モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part13 (558)

それは、なんでもないようなとある日のこと。


 その日、とある遺跡から謎の石が発掘されました。
 時を同じくしてはるか昔に封印された邪悪なる意思が解放されてしまいました。

 それと同じ日に、宇宙から地球を侵略すべく異星人がやってきました。
 地球を守るべくやってきた宇宙の平和を守る異星人もやってきました。

 異世界から選ばれし戦士を求める使者がやってきました。
 悪のカリスマが世界征服をたくらみました。
 突然超能力に目覚めた人々が現れました。
 未来から過去を変えるためにやってきた戦士がいました。
 他にも隕石が降ってきたり、先祖から伝えられてきた業を目覚めさせた人がいたり。

 それから、それから――
  たくさんのヒーローと侵略者と、それに巻き込まれる人が現れました。

 その日から、ヒーローと侵略者と、正義の味方と悪者と。
 戦ったり、戦わなかったり、協力したり、足を引っ張ったり。

 ヒーローと侵略者がたくさんいる世界が普通になりました。

part1
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part2
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part3
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part4
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part5
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part6
モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part 6 - SSまとめ速報
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part7
モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part7 - SSまとめ速報
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part8
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paer9
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part10
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paet11
モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part11 - SSまとめ速報
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paet12
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SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1462540088


・「アイドルマスターシンデレラガールズ」を元ネタにしたシェアワールドスレです。

  ・ざっくり言えば『超能力使えたり人間じゃなかったりしたら』の参加型スレ。
  ・一発ネタからシリアス長編までご自由にどうぞ。


・アイドルが宇宙人や人外の設定の場合もありますが、それは作者次第。


・投下したい人は捨てトリップでも構わないのでトリップ推奨。

  ・投下したいアイドルがいる場合、トリップ付きで誰を書くか宣言をしてください。
  ・予約時に @予約 トリップ にすると検索時に分かりやすい。
  ・宣言後、1週間以内に投下推奨。失踪した場合はまたそのアイドルがフリーになります。
  ・投下終了宣言もお忘れなく。途中で切れる時も言ってくれる嬉しいかなーって!
  ・既に書かれているアイドルを書く場合は予約不要。

・他の作者が書いた設定を引き継いで書くことを推奨。

・アイドルの重複はなし、既に書かれた設定で動かす事自体は可。

・次スレは基本的に>>980
    
モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」まとめ@wiki
http://www57.atwiki.jp/mobamasshare/pages/1.html

【避難所】 モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」
http://jbbs.shitaraba.net/otaku/17188/

☆このスレでよく出る共通ワード

『カース』
このスレの共通の雑魚敵。7つの大罪に対応した核を持った不定形の怪物。
自然発生したり、悪魔が使役したりする。

『カースドヒューマン』
カースの核に呪われた人間。対応した大罪によって性格が歪んでいるものもいる。

『七つの大罪の悪魔』
魔界から脱走してきた悪魔たち。
それぞれ対応する罪に関連する固有能力を持つ。『怠惰』『傲慢』は狩られ済み。
初代大罪の悪魔も存在し、強力な力を持つ。


――――

☆現在進行中のイベント

『秋炎絢爛祭』
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋……秋は実りの季節。
学生たちにとっての実りといえば、そう青春!
街を丸ごと巻き込んだ大規模な学園祭、秋炎絢爛祭が華やかに始まった!
……しかし、その絢爛豪華なお祭り騒ぎの裏では謎の影が……?

『オールヒーローズフロンティア(AHF)』
賞金一千万円を賭けて、25人のヒーロー達が激突!
宇宙人も恐竜も海底人も悪魔も未来人も魔法少女も大集合!
賞金を勝ち取るのは……誰だ!


 10時。オレンジ色のスタッフTシャツを纏う斉藤洋子は、カエン索敵視界の中に小さな藍色の光を捉えた。その正体が何であるか、確かめる必要はない。
 人口密度は平時のネオトーキョーを遥かに超える秋炎絢爛祭期間中の京華学院にて、フィルタリングを強めたカエン索敵でさえ捕捉できる存在。強烈な感情の塊たるカースに他ならぬ。

(ハイッ)

 ささやかな攻撃的思念を放つと、カエン索敵視界を1本の火矢が横切り、藍色に突き刺さった。瞬間、朱色の火柱が立ち、藍色は燃え、清め塩めいた白い灰だけが残った。

《討伐数50達成だ。ポイント報酬は……休憩時間が楽しみだな》

 イヤホンマイクから聞こえる声の主はエボニーコロモだ。彼は洋子をモニターしつつ、露払いとしてカース以外の敵性存在を排除するべく学院内の高所を転々としているのだ。

《この分なら午前中に200に届くか? いや、財布に痛手になりそうだ、150を目安に無理せずやってくれ》

(車の中じゃ、あんなに拗ねてたのに)

 エボニーコロモの口数が多い。その現在位置からは、果たして洋子の表情まで見えているだろうか。勝手にこぼれ出る笑みをこらえるのは至難の業なのだ。
 ……昨日の秋炎絢爛祭二日目に発生した事件により、彼女ら二人は事務所待機を命じられ、下見ついでに客として祭を楽しむ予定が崩壊した。
 もっとも、学院への道中、洋子よりいくらか年上のはずの黒衣Pが大人げなく不機嫌だった理由はそれだけではない。

『会場警備なんかクソだクソ!』

『会場警備? ステージのお仕事とかは』

『女連中の領分さ。俺らは人気が下火だったんで、ひたすら裏方、カースやら厄介どもをシラミ潰しだ。初日から最終日まで休みなくな』

 自動運転の車内、黒衣Pはカラになったゼリー飲料容器を握り潰し、ゴミ袋代わりのレジ袋にねじ込んだ。秋炎絢爛祭は決して楽しい思い出などではない。
 彼の現役当時、洋子のようにカース索敵に優れる者など男性アイドルヒーローにはいなかった。

以上です
以後がっつり食い込んでいくか、このまま画面外になるかは現状未定

>>6 不穏な名前に新たなカース、これからどうなっていくのか、非常に気になります
強敵をどうやって攻略していくのかとか、そう言うの大好きです。


さて予告してあった通り、アーニャ最終章の最後投下します。
前回はpart12の>>593 『ウロボロスで世界がヤバイ』

前回の投下からずいぶんと遅くなってしまい申し訳ないです。
今回の文章量は前回の2培近くなっていますので投下するのも一苦労
しばらくお付き合いお願いします

ありふれた昼前の穏やかな時間が公園内には流れている。

 今日はよく晴れた日であるし、様々な人が公園を出入りする。

 その一角にはひとつのベンチが設けられてる。
 そこには一人の大男が座っていた。
 そして隣には一人分の小さなスぺース。

 否、そのスペースには常人に認識することさえ不可能なほどに、希薄な存在。
 もはや実体さえ存在しないのではないかと言うほどに、薄く、今にも消えそうな少女の姿があった。

「テレパシー……こんな力も、持っていたのですね」

 これまでアーニャは隊長の超能力は、直接的な力を行使するサイコキネシスしか見たことがない。
 力の物量で何もかもを押しつぶしてきたようなイメージしかない隊長が、こういった繊細な力も使えることは意外であった。

『俺は基本的に物理的な超能力ならなんでもできる。

まぁ透視と未来視とか、そもそもの毛色の違うものは限界があるがな……』

 透視や未来視、はたまたテレポートなどといった物理的事象とは少し異なる能力は、実質超能力とは違うものである。
 そう言ったことで隊長にできることは、経験則や感知からの直近未来視や、物理的な超高速移動が限界だ。

『今やってるテレパシーにしたところで、人間の電気信号を操ってるに過ぎん。

パイロってのはギリシャ語で『稲妻』って意味もあるから、厳密にいえばパイロキネシスの一種だ……って話が逸れた』

 そもそも自分の能力のことを隊長は話に来たのではない。
 時間もあまりなく、そもそもの話に立ち返ろうと隊長はする。


『今の状況は「ダー……本当に、意外です」

 だが隊長の言葉はアーニャに遮られる。
 言葉を思わず遮ってしまったアーニャは隊長を仰ぎ見るが、隊長は仏頂面のまま何も言わない。
 それを話を続けろということだと解釈したアーニャはそのまま話を続ける。

「……もっと、大雑把な人だと、思ってました。

使ってる力は、全部感性と言うか……力任せ?のような感じで」

『心外だな。そもそも超能力は頭を使って物を動かす。

必然、微細な思考がなければ制御はできないし、できることも少なくなる。

前にビルを落とした時も、重力やら摩擦やらいろいろ考慮しないとまともに地上に落下させることも出来んさ』

 『外法者』の力を使えば諸々の物理的制約をすべて無視できるのだが、『憤怒の街』での時はそうもいかなかった。
 『外法者』のルールそのものを捻じ曲げる事に処理の大半を割いていたため、他のことに『外法者』を割く余裕がなくアナログ的な対処しかできなかったのである。
 それでも、大気圏外にビルを打ち上げ、その上でさらに速度を損なわずに落とすとなると常人の脳では決して行えるような芸当ではない。

 それは隊長が『外法者』抜きであっても、すでに埒外の存在であり、一介の超能力者を遥かに凌駕している証拠でもあった。

「やっぱり、すごいですね……隊長は……。

……いろいろな人と出会いましたけど、今でも、私の中で一番強いのは、隊長です」

 アーニャのその言葉は尊敬や畏怖から来るものからではない。
 彼女の中の純然たる事実として、隊長はいまだ揺るがぬ存在であった。


『それは光栄なこった。

まぁ、俺は最強だからな』

 自尊心でも、傲慢でもない自負。
 隊長にとってはそんなこと当たり前で、同時に空虚である。

『だが、そんな俺に勝ったお前はどうだ?

ハンデがあったとしても事実は事実。お前はそれを誇るべきだ』

 強さは手段でしかない。誰よりも強く、誰よりも型破りで、至高にして孤立する個。
 そんな自らの強さなど、目の前の少女が成したことに比べれば取るに足らないことだと。

 意味のない絶対的な強さよりも、意味を持った目的のための強さこそが、自身とアーニャの違いだと隊長は思うのだ。

「そんなことに……もはや、意味なんて……。

あの時は、それが正しいと、思いました。

あの強さが、私の思いだと、自分で選んだ、正しいことだと思いました。

でも……私は、わたし自身を、裏切った」

 自身の意味の無さに気づいてしまったから。
 いくら力が強くとも、いくら強大な敵に打ち勝ったとしても、中身のない物だと気づいてしまえば意味がない。
 自問してみれば簡単だった。誰もが違和感が気付けないのならば自分で気が付くしかないのだと。


 守りたいなんて虚ろな思いは、自分の価値を守るための殻だと言う事実に気づかなかったことに。

 そして、それが一番一番苦痛であったはずの者に伝えさせたということ。

 だからアーニャは諦めたのだ。十年前から何も変わらない。
 技術しか身に着けてこなかった彼女は、それを守ることしかできなかったのだ。

「私は……誰かを、大切だから守りたかったんじゃ、なかった。

自分の、ブナシェーニェ……価値を、経験を、守るために、あえて戦うという選択肢を、選んでました。

そんな私は……誇れ、ないです」

 同じ自分であったからこそ、アーニャには『アナスタシア』の苦痛が理解できた。
 ただ無為に、平和と言う中で闘争を選んだ自分がどれだけ愚かなことをしていたのかが、理解できてしまったのだ。

 それは同時に存在理由を剥奪されたということであった。
 彼女の価値は、自称する通り十年にも及ぶ戦闘技術だ。
 その機械のような『機能』しか持ち合わせていないことを自覚し、人が誰しもが持つはずの『自由意志』の弱さが露呈すれば、自身の強さは一気に脆くなる。

「私は……最低です。無価値です。

だからきっと、中身のない私の、重さは、軽いの、ですね」

 アナスタシアの本体は別にある。
 今ここにあるのは、封印の残滓と残った天聖気、それと捨てられた意志だけである。
 そしてその薄さゆえに、幽霊のように誰からも感知されないことに、アーニャは気づいていた。

 たった一人、この公園のベンチを占拠していたとしても、誰も気づくことはない。
 幽霊とも違う、残留思念に近い彼女を感知することは、ほぼ不可能であった。


『軽い……か。

確かに今のお前は物理的にも精神的にも軽すぎる。

泡雪のような脆く、誰かの目に写ることすら困難なほどにだ』

 今傍から見れば、ベンチには隊長一人が座っている状況である。
 故に回りに不審がられぬように、隊長は言葉を使わず、テレパシーでの会話をしている。

『だからこそ、見つけるのに苦労した。たかが迷子の子供一人探すのに……とんだ手間だ』

 当然、本来は目に見えないアーニャを見るために、隊長は『ルール』を無視している。
 だがそれは、『外法者』の大原則であるルールを破った上での話である。

 まずアーニャに干渉するために『外法者』の大原則である『歴史に干渉できない』ルールを破る必要がある。
 その上で、アーニャの現状である存在が薄くなり『目で捉えられない』という『常識(ルール)』を破らなければならない。

 前者のルール破りは、本来有ってはならないものであり、その負荷は尋常ではない。
 かつてビルを落とした時でさえ、それだけを無視するので手いっぱい。今回のように二重にルールを破っていなかったのだ。
 今の状況は、『外法者』の大原則を無視し、その力を放棄したうえで、『外法者』の力を行使している矛盾した状況である。

 代償を否定するために代償を払う。
 多重債務のような矛盾した円環は、狂気さえあざ笑う底無しの地獄だ。

 もはや今の隊長の脳は、限界をとっくに凌駕していた。

『本当に……相も変わらず手間のかかる……』


 それでも、隊長は表情一つ変えない。
 本来ならば、許容できない矛盾によって世界から抹消されてもおかしくないほどの越権行為をしているのにもかかわらず、すべてを無視して。
 無視して、無視して、無視して、押し通す。

 その苦痛をおくびにも出さず、隊長は、アーニャの前で『最強』であり続けていた。

「そんなに手間、だというならどうして……来たんですか?」

 本来ならば、アーニャでさえ二度と会わない顔だと思っていた。
 きっと今の状況を理解して、『アナスタシア』を食い止めに来たのだろうが、それならばアーニャに会いに来る理由はないはずだ。

 今この瞬間も、世界は閉塞に向かっているというのに。
 隊長はそれでも、このありふれた公園でアーニャと暇をつぶしているのだ。
 その行為に、意味がないわけがない。

『ふん……仕事のついで、なんて言っても意味ねぇか。

確かに『ウロボロス』は面倒なことになってる。あれをどうにかしないとまずい。

だが結局のところ俺にできることなど、たかが知れてる。

だから俺は、俺ができることを……いや、やりたいことをしているだけだ』

 隊長は、自らが『ウロボロス』と対峙することに意味がないことを知っていた。
 世界のルールを無視する隊長と、世界のルールそのものである『ウロボロス』との相性は最悪である。
 ルールの適用を『無視』することができる隊長には、ルールそのものを『否定』する力はないからだ。


 たとえ自らや操る物体に対しての重力や摩擦を無視することはできても、地上に存在する物理法則がなくなるわけではない。
 そもそも『ルール』そのものである『ウロボロス』に相対することが『外法者』における重大なルール違反である。
 すでにその負荷は限界を超越している。

「やりたいこと……ですか」

 そんな隊長の苦痛に気付くことのできないアーニャは、隊長の言葉を繰り返す。
 やりたいことを見失ってしまったアーニャにとってその言葉の在処は遠い。

『今回は俺が無理やり終わらせることはできない。

機械仕掛けの大団円の役目など、本来無粋なものだが……いざできないとなればまたそれも歯がゆいな』

 隊長はその仏頂面を歪ませて苦笑する。
 暴虐の限りを尽くしてきた自らに対しての皮肉のようなものであったのだが、その笑みは強面を緩和できず凶悪なままである。

 しかし、アーニャにとって芝居ではない自然の笑みを見たのは初めてであり、意外なものであった。

『だからこそ、俺は出来ることを、やりたいことは全てやった。

布石も保険も、もう十分だ。あとは俺が骨を折るだけ……』

 隊長は、ベンチから立ち上がりアーニャの前へと立ち向かう。
 その巨体は、アーニャの姿を影に落とし、眼光は覚悟が満ちている。


「俺は、『ウロボロス』を追う。

このまま放置すれば、世界が滅ぶと言ってもお前はここで呆け続けるか?

アナスタシア」

 隊長は、テレパシーを使わずに口に発し、アーニャに問う。
 意思を伝えるは、思うのではなく言葉に発する。言霊は万国共通の契約だ。
 その口が言葉にするのは、世界の危機。

 ヒーローならば、放置できるものではない。

「私は……行けません。

私は、わたしに顔向けできないんです。

たとえ世界が滅ぼうと、私は、わたしのしようとすることを否定する権利はない。

もう、私はヒーローなんかじゃないです……。

何もないから……その『アナスタシア』という名ですら、私の物じゃない。

本来、『私(あのこ)』の物なんですから」

 決して世界が滅んでいいわけではない。
 それでも、『アナスタシア』が願いを叶えるために世界をも犠牲にしようとするならば、アーニャには止めることはできなかった。
 彼女を裏切り続けてきたアーニャにとって、ここで傍観し続けること、そしてそのまま消え去ることのみが贖罪であるがゆえに。

「……つまらん。

自らは身を引いて、あとは成り行きを見守るということか。

勘違いするなよ。お前はまるで他人事のように諦観しているが、これはお前の問題だ。

誰かが助言をくれるわけでもない、誰かが代弁してくれるわけでもない。お前自身が決めるべきことだ。

いつまでそうしている気だ?これはお前の選択だ」


「……どうせ、私には何もできません。

隊長、あなたは言いました。選択だと。自分がしたいようにしろと。

なら私は、ここで一人、静かに消えます。無価値で、無意味で、わたしを裏切ってきた私は、ここでいなくなります」

「……それも一つの選択……か。

ならば好きにしろ。それがお前のしたい事ならな」

 アーニャの意志を聞いた隊長は、そのまま背を向ける。
 その瞬間一陣の風が吹き過ぎ、公園の木々は静かに揺れる。

「だがそれはやはり諦観だ。そこに進むべき先はない。

……ならば尋ねよう。固執でも、代弁でも、諦観でもない。

俺は何度でも尋ねよう。お前の『願い』はどこにある?

お前が手に入れた、絶対に譲れないものは、どこだ?

俺には世界は救えないし、お前はいなくとも世界は廻る。

だが、お前の選択は、お前にしかできないはずだ。」

 男に語ることはない。ならば背中で問うしかない。
 もはや振り返らず、あとは成り行きに任せるのみ。だがそれでも、自らが決することではなくともだ。

 それでも男には、願いがあった。
 もはや手に入らない願いではなく、自らで勝ち取ることすらできないささやかな夢。


 願わくば、このまま悲劇で終わらないでほしい。
 自らは観測者だ。舞台上の演者でもなければ、筋書をなぞる語り部でもない。
 観客だからこそ、客観だからこそ、全てを台無しにしてでも、こんな悲劇は認めたくはなかった。

「何度も……言わせないで、ください。

私はもう……選びません。これが、私の終わりです。空っぽの私に……期待しないで。

『願い』は、偽物です。私と同じで……嘘と都合の、ヴァーチカ……塊、です」

 風に飛ばされてしまいそうな重量しかないその体は、そのベンチからは動かない。
 中身を伴わない殻の固まりは、どこ吹く風のごとくがらんどうに響くだけだ。

「だが、それでも、もう一度だけ、尋ねよう。

難しい事じゃない。ただ始まりなだけだ。『願い』は複雑じゃない、原初衝動だ。

経験の自己保存も、他者への理由の依存も、それもまた『望み』だ。

だが『願い』とはもっと単純なはずだ。

理屈なんてどうでもいい。理由なんて存在しない。ただそこにあるだけの、一粒の結晶だ。

考えてみろ。そして、その上で考えろ。お前が本当に欲しかった『願い』を」

 アーニャは虚ろな瞳で、隊長の背を見上げる。
 前方から再び吹いてくる風は、隊長の服を靡かせる。


 その離れていく背は、向かい風によってさらに遠い。
 このベンチから動く気はないというのに、自然とアーニャは追いたくなる。
 その背中に憧れてなどいなかった。だが、追いつきたくなるような、そんな気分。

(その先は……きっと)

 自分は置いて行かれる者だ。すでに脚を止めてしまい、ここで終わりを待つだけだったのに。
 その先が、自分と同じ空っぽだと考えると、それはそれで怖くなる。

 だからこそ、すこしだけ、無意識のうちに考えてしまうのだ。
 空っぽで、新たな選択なんてないのだけれど、自分の中にあったのかもしれない結晶を、誰かのものではない自分だけのものを、探しているのだ。

 隊長の姿が見えなくなるとともに、その風も止む。
 見下げていたアーニャの視線は、無意識に少しだけ上向き、公園の中を見渡すように前を見ていた。



***


  



 所は戻り、プロダクション。
 周子は、表情こそいつもの気の抜けたような表情だが、明らかに焦りが見えていた。

「まだあの『ウロボロス』は完全じゃない……。

だとすると、あのときに封印から溢れた一部ってこと、かな……?」

 周子は一人で考察しているが傍からでは何のことかさっぱりわからない。
 滅多に見せない周子の様子に、傍にいた時間の長い紗枝と美玲は不安を抱く。

「『ウロボロス』ってあの三竜の?」

 沙理奈はその単語に心当たりがあるらしく、確認を取るように周子に尋ねる。

「まぁ……その『ウロボロス』だけどさ……。

初代悪魔的には、どれくらい知ってる?ていうか『覚えてる』?」

 わざわざ言い直したことに意図を感じたのが、沙理奈は頭に疑問符を浮かべながらも答える。

「知ってるっていうのなら、資料で呼んだ程度には。

三竜の中で最も破壊的ではないけれど、最も厄介。

世界をループさせ続けるらしいけど……。

いつ出現したのかわからないし、いついなくなったのかもわからない。

書物上にしか存在しない空想の竜って話。ていうかアタシも見たことないんだからほんとに謎よ」


 初代色欲の悪魔アスモダイである沙理奈は、その見た目以上に遥か昔から存在している。
 故に、他の二竜である『バハムート』と『リヴァイアサン』についてはある程度知っているし、『覚えている』ものもある。

 だからこその謎なのだ。もっとも新しいはずの『ウロボロス』は見たことはおろか、出現したことすら知らない。
 いつの間にか存在し、そしていつの間にか消えていた。まったく経験していないのである。

「だからアタシは、悪いけどさっぱり『覚え』はないわ。

そこんところも含めて……説明してほしいのだけれど」

「あんまり時間がないから、詳しくは話してられないんだけど……。

要するに、ウロボロスは世界ごと誤認させるんだよね」

 ウロボロスは、世界そのものを掌握し、書き換え、そのループを誰に知られることなく運営する。
 それは上位の天使や悪魔ですら例外はない。
 故にウロボロスによって静かに支配された世界を開放する術はほぼ皆無であり、それこそ最も厄介とされる理由であった。

 そのウロボロスの世界の『ルール』から外れる者はアカシックレコードにアクセスできる者や『運命』そのものを観測できる最高位の神くらいである。
 だがそういったいわゆる『観測者』は世界に対しての干渉に大きな制限がかかることが多く、それも相まってウロボロスを知覚できても対処できないという場合が大半なのだ。

「記憶こそ、ウロボロスと『外法者』の影響が混在したせいで妙な風に改ざんされてたけどさ。

そもそも400年ほど前にシューコちゃんの前に『外法者』が現れた理由は、『ウロボロス』のループから脱出するための仲間を探してたんだよね」

 当然『外法者』も観測者の一種である。故にその何千回もループする世界を見続けてきたのだ。
 ルールそのものを壊せずとも、人に対するルールを無視することができる。
 その当時の『外法者』は協力者を増やし、無限に続くループから脱出する計画を行ったのである。


「まぁそれでもループを脱出するにアタシが協力し始めてから数百ループはかかったけど。

そのかいあって、『ウロボロス』は封印されて世界は解放されたってわけ。

まぁその代償にほとんど忘れてたんだけどねー」

 遠い昔の記憶を探るように周子は語る。
 本来ならば蘇るはずのなかった記憶だが、ウロボロスとの接触ですべてを思い出したのだろう。

 だからこそ、あの地獄は繰り返してはならないと周子は思う。
 かつてのループの時にはいた『外法者』の外来人は今はいない。それは、ウロボロスを復活すれば再び誰も知覚できなくなり、世界は閉塞されるということである。
 周子は自らが経験しているからこそ、『ウロボロス』の欠片であるアーニャならばまだ間に合うということを理解していたし、その上で自分がすべきことも理解していた。

「なるほどねぇ……。だからその時の『外法者』の影響で『ウロボロス』のルールを無視できたのね。

たぶんその時はアタシは魔界にいたからそもそも『外法者』と接触していない。故にアタシはなーんにも知らないってことかしら。

うんうん……納得納得」

 これまでに周子が知っていたウロボロスに関する知識は、すべて封じられていた記憶の物である。
 あらゆる疑問点が解消され、一人納得する沙理奈。
 だからこそ、問題はこれからである。

「で……どうするの?多分あのアーニャは、絶対に倒せないと思うけど」

 会い見えて沙理奈はある程度、ウロボロスの性質を理解していた。
 その存在そのものが『ルール』と化しており、おそらく肉体を滅ぼそうと、空間ごと滅しても、湧き水のごとくアーニャは再生するだろう。
 ウロボロスという存在がキャンバス上の絵の具ではなく、『世界』というキャンバスそのものである限り、いかなる力を振るったところで倒すことは不可能である。


「それでも、まだ力は弱い。向こうもこっちに対応できる力はないし、こっちとしてもあのウロボロスを倒す算段はないからさ、これは膠着だよ。

まいったねー」

 負ける要素はなくとも、倒す手段がない以上どうしようもない。
 やれやれと言わんばかりに周子は両手を肩上に上げる。

 だが、その心はすでに決まっている。

「どうせ、昔の記憶で対策は知っているんでしょう?」

 沙理奈はそんな周子を見透かし、問いかける

「うーんっと……まぁ紗枝ちゃんには、苦労をかけることになるけどね」

「えぇ!?うち……どすか?」

 唐突に話を振られた紗枝は周子の方へと向き直る。
 そもそも状況を飲み込めていなかったようで、二人の会話からは置き去りにされていたようである。

「そう。そもそも前にやった『龍脈封印』はウロボロスを封印するために作られた術と同じ系譜なんだよね。

つまり、紗枝ちゃんほどの腕があれば一時的にでもウロボロスを封印できるってこと。

とりあえず封印しちゃって、その後から何重にも封印をかければ十分だろうし」

 先日港で、アーニャのウロボロスの力を封じ込めた『龍脈封印』。
 それと同じ要領でウロボロスも封印できると周子は語る。

「……それくらいなら、うちにも出来そうやけども……。

ほんまに、大丈夫なんかぁ?」


 今回は、港の時とは違う。
 港の時のアーニャの暴走は、器から力が溢れているような感じであり、それをその器に抑え込むような感覚であった。
 だが先ほどのアーニャからは、抑え込むべきその『器』のようなものを感じ取ることはできなかった。

 おそらく周子の言うことは正しいだろうし、絶対に間違っていないことには絶対の信頼を紗枝は寄せている。
 だが、その違いが何か決定的な結果の差を生み出すのではないかと紗枝は考える。

「大丈夫。紗枝ちゃんなら、やれるやれる」

 不安そうな表情をする紗枝に対し、その不安を和らげるように笑いかける周子。
 そんな周子をみて、紗枝はとりあえず不安を黙殺する。

「なら……ええんやけどな」 

「じゃあ、いそごっか。

あのウロボロスが、本体にたどり着いたらそれこそ世界の終わりだからね」

「本体?」

「そ……あのウロボロスは初めにも行ったけど、前に封印した時に漏れた力の欠片だと思う。

たぶん、あれがウロボロス『本体』が封印されているところにたどり着けば、完全な『ウロボロス』が眠りから覚めるよ。

そうなったら、ジ・エンド。もう誰にも手出しはできない。

そこにたどり着く前に、あたしたちが追い付いて、ウロボロスを封印しなくちゃ」

 かつてウロボロスを封印したと言っても、完全に封印できたわけではない。
 外部から生半可な刺激を与えたところで破れることはない強固な封印だが、封印の外の『ウロボロス』に反応し、封印の中のウロボロス『本体』が目を覚ませば、そんな封印など容易く食い破られる。
 故に、ウロボロスと化しているアーニャが本体にたどり着く前に、アーニャを封印する必要があった。

「場所はそんなに遠くはないよ。

そもそも、龍脈封印がなんでウロボロスに効くのかを考えれば場所はすぐにわかる」


「龍脈封印で、『うろぼろす』を封じられる。

……いや、『うろぼろす』が龍脈だからこそ、封じることができる?」

「やっぱり紗枝ちゃん鋭いなぁ。プラス10シューコちゃんポイント。

ウロボロスが封印されているからこそ、龍脈がそこにできるの」

 場所は西の方角。
 この東京からでも、電波塔ほどの高さがあれば十分に視界に収めることのできる霊峰。



「富士山直下。

目的地はそこだよ」




 目的地は定まった。
 あのアナスタシアの移動速度が幾ほどかはわからないが、周子による妖怪の脚力ならば1時間もかからずにたどり着くことができるだろう。
 今から追いかけたところで十分に間に合う。
 または、目的地がわかっているのだから待ち伏せるという手段も取れる。

「沙理奈さんは、念のためにここの守りを頼める?

万が一、もあり得えるかもしれないからね」

 最悪の結末こそ、アーニャが富士山直下にあるウロボロス本体にたどり着くことである。
 しかし、状況の最悪として考えられるのは、誰かが人質に取られた場合である。

 今のウロボロスに近い力を持つアーニャであっても、周子や沙理奈を打倒する力はない。
 それでも、強力な力を持っていることには変わらず、守りを手薄にすることはできない。

 アーニャがそこまで姑息な手段を取るとは考えられないが、それでも存在する可能性には対策しておくべきであった。
 故に、このプロダクションの誰かが人質に取られること、特に周子や沙理奈にとっては美玲やメアリーが人質に取られることは避けねばならない。

「えぇ、いいわよ。

きっと、今回のことは二人の方が適任だろうしね」

 そう言うことを理解しているからこそ、沙理奈は二つ返事で承諾する。
 その余裕のある返事は、頼もしささえ感じさせる。


「おっけ、ありがと沙理奈さん。

じゃあ……ちゃちゃっと終わらせよっか。紗枝ちゃん」

 背中は任せた、とでも言わんばかりに沙理奈に背中を向け、隣に紗枝が来るように促す周子。
 その雰囲気こそ、いつもの適当な感じに戻っていた。

「……せやなぁ。ほな……いきましょか」

 いつか周子の隣に並び立ちたいと思っていた紗枝だったが、周子に頼られて、今それが叶うというのにその心中は複雑であった。
 想像していたのは、二人で悪しき妖怪に立ち向かい、並び立って笑顔で帰れるようなそんな風景。

 だが、周子の繕ったように見える適当な様子、その仮面の下が複雑なものであることが、紗枝には容易に見抜けた。
 これは紗枝が望んだ風景でもないし、周子もこのことを望んでいないことがわかったのだ。

 相手は悪しき妖怪でも、世界を絶望させるような巨悪でもない。
 つい先日まで隣にいた、同年代の少女の願いを止めるために動くのだ。

 万人のためであっても、その願いが許容されるものでないとしても、決してこの行いが正しかったとは胸を張っては言えないだろう。
 そんな周子の足取りで紗枝も感付いたのだ。

 この結末は、決してハッピーエンドは向かえないことを。

「な、なぁちょっと待て、シューコ!」

 プロダクションを後にしようとする二人にかかる制止の声。
 その声の主である美玲は、混乱覚めぬ頭においても二人を止めたのだ。

「どうしたん?美玲」

 自然に、違和感なく周子は、美玲の方へと向き直る。
 この制止を彼女は予感していた。だからこそ、やさしく、自分以外にもそれを分け与えれるように育ってくれた美玲を誇りに思いながら、その言葉を待つのだ。


「え、えーっとな。その……」

 いざ言葉にしようとすると、うまく形にできない。
 何となく、漠然とした不安感は、予感となって喉元まで出かかっている。

「その……、アーニャは帰って、くるのか?

ウチは、アーニャがあんな、状況だったなんて、しらなくて」

 あの時、プロダクションに入ってきたアーニャの違和感に気づけたのは、美玲とメアリーの二人だけであった。
 あまり接点のなかった紗枝はおろか、沙理奈や周子ですらその違和感にすぐに気付けなかった。

 純粋であるということは、外界の物に対する直感が冴えているということだ。
 経験を積むことにより、様々な感覚、いわゆる空気の流れや人の挙動の違和感などを察知できるようになる。
 それに合わせ生来の直観を合わせることによって、達人と呼べるものは第六感と言うものを鋭くする。

 しかし、情報が多くなるということは、取捨選択が必要になってくる。
 それに対し、直感だけと言うのは、人の根源的な感情を察知出来るということであり、時には鍛えられた第六感をも凌駕する。

 ゆえに、アーニャの体も違和感も感じさせず、敵意も発していない、中身の『感情』だけの変化を二人は察知できたのだ。

 そしてそれは、周子が秘める今回の事件の収束点の想定すらも、人狼としての高い感受性が予感として感じ取ったのだ。

「ちゃんと……帰ってくるんだよな?

ウチがもっと、ちゃんと相談に乗っていれば、こんなことにならなかったのかなって……。

せっかくのカウンセリング担当なのに、何にも役に立ってなくて……。

だから……アーニャに、謝らないと……『気付かなくて、ごめん』って……」

 美玲は見たのだ。
 あのアーニャが作り出したであろう結晶杭が自らを貫こうとするときに。
 その瞳の中にある諦めと、微細な後悔の念を。


「だから、今度会ったら、ちゃんと聞かなきゃ……。

アーニャのことを、どうしてあんなことをしたのかを、聞かなくちゃ。

それがウチの、役割だから」

 あの時、美玲はアーニャに誰だと問うた。
 しかし、振り返って考えてみれば、あれもまぎれもなくアーニャであったのだ。

 昨日まで見ていたアーニャと、先ほどのアーニャは違うアーニャであるけど、同じであることを美玲は何となく理解していたのだ。
 そうして心が分かれてしまった理由はわからないけど、それでも物事には原因がある。
 それを聞き出すことは、美玲自身の仕事だと考える。

 ただのお飾りのカウンセリングなど意味がないのだ。
 ただ庇護されるだけの存在でいたくないという思いは、言葉としてここに吐露される。

「もう間に合わないかもしれないけど、それでも叶うなら、アーニャを連れ帰ってきてほしいんだ。

ウチも、頑張らなくちゃ、ならないから」

「……美玲はん」

 美玲には後悔することしかできない。
 たとえ他力本願だとしても、美玲は無力だと自覚しているからこそ周子に頼むのだ。
 その思いは、紗枝にとっては周子の力になれなかったことと重なり、とても理解できるものであった。
 だがその思いがわかるからこそ、複雑であった。


「ん……わかったよ。そう言ってくれるなら、心強いなー。

ま、シューコさんに任せて待っといてよ。さくっと、帰ってくるからさ」

 周子は少し視線の下にある美玲の頭に手を乗せる。
 子供をあやすように動かすその手は、誰の心を落ち着けていたのかは定かではない。
 だが、美玲は周子の前で言ったことを含めて、少し恥ずかしそうな顔をして周子を見上げた。

 そしてひとしきり美玲を撫でて、美玲が恥ずかしさで唸り始めたあたりで周子は手を止める。
 そのまま『プロダクション』を後にした二人は、背にプロダクションを向けながら目的地へと向かう。

「なぁ……周子はん。なんであんな約束しはったんどすか?」

「……約束って?」

「アーニャはんを連れて帰るっていうやつやわ。

だって……おそらくそれは無理やろう?」

 先ほどのアーニャは、これまでのアーニャとは明らかに違っていた。
 前にも述べたが、アーニャには封印するべき器がない。
 ここでの器とは、二人は知らないが神が施した封印のことである。

 その枷そのものが取り除かれている以上、『龍脈封印』で封じ込めるには他の憑代が必要となる。

「たぶん……封印したら、アーニャはんの中に封印するんじゃなくて、アーニャはん自体を封印せんとあかんやろう?

だから、連れて帰ることは不可能や。それは周子はんにだって……いや周子はんの方が、わかってるやろ?」

 あくまでこれは紗枝の推察でしかない。
 だが、『龍脈封印』という術を習得している紗枝自身、この推察がおおむね間違っているとも思えなかった。


 そして当然、周子もそのことは理解出来ているはずである。

「……まぁ、そうだね。

紗枝ちゃんのその考えは正しいよ。

もう、アーニャは手遅れ。殺すこともできないし、元に戻すことも多分無理だろうね」

 ウロボロスは願いに巻き付き、世界を閉じ込める。
 故にその願いは絶対に揺るがず、何千年経ようと摩耗しない宿命となる。

 故に誰かの言葉で改心させようなど絶対に不可能である。
 元のアーニャを取り戻すことは絶対にできないことを周子は理解していた。

「仮にどうにかなるとしたら、自分自身で心変わりでもしない限りアーニャは救えないんだよね。

まぁ……心変わりしないからこそ、それは『欲求』ではなく『願い』なのだろうけど」

 周子は一息のため息を吐く。
 すでに状況は決している。先の未来が収束に向かっている以上、選択肢も閉塞する。

「だけどさ……絶対に不可能だとわかっているとしても、美玲がああ言ったんだからさ。

アタシとしては、どうにも無下にできなくてね。甘さと言うかなんというか」

 美玲を拾った時から考えれば、先ほどの言葉は美玲の成長の証でもあった。
 一匹狼であった美玲が、周子だけではない他者に気をかけ、あまつさえ自らの役割を自分の意志で活かそうとしているのだ。

「嘘ついたことになるから、美玲には恨まれるだろうけどさ……。

まぁ恨まれるのには慣れてるからね。早く行こっか。

間に合わなくて、美玲の未来がなくなることが一番、避けないといけないからさ」


 そう言って、紗枝に右手を差し伸べる周子。
 表情は、へらへらとして愛嬌のあるいつもの周子であったが、紗枝はその手を取ることを少し躊躇する。
 これもまた、周子なりの覚悟なのだ。

 誰もが優先すべきことがあるし、誰もが叶えたい願いがある。
 願望は人の原動力となり、使命として足を進める。

 紗枝は、周子の覚悟も願いもある程度理解して、差し出されたその手を握る。

「ほな、行こか周子はん。だって美玲はんのため、ですもんなぁ」

 紗枝も、理想とは程遠くとも願いに近いカタチを望むのだ。
 たとえ心境は複雑でも、そんな願う未来につなげるためにも。

 彼女と隣立つ自身の未来を願い、前へと進むのだ。




***



    



『閑話休題。この舞台は白銀の少女が主役。

此度の脇役の話は、これくらいにしておきましょう』

 うっそうと茂る苔むした富士の樹海の中には、溶岩の名残である岩石が無数に露出している。
 曇り空も相まって、屋根状に木々が覆う樹海は普段より薄暗く、絶望した人々を招き入れるように風邪で靡く。

「あ?……何か言ったか?」

 そんな生命さえ感じさせぬ深緑の中に立つ一人の男。
 季節外れのコートの下には、動きやすさを重視した軍用と思われる衣服を身に纏っている。
 その服の上からでも明らかにわかる鍛え上げられた肉体を持つこの男は、かつてロシアの特殊能力者の部隊を率いていた『隊長』と呼ばれた者であった。

 そしてその耳には、スマートフォンが当てられており、誰かと会話していることがわかる。

「なんでもない?……まぁいいか。

とにかくこれで『保険』も含めた準備は整ったてわけだ。

この件には熾天使も一人絡めたし、『プロダクション』の方は勝手に事が進んだんだろう?」

 本来『プロダクション』における出来事は隊長は知らないのだが、どうやら電話口の向こうの者はそのことについて知っている様子である。

「ならいいさ。これだけお膳立てすれば世界が滅ぶってことはなさそうだ。

……ふん、別に俺が勝手にしていることだ。お前の力なんぞ借りずとも俺はやれた」

 どうやら比較的親しい間の様で、隊長に軽口さえも吐けるようである。
 そして今回の件に、裏で大きくかかわっていたようだ。
 故に、『プロダクション』の出来事も知っているし、隊長が『エトランゼ』を知り得たことにもつながるのだろう。


「あとは俺の好きにやらせてもらう。

傍観者を気取るのもいいが、お前の思い描いた脚本通りにはさせん。

そこで、俺がすべて引っくり返すのを本の栞でも噛みながら俯瞰しているがいいさ。

……ああ、じゃあな情報屋。『また、会おう』」

 『二度と会うまい』とは言わない。
 口癖のように、去りゆく人々に吐いてきた言葉を隊長はここでは口にしなかった。

 湿った風が通り抜ける。
 スマートフォンを懐にしまい込んだ隊長は、霊峰を背に向け森の奥をじっと見つめる。

「はっ、ようやく来たか。

郷愁は済んだか?後悔は消化したか?

お前が何を願おうが勝手だが、ここがお前の収束点だ」

 その言葉に答えるかのように森の奥から現出する一つの影。
 気配さえ希薄でそこに居るかさえ朧げだが、公園にいたアーニャとは違いその姿ははっきりしている。

 その差は、世界から希釈されているか、世界そのものと同化しているというものだ。
 前者は存在が薄められているということであり、一方後者は世界と同化し、存在を拡張しているということである。

「……やっぱり、最後に立ちはだかるのはアナタですね。

いつの時も、そうだった。ワタシの全てを壊すのはアナタだ」


 その背に透色の翼を携え、姿だけならばまるで天使のような。
 だがその存在は世界を閉塞に導く『願い』を秘めた終わりの一。
 『ウロボロス・アナスタシア』はこうなることを予期していたかのように、隊長の前に姿を現した。

「……そうだ。俺はお前からすべてを奪った。

親も、故郷も、その尊厳すらもな。

久しぶりだな、とでも言えばいいか?」

 アナスタシアとは十年を超える付き合いであったが、この人格とはいわば十年来の邂逅となる。
 隊長も、あの日のことは覚えていた。
 『アナスタシア』を殺したあの日のことは、はっきりと記憶に刻まれている。

「ええ……お久しぶりですね。

ワタシとしては、二度と顔も見たくはなかったんだけれども」

 アナスタシアから吐かれる言葉は、紛うことなく敵意である。
 目の前にいる者は、隊長自身が言った通り、大切なものをすべて奪い尽くした掠奪者である。
 その清廉なる姿からは、穏やかではない空気が漏れ出す。

「ハッ、予想通りの反応だな。

まぁ確かに、俺は恨まれてもおかしくはない。

その憎しみは甘んじて受け止めるさ」

 彼の行いは、結果的に言えばすべて仕方のなかったことである。
 故郷を焼き、親族と呼べるものをすべて滅ぼしたことにしても、それは仕事だったからだ。
 彼にそれを指示したものがいて、彼はそれをただ実行しただけ。
 暴力装置としての役目を担っただけである。
 その行いは許されることではないにしても、隊長自身の意志ではない。


 加えて、アナスタシアの心を壊したことにしても、彼女のためを思って行った苦肉の策である。
 隊長がアナスタシアを壊していなければ、戦士としての彼女は存在せず、今ごろ能力者のサンプルとして薬品漬けで保管されているような状況だったのだ。

 だがそれでも、隊長は自らの行いに対して正当性は主張しない。

「俺とて、俺の目的のために行動しただけだ。

その結果でお前に憎まれようと、それは必然。

憎め呪え恨むがいいさ。俺は今とて、俺のためにしか行動していない」

 彼自身、自らの行いが妥当だとも思ってはいないし、許されるとも、許してほしいとも思っていない。
 常に数多の敵意と畏怖にさらされてきた隊長にとって、今更それが一つ増えたところでどうということはないのだ。
 彼にとっての問題とは、自らの行動が自らの目的と合致しているかだけである

「Нет(いや)……ワタシも、理解はしています。

あなたがワタシの故郷を焼いたことも、それはアナタの本意でなかったことは理解しているの。

ワタシの信念を壊してまで行った子犬殺しも、ワタシのために行ったことだというのは知っています」

 そう。考える時間はアナスタシアにはあった。
 アーニャという殻に籠り、内人格として外の世界を俯瞰してきた彼女には、肉体を動かすことはできない代わりに思考し続けたのだ。
 目の前の男の目的の意図を、行動の理由を考えてきた。


「ええ……本当に、ありがとう。

隊長、アナタはワタシのためを思って、いろんなことをしてくれた。

間違いなく、『あの子(わたし)』が今日まで生きていられたのも、今この瞬間があることすらも、アナタのおかげ」

 過去は積み重なって、今がある。
 それはたとえいかなる悪行であろうとも、その行いがあったからこその今なのだ。

 隊長の思いも理解できていた。
 願いと現実の狭間で懊悩し、後悔しながらも邁進した男の背中を見てきた。

「だからこそ……ワタシは、アナタを、許さない」

 その憎悪は臨界に突破する。
 聖女のような雰囲気は霧散し、その感情は他を思いやる全から我に固執する一となる。

「アナタは、力を持っている。

ワタシなんか及びもつかないほどの、圧倒的な力を持っている」

 異名、悪名を一身に背負いながらも、世界から迫害された男。
 それでも、その力は強大であり、絶対的な暴力は不可能さえも可能にする。

「アナタは、その強大な力を使って我を通した。

ワタシのために、様々なことを力押ししてきたはず。

ただ命令を聞くだけの都合にいい兵器が、その暴力を盾に要求してきた。

『あの小娘の処遇は任せろ』

『あの部隊は俺が管轄として持つ』

『部隊の責任者は俺だ。任務は俺が決める』

なんてことを、上に要求したのでしょう?」


 上の連中からすれば、自らが握っていた武器の銃口がこちらに向き出したようなものである。
 隊長の要求を無視すればその暴力は自らに帰ってくる。
 そんな上の連中は、その程度の軽い要求ならば飲まざるをえなかった。

「アナタは……ワタシのために力を使った。

いいや……これは、『ママ』のために使ってのかしら?

もういないママのために、隊長自らの手で殺したワタシのママのために」

「……ほざけ。

誰だお前のママってのは。

俺は、俺がやりたいようにしているだけだと何度言わせれば……」

「なら、なんでワタシを特別扱いする?

そんなことはアナタがいくら否定しようと、傍から見れば明白よ。

失ったものに対する思いを、やり場のない気持ちをワタシという遺産に向けているだけ。

だからワタシは、アナタを許せない」

「……黙れよガキが、人のことを知ったような口ぶりで、好きに喋るな」

「どうして、アナタはママの時にその力を振るわなかった!?

ワタシを守ることができたのなら、ママやワタシの故郷だって守れたはず!」

「クソ、がァ!!!」

 脳の血管が切れたような感覚。
 隊長とて、理解はしていた。だがそれを口にされるのだけは我慢ならない。

 『外法者』の反動など構わない。
 全身の筋繊維が千切れ、あらゆる手段で世界が隊長を殺しにかかろうと、この力は止められない。


 人一人を殺すには過剰なほどの念動力。
 圧殺、惨殺、刺殺、物理的な殺害法を集約したような隊長の一撃は、容易くアナスタシアの身体を塵一つ残さず滅殺する。

 肩で呼吸をしながら隊長は、アナスタシアの残骸に目を向ける。
 隊長の額から流れた血は、鋭い眼光を放つ目尻を伝うように垂れた。

「……わかったような口で喋るなよガキが……。

俺は、俺がしたいように……してきた。

だが、俺の思い通りになったことなど、一度もねぇ。

それを、他人のお前が知ったような口で語るなよクソガキ。

力があろうと、思い通りになるなんて……思い上がるなよ」

「да(ええ)……確かにその通りかも、しれない。

だけど、そんな言い訳笑えないわ。

アナタは、したいようにしてきたんじゃない。選ぶのを、恐れた。

負け犬の論理、手からこぼれたものを尊いと思い続け、正当化しているだけ。

だから……選べたのに、選ばなかったアナタを軽蔑し、唯一憎悪するの」

 聖人ゆえに、その精神性は限りなく純粋である。
 彼女は、あらゆることを許してきた。
 利益のために戦う愚かな敵も、生きるために死んでいった部隊の仲間たちも。

 その行いに意味があったのなら、それは尊いものだとして祈りをささげた。
 殺し合いを憎みはしても、人そのものは憎まなかった。


「意味もなく、未練がましく、中途半端なアナタを、ワタシは唯一許せない」

 だが、あまりにも無駄で、無意味で、そして力を持ちながらも、既に存在しない誰かに許しを請うようなことばかりをするこの男を、アナスタシアは純粋なる精神を濁らしても許せなかったのだ。

「だから、ワタシはアナタを殺す。

立ちはだからなければ、二度と会うことはなかったのでしょうけど。

立ちはだかるのなら、それもまた『好機(возможность)』。

ワタシはアナタを唯一の殺人として、アナタが取りこぼしたものを救いに行く。

過去を変えて、アナタという存在を筋書から抹消する」

 その身体は再生する。
 爛々と輝くウロボロスの翼は、光の反射と共に羽ばたく。

 アナスタシアの頭上一面に浮くのは、素霊の集合体である結晶杭の万華鏡。
 争いを嫌う少女の、殺意に満ちたその意思は、尾を呑む蛇のごとくの矛盾である。

「……だからガキだと、言っている。

物事を理解してねぇ。その願いは、叶う前から破綻してんだよ。

俺が愚かなのは理解しているが、お前ほど大馬鹿じゃあない。

……だがまぁ、世界がどうとか、子供の間違いだとか、もはやどうでもいい」

 隊長もすでに限界など超越している。
 故に、境界線を越えている今、これ以上超越したところで何ら問題などありはしない。

「お前俺を馬鹿にするのも大概にしろよ。

知ったようなこと喋るなと言っただろうが。

その顔面、そこら中にある火山岩に擦り付けさせて、生きていることさえも後悔させてやる。

俺は、俺の行いを正当化してやる。俺が正しいと世界に宣誓させてやるさ。

……せいぜい、その甘い夢を抱きながら、外法の下にひれ伏しなァ!!!」


 空間さえもうねりを上げる超密度のサイコキネシス。
 樹海を丸裸にする勢いで、原生林を根こそぎ抜き取り宙に浮かせ、結晶杭に相対する弾丸として数多の樹木を背に携える。

 手数は互角。 
 人知を超えた両者の力は、譲らぬ意志をもって衝突する。

「Пожалуйста мертвым(死んでください)」

「これ以上死ねないほどに、殺し尽してやる」

 その両者の言葉を皮切りに、相対する弾丸は射出され、相殺を始めた。

 硝子の砕けるような音と、樹木が幹ごと割けるような音。
 その二つの乾いた音が、ただ二人しかいない樹海の空気を振動させる。

 アナスタシアの結晶杭は素霊によって形成された鋭利な槍だ。
 かつてまでならば力を使うごとに消耗していたアナスタシアだが現在の彼女に枷などない。
 自らに内包したウロボロスの無限の力を憚ることなく行使し、新たな杭を生成する。

 素霊はそもそもが魂の最小単位であり、それを集めた結晶を砕かれたところで元の素霊に戻るだけである。
 故に、アナスタシアが扱うことのできる杭の残弾さえも無限。

「数ならば、圧倒的にワタシが上です」

 一度に行使できる力には限界があるとはいえ、尽きることのないウロボロスの力によって絶えることなく杭はアナスタシアの頭上に現出する。
 空気が冷え込むような素霊の圧縮される音は、吹雪のような風切り音となりアナスタシアの周囲を取り巻いている。

 さらにこの樹海は小動物から微生物まで含めた多くの野生生物の住処である。
 故に日々に散る命も多く、空気中に漂う素霊の数も圧倒的に多い。
 アナスタシアはそれらに対し言葉を発することなく指令を与える。

「ワタシの手足となって、弾丸となって、殺意となって……。

あの男を殺して!ワタシの憎いあの男を!ワタシのために殺して!」


 幼き素霊の女王の軍略は拙いものだ。
 だがそれでも、単純な指令であってもその素霊の総軍は膨大。

「数だけは、揃えてってか?」

 ただ一人の軍隊(ワンマンアーミー)と謳われる隊長といえど、無限の軍隊に劣勢となる。
 いくら大量の樹木を弾丸にしようと、生成され続ける結晶杭を相殺し続けていれば本当に樹海は丸裸になり、残弾は尽き果てるだろう。

 そんなのことなど、隊長は初めから承知している。 
 そして、彼自身かつてアーニャと憤怒の街で戦っていた時のように手加減する気もなかった。

「やり過ぎたところで、問題はないからな!」

「なにを、今更……っ!?」

 一斉にガラスが砕けたような音が響く。
 隊長の言葉の後に、アナスタシアが作り出した無数の杭は一瞬にして砕け散った。

「視覚内は、射程圏内だと知っているだろうが」

 隊長の超能力は、いわば触覚の拡張に近いものがある。
 視覚に入りさえすれば、それを『握りつぶす』ことは造作もないし、その気になれば視覚外においても超能力による物理探知によって潰すことができる。

 彼自身、標的は対面し戦うことを好むがゆえに能力の正確な射的距離は把握できていないものの、その気になればその場から一歩も動かずに、地球の裏側の人間を超能力で殺すことさえもできるのだ。

 故に視界に納まりきらぬほど膨大な結晶杭をアナスタシアが用意しようと、隊長は一呼吸のうちにすべてを砕くことさえ可能である。

「こんなことっ!!」

 アナスタシアにとっては杭が全滅させられようと再び作り出せばいい。
 しかし、ウロボロス本体ならまだしも、アナスタシアの肉体で一度に扱える力の量には限界があった。


 新たに十数本程度の結晶杭を作り出すが、その一瞬の隙など隊長にとっては膨大な時間である。

「温過ぎるぞガキがァ!!!」

 大地を蹴った隊長は、アナスタシアとの間合いを一瞬で詰める。
 それに対しアナスタシアが放った杭は空気を貫きながら隊長に放たれるが、咄嗟に放った技など隊長には初動の時点で見切っている。

 体を捻り杭の間を抜けるように、両の腕で飛来する杭の側面を叩き軌道を逸らす。
 能力さえ使わずに、最小の動きで速度を落とさず隊長は全ての杭を回避した。

「なっ!?」

 その動きに驚愕の表情を浮かべるアナスタシアだが、隊長はそんな表情にさえ苛立ちを見せる。

「これぐらいのことは、教えただろうよ!!!」

 アナスタシアの対面にたどり着いた隊長は、躊躇することなくその拳を突き出す。
 念動力を乗せたその拳は、アナスタシアの上半身を空間ごと削り取る。
 そして一呼吸置いたのちに、真空状態となったその空間に空気が流入し炸裂音が響いた。

「いくら死ねるからといって、油断し過ぎだ。

起き上がるのは待ってやる。死にたくなるほどに、殺してやると言ったはずだが?」

 隊長は眼下に転がるアナスタシアの下半身を見下ろす。
 前の憤怒の街での際には、肉体を完全に砕いてしまうと、再び復活する際にどこから現れるのかわからなくなってしまうことがあった。

 故に隊長は残った下半身から復活するだろうと隊長は見込んでいたのだ。

「……チッ」


 だがその予想は裏切られ、小さく舌打ちする。
 転がっていた下半身は、徐々に結晶化していき、素霊となって空気に溶けていったのだ。

「死にたくなるほど……ね」

 上から聞こえるその声に反応した隊長は、反射的に上空を見上げるがその視界に映るのは迫りくる結晶の翼。

 アナスタシアからの背から伸びる翼は体積を増しながら、叩き付けるように隊長に振り下ろされる。
 隊長の真上にいるアナスタシアはそのまま翼を切り離し、新たな翼を作りつつさらに上昇する。
 それと同時に、多数の杭を作り出し、結晶の翼を叩きつけて上がった土煙の中に存在する隊長に向かって放った。

「да(ええ)……да……да……。

даァアアアアアアア!!!!!!」

 まるで苛立ち、怒りをぶつけるように真下の隊長に向けて続けざまに杭を打ち込む。
 一点に向けて放たれていた杭も、巻き上がる土煙の両に反比例するように精度が落ち乱雑になっていく。

「死にたくなることなんて、ずっとだわ!!!

目の前で殺し合いが繰り広げられて、『私』もそれに参加している!

そのたびに、ワタシの心は死んで、死んで死んで……アー……死にたかった」

 ウロボロスは壊れた心でさえも、復活してしまう。
 死にたくても、死ねなくて。
 それでも人を憎めない。行き場のない感情は毒のように意識に行き渡る。

「死にたくなることなんて……もう、通り過ぎた。

それでも死ねないのなら、ワタシがいなくなれないのなら……唯一憎いアナタを憎むしかない!!!

アナタへの憎しみを踏み台にして、世界そのものから変えなきゃ、ワタシは救われない。

そうじゃなきゃ、ワタシの願いは、叶わない!!!」


 その行き場のない怒りを表すかのように、樹氷のような竜尾がアナスタシアから伸びる。
 そして眼下の隊長に向け、感情と共に降り下ろす。

 轟音と粉塵。

 ありったけの殺意を込めて、放ち続けた攻撃は小休止に入った。
 オーバーキルにも等しい結晶の乱射は、これまでの軋轢も含めた心からの攻撃だ。

 アナスタシアは翼をはためかせてさらに上空に上がり、氷柱のように数多の結晶杭を再び生成。
 彼女の意志ひとつで、それらの槍は自由落下するだろう。

「……殺す気でやりました。

ワタシの最も嫌いなことをしたのに……思ったよりも、苦しくない。

ワタシも、人でなしになってしまったのかも……」

 人殺しをしようと、人を傷つけようとしたのに、心が痛まない。
 アナスタシアは、心が痛まないことに、心を痛めていた。

 伝うのは一筋の涙。
 後戻りはできないところまで来てしまったことに、理解はしていた。
 でもようやく、そこまで来て気づいたのだ。

 人は思ったよりも、優しくないことに。

「ククク……クハハハハーーーーッハッハハ!!!!!

『人でなし』とは……違うさ。

それが人だ。クソガキ」

 晴れる土煙の中から高らかに上がる笑い声。
 先ほどまでの苛立ちを振り切ったように、その表情は晴れやかである。

 そう、アナスタシアの猛攻の直撃を受けたにもかかわらず、隊長は依然健在であった。

「どいつもこいつも、人の生き死にだの、殺し殺されただのを気にし過ぎなんだよ。

人は逝くときは一瞬だ。その行為に後悔とか罪悪感とかが乗るわけない。

そして人が縛られるのは殺した後だ。殺す行為そのものに人でなしも糞もあるわけない」

 その表情こそ、上機嫌なものであったが、肉体の方はやはり無事ではない。
 体中のいたるところから出血しており、わき腹には捌き損ねたのか結晶杭が一本深々と刺さっていた。


 その姿は百人が見れば満場一致で致命傷である。
 だが、それでも男は倒れない。
 並の致命傷ごときで、この男を致命に至らしめることなどはできない。

「結局のところ、人はお前が思っているほどに清いもんじゃあない。

生き汚くて、自らの欲望のままに食らい、厚顔無恥に跋扈する。

エゴの固まり、泥のような感情。そして誰もが求める幸福であろうとする心が、人だ」

 百人の常識であろうと、億人の基準であろうと、男は蹴り倒し我を主張する。
 自らが絶対的なルールだと信じて疑わず、誰よりも自らの行動に準ずるこの世で最も常識外れのその男。

「理想は既に地に堕ちてんだよ。

結局のところ、無知なお前にわかったように語られてるのが、俺は我慢ならなかったのさ。

馬鹿が他人を語るなよ。俺は『あの人』に『お前ら』を任されたからこそ、ここに居る。今までがある。

間違っても『あの人』とお前を重ねるな」

「ふざけ……ないで。

語るな……ワタシを……。

馬鹿にするな……ワタシの、苦しみを、憎しみを。

人はお前ほど!!!救えなくは、ない!!!!!」

 蝋の翼では飛翔はできない。
 硝子細工のその両翼は、遠くに飛んでいくにはあまりに淡い。

「己惚れるな。『あの人』を見てここに居るんじゃない。

『あの人』はもういないし、彼女に代わりなんていない。

だからこそ、俺は、『お前』を見てここに居る。馬鹿で無知な子供のために俺はここで血反吐吐きながら立っている。

そして、俺は俺の心で立っているだけだ。

お前の心など、想いなど俺は決して知りえることなどできるわけがない!!!」


 上を目指すのは悪いことではない。
 だが上を目指さず、空さえ超えて最果てに思いを馳せることは、身の丈に合わないのだ。

「お前の悩みは、お前自身で折り合いつけやがれ、ってんだ!!!!」

 男は天に向かって手を伸ばす。
 その手中に一人の少女を収めて、地に足を着けた男の誓いは不変。

 もう二度と、取りこぼさないように。

(余計なことなど、考えるな)

 あの時、『あの人』を奪い取ってでも自らの願いを叶えるべきだったのか。
 あの時、任務を忘れ依頼を裏切ってあの村を守るべきだったのか。

 迷った挙句、なにも選ばなかった今はこのざまだ。
 かつての選択は、後悔となって今も化膿している。

 あの日の迷いで、取りこぼしたものは二度と戻らない。
 ならばこそ、もう二度と、あんな思いはしないように。

「俺が手の届く範囲なら、迷ってなどいられるか」

「悩みなんて……ワタシはしない!!!

アナタになんて、理解されたくない!

ワタシは、絶対に後悔なんてしない!!!」

 少女の叫びは、泣き声のようにも聞こえる。
 外界さえ知らぬ未熟な少女にとって、その願いのかたちはこれまでの数年で作り上げた結晶だ。
 それを否定など出来はしない。

 間違っているなどと、否定などが介在する余地などがあってはならないのだ。

「выравниватьй(並べ)!!!!」

 空中に浮遊していた結晶杭はその切っ先を一点に向ける。 
 その対象は、眼下に存在する隊長へと向けられていた。


「огонь(発射)!!!」

 大量の素霊は、アナスタシアの指示ひとつで一斉に動き出す。
 躊躇などない。
 彼女にとってこの男は憎むべき男だった。
 彼女が目指す願いの先にこの男の存在は不要だった。

 だが、この男は間違いなく目指す願いの先に居たのだ。
 その願いに到達する手前に、立ちふさがる壁として。

 故に、この男は乗り越える者ではなくなった。
 『乗り越えなければならない』者と認識を改めて、アナスタシアは対峙する。

「ワタシの願いは、アナタをワタシの手で殺して、証明される!!!」

 この男のために墓標はいくつでも刻もう。
 串刺しの丘に埋葬すべく、杭の暴力は隊長に降り注ぐ。

「粗末だな」

 だがそんな攻撃など、隊長は意に介さない。
 手負いの肉体とは思えないほどに、それらを一つ一つ素手で撃ち落とす。

 頭上、左、右後方、前方斜め上、一方、他方、全方、全方、全方。

 人一人を殺すことさえ容易い一撃であろうと、隊長にとっては銃弾にも劣る代物であった。
 まるで止まって見えるかのように、杭はただ少し超能力で補強された素手によって着弾するたびに撃ち落されていく。

「こんなものは、俺の敵ではない」


 隊長にとっての真の敵は別にある。

 ずきりと体を蝕む痛み。
 隊長にとって、唯一肉体に傷を付けているのは『外法者』の呪いである。

 世界そのものである『ウロボロス』と対峙している時点で、その『外法者』のルール違反によるペナルティは尋常なものではない。
 かつてアーニャと憤怒の街で戦った時など、比較してしまえば風邪気味の微熱のようなものだ。

 今は精神に負荷をかけるだけではない。
 世界による妨害は、事象の反逆だけでなく肉体の損傷にまで及んでいた。
 脳髄は暴れまわるように熱を持ち、肉体の筋繊維は何もせずとも千切れはじめる。
 超能力の制御さえも全力の半分以下もできていない。

「だがそんなこと、退く理由にならんだろう」

 体から迸る流血も、脳を焼く雑音も、そんなことは些末なことだ。
 彼の後悔に比べれば、彼が自らに架した願いに比べれば。

「俺の進む道に比べれば……」

 右脚の筋繊維が大きく破れ、隊長は体勢のバランスを崩す。
 それに迫りくるは、額を貫くように速度を増す結晶杭。

「こんなものは……甘すぎる!!!」

 消してこれ以上力が入ることがないであろう割けた右脚で、地面を大きく蹴る。
 両脚でその巨体を支え、隊長はその顔面を杭へと向け、大口を開ける。

 迫りくる杭を歯の万力で受け止め、衝撃を首で殺す。
 そして受け止めた杭を、右手でつかみ直し上空へと投擲。


「бессмыслица(無駄です)」

 だがその結晶杭は上空のアナスタシアの元にたどり着く前に霧散する。
 もともとアナスタシアの能力で作り出した杭である。それを消滅させることは容易に可能だ。

「しってる、よ」

 アナスタシアが気付いた時にはもう遅い。
 その跳躍力などただの人間などとは比にはならない。隊長はあの場から跳び上がりアナスタシアの眼前に迫る。

「殺す気なら弾幕にも気を付けろ。その程度の射線だと穴だらけだ」

 忠告するように、隊長は両の手を合わせる。
 その挙動は、アナスタシアを左右の空気ごと圧縮し、肉体さえも一瞬で消滅させる。

「それも……無駄だと」

 だがそんなことに意味はない。
 『ウロボロス』の力で何度も再生するアナスタシアにとって、肉体の破壊など意味を持たなかった。
 隊長の背後を取るように復活したアナスタシアは、極大の結晶槍を生成し間髪入れずに隊長の背に向けて放つ。

「死角を取ることは戦術の基本、だが」

 結晶槍は隊長を貫く直前で、制止したように動かない。
 それどころか、アナスタシアの体は何かに阻まれるように硬直する。

「人の死角を理解している者にとって、死角なんぞ当然死角ではない。

こと戦闘において、背後であろうと自らの死角は潰し、敵の死角はつぶされているものだと考える。

これも、教えたはずだ」


 すでにこの空間の空気は隊長の支配下にある。
 空気の分子さえ超能力で固定してしまえば動けるはずはない。

 隊長は制止した結晶槍に足をかける。
 制止した物体は、空中にいる隊長にとって足場にさえなる。

「アナタの教えなんて……捨ててきました。

ワタシにとっては、要らないものよ」

 たとえ動けなくても、そんなことに意味はない。
 アナスタシアにはそう言わんばかりの表情をしており、打開策は握っているようである。

 だが隊長にとってはそんなことよりも、アナスタシアの発言の方が気になっていた。

「ハッ……それは、失敗だったな」

「それが、なんの……」

「いずれ、わかる。

お前の俺への意地の悪い排斥行為は、お前にとっての致命になる。

いや、ある意味救いかもな」

 アナスタシアには隊長の言葉を理解はできなかった。
 隊長の教えや技術などは、彼女にとって唾棄すべきものである。
 たとえ役に立とうと、その『争いの火種』をこの体に残しておくはずがなく、切り捨てるべきものだ。

 たとえ仮に、それを拾い上げる者がいようとこの場に脅威として現れることはあり得ない。
 それは彼女自身だからこそ一番理解していることであり、残してきたものに何かできる力などありはしない。

 故に、そんな無意味な可能性は掃き捨てる。
 隊長のありもしない妄言に、アナスタシアは耳を貸さない。

「アナタの物なんて必要ない。

ワタシは、ワタシだけの力で、アナタという巨悪を打倒する!!!」

 空気固定の範囲外から、目の前の隊長とアナスタシアを取り囲むように結晶杭は出現する。
 それらは射出されることなく太さを増していき、その形を変えていく。


「数が足りないのなら、力を上げればいい。

力を上げて足りないなら、その数を増やせばいい。

ワタシは、何度でも繰り返せる!ワタシはこれを繰り返して、最後にはアナタを超える!」

 その結晶杭は一つの形を象る。
 形は周囲に存在する樹海の大木。先ほどの竜尾が樹氷のようだと形容されたが、まさしくこれは樹氷である。

 その先端は鋭利であり、隊長が足場にしている極大の結晶槍より巨大。
 数は12.時計の数字を位置するように並んでいる。

「вникатьй(貫け)!!!」

 射線上には当然アナスタシアも含まれている。
 それでも、何度でも復活できるアナスタシアには関係のないことだ。
 隊長をそれによって殺せるのならば、一度死ぬ痛みなど構わない。

 極太の樹氷はアナスタシアの合図によって円の中心、すなわち隊長に向け一直線に射出される。
 受ければ身体に空くなどという生易しいものではない。
 体組織は余すところなく吹き飛び原形さえ残らないだろう。

「繰り返す、か。

だがこの程度では、何度繰り返そうが無駄だ!」

 だが隊長は、そんな脅威歯牙にもかけない。
 片手を小さく掲げ、空気を握りつける。

 たったそれだけで超能力は行使され、迫り来ていた12の樹氷は同時に握りつぶされた様に破裂した。

「なら……さらに、より多く、より強い……」

 防がれることなど想定内、アナスタシアは新たな弾丸を生成しようとする。
 形作るイメージは、さらに大きく、強大な怪物さえも殺しうる一撃を与えられる物体。
 その発想の中で、武器や爆弾といったような現代兵器が上がらないのはある意味このアナスタシアのあり方を表していたが。


「繰り返す時間なんて、与えん」

 空中に固定されているアナスタシアにかかる一つの影。
 空気はまだ固定されているため、視線だけを上向ける。

「それより上には、行かせるかよ」

 アナスタシアの頭上に振り下ろされるは、神速の一撃。
 ただの踵落としではあるものの、その強靭な脚力と超能力の加速が合わさってミサイルの爆発にも匹敵する。
 幾度となく地表を割ってきたその脚はアナスタシアに突き刺さり、飛翔していた少女は地面に向かって急速に落下する。

(嫌だ……もう二度と沈みたくない。

ワタシは、もっと、もっと……上に。願いを叶えるために)

 アナスタシアが地面に落下するとともに衝撃によって土煙と轟音が上がる。
 奇しくもこの状況は先ほどとは逆転しており、今は隊長が地面のアナスタシアを見下ろしていた。

「これで、振り出しだ。

まだ、飛ぼうとするか?ならば俺も何度でも、だ」

 高く飛翔しようとする少女の姿は眩しくさえ思える。
 だが、それでも隊長はその翼を削いで、地に堕とす。

 憎まれようとも、彼は何度でも立ちふさがらなければならない。
 彼女の飛翔の先には、閉塞しか待っていないがゆえに。
 そのためならば、隊長は何度でも地表へと少女を撃ち落とすだろう。

「……ワタシは、飛ぶ。

誰よりも、高く、アナタも、私も置き去りにして」


 しかし、見下ろす隊長にとって予想外の方向から声が聞こえる。
 それと同時に足場にしていた結晶が消失し、今度は隊長が自由落下を始める。

「チッ……どういう、ことだ?」

 突如として落下し始めたとしても隊長は慌てずに、地面に両足を付け着地する。
 おおよそ人が落下したとは思えないほどの轟音が響くが、衝撃を超能力によって相殺した結果だ。

 隊長は、着地し片膝ついた状態からゆっくりと立ち上がりながら、上空を見上げる。
 先ほどよりもさらに上空、より巨大な結晶の翼を生やしたアナスタシアは浮遊していた。

「テレポートか?

…………いや、限りなく肉体を素霊と同一化させたのか?」

 肉体が完全に消滅した際に、アナスタシアの能力では復活する座標をある程度任意で選ぶことができる。
 復活する肉体の起点がない故に、魂から肉体を再構成するので短距離間においてならば場所に囚われる必要がないからである。

 故に、すでに肉体そのものを素霊に限りなく近づけておけば、復活する肉体の起点という縛りはほぼ解除される。
 結果肉体が完全に滅ぼされずとも、疑似的な短距離テレポートが可能を可能としたのだ。

「また……面倒な知恵つけやがって」

 よく見れば、上空のアナスタシアの輪郭は周囲に漂う素霊の粒子によってよりいっそう曖昧になっており、それが素霊との同一化の証拠であった。
 そもそもつい先ほど下半身が素霊となって散っていた時点で、この復活による短距離移動のコツは掴んでいたのだろう。
 もはや地に足を着けるなどということを意地でも拒むかのように、土壇場に執念で身に着けた未熟な少女の新たな技術。

 だが、そんな新たな技にも、見上げる隊長にも目をくれずにアナスタシアは虚空を見つめている。

「足りない……足りない。

あの男を、隊長を、殺すには、まだ足りない。

重さ、大きさ、太さ、数、速さ……素霊を総動員すれば何でも作れる……。

でも、そのどれでも……殺しきれない」

 その感情はもはや妄執であった。
 乗り越えなければならないと判断してしまった以上、彼女に迂回するなどという知恵は働かない。
 眼下の強大なこの男を殺し、自らの唯一の殺人として刻み込むことでしかもはや彼女の進む道はなかった。


「アー……あり、ました。

あった。ある……あれなら、やれる」

 そもそも外界と触れる機会のなかった彼女にとって、そもそもの知恵や経験が圧倒的に足りていなかった。
 相手を打倒するには、本来ならば兵器や武器と言ったものを連想するが彼女にはそもそも連想するための発想が存在しない。

 故に初めは杭、結晶の一番自然な形。自然の氷柱を模したような殺傷力をもった結晶を形作った。
 次に極大の槍、しかしこれも結局のところ杭から発展したものであり、その形を武器としての『槍』と形容するにはあまりに無骨すぎる物であった。
 そして樹木、はじめに隊長がそれらを飛ばすことによって杭を相殺していたこともある。その質量と暴力的な威圧感も相まって彼女がこの場で自然に連想できたものであった。

 そして今、彼女にはこれ以上作り出すものが存在しなかった。
 いや、作り出せるものはあるものの、生半可なものを作り出したところで隊長を殺すに至らしめられないことがわかっていたのだ。

 だが彼女は、上空から景色を俯瞰し、観察することであるものの存在に気づいたのだ。

 巨大にして、偉大。絶対的な存在感を放ち、隊長という規格外の存在を滅ぼしうる規格外の物体を。

「фиксация(固定)……фиксация(固定)……созыв(招集)。

формирование(形成)……фиксация(固定)……」

 明らかに結晶化していく素霊はこれまでの量とは比ではない。
 空を覆い尽くすほどの素霊が結晶化していくたびに、星空のように光が明滅する。

 その景色は幻想的であったが、同時に憎悪と狂気によって凝り固まった結晶体だ。
 明確に、アナスタシアは今できる最大限の力を使いこの場に素霊を招集している。

「また……面倒な力押しを……っ」

 その様子を見上げていた隊長に突如と走る激痛。
 先ほどまでわき腹に突き刺さっていた結晶杭が素霊に帰り、止血も兼ねていた血止めの栓が消失したのだ。
 体から血液が抜けていくとともに、慣れ始めていた脇腹の痛みも復活する。

「まさに、全部を集約するってわけ……か。

ハッ、光栄だな」

 隊長は軽口を叩きつつ、超能力で傷口を押さえつけ出血を止める。
 この程度に意識を割くのは造作もないが、あくまで応急処置にすぎず、致命傷が塞がるわけではない。

「この樹海の素霊を枯渇させる気か……」


 世界のあらゆる循環には素霊が関わっている。
 風はさることながら、気温、天候、果てには世界に満ちる魔力の流れにまで素霊の動きは影響する。

 今、この周囲数キロにわたる素霊がこの場に集約され、結晶として蘇生されようとしている。
 それはつまり、あらゆる流体の流れが阻害されることと同じであり、今の状況では魔術の発動はおろか呼吸さえも満足にはいかないだろう。

 超能力にしても自然界に存在する力を行使しているわけではないが、自然界に影響を及ぼす力だ。
 当然、力の行使に影響が出ており、ただでさえ『外法者』のペナルティの上で脳が回らない上に超能力がうまくコントロールできなくなっている。

「チッ……状況は逼迫する一方ってか?

俺は腹に大穴、全身に多量の裂傷、加えて力も全力の4分の1ってところ……。

一方、あのガキは無量大数の素霊の軍勢と、尽きぬ力と、無限再生。

客観的に見れば、勝ち目なんてない」

 明らかに絶望的な状況でさえも、男は嗤いながら上を見上げる。
 隊長にとって目の前の苦難など、さして問題ではない。

 血反吐なんて何度も吐いた。ままならないことばかりで、報われたことなど一切ない。
 それでも、誓ったがゆえに歩いてきたこの道を、貫けぬ道理はない。

「だから、いかに戦力差があろうと、状況がお前に味方したとしても、俺は……絶対に倒せない。

次は何の芸を見せるつもりだ?

俺はその尽くを打倒して、幾度となく稚拙な願いを撃ち落としてやる」

「アナタを……超えなくちゃ。

アナタという天井がある限り、ワタシは飛べないのなら、排除するしかない。

そして……アナタにとっての天井は、ここですよ」


 収束した結晶は、その姿を完成させる。
 氷山は逆さにそびえ立ち、空を台座にして鎮座する。

 アナスタシアがこの場において目についた、最も巨大で、最も破壊力を出すことのできる物体。

 地上から標高3776メートル。
 少女の視界に映るのはこの国において最も美しい独立峰である富士山。
 そしてそれを鏡写しされるかのように、形成された結晶の逆富士。

 質量と体積を寸分違わず再現したその結晶山は、落下するだけで日本全体にさえ影響を与えるだろう。
 その威力は、かつて隊長が大気圏外からビルを落とした威力など、もはや比ではない。

「日本人を……冒涜するようなもんだな」

「地形がどうなろうと、もはや知らない。

どうせ全部やり直すのだから……力を抑える必要なんて、ないんですから!!!」

 結晶山を見上げながら、アナスタシアは手を掲げる。
 それは落下の合図を示すものであり、その腕が降り下ろされた瞬間結晶山は重力に引かれ落下するであろう。

 仮にこれが地面に衝突すれば、その真下にいる隊長など、原形を保てないほどに圧殺されるのは確実である。

「考え方は豪胆で悪くない。

『あっち』の方にはできればこれぐらいの発想が出来るようになってくれればよかったんだがな……。

まぁ……とにかく、たかが山ひとつで俺を殺そうとは、舐められたものだな!!!」

 発想としては悪くはない。
 だが、質量の桁がこの程度では足りないのだ。

 かつて隊長を殺すために、とある敵はまるごと惑星ひとつぶつけてきたことがあるのだから。

「この程度、握りつぶせる!」


 隊長は右手を伸ばし、視界の内で手のひらと結晶山を同期させる。
 彼が、最も得意とする技でもあり、希望ごと万物を握りつぶしてきた非情の掌。
 それを握りしめるだけで、規格外の超能力は山脈一つであろうと握りつぶして見せる。

 軋み上げる結晶山。力のすべてを集約した巨大な暴力であっても、隊長の拳ひとつで砕かれようとしていた。





「……なんて、無意味なこと」

 だが噴き出すは赤色。
 すべてを握りつぶしてきた隊長の右腕は、関節が大量に増やされたかのごとくねじ曲がり、砕けた。
 そして、肩の力が抜けたように使い物にならなくなった右腕はだらりと下がる。

「……ぐ、があああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 隊長はその衝撃から絶叫し、その場にうずくまった。
 いくら隊長が、あらゆる因果や運命を無視してここに居るとしてもそれに払っている代償は先に述べている。
 今の現状は負荷の上に負荷を付加するようなものであり、負債に負債を重ねる多重債務の形だ。

 そんなことが続けば、いくら精神の方が強靭であろうと、破産し肉体が引き裂かれるのは目に見えていたことだったのだ。

「……先に尽きたのは、アナタの方でしたね。隊長さん。

これは、ワタシの願いの結晶。アナタを貫くためにあつらえた一石よ。

これまでにいろんな人を、物を、思いを冒涜してきたアナタには、決して打ち破れない」

 もはや勝負は決した。
 かつて憤怒の街でアーニャが、隊長の放つ一撃を相殺してみせたときのような奇跡は存在しない。
 奇しくも、その時とは立ち位置が真逆であったが、孤立無援の隊長にこれを打開する術などありはしなかった。

「この山は、アナタへの餞別。

この土地に墓標として刻み付けて、ワタシは全てを取り戻す」

 そうして降り下ろされたアナスタシアの右手を合図に、結晶山はゆっくりと降下する。
 幕切れは、あっけなく。
 その逆富士は、重力に引かれながら隊長を落下点の中心にして加速していく。



   




 はずだった。

「あまり……適当な、こと……ぬかすなよ」

 微かに聞こえる声。
 落下を始めた結晶山は、地表の衝突直前に静かに停止する。
 騒がしかったこの樹海から、一斉に音を奪ったかのように沈黙が支配した。
 ただ一人の声を除いて。

「……俺の底が尽きただと?……これが俺の墓標だと?」

 底冷えるかのような低い声。
 深淵から響くような言葉は、俯瞰し、勝利を確信していたアナスタシアからも言葉を奪う。

「だから……浅いんだよ。人生が、思いが、絶望が、まだまだだ。まだまだ、浅すぎる。

腕が折れた?腹が割けた?内臓が吹き飛んだ?

ならば両足で立てばいい。腹ばいで進めばいい。視線で貫けばいい」

 紡がれる言葉と共に、カーン、カーンというような釘を打ち込むような音が鳴り響く。

「その程度では……俺は折れない。

この俺の執念は、意地は、お前ごときが測れるものじゃない。

……忠告だ。

俺を止めるために、殺すことはは不可能だ。

俺を殺すために、止めることは不可能だ。

俺が終わりだ。故に……俺に、『黄昏(おわり)』など存在しない」


 一際大きい杭打ちの音。
 それと同時に制止していた結晶山の裏から貫くように樹海の木が露出する。
 結晶山に大量に埋め込まれた樹木は、構造上の弱所を的確に貫いていた。



「『сонй сумеречный(眠れ、あの人の居た場所で)』」



 その言葉は一つのトリガーだ。
 馳せるは郷愁。語るは悲哀。
 彼自身の誓いの言葉にして、自縛の言葉。

 この言葉を聞いたものは、これまでに十指にも満たない。
 だが彼らはその散り際に、男のことをこう形容したのだ。

 『眠らぬ黄昏』と。

「…………ウソ」

 結晶山は崩壊を始める。
 夕焼けに似た色をした力場の渦が、あらゆる物質を塵に帰す。
 念動力によって捻じ曲げられた空間は光のスペクトルさえも屈折させ、僅かな帯域の可視光を残してすべてを消滅させている。
 通常の法則や概念からは置いて行かれた、もはや超能力とも呼べるのかともいう途方もない異能。

 夜空を彩るのが星ならば、自らはそれを導く黄昏となろう。
 その力は男の生涯を表し、何者でも及ばない外法の最果てであった。





   





「生憎最果ては……占有済みだ。

お前はここで、袋小路だよ」

 本来魂の最小単位であるはずの素霊が、さらに小さく寸断されて散ってしまった。
 結晶山は既に跡形もなく消失し、樹海は普段の様相を取り戻している。

「ワタシに、アナタは超えられない。

その意思は、その狂気は、ワタシには途方もなさすぎる」

 すでに隊長の姿は満身創痍であった。
 一本の樹木を背にして、四肢に力が入ることなく座り込んでいる。
 超能力による止血は既に無理が生じており、血液は少量ずつだが確実に漏れ出している。
 眼球は充血し、血涙となって脳の負担を表していた。

 それに向かい合う様に、アナスタシアは静かに立っている。

「それでも、ワタシの勝ちです。

ワタシは、ワタシの正当性を主張するために、アナタを殺す。

アナタを乗り越えられなくても、排除はできるから」

 アナスタシアの隣に出現する結晶杭。
 たった一本の杭であっても、今の隊長に止めを刺すには十分である。

「ああ……今のお前は間違ってはいない。

お前は誰かに言われたからとか、誰かのせいにしてここに立っているわけじゃない。

お前自身が願ったからこそ、ここに立っているんだろうよ」


「да(ええ)……。ワタシは、ワタシの願いで先に進む」

 結果として、アナスタシアの力は隊長には及ばなかった。
 それでも、この場に伏したのは隊長で、立っているのは彼女である。

 結論は出た。
 アナスタシアはここで隊長に引導を渡すべく、杭を飛ばそうとする。




「……?」

 だがここで、ようやく違和感に気づいたのだ。
 隊長が、あまりにも潔すぎる違和感に。

「ククク……クハハハハ……」

 静かに嗤う隊長の表情は、決して充足感などではない。
 企みが成功したかのような、策謀を巡らした者の顔。

「……気付いた、ようだな。

一つ、考えてみろ。俺が、膝を折ったということが……どういうことかをだ。

俺はお前を殺せないし、お前は俺を殺せない、平行線だということは、初めから理解していただろう?」

 戦闘前こそ挑発を繰り返し、あたかもアナスタシアを止めに来たかのように振る舞っていた隊長。
 だが隊長は初めから、この戦闘で決着が着くことはないことを理解していたのだ。

 そのことに気づいたアナスタシアは、ある一つの、そして本来真っ先に考えるべき発想に思い至る。

「アナタは……ワタシを願いを止めに来たのではなかった……。

ただ……『足止め』が目的だった」

「そうだ。俺が膝を折り、戦闘を止めたということが、どういうことか理解できたか?

もう……足止めの必要がなくなったってことだ」

 アナスタシアは隊長から視線を外し、即座に振り返る。
 視界には、目ぼしいものは映らない。
 それでも、吹く風は雄弁に語りかけてきた。


「そもそも、お前は間違ってんだよ。

俺は、乗り越える壁じゃない。俺はあくまで前座だよ。

『お前ら』が真に乗り越えるべきは、『お前ら』なのさ」

 隊長にとって、初めから勝敗の存在する戦いではないのだ。
 すべてはこの時のためのお膳立てであり、託された者の使命だった。

「隊長さん……アナタの狙いは、この状況だったということですね」

「俺としては気に食わない部分もあるが……おおむねシナリオ通りだ」

 道筋は閉塞ではなく収束であり、終息だ。
 終わりが始まり、騒動は沈黙のままに完結する。

「いつからかと考えれば、まぁ初めからとも考えられるが……。

それでも、今この瞬間お前はまんまと嵌ったわけだ。

『Шах и мат(チェックメイト)』ってな」

 そしてやはりこれは、少女の物語だ。





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 ただ一人公園に残された少女は、静かにベンチに座りながら思いを馳せる。

 視界の先に、すでに男の背はない。
 本当にただ一人、通行人のだれもが彼女に気づくことなく、真実の孤独がここにはあった。

「願い……か」

 その意味を今一度考える。
 この身は空虚だ。だが外からの言葉は響かずとも、中では反響し反芻することができる。

「『私(あのこ)』は、この世界を変えて、ママを助けると、言いました」

 誰よりも優しかったあの少女には、この世界は失ったものが多すぎた。
 家族を奪われ、故郷を奪われ、安寧さえも奪われる。

 そして挙句の果てに、代役のアーニャによって、その最後に残った一縷の理想にさえ止めを刺した。

 もはやこの世はままならない。
 愛するべき家族もおらず、人々は無意味な争いを続ける。そして自らを託した『代役』は愚昧を通り越して滑稽であった。

 ならば、こんな世界は要らないだろう。
 都合よくその手には、世界を変える力が握られていたのだ。
 それを行使せずに、他に何があるという。

 彼女の願いは、絶望の先に残された最後の幻想だ。
 世界さえも自己の意志のみで書き換えることさえ厭わない。
 あらゆる人に恨まれようと邁進する利己的な、それでいてこの世のだれもが否定することなどできない確たる願い。

「そんな願いよりも……叶えたい願いなんて……」

 結局のところ、願いの強さが違うのだ。
 アーニャにはもうひとりの少女の願いを超えるほどの意志の強さも願いもない。
 かつて望んだヒーローでさえ、無意味なものだと理解してしまった。


「私には……あの子以上の願いなんて持ってない。

あの子の願いを踏み越えてまで、叶えたい願いなんて……見つかりません。

……ニェート、それどころか……私が、願いを持つ資格なんて……」

 彼女自身を裏切り続けたアーニャにとって、『アナスタシア』の苦しみは理解できた。
 そう、誰よりも、自分自身であるがゆえに、裏切り続けたアーニャに自身が『アナスタシア』の一番の理解者であったのだ。

 だからこそ、彼女のとった選択を、アーニャは否定できない。
 だからこそ、アーニャは彼女を差し置いて願いを持つことなど許されないと思っているのだ。

 そして今アーニャを形作っているのは、封印に残った天聖気とアーニャの人格。
 それと彼女が置いていった『彼女の苦痛の記憶』と忌まわしき部隊の技術である。

 ほぼ空っぽで、人としての意志を押し通す力すら枯渇している今のアーニャには、意思を生み出すことすら困難であった。

「やっぱり隊長……私には、願いなんて、ありません。

私は……ここで、静かに終わりを待ちます」

 いくら期待をされても、存在しないものは見つかりはしない。
 そう思い、アーニャは再びベンチで静かにうつむこうとする。







「……アー?」

 だが、アーニャの意志を無視して、その頭は垂れることを拒むように真っすぐを見据えたまま動かない。
 周囲には、隊長もいない。『アナスタシア』もいない。知り合いのだれもいないはず。
 誰からの干渉も超能力も魔法もないはずなのに、その顔は前を見据えたまま動かなかった。

 そして頬を伝う様に、一筋の線が流れる。

「シトー?……どうして、涙が?」


 一度自覚してしまえば、堰を切ったように涙はあふれ出す。
 意思とは関係なく流れ出す涙に、アーニャはただ困惑するだけだった。

「……なんで、涙が?

別に、私は悲しくなんて……?

……いえ、私、は、悲しい?」

 そのとめどなくあふれ出てくる感情の源泉は理解できなかった。
 それでも、それが何なのか空っぽのアーニャでも理解できた。

 なぜだかとても悲しいのだ。
 何が悲しいのかわからないが、はっきりと言えることがあった。

「私は……悲しい。このまま終わるのが……なんでか、とても、悲しい。

アー……私は、イヤダ。……イヤ、なんです」

 何が嫌か、まではわからなかった。
 自暴自棄に、愚かな自身に下る罰を待ちわびるだけだったはずなのに。

 今は、このまま終わるのが、消えてなくなるのが、とてもとても嫌だった。

「私は……私は!!!」

 理解はできない感情は、行き場を見失っていた。
 そしてその感情は、スペースの空いている空っぽの体の中に行き渡っていく。

「私は……何が、嫌なの?」

 ただ待ち続けるだけだったはずのアーニャは、止まらぬ涙を抑えながら考える。
 その心の源泉を、そして願いの在処を。


「おい、泣き虫!!!いっつも泣いてばかりだな泣き虫!!!」

 そんなアーニャの耳に唐突に届く声。
 まるで今の自分を差すかのような言葉に思わず視線を向ける。

 そこには三人の子供たちが、一人の少女を取り囲んでいる状況だった。
 どうやら、囲まれて泣いている少女に向けた言葉らしく、アーニャに向けた言葉ではなかった。

「お願いだから、返してよーっ!!!」

 取り囲んでいる子供の一人の手には、女児向けの玩具であるステッキらしきものが握られている。
 どうやら、それは中心の少女の物らしく、いじわるついでに取り上げられてしまったようだ。

「いっつもちょっと何かしただけで、めそめそしやがって!!!

お前みたいな泣き虫には、こんな玩具ももったいないんだよ!」

 取り囲んだ子供たちは、そのステッキを投げ合ってパスしあう。
 子供たちの手から手へと次々と移り変わるステッキを何とか取り戻そうと少女はもがくが、取り返せない。

 仕舞には、抵抗も見せなくなりただ輪の中心でより一層泣き続けるだけだった。

「コラー!!!またイジメてー!!!私の友達をいじめるなー!!!」

 そんな状況にかかる、新たな声。
 取り囲む子供たちは、その声の方向を向くと露骨に表情を変えた。


「ゲ……ババアが来やがった」

「なんだよ!!お前には関係ないだろ!!!」

「さっさとどっかいけよババア!!」

 小学生くらいの子供にありがちな、ありきたりな暴言を吐くいじめっ子たち。
 そんなことは構わずに、新たに表れた少女は一直線に走っていく。

「いいかげんに、しなさーい!!!」

 そして、少女は速度を落とさないまま跳びあがり、取り囲む子供たちに向けて跳び蹴りを繰り出した。

「うわ!あぶね!!!」

 取り囲んでいた子供たちは散りじりになってその一撃を回避する。
 現れた少女はきれいに着地し、虐められている少女の前で壁になるように立ち上がる。

「あんたたちそんなことして楽しいの!?さっさとそれを返しなさい!!!」

 さっそうと助けに入った気の強い少女は、ステッキを指さして言い放つ。
 いじめっ子たちは、先ほどの容赦のない攻撃で動揺しているようだ。

「へ……へっ。こんなもの、欲しけりゃやるよ!」

 ステッキを握っていたいじめっ子は、乱暴にそれを放り投げる。

「あ!コラッ!」

 ステッキに気の強い少女が気に取られているうちに、いじめっ子たちはその場から退散していく。

「バーカ!!鬼ババアと泣き虫で、勝手に仲良くしてろよ!!!」

「そうだそうだ!バーカバーカ!!!」

 小学生の少ない語彙で吐かれた暴言を捨て台詞に、いじめっ子たちはこの場から離れていく。
 そんな言葉を気にせずに気の強い少女はステッキを拾い上げて、泣いていた少女にそれを渡そうとする。


「ありがとう……――ちゃん」

「なんでいっつもやられっぱなしなのよ……ガツンと行きなさいガツンと!」

 虐められていた少女は、しゃくりを上げながらも礼を言う。
 この二人は普段から仲が良く、友達同士なのだろう。

「その……――ちゃんは、どうしていつも助けてくれるの?」

 そんな気の弱い少女は、ふとそんな疑問をぶつける。
 実際、なんどもこの少女は虐められているようで、そのたびに助け出されているらしい。
 だからこそ、そんな気の弱い自分に対して、どうしていつも助けてくれるのか疑問に思ったのだろう。

 何か見返りを与えているわけでもない。代わりに何かしてあげているわけでもない。
 このいじめられっ子の少女にとって、不等号の関係なのだ。

 だからこそ、いつも飽きもせずに助け出してくれるこの少女の理由を今尋ねたのだ。

「……?そんなの、友達だからに決まってるじゃない」

「と、友達?だって……そんなことだけで……私は、なんにも――ちゃんにしてあげられてないのに」

 それはいじめられっ子には理解できなかった。
 見返りのない関係は、ひどく不可解に映るのものだ。
 何一つ、助けてくれた少女に対して返せていないいじめられっ子は、そんな一方的な関係にひどく不安になる。

「はぁ……。別に何かを求めてアンタといるんじゃないわよ。馬鹿にしないで……」

「でも……私も、――ちゃんの役に立てないかって……」

「気にしなくていいわよ。友達なんだから……そうね」

 気の強い少女は、手に持ったステッキをまるで正義のヒロインのように振りかざした。

「アンタといるのが、私は楽しいのよ。私と友達に、仲良くしてくれているだけで、私がアンタを守る理由になるんだから!

あたりまえのこと。友達といるのが楽しいから、友達を守ったのよ。納得した?」


 単純明快な答えにして、理屈なんて抜きにした等価の答え。
 そんな気の迷いさえ晴れるような発言に、いじめられっ子の顔は晴れやかになる。

「うん!……――ちゃん、ありがとう!」

 普通の公園で一画で、ありふれた友情の会話。
 どこにでもよくある幸せの形は、紋切型であったとしても尊いものだ。
 この小さな少女たちの、ありふれたやり取りには何の異能も関与していない。

 本当に、どこにでもある、心同士のやり取り。



 その一幕は、アーニャにとって何の関係もない。そこに居合わせたアーニャは本当に、ただの傍観者だ。
 だが、それを傍らで傍観していたアーニャは、涙を流しながらも気づくのだ。

「あたりまえで……普通のこと。

理由の在処なんて……ひどく浅いところに、あったんですね」

 因縁や、執念など必要ない。
 人が動く理由としては、ひどく浅瀬の、何気ないものでいいのだ。

 友情や物的な利益、それどころか刹那の感情でさえ、行動原理となる。

 そしてそれは願いであっても同様だ。

 復讐だとか、絶望だとかそんな大層なことを理由に、かける願いもあるだろう。
 だがそれでも、ただ隣に居たいとか、ささやかな幸せを感じたいという願いと、どれだけの質量の差があるだろうか?

 所詮は同じ人から生まれた願い。
 そこに優劣など存在しない。

 ただあるのは、それを貫く心の強さのみである。

「私は……このまま、消えたくない。それは、どうして?」

 きっと深く考えすぎていたのだ。
 底の見えない水底を懸命に見ようとしても、決して理解できるはずがない。
 本来探すべきは、足の届く、ささやかな浅瀬だったのだ。


 見えない星を探したところで、光が届かなければ意味はない。
 目に見える範囲で探せばいいのだ。
 願いを懸ける、身近な星を。

「私は……知りたい」

 その意思は、光となって心の外へと伝わる。
 それに呼応するかのように、周囲の空気中に光の粒が星屑のように煌めき始める。

 今限りなくアーニャの体は霊体に近い。
 その意思が天聖気として空気中の魔力へと伝わり、それを介して数多の素霊たちに伝わっていく。

 アーニャの心にこたえるように、素霊は集まってくる。
 そしてアーニャに伝えるのは、アーニャが探していたもの、アーニャを取り巻いた人々の心。

『アーニャンが……あんなに悩んでたなんて。

友達だったのに、気づいてあげられなかった……』

『あの子は……私の友達よ。

なら、私たちが一緒になって悩んであげなくちゃ、いけないのよ……』

 彼方より伝わる彼女への思いは光となって。

『ウチの仕事だ。

ウチがアーニャのことわかってあげないと、駄目だから。

だって、仲間、なんだから』

 誰かが、自分のことを思ってくれている。

『確かに……アタシの優先順位は美玲だけどさ……。

やっぱり、このままアーニャを見捨てたらきっとアタシは後悔する。

だけど……それでも後悔しても……これ以外の解決法を知らないから』

 苦悩も含めて、伝わってくる。


「私は……幸せ、です。迷惑ばかりかけてきたのに……こんなにも、思ってくれる人がいる」

 損得や、利己的な感情を含んでも、アーニャのことを考えてくれる人々がいることを、アーニャは実感する。
 それは紛れもなく、空っぽのアーニャだけが持つ唯一の物。

『危なっかしいところや、戦いしか知らないとかっていう危ういところとか、いろいろありますけどね』

 脳裏に浮かぶのは、一人の青年。
 きっと、最も迷惑をかけた人だとアーニャは思う。

『結局のところ、アーニャはいい子なんですよ。

機械だとか、心がないとか言いましたけどね。

それでも多分、根っこのところで、俺たちの役に立ちたいと思ったから、戦いしか知らないからヒーローという手段を取ったんだと思います』

 誰かと会話するような青年の言葉。
 その言葉は、呆れも含んでいながら歳の離れた妹を思うような温かみがある。

『血なまぐさい生活をしてきたのにもかかわらず、あれだけまっすぐな子なんですから。

きっと、すぐ成長してきますよ。ちゃんとした答えを持って』

 その言葉には、信頼が乗せられている。
 彼自身の人柄もあるのだろうが、それでも一般的にまともとは思えないような少女に対してここまでの信頼をよせてくれるのだ。

 ならばアーニャはその信頼に答えるしかないだろう。

「ピィさん……私の願いは、決まりました」

 素霊は粒子となって、アーニャの周囲を渦巻く。
 いくつもの拙い幻想は、結晶となって一つの願いへと昇華した。

 まぎれもなく、彼女にも願いはあった。
 それは、『アナスタシア』のような途方もないものではない。
 だが、それでも唯一彼女のみが持ち得るものだ。


「私は……まだ、みんなと一緒に居たい。

私の、好きなこの場所を……リセットするなんて、見過ごせない、です」

 誰かのための願いでもない。
 逃げ場としての望みでもない。

 紛れもないアーニャ自身の願いは、アーニャ自身のためのものだった。

『俺に……『黄昏(おわり)』など存在しない』

 そして今、必死に戦い続ける男の言葉が伝わってくる。
 その男の願いと共に、アーニャの中に入ってきた。

『あの人の……娘を、託されたと始めたことだ。

だが……それでも、それを叶えたいという心は、紛うことなく俺の願いだ。

俺は、アナスタシアを、あの手のかかる子供を、最後まで、導いてやる!』

 すでに、願いは想い人のしがらみから離れ、彼自身の鼓動と一体になっていた。
 それを理解し、アーニャはゆっくりとベンチから立ち上がる。



『もう……大丈夫?』



 すぐ後ろから聞こえる声。
 アーニャは振り返らずに、前だけ見据えて答えた。

「ダー……私は、もう、大丈夫。

じゃあ、いってきます」

 目指す場所は既に知っている。
 これは願いを貫き通す戦いだ。
 だからこそヒーローでも他の誰でもない、アーニャ自身が決着を付けなければならない。


 ウロボロスという世界に対するための願いは携えた。
 もはや迷いはない。自分自身のためにアーニャは前へと進みだす。

『大きく……なったわね』

 そんなどこからともなく聞こえる呟きを背にして、アーニャは光り輝く素霊と共に、公園から溶けるように消えていく。

 たどり着くのは一瞬だ。
 素霊の循環の流れは、大気の流れ以上にゆっくりで、かつ迅速。
 尚且つ、ちょうどその場は素霊が枯渇しており、穴を埋めるために素霊が大量に流入されている地帯となっていた。

「俺としては気に食わない部分もあるが……おおむねシナリオ通りだ」

 聞こえてくるのは男の声。
 周囲は一転して鬱蒼と茂る森の中。

「いつからかと考えれば、まぁ初めからとも考えられるが……。

それでも、今この瞬間お前はまんまと嵌ったわけだ。

『Шах и мат(チェックメイト)』ってな」

 アーニャはその場に現れる。
 自身を見つめる『自身』の瞳を超えて、気に寄りかかる男と視線を交わす。

「予防線は張った。

念のために策を講じた。

だがそれでも、俺は信じていた。お前が必ず来るってことを。

ちゃんとした答えを持ってこの場に現れることを、だ」

 その姿は満身創痍だが、それでも隊長の顔は勝利を確信していた。
 確信をもって詰みだと言い放った。

「お前なら……『お前』に勝てる。

いや……お前じゃなきゃ『お前』に勝てない。

これだけ俺に言わせているんだ。期待外れなら容赦はしない。

俺の伝えることは全て伝えた。与える物はすべて与えた。

だからこそ、お前は『勝てる』。アナスタシア」


 決して、これまで隊長は目の前の『アナスタシア』のことを名前で呼んだことはなかった。
 確かに、隊長にとっての『あの人』に頼まれたのは目の前の少女だったが、そんな事とは関係ない。

 隊長にとっての『アナスタシア』は今この場に現れた、白銀の少女の方だ。

「あなたは、いつも勝手です。隊長……。

好き勝手に、周りを巻き込む。

許せないことも、たくさんありましたし……私の中のしがらみも、なくなったわけじゃないです」

 交錯する視線は、互いに決して穏やかなものではない。
 到底親愛とは呼べないような遠い感情が二人の間には存在している。

 だが、この瞬間において二人の歪なしがらみは、二人だけの繋がりであった。

「それでも……あなたは私のためにここで、戦ってくれた。

たとえあなたが、私のためだとは言わなくても……それのおかげで、私は今ここに居る。

だから……私のために、ここに居てくれてありがとう。

そして私は……私だけの『願い』を、貫きます」

 その宣誓は、自らが見つけた回答を隊長に示していた。
 決して船頭としてはあまりに無様な男ではあったが、それでも子供は目的地へと辿りついたのだ。

「ハッ……合格点だ」

 隊長は、すべてを理解し静かに笑う。
 役目は終えた。ならばあとはそのなりゆきを、静かに見守ろう。


「あとは……任せた」

「大丈夫、です。

だってこれは……私の、闘いですから」

 アーニャの視線は、力なく四肢を投げ出す男から静かに様子を見ていた少女の方へと移る。
 互いに違うことのない姿は、鏡写しの様で、互いが互いの瞳の中を覗き込む。

「今更……何をしに来たの?『私(アナタ)』」

 その心は、慮外と疑念に満ちている。
 『アナスタシア』にとって、アーニャがここに来ることは完全に予想していなかったことであり、表情こそ平静を装っているがその内情はそれなりに混乱していた。

 なぜなら彼女は『アナスタシア』である。
 アーニャと同じ存在であり、数年に渡り心の中で観察し続けた人格だ。
 故に、アーニャがどういう者であるかも知りつくしており、その上で絶対に立ち直ることはないと確信していたからだ。

 彼女が空っぽであることをだれよりも知っていたから。
 彼女が人にすらなりきれない憐れな存在だと認識していたから。

「本当に……今更、何者でもないアナタがなぜここに立っているの?

これ以上……私から何を奪おうって、いうの?」

 だから彼女は、ここに現れた簒奪者に理由を問う。

 もはや自身の絶望は見せたはずだ。
 もはや彼女の愚かさは突きつけたはずだ。

 それでもなお、この場に立ちふさがる『自身』の写し身に、問わねばならなかった。
 このただ一つの願いもかなえられなかった少女の、たった一つの願いを踏みにじってまで叶えようとする彼女の願いを。


「私は……あなたがどれほど、苦しんだのか知っています。

ダー……ええ、きっと私には、理解できるものじゃあないの、でしょうけど。

あなたがどれだけ、争いを憎んで……どれだけ愚かな私が、キライだったかは、わかっています」

 限界まで張りつめた弓のように、抑圧された感情はあの月夜の夜に放たれた。
 目の前で吐かれたあの感情は、今もアーニャの心に傷のように刻み込まれているし、決して忘れはしないだろう。

 誰かに恨まれることなど、よくあることだった。
 人の生き死にに関することをしてきたのだから、そんなことは気にしてはいられない。
 断末魔の怨嗟など慣れ切ったものだ。

「私が……私を憎むことなんて、とても、つらいことです」

 だが、別人格であっても、恨まれるのが自分というのはまた違ってくる。
 その自己嫌悪にも似た感情は、同じ自身であるが故に最も近い出来てしまう。

 『アナスタシア』の言う通り、その絶望はかつて誰に言われた言葉よりも自身を否定し、自らの空虚さを突きつられた。

「あなたの言う通り……私には、あなたの願いを否定する権利なんて、ありはしない」

 それは今でも変わらない。
 アーニャは自分の罪深さは理解していたし、だからこそあの公園で終わりを待っていたのだ。
 仮に誰かに『アナスタシア』を止めろと乞われても、決して動くことはなかっただろう。

「だけど……私は、気付いたんです」

「気付いた……?ワタシを止める理由を?」

「……ニェート」


 『アナスタシア』の言葉をアーニャは否定する。
 アーニャには、止める理由などはありはしない。

「……私は、考えたんです。

私は……どうして、戦ってたのかを。

どうして、ここに居るのかを。

そして……気が付きました。

私は、みんなと一緒に居たかったんです」

 それは、まぎれもない彼女自身の言葉。
 彼女が手に入れた。否、気が付いた、すでに所持していた願いのかたち。

「はじめは、名前をくれたからとか、恩があったからとか……そんな程度でここに居ました。

だけど、私の手は血で汚れているのに……あの人たちは誰も気にせずに、私と接してくれた。

私と一緒に居てくれた。私のことを、考えてくれた。

私を、何も言わずに受け入れてくれたみんなを……私は気が付かないうちに、好きになっていました。

だから、せめてみんなの役に立てるようにって……戦い、ました。

だって、それしか……できませんから」

 彼女自身無意識だった。
 彼女はみんなを守りたいからヒーローとして戦っていた。
 だがそれは逆だったのだ。

「私は……居場所をくれた、みんなの役に立てるように……ヒーローを。

……ニェート、違い、ますね。私は、居場所を無くさないために、見捨てられないために、戦っていたんです。

結果的に……迷惑、かけて、しまいましたけどね」

「そんな……理由で、戦って」

 これはアーニャ自身にも理解できていなかった『自身』のことだ。
 だからこそ、同じ『アナスタシア』にも理解できていなかったし、その願いは誰にも知られることなく、そこにあることさえ気付かれないままに存在していた。


「だから……もう、ヒーローは、いいんです。

私は、まずみんなに、自分の、ホントウの気持ちを伝えなくちゃ、いけないんですから。

『ここに居たい』って。『この場所に私も混ぜてほしい』って、ただそれだけを」

「今更……いまさら、そんなことを……!!!」

 『アナスタシア』は泣きそうな顔になりながらも激昂する。
 機械のような少女はもうそこにはいない。
 一つの欲求を形にして、それを見据える一人の少女を『アナスタシア』は前にして、たまらなく、耐えられない。

 まるで自分が置いて行かれたような、私の方が人間だと、私の方が純潔だと思っていたのに、いつの間にか自分が劣っているかのように思えて。
 そのあまりにありふれた『願い』のかたちが、自らが絶望の果てに紡いだ『願い』に迫るものであるかのような感覚が。

「そんなことで……そんな程度の願いで、ワタシを……止めるの!?

ワタシの絶望を……その程度で、踏みにじるというの!?」

「……ダー、あなたが抱いた願いだって、わからなくないです。

だって私も、パパやママが生きていたらって思うこと、あります。

あの時……やり直せたらっていうことは、いくつもあります」

 アーニャだって、『アナスタシア』の願いは理解できている。
 一度はその願いを受け入れたし、そう考えたこともなかったわけではない。

「だけど……私は、今のこの場所が、好きなんです。

昔の、私の故郷を選べば、今のこの場所は確実になくなります。

私の願ったこの場所は、きっと消えてしまいます。

……なら私は、今を選ぶ。この代えられない、欠けることのない、みんなのこの場所が、いいんです」

 未練がないわけではなかった。
 だがそれでも、そんな悲惨な過去だとしても、それがあるから今がある。
 確かに幸せではなかったかもしれないけれど、その結果から成り立つこの場所は、今のアーニャには決して代えられないものだった。


「だから……私は、あなたの願いを止めます。

恨まれようと、憎まれようと、私は『私』の願いのために、『あなた』の願いを打ち砕きます。

そして、私は迷惑かけた皆に謝って……またみんなで、この場所で、明日を迎えます。

誰かのためとか、じゃない……私の、願った明日を」

 その二つは完全に分かたれた。
 二人のアナスタシアは決定的に決裂し、互いに過去と今を思い合う。

 そしてその心に、複雑な歪みを理解したとしても、もはや立ち止まれはしない。

「だって……ワタシは、これを願った。

いまさら……きれいごと言ったって、そんなのは卑怯者だ!!!

ワタシは、アナタが、嫌い!!!

わかった、アナタはかわいそうなんかじゃない、憐れなんかでもない。

アナタは、ワタシの邪魔者なのよ!だから、もう、ほっとけない!!!」

 『アナスタシア』は理解した。
 嫌いではあったけど、憎くもない、同じ被害者だと思っていたもう一人の自分が、最も自分の敵であることを。
 『願い』ために立ちはだかる障害物は隊長などではなかった。

 真に乗り越えなければならないのは、自分自身であったことを理解した。

 そしてそれはアーニャも同じことである。
 アーニャにとっては、これは今までのような外敵との戦いではない。

 自分自身の、自分のためだけの願いを貫く戦いだ。

「この『願い』は、誰かから教わってもいない。

貰ってもいない。……私だけの、私が叶えたい『願い』だから!!!」

 二人の少女は真に相対する。
 互いが互いを乗り越えなければならない敵と認識し、空気は緊張したように張り詰める。

「ワタシは……戻らない!!!これを……вникатьй(貫け)!!!」

 『アナスタシア』の背に現れるのは、数本の結晶杭。
 もはや殺気さえ隠さずに、アーニャを串刺しにしようとそれらを放つ。

 この数刻の間に、扱い慣れ始めた結晶杭は迷うことなくまっすぐアーニャの体を狙う。
 初速にして、200キロ超。銃弾ほどの速さではないにしろ人の身体を貫通させるのならば十分な速さである。
 その上、放った杭は1本程度ではなく、数本同時の射出。いわゆる『点』ではない『面』としての攻撃。

 制圧力は大きく、普通ならば大きな回避行動をとらなければまず避けようがない。
 だがアーニャはその攻撃に対して、動きは見せない。
 
「大きな、回避は……隙も、大きい」

 アーニャは何も持っていなかった右手を動かし、空中をなぞる。
 その手は、鋭く光の軌跡を描く。それと同時に結晶杭はアーニャの元へとたどり着いた。

 鉱石を研磨するような音が響く。
 アーニャは迫りくる杭に対して、右手で軌道を三度ほど描いた。

「必要最小限で……最大の効率を」

 面の攻撃としてその視界を網羅していた結晶杭は、一瞬の拮抗によって逸らされて、アーニャの背後へと突き刺さる。
 アーニャはその場から一歩踏み出して、どこからか出現したナイフを再度構えた。

「銃弾よりも、遅い上に……弾幕の密度は、一枚だけ。

これなら……回避なんて、要りませんね」

 結晶杭は銃弾とは違い、大きな質量を持った杭だ。
 故に面としての攻撃をしたところで、体積的な関係上で杭の本数を少なくして密度を薄めなければ一度の面に納まりきらない。
 だからこそ、アーニャにとっては回避するのではなく、自身にあたり得る杭の身を判別し、受け流してやればいい話だ。


「アナタの……そのナイフは、同じ」

 だが『アナスタシア』にとって杭を防がれた以上に、アーニャが手に持つ得物の方が気になっていた。
 アーニャの手に突如出現したそのナイフは硝子細工のように透き通り、氷のように冷たさを持つ。
 そして、結晶のように輝きを放っていた。

「まだ……よくは、解りません。

ですが……『彼ら』は私に、力を貸してくれるから……私が指示を、与えています」

 アーニャはそのナイフを『彼ら』と呼んだ。
 それは彼女が、それを群体であることを認識し、理解したうえで使役しているということである。

 それらは人の命をつかさどる『死神』のような存在でさえ意識しなければ知覚できないほどに微弱で、どこにでもいる存在。
 紛れもなくそのナイフは『素霊』によって形成されていた。

「これが扱えるのは、ウロボロスの力を持つワタシだけのはず……」

 『アナスタシア』にはその事実が解せなかったが、同時に理解も出来た。
 確かにアーニャはもはやウロボロスの力は持っていない。

「だけど……アナタは『私』だ。

その封印の……天聖気の性質が、これまでのウロボロスの干渉によって変わっているのね」

 素霊結晶はウロボロスの力によって素霊が強制的に『受肉』させられることによって形成される結晶だ。
 ウロボロスの性質は『無限』『円環』、または『転生』。
 故にその無尽蔵の力を行使することで、膨大な素霊たちを結晶化させ使役することができた。

 そしてかつてウロボロスの力は封印によって漏れ出す際には『復活』の天聖気へと変質していた。
 だからこそ、封印そのものである天聖気も、長い年月をかけて性質を変えていても不思議ではない。

「『復活』の天聖気なら、そんなことはありえるかもしれない。

だけど……この力は、そんな順序立てて行えるような力じゃないのよ……」

 『アナスタシア』が行使する素霊結晶は、彼女が『ウロボロス』と願いの契約をしたことによって行使できるものだ。
 『ウロボロス』に願ったからこそ、今『アナスタシア』はその無尽蔵の力を行使することができているのである。


 よって素霊を扱う力は、ただの天聖気によって扱える力ではない。
 素霊と意志とを繋ぐミッシングリンクが、アーニャからは見えないのである。

「ンー……私にも、よく、わかりません。

だけど、なんとなく……慣れてきまし、た!」

 アーニャは踏み出した一歩から、脚力をもって加速、その勢いで手に持ったナイフを杭のように投擲する。
 その軌道は鋭く、杭の速度ほどではないがまっすぐ『アナスタシア』の顔面目掛けて飛んでいく。

「そんなことで……!」

 『アナスタシア』は虚を突かれた形になるが、慌てずその迫りくるナイフを防ぐために結晶の壁を生成。
 部隊での経験をアーニャに置いてきたために、動体視力は並の少女程度しかないが、それでも十分に対応できるほどに結晶壁の生成速度は速い。

 そして壁の生成から少し遅れて壁の向こうから聞こえる金属音に似たナイフを弾く音。
 結晶壁は即席で作ったために形は歪で、壁の向こう側は見にくくなっている。

 それでも向こう側の影を捉えるには十分。
 『アナスタシア』はまだ距離を詰められていないことを確認し、結晶壁を解除すると同時に向かい来るアーニャに対する結晶杭を生成する。
 だがその同時処理は、『アナスタシア』のただの少女の思考では遅すぎたのだ。

「…………シッ!」

「ん、な!?」

 消えゆく壁の向こう、少し距離を開けて見えるアーニャの姿。
 その姿は、体勢を低くしてまっすぐ『アナスタシア』を見つめている。
 そしてその沈み込んだ体勢からアーニャは一瞬にして、消えきっていない結晶壁の前までたどり着いた。


 この世界において、縮地に似た技術は現存している。
 達人ともなれば瞬き一つで相手との距離を詰めるなど造作もなく、かつて両義手の女『カーリー』がしていた芸当がまさにそれだ。
 決してアーニャは達人と呼べるほどのそう言った戦闘技術を持ち合わせているわけではない。

 しかし、それでもあの隊長の下で戦闘の研鑽を積んできたのだ。
 たかが、15の少女の動体視力を欺くなど、アーニャの十分ではない技術でも造作もなかった。

「……変な、ことを!」

 『アナスタシア』は突如として接近したアーニャに対して、結晶杭に射出命令を即時出す。
 結果として中途半端に壁は残ってしまったが、それでもアーニャを狙いに捉えるには十分に視界は開けていた。

 だが、狙いの甘い弾道などアーニャには通用しない。
 残った壁による中途半端な視界と、突如として標的を狙った結晶杭の軌道を読むことなどアーニャには簡単であった。

 すぐさまアーニャは新たなナイフを生成。勝手もわかってきたのか、今度は両の手に一本ずつ。
 残った壁に足をかけて、足に力を込める。

 それを見た『アナスタシア』は直進方向に放つ結晶杭を警戒して、アーニャが上にジャンプするのではないかと直感で錯覚する。
 故に、『アナスタシア』の視界が少し上向いた隙をアーニャは見逃さない。

「ウ……らぁ!」

 かけた足は、上方向ではなく前方への加速を促す。
 当然、前には迫りくる結晶杭。数は3本でこのまま進めば顔、右肩、左脇を的確に貫くだろう。

 だがアーニャはその迫りくる杭をナイフで叩きつけて、空中で体勢をひねる。
 ただ2回、両のナイフでの一回ずつの杭への叩き付けによる反動で、顔面に迫りくる杭を回避し、残る二つの杭は軌道が逸れた。

 必要最低限の動きで、敵の攻撃を回避しつつ射程まで接近する。
 奇しくもこれは、先ほど隊長の行った芸当と同じであった。

「たどり……ついた!」

 『アナスタシア』のすぐ目の前にまでたどり着いたアーニャは、地面に滑るように着地する。
 その両手のナイフは無駄のない軌道を描きながら、『アナスタシア』の心臓と首の位置を狙う。


「はや……!?」

 その少女の脳は、一瞬に迫りくる膨大な情報を処理しきれていなかった。
 壁の蹴り上げによるフェイントによって完全に虚を突かれた『アナスタシア』は、思考で理解していても体に指令を出すことはもはや不可能であった。

 もしも、先にアーニャと戦っていたのならこれほどまでうまく事は進んでいなかっただろう。
 先に戦ったのが隊長だったから、物量と物量という単純な戦いであったからこそ、今の時に意識が追い付かなかったのだ。
 隊長の物量という面攻撃の応酬に対して、アーニャは一点を突破していくような確実で一撃必殺を狙う戦法。
 相反する戦闘方法だったからこそ、『アナスタシア』は反応しきれなかった。

(だけど……その程度の攻撃で)

 しかし、それでも『アナスタシア』は諦めなど微塵もない。
 所詮アーニャの攻撃など、ナイフの一閃だ。
 首を切られようと、心臓をえぐられようと『アナスタシア』にとっては致命にならない。
 これをたとえ受けてもすぐさま再生し、カウンターでアーニャに杭を打ち込むつもりだ。
 先ほどの隊長に対してもこの戦法であったし、これがアーニャにも通用しない道理はないはず。

 そう思っていた……はずだった。

(まだ……刺さらない?)

 決してアーニャが躊躇したわけではなかった。
 だがそのナイフの軌道は、なぜか『アナスタシア』にはスローモーションに見える。
 まるで時を引き伸ばされるかのような、『走馬灯』のような、感覚。

 その間も『アナスタシア』は何かができる訳ではなかった。
 ただそのナイフを、アーニャが作り上げた、素霊で形成されたナイフを見る。

(……ッ!!!???)

 ナイフが持つ冷たい輝きに、『アナスタシア』は戦慄した。
 『アナスタシア』は、そのナイフを本能的に危険だと察知したのである。
 そして同時に、このスローモーションの時こそが、走馬灯のようなものであることを理解したのだ。

 あのナイフの一撃は、『アナスタシア』にとっての致命に成り得る。
 あれを受けたら、確実に自分の負けだと、理解できてしまった。


「あああ……あああああああああ!!!」

 その動きは思考によって意図されたものではなく、もはや本能的なものであった。
 『アナスタシア』はナイフがその身を貫かんとするその直前で、意識したわけではなく素霊に指令を出していた。
 自己防衛本能ともいえるような、走馬灯の中で必死に意識を現実に同期させた結果ともいえるだろうか。

 『アナスタシア』は尻餅を着き、腰から地面に後ずさるような無様な後退を見せる。
 それとは反対に、周囲の結晶が地面から生える氷柱のように、幾本もの杭が『アナスタシア』の身を守るように伸びた。

「くっ……!?」

 アーニャもこの一撃で終わると思っていた。
 だが『アナスタシア』の知覚外における結晶の氷柱という予想外の抵抗によって、アーニャはその手を変えざるを得ない。

 アーニャは『アナスタシア』を狙っていたナイフの軌道を急きょ変えて、アーニャを狙って迫りくる杭、いや結晶柱を先ほどと同じように叩き付ける。
 その反動で、アーニャは体勢を回転させて柱を後ろにいなす。

 だがそれではたかが2本の結晶柱を逸らしただけだ。
 体勢を回転させたことによって、迫り聞いていた柱は全て回避しきったが、新たな結晶杭と結晶柱は絶えることなくアーニャを狙って来ようとする。

「る……あぁ!!」

 瞬間的な回避は出来たが、腕のばねは伸び切って再び力を入れるにはこの一瞬では十分でない。
 ならば残ったばねは脚力。空中に滞空しているアーニャは迫りくる柱の先端、そこからわずかに逸れた側面に足をかける。
 そのわずかな足場を利用して蹴りだした脚は、アーニャの体を後方にジャンプさせ『アナスタシア』の周辺から離脱する。

 だがそれでも執拗に結晶柱は追いかけてくる。
 未だ空中で身動きの取れないアーニャは両手のナイフを放り投げると同時に素霊に帰し、新たな武器を結晶で生成する。

 その形は、彼女にはなじみ深く、そして『彼女』にとっては忌むべき象徴。
 俗にいう『拳銃』と言う名の、女子供でも引ける小さな引き金で人を死に至らしめることさえできる凶器。

 この世界においても、忌むべき発明の一つであり、それと同時に人の歴史を象徴するものだ。


 アーニャは迷うことなく、その引き金を引く。
 銃身から弾丸まで結晶で作られたそれだが、機能は十分に果たしていた。
 火薬の炸裂による推進力さえも、素霊の流動によって再現し、本物と違わぬ速度で結晶の銃弾を放つ。
 拳銃の機構を隊長から教わり、知り尽くしていたからこそできる素霊の扱い方。

 圧倒的に経験が不足している『アナスタシア』の直接的な使い方とは対極的な素霊の扱い。
 そしてアーニャの放った銃弾は、本来人を殺す道具としての本分は果たさずに、迫りくる結晶中の先端に着弾した。

「……砕けて!」

 アーニャの合図と同時に、着弾した結晶柱は何の前触れなく先端から砕け散り、素霊に戻っていく。
 統率された素霊の大群によって形成された結晶体は、本来あるべき姿に帰っていく。

「やっぱり……ですね」

 アーニャは予感していたことがその想定通りの結果となったことに付い口角を上げる。
 しかし迫りくる柱は破壊できたが、空中で十分に体勢を整えることができず地面に胴体から着地するはめになった。
 ろくな受け身さえ取れず地面に激突したアーニャはうめき声を上げながら転がり、その先に合った一本の木にぶつかって静止する。
 先ほど扱った結晶銃はその際に手放してしまい、元の素霊に帰ったようだ。

「……アー……イタ、い……です」

 アーニャはふらつきながらも、両の腕で地面を掴みゆっくりと立ち上がる。
 いかにこの体が霊体に近いもので、本物ではないとはいえその基本構成は人間とほぼ同一。
 全身の至るところに擦過傷と打ち身、軋み上げる内臓の感覚が残る。

「ニェート……でも、立ち上がらなきゃ。

痛い、だけど……本当は傷はすぐには、治りません。

痛みは、人として、普通だから……いまさらこんなことで、弱音なんて、吐けないから」

 アーニャにとってすぐ治癒してしまう痛みなど、刹那に感じる電流のようなものであった。
 しかし、様々な経験をして今体に刻まれている傷は、まぎれもなく痛覚を感じ続けそこに存在していることを感じさせる。
 今のアーニャには残った天聖気で肉体を維持しているので、傷を治癒させるためにまわす天聖気は残っていない。
 これまでのように付いた傷をすぐに治すことはできないのだ。


 だが、本来に人間に痛覚というものは必要不可欠なものである。
 それは瞬間的なものではなく、本来連続的なものであり、その連続的な痛みをもってして人は外との心の交わし方を知るのだ。

 中途半端な痛覚を持っていたアーニャにとって、外部刺激への知覚が希薄であったということと同じ。
 今自らの傷を治癒できないアーニャは閉じていたその知覚を今感じとって、アーニャは痛みの意味を理解する。
 心の軋むような、精神的な痛みではない正真正銘の生きている鼓動。

「私は……これからも、在り続ける。

この、痛みが、心臓が……私がここに居るという証拠だから、だからこそ、私は願ったあの場所へと帰るんです。

こんな私でも待っててくれる、みんなが私を望んでくれる、そんな場所があることを、知ったから。

私は、たとえ欲張りだと言われても……このたった一つの願いは、誰であろうと、自分であろうと譲れない。

あなたの絶望を、踏み越えてでも……なによりも、私はその先の『今』が、欲しいんですから!」

 痛みは傷となって、傷は経験となって人に刻まれる。
 正しく人として歩みだした少女は、自らの願いを今完全に理解し、ここに宣言した。

「ヤー……私は星には、願わない。

私の、星は『ここ』にあるから」

 アーニャの存在を形成していた天聖気の封印。
 それはその性質を残しつつも、アーニャ自身の『願い』に呼応するかのように形を変える。

 魔法・魔術は既に研究分野として確立され、これまでに多くの発展と研鑽が歴史の中で成されてきた。
 しかし一方で、天聖気の研究はその存在は魔法などと同時期から存在していたにもかかわらずほとんど進んでいない。

 その理由として最も大きいのが、普遍性の無さが挙げられる。
 魔術は魔力さえ持っていれば、誰が作り出した術式であろうとその構造、詠唱さえ学んでしまえば誰にでも扱うことができる。
 学問として歴史を積み上げることが容易であり、代を渡って積み上げていくことが可能である。

 だが天聖気はその性質が一人一人違い、心の在り方によってその性質が反映される。
 仮に心象が似ていて近似の性質を持った天聖気であっても、天聖気そのものの細部は完全に一致することはないのだ。
 一人一人の性質に一致するものがないということは、学問体系としての基準が存在せずその力は一代のみの物となってしまう。
 だからこそ天聖気は、その性質をそのまま能力として使用されることが大半であった。



「『まだ暗い空、散った夢の欠片』」


 しかし一代の、そのたった一人が天聖気を極めた場合にはその限りではない。
 そしてその最たるものが『天聖術』であり、一人の天聖気使いが感情を昇華させることによって可能とするオンリーワンの術式である。
 魔力のように学問としての知見は存在しないため、『天聖術』を編み上げることに誰か他人の知識や経験を利用することはできない。
 自らの心の在り方を理解し、自らが心象を掌握することによってのみ完成する術式。
 それは当人の『あり方』そのものを表すものであり、独力でのみ得られる天聖気の完成形のひとつである。


「『星のシルエットは、未だ見果てぬ遠い空』」


「『馳せる思いは彼方の星、先は永くここは孤独』」


 その詠唱は、心の形。
 まだ紡ぐ歌は拙いものだが、それでも昇華する心は一つの最果てである。
 ここで一つの物語が終わり、彼女の物語は今から幕を開ける。


「『見つめる背中は幼い自分、壊れた約束は流星、求める星は心の所在』」


「『それでも私は、星になろう。たった一人の手中の星に』」



「『Сейчас нахожусь здесь(星は願いを、ここが私の物語)』」



 彼女の願いは一つの結晶となって、彼女を後押しする力となる。
 それは誰からの借り物でも授かったものでもない、アーニャ自身が生み出した唯一無二の存在証明だ。




「『とある一つの星の物語(スターリィ・フェアリーテイル)』!!!!」




 その術式の名を高らかに宣誓し、彼女の願いは物語として顕現した。


 先ほどまで身に着けていた傷ついた服は結晶に覆われる。
 纏った戦闘用のコートはうねりを上げて、変質し再構成される。

 その姿は結晶によって煌めく、おおよそ戦闘とは無縁のようなドレス。雪の結晶のような白い清廉さと、底無しの夜空のような藍の色調。
 そして星のように散りばめられた結晶によってできた装飾は神秘的な輝きを放つ。

 夜空に輝くような小さな輝きを放つその姿は、されど手が届く眩しすぎない優しい光。
 人と寄り添い、人と歩調を合わせるためにあつらえたその衣装はアーニャの『願い』を体現していた。

「感覚は、掴みました。

次で……終わりましょう」

 先ほどまでのような素霊への中途半端な指揮ではない。
 この天聖術『スターリィ・フェアリーテイル』の能力はウロボロスの能力とほぼ同一である素霊の使役である。
 天聖気を『願い』によって編み上げて、その天聖気を媒介に意思を素霊へと伝達、素霊を蘇生して結晶として組み上げているのだ。
 力の量でこそウロボロスのように無尽蔵ではないが、その衣装は霊体に近いために素霊への同調率が高く、それにおいてはこちらの方が上であった。

 そして何より、この衣装そのものが天聖気を『願い』によって編み上げたアーニャ自身である。
 これを傷つけられれば残り天聖気残量の少ないアーニャ自身も危険であったが、『封印』であり『願い』でもあるこの衣装による一撃を食らえば、『アナスタシア』にとっても無事では済まない。
 一撃でも食らえば、『封印』はウロボロスを封じ込め、『願い』は『アナスタシア』を侵食するだろう。

「ワタ、シは……ワタシは、間違ってなんか、いない。

ワタシは、ワタシが欲したものは、誰だって持っているのものでしょう?

それをワタシも……欲して何が悪い!ワタシも……願うことの何が悪いの!?」

 『アナスタシア』の周囲は結晶が広がっていき、凍土よりも人の存在を拒絶する。
 地面からは氷柱が立ち、周囲には何本もの杭が発生している。
 その場所だけ切り立った氷山のような、人を近づけさせないような鋭い冷気を周囲に無差別に放っていた。


「その輝きを……ワタシに向けるな。

今更……そんなものを、ワタシに見せるな。

『夢』など『希望』など……ワタシを裏切り続けてきたアナタに『願い』なんて、おこがましい!!

そんなものは……ワタシの足元にも及ばない!!!!」

 もしもアーニャがこの『願い』の選択を初めに、いやもっと早くとっていたのならここまで事態は拗れることはなかったのかもしれない。
 『アナスタシア』もここまで狂ってしまうことなく、誰一人として傷つくことはなかったかもしれない。

 なれど、やはり今更なのだ。
 もはや『アナスタシア』は引くことはできない。
 この『願い』を願い、現実を歪めてしまった時点で先に進むしかないのだ。
 その先がたとえ出口のない無限の迷路(ウロボロス)であろうと、『アナスタシア』は邁進するしかない。
 彼女自身ここまで来て、今更諦められることができないのだ。

「お互いに……その受ける一撃で終わるっていうのなら、予定通り終わらせましょう。ワタシも、『私』も」

 『アナスタシア』自身、アーニャの一撃が自身にとって致命的な一撃になることを理解していた。
 先ほどの走馬灯もさることながら、先ほど結晶柱を砕いた拳銃はそれを理解させるには十分だったのだ。

 アーニャの放った銃弾を受けた時、『アナスタシア』が操っていた杭の素霊たちが一瞬でざわついたのを感じた。
 銃弾はアーニャが作り出した結晶であり、命令の指揮系統が違うため、両者の結晶が衝突した際に素霊に対して二つの命令が下っている状態になる。
 素霊は集団のために、同時に複数の命令が下ると混乱してしまう。素霊の数こそ『アナスタシア』の方が多いが、命令の強さではアーニャの方が上。
 結果として素霊は結晶の状態が保てなくなり砕け、分解されたのだ。

 そしてアーニャの素霊結晶は、天聖気によって形成されている。
 その天聖気は『ウロボロス』の封印のものであり、それがナイフなどの一撃を介して『アナスタシア』の体内に入れば結果の想像は容易いだろう。
 『アナスタシア』は決して封印を破ったわけではない。扉の鍵を壊しただけであり未だ封印は健在なのだ。
 アーニャの『願い』は『アナスタシア』を侵食し、封印は『ウロボロス』を封じ込める。
 故に、『アナスタシア』もアーニャの一撃を受けることはできない。


「ダー……そうですね。

苦悩は、もう止めましょう。……どうせ互いに平行線なのは、明らかです。

貴女は私を許せないでしょうし……私は私の『願い』を貫くために、貴女を許容できません。

結局……どちらも折れないなら、ぶつかるしかないんですから。

ならばこそ……その幕引きも、早い方がいい、ですから」

 アーニャも杭で一撃でも体を貫かれれば、それだけで致命傷。
 治療も再生もできない今のアーニャにとって、通常の人間の致命傷は当たり前のように彼女に死をもたらす。

 次の一合で決着は着く。
 その結末はいかなるものであろうと、それはアナスタシアが貫いた意思の結果だ。
 二つに分かれた意思決定は、ここでまた一つになるのだろう。

 終わりは続く。
 その先は、今が続く未来か。それとも過去に馳せる未来か。
 互いは今一度視線を交差させる。二人(ひとり)の少女の行く末を見据えて。

「……正真正銘、一撃で!!」

 アーニャはドレスをひらめかせながら、両手を構える。
 その姿勢は立膝。集う結晶は一つの長大な筒の形。

 その形は俗にいうアンチマテリアルライフル。この距離で使用する武器ではない確実に過剰な兵器。
 しかし貫通力だけならば群を抜いており、ある程度の結晶壁なら容易に貫通させられる代物である。

 アーニャはまともな構えも、狙いも付けずに躊躇することなく引き金を引く。
 この距離ならば角度補正もいらず十分に『アナスタシア』に向かって弾丸は一直線に貫いていくはずだ。


 轟音と衝撃が同時にアーニャに伝わる。
 狙撃訓練はほとんどしたことがないためアーニャは反動によって銃口は上向き、少しのけ反る。
 衝撃に耐えられなかったことと、構造を完全に再現できていなかったためか結晶で作られたライフルはその一発で砕けてしまったがアーニャにとってはそれで十分。
 大口径の結晶弾は一点を貫く槍となって、『アナスタシア』へと発砲音さえ置き去りにして突き進む。

「защищатьте(守れ)!!」

 だがその弾丸は城塞のように一瞬で形成された結晶壁に阻まれる。
 その厚みは何層にも及ぶ結晶の外殻。表層を何枚も貫きながら標的を仕留めようと槍は進む。

 しかし弾丸は『アナスタシア』までたどり着くことなく数層の壁を残し制止する。
 それと同時に貫かれた壁と、弾丸を受け止めた一枚の壁が素霊の命令重複によって役目を追えたかのごとく砕け散る。

「……次は、直接!!」

 アーニャも止められることは予想していた。
 自らが考えうる最大の貫通力を持てる武器を使ったが貫けない。ならばその体に直接刃を突き立てるのが確実である。

 すでに壁が砕かれた時には『アナスタシア』が作り出した一枚目の壁の残骸まで到達しており、足のばねは先へと進まんと駆け出す。
 両手には結晶のナイフ。アーニャはその片方を投擲し、結晶壁の一枚へと突き刺さる。

 その瞬間、結晶壁は砕けアーニャと『アナスタシア』は互いに視線が通る。
 『アナスタシア』の背には幾本もの結晶杭。
 それらは躊躇なく一直線にアーニャに向かって放たれた。

 アーニャは前方に転がり込むように跳びあがる。
 そして飛来する杭の間を縫うように体勢を動かし、ナイフと杭の衝突による反動で、進行しながら回避した。

「それは……ワタシは、何度も見ている!!」


 しかしアーニャの回避の着地点に狙いすましたかのように結晶柱が突き立つ。
 それはアーニャの身体を貫こうと切っ先を伸ばし、アーニャは回避の流れからすでに回避する術は持たない。

「……っく!!」

 アーニャは体勢を崩しながらも手に持っていたナイフで結晶柱を薙ぐ。
 ナイフを結晶柱は互いに対消滅するように砕け散り、アーニャはかろうじて貫かれることなく地面へと転がるように着地した。

「паденией(降れ)!!」

 体勢を立て直そうとアーニャが体を起こした時に、視界の端に移る影。
 アーニャはその方向へと視線を向ける。

 それは真上。大量の杭が切っ先をこちらに向けながら一面の空中に存在している。
 杭は撃ち出されるのを今か今かと待ちわびるかのようにギラギラを輝き、先端に狂気を滲ませながらアーニャの方を向いていた。

「耐えられます?……Проникатьте(貫け)!!」

「……こんなこと!!」

 『アナスタシア』の合図で、一斉に杭はアーニャ目がけて発射される。
 上方向360度全てから一点に向けて撃ち出される杭の雨は、残骸さえも残さないという意思を表しているかのように、隙間なく迫りくる。

 アーニャは転がって崩れた体勢を整えなおし、その過程で結晶を収束させる。
 一面の杭の包囲網を潜り抜けるには、それらを打ち消し得るだけの結晶を拡散させる必要があった。

「あまり……これは」

 苦肉の策ではあった。そもそも初撃の際に用いたライフルでさえ弾丸の推進力を生み出すためにそれなりの天聖気を消耗したのだ。
 一方向の運動ベクトルでさえ相応の消耗を強いられるのに、敵の方位射撃を突破するためには拡散するような兵器の使用が必要である。

 アーニャが作り出したのは、片手に納まるほどの小さい球状の物体。
 手りゅう弾、グレネードと呼ばれるそれをアーニャは真上に投げる。
 そしてそれから身を守るように、アーニャは小さな結晶壁をグレネードとの間に作った。

 本物のグレネードとは程遠いような乾いた炸裂音が響く。
 実際、その炸裂力は実際のグレネードに比べれば弱く、アーニャが結晶壁越しに感じる衝撃も大きくない。
 だがここで必要なのは火力ではなく、破片を拡散させるための力が必要だったのだ。


 飛び散ったグレネードの結晶は、迫りくる杭へと突き刺さり命令重複によって杭は砕けた。
 しかしグレネードの爆発力程度では、すべての杭を打ち消すことはできなかった。
 第一陣の杭、迫りくる凶弾の表層を打ち消しただけで、串刺しへの時間を引き延ばしたに過ぎない。

「それでも……一瞬は、あります!!」

 炸裂を防いだ結晶壁を真上に投げ、新たなナイフをアーニャは作り出す。
 それを横方向の木へと投擲し、突き刺さったのを確認してアーニャはギミックを作動させた。

 巻き上げられるような駆動音と共に、アーニャの体はナイフの突き刺さった木の方へと手繰り寄せられその場から間一髪離脱する。
 突き刺さる杭の音を背に感じながら、ワイヤーリールの内蔵されたナイフによって杭の方位から脱出したアーニャは、巻き上げられながら先ほど居た場所を見る。
 そこは既にいくつもの結晶杭が折り重なるように突き刺さっており、刺々しい結晶塊のオブジェになっていた。

 当然そのまま標的から逸れたアーニャを『アナスタシア』は放っておくわけがなかった。

「следитьте(追って)!!」

 空に漂う杭は際限なく生成され、アーニャの後を追う様に追い立てる。
 状況は変わらず四面楚歌。
 周囲の数多の素霊はアーニャに敵対し、『アナスタシア』の命令で命を狙ってくる。

「そんなの……全部、相手に、できません、よ!!」

 アーニャはナイフからワイヤーのみを消して、新たにナイフを生成。それらは両手に納まる。
 それと同時にドレスは煌めき、周囲で浮遊していた結晶の粒子が光を反射して輝く。

 360度の包囲攻撃こそアーニャにとっては弱点になる攻撃だが、それは相手が一点にとどまっている限りに有効な攻撃だ。
 その場に留まらなければその限りではなく、相手は移動する点に対して攻撃するしかないのだ。


 アーニャは両手のナイフを逆手に持ち、正面から迫りくる杭の、少し斜め前方に向けて走り出す。
 着弾寸前の杭は、今更軌道は変えられない。
 迫る杭に対して、ナイフを振るい杭を逸らしてアーニャは回避する。
 ほぼ逆方向に方向転換したアーニャの動きを捉えることが『アナスタシア』にはできない。

 移動するアーニャを杭は追いかけながらも、着弾点は少し後ろで捉えきれない。
 その間にもアーニャは縦横無尽に、フェイントを入れながら着実に『アナスタシア』に接近する。

「удар ножомй(刺せ)!!」

 追い立てるように杭は、アーニャを狙い地面へと突き刺さるが、立ち止まることのないアーニャを捉えられず大量の杭が突き刺さっている。
 アーニャが動くたびに、その軌道に遅れるように杭が刺さる。
 それを見越して『アナスタシア』は別方向から杭を放ったり、地面から結晶柱を生成したりするが尽くそれらは回避されていた。

「うう、らああああああぁぁぁぁーーー!!!!」

 アーニャの方も立ち止まればその体に大穴が開くことを知っているため、決して立ち止まらない。
 背を追い立てる杭もさることながら、こちらの行動を予測してしてくる攻撃に関してもほぼ紙一重であった。
 『アナスタシア』の視線と他の結晶杭の挙動を観察し、その上で周囲の素霊のざわつきを比較することによって攻撃のタイミングを予測する。
 実際のところ敵が戦闘において未熟である『アナスタシア』だからこそ、アーニャはこれほどの回避が可能になっているに過ぎない。

 それでも一撃を受けてはいけないと言う針の穴を通すような精密予測が、雄たけびの裏で行われているのは『アナスタシア』には予測できなかった。

「ぁぁああ……らあ!!」

 アーニャに向かいたつように正面から伸びる結晶柱を手に持ったナイフで両断する。
 ナイフと両断された結晶柱は同時に砕け、アーニャの行く先を阻む障害は消えた。


 ついに『アナスタシア』とアーニャの間の距離はわずか5メートル足らず。
 アーニャならば一呼吸の間にこの差を詰めることが可能出る。

「あと……少し」

「Он начинает двигатьсяй(動き出せ)!!」

「……!?」

 だがその一歩を踏み出した時点でアーニャには予測できなかった事態が起きる。

 まるであらかじめ仕掛けられていたかのように、アーニャを取り囲むようにして結晶柱が地面から伸びる。
 そう、取り囲むようにしてだ。決してアーニャを狙わずに、退路を塞ぐような形で生成された結晶柱は身動きが取れないほどではないにしても、とっさの行動を塞ぐには十分であった。

「これは、ワタシがあらかじめ指示しておいたトラップよ。

アナタは、よくわからないけどワタシの攻撃を予測していたようだから……正攻法じゃあ捉えきれない。

なら……少し拙いかもしれないけど、策は用意しました。

確実に動きを止めて、確実に当てられる一撃を!!」

 『アナスタシア』の背に再び現れる大量の結晶杭。
 それは一人を狙うにはあまりに多く、そしてそれが一斉に放たれれば避けられる道理など存在しない。

「……くっ!!」

 今から体を取り囲むように立ちふさがる結晶柱を抜けて回避しようとしたところで間に合うはずがない。
 この動きを妨害する結晶柱が生み出した一瞬の足止めは、アーニャに止めを刺すには十分な隙であった。

 故にアーニャもそれを理解しているからこそ、この場から動きはしない。
 相手は確実に止めを刺そうと、無数の杭をアーニャに向けてはなってくるだろう。


 そこで杭の暴風は大味な攻撃だからこそ、アーニャは隙を見出そうとする。
 それはこの杭の大群に正面から立ち向かうということであり、無傷……いや切り抜けることすら難しいだろう。

「それでも……私は、先に進む!!」

 両手に作り出すは、過剰な火力。
 実際正面から迫りくる過剰すぎる暴力に対しては、それくらいでも全く足りないだろうが連続発射弾数だけなら最大である。
 両の手には、アーニャが片手で支えるには足りないほどに巨大な機関銃。
 それぞれ一丁ずつ、計2丁を結晶によって生成する。

「раздавливанией(押しつぶせ)!!!!」

「ウウウウ……らああああああああああああああぁぁ!!!!」

 一斉に放たれる杭は先ほどのように逃げ場など存在させないように、広範囲において隙間なく掃射される。
 それに向かい撃つようにアーニャも両手の機関銃の引き金を引く。
 負担を少なくするために威力は下げ、結晶弾をなるべく多く放てるように調整しているが、それでも本来片腕で放つ武器ではない。
 まだ撃ち始めたばかりだというのに両の腕は悲鳴を上げるように軋んでいる。

 だが確実にアーニャの正面に迫りくる杭に対しては結晶弾は当たっており、衝突しあった弾と杭は当然のように崩壊する。
 杭が風邪を貫く音を、発砲音によって掻き消す。

 機関銃の弾は結晶で作られており、その気になれば弾交換など不要でずっと撃ち続けていられる。
 しかしそれはアーニャの天聖気が続く限りであり、このまま相対していてもジリ貧なのは目に見えて明らかであった。
 杭自体の体積は大きいために、撃ち漏らすということはほとんどなかった。
 しかし機関銃の特性上当たらずに無駄になる結晶弾は多く、それがアーニャの消耗に拍車をかける。

「このまま……撃ち続けるのは」


 このまま撃ち続ければ、アーニャは天聖気を使い果たし、天聖気で何とか持たせている肉体は消えてしまう。
 そうなってしまえば本末転倒であった。
 しかし、この弾幕を止めてしまえば『アナスタシア』の放つ結晶杭は余すところなくこの肉体を貫通せしめるだろう。

 進むも引くも待つのは死というこの状況。
 しかしアーニャはそれでもこのまま膠着状態を維持して死ぬより、わずかな可能性をかけて選択するしかない。
 すでに移動を制限していた周囲の結晶柱は取り除いている。

 準備はできた。消耗こそ激しいがするしかなかった。

「……いき、ます!!」

 指先で、両手の機関銃を一回転させる。
 一瞬で行われたその動作の後に、変化している結晶の機関銃。
 変化したのは銃口下のアタッチメント。
 両方の機関銃から撃ち出されるのは、先ほども使った炸裂兵器。

 グレネード・ランチャーから撃ち出された小さな結晶塊は炸裂し、結晶杭の弾幕に風穴を開けた。

「……これで!!」

 道は出来たとアーニャは機関銃を放り棄てて、一歩を踏み出す。
 この機会を逃せば、残り少ない天聖気のアーニャには勝機はなくなってしまう。



「やはり……アナタは、突破した」


 しかしアーニャの視線の先に見えるのは、勝利を確信した顔。
 『アナスタシア』はアーニャが突破してくるのを見越したかのように、悠然とそこに立っていた。

 その隣には、通常の杭よりも鋭く、長い。そして半ばあたりに返しの付いた凶悪な形状。
 殺傷能力に特化したような一本の鋭い結晶槍が待機していた。

「Проникатьте(貫け)」

 障害物は何もない。
 『アナスタシア』からも一直線に見える位置にアーニャはいた。
 そんな状況で、ただ一撃のために作り上げた結晶槍が外れるわけがない。

 必中の槍は、アーニャに対応の余地を与えることなく、これまでの杭の速度を凌駕する速さで射出された。









   












『フン…………だからお前は、詰めが甘い』










     



 頭の中に響く声と同時に、結晶槍はアーニャの顔の隣を通り過ぎていく。
 決して外れることのない、極限まで振り絞られた必中の槍は、まるでそうなることが必然だったかのようにアーニャの背後へと過ぎていった。

「な……んで?外れたの?」

 『アナスタシア』にも、外れた理由は理解できなかった。
 まぎれもなく確実に心臓を狙った一撃であったし、アーニャによる防御の挙動も存在しなかった。
 それどころか外部の介入さえも、存在しないことが理解できていたのだ。

 アーニャの方も、槍が過ぎ去ってようやく脳が理解を始める。
 まだ踏み出した脚は止まらず、そのまま『アナスタシア』へと駆ける途中である。

『テレパシー。

俺がこの能力を使えるのを、『あいつ』は知らないがお前は知っているはずだ。

だからこそ、俺がお前の脳を介して、結晶どもに指令を出した』

 それはほんの刹那の出来事である。
 アーニャには返事をする思考の余裕さえない。

『確かに今の俺は満身創痍。実際指一本動かせはしない。

だが……脳みそだけならまだ動く。それだけで上等だ』

 男はどこからともなく声を飛ばす。
 男は戦士ではあったが、指揮官ではなかった。
 素霊のような膨大な兵隊を指揮する力はない。
 それでも、身に余るほどの力を制御した極限の男でもあったのだ。


『これくらいの能力、俺なら造作もない。

力の使い方はこうするのもんだ。よく見ておけ。

そして……余計なことは考えるな。露払いは俺に任せろ』

 アーニャの脳が、素霊たちに勝手に指令を出す。
 到底アーニャの思考速度では追いつかないような、緻密で、膨大な命令がアーニャが最大限操ることのできる素霊に対して下る。


『お前は……『お前』だけを貫け。アナスタシア』


 アーニャの右肩の先に、雪の結晶に似た素霊結晶が浮かぶ。
 その役目は周囲の素霊を思考演算の保存領域として肩代わりさせて、アーニャの思考は一瞬で加速させる。
 本来ならば緻密な素霊制御が必要なはずのこの技によって、アーニャは未来予測に等しい先読みと行動把握を見出す。

 アーニャの左肩の先に、星のような形の素霊結晶が浮かぶ。
 その役目は自らが指揮する素霊が、周囲の素霊結晶に対して侵食を始める。
 膨大な素霊一つ一つを操り、別々の命令を与える気の遠くなるようなこの技は、周囲に形成されていた結晶杭を砕くまでは出来なくても、進行方向を狂わせる。


 それらは決して今のアーニャには出来ない芸当であったが、いつかそれができるように胸に刻みつけておけと。
 男はアーニャに最大限の後押しをする。

「……了解、です。隊長!!」

 その両手に握られているのは、結晶のナイフ。
 アーニャはその一瞬の後押しを理解し、『アナスタシア』への最後の歩を進めた。


「なんで……なんで当たらないの!?

いったいアナタは……何をした!?」

 『アナスタシア』は新たに結晶杭を作り出して、アーニャに向かって撃ち出す。
 しかしそれらは全てアーニャにあたる直前で微妙に逸れて後ろへと抜けていく。
 距離にして5メートルもない範囲。それなのに、『アナスタシア』の攻撃は絶対に当たらない。

「こっちに……来ないで!!!!」

 空気の凍るような音と共に、『アナスタシア』の背中にはウロボロスの結晶の翼と尾が伸びていく。
 極限にまで振り絞られたその一対と一尾は、渾身の力を込めてアーニャへと向かっていく。

 それは『アナスタシア』と直接つながっているため、杭のように逸れることはない。
 確実に確実を込めた攻撃である。

 しかし、今の『アナスタシア』には冷静さは欠いていた。

「わたし、は……!!」

 アーニャは跳びあがり、体を回転させるように両手のナイフで迫りくる翼を後ろへいなす。
 そして少し遅れてきた尾に対して左のナイフを突き立てた。

「ガ、ああああああああああああああああ!!!!!!」

 ナイフを突き立てられた尾は、命令重複によって砕け散る。
 その際に繋がっていた『アナスタシア』は命令重複のフィードバックを直に受けて、衝撃によって脳が悲鳴を上げた。


「こん……なの、は……」

 その衝撃の中から垣間見たのは、アーニャが抱いた願いの欠片。
 それは、網膜を通してみた以上に脳に直接突きつけられ、『アナスタシア』の脳を一瞬で麻痺させる。

 何せそれは、『アナスタシア』の望んでいた、誰も争わない一つの平穏な願いだったから。

「これは、私の力では、ないです。

でもこれは……私が貫いた、私の『願い』。

これを、貴女に、貴女にだからこそ、直接、届けます!!!!」

 アーニャはそんな隙は見逃さない。
 完全に無防備となった『アナスタシア』。その心臓に向かって、一直線。

 右手のナイフを構え、そして外すことなく、そのナイフはアナスタシアの胸を貫いた。








   




 周囲には、多くの結晶杭が刺さっていた。
 しかしそれらは空に溶けていくように、元の素霊へと徐々に還っていく。

「ワタシは……少しだけ残っているの。

パパとママとの思い出が。

それはワタシの地獄の中で、唯一心の拠り所だった」

 それは赤子くらいの頃の、対外の人ならばすぐに忘れてしまうような時期の記憶。
 『アナスタシア』もその例にもれず、自らが赤子であった頃のことなどほとんど覚えていなかった。

 それでも、忘れるわけにはいかなかったのだ。
 たった少し、ほんの少しだけだけれど、幸せだったあの頃のことを『アナスタシア』は決して忘れることはできなかった。

「ママの顔と、パパの顔を覚えてる。

他にも、いろんな人がワタシに笑いかけてくれた。

だからワタシも、自然と笑っていた気がするの。みんな笑っていて、誰もが幸福だったあの思い出。

遠い日の、思い出」

 だから、取り戻したかった。
 この世が自身にとっての地獄でしかないのなら、過去の幸福にすがるしかなかったのだ。
 そのために、今を消却しようとそれで幸福が手に入るのならば、手に入る可能性が少しでもあるのなら、それを選択せずにはいられなかったのだ。


 たとえそれが悪魔との取引よりもたちの悪いものであったとしてもだ。

「ワタシは……『ウロボロス』のことは知っていたのよ。

『ウロボロス』は願いをくみ取る。だけどそれを叶えない。

『願い』は円環を運営させるための、駆動装置だっていうのは、ワタシも理解していたの……。

だけどワタシは『蛇』に願った。

この地獄を変えられるのなら、あの幸せな過去を取り戻せるのなら、世界そのものに巻き付く『蛇』さえも出し抜いて、『願い』を掴み取ってやるって思ったんだけど……。

結局、正攻法に頼らなかった者の末路はこんなものね……。

ままならない、なぁ……」

 胸に深々と突き刺さったナイフからは出血はない。
 『アナスタシア』は自身に馬乗りでナイフを突き立てているアーニャの目をじっと見据える。

 その目に映る少女の姿は、決して戦闘を経験してきた戦士の様ではなく、年相応の少女のように儚く細い。
 この樹海に似つかわしくないような煌びやかなドレスを身に纏った少女の姿は先ほどまで直視できないほど眩しかったはずなのに、今の『アナスタシア』にはまっすぐ見据えることができた。

「アナタは、どうなの?『私』。

アナタの『願い』は、ワタシが世界を犠牲にしてまで手に入れようとしたものと……つり合うのかしら?」

 問われたアーニャは、ナイフを握る手を少し緩めて、向かい合う様に『アナスタシア』の瞳を覗き込む。
 蛇の文様が刻まれた赤い瞳。前にそれを見た時には蛇に睨まれた様に身動きが取れなかったが、今回はその限りではなかった。


「私は……つり合うような、大した願いなんかじゃ、ないかもしれない。

だけど、『願い』とか『思い』とかの大小じゃ、ないんだと思います。

私は……ただ大切だった。たったつい先ほどまで気付かなかったほどに、今のこの状況が、生活が、みんながいるこの時が、好きだったみたいなんです」

 その願いは、過去に馳せるものではない。
 ありふれているように、今もってないものが欲しいとか、何かになりたいだとかという、幸福への希求でもないのだ。

 ただ、今あるものを手放したくない。
 今握った手を緩めてしまえば、零れ落ちてしまうようなそんな『願い』。
 ただその拳を改めて握り返す。そんな手のひら大の願いだ。

「前は、皆のことを守りたいと言って、ヒーローをしました。

ですが守りたいなんて、それは理由じゃなくて……目的です。

理由なんて、考えてきませんでしたけど……私は『戦い』しか知りませんでした。

戦うことしか知らないから、それだけが私の存在理由だと、そんなこともあったのかもしれないです」

 戦いしか知らないアーニャは、自らの存在理由を示すためにヒーローになった。
 そんな理由も、あったのかもしれない。
 だが、皆を守りたいという願いは嘘であったのかといえば、それも違うのだ。

「私には……戦うことしかできないから、できなかったからヒーローになりました。

これでみんなを守れるのなら、みんなのために貢献できるのなら……なんて、考えて。

私は、私の存在理由のためじゃなくて、『あの場所』にいる私の存在証明のために……戦ったんだと、思います」


 中途半端に世界を知っているアーニャにとって、存在理由は重要であった。
 役に立たない者は切り捨てられて、残らない世界で生きてきたアーニャにとって、そこに居られる理由は必要だったのだ。

「だけど……それで悲しむ誰かがいるのなら、ヒーローは、廃業ですね」

 これはアーニャがここに来る前から決めていたことであった。
 他の自分であっても、自分に嘘をつき続けるというのなら、これ以上は続けられないだろう。

「それに……もう存在する理由に、固執する必要はないですから。

みんなは、私に存在理由を求めているのではなくて……私が居ていいと、教えてくれましたから」

 素霊を通じて聞こえた、皆の声。
 その声は決してアーニャを疎んだりするものではなく、そこに居ていいと許容してくれるものだったから。

「アナタは……それでいいのかも、しれません。

ならば……アナタは、あの人たちに甘えて、それきりで過ごしていくというの?

恩も返さず、ただ甘えるように、返しきれないほどの恩があるあの人たちに、何も返さずに過ごすのですか?

そしてもし、あの人たちが何かを求めた時にアナタは何を、『戦い』意外の何を返せるというの?」

 『アナスタシア』は目の前のアーニャに意地の悪い質問をする。
 だがこれは決して悪意から来るものではない。
 無償の善意に対して、貴方は何を返せるのかと、そう問うているのだ。
 そしてそれはヒーローを、事実上『戦い』を捨てる選択をしたアーニャにそれ以外の何ができるのかを聞いているのだ。




「そう……ですね。

たしかに……私は、10年間戦闘訓練ばかりで、それ以外はからっきし、です。

だけど……ここに来た数か月で、私は、それ以外も学びました。

……ンー……そう、まずは……皿洗いからでも、私は始めてみます」

 別に自分の一番『得意』を返す必要などない。
 ただ、相手のためになるようなことを、自分で考えて、実行する。
 他に難しい理屈など要らない。

 メイド喫茶で習ったような接客は『プロダクション』には要らないかもしれないが、食器洗い程度なら役には立つだろう。
 そんなささやかなこと、今時小学生でも容易にこなせることであっても、それはアーニャが戦闘以外で学んだことだ。

 日常の中で学んだことを、日常で発揮すればいい。
 ただ、それだけのことだった。

「ふふ……そんな、甘い考え。

とても、あの地獄で生きてきた人間の言葉とは、思えないわ。

……でも、それも、ワタシは欲しかったのかもしれない」

 そんな可能性も、考えていた時期はあった。
 だけど結局待ちきれず、アーニャを愚かだと断定し、今こうして自身は地に背を預けた状態だ。

 この答えを、アーニャが見つけられるのだと知っていたら、『アナスタシア』もここまで狂気に落ち、すべてを敵に回そうなんて考えなかったかもしれない。


「……だけど、それは可能性。

ワタシが欲したものとは、もう違うのよ。

だからワタシは……ここで『願い』を諦めるわ」

 『アナスタシア』は静かに微笑みながら答える。
 だけどそれでも満足であった。
 隊長を倒した後に、アーニャを見た瞬間からなんとなくわかっていたのだ。

「……アナタは、ワタシが欲しかったものを、手に入れたのだってことが」

「ニェート……いいえ、別に『これ』は私が手に入れたものじゃないです。

これは、みんなが私に、くれたもの。そして、決してあなたものではないというわけでも、ないのですから」

 決着は近い。
 周囲は素霊が結晶から元の霊体に還っていく光に包まれて、淡い光で満ちていた。

「この、衣装は……みんながくれた、私のものです。

だからこれは……私(あなた)のものでも、あるでしょう?」

 アナスタシアは光に包まれるドレスに目を見開く。
 それは、彼女のためだけにあつらえられた願いの結晶。だから、彼女に似合わないはずなどないのだ。





「ああ……『私』は、幸せなの、かも」



 地獄の時間はもう終わった。
 光は『願い』を包み込んで、空に還っていく。

 そして残ったのは、静かに眠る少女が一人。

 いま彼女は夢を見ていた。
 あの遠い日の記憶の夢ではなく、これからのありふれた毎日を夢見て少女は眠るのだろう。








  

天聖術『とある一つの星の物語(スターリィ・フェアリーテイル)』
アーニャの『ここに居たい』という願いによって完成した天聖術。
その衣装は天聖気と素霊結晶を『願い』によって編み上げしつらえた煌めくドレスである。
身に纏った天聖気を介することによって素霊を使役することができ、『ウロボロス・アナスタシア』ほど大量の素霊結晶を操れるわけではないが、より精密な操作ができる。
故に拳銃などの構造さえ知っていれば、ある程度の武器などの再現が可能。
また、『願い』を纏っているのでこれによって使役された素霊で攻撃を受けると『願い』が相手に直接流れ込む。
その効果は基本的には意味はなく誰にも理解はできないほど微弱なものだが、それを理解できてしまう『ウロボロス・アナスタシア』には致命的な攻撃となる。

ドレスはSSR『クリスタルスノー』とSR『スノーフェアリー』を折衷したようなデザイン
初回は術式構成が必要だったために詠唱したが、それ以降は省略できる。

『スターリィ・フェアリーテイル・メモリーズ』
アーニャの右肩の先に浮かぶ雪の結晶のような形をした素霊結晶端末。
隊長の使役によって可能となった天聖術の拡張能力。
周囲の素霊を思考演算の保存領域として肩代わりさせることによって、アーニャの思考を加速、未来予測に等しい先読みと行動把握を見出す。
今のアーニャでは再現できず、仮に再現できるようになったとしても数秒維持させるのが限界の技。

『スターリィ・フェアリーテイル・ネビュラスカイ』
アーニャの左肩の先に浮かぶ星のような形をした素霊結晶端末。隊長の使役によって可能となった天聖術の拡張能力。
膨大な素霊一つ一つを操り、別々の命令を与え、自らが指揮する素霊が、周囲の空間に対して侵食を始める。
これによって素霊結晶なら方向が狂わせ、魔力や電気などの流体伝導率を限りなく0にして封じ込めることができる。
ただし、これを使用している間は自身も素霊結晶の使用がかなり制限され、ナイフ程度の大きさしか使役できない。
これも今のアーニャでは再現できず、仮に再現できるようになったとしても数秒維持させるのが限界の技。



『сонй сумеречный(眠れ、あの人の居た場所で)』
隊長が持っている技の中で最も強力で、優しい技。
夕焼けに似た色をした力場の渦であり、念動力によって捻じ曲げられた空間は光のスペクトルさえも屈折させ、僅かな帯域の可視光を残してすべてを消滅させ、塵に帰す。
夕焼け色をしているのは、わずかな帯域の可視光を消滅させずに残しているため。
これによって技の中で自らが消滅させたいものと残すものを選び分けている。
『外法者』の能力を応用することで通常の法則や概念からは置いて行かれた、もはや超能力とも呼べるのかともいう途方もない異能。

本当は『сонй сумеречный』は『黄昏に眠れ』という意味。
あくまでこれは発動のトリガーとなる言葉であり隊長の覚悟の言葉である。故に技名ではない。

   







「まったく……本当に……世話の焼けるやつだ」

 片足を引きずり、わき腹を押さえながらも、ゆっくりと動く男。
 それは森の中で眠る少女へと近づき、呆れた目をしながら見下ろす。

 少女は依然、幸せそうな寝顔で眠り続ける。
 これまでに起きたことなどなかったように、穏やかな表情で明日を夢見ているのだろう。

「無様に、泣いて喚いて、いろんなところに迷惑をかけた挙句、最後に詰めをあやまったうえで、のんきに寝てるときたもんだ。

本当に……呆れてものが言えねえな」

 そんなことを言いながらも、憎しみだとか嫌悪だとか、それどころか呆れといった感情さえ男の目には映っていない。
 その目に映るのは、眠り続ける少女の姿だけで、男の視線は子供の寝顔を見る父親のように穏やかであった。

「紆余曲折あったものだが、まぁ落としどころとしては合格点、か。

これで……俺が出張る必要もなくなったわけだな。

随分と、手間かけされたもんだ」

 すべて自分で選んできたことだった。
 故に後悔なんてないし、最後には望むべき結果を得られたのだ。
 男の目的は達した。なら悪態の一つくらいはかまわないだろうと、眠りこける少女をに言葉を投げかける。


「ああ……成長は見届けた。もう俺は必要ないだろう。

約束は果たしたぞ。……――さん。

……ああ、この名を口にしたのも何時振りだろうな?

今なら紛れもなくいえるさ。俺はアンタが好きだった。そして、きっとこの先他の人間を好きになることはないと思うし、アンタ以外のために動くことはない。

たとえ……アナスタシアのためだとしても、な」

 もう記憶は摩耗して、想い人の顔さえ朧げである。
 それでも、男にとっては他に代えられない唯一であり、たとえ報われぬ恋だったとしてもそれは変わらないだろう。

「だが……それでも俺は、このガキを大切だとは、思い続けるさ。

15年、なんて短いような、長い付き合いだが……俺にとっては、退屈しない年月だった。

俺は何も生み出せなかった男だが、残せたものがあったと確信を持って言える」

 そして男は少女に背を向ける。
 視線の先は、深い森の奥。光さえ遮られる混迷の森。

「じゃあな、アナスタシア。

もう2度と、会うことは……」


 ないだろう、そう言いかけて男は言葉を紡ぐ。
 何もこの状況で、そんな言葉で気取らずともいいだろう。
 他に誰も聞く者はいないのだ。ならばそのままの言葉で構わないはずだ。

「ああ……さよならだ。アナスタシア。

まぁ……楽しかったさ」

 そして男は、片脚を引きずりながら暗がりの樹海へと脚を進める。
 未練はもうない。男の戦いは終わり、あるべき場所に帰るのだった。









『……ありがとう。―――。アナスタシアを、守ってくれて』





  




 男はその言葉に思わず振り返ってしまう。
 しかしそこには眠る少女がいるだけで、彼の望む人の姿はない。

 それは満身創痍からきた幻聴だったのかもしれない。

 だがそれは、男が最も聞きたかった声であり、もう2度と聞くことはないと思っていた声だったのだ。

「……くそ。いまさら……なんだって、いうんだ。

本当に、本当に……罪作りな女だアンタは……くそ」

 男はその場で、空を見上げる。
 そこには満点の青空が広がっていて、光は眩しいほどに眼球に突き刺さる。

 だが、そんな目に突き刺さる光の痛みは今の彼の言い訳にはちょうどよかった。

「ああ、目にしみやがる。

くそ……礼を言うのは俺の方だ。それにこっぱずかしい話も、聞かれちまった。

まったく、本当に、ああ……くそ。だが……本当に。

悪く、ねぇなあ……」

 少女の話はこれで終わり、新たな一歩を踏み出す。

 だがその一方で、その陰で、男の物語は完結を迎えた。
 その結末は、まぎれもなく大団円で、一度も報われなかった男は、この瞬間、間違いなく報われていたのだ。









   




―――――エピローグ


 とあるビルにある事務所。
 そこで各々のデスクに向かい、自らの仕事をしながら会話をする男女がいた。

「ちひろさん、何かこの前、我々が留守の間にアーニャが何か起こしたらしいんですよ」

「知ってますよピィさん。まぁ気が付いた時にはすべて解決していて、何のことやら、状態なんですけどね」

 ピィとちひろは今回の件にほぼ関与できなかった。
 そのため蚊帳の外だったことを恨んでか、二人の会話は少し刺々しい。

「随分と困ったものですね。なんでも樹海のど真ん中で眠っているところを追って行った周子ちゃんたちが見つけたらしいですよ」

「詳しいことは聞いてないんですけど、なんでそんなとこで寝てたんですかね?

わかります?ちひろさん」

「私も詳しくは知りませんよ。なんでも封印がどうとか、蛇がどうとかで。

なんか世界がやばかったらしいですけどね」

「ええ!?世界がヤバイだって!……なんて聞いてもいまいちピンときませんね。

まぁ解決してるんなら、それでいいんじゃないですか?

俺たちの出番はなかったわけですけどね」


「私たちの役割は、そんなものでしょう?

どうせ、世界を変える力なんて人一人が持ってるわけないんですから、いつも通りの仕事をしましょう。ピィさん。

やることだけなら、いくらでもあるんですから」

「まぁ……そうですね。

……そう言えば、やることで思い出しましたけど、アーニャが突然ヒーローはやめるって言ったんですけど、どういうことなんですか?」

「なんでも、この前の一件で能力に制限がかかったらしいんですよ。

また封印が破られそうになるから……『聖痕』でしたっけ?それは使えなくなったみたいですし。

そもそもの力である天聖気も、なるべく使いすぎはよくないみたいです」

「あー……なるほど。そんな理由もあったんですね。

俺はもっと、精神的な理由かと思ったんですけど」

「……?というと?」

「なんだか……アーニャ、変わったんですよ。

前みたいに、固執するというか、視野が狭いみたいな、価値観が今一つずれてたじゃないですか。

それが解消されたというか……。なんか、年相応になったと言いますかね」

「まぁ……大人びているというわけではなくて、かといって子供っぽいわけではない。

こう言っちゃうとなんだか悪いんですけど……感情がうまく表現できない機械みたいな感じでしたから」


「それが、この前のよくわからない一件で何か変わったみたいですね。

みんなとも、よく遊んだりして付き合うようになったし」

「いろんな物事にも積極的になりましたね」

「そしてなにより……素直に感情を出すようになった気がします。

まるで、これまでの軍隊で人と戦っていたことを忘れたみたいな感じで……」

「いや……忘れてはないと思いますよ」

「ちひろさん?」

「多分ようやく、アーニャちゃんは今を受け入れられたんだと思いますよ。

昔とは違うこの場所を、自分の場所だって理解できたんじゃないですかね?」

「……この場所、ですか。

なら、俺たちが仕事に励んだかいはあったと思っていいのかもしれないですね」

「ふふふ……まぁ、この『プロダクション』にも、確実に意味はあったということですよ。

さーて、仕事しましょう仕事。ピィさん頼まれたことがあったでしょう?」

「頼まれ……ああ。アーニャがヒーローやめるって言った時に一緒に言われたことですね。

実のところ、俺はこっちのほうが好きですよ。

ヒーローは憧れますけど、身内がやるのはなかなかヒヤヒヤしますから。

だけどこっちの頼みは、誰もがしている当たり前で、そんな当たり前をアーニャが許容できたのが、よかったと思うんですよ」


「ならさっさと、手続きを進めてください。仕事を終わらせれば、藍子ちゃんとのお茶の時間も取れますよ」

「……ならさくっと終わらせないといけませんね。

藍子とのおしゃべりのためにも、やりますか!

……なんて、それも大切ですけど、アーニャからの数少ない頼みだから、どっちにしてもしっかりやらないとな。

『学校に行きたい』って願いを、叶えてやらなくちゃ。」






 一人の少女の足取りは軽い。
 前は自分の役目だとか、仕事だとかで狭まっていた視界が開けたためか、目に映るものがこれまでと違って見える。
 明日は何が見つかるのか。明日は誰と喋ることができるのか。

 本当に何気ないことが、改めて少女には新鮮に見える。
 そんな目新しい街を進み、少女は自分の居場所へとたどり着く。

 今日はここに誰がいるのか、どんな話をできるのかなんて、考えながら。
 少女は扉を開くのだった。




   


以上です

ピィ、ちひろさん、周子、美玲、紗枝、沙理奈、みく、のあ
あと名前だけメアリー、藍子 お借りしました。

しかし長かった……
もう長編は書かないな(長くならないとは言ってない)
というわけでアーニャに関しての伏線は考えうる限りでは回収したはずです
長々とお付き合いありがとうございました

おつかれさまですっ

>>12
3日目は3日目で大変なご様子
オオカミやヒーローたちが倒してるとはいえ、ヤギ?のカースは危険だし………
………ユウキちゃん、わらしべしに行ったけど、大丈夫なんだろうかw

>>128
圧倒的な文量と、きちんとした表現、何より最後まで書ききったというところに、ただ感服いたしました。
僕も頑張らなくてはなりませんなぁ。


さて、雑談スレのほうで言っていたリハビリSSを投稿します。
ほぼ能力解説(と、しゅがはさんの能力の正体)なので、投稿しようか迷いましたけど、せっかく書いたしだそうかと。
あと地の文ばっかりなので、ちょっと混乱するかも?

私は見ていた。

目の前に見えるのは、普段であれば青く澄み渡っていたであろう空。

しかし、今はその空には大きな灰色の星が見えていた。

ゆっくりと、ゆっくりと近づいていく灰色の星は、だんだんとその大きさを増していく。

灰色の星は、徐々に近づいている。


そして、私が乗った船が地上を離れる。 乗っているのは、私一人。

私は一人乗りようの船に乗り、この星を去ろうとしていた。

私を乗せた船はそのまま高度を上げ、私がいた場所がどんどん小さくなっていった。


そして上がった先には、この星を取り囲んでいた船。

しかし、その船は光とともに姿を消した。

きっと、もう必要ないと感じてワープしたのだと思う。


その直後、まばゆい光が横から当たる。

一瞬目がくらみ、目をつぶったが、その目を徐々に開けていく………。

―――灰色の星が青い星にぶつかっていた。

球体が砕け、ぶつかった個所から赤が生まれ、青を喰らっていく。

丸い形をした星の形が割れて、崩れていく。

そして、赤が私がいた場所を飲み込んだとき、星がぶつかった衝撃が私の船を激しく揺らし始め―――

====================================================================

「はっ!?」

目を覚ます。

思わず私は、あたりを見回しました。

ここは―――アパート○○(ふたつわ)の、私とはぁとさんが住む部屋。

それを確認し、私は安堵しました。

………怖い夢を見た気がします。

それは私の身に起こった出来事なのかもしれません。

あるいはこれから起こる出来事なのかも………。

「おはよぉー♪ なんかうなされてたけど、どしたの?」

そんな私の様子を心配したのか、はぁとさんが訪ねてきました。

「ちょっ、ちょっと怖い夢を見まして………っ」

「そっかー♪ よしよし☆」

「って、なんで撫でるんですかっ!?」

「はぁとはノリで動くタイプだぞ☆」

ま、まあ、悪い気はしないですけどねっ。


しかし………このままでいいのでしょうかっ?

よくは知りませんけど、はぁとさんがいつも何かと戦っているのは、薄々感じています。

そのたびに、私やアパート○○の人達を極力関わらせまいとしているのも。

だからか、寝るとき以外にこのアパートにいることは滅多にありません。

その事実を知ってなお、私は何もできずにこの家にいます。

何もしないのも嫌なので、ハートメールサービスも始めましたが、あまり振るいません。

せめて、一緒に戦えるくらいになれれば………。そう思って、

「はぁとさん、お願いがありますっ」

「ん? なんだ?」

「はぁとさんっ 私に稽古をつけてくださいっ!」

私ははぁとさんに稽古をつけてもらうよう頼みました。

====================================================================

「はぁとさんっ 私に稽古をつけてくださいっ!」

ある日、ユウキから突然そんなことを言われた。

「えっ?」

「私、強くなりたいんですっ!!」

「い、いや、それはわかるけど、どして?」

「なんとなくですけど、はぁとさん、私やアパートの人達に被害が及ばないように、普段は避けてるような気がするんですっ」

………あー。

確かにそうだ。 私はユウキちゃんや他のアパートの住人に迷惑が掛からないように、普段は街の外や任務などに出かけている。

「私、このままじゃいけないと思ったんですっ
ずっと守られているばかりじゃ、ダメなんですっ
だから、お願いしますっ!!」

その気持ちはうれしい。

だけど、あんたが師匠に頼んでいる人は、あんたを戦わせたくないと思っているんだぞ☆っと言いたい。

そもそも、なぜ迷惑が掛からないようにって思っているのかというと、私が持っている能力………いや、正確にはアーティファクトのせいでもある。

アイテムボックス。

ユウキには、私の能力として伝えているのだが、正確には、私が持っているアーティファクトの能力である。

でも、そのアーティファクト自体もアイテムボックスで隠せるので、私の能力として認識してもらったほうが都合がいい。実際、あんまり変わらないし☆

能力の効果は、アイテムボックスの空間に物を出し入れすることができるといったもの。 傍から見れば、別に大した能力ではないように見えるだろう。

だけど、このアーティファクトの能力。アイテムボックスと言うには、やたら自由がききやすい。

そして、アーティファクトの由来を見れば、物凄いものであるかもしれないというのが分かった。

なぜかと言えば――ーこれと似た能力を持った人間がいたという話があるからだ。そいつは人々から『勇者』と呼ばれている。

まあ、話………と言っても、世間的にはファンタジー小説の一つとして認識されている本なのだが………。

本の内容としては………かいつまんで話すと、主人公である勇者が村のはずれに封印されていた伝説の剣を引き抜いたところから、
旅に出て、数々の仲間とともに封印された武具を集め、最終的に復活した魔龍を仲間とともに倒しに行くという話である。

だが、彼の周りでは様々な厄介ごとが、行く先々でいくつも起こったらしい。

その厄介事は、迷子の猫を探すといった小さなものから、盗賊に襲われている商人を助けるといったものであったり、
大きなものだとモンスターの大群に襲われている街を救ったり………。

そんなものが行く先々で起こるものだから、疫病神だと呼ばれたりしたという記述もあるらしい。
実際、勇者が住んでいた村は、勇者が剣を抜いた後にモンスターの大群に襲われて壊滅している。

そして、主人公が無事解決した厄介事は、それこそ一日一善という言葉で片づけられるようなものじゃないくらいに多かったという。
(まるで某探偵アニメの主人公のようだよな☆)

そして最後には、封印された武具が示した場所にて魔龍と戦い、認められて、願いを一つ叶えてもらうことになったという。

そして、勇者達は自らが願った通り、別の世界で普通の人間として暮らしていくことになった。というのが結末らしい。

(ちなみに私がこの本を知ったのは、とある本屋の店員に勧められたからなのだが、その話は置いといて☆)

とまあ、普通であれば、昔の人が書いた、ただのファンタジー小説だ。

だが、私が『アイテムボックス』を手に入れた後、その伝承で起こった厄介事というものが多発するようになった。

さすがに伝承のようには多くはないが、いつもよりも厄介事に巻き込まれるようになったと感じる。

であれば、そんな厄介なものであれば捨ててしまえと誰もが思うのだが………自分で使っているからわかるが、能力が強力過ぎる。

仮に捨ててしまったとき、カースや裏の組織の連中に悪用されてしまったら、大変なことになるだろう。

なので、捨てたくても捨てられない。 このアーティファクトは私が持っているしかないのである。

アイテムを無限に持てる代わりに、持ち主に敵寄せの呪いをかけるアイテムと思えばいい。
いやーん、はぁとってば呪われちゃったぁ~☆

―――それに、これを手に入れた際に頭に響いた言葉。

『我はこの世に破壊と混沌をもたらす者。
人の子よ。 全ての証を手に入れ、我に証明せよ。
我は最後の敵として汝の前に現れん。』

………ぶっちゃけ、こんなのはただの偶然だとは思っている。

だが、本の内容を事実とするならば………私はいずれ、あの声の主と戦うことになるのかもしれない。

「はぁとさんっ?」

という声が聞こえてはっとする。

「ん? ああ、ごめんごめん♪」

まあ、さっきの通りであるのだから、厄介事の件はほとんど私のせいでもある。

だが、それではユウキちゃんは納得しないだろう。

というわけなので―――

「わかった、稽古つけてあげる♪
でもその前に、まずはランニングで基礎体力をつけるところから始めよっか☆」

その場しのぎでランニングをさせるのであった。

ぶっちゃけて言えば、ユウキちゃんの件にしたって厄介事ではあるのだ。

未来の世界から、世界を救うために来た? 『ラーニング』という能力を持っている?

未来から来たというのはよくわからないが、『ラーニング』という能力の危険性については、なんとなくだが理解できた。

確証はないが、ユウキちゃんはあれを『ラーニング』と言ってはいるが、実際には『自分で見た能力を、自分の解釈で、自分の能力として使っている』ように見える。

だって、私の能力を完全に『ラーニング』したのなら、厄介事に巻き込まれやすくなるし、早着替えとか言ったこともできるはずだ。

なのに、ユウキちゃんにはそうしたことができたり、起こったりしたことはない。(少なくとも私が見ている限りでは。)

何より彼女の言う『ラーニング』だと、『アイテムボックス』というアーティファクトの能力を、私の能力と誤認したまま覚えることなんてできるのだろうか?
ましてや、その不完全な状態で認識した能力をそのまま使えるだなんてあり得るのか?

自分なりにユウキちゃんの『ラーニング』という能力の説明するのであれば、『自分の解釈だけで能力が作れる』能力といえるのかもしれない。

いや、その考え方は行き過ぎなのかもしれないが………。


その事をユウキちゃんが気付いていないのなら、気付かないままにしておいたほうがいいのかもしれない。

それに、ユウキちゃんには「なるべく知らない人の前で能力を使うなよ☆」とも言ってある。

ユウキちゃんには悪いが、しばらくは手紙の配達に専念してもらおう。
(まともな理由を持たせられる)食い扶持にも困ってるし☆


ピピッ!ピピピッ!!

服のポケットからアラートが鳴る。 厄介事の合図である。

「おっと♪ はぁとは出かけるところがあるから、ちょっと離れるわ☆
帰ってきたら、稽古に付き合ってあげる♪」

そう言い残し、私はしばらくユウキちゃんの前から姿を消す。

そして、通信端末を出し、その原因となったものがいる場所へと向かう。

―――厄介事になる前に、厄介事をつぶすってね♪
………おいそこ、もう厄介事は起きてるじゃねぇかとか言うな☆

以上でございます。
しゅがはさん、総選挙9位おめでとうございます!

今回の話は余談っていう感じです。
とりあえず本編は………話の流れはできてるのに、ある一つの場面で詰まっちゃってるorz
表現的にもつたないところはあるので、もう少し精進します。

>>140
おつですー
比較的平和な方かと思ってた二人だったけど、案外色々抱えてるんですなぁ
なにやら不穏な夢とか、未だ謎多き能力とか、気になるところ

皆さま乙でしてー

ではではー、学園祭3日目を投下いたしましてー


智香「わあ……人がいっぱい」

《怠惰の災厄》智香は、秋炎絢爛祭を訪れていた。

木を隠すなら森の中という言葉があるように、人型のカースである自分が大勢の人間の中に紛れこめば、発見されにくくなるだろうという企みだった。

まあ、智香はその言葉自体は知らないわけだが。

屋台の生徒「そこのお姉さん! イカ焼き食べてかない?」

智香「えっ?」

突然、屋台でイカ焼きを販売している生徒に声をかけられた。

智香「イカ焼き……ですか?」

屋台の生徒「そう、美味いよ! 一本どう?」

智香「うーん……」

カースである智香に、本来食事は必要無い。

人間が持つ負の感情……彼女の場合は”怠惰"こそが活動の為のエネルギーとなるのだ。

しかし……

智香「じゃあ、一本下さいっ」

屋台の生徒「はーいまいどありー!」

智香は食べる事を選んだ。

人間と同じ行動を取る事で、少しでも人間に近付く『何か』を見つけられたら……そう考えた。

屋台の生徒「じゃ、200円ね」

智香「えっと、200円……はいっ」

硬貨を二枚生徒へ差し出し、代わりに竹串に刺さったイカ焼きを受け取る智香。

智香がGDFやヒーローが逃げ回りながら道中で拾い集めた小銭は、もうそこそこの額にまでなっていた。

屋台の生徒「あざっしゃー!」

生徒の声を背にしながら、智香は早速イカ焼きにかぶりつく。

智香「…………」

当然、味など感じはしない。

智香からすれば、ただ「体内に異物が侵入した」だけである。

それでも。

核の中心から、何故だか体全体が温かくなるような感覚を覚えた。

智香(これが……「美味しい」って事なのかな……)

少し首を傾げながらまたイカ焼きをかじり、何処へともなく歩き出した。

――――――――――――
――――――――
――――

――――
――――――――
――――――――――――

カイ「な、何あれ……!?」

会場設営の休憩中だったカイは、ふらふらと散策中に「それ」に出会った。

黒い泥の体を滴らせ、這いずるように動く異形……カースだ。

『ア゛……お゛……』

カースはカイなど眼中に無いかのように、呻きながら這いずっていく。

カイ「……よく分かんないけどヤバそう! いくよ、ホージロー!」

『キンキンッ!』

カイ「オリハルコン、セパレイション!!」

カイの掛け声でホージローの体が分離し、カイの体へ装着されていく。

カイ「アビスナイト、ウェイクアァップ!」

叫ぶが早いか、カイはカースへ向けて一直線に駆け出した。

カイ「先手必勝! アームズチェンジ! ソーシャー……」

??「いけません!」

突如、カースとカイの間に何かが落ち、カイの突撃を妨げた。

カイ「おわわっ! ……って、あれ?」

上空からの乱入者、カイはその姿に見覚えがあった。

カイ「ニコちゃん! 久しぶりじゃん!」

ニコ「ええ、お久しぶりですねぇカイさん」

祟り場騒ぎで知り合った仮面の少女……ニコだ。

カイ「元気だった? って……あいつやっつけちゃいけないの? カースだよね?」

カイは再開を喜びつつも、首を傾げる。

ニコ「いえ、やっつけるのは全く問題無いんですけどぉ……問題は『触れる』事なんですよねぇ」

カイ「触れる……?」

2人は改めてカースに目を向けた。

通常のカースとは明らかに異質な体は、見ているだけで心を蝕まれそうになる。

カイ「……気持ち悪いっ」

ニコ「迂闊に触れると、精神を汚染されてしまいますからぁ」

カイ「触れると、か……なら! アームズチェンジ! ハンマーヘッドアームズ!!」

射撃用のアームズに換装したカイの腕が、カースへ向けられる。

カイ「シャークバレット! それそれそれぇっ!!」

そして放たれた弾丸の雨はカースの体表の泥を吹き飛ばし、やがて濁った緑色の核を露わにした。

カイ「トドメにもう一発、シャークバレット!!」

『ア゛おォ……』

カイの弾丸に撃ち抜かれ、核は泥と共に静かに消滅した。

ニコ「お見事です、カイさん」

カイ「えへへ、まあね! ニコちゃん、あのカース探してたの?」

ニコ「ええ。正確には、あれの親玉を、ですけどねぇ」

カイ「親玉かあ……」

ニコ「カイさん、もしよろしければ、ニコを手伝ってもらえませんかぁ?」

腕組みしてカースがいた場所を見つめるカイに、ニコがそっと進言する。

カイ「うん、いいよ」

ニコ「そ、即決ですねぇ……ちょっとくらい考えても……」

カイ「そんな水臭いコト言わないでよ、あたしとニコちゃんの仲じゃん!」

ニカッと笑って、カイはニコの背中をぱんぱんと叩いた。

ニコ「あ、ありがとうございます……」

カイ「で、その親玉をやっつければいいのかな?」

ニコ「はい。この学園の地下……そのどこかにいるはずなんですけどぉ……」

カイ「地下だね、オッケー! んじゃ早速……」

ニコ「あ、待って下さい」

勢いよく地面に飛び込もうとしたカイを、ニコが引き止める。

カイ「おっととと……どうしたの?」

ニコ「迂闊に地面に潜ったりすると、飛び出た拍子にあのカースにぶつかったりしてしまうかもしれませんよぉ?」

カイ「た、確かに……地道に歩いて探すしかないかぁ……」

カイは頭の後ろで腕を組み、残念そうにため息をついた。

カイ「……ま、仕方ないかっ! 親玉って、パッと見て『親玉だー!』って分かるような外見してる?」

ニコ「そうですねぇ……雰囲気はさっきのカースとほぼ同じで、姿は恐らく、山羊か何かを真似ていると思います」

カイ「ヤギ?」

少し不思議そうな顔で、両手でツノのジェスチャーをするカイ。

ニコ「ええ、ニコは『退廃の屍獣』って呼んでいますけどぉ……」

カイ「退廃の屍獣……なんか物騒な名前だね」

ニコ「それから、退廃の屍獣は体内にある『本』を取り込んでいるので、それを回収してほしいんです」

カイ「本だね、オッケー」

ニコ「あともう一つ、学園の地下道を狼のようなカースがうろついていますけど……それは味方なので、やっつけちゃダメです」

カイ「いいやつなの? カースなのに?」

ニコ「そちらは『孤高の猟獣』と言います。カイさんが退廃の屍獣と戦う時には、加勢してくれるかもしれません」

カイ「孤高の猟獣は倒しちゃダメで、退廃の屍獣を倒せばいいんだね。了解! じゃあニコちゃん、またね!」

カイは理解すると手をブンブンと振って、地下道の入り口へと駆けていった。

ニコ「はぁい。あ、もし孤高の猟獣に危害を加える人がいたら……」

カイ「止めるよう言うか大人しくしてもらうんでしょー? オッケーオッケー!」

ニコ「…………むふふ」

カイの姿が見えなくなると、ニコは仮面の下の笑顔をさらに歪めた。

ニコ「カイさんは素直で助かりますねぇ……少々単純とも言いますが……」

ニコ「屍獣を狩る狩人としても、申し分ない腕前ですし……」

ニコ「『屍食教典儀』の回収も、そう遠くは無さそうですねぇ……むふふ、むふふふふ……」

笑みを浮かべながら、ニコは歩きだす。

新たな狩人を求めてか、屍獣を追ってか、それとも……。

続く

○イベント追加情報
智香が学園祭をうろついています。カース関係者は気付くかも…?

カイがニコを手伝い屍獣を探して地下道に入りました。
・基本的に移動には物体潜行を使いません(浮上時に屍獣と接触するのを避ける為)
・もし猟獣を攻撃する場合、カイが停止勧告もしくは攻撃を開始することがあります

というわけで久しぶりの投下でした
時間掛かったわりに大して動いてなくてごめんなさいねホント
ニコお借りしました

おつでしてー
>>140
不穏(?)な予感が二つも…?二人とも能力にまだ謎が多いっすな
でも勇者が某名探偵並に事件を引き寄せるというのはゲームやってるとなんとなく納得できる

>>152
100%カースだとやっぱり不足してる感覚とかあるんだなぁとしみじみと。暴食なら味覚はあったのかもなぁなんて思ったり
カイとニコは仲良しだなー、ほのぼの

お疲れ様ですっ

>>153
おおっと、解決に動こうとする人たちも出てきましたねー。
学園祭3日目も、裏ではかなりのバトルが繰り広げられそうな、そんな感じがします。


みなさん、お待たせしました。(待ってたかわかりませんが)
憤怒の街再びの続きです。
例によって、千佳ちゃんと凛ちゃんをお借りしております。

>>141
二人とも、今の段階では謎の多い能力持ちなのですが、しゅがはさんの能力自体は憤怒の街編で大体は出尽くすかもしれない。
ユウキちゃんのは………まあ、色々と謎が多めです。

>>154
道を歩いてはエンカウント、街に入っては事件なりイベントなり。
大なり小なり、良きなり悪しきなり、イベントに事欠かない能力だったりww
ちなみに、勇者のアーティファクトに関しては複数ありますので、その分効果も分割されてます。
その辺は追々、設定としてまとめようかと。(ちなみにこっちはアイテムボックスと盾ぐらいしか考えてない)

「みんなに悪さする悪い子は、正義の味方ラブリーチカが、愛の力でオシオキしちゃう!」

そう決め台詞を言いながら、ポーズまで決めるチカちゃん。

感心したはぁとさんは「お~」と言いながら拍手をしています。

「すげぇ、本物みたいだな、おい☆」

「だって本物だもん!えっへん!!」

そう胸を張るチカちゃん。かわいいですっ。

「じゃあさ、ラブリーステッキで空飛んだりできるのか!?」

チカさんは「うん!」ってうなずくと

「ラブリーステッキ!」と言って右手から杖を出し、

「フライングモード!!」と言うと、その杖から羽が出てきました。

チカちゃんはその杖にまたがり、ふわふわと浮きました。

「うおおお、すげえ!!」

はぁとさん、目を輝かせています。 そういえばはぁとさん、テレビでやってた【魔法少女ラブリーチカ】が大好きで、毎週見てたって言ってましたっけ?

「だけどはぁとだって、負けないぞ☆」

するとはぁとさんは、車の裏に隠れたかと思うと、車の上によじ登ってポーズを決めました。

「シュガーハート、参上♪」

「はぁとさん……その恰好は………」

見ると、はぁとさんは先ほどの軍服姿とは一転して、アニメのキャラクターのような衣装を着ていました。

見る人が見れば「うわキツ」とか言ってしまいそうですね………っ

しかし、チカちゃんはそうは思ってなかったようで………

「えっ!? お姉ちゃんも魔法少女だったの!?」

「ついでにあっちのユウキちゃんも変身するぞ☆」

「え、えええええっ!? わ、私、巻き込まれちゃいましたっ!?
 というか、何言ってるのですかはぁとさんっ!?」

「えっ、違うのかよ!?」

「違いますよっ! って、ああっ!?」

はぁとさんが半目で指をさしたほうを見ると……チカちゃんが目を輝かせてこっちを見てますっ!?

「ほ、ほらっ! チカちゃんが誤解して―――」

と、言いかけたところで、チカちゃんの表情が期待に満ち溢れた表情から、「えっ、違うの………?」と言わんばかりの、がっかりした顔をしているチカちゃんがっ!

そしてニヤリとしたはぁとさんが、無言でスポーツバッグを私に差し出してきましたっ!

・・・・・・・・・。

「いえっ、私も魔法少女ですっ!!」

ここはもう、腹をくくるしかっ!!


「悪い子みーんなやっつけちゃう! 正義の魔法少女、『ラブリーチカ』!!」
「心に甘い魔法、かけちゃうぞ♪ シュガシュガスウィート♪『シュガーハート』!!」
「あなたに真心、お届けしますっ! 幸せの運び屋『ポストガール・ユウキ』!!」




………やってみると、案外ノリノリでやれるものですねっ

ポーズまで決めて、なんか達成感を感じますっ!

「いやーん♪ これとってもスウィーティー☆」

すると、ポストマンさんが手を挙げて言いました。

「………一人、魔法『少女』なんていう年齢じゃねぇ奴がいるんだが」

ああっ、そのセリフは禁句―――

「しゅがぐーぱん☆」ドスッ!

「がはっ!?」

シュガーハートさんの攻撃! ポストマンさんにクリティカルヒット!! ポストマンさんは倒れましたっ!!?

「お姉ちゃん、つよーい!!」

「………ポストマンさんっ」

言いたいことを言える勇気は、見習いたいと思います………っ

「ちょ、ちょっと! 無視しないでよ!」

と、怒鳴る声がして、その声のほうを見ます。

そこには先ほど私達が乗っている車を見て逃げだした、眼鏡をかけた黒髪の女性の方がいました。

「というか、これきついんだけど! 外してくれないかな!?」

その女性は車の座席に、手足を縛られた状態で座っていました。

「ダメに決まってるだろ☆ 怪しすぎるっての☆」

「じゃあ、せめて緩めるぐらいしてよ!」

「それはこちらの質問に答えてからだぞっ☆
っと、それで、えーっと………色々聞きたいこともあるんだが、まずは一つ目っと♪
あんた、何者よ?」

「いや、そいつは逃げ遅れたり、迷い込んだりした一般人なんじゃないか?」

と、はぁとさんに殴られたところを抑えつつ、ポストマンさんが立ち上がります。

「それはないんじゃないかな♪
もう事件解決してから時間たってるのに逃げ遅れたんだったら、今頃生きてないだろ☆
服もそこまでボロボロじゃないし、顔だちとかもしっかりしてるから、その線はまずありえないと思うぞ☆
そして、迷い込んだにしても、GDFの警戒網は結構厳重に張られているから、迷い込む前にGDFに止められるだろうしな☆
となれば、その警戒網の隙をついて忍び込める奴ってことになるぞ☆
つまるところ、ラブリーチカもこいつも、ただ者じゃないってこと♪」

はぁとさんはそこで一息。そして、眼鏡をかけた黒い髪の女の人に問いかけました。

「ラブリーチカは空を飛んでやってきたってことは、さっき証明してもらった。
なるほど、GDFも空には警戒網を張れていない。 そんなの想定してもなかっただろうしな☆
だが、あんたは空を飛べるような人とも思えない。
それでも、GDFの警戒網を潜り抜けてきたあんたは一体何者よ?」

そう問いかけられた女性の方は、少し迷いながらも、答えます。

「渋谷………凛。」

「し、渋谷 凛………?」

「知っているのか? ポストマン」

「ああ。 前にひなたん星人と名乗る女性が、小動物の姿をした怪獣を倒したというニュースがあっただろ?
あの時、そのひなたん星人と我々に協力してくれた女性だ。」

そう言って、凛さんのところに近づくポストマンさん。

ポストマンさんは帽子を脱ぐと、手を額に当てて敬礼をしました。

「君のことは、他のGDF隊員から聞いている。 あの時はご協力に感謝する。」

「………じゃあ、その感謝ついでに、この縛っている紐とか解いてくれないかな?」

「駄目だ。 それとこれとは話が別だ。
なに、こちらの質問にちゃんと答えてくれれば、無事に帰してやる。」

「………わかった」

凛さんは渋々と答えました。

「で、その凛ちゃんは一体何者よ?」

「俺が聞いた限りだと、研究者とか名乗ってた気がするな。」

それを聞いた途端、「げっ………」とはぁとさんが口を漏らしていました。

「ま、まあ、凛ちゃんの素性は何となくわかった。
じゃあ、質問その2♪ ぶっちゃけ、何が目的よ?」

はぁとさんが2本の指を立てて問います。

「新種のカースを見に来ただけだよ」

「は? なんだって?」

「だから新種のカースを見に来ただけなんだってば!」

「いや、言ってることはわかるが、なんだってそんなことを?」

「カースの研究をしてるの」

「………カースの研究?」

「そう。 カースの習性だとか、特徴だとかを独自で研究をしてるの。」

「独自でってことは………一人でってことか?」

「いろんなことを知りたいから、一人で好き勝手にやってる。」

「それは………何かしたいことがあってなのか?」

「いや、ただの興味本位」

その言葉を聞いた瞬間、はぁとさんが頭が痛そうに右手をおでこのところに持っていきました。
後で尋ねたところ、「興味本位で研究されるほど、厄介なものはねぇよ☆」と遠い目で語ってくれました。
………この後のことを考えれば、納得できますね。

そして、興味本位で来たという理由を聞いて、しばらく言葉を詰まらせていたはぁとさん。
ただの興味本位で憤怒の街に行く、凛さんの行動力には、私もちょっと驚きました。

「?? どうしたの?」

と、たずねられて、やっと口を開きました。

「ああ、つまりあんたは………趣味で博士をやってるとか、そんな類の奴なのか?
ほら、テレビでたまにやってる、役に立つのかわからない発明をしている奴とか☆」

「いや、当たってるかもしれないけど、役に立った実績あるし!!」

「まあ、今はそういうことにしといてやるよ☆」

「そういうことってどういうこと!?」

………ともかく、とはぁとさんが話を区切りました。

「ここは危ないし、あんたの素性もよくわかってないから、一緒についてきてほしいんだが?」

凛さんはそれを聞いてしばらく考えていたようですが、承諾してくれました。

「ラブリーチカちゃんもそうだけど、ほかにも気になることがいっぱいあるしね」

はて? 気になることっていうのはどういったことなんでしょう?
そのころの私は、そんなことを考えていました。

================================================================

………この人達は、本当にGDFなのだろうか?

凛の頭の中には、そんな疑問が浮かんでいた。

普通のGDF隊員であれば、私みたいな素性もわからない人を放っておく訳がないとは思う。

………まあ、それはいい。

それよりも―――はぁとと呼ばれていた女の人にただならぬ雰囲気を感じる。

そして、赤い服と帽子を被った、ユウキと呼ばれていたこの女の子は一体なぜここにいるのだろうか?

車にはGDF所属のマークが入っているが、なぜそのGDFが女の子を乗せて車を走らせているのか?

そして、あの早着替え………あれの仕組みは一体どうなっているのか?

はぁとと呼ばれていた人の話しぶりから考えれば、あいつらの正体は………芸人?

いや、芸人だとしたら、なんでここに来たのかわからない。



………やっぱり怪しすぎる。 隙を伺って逃げてしまおうか。

だが、逃げるということを考えると、面倒なことに三人もいる。

一人であれば、手持ちのビー玉とかいろいろ使えば撒けるとは思う。

だが、二人となると難易度は格段と上がる。

一人の隙をついたところで、もう一人の隙もつけなければ、銃で撃たれて終わり。

それが三人である。 普通に逃げ出すのは無理だ。

であれば、例えば何かあって車から二人が車から離れた時を狙って逃げるしか無いだろう。

カースが襲ってきたときにでも、隙を見つけて車から逃げ出そうか?

―――ああでも、しかし、せっかく見つけた『人型のカース』をこのままみすみす逃すわけにはいかない。

そう思い、ふとラブリーチカと名乗る少女の形をしたカースを見て―――

あれ?

最初に見た時と雰囲気が違う気がする。

………何が違う?

そうだ、あのカースはさっきまでどこか雰囲気が暗かったような気がする。 でも今は?

アニメの主役キャラを演じている姿は、まるで無邪気な子供のようだ。 見ていて可愛らしい。

………待てよ?

感情のままに動くカースはいくらでもいるけど、ここまで人間の子供らしいカースっていたかな?

………ひょっとして、新種のカース?

だとすれば、何としてても、じっくりと観察したい。というか、このまま連れて帰りたい。

そうやって、いろいろと考えを巡らせていると、ふととある考えに至った。

そうだ、身体的な特徴をつかめれば、多少なりとも何かわかるかもしれない。

そうであれば、善は急げ。私はラブリーチカを呼んだ。

「なにー? どうしたの?」

その提案は考えを巡らせて、巡らせて、巡らせまくって、考えがまとまった結果に出た提案。

そう、それは―――

「チカちゃん、一度服を脱いでその体を見せてもらってもいいかな?」

=====================================================================

私達は再び、車で憤怒の街を走っています。

運転席にはポストマンさん、助手席にはぁとさん

後ろには私と、チカちゃんと………簀巻きさんが1名………。

「ねぇ、この簀巻きとってよ! 動きづらい!!」

「駄目に決まってんだろ、変態☆」

「確かにあのままにしたら、色んな意味で危ないからな………」

「まさか、凛さんがこんな変態さんだったなんて………っ」

「いやそれ違うから! みんな誤解してるだけだから!!」

一方、チカちゃんはよくわからないのか首をかしげていました。

「??? なんで凛お姉ちゃんは簀巻きにされているの?」

「チカちゃん、いいですか? 世の中にはああやって女の子に興奮を覚える人がいまして――」

「私、そういうのじゃないから! いたってノーマルだから!!」

「えっと、それならチカちゃん、ちょっといいでしょうかっ?」

私はチカさんにこっそり耳打ちをします。

「うん、いいよ!」

私はチカちゃんに耳打ちし、それを聞いたチカちゃんは着ている上の服の裾をつかみました。


・・・・・・・・・・・・・・・


「チカちゃん、その裾を上げて! 服の中の様子を見せて!!」

「ほらやっぱり同じじゃないですかっ!!」

「違う! 私のはもっと高尚な目的なの!!」

「人の体を覗こうとする行為のどこが高尚なんですかっ!?」

「うっ、そういわれると………だけどここは引けない!!」

なんて言い争いをしていると、ヴーヴーという音がしました。

「あ、ハンテーンかな? ちょっと私のスマホ取ってくれる?」

「うん、わかっ――」

「チカちゃん、ここは私が取りますっ!」

そういって、私は凛さんの簀巻きの中に手を突っ込みました。

そして、すぐに端末を取り出そうと簀巻きの中を探るのですが………

「むむむ………なかなか見つかりませんっ」

「………ふふっ」

「………はっ!?」

よく見れば、スマートホンらしき端末は簀巻の中ではなく、外に落ちていました。

そうして凛さんの顔を見ると、ニヤリとした顔で私を見て言います。

「私の服の中にあるとは言ってないよね?
脱がせてって頼むのが変態なら、勝手に簀巻の中の私の体を手で触るのはもっと変態なんじゃないかな?」

ーーーやられましたっ!?

「さっき変態って言われた仕返し。」

「ぐぬぬ……覚えといてくださいねっ!」

そう言って、凛さんの横に落ちていたスマートフォンを拾い――

『テェーン!!』

「はわっ!?」

私は驚いて尻もちをついてしまいました。

「あいたた……」

「ふふっ、驚いた?」

見ると、画面上には茶色い動物の姿をした可愛らしいキャラクターがいました。

「あ、あのこれは……っ?」

「この子はハンテーン。私の……うーん……」

『てん!』

そういって、右手を上げて挨拶してくれました。かわいいですっ!
私も手を振り返します。

「私の……ペットかな?」

『てーん!?』(なにぃっ!?)

あ、喋ってることを画面上で訳してくれてますね。

『てんてーん!はんてーん!!』(いつからお前のペットになったんだ!訂正しろ!!)

「あ、あの、ハンテーンさん、怒ってますけどっ」

「あー、もうわかったから。ごめんってば。」

そういって怒ったハンテーンを宥める、簀巻姿の凛さん………うーん………。

『……てんっ?』(むっ?)

「?」

ハンテーンさんが急におとなしくなったので、「どうしましたっ?」と聞き返しました。

すると、画面から地図が現れ、その地図の赤い光点を指差し、

『てんてーんてーん!』(近くにカースがいるぞ!)

「えっ!? カースの位置がわかるのですかっ!?」

すると凛さんが代わりに答えました。

「ハンテーンは近くにいるカースを見つけることができるの。」

「その話は本当なのか?」

話を聞いていたはぁとさんが私達の方を向いて聞いてきました。

「うん。 おかげでカースに会わずに街に侵入できたんだ。」

「なんだって、そんなもの持ってるんだ?」

「あっ、ええっと、同じ眼鏡好きな友達にもらったんだ。」

「へぇ~♪ ともかく、その携帯でカースの位置がわかるんだよな? まじ助かるわ☆」

その言葉に、凛さんは頷きました。

「なるほど………そして、その地図によると前方にカースが―――って、前方っ!?」

と驚いたのも束の間、車がキキィーッっと音を立てて急停止しました。

「おい、あぶねぇよポストマン☆」

「いや、ちょっと待て。なんか音がしないか?」

そう言われて、少し落ち着いて、よく注意して耳をすますと………ガリガリという、石のようなものを砕いているかのような音が聞こえてきました。

「確かに、変な音がしますね………っ」

そう私が話すと

「うん、ガリガリキュルキュルって音がしてる!」

と、チカちゃんが言い、

「これは………キャタピラの音かな?」

と、凛さん。 ――簀巻きのままなので、チカちゃんに支えてもらっています。(チカちゃん、力持ち?)

そして前を見ると、ちょうどグレーの色をした戦車が横から現れました。

その戦車には……小さいですが、GDFという文字とマークが書かれていました。

「あの戦車、GDFの……?」


そうして戦車は長い砲身を


「さっき言ってたカースの反応って、どこからしてたんだ?」

「ええっと、前方からってハンテーンさんが言ってましたっ」


ゆっくりとこちらに向けて


「ってことは………あの戦車を操ってるのって………カースってこと………ですかっ?」

「おそらく、そうなんじゃないかな☆」


ガコンという音を立てて、止まりました。





『―――やばいっ!!』

「何かに捕まれっ!!」と叫び、ポストマンさんが慌てて車を急発進。

ハンドルを切って車体を滑らせ、ちょうどあった広い交差点を車を滑らせるようにカーブ。

すると、ドンッ!!って音と共に戦車の砲身が光り、今まで通ってきた道からドォン!!という音が聞こえました。

私達が乗っている車はカーブを曲がり切って、そのままスピードを上げて戦車から逃げます。

後ろからはガリガリキュルキュルと音がしています。

「ポストマン! これが例のアレか!?」

「ああ、そうだ!!」

「まだ追いかけてきているようですっ!!」

「何回か曲がれば撒けるだろうよ!!」

そうポストマンさんが言った瞬間、ガンッ!!という音が車の前方からしました。

何かにぶつかったようですが・・・・・・後ろを向いていて、この車とぶつかったであろう破片がちらっと見えた私にはわかります。

「あのっ、立入禁止の看板がっ!!」

「不可抗力♪ っていうかなんでこんなところにあるんだよ☆」

「あはははは! びゅーんびゅーん!!」

その後、戦車も後を追っかけては来たものの、全速力で逃げる私達の車に戦車は追いつけず、交差点を何回か曲がったところで、戦車の姿が見えなくなりました。

どうやら、なんとか振り切ったようですねっ。

近くに戦車がいなくなったことを確認して、ポストマンさんは車を止めました。

「………びっくりしたぁ☆」

「………本当にギリギリでしたねっ」

そうして、一息ついたポストマンさんがこちらを向いて言いました。

「………今のが、『コラプテッドビークル』だ。」

「遅えよ☆」

―――前途多難ですっ!!

「さっきのがこの街のカース?」

「ん? ああ、そうだが?」

「………ふーん」

それを聞いた凛さんの顔は、どこかつまらなそうな顔をしていました。………簀巻きの姿で。

今回は以上っ!
次回はやっとチカちゃんの家に………つけるかなあ?
ただ、かなり上手く行き過ぎてるので、何らかの波乱はあるのかも。

とりあえず、これからもちょこちょことですが書いていきますので、よろしくお願いします。


<おまけ>

凛「ねぇ、私、これでもシンデレラガールなんだよ?」

凛「それなのに変質者扱いで簀巻き姿にされたりとか散々な扱いされてるんだけど?」

………善処します。

ドーモ
あんまり長くないやつ投下します


「アラァ、おかえり洋子ちゃん」

 思いがけぬ声に斉藤洋子は立ち止まり、その方向を見やった。恰幅の良い白髪の婦人が、こっちヨと言わんばかりにニンマリと笑み、手招きしていた。
 日課の早朝クライムハントジョギングを終えたばかりの洋子は軽く会釈し、一瞬の思考で次にとるべき行動を選び取った。
 この老婦人、洋子が住まう老朽安アパート『ショウワ・ハイツ』の管理者たるオーヤ婆は、世話好きで話好きだ。
 本来このタイミングで遭遇するのは避けたい相手だが、今日はクライムハントジョギングの成果ゼロ、ランニングウェアは健在であった。
 洋子は未だ火照った身体を手で扇ぎながら、マスター・オーヤのもとへ向かった。

「ごめんなさい、ちょっと汗臭くなっちゃってて」

「イイのイイの、ホントちょうどいいとこだったワ。アタシね、今日オンセン行くから。フラ会でネ。日中空けることになっちゃうから。ネ」

 オーヤ婆は意外にも長話をするつもりはないようだった。彼女はジェスチュアで洋子を101号室の玄関先に留め置き、パタパタと慌ただしく室内に消えた。


 およそ10秒後、再びパタパタと現れた彼女は、身の丈の半分はあろうかという大きな段ボール箱を抱えていた。

「洋子ちゃん昨日留守してたでしょ? 宅配便来たけど、あんまり大荷物だからアタシの方で預かっててね、早いうちに渡せて良かったワ。あ、中身は見てないからネ、トーゼンだけど、ネ、安心なさいな」

 洋子はズシリと重い段ボール箱を受け取り、その上にしめやかに鎮座するオマケ……センスの疑わしいゴシック体で『ミラクルご案内』『あなただけ特別』など刺激的フレーズが印刷された茶封筒を見つけた。

「これもですか?」

「あ、ソレね、アタシの代わりに顔出しといてちょうだい。なんか記念品とか貰えるんだって。洋子ちゃんにあげるから。ネ?」

「えっ?」

「洋子ちゃんにもタメになると思うから。ホラ、なんか美容に興味、みたいなこと言ってたじゃない?」

「え、ええと……あ、はい、ありがとうございます」

 洋子の答えは曖昧であったが、オーヤ婆はもはや用済みとばかりに、普段使いより二回りも大きなバッグを抱え、抜かりなく施錠して足早に去った。
 取り残された洋子は、茶封筒に視線を落とし、ウーンと唸った。ひとまず荷物を持ち帰るのが先決か。彼女は104号室へと歩いた。

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 炎の能力者となって以来、洋子の体温は平熱でも40℃近い。自慢の美肌、起伏に富んだ肢体を流れ伝う42℃の湯も、彼女にとってはぬるま湯に等しい。
 シャワーを浴びてリフレッシュ完了した今、洋子の思考は底抜けに前向きだ。降ってわいた面倒事も実際チャンス。
 封筒の中身は何らかの美容セミナー案内状であり、外装の脱力感とは真逆のいやに凝ったレイアウトが、文面からにじみ出る胡散臭さをいくらか軽減していた。
 無論、そういったごまかしは洋子に通用するはずがなく、むしろ彼女は腹立たしささえ感じた。

(美容には早寝早起き、ご飯と運動……毎日の努力が大切なの。ミラクルなんてあり得ないんだから!)

 それは洋子自身の経験則である。美容だの健康だのを謳う商品のうち、かつて彼女の試した限りでは、満足できたものは一握りもなかった。
 この手のセミナーはもっと悪質だ。黒もしくは限りなく黒に近いグレーの詐欺業者が、女性の生涯の夢をせせら笑い、搾取する、悪徳商法のロビー。見逃す理由はない。
 加えて、洋子個人としても切実な事情があった。ヒーローデビューを果たして二ヶ月、未だスポンサーは付かず、ヒーロー活動で安定収入を得るには至っていないのだ。

(裏にいるのはヴィラン? ただのペテン師? どっちにしても、バーニングダンサーの名を上げるために薪になってもらうよ!)

 バスタオルで髪、顔、身体と撫でるように拭う。後は己の発する熱で勝手に乾く。ヒノタマの能力は便利さをもたらすが、一方でデメリットも無視できぬものだ。


 飾り気のない下着はハカクドーで5組1000円の特価品。実家から届いたばかりの仕送りから引っ張り出したTシャツとショートパンツは成長期途中に着ていた古いもので、ワンサイズ小さい。
 炎の踊り子装束を纏うたび、元の衣服は焼失する。ヒーローとして戦い暮らすことは、洋子が思っていた以上に、年頃の娘の大切な何かを犠牲にしているようだった。

「せめて、ちゃんとしたものを着られるぐらいには……」

 そのためにもクライムハントだ。安定収入が先か、衣服尽きて失意の帰郷が先か。洋子はチャブ上の茶封筒を手に取った。
 流し台兼洗面台に打ち付けられた鏡が、彼女の今を無遠慮に映す。衣服の丈は上下ともかなり短く、しかもボディラインが露わだ!
 Tシャツの胸にプリントされた素性の知れぬキャラクターは左右に引っ張られ、彼女を嗤っているように見えた。

「……うぅ」

 洋子は数秒間の逡巡の後、仕送り段ボール箱から野暮ったくもサイズには余裕のあるシャツを1枚引っ張り出し、煽情的な姿を隠すように羽織った。
 小さくひと呼吸した次の瞬間、鏡の中の洋子の顔は既に恥じらう小娘ではなく、戦いの場に赴くヒーローのものに変わっていた。

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 問題の美容セミナーの会場は旧東京エリア・シタマチの一画、何らかの更地に(おそらく無許可で)建てられた大規模プレハブ建造物であった。
 受付で案内状を提示すると、『美容エキス』とプリントされた袋――キャンディの試供品――を手渡された。これが記念品であろう。
 会場に集まった客の年齢層は概ね二極化しており、美容に敏感かつ社会人より時間の融通が利く思春期付近の学生と、相当額を貯め込んでいるであろう高齢者が目立つ。
 誰もが深海魚めいて目をぎらつかせる一方で、熱に浮かされた客席に疎らに配された異物、狩りの悦びを満面の笑顔で塗り隠した彼女らは、およそ20代から30代。間違いなくサクラだ。

「うん、フツーにおいしっ」

 洋子は記念品の『美容エキス』キャンディを一粒、吟味した。有害薬物ならば即座に口内焼却するつもりであったが、ヒーロー味覚はそれが砂糖と水飴と香料の塊に過ぎぬと安全サインを出した。
 ややあって、光沢のある紺色スーツとラメ入り赤金ネクタイでキメた薄毛の中年男が、ゴザ敷き客席の正面壇上に姿を現すと、会場内の喧騒はいくらか収まった。
 男はオジギし、人懐っこさを演出する笑みを浮かべて口を開いた。

「エー、皆さんね、エー、今日はお忙しいところをね、よくおいで下さいまして。せっかくですのでね、今日ここにいらっしゃる皆さんだけにですよ、いや皆さん美人さんばかりなんですけれども、もっとお美しくなっていただけるチャンスをですね、私ども、特別価格でご用意させていただきまして」

 オオ、と最初は数人分の疎らな声が、すぐに波となってどよめいた。洋子は小さく鼻を鳴らした。言葉数が無駄に多く、決してスムーズとは言えない進行。三流MCか?
 否、これは演技だ。こうした不完全という人間臭さの演出は、客のわずかに残った不信感を払拭し、財布の紐を緩めやすくする効果がある。
 集団催眠めいて判断能力を鈍らせ、商品を買わせる、悪徳商法でも初歩……だが、手口は鮮やかだ。洋子は何年も前の学校での授業を思い出しながら、口の中でキャンディを転がす。


 油断ならぬヒーローは目を閉じ、会場内の感情を探る。嫉妬、強欲、微かに色欲。こうした胡散臭い商売にはまり込む者は、思考さえも等しく曇っているものだ。

「ハイ、これね、皆さんにお配りしたと思いますけれど、もうお召し上がりになった方、いらっしゃいますか?」

 疎らに腕が数本スッと伸び、会場内の注目を集める。

「ああ~ありがとうございます! ね、おいしかったでしょ? これね、美味しく舐めるだけ! 舐めるだけで、美容に役立つ成分が手軽に摂れちゃう」

 カサカサと音。続いて「オイシイ」のさざ波。狡猾なやり口だ。正体は普通のキャンディ。菓子としては高いがサプリメントより遥かに安い価格設定。
 持ち金の少ない思春期学生でも、あまり気を張らずに買えるこのキャンディは、男の言うには限定200袋。これはすぐに……おお、見よ! 30秒とかからず完売!
 その後も怪しげな美容商品即売会は滞りなく進行した。仕掛けるタイミングを計りつつ洋子が試供品キャンディ最後の一粒を口に放り込んだその時、ニューロン内にノイズが走った。
 会場内には相も変わらず嫉妬と強欲、そして小さくも鋭い憤怒。……憤怒!?

「ペテン師めッ!」

 出入口ドアを蹴破り、女が一人乱入! 顔を黒い包帯で覆ったその女は、勢いのまま壇上に駆け上がった。司会中年男の手中のビン入り錠剤を奪い取り、足元に……叩きつける! 錠剤散乱!

「おや、私どもの取り扱い商品にご満足いただけませんでしたか? そうですね、エー、やはりこういう品は合う合わないがございますのでね、ハイ、お話は後ほど伺いますので」

 中年男は進行を妨げられた不快感を隠し、にこやかに対応。だが、会場の四隅に控えていた黒服達に抜かりなく目配せしていた。黒服達は電磁警棒を抜き、乱入者を排除にかかる。

「ユーザーナメるな! 思い知れーッ!」

 天を仰ぎ絶叫する女の口からマーライオンめいて黒い泥が噴出、彼女自身に降り注ぐ。おお、何たる美容を謳いながら実態は醜悪な悪徳商法の場に似つかわしくおぞましい光景であろうか!


 女は黒い泥に全身を包まれ、その姿は実際カーボン製マネキン! だが、その泥の肉体は表面が未だボコボコと脈打ち、さらなる成長を予感させる!

(これ、ヤバイでしょ! ハイーッ!)

 洋子は咄嗟の判断で攻撃的思念を放ち、会場内に満ちる負の感情のうち強欲を焼き滅ぼすことに成功していた。
 この対応は正しかったが、不足であった。人が密集する閉鎖環境下で極限に高まり、濃縮された強烈な感情は、その半分を失ってなおカースを育てるには充分!
 女と嫉妬を取り込んだ憤怒のカースは今や全高4メートル、ドグウめいて異様なメリハリのついた巨体は、歪にねじ曲がり枝分かれした細く長い腕を幾本も生やす。
 ドグウの頭が本来あるべき部位からは、カーボンマネキン……否、カーボン女神像のごとき女の上半身が生え、巨体の表面いたる所に嫉妬の結晶たる目が、鼻が、口が無数にレリーフ! 奇怪!

「営業妨害コラーッ!」「損害賠償請求!」「訴訟も辞さない!」「別室で話し合う!」

 黒服達は日頃と同様、遵法精神で恫喝。だが、カースに法もビジネスも無意味! 怒りの鉄拳が打ち振るわれ「「「「アバーッ!」」」」黒服全滅! 亡骸は黒い泥に飲み込まれ、骨の一欠片も残らぬ。
 眼前の凶行に客席は混乱、買ったばかりの美容アイテムさえ置き去り、我先にと小さなドアに殺到する。無論、洋子は臆することなく客席から回転跳躍!
 天井すれすれを飛ぶ身体が朱色の炎に包まれ、またも焼失した衣服が白い灰と舞った。壇上に着地を決めたバーニングダンサーの右手はチョップの形で、炎を纏っていた。

「プリミティヴ・バーニングダンサーです」

 聖炎の踊り子ヒーローは、ドグウ・ゴーレムのカースに厳かに一礼した。


「ヒーロー? バーニングダンサー? ……フ、フフ……ウワハハハ!」

 MC中年男は事態をようやく飲み込んだと見え、朱色のヒーローが少なくとも敵ではなく、むしろ彼を守らんとしている事実に勝ち誇るように笑った。
 その眼前50センチにバーニングダンサーのカエンチョップによって焼き切られたカースの腕の1本が落ち、彼は表情を凍りつかせて失禁した。

「「「ヒーローッ! 邪魔シナイデ!」」」

 無数の口が一斉に怒りを叫んだ。同時に、幾本もの腕からそれぞれ五指がピアノ線めいて伸び、鋭利な爪と指そのものによる刺殺・切断殺を狙う。
 投網のごとく逃げ場なき包囲攻撃! だが……おお、見よ! 踊り子はヒーロー反射神経とヒーロー第六感、そしてヒーロー柔軟性を最大限に発揮し、恐るべき殺戮ワイヤーを次々と捌く!

「ハイッ! ハイッ! ハイッ! ハイイーッ!」

 何たるカースに再生を許さぬ連続かつ攻防一体のアーツか! これぞバーニングダンサーの処刑舞踊、バーニングダンス!
 そして彼女は野良ヒーローながら、対カース戦闘においては実際スペシャリストであった。刺殺斬殺ワイヤー触手を避け、弾き、焼きながら着実に前進し、ドグウカースは直接攻撃圏内!


 踊り子の両手に朱色の装飾短剣が生み出された。ドグウ体表の怒れる無数の目に「ハイーッ!」突き刺す! 炎上! 「ウアアーッ!」
 ドグウカースは苦し紛れに腕を振り回す。バーニングダンサーはその1本に跳び乗り、勢いを利用して敵の背後に着地! 足場にされた腕は白い灰と化して崩壊!
 踊り子の両手に朱色の装飾短剣が生み出された。ドグウ体表のすすり泣く無数の鼻に「ハイーッ!」突き刺す! 炎上! 「ウアアーッ!」
 ドグウカースは苦し紛れに残り少ない腕を振り回す。バーニングダンサーはその1本を掴み、ロープアクションめいて敵の背後に着地! 勢い余ってちぎれた腕は白い灰と化して崩壊!
 踊り子の両手に朱色の装飾短剣が生み出された。ドグウ体表の呪詛を紡ぐ無数の口に「ハイーッ!」突き刺す! 炎上! 「ウアアーッ!」

「フ……復讐……返セ、私ノ……」

 ドグウカースの巨体は今や朱色の聖炎に包まれ、滅びの時を待つばかり……否! 光沢カーボン女神像は今なお健在! ドグウから下半身を引き抜き、眼下の踊り子に急降下攻撃を仕掛ける!
 女神像カースの両腕はカミソリめいて鋭く薄い刃! 憤怒と嫉妬の重圧!

「返セ! 私ヲ……ッ! 返セッ!」

 バーニングダンサーの双眸が朱色に燃え、見上げた空間が灼熱に揺らぐ。両腕の踊り子装束は形を捨て、聖炎そのものに還る。

「ア! ア! ア! アアアーッ!」

「ハイイーッ!」

 触れるもの全てを焼滅する熱波の盾も、強烈な感情に鍛え研ぎ澄まされたカースの刃を完全に滅ぼすには至らなかった。
 炎の右手が憤怒の刃を弾き、灰と変える。一方、炎の左手より速く踊り子に届いた嫉妬の刃は、その左頬から大きく形のよいバストにかけてザックリと斬り裂き、直後に燃え落ちた。


 傷口から噴き出した血が重油めいて燃える。バーニングダンサーは静かに呼吸を整え、女神像カースの胸をチョップ突きで貫いた。

「……ごめんなさい」

 洋子は俯き、声を震わせた。引き抜いた手の中で、小さな球体……カースの核が二つ、燃え尽きて崩れ去った。
 女とカースの結びつきはあまりに深すぎた。シュウシュウと異臭を放つ煙とともに、黒い泥が霧消していく。女には両腕と、腰から下がなかった。もはや助かるまい。

「あ……ぁあ、悔しいなぁ……これで全部、オシマイ……取り戻すことも、掴むことも……」

 今や女の素顔が露わだ。岩塊めいて土色にひび割れ、赤い肉が覗くほど変形したその顔は、何らかの薬物被害によるものか。然り、彼女はこの悪徳商法の被害者であったのだ。
 ……その時、洋子は信じがたい光景を目の当たりにした。依って立つ感情を聖炎に焼かれ、命尽きたはずの黒い泥が、女の顔を這い進んでいくではないか。
 失われた美を埋め合わせ、取り戻させんとするかのごときその様は、己を産み落とした哀しき復讐者への最期のはなむけであったか。

「……キレイ」

 洋子は無意識に呟いていた。黒い泥で土色をつなぎ合わせた顔に微笑を浮かべ、復讐の女神は静かに消え去った。洋子は両目の周りに付着した白い灰を、右手の甲で乱暴に拭った。

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 コップ1杯の水を飲み干し、流し台兼洗面台に打ち付けられた鏡に映る下着姿を見る。左頬、そして左胸に縦に走る傷は、今なお血が滲み、艶やかに赤い。
 ヒノタマの意思はこの傷を焼き塞ごうとしたが、洋子の意志は頑として拒んだ。ヒーロー回復力がある以上、三日で完治する傷だ。ならばせめて、その三日間だけは忘れずにいるために。
 小さなテレビから聞こえるニュース音声は、今日の一件の顛末を伝えていた。……洋子が去ったと入れ違いにアイドルヒーローが到着し、生き残りの関係者数名を拘束したという。
 プレハブ建造物を無断で建てられた地権者から排除要請が寄せられたことが直接の理由であったが、結果的に悪徳美容商法の実態も暴かれることとなろう。
 あの復讐者や、洋子が名も顔も知らぬ被害者達の魂は、多少とも救われるのだろうか。一介の野良ヒーローにそれを知る由はない。
 洋子にできるのは、ヒーローとして事件に首を突っ込み続けることだけ。……そして、自ら運命を切り拓かんとする者にこそ、土産のマンジュウと共に福音がもたらされたのだ。

「……バイト、かぁ」

『フラ会の友達がネ、今日言ってたんだけど、ガラの悪い客に困ってて……あ、そのヒト喫茶店やってるんだけどネ、で、腕の立つ女の子に、用心棒とウェイトレスを兼業で頼みたいって』

 悪い話ではなかった。件の喫茶店はネオトーキョーの中心地区に近く、ヒーロー活動も今より捗ることだろう。
 洋子はマンジュウを咀嚼し、思いのほかパサついた口の中を2杯目の水で潤した。


(終わり)

以上です
野良ヒーロー時代は基本孤独なので会話がない!
デレステに恒常レアにと最近洋子が熱い
あとは21コスSレアとデレステSレアSSレアと声付きとCDデビューだな!長い道のり!

大沼くるみちゃん予約します

ああ、7月25日も、もう終わってしま――
待たせたな!(CV:大塚明夫)

ギリギリになってしまったけど、恒例行事を始めたいと思います
実にまる一年ぶりの投稿でごぜーますよ……
相変わらず時系列は適当です
あと、かなり急ピッチで仕上げたため内容が無いよう……


――それは、本当に唐突で……。


未央「ところで、あーちゃんはピィさんとどこまでいったの?」

藍子「ん゛ん゛っ……!? ケホッケホッ!!」

――危うく口に含んでいたミルクティーをこぼすところでした。


藍子「ケホッ、み……っ、未央ちゃ……」

茜 「それは私も気になります!! どこまで行ったんですか!?」

藍子「ええっ、茜ちゃんまで!?」

茜 「未央ちゃんに聞きましたよ! いつの間に二人とも……」

藍子「え、えっと……?」

茜 「旅行に行ったんですかっ!!?」

藍子「あっ、そういう……」


未央「んん~~~? ”そういう”って、他にどういう意味があるのかなぁ~~~?」ニヤニヤ

藍子「うぅ……っ」

――もうっ、未央ちゃんのイジワル……。


茜 「それで! どこまで行ってきたんですか!!?」

藍子「えっと、そもそも旅行じゃなくて……」


藍子「前みたいにお仕事で、とある施設に行ってきたんです」

藍子「ただ、今回は少し遠くて一日じゃ帰ってこられないから、ホテルをとって一泊二日で……」

未央「若い男女、一晩ふたりきり、何もないわけなく……」

藍子「な、何もなかったですっ!」

茜 「夜のジョギングとかしなかったんですか!!?」

未央「そうそう、しなかったのー? 夜のジョギング(意味深)」


――未央ちゃんの言い方には、なにか含みを感じます……。

藍子「してないですってば~、夜のジョギングもなにも……」


――別に隠し事をしているわけでも、嘘をついてるわけでもありません。

――本当に何もなかったんです。

――それに、最初から何も起きないことはわかってました。

――だって、ピィさんのこと信頼してますから。

――ただ、『そんなピィさんだからこそ……』という相反する思いが、まったく無かったとは言い切れない部分もあるというか……。


未央「そっかぁ~、でも実はちょっと残念な気持ちもー……?」

藍子「あるかもしれないですね……、はっ!?」

未央「ほっほ~~ぅ?」ニヤニヤ

藍子「ちっ、違っ……! 今のは違いますから~~~!」

茜 「やっぱり初めて行く場所は一回くらい走っておきたいですよね!!」

藍子「それもなんか違います~!」

―――

――



ピィ「おれ、がんばったよ」

ピィ「なんども、あわよくば、っておもったよ」

ピィ「でも、がまんしたよ」

ピィ「ほめてほしいくらいだよ」


周子「んー、難しいとこやねー」

志乃「『手を出さない』と、一度決めた意志を貫けたことは、”紳士的”とほめてあげてもいいんじゃないかしら」

礼子「私に言わせれば、据え膳にも手を出せない”ヘタレ”ね」

周子「つまり、ピィさんは”紳士とヘタレの中間”ってことで」

ピィ「うれしくない」

以上です
……ええ、以上です

TLにな、えげつない速度でな、藍子のイラストがいっぱい流れてくるんよ……(嬉しい悲鳴)
ふぁぼりつしながらSSを書き、今もTLとにらめっこしながらこれを書いてます

ついでに雑談スレにも貼ったわいのイラストを一応こっちにも
http://imgur.com/JFOzFLC.png

なにはともあれ誕生日おめでとう、藍子!

お久しぶりです(定型文)

少し遅くなりましたが、イルミナティ侵攻編投下します。

ゆるふわな投下の後で申し訳ないですが弱グロとモブ厳が多々あります。
ご容赦をお願いします。

 幾台のカメラに囲まれたこの小さな部屋の中心で男は一人、どことない視線を向ける。

 見つめるその先は野望の果てか、欲望の追及か。
 否、彼の先にあるのは破滅であった。

 だがその破滅は彼が数百年にも渡り抱き続けた指針である。
 彼女がそれを望むから、自らもそれを望もうと抱き続けた呪いにも似た願望。
 初めは淡い思いであっても、人の寿命をも超える長き時に晒されれば歪みは生じてしまう。

 だがその願いに歪みが生じていようがいまいが彼は止まれない。そして仮にそれを自覚したとしても止まらないだろう。
 彼自身の望みのために、彼女の望みを叶えること。
 そのために、彼にとってこの数百年は存在したのだ。

「『あの日』以来この世界は様変わりした」

 その部屋には男一人だけだが、カメラの向こうには多くの者がその様子を見ていた。
 これから始まるのは男の独白ではなく、数多の同志、はたまたただ利害の一致した協力者に向けた宣誓である。

「異能は日常と化し、秘匿は水泡に帰し、交わるはずのないものは入り乱れる。

世界は混迷し、誰もが未知の互いを受け入れることに必死だった。

天変地異さえ、ラグナロクでさえ、カタストロフさえ起きても不思議ではない運命のあの日以降。

幸か不幸か、この世界は未だに滅びず、歪な均衡を保ったまま存在している。

水に落とした水彩の色が混じることなく、互いにせめぎ合って共存しているようなものだ」


 『あの日』から数年の歳月が経ち、世界は大幅な変革を迎えた。
 既存の常識は覆り、未曾有の混乱は人々を恐慌へと掻き立てるほどの出来事だったはず。
 だが、世界は妙なバランスを保ったまま、安定を維持している。

 結局この世界はそれなり影響こそあったものの、人々の何かは大きく変わることはなく、その不均衡を維持したまま続いているのだ。

「世界の歪みは大きくとも、それによって引き起こされた事象は些細なものだ。

だが逆に我々はどうだ?

神秘を秘匿し、魔術を独占した我々は、それらがさらけ出されたことによって世界における優位を失った。

かつて我々のような組織や宗教などいくらでもあったが、『あの日』によってほとんどが駆逐された」

 『あの日』は日常に影響を与えることはなかった。
 だが逆に非日常、空想や幻想といった類には比類なき猛威を振るったのだ。

 神が観測できたことにより、宗教の信仰は形骸化した。
 魔術が露呈したことによって、化学は不可侵の領域にまで普遍化の進行を進めた。
 人々の想像上の産物が存在を明らかにしたためにしたために、非日常は日常に汚染された。

 知らなかったことだからこその『未知』なのだ。
 知られてしまった以上、それは『既知』であり、普通へと格下げされる。

 結果としてイルミナティをはじめとする秘密結社や宗教団体、神秘を独占していた者たちは大損害を受けた。
 もはや『秘密』など人を引き付ける道具にすらならない。目に見えない『信仰』など薬にもならない。


 『あの日』以降、各地で行われていた宗教戦争でさえ、ろうそくの残り火が如く燃え上がったのちに大半が消滅した。
 人々は目に見える『信仰』を拠り所とし、旧体制の信仰受容体は消滅の一途をたどっていたのである。

「代わりに台頭したのは、神秘をビジネスと割り切り、迷うことなく利用しようとした連中。

変革に人々が混乱する中、商機を見出し、『未知』に付加価値を与えることによってこの世界を平定した。

『ヒーロー』、『財閥』、『サイバーカンパニー』、数を上げれば切りが無い。

まさしく彼らこそ世の勝ち組だ。時代を見極め、需要と供給を判断し、適切に取り扱った。

対して、我々は時代に取り残された負け組か?形態を変えず、秘匿さえ意味を持たない神秘を未だ隠し通そうとしている。

歴史の陰に隠れ世界の意図を引いていた我々は、このまま歴史の陰に消えていくのか?」

 男は大仰に両手を振り上げ、カメラの先の者たちに問うた。
 その先にいる者たちは、確かに歴史を見誤り、時代遅れと評される組織に身を置く敗北者たちの集団だと傍からは見えるかもしれない。

 だが彼らは間違いなく力を持っていた。その身に魔道の叡智を。科学の真髄を。組織の実権を。そして、闘争の火種を。
 各々が力を持ちその力は表に発揮されていないだけで、それらは凡百の成功者たちをはるかに凌駕する規模だ。

「我々の目的は財の蒐集か?神秘の独占か?それとも……世界の支配か?」

 振り上げた手は、握りつぶすように虚空を掴む。
 イルミナティにとって掴むべきはそんな程度のところではない。


 この組織にとって、現実的な野望など端から掲げた覚えはないのだ。

「否、だ!我らの目的は、世界構造の改革だ!

重力に引かれるように物が落ちる。電気はより抵抗の低い方へと流れ、海水は潮流する。

宇宙は真空で、海底は水中で、地下は日の光は当たらない。当然の節理にして当然の法則。

そして……神は見下ろし、悪魔は人を支配する。

その優劣は有史以来……さらに太古、最果ての原初より変わらぬ不変の理だ!」

 男はその白銀の腕を振りかざし、これを見るすべての者たちに号令を出す。
 世界は変わった。だが我らのすべきことは変わらず、そして為すべきことは胎動する。

「人は神に成れない。人は悪魔を超えられない。

そんな絶対的な優劣をこの手で壊そう。我らは、ほぼ等しく無力だ。

だが、積み上げた年月は、研鑽した秘術はこの星の年輪をはるかに上回るはずだ。

『あの日』は我らの滅びの日ではない。被った被害も大きいが、何よりも計画は大きく飛躍した。

故に、今ここに、この不安定なバランスの上で胡坐をかいている支配者共に付きつけよう。

この『イルミナティ』の存在を、世界に刻み付け、これまでの過程の正当性、成果を証明することを。

『この日』のために積み上げた成果で、世界の仕組みを一新する。

そう……『境界崩し』を成就させ、我らが上に立つのだ。

これまでのただ存在するだけの神々など不要だ。次の神は、我らが君臨する!」


 この演説を見ていた者たちは息を呑む。
 世界の陰に隠れ、燻り、目的さえ見失いかけていた研究や闘争の日々。
 それらを一新するかの如く、この宣誓は人々の意識に刷り込まれた。

「さぁ……反撃の狼煙をあげようじゃないか」

 イルミナティ総司令官、イルミナPは世界への宣戦を静かに表明する。
 眠り続けていた獣は、この瞬間牙を光らせながら目覚めた。


***



   


「なんて、イルミナPの奴は意気揚々と宣言していたが、それに扇動される連中はまぁ憐れなもんだな」

 高速道路を走る一台の大型トラック。
 ぼやきながら運転席に座るのは上半身裸で、腕を窓から乗り出している男。
 その男は明らかに高等教育を受けていないような頭の悪そうな風体と、一般人からすれば関わり合いたくないような堅気とは思えないような鋭い眼光を持つ男であった。

 そんなチンピラ然とした男の名は『エイビス』と通っており、こんな成りをしていてもイルミナティの直下組織の一つであり総戦力の6割ともいえる『イルミナティ騎士兵団』の総括である。
 相応の実力と地位を持つ彼だが、今この瞬間はやる気のなさそうな表情と肘を乗り出した腕で頬杖をしながら片手で運転を行っている。

 退屈そうな彼が繰るトラックのメーターに示されている速度は優に150キロをオーバーしており、高速道路真っ只中であるにもかかわらず紙一重で多くの車を置き去りにしながら進んでいた。

「確かにすることは間違ってはねぇが、結果はちがうだろ。

確かに神を地に落とすことはできるが、かといって自分たちが神になれるわけじゃない。

まぁ過程が真実である以上、愚図なスポンサーどもには耳触りがいいんだろうが……」

 天界などとは次元断層によって明確な境界線が存在しており、『境界崩し』はそれを取り払う術式である。
 しかし仮にそれを実行したとしても、互いの法則が混じり合いはするが、人が神に格上げされるという保証はない。
 確かに既存の神々は、『顕現』という形ではなく『堕天』に近いかたちで次空間ごと引き摺り落とされるので大幅な弱体化をするであろうが、その逆の可能性はほとんどありえないのだ。

 つまり、神々が座から引きずり下ろされたとしても、人の『格』そのものには何ら影響を与えることはない。
 それどころか、流入した天界の法則にただの人間が耐えられる保証すらないのだ。

「まぁ情勢を読み取れず、『財閥』やら何やらの側に付かなかった無能連中がどうなろうが知ったことはないんだがな。

せいぜいこっちに充分な資金流してくれればそれで結構なこった」

 エイビスはハンドルを軽く左右に切りながら、隣にいる一般車からトラックまで所かまわず体当たりしながら進む。
 彼のトラックの後続は、すでに多くの煙が上がりながら車の堰が出来上がっているが彼の気にするところではなかった。


「まーえらいオジサンたちがせっかくおこずかいくれるんだからさー。

少しくらいユメ見させてあげてもいいっしょー」

 退屈そうな顔をしながら荒々しい運転をするエイビスの隣、助手席の少女が声を発する。
 金髪蒼眼、今時のファッション街でよく見られるような恰好の少女、大槻唯は手元のスマートフォンを弄りながらエイビスを横目に見た。

「『ソウカイ』に出てるなーんにも知らないオジサンたちが何を騙されてたって、ゆいたちには知ったことではないでしょ。

オジサンたちは夢に投資して、ゆいたちはゆいたちの『ユメ』に向かって頑張ってる。

これぞ、ウィンウィンってやつでしょ♪」

 唯の持つスマートフォンの中では、いくつもの世界的キャラクターのデフォルメ顔が連なっては消えていく。
 唯にとってのスポンサーなぞ、同志ではなく、ただの資金源、手元のゲーム内で消えていくドロップ同様の泡沫の存在だった。

「おおう流石悪魔、えげつねーな。

まぁ連中もこっちのこと利用してるんだ。金があれば何でもできるとか勘違いしていて、プライドだけは高く、自らの地位にしがみ付くことしか能のない豚共。

せいぜい肥え太らせてから出荷してやるのがせめてもの情けかもな」

 エイビスはすばやくハンドルを切って、前方の車高の低い車にトラックのタイヤを乗り上げる。
 数倍もの荷重が掛かった車高の低い車は、車高がさらに低下しながらひしゃげる。
 その車のドライバーは即死、同時に爆発して、唯たちの乗るトラックを跳ね上げた。


「Yee Haw!!!」

 その巨体で宙を舞う大型トラックは、滑るような高い摩擦音と共に横回転しながら反対車線へと着地する。
 過程でさらに数台の車が犠牲になったが、そんなことは彼の知る余地ではない。

「あーんまり騒ぎすぎると、イルミナPチャンに怒られるよ。エイちゃん」

「板鰓亜綱(ばんさいあこう)の平べったい奴みたいに呼ぶんじゃねえ!

つーか、これくらいの騒ぎ問題ねぇよ。この車の動向はそのイルミナPの奴が管理してんだ。

このトラックに対しての物理的な捕捉も、魔術的な捕捉も絶対にありえない。

いわば今このトラックはあらゆる監視から解き放たれた無法のデス・マシーンだ」

 エイビスはそう言いながら、迫り来る車に対してハンドルを切る。
 的確なハンドル捌きは、鈍重なトラックで迫りくる車を回避し、その車体の側面に体当たりをする。
 そのトラックと交差し衝突された車は一台残さず、例外なく廃車になっていった。

「あーらら、沢山のお宅のマイカーがみんなスクラップになってくよ。

ま、イルミナPちゃんが大丈夫言うのなら大丈夫だろうけど、ほどほどにねー。

あ……そうだ、飴食べる?」

 唯は既に口に含んでいたロリポップとは別の、包み紙入りのロリポップを隣のエイビスに差し出す。

「ん?サンキュー。

まぁ……イルミナPの奴は個人的にはいけ好かない根暗野郎だが、その実力は間違いねえよ。

それはイルミナティ全員の共通認識……ボフゥ!!!」


 唯から受け取ったロリポップを口に含んだ途端に、形容しがたい表情に顔をゆがませながらエイビスは盛大に吹き出す。
 車内にかかる虹色橋は男の口元を又に小さく架かった。

 その拍子にエイビスの手元が狂う。
 彼の運転するトラックは横にぐるりと一回転しながら、迫り来ていた車をさらに2台薙ぎ払いながら高速道路の外へと弾き飛ばした。

「ペッ……ペッ!!

なんだこれ!?何食わせやがった唯!?」

 口から吐き出されたロリポップはそのまま窓の外へ投げ出され、後方へと消えていく。
 一筋の流星となって視界の外に飛んでいったロリポップのことなど気にも留めずに、エイビスは暴走するトラックをなだめる。
 そしてトラックを安定した暴走運転に戻した後、エイビスは隣に呑気に座る唯をじろりと横目で射抜く。

「テメェいったい何食わせやがった……?。

ドブのような、汚水を還元濃縮した味がしたぞコラ」

「ん?……あー、あれ『ギルティ・トーチ』の核だからね。

ゆいは『元』だけど大罪悪魔だからそれなりにデリシャスなんだけど。

まーカースの泥舐めてるのと同じだし、泥臭いのも当然だよねー。まぁ感情エネルギーも摂取できるから慣れれば結構いけるけど……」

 カースの核は、素材としては生成される泥と近い性質を持っている。
 そしてカースが人から生み出される感情エネルギーであったとしても、人間にとっては毒以外の何物でもない。
 たとえカースの核が飴玉のように見えたとしても、それは毒物の結晶に他ならず人体には悪影響しか与えないのである。

 それはたとえ地球生まれの悪魔と呼ばれるエイビスであっても例外ではなく、カースの泥をそのまま無害なものとして摂取できるのはせいぜい大罪の悪魔ぐらいである。


「つまり、人に毒物与えてんじゃねえぞ唯。

オレじゃなかったら、噴き出す程度じゃすまないっつーの」

「ぶーぶー……文句が多いなぁエイちゃんは……。

せっかく貴重なギルティ・トーチの核なのに」

「貴重ならもっと丁重に扱えよ……。

もったいないことして後でイルミナPにどやされてもオレは知らんからなぁ……」

「むぅ……噴き出して外に放りだしたのはエイちゃんじゃーん」

「条件反射だぜ?しゃーねーだろ。

そもそもそんな劇物食わせようとした唯のだろうが。

それに勝手にギルティ・トーチ1体野に放っちまったから後々面倒だぜ。

ま、そこんところは、あいつがなんだかんだ言いながら後始末は付けてくれるだろうから、さほど気にすることはねえんだけどよ」

 起きた厄介事は大概の場合イルミナPが処理するのがいつもの流れである。
 彼の気苦労は知れることだが、もはや100年以上続いてきた一連の流れだ。
 二人とも今更遠慮などするはずもなく、野に放たれたギルティ・トーチのことなどさほど気にする様子もなかった。


「んー……そもそもトラック暴走させてる時点に、1体程度カースが増えたところで対して変わんないよね。

だからゆいは、何も見なかったことにしよう。

そしてエイちゃんにも口封じを進呈するのだった、まる」

 唯は空間に発生した魔方陣『個人空間』に手を入れる。
 そしてゆっくりと引き出したのは、手のひら大のペロペロキャンディーであり、それを容赦なくエイビスの口に突っ込んだ。

「ゴボア!!?……ガ……ガガ。

くほ!!だから運転中に余計なほとふんじゃねえっつっただろうが!

ガ……んぐ、事故ったらどうすんだっての……。

ていうか、普通の飴あんのなら初めからそっちを渡せよってよな」

 エイビスは眉間にしわを寄せながら不機嫌な顔をする。
 そして口に突っ込まれたキャンディーをバリバリと咀嚼しながら唯に文句を垂れた。

「まーまー、どうせエイちゃんのドラテクなら問題ないんでしょ?

それよりも前気にしないとぶつかるよー」

 唯の忠告を聞く前からすでにエイビスはハンドルを切っており、スピンした車体は前方迫りくる乗用車を高速道路の外へと弾き飛ばす。
 そして隣の追い越し車線から来ていた次の車にトラックの後輪を乗せて、トラックは進行方向逆を向きながら再び跳ね上がった。
 潰された車の爆発と共に、跳ね上がったトラックは逆の車線、正しい進行方向へと進む元の車線へと戻った。


「っと、それぐらい承知だぜ。

ったく……それにしても、イルミナPの奴はいつまでこんなことをさせるんだ?

もう潰した車は十分だろうよ……。

これもシューティングゲームみたいで悪かねぇが、本筋とは違うだろうに」

 先ほどまで機嫌が良さそうにトラックを飛ばしていたエイビスだったが、唯に水を差されたりしたせいで興が覚めたのか小さく愚痴を吐く。
 トラックの後方では夥しい数の車の残骸とそこから上がる狼煙の筋が上がっているが、そんなことはエイビスにとっては事のついでなのだ。
 しかし一方で唯は、今回の作戦内容の詳細を把握していなかったため、エイビスの言葉の意味が今一つ理解できなかった。

「ん?本筋とは違うってどういうこと?エイちゃん。

たしかに、こんな感じで普通の人をプチプチ潰していってもあんまり意味がないのはわかってたけどさ。

このデスマシーン、のぺしゃんこ走行はエイちゃんが趣味で勝手にやってたことなんじゃないの?」

「勘違いすんなキャンディフリーク。

罪悪感とか抱く訳じゃねーが、雑魚をしらみつぶしに潰してくなんざ別に楽しくねーよ。

そもそも弱い者いじめはオレの趣味じゃねえ。こういうのはカーリーの趣味だろうが。

とにかく……つまり、アレだ。陽動ってやつだよ」

「よーどー、なんでまた?」


「その様子だと、お前話聞いてなかったな……。

イルミナP曰く、本丸攻める前に、なるべくゴタゴタ起こしてこっちに敵釣って、本丸に集まる敵の数を減らそうってことだと。

この道を封鎖しておけば、今回の作戦においての最大の『障害』を蚊帳の外に出せるそうだ。

まぁオレ的にはその『障害』とも戦ってみたかったが……本命落とす前に遊んではいられないからな」

 そもそも目的地に向かうだけならば、唯の『個人空間』を使えば簡単な話である。
 しかしあえてそうすることなく、大型トラックで目的地に向かっているのは、道中で騒ぎを起こすことによる陽動を狙ったからだ。
 すでにその『障害』となる者の動向はイルミナPが掴んでおり、その者の行動を阻害するかのようにエイビスはトラックを吹かしているわけである。

「実際のところもう一つトラックで走り回る意味があるんだが……。

それについてはそのうちわかるさ」

 エイビスは機嫌が悪そうにそう吐き捨てる。
 彼にとって自分の好き勝手にトラックを乗り回すのはそれなりに興が乗る行為だったが、関係のない一般人を踏み潰す行為など気分のいいものではなかった。
 この程度のことで罪悪感が湧くほど人殺しをしてこなかったわけではないが、意味のない殺人を心から楽しめる者などただの狂人だろう。

「ふーん……なんとなーく今日の目的っていうか、今やってることはわかったよ」

 唯はエイビスの語った行動の意図を理解し、それに答えるように頷く。
 しかしその一方で新たな疑問、というよりはこれまでも感じていた疑問が再び唯の中で想起された。
 ずっと疑問には思っていたが、これまでに聞く機会に恵まれなかった。

 だが何故か今回、イルミナティが動き始めたことをきっかけに、躊躇われていた質問をすることができたのだ。


「その……エイちゃんってよく戦うーとか戦場がーとか言ってるけどさー。

なんでそんな物騒なこと好きなの?ゆい的にはそんなことより遊んだり、カラオケしてる方が数百倍たのしー気がするけど。

そりゃあ、別にみんな好きなことは違うのは解るけど、いまいちエイちゃんのはわかんないっていうのかさー……。

うーん、かといって殺人が好きではないみたいだし、よくわかんないんだよね。エイちゃんの行動とか目的がさ。

なんでエイちゃんは戦いを、求めるの?」

 彼が狂人として殺人に愉悦を感じるのではなく、闘争を求めるのならばそこには理由があるはずだ。
 唯は決して頭の冴える方ではないが、故にエイビスのあり方について疑問に思ったのだ。
 戦いを求め、強者を求める。物語としてはありきたりな闘争者のあり方は、現実においてはひどく矛盾するということに。

「なんでって……そりゃ強え奴と……いや……」

 エイビスも虚飾で誤魔化そうと口を開いたが、そこで言いよどみ、横目で唯を睨む。
 その目が安易に触れるなと言わんばかりの眼光であったが、唯の方も目を合わせることなく窓の外の景色を見ている。

「そもそも……オレたちは同じ船の同乗者であって、元々は敵同士だったはずだぜ。

それを言う義理は……」

 トラックの隣を一台の車が過ぎ去っていく。
 これまで一台逃さず踏み潰してきたのに、気が付けば壊すことを忘れていた。
 アクセルを踏む足は無意識に緩み、メーターはすでに100キロ周辺に落ち込んでおり、暴走というにはいささか静かすぎる速度であった。


「……チッ」

 エイビスは小さく舌打ちをする。
 その苛立ちは先ほどのものとは違っていたが、そのことを彼は気にせず口に含んでいたキャンディーの棒を外に放り投げた。

「……大したことじゃねえよ。詳しく気になるならイルミナPにでも聞きな。

オレは誰かに教えた覚えはないが、どうせオレがどういう存在かは知っているはずだ。

だから、詳しくは言わねえ。ただ……オレは、オレであることの証明のために戦ってるだけだぜ。

オレはアイツじゃない。オレは人ではなく沼地の男で、深淵だと。アイツではないオレだということのために」

 トラックのエンジン音が車内に静かに響く。
 互いに目を合わせず、知り合ってからは長いのにその距離はいまだ変わらない。

「ハァ……だから嫌なんだ。辛気臭え。

ひとつ忠告しとくが唯、誰もがお前のように目的を持って行動してるわけじゃない。

オレみたいに手段が目的になっている奴なんてごまんといるぜ。

闘争やら戦争に憑りつかれた奴なんて、それこそ珍しくもない。

……だが目的は無くても、理由ならあるやつが大半だ。

本当に理由もなく、ただ単純に闘争を……いや、殺人を楽しめる奴こそが、本物の『狂人』だよ」

 エイビスの脳裏に浮かぶのは漆黒の義手を備えた長身の女の影。
 その闘争を求める姿勢こそ同じなれど、彼と彼女には根本が天地の差がある。


 人である以上、しがらみからは逃れられない。戦争に従事したものほどその傾向は強く、サバイバーズギルドは呪いとして心に巻き付く。
 だからこそ『闘争』そのものに意思を載せず、享楽と狂気だけを乗せることができる者の方が少数であり、そして脅威であった。

「あーくそ……嫌な顔思い出したあの糞アマ。

そういやカラオケとか言ってたな唯……せっかくだ、気分転換に一曲歌うぜ!」

「お、ここでカラオケしちゃう?」

「おうとも、クソみてえな空気は勢いでフッとばしちまえ!

Hey、唯マイクの用意はできてるか!?」

「オッケー!しかして選曲は?」

 唯がどこからともなく取り出したハンドマイクを片手にエイビスは、アクセルを踏み倒す。
 唸りをあげるエンジンをBGMに、カーステレオから心地のいいビートが湧き上がり始めた。

「こんな糞みたいなデスレースには当然だ!『マッドマックス』よりテーマソング……」

『おいコラこれ以上は止めろ!!!』

 上がり始めたBGMはジャミングされた様に掻き消える。
 それと入れ替わるように響くのは、軟弱そうな男の声。
 だがその声は有無を言わさぬ怒りを含んでいる。


『この世には抗っちゃいけない存在があるんだよ馬鹿どもが!』

「えー……だってエイちゃんがー」

「オレかよ!ってかまぁオレだけどさ……。

全責任擦り付けんな!お前もノリノリだったじゃねえか!?」

『シャラップ!!醜い責任転嫁はするんじゃない!』

 カーオーディオから聞こえる男の声。
 その声は先の演説の声と同じであり、今回は芝居がかった口調はしていない。
 声の主であるイルミナPはいつもの丁寧な口調が崩れるほどであった。

『とにかくカラオケは禁止!版権問題はデリケート!

特に音楽関連の利権は神の見えざる手が働きかねないからタブー!

オーケイ?』

「「……オッケー」」

 二人が声をそろえて理解を示した後に、場を整えるようにイルミナPは一度咳払いをする。
 イルミナPは二人に版権問題の複雑さを説きに来たこともあるが、それ以外にも目的はあったのだ。


『エイビス……騒ぎを起こせとは言いましたけど、車全てを踏み潰せとは言ってないです』

「細かいこと気にすんな総指令さんよォ。多少はゲーム性なきゃあこんなことやってられないっての」

『それを隠蔽するのはこっちの役目だから仕事を増やすなと言ってるんです。

記憶処理や、視覚的なジャミング。魔術的な探知に対する妨害から異能による透視への対策などなど……。

……正直死にそうです。何事もほどほどにお願いします。

こっちの人員が過労死したら、あなたには責任としてシキ謹製薬品の実験体をしてもらうのでよく覚えておいてくださいね。

アイツが置いていった未知の薬品は大量に残っているので』

 疲労感がにじみ出る声で忠告をするイルミナP
 そんな脅しに対してエイビスは無言のまま運転をする。
 だがその苦々しい表情は、渋々ながらもイルミナPの要求を呑むことに承知していた。

『それと唯、ギルティ・トーチが一体活性化して高速道路で暴れているのですが知りませんか?』

「な、ナンノコトカナー?」

『ギルティ・トーチは普通のカースと違って数を揃えられないので、むやみやたらに使わないと前に行ったはずですが?』

「ゴ、ごめんね?イルミナPチャン……」

『まぁ……それが今回は役に立っている部分もあるので、多めに見ましょう。

説教も、これぐらいにしておきたいですし』


 オーディオの向こう側のイルミナPは、小さくため息をつきながらも話を切り替える。
 そもそも今回の作戦はこれまでのような『実験』ではなく、集大成であり本命の一つだ。
 あまりいい加減なことをされると、小言が多くなるのも必然である。

 だからこそ、万全を期してその会戦は宣誓されるのだ。

『目的座標特定しました。もう各班には通達済み。

最後に二人に連絡したんです。お待たせしました』

「おおう。そりゃ僥倖。

本当に、やっとって感じだ。燻ってばかりじゃしょうがねえしな。

ああそうとも。出来ることなら、祭りの炎はでっかく盛大にだ」

「まったく遅いよイルミナPちゃん。

高速の景色はなんだか詰まんなくて、退屈しちゃったよ♪

……まぁでも、やっと始まるんだね。本当に退屈、だったのに」

『……ならば疾く、行きましょうか。

計画は十分練りました。あとはただ実行するのみ。

イルミナティはここから滅びる。この世界を道連れに、だ』

 目的地に向かってトラックは加速する。
 加速した車輪はもう止まることはなく、すべてを巻き込んで摩耗するのみ。

 だからこそ、悪意は集積し理不尽は疾走する。

***


   


 とあるオフィス街の中、一際大きく目立つビルがそびえ立つ。
 そこは一般的なオフィス街のように閑散としておらず、かつ昼休みのような時間でないにもかかわらずそのビルの人の出入りは多く賑わっている。
 衆目も決して物見遊山の観光客ばかりというわけではなく、目的や仕事などでここを訪れた者が大半である。
 ここら辺一帯のオフィスビルはほとんどがこの高層ビルに関連した会社であり、この人々が循環する巨塔がどれほど重要な組織であるかが伺えた。

 そう、このビルこそアイドルヒーロー同盟の総本山、アイドルヒーロー同盟本部ビル。
 地上500メートル、105階層の現日本最高(ネオトーキョー除く)の高層ビルである。
 ヒーロープロダクションは数あれど、それらをひとまとめに統括する組織である同盟。
 その本部ビルともなれば規模も相当巨大なものとなり、このビルディングの中で仕事に従事する者は数えられないほどに膨大だ。

 そんな同盟本部の第1階層は多くの来訪者を迎えるための大型ロビーとなっている。
 受付係だけでも数十人規模であり、ロビーであるにもかかわらずコールセンターのごとくの並びで受付嬢たちが対応にあたっているのだ。

「ですので、申し訳ございませんがお通しすることはできません」

 来訪者に告げる無慈悲な通行拒否の言葉。
 その一席の受付に一人のスーツ姿の女性が向かい合い、やり取りがうまくいっていない様子が客観的に見受けられる。

「いえ、ですから我々は先日アイドルプロダクションを立ち上げまして……。

今回、そちらのアイドルヒーロー同盟に加入させていただきたく、本日お尋ねしたのですが」


 話の流れからどうやらこの長身のスーツの女性は新興のアイドルプロダクションの者らしい。
 女性の後ろには関係者であろうか、大柄の男と一部の覗いて全体的に小さな少女が付いている。
 察するに大柄の男の方はともかく、少女の方はごく普通の格好をしておりおそらく売り出す予定のアイドルなのだろう。
 しかしその少女は不安そうに落ち着きなく視界を移動させ、今にも泣きそうな顔をしており到底アイドル向きではないように見えた。

「そうは言われましてもねぇ……。

新興のプロダクションのようですので聞いたことのない会社ですし、アポイントメントも取ってないのですよね?

そもそも規則もありますし、さすがにそのような無理を言われましても承諾いたしかねます……」

 受付嬢の方も相当粘られているのか疲弊している様子が見れる。
 それでも、会社としての規則とこの仕事に従事する者の矜持としてこの無理は通させるわけにはいかなかった。

「担当の方にお繋ぎしてくださるだけでもいいですから。

……あ、ほらどうです?わが社が売り出すアイドルは?

とても愛くるしい女の子でしょう?」

「……ふぇ!?」

 唐突に背中を押され前にでる少女。
 強引に話を振られた少女は、その困惑からか瞳に涙を溜めはじめる。

「え……えーっと」


 さすがにそんな目で見つめられれば受付嬢の方も困惑してしまう。
 一般的に今のアイドルと言えば、ヒーローも兼任した『アイドルヒーロー』である。
 一昔前のアイドルならば愛くるしい見た目だけでもなんとかなったかもしれないが、この少女は明らかに『ヒーロー』には向いていないことが素人の受付嬢にもわかった。

 そしてそんなアイドルにさえ向かなそうな少女を猛プッシュする会社を余計に信用できないのは当然だろう。

「その……嫌がってませんかその子?」

「いやですねー。そんなことありませんよ。

これも演技ですよ。庇護欲が湧いてきませんか?」

 受付嬢の質問に、躊躇なくそう答えるスーツの女性。
 涙を目に溜め、明らかに自分の意志でここに来たわけではない少女。
 先ほどからずっと黙っているが視線は動かさない厳つい男。
 しかも、そもそもこの男顔をヘルメットのようなもので隠しており、このビルを出入りする人間は個性的な人が多いため気にはしてなかったが明らかにあやしい。

 そして極めつけはこのスーツの女性。
 見た目こそごく普通の女性用スーツで、インド系の人種だが微妙に怪しいところが多い。
 話していても、いくら断っても、論点を逸らしこちらの意思を捻じ曲げつつ自分の要求を曲げようとしない詐欺師に似た口ぶり。
 両手の黒手袋や、人柄を見せない瞳の奥など、怪しさを極限に薄めているこの女性が逆に怪しく見えてきてしまう。

 受付嬢にとって似たような来訪者は過去にもあった。
 その経験もあってか、この来訪者が『まとも』ではないと受付嬢は判断できる。

「どうです?こんな愛らしいアイドルを見ればぜひともわが社を……」

「申し訳ありませんが、本日はお帰りください。

しかるべき部署を通して、来訪のご予約をいただいてからまたお越しください」


 これまではのらりくらりと受け流されてきた断りの言葉だが、今ここではっきりと述べる。
 そもそもこれは上司とも相談した方がいい案件の可能性があるとも受付嬢は判断していることでもあり、これで素直に聞かないようならばこの連中を上にではなく、警備員と繋げることになるだろう。

「……そう、ですか」

 はっきりと拒絶の言葉を投げかけられたスーツの女性は受付嬢から一歩、ゆっくりと下がる。
 その表情は残念そうな、一般的に落胆の感情が見て取れるような表情が『張り付いている』。

 そしてそのままゆっくりと、片手の黒手袋を引っ張り始め。

「……そこマデダ」

 黒手袋が抜き取られる前に、これまで黙っていたヘルメットの男が静止の声をかけた。
 スーツの女性は先ほどまでのにこやかな表情とは一変して、冷徹な眼光で男を横目にちらりと見る。
 そして手にかけていた黒手袋から手を放し、再び笑顔で受付嬢に向き直った。

「承知しました。ではまた、しかるべき道筋でこちらをお尋ねしますね」

 その言葉にも、表情にも何も違和感はない。
 受付嬢も若干拍子抜けするほどに容易く引いた女性に若干呆けてしまった。

 ほんの一瞬、大男とスーツの女性とのやり取りは一瞬であり、その冷徹な瞳を表層に表したのも一瞬だった。
 故に、そう言った方面には素人であったただの受付嬢では気付くことができなかったのだ。

 仮に、このやり取りを見ていたのが歴戦のヒーローであったのならば話はまた違っただろう。
 そう、逆に受付嬢のような素人が見ていたことが幸いだったのだ。
 それに気づいてしまっていたのならば、このロビーはコンマ1秒に満たない瞬間に赤色で埋め尽くされたであろうから。

「まぁ……後か先の話なんだけれど」

 そう言って、同盟本部の巨大な入り口から外へと出る女性。
 それに付いていく大男と少女であったが、少女は不思議そうな表情で一度だけ、ロビーの中を振り返った。

***


  


「クソだわ……ええあの受付の女。

紛れもないクソビッチ。もう惨たらしく生かした後に殺さなきゃあ気が済まないわね」

 同盟本部の向かい側、全国チェーンのコーヒーショップ。
 カウンター席に座るスーツ姿の長身の女性。先ほどまで受付嬢と会話していた時とは打って変わり、その口調は汚泥に塗れた語彙を感じさせる。
 そんな言いぐさは、彼女にとってブーメランなのだがそのことを指摘する者はこの場にはいなかった。

 その彼女は品を感じさせない粗暴な座り方をしながら、懐からスマートフォンを取り出し操作を始める。

「そのぉ……ジャイロしゃん」

 そんな彼女の隣にはオレンジジュースを両手で持った少女が小さく座っている。
 少女は座った状態でも多少の身長差があるスーツの女を見上げながら遠慮がちに伺う。

「……あ?」

「あ……ふぁい。ご、ごめんなひゃぃ……」

 だが、隣の女は邪魔をするなと言わんばかりに隣の少女を睨み付けて黙殺する。
 少女はその鋭い眼光で射抜かれて、涙や鼻水は決壊寸前であったが大人しく黙った。

「えーっと……あったあった」


 スマートフォンで何かを検索していたスーツの女性は、目的の物を見つけたのかニヤリと嗤う。
 その画面に移されているのは、一般的には実名登録で広く知られるSNSのサイトであった。

「あの女、馬鹿正直に実名登録してるなんて楽でいいわね。

なるほどねぇ……、彼氏もいて、家族との仲も良好。職場にも恵まれてる。いい暮らししてるじゃない」

 クツクツと嗤いながら女の口角はさらに角度を増していく。
 画面に映し出されているページには先ほどの受付嬢の顔写真と、胸にぶら下げていたネームプレートと同じ名前が記載されていた。

 この情報化社会において実名検索はあまり意味のないように見えて、実のところ非常に効果的である。
 今回のようなSNSが検索にかかり容易に、かつ迅速に情報が得られることも有る。
 だがそれ以上に仮にその名の残滓がだけが残っていようと、電脳の海は決して逃すことなく存在の尾を掴むことができるからだ。
 イルミナPのように機械や電脳の分野に精通しているものならば他に様々な手段が講じられるが、彼女のようにそのような教養がないものでも容易に個人の情報が得られることこそが最大の利点であった。

「ずるずる……ずるずると。

幸せそうな関係者がいっぱいでいいわねぇ……。全部台無しにしてその恨みをこの女に吹っかけてやりたいわ」

 画面の中には受付嬢の充実した日常が映し出されている。
 いいこと、悪かったこと、日常の機微を記したその日記帳は折り重なった一つの成果だ。
 彼女がこれまでに培ったものであり、形を成した城。

 だがそれは砂場の城であり、無慈悲な悪魔に目をつけられれば一瞬で瓦解する脆いものだった。

「こいつの彼氏、住んでるところはそんなに遠くないわね。

手始めに彼氏さんの関係各所を全部台無しにして、あらゆる恨みを彼氏さんに吹っ掛けましょう。二人の人生設計はこれでお手軽に壊せるわね。

その次は、両親、兄弟を殺しましょう。全員分の面の皮を剥いで、マネキンにかぶせてこいつのアパートに直送してあげるのよ。

『あなたのパパとママ、お兄ちゃんから、飼い犬まで、これでいつも一緒に暮らせますねー』って今日の張り付けた笑顔でこいつに言ってあげるの。

ああ……ああああ、想像できるわ、泣いて狂って、憎悪の目でアタシを見るあの女。

だからまだ、もっともっと折ってあげなくちゃ。塵も残さず、最奥の感情を引き出さなきゃ……」


 その女は恍惚の表情を浮かべながら、画面を高速にスライドしていく。
 脳内に広がるのは、外道さえも吐き気を催す最悪のシミュレーション。
 ただ自らのシャーデンフロイデを満たすためだけに、女は哀れな生贄を見繕う。

「まだ……まだよ。居場所も奪ってあげるの。

救いの余地なんて与えないわ。だってアタシの提案断ったんだもの。

クヒヒ……アヒ、アハハ。しょうがなわねぇ、だってアタシの意思を無碍にしたんだもの、これぐらいされても文句はないはずよねぇ。

だから、まずは仕事場を……ってああ」

 恍惚の表情で悪意を練っていた女だが、ふと我に返ったように静かになる。
 そんな表情の変化に隣の少女は不思議そうにその顔を見上げるが、女のほうは気にも止めない。

「そうね……仕事よ、まだプライベートに走る時間じゃないわ。

そもそも、仕事場は今から壊すんだったのよ。

ねぇ……そうでしょう?くるみちゃん?」

 首を歪にひねり、隣に座る少女を笑顔で見下ろす女。
 だがその表情は世間一般的に『笑顔』と呼べるような肯定的なものではなく、人形の笑顔以上に無機質で、底知れぬ悪意をはらんでいた。

「ひっ……そ、そうでしゅね。……ジャイロしゃん」


「『ジャイロ・アーム』はコードネームでしょう?

遠慮しないで、気安く『カーリー』って呼んでくれて構わないのよ。アタシも親愛を込めて『くるみ』ちゃんって呼んでるんだから。

それとも……同じように『インナーチャイルド』って呼びましょうか?」

「は、はいぃ……『カーリー』しゃん」

 有無を言わさぬその物言いに、『くるみ』という少女は呼び方を改める。
 女は、黒手袋を外し、その中身を現した。

 黒金の冷たいその手はその細動にさえ、見るものを不安にさせる何かを抱かせる。
 月は人を狂気に落とす。ならば三日月の口角を携えたその女は狂気そのものだろう。
 殺人義手『ジャイロ・アーム』と中央アジア出身を思わせるその容貌。

 見るものが見ればすぐにわかる、余りにも名の通った姿。
 国際指名手配犯、ジェノサイドとは今は一人の名を表す言葉。
 『カールギルの鬼子』カーリーは、窓の向こうに見えるヒーロー同盟本部を見据えて、悪意に浸る。

「だって今日はこの国を絶望させるんだから、焦っちゃだめよ『――』」

 もはや忘れた自らの名を、言葉にで出来ずとも小さく唇の動きで表現する。
 事実上『イルミナティ』の中では一番最悪で、最強の『人間』は今日も嗤うのだ。

―――

 


 鬼神が嗤うコーヒーショップの席の一角。
 カーリーから離れたテーブル席には、個性的な容貌をした4人組の姿があった。

「同盟はあたしたちをさんざん厄介扱いしてきたっていうのに、いったいLPさんはここに何の用があってて来たんだろうな?」

「ああ……なんでもアタシらが勝手にやってるのを快く思ってない連中が同盟にいるのも事実。

だからアタシら『ネバーディスペア』の活動に支障が出ないようにこんな感じで同盟との兼ね合いを話し合ってることがあるらしいぜ」

「そうだよぉー☆きらりたちが、はっぱはぴお仕事をできるように、LPちゃんもがんばってるんだにぃ☆」

「へぇ……LPさんサポートだけじゃなくそんなことまでしてくれてたんだ……」

 その4人組は知る人ならばそれなりに有名なフリーのヒーローグループと噂される存在。
 宇宙管理局から派遣された地球治安維持部隊『ネバーディスペア』である。

 その4人が、同盟前のコーヒーショップにいる理由としては、第一はこの場に用のあったLPの付き添いであった。
 そもそもLPには付き添いなど必要はないのだが、今回は4人が強引に付いてきたようなものだった。

「まったくLPさんもこんなこと隠してるなんて人が悪いよな。

あたしたちに知らせずにやって、カッコつけてるつもりかよ」

 奈緒はテーブルの上のチョコケーキを突っつきながら悪態をつく。
 LPのこういった舞台裏の仕事を知っていたのは、付き合いの長いきらりと、察しのいい夏樹だけであった。
 今回付いてきたのもLPの仕事ぶりを直接目で見ることが目的でもあったのだ。


「まーアタシらに黙って仕事をこなすってのも男の仕事って感じでいいけどさ。

それをちゃんと理解して背中を預けるってことをしなきゃ、アタシらもカッコ悪いだろ?」

「男の仕事、まさにロック……。

なら私も、黙って仕事をこなす仕事人みたいにすればもっとロックに……」

「それは、めーっ、だにぃ☆

ナイショでお仕事するのは『ロック』かもしれないけどぉ、それじゃあ逆にLPちゃんに迷惑かけちゃうよぉ☆」

「そうだぜだりー。

こういったロックはLPさんのような仕事のできる人のすることだ。

アタシらのロックは、そんなLPさんの信頼に答えることだろう?」

 仕事人のロックはまだ李衣菜に早かったらしい。
 李衣菜の妄想は速攻で二人に窘められ、ばつが悪そうな李衣菜はせめてもの反抗に口を尖らせる。

「ぶー……。わかったよぉ二人とも」

「まーあたしたちにできることは、ちゃんとLPさんの信頼に答えることが一番だからな。

迷惑ばっかりかけてないで、もっとあたしもちゃんとしないと……。

そのためも含めて、今日はLPさんに強引についてきたんだろ?」


 LPの予定はこの後火急の仕事が入っているわけではなかった。
 だが何もなければ、LPは戻って再び仕事に従事するだろう。

 だからこそ、今日はLPをねぎらうために4人はついてきたのだ。
 普段仕事ばかりにかまけていて張りつめているLPには休憩が必要だということは隣で見ている者たちからすれば痛感することであった。
 この地球にも娯楽はあふれている。そこで今日はこの後、窮屈な仕事場から外に出て、LPに楽しんでもらおうという算段なのだ。

 事前にこのサプライズは、LPの同僚に話してあり根回しは済んでいる。
 あとは仕事の終わったLPを強引に連れ出すことこそが、今日の『ネバーディスペア』の仕事であった。

「しかしどこに連れていけば楽しんでくれるのかな?LPさんは」

 そもそもこうした計画を立てたものの、行先は明確には決まっていない。
 事前に行先の候補は決めてあるが、4人でさんざん悩んだ結果ついには今日まで答えが出ることはなかったのだ。

「LPさんって仕事人間だからね……。どこに行けば喜んでくれるのかなんて私にはさっぱりだよー。

イベントとか人の騒がしい場所とかはあんまり好きそうじゃないし……となると私の案のCDショップしか……」

「それじゃいつもの買い物と変わらないだろだりー……。

とはいっても他にしっくりくるものもないし、最悪直接聞くしかないか……?」

「ダメーっ!それじゃあ『さぷらいず』にならないでしょー☆」

 結局行先はまだ纏まりそうにない。
 タイムリミットはLPが話を終えて戻ってくるまで。

 それまでこのコーヒーショップの一席を、サプライズ会議に占有しつづけるのだろう。



   





「ぐわああああああああああああ!!!!!!」

 そんな静寂はあえなく破られる。
 男性の叫び声とともにコーヒーショップに響くガラスの割れる音は、同盟本部のお膝元という破られぬ平穏をあえなく砕く。

 店内に居たものは、ネバーディスペアの4人を含めてその方向を注視する。
 一人の鎧姿の男が、慣性のままに店と外を隔てるガラスを突き破って、今しがたディスプレイケースに衝突しそうな瞬間が目に焼きついた。

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!」

 そして直後に外から響く獣の絶叫。
 それは人々の本能を刺激し、潜在的な恐怖を喚起させる叫びであった。
 誰もが理解するのだ。この場が決して安全ではないことに。


 そんな誰もが危機を察知し、身も守るための次の行動を想起しようとする中で、またく違う反応を見せた存在は店内に3人いた。

「……始まったわ」

 騒めきの中に混じるかすかな嬉々の声はカーリーの言葉。
 違う反応を見せた者の内2人は、義手の女カーリーとその隣にいる少女くるみ。
 彼女たちは事前に『これ』が起きることを知っており、これこそが回線の合図であることを承知していた。
 ゆえに誰もが叫び声に硬直するしかない中、静かに店の入り口から外へと出る。

 そして残る一人。
 他の3人が窓からの乱入者と、獣の叫びに気を取られている中でただ一人、その絶叫を別の物ととらえるものが一人いた。

「今の声…………あたし?」

 録音した自分の声を聴いたときのような、自分の声じゃないような、それでいて自分の発言だとわかるような、ざっくばらんな感覚。
 自らの中の獣たちも、叫びに応じて呼応する。
 心臓の高鳴りは周囲の騒ぎをかき消すほどに高鳴り鼓膜を打つ。


「……なんで」

 百獣を内包する少女は、店の外へと視線を向ける。
 視線の先は同盟本部1階ロビー。

 直線距離であってもそれなりにこの場から距離のあるその場所に存在する影を少女は確かに捉えた。

「…………どうして」

 私のような不幸な少女は、私だけだったはず。
 それだけで十分だし、そんな存在は2人も必要ないと奈緒は思っていた。

 だが、かすかに見える漆黒の獣はその姿はが『ナニカ』を、全く似ていなくとも奈緒にははっきりと理解できた。

「……そこに、あたしがいるんだ……?」

***



  


 時間は少し遡った同盟本部1階ロビー。

 雑踏の中、カーリーに応対した受付嬢は、怪しげな来客者のことを上司に報告している最中だった。

 LPは係の者とともに同盟本部の奥へと案内されようとしていた。

 だがその二人とも、いやその場にいた誰もがその異物に気づき、視線を上にあげるのだ。

『オナカ……スイタ』

 ロビーの高い天井、その中の一つのエアダクトから漆黒に近い液体が垂れる。
 誰が意識したわけでもなく、そのときそこにいた人々の視線は偶然にも一転に集中していた。

 それが功を制したのか、落下してきたエアダクトの蓋は誰にあたることもなかった。
 しかし、そのあとに落ちてきた漆黒の物体こそが、視線を集めた正体だ。

『オナカ……スイタヨ。アアア……タクサン、イルネ』

 その黒い泥は、ニコリと笑う。
 その輪郭はかろうじて人型に近い何かであることが理解できる程度で、表情は理解できるほどのものではない。
 だがそれを見た誰もがその表情の変化を理解し、同時に戦慄するのだ。

 この黒い塊は、『捕食者』であり、この場の我々は『被捕食者』であることを。

「「う、うわああああああああああああ!!!!!!」」
「「キャアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」」

 人々はパニックに陥る。
 突如として現れた黒い泥の塊は、人々によく知られる『カース』を想起させた。
 この黒い塊が違う『ナニカ』であることは理解できているものも多かったが、それ以上にカースと同様の脅威であることのほうが理解するうえで重要だったのだ。


 人々は突如として現れた『カース』に散り散りになって逃げ惑う。
 誰もがここを同盟本部であることを忘れてあるものは出口へ、あるものは本部の奥を目指して、できるだけ『カース』から距離を取ろうとする。

 『カース』は無差別に人を襲う災厄だ。誰もがわが身の可愛さに、外へ外へと距離を取ろうと醜く進む。

「ふはははは、まさかここを同盟本部だと知ってか知らずか。

なんと哀れなカースだな」

 だがその場に響く声。
 その姿は鎧のようなスーツに身を包んだ大衆にもよく知られたヒーローの一人。

「ヤイバー甲・参上!みんな、もう安心だ!」

 この場はアイドルヒーロー同盟本部である。
 当然誰かしらのヒーローが居合わせていることなどザラであり、今回もその限りであった。

「や、ヤイバー甲!ヤイバー甲だ!!」
「やった、助かるぞ!」
「そんな化け物やっちまえ!ヤイバー!!!」

 颯爽と現れたヒーローの登場。
 皆の逃げ惑う脚は止まり、安心と期待の目をヤイバー甲に向け始めた。

『ダ……ダレ?』

 『カース』は突然現れた、おかしな格好をした男に首をかしげるような態度を見せる。
 それを余裕ととったのか、ヤイバー甲は眉をひそめながら『カース』と相対する。

「ヒーローの本拠地に迷い込んでしまうような哀れなカースだ。

頭のほうが足りていないのも理解はできる。だが、容赦は無用!俺がすぐに退治して……」


 ヤイバー甲はその視界に影がかかったのを理解した。
 上を見れば漆黒の泥。その『カース』は瞬間的に体を拡大し、その咢でヤイバー甲の全身を覆うほどの傘をかける。

「……え」

 そしてその大口は、ヤイバー甲を有無を負わせぬままに丸呑みする。
 『カース』は数回咀嚼した後、そのまま元の大きさプラス、ヤイバー甲を口に含んで咀嚼している分の体積に戻る。
 この一瞬で起きたことを誰も理解できずに、ロビー内は静寂に包まれた。

『……カタイ、マズイ……アタシ、コレハイラナイ』

 そして『カース』は不機嫌そうに言い放った後、その大顎から人型の物体を吐き出す。
 勢いよく吐き出されたそれは、数人の観衆を巻き込んで同盟向かいのコーヒーショップへと突っ込んでいった。



「『ウルティマ』も動き出したし、もうアタシたちも好きに動いていいわよね」

 そしてそのコーヒーショップから出てきた二人。
 その二人が出てきたことを確認して、外で待機していたヘルメットの大男も付き従うように女の後ろを歩く。

「でもこれじゃ、まだ味気ない。恐怖が足りないわね」


 コーヒーショップから出てきた女、カーリーはウィンドウケースに頭から突っ込んで気絶しているヤイバー甲を尻目に同盟本部へと足を向ける。
 そしてちょうど目の前にいた、本当にただの通行人二人の首を軽く一撫でするのだ。

 するりと胴体から離れた二つの首は、まるであるべき場所のように自然にカーリーの両掌に乗っている。

「始まりの花火はもっと盛大にしましょう。

せっかくの惨劇なのだから、楽しく、鮮烈に、不幸を魅せてね」

 カーリーはその首を群衆へと投げ入れる。
 人の生首は、それだけで非日常だ。つい先ほどまで生命のあったその首は、容易に人々に死を連想させ恐慌させるには十分だった。

 その行いだけで、同盟本部前通りは地獄絵図と化した。
 守るべきヒーローは即座に敗れ、無関係だった一般市民は容易に死んだ。
 人々は我先にと逃げ出し、暴動のように負の感情は伝播していく。

「さぁて、甘い甘い、不幸を見せて」



   

 かなり前の設定のため再記載




 イルミナティ騎士兵団『第二位』エイビス

 深淵の悪魔。地球出身の魔族であり昔はデーモンスレイヤーとして活動していた。
 多趣味であり、見た目軽薄そうな男。
 イルミナティ創設メンバーの一人であり、昔イルミナPと唯を狙いことごとく返り討ちにされた経歴がある。
 ただし現在ならばかつて大敗を喫した唯に追随する強さを持つ。
 無口な兵団長に代わり騎士兵団をまとめている。

 誰もが深淵(エイビス)に挑まねばならぬ時がある。底見えぬ深い深淵へ。
 底があることに絶望を覚えるときもあれば、限りない底無しに絶望することもあるのだ。

 迦利(カーリー) / 騎士兵団6位『ジャイロ・アーム』
 災禍の中で踊る女。両腕義手のインド・アーリア人系。
 傭兵出身であり純粋な白兵戦のみならば序列内で1位に次ぐ。
 だが性格は序列内でも最悪であり、裏切り、不意打ち、だましうち、人質などあらゆる卑怯な行為でも空気を吸うように行い、相手を絶望させるための労力を惜しまない。
 世界中で身に着けた人間の限界に匹敵する技の数々でさえ、自らの欲求を満たすためだけに習得したものである。
 『ドブゲス女』、『デスビッチ』、『迦利(カーリー)』、『カールギルの鬼子』など様々な蔑称で呼ばれ、世界中の傭兵から兵士に恐れられている。
 量産型戦闘義手『ジャイロ・アーム』
 イルミナPが自身の『マジックハンド』をベースとして、魔導装置の代わりに現代兵器を多く搭載し量産化をした義手。
 だがその性能と重量によって汎用的に使える物ではなく、カーリーのみが使用する物として設計された。
 腕に装着されてない義手であってもカーリーの思考で並列コントロールすることが可能。
 また泥を完全に抜き取ったカースの核の内部保存領域を拡張して利用することによって、カースの核内部に義手を封じ込めて持ち運ぶことができる。
 カーリーが唯一行使する異能の力を有しているものである。

 


以上です。
プロローグなのに思った以上に時間がかかったことと、想定以上の文量になってしまった。
これの話についてはあと1、2回の投下でまとめる予定です。

ネバーディスペア4人組、ヤイバー甲お借りしました。

投下します(生存報告)



京華学園の遥か遥か上空、もはや宇宙空間と言って差し支えないほどの上空。

一台の巨大な宇宙船から、ヘレンはそれを見下ろす。

ヘレン「なるほど……あれが地球のフェスティバルね、なかなか賑わっているじゃない」

宇宙酒のグラスを傾け中身を飲み干したヘレンは、パキンと指を鳴らした。

ヘレン「アステリオーズ、メモリック」

アステリオーズ「グルル……」

メモリック「お呼びですか、マム」

ヘレンの呼び出しに応じ、迷宮怪人アステリオーズと記録怪人メモリックが姿を現した。

ヘレン「方法は任せるわ、あのフェスティバルを更に盛り上げていらっしゃい」

アステリオーズ「グオオ!!」

メモリック「御意に」

部屋を去る二体と入れ替わりに、ヘレンの側近であるマシンが入ってきた。

マシン「マム、失礼します」

ヘレン「あら、何かしら?」

マシン「旧友の方から惑星間通信が入っております」

ヘレン「旧友? まあいいわ、繋ぎなさい」

ヘレンの言葉にマシンは「イエス、マム」と短く返し、室内のモニターを点ける。

??『いっよーぅヘレンちゃーん!! 相変わらず宇宙レベルかぁーい!?』


ヘレン「切りなさい」


マシン「イエス、マム」


??『どおお!? ちょちょちょちょっと待ってくれよヘレンちゃんよぉ! ちょーっとふざけただけだろお?』


モニター越しにおどけてみせる男。


24時間グダグダ煮込んだホウレンソウのようなウェーブの緑髪。


丸々3日履き続けたお父さんの靴下のようにだらしなくくたびれたウサ耳。


そして顔の右半分を覆う、レトロな雰囲気を醸し出す鉄仮面。


ヘレン「……で、一体何の用かしら、UP?」


ヘレンは珍しく少し不機嫌な顔をモニターの男……奴隷商人UPへ向けた。

UP『いやあ、ちょっとマルメターノの野郎への復讐と素材の仕入れを兼ねて地球の愁炎絢爛祭っつー祭に来るつもりだったんだがな? うっかり宇宙警察の犬どもに取り囲まれちまって……あ、もちろん俺が勝ったんだぜ? でもちょーっとスレイブニールの方が傷ついちまってな? 困り果てて宇宙図を見たらワァオ! 地球のすぐそばに旧知の仲たるヘレンちゃーんの宇宙船があるじゃないの! これは最早神の思し召しでしてーっつー事で修理用の資材わけてくんねーかなーって通信かけたんだけど……ってあらら? ヘレンちゃん? 聞いてる?』


ヘレン「……ええ、『不幸にも黒塗りの高級宇宙船に追突してしまう』って所まで聞いたわ」


UP『全く聞いちゃいねぇーっ!! ズッコー!!』


往年のギャグマンガのような動きで盛大にズッコケるUP。


よく見ると足の裏に強力なスプリングが仕掛けてある。


この為に追加したのだとしたら、努力の方向音痴と言うほかないだろう。


ヘレン「冗談、ちゃんと聞いていたわ。わけてあげてもいいけど、タダとはいかないわ」


UP『モチのロンだぜ! 俺様特製プロデュースの奴隷五体をロハで……』


ヘレン「いらないわ、あんな悪趣味なオモチャ」


UPの言葉をヘレンが遮る。


UP『へっ?』


ヘレン「その代わり……例のコア、一つもらおうかしら。持っているんでしょう?」


UP『例のコアって……ちょちょっ、マジかよ!? アレは生産終了再販予定無しの激レアもんだぜ!? そもそも何で持ってるって知ってんの!?』


ヘレンの言葉に、UPは身を乗り出し驚いた。


勢いあまって顔面をモニターに激突させたその様は、まるで何とかクリムゾンとかいうロックミュージシャンのCDジャケットのよう。


ヘレン「嫌ならいいわ。そのオンボロ宇宙船で地球まで来ることね」


UP『ぬうう……よーし分かった! その代わり資材はバッチシ頼むぜヘレンちゃん!!』


CPU『マシンちゃん、一応現在座標と故障状況を転送しておくわねぇ』


マシン「助かります、CPU」

UP『じゃ、また会おうぜヘレンちゃんよお!!』


謎の決めポーズと共に通信を終了させるUP。


ヘレン「はあ……マシン、奴の宇宙船が地球に到達するまでの時間は?」


軽く溜息をついて、ヘレンがマシンに問いかける。


マシン「CPUから転送されたデータで計算しました。約167時間20分後と推測されます」


ヘレン「6~7日後、ね」


マシン「イエス、マム」


室内に一時の沈黙が流れる。


ヘレン「……間に合わないわね、祭」


マシン「間に合いませんね」


――――――――――――
――――――――
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――――
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――――――――――――


京華学園、地下通路。


アステリオーズ「グルル……」


メモリック「転送完了。現在座標x581688、y401190、z-15078。京華学園地下と判断」


アステリオーズと共に転送されたメモリックが現在地を照合していた。


メモリック「ではアステリオーズ、早速開始です」


アステリオーズ「グオオン!!」


アステリオーズが両拳を頭上で激しく打ち付けると、そこから青白い火花が舞った。


火花は彼の角の間へ舞い降り、そこで更に大きく、激しく輝きだす。


そして火花が直径1mほどの大きさになった時、アステリオーズは叫んだ。


アステリオーズ「ビルド・ラビリンス!!!」


直後、火花は幾つもの光の筋となって散らばり、地下通路全体を照らしていく。


すると、信じられない事が起こり始めた。


ズズズ……


ゴゴ、ゴゴゴゴゴ……


光の当たった壁が、重低音を響かせながら動き始めたのだ。


やがて重低音は地下通路中を埋め尽くすほどに響き渡り……。


アステリオーズ「グオオ!」


数分と経たない内に、地下通路内部は巨大な迷宮と化した。


メモリック「……申し分ないですね。では続けて御招待を」


アステリオーズ「グルル…グォォォォォォ!!」


続けてアステリオーズは腕組みし、大きな雄叫びを上げた。


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ほたる「あれ? 巴ちゃんいないね……お手洗いかな?」


乃々「で、でも、お好み焼き焦げてますけど……」


エマ「なんか急にパッと消えたみたいな感じだなー」


――――


部員「ねー、キャプテンいたー?」


部員「いないよー。どこ行ったんだろ?」


部員「スタンプラリーの3ポイント希望してる人結構溜まって来てるのになあ…」


――――


忍「あ、伊吹ー! 沙紀いた?」


伊吹「こっちにはいなかったよ。どこ行ったのかな……」


忍「ほんの数秒だったよね、沙紀と離れたの……」


――――


モブヒーロー「ルーキートレーナー? ルーキートレーナー応答しろー?」


モブヒーロー「昼寝でもしてんじゃねえの?」


モブヒーロー「かもな……まあいいや、アイツの仕事料が減るだけだ。俺たちだけで警備に行こうぜ」


――――――――――――
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――――

――――
――――――――
――――――――――――

地上で次々と行方不明になる人々。

それが原因となり、学園祭のあちこちで小さな混乱が起こり始めた。

言うまでもなく、犯人は怪人アステリオーズだ。

メモリック「良い調子です、アステリオーズ。景気付けにもう何人か……む?」

言いかけたところでメモリックが振り向く。

『オ゛ォオ……ォア゛……』

そこにいたのは、山羊……のような姿をした怪物だった。

泥の体を引きずって、ゆっくりゆっくりとこちらへ向かってくる。

メモリック「……解析完了。体表の構成物質からカースと断定。交戦による我々へのメリット無し。彼我機動性差、圧倒的」

淡々と分析するメモリック。

メモリック「奴をまきますよ、アステリオーズ。マムから賜った任務、邪魔をされるわけには……」

アステリオーズ「グオオオオン!!」

メモリック「アステリオーズ!?」

直後、アステリオーズはメモリックの指示を無視して山羊のカースへと襲いかかった。

右の拳が、固く握り締められている。

メモリック(……まあ、いいでしょう。たかがカース如き、即座に始末して任務に戻れば……)

冷静さを取り戻し、アステリオーズの背中を見守るメモリック。

それがメモリックの誤算だった。

目の前にいるカースを、『たかがカース如き』と判断した、彼にとって最大のミス。

アステリオーズ「グオ……!?」

カースを殴りつけた途端、アステリオーズの体が硬直する。

そして一瞬の後、カースの泥がゴボゴボと湧き出し、みるみるうちにアステリオーズの体を包んでいく。

メモリック「!?」

アステリオーズ「グオ、オオオオオ!!」

メモリックが呆気にとられている間に、アステリオーズの体は完全に泥の中へと消えた。

メモリック「か、解析不能……!」

『ア゛ォオァア……』

そして、アステリオーズを飲み込んだカースがボコボコと姿を変えていく。

それはまるで、漆黒に染まったアステリオーズそのもの。

しかし、頭は山羊のそれという、完全なる異形だ。

『…………』

やがてアステリオーズを飲み込んだカース……『退廃の屍獣』は、ゆっくりとした足取りで何処へともなく歩き出した。

メモリック「な、なんという事……」

この迷宮はアステリオーズが造り出したたもの。

すなわち、解除出来るのもアステリオーズのみ。

メモリック「……帰還装置、正常稼動確認出来ず……」

アステリオーズの迷宮は中の者を永遠に閉じ込める。

魔法であろうと科学であろうと、この迷宮の中では意味を成さない。

メモリック「……このままでは……」

戦闘能力を持たないメモリックに、退廃の屍獣をどうにかする事など出来はしない。

彼はただ、祈るしか出来ない。

迷宮内に呼び込まれた者たちが、奴を倒す事を。

完全に制御不能となった、迷宮の番人を……。

続く

○イベント追加情報
地下通路が迷宮化し、巴、渚、沙紀、慶をはじめ複数の人間が転移させられました。
アステリオーズを取り込んだ退廃の屍獣を倒せば元に戻ります。

はい、というわけで長らくお待たせしました(白目)
エマ以外全員お借りしました(横着)

お久しぶりです。
こちらも投下しますねー

お久しぶりです(2か月ぶりn度目)

>>245
文化祭3日目の地下迷宮が本格始動ですね。また攻略難易度が高そうです。

>>258
しゅがはと乙倉ちゃんの和やかな感じとは別に動く謎の影。続きが気になります。


イルミナティによる同盟本部侵攻編part2投下します。
今回も長いです(白目)

 砂嵐は脳内に蔓延り、視界不良は依然続く。
 断片をつなぎ合わせた記憶は、遥か過去のようなものの気がして直視する気にもならない。

 まるで数年放置され虫に食われ尽くした穴だらけの新聞のようなモノクロは、あたしにとっては価値を理解できないほどに擦り切れてしまっていた。

『……クスクス、クスクス』

 そんな不明瞭な情景で、どこからともなく聞こえる小さな笑い声。
 無邪気な声色のそれは、嘲笑されているようで、にもかからわずなじみ深い嫌悪感の少ない印象をあたしは抱く。

『なお、なお。かわいいなお。かわいそうななお』

『知らない頃に連れ去られ、何処とは知らない檻の中』

 砂嵐の中笑い声と共に聞こえてくる歌声は、ざりざりとあたしの頭の中をひっかく。
 歌声は脳の中をかき回し、不快感にを与えるが、それに比べ苛立ちは少ない。
 不明瞭な視界の中で付いているのか定かでないあたしの脚は、ごく自然にその歌声に引き付けられるかのように歩き出す。

『まっしろいおさらのうえ。なおはおさらのうえの、おりのなか』

『ナイフとフォークを持って、みんなは奈緒を見てる。食器を交差させて奈緒を見てる』

『ああ、なお、なお。かわいそうななお。かわいいなお』

『今からわたしは食べられてしまうのね。かわいそうで、おいしそうな奈緒』

 笑い声は大きくなることはない。しかしその数は次第に増えて、あたしの四方から絶え間なく聞こえてくる。
 歌声は依然響く。あたしに語り掛ける歌は、あたしの脳をまだかりかりとひっかいて不愉快だった。


『……クスクス、クスクス』

『くすくす……クスクス』

『アハハ……クスクス』

 視界を埋め尽くす灰色の砂嵐。当てもなく歩き続ける中ずっと続いてきたそれは、笑い声の数と反比例するように薄れ始める。
 そこは歩くたびに体中が重くなり行く手を阻むが、体はあたしの意に介さずゆっくりと進む。
 歩み進んだ先の景色もやはり灰色だ。
 だが薄れ始めた灰色の砂嵐はその中に、一つの情景を形作り始める。

「……遊園地?」

 離れた空には巨大な車輪。
 身の丈ほどの大きさのマグカップや作り物の艶を出す回転木馬を備えた円形幕。
 金属柱を組み上げたレールの上で静止したジェットコースターや海原に進みだすことなく左右に揺れるしかない海賊船。
 どこにでもあるような、その言葉を聞けば万人が想起するようなアトラクションが備えられた娯楽の園。

 だがその遊園地は相変わらず古新聞の写真のように白黒で、視界に走るノイズ以外に動きのない静止した空間だった。

「そういえば、遊園地なんて行ったことなかったな」

 ネバーディスペアの活動を始めてからすでにそれなりの時が立っている。
 異形の見た目のために、その活動以外では外に出ることは少ないために、娯楽目的でこう言った遊園地のような場所に来る機会はあたしにはなかった。
 だが知識としてはどういう場所か知っているので、その風景が遊園地であることは認識できたのだ。


「んー?……遊園地、なのか?」

 本来華やかな雰囲気を連想させる遊園地だが、目の前に広がる景色からはそんな感想は思い浮かばない。
 文字通り静止したこの情景は、本来動的であるはずのアトラクションの諸々がすべて静止しているということに他ならない。
 あたしは少し見渡しても、視界に入るような自分以外の人の姿も見えないし、小鳥一匹、小動物、はたまた動く影すらないまさに静止画の世界ようだった。

「あたし……なんでこんなところにいるんだっけ?」

 そもそも視界不良という明らかな違和感にさえ疑問を抱かなかったあたしだが、そんなことを疑問に思う。
 特にきらりや李衣菜と遊園地について話をしたことはないし、当然夏樹ともそんなことは話さない。
 別に行きたいと思ったこともなく、この場所のチョイスには疑問にしか思わなかった。

「……でも、この場所」

 たしかに場所には疑問しか思い浮かばなかった。
 そもそも今の状況が現実離れしているのだが、そんな現実離れした空間であってもこの遊園地は妙に現実に沿っている。
 いわゆる既視感だ。あたしは行ったこともないこの遊園地に既視感を覚えている。

「ここって、いったい?」

 あたしはその既視感の正体を確かめるために、周囲に広がる遊園地を見渡す。
 この遊園地の正体を探るために、ありふれたアトラクションからあたしの記憶に合致するものが含まれていないかを探す。


『……くすくす、かわいそうななお』

『……クスクス、かわいい奈緒』

 だが周囲を見渡したあたしは、その風景の中で既視感ではない異物を見つけた。

『ごきげんよう。ご主人様』

『ごきげんよー、ごしゅじん様』

 コーヒーカップの中に座る二つの影。
 影というのは文字通り『影』であり、その姿は不明瞭、黒塗りの人型である。
 その声色は少年のものと少女のものの二つ。影も黒塗りのために判別がつかないので、どちらが少年でどちらが少女なのかあたしには判別がつかない。

『今日は楽しかった?ご主人様』

『りいなやなつき、きらりもみんな優しくて、ごしゅじん様は今日もご機嫌だったねー』

「お、お前ら……いったい?」

 突如として現れた二つの影に、思わずあたしは一歩退く。
 その明らかに人間ではない『何か』は、さも当然のようにあたしに話しかけてくる。
 あたしはこんな二人のことは知らないし、知り合いでもない。
 だけどそれはとてもなじみ深くて、そして直視できなくて、頭の中は混乱していく。

『心外ですわ。ご主人様。私たちはいつも一緒ではありませんか』

「だ、誰がご主人様だ!あたしは、あんたらを見たことはないぞ!」

『うん、そうだね。確かにごしゅじん様は僕らを見たことがない』


 『僕ら』と語ったほうの声があたしの背後から響く。
 思わず振り向いたあたしは、あたりまえのように模造の白馬の上に座る一つの影を見つける。
 すでにコーヒーカップにいた二つの影はそこにはいない。
 白馬の上の影は狼狽えるあたしのことなんて気にせず話を続ける。

『でも僕らはいつも一緒だよ。はなれたくてもはなれなれない。

だからごしゅじん様のうれしかったことも、怒れるようなことも、悲しかったことも……楽しかったこともしっている』

「そんな、あたしは知らない。……いったいあたしの何を知っているんだ」

『だからすべてですよ。ご主人様。

今日のこと、昨日のこと、一昨日のこと、遡ってこれまでのことも』

 ジェットコースターのレールの上に腰掛ける影は、遠いはずなのに耳元でささやかれたように鼓膜に届く。
 情報は目くるめく脳を駆け巡り、ひっかくノイズは不協和音を奏で始める。

「う……ああ、なんだ、これ?」

『ああ、しかたのないことだよ。ごしゅじん様。

ごしゅじん様はここのことを理解できない。いや、理解することを拒むんだよ』

『それにこれは、ただの夢。ほんの一瞬の、うたかたの夢なの。

だから起きれば、ここのことは何も覚えていないし、思い出せない。

出来れば覚えていてほしいこともあるのだけど、できないのなら意味はないもの』

『伝えても覚えていないのなら、それは僕らの言葉を伝えられないことと同じだよね』

「いった、い……なんの?」


 脳の裏をかきむしられるようなノイズは、痛みは感じないが不快感だけを募らせる。
 そんな不快感にあたしは膝をついて頭を抱えるようにうずくまる。
 その状態でも影の声は依然響く。
 彼ら自身その言葉に意味はないと断言しておきながら、それでもあたしに言葉を投げかけ続けていた。

『ご主人様が楽しかったり、嬉しかったりするのは私たちにとっても不本意ではないわ』

『だけど覚えておいてねごしゅじん様。きっとこの言葉は目が覚めた時には忘れてしまうだろうけど、僕らは何度も言うよ』

 あたしは脳の不快感に耐えながら、頭を上げる。
 そうしなければいけないようなこみ上げる使命感は、砂嵐の走る視界を強引に見開かせる。
 あたしの前に立つ二つの影。その小さな影は、小さくうずくまるあたしを表情のない顔で見下ろす。

『奈緒、決してあなたは幸せになれない』

『なお、決してあなただけを幸せにはしない』

『抜け駆けは許さない』

『一人だけ、抜け出すなんてそんなのずるい』

『私たちは一蓮托生』

『僕らは一心同体』

『私たちはあれだけ苦しんだ。切り開かれ、植えつけられ、弄ばれた』

『僕らの苦しみはまだ終わってないから、なおだけ幸せになんてさせない』

『もっと苦しみましょう。私たちと一緒に』

『まだまだ苦しもう。まだ終わらない僕らの苦しみと一緒に』


 あたしの視界に広がるのは、遊園地の風景。
 だがそれらはすべて影に塗りつぶされ、シルエットしか映さない。

 いや、『目』が見えるのだ。

 コーヒーカップが、模造の白馬が、空席のジェットコースターが、進まない海賊船が、静止した観覧車が。
 みんなが見てる。あたしを見ている。数えられないほどの瞳が、視線が、一点にあたしを見ている。

『ずっと私たちが、見てる』

『いつまでも僕らは、見てる』

『『だから、奈緒だけで、幸せになんてさせない。かわいい奈緒、かわいそうななお、あたしたちはずっと一緒だよ』』

――――――――――
―――――――――
―――

 沈黙のアラームが示すのは、午前6時の時刻。
 眠気目の瞳に映るのはいつもの起床時間より早く、あたしにとってはたまにあることだった。

「いやな……夢だな」

 よくはわからないけど、たまにそんな感じがする。
 寝覚めの悪い、悪夢を見たという漠然とした感覚。

 内容は思い出せないけれど、直前に見ていた夢が悪夢だったという自覚だけはあって最近になってそういうことがたまにあるのだった。
 だけど内容も思い出せないし、思い出せないということは大したことではないのだろうとあたしはいつも思考を切り替えていた。

「……はぁ」

 これ以上は眠る気分にもならないし、あたしはゆっくりとベッドから這い降りる。
 寝覚めのいいほうではないあたしが、誰よりも早く起きるのが思い出せない悪夢を見る時だった。



 そして今になって気が付くんだが、悪夢を見るのは決まって、いいことのあった日の夜なのだ。


***

『AAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 黒い泥の塊は、人の影のような形を作りながら表面が泡立つ。
 それは人の姿へと変わろうとしているのではなく、元の形こそが人型であるということなのだろう。

 先ほどまでの泥の塊として流体は一つの形態であり、その『カース』は新たな容貌へと変化しようとしていた。

『オナカ……スイタヨウ……。

オ……オナ、カアアアアアAAAAA!!!!!!!!!!』

 その口からだらりと落ちる黒い泥は、満たされぬ空腹を吐露する意思の表れだろう。
 体を形成する泥より粘性の少ないその液体はロビーの床に落ちるとともに、小さな煙を上げながら床の表面とともに蒸発した。

 満たされない空腹を満たすためならば、すなわち食らい続けるしかない。
 ならばこそ、先ほど食いそこなったヤイバー甲のような不純物を身にまとったものではない、もっと柔らかな『食事』を求めるのも必然であった。

 捕食により適した体への変化は、その遺伝子に刻み込まれていた。
 カースの背からはより多くの獲物を捕らえるべく発達した巨大な手が一対、天井に向かって泡立つように膨張し伸びていく。
 明らかにその場にある泥の総量を超えた体積変化は、逃げ惑う人々にとってはさらなる脅威でしかなかった。

『ガ、ガアアアアアアアア!』

 背中から生えた巨大な両腕は伸ばしただけでこのロビーの幅の8割程度を網羅する。
 腕の泡立ちは、筋繊維が伸縮するような軋みのような音をかすかに上げる。
 伸ばした腕は、その場にいた哀れな贄を誰一人として逃がさぬように地を這うように振られた。

「ぎゃああああああ!」
「イヤアアアアアア!」
「た、助けてええええ!」

 その剛腕に捕まった人々は、各々が助けを求める声を上げる。
 人々の叫びなど意に介さず、『カース』は新たな形へと変化する。
 先ほどヤイバー甲を丸呑みした時のような、人の大顎とは言えぬような先の見えない漆黒の孔。
 腕の先の捉えた獲物たちを上に掲げ、自らの捕食機関である底の見えない洞に落とそうとする。


「やめて、だ、誰か、助けて……・!」

 先ほどまで何の脅威にもさらされていなかったこの場所で、突如と襲う命の危機。
 人間であるが故に、これまで被捕食者側に立ったことのない者ばかりであったが、今この瞬間にそれを知るのだ。
 生来から決めつけられた圧倒的な捕食者を目の前にして、ただの人間など食物連鎖の下層の存在であり、無力な餌でしかないことを。
 その絶望への落差は決して安全な場所にいた人間にとって耐えられるものではなく、誰もが自らの終わりを悟っていた。

「ったく、待たせたな!」

 だが巨腕に抱かれ、終わりを悟った人々は一つの声とともに体を締め付けていた圧迫感が解放されたことに気づく。
 黒い泥の塊はその瞬間を確かに見ていた。

 大口を上げて、捉えた大量の『食料』を下から見ていたとき、二筋の光線が一つづつ両腕を一閃し、自分から切り離されたところを。

 捕らえられていた人々は、巨腕の捕縛から解放されそのまま落下する。
 だがその先が、泥の塊の口の中であることには依然変わらない者も多い。
 しかし、その大口にたどり着く前に別の黒い巨大な穴が遮るように出現する。
 その大口よりもさらに大きな穴は捕縛されていた人々を残らず吸い込み、別の方向から落下音がする。

「くっ……さすがにこの大きさじゃあ距離なくてもきっついなぁ」

 苦い顔と一筋の汗をにじませた夏樹は、人々が落下する音を背に苦痛を吐露する。
 泥の塊の大口を遮るように開いた大穴の先は、夏樹の背後のコーヒーショップの前につながっていた。
 落下距離を短縮したので余り負担はないが、用意する時間もなかったのでアスファルトに人々は落下し、折り重なっているので多少の軽傷を負った人もいるが、泥に飲まれ消化されるよりかはマシであろう。
 そして当の『カース』のほうは、ようやく自分の獲物を横取りされたことに気が付き、夏樹のほうを見る。

『ナンデ……アタシノ、ゴハン、ソッチニ?

トラナイデ……トラナイデヨオオオオオ!』


 切り離された腕を再び取り込みつつ、その黒い泥は再び形を変える。
 次のその姿は巨大な四足獣の形態をとり、その容貌はこの世のどの獣にも似つかず醜悪であった。

『カエ、セエエエエエエエエエエエェェ!』

 『カース』は怒り狂ったように声を上げながら夏樹に向かって走り出す。
 腕をレーザーで切り離されたことやワープホールで人々を救出されたことまで理解しているかは定かではないが、どうやら獲物を奪ったことが夏樹の仕業であることは理解できているようだった。

「まったく、あんまり頭はよくなさそうだけど、感だけはいいみたいだな。

ホント、勘弁してほしいぜ。だりー」

「いったい、なんなのさ、こいつ」

 『カース』の標的は夏樹だけになっていた。
 だからこそ、ロビーから出る前に出口の脇で待機していた小さな影には気づかなかった。

「チャージ!アンド」

 その小さな影から唐突に電光が立ち上る。
 足元には体につながれた小さなコード。その先は自動ドアへとつながっている。

「スパーク!!!」

 振り上げたギターを、走り抜けようとする『カース』の四足獣の横っ腹に思いっきり叩き込む。
 凄まじい閃光とともに帯電したギターは轟音と衝撃を生み出す。
 歪んだギターチューンは決してメロディーを奏でたものではないただの単音で構成された衝撃だが、聞いた者の心臓に響く一撃。
 それを直接受けた黒い泥の表面は波打ち、全身にギターを伝った雷電が走る。

『ギャ、GYAAAAAAAAAAAAAAAアアアアアアア!』


 『カース』は町に響くような叫び声を上げた後に、壁に向かって沿って吹っ飛んでいく。
 同盟本部のロビーにいた人々は捕まった人々を除けばすでにほとんど避難が完了していたため、その先には巻き込まれるような人はいない。
 『カース』の巨体は、その体に電気を纏ったまま巨大な大理石の壁に激突し、本部全体に衝撃を与えた。

『グ、アア……イタイ、イタイ、ヨ』

 想定外の方向から手痛い一撃を受けた『カース』はその巨体に似合わない高い悲痛なうめき声をあげながら崩落した大理石のがれきから立ち上がる。
 全身が泥のために火傷のように傷が焦げ付くことはないが、電撃によって体を構成していた泥の一部が蒸発し、湯気と共に汚水のような悪臭が周囲に立ち込めている。

「おなかすいちゃったのは、仕方ないかもしれないけどぉ」

 『カース』のすぐそばで聞こえる一つの声。
 逃げ遅れた人がいるのかと思った『カース』は、この消耗した状況にとっては渡りに船であった。
 依然空腹は一切満たされず、掻き毟るように湧き上がる飢餓感は絶え間ない泥の形成を促す。

 そもそもカースは感情のエネルギーの塊である。
 そしてその上で、カースドヒューマンが強力な理由として最も上げられるのはある程度自前で感情のエネルギーを供給できることであり、逆説的に周囲の感情エネルギーを力に変えることができることである。

 永久機関にも似たその性質は負のスパイラルであり、決して救いなどない。
 だがこの状況でこの『カース』が目の前につるされた餌にあり付くだけの活動能力を取り戻すには、湧き上がる飢餓感というエネルギーは最適だった。

『スイタ……スイタノ……タベ、タベサシテエエエエエ!』

 『カース』の自らの膨れ上がった巨体は、沸き立ちながらさらに変化を起こす。
 四足獣の姿からは大きくは変わらないが、さらに追加で1対の巨大な腕が床をつかむように形成される。
 さらにその獣の大口は可動域を無視すように大きく開き、その中は牙というには不揃いで、圧倒的に過剰すぎる剣山のような鋭利で黒い牙を一面に生やしていた。

「だけどぉ、みんなを怖がらせるようなことはダメだ、にぃ!」


 『カース』の傍にいたその少女はその悪食の脅威にさらされた。
 だが少女は臆することなく、小さな子供を叱りつけるように言い放つ。

「きらりん☆ビィーーーーーーッム!!!」

 少女が構えた両の掌から光る閃光。
 そのロビー全体さえも照らすような一瞬の光はプリズムのように虹色の輝きを彩る。
 少女に食らいつこうとした『カース』の口内に向けて放たれる虹色の光線はカースにとって致命的となる浄化の光。
 正面からその直撃を受けた『カース』の体を貫通するように、光線は一筋に延び同盟本部の外に走る。

『ガ、ガアアアアアアアアアアアアアアああああああ!?』

 『カース』自身も何が起きたのかを理解できていなかった。
 少女、きらりが放った光線はその直径を増していき、その巨体を丸ごとの見込み泥は蒸発する。
 ロビー内は虹色の光が乱反射して、その残滓を様々な色で照らし出した。

 浄化の閃光に巻き上げられた粉塵は、残光によって星屑のごとく煌いている。
 光の中に消えた『カース』は、傍から見れば完全に消滅したと考えられるだろう。
 事実あの巨体が回避行動をとることはなく、光の中に消えていったことはこの場にいるものならばそれ以外に考えない。
 だからすでにこの場の人間は遠巻きに見守る一部の人間と少し離れた避難の最後尾の背中、それと『カース』と退治していたネバーディスペアの面々だけであった。


「まったく……今日はそういう目的で来たわけではいのだがな」

 このような事態は過去にないとはいえ、さすがはヒーローの総本山である。
 先ほど捕まっていた人々を除く者たちは、すでに我先に避難を完了している。
 遠巻きに見守る人間も、『こういった』事態に対応するための係の者であり、今は夏樹が先ほど救出した人々を介護している。
 その様子を見守る夏樹の隣にやってきたのは彼女がよく聞きなれた声。

「おっ、LPさん。よかった。無事だったんだな」

 その口調は軽いものだったが、隣に怪我無く無事に立つLPの姿を見た夏樹は安堵した様子がにじみ出る。

「ああ、不謹慎ではあるが周りが必要以上にパニックになってくれたおかげで逆に冷静でいられたよ。

あの『カース』の隙を見てどうにか脱出してきた」

 そう語るLPは無事に脱出できたにもかかわらず、浮かない顔をしている。
 視線の先は夏樹と同じ避難する人々のほうを見ているが、その手は止まることなく小さな情報デバイスで何かを調べている。

「そっか、ならよかったぜ。

しっかし、なんでこんなことになってるかね。いったい同盟のヒーローはどうしてんだ?

総本山にカース侵入させて、誰も出動しないなんて怠慢だぜ。

そもそも、LPさんの言う通りアタシらもこういう目的で来たわけじゃないんだけどな」


 基本的にネバーディスペアはたとえ休みの時でも、必要とあればヒーローとして行動する。
 だが今回訪れているのは一般的なヒーローたちが集う同盟本部である。
 夏樹自身そう思っていたわけではないが、この場で同盟のヒーローを差し置いて動くことになるなんてそもそも想定すらしていなかったのだ。

「目的って……私を連れ出そうって考えていたことか?」

「!……なんだ、気付いてたのか」

「まぁいつもならこういったことで私に積極的に付き添って来ないし、今日は珍しく4人揃ってに付いていくなんて言い出すしな。

何か裏を勘繰るのは必然だろう?私を何か嵌めようと思っていない限りで考えうる動機なら予想はつく。

きっと私が働きすぎだから、休暇もかねてどこかに連れ出そうってな」

 夏樹は計画をはじめから見破られていたことにばつの悪そうな顔をする。
 そもそも夏樹としても万事うまくいくとは思ってはいなかったが、目的から動機まで見破られるとさすがに計画がずさんだったと言わざるを得ないだろう。

「ほんとに……LPさんには敵わねぇな。

やっぱり、要らない世話だったかな?」

「いや、私のことを考えて行動してくれたことがうれしいさ。

だがサプライズを行うのならば、もっと手堅く慎重に事を起こすべきだ。

これでも私は歴戦だぞ。敵の裏をかくなんてことは造作もないさ」

「そっか。なら今度はLPさんに一泡吹かせてやるから、楽しみにしといてくれよ」

「ああ、また楽しみにしているさ。

それにとにかく今日はこんなことになってしまってはいるが、ことが済んで時間があれば私も付き合おう。

君たちの『娯楽』というものを、私も見ておきたいのでね。

っと、……やはりか」


 歓談は終わり。LPは情報デバイスでの調べるものは見つかったようだった。
 LPはその画面を静かに夏樹に示す。

「ん……?なんだよこれ!?『カースの大量発生』、『アイドルヒーローのライブにカース乱入』、『高速道路の同時多発事故』だって!?

何件も、まだまだあるぞ……。しかもこれ」

 夏樹はLPに示された画面をスライドしていくたびに新たな事件が羅列されていき、しかもそれは現在進行形で更新されている。
 そして気になる点は大量の事件が起こっていることだけではない。

「そう、ほぼ同時刻。この騒ぎと同じころに発生している。

ここで起きた『カース』の襲撃と同時刻だ。しかも発生地点も的確に、近くに同盟のヒーローがいる」

「まさかこれって……全部この事件ヒーローの足止めか?」

「さすが察しがいいな夏樹君。おそらくな。

偶然にしては出来すぎているし、あの『カース』もただのカースだとは思えん。

何かしらの思惑を感じる。それと夏樹、私は一つ違和感を感じたんだ」

 そしてLPは情報デバイスを懐にしまい、同盟本部のほうへと指をさす。

「できればなるべく上階……そうだな、同盟本部の5階くらいのところに『穴』を作ってみてくれ」

「?……ああ、わかった」

 夏樹はいつものように、視線の先。5階に見える窓の中にワープホールを形成しようとする。
 ただ作れと言われただけだから穴の規模は大きくしていないし、視線の届く範囲なので負担もかからない。
 視線の先の5階の中に続くワープホールが形成しようとする。


「……あれ?どういうことだ?

『あそこ』に、ワープホールを作れない?」

「私が抱いた違和感は、人数だよ」

 この同盟本部周辺は今ほとんど無人である。
 迅速な避難の賜物か、どこかのヒーローが真っ先にやられたから皆我先にと逃げ出したのかは知れないが、相応の目的を持っているもの以外はこの場にはいない。
 野次馬もほとんどいないため、アイドルヒーロー同盟の周辺にしては驚くほどに人が少ないだろう。

 だが、つい先ほどまではロビーの中も人がごった返していたし、今夏樹たちが立っている道にしても多くの人が行き交っていた。
 大量の人間がいたことと、そしていなくなったことはわかるのだ。

「そう、過密から過疎へ。人口密度の移り変わりというだけならば凄まじいものだよ。

だからこそ、おかしい。この短時間にこんなにもスムーズに避難が済むのか?

……それは否だよ。夏樹、あの窓に光線も頼む」

 夏樹は、もう何となく察していた。
 いわれた通りにアイユニットの先からビームを5階の窓に照射する。普通ならば多少の硬化ガラスでさえ貫通する代物だ。
 先ほど『カース』の大腕を切り裂いたように、ビルの窓ガラスなど造作もないだろう。

 だが響くのはガラスが溶ける音でも、ビームを反射する音でもない。
 音は響かず、まるで水面に石を投げ込むように『その壁』は波打ち、ビームを打ち消す。
 そこには変わらず同盟本部のビルがそびえたっており、凄惨な状況は1階のロビーと2,3階の窓が多少割れている程度。
 逆に『それ以上の階層は不自然に無傷なのだ』。

「これは……バリア?」


「どちらかといえば結界、に近いな。防ぐものというより閉じ込めたり立ち入らせないものだ。

しかも、空間を繋げる『穴』が作れないということは、そもそも空間としてあそこは隔絶されているとも考えられる。

そして多分これは同盟本部の上階すべてを覆っている。これはもう、テロとかそういう次元じゃない。

おそらくだが、まだ本部ビル内には大量の人々が残っているはずだ」

 外に出張っているヒーローたちへの足止め、過剰なほどの混乱を生じさせる陽動。
 同盟本部へのカースの襲撃。否、おおよそただのカースとは言えない『何か』の強襲。
 それさえもお膳立てられた囮であり、すでに同盟本部は敵によって封鎖されている。

「結界の主は、おそらくさっきのパニックに乗じて入ったんだろう。

しかもそれに加えて上階に残っている同盟ヒーローをも相手どることもできるほどの実力者が投入しているだろうな」

「LPさん、それって……」

「ただの自爆テロとかそういうものじゃ断じてない。これは大規模な組織の犯行だ。

しかもこの連中、おそらく『ヒーロー同盟』を潰す気だぞ」

「……冗談だろ?それは、いくらなんでも『同盟』を嘗めすぎているって。

仮にも今この国の防衛機能の中心だぜ。それに対して正面から喧嘩売って、そのまま潰す気だなんて……」

 そんなことは非現実的だ、と言わんばかりに夏樹。
 ヒーローの数は飽和しているというのも過言ではないほどの大規模な組織であるヒーロー同盟。
 それに真正面から喧嘩を売るということはそれらすべてを敵に回すということだ。
 仮にそのテロ組織が大きな力を持っているといっても、公的な組織とは絶対数において圧倒的な差が存在する。
 一介の個でしかない組織が、国という群を後ろ盾に持つ同盟に勝てる道理はないのだ。


「たしかに、これまでにも同盟に喧嘩を売ったような組織はいくらでもある。

だが大概の連中は『同盟』を侮って、自らの実力を過信したものばかりだ。

その程度の連中ならば、まだ問題はない。確かにその組織の中で『生え抜き』が居ようともその後の結末はお約束だよ。

一方で、同盟を軽んじず、危険視している組織の場合は、そもそも大前提に同盟に喧嘩なんて売らないさ」

 そもそも表立った防衛機構に対して勝負を仕掛けるのは戦況把握ができない愚者の集団くらいである。
 そして理解している者ならば、わざわざ勝負を仕掛けることなく、いかに気づかれず、無力化して水面下に動くことができるかが重要である。
 なぜならば仮に防衛機構を無力化できたとしても、それに割いたリターンが見込めないからだ。

「だが、この用意周到さは確実に『理解している』側の組織だ。

敵が強大であることを『理解』している上で、なおも襲撃をするということは考えうるだけでも最悪だ。

連中は『勝てる』と判断しているし、おそらくこれだけで終わらない。

『同盟』という邪魔を労力を用いて排除するんだ。間違いなく防衛機能が弱まった際を狙って何かをしてくるはずだ」

 敵は明確な『意図』をもって襲撃しているとLPは断ずる。
 今回の襲撃はそのものが目的ではない、前座にしか過ぎないことも推定できた。

「あの『カース』以外にも敵はいて、そして何かでかいことしようとしているのはわかった」

 だが冷静に敵情把握をするLPに対して、夏樹は静かにビルを見上げる。


「だけど、今あの中にまだ取り残されている人がいるんだろ?

だったらまずは助けに行くだけだ!それがアタシらネバーディスペアだろう?」

 夏樹にとっては敵の目的なんてどうでもよかった。
 確かに敵はいつもの突発的な事件やカースのような単純なものではないかもしれない。

「敵を知ることは大事だよ。だけどLPさんの言う通りなら上の階にも敵はいて、そして取り残されている人がいるんだろ?

だったらここで想像で駄弁ってるより、すぐに向かおうぜLPさん」

「待て夏樹!そもそもここは同盟本部だ、我々が……」

 LPとしても残された人々の救出には反対ではない。
 だがここはアイドルヒーロー同盟本部ビルであり、本来その一員ではない『ネバーディスペア』が動くこと自体あまりいいことではない。
 それに上の階層の結界もどうするのかの目途も立っていない。空間遮断レベルの結界など正直手に余るのは目に見えている。
 それらを含めて、一度全員で話し合いをすべきだとLPは考えていた。
 ここから先は、行き当たりばったり考えなしで進めるほど甘くはないと。

 だが、そう考えていたことこそ驕りであった。

「――!?

危ない、夏樹!」


 LPの体は反射的に動いていた。
 夏樹の視界は浮遊するアイユニットによって制御されており、常に俯瞰的な視界が可能である。
 だから今の状況は、なるべく戦況を多角的に見るためにユニットを散開させていたのだ。
 故に主観的な視界は弱く、自身に対する攻撃への反応は遅れてしまう欠点があった。

 当然夏樹は、いまだ上がる粉塵の中からこちらに延びてきた凶悪な黒い爪への対応に遅れることになった。

「……くぅ!」

「……な!?」

 そもそも甘いのだ。各地でヒーローたちの足止めをしているカースと違って、あくまでここは本丸である。
 ならばこそ、足止めが目的だとしても生半可な戦力はおくはずがなかったのだ。

「LPさん!」

 間一髪夏樹をかばうように押し出したLPの背中を、黒い爪は掠めていく。
 その一撃は致命傷ではないが、背中の肉を浅く抉りあふれ出した鮮血は飛沫を上げる。

「――くそ!」

 夏樹はアイユニットで整列させ、迫り来た黒い腕を狙い撃つ。
 発射されたビームは的確にその黒い細腕を貫いた。そしてこのまま先ほどのように輪切りにして無力化しようとする。

 だが黒い腕は貫かれた瞬間、これまでと違う挙動をする。
 夏樹があけた穴ではない白い穴が大量に穿たれる。否、それは白い穴ではなかった。

「なんだこれ!?……目?」


 その気味の悪さに思わず夏樹は反応が遅れてしまった。
 黒い腕に大量に開いた『瞳』はぎょろぎょろと周囲を観察するようにせわしなく動き出す。
 しかもその瞳は単一の瞳ではない。魚類、鳥類、哺乳類、霊長類、あらゆる瞳がその腕には付いていて、統一性はない。
 そしてその瞳たちは、目的の『対象』を発見したのか一斉に制止する。

 その瞬間、夏樹にとってはそれは気味の悪いなんて程度ではない、絶対的な悪寒が神経を走った。
 そこからはほとんど反射だったといっていい。
 傷ついたLPを抱えた夏樹は自らの足元にワープホールを生成する。その穴の先についてほとんど考えておらず、その数多の視線から逃れさえすればよかったからだ。

(見られた……目が合った……全部と)

 夏樹が散開させていた複数のユニットは多角的にその腕を見ていた。
 だからこそ夏樹は腕に開いた瞳が、すべてのアイユニットと『合った』ことに戦慄したのだ。

 その後のことは回避できなかったアイユニットの映像で知ることになる。
 腕から的確に、極細の針が伸びて散開させていたほぼすべてのアイユニットを貫いて破壊したことを。

 強引にワープホールでその『針』を回避した夏樹は、受け身も取れず腕から離れた道路に投げ出される。
 夏樹が出していたアイユニットはすべて破壊されていたために視界は何も映していないが故であった。

「……なんだってんだいったい!?」

 すでに終わったと思っていた『カース』からの攻撃。
 そして先ほどとは明らかに違う挙動を見せたそれは容易に夏樹の平静を奪う。
 夏樹は視界を再び確保するために、予備で残しておいた残りのアイユニットを射出する。

「なんだよ……これ?」

 再び開かれた双眸には、先ほど強襲してきた黒い腕はもはや引っ込んでいることを映す。
 だがそれ以上に、先ほどまでロビー内の視界をふさいでいた粉塵の納まった先を克明に映していた。


『イラナイイラナイ……オネエチャンハ、イラナイ。

アツイシ、イタイシ……オネエチャンハ、タベラレナイネ』

 先ほどまで人々を捕らえていた黒い巨腕は、以前圧倒的な暴性を放っている。
 その握りこぶしの先、幾人をも掴みあげることさえ可能なそれは、たった一つの身体をつかんで継続的に圧をかけていた。

「に、にぃ……」

 巨腕に掴みあげられて苦しそうに呻く少女。いつも明るく、誰からも希望であった少女は拘束から逃れることができず、締め上げられるたびに身体がきしむ音が響く。
 掴みあげている腕のほうも、少女の持つ浄化の力によって表面が蒸発しているが、そんなことは関係ないほどの泥の密度によって力は一切緩むことはなかった。

「きらり!!」

 夏樹が目撃したのは、最悪の状況であった。
 黒い巨腕によって拘束され、苦悶の表情のきらり。

「……ふが、が」

 そしてロビーの奥。
 強い勢いで叩き付けられたかのようなクレーターが刻まれた壁の前で、だらりと四肢を投げ出している李衣菜。
 相棒のギターは少し離れたところに放置され、ネックは折れていないものの弦は切れてすでに使い物にならない。

「……く、くそ。なんでだよ」

 ロビーの中心。きらりを掴みあげる巨腕の主の前。
 全身に泥の装甲を纏ってはいるが、すでに息を上げながら膝をついている奈緒の姿があった。

 そして何よりも。

「……な、奈緒?」


 それは『彼女』が一番に初めに気づき、ゆえに動揺したために出遅れたことの理由であった。
 彼女以外は気づかなかったし、誰から見ても少し特殊な『カース』なだけだと判断してしまう。

 だが浄化によって外装がはがされ、『中身』が露出すれば話は別だ。
 その姿は否応なくある少女と重なり、決して無視できなくなる。

 瞳には生気がなく、その細腕は皮と骨に近い。
 小さな体はドレスのようにも、ぼろきれ同然の外套にも見える黒い幕で覆われている。
 そして髪の毛は癖っ気のある漆黒で、その黒は狂気を孕み肥大化している。

 伝承のゴルゴーンのように、髪の毛はうねり泥と一体化している。
 そこから伸びる数多の腕は、自らの主である少女に供物をささげるべく当てもなく揺らめいていた。

『ダカラネ……アタシ、オナカガスイタノ。

ガマン、デキナイノ。ナノニ、ドウシテ?』

 その濁った瞳は何も映していない。
 ただ純粋のまま、何も知らぬ無垢なまま、奈緒に向き直る。

『ドウシテ、ジャマスルノ?アタシハ、コンナニモ、オナカガスイテ、カナシイノニ、クルシイノニ、イタイノニ、タエレナイノニ、ノニノニノニノニノニ!』

「あ……いやああああああ!!!!」

 きらりを締め上げる巨腕はぎりぎりと圧が増す。
 口調さえも維持できない苦痛によってきらりは思わず悲痛な叫び声を上げる。

『ドウシテ!ナンデ!?』


 そしてその巨腕を大きく振りかぶり、先ほど自らが叩き付けられた大理石の壁に向かって投げつける。
 その一撃だけできらりの意識は刈り取られ、今度は逆に粉塵の中に沈んだ。

『タベタイダケナノ……オナカ、スイタノオオオオオオオオオ!!!』

 駄々をこねる子供のような叫び。
 だがそれは明らかに小さな体躯に収まることのない感情が載せられている。

 夏樹はその姿に見覚えがあった。
 かつて自分たちを閉じ込めていた悪魔の研究所。その最奥にとらわれた少女の姿を思い出す。
 体躯は幼児のように小さく、痩せさらばえ、そして幾度となく飢えを訴えるその少女は、明らかに彼女と重なるのだ。

「なんだよ……あいつは?

小さいし、とてつもなく痩せてるけど…あの姿は、奈緒……なのか?」

 あの日の悪夢は終わっていない。彼女にとってもそうだし、無論『彼女』は未だに飢えているのだから。



***



 時間は少し遡り、コーヒーショップの中。
 その『カース』の姿を見た瞬間に奈緒はその正体をなんとなくわかってしまったのだ。

 あれが自分と同一であり、それでいて決定的に分かたれていることを。

「なんで……あたしが?

――って、あたしは何を、言っているんだ?」

 なまじ理解してしまったが故であった。
 ネバーディスペアの4人の中でそれに最も早く気が付いたのは奈緒であったが、脳裏で理解してしまった情報は中途半端なせいで逆に迷いを生んでしまう。
 その思考時間はあまりにも致命的であり、その他の者たちにとっては十分すぎるほどの行動時間であった。


(あたしは、ここにいる。

だけど、あの声は、あの姿は、あたしのものだって直感で思った。

理由はわからないし、今だって理解もできない。だが考えを否定する気にはならないし、あたしだからこそそれが決定的に間違っているなんて言えないんだ。

鏡の中のあたしを見たような感じで、その泥が、その咆哮が、あたしの向こう側であることが確信できる)

 世の中には同じ顔を持つ人間は3人はいるとはよくいう話ではある。
 だが客観的な判断、仮に無作為に選んだ100人にあの『カース』と奈緒を比較して似ているか尋ねてみよう。
 おそらく、大半の者は否と答えるはずだ。そもそも泥に覆われている『カース』と少し獣的なパーツの付いている少女を比較して似ているなどと言える者は眼球が腐っているに違いない。
 だがその一方で、こうも答える者はいるだろう。
 共通する部分はあると。
 そもそも奈緒はカースと似たような泥を能力として行使するし、その『カース』の声色は音域的には奈緒の声とそう外してはいないと思えるだろう。
 しかし、所詮はその程度の相似点。決して似ているなどと断ずるものはいないし、そもそも二つが同一人物などと言えるはずがない。
 仮にその『カース』の泥を剥げばその中身に同じ貌が存在するかもしれない。その程度の推理しかできないだろう。

 だが奈緒はあの『カース』を自分だと判断した。
 それはあまりにも不確定な想像でしかないし、客観的な証拠もないただの直感である。
 しかし直感というものは存外馬鹿にできるものではなく、真に迫るものならば十分に『答え』に引っかかりさえする高度な処理能力だ。
 この場においても、奈緒のそれは決して間違っているものとはいえないかもしれない。

 だが、やはりこの直感によって奈緒に与えられた情報は現状ただ迷いを生むだけしかなかった。

「――っ……しまっ!」

 それはほんの一瞬目を離しただけだ。
 時間にして十数秒程度だったが、奈緒を戦況から置き去りにするには十分すぎる時間であった。


 眼前に広がるのは巨大な腕を振りかざし人々を掴みあげる『カース』。
 ロビーにいた人々を余すことなく掴みあげた『カース』は、その空腹を満たさんがために大口を開けて捕らえた獲物を運び込もうとする。
 だが、その巨腕の手首を一閃するように旋回する一筋の光線。
 夏樹のアイユニットから放たれたレーザーは『カース』の巨腕を輪切りにして捕らえられた人々を開放する。
 突然自由になった人々はそのまま落下するが、その落下位置には『カース』の大口よりも巨大なワープホールが夏樹によって生成された。
 それによって人質同然であった人々はすべて外にいた夏樹の傍らに解放された。

 獲物を奪われた『カース』は一直線に夏樹にめがけて突進する。
 巨大な四足獣に形を変えた『カース』はその巨体には似合わぬ速度で走り出したが、すでにその途中には李衣菜が待ち構えている。
 自動扉から電源供給されている李衣菜の一撃は雷電をまき散らしながら圧倒的な破壊力を『カース』に叩き込んだ。
 そのせいで自動扉の電源はショートしてしまったが、威力だけならネバーディスペア一ともいえる痛撃は『カース』の横っ腹を焼け焦がしながらロビーの壁面へと吹き飛ばす。

 そして最後に待ち構えるのはネバーディスペアリーダーのきらり。
 優しすぎる少女ではあるが、感情の塊であり魂を内包しないカースならば躊躇はない。奈緒のように『カース』がただのカースでないことに気が付いていなかったことはある意味では幸運であったのかもしれない。
 手加減を微塵も感じさせぬ追撃のビームは、あらゆる不浄を払う浄化の光でありカースにとっては弱点と言えるものだ。
 まばゆい光の中に消えていく『カース』は断末魔のような叫びを上げ、後に残るのは巻き上げられた瓦礫の粉塵だけだった。

「……すっげー」

 いつもは奈緒も戦闘の渦中にいるので、こうして客観的に戦況を眺める機会はあまりなかった。
 ゆえに、その躊躇のない行動とコンビネーションに思わず声が漏れていた。


 冷静に考えればここは同盟本部であり、同盟所属でない自分たちは外様、下手に手を出すことさえ不用意である。
 実際いつもならば奈緒も間髪入れずに飛び出していたのだろうが、出遅れていたことで妙に頭の中は冷静であった。
 そして自分を含めずとも十分に敵を撃退した言葉さえ交わさぬコンビネーション。それには奈緒も自分だけ省かれたような嫉妬が少しだけ沸く。

「っと、感心してる場合じゃないな」

 呆けていた奈緒も真っ先に『カース』の元へと駆け寄ろうとする。
 すでに戦況は終わっているとも思っていたが、油断していたことも詫びねばならないと奈緒は考えていた。

「おーい、李衣――」

 奈緒は既に『カース』の正体のことなど頭から離れていた。
 だがそれは失敗だった。いつも通りではない『違和感』というものは緊張を理解して、依然張り続けていたのならばもう少し状況もマシになっていたのかもしれない。

 そしてやはりいつものように4人での戦闘ではなく、3人であったことも大きかったとも言える。
 戦況を俯瞰するはずの夏樹の集中力はいつもより多めのリソースを割かれたせいで、違和感に気づけなかったのだ。
 そういう意味では奈緒はその役目を担っていたが、その役目を担うにはあまりに拙い。
 だからこそ奈緒が気付けたのはぎりぎり間に合ったともいえるが、余裕はなく部隊には致命的な損失を生むことになってしまう。

「――李衣菜!」

 奈緒はその脚を泥で獣の物に変えて、地面を勢いよく蹴る。
 自動扉の傍らでプラグを抜いている李衣菜の元へと一足飛びでたどり着いた奈緒は、地面に足をつけることなくそのまま李衣菜を押し出した。

「ええ!?な、奈緒?いったい……って!」


 突如として押し出された李衣菜は何事かと奈緒に問うが、その瞬間には何が起きていたのかを悟る。
 奈緒の背後、先ほどまで自らが立っていた場所には、幾重にも束ねられた蛇の頭のような捕食器官が床に食らいついている。
 その顎の濁流はよく見れば、さらに細い髪のようなものが編み上げられて構成されており黒色の水で濡れているかのように滑らかであった。

「っつあ!」
「ぐえっ!」

 奈緒の押し出しによって、受け身も取れずにロビーの床に叩きつけられた二人は情けないうめき声をあげるが、すぐに体勢を立て直す。
 すでに二人の眼前には別の咢が迫りくることを知っていたからだ。

「くそっ!」
「やばっ!」

 奈緒はそのままさらなる回避を試みる。
 地を這うように追尾してくる蛇の顎は、生物的な特徴を感じさせない顎のみという捕食器官としての役目だけを醸し、無感情にかつ執拗に奈緒を追い回す。

 一方奈緒のような機動性を持たない李衣菜はそのまま向かい打つ。
 だが1本の太い柱のようなものが正面から向かってくるのではなく、相対するのは縦横無尽に蠢く蛇の顎だ。
 決して2本しかない両の腕で防ぎきれるはずがない。手に持ったギターを振り回し顎を振り払ってもじりじりと確実に傷が体に刻み込まれていく。
 数秒も待たずして全身は咢に食いつかれ、今立っていられるのはその持ち前の頑丈さ故でしかなかった。

 このままでは李衣菜は一方的に肉を抉られ続け後には何も残らない。
 だが当人である李衣菜は、この状況を薄く笑っていた。

「こんだけ食いつかれれば私も逃げられない。

だけど……あんたも逃げられないよね!」

 李衣菜の体から迸る閃光。
 李衣菜はわかっていたのだ。これらの顎が捕食器官であり、『主』の腹を満たすための物であることを。
 これは遠隔操作された別のカースではない。要するに、顎の根元を探れば本体に行き着くという道理である。


 そして李衣菜の放電は自らが活動するためのエネルギーを放出するというある種の自滅技であるが、この際四の五のは言ってられない。
 李衣菜から放出された電流は食いついた蛇の顎を伝い、狙い通りにそれらを使役する『主』の元へと届く。

『ア、アアアアアアアアァァァァ!!!』

 未だ上がる粉塵の中から響く叫び声。
 くぐもった少女の声のようなそれが響いた瞬間、李衣菜に食らい付いていた顎の拘束は一時的に力を失う。
 同時に奈緒を追いかけていた蛇の群れもその追走を停止させた。

 李衣菜は放電直後のために満足に動くことはできない。
 だがその隙を見計らい奈緒は床を渾身の力で蹴り上げて、蛇の主の元へと飛び出す。

「いい加減に――!」

 すでに奈緒の両腕は虎の爪が備わっていた。
 湧き上がる粉塵の中から、顎を使役する主、おそらくあの『カース』を討滅せんと両腕を渾身の力で振りぬこうと力をためる。
 粉塵の中に浮かび上がる目標の影、目標を捉えた奈緒は加速し続ける自らの体の勢いのまま一撃での両断を試みる。

『……ミナイデ、アタシヲ……ミナイデ』

 だが奈緒の意識はその容姿を視認してしまった時点で静止した。
 その姿は、ひどく痩せ細り、瞳は濁り焦点は定まっていない。
 漆黒の髪はその容姿とは対極的に黒々としているが、それは決して健康的な黒ではなく黒色の原色で塗装されたような光の反射さえ許さないような無機質の黒。
 そしてその髪は感情の振れ幅に呼応するように蠢き、そしてその末端は先ほどまで追い立てられていた蛇の顎と化している。
 黒いドレスのような、ぼろきれのような幕を身にまとった、奈緒よりも頭一つ以上小さい少女がそこにはあった。

 奈緒がその少女と目が合った時に、忘れていたことを思い出した。
 あの『カース』は自分であるということを、そして今眼前にいる少女の姿が、『記憶の底の、鏡の中の自分自身』によく似ていることを。


『オナカ……スイタノヨ。

コンナニ、クルシクテ……コンナニ、カナシクテ……キタナイ、アタシヲ、ミナイデ。

スイタノ、スイタノ、オナカ、スイタノスイタノスイタノスイタノオオおおおおおお!!』

 あの『カース』の黒い泥は、その醜く、卑しく、貧相な自らの姿を隠すための物だったのだろう。
 だがその外装はきらりによってすべて剥され、隠すべき姿は白日の下にさらされた。
 故に、『カース』にとっては今更何も躊躇うことはなかった。見た者は全て食らって、『自分』にしてしまえばいいのだから。

 これまで姿を隠すために纏っていた泥の外套はもはや必要ない。
 『カース』の足元からは黒い水溜りが広がっていき、その表面が波打つ。
 そこから飛び出したのは2体の獣。どちらも漆黒の泥で構成されているがその体躯は紛れもない肉食獣のしなやかさを持つ。

「く、くそっ!」

 『カース』の慟哭によって奈緒の意識は引き戻されるが、以前脳内は混乱したままだ。
 そこに真下から這い出てきた2体の獣は奈緒の両腕に食らいつき、首を動かして追い払うように投げ飛ばした。

「ぐっ、がっ、ああああ!」

 奈緒はなされるがままにはじき返され、床に何回かバウンドしながら吹き飛ばされた。
 全身を打ち付けたせいで痛みはするが、重症までは負っていないのでゆっくりと立ち上がる。

「なんで……いや、なんなんだ、よ」

 だが心のほうはそうもいかない。
 ぼんやりとした直感は戦闘の緊張で忘れられていたが、事実を突きつけられれば動揺は生じる。
 ビルの外から吹き込んだ風は粉塵を一掃し、隠れていた『カース』の姿を現した。


 その髪の毛の片房の先は、巨大な腕となっている。

「ご、ごめんねぇ……みんな」

 その腕の先、握りこぶしの中にはきらりが捕えられて圧をかけられているのか苦悶の表情がうかがえる。

「が、はっ……!」

 そしてもう片方の髪の房の先、つい先ほどまでは幾重にも枝分かれをし蛇の顎となっていたそれは、すべてまとめ上げられて同様の巨腕となっている。
 その巨碗は大きく加速し、渾身の力で李衣菜を殴り飛ばしている光景を奈緒は目にした。

「李衣菜!きらり!」

 仲間の危機に声を上げるが、奈緒の思考はまとまらなかった。
 視線の先の、痩せ細った少女の姿が網膜に焼き付くたびに、心の底の何かが疼く。

『奈緒は、幸せにはなれない』

『奈緒だけを、幸せになんてさせない』

『だってあの子は、奈緒だから』

『幸せになれず、救われず、助けを乞い、狂った果ての奈緒だから』

『偶然に救われただけの奈緒、だから過去は追ってくる、追い立てる』

『偶然に幸せなだけの奈緒、羨望の視線が追ってくるぞ、逃がさないぞ』

『『さぁ……みんなで不幸になろうよ』』



***


 同盟本部の裏手に回ったAPは誰に気にすることなく道端にバイクを止める。
 本部表通りほどではないにしろ、いつもならば人通りのある裏道も今は閑散としている。
 現在正面入り口では、ネバーディスペアが侵入した『カース』と交戦しており、その隙を縫って本部内に入ることは至難である。

「……本来ならば、部外者に任せてはおけないような状況なんですが……」

 APにとってはネバーディスペアは同盟に加入していない言わば『はぐれ』のヒーローである。
 それなりに同盟との兼ね合いはとっているらしいが、同盟参入には頑なに首を縦に振らないらしい彼女たちは、目の上のたん瘤ほどではないしても迷惑な存在であることには変わりがない。
 そもそもAPにはネバーディスペアがなぜ同盟に加入しないのかそれさえも理解できなかった。
 なぜTPを煩わせるようなことをするのか、なぜTPの役に立とうとしないのかなどと基準の歪んだ疑問が浮かび続ける。

「ただ……今回は仕方ないでしょう。不本意ですが……完全にこちらは後手ですし」

 ネバーディスペアのような部外者に同盟内での戦闘を行われることなど本来は論外である。
 同盟の権威の失墜にもつながるし、同盟のヒーローの防衛体制への批判もされるだろう。
 だが今はそれ以上に数が足りていないのだ。
 すでに本部まで攻め込まれた挙句、ほかの出張っているヒーローたちは偶然には出来すぎるほどの『別件』が生じているために手は空いていない。

 おそらく同盟のヒーローというだけでマークされており、全員例外なく足止めを食っているだろう。
 例外といえばネバーディスペアのような同盟に加入していないヒーロー、もしくはすでに同盟本部内にいるヒーローだ。
 そして同盟本部内にいるヒーローはおそらく『結界』によって外には出られない。
 または侵入者に対してすでに戦闘となっているだろう。
 そういった意味でもネバーディスペアにあの場を任せることは苦渋の選択であり、最悪中の最善であった。


「……本当に、なんて失態……っ」

 APは今頃駆けつけて、自らの本拠地に入って行く自らに嫌気がさす。
 本来ならば守れねばならない人の近くにはおらず、こうして既に事が起こった後にのこのことと表る自分が腹立たしいのだ。

――少し、お使いを頼まれてはくれないか?

 TPが大事な会議の直前に言ってきた言葉。
 APの仕事は警護であり、その対象であるTPの傍を離れることなどあってはならない。
 たとえその本人からの頼みであってもAPには承諾しかねることであったが、ちょうどその会議は米国のヒーロー団体との会議であり、警備は十分であったのだ。
 その警備の戦力だけならば優にAP一人分などまかなえるほどのものである。結果として、TPに強く頼まれたこともあってAPはその頼みを承諾してしまったのである。

「……その結果がこれだ」

 ほんの本部を離れて数十分間。たったそれだけの期間に状況は一変している。
 仮にAPが居たからといって何かが変わるわけではなかったが、それでもこんな状況にTPの傍にいられなかったことこそが彼女にとって問題なのだ。
 APにとってそれは護衛失格に等しい。それで許されるのならば自ら腹を捌くことすら厭わないだろう。
 だがそんなことに意味はない。彼女もそれを理解しているからこそ、苛立ちながらも戻ってきたのだ。

「……行きましょうキン。入り込んだ害虫がどれだけいるのかは知らないけど、まとめて掃除すればいいだけ。

ただ……いつも通りにするだけよ」

『ハーイ』


 APが乗ってきたバイクのサイドカーから降りてその後をついていくのは、キョンシー型エクスマキナ、キン。
 そして本部入り口に入る直前にその形はばらけ、変形してAPに装備される。
 その能力である脚力を生かして、上から入る方が手っ取り早いが、結界が邪魔をしてその手段はとることはできない。
 故に、APの目先の目標はこの結界を解除することを念頭に置いていた。

「……結界系の能力者は基本的に、その強度が能力者との距離によって強化される。

これだけの結界ならば、この建物内にその能力者はいることは、想像できるはず。

それに……」

 エレベーターは停止しているために使えない。よってAPは階段を一段一段上がりながら考察する。

「……これだけ強固な結界なら、おそらく元々『閉じこもる』ための結界。

そういう前提で生み出された、外界と自信を隔絶するための物」

 APの脳裏に浮かぶ幼少期の記憶。
 母親にいいように使われ、外の世界を知らず『閉じ込められて』きた経験が囁く同族の感。

「……反吐が出る。自ら閉じこもるなんて……」

 そして階段の手すりに足をかけて上を見上げる。
 その先には折り返す階段の構造上、上階の様子が一直線に見ることができる。
 APは手すりに掛けた脚を蹴り、一気に上昇する。
 1階から一気に5階へ飛び、それより先を阻む異物を感じたためにAPは急に反転し、その『断面』に脚をつける。
 そこは傍から見れば何もないのだが、その両脚は確かに何かの存在を伝える。
 そここそがこの同盟本部全体に張られている結界の下層の断面であり、これ以上、上には進めないことの現れであった。


「……多分、この階に」

 ――この結界の主がいる。
 そう考えたAPは5階の階段踊り場に着地し、そのまま能力によるフロート移動で足音を立てないように本部5階へと入った。
 元々は、通いなれた職場であったが、今は何者が潜んでいるかわからない伏魔殿だ。
 そういった意味でAPは警戒を解かぬまま、無人となったオフィス内を進む。

 同盟本部は巨大なビルである。
 当然階層を上がる手段は単一ではなく、複数のエレベーターがあらゆる場所にある。
 その中でも、APが上がってきた非常階段の脇にあるエレベーターは一番隅であり、それと対極をなすようにもう一セット非常階段とエレベーターが備わっている。
 エレベーター前は、ベンチと自動販売機が備えられており休憩スペースとなっているためある程度の広さがあった。

「……子供?」

 そのAPが上がってきた非常階段と対を成す場所に存在する休憩スペース。
 真ん中のベンチに一人小さく座る少女の姿が見える。
 この5階は結界に覆われていないために、すでに避難は完了しており閑散としている。
 そのような状況の中で、この場に場違いのように存在する少女は怯えたような眼をしながら周囲を警戒していた。
 もしも短絡的な思考の持ち主ならば逃げ遅れ取り残された少女だと考える者もいるだろう。
 だが冷静に考えて、このビルのオフィススペースにヒーローでもないただの少女がいるはずがないし、皆が避難している中で一人だけベンチに座って怯えているだけなど鈍くさいで片づけるには無理がある。

「……即ち、敵」

 普通のヒーローならば、怯えた瞳をする少女に問答無用で攻撃を仕掛けるなどということはしないだろう。
 だがここにいるのは同盟トップのTPに忠誠を誓った番犬であり猟犬だ。
 容貌が如何様であろうと手加減をする心など持ち合わせていない。

「……ならば排除、のみ――!」


 物陰から様子をうかがっていたAPは手持ちの武器のセーフティをすべて解除していた。
 あの明らかに戦闘向きではない少女の姿からAPはおそらくあの少女こそがこの結界の主であると推理する。
 ならば防御力は十分であり、生半可な火力など意味を持たない。
 故に初撃から高火力を出し惜しみする必要も何もないのだ。

「……消毒(ファイア)」

 物陰から躍り出たAPはその両腕を直線方向先の少女へとむける。
 その袖の中から覗くのはグレネードランチャーの砲身。
 その量筒の中から打ち出された、火力の詰まった砲弾は一直線に少女へと向かっていく。

「……え?」

 少女が自身に飛来する物体に気付いた時点で、それらは既に眼前である。
 当然少女は何のアクションも起こせぬまま、グレネード弾は着弾し爆音と業火がうねりを上げる。

「……続けていく。キン」

『アイアイ!』

 両腕の砲身が切り替わる。
 次に覗かせるのはアサルトライフル。
 間髪入れずに鉛弾を爆炎の中に叩き込んでいく。


『不意打ちとは卑怯千万、相手は騎士道の誇りも持ち合わせていないようですぞ。姫』

 だが爆音の中に響く異物の声と、弾丸を縫うように正面から躍り出た影をAPは視界に捉える。
 すぐさま片腕を鉤爪に切り替え、接近してくる影への迎撃態勢を整えた。

『ほう、反応は良し。だが温い!』

「――キン」

『ガッテン!』

 その影は剣のようなものをAPの前で振り下ろす。
 銃弾が被弾しているにもかからわらず、金属を打ち付けるような音とともに銃弾を弾くその影に内心若干の驚愕を禁じ得ないAPはすぐさま振り下ろされた剣を鉤爪で受け止めた。

「……ぐっ!?」

 その振り下ろされた鉄塊の衝撃は、鉤爪を伝ってAPの全身に響く。
 能力による浮力はあっけなく打ち破られ、両の足の裏は床に着いた。
 片腕では弾ききれないのと、銃弾程度ではダメージを与えられないことを理解してもう片方の腕も鉤爪へと変え、剣を受け止めている片腕に加勢に入る。
 両腕で辛うじてそれを弾いたAPは、正面に迫ってきたその影から距離をとるため後ろに下がった。

『ここで引くか。騎士としては敵を前にして後ろに下がるなど言語道断。

しかし戦況を見るのならばその判断は是であろう。誇りを持ちあわあせぬ汚い猟犬にはよく躾けられていると褒めてやろう』


 APは距離を取ったことによってその影の全容を知る。
 2メートル近くあろうその『甲冑』は独特の意匠の物であり、創作上の騎士を思わせる風貌である。
 その手には『刃』のない西洋剣が握られており、刃などなくともその重さのみで人を圧殺できるだけの重圧がある。

 そして何より甲冑から常に漏れ出している、否、甲冑をも形成している不定形の光るエネルギー体は、その甲冑の騎士『自体』に中身が存在しないことを表していた。

「……『ゴースト』」

 同盟のヒーローにも同じような能力者はいる。
 人の心の奥底の具現であり、実体を持った幽体。
 ならばさしずめ、あの騎士は自らを危険から守ってくれる近衛の騎士か。

「……メルヘン趣味が」

 そしてAPは騎士よりも先、グレネード弾を撃ち込んだ先を見据える。
 確かにその場は焼け焦げ、スプリンクラーが回っているが明らかに爆発に見合う被害ではない。

「……な、なんなんでしゅか?あなたは?」

 そして依然『傷一つついていない』ベンチに座ったまま『無傷』の少女は、顔面から液体を流出させながら相も変わらず怯えたままこちらを見ている。
 つまりは先制攻撃など無意味だったかの如くの状況であり、戦況としては姿を隠していたアドバンテージすら失ったこちらの分は明らかに悪くなっていた。

「こ、この……くるみに、なんのようでしゅか~!?」

「……チッ」

 くるみと名乗った少女は、泣き叫びながらAPへと尋ねてくる。
 だがその疑問にAPは返答することなく、小さく舌打ちをした。


 APの舌打ちの理由、それはことごとく予想が裏目に出て、なおかつ最悪の方面へと舵を切っていることである。
 そもそもAPの第一目的は結界の排除、およびその術者の排除である。
 結界などの力はそもそもが空間に作用するものであり、規模に比例して力を消耗する。
 当然維持するための集中力も相当なものになり、その間無防備になる結界能力者を護衛する者もいるだろうと踏んでいた。

 だがあの少女、くるみはその能力が自らに対して『自動』で働いていた。
 パッシブであれほどの強度の結界を実現するということは、並大抵の能力限界ではないうえに、デフォルトであの怯えた小動物のような精神状態だ。
 元から錯乱している人間に対し、攪乱させて集中力を途切れさせ結界の解除させるなど無理な話である。
 言わばくるみはAPにとって今までの結界能力者の常識を覆すような存在であり、力ずくで突破できる存在ではないことを意味していた。

 さらに厄介なのは目の前の『甲冑』のゴーストだ。

「……コイツ、結界と同じか」

 突破口の一つの解として考えられるのは、くるみを気絶させることである。
 仮に結界で守られているにしても、目の前で攻撃を続けその精神を追い詰めていけば何れは防衛本能で意識を手放すだろう。
 実際あの小動物的な気質が彼女であることが正しいのならば、そういった手段をとることも難しくない。

 だがそこで直接危害を加えることをこの甲冑は邪魔をしてくる。
 推察するにこの甲冑の『ゴースト』は結界と同じ力でできている。すなわちこの『ゴースト』の持ち主もくるみであるということだ。
 結界による鉄壁の防御だけでなく『ゴースト』による反撃という攻撃手段を持ち合わせている以上、APはくるみに対して一方的に攻撃することは出来ず、甲冑の相手も必要となる。

 実際あのくるみという少女は決して戦いに向いているような性格ではない、臆病で小心者な弱虫だ。
 だが、戦わずとも自らを守るための『陣地』と『防衛』の能力が極まっており、彼女の一人で鉄壁の城砦が完成してしまうまさに聖域の守護者だ。


「……だが、こんな、ことに」

――こんなことにかまけている暇などない

 APにとってここは通過点だ。一刻も早く自らの主の元に戻ることこそ命題である。
 ならばそこにあるのはただの堅い壁だ。

「……いつも通り、押し通るまで」

 この甲冑は、くるみにとっての深層心理が生み出した『理想の守護騎士』なのだろう。
 自らを危険から遠ざけてくれる私だけの近衛と。
 ならばそれを砕けなければ、あの心の壁そのものである結界など粉砕できる道理などない。

『覚悟は決まったようですな。……姫、お下がりください。

狂犬の相手はわたくしめにお任せを。姫は変わらず、安全な場所に居てくだされ』

 APは甲冑のその言い回しに脳がざわつく。
 結局のところ、ゴーストは自分の力であり他人ではない。
 あのゴーストはくるみの意思に関係なく自動で動いているようだが、そもそもが少女自身が望んで作り出した中身のない人形である。
 そんなゴーストが守ってくれると、安全なところに居ろとほざくのだ。
 それは自作自演の自愛でしかなく、ひどく歪で内向的だ。

 自己完結し、他を見ようとしない少女。

「ふぇ、ふええ……」


 怯えているように見えるが、結局のところ外敵であるAPに怯えているのでなく、『外』そのものに怯えているのだろう。
 なるほどこれは究極の引きこもりだ。自分を甘やかすためだけに作られた、永世不滅の城。

「……とっとと、片づけましょう」

 APにとってもその少女のあり方は歪で、そしてその意気地のなさに脳が苛立つ。
 だがこの場において個人の感情など不要。滅私奉公の精神でただ自らの主の元へと向かうだけだ。
 そこまでの通過点であることをAPは自らで再確認する。

「……いざ」

 フロート移動とエクスマキナの脚力によって、甲冑との距離を詰めんとAPは駆け出す。
 それに相対するように甲冑も、その騎士然たる姿を崩さず、身の丈近い鉄塊の剣を構えた。

『その意気や良し。このユーウェイン。正道の勝負ならば騎士道に則り剣を振ろう。

しかし、そもそも姫を守る身であるこのわたくし。その信条に基づき姫に仇名す貴女に手加減なぞ出来ぬことを知れ!』

「……うっとおしい!この……時代錯誤の童話の騎士が……っ!」

 鉤爪と剣が相対し、幾重にも重ねられた金属音が鳴り響く。
 これより始まるのは一見すれば忠の戦い。自らの主へ赴くための彼女か、自らの姫を守らんとする虚像かだ。

 そして少し離れた場所。蚊帳の外で少女は相も変わらず怯えている。

「だ、だれか……たしゅけてぇ……」

 助けを呼ぶその瞳は何も映していない。その言葉はただ助けを求めるか弱い自信を演出する自愛の救援。
 そこに意味はなく、少女は自ら築いた強固な砦の塔の中で、一人外界を忌避し、自分だけを愛しながら心を自傷し続ける。



***


「なかなかに因果なものよねぇ。

『ウルティマ・イーター』に相対するのは究極生物の雛形で、くるみと対峙するのは同じ操り人形の犬。

まぁ王道を嫌うアタシとしては唾でも吹きかけて、もうちょっとドラマチックに台無しにしたい気分だけど」

 両腕義手の悪鬼は熱を持つ丘の上で足を組み、片手の指を動かしながら手持無沙汰につぶやく。
 その会話の矛先であるヘルメットを被った武骨な大男はどこに視線を向けるわけでもなく無言で静止している。

「所詮アタシは一人しかいないから、そこまで手を回せないのが惜しいわ……。

とりあえずこっちはこっちで仕事を楽しみながら取り組もうじゃない?ねぇ、ネクロス」

 ネクロスと呼ばれたヘルメットの大男は声がかかったのにもかかわらず、相も変わらず無言を貫く。
 その肌を一切露出させていない男であるネクロスは、視線さえもヘルメットに隠れ一切の生物性が感じられない。
 反応を示さないネクロスに対してカーリーは退屈そうに小さくため息をつく。

「はぁ……つまんねー。アタシとしてはもっと騎士兵団の連中とは仲良くしたいんだけどねぇ。

どうにも行動はソロだったり、組まされても今回みたいにまともにコミニュケーションとれる人間よこさないって……まったくアタシって信用されてないのかな?」


 イルミナティ騎士兵団内の境遇に不満を漏らすカーリーだが、特に顔色に不平はなさそうな顔である。
 そもそもカーリーは味方でさえも食いつぶしかねない魔性の悪鬼だ。
 下手に組ませて任務に出せば、組まされた人間は良くて廃人、ほとんどの確立で物言わぬ無残な死体で帰ってくることが目に見える。
 そういった意味でイルミナPにしてもエイビスにしても、カーリーという爆発物のような存在の扱いには細心の注意を払っていたからである。

「まぁいいわ。周りがいくら自由にさせなくとも、アタシはいつも通り好きにするだけ。

そろそろ掃除も済んだことだし、先へ進もうじゃない」

 せわしなく動かしていた右手の指は指揮者のそれと同じだ。
 それが集結の意を示せば、ビルの中に散開させていたカーリーのジェット推進の義手たちが、主人の元へと集ってくる。

 集結する義手は一つも漏れず手ぶらでは帰ってこない。
 その手先には、必ず一つ以上の肉袋を引きずりながらカーリーの下で集積する。

「お腹いっぱいごちそうさまだよ。いい絶望をありがとう諸君。

ネクロス、生体反応はどうかしら?」

「……コノ階層上下10かイの範囲にオイテ、人間の生体反応ハカーリーサンのみデス。

後ハ掃討が完了シタカ、これ以上の上階ニ逃げ込ンダのでショウ」

 ネクロスのその言葉を聞いて、カーリーは丘の上から飛び降りる。
 床に着地したカーリーはぴちゃりと広がる液体を踏みしめながら先へと進む。


「できることなら、やはり凝っていきたいよねぇ。

ネクロスはこのまま一階ずつ上がりながら、その階層にいる人間を全部始末していきながら来て。

逆にアタシは上から下に行くから」

 何も言わず後ろをついてくるネクロスを振り返りながらカーリーは言う。
 そのスーツは既に赤黒く染め直されており、その肌さえも血に濡れていないところはない。
 ロビーでは巧妙に隠されていた両腕の義手は露出しており、血に濡れた指先が狂気を拡散している。

 そして本来は白を基調としたオフィスの廊下は鮮血の塗料で地獄に塗り替えられていた。
 先ほどまでカーリーが座していた温度を持つ丘は、すべてが新鮮な死体がいくつも折り重なることによって築かれた墓標である。
 丘から流れ出した流血と、骸を積み上げた肉袋の丘は文字通りの屍山血河。
 この同盟本部に突入してから10分足らずの間に地獄の一端が誕生していた。

「了解。確認しまスガ、生きていル人間を見ツケタ場合、殲滅でイイカ?」

「もちろん」

「全員カ?」

「例外なく、余さずに1階ずつ」

「命令を受理スる」

 ネクロスはそう答えると、ヘルメットの中で機械の音のような駆動音がする。
 そしてカーリーを振り返ることなくそのまま階段を上がっていった。


「効率的なのは古来より挟み撃ちが常套。

それに、ネクロスは命令されれば止まらない機械と同じだから情に訴えても絶対に止まらない。他のヒーローを追い立てるのには実に打って付けよね」

 カーリーは身にまとった他者の流血を振りまきながら回し蹴りをエレベーターの扉へと打ち込む。
 吹き飛んだ扉の先にはゴンドラはなく低階層から上階層へと一直線につながる縦穴が覗かせていた。

「下が危険だと知っていれば上に逃げる。

煙は追い立てられるように空へと昇り、馬鹿は高いところが好き。

ええ、アタシも好きよ。安全圏内にいると勘違いした平和呆けの阿呆たちを追い立てるのは。

どうせ使う当てのない命、アタシのために輝かせて、死の間際の絶望を舌先に運んでちょうだい」

 カーリーはエレベーターの縦穴を垂直に飛び上がる。
 明らかに人間の脚力を超越した飛翔によって、カーリーの姿は穴の上のほうの暗闇へと消えた。

 そして後始末でもするかの如く、残った義手の掌の先から火炎放射器の銃口が露出。
 この階層に集められた屍山血河を焼き払ったのちに、義手たちはカーリーの後を追うようにエレベーターの穴へと消えていった。



***


 いつのころからか、とてもおなかが空いていた。



「第――次、細胞移植実験を始める」

 はじめは、沢山の『みんな』を繋げられた。
 その誰もが、痛い痛いと泣き叫んでいて、切り刻まれて縫い合わされてくっ付けられるたび、そのみんなの数だけ痛みは倍増していく。
 いつも頭の中にはみんなの苦痛が溢れていて、そしてあたしも例外なく体中が痛くていつも泣いていた。

 だけどたくさん繋がれていたから、どれがあたしの目なのかわからなくて、仕方ないから出せる場所からはとにかく出した気がする。
 逆にそれはみんなにとっても例外じゃないから、いろんなところからみんな出していた気がする。

 いつも響くみんなの声であたしの声がよくわからなくなっていく。
 ぞうさん、きりんさん、くまさん、おうまさん、とらさん、みんな、みんなみんなみんなあたしにつながっていて、あたしはどれとも違っていたはずだったのに、いつの間にかみんなと溶け合っていた。
 あたしは『何』だったのか、姿がよく思い出せなくなって、寄り集まったみんなと一緒に溶けていく。
 そしてみんなの中にあたしが溶けきったら、それでこのみんなの痛みからあたしは解放されるのかと、やっと楽になれるのかと思ったら。

 どこかの誰かが、いつもその直前で引き上げるのだ。
 いや、どこかの誰かじゃない、誰もが、みんなが、あたしがいなくなることを拒んでいる。
 そしていつも、どうあがいても、その中心に座らされて新たな『みんな』を歓迎しなければならなかった。


『僕は――』

『私は――』

 新たに加わるみんなの名前は、あたしの意識に届く前に溶けて行ってしまう。
 もう溶け合って、姿が見えなくなったみんなもいるけど、あたしはいつになってもそこには行けない。
 後から来たみんなに先を越されて、わたしはずっと一人きりで痛いのを繰り返す。

 どうかみんな、あたしを仲間はずれにしないで。あたしもその『中』にいれて。
 一緒に混じって溶け合って、あたしもあたしだけが感じる痛みから抜け出したいから、だから。

『それはダメだよ。なお』

 あたしが頼んでも、みんなはそう言ってなかまにいれてくれない。
 あたしだけがいたいままで、あたしだけが苦しいままで、みんなも感じているはずの痛みは、あたしだけがあたし一人として受けている。
 心を共有できない悲しみであたしは一人涙するのだ。

 もうこんな『椅子』いらない!
 あたしもみんなと一緒になりたい!

「……実験失敗。この程度の戦闘能力もないのでは駄目だな」

 ぐちゃぐちゃ、ばりばり。
 あたしは壊れる。砕かれて、溶かされて、元に戻って、砕かれて。

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 あたしは逃げ出した。でも鎖は相も変わらずその椅子につながっている。



 




「これも一応素体は人間だ。であるならば『原罪』は必ずある。

ならばそれを一つ一つ呼び起こしていけばいい」

「暴食の核、移植実験を行う。なお本実験はこのイチノセの指揮の下で行い、緊急時にはコロナ・プロセスによる終了手順に則る」

 随分と久しぶりに、なかまが入ってきた。
 いや、それは仲間なんかじゃない。形はなくて、とても暗くて、誰もが持っているもの。

 空気のようにかたちのないそれは、すぐにあたしの中に充満する。
 みんながそれに晒されるたびに騒ぎ出すのだ。

『お腹空いた』

『ご飯食べたい』

『ああ、痛い。空っぽのお腹がいたいよ』

『もっと、もっと、足りない。足りないの』

 たまらなく、おなかが空いてくる。
 なんだか久しぶりに目を開ける。ああ、まわりはご飯でいっぱいだ。
 あたしは『誰』だっけ。まぁいいや。みんなで食べよう。

『僕はこれ』『私はそれ』『じゃあぼくはこれ』

 みんながみんな、思い思いにご飯を食べる。
 ああ、でも足りない。まだ足りない。あんまりおいしくないけど、この空腹は口の中に唾を出し、文句も言わず食べ続けろとあたしに指示する。
 この目はおいしい。脚はあんまりおいしくない。腸は歯ごたえがあって癖になる。耳は苦手。心臓は特に大好き。


「おええええええええええあああああああ、げほ、あ、あ、あ……」

 いやだいやだいやだいやだいやだ。
 あたしはホントはこんなもの食べたくない。
 食べたものを吐こうとしても、空腹は満たしたものを一片たりとも逃さず、口からは何も出ない。
 そしてまた、吐いた唾さえも舐めとってしまいそうな気になって、近くの肉を口に運んで、食べて、押し込んで。

「実験失敗。拒絶反応でアポトーシスを起こしている。すぐに再生はしているが自分で壊して自分で回復する機能に何の意味があるというのだ。

これはとんだ無駄骨だな……。これで『究極』の一端とは。もともとが陳腐な言葉ではあるが、実にこれでは呆れ果ててしまいそうだよ。

仮に他の『罪』をつけてもあまり意味はなさそうだ。……やはり自発的に目覚めないと駄目か。

……とは言うものの、時間はない。ここらが潮時か。後のことは所長に任せて私はいつも通り失踪するとしよう」

 食べたい、でももう食べたくない。誰か、あたしのこの満たされない『思い』を満たしてほしいの。

 いまのあたしにあるのは心臓下の洞穴とその穴から絶えず響く空腹を喘ぐ絶叫。
 視界不良はずっと続いていて、光が見えない。

 ああ、いつか見たあの光をあたしにください。いい子にしますから、どうか。




 




「ええい、どこへ行ったイチノセ博士は!?

データもない?どういうことだ!ふざけるな!追え、所長権限だ!今すぐに!

……ああ!?今度はなんだ?

何!?宇宙管理局の船が接近しているだと?くそ、なぜバレた……?

ああ、くそ。あの博士感付いて真っ先に逃げたか!……ああ、くそが、くそがくそがああああ!!!」

 今日はなぜだか一段と騒がしい。
 今日のご飯はおいしくなかった。そんな気がする。あれ、これは今日のことだったっけ?
 まぁいいや。おなか、すい

「ああああああああああああああああああああ!」

 ああ、いやだ。あたしはおなかなんて空いていない。
 みんなどこ?あたしを一人にしないで!あたしを置いていかないで!

 数刻前に食べたはずの中身が消えてしまった空っぽの胃袋は、狂おしいほどの渇望が沸き上がる。
 体中の黒色は、あたしの体を侵食するように食い込んでいる。
 いつも周りには、こっちを見る誰かの目が数多。
 どれくらい経過したかわからない時間は、あたしの中の孤独と飢餓を化膿させて頭の中にまで蛆のように這いまわる。


 いやだいやだ。うるさくしないで。そっとしておいて。
 あたしはもう何も食べたくない。肉も野菜も魚も人間も、もう沢山。

「誰か……助けて」



「突撃用意!」

「……ようこそ。我らの最高傑作のショーへ!」

 あたしの前に誰かが来た。お願い。そっとしておいて。
 お願いだから、あたしの前に『食べられるもの』を出さないで。
 どうせ救われないあたしは、このまま居なくならせて。

 あたしは暗闇に慣れてしまったその瞳を前に向ける。
 みんなが見てる。彼らを見ている。そう、みんな同じ人を見た。
 黒色に塗りつぶされた光彩に走る鈍痛に似た刺激。
 あまりにも眩しくて、おもわず目を閉じてしまいそうになったその姿。

 あたしはそのとき、きっと光を見たのだろう。



 




***


 疾走する奈緒の背を追尾してくる髪の蛇頭は幾重にも編み込まれた暴食の触覚だ。
 蛇頭の顎は逃げるその背を捕らえようとする寸前で奈緒の疾走のほうが上回り、直前の床材を砕くに終わる。

 だが執拗に追ってくる蛇頭に切りはない。一つが仕損じれば、別の蛇頭がさらに奈緒の肉体を捕食せんと追い立てる。
 当然奈緒の背後から追うだけでなく、あらゆる方向からも蛇頭は奈緒を攻め立てる。
 時には進行方向正面。時には挟撃。時には上方。そしてさらには全方位から。

 だが奈緒も捕まるわけにはいかない。半ば意地によって保たれている全力疾走は、獣のそれと同等に近い。
 そしてそんな中でも冷静に戦況を把握しつつ、『単調』な蛇頭の動きを紙一重で躱していた。

「くっそお……しつこいんだよ!」

 脚で床面を蹴り返し方向を反転、そして向かい来る蛇頭を両腕の虎の爪で切り伏せながら悪態をつく奈緒。
 奈緒が蛇頭の本体である『カース』ことウルティマ・イーターの方へと目を向ければ、切り伏せられた蛇の髪は泥となって地面を這って行きウルティマの足元の泥の水溜りへと帰還、そして新たな蛇頭が奈緒の方へと向かってくる様子を目にした。
 その様子から、いくら蛇頭を切り離しても、それは泥となってすぐに主の元へと帰還し再生することを表していた。
 仮に、このサイクルを止めようと思うのならばおそらく浄化の力によって還元される前に泥を蒸発させなければならないだろう。
 だが、それが可能なきらりは奈緒の視界の片隅、壁にもたれかかって気絶している。

「いくら油断してたからって、本当に失敗だよ……。あたしがもっとちゃんと気を張っていれば」


 そもそも4人で同時にウルティマに攻撃すれば、このような劣勢にはならなかったかもしれないと奈緒の脳裏によぎる。
 実際、いつものように4人で協力していれば確かにウルティマは強敵であるもののここまでの苦戦は強いられなかったはずだ。

 だが所詮は過ぎたことだ。今この場でウルティマに相対しているのは奈緒だけである。
 きらりと李衣菜はこの同盟本部一階のホールの片隅で戦闘不能になっていた。

 そうした意味で幸いだったのは、動けない二人がウルティマの標的になっていないことである。
 ウルティマの攻撃物量は膨大であり、その獣性は脅威である。だがそれは単純な思考しかできないことであり、一度経験したことには無条件に慎重になってしまうことであった。
 単純に言ってしまえばウルティマにとってきらりと李衣菜は『触れたくない』のである。
 きらりは常時浄化の力を身にまとっているようなものであり、李衣菜は電撃を発することができる。
 触れられない浄化と触れれば自らに降りかかるかもしれない電撃はそれだけでウルティマへの牽制となっていた。

「だからって、事態は好転しないんだけど、も!」

 だが二人が戦えない事実は健在だ。今でこそウルティマの標的は奈緒に絞られているが、いつ他の二人に移るかもわからない。
 奈緒は出来るだけ注意をそらそうと大ぶりの動きをするが、それはただ悪戯に体力を削っているだけかもしれない。
 このままではじり貧なのは奈緒も理解している。ここでウルティマの本体へと切り込むかどうかを思考する。

『奈緒、下だ!』

 視界に映る蛇頭はすべて把握していた奈緒だったが視界の外であるその攻撃は、そのままであったなら一瞬の思考の隙をつき確実に奈緒の懐へと届いていただろう。
 だがその突如耳元に聞こえた声に反応し、その場を飛びのいた奈緒が目にしたのは足元の床を貫いてきた蛇頭が一つ。
 間一髪回避した奈緒は、追尾してくるその蛇頭を蹴り千切り、バックステップの勢いを殺すように床を滑りながら静止した。


「夏樹!?無事なのか?」

『まぁ……完全に無事とはいいがたいけど、アタシは十分に健在さ。

そっちの状況は……良くはないか』

 奈緒が視線を横に向ければ、そこには浮遊するアイユニットが存在する。
 それは夏樹の視界でもあるアイユニットの一つであり、夏樹の声を届けることができる唯一の通信機能付きのものである。

「無事じゃないって、そっちはどうなんだ?」

『アイユニットがほとんどやられた。こっちの視界を確保するために手元に一つ、そっちの状況を観察するために忍ばせてるのが一つ、それと今奈緒の隣にあるやつの合計3つだ。

ほんと、こういうことになるんなら予備作ってもらっておけばよかったよ。でもまぁ四の五の言ってらんないけどさ』

 複数のアイユニットから成る夏樹の視界は確かに強力だが、外付けであることは弱点でもある。
 人間の眼球のように体の一部ではないため攻撃されたときに自営の手段がなく、すべて破壊されてしまえばそれこそ戦闘不能と変わりはない。
 よってこれ以上視界を減らすような不用意な行動が夏樹には出来ないことを表していた。
 当然アイユニットからのレーザーはなるべく控えるべきであることもだ。

「つまり負傷とかは無いってことなんだよな?」

『ああ、そこについては問題ないよ。まぁアイユニットはわりかしコストが高いらしいから技術部の人たちには迷惑かけることにはなるけどな』

「それこそ、必要経費ってもんだろ。とりあえず無事なら何よりだよ」


『とはいっても、これ以上はサポートする程度しかできないから、奈緒には負担をかけることになっちまうな』

「それくらい、問題ないって。というかそれよりも、きらりと李衣菜を何とかできないか?」

 いつまでもお喋りをしていられるほど敵も甘くはない。奈緒は再び迫りくる蛇頭を両手の爪で切り裂きながら夏樹に頼む。
 未だ標的は奈緒に絞られているが、いつその矛先が倒れ伏すきらりと李衣菜に向くかわからない。
 李衣菜は比較的頑丈なので態勢さえ整えれば十分に戦線復帰は可能だろうが、巨腕に好きにされたきらりのダメージはより深刻であろう。
 このままロビー内に放置しておくのは良くないことは明らかであった。

 だからこそ夏樹のワープホールならば二人をこの場から離脱させることは容易であろうと奈緒は提案したのだ。

『わかった!それくらいはできるさ』

 夏樹が答えた瞬間、李衣菜の足元に黒い穴が開く。
 夏樹は天井付近に待機させている一つのアイユニットで李衣菜の位置を把握しており、ワープホールの中に李衣菜が落ちていくのを確認する。

『オッケー!だりーは回収した。次はきらりだ』

 当然きらりの位置も把握しており、夏樹はきらりをこの場から離脱させるべく再びワープホールを生成しようとする。




「ッ!?」
『これは!?」


 だがその前に二人を襲ったのは全身に走る悪寒だ。
 背筋に氷柱を入れられたかのように走る感覚は、危機感による警鐘である。
 それは周囲から大量の視線が自分一人に向けられているような、群れを成した獣の群れの標的にさせられているかのような全身を貫く視線。
 そしてそれは紛れもなく現実であり、ウルティマから伸びる黒い影は間違いなくこちらを見ていたのだ。

 奈緒の方を、夏樹の方を、そしてきらりの方を。

『何処ヘ……イクノ? アタシヲ、マタヒトリニスルノ?』

 黒い泥から覗く数多の眼に夏樹の判断は一瞬遅れてしまった。

『しまっ――』

 気が付いた時にはもう遅い。状況を俯瞰していた天井近くの夏樹のアイユニットを取り囲むように迫りくる髪から伸びたいくつもの蛇頭。
 その顎はアイユニットを粉々に破壊するために牙をむき出しにして迫りくる。

『くそっ!』

 蛇頭に囲まれたアイユニットによる苦し紛れに放ったレーザーは、回転しながら取り囲む蛇頭の胴を焼き切った。
 だがすべてを切り裂く前に、届いた一本の牙がアイユニットに掠りその飛行機能に損傷を与える。

『これ、は――』

 そして落ち行くアイユニットが最後に移した光景は、混じりけのない黒色だった。
 いつの間にはロビーの天井に存在していた黒い影から現れたのは同じように漆黒の一匹の獣。
 獣がその大顎を開いて落ち行くアイユニットを追いかけるように丸呑みした。そしてその視界が最後に移したのは光さえ届かない深い闇。

 だがその中身は一色の黒ではなく、ひどくその色は寒々しい。
 わずかな視界の中で夏樹が感じたそれは、『あの』少女の孤独と、耐え難い飢えの一端だった。


「ほんとに、なんでこんな!……きらり!」

 夏樹が深淵を覗いている一方で、奈緒は全身に泥の装甲を身にまとう。
 その姿はウルティマが初めにしていた黒い泥を纏った獣の形態と似たものであり、周囲に禍々しさを放っていた。

 奈緒的にはこの姿は狂気に満ちすぎていてヒーロー地味ていないということであまり好きではない。
 だがこの状況で姿形がどうのこうのなど言っていられなかった。『視線』に敏感な奈緒には気づいたことがあったからだ。
 ただあのウルティマの視線が、自分や夏樹のアイユニットだけに向けられているのならまだよかったのだ。
 問題なのはあの瞳が未だ気絶したままであるきらりを標的に定めたことであった。

 それは無抵抗なきらりへと大量の蛇頭が迫っていることを示していた。
 だが当然奈緒の方へも行く手を阻むように雪崩のような蛇の頭が迫り来ている。
 ならばこそ、それさえも突破できるほどの貫通力のある攻撃が奈緒には必要だった。

「うう――うおらああああ!」

 異形の獣の姿となった奈緒は雄たけびを上げながら、蛇頭の群れへと突進する。
 巨体に似合わぬその速度は、食らいついてくる牙をまるで物ともせず置き去りにして、容易に包囲網を突破した。
 奈緒は全身が凶器と化した暴風となり、千切れ泥へと回帰する蛇頭を置き去りにしながらきらりの前へと躍り出る。

「やらせる、かぁ!」


 きらりを標的として向かっている蛇頭は前方のあらゆる方向から食らいつくさんと迫りくる。
 奈緒だけならばどうとでもなるが、後ろにきらりがいるとなれば話は別。放射状に迫ってくる蛇頭の一本でも後ろにいるきらりの元へと届かせるわけにはいかなかった。
 多様な軌道を描いてくる攻撃には、今の奈緒ではあまりにも手数が足りない。

「足りないなら、増やせばいいだろ!」

 思い浮かべるは目の前のウルティマが初めに行っていた泥の腕。
 その巨腕はロビー内の逃げ惑う人々一切を捕縛し、食らいつくそうとした暴食の魔手。
 ゆえに、手形らないのならば増やせばいい。単純明快な答えであり奈緒はつい先ほど見た『手』のイメージを基にこの場を対処できる手数を形作る。

(巨大な手じゃ強力だけど隙が多すぎる。じゃあ小さくて、その分数を足せばいい!)

 異形の獣の姿をした奈緒の纏った泥はさらなる変異を始める。
 背中が泡立ち、鋭利な爪を備えた強靭な腕が新たに4本生成され、奈緒の姿は獣よりもさらに禍々しい六手の魔獣へと変貌した。
 その姿は醜悪であり、まさに鬼とも悪魔とも形容できる魔性の容貌。
 だがこの際見てくれなどにかまっている余裕などない。

「まったく……こんな姿じゃどっちが悪だかわかりゃしないって。

だけど、仲間を守るためなんだから見た目くらい多少は仕方ないよな。だって大切なのは誰かを思う心だって!」

 後ろで倒れ伏せる心優しき少女ならこういうだろう。見た目とか行動とか目に見えるものだけが大切なのではない。本当に大切なのは何かを思う心であり、心があるからこそそれが現実に反映されるのだと。
 ならば奈緒も、今はきらりが大切だからこそ今ここで守っているのだ。そのためならば多少見た目が悪くても、結果が付いてくるのならば問題はないと判断する。
 自分を救ってくれたこの少女をこれで救ってお相子などというつもりもない。
 奈緒がこの場に立つ理由として、きらりが大切な友達であるだけで十分なのだ。

「うおおおお、らああああああぁ!』


 異形化した泥は奈緒の雄たけびさえも正しく反響させず獣のようになって伝わっていく。
 新たに増やした腕は、今も休むことなく動き続け依然迫りくる蛇頭を一切余すことなく切り伏せていた。

『そうだ、あたしがみんなに救われた』

 奈緒をあの絶望の底から手を差し伸べて、救ってくれたのは彼女たちだ。
 今があるのは彼女たちのおかげであり、それによって幸せとも言ってもいい平穏を過ごせている。

――だから、奈緒だけで、幸せになんてさせない。

 いつかどこか誰かに耳元でささやかれたその言葉。
 奈緒は全神経を張り巡らせ、一寸の予断も許さない攻防の中で、一つの思想を巡らせる。

『確かにそうだ。あたしだけが幸せになっていいわけがない。

不幸だったんだから、それまでのツケでこれからは幸せ一辺倒なんて、虫のいい話だよな。

だからあたしは思うんだ。みんながいる。平和の中に誰かがいる。あたしは幸せだよ。何物にも代えがたい仲間と、尊敬できる人、いろんなものに恵まれてるから。

あたしは幸せでいっぱいだ。だったら、みんな誰もが幸せじゃなきゃ不都合だろ』

 奈緒はまともな感性を持った少女だ。誰かと比較して自分の優位を悦に浸るような性格でもないし、誰かの不幸を見てあざけるような性悪でもない。
 ならば自然、ほかの誰かも幸せなほうがいいし、自分の幸せが共有できるのならそうするべきだと考える。
 誰かを守るのだって、その誰かの安寧と幸福を守る行為だ。いくら自分の力が醜くても、結果としてそれができるのならば奈緒はそのために尽力する少女だ。

『だから……みんな幸せになれるなら、そうあるべきなんだ』


 そして前方、未だ空腹を喘ぎ狂気に落ちたままのウルティマ・イーターと称される少女を見て小さく問うのだ。

『だってお前、そこは暗いだろ?』

 六手の魔獣は包囲するように迫りくる蛇頭を捌きながら、眼前先の痩せこけた少女をまっすぐ見据える。
 少女の足元に流れ出る黒い泥は抱えた闇そのものだ。
 何よりも深く、そして底なしの狂気を孕んだ深淵の先を奈緒は知っている。
 そこは何よりも暗く深く、そして何物でも満たされない孤独の箱庭であることをだ。

『アタシは、確かに見たよ。あの子の闇を』

 奈緒の隣には追い付いてきた夏樹のアイユニットが漂う。
 天井付近にあったもう一つのアイユニットがウルティマの泥の獣に食われてからしばらく自失していたが回復したらしい。

『凍えるように暗くて、ずっと苦しい。

誰もがそこにいるんだが、誰もあの子を気に掛けない。

誰も反応しない他人なんて、それこそ孤独と一緒だ』

 少女を見ているのは数多の瞳だ。
 だが誰もが見て、囲むだけで触れようとしない。声にも答えずただそこにいるだけだ。
 反応もなく無抵抗に静止しているだけ。ならば少女から動くしかない。


『満たされないなら、食べればいい。

誰も一緒じゃないのなら、一緒になればいい。

その果てがあの自傷自食なんだと思う。

あの髪は蛇というよりも他人と一緒になるための捕食器官。そしてあの足元に広がっている泥こそが心であり胃袋、違うか?奈緒』

 夏樹は未だ必死に複数の手を動かす魔獣に問いかける。
 その異形が奈緒であることは夏樹にはなんとなくわかっていたため、その理由を問うことなく話を進める。

『あんまりこの姿は見られたくなかったんだけど……ありがとな夏樹。

んで、夏樹の考えは多分あってるよ。あの髪の毛はあたしにはないから断定はできないけど、泥についてははっきりといえる。

これはあたし『たち』が溶け出したもので、あたし『たち』そのものだ。カースの感情エネルギーが泥となってるんだから、あたしのこれも感情であり心だよ』

 今、奈緒が身にまとう魔獣の鎧も、奈緒の心が成した一つの心の形だ。
 キメラとして設計された本能が作り上げた合成の獣の貌である。その姿は部品(パーツ)の組み合わせ次第で何百通りもあり様々な怪物の姿となれるだろう。

『だけどあの子にとっては心だけでなく、ため込む場所、胃袋としての役割が強いんだと思う。

だから髪の毛で捕食している間は、身に纏うんじゃなくため込む場所としてあんな感じで『沼』みたいになってるんだ』

 ウルティマの足元で波面を打つ泥の沼はその身に宿る狂気を出力する場であると同時に捕食器官の行く末である。
 あの先こそウルティマを満たすためにかき混ぜられたカオスの瓶であり、ウルティマに届く唯一の道筋だ。


『そしてあの子は、多分あたしだ。理由とかは分かんないけど、あの研究所のことだし『こんなこと』があっても不思議じゃないよな。

……だからこそさ、あの子のことをあたしに任せてくれないか?夏樹』

『奈緒?どうする気だ?』

『もしかしたらあたしもあんな風になっていたかもしれない。

みんなに出会わなければ、ずっと一人で満たされないまま食べ続けていたかもしれないんだ。偶然かもしれないけど、みんなに救われたから今のあたしがある。

だったら今度は、あの救われていないあたしに教えてやらなくちゃ。外の光が当たるところに、連れ出してやるんだ』

 あの暗い水底を知っている奈緒だからこそ、その手を差し伸べたいと思うのだ。
 地獄はもう沢山だ。ならば今度は自分がその手を引いてそこから連れ出してやるのだと。

『策はあるのか?奈緒』

『大丈夫。それよりも、その後のことを少し、頼みたいかな』

「ん……?んにゅぅ……」

 そんな時後ろに倒れていたきらりから小さくうめき声が上がる。
 きらりはようやく目を覚ましたようで、周囲を確認しながら目の前の巨大な背中を見上げる。
 きらりの視界に映るのは、六つの腕を備えたこの世の物とは思えぬ醜悪な魔獣。
 だがきらりは一切狼狽えることなく、安心した視線を向けていた。


『悪いけどきらり、あたしにはあの子を連れ出してくることはできるけど、癒してやることはできない。

あたしにとっての光は道しるべにはなれるけど、きっとあの子の孤独を満たすことはできないと思う。

万全じゃないだろうけど、頼めるかな?』

「うん、わかったにぃ。奈緒チャンも、頑張って」

 目の前の魔獣から提案される案を、二つ返事で引き受けるきらり。
 今の状況を完全に理解したわけではないが、それでもその声が自分の友達のものであることが十分な理由であった。

『アアアアァ……サミシイ、クルシイ、オナカスイタアアアアア!

ナンデ、ナンデナンデナンデナンデナンデ、アタシヲヒトリニシナイデエエエエエエェ!』

 以前一歩も引かない奈緒にしびれを切らしたウルティマは己の感情を載せて咆哮を上げる。
 爆発的に増大する髪の毛は一本一本が複雑に絡まりあい、八つの蛇頭、否、竜頭となって満たされぬ空腹のためにその大顎を開く。

 そして足元の泥の沼も同様に広がっていき、同盟ロビー全体を漆黒で覆いつくした。

『アタシヲ……満タシテ』

 そして光の差さぬロビーの中、埋め尽くした暗闇が開眼する。
 数多の瞳が揃って渦中にいる奈緒たちの方を見つめていた。


『これは……あの時と同じ』

 夏樹はこの光景に見覚えがあった。
 かつてあの忌まわしき研究所で、奈緒を見つけた時のこと。沢山の獣の瞳が此方を睨み、沢山の研究員たちが黒色に飲まれていった。

 そしてこれはこれまでの直接的な攻撃ではなく、本当の意味でウルティマも決着を付けに来ていることは明らかであった。

『知っているよ。そこは寂しくて、苦しくて、絶対に満たされない。

だから、今度はあたしが、お前を『底』から連れ出してやる!」


――わかったよご主人様。ここは任せて。
――その言葉を、その意思を、僕たちは、私たちは待っていた。


 魔獣の腹から、泥をかき分けるように奈緒が飛び出す。
 そしてその場に残った泥の魔獣は形が崩れることなく姿を維持したまま迫りくる八つの竜に相対した。
 魔獣は主をその中に宿さぬまま、機敏に動く。

 まず二本の竜頭を抱える世に掴み脇でへし折り、千切り捨てる。真正面から来た竜頭をその手の狂爪で輪切りにした。
 だが一本の竜頭が魔獣の頭に食らいつき、引き裂こうと力を籠める。

 泥の魔獣は二つに分裂して、その咬合から逃れ、二体の獣人に分裂した泥は動きを揃えるようにその竜頭を蹴り貫いた。

 しかし、遅れて迫る二つの竜頭がそれぞれの獣人の巨躯を貫き、そのまま体を持ち上げた。

『グ、グオオオオオォ!』


 体を貫かれた獣人はもがきながら竜頭に爪を立てて、姿を崩す。
 だが巨大な黒い泥に黒い泥に戻ったかに見えた二体の泥の獣人は、そのまま崩れることはなかった。

『『『グ、グルアアアアアアァ!』』』

 獣人の泥は形を崩した後、沸き立ち、その中から大量の獣が這い出てくる。
 その獣たちは各々が竜頭に食らいつき、暴れるその首を多勢によって抑えつけていく。



「うおおおおおお!」

 一方でウルティマの元へと一直線に駆け出す奈緒に立ちふさがるのは、残る二本の竜頭。
 その大顎は、奈緒を一飲みできるほどに巨大であり、一つの竜頭がその大口を開けながら奈緒の前方から迫りくる。

「そこを、どけぇ!」

 奈緒はその大口を回避しつつ、右手に備えた鋭い泥の爪で竜の頬を割きながら前進する。
 だがその攻撃は巨大な竜頭にとっては微々たるものであり、切り裂かれた髪の繊維の断面から、小さな蛇頭が新たに奈緒に向かってきた。

「絡み、付くな!」

 奈緒は自身に纏わりつくように追ってくる蛇頭に対して、弾丸のように回転しながら飛び跳ねる。
 構えた爪は回転によって纏わりつく蛇頭をすべて切り伏せ、着地した時に足元の泥が撥ねた。

――オオオオオオオオォ!

 だが着地の際の一瞬の静止は、相手にとっても十分な隙である。
 巨大な物体が動くことによって風を穿つ音は、唸り声のようで不気味な低音となり響く。
 もう一つの竜頭は真上から奈緒を丸呑みし、そのまま頭を再び天井付近まで持ち上げた。


 しかし、髪にはさみを入れるような軽い音と、何かが駆ける音が小さく鳴っている。
 奈緒を飲み込んだ竜頭は動きが不自然になり、その体に数多の亀裂が刻まれていく。

「おらああああああぁ!道を、開けろぉ!」

 そして竜頭の胴を切り裂いて、奈緒が中から飛び出してきた。
 空中に投げ出された奈緒が目指すのは、一点。ウルティマの元である。

『クルナ……来ナイデエエエエ!』

 その両腕に鋭利な爪を備えた奈緒の姿が脅威に映ったのか、ウルティマの口から洩れるのは拒絶の言葉であった。
 ウルティマの足元から数体の獣が飛び上がり、奈緒の進行を阻止しようと迫る。

 だが、奈緒は不意打ちならばいざ知らず、正面からくる攻撃に遅れはとらない。
 空中であろうと関係なく、的確に獣を切り伏せ、その突進を往なし、奈緒の勢いは全く止まらない。

「今、そこに行くぞ!」

『……ヒッ!』

 その爪はウルティマへと迫り、小さく悲鳴を上げる。
 だが奈緒は攻撃することなく、ウルティマのすぐ手前、足元の泥に向かってそのまま飛び込んだ。


 本来その泥の沼は、決して深いものではなく水溜りと大差はない。
 しかし、ウルティマの足元だけは例外であり、そこはウルティマの心の源泉であり混沌の中心であった。
 その深度は、底なしの如くであり、満たされた泥は強酸のように取り込んだものを同一化するために溶かし始める。

「まだだ。もっと、もっと深く。もっと先へだ」

 奈緒は全身に泥を身に纏い、ウルティマの泥の中を潜っていく。
 普通ならば取り込んだ異物を溶かし始める暴食の泥だが、奈緒の纏った泥は水と油のように弾き泥の浸食を抑えていた。
 それでも一切呼吸は出来ず、見通しの悪く粘性の高い泥は奈緒の行く手を阻む。

「暗い、冷たい、この泥の先。

あたしは知っている。これらが何でもあり、何でもない、決してあたしを満たさない不純物であることを。

そしてこの先、この最も奥底で、あたしは居続けた。この泥はみんなであり、だれでもなく……そしてあたしだ」

 そして今奈緒が潜っている泥は、思っていたよりも深いことに気づく。
 それは、ウルティマの闇が奈緒よりも深いことを表しており、当時の奈緒を凌駕するほどにウルティマが悪化していることであった。

「……ま、だ……まだ、だ。

深いから、なんだ……酷いからって、どうしたって、いうんだ……。

あたしの孤独より、深くたって……みんながくれた、あたしの幸せより、ぜんっぜん浅いんだよ!」


 泥をかき分けた先が、ウルティマの最も深いところに触れる。
 それに気が付いた奈緒は全身の力を振り絞って、体を前に進め、孤独の玉座へと挑んだ。
 だが所詮はここまでの泥はウルティマ『以外』でしかなく、行く手を阻む前座でしかない。
 真に奈緒が相対すべき相手は、この奥であった。

「……っと」

 奈緒の体は、泥の充満した沼から自由に動ける空間に移ったことによって少し体制を崩しつつも、その場の地面に着地する。
 振り返ってみれば、先ほどまで進んでいた泥の沼は存在せず、奥行きのある風景が広がっていた。

 そして奈緒は物音一つしないこの静寂の空間を改めて見渡した。

「……遊園地」

 泥を抜けた先に広がっていたのは、実にありふれたアトラクションが備わった遊園地であった。
 離れた空には巨大な車輪。
 身の丈ほどの大きさのマグカップや作り物の艶を出す回転木馬を備えた円形幕。
 金属柱を組み上げたレールの上で静止したジェットコースターや海原に進みだすことなく左右に揺れるしかない海賊船。
 どこにでもあるような、その言葉を聞けば万人が想起するようなアトラクションが備えられた娯楽の園。

 だが現実の遊園地との差異があり、それは上空に広がる空が今にも落ちてきそうなほどの圧迫感を帯びた赤茶色であることだろう。
 赤く錆びた空と静止したままのアトラクション、そして不気味なほどに劣化していない設備の数々がこの地の静止を物語っている。

「ここが……あの子の心の中なのか?」


 ここはウルティマの泥の最奥であり、間違いなく不純物のないウルティマ自身の心象である。
 だがこの景色は人の内面というにはあまりに殺風景、かつ無機質だ。
 時間の止まった遊園地とこの世の物とは思えぬ空模様は、命を感じさせない荒廃の情景である。
 当然それが健全な心ではないことを表しており、ウルティマの闇であり病みの具現であったのだ。

「確かに……こんな風景はまともじゃない。……だけど」

 しかしこの殺風景な遊園地に対して、奈緒はもう一つの感情を抱く。
 それはある意味当然であり、慣れ親しんだものであったため奈緒自身も素直に受け入れられた。

「ここは……あたしが知ってる場所だ」

 ここが現実のどこかだということは奈緒にはわからない。
 だがこの風景が奈緒にとって非常にデジャヴを感じるものであり、そして探し求めていた風景でもあったのだ。

『……だれ?』

 奈緒が再びこの風景をじっくりと見渡そうとしたときに掛かる一つの小さな声。
 その声に導かれるように奈緒はその方向へと視線を向ければ、そこは歩道のど真ん中に不釣り合いな玉座があつらえられている。

『……あたしいがいのだれかなんて、はじめて……』

 この場に不釣り合いな玉座の中心、そこにはさらに不釣り合いな小さな少女が座っている。
 その少女の手足は細く痩せこけ、身に纏うぼろきれの様な黒いワンピースはその豪華な玉座とはあまりにも似つかわしくない。

 そしてその顔は、今の奈緒をそのまま幼くしたかのようなものであった。


「なぁ……君の、名前は?」

 奈緒は突如として現れた少女に内心驚きつつも、平静を保ちながら名を訪ねる。
 目の前の少女は、先ほどまで戦っていた蛇頭の主と寸分違わぬ姿をしており、この少女こそが泥の汚染を抜きにした真の意味での心であろう。

『……なお。かみや、なお』

「そっか。奇遇だな。あたしの名前も奈緒っていうんだ」

『おねえちゃんも、……なお?』

「ああ、よろしくな」

 その名を聞いた奈緒は、これまでの確信が断定へと変わる。
 紛れもなくイルミナティがウルティマ・イーターと呼ぶ『カース』の正体は神谷奈緒そのものであることをだ。
 だが奈緒にとっては、自分が神谷奈緒であり、目の前の少女も神谷奈緒ではあるが違う『自分』であると認識する。

(あたしは、LPさんたちに救われた。暴食に飲まれることなく耐えて、きらりによって浄化されて、そして平穏を手に入れた『神谷奈緒』だ。

だけどこの子は、耐えられなかった。飢えに、苦痛に、孤独に。

もしかしたら耐えたのかもしれない。我慢もしたのかもしれない。だけどそれでも助けに誰も来なかった。

……いや、もしかしたら意図して壊されたのかもしれない)

 そんな嫌な想像をした奈緒は奥歯を噛みしめる。
 未だこの世界のどこかであの非人道的な実験が行われていると考えると無性に許せなくなってくる。


(とにかく、この『あたし』は耐えられなかった。だから飢えに飲まれて。

孤独を凌ぐためにあらゆるものを食べるだけの怪物に堕ちたんだ)

 同じ『奈緒』でもネバーディスペアの奈緒は持たない髪の毛から成る捕食器官と、あらゆる膨大な攻撃の質量。
 浄化されたことによって精神的なリミッターを手に入れた奈緒に対し、ウルティマにはそういったリミッターは存在しない。
 故に常に暴走することによって、一人で4人もの能力者を相手取れるような怪物となったのだろう。

『ねぇ、なおおねえちゃん』

 思想にふける奈緒に対して、少女から小さくか細い声がかかる。
 その声に反応して奈緒は再び視線を向ければ、ウルティマがその濁った視線を奈緒の方へと向けていた。

「ん……?なんだ?」

『おねえちゃんはどこから来たの?だって、ここにきたひとは、はじめてだから』

「ここに来たって……今まで誰にも会ったことないのか?」

『うん。あたし、ずっとひとりぼっちだったから。ほかのひとみたことないの。

あれ?……『ほか』ってなに?あたしいがいってなんだっけ?

……まぁ、いっか。いいよね。なおおねえちゃん』

 この少女の言動に違和感を覚える奈緒だったが、向けてくる笑顔に奈緒は答える。

「ああ、あたしは外から来たんだ」


『そと?とおいところなの?』

「まぁ……ちょっと遠かったな。でも、大した距離じゃないさ」

 奈緒はウルティマを警戒させないように柔らかい言葉で話すが、それでも内心は戦慄していた。
 目の前の少女は年相応の笑顔で奈緒に語り掛けてくる。だが決してその笑顔は正常ではない。

 濁った瞳は見つめられるたびに不安に駆られるし、長い間動かさなかったであろう表情筋によって構成される笑顔はあまりにもぎこちない。
 すべてがその場で繕われたような表情であり、中身である人格というものを感じさせない、文字通りの『からっぽ』であった。

 奈緒はそんなウルティマに若干の恐怖を抱きながらも相対する。
 それは彼女自身が、この闇から目をそらしてはならないことを知っているからだ。
 ありえたかもしれない自分の姿から目を離してはいけないと、そしてその上で次は自分がこの少女を闇から救うのだと。
 かつて自分が救われた時のように。

「なぁ、奈緒ちゃん。ここは寂しいだろ?」

 奈緒は自分の名前で相手を呼称することに若干の気恥ずかしさを感じるがそこは堪えて、ウルティマと対話する。
 この殺風景な遊園地の真ん中で、永遠に空腹にあえぐ少女を連れ出すために。

「誰もいない。空は暗い。遊園地は動かない。こんな何一つない世界にたった一人で閉じこもるのは辛くないのか?」

『……うん。さみしい。くるしい。だれもいなくて、からっぽだから、あたしはずっとおなかがへってるの』

「ああ、そうだろうな。あたしも前に、寂しくて泣きそうで、ずっと満たされなくてお腹が空いていた」


 奈緒が思い返すは研究所での牢獄の生活。
 暴食の核が訴える激烈なまでの空腹は、もともと満たされぬ奈緒にとっては永遠に続く地獄の苦痛そのものであった。
 だがそれ以上に辛かったのはその誘惑に負けて、だれかを自分に入れることだった。

「だけどあたしは我慢した。だってそれで食べちゃっても、それはあたしとは違うし、見えなくなってしまうから」

 これまでに取り込んだ生命体が、それ以降奈緒の目の前に現れたことはない。
 自分の中にいることはわかっても、それで自分に語り掛けてくれるわけでもないのだ。
 ただ一緒にいるだけで、目も合わせず、口も利かず、依然自らの孤独は続くのだ。

「だから、ここにいたって絶対に空腹は満たされない。だから!」

 奈緒は玉座の少女に向かって手を差し伸べる。
 この暗く深いたった一人の王国から、自分と同じ少女を連れ出すために。
 暗い水底にいた自分が、今度は同じ少女を底から引き上げるのだと。



『だいじょうぶ。……これからはさみしくないよ。なおおねえちゃん』

 だが奈緒が踏み出した足は進まない。
 一切動かぬ足はまるで地面に縫い付けられたようであり、冷たい何かが這い上がってくる違和感に思わず奈緒は足元を見る。

「なっ!?……これは、泥!?」


 奈緒の足を縛り付け、ふくらはぎへと這い上がってくるのは彼女自身慣れ親しんだ黒い泥であった。
 そしてふと周りをよく見れば、歩道全てが氾濫したように泥が充満している。

『ダレカキタ』

『ボクラノホカノダレカガココマデ来ルナンテハジメテダ』

『ナラワタシタチデ、カンゲイシナキャ。ヨカッタネ、ナオ。オトモダチガフエタヨ』

『『『ヨウコソ。カンゲイスルヨ。アラタナ同胞ヨ』』』

 そしてこの場に響く、幾重にも重なった何百もの同じ言葉の斉唱。
 メリーゴーラウンドやコーヒーカップ、バイキングやジェットコースター。
 ありとあらゆる遊園地を構成する物質から奈緒は視線を感じる。

「ホント……まさに退廃の園ってわけか」

 これらすべてを構成するのは、奈緒の泥に溶け込んだ百獣と同様、ウルティマの眷属であろう。
 そのすべてが主であるウルティマを含め足を引っ張り合い、地獄に止め、地獄を成している。
 この醜い足の引き合いによって成されたこの遊園地を退廃の園と言わずになんと形容できるだろうか。

『あたしと、なおおねえちゃんもずっとここでいっしょだよ。

なおおねえちゃんは、あたしをひとりにしないよね?

あたしはここから出られないんだから、おねえちゃんがあたしをみたしてくれるのでしょ?』


 そしてその獣たちの斉唱は少女には聞こえていない。
 どうやら徹底してウルティマの眷属たちは、自らの主を孤立させ続けるつもりなのだろう。

「くそっ!奈緒ちゃん!あたしの手を取れ!

一緒にここを出るぞ!ここの連中は、誰も奈緒ちゃんの味方じゃない。このままじゃずっと一人だ!」

 奈緒は足に絡みつく泥を振り払おうともがくがその抵抗は全く意味をなさない。
 それでも足が動かないのならば、奈緒は玉座の少女に向けて手を伸ばす。

 その手の距離は少女へは未だ遠い。だが奈緒は届かぬ手を伸ばすことに躊躇いはない。
 必要なのは少女自身がこの地獄から出ようとする意志だ。
 ウルティマが自身の意思でその手を取ろうとするだけで、奈緒は彼女をこの心の最奥から引き上げることはできるだろう。

『……なにをいってるの?おねえちゃん』

 だが当の少女は差し出された手を訝しげに見つめる。
 ウルティマには差し出された手の意味は分からず、そして奈緒が何を言っているのかも理解できていなかった。

『出るってどこに?ここいがいの、どこにいくの?

ここいがいに、『どこか』なんてないでしょおねえちゃん。

『そと』ってここの『どこか』のことでしょ?』

 そもそもウルティマにとって『外』の概念すら知らないものである。
 この遊園地こそがウルティマの世界であり、たった一人の孤独こそがウルティマの既知なのだ。
 これまでに人々を襲ってきた捕食の髪も所詮は目隠し状態で手を伸ばしたに過ぎない行動である。
 そこに意識などなく、それはただの反射行動だ。

 それもそのはず、当の本人は誰の声も光も届かない錆色の空の元で孤独に完結しているからである。


『だから、ずっといっしょだよ。なおおねえちゃん。

ふたりでいっしょに、あたしとずっとあそぼう?』

 ゆえに、初めて対面した他人であり、孤独を埋めてくれる存在かもしれない奈緒を絶対にウルティマは離さない。
 堕ちるところまで一緒に堕ちようと、泥の拘束は奈緒へと這い上がって行く。

「……く、くそ。これじゃ……これじゃダメなんだよ!奈緒ちゃん!」

 きっとウルティマには奈緒に這い上がる泥の眷属は見えていないのだろう。
 だが少女の堕落の願いは、その視界には見えない泥たちの後押しを無意識のうちに行っていた。
 仮に泥たちが奈緒を完全に飲み込んだ後には、ウルティマを再び孤独にするために奈緒を取り上げるのだろう。
 だがウルティマはそんなことに気付かず、ただただ奈緒を束縛したくてその濁った瞳をギラギラと輝かせる。

「ここじゃ、ダメなんだ!……こいつらと一緒じゃ、絶対に、お前は幸せになんてなれないから、だから!」

 奈緒の周囲に見える足を引き合う獣たちの宴は、慣れているはずの奈緒にさえ吐き気を催す醜悪なものだった。
 その渦中で生贄として祭り上げられた少女を説得しようとしても、決して声は届かない。

『あはは!なおおねえちゃんは、ずっといっしょだよね!

これからいっしょにあそぼう!あたし、あのメリーゴーラウンドにのってみたかったの。

ジェットコースターはこわかったけど、おねえちゃんといっしょならきっとだいじょうぶだから。

かんらんしゃにふたりでいっしょに、ずっとぐるぐるまわるのよ!きっと、とてもたのしいよ!

ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと!』


 いくら奈緒が強靭な意志をもってこの領域に乗り込んだとしても、この世界の主はウルティマである。 
 その心象風景に踏み込んだ時点で奈緒はアウェーであり、胃袋の上に乗っているも同然なのだ。

 たとえ奈緒が抵抗を試みたとしても、大海に一滴落とされたに等しい奈緒という存在はすぐに飲み込まれてしまうはずである。

「ダメだ……絶対に、これじゃダメなんだ。

これじゃ誰も救われない。誰も幸せになんてなれない。

……だったら、あの子には何が届く?『私(あの子)』がここから出る理由は、なんだ?」

 すでに奈緒の半身は泥に沈んでおり、全く身動きはとれない。
 それでも奈緒は思考を巡らせて、少女に手を伸ばすことを諦めていなかった。

 このままで乗り込んだはずの奈緒の側が、ウルティマの泥に飲まれてしまうだろう。
 もしくは奈緒自身が泥に対抗するために自らの『泥』をさらけ出せば、五分には持っていけるかもしれなかった。

 だが決して奈緒はそれはしないだろう。
 それはウルティマの世界を犯すことであり、少女の自我を崩壊へと道ぶくかもしれない危険な行為だ。
 ウルティマを倒すという目的ならば、心臓部であるこの世界を壊せばそれで済む話。
 だが奈緒の目的は倒すことではない。奈緒は小さく、泣き続ける少女を救いに来たのだ。

 それはウルティマに自らの姿を投影した自愛の感情であったのかもしれない。
 自分を救ってくれた誰かの姿を真似したいだけなのかもしれない。
 その気持ちは純粋ではないエゴなのかもしれない。


「そんなことは……わかってる。

この子を救いたい?それはあたしの傲慢かもしれない。同情かもしれない。

だけど……この気持ちは本物だ!あたしは、誰よりも、この子を救いたい!

こんな苦しい姿、これ以上みていられるかぁ!」

 奈緒は這い上がってくる泥を声を上げて振り払う。
 それは自身の泥を使った攻撃でも、異能の力も用いていない。
 奈緒自身の意志力であり、それが纏わりついていた後ろ向きな感情の塊である泥を弾いたのである。


「そうだ。理屈なんて知らない。

あたしは難しいことは考えられないし、何が正しいなんて知らない。

だけど、この手を伸ばすことだけは、絶対に間違ってなんて、いない!」


 以前奈緒の半身は泥に埋まったままである。
 だがその脚は固着しておらず、確実に地面を踏みしめ少女の元へと歩みを進める。


『ナンダ……コレハ?』

『シラナイ。ワタシタチハ、コンナノシラナイ!』

 周囲の泥たちの視線が驚愕の物に代わる。
 決して我らの泥は狙った獲物を逃がすことはないという確信が崩れ、意味の分からない力によって異物が尚も邁進することに眷属たちは驚愕を禁じ得なかった。
 全力で泥に沈めようとしている奈緒は、決して沈むことなく、それどころか拘束を振り切り歩みを進めているのだ。
 そしてそこに理屈など存在しない。あるのは奈緒以外に、この場の誰も持ち合わせていない感情のみであった。

「難しく、考えすぎなんだよ。まったく、どいつもこいつも暗いって」

 奈緒は困惑する泥たちを横目ににやりと笑い、一つの建物を視界に入れる。
 それは遊園地によくあるキャリアカー式の売店であり、小さなグッズと共に私用であろうカレンダーがかけられている。

「……9月16日。ああそうだ。この日だよ。

パパとママ、3人で遊園地に行ったのは、ちょうど7歳の誕生日だ。

すっかり忘れてたな。あたしも……お前も」

 奈緒の視線の先は楽しそうに笑うウルティマの姿。
 だがその笑顔は空虚であり、きっと在りし日の幸せさえもすでに忘れ去っているのだろう。

「でも、無くしてはいないはずだよな。だってそれは、あたし『たち』の幸せそのものだ。

それに思い焦がれる限り、あたしは絶対にあたしをやめたりしないんだから」


 奈緒が焦がれるものはあの日の幸せであるならば、当然ウルティマにとってのそれも同じである。
 奈緒にとっての幸せの基準がそれであり、記憶から忘れようとその価値観は決して一度も揺らいだことはなかった。

 いつもはこの風景は夢で見るだけで、奈緒自身に情報を持ってくることはできなかった。
 だがあくまでこの風景は『他人』のものだ。その9月、自身の誕生日を示す手がかりによって記憶がよみがえることは何ら不思議ではない。

 奈緒にとっての答え、ならばウルティマにとっても同じ答えだ。
 ゆえに、奈緒は最後の一歩を踏みしめる。

「奈緒ちゃん!」

 ウルティマはいつの間にか眼前まで迫ってきていた差し伸べられた手に、ようやく我に返る。
 依然濁った視線で奈緒を貫くが、そこにははっきりとした意思があった。

『おねえ、ちゃん?どうしたの?』

「一緒に、外に出よう!」

『だから……『そと』ってどこ?おねえちゃんは、やっぱりあたしをおいてどっかにいっちゃうの?

そんなの……そんなのは』

 奈緒の言っている意味が分からないウルティマは、悲痛な声を上げる。
 せっかく独りぼっちじゃなくなったのに、また孤独になるのではないかという恐怖に怯えていた。
 だが奈緒はそんな不安そうな少女に向けて、ゆっくりとほほ笑んだ。


「一緒に、パパとママを探しに行こう。

そしてもう一度、遊園地に行こう!」

 錆色の空に、亀裂が走った。
 思い浮かべる風景は、いつかの自分の誕生日。
 両親が連れて行ってくれた遊園地。『奈緒』の幸せの原点であり、間違いなくずっと追い求め続けていたものだった。

『パパ……?ママ……?

……そうだ。あたしには、パパとママがいる。

でも、どこ?……どこなの!?パパ!ママ!』

 その濁った瞳に光が宿る。
 ずっと忘れていた、『神谷奈緒』の記憶。
 それを取り戻した少女の声は、迷子の子供のように泣き叫ぶようではあったが、間違いなく中身のあるものである。

「パパとママはここにはいない。

だけど、必ずこの世界のどこかにいるはずだ」

『……この世界の、どこか?』

「ああ、この奈緒ちゃんの世界じゃない。もっと広い、みんなが暮らす外の世界に。

外に出よう。そしていっしょに探そう、パパとママを」


 奈緒の耳に聞こえてくるのは少女を閉じ込めていた泥たちの断末魔の叫びだ。
 足元に纏わりついていた泥たちはすでに引いており、錆色の空の亀裂からは光が差し込んでいた。
 それは紛れもなく、この閉塞した世界の崩壊であり、ウルティマの意識がこの閉じた世界の『外』に向いたことを示していた。

『あたしも、探す!パパと、ママを!』

「そうだな。いっしょに探そう。あたしたちのパパとママを。

……そうだ、あたしの記憶、思いを、それらをくれた人たちを探さなきゃ」

 迷いは今晴れた。
 少女を孤独に祭り上げるだけの閉塞世界は今終焉を迎える。
 その最後は光に満ちているものであり、動くことのなかった観覧車が回り始めていた。





 





『アアアアアアア『アアアア『『アアアア』アアアアア『アアアアアア!!!!』

 幾重にも折り重なるような不協和音となった雄たけびはまるで断末魔の叫びであるかのようだ。
 溢れ出す泥の洪水は追い立てられるかのようであり、暴食の竜頭は力を失い泥へと帰っていく。
 ウルティマの髪はもとの毛量に戻り、泥は足元から逃げ出すように止めどなく溢れ出している。

「うお、らあぁ!」

 それと同時にウルティマの足元の泥から飛び出す一つの影。
 濁流に流されるように這い出てきた奈緒は、待機していた仲間たちに号令をかけた。

「あとは、任せた!」

『おうとも。その言葉を待っていた!』

 アイユニットから響く軽快な夏樹の声。
 すでに準備は万端のようで、スピーカーの先では何かの物音がする。

 そして天井付近に開く黒い穴。
 それは夏樹のワープホールであり、その中から一つの影が落下してくる。

『だりー、大一番だ!練習の成果を見せてやれ!間違ってもヘマすんなよ』

「わかってるよ。ここで決めれなきゃ、クールが廃る!」


 落ち行く影は声帯装置が元に戻り、完全に李衣菜である。
 その手には専用のエレキギターであり、シールドの先は自身へとつながれていた。

『聴かせてやれだりー!お前のロックを、このナンセンスな獣たちによ!』

「おっけー!イッツ、ロックン、ロールゥ!」

 ギターから力強くかき鳴らされるパワーコードは拙くも心臓を響かせる波長を放つ。
 李衣菜自身につながれたエレキギターは、体を伝わって電気信号が増幅され、ロビー全体へと爆音が行き渡る。

「Yeaaaaaaaah!!」

 李衣菜のシャウトと共に響き渡るメロディーは、決して難易度の高い高度な曲ではなかったが、聴く者の心に響く魂の曲だ。
 その音響は、ソニックブームに近い衝撃を生み、逃げ惑うように這い出てきた泥たちの一切を弾き飛ばし、消滅させていく。

 泥は弾かれ、もはやウルティマを阻むものは精神的にも物理的にも存在しない。
 そこまでの道のりは既に一直線に開けており、ゆっくりと歩いていくことさえ可能であった。

『あ……あぁ……』

 小さく、呆然と立ち尽くすウルティマ。
 その心の枷は断ち切りはしたが、未だ身体は飢えと呪いに侵されたままであり、心は現実に追い付いていない。

 だからこそ、その呪いを浄化し、癒してやる必要があるのだ。

「もう、大丈夫だにぃ」


 きらりは立ち尽くす少女にゆっくりと近づき、そのまま抱きしめる。
 その体は小さく、きらりの大きな身体に収まってしまう
 感じる体温は冷たく、強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどに細い。
 故にその抱擁は優しく、ゆっくりとぬくもりを伝えるように穏やかであった。

「これから、きっとはぴはぴになれるように、きらりがはぐはぐしてあげりゅね!」

『……はぴ、はぴ?もう……ひとりじゃないの?もう、くるしくないの?』

 体に伝わってくるこれまでに感じたことのないぬくもりに、ウルティマの力は自然に抜けていく。
 これまでに抱えていた飢えも、苦しみも嘘のように消えていくのを実感していた。

「そうだにぃ。これからは、おねーちゃんたちがいっしょだよー☆」

『あった、かい……うぇ、うええええええええぇぇん!!』

 少女はきらりの腕の中で年相応に泣きじゃくる。
 すでに周囲一帯の泥は完全に蒸発しきっており、地獄は完全になくなっていた。
 破壊しつくされた同盟本部のロビーには光が差し込み、静かに少女を照らし出している。



 



***


「うそだろ……そんなことって」

 奈緒は重々しく口を開く。
 隣の瓦礫の上では、ウルティマ・イーターと呼ばれた少女が臥せっていた。
 その表情はきらりによっていったんは穏やかになったものの、時間の経過とともに苦しそうに曇っていた。
 息は浅く、吸うだけでも苦痛に顔を歪めている。

「嘘じゃ、ない。おそらく、その少女は長くは持たないだろう」

 ウルティマは長くは持たない。
 そう断言するのは、ネバーディスペア直属の上司であるLPだ。
 あの研究所の研究を知り、今のウルティマの状況を見たうえでの判断であった。

「どういうことだよ!?だって、この子はやっとあの苦しみから解放されたはずだ。

もう、この子は自由のはずだろ?だったらどうして、長くないなんて言うんだ!」

 命がけで救い出し、苦しみから解放された少女を前に、奈緒は激昂する。
 まるでその行いが無意味であるかのように否定され、打ちのめされたような気分である。

「おそらく、この子は奈緒のクローンだ。

あの研究所からどうにか遺伝子サンプルを持ち出して、培養したのだろう。

再び、あの悪夢を再現できるように」


 奈緒は確かに兵器として完成はしなかったが、十分な可能性を秘めた研究対象であった。
 あの規模の研究が行われていた以上、多くのスポンサーが出資し、期待をかけていた研究であったのだろう。

 だからこそただでは失敗できなかった。
 どうにかして手に入れたサンプルから研究を復活させて、その計画を完遂させようとどこかの誰かが企んだのは明らかであった。

「だが、言ってしまえば奈緒は偶然に偶然が重なった奇跡の様な存在だ。

それを遺伝子だけで再現しようなど、そもそもが不可能だった。その結果が、この子なのだろう。

凶暴性こそ高いが、生産性が悪く不安定。おそらく長期運用は想定されていない、いわば使い捨て――」

「LPさん!」

 LPが言い切りそうな時に奈緒の静止が入る。
 確かにLPの言うことは真実かもしれないが、それでもその先をいうことはあまりにも非情すぎた。

「すまない。失言だ。とにかく、その子はある意味その『暴食』によって強引に不安定にさせることによって逆に安定させていたのだろう。

強い歪みによって、生命維持にかかわるような致命的な歪みを補正したといってもいい。

だから、その歪みが正されてしまえば、本来の歪みが表出するのは明らかだ……」

「それは……どうにかならないのかよ?延命とか、治療とかは、無理……なのか?」

「それは、無理だ」

 LPの絞り出すような声が、奈緒に深々と突き刺さる。


「この生来の歪みは、いわば体が頑丈だとか、貧弱だとかの生来的な部分につながっている。

奈緒は確かにきらりの浄化に耐えて、理性を取り戻した。

だがそれは奈緒の体が丈夫だっただけで、この子ではきっと耐えられなかった。強すぎる光は小さな影をかき消してしまうだろう。

苦しみはこの子を生かしていたが、苦しみから解き放たれればこの子は生きてはいけない。

なんて……因果だ」

 LPは苦々しく息を吐く。
 仕事柄、反吐の出るような輩は大量に見てきたし、悲惨な境遇な者もLPは多く見てきた。
 だからこそ、このように恵まれなかった生まれの子供だって見たことはあり、そしてそのまま死んでいったことだって見たことないわけではない。

 だが、それは仕方ないと良しには出来ない。LPはこういうときいつも無力感に苛まれる。
 そもそもがネバーディスペアのような存在のほうが少数派なのだ。踏み込んだ時には手遅れであることは嫌というほど目にしてきた。

「一応、連れて帰れば多少の延命、できて数時間程度だがやれないことはないだろう。

それか、楽にしてやることも一つの選択ではある。これは奈緒が決めてくれ」

 LPのその言葉に奈緒は反応せずただじっと地面を見つめている。
 LPの後ろにいる他の面々も、静かに押し黙っていた。

「今回、お前たちはよくやったよ。

この1階ロビーにおいては死者は出なかったし、一人の少女を苦しみから救ってやれたことは事実だ。

これは、誇っていいことだとも」


 奈緒たちにとってこの言葉が所詮は気休めにしかならないことはLPも重々承知である。
 だがそれでも、何もできなかったLPにはただ労ってやることしかできないのだ。

「なぁ……LPさん」

 そして、奈緒がまっすぐLPを見据える。
 LPの方も、奈緒の目をしっかりと見て、その決断を見届けることを決めた。

「LPさんは、この子は助けられないといった。

全くその通りだよ。意気揚々とこの子と約束して引っ張り上げてきたのに、これじゃ裏切りだな……」

 奈緒は小さく横目に少女を見る。
 確かにその表情は苦しそうではあるものの、錆色の空の下で見た空っぽの表情と比べて実に『生きている』。

「だから、あたしに任せてくれないか?

あたしの言った手前だからさ。最後まで、責任持たなくちゃ」

 LPを見据える奈緒の視線に迷いはない。
 そんな瞳を見て、きらりと夏樹は理解して踵を返す。

「ん?どういうこと?」

「だりー。ここは空気を読めよ。きっとこの先は、見られたくないはずだ」

 そして残ったのは、LPと奈緒、そしてウルティマの3人。
 最後にLPは奈緒に最終確認をするように問いかける。


「それでいいのか?それは人の人生をひとつ背負い込むことと同じだ。

決して生半可なものじゃない。いつか後悔する時が来る。自分だけの物じゃない自分の人生はロクなのものじゃあないぞ」

 LPでさえも、誰かの人生をすべて背負い込むことはできない。
 たしかにネバーディスペアの4人の後見人として世話をしているが、すべてを受け持ったわけではない。
 所詮は個人個人の人生。いつかは独り立ちする時もくるのだろう。

 だが奈緒がしようとしていることは、死にゆく者の骸を背負い続けることだ。
 その重荷は決して手放せず、いつかその重さに押しつぶされるかもしれないのだ。

「確かに、簡単じゃない。だけど、今更一人増えたところで問題ないよ。

もうとっくに、あたしのなかは大所帯だ。あたしは一人じゃない。だったら、この子も一人にしておけない」

「奈緒……お前、『気づいて』いるのか?」

 LPは奈緒のことを残った研究資料からある程度知っていた。
 だからこそ奈緒の言っている意味が分かるし、そしてこれまで奈緒がそれに気づいていなかったことも知っている。
 だがその事実はまさしく重荷だ。知らないのならば知る必要はないし、できれば知らないほうが幸せであった。

「気づいているかはとにかく……なんとなく感づいてはいるよ。

会ってはいないけど、そこにいつもいる気がするから。

……まぁそれに、この子と約束もしたから。父さんと母さんを探すってさ」

「……その先は、茨の道だ。

決して明るくはない上に、破滅をもたらすかもしれない。それでもか?」


「いいんだよ。全部あたしの記憶だ。そして、全部あたしだ。

元よりあたしが背負い込むものだ。今更重いなんて言わないよ」

 その言葉を聞いて、LPは諦めたように、それでいて満足したように小さく笑う。
 そして同様に踵を返して、この場を後にしようとする。

「わかったよ。だけど、困ったことがあれば言ってくれ。いくらでも相談に乗るよ。

私たちは家族、だろう?」

「…………はは。もちろん。ありがとなLPさん」





 この場には奈緒とウルティマと呼ばれた少女の二人だけとなった。
 奈緒は腰を下ろして、ウルティマの隣でその髪を小さく撫でる。

「奈緒ちゃん」

「……なお、おねえちゃん?」

 息も絶え耐えながらも、ゆっくりと目を開けた少女は奈緒の方を不安そうに見る。
 そんな不安を和らげるように、奈緒は優しく笑って少女を見下ろした。

「ああ、お姉ちゃんだ。

これからは、お姉ちゃんがずっと一緒だ。奈緒ちゃん。

それでも、いいか?」

「……うん。なおおねえちゃん、すきー」

「ああ。ありがとな。奈緒。

絶対にパパとママを一緒に見つけよう。約束だ。

だから、今はゆっくりと、おやすみ」




 泥の沈み込むような音を最後に、その場には奈緒だけが残る。

「前に、進もう」

 よりいっそう濃くなった泥をその身に宿し、奈緒は差し込む日の光へ視線を向けながら仲間の元へと歩みを進めた。




 


Ultima Eater(ウルティマ イーター)
奈緒のクローンで、再現に失敗したものの兵器としての側面を発展させた猛獣。
暴食の能力が強化されており、髪の毛を捕食器官として自在に操ることができる。
もともと志希の父親であるイチノセ博士が研究素体として残していった奈緒のDNAを用いて誕生したが、資料が現存していないためほとんど再現できていない失敗作であった。
そこに一時期研究を隣で見ていた志希が調整を加えたことによって生命活動には支障がない程度の安定性が備わった。
精神年齢は奈緒の6歳の時で固定されており、無邪気で本能に忠実である。

最終的に安定性を保つために強化された暴食の能力を失ったために消滅しそうになるが、奈緒が自身の意志で泥の中に取り込んだため、今は奈緒の中で眠り続けている。

以上です
初めから結末は決めてたとはいえ、我ながらなんだか後味悪いなぁ……

ネバーディスペア、APお借りしました。
残るはAP対くるみと、対ネクロス戦、ラスボスカーリーとの決戦とまだ書くべき内容が残ってます。

ほなまた……2か月後に(頑張ってなるべく早く投下します)

学園祭の舞台である学園敷地の端、すっかり冷えて枯れかけの花壇があるその場所、木の下で李衣菜と奈緒が通信機でLPと連絡をとっていた。

内容はもちろん触れただけで精神に干渉し、人々を狂わせる例のカースの件である。

李衣菜「つまり…そのカースの情報は殆ど無いって事で間違いないんですか?」

LP『ああ、前例がなくてな。先程交戦した際のデータも貴重なほどだ。すまないな、休日だというのにこんな事に巻き込んでしまって』

奈緒「いいんだよLPさん!あたし達だって被害者は出したくないし…」

李衣菜「それに、偶然性が強いというか、巻き込まれたってほどじゃないですからね。ところで、学園以外での目撃情報はあったんですか?」

LP『いや…こちらでは確認できてない。担当の者が他の組織へ連絡したり、様々な情報網でサーチもしているが、目撃情報は学園祭敷地内ばかりだな』

奈緒「そっか、じゃあやっぱりそいつらを生み出してる奴が敷地内にいる…のかな」

LP『類を見ないほど強力な精神に影響を与える力を持っているのだから恐らくは…そうだろうな、数も少なくない』

李衣菜「…この学園、厄払いしてもらったほうが良いんじゃないですかねぇ」

LP『あー…、そうだな…もう一つ、カースの情報がある』

奈緒「も、もう一つか…」

ただでさえ厄介なカースが居ると言うのにもう一つ。本当に大丈夫なのか?というニュアンスの返事が返ってくるのは当然とも言える。

LP『獣と人の中間のような姿のカースだ。こちらは以前から学園に居付いているらしくてな、目撃情報もそこそこある。だが、カースにしてはおかしなことに被害情報がない。精神的な影響も見つかっていないようだ』

奈緒「へっ?なんだそれ…ホントにカースなのか?獣人のカースドヒューマンとかなんじゃ?」

LP『そう言われても仕方ないとは思うんだが、反応は純粋なカースだ。…今回、そのカースが件のカースと交戦してるらしい。と言っても一方的に潰しているらしいんだが』

奈緒「…縄張り争いか何かか?」

李衣菜「それか、カースドヒューマンの配下で、水面下で動かされてるとか…うーん、ちょっと違う気がするな」

LP『理由は不明だ、だが結果的にか意図的か…そのカースに救われている一般人も少なくない。何か明らかになるまで、向こうが人を襲っていない限りは無干渉でいてほしい』

奈緒「了解…ところで、夏樹ときらりは来ないのか?」

LP『ああ…今のところ「ネバーディスペア」を動かすことができない。危険性こそわかったものの、あのカースの被害自体は今のところ極小だからな』

奈緒「嘘だろ?あんなにみんな逃げ惑ってたじゃんか…」

LP『そう思う気持ちもわかる。しかし現在、実際に被害はほぼ無い…』

李衣菜「ううん…いいんですよLPさん。『ネバーディスペアが動けない』っていうのは…まぁ、そういう意味なんでしょう?」

LP『……ああ、今日はカースのデータのやりとりの為にこうして通信しているが…本来ならば二人は管理局の組員として動かなくていい、休暇中なのだからな』

奈緒「…?………ん?……あ、ああ!そういうことか」

李衣菜「一応フリーだから、やりすぎなければ問題にはならない…そういう事ですよね?」

LP『それを断言をして良い立場ではないが…そうだな。可能であれば避けたい事だが、緊急事態になれば仕事だ』

李衣菜「それだけ確認できれば十分ですよ。私達に任せてください」

奈緒「…まぁ実際やることと言えば例のカースの出現原因の調査とかだよな、アイドルヒーローは来てるからあまり動いてもあれだし」

李衣菜「それも大事なことだから…難しいねぇ、大人の問題って」

LP『…すまないな』

奈緒「いやいや、これは誰も悪く無いって!」

李衣菜「カメラ無い所ならOKだったりしませんかね?」

奈緒「李衣菜も抜け道を探すんじゃない!決まったことなんだから!仕方ないんだって!」

李衣菜「冗談だってー、実際にするわけじゃないし」

LP『ははは…まぁ、無茶だけはしないでくれよ』

李衣菜「わかってますって」

奈緒「大丈夫だって!」

LP『…二人だから心配してるんだが…とにかく切るぞ。また何かあれば連絡してくれ』

李衣菜「了解しました」

LPが苦笑交じりに通信を切る。実際、二人は痛覚がないことや再生能力を持つことから突撃しがちであるから、この心配は当然である。

奈緒「それで…どこから調べる?」

李衣菜「親玉の居場所がわかれば楽なんだけど…全然わかんないや、とりあえず地図を…」

そう言って李衣菜はバッグから学園祭のパンフレットを取り出そうとしたが、その腕の動きは中断される。

奈緒「どうした?」

李衣菜「…下の方から音が聞こえてくる」

奈緒「んー…あ、耳を澄ませると聞こえてくるな、地震じゃないみたいだけど」

地下全体に響く重低音。それは怪人によって作られた地下迷宮が響かせたものだ。

まさに真下、足元から聞こえてきたその音は周囲がうるさければ聞こえないほどのものだったが、二人はそれを耳にした。

奈緒「なんだろ、地下に何か基地でもあるのか?」

李衣菜「なるほど、プールが割れて中からロボが…ってことじゃない気がするなぁ」

奈緒「だよな…?」

その音は怪人の生み出した地下迷宮の産声。そして、件のカースである『退廃の屍獣』によってその迷宮が人々を捕える凶悪なものに変化しているとは、まだ気づくことはできなかった。

時間は少し遡り、場所も少し変わる。

この日、蘭子とブリュンヒルデ…昼子は店の仕事が入っていなかった。当然、一般的な学生のように、学園祭を楽しもうとしていた。

昼子「しかし、今日はいつにも増して邪悪な気配がそこら中から感じ取れる…のんきに過ごせるほど我は腑抜けてはおらん」モグモグ

蘭子「たこ焼き食べながら言う台詞じゃない気がするけど…?」

昼子「フ…これは浮かれた人間共に紛れるための策よ……このタコ焼きというモノも美味ではあるがな」

そういう通り、二人はベンチに座り、屋台で夢中になりながら買った食べ物を味わいつつも、どこか浮かれきってはいない。

昼子「…ユズが帰ってこないのはそれほど珍しいことでもないが、この学園祭…先程も言ったが汚染された邪気を感じるのだ…嫌な予感がしてならん」

蘭子「昨日も一昨日も大騒ぎだったしね…ところで『汚染された邪気』って?昨日の事件みたいなカースとか悪魔とは違うの?」

昼子「それが…妙なのだ、カースの持つ負の方向の力なのは間違いないのだが…魔王の娘である我にさえ、悍ましさを感じさせるような…未知の力が働いている。断言はできんが、そういう意味ではカースや悪魔とは違うと言えるだろうな」

蘭子「未知の、力が…?前に見えた妖怪とか?」

昼子「あ、あれは…また違うだろうな…正直よく覚えてないのだ…ほんとに…」

蘭子「そうなんだ?」

昼子「我もまだ未熟故に詳しいわけではないが…邪気にさらなる負の力が加わっているのは間違いない」

蘭子「…じゃあ何なんだろう?その原因って」

この騒動で魔導書の力の影響を受けたカースが数を増やしている影響か、魔法の嗜みが有るものなら学園の敷地内で大なり小なり嫌な気配を感じ取れる程に邪気が漂っていた。昼子はそれを常人の何倍も敏感に感じ取り警戒していたのだった。

昼子「…ユズならばこの魔力や邪気を更に詳細を調べてくれるのだろうが…」

いつも忙しそうにしている従者は昨日から会えていない。二人は無意識に彼女のプレゼントである腕輪を見つめていた。

人間の錬金術士が作成したという、それぞれユニコーンとペガサスが描かれた一対の腕輪…ユズのプレゼントだ。

マジックアイテムではあるものの、この腕輪は戦闘用という事ではなく、何かの目的があって作られたものではない。

それと共に思い出す。魔法使いだ。魔力を持つ人間達が、魔力を持たない人間から隠れつつも生活に馴染ませるように発展した、攻撃性の薄い魔法。

魔族の生み出したものである魔術という概念にとらわれていたが、少し冷静に考えると、魔力の形は無限であった。

昼子「…魔力は使い手によっても姿を変える…あの邪気は……まさか…いやそんな馬鹿なことが…」

蘭子「どうしたの、何か思い当たることがあった?」

昼子「…思い出したのだ。魔族とはまた別の、旧き神々に連なる者達の秘術…封じられし禁術。魔力の形の一つとして、そういった物もこの世にはあった、とユズから習った記憶がある」

学んだ時…それはただの言い伝えの類だった。魔術の歴史を学ぶ中での小ネタ、遥か昔に消えてしまったもの。そういった扱い。

しかし、今のこの人間の世界は混沌とした世界。ほぼ絶滅したはずの竜族も潜み、人間にとってその「言い伝え」であったものが溢れた世界。

「ありえない」は有り得ない。昼子は数ヶ月の時を人間界で過ごすうちにそれを学んでいた。

昼子「『秘術』だ。何者かによって生み出されし旧き魔道書に記された、魔術の原型…。しかし、そのうちいくつかの魔道書は名だけは伝わっているものの、全て実物どころか写しすら存在するのか不明なのだそうだ」

昼子「原型と言われてはいるものの、記録には残っていない…故に魔族である我らから見ても実在するかどうかは眉唾であった」

ユズから教わっていた事を思い出しながら昼子は秘術について説明を続ける。

昼子「魔族唯一の閲覧者とされる初代魔王の伝承によれば、記されし文字や言語も魔界や人間界のものとは異なると言うが…我が半身ならその能力で読み取れるかもしれんな」

蘭子「それはちょっと気になるけど…でもどうして今の学園の嫌な気配と繋がるの?」

昼子「…これは可能性の話だ。実際に邪気の根源を突き止めぬことには始まらん」

蘭子「えっ!?」

昼子「フフフ…危険だ、と言いたいか?我らは以前よりも力を増した、わざわざ気配を避け、怯える弱者ではない!」

鞄から黒いローブを取り出しほくそ笑む。

蘭子「そ、それ…用意してたんだぁ…」

昼子「我はいかなる時も魔王サタンの娘であるからな、何かあった時の為の黒衣を用意するのは当然であろう」

蘭子「…なるほど?」

何かあった時、とは何なのか。それは精神年齢が人間換算で14歳の悪姫にしかわからない。

昼子「む?」

翼を広げ、宙を舞おうとしたまさにその時、彼女も地下から響く重低音を聞き取った。

昼子「感じたか?地の底から響く呻きを…」

蘭子「えっと、何か響いて来たのは感じたかも?」

昼子「それだけではない。その方角の魔力の流れが微かに歪んだのを感じた…禍々しい気配のモノが起こした現象かまでは判別できないが…事件の予感がするであろう?」

そこまで言うと昼子は蘭子の手を取る。

昼子「邪気の根源を空から探してやろうかと思ったが…騒ぎになっていないということは地下に潜んでいるに違いない。我が半身よ、行くぞ」

蘭子「大丈夫なの?もしかしたらユズさんの言ってた大罪の悪魔の罠かも…」

昼子「フフ…違うな。腐っても大罪の悪魔、わざわざ連日の事件で警戒度が上がっているこの場で、地響きを響かせてまで『罠』を用意するとは到底思えん」

その調子で手を引きながらズンズンと人混みをかき分け、人混みから離れた地下通路の入り口まで歩いて行けば、本来ならば無いはずの禍々しい扉がそこにはあった。

蘭子「あれ?通路の入口は閉める時はシャッターが降りるはず…扉なんてなかったような?」

昼子「ふむ…『地脈よ、その巡りを我が前に示せ』」

昼子が魔法の呪文を唱えると、地中に宿るエネルギーである地脈の流れを可視化した、無数の光の筋が足元から四方八方に伸びていく。

しかし、よく見れば扉の方へ伸びた光の筋は扉に触れる直前に掻き消えてしまっていた。

それを見た昼子は満足そうに魔法を解除する。

昼子「これこそが、地下に起きた異変の一端。この先は地下であるのに地脈すら断絶している…何らかの方法で空間ごと隔離されているようだな」

蘭子「それって、入ったら帰ってこれないって事なんじゃ…」

昼子「そうだな」

蘭子「…いくの?」

昼子「当然。ここの所、我は学園祭の準備やらで力を発揮できずにいた…まぁ、人間が巻き込まれた事件を解決しに行くのも悪くはないであろう?」

蘭子「巻き込まれたって…お、大げさだよ…」

昼子「何も知らないままこの扉を通った一般人が一人も居ないと言えるのか?」

蘭子「う、それは…」

昼子は連日の事件の際、他の生徒と同じように教室で待機していた事で鬱憤が溜まっていた。

そんな中、自由に行動できる日に目の前に『倒しても良い敵』の根城があるのだ。居ても立ってもいられない。

昼子「正直に、行きたくないと言えばいいではないか」

蘭子「だ、だって…怖いし…」

昼子「…我らと過ごしておいて言う事か?死神と魔王の娘だぞ?……まぁ魔族の中でも人間に外見が似ている方ではあるが…」

蘭子「それに…扉からして、怪物が潜んでそうというか…」

昼子「いや、これは魔法ではないと思うぞ。恐らく潜んでいるのは魔族や怪物ではなく人間、怪人の類だろうな」

蘭子「それでも…どうしても私も行かなきゃいけないのぉ…?」

昼子「……我は半身が居なければ攻撃魔法が使えない身……二人で居なくては我らは満足に戦う事もできぬ…」

蘭子「だから…む、無理に行かなくても…!」

意地でも迷宮に突入するつもりの昼子を、蘭子は止めることができない。

本当の姉妹のように仲良く暮らし、同じ部屋で寝て同じ時を過ごした半身の様な存在が、ここまで自分の意見を聞かないとは思わなかったのだ。

…と言うよりは、すっかり彼女が正真正銘の悪魔だという事が頭から抜け落ちていた。と言うべきだろうか。

昼子「…唐突だが、主従の契りを結んでいた事を忘れてはいないか?」

蘭子「ふえっ!?」

昼子「普段は同等の立場でいるものの…契約上、我は汝を自由にすることができる…わかるな?これが魔王の娘と契約した事による代償だ…」

蘭子「え、ええ…そんな…」

その天使のような可愛らしい微笑みは、蘭子からしてみれば正に悪魔のそれであった。

昼子「我が半身に命令するのは心苦しいが…行こうではないか、地の底へ!」

蘭子「い、いやあああ!!」

二人を繋ぐ固い主従の契約によって、二人は離れること無く扉の中へ入っていく。

扉は重く閉ざされ、迷宮は新たな客人の訪れを喜んだ。

魔王の娘とその従者。二人は果たしてこの迷宮から脱出できるのだろうか…。

・地下通路入り口に発生した扉から地下迷宮にブリュンヒルデと神崎蘭子が突入しました。当然ですが扉は一方通行です。

久々に投下できました…。
学園祭3日目、迷宮には蘭子&昼子が突入。念願の宇宙勢力(?)の怪人と戦えるかもしれない状況だからね、そりゃ突撃させるよね。

お待たせしましたorz
いろいろと時期を乗り逃してますが、やっと書き進められたので投下します。

憤怒の街の上空。

その上空には、一機の輸送機が飛んでいた

『ここが日本………日本?
 日本って、カースの被害がひどいのかしら?』

『隊長、あそこは憤怒の街と呼ばれる地域です
 あの残骸はカース大量発生の被害の爪痕であり………我々GDFの汚点でもあります』

『………ひどい有様ね』

『全くです』

そう言い交わす彼ら、あるいは彼女らが使う言語は英語。
英国GDFのエンブレムが付いた輸送機の中には、彼女らのほかに2人の兵士と―――
一人の黒い男がいた。

その黒い男が言う。

『………ふん。我も同じカースではあるが、こっぴどくやってくれたものよ。―――だが。』

そう言葉をつづけながらも、男の顔がにやついていく。

『カースに襲われたというのに、全体的にカースの力というものが異常に弱まっておるな
 それにあの樹はなんだ? すごく異質な力を感じるぞ?』

『樹? そんなのどこにあるというの?』

『貴様らの言うステルスとやらで隠蔽されておるが………この我の眼はごまかせんよ。
 そうだな、我が指を指す方に、その大きな樹がある。』

そういって、指を指す方を兵士たちは見たが、何も見えない。

それを受けて、兵士たちは推測する。

『ステルス………となると、意図的に見えなくしていると?』
『そんなこと可能なのか?』『いや、可能ではあるだろう。ウサミン星の技術を使えばな。』
『だが何のために?』『誰かに見つかるのを恐れたのか?』
『カースに襲われた街に樹が生えているというのも、変な話ではあるが………それを隠す意味はあるのか?』

真相はわからない。

『我にもわからん。 だが興味は沸いた。
 なので、今からそれを見に行こうと思うが―――』

そう言いかけた彼だが、傍らで座っていた女性が銃を向ける。

『勝手な行動は許さないわよ、カースドウェポン。
 我々が輸送任務中だってこと、忘れてないわよね?』

カースドウェポンと呼ばれた彼は、核に銃口を当てられながらも、不敵に笑う。

『忘れてはいないとも。
 だが、興味をそそられるのだから、仕方あるまい?
 それに―――』

『それに?』

『この輸送機の中で、我々が戦ったらどうなる?
 確かに主無しの我には、お前は倒せん。
 だが、抵抗するぐらいならばできるぞ?
 そうしているうちに、この輸送機はどうなる?』

『・・・・・・っ!!』

そう指摘され、銃口を下す女性。

『いいでしょう。
 ですが私は不本意ながらも、あなたの輸送を任された者。
 その私を連れていくことで、今回は手を打ちましょう。』

『許す。 我の伴をせよ。』

女性は不本意ながらも、その気持ちをぐっと抑えて命令する。

『パラシュートの準備を―――』

『その必要はない』

そういうと、黒い男は話していた女性の膝の裏を、左腕でひょいと持ち上げ、右腕で女性の背中を支える。

『!!?』

これはまさしく、お姫様抱っこの姿であった。

『なっ・・・なっ・・・・・・!?』

勝手に命令する黒い男、なぜかノリの良い部下、お姫様抱っこされる女性のGDF隊員。

かくして、輸送機のハッチは開けられた。

『ちょっ、ちょっと待ちなさいあなた達!?』

『大丈夫っすよ! 予行演習はバッチリなんで!』

『そこのカースドウェポンが傷一つ付かせず、地上まで送り届けてくれますので!!』

『まったく。 お姫様抱っこされながらのスカイダイビングなんて羨ましいですよ、隊長!
 ―――まあ、私もやったんですけどね。(遠い目』

そして、人の姿をしたカースドウェポンは、勢いをつけて輸送機の外へと飛び出す。

『いざ! 新たなる冒険の舞台へ!!』

それをサムズアップで、GDF隊員は見送った。

『ケイト隊長! お元気で!!』

『おーぼーえーてーろぉぉぉー!!!』

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憤怒の街にできた自然の中を、私たちが乗った車が進みます。

やはり街路樹の根っこなどが道にまで伸びていたりするためか、道がでこぼこしています。

「まあ、通れないほどではないな。少し揺れるが我慢してくれ。」

そうポストマンさんが言いながら、ゆっくりと車を進めています。

そして、私と凛さんは窓の外を見ていました。

「………ありえない。」と、凛さんが言い始めました。

「あの事件が起こってからそれなりに時間は経ってるけど、それでもこんなところに森みたいなのができるなんて、やっぱりおかしい。
どうやったら、こんなことになるの?」

「………カースの影響なのでしょうかっ?」

「たぶん………カースの影響ではないと思う。むしろその逆のような気がする。
でも、調べてみないことには何もわからないよ。」

そうして、物惜し気に外を見つめる凛さん。

「………土とか葉っぱの一部だけでもいいから持って帰れないかな?」

そういって、窓を開けて手を伸ばす凛さん。

「ちょっ、危ないぞおいっ!」

はぁとさんが助手席からこっちに向いて注意を促しますが、それを無視して、木から伸びた枝をつかみました。

雨が降っていたのか、葉の水滴などが凛さんの手にかかりましたが、ポキッという音とともに、折れた枝を手にしていました。

「………随分、無茶なことしますね………っ?」

「今の折れなかったら、腕持ってかれてたぞ☆」

「進むスピードもゆっくりだったし、引っ張って取れるような枝を選んだつもりだよ」

そうして凛さんは、取った枝葉をじっくりと観察します。

「見た目は普通の木の枝だね」

そういって、手の指で枝を回転させながら観察する凛さんでしたが………私は凛さんの足のケガに気づきました。

「あれ? 凛さん、足ちょっとケガしてませんか?」

「うん。さっき逃げようとしてこけたときにすりむいちゃって。」

「ああ、あの時ですか。私が手当てしますね」

そういって近くの救急箱を手に、凛さんの傷の手当をしようとしたとき、葉にちょっとだけついていた水滴が凛さんの傷口にかかりました。

「………えっ?」

「なっ………!?」

水滴がかかった凛さんのすりむき傷がみるみるうちにふさがっていきます。

まさに一瞬のうちに、凛さんの足のケガは跡もなく消えてしまいました。

「………」

凛さんは治った足をまじまじと見ています。

「何これ………」

「どういうことなんでしょうっ?」

「一体何の力が働いてこうなったのかはわからない。
 けど、この木の枝に溜まっていた水滴が傷口に落ちた瞬間、なんだか傷口から癒されてる感じなのかな?そんな感じがした。」

「そして、傷口が見る見るうちにふさがった………っ」

「明らかにカースの仕業ではないけど………予想外のものが出てきたね」

「おいおい、まじかよ☆」

はぁとさんが見るからに嫌そうな顔をしています………っ。

「普通こんなのがあったら、まずGDFのほうに話が上がってくるよね」

「ポストマン、どうなんだよ、おい☆」

「いや、そんなものがあるっていう話は聞いたことがない」

「じゃあ、気付かなかった……ってことはないよね」

「この森自体を見えなくしていたっぽいから、ね☆」

「ってことは、これ、GDFの機密情報?」

「その可能性はあるだろうが………一体何のためだ?」

「いや、ポストマンにわからないんだったら、はぁとにもわかんねぇよ☆」

と、そんな感じではぁとさん達が話している傍らで、チカちゃんがちょっと不思議そうな顔をしていました。

「どうしたの、チカちゃんっ?」

「………よくわかんない」

「………まあ、確かによくわかんないことばっか続いてたしな☆」

「そうじゃなくて………なんか変なの。
 ここはすごく気持ちがいいんだけど、ここにいたらチカの魔法が使えなくなっちゃうみたいなの」

「魔法が……使えなく………?」

それを聞いた凛さんが、また何やら難しそうな顔をして考え込んでいました。

「魔法を使うカース………? 確かにそういうのもいるかもしれないけど………。
この場合は、カースの力が使えなくなってるっていうことなのかな?」

「だとしたらこの森、カースの特効薬なんじゃ………っ?」

「でも、まだわからない………。とにかくこの枝を持ち帰って―――」

「おーい、ちょっといいか?」

そんな声と共に、はぁとさんが手を挙げていました。

「えっと………なに?」

「いやまあ、傷が治ったこととか、カースの特効薬とか、色々と疑問ではあるんだけどさ
――ーチカちゃんってカースなのかよ、おい☆」

・・・・・・・・・

『しまった………っ!!』

「ああいやまあ、そんな気はしてたけどな☆
そんで、お前らがそれを隠そうとしていた理由も何となくわかるぞ☆
はぁとが同じ立場だったら、同じことしてたかもしれないしな☆」

そして、一息ついたはぁとさんは正面に向きなおして、こう言いました。

「この森とか、チカちゃんのこととか、色々わかんない事がいっぱいだけどな♪
はぁと的には、こっちの敵でなければどうもしないし、味方なら歓迎するだけだぞ☆
な、ポストマン?」

そういって、ポストマンさんにバトンを渡したはぁとさんでしたが………

「―――チカちゃんがカースだってことが分からないおろか、勘づきもしなかった俺はどう反応すればいいんだ?」

「知るかバーカ☆」

………台無しです、いろいろとっ

『!? てんてーん!!』

凛さんのポケットからハンテーンさんの慌てた声が聞こえました。

「? どうしたの、ハンテーン―――!?」

みんなで覗き込んだ端末には―――目の前にカースの反応がありました。

「ポストマン! 目の前にカースがいる!!」

その瞬間、車の正面の方向から、何かが壊れたような大きな音が聞こえます。

「ああ、確認した・・・・・・! 建物の中から戦車だ!!
 くそっ! 待ち伏せされたか!?」

私達が乗る車の前には、GDFの戦車。

既に砲身は私達の車に向けていました。

そうして、悠然とした態度で迎え撃つ戦車は―――突然爆発しました!?

「―――えっ?」

一瞬、何が起きたのかわかりませんでしたが・・・・・・更に、

「フハハハハハ!!』

この高笑い。 一体何が起こったんですかっ!?

『さあついたぞ、ケイト。
 我と共に、憤怒の街の探索と行こうじゃないか!!』

そういう声が、壊れた戦車が巻き上げる煙の中から聞こえ、姿を現しました。

そうして出てきたのが―――まるで全裸な黒い男の人と、それに抱き上げられた軍服姿の女性でしたっ!?

そして男の人は、女性の方を下ろすと………

『なにするのよっ!!』

ああっ! きれいな右ストレートが男の人の顔面にクリーンヒットですっ!

そのまま女性の方がマウント体制っ! 右っ!左っ!右っ!左っ!!

「………」

あまりの展開に、私たちは呆然としていました………っ

「!?」

あっ、女性の方がこっちに気づきましたっ! そして、固まっちゃいました………っ

・・・・・・・・・

少しの沈黙の後、女性の方は、まるで何もなかったかのように立ち、服の埃を払うような動作をして笑顔を見せました

「………ハァイ!」

………また、おかしな人が増えましたっ!?

今回は以上で。
………なんだか、寄り道ばかりしてるな?orz
たぶん登場人物はまだ増えます。(新しいのはもう出ないとは思う)

憤怒の街の樹とかは、どこかの能力者3人組が作ったアレが元になってます。(お分かりかもしれませんが)
あと、英国GDFが運んでいたカースドウェポンについては、いずれ設定書きます。(ケイトも)
しゅがはさんについても、設定を付け足す必要があるかも? というか、ユウキちゃんもだ・・・・・・。

いろいろ考えだすと、止まらないねぇ・・・・・・

皆さん! 7月25日!!(挨拶)
いつものやつやります!

……ちょっと感想が溜まってますが
しばらく! 今しばらく!

今年もまたちょっと攻めた内容になってます
それでは行きます

藍子「ピィさんっ」
藍子「おはようございます、ピィさん」
藍子「朝ですよー、起きてくださーい」

――あぁ、藍子の声が聞こえる。
――とても穏やかで、優しい声だ。
――今日も幸せな気持ちで一日が始まる。

――毎朝こうやって起こしてもらう事にも慣れてきたが、
――やはり何度聞いても藍子の声は落ち着く。

――……即ち、眠気が加速するのだ。

ピィ「ぐぅ……」

藍子「もう、朝ごはんが冷めちゃいますよ、ピィさんっ」
ピィ「んぁ……」
――ゆさゆさと体を揺すられるが、むしろ逆効果だ。
――そんなに軽い力では揺り籠に揺られるがごとし。ぐぅ……。

藍子「えいっ、こちょこちょ~♪」
ピィ「んへはははっ」
――起きた。
――くすぐり攻撃は卑怯だ。

藍子「早く着替えてきてくださいね」
ピィ「あーい……」
――こ。

――……いや、何でもない。

――今日の朝食はトーストにベーコンエッグ、レタス、トマト。
――そしてコーヒー。

――うん、良い朝食だ。
――いかにも朝食って朝食だ。
――何より藍子の手作りっていうのが良い。
――毎朝これを食べられるのだから、本当に俺は幸せだと思う。


ピィ「いただきます」
藍子「いただきます」

――もぐ……。

ピィ「美味ぇ(美味ぇ)」
藍子「ふふっ、ありがとうございます」

ピィ「さて……、そろそろ出るか」
藍子「はいっ」

――朝食を終え、一息つくと出勤の時間だ。
――もはや『第二の我が家』といった感じなので、あまり”出勤”というイメージはないが、
――藍子と共に『プロダクション』へと向かう。

――俺はピィ。
――Pだ。
――プロデューサーだ。
――『プロダクション』のプロデューサーだ。
――みんな忘れてるかもしれないが、そこそこ偉い。 (※そもそも◆cKpnvJgP32がいつも忘れてる)
――描写されてないだけで、結構な量の仕事をこなしている。 (※多分)
――責任のある立場だ。 (※なんですよこいつ)
――だけど朝はのんびり向かう。
――別に重役出勤とかではない。

――――毎朝藍子と一緒に歩いていくこの時間を大切にしたいんだ。

ピィ(……というか、そもそも『プロダクション』には明確な出勤時間とか無いし)
ピィ(逆に、明確な退勤時間も無い)
ピィ(だから、夜遅くまで残ることも多いんだが)
ピィ(……)
ピィ(ひょっとして、うちの企業、ブラックなのん……?)

藍子「どうしたんですかピィさん? なんだか難しい顔をしてますけど……」
ピィ「いや、なんでもない……」


――本当は帰りも一緒がいいのだが。
――流石にあまり遅くなると、先に藍子を帰すことも多い。
――ただ、藍子一人だと多少不安……。

未央『ミツボシ』
周子『八つ橋』
沙理奈『セクシー』
――めちゃくちゃ安心だった。
――彼女たちのおかげで心置きなく居残りできます。ちくしょう。

――そうこうしているうちに『プロダクション』に到着。
茜「あっ! お二人とも!! おはようございますっ!!!!」

ピィ「あぁ、おはよう」
藍子「おはようございますっ、茜ちゃん」
――……朝一の茜ちゃんの食い気味な挨拶にも慣れた。

未央「おっはよ~。いやー今日もお二人はお熱いですなぁ」
藍子「も、もうっ、未央ちゃん!」
ピィ「お前なぁ……」

――藍子と一緒になってからというもの、
――未央はこうやって毎朝からかってくる。
――悪い気はしないが、こっちにはまだ慣れない。

ピィ「さて、と……」
――自分のデスクに着き、まずは今日の仕事を確認する。
――確か、そんなに量は無かったはずだ。
――『藍子と一緒に帰れるな』というようなことを考えながら、PCを立ち上げた。

――『プロダクション』の面子のスケジュール管理。
――他組織へのアポイント。
――諸々の雑務。
――と、こんなものか。

藍子「はい、どうぞ」
ピィ「ん、ありがとう」
―― 一通り確認が済んだところで、藍子がお茶を汲んできてくれた。

ピィ「今日は早めに上がれそうだよ」
藍子「じゃあ! 一緒に帰れますねっ」
ピィ「あぁ」
藍子「ふふっ♪」
――藍子は嬉しそうに微笑んで、その場を後にした。
――去り際に「やった♪」という小さな呟きが聞こえてきた。
――可愛い、天使か。

ピィ「そのためにも、さっさと終わらせないとな」
――藍子の入れてくれたお茶を一口啜り、早速作業に取り掛かる。
――よーし、ピィちゃん張り切っちゃうぞー。


周子(めっちゃウキウキしてる)
沙理奈(ラブラブねぇ)
未央「……」(黙ってうんうんと頷く)

――
―――
――――数時間後。


ピィ「終わっったー」
――これにて本日の業務終了!
――お疲れ様でした、自分。

――なんか一瞬で終わったような気がするけど、数時間経ってるのだ。
――とにかく、終わったものは終わったのだ。
――相変わらず描写はされないのだ。 (※ごめんなさい)
――ダイジェストでお送りしますのだ。

――まぁ、そんなことより……。

ピィ「よし、藍子。帰ろうか」
藍子「はいっ、こっちももう少しで終わります」
ピィ「おうっ」

――藍子は藍子でちゃんと仕事がある。
――今日みたいに、俺の仕事が先に終わることは珍しい。
――なので、こうやって”待つ”という経験は稀だ。

――凄いソワソワするんだな、と思う。
――藍子もいつもこんな気持ちなんだろうか。
――……もっと仕事を早く終わらせられるようになろう。

――ちなみに、藍子がどういう仕事をしているのかという描写は(以下略)。

ピィ「それじゃ」
藍子「お先に失礼します」
――藍子を待って、二人で退勤する。
――残った面子を労いながら『プロダクション』を後にした。

――……の、前に。

ピィ「悪い、先に入り口のところで待っててくれ」
藍子「? わかりました」
――少しだけ、やることが残っている。

ピィ「ちひろさん」
ちひろ「はい」
――ちひろさんのところへ向かい、彼女に声を掛ける。
――それを合図に、ちひろさんは返事をしながらドリンクを差し出し、
――俺は黙ってお金を払った。

――言葉はいらなかった。
――大人の友情が、そこにはあった。

――藍子と一緒の帰り道を、ゆっくりと歩く。

――今日は早く上がれてよかったね、と他愛もない雑談をしながら。
――夕飯の献立はどうしようか、と今晩の買い物をして。
――いつもとは違う道で帰ってみよう、と少し遠回りしてみたり。

――急がず、焦らず、のんびりと。
――藍子と共に過ごす、なんでもないような時間を、大切にしたい。
――穏やかで、静かで、小さな幸せ。
――こうやって、少しづつ、少しづつ、集めていこうと思う。

――帰宅後。

――俺達は……。
―― 一緒に夕飯を作り。
―― 一緒に軽めの晩酌をしたり。
―― 一緒にテレビを見ながら、談笑し。
―― 一緒にお風呂に入り。 (※!!)
―― 一緒に髪を乾かして。
―― 一緒に歯を磨き。
―― 一緒にベッドに入り。
―― 一緒に……。

ピィ「藍子……」
藍子「あっ……」

――布団の中で、藍子を抱きしめる。
――柔らかい感触と、藍子の体温が伝わってくる。
――優しく香るシャンプーの匂い。
――小さく漏れる艶っぽい吐息。
――うっすらと上気した桜色の頬。
――ほのかに潤んだ瞳。

――藍子の全てが愛おしかった。

――俺のものだ。
――俺だけのものだ、と。
――そう思うと、俺は間違いなく世界一の幸せ者だった。

藍子「はい……」
――藍子はその一言で、俺を受け入れた。
――枕元にはちひろさんから買ったドリンクが用意してある。

――今夜も長くなりそうだ。

以上です
時系列が前後しますが、新婚くらいの時期をイメージしてます

R-18ではないけど、ちょっとピンクな感じを盛り込みました
子供がいる未来があるんだからやることやってんだよおらぁ! という気持ちで

重要なことを忘れてました


誕生日おめでとう、藍子!

ドーモ
今年は辛うじて年内に間に合いました(そもそも去年は結局断念したと思う)
あまり長くないのでなんか大掃除とかの合間に読める!やったぜ!

【ファイン・アンド・ロング、スパイダーズ・スレッド・オア・ソバ】

 ネオトーキョーの冬は寒い。
 ほんの数年前、彼がまだ現役アイドルヒーローだった頃、この新興経済特区は今以上に環境への配慮が足りず、地球温暖化に多大な貢献をしてきた。
 あるいは企業も夢や希望、野心にあふれ、人々の熱気がネオトーキョーそのものを過熱させてさえいた。では、今は?
 ネオトーキョーの経済成長は当時より緩やかだ。そして良識ある企業は寒い冬を取り戻すべく、一部の暗黒メガコーポによる環境破壊を上回るペースで環境再生を進める。
 ネオトーキョーの冬は寒い。
 漆黒ヒーロースーツの上にフォーマルなビジネス用ジャケットを着用し、さらに防寒防風コートを纏うエボニーコロモは、黒子ヒーローマスクで顔まで防寒である。
 それでも彼が寒さを振り払えずにいるのは、誰かの温もりをこそ求めているとでもいうのか。……バカな。黒衣Pは転がってきた空き缶を蹴り飛ばした。

「……どう言い訳すりゃいいんだよ……畜生」

 今日は緊急出動が重なり、エボニーコロモと二人のアイドルヒーローはそれぞれ単独で現場を担う“三面作戦”を実行した。彼の戦場はホテル・グランド・ゴウカ。
 毒ガス自殺テロを企むイカレ宗教団体に一時は占拠された、地上500メートルの最上階展望レストラン。黒衣Pの作戦行動は迅速であり、被害は出なかった……そのはずだ。
 にもかかわらず、レストランは今日から年末年始の休業を決めた。黒衣Pの半年前からの予約もキャンセルされた。彼の心には寒さだけが残った。


(洋子がいたら、すぐ隣で、40度近い体温を分けてくれるだろうに)
(イツキがいたら、あの自販機まで走って熱いアマザケを買うだけの気力を分けてくれるだろうに)

 黒衣Pはスチームパンク戦士めいて黒子ヒーローマスクの隙間から白い空気を吐き出しながら、無意味な“もしも”の世界をニューロン内で描いては消す。
 アイドルヒーローを引退し、プロデューサーヒーローになり、はや二年目の冬。己がどれほど脆弱な存在となったか、彼は否応なく思い知らされていた。

「別に、あの頃は良かった……なんて話じゃねぇけどさ」

 誰に言うでもなく呟いた。この時期のエボニーレオは、借金苦から悪に堕ちるほか無かった哀れな貧困犯罪者達にとって、獅子ではなく鬼であったろう。
 強大な能力で追いかけ、決して逃がさず、鉄拳と共に年明けまでの留置場生活(つまりは必要最小限の衣食住)をプレゼントするのは、しかし彼なりの慈悲だった。
 男性アイドルヒーローそのものが落ち目だった時期、彼自身も楽な生活ではなかった。ひと仕事終えた後には、馴染みの屋台で安いソバを……

(ソバ……か)

 その記憶が甦ったのは何らかの啓示であったか。黒子ヒーローマスクがBEEP音を鳴らし、サブモニタウインドウに解析映像を映し出した。
 思い返せば、今日は昼飯を食べていない。事件解決のため戦い、その結果が……。プランBを早急に準備せねば。まずニューロンに栄養補給を。黒衣Pは足早に屋台へ向かう。
 軽トラック改造屋台は、ネオミドリ自然公園の片隅で「お」「そ」「ば」のノレンを掲げ、ひっそりと佇んでいた。

 ◇◇◇

 ◇◇◇

 ネオトーキョーの冬は寒い。
 斉藤洋子の体温は氷点下にも負けず40度近くを保っているが、だからこそ彼女の顔は、手は、外気に触れる露出部分の全ては、温度差によってヒリヒリと痛痒いのだ。
 洋子は灼熱めいた白い吐息で両手を暖め、カサつく?をさすった。冬の乾燥空気は肌の大敵だ。夏の湿度が今だけは恋しい。
 寒風を防いでいたマフラーと手袋は、ついさっきの仕事で特に重大な損失だった。人間ソルベ製造ゴーレムは滅びてなお洋子に少なからずダメージを与えている。

(去年の今ごろは……)

 ふと思いを巡らせる。去年も似たようなものだった。仕事納めというのは言葉だけで、ネオトーキョーに犯罪のない日など訪れないのだ。
 昨秋、ヒーローで食っていく目処が立ったと伝えると、両親は喜んだ。帰省してもヒーロー引退の話にならないと確信するに至った洋子も、ひと安心したものだった。

 里帰りできずとも、不満があったわけではない。アイドルヒーローの仲間が誕生日を祝ってくれもしたし、二人きりのパーティーも……

「……こっ! 今年は! 帰ろっかな!」

 誰に言ったわけでもなく、何らかの能力者に心の中を覗かれる感覚もなかったが、洋子の顔は赤い。黒衣Pの姿が見えないことは幸運であったろう。

(そういえばプロデューサーの方は、もう片付いたかな……イツキちゃんは……)

 黒衣Pの言うには、今夜はホテル・グランド・ゴウカでディナーらしい。三人でささやかなバースデーパーティー。主役は洋子と、偶然にも誕生日の同じイツキ。

(ドレスコードとかあるのかなぁ……なんかグレード高い? みたいな感じっぽいし、あんまりいっぱい食べる雰囲気でもなかったり……?)

 考え出せば落ち着かず、心配にもなってくる。がっついて恥をさらさぬよう、何か軽く腹に入れておくべきか? ……まさにその時、視界の端に屋台。
 腹おさえには重いか。否、相応に働きカロリー消費したのでプラスマイナスゼロだ。そういうことにした。

(ソバ……かぁ)

 軽トラック改造屋台は、ネオミドリ自然公園の片隅で「お」「そ」「ば」のノレンを掲げ、ひっそりと佇んでいた。
 簡易ベンチには客らしき姿がひとつ。おそらくハズレ屋台ではない。ほう、と息を吐くと、洋子は二車線の車道を跳び越え、屋台へと向かった。

 ◇◇◇

 ◇◇◇

 ネオトーキョーの冬は寒い。
 イツキの生まれ育った獣人界は夏暑く冬寒い、全ての生命に死力を尽くさせる強き大地だったが、ここネオトーキョーも負けず劣らずだ。
 黒衣Pの言うには、特に今年は四年ぶりのデミ氷河期らしい。だからだろうか。彼女の前方5メートルを疾駆するシベリアンハスキー種イヌ獣人は、いやに楽しそうだった。
 ……それだけなら良かった。かの獣人は、ユタカライフ化研のエージェントだ。仕事を片付けたイツキと偶発的遭遇した三人組。
 イヌ獣人の「遊んでやる」との挑発通り、まんまと他の二人の逃走を許してしまった形だ。もっとも、イツキは状況を悲観視しない。
 どのみちこのエージェントを仕留め、インタビューすれば、全てわかる。彼女にはそれを出来るだけの力がある。ディナーまでに残された時間も。

「……?」

 思いがけず、イツキは足を止めた。疾走する二人の獣人が呼んだ風に、獣人界の匂いが混ざり込んでいたのだ。
 イツキのように獣人界からこちらに来ている者は多くない。現に彼女が追うイヌ獣人も、人間界カラフト出身者に多く見られる特徴を有している。
 ならば何故、不意に懐かしい匂いを感じたのか? イツキは考えようとして、我に返った。この僅かな間に、イヌ獣人は逃げおおせて……

「どうした、もう息切れかい? これだからサルのやつは」

 10メートルと離れていない、隣接ビル屋上貯水タンクの上。イヌ獣人はイツキを見下ろして嗤った。
 特に速力に優れるイヌ獣人の脚で逃げるには充分過ぎる隙だった。それをせず敢えて追跡者を待つ、「遊んでやる」ことの意味は? イツキは素早く状況判断した。

「ふーん……じゃあ、飽きちゃったんで、帰りますね☆ キィヤーッ!」

 イツキが跳躍したのは、イヌ獣人でなく懐かしき獣人界の匂いがする方向だ。背後から「ヤッベ」と焦りの声が聞こえた。どうやら正解らしい。

 今や追う者と追われる者は逆転していた。いくつものビルを跳び渡り、獣人界の匂いはますます強く濃くなっていく。
 やがて視界が開け、眼下には公園。その片隅で「お」「そ」「ば」のノレンを掲げ、ひっそりと佇む屋台こそ、匂いの最も強まる地点であった。

「えっ……? 屋台……?」

 それはイツキにとって想定外のものだった。
 そして、さらなる想定外……ノレンをくぐり今まさに出てきた客は、彼女の同僚たる斉藤洋子、そして担当プロデューサーヒーロー・エボニーコロモであったのだ。
 直後、軽トラック改造屋台はエンジンを噴かして急発進。離れゆく屋台を背にしたヒーロー二人の視線方向には、また別の人影が二つ。

「ユタカライフのエージェント……!」

「ご明察! イヤーッ!」

「……! しまっ」

 頭上から声。反応が遅れた。シベリアンハスキー種イヌ獣人はイツキの両肩に着地、そのままたっぷりと力を込めて再度跳躍し、屋台を追う。

「サルのやつらは無駄に頭が回りやがるが、戦場で考え込むのはアホだゼ! アバヨ!」

「くッ……このっ!」

 イツキは脱臼しかかった両肩を筋力とキアイで繋ぎ直し、イヌ獣人を追う。その遥か下方でも、ヒーローと暗黒エージェントが一触即発の状況にあった。

 ◇◇◇

undefined


 絶叫したのはエージェントの方だった。洋子の瞳の光が消えると、恐るべきニューロン破壊能力者マインドトレーサーは仰向けに倒れ、口から白い煙を吐いた。

「プロデューサー、頭大丈夫?」

「割とな。割と効いた。これで二対一か……バーニングダンサー、さっきの屋台、追跡しろ」

「えっ……プロデューサー、ホントに頭」

「大丈夫だ。そもそもサイバネ野郎には俺の方が有利だろうが。俺がやる」

 エボニーコロモのニューロンはおそらく正常だ。洋子は一度頷くと身を翻し、屋台を追ってサンギョウ・ドウロに走り出た。
 黒のヒーローは防寒防風コートとビジネス用ジャケットを脱ぎ捨てた。握りしめたヒーロースーツの両拳が、バチバチと青白く放電した。
 二人の戦士は同時に地面を蹴り、拳を繰り出した!

「トゥオーッ!」「グワーッ!」「トゥオーッ!」「グワーッ!」「トゥオーッ!」……

 ◇◇◇

undefined

 ◇◇◇

「プロデューサー、頭大丈夫?」

「……言葉足りてねぇぞ。大丈夫だ、おかげさまでな」

「あの屋台、絶対クロだけど……足止めしなくて良かったの?」

「発信器は仕込んである。そうでなくても、まだ見えてるんだろ? コイツら叩きのめしてからで間に合う」

 洋子と黒衣Pは逃げ去る屋台を背に、ユタカライフ戦闘エージェントと対峙する。二人が纏う静かな怒りは、年に一度あるかないかの重大案件対応時に匹敵していた。

「何故邪魔をする? 貴様らも我々も被害者同士。協力して犯罪者を捕らえることが、社会の安定に繋がる」

 エージェントの一人、重サイバネ戦士ファイブセンシズは、ヒーロー達の行動を理解できなかった。
 ユタカライフ化研の試作薬物“HSH03”が何者かにケミカル調味料とすり替えられ、強奪された事件から一週間。彼らは犯人を見つけ、確保まであと一歩に迫っていたのだ。
 使用者の記憶中枢に作用し、家庭の記憶を呼び起こす。最新のVRデバイスと組み合わせることで、カイシャにいながら自宅で過ごす穏やかな時間を再現する。
 HSH03は働き方改革と成長戦略との板挟みで苦しむメガコーポ各社にとって、さながら蜘蛛の糸のごとき救いとなるはずだった。
 この一件で最大の原因、試作品の社外持ち出しという致命的非常識ミスを犯した開発主任をはじめ、既に幹部クラス複数名が長い出張に旅立った。
 メンツを保たねばならぬ。何としても強奪犯を捕らえ、然るべき報いを受けさせる。彼ら戦闘エージェントが投入されるとは、そういうことだ。

「社会の安定……笑える、それなら警察に被害届の一つも出してみればいい。どうせ表に出せないヤバイネタなんだろうが」

 エボニーコロモの声音は、無表情な黒子ヒーローマスク越しでありながら尚その眼光と同じく鋭い。

 彼はエージェント達の目的を分かってはいない。だが、身を以て味わった何らかの薬物ヌードルこそ眼前敵と深く関わる物と推測できれば、協力する選択肢などあり得ぬ。

「ファイブセンシズ、交渉は無意味だ。排除する方が早い……イヤーッ!」

 ファイブセンシズを押しのけて進み出た小柄な男が、双眸を紫色に光らせた。エボニーコロモの鼻と目から血が流れ、黒子ヒーローマスクから溢れてポタポタと落ちた。

「アバーッ!?」

 絶叫したのはエージェントの方だった。洋子の瞳の光が消えると、恐るべきニューロン破壊能力者マインドトレーサーは仰向けに倒れ、口から白い煙を吐いた。

「プロデューサー、頭大丈夫?」

「割とな。割と効いた。これで二対一か……バーニングダンサー、さっきの屋台、追跡しろ」

「えっ……プロデューサー、ホントに頭」

「大丈夫だ。そもそもサイバネ野郎には俺の方が有利だろうが。俺がやる」

 エボニーコロモのニューロンはおそらく正常だ。洋子は一度頷くと身を翻し、屋台を追ってサンギョウ・ドウロに走り出た。
 黒のヒーローは防寒防風コートとビジネス用ジャケットを脱ぎ捨てた。握りしめたヒーロースーツの両拳が、バチバチと青白く放電した。
 二人の戦士は同時に地面を蹴り、拳を繰り出した!

「トゥオーッ!」「グワーッ!」「トゥオーッ!」「グワーッ!」「トゥオーッ!」……

 ◇◇◇

>>436 >>437 >>438 については、>>439 >>440 が正しいものとなります
引き続き、当プログラムをお楽しみください

 ◇◇◇

「ハアーッ……ハアーッ……何でヨ……オレはこんな、ところ、で……」

 重サイバネの男が投げたダガーはチンサンの左腕を掠めただけのはずだった。だが今、軽トラック改造屋台を運転する彼の身体は酷く痺れ、ほとんど動かなかった。
 辛うじてハンドルを切る。屋台はサンギョウ・ドウロを外れ裏道へ。50メートルほど走りゴミ捨て場に突入、煙を噴いて停止した。

「ア……アイヤー……」

 チンサンは運転席ドアから転がり落ち、僅かに残った力で這い進む。止まれば死ぬ。追っ手は無慈悲で、そして己も、きっとそれだけのことをしでかしたのだ。
 既に夢破れていた彼は、故郷へ帰るための……せめて故郷の貧しい農村で多少とも豊かに暮らせるだけのカネを集めようとした。
 一週間前の夜、その日最後に彼のラーメン屋台を訪れた客は、それまでのどの客よりも上質なスーツをクタクタに着古した男だった。
 男はフトコロから奇妙な粉の入った小瓶を取り出し、チンサンのラーメンにかけた。お世辞にも美味いと言われたことのない彼のラーメンを、男は涙を流して喜び食った。

(あのコナは何だ? オレのラーメンをこうも人を泣かすほどにできるなら、カネになるのでは?)

 チンサンの良心はとうに摩りきれていた。彼は男にサケを勧め、眠らせ、粉末小瓶とケミカル調味料をすり替えることに成功した。
 罪の自覚はあった。足が付くまでの時間を延ばすため、ラーメン屋からソバ屋に転向した。それまでの縄張りを捨て、多少とも見知った仲の客も捨てた。
 彼のソバは飛ぶように売れた。予想外に噂が広がり、彼は逃げるように縄張りを転々とした。何処に行っても誰かにずっと見られているような気がした。

 カネは充分集まり、粉末も今朝の仕込みで使いきった。明日の朝には彼は密航ブローカーのボロ船で、大陸への帰途についているはずだった。

「バカにしてるんですか」

 その女は、チンサンのソバ……否、今やコストカットのため安価な合成ソーメンに湯をかけたものだ……を食べてむせび泣く黒ずくめの男とチンサンを交互に見て言った。
 女の朱色に燃える瞳は彼の心の奥まで照らし、罪を暴かんとしているように思われた。

「私……それからプロデューサーも、ソバを食べに来たはずなんですけど……バカに、してるんですか」

 女は何度か深呼吸を挟み、冷静さを保とうとしているようだった。普段から怒りを抱くことに慣れていないタイプか。こういう手合いは一線を越えさせてはならない。
 チンサンの背中は嫌な汗で濡れていた。怯えながら、彼は訝しんだ。
 粉末が溶けた湯から上がる湯気を吸い込んだだけで郷愁めいたノスタルジーを呼び起こす力が、何故この女には通用しない?
 良心の最後の一欠片が、今すぐドゲザし全て吐けと迫る。(まだだ! 何とかして逃げ道を……)チンサンは抗い続ける。そして……

「グワーッ!」

 左腕に鋭い痛みを感じ、チンサンは地面に転がった。屋台の柱に刺さったダガー。それだけではない。数十メートルの彼方、二つの人影が、彼に冷たい眼光を向けていた。
 二人の客の反応は速かった。咄嗟に立ち上がり、ノレンをくぐって人影と対峙する。チンサンはノーマーク。(今だ!)彼は運転席に転がり込み、屋台を急発進させた。

 ……だが、結局このザマだ。彼は死ぬ。それは遠い未来ではなく、遅くとも数分後だろう。早ければ……まさに今だ。

「見つけたァ! イィヤーッ!」

 遠吠えめいたシャウトがチンサンの頭上から襲いかかる。バサバサと羽音。彼の死を待っていたカラス達が慌てて飛び去ったのだ。
 何もできることはない。動かなければ楽に死ねるか? 否。無慈悲なエージェントは彼を無理矢理生かし、存分にインタビューするだろう。身体から力が失われていく……

「キィヤーッ!」

「グワーッ!」

 別のシャウトと、続いて悲鳴が聞こえた。何が? 考えるより速く何者かがチンサンの首根っこを掴み、手近な割れ窓から廃アパートに放り込んだ。

 ◇◇◇

 ◇◇◇

 イツキはコンクリート壁を……そこに半ばめり込んだシベリアンハスキー種イヌ獣人を見据えた。これで終わる程度では暗黒メガコーポのエージェントは務まるまい。
 案の定、イヌ獣人は自力で身を剥がし、地に降り立った。

「サルのやつがよ、なかなかやってくれやがる」

 イヌ獣人は口の端の血を舐め、挑発めいて手招きした。身体ダメージ未だ軽微、戦意も衰え無し。戦闘継続可能。
 イツキは静かに呼吸を整え、全身に力を込める。筋肉が盛り上がり、茹だったオニめいて赤く染まる。体毛がフサフサと伸び、肉体の色を受けて緋色に輝く。

「リオンレーヌです。とりあえず私が勝つまで、ただのサル獣人と見くびっていて下さいね☆」

 リオンレーヌは毛皮の首巻きで隠した口元に狩猟者の笑みを浮かべ、その場で姿を消した。否、消えたのではない。テレポーテーションと見紛う高速移動である!

 イヌ獣人は備えようとした。ゴッ、と鈍い音の直後、彼の視界が酷く揺れた。背後からの踵落とし。脳天にクリーンヒットしたか。

「クソが! テメエは……」

「キィヤーッ!」

「グワーッ!」

 イヌ獣人の視点が一瞬で数十センチ落ちた。ヒザを破壊され、立っていることもままならなくなったのだ。リオンレーヌには適度な高さ!

「キィヤーッ!」

「グワーッ! ……ア……アバッ」

 眉間に叩き込んだ掌打がトドメとなり、イヌ獣人は倒れて痙攣した。リオンレーヌは残心と獣化を解き、拘束作業に取りかかる。

「……あっ! さっきの人!」

 ウカツ。己の戦いに巻き込まぬよう避難させたつもりが完全に見失った。企業エージェントに追われるというのは余程のことだ。何か大きな事件の関係者かも知れぬのだ。

「……どうしよう」

 イツキは途方に暮れた。その足下で、スマキにされたイヌ獣人は痙攣し続けていた。

 ◇◇◇

 ◇◇◇

「ハアーッ……ハアーッ……ッ! ……ハアーッ……」

 チンサンは再び這って進むだけの力を取り戻していた。ダガーの毒が足りなかったか、全身の痺れもいくらか和らぎつつあった。
 捨てる神あれば何とやら、だ。彼はサルめいたシャウトの何者かに感謝しつつ、廃アパートの一室、カビ臭いフローリングの上を進む。
 ……コツン。指先が何かに触れた。それは金属の物体……麺を茹でる鍋だ。

(ナンデ……屋台と一緒にゴミ捨て場でスクラップのはずヨ……)

 チンサンの悪事にただ寄り添い、意のまま麺を茹で続けた鍋。ラーメンを、ソバを茹でる栄光を奪われ、ケミカル合成ソーメンを茹でるという冒涜にも従い続けた鍋。
 チンサンは静かに失禁した。鍋から伸びた朱色の細腕が、彼を冷たい暗闇に引きずり込まんとする。鍋が倒れ、その中身と目が合った。

「アッ……アイヤー!? アアーッ!? ……アアアアーッ!」

 ……夕日が差し込む廃アパートの一室、焼け落ちた玄関ドアの枠を背に立つ洋子は携帯端末で作戦完了を報告し、警官隊と黒衣Pの到着を待つ。
 最後まで逃げ続けようとした男を見下ろす険しい表情は、割れ窓から覗くイツキに気付くと、勝手にほころんでいた。

 ~エピローグ~

 ネオトーキョーの冬は寒い。
 サンギョウ・ドウロからやや外れた裏道、早朝のゴミ捨て場に、チンサンは立ち尽くしていた。
 軽トラック改造屋台はこれまでの稼ぎもろとも、証拠物件として押収された。彼の手元には何も残ってはいない。……本当に?
 そもそも彼が冷たい部屋を出て自由に行動できていること自体、本来あり得ぬことなのだ。逮捕が報道された当日、彼は釈放された。
 とあるカネモチが保釈金を支払い、さらには警察幹部を買収して事件を揉み消させたのだと、誰かが話すのを聞いた。
 チンサンを出迎えたのは、こざっぱりとした身なりの少年だった。少年は彼に指二本分ほどの分厚い封筒を差し出し、やや離れた所に停まる一台の高級車を指し示した。
 車外に出て頭を下げる老婦人の顔を、チンサンは思い出した。何年か前、不味いラーメンでも真面目に作っていた頃、タダでラーメンを食わせた路上生活者。

『あの日のラーメンこそ、私にとってのブッダの救いでした』

 札束とともに封筒の中に入っていた手紙には、そう記されていた。チンサンも深々とオジギし、老婦人の車が去るのを見送った。

 札束は必要なだけの金額を残し、薬物中毒者更正施設に寄付した。彼の手元に形あるモノは残っていない。

(オレは救われたのだ……過去のオレの善意と、現在の名も知らぬ善意に。善意の糸がより合わされ、より強い糸になり、オレを地獄から救い上げたのだ……)

 チンサンはゴミの中に半ば朽ちかかった荷車を見つけ、丁寧に引っぱり出した。そして、よく見知った鍋を。

「オレ、やり直すヨ……今度こそちゃんとやるから、もう一回、力を……」

 ネオトーキョーの冬は寒い。
 だが溢れる涙が、胸の内に燃える炎が、今のチンサンには暖かかった。

 ◇◇◇

 ◇◇◇

 ネオトーキョーでは珍しくない月も星も見えぬ夜、エボニーコロモ達の事務所を照らすのは、中心街からかすかに届く搾りカスめいたネオン光だけだ。
 コタツを隅に追いやったスペースに敷いたフトンの中、天井をぼんやりと見上げながら、黒衣Pは安堵の息をついた。
 ディナーは洋子とイツキの協議の結果、ヤキニクになった。気取ることも気負うこともなく、存分にカロリーを摂った。
 彼の城たる仮眠室は、ほんの十分ほど前まで声と熱に溢れていた。今は寝息が二つ。金属フレーム簡易ベッドと、天井近くのハンモック。

(“まとまった休み”か……俺も久しぶりに帰省なんて……何年ぶりだ……親父の葬式以来だから……)

 ホンゴエ・タコシ代表は洋子とイツキに甘い。
 「年末年始の緊急出動日数分、一月のどこかでまとまった休みをとれるようにする」二人が取り付けた約束だ。黒衣Pについては、代表は最後まで渋っていたが折れた。
 休みがないのはヒーローとして必要とされている証拠だ。アイドルヒーロー二人を抱えることで実力を認められているなら、それは喜ぶべきだろう。……とはいえ。

(何を浮かれてやがる……洋子とイツキだから、俺も命拾いできて……)

 思考が散漫になりつつある。眠気が。ニューロンを半分焼かれた状態で殴り合うのは馬鹿だった。二度としない。携帯端末に手を伸ばす。23時58分。
 ……終わっちまう。来年の今日は、もっと上手く……瞼が上がらない。意識は浮遊感とともに眠りの闇に溶けてゆく。
 12月30日、午前0時。
 ネオトーキョーの冬は寒い。

(【ファイン・アンド・ロング、スパイダーズ・スレッド・オア・ソバ】終わり)

いじょうです
なんか今年は洋いつバースデー盛り上がりが例年以上っぽい雰囲気だった
相変わらず一市民が目立つうえに途中で不ぐあいとかあったが、お付き合いいただきありがとうございました

あけましておめでとうございます(白目)
憤怒の街リターンズの続き、投下しますー

(しまった、sage忘れてた・・・・・・ごめんなさいっ)
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ユウキ達が憤怒の街の森に入って少しした後。
憤怒の街の検問所にて―――

「どういうことだ!? 既に入って行ったGDF隊員がいるだと!?」

検問所の前に止まる輸送ヘリ。そして怒号。

輸送機に乗っていたGDF隊員が、検問所のGDF隊員に対して怒鳴りつけているのだ。

「だ、だから我々は、応援が来るとしか聞かされていなくて・・・・・・っ!」

「だからと言って、こんな危険なところに確認もせずに入れる馬鹿がいるか!!
 無認可の奴を入れたんだぞ、お前らは!!」

「基地司令にも確認取って間違いないって聞いたから入れたんです!!」

「………くそっ!!」

先に入って行ったGDF隊員がいるという事実。

何故入れてしまったのか、あるいは何故入れてしまったのか。何故、入ろうと思ったのか。

いずれにしても、我々と勘違いして入れてしまったGDFの隊員がいる。

その事実があって、なおこの対応。

彼は苛立ち、検問所の壁を思いっきり蹴る。
壁はガンッ!と音をたて、その周りにいた兵士たちが委縮した。

「―――それで、許可は?」

「い、いえっ!それがっ! うまく通信がつながらず――――」

「ふざけるなっ!!」

基地司令と連絡が取れないという事実が、さらにその男の苛立たせた。

これはこいつらの職務怠慢だ。

こいつらの怠慢で、GDFの仲間の命が危ぶまれている。

「このことは上にしっかりと報告するからな!
 あと、憤怒の街には入らせていただく!!」

そういって男は、検問所の兵士の静止の声も聞かず、ヘリに乗り込んだ。

「あの、何かあったんですか?」

コクピットのスピーカーから女性の声が聞こえる。

「緊急事態だ! お前達に成りすまして、勝手に入った奴らがいる!」

「「「ええっ!?」」」

「何のために入ったかは知らんが、そいつらを捕まえるためにも、現場に急がねばならん!
 シンデレラ1、第1種戦闘配置だ!
 憤怒の街のカースのデータは届いているな?」

「はい! ばっちりです!」

そうして慌ただしく離陸したヘリが憤怒の街の中へと入っていく。

「俺がヘリで空から目標を発見する。
 シンデレラ1-1から1-3は発見し次第、地上機動戦装備で降下、目標を捕まえろ。
 コラプテットビークルが厄介だが、お前達ならやれないことはないはずだ。安全を確保しつつ返り討ちにしてやれ。」

「「「了解!!」」」

「その後、目標を確保。安全を確保したうえで、このヘリに乗せる。
 抵抗するようであれば、多少懲らしめても構わん!!」

「えっ、同じGDF隊員なのに、ですか?」

「GDF隊員に成りすましている可能性もあるからな。
 最悪、この混乱に乗じて乗り込んできたテロリストかもしれん。」

だがまぁ、とその男は続ける。

「どんな相手でも、お前らなら大丈夫だ。 軽く懲らしめて―――
 ん? 通信が入った。」

男はヘリの通信機を手に取り、応答する。

「こちらシンデレラ1。」

『先ほどはすまなかった。 私はここの基地司令だ。
 このあたりはカースの被害がひどくてね。 通信するのも一苦労だ。』

そうか、カースの被害か。
そういえば、GDFの新兵器がこの街に投入された際、まったく使い物にならなかったという話を聞いたことがある。
ならば……この件での八つ当たりは見当違いだったかもしれない。

「なるほど。 そのあたりは考慮不足だった。
 だが、部外者を危険な憤怒の街に入れたお前らの怠慢はどう説明する?」

『そのことについても謝罪する。演技がうますぎて、あの時点では気付かなかった。
 だが……今しがた調べたら大変な事実が分かった。
 単刀直入に言うと、貴君らに扮して入った奴らの正体は、この騒ぎに乗じて潜伏していたテロリストであるとわかった。
 しかも厄介なことに能力持ちの連中だ。
 恐らくは最近世間を騒がしているイルミナティっていう奴らかもしれん。』

「・・・・・・なんだと?」

「そうでなくても、この街はGDFの管轄だ。
 そこにテロリストなんかが潜伏してみろ。
 GDFの信用問題に関わる。」

「・・・・・・つまり俺達はそいつらを捕まえてくればいいんだな?」

『その通りだが、生死は問わん。
 テロリストと見抜けなかった失態は詫びよう。
 だが今は、そのテロリストの排除が先である。』

「・・・・・・なるほど、その通りだ。
 だが、その入っていった奴らがテロリストである確証はどこから来ているんだ?
 そもそも奴らは何者だ?」

『それを伝えることはできない』

「・・・・・・何故だ?」

『機密情報だからだ。
 お前達は黙って命令どおりに侵入者を排除すればいい。』

『ああ、それと』と、基地司令が話を続ける。

『今から送るデータを見てもらいたいのだが、この赤く塗られている場所には近づかないでいただきたい。』

そう言われ、男はヘリのコンソールに送られてきた地図データを見た。
赤く塗られた場所は、病院を円の中心としていた。

「それは、何故だ?」

『それも機密情報だ。教えられない。』

「何か俺達に教えられる情報はないのか? このままでは納得しかねる。」

『後でテロリストが乗っていた車両のデータを送ってやる。
 それをもとにテロリストを捜索しろ。』

「他にはないのか?」

『いいからつべこべ言わずにやれ!!
 それともお前はテロリストを野放しにするつもりか!?』

「・・・・・・了解した。シンデレラ1、出撃する。」

『今から画像のデータを送る。では、ご武運を。』

基地司令との通信が切れる。

機内音声で聞いていたため、後ろで準備している響子と美羽、そして柑奈も聞いていた。

「パイロットさん、先に入った人たちって」

「悪い人たちなら、やっつけないと!」

「パイロットさん、今すぐ私達を現場に!」

通信を聞いた響子と美羽は意気揚々としていたが、男の表情はそのことを怪しむかのような表情をしていた。

「胡散臭いな………」

「? 何がですか?」

「今通信をかけてきた基地司令とやらは信用ならん」

「えっ・・・?」

「あいつは機密情報を盾に奴らの情報を渡さなかった。
 だが、あんな臨時の基地司令程度のやつが知っているような機密情報とは何だ?」

それでも釈然としない顔の3人。
それを見た男は少し咳ばらいをした。

「これでも俺はGDFの暗部ってやつを見てきている。
 お前達の正体はわからんが、どうせ碌でもないもんだというのはわかる。
 それも相当な・・・・・・子供を兵器みたいに扱うようなひどいもんなんじゃないかとも思っている
 その経験則から言わせていただくと・・・・・・今回のは嘘なんじゃないかと思っている。」

「・・・・・・あの基地司令が嘘を言っていると言うんですか?」

「ああ。第一、目標が本当に基地司令とやらが言っていたテロリストかどうかもわからんのに、
 テロリストだと断定して、排除しろだの言っている時点でおかしい。
 大方ばれちゃまずいものがこの街にあるとみて間違いはない。」

「じゃあ、あの基地司令の方を懲らしめる?」

「いや、それは早計だ。ただの経験則だしな。
 何をするにもまずは目標の確保だ。シンデレラ1、いつでも出撃できるように待機しておけ。」

「「「了解!!」」」

そうしてヘリは離陸し、憤怒の街へと入った。

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「ハァイ。 イギリスのGDFからやってきたケイトヨ。」

そう愛想よく挨拶しているケイトさん……ですが、

「………お姉ちゃん、あの人こわい」

見た目GDFの女性隊員の方が、ガタイの良い大男のようなのを殴り飛ばした挙句、
その男?を足蹴にしている光景は、まさしくチカちゃんの言う通り、怖い人でした。

「ターイムっ!☆作戦ターイムっ☆」

私、ああいう人、知ってますっ。

「チカちゃん、ああいう人とは関わり合いにならない方がいいですよっ
 上空からお姫様抱っこされて落ちてくるとか、非常識にもほどがありますっ」

「そうなの、ユウキお姉ちゃん?」

「しかも抱っこしてた男を殴り飛ばした挙句にマウントパンチだしね。
 なんなのあの馬鹿力。 ちょっと解析してみたい。」

「ちゃんと丁寧に降ろしてやってたのに殴り飛ばして足蹴にするとか、恩を仇で返してるようなもんだしな☆
 おい、てめー! 恩を仇で返すようなことしちゃいけないって、ばあちゃんが言ってたぞ☆」

「あっ! そういえばほんとだ! ひどーい!!」

「うるさいわネっ! 部下に嵌められてこうなったのヨ!!」

「いったいどう嵌められたらそうなるんですかっ!?」

「というか嵌められたって、人望もないんだな………」

「それは我が否定させていただこうか」

と、ケイトさんに足蹴にされていた男の人?が声をあげます。

「ケイトはな、部下にとてもとーっても信頼されておる!
 そして、我もケイトのことはそれなりに好いておる!
 だから我が、いつか行う時のためのドッキリサプライズ用にその部下と一緒に考え出したのだ!」

どうだぁっ!!と言わんばかりに、足蹴にされながらもドヤ顔してますっ

「私、勘違いしてましたっ
 ………おかしいのはケイトさんじゃなくて、あの男の人?だったんですねっ」

「褒めるな。照れる」

「どこをどう聞けば褒めてるって言うんだよ、おい☆」

「というか、あんたは知ってるはずデショ、シュガーハート!?」

「あー・・・・・・最近人と出会うことが多くてな・・・・・・わかんねぇ☆」

「ワタシヨ、ケイトよ!!
 ほら、あの時一緒に戦った!!」

「あー、そういやそういうこともあったっけな? まあ、覚えてたけど☆」

「覚えているなら誤解を解いてヨ!!」

それはさておき・・・・・・

「まあ、空からお姫様抱っこしてきた事実とかは置いといて・・・・・・ <誤解ヨ!!>
 英国のGDFが、ここに何しに来たんだよ?」

はぁとさんがそういうと、ケイトさんの足元にいた黒い男の人が、
踏んでいた足をパシパシと叩いたからか、ケイトさんは足をどけました。

「何しに来た、だと?
 むしろ、これほど興味の湧く物ばかりのところに行くなというのが無理というものよ」

黒い姿をした男の人は立ち上がると、腕を組み、私達を見てこういいました。

「なるほど、面白い
 やはり日本には、相当な手練れが多くいるというのは間違っていないようだぞ、ケイト」

「当たり前デショ。
 ここは対カースの最前線ともいうべきところヨ。
 ・・・・・・最も、私達も引けを取らないでしょうケド。」

「うむ、お主等もなかなかのものだが、こいつらはそれだけじゃない。
 なぜかカースも混ざっているが、問題はそこではない。
 ―――お前ら、本当に人間か?」

「・・・・・・明らかに怪しい人から、人間じゃないと言われてますよ、私達っ」

「いや、そこに俺を含めないでくれるか?」

「はぁとも違うぞ☆」

「私も人間だよ。」

「??? チカは魔法少女だよ?」

「・・・・・・そういう意味で言ったんじゃないと思うヨ?」

黒い男は顎に手をやって、私たちをじっと見つめてきていますっ

「ふむ・・・・・・どうやらケイトと同等の力を持ってるようだな、シュガーハートとやらは。」

「なっ・・・・・・!?」

「ええまあ、彼女は私と一緒に戦った戦友ヨ?
 ・・・・・・向こうはそんな風に思ってくれてなかったようダケド」

「年下だからいじってるんだよ☆
 だけどそいつ、なんでわかったんだ?」

「それは・・・・・・我も同じようなものだからだ!」

それを聞いたはぁとさんは黒い男の人?をまじまじと見つめてーーー

「・・・・・・えっ、やだ☆」

「いきなり拒絶から入るのは良くないぞ?」

「だって・・・・・・黒いし☆」

その言葉に、隣のケイトさんはうなづいていました。

「仕方なかろう、カースドウェポンなんだから。」

「・・・・・・今さらっとやべえこと言わなかったか、おい☆」

はぁとさんがジト目でケイトさんのほうを見ると、ケイトさんは肩をすくめました。

「勝手に話さないでくれないカシラ?
 まあ、シュガーハート達に隠し事をしても仕方がケド」

「カースドウェポンって、カースの核を武器にくっつけたものだと思うんだけど・・・・・・」

「よく知って・・・・・・るわな、ひなたん星人にあったことあるんだしな」

「ほう、日本にもカースドウェポンがいるのか。会ってみたいものだな!」

「私も会ってみたいわネ。
 まあ、それはそれとして、そのとおり、こいつは鎧のカースヨ。」

「鎧のカースドウェポン・・・へぇ・・・」

あ、なんか目が輝いちゃってます。
なんだか新しいおもちゃを見つけた様な顔をしちゃってます。

それに気づいたのか、ケイトさんは凛さんを見て

「・・・あげないわヨ? 一応これはGDFの備品なんだからネ?」

「ちぇっ」

ですよねっ

しかし、あのカースドウェポン、ちょっと気になりますねっ
なんだか・・・私の本来の力に似た感じがしますっ

「ところで、貴方達は何しにここにいるのカシラ?」

「あっ、はいっ! お手紙を届けにきましたっ!」

「・・・お手紙・・・レター・・・?
あ、ナルホド、暗号ネ!」

あ、あれっ?

「でもワタシには何の暗号なのかサッパリだわ。後ででも良いから教えてネ?」

「あ、あのっ!暗号じゃないですっ!」

「・・・・・・what's?」

「ですから、この憤怒の街のとある住宅に、お手紙を届けに来たんですっ」

「・・・・・・・・・」

ケイトさん、はぁとさんを手招きして、何やらコソコソ話しちゃいました
・・・・・・何があったんでしょう?

「・・・・・・いや、当然の反応だと思う」

「そうだな」

ああもうっ、どういうことなんですかっ!?

「???」

チカちゃんはよくわかんないって言うような顔をしてますねっ

私もわかんないですっ!

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しばらくして。

「まあ、なぜこんなところに?っていう疑問はあるケド、アナタの目的、とてもいい目的じゃナイ!
 ワタシも協力するワネ」

「うむ、我も協力しよう。乗りかかった船というのもあるからな。」

といった感じで、英国GDFの2人を乗せて、車は目的地へと向かいましたっ

「ずいぶんにぎやかになったね」

「まあ、旅は多いほうが楽しいもんだぞ☆ 旅ってほど長時間動くわけじゃねぇけどな☆」

はぁとさんは助手席からこっちに移動し、代わりにケイトさんが助手席に座っています。

「しかしまあ、チカちゃんって本当に似てるよなぁ・・・・・・」

「確かに・・・・・・似てますよねっ」

「?? 何に似てるの?」

「ラブリーチカですっ はぁとさんが好きなアニメですっ」

「はぁとだけじゃなくて、あの頃の少女達のほとんどは好きだったと思うぞ☆
 それをモチーフとしたらしい魔法少女とかいう奴らも現れたし☆」

「そんなにすごい影響を与えたアニメだったんだ」

「まあ、ラブリーチカも十数年ぶりに限定フィギュアが出たし、魔法少女に関しても最近活動を再開したと聞くしな☆
 しかしまあ十数年か、はぁとも年をとっちゃ・・・・・・って、何言わせんだよこのこのー☆」

「いや、今のは自分から言っちゃってますよねっ?」

「ふーん、似てる、かぁ・・・・・・」

「似てるんじゃなくて、本物だよ!」

「そっかそっか~☆ よしよーし☆」

「もーっ!!」

そんな感じで話していると、車が止まりました。

「ユウキちゃん、ついたぜ」

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私たちが車から降りると、そこは憤怒の街の入り口のほうと同じような風景が広がっていました。

目的の建物は・・・・・・あ、まだ建ってましたっ

「ここが目的地?」

見た目は廃墟と化した一軒家。

窓ガラスは割れているし、荒らされている様子も見えます。

庭は人が誰もいないせいで、草が伸び放題です。

だけど、表札には「横山」という文字。

ここは依頼主さんから依頼されたところで間違いありません。

「・・・・・・・・・」

そして、その家を茫然と見つめるチカちゃん。

「ここ・・・チカのお家・・・・・・」

・・・・・・やっぱり、そうでしたかっ

普通であれば、ここで家族と一緒に暮らしていたはずです。

カースに襲われなければ、ただの仲睦ましい夫婦でいれたはずなんですからっ

あっ、でもフィギュア捨てられてかなり怒っていたといってましたし、どうなんでしょうかっ?

「チカちゃん、一緒に入りましょうっ」

「・・・・・・うん」

「待って」

その言葉に振り向くと、凛さんが真剣な表情でいました。

「私も一緒に行っていいかな?」

たぶん、そういうと思いましたっ
凛さんはカースの研究をしているって言ってましたからね。
そのカースがここを自分の家と言った。
であれば、どういうことが起きるのか、見てみたいと思うはずです。

「私は構わないですけど・・・・・・チカちゃんはっ?」

・・・・・・まあ、私には止める理由はありませんっ

「いいよ」

「わかった、ありがとう」

「はぁとさんたちは留守番でお願いしますっ」

「ああ・・・・・・っと、ちょっとその前にっと」

はぁとさんはアイテムボックスから無線機を取り出し、私に投げてきました。

「何かあったら、これで連絡するんだぞ☆」

「ありがとうございますっ!」

「気をつけてネ」

「じゃあ、行きましょうかっ! おじゃましまーす!」

「お、おじゃましまーす」

「・・・・・・ただいま」

そうして3人で、家の中に入りました

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私はユウキちゃん達が家の中に入るのを見届けた後、ケイト達に話しかけた。

「ところで、ケイト達がここに来たのって、あの森のせいか?」

「まあ、そうネ。一体あの森は何なのヨ?」

「正直わかんね☆
 でもまあ、心当たりがないわけじゃねえんだけどな☆」

「心当たり?」

そう、心当たりはある。
あるし、説明はできるんだが、えーっと・・・・・・

「あー、えー・・・・・・
 そこん所の説明任せた、ポストマン!」

めんどくさくなったので、ポストマンに投げちゃおっと☆

「おいおい、心当たりがあるって言っておいてそりゃねぇだろ。
 まあいい、俺から話そう
 憤怒の街の事件は知っているか?」

「大量のカースがこの街にあふれかえって、この通り壊滅した事件デショ?
 イギリスでも大きなニュースになったから覚えてるワ」

「イギリスだけじゃなくて全世界中で大注目になったってわけだがな。」

「で、アイドルヒーロー同盟が中心となって事態解決にあたった事件で、
 GDFとしては新兵器が全く役に立たず、何の活躍も上げられなかった事件よネ・・・・・・」

「ああ、あれは痛恨だった・・・・・・」

「まあ、それはそれとしてだ」とポストマンは話を続ける。

「その中で、今は森の中にある病院があったんだが。
 当時はあそこに住人が避難して来てな。
 そこを何人かの能力者が中心となって守ってたんだ。

 で、そのなかでもとある3人組の能力者ーーー確かナチュルスターといっただろうか。
 そいつらがカースの気を浄化させるために、雨を降らせて木を生やした
 と聞いている。」

「日本の能力者はそんなことまで可能なの!?
 伊達に対カース戦線の最前線と言われてないわネ。」

「昔っからにはなるが、アイドルヒーローじゃない能力者でも、実力のある奴は結構いるのが日本だ。
 だが、こいつらはとびっきりの規格外ではあるがな。」

「ってことは、この森はその3人組が作ったのネ?」

「ああ。
 もっとも、そのナチュルっていうのも3人でそれぞれ役割があって、
 マリンとスカイが雨を降らしてカースを浄化し、
 アースがそれによって消耗した力を、木を作ることによって癒していたといわれている。」

「ってことは、あれはその副産物?」

「ということになるな。
 だが、木は一本だけだと聞いてはいたが―――」

「ほほう、副産物としてはなかなか大層なものを作ってくれたものだな」

と、これまで傍で聞いていた黒いカースドウェポンが口を開いた。

「あの森は周りのカースの残滓を吸い取っている。」

「・・・・・・なんだって!?」

「それだけではない。その吸い取った残滓を癒しの力に変えて発散しておる。
 いわば対カース用の浄化槽といったところだ。」

「浄化槽・・・・・・ってことは、あの森ができた原因って」

「大方、吸収したカースの残滓を癒しの力にして増やしたのだろうな」

「そういえば、凛があの森の枝を無理やり採ろうとした時、
 その時に手を傷つけたらしいが、その傷がすぐに治ってたな☆
 あと、カースのチカちゃんが力を発揮できないって言ってたし・・・・・・
 カースの特効薬って言ってたのって、あながち間違いじゃねぇのか☆」

「カースの特効薬か、なるほどな
 煎じて飲めば、カースドヒューマンのカース化が治るかもしれんぞ」

「そいつはすげぇな・・・・・・今あるカースの問題の半分が何とかなっちまうぞ」

確かにそうだ。

憤怒の街に限らず、カースによる影響でカースドヒューマンになり、
GDFの隔離房にいれている人は少なからずいる。
そうでなくともカースに攻撃され傷ついたのに、呪いの影響により治療の難しい患者も多いのだ。
そんな人達が、あの森で全て治療出来てしまう。
まさしくカース問題に対する、一つの突破口と言える代物であった。

「まさしく特効薬ってやつだな☆」

「だけど、疑問が残るわネ」

「ああ。
 なんでそんな代物を、ウサミン製の認識阻害装置を使ってまでひた隠しにしたんだってことだよな☆」

「普通そんな物を手に入れたら、GDFのどっかに情報として降りてくるもんだが、
 今回に限っては、そんな物一切聞いたことがねぇ」

「What's? ポストマンってそんなに偉い立場の人間ナノ?」

「いや、俺は上から下までいろんなところに知り合いを持ってるだけさ。
 それこそ新司令官様の側近レベルの奴にもな。
 だが、その知り合いからもそんな知らせは聞いたことがねぇ。
 単に上が極秘情報として持っているだけか―――」

「あるいは情報がここで止まっているか、だよな☆」

「まあ、極秘情報だからという理由であればいいんだがな。
 ―――しかし、それでは俺達に出した任務の意味が無い」

「それって・・・・・・どういうコト?」

「ここにはGDF関係者しかいないから行っちゃうけど、
 はぁとたちの任務は、『憤怒の街の実態調査』だから☆
 知っている情報を調査って、おかしいよな☆」

「・・・・・・まさか!?」

「そのまさか、だろうよ」

そんなときに聞こえてきたヘリの音。
私達は戦いの予感を感じ得ずにはいられなかった。

今回はここまでです。
鈍足だけど、ちゃんと進んでるよー

次回か次々回くらいでユウキちゃんの目的は達成して、そのあとは戦闘回になりそう。

お久しぶりです
投下します


宇宙連合支配領域の片隅に、とある惑星があった。
名をオールドオースチン。

地表のほとんどが土砂とむき出しの岩盤に覆われており、
その赤茶けた外観から想像出来る通り惑星環境は極度に乾燥しているため、宇宙に住まう多くの知的生命体にとって入植に不適な星である。
だが、過去には豊富な鉱物資源の採掘産業により繁栄を迎えたこともあった。



オールドオースチン最大の街、パンゴリン。

ウルトラスーパーレアメタル目当てにやって来た山師連中で賑わったのも今は昔。
産出量の減少と共に人口も減り、現在は居住者も訪れる者も無くなり、その街並みは朽ちるに任せられていた。

そんな中、およそ半世紀ぶりに一人の来訪者がやって来た。
砂塵が吹き荒れる中を歩いて来た旅人然としたその人物は、寂れた──といった表現を通り越し、もはや廃墟となりかけの酒場の前で足を止めた。
そのまま入り口のスイングドアを押し開け店内に入ると、警戒した様子で辺りを伺う。
目深に被ったフードの奥の、その表情は窺い知れない。



「ナンニシマスカ?」

長年のメンテナンス不足により会話ルーチン回路が壊れかけた給仕ボットが、久方ぶりの客に声を掛ける。
客である旅人は「あるものでいい」と一言。

ボットは背後の戸棚から年代物の宇宙リカーのボトルを取り出しグラスに注ぐと、他にも用意する物があるのか、店の奥に引っ込んでいった。
それを見届けた旅人は軽く息をつき、フード付き外套を脱ぐと、ボロボロになったバーカウンターの椅子に腰かけた。

人気のない辺境の惑星にやってきてなお周囲を警戒する様子から察するに、厄介ごとに巻き込まれたか、あるいは自ら引き起こしたか──。
いずれにせよ、お尋ね者の類であろうことが想像できる。


「それは私に奢らせてもらうわ」

旅人がグラスを手に取ったところ、部屋の隅から声が掛けられた。
入店時には見当たらなかったが、声のした方には壁にもたれかかった人影がある。

「いいわね?」

人影が旅人の方へ歩み寄ると、光源の元に出たことで姿が露わになる。
ポンチョめいた布をマントのように羽織った長髪の女だ。


「……ここのところ、後を尾けてきていたのはあなたねぇ? 賞金稼ぎさん?」

「気付いていたとは……流石ね、『ミサト特佐』」

ミサトと呼ばれた旅人は、女に向かってストーカー行為に対する抗議の色を含んだ目線を向ける。
どうやら女の正体は、宇宙犯罪者を相手取る賞金稼ぎということらしい。


ミサト「せっかくだけどぉ、奢ってもらうのはお断りしますぅ」

ミサト「今の私は軍を抜けたから、もう『特佐』じゃないし」

ミサト「それに、こんな安酒を奢ってもらってもねぇ」

「あら、いいのかしら? あなたの末期の酒よ?」

お互い口調は落ち着いており、殺気立った様子もないが、酒場内には極めて剣呑な空気が流れている。
お尋ね者と賞金稼ぎが相対したのであれば、これから荒事が起こることは自明ではあるが。


ミサト「とりあえず、場所を変えましょう?」

ミサト「こんなボロボロな店でも、私が原因で壊れるのは忍びないもんねぇ」

ミサトはそう言うと、宇宙クレジットチップをカウンターに置くと席を立ち出口へ向かう。

「あら、存外殊勝なのね」

異存はないわ。と付け加えると、女も後に続いた。


十分後──ミサトと賞金稼ぎの女は、パンゴリンの街近傍の平野にて対峙していた。
周囲にはごつごつとした岩石が点在しているが、それ以外は見晴らしの良い場所だ。

吹きすさぶ風に煽られた球状回転草が二人の間に転がり出でる。
時間帯は、地球で例えるなら薄暮の頃であり、お互いの表情ははっきりと見えない。


「それじゃ改めて、お尋ね者ミサト……」

「その首、もらい受けるわ」

女は腰のホルスターから銃を抜くとミサトに向け構える。

ミサト「上等ぉ、受けて立ちますぅ……!」

対するミサトも、自身のプラズマブラスターを構えた。



最初に仕掛けたのは女の方だった。
ライフル型プラズマブラスターから放たれた光弾を、ミサトは横っ飛びで回避する──が。

ミサト「っ!?」

光弾が飛び去った方向から聞こえてきた轟音に、思わず振り返ってしまった。
背後ではおびただしい量の砂埃がおよそ百メートルの高さまで舞い上がり、光弾の着弾地点の地面には大穴が開いていた。
ともすれば、爆撃の類による攻撃かと見紛うほどの惨状だ。

その後も二射三射と攻撃が続くが、回避に難は無い。
だが、そのたびに射線上にあった物体──今は使われていない無人宇宙港の管制塔が根本から倒壊し、遥か彼方にそびえる巨大なメサが崩落する。


ミサト「(人気のない星に来ておいて良かったぁ)」

数日前から賞金稼ぎに狙われていると気づいていたミサトは荒事を見越して、あえて無人の惑星を選んで上陸していた。

ミサト「(あの人もそれを理解してここで仕掛けてきたっていうことなら、ただのアウトロー賞金稼ぎってわけじゃなさそうかなぁ)」

相手はミサトの目論見通りこの星に着いてから現れたが、実際はそれまでにも仕掛けるタイミングはいくらでもあったはずだ。
あるいは、相手も無人の星を選んで仕掛けてきたということであれば、それなりに分別のある人物ということか。
賞金稼ぎの中には、目的のためには周囲への被害を避けようとしない乱暴者も多い。



ミサト「(それにしてもこの威力……ただのプラズマブラスターじゃないねぇ)」

相手の動作をよく観察してみると、射撃による反動を利用し銃本体を回転させている。
そして回転の際には、銃の機関部からプラズマブラスターの弾倉とも言えるエネルギーカートリッジが排出されるのが見て取れた。

ミサト「(あの動きはスピンコック……一発撃つ毎に空カートリッジの排出をしているということは……フルバーストセルを使っている?)」

ミサト「(さっきの威力から考えても、おそらく間違いないかなぁ)」

一般的なプラズマブラスターは装填されたエネルギーカートリッジ一個から数十射分のエネルギーが分割して供給され射撃を行うが、
相手が撃ってきているプラズマ弾は一射毎にエネルギーカートリッジの全エネルギーを放出する特殊弾薬『フルバーストセル』によるものらしい。
その威力は、ちょっとした宇宙船の艦載砲にも匹敵し、そもそも対人用に使用されるものではない。


ミサト「ちょっとぉ、それ生身の人に向けて撃つのはオーバーキルじゃなあい?」

さしものミサトも、抗議の声を上げる。
だが、相手の立ち居振る舞いから察するに、恐らく幾度も凶悪な宇宙犯罪者を相手取ってきた歴戦の賞金稼ぎである。
ミサトの言葉を全く意に介すことなく、攻撃の手を緩めない。


「ごもっともだけれど、存外役に立つものよ」

「特に、物陰に隠れた相手を狙う時なんかにね」

ミサト「やばっ」

慌てて遮蔽物としていた岩の裏から転がり離れる。
直後、プラズマ光弾が飛来、直撃した岩は破裂し砕け散り、大小の破片が周囲に降り注いだ。
少しでも判断が遅れていたら同じ運命を辿っていただろう。

巨大な岩石を粉微塵にしてなお、プラズマ弾は勢いが衰えることなく地平の彼方へと飛び去っていった。


ミサト「まったくもう! めちゃくちゃするねぇ!」

うかつに近寄れないため、ミサトは遠距離から反撃を試みる。
所持する拳銃型プラズマブラスターの交戦距離外から、なおかつ走りながらの射撃であるにも関わらず、頭部や胴体などの急所を的確に狙い撃つ。
しかし──

ミサト「……なんで無傷なのぉ?」

相手にはさしたるダメージを与えられていない。
よく見ると、ミサトの攻撃が命中する直前にポンチョ型マントを掲げ、あるいは纏い、銃撃を防いでいるように見える。


「その距離から、正確に当ててくるとはね」

「戦闘機の操縦の腕が立つという話だったけれど、生身でもやるじゃない」

ミサト「お褒めにあずかりどーもぉ!」

相手の挑発じみた発言に、ミサトも苦し紛れの皮肉で返す。

「でも残念だけど、この耐プラズマコーティングフォトニックウィーブにはその程度のプラズマブラスターの弾は効かないわ」

ミサト「なにその説明口調!」

だが、現状では手の出しようが無いことは明白だった。


その後も遮蔽物代わりの岩石を転々としつつ攻撃を回避し続けるミサトだったが、
相手が撃ち切ったカートリッジの再装填を始めたのを確認すると物陰から進み出た。

ミサト「ねぇ? 提案があるんだけどぉ」

「提案……ですって?」

互いの距離が離れており、なおかつミサトが攻撃の意思を示していないため、
相手もリロードの手を止めることはないものの、話を聞く気はあるようだ。


ミサト「その銃、燃費が悪くて大変だよねぇ? 一発撃つごとにカートリッジを一つ消費するんだから」

ミサト「ひょっとして、そろそろ弾切れになるんじゃなあい?」

「心配は無用よ、残りの弾であなたを仕留めるのは訳ないわ」

ミサト「私も、逃げ回るのに疲れてきちゃったからぁ」

ミサト「ここは、早撃ちで勝負しない?」

「早撃ち?」

ミサトの"提案"に、相手は懐疑的な目を向けるが、ミサトは構わず説明を続ける。


ミサト「もうじき日付が変わるから、そうしたら街の時計台が時報を鳴らすでしょう?」

ミサト「お互い背を向けて立って、時報が聞こえたと同時に振り向いて早撃ち」

ミサト「恨みっこ無しの実力勝負……どうですかぁ?」

「古式の決闘方式で決着をつけようということね」

あと十分もすれば、宇宙連合標準時で日付の変更がなされる。
それに伴い、街の中心に建つデジタル時計塔が時報を鳴らす。
時計の時報に限定されないが、特定の合図を元に行う早撃ち勝負は、古来より一対一の決闘の手段として一般的なものである。


「……やりたいことは理解出来るけれど」

ミサトの提案を聞いた相手は、しかし得心がいかないといった様子だ。

先の撃ち合いの結果から、ミサトの攻撃は有効打になり得ない。
にも拘わらず早撃ち勝負などというのは、手の込んだ自殺に他ならない。

「あなた分かっているの? ただのプラズマブラスターでは──」

ミサト「その、対プラズマナントカマントを破れない」

ミサト「もちろん分かっているよぉ、私も逃げ回りながらちゃんと準備したからねぇ」

「準備……?」


ミサト「プラズマブラスターのエネルギー供給リミッターを解除して、オーバーチャージ射撃が出来るようにしたからぁ」

ミサト「一発撃ったら多分壊れるけど、これで威力は十分よぉ」

当然ではあるが、無策というわけでは無いようだ。
内容自体は博打の要素がすこぶる強いが。

「なるほど……いいわ、その小細工に免じて、提案に乗ってあげる」

ミサト「さすが、話がわかるぅ」


決闘の取り決めを交わした二人は、先ほどと同じように近距離で対峙していた。
吹きすさぶ風に煽られた球状回転草が二人の間に転がり出でる。

ミサト「ところで、勝負の前に、あなたの名前を教えてくれない?」

生死を掛けた真剣勝負を前に、ミサトは賞金稼ぎの女に問いかける。

「……ひとたび勝負が始まれば、あとに残るのはどちらか片方だけ」

「……名を名乗る意味など無いわ」

しかし、その返事はにべもないものだった。
賞金稼ぎを生業としている以上、明日をも知れぬ身である。

「私が勝てばそもそも名乗る必要が無い」

「そして、あなたが勝てば私の名前は消える」

標的と名乗りあうなどといった感傷的な行為は、彼女には必要ないというところか。


ミサト「でもぉ、決闘の作法だからぁ、そう言わないでよぉ」

しかし、ミサトも折れない。

ミサト「それに、あなただけ私の名前を知っているっていうのは不公平じゃなあい?」

「……メグミよ」

ミサト「ありがと、覚えておくからねぇ」

少しの逡巡の後、賞金稼ぎの女はその名を告げた。


──────────────────────────────────────────

先ほどの、弾切れが近いのではないかというミサトの指摘は的を射たものだった。
メグミの得物である『プラズマリピーター』の弱点の一つに、弾薬の消耗が激しいことが挙げられる。
実際、残弾は数発といったところだ。

だが、残弾数の低下──あるいは弾切れは、メグミにとってはさして問題にはならない。
メグミの本領はプラズマリピーターによる遠隔攻撃ではなく、プラズママチェットを用いた高速近接格闘術である。

過剰な威力の銃撃に、これ見よがしのコッキング動作。
そして、継戦能力が低いというあからさまな弱点。
それらは全て、弾切れによる戦力低下を相手に印象付け、接近戦へ誘導するための布石に過ぎない。
攻撃手段を失ったと見せかけて相手の油断を誘い、近寄ってきたところを必殺の間合いで仕留める──メグミの常勝戦法の1つだ。

それゆえに、ミサトの言う早撃ち勝負は、メグミにとっては受ける必要のない提案だったのだが……。

メグミ「(この状況において、打開する策があるというのなら、見せてもらいたいものね)」

メグミ「(まさか、正直に決闘を挑んでくるつもりでは無いでしょう)」

決闘に際しある程度の距離を空ける必要があるため、背を向けあって歩みを進める中、相手の取り得る行動を予測する。


先ほどミサトが言っていた、耐プラズマコーティングフォトニックウィーブへの打開策であるエネルギー供給を増してのオーバーチャージ射撃は、
通常のプラズマブラスターで行う場合過負荷による銃身破裂を起こす危険も伴う行為である。
もしも暴発しプラズマ爆発でも起ころうものなら、勝負云々以前の問題だ。

あるいは、メグミを決闘の話に乗せるためのブラフで、他に何か手があるのか──。

メグミ「(さて……どう出てくるか)」

結局のところ、賞金稼ぎとしての好奇心から話に乗ったのだった。


メグミ「(……、……鳴った!)」

お互い背を向けたまま数十秒が経過したころ。
ついに街のデジタル時計塔がデジタル鐘声を鳴らした。
それを合図にメグミは振り向きつつ銃を抜き放つ──が、

メグミ「っ!」

そこにミサトの姿は無かった。


ミサト「ダメじゃないのぉ……宇宙犯罪者の言うことを真に受けたら」

そして、横から問題の人物の声が聞こえてくる。
すぐそばで銃を突き付けているのだろう。

互いに背を向けたことで、視線が外れた隙に回り込んだというところか。
自分から決闘形式の勝負を提案しておきながら、あまりにも小狡いやり方である。

しかし、置かれた状況にも拘わらず、メグミは落ち着き払っていた。

メグミ「やれやれね……そんなことだろうと思ったわ」

ミサト「!?」

次の瞬間、ミサトが銃を突き付けていたメグミの姿は一瞬のうちに消え去り、代わりに背後からミサトの首筋にプラズママチェットの刃が宛がわれた。
いつの間にか、ミサトとメグミの位置関係と立場がそのまま反転している。


ミサト「これは……瞬間移動……ではないかぁ」
                          
ミサト「……なるほどねぇ、立体映像と光学迷彩ね」

ミサト「さっき酒場に入った時に見えなかったのも、同じように姿を消していたってことかぁ」

メグミ「ご明察」

ミサトが看破した通り、これもメグミの常勝戦法の一つ。
個人用クローキングデバイスとホログラムプロジェクタの合わせ技による、攪乱・奇襲攻撃である。
光学迷彩で自身の姿を消しつつ、自身と同じ姿の虚像を投影し囮とする、いわば初見殺しの凶悪な技だ。


メグミ「しかし、まさかあなたの反撃の一手が、決闘の決まりを反故にしての不意打ちとはね」

メグミ「正直、あまりに稚拙過ぎて、失望の念を禁じ得ないわ」

自らの勝利が揺るぎないものと認めたメグミは、いかにもがっかりしたといった様子でミサトを詰る。

ミサト「そっちだって素直に決闘する気無かったんだから、お互い様でしょ?」

メグミ「……まあ、お互い様と言われればその通りね」

しかし、事ここに至ってなおミサトは飄々とした態度を崩さない。


メグミ「(この態度……ただ野放図なだけ? それとも、まだ何かある?)」

その様子に、メグミは些か訝しむ。

ミサト「でも、おみそれしましたぁ、これは私の負けねぇ」

殊勝にも自らの敗北を口にするが、しおらしさといったものは微塵も伺えない。


メグミ「そう、なら大人しく捕まりなさい」

メグミ「これ以上抵抗しなければ、命までは取らないわ」

ミサト「……申し訳ないけどぉ、捕まる気は無いの」

ミサト「出来れば見逃してもらえなぁい?」

メグミ「この期に及んで、何を言い出すのかしら」

冷ややかな目線を物ともせずぬけぬけと言い放つミサトに対し、威嚇の意味も込めてマチェットをさらに強く押し当てる。


ミサト「それが、お互いのためだと思うんだけどぉ……ダメかなぁ?」

メグミ「……っ!?」

メグミ「(銃砲類によるロックオンアラート……直上?)」

ミサトが猫なで声で自身を見逃すよう懇願すると同時に、
メグミの側頭部に装備された戦闘支援デバイスの脅威検出分析システムが、網膜投影による警告を表示した。

刃を突き付けたまま油断なく頭上に目を向けると、遥か上空に明るく光る物体が見える。
戦闘支援デバイスがハイライトした敵性存在──先のロックオン信号の発信源だ。
状況から判断するに、ミサト配下の宇宙戦闘機の類だろう。
遠隔操縦により、メグミを狙っているのだ。


メグミ「いつの間に……あんなものを配置していたのかしら」

ミサト「気付かれないように準備するのは結構大変だったよぉ」

戦闘機に狙われている以上、下手な動きをすればすぐに避けようのない銃撃に晒されるだろう。
超高速の三次元機動を行いつつ射撃を行う宇宙戦闘機のFCSをもってすれば、いかに距離が離れていようと人一人射貫くなど全く問題にならない。


ミサト「ねえ……私もね、今回はあなたに負けたと思ってるの」

ミサト「だからぁ、この勝負はお互い水に流しましょ?」

メグミ「……」

ミサトが言うには、決着をつけることなく、お互いを見逃そうということらしい。


メグミ「(なぜわざわざ私に選択肢を与えるようなことを……)」

メグミ「(これまでにチャンスはあったはず……有無を言わさず撃ちぬけばいいものを……あるいは、単純に機体の配置が間に合わなかった?)」

メグミ「(今だってそう……わざわざロックオン信号を発信して……あえて私にあの戦闘機の存在を気付かせて、手を引かせるつもりだったとでも?)」

メグミ「(気に入らないわね……)」

しかし、メグミの賞金稼ぎとして矜持が大人しく引き下がることを拒む。
先程のミサトの「お互いのため」という言葉通り、未だメグミはミサトの生殺与奪を握ってはいるのだ。


メグミ「……私達の勝負を流せるだけの水は、この乾いた惑星には無いわ」

ミサト「それ、うまいこと言ったつもりぃ?」

ミサト「……残念だけどぉ、あなたがそう思っていても、どうやら"水を差され"そうねぇ」

メグミ「……? あぁ……」

ミサトが唐突に辟易としたような様子を見せたためメグミは訝しむ。

メグミ「また面倒なのが来たわね」

だが、すぐにその理由が判明する。
戦闘支援デバイスに、新たな敵性存在が検知されたのだ。


直後、二人の至近に数発の光弾が着弾した。


『ようやく見つけたぜぇ、賞金稼ぎのメグミぃ……!』

『今まで散々いいようにやられてきたがぁ!! 今日という今日こそは吠え面かかせてやるぞぉぉう!!』

『調子に乗って、毎度の如く足元掬われないようにしてよね』

突然現れた正体不明の宇宙船──先ほどの攻撃元からは、乗組員のものだろうか、やたらとわめき散らす声が聞こえてくる。
どうやらメグミを目当てにやってきたようだ。


『それとぉ……一緒にいる奴は一体ナニモンだぁ!?』

ミサト「うるっさいなぁもう……!」

いかにも面倒そうに、ミサトが上空に待機させていた戦闘機に攻撃命令を出す。
すると機首から、文字通り光速の光の奔流が謎の宇宙船に向けて一直線に伸びる。

『ぐわぁっ! な、何が起こったぁぁ!?』

『攻撃よ、あそこの戦闘機から』

不意打ち気味に高出力ビームキャノンの直撃を受けた乱入者の宇宙船は、黒煙を吹きながら急速に高度を失ってゆく。

『あ、あの戦闘機はぁぁ! ……そこにいる貴様はもしや、フェリーチェ・カンツォーネ!?』

『因縁浅からぬ相手が同時に二人も見つかるたぁ好都合だぁ! まとめてプロデュースしてやるぁ!!』



ミサト「なんでわざわざ外部スピーカーで大声張りあげるかなぁ……」

メグミ「あなた、アレの知り合いなの?」

半ば呆れ顔で呟くミサトに、メグミが問いかける。
乱入者の叫んでいた内容からすると、ミサトも因縁がある様子だったが──。

ミサト「知り合いぃ? アレが? 冗談きついよぉ……知らない人ですぅ」

メグミ「あらそう……」

メグミ「(確かに、可能な限り関わり合いにならないようにすべきタイプだものね、あいつは)」

げんなりとしつつ否定する様子から、メグミもある程度の事情を察した。


メグミ「でもまあ、あのロクデナシと敵対しているということは」

メグミ「あなたは賞金首ではあるけど、悪人というわけではないのかしらね」

ミサト「私が悪人でないかは何とも言えないけどぉ、アレがロクデナシだっていうのには同意よぉ」


ミサト「それで……とんだ邪魔が入っちゃったけどぉ、どうする? さっきの続けるのぉ?」

メグミ「そうね……興が殺がれたわ」

メグミ「腹いせに、あのやかましいのを黙らせることにするわ」

そう言うメグミの視線の先には、墜落し体勢を立て直そうとしている乱入者の宇宙船。

ミサト「腹いせじゃないよぉ、正当な防衛」

メグミ「確かに、向こうから仕掛けてきたんだものね」

ミサト「私も、丁度いい機会だし、ここいらで禍根を絶っておくかなぁ」

先ほどまでは対立していた二人だったが、共通の敵を得た今、奇妙な連帯感を感じていた。
ともすれば、お尋ね者と賞金稼ぎという間柄でありながら、共闘している方が自然に感じられるほどである。


『おいぃ!? あんたらさっきまで攻撃しあってたじゃねぇか!』

『何で一緒になってこっち向かって来るんですかねェ!?』

乱入者の困惑も無理からぬことだ。
先ほどまで殺し合いを演じていた二人が、今は何故か自分を標的に変え向かって来ているのだ。

しかし、"敵の敵は味方"という論法に則った場合、敵対していた者同士が手を組むということは往々にしてあり得ることである。
ましてや乱入者の彼は、ミサトとメグミの両名から疎ましく思われている。


ミサト「問答無用」

メグミ「覚悟することね」

『ちくしょうめえぇぇえ!!!』

冷笑を浮かべる二人を前にした乱入者の絶叫が、夕闇の大地に響き渡った。


───────────────

────────

───


──プリマヴェーラ号内──

ミサト「それでぇ、最終的にあの……あー、あれ、あの気持ち悪いあいつ」

メグミ「……UP」

ミサト「そうそれ、そのUPを二人でコテンパンにしてぇ、意気投合しちゃったってわけ」

P子「なるほど……そこで、ビアッジョ一家を結成したのですね」

メグミ「ま、ミサトと手を組んだお陰で、私までお尋ね者にされてしまったのだけれどね」

ミサト「もう、それは言いっこなしだって、前から言ってるでしょう?」

ミサトとメグミは、P子に乞われてビアッジョ一家立ち上げの経緯を話して聞かせていた。
二人にとって、懐かしく思う程度には昔の話である。


メグミ「それにしても、あれからUPはどうなったのかしらね」

ミサト「うーん……今まで何度も仕留めた! って思ったことがあったけどぉ」

ミサト「結局復活してるからねぇ」

メグミ「一度、あれの宇宙船ごと、恒星に向かって飛ばしたこともあったわね」

ミサト「それでも結局帰ってきちゃったもんねぇ」

ミサト「また、どこかで出てくるんじゃないかなぁ」

P子「……」


P子「(二人の間には、"思い出"が沢山あるのですね)」

P子「(いつか私も、過去を懐かしむ時が来るのでしょうか……)」

二人のやりとりを傍から眺めつつ、P子はまだ見ぬ未来に思いを馳せるのだった。

終わりです
UPをお借りしました

西部公演以来、絶対シェアワに落とし込むんだって意気込んでたけど、ようやく投下出来た……

もう一つ書きあがったので連投します


超々高層建築物が林立する世界有数の一大メガロシティ──ネオトーキョー。
文字通り天を穿つかのようにそびえ立つ摩天楼群は、訪れた者に驚愕をもたらし、その視線を釘付けにして離さない。
だが、少し目線を動かし海上(ネオトーキョー自体が埋立地の上に建つ都市ではあるが)を見やると、
陸の都市部とはまた違った存在感を放つ地域が存在する。

ネオトーキョー港湾区、通称『ウォーターフロント』。
旧東京湾の湾口──浦賀水道から太平洋上へと大きく突き出す、超巨大海洋構造物の集合体だ。
ネオトーキョーの海と空の玄関口であり、
(都心に隣接していたとはいえ)新興地域からたった数年のうちに世界中類を見ない成長を遂げた経済特区の、その物流を一手に担う運輸の要衝である。

多数の倉庫群に工場施設に港湾設備──果ては航空機の滑走路までもが築かれた大型メガフロートや、
そのメガフロート構造を係留している洋上プラットフォーム群、はたまた港湾設備上を動きまわる荷役用の大型クレーン類──。
それらの威容は、遠目に巨大な甲殻類の群れのようにも見える。


その中の埠頭の一つ。
大型貨物船の荷降ろし用桟橋に、一隻のコンテナ船が入港してきた。
タグボートに曳航されたコンテナ船が緩慢な動きで接岸し係船されると、
埠頭のガントリークレーンが船上のコンテナを運び降ろすために動き始め、港はにわかに忙しい空気に包まれた。


そんな光景を尻目に、コンテナ船のデッキから乾舷数十メートルはあろうかという高さを飛び降りる人影があった。
人影はそのまま、埠頭に降ろしてあった手近なコンテナの陰に滑り込む。
船上や港で作業を行っている人間の中に、その姿を見咎める者は居ない。


むつみ「ふぅ……とりあえず、見つからないで来れましたね」

密入国紛いの動きで上陸を果たした人影──氏家むつみは、周囲の様子を伺いつつ息をついた。

クォーツ『うむ、ここまでは手筈通りだ』

彼女の相棒──宇宙から飛来した謎の存在、通称クォーツが、それに相槌を打つ。

むつみ「ネオレインボーブリッジから、下を通る船に飛び移れって言われた時はどうなることかと思いましたよ……」

クォーツ『もうそれは言うな、こうして無事にたどり着いただろう』

どうやら、すでに一波乱あったらしい。


むつみ「ネオトーキョーにアストラルクォーツのかけらが有るって話ですけど」

むつみ「なんでわざわざこんな回りくどい方法でここまで来たんですか?」

アストラルクォーツ──むつみとクォーツが探し求める宇宙鉱石だ。
今回二人(一人と一個)がネオトーキョーにやってきたのは、それを見つけだす目的があった。

しかし、ネオトーキョーに至るまでの道筋に得心がいかないむつみは、その理由をクォーツに尋ねた。


クォーツ『端的に説明すると、敵に気取られないようにするためだ』

むつみ「敵って……穏やかじゃないですね……」

むつみ「カースじゃないんですか?」

クォーツ『うむ、カースではない』

クォーツ『ただ今の段階では、まだ「仮想敵」と呼ぶべきか……事を構えることになるとは限らんのでな』


クォーツ『これから我々が向かう場所は、人の立ち入りが厳しく制限されていてな』

クォーツ『いや、制限というよりも、その存在自体が秘匿されているから──』

クォーツ『一般人はそもそもその場所を知り得ない……と言った方が適切か』

むつみ「秘匿されているって……誰から、ですか?」

クォーツ『先ほど言った、仮想敵──我々の目標を達するうえで、障害となり得る存在だ』

クォーツが言うには、コンテナ船に紛れ密航した理由は、敵対的な存在を避けるためらしい。
カース以外の"敵"と言われても心当たりのないむつみは、話を聞きながら緊張の色を強める。


クォーツ『目的地──アストラルクォーツがある場所だが、対外的には「関係者以外立ち入り禁止」の区画内にある』

クォーツ『まあ、その表現自体は偽りでは無いのだが、問題はその後だ』

クォーツ『故意にせよ、知らずに迷い込んだにせよ、"関係者"以外が足を踏み入れたが最後──』

クォーツ『漏れなく行方不明者リストに加えられる事になる』

むつみ「えぇ……?」


むつみ「つまり、その"敵"が、入り込んだ人を……?」

クォーツ『それもあるだろうが、人為的な理由以外で行方不明になっている可能性もあり得る』

クォーツ『例えば、入り込んだはいいが迷ったまま出てこられなくなったり……といったところだ』

むつみ「……」



不安そうな面持ちのむつみを余所に、クォーツは話を続ける。

クォーツ『ネオトーキョーの防犯システムが、一般的な都市のそれとは比べ物にならないほど高度だということは知っているか?』

むつみ「授業で習いました」

むつみ「防犯も含めた都市機能の全てが、世界最先端のシステムで動いているって」

クォーツ『生活環境の利便化などと体よく言い繕ってはいるが、その実態は大衆を効率よく管理するための物だ』


コンピュータ制御・ネットワーク接続により管理運営され、極端なまでに電脳化が推し進められたネオトーキョーの都市機能は、
『サイバーフューチャーシティ』として、世界の主要都市でもモデルとされているほどだ。

だが、高度に一元管理されたシステムの恩恵を真に享受しているのは、そこに暮らす市井の大衆ではなく、いわゆる"支配者層"と呼ばれる存在である。

人類が文明を持ち、集団で暮らし始めたその時から、為政者はあの手この手で民衆を管理する策を講じてきた。
ネオトーキョーの都市機能管理構造はその極致と言えるものだ。


クォーツ『我々の仮想敵は、この都市の、防犯機能も含めた諸々のシステムにアクセスする能力を有しているのだ』

むつみ「それって、警察……?」

クォーツ『警察ではない……警察よりも、よほど厄介な連中だ』

むつみ「そんなの……相手に出来るのかな……?」

敵が都市機能を掌握しているというクォーツの言葉が真実だとすると、これから相手をしようとしてる存在はかなりの勢力ということになる。
むつみの不安も無理からぬことだ。

クォーツ『だから、真っ向から相手にせずに済むように侵入経路を選んだのだ』

それに対して、クォーツは反論するように言葉を続けた。


クォーツ『いいか、敵が用いるシステムの中でもとりわけ厄介なのが防犯・監視カメラだ』

クォーツ『私に言わせてみれば原始的なシステムそのものだが、単純故に厄介なのだ』

クォーツ『一度捉えられれば、顔が映っていなくとも体格や歩き方など、あらゆる情報から個人を特定される』

クォーツ『「関係者以外立ち入り禁止」の場所に入り込むうえで、監視カメラ等に見つかってしまっている状態だと、目的を達成した後も追手がかかるかも知れん』

クォーツ『目的地に向かう進行順路を事前に検証した結果、陸路からだといずれのルートもカメラに見つかってしまうのだ……公共交通機関を使うなどもっての外だ』


クォーツ『そこで、海路から密かに侵入する手段をとることにした……というわけだ』

むつみ「……つまり、クォーツの案内に従えば、監視カメラに見つからずに進むことが出来るんですね?」

クォーツ『そういうことだ』

むつみ「(それなら……きっと、大丈夫……だよね)」


むつみがクォーツと出会い、非日常の世界に足を踏み入れるようになってから、度々窮地に陥ることはあった。
だが、その都度最適な解決方法を提示されており、実際その通り動くことで危機を脱してきていたため、むつみにってクォーツは「信頼に足る存在」として認識されていた。

そういった前提もあり、得体の知れない敵と対峙するかもしれないということではあるが、結局むつみの中では「今回も上手くいく」という考えに落ち着いたのだ。
少し前まで感じていた不安も、払拭できたらしい。


クォーツ『理想を言えば、今日我々がネオトーキョーに存在していた事実を、全く誰にも知られることが無ければそれがベストだ』

クォーツ『もしも、万が一カース等の存在に遭遇することがあっても、人前では戦闘を避けろ』

むつみ「わかりました」

むつみ「このステージ衣装なら、見つからないようにするっていう目的に適っていますね!」


むつみが現在纏っている胴衣──いわゆる半着と呼ばれる丈の短い着物は、宵の闇に紛れる濃紺だ。
顔の下半分を覆い隠す紫紺の布は首に巻かれ、スカーフやマフラーめいてはためく。
腹部を締める帯には、何が入っているのか、瓢箪がぶら下がっている。

その姿は、一般的にイメージされる忍者あるいはくのいちと呼ばれる存在が着用する装束そのものだ。
秋炎絢爛祭において、『ニンジャヒーローアヤカゲ』と接触した際に得られたステージ衣装、『シノビトラディション』である。

文字通り人目を忍んで活動していた忍者の記憶が宿るシノビトラディションには、風景に紛れる迷彩能力と他人の目を欺く認識阻害能力、
そして、しなやかで素早い動作を可能とする運動能力が備わっている。
現在の目的に合致したステージ衣装だ。


むつみはクォーツの案内に従い、人目を避けて港湾区の建物の間を抜けて進んでいく。
すると、ある扉に突き当たった。
扉が据え付けられている建物はコンクリート製で、窓などは見られない。

むつみ「港湾区第三区画東46番共同溝……ここですか?」

クォーツ『うむ、中に入るぞ』

外見より重たく感じられる金属扉を開けると、何が出てくるのかと身構えていたむつみの想像に反し、ごく普通の通路につながっていた。
壁面には様々な太さのケーブルや配管が通っている。

むつみ「……入り口には共同溝って書いてありましたけど、ここって、つまり共同溝そのもの……ですよね?」

クォーツ『うむ、ここはまだ目的地ではないぞ』

むつみ「あ、そうだったんですか」



その後もクォーツの案内で、アリの巣のように入り組んだ人気のない都市設備メンテナンス用通路を進んでいく。

クォーツ『そこの扉を通るぞ』

むつみ「はい」

通路に入り何度目かの扉を開けると、そこは遥か下方まで折り返し階段が続く階段室になっていた。
無機質なコンクリート打ち放し壁には、これまた無機質な直管蛍光灯が据え付けられている。
踊り場部分には、商業施設等によくある階数案内は無い。

むつみ「……底が深いですね」

クォーツ『ここを降りるのだ』


階数にすると数十階分だろうか。
相当な長さの下り階段を降りていくと、最終的にまたも金属扉に突き当たった。
やたらに長い階段を下った先にあるという点を除いて、一見して変哲は見られない。


むつみ「やっと一番下まで来られましたね……」

クォーツ『うむ……ここから先が"敵"の支配下だ』

クォーツ『心して進めよ』

むつみ「え? 今までは?」

クォーツ『今まではあくまでネオトーキョーの公共区画に過ぎなかったからな』

クォーツ『もちろん、一般人が立ち入る場所では無かったが──』

クォーツ『ここから先が真の「関係者以外立ち入り禁止」区域だ』

むつみ「分かりました……いよいよ、ですね」


むつみは恐る恐る扉を開け、先の通路を伺う。
今までと同じように、用途の分からない配管がいくつも壁に伝って伸びているが、通路の照明は常夜灯めいた薄暗いオレンジがかったものに変わっている。
また、公共施設において法令で設置が義務付けられている非常口案内表示や消火器等が見当たらない。


むつみ「……なんですか? この雰囲気」

通路に足を踏み入れた途端、むつみは異様な空気を感じ取った。

クォーツ『ほう、お前にも感じられるか』

むつみ「はい……なんていうか……」

むつみ「今までより薄暗いのはそうなんですけど……居るだけで不安になってくるっていうか……」

クォーツ『つまり、この場所が地表とは異質の空間であるということだ』

むつみ「異質……」

言葉で言い表すことが出来なかったが、むつみは肌に纏わりつくような不快感を感じていた。
カースが出現する際にも気分が悪くなることが多いが、それともまた違った感覚だ。



クォーツ『……やはり、この下層部に来てから、周囲の空間値変動が頻発するようになった』

クォーツ『しかも、振れ幅がかなり大きいな』

むつみ「え?」

むつみが言い知れない不快感を不安に感じていると、クォーツも若干険しい声色で何やら呟く。


クォーツ『恐らく、エセリアルベルトを遮る形でこのネオトーキョーという都市が形成されていることが原因だろう』

むつみ「エセ……なんですか?」

クォーツ『惑星を巡る種々のエネルギーの循環路だ』

クォーツ『地球においては、地脈や龍脈と呼ばれているな』

思わず聞き返すと、クォーツからは宇宙的見地で考察された宇宙用語が飛び出す。
むつみは慣れたものだと聞き流すと歩みを進めるが──。

クォーツ『物質世界の混沌が具象化された都市、ネオトーキョー……』

クォーツ『その中にあって、なお混濁を深める地下空間……か』

クォーツ『まったく……怖気が立つな』

むつみ「……クォーツ?」

むつみはクォーツの独り言に対し、心配そうに声を掛ける。
いつものように勝手に感じた疑問に自己完結しているのかと思いきや、
吐き捨てるかのような、不快感を滲ませた声質が気を引いたのだ。

これまで、クォーツがいわゆる"感情"のようなものを見せたことは無かった。


クォーツ『……いいかむつみよ、私の指示する道を外れるなよ』

しかし、当のクォーツは何事も無いかのように振る舞う。

クォーツ『さもなくば、時空の歪みに嵌って二度と戻れなくなるやもしれん』

むつみ「ええ!? そんな!」

むつみ「道案内、しっかりお願いしますよ!」

むつみも、その後の発言に気を取られ、追及はしないのだった。


そんな話を続けながら進んでいると、前方から金属製の案山子のような物体が近寄ってくるのが目に入った。


むつみ「な、なんですか? あれ……?」

クォーツ『あれは……ルナール謹製の"保守点検"ボットだな』

むつみ「ルナールって……ルナール社?」

むつみ「保守点検って……何を……? あれ、銃ですよね?」


金属案山子の上半身──丁度"腕"のあたりから、黒光りする筒状の棒──銃身が飛び出している。
胴体部分には、弾倉と思しきドラム状の物体が据え付けられているのが見て取れる。
おそらく、機関銃の類が備わっているのだろう。

クォーツ『あれは当然市販モデルでは無いだろうが……』

クォーツ『ふむ、設備の全自動保守点検を謳っているルナール社製メンテナンスボットだが、少し仕様を変えれば歩哨も勤まるという事だな』

むつみ「な、納得してないで! どうしよう!」

現在地は一本道の通路のため、このままでは鉢合わせるのは時間の問題だ。
その場合、今のむつみはもれなく侵入者認定をされ、攻撃にさらされるであろう。


クォーツ『武装してあるとはいえ、所詮は機械人形だ、てこずる相手ではない』

クォーツ『だが、奴を打ちのめしてその持ち主連中に異常事態を察知されるのは面白くない』

クォーツ『物陰でやり過ごそう』

むつみ「わ、わかりました」

むつみは天井から床へ通る一際大きな配管の裏に身を隠すと、慎重に通路の先の様子を伺う。


案山子は着実にむつみの居場所に向かってきており、徐々に距離が詰まる。
時折、天井近くの壁面を伝うパイプから漏れ出る蒸気にボットが発する走査レーザー光が映り込み、威圧感を与える。
そのうち、低周波モーター音と共に、細身の金属が打ち合わさるようなガシャガシャとした音──恐らくはボットの歩行時に発するものと思しき音が聞こえてきた。


──そして、むつみのすぐ近くで歩行音が止んだ。


「侵入者探知……戦闘ルーチン起動」

むつみ「えっ?」

甲高いビープ音に続き無機質な機械音声が告げた言葉を聞き取ったむつみは、全身から血の気が引く感覚に見舞われた。


むつみ「っ!?」

その直後、耳元で爆竹を鳴らされたかのような凄まじい破裂音が連続して響き、眩い閃光が通路を照らした。
むつみは反射的に身を縮こませるが──。

「ひゃあああ! 堪忍してぇなああぁぁ!」

自分の後方から聞こえてきた声に気を取られそちらを見やると、人影が走り去っていくのが見えた。
どうやらボットの攻撃は別の存在に向けられたものだったようだ。


「侵入者ロスト……追跡開始」

ボットもまた、人影が逃げ去った方向へと、ガシャガシャと足音を立てながら走り去って行った。

クォーツ『……どうやら、我々の他にも命知らずがいたようだな』

むつみ「なんだかよくわからないけど、助かった?」


その後もむつみは、通路を進む中で何体もの歩哨ボットに出くわす。
その都度かわし、やり過ごしつつ進む。
いよいよアストラルクォーツに近づいているというクォーツの言葉に従い、通路の角を曲がったところ、新たな存在と遭遇した。


むつみ「あれは……人?」

通路の先に、黒いローブを纏った人型(ことネオトーキョーにおいては、人の形をしていても人間とは限らない)が2体。

クォーツ『まずいな……むつみ、隠れ──』

「何者だ!!」

むつみ「っ!?」

クォーツ『遅かったか……走るぞ!』

2人組に見咎められたむつみは、一目散に駆け出した。



クォーツ『奴ら、ルナールの私兵部隊か』

むつみ「……またルナール社ですか?」

クォーツ『うむ……ようやく"仮想敵"のお出ましだ』

むつみ「え? 敵って……ルナール社が!?」

クォーツ『お前も、連中についてのキナ臭い噂は耳にしたことがあるだろう』

むつみ「それって……"悪魔の企業"とかって……でも、そんなまさか……」


ネオトーキョーの発展と共に世界トップクラスの企業へと急成長を遂げ、ネオトーキョーを事実上支配している『ルナール・エンタープライズ』。
その躍進の陰には後ろ暗い何かがあるのだという世間の風評は、むつみも聞き及んでいた。
しかし、多くの一般人の御多分に漏れず、そのような怪しげな噂も自身には関係の無い事だと気に留めた事すら無かったのだが──。

クォーツ『こんな場所に人間を送り込んで何やら嗅ぎ回っているという事は、根も葉もない噂……という訳でも無さそうだな』

クォーツ『だが、連中が何をしているのかについて思案するのは、この状況を切り抜けてからにした方がいいだろう』


あても無く逃げ回っていたむつみだったが、気がつけば袋小路──通路よりは広々とした小部屋のような場所へと入り込んでいた。
周囲を探るも、他に逃げ道は無い。

むつみ「どうしましょう……」

クォーツ『こうなっては、戦うしかあるまい』

間を置かずに、先ほどの二人組も袋小路へとやってくる。
完全に追い込まれる形となってしまった。


「これ以上、逃げ場は無いようだな」

むつみ「……」

体格からすると人間の男だろうか。
ボイスチェンジャーで加工されたような無機質な音声が、殊更威圧感を強める。
顔の半分を覆う仮面によってその表情は読み取れないが、むつみは彼らから発せられるひりつくような敵意を肌で感じ取った。

「目撃者は消すよう厳命されていてな……」

黒装束の一人が懐から拳銃を取り出し、その銃口をむつみへと向ける。



むつみ「カースならともかく、人を相手に戦うなんて……」

クォーツ『この状況では悠長なことを言ってもおれまい』

初めて人間と対することになったむつみが怖気づくのも無理からぬことだが、クォーツの言う通り戦わない訳にはいかない状況である。

クォーツ『いいか、人間相手ならそれ相応の戦い方がある』

そこで、いつものようにクォーツのレクチャーが始まった。


クォーツ『この状況下においては、お前のその容姿が大きなアドバンテージとなるだろう』

むつみ「どういうことですか?」

クォーツ『カース相手ではそうはいかないだろうが、奴らは人間だ』

クォーツ『お前が年端もいかない小娘だということで油断している』

クォーツ『出会ってすぐに逃走したことも相手の油断を誘えたな』

クォーツ『そこを逆手に取るのだ』

むつみ「な、なるほど……ちょっと複雑な心境ですけど……」

クォーツ『銃を持った方の動きに注目しておけ、気の流れと筋肉の動きを見極めろ、奴の発砲と同時に攻撃に移る』


むつみ「(今だっ!)」

むつみは自分を狙う拳銃の、その引き金に掛かった指が僅かに動いたのを視認すると、瞬時に射線軸より身体をずらした。
直後、乾いた発砲音と同時に、弾丸の様に駆け出す。


むつみ「これは正当防衛ですよ!」

背に下げた鞘から忍刀を引き抜きつつ、拳銃を持った方の腹部を柄頭で打ち抜く。

「ぐ……が……っ」

想定し得ない一撃を受けた黒装束の一人は拳銃を取り落とすと前のめりに倒れこみ、そのまま動かなくなった。


むつみ「(刃を当てるわけにはいかない……峰打ちでっ!)」

むつみは勢いそのまま、もう一人の黒装束を直刀の棟で打ち据える。

むつみ「(っ!? 躱された!?)」

だが、その剣閃は空を切るばかりだった。

相手はむつみの攻撃が届く直前に、後ろ飛びで距離を取っていた。
突如として攻勢に出たむつみの動きに動じることなく即座に対応したところを見るに、戦闘慣れした手練れであろうことが推測できる。



「小娘が、ふざけやがって……!」

黒装束は反撃に転じることなく、腕に装着された端末を何やら操作している。

「現れ出でよ……ッ!! フレアブラアアァァアスッッ!!!」

むつみ「うわっまぶしっ」

そして、何事かを叫ぶと、薄暗い通路が閃光に包まれた。



目を眩ます程の光が晴れると、むつみの眼前には小部屋の天井までを覆うほどの体躯を誇る巨大な生物が立ち塞がっていた。

むつみ「えぇっ!?」

その形貌を認めたむつみの顔が驚愕に染まる。


むつみ「な、何……あれ……っ!?」

地球上に存在するどの生物とも似つかないものであったためだ。



全身は赤銅色の鱗状の物体で覆われ、二本の脚で直立し、背部からはコウモリの羽を太くごつくしたような二対の翼が生えている。
上半身から伸びる腕部の先端には土木作業用のツルハシと見紛うほどの凶悪な鉤爪が生え揃っており、頭部から僅かに覗く牙も大きく鋭利だ。


その姿はまるで──


むつみ「ドラゴン……?」

おとぎ話の中の、怪物そのものだった。


クォーツ『今のは……空間転移? いや、事象再現か』

クォーツ『ふむ……なかなかどうして、面白い技術を持っているじゃないか』

またもクォーツは、自己完結しつつ喜んでいる。

むつみ「感心してないで! どうしたらいいですか!?」


クォーツ『あれは、一般的にドラゴン──竜族と呼ばれる生物だな』

クォーツ『先ほどあの男は、フレアブラスと呼んでいたか』

むつみ「ふ、フレアブラスって?」

クォーツ『そうか、一般人だったむつみには見慣れないものか……』


クォーツ『炎のフレアブラス──』

クォーツ『魔界の竜族の中で、雷のテラソーギグ・氷のブリザイアと合わせ、御三家だとか、あるいは三竜だとか呼ばれている種類だ』

むつみ「ま、魔界の竜族……!?」

クォーツ『あー……今はそれは置いておくべきだ、後で説明してやる』



むつみにとっては想像上の存在であるドラゴン──。
それこそ空想物の冒険小説などではよく目にする存在ではあるが、
それが自身の眼前に立ちはだかっているという現実は、容易に受け入れ難いものだった。
だが、相変わらず落ち着き払ったクォーツの様子からすると、驚愕するほどの事ではないらしい。

むつみ「(でも、ドラゴンていったら、大抵はもの凄く強いやつじゃないですか!)」

むつみは改めて、己が非日常の中に置かれているのだと痛感する。



クォーツ『なんにせよ、あれは所詮事象再現によって生み出された紛い物の劣化コピーに過ぎん』

クォーツ『その能力も、本物の竜族には比べるべくも無いものだ』

クォーツ『戦って倒せぬ相手ではない』

むつみ「ほ……本当に?」

そんなむつみの様子を余所に、クォーツは事も無げに言い放つ。
ともすれば、今まで戦ってきたカースなどの存在と同じく、目の前のドラゴンも倒すことが出来るのではないかと、むつみにそう思わせるだけの貫禄があった。


むつみ「どっちみち、戦わずに済ますことは出来ない……ですもんね!」

意を決したむつみは、眼前のファンタジー世界から飛び出したかのような怪物を見据え忍刀を構えた。


クォーツ『っ! まずい! 一旦身を隠せ!』

むつみ「えっ!?」

ドラゴンと戦う覚悟を決めたむつみは今にも飛び掛からんとしていたが、突然のクォーツの言葉に気勢を殺がれる。
何事かと攻撃を取りやめ様子を伺うと、ドラゴンの口元のあたりが陽炎のように揺らめいているのが見て取れた。


むつみ「(相手は炎のドラゴン……ということは……まさか)」

むつみが逡巡していると、ドラゴンがやおら口を開きつつ大きく息を吸い込むような動作を見せた。

クォーツ『早く隠れろ!!』

クォーツの怒声に慌てて隠れ場所を探す。
だがその直後──むつみが危惧した通りだったが──灼熱の火炎がドラゴンから放たれた。


むつみ「あっ! あつっ!! これじゃ、近寄れないです!!」

既の所で部屋の中央に立っていた柱の裏に逃げ込むが、凄まじい熱量に挟まれ、身動きもままならない。
攻撃するにせよ逃げるにせよ、敵の眼前に姿を晒すことは不可能だ。

クォーツ『落ち着け、敵の火炎とて無制限に吐き続けられるわけではない』

クォーツ『途切れたところを反撃だ』


クォーツの言葉通り、数秒後に炎が弱まり、止んだ。
むつみはすぐさま柱から飛び出すと、ドラゴンの足を斬りつけるが──。

むつみ「か……硬い……っ!」

ワニ革を何十倍にも分厚くしたような表皮の上に、さらに硬度のある鱗が備わっている。
刃は受け流されてしまい、何度も切りつけるが傷を付けることすらままならない。

ドラゴンの方は全く動じることなく、むつみを矮小な存在と認めると、目線だけを動かし睨みつける。
そして、思い切り腕を振り上げると、力任せに叩きつけた。
大ぶりな動作のため避けるのは容易だが、その衝撃は地下空間を大きく揺らし、コンクリート製の床から小部屋全体に亀裂が走った。



むつみ「どうしましょう……攻撃が効かないです」

むつみは再度の火炎放射に備えいったん距離を取るとクォーツに相談する。


むつみ「セクシーカモフラージュの武器なら、効果はありますかね?」

クォーツ『いや……先ほどのお前の斬撃の威力と、あれの防御力とを分析したが──』

クォーツ『仮にセクシーカモフラージュの武装を用いても、あれに有効打を与えることは困難だろう』

むつみ「そんな……じゃあ、一体どうすれば!」

クォーツ『(むつみの実力からすると……現状では奴の相手は荷が重いか)』


クォーツ『…………仕方がない』

むつみ「え……?」

重苦しく、苦々しげに絞り出したクォーツの呟きをむつみは聞き逃さなかった。


クォーツ『おいそれと使うべきではない技だが……この際仕方がない』

クォーツはそのまま言葉を続ける。


クォーツ『いいかむつみよ、これから私の力の一端をお前に授ける』

クォーツ『ステージ衣装再現などではない、"私の力"の一端だ』 

クォーツ『それを用いて、あのドラゴンを仕留めるぞ』

むつみ「……は、はい!」

ただならぬクォーツの様子に、むつみは気圧され気味に頷いた。
直後、脳内にステージ衣装を再現する際の様に、イメージが流れ込んでくる。



むつみ「(事象の消滅……因果律の消去……?)」

むつみ「クォーツ、これって……」

クォーツ『今は言う通りにしろ!』

むつみ「わ、わかりました!」

頭をよぎるイメージについて訝しんだむつみは、"力"について問いかけるも、クォーツは有無を言わせない。
むつみは意を決してドラゴンを見据えると、目を閉じ精神を集中させる。



むつみ「汝、憫然たる現世の迷い子よ……」

むつみが脳内に流れ込む言葉を紡ぐと、突如としてクォーツの内奥でなにがしかのエネルギーが渦巻くのを感じ取った。


むつみ「冥き虚無の闇を以って、其に久遠の安寧を齎さん……」

小さな石ころ然としたクォーツには似つかわしくないその膨大なエネルギーは、まるで脈動するかのように膨張と収縮を繰り返している。


むつみ「リヴァートゥザヴォイド!」

かっと目を見開き、そして"トリガー"となる言葉を発した瞬間、それは一気に放出された。


先ほどドラゴンが現れた時とは対照的に、光の届かない宇宙空間を思わせる漆黒がクォーツから迸る。
それは、力を向けた対象であるドラゴンも、力を行使したむつみさえも巻き込むと、小部屋全体に広がっていく。


──────────────────────────────────────────


むつみ「なに……これ……」

むつみ「何も見えない……暗い……?」

今やむつみの周囲は、黒一色で覆われていた。
だが、暗いという表現は適当ではなかった。


むつみ「声に出しているはずなのに……耳も聞こえない?」

視覚をはじめ、聴覚や五体の触覚といった、外界の情報を得るための器官の感覚が、全て消失している。


むつみ「ど、どうなっちゃったの……?」

むつみ「……このまま戻らなかったり、なんてこと……ないよね?」

ともすれば、"意識"だけが存在しているような感覚に、むつみは強い焦燥感に覚える。


───────────────

────────

───


むつみ「はっ!?」

気が付くと周囲の"黒"は引き、元の小部屋が視界に戻ってきた。

時間の流れが変わっていたのか、むつみの体感では黒い空間にいたのはとても長く──ともすれば、永遠にも感じられるほどだった。
しかし実際には一秒も経っていない。

直前まで対峙していたドラゴンの姿はどこにも見えない。


むつみ「(ドラゴンは……クォーツの"力"で、やっつけた……?)」

クォーツ『むつみ! 今だ!』

むつみ「っ! ……はい!」

些か混乱をきたしていたむつみは、クォーツの声で我を取り戻す。


「今のは魔術か!? 貴様は一体……っ!?」

虎の子のドラゴンを失い、狼狽する黒装束を見据えると、一気に駆け出す。

「くそっ!」

想定外の事態に反応が遅れた黒装束は、懐から短剣を取り出す。
だが、その時にはすでに眼前にむつみの刀が迫っていた。



むつみ「はぁっ!!」

「ぐはっ……」

峰打ちとはいえ強かに忍刀に打ち据えられた黒装束は、一人目と同じように動かなくなった。
だが、息はあるようだ。

むつみ「ふぅ……」

むつみは残心を解くと、大きく息をついた。
初めて人間と対峙したが、カースを相手取るよりよほどやりづらいと感じられる。


むつみ「出来れば、乱暴は避けたいですけど……」

むつみ「でも、先に手を出したのはそっちですからね」

むつみは倒れ伏す二人組に、言い開きをするように声を掛ける。


非日常に巻き込まれ、これまで何度か戦闘も経験しているとはいえ、
むつみの本質は同世代と比較しても大人しい方に分類される少女のそれである。
他人に対して暴力を振るうことに抵抗が無いわけがなかった。

だが、よく読む冒険小説の展開を鑑みてか、自身に敵対的な存在に対する武力行使を躊躇わない丹力も持ち合わせていた。
その結果、今回の二人組との戦闘も制することが出来たということになる。


クォーツ『なんとか切り抜けたな』

むつみ「はい」

むつみが落ち着いた頃を見計らって、クォーツが声を掛ける。


クォーツ『私をその二人に近づけるんだ』

クォーツ『姿を見られたからな……記憶操作をしておく』

むつみ「そんなことも出来るんですか」

むつみ自身は知る由も無いことだが、むつみも初めてクォーツと出会った時に、その記憶を覗かれている。
どうやらクォーツには、人の記憶をどうこうする能力も備わっているらしい。


クォーツ『ここでの戦闘自体を無かったことには出来んが──』

クォーツ『うまくすれば先ほど逃げ去った人物の仕業──と思わせることも出来るかもしれん』

むつみ「それって、濡れ衣……」

クォーツ『濡れ衣ではないぞ? 私が行うのは、この二人から我々の記憶を抜き取るだけだからな』

クォーツ『ルナールの連中がどう事後処理をするかについては、私の与り知るところではない』

むつみ「そ、そうですか……」

当初の目標は誰にも見つからず、戦闘も避けるということだったが、
差し当たりこの二人組さえなんとかすればまだむつみ達の存在が知れることは無い。



クォーツ『ついでに、この者達の使っていた端末も調べてみようか』

そう言うと、黒装束が腕に嵌めていたウェアラブルコンピュータから白い光が浮き上がり、クォーツに吸い込まれた。

クォーツ『これは……ほう、「魔族再現プロトコル」とは……大層な』

クォーツ『役に立つかもしれん、頂いておこう』



クォーツ『さて、時間を食った』

クォーツは黒装束から得られた情報をひとしきり分析すると、改めて切り出した。

クォーツ『幸いアストラルクォーツはすぐそこだ、急ごう』

むつみ「わかりました」

むつみもそれに応え、再び歩き始める。


むつみ「ところで、どうやってアストラルクォーツの場所を調べているんですか?」

アストラルクォーツまでの最後の道のりを進むなかで、むつみはふと思いついた疑問をぶつける。
迷路という表現では生易しい、迷宮のようなネオトーキョーの地下空間を、迷うことなく進んできたためだった。


クォーツ『アクティベート──活性化した状態のアストラルクォーツは、特徴的なエネルギーを放出していてな』

クォーツ『それを検出し、辿っているのだ』


クォーツ『前にも見ただろうが、不活性状態のアストラルクォーツはただの透明な石で、活性化したものは輝く性質がある』

むつみ「なるほど……」

原理は分からないが、とにかくそういうものなのだろう──と、むつみは納得する。


クォーツ『ほら、見えたぞ……あれだ』

クォーツの言葉通り、むつみの視界の先には、宙に浮く輝く水晶体──アストラルクォーツがあった。



むつみ「やっとたどり着きましたね……」

ため息交じりにむつみが呟く。
アストラルクォーツの元にたどり着くまで、ネオトーキョーに上陸してからおよそ2時間が経過していた。


クォーツ『何はともあれ、これで目的達成だ、情報を回収して引き上げよう』

以前自宅で見た時の様に──あるいは先ほどの黒装束の端末の時の様に、アストラルクォーツから光が飛び出し、むつみの首物にあるペンダント状になったクォーツへと吸い込まれた。

するとその直後、むつみは足元が「ぐにゃり」と、変形したような錯覚に陥った。
思わずバランスを崩し倒れこんでしまう。


むつみ「えっ!? 何が起こってるんですか!?」

混乱を来たしたむつみはクォーツに問いかける。

クォーツ『どうしたことだ……突然周囲の空間値が……異常値だぞこれは!!』 

何が起こっているのかは分からないが、その様子からするとどうやらクォーツにとっても想定外の事態らしい。



クォーツ『そうか……この地下空間は、エネルギーのわずかな均衡を保って、非常に危うい状態で形作られていた』

クォーツ『アストラルクォーツの情報を回収した際にそのエネルギーの均衡が破られ……このようなことが……っ!』

むつみ「目……目が回って……来ました」

いまや空間全体が渦を巻くかのように蠕動している。


クォーツ『むつみ、取り合えず何かに捕まるんだ』

クォーツ『こうなっては空間が安定するのを待つほか無い』

むつみ「わ、わかりました……けど……気持ち悪い……っ」

むつみは目を固く閉じ、海上で激しく波に揺られる小型船舶に乗っているような感覚に必死で耐える。
次第に揺れは大きくなり、天地が逆さになったかのような感覚に見舞われる。

むつみ「うぅ……早く……収まって……!」


むつみ「あれ……収まった……?」

数分間はそうしていただろうか、ふと気が付くと、感じていた揺れのようなものは収まっていた。
むつみは恐る恐る目を開ける。


むつみ「え……?」

むつみ「ここ……どこですか……?」

するとその視界には、つい今しがた立っていた空間とは似つかない光景が飛び込んできた。


陽光が届かない場所であるという点はネオトーキョーの地下と変わらない。
だが、その天井がやたらと高い。
目測で数百メートルはありそうだ。

むつみ「なんか……やたらと広い場所……ですけど」

さらに横方向の空間も地下通路とは言えないほど広がっている。
周囲を見渡しても、壁が見えないのだ。


クォーツ『ここは……周囲の光景から推察するに、おそらく「アンダーワールド」だな』

この空間にやってきてしばらく沈黙を貫いていたクォーツだったが、ようやく口を利いた。

むつみ「アンダーワールド?」

もはや慣例だが、クォーツの発する耳慣れない単語にむつみが聞き返す。


クォーツ『地球人──ここでは"地上人"と呼ぶべきか』

クォーツ『地上人が暮らしている地表の地下深くに築かれた──地表の対比として、地底人と呼ぼうか』

クォーツ『その地底人の都市──いや、国家だな』

むつみ「地下深くって……冒険小説なんかで、地球空洞説なんてのは見たことがありますけど……まさか……」


クォーツ『つい先日までただの一般人であったむつみが知らぬのも無理は無い』

クォーツ『先ほどの"魔界のドラゴン"もそうだが、この地球という星は普段お前たちが暮らしている地表以外にも、様々な空間を内包している』

クォーツ『おおよそ大半の地球人は、その事実を知らないのだ』

むつみ「地底世界に……魔界……」

クォーツの説明を聞いても未だに理解の及ばない規模の話だ。
クォーツがやってきた外宇宙の話も大概ではあったが、現在むつみが暮らす地球にも、まだまだ多くの未知が存在しているらしい。



クォーツ『とりあえず、地上に戻る手だてを探る必要があるな』

クォーツ『想定外の事態ではあるが、文明が存在する場所だ』

クォーツ『まあ、なんとかなるだろう』

クォーツからは時折楽観的とも思える言葉が出るが、その実、彼の中に蓄積された膨大な情報を現況と照らし合わせ、精査したうえでの発言になる。
事実、むつみに行動指針を示すにあたっても、今までそれで問題なくやってこられたのだ。

むつみ「そうですね、ここで立ち尽くしているわけにもいかないですから」

そしてむつみの意識の切り替えも早かった。
こういった点において、確実に成長が伺える。



むつみ「とりあえず、人を探してみますか」

クォーツ『そうだな、早々に地上に戻れるよう願おう』

二人は脱出手段を求め、未知の地底世界へ歩みを進めるのだった。


※クォーツの力 "無"属性攻撃

なんか怪しいモヤモヤや光線などを発して、それの対象となった物を消滅させる技。
その現象の正体は「事象の崩壊」──宇宙の法則に干渉して因果を書き換え、対象を「何も無い状態」にするというもの。
実際に行使するのはむつみだが、クォーツの持つ力の一部が発現した物であり、彼が宇宙を旅する中で気の遠くなるような時間をかけて編み出した技だったりする。
発動の際にはクォーツに蓄えられたエネルギー(カースを狩った時に放出されるエネルギーを集めている)を大量に消費するため安易に連発することは出来ない。

ちなみに、発動前に詠唱っぽいものが必要なのは、セーフティ解除用の音声認証システムを通すため。
魔術と似ているが特に関係は無い。

むつみ「あの……"詠唱"がなんかやたらと禍々しいんですけど」

クォーツ『……気のせいだ』

終わりです
さあナタを地上に連れ出す準備を始めよう


名前は出てないけど亜子お借りました

お久しぶりです。続きかけましたので、投稿します。

憤怒の街(事件後)編です。
落ち着いてはいるから、もう何本かは投稿したいなぁ

時は、シンデレラ1との交信を終えた辺り。

「・・・・・・司令官殿、よろしいので?」

憤怒の街の外れのGDFの施設の一室にて、傭兵の男が司令官と呼ばれた男に話しかけた。

「いいも何も、好都合だ。
 確かにシュガーハートは強い。元はGDFの英雄とも言われた奴だからな。
 だがな・・・・・・」

椅子に座っていた司令官は口元をニヤリとさせた。

「シンデレラ1だって負けちゃいない
 あれは対カース用の目的で作られたサイボーグ兵士だ
 通常のGDFの一般兵はおろか、エリート兵士だって、あいつらの比較にはならん」

司令官は机に置かれているティーカップを手に取り、中に入っていたコーヒーをすすった。

「何より奴らのスペックは私も知っている。私も一連のGDFの研究には関わっていたからな。
 奴らは一般兵士では何人がかりでも扱うはおろか、持つことも難しい重量の兵器も軽々使いこなすし、
 装備次第では戦車の砲弾を受けたって平気だ。それが3体もいる。
 ・・・・・・一方、シュガーハートは生身。
 いくらGDFの英雄様といえど、これでは3機の戦車に単身で突っ込むようなもんさ」

「だが、仮にも英雄様なんでしょ? もし切り抜けられたらどうするんです?
 それに状況次第では、そのシンデレラ1とも戦わなきゃならんことにはならないんです?」

「ああ、シンデレラ1については問題ない。 奴らが絶対に逆らえない秘策は知っているからな。
 まあ、もしシンデレラ1が負けるようなことがあるとするならばだが、その時はお前らに頑張ってもらう。
 コラプテットビークルを利用して、疲弊したシュガーハートを叩きのめしてやってくれ」

「・・・・・・まあ、シンデレラ1が来なきゃ、奴らを消すのは俺たちの役目ですし、了解しやした。
 んじゃ、ちょっと行ってきますわ、司令官殿」

そういって、傭兵の男は去って行った。

「・・・・・・大体、シュガーハートの功績など、本当のものなのかなんてわからんからな。
 『数百万のカースの大群を一人で倒した』だの『奴の武器だけ2世紀先をいっている』など、誰が信じるものか。
 ましてや、『GDFのために天から舞い降りた英雄なのだ』とか言っている奴など、頭がおかしくなったとしか思えん」

ぽつりとつぶやいたその噂は、傭兵の耳には届かなかった。

そして、時は進み―――

「お、いたいた
 写真の女と似てる・・・・・・あれがシュガーハートか
 ・・・・・・ただのコスプレ好きな、どキツイ女にしか見えんな。あんなもんがGDFの英雄かよ」

彼は双眼鏡で、シュガーハートが乗っている車を発見した。

今のところ見えるのは、車を運転している男とシュガーハートのみだ。

「って、話には聞いていたが、あの森を通過してんのかよ
 あれ、認識阻害装置とか以外にも、思考を操作して、この場所を通りたくなくなるようにする装置も設置してたんだけどな。
 あれ、高かったんだぞ、くそっ」

そしてその進路先には、コラプテットビークルと化した戦車。

「ははっ、英雄ってもんは案外あっけなく死んでしまうもんだ
 砲弾に撃たれて死に―――!?」

その戦車が突然大きな音を立ててひしゃげた。

周囲に土煙が上がり、その煙が晴れたところから、1人の大男と外国人の女性が現れた。

「な、なんだあの大男!?
 一体どこから・・・・・・まさか空から!?」

そうして空を見上げると、英国GDFのエンブレムがついた輸送機が飛んでいるのが見えた。

「ま、まさか英国GDFも来るとはな・・・・・・
 だが、あの森には認識妨害装置が設置してある。
 落ちてきた奴らはともかく、空の奴らにはあの森は見えていない。」

となれば、作戦は変わらない。

「落ちてきた大男の対処は大変だが、奴らを消せば、憤怒の街の秘密は守られる
 そうすれば、司令官殿が大儲けして、俺もそのおこぼれに預かれる」

シュガーハートを乗せた車は一旦停止し、中から少女と女性2人―――あれも子供だろうか―――が現れた。

「あの2人は見るからに弱そうだ。いざとなればあいつらを人質にすりゃあいいか。
 ―――にしても、研究者風に、魔法少女風に、・・・・・・なんか全身黒い奴。
 こいつら、一体憤怒の街に何しにきたんだ?」

そして、空から落ちてきた英国GDFの女性と大男を乗せて、車が再発進する。

「まあいいか。どうせ奴らも消すんだ。理由なんかいらん。
 それに―――そろそろ"お姫様"も到着するようだしな。」

双眼鏡から目を離した傭兵の視線の先には、1機の大型輸送機が飛んでいた。

―――そして時は、ユウキ達が目的地に到着するまで進む。

ドアを開け、あたりを見回すと・・・・・・多少、荒れ果ててはいますが、
普通のごく一般的な家庭の玄関でした。

「・・・・・・よし、ここで間違いなさそうですっ」

「何で知ってるの?」

「依頼主さんから、家の特徴を聞いていますからっ」

そのまま家に上がり、中へと入ろうとした時・・・・・・

「・・・・・・」

チカちゃんがふらふらと歩きだしていきました。

そしてそのまま2階へと・・・・・・

「チカちゃん?」

「凛さん、行きましょう」

「あ、うん・・・・・・」

私達は後を追うように2階へと上がっていきました。

そして、そのうちの一つの部屋にチカちゃんが入り、私達も続いて入りました。

内装はボロボロ。棚も倒れて、まるで地震にあったかのようでした。

「これは・・・またひどくやられちゃってるね・・・」

そういって、凛さんは倒れた棚の中を覗きこみますが・・・

「・・・? 中身がない?」

そう呟き、怪訝そうな顔をしました。

「・・・・・・そこはチカのおうちだよ」

「おうち・・・? どういうこと?」

「凛さん、チカちゃんがカースだっていうことは知ってますよね?」

「? そうだけど・・・」

「そして、カースはさっき見たコラプテットビークルみたいに、カースは物に取りつくこともあるようですっ」

「・・・なるほど。
 そして、この棚が家だったっていうことを考えると・・・チカちゃんは元は人形だったんだ」

「そういうことですっ
 そして、私が手紙を届けるときには、ほとんどの場合で家にお届けしますっ」

私はバッグから手紙を取り出し、チカちゃんに差し出す。

「はいっ、お手紙ですっ!」

チカちゃんは手紙を受け取ると、早速封を切って読み出しました。

しまった・・・・・・>>524>>525は僕です。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――ラブリーチカちゃんへ

初めまして。
君は私のことを全く知らないかもしれないけれど、私は君のことをよく知っている。
だって、私はテレビでラブリーチカちゃんの活躍をよく見ていたから。

初めて君の姿を見たのは、私が小さい頃だった。
当時、学校でいじめられていた私は、ある日の朝のテレビで君の姿を見た。
君の体よりも何倍にも大きい敵に対して、勇敢に戦っていた姿は、私に勇気をくれた。
そのあと、いじめっ子のリーダーに歯向かって、まあ、結果的には返り討ちに会ったけども、それ以来いじめられることはなくなった。
それから毎週、テレビで君の姿を見るたびに、私はテレビの前で応援し続けた。
時にやられそうになりながらも、友達のために、地球のために戦う姿は、大人になったときであっても、印象強く覚えている。

だけど、そんなラブリーチカちゃんに対して、1つだけ可哀そうに思ったことがある。
それは、一緒に戦ってくれる仲間がいなかったことであった。
君の体よりも何倍にも大きい敵に対して、勇敢に戦っていた時も、
一度は負けて、厳しい修行をした時も、
最後の敵に対して、満身創痍になりながらも打ち勝った時も、
そばで応援してくれたり、手助けしてくれる仲間はいても、戦っているのはラブリーチカちゃん1人だけだった。

今も君は1人で戦っているのだろうか?
この世界には、君みたいに強大な敵に対して勇敢に戦うヒーローがたくさんいる。
そしてきっと、君と一緒に戦ってくれる仲間もいるはずだ。
そんな仲間を探してほしい。
そのほうが―――きっと、寂しくないから。

この世界に生まれ落ちた君に、幸あらんことを。

ラブリーチカのファンの1人より―――

「・・・・・・うん、きっと仲間を作るよ。
 そしたら、みんなと一緒に会いに行くからね・・・・・・!」

手紙を読んだチカちゃんは、目に涙を浮かべていました。

「・・・ラブリーチカって、架空のキャラクターだよね?
 それなのになんでこの人はいると思って書いているんだろう・・・?」

「病室で治療を受けていた時、憤怒の街でさまよっているチカちゃんの夢を見たんだそうです。
 それで、ラブリーチカちゃんがいると思ったんだそうで・・・」

「そんな理由で・・・? 変だよ、それ・・・。」

そう言った凛さんに、私は微笑みで返すと、チカちゃんに目線を合わせるためにしゃがみました。

「チカちゃん、手紙を読んでどうでしたか?」

「・・・あたし、ずっと1人ボッチだと思ってた。
 でも、私は知らないけど、ちゃんと私を応援してくれている人がいて、それに気づかせてくれた人がいて・・・グスッ、
 あ、あたし、1人ボッチじゃないんだなって・・・!」

そしてチカちゃんはわんわんと、泣き出してしまいました。

凛さんと私は、泣き止むまでずっと見守りました。

「あなた達ですね? 勝手に憤怒の街に入った兵士っていうのは」

ヘリから降りてきた少女3人に、心達は銃を突きつけられていた。

「おいおい、待ちなって♪
 いきなり銃を突きつけられても、はぁと、困っちゃうぞ、おい☆」

「とぼけたって無駄ですからね!
 あなた達を探すために、憤怒の街を端から端まで探したんですからね!」

「そりゃあ、ご苦労さん♪
その途中であちらの方に森が出来てたのを見かけなかったか?」

銃を突きつけた少女達は顔を見合わせる。
そして、ヘリに乗っていた男に視線を向ける。

「・・・そんなもの見たことがないな。この一帯は草木一本も生えない廃墟になったと聞いている」

「そうですよ!第一そんな平和そうな所、あったらここからでも分かりますよ!」

「でまかせを言って、こちらの気を紛らわせようたって、そうは行きませんからね!」

「あんまり変な事を言ってると、撃ちますよ!」

そうして銃を構え直す3人。

「・・・そっか。あんた達は部外者ってことか」

心の後ろにいるポストマンとケイトが身構える。黒い人型のカースは腕を組んで相手を見据えていた。

「いや、いい。はぁとがやる。」

その彼らを、心は手で制し、前に出る。

「というより、こいつらははぁとが相手をしてやらないといけないようだしな☆」

「・・・どういうことだ?」

ヘリに乗っていた男が訝しそうに訊ね返した。

「強化兵計画」

「!?」

その一言に反応した4人。
しかし、心は話を続ける。

「GDFによる、兵士の強化計画。来るべきカース、能力者との戦いに備え、様々な面からの強化を加え、最強の強化兵士軍団を作るための計画。それだけでなく、大罪の悪魔や未知の勢力、更にはアイドルヒーロー達や天使とかいう奴等も想定に入れていると聞いた事がある。」

心は話を続ける。

「そしてその方策には様々なアプローチが考えられた。単純に既存の兵器を強化する。特殊なアーマーを作り、それ専用の兵装を開発する。搭乗できるロボットを作る計画もあったか?あれはあんまり芳しくは無かったようだけどな♪
だが、その計画は制限が無くてな。わざわざGDFとは無関係の組織を作って、人体改造もやってたし、挙げ句の果てには人体にカースの結晶を埋め込んだりした。」

「お前・・・何を知っている?」

「まあ、慌てるなよ♪ せっかちさんは嫌われるぞ☆」

尚も心は話を続ける。

「恐らくあんた達はその計画の1つ、『シンデレラ計画』で生まれた強化兵士。一般の兵士では運用の難しい兵器群を扱うために、強化の容易な子供、それも少女を人体改造し、その兵器を運用していく。基本的には4人1組の部隊として運用され、世界各地の対カースの前線に投入される予定だったが、素体を少女に限っていた事や身寄りの無く、死にかけの者に限定していた事が仇になり、非人道的な計画でもあった事で、3人目が作られた時点で廃止になった。」

と、ひとしきり言い切ったところで、心はニッと笑う。

「とまあ、これだけ話すと恐ろしく感じるけど・・・・・結構、可愛いじゃんよ☆」

>>529 は私です・・・またやってしまった・・・
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「おいおいシュガーハート、そんな事言ってる場合かよ」

「デモ、確かにあの子達はキュートネ。1人はパッションってカンジだケド。」

「パッション?何の話だ?」

ケイトの発言にポストマンは首をかしげる。
そして、片手にマイクを持ったような仕草をして、

「そんなシンデレラ1にアタックチャーンスっ! 何故GDFはそんな非人道的な事までして、強化兵計画を推し進めたのか?先ずは・・・そこのさっき平和そうな所とか言ってた子から!」

ずびっ!と指を指し、シンデレラ1の1人を指名した。

突然指名されたシンデレラ1の1人、有浦柑奈はテンション高めにーーー

「それはズバリ、ラブアンドピース!!」

「はぁっ!?」

思いもしなかった回答に思わず驚いた心。

「この世界に足りないのは愛と平和!全ての生きる者が愛を知れば、世界は平和になります!」

「いや、そんな事宣う奴が、なんで銃向けて来るんだよ?」

思わずポストマンがツッコむ。

「簡単ですよぅ!世界の平和を乱す悪くて愛の無い奴等を全員ぶっ飛ばせば世界は平和にげふぅっ!?」

隣にいたシンデレラ1の1人、五十嵐響子が柑奈の鳩尾にアッパーブローを食らわせた。
それを食らった柑奈の体は浮き上がり、地面に背中から倒れこむ。

「・・・・・・」

唖然とする、心一行。

「あっ、ごめんなさい。ちょっと不適切な発言が聞こえちゃいましたので。今の話、続けてください。」

殴った右手の握りこぶしそのままに、笑顔で促す響子。こぶしからは煙が出ているような気がした。

「タイム、ターイム。作戦ターイム」

心は急いで戻り、3人と1体で円陣を組む。

「おい、やべーよ☆
シンデレラ1があんなにやべー奴等だとは思わなかったぞ、おい☆」

「うむ、今のアッパーブロー、中々良い筋してたぞ?」

「関心してんじゃねぇよ♪
あいつら、ほんと、やばくね?」

「やばいケド、今の話の続きしないと撃ってくるわヨ?」

「あのー、まだですか? 早くしないと撃ちますよ?」

「ほら呼んでるぞ、シュガーハート。
俺達を制止した以上は、お前が相手しろよ、シュガーハート。」

「うぇぇ・・・少しは労われよ、おい☆」

そう言って、トボトボと戻っていく心。

んんっ!と咳払いをすると、今度はサイドテールの子に指を指した。

「ま、まぁ、さっきのは置いといて、次はそこのサイドテールの子、どうよ?」

「わかりません!!」

「うぇぇっ!?」

きっぱり言われて、今度は違う意味で驚く心。

「いや・・・気にならんの? あんたらができた意味とか?」

「それは気にならないといえば嘘になりますけど・・・私達はそもそもその計画が無ければ死んでいましたし・・・
 記憶がないのは不便ですけど、今こうして生きているのはその計画のおかげなんです」

「だからGDFには感謝してるし、その後も良くしてくれてるから、今更何言われたって失望したりなんてしませんよ」

その言葉に、ヘリを操縦していた兵士は「そうか・・・そんな風に思ってくれてたんだな・・・」と呟いた。

「・・・散々、非人道的行為を繰り返した強化兵計画も、負の一面ばかりじゃなかったってわけだな」

「まあ、こいつらにとっては結果オーライってことで、この話もする必要はないんじゃねぇかな☆」

「いや、ちょっと待ってくれ」

心とポストマンが言うのをやめようとしたが、ヘリを操縦していた兵士が待ったをかける。

「その話―――美羽と響子がよければなんだが、聞かせてくれ」

そういって、美羽と響子を見ると、二人はうなずく。

「そっか。じゃあ、聞かせてやるよ♪
 ・・・そもそも『強化兵計画』っていうのは―――GDFによる、『英雄複製計画』であり、

 かつての私や今のケイトのような、”GDFの英雄”を作り出すための計画だ。」

チカちゃんに手紙を渡し、チカちゃんが泣き止むまで待つことにしたユウキ達。

そんな様子を、遠くから望遠鏡で覗いている男が1人。

「おうおう、なんか面白れえ奴がいるな
 人間様と仲良くしているカースなんざ、初めてみるぜ」

その様子を見て、ニヤリとした表情を浮かべていた。

「しかし、まあ、なんだ? あんな様子を見てると―――虫唾が走るな
 どれ、ちょっと引っ掻き回してやるとしますか」

そう呟いた、男の姿がゆがむ。

「人間とカースは、互いに争いあうのがお似合いなのさ―――」

男の姿が消える。

というわけで、今日は以上です。
・・・・・・sage忘れ、トリつけ忘れを3回もorz
申し訳ねぇ・・・。

そして、予想以上に長丁場になっちゃってる憤怒の街
総量としては大したことなさそうなんだけど、随分書くのに時間かかっちゃってるなぁ
忙しかったのもあるけど、頑張らないとなぁ

投稿しまーす
まだまだ書きたい場面は全部書けてないから、まだ続けますよー

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「『英雄複製計画』・・・? GDFの英雄・・・?」

突然明かされた計画の名前に驚くヘリのパイロット。
英雄。つまりはヒーローとも言い換えることができる。
そしてヒーローと聞くと、どうしてもアイドルヒーローを連想してしまう。

だが、側にいたシンデレラ1の面々は怪訝そうな顔をした。

「英雄・・・という割には、普通の兵士よりちょっと強そうという感じにしか見えないけど・・・?」

「英雄と言われるほどには、強そうには見えませんね」

確かに・・・とヘリのパイロットは思う。
目の前にいる兵士は、確かに普通の兵士よりは強いだろう。
しかし、英雄とまで言われるほどかと言われると、疑問が残る。
さっきも連想した通り、英雄と聞くとアイドルヒーローを連想する。
しかし、目の前にいるツインテールの女を筆頭とした者達がそれほどの力を持っているようには見えない。

「じゃあ、これならどうだ?」

すると、目の前のシュガーハートと呼ばれる人物の手が青く光った。
その手の光が左右に広がったかと思うと、青い線のようなのが次々を発生し、それが組み上がっていく。
そしてその骨子が組み上がり、一本の刀の形を為したかと思うと、光が破裂した。

そして、シュガーハートの手には、一振りの鞘付きの刀が握られていた。

「はぁとは物を出し入れ出来る『アイテムボックス』っていうのを持っているぞ♪」

「能力者だったのか・・・!?」

「・・・まあ、そういう事ネ」

「さらにこんな物も出せるぞ、ほれ☆」

シュガーハートは右腕を広げると、広げた右手の先にまた青い線が骨子のように紡がれていき、一つの乗り物となる。
GDFが製造している兵員輸送用のトラックだ。

「乗り物まで出せるのか!?」

「まあ、大きさも量も限りはあるけども、普通に基地一つ分は難なく出し入れできるぞ☆」

基地一つ分の物を出し入れできる能力。驚異的な能力である。
それでもシンデレラ1の一人、矢口美羽は疑問に思っていた。

「物を出し入れする能力・・・? でもそんなので英雄になれるものなの?」


しかし、もう一人のシンデレラ1ーーー五十嵐響子はその疑問に答えた。

「ううん、美羽ちゃん。これは凄いです。特にGDFにおいては、この能力があるのと無いのとでは作戦遂行能力に差が出ます。」

「そ、そこまでなの、響子さん?」

「例えば、私達って何時も専用の輸送車とかヘリで専用の装備と共に運搬されますよね」

「うん・・・あっ」

「今あの目の前にいる人が居れば、普通の輸送車でも運べますし、弾薬とかの補給物資ももっと多く積むことができます」

つまり、彼女が居れば長時間の作戦遂行が出来る。
それこそ、持っていける量が多ければ多いほど、彼女が戦場で与える影響というものが大きくなる。
それが基地一つ分となれば、任務中において補給の心配は無くなる。

「なるほど。確かに『GDFの英雄』と言われるだけの事はありそうだな」

「・・・まぁな☆」

・・・この能力は確かに、軍であるGDFにとっては英雄たる物で間違いないだろう。

「待ってください」

でも、この能力を褒めた本人である響子は疑問を口にした。

「確かにこの能力は英雄と言われるのも納得がいきますけど・・・
 その能力を元にしたのであれば、私達は補給物資の運搬に特化した形になるはずです。
私達にもそういう装備が無いわけでは無いんですけども、実際にはカースと戦う為の装備もあるし、
 色んな任務に対応するための装備もいっぱい計画されていたって聞いてますし・・・
 そこの・・・方もそう呼ばれてますから、もしかしたら『GDFの英雄』は他にもいるんじゃないですか?」

「あ、ゴメンネ。ケイトよ。それと他にもいるっていうのは本当ヨ。
 ワタシはそこのシュガーハートさん以外とは面識は無いけどネ」

「私はあるぞ? まあ、色んな意味ですげー奴だった・・・ぞ☆」

どんな奴なんだ、それ。
恐らくはその人が戦闘面で凄い活躍をしたのだろうかと、この場にいたシンデレラ1達は納得した。

だが、ポストマンの意見は違う。

(いや、シュガーハート。
 GDFの中でも、いや世界中の中でも、あんた以上に凄い奴を知らねえし、
 あんた以上にやばい奴もしらねぇ)

そうしてその会話に対して興味がなさそうな素振りを見せつつ、
手持ち無沙汰そうにポケットからとりだしたライターで、タバコに火をつけて一服する。

(俺はお前が世界征服とか破滅願望とか、そういうもんを持ってなくて良かったと、心の底から思ってるぜ)

_____________________________________

「ぐすっ・・・ひっぐ・・・」

チカちゃんは余程嬉しいのか、まだ泣き止まないようです。

「チカちゃん、まだ泣いてるね」

「余程嬉しかったみたいですね・・・っ」

何がともあれ、こうした手紙を届けられるのは私としても嬉しいですっ
つい顔がほころんでしまいますっ

ーーーけれど、話はこれで終わらないはずです

「・・・」

急に泣き止んだチカちゃん

「・・・?急に泣き止んだ・・・?どうしたの、チカちゃん?」

凛さんもそれを不思議に思ったのか、声をかけます

「・・・・・・セナイ」

「?」

「ユ・・セナイ・・・ユル・・・セナイ」

「え・・・何・・・?」

泣きまくっていた姿から一変した雰囲気を感じ取り、困惑した凛さん
・・・ついに、お出ましですかね

「ーーー許せない!!」

「!?」

瞬間、チカちゃんの胸のあたりにあった赤い石が強く光りました。
私は咄嗟に銃を構えます。

「凛さん、下がってくださいっ!」

その言葉を聞くや否や、凛さんは光の眩しさに目が眩みながらもなんとか這うようにして私の後ろに下がりました。

「はあああああ!!」

突然、私達に殴りかかって来ようとするチカちゃん。

「落ち着いてください、『千佳』ちゃんっ!!」

私は持っている銃の引鉄を引く。
すると、銃から光の膜が放出され、膜に当たった相手が弾かれた。

「!?」

弾かれた相手はそのまま床に尻餅をついた。
彼女は一瞬、驚いたような顔をしていましたが、
その表情は次第に変化していき、まるで怒っているかのような表情に戻りました。

「さっきまでと様子が全然違う・・・何があったの、チカちゃん!?
それとユウキちゃん、さっきの光の膜は何!?」

「今は自重してくださいっ!」

私は光の膜―――シールドバレットを維持するため、引鉄を引き絞り続ける。
この銃にはテーザーガンの機能だけでなく、自分の身を守る為のシールドを張る機能だってある。
この機能と相手の力を鑑みるに、破られることはそうそうなさそうだ。

しかし、相手はそれでも構わず殴りかかろうとして、光の膜に遮られ、弾かれていた。

「落ち着いてください、『千佳』ちゃん! このままじゃ、ボロボロになっちゃいますっ!」

「うるさいっ!お前に何がわかる!!
なんで、あいつだけ幸せになるんだ!!」

相手は力押しでは勝てないと踏んだのか、カースの力を使って違うカースを作りだしましてきました。
見た目はファンシーな感じですが、そこからは強い敵意を感じます。それが5体。

「いけ!オコダーヨ!!」

そして、オコダーヨと呼ばれたカースが私達に襲いかかりました。

「―――! ですがっ!」

突撃してきたオコダーヨですが、しかし、私が張った光の膜を突破出来ずに全て弾かれてしまいました

「・・・一体何があったの、チカちゃん?」

「あれは、『千佳』ちゃんですっ。ラブリーチカちゃんではない、正真正銘の千佳ちゃんですっ! そうですよねっ!?」

「―――!?」

その言葉に動揺したのか、千佳ちゃんとオコダーヨ達の攻撃の手が緩みました。

「なぜ、私が千佳だと・・・?」

「・・・さっきの千佳ちゃんのお父さんの夢の話は聞いてましたかっ?」

恐る恐ると、頷く千佳ちゃん。

「実はあの話で、ラブリーチカちゃんの夢を見たって聞いたんですけど、それだけじゃないんです。
そのラブリーチカちゃんと、そのラブリーチカちゃんによく似たもう一人の少女―――
―――そう、『千佳』ちゃんが、喧嘩をしていたって言ってました」

話の内容が気になるのか、今度こそ攻撃の手を止めた千佳ちゃん。
それを見て、シールドを解除しつつも私は話を続けます。

「『なんで私は死ななくちゃいけなかったの?』
 『なんであんたが私と一緒の体にいるの?』
 『なんであんたはお父さんに構ってもらえたの?』
 『私なんか、仕事だからって全然構ってもらえなかったのに!!』
 ―――そんな感じのことをラブリーチカちゃんに言っていたそうでした。
 いくら『それは誤解だ』と言っても聞いてもらえないぐらい、怒っていたって言ってましたっ」

「そうだよ!!
 私はラブリーチカが許せない!
 なんでチカはお父さんと一緒の部屋にいるの!?
 私だって一緒に寝たかったのに、何時もあいつはお父さんと一緒の部屋にいて!!
 それでなんでチカが表の人格で、私が裏なの!?
 カースはあっちなのに、あっちは正義ぶって、私にだけ負の面を押し付けて!

 ―――今だってそうだよ!
 なんでラブリーチカだけなの!?
 私はお父さんの娘なのに!!
 お父さんは私を嫌いになったの!?」

そして再び襲いかかる千佳ちゃんとオコダーヨ。

私は銃のモードをテーザーガンに切り替えた

「私の話はーーー」

私は襲いかかってくる中を掻い潜って、千佳ちゃんに一気に近づいた
その間に5回引鉄を引き、5体のオコダーヨに当てる
思念誘導式の雷撃は、対象を正確に狙わずとも、私の演算能力で誘導して当てることができた

「まだーーー」

そして、空いた手で千佳ちゃんを掴み、襲ってきた勢いを利用し

「終わっていませんっ!!」

千佳ちゃんを背中から床に叩きつけた。

「かはっ!?」

背中から叩きつけられた千佳ちゃんですが、上手く加減は加えました。
ただ、片手で叩きつけたので、多少のダメージを与えてしまいましたが。


「今の・・・狙いも定めていないのに・・・?」

何やら凛さんが呟いてますが、構わず話を続けます

「ラブリーチカちゃんが最初だったのは、表に出ていたのがラブリーチカちゃんだったからですっ!
私は原則、本人にしか手紙を渡しませんっ!もしあの時千佳ちゃんが表に出ていたら、千佳ちゃんに渡していましたっ!」

それにーーー

「千佳ちゃんのお父さんは、決して千佳ちゃんを嫌いになったわけじゃありませんっ!
お父さんはお父さんなりに千佳ちゃんを大事にしていました。
そしてあの時お父さんは千佳ちゃんを探して、自らの危険を顧みずにこの街を探し回っていましたっ!
これは千佳ちゃんを大事に思っていなければ出来ないはずですっ!」

「なら、お父ちゃんに会わせてよ!なんで迎えにきてくれないの!?」
なんでお父ちゃんは迎えにきてくれなかったの!?
なんでここにいないの!?探しているって言うんだったら、連れてきてよ!!」

「無理ですっ!!」

「なんでっ!!」

「千佳ちゃんのお父さんはカースに襲われたんですっ!」

「えっ!?」

驚く千佳ちゃん。彼女が放っていた怒気が一瞬止まりました。

「先程も言いましたよねっ?千佳ちゃんを探すためにこの街に入ったって。
その時、GDF隊員の制止の声も聞かずに忍び込んだせいでカースに襲われたんですっ」

「お父さんは生きてるの・・・?」

「生きています・・・今は・・・」

「今・・・は?」

「ユウキちゃん・・・それって・・・」

「はい・・・。千佳ちゃんのお父さんはもう助からないって話でした・・・っ」

「そんな・・・!?」

私の口から告げられた言葉に、千佳ちゃんは膝をつきました
その時―――

『ははっ!ちょうどいいや!!
 予定とは違うが、ちょっとその体を乗っ取らせていただきますよっと!』

「!?」

千佳ちゃんの背後から襲い掛かった影。
それが千佳ちゃんの体を覆うと、千佳ちゃんの中に入って行きました。

「千佳ちゃん!?」

そして、倒れこむ千佳ちゃんの体。
そこへ凛さんが駆け寄ります。

「な、なにが起きて―――
 いや、それよりもどうしたらいい・・・どうしたら千佳ちゃんを―――」

「大丈夫ですよ、凛さん」

ええ、本当に・・・なんてことをしてくれたのでしょうか・・・っ

「・・・ゆ、ユウキちゃん?」

私がお手紙を届けようとしている相手に・・・こいつは・・・っ!!

「私が何とかして見せますっ それに―――」

私は自身が持つ「ラーニング」能力をフル稼働させる。


千佳ちゃんを襲った影が千佳ちゃんの中に入って行くのを見た。

あの影はどうやって入った?
どうやって千佳ちゃんを乗っ取ろうとする?
乗っ取るのに適したところは?

そう浮かんだ疑問を要素として、様々な結果を私の演算能力でシミュレートする。

そして、その結果を能力としてラーニングし、私の能力<ちから>とするっ!

「千佳ちゃんとの話はまだ終わっていませんからっ!!
 ―――ポゼッションッッッ!!!」

私は千佳ちゃんの胸の真ん中にある宝石に触れる。

=====================================================

Create Simulated Ability System --- Booted.
Ability[Possession] --- Break Out.

Check Root --- ...OK.
Neuron Connecter --- Online.
Hacking --- Complete.
Depth Feeling Area --- Connect

Entered, Cosmic Sphere.

=====================================================

以上になります。
借りてきたのは前回と同じです。

まだまだ書いてますよー

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