憂「先に何があるか」 (9)



憂「私はN女じゃなくて、別の大学を受ける事にしたよ」

雨上がりのその日、私はお姉ちゃんに電話でそう伝えた。
お姉ちゃんは少し寂しそうに、そっか、と呟いた後、私に尋ねる。


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唯『憂も、悩んで決めたんだよね?』

憂「うん。きっとお姉ちゃんと同じくらい悩んだよ」

唯『そっか。じゃあすっごく悩んだんだね』

憂「うん、すっごく悩んだ」

自分ひとりで抱え込んで悩んで、誰かに相談して悩んで、また悩んで、すっごく悩んで、そして決めた。
それは本当のこと。隠す必要もないし、嘘をつく必要もない。大好きなお姉ちゃん相手に。

唯『決めるまではさ、もっと悩む時間が欲しいなーって思わなかった?』

憂「思ったよ。でも、決めちゃったら決めちゃったで大学も楽しみだなって思えてきた」

唯『わかるわかる! あ、でもあれだね、憂は卒業式は泣きそうだね、澪ちゃんみたいに』

憂「そうだねぇ……」

澪さんも泣いたと聞いたし、梓ちゃんも泣いていたのを知っている。
涙っていうのは意外と感情の方向とは関係なく出てくるのを私はよく知ってるから、それは悪い事だとは思わない。
……軽音部最後の日も、ちょっと涙ぐんじゃったしね。
あ、そうだ、軽音部といえば。

憂「……お姉ちゃん、あのね、私が別の大学に決めた理由だけど」

唯『あっ、憂、待って』


憂「えっ?」

唯『それは無理して言わなくてもいいよ。無理してないんなら聞くけど、その、私に気を遣って言おうとしてるんなら、大丈夫だから』

びっくりして、言葉を失った。
確かに私は、お姉ちゃんと別の道を選んだことで落ち込ませてしまった後ろめたさから、理由を言おうとしていたのだから。
それが私の、お姉ちゃんに大事に思われている妹としての義務だと思っていたから。
とはいえ、無理して言おうとしたわけでもない。自分の事を語るのはちょっと恥ずかしいけど、それくらい。
自分の事。
そう、お姉ちゃんの後を追って入った軽音部での事。
軽音部で、新入部員でありながら先輩でもあるという不思議な立場で過ごし、思った事。
可愛い後輩に慕われ、思った事。
それが、私の進路を決める何よりの一手になった。

憂「……あのね、お姉ちゃん」

ずっとお姉ちゃんの背中を見て育ってきた私が、初めて誰かにその背中を見られ、慕われて思った事。知った事。
それは。
……先に立つ人は、言うほど後に続く人に追いつかれまいと頑張っているわけではないという事。むしろ追いつかれたいと思ってる部分もある事。
……そもそも多くの人は、先に立つ人の背中を追っているうちに、自分もその立場になってしまっていただけ、という事。
そして、自分の背中を追ってくれる人との別れは、絶対に寂しいものではないのだ。
だって、自分の背中を追ってくれる限り、またすぐに会えるのだから。どうせすぐに追いつかれるのだから。

憂「もしかしたら私、卒業式では泣かないかもしれないよ」

私より先に後輩が泣いてくれたら、もしかしたら私は泣かないかもしれない。
またすぐに会えるんだから泣かないでと、笑顔でそう言うかもしれない。

憂「お姉ちゃんが泣かなかったみたいに」


唯『そっか、そうかもね』

その背中を追いたい人がいて、私の背中を追ってくれる人がいる。
私はそんな今を、幸せだと思った。
お姉ちゃんの背中を追い、足跡を追って入った、お姉ちゃんのいない軽音部。そこで私は幸せを感じた。
その場にお姉ちゃんがいなくても、お姉ちゃんの背中さえ追っていれば幸せになれるんだと知った。
だったら今度は、足跡を追わずにやってみよう。
お姉ちゃんの背中さえ見失わなければ、きっと足跡さえも私には必要ない。
だって私は、誰よりもお姉ちゃんの背中を見てきた妹なんだから。

憂「……ねえ、お姉ちゃん」

唯『なあに、憂?』

だから、私は私の足跡を刻もう。
お姉ちゃんの足跡と重ならない、私だけの足跡を。
私の選んだ道の、この先に何があるかはわからないけれど。
お姉ちゃんに胸を張って見せられる、私の生きた証を残そう。
そして。

憂「……いつか、お姉ちゃんに追いついてみせるからね」

いずれ訪れる春の日に、辿り着いた場所で、大好きなあなたと正面から向き合えますように。

おわり

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