五十嵐響子の幼馴染 (13)


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 きー、こー、きー、こー

 昔はもっと、滑らかに動いた筈なのに。
 乗る人が減り漕がれる事を忘れていたかの様に、軋む音を立てるこのブランコも。
 もう何年も水を出す事なく、ただそこにあるだけの赤くなった水道の蛇口も。
 けれど全てが、僕にとってはあの日のままだ。

 誰も居ない公園で僕は一人、少し錆びたブランコを漕ぎ続けた。
 夏と呼ぶにはもう遅過ぎる九月の夕方、薄着では冷えるくらいの風が吹いていて。
 やる事も無く、かと言って何もせず待つのは難しく。
 約束の時間が来るまで何度も何度も子供の様に、僕はブランコを揺らした。

 あいつが、幼馴染がーー五十嵐が、戻ってくる。
 東京に行ってアイドルを続けている五十嵐響子が、久し振りに鳥取に戻ってくる。
 それを知ったクラスメイト達は皆、とても楽しそうに喜んでいた。
 かつて仲良く遊んでいた友達が有名になって、そんな彼女が僕達のよく知る地でライブをしてくれるのだから盛り上がらない訳がない。

 けれど当然、僕は五十嵐がこちらへ戻って来てくれる事くらいとうの昔に知っていた。
 五十嵐自身から久し振りにそっちに帰るんですっ! なんて連絡が来るより前から知っていた。
 あいつの活動は1ファンとして把握していたし、ライブの日程も分かっている。
 だからこそこうして、久し振りに会う予定を取り付ける事が出来たんだ。

『久し振りに会えたりしないか?』
『もちろんですっ! こちらは〇〇日の十七時なら動けそうです』
『じゃあ、いつもの公園で』
『はいっ! 会うの、楽しみですねっ!』

 そんな、いつもの調子に続く会話。
 けれどそれが、僕にとっては嬉しくて。
 ファンとしてではなくて、幼馴染として五十嵐と会話出来る事が心から嬉しくて。
 他のファンが知ったら嫉妬するだろうな、なんて少し優越感を覚えてしまうくらいには。

 僕は、五十嵐の事が好きだった。

 なぁ、五十嵐。
 お前は、覚えてるかな。
 小さい頃、お前が言ってくれた言葉、覚えてくれているのかな。
 あの日、まだ僕らがあまりにも子供過ぎたあの頃。

『私、大きくなったら君のお嫁さんになりたいんですっ!』

 そんな言葉を、まだ。
 






『私、東京に行ってアイドルになるんです』

 五十嵐の口から、そんな言葉が出たあの時。
 正直言って、僕は本当に戸惑っていた。
 なんで、そんな事を……?
 まだ幼かった僕が、動揺し過ぎて言葉を言わずに済んだのは僥倖だった。

 信じられなかった。
 いつまでも、一緒にこの地元で過ごすものだと思っていた。
 今までと同じ様に、幼馴染という距離で、同じ土地で大人になっていくと信じていた。
 少し考えれば、そんな訳ないと分かる様な事すらも疑わずに過ごしてきていた。

 東京だなんて、それは……あまりにも、遠過ぎる。
 何本も電車に乗って、新幹線や飛行機に乗って。
 そこからもきっとまた、名前も知らない電車に乗って。
 つまりは僕にとって別世界の様な場所に、五十嵐は行ってしまう。

 修学旅行で行った事はあったけど、それはたったの二日間。
 ほんの少しの間だけの、十とその半分くらいの人生にくらべればあまりにも小さく。
 けれど、今回は修学旅行なんかじゃなくて。
 きっと五十嵐は、そのまま東京で暮らす事に……

『…………そう、なんだ』

 ようやく捻り出した言葉は、戸惑いを圧し殺せていない動揺だった。
 分からなかった。
 なんで五十嵐がそんな遠い場所を、遠い世界を目指してしまったのか。
 今のこの町では、この世界では満足出来なかったんだろうか。

 ……そんな素振りがあったんだろうか、僕は気付かなかったのに。





『うん、ええっと……実は……』

 なんだか居心地悪そうに、ばつが悪そうに、しどろもどろに。
 僕へと、まるで言い訳をするかの様な五十嵐が見ていられなくて。
 五十嵐を傷付けたかった訳じゃ無い、困る姿を見たかった訳じゃ無い。
 気にせず、もっと楽に話してくれれば良かったのに。

 ……いや、違う。
 本当は僕が、納得してしまうのが怖かっただけだ。

『いや、良いよ。五十嵐が目指したんだったら、僕は応援するから』

『……えへへっ、ありがとうございますっ!』

 だから、僕は言葉を遮った。

 見たくなかった。
 聞きたくなかった。
 考えたくなかった。
 受け入れたくなかった。

 なんて、幼稚だったんだろう。
 あれが今からほんの一、二年前の会話である事すらも理解したくない。
 五十嵐がその事を最初に話した相手が、家族以外では僕だと言っていた。
 きっと、凄く勇気がいる事だった筈だ。

 そのくらいの事は理解出来る様になった。
 けれど、あの頃は。
 その程度の事すらも理解出来ずに。
 ただ単純に、当たり前だった事が当たり前でなくなってしまう事に対するショックが大き過ぎた。

『話って言うのは、それだけ?』

『……はい。私が東京に行っても、連絡して下さいねっ?』

『もちろんだって、いつでもするよ』

 会話をさっさと切り上げて、僕は公園を抜け出した。
 あぁ、そうだ。
 あの時も、この公園で。
 あの時はまだ、二人でブランコを漕ぐ様な距離にいて。

 あの話の後、帰宅してからようやく。

 僕は、五十嵐の事が好きだったんだと気付いた。






 五十嵐が東京に行ってから、僕は全国放送の番組をよく見る様になった。
 少しでも、あいつと同じ場所に居る様な気分になりたかったから。
 最初のうちは毎晩交わしていたラインは、少しずつ頻度を減らし。
 けれどそれは五十嵐が頑張っているからなんだ、だから喜ぶべき事なんだと自分に言い聞かせて。

 ある日、見ていた番組の小さなコーナーで少しだけ五十嵐の姿が放送された。
 その瞬間、何故かは分からないけど。
 嬉しい様な悔しい様な、変な気分になってすぐにチャンネルを変えた。
 テレビで五十嵐を見たと伝えたら喜んでたから、きっと僕も嬉しかった。

 少しずつ、テレビの向こうで頑張る五十嵐を観る機会が多くなっていった。
 発売日を五十嵐から教えて貰っていたCDは、学校が終わってすぐ自転車を飛ばしてその日に買った。
 出演すると聞いていたドラマは全部録画して、感想も伝えた。
 だんだんと僕も、方言ではなく東京の言葉を覚え始めていた。




 五十嵐は、ユニット活動を始めた。
 とっても優しくてかわいい仲間と頑張ってますっ! なんてレッスンの風景が送られて来たりもする。
 ファンレターを貰った日のハイテンションラインも、なかなか凄かった。
 ファンクラブなんてものもあるらしく、沢山自慢された。

 そんな、遠くに行っても頑張っている五十嵐がとても誇らしくて。
 そんな、遠くに行ってしまったかの様に感じてしまう自分が惨めで。

 どんなに五十嵐がテレビで有名になっても。
 小さい頃に逆上がりを練習したり、苦手な野菜を少しだけ食べるのを手伝って貰ったり。
 そんな五十嵐を知っているのは僕だけなんだ、なんて。
 誰にでもなく張り合って、余計に心は苦しくなって。
 テレビで追って、ラジオを追って。

 いつのまにか、僕はただの1ファンになっていた。

 ただのファンで居る事は、とても気が楽だった。
 応援して、頑張る姿を見るのが嬉しくて。
 かつての様な、幼い故の辛い思いをする事はなくなって。
 一度だけ匿名で、けれど本人が読んだら気付いてくれるかもしれない様なファンレターを贈った事もある。



 そんなある日、五十嵐のライブが鳥取で開催される事を知った。
 本当に残念ながらチケットは取れなかったけど、それはもう仕方ない。
 そんな事よりも、五十嵐がまた鳥取に戻って来て。
 テレビ越しでなく、あの頃の様にまた会う事が出来ると思うと心は舞い上がった。

 五十嵐が来る日を聞いた時、僕は一つだけ確認したい事があった。
 それは、かつての約束。
 僕がどんな返事をしたかも、聞きたかった。
 覚えてなければ仕方ないけど、多分五十嵐なら覚えてるんじゃないかな、なんて。

 そんな望みを抱いて、あの時と同じ公園に……





 夕方のチャイムが鳴って、いよいよ公園は暗くなり始めた。
 夕日の色は段々と濃くなって、空は赤から黒へと変わる。
 一旦揺れるブランコを止めて、立ち上がる。
 約束の時間、ジャスト。

「あっ、お待たせしましたっ! お久しぶりですっ!」

 遅刻した事が無かった五十嵐は。
 今日もまた遅れる事無く、約束の時間ピッタリに現れた。

「久しぶり、五十嵐。元気だったか?」

「もちろん……って、いつもラインしてますよね?」

「まぁ、久しぶりに会った時の挨拶って言うか……」

 あのアイドル五十嵐響子が、ただの幼馴染として目の前に居て。
 わざわざ僕の為に時間を割いて会いに来てくれた。
 それが、本当に嬉しくて。
 正直、何を言えば良いのか分からなくなってしまっていた。

 それにしても、丸一年以上会ってなかったのに一目見て気付かれるなんて。
 分かってくれて嬉しい様な、成長出来ていない様で悔しい様な。
 それに比べて、五十嵐は見違える程綺麗になっていた。
 雰囲気もなんだか、大人びて見えてしまう。




「わぁ、あのブランコ! 変わってないんですね!」

「そりゃ一年や二年じゃな……」

 それから、二人並んで錆び付いたブランコを漕ぐ。
 まるで、本当に幼い頃に戻った様に。
 無邪気に笑って、いつ終わらせるかなんて決めないで。
 前にも後ろにも進まないブランコを、ただ只管に。

「あの怖い先生は元気ですか?」

「中学の頃の? 僕も会ってないから分からないや」

「お豆腐屋のおじちゃんは元気してますか?」

「さっきもラッパ吹いてリヤカー引っ張ってたよ」

 昔話と言うには些か遠くもない会話に花を咲かせる。
 あぁ、そうだ。
 実際に話して思い出した。
 五十嵐は、こんな風に等身大の女の子だったんだ。

「明日からの予定は?」

「ライブまで少し余裕があるから、二日くらいはのんびりしてようかななんて思ってます」

「……そっか」

 良ければ、久しぶりに遊びに行ったり……なんて。
 そんな言葉を言えれば良かったのに。




 変わってしまったのは、五十嵐だけじゃなく僕もだった。
 五十嵐がただの幼馴染からアイドルに変わってしまった様に。
 僕もまた、ただ幼馴染からファンへと。
 だからこんなにも、ブランコとブランコの距離が遠く感じて。

 この一年考えて、僕は一つだけ叶えたい事が出来ていた。
 東京の大学に受験して、通う。
 修学旅行なんて短い時間じゃなくて、もっとそこに居る為に。
 二日三日で終わらない、長い時間を東京という世界で過ごす為に。

 ……だから。

「…………なぁ、五十嵐」

「……どうしたんですか?」

 確認、したかった。
 あの日の言葉を、覚えているか。
 あの日の言葉を、今もまだ。
 約束として、残しているか。

「お前は、まだ……」



 そこから先の言葉は、言えなかった。

「おーい、響子ーっ!」

「あっ、プロデューサー!」

 公園の外から、スーツ姿の男性が声をかけて来て。
 それに応える様に、五十嵐は笑顔で手を振り駆け寄って行った。

「せめて公園のちゃんとした名前を教えてくれって……ん? 彼は?」

「あ、私の幼馴染ですっ! 久しぶりに会う約束をしててーー」

 楽しそうに、公園の入り口の外で話す五十嵐。
 そんなあいつの笑顔は、さっきまで僕に向けられていたものとは違って。
 長い間一緒に過ごして来た筈なのに、僕は一度も見た事の無い笑顔で。
 僕はただ、止まったブランコから降りる事すら出来ずそんな二人を眺める事しか出来なくて。

「俺はホテルに戻るけど、響子はまだ話してるか?」

「あっ、もうこんな時間だったんですね……どうしようかな……」



 だったら、僕は。
 ただのファンになれば良い。

「僕もそろそろ帰るから。また、そのうちラインするよ」

「ごめんね? もうちょっと時間があれば良かったんですけど……」

 いいや、大丈夫だ。
 僕も、今は時間が欲しい。

「ライブ頑張ってな」

「はいっ! 期待に応えられる様に、頑張ります!」

 それから五十嵐は、隣の男性と会話しながら歩いて行った。
 僕はまだ、立ち上がる事も出来なくて。
 考える時間が欲しくて……いいや、時間ならいくらでもあった。
 それこそ、五十嵐が東京に行ってから今日この日まで。

 きー、こー、きー、こー

 誰もいない公園に、ブランコの音を響かせる。
 それは、前にも後ろにも進まないけれど。
 同じ場所を行ったり来たりとぐるぐる巡るだけだけれど。
 今の僕にはそれが丁度良くて、降りて帰る事なんて今は考えずに全力で漕いで。


 かつて二人乗りしたブランコは、一人の方が速く漕げた。




以上です
お付き合い、ありがとうございました

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