【バンドリ】今井リサ「友よ、末永い希望を」 (71)


※湊友希那「ねえ、リサ」と同じ世界の話です

 一部に地の文があります


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今井リサ(左手でクラッチレバーを握る。左足でシフトペダルを踏み込む)

リサ(カコ、と軽い音がしてギアが1速に入った)

リサ(ぼんやりと見上げていた信号が青になるのを確認してから、軽く右手のアクセルを捻って、クラッチを繋げる)

リサ(アタシがまたがる125CCのバイクがエンジンから軽い音を立ててタイヤを転がした)

リサ(ゆるゆると加速するバイクとアタシ)

リサ(秋の夕風を切って、見慣れない街の情景が次々と過ぎていく)

リサ(夕陽に長い影を作る歩道橋、寂しげにささめく木々、そして往来を歩くまばらな人影)

リサ(被ったジェットヘルメットからそれらを自然と目で追っている)

リサ(そうしているうちに次の信号に引っかかり、シフトを落として減速して、列を成す車の最後尾に停車した)

リサ(そしてまた、飽きもせず凝りもせずに、アタシはキョロキョロと辺りを見回している)

リサ(……こんなことをしていて何になるんだろう)

リサ(そんな思いを抱えながら)


……………………


リサ(辿る道は数あれど、辿る記憶はただひとつ)

リサ(やがて薄れて捨て行くであろう感傷を、アタシは後生大事に抱えて生きている)

リサ(あの日)

リサ(ロゼリアがロゼリアでなくなって、そして、大切な幼馴染を傷付け、遠ざけてしまったあの日からずっと)

リサ(……全部がきっと上手くいくんだと思っていた)

リサ(人と人とのことだから時にはすれ違いもあって当然だし、そういう積み重ねがまた絆という不明瞭で不確かなものを確固たる存在にしてくれるんだ……なんて、そんなことを思っていた)

リサ(だからこそアタシは頷いたんだ)

リサ(変わらなければいけない、という言葉に)

リサ(……けど、アタシたちは選択肢をどこかで間違えてしまった)

リサ(変わろう。変わらないとダメなんだ)

リサ(ただその思いだけが空回りして、友希那に別れを告げた。距離を置こうって、これも必要な痛みなんだって無理矢理自分を納得させて)

リサ(その結果は惨憺たるものだった)

リサ(アタシのその行動は、大切な人を傷付けて、そしてロゼリアというバンドに修復不能な亀裂を生じさせるだけだった)

リサ(……まだロゼリアの――元ロゼリアのみんなとは親交がある)

リサ(取り留めないことで連絡を取り合ったり、一緒にどこかへ行ったりなんだりと)

リサ(ただひとり、行き先を告げずにどこか遠くへ行ってしまった友希那を除いて)

リサ(「変わらなければいけない」……そう言っていた紗夜が責任を感じて、アタシとあこと燐子は、土下座をするような勢いで謝られたこともあった)

リサ(アタシたちがそれに返したのは「誰が悪いとか、そういう話じゃないよ」という慰めの言葉だった)


リサ(そう、誰のせいとか、誰が悪いとか、そういう話じゃないんだ)

リサ(きっとなるべくしてなってしまったことなんだ)

リサ(そうやって、みんながみんな、自分自身に言い聞かせるようにその言葉を吐き出していたのを酷く鮮明に覚えている)

リサ(出会いがあれば、いつか別れも訪れて当然だ)

リサ(物語には終わりがあるから美しくて、命が永遠に潰えないのであれば、きっと感動的な歌やドラマもこの世には存在しないんだ)

リサ(……けど。でも。だけど。そうだとしても)

リサ(アタシはその世の中の常識に、何度も何度も否定の言葉を付けて、友希那の影を探している)

リサ(高校を卒業する前にバイクの免許を取って、中古の125CCのバイクを買ったのもそのためだ)

リサ(『遠くへ行ってみたい』『あれば便利だから』『そういうのってちょっとカッコいいじゃん?』)

リサ(上辺に被せた言葉を捲れば、出てくる本音は『友希那と会いたい』)

リサ(自分勝手に別れを告げたくせに、大切だった幼馴染の影を未練がましく探している)

リサ(遠い街のどこかに友希那のカケラがあるんじゃないか、ふとした瞬間にそれに触れることができるんじゃないか、なんて思いながら)

リサ(普通に考えれば会えるわけなんてないのに、もしかしたら、という気持ちが捨てられないんだ)

リサ(大学では軽音楽サークルに入って万年人手不足のベーシストを続けているし、ひとりの部屋でつま弾くのはいつか友希那が作った曲ばかり)

リサ(バイクだってそうだ。あまり詳しくはないけど、ただ音楽メーカーとして聞いたことがあるメーカーのものを、深い青色をしたボディーにどこか友希那の面影を感じて買った)

リサ(そしてそのバイクで休みの日にやることは、どこかに友希那との繋がりが落ちていないか探すことだけ)

リサ(いつまでもいつまでも、そんな情けない未練を引きずって歩き続けているんだ)

リサ(……あの日からずっと変わらず、今井リサの20歳の秋はそうやって虚しく過ぎている)


……………………


リサ「ただいま……」

リサ(行く先もなく、目的も達成されないツーリングを終えて、アタシは自分の部屋に帰り着く)

リサ(もうすっかり夜の帳が降りていた。ジャケットを脱いで、軽く手入れをしてからハンガーにかける)

リサ(それから窓の外、真向かいの幼馴染の部屋に目を移した)

リサ「…………」

リサ(友希那の部屋はカーテンが閉じられている。もう2年、それが開かれたところを見ていない)

リサ(それに寂しさと後悔が入り混じった感傷が掻き立てられ、胸の中にジクリとした痛みがやってくる)

リサ(誰が悪いとかそういう話じゃない)

リサ(言い聞かせるように吐き出した言葉があったけど、結局のところ一番悪いのはアタシなんだろう)

リサ(間違った『正解』を友希那に押し付けて、そして全部をふいにしてしまった)

リサ(取り返しのつかない未来は今さらどうすることも出来ない)

リサ(全て願えば報われる。そんな甘い考えは、明けない夜をアタシへもたらした)

リサ(何が本当の正解だったんだろう)

リサ(何度考えても分からないし、分かったところでどうしようもない自問自答)

リサ(もう一番大切だった人は遠く、音信不通で、この胸の痛みも感傷も「そういうものだ」と受け入れなければいけないもの)

リサ「けど……」

リサ(頭で理解はしているけれど、やっぱりアタシの口から出るのは否定の言葉)

リサ(こんなことをしていて何になるんだ。見つかるはずがないし、そもそも万が一にも友希那を見つけたとしてどうするんだ。自分から別れを告げたくせに、何を都合のいいことを考えているんだ)

リサ(……分かってる。分かってるんだ、そんなこと)

リサ(でも、だけど、そうだとしても、アタシは諦めたくなかった)

リサ(これが本当に無為なことで、何も生み出さないことで、ただただ罪悪感から逃れるためにやっていることだとしても……)


リサ「…………」

リサ(暗い方向にどんどん落ちていく思考を放り出すために、アタシは頭を振る)

リサ(そして窓辺に寄ってカーテンに手をかける)

リサ(ふと見上げた秋の夜空には満月が輝いていたから、しばらくそのまま窓越しの月を見据える)

リサ「……友希那」

リサ(呟いて、影も形も見えない幼馴染へ向けて、胸中で言葉を紡ぐ)

リサ(今、なにしてる? アタシは今日も色んなところに行ったよ)

リサ(明日は友希那の誕生日だね)

リサ(もうアタシも友希那も20歳だってさ、お酒が飲める歳だよ)

リサ(みんなと……ロゼリアのみんなと、そういうこともしてみたいね)

リサ(あこはあと2年待たなきゃだけど、その頃にはまた、笑い合えるのかな)

リサ(……なんて、こんなこと言うのはらしくないかもね)

リサ(話を逸らすわけじゃないけどさ、ところで今夜は月が綺麗)

リサ(こんな満月の夜に出会えたら……友希那は自分勝手なアタシを許してくれるかな……?)

リサ(……ううん、許さなくてもいいからさ……)

リサ「会いたいよ、友希那……」

リサ(漏らした言葉は震えていて、頬を伝う一筋の寂しい雫は月光に焼かれてすぐに蒸発していった)


……………………


リサ(人生は些細な出来事の積み重ねだ)

リサ(「こんなはずじゃない」なんて思ったって、きっと今の自分自身はかつての自分自身の行いによって出来たものなんだ)

リサ(その間違ってしまった軌跡を今さら悔やんだところでどうにもならない)

リサ(後悔も失敗も恥も情けも不名誉も、全部を抱えて、あるいは忘れた振りをして、見ない振りをして、重い足を引きずって歩いて行くしかない)

リサ(大切な人を失うことだってその類の話だろう)

リサ(ぽっかりと空いた胸の風穴)

リサ(その喪失と欠落の空白を埋める為に選ぶ何か)

リサ(代わりを探して埋め立てて、これでいいんだって自分を納得させて、ふとした時に蘇る淡い思い出に寂寥感にも似た小さな幸せじみたものを感じる)

リサ(きっと大人になるってそういうことなんだろう)

リサ(だからアタシはまだまだ子供なんだと思う)

リサ(些細な積み重ねの一つだって捨てたくはないし、大切なモノの代わりの何かなんていらないし、重たい足を動かすこともなくただ過去に縋り続けている)

リサ(笑いあった長い月日も、確かに分かり合えていたはずの何かも、全部嘘だとは言い切れない)

リサ(それを捨てるくらいなら、動けなくなったっていい)

リサ(生きるために捨てなければいけないなら、この思い出と一緒にずっと眠り続けたっていい)

リサ(……どれもみっともない子供のワガママだ。いつまでも駄々をこね、欲しい欲しいと泣き喚く子供)

リサ(いい加減、アタシも前を見なければいけないんだ)

リサ(それは分かってる。分かってる、けれど……)


リサ(そんな堂々巡りの思考を飽きもせずに重ね続けている、11月初頭の日曜日)

リサ(日中でもすっかり冷たくなった秋風に身を震えさせながら、現実逃避をするようにアタシはバイクを走らせていた)

リサ(今日も今日とて行く当てのないツーリングだ)

リサ(気付けば関東の片田舎の街を走っていた。そこそこ大きな一車線道路には車も少なく、色づき始めた銀杏並木が綺麗な道だ)

リサ(その走りやすい道をただトコトコと走り続け、時折景色を楽しむ振りをして辺りを窺う)

リサ(しばらくすると、青看板の右手方面に『公園入口』という案内が見えた)

リサ(なるほど、この銀杏並木は大きな公園に植えられたものらしい)

リサ(アタシは休憩がてら少しその公園に寄って行こうと思い、右ウィンカーを点灯させた)

リサ「ふぅ……」

リサ(駐車場にバイクを停めて、道路に面した広場に備えられたベンチへ腰掛ける)

リサ(東京の実家から東の方に2時間以上走りづめだった。そんなに急いでアタシはどこへ行くつもりなんだろうか)

リサ(尽きない自問自答をため息で吹き消して、スマートフォンのマップアプリを開く)

リサ(特に名所もない田舎街。だけどどこか懐かしい情緒の風景があるし、走りやすい道が多い)

リサ(アプリでこの公園をピン付けしておく。またこの場所に来ることはないだろうけど、少しだけ気に入ったから)

リサ(それから広場を見回す)

リサ(道路に面した広場の外周には銀杏が、それ以外の場所には違う種類の木々が植えられているようだ。アタシの背後に幹を構える木々にはまだ緑色の葉がついていた)

リサ(周辺の木々から、今度は広場のまばらな人影に視線を移す)

リサ(老夫婦が離れたベンチに座ってぼんやりと佇んでいたり、数人の子供たちが鬼ごっこか何かをして遊んでいた)

リサ(それとカップルらしき男女が手を繋ぎながら広場を横切っていく)

リサ(アタシはなんとはなしにそれを視線で追いながら、自分がしている行為の虚しさがただ身に染みていた)


リサ(こんなことをしていて何になるんだろう)

リサ(目的地のない旅程。真っ暗な中で友希那の影を探して、闇雲に走り続けるルーチンワーク)

リサ(前を見ずいつも辺りをキョロキョロと窺って、どちらに進めばいいのか分からないまま動き続ける)

リサ(迷子とはこういうことを言うんだろう)

リサ(それに気付いていながらそうし続けているんだから尚のこと性質が悪い)

リサ(あの恋人たちのように、きちんとしたゴールがあればいいのに)

リサ(迷うことがあっても目的地が見えていればちゃんと前に進めるのに)

リサ「……はぁ」

リサ(そんな八つ当たりの恨み言じみたものが胸中で渦巻く)

リサ(ほんと……どうしようもない人間だ、アタシは)

リサ(せめて何かの道しるべにでもなってくれないかな、と思い、そのカップルの姿を視線で追い続ける)

リサ(2人は広場から道路に出ると、右の方向へ歩みを進めていった)

リサ(さっきマップで確認したけど、そちらの方には駅がある。現在時刻は昼下がり。きっとこれからどこかへ遊びに行くんだろう)

リサ(それに何とも言えない気持ちを抱いて、視線を動かせなくなる)

リサ(どこかへ急いで行かなきゃいけないような焦燥感と、足がすくんで動けなくなるような途方のなさ)

リサ(これはどういう風に表現すればいい気持ちなんだろう)

リサ(そんなことを考え続けていると、いつの間にか時計の長針が2つ先の数字を指していた。カップルの姿はとっくに見えなくなっている)

リサ「……そろそろ行かなきゃ」

リサ(そう呟いて、すぐに『どこへ行くつもりなの?』と自問が浮かぶ)

リサ(するとやっぱり足が強張って、この場から動けなくなってしまう)


リサ「……え?」

リサ(ああ、本当にどうしようもないな……と思った直後のことだった)

リサ(視界の端に映った人影に全身の感覚が引き寄せられる)

リサ(途方もなさも焦燥感も、寂しさも虚しさも全部、何もかもを忘れてしまう)

リサ「友、希那……?」

リサ(恋人たちが歩いて行った方、駅の方から、もう2年も顔を合わせていない幼馴染が歩いてくる姿を見つけてしまったから)

リサ「…………」

リサ(言葉が出ない。思考も止まり、どうすればいいのかまったく分からなくなってしまう)

リサ(嬉しいのか、驚いているのか、全然自分の心が分からない)

リサ(友希那はアタシに気付かず、道を歩き続ける)

リサ(声をかけるべきか。声をかけていいのか。友希那は今なにを思っているのか)

リサ(記憶より少し痩せた姿。思い出の中よりどこか柔らかい雰囲気をまとった姿)

リサ(それが視界の端、顔を動かすだけでは見えなくなるところまで過ぎたところで、慌ててアタシは立ち上がる)

リサ(かけるべき言葉も分からないけれど、でも、何度も夢に見て、諦められなかった邂逅をただ見過ごすことなんて出来なかった)

リサ(空回りしてもつれそうになる足に鞭入れて、アタシは広場から道路に躍り出る)

リサ(左手の方向に視線をやれば、友希那の後ろ姿が遠くに見えた)

リサ「…………」

リサ(普通に声をかけられたら良かったんだけど、残念ながらアタシにその勇気はなかった)

リサ(胸中で「ごめん」と小さく謝ってから、その背中を見失わないように、距離を置いて後をつけていく)

リサ(友希那はただまっすぐ前を見て歩いていた。記憶の中と変わらない長いストレートの髪の毛が歩調に合わせて揺れている)


リサ(そうして大体10分ほど経ったろうか)

リサ(ある交差点に差し掛かったところで、友希那に横から声をかける女の子が現れた)

リサ(高校生くらい、だろうか。アタシたちとは少し歳が離れているような幼げな雰囲気の子だった)

リサ(遠目に見たその子の横顔には楽しそう笑顔が浮かんでいて、こちらに背を向けている友希那の表情はうかがえないけど、決して嫌な顔をしていないだろうことはなんとなく読み取れる)

リサ(2人は並んで歩を進める。そして交差点を曲がってすぐの、駐車場の大きなコンビニに入っていった)

リサ「……流石にお店の中に入るのはな」

リサ(その様子を見届けてから、アタシはポツリと呟く)

リサ(そして道路に沿った塀に背をあずけ、しばらく人を待っている振りをしながら、コンビニに視線を送り続ける)

リサ(友希那もあの子もお店からは出てこなかった。コンビニにそんな長い用事がある訳ないし、きっとあそこでバイトをしているんだろう)

リサ(そう思って、アタシは踵を返して来た道を戻る)

リサ(足を交互に動かしながら、色々なことを考えていた)

リサ(公園について、自分のバイクにキーを差して跨ってからも、色々なことを考えていた)

リサ(秋風を切って、ただ前だけを見据えながら辿る家路にも、色々なことを考え続けていた)


リサ(……友希那は、幸せそうだった)

リサ(少し痩せたような気がしたけど、それでも記憶の中の姿よりも柔らかい空気をまとって、息災に過ごしていた)

リサ(それに感じた心の機微はきっと「嬉しい」に分類されるもの……のはず)

リサ(そう。もう会えないと思っていた姿を見れて、元気そうにやっているのであれば、それはとても良いことの……はずなんだ)

リサ(じゃあ……アタシの心に突っかかるこの寂しさと切なさは、一体なに?)

リサ(大切な幼馴染は元気そうだった。アタシが自分勝手に傷つけたことも引きずっていなさそうだし、バイト先の後輩に慕われるくらいにしっかりとやっていけてるんだろう)

リサ(よかった)

リサ(よかった)

リサ「よかった……んだよね?」

リサ(ジェットヘルメットの中で漏れた呟きは風切り音に潰される)

リサ(胸の中で、様々な色がぐちゃぐちゃに混ざり合った気持ちが行き場をなくして、その気持ちを吐き出そうと口を開けるけど、何も出てこない)

リサ(ただただ息苦しい。向かい風が強すぎて、上手に息が出来ない)

リサ(どうしてだろう)

リサ(その答えは分かっていたけれど、少なくともバイクを運転する間だけは否定することにした)

リサ(違う。違うよ。絶対に違う。アタシはそんなことを思っていない)

リサ(友希那が幸せそうで……残念だなんて)


……………………


リサ(脳裏に描く思い出は、昔のものほど綺麗なものだ)

リサ(頭を掻きむしりたい羞恥の記憶だって時を経れば笑い話の類だし、深く頭を悩ませ続けていた憂鬱だって過ぎ去れば悲劇ではなく喜劇の一幕だ)

リサ(それなら奇跡的に友希那を見つけて抱えたこの憂鬱も、いつかは笑い話になってくれるんだろうか)

リサ(自分の醜さを、利己的な部分を、今さら本当の本当に理解したアタシの憂鬱も)

リサ(自室に帰り着いて、重い足取りでベッドに腰かけたアタシは、公園でのことを考える)

リサ(幸せそうな友希那がいたこと)

リサ(アタシの知らない場所で、前を向いて歩いている友希那がいたこと)

リサ(アタシがいなくたって、ロゼリアのみんながいなくたって、友希那はひとりでもやっていけるんだ)

リサ(元気だといいな、笑ってくれていたらいいな……という気持ち)

リサ(それを取っ払った先にあった思考……友希那を目にして浮かべた思考は『じゃあ、アタシが今までしてきたことってなに?』というものだった)

リサ(今までアタシは友希那のために、友希那が笑ってくれればそれでいいって、そう思い続けてきた)

リサ(だから今日見かけた友希那の姿は理想の姿そのもので、アタシは嬉しいと思えど寂しさややるせなさを感じることなんてないはずだ)

リサ(それなのにそう思ってしまうのは……今までのアタシが全部否定されてしまったから)

リサ(友希那はひとりでも大丈夫だった)

リサ(しっかりしてて、後輩に慕われてて、ちゃんと笑っていてくれる)

リサ(アタシがあれこれ口を出さなくたって、友希那はひとりでも平気だったんだ)


リサ(じゃあ……アタシって、最初から必要なかったんじゃないの?)

リサ(むしろ、いない方が良かったんじゃないの?)

リサ(小さな親切大きなお世話。よく聞く言葉だ)

リサ(まさにその通りなんじゃないだろうか)

リサ(友希那に鬱陶しいくらいに世話を焼いて、そのせいで友希那は友希那らしくいられなかったんじゃないか)

リサ(友希那のため。それが友希那の足を引っ張って、縛り付けていただけなんじゃないか)

リサ(……いや、違う)

リサ(そうだ。そうなんだ。思い返してみれば簡単な話だ)

リサ(全部、最初から違ったんだ)

リサ(友希那のため。友希那が笑っていてくれたらいい)

リサ(そうじゃないんだ)

リサ(友希那のためじゃなくて、アタシが友希那に必要とされていたかったんだ)

リサ(友希那が笑ってくれたらいいんじゃなくて、アタシが友希那に満たされたかったんだ)

リサ(『友希那のため』なんて綺麗な言葉を並べて、その実本当は『アタシのため』に友希那に接していたんだ)

リサ(ロゼリアがロゼリアでなくなってしまった時に選択肢を間違えた……と思っていたけど、そうじゃなかったんだ)

リサ(最初から、出会った時から全部間違えてたんだ)


リサ「はは……そっか……」

リサ(ひとりの部屋で打ちひしがれる)

リサ(今さら気付いたことに、もうどうやったって直せないことに、震えた言葉が漏れる)

リサ(導き出された『最初からいない方がよかった』という回答)

リサ(大切な幼馴染の、親友の幸せすら素直に喜べない、矮小な今井リサという存在)

リサ(ああ、そうか。アタシが一番必要なかったんだ。友希那にとっても、きっとロゼリアにとっても)

リサ(そう思った途端、身体中から力が抜けていき、ジャケットを着たまま崩れるようにベッドへ倒れ込む)

リサ(胸中にはどうしようもない後悔と罪悪感とが去来する)

リサ(嗚咽が漏れそうになって、それを噛み[ピーーー]けど、涙だけはどうしても止まらなかった)

リサ(ロゼリアがなくなったことも、友希那が離れていったことも、全部アタシのせい)

リサ(全部、何もかも、アタシのせい)

リサ(今井リサのせい)

リサ(そんな思考を繰り返すうちに、現実から目を逸らすように、いつの間にか意識は闇の中へ落ちていった)


……………………


リサ(寝起きはひどいものだった)

リサ(バイクのジャケットを着たまま、ロクに化粧も落とさずに絶望の淵で眠りこけ、目を覚ましたのは午前4時)

リサ(嫌な汗にまみれた肌が気持ち悪い。気分は吐きそうな程度に最悪だし、頭の中に鉛でも詰め込まれたみたいな重たい頭痛がやまない)

リサ(この世界から逃げたくなって瞼を閉じる)

リサ(けど、暗い視界にはどうやったって友希那の顔が浮かんでくる)

リサ(大切な幼馴染は何ともない顔をしている。恨むでもなく笑うでもなく、人形のように無表情で冷たい目がアタシを射抜く)

リサ(ヒビの入った心を容赦なく打ちのめす)

リサ(ごめん)

リサ(ごめんなさい)

リサ(謝れど謝れど、友希那は表情を変えない。何の感情も持たない顔で、アタシを見つめるだけ)

リサ(それが一番アタシに傷を負わせるんだと分かっているかのように)

リサ(耐え切れなくなって、瞼を開いた)

リサ(途端に点けっぱなしにしていた照明がズキズキと痛む眼の奥に刺さる。頭痛が増していく)

リサ(目を瞑れば友希那が、目を開けばこの世界がアタシを責める)

リサ(“ただそこにいるだけ”という最も効率的にダメージを与える方法で、責め立ててくる)

リサ(何もかもから逃げ出したかった)

リサ(今井リサという存在をなかったことにして欲しかった)

リサ(アタシがいなければ、友希那は今もロゼリアのみんなと笑えていたかもしれない)

リサ(無駄なことだと分かっていても、そんな思考ばかりが痛む頭をめぐり続ける)

リサ(身体を起こす気力もなく、身動きすら取れない状況で、下手な絵空事を想像する)

リサ(アタシがいない世界。きっとアタシ以外のみんなが幸せに笑っている世界)

リサ(それはとても綺麗な世界だった)

リサ(アタシが寂しいと感じてしまう以外、何もかもが丸く収まった綺麗な絵空事の世界だった)

リサ「…………」

リサ(バカなことを考えているという自覚はあった。けど、それでもそんな世界があったらいいとも思った)

リサ(その世界であればアタシもこんな気持ちを抱えることなく、何も感じず、何も喋らず、無為に過ごせていただろうから)


……………………


リサ(大学をサボったのは初めてだった)

リサ(頭の鈍い痛みもいつの間にか動けるくらいにはマシになったし、身体の重たさも気力を振り絞れば無視できるものだったけど、どうしても大学へ向かう気になれなかった)

リサ(時刻は午前11時)

リサ(下らない絵空事を描き続けているうちに太陽は天高く昇っていた。シャワーを浴びてかなりの惨状だった顔も洗って、服を着替えたアタシは窓からぼんやりと友希那の部屋を眺めていた)

リサ(いつまでも開かないカーテン。朝も昼も夜も、世界を閉じてしまった真っ暗な空間)

リサ(あの部屋がああなってしまったのもアタシが全部悪いんだ)

リサ(そう思うと居ても立ってもいられない気持ちになって、でも身体を動かすことが億劫で仕方なくて、自分でも何をどうしたいのかが分からなくなる)

リサ(そうしているうちにお腹の虫が小さく鳴いた)

リサ(こんな時にでも食欲が尽きないことに自嘲の息を吐き出して、のろのろとキッチンに向かう)

リサ(お父さんは仕事。お母さんは昔の友達と会うとかなんとかで留守だった)

リサ(食材はあるけど、出来合いのものは何もない)

リサ(料理をすることとコンビニに行くことを天秤にかけてから、部屋に戻ったアタシはお財布だけもって家を出る)

リサ(足取りは重い)

リサ(歩き慣れた街のそこかしこに友希那の残像があって、それがアタシを見つめてくるような錯覚を覚えて竦みそうになる。どこか遠くへ逃げたくなる)

リサ(……ああ、ちょっと前まであれだけ友希那の影を追い求めてたのにね)

リサ(コンビニに行こうと思って家を出たけど、そこへ行ってしまったらまた昔のことと昨日のことを思い出してしまう気がしたから、フラフラと商店街の方へ足を向ける)

リサ(平日の街は侘しく佇んでいた)

リサ(行き交う人もいないし、車も少ない)

リサ(まるでこの街にはアタシ以外誰もいないみたいだ)

リサ(そうならきっと楽なのにな。そんな空想と足を引きずり、ただ俯いたまま、頼りない足取りで商店街を目指す)


「……今井さん?」

リサ(その道すがら、頭上から聞き慣れた声が聞こえた)

リサ(のったりと顔を起こす。驚いたような顔をする紗夜が目の前にいた)

リサ「ああ、やっほー、紗夜……」

氷川紗夜「ええ、こんにちは。……いえ、そうではなく、大丈夫ですか?」

リサ「……何が?」

紗夜「ずいぶん酷い顔をしているわよ」

リサ「ああ……ヘーキだよ、ヘーキ」

紗夜「……聞いた私が間違っていたわね。それで平気ならこの世に医療施設は必要ないわ」

リサ(きっぱりとそう言い切って、紗夜はアタシの額に手を当てる。ひんやりとしたその感触が少しだけ気持ちよかった)

紗夜「熱はないみたいね……」

リサ「だから、平気だってば」

紗夜「土気色の顔をした人間の『大丈夫』なんて言葉を誰が信用すると?」

リサ「…………」


紗夜「食事は摂ってますか?」

リサ「……これから買いに行くとこ」

紗夜「そう。食欲はあるのね」

リサ(紗夜はホッと息を吐き出す。かなり心配されているみたいだ。そんなに酷い顔を……ああ、してるだろうな、きっと今のアタシは)

紗夜「では、一緒に食べに行きましょう」

リサ「え……」

紗夜「私はこのあと予定がないし、ちょうど今はお昼時よ」

リサ「いや、でも」

紗夜「文句は受け付けません。さあ、行くわよ」

リサ(そう言って、紗夜はアタシの隣に並ぶ。そして有無を言わさずにアタシの身体を支えるように腰に手を回す)

紗夜「歩けますね? とりあえず……ファミレスでいいかしら?」

リサ「……うん」

リサ(その優しさに抗えるだけの気力を今のアタシは持ち合わせてなかった)


……………………


リサ(2人並んでファミレスに……ロゼリアの反省会をよく行っていたファミレスに辿り着き、かなり遅い朝食を摂り終えた)

リサ(人間というのは本当に現金なもので、世界の終わりだと気分が酷く沈み込んだ時でも、何かを食べると少しだけ元気が出るらしい)

リサ(月見うどんを食べ終えたアタシの顔色が少しはマシになったのだろう。紗夜は安心したように一つ息を吐いてからアタシに言葉を投げかけてくる)

紗夜「それで、何があったんですか。今井さんがそんな酷い顔色をしているところなんて見たことありませんが……」

リサ「…………」

紗夜「体調が悪いだけ、ということではないわよね。言えないことならいいけれど、話を聞くくらいなら私でも出来るわよ」

リサ「……友希那」

リサ(アタシはなんて言うべきか、何を言うべきかかなり迷ってから口を開く)

リサ「友希那を……見つけたんだ」

紗夜「湊さんを? どこでですか?」

リサ「ん……ツーリング先の公園」

紗夜「……そう」

リサ(紗夜も紗夜で、アタシの言葉を聞いてなんとも言えない表情になって口をつぐんでしまった)

リサ(紗夜が一番、ロゼリアに対して責任を感じていたからだろう)

リサ(『私の軽はずみな言葉のせいで……』という謝罪の言葉を一時期耳にタコができるくらい聞いたし、今でもソロでギターは弾けど、バンドとしてギターを弾かないのは、きっとアタシたちに対しての負い目みたいなものがあるから)

リサ(……そんなの、紗夜は気にしなくても大丈夫なのに。一番悪いのはアタシなんだから。アタシだけが必要なかったんだから。そう思いながら、言葉を吐き出す)


リサ「元気そうだったよ」

紗夜「それは良かった……けれど、それならどうして今井さんがそんなに落ち込んでいるんですか?」

リサ「…………」

紗夜「……今井さん?」

リサ「ね、紗夜」

紗夜「はい?」

リサ「アタシさ……やっぱ、お節介だよね」

紗夜「……はい?」

リサ(俯いてポツリと呟いた言葉。それを皮切りに、次から次へと言葉が頭の中に浮かぶ)

リサ(その言葉は感情の奔流となって胸をいっぱいにする。それでも言葉は次々に浮かんできてしまうから、これ以上は入りきれないそれらがどんどん口から零れてしまう)

リサ「アタシさ、今まで友希那のために、友希那のためにって、ずっとお節介焼いてたんだ」

紗夜「…………」

リサ(紗夜は何も言わない。無言で肯定しているのか、ただアタシの言葉を真摯に聞いてくれているのか。正直、どっちでもよかった。ただ黙って話に耳を傾けてくれるだけでよかった)


リサ「ロゼリアの時もそうだったし、もっと前……それこそ、出会った時からずっと、ずっと」

紗夜「…………」

リサ「でも、でもさ。気付いたんだ。気付いちゃったんだ。友希那が幸せそうで、元気そうで……遠い街で、ひとりだってやっていけるんだって姿見てさ」

リサ「アタシが本当にしたかったことって、友希那のためじゃないんだ」

リサ「アタシはただ、アタシが友希那に認められたくて、必要とされたくて、ずっと、ずっと、アタシを押し付けてただけなんだって」

紗夜「…………」

リサ「そう、気付いちゃったからさ、じゃあ、アタシってなんなのって」

リサ「今までずっと自分のためだけにお節介焼いてきてさ、友希那のことだって考えた振りをして、本当は自分のことばっか考えてたのにさ」

紗夜「…………」

リサ(声が震えている。それをまるで他人事みたいに感じていた。紗夜はそれでも何も言わない)

リサ「じぶっ、自分勝手な善意を押し付けて……友希那を傷付けて、ロゼリアだって台無しにしちゃって……」

リサ「アタシなんて最初から、っ、いない方が良かったんじゃないかって……っ」

リサ「アタシさえいなきゃ、ロゼリアだってきっと無くならなくって、友希那だって紗夜だって燐子だってあこだって、今も笑い合ってさ……っ」


紗夜「今井さん」

リサ(黙ったままだった紗夜が言葉を発する。俯かせていた顔を起こして、雫が溜まった瞳を紗夜に向ける。滲んだ視界からだと紗夜がどんな表情をしているかよく見えなかった)

紗夜「先に謝ります。ごめんなさい」

リサ「え……?」

紗夜「……っ!」

リサ(要領を得ない謝罪のあと、紗夜の手がスッと伸びてきた。何をするんだろう、と思った後に、頬に熱い衝撃があった。パン、と小気味のいい音がファミレスの喧騒に小さく溶けていく)

リサ(……ちょっとしてから、紗夜に顔をはたかれたんだと分かった)

紗夜「私は今、怒っています。何故だか分かりますか?」

リサ「……アタシが――」

紗夜「悪い、いなければよかった。そう言ったらもう一回はたくわよ。次は謝罪も手加減もしないわ」

リサ「…………」

紗夜「あまり私も人のことは言えない。それは分かっているけれど、言わせていただきます」

紗夜「あなたはバカなの?」

リサ「ばっ……!?」


紗夜「口答えは結構よ。バカに決まっているわ。ええ、バカ以外の何物でもない」

リサ「な、なんで……」

紗夜「考えすぎです」

リサ(先ほどと打って変わって、アタシの言葉に聞く耳をもたずに紗夜は言葉を続ける)

紗夜「つまり今井さんは、今井さんだけのせいでロゼリアもなくなったし湊さんも傷付いたし私や白金さんや宇田川さんにも迷惑をかけたと、全部自分が悪いから最初から今井さん自身がいなければ良かったなんていうバカで傲慢な主張をしたいのよね?」

リサ「そっ」

紗夜「ええ、それならやっぱり今井さんはバカね。それも救いようのない類のバカよ」

リサ「ば、バカってそんな」

紗夜「冷静になりなさい。頭を冷やして考えなさい」

リサ「……何を」

紗夜「あなたの言うそれは、私たちが今も大切にしているロゼリアという場所を否定する言葉よ」

紗夜「それだけじゃない。湊さんも白金さんも宇田川さんも私も、全員を否定してコケにするような言葉にもなるわ」

リサ「…………」

紗夜「少なくとも、私は今井さんがいなければロゼリアというバンドは存在しなかったと思っているわ。仮に存在していたとしても取るに足らない下らないバンドという認識のまま、すぐに辞めていたわ」

リサ「そんなの」

紗夜「分からない、とでも言いたいのかしら? 分からないならどうしてあなたは決めつけるの。今井リサがいないロゼリアは今よりももっと素晴らしいものだった、なんて」

リサ「…………」

紗夜「あなたが勝手に決めつけるなら私も勝手に決めつけるわ。今井さんのいないロゼリアなんて存在する意味もない下らないバンドだったと」

紗夜「納得がいきませんか? それなら白金さんと宇田川さんにも聞くわよ。彼女たちも絶対に私と同意見だから、多数決なら3対1であなたの負けです」


リサ「でも……」

紗夜「……湊さんだってきっと同じことを言うわよ」

リサ「…………」

紗夜「今井さんと湊さんの付き合いの深さと長さは、私たちでは到底及ばない。だからあなたたちの間でしか分からない気持ちというものもあるのかもしれない」

紗夜「でも、僅かな時間であったかもしれないけれど、私や白金さんや宇田川さんだって、あなたたちと大切な日々を一緒に過ごしたのは紛れもない事実よ」

紗夜「だから湊さんだって同じ気持ちでいると私は信じています」

紗夜「それと……あの日に選択を誤ってしまったのも事実。その結果ロゼリアというバンドがなくなってしまったのも事実」

紗夜「その責任がきっと私たち全員に、それぞれ何かしらの形であったということも事実」

紗夜「誰が悪いとか、そういう話じゃない。1人で責任を感じていた私にそう言ってくれたのは今井さんたちです」

紗夜「……今度は私からその言葉を贈るわ」

紗夜「今井さんだけのせいじゃない。1人で全部を抱え込むなんてバカな真似と……今井さんがいなければ、なんて、そんな悲しい話は二度としないで」

紗夜「今だって私は……あなたをかけがえのない大切な友人の1人だと思っているんだから」

リサ「……うん。ごめん、紗夜」


リサ(瞳に浮かんでいたものがやっと乾いてくれて、視界がクリアになる)

リサ(紗夜の目も少し赤くなっていることにそこで気付いて、申し訳なさと一緒に大きな嬉しさが胸の中いっぱいに広がる)

リサ(それからちょっと大きく息を吸って吐いて、先ほどまでの自分を振り返ってみる)

リサ(……ああ、やっぱり過ぎた憂鬱は悲劇じゃなくて喜劇的だ)

リサ(もうセピア色に染まりかけた記憶。いつかにアタシが急なバイトで行けなくなったスタジオ練習のことを思い出す)

リサ(あの時、紗夜も、あこも、燐子も、そして友希那も……アタシはロゼリアに必要だって言ってくれていた。その大切な思い出すら忘れてしまっていた)

リサ(紗夜の言う通りだ。アタシって……本当にバカだ)

リサ「ごめんっていうか、ありがとね」

紗夜「いえ。こちらこそ頬を張ってしまってすいませんでした」

リサ「ううん、おかげで目が覚めた……と思う」

紗夜「そう。それは重畳ね」

リサ「うん」

リサ(頷いて、テーブルナプキンで目元を拭う。紗夜はフイと顔を背け、しばらく天井の一角を睨みつける。それから大きく息を吸って、少しだけ震えた息を吐き出した。それからまたアタシに、いつもの凛とした顔を向ける)


紗夜「それで……今井さんはこれからどうするのかしら」

リサ「どうする、っていうと……」

紗夜「湊さんを見つけて、バカみたいに塞ぎ込んで……それでおしまいなんですか」

リサ「…………」

リサ(紗夜はジッとアタシを見つめる。その瞳を真正面から受けて考える)

リサ(アタシはこれからどうするのか)

リサ(千載一遇、砂漠で落としたコンタクトレンズを見つけたような、友希那との偶然の再会)

リサ(もちろんまたロゼリアがあった時のように話がしたいし、あの日に間違えた選択肢を少しでも間違いじゃなかったって思えるようにしたい)

リサ(けど……正直に言えば怖い)

リサ(紗夜はああ言ってくれたけど、やっぱりまだ怖い。もしも友希那に拒絶されたら、と考えてしまうと足が竦む思いだ)

紗夜「もしも今日があの日の続きなら」

リサ「え?」

リサ(意気地なく逡巡していると、紗夜がポツリと言葉を紡ぎだす)

紗夜「もしも今日があの日の続きなら……今度は今井さんが思うようにやってみればいいのではないか、と思うわ」

リサ「アタシが思うように……?」

紗夜「ええ。今井さんが今井さんの思うように、やりたいように。……寂しいけれど、もうロゼリアはない。それなら私たちのことは気にしなくたっていいのだから」

リサ「……アタシのしたいように」

リサ(したいように。それなら、3年前のあの日からずっと答えは出ている)

リサ(友希那のためとかアタシのためだとか、そういうのは無視するとして)

リサ(そういった面倒なことを全部剥がして捨てていった先にあるのは、友希那とまた笑い合いたいという気持ちだ。だから……)

リサ「アタシは……友希那ともう一度向き合いたい」

リサ「あの日のことを謝って、それで、虫が良い話だけど、また友希那と一緒に笑いたい」

紗夜「では、きっとそれが一番正解に近い答えでしょう」

リサ(アタシの言葉を聞いて、紗夜は優しい笑みを浮かべて頷いてくれた。その表情の中には、今まで背負っていた重荷をようやく下ろせたような、そんな感情が混ざっているような気がした)


リサ「あー、でも、ちょっと勇気がないっていうかなんていうか……」

紗夜「この期に及んでまだそんなことを?」

リサ(その優しい笑顔も救われたような感情も、アタシが続けた言葉を聞いてすぐに引っ込んで、見慣れた呆れ顔に打って変わった)

リサ「い、いやいや、紗夜だって同じ立場なら絶対悩むでしょ!?」

紗夜「……まぁ、そうね。否定はしないわ」

リサ「でしょ? うーん、どうしよう……」

紗夜「それなら、ライブに招待したらどうかしら。今井さんは大学でもバンドをやっているでしょう?」

リサ「ん、まぁ……コピーバンドだけど」

紗夜「であれば、湊さんをライブに誘ってみて、歌に気持ちを乗せてみるのもいいのではないかしら。焦って空回りするより、まずは誰かの言葉を借りて気持ちを伝えるのもひとつの手段だと思うわよ」

紗夜「面と向かっていきなり色々と話すのは無理だとしても、誘いをかけるだけならそこまで気負わないでしょうし」

リサ「そっか……」

リサ(確かに言われてみればその通りだ。いま友希那と面と向かってアレコレ話したら……先ほどまでじゃないにしても、テンパって変なことを口走る可能性は100%に近い)

リサ(それならロゼリアでそうしてたように、言葉ではなく音楽でアタシの気持ちを伝える方がずっといいだろう)

リサ「うん、そうだね。そうしてみるよ」

リサ「あ、そしたら紗夜たちも来る?」

紗夜「遠慮しておきます。物事には順序がありますから。今井さんより先に湊さんと話す、というのは恐れ多いわ」

リサ「…………」

リサ(気を遣ってくれている、というのは分かっている。けれど紗夜にしては珍しい軽口が出てきて、それがちょっとおかしくて笑ってしまった)

リサ(そんなアタシを見て、紗夜は少し気恥しいような顔をして声を出す)

紗夜「不器用な私にはこういう物言いしか出来ないのよ」

リサ「ううん。ありがとね、紗夜」

リサ(言葉のあと、フイと背けられた横顔に向かって、アタシはお礼を言う)

紗夜「いいえ。友人のためであれば当然のことですから」

リサ(そしてとても優しい親友は、生真面目な口調を作ってそんな返事をくれるのだった)


……………………


リサ(決心してからは早かった)

リサ(紗夜にもう一度お礼を言ってから別れ、一度家に帰って準備をしてから大学へ向かう)

リサ(そして軽音楽サークルのバンドメンバーに対して、多分初めてのワガママを言った)

リサ(どうしてもあそこの近くでライブがしたい。そこでどうしてもやりたいことがある、というワガママ)

リサ(大学から友希那を見つけた場所までは3時間くらいかかるだろう。縁もゆかりもない地方都市でのライブ)

リサ(やっぱり断られちゃうかな。そう思ったけど、バンドのみんなは二つ返事でオッケーと言ってくれた)

リサ(詳しい理由も聞かずにあっさりと頷いてくれたものだから、逆にアタシの方が「え、オッケーなの?」と驚いてしまった)

「リサちゃんはいつも助けてくれるし、断る理由がないよ」

リサ(そして口を揃えて返ってきた言葉にちょっとだけ泣きそうになった)

リサ(お節介。大きなお世話。みんなに対してもそうなんじゃないかと思っていたことを否定してもらえたから)

リサ(ライブの日程を決めて、友希那がいた場所の近くのライブハウスをすぐに押さえる)

リサ(それからどの曲をやろうか、という話の中で、もう一回だけアタシのワガママを聞いてもらった)

リサ(これで残るライブの準備は練習をするだけ)

リサ(……あとはアタシと友希那の問題だ)


リサ(大学から家に帰って、どうするべきか、どうやって誘うべきか、頭を悩ませた)

リサ(ライブに来てほしい。そう伝えるには必ず一度は友希那と顔を合わせなければいけない)

リサ(もうスマホで連絡はとれない。知らないうちに機種を変えていた友希那の電話番号もアドレスも、みんな知らないから)

リサ(だからまた直接会いに行くしかない)

リサ(紗夜は「そこまで気負わないでしょう」と言っていたけど、友希那と面と向かうこと自体がまだ怖い。そのうえ誘い文句をかけなければいけないともなると、やっぱり感情が高ぶっておかしなことになりそうだ)

リサ(それなら……と一つの案を思い付いたのは午前2時。自分で作った歌詞を書き留めたノートをパラパラ捲っているときだった)

リサ(アタシの気持ちを文字に起こそう。そして友希那に伝えたいことを手紙にして、それと一緒に予約を入れたライブハウスから送られてくる招待券を渡そう)

リサ(そうすれば話すことは最低限で済むし、きっと意気地のないアタシでもちゃんと出来るはずだ)

リサ(そうと決まれば、と早速近所のコンビニへレターセットを買いに行き、ああでもないこうでもないとまた文面に頭を悩ませ、手紙を書き終えたのが午前5時)

リサ(新聞配達のバイクのエンジン音が聞こえて、なんだかんだもう24時間以上起きていたことに気付く)

リサ(すると途端に眠気とダルさが襲ってきて、アタシはパタリとベッドに倒れて、そのまま大学を2日連続でサボることになるのだった)


……………………


リサ(週末。日曜日。余命いくばくもない秋の空は高々と晴れ渡っていた)

リサ(太陽の陽射しは暖かいけど、バイクで走れば身を切る風は冷たい)

リサ(止まると暑いけれど走ると寒い。服装を朝晩に合わせると日中は汗をかき、日中に合わせると朝晩は凍える。ちょうどいい塩梅を模索するのが大変な時期だ)

リサ(こういう時は寒いに合わせるのがいい、と何かの雑誌で読んだような気がする)

リサ(確かにそうだ。走っている時が一番気持ちいいのだから、そこでの不便利をなくすのが最善だろう)

リサ(着こんだジャケットだって脱いでしまえば……嵩張るのは無視するとして、暑いのだって解決するし)

リサ(そう思って厚手のジャケットを着こんだアタシは、東に向かってバイクを走らせる)

リサ(軽排気量の単気筒エンジン。最高速度なんてたかが知れているけれど、そもそも高速にも乗れない原付二種だ。車体の軽さと低速域での加速の方が重要だろうし、アタシにはとっては十分すぎるパワーがある)

リサ(最初は少し怖かった公道にも、シーソーペダルというらしいシフト操作にも、気付けばずいぶん慣れたものだ。手足のよう……は言い過ぎだけれど、大体自分の思う通りにバイクを動かせるようになっていた)

リサ(寒い日はエンジンの機嫌が悪くてなかなか始動しないこともあったし、夏に渋滞にハマってオーバーヒートしかけて、やむを得ずに車の間を縫ってコンビニの駐車場を目指したこともあった)

リサ(そんな風にこのバイクと一緒に友希那を探して、偶然に偶然が重なって、友希那を見つけることができた)

リサ(思い返せば2年以上の付き合いだ。この子はもう半ば相棒と言ってもいいのかもしれない)

リサ(そんなことを考えながら、マップアプリにピン付けした公園を目指す)

リサ(本当はコンビニに直接停めればいいんだけど、アタシにはまだもう少しだけ心の準備が必要だった)

リサ(あの銀杏並木を歩いて、少しでも気持ちを落ち着かせてから友希那と対面したかった)

リサ(色々な言葉を書いては消して、消しては書き連ねた便箋と、ライブチケットの入った封筒)

リサ(これを手渡すとき、どんな顔をすればいいのか。そもそも友希那がいなかったらどうしようか)

リサ(色々と不安要素は多いけれど、それでも進もう)

リサ(アタシはまた友希那と話がしたいし、出来ることなら一緒に笑い合いたいから)


リサ(約2時間半のツーリングを終えて、アタシは公園に辿り着く)

リサ(この前と同じようにバイクを駐車場に停めて、目的地へ向かって歩を進める)

リサ(今日はいつも以上に早く時間が過ぎているような気がした)

リサ「あ、そっか」

リサ(なんでだろ、と少し考えて、すぐに合点がいった)

リサ(目標がある、明確な目的地の決められたツーリングはこれが初めてだった)

リサ(だからだろう。進むべき道に迷うこともないし、アタシの足もしっかりと地面を踏んで、前だと思える方へ歩めている)

リサ(今のアタシと先週のアタシを比べると、その明暗の差に可笑しな気持ちになってちょっと笑ってしまった)

リサ(ああ、やっぱり過ぎた憂鬱は喜劇的だ)

リサ(この短期間でもそう思えるのだ。だからきっと、あの日の涙や後悔や間違いだって笑い話に出来るはずだ)

リサ(友希那と、みんなと、またあの陽だまりのような日々を送れるはずなんだ)

リサ(やっぱり公園から歩いて正解だった。少しだけ心がちゃんと整理できた気がする)

リサ(そう思ったところで、目的のコンビニが見えた)

リサ(少し深呼吸をして、たすき掛けしているボディバッグから封筒を取り出す)

リサ(そしてお店の入り口に立って、手押しの扉を開いた)

「いらっしゃいませー!」

リサ(すぐにレジから明るい声が飛んできた。そちらにチラリと視線をやると、この前友希那と一緒に歩いていた女の子がレジに立っていた)

リサ(店内を見回す。友希那の姿も、アタシ以外のお客さんの姿もない)

リサ(日曜日の午前11時過ぎ。駐車場には車が1台も止まっていなかったし、今は暇な時間なんだろう。やっぱり観光施設の近くじゃないと休日はどこのコンビニも暇なんだな、と思う)

リサ(それはさておき、友希那がいないのは可能性として考えてはいた。いなかったら出直そうという気持ちでいたけれど、友希那に親し気に笑いかけていたあの子がいるのであれば話は別だ)

リサ(ちょうど店内にはアタシとあの子だけ。もしかしたらバックヤードに友希那か他の従業員の人がいるかもだけど、いたらいたでそれはそれでいい)

リサ(そう思って、アタシはレジに足を運んでその子に話しかける)


リサ「あの」

「はい、なんでしょう?」

リサ(ぱっちりとした大きな瞳と短く切り揃えられたフワフワの髪の毛。キョトンとあどけなく首を傾げた仕草に、人懐っこそうな女の子だという印象を受けた)

リサ(その子に向かって、アタシは言葉を投げる)

リサ「友希那……います?」

「え、友希那さんですか?」

リサ(それを聞いて、女の子は少し訝しげな表情になる)

リサ(それもそうか。いきなりそんなことを言われたって戸惑うだろうし、怪しまれるだけだ。これでアタシが男の人だったら通報されていたかもしれない)

「今日はお休みですけど……」

リサ(それは「友希那はこのお店で間違いなく働いていますよ」と言っているのと変わりない。警戒心が薄いというか、なんというか)

リサ(……多分、そんな女の子だからこそ、友希那も柔らかい雰囲気で対応しているんだろう)

リサ「そうなんだ。えぇっと、いきなりで何言ってるんだって思うかもだけど……これを友希那に渡しておいてもらえないかな」

「これ……手紙?」

リサ「今井リサから、って」

「はぁ、今井リサさんから友希那さんへ……」

リサ「うん。幼馴染、なんだ」

「幼馴染さんですか? あ、じゃあもしかして、前に友希那さんが組んでたっていうバンドの……」

リサ「そうだよ。友希那はボーカルで、アタシはベース……だったんだ」

「わーそうなんですね! 友希那さんからちょっとだけ話聞いてますよ! 名前までは話してくれなかったですけど!」


リサ(友希那の幼馴染、と分かると、疑っていた表情もどこかへ飛んでいき、人懐っこい笑顔がパッと弾けた)

リサ(それだけ友希那を慕っているんだろうけど、本当に警戒心が薄いというか純粋すぎるというか……放っておけない子だ)

リサ(友希那もこんな女の子に懐かれるなら、絶対嫌な気にならないだろうな)

リサ「そうなんだ……。いい話なら、いいんだけどね」

「んー、どうでしょう? 友希那さん、なんだかいつも嬉しいような寂しいような悲しいような、よく分からない顔で話すので……」

リサ「……そっか」

「あっ、友希那さんがいる日、教えましょうか?」

リサ「ううん、アタシが勝手に来ただけだからそれは大丈夫だよ。悪いけど、その手紙だけ渡しておいてくれないかな?」

「はーい、承りました! お世話になってる友希那さん宛てですからね、何があろうと死ぬ気で渡します!」

リサ「そ、そこまで気負わなくてもいいんじゃないかな……?」

「いえいえ! バイトにバンドのこととか、友希那さんには頭が上がらない思いですから!」

リサ「バンド……キミもバンドやってるんだ?」

「はい!」

リサ「そっか。……じゃあ、その中にさ、アタシたちが来週やるライブのチケットがあるんだ」

「そうなんですか?」

リサ「うん。良かったら……友希那と一緒に見に来てよ。2人までタダで招待できるからさ」

リサ(卑怯な手だな、と思いながらそんな誘いの言葉をかける)

リサ(きっとこの子に嘆願されたら友希那だって足を運ばざるを得ないだろうし、それでもなお来れないようなら……その時は、そういうことだって……泣いちゃうかもしれないけど、多分割り切れるから)

リサ(友希那がこんなアタシにはとっくに愛想を尽かしていて、もう二度と顔も見たくないっていうなら……その方が傷付かずに済むから)

「ほんとですか!? わー、ありがとうございます!」

リサ(そんなアタシの打算的な気持ちなんて知らずに、この子は明るい笑顔でお礼を言う)

リサ(一点の曇りもないそれに少し目が眩みそうだった)


……………………


リサ(過ぎる景色、時間は日めくり)

リサ(やるべきことを決めて、それに向かって邁進すると時の流れはあっという間だ)

リサ(友希那とあの子へ誘いはかけた。2人が来てくれるかはまだ不透明だけど、みっともない演奏を見せないようにと練習に励む)

リサ(そうしているうちに、気付いたらもうライブ当日の土曜日になっていた)

リサ(大学でバンドメンバーと待ち合わせて、みんなで一緒に電車に乗り込む)

リサ(そして過ぎていく車窓からの風景を眺めながら、この一週間を振り返る)

リサ(大学から片道2時間半の駅近くのハコでのライブ。交通費だってばかにならないし、時間だってかかる面倒な場所なのに「ツアー気分であっちに1泊しちゃう?」「しちゃうしちゃう!」なんてノリノリで盛り上がるバンドメンバー)

リサ(「今井さんなら絶対に大丈夫です。陰ながら応援していますよ」という紗夜のメッセージ)

リサ(それらを見てしみじみと思ったのは、アタシがいかに人間関係に恵まれているかということ)

リサ(みんなみんな、アタシなんかにはもったいないくらいに良い人ばかりだ)

リサ(そう思うけれど、そんなことをまた口にしようものなら「やっぱりあなたはバカね」と紗夜にビンタされるような気がしたから言わないことにする)

リサ(代わりに口にする言葉はきっと『ありがとう』が一番だろう)


リサ(『ありがとう』)

リサ(アタシはそのお礼の言葉に今までたくさん助けられてきたんだ)

リサ(昔から人に世話を焼くのが好きだ)

リサ(そして感謝されることが嬉しい。感謝してくれる人がいて嬉しい。アタシを認めてくれたって気持ちになれて、それが幸せだった)

リサ(確かにこれは自分自身のための行動なのかもしれない)

リサ(それならきっと、アタシはみんなのおかげで生きているんだろう)

リサ(アタシは到底ひとりぼっちにはなれない。ひとりぼっちになったら、そのまま寂しさに溺れて死んでいってしまう)

リサ(そう思うと、友希那はとても強い人なんだと改めて思い知らされる)

リサ(アタシがアタシの都合で拒絶して、ひとりになってもそれでも前を向いて歩いていた)

リサ(出来ることなら、そんな強い幼馴染の隣に並んで、また一緒に歩きたい)

リサ(それが出来るようになるかは分からないけれど、でも、今はそれは置いておこう)

リサ(友希那に伝えたいことがある。それだけを考えて、目の前のライブに臨もう)


……………………


リサ(ライブハウスに到着して、控室で準備を始める)

リサ(東京からは離れたところだけど、大体のことは一緒だ)

リサ(ワンマンライブじゃないから、今日同じステージに立つ他のバンドの人と簡単に挨拶を交わして、順々にリハーサルを行う)

リサ(それからアタシたちに割り当てられた時間を確認して、セットリストの最終確認)

リサ(今日は4つのバンドがライブステージに立つようで、アタシたちの出番はトリだった)

リサ(懐かしいCiRCLEと比べれば小規模なライブハウス)

リサ(けど、「近くにあんまりライブハウスがないからけっこう人が来るんだよね」と、控室で話した近くの大学に通うバンドの女の子が言っていた)

リサ(コピーバンドにオリジナルバンド、老若男女問わずにこの近辺の色々な人たちがここでライブをするらしい)

リサ(そんなライブハウスで土曜日にステージが空いていたのは幸運だった)

リサ(まさに偶然の積み重ねで得られた千載一遇の好機だ)

リサ(色々なものが複雑に絡み合って、友希那の姿を再び見つけることができて、こういう形ではあるけど向き合おうと思えるようになった)

リサ(だから頑張らないと)

リサ(……でも、そう思う中で、やっぱりまだ不安な気持ちがあるのも事実だった)




リサ(ライブハウスが開場され、お客さんが入ってくる)

リサ(最初のバンドのステージが始まるころには、満員とは言えないけれど、オールスタンディングの観客席は自由に歩き回るのが難しい程度に人で埋まっていた)

リサ(控室のモニターにその様子が映し出されていたけれど、アタシは少しだけ視線をやってすぐに目を逸らした)

リサ(もしも友希那がいなかったら。来なかったら)

リサ(何か予定があった、バイトのシフトだった……ということもあるだろうけど、でも、その根底にあるのは拒絶の意思なんだとアタシは感じるだろう)

リサ(もう二度と、友希那はアタシと話をするつもりはない。つまりはそういうこと)

リサ(だから怖かった。紗夜はファミレスで「湊さんも同じ気持ちだ」と言ってくれたけど、そんな友希那に対して勝手な別れを告げたのはアタシだ)

リサ(虫のいい話だろう。ボロボロに泣きながらみっともなく別れを告げておいて、今さらまた昔のように戻ろうだなんて)

リサ(そう思う方が自然だ。だから怖い。友希那と……現実と向き合うことが怖い)

リサ(ライブ前の緊張とは違った緊張に身体が少し震える)

リサ(そうしている間にも時間はどんどん過ぎていく。いつの間にか3つ目のバンドの出番になっていて、気が付けばそのバンドも最後の曲を演奏していた)

リサ(メンバーに促されて、アタシも深呼吸をしてからベースを担ぐ)

リサ(そして舞台袖にたどり着いたところで、前のバンドの演奏も終わったようだ。次はとうとうアタシたちの番)

リサ(演奏を終え、興奮した面持ちの人たちとすれ違う)

リサ(「君たちも頑張ってね!」と声をかけられた。それに「ありがとう」と硬い声で返す)

リサ(それからまずアタシたちのバンドのギターボーカルがステージへ足を進めた)

リサ(それにドラム、そしてキーボードと続く。最後はアタシだ)


リサ(震える足に力を入れて、ステージへ踏み込む)

リサ(舞台上を強く照らす照明が熱い。観客席にもさっきのバンドの演奏の熱が残っているようだ)

リサ(縁もゆかりもないアタシたちを大きな拍手で迎えてくれる)

リサ(だけど、やっぱりアタシは俯いたままだった)

リサ(怖い)

リサ(観客席を見るのが怖い)

リサ(怖くて怖くて仕方がない)

リサ(ずっと考えていたことがまったくの虚勢だったんだと思い知らされる)

リサ(友希那がアタシを拒絶するならそれでいい?)

リサ(嘘だよ、それは。そんなのはただの強がりなんだよ)

リサ(嫌だよ。拒絶されたくない。友希那と離れたくない。嫌だ。それでいいわけないよ。もう会えないと思ったのに会えたんだから、勝手だって知ってるけどまた友希那と笑い合いたいよ)

リサ(だから怖くて怖くてしょうがないんだ。光の向こう側にあるのがより深い闇なのか、暖かい陽だまりなのか。それを知るのが怖い。手が震えて止まらない)


「リサさーん!」

リサ(手どころか全身が震えているのを痛いほど実感していたら、声が聞こえた)

リサ(どこかで聞いた声だ。これは……そう、先週、友希那のコンビニで聞いた声)

リサ(俯かせていた視線を少し上げると、最前列の柵のところにあの子がいた)

リサ(やっぱり曇りがない、どこまでも眩しい笑顔でアタシに手を振る)

リサ(それから客席の後ろの方を指さした)

リサ(その先へ、恐る恐る、視線を動かす)

リサ(最前列から、中列、最後尾へ。そしてそのどん詰まり、壁に背をあずける人物と目が合った)

リサ(腰のあたりまでかかるストレートの髪の毛。明るい色の瞳。記憶の中より少し痩せた気がする立ち姿)

リサ「友希那……」

リサ(あの日に別れてしまってから、何度も何度も顔を見合わせることを夢に見続けた、誰よりも大切な幼馴染がそこにいてくれた)

湊友希那「…………」

リサ(友希那は少し迷うような、困ったような笑顔を浮かべた後、小さく手を振ってくれた)

リサ(それから口が動く)

リサ(『頑張って』)

リサ(そう言ってくれたような気がした)

リサ(だからアタシはそれに強く頷き返した)

「リサちゃん、大丈夫?」

リサ「うん、大丈夫」

リサ(隣に立つギターボーカルの友人に声をかけられる。それにもアタシは強く返事をした)


リサ(……つくづく、アタシは現金な人間だと思う)

リサ(あんなに怖がっていた。あんなに震えていた)

リサ(それなのに、ただ友希那がそこにいる)

リサ(アタシを見て、アタシに言葉をくれる)

リサ(それだけでもう何も怖いものなんてないし、身体だって全然震えない)

リサ(やっぱりアタシは打算的でずる賢くて、誰かのためじゃなく自分のために人に優しくする人間なのかもしれない)

リサ(でも、それでいいや)

リサ(友希那がそれで笑ってくれるなら、アタシのことを見てくれているなら、もうそれだけでよかった)

「よっし、それじゃあ行きましょうか!」

リサ(ステージの上で、ドラムの友人がみんなに声をかける)

リサ(それに頷き返して、アタシたちの演奏は始まった)


リサ(コピーバンド。誰かの言葉を借りて、自分のために吐き出す音楽)

リサ(この歌が好きだ。この歌詞が好きだ。このメロディーが好きだ)

リサ(その好きなものたちに自分の気持ちを乗せて、誰かに何かを伝えるための音楽)

リサ(本来はそんな高尚なものでも意味があるものでもないのかもしれない。だけど、今の、今日のアタシはそうだ)

リサ(1曲、2曲、3曲、4曲、5曲。続けざまに誰かが作った音楽を借りたアタシたちは、いよいよ最後の曲を演奏することになる)

リサ(アタシがどうしても、とワガママを言った曲だ)

「ふぅー……それでは次が最後の曲ですっ! この曲は、ベースのリサちゃんが歌いまーす!」

リサ(ギターボーカルの明るい声が会場に響くと、視線が一気にアタシに集まる)

リサ(友希那もあの子も、ジッとアタシを見つめる)

リサ「あー、はい、アタシが歌います」

リサ(集まった視線にちょっとだけドギマギしながら、アタシはスタンドマイクに向かって言葉を放つ)


リサ「ほんと、みんなには今日はアタシのワガママに付き合って貰ったっていうか、そんな身内話になっちゃうんだけど」

リサ(ベースを弾きながら歌うことはロゼリアでもあった。それはパートだったりコーラスだったり、友希那を彩るための僅かなものだった)

リサ(だけど、今日はフルでベースボーカルだ)

リサ「どうしても、言いたいこととか、伝えたいこととか、そういう色んなものがあって……」

リサ(自分の言葉でなければ、その本質の意味は薄いものになってしまうのかもしれない)

リサ(綺麗事ばかりを取り繕った歌詞に意味なんてないのかもしれない。けど……)

リサ「今は自分の言葉だと、なんていうか、絶対ワケ分かんないことになるって思って、だから、その、歌で……少しでも、離れてしまった大切な人に何かが届けばいいなって思います」

リサ(でも、だけど、そうだとしても。アタシは伝えたい気持ちを歌にしたい)

リサ「だから、歌います。『ロングホープ・フィリア』」

リサ(曲名を呟き、ステージへ視線を送る)

リサ(ここにはロゼリアのみんなはもういないけど、こんなアタシのワガママに付き合ってくれる大事な友達がいてくれる)

リサ(観客席へ目を移す。アタシを導いてくれた無邪気なあの子と、ステージと観客席みたいに隔たれ、近いけど遠くに離れてしまった大切な幼馴染がいてくれる)

リサ(地元へ行けば、高校時代を、青春を共にした大切な仲間たちがいる)

リサ(利己的でも、本質はアタシのためでもいい。友希那に、みんなに、アタシの気持ちが少しでも届きますように)

リサ(そんな願いを込めて、アタシは歌を歌う)



「歩くほどに靴底が汚れていく そんな風に」

「僕らの魂も磨り減れば影ってしまうよ」

「そんな時に思い出して 君が諦められない理由を」

「救ったはずが救われたっけ 握ったつもりが握られた手」


「遍く旅路に光あれ 強さや弱さでは語れないぜ」

「立ち向かうその一歩ずつが 君の勇敢さの勝利だった」

「叫ぶ為に息を吸うように 高く飛ぶ為に助走があって」

「笑う為に僕らは泣いた それを敗北とは言わない」

「ロングホープ・フィリア」


リサ(正解ではなかったけど、きっと間違いじゃなかった)



「時を経ては変わってく 街並みも友達も」

「大抵は離れて分かる 寄る辺なさは瞭然たる感傷」

「ましてや自分 僕は僕を離れられぬやましさを背負って」

「だから友よ見届けてくれ 変わったのじゃなく変えたのだ」


「遍く挫折に光あれ 成功、失敗に意味はないぜ」

「最終話で笑った奴へ トロフィーとしてのハッピーエンド」

「願わなきゃ傷つかなかった 望まなきゃ失望もしなかった」

「それでも手を伸ばすからこその その傷跡を称え給え」

「ロングホープ・フィリア」


リサ(またこうして友希那と出会えたから。この気持ちを少しでも伝えられたから)



「諦めて疑って塞いで 期待外れって言われたっけ」

「でも失くしたことが武器になった それがどん底に咲いた花」

「遠き友よ 今ではもう蒼い星座」

「少なからず僕ら生きてる 荷物ならばそれで充分だ」


リサ(友希那はアタシを許してくれないかもしれない。本当はそんなの嫌だけど、それでも伝えられたから、ここに来てくれたから……アタシは最後まで強がってみせるよ)



「遍く命に光あれ 生きる為に理由はいらないぜ」

「うなだれても踏み留まった そこをスタートラインと呼ぶんだ」

「今日の君が笑ったことで 敗北も無駄にはならなかった」

「故に咲くどん底の花」


リサ(もしもこれが最後の別れだとしても、また笑い合える日々が続くんだとしても、アタシの願いはやっぱりたった一つだから)



「友よ、末永い希望を」


リサ(そして、あなたの行く先に那由他の幸福がありますように)


「ロングホープ・フィリア」



……………………


リサ(ライブが終わって控室に戻ると、アタシはバタバタと慌ただしく帰り支度を整える)

リサ(ベースもエフェクターもかなり乱雑にバッグに突っ込み、しっちゃかめっちゃかに絡まるシールドがもどかしくて変な声をあげてしまった)

リサ(その様子をバンドの友人たちに笑われたけど、理由も話してないのに訳知り顔でいてくれた)

リサ「ごめん、ちょっと……」

「行ってきなって。片付けとかそういうのは私たちに任せて」

リサ「……ありがと!」

リサ(ああ、やっぱりアタシは友人に恵まれている)

リサ(そう思いながら、ドアを蹴破る勢いで控室を飛び出して、ライブハウスの出入口へ走る)

リサ(最後まで強がって、友希那が幸せならいいってずっと思ってたけど)

リサ(でも、それでも、友希那がここに来てくれたから。アタシを見てくれたから)

リサ(あの手紙の最後に、何度も何度も書こうか書くまいか悩んでから綴った言葉に、もしも友希那が頷いてくれているのだとしたら)

リサ(最後の扉を開け放ち、外へ飛び出した)

リサ(11月中旬。初冬の夜風が冷たく吹き抜ける)

リサ(半分の月がのぼる空。申し訳程度に星が煌めく夜空。その寒空の下には――)



――――――――――
―――――――
――――
……


――CiRCLE スタジオ――

リサ「……っていう感じかな」

友希那「…………」

リサ「ん? どしたの、ポカンとして?」

友希那「……何の話なの?」

リサ「ああほら、この前友希那が話してたじゃん? もしもひとりぼっちになったらって」

友希那「……ああ」

リサ「思い出した?」

友希那「ええ、私が夢を見た話ね」

リサ「そうそう。そんでさ、もしも友希那がひとりぼっちになるなら、アタシはそうするかなって」

友希那「なるほど。ずいぶん行動的なのね」

リサ「いや~、そりゃあ友希那のためだからね?」

リサ「どんな理由があろうと、友希那と離れ離れになるなら……アタシは人生をかけてもう一回友希那に巡り合うよ」

友希那「ふふ、ありがとう。私はどこでもあなたに助けられてばっかりね」

リサ「そんなことないって。アタシが友希那に助けられてることの方が多いからね」

友希那「あら、そうなの?」

リサ「うん、そうなの」

友希那「……そうだとしたら、私はもっと嬉しいわ。私がいることでリサの助けになれているなら、それ以上の幸せはないもの」

リサ「アタシもだよ、友希那」

友希那「リサ……」

リサ「友希那……」


宇田川あこ「おっつかれさまでーす!」バーン

友希那「!?」シュバ

リサ「っ!?」シュババ

あこ「……あれ、どうしたんですか、友希那さんにリサ姉? なんか2人して変なポーズしてますけど」

友希那「なっ、な、なんでもないわよ?」

リサ「そ、そーそー! 別に、これっぽっちも、ねぇ、友希那っ!?」

友希那「え、ええ、まさにその通りだわ、流石リサねっ……」

あこ「ふーん?」

友希那「そ、それより、今日は早いわね、あこ。いい心がけだわ」

リサ「だ、だね。まだ練習まで30分近くあるのに偉いぞー」

あこ「えへへ、今日はホームルームが早く終わったんで、走ってきちゃいました!」

友希那「そ、そう。燐子と紗夜ももう来るかしらね」

あこ「んー、りんりんと紗夜さんは多分遅くなると思いますよ?」

リサ「え、どうして?」

あこ「えっと、さっきさあやちゃんたちとすれ違ったんだけど……なんか花女の中庭で、りんりんと紗夜さんがずーっと睨めっこしてたって言ってて……」

あこ「それはそれはとても邪魔できる雰囲気じゃなかったんだー、って一緒にいたかすみちゃんとありさも言ってましたから!」

あこ「まだ時間に余裕があるし、2人で一緒に遊んでるんだと思います!」

友希那「……そう」

リサ「……へぇ」


友希那「…………」

リサ「…………」

あこ「あれ? 2人とも、なんか変な顔になってるよ?」

友希那「いえ……」

リサ「お赤飯でも炊いた方がいいのかなーって」

あこ「お赤飯?」

友希那「それは早計だと思うのだけど」

リサ「えー、いやでも、あの紗夜と燐子が何もなく睨めっこって……ねぇ?」

あこ「……? 何の話ですか?」

リサ「あこにはちょっと早い話かなぁ」

友希那「そうね」

あこ「えーっ、なんですかそれー!? ずるーいっ、あこにも教えてよリサ姉~!」

リサ「いやぁ……あこにはいつまでも純粋でいて欲しいって言うか、なんていうか」

友希那(その口ぶりだと、私もリサも燐子も紗夜も不純だって言っているように聞こえるのだけど……これは言わない方がいい気がするわね)

あこ「そんなぁ~……」

リサ「あーごめんごめんって。ほら、そしたらさ、まだ練習まで時間あるし、あの2人が来るまでカフェでお茶しよっか」

リサ「さっきまりなさんにパフェの引換券貰ったんだ。だから、ね?」

あこ「本当!? わーい、パフェパフェ~!」

リサ(……本当は貰ってないけど、この場を切り抜けるためには仕方ないよね)

友希那(ああ……そんなもの貰ったかしらってちょっと考えてしまったわ……)

あこ「さぁさぁ、そうと決まれば早く行きましょーよー!」

友希那「ええ」

リサ「はいはい、パフェは逃げないからそんなに慌てない慌てない」

あこ「はーい!」


おわり



――――――――――――



 今年も気付けば春だった。

 いつの間にか桜が咲いていて、そしてもうほとんどが散っていってしまっていた。

 四月中旬のぬるい風に吹かれ、地方都市の片隅にあるこの公園の木々がささめき合う。新緑の匂いに混じって、あたたかい春の香りがした。

「…………」

 私はひとり、休日の公園のベンチに腰かけて、広場を見回す。秋には色づく銀杏並木も今は緑の衣を身にまとっていて、私の近くに植えられた木々はその枝に小さな花をほころばせていた。

 それらを順々に見やりながら、年々時間が過ぎる速度が加速していることをしみじみ実感する。

 気付いたらもう22歳。大学を卒業して、社会人となって迎える初めての春だった。

 大学にいた頃の記憶を掘り返せば……前半はあまり思い出したくもないし、思い出す内容にも乏しいものばかりだけど、後半は実に色濃い日々だったと言えるだろう。

 最低な日々の最悪な夢の始まり。それがもう五年も前のことなんだと思えば、随分遠くまで来たものだと思える。

 だけど、私が生まれ変わったつもりになれたあの日からは2年半。そう思うとかつての暗い思い出は近くにあるような気もしてしまう。

 ……まぁ、どっちでもいいわね。


「おーい、友希那ぁー!」

「あら、リサ……」

 頭を振って、浮かべた下らない考えを打ち消す。そしてしばらく頭を空っぽにしてボーっと佇んでいると、私を呼ぶ声が聞こえてくる。

 そちらへ視線を移すと、リサが小走りで駆け寄ってくる姿が目に映った。そして私の座るベンチまでたどり着くと、「ふぅ」と大きく息を吐き出す。

「まだ約束の時間より早いわよ。そんなに急がなくたっていいじゃない」

「あーいや、なんかね?」

「なによそれ……ふふ」

 要領を得ない言い訳に思わず笑ってしまう。リサも照れたように笑って、私の隣に腰かけた。


 ……あの日。ロゼリアがなくなってしまったあの日ではない、あの日。

 リサからの手紙という青天の霹靂では到底済まされないものをあの子から受け取り、その中にあったライブチケットを手にして、リサのステージを見に行った日だ。

 あの日から私とリサの関係は、またこうして笑い合えるものに変わっていた。

 とは言っても、ロゼリアの頃のように頻繁に顔を合わせている訳ではない。私は在学中からずっとこっちで過ごしているし、リサもリサで、私たちの思い出が詰まった場所を離れはしなかったから。

 少ない時は月に一度。多い時は週に一度。リサが私の元に来たり、私があの街へ足を運んでは顔を合わせる。そして近況報告をしてどこかへ遊びに行ったりする。

 昔に比べれば会う頻度はずいぶんと減ったものだ。それでも私にとってリサは一番の親友であり大切な幼馴染だし、リサもそういう風に思ってくれているはずだ。そうでなければ、あんな藁にも縋るような、雲を掴むようなことをし続けたりしないだろう。


「どう、社会人生活は?」

 リサに声をかけられる。私は考えていた昔のことを頭から放り出して、それに応える。

「まぁ……やっぱり大変ね。覚えることが山のようにあるし、学生とは何もかも勝手が違うから。そういうリサはどうなの?」

「アタシも同じだよ。はぁー、やっぱお金を稼ぐって大変なんだねぇ……」

「ええ、本当にそう思うわ。何年も普通に働いているお父さんが素直にすごいと思ったもの」

「あーそれ分かる。しっかり働いて、それで普段なんでもないような顔してるのってすごいよね」

 そうして、いつものように近況を報告し合う。始まったばかりの仕事の愚痴や、どこどこのお店のスイーツが美味しかったとか、この前バイトの送別会であの子に大泣きされたとか、ツーリングで行った場所がすごく綺麗だったとか、近所の野良猫が子猫を産んだとか、紗夜や燐子やあこが最近なにをしているかとか。

 他愛のない話だ。どこを切り取っても、世界中に掃いて捨てるほどある普通の話。それを交わし合う平凡極まりない時間。

 だけど、私はリサと分かち合うこの時間が何よりも好きだった。世界中のどんなものより尊いものだと感じていた。


 そう思えるようになったのは、あの別れと、どん底に落ちて自分を責め続けた暗い日々があったおかげだろう。

 だとするならばやっぱりリサは魔法使いだ。最低な日々も最悪な夢も、いつの間にかこうして笑い合える時間をより大切に思わせてくれる糧にしてくれたんだから。

 なのに例の手紙に綴ってあった言葉は「アタシは自分勝手に友希那を傷付けた」だとか「結局全部自分のためで、今まで本当にゴメン」だとか、リサがリサ自身を責めるものばかりだった。

 あの寒空の下で、半分の月がのぼる空の下で、リサと仲直りというか元通りというか……とにかく、またこうして昔のような関係になってから交わした最初の約束の時まで謝ってくるものだから、思わず言ってしまった。「リサ、あなたはバカなの?」と。

 そうしたらどうしてかリサはすごく嬉しそうな顔をして「あはは、紗夜にもそう言われた」と言うのだから私も反応に困ってしまった。リサもバカだけど、一番バカなのは間違いなく私なんだから「友希那も大概バカだよ」くらい言ってほしかった。

 だからその後に、

「紗夜も燐子もあこも、みんな友希那に会いたがってるよ。また一緒にさ、色んなことがしたいって」

 と言われて泣いてしまったのもリサのせいだ。私は悪くない。誰がなんと言おうと、おかしなことばかり言うリサが悪いのだ。


「……やっぱり幼馴染ね。湊さんも今井さんに負けず劣らずバカよ」

 なんて主張を去年の暮れの忘年会でしたら、紗夜にそんなことを言われた。

「ひ、氷川さん……もう少し言葉を選ばないと……」

 燐子も燐子で私とリサがバカなことを微妙に否定していなかった。

「わ、私は思ってないですよ! そんな、友希那さんとリサ姉がおバカさんだなんて……」

 ずいぶんと大人びたあこにもフォローのつもりの追撃をもらった。正直、目を泳がせながらあこにそう言われるのが一番ダメージが大きかった。

「……えっと、その……その節はホントごめん……」

「……ご、ごめんなさい、反省しているわ……」

 だから私とリサは、花咲川のある居酒屋の席で、二人して縮こまってそう謝ることしか出来なかったのだった。

 ……ともあれ、今ではロゼリアの――元ロゼリアのみんなとも、そうやって顔を合わせて冗談を言い合える仲になっていた。

 そしてそういう時間も、私の中で何を差し置いてももう二度と失くしたくない大切なものになっている。


「……はぁー、やっぱ環境が変わると話すことってたくさん出来るねぇ」

「そうね」

 ベンチに腰かけての近況報告。それにも一段落ついたところで、リサはぐっと背伸びをした。その横顔に私は言葉をかける。

「今日はバイクで来たの?」

「んーん、車だよ」

「ああ、そういえば免許を取ったって言ってたわね」

「うん、やっぱないと不便かなーって。それにツーリングだとアタシ一人になっちゃうけど、車なら友希那やみんなと一緒に色んなとこ行けるじゃん?」

「ふふ、そうね」

 昔から変わらない、変わっていない、みんなのことを考えてくれる幼馴染の言葉。例えその言葉がリサ自身の為に放たれたものだとしても、私がそれを聞いて嬉しく思うことも昔から変わらない。

「そんなあなただから、私は大切なのよ」

「ん? 何か言った?」

「何でもないわ。いつもありがとう、リサ」

「どしたの、そんな急に改まって」

「別に。言いたかっただけよ」

「そう? じゃあ、どういたしまして!」

 リサは笑顔を弾けさせる。それを見て私も表情が綻ぶ。

「さーってと、今日はなにしよっか?」

「リサのしたいことをしましょう」

「え、いいの?」

「ええ。せっかくこっちまで来てくれたんだし」

「んー……そんじゃさ、一緒にドライブ行こーよ」

「私は全然構わないけれど……運転するのはリサだし、大変じゃないかしら?」

「あはは、心配してくれてありがと。大丈夫だよ。えっとね、こういうとちょっと照れるけど……アタシがバイクに乗って一人で見た景色、友希那とも見てみたいんだ」

「……そう。それじゃあ、お言葉に甘えようかしら」

「決まりだね! それじゃあ早速……」

「あ、ちょっと待って」

「うん?」

 ベンチから立ち上がろうとしたリサは首を傾げる。私は一つ咳ばらいをする。先ほど言ったリサの言葉の比じゃないくらい、照れくさいことを言おうとしているから。


「ねえ、リサ」

「どうしたの、友希那?」

「少し……手を握ってもいいかしら」

「手? それくらいならいつでもいいよ。はい」

 個人的にはかなり照れくさいことを言ったつもりだったのだけど、リサは何でもないように私に右手を差し出す。少しだけ深呼吸をしてから、その手に私の左手を重ねる。

「…………」

 リサの手は温かかった。目を瞑って、この温もりを失くしたことに、またこうして触れられたことに、しみじみと想いを馳せる。


 本当に、ここに至るまで色々なことがあった。

 ロゼリアというバンドがなくなったあの日。

 大切なものを全て失くして空っぽになったと思ったあの日。

 何もかも終わってしまえと願ったあの日。

 それでもその喪失を受け入れて、再び立ち上がれたあの日。

 大切な人たちとまた巡り合えて、笑い合えるようになったあの日。

 そして繋ぎ合う手に、時を経た分、それだけの温もりを感じられるこの日。

 もしもロゼリアがなくならなかったら、私たちの前にはどんな世界が広がっていたんだろう。

 あのすれ違いを乗り越えて、より強固な結束を得て、私たちがフューチャーワールドフェスを制覇する世界。

 ロゼリア以外の人たちとバンドを組んでみて、対バンしたりする世界。

 リサとずっと一緒にいて、おかしな空想の世界を話し合う世界。

 ……きっと数え切れないくらいの色んな世界があったんだろう。

 だけど、紗夜曰く『幼馴染と揃いも揃ってバカな湊友希那』が見れるのはこの世界だけだ。

 だから私はあの日救った――いや、大切な人に救ってもらったこの世界の続きを懸命に生きていこう。あまりに愚かすぎて、大切な幼馴染や親友たちに愛想を尽かされないように。

「……ありがとう。もう大丈夫よ」

「ん。じゃあ、行こっか」

 手を離す。私がお礼を言って、リサが微笑む。


 永遠に変わらないものは世界中のどこを探してもない。それを知らず、この温もりを私は一度手放してしまった。

 だけどもう知ったから。二度と手放すつもりはないけれど、やむを得ずに離れてしまったとしてもきっと大丈夫だ。

 花はいつか散るけれど、何かしら芽吹く種子を残していく。残されたその種はやがて草木になり、いつかまた蕾を開かせる。

 そうやって季節は次々死んでいく。そして巡り巡って、季節は次々生き返る。

 苦悩にまみれて、嘆き悲しみ、それでも途絶えぬ歌に陽は射さずとも……形を変えて、花はいつかまた咲き誇る。

 もう青い薔薇は二度と咲かないのかもしれない。だけど新たな姿を持って、ここに芽吹き、花開いたものが確かにあった。それを大事に抱えて、私は大切な人たちと共に歩いて行こう。

 ベンチから立ち上がって、リサと肩を並べて駐車場を目指す。

 その道すがら。背の低い木の枝に、椿の花が二輪、寄り添って咲いていた。


 おわり


参考にしました
菅田将暉 「ロングホープ・フィリア」
https://youtu.be/5KABLiUE1zQ

リサ姉のバイク
YAMAHA YB125SP
https://i.imgur.com/zU8lUiK.jpg


一年くらい前に初めて書いたSSも夢オチだったことをふと思い出し、夢オチはそんな頻繁にやるもんじゃないかと思いました。

ジュブナイルは最後の最後に笑えたらそれでいいという受け売りの信条が貫けて楽しかったです。

お付き合いいただきましてありがとうございました。


HTML化依頼出してきます。

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