはいけない俺たちにとっては僥倖かもしれない。

「どこに行くの?やっぱり、ベーレン侯の私邸?」

「それが一番手っ取り早いな。まず、誰がベーレン侯の妻を『操ったのか』を探る必要がある。ただ……」

「既に全員操られてるかもしれない……そういうことね」

俺はプルミエールに頷く。シェリルの力は全くの未知だ。ただ一つ言えるのは……

「シェリルの『憑依』は、私やビクターのと違う。同時に、複数に、しかも本人を介さず広げられる……まるで病原菌か何かみたい」

「『憑依』の発動条件って?」

「私の場合、しばらく対象に触る必要があるの。大体、10秒ぐらい。『憑依』の間、本人は意識を失うけど。でも、シェリルも同じなのかは分からない」

エリザベートがポツリと言う。まだ、ランパードのことが気掛かりらしい。

「その通りだ。だから、探らねばならないのはまずは『手段」。そして『加害者』。
そいつがシェリルと特に繋がりの深い『中枢』であればいいが、多分そうじゃないだろうな」

ランパードは2日前、俺たちにこう言い残していた。「シェリルは自分の石を完璧に反映させる『中枢』を介して影響力を広げる」と。
ただ、どうやって影響力を広げていたかは遂に奴も分からなかったようだ。だからこそ、奴は「中枢」を見つけるのにこだわっていた。
「『中枢』を殺せば、『憑依』の効果が全て消える」からだ。

恐らく、奴はその特定に手間取っている。あるいは、特定できたが脱出が難しい状況に陥っている。
奴が死のうが生きていようが俺にはさほど関心がない。ただ、プルミエールは悲しむだろう。そして、エリザベートも。

だから、俺たちが代わりにやらねばならない。鍵になるのは、ジャックの言っていた通り……プルミエールだ。

#

「……私にかかってる?」

プルミエールが、意外そうに言った。ジャックは首を縦に振る。

「そうだ。お前の『追憶』。この数日の修練で、少しは進化したはずだ。
土の精霊の力を借りて土地の記憶を呼び起こし、水晶玉に反映させるのがこの魔法の骨子だ。
そして、マナの運用幅が修練で広がったことで……呼び起せる対象も広がっているだろう」

「というと?」

「土の精霊を人に一時的に宿らせる。そして、本人が『見た』ものを反映させることもできるはずだ。
今の『追憶』は、その場所で起きた出来事しか再生できない。
対象を土地ではなく人にすることで、運用の幅が広がるというわけだ」

「……でも、それって……本人の同意が必要では」

「必ずしも必要じゃない。極論、死んで『物体』となっていても運用は可能だ。むしろ、そっちの方が分かりやすい」

プルミエールの顔色が変わった。こういうことに対する耐性は、彼女にはない。恐らく、一生付きそうもないだろう。

「……誰かを殺せ、とでも??」

「意識を失っている状態であればいい。要は、物体に近い状態であればいいんだからな。同意があれば当然可能だが」

「なら、ベーレン侯に使えばいいじゃないか。同意は当然得られるだろう?」

デボラの言葉に少し考えた後、ジャックが否定した。

「いや、ジョイスの肉体は朝方の状況に戻っている。つまり、この肉体は『乗っ取られた』時のことを『覚えていない』。だから、真相を探りたいならば……」

「俺の嫁、ってことたい」

「そうなるな。だが、良いのか?」

「ちょっとやそっとじゃ死なんちゃ。遠慮せずやっていいたい」

「となると……」

ジャックが俺を見た。

「荒事になりそうだな」

「あ、くれぐれも殺しだけはやめてくれんか。極力、誰も傷つかんようにしたいんよ」

「分かってるさ、ベーレン侯」

#

そして俺たちはモリブスの市街地に来た。2回の「時間遡行」で疲弊しているデボラと、万一の時の守りに必要なシェイドは残している。
強行突破という手はなくはない。ただ、犠牲が出る可能性も決して低くはない。俺一人ならそれでもいいが……プルミエールとエリザベートがいる以上、あまり無茶もできなそうだ。

「……誘き出すしかないか」

「誘き出すって、ベーレン侯の奥さんを?」

「そうだ。ただ、『憑依』の条件が分からない以上、できるだけ慎重にやる必要がある」

どうにも手段が思いつかない。搦め手は苦手だ。

エリザベートが何かに気付いた。視線の先にいるのは……猫?

「あの子、使えないかな」

「え?」

「どこまで『憑依』の効力があるのかは分からない。でも、ふと思ったんだ。『何でベーレン侯は銃を使ったのか』って」

「何でって……」

プルミエールは首を傾げている。確かに、言われてみれば妙だ。

「ベーレン侯って、幻影魔法の達人なんでしょ?あんな直接攻撃しなくても、もっと上手いやり方だってあるはず。
あなたもそれっぽいことできるじゃない。『幻影の霧』、だっけ?」

「あれは幻影魔法というより、精霊魔法と精神感応の合成に近いけど……でも、確かにもっと簡単に私たちを襲えたはず」

「そう。つまり、『憑依』している間はその人の能力は使えない。恐らく、『中枢』はすごく単純な指令しか『衛星』に出せないんじゃないかな。逆に言えば、私の能力とかに気付くことはない」

「……!!そうか、だからあの猫を使って……」

エリザベートが頷いた。

「もちろん、普通にやってたらまず誘き寄せるなんてできないわ。でも……」

エリザベートが計画を話し始めた。これは一種の賭けだ。しかし、成功すれば……誰も傷付けず、彼女を生け捕ることができる。

「できるのか?」

「最初のとこさえ上手く行けば、多分。問題は使っている間、私の意識が失われるということだけど……多分、効力範囲は広がってるとは思う」

「なるほど、そういうことか。とすると、自動的に配置は決まるな」

「うん。私とプルミエールはワイルダ組に行く。あなたは、これを持ってここで待ってて」

エリザベートが黒い球を俺に手渡す。

「了解だ」

#

彼女たちが去って半刻。弱っていた件の野良猫が、ベーレン侯の私邸に入っていくのが見えた。
回復魔法でもかけてもらったのだろうか、多少は元気そうになっている。猫の首輪には筒のようなものがある。あれが肝だ。

中には、手紙が入っている。脅迫状だ。


「ベーレン侯は預かった。夫人独りで迎えに来られたし」


これに釣られるのかどうか。書かれていることは確かに事実ではあるが。

ベーレン候とラスカ夫人との関係は良いと聞いている。普段ならば……あるいは「憑依」の範囲が限定的ならば、出てくるはずだ。
しかし、もし罠と気付かれたら……別の方法を考えねばならない。その場合、警戒心が高まった相手に仕掛けることになる。成功の公算は、さらに薄くなるだろう。

俺は雨の中、身動きせずにただ待った。南国でも、雨の冷たさは体力を奪う。あまり長くはいられない。


……中年の婦人が門から出てきた。あれか。


俺は「加速」を使おうとマナを溜めた。修練のおかげで、「5倍速」を使える回数は増えている。大丈夫だ、賭けには勝っ……




ゾクン



悪寒が急に走った。何だ?


チラリと後方を見る。刹那。



ドゴオオッッッ!!!





俺の右に、巨大な質量が振り下ろされた!!?右手は……ある。何とか交せた、か??


「チッ」


後方に跳ぶ。振り向くと、ラスカ夫人は馬を寄越すよう指示しているようだった。目の前にいるのは……女??



「……はじめまして。エリック・ベナビデス」



顔は外套で見えない。だが、俺の名を知っていることからして、ただ者ではないのは明白だった。
そして、右手には……女が一人で扱うことなどできなそうな、巨大な斧。



こいつが「シェリル」なのかは分からない。ただ、確実に言えるのは……こいつとやりあっていては、ラスカ夫人を取り逃がすだろうということだ。


俺は覚悟を決めた。


「加速(アクセラレーション)5!!!」


反転し、一気にラスカ夫人に迫る。速度で振り切る!!


「重力波(グラビディ)」


ズンッッッ


「ぐおっっ!!?」


身体が急に、鉛を仕込んだ服を着たかのように重くなった。気を抜くと、地べたに這いつくばりそうになる。何をされたっ!?


「行かせるわけにはいかないのです。『魔王』エリック」


何者だ!?今の魔法は……そして、こいつの素性は??



ラスカ夫人がこちらに気付いた。彼女は既に馬上の人だ。このままでは取り逃がす!!


俺は瞬時に考えた。この危地を脱するには、「アレ」を使うしかない。
しかし大丈夫か?周囲への被害は?そして、俺の身体は?


選択肢は、どうもなさそうだった。何より、この魔法の効果下では、「5倍速」ですら十全に動けそうもない。


ならばっ!!!






「加速(アクセラレーション)20、『閃』!!!!」





風景が一瞬のうちに切り替わる。身体はクソ重いままだが、それでも普段の「5倍速」ぐらいの速度では動けているようだった。

馬を蹴り飛ばし、鞍の上にいる夫人を小脇に抱える。懐から「転移の球」を取り出し、地面へと投げ付けた。


もう一度後方を見る。女は、斧の刃を大地に当てた。


「震えなさい、『エオンウェ』」


やはりあれは遺物かっ!!!身体が、さらに重くなる。
馬とそれを牽いてきた従者は、既に何か巨大なものに踏み潰されたかのように肉塊へと姿を変えていた。
俺も……もちろん夫人も、このままでは同じ目に遭うっ!!


地面に、黒い穴ができた。俺は半ば倒れるように、その中へと身を投じる。




女が、外套を上げた。見えたのは……妖艶に歪む、褐色の笑みだ。



第19-1話はここまで。推理小説テイストのはずが、少し予定が変わりました。

19話は多分3~4回です。次回はプルミエール視点にあるでしょう。

技・魔法紹介

「閃」

現在のエリック最大の切り札。
簡単に言えば「20倍速」による体当たりだが、移動速度が音速を大きく超えるため、その破壊力は尋常なものではない。
また、「音速剣」同様衝撃波も発生する。エリックの質量による上乗せもあり、「音速剣」よりさらにその影響は広範に及ぶ。
半面、肉体にかかる負担は尋常ではない。エリックが使うのを躊躇っていたのはこのため。
さらに、その衝撃波の破壊力も大きく、一種の無差別攻撃手段でもある。一般人が巻き込まれれば死は免れない。
これもエリックが「最後の手段」としていた理由だった。

ただ今回は、女の「重力波」の影響で移動速度が大きく減じられていたため、威力は遥かに減じられている。衝撃波も発生していない。
このことを見越した「閃」の使用であったとも言える。
なお、女の重力波はランパードのそれよりも威力は大きい。「加速」を使わないならエリックも肉塊になるのは必至であった。
(ラスカ夫人が無事なのは、エリックが触れているためである。これにより彼女も「加速」の効果を受けている)





第19-2話






天井に黒い穴が空いた。次の瞬間。


ズドオオオオンンンッッッ!!!!!


2つの塊が、猛烈な勢いで「落ちてきた」!?
ベッドが粉々に壊れる。そこにいたのは……


「グハッッッ!!!」


「エリック!!?」


慌てて駆け寄ると、エリックが気を失っている中年女性を抱きかかえていた。
激しく「落ちた」せいか、彼があちこちから血を流しているのが分かった。

「……俺は、後回しだ。まずは女を……」

「後回しって……何があったの??」

「……待ち伏せ、されていた。それも、途轍もない凄腕だ……シェリル本人、かも……ゲフゲフゲフッ!!」

エリックが血を吐く。……大変だっ!!

「エリザベート、治癒魔法使える??」

「少しは!でも、これじゃ……」

「丸薬の残りがあるから、それも使うわ!!先にエリックを治す、いいわね?」

「……馬鹿が……」

憎まれ口を叩く彼の口を拭い、例の丸薬を取り出す。残りはもう1粒しかない。
でも、これを使わないといけないのは間違いなかった。そうしないと、死にはしなくても……治るまでには、相当かかる。

「飲み込める?」

「……分か、らん……」

目が虚ろになっている。これは想像以上に良くない。早く飲ませなきゃ……!



私は咄嗟に丸薬を唇に咥える。そしてそれを彼の口に合わせ、舌で押し込んだ。


「むぐっっ!!!?」


「んっ……んんっっ!!」


舌から、熱い鉄のような味がした。彼は最初拒んでいたけど、舌で丸薬を受け取り……ゴクンと飲み込んだ。


唇を離す。口は、彼が吐いた血で濡れていた。汚れるのも気にせず、それを拭う。


「プルミエール……」

「エリザベート、出血とかは?」

「う、うん。……大分、止まってきた。骨がどうなってるかは分からないけど」

女性……多分ラスカ夫人だ……には目立った外傷はない。ここから落ちた時の衝撃は、全部エリックが肩代わりしたのだろう。

バタバタと、ラファエルさんたちが部屋に入ってきた。

「どうしたっ!?」

「至急寝床を2つ確保して下さい!!」

「分かったっ」

エリックが私を見た。

「……俺より、ラスカを……詳しくは、あとで、話す」

「うん」

彼が意識を失ったのが分かった。あの「霊癒丸」の効き目は、自分でもよく分かってる。3刻ぐらい寝れば、きっと体力は戻るだろう。

「エリザベート、エリックは任せたから、私はこっちをやる」

「う、うん」

ラスカ夫人を寝かせると、私はすぐに詠唱を始めた。土地の代わりに人を媒体とする……言われてみれば、確かに原理は同じだ。
巻き戻す時間は……とりあえずは今朝。そこから、3時間ぐらいまでを3倍速で見る。これでいいはずだ。

水晶玉に光景が浮かび上がった。ラスカ夫人の視点であるらしい。彼女もオーガとの混血なのだろうか、随分視点が高いことに気付いた。
修練の成果か、かなり疲れは少ない。思っていたよりは楽な気がする。


しばらくは、何事もなく過ぎた。家事を人任せにしない人らしく、使用人に混じって洗濯などをしているようだった。
異変は、水晶玉の時間で「1時間」ほど経って起きた。客人があったようだ。

『ラミレス家からの使者、ですか』

水晶玉から、声が響く。声はまだ小さくて、聞き取るのがやっとだけど……これも、あの修練の成果かかな。

『はい。……様の……ご要望で。ジョイス様に……お会い……と』

声は途切れ途切れだ。それでも、言ってることの大枠は分かった。「中枢」は、ラミレス家にいる。

『お断りします。主人は職務で多忙です故』

『ジョニィ様の……聞けないと?』

『本日の予定は、全て一杯なんです。恐縮ですが、緊急というならジョニィ・ラミレス様ご自身でいらっしゃられるのが筋では?』

使者は黙ると、おもむろに近付く。


『な、何ですか。……きゃあっっ!!?』


視界が一気に反転する。押し倒された、と分かったのはすぐだった。



若い男の顔が目の前に近付き……すぐ離れた。


『……よろしいですね?』

『……分かりました』


……何が起こったのだろう?しかし、今「憑依」されたのは、間違いない。


「キス……」

「え」

エリックに治癒魔法をかけながら、エリザベートが呟いた。

「キスよ。多分、一瞬でも触れたら発動するんだ。ベーレン候があっさり『乗っ取られた』理由が分かった」

その通りだった。ラスカ夫人はすぐに地下室に行き、ベーレン候にキスをした。ベーレン候は用心深いらしいけど、夫人からのこうした求めは普段通りだったのだろう。だからあっさりかかったんだ。
そこからは予想通りだ。ベーレン候は乗っ取られ、一直線にジャックさんの家に向かう。ラスカ夫人はその間、キスで邸宅を全てシェリルの支配下に置いてしまった。

確かに恐るべき力だ。でも……

「キスに気を付ければいいって程度なら、多分……」

「うん、そこまで脅威じゃない。でも……」

薬で眠るエリックを見た。そう、その程度なら彼は普通に何とかするはずだ。
でも、あの様子は……明らかに、追い詰められてた。しかも、あんな重傷を負うほどに。

エリックの「加速」は、かなり使い勝手のいい魔法だ。どういう原理かは分からないけど、速く動けるだけでなく細かい動作もできるようだった。
攻撃に使えば打撃力を高め、守備に使えば大体の攻撃は避けられる。そう言えば、ランパードさんが稽古で「ちっとも当たる気がしねえから『加速』はやめてくれねえか」と愚痴ってたっけ。

だから、相手が余程の相手じゃない限りは、こんなことになるはずがない。それこそ「クドラク」……ファリスさんぐらいでなければ。


……ファリスさんぐらいでなければ??



そう言えばさっきエリックは……襲ったのは「シェリル本人かも」って言っていた。まさか、そんなことが??



「ねえっ、ランパードさんはシェリルってずっと幽閉されているって言ってたわよね!!?」

「そのはず。お母様の『千里眼』の目を盗んで、行動なんてできないはずだから……。だから、さっきのエリックの言葉はあり得ないの、絶対に」

エリザベートの顔が真っ青になっている。その表情は、エリックを襲ったのがシェリルではあり得ないことを示していた。
でも、エリックを追い詰めるなんて、そう簡単にできることじゃない。付き合いがそんなに長くはない私にだって、そのぐらいは分かる。


……だったら、自分の目で確認すればいい。私には、できる。


今、エリックは眠っている。「追想」を使うにはお誂え向きだ。

#

ラファエルさんが別室のベッドに彼を寝かすと、私はすぐに詠唱を始めた。「戻す」時間は短いのでさほど苦でもない。水晶玉に、彼の見ていた景色が浮かび上がる。

……外套の女が、そこにいた。胸の大きさで、それが女だと分かった。
異常に大きな斧を持っている。あんなものを軽々使えている時点で、明らかに常人じゃない。

『震……さい、『エオンウェ』』

女が言うと、急に視界がブレた。あれは、多分「遺物」だ。それも、相当に強力な。

「『エオンウェ』?エリザベート、知ってる?……エリザベート??」

エリザベートから、感情が抜け落ちていた。見てはならない何かを見たかのように。

「ねえっ、どうしたのよ??」

「……これ」

一瞬だけ、女の顔が見えた。歪んだ笑いの、女の顔が。
はっきりと見えなかったので、一度「巻き戻す」。そこにいたのは……褐色の肌のエルフ。


「……ダークエルフ???」


エリザベートが頷いた。

「ダークエルフが、外をうろつけるはずがない。でも、でもお母様が見逃すはずなんてっ!!」

「落ち着いて!!シェリルと決まった訳じゃないでしょ??」

「でも……これは間違いないの。そう……間違いなくこれは……」

ダークエルフ。そして、それは……シェリルしかいない。
「六連星」が自ら、エリックを始末しに出向いてきた。状況は……物凄く悪い。

そして、ランパードさんが動けない理由も分かった。下手に動こうものなら、殺されるからだ。
なら、今彼はどこにいる?考えろ。考えるんだ、私!


ニャア


窓の外で黒猫が鳴いた。血の気がさらに引いていく。



しまった!!もう、私たちがいる場所も見つかってしまった!?


そう思った瞬間、黒猫は窓の隙間から入ってくるとクルッと一回転して……男の子の姿になった。肩の力が抜けていく。

「シェイド君!!?」

「良かったにゃ、不安だったからご主人に少し様子見てこいって言われたけど、上手く行ったみたいにゃ」

「そんなことより!!シェリルがここに来てるみたいなの!!エリックは深手を負ってるし……」

「……シェリル?」

私は水晶玉をシェイド君に見せた。彼は怪訝そうに首を捻る。

「これ……多分ダークエルフじゃないにゃ」

「え?」

「うっすらと身体の周りにマナが見えるにゃ。多分、僅かだけど幻影魔法で認識をずらしてるにゃ。
肌の色を変えてる可能性が高いにゃ。シェリルとは別の個体にゃ」

「でも、この強さは……」

「トリスのことは知らんにゃ。貧乳、そんな使い手トリスおるにゃ?」

エリザベートが力なく首を振った。悪口を言われたのに全然反応しないなんて、彼女らしくもない。

「……にゃあ。しかし、こいつが遺物持ちなのはただ事じゃないにゃ。多分、『中枢』じゃないと思うけどにゃ」

「どうして分かるの?」

「そりゃモリブスにある遺物なんてボクでも分かってるにゃ。で、『エオンウェ』なんて知らないにゃ。つまり、こいつは余所者にゃっ」

口調のせいで軽く聞こえてるけど、早口で捲し立てるシェイド君の言葉からははっきりとした焦りが感じられた。混乱してるんだ、彼も。

「『中枢』はあくまでモリブスの人ってこと?」

「そうじゃなきゃベーレン候の喉元まで食い込めないにゃ。で、こいつはその協力者、あるいは上司」

「ジョニィ・ラミレス……は男性よね」

「にゃ。でも、ジョニィは大の色狂いにゃ。よくモリブスの花街に来てるらしいにゃ。夫婦関係は確か冷めきってたはずにゃから……」

エリザベートが急に頭を上げた。

「そうか!花街に『中枢』が……!!」

「それだ!でも『憑依』された人が多すぎて脱出できなくなってる……」

「娼婦にとってキスは当たり前だから、急速に『憑依』の範囲は広がるわ。で、ラミレス家を支配し、ベーレン候まで……」

「始末が悪いにゃ。エリックは……」

ベッドに寝かされている彼を見て、シェイド君が顔をしかめた。

「さっきのにやられたにゃ?」

「うん……動けるようになるまでもう少しかかると思う」

「分かったにゃ。とりあえず、『エオンウェ』が何か調べてくるにゃ。ボクが戻るまで何とか耐えろにゃ!!」

#

「……そうか」

それから2刻。一通り説明を聞いたエリックが小さく言った。

目覚めてから少したったけど、顔色はまあまあ良さそうだ。ラスカ夫人はまだ眠らされている。シェイド君はまだ戻ってこない。

「うん。あれはシェリルじゃないみたい。でも……」

「間違いなく、強者だ。不意を突かれてなくても……自信はない、な」

エリックが唇を噛む。こんな悔しそうな彼も珍しい。エリザベートが、彼を見た。

「でも、どうであれ……花街に行かないと始まらないよ。行かなきゃ、ビクターを助けに」


その時、外が急に騒がしくなった。


「カチコミだぁっっ!!!」



窓の外を見る。そこには、数十人の人とエルフが押し掛けていた!!!


第19話はここまで。次回は大体戦闘シーンです。

「シェリル」ですが、実は既に存在だけは作中に出ています。種明かしの一部は次回。

失礼しました。第19-2話です。

魔法紹介

「憑依(ポゼッション)」

対象に自己の意識を乗り移らせ乗っ取る魔法。エルフの中でも限られた者しか使うことができない。
また、乗っ取っている最中は本人の意識は消えている。つまり、本体が無防備なため安全を確保した上でないと使えない。
通常は小動物を対象にすることが多く、主に偵察や諜報のために使われる。

エリザベートの憑依はかなり強力なもので、一定の条件で人間相手にも使用できる。
また、視覚や聴覚などの感覚を一時的に「共有」することまで可能。ただ、これには相手の同意が必要である。
また、使用には対象に10秒ほど触れ続けねばならない。多くの場合、動物相手には「魅了(チャーム)」を併用することになる。
強力ではあるが制限が多く、必ずしも万能ではない。

シェリルの「憑依」は対象が無制限である一方、支配範囲が限定的などエリザベートのそれとは全く別の魔法のようである。
その真相は現在不明。ただ、「中枢」と呼ばれる存在を介して憑依対象が広がる特性があるようだ。それは伝染病に近い性質があると言えよう。





第19-3話






「逃げろっっっ!!!」


俺は飛び起きると、プルミエールの手を掴んだ。

「えっ」

「裏口だっっ!!!ラファエルっ、家具かなにかで入口を封鎖だっっ!!」

「なっ……!!?」

「つべこべ言わずにとっととやれっっ!!『乗っ取られて』も知らんぞっっ」

階段を駆け降りると、既に玄関付近は混沌の最中にあった。マイカというオーガが力任せに殺到する人々を薙ぎ倒しているが、このままではもって数分か。

「極力殺すな!口の辺りだけはしっかり覆え、口付けされると乗っ取られるっ!!」

「わ゛、わがっだ」

奴が長身で大分助かった。しかし、いかに相手が丸腰の一般人でも、このまま行けばワイルダ組も乗っ取られるだろう。

裏口を開けると、もう数人そこにいた。当て身ですぐに昏倒させたが、あっという間に次が来る。想像以上に統率が取れていてキリがないっ!!

プルミエールとエリザベートは、明らかに足が遅い。肉体能力だけなら、この2人はそこいらの小娘並みかそれ以下だ。
2人を抱えて「2倍速」で逃げるしかない。問題は、それができるかだ。

その時、俺の前にラファエルがやってきた。

「エリックの旦那、俺も行くっすよ」

「ワイルダ組はどうするんだっ??」

「さっきの話、大体聞こえてましたから。頭を倒せば元に戻るっしょ?
それに、病み上がりだけどウィテカーもいるっす。何とか持ちこたえられると信じます。とにかく、旦那たちを花街に連れていくのが第一っす。その後は、俺がワイルダ組を守るので」

そう言うと、ラファエルはエリザベートを背に乗せた。

「そこの娘さんは、旦那が」

「分かったっっ!!!」

「え、ちょ、ちょっと!?」

プルミエールを背負うと、彼女がすっとんきょうな声を上げた。豊かな胸が背中に当たるが、それを気にしていられる状況じゃないっ!

「加速(アクセラレーション)2!!」

一気に駆け出す!コボルトのラファエルも、平気で付いてくる。脚の速さなら、亜人でも随一なのがコボルトだ。
襲い掛かろうとする連中は、軽く跳ね飛ばす。立ち塞がる連中を蹴りつけていると、花街の妖しい香辛料の香りが強くなってきた。

「俺はここまでっす!!あとは頼みましたぜ旦那ぁ!!」

「助かったっ!!ワイルダ組を頼むっ!!」

花街の入口でエリザベートを下ろすと、ラファエルは風のように消えていった。
モリブスの花街は、ベルバザスやロックモールほどの規模ではない。しかし、売春は無頼衆にとっていい「しのぎ」だ。勢い、娼館の数は他国に比べ多い。


この中から……「中枢」とランパードを見付け出せと??


「エリザベートっっ!!!」

「分かってる!!!」

エリザベートが精神を集中し始めた。エリザベートの感知魔法はかなりの精度と聞いている。ランパードを見付け出したら、一旦ジャックの所に退いて仕切り直すしか……


「おおおおおおおお」


「きききき……きき……」


「何これっっ!!?」


奇声をあげながら、娼館からワラワラと娼婦たちが出てきた。動きはトロいが……多いっ!!!目視できるだけで20、いや30人はいる!!!
手を前に出しているが……これではまるで屍人(グール)だ。いや、あるいは本当にそうなのか??

「エリザベート、まだかっ!!?」

「黙ってて、集中できないっっ!!!」

個人は問題じゃないが、集団で四方を囲まれるのは……最悪だ。被害を承知で本気を出すか??

逡巡していると、プルミエールが急に詠唱を始めた。


「『幻影の霧(ミラージュ・ミスト)』!!!」


俺たちの周囲を、白い霧が包む。そうか、これならっ!!
娼婦たちが次々と霧に入っては動きを止める。根本的な解決にはならないが、しかし十分だ!


「時間は稼いだわ!!エリザベート、どうなの!!?」

「……!!!10時の方角に……1、2……!!?」

彼女が青ざめる。何に気付いた??

「……どうしたの?」

「嘘……そんなっっ…………!!!」

霧がゆっくりと晴れていく。霧の効果で倒れている娼婦たちの向こうにいたのは……3つの人影。

1人は見たことがない顔だ。若い小柄なエルフの女……あれが「中枢」か?
そして、その奥にいるのは……外套で隠れてはいるが、多分さっきの女か。もう一人は、背の高さと体つきからして、男か?


……まさか。


「ビクターッッッ!!!!」




エリザベートの悲痛な叫びにも、男は反応しない。前に出ているエルフの女が、クスリと笑った。


「お初にお目にかかりますわ、エリザベート第三皇女」


「ふざけないでっっ!!ビクターを、返しなさいっっ!!!」

「返せ、と言われても、ねえ。ね、シェリルお姉様」

女が外套の女にしなだれかかった。女が外套から顔を出す。長い金髪に褐色の肌。エルフだから外見年齢はあてにならないが、存外に若い。

「さすがエリック・ベナビデス。よくここが分かりましたね」

「……まあな、『シェリルもどき』」

「シェリル」の顔から表情が消えた。

「……『もどき』?」

「幻影魔法で肌の色を弄っているな。貴様も『中枢』か」


「くく。クククク……ハハハハハッッッッ!!!」


心底愉快そうに「シェリル」が嗤う。


「何がおかしい」

「面白い冗談ですね、エリック・ベナビデス。ですが、それに答えることはありません」

「シェリル」が斧を構えようとする。

「加速(アクセラレーション)5っっ!!!」

一気に間合いが詰まる。これを交わせるかっ!!!



ギィンッッ!!!!


「なっ!!?」


高い金属音が響く。「シェリル」の隣にいた男が、剣で受けたのだ。


馬鹿なっっ!?


男はすかさず鍔迫り合いから喉笛を狙った一撃を繰り出す。俺は咄嗟に後方へと跳ねた。


あれは、本当にランパードなのか?奴は確かに手練れだ。しかし、その本領はむしろ魔法との組み合わせにある。
近接戦闘では「加速」を使わない俺にすら手を焼く程度だ。「5倍速」の俺の攻撃なぞ、受けられるわけがない。……そのはずだ。

そもそも、ランパードはなぜ今姿を現した?「憑依」されていたとして、なぜ「シェリル」は使わなかった?


クスクスとシェリルの隣の女が嗤う。


「ふふふ、さすがの魔王も混乱してますわ、ねえ、お姉様」

「そうですね。でも、種明かしはしてあげません」

穏和な笑顔と共に、「シェリル」が斧を地面に立てた。まずいっっ!!!



「震えなさい、『エオ……』」


「させないっっ!!!『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』!!!」


プルミエールが何かを「シェリル」に向け飛ばした。それをシェリルは斧で受ける。


「……無駄な足掻きを……!!?」


一気に3人の周りに霧が拡がった。あれは、まさか!!?

「プルミエール!!!」

「エリック、ここは逃げた方がいいわ!!多分、何とかな……」


「ならないわ」


霧が一瞬のうちにかき消された。……そんな、馬鹿な。


「シェリル」がクスクスと笑う。

「驚きました。幻影魔法を込めた魔術矢を放ち、『何かしらに当たったら』幻影を見させる霧を発生させるわけですね。
さすがクリスが育てた天才。私がこれを使わなかったら危なかった」

彼女が首飾りを見せた。

「『パランティアの欠片』。おあいにくさまですね、魔法攻撃はこれで吸収できるのです」

「あ……ああっっ……」

プルミエールが崩れ落ちるのが見えた。エリザベートはまだランパードが「乗っ取られた」衝撃から立ち直れていない。戦況は……絶望的だ。


……残された手段は、3つ。まず、「音速剣」を使う。当たればまず勝てるが、当たらなければ俺のマナは枯渇する。それに、ランパードも恐らくは死ぬだろう。「閃」を使うのも同様の理由でダメだ。

とすると、残された手段は……ここからの逃走。
戦力の差が、あまりに大きすぎる。被害拡大を覚悟で、一か八かジャックの家に戻るしかない。

……しかし、それが可能なのか?


「何余所見してるんです!!?」


女が鞭で攻撃してきた。迅いっっ!!!


「ぐっ!!!」


何とか避けたが体勢が崩れた。そこに、再びランパードが尋常ならぬ速度で襲い掛かる。その一撃を、俺は辛うじて交わした。

「逃げ回っていては『ソーン・ウィップ』の餌食ですよ!!」

ビシッ、とエルフ女の鞭が地面を叩く。避けた先で倒れていた娼婦の首が飛んだ。
こいつも手練れかっ!?反動を承知で「2倍速」を使い続けているが、とてもじゃないが2人を同時に相手しきれない!

そして……再び「シェリル」が微笑みながら斧を地面に当てる。血が一気に引いた。


「では、皆さんお別れですね」


ちょっと待て、全員まとめて殺すつもりか??……狂っている。





刹那、視界の端に小さな人影が見えた。それも……2つ。何か、見たこともない二輪の乗り物に乗っている。





「間に合ったにゃっ!!!」


一人はシェイドだ。その前にいる、小柄な人影は……


そいつはおもむろに、外套のフードを外した。黒髪の……こいつも女か?


そして、すかさず懐から銃を抜いた。


「そこまでよ、『テイタニア』」


「「教授っ!!!?」」


プルミエールとエリザベートが、同時に叫んだ。……教授?

「シェリル」の笑みが、消えた。



「アリス・ローエングリン…………!!!!」



こいつが、アリス・ローエングリン?テルモンに向かっていたと聞いていたが……なぜここに。


「シェリル」が、無表情で彼女を見つめる。アリスの銃口は、ぶれない。

「『エオンウェ』を戻しなさい。発動したら、撃つ」

「……どちらが早いですかね?」

「どうかしらね。ただ、これでこちらが『有利になった』」

「有利?数は圧倒的にこちらですよ?」


そう嘲笑う「シェリル」の背後から、ふらりと1人の娼婦がやってきた。その手には……雨で濡れて鈍く光る、短刀。




「かかったな」



ドスッッッ!!!



その刃は、「シェリル」の脇腹を貫いた。


第19-3話はここまで。

アリスたちが乗っているのは、バイクのような何かと理解していただければ幸いです。
この世界には、アルベルトの「モニター」のような文明レベルを逸脱した「秘宝」が複数存在しています。これもその一つです。

武器・防具紹介

「ソーン・ウィップ」

2級遺物。モリブスの娼館協会に伝わるものである。能力はマナを打撃力へと変換するというもので、力の弱い娼婦でもならず者を撃退できるという意味で格好の武器。
今回は「シェリル」からの魔力供給を受けた上でなので、かなり常軌を逸した強さになっている。

キャラ紹介

ラファエル・ワイルダ(26)

デボラの義弟。兄のマルケスとは10歳ほど離れていた。
体育会系でハキハキした性格。明るく素直な舎弟気質である。歳上から可愛がられるタイプ。
身長187cm、82kgと大柄。エリックとはそう歳が離れてはいないが、実兄の仇を討ってくれたこともあり懐いている。
脚は速く、荒事にもなかなか強い。

なお、ソーン・ウィップの元ネタは薔薇棘◯◯ですが、某漫画を想起させてしまうため敢えて英語表記にしています。





第19-4話







その時、時間が止まった。



今目の前で起きていることが、理解できない。いきなり「シェリル」の後方から現れた娼婦が、彼女を刺した。何が起きたの?


「ぐ……ぐおぉぉっっ!!!」


「シェリル」は肘打ちで娼婦を引き剥がした。娼婦はそのまま数メド先に吹っ飛ぶ。

ポタポタと赤い血が雨で濡れた地面へと垂れていく。致命傷かは分からないけど、これが深手なのは私にも分かった。

「あ……貴女はっっ!!?」

かすれた「シェリル」の声に応じるように、ゆらり、と娼婦が立ち上がる。口から流れる血を拭うと、ニヤリと笑った。


「この時を待っていたぜ……『シェリル』。お前が来たお蔭で計画の変更を、余儀なくされたがな……」


その口調は、まさかっ……!!?


「ビクターッッ!!?」




「おいおい、ネタバレはやめてくれよ……もう少し混乱させたままでいさせてほしかったが」


ランパードさん!!?じゃあ、今立っているのは……?


「……まさか、貴方っ!!?」

「そう、『憑依』だよ。条件付きで発動する、特殊な術式を使った。多少後ろめたかったが、まあそれはいい」

短剣を「ランパード」さんが構える。ギリッ、と「シェリル」の隣にいたエルフの女性が歯噛みしたのが分かった。

「『人形繰り(マリオネット)』が、甘かった??」

「いやあ完璧だったさ、リリス。伊達にお前さんにモリブスの任務を預けてたわけじゃねえよ。しかも『シェリル』の力まで上乗せされてたからな……事前の対策なしじゃ詰んでた。
正直、『六連星』の一角がいたのは大誤算だったぜ……心配かけたな、姫」

「ううんっっ!!」

泣きながら彼女が首を振る。「シェリル」はというと、傷口に手を当ててはいるけど、まだ立っている。回復魔法、それも、相当強力なやつをかけているようだった。

彼女が「ランパードさんの身体」を見た。

「……まさか、この身体は」

「ああ、ただの『脱け殻』だ。お前さんに会って、咄嗟に『罠にかかったふり』をしたというわけだ。
……しかし、幽閉されているはずの『シェリル・マルガリータ』の正体が、あんただとは思わなかったぜ……」


空気が、重く、冷えていくのが私にも分かった。「シェリル」からの殺気が強まったのだ。


それに構わず、「ランパード」さんが言う。





「そうだろ?『魔女テイタニア』。いや『三聖女』が一人『テイタニア・ランドルス』」






「「え」」


「何っ!!」


エリックも叫ぶ。「三聖女」って……「サンタヴィラの惨劇」の、生き証人じゃないっっ!!?


「……その名は捨てましたわ」


「だろうな。一つ言えるのは、お前はテイタニアであってシェリルでもある。シェリルの意思はあるんだろうが、お前自身の自我も感じる」


「それに、答える、義理は……ないっっ!!!」


ブォン、と斧が振り下ろされた。「ランパード」さんはそれを辛うじて交わす。

「……っぶねえ。この身体じゃ厳しいな……。お前が手負いで助かったぜ」

「……マリアの走狗がッッ!!皆殺しに……」


「エオンウェ」が地面に突き立てられた瞬間……「シェリル」が、身を大きく捩った。


バォンッッッ!!!!


銃声と同時に、遥か向こうで何かが壊れる音がした。娼館の壁が、粉々になっている。

私やエリザベートはもちろん、エリック、そして「リリス」と呼ばれたエルフも身動きが取れなかった。
突然の出来事に対する驚きだけじゃない。教授と「シェリル」の圧力が、凄すぎるからだ。

教授が静かに告げる。

「……さすが、よく避けたわね。でも、次は当てる」

「シェリル」が険しい表情で辺りを見渡した。

「……これ以上、ここにいるのは危険なようですね。リリス、あとは頼みましたよ。『増援』、そろそろでしょう?」

「ええ、お姉様。彼らは私が必ず」

「私は退きます」

短く答えると、「シェリル」は教授を睨んだ。昏く、憎悪のこもった漆黒の瞳で。


「……アリス、貴女は私が必ず……この手で殺す」


そう言うと、彼女が何かを取り出した。すぐに、その前に空間の歪みができる。


「……逃がすかっ!!」


一気にエリックが間合いを詰める!しかし、その一閃が届く直前に……「シェリル」は姿を消した。


教授が忌々しそうに、彼女が消えた虚空を見つめる。

「取り逃がした、わね。……その台詞、そっくり返すわ『裏切り者』」

「『裏切り者』??」

「説明はここを切り抜けてから。そろそろ、来るわ」

花街の入り口から、10人ほどやってくるのが見えた。あれは……!!?

「ラファエルさんにウィテカーさんっっ!!?」

やった!という安堵は、次の教授の一言ですぐに消えた。


「あれが『増援』ね」


リリスと呼ばれた女が、ニィと口の端を上げる。

「そう。私の『お人形』。ランパードの身体も、まだ操れますよ。お姉様ほど上手くはないけど」

「人の身体だからといって無茶しやがって……っっ!!?」

ビシイィィ、と「ランパード」さんの前に鞭が振り下ろされる。

「貴方にしてはあっさりやられたと思ったんです。やはり貴方は、警戒すべきだった」

「今までの経験上、シェリルの『中枢』は『人形繰り(マリオネット)』を使ってくると知ってるからな。……まさに『禁術』だぜ。
だが、種が割れてりゃ、対応できる魔法でもある……っと」

立て続けのリリスの攻撃を、「ランパード」さんは辛うじて避けていく。

「『シェリル』……いや、テイタニアの力で『中枢』になっても、戦闘能力自体が高まったわけじゃねえな。動きが甘めえ」

「いつもいつも偉そうにっっっ!!!」

ビユッッという風切り音がここまで聞こえた。それと同時に、ランパードさんの身体の方も「彼」に向けて突進していく!


キィン


「お前の相手は、俺だ」

刃はエリックの短剣で受けられた。すかさず蹴りを放つけど、それは空を切る。

「おいおい、加減してくれよ?殺すと俺まで逝く」

「知らんな。にしても」

彼らの周りを、7人ぐらいの娼婦たちが取り囲む。どうするの?

「プルミエールッッ!」

教授が叫ぶ。そうだ、こっちにも人が来てるんだった!!

一斉に、ワイルダ組の人たちが襲い掛かってくる!
特にラファエルさんは速いっ!最優先で止めないと……!!


「ぐおおおおっっっ!!!」


まるで剣のような爪が、目の前に迫る!


「『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』!!」

彼の顔に矢が直撃する。「うおおおおっ」という叫びと共に、ラファエルさんは踞った。
でも、その背後からは……デボラさんの弟が!?


ボゴォッ


誰かが彼を吹き飛ばす。……え。


「シェイド君!!?」

「何ぼーっとしてるにゃ??まだまだ来るにゃ!!」

そう言うと、シェイド君はオーガの大男を右拳の一撃で昏倒させた。魔法で膂力を大幅に高めてると、私は直感した。

「う、うんっ」

魔力はかなり使っちゃってるけど、何とかしなきゃ。私は出力を抑えた「矢」を次々と放っていく。

それにしても……強い。向こうで大勢を相手に立ち回っているエリックやランパードさんはもちろんだけど、シェイド君もこんなに強かったんだ。

そして、何より……

「『石の弾(ストーン・バレット)』」

教授の周囲で浮いていた幾つもの石礫が、まるで弾丸のように放たれた。それらは的確に、ワイルダ組の人たちや娼婦の脚に当たっていく。
致命傷じゃない。でも、動きを大きく制限するには、十分な打撃だ。この人たちに罪はないから、足止めに特化してるんだ。

ただの、優しくて優秀な指導教官だとばかり思っていた。しかしこれは……


間違いない。アリス・ローエングリンは、とても戦い慣れている。


「何者なんだろう……?」

エリザベートが呟いた。そう、彼女がただの学者じゃないのは、もう間違いない。でも、今はこの危地を抜け出すのが先だ。

鍵を握るのは……やはり。

エリックをチラリと見た。息は荒く、酷く疲弊している。
極力操られてる人たちを傷付けないように戦ってるみたいだけど、あれは相当疲れるんだ……!
何より「ランパードさんの身体」……娼婦たちだけならなんとでもできただろうけど、それの攻撃は相当に激しい。

もちろん、それはランパードさんも同じだ。こっちはもう少しで片付きそうだけど、彼らがもたないかもしれない!


「さすがに……もう限界の、ようですね」


勝ち誇ったようにリリスが言う。「ランパードさんの身体」も、止めを刺さんと突きの体勢になった。……まずいっ!!!


その時、ずっと身を屈めていたエリザベートが私に囁いた。

「ごめん、貴女の身体を貸して」

「え」

「いいから貸して!!」


向こうではリリスが鞭を振り上げた。もう考えている、余裕なんてない!!


「分かったっっ」


次の瞬間、私は意識を失った。


第19-4話はここまで。

次回で一応19話は終わりです。多分かなり短めのエリザベート視点になります。

魔法紹介

「石の弾」

大地精霊魔法。石の弾を作って放つ基礎的な魔法だが、使い手が達人なら極めて強力な魔法にもなる。
アリスは10数個の弾を高速で放つことで、複数対象の足止めを行った。
加減しているため殺傷能力は抑えられているが、その気になれば本物の弾丸同様に貫通することも可能。
もちろん、石の弾を巨大な岩と化して放つこともやろうと思えばできる。

「膂力(エンパワード)」

肉体強化魔法。一時的に剛力を身に付けることができる。
魔法としては初歩だが、こちらも使い手によっては強力なものに化ける。シェイドの得意魔法の一つでもある。
なお、体術は我流+エリックの指導によるもの。エリックにはさすがに劣るが、それでも魔法なしのランパードよりは強い。





第19-5話




私の視界が切り替わった。本体は無防備になるけど、今更そんなことは言っていられない。
プルミエールの魔力は枯渇しかけている。これでは、十分な魔法なんて撃てはしない。だけど、私が「憑依」すれば……!!

今日はずっと守ってもらってばかりだった。ビクターを助けるためにここに来たはいいけど、ほとんど何の役にも立ってない。
それがずっと悔しくて、情けなかった。だから、これは……私の「わがまま」でもある。

そして、これから……私がこの魔法を研究対象として選んだことが、正しかったと証明するんだ。


私は、1ヶ月前のことを思い出していた。


#

「実用性、ですか?」

紅茶を飲みながら、アリス教授が頷いた。

「そう。確かに既存の『憑依』を改良させるのは面白いわ。ただ、人間相手の『憑依』は人道的な問題もある。『面白い』以上の実用性が必要ね」

「実用性……既存の魔法を高次のものへと発展させるだけじゃダメなんですかね?」

「それじゃ教授連の審査は通らないわ。『改良することでどのような社会的貢献につながるのか』を突き詰めないと」

私はうーんと唸ってしまった。そうか、それだけじゃ不足なのか。

「諜報活動がしやすくなる、では?」

「確かに政府……特にトリスにとっては有益でしょうね。でも、魔法は権力者のためにあるんじゃないの。普通の民衆にとって役立つものでないと」

「そうですか……むむむ」

アリス教授がティーカップを置いて微笑んだ。

「まあ、私ならこうするという答えはあるけど。あと少し考えれば、答えは見えるはずよ?」

「えー、教えてくださいよぉ」

「ダメ。それは自分で考えなさいな」

クスクス笑いながら、教授はお茶うけのクッキーを摘まんだ。もう少し、かぁ……何だろう?

#

あれからずっと考えてたけど、答えは出なかった。でも、今なら分かる。あの「シェリル」が見せてくれた。
エリックのあの鋭い剣撃を、ビクターの脱け殻は受けていた。普段の稽古ではかなり押されてたのに。
本気のエリックの攻撃を受け止められたのは何故?


……そう、「憑依」と共に魔力を送り込んで、肉体能力を高めてたからだ。あのリリスという女も、それに近いことができているようだった。


つまり……「憑依」することで魔力を与えることができる。そして多分、同意した相手なら……本人しか使えない魔法だって使えるはずだ。

魔力賦与、それが隠れた……そして「人のためになる」この魔法の使い途。そして、これを使って……ビクターを救う!

プルミエールの「記憶」を使って詠唱する。マナの練り方も、彼女の肉体が覚えている。そしてそこに……今日はほとんど使っていない、私の魔力を上乗せすればっ!!




リリスという女が鞭をエリックに向けて振り下ろし、「ビクターの身体」が本物の彼を突かんとした瞬間、それは完成した。


「『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』ッッッ!!!」




「え」

女は魔法の発動に気付いた。魔法の矢は僅かに逸れ……


パァンッッッッ!!!


「ビクターの身体」の所で弾けた。

そう、交わされる可能性があるのは分かってた。だから、これは……狙い通りだ。


「………!!!??」


「ビクターの身体」は踞る。精神は乗っ取られてるけど、それを支配しているリリスには少なからぬ影響があるはずだ。


そして……一瞬の隙さえ作れればっっ!!!




「よくやったっ!!」


エリックが最後の力を振り絞り、リリスの懐に潜り込む。


ドンッッッッッッ!!!!!


「ぐ…………は…………」


渾身の当て身。そして、リリスは崩れ落ちる。




決着したのは、すぐに分かった。


「……ん……く……」

「え……ここ、どこ?」

「嘘、何で私、こんなところに!!?」


次々に娼婦たちが正気を取り戻していく。リリスが気絶したから、魔法が解けたんだ。


私は、プルミエールの身体のまま、その場に座り込んだ。訳もなく、涙が流れてくる。


……やっと、終わった。


第19-5話はここまで。

次回は色々種明かしです。幾つかの伏線が回収されます。

なお、今回の大まかな位置関係(最終局面)はこんな感じです。


     ワイルダ組一行


     アリスとシェイド


  娼婦たち   プルミエールとエリザベート   娼婦たち


娼婦たち  エリック  「ビクター」  娼婦たち

     リリス  ビクターの肉体


戦っているのは大通りと思ってください。     

魔法紹介

「人形繰り(マリオネット)」

「憑依」の発展版でシェリル・マルガリータ(テイタニア・ランドルス)の18番。キスをした相手を、簡単な命令に従わせるだけの「人形」と化す。
シェリル(テイタニア)が行った場合は会話などもできる程度には自我が残せる。リリスだとゾンビのようにしか操れない。
操れる対象は相当広く、シェリルなら数百人を支配下に置ける。リリスでも30人ぐらいは動かせる。
この際に魔力を分け与えることで、対象の強化も可能。ランパードの場合はまさにそうだった。なお、効果が切れると反動は重い。

用語紹介

「中枢」

シェリル(ランドルス)は「憑依」の強力版(詳細不明)を使うことで、ある特定の行為をした相手を「中枢」と呼ばれる存在とできる。
「中枢」はシェリル(テイタニア)に強烈な崇拝心を抱くが、ある程度の自我は残している。
過去の「中枢」がシェリルの名を騙ったのは、彼女からの命令である。

そして、この際「中枢」は大きく元から強化される。その際に彼女から受け取った魔力と共に「人形繰り」が使えるようになる。
リリスは本来そこまでの凄腕でもなかったが、シェリル(テイタニア)によってかなりの戦闘力を身に付けていた。





第20-1話





「んー!やっぱりシェイドの料理は美味しいわねぇ」

教授が美味しそうに「レー」の匙を口に運ぶ。真っ赤なその見た目からは、とてもそれが食べ物だとは思えない。

「えっと……それ、辛くないんですか?」

「辛いわよ?でも、疲れを取るには食べなきゃ。特に、エリック君、だっけ?貴方は特に食べた方がいいわよ、昨日相当無茶したでしょ」

エリックは無言でお米とともに「レー」を口にする。

「……旨いな。新しいレシピか」

「にゃ。南ガリアから『トマの実』が流通するようになったから使ってみたにゃ。見た目ほど辛くはないから、プルミエールさんも食べるといいにゃ」

本当に大丈夫なのだろうか。恐る恐る口に運ぶ。

…………

「辛っ!!?」

エリックが呆れたように息をつく。

「つくづくお子様舌だな。こんなので音を上げていたら話にもならんぞ」

「いや、ちょっと……これは大人でも無理よ、そう思わない?エリザベート」

モグモグと口を動かしながら、ふるふると彼女は首を振る。

「おいひいよ?最初だけだほ」

「え、エリザベートまで??」

「いい加減モリブスの味にも慣れてくれないとな。やっと修練に専念できるようになったわけだからな」

ジャックさんも苦笑する。私は渋々、もう一度「レー」を口にした。……確かに、辛いだけじゃなくてその奥には深い甘味がある気がする。我慢すれば、食べられないこともないかな……

「んぐっ。ビクターにも食べさせてあげたいけど、あの分じゃしばらくはかかりそうですね」


そう。この食卓には彼の姿はない。襲撃を受けたワイルダ組の対応に当たっている、デボラさんもだ。

ランパードさんは、あの後すぐに元の身体に戻った。
ただ、「シェリル」……いや、テイタニアの「人形繰り」で無茶な動きをさせられたせいか、筋の腱とかがあちこち千切れてしまっていたらしくしばらくは安静にしなければいけないらしい。


花街での戦いから、一晩が明けた。やっと、少しは安心できる状況になったみたいだ。


あの後すぐにベーレン候が駆けつけ、事の収拾に当たった。幸い、あれほどの大規模な騒動だったにもかかわらず、死んだ人はいなかったという。
あの中では比較的疲労が軽かったエリザベートを中心に、警察への説明が行われた。こういう時に「トリス森王国第三皇女」という肩書きは絶大であったらしく、驚くほど好意的に取り調べは終わった。
エリックはというと、「君がいると話が厄介になる」と教授によっていち早くジャックさんの家に戻されていた。
もちろん、ランパードさんを別にすれば彼の疲弊具合は相当のものだったから、多分それもあるんだろう。

リリスという女は睡眠魔法をかけられた上でひとまず確保されている、らしい。ただ、「『憑依』で操られていただけだろう」ということだから罪に問われることもないみたいだけど。
後で彼女に何があったかについては、私が行って調べることになっている。「シェリル」について、何か分かればいいのだけど。

ただ、その前に……色々、教授には聞きたいことがある。この人は、一体何を知っていて、そもそも何者なんだろう?


「お、来た来た」

教授がパンと手を叩いた。目の前に運ばれたのはプリン。普通のより黄色く見える。

「『レイ芋』を練って練り込んだにゃ。これも南ガリア産にゃあ。コクがあって美味しいにゃ」

「しばらく来ないうちに、南ガリアとの交易は随分進んだのね。ジョイスさんもやるわねぇ……んっ、美味しいっ!」

私も口にしてみる。お芋の甘さが口に広がって、とても濃厚な味わいだ。
砂糖はそんなに入ってないみたいだけど、それでもしっかりとした甘さを感じる。焦がした砂糖のソースが、それを引き締めているのもいい。

「本当に美味しいですね!シェイド君、これどこで習ったの?」

「ふふん、秘密にゃ。でも後で教えてあげないこともないにゃ。1対1……」

ドンッ

机を叩いてエリックが睨むと、シェイド君から冷や汗が流れた。

「じょ、冗談にゃあ……」

「……ふん」

ジャックさんと教授が、同時に深い溜め息を漏らした。

「シェイド、貴方そういうところ直ってないのねぇ。ジャックも何やってるの」

「どうにもな……生来の気質としか言いようがないな」

「そう簡単に諦めないでよ。シェイドの性根、今度私が叩き直してあげようかしら?しばらくここにいるし」

「……!!?そうなんですか」

「ええ。……ジャックの身体、そんなに永くないみたいだし」

「え」

食卓が重い空気に包まれた。当の2人は、平然としたものだけど……

「……そうなんですか」

「まあな。若い頃の無理が祟った、というべきかな。……コフコフッ、『魔素』が、俺の身体を蝕んでいたらしい」

「『魔素』?」

「高濃度のマナ……お前らの修練とは比べ物にならんやつだ……それを浴び続けていると、身体が徐々に狂っていく。
この超高濃度のマナを『魔素』という。俺が車椅子になった原因が、それだ」

教授が静かに同意する。

「まあ色々無茶をしたからね、お互い。私も多分、そう遠くない未来に発症するんでしょうね」

「え……!?」

「やぁよ。私はまだ大丈夫だって。ただ、ジャックは……」

「そうだな。明日明後日ということはないが、いきなり病状が急速に悪化しても驚きはない。だから、俺の身が朽ちる前に、お前たちに色々遺しておきたいというわけだ」

ジャックさんの表情は穏やかだ。もう、きっと覚悟は決まっているんだろう。

エリックが小さく息をついて苦笑した。

「プルミエールたちが、最後の弟子というわけだな」

「知ってるだろうが、俺は弟子を取らんぞ。お前はケインのことがあったから別だがな。だから唯一にして最後、というわけだ」

教授の目が鋭くなった。

「でも、そうのんびりもしてられないわよ。ミカエル・アヴァロンは今、ロックモールにいる。いつまでそこにいるかは分からない」

ロックモール。モリブスとテルモンの国境にある街だ。私は行ったことがないけど、「絶頂都市」という別名がある。
西のベルバザス、東のロックモールと言われる娯楽と色欲の街だけど、私には一生縁がないと思っていた。

「どうしてそんなことを知ってるんですか」

「だって、確認したもの。アヴァロンがあそこにいることは、間違いない。少なくとも昨日時点では」

「……??ちょっと待ってください。早馬でもロックモールからここまでは、3日はかかりますよ?」

エリザベートが言う通りだ。そんなことは、できるわけがない。

しかし、教授の言葉は予想を遥かに上回っていた。

「いえ、その気になればテルモンからここまで1日で来れるわ。シェイドはあれに乗ったから分かるでしょ?」

「……にゃ。テルモンまでの距離は、ざっくり500キメドにゃ。人の脚では頑張っても10日、早馬でも1週間はかかるにゃ。
でもあの……何て言ったかにゃ、『バイク』にゃ?あれなら可能にゃ、恐ろしい速さだったにゃ」

「そういうこと。まあ、移動してるのを見られたら、明らかに不審な何かだけどね。……話がズレたわ」

教授は紅茶を口にする。

「とにかく彼はロックモールにいる。『シェリル』もといテイタニアが敗れたのを知ったら、またこちらに来るかもしれない。
そうでなくても、早めにロックモールに行かないと彼に去られてしまう可能性は高いわ。だから、ここに残れるのは精々数日」

「それは理解したが……奴はロックモールで何を?禁欲を旨とするユングヴィ、それもイーリスの原理主義派からしたら決して相容れない都市のはずだ」

「詳しくは私にも分からない。ただ、魔術師が随分といるようだった。何かやろうとしてるんだと思う」

ジャックさんが頷いた。

「本来は俺が行くのが筋だが、この身体だ。それに、何にせよサンタヴィラに行くならロックモールは通る。お前らを鍛えた上で送り出さねばならんが……」

ちらり、とジャックさんがエリザベートを見た。


「エリザベート。お前らは国に帰らねばならんらしいな」

「えっ!!?」

驚いた。そんな素振りは、今朝も全然……

「ごめんなさい、プルミエール。お母様からさっき連絡があったの。簡単な説明はジャックさんにしたけど、要は『シェリル』の件で一度国に戻らないといけないの」

申し訳なさそうにエリザベートが下を向く。確かに、昨日の一件はそれだけ重大なものではあったけど……

「でもちょっと待って??ここからトリスって……歩きだと1ヶ月近くかからない??」

「ああ、それなら私の『バイク』を貸すわ。あれなら3日もあれば大丈夫。アーデンの森だけは通り抜けるのが手間だけど」

「教授が乗ってたアレ、ですよね?そんなに簡単に動かせるものなんですか?」

「あれは運転者の魔力を食って動く『秘宝』。貴女の『番』なら、そう問題ないと思うわ。走行の安定については、機械が勝手にやってくれるから」

「は、はぁ……まさか、それも教授の発明なんですか?」

ウフフ、と教授が笑う。

「さすがに無理よ。教授連に見付からないよう、ずっと隠してたの。運転者の魔力を食うように改良したのは私だけど」

「どこでそんなものを」

「それは内緒。……ただプルミエール、貴女とエリック君だけじゃロックモールに行くのは危ないと思うわ。ということでシェイド、同行してくれる?」

「はいにゃ!!おっぱ……や、何でもないにゃぁ……」

エリックに睨まれたシェイド君がさらに冷汗を流した。……大丈夫なのかな、この子。

「ま、ロックモールから戻ったら性根から鍛え直すからそのつもりでいて頂戴。
……プルミエール、私に訊きたいことは山ほどあるんでしょうけど、それはビクター・ローエングリン卿が起きてからでいいかしら。彼が一緒の方が、話が進みやすいから」

「はい」

時計は朝の9の刻を示そうとしている。モリブスの中心部に行く時間が迫っていた。

第20-1話はここまで。次回は視点をエリックに変えます。

なお、トマの実=トマト、レイ芋=サツマイモです。プリン含め、かなりの食文化は現実のそれと重なっています。
なぜそうなっているかにはちゃんと設定がありますが、分かるのはずっと先でしょう。

なお、次回は若干の性描写があります。ご注意ください。

アイテム紹介

「バイク」

「秘宝」の一つ。見た目は大型バイクだが、動力源がガソリンではなく魔力であったり、ハンドル・バランス補正などある程度の自動運転機能を備えている点は異なる。
元はもう少し現実世界の二輪車に近かったが、アリスが手を加え現状のそれになった。
最大時速は200kmだが、十分な道路舗装がされていないこの世界ではそこまで速くは走行できない。
それでも移動手段が基本徒歩と馬車しかないこの世界の文明レベルから見れば、明らかに逸脱した移動速度である。

アリスがどのようにこれを入手したかは現在不明。ただ、アリスは明らかにこうした「秘宝」の扱いに習熟している。
その理由の一端は、近いうちに明らかになるかもしれないし、明らかにならないかもしれない。

>>438
訂正。ビクター・ランパード卿でした。





第20-2話



リリス・リビングストンは拘束衣に身を包んで寝かせられていた。俺が気絶させた後、即座にかなり強い睡眠魔法をかけられたままだ。
幸い、デボラならベーレン候同様に「治療」はできるはずだ。あまり「巻き戻す時間」が長くなければ、だが。

「……辛そう……」

「同情は後にしろ。先にやるべきことをやれ」

「……分かってるわよ」

プルミエールは「追憶」を彼女の身体にかけ始めた。差し当たり、俺がファリスを殺した翌日の昼……アヴァロンがエストラーダ候を「消して」からの記憶を見ることにする。

「きゃっ!!?」

水晶玉には汗だくの男の裸が見えた。どうやら事を致している最中のようだ。

『はあっ、はあっ』

『もっと!もっとですわ……!!』

プルミエールが目を覆う。

「な、何でこんなのがっ!?」

「こいつはモリブスの娼館協会の会長だぞ?客を取ってもおかしくはないだろう」

「で、でもっ!……こんなの見るの、初めてで」

「……ふん。『早送り』すれば済むだろう」

プルミエールは顔を真っ赤にして水晶玉に映る映像を先に進めた。
こいつが処女なのは容易に想像がつくが、それにしても免疫がないな。……まあ、俺もそう経験が多い方でもないが。

それにしても、昨日あんな大胆なことをしておいてこれとは……やはり、大した意味はないのか。俺は軽く息をついた。

水晶玉の中ではさっきの男が去り、リリスが身を清め始めた。さっきの嬌声が嘘のように、鏡に映る彼女は醒めた表情をしている。

「……ふと思ったのだけど、この人ってそこまで歳でもないのに、そんなに偉いの?」

「エルフは長寿かつ老けにくいからな。どこの街でも花街の元締めは大体エルフだ。多分こいつ、80歳近いぞ」

「えっ……でも、どうして」

「エルフは子供ができにくいからな。元来好色なのもあるが、血を繋げるために娼婦になるのも少なくない。
そして、世界各地の花街の娼婦を『草』とし、情報収集をしているのがランパードというわけだ。……呼ばれたな」

リリスは身支度をして客を迎えに行く。その先にいたのは……


『ご指名頂き、ありがとうございます。……『シェリー』様」



「『シェリル』!!?」




プルミエールが思わず大声をあげた。肌の色は白く、長い耳もないが、それは間違いなくあいつだ。

「馬鹿が、起きるだろうがっ」

「でも、ここって娼館でしょ?何で女性の……彼女が」

「娼館に女でも来ることがないとは言えないが……そうか、相手がエルフならあり得る」

「え?」

「エルフには両刀が少なくないからな。娼婦なら、当然対応できるはずだ」

そして、ここまではリリスは正気だったことも分かる。恐らく、「シェリル」の支配下に置かれたのはこの時だ。

『さすが、モリブスの『魔姫』。聞こえに違わぬ美しさですわ』

『お褒めに頂き光栄です。……にしても、女性のお相手は数年振りです……上手くできるかしら』

『うふふ。『普段通り』でいいのですよ?』

そう言うと、「シェリル」は彼女に口付けた。舌を挿れられたのが、すぐに分かった。「憑依」されたか。
なるほど、花街ばかりが「シェリル」に狙われているわけだ。自然に、魔法の発動条件を満たせるのだから。

「切っていいぞ。いつまで戻せばいいのかは、大体分かった」

「……うん……えっ」

プルミエールは「追憶」を続けたままだ。水晶玉の中では、2人の女が絡み合い始めた。さっきと違って声は熱っぽく、本気なのが分かる。

「……女同士の睦み合いに興味があるわけじゃないだろう?」

「いや、違くて……」

「シェリル」の股間からは、男のそれが生えている。エルフにはそういう魔法があるらしいから、それ自体に驚きはない。
プルミエールが驚いていたのは、その右腕だ。昨日は手袋で気付かなかったが……これは。


「義手か」


「うん。でも、これって……」

「……『秘宝』?」

そうだ。肘から先が、全て銀色の金属になっている。こんな精巧なものを作れる職人がいるのだろうか?
だが、合点が行く所もある。あの重そうな「エオンウェ」を片手で軽々扱える時点で、尋常ではなかったのだ。

「秘宝」とは、この世には有らざる力を、使用者にもたらすものであるらしい。「遺物」が武器や防具の類なら、「秘宝」はその道具版だ。
ただ、遺物以上にその存在は知られていない。俺もその存在は御伽噺の中にしかないと思っていた。
ジャックは恐らく色々知っているのだろうが、俺が「秘宝」の実物を見たのはアリスの「バイク」が初めてだ。そんなものが、そうゴロゴロあるとは……

水晶玉からは「お姉様、お姉様ぁ……!!」と喘ぎ泣く声が聞こえる。これ以上は俺も変な気分になりそうだ。

「……止めてくれ」

プルミエールは顔を赤くしながら頷いた。アリスなら、何か知っているはずだ。あの女も、謎が多過ぎる。

#

リリスのことはデボラに任せ、俺たちは一度ジャックの家に戻った。「4日前まで戻すのは相当難儀だねぇ」ということだったが、何とかしてくれるはずだ。
エストラーダ候の家の跡地については、後に回すことにした。昨日のこともあり、プルミエールもさすがに疲れている。

「よう、リリスの様子は?」

ランパードが松葉杖をついて出迎えた。心配そうにエリザベートが横で支えている。

「一応、経緯は分かった。客として来た『シェリル』にやられたらしい」

「……やはりな。まあ、悪い奴じゃねえんだ。寛大な処置を頼みたいところだが」

「そういう方向性らしいな。アリスは」

厨房からエプロン姿の彼女が顔を出した。

「どうしたの?」

「色々訊きたいことがある。あの『シェリル』という女、そしてお前自身についてだ」

「まあちょっと待ってなさい。『パンの実のケーキ』が焼き上がるから、お茶でもしながら話しましょ?肩肘ばかり張ってると、疲れるわよ?」

奥からはシェイドの声も聞こえる。どうやら教えながら作っているらしい。

「……のんびりしたものだな」

「あなたもその仏頂面やめればいいのに。……もったいないわよ」

「何がだ」

「……!!な、何でもよっ」

プルミエールが顔を赤くした。エリザベートとランパードがニヤニヤしている。

「……何がおかしい」

「いやあ、素直になった方がいいよ?エリック」

「……は??」

顔の温度が一気に上がる。いかん、さっきの睦み合いを見てしまったからか、どうにも調子が狂っている。
そもそも昨日の昼、口移しに丸薬を飲まされたのがおかしかったのだ。本人にその気があるのかないのか、ハッキリしてくれないと……困る。

「ちょ、ちょっと!!?」

「んふふ、プルミエールも正直に言えばいいのに。お姉さんには大体分かってしまうんですねぇ」

「な、何がっ」

「そりゃ決まってるでしょ?エリックを……あ」

向こうでアリスが微笑んでいる。……何か知らないが、異常な圧を俺でも感じた。

「エリザベート、そこまでにしなさい。ケーキが焼けたわよ」

「は、はいぃ……」

エリザベートが一発で大人しくなった。居間からは、芳ばしい匂いが漂っている。
俺は少し安堵した。……彼女の気持ちを聞くのが、怖いのか?それとも……

#

「久し振りの教授のケーキ、本当に美味しいですっ!!」

「ふふ、ありがと。食材、本当に増えたわねぇ。このポックリとした味わい、流行るんじゃないかしら」

目の前に出された「パンの実のケーキ」は、確かに旨い。ふんわりとした素朴な味わいだが、コクもある。パンの実を裏漉ししたクリームが、旨味をさらに引き立てる。
甘いものは決して好きではない俺だが、これなら十分に食べられる。何より、深煎りのコーヒーとの相性が素晴らしい。

「にゃ!今度コンキスタ通りのケーキ屋の子に、レシピ教えるにゃ!」

「それをダシにするつもりならダメよ」

「にゃぁ……ボクに自由はないのかにゃ……」

「ジャックだけの時に散々好き放題したでしょ?貴方もちゃんと躾なさいな」

「……面目ない」

こんなジャックは初めて見た。口許が思わず緩む。

「何が可笑しい」

「いや、珍しいものを見たんでね」

「お前もいつかこうなるさ」

「……は?」

「まあそれはいい。アリスに質問があるんだろう?いつかは知る話だ、俺の方からも説明するが」

アリスが真顔になり、小さく頷いた。

「私に話せる範囲で話すわ。何でも言って」

真っ先に手を挙げたのは、ランパードだ。

「いきなり引っ掛かるな。『話せる範囲』ってことは、言えないこともあるってことだよな?」

「さすがランパード卿、鋭い質問ですね。厳密には、『推測は話さない』ということです。私も確信が持てていないことが、多々ありますから」

「何に対しての確信だ?」

「『六連星』の真の狙い。そして、テイタニア・ランドルスとシェリル・マルガリータとの関係。後者については、マリア女王の方が知っているでしょうね。だから私が推測を話すべきではない」

「前者はどうなんだよ」

ジャックが割って入った。

「それは、『サンタヴィラの惨劇』の真実に深く関わっていると推測する。ただ、これは俺たちにもよく分からない。
一つ言えるのは、真実を暴かれるのを連中はこの上なく恐れているということだ」

「それは、『三聖女』テイタニア・ランドルスにも関わることですか?」

プルミエールの質問を、アリスは肯定した。

「彼女は多少なりとも真実を知っているでしょうね。だからこそ、貴女たちを狙った」

「でもおかしくないですか?何故、『三聖女』が……」

俺も口を挟む。

「そうだ。それに、奴の右腕は……義手だった。恐らく『秘宝』の」

「斬ったのは多分、貴方のお父様……ケイン・ベナビデスね。そして、彼は私たちの仲間だった」


……何?



「……父上とジャックが友人だったのは聞いていたが、『仲間』?」

ジャックが煙草を深く吸った。

「その通りだ。それにリオネル・スナイダとパメラ・スナイダ。この5人でサンタヴィラやオルランドゥ大湖にある遺跡の調査を行っていた。
ケインは立場上、後援者という立ち位置だったがな。それでも、サンタヴィラの『ガルデア遺跡』についてはサンタヴィラ王国と協力して色々動いていたらしい。
丁度その時に、『サンタヴィラの惨劇』が起きている。原因は不明だがな」

アリスが話を続ける。

「そして、その生き残りが『三聖女』よ。1人目がサンタヴィラ王国王女にして現アングヴィラ王国救護院院長、バーバラ・グリンウェル。
2人目がアングヴィラ王国の『4勇者』、ヘンリー・スティーブンソンの妻、エレン・シェフィールド。……彼女は10年前に亡くなったけど。
そして最後が、サンタヴィラで名声を得ていた『魔女』テイタニア・ランドルス。
3人は『サンタヴィラの惨劇』後、悲劇の象徴として祭り上げられた。それは知ってるわね」

「さすがにな。……ただ、色々解せねえな。三聖女の残り2人はエレンが死んだ後は、表舞台に出てないよな。
バーバラは慈善活動に専念ということで理解できるが、魔術研究で隠居していたはずのテイタニアが何故『シェリル』として出てきた?
何より、昨日あんたが呟いた『裏切り者』という言葉だ。元はあんたらと協力関係にあったってことか?」

「……その通りよ」

ランパードの言葉に、コーヒーをアリスが一口飲む。その目には、深い翳りが見えた。

「『ガルデア遺跡』には、多くの『秘宝』や『遺物』が眠っていた。ただ、罠も苛烈で、協力者なしでは踏破は到底できそうもなかった」

「協力者?」

一瞬、彼女が黙った。





「ええ。……その協力者こそ、テイタニア・ランドルス。
そして、遺跡の水先案内人が……私の姉、エレン・シェフィールド」



今回はここまで。次回はプルミエール視点です。

次回でモリブス編は終わりになるはずです。まだ全体の1割強のイメージですね。

用語紹介

「秘宝」

太古の文明で使われていたと思われる一連のアイテム。「遺物」は武器や防具が中心であり、その点で異なる。
また、「遺物」は魔力を帯びており、利用者に特定の魔法に近い何かしらの能力を賦与するが、
「秘宝」の場合魔力を帯びているものは少ない(魔力で動くものはある)。
見た瞬間に現文明と明確に違うことが分かる作りをしているものが大半である。「バイク」は典型。

いわゆるオーパーツであり、極めて希少。遺物以上に確認例が少なく、エリックの立場でも御伽噺上の存在としか認識されていない。
一部の古代遺跡で発掘事例があるらしいが、そのような遺跡の存在は秘匿されている。

キャラ紹介

リリス・リビングストン

女性。77歳。金髪碧眼のエルフであり、人間で言えば外見年齢は30代前半~半ば。身長158cm、体重50kg。
モリブス娼館協会の会長であり、モリブス滞在歴は50年近くの古株である。そのキャリアと高い魔力を買われて現職に就いてはや10年余。トリスのスパイ組織「草」のモリブスにおける責任者でもある。
「魔姫」の異名を持つ技巧派だがプライドも高く、年下で貴族のランパードに使われることは快く思っていなかった様子。
プライドの高さもあり未婚。同性愛者寄りの両性愛者であるのも一員で、それがテイタニアに狙われる要因ともなった。子供は現在いない。
厳しいが面倒見は良く、娼婦たちからの信頼は厚い。彼女が無罪放免になりそうなのは、娼婦たちからの嘆願も大きかった。





第20-3話






「……えっ!!?」


思わず声が漏れた。さっきから色々驚いてばかりだけど、教授が……「三聖女」エレン・シェフィールドの妹??


「ちょ、ちょっと……そもそも、エレン・シェフィールドって……宿屋の娘じゃ」

「冒険者御用達のね。姉さんはその主人の元に嫁いだの。あそこには、私やジャック、そしてケインさんもお世話になったわ」

ジャックさんが、遠い目で煙草を灰皿に押し付けた。

「そうだな。……エレンは『三聖女』になってから、人が変わったようになってしまったが。一切俺たちとの接触を絶ってしまった」

「……最期以外はね。そして、その果てに命を絶った。ヘンリー・スティーブンソンを道連れに」

カラン、とランパードさんがお酒の入った器を落とした。口はあんぐりと開かれている。

「……初耳だぞそれは。彼らは、流行り病で死んだと……」

「表向きはね。『4勇者』の一人が、『三聖女』に殺されたなんてことをアングヴィラが……『勇者』アルベルト・ヴィルエールが公にできるはずがないもの。
その直前、オルランドゥにいた私に遺書が送られて来たの。……『救ってあげられなくて、ごめんなさい』とあったわ。そして、ヘンリー・スティーブンソンを殺すということも。
姉さんが正気に戻ったのか、機を伺ってたのかは分からない。でも、とにかくその後すぐに2人が亡くなったのが報じられた。遺書の内容とは合致するわ」

「……そういうことか」とランパードさんが溢れたお酒を拭き取りながら言った。

「道理で因縁がありそうだったわけだ。そして、姉の死にテイタニアが絡んでいると思っているわけだな」

「ええ。どういう関わりかは分からない。でも、あいつが私たちを……ケインさんを裏切ったのは間違いないわ。
15年前、あいつと対峙したことがあるからそれは分かってる」

「リオネルとパメラを探してる時、だな。まだその頃は……」

ジャックさんに教授が頷いた。

「まだ『シェリル』は名乗ってなかったわね。『六連星』に加入したのは、多分その後」

2人は一度戦っていた……だから彼女が義手ということを知ってたんだ。
でも、逆に色々疑問もわいてくる。どうしてテイタニアは教授を憎んでいるんだろう?そして、どうして……テイタニアは魔王ケインを裏切ったのだろう?


エリックの顔が真っ赤になっている。怒りを懸命にこらえているのが私にも分かった。



「なるほど、見えてきたな。……テイタニアは、秘宝を独り占めしようとしたわけだ、父上を……『サンタヴィラの惨劇』を利用してっっ!!!」


「……そうかもしれない。でも、利用したのは多分あいつだけじゃないわ」

私はハッと気付いた。……そういうことか!!

「教授、ひょっとしたらアングヴィラ……あるいは『六連星』は、秘宝を独占しようとしてるんじゃ!?」

「その可能性は大いにあるわ。でも、そうだとしてなぜ『サンタヴィラの惨劇』が起きたのかは分からない。
ガルデア遺跡はケインによって破壊されてるわ。だから、これ以上の発掘はできない。『秘宝』や『遺物』を独占しようとしたなら、この結果は彼らにとっては不都合なはず」

「……そうなんですか?」

「ええ。私が確認したから間違いないわ。理性を失い、完全なる『魔王』と化した彼が、なぜそんなことをしたかは分からない。あるいは、正気がどこかに残ってたのか……それは貴女でなければ、きっと分からないでしょうね」

教授が私をじっと見た。……ひょっとして、私が「追憶」を生み出すことは、彼女によって仕組まれてた?

青ざめる私に気付いたのか、教授が苦笑した。

「心配しなくても、貴女の心を誘導したということはないわ。私には精神感応魔法の資質はないもの」

エリックが教授を鋭い目で見た。

「だが、ジャックが俺をプルミエールの所に寄越したのは、お前の意思もある。違うか」

「それは否定しないわ。何より、彼女には『騎士』が必要だから。
……貴女を狙っているのが本当は誰か、感付いているんでしょう?プルミエール」




ドクン



鼓動が速くなった。そう、その可能性は考えないようにしていた。そんなはずはない、そう思い込もうとしていた。


彼は私の恩人だ。父親代わりでもあり、師でもあった。私に魔法の素質を見出だし、オルランドゥ魔術学院にも通わせてくれた。


彼なくして、今の私はなかった。……先生が、私を殺そうとしているなんて……思いたくない。




「そんなっっ!!!先生はっ、そんな人じゃっっ!!!」


教授が静かに首を振った。


「もはや確定的よ。『六連星』の背後には、『4勇者』の生き残り……『勇者』アルベルトと『大魔道士』クリスがいる。
『サンタヴィラの惨劇』が仕組まれたものなのは疑いない。そして、それによって彼らが守ろうとしたものを暴けば……世界は壊れる。少なくとも、彼らはそう考えてる」

「まあ、そもそも『魔王ケイン』が虚像だったとなれば、世界各地の魔族弾圧の正当性が失われるからな。それだけでも無茶苦茶なことにはなるだろう。
お前の『追憶』は、色々な意味であいつらには害悪でしかない。……認めたくないだろうが、それが現実だ」


教授とジャックさんの言葉に、私は何か言い返そうと口を動かした。……でも代わりに流れるのは言葉ではなく……涙だ。


そうだ。そんなことは、とっくに分かっていた。


でも、彼が私に向けた優しさは、嘘じゃなかった。間違いなく、本物の優しさだった。
あの日々は短かったけど、とても幸せな日々だった。


それを否定したくない。でも……私がこのままエリックと共に行くのだとすれば……先生と戦わなければならなくなる。
じゃあ、一人で戻るの?そうなれば、無力な私は殺される。


行くも退くもその先は……地獄だ。




「うわああああっっっっ!!!!!」



「ちょっと、プルミエールっっ!!?」

立ち上がり、部屋を飛び出そうとした。誰にも会いたくなかった。ただ、1人で泣きたかった。






刹那。


パシッ


「え」


頬に、熱い痛みが走る。平手打ちされたのだと、しばらくして気付いた。
目の前には、いつの間にかエリックが立っている。出口を塞ぐように。




「黙れ『小娘』」


「…………」

「逃げて泣いて、それで何が始まる?選ぶ道は1つしかない。戦うしかないんだよ」

「あなたに先生の何が分かっっ」

「分からねえよ。だが、俺たちにとって信じられるのは、あやふやな『記憶』じゃない。ただの『事実』だ。
無味乾燥で、残酷で、容赦のない『事実』だ。辛かろうと何だろうと、それと戦わないと生きられない。……違うか??」

エリックの言葉は正しい。でも……あまりに……

「これが受け入れがたい『正論』だってことは、俺も分かってる。そして、それは俺が強いから言えるんだと、お前は思ってる。だが、それは違う」

「何が違うのよっ!!!」


エリックの目が潤んだのが分かった。




「……俺にも経験があるからだ。受け入れたくない、残酷な『事実』を認めなければならなくなった経験が」


「そんなことがっっ…………」


……ある。


そうだ。「サンタヴィラの惨劇」。その真実がどうであれ……彼の父親「魔王ケイン」が、数千、いや数万の罪なき命を奪ったという、事実。

そのことを、幼い頃の彼は……受け入れたのだ。いや、受け入れざるを得なかったんだ。



私はその場に崩れ落ちた。……そう、私ができることは、一つしかない。そのことを、私は悟った。


「ううっっ…………ううっ…………!!!」


もう、覚悟はできた。先生と……アングヴィラ王国宰相、クリス・トンプソンと戦う覚悟は。辛いけど、現実と向き合わなければ……!!


肩に、手が置かれたのが分かった。


「地獄なら、俺が付き合ってやる」


私は顔を上げ、エリックに向けて小さく頷いた。


「……まあ、『騎士』としては及第点ね」

教授が苦笑している。

「ごめんなさいね、プルミエール。貴女にとっては厳しいことを言って」

私は袖で涙を拭った。

「いえ……いいんです。もう、大丈夫です」

「……その言葉が聞きたかった。一つ、大事なことを言い忘れたわ。多分だけど、エストラーダ候は生きている」

「……え?」

「……何?」

教授が首を縦に振った。

「ロックモールを通りがかった時、ミカエル・アヴァロンの魔力を感じたわ。
そこで少し調べたら、彼らしき人がアヴァロン大司教と一緒にいるのを見たという人がいた。それが本当ならだけど、彼はまだ、消されてはいない」

ジャックさんがフォークをケーキに刺し、ニヤリと笑った。

「どうする?ロックモールを素通りした方が安全だが」


「行きます」


もう私に、迷いはない。


第20-3話はここまで。次回からロックモール編です。

なお、「4勇者」のうち存命しているのはアルベルトとクリスだけです。
ヘンリーは今回分かったようにエレンに討たれ、本編未登場の1人はサンタヴィラの惨劇後に亡くなっています。

キャラ紹介

エレン・シェフィールド

女性。享年29歳。アリスとは2歳差である。
元より優秀な冒険者であったが、重傷を負い早くに一線を退く。その際、冒険者御用達の宿の若主人、トーマス・シェフィールドに嫁いだ。
以後は妹のアリスたちを後方支援していた。ガルデア遺跡に立ち入った経験が何度もあるため、水先案内人として重宝されていたようだ。
サンタヴィラの惨劇における動向は現在不明。この際に夫のトーマスを亡くし、未亡人となっている。

惨劇後は、「三聖女」として惨劇の語り部となる。悲劇の象徴として祭り上げられていたが、その顔はどこか感情をなくしたようだったとも伝えられる。
アリスやジャックとの連絡も全て絶ち、惨劇後ほどなく4勇者の一人、ヘンリー・スティーブンソンと結婚。1女をもうける。
結婚生活がどのようなものであったかは伝えられていない。少なくとも、表向きは平穏であった。
惨劇から10年後、ヘンリーを刺殺。そして自ら命を絶った。その事実を知るのは、極々限られている。
表向きは、流行り病による死亡とされ、共に国葬で送られた。





第21話





「どうもお世話になりました」

私は深く頭を下げた。馬には既に荷物は積んである。エリックは既に馬上の人だ。

数日間、教授も交えて厳しい修練をしてきた。ある程度の手応えは感じている。疲労も、昨日の休養日で大分取れたと思う。

「いいのよ。私も久々に貴女たちに教えられて楽しかったわ」

「ひぐっ、教授ぅ……」

エリザベートが教授に泣き付く。彼女は笑って頭を撫でた。

「別に今生の別れでもないでしょう?特に貴女は」

「でも……トリスで何があるか分かりませんし……」

「……そうね。『シェリル』については、私も知りたいし。……聞いているんでしょう?マリア・マルガリータ」

「え」

ニコリと教授がエリザベートに笑いかけた。

「どうしてそれを」

「彼女の魔法……いや、『秘宝』も使ってるのかしら。『千里眼』については、さすがに知ってるわ。トリスとしては最高機密なんでしょうけど」

ジャックさんが頷く。

「全貌を知ってるわけじゃないがな。特定の相手の視野などを共有するとは聞いている。エリザベートも似たようなのは使えるな」

「まあ、お前さんたちならバレていると思ってたけどな」

「バイク」に跨がりながら、ランパードさんが肩を竦める。

「そこまで織り込み済みか、ランパード卿」

「俺に女王陛下の深い御心は分からんよ。向こうからこちらには何もできねえしな。
ただ、戻ったら何かしらの動きはあるはずだ。『シェリル』がどの程度関与しているのかいねえのか、多分調査は始まってる」

「ブロロッ」と「バイク」から低く重い音がした。ランパードさんは僅か数日で、これを乗りこなせるようになったらしい。

「じゃあ姫様、後ろに乗ってくれ」

「……うん」

エリックがランパードさんを見た。

「そっちの用件が終わったら、どうする」

「多分俺に出されるのは、テイタニアの討伐指令だ。エリザベートを連れていくかは知らねえ。危ねえ橋を渡るから、俺としては国許に置いときたいが」

「嫌よ。貴方についていくもん」

ランパードさんの腰に、エリザベートが後ろからぎゅっと抱き付いた。

「……とこれだ。まあ陛下もエリザベートには甘いからな」

「そうか。まあ、近いうちに会うことになりそうだな。生きていれば」

「お互いな。じゃあ、世話になったな!また会おうぜっ!!」


ブロロロロ…………


2人を乗せた「バイク」が急速に小さくなっていく。私たちも、そろそろ出なければいけない頃だ。

「行っちゃいましたね」

「ええ。そうだ、プルミエール。貴女にはこれを」

教授が懐から何かを取り出した。……これはっ!!?

「ちょ、ちょっとこれって……」

「ええ、『魔導銃』よ。私が使ってたのだけど、餞別としてあげるわ」

「そ、それって、すごく貴重なものじゃ」

「大丈夫、身を守る手段なら他にもあるから。むしろ貴女にはそういうのないし、ちょうどいいと思うわ」

手渡された銃は、ずしりと重い。これ、扱いきれるのかな……

「魔力に比例して威力が増すから、今の貴女なら結構なものになってるはずよ。むしろ、全力で撃たない方がいいかも。被害が大きくなるから」

「わ、分かりました。大切に使います」

「そろそろ行くにゃ!夕方までに宿場町に着かないとにゃ」

外套を被ったシェイド君が言う。馬に乗ろうとした時、向こうから誰かが馬でやってくるのが見えた。

「……あれって」

「ちょっと待ちな!!」


あの長い銀髪に狐のような耳……デボラさんだ。


「どうしたんですか?」

「組のことはしばらくウィテカーとラファエルに任せたよ。……あたしもロックモールに連れていってくれないかい」

「えっ」

戸惑う私をよそに、教授は「いいわ」と微笑んだ。

「人が多い分には安心だし、貴女も時々修練を手伝ってくれたから。狙いはやっぱり」

「ミカエル・アヴァロン。あいつが父さんと母さんの仇かは分からないけど、何か知ってるのは間違いないからね」

「……そうね。ただ、くれぐれも無理はしないで。……貴女は、歳の離れた妹のようなものだから。ジャックも、いいでしょ?」

「ああ。ロックモールには、多少は土地勘があるだろう。そいつらを導いてやってくれ」

「任せときな」

ニヤリとデボラさんが笑う。

「エリックもいいだろ?」

「ああ。向こうの事情は、商売柄知ってるんだろう?」

「まあね。うちは女衒はやっちゃいないけど、用心棒系の依頼は結構あるからね」

「やったにゃ!!!」とシェイド君が声をあげた。

「お姉様も一緒にゃ!!これで勝った……」

「何が勝ったって??」

睨まれたシェイド君が冷や汗を流しながら震える。そういえば、部屋を覗こうとした彼が思い切り蹴飛ばされてたっけ。

「な、何でもないにゃあ……やっぱ怖いにゃあ……」

「デボラ、私の代わりにシェイドを頼んだわよ。舐めたことしたら半殺しで構わないから」

「ひうっ!!?アリス様、容赦や慈悲はないのかにゃ……」

「ないわ」

デボラさんが彼に近付いて、顔を近付ける。

「あたしに手を出そうとしたらマジで殺すから。そのつもりでいな」

「にゃぁ……」

エリックが溜め息をついた。

「まあ、デボラが一緒なら安心だな。ジャック、色々世話になった。また会いたいものだが」

「俺の寿命が尽きてなければ、な。……次会えるのはいつの日やら」

「そうだな。まだ目的地までは遥か遠い。次に会う時は、サンタヴィラの真実を伝えに行く時だな。数か月後か、1年後か」

「まあその時を楽しみに待ってるぜ、アリス共々。それまでは生きなきゃな」

ニヤリとジャックさんが笑った。教授も笑顔で手を振る。

「じゃあね。良い旅を」

「本当に色々、ありがとうございました!!行ってきます!!」

私は馬に乗り、深く頭を下げた。

#



2人に次に会うのは思いもかけない形だということを、この時の私たちは知らない。



#

#

モリブスからロックモールまでは丸3日かかる。幸い、モリブス領内では私たちの安全を確保してくれるようにすると、ベーレン侯が確約してくださった。
「シェリル」、もといテイタニアの襲撃の件で、ラミレス家もベーレン侯に大きな貸しができたという。「統領選当選がほぼ確実になったことを考えれば、この程度でも安いものたい」だそうだ。

私たちは最初の宿場町、サンティアナに着いた。交易路らしく、大荷物を馬車に積んだ商人が目立つ。

「賑やかなものですね。バザールみたいなのもある」

「南ガリアの農作物の評判はいいからね。テルモンでは高く売れるのさ。とりあえず、飯にするよ。酒はイケるかい?」

「はいっ!実は結構好きなんです!エリックもいいわよね?」

「構わん」

「ボクはお酒あんまりなのでいいかにゃ?」

「いいさ。とりあえずあそこにしようか。うちのもんも使っているとこさ」

デボラさんを先頭に入る。酒場は商人と護衛の傭兵で一杯だ。

「らっしゃい。注文は」

「『テキ』のソーダ割りを3杯、ココのミルク割りを1杯。ツマミにボガードのサラダ、鶏のティッカ焼き……辛いのはプルミエールがダメだから……茄子の挽肉詰め辺りでいいかね。
それと、ロックモールの最新事情を知りたいねぇ。変わりはないかい」

「……あんた、ワイルダ組のデボラ大姐か。外套で気付かなかったぜ」

「いいんだよ。で、どうなんだい?」

主人と思わしき口髭の男が、辺りを軽く見渡した。

「……テルモンの奴らはいねえな。ならいいか。テルモンとゴンザレス家との関係が、最近悪化してる」

「元からそんな仲は良くないだろ?」

「今回はちと違うらしい。テルモン領側の連中が軍隊を派遣してるって話だ。ここ数日のことだ」

「どういうことですか?」

デボラさんが振り向いた。

「ロックモールは世界二大歓楽街の一つさ。テルモンとモリブスの共同統治ってことになっててね。博打をテルモンの軍閥が、色事をモリブスのゴンザレス家が仕切ってるのさ。
一応持ちつ持たれつでこれまでやってたんだけどね。ゴンザレス家が1年前にベーレン侯に弓引いてからは大分押されてるんだよ」

「……あの時のことだな」

エリックの言葉に、デボラさんの表情に翳が差した。

「……まあね。あたしの旦那が殺されたのはその時さ。エリックのお陰でゴンザレスの乱は収まったわけだけど……ここで辛気臭い話をするのはやめとくかね。
とにかく、ゴンザレス家はあれで大分弱体化したんだ。もちろん、あたしたちワイルダ組には特大の貸しがある」

「ロックモールの花街が大分テルモンの影響を受け始めてるという話は聞いたことがあるな。そういうことか」

「まあね。ああ、もちろんあんたが気に病むことはないよ。ゴンザレス家の連中は、命があるだけまだマシと思うべきさ。
ただ、そうなると困ったね……軍隊まで来てるとなると、ゴンザレス家の庇護もそんなに当てにできそうもないってことか」

「そうなのにゃ?」

いつの間にかミルクのようなものが入ったグラスを手にして、シェイド君が言った。

「ロックモールでは奴らに働いてもらうつもりだったんだ。でも、軍隊が来ているってことは、あまり期待できないかもしれない」

「軍隊は、俺たちに対する備えだろう?」

「多分ね。それと同時に、ゴンザレス家に圧力をかけてるのさ」

主人が私たちにお酒のグラスを手渡した。

「何やら訳ありみてえだな。まあ、くれぐれも気をつけな。厄介事に巻き込まれたくねえなら、ロックモールは素通りすることを勧めるぜ」

「生憎、そういうわけにもいかな「何でダメなんだよっっ!!!」」


激しい叫び声に、私たちはそっちの方を見た。酒場の隅で、若い男の人が傭兵の胸倉を掴んでいる。


「金なら幾らでも出すっ!!だからお願いだ、俺に雇われてくれっっ!!!」

「無理なものは無理だ。命は惜しいんだよ、他当たんな」

「100万ギラでもかっ!!200、いや300万でもっ……1000万!!!どうだ!!?」

「命の値段としては安すぎだな」

傭兵は見るからに歴戦の強者っぽいけど、男の人は随分と若い。私よりは下、見た目だけならエリックより少し上といったぐらいか。男の人はその場に崩れ落ちる。

最初は興味なさそうにしていたデボラさんが、急に目を見開いた。

「……驚いたねぇ……あそこにいるのは、まさか」

「……!!!ああ、そうだ。間違いない」

「エリック、知ってるの?」

エリックは「テキ」を一口飲んだ。


「ああ。あいつは、ゴンザレス家『現当主』。カルロス・ゴンザレスだ」


第21話はここまで。新キャラ登場です。

「テキ」は大体テキーラと同等のものです。ココのミルク割りはほぼマリブミルクです。
モリブスの食文化はメキシコ+インドと考えて大体間違いありません。
テルモンはドイツ辺りの食文化になります。

都市紹介

「絶頂都市」ロックモール

海に面した大娯楽都市。年中温暖であり、単純な娯楽・風俗都市ではなくリゾート地としての顔も併せ持つ。
テルモンとモリブスの国境にあり、両国の共同統治ということになっている。
賭博はテルモン軍閥、性風俗はモリブスのゴンザレス家の管轄である。
両国にとっては貴重な観光収入源であり、近年は遥か遠方のアトランティア大陸の富裕層も相手にしている。

成立の経緯は定かではないが、200年ほど前から現状の統治体制であったようだ。
温泉地としても名高いため、元は湯治場だったのではという推測がある。これを利用したユングヴィ教団直営の病院もある。なお、特権階級御用達である。

華やかな表の顔とは裏腹に、実権争いは絶えない。
特に1年前のゴンザレス家によるクーデタ未遂後は急速にテルモンの勢力が伸びており、そのパワーバランスは崩壊しつつある。
街の中央には、シンボルである巨大樹「女神の樹」がある。稀にできる実は万病に効く薬になるという伝説があるが、その真実を知る者は「ほぼ」いない。





第22話





俺はカルロスに近付く。外套のフードを取ると、すぐに奴の顔が強張ったのが分かった。

「……『魔王』エリック……!!?」

「あたしもいるよ」

デボラの姿を見て、カルロスの歯がカチカチと鳴った。まだ、そこまで怯えているのか。

「……デボラ・ワイルダ!!?な、何だよっ!!もう、ケリは付いたじゃないかっ!!」

「何だい、そんなに怖がるものかい?安心しな、旦那のことはあんたの父親を討ったことで終わってるよ。あんたには何の罪もないし、取って食いやしないさ」

「じゃ、じゃあ何でここにっ!!?」

俺の後ろからプルミエールが顔を出した。

「どうしたの?知り合いなのは分かったけど」

「前に少し話したが、デボラの旦那がこいつらの傘下の『無頼衆』に殺されてな。仇討ちしたわけだが、こいつはその倅だ」

「えっ……」

カルロスは俺を睨んでいる。驚愕と恐怖、そして憎悪が入り交じっているのが俺にも分かった。
本来、面倒事に首を突っ込むのは俺の主義ではない。だが、こいつにとって俺は仇だ。いかなる理由があれ、多少の負い目はある。

俺は改めてカルロスを見た。上等に仕立て上げられたはずの服は汚れ、あちこちが解れている。どこかから必死で逃げてきたのだろう。

「ちょっと野暮用でな。これからロックモールに行く」

「何だって!!!」

カルロスの目の色が変わった。

「本当にロックモールに行くのかっ」

「……?そうだが」

「俺も一緒に連れていってくれっ!!!金なら幾らでも出す」

尋常ならぬ血相だ。さっき主人が言っていた、主導権争いに絡むことか?

「金には困ってな「話を聞かせて」」

プルミエールが割り込んできた。

「プルミエール」

「そのぐらいはいいでしょ?昔あなたたちに何があったかは、詳しく知らないけど」

「そうさね。訳ありなのは確かみたいだ。困っているなら誰にでも手を差し出すのがうちの流儀だしね。いいだろ?エリック」

「……好きにしろ」

俺は軽く息を付く。店主が「奥の部屋を使いな」と合図した。

#

「うん、美味しいにゃあ。この鶏がまた病み付きになりそうな味だにゃ」

鶏のティッカ焼きを頬張りながらシェイドが言う。それを無視して、デボラが訊いた。

「で、どういうことだい?ロックモールから逃げてきたって感じだけど」

「ああ……でも、彼女を助けたいんだ。でも、俺だけじゃ……」

「彼女って、恋人さんですかぁ?」

とろんとした目でプルミエールが言う。初めて会った時もそうだったが、存外こいつは酔いやすいな。その割に潰れにくいようだが。

「あ、いや……どうだろう。でも、俺にとっては……大切な人なんだ」

「なるほど、その人のことが好きなんですねぇ。詳しく話してくれますか?」

カルロスが視線を落とす。

「……彼女と出会ったのは、1ヶ月ぐらい前だ。たまたまロックモールの視察に来ていた俺は、花街の入口で男たちに囲まれている彼女に出会ったんだ。
花街での無理な勧誘はご法度だ。男たちはテルモン系の連中だったが、俺が名乗ると手を引いたよ。そして……俺は……」

「一目惚れしたってわけね。それがどうかしたのかい?あんたなら囲っちまうことは簡単じゃないか。
それとも何かい、その子はテルモン皇室のお姫様で、引き裂かれそうにでもなったとか言うのかい?」

「わ、分からないんだ」

「は?」

デボラがグラスを下ろす。カルロスは唇を噛んだまま俯いたままだ。

「彼女は、『私をしばらく守ってくれませんか?』とだけ言ってきた。俺も快諾したよ。
そして、しばらくロックモールで過ごしたんだ。……夢のような日だった。けど」

「テルモンが攻勢をかけ、あんたは逃げ出し、彼女は捕らえられた。まあよくありそうな話だねえ。
でも、なんでその娘をテルモンは捕らえたがってたんだい。それが分からないことには何とも言えないねえ」


「……それが分かれば苦労はしないさ。ただ、ユングヴィ教団の連中もいた」



「「何!!?」」


俺とデボラの声が重なった。カルロスの女の話なぞ微塵も興味はないが、ユングヴィが絡んでいるなら話は違う。何故なら、その先には……

「アヴァロン大司教絡みか?」

「知らないよ。そもそも何でそんな小娘を狙うんだい?娼婦への勧誘にしろ、ユングヴィは色事は禁忌のはずだし」

「もう少し訊いてみましょうよ。どんな子なんですか?」

プルミエールが真顔になる。カルロスの顔が赤くなった。

「そっ、その……歳は16、7ぐらいだと思う。名前はメディア。深い緑の髪で、翠色の目をしてる。小柄で、少し胸は大きく……」

「おっぱいにゃ!!」

ゴツン、とデボラが拳骨をシェイドの脳天に振り下ろした。「酷いにゃぁ……」と奴が頭を抱える。

「続けな」

「はにかんだ笑顔が、とても美しい子なんだ……まるで、花のような……。きっと彼女も、俺のことを……」

シェイドが頭をさすりながら起き上がる。

「いたたた……本当にお姉さん、容赦ないにゃあ。でもそこが好きだにゃ。
で、ちょっと気になることがあったにゃ。『緑髪』って言ったにゃ?エルフじゃないにゃ?」

「……ああ、うん。そうだ」

「『女神の樹の巫女』の昔話、知ってるにゃ?」

俺とプルミエールは首を振る。デボラだけは「ああ、あれかい」と手を静かに叩いた。

「ロックモールに伝わる御伽噺だね。女神の樹から巫女が遣わされ、出会った男と恋に落ちるって話か。
しばらく一緒に幸せな時を過ごすけど、干魃が起きて急に巫女は姿を消し、雨と共に二度と現れなかったっていうよくある話さ。それと一体、何の関係があるんだい?」

「それ、実際にあった話を元にしてるにゃ」

「……は??」

「今から150年ほど前に、緑髪の少女がロックモールに現れたにゃ。彼女は万病を治す癒し手だったとされてるにゃ。そして、テルモンのロックモール総督と恋に落ちたにゃ」

「何でんなこと知ってるんだい?」

フフン、と得意気にシェイドが鼻を鳴らした。

「ご主人の蔵書は、結構目を通してるにゃ。それぐらいでないと、ご主人の跡は継げないにゃ」

そうだ。こいつはこう見えて魔術師としてはかなり能力が高い。家事は料理以外まるでできないが、ジャックが手元に置いているのはそういうことだ。
ジャックが整理整頓できないのもあるが、彼の家が散らかっているのはこいつが魔術書を乱読しているからに他ならない。
戦闘能力自体も高いが、地頭だけならこの中でも間違いなく一番だろう。

「話を続けるにゃ。御伽噺の通り、干魃があって少女は消えたにゃ。違うのは、その後にゃ。実は2人には子供ができていて、癒し手としての能力からその娘はユングヴィで高位まで登りつめたらしいにゃ。
これはご主人の『ロックモール史書』に書いてあった話にゃ。そこそこ信憑性はあるにゃ」

「それがそのメディアって子と関係があるってわけ?」

モグモグとサラダを頬張りながらプルミエールが訊く。

「分からないにゃ。でも緑髪はエルフ以外にほぼ見ないにゃ。そしてユングヴィ教団絡みということで連想しただけにゃ。ただの偶然かもしれないにゃ。
カルロスだったかにゃ?何か他に思い付くことはあるにゃ?」

「……そう言えば、俺が熱を出した時……看病してもらったな。彼女が出した薬を飲んだら、すぐに全快したっけ」

「なるほどにゃあ。……まあ、何かしらある子とボクの勘は言ってるにゃ」

「そうなると、アヴァロンとの関係だねえ。たまたまなのか、絡みがあるのか……」

首をかしげるデボラに、カルロスが呆れたように言った。

「……ちょっと待てよ。あんたら、ロックモールに何しに」

俺はデボラと顔を見合わせた。正直、こいつを助ける義理はないし、目的を言う意味もない。
俺としてはアヴァロンを殺すのが第一だ、その上で、可能ならロペス・エストラーダを救出する。こいつに構っている余裕はない。そのはずだった。

ただ、カルロスの女がユングヴィ絡みではという話は引っ掛かる。こいつに協力する意味が、ひょっとしたら……


「決まってるじゃないですか、あのアヴァロンを倒しに……むぐっ」


俺は慌ててプルミエールの口を押さえた。眼鏡が外れそうになる。

「何言っているんだ馬鹿がっ!!」

「んぐっ、だって事実でしょ?隠しててもしょうがないじゃない。彼を放ったままロックモールに行く気?」

連れていく利点がないと言おうとしたが、そうとも言いきれない。そして、こいつを連れていくなら俺たちの目的はいつか話さねばならないことだ。

「え……今倒しにって」

「文字通りの意味だ。最近までロックモールにいたなら知らないかもしれないが、エストラーダ候が行方不明になった事件があってな。
この件とアヴァロン大司教は絡んでいる。というか、犯人だ」

「……は?」

デボラがそれに続ける。

「その後に大規模な争乱が花街であってねえ。その首謀者にも奴はちょいと噛んでるんだ。つまりは、奴はモリブスにちょっかいを出したのさ。それも悪質な、ね。
だから一応、この件はベーレン候からは黙認してもらってる。まあ、他にも色々あいつを殺したい理由はあるけど、それはあんたには関係ないから言わないよ」

「まあ、そんなとこだ。そしてお前に協力するのは、俺たちの目的にとって全くの無意味でもなさそうだ。
俺たちにお前が恨みを持っているのは知っている。それは仕方がない。だが、お前が望むなら手を貸してもいいとは思っている」

カルロスがまた唇を噛む。10秒ほどの沈黙の後、顔を上げた。

「お前らを許したわけじゃないっ。けど……父上が討たれた理由も、理解はしている。
……恥を忍んで言う。俺に協力してくれ」

「条件がある。相手はお前が思うよりずっと強大だ。だから、絶対に前に出るな。そして、女の件が片付いたらロックモールから逃げろ。分かったな、小僧」

カルロスは小さく頷く。デボラが、少しだけ笑った。

「ってことで、もう少し話を聞こうか。あんたたちが襲われた経緯が分からないと、何ともできないからね」

「襲われたのは、一昨日だ。夜、急に奴らはやってきた。『メディアを引き渡せば何もしない』と……
でも、そんなことできるわけがない!だから俺は裏口から逃げたんだ。彼女と、5人も護衛を連れて」

「でも追い付かれた」

「……意味が分からなかった。闇に紛れて逃げたのに、次々と……護衛が倒れていくんだ。怖くて、ただ馬を走らせた。
ロックモールを出れるかと思った時、目の前に男が立ち塞がってた。月明かりの下だからはっきりとは見えなかったけど、多分黒と緑の斑模様の服に、赤い……細長い何かを持ってた。
護衛たちを殺したのは、こいつだと直感したよ。そしてそいつは……ニヤリと笑ってこう言ったんだ。『女を置いて行けば何もしないぜぇ』と」

「何者だ?」

俺の問いに、震えながらカルロスが首を振った。目が潤み始めている。

「分からない……でも、あんな恐怖を感じたのは初めてだった。そしてメディアは……『ごめんなさい』とだけ残して去ったんだ……ウグッ……!!」

「それだけですか?他にも気付いたことは」

しばらく黙った後、カルロスが口を開いた。




「そういえば……名前を、名乗ってたと思う。確か……『ハーベスタ・オーバーバック』」


第22話はここまで。次回から本格的にロックモール編……と行きたいですが、間に22.5話を挟むかもしれません。
行方不明だったオーバーバックが現れた経緯はどこかで触れるべきなので、22.5話ではないにしてもその辺りの事情は説明します。

キャラクター紹介

カルロス・ゴンザレス(19)

男性。176cm、68kg。彫りが深めの青年であり、やや垂れ目で黒い短髪。
寄ってくる女性は多いが、本人は堅物であり財産目当ての女には辟易している。

モリブス7貴族の末席、ゴンザレス家の現当主。父親のロドルフォは1年前にエリックによって殺害されている。
ゴンザレス家はロックモールを地盤としており、権益も持つ名門であった。
ただ、野心家のロドルフォがベーレン候に対しクーデターを決行。
この前段階として傘下のチャベス組をワイルダ組にけしかけ、組長のマルケスを殺したのが運のつきだった。
逆鱗に触れたデボラがジャックに協力を依頼。代理として送られたエリックがロドルフォを殺害することでこの一件は手打ちとなっている。

当時カルロスはロックモールにおり、クーデターのことは一切知らなかった。
後にエリックやデボラが暗躍していたとチャベス組の生き残りから聞いたため、父の仇として恨みを持っている。
ただ、ロドルフォが相当無理筋なクーデターに出たことについては疑念を抱いており、その過程でマルケス・ワイルダを殺害したのは悪手とも認識している。
このため、殺してやりたいほど恨んでいるというほどでも実はない。

性格はやや直情的で純情。また、すぐに金で解決したがる傾向がある。
戦闘能力は乏しいが、商売の才覚は相応にあるようだ。

なおオーバーバックの持っている武器はアレです。




第23-1話




「ハーベスタ・オーバーバック」……聞いたことがない名前だ。私はもちろん、エリックもデボラさんも、そしてシェイド君も首を捻っている。

「誰にゃそいつ」

「俺が知るかっ!……ただ、間違いなく……只者じゃない。それは俺にすら分かった」

「テキ」を一口飲んで、デボラさんがふーっと息を吐いた。私の酔いも、大分覚めてきている。

「赤い何か、ねえ。武器、あるいは『遺物』かい」

「ボクは分からないにゃ。一応、『遺物大全』は一通り読んだけど、ちょっとピンと来ないにゃ。ただ……」

「銃の類いだな。馬に乗っていたのを次々殺したという辺り」

エリックにシェイド君が頷いた。

「魔法かもしれないけど、そうかもにゃ。ただ、銃の『遺物』は知らないから、多分未確認のにゃ。もちろん、それが『遺物』って保証もないにゃ」

「とにかく、覚えておく必要はありそうだねぇ……」

アヴァロン大司教の仲間だろうか?それとも、もっと別の誰か?
分からないけど、やっぱり簡単にはいきそうもない。

「ま、考えてもしょうがないさ。とっとと引き揚げて寝る……」

「待て。俺はあんたらは知っている。だが、この眼鏡の女と亜人のガキは誰だ?あんたらの仲間みたいだが」

カルロス君の言葉に、シェイド君が不快そうに笑った。

「ガキにゃ?お前より年上にゃ、敬語使えにゃ」

「何っ!?偉そうに言ってんじゃな……」

「ちょ、ちょっと!!喧嘩は止めなさいって」

シェイド君がぷくっと膨れる。

「む。締めてやろうと思ったけどプル姉さんの言うことなら従うにゃ」

「は!?何様だっっ!?」

「ボクの名はシェイド・オルランドゥにゃ。大魔法使い、ジャック・オルランドゥの弟子にして養子にゃ」

「……え?」

エリックが呆れたように首を振った。

「弟子も養子も自称だろう」

「に゛ゃっ!?でも、大体その通りにゃ?」

「まあ、好きに言えばいい。ああ、こいつの腕が立つのは本当だ。手を出すなら命の覚悟ぐらいはした方がいい」

カルロス君は唖然とした様子だ。ちょっと空気を変えなきゃ。

「えっと、私はプルミエール・レミュー。オルランドゥ魔術学院の学生……をやってました」

「あ、ああっ。よ、よろしく頼む」

デボラさんがやれやれと苦笑した。

「ま、自己紹介はそこまでだね。明日も早いから、今日はここでお開きにするよ。部屋割りは男女別でいいね?」

「えー、お姉様と一緒じゃな……何でもないにゃぁ……」

睨まれたシェイド君が小さくなった。

「カルロスはどうするんだい。仇のあたしらと一緒が嫌というなら無理強いはしないよ」

「……背に腹は変えられない。頼む」

#

「大丈夫なんでしょうか」

シャツ一枚のデボラさんが振り向いた。

「大丈夫って、なんだい」

「カルロス君です。……仇なんですよね」

ハハハとデボラさんが笑った。

「まあ事実だけどね。あいつには殺されるだけの理由があったし、そのことはあいつも分かってるさ。
子供だから一言言わずにいられないだけさね。前にも似たようなことがあったけど、親父と違って分別はある子だよ。
それに、あたしもエリックも負い目には感じてるんだ。どんな理由があれ、あの子の親父を殺したのはあたしらだしね」

「なら、いいんですけど」

デボラさんがニヤリと笑った。

「大丈夫って言えば、あんたはいいのかい?」

「え?」

「部屋割りさ。エリックと一緒の方が、よかったんじゃないのかい?」

「うえっ!!?あ、いや……そういう、関係でもないですし……」

「もう、お互い素直になんな。何か昔のあたしと旦那を見てるみたいだよ」

「そうなんですか?」

デボラさんが遠い目をした。

「旦那は無口な人でね。想いを口にするのが下手な人だった。あたしもそんなに器用な方じゃなかったからね。くっつくまでには色々あったもんさ。
あんたらが互いを気にしてるのは、分かりやす過ぎるくらい分かりやすいよ。そういう関係になった方が、この先を考える上ではいいと思うんだけどねえ」

そうなんだろうか。彼の気持ちも少しずつ見えてはきたけど……

そもそも、私自身の感情がよく分からない。彼には恩もあるし、悪い人でないのもさすがに分かってる。
ただ、男女の仲になるのがどうなのか……いい加減、彼に訊くべきなんだろうか。

「まあ、あんたらのことだし、野次馬が口を挟むことでないけどね。それに、あたしらにとって恋やら何やらよりも、今は優先すべきことはある」

「……そうですね」

布団を被り、目をつぶる。彼は今、どう思っているんだろう。

#

モリブスを出て3日目の昼。巨大な樹が、遠くに見えてきた。あれが「女神の樹」か。

「……大きいですね」

「高さは数百メドはあるらしい。木陰はいつも暗いから、幹に近いほど裏の世界になるんだ。娼館や賭場は、そっちの方にある」

「そういうことだね。普通の旅人は周辺の温泉に泊まるか、金があれば海に行くね。
で、あんたは追放されてるんだろ?どこか行くあてはあるのかい」

カルロス君が黙った。

「海側に別荘がある。そこも抑えられてたらお手上げだけど、あそこの存在はゴンザレス家の親族しか知らないはずだ」

「大丈夫なのか?」

「……まあいざとなれば旅人のふりをしてやり過ごすしかないさ。俺の顔は周辺部ならそう知られてないし。お前らは……まあ全員目立つけど」

シェイド君の目が輝いた。

「海にゃ!?おっぱい……」

「はないぞ。砂浜はかなり遠いからな。父上は書斎代わりに使われていた。静かなところさ」

向こうから10人くらいの人たちが、馬に乗ってやってきた。バザールの商団かしら。

「おお、ロックモールに行きなさるか」と、向こうから声をかけてきた。

「何だい?モリブスの商人と見受けたがね。帰りかい」

「いや、門前払いを食らった。昨日テルモンの連中が大勢やってきてな。ロックモール市は連中に占拠された。
モリブス側から入るのは査証が必要なんだそうだ。ただ、昨日の今日でそんなのが手に入るわけもねえしな……商売あがったりさ」

商人はうんざりしたように荷物を見ると、「じゃあな」と立ち去っていった。

「査証……そもそも、ロックモールが占拠されたこと自体モリブスには伝わってないだろうからねえ。……そういうことかい」

「どういうことです?」

デボラさんが苦笑した。

「ベーレン侯はある程度こうなることを読んでたわけだね。あたしらがアヴァロンを狙うことで混乱が生じれば、そこが突破口になるということか」

「でも、ロックモールが封鎖されているならどうやって中に入るんですか?」

「そこだねえ。カルロス、いい案はあるかい?」

「……ロックモールは城壁で覆われているわけじゃないが、モリブス側から入れる道は3つしかない。
そこに兵士を置かれたら、強行突破以外は手がないな……いきなり騒ぎを起こしたら、メディアを奪い返すなんて無理だと思う」

「あんたしか知らない道があるとか、そういうことはないかい?」

カルロス君が辛そうに首を振る。

「……そんな都合のいいことはないさ。いきなり躓くなんて」

「まあ、正面からやるしかないな。手早く終わらせる」

エリックの言う通り強行突破自体はできるだろう。ただ、「騒ぎにならずに」となると難しい。


その時、シェイド君がニマッと笑った。


「僕の出番のようにゃ」

「え?」

「僕が何者か、プル姉さん分かってるかにゃ?」

「……あっ!!」

「そうにゃ。猫になれば簡単に入れるにゃ。そこから査証を盗んでくるにゃ。ついでに中の様子も見てくればなお良しにゃ」

なるほど、確かにその通りだった。ジャックさんの下にいただけあって、女の子追ってるだけの子じゃないんだな。でも……

「結構危険だよ?あんた、本当に大丈夫なのかい」

「デボラ姉さんはこの前のボクの勇姿を見てないのにゃ。まあ心配しないでにゃ。皆はティアナの街で待機してるにゃ」

トン、と自信ありげに胸を叩くと、白い煙とともに彼は黒猫の姿になった。

「じゃ、行ってくるにゃ」

用語紹介

「天使の樹」

ロックモールのシンボルであり、ランドマークであり、繁栄の源でもある巨大樹。高さは500メートル、それによって作られる木陰は半径2kmにも及ぶ。
幹のすぐ下は毎日夜のような暗さであり、それが賭場や娼館にとっては都合の良い環境を作り出していた。幹に近いほど裏の世界に近いとされている。温泉など一般人向けの施設は外周部に多い。
いつからそれがあったかは定かではないが、少なくとも300年前にはその存在が確認されている。
実はほとんどつけないとされており、万病に効くなど様々な言い伝えがされている。そのどれが正しいのかは不明。
また、「女神の樹の巫女」の物語など、女神の樹にまつわる昔話や寓話も多い。その中の幾つかは事実に基づくものであらしいが、誰が作者も定かではない。




第23-2話




自分で言うのも何だけど、ボクは誤解されやすい。

この語尾のせいなのだろうか。ボクは元は「偽猫デミキャット」だった。偽猫には言葉を話せるのもいるけど、声帯の関係上どうしても「~にゃ」と言ってしまう。
その時の癖が、御主人によって人化術を身に着けた後もどうしても残ってしまったらしい。最初の1年は直そうと努力したけど、やめた。

多分直そうと思えば直せたんだろう。でも、ボクはそうしなかった。面倒だったのと、この語尾と見た目を使って道化じみた振る舞いをした方が楽だったからだ。
御主人がそれを苦々しく思っているのは知っている。久々に会ったアリス様もそうだ。

でも、長年染みついた習性は捨てられない。それに、捨てる必要もなかった。こうしていれば、女の子にはちやほやされたし。
「お馬鹿でちょっと被虐趣味があって、見た目がかわいい亜人」として振舞うことに、ボクは満足していた。


しかし、変わる時が来たのかもしれない。否、道化としての仮面をそろそろ捨てる日が来たのかもしれない。
エリックたちの旅が、並々ならぬ覚悟で進んでいることは理解できた。デボラさんもそうだ。


そして、ボクだけが……覚悟がない。


御主人とアリス様がボクをエリックたちに付かせたのは、それに気付いていたからなんだろう。
なぜそんなことをわざわざしたのか。……理由は薄々分かっている。


もう、御主人は永くない。まだまだ生きるみたいなことを言っているけど、ずっと傍で仕えてきたボクには分かる。


夜、ひっそりと自室に消音魔法を張っている意味。
「静かでないと眠れない」何て言ってたけど、あれは大嘘だ。一晩中続く咳を、エリックたちに聞かせたくなかったからだ。
それに、あの煙草。普通の煙草じゃない。肺を中心とした胸の痛みを軽減する、超強力な鎮痛剤だ。
もちろん、それはエリックですら知らない。アリス様はさすがにすぐ気付いたようだけど。


そう、これはボクがオルランドゥ家を継げるか否かの試験なのだ。
そして、このままでは試験にボクは受からない。


軽く査証を奪ってくるって言ったけど、それは簡単なことじゃない。中の偵察はなおさらだ。
ただ、危険に怯えてもボクは変わらない。せめて、形だけでも……彼らに並びたいのだ。

ボクは猫の姿に「戻り」一目散に「女神の樹」の中心へと向かった。
カルロスの言う通りなら、そこにはロックモール統治府があるはずだ。

#

(これは厳しいにゃ)

街中にはあちらこちらに重装備のテルモン兵がいた。胸の紋章がフレスベルグ皇室のものだから間違いない。
血生臭さはないけど、賑やかであるはずのロックモールの目抜き通りは緊張感から閑散としていた。
あと、所々にユングヴィ教団の人間がいる。全員に共通しているのは、あの首飾り。どうやら、あれが「査証」のようだ。

中心部に行くに従い、物々しさは増していった。そして幹の真下に、荘厳で豪華な建物がある。……これが多分、ロックモール統治府。

実は、ロックモールには一度も行ったことがない。ただ、統治府が超特権階級御用達の賭場と娼館を兼ねているらしいという噂は聞いていた。
賭場街と花街のちょうど中間にある、この統治府に誰がいるのか。それだけは見極めないと。

(よっと)

バルコニーに登り、窓から中を見る。貴賓室のようだ。


そこには一人……緑髪の少女が座っている。

人の姿に戻ろうと思ったけど、ボクは思いとどまった。何故なら、少女の目には……あまりに「何もなかった」から。
確かに見た目は整っている。おっぱいもそこそこある。ただ、あまりに……人間味がない。そう、まるで植物か何かのような……

彼女がボクを見た。ゆっくりとこちらに近づいてくる。

逃げるべきか留まるべきか、ボクは躊躇した。逃げることを選択しようとしたその時、ボクは呼び止められた。

「あら、猫ちゃん……かな」

逃げようと思えばすぐ逃げられただろう。しかしボクは動かなかった。いや、動けなかった。


この少女、恐らくメディアという子だろうけど……普通じゃない。感情が、すぐには分からないのだ。
それだけじゃない。……香水か体臭か何かの、この匂い。甘い匂いが、ボクの身を封じた。


ボクはそのまま彼女に抱っこされ、頭を撫でられた。胸には、査証の首飾りがある。

「うふふ、かわいい猫ちゃん。人に慣れてるのかな」

メディアと思われる子は静かに微笑む。

このまま普通の猫のふりをしているのが、一番安全だ。……だけど、これはよく考えれば千載一遇の好機でもある。


無害なふりをするのは、やめろ。



「メディアさんだにゃ」


居心地の良い胸の中から抜け出し、ボクはくるんと一回転して亜人の姿になった。

「……どうして私の名を?」

「カルロスさんからの使いだにゃ。あなたを救うお手伝いをしているにゃ」

「カルロスさんの?」

初めて感情が見えた。僅かな喜びと、僅かな驚きだったけど。本当にこの人、カルロスの恋人なのかな?
そもそも、猫が亜人になるのを見てもそんなに驚いていない。不自然なほど、超然としている。

とりあえず、ボクは頷いておいた。

「にゃ。あなたにもう一度会いたいって。そもそも、あなたを連れ去ったのは誰にゃ?ユングヴィの誰かかにゃ?」

「……そっとしておいて。私はここで死ぬ定めなのだから」

「……にゃ??」

「彼は確かに大切な人。一緒に過ごしたかった。でも、彼の言うことが確かなら……」

「彼??」

外から靴の音が聞こえた。


「メディア、そこに誰かいるのですか」


まずいっ、これ以上ここにいるのは……自殺行為だ。

「いいえ、誰も」

「そうですか。入りますよ?」

「少し待っていただけますか。身支度を」

ボクは猫の姿に戻り、彼女の肩に乗った。そして早口で囁く。

「その首飾りだけもらえるかにゃ?」

「これは構わないわ。不要なものだから」

小声で言うと、そっとメディアがボクの首に査証をかけた。

「バレないかにゃ?」

「これを気にしているのはテルモンの人だけだもの。『彼』には関係ない」

「ありがとにゃ。また会うかもにゃ」

ボクは窓から一目散に逃げだした。


……「彼」……多分あれは、ミカエル・アヴァロンだ。

アヴァロン大司教が彼女をなぜ必要としているのだろう?必死で逃げながら、ボクは考えを巡らせていた。
これはただの推測だ。でも、メディアから受けた超然とした印象からして、このぐらいしか可能性がない。


メディアは、「女神の樹」の巫女なのではないか?


そもそも、「女神の樹」の巫女というのが何者なのか、ボクは知らない。人間ですらないのかもしれない。
一つ言えるのは、ユングヴィの連中……あるいはアヴァロン大司教が、彼女を必要としているのだろうということだ。

街の出口が見えてきた。ここを抜ければ、とりあえずは安心……


ゾクン


背後から、物凄く嫌な予感がした。刹那。


ボクの右肩を、灼熱の何かが貫いた。

用語紹介

「査証」

要するにビザ。ただ、この世界では写真技術がほぼなく、画像化はそれなりに高度な魔法使いでないとできない。
このため、ある程度高級な宝飾品を以て身分証明としている。大量に配る必要がある場合は、特殊な細工を施した宝飾品で代替しているようだ。
もちろん、盗難などによるなりすましを防ぐため、本当に重要な場合は魔術的措置を施される場合も少なくない。
ただ、今回の場合は占領から間もないため、そのような措置は取られなかったようだ。

今回はここまで。更新遅れて申し訳ありませんでした。

※今回は一部安価要素が入ります。
※今回のみ、コンマ判定を入れます。
(これに伴い、なろうの更新は後日になります)




第23-3-1話


「様子はどうだ」

応接間に入ってきたデボラがふうと息を吐いた。

「傷は塞がっているけど、出血がかなり多かったからねえ。今日は動けないね」

「……そうか」

窓から潮風が入ってきた。ロックモールの常夏の気候でも、このおかげで氷結魔法は必要なさそうだ。


俺たちは、何とか商人団を偽装してロックモールに入ることができた。その最大の功労者は、まだ眠りについている。

#

査証をぶら下げたまま、黒猫の姿のシェイドが俺たちの前に現れたのはつい1時間ほど前のことだ。右前脚は付け根から取れかかっていた。血まみれでほとんど死にかけていたが、気力だけで辿り着いたらしい。

「どうしたっ!!?」

「撃たれた……にゃ。多分……」

「いいからしゃべるなっ!!デボラっ!!」

無言で彼女が「時間遡行」をかける。撃たれてまだ間もなかったからか、脚自体はすぐにくっついた。

「……あいつだ。オーバーバックという男」

「……狙い撃ち、されたにゃ……それと……メディアは、統治府にいる、にゃ」

「何だとっ!!?」

シェイドが小さく頷く。

「多分……彼女にゃ……」

「どういうことだ」

シェイドが目を閉じた。

「シェイド君っ!!!」

「……心配しなくて大丈夫さ、脈はある。出血多量でとりあえず気を失っただけだね。例の薬は?」

「一応、何個か追加してもらいました」

「分かった。あとで飲ませれば死ぬことはないと思う。にしても……」

俺はデボラの方を見た。

「若干不可解だな」

「え??どうして」

「まず、メディアという女だ。どうして統治府にいるのか?カルロス、彼女はそんなに重要人物なのか?」

カルロスが弱々しく首を横に振る。

「知らないんだ。俺は、彼女の身の上を聞いたことがない。話したがらなかったんだ。俺は、それでもいいと……」

「だろうな。ただ、ユングヴィ絡みということぐらいは分かる。つまり、アヴァロン大司教が一枚噛んでいる可能性があるな」

「馬鹿な!!そんな大物が、なぜ彼女に」

「俺には分からん。その点については、シェイドが起きてから話を聞くとするか。もう一つ解せないのは、シェイドを生かしておいた意味だ。オーバーバックというのが何者か知らないが、多分殺そうと思えば殺せたはずだ。敢えて生かしておいたようにも見える。その意味が分からない」

プルミエールが少し考えている。

「……多分、警告じゃないかしら。これ以上この件に首を突っ込むな、という」

「猫の姿のシェイドを警戒していた、ということになるぞ」

「でもそれぐらいしかない気がする。何にしても……」

「想像以上の大事だな。……それでも、女を取り戻したいのか」

カルロスは「無論だ」と即答した。

「俺にとっても、彼女にとっても……互いが一番大切な人だ。救わないと」

青いな、という言葉を俺はすんでのところで飲み込んだ。それは事実かもしれないが、それが何かを変えることもある。
それに、俺だって「真実を知りたい」という単純な動機だけでここまで来ている。感情の力は、馬鹿にできないのだ。

「でも……どうするの?」

「一度、カルロスの別荘に行く。問題は、オーバーバックという男だが……」

「それは任せて。幻影魔法で気配はある程度遮断できるから」

「……!!できるのか」

「ジャックさんの下で修練したのは、あなただけじゃないのよ?私も色々覚えたんだから」

ニッ、とプルミエールが笑う。前はこんなに自信を持ってなかったと思うが、少し変わったな。

「分かった。信用するぞ」

「うん。それで、一つ提案があるんだけど……」

プルミエールが俺にある考えを打ち明けた。……もし可能なら、面白いかもしれない。

#

プルミエールがカルロスと一緒に応接間にやってきた。手には幾つかの衣装がある。

「子供の頃の服がまだあった。ネーナ婆の物持ちの良さには驚くな」

「本当にいいものは、数十年使えるものですよ。貴方の服も、かつてご主人が着ていたものです。
世継ぎがお生まれになった時のために、それも取っておいたのですよ」

厨房でスープを作りながら、老婆が微笑んだ。

「……世継ぎか。いつか見せたいものだな」

「お坊ちゃまなら、遠くないうちに見せられますよ。私が生きているうちに」

「……そうだな」

プルミエールが衣装を置いた。確かに、上等に仕立てられたものらしいのは見て分かる。

「幻影魔法を使った変装術は、ランパードさんから原理は教えてもらったわ。
耳の形と肌の色を変える程度しかできないけど、それでも格段にあなたと見抜きにくくなると思う」

「なるほど……デボラ、お前はどう思う」

「悪くないと思うね。私やプルミエールは、変装してもなお目立つ。何より、ロックモール中枢部には女に飢えた連中ばかりだからね。襲われても逃げられるとは思うけど、騒ぎにはなる。
あんたが単独で行くのは、そう悪いことじゃないと思うね。問題は、その見た目だけど」

その通りだ。俺の外見は、せいぜい14、5のガキだ。もっと下に見られるかもしれない。
少なくとも、酒と博打と女の街、ロックモールには不相応だろう。

「……道に迷ったという体裁を取るか」

「それしかないねえ。で、どこに行くんだい?」

俺はチラリとプルミエールを見た。どこか不安そうな顔をしている。

「……賭場街だな。花街に行ったところで相手にはされないだろう。何より、人が多く集まるからな」

「それが賢明だねえ」

プルミエールがほっとした様子になった。心配しすぎだ。

「でも、賭場街に行ってどうするんだ?まさか、博打を……」

「種銭ならあるさ。道に迷った貴族のボンボンが馬鹿ヅキで勝ちまくれば、嫌でも誰かが注目する。そこを突破口にするつもりだ」

「勝ちまくればって……自信が?」

「伊達にお前より10年近く生きているわけじゃないさ」

カルロスの心配は当然だろう。だが、賭け事はジャックに一通り仕込まれている。というより、あいつの退屈しのぎの相手をさせられていただけだが。
それでも疑いなくジャックは一流の博徒だ。モリブスでジャックの世話になっていた時、腕に自信がある博徒が何人もあいつに挑むのを見た。しかし、その全てにジャックは勝っている。
俺はその域にはないが、普通の相手なら負けることはない。それだけの自信はある。

#

「……これで8連勝かよ」

計画は順調だった。何も知らないガキのふりをし、賭場に「迷い込み」、幸運だけで勝ったようにみせかける。
これが続けば、間違いなく支配人がこちらに来るだろう。俺を締めに来るか、本気で身ぐるみはがすために。
その時が交渉のタイミングだ。「モリブスの貴族」ということにしておけば、向こうの目の色も変わるだろう。

「運がいいだけですよ」

「……馬鹿ヅキかよ。ガキに舐められるのもいい加減にしてもらいてえが」

周囲の目が苛立ちと怒りに染まり始めていた。賭場の「親」は何度か俺をはめようとしているが、その度に巧い具合に降りて出血を最小限にとどめている。

この「テル・ポルカ」はカードを使った遊戯だが、単なる運任せでは勝てない。そして、そのことをほとんどの博徒は知らない。
重要なのは確率と席ごとの行動。そして賭ける額とその時期。ジャックはそれを体系立てていた。知識量の差が、そのまま圧倒的な勝率となっていたのを、俺は知っている。

「クソッ……小僧、まだ続けるよな?」

「あっ、はい。この遊戯って楽しいですね」

「……楽しいだけで終わると思うなよ。ちょっと待っていろ」

「親」役が奥へと引っ込んだ。支配人と思われる男の怒声が響く。
そして、身なりのいい初老の男がやってきた。口は微笑んでいるが、目は一切笑っていない。この男が、支配人か。

「君、随分勝っているそうじゃないか。どうだね、ここで大きく勝負してみないかい?」

「えっ……ちょっと、怖いんですけど」

「ふふ、しかし勝てば君は一晩のうちで大金持ちだぞ?どうかね」

俺は悩んでいるふりをしてみせた。……食いついた。
問題は、この男がどれだけの情報を持っているかだ。この賭場が、テルモン政府直轄の運営とは知っている。テルモンの、あるいはアヴァロンの意図を知ることができるか……?



「やめとけぇ」


上の吹き抜けの方から声がした。少し甲高い、男の声だ。

「え」

「そいつ、ただのガキじゃねえぜぇ。見たところ、ゲームの本質をよく理解しているなぁ。あんたで勝てる相手じゃ、多分ねぇ」

「……どういうことですか」

「まあ、そいつは俺に任せなぁ。せっかくだから、俺が直接相手してやんよぉ」

支配人の顔が青ざめている。……何者だ?



と思ったその時、上から誰か飛び降りてきた。黒い服に、黒いグラスの眼鏡。短い黒髪は、後へと撫でつけられている。


「よぉ」

「……おま……貴方は、どなたですか」

思わず素が出そうになった。明らかに、身に纏う空気が、常人のそれではない。

「名乗るほどの名はねえがよぉ、ハーベスタと呼んでくれ。ただの観光客だぜぇ」


ハーベスタ!!?


背中に冷たいものが、一気に流れる。こいつがシェイドを撃ち、カルロスの護衛を射殺したという……ハーベスタ・オーバーバックか!!

オーバーバックは、ニヤァと笑った。

「こいつとはじっくりサシでやりてぇなぁ……支配人さんよぉ、奥の部屋、借りていいか?『親』はあんたがやってくれ」

「え」

「なあに、純粋に勝負を楽しみてぇだけさぁ。ただ、そこで見たり聞いたりしたことは一切口外無用だぁ……」

「はっ、はいっ!!!分かりましたっ!!!」

オーバーバックが俺の方を向いた。余裕以上に、得体の知れなさを感じる。

「じゃあ行くかぁ」

「……はい」

オーバーバックについていくと、豪奢な貴賓室に通された。貴人用の賭場、と言ったところか。

扉が閉まり、オーバーバックが俺の向かいの席につく。そして身を乗り出して話を切り出した。

「さて……猫被るのはやめようぜぇ。何者だぁ?」

「……お前に名乗る意味も義理もない」

「だろうなぁ。だが、薄々見当は付くぜぇ。……エリック・べナビデス」

極力動揺を表に出さないよう、「誰だそいつは」と白を切った。しかしオーバーバックは「やれやれ」と首を振る。

「他の連中なら誤魔化せるだろうがよぉ、俺の目は欺けねぇ。多分、魔法とやらで偽装してるなぁ?
その肌の色と耳からして、まず間違いなく魔族だぁ。そして、無知なガキを騙ってここに来た意味……情報収集だろぉ?」

「……やるか?」

「いや、俺にそのつもりはねぇよぉ。ここで騒ぎ起こしても仕方ねぇしなぁ。俺は『魔王退治』に興味はねぇ」

「だがシェイドを撃ったな」

オーバーバックが肩をすくめた。

「アヴァロンの奴の所にいたらしいんでなぁ。あの小娘に用があるならやめとくのが正解だぜぇ」

「……どういうことだ」

オーバーバックが支配人を見た。

「そこから先は、こいつで決めようじゃねぇかぁ。『テキサス・ホールデム』……ここじゃ『テル・ポルカ』とかいうらしいなぁ」

「……何?」

「勝負に勝つごとに、1つ情報を教えてやるよぉ。負けたら、そこで打ち切りだぁ。ああ、有り金は元手を置いて出ていってもらうぜぇ」

「……いいだろう」

金は惜しくない。勝負に勝てば、こちらが知りたいと思う情報を教えてくれるのだ。むしろ、これは好機……!!

オーバーバックが、眼鏡を外した。……白目??盲人かっ!?

「ああ、気にすんなよぉ。ちゃんと『見えてる』からよぉ……じゃあ、始めるぜぇ?」

※オーバーバックへの質問内容を幾つか挙げます。
3票先取の多数決とします。

1問目は強制的に成功します。2問目以降にオーバーバックが答えるかは(厳しめの)コンマ判定次第です。

質問候補は以下の通りです。

1 メディアという女は何者だ
2 エストラーダ侯はどこにいる
3 アヴァロンがここにいる理由
4 テルモン政府はなぜここを制圧しようとしている
5 オーバーバックの正体

※2300までに票が入らない場合はやり方を変えます。
(回答数をコンマによるランダムで決めます。優先順位は秘匿)

とりあえず1から入ります。

コンマ下が75以上なら2問目質問可能です。
00のみほぼフルオープンとします。





第23-3-2話




「支配人……オーティスだったなぁ。ヒラで頼むぜぇ」

こくんとオーティスと呼ばれた男が頷く。俺とオーバーバックの前に2枚のカードが配られ、5枚のカードがその間に伏せられた。
カードを見る。……2枚とも「聖剣」だ。考えられる上で最強の組み合わせ。これで負けるはずがない。

オーティスがまず、5枚のうち2枚をめくる。黄色の2と赤の聖剣。既に「3枚組」が完成している。俺は平静を装った。

「先攻は」

「お前からでいいぜぇ」

一応、俺にチップは20枚配られている。一気に大きく張ってもいいが、オーバーバックは警戒するだろう。降ろすのも勝ちではあるが、ここは……

「3枚」

「そこそこ大きく出たなぁ。手が入ってるなぁ?」

「……いきなりチマチマしても仕方ないだろう。乗るか」

「レイズ……ってここでは『上乗せ』だったなぁ」

ここでか。向こうにも手は入っているのかもしれないが、「聖剣」の3枚組にはまず勝てない。4枚組になることだって、十分ある。
向こうの考えは甘い。所詮この程度……


「……10枚だぁ」


「何っっ!!?」


馬鹿なっ!!?まだ2枚しか開示されてない状況で、これは無謀だ。どういうつもりだっ!?

「くくっ……不安が手に取るように分かるぜぇ……さて、3枚目頼むぜぇ」

オーティスが3枚目をめくる。青の王だ。色は場に出ている「赤の聖剣」と同じ。俺にはあまり関係はないが、もう一枚王が出れば「王宮」が手役で完成する。

「どうするぅ?」

「……2枚だ。合わせて、12枚」

「レイズかぁ。いいねぇ、生きがいいぃ……」

オーバーバックがニヤリと笑う。


「フォールド、降りだぁ」


「……何??」

「この勝負は譲るぜぇ。サービスだぁ」

……無謀な賭けに出ておきながら、自分から降りるだと!?

「何を考えている」

「若人へのプレゼントさぁ……ああ、オーティス。足りねえチップは、俺の右腕を担保だぁ。10枚ほど貰えるかぁ?」

「なっ!!?」

「状況はお前が有利だぁ。俺は弾が足りてねえからなぁ」

ニヤニヤとオーバーバックが嗤う。そこには焦りも虚勢もない。本当に余裕があるのか?

「しかし、オーバーバック様……」

「殺されてえのかぁ?」

「ひっ!!?準備いたしますっ!!」

そう言うとオーティスはチップを取りに部屋を出た。オーバーバックは中から鍵をかけると、身を乗り出す。

「で、何を訊きたい?」

訊きたいことは腐るほどある。オーバーバックの正体、エストラーダ候の行方。しかし、今は……


「メディアという女、何者だ」


オーバーバックは「やはりなぁ」と口の端を上げた。

「何でお前があの女を嗅ぎ回るのかはさっぱり分からねえがよぉ。……あの猫と組んでるわけだなぁ」

「お前に言う義理はない」

「まあせっかくだから、それは不問としてやるよぉ。で、メディアという女のことだなぁ?
実は俺も詳しくは知らねぇ。俺はこのせ……いや、この街についちゃほとんど知らねえからなぁ……」

「しかし、俺よりは知っている」

ククク、とオーバーバックが嗤った。

「違いねぇなぁ。あの女、人間じゃねぇらしいなぁ」

「……魔物の類いか」

「さぁなぁ。ただ『女神の樹』の『一部』だって話だぁ。その体液は、万病の薬となるとか聞いたぜぇ」

「それがアヴァロンの狙いか?」

奴が肩を竦める。ドンドン、とドアを叩く音が聞こえた。

「オーバーバック様」

「せっかくだから、あと5分待てよぉ」

オーバーバックが酒らしきものを口にした。「椰子酒」か。

「……アヴァロンには雇われた立場だからなぁ。せっかく博打と女を楽しんでたら、奴が戻って来て俺を見つけやがったぁ。
テルモンに行ってたって聞いたから油断してたぜぇ……」

「なぜアヴァロンがここに?」

「それは次の勝負に勝ってからだぁ」

女神の樹の一部?巫女とは違うのか?それに、万病の薬……それがアヴァロンの狙いだとしても、テルモン兵を使ってここを制圧する意味は謎だ。

ただ、エストラーダ候がここにいる理由は少し見えてきた。今はこの世にいない娘、ファリスを救うにはこれしかないと言われたのだろう。
プルミエールの「追憶」では、「急ぎで来てもらいたい場所がある」とだけ告げられていたようだが……

「せっかくだから、残りのカードも開けるかぁ」

おもむろにオーバーバックが残り2枚のカードを開けた。黄色の5。そして……黄色の聖剣。

俺は息をついて手札を晒した。

「聖剣の『4枚組』だったな。どちらにせよ、結果は……」


「ククク……命拾いしたなぁ」


「……何?」


心底愉快そうに、奴が手札を見せる。それは……黄色の3と、黄色の4。
つまり、奴の手札は……


「ストレートフラッシュ……ここじゃ『同色順列』だったかぁ?
良かったなぁ、俺が勝負してたら、お前は負けてたぜぇ」


「馬鹿なっ!!?」

「馬鹿も何もねぇよぉ。この結果は必然だぁ。……さあ、次行くかぁ。今度はわざとは負けねぇ」

奴の余裕は、本物だったとでもいうのか?そして、まだ伏せられていたカードの中身を知っていたとでも?
あり得ない。こんなことが、あっていいはずがないっ!

オーバーバックが鍵を開けた。


「さあ、2回戦だぁ」


用語解説

「テキ・ポルカ」

ポーカーの一種、テキサスホールデムに非常に近いカードゲーム。Aが聖剣である以外はほぼカードもトランプ同様である。
エリックが言う通りツキ任せのゲームと思われがちだが、実は非常に深い戦略性に満ちたゲーム。
エリックはジャックから教えてもらったが、当のジャックはアリスよりは弱い。

オーバーバックがなぜこれを知っていたかは現状では謎である。





第23-4-1話



エリックが戻ってきたのは、何かあったんじゃないかと皆が……そして私が心配しだした頃だった。時計の針は10の半刻を指している。

「……今帰った」

「エリック!!」

思わず玄関まで駆け寄る。身なりはきれいなままだ。けど、表情は明らかに冴えない。「チッ」と彼が舌打ちをした。

「……どうしたの」

「いや……久々にコテンパンにやられただけだ」

「え」

「心配するな、最低限の収穫はあった。それと……シェイドを撃った男に会ったぞ」

「本当なのっ!?」

エリックが忌々しげに頷いた。

「傷を与えるどころか、有り金全て巻き上げられたがな……とにかく、皆を集めてくれ。シェイドは」

「……今起きたにゃ」

上から声がした。シェイド君が、デボラさんに支えられている。

「シェイド君っ!?」

「大丈夫、にゃ。……今の話、本当にゃ?」

「ああ。そっちの話も聞かせてくれ。メディアについては、最低限の情報は仕入れてきた」

「……そうにゃ。ボクも、色々気付いたことがあるにゃ」

ゆっくりと階段を降りてくる。居間から、カルロス君も顔を出してきた。

「メディアについて何か分かったのか!!?」

「ああ。平たく言えば、彼女は人間ではない、らしい」

「え」

衝撃を受けているカルロス君をよそに、シェイド君が「だろうと思ったにゃ」と呟いた。

「表情含め、受けた印象が人間のそれじゃなかったにゃ。魔獣とも違うにゃ」

「ああ。『女神の樹』の『一部』らしい。まるで……」

「昔話の巫女にゃ。でも人間じゃないというのは……」

「オーバーバックも知らないようだ。ただ、体液……多分、涙や血含めて……『万病の薬』らしいな」

カルロス君が「……え」と漏らした。

「……どうした」

「あ……いや。……彼女は、俺と……その、そういうことをするのを、すごく嫌がってたんだ。『まだ早い』って……」

「別に不自然でもないだろ?女ってのは、惚れた男でも……いや、惚れた男だからこそ、簡単に股は開かないものさ。
まだ出会って1ヶ月だろ?むしろ、恋人になるのが早すぎる……」

「いや、確かにちょっと変にゃ」

デボラさんの言葉をシェイド君が遮る。

「え?」

「オーバーバックの言っていたのが本当なら、それは多分全ての体液が含まれるにゃ。
唾液も、汗も、愛液も……薬なら、進んで飲ませたがるはずにゃ。でも、メディアのやっていたのは逆にゃ」

「薬じゃないってこと?」

「断言はできないにゃ。ただ、それがアヴァロンの目当てなのは間違いないにゃ。そして……」

「エストラーダ候がここにいる理由も合点が行く。アヴァロンは、ファリスの薬が手に入ると言ってここに彼を連れてきた。
ただ、ファリスが死んだのはアヴァロンなら知っているはずだ。つまり、エストラーダは騙されていることになる」

「どうしてそんなことを……」

エリックが首を振った。

「分からん。明日、また情報を集めに出るしかないな。しかし、どうすれば……」

「あたしがやるよ」

デボラさんが手を挙げた。

「えっ……!?」

「ここには護衛依頼で何回か来てるからね。シェイドの具合も落ち着いたし、あたしが出た方が具合がいい。まあ、変装ぐらいはした方がいいけどね」

「ボクも行くにゃ」

「シェイド君!?」

「オーバーバックの気配は、何となく分かったにゃ。次は撃たれないにゃ。
デボラお姉様が撃たれるようなことがあったら大変にゃ」

デボラさんがふうと息をついた。

「……まあ、仕方ないねえ。……で、オーバーバックという奴は、何者だったんだい」

「……分からん。色々謎だらけだが……一つだけ言えるのは、あいつは只者じゃない」

苦虫を噛み潰したようにエリックが言う。こんなに悔しそうな彼は初めて見たかもしれない。

「どういうこと?」

「……俺は、『一度も』勝てなかった。一度だけ、お情けで勝たせてもらっただけだ。
後は、全部あいつの掌の上だった。いい手が入ってもそれ以上の手で潰される。ブラフをかけても見透かされる。
『テキ・ポルカ』であんなに負けたのは……ジャック相手にだってない。イカサマもしていないようだった……あまりに、現実離れした強さだった……」

「……そんなに強かったのかい」

「ああ。理不尽なほどに」

ふうむ、とデボラさんが手を顎の辺りにやった。

「……あんたが『テキ・ポルカ』で強いのはよく知ってるよ。あたし含めて、うちのもんじゃ誰も勝てなかった。ジャック先生ほどじゃないけどね。
そのあんたがそこまで言うのは、確かに只事じゃないねえ」

「奴はあれを違う名前で呼んでいた。『テキサス・ホールデム』と。デボラ、聞いたことは?」

「ないねえ。……シェイド、あんたは?」

「……御主人なら知ってるかもにゃ。でも、それは置いとくにゃ。
とりあえず、外見の特徴だけ教えてくれにゃ。見たらすぐ逃げるにゃ」

「ああ。……服は普通の服だった。盗賊が着ているような、薄茶の上下だ。髪は黒く、短い。そして……黒い眼鏡をかけていた。その下の目は白だ」

シェイド君が訝しげに首を捻る。

「白目?盲人かにゃ?」

「いや、完璧に見えていたようだった。ただ、黒い眼鏡も白目もかなり目立つ。それは確かだ」

「にしても、なぜあなたに危害を加えなかったのかしら」

「……アヴァロンには雇われていると言ってた。もちろん、俺のことも知っていた。だが、俺を殺すことには興味がないらしい。完全に他人事だったな」

色々妙な人らしい。シェイド君を撃ったけど、殺そうとしたわけでもないみたいだ。悪い人ではないのかな。

「……まあ、考えても仕方ないにゃ。今日はシャワーでも浴びて寝るにゃ。デボラお姉様も一緒に寝……あたっ」

「馬鹿言うんじゃないよ。そんな口が叩けるなら、もう大丈夫だね」

「2階に3部屋ある。俺は下で寝るから、適当に割り振ってくれ。まあ、女は女で寝るのが普通だと思うが」

「……と言ってるけど、どうするかい?」

※多数決です。この晩を

1 デボラと過ごす
2 エリックと過ごす

2票先取です。内容がやや異なります。

また、第24話の視点も後程多数決を取るつもりです。




第23-4-2話



「そうします」

エリックの様子が気になったけど、そっとしておこう。私が声をかけて、どうなるって話でもなさそうだし。

#

「……ふう」

お湯につかり、私は軽く息をついた。お風呂は外にあって、海を見ることができるようになっている。
温泉を引いているらしく、お湯は白く濁っている。疲れが芯から溶けていく気がした。

「入るよ」

後ろから声がした。デボラさんだ。胸は大きいけど腹筋は締まっていて、鍛えているのがよく分かる。……私のポヨポヨした身体とは、随分違うなあ……

「あっ、はい。どうぞ」

「フフ、遠慮しなくていいんだよ。……久々にロックモールに来たけど、やっぱり温泉は格別だねえ」

「護衛とかで、よく来てたんですよね」

「ああ。ゴンザレス家にも世話になったことがある。何であの親父が豹変したのかは、未だによく分かってないんだけどね」

「そうなんですか?」

デボラさんの表情が暗くなった。

「……突然だったからね。旦那……マルケスはカルロスの父親を護衛し終わった帰りに、後ろから刺されたのさ。ゴンザレス家の傘下、チャベス組の連中にね。
そして、連中はベーレン家とモリブス政府に牙を剥いたのさ。ロックモールの独立を叫んで、ね」

「……何でそんなことを」

「……さあね。ただ、万病の薬ってのが本当なら、それを狙っていた可能性はあるかもしれないね……」

彼女はお湯を掬い、それを顔にかけた。

「1年前から、メディアさんは狙われていた?」

「どうだろうね。あんたの魔法なら、少しは分かるかもしれないけど。ただ、どこでいつまで時を戻せばいいのやら。
そもそも、そんな娘が1年間どこにいたのかも謎だね。一度、メディアに会ってみないと」

「でも、どうやって」

「そこだねえ……まあ、行ってから考えるさ。情報が色々足りなさすぎるしね。
それにしても、いいのかい?エリックを放っておいて」

「ひあっ!!?な、何ですか急に」

ニヤニヤとデボラさんが笑う。顔の温度が急に上がった気がした。

「あんだけ凹んでるエリックはほとんど見たことがないからねえ……てっきり、今日は傍にいるものだと思ってたよ」

「……心配じゃない、と言えばそうですけど……どんな声をかけていいのか、分からなくて」

「同じ空間にいるだけでも意味はあるものさ。まあ、あんたの言うことも分かるけどね。
あいつは下手に触るとへそ曲げるからねえ……」

確かに、エリックが怒る時は一気に沸騰する印象がある。
普段は落ち着いていて紳士ですらあるけど、触れられたくない部分には絶対に立ち入らせない、壁みたいなものが彼にはあった。

そういうのは、乗り越えるべきものなのだろうか。それとも、そこは触れないままにするのがいいのだろうか。……私には分からない。

にゃあ、と猫の鳴き声がした。……シェイド君?思わず辺りを見渡すと、デボラさんが「ククッ」と笑った。

「大丈夫だよ。あいつじゃない」

「でも……」

「意識が戻ってから少し話したんだよ。……オーバーバックに凹まされたのは、エリックだけじゃないってことさ。
あいつがあたしたちと一緒に来た理由も聞いたよ。意識を失ってる間、『これじゃダメにゃ』と譫言をずっと言ってた」

言われてみれば、おちゃらけたことを今日のシェイド君は言ってない。デボラさんに支えてもらってた時も、前なら胸を触ろうとかしてたはずだ。

「……変わろうと、してるんですかね」

「多分ね」

デボラさんはそう言うと、海をじっと見つめた。

もう、日付は変わろうとしている頃だろう。長い一日が、やっと終わろうとしていた。

#



翌日、デボラさんにある事実が突き付けられることを、この時は誰も知らない。


第23-4話はここまで。更新ペースは大分戻ります。

用語解説

ロックモール温泉

ロックモールに沸く温泉。白濁しており、皮膚病や美肌に効果があるとされる。
その他内臓病にも効くとの評判は高い。一説には「女神の樹」の加護であるとも言われている。いつから湧いていたかは不明。
なお、飲用しても効果はある。煮詰めたものは媚薬としての効用もあり、これがロックモールを「絶頂都市」足らしめたと言えるだろう。

なお、煮詰めた高濃度の温泉にはもう一つの使い方がある。静脈注射することで爆発的な力を得るという麻薬である。
ただ反動も大きいため、実際に使われることは現在ではほぼなくなっている。抗争の際に鉄砲玉に射たせることはなくはないようだが。

予告していた通り、多数決を取ります。

24-1話の視点は……

1 デボラ
2 シェイド
3 一度敵サイドに振ってほしい

一応3票先取とします。

上げます。

0000になったので、2か3で決戦投票とします。
2票先取です。





第23.5話




「ご苦労様です」

私の前に、朝食が並べられる。芋を蒸し、裏ごししたものに塩を振ったもの。
そしてケルの葉にオリーブ油を軽く振ったもの。そして、トリス名産の大豆のケーキ「トフ」だ。
味はどれも薄味だが、しかし十分な栄養価を持つ。毎朝同じ食事だが、食の楽しみなど私には無縁だ。

客間にいるのは私だけだ。一人で食事をするのも、もう20年以上になる。
私には家族など要らない。ただ、神のみ傍にいればよい。

手を合わせ、世が太平であることへの祈りを強く念じた。


朝6の刻ちょうど。私、ミカエル・アヴァロンの一日はこうして寸分変わらず始まる。

#

食事が終わり、まずやるのは説法だ。それは旅先においても変わりはしない。
テルモンのユングヴィ教徒は皆敬虔だ。モリブスの不信心な連中とは違い、皆静かに聞いている。
そして水浴びをした後、身支度を整えて職務に入る。8の半刻。これもいつも通りだ。

職務はいつも、補佐のユリウスが持ってくる書類に沿って行われる。
まずは……彼女の様子を見ることからだ。統治府の4階の貴賓室に、彼女はいる。

「失礼しますよ」

「……はい」

彼女はただ窓際にたたずんでいた。

「お変わりは?」

「いえ、特に」

「そうですか。……『女神の雫』は」

「まだできません。あと、数日」

「分かりました。静かに待ちましょう」

貴賓室は整然と片づけられている。彼女は食事も何も必要としない。水と日光。それさえあれば生きていけるという。
彼女に感情はあるのだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。


彼女は、後数日すれば処刑される定めだ。
「女神の雫」さえ手に入ればいい、というわけではない。むしろそれは副産物に過ぎない。


彼女が生きていることは……いや、彼女が誰かと子を為すことは、大いなる災厄に繋がりかねない。
それは、150年前の教訓だ。そのことをユングヴィ教団はよく知っている。あるいは……彼女自身も。


「……怖くはないのですか」

「何がですか」

「死ぬことです。神に召されることを受け入れているということでもないでしょう」

一瞬、メディアの動きが止まった。

「……母なる大地に戻るだけですから」

……わずかな感情の揺らぎがあった。彼女を想う、あのゴンザレス家の青年が理由か。
それは、恋慕なのか。それとも……種を残そうという本能なのか。どちらにしろ、それは絶たれねばならない。

「そうですか。とにかく、お待ちしておりますよ」

部屋を出て、私は静かに息を付く。彼女の存在を早いうちに知れたのは幸甚だった。テルモンから急いで引き返した甲斐があったというものだ。
あと数日。あと数日でイーリスは救われるだろう。そして、未来の災厄も絶たれる。これを神に感謝せずして、何を感謝しようというのか。

笑みが思わずこぼれたのに気付き、私は咳払いする。次の目的地では、こんな表情は禁忌だ。
向かう先は、統治府の3階。そこには、もう一人の客人がいる。

#

「失礼します」

先ほどとは打って変わって、荒れた様子の部屋だ。部屋の隅で、年老いた男……エストラーダ侯の目が光った。まるで幽鬼のように。

「……できたのですか」

「いえ、まだ。あと数日と」

「あと数日!?それまでに、ファリスが死んだら……!!?」

私は彼に近寄り、手を頭の上に乗せた。気付かれぬよう、鎮静化の魔法をかける。

「大丈夫です。私たちが必ず見つけ出しますから」

「……本当でしょうな」

疑念が強まっている。言葉巧みにやり過ごしてもう2週間近くが経つが、さすがにもう限界か。
もし既にファリスが(恐らく)死んでいることを告げれば、彼の刃は私に向くだろう。

ネリドと一緒に、彼を消してもよかった。しかし、彼の娘に対する執着は利用できる。
そう考え、彼だけは生かしておいたのだった。……ある薬を投与しながら。

良心の呵責はない。所詮、モリブスのユングヴィ教徒は邪教徒だ。邪教徒は人ではない。家畜以下だ。
ただ、家畜と違って利用価値も場合によってはある。エストラーダ侯が、まさにそれだった。
もし、エリック・べナビデスとプルミエール・レミューがロックモールに来たならば……エストラーダ侯は、彼らを討つための刺客足り得る。
そう思って彼を残したが、動きは一向になかった。

シェリルがしくじったのは聞いている。そして、アリス・ローエングリンが来たらしいことも。
彼女は危険だ。ただでさえ危険なのに、ジャック・オルランドゥの元に戻ったのは非常に危うい。下手にモリブスには手を出せなくなった。
だとしたら、べナビデスとレミューが来るのを迎え撃つ方が得策だ。私がロックモールに戻ったのは、メディアの件だけでなく彼らへの対応も理由と言える。

それだけに、エストラーダ侯を抑えるのが限界に近付いているのは正直よろしくない。
「処分」を視野に入れるべき時が来てしまったのかもしれない。

……あと1日が限度か。そう思いながら、私は首を縦に振った。

「私が約束を違えたことなどございましたか?」

「……信頼しておりますぞ、大司教殿」

部屋を出ようとしたその時、外から禍々しい気配がした。……これは。

私は溜め息をついてドアを開ける。果たして、その男は階段を塞ぐように立っていた。

「……オーバーバックさんですか。今までどこに」

「お前の言う通りの『鼠狩り』さぁ」

「仕事はしているのでしょうね」

ニヤリと彼が嗤った。

「それだがなぁ……2ついい知らせがあるぜぇ。まず、お前が追っていた『魔王エリック』と、昨晩会ったぜぇ」

「何ですって!!?」

やっと来たか!ロックモールを通らずに皇都に着くのはかなり難しい。険しい山を越えねばならない上、補給もままならない。
女連れならば、確実にここを通るはずだと踏んでいたが……

そして、オーバーバックが魔王と会ったということは。

「始末はしたんでしょうね」

「いやぁ。少し遊んでそれきりだぁ。せっかくだから、長く遊び相手になってほしいからなぁ」

「……舐めているのですか」

激しい落胆と怒りが沸いてきた。世界を災厄から遠ざける機会をおめおめと逃すとは!

オーバーバックを睨み付けると、彼はその笑みを深くした。

「舐めてねえぜぇ?そもそも、俺とお前の関係は何だぁ?上司と部下かぁ?
違うなぁ、ただの契約関係だぁ。そしてそこには、『エリック・ベナビデスを消す』は入ってねぇ……」

「それでも六連星の一員か」という言葉が出かかって、私はそれを必死で抑えた。

確かにオーバーバックは六連星だ。しかし、その意思は誰にも縛れない。たとえ、アルベルト王でも。あるいはハンプトン卿でも。
彼の力は、あまりに強大だ。六連星に入れたのは、この男が危険すぎるから味方に引き入れたという理由以上のものはない。

そして、他の六連星と違い……この男には、世界を守ろうとする意思は全くない。
ただ、好きな時に飲み、好きな時に博打を打ち、好きな時に女を買う。その意思を縛るには、あまりにこの男は強大なのだ。

「分かってるなぁ、大司教さまぁ……俺にとっては、『記憶』がどうだとか関係ねぇんだよぉ……ヒリヒリするような勝負ができればそれでいぃ……。
せっかくだからもう一つ教えてやるよぉ。多分だが、カルロスってガキと魔王は組んでるぜぇ」

「……本当ですか??」

「ああ、恐らくなぁ。だが、俺はこれ以上タッチしねぇぜぇ?『狩り(ハント)』以外に、今の俺の興味はねえからよぉ」

何という僥倖!!世の災厄を、2つ同時に取り除ける好機が舞い降りるとは!!
やはり、神は私を愛しておられる。何と素晴らしき日か。

「……ええ、いいでしょう。好きになさい」

「ククク……じゃあ、俺は消えるぜぇ」

トントントン、とオーバーバックが階段を降りる。私はエストラーダ候に向けて振り返った。


「貴方に、向かってほしい所があります」


キャラ紹介

ミカエル・アヴァロン(47)

男性。181cm、63kgのやせ形。細目で短い白髪頭で、いつも穏やかな微笑みを湛えている。
イーリス聖王国のユングヴィ教団大司教。東の原理主義派(元教派)を束ねる。

温厚で几帳面だが神経質。常に同じ時刻に同じ行動をすることを旨としており、全ての欲は不要と断じている。
金にも美食にも女性にも関心がなく、清廉潔白が服を着て歩いているような男。愛するのは神のみと公言して憚らない。
とはいえ、厳格ながら人格者でもあり、人望は厚い。
ユングヴィ教団の教えに徹底して忠実な男でもあり、殺人や姦淫などは決して行わない。
ただ、自らの手を下さないやり方で都合の悪い人間を「消す」ことはある。

また、世俗主義派を邪教徒と捉えており、表面上はともかく内面では人として扱っていない。
「人でない者」、つまり敵に対しては徹頭徹尾冷酷であり残虐である。そのため、イーリスには彼を恐れる人も少なくない。

戦闘能力は白兵戦については低い。ただ、魔力は甚大であり当代でも屈指の存在なのは疑いない。
アヴァロンの過去については一切不明。ただ、神への絶対帰依を誓う理由はそのあたりにあるようだ。

今回はここまで。シェイド視点→プルミエール視点と続く予定です。





第24-1話




統治府に近付くに従って、兵士の数が増えてきた。一昨日より多いかもしれない。

「そんなにあの娘が重要なのかねえ」

「よく分からないにゃ。殺す相手を守る意味はもっと分からないにゃ」

ボクらはプルミエールの魔法で人間に化けていた。持続時間はほぼ半日。魔法が解けるまでは、ボクらは姉弟か親子にしか見えないだろう。
魔法がかかっているとは言っても、デボラさんの胸は相当に目立つ。周囲の男たちの目がそっちに行くのは気に食わない。

「よう姉ちゃん。幾らだ……」

言い寄ってきた男の首筋に、短剣が突き付けられた。

「売りもんじゃないよ。『蜻蛉亭』はどっちだい」

「ひいっっ!!?あ、あっちだ。その物騒なもんをしまってくれっ」

デボラさんが鞘に短剣を納める。さすがに抜刀が速いな。

「『蜻蛉亭』?」

「ああ。一度主人の護衛を受けた所でね。あたしに貸しがあるはずさ。
1度しか行ったことがないから、場所の記憶は曖昧だけどねえ」

「なるほどにゃ。でもそこで情報貰えるのかにゃ?」

「統治府に娼婦を派遣する高級娼館だからね。まあ何かしら中の様子は分かるだろうさ」

統治府から200メドほどしか離れてない場所に、それはあった。蔦まみれの不気味な館。あれが「蜻蛉亭」らしい。

#

「お嬢様、『蜻蛉亭』に御用で?」

館の呼び鈴を鳴らすと、執事風の初老の男が出てきた。

「主人のカサンドラはいるかい。デボラ・ワイルダが来たと言えば分かるはずさ」

「……お待ちを」

5分ほど待つと、ボクらは中に通された。化粧水の濃い空気が鼻を付く。外観はああだけど、中は豪奢でいかにも娼館という感じだ。

「御主人、客人に御座います」

「通して」

執務室兼私室と思わしき部屋に入ると、初老の婦人が髪を櫛でとかしていた。顔には皺も少し見えるけど、十分現役で通りそうなほど美しい。
おっぱいも大きそうだし、あるいはここで得意客を取っているのかもしれないな。ボクは熟女趣味じゃないからちょっとお断りだけど。微かに甘い匂いもする。

婦人が顔を上げると、訝しげな表情になった。

「……本当にデボラ?」

「ちょっと狙われててねえ。耳は魔法で隠してるんだ」

「……その声と顔立ち、言われてみればデボラ・ワイルダね。変装は弟の……誰だっけ」

「ウィテカーさ。今日はいないけど、まあそんなとこさね。半年ぶりだけど、健勝そうで何よりだよ」

「お蔭様でね。貴女に命を救われたからこそ、私の今はある。ジャレッド、お茶を」

「畏まりました」

男が去っていく。

「しかし、急な訪問ね。貴女に護衛の仕事を頼む予定は今のところないわよ?
それとも何かしら、その可愛らしい男の子を、私にくれるとでも?」

思わずブルッと身震いした。カサンドラという女(ひと)はかなり綺麗だけど、さすがにボクの守備範囲じゃない。

「ははは、そういうわけではないさ。ちょっと、貸しを返して貰いたくてね」

「貸しを返す?」

「ああ、大したことじゃないさ。統治府で何が起きてるか、分かるかい?ここからも娼婦を送ってるんだろう?」

男がお茶を運んできた。それを一口啜ると、ふうとカサンドラさんが溜め息をつく。

「私には何もできないわ。統治府相手の商売は開店休業状態。ここ数日の物騒な動きと関係があるのかしら」

「多分大有りさ。どうなんだい」

「ユングヴィの偉いのが来てるって話。ユングヴィは私たちを目の敵にしてるから」

デボラさんがボクを見た。やはりあれはアヴァロン大司教だったか。

「誰かの出入りは?例えば、緑色の髪の女とか」

「……ちょっと分からないわ。あと数日で統治府での商売は通常通りになるって聞いたけど、情報はそれくらい。私にできることはないわ、申し訳ないけど」

「そうかい」

デボラさんが辺りを軽く見渡した。……微かに音が聞こえる。喘ぎ声だろうか。

「……ところで、テルモンの連中が随分来てるみたいだねぇ。結構な人数じゃないかい?」

「……何が言いたいのかしら」

カサンドラさんが眉を潜めた。デボラさんは肩を竦める。

「いや、これだけ来ると連中相手の商売は儲かってるんだろ?ここも満室みたいじゃないか。
それとあんた、すぐにここにあたしらを入れなかったね。客、ついさっきまで取ってたんじゃないかい?多分、テルモンの高官……違うかい」

「……目ざといわね」

彼女が苦笑する。そうか、彼女は商売上不利になる行動ができないわけか。だから、協力を拒んでいる……


「というわけで交渉さ。あたしらはあそこにいる人物に接触したい。統治府には関与できなくても、さっき言ったテルモンの高官からなら何とかできるだろ?」

「口利きをしろってことね。……そうね、不可能じゃない。でも、多少の面倒は伴うわね。報酬は?」

「命を救った貸しがあるだろ?まあ、それに加えて、モリブスの花街からこっちに何人か送れなくはないね。給金を弾むという条件で」

「いつからワイルダ組はそっちにも手を出しているのかしら?用心棒なら分かるけど」

「まあ、色々花街はあたしらに貸しを作ったからね。質は保証するさ」

ふむ、ともう一度カサンドラさんがお茶を飲んだ。

「……分かった。3時間後、もう一度ここに来て。これからもう一人、テルモンの第4皇子を客として取るの。彼経由で話を附けられる」

「第4皇子……随分年下だねぇ」

「ふふ、可愛い坊やは好きなの。母親の愛情に飢えた坊やは特に。……そうそう、その坊やを多分使うことになるけど、いいかしら?」

「……ボクかにゃ?」

フフフ、と妖しい笑いをカサンドラさんが浮かべた。

「ええ。ユングヴィは姦淫は禁じているけど、色事は禁じてないのよ。貴方なら、多分気に入る人がいるわ」


……そういうことか。ボクはげんなりした。


「……ここは、男娼も扱ってるのにゃ?」

「あら、子供なのによく知ってるわね。この子、何者?」

「ボクは「それは詮索しないでおくれ。まあ、信頼は置ける奴さ」」

ボクの言葉をデボラさんが遮った。……確かに、身の上を明かさない方が正解か。
ただ、ボクを男娼として送り込むというのは正直勘弁だ。ボクはデボラさんに耳打ちした。

(男の相手なんて死んでもゴメンにゃ)

ボクは確かに見た目がいい。女装だって多分似合うだろう。ただ、男に犯されるなんてまっぴらゴメンだ。

デボラさんは少し目を閉じた後、微かに笑った。

(大丈夫、考えがある。抱かれる必要なんてないから安心しな)

(本当にゃ?)

(あたしに任せな)

「相談は終わったかしら?」

デボラさんが頷いた。

「ああ。3時間後だね」

「ええ。その子も一緒にお願い」

#

「考えって何にゃ?」

ボクはかき氷が乗った匙を口に入れた。ロックモール名物らしいけど、マゴの実から取った蜜とあいまって実に美味しい。モリブスに戻ったら作ってみよう。

デボラさんはグバのジュースを飲むと、周囲をうかがって小声になった。

「渡しとくよ」

「……これって」

デボラさんが、懐から何かを取り出す。
手渡されたのは、黒い球だ。受け取ってすぐ、それがいかに危険なものか察した。

「そう、爆裂魔法を込めた『爆弾』だよ。魔力を通せば、離れた場所でも起爆できる」

「何でそんなものを持ってるにゃ?危ないにゃ」

「何が起こるか分からないからね。ロックモールにあいつがいると聞いて、組から持ってきたのさ。籠城したのを炙り出すためには、必要になると思ってた。
あたしの魔力を通さない限り爆発はしないから安心しな」

「……見えたにゃ。ボクはこれを置いたら、すぐに猫になって逃げるにゃ。そしてそれを受けて起爆すれば……」

「統治府は火事になり、アヴァロンはメディアを連れて出てくる。そこをエリックたちと叩く。どうだい?」

確かに、筋は通る。アヴァロンが「グロンド」を使って逃げるかもしれないけど、やってみる価値はありそうだ。

しかし……この作戦には、一つ見落としがある。


「オーバーバックはどうするにゃ」


デボラさんが言葉に窮した。あの男は、どこにいるのか分からない。そして、間違いなく只者じゃない。

「……それだね。敵はアヴァロンだけじゃない。炙り出しても、オーバーバックってのに守られていたら簡単じゃないのは分かる」

「対策が必要にゃ。あいつを引き離さないと……」

「賭場にいるって言ってたね。そこで何とか……え?」

デボラさんの表情が固まった。信じられないものを見たように、口がポカンと開けっ放しになっている。

ボクも振り向いて彼女の視線の先を見た。


……馬鹿なっっ!!?


カフェの入口に、黒い眼鏡の男がいた。短い黒髪に、黒と緑の斑の服。その異様な出で立ちから、客がざわめいた。

あの外見……間違いない。オーバーバックだ。

奴は一直線にこちらに向かってきた。ニヤニヤとした、気持ち悪い笑みを浮かべながら。
逃げるかどうかを逡巡する暇もなく、奴はボクらの隣の席に座った。

「暑いなぁ」

……気付いている?それともただの挨拶?

デボラさんが探るように言う。

「……まあ、 南国だからねえ……何か、用かい」

「ククク……いいねぇ、すぐ逃げないのは修羅場潜ってるなぁ」

「……あたしらを狙って来たのかい」

微かに声が震えている。
そもそも、どうしてボクらがここにいることを奴は知ったんだ?

それに答えるかのように、ニタァとオーバーバックの笑みが深くなった。

「品定めさぁ……。面白い気配を感じたんでなぁ。雑魚ならすぐに狩るつもりだったが、これは『太らせて』から狩るのが正解だぁ……」

何を言っている??確実に言えるのは、こいつはボクらの居場所を何かの方法を使って知っている、ということだ。
……冷や汗が額を伝ったのが分かった。

オーバーバックが、不意にボクの方を見た。

「……にしてもお前。回復が早いなぁ。殺さない程度に加減はしたが、腕取れてるかと思ってたぜぇ」

……!!?ボクの正体を、こいつは知ってる!!?

「……どうして分かったにゃ」

「俺には真実が『見える』んだよぉ。どんな魔法も、俺の前では無意味だぁ。
……せっかくだから、注文するぜぇ。焼きビーフン……はねぇなあ。この『パンシート』にするかぁ。一応、麺類らしいしなぁ」

まるでボクらがいないかのように、オーバーバックは気ままに振る舞っている。「殺そうと思えば殺せる」とでも思っているのか?

「何が望みにゃ」

「あぁ?さっき言っただろぉ、品定めってなぁ。あとは改めて警告だぁ。
緑髪の女には手を出すなぁ……依頼主からの依頼でなぁ、そこだけは契約上果たさなきゃいけねぇんだよぉ」

「契約主……アヴァロン大司教にゃ?」

「さあなぁ……ただ、俺の契約にはお前らを消すことは含まれていねぇ……何もしねぇんなら、将来性に免じて見逃してやるよぉ」

ガタン、と急にデボラさんが立ち上がった。目の前のかき氷は、すっかり溶けてしまっている。

「……行くよ」

「……分かったにゃ」

もちろん、アヴァロン大司教の件を諦めたわけじゃない。ただ、この場は早く立ち去りたかった。
エリックの言う通り、この男は……危険だ。底が全く見えない。

「おうおう、せっかくだから名物の『パンシート』でも見ていけよぉ。
……というか狐の女ぁ。お前、どこかで見たことがあるなぁ」

「知らないね」

オーバーバックの笑みが、さらに深まった。


「いやいや、会ったことがあるぜぇ……ああそうだ、あれは15年前だぁ。確か、名前は……パメラ」




デボラさんが驚きをあらわにして振り返った。パメラ??確かそれは……


「何であんたが、母さんの名を……」


「そうかぁ、親子かぁ。似てるはずだぁ、マナの感じも気配もぉ……」

「あんたっ、母さんを何で知ってるっ!!!」

「ククク」と愉快そうに……いや、恍惚に満ちた様子でオーバーバックは口を開いた。


嫌な……とても、嫌な予感がする。


「俺が殺った、最強の相手の一人だったぜぇ……あれは愉しかったぁ……」




「貴様ぁっっっ!!!!!」



デボラさんは懐から銃を抜こうとする。しかし、それより遥かに速く……どこからか取り出したか分からない長銃を、オーバーバックはデボラさんの鼻先に突き付けていた。


「見逃してやるって言ったのによぉ……残念だぜぇ」


つまらなそうにオーバーバックが呟く。……そして。





バァンッッッ!!!



銃声が、響いた。



キャラクター紹介

ハーベスタ・オーバーバック(年齢不詳、30代?)

男性。短い黒髪にサングラス、迷彩服を好んで着る。身長183cm、体重78kg。見るからに鍛え上げられた身体を持つ。
服装は明らかに北ガリア大陸のどこの国とも違う。南ガリアやアトランティア大陸でも同様の出で立ちはない。
鼻はそれほど高くはなく、常にニヤニヤと笑っている。どこか間延びした喋り方が特徴。

北ガリアの秩序維持を担う組織「六連星」の一人だが、立ち位置は他の5人とは大きく異なるようだ。
契約を重視し、契約外の行動は極力避けている様子が伺える。戦闘狂のようだが、「獲物は太らせてから狩る」が信条でもある。決して話が通じない男ではない。

趣味は博打とB級グルメ。盲人のようにも見えるが、目は見えているようだ。本人曰く「真実が見える」というがその真意は不明。
武器は深紅の長銃「紅蓮」。その戦闘能力は極めて高いが、その素性含め一切が謎に包まれている。

第24-1話はここまで。24-2は予定を変更してプルミエール以外の人物からの視点とします。

パンシートはフィリピンの焼きそばパンシットカントンに近いものです。
ロックモールの食文化は東南アジアのそれをイメージしてもらえば大体合っています。

なお、オーバーバックの発言からは随所に単語など違和感があるかと思われます。
これについてははっきりとした理由があります。明らかになるのはずっと後ですが。

なお、オーバーバックのCVは故野沢那智さんをイメージしてもらえば多分大体合っています。





第24-2話






子供の頃見たあの光景を、あたしは未だにハッキリと覚えている。


父さんと母さんは、家を空けることが多かった。
2人と過ごした時間より、ジャック先生やアリスさん、あるいはベーレン候の家族と一緒だった時間の方が長かったかもしれない。
それでも、寂しさは感じなかった。一緒にいる時は、できる限りの愛情を注いでくれたから。
どこかの遺跡に向かう2人を、精一杯手を振って送り出す。それがあたしとウィテカーにとっての1週間の始まりだった。


父さんたちは、冒険から帰る度に嘘みたいな土産話をしてくれた。
とてつもなく巨大で知恵のあるドラゴン。ひとりでに動く、機械の兵士。機械が勝手に掃除をしてくれる不思議な邸宅……
どこまで本当なのか、当時のあたしには分からなかった。でも、真偽なんてどうでもよかった。


世の中は謎に満ちていて、だからこそ面白い。
きっと、父さんと母さんはそれを伝えたかったんだと思う。


そんな2人が、冒険先にあたしたちを呼ぶことはほとんどなった。
ただ、一度だけ連れていってくれた場所がある。モリブス南西部の、サンターナ山地だ。


丸3日かけて、あたしたち一家は山地を探索した。巨狼や二角熊のような、獰猛な魔物にも出合った。
すごく怖かったけど、どこか安心してもいた。父さんたちが守ってくれたから。そして、山地の奥にそれはあった。


『……うわぁ』


そこにあったのは、一面の花畑。花は全て、虹色に輝いていた。


『きれいでしょ』

母さんが穏やかに言う。

『うんっ!!すごくきれい……何て花なの?』

『名前はないわ。私たちが見付けた。ね、リオネル』

父さんが頷く。

『ああ』

『これ、皆に見せてあげたいなあ。ジャック先生やアリスさんにも』

『そうだな。だが、彼らはともかく、世の中には知られてはいけない花でもある』

『どうして?』

母さんが、足元の小石を花畑に投げ入れた。その刹那。
石が落ちた辺りが、一瞬のうちに黒く染まった。

『……え』

『花が『攻撃された』と感じたの。そして、花は猛毒を放つ』

父さんが何かを呟く。すると、花は元の虹色に戻った。父さんは「すまなかったな」と足元の花を軽く撫でた。

『この花畑は生きている。もし、大勢の人がここに来れば、ここは荒らされてしまうだろう。
そして、大勢の人が死ぬ。この花の毒によって』

『そうね。……知られることが、必ずしもいいこととは限らない。世界は美しいけど、封じられた方がいい事実もあるの』

父さんと母さんが、一瞬悲しげな表情になった。

『どうして父さんたちは、あたしたちをここに連れてきたの?』

『そのことを教えるためだよ、デボラ、ウィテカー。お前たちにも、きっと分かる時が来る』


父さんたちが、何を伝えようとしたのかは未だにハッキリとは分からない。


ただ、あの花畑の美しさは、きっと一生忘れることはないだろう。


#


何で、こんなことを思い出しているんだろう?


目の前には、銃口があった。……ああ、そうか。



これが、走馬灯か。



……父さん、母さん。ごめん。
ウィテカー、後は頼んだよ。



唇を噛むと、目の前を何かが通った。……そして。


バァンッッッ!!!!!


銃声。




……あたしの意識は、まだある。
腰の辺りを、誰かが強く抱き締めていた。


「限界突破(リミットブレイク)!!!!」


視界が一気に上へと移る。天井に当たると思った瞬間、目には家々の屋根が広がっていた。


「え」


ドスン、と衝撃が走る。シェイドが、私と一緒に屋根に降りたと認識するまで数秒かかった。

「逃げるにゃ」

「……は?」

「いいから逃げるにゃ!!!ボクにおぶさるにゃっっ!!!」

よく事態が飲み込めないまま、シェイドに背負われる。すると、風のように彼は屋根の上を走り始めた。……迅いっ!!

後ろから追ってくる気配はない。でも、彼は屋根から屋根へと飛び移る。私をおぶった状態で。……こんな力が、どこにあったのだろう?

不意に、彼が態勢を崩した。地面へと落ちそうになったのを見て、私は彼から離れる。そして、今度は私がよろめく彼を抱いて飛び降りた。

「ぐっ!!!」

肩と腰に強い痺れを感じた。いくら小柄でも、人を抱きながら数メドの高さから跳ぶのはさすがに厳しい。
シェイドはというと、はぁはぁと荒い息をついている。あたしを救うために、かなり無茶をしたのは明白だった。

「……ちょっと待ちな」

手を彼の額に当てる。恐らく、さっきの「限界突破」とやらは、相当に体力とマナを消費する魔法だったはずだ。
とすれば、これで何とかなる。手が黄色く光り始めた。


「……くっ……にゃっ!!?」

シェイドの目に精気が戻ってきた。彼は慌てて飛び起きる。

「何やってるにゃ!!逃げなきゃ……」

「多分、もう大丈夫さ。『時間遡行』で肉体を少し元に戻したから、体力やマナと同時に記憶も戻っちゃったみたいだね」

周囲を見渡す。「蜻蛉亭」のすぐ近くだ。

「……すまなかったね……あたしのせいで、こんなことに」

「いいにゃ。ボクに親はいないけど……ご主人やアリスさんが殺されてたら、同じことをしたと思うにゃ」

「ありがとう……一生恩に着るよ」

「ボクこそにゃ。あれは切り札だけど、反動も大きいにゃ。
……治してくれて本当に助かったにゃ」

ニッと笑うシェイドの頭を、思わず撫でた。

「意外といい奴だね、あんた」

「じゃあ後でおっぱい……あだっ」

あたしはシェイドの頭に拳骨をくれてやった。

「冗談とは分かってるけど、そんな余裕はないよ。これから、どうするんだい?
エリックたちと合流しようにも、大分距離がある。何より、オーバーバックと次に会ったら……」

「……エリックたちとは後でにゃ。今戻ったら、まとめて一網打尽にされかねないにゃ」

「なら、どうしてここに……あっ」

そうか、闇雲に逃げてた訳じゃないのか。蜻蛉亭には、今テルモンの皇子がいる。オーバーバックが何者かは知らないけど、あそこにいれば少なくとも暴れることはできない……!

あたしの様子を察したのか、シェイドがニヤリと口の端を上げた。

「さすがデボラ姉さんにゃ。理解したみたいだにゃ」

「時間には少し早いけど、あそこで待つことはできる。オーバーバックに気付かれたとしても、皇子の手前荒事には及べない……考えたね」

「にゃ。むしろ問題は帰りにゃ。あいつはボクらを見逃すとは言ってたけど、どこまで本当かは謎にゃ。こればかりは運否天賦にゃ」

運次第、か。でも、選択肢はない。

「行くよ」

あたしは「蜻蛉亭」の呼び鈴を鳴らした。

魔法紹介

限界突破

肉体能力を爆発的に引き上げる魔法。肉体強化魔法を得意とするシェイドの切り札でもある。
筋力や動体視力、反射能力が通常の数倍になるため、エリックの「加速」に近い効果が期待できる。
違うのは、筋力自体も跳ね上がっているため一撃の効果は「加速5」よりはずっと高い点。
また常軌を逸した跳躍などは「加速」ではできない利点でもある。
半面、「加速」ほどの速度では動けない。また、音速を超えることによる衝撃波の発生も不可能である。

持続時間は2分ほどであり、終了後は反動で動けなくなる。「加速『閃』」を使ったエリックのように、本来は数時間マトモな行動はできない。
「時間遡行」でこのデメリットを打ち消せるデボラとの相性は非常に良いと言えるだろう。

なお、使用時には若干の溜めが要る。
オーバーバックに不穏な気配を感じたシェイドは、事前準備を済ませていた。
このため、銃が出た瞬間に「限界突破」を発動。銃を跳ね上げて天井に穴を作らせ、そこから脱出ということをやってのけている。



第24-3話

窓からの潮風が、私の髪を揺らした。陽射しは強いけど、このお蔭で存外過ごしやすい。

エリックは静かに本を読んでいる。シェイド君たちが出かけてから、ずっとこんな具合だ。

「あいつ、意外と読書家なんだな」

お茶を飲みながらカルロス君が言う。窓際にいるエリックは返事を返さない。

「確かに……時間があると寝ているか本を読んでるかですね。魔術書が多いですけど」

「……そうなのか」

複雑そうな表情で彼がエリックを見る。私はカップを置き、窓際に向かった。

「何の本を読んでるの?」

「これだ」

「……『マイク・ダーレン自伝』?マイク・ダーレンって、確か」

「ダーレン寺開祖だ。武の真髄を振り返りたい時には、いつも読むようにしている」

「私も読んでいい?」

エリックは一瞬無言になった。断られるかと思ったけど、机に積まれている中から一冊の本を渡された。

「これなら理解しやすいだろう」

「あ……ありがと」

手渡された分厚い本には「放浪記」とある。どういうことだろう?

「開祖ダーレンが世界各地を回った時の旅行記だ。武人でなくても、暇つぶしにはなる」

マイク・ダーレン。300年前にロワールに武人たちの聖地「ダーレン寺」を開いた伝説の人物だ。
その人物像は謎に包まれている。こんな自伝があることなんて、初めて知った。

「開祖ダーレンって、どんな人だったのかしら」

「武人にして魔術師、哲学者にして冒険者だったらしいな。本来は皆伝を受けていないと読ませてはいけないが、この際いいだろう」

「え」

「まあ読めば薄々分かる」

羊皮紙に書かれた文字はかなり達筆だ。ただ、読みにくいというわけでもない。
文章自体も小説家が書いたかのように滑らかで美しい。情景が目に浮かぶかのようだ。

中身は当時の世界各地の情勢や風物、人々の営みを中心に書かれている。時折挟まる武術への考察が非常に面白い。
300年前も、世界はあまり今と変わらない。貧富の差や権力者の横暴、それでも生き抜こうとする庶民のしたたかさ。
そして、ダーレンという人は常に弱者の側に立っていた人だったらしい。

興味深く読んでいくと、ある所で手が止まった。


「……え?」


私が目にしたのは、「サンタヴィラ滞在の項」という章だ。
かなり頻繁に訪れているらしく、馴染みの宿に泊まった辺りの情景からその章は始まっていた。
そして、彼がここに来た目的。それは……

「気が付いたか」

エリックが私を見た。

「……うん。開祖ダーレンって、遺跡の探索も行ってたのね」

そう、彼が訪れていたのは「ガルデア遺跡」。魔王ケインが、正気だった時に調査を行っていたという遺跡だ。

「そうだ。そして、そこから先数ページが破られている」

「……!!本当だ……」

「ああ。何か、誰かにとって不都合なことが書かれていたのだろうな。『放浪記』には破られたページが幾つかあるが、中でもこの項が一番多い」

「何でだろう……まさか」

エリックが頷いた。

「父上の件と関連があるのかもしれないな。これが世に出回っていないのも、あるいはそういうことなのだろう」

誰が一体ページを破ったのだろう?あるいは、「サンタヴィラの惨劇」の真相を知る人物が、ダーレン寺にいるのだろうか?



もやもやした気持ちを抱えていると、玄関の方から声が聞こえた。

「今帰ったよ」

「お帰りなさい!どうでした」

居間に現れたデボラさんとシェイド君は、どこかすっきりしない表情だ。

「いい話と悪い話がある。いい話は統治府に潜り込めるめどが一応立ったということ。悪い話は、オーバーバックに襲われたってことだね」

「何っ!!?」

エリックが立ち上がった。シェイド君が険しい表情になる。

「エリックの言う通りだったにゃ。あいつはボクらの手に負えないにゃ。しかも、どうやってるか知らないけど、ボクらがどこにいるかを把握できてるみたいだったにゃ」

「……よく無事だったな」

「それはボクも驚いてるにゃ。帰りにもう一度襲われるかもとは思ってたけど、その気配すらなかったにゃ。
『何もしなければ見逃してやる』という言葉がどこまで本当かは知らないけど」

エリックが腕を組んだ。

「どういうことだ?」

「『契約』、とか言ってたね。あたしらを殺すことは、それに含まれてないと。
あくまでメディアを守ることだけが目的みたいだった」

「契約……相手はアヴァロンだな。そこまでして『万病の薬』とやらが欲しいのか?」

「さあね。ただ、恐らくはオーバーバックは、アヴァロンの警護までは任されてない。
あんたはアヴァロンを狙ってるんだろう?メディアにさえ手を出さなければ、多分上手く行く」

カルロス君の顔色が変わる。

「ちょ……ちょっと待てよ!!?じゃあ何か?メディアは見捨てるのか??」

「……オーバーバックをどうにかしなきゃいけないにゃ。デボラ姉さんにとってあいつは仇だけど……」

「仇?」

どういうことだろう?デボラさんの表情は沈んでいる。

「あいつは、母さんを殺したのは自分だと言った。多分、父さんも……。
ただ、相対して分かった。今のあたしやシェイドじゃ、そしてエリックでも、あいつは倒せない。本気で来られたら、多分……」

「……やはりか。メディア奪還は諦めて、アヴァロンの確保だけ考えた方が……」


「ふざけるなっっ!!!」


カルロス君が叫ぶ。


「体よく利用しておいてそれか!!?俺にとって、彼女が戻らなかったら何の意味もないっっ!!
所詮貴様は魔王ケインの息子だな、父さんを殺したのもどうせ報酬目当て……」

「……話は最後まで聞け」

「!?」

彼の喉元に短剣が突き付けられている。エリックが低い声で続けた。

「本来ならお前の女を救う義理はない。だが、受けた恩は無下にするなというのが父上の教えでな。
ここを使わせてもらっているだけでも借りはある」

シャキン、と短剣が鞘に納められる。

「理性的に考えたら、お前の女を無視した方がずっと安全だ。だが、俺の信念上そうも言ってられない。お前もそうだろう、デボラ?」

「まあね。そんなことしたら、父さんや母さん、そして旦那に憑り殺されてしまうよ。
でも、オーバーバックをどうにかしないと、話は先に進まない。誰かいい案、あるかい?」

皆、口を閉じてしまった。エリックやデボラさんすらお手上げの相手だ。……正直、倒す方法なんて……


「倒す」方法?


いや、違う。倒す必要がないとしたら?
私とエリックの目的も、カルロス君の願いも、オーバーバックを倒さずとも実現はできる。
彼が手を引いてくれるために、必要なことは……


「契約」……ひょっとしたら!?


私は手を挙げた。


「一つ、考えがあるの」


用語紹介

ダーレン流

マイク・ダーレンにより約300年前に始まった武術の一派。
己の肉体のみを武器としているが、魔法と組み合わせた攻撃も行う。
実践重視であり、ロワール公国軍は皆大なり小なりこれを修めている。
総本山はロワール北部のダーレン寺。「政武分離」を掲げるロワール公国だが、その影響力は極めて大きい。

武術として強力であるというだけでなく、その哲学含めて信奉者は多い。
北ガリア大陸各地にダーレン寺の分寺があり、ユングヴィ教団と並ぶ宗教勢力としても存在している。
その教えは内省的かつ禁欲的。他者救済に重きを置くのがユングヴィであれば、自己救済・自己研鑽を目的とするのがダーレンと言える。
この教義の違いのため、ロワールとイーリスの間ではしばしば宗教戦争が勃発している。
とはいえ、ここ20年は互いに魔族という共通の仮想敵を持っているため小康状態のようだ。

開祖マイク・ダーレンの人物像については謎が多く、数多くの伝説がまことしやかに流れている。
その多くは説話として残っているが、歴史的資料は極めて少ない。エリックが持っている「マイク・ダーレン自伝」は複製ではあるが、それでも超希少である。
これをエリックが持っている理由は現在のところ不明。ただ、エリックが数少ない「皆伝」の保持者であるのは間違いないようだ。

今日はここまで。更新遅れ申し訳ありません。
マイク・ダーレンは「オルランドゥ大武術会」の同名人物とほぼ同じです。
ただ、彼が辿った人生まで同じとは限りませんが。

次回からロックモール編の本番です。




第25-1話



「……これが、ボク、にゃ?」

下がスースーする。姿見の向こうには、薄手のワンピースに身を包んだ少女がいた。

「へえ」とデボラさんが感嘆したように言う。

「よく似合ってるじゃないか。プルミエールの助けがあるとはいえ」

「……複雑な気分にゃ」

「蜻蛉亭」の従業員の腕は、すこぶる良いらしい。何でも女主人のカサンドラさんが、化粧術に精通しているからなのだそうだ。
彼女の実年齢を聞いて少々驚いたけど、あの肉体とこの化粧があれば客は確かに取れるだろう。

「うふふ、誇っていいわよ?それだけ素材がいいということだもの。
正直、即うちで雇いたいくらい。そのつもりはなあい?」

「遠慮するにゃ」

「あらら、つれないわね。じゃあデボラ、この子を一晩預けてくれないかしら?とても愉しい夜になると思うのだけど。もちろん、その子にとっても」

「それも断るね。そこまで暇でもないんだ」

「む、残念ねえ。その子もまだ若いんだから、悦楽の真髄を味わうには早い方が良いと思うのだけど」

正直に言えば少し心が動かされたけど、それはおくびにも出さないでおいた。
実年齢を知らなかったら「お願いするにゃ」とか口走っていただろうけど、さすがにちょっと離れすぎている。彼女が老いにくいエルフでないのは、結構残念なことだ。

「それにしても、何で女装しなきゃいけないのにゃ」

「向こうの要求よ。そういうのが好きな殿方は、決して少なくないの。しかもこれほどの見た目麗しい子は本当に希少なのよ。つくづく残念。
彼をたまに貸してくれたら、ワイルダ組にさらなる便宜を図れるのだけど」

「まあ、それは今度別の形で報いてやるさ。時間は、10時からだったかい。聖職者も随分と朝からお盛んだねえ。
しかも原理主義のイーリス派だろう?アヴァロン大司教にバレたら、控えめに言って即破門だろうに」

カサンドラさんが肩をすくめた。

「側近だから彼の予定は把握しているのだそうよ?それで無理矢理時間を作って、女装させた御稚児趣味に走るのだから業が深いわ」

「禁欲主義のなれの果てということかい。まあ、お蔭でつけ込む隙ができるわけだけどねえ」

ボクは小さく頷いた。

「確認にゃ。まず統治府に潜り込んだら、客と接触。準備と称して部屋を抜け出し、爆弾を設置。
そして猫に化けて逃げる……これでいいにゃ?」

「ああ。前に話していたのと違うのは、あんたが『限界突破』を使ってメディアごと逃げること。
メディアが死んでは意味がないからね。あんたのあの力なら、多分いけるはずさ。
オーバーバックが来たら、あたしとエリック、プルミエールが引き受ける。そこに片が付き次第、アヴァロンに対応する……」

「そのためにはオーバーバックの射撃をどうするかにゃ。初撃を避け、奴と話ができる状況を作れれば……」

「勝機はあるね」

カサンドラさんが呆れたように首を横に振った。

「にしても、アヴァロン大司教に喧嘩を売るなんて、あなたも無謀ねえ。まあ、テルモンの支配下にはいるのはこちらとしても御免だけど。
税金、酷いらしいからねえ。あの暗愚なゲオルグ帝からナイトハルト伯に世が変われば……」

「言っても詮無きことさ。それに、あたしらの目的は世直しじゃない。
詳しくは言えないけど、正直ただの私情だよ。まあ、ベーレン侯の依頼もあるけどね」

「まあ、何だっていいわ。商売しやすくなる方を、私は選ぶ。だから協力した」

「そして失敗は許されない、ね。まあ承知しているさ」

デボラさんが不意に、ボクを軽く抱き寄せた。

「……頼んだよ」

「分かったにゃ」

#

統治府の中は、まるで豪奢な宮殿だった。宮殿なんて行ったこともないのだけど。
特権階級御用達の娼館や賭場を兼ねているというのも納得だ。ボクは2階の奥の部屋に通された。

「失礼しますに……ます」

思わず語尾が変わりそうになったのを、必死で直した。部屋の奥のベッドには、30前後の男性が座っている。

「おお……これは可憐な」

てっきり脂ぎった中年が出てくるかと思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。身なりには清潔感のある、顔立ちの整った男だ。

「本日の伽を務めさせていただきます、シェイラと言います。よろしくお願いしますに……ます」

「ははは、緊張しているのかな。さあ、こっちへ」

男はボクを呼び寄せると、隣に座るよう促した。……いきなり押し倒されるようなら、然るべき対応を取らせてもらう。

「は、はあ」

「新人と聞いているからね。そこまで無茶はしないよ。それにしても、本当に可憐だ……。今までの男の娘の中でも、ちょっと図抜けている」

「お、お褒めに預かり光栄です。……確か、ユリウス様、ですか」

「ああ。今日はしっかり癒してくれたまえ。そうだな、まずは按摩でもしてもらおうか」

「え?」

「気苦労が絶えなくてね。15分ほどでいい。伽はその後で構わないさ」

変わった男だ。余程疲れているのだろうか。

「ではうつぶせになっていただければ。……どうかされたのですか?」

「ははは、まあね……厳しい上役を持つと、こうでもしないとやってられないのさ」

上役……ミカエル・アヴァロンか。

「厳しい、のですか」

肩を揉みながら訊く。

「ああ。……うん、実に具合がいい。本職が按摩だったりするのかな?」

「お戯れを」

御主人にいつも按摩を頼まれているせいだろう。こういう時に役立つとは思わなかったが。

ユリウスという男は、ふうと息を付いた。

「……猊下は全てにおいて正しい。しかし、正し過ぎる。それに外れた者は、決して許されないのさ」

「罰、ですか?」

「ならいいのだけどね。消えるんだよ。いずこへと」

……「グロンド」を使っているんだ。ボクの背筋に冷たいものが流れた。粛清か。

「消える、と」

「ああ。理由は不明、どうやっているかも分からない。でも、とにかく『消える』」

「今こうしているのも、危ないのでは?」

「大丈夫。猊下は3階にいらっしゃる。客人と話されているらしい。時間になるまで、猊下は決してその予定を曲げない。つかの間の自由、ということだよ」

客人?メディアは4階のはずだから、エストラーダ侯が3階にいるのか。しかし、彼を匿う理由はよく分からない。何を考えているのだろう?

「客人、ですか」

「ああ。どうにも猊下の御心はよく分からない。……腰の辺りも頼むよ」

ボクは腰に手を移した。

「御心?」

「ああ。モリブスの邪教徒を保護したのもそうだが、あの緑髪の少女だよ。破滅を招くなら、即殺せばいいものを」


……破滅??

「どういうことですか?」

「ああ、喋り過ぎたな。……まあ、私も詳しく知らないんだがね。何せ、150年ぶりのことだから」

150年……前に、「女神の樹の巫女」が現われた時に、何かあったのだろうか。

「その時に何があったのですか」

「ああ。伝説でしかないけどね、『女神の樹の巫女』の子供が、人を食い始めたんだそうだ。
で、手に負えなくなったんで当時の大司教が封印したとか聞いてる。……ああ、この話は内密にしてくれよ。私も消されてしまうから」


……!!!


体温が一気に下がった気がした。……そういうことか。

このユリウスという男の言葉に、どれほどの真実味があるかは知らない。しかし、メディアの言葉にやっと合点が行った。


もしそれが本当なら、彼女とカルロスは……絶対に結ばれてはいけない。


しかし、もう一つの疑問は残る。ユリウスは、それについては多分答えを知らない。


それは、「なぜすぐにメディアを殺さなかったのか」という問いだ。彼女の体液から取れる薬ができるまで、待っているとでもいうのか。

今すぐ動いた方がいい、とボクの本能が告げた。できるだけ早く、メディアに会わないと。

「……ちょっと、小用を足してもいいですか」

「ん?構わないよ。戻ったら、伽としようか」

好色な目で、ユリウスがボクを見る。そっと重ねられた手を振りほどこうとする誘惑に、ボクは何とか耐えた。
もう、彼に会うことはないだろう。多分。


部屋をそっと出る。その刹那、禍々しい気配を上から感じた。……何だこれは??



オーバーバック?いや、あいつとは違う。この気配は……魔物にむしろ近い。


ボクは周囲を見渡し、まず化粧室に入った。爆弾を置くと、猫に姿を変えその窓の隙間から外に出る。
気配がしたのは、東側の方だ。こちらは西側だから、ちょうど逆。見に行きたいという欲求はあったけど、本能がそれを押し留めた。
それに構わず、4階のバルコニーへと駆け上がる。


果たして、そこにはメディアがいた。
その手には、前に来た時にはなかった緑色の大きな宝石が握られている。


カリカリと窓をひっかく。彼女がわずかな驚きとともに、ボクを迎え入れた。

「……あなたは」

「君を迎えに来たにゃ、カルロスが待ってるにゃ」

「……!!カルロスが……」

「ここはもうすぐ火事になるにゃ。その前に逃げるにゃ」

「……私は、ここで死ぬべき定め。ここに残るわ」

ボクの中に、迷いが生じた。ユリウスの言っていたことが本当なら、世界にとって彼女は確かに生きてはいけない存在なのかもしれない。
ただ、子をなさなければ大丈夫だとすれば……

「それは本心かにゃ?」

「……」

禍々しい気配は、さらに強まっている。これ以上ここに残るのは危険だと、獣としての本能が訴えかけていた。

「もしここで死にたいならそれはそれでいいにゃ。でも、君が少しでも生きたいと願うなら、ボクと一緒に逃げるにゃ」

ボクは宙返りをして、再びヒトの姿に戻った。幻影魔法の効果は切れているけど、この際それはどうでもいい。


ゾグンッ


下から、誰か来る気配がする。1人……いや2人??



ボクはメディアに手を差し伸べる。


「いいから来るか、来ないか、どっちなんにゃっ!!!」


メディアが逡巡する。小刻みに震えた手が、少しだけ前に出た。
ボクはそれを掴み、魔力を溜める。


ドアがノックされるのと、魔力が十分練られるのと、ほぼ同時だった。


「限界突破(リミットブレイク)!!!!」


彼女を抱いて、ボクは窓を破る。それが合図となって、館から轟音が響いた。

キャラクター紹介

ユリウス・ストロートマン(31)

男性。ユングヴィ教団イーリス聖教会の司教。
名門の子として生まれ、修道院でエリート教育を受ける。優秀ではあるが、過度に禁欲的な生活の反動から性的嗜好が歪んでいる。
もっとも、これ自体はユングヴィ原理主義派には少なからずあることであり、同性愛趣味は過度でなければ問題ないというのが一般的であった。

問題は、ユリウス・アヴァロンはそれすら禁忌として厳に禁じたこと。
禁忌を破った教徒は幹部であろうと文字通り「消されて」おり、一種の恐怖政治に近い状態となっている。
このため、異性愛だけでなく同性愛も地下に潜った状態でなければ行えない状況となっている。
ユリウスはその優秀さからアヴァロンからある程度の行動の自由を得ており、時折男娼を買うことでその欲求を満たしていた。
とはいえ、締め付けの強化から直近の禁欲期間は数カ月にも及んでおり、それが彼をして統治府内での買春という相当にリスキーな行為に走らせたといえるだろう。

本人は極めて紳士的であり温厚。外見の良さもあり、男女問わず好意を持たれやすい人物。
恋愛経験は年下の修道僧相手に何度かあったが、締め付けの強化に伴い別れている。

失礼しました。上の記事でユリウス・アヴァロンとあるのは「ミカエル・アヴァロン」の間違いです。




第25-2話





統治府から誰かが飛び出したのが見えた。シェイド君だ。


それを確認し、デボラさんが目を閉じ集中する。やがて、統治府から爆音が聞こえた。
被害を小さく留めるために、威力は小さめに抑えたという。ここまでは計画通りだ。


「ここまで、シェイド君たちが来れるでしょうか」

「……さあね。だけど、そうしてくれないと話にもならない」

シェイド君とメディアさんと思われる影は、屋根から屋根へと猫の……いや、豹のように飛び移っていく。凄まじい迅さだ。
まだ、オーバーバックと思われる人影は見えない。私たちがいるこの路地まで、距離はもう50メドもない。大丈夫、行けるはずだ。

様子を見ようと路地を出た刹那。


ドグン


……重く、気味の悪い気配を向こうから感じた。そこには……深紅の銃を担いだ、黒と緑の男。



彼が、私を見て嗤った。


「やはりなぁ……雁首並べて、一網打尽だぁ」


銃がシェイド君に向けて構えられる。……まずいっっ!!!


「加速(アクセラレーション)5!!!」


オーバーバックに向けて駆け出す黒い影が見えた。こういう時のために潜んでいた、エリックだ。


「おぉ」


オーバーバックはすかさず標的を変える。白い閃光が、エリックの至近距離で放たれた!


ヴォン


「嘘っ!!?」


思わず叫んだ。銃から放たれた閃光は、向こうの家の壁を粉々に砕いた。……何という威力。
いや、驚くべきはそこじゃない。あの至近距離で、弾丸を避けたエリックがおかしい。「加速」をかけているからといって、あんなことが常人で可能なの?

「はっ!!いいねぇっ!!」

エリックの拳を、オーバーバックは銃身で受ける。エリックは思わず後方に退いた。

「くっ……」

「いやぁ、愉しいねぇ……もう少し熟れてからの方が食べ頃だがぁ……」

「……止まりなさい」

私は、震える手でアリス教授から貰った「魔導銃」をオーバーバックに向けた。彼が呆れたように笑う。

「おいおい姉ちゃん、そんなへっぴり腰じゃ俺は撃てねぇぜぇ……」

「やってみないと、分からないわ」

シェイド君たちが路地に辿り着く。「ここは任せたよ」と、デボラさんが息が上がっているシェイド君を引っ張った。

「……随分、悠長なんだな」

睨み付けるエリックに、オーバーバックが銃口を向ける。私への警戒が解かれてないのは、すぐに分かった。

「そりゃなぁ。そこから逃げるのは、転移魔法でも使わないと無理だぁ……お前らを片付けてからでも、十分間に合うぅ……」

悔しいけど、オーバーバックの言う通りだった。「転移の玉」は稀少品で、アリス教授をもってしても簡単には作れないとのことだった。
「あなたたちにも持たせられればよかったのだけど」と、心底申し訳なさそうにしていたのが目に浮かぶ。

ただ、もし使っていたらオーバーバックはすぐに私たちを殺し、デボラさんたちを追っただろう。
彼は、私たちがどこにいるのかを把握できる。それが本当なら、逃げを打つ意味はない。


私は呼吸を整えた。……大丈夫、分かってたことだ。



「オーバーバックさん。……提案があるの」

「んん?命乞いかぁ??」

クックックと、オーバーバックが笑う。


「……私たちと契約を結ばない?」




「ほぅ??」


これは、賭けだった。正攻法で行っても、オーバーバックを倒せる見込みは多分ない。
私は彼に会ったことがなかったけど、エリックやシェイド君の口振りからこの男の危険性は何となく分かった。
そして、逃げても無駄だ。その上でアヴァロン大司教を捕らえ、かつメディアさんを救うなら……これしかない。

オーバーバックが、契約という言葉を使っていたのが肝要だった。この男の行動原理は、契約だ。まるで傭兵のように動くなら、雇い主を私たちに変えればいい。

問題は、対価だ。金なら、エリックが持つ宝石がある。どれほどの価値があるのか正確には分からないけど、少なくとも1000万ギラ以上はあるはずだ。
それ以外のものを……例えば、私の貞操を求められたら?分からない。ただ、穏やかに済む対価を私は願っていた。

もう一度呼吸を整え、私は口を開く。

「……あなたが、メディアさんを守るという契約を結んでいるのは知ってる。だから、それに上書きする形でこちらも契約を結ぶわ。
……『私たちに危害を加えない』という契約を」

オーバーバックの口の端が上がった。

「対価は何だぁ?俺は金じゃ動かねぇ……女も、名誉も要らねぇ」

「……!?じゃあ、何を対価にあなたはアヴァロン大司教と」

「お前らにそれが払えるとは思えねぇ……」


ズォンッッ!!!


オーバーバックのマナが、一気に膨れ上がった!まずいっ!!……私の賭けは、失敗に終わったんだ。

私は魔導銃を握り直す。こうなったら、できるだけ足掻くしか、ない。エリックの表情の険しさが増した。


ごめんなさい、教授。エリザベート。
そして……ごめんなさい。エリック。




覚悟を決めた瞬間、オーバーバックのマナが萎んだ。……どういうことだろう?


「いや、待てよぉ?……お前が、プルミエール・レミューかぁ?」

「……え、ええ。だとしたら?」

オーバーバックの顔から、初めてあの気味が悪い笑みが消えた。

「……なるほどなぁ……あるいは、お前らに乗る方が正解かぁ?」

「何を、言ってるの」

口の中が乾く。再び、オーバーバックがニヤリと笑った。


「俺の記憶を調べろぉ……今すぐでなくていぃ……」



「え?」

思いもかけない言葉に、私は固まった。エリックが、掠れた声で訊く。

「……どういうことだ」

「俺には記憶がねぇ……15年前からの記憶が、一切だぁ。
だから、俺はそれを取り戻すために、アヴァロンたちと契約を結んだぁ……
だが、その女なら確実に俺の『記憶』を取り戻せるはずだぁ。それが、1つ目の対価だぁ」

「……まだ対価が?」

「この場でお前らを見逃し、債務不履行になるのを上回るには、それなりの対価が要るぅ……
お前らが、もっと強くなったら、俺と戦えぇ……期限は、俺と次に会う時だぁ」

エリックが、私を見た。これは、その場しのぎに過ぎない。そう訴えていると、すぐに察した。

ただ、1つ目の対価は不可能じゃない。今の私が「追憶」で遡れるのは10年前までだけど、もう少し頑張れば15年前の記憶は分かりそうだ。
問題は、2つ目の対価。要は、「オーバーバックに殺されろ」ということだ。しかも、次にいつ会うかなんて、分かったものじゃない。


私は、目をつぶった。……ここが、正念場だ。



「……いいわ。でも、条件がある」

「条件ん?」

「ええ。今の私じゃ、15年前にあなたに何があったかは分からない。だから、時間をちょうだい。……そう……1ヶ月ぐらい」

「1ヶ月ぅ?」

私は頷いた。このまま行けば、サンタヴィラまで大体そのぐらいで着く。どちらにせよ、それまでには20年前まで「思い出せる」ようになっていなければならないのだ。

オーバーバックは渋い顔になった。

「……3週間だぁ。そこまで待てねぇ……」

思わず唾を飲み込んだ。

「……いいわ」

「プルミエールッッ!!?」

エリックが叫ぶ。オーバーバックの笑みが深くなった。

「いいぜぇ……!!契約、成立だぁ……」

向こうから、人々の叫び声が聞こえる。統治府から、人が逃げ出しているのだろう。その中に、アヴァロン大司教もいるはずだ。

オーバーバックが、パチンと指を鳴らす。しばらくして、彼の後ろに黒い空間の歪みができた。……転移魔法?

「俺はしばらく消えるがぁ、せっかくだから一つ情報をくれてやるぅ……
俺をやり過ごしたからといって、安心しないことだぁ。『怪物』が、まだ残ってるぜぇ……」

「何っ!!?」

「クックック……俺とやるまで、死んでくれるなよぉ。そして、殺しがいのある獲物になれぇ……」

そう言い残し、オーバーバックは消えた。


それとほぼ同時に……禍々しい気配を、私は感じた。今まで感じたことのないような、おぞましい気配を。



「誰かぁっっ!!!娘が、娘がぁっっ!!!」


「逃げろぉっっ!!!喰われ……があああっっっ!!!」


悲鳴が、ハッキリと聞き取れるほどに大きくなった。……何かが、近付いてきている!!?


「……逃げる、にゃ」

シェイド君が、路地から出てきた。

「え?」

「何かは分からないにゃ……でも、とにかく逃げるにゃっっ!!!」

エリックが、シェイド君の言葉を無視して叫び声がする方に駆け出す。

「エリックッ!!」

「お前らは先に逃げろ!!」

「そんなことを……」

遥か向こうに、2人の人影が見えた。遠くて顔までは見えない。

しかし……そのうちの1人からは、無数の細長い……触手か枝のようなものが生えているのが分かった。
それが次々と人々を捕まえている。……何なの、あれは??



「……何てことを」


緑髪の少女が、強ばった表情で呟いた。

「何なんだいあれはっっ!!?」

デボラさんの叫びに、彼女は弱々しく首を振る。

「……多分、あれは……私の前に来ていた客人。私の血で……人にあらざる者に変わってしまった」

「……え」

私は向こうを振り返る。……そんな、馬鹿な。



あれが、エストラーダ候だと言うの??


キャラクター紹介

カサンドラ・アーヴィング(49)

女性。高級娼館「蜻蛉亭」主人。普段は茶色の髪を上にまとめている。
50近いが、その肉体と技巧、そして卓越したメイクで未だに客を取っている。目尻に皺はあるものの、30半ばでも十分通用する程度には若々しい。
すっぴんでもかなり美しいが、それを他人に見せることはまずない。
年少の、できれば10代の客を好んで取る傾向にある。いわゆるショタコンであり、現役を続けているのは実益も兼ねている。

娼館の主人としては優秀で、目利きには定評がある。また、やむにやまれぬ事情から娼婦や男娼に落ちた者には手厚い保護を与えている。
実はモリブス出身ではなくテルモン出身。ただ、反皇室側の人間でありモリブスのワイルダ組(引いてはベーレン家)との関係が深い。
テルモン皇室からの刺客をデボラが撃退したことで、その関係性はさらに強まった。

なお、年齢上後継者を探しているがなかなか見当たらない様子。

今日はここまで。カサンドラは再登場の機会があるかもしれません。




第25-3話





「エストラーダ候……」


プルミエールが呟く。あれが、か?


2人の男まで、まだ50メドほどある。ただ、どちらがエストラーダかは大体分かった。
法服に身を包んでいるのがアヴァロンだろう。とすると、もう片方……ボロボロの服で、背中から枝か何かを生やしているのが、エストラーダか。

俺は彼には会ったことがない。ただ、保守派ではあるものの比較的マトモな男とは聞いている。今の、まるで怪物じみた人物とは、全く重なりあわない。


ビシュウッッッ!!!


遥か向こうから、枝が投げ槍のように飛んできた!?それはプルミエールに向かっていく。……まずいっ!!


ザンッ


「え」

「言ったはずだ、早くしろっっ!!ここは俺が何とかするっっ!!」

追撃のように向かってくる「枝の触手」を、俺は短剣で叩ききる。

「……分かった」

一瞬躊躇した後、プルミエールが頷く。去り際、「死ぬんじゃないよ」とデボラが言い残した。

もちろん、死ぬつもりはない。俺が逃げるだけなら、多分「加速」を使えば容易いことだ。
ただ、ここで足止めしないと、身体能力は普通の女に過ぎないプルミエールは危うい。まして、あのメディアという女が戦えるとも思えない。俺が時間を稼ぐだけ稼がないと……!

遥か向こう、アヴァロンが不機嫌そうに顔を歪めたように見えた。エストラーダは無差別に「枝の触手」を伸ばし、逃げ惑う人々を絡め取っている。
そして、絡め取られた人々は……


「がああああっっっっ………」


10メドほど先で、枝に捕まった男がみるみるうちに萎んでいく。よく見ると、あちらこちらに皮と骨だけになった死体が散乱していた。

「チッ」

捕まったら死ぬ、ということか。それにしても、これは……惨い。惨すぎる。


俺の腹の中から、灼熱の何かが込み上げてきた。


「アヴァロォォォンッッ!!!!」


叫びと同時に触手が5本飛んできた。俺は「2倍速」を発動し、それを交わす。服が、僅かに破けた。……2倍じゃ足りないか!?


「加速(アクセラレーション)5!!!」


俺は5倍速に切り替えた。前は精々数秒しか持続できなかったが……今なら、30秒は持続できる!!


10本以上の触手が、一気に俺に襲い掛かる。1本の動きは「遅い」。しかし、数があまりに多い。
剣を振るい枝を叩き斬りながら、俺はジグザグに動いて一気に距離を詰める。


残り40メド……30……20……10…………!!!


アヴァロンの顔が、ハッキリ見えた。その顔は驚きで見開かれている。……獲れる!!

刹那、俺の視界が塞がれた。エストラーダが背中から生えていた枝を束ね、丸太のようにして俺に打ち付けてきたと知ったのは、その寸前だった。


「ぐおっっ!!!」


俺は大きくしゃがんだ。頭の上を、巨大な何かが通りすぎる。
そして、俺は短剣を構えて距離を取った。「加速」は一度解除している。


「驚きましたね。今のを避けるとは」


遥か向こうで、ガラガラガラと建物が壊れるのが見えた。さっきのヤツが当たったのか。

「アヴァロン……なぜこんなことをしているッッ!!!」

「貴方も含め、神の教えに反する者の『救済』ですよ……それより、オーバーバックさんはどうしました」

アヴァロンの額には皴が寄っている。怒りを必死で押し殺しているかのようだ。
エストラーダが再び触手を動かそうとしているのを、奴が手で制した。

「生憎だったな。奴は寝返った」

「……!!?馬鹿なっ!!!」

「信じるか信じまいが、お前の勝手だ。少なくとも、ここからは手を引いた。あとは、お前らだけだ」

アヴァロンの顔が紅潮した。

「……だからあの男を引き入れるのに、私は反対したのです……とにかく、貴方にはここで『消えて』頂きます」

アヴァロンの手が振り下ろされた。それを合図に、エストラーダが触手とともに俺に襲い掛かる!!


ビュンッッ!!!ビヒヒュンッッ!!!!


高速の鞭打が、風切り音を上げる。「5倍速」を発動しつつ、俺はそれを何とか交わす。
速度はさほどでもない。しかし、やはり問題は手数だ。そして、5倍速を解いた瞬間に……恐らく、俺は捉えられる。

アヴァロンが杖……恐らく「グロンド」を構えたのが視界のの隅に見えた。魔法の効果範囲は分からないが、あれに巻き込まれたら終わりだっ!!!

逃げる余力を考えると……「音速剣」を使えるのは、実質1回。今撃つべきか?それとも……


ビシイッッ


「グアッッ!!?」


触手のうちの1本が、かすかに俺の手首に当たった。短剣が、カランと地面に転がる。


ニヤリ、とアヴァロンが笑ったように見えた。……舐めるなっっ!!!



「加速(アクセラレーション)7、『乱』!!!!」


音速手前まで抑えた速度で、俺は間合いを詰めた。アヴァロンを庇うようにエストラーダが立ち塞がり、「枝の触手」を束ねた盾を作る。しかし、この程度!!!


ドグォォォ!!!


拳に鈍い手応え。それと同時に、「盾」は木っ端微塵に吹き飛んだ。
アヴァロンまでは、もう残り3メドもない。この「速度」で奴が対応できるはずもない!!!



カッッ


黄色い光が、一瞬放たれる。
その直後……奴とエストラーダの姿が、消えた!?


「……驚きましたよ」


視界の向こう、20メドほど先に、奴らはいた。転移魔法?こんな一瞬で??
……いや、違う。魔法じゃない。奴は、「グロンド」の力を自分に向けた。それで、緊急回避したわけか!?

アヴァロンは、実に忌々し気な目で俺を見た。

「ただ単に『速く動ける』魔法じゃないですね?もしそうなら、エストラーダの攻撃をほとんど見切っているのはおかしい」

「……詐欺師や奇術師が種を明かすと思うか」

「ごもっとも」

「エストラーダに何をした」

エストラーダは、人形のようにアヴァロンの前に立っている。理性がないのは明白だ。

「先ほどの台詞、そっくりお返ししますよ」

テルモン兵が集まってきた。……攻めるべきか、退くべきか。

左足に体重を乗せる。……「閃」は使えない。
多分2人を殺せるだろうが、周辺への被害は大きい。何より、逃げるだけの体力もなくなる。
「音速剣」の射程でもない。とすれば、もう一度「5倍速」で近づくしかない、か。

行くことを決断した時、アヴァロンが腕時計を一瞥した。そして、「グロンド」が再び光る。

「……まだ、『調整』が不十分なようですね。それに、オーバーバックさんの裏切りで予定が狂いました。もう、退く時間です。
……必ず、貴方を殺し、彼女を取り戻します。予定は、全て忠実に遂行されねばならない」

調整?そう思う間もなく、2人は光の中へ消えた。

「何をしているっっ!!」

テルモン兵が俺に詰め寄ってくる。俺は「5倍速」を使い、その場から一気に離れた。

「え!?」

「消えた!!?」

風景が風のように流れる。プルミエールたちは、多分カルロスの家へと向かったはずだ。

俺の中には、アヴァロンたちを取り逃がした屈辱より、アヴァロンが退いたことへの疑問が渦巻いていた。

確かに、あのままやっていたらどちらが勝っていたかは分からない。
いや、俺の余力からすれば、長期戦に持ち込めば恐らく奴らが勝っていたはずだ。だから、俺は短期決戦を挑もうとした。
なのに、アヴァロンは退いた。……エストラーダは、完全な状態ではない?

まだ疑問はある。アヴァロンが、無軌道な殺戮に動いた意味だ。

原理主義派の中でも、過激派は世俗主義派を邪教徒だとみなしているのは知っている。そして、原理主義派にとってロックモールという街はそれ自体が禁忌の塊だ。
だからと言って、罪なき人々を殺す意味は何だ?あるいは、そこまでアヴァロンは狂っているのか?


とりあえず、幾許かの時間はできた。あのメディアという女が、その答えを持っているとすれば……一度、ちゃんと問いたださねばならない。

技紹介

「乱」

エリックの魔法「加速(アクセラレーション)」の7倍速。音速手前まで速度を落とすことで、周辺に被害を与える衝撃波の発生なしに行動することができる。
ただ、非常に繊細な調整が必要なため、修行前では使いこなせていなかった。
音速手前まで加速されることで、打撃の威力も相当程度高まっている。これを「乱打」することで、相手を圧殺するのが本来の骨子である。
なお、本編では一瞬のうちに10発ほどを「盾」に打ち込んでいる。現状での持続時間は10秒程度。




第25-4話




「メディアっ!!!」

カルロスの別荘に着くや否や、彼はメディアの方に駆け寄った。そして、感極まったように彼女を胸に抱く。

「……良かった……本当に……!!」

「……ごめんなさい。私、言っていないことが……言えなかったことが、たくさんある」

「いいんだ……君が戻ってきただけでも、俺は……」

カルロスが涙をゴシゴシと拭いて、あたしを見た。

「……心底恩に着る。あんたは親父の仇だけど……もう、いい」

「……問題は、これからだと思うけどねえ」

逃げ去り際にちらっと見えた、あの惨劇。エストラーダ侯に、一体何があったのだろう?
あんなことになった以上……もう、ただじゃ済まない。既にベーレン侯の元には、軍の派遣を要請する早馬が飛んでいるはずだ。

そして、それにこのメディアという女は、恐らく深く関わっている。これで「めでたしめでたし」となることは、まず考えられない。

「まず、エリックを待つにゃ。あいつなら、少なくとも逃げ切れると思うけど……」

シェイドの言う通りだ。あいつの「加速」は恐ろしく汎用性が高い。どういう原理かは分からないけど、認識速度まで加速されているようだった。だから、防御に徹すればそう簡単にはやられない。
1年前にカルロスの父親を討った時、「回転銃」の銃弾の雨を容易く潜り抜けていったのを思い出す。

「あ」

プルミエールが街の中心部の方を見た。エリックが、息を切らしながらこちらに走ってくる。

「エリック!!」

着くや否や、エリックは力尽きたように崩れ落ちた。それをプルミエールが抱きかかえる。

「……大丈夫、だ。魔力を、使いすぎた、だけだ」

「アヴァロン大司教と、エストラーダ侯は」

「……逃げた。まず、少し、休ませてくれ……色々、話したい、ことがある」

メディアが視線を落とした。感情が薄い子だと思っていたが、その行動からは幾許かの後悔のようなものが見えた。


……さて、鬼が出るか蛇が出るか。


#

「さあて、色々聞きたいことはあるんだけど……まずはあんたが本当は何者か、だねえ」

メディアの表情は乏しいけど、僅かに沈んでいるようにも見える。
カルロスが、彼女の右手に自分の手を重ねた。

「……メディア、俺は大丈夫だから」

微かに彼女が頷く。

「まず確認にゃ。君は、『女神の樹の巫女』。それで合っているにゃ?」

「……それが本当は何者なのか、あなたは知っているの」

「……あ、言われてみればにゃ。古い歴史書の、断片的な記述でしかボクも知らないにゃ……」

「でしょうね。都合の悪い箇所はユングヴィ教団が徹底して消したから」

「……解せんな。なぜユングヴィの連中が絡んでくる?」

体力回復の薬湯を飲みながら、エリックが訝し気にメディアを見る。

「ユングヴィが絡む理由は多分分かるにゃ、ボクを呼んだユリウスって男から聞いたにゃ。
150年前に、『女神の樹の巫女』の子供がユングヴィ教団の幹部まで登り詰めたって話はしたにゃ?その子供が、大量殺戮を行ったらしいのにゃ。
ただ、何がどうなってそんなことになったかは知らないにゃ。君は何か知ってるにゃ?」

「……ええ。それには、私の正体を言わなければいけない」

「正体?」

チラリ、とメディアがカルロスの方を見た。

「俺は大丈夫、覚悟はできてる」

「……ありがとう。まず、私は人間じゃない。あの、『女神の樹』の一部」

「……『一部』?」

「ええ。私……『女神の樹』は、繁殖する相手を持たないわ。同族に雄体はいないし、受粉もできない。
ただただ長い間、孤独に生きるより他ない生命。ただ、それでも本能が、子を残そうとすることはある。
そういう時に私が生まれるの。『雌蕊』として」

「『めしべ』?何だそれは」

ポンとシェイドが手を叩いた。

「学術書にあったにゃ。植物は、雌蕊に花粉を受粉することで繁殖するにゃ。……ああ、つまり」


「ええ。私は、ヒトの精を受けるための器。そして、子を為したら消える運命」



「……!!そんなっっ!!?」

ガタン、とカルロスが立ち上がった。

「……ああ、そういうことかい。あんたがこいつに抱かれなかった理由は」

こいつはこいつなりに、カルロスを愛しているのだろう。だからこそ、永遠の別れに繋がる行為を避けていたわけか。

「……それもある。でも、あと2つ理由がある」

「2つ?」

「ええ。まず、私の体液は強力な薬になる。原液を直接飲めば、人外の力を得られるほどに。
そして、続けて飲み続ければ……人の姿を失い、『雌蕊』を守るための騎士となるわ」

「……まさかっ!!?」

プルミエールが顔面蒼白になった。メディアが顔を伏せる。

「……ええ。あなたたちが見た、あの男性。彼は、私の血を飲んでしまったのだと思う」

「血?」

「あのアヴァロンという司教に囚われ、私はまず指を切られたわ。そして、血を採取された。
150年前にあったことは、ユングヴィの中では語り継がれていたみたい。前の『私』の伴侶が、私の死後に怪物と化したことを含め」


ドンッ


激しい音がした。エリックが、薬湯の入った陶器を机に叩きつけたのだ。

「外道がっ……!!アヴァロンは、初めからそのつもりでエストラーダを生かしておいたわけか!!
奴は血を得るために、お前を捕らえた。違うか」

そういうことか。……確かに、反吐が出る。
アヴァロン大司教の人となりは、薄っすらではあるけど聞いていた。


教義に忠実で温厚篤実、弱者に手を差し伸べる聖人。
……ただし、敬虔な信徒相手に限る。


モリブスの世俗派を、奴は獣より下の存在としか見ていない。
そんな奴が、モリブスの世俗派の長であるネリドと一緒にエストラーダ邸を訪れていたという時点で何かを察するべきだった……!

メディアが、軽く首を振る。

「それはあると思う。でも、それだけじゃない」

「もう一つの理由……子供が、大量殺戮を行ったという話にゃ?」

シェイドに、小さく彼女が頷いた。

「150年前、何が起きたかという記憶は『本体』を通して知っているわ。そして、『本体』は当時の『娘』と精神的に繋がっていた。
何が起きたかは、詳しくは分からない。でも、『女神の樹』はヒトから樹の姿に変わる時に、多量の生命を必要とするわ。多分、その時に……」

「生命としての本能、というわけにゃ。……そして、アヴァロンはその可能性を摘もうとしたわけにゃ」

「ええ。あの人は、邪悪ではない。少なくとも、本人は正しいことをしているとしか思っていない。
そして、世界のことだけ考えるなら、それは正しい。私は……子を為してはならぬ運命(さだめ)」


「ふざけるなっ!!!」


カルロスが立ち上がった。


「君はどう考えているんだ!!世界のことなんて、そして今後のことなんてどうでもいいっ!!
君の、本当の気持ちを知りたいんだよ!!」

メディアが言葉に窮した。会ってから僅かの時間しか経ってないけど、この娘は無感情じゃない。少しだけど、感情はちゃんとある。

長い沈黙の後、彼女の目から涙が一筋流れた。

「……分からない。これが『本体』の本能なのか、それとも私の感情なのか。
でも……許されるなら……私は、カルロスともっと一緒にいたい。でも、そんなこと……できるはずもない」

「メディアっ……!!」

カルロスが、彼女を胸に抱いた。

……若さだねえ。ただ、感情だけではどうしようもないことは、ある。

「じゃああんたはどうすればいいと思うんだい?清い関係を一生続けたまま、遠くに逃げるのかい?」

「……いや、アヴァロン大司教は討つ。……話はそれからだ。とにかく俺にも、何か手伝えないか??」

「……あんたは、その子の側にいてやんな。それがその子のためにもなるはずさ」

カルロスは、前線には出せない。アヴァロンたちをここで迎え撃つことになるだろうけど、迂闊に彼を晒せばまず狙われるだろう。
それに、彼女の精神を安定させる要因にもなる。多分、これが最適だろうね。


ところが……シェイドが納得していないように首を捻った。


「……どうしたんだい?」

「いや、あまり良くない予感がするにゃ。根拠はないにゃ、ただ……」

「ただ、何だい?」

「誰かもう一人、2人についているべきだと思うにゃ。万一の時の備えにゃ」

「まあ、そうだねえ……」

そうなると、アヴァロンとエストラーダ相手に3対2か。ただ、あの怪物と化したエストラーダ相手にこれは少し難しいかもしれない。
それに、テルモン軍とユングヴィ教徒もいる。味方ごと殺したアヴァロンに、どれだけ付いてくるかは別としてもだ。


あたしは悩んだ挙げ句、結論を下した。


「いや、2人の所まで辿り着けないようにすればいいさ。テルモン軍への工作は、あたしがやっとく」

「どうするにゃ」

「カサンドラを通してみるさ。第4皇子が彼女の客として来たからね、そこから頼み込んでみるよ。
さすがにアヴァロンの今回の所業は、テルモンとしても看過できないはずさ」

「……分かったにゃ。ボクも同行していいかにゃ?」

「構わないよ」

#



この時下した選択を、あたしは後悔することになる。



キャラクター紹介

メディア(?)

女性。長い緑髪と白い肌で、どこか超然とした印象を与える。
基本的には無表情に近いが、感情がないわけではない。人間性は僅かながらにある。

その正体は「女神の樹」の「雌蕊」。樹本体から分離し、人間に擬態することで男性の精を受ける。こうすることで、次世代の樹を生み出す。
子供は女性しか生まれない。成人と共に樹に形を変え、周辺の生命エネルギーを吸い取ることで成長する。
そして、その際には甚大な被害が発生する。これが150年前にイーリスで起きた事件の真相である。
この際に、当時の大司教が「グロンド」を使って僻地に樹を飛ばしたことで一応の決着を見ている。

女神の樹の自意識としては、自己の生殖本能が人類にとって害であることを認識しており、それはメディアにも受け継がれている。
そもそも女神の樹自体が現在進行形で僅かながらもロックモール住民の生命を吸うことで存在しているため、人に危害を加えかねない繁殖の帰結は望ましいものではないという意識があるようだ。
メディアが自分の死に対して諦観していたのは、これが理由である。

とはいえ、人間的感情がないわけではないでもなく、カルロスに対する恋慕の感情もまた本物である。
この結末がどのようになるのかは、現状では全くの不明である。

なお、彼女の存在をアヴァロンがどうして知ったのかは別途明かされることだろう。
ちなみに、メディア自身の実年齢は1歳である。その1年で彼女が誰の元にいたのかは、まだ明かされていない。

今日はここまで。

次回ですが、少し思案中です。以下のどれかから多数決で選ぼうと思います。
なお、大筋に影響はありません。

1 このまま26話へ(戦闘メイン)
2 エリックとプルミエール
3 アヴァロンの現状

3票先取とします。

2とします。
展開上一度アヴァロン側は書かなければならないことが判明したので、そっちはさらっとやります。




第25-5話




海が良く見える岩場に、彼は腰掛けていた。ザザァ……と波の音だけが聞こえる。

「エリック、そろそろ時間」

「……もう、か」

潮風が、彼の赤みがかった髪を揺らした。月光に照らされた彼の顔は、普段よりずっと精悍に見える。

「何か変わったことは?」

「いや、何も」

アヴァロン大司教の夜襲に備え、私たちは交替で見張りをしていた。彼が最初で、私が2番目だ。
夜目が利くシェイド君がその次で、最後がデボラさんという順番になっている。

「くれぐれも、無理はするな。多少は場数を踏んだとはいえ、お前1人で戦いは……」

「分かってる。怪しい気配があったら、すぐに家に戻って対応、でしょ?」

「ああ。向こうの人数にも依るが、基本は逃げだ。テルモンの支援を受けられるのは、明日からだからな」

デボラさんとシェイド君が、夕方にテルモン軍と話を付けてくれたのは大きかった。
テルモン軍にも犠牲者がおり、大司教への不信が出始めているという。「少なくとも大司教の確保までは協力しよう」ということらしい。

それでも、ユングヴィの神官兵はまだいる。彼らがどれだけいるのかは知らないけど、一気に来られたら厳しい状況には変わりないのだ。

「そうね。じゃあ、あとは私に任せて。まだ疲れ、抜けてないんでしょ?」

「いや……少し俺も残る」

「え」

「嫌か?」

私はブンブンと首を振った。嫌なはずがない。ただ、予想だにしなかっただけだ。

ポンポン、と彼が岩場を叩いた。ここに座れ、ということみたい。

「……いいの?」

「そこにずっと突っ立ってるつもりか?」

私はおずおずと座った。何か、心臓の音がうるさい。

エリックは何も話さず、私の方も見ずに月をじっと見ている。警戒はまだ解いてないみたいだけど、何か話してくれればいいのに。
私はというと、会話のきっかけを掴めずにいた。エリックは、何のために残ったんだろう?

沈黙を破ったのは、彼の方だった。


「……どうするんだろうな」


「えっ」

「カルロスとメディアのことだ。全部終わって、奴らが生き延びれたとして……そこに未来はあるのか?」

「未来って……一緒に生きられるんだから、あるに決まって」

「いや、違う。カルロスは男で、メディアは女だ。人外だとしても。
そして、互いに想い合っている。そういう男女が、全く触れ合わずに生きることなどできるのか?」

できる、と言いかけて私は口をつぐんだ。前の私なら、躊躇わずそう言っていただろう。でも、今の私は……違う。

隣の少年に、もっと触りたい。触ってほしいと思っている。許されるなら、その先まで。
彼は意識しているか分からないけど、口付けだって交わしている。あの感触は、まだ忘れてはいない。

だから……カルロス君とメディアさんが繋がれた枷が、あまりに重いことを私は理解してしまった。
そう、愛し合っている2人は、1つになりたいと思うはずだ。それが決して許されないとしたら?

エリックが溜め息をついた。

「……分かったみたいだな」

「そんな……!!じゃあ、どうすればいいのよ……」

「それに答えが出ているなら、ここに残りはしないさ」

彼は足元の小石を拾い上げ、海へと放り投げた。

「俺は男だ。だから、カルロスが自分の欲求に耐えられるとは、そんなに思っていない。
まして20になるかどうかのガキだ。普通に考えたら、好き合ってる女がいたらヤりたくて仕方ないに決まってる」

「じゃあ見捨てろって言うの??」

「……いや、それはできないし、したくもない。だから上手い解決法がないか、あの話を聞いてからずっと考えていた」

「だから、私に?」

彼が頷いた。

「もしお前がメディアなら、どうする?」

「私がメディアさんなら?」

「ああ。俺は女じゃないからな。それはお前の方がきっと良く分かる」

私が彼女なら……どうするだろう?

決して結ばれることはできない。それはカルロス君の破滅だけでなく、多くの犠牲を招きかねないからだ。
なら、彼に抱かれるのを拒みつつ、一緒に生きられるだけで良しとするの?それはそれで、生き地獄を彼に味わせることになる。


とすれば……私なら、きっと身を引く。トンプソン先生のように、精神感応魔法に長けているわけじゃないけど……できれば、彼の記憶を消した上で。
傷付くのは、自分だけでいい。彼には、自分のことは忘れてもらって幸せに生きてほしい。……そう考えるんじゃないか。


でも、じゃあメディアさんはどうするのだろう?自ら命を絶つのだろうか。自分の生死には頓着がなさそうな人だ、そうするかもしれない。
もし、記憶を消す手段があるとしたら……


私は首を強く振った。そんな結末は、あっちゃいけない。

「どうした?」

「ううん……ちょっと。嫌なことを考えちゃって」

「……そうか」

エリックが、もう一度足元の小石を投げた。さっきより強く。

「2人は、どこまで分かってるんだろう」

「さあな。カルロスは多分、そこまで考えていないだろう。ただ、メディアは違うはずだ。
だから、意図してあいつを遠ざけていた。そんな気がする」

「……!でも、さっきは……」

「ああ。あの娘もカルロスに惚れている。会えば耐えられなくなると、知ってたんだろう。
あるいは、無感情に見えるのも演技かもしれない。自分を騙すための」

「……本当に、何もできないの?例えば、彼女を人間にするとか……」

荒唐無稽な思い付きだった。それができれば、どんなに幸せだろう。
でも、そんな奇跡は起きないのを、私は知っている。エリックも、不快そうに顔を歪めた。

「……できるわけがないだろう。そんな、お伽噺じみたことが……」


その時、エリックの表情が固まった。

「どうしたの?……まさか、アヴァロンが来たとか」

「いや……違う。お伽噺じゃない。不可能じゃないぞ、それは」

「え?」

「魔物が人間になった例を、俺たちは知ってる」

「えっ、誰なの?」

エリックがニヤリと笑った。


「察しが悪いな。シェイドだ」

「ああっっ!!!」

私は思わず叫んだ。そうだ、シェイド君はもともと偽猫(デミキャット)だった。それがアリス教授によって亜人の姿になれるようになったんだった。とすれば……

「鍵はアリス教授が握っているわけ?」

「そうなるな。まあ、それも全部アヴァロンたちを何とかした上でのことだが」

エリックが立ち上がり、うーんと伸びをした。

「2人には、このことを話すの?」

「いや、全部終わってからだ。第一今日はもう遅い。……やはり、残って良かった」

「え?」

「お前のおかげだ。俺だけじゃ、こんな考えにはたどり着けなかったからな。……見張り、よろしく頼む」

エリックは微笑むと、ポンと私の肩を叩いて家の方に消えていった。

#


そして……夜が明けた。長い1日が、始まろうとしていた。


用語紹介

偽猫(デミキャット)

猫に良く似た魔獣。人里周辺に住んでおり、農作物を荒らす害獣として知られる。猫との違いは尻尾が2本ある点にある。
7~8歳児並みの知能を持ち、とても悪戯好き。簡単な言葉を話す個体もいる。
好事家の中には偽猫をペットとして飼う者もいる。ただ、とにかく悪戯好きのため、飼い慣らすのは苦労するようだ。
戦闘能力も魔獣としては高めのため、冒険者でも中級以上ないと戦闘は回避すべしというのが定評である。

シェイドはもともと偽猫としてはかなり知能が高く、それが魔術生命体にする一助になったようだ。
なお、シェイドは悪戯好きではないが、その欲求が大体(巨乳の)女性に向いているもよう。




第26-1話



目が覚めて時計を見る。5と半刻。枕は変わっても、寸分違わないことに私は満足した。
ここには信徒はいない。いるのは私と、「魔法環」で拘束されているエストラーダだけだ。

残る血はわずか。完成前に彼を解き放ったのは、私らしからぬ失敗だった。

闖入者の存在に気付いた時、私は行動の予定を早めてしまった。メディアと、「女神の雫」を奪われるのを避けるためだ。
しかし……相手の力量は、私の想定を上回っていた。……何たる失態。
しかも、こういう時のために「契約」を結んでいたはずのオーバーバックが寝返ったのは、完全に考えもしていなかった。



……許されない。


許されない許されない。


許されない許されない許されない許されない。




全ては、予定通り、予想通りに行われねばならない。こんなことはあってはならぬ。断じて。そう、断じて。


掌に熱い痛みを感じた。血が一筋、流れている。拳を握りすぎたらしい。

……いけない、怒りを、外に出してはならない。神は、それをお許しにはならない。
そもそも、最初に予定を破ったのは、私だ。その後の一連の「予想外」は、全て戒律を破った私への天罰なのだ。


大きく呼吸をする。大丈夫、全て問題ない。心の在り方も、平時に戻った。
メディアと「女神の雫」は、すぐにでも取り戻せる。オーバーバックにしても、そもそも信頼などしていなかった。
まずは盗人たちを討ち、その上で彼女を殺す。ロックモールの邪教徒どもは、その上で浄化してやればいい。予定は狂ったが、台無しになったわけではない。

私は最後の血の瓶を手に取り、自我を失ったエストラーダに与えた。もう、口で飲ませなくてもよい。ただかけるだけで、植物のように吸収するのだ。


「……………カァァァァ…………!!!」


叫びと共に彼の身体が桃色に輝いた。……よし。これで昨日のようなことはあるまい。

エリック・ベナビデスが退いてくれたのは幸甚だった。
あの時、もうエストラーダは動けなくなっていた。私が戦えば問題なかっただろうが、私が自ら手を下すのは教義に反する。

時計は6の刻に近付いていた。ここには、食事番の信徒はいない。だが、何も問題ない。

私は部屋の片隅にある銀色の大きな箱……「冷蔵庫」を開けた。そこには、蒸し芋の裏ごしとケルの葉のサラダ、そして「トフ」が入っている。
事前に命じておけば、これは必ず望み通りの物を時間通りに作ってくれる。冷えているのは、この際やむを得ない。予定通りの時間に、予定通りのものが食べられることが何より大事だ。

食事の後は説法。聞く者が邪教徒のエストラーダだけであっても、時間通りにこなさねばならぬ。ロックモールの「浄化」と、盗人たる魔王の討伐は……それからだ。



ジリリリリ!!!


「モニター」の近くから音が鳴る。……耳障りな音だ。
しかし、これが……「電話」が鳴ることはほとんどない。誰だ?


私は受話器を手に取った。

「……もしもし」

『やはりいたかよ』


「……!!デイヴィッド・スティーブンソン!!?」


あまりに予想外の声に、私は絶句した。なぜ彼が?
そして……なぜ私がここにいることを知っている?

……気に食わない。心底気に食わない。現状は、あまりに想定を外れている。

そんな私を嘲笑うように、スティーブンソンは「ククッ」と嗤った。

『さぞ腰を抜かしてるだろうなあ、偽善者の司教さんよ。まあ隠す理由もねえから種明かししてやる。『シェリル』の『パランティア』だよ』

「何ですって」

『あんたの戻りが遅いから念のため『見たら』この有り様だ、そうだ。で、俺にお鉢が回ってきたってわけだな』

「……彼女自身が来ればいいでしょう」

『ところがそうも行かねえ。トリスで『本体』がヤバくなりかけてな、『主端末』ごと逃走中だ。まあ、亡命先はうちの国だろうよ。
そんなわけで、俺がそっちに向かうことになったってわけだ』

「貴方自身の任務は?アリス・ローエングリンを追っているんでしょう」

『ああ、『それも兼ねて』だ。モリブスのジャック・オルランドゥのとこを急襲したが、藻抜けの殻でな。どこかに消えやがった。
とすれば、魔王御一行がいるここが目的地と踏んだ。援軍が来て嬉しいか?』

「手出しは無用です。予定にない」

カカカカカと、耳障りな笑いが受話器から響いた。目の前にいたら、躊躇わず「グロンド」を握っていただろう。

『と言うだろうと思ったぜ。まあそっちはそっちでやりな。俺は勝手にやらせてもらう、魔王狩り含めてな』

「……それが言いたかっただけですか」

『いや……ハーベスタ・オーバーバックの件だ。なぜ裏切られた?』

スティーブンソンの声が低くなった。

「私の知ったことじゃない」

『にしてもだ。俺たちは15年も、『契約』であいつを縛り付けてきた。逆に言えば、15年は従順だった。それが何故急に心変わりする?』

「……待たせ過ぎた?」

『それなら不平不満は言ってたはずだ。それに、極力そうならないように、あいつにはでき得る限りの自由を与えていた。
さらに言えば、あいつには多分、普通の時間の概念がない。1年も15年も似たようなものだ。……何かやらかしたな?』

いや、そんなはずはない。むしろ、相当気を遣っていた。だから、魔王は余程の「好条件」を出したはずだ。
強敵と戦う機会?魔王たちと戦うという話なら、こちらもいつだって命じられる。それは決定打じゃない。

……

…………まさか。


「プルミエール・レミュー……」


『…………!!!それか!!!』

「ええ。彼女の『追憶』が、人に対しても使えるなら……人の記憶を思い出させるものならば……寝返りは、あり得る」

そうだ。彼女の魔法は、土地の記憶を呼び起こすものとばかり思っていた。クリス・トンプソンの情報からも、そう判断していた。
しかし、もし人の失われた記憶も取り戻せるなら。「自分が何者かを調べる」ということを契約の対価とする私たちより、遥かに彼女は優位に立つ。


そして、オーバーバックの正体は……


ゾクンッ


凍り付くような悪寒。もし、彼が自分が何者かを思い出せば……世界は破滅へと近付くと、私は確信した。
「サンタヴィラの惨劇」と同じか、あるいはそれ以上に……この真実は「知られてはならない」。


『……まずいな』

「ええ。本当に始末すべきは、彼女だった」

『了解だ。俺も極力急ぐ』

電話がブツリと切れた。時計はもう6の刻。朝食を取るべき時間を過ぎている。

「……忌々しい……!!!!」

私は椅子を蹴り上げた。あらゆることが、予定通りになっていない。心底忌々しい……!!


彼らがどこにいるか、凡その見当は付いている。襲撃予定は朝の9の刻。


予定された、平穏で無駄のない日々を取り戻すのだ。


用語解説

「冷蔵庫」

秘宝の一つ。我々が知る冷蔵庫とかなり近いが、動力源は謎。温度調整は任意でできる。
また、事前に命令した食事を自動で作り、冷蔵庫で保存する機能もある。食材がどこから来ているのかは謎だが、かなり幅広い注文に対応できるらしい。これがロックモールにある理由は現状では不明。

なお、アヴァロンがいる場所は以前六連星のリモート会議が行われた場所でもある。
これがある部屋は、ロックモール市街からやや離れた場所にあるようだ。

今日はここまで。次回以降は戦闘シーン多めです。

なお、この「冷蔵庫」は過去作に近いものが出ています。





第26-2話




「思っていたよりは寄越したものだねえ」

目の前には重装備のテルモン兵が7人。小隊長と思われる男が、兜を片手にあたしとシェイドの所に来た。
年齢は40ぐらいか。無精髭で武骨な印象を与える。場数はそれなりに潜っているようだ。

「カルツ・ヴェルナーだ。シュヴァルツ第4皇子の命でこちらに参上した」

「ああ、よろしく頼むよ。にしても、思ったよりちゃんとした援軍で驚いたね」

「皇子の命だからな。モリブスとはあまりいい関係ではないが、テルモンがモリブスを攻撃したという風説が流布されれば国益に関わる。
何より、昨日の殺戮。こちらも6人が死んだ。ユングヴィには適切な回答を求めたいものだが」

「なるほどにゃ、ロックモール制圧はユングヴィの意向が強いということにゃ?」

「と聞いている。彼らからの要請を受け、皇帝陛下が我々を送ることを決断された。
まあ、陛下の御心は分からないが、シュヴァルツ皇子はそもそも乗り気ではないよ」

「だろうねえ」

もしテルモンが本気でロックモールを制圧しようというなら、皇子は娼館に通わないだろう。
利権拡大を狙ったテルモンが、アヴァロンの誘いに乗ったというのが妥当な読みか。

問題はアヴァロンだ。あいつはメディアを奪うためなら手段を選ばない。
さらに、エリックが言っていた「救済」の言葉も気になる。ユングヴィ教に背くとして、この街そのものを破壊しつくそうとしている可能性すらある。

シュヴァルツ皇子の説得には、この仮説が効いた面もあった。あたしたちにとっても、そしてテルモンにとっても、アヴァロンは敵なのだ。だから、この男たちを寄越したのだろう。

「街中の警備はどうなってるにゃ」

「万全だ。しばらく戒厳令を敷くということにはなってい……」


あたしの視線の向こう。防風林に隠れる形で、何人かの人影が見えた。
そしてそこから放たれたのは……緑色の「枝の槍」。


「伏せなッッ!!!!」


ザクッッ!!!!


「グハッ!!?」


血飛沫が、あたしの頬にかかった。数十メド先から放たれた「槍」の何本かが、反応が遅れたテルモン兵の胸を貫いたのだ。
やられたのは、3人か。さすがに隊長のヴェルナーは避けている。

「なっ!?」

「家の中に逃げなっ!!あたしたちが対処するっ!!」

「しかし……」

「しかしもクソもないよ!!死にたいのかいっ!?」

ヴェルナーが家に向かって駆け出すのと同時に、防風林から、5人の人影が現われた。アヴァロンとエストラーダ侯、そしてあとの3人は教団の兵士か。

「愚かな……あの皇子は、神に逆らう選択をしたようですね」

「……どこの神様かねえ」

あたしは銃を構える。杖を構えたアヴァロンが、一瞬光ったように見えた。

「来るよ!!!」

あたしとシェイドも、家の方に走る。それから程なくして、何者かが近くに現れる気配があった。


シャアアアアッッ!!!


「枝の触手」が、あたしたちに襲い掛かる。来やがったね!!

「加速(アクセラレーション)5」


ザンッ!!!ザンザンザンッ!!!


千切られた「触手」が宙に舞う。あたしたちの後方に、エリックが飛んできたのだ。そして……


ゴウッッ!!!


「なっ!!?」


激しい振動。振り向くと、エリックとアヴァロンの間に、大きな陥没ができていた。


「次は外さない」


家の陰から、プルミエールが「魔導銃」を握って現れた。……役者が揃ったね。


「……無駄な足掻きを」


アヴァロンが、少し距離を取った。それを守るかのように、エストラーダ侯が無数の触手を背中から生やして立ちはだかる。
教団兵は家の方に向かっているけど、そこはヴェルナーらテルモン兵の生き残りに任せるしかない、か。


パウッ!!!


アヴァロンに向けて放った魔弾は、エストラーダ侯の「枝の盾」に防がれた。盾は激しく砕かれたけど、すぐに元通りに修復される。これは埒が明かないね。


ダッッ!!!


エリックが短剣でエストラーダ侯に斬りつける。「それ」は剣を触手で受けつつ、後方から別の触手が彼を掴もうとした。


「させないにゃ!!!」


シェイドがそれを蹴り飛ばす。アヴァロンが、さらに距離を取ろうとしたのが見えた。


「逃げる気かいっ!!!」


奴が杖を構えた。転移?いや、違う。これは……


「光の矢(セレスティアルアロー)」


上空に、強大な魔力を感じた。……こいつはまずいっ!!!



ゴウッ!!!


あたしの横を、魔力の塊が通り抜ける!!!アヴァロンはすんでのところでそれを交わした。上空の魔力は、霧散したようだ。

「よくやったよ!!」

プルミエールが「魔導銃」を放ったのだ。彼女が銃を構えながら、ゆっくりとこちらに近付いてくる。

「大丈夫ですか」

「ああ……あれはやばかった」

忌々しそうにアヴァロンがこちらを見る。エストラーダ侯とエリック、そしてシェイドは少し離れた所にその戦いの場を移していた。あの手数に接近戦で対応するには、2人に任せた方がいい。事前に取り決めた通りだ。

そして、アヴァロンに対峙するのは……あたしとプルミエールだ。迂闊に近付けば、「グロンド」の「転移」の餌食になるからだ。

それにしても、さっきの「光の矢」……溜めが必要な魔法だったようだけど、あれはエストラーダ侯を含めた、あたしら全員を消し去りかねないほどの威力だったかもしれない。
魔法使いとしての純粋な力量も、相当高いのはもはや疑いない。軽い震えを、背中に感じた。

「……皆殺しにするつもりかい」

「正当防衛なら、神もお許しになるでしょう」

「……どこが正当防衛だよ」

この男の身体能力そのものは、そこまで優れてはいないはずだ。だから、あたしとプルミエール2人で銃を撃ちまくれば、アヴァロンを殺すことはさほど難しくないだろう。
……でも、それを躊躇させる何かがある。いや、既に罠を張っているかもしれない。


アヴァロンが「グロンド」を構えた。……「瞬間移動」でも使うつもりかい!?それとも「光の矢」?


あたしはその刹那、違和感を覚えた。さっきは身体が光っていた。しかし、今は……光っていない。


その杖の先は、プルミエールに向けられている。まずいっ!!!


「歪めなさい、『グロンド』」



「え」


彼女の前に、黒い歪みができた。木の葉がそこに吸い込まれていく!?


「どきなっ!!!」


プルミエールを突き飛ばす。右足が、何処かに吸い込まれていく感覚がした。その先は……とてつもなく冷たい。


「ぐうっっっっ!!?」

「デボラさんっ!!」

プルミエールが、歪みの中に魔弾を放つ。「コォォォオオ…………」という魔獣か何かの叫びが聞こえると、吸い込む力が急に弱まった。
右足を引き抜く。氷の欠片が、ビッシリとついている。恐らくあのまま放っておいたら、あたしは吸い込まれて魔獣の餌食になっていたわけか。
仮に魔獣を倒せたとしても、酷寒で死ぬ。……いい神経してるじゃないか。

チッ、とアヴァロンが舌打ちをした。

「余計な真似をしますね……貴女、お会いしたことは?」

「ないね。だけど、初対面だけどあんたから胸糞の悪さしか感じないね」

「邪教徒が良く言います……ああ、なるほど。そういうことですか」

ククク、と愉快そうにアヴァロンが嗤う。酷く不快だ。

「何がおかしい」

「いえ……既視感の正体が分かったので。なるほど、オーバーバックが貴女たちを……いや、貴女を見逃したわけだ」

「……?」

「判断の早さと洞察力は父譲り、見た目は母譲り、ですか。なるほど、貴女も生かしておくと厄介になりそうだ」

何を言っている?父さんと母さんのことを、アヴァロンがなぜ知っている?

嫌な想像が、頭に浮かんだ。血が沸騰しそうに沸き立つ。


「オーバーバックが父さんと母さんを……リオネル・スナイダとパメラ・スナイダを殺したのは……あんたも噛んでるね」


アヴァロンの笑みが深くなる。


「彼の元にお二人を『案内』しただけですよ」



ゾワッッッ


激情に任せ、あたしは引き金を引く。次の刹那……


バァンッッッ!!!


あたしの右肩が、砕けた。


武器・防具紹介

「冥杖グロンド」

特級遺物の一つ。発動により自己とその周囲の物質を転移する力を持つ。
溜めの時間に応じて転移範囲は変えることができるが、最大で半径50メドぐらいまでの転移が可能。
転移先は実際に行ったことがある場所でなくても地図の座標がある程度分かれば指定できる。
都合の悪い人間を魔獣の巣があり酷寒のイーリス北西部「ガルバリ山脈」の山中に連行するのがアヴァロンの常套手段である。
そして連行した後にすぐに自分だけ逃げることで、「自分の手を汚すことなく」始末するわけである。

基本的に自己の周囲に領域展開し自分ごと移動するが、視界の届く範囲に転移の歪みを作り出すことも可能。
この場合、自分から入るように誘い込むか、あるいは吸収能力を持つ魔獣の住処を転移先にすることになる。
今回は後者。発動をいち早く察していなければプルミエールは「吸い込まれていた」であろう。




第26-3話





「あああああっっっっ!!!!!」


叫びに思わず視線を移した。崩れ落ちるデボラさんが見える。


「デボラさんっっっ!!!」


彼女の危機はすぐに分かった。激しい出血。すぐ手当てしないと……!!!


ビュンッッッッ!!!


その刹那、触手の鞭打がボクを襲う。飛び退くと、頬に熱い痛みを感じた。……危なかった。
一撃はそれほど速くもないけど、手数がとにかく多すぎる。反動の大きい「限界突破(リミットブレイク)」なしでやるのは、限界だった。
エリックすら交わすのに精一杯だ。そして、手数に押されてボクらはエストラーダの本体にすら辿り着けていない。あの、エリックをもってしてもだ。

「限界突破」は、切り札としてギリギリまで温存しておくつもりだった。エリックも「音速剣(ソニックブレード)」は使っていない。
人外と化したエストラーダは、まだ底を見せていない。早めに手札を晒すのは自殺行為だ。そう、御主人やアリスさんには教わっている。


でも……使うなら、今しかないっっ!!!


エリックと目が合う。「行け」と視線で分かった。


「限界突破(リミットブレイク)ッッッ!!!!!」




アヴァロンに向けて走り出す。その直後、後方から気配を感じた。


ビシイッッッッ!!!


脚を薙ぐような触手。ボクはそれをすんでの所で跳んで避ける。「主人」のアヴァロンには近付けさせない、というわけか。

だけど、もうすぐ間合いだ。あと一歩踏み込めば……


アヴァロンがニィと笑った気がした。


寒気を感じ、ボクはデボラさんたちの方に退いた。
「限界突破」を解く。一瞬しか発動していないのに、酷く怠い。

「貴方ですか?例の盗人は」

「お前、何かしてるにゃ?」

「それを漏らして、何の得になりますか?」

違いない。ただ、見当は付いている。会話をしているのは、デボラさんの治療時間を稼ぐためだ。

奴の方は良く見ていない。ただ、詠唱はなかったはずだ。無詠唱でも使え、かつ魔法の発動を悟られないようにする魔法は、そうない。
「魔法障壁」なら、発動が分かるだろう。それが反射効果まで持つものなら、なおさらだ。それを無詠唱で行うのは、御主人ですら無理だ。


つまり、奴が使っているのは……「目には目を(アイフォアアンアイ)」。自分が受けた傷を、相手にそのまま返す呪法だ。


……聖職者が聞いて呆れる。だが、その欠点から無詠唱で使うのは難しくはない。
奇妙なのは、アヴァロンが無傷な点だ。別の魔法を使っているのか……いや、あの法衣だ。多分、あれも遺物だろう。
攻撃を無力化するとなると、1つしかない。「大高僧モーロックの法衣」だ。「遺物大全」に、確かあった。

高速で思考を巡らせながら、ボクはアヴァロンに悟られぬよう治癒魔法をかけていた。さほど程度の高いものじゃないけど、止血の役には立つ。

(悪い、ね……また下手を、打った)

弱々しく見上げるデボラさんに、ボクは小さく首を振った。
あそこで撃つのは当たり前だ。ボクだって、あいつが「モーロックの法衣」を着ていると分からなかったら、同じ行動を取る。


……変だ。じゃあ何でさっき、エストラーダに受けさせた?


いや、それだけじゃない。プルミエールさんの銃も避けている。つまり、いつでも傷を反射できるわけじゃない?

アヴァロンはもう次の攻撃体制に入っている。……そういうことか!!

治癒魔法で、体力はさらに消耗している。「限界突破」の残り発動時間は、せいぜい10秒。

……その間に、決着を付ける。プルミエールさんに、一瞬視線を送った。彼女が察してくれるかは、賭けだ。


「うおおおっっっっ!!!」


大地を強く蹴る。アヴァロンが一瞬たじろいだ。


「チッ」


「グロンド」に集まっていた魔力が薄らいだ。恐らく、「状態(モード)」を変えたのだ。


「高僧モーロックの法衣」は、特級ではなく一級遺物だ。「大全」にはその詳しい理由が書かれていなかったけど、無条件で攻撃を遮断できるほど、都合のいいものじゃないのは理解した。
つまり、攻撃時にはその効力を発動できず、逆に守備時には攻撃できない。

とすれば、アヴァロンが次に取る手は何だ?一回ボクに攻撃させて、反射で苦悶している所でじっくり殺すだろう。いや、そこで全員転移させて、魔獣に殺すよう仕向けるか。


なら……「攻撃しなければいい」。

ボクは態勢を低くし、両腕で奴の脚を狙った。殴るのでも、突くのでもない。そのまま倒し、奴と「グロンド」を引き離すのだ。


アヴァロンとの距離が3メドほどになった時、奴の顔色が変わった。悟られたかっ!?

「エストラーダッッッ!!!」

叫びと共に、「枝の触手」が一気に伸びてくる。これまでとは全く比較にならない程の速度っ!!
ボクは右拳でそれを弾く。アヴァロンが実に忌々しそうな表情で再び間合いを取り、「グロンド」を突き立てた。

「つくづく予定に合わぬ行動をするっっ……!!」

鞭打の手数が一気に増していく。ボクは、それを避け続けた。
攻撃なんて、とてもじゃないけど無理だ。やはり、まだ本気じゃなかったか。


アヴァロンの杖が、黄色く光り始めた。
それとほぼ同時に、急に身体が重くなる。「限界突破」の効力が、切れたのだ。


だけどボクに驚きや落胆、そして絶望はない。


なぜなら、それは……「予定通り」だったから。



「失せなさ……」


「それは、こっちの、セリフにゃ……」


光が満ちようとした、その瞬間。アヴァロンの頭が、白い霧で覆われた。


「『幻影の霧(ミラージュ・ミスト)』ッッッ!!!」


武器・防具紹介

「高僧モーロックの法衣」

一級遺物。見た目は白い法衣にしか見えない。ユングヴィ教団に「グロンド」と共に伝えられる神宝であり、歴代の大司教に受け継がれるものである。
魔力を通すことで着用者に与えられる全ての物理・魔法攻撃を無力化できる。ただし、一定の集中が必要なため、発動中に他の魔法を使うことは至難である。
アヴァロンは平行して「目には目を」を自らにかけているが、普通はこれすらまず実行できない。
必然的に、攻撃や激しい運動をする場合には発動を解く必要がある。防御に徹すれば完全無欠だが、さりとて万能でもない。

また、シェイドが試みたようにタックルによるテイクダウンなどへの防御効果は薄い。
仮にそのまま持ち上げられ、海に投げ捨てられればアヴァロンは普通に死ぬ。あくまで直接攻撃にしか効かない能力である。
そして、状態異常を防ぐ力もない。この点をシェイドは看過していたわけである。

今回はこれまで。26話は多分7~8部構成です。
次でようやく折り返しになります。





第26-4話






霧に包まれた瞬間、目の前が虹色に光った。そこにいたのは……神であった。


長く清らかな黒髪に、慈愛に満ちた微笑み。手を広げ、私を温かく抱いて下さろうとしている。……何という至上の幸福!!
ああ、ようやくお会いできた。涙が溢れそうになる。


それと共に、強烈な違和感を覚えた。


……何故私は、神にお会いできたのだ?
一途な祈りが通じたのか?それとも、たゆまぬ修練の成果か?


否、この程度で神は私を「お許しにならない」。


私は、一度だけ手を血に染めている。その罪は、一生かけてようやく贖えるものだ。
だからこそ、私は一念に神にその身を捧げ続けた。神の教えを広めるために、ありとあらゆることをやった。


しかし、まだ足りぬ。


足りぬ足りぬ足りぬ足りぬ……!!!


#


「うおおおおおっっっっ!!!!」


裂帛の気合いと共に、私は幻想の神を打ち破った。そして代わりに目の前にあったのは……銃口。


「……まだ殺しはしません」


ゴウッッ!!!!


「グロンド」を握っていた右腕の先が、消し飛んだ。


「ぐあああっっっっ!!!じゃ、邪教徒風情がっっっ!!!!」

「……自分に背く者は、全て邪教徒なのですか?……哀れですね」

眼鏡の女……プルミエール・レミューが憐憫の目で私を見た。……何と言う屈辱……!!

「お前たちは、自分たちが、何をしようとしているのか……分かっているのかっ!!?その行いは、神に背き、世界を破滅へと導くものだぞっ!!?」

「分かりません。1つ言えるのは、多くの関係のない人々の命を奪った貴方こそ、神に背く邪教徒であるということです」

「笑止っ!!邪教徒は人に非ずっ!!何より、命を奪ったのはあの邪教徒の成れの果てだっ!!」

「……詭弁も、いいところにゃ」

ゆらりと、亜人の少年が立ち上がった。疲弊しているのか、大分ふらついている。

「お前は、生きてはいけない存在にゃ。……デボラさんには悪いけど、代わりに仇、取らせてもらうにゃ」

レミューが私の額に銃口を向ける。……その手は震えていた。

「……プルミエールさん」

「ええ、分かってる」

……予定外、それも最悪の予定外だ。ここで終わるとは……
もはや「グロンド」も使えない。ここで、神に召されるのか……


刹那、視界の端にエストラーダの触手が見えた。


……否。まだ、神は私を見捨ててはいない。


「『騎士』よ、我が身を守りたまえッッッ!!!」


叫ぶと一瞬のうちに、私の身体は樹の枝で覆われた。


エストラーダは、エリック・ベナビデスに決定打を打ち込めないでいた。こちらの援護に少し回ったことで、徐々に劣勢にもなっていたようだ。
このままでは、どちらにしても終わりだろう。だとすれば……これしかない……!!


意識が、身体が溶けていく。……エストラーダに、生命を吸われているのだ。そして、魔力も、意識も……


その行き着く先は。




……


…………


視界が切り替わった。見下ろす先には、魔王エリックがいる。


全て、予定通りだ。私は満足して、新たな身体の口の端を上げた。


『さあ、神にその身を捧げなさい』


キャラクター紹介

「エストラーダ」

メディアの血の摂取で怪物となったエストラーダ候。既に自我はほとんど失われ、血を与えたミカエル・アヴァロンを護り、奉仕する存在へと成り果てている。
基本的にはアヴァロンの意のままに動き、無数の枝の「触手」で攻撃、「補食」する。
枝に捕まった者は生命を吸われ、息絶える。それが「エストラーダ」の養分となるのである。
勢い、その身体の維持には相当数の「養分」が必要である。このため、「完成体」となってもその寿命は基本的に短い。

本文の描写で対エリックはまだ省かれているが、手数こそ多いもの速度は遅く、2倍速で対応できる程度ではある。
また、アヴァロンの意識と切り離された場合、自我が薄いため十全な能力は発揮できない。アヴァロンの呼び掛けに応じた時に速度が速まったのは、再びリンクが張られたからである。
とはいえ、圧倒的な手数と防御能力に対しエリックも決め手を欠いており、「音速剣」の使用を検討している最中に今回の「同化」が発生してしまった。

なお、プルミエールは殺害を一瞬躊躇っていたが、アヴァロンの「同化」は反応不可能な速度で行われたため、彼女を責めるのは酷というものだろう。
同化後にエストラーダ候の自我がまだあるかは不明。





第26-5話






エストラーダ候の背中から伸びる、歪んだ幹。その先にアヴァロン大司教の上半身がくっついている。
その異形の怪物を見た時、私は激しい絶望と後悔に襲われた。


人を殺すのは、初めてだった。エリックと一緒に行動するようになってからも、私自身が直接誰かを傷付けたことは、ない。
だから、目の前にいた男が、どんな鬼畜であろうと……それを撃つことに対して躊躇がなかったかと言われたら、それはきっと、違う。

でも、それでも即座に撃たなきゃいけなかった。それが、こんな事態に繋がってしまったんだ。

「……プルミエールさんは、悪くないにゃ」

シェイド君が、呟いた。

「あの速度では、誰も反応、できないにゃ。それより、エリックを……」

「シェイド君!?」

彼が崩れ落ちる。その瞬間、激しい衝撃を私は感じた。

「きゃああっっっ!!?」

3メドほど、シェイド君ごと飛ばされただろうか。右腕の上が、激しく痛む。シェイド君は無事みたいだけど、それでもかなり身体を強く打っているようだった。

『……まだ加減が上手く行かないですね。当てたつもりだったのですが』

私は、アヴァロンの右腕……というよりは巨大な「幹」の風圧が、私を薙ぎ倒したのをようやく理解した。
……風圧だけであの威力?直撃なんてしたら……

いや、怖がってる場合じゃない。悔やんでる場合でもない。
シェイド君は限界だ。デボラさんは立ち上がったけど、右肩を押さえている。あんな短時間で、治るわけがない。

右手を曲げる。痛いけど、骨は折れてない。エリックを助けられるのは、私だけだ。

「シェイド君、デボラさんを連れて家に逃げて」

「家に?……ああ、そうだにゃ。了解にゃ」

シェイド君が、よろめきながら走り始めた。もちろん、ヴェルナーさんたちの支援という意味もある。でも、それだけじゃない。
カルロス君とメディアさんが隠れている地下室。そこには、崖の方に抜ける隠し通路がある。

多分、彼らはそれを使って逃げているはずだ。そして、直接戦えなくなったら、彼らに追い付き、守ってあげる。
ある程度状況が煮詰まった時にはそうすると、事前に決めていた。

『逃げるつもりですか?』

巨大な幹が、シェイド君に向けて振り下ろされる。


「させないっ!!!」


「魔導銃」が火を吹き、幹に直撃する。
それを破壊するまでは至らなかったけど、それでも大きく向きを変えることぐらいはできた。


ズォォォォンンッッッッ!!!


巨大な地響きが耳を突いた。


「助かったよ!!」


シェイド君と合流したデボラさんが叫ぶ。2人は、家の中へと消えていった。


『……そういうことですか。まあ、予定に変更はありませんが』

エリックはというと、激しくエストラーダ候の触手とやりあっていた。触手の攻撃は激しさを増している。……見るからに厳しそうだ。

「エリック!!!」

「来るなっ!!!お前も逃げろッッ!!!」

見たところ、アヴァロンとエストラーダ候は繋がっているけど、動きは独立したもののようだった。
細かい、無数の「枝の触手」はエストラーダ候。そして、幹による攻撃はアヴァロン。つまり、私がここを去れば……1対2でエリックは戦うことになる。そんなのは無茶だ。

「でもっ!!?」

「でももこうもないっ!!巻き添えを食らいたいのか阿呆がっ!!!」

そうか!エリックの「加速」は、10倍速以上だと周囲に被害をもたらしかねない。
彼が本当の全力を出すには、私は邪魔でしかないのだ。


でも、この怪物に果たしてそれが通用するの??


そもそも、アヴァロンの力量を私は……いや、私たちは見誤っていた。隠密魔法で気配を消し、シェイド君を囮に「幻影の霧」を当てる。その狙いは、見事に当たった。
でも、彼はあっさりと幻術から抜け出した。それだけ、彼のマナは膨大なのだ。

さっきから、アヴァロンは力任せの攻撃しかしていない。でも、これで魔法が使えたら……


私は、ふと「グロンド」が転がっていた地面を見た。……ないっ!!?



『早速ですが、まずはさっき逃げたスナイダ夫妻の娘と、亜人の盗人から消えて貰いましょうか。ついでに、メディアも。
『女神の雫』は大変惜しいですが、後で取りに行けば十分でしょう』


幹の先には……「グロンド」があった。……そんな。



「やめてええええええっっっっ!!!!!」



次の瞬間。別荘は、光に包まれて……消えた。



キャラクター紹介

「アヴァロン」

「エストラーダ」と一体化した姿。背中の辺りから生えた高さ4mほどの幹の先端に、上半身裸のアヴァロンがくっついた異形と化している。
そこからは腕のような巨大な幹が左右に生えている。「腕」の先端には枝があり、これで物を取ったりすることが可能。
自我を保っていられるのは、本人が持つ巨大な魔力による。なお、エストラーダから生えている枝は操作不能であり、あくまで動かせるのは幹部分だけである。
言ってみれば、2つの意思が1つの身体を共有し、それを分割して動かしているというべきかもしれない。

通常の攻撃手段は幹を使い殴るのみ。ただ、その攻撃力は計り知れない。
また、「グロンド」を手にしたことで強力な魔法攻撃も可能となっている。

なお、燃費は極めて悪い。





第26-6話





別荘が消えた瞬間、さすがの俺も崩れ落ちそうになった。……最悪だ。


プルミエールは責められない。彼女は、もともと戦闘慣れしていない。そういう奴でもない。
本当なら、のんびりとオルランドゥ魔術学院で魔法研究に生涯を捧げるはずの女だ。心根も真っ当な、こういう修羅場にいてはいけない類いの人物だ。

それに、何よりアヴァロンは強大に過ぎる。こうなる前に、俺がエストラーダを討たねばならなかった。
「音速剣(ソニックブレード)」や「閃(フラッシュ)」の発動を躊躇していなければ……こうはならなかったはずだ。
ただ、もし発動していたら、プルミエールたちは無事では済まなかったかもしれない。どちらが正しかったのか、俺には分からない。


一つ言えることは……絶体絶命ということだ。




満足そうに嗤うアヴァロンの顔が、急に渋くなった。


「……!??……おかしいですね」


……間に合ったのか。俺は大きく息をついた。まだ、最悪ではない。

恐らく、アヴァロンは誰を転移させたかというのを把握できるのだ。
そして、転移した中に……多分、シェイドやデボラ、そしてメディアたちはいない。

俺は短剣を構え、エストラーダと向き合う。まずは、こいつを何とかしないといけない。

ビヒュンッッッ

「ぐっ」

触手を横っ飛びに交わす。攻撃は相変わらず激しい。だが、2倍速でも避けられなくもない。
元は普通の男であるエストラーダの攻撃は、ある程度は読める。速度もさほど速くもない。

ただ、触手を斬ってもすぐに再生される。そして、本体に近付こうとすると触手の盾で防がれる。それを破壊しても、すぐに別の盾が現れ、キリがない。
「音速剣」の使用を躊躇っていたのは、奴の再生速度と余力を読みきれていなかったのもある。もし「音速剣」を使って仕留められないなら、その時こそ本当の終わりだ。より危険性が高い「閃」は尚更だ。



……何か妙だ。


エストラーダがアヴァロンを吸収した時の触手は、恐ろしく速かった。アヴァロンの意思が反映されていたにせよ、だ。
あの速度で攻撃されていたなら、2倍速じゃ太刀打ちできない。30秒しか持続できない5倍速か、さらに持続時間が短い「乱」を使うしかなかったはずだ。
そして、今2人は一体化している。アヴァロンの意思が、こちらにさらに反映されていても不思議ではない。

にもかかわらず、俺はまだ攻撃に対処できている。いや、むしろ……遅くすらなっている。


導き出せる答えは1つ。

エストラーダにはまだ自我が残っている。そして、それはアヴァロンに僅かながらでも抵抗している。


とすれば……自我を完全に取り戻せば!!?

そのためにはどうすればいい。自分が、ロペス・エストラーダであると思い出させるには……

激しい攻撃のさなか、まだ愕然としているプルミエールが見えた。アヴァロンが幹の腕を振り上げ、止めを刺そうとしている。


「加速(アクセラレーション)5!!!」


大地を思い切り蹴り、プルミエールのもとに向かう。俺が彼女を抱いて逃げるのと、奴の攻撃が再び空振り地面を揺らすのとは、ほぼ同時だった。

『つくづく無駄な足掻きを……』

「何を呆けているっっっ!!」

「でも、皆……」

「多分無事だっ!!俺を信じろっっ!!」

青ざめながら、プルミエールが頷く。豊かな胸元に、首飾りが見えた。

……いや、これは違う。金属を紐で繋いだだけの代物だ。確か、これは……


……そうか。これがあった。

「プルミエール、これは……ファリスが持っていたアミュレットの欠片か?」

「え?」

「今すぐそれに『追憶(リコール)』をかけろっ!!物にかけた場合、手にした者にその『物の記憶』を思い出させる効果があったはずだっっ!!」

「で、でも、なんでっ!?」

「エストラーダを正気に戻すためだっっ!!ファリスが死んだ夜のことを、『思い出させろ』っ!!」

「でも、そんな時間なんて」

「俺が何とかするっっ!!!いいからやれっっ!!!」

プルミエールが、戸惑いながら詠唱を始めた。修練の結果、こいつの魔力もかなり向上している。1分足らずで、詠唱は終わるはずだ。
だが、1分という時間をアヴァロンが許すはずもない。


だから、そのための「加速」だ。


俺はプルミエールの頭に手を乗せる。そして、「10倍速」を発動した。
マナの残量からして、「音速剣」を1度撃つのが限界だ。だが、これくらいしかもう思い付かない。

#


俺の「加速」は、動きを速める魔法ではない。


自分と、自分が触れた物の「時間を加速する」魔法だ。ベナビデス王家の血族だけが使える、秘術でもある。


2倍速なら、周囲の2倍。5倍速なら、周囲の5倍の時間の中を、俺は動ける。俺以外の世界で起きていることは、全てその分ゆっくりと動く。


命のない物の時間は加速させやすい。物を枯らしたり、朽ちさせたりするのは比較的楽だ。
だが、命があるものだとかなり疲弊する。ジャックの元での修練がなければ、2倍速すら大変だっただろう。……だが、今なら。

#

視界の端で、ゆっくりと「グロンド」が光るのが見えた。まずい。詠唱が終わりきる前に撃たれたら、さすがにどうしようもない。


早く終わってくれ……その想いは通じた。


「終わった!」

「よくやった!!」

俺は紐の部分を持ち、「5倍速」に切り替えてエストラーダに向かう。「グロンド」を発動しかけたアヴァロンが、一瞬怪訝そうになった。

『…………?』

エストラーダの触手が5本、俺に襲い掛かる。それを他愛もなく避け、俺は欠片をエストラーダに投げ付けた!


「キシャアアアアアッッッ!!!」


奇っ怪な叫びと共に、巨大な「枝の盾」が現れる。しかし、「5倍速」で投げられた欠片は、それを易々と砕いた。


……そして。


ダンッッッッ!!!


身体に、欠片がめり込む。エストラーダの動きが、止まった。



『……何を』


……ア


…………アア


『……………アアアアアアア!!!!!』


エストラーダが吼えた。何かに苦しむかのように身をよじらせ、そして踞る。目からは、赤い涙が流れていた。


エストラーダは、「思い出した」のだ。自分が何者であるかを。そして、同時に娘が何者であったかも、その末路も、あるいは……死ぬ間際の想いも……全て知ることになった。



『なっ!!?』


アヴァロンの「幹」が大きく揺れる。それは、根本から折れようとしてた。


自我を取り戻しつつあるエストラーダが、アヴァロンを拒絶し始めたのだ。
そして、この瞬間こそ……俺が狙っていたものだ!!!


右手を、短剣の束にかける。狙いは上方の、アヴァロンの身体。失敗は、許されない。するつもりもない。


エストラーダの枝を踏み台にして、俺は飛び上がる。……今だ!!!



「音速剣(ソニックブレード)!!!!」



…………ザンッッッッッッ!!!!!



『え』



間の抜けた声と共に、アヴァロンの身体は……上下に両断された。



魔法紹介

「加速」

エリックら魔族の王にしか使えない魔法。名前からすると動きを加速させているように見えるが、その実は「自分の時間を加速させる」魔法である。
このため、発動中は周囲の動きがスローモーションになる。例えば2倍速なら半分、5倍速なら5分の1の速度になる。故に攻撃の回避は容易になる。
しかも自分の拳や剣の速度は加速されているため、威力は跳ね上がる。攻防両面で極めて強力な魔法であると言える。
ただ、それ故に魔力の消費も激しい。エリックが乱発できているのは、彼の才能と修練の結果である。

現状20倍速までは可能だが、10倍速以上の攻撃だと音速を超えるため衝撃波による周辺被害が発生する。このため、10倍速以上を発動した状態での攻撃は一瞬しかできない。
ただ攻撃を伴わないなら、今回のように10倍速を使うことは不可能ではない。
なお、極めた先には別の効果もあるらしいが、その領域に達したとされるのはエリックの父ケイン程度である。

触れた物の時間を加速させる効果もある。第3話の終わりに死体を塵にしたのはこれである。
命がない物の加速は容易いらしく、100倍速ぐらいはできるようだ。半面、(植物含め)命がある物に対する難度は高い。

今回はここまで。諸々の伏線回収回でした。
なお、ファリスの死体の処理にも「加速」を使っています。

第26話はあと2パートです。短めになるはずです。

注:イナイレの安価はやっていないので誤爆かと思われます。念のため。

てすと





第26-7話






視界が、ゆっくりと落ちていく。何が起きた?


…………ドスン


地面に叩き付けられる衝撃。声を出そうとしたが、なぜか何も出てこない。
私の身に、何があった?エストラーダが急に喚いたかと思った瞬間に、私の前に魔王が出てきた。そして、これだ。


私は、何かの攻撃を受けた。それだけは分かった。
そして、この状況は私の予定にはない。本来なら、プルミエール・レミューはガルバリ山中に送られ、魔獣ノーサの餌食になっていたはずだった。
魔王エリックも同様だ。あの小柄な身体で、私に勝てるはずもない。そのはずだった。


視界が、急速に暗くなっていく。


神は、私をお助けにならないのか?


#

私は、12の時からずっと、一念に神に祈りを捧げ続けた。自らの贖罪のために。

そう、私は母を殺した。ユングヴィの神学校へと通わせるため、折檻を加え続ける母を殺した。
母は悪魔に魅入られていた。しかし、悪魔払いはその筋に任せるべきであった。自ら行ったことで、私は深い禁忌を犯した。
だが、母は自殺……狂死として処理された。私がそう装ったからだ。

そして、それを幸いに、私は神に強く帰依するようになった。自らのために、そして神のために。
祈り続けていれば、我が罪は浄化され、神の御心が私をお救いになる。そう信じて35年以上生きてきた。

果たして強い神への想いは、自らを高みへと押し上げた。だが、足りない。私をお救いになった神への感謝は、こんなものでは足りない。
皆に救いを。そして、それを拒む愚者には裁きを。信じ続けた果てに、神はおわすのだ。

#


しかし、神の姿は、未だ見えない。私は腕を天に伸ばした。

ああ、我が神よ。私は自らを、貴女に捧げ続けました。せめて、どうか一目でも……!!


「かみ、よ……」


『神はもういない』


どこからか、声が聞こえた。


「え」


『神はもういない。お前はそこで、朽ちていけ』


今際の際に聞こえたその声は……20年前に死んだはずの、魔王ケインのものだった。


……そんな。こんなことが、あっていいはずがない……!!
私の祈りは、神への想いは、一体……!!!


ぐしゃり


それきり、私の意識は、永遠に途絶えた。


キャラクター紹介

カエラ・アヴァロン(享年35)

ミカエル・アヴァロンの母。夫はアヴァロンが4歳の頃に流行り病で死んだ。
上級貴族の娘であり、ユングヴィの上級司教であった夫が亡くなるまでは幸せな家庭を築いていたようだ。
ただ、夫が亡くなったことへのショックと、子育てのストレスから精神が崩壊。過度に教育と神への帰依をアヴァロンに押し付けるようになった。
耐えきれなくなったアヴァロンは、12歳の時に彼女を殺害。ただ、衝動的なものではなく、ある程度計画的に自殺に見せ掛けていたようである。
なお、アヴァロン自身の記憶も自己正当化のためかなり歪められている。

アヴァロンの性格の一端が幼少期の虐待にあったのは疑い無い。
ただ、独善的で狡猾な性格は、母親殺害時には既にできていたようである。それは彼女の殺害により、より深刻なものとなったと言えるだろう。

なお、アヴァロンはこの後神童として異例の出世を果たす。
20年前の時点では「六連星」ではなかったが、それでも各地の首脳と会える程度の地位にはあったようである。





第26-8話





ぐしゃり


エリックがアヴァロンの頭蓋を踏み砕いたのが見えた。巨大な幹は白い石のようになり、既にさらさらとした砂になり始めている。

「エリック!!」

「もう、大丈夫だ……」

はぁはぁと、肩で息をしている。彼の元に走り、崩れそうになっているのを支えた。

「本当に、大丈夫なの」

「かなり、無茶をしたが、な。……あいつらの、後を追う……」

近くで、何か動く気配がした。……白髪になり、枯れ果てたようにしわくちゃになっている、エストラーダ候だった。

「えっ」

「……君、たちは」

枝に寄りかかり、手を伸ばそうとしている。……意識があったんだ。

そしてようやく、私はエリックの意図を正確に理解した。ああそうか、ファリスさんのアミュレットの欠片は、彼の記憶を呼び戻すために使われたのだ。
あの混乱の中、言われるがままに「追憶」を掛けていたけど……とすれば。

「エリック、逃げないとっ」

「いや、もうエストラーダに、そんな力は、ない。それに……」

小さくエストラーダ候が頷いた。

「ファリスは、逝ったのだな。自らの、意思で」

「そうだ。怪物になり果てた自分を、知られたくない、と」

「……私にも責任が、ある」

「え?」

エストラーダ候が苦笑した。

「アヴァロンが、ネリドと私の前に現れたのは……1ヶ月と少し前、だ。その時、私は……クーデターの計画を、持ち掛けられていた。そして、君たちの排除も。
それに向けて、隠密裏に動いてもいた。思えば、アヴァロンは……あの指輪のことも、知っていたのだろう。そして、計画を知ったファリスが、どう動くであろうかも……グフッ」

「エストラーダさんっ!!」

「もう、いい。寿命が来ているのは、分かる。それに、ファリスの想いも知った……これ以上の殺戮を犯さずに、済んだ……アヴァロンは」

「死んだよ。俺が殺した」

満足そうに、彼は微笑む。

「……そうか。アヴァロン大司教からは、ファリスの居場所を、君らが知っていると聞かされていたが……私は、いいように使われていた、わけだな」

「ああ。だが、落とし前はつけさせた」

「そうか……プルミエール君、だったな。……これを」

胸に刺さっていた金属の欠片を取り出すと、エストラーダ候は穏やかな声で私に言う。

「ファリスのことを……忘れないでくれ。もう、君だけが……彼女と心通わせた人間、だ」

「……はいっ」

目から涙が溢れ出す。……ファリスさんは、エストラーダ候には普通に生きていて欲しかったはずだ。……こんな結末なんて、ない。

私の思考を読んだかのように、エストラーダ候は首を横に振った。

「私のことは、いい。狂人に踊らされただけのこと、だ」

彼は、ロックモールの青空を見上げる。雲一つない、透き通るような空だ。

「……ファリス、今逝こう。愚かな父を、赦してくれ」


カァァァッッ


不意に一瞬、金属が赤く、温かく光った。




これが何だかは、正確には分からない。でも、多分……ファリスさんの答えなんだ。
根拠はないけど、なぜかそう思えた。


エストラーダ候の身体が、白い石に変わっていく。そして、端から砂となって、砕けていった。

彼は、穏やかに笑った。


「……そうか。ありがとう……」


それが、エストラーダ候の、最期の言葉だった。


#

私はエリックを支えながら、なくなった別荘へと向かう。崖を見ると、階段が下まで続いていた。

私は涙を拭う。皆に、追い付かなくちゃ。

「……歩ける?」

「何とか」

海岸伝いにずっと歩けば、通りに出る。逃げる場合は、そこで落ち合う手筈になっていた。

もう、大丈夫だろう。転ばないように、慎重に一歩ずつ階段を下っていった。


その時だ。


ズズンッッッ!!!!


向こうから、地響きのような音が聞こえた。そして、そこから感じられたのは……強大で邪悪な、2つの魔力。


「……何っ?」

「何だ、これはっ」


砂浜の向こうから、誰かが走って来るのが見えた。……デボラさん??


「来るなっ、引き返しなっっ!!!」

「ど、どうしてですかっ??アヴァロンは、もう……」

「それどころじゃないんだよ!!!」

心を落ち着けるように、大きくデボラさんが深呼吸する。顔色は、顔面蒼白だ。



「カルロスが…………怪物になっちまった」







第27-1話






「どこだっ、探せっっ!!」


男たちの声が、遠くに聞こえた。地下室には、厳重に鍵をかけている。だが、いつまでもつのか。
エリックたちが簡単にやられるとは思わない。未だにいけすかないが、あいつの腕は確かだ。デボラ・ワイルダもいる以上、助けはいつかは来るはずだ。
問題は、それまでここがもつかどうか。召使のザンダを家に帰しておいたのは、正解だった。

「邪魔だぁっっ!!」

別の誰かが入ってくる気配があった。ワイルダが事前に手配していた、テルモン兵か。

メディアを見る。表情はさほど変わらないが、視線は沈んでいる。短い付き合いだけど、彼女の感情はなんとなく分かるようになっていた。
俺は手を彼女のそれに重ねる。

「……行こう」

「え」

「逃げは早めに打った方がいい。アヴァロン大司教も戦闘に手一杯で俺たちのことまで気付かないはずだ」

分厚い樫の扉の向こうからは、剣戟の金属音と叫びが聞こえてきた。戦況は、ここからじゃ分からない。でも、先手を打つことの大切さは、親父を反面教師にして知っている。
親父がどうやって討たれたかは、伝聞でしか知らない。ただ、「高速回転銃」を手にして傲り、悠長に過ごしていた所をエリックたちにやられたとは聞いていた。

地下室の片隅の床には、金属の扉がある。それは、有事の際にと先祖が作った、抜け道に通じる扉だ。

ゴンザレス家は、しばしば密談にこの別荘を使っていたという。それにはちゃんとした理由があった。
まず、街からここまではほぼ一本道で、誰かが来たのを見付けるのが容易い。そして、いざという時はここから崖下まで降り、砂浜伝いに歩けば街道に出れるようにもなっている。
俺は先人に心から感謝した。それを今こそ使わせてもらう時だ。

「うおおっっ!!!……はあっ、はあっ……開いた」

扉は錆び付いていたが、何とかギィという気持ち悪い音と共に開いた。潮の匂いが一気に広がる。

「行こう」

小さく頷くメディアの手を取り、階段を降りる。段々と光が強くなっていく。
そして、開けた先には……足を踏み外せば遥か下の海に落ちてしまいそうな、長い階段が崖に張り付いていた。

……ゴクリ

ボロボロのロープを頼りに、くりぬかれた階段を慎重に降りる。上からは、誰か女の叫び声が聞こえた。……急がないと。

降りた時には、酷く疲弊していた。メディアはというと、心配そうに俺を支えていた。
……情けねえな、守るべき女に支えてもらってるんじゃ。

「大丈夫、急がないと」

「……うん」

俺たちが下にいると悟られないように、小走りで砂浜を駆ける。昨日の騒動で戒厳令でも出ているのか、普段なら水着の男女で溢れている海水浴場には人影もまばらだった。目立たず動けるのは幸運だ。

とりあえず、何かあったら「蜻蛉亭」まで逃げろとは言われている。あそこには、テルモンの皇子がいると聞いていた。テルモンの連中に頼るのは少し癪だけど、四の五の言っていられる状況じゃない。


……ゾクン


背中に寒気が走った。メディアを見ると、凍り付いたように立ち止まっている。


「どうしたんだ?」

「……ダメ、戻らないと」

「何でだよ……」

彼女が向こうを指さした。15メドほど先に、皮鎧を着た、短い金髪の男がいた。腰からは、やたらと長い剣の鞘がぶら下がっている。
俺は戦いの訓練を受けているわけじゃない。でも、そいつが只者じゃないのは、すぐに分かった。

「……逃げよう」

彼女が頷いたその瞬間、俺たちの横を何かが通り過ぎたのが分かった。


ザンッ


ドゴォという地響きとともに、後にあった椰子の樹が倒れた。……え??

「逃げようとしても無駄だ。次は当てる」

「……誰だよ、お前は……」

「アングヴィラ王国近衛騎士団団長、デイヴィッド・スティーブンソン。エリック・べナビデスとプルミエール・レミューの居場所はどこだ?」

……メディアが狙いではないのか?そもそも、はるか西のアングヴィラの近衛兵団団長ともあろう者が、わざわざ単騎でエリックやプルミエールさんを狙うなんて……

金髪の男は、深紅の大剣を地面に突き刺して言う。

「居場所を教えれば見逃してやるよ。俺はその『女神の樹の巫女』には興味がないんでな……」

「……何でエリックたちを。アヴァロン大司教とは、仲間なのか」

「仲間……というより同盟だな。ただ、互いにやることは干渉しないことになってる。ま、『魔王エリック』と『魔女プルミエール』を殺したいのは同じだが。
お前があいつらと一緒にいたことは知ってる。素直に吐きな」

俺は悩んだ。エリックたちには恩もある。ただ、あいつが親父の仇であるのには変わりない。
ここであいつらを売っても、問題はないんじゃないか。俺にとって大事なのは、メディアとこの街を抜け出して逃げ切ることだ。

「あ、あいつらは……」

「駄目」

メディアが、鋭い目で俺を見ると、小さく首を振った。

「あなたは、そういう人じゃない。それに、教えてもきっと……彼は私たちを殺す」

「え」

もう一度、デイヴィッドと名乗る男を見る。……目の底に、深い闇が見えた気がした。
……確かに、こいつの言うことを信じられる保証はない。

……俺は悩んだ。行くも地獄、退くも地獄。そして、俺には……力がない。

「どうしろと言うんだ」


「私に任せて、あなたは逃げて。『あなたは助かる』」


分かったと言いかけて、俺は強烈な違和感を覚えた。「あなたは助かる」?つまり、自分を犠牲にすると?
ダメだ、それだけはダメだ。彼女には、生きてもらわないと意味がない。2人で生き残らないとダメだ。
でも、どうすればいい?目の前の男は、間違いなく強い。エリックならともかく、俺でどうにかなる相手じゃ……


俺の頭の中に、恐ろしい考えが浮かんだ。


……そうか。これなら彼女を守ることができるかもしれない。とりあえず、2人で生き残るとしたら、これしかない。


俺は、メディアをおもむろに抱きしめた。そして……


「……ごめん」


そう一言言うと、俺は彼女の唇を奪った。そして、舌を深く挿し入れる。
欲情のためじゃない。彼女の唾液を、体液を摂取するには……これしかなかったから。


「むっ……!!?むちゅっ……」

「駄目っ!!!んんっ……それは、んぐっ、それだけは……!!!」


身体が一気に熱くなる。そして、頭が俺のものじゃないかのように、急速にめぐり始めた。



背中が、熱イ。両腕ガどこマでも伸びテイク。


そうダ。メディアヲ守ルには……ヒトであルコトヲ、ヤメレバイイ。



「WOOOOOOOO!!!!!」


俺の……カルロス・ゴンザレスの人としての意識は、そこで途絶えた。


場所紹介

「ロックモール・イリア海水浴場」

ロックモールの一大名所。富豪の高級別荘が立ち並ぶ一角にある。一般人には解放されておらず、特権階級の憩いの場である。
近くには温泉を活用した「ロックモール総合病院」もある。ここはユングヴィの世俗派が運営する病院であり、アヴァロンら原理主義派との関りは薄い。
なお、イリアとは先代の「女神の樹の巫女」の名である。

人がほとんどいなかったのはカルロスの推測通りであり、テルモン主導で戒厳令が出されたため。
なお、デイヴィッドは「アングヴィラ近衛騎士団団長」であるため、ユングヴィ教団を警戒するテルモンの兵士たちからはスルーされている(というよりテルモンへの協力者と騙っている)。




第27-2話





「……これは酷いにゃ」

別荘に入るなり、強い血の臭いが鼻についた。玄関先には事切れたテルモン兵が横たわり、その少し向こうにはユングヴィの神官兵が腹を剣で貫かれていた。
内部ではかなり激しい戦闘があったみたいだ。数の上ではこちらが有利だったはずだけど、エストラーダの攻撃を食らったのも確かいたはずだから、全体としてはそう戦力は変わらなかった、ということか。

「気を付けな……まだ、いるかもしれない」

デボラさんにボクは頷く。彼女の顔色は青白いままだ。出血は何とか止めたけど、骨までは治せなかったかもしれない。ボクも限界だけど、残党がいたらボクが戦うしかない。

ゴトッ

抜け道がある地下室に向かおうとすると、何かが倒れる音がした。そこに向かうと……

「ヴェルナーさん、かにゃ?」

頭から血を流しながら立ち上がろうとするヴェルナーさんが見えた。その横には、ハンマーと神官兵の死体が転がっている。

「……アヴァロン、は」

「まだにゃ。向こうでボクらの仲間が戦ってるにゃ。ボクらはカルロスを追うにゃ……歩けるにゃ?」

「かたじけない……こいつら、魔法か何かで強化されてやがった……ただの神官兵と見て、侮ってたよ……」

地下室の扉を開けようとしたけど、しっかりと鍵がかかっていて開かない。中に人の気配はなさそうだ。

「デボラさん、銃を」

「魔導銃」を受け取り、できる限りの出力で放つ。轟音と共に、扉は砕けた。

「大丈夫、かい?」

「……もう余力はほぼないにゃ。でも、行かなきゃ」

案の定、カルロスとメディアは逃げた後だった。どのくらい前に逃げたかは分からないけど、急いだ方がいいと本能が言っていた。

その次の瞬間。


ゾワッ


外から、恐ろしいほどの魔力の高まりを感じた。……まずいっ!!



「走るにゃっ!!!」


抜け道に至る扉を確認し、2人を支えながら駆ける。扉を閉めるのと、光と共に何かが消える気配がしたのは、ほぼ同時だった。

「なっ……!!?」

「多分、アヴァロンの魔法にゃ。ボクらを消そうとしたのにゃ」

「『消す』?」

「いいから急ぐにゃ、あの2人だけじゃ身は守れないにゃ」

ふら付きながらも崖を降り切る。カルロスたちの姿は、まだ見えない。

「……上手く、行ったかね」

「分からないにゃ」

彼らが神官兵に捕まらないとは言い切れない。ただ、数はずっとテルモン兵の方が多い。多分大丈夫だろうという、うっすらとした推測はあった。
ただ、どうにも嫌な予感が消えない。砂浜を歩きながら、足がどんどん重くなるのが分かった。理屈じゃない、本能が何かを訴えかけている。


街道が、向こうに見えた。……その時。


ぞわわわわっっっ


強烈なマナ……いや、邪気!?それも、2つ???


「何だいこれはっ!!?」

「行くにゃっ!!ヴェルナーさんは、ここで待ってるにゃ!!」

「し、しかし」

「あなたの傷が一番深いにゃ!何かあったら逃げてにゃ!!」

首を縦に振る彼をしり目に、ボクは気力を振り絞って走る。全身が軋んで、すぐにでも倒れ込みそうだ。でも、この中で何とかできるとしたら、ボクしかいない。


そして、ボクが見たものは。


ぞわわわわっっ!!


エストラーダ候と同じように背中から無数の「枝」を生やす、カルロスの後ろ姿だった。そして、彼と対峙しているのは……深紅の大剣を振るう剣士。


「邪魔だあっっ!!!!」


ブンッという風切り音が、ここまで聞こえた。切り落とされた枝の付け根から、間髪を置かず新しい枝が生えてくる!?


「WOOOOOOOO!!!!」


獣のような咆哮。そして、彼がメディアを胸の中に抱きながら戦っていることに、ボクは気付いた。

「カルロスっ!!?」


「ダメっっっ!!!」


メディアの叫びが聞こえると同時に、「触手」が3本、ボクの方に飛んできた。……しまった、反応が……



「何ぼーっとしてるんだいっ!!!」


後ろからボクについてきていたデボラさんが、左腕だけで僕を抱えた。勢いあまって倒れたボクらの頭上を、触手が通り過ぎる。

「……あ」

「呆けてるんじゃないよっ!!あれは、もう『カルロス』じゃないっ!!今すぐ戻って、エリックたちに伝えにいくよっ!!」

……デボラさんの言う通りだ。多分、あれは……メディアに近づく人間を全て「敵」と認識しているんだ。こうなった以上、ボクらにできることは、ない。

起き上がって後退しても、「触手」の追撃はない。「カルロス」と戦う男が、ボクらの味方とも思えない。……退く以外に、道はなさそうだ。

「……分かった」

ボクらは、ふらつく足で走り出す。ボクもデボラさんも、正直体力は限界だ。それでも、気力を振り絞らないと。

「彼」がどうなるかは、ボクには全く分からない。ただ、エストラーダと同様殺戮を引き起こすなら……誰かが止めないとダメだ。
じゃあ、それは誰だ?エリックにそこまでの余力が残っていることを、ボクは心から祈った。


……そして、多分それはただの願望であることも、ボクは知っている。


「ぐあっ……」

「シェイド!?」

砂に足を取られた。これ以上は……走れそうもない。猫の姿になった所で、この足場の悪さではエリックたちのところまでは戻れない……か。

「デボラさん、任せたにゃ。ボクは少し……休むにゃ」

「……分かった」

彼女も右肩を負傷してて、全く万全じゃない。ただ、戦闘するならともかく、体力的にはまだボクより余裕はある。ボクにできることは、ただ……これ以上の襲撃がないのを祈るだけだ。



サクッ


誰かの足音がする。砂浜にはほとんど人はいない。ヴェルナーさんが、30メドほど離れた木陰で休んでいるのが見えるぐらいだ。
ボクはそのまま寝てしまいたいという欲求を振り払い、身体を起こす。もしさらに追っ手がいるなら……ボクは、ここまでだ。


サク、サクッ


疲れで視界が不鮮明だ。誰かが近付いているのは分かるけど、まだはっきりとは見えない。


「……誰、にゃ」


その顔が見えそうになった瞬間、ボクの視界が白い霧のようなもので覆われた。


「……!!?」


身体から、力が抜けていく。そしてボクは、そのまま意識を失った。



キャラクター紹介

カルツ・ヴェルナー(35)

男性。テルモン王国のシュヴァルツ第四皇子付きの騎士。身長178cm、78kgの筋肉質で短い黒髪。眼光鋭く、無精ひげの無骨な男。老け顔。
下級貴族の出だが、その剣術の腕を買われ第四皇子とはいえ皇室付きの騎士にまでのし上がった。
決して剣術の技巧は優れていないが、愚直な太刀筋で相手を消耗させ、頑強な肉体に任せて肉を斬らせて骨を断つ戦術を得意とする。
その剣同様、本人も不器用な職人肌。命令を忠実、着実に不平を言わずこなすため、皇室の信頼は厚い。
皇弟ナイトハルト・ヴォルフガングから召し抱えの話もあったが、シュヴァルツ皇子付きになってまだ1年ということもあり固辞している。

なお、意外にもグルメであり、こっそりと各地のレストランの記録を付けている。あくまで備忘録であり、人に見せるものではないとのこと。
何度も縁談が来ているが、任務以外では口下手なのと強面な外見が災いし未だ独身。
本人は独身であることに負い目や焦りを感じていないというが、ロックモールで主人が娼館に入り浸っているのを見て少し心が揺らいでいる。

今回はここまで。

ちょっと息抜きに番外編でもやろうかと思っています。
なるべくぬるーいやつです。(人口が減っている中あるのかは知りませんが)何かリクエストがあればどうぞ。


有りすぎて迷うから選択方式にしてくれ

>>704
とりあえず考えているのはこの辺りです。

1 プルミエールの酒品評会
2 ヴェルナーのレストラン探訪
3 エリザベートとランパードの道中記

他に何かあれば考えます。27話はあと3、4パートで終わるはずです。

大分お待たせしました。息抜きパートを作ろうと思案中なのですが、シナリオになかなかそれらしき区切りがつきません。
イメージとしては次の次の章ぐらいにそういう余裕ができそうなのですが、少々お待ちください。

とりあえず、投下します。





第27-3話





私がこの世に「生まれ落ちた」のは、1年前だ。


女神の樹の下にいた私を拾ったのは、ユングヴィ教団の老司教、オフィーリア・アーヴィングだった。
彼女は統治府での執務の帰りに、たまたま私を見つけたのだ。

『あなたを守らないと』

開口一番、彼女は言った。

『どうしてですか』

『あなたが『女神の樹の巫女』だから。あなたの存在を知ったら、利用したり、殺そうとしたりする人がすぐに現れる』

私は驚いた。私の中にある「樹の記憶」から、利用されたりすることがあるだろうことは知っていた。そして、「私の娘」が犯してしまったことから、危険視する人がいるだろうことも理解していた。
でも、私を見てすぐに「女神の樹の巫女」だと彼女が理解したのは、さすがに予想外だった。傍から見たら、裸で横たわっている変な女にしか見えないはずだ。

『なぜ分かったのですか』

『無駄にこの街で70年以上生きているわけじゃないのよ。それに『女神の樹』については、こちらでも色々調べているの。
上に話をするととても面倒なことになりそうだから、私のところで止めているのだけどね』

『……なぜ、私を助けようと』

『過去の『巫女』の末路は知っているわ。その誰もが、不幸せな結末になった。
最初の巫女は悲恋の結果ここに根を生やし、2人目は慰み者となった挙句に命と引き換えにこの街を作った。そして3人目になってやっと子を成すことができたけど、その子は惨劇を引き起こしてしまった。
あなたの意識がどれなのか……あるいはその全てなのかは分からない。でも、私はあなたに『普通の女性』として生きてもらいたいの』

『え』

『それが神の教えだから。私の個人的な想いもあるけど、それはまたいつか、ね。ついてらっしゃい、とりあえずその恰好を何とかしないといけないわ』

#

オフィーリアさんはロックモール郊外の彼女の私邸に、私を匿った。そして、人としての生き方や知識を色々と教えてくれた。

彼女は、ユングヴィ教団のロックモール支部を束ねる人だった。一応原理主義派に属しているけれど、心情的には世俗派に近いらしかった。
ロックモールにある病院の院長も兼ねていて、いつもとても忙しそうにしていたけど、とても親切で温厚な人だった。

そして、私が「人」として生きていく道はないか、こっそりと探してくれていた。
それは悲しいかな、ついに見つけられなかったのだけど。

家族のことを一度だけ聞いたことがあるけど、とても寂しそうな顔になったので慌ててやめた。
人には、触れられたくない過去があるのだと、その時知った。


とても、幸せな時間だった。多分、先代たち含めても、一番幸せだったかもしれない。


#


それは、ほかならぬユングヴィ教団によって壊された。私の存在が、どこからか漏れたのだ。


そして、オフィーリアさんは自分の命と引き換えに……私を逃がした。カルロスと出会ったのは、その夜のことだ。

#

最初は、当面の隠れ蓑としてしか、彼のことを考えていなかった。でも、彼は真っすぐで、優しかった。
そう……先代たちが愛してしまった男たちのように。

そして、私もまた、彼に惹かれてしまった。

それがただの本能なのか、それとも私の「記憶」によるものなのかは分からない。でも、それが誤ってると知っていても……想いは強くなってしまった。
だから、あの日……私が浚われたことはむしろ僥倖だったのかもしれない。多分、私の方が耐えきれなくなっていただろうから。

結ばれることは、何かしらの破滅に繋がる。そう理性では分かってた。
オフィーリアさんからも、「もしその時が来たら、まずゆっくり考えなさい」と釘を刺されていた。
この身体である限りは、誰も愛することはできない。……分かってたはずだった。

だから、アヴァロンに連れ去られ、「女神の雫」を作れと命じられても、私は抵抗しなかった。
ああ、これでよかったのだ。先代たちのような「過ち」を、繰り返すことはない。……そう思い込もうとした。

#


ああ、なのに。分かっていたのに。


私は、愛されたいと思ってしまった。だから、カルロスのキスを……受け入れてしまった。

#

彼の胸に抱かれながら、私は悔恨の念でいっぱいになっていた。
でも、涙は、流れない。すごく泣きたい気分なのに、泣けないのだ。


……ああ、私は所詮「魔物」なのだ。それを実感し、さらに悲しくなる。代わりに、強く握った手のひらから緑色の「血」が滲むのが分かった。


頭上では、彼の「触手」が必死に私を守っているのが分かった。深紅の大剣の男の剣戟は凄まじく迅く、そして重い。私でもそれが分かった。
剣の一振りで、幹のような「触手」が何本も斬り飛ばされていく。


「邪魔だってんだろうがぁっ!!!!!」


ヴォン


剣から放たれた衝撃波が、私とカルロスを襲う。ボロボロになったカルロスが、残り少なくなった「触手」で盾を作った。……しかし。


バキィッッッ!!!


それは他愛もなく砕け散る。触手の隙間から見える男の顔は、まるで悪鬼のようだ。


地面に剣を突き刺してからの男の攻撃は苛烈だった。明らかに、人間を超越した何かだった。いや、本当に彼は人間をやめかけているのかもしれない。

あの剣が「遺物」と呼ばれるものであることは薄々分かった。
……あれは、ヒトが持っていいものじゃない。ヒトを確実に狂わせるものだ。理屈ではなく、本能で私はそのことを知っていた。

でも……私は、何もできない。……あまりに、無力だ。


胸に抱いている、宝石をちらりと見る。これを使えばきっと、この危地を脱することができるだろう。
でも、それはカルロスが否定したやり方だ。彼の想いを裏切ることになる。……それだけは、できない。


手のひらから、一筋緑の血が流れた。こうやって彼にわずかずつ力を与え続けているけど……もう、限界だ。


「終わりだっっっ!!!!!」


ザンッ!!!


最後の盾も破られた。カルロスは干からび、崩れ始めている。


…………ごめんなさい。私になんて、会わなければ…………


堅く目を閉じる。……このまま、カルロスと一緒に斬られるのだ。




「なっ!!?」



その時、男が飛びのくのが見えた。……何だろう?エリックさんたちが来たのだろうか。


ガチャッ


顔を上げる。そこには、見たことのない鎧を着た、2人組がいた。顔は、異形の兜に覆われて見えない。



「……誰だ、貴様らは」


「別に名乗るほど大した者じゃないよ、デイヴィッド・スティーブンソン」

青い鎧の声の主は、若い男性のようだ。

「チッ」

大剣の男が剣を薙ぐ。その衝撃波を、もう一人が容易く掌で弾き返した。

「攻撃は効かないわよ。こちらからの有効打も、多分ないけど。
でも、この子たちを守ってエリック・ベナビデスたちが来るのを待つことくらいはできるかな」

もう一人の、赤い鎧の中は女性みたいだ。デイヴィッドと呼ばれた男の顔が歪む。

そして、大剣を再び地面に突き刺した。


「……魔王が来るまで温存しとくつもりだったが……使うしかねえなぁ!!……轟け、『スレイヤー』ッ!!!」


深紅の剣が、赤い光を纏う。天まで届こうかという光と共に、その斬撃は振り下ろされた。


……しかし。


ズォンッッ!!!!


青い鎧の男性が、それを全身で受け止めた!??


「うおおおおっっ!!!!!」


パァンッッッ!!!!!


甲高い破裂音。男が、呆気に取られたような表情で彼を見つめる。



「……マジ、か??」


鎧は真っ二つに割れた。しかし、男性は苦笑いを浮かべ、傷一つなく立っている。赤い髪の、精悍そうな人だ。

「あーあー……『パワードスーツ』が破壊されるとはねえ……こりゃ、シュトロートマンさんにまた小言言われそうだな」

「あーあーじゃないわよ、ブラン……。それが壊されること自体、相当想定外なんだから。
でも、もうあなたに打つ手はないかな。その遺物を『解放』すれば皆殺しにできるだろうけど、あなたも死ぬ。つまり『詰み』ってやつ?」

デイヴィッドが何か唱えるのが分かった。背後に、空間の歪みができる。

「……悪いが、逃げさせてもらうぜ」

「逃がすかよ!!!」

ブランと呼ばれた男性が、銃を抜こうとした。デイヴィッドは剣を振るい、彼を妨害しようとする。
衝撃波を、赤い鎧の女性が身をもって防いだ。

「あっぶないわね……ここまでで、良しとしましょ?」

デイヴィッドは、空間の歪みに消えようとしている。

「……テルモンの、反皇帝派かっ!!!」

「ご存知のようで光栄ね、アングヴィラの近衛騎士団長様。ま、またお会い……はしたくないわね」

反皇帝派??そんなのが、なぜここに……??

そして、デイヴィッドはいずこへと去った。

「大丈夫??」

「え、ええ。……あなたは」

女性が兜を脱ぐ。長く黒い髪の、快活そうな女性だ。


「私は、クロエ。クロエ・シュトロートマン。アリス・ローエングリン教授からのお願いで、ここに来たわ」


キャラクター紹介

オフィーリア・アーヴィング(享年73)

女性。ユングヴィ教団のロックモール司教であり、教団が運営する病院の院長でもあった。
実質的なロックモールの顔役であり、テルモンとモリブスの両国の勢力を取りまとめられるだけの人物であったと言える。
元は娼婦であったが、身請けした貴族が夭折したのを受けて帰依。以来「聖母」として人々の信頼を集めた。「蜻蛉亭」のカサンドラも、彼女の影響を強く受けている。
テルモン系の人間ではあるが、心情的には反皇帝派であり、その関係上モリブスの世俗派との交流もあったようである。

その人望と政治手腕からテルモン皇室、イーリスの原理主義派からは危険人物とされてきた。
彼女には政治的野心が乏しかったが、アヴァロンは彼女を排除する切欠をひたすら欲しがっていたようである。
果たして、野心ある若い神父の手によりメディアの情報がリークされ、これを口実に彼女は邪教徒として殺された。反論の余地もなく、一刀両断であったようである。

なお、メディアを人間に戻す方法は色々と探していたようだ。
実はアリスとシェイドの存在にも辿り着いており、亡くなる直前には会う約束も取り交わしていた。
もし彼女の死がなければ、メディアはアリスの元にいた可能性が高い。





第27-4話





……誰だこいつは。


目の前にいる異形の2人を見て、さすがの俺も動きが止まった。


男は上半身こそ普通だが、下半身には見慣れない意匠の甲冑を着けている。
女はもっと異様だ。赤い、似たような甲冑だがやたらと曲線的で、継ぎ目が見当たらない。こんな防具は、見たことがない。


「主役登場、ね」

女が笑う。そこに敵意はない。それだけは分かった。


……ただ、この状況を整理できない。カルロスは枯れ果て、いるはずのデイヴィッドはどこかへ消えている。メディアは無事なようだが……


何がここで起こった?


#

そもそも、ここに来るまでがおかしかった。

デボラに案内されるまま、限界に近い身体を何とか動かして俺たちは砂浜を走った。
途中、木陰で休んでいるヴェルナーを見つけた。息があることを確認し、もう少し先へと進む。

「シェイド!!?」

デボラがうつぶせに倒れているシェイドに駆け寄る。その表情は、すぐに安堵へと変わり、やがて疑念へと変わった。

「……どうした?」

「いや、寝てるだけさ。……でも、『マナが戻っている』」

「何?」

「こいつもギリギリで動いてたからね。だから、ここであんたらを呼びに行くのを託されたんだ。
『少し休む』って言ってたから、意識を失っているのはいいんだ。でも、体力もマナも回復しているなんて、あり得ない」

「……誰かが回復魔法を??」

後ろからプルミエールが割り込んできた。デボラは首をひねる。

「どうだろうね。というより、睡眠魔法(スリープ)もかけられてる気がする。
あたしはここで少しシェイドの様子を見るよ。あんたらは先に行ってな。あたしじゃ、あいつらとは戦えない」

「あいつ『ら』?」

「深紅の大剣を持った男さ。間違いなく『使う』」

ぞわっと背が逆立つ錯覚がした。……あいつだ。

「……デイヴィッド……!!」

「やはり、知ってたね」

「……万全でないと、戦える相手じゃない。無理そうなら、すぐに全力で逃げる。
カルロスについては……運を天に任せる以外にない」

オルランドゥ魔術都市から出た際、デイヴィッドはまだ実力を隠していた。
もしあそこで本気を出されていたら……どちかが死んだはずだ。
そして恐らく、それは俺の方だっただろう。「閃」は、プルミエールがいる以上使いようがなかったからだ。

逃げる体力は残っているか?数秒ぐらい、「5倍速」を発動できる程度はある。ただ、誰かを守るのは……無理だ。

「プルミエール、お前はここにいろ」

「……分かった。無理は、しないで」

「そのつもりだ」

俺は小走りで街道へと向かった。……戦闘は、もう終わっている?

#

……そして、俺はこの2人と出会った。

メディアが抱いているのは、干からび骨と皮だけになりつつあるカルロスだ。まだ息はあるのだろうか。

「……主役、だと?」

「そう。アリス教授からの依頼でやってきたってわけ。ああ、さっき彼女には自己紹介したけど改めて。
クロエ・シュトロートマンよ。よろしく」

差し出された手を握るべきか、俺は躊躇した。敵意はないが、本当に信用できるのか?

男が肩を竦める。

「その格好じゃ怪しまれるだろ。『パワードスーツ』、解除しないと」

「あ、それもそうね」

女が左手首に触れると、甲冑は煙のように消えた。女はごく普通の町人姿になる。……こんな魔法、見たことがない。

「何をやった、そして何者だ?」

「あー、これ?装備を解除したの、魔法じゃないわ。まあ説明が長くなるけどそれは置いとくわね。
私はカール・シュトロートマンの娘。パパの名前は聞いたことあるでしょ?」

「……テルモンの反皇室派の長か?確かに、アリス教授は協力関係にあるとは聞いていたが」

「そ。で、今手が離せないってことで、私たちが代わりにね。というか、この子大丈夫?」

メディアが悲しげに首を振る。

「……私のために……力を使いきった。もう、このままじゃ」

男がカルロスに駆け寄る。すぐに渋い顔になった。

「……確かに、これはまずいな」

「何とかできそう?」

「さっきの子供はただの過労だから良かったけど、こっちは深刻だね。……一応薬一式はあるけど、見たところ老化の進行だから気休めにしかならない」

「……そうか。彼、あなたの大切な人なんでしょ?」

コクン、とメディアが頷く。

「もう、どうしようも……」

「苦痛なく逝かせることならできるけど。延命を望むなら、一応応えられる」

……こいつら、医者か何かか?シュトロートマンの娘が、そんな大層な奴だとは聞いたことがない。

「延命?」

「といっても数日。最期のお別れぐらいは言えると思うわ」

メディアは悲しそうに俯き、胸元から緑の宝石を取り出した。

「……これを使えば、彼は助かる」


「……あなた、それって」

「『女神の雫』。私の生命の結晶。そして、『願い』を一つだけ、叶える力を持つの」

男の目が見開かれた。

「伝承は、マジだったのか!!?」

「……伝承?」

「ああ。ユングヴィに伝わる話だ。『巫女は命と引き換えに『女神の雫』を産み出し、それをもって干天に慈雨を降らせた』とね。
150年前、怪物となり倒れた夫の願いを聞き入れ、巫女は雨を降らせたのさ。
自分を我が物にしようとした豪商と、ロックモールの一部を水没させるだけの豪雨をね。
そして、その引き金となったのが、その宝石って話だ。娘を逃がした時に、もう覚悟は決まっていた……と解釈されてる」

「随分詳しいのね」

男が苦笑した。

「まあ、一応イーリスの人間だしな。……エリックが来たということは、アヴァロンは」

「俺が殺した」

「そうか。親父に代わって礼を言うよ。まだ、残党は多いが……」

「親父?」

「ああ、俺の紹介がまだだったな。ブラン・コット。親父はイーリスの第一師団団長だ。俺は放逐された身だがな」

イーリスの第一師団団長の息子?それが、なぜシュトロートマンの娘と……一体、何が起きている?

クロエがメディアを見つめた。

「……それを使えば、あなたは死ぬ。でも、彼は助かる。そういうことね」

「……私は、所詮ヒトじゃない。そして、誰かを愛することも許されない。……ならせめて、この命は彼を助けるため……」


「……ダメ、だ」


掠れた声。カルロスが、口を開いた。


「……あなた、それって」

「『女神の雫』。私の生命の結晶。そして、『願い』を一つだけ、叶える力を持つの」

男の目が見開かれた。

「伝承は、マジだったのか!!?」

「……伝承?」

「ああ。ユングヴィに伝わる話だ。『巫女は命と引き換えに『女神の雫』を産み出し、それをもって干天に慈雨を降らせた』とね。
150年前、怪物となり倒れた夫の願いを聞き入れ、巫女は雨を降らせたのさ。
自分を我が物にしようとした豪商と、ロックモールの一部を水没させるだけの豪雨をね。
そして、その引き金となったのが、その宝石って話だ。娘を逃がした時に、もう覚悟は決まっていた……と解釈されてる」

「随分詳しいのね」

男が苦笑した。

「まあ、一応イーリスの人間だしな。……エリックが来たということは、アヴァロンは」

「俺が殺した」

「そうか。親父に代わって礼を言うよ。まだ、残党は多いが……」

「親父?」

「ああ、俺の紹介がまだだったな。ブラン・コット。親父はイーリスの第一師団団長だ。俺は放逐された身だがな」

イーリスの第一師団団長の息子?それが、なぜシュトロートマンの娘と……一体、何が起きている?

クロエがメディアを見つめた。

「……それを使えば、あなたは死ぬ。でも、彼は助かる。そういうことね」

「……私は、所詮ヒトじゃない。そして、誰かを愛することも許されない。……ならせめて、この命は彼を助けるため……」


「……ダメ、だ」


掠れた声。カルロスが、口を開いた。

(二重投稿失礼しました)



「君、は、生きなきゃ、いけない……人間になる、方法は、アリスって人が、知ってる、んだろう……」

「……カルロス」

「俺の、ことは……いいんだ。君を、守れた、だけで……」

ブランが首を振った。

「もう喋るな。寿命が……」

「俺は、満足、だよ。メディア、君は、君の人生を……」

俺は唇を噛んだ。……安い悲劇だ。こんな結末を見たかったわけじゃない。
アヴァロンは討ち、エストラーダ候も塵に帰った。だが、この2人を守れなかったことは……痛恨の極みだ。

確かに、2人を守ることは、俺の宿願とは何の関係もない。だが、父上の教えには背く。
「頼まれたことは、最後まで遂行しろ。それが君主たるものの務めだ」。父上は、事あるごとにそう言っていた。

俺は、魔族を統べる君主たらねばならない。見捨てることは、決してできない相談だった。


……何か、できないのか。本当に、打つ手はないのか。


メディアがクロエの制止を振り切り、宝石を強く握る。


「……嫌。あなたの記憶を消してでも……!!!」


その時、向こうからプルミエールとデボラの姿が見えた。


…………それだ!!!


「加速(アクセラレーション)5ッッッ!!!!」



宝石が砕かれようとした瞬間、俺は力尽くでそれを奪う。そして叫んだ。


「デボラッッ!!!『時間遡行』を!!!」

「えっ!!?」

「今なら間に合う!!余力は!?」

「ほとんどないけど……」

俺はクロエとブランを見た。

「今から治療をやるっ!!今から来る亜人の女に、体力回復の治癒魔法を!!あとはあいつが何とかするッッッ!!」

「え」

「いいからすぐにだ!!できるんだろ、強力な治癒(ヤツ)!」

そうだ。シェイドの様子からして、あいつの体力を回復させたのはこいつらのうちのどちらかだ。
なら、その力を借りれば……デボラの魔力を回復させれば、「時間遡行」で「干からびる前の」カルロスに戻すことは、多分できる!

一瞬呆気に取られていたクロエが「ああ」と呟いた。

「あれは魔法じゃないわ。薬を霧状にして、ついでに眠らせただけよ。寝ないと体力は戻らないから。でも、お望みとあらば……」

彼女は一瞬のうちに、赤い甲冑姿になった。そして何か操作すると立て続けにデボラとカルロスに霧を放つ。

「あ……か……」

「デボラさんっ!!?」

崩れ落ちるデボラを、プルミエールが支えた。カルロスもまた、ガクッと首が横に倒れる。

「とりあえずお望み通りにね。ここじゃ目立つから、少し場所を移動しましょうか」

アイテム紹介

「女神の雫」

「女神の樹の巫女」がその生命力を注いだ結晶。砕くことで、巫女が願った「奇跡」を起こすことができる。
奇跡の力は相当に強く、死者蘇生など世界の理をねじ曲げることまで可能。ただ、世界の征服や破滅など大それたものはできない。
結晶は硬く簡単には砕けないが、巫女だけは簡単に破壊することができる。
なお、破壊すると巫女は死ぬ。いわば心臓のようなものである。

女神の樹の巫女の体液は直接飲むとエストラーダやカルロスのように人外化を引き起こすが、一定以上希釈すればまさに万病の薬となる(そして強烈な媚薬ともなる)。
このため、生殖という役目を終えた巫女は利用されるのを防ぐため「女神の雫」を作るのである。いわば、自決装置のようなものである。
もっとも、それ自体に奇跡という副次的な効果があるため、かえって狙われる理由になっているのだが。

メディアについて言えば、彼女は早い段階で死を覚悟していた。
「同じ死なら人の役に立つ死を」ということで、アヴァロンに言われるまま雫を生成していたというわけである。
なお、アヴァロンの願いについては次回ブランが明かすことになるだろう。一応、私利私欲ではない。





第27-5話




「……落ち着いたか」

「そうみたい。デボラさん、さすがに疲れて眠ってるわ」

私はゆっくりと扉を閉めた。……やっと、一息つける。

私たちは、「蜻蛉亭」にいた。娼館の部屋を病室代わりに使わせてもらえることになったのだ。
カサンドラさんは「お代は頂くわよ」と言っていたが。魔族であるエリックの姿を見ても嫌な顔をしなかった辺り、やっぱりいい人なんだろう。

カルロス君の処置は、一応無事に終わった。
デボラさんの付き添いで見ていたけど、「時間遡行」の過程で例の「触手」が背中から生えて来た時にはさすがに焦った。エリックを呼びに行こうと思ったくらいだ。
でも、もともと深い眠りに入ってたらしく、暴れることは幸いなかった。何でも、あのクロエさんという人の薬が効いていたらしい。

カルロス君の生命力はかなり失われているらしい。デボラさんからは「流れた血は元に戻せない」とは聞いていたけど、それと同じ理屈のようだ。
あのデイヴィッドには随分触手を斬られていたみたいだ。どうもその影響があるんじゃないかという。

それでも、彼が一命を取り留めたのは確かだ。

今、カルロス君はメディアさんが看病している。
まだ乗り越えなきゃいけない障害は幾つもあるだろうけど、一先ず大きな山は越えたんじゃないか。私はそう思った。

シェイド君はというと、猫の姿に戻ってまだ寝ている。私はもちろん、エリック以上に体力を酷使したのだろう。
そもそも、シェイド君にとって亜人の姿は仮初めのものだという。その状態を維持するだけでも、結構な体力を使うのだと聞いたことがある。


彼がいなければ、私たちがアヴァロンに勝つことはなかっただろう。いや、これは皆の勝利なのだ。


思い切り喜びたかったけど、そんな気力もないほど、皆疲れ果てていた。
とりあえず柔らかなベッドで、早く寝たいな……


でも、生憎そうもいかない。下には、私たちを待っている人がいる。
クロエさんとブランさんだ。

#

1階の応接室に入ると、彼らが落ち着かない様子で座っていた。

「娼館なんて初めてだけど、こんな感じなんだな。もっとゴチャゴチャしてると思ってた」

「来る必要もないでしょ……あ、来た来た」

私たちは、彼らの向かいに座った。

「ごめんなさい、やっと処置が終わって……。お待たせしました」

「いえいえ、お気遣いなく。あなたのことは、アリスさんから聞いてるわ。今までで一番の学生だと」

「そんな……お世辞ですよ」

コホン、と隣から咳払いがした。エリックも相当に疲れているらしい。

「手短に頼む。正直、結構限界だ」

「そうね、申し訳ない。私たちがアリス・ローエングリン教授からのお願いで来た、とは言ったわね」

「ええ。でも、なぜあなた方が教授と知り合いなんですか?
確かに、反皇室派を支援しているとは聞いてましたが」

「厳密には『反皇帝派』ね。皇室にもマシなのはいるから。
アリス・ローエングリン教授……そしてジャック・オルランドゥ氏は私たちの協力者であり、皇帝に対抗する力を与えてくれるパトロンなの」

「……解せんな」

エリックが会話に割り込んできた。

「まず、一介の学者がテルモンの件に首を突っ込む理由が分からない。
それに、ブランだったか?お前はイーリス出身で、テルモンの件なぞどうでもいいだろう」

「……そもそも、何で私の父が反旗を翻したか、知ってる?」

「いや」

「皇帝ゲオルグの圧政が理由なんじゃないですか?」

私の言葉に、クロエさんが小さく首を縦に振る。

「それはもちろんある。でも、もっと大きな理由がある。
父はテルモン南西部にある小都市、ヘイルポリスの領主だった。そして、ヘイルポリスには小さな遺跡があるの」

「遺跡?」

「そう。『断絶の世紀』は知ってるでしょ?私たちの世界には、『500年前から過去の記録が一切ない』。
ただ、その手掛かりとなる遺跡は幾つか世界に存在する。ヘイルポリス遺跡もその一つ」

「断絶の世紀」はもちろん知っている。ただ、「遺物」や「秘宝」がその手掛かりになりうるものだとは聞いていた。
ただ、どこから出土したのかというのまでは知らない。


……何か、ざわざわしたものを胸の内に感じる。なんだろう、これ。



私は動揺を悟られぬよう、努めて静かに訊いた。

「教授が昔冒険者をやっていたのと、関係があるんですか」

「もちろん。彼女とジャック・オルランドゥ氏は、その発掘作業に携わってた。父もそれを後援していたの。
でも、皇室はそれを潰したかった。だから、3年前にヘイルポリスを襲撃したのよ。何とか死守できたけども」

「どうしてですか?ただの遺跡の発掘作業じゃ……」

その時、「まさか」とエリックが呟いた。

「……狙いは」

「ええ。遺跡に眠る『秘宝』や『遺物』。それを独占するつもりだったんでしょうね。
あれは、使い方によってはとてつもなく危うい。あなたたちは、身をもってそれを知っているはず」


……そういうことか!!鈍い私でも、やっと分かった。


今テルモンで起きていることは、ただの反乱じゃない。強大な武力をどちらが握るかという争いなのだ。
そして、遺跡ということは……

「『サンタヴィラの惨劇』とも、関係がある話なんですね」

「恐らくは。あなたが考える以上に、『秘宝』や『遺物』は世界を変えかねないの。それも、根本から」

「お前たちが着ていたあの鎧も『遺物』か」

ブランさんが肩を竦めた。

「いや、『パワードスーツ』は『秘宝』の方だよ。というか、よく誤解されるんだけど武具だからといって『遺物』とは限らないんだ。
その魔力の源となる『魔洸石』が含まれているか否かが大事でね。あれは、人の精神に重大な影響を及ぼすのさ。
パワードスーツの動力源はあくまで着用者本人の魔力と『電力』。至って平和な代物だよ」

「そんなものを、どうしてお前たちが?その遺跡からの出土品なのか」

「ご名答。で、俺はイーリスの反ユングヴィ教団派としてクロエたちに協力する立場ってわけだ。
まあ、こいつとはガキの頃からの腐れ縁なんだけどな」

クロエさんがやれやれと溜め息をつく。

「『幼馴染』と言ってくれないかな?ま、それはともかく。
私たちがここに来たのは、ヘイルポリスにいるアリスさんとジャックさんの支援をお願いしたいからなの」

「……え??教授たちは、モリブスにいるはずじゃ……!!?」

「襲撃の気配があったからなのかな。数日前にヘイルポリスに『転移』してきたのよ。ジャックさんの容態も良くないみたいでね……
あなたたちのことは、大分気にしてた。そして、ミカエル・アヴァロン大司教の動向も。
でも、彼女は動けなかった。『本当にごめんなさい』と、言伝を預かってるわ」

襲撃……多分、あのデイヴィッドだ。私たちは出くわさなかったけど、2人からカルロス君が戦っていた相手が彼であることは聞いていた。

それにしても、新しい情報が多くて頭が混乱する。というか、私の失われた記憶とも、何か関係があるんじゃ……

私は首を振った。きっと、考え過ぎだ。

「『支援』ということは、何かに巻き込まれているのか?」

クロエさんが頷いた。

「ええ。ヘイルポリスは今、テルモン軍によって襲撃を受けてるわ。
相手は……皇弟ナイトハルト・ウォルフガング。そして父とアリスさんは、その防衛に回ってる」

「そこで、俺たちの力を借りたい。そういうことだな」

「ええ。あなたの目的が、『サンタヴィラの惨劇』の真実を暴くことにあるのは知ってる。
だから、無理にとは言わない。でもさっきプルミエールさんが言ったように、決して無関係じゃない」

エリックが私の目を見た。答えは決まっている。
私はクロエさんに頷いた。


「やります」


武器・防具紹介

「パワードスーツ」

「秘宝」の一つ。全身鎧であり、滑らかな意匠を含め明らかに既存の鎧とは一線を画している。
その防御性能も破格であり、「スレイヤー」の力を解放した一撃も一応耐えることができる(ただし受ければ破壊される)。
外見は「アイアンマン」のそれをもう少し曲線的にしたものと考えればよい。クロエやブランの持つもの以外にも、1、2点存在する模様。
なお、左手のバックルに収納することができる。質量は約1kgと軽く、女性のクロエでも問題なく扱える。
本人の魔力に応じて身体能力を引き上げる効果もある。電力はサポート動力程度。兜内部は全方位モニターとなっており、周辺状況を分析するようにできている。

ブランが言う通り「秘宝」と「遺物」の最大の違いは「魔洸石」を内蔵しているかどうかに左右される。
パワードスーツにも「魔洸石」を内蔵する強化版があるようだが、それが現存するかは不明。ただ、あるとすれば間違いなく「特級遺物」だろう。

今日はここまで。明日で大体追いつきます。




第28-1話



テスト

「随分慌ただしいねえ。あんたもまだ回復してないんだろ?」

デボラが苦笑した。右肩は石膏で固められている。

「急いだ方がいいみたいだからな。一応、クロエたちの薬のお蔭で多少は体力は戻っている」

日はまだ低く、涼しさまで感じる。ヘイルポリスまでは2日ほどの道のりだが、それでも早いうちに出た方がいいということだ。


そう、俺たちはヘイルポリスへと向かうことになった。ジャックとアリスを救うためだ。


プルミエールがザックを担ぎ直した。向こうでは、クロエとブランがもう発つ準備をしている。

「デボラさんたちは、しばらくここに?」

「まあね。モリブスから軍隊が来るから、今回の件の説明をしなきゃいけない。一応、一部始終を説明できる立場にはあるからね。
それに、この肩じゃ足手まといになりかねない」

デボラの視線が、プルミエールから俺に移る。

「……アヴァロンの件、本当に心から恩に着るよ。仇の一人を討ってくれた……何と礼を言えばいいのか」

「それはいい。俺だってお前には随分助けられたからな」

「……ふふ、そうだね。『前と同じ御礼』は、できそうもないしね」

意味深に笑うデボラに、プルミエールはきょとんとしている。

「シェイド君も残るの?」

「にゃ。ご主人のことは気になるけど……エリックほど体力が戻ってるわけじゃないにゃ。行くなら万全にしてからにゃ」

「じゃあ、後で合流だね」

「そうなるにゃ。デボラ姉さんも行くにゃ?」

デボラが拳を握ってみせた。

「そうだねえ……まだ、仇は討ったわけじゃない。オーバーバックは、あたしがこの手で」

「蜻蛉亭」から、メディアと車椅子に乗ったカルロスが現れた。

「……もう、行くのか?」

「ああ。メディアを人間にするのはしばらく待ってもらうことになるが、大丈夫か?」

「信じて待つよ」

カルロスがメディアを見上げた。彼女は静かに微笑む。こんな表情もできるのかと、俺は少し驚いた。

「くれぐれも、肉体的接触は避けろ。性交なぞもっての他……」

「んなの肌身に染みて分かってるよ。それにこの身体じゃ、そういうのは無理だ」

クスクス、と後ろでプルミエールが笑う。

「……何がおかしい」

「いや、お母さんみたいだなあって」

少し、顔が熱くなった。

「……っ!ま、まあいい」

「ははは……無事を祈るよ」

「私からも、ささやかですが祈りを」

2人と握手をする。「そろそろいいかな?」と、クロエの声がした。


「分かった。……行ってくる」


4人が手を振る。次に会えるのは、いつだろうか。

#

「存外『魔王』も感傷的なんだねえ」

馬上のクロエがニヤリと笑う。

「……ふざけろ。気のせいだ」

「ロックモールを離れてから、チラチラ『女神の樹』を振り返ってたじゃない。まあ、心残りがあるのは分かるけど」

「うるさい」

横のプルミエールがクスクス笑った。

「……何がおかしい」

「ううん、何も。……戦況は、どうなんですか」

「私たちが出た時は、膠着状態だったと思う。皇弟ナイトハルトが直々に出てくるのは始めてじゃないけど、父には北部の『イミル関』で痛い目に以前遭わされてるから」

「痛い目?」

トントン、とクロエが左手首の腕輪を叩く。

「『パワードスーツ』。ナイトハルトも遺物『グングニル』持ちだけど、父の守りは崩せなかった。手間取っている間に、崖上からの集中砲火を食らって撤収、というわけ。
イミル関は皇都とヘイルポリスを繋ぐ要所なの。今も、多分あそこで止まってる」

「でも、俺たちの支援が必要なのはどういう意味だ?」

ブランが気まずそうに頭をかく。

「アヴァロンによってユングヴィの神官兵が動員されてね。それで皇都での陽動が上手く行かなかった。
アヴァロンは死んだらしいけど、その腹心のアウグストは健在だ。こいつも何考えてるか分からないけど、ナイトハルトと組んだのは嫌な予感がするな」

「アウグスト?」

「そう、アウグスト・フェルナンデス。あいつは基本イーリス内部でしか動いてなかったし、知らなくて当然か。
アヴァロンの恐怖政治の一翼を担った奴だよ。異教徒や魔族の弾圧ではアヴァロン以上に苛烈かもしれない。
アヴァロンが行方不明になった情報がすぐに入るとも思えないけど、知ったらどうするかは読めないね」

……アヴァロンみたいなのがまだいるのか。神への盲信は害悪でしかないな。

「つまり、そいつが来るまでにナイトハルトを撃退すればいいわけだな?」

「そういうこと。ゲオルグが直接来たらまた厄介だけど」

「詳しい話は現地で、ということだな」

にしても、切迫した状況であるはずなのに、2人には妙な余裕がある。信用してないわけじゃないが、何か引っ掛かる。

「どうしたの、エリック」

「いや……何か、な」

視線を前に向けると、ポプの並木が見えてきた。今日の宿場である、エルファンが近いようだ。

#

「……えっ?」

「ん?部屋は2部屋だよ。私はブランと、であなたたちと」

エルファンの宿のカウンターの前。プルミエールが口をパクパクさせたまま固まっている。……さすがにそれは聞いてない。

「……どういう意味だ」

「あ、そういう関係じゃ『まだ』ないの?アリスさんからはそう聞いてたけど」

「違うっっ!!!どうしてそんな適当な……そもそも、お前らは一緒でいいのか?」

「そりゃねえ。もう20年もいれば家族同然だしね」

「……はあ」

溜め息をつくブランの頭を、クロエが軽くはたく。

「何嫌そうな顔してんのよ」

「どうせ主導権はそっちなんだろ、知ってる。暴君の『姉』を持つと疲れるよ……」

「ほう、そこまで搾り取られたいの?」

今度は俺が溜め息をついた。「そういう関係」か。

にしても、こんな緊張感がないやり取りをできるのはやはり妙だ。

「……分かったから騒ぐな。今日はそういう部屋割りでいい。まだ日は高いから、少しぶらついてくる」

「了解。7の刻までに戻ってくればいいわよ」

宿を出た俺の後を、プルミエールがついてきた。

「ちょっと、幻影魔法は?ただでさえ目立つんだから……」

「……おかしいと思わないか」

「え?」

「あの2人、あまりに余裕がありすぎる。まるで、『何も起こらない』のを知ってるかのように。
そもそも、最初からしておかしい。カルロスがやられそうになった所に都合よく現れたらしいが、そんな偶然があるのか?」

「まさか、疑ってるの?」

クロエたちは多分、敵じゃない。俺たちを殺そうとするなら、単に油断した所を背後から刺せばいい。
ただ、何か裏がある。あるいは、この件自体が何か別の意図があるのじゃないか?

「……分からん。考えすぎかもしれないな」

俺は、今の推測を話すのはやめることにした。まだ早い。

そもそも、クロエとブランはさほどプルミエールと歳が変わらないだろう。せいぜいクロエが俺と同じ程度のはずだ。
未熟だから、緊張感なくいちゃつける。その可能性も、なくはない。

プルミエールがはぁと息をついた。

「色々この数日あったし、疲れてるのよ。少し湖畔を歩いて、ゆっくりしましょ?」

「……そうするか」

プルミエールが不意に俺の手を握った。体温がぶわっと上がるのが分かる。

「何だそれは」

「え、嫌だった?」

「嫌じゃないが……」

「ならいいじゃない。サラファンって、ちょっとした避暑地だし」

辺りを見ると、確かに家族連れや恋人同士が多い。
オルランドゥ大湖のほとりにあるこの宿場町は、テルモンからの観光客が多いのを俺は思い出していた。
だとしたら、恋人を「演じた」方が不自然ではない、のか。

「分かったよ」

#

「~♪」

プルミエールは上機嫌で鼻歌を歌っている。こいつもこいつでどうにも調子がおかしい。

「よくそんな気楽でいられるな」

「エリックが根詰め過ぎなのよ。そりゃ、私だって不安だけど……でも、少しくらい気晴らししないと、疲れちゃうから」

「そんなものか」

「そんなものよ」

オルランドゥ大湖に、日が沈もうとしている。茜色が湖面に照らされ、何とも言えない美しさだ。

不意に、プルミエールを見る。頬が僅かに朱が差しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。

「プルミエール」

「……ん?」


ドクン


その微笑みに、俺の鼓動が高まった。……何だこれは。そもそも、なぜ俺はプルミエールの名を呼んだ?

「……どうしたの?」

「い、いや。何でも……」


いけない。これじゃ俺は、まるで見た目通りの、思春期のガキじゃないか。


何か言わなければ。言葉を探すが、全然出てこない。焦りがさらに沈黙を深める。

プルミエールの顔が、気持ち近くなっている。え、待て、何だこれは……


苦し紛れに視線を外した。……その先にいた人物を見て、俺は固まった。


まさか。こんな所にいるはずがない。


短い黒髪に痩せた長身。耳こそ長くないが、それは……あの男に瓜二つだ。


「……ランパード?」


「え?」


プルミエールが俺の視線の先を見た。ランパードそっくりの男は、黒い髑髏があしらわれたシャツを着て、釣りに興じている。
そして、俺たちの存在に気づいたのか、ニヤリと笑った。

「よう、お二人さん。何か用かい?」

「あ……ランパードじゃない、のか?」

「ランパード?知らねえが……ほうほう」

男は釣竿を置くと、こちらに近付いてくる。俺はプルミエールの前に立った。
敵意はない。マナも感じない。ただ、他人の空似というには、似すぎている。

男は頭をかきながら苦笑する。

「いや、すまねえな。実に面白いマナだったんでな。デートの邪魔なら、消えるぜ」

「……お前、何者だ?」

男はふむ、と宙を眺め、「やっぱこれだな」とひとりごちた。



「俺は、ランダムだ。よろしくな」


都市紹介

エルファン

モリブス南部の宿場町。人口は1万人程度で、やや高地にある。オルランドゥ大湖のほとりにあり、風光明媚なことから高級避暑地としての人気が高い。
温泉こそないが、上流階級の家族や若者には人気。ただ、物価は高く中間層以下にとっては高翌嶺の花の街でもある。
このため、宿場町としてはエルファンではなくそこから5kmほど先のデミファンが使われることが多い。こちらは商人御用達の普通の街。
領主の娘であるクロエは、当然のようにエルファンを宿泊地として選んでいる。

治安はよく、湖の魚介類を生かした料理が人気。ブドウ酒も良質であり、貴族からの人気は高い。
ただ、異種族への差別感情も強い。プルミエールが幻影魔法でエリックの見た目を変えようと焦ったのはこのためである。

なお、ヘイルポリスに入るルートは2つ。北部のイミル関から入るルートか、湖沿いに入るルートである。
皇都に近いのは前者だが難所でもあり、侵入は困難。また、湖沿いのルートも守りは堅く、ここから攻めるのも容易ではない。今回は後者を使ってヘイルポリスに入ることになる。




第28-2話





……誰だろう、この人。


甘い時間を邪魔された憤りより先に、私が感じたのは違和感だった。

ランダムと名乗る男性の見た目は、ランパードさんそっくりだ。耳がエルフのそれだったら、確実に私も間違えていただろう。
でも、それ以上に不思議だったのは、彼が纏う空気だ。マナが凄くあるわけじゃない。ただ、どこか現実離れしている。髑髏のシャツも、見たことがない意匠だ。

「名前を聞いたわけじゃない。だから、何者だと聞いている」

差し出された手を無視してエリックが言う。ランダムという人は、うーんと唸りながら頭を掻いた。

「それが分かりゃ苦労はしねえんだよ。俺自身よく分かってねえんだから」

「何?」

「記憶喪失なんだよ。15年前からずっと、な。ただ、幸い酒と料理の知識だけはあったからな。それを生かして、ここでレストランをやってる」

彼が湖畔の小屋を指差した。

「『アンバーの隠れ家』ってんだ。飯時には早いが、どうだ?
せっかくいい雰囲気の所邪魔したから、お代はまけとくぜ」

「……ビクター・ランパードという人はご存じですか。あなたにそっくりの、トリスの貴族です」

「俺にか?いや、聞いたことがねえな。そいつ、エルフなんだろ?他人の空似じゃねえか?
世の中には自分と同じ顔が3人いるというしな」

私はエリックと顔を見合わせた。彼に敵意はない。でも、明らかに何か、浮世離れしたものを感じる。

「お前、魔術の心得が?」

「あー、何か分かるんだよ。そいつがどのぐらいのマナを持っていて、どんな奴か。多分、生まれつきだな。
で、お前さんたち2人は俺が今まで感じたことがないマナがある。量とかじゃなく、『色』がな。
あ、名前聞き忘れてたぜ。兄ちゃん、名前は?」

「……!!お前、俺が子供とは思わないのか」

「や、そんなマナを子供が持ってたらおかしいだろ?30前ぐらいか、ざっくり。で、名前は?」

「……エリック、とだけ言っておく」


ランダムさんの表情が、一瞬固まった。僅かに目が潤むと、それをゴシゴシと擦った。


「あ、何だこれ……おかしいぜ。妙に目が湿ってやがる。……会ったことは、ねえよな?」

「……お前によく似た男にならあるが」

エリックも戸惑っている。本当に、何者だろうこの人。

「……まあ、いいや。飯、ただにしてやるよ。どうだい」

「いいんですか?」

「おう、お前さんたちならいいぜ」

「じゃあ、あと2人増えても大丈夫ですか?」

#

「あ、戻ってきた」

宿に着くと、ちょうどクロエさんたちがフロントに出てきたところだった。湯浴みの後なのか、2人とも髪が濡れている。

「……随分暢気なもんだな」

「もっと肩の力を抜いたら?少なくとも、『今日は』何も起こらないはずだし」

……何で言い切れるんだろう?確かにクロエさんたちは戦いに慣れてそうではあるんだけど。

疑問を口に出しかけたけど、とりあえずやめた。確かに、私もエリックも、難しく考える癖があるのは確かだし。

「今日のご飯って、予定あります?」

「ん、ないけど。プルミエールさんは、ここに来たことってあるの?」

「いえ、初めてなんですけど。さっき、ある方から自分の店に来てくれって。お代はタダでいいそうです」

ブランさんが渋い顔になった。

「タダ?本当に大丈夫かそれ。店の名前は?」

「はい、『アンバーの隠れ家』って」

「ウッソだろ!!?」

彼が驚きで叫んだ。クロエさんも口をあんぐりと開けている。

「それ、エルファンでも滅多に予約が入らない超人気店だよ……」

「そうなんですか?」

「皇族や貴族でも簡単に予約が取れないって話。父さんは1度行ったことがあるらしいけど……どうしてそんなことに?」

私はさっきの出来事を話した。「へえ」とブランさんが呟く。

「俺は知らないけど、ビクター・ランパードってトリスの貴族とそっくりなのか。それが縁と」

「店主がどんな人か知らなかったけど、ちょっと変わった人なのね。確かに名前が幾つもあるとか、正体不明とかいう噂はあったけど。
でも、こんな機会なんて二度とないだろうから、乗ってみようかな」

そこまで凄い人なのか。とてもそうは見えなかったけど……

エリックが何か考えている。

「どうしたの?」

「いや、何で俺を見て涙ぐんだのか、よく分からなくてな。少なくともあの男、ただの料理人じゃないぞ」

「うん……確かに。マナの『色』とか言ってたし」

どういうことなんだろう?とりあえず、行けば何かわかるのかな。

#

「おー、よく来てくれたな」

店に入ると、さっきと同じ髑髏のシャツ姿で、ランダムさんが出迎えに来た。
既にテーブルには料理が用意されている。……5皿?

「あ、俺も一緒に飲もうと思ってな。今日は貸し切りだ」

「どうしてそこまで?」

「んー、気分だな。今日予約してた客には、頭下げて別の日にしてもらったよ」

「……気分、な」

エリックが訝しげにランダムさんを見る。彼は「ハハハ」と快活に笑った。

「まあいいじゃねえか。酒も用意してあるぜ。エルファンの貴腐ワインから行こうじゃねえか。あ、酒は皆行けるかい?」

「はいっ!是非」

「俺はそこまで強くないが……まあいいだろう」

クロエさんたちも問題ないみたいだ。テーブルに着くと、ランダムさんがワインを開ける。
ふわりと、甘いハチミツのような香りがここまで広がってきた。

「凄い……!!これが名高い、エルファンの白ワインですか?」

「おう。白じゃなくって貴腐ワインだがな。貴腐ワインは知ってるか?」

私は首を振った。クロエさんは口をあんぐりと開けている。

「話には聞いたことがあるわ。ブドウをカビさせて作るワインが、最近できたって……まさか、それ?」

「おう。というか、俺がやり始めた。これをやると糖度が跳ね上がるんだよ。
甘味を凝縮するという意味じゃアイスワインも近いが、こっちの方がより風味が豊かだ」

「よくそんなこと思いつくわね……さすがは『アンバーの隠れ家』の主人」

「ハハハ、たまたま『知ってた』だけさ。じゃ、まずは乾杯と行こうか」

黄色い液体の入ったワイングラスを掲げ、ランダムさんが「出会いに乾杯!」と叫んだ。
グラスを合わせてワインを飲む。……何これっ!!

「うわっ!!甘いっ!!!」

「ちょっとこれ凄いな。砂糖かハチミツ入れたんじゃないのか??」

驚くブランさんに、ランダムさんがニヤリと笑う。

「ところが完全にブドウだけだ。食前酒にはちょうどいいだろ?
テーブルにある前菜はこいつに合わせている。ブルーチーズのソースを使った夏野菜のテリーヌだ」

貴腐ワイン?テリーヌ?聞いたことがない言葉ばかり出てくる。最高級レストランって、こんな感じなのかな。

前菜に手を付けた。野菜の甘さを癖のあるソースが引き立てる。その風味をワインがさらに強めている。間違いなく美味しい。
ただ、この料理の味わい、どこかで……

「ん?嬢ちゃん、口に合わなかったか?」

「いえ、とても美味しいんですけど。どこかで食べたことがあるなあって。
……あ、オルランドゥのカトリさんと、ウカクさんのお店だ」

そうだ。チーズの使い方が、とてもよく似ている。あそこもチーズを使った料理が売りだった。

ランダムさんが驚いたように目を見開く。

「驚いたぜ、そいつらは俺の弟子だな」

「そうなんですか??」

「ああ。俺は弟子とか取らねえんだけどな。そいつらは別だ。元気してるか?」

「はいっ!あそこも色々お酒が置いてあって、いつも通ってました」

「おお、そうか。ってことは嬢ちゃんは、魔術師関係者だな」

言葉に窮した。あまり、私たちの旅の目的を人に話すべきじゃない。

「え、ええ、まあそんなところです」

「心配すんなよ、訳ありなのは初見で分かってる。お前さんたちが連れて来たそのカップルも、まあまあ只者じゃないな。
例えばそこの黒髪の姉ちゃんが左腕に着けているのは、ただの腕輪じゃない。違うか?」

クロエさんが思わず左手首を隠した。

「なっ!!?」

「ハハ、だから心配すんなよ。皇室の連中にチクるつもりはねえよ」

「……本当にお前、何者だ?記憶喪失なのも、嘘か」

エリックの言葉にどこからかワインの瓶を取り出して、ランダムさんは静かに首を振った。

「や、それは本当だ。嘘をつく理由がねえよ。ただ、何となくそいつの『マナ』……さらに言えば人格とかが分かる。生まれつきだろうな。
料理もそうだ。もともと、俺には知識があった。ないのは、記憶だけだ」

「取り戻したいとは思わないのか?」

エリックがちらりと私を見た。15年前……今の私では難しいけど、もう少し成長すればできなくはない。

ランダムさんは肩を竦める。

「いや、今の生活には結構満足してるんだよな、これが。昼は魚を釣って、時には山で狩りをする。
それを使った料理で皆に喜んでもらう。それだけで十分なんだよ。金も名誉も、なぜか欲しいとは思わねえんだ。……ただ」

「ん?」

「……いや、言ってもしょうがねえんだがな。1つだけ覚えていることがあるんだよ。それは、『エチゴ』という男を追えってことだ」

「『エチゴ』?」

「そう。名前しか分からねえ。なぜ追わなきゃいけねえのかも。ただ、記憶を取り戻さない方がいい気もしててな」

ランダムさんはワイングラスをあおった。……記憶を取り戻したがっていたオーバーバックとは、正反対だな。

「ま、とにかくこうやって若いのと酒が飲めるだけで幸せだぜ。ワインもスピリッツも、北ガリアだったら大体いいのを取り揃えてるぜ。ドンドン呑んでくれ」

#

夕食はとても楽しく、和やかに進んだ。エリックが魔族であることはすぐに見破られたけど、特に詮索されることもなかった。

何より、料理は本当に絶品だった。湖で取れた「イール」という魚を焼いたものに濃いソースをかけたものや、山で獲れた野鳥のスープなどはきっと忘れられない。
そして、お酒。どのお酒も本当に美味しく、料理と一緒に合わせるとそれがさらに引き立つのだ。タダだからいいけど、一体どれぐらいのお値段なんだろう……考えると酔いが醒めそうだなあ……

クロエさんは甘え上戸らしく、ブランさんにやたらとしなだれかかっている。やっぱりこの2人、恋人同士なのかな。
エリックはというと、ランダムさんに色々食材について訊いている。お酒はそんなに飲んでないけど、そっちに興味があるのね。

「……なるほど、木の実のソースか。そういう使い方があるんだな」

「野趣を楽しみつつ臭みも消せるからな。森の食材には森の食材を合わせる、鉄則だな。
にしても、お前さんたちただの観光客じゃねえよな?多分、あの姉ちゃんはシュトロートマン家の人間だろ」

「え、分かってたの?」

「以前一回うちに来たことがあるだろ。今へイルポリスがきな臭くなってるから、さしずめその2人は援軍ってとこか」

「そこまで知ってたのね」

ニヤリとランダムさんが笑う。

「まあ、年の功ってやつだな。ま、俺がとやかく言える立場じゃねえし、どちらの肩を持つつもりもねえが……気を付けな」

「もちろんそのつもり……」

ランダムさんがクロエさんに首を振り、自分の左手首を指さした。

「違う、そいつだよ。俺にはそれが何か分からねえが、人には過ぎたる力じゃねえのかな?
そういうのは、できるだけ使わねえ方がいい。まあ、『目には目を』ってことで使わなきゃいけねえんだろうが」

「なっ……」

「気を悪くしたらすまねえな。それに、こいつは俺の直感だ。間違ってるかもしれねえ。
ただ、何か良からぬ予感がするんだよ。……気を付けな」

クロエさんは不服そうにランダムさんを見ている。なぜそんなことを言ったのだろう。その時の私には、分からなかった。

「ま、悪かったな。そろそろ締めにするから、別の酒を用意するぜ」

#


このランダムさんの忠告を、私たちはヘイルポリスに着いてから思い出すことになる。
それも、嫌と言うほど。


キャラクター紹介

ランダム(年齢不詳)

男性。体つきや顔など、ランパードに酷似している。エルフ特有の耳があれば、ほぼランパードと思われる程度。ただし、本人たちに面識はない。
15年前に記憶を失い、エルファンの街に辿り着いた。そこでレストラン「アンバーの隠れ家」を開店。本人の豊富な知識や陽気な人柄もあり、瞬く間にエルファン、そしてテルモンを代表する名店となる。
ジビエを中心とした料理であり、その調理方法は特殊にして多様。素材の野趣を生かすその料理は皇室や貴族からの評価も高いが、召し抱えの要請はことごとく断っている。
無類の酒好きでもあり、新しい醸造法の開発などテルモンに与えた恩恵は大きい。ただ本人は「自分が飲むためのもの」としているが。

マナの質を読み取る特殊能力がある。本人の性格、果ては血筋まである程度は判断できるようだ。
それがなぜ自分にあるのかはよく分かっていない。ただ、本人の嗜好に合った料理を出すという点で、仕事には役立っている。
記憶をなくしているが、過去にはこだわらない性質。その他謎ばかりだが、本人は当面一料理人のままでいいと考えているようだ。

外見年齢は30前後。ただし15年前から一切顔立ちが変わっていない。

旧シリーズのランダムとの関係性は、現在不明。

一時中断。

sagaにするのを忘れていました。

テスト





第29話




「アンバーの隠れ家」から戻ってから、微妙な空気が続いている。帰り道も、皆どこか言葉少なだった。
それは部屋に戻った今でも続いている。

「どうしてあんなこと言ったんだろうね」

プルミエールが髪を梳きながら言う。やはり、引っかかっていたか。

「あのランダムという男が何者かは分からん。ただ、率直に言えば俺にも違和感があった」

「違和感って、クロエさんたちのこと?」

「ああ。彼らを信用してないわけじゃない。敵でもないと思う。ただ、あまりに都合が良すぎる」

「都合?」

「ああ。なぜ、絶妙の時機にカルロスたちの所に現れたのか?不思議に思わなかったか」

プルミエールが手を止めた。

「そりゃ……運が良かったからじゃ」

「そこだ。俺は運をそんなに信じてない。運だと思っている物事の背後には、必ず何かがあるはずだ。
あいつらには感謝している。ただ、ランダムが初対面の人間に無意味に警鐘を鳴らすような、思慮のない男とは思えないんだ」

「……確かに」

「『パワードスーツ』、だったな。『遺物』じゃないと言っていたが……何か問題があるんだろうか」

「どうだろ……明日クロエさんたちに訊いてみるしかないんじゃないかな」

「そうだな。明日も早い、今日はもう寝るぞ」

「……うん」

何か、俺たちは根本から勘違いしている気がする。
そもそも、ジャックとアリスがヘイルポリスに行った意図は何だ?父の友人だからといって、無批判に信用しすぎてはいなかったか?

とにかく、ヘイルポリスに行かないと話にならない。目で見たものしか、信用してはならない。
それは、俺がプルミエールと一緒にいる理由でもある。

#

エルファンからヘイルポリスまでは、オルランドゥ大湖沿いに馬を走らせ半日程度だ。
シュトロートマンの勢力が強い地域であるらしく、この方面から攻められる心配は薄いのだという。

それにしても、クロエたちは相変わらず暢気なものだ。まるで小旅行から帰ってくる程度のノリだ。どう切り出せばいいか……

「クロエさん、ところでそれ、ヘイルポリスの遺跡から出土した、って」

プルミエールから先に彼女に話しかけてくれた。正直、助かる。どうも俺はこういうのが苦手だ。

「……あ、『パワードスーツ』?うん、そうだけど」

「その遺跡ってどんなものなんですか?何か気になっちゃって」

「あー、昨日のランダムさんの言葉が気になってるのか……」

ちらりと彼女がブランを見る。ブランは小さく頷いた。

「あんたらなら言ってもいいだろ。ヘイルポリス南部にある小遺跡さ。そんなに深度はないけど、それでも出土品は結構あってね。こいつだけじゃなく、幾つか『秘宝』が見つかってる。
んで、アリスさんは『まだ奥があるんじゃないか』って疑ってる。あの人、オルランドゥの教授じゃなくって冒険者が本業なんじゃねえかな」

「かもね。昔、ジャックさんも来たことがあったって聞いてる。父だったら、もっと詳しく知ってるかも」

父上も、何か絡んでいたりするのだろうか。あるいはデボラの両親も。

「俺からも、いいか?」

「ん、いいわよ」

「お前らがカルロスを助けたのは、偶然じゃないな」

2人の表情が凍った。図星か。

「……どうしてそう思うの」

「あまりに時機が良過ぎる。そして、今の余裕。そんな魔法があるとは思わないが……未来が読めているのか?」

ふう、とクロエが息を付いた。

「……さすがね。といっても正確じゃないんだけど」

「どういうことだ」

「ヘイルポリス遺跡の最奥には、ある装置があってね。私たちじゃ使えないけど、アリスさんは使える。と言っても、この前来た時に使えるようになったのだけど。
『1週間ぐらい先までの未来が予測できる』んだって。それもかなりの精度で」

「何!!?」

「嘘っ!!?」

俺とプルミエールの声が重なった。そんな馬鹿げたことができるわけが……

「……まあ、そう思うのが当然だよね。私たちも、カルロス君を助けるまでは半信半疑だった。
あの時刻、あの場所にスティーブンソン近衛騎士団団長が現われた時、正直震えたわ。ね、ブラン」

「ああ。それで、俺たちもアレ……確か『スパコン』だったか。その『予言』を信じるようになったってわけさ。
ヘイルポリスを出る時に、アリスさんから1週間は皇弟ナイトハルトの動きがないとは聞いてたからな。しばらくの身の安全は濃厚と判断してる」

……なるほど、やはり種があったか。しかし……これは。

「人智を逸してます、ね……」

プルミエールに先を越された。そう、その通りだ。ランダムがああ言った理由も、少し分かる。
そんな「神」に近い力を、アリス・ローエングリンは扱えるのか?それは、間違いなく為政者からしたら……脅威でしかない。

「そうね。『秘宝』は、私たちが及びもつかない可能性を持っている。
だからこそ、皇帝ゲオルグの圧政から人々を解放する可能性がある。そうは思わない?」

「……かもしれませんね」

プルミエールは、何か考えている。この女は考えに甘い所はあるが、決して馬鹿ではない。

そして、俺の中にも疑念が生まれた。父上が「サンタヴィラの惨劇」を起こした理由は、何だ?


遥か向こうに、尖塔のようなものが見えてきた。あれが、ヘイルポリスか。

#

「父様、クロエ・シュトロートマンただいま戻りました」

ヘイルポリスの古城に入ると、長髪の初老の男が奥から現れた。温厚そうだが、どこか厳粛な空気を纏っている。

「君が、『魔王』エリック・ベナビデスか」

「ええ。あなたが」

「左様。ヘイルポリス領主、カール・シュトロートマンだ。ここに来てくれて幸甚に思う。
その女性が、プルミエール・レミュー嬢だな。話はアリス・ローエングリン教授から聞いているよ」

「お会いできて光栄です、陛下。教授は」

「北部のイミル関だ。私は一旦こっちに戻ってきたが、彼女はまだあそこだ。オルランドゥ卿もそこだが……」

「容態が良くない、とは聞いています。大丈夫なんですか」

シュトロートマンが口を濁す。

「……とてもそうは見えない。ただ、考えがあってイミル関にいるのだとは思う。幾つか、『秘宝』も持ち込んでいるようだし、全く無策とは考えにくい」

……「秘宝」か。何か、胸騒ぎがする。

「その『秘宝』が何かは、ご存知なのですか」

「いや……あれを扱えるのは、ローエングリン教授だけだ。こちらとしては、ひとまず彼女に任せるしかない。今までも、彼女には色々助けられてきたしな」

プルミエールに視線を送る。彼女が小さく頷いた。

「私たちをイミル関に連れて行ってくれませんか」

「無論だ。ただ、今日はもう遅い。宿を取っているから、そこで休むといい。
それにしても、エリック君、だったな。やはり、ケイン殿とよく似ている」

「……やはり父上をご存知でしたか」

「会ったのは、私がごく若い時の一度きりだったが。先代皇帝シャルルについて諸王会議に出た時に、な。立派な方だったと記憶しているよ。
『サンタヴィラの惨劇』の話を聞いた時は、耳を疑ったものだ」

「父上は、ジャック・オルランドゥ卿やアリス・ローエングリン教授とも懇意でした。その点について、話を聞いたことは」

「……そうなのか。初めて聞いたよ」

俺は軽く落胆した。シュトロートマンは、あまりジャックやアリスの素性について詳しく知らないらしい。

「とりあえず、簡単な祝宴の席を設けている。よかったら、どうだ。昨晩の『アンバーの隠れ家』ほどのものは出せないと思うが」

「いえ、ご相伴に預からせて頂きます」

#



翌日のアリスとの再会が、思いもよらぬ形になることを、この時の俺はまだ知らない。



ちょっと回線の調子が良くないですね……
もう一度中断します。


ちょっと気になる事が一つ
カール・シュトロートマンは領主とあるが王か否か
王なら陛下で貴族なら殿下か閣下

>>760
多分単純ミスですね。すみません。
ヘイルポリス周辺は半独立状態ではありますが、あくまでシュトロートマンは貴族です。

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