ピエロのピエトロ・ピルエット・エルル (50)

くるくる。
くるくる。
くるくるり。

ぼくが夢の中で見る、華麗なバレエのピルエットは。
赤と黄色の水玉模様の、だぼついた道化服を着たぼくには、到底踊れないものだった。

名前も知らないその少女は、いつまでもいつまでも、ずっと、ずっと。
美しいバレエを踊り続ける。

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夢の中のぼく達は、古い大きな劇場の、ステージの上に立っていて。
観客は皆、天使だった。

6歳から15歳までの年若い女児が、ふわふわの白い服を着て。
ほわほわの白い翼をはためかせる。

なんだか居心地が悪い気がして。
どうせならジャグリングの一つでも、天使に見せてあげようかと思ったけれど。

ぼくの手にはボールやピンじゃあなく、白い大きな羽根が握られていた。
これじゃあ芸の一つも出来やしない。

どうしようかと物思いに耽っていると。

「ピエトロ」

と、名前を呼ばれた気がした。
そこにいるのは踊り続ける少女だけ。

「ねえ、ピエトロ。あなたってもしかして、ピエロなの?」

今度ははっきりと聞こえた。
バレエのピルエットを回り続ける少女が、ぼくの名前を呼んでいる。

自己紹介をした覚えは無いのに、少女は回りながら言う。

「ねえ。ピエトロは、ピエロなの?」

「ああ、ぼくは、ピエロだよ。そして、ピエトロって名前だ」

「そう。わたしの事は、知ってる?」

「知らないよ……誰なんだい、君は」

「……本当に知らないの?」

「本当に知らないよ」

「ふうん……そう」

「なんだい、それは」

「ううん……あのね、わたしの名前は、エルルっていうの」

「エルル?」

「そう、エルル。バレエのピルエットを踊る、エルル」

「ピエロのピエトロに、ピルエットのエルルか」

「ピルエット以外も踊るけど、ね」

「そりゃあ、ぼくだって、ピエロの格好以外もするよ」

「あはははは」

「あはははは」

くるくるくるり。
くるくるり。

「けれど、ピエトロは、ピエロじゃあないわね」

「どういう意味だい?ぼくはピエロさ。ほら、ピエロの格好をしている」

「けれど、ピエトロは、笑っちゃいないもの」

言われて思わず、顔に手を当てる。
ぼくはピエロの化粧をしていなかった。

白い粉も、涙の模様も。
口角を上げる赤い口紅すらつけていない。

道化師の服を着ているくせに、これじゃあチグハグのバラバラだ。

「わたし、知ってるもの。ピエロはね、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、涙は一筋しか流さないの」

「一筋?一筋は泣くのかい?」

「その一筋は、涙の形をした化粧なの。だから、ピエロは泣いちゃあダメなの」

「……よく知ってるね。ぼくが、涙の形の化粧をするの」

「ピエロはみぃんな、そうなのよ。だから、ピエロは笑わないと」

くるくるくるり。
くるくるり。

「いつもは化粧をしているよ。ニッコリ笑った、赤い口紅を」

「そういう事じゃあなくってね。心から笑ってもらいたいなら、あなたも笑わなくっちゃあ、ね」

「…………」

押し黙ってしまったぼくは、ひどく小さな存在に思えた。

しかし、観客の天使達は、ステージの上に立つぼくを見失わず、いつまでもいつまでも、ずっと、ずっと。
見つめ続ける。見つめ続ける。

このまま小さくなっちゃって、消える事が出来たら楽なのに、な。
と、心の片隅で思う。

少女は喋る事をやめない。
回りながら、くるくるぺらぺら。

「ピエトロは、ピエロなんでしょう?」

「ああ……ぼくは、ピエロだよ」

「笑わせたいの?」

「笑わせたいさ」

「それじゃあ、ピエトロ。あなたは、笑いたい?」

「……」

「ピエロのあなたは、笑いたいの?」

「……笑いたいとは、思わないかな。ぼくは、笑うことが出来ないんだ」

「嘘よ。だってさっき、笑ったもの。あははははって」

「笑ったかな?」

「笑ったわよ」

「見間違いだよ」

「見間違いじゃあないわ」

「だって、君は回ってる。ずっとずうっと、回ってる」

くるくるくるり。
くるくるり。

「回っちゃダメかしら?」

「ダメじゃあないけれど」

「練習、しないといけないの。ピルエットの練習よ。もうすぐ、発表会だから」

「発表会?」

「そう。わたし、踊るのよ。おとうさんとおかあさんと、大勢の人たちが見る前で、バレエを踊るの。だから、上手くならなくっちゃ。ね」

「十分上手いと思うけれど……」

「もう、ピエトロは何が言いたいの?」

「ぼくかい?」

「あなたよ」

「そうだなあ。ぼくとお話する時くらい、ピルエットの練習はやめてもらいたいかな」

「……」

くるくるくるり。
くる、くる、くる……。

「ほら!止まってあげたわよ」

「ああ、止まったね」

「これで、いいの?」

「ああ。これなら、見間違いなんてしないだろうね」

「だから、見間違いじゃあないったら」

「じゃあ、聞き間違いだよ」

「聞き間違いでもないわ」

「だって、ぼくは、笑わないもの」

「どうして?」

「どうして、って?」

「どうして、ピエトロは笑わないの?」

「どうして……」

理由を話そうとしたら、ノドの奥がじぃんと熱くなった。
けれど、涙は出なかったから、ぼくは熱いノドを冷やすように、息を吐き出す。

「妹が、天使になったんだ。それから、ぼくは笑わない」

「天使に?まあ!それって、名誉な事だわ!」

「本気で言っているのかい?」

「本気で言っているわよ。どうして?」

「……」

「ピエトロは、天使が嫌いなの?」

「……」

言うべき言葉が見つからなくって、ぼくは観客席を眺めた。

年若い天使達は、身体を揺らしながら。
ヘンテコな歌を朗々と歌い始める。

♪可愛い天使の作り方
まず必要なのは女の子

素直で可愛い6歳から
しっかりものの15歳

良い事たっぷりし続けて
パパとママに愛された子だけが

可愛い天使になれるのよ♪

♪必要なのは羽根の模様

それが身体に浮き出たら
天使になるのはすぐの事

パパとママにお別れのキスをして
嫌いなピーマン食べられるようになったら

模様が本物の翼になって
自由に空を飛び回れるの♪

♪いらないものは命と身体

天使にそんなの必要ないの
パパとママには会えなくなるけど

お空の上から二人の事を
見つめる事は出来るから

悲しくなんかないからね

らるは・はれるや・はられや・はれや♪

観客席の一番前に、天使になった妹の顔を見つけた気がして。
ぼくは手を伸ばしたけれど、まばたきをする間に、妹の顔は消えてしまった。

ふと、妹の顔を思い出せない事に気付く。
ついさっき見えた気がした顔も、それがどんな表情をしていたのかがわからない。

「……ピエトロは、妹さんの事が、大好きだったのね」

エルルの声が、遥か遠くから聞こえる。
頬が濡れたような感じがして、ぼくはごしごしと拭ったけれど。
ちっとも濡れてなんかいなくて、ぼくは途方に暮れた。

「ピエトロ、あなた、泣いているの?」

「まさか。泣いてなんか、いないさ」

「泣いてもいいのよ」

「……泣いても、いいのかい?」

「わたし、知ってるもの。ピエロはね、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、涙は一筋しか流さないの」

「一筋……」

「ピエトロ、あなたは今、ピエロの化粧をしていないわ。だから、泣いたっていいのよ」

少女が、またバレエを踊り始める。
細い手足を大きく広げて、美しく舞う。

「また、踊るのかい」

「踊るわよ。だって、わたしがあんまりにも口やかましく、めんどりみたいにぴぃぴぃ騒いでいたら、ピエトロ。あなたは、泣けないものね」

「……」

「泣いても、いいのよ」

「……泣かないよ」

「あら、泣かないの?」

「ああ。泣かない。……けれど、君は、回っているから……見間違うかも、しれないね」

「ええ、ええ。わたしはきっと、見間違ってしまうわね」

熱い涙が、からからに乾いた頬を、伝う。
少女の踊るバレエを見ながら、ぼくは、長い間、何年かぶりの涙を流した。

どのくらい時間が経っただろう。

ぼくの涙がすっかり乾いてしまった頃。
くるくると回っていたエルルが、またぴたりと止まり、ぼくに手を差し出した。

「ねえ、ピエトロ。良かったら、わたしといっしょに、踊らない?」

「……エルル。バレエは、ワルツやタンゴとは違うよ。二人で踊るもんじゃあない」

「あら、そんな決まりなんか、ないわよ」

「……それに、ぼくは道化服を着ている」

「ええ。着ているわね。それが?」

「こんなだぼだぼの服を着たぼくに、ダンスなんか、できっこないさ」

「そんなもの、ポンポコピーよっ!」

頬を膨らませて怒る少女を見て。
ぼくはぷっと、ふき出した。

「なんだい、それ?」

「ポンポコピーのポンポコナよ。なにも問題なんかなくって、へえっちゃらって事よ。ぴーいっ」

「へえっちゃら、か。それで、ぴーいっ」

「そうよ。だって、ピエトロは、ピエロなんでしょう?」

「うん。……それが?」

「ピエトロがピエロなんだったら、こんなヘンテコリンな服なんか着なくっても、ピエロのまんまのはずよ」

「……そうか。そうだよな」

「それに、きっとピエトロなら、ヘンテコリンな服を着たまんまでも、わたしとダンスを踊れるわ」

「……それは……どうしてだい?」






「だって、これは、夢だもの」




世界が、冬の朝の日のように。

恐ろしいくらい、冷えわたる。

「……そう。これは、ぼくの夢」

「そして、わたしの夢でもあるわ」

「……君の?」

「わたしも、よ」

「……夢、なんだねぇ」

「夢、なのよ。ね」

ぼくは、少女の手をとった。
小さくて、暖かい、手の平だった。

「左手はそえるだけよ、ピエトロ。腰の辺りで……そうそう、上手」

「エルル、ぼくは踊りなんて、一つたりとも知らないよ」

「大丈夫。わたしがリード、してあげるわ」

少女に手を引かれて、不格好なダンスが始まる。

いつの間にか、観客の天使達は、手に手に楽器を持っていて。
ぼく達の踊りに合わせて、美しいメロディを奏でる。

「アン・ドゥ・トロワ……アン・ドゥ・トロワ……なぁんだ。上手じゃあない。ピエトロ」

「話しかけないでほしいな。君の足を踏まないように、必死なんだよ」

「ふふっ……大丈夫よ。ピエトロ」

「最後は、またねって言うのよ。くるりと回って、また会いましょう」

そう言って、エルルはくるりとぼくの手を離れ。

「またね」

と言って、空を飛んだ。

彼女の背中には、大きな白い翼があって……。

どんどん、どんどん、ぐんぐんと。

天井のない劇場の、青い空へと吸い込まれていく。

ぼくは、ようやく彼女の事を思い出した。

「エルル」

と、やっとの思いで叫んだ時。

ぼくは目を覚ましていた。



もう、彼女に会えないとは、知っていた。

夢から帰ってきたぼくを待つのは、小さなアパートの一室に。
無造作に置かれた、汚れたボール。

ジャグリングのピン、壊れた輪っかがいくつかと。
だぼついた道化服、化粧道具。

……笑えないピエロのぼくにはぴったりだ。
だけど……ぼくは、今日は笑おうと心に決めた。

妹に、会えたからだ。

「エルル……エルル。どうして忘れていたんだろう。夢の中だからといって、お前の事をすっかり忘れるなんて……」

バレエの発表会を楽しみにしていた、エルル。

ピエロのぼくの芸が大好きだった、エルル。

病気で天使になってしまい、帰って来なくなった、エルル……。

あれからぼくは笑えなくなった。
笑えなくなったピエロを皆は、笑ってくれなくなってしまった。

ぼくはずっと、涙を流していたのだ……。

「エルル……お前は、まだバレエの練習を、しているんだなぁ……」

いつかきっと、彼女に再び会えた時。
彼女の華麗なピルエットを、見せてもらおう。
一生懸命練習した、鳥よりも、蝶よりも、華麗な踊りだ。

そして、ぼくはジャグリングをするんだ。
ずっとずうっと磨き続けた、彼女に負けないくらいに凄い、素晴らしい技を見せてあげよう。

観客たちは大喝采さ。
二人で素敵なショーを作ろう。

ヘンテコな歌を口ずさむよ。
らるは・はれるや・はられや・はるや。

「お前に笑われないような……笑ってくれるような、立派なピエロにならないと、な」

いつもの公園で、ビスケットの缶を置いて。
ぼくは今日も、ジャグリングをする。

けれど、今日は、とびっきりの笑顔で。

バレエの動きを取り入れた、軽やかな動きでピエロを演じる。

笑ってくれる、子供たちの中に……。

……妹の。
エルルの笑顔が、見えた気がした。





おしまい。

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