私の名前は喪黒福造、人呼んで笑ゥせぇるすまん。
ただのセールスマンじゃございません。
私の扱う商品は『心』。人間のココロでございます。
この世は老いも若きも男も女も心の寂しい人ばかり。そんな皆さんのココロのスキマをお埋めいたします。
いいえ、お金は一銭も頂きません……お客様が満足されたら、それが何よりの報酬でございます。
さて、今日のお客様は――。
静「なっ………そんな! ちょっと待って………っっ!!」
静「はぁ……またフラれた…………」
<平塚 静(ひらつか しずか) 30代 女 高校教師>
「色眼鏡」
ホーッホッホッホッホッホ……
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【千葉県内 某所】
静「はぁぁぁぁ……またフラれた……」
静(何がいけなかったんだ……どうしていつもダメなんだ……)
静(はぁ……だめだ、ヤケ酒してから帰ろう……)
どっと重い気を引きずりながら、私は手頃なおでん屋の屋台に腰を下ろす事にした。
× × ×
【とあるおでん屋台】
静「ゴクッゴクッ……っくっはあああああ!!!! 美味しいなぁ……このビールおいしいなぁ……」
静「ひっく……大体……なーにが『静さんには僕なんかよりもっと良い人がいると思います』だよちくしょう……私がダメならはっきり言えってぇの……」
静「これだから最近の若いのは……草食系っていうか、変に優しいっていうか…………ああぁぁ……今度こそはと思ったのになあぁぁ……」
静「ゴクッ……ゴクッ……はぁ……おっちゃん、次ハイボール! あとちくわぶとはんぺんも!」
店主「はいよー」
静「はぁ……結婚したい……」
なんて事を呟きながら、私は苛立ちと寂しさを肴に酒を煽っていた。
× × ×
……カチッ……カチッ
静「ん……チッ、ライターのガスが切れたか……」
静「おっちゃん、ここライターとかって……」
喪黒「お嬢さん、宜しければこちらをどうぞ……」
さっと、横からライターを差し出す手が伸びる、その火を私は有難く頂戴する。
静「ん……ああ。すみません、ありがとうございます」
……その人に一言礼を言い、咥えたタバコに火を付け、私は紫煙をくゆらせる。
静「……ふぅ、どうも……ありがとうございます……」
喪黒「いえいえ、しかしお嬢さん、随分と荒れているご様子ですが、どうかなさいましたか?」
静「はぁ……いや、さっき失恋したばかりでして……」
あ~、なんで見ず知らずの人にこんな事を言ってしまったんだ私は……。
構ってちゃんな自分につい嫌気が差してしまう。
喪黒「おお、それはそれは……さぞ辛かったことでしょう……」
静「ええ……まぁ……」
その人は背丈こそ私の胸ぐらいまでしかないが、黒いスーツに黒いシルクハットと全身黒ずくめで……
一言で言えば、怪しさ全快な人だった。……まさかナンパか……?
喪黒「おやおや、もしかして私が怪しいとお思いで?」
静「なっ……別にそんな!」
思いもよらない言葉に心臓が脈打つ……まさか、心を見抜かれた?
喪黒「いえいえお気になさらず、私もこんな格好ですから、何かと見た目から判断される事が多々ありまして、ホーッホッホッホッホ……」
静「……失礼、火を貸してくれた親切な人に対して、見た目で判断したのは無礼でした。謝ります」
……確かにそうだ、いくら見た目が怪しいとは言え、善意を向けてくれた人を悪く思うもんじゃないよな……。
喪黒「いえいえ、私は気にしてませんから、顔をお上げになって下さい……ああ失礼、申し遅れました。私、こういう者でございます」
その人は懐から名刺を取り出し、私に手渡す。普通の名刺だが、その名刺には、とても気になる言葉が書かれていた。
静「……ココロのスキマ、お埋めします……喪黒福造?」
喪黒「ええ、ワタシは人が心に抱く様々な悩みを解決し、ココロのスキマをお埋めする事を生業としている者でして」
静「セールスマン……ですか……その、申し訳ない。私、金銭的にそんなに余裕は……」
喪黒「いえいえ、別にお金を取ろうという訳ではございません」
静「……はぁ」
喪黒福造と名乗るその人は話を続ける。
慈善事業……人助けと言うにはあまりそれっぽさを感じないな、この人……私の受け持つ奉仕部も人助けを念頭に置いた活動をしているが、どうも彼女達とこの人とはその質が違うような気がする……。
喪黒「お嬢さん、あなたのように美しい女性が酒浸りになっている姿は、私としても誠に心苦しいものです。これも何かの縁だと思いますので、宜しければ私の馴染みの店で呑み直しませんか?」
静「美しい……それ、私の事ですか?」
喪黒「えぇえぇ勿論そうですとも。宜しければ、ワタシに是非お話をお聞かせ下さい」
静「…………ありがとう、ございます」
こうして彼、喪黒福造さんと私は知り合った。
それは必然だったのか、偶然だったのか分からないが、でも、誰かに話を聞いて貰いたかった。そういう気分だった。
……「美しい」と言ってくれる言葉が、ただ、嬉しかった。
『――乾いた日々に心のスキマ 甘い言葉に誘われ揺れた』
と、どこかで聴いたような適当さが似合うラジオの歌を聞き流しながら、私は会計を済ませ、喪黒さんの後に続き、夜の街を歩いていった。
【BAR 魔の巣】
喪黒さんの案内で通されたバーに入る。
私達の他に客はおらず、ただ静かな店の雰囲気が心地良さを醸し出していた。
酒に酔った事もあり、私はつい喪黒さんに色々と話をしていた。
昔の男の事、今の教師の仕事の事、さっきフラれた事エトセトラエトセトラ……。
そんな私の話を、その笑顔を崩すことなく喪黒さんは聞いてくれていた……。
喪黒「なるほど、今年に入ってから既に5人もの男性に振られ続けていると」
静「はい、私のなーにがいけなかったんでしょうか……あ、すみません、ウィスキーのロック、ダブルでもう一杯下さい」
喪黒さんに愚痴りながら酒を注文をし、私は無言で差し出された琥珀色のそれを一気に飲み干す……うん、美味い。
喪黒「しかし平塚さん、よく飲みますねぇ」
静「まぁ、こーゆー日は呑まないとやってられないですし」
喪黒「ホッホッホ……まぁ、そういう時もありますよねぇ」
静「……しかし、なかなか良い店ですねここ」
喪黒「ホッホッホ……お気に召して頂けたようで光栄です」
静「……えっと……タバコタバコ……あ、すみません、もう一度火、借りていいですか」
喪黒「ええ、どうぞ……」
再び喪黒さんから火を借り、タバコに火を付けながら私は話を続ける。
静「……ふぅ…………ダメなんです私、昔っから男運が無くて……」
喪黒「……そうだったんですか」
静「前に付き合っていた男はヒモにされるし……その次の男は部屋の鍵を渡しておいたら家財道具を全部持ち逃げされるし……婚活パーティー会場からは追い出されるし……」
静「それで比企……一部の生徒には本気で心配される時もあるし………はぁ……」
喪黒「それはそれは……なかなか苦労されているようで……」
静「あああああもう……思い出したら気分悪くなってきた……すみません、そこのスピリタス、ショットで一杯!」
喪黒「すみませんマスター、チェイサーもお願いします……平塚さん、大丈夫ですか?」
静「大丈夫です、このぐらい………ッッッ……っ……くっっはああぁぁぁ……」
苦い記憶だ、すぐにでも酒と共に流し込みたい……そう思いながらその透明な液体を無理矢理胃に流し込むが、そんな事でこの記憶が消えるなんて事は無かった。
喪黒さんの頼んでくれたチェイサーで息を整えていると、今度は喪黒さんの方から話かけてくれた。
喪黒「相当荒れてますねぇ……」
静「はい……すみません」
喪黒「大丈夫ですよぉ、そうしてお酒の力で心を癒す事もまた大事です……が、飲み過ぎはお身体の毒にもなります、そこはお気を付け下さい」
静「……はい」
喪黒「飲んで飲まれて、それでまた明日から気持ちを切り替える事が出来れば、また本当の平塚さんとして生徒様にも向き合える事でしょう」
静「本当の……私……」
本当の私……か、何故だろう、どこか胸に引っかかる言葉だ。
喪黒「ええそうです、どうにも人は、つい見た目や印象だけでその人を判断してしまい、その人の本物の姿に気付けずにいる事が多々ある様で」
静「……私も、さっきは喪黒さんの事をそう見てしまいましたしね……本当に失礼しました」
喪黒「いえいえ、気にしないで下さい、何も責めている訳ではありません……しかし、勿体ないですよねぇ」
静「…………勿体ない?」
喪黒「ええ、平塚さんのお話を聞いた生徒様からご心配されるという事は、それだけ平塚さんが生徒様から愛されていると、そういう事だと私は思います」
喪黒「にも関わらず、多くの男性が平塚さんを印象だけで判断してしまい、その本当の素晴らしさが伝わらずにいる。それはとても勿体ない事だと私は思います」
静「そう言って頂けると私も嬉しいです……ありがとうございます」
素直に嬉しい一言だ、そう言われたのって、どれくらいぶりだった事だろう。
などと思っていると、やや含みを強くしたような笑顔で喪黒さんは私に問い掛けて来た。
喪黒「どうでしょう、あなたのその内面の良さを、より多くの人に伝え易く出来る方法があるのですが」
静「……どんな方法ですか?」
喪黒「これを」
喪黒さんはカバンから一つのケースを取り出す。
中を開けると、至って普通の眼鏡が入っていた。
静「これは、眼鏡?」
喪黒「ええ、それは掛けるだけでその人の内面的な美しさ……いわば、『本物の素晴らしさ』を引き出す事の出来る眼鏡でございます」
静「はぁ……」
どこからどう見ても普通の眼鏡だ、でも、何故か喪黒さんの話には説得力というか、無視できない魅力の様なものを感じられた。
静「これ、本当に受け取っても良いんですか?」
喪黒「ええ、どうぞ……ですが平塚さん、一つだけ忠告があります」
静「忠告……?」
喪黒「ええ、この眼鏡を掛けるのは週に一度だけと約束して下さい」
静「週に一度……ですか」
喪黒「はい、カウントは毎週日曜日の終わり……つまり、月曜日の始まりにリセットされますので、1週間日を置いてから、日曜日と月曜日に続けて使用する事も可能です……が」
喪黒「原則として眼鏡を掛けるのは週に一度だけとお約束して下さい。いいですね?」
喪黒「ああそれと、もちろん不慮の事故で眼鏡が外れてしまっても問題ありません、一度眼鏡を掛けたら、その日一日はしっかり効果は出ますのでご安心ください……ホッホッホ……」
静「はぁ……」
喪黒「どうでしょう、お約束できますでしょうか?」
静「……はい」
喪黒さんのどこか迫力のある忠告に頷き、私はその眼鏡を受け取る。
まぁ、気休めでもいいだろう、こうも人に話を聞いて貰ったのは久々だったし。
しかし、何の変哲もない眼鏡ではあるが、妙な雰囲気を感じるな……この眼鏡は一体……。
× × ×
【週明けの月曜日】
静「う~ん……また今日から仕事か……」
さすがに見ず知らずの人と共に夜を明かすには抵抗があったので、眼鏡を受け取ってからしばらくして私は家路に着いた。
先日の酒はすっかり抜け、気分を新たに私は眠りから目覚める。
そして顔を洗い、朝食を済ませ、着替えてから化粧を整える。
静「……そう言えばこの眼鏡……」
鏡台に置いておいた、喪黒さんから手渡された眼鏡を手に取る。
静「本物の素晴らしさか……」
まぁ、気分転換に掛けてみるのも良いだろう。
そう考え、私は貰った眼鏡を掛けて出勤する事にした。
× × ×
【コンビニ】
学校に向かう前に、昼食とタバコを買いにいつものコンビニで買い物をしていた時だった。
男性店員「お会計730円になります……はっ!」
静「はい……え、どうかしました?」
お金を店員に渡そうとするが、何故かその男性店員は私の顔を見たまま頬を赤らめていた。
男性店員「え……ああああ! いえ、すみません、つい見惚れてしまって……」
静「んなっ……私、いつも来てるじゃないですか……」
男性店員「あははは、すみません、はい。いつもお疲れ様です、お仕事頑張って下さい!」
静「……ありがとう……ございます」
男性店員「ありがとうございました!」
いつもは無愛想な店員なのに、今日はなんだか様子が違うな……。
× × ×
【道】
――ドンッ
静「うわっ」
道を歩いてた時、私の不注意でスーツ姿の男性とぶつかってしまい、その拍子に掛けていた眼鏡を落としてしまった。
静「ああ、すみません……」
男「いえこちらこそ……っっ!」
静「…………??」
男(なんて知的で色っぽい人なんだ……いいなぁ、ああいう人と付き合いたいよなぁー……)
静(良かった……眼鏡は無事か……しかしあの人、ずっと私を見ていたな……)
それから、道行く男の人の目がいつもと違うのを感じつつ、私は学校へと向かうのであった。
まさかこの眼鏡、本当に……。
【学校】
めぐり「先生、おはようございまーす」
静「やあ城廻おはよう、今日も元気だなぁ」
めぐり「あれー、平塚先生イメチェンしました?」
静「ああ、まぁ、たまにはな」
城廻の声にメガネをくいっと掛け直し、アピールしてみる。
めぐり「いいですねー、似合ってますよ、そのメガネっ」
静「そうか? ああ、ありがとう」
めぐり「はいっ! なんかー、今日の平塚先生、素敵に見えますっ」
静「ははは、嬉しい事を言ってくれるな、感謝するよ」
マジで……? 初めて生徒から素敵って言われたぞ……。
それからも、私に挨拶をする生徒がいつもより違った反応を見せてくれていた。
いろは「おはようございまーす……あれ、今日の平塚先生なんだかかっこ良い……」
静「はははは、イメチェンしてみたんだ、どうかな」
戸部「おはよーございます先生!……やっべえ、今日の平塚先生、なんつーかぁ、大人の魅力ムンムンっつーかぁ、すっげえカッコいいっつーかぁ、ねぇ隼人くん?」
隼人「そうだなぁ……普段は気付かなかったけど、すごく魅力的だ……」
結衣「わぁほんとだ……平塚先生なんか今日はいつもと違う!」
優美子「ふーん……あーしもメガネ掛けてみよっかなぁ…………」
姫菜「先生、どうしたんですか? そのメガネ」
静「あははは……まぁ、ちょっとな」
それは生徒からだけでなく、同僚の先生からもそうだった。
女性教師A「あー平塚先生、先生もどうですかー? 今度私の大学の同期数人と飲みに行くんですが……その、平塚先生も是非ご一緒にと思いまして」
女性教師B「ちなみに、男性も多数来られるそうですよ……♪」
静「ふぇ……よ、宜しいんですか??」
女性教師A「ええ……その、平塚先生の話をしたら彼等も是非一度お会いしたいとの事でしたので」
静「あ……ありがとうございます……」
女性教師B「ええ、でしたら、詳しい日取りが決まりましたらまたご報告しますねっ! では私、授業がありますので失礼します!」
静「……ご、合コンに誘われたのなんてどれくらいぶりだ……」
まさか眼鏡を掛けただけでこうも周囲からの印象が変わるとは思わなかった……。
ほんと、喪黒さんに感謝しないとな……。
× × ×
【奉仕部】
結衣「でさでさ、今日平塚先生がね……」
雪乃「……確かに、眼鏡をかけて印象が随分変わったと私も思うわ」
八幡「そうなのか……俺まだ見てねえな……今日国語の授業無かったし」
結衣「すごく素敵に見えたんだよ~、なんていうか、あれが大人の魅力っていうのかな?」
雪乃「由比ヶ浜さんの言うとおり……いつもよりも魅力的だとは私も感じたけれど……」
結衣「ヒッキーはさ、メガネの似合う女の人ってどう思う?」
八幡「まぁ、悪くはないんじゃねえか。っても、俺の知ってる人で眼鏡キャラって言えば海老名さんとあと材木座ぐらいだし、あんま眼鏡に対するイメージ沸かねえけど」
結衣「へ……へぇ~、そっか……そうだよねぇ……」
結衣(今度、あたしもメガネ掛けてこよっかな……)
× × ×
わいわいと話し声の聞こえる奉仕部の扉をノックし、私は扉を開け放つ。
静「邪魔するぞ、今大丈夫か?」
結衣「わわわっ! ひ、平塚先生!」
雪乃「……こんにちは」
八幡「…………」
八幡(先生、確かに雰囲気変わってるな……)
部室には部長の雪ノ下雪乃を初め、どこか落ち着かない様子の由比ヶ浜結衣と、いつもと変わらず文庫本を片手に読書に耽っている比企谷八幡の姿が見られた。
彼女達に目をやりつつ、私は声を掛ける。
静「最近部室にも来て無かったからなぁ、どうだ、何か変わった事は無かったか」
雪乃「特にこれと言って変わった事はありませんね、元々、依頼もそう多くは無いですし」
静「そうか……まぁ、平和で何よりだな」
結衣「…………」
静「ん、由比ヶ浜、どうした?」
結衣「あっ、いえ……何でもない、です……」
由比ヶ浜はずっと私を見つめていた。
その目線は何というか……その、憧れとかそれ以上の物を感じる様でむずがゆい感じがするな……。
しかし、そんな私への目線が一つではない事がもう一人の生徒から伝わってくる。
その目線の先に目をやり、悪戯っぽく笑って問い掛けてみる。
八幡「…………」
静「比企谷もどうした……ははぁん、さては、普段と違う私の魅力に見惚れてたってところかな?」
八幡「いえ……別に……」
言いながら比企谷は目線を逸らす。この眼鏡、比企谷にも効果はあるようだ。
だが、その目線がどこか今日の他の男の人と違うのは気のせいだろうか。
まぁ、知り合った頃から変わらず比企谷の目は独特なので、そう見える事もあるのかも知れないな。案外照れ隠しという事もあり得るし。
結衣「ヒッキー先生の事見すぎ……って、あたしもか……」
八幡「おいゆいが……いや百合ヶ浜、お前少し落ち着け」
結衣「なんで言い直したし!……っていうかなんでユリ? ねえそれどういう意味??」
八幡「……まぁ、今度説明する」
結衣「……??」
雪乃「それで先生、何かご用ですか?」
静「いや、最近部活にも来て無かったし、様子を見に来ただけさ……邪魔したかな」
結衣「いえいえそんな! 会えて良かったです、また来て下さい!」
静「ははは……私も随分由比ヶ浜にも気に入られたものだな」
結衣「い、いやこれはそーゆー意味とかじゃなくて!」
八幡(もうこれゆるゆりじゃなくてガチユリだ、桜Trick2期はよ)
雪乃(由比ヶ浜さんってやっぱり女性も好きなのかしら……)
こうして奉仕部の確認も済み、私は職員室へと戻る。
由比ヶ浜はやけに落ち着かないようだったが、深く考えないようにしておこう……。
しかし、今日一日を思い返すとどうにも笑いが込み上げて来てしまう……。
静「この眼鏡、すごいな……」
鏡の前で眼鏡を整え、それとなく顔を作ってみる。
気品というか……知的とも言うべきだろうか。鏡の中の私は、確かに普段見ている私とは違って見える顔立ちをしているように感じられた。
× × ×
【翌日】
静「ふあぁ……さて、支度するか……」
目覚めた私はいつも通りに顔を洗い、朝食と着替えを済ませ、化粧を整える。
そして、鏡台にある眼鏡を手に取り……。
静「…………」
喪黒『――この眼鏡を掛けるのは週に一度だけと約束して下さい、いいですね?』
喪黒さんのあの言葉が頭に蘇る。
静「言われた通りにしよう……」
若干後ろ髪を引かれるような気持ちがしたが、約束は約束なので我慢だ。
そう切り替え、昨日別に買っておいた眼鏡を掛け、私は出勤した。
【コンビニ】
男性店員「840円になりまーす」
静「…………」
昨日とは打って変わり、いつも通り適当な返事の男性店員に無言でお金を支払い、昼食とタバコを受け取る。
男性店員「あーりやしたー」
静「…………」
反応が昨日とは明らかに違う。……何というか、とても切ないものを感じてしまうな……。
【道】
道を歩いていると、またも昨日と同じ人とぶつかってしまった。
静「ああっ、すみません」
男「……チッ、急いでるってのに…………」
静「…………はぁ」
普段の私、そんなに魅力ないのかなぁ……。
【学校】
静「やあ城廻、今日も早いな、おはよう」
めぐり「あー、平塚先生おはよーございまーす」
静「ああ、今日も一日、元気にな」
めぐり「はーい……あれ、先生、なんか昨日とは雰囲気が……??」
静「ん……やはり君にもそう見えるか」
めぐり「はい……んー……その……」
静「……昨日程魅力的には見えない……か?」
めぐり「い、いや! そういうわけじゃ……」
静「はははは……いや、何でもない、気にするな」
めぐり「……?」
やはり、喪黒さんの眼鏡じゃないとダメか……。
それから一日、普段通りの日常が過ぎて行った。
確かに私が眼鏡を掛けている事への反応はあったが、それでも生徒や同僚の先生方の反応は昨日とは違い、とても静かな物に感じられた。
【奉仕部】
結衣「なんか、先生昨日とは違って見えるって言うか……うーん……」
雪乃「言われてみれば確かにそうね……一体何なのかしら……」
八幡「単に眼鏡姿を見慣れただけなんじゃねえの?」
結衣「うーん……そう、かなぁ……」
八幡(確かに先生、眼鏡を掛けて雰囲気は変わったと思うが……正直、由比ヶ浜が言う程か……?)
それからしばらく。
喪黒さんとの約束通り、私は週に1回だけの楽しみとして、喪黒さんの眼鏡を掛ける生活を続けていた。
× × ×
【コンビニ】
男性店員「いつもお疲れ様です! あぁこれ、僕からのサービスです! 良かったらどうぞ!」
静「あ、ありがとうございます」
静(MAXコーヒー……この人も比企谷と同じマッ缶フリークか)
【道】
男「おはようございます!」
静「あ……おはようございます」
男「今日も気持ちいい朝ですね、ははは」
静「ええ、そうですね」
男「いやぁ、貴女に会えたおかげで、何だか今日は元気が溢れまくりですよぉ!」
静「あははは、それはどうも」
男「っくぅぅぅうう! ではまた! さーて、今日は契約取りまくるぞーー!!」
静(元気な人……)
【学校】
いろは「平塚先生おはようございまーす! 今日もカッコいいですよー」
めぐり「おはようございまーす、うんうん、今日も素敵ですよ、先生っ」
静「おはよう! ははは、ありがとう、君達も可愛いぞー」
遙「あれ? 南ちゃんもイメチェン?」
ゆっこ「ほんとだ、そのメガネどうしたの?」
相模(眼鏡)「いやー、その、ね? うちもちょっとだけ雰囲気変えてみようかなー……なんて思ってさー」
姫菜「あれあれ、サキサキどうしたのそのメガネ」
沙希(眼鏡)「まぁ……最近勉強疲れでさ……別に先生に影響されたとかそんなんじゃないから……」
姫菜「ふーーん……」
戸塚(眼鏡)「八幡、僕も眼鏡掛けてみたんだけど……どう……かな……?」
八幡「ぐはっっ!! やべえ眼鏡の戸塚マジ天使! ……と、ととと戸塚!! 俺と交際を前提に結婚してくれ!!」
戸塚「八幡落ち着いて! 言ってる事の意味が分からないよ!」
材木座「ふふふふ八幡、ところで我の眼鏡を見てくれ、こいつをどう思う?」
八幡「すごく……どうでもいいです……」
材木座「は……八ま~ん……!」
八幡「バカお前その言い方やめろ! ま~ん(笑)みたいに聞こえんだろうが!!」
私の影響なのか、生徒の間でちょっとした伊達眼鏡ブームが巻き起こっていた……。
そして……。
女性教師A「平塚先生、以前お話した飲み会なんですが、再来週の金曜日に決まりましたよー、……楽しみにしてて下さいね♪」
静「はい、ありがとうございます!」
静(合コン……キタァァーー!!)
× × ×
そして、私は再びあのバーへ足を運んでいた。
【BAR 魔の巣】
喪黒「ホーッホッホッホ……平塚さん、その後はいかがですかな?」
静「おかげさまで、とても良い日々を過ごさせて頂いてますよ……ほんと、喪黒さんには何とお礼をしたら良いのか……ああ、もし良ければここは私に奢らせて下さい、せめてもの気持ちです」
喪黒「ホッホッホ……それではお言葉に甘えて、一杯頂きましょう」
静「ええ、ありがとうございます」
――カチンッ
そして、喪黒さんの水割りと私のウィスキーとで軽く乾杯を交わす。
喪黒「しかし、本当にお似合いですねぇその眼鏡。まさに平塚さんの『本物の素晴らしさ』を引き出してくれている様に見えますなぁ」
喪黒「今のあなたからは知的な美しさだけではなく、自信と力強さまでもが伝わって来ていますよ……いや、それが本来の平塚さんの素晴らしさなのでしょう」
静「本当にありがとうございます、この眼鏡のお陰で、また男性との縁が生まれそうで……」
言ってて自分の顔が赤くなっているのがはっきりと分かる、どうやら酔いだけではなさそうだ。
喪黒「ほほぉ……それはお羨ましい、それも単(ひとえ)に平塚さん、あなたの日頃の行いが良かったからでしょうなぁ」
静「あははは……いや、まさか、そんな……」
喪黒「その照れるようなお顔、いやぁ実に可愛らしい。私もあと十数年若ければ危うく惚れていた所ですよ」
静「あはははは、またまた御冗談を……」
喪黒「ホーッホッホッホッホ…………平塚さん、そのご縁、是非とも大事になさって下さい」
静「はい、ありがとうございます」
けらけらと変わらぬ笑みを浮かべたまま喪黒さんは私を祝福してくれた。
しかし次の瞬間、顔は変えず、喪黒さんはどこか迫力のある声で言葉を続ける。
喪黒「それと、くれぐれも約束の事、忘れないようにお願いします」
静「はい、心得てます」
喪黒「繰り返しますが、その眼鏡を掛けるのは原則として週に一度だけ……覚えておいて下さいねぇ」
静「はい……」
何故だろう。一瞬、その言葉を言う喪黒さんがどこか恐ろしいものに見えた自分がいた。
× × ×
【翌月曜日】
目覚しよりも早く起床し、布団から抜け出す。
そして顔を洗い、朝食と着替えを済ませ、化粧を済ませてから鏡台に向かう。
日曜日を挟んだから眼鏡のカウントはリセットされている。よし、今日もこの眼鏡を使わせて貰おう。
そして喪黒さんから貰った眼鏡を掛け、私は学校へと向かった。
【コンビニ】
男性店員「おはようございます! いつもご利用ありがとうございます! はい、こちら僕からご用意しておきました!」
静「ありがとうございます、いつもすみません」
男性店員「いえいえ! あーそうだ、良かったらコレ、受け取って下さい!」
静「え……これって手紙……ですか??」
男性店員「はい! 僕のLINEのアドレスです、いらなかったら捨てちゃって下さい……ですが、その……もし良かったら、連絡してくれると嬉しいです!」
静「あ……ど、どうも……」
男性店員「ありがとうございました!」
こんな事本当にあるんだ……漫画の世界だけかと思ってたけど……。
大学生……かな、私よりもずーっと若いよな……。
【道】
男「あ……」
静「あっ……いつもの人……」
男「あ、あの!」
静「はいっ??」
男「あの、申し遅れました、俺、総武商事の江口拓也って言いますっ」
静「はぁ……総武商事の……江口さん、ですか」
男「あの今度、俺と食事でもいかがでしょう……その、御迷惑でなければですが」
静「ふぇっ? わ、私ですか?」
男「はい! あの、前から気になってたんです……もし良ければ……!」
静「あ、ありがとうございます……」
男「あ、じゃあこれ……俺の名刺です、もし良かったら受け取って下さい!」
静「は、はい!」
男「失礼します!! うおおおおおおーーー!!!!」
静「行ってしまった…………まさか私が、1日に2人もの男性と連絡先を交換するなんてな……」
静「やはり、私の青春(?)ラブコメは間違っちゃいない……!」
【学校】
いろは(眼鏡)「先生おはよーございまーす!」
めぐり(眼鏡)「平塚先生おはようございまーす!」
結衣(眼鏡)「先生やっはろー!」
優美子(眼鏡)「おはよーっす」
相模(眼鏡)「おはよーございます、先生っ」
沙希(眼鏡)「おはようっす」
戸塚(眼鏡)「おはようございまーすっ」
隼人(眼鏡)「平塚先生、おはようございます」
戸部・大和・大岡(全員眼鏡)「「「おっはよーございまっす!」」」
静(眼鏡)「みんなまとめておはよう!! いやー清々しい朝だなぁはっはっは!!」
八幡「なんだよこの眼鏡率の高さ……小町も急に眼鏡かけてたし、何、千葉県民全員目ェ悪くしてんの?メガネブなの?」
雪乃(眼鏡)「何をぼーっとしてるの比企谷くん、遅刻するわよ」
八幡「雪ノ下お前もか」
雪乃(眼鏡)「聞いて驚きなさい、姉さんも眼鏡、掛け始めたのよ……」
八幡「陽乃さん写真あざといな……しかし何がどうなってやがんだ一体……」
材木座(眼鏡)「ふふふ、おはようだな八幡!」
姫菜(眼鏡)「ヒキタニくん、おはよー」
八幡「いやお前らは元から眼鏡だろ」
× × ×
そして、順調に授業も進んだ昼休み、自分の席で一服していると、件(くだん)の先生方から信じられない事を告げられた。
女性教師A「平塚先生、実は来週の飲み会の件なんですが、先方の都合で今週になったんですけど、大丈夫ですよね?」
静「え………??」
女性教師B「いやぁ……その、向こうがどうしても早く平塚先生に会いたいとの事で、予定を早めてしまいまして」
静(な……なんだってえええええええ!!!)
マズイ……まずいまずいまずいまずいまずい!!!!
来週じゃないのか!! そうだと知っていたら今日喪黒さんの眼鏡なんて掛けずに出勤したのに!!!!
そうだ、一度外せばどうだろう……あっ。
喪黒『――もちろん不慮の事故で眼鏡が外れてしまっても問題ありません、一度付けたら、その日一日はしっかり効果は出ますのでご安心ください……ホッホッホ……』
っちいいいい!! 今外しても今日一日は継続か!!!
女性教師A「……先生? 平塚先生??」
静「……はっ、はい?」
女性教師B「大丈夫ですか? もしかして今週はご都合が……」
心配そうな表情で先生は私を見ている……先方の事もあるし、私個人の我儘で先延ばしには出来ないよなぁ……。
静「い、いえいえ! 大丈夫です! はい、私も楽しみにしてます!」
女性教師A「良かった……では、先方にはお伝えしておきますね」
静「はぁ……困った事になった……」
そして日は進み、金曜日、合コン当日……。
【居酒屋】
静「…………」
女性教師A「それで、文化祭の時にF組の比企谷くんが……」
女性教師B「ええー!? じゃああの話本当だったんですか??」
静「…………」
先生方に連れられた居酒屋で私はただ、無言でその時を待つ。
気休めに掛けたダミーの伊達眼鏡がいやに気になってしまう、いっそ……外してしまおうかな。
そう思っている私を見る先生方の目線が嫌に刺々しいのは気のせいではないだろう、きっと。
女性教師A「……平塚先生? どうかしました?」
女性教師B「なんかぁ、平塚先生今日はその……雰囲気違いませんか?」
女性教師A(そう言えば……なんか今日は普通っていうか……いつもと同じって言うか……?)
静「ああ……その、久々の合コンですから緊張? してるのかな、ははは……」
先生方から目線を外し、携帯を開いて時間を確かめる。
時間まで、もうすぐだった。
× × ×
男A「すみませーん、遅れてしまいまして」
男B「お待たせしました、みなさん初めまして」
男C「いやぁ……これは皆さんお美しい!」
女性教師A「いえいえ! お久しぶりですー、じゃあ、早速飲み物頼んじゃいましょっか!」
女性教師B「いいですねー、じゃあ、始めましょう!」
静「…………」
そして、私的に数年ぶりの合コンが開かれた。
軽く自己紹介を済ませ、各々が今の仕事やら昔の恋愛談をしながら話に花を添えて行くが、どうも男性方の目線が気になって仕方ない。
それは喪黒さんの眼鏡を掛けている時の人達の顔とは明らかに違う。いかにもな期待外れ感が顔に出ているような。そんな顔だった。
そんな目線から逃げるように、また平静を装うように、自然と私の酒量は増えて行った……。
女性教師A「いやぁ……なんかぁ、結構酔っちゃいましたね~」
女性教師B「あははは、ほんとほんと、でもでもぉ、平塚先生お酒強いですねぇ~」
静「……皆さん、大丈夫ですか?」
酔いの回り始めている先生方に目を向けつつ、私は頼んでおいた泡盛を飲み干し、追加でウィスキーのロックを注文する。
男A「いやいや、しかし平塚さんお酒強いっすね……」
静「……そうですか?」
男A(あれ、やっぱり話に聞いてたよりも普通?)
男B(っていうか、この人ないなぁ……まさか30過ぎって……)
男C(それ何杯目だよ……結構飲んでんのに全然普通だなこの人……)
女性教師A「う~ん……でも、きょうはすっごく楽しいです、えへへへ……」
男A「おいおい……大丈夫かぁ?」
先生が腕を絡ませ、猫撫で声で甘えているのが見える。
あざとい、一色よりもあざといなこの人……。
女性教師B「お二方はぁ、どーゆー女性が好みとかあります?」
男B「俺? そうだな、俺は……」
男C「やっぱ、料理上手な女性って憧れますよねぇ」
方やもう一方の先生は話題を振りつつ自然と査定に入っていた。
男性方も満更じゃないという風な感じで話を聞き、受け答えをしている様に見られる。
静「……すみません、私、少し手洗いへ……」
誰が発したのか、席に漂うどこか甘い雰囲気に鳥肌が立ったので、トイレに向かう。
【トイレ】
静「やばい…………」
やばい、やばいやばいやばい。
明らかに男性陣の先生方と私への扱いが違う。
今日いる男性は皆、役所勤めの部長に開業したての医者、大手企業の営業課長……。
どの人も顔も良いし酒の乗りも良いし、何より将来安定してるし……この合コン、絶対に失敗したくない……!
静「………っっ!」
……そうだ、あれを使えば。
震える手で鞄の中から眼鏡を取り出し、手に取って見る。その刹那、喪黒さんの声が頭の中で木霊(こだま)する。
喪黒『――この眼鏡を掛けるのは週に一度だけと約束して下さい』
……失敗したくない、今日だけは、今日だけは失敗できない…………!!
静「……っっ……一度だけ……一度だけなら…………」
静(喪黒さん、すまない……)
私は喪黒さんの眼鏡を掛け、席に戻った。
それから……。
× × ×
男A「いやー今日は楽しかったです! またお会いしましょう! 静さん!!」
男B「静さん、今度俺の行きつけの美味いラーメン屋、ご案内しますよ!」
男C「静さん、今度は僕達だけで遊びに行きましょうよ!」
静「はい! どうもありがとうございました!」
女性教師A「やー、まさか平塚先生に全部持ってかれるとは思いませんでしたよぉー、私も気合入れて来たんだけどなぁ」
女性教師B「でもでも、相手が平塚先生ならしょうがないかなぁ……」
女性教師A「平塚先生、次は負けませんからねっ!」
女性教師B「そうですよぉ、私達ももっと女子力磨かなきゃね!」
静「あはははは……私の方こそ、お誘いして頂いて嬉しかったです。それでは、失礼します」
結果として、合コンは大成功だった。
席に戻った瞬間、男性陣の興味は私に移り、それからほどなく、全員から連絡先を交換する事に成功したのだった。
――そして揚々とした気分で家路を歩いていた時、物陰から“その人”は姿を現した。
喪黒「平塚さん」
静「わっっ! も、喪黒さん……!」
いつも通りの笑顔を浮かべながら、喪黒さんが暗闇から姿を見せる。
顔は笑っている筈なのに、漂っている雰囲気が明らかに異質だ。
怒りとも憐みとも嘲笑とも違う、喪黒さんの纏う雰囲気が私の本能に恐怖として警鐘を鳴らす。
その顔だけでも、酔った私の頭を覚醒させるには十分過ぎる程だった。
喪黒「再三忠告しましたのに、あなた約束を破りましたね……」
静「違うんだ喪黒さん! 私は別に約束を破るつもりは……!」
喪黒「では、何故掛けてはいけないと知っていながらその眼鏡を持って来たんでしょうか」
静「そ……それは…………!!」
喪黒さんの声に言葉が詰まる……。 確かに、甘い考えだったとは思うけど……でも……!!
喪黒「あなたは、最初から私の約束を守る気なんて無かったんですよ」
静「………………ッッ!!……ごめんなさい……私が、間違って…………」
喪黒「今更謝っても遅いですよ……そんなに本物の平塚さんを皆さんに見せたいのであれば、これから存分にお見せすれば良いでしょう」
許してくれる筈なんてないのを分かっていながら私は謝罪を口にする……いやだ、恐い……恐い恐い恐い!!! 誰か……誰か……!!
静「あ………ぁ………っっ」
喪黒「覚悟なさい」
刹那、喪黒さんの腕が振り上げられ……。
「――ドーーン!!!」
静「うああああぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!!!!!!!!」
× × ×
【翌月曜日】
ううん…………一体、何が……。
あれ、っていうか、私、あれからどうしたんだっけ……。
布団から抜け、時計を確認する。
「まだこんな時間か……少し早いけど、そろそろ起きるか……」
しかし、やけに身体が重い……眼も開いてない感じがする……。
「顔、洗お……っていうかなんだこのニオイ……酸っぱい臭いが……うえっ……」
込み上げてくる溜飲を無理矢理抑えつつ、私は顔を洗う為に洗面所に向かう。
「な……っ!」
……鏡を見て、思わず息が止まる。
「……誰だ……!! お前は……!!!!」
――ガシャンッ!!
鏡の中にいる“そいつ”に向かい、私は拳を振り降ろす。
鏡は容易く砕け散り、拳から赤黒い血が流れ落ちる。
「………? ………ぁ………ああああぁぁぁ………っっ!!」
割れた鏡の破片の一つ一つに、“そいつ”の顔が映る。
“そいつ”の眼は狂ったように紅く釣り上がり、髪は抜け落ち、肌はボロボロで……見れば手もシワだらけで、胸も酷く垂れ落ちていて……!!
あああああ!!!!!! 嫌だ、見たくない!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!
醜くて、汚くて、毳(けば)くて、臭くて……気持ち悪い……!!
―――これが………“私”だなんて!!!
静「いっ……!!!」
静「嫌あああああアアアアアっっっっ!!!!!!!!!!!!!!」
【エピローグ】
人は誰もが、その内面に『美しい自分』と『醜い自分』を持っているものです……
ですが、最初はどうもその内面に気付けず、つい印象で判断をしてしまいます……
だったら、最初からその醜さを現していれば、もう印象で判断される事は無いでしょう
醜さこそが、何より『本物』と呼べるものなのですから……
ホーーッホッホッホッホ……………
「色眼鏡」 終
おや?
ホッホッホ……なるほど、そうですか
どうやら、印象に惑わされず、『本物』を求めている方がいるようですねぇ
えぇ……続きが見たいと……ホッホッホ……ですが、それが果たして見る価値に値するかどうか、保障はしませんよ?
このまま終わらせるべきと思うのなら、ここで読む事をお勧めします。
それでも良いと?…………かしこまりました
では、覚悟は良いですか? 行きますよ……
ドーーーン!!!
>>67訂正
×このまま終わらせるべきと思うのなら、ここで読む事をお勧めします。
○このまま終わらせるべきと思うのなら、ここで読むのを止める事をお勧めします。
【後日談「やはり彼女と彼女達の認識はまちがっている。」】
週が明けて数日、平塚先生はばったりと学校に来なくなっていた。
結衣「平塚先生、無断欠勤なんてどうしちゃったんだろうね」
伊達眼鏡を拭きながら由比ヶ浜が溜息を吐く、どうやらその眼鏡、結構気に入っているようだ。
それは雪ノ下も同じらしく、伊達眼鏡を掛け直しながら心配そうな顔をしていた。
雪乃「確かに、性格はああでも、仕事だけは真面目に取り組んでいたものね……」
八幡「心配なら、家に行ってみるか」
八幡(俺も、今の平塚先生には思う所があるからな……)
【静のマンション】
――ピンポーン
結衣「んんん……先生、出ないね?」
雪乃「でも、人がいる気配はするわね……」
八幡「…………」
結衣「先生ーー!! いるんですかーー!?」
由比ヶ浜がドンドンと扉を叩く。が、反応は無い。
雪乃「一体、何があったのかしら……」
雪ノ下も心配そうな顔をしている。
扉に手を掛けてみるが、当然の様に鍵が掛けられていて、その中を窺い知る事は出来なかった。
結衣「うーん……」
諦めがつかないのか、由比ヶ浜が郵便受けを開け、中を覗き込んでいる。
傍から見れば完全に怪しいが、それでも、その場の誰もが由比ヶ浜を止める事はしなかった。
結衣「ねぇ……これ、何のニオイだろ」
雪乃「由比ヶ浜さん、どうかしたの?」
結衣「うん……郵便受けを開けたら匂って来たんだけど……何て言うか……それがちょっと……」
由比ヶ浜が怪訝な顔で言葉を詰まらせている、その様子が気になったので、俺と雪ノ下も郵便受けを開け、匂いを嗅いでみる事にする。
そこから匂って来たのは、生ゴミの腐敗臭や動物の便臭とは明らかに違う。不気味な、もっと酷い臭いだった……。
雪乃「……腐臭…………まさか……!」
八幡「おいこれ、やばいんじゃねえのか?」
雪乃「管理人さんに事情を説明して鍵を取ってくるわ、比企谷くんはここで待ってて」
結衣「ゆきのん! あたしも行く!!」
八幡「ああ、頼む」
脱兎の如く駆け出し、雪ノ下と由比ヶ浜は管理人室へ走って行った。
そして数分後、合鍵と思われる鍵を持った管理人さんと共に二人が戻ってくる。
管理人さんから鍵を受け取り、急いで鍵を開け、扉を開けようとするが、今度はチェーンロックが掛けられていて中に入れない。
開けられた扉の隙間からは腐臭が強烈に漂い、それが明らかに普通じゃない事を物語っている。
八幡「仕方ない……チェーンロックごとドアをぶち破るぞ」
雪乃「分かったわ」
結衣「あたしも手伝う!」
管理人「ちょっと、困りますよ!」
雪乃「緊急事態なんです、問題があれば、私が責任を取ります!」
管理人「…………っ」
管理人さんの抗議の声を雪ノ下がねじ伏せ、俺達は強引に扉を開く。
ガンガンと音が響き、何事かと他の住人も顔を出すが、それでも止める訳にはいかない。
その時、ドアの向こうから絶叫が響き渡って来た。
声「入って来ないでくれ!!!!!!」
八幡「先生……!」
それは泣いているような、怒鳴りつけているような悲痛な叫び声だった。……とりあえず、先生は生きているようだ。
静「頼む!!!! 誰も入って来ないでくれっっっ!!!!!」
必死で入るなと訴えかける先生だったが、そんな悲痛な声を聞いて大人しく従える程、俺達は素直じゃなかった。
八幡「明らかに異常だ、先生には悪いが、強引に入らせて貰う……っ!」
雪乃「先生、申し訳ないですけど……開けますよ……!」
結衣「みんないくよ、せー……のっっ!」
由比ヶ浜の合図に合わせ、俺達は力を込めて扉を開ける。
瞬間、ガシャンという音と共にチェーンロックが壊れ、ドアが強引に開かれる。
そして靴も脱がずに部屋に俺達は雪崩れ込み、その部屋の様子に絶句する。
結衣「何……これ……」
雪乃「ひどい臭い……」
……部屋は、無残に散らかっていた。
そこら中に血痕の様な赤黒い染みがあり、壁紙は剥がれ、家具類もどれも全てが壊されていた。
その中でも何より異常なのは、鏡やガラスといった、何かを映し出すような物全てが粉々に割られていた事だった。
八幡「……? そこにいるの、先生か……?」
部屋の隅、酷く汚れた毛布に包まった何かを見つける。
辺りにはゴキブリやハエが這いずり回っていて、近寄る事すらも憚(はばか)られる有様だ……この酷い臭いの発生源は間違いなくそこにあった。
静「頼む……来ないで……!!!」
カタカタと毛布が震え、その中から声がする。酷く窶(やつ)れて枯れているが、平塚先生の声に間違いはなさそうだ。
雪乃「これは……一体……」
結衣「ど、どうしちゃったの? ねえ……?」
八幡「……先生、どうしたんですか、急に学校来なくなって……それに、部屋もこんなに荒らされて……」
静「なんでもない、なんでもないから……出て行ってくれ………頼む………っっ!!」
このままじゃ埒が明かない、近付く事が躊躇(ためら)われたが、それでも話をしなければどうしようも無い……。
意を決し、強烈な腐臭を発するその毛布に俺は手を掛ける。
静「嫌だ……やめてくれ……!!」
八幡「そうも行かないでしょ……顔を見せて下さい」
静「やめろ比企谷……っっ! あっ……」
先生の声を無視し、強引に毛布を剥ぎ取る……。
そこには、酷く窶(やつ)れてボロボロになった、平塚先生がいた。
雪乃「な………っ!?」
結衣「えっ……誰??」
静「…………っっやめて!! 見ないで……っっ!」
平塚先生は痩せた手で顔を隠していた。怪我をしているのか、その手には無数の生々しい傷跡が目立つ。
脂ぎった髪にはフケが溜まり、何日も風呂に入っていない事がよく分かる。
それに……排泄もここで済ませていたのか、隅には強烈な悪臭を放つ物が見えた。
八幡「……平塚先生、一体何があったんですか」
雪乃「あの、比企谷くん……何を言っているの……え、先生??」
雪ノ下が気味の悪い眼で俺に言う。
通報でもする気なのか、その手には携帯電話を握り締めていた。
八幡「はぁ? 雪ノ下、お前何言って……」
結衣「ヒッキー……その人、先生じゃないよ……」
由比ヶ浜までおかしな事を言っている。
こいつら、一体何を言って……。
結衣「私の知ってる先生は……そんなに醜くないし、肌だってもっと綺麗で……あなた……誰?? 先生をどこへやったの?」
静「うわああああああああっっっっっっ!!!!!!」
由比ヶ浜が言葉を発した瞬間、先生の絶叫が部屋中に響き渡る。
余りの声に思わず耳を塞ぐが、それでも先生の絶叫は止まらなかった。
八幡「……っ落ち着いて下さい、先生!」
静「はぁ……はぁ……っっ……うぶっ………うええぇぇぇ……っっ」
急に叫んで酸欠になったのか、先生は嘔吐してその場に蹲(うずくま)る。
雪ノ下も由比ヶ浜も、平塚先生のその姿を、まるで道に落ちている排泄物でも見るように冷たい眼で見ていた……。
雪乃「とりあえず、警察を呼びましょう」
結衣「うん、そうだよね……」
八幡「ちょっと待てお前ら」
通報の為に携帯を操作する雪ノ下の手を掴み、俺は抗議の声を上げる。
さっきからこいつらは何を言ってるんだ……。
まるで、そこにいるのが平塚先生じゃない、別人みたいな言い方して……。
……いや、もしかしたら本当にこいつらには平塚先生が別人に見えているのかも知れない。
雪ノ下も由比ヶ浜も、こんな状況で冗談を飛ばせる程の非常識じゃ無い筈だ。
むしろ優しいこいつらの事なら、親しい人のこんな姿を見たら、まず真っ直ぐに駆け寄って心配するに違いない。
そうじゃないって事はおそらく……。
八幡「とりあえず、窓開けようぜ……」
雪乃「……そうね」
結衣「…………」
俺は無言で窓を開け放つ、部屋中に漂う腐臭が風に流され、僅かばかりに清涼感のある風が室内に運び込まれて来た。
深呼吸をし、息を整えてから、俺は雪ノ下と由比ヶ浜の二人に向き合う。
八幡「一つお前らに確認したい、そこにいる人が平塚先生じゃないと、本気で言っているのか?」
結衣「だってそうじゃん! その人、どう見ても平塚先生じゃないよ!」
雪乃「私も由比ヶ浜さんと同じよ、少なくとも、私にはそこの人が平塚先生だとは到底思えないわ」
八幡「お前ら……ふざけんのもいい加減に……」
余りにも無神経な二人に怒りが込み上げてくる……そして二人に詰め寄ろうとした、その時だった。
静「あぁ……酷い姿だろ………」
八幡「先生……」
今にも消えそうな声で、先生がぽつりと声を出す。
静「酷いだろ……汚くて、醜くて、臭くて……とても私には見えないと思う……でも、これが本当の私なんだよ……」
静「欲に駆られて取り返しのつかない事をしでかした……醜くて汚い……それが私の本物の姿なんだ……」
八幡「先生、何言って……」
傷だらけの手を降ろし、先生の顔が露わになる。
何度も頭をぶつけたのか、額は傷だらけで眼は晴れ上がり、とても前までの平塚先生には見えなかった……。
静「もう、気は済んだだろう……私の事なんか放っておいてくれ……こんな醜い姿、誰にも見られたくない……っっ!!」
八幡「何、言ってんですか……」
この人に何があったのか、俺は知らない。
ここまで平塚先生を追い込んだ原因を、俺は知らない。
『教師も人間、大人も人間だよ。過ちを犯すことはある。自覚的であれ、無自覚的であれ、な』
……それは以前、平塚先生自身が言っていた言葉だ。
この人が何をしたのかは知らないが、それでも、ここまで酷い姿にならなきゃいけない程、この人の過ちは罪深い物なのか。
なら、もう贖罪は済んだのではないか。先生は十分に、罰を受けたのではないか。
当事者じゃないから軽々しくそう言えるのかも知れないが、それでも、俺はこの人のこんな姿を、これ以上見たくは無かった。
八幡「先生、先生の言う本物の姿って何ですか」
静「…………」
人間なんて蓋を開ければ醜くて当然だ、薄汚くて当り前だ。誰だってそれを秘めているし、それを隠しながら、時に明かしながら向き合っているんじゃないのか。
そうして、くっついたり離れたりする中で、お互いの醜い部分や良い面を認め合い、そうやってお互いの分からない部分を知っていくもんじゃないのか。
そう言うのを、本物って言うんじゃないのか……。
八幡「……他の奴はどうか知りませんけど、別に俺は、そこまで平塚先生が変わっただなんて思っちゃいませんでしたよ」
背後にいる由比ヶ浜と雪ノ下に言うように、俺は続ける。
八幡「少なくとも俺の知っている平塚先生は、昔のアニメが好きで、酒とタバコとラーメンが好きな残念なアラサーで、自分に甘くて、メールを無視すれば20件も電話を掛ける程の粘着質な暇人で、ラーメンの事を語らせたらこっちが引くぐらいメール送りまくってきて、そこそこ美人なのにその残念さが裏目に出てとにかく男運が無くて、何かにつけちゃすぐに暴力を振るう、人間的にとにかく抜けまくってる残念な人です」
八幡「でも、気前の良い時もあって、困っている奴や問題のある生徒の事を見過ごせず、迷った時にヒントをくれて、立ち止まった時に背中をそっと押してくれる……そういう面を持っている人だと言う事も、俺は知っています」
静「ひき……がや……っ」
八幡「それに……生憎と印象や偏見で人に対する認識を変えれる程、俺は素直じゃないんですよ」
そうだ、印象や偏見なんて糞喰らえだ。そんな紛い物なんかで判断してたまるものか。
だから、俺は俺の判断に確固たる自信を持っている。誰が何と言おうが、俺は俺の目で見た物しか信じないし、俺の判断基準は、俺だけの物だ。
故に俺は、印象や見た目で判断なんてしないし、そんな嘘や欺瞞などに惑わされはしない。
俺がこいつらに……奉仕部に真に求めている物は、そんな紛い物などではない……。
だから、そんな紛い物に惑わされている雪ノ下と由比ヶ浜が許せない、そんな事にすら気付けない二人が、我慢ならない。
八幡「雪ノ下、由比ヶ浜……もう一度聞くぞ……そこにいる人は誰だ」
二人に向き合い、俺は再度尋ねる。これでもまだ、二人が意見を変えないようなら……どうなってしまうだろう。
そうなった時、俺は自分を抑えられる自信が無いぞ……。
雪乃「…………」
結衣「…………」
伊達眼鏡を外し、由比ヶ浜と雪ノ下は平塚先生の顔を覗き込む。
そして……。
結衣「…………あたしってバカだなぁ……」
雪乃「本当、あんなに比企谷くんに言われるまで、気付けなかったなんてね……」
結衣「……先生、ちゃんといるじゃん……」
雪乃「……愚かなのは、私達の方だったのね…………」
二人は先生を認識できていた。
印象や紛い物に惑わされる事無く、そこにいる事実を許容する事が出来たのだ……その姿に、俺は安堵の溜息を吐いていた。
結衣「先生……ごめんなさい……あたし、何も見てなかったんですね」
雪乃「私もです……今まで知ったつもりで、分かったつもりでいたのに、でも、先生の事、何も分かっていませんでした……ごめん……なさい……」
八幡「……かも知れねえけど……でも、それを今知る事が出来たんなら、良かったんじゃないか……」
少なくとも、俺はそう思う。
静「みんな……っ……っっっ」
静「あ………あぁ………ああああぁぁぁぁ…………っっっ!!」
静「私は………私は…………っっ!」
静「…うあああぁぁぁ……っっあ……あああああぁぁぁ……っっっ!!」
嗚咽を上げながら、先生は泣き続けていた。
長い苦しみから解放されたかの様に、いつまでもいつまでも、その涙が止まることは無かった。
――今はこの有様だ、もう一度先生が歩き出すにはきっと、途方も無く長い時間がかかる事だろう。
だが、それでも俺達は待つつもりだ。
またこの人に叱られながら、背中を押してもらいながら、俺達は、この人と共に歩きたい。
この奉仕部は、先生がいなければ、成り立ちはしないのだから……。
嘘や欺瞞、印象や偏見などに誤魔化されない本物を……。
――俺もまた、平塚先生に求めているのだから……。
【エピローグ】
ホッホッホ……
いかがでしたか
人は誰もが、その内面に『美しい自分』と『醜い自分』を持っているものです……
ですが、そんな両方の自分を受け入れてくれる人……
印象という紛い物(レプリカ)に惑わされない人……
そんな人が身近にいるのであれば……
それもまた一つの、『本物』と呼べる物なのかも知れませんねぇ……
ホーーーッホッホッホ…………
「色眼鏡」 了
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