あかね「あかりあかりあかり」 (39)

その日は、夕方から急に雨が降り出した。

今日の大室家にはお客さんが遊びに来ていた。櫻子の友達のあかりちゃんと、ちなつちゃん、そしてひま子。

櫻子たちが中学一年生になってしばらくの時がたった。この四人はクラスでもいつも一緒の仲良し四人組らしく、その楽しげな声は私の部屋まで存分に届いていた。


「じゃあ私、そろそろ帰るね」

「うん! あかりちゃんもちなつちゃんと一緒に帰る?」

「そうしたいところなんだけど、あかり今日傘忘れちゃって……」


喉が渇いたのでリビングに降りてきてみると、四人が玄関前でまごついていた。どうやら外の大雨にも関わらず、あかりちゃんが傘を忘れてしまったらしい。

通りすがった私はそのまま、頭の回転が遅い櫻子に代わってあかりちゃんに言ってあげた。


「傘なんてうちにいくらでもあるから、借りていっていいよ」

「あっ……でも、いいんです。お姉ちゃんを呼んじゃったので」

「お姉さん?」

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「あかりのお姉ちゃんがちょうどこのあたりにいるみたいなんです。さっきメールしたら「迎えに行こうか?」って言われたから、お姉ちゃんと一緒に帰ろうと思って」

「そっか。じゃあお姉さん来るまでもう少しうちにいな」

「そうだねー! ちなつちゃんと向日葵はもう帰る?」

「私はちょっと急ぎ目で帰らなきゃなんだー。だからみんな、またね~」

「わたくしもそろそろ……楓が待ってますので」

「うん。じゃあまた学校でねー」

「ばいば~い」


ちなつちゃんが玄関の扉を開く。私もそれを少しだけ見送ってから、自分の部屋に戻ろうとした。しかしすぐにちなつちゃんの声が再び背中の方から聞こえた。


「あっ、あかりちゃんのお姉さん!」

「えっ?」


櫻子とあかりちゃんも玄関を振り返る。帰宅組の二人が出たと同時に、どうやらちょうど到着したあかりちゃんのお姉さんにはち合わせたらしい。


「わぁ、お姉ちゃん早かったね」

「ほんとにすぐそこまで来てたのよ。初めまして櫻子ちゃん、あかりの姉のあかねです」

「どうもどうもー! あかりちゃんからいつもいっぱいお話聞いてますー」

櫻子が玄関を大きく開けて、雨の降る外からあかりちゃんのお姉さんを中に迎え入れる。


私も櫻子の姉として、家内として、お姉さんに挨拶をしなければいけないと思った。

しかし……挨拶はできなかった。


「!!!」

「っ……!」


……私はまだその時まで、あかりちゃんの苗字を知らなかった。

なんとなくその髪や雰囲気が、 “あの人” に似ているとは思っていたが……まさか、本当にお姉さんだったなんて。


「赤座……先輩……」

「大室さん……やっぱり……」


その姿を見るのは何年振りだろうか。

「え? 知り合いだったの?」と私たちを見比べる一年生たち。しかし私は好意的な挨拶も何もできず、そのまま黙って固まることしかできなかった。

赤座先輩は小さくお辞儀をすると……一本の傘をあかりちゃんと差して、一緒に帰っていった。




翌日。学校も終わり、家でのタスクも食事も済ませ、風呂から上がった私はそのままベッドに寝転んで、目を閉じて中学時代の記憶を静かに探った。


あれは四年前……私は中学二年生のとき。

私にはずっと憧れの人がいた。私だけじゃない、その人は学校中のみんなから注目を集めていた。

生徒会役員を務めることになった私に丁寧に仕事を教えてくれ、公私ともによく可愛がってくれた素敵な先輩。

――生徒会長、赤座あかね。


(妹がいるとは……聞いてたけど)


まさかその妹が、うちの妹と同じ年で……同じ学校の同じクラスで、仲のいい友達になっているとは思わなかった。


(せっかく……忘れかけてたのに)


苦い記憶をぎゅっと潰すかのように、私は自分のしっとり濡れた髪を掴む。なるべくなら忘れたい、閉じたままでいたい記憶の引き出しを……みんなの前でいきなり開けられてしまったような気持ち。


四年前……私は、赤座先輩にフラれている。


「…………」

生徒会長としての生徒会活動も終わりを迎えるころ、私はそれまで積みあがってきた想い昂ぶって……赤座先輩に告白をした。

とにかく先輩に夢中だった。先輩に可愛がってもらっている自覚はあったし、うまくいくビジョンしか見えていなかった。恋は盲目とはよくいったものだ。

学生恋愛っぽく、赤座先輩の下駄箱に手紙を入れて呼び出し……誰もいない放課後の生徒会室で、きちんと想いを伝えた。

しかし……彼女は少しうつむいて何かを考えると、いつもの笑顔の中に申し訳なさを含ませたような面持ちで、私に告げた。


『……ごめんなさい』

『えっ……』

『私……他に好きな人がいるの』


それからどんなことを話したかは詳しく覚えていない。二、三言葉を交わして「フラれた」という自覚をようやく持てた私が、逃げるように生徒会室を飛び出したような記憶だけがなんとなくある。

うまくいくイメージしか持てていなかっただけに、告白が失敗した後の学生生活は……登校拒否になりそうなくらい鬱屈としたものだった。

赤座先輩はそれでも私に手を差し伸べてくれていた。きっとあの人は、誰かから告白されることに慣れていたのだろう。付き合うことはできなくとも、今まで通り友達として、先輩後輩としての関係を守ろうと努力してくれていた。

私はそれを素直に受け取ることができなかった……私はまだまだ、子供だった。

しかしこんな私にも、今は彼女がいる。

時計を見ると、夜21時だった。あと一時間で彼女からの電話が来る。誰にも秘密の二人だけの電話……友人たちに関係を隠しながらではあるが、心から楽しいと思える恋ができていた。

私はもう……中学時代とは違う。


「ねーちゃん?」

「ん……」

「入るねー……ってあれ、寝てんの?」

「いや、まだ寝ないけど……なに?」


急に部屋の扉がノックされたかと思うと、パジャマ姿の櫻子が入ってきた。この子がこの時間私の部屋に入ってくるときは、大抵遊びの道具や漫画を貸してくれという用事がほとんどだが……今日の櫻子はどうやら違う目的のようだった。


「昨日のことなんだけどさ」

「えっ」

「あかりちゃんのお姉さん……ねーちゃんも会ったでしょ?」

「……それが、何?」

「なんかね、そのお姉さんからねーちゃんに手紙だって。今日学校であかりちゃんから渡されたの」

「!」


櫻子はそう言うと、片手に持っていた薄水色の便箋を私の元へ差し出してきた。

私はその便箋に……確かな見覚えがあった。

「櫻子……ちょっと出てって」

「え? なんで? 何が書いてあるか見せてよ」

「出てって、お願い」

「ねーちゃん……?」


私は今、どんな顔をしているのだろうか。


四年前、どきどきしながらあの人の下駄箱にいれたはずの薄水色の便箋が……四年経って、妹づてに返ってきて、一体どんな顔をしているのだろうか。

嬉しくないことだけは……確かだった。


(今更何ですか……先輩)


(こんなもの送り返してきて……何が言いたいんですか。四年間も大事に保管していたってことを言いたいんですか。悪いけど、そんなことで私は……)


(私は……)


(っ?)


手に取って何気なく眺めていた便箋。その封をしたシールの部分には見覚えが無かった。

自分で書いたラブレターの材料を自分が忘れるわけがない。これは明らかに後から貼りつけ直されたものだった。

「!!」


慎重に折り開けていくと、そこには紙が二枚挟まっていた。

一枚は四年前に私が書いたもの。私が赤座先輩に告白するため……放課後に生徒会室に来てほしいと頼んだときのもの。

そしてもう一枚の真新しい紙は……きっと、赤座先輩が私にむけて、昨日の夜に書いたものなのだろう。


[ どうしてもっと、押してくれなかったの? ]



(なに……これ……)


……その一文だけが書いてある手紙から、私は何も察することができなかった。

瞼の裏に思い浮かべた赤座先輩の顔はやっぱり笑顔だったけど……なんだかどこか、寂しげな笑顔に思えた。




手紙の意味がわからないまましばらくの時がたち……とある休日、私は思わぬ形で赤座先輩に再会した。

私は彼女とのデート中。街中でばったり出くわした私たち。ほぼ同時に足を止めた。

しかし私の視線は赤座先輩よりも……赤座先輩と仲良く手を繋いでいる人のほうに釘づけだった。


「あ……あ……っ」

「…………」


四年たっても忘れない、その可愛らしい桃色の髪。

赤座先輩と手を繋いでいたのは……


「どしたの撫子……知り合い?」

「…………」


何も状況がわからない私の彼女が、私と目の前の二人を見比べながら尋ねてきた。

私は視線をそらさずに二人を見据える。先に言葉と共に動き出したのは赤座先輩だった。

「……ともこ、行きましょ」

「あっ、あかねちゃん……でも……!」

「だめよ。大室さんは今忙しいみたいだから」

「あかねちゃん……」


吉川ともこ。

赤座先輩と同じくして、四年前中学二年生だった私を可愛がってくれていた、茶道部部長。

当時の私が……一番心を許すことのできた先輩。


手を繋いだまま遠ざかり、人ごみに紛れていく二人の背中を見送った。


「撫子……もしかして、今の人に私たちが一緒にいるところ見られちゃまずかった……?」

「……ううん、そんなことないよ」


申し訳なさそうに肩をすくめた彼女の手をとって、私は赤座先輩たちと反対方向に歩き始めた。

細かいことは何も考えたくなかった。自分の過去よりも二人の先輩のことよりも、今は目の前の彼女のために一生懸命でいたかった。




中学二年生の私は、生徒会役員であると同時に茶道部も兼任していた。

そこまで人数が多いわけでもなく、ひっそりとした少人数の静かな部活だったが……私にとっては居心地のいい場所だった。

なにより……心を開いて接することのできる仲のいい先輩がいた。


それが吉川ともこ先輩だった。


どの程度吉川先輩に心を許せたのか? それは私が赤座先輩への告白を実行する前、想いを伝えても大丈夫かどうかを彼女に相談に乗ってもらうくらいだった。

誰にもしないような相談事でも……吉川先輩にだったら、気軽に話すことができた。


(吉川先輩……私は、あなたにゴーサインを出してもらったから……だから一歩前に出たんですよ)


(その先輩が今になって……赤座先輩と付き合ってるんですか?)


(私たちって一体……なんだったんですか)


今日も私はベッドに寝転び、かなり忘れかけている昔の記憶を……忘れたいけど忘れちゃいけないような記憶を、必死になって思い返している。

四年も経って今になって、一体何をやっているのか。あの時恋に負けたのは私で、私自身も長い時を経て未練は全て断ち切った。新しい彼女もできたし、むしろあの過ちは私を大きく成長させてくれたとも、今は思っている。

それなのに……なぜこんなにも、心がモヤモヤするのか。

「あ……」


その時、ぽこぽんとメールが届く通知音が鳴った。彼女が今日のデートのことで何か送ってきてくれたのかもしれない……少し期待しながら受信ボックスを開いた私の目に飛び込んできたのは……知らないメールアドレスだった。


[ 吉川ともこです。急にごめんなさい。

 うちの妹にあなたの妹さんの連絡先を聞いて、そこからあなたのアドレスを教えてもらいました。

 大室さんとどうしてもお話したいことがあるの。

 近いうちにどこかで会えないかしら? ]


その文を読んだ私は、ベッドから起きて隣の部屋に行き……足をぱたつかせながら雑誌を読んでいる妹に尋ねた。


「櫻子……」

「んー?」

「あのさ、ちなつちゃんの苗字って……なんていうの?」

「ちなつちゃん? 吉川だよ。吉川ちなつ」


……こんなことってあるのだろうか。私は思わず苦笑してしまった。

「そんなにちなつちゃんの名前面白い?」と聞いてくる妹のベッドに腰掛ける。頭を撫でながら、「……面白い、かな」と答えた。




「大室さん……ごめんなさい!!」


昨日のメールに「早ければ明日にでも大丈夫です」と返信すると、吉川先輩に待ち合わせ場所を指定された。何の変哲もない普通の公園で待っていると、桃色の髪を揺らして吉川先輩が小走りでやってきた。そして私の目の前に着くなり……近所の人にも聞こえそうな声量で、急に謝ってきた。


「落ち着いてください……声大きいです」

「ごめんなさい……私、ずっと大室さんには謝らなきゃいけないと思ってて……本当に……!」

「いいですって……とりあえず座ってください」


二人でベンチに腰掛ける。日曜日とだけあって、あちこちの遊具では数人の子供たちが遊んでいた。その様子をなんとなく眺めていると……隣にいた吉川先輩は距離をつめて、私の片手を取った。


「私を……怒ってるでしょう」

「…………」

「いいの……ひどいのは私ってわかってる……あのとき大室さんの相談に乗ってた私が、今はあかねちゃんと一緒にいるんだもの……こんなの、許されないわよね……」


四年前の吉川先輩は私より少し大きくて、一緒にいるだけで安心感が持てるような人だった。

四年ぶりにその感覚をなんとなく思い出し……しかし今隣にいる吉川先輩は心も身体も縮こまっている気がして、それがなんだかおかしかった。

「先輩……昨日私の隣にいた子、覚えてますか?」

「え……?」

「私は今……あの子とお付き合いしています。ただの友達関係じゃないんです」

「え、えっ!?」

「私には付き合ってる人がいる……だから今の吉川先輩を見ても、怒る気持ちも何にも湧いてきませんよ。妬みも悲しみもしないです……まあ、喜びもしないですけどね」

「…………」


今日私が吉川先輩に言いたいことは、大きく分けて二つあった。そのうちのひとつを早速伝え終わる。

昨日街中でばったり出くわして、その後妹づてにアドレスまで調べて「会いたい」だなんてメールを送る……つまりはそれほどまでに心配していたのだろう。私と離れたこの四年間の中でも、心のどこかで私のことが気がかりになっていたのかもしれない。

ちなつちゃんによく似た大きな目をもっと大きく開きながら驚愕している昨日の吉川先輩を思い出すと、こちらとしても不安を拭ってあげたいという気持ちがあった。


「先輩は今……赤座先輩とお付き合いしてるんですか? 同じ大学なんですか?」

「ええ……でもお付き合いを始めたのはつい最近なの。ほ、本当よ?」

「……ふふ、疑ってませんよ。でもだとしたら、ずいぶん奥手だと思いますけどね」

「……そうね」


吉川先輩の手はまだ私の手を握っている。はたから見たら私たちはどんな関係に見えるだろうか。公園で手を繋ぎながら俯いている高校生と大学生……これが四年前なら、まだもう少し友達同士に見えただろうに。

私はその手を軽く握り返しながら、今日言いたかった二つ目の本題に入る。

「先輩と赤座先輩が今付き合ってるんだとしたら……ちょっと気になることがあるんですけど、いいですか」

「なに……?」

「でもこれは……ひょっとしたら、吉川先輩を傷つけちゃうかもしれないことですけど」

「……いいわよ、言っても」


何を根拠にそんな自信があるのか。確かこの人はあらゆることに物怖じしがちな性格であった。それなのにその目は……どこか強く答えを欲しているようだった。


「……じゃあ言います。というか、持ってきました」

「?」

「この手紙見てください……ついこの前、赤座先輩から私に届いたんです」

「…………」


「私が四年前、赤座先輩に告白したときの便箋に付け加えられて、妹づてに送られてきました」

「『どうしてもっと、押してくれなかったの』……?」

「先輩……この文、どう思いますか」

はっきり言って、私は今の赤座先輩と吉川先輩が純粋な両想いで付き合っているとは思えなかった。


吉川先輩の想いはひたむきに赤座先輩に向かっていることだろう。だが赤座先輩のほうがわからなかった。

もし吉川先輩と今付き合っていて……吉川先輩を一途に想っているならば、こんな手紙を私に送ってくるわけがないのだから。


「どうしてもっと押してくれなかったのって……四年前、あのとき私がもっと強く告白してたら、あの人はオーケーを出してくれたってことなんでしょうか」

「…………」

「その話を今更、こんな形で蒸し返すだなんて……それは赤座先輩が、吉川先輩に心から向き合ってないことの証拠なんじゃないですか?」

「…………」

「すみません……お二人の関係にヒビをいれてしまったかもしれませんね。でもこれが送られてきた以上……そしてあなたに今日呼び出された以上、どうしても見過ごせなかったことなので」

「いいの。いいのよ……」


吉川先輩は悲しげに微笑むと、少し宙を見上げながら言った。


「私もね……なんとなくわかってたの。あかねちゃんが私を……私だけを見てくれてないこと」

「えっ……」

「私の告白にはオーケーしてくれた。でもあかねちゃんが一体その目で何を見ているのか……私にはまだわからないのよ」


「あかねちゃんはきっと……大きな何かに悩んでいるんだと思う」


弱々しく笑う先輩の顔を見ていると……なんだかいたたまれなくなった。

そして、助けてあげたいと思った。


四年経ってもこの人は……私の大事な大事な先輩だった。




「ここがあかりちゃん家!」

「ここが……」

「それにしてもねーちゃんがあかりちゃんのお姉さんの友達だなんて知らなかったなー。久しぶりに会っても遊んでくれるなんて、良い人だね」

「…………」


数日後、「あかりちゃんの家に遊びに行く」と言った櫻子に勝手についていき……私は赤座家の前まで来ていた。

吉川先輩の悩みを直接聴き、いてもたってもいられなくなったのだ。どうして長年の付き合いである吉川先輩を心から好きでいてあげないのか。なんであんな手紙をよこしたのか。

全てを解決するには……本人に会うのが一番手っ取り早かった。


「いらっしゃい櫻子ちゃん」

「お邪魔しまーす!」

「お邪魔します」

「わわっ、あれ……? 櫻子ちゃんのお姉さん」

「なんかね、あかりちゃんのお姉さんに用があるんだって。勝手についてきたの」

「お姉ちゃんに? どうぞどうぞ上がってください」

「ありがと」


改めてその風貌を見れば見るほど、あかりちゃんには赤座先輩の面影があった。私が好きだった赤座先輩。いつも優しくて、誰よりも輝いていて、周りの人までもふわりと明るくさせる憧れの人。

私は……私が好きだったころの赤座先輩に戻ってきてもらいたい。そのためには、今日という機会がどうしても必要なんだと自分の心に言い聞かせた。

リビングに向かった櫻子と別れ、私は音を立てずに階段を上った。

そして……「おねえちゃんのへや」と書かれた扉にそっと手を伸ばし、ゆっくり二回、ノックをした。


『はーい?』

「…………」

『誰? あかり? 入ってき……』


言葉をさえぎるように、私は意を決して扉を押し開けた。


「っ……!!」

「……どうも」

「お……大室さん……」

「妹に案内してもらって来ました。どうしても話したいことがあったので」

「…………」


赤座先輩は驚きのあまりしばらくの間固まっていたが、覚悟を決めたかのようにゆっくり俯くと、小さな声で「座って」と言った。私はベッドに腰掛けさせてもらう。


「……何の、話?」

「……あなたの話です」

「私の……?」

「あなたが何を考えてるのか……私たちにはわかりません。吉川先輩もわかっていません」

「!」


吉川先輩の名を出すと、急に赤座先輩は動揺の色を濃く表した。

先日公園で私と吉川先輩が会ったことを赤座先輩は知らないのだった。私たちが裏で繋がっていたことを初めて知ると、いつものその笑顔を少しだけ歪ませた。


その時……私のかかとあたりに、何か柔らかいものが当たった。


(?)


ベッドの下に……何か柔らかいものがある。私はさっと手を伸ばして、そこにある “柔らかいもの” に手をかけた。


「っ、やめて!!!」

(えっ)


俯きがちだった赤座先輩が私の行動に気づいて、椅子を蹴って立ち上がる頃には、事はもう遅かった。

私が柔らかいものをぱっと引っ張り出す……そこにあったのは……


「な、なんですかこれ……抱き枕……?」

「ぁ……」

「あかりちゃんの……やつ……!!」


視線の先の赤座先輩の眼が、絶望の色をしていた。

私は強い何かに思い当たり……今度は立ち上がってクローゼットを開ける。


「な、何をするの!!」

「離してください……! 先輩は何か隠してます!」

「あなたには関係ないわ!!」

「関係あるかもしれないでしょうっ!!」

「きゃあっ!」


部屋のあちこちから“それっぽいもの” を探しながら、私はもしかしたらこれが答えだったのかもしれないと思い始める。

クローゼットから、ラックから、本棚から、 “それっぽいもの” はたくさん出てきた。きっと普段はもっとしっかり隠して管理していたのだろう。私の突然の来訪は、さすがの赤座先輩でも計算外のことだった。


「はぁ……はぁ……」

「っ……」

「なんですか……これは……」


部屋のあちこちから見つけ出したのは、あかりちゃんがプリントされたグッズの数々や、あかりちゃんくらいの子が履きそうな下着……そして、姉妹愛に関連する書籍類の数々。

四年経って初めて知る真実。赤座先輩の、本当の姿。

「帰って……」

「……嫌です。説明してください」


「お願い……帰って……! もう私のことには首を突っ込まないでよ!!」

「はぁ!? じゃあなんでこんな手紙寄越したんですか!! 四年も経って今更になって、なんでこんなものを……!!」

「っ……!」


「あなたは何がしたいんですか!? どうして付き合ってるのに吉川先輩のことを見てあげないんですか!? どうして……私なんかに……!!」


「わからない……わからないのよ……」

「えっ……」


赤座先輩は顔を両手で覆って……声を上げてすすり泣いた。

私が今まで一回も見てこなかった、赤座先輩の泣き顔。

彼女は誰よりも強い人だった。それなのに今は……とても弱々しく見えた。


「自分が何をしたいのか……自分がどうするべきなのか……」

「先輩……」


「あかりを取ればいいのか……ともこを取ればいいのか……あのとき私が大室さんと付き合っていたなら、全てを忘れて大室さんを好きでいられたかもしれないのか……」


「もう……わからないのよぉぉ……!」

階下から、階段を駆け上がってくる音がした。

私はあわてて部屋の外に出る。


「わっ、ねーちゃん!」

「櫻子……」

「あのっ、なにかありましたか? なんかどたばた音がしたから……」

「……なんでもないよ……あかりちゃん、しばらくこの部屋には入らないでおいて」

「ふぇっ?」

「ちょっと……泣き声が聞こえるよ!? ねーちゃんあかりちゃんのお姉さんに何かしたの!?」

「…………」


櫻子が目ざとく扉の奥を睨む。赤座先輩の泣き声はあかりちゃんにも届いたらしく、何が起こっているのか全くわからないという顔をしていた。


「……ごめん。とにかく、ここには入らないで」

「そんな……」

「っ……ごめん」

「あっ、ねーちゃん!!」


私はすぐさま階段を下り、赤座家を飛び出した。

そのまま自分の家まで早歩きで帰った。同じように赤座家を出てきた櫻子が、途中で私に追いついた。


「ねえなんなの!? いったい何があったの!?」

「…………」

「ねえってば!!」


櫻子が私の肩を掴んでぐいと引っ張った。

私はそのまま倒れこむように、櫻子を抱きしめる。


「うぇっ!?」

「櫻子……ごめん……」

「な、なに……?」

「ごめんね……あかりちゃんの家、行きづらくしちゃったね……あんたたちには関係ないのに……ごめんね……」

「ねーちゃん……っ!?」


気づけば私は、泣いていた。

そのまましばらく道端で、櫻子の小さな肩に目を押し当てて、涙を沁みこませた。


久しぶりに抱きしめた妹というものは……やはり昔と変わらず、小さかった。




自分の家に帰り、今日も私は早い時間からベッドに突っ伏す。

携帯を開くと、彼女からのメール通知が何件か届いていた。その返信を考えながら……先ほどの赤座先輩の泣き顔を思い出す。


ここまで少々勝手なことをしてきたが……もうこの件には関わらないようにしようと思った。私にとっては全て過去のこと……今の私には心から愛せる彼女がいるし、この子さえいれば他には何もいらなかった。

赤座先輩も吉川先輩も、もう二度と合うことが無ければ、どうなろうと関係のないも同じ……私は私の幸せだけを追い求めればいい。

しかし私の頭はやはりどうしても……二人の小難しい事情について考えてしまう。


「…………」


赤座先輩の悩みの正体は、きっとあかりちゃんのことなのだろう。

あの人はいわゆる……いや、本当の意味でのシスターコンプレックスだ。はたから見れば異常なほどの愛を、誰にも見られない部分で妹に向けている……良い子のあかりちゃんを縛って独占するとまではいかないが、あの人は間違いなく “あかりちゃんに縛られていた”。


(きっと……最初から)


私があの人に出会った時から、あの人は既にそんな状態だったのだろう。

どんなに他人から憧れの目を向けられても、あの人はいつだってあかりちゃんしか見えていない。 あかりちゃん以外を見るということは……彼女にとっての罪にさえなりかねない。

となると、四年前……私の告白を振った理由も、おそらくそれなのだろうと思った。


『私……他に好きな人がいるの』


(誰なんだろうとずっと思ってたけど……そっか、あかりちゃんかぁ……)


四年越しにわかった難問の答えは……驚くこともなく、ただひたすらに虚しかった。

私が何をどうやったって……あかりちゃんには勝てなかったのだ。

そんなこともわからずに、フラれた現実を受け止めることもできずに、差し伸べた手を振り払ってしまった過去が……それからの四年間、悲しい過去の傷跡と称して消化したすべての根源が、たったそれだけの理由だったことがわかり……泣きたいくらいに虚しかった。

その時、彼女からメールの返信が届いた。すぐに彼女のことを考える。過去の女の人のことを考えながら、この子にメールを送りたくはない。

必死に赤座先輩のことを忘れようとしながら、彼女への文面を考える……


そんな私が、あるものと似ていることに気が付いてしまった。


(あ……)


わからないもの、見たくないものから目を背け……手の中にある愛しいもの、自分を受け入れてくれるもののほうへと逃げ込んでしまう……


それは、あかりちゃんという存在に逃げる赤座先輩と同じだった。


(だめだ……これじゃあ……)


(楽な方へと楽な方へと……逃げるばかりじゃダメなんですよ……先輩……!)


赤座先輩の悲しげな泣き声を思い出す。あの人の悩みは非常に複雑だ。簡単に解決できるような代物ではない……

それでも最後にどうしても、伝えてあげたいことがあった。


彼女へ送るメールの編集画面を閉じ……そのまま彼女に、電話をかけた。


『もしもし?』

「もしもし……ごめんね、急に」

『なに……? どうしたの?』

「あの……さ、この前週末に……私たちが出くわした人、覚えてる?」

『ああ、あの人』


「実は……さ、私……あの人が好きだったんだ」

『…………』


「実は今日もちょっとだけ会ってきたの。喧嘩して別れてきちゃったんだけど……でも、今からまた会いに行こうと思うんだ」

『…………』


「ごめんね……でも、許してほしい。私が初めて好きになった人だから……どうしても、助けてあげたくて」


『……ぷっ』

「えっ」

『撫子ったら……ふふっ』

「な、なに」


『……いいよ。私のことなんか構わないで行ってあげて?』

「!」


『みんながみんな、幸せになれる道を追い求める……撫子はそういう人だもんね。撫子にとっての大事な人なら、私にとっても大事な人だと思う』

「…………」


『私はね……撫子のそういう部分が大好きなの♪』

「!」


『……さ、行ってあげて。その人のところに……あ、でもちゃんと帰ってきてよね?』

「……もちろん」


やっぱり私の今の彼女は、私の自慢の彼女だった。


ゆっくりと電話を切ってから、今度は吉川先輩に電話をかける。


「……あ、もしもし。大室です……実は今日、赤座先輩の家に行ってきました。それで……」

 ――――
 ――
 ―


大室さんに……呼び出された。

昼間私の部屋にいきなり来て、部屋中をひっかきまわして……私の心の中もかき乱していった大室さん。

彼女は私を怒ってると思う。私は彼女に……合わせる顔がない。

どんなことを言われても仕方ない。悪いのは全て私だとわかっている。


夜中12時の夜の公園。彼女が指定した待ち合わせ場所はここだった。

まさか恨み昂ぶって刃物で刺されるとまでは思っていないが……張り手のひとつももらうかもしれない。

私はそれを甘んじて受け入れなければいけない……それが彼女にできる、私の最低限の償い。

恋愛対象の天秤にあかりを乗せてしまったときから……ずっと背負わなければいけない、私の咎。


大室さんのことは、私も好きだったわ。

あのときのこと……忘れない。

大切な後輩から、一生懸命の想いを貰って……私は本当に嬉しかったのよ。

あなたなら私を助けてくれるかもしれないって、今更になって頼ったこと……許してほしい。




小さな街路灯の下で、身体を縮こめて待っていたあかねに……撫子は後ろから抱き着いた。

バランスを崩してよろけるあかねに、今度は反対側からともこが強く抱き着く。

二人に挟まれて抱きしめられるあかねは、一体何が起こったのかと慌てる。

そんなあかねに……撫子は言った。


「先輩……」

「っ……?」



――先輩は……誰かに好意を向けられること、そしてそれに応えることが……あかりちゃんを裏切ることに繋がると思ってませんか。



「!」


「あかねちゃんにとってのあかりちゃんが、どれほど大きな存在かはわからない……でもあかねちゃん、それはきっと間違っているわ……!」

「あかりちゃんのために、自分の好きなものから目を背けるなんて……そんなことは絶対にしないでください!」

「…………」


「好きなものは好き! それだけでいいじゃないですか……!」

「一生懸命に好きなものを追いかける……そんなあかねちゃんが、私たちは大好きなの……!」

「え……」


「目を背けないで……目を閉じないでくださいっ! あなたの周りの人はみんな、あなたのことが大好きなんです!!」

「あかねちゃんは本当に……本当に多くの人に愛されているのよ……!」

「っ……ぅぅ……!」



「どうか、目を向けてあげてください……!」

「どれだけの時間がかかってもいい……私たちもあかりちゃんも、ずっとずっとあなたの元にいるわ……!」

「!!」


撫子とともこは、泣きぬれるあかねの目に指をそえ……その涙を拭った。


 ―
 ――
 ――――

深夜一時……全て終わったと彼女にメールを送りながら家に帰った。

自分の部屋に入る前……ふと気になって、隣の櫻子の部屋に入ってみる。

夜更かしがちな櫻子とはいえ、さすがにこの時間ではもうすっかり寝息をたてていた。


「櫻子……」

「…………」


「あかりちゃんと、ちなつちゃんと……もちろんひま子とも……ずっとずっと、仲良くするんだよ?」

「…………」


「おやすみ……」


額の髪をかきあげて、あたたかいおでこにキスをした。

言っておくが私は、シスコンではない。




それからしばらくたった、ある日の休日。

私はその日彼女と一緒に行きつけのカフェに来ていた。そこは二人の馴染みのお気に入りのお店。さっそくメニューを何にしようか悩んでいると……


……隣の席に、見覚えのあるカップルがいた。


「あ、気づいた」

「うわーーっ!!」

「うふふ……どうも」


カウンター席に並んで座る私と彼女。その隣の席にはなんと赤座先輩と吉川先輩が先客として来ていた。

二人はちょうど店を出るところだったらしく、片付けを始めている。


ふたりの先輩は帰り際、私の彼女にこっそり耳打ちした。


「あなた……大室さんを手放しちゃダメよ? こんなにいい子は他にいないんだから」

「えっ!?」

「ちょっ、何言ってるんですか!!」

「何って、心から思ったことを言ってるわ。私たちの自慢の後輩をよろしくね? 彼女さん」

「か、かのっ……撫子、この人たちに言っちゃったの!?」

「いやえっと、こっちの先輩には言ったけどこっちの先輩には言ってないような……あれ、どっちだっけ……」

「ちょっと~~!!」


彼女に膝を抑えつけられながら、二人の先輩に頭を撫でられる。


みんなみんな、私の大切な人たち。


~fin~

このタイトルを貸してくださった、あの人に感謝します。

あかり「あかりあかりあかり」
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ありがとうございました。

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