橘ありす
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ありす「……あれ?」
ありす「あれ」
ありす「えっ、ちょっと……おかしい……」
朝、目覚めた私が感じたのは浮遊感。
地に足が付いていないような――現実に対する唐突感でした。
そして、タブレットを引き寄せて、表示された日時を確認した時、さらに私の頭は混乱しました。
【2月15日 7時11分】
“15日”。
ありす「今日……バレンタインデーじゃ……14日じゃ」
昨日は13日で。なら今日は14日のはずなのに。
ありす「どうして15日……えっ? 本当に? え…………」
おかしいです。今日が15日だなんて。
ありす(――14日の記憶が無い)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1424002120
これは、13日と14日と15日と消えた記憶とチョコレートと橘志狼と私の話。
跳んでしまったあのセント・バレンタインデーの残り香を追いかけて。
私は『昨日』を決定するため、自分探しをしたんです。
ありす「あ、置いてたチョコもない……」
担当プロデューサーに渡そうとしていたチョコが……いや、いつもお世話になっているお礼のためです……無くなっていました。
事務所のみんなに機会があれば渡そうと用意していたチョコも含めて……家を隅々まで探しても見つかりません。
ありす「昨日の私、ちゃんと持っていったのかな……」
親に確認をとるべきかもと思いましたが、二人は朝早くから仕事に出ていて聞きようがありませんでした。
めずらしいことではないけれど、今回ばかりは両親二人が不在は恨めしく思います。
ありす(電話で確認して……いや、子どもが記憶喪失なんて聞いたら心配するに決まってる。聞くにしても状況をもっと把握してからの方がいい……)
ありす(――記憶、喪失)
自分から出した言葉なのに、改めて私は愕然としました。
……どうして昨日の記憶がないの?
ありす「本当に、15日なのかな……新聞も、テレビもそう言ってるけど……」
『バレンタイン明けの15日ですが――』
『彼らのバレンタインライブは大いに盛り上がりを見せ――』
ありす「もしかして……ドッキリ?」
――
『今日は本当に15日だよありすちゃん』
ありす「そ、そうですか。ありがとうございます千枝さん。朝早くから電話してすみませんでした」
千枝『ううん。それはいいよ……頼ってくれたのうれしいし。えへへ』
佐々木千枝
http://i.imgur.com/9gHY8lE.jpg
ありす「すいません。真面目な人に聞きたかったので。……じゃあ、昨日バレンタインだったんですね?」
千枝『うん』
ありす「私は会社に顔を出しましたか」
千枝『うん。来てたよ。私会ったもん』
ありす「そうですか……」
千枝『思い出せない?』
ありす「はい、全然」
千枝『ど、どうしちゃったんだろうね。疲れてるんじゃないのかな。ここのところありすちゃんCM撮ったりして忙しかったし。あ、CMは覚えてる?』
ありす「それは大丈夫です。バレンタインのCMですよね?」
千枝『うん、そうそう! とってもかわいかったよ! バレンタインすぎちゃって、テレビじゃもう流れてないけど……私、ありすちゃんすごいと思ったっ!』
ありす「あ、ありがとうございます……ぅ、ちょっとだけ恥ずかしい……」
千枝『でも、13日までの事は覚えてるのに、14日だけすぽんと忘れちゃってるって変だね……』
ありす「そうなんですよ。そこが不可解なんです。ドッキリかと思いましたけど、それだと新聞にもテレビにも大がかりな細工が必要になるはずで、あまり動じない私へのドッキリにしては費用対効果が悪すぎます」
千枝『あの、その、私は仕掛け人さんじゃないよ』
ありす「わかっています。ドッキリの線は捨てていますよ。こんなドッキリだったら電話できるのもおかしいですしね」
千枝『うん……でも心配。お医者さんに診てもらった方がいいかもしれないよ、ありすちゃん』
ありす「そうですよね……健忘症なんて怖いです。台本とか歌詞とかいっぱい覚えなきゃいけないのに……」
千枝『プロデューサーさんに相談してみる?』
ありす「……う。プロデューサーですか。でも心配かけたくはないんですよね。とりあえず医者にかかるのは、記憶が蘇らないか確かめた後で、親と相談して決めます」
千枝『そっか。じゃあ、あのありすちゃん、頭は大丈夫?』
ありす「えっ?」
千枝『あ、ゴメンね! おかしな聴き方しちゃって……頭、ケガしてないかなって。もしかして昨日のコト忘れちゃったのは頭をどこかにぶつけたからかもしれないから』
ありす「いえ……たんこぶ一つできていませんね……」
千枝『そう……うーんどういうことなんでしょうか』
ありす「謎ですね……」
ありす(そう、謎です)
ありす(昨日の私はチョコをどうしたんでしょう)
その後も、いくつか質問し答えてもらいましたが、これといって収穫はありませんでした。
ありす「消えた昨日の記憶か……」
千枝『え、なにありすちゃん』
ありす「いや、ミステリーの本でそういうのあったなって思いだしまして。記憶を失った主人公が、自分の過去を探していく話」
千枝『過去を探す……』
ありす「そうだ……私も探してみます。自分で確かめたいこともありますから。とりあえず事務所にうかがって、昨日の私の情報を集めようと思います」
千枝『なんかかっこいいねっ。ありすちゃん、私、手伝ってもいいかな?』
ありす「もちろんです。千枝さんがよろしければ、ぜひお願いします」
千枝『うんっ!』
ありす(……ふふ、私ったら変ですね。こんな状況なのに、楽しくなってくるなんて)
ありす(でも探偵ですからね)
ありす「とりあえず事務所にいって、私が昨日会ったという人を見つけよう」
チョコは誰かに渡したのか。
なぜ記憶がなくなったのか。
ありす「自分の謎は、自分で解かなくちゃ」
私は外出の準備を整えると、すこしだけ興奮して玄関を出ました。
めくるめくショコラの幻影を追って。
とりあえず導入だけ。15日に投下したかったので見切り発車気味ですが
今までの志狼とありすのSSとはちょっと毛並みが違う話になるかもしれません
――……
ありす(でも……本当に変な感じ)
ありす(記憶が無いということは、知らない自分がいるということで……妙に不安になる)
ありす(地続きの道を歩いてきたはずなのに、それがふっと途切れてしまったのが心もとないと言うか……)
ありす(不安。そう、不安があるんだ)
ありす「バレンタインデー……私はその日をどんな風に振舞ったんだろう。ちゃんと……大人らしくできたかな。変じゃなかったのかな……」
文香「変じゃ……ありませんでしたか?」
ありす「あっ。あそこで歩いているのは文香さん……それと」
玄武「変というなら、あのバレンタインなんていうイベントそのものが変だろう。ウァレンティニスを偲んでるヤツなんざどこにもいやしなかったしな」
文香「変遷し……変化し……生まれた新たな意味の方が世界を席巻していることそのものが……変、ですか」
ありす「えっと、黒野玄武さんでしたっけ」
黒野玄武
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鷺沢文香
http://i.imgur.com/YBXgnjx.jpg
文香「確かに……ふふ、土台そのものが不可思議ならば、基準など曖昧になってしまいます……」
玄武「だが、万物流転が世の習いっていうんなら、そういう意味において昨日のアンタは変じゃなかった」
文香「そうですか……確かに……今までの私はあのような装いは縁がありませんでした。あの、小悪魔っぽさ、出ていたでしょうか……?」
玄武「悪魔とは感じなかったな。悪魔は男共の心の中にこそ潜んでんだ。それがあんたを見て蠢く…………はっ、やめよう文香さん、こんな会話は。下世話に過ぎる」
文香「え? はい……。あら……?」
ありす「あ、おはようございます。文香さん。ど、どこかに行かれるんですか」
文香「おはようございます橘さん……私はブックカフェに行くところなんです……あ、ブックカフェというのは本を読みながらコーヒーが飲めるという新しい業態のカフェでして――」
ありす「あの、ブックカフェの事については知っています大丈夫です。でも、その……」
玄武「ん、俺が気になるかい、嬢ちゃん? 安心しな。たまたま会って目的地がいっしょだってんで同道してるだけさ。番長さんが教えてくれた店なんで一度は行ってみねえと無礼だろう」
ありす「そうなんですか……」
玄武「嬢ちゃんはこれから仕事かい?」
ありす「いえ。仕事ではありません。実は……その、私、昨日の記憶がなくて。会社に行って思い出す手がかりを探そうと」
文香「え……記憶が……ないのですか?」
――
玄武「――ふむ。健忘の症状にしちゃ、抜け落ちてる記憶がデカいな。見当識も十全だし……脳振盪とかが原因じゃねえようだが」
文香「昨日のことだけ思い出せないとは……不思議ですね……」
ありす「あの、でも、そんなに心配しないでください。自分だけで解決できますから。頭ははっきりしてます」
文香「……自分探しをするのですか?」
ありす「自分探し……そうですね。そういう言い方も的外れではないでしょう。昨日の自分を補完してしまわないといけませんから。お仕事のためにも」
文香「あ、あの……よろしければ、お手伝いしましょうか……?」
ありす「いえ。文香さんは予定がおありなんでしょう? 他に手伝ってくださる方もいますので、平気です……今のところは」
文香「そうですか……。では……あの、書置きなどはありませんでしたか?」
ありす「書置きですか?」
文香「はい。昨日の自分が今日の自分に当てて書いたような文章です……例えば、『あなたは、今、混乱している……この人に頼りなさい』という指示書のような……」
ありす「そういうメモはありませんでしたね……残念ながら」
玄武「……ケータイはどうだ」
ありす「あ、そうか。メールの下書きなんかで残しているかも。――あ、ダメです。確認してみたけどありません」
玄武「ふぅむ、手がかりなしか」
ありす「昨日受信したメールもいつもの業務連絡だけ……あれ?」
ありす(クラスメイトの友達からメールが来てる)
ありす「メールなんて……なんでしょう。いや、なんだったんでしょう」
ありす「え……?」
その友人の女子から送られてきたメールの文面は簡潔でした。
【――もう今日のことはいいから、そっとしておいてあげてよ】
ありす「これ、なに……」
文香「あ、なにか発見が……?」
ありす「いえ、クラスの友達から、昨日メールがきてたんですが意味が分からなくて。とりあえず、返信しておきます」
玄武「電話しねぇのかい。手がかりは手がかりだろう?」
ありす「でも【そっとしておいてほしい】みたいなことが書かれてて……なにも分からない内から電話するのもちょっと躊躇してしまって……」
ありす(記憶が消えたと書くべきでしょうか……いや、心配させたくないし、変なウワサを話されても困るし……)
【すみません。昨日忙しくて頭が少し混乱していまして。なんの話だったか確認したいんですがいいですか?】
ありす(距離を探るように……こんな感じ、かな。とりあえずこれで返信しよう)
ありす「では、失礼します」
文香「はい。それでは……」
文香「……一日だけの記憶喪失ですか。……そのような状況の本を読んだことがあります……」
玄武「さっきの書置きの話、『タイムリープ』からかい?」
文香「…………ぇ…………は、はい……ばれていたのですね……」
玄武「あれも昨日の記憶がないところから始まる話だったからな。……というか、文香さんが貸してくれたんじゃねえか、その本」
文香「…………っ」
玄武「あ、赤面することはねぇよ。悪かった文香さん。からかうツモリはこれっぽっちもないんだ。さっきの嬢ちゃんの記憶喪失の話を聞いて俺が思い出したのは『酔歩する男』だしな。文香さんの方がマトモだ」
文香「あ……あの現実を虚ろにする物語を読んだのですね……あの話、私も……とてもひきこまれました……倒錯する世界観が怪しげで……」
玄武「『タイムリープ』も楽しめる本だった。構成も緻密だし、ありゃ名作だ。流石は文香さん。書を見る目は確かだな」
文香「そんな…………褒めないでください…………ただ、あの、私は……私が好きな作品をおすすめしただけで……」
玄武「だから赤くならないでほしいんだが…………あ、あー早いとこブックカフェに行こうぜ」
玄武(しかし、エピソード記憶の欠如か。外傷性の原因じゃねえようだし、後の理由としては薬剤性に、症候性に……心因性か。嬢ちゃん、あんまり無理に追おうとするんじゃねえぞ……)
事務所
千枝「――さ、ありすちゃん。誰に話を聞こうか」
ありす「そうですね。とりあえず、昨日の仕事をいっしょにやった人達に聞きたいですね」
千枝「あ、バレンタインフェスタだね! 色んなアイドルが集まってバレンタインを盛り上げたあのお祭り! ありすちゃんも出てたもんね!」
ありす「バレンタインのCMを撮っていましたからね。少しだけですがイベントに顔を出す予定だったんです。いや、もう『予定』じゃないんですよね……『過去』になってしまってます」
千枝「……きっと、思い出せるよ」
ありす「はい。がんばります」
千枝「チョコレート誰かにあげたとか……それも覚えていないんだもんね」
ありす「――ぅ、やはり、そこにきますか」
ありす(そうです……私のチョコ、ちゃんとプロデューサーに渡ったのか。友チョコもみなさんに配れたのか。昨日の私はチョコを口に入れたのか……ぜんぶ分からない)
ありす「……突きとめます。必ず」
千枝「うんっ、それじゃ、話を聞きにいこ」
桃華「それでは行って参ります――と、おや。ありすさん、千枝さんごきげんよう」
ありす「あ、桃華さん、おはようございます。これからお仕事ですか」
櫻井桃華
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桃華「ええ、そうですわ。しかし事務所を出る時ばかりに会いますわね。昨日もそうでしたし……」
ありす「え?」
桃華「さて、行かなくては。失礼いたします」
ありす「待ってください。昨日の私に会ったんですね?」
桃華「え? は、はぁ、会いましたが……なんの確認ですの?」
ありす「少し事情があって、昨日の自分の行動を振り返っているんです。……私、どんな感じでしたか。なにか話していましたか」
桃華「事情がおありなのですわね。わたくしは確かにありすさんの姿をお見かけしましたが……」
千枝「チョコレートの話とかしてなかったかな?」
ありす「ちょっ、千枝さんっ!?」
桃華「チョコレート……ああ、昨日みなさんで交換会した時のことかしら? 千枝さんは先に帰ってしまって交換会、参加できませんでしたわね。残念でしたわ」
千枝「交換会? そんなのしたんだ」
桃華「ええ。わたくしも、手作りのチョコをみなさんに配りましてよ。みなさまが集まって、持ち込んだチョコをお互いに差し上げ合ったのですわ」
ありす「へえ。私も、その交換会に参加してましたか?」
桃華「ええ。ありすさんはそこに現れました。わたくしが帰ろうとしたところでしたから少し遅い時間でしたわね」
ありす「ふぅん……」
桃華「それで、チョコを誰かに渡して来ましたのとわたくしは聞きましたの」
ありす「えっ! そんなっ」
千枝「な、なんて答えたのありすちゃんはその時!」
桃華「覚えていらっしゃらないのですか……ありすさんはこう答えたのですわ」
――『同年代の男の子にあげました』、と
ありす「……はい?」
お仕事に出る桃華さんの後ろ姿を見送りながら、私は受け取ったばかりのその不可解な言葉について考えていました。
『同年代の男子』……私が?
千枝「誰にあげたのかなぁ、男子って誰だろうね」
ありす「いや、あげてないですよ。昨日の私、きっとウソをついたんです」
千枝「えっ……そ、そうなのかな」
ありす「だって、だってそうです。同年代の男子なんて子供過ぎて全然興味が湧かないんですからっ! 本当ですよ!」
千枝「ありすちゃん?」
ありす「このさい私の名誉のために言いますが! 私は頭が良くてカッコよくてしっかりした、落ち着いた大人の人に惹かれるんですっ!」
千枝「あ、あのっ! 自分の好みを話してまで違うって言わなくて大丈夫だよ……っ」
ありす「クラスメイトの男子と話しても、馬鹿な話ばかりでっ、むしろ疲れるぐらいなんですから! そうなんですからっ!」
千枝「え、じゃあ、クラスの子にはチョコあげなかったんだ……」
ありす「ええそうですっ。あげるとしてもクラスの女子一同という形ですよ。アイドルですしね。大体あげたくなるような人いませんしっ!」
千枝「じゃあ……志狼くんとかにも?」
ありす「……っ……!」
クラスメイトの男子の話をして、その名前が出てくるのを避けていたのに――
橘志狼。
私と同じ名字を持つ男子。
ありす「あげてません。断言できます」
千枝「断言しちゃうんだ……」
ありす「岡村直央くんや、姫野かのんくんには義理チョコをあげる可能性はありますが、それでも志狼くんには決してあげないようにします」
千枝「志狼くんだけどうして……クイズ番組のこととか気にしてるから?」
ありす「別にあの年末のクイズ対決で私達を負かした相手だから……というわけではないです。単純にあげる気にならないだけですよ」
千枝(あれ? 志狼くんだけ特別にあげないって言ったんじゃ?)
ありす「……そうだもん、あげてるわけないもん……」
千枝(自分に言い聞かせてるみたい……)
千枝「じゃ、じゃあ一応確認してみる? 志狼くんたちと話してみればわかるし……」
ありす「……………………いえ、もっと可能性の高いところから攻めてみるべきだと思います」
千枝「可能性が高いところ?」
ありす(プロデューサーとか……)
ありす「そうですね、もしかしたら晴さんに友チョコをプレゼントしたことを言ったのかもしれません」
千枝「えっ?」
ありす「同年代の男子という言い回しで晴さんを表した可能性は十分にあります。男性じみた話し方をしてますから」
千枝「あるかなぁ……」
ありす「まったくもう。晴さんたら人騒がせな……男っぽいのはせめて趣味のサッカーだけに抑えればいいと思います。せっかく女の子として魅力的な顔立ちをしてるんですから」
晴「男っぽくて悪かったなぁ!!」
結城晴
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ありす「……ひゃっ! は、晴さん」
千枝「あ、おはよう」
晴「おう、おはよう。ありす、オレのことワダイに出してなに話してたんだ?」
ありす「いえ……昨日の私は晴さんにチョコを渡したのかなって……」
晴「は? お前があげたのは別のヤツだろ」
ありす「え……」
晴「そういやおまえ、今日もプロデューサーに送ってもらって事務所来たのか?」
ありす「えっ」
晴「ちゃんと運動もしろよなー」
ありす「ちょ、ちょっと待ってください。今すごく重要なことをおっしゃいませんでしたか?」
晴「重要? なんか言ったっけオレ」
千枝「あのね、実はありすちゃん記憶が――」
………
晴「マジか。昨日のことだけ覚えてねーのか」
ありす「……そうなんですよ。困ったことに」
ありす「それで確認なんですが、昨日私はプロデューサーに学校から送ってきてもらったんですね?」
晴「おう。そうだよ、ありすだけズリーって思ったもん」
ありす(そうなんだ……迎えに来てほしいなって言ったけど、プロデューサー本当に来てくれたんだ……)
ありす(となるとチョコも、やっぱりプロデューサーに?)
晴「しっかし、チョコあげたことも忘れてんのかよ。……ちぇっ、気になってたから色々聞きたかったのに……」
ありす(恥ずかしいけど……ここは、はっきり、させなきゃ。感謝のしるしに過ぎないって言えば大丈夫)
ありす「その……昨日、チョコ…………その、誰にあげたか知ってるんですか?」
仁奈「知ってますですよー!」
市原仁奈
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千枝「あれ、仁奈ちゃん?」
晴「お、いいところに。教えてやれよ仁奈」
ありす「仁奈さん、ですか?」
仁奈「ソウルフレンドからのジョーホウでごぜーますが、しろう、チョコもらったって言ってたそーですよ」
ありす「え、志狼くんが? 誰から……」
仁奈「や、だからですねー」
晴「ありす、お前から渡されたんだってよ」
ありす「はい?」
ありす「………………はい?」
ありす「は……? あの……」
千枝「わぁ! やっぱり……!」
ありす「え……待ってください、待ってくださいよ」
ありす「私が? 橘志狼に?」
仁奈「そうでごぜーます」
ありす「私の中で『子供過ぎる同年代ランキング』の首位をひた走ってるあの志狼くんに?」
晴「や、お前の中のランキングはしらねーけど。そうだよ、あの志狼だよ」
ありす「あの幼稚で強引で無知で、私と顔を合わすと必ずケンカに発展するあの男子に?」
晴「だからそうだって」
ありす「…………ウソです」
仁奈「へっ?」
ありす「ウソです! 信じませんよ、そう信じませんっ!!」
ありす「というか……は!? 意味が分からない……!! そうだ……わかりましたよ!」
晴「落ちつけよ。どうしたんだよ!?」
ありす「これは夢ですね。私はまだ13日の夜に眠ってから、覚醒していないんですきっと。実際には14日はいまだ来ていないんです。だから記憶がない……道理が通ってます。論破完了ですね」
晴「んなワケねーだろ!」
ありす「えいっ!」グニッ
晴「ふひゃ!? にゃ、にゃにしゅんだ!!」
ありす「ほおをつねられて痛いですか? 痛くありませんよね。夢なんですから」
晴「痛いに決まってんだろーがっ!! コラァ! つねるんなら自分のほっぺたつねろってば!」
千枝(ありすちゃん混乱してるのかな……)
仁奈「仁奈、ウソついてねーですよ……ソウルフレンドもウソつかねーですよ……」シュン
ありす「うっ……! ち、違いますからね。仁奈さんを疑っているわけではないですよ」
仁奈「でも夢だって言ったでごぜーます……仁奈、ウソつきにはなってねーですよ……悪い子じゃねーんです……だからお願いです捨てないでくだせー……」
晴「おい仁奈どうした!? 目に光がないぞ!?」
千枝「あ、ありすちゃん! 仁奈ちゃんの心の闇が膨らむ前に認めてあげてっ!?」
ありす「あのっ! 仁奈さんの言うことは信じてますからっ! もちろん、ソウルフレンドだという姫野かのんくんのことも信じていますよ! 私が疑っているのは……そう、橘志狼だけなんですっ!!」
仁奈「そーなんですか?」
ありす「ええ……志狼くん、意味のないウソをつく人ですからね。きっとおばけが怖いのに怖くないとか言っちゃう素直じゃない人ですよ」
千枝(素直じゃないってありすちゃんが言うんだ……)
ありす「きっと強がりの一環で妄言を言ったんですね。私が志狼くんにチョコあげるわけがないですから」
晴「……じゃあ、確かめるか?」
ありす「確かめるとは?」
晴「志狼に電話してやるよ。直接確かめりゃいいだろ」
ありす「なっ……え、っと、そこまでしなくとも」
晴「確信持ってんだろ? ……オレは義理チョコでもハズくて渡せなかったのに……渡したおまえがなに言ってんだよ……」
千枝「晴ちゃん?」
晴「なんでもない。いま、志狼にかけてやる」
Prrrrrr
ありす(ど、どうしよう……!)
――『よー晴! こちらしろー! なんだ、何か用? またサッカー対決の日取りでも決めんのか?』
ありす(わ……!)
通話口から聞こえてきたその声に、ぞくっと私の背中が粟立ちました。
なんでしょう、これ以上、進んでは……いけない気が……
晴「…………おう、おう。ん、まー、確認だけ確認だけ。んじゃ、ありすに代わるよ。――ほらよっ、橘。もう一人の橘と話せよ」
ありす「……ぅ」
ありす(大丈夫――渡してるわけないもん)
ありす「もしもし!」
――『おう、なんだありすっこのやろー!』
ありす「いきなり身構えて話さないでくださいっ! 少し確認したいことがあるだけですからっ!!!!」
千枝「あ、あの、ありすちゃんもうちょっと声のトーン落とした方がいいよ」
――『晴が言ってたけど昨日のことが知りてーのか? なんで?』
ありす「記憶が……いえ、色々込み入った事情があるんですよ、その…………チョコレートについて…………なん、ですが」
――『あん? チョコレートを貰ったかって?』
来た。ここだ。
波動関数はどちらに収束するか――勝負!
ありす「……昨日の私はまさか渡していませんよね?」
――『なに言ってんだ? お前?』
問いかけの意味が分からないという風な返答。
突拍子の無いことを聞いたから? それとも分かりきったことを聞いたから?
あれ?
零れ出てくるであろう言葉がこわい――
ありす「き、昨日の私が何を思ったのかは知りませんが、もし渡していたとしたら気の迷いですからっ!!」
――『はっ? おい』
ありす「勘違いしないでくださいよ! 本当にお願いしますよ! アイドルなんですからそのあたりの線引きしっかりとしてください!」
――『おいっ、ありす! こっちの話を』
ありす「言いふらしたりしたら怒りますからね! もし万が一、億が一、私のチョコを食べていてもどんな味だったか感想も言うことも禁止します!!」
――『あぁん!? なんでいきなりメイレーしてんだおまえっ!』
ありす「強く言っとかないと、あなたはすぐボロを出すでしょう!」
――『……お前のチョコなんか食ってねーよ!! ってかオレだってイロイロややこしいことがあるんだからなっ!! なんだかしらねーけどこっちだって忙しーの!』
ありす「え、食べてない……本当ですか?」
――『もー! お前今日は電話してくんなよーっ!! オレだって怒るからなっ!!』
Pi
ありす「……あ、切れてしまいました」
晴「いつも思うけどよ。絶対ケンカみたいになるよなおまえら」
ありす「相性が最高に悪いんです……仕方ないんです。ですが、有用な証言を得ることができました。橘志狼、『食べてない』と言っていました」
千枝「もっと詳しく聞ければ……」
ありす「十分です。やはり私はチョコをあの男子にあげてはいなかったんです。それが確認できただけでも――」
仁奈「でも、『貰ってない』と『食べてない』はベツじゃねーですか?」
ありす「…………」
千枝「なにか思い出せないかな。志狼くんのことで」
ありす「思い出せませんね……」
ありす(ただ……恐怖を感じました)
ありす(……なんであんなに話を聞くのが怖くなったんでしょう)
ありす(本当に私は橘志狼にチョコをあげていないんでしょうか)
ありす(まさか同年代の男子なんかにあげるとは思えませんが……志狼くんには特にです)
ありす(だけど実際の真相はわからない……)
ありす(そう。まだ、わからないんだ)
――♪
そこで電話が鳴りました。橘志狼からの折り返しかと一瞬思いましたが、鳴ったのは晴さんの電話ではなく、私のものでした。
そして、それは着信ではなくメールの受信を告げる音でした。
来たメールは、先ほど返信したクラスメイトの友人から。
確認します。
ありす「……なんですか、これ?」
【そんなだから、橘さんはひどいっていうのよ。やっぱりなにもわかってないじゃない】
文面に記されていたのはそんな突き放すような冷たい文章でした。
ありす「……!!」
……見た瞬間、さっきのようにぞくりと背筋に震えが昇ります。
そして胸に去来するものがありました。
それは……もっと昨日の事を調べないといけないという気持ちと
昨日のことなど調べてはいけない――、そんな矛盾した二つの感情でした。
ありす(私がひどい? なんで……なにか誤解があるみたいです)
ありす(バレンタインフェスタだ……手がかり、そこにあるかも……)
今回の投下は終わりです
書く時間が取れずお待たせして申し訳ない
ありす「バレンタインフェスタに参加した人に、お話を伺いましょう……」
晴「どうした? なんかテンション低くなってるぜ」
ありす「気がかりなことが多くて、少し疲れたんですよ」
ありす(……あの子のメール、返信できない。昨日何があったか知るまでは)
仁奈「志狼にチョコあげたかどーか、しっかり調べてーんならソウルフレンドにハナシ聞いたらいいと思うですよー」
ありす「そ、そうですね。考えておきましょう。ただ、桃華さんが言うには、私この事務所に帰ってくるのが少し遅かったみたいなんですよね」
千枝「そう言ってたね。そこで桃華ちゃんが誰かにチョコあげたの? って質問して、ありすちゃんはあげたって答えた……」
ありす「イベントに顔を出すだけでしたから、仕事の時間自体はごくごく短かったはずなんですよ。自由時間が取れると聞いていましたし……でも、私は帰ってくるのが遅かった」
晴「フェスタで楽しんでたんだろ。ほら、『壁ドン体験』とか315のアイドル達がやってたじゃん。そんなんに参加したんじゃねーか?」
ありす「まさか、そんなものに興味を持つ私ではないと思いますが……」
千枝「えっと、でもほら! 『アイドルによるスイーツ作り教室』もあったらしいし、そっちには行ったんじゃないかな?」
ありす「あ、それには行ったかもしれません……ともかく、証言を集めます。昨日の私の行動というか動向を知らないと」
晴「フェスタ、ウチのアイドル結構参加してたよなー」
ありす(そういえば文香さんも……『小悪魔』になってイベントに出たんでしたっけ)
周子「みんなーおはよーさーんっ」
ありす「周子さん。おはようございます」
塩見周子
http://i.imgur.com/0Z8oJ5U.jpg
周子「お、ありすちゃーん。昨日がんばってたねー。荘一郎さんも褒めてたよ」
ありす「はい?」
周子「うん?」
晴「おい、周子さん、昨日のありすを知ってるみたいだぜ」
千枝「いいところに来てくれたね。聞いてみよう?」
ありす「はい、そうします」
周子「どしたん? ナイショ話?」
ありす「あの実は……」
・・・
周子「うわぁ、タイヘンだね。記憶ソーシツって実際に起こるもんなんだ。ドラマの中の話だと思ってた」
ありす「はい……私も驚いています。あの、それで」
周子「昨日のコト確かめたいワケね。りょーかいりょーかい」
ありす「あ、あの周子さん、少しこちらへ」
周子「んー、二人っきりで話すの?」
ありす「はい。少し確認したいことが」
ありす「……私、昨日事務所に来て、他の参加アイドルの方達といっしょにフェスタに向かったんですよね?」
周子「ケイトちゃん達とかといっしょにね。私もついでに乗せてってもらったんだよ。ヘルプ役として……ま、結局に出番は無かったけどねー」
ありす「あ……! じゃあ周子さん私が事務所に着いた時のこと知ってるんですね」
周子「知ってるよん。かわいー制服着てたよねー。あたしもあれ着てみたいって思ったよ」
ありす「制服……学校帰りに送られて来ましたから……そう、なりますよね。矛盾は無いです。それで、あのもう一つ確認したいことがあるんですけど」
周子「どーぞ」
ありす「ピンクの包装紙と、黄色いリボンでラッピングされたチョ……箱を私持っていましたか」
周子「そんなチョコ持ってなかったよ?」
ありす「だからチョコとは言ってな――え?」
ありす「持ってなかった、本当ですか」
周子「うん。ケイトちゃん達にも確認してくれてもいいよ」
ありす(これは……重要な証言だ。『プロデューサーに送られて事務所に来た時、私はチョコを持っていなかった』)
ありす(13日、チョコを用意した日。私は授業の準備のためにカバンの中身を入れ替えているときこう思った……チョコをいっしょに入れたら潰れてしまうかもしれないって)
ありす(だからカバンの中に隠し続けることは多分抵抗があったはず。ポケットにも入れたとしても、ずっと出さずにいたはず、ない)
ありす(だから一番可能性が高いのは……)
ありす「渡した後だったから」
周子「どしたの、ありすちゃん?」
ありす「いえ。それで……フェスタで私、志狼くんと会った様子はありましたか?」
周子「ああ、男の子アイドルの橘くんの方? ありすちゃん仲いいんだっけ?」
ありす「な、仲良くなんかないです」
周子「あたしは荘一郎さんの教室でだらだらしてたんだけど、ありすちゃんは電話来て教室出てそのまま戻ってこなかったんよ。だからあたしが分かる時間の範囲までだけど。会ってないよ」
ありす「会ってない。なるほど……謎が解けました。周子さん有用な証言ありがとうございました」
ありす(志狼くんに接触してない状態でチョコは無かった。ということは私はプロデューサーの方にチョコをあげたんだ)
安堵のような、拍子抜けしたような気持ち。
当日の煩悶も、動揺も、感動も……今の私は持っていませんでした。
ありす「やっぱり、志狼くんウソついていました。チョコあげてないのに、貰ったとか言って……」
千枝「え、そうだったの?」
ありす「そもそも昨日の私が……その、なんですか、チョコを持っている時に志狼くんに会えるわけないんです」
晴「ふーん?」
ありす「考えてみれば渡すタイミングがないんですよ。私は昨日学校からプロデューサーに送ってきて会社に来たそうです。そこから仕事に行きましたので志狼君に会ってるわけはないんです」
千枝「あれ? でも『同年代の男子にあげました』ってありすちゃん言ってたんじゃ……」
ありす「でも、その言葉は事実とは矛盾してます。会社に来た時点で……その、チョコは、プロデューサーに既に渡していたんです。あ、これは日ごろの感謝のためにですからね!」
晴「わかった、わかった。そんで?」
ありす「これは重要な定理です。『事務所に来た時には私はチョコを所持していなかった』……つまり万が一、赴いたフェスタなんかで橘志狼に会っていたとしても、チョコを彼に渡せないんです」
千枝「あ、そうなるね」
ありす「電話が来たらしいですが、志狼くんは私の番号なんて知りませんから、彼が電話をかけて私を呼び出したなんて可能性は無視できます……あ、晴さん、まさか教えてませんよね?」
晴「勝手に教えねーって!」
ありす「……一応、着信番号を確認しておきますか。昨日のメールも確認した事ですしね」
晴「最初から見とけよそれは!」
ありす(クラスの子からあんなメールが来ていて無意識に確認を避けてたんですよ晴さん……。でも怪しげな番号からはかかってきてませんね。お仕事関連の番号と……)
ありす「あ……!」
千枝「どうしたのありすちゃん」
私を【なにもわかってない】と断じた、あのクラスの友人の女子。
彼女は私に電話もかけていました。
ありす(なにかしらの用事で私に電話した後、その件が収束して、【もう今日のことはいい】とメールを私に送った。……そういうことですよね?)
ありす「……このことも、突き止めないと」
晴「どうした? 志狼からの電話あったか?」
ありす「いえ。ありませんでした。この私がチョコを志狼くんに渡したという疑惑は、彼の虚偽ということで決着です。周子さんそうですよね? 私志狼くんに会っていなかったんですから」
周子「そだねー、私が知る限りは会ってなかったねー。少なくとも荘一郎さんの教室では会ってない。そのコトは芳乃ちゃんにも裏をとれると思うよー」
ありす「え、芳乃さんもスイーツ作り教室に来てたんですか……意外です」
周子「うん」
――『天より降りたもう神気とー、地より溢れ出づる霊気をー、重ね合わせー、神浄なる霊験あらたかなチョコレイ糖を今ひとたび拵えるのでしてー』
周子「なんてこと言ってたかなー」
ありす「なにを作ろうとしていたんですか……。不思議な効能でもあるんでしょうか、そのチョコ」
周子「ま、ともかく『橘くんとは事務所→フェスタの間は会ってない』って思っていいんじゃない?」
ありす「そうですね。ほら、晴さんどうです? 私が志狼くんに渡せるわけありませんよね? 論理的に」
晴「わかったけどよ……んー、志狼んなウソつくかなー。ありすのチョコを貰っても、貰ってないってウソつくんなら分かるんだけどな」
ありす「なんですかそれ」
晴「そういう関係だろ? おまえらって」
ありす「なにか含みがある気がしますが……否定はしません」
仁奈「おーい! お電話を代わるでごぜーます!」トトト
ありす「あれ、仁奈さん。電話ってなんです?」
千枝「さっきからちょっと離れてたと思ったら電話かけてたの?」
仁奈「そうでごぜーます! 昨日の志狼のこと知りてーようでしたから、仁奈、またお話聞いたですよーっ!」
ありす「え、また聞いてくれたんですか? でも、もうそれは……」
千枝「ありすちゃん。仁奈ちゃんの親切受け取ってあげよ? わざわざ電話してくれたんだし……」
ありす「まぁ、裏をとって、彼と会った可能性はすべて潰しておきましょうか……」
仁奈「でも志狼、昨日会ったそーですよ?」
ありす「……え?」
千枝「え」
晴「は?」
ありす「会ったって、私とですか?」
仁奈「そうでごぜーます! ほら! 話したらもっと分かるですよっ!」
ありす「え、はい……!? でもそんなはずは」
仁奈さんから電話を受け取り、私は少し意表を突かれました。
――『あの、もしもし……? た、橘ありすさんですか……?』
ありす「あなたは……岡村直央さん?」
仁奈さんが確認をとった相手は、『ソウルフレンド』と呼んでいる姫野かのんさんだと思っていました。
しかし、電話に出たのはもふもふえんの三人目、岡村直央さんでした。
岡村直央
http://i.imgur.com/GFAu765.jpg
直央『はい、そうです。あの……かのんくんが、しろうくんのことを説明してあげてって』
ありす「は、はぁ。ではあなたは志狼くんの昨日の動向を把握しているんでしょうか……?」
直央『それが、よく分からないこと多いんです』
ありす「え?」
直央『しろうくん、今日天道輝さんとプロデューサーさんと話してて……なにかあったのって聞いても、心配ないって教えてくれなくて』
ありす「……志狼くんが? なにか妙ですね、それは」
直央『はい……それで、昨日の事をボクも思い出してるところなんです。えっと……橘さんも昨日のしろうくんのこと知りたいんですよね』
ありす「ま、まぁ。いくつか裏を取りたいことがあるので」
直央『昨日の事思い出せないというのは本当ですか』
ありす「……本当です」
直央『そ、そうなんですね。その……記憶、回復するといいですね!』
ありす「ありがとうございます……それで、あの」
直央『あ、はい、昨日のことですよね』
ありす「そうです。志狼くんが私と会ったというのは本当ですか」
直央『はい。しろうくんはそう言っていました――学校の校門前で会ったって』
ありす「――っ!」
ありす(学校の、前……?)
ありす(プロデューサーが迎えに来る前に、私と会っていたということ?)
なんてこと。
そのタイミングで会ったのなら。
チョコを渡すことができる――――
直央『あ、あの。なにか思い出せませんか? しろうくんの様子とか』
ありす「いえ、思い出せません……」
直央『そうですか……あ、ごめんなさい。焦らせる様な言葉をかけちゃって』
ありす「あの、詳しく事情を説明してくれますか」
直央『はい。実は、昨日のバレンタインデー、315プロダクションにもいっぱいチョコが届いたんですけど……』
ありす「……男性アイドルのプロダクションですから、そうなるでしょうね。それで?」
直央『はい、……えっと、でも勝手に食べちゃいけないんです。それ。山村さんが集計とか、処分とかするって言って』
ありす「はい」
直央『だけどしろうくん、勝手に食べちゃって。それで山村さんが止めたんですけど、なんで食べちゃいけないんだよーって言ってチョコを抱えて事務所から逃げていっちゃったんです』
ありす「な、なんですかそれ……! いやいかにも志狼くんらしいですが!」
直央『で、ですよね。それでそれを聞いたボクは、しろうくんに電話をかけてみたんです。その時です。しろうくんが、オレありすに会ったって言ったのは』
ありす「逃げて逃げて……偶然、私の学校の前まで来て……そこで私と会ったということですか?」
直央『多分そうだと思います』
ありす「………………」
直央『…………』
ありす「なんて人」
直央『はい、えっと、あの……ごめんなさい』
ありす「あなたもあの男子に迷惑を掛けられているのでは?」
直央『い、いえ! しろうくんは確かに僕のチョコまで狙ってくるような人ですけど! 色々好き勝手な行動も多いんですけど! それでもがんばり屋でやさしくて仲間想いなんです!』
ありす「苦労していますね」
直央『……そ、そうかな……』
ありす「――それで、あのまたあなたの苦労を増やすようで悪いんですが、これから、315プロに伺ってもいいですか? 志狼くんが貰ったチョコを調べたいんです」
――……
ブックカフェ
文香「……」ペラ…
玄武「……」ペラ、ペラ、ペラ
文香「…………」ペラ…
玄武「…………読了」ペラ、ペラ、ペラ・・・パタン
文香「頁を繰るのが……とても速いんですね」
玄武「耳障りだったかい?」
文香「いえ、そんなことは。少し……羨ましいと思っただけで。私も速読ができたら、世にある書をもっと読破出来るだろうと……」
玄武「速読も一長一短。一文を噛みしめるのも、楽しいもんだろう」
文香「はい。それも楽しいものです。やめられません……」
玄武「文香さん、でも今のあんたがページを繰る手が遅いのは、気がかりな事が頭にあるからじゃねえのか? 嬢ちゃんのこと気になってるんだろう」
文香「はい。実は、昨日のイベントのことを色々思い出していまして……なにか私の記憶の中に真実を知るよすががないかと……」
玄武「ウチの事務所にゃ元医者がいる。神経内科が専門じゃねえだろうが、相談してみるか? 下手に喋喋するよかはいいだろう」
文香「はいそれもいいかもしれません。医者の視点からならなにか分かることがあるかもしれませんし……」
玄武「だな。それで何か思い出せたことはあったのかい?」
文香「一つ印象に残っている風景があります。……イベントが終わって、バレンタインの見聞を広めようとフェスタを回っている時に……芳乃さんが、男の人を追いかけているのを見ました」
玄武「芳乃さんってのはそちらのアイドルだろう。男を追いかけてたなんて不可思議な話だな」
文香「はい。それと、おかしな点がまだ……」
玄武「なんだい?」
文香「にゃー」
玄武「ん?」
文香「あ……にゃん? ……にゃーご?」
玄武「その、なんだ。突発的にドーパミン神経系が賦活しちまったのか?」
文香「ち、違います……これは、……芳乃さんに追われた男性が言っていた言葉なんです。そう……『にゃんす』と、言いながら逃げていました」
玄武「『にゃんす』だって? おいおい、まさか『彩』のあの人か」
――
――――
315プロ
かのん「仁奈ちゃんたちといっしょにありすちゃんたち来るの? やったぁ! えへへ色々おもてなししよっ!」
直央「か、かのんくん遊びに来るわけじゃないんだよ。忘れちゃったことを思いだすための手がかりを探しに来るんだから」
かのん「そっかぁ……でも、仁奈ちゃんに昨日くれたチョコおいしかったよ! って伝えるくらいはいいよね?」
直央「それくらいならいいと思うよ? かのんくん、昨日TV局で仁奈ちゃんと会ったんだよね」
かのん「うんっ、かのんもチョコ渡したからー、カンソウ言い合えるよ~!」
直央「ふふ、仲良くていいよね、かのんくんと仁奈ちゃん」
かのん「うんっ! しろうくんもありすちゃんももっともっと仲良しになればいいのにね!」
直央「そうだね……がんばり屋なところとか、それで……ちょっと強がっちゃうところとか似てると思うんだけどね。ケンカばかりしちゃうけど」
かのん「ケンカもできるのって、でもそんなに悪いコトじゃないってかのん思う! なんかウソがない感じするもん!」
直央「そっか、そういう見方もできるよね。……でも、今日しろうくん、どうしたんだろうね。ウソはついていないんだろうけど、何か隠し事をしてるような」
かのん「なんでプロデューサーさんとお話してるのか、かのんたちにも教えてくれてもいいのにねぇ。心配かけたくないのかなぁ」
直央「多分そうだと思うけど……ボクたちが心配するようなこと、昨日しちゃったのかな」
かのん「ありすちゃんが昨日のコト思い出せば、なにかわかるかもね!」
直央「うん……逃げた先で、橘さんとなにがあったのか。しろうくんが逃げたからこんなややこしい話になっちゃった気が、ちょっとする……」
キリオ「むむむっ! 三十六計逃げるに如かず! 逃げるのは時に自分を壊さないために必要なことでにゃんすよ~!」
直央「わっ、キリオさん?」
猫柳キリオ
http://i.imgur.com/QSSC0a5.jpg
直央「え、あの」
キリオ「しろークンはチョコを抱えて千里を走ったそうでにゃんすが、ワガハイ、それをりすぺくとしてるでにゃんす! 逃走これ大事なり! よく分かってるでにゃんす!」
かのん「逃げるのがいいの?」
華村翔真
http://i.imgur.com/a2wxmEY.jpg
清澄九郎
http://i.imgur.com/1hh2Ii1.jpg
九郎「子供になにを説いているんですか……」
翔真「ごめんなさいね、ボーヤたち。ウチの子ちょっと昨日のバレンタインフェスタで嫌な目にあってね」
直央「そ、そうなんですか」
かのん「こわいことあったの?」
キリオ「ちょこ怖い、ちょこ怖いと言っていたら、本当にちょこが怖くなるという、オソルベキ話でにゃんす!」
かのん「チョコレートがこわくなっちゃったの? わぁ……大変だぁ」
キリオ「われながら奇っ怪なハナシでにゃんした。こうなったらはこの件をネタにして新作落語を創らねばっ」
翔真「余裕だねぇ……や、見習うべきプロ根性かしら」
直央「あの、なにがあったんですか?」
翔真「んー変な話なんだけどねェ……」
九郎「猫柳さん、昨日声をかけた女子に追われたんです」
九郎「昨日私たちは、華村さんの誘いでバレンタインフェスタに出向いたのです。そこでキリオさんが、役作りを始めまして……」
――――――――――――――――――――――――――――――――
キリオ「にゃんとも甘ったるいトコロでにゃんすなぁ~。猫にちょこは御法度なのが恨めしいでにゃんす。ああ、ちょこが怖い、ちょこが怖いでにゃんす~」
翔真「ボーヤ、落語的遠まわしでチョコを求めてるとこ悪いけどねェ、いじけたモテない男みたいに見えるわよォ?」
キリオ「にゃにゃにゃんとっ!」
翔真「わかったらよしときな。品がないし」
キリオ「モテない男……それはまだやったコトないでにゃんす! おもしろそ~でにゃんす~! よしっ、思い立ったら吉日、光陰矢如し、“ひもて”なるオトコ、ここでシュートクするでにゃんす~!」
九郎「あなたは、どうしてそうなるんです! やめてください、こんな場所で特定層の男子を挑発するような真似は」
翔真「そうゆう風に捉えるとはね。いっそ突き抜けたらおもしろいわね」
キリオ「ぎぶみーちょこれいと! ぎぶみーちょこれいと! 恵まれないオトコたちに寄付をー!」
翔真「でもあれじゃ進駐軍にたかる子どもだねェ」
キリオ「やややっ! そこな、道行く可憐なお嬢さん! すとっぷでにゃんす! この平成の御世にて着物着用のモノ好きさん!」
九郎「着物着用って、それは私達もそうではありませんか……と、まさか“ナンパ”をするつもりですか駄目ですよ!?」
芳乃「着物? はてーわたくしかしらー?」
キリオ「そうでにゃんす~!」
依田芳乃
http://i.imgur.com/xehqhzl.jpg
芳乃「…………ほー? ……ほー? おやー? これはー?」
キリオ「むむむ? 如何なされたでにゃんすか?」
芳乃「失礼をいたしましてー。そなたが一瞬化け猫のように映りー」
キリオ「化け猫っ! これはびっくりたまげた! なにを隠そうこの猫柳亭きりのじ! その正体でおっしゃるとおり化け猫でにゃんす!」
芳乃「くすくす……なんと本当に化け猫とはーそれはそれはー。わたくしは依田は芳乃でありましてー」
キリオ「おお、おにんぎょさん! 芳乃というお名前でにゃんすか!」
芳乃「しかし、そなたは、なんとも奇怪な気を纏っておられますのねー? して、私に何かご用がおありでしてー?」
キリオ「なにを隠そう、このきりのじ、ちょこれいとを求めて流浪の民かくあらんやと涙にぬれる旅路をてふてふと歩いている最中でございまして! “あいのかけら”なるものをお一つお恵みいただけないかと托鉢修行してるのでにゃんす!」
芳乃「ほー。それはなんとも険俊なる悟りの道を往かれていらっしゃいますのねー」
翔真「ゴーインにチョコを求めるのも、まぁモテないオトコの一要件って言えるわね」
九郎「止めましょうよ! アイドル業をしているのにこんな形で迷惑をおかけしては……!」
翔真「迷惑な様だったらすぐ止めるけどね。でもほら、あの二人なにか馬が合ってるみたいじゃない」
九郎「そんな問題ではないしょう! あの方もアイドルですよ! お目にかかったことがあります!」
翔真「馬に蹴られるわよォ? 九郎ちゃん」
芳乃「ではー。このチョコレイ糖を一粒召しませー」
キリオ「おひとつさいず! こりゃありがたいっ! これならネコでも致命の傷には至らないでにゃんす~! ……では、さっそく、ぱくりっ」
芳乃「そのチョコレイ糖には霊妙なる力が通っておりましてー。一口食べればたちどころに」
キリオ「むぐむぐ…………に″ゃに″ゃに″ゃ!? んぺっ!」
芳乃「……は」
九郎「なっ……! 猫柳さんなにをやってるんです!? いただいたチョコを吐きだすなんて失礼、無礼極まりない! いや、チョコをたかるという行為自体から褒められたことではありませんが……!」
翔真「落ち着きなさいな九郎ちゃん。立てたお茶を断ったってハナシじゃないようだよ。ボーヤ、どうしたんだい?」
キリオ「むむむ~これはいけない! これはいけないぞな!! 一粒口に入れただけで、このカラダを巡る宇宙のぱわーが解けて消えうせそうになったでにゃんす!!」
九郎「は? 宇宙とは?」
芳乃「力が消えうせるとはー……? そなたはもしや……天津甕星のお力をー……?」
翔真「ミカボシ? なんの話かしら」
芳乃「…………いけませぬー、このチョコレイ糖をもう一粒召しませー。諾うことが重要でしてーそこから人の身の幸せをー」
九郎「ここで更にチョコレートを勧めるのですか……!?」
キリオ「にゃっ! もうそのちょこはいいでにゃんす!」
芳乃「怪しげな気の元をーこの甘味だけで清めることができるのでしてーほらー」
キリオ「いやでにゃんす~! ここは逃げるが吉なりー!」タタタッ
芳乃「逃げてはなりませぬー」トトト
九郎「こ、これはどういう展開なのでしょうか……。あのお嬢さんの言いぶり、猫柳さんにおかしな力があるような感じでしたが……」
翔真「モテない男をなぞろうとして、女の子に追われるとはね。浮世はおもしろいわねぇ」
九郎「そういえば……あのお化け屋敷の時も、猫柳さん衣装のつけ耳と尻尾が勝手に動いて……」
翔真「もう、九郎ちゃん。だからアレはなにもアタシたちは見てないって。ふぅ、さてキリオちゃんどうしたもんかしら」
キリオ「ちょこ怖い! ちょこ怖い! やっぱり猫にはちょこは御法度でにゃんす~!」タタタ
芳乃「これー、お待ちをーお待ちったらー」トトト
――――――――――――――――――――――――――――――――
九郎「ということがありまして……」
キリオ「その後なんどか食べさせられそうになりつつ――、ワガハイはなんとか逃げ切ったのでにゃんす、いやはやこれぞ九死に一生。九生ある猫で良かったとあれほど思った日はないでにゃんす」
かのん「へぇ……」
直央「そ、そうなんですか」
翔真「コメントに困るわよねぇこんな意味がよく分からない話を聞かされても」
キリオ「芳乃嬢がまた見られたら、ワガハイ窮鼠もーどではなく脱兎もーどでいくでにゃんすから、ゴキョーリョクお願いするでにゃんす~。さて、逃走るーとをかくにんかくにん♪」
翔真「ボーヤ。アンタ逃げるの楽しんでない?」
直央(芳乃さんって人346プロのアイドルだったんじゃ……橘さん達が来たら聞いてみた方がいいかな?)
ようやく書けるようになったー
ひとまず今回の投下は終了
――
――――
ありす「着きました。ここが315プロダクションです」
晴「蒼井兄弟いるかなー……っとそれが目的じゃなかったな」
千枝「うん。ありすちゃんのチョコがここにあるか確かめないと」
仁奈「そうしないと昨日の気持ちになれねーんですよね?」
ありす「はい。記憶を復活させるものがここに……」
あればいい、と口に出しかけてはたと気付きます。
実際にチョコがあるのがいいんでしょうか。私のチョコが真実ここにあったら?
昨日、志狼くんにチョコを渡していたら、……今の私はどうすればいいんでしょう。
ありす「……いえ、とりあえず確認するのが大事ですね」
直央「あ、みなさん。おはようございます。こっちです」
かのん「おはよーございまーす! えへへ、315プロにいらっしゃいませ~!」
……
千枝「……芳乃さんが?」
直央「はい。キリオさんを追いかけていたって……」
晴「着物着て、でしてーって言ってたなら芳乃さんで間違いないと思うけど。あれ? 芳乃さんってスイーツ作り教室にいたんじゃなかったっけ?」
ありす「周子さんはそう言ってましたね」
直央「え、じゃあ、キリオさんに逃げられちゃった後に教室に行ったのかな?」
ありす「そうでしょうね」
かのん「不思議なチョコを持ってたみたい~。かのんそれ食べてみたいなぁ」
ありす「しかし真面目に考えると、カカオで作ったお菓子に不思議な力なんて……非科学的です。食べたところで実際はどうなると」
ありす「……っ!」
その時でした。私の頭の中が一瞬震えたのは。
ありす(なんでしょう、これ……眠った記憶が刺激された?)
この場所か、それとも言葉か。なにに私の頭は反応したんでしょう。
仁奈「チョコ、とってもあまくてふんわりしてて……すげーうまかったです!」
かのん「えへへ、よかったぁ。になちゃんのチョコもおいしかったよ! 昨日も電話で言ったけど、もう一回言うね! ありがとう!」
千枝「ありすちゃん?」
ありす「な、なんでもありません……。そうだ東雲さんはいらっしゃいますか?」
直央「え? 今日は見てませんけれど……」
ありす「来てないんですか。昨日の私について証言が欲しかったんですが、残念ですね」
晴「とりあえずは、チョコの方を確かめろよ。そのために来たんだし」
ありす「そうですね……はい」
晴「怖がってるのかよ?」
ありす「怖がってませんっ。私、真実を知ることに躊躇なんかありません」
晴「お、おう? そうか」
ありす「昨日、『志狼くんにチョコをあげた私がいたのか』……確かめて、確定させます。自分を」
観測によって、波動関数は収束します。
シュレディンガーの猫。
ありとあらゆる創作物で使われてしまい、読書人からは食傷気味になってしまった思考実験の名前です。
50%の実存に揺れる猫の話。観測が世界を決定するという量子論の説話。
ここでは315プロこそ、猫を閉じ込めた箱です。
存在しているのか、していないのか。
かのん「あ、トラックとめてるところあそこだよっ!」
仁奈「おー! いっぱいとまってやがります!」
ありす「さあ、調べましょう…………って」
ありす「トラックってあれですか……? 10台以上停まってるんですけど。……そっか、これぐらい来るんだ」
かのん「ぜんぶにチョコレート満載だよ~チョコはまだ届くって聞いたからまだ増えるかも!」
直央「ど、どうします?」
ありす「流石に全部はとても調べきれませんね、これは」
千枝「手分けしてもどれくらいかかっちゃうんだろ……」
晴「なー、直央、かのん。志狼ここのトラックにチョコを入れたのかよ? ってか、『ありすから貰った』って言った時、志狼のやつチョコ持ってたのか?」
かのん「んー……ん~~~っ! どうだったかなぁ。しろうくんが戻ってきたのかのんも、なお君も帰ろうとしてる時だったから、ちょっとしか、しろうくんに会えてないの」
ありす「遅い時間に帰ってきたんですね。そのあたりのこと詳しく聞いてもいいですか?」
直央「しろうくんは事務員の山村さんといっしょに戻ってきました。……髪とか、服とかその時乱れてました。逃げていたからだと思いますけど」
仁奈「チョコは持ってやがりましたか?」
直央「持ってることには持ってました。でも、それ事務所から持ち出していった分だと思います。橘さんのがそこに混ざっていたかどうかは……ごめんなさい、ちょっとわかりません……」
ありす「……事務員さんといっしょに戻ってきたのなら、当然そのチョコは回収されているでしょう」
ありす(『食べてない』って言ってましたから)
千枝「じゃあ、チョコはトラックに集められるから……やっぱりここにありすちゃんのチョコはあるのかな?」
晴「うぇ~~、気が遠くなんな。志狼のヤツに直接確かめられたらなぁ」
直央「でも今日しろうくん、プロデューサーさん達に連れられてどこかにいってまして……」
ありす「そういえば電話もかけるなと言ってました。とりあえず事務員さんに確かめましょうか。志狼くんが持っていたチョコをトラックに入れたかどうか」
直央「あぁ……っ、すいません。その、事務員さんも今しろうくんといっしょにいると思います」
ありす「……そうなんですか。妙ですね、事務員さんまでなんて。橘志狼、昨日何かトラブルでも起こしたんでしょうか」
千枝「ええっ、トラブル?」
ありす「志狼くん、思慮深い方では無いですから。知らない内に人や物を傷つけることもあるでしょう」
直央「うっ! あ、ある、かも……いままでの思い出でもそんなことあったし……」
ありす「やはりあったんですか」
直央「だけど、しろうくん悪い子じゃないですよ。それは言えますっ」
ありす「傷つけたことにも気付かないなんて、それは悪いことですよ、きっと」
晴「……オレは志狼、良いやつだと思うけどな」ボソッ
ありす「晴さんなにか言いましたか?」
晴「いや、なんでもねーよ。さーて、じゃあ片っぱしから調べるしかねーよな! とりあえず、まだ運び入れている途中のトラックあるから、そこから調べさせてもらおーぜ!」
――
――――
トラック・荷台内部
ガサゴソ…ガサゴソ…
仁奈「チョコ~、チョコ~、チョコの気持ちになるですよ~♪」
かのん「あまくてかわいいチョコの気持ちになってくよ~♪」
晴「お、これ『蒼井悠介様へ』って書いてら。丸いし、これサッカーボール型のチョコか? 凝ってんなぁ~」
千枝「本当にすごくいっぱい。ここにあるのみんな気持ちを込めて作られてるのかな……。やっぱり男の子ってチョコもらうとうれしい?」
直央「う、うれしいよ。応援してもらってるのが分かって勇気が湧いてくるから……」
千枝「そうなんだー。えへへ、直央くんも男の子なんだね。あ、見て見て! このチョコ、『なおくんラブ』って書いてるっ」
直央「うっっ……! はずかしいよー……!」
ありす「チョコレートをあげるだけのイベントなんてよくわかりませんでしたが……ここまでファンの情熱が目に見えると、バレンタインも侮れないイベントだと感じます」
晴「オイ、よくわかんねーってなんだよ。オレもよくわかんねーけど! オマエのチョコを探してここまでしてんだぞ!」
ありす「そ、そうでしたね。すいません」
仁奈「あーっ! これ『しろうくんへ』書いてあるですよ!」
かのん「これかなぁ?」
ありす「いえ、そんな円形ではありません。ラッピングも違います」
仁奈「ハズレでごぜーますかー……」シュン
ありす「13日の私、『しろうくんへ』なんてメッセージ書きませんでしたしね」
――――――――――――――――――――――
13日・夜
ありす「よし……一応、用意できた……」
ありす(友チョコっていうのも、みんなに配ろうかな……)
ありす(志狼くんにはどうしよう)
ありす「……って! なんで志狼くんがでてくるの! あんな子供っぽい人……!!」
ありす「今日はもう寝よう……!」
――――――――――――――――――――――
ありす(ちゃんと却下したもん……)
晴「……」カキカキ
かのん「なに書いてるの?」ヒョコ
晴「うぉう!? な、なんでもねーよっ!」ササッ
千枝「『しろうへ。ギリだかんな、ギリ。でもお返しはしろよ 晴』……晴ちゃん志狼くんにチョコ贈るの?」
晴「読むなよ千枝!? つ、ついでだ! ここに来たついで! 板チョコ余ったの持ってるから、捨てるのももったいねーし、ここに置いとこうかなって思っただけだ!」
直央「でもラッピングはしてるんですね」
晴「だからリボン余ったついでだよ! それよりも! ありすのチョコ見つからねーのか!?」
ありす「見つかってません。しかし不存在を証明するのは、存在を証明するよりも難しいですね」
千枝「全部調べきらなきゃダメだもんね」
ありす「……なにやってるんだろ」
雲をつかむ様な事をやっているようで徒労感が湧いてきます。溜息をついて私はこの荷台内を見渡しました。
チョコ、チョコ、チョコの山。
ほのかなショコラの香りと、ビターの微風。それがこの愛情の終着点に満ちていて。
それは軽いめまいを誘いました。。
ありす(自分のチョコを探すのって……考えてみれば、すごく恥ずかしい……)
みなさんに協力しておいて貰ってこんなことを考えるのは悪いことですが……
今行っている『チョコ探し』は、誰かにチョコを贈る意図があったということを喧伝しているのに等しいではないですか。
自分の気持ちを開けっぴろげにするのがヘタだな、と言われたことがあります。
でもそれは理性的に、論理的に振舞うことに価値を見出しているからです。幼稚さを、浅はかさを、未熟さを……排斥するのが純然たる理性だと私は信じているんですから。
なのに、こんな……
ありす(橘志狼……思えば、あの男子と絡むと絶対にペースが狂うんだ。そう、いつもいつも……)
――『ねぇねぇ橘さんはバレンタイン本命チョコとかあげるのー?』
ありす(私…アイドルしてるからそういうのは…――――あれ?)
ありす(今、なにか……)
直央「あれ、外から声が? 業者さんじゃないみたい……」
隼人「ちょっと確かめるだけだって! どれぐらいファンがチョコくれたか、それを知ったら俺達の現在地っていうのわかるじゃん?」
春名「ほーん。ま、そーかもなー」
旬「でもわざわざ確かめなくても……集計結果を待てばいいじゃないですか」
隼人「いや、だからさ! 熱量っていうのかな!? そーゆーのも総合的に判断したいじゃん! ナツキ、ナツキはどう? 気にならない!?」
夏来「……ジュンにどんなチョコが来たのかはちょっと気になる」
旬「え、なんで」
隼人「もしかして……自分のモテ度、気にしてるの俺だけ?」
四季「心配しなくても、ハヤトっちメガモテっすよ! 好感度バリバリマックスな感じ! オレ的にはハイパーモテ男ちゃんっすー!」
隼人「お、おー、ありがとな、シキ……」
春名「っとあれ? おチビちゃん達が先に調べてる?」
直央「あ、High×Jokerのみなさん?」
かのん「あれ~? どうしてここに~?」
High×Joker
http://i.imgur.com/5wy9XoB.jpg
春名「いやー、ハヤトがオレらにどれだけチョコ来たか確かめたいって言ってなー」
隼人「い、いや、これはあくまで、市場調査というか、ビッグデータ集めというか、そういうやつだから! か、勘違いされると困る!」
晴「なにも疑ってねーけど……?」
旬「それで、あなた達はどうしたんですか? トラックの中なんかに集まって」
ありす「色々事情がありまして。私の忘れ物が315プロ宛てのチョコに紛れてしまっているかもしれないんです」
四季「ワスレモノ? 今それ探してんの?」
ありす「はい」
千枝「志狼くんに聞けば早いんですけど……今日、忙しいらしくて」
春名「へー、だからもふもふえん二人だけなのか。志狼、昨日帰り遅かったのに大変だなー。ケガもしてんのに」
晴「え、ケガ?」
直央「しろうくん、ケガしてたんですか!?」
旬「あれ、君達も知らないんですか? 手の甲と首のあたりにに引っかき傷みたいのついてたんですよ」
直央「帰る時にちょっとだけ会っただけだから……見逃しちゃったんだ……」
かのん「仲間なのに……ごめんね、しろうくん……」
春名「まー、心配することないって。『転んだだけだ』って言ってたから」
千枝「転んだ……? 本当かな」
直央「あ、あの、みなさんは僕たちが帰った後に、しろうくんに会ったんですよね?」
春名「うん、そだよー。フェスタの『壁ドン』イベントこなして事務所に帰った時に会ったんだ」
晴「壁ドンイベやってたのか!」
四季「そっすよー! High×Jokerからはハルナっちと、ナツキっちと、オレが壁ドン男子に大抜擢されたんす!」
隼人「なんで、オレとジュンは外されたんだろ……」
旬「僕は気が進まないって言ったからだと思うけど……、ハヤトは女性を前にすると動作がぎこちなくなるのが問題だったんじゃないですか?」
隼人「自然体でいけるって! ちょっと練習すれば!」
ありす「すいません、橘志狼の様子について詳しく聞かせてくれませんか。彼は『転んだ』とだけ言ったんですか?」
春名「あー……それだけじゃなかったな」
四季「オレ覚えてるっすよ! 『ちょっとしたケンカ……や、ただ転んだだけだ!』ってそういう流れで言ったんす!」
直央「え? け、ケンカ?」
ありす「……どういうことでしょうか。やはり、なにかトラブルを?」
千枝「あのぅ、まだ教えてほしいことがあるんですけど、いいですか?」
隼人「なに? 俺達がチカラになれるか分からないけど、何でも聞いてよ。わかることなら答えるからさ」
春名(ハヤト、女子に優しく振る舞おうとしてんのかな?)
千枝「昨日、バレンタインフェスタに参加したんですよね?」
隼人「俺達はね。Beitなんかはバレンタインライブの方に行ったから」
千枝「なら、ありすちゃんをその時見たりしませんでしたか?」
春名「えっ?」
ありす「私、色々あって今自分の昨日の足跡を確かめているんです。私も昨日はCMイベントに参加して、フェスタを散策したはずなんですよ」
四季「なんか、フカいジジョーってのがあるんすね? んー、でもオレは見てないっすね。オレらの壁ドン会場は、子猫ちゃん向けのエリアだったし」
ありす「ああ、フェスタって競合や、紛争を抑えるためにエリアを分ける措置をしてたんでしたっけ……」
隼人「オレ達も壁ドン会場でシキ達を応援してたから……ゴメン、君を見た覚えはないや」
ありす「そうですか……」
春名「イベント、かなりてんてこまいだったしなー。ゴメンな」
仁奈「忙しかったならしょーがねーです」
旬「一時大混乱しましたからね……昨日の仕事。虎牙道の二人が発端で」
晴「なにかあったのかよ?」
四季「それがメガインパクトあることがボッパツしたんすよー! 『思いっきり強く壁ドンして』言われたタケルっちが、ブースの壁ぶち抜いたんす!!」
直央「ええ!?」
四季「それで、対抗意識メラメラに燃やした漣っちも、貫手と一本拳で壁に二つも穴開けちゃって!」
晴「おいおい!?」
春名「その後、イベント一時休止にするかどうか話されたんだけど、女の子達が『ゼッタイ止めないでー!』っ合唱してさ」
千枝「ファンの人もすごい……」
隼人「壁ぶち抜いた時も『さすがーっ!』って盛り上がってたし……女子はよく分かんないやと思ったなぁ」
旬「結局、中止二にはなりませんでしたが、ケガの危険を了承する宣誓書にサインしてからじゃないと虎牙道のブースには入れなくなったんです」
ありす「宣誓書ってなんですか。サファリパークですか」
隼人「でもそれがまた話題になって、愛の重さを競うみたいに、客足増えてったんだからわかんないよなぁ。ロックっぽさは感じたけど……」
春名「壁ドンなんかキョーミなさそうな威勢のいいねーちゃん達も、度胸試しって言って参加したらしいからなー。女子は絶叫系好きなもんだけどすげーよな」
ありす「それって、もうアトラクション扱いですよね? 愛と度胸を試すチキンゲームですよね?」
四季「しかし、度胸試しで入った女の子ってどれくらいいたんすかね。オレらのトコには来なかったから分かんなかったけど」
夏来「あ、俺のところに間違えて入ってきた人はいたよ……?」
ありす「そういう人もいたんですか」
夏来「…………」
夏来(言うべきかな? その間違えて入ってきた人、君のところのアイドルだったって……)
夏来(でも、恥ずかしがってたみたいだし……黙っておこう……)
――――――――――――――――――――――――――――――――
14日・『壁ドン』ブース
木村夏樹
http://i.imgur.com/kfplnOe.jpg
夏来「こんにちは……なにか、言ってほしいセリフとかあれば…………」
夏樹「ありゃ、榊夏来? やべっ、虎牙道ブースはこっちじゃなかったか。混雑し過ぎて間違えちまったな」
夏来「……? 間違えたの?」
夏樹「ははっ、まーな! でもそりゃ、こっちの事情だ。そっちのリズム崩すつもりはねーよ。さくっとやってくれ」
夏来「わかった……セリフとか、なにか希望ある……ありますか……?」
夏樹「へー、んなコト聞くんだな。……んー、そんじゃ壁ドンの強さ、弱めで」
夏来「かしこまり……」
ドン…
夏樹「そうそう。指とか怪我されたら、楽器できなくなっちまうからな――――っと、い、意外と近ぇんだな……!」
夏来「もしかして…………木村夏樹?」ボソ
夏樹「いっ!?」
夏来「髪の毛おろしてるんだね…………」
夏樹「…………はは、バレちまってら。そのまま周りに聞かれねーよう小声でな。髪は、変装みてーなもんだよ。アタシのこと知ってたか?」
夏来「ギターやるロックなアイドルだって、ハヤトが見せてくれたことがある……この前、間近に見たことがあったし」
夏樹「ははは、アタシもアンタを知ってるよ、“ナツキ”! ベースやってんだよな」
夏来「うん」
夏樹「アタシも今ハマってるよ」
夏来「そうなんだ。…………君もこういうところにくるんだね……アイドルなのに」
夏樹「あ、違うぜ。これは行きずりみてーなモンだよ。ツーリング途中で拓海をからかいがてらここに連れ出してみたらよ、壁ドンブースで壁ぶち抜いた猛者がいるって騒がれててさ」
夏来「うん」
夏樹「それ聞いて拓海のヤツが『負けてらんねェぞオイ!』とかよくわかんねースイッチ入れたもんだから、いっちょ度胸試しに行ってみようってなったんだ」
夏来「ふぅん……」
夏樹「まー、間違えちまったけどな! でもま、いいや。リッケンどんな感じか意見聞きたかったし。やっぱスラップが……」
夏来「うん、でもそんなに……」
オソイナ… マダカナ…
夏樹「お、やべ! 流石に話し過ぎだわな! リズム狂わせねーって言ったのに悪かった! 参考になったよありがとな!」
夏来「うん……」
夏樹「つーか、ほぼ密着状態でなに話しこんでんだって話だ。じゃーな! ナツキ!」
夏来「うん、バイバイ……またね」
夏樹「お、おう……また」
夏樹「……やべーな。ちょっち頭ん中ぶれてら」
夏来「……?」
――――――――――――――――――――――――――――――――
今回の投下はひとまず終わり
ホワイトデーまでには終わらせますんで!
夏来(あの後、どうしたんだろ……またツーリングに戻ったのかな……?)
春名「ん、どした? ナツキ」
夏来「…………なんでもない」
ありす(橘志狼は、昨日フェスタには来ていない。彼が315プロダクションの事務員に連れられて帰ってきたのは遅い時間。その時軽い傷を負っていた)
ありす(しかし、肝心の私のチョコを持っていたかどうかはわからない……)
ありす(“食べてはいない”。このニュアンスの背景にはなにがあるのか。傷の原因は? そして今日の彼はなぜ大人たちに囲まれているのか……“忙しい”理由は昨日の彼の振る舞いと関係があるの?)
千枝「ありすちゃん、考えてる……」
晴「ここまでの情報でなにかわかったか?」
ありす「……謎を解くためのアプローチは、様々です。5W1H、知ってますか?」
仁奈「ごだぶりゅーいちえいち?」
ありす「Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)――この頭文字です。客観的な真実はこれを構成要素としてなければいけません」
晴「な、なにいってるかわかんねーんだけど……」
ありす「要するに、この誰がやったか、何をやったか、いつやったか……というのを整合性を保ちつつ考えていくのが一つの推理の形ということなんです」
春名「……? え? え?」
旬「春名さんは理解しましょうよ。乱暴に言えば、一番蓋然性のあるストーリーを追い求めるのが推理ということです……」
ありす「今回の件について言えば――“昨日私は何をしたか”が謎なわけです。ワットダニットですね」
晴「何をしたかって、志狼にチョコあげたんだろ?」
ありす「だ、だからっ、それがまだ分かってないと言ってるんです!」
千枝「でも桃華ちゃん、昨日ありすちゃんチョコあげたって自分で言ってたって。直央くん達も、志狼くん昨日チョコ貰ったって言ってたって……」
隼人「え、チョコ?」
旬「なんの話をしてるか知りませんけれど……チョコを渡したかどうかを調べてるんですか?」
ありす「え、ええ、まあ。その……実はわけあって昨日の記憶が曖昧で」
旬「ふぅん……自分の行動を忘れていると。じゃあチョコを渡したということを前提にした場合、なぜ渡したのかとか、いつ渡したとか……心当たりはあるんですか?」
四季「おおっ、ジュンっちの頭脳が動きだしたっす! 見た目は子ども! 頭脳は大人!」
旬「誰が子どもだよ! 四季くんは少し静かに。……で、どうですか?」
ありす「『なぜ渡したか』は全然分かりませんね。客観的に自己分析するなら、私子供っぽい人にはチョコを渡さない人種です」
千枝「じ、人種って……でも『いつ渡したか』と『どこで渡したか』は、わかりそうだよね」
直央「あ、そうだね。校門の前で橘さんと会ったって、志狼くん言ってたから」
ありす「……う」
ありす(『事務所に来た時は私はチョコを持っていなかった』。確かにこの定理から逆算するなら……そうなる)
晴「よし! わかった!」
ありす「え、晴さん?」
晴「オレ、昨日のシンソーっての、だいたい見えたぜ」
かのん「わぁ、わかったの?」
晴「おう。昨日、ありすはプロデューサーが迎えに来る前、志狼と学校の校門前で会って、そこでチョコを渡したんだよ」
千枝「……うん。そこまでは、私も考えたよ」
ありす「推理、それだけですか」
晴「ま、まだあるっての! なんだよその冷めた目は!」
ありす「ではホワイダニット……動機ですが、そうするとなぜこの私橘ありすは、橘志狼なる男子にチョコを贈呈するなんておよそ正気の沙汰ではない行為を実行に移したんです?」
晴「うっ!?」
千枝「あ、あのありすちゃん、難しい言葉はプレッシャーになっちゃうから……晴ちゃん、説明できるかな?」
晴「お、おう。ありすがなんで志狼にチョコ渡したかって理由だよな」
ありす「言っておきますけど、13日の時点で私は志狼くんにチョコを渡そうなんて微塵も思ってませんでしたからね」
晴「ちげーよ、きっと『ありすと志狼は学校の前でケンカした』んだよ」
直央「えっケンカ……あ」
ありす「……すいません、よくわかりませんが」
晴「いや、だからさ! ケンカになったんだって! 志狼とおまえが! いつもいつもケンカになるのがおまえら橘コンビだろ?」
ありす「た、橘コンビって呼ばないでください」
千枝「ケンカして……なのにチョコ渡したってこと?」
晴「よく考えてみろよ、ありすは校門前にいた時、チョコ持ってたな? んで、志狼のヤツも事務所からチョコを持ち出して逃げてたワケだろ?」
ありす「そうですが」
晴「二人はそーゆージョータイで会ったんだ。で、まぁ、話し合ってるうちにいつもの流れでケンカになった。んで、その時のケンカのテーマってのが」
千枝「あ……お互いが持ってたチョコレートのこと! それが話題になったんだね?」
晴「そうそう! そういうこと! 俺が思うに多分こんな話になったんだと思うぜ」
――『なんだ? おまえが持ってんのもチョコか?』
――『志狼くんあなたにはあげませんよ! 論破しますよ!』
――『へっへーん! 貰えなくてもこのチョコ、ありすのよりうまいからいーもんね!』
――『何を! 食べたことないクセに勝手な判断しないでください! 論破しますよ! そこまで言うんなら食べて確かめてください!』
晴「ケンカの勢い、プライドのため……そーいう理由で、ありすはチョコを志狼に叩きつけたんだ。どーよこの推理!」
ありす「私まるっきり馬鹿じゃないですか」
晴「そーか? こんな感じだと思うけどな」
ありす「私、そこまで自分をコントロールできない人間じゃありませんからっ」
直央「あの、いいですか」
千枝「直央くん?」
直央「証言になるかわかりませんけど……しろうくん昨日電話で話した時、こう言ってたんです」
――『ありすと会っちまってよー。え、どうなったかって。ま、いつも通りな感じだよ』
――『え? ヘンな事なんて言ってねーよっ! ……う、そりゃ、ありすイラついてたけどよ。そんなのいつものことだろ?』
かのん「いつも通り?」
千枝「イラついてた……」
直央「少なくとも二人は昨日、会話したことは確実にあったと思うんです。それで『いつも通り』、『イラついてた』の言葉から想像するなら」
晴「ケンカになったって可能性はたけーってことだな! ほら、オレの推理あってるじゃん!」
隼人「け、ケンカをすればチョコを貰えるのか……そんなルートあるんだ……」
春名「おいおいハヤト、なに考えてんの?」
晴「もしかしたら志狼についてた傷ってのもケンカが原因なのかもしれねーな。ありすがひっかいたりするなんてのはあんま想像できねーけど」
ありす「そ、そうですよ。私が志狼くんに手をあげるなんてこと……」
晴「あーでも、ライブのチケット志狼に渡した時、ありす志狼にビンタしたんだよな」
ありす「あの時は、向こうが悪かったんですっ! ……こちらの親切心を踏みにじったから。今回は話が全然違います。大体物理的攻撃をした相手にチョコをあげるなんて筋が通らないじゃないですか」
かのん「ん~じゃあ、お詫びのしるしってことだったのかなぁ?」
ありす「傷つけたお詫びにチョコなんてそんなの――――」
……ぞわっ……
ありす「あっ……」
ありす(また、頭が……、震えたような……どうして)
晴「おい、なんだ、大丈夫か? 志狼に攻撃したってのはオレもあんま本気で言ったワケじゃねーよ? ショックうけたんなら謝るぜ」
ありす「いえ、違います……違うんです。晴さんの言葉が原因じゃありません……ないはずです」
千枝「桃華ちゃんが聞いた『同年代の男子にあげた』って言葉……『志狼くんにあげた』って言わなかったのは、ケンカして心がもやもやしてたからなのかな」
隼人「乙女心だね、わかるわかる」
旬「ハヤト……。あれ? 同年代の男子にあげたって証言があるんですか?」
千枝「え、はい。ありすちゃん、昨日事務所に帰って来た時にそう言ったって」
旬「同年代の男子……少し変な言い回しですね。アイドルだから、特定の個人名を出すのを控えたんでしょうか」
晴「ありす、結構カタい言葉を使いたがるヘンなトコあるから、そこにあんま理由ねーと思うけど」
ありす「ちょっと晴さん、ボキャブラリーがあることをそんな風に言われると心外です。志狼くんにあげてないからそう言ったのかもしれません」
直央「え、でもその場合なら別の男の子にあげたってことになるんじゃ……」
ありす「……わかりません。昨日の私は一体何をしたんでしょう」
旬「特定されたくなかったか。あるいは『同年代』というのが重要な意味を持っていたから使ったのか」
ありす「同年代……まだわからないことが多いですね。この言葉にしても、私の記憶が消えた理由についても」
かのん「ね、ね? ありすちゃん、一人だけにしかあげなかったの?」
ありす「だ、だからまだあげたかどうかは確定していなくてですね……どうしてそんなことを聞くんです?」
かのん「いっぱいチョコを配ればみんな笑顔になってくれるのにーって思って! かのんチョコいっこだけじゃ食べるのもったいないって思っちゃうもん!」
ありす「食べるのもったいない――あ、志狼くんもチョコは食べてないって言っていましたね。……そうです、ここおかしくありませんか?」
直央「おかしいって?」
ありす「時間的余裕と食欲の話です。仮に、仮にですよ――私が志狼くんに学校前でチョコを渡したとしたら、志狼くんどうしてそれを食べなかったんでしょうか?」
晴「え? そりゃあ、ケンカした後だから、こんなもん食ってやるかー! って思ったんじゃねーの?」
ありす「だったらそもそもチョコレートを受け取りませんよ」
晴「あ、それもそーか」
ありす「いいですか。志狼くんはチョコレートを受け取ってから、事務員さんに連れ帰られるまで十分な時間があったんです」
かのん「おそい時間に帰ってきたもんね」
ありす「ダメという言葉を無視して持って逃げるくらい、仲間が貰ったチョコを狙うくらい、志狼くんはチョコに対していやしさを発揮してます」
春名「はは、まぁ、食える時に食っとかないとって気持ちは分かるけどな」
ありす「そこまでしてチョコを食べたかった志狼くんが、どうして手をつけなかったんですか」
晴「腹一杯だったから?」
千枝「思い出に取っとこうとした……のかな?」
ありす「……私が橘志狼と会ったのは、彼が逃げ始めてそんなに経ってない時だった可能性が高いと考えます。私が仕事に向かう前、315プロにチョコが大量に届いた後」
直央「うーん……そうかも。逃げたって聞いて、ボクが電話をかけた時、もうしろうくんは橘さんに会ったって言っていましたから」
ありす「甘いものがいくら満腹中枢を刺激するといっても、そんな短い時間にお腹いっぱいになるはずないです。もしそうなら、そもそもチョコを持ち出して逃げるなという話です」
ありす「そして思い出を気にする繊細な感性を持っているなら、ファンからのチョコを暴食したり、仲間のチョコを狙ったりするはずないですよ」
千枝「そ、そうだね」
晴「走って逃げてたんだろ? 激しい運動の後で食えなかったんじゃねーの」
ありす「息切れから回復して、食べられる状態になるぐらいの時間は十分にあったはずです」
四季「なんかハプニングがあったんじゃね?」
ありす「ハプニングですか。まぁ、その可能性は否定できませんが。同時に根拠もないです」
晴「そんじゃどーいうことなんだよ?」
ありす「…………『そもそも私からチョコを貰っていない』。と、こう考えるのが一番蓋然性が高いと思います」
晴「結論それかよ…………」
千枝「それが答えだったら、ありすちゃんのチョコはどこにいったの……? 結局わからなくなっちゃう」
仁奈「Zzz……」
夏来「この子チョコの山に埋もれてねてる……話が長かったからかな……」
――♪
と、そこで。結論を出した私の電話が鳴りました。
千枝「あれ? 誰から?」
ありす「周子さんからですね。わかったことがあったら連絡すると言ってくれていましたが何かあったんでしょうか……もしもし?」
――『あ、もしもーし、ありすちゃん? こちらしゅーこ。あのね聞いてー。昨日ありすちゃんが用意っていうチョコね、プロデューサーが持ってたってさ!」
ありす「……え?」
――『ピンクの包装紙と、黄色いリボンでラッピングしてたんだよね? なら間違いないよ。ちひろさん昨日それ見たんだってさ!』
ありす「え? プロデューサーが……」
それは、ある意味確信を後押しするものでした。
……私はやっぱり、プロデューサーにチョコを渡したと、そう周子さんは告げたのです。
ありす「そうですか……! では志狼くんには渡していないことが確定しましたね! ありがとうございます」
――『あーそれがさ、橘くんの方にチョコあげてないとは言い切れないんだよね』
ありす「はい? どういうことですか」
――『荘一郎さんに電話して確かめてみたんだけど、昨日のありすちゃん、教室で作ったチョコをラッピングして持っていったんだってさ』
ありす「教室で、チョコを……?」
――『わかる? チョコは2つあったってこと』
降ってきた情報は、果たして安易な答えだけを私に与えてはくれませんでした。
メインのチョコは一人だけにしかあげていない。この前提が今、あざやかに崩れます。
スイーツ作り教室。
実際それはチョコレート作り教室。
……迂闊でした。
バレンタインフェスタの催しの一環なのだから、チョコレートを作るのに決まってるじゃないですか。
芳乃さんもチョコを作ろうと、この教室にいたと聞いていたのに。
もう一つそこで作ったと、思い当たってもよかった。
いつもの私ならその可能性に気づいたはず――今回は、考えたくなかったのでしょうか。
とにかく私はそこでチョコを作ったそうです。『2つ目』を。
では、それはどこに消えたんでしょう……?
――『荘一郎さん、心配してたよ?』
ありす「え、どうしてですか?」
――『あたしはちょっと席離れてたからしらないんだけど……ほら、ありすちゃん電話出て、教室出ていったって言ったじゃない?』
ありす「はい」
――『電話を受けて、しばらくして戻ってきて、すいません私行くところができましたって……ありすちゃん荘一郎さんに伝えて教室を出たの』
ありす「はい……」
――『その時、ありすちゃん。んー……思いつめてるみたいな感じで顔色悪かったんだって』
ありす「え」
――『着信記録見てみなよ。電話かかってきた時間教えるからさ。教室出た後のことそのかけてきた人が知ってるかもしれないし』
ありす「…………」
――『ん~? おーい、ありすちゃん。どないしはったーん?』
着信記録を再び探るまでもなく、私は思い至っていました。
スイーツ作り教室にいた私に電話をかけてきたのは……あの、クラスメイトの友人です。
【そんなだから橘さんはひどいっていうのよ。やっぱりなにもわかってないじゃない】
ありす(私が、ひどい…………?)
不意に、背筋から怖気が昇ってきます。
どうして。頭には昨日の記憶がないのに。
どうして身体はこんなにおびえるの。
ありす「……」
直感と、この身体の反応でわかりました。
昨日の私は、昨日の私のことをきっと忘れたいと思ったのだと。
ありす「で、電話の内容を……たしかめ、る、ひつ……ようがあり、ますね」
真相もなにもかもわかっていないのに。
ただ、恐ろしいものの予感だけで、人の呂律はあやしくなってしまう。
でも。
最初から、このクラスメイトのメールがカギを握っていると実は私は察していた様に思います。
だけど怖かったから。不穏な気配を感じ取ったから。私は周辺の情報を集めて……心の準備がしたかったのです
でも。もう今は。
ありす「……調べないといけません」
――『ありすちゃん、待ってて。証言者の荘一郎さん連れてくかんね』
私はあの箱の中の猫の存在を確かめようと試みました。
好奇心は猫を殺すのに。
チョコレートでさえ猫は死んでしまうのに。
そうです。思考実験で用いられた形而上の猫も、板チョコ一枚で死んでしまうのでしょうか。
私も、あの箱の中にチョコを送ったなら……贈ったなら、一体どんな実在しないものを殺そうとしたのでしょうか。
私が消えたかった理由と、チョコが消えることになった理由と、記憶が消え去った理由。
それは、きっと一本の線に収束するのではないでしょうか。
ああ、そうだ。
全部繋がっているから……
全部忘れてしまったのでは――――
中断します
――
――――
――――――――――――――――――――――――――――――――
14日
バレンタインフェスタ・スイーツ作り教室
ありす「講師・東雲荘一郎……」
周子「あー荘一郎さん知ってるよね? 315プロダクションのパティシエアイドル。あ、“元”パティシエアイドルだったかな? まーどっちでもいいや。変わりないし」
ありす「確か前に聞きました。東雲さん、周子さんの御実家の和菓子屋さんと交流があったんですよね?」
周子「そそ。荘一郎さんの実家も和菓子屋でねー。松江や金沢の店とかといっしょに付き合いがあったんだ。まぁおかしなことにウチら二人とも店で働かずにアイドルしてんだけどね」
荘一郎「それで……どうしてそのアイドルがここにいるんですかね?」
東雲荘一郎
http://i.imgur.com/aF7Ua65.jpg
周子「あーもう! しーっ! せっかく変装してオシノビで来てんだからさー!」
ありす「気にしないでください。こちらで勝手にテクニックを勉強しますので」
周子「そうそう。ほら、生徒さん達が集まって来てるよ。そろそろ始めなきゃ。センセー、アイサツしっかりね」
荘一郎「……騒がんといてくださいね。――――みなさん、お集りありがとうございます。講師を務めます東雲荘一郎で」
ワッ!!!
キャー!! シノノメー!!! ソーチャンソーチャン!! シュットシテルー!!
荘一郎「ふふ、ありがとうございます。声援痛み入ります」
周子「わ……荘一郎さん、女の子から人気結構あるんだ……そりゃ、そうだよねアイドルだもんね」
……
…………
荘一郎「いいですよ。そうです……テンパリングは温度管理が肝要です。あなた、センスありますね」
ありす「え、本当ですか!」
荘一郎「ええ。練習してらしたでしょう?」
ありす「ちょ、ちょっとだけ――」
女子「あのあの! 荘一郎くん! あの! これでいいんですか!? 私不器用だけど、がんばって作ろうとしてるんですけど!!」
荘一郎「失礼。……温めた生クリームとチョコレートを合わせる時には、すぐにかき回さないほうがいいです。ダマにならないよう生クリームを注いでから少し待って、チョコが溶けてから混ぜて下さい」
女子A「は、はい……っ!」
周子「うわ、ガチだねー。ファンとの距離が近いのはいいんだけど荘一郎さん真面目すぎて、トキメキ無いんじゃ」
女子「よし! よし! がんばるぞ!! えっとクリームとチョコの音頭を馴染ませて……」
周子「あ、意外とありなんだ……ふーん」
荘一郎「あ、あなたそれよろしくないです」
周子「え?」
荘一郎「泡だて器はボウルに直角に入れて下さい。それで中心だけで回すんです」
周子「あー空気が入らないようにだっけ?」
荘一郎「そうです」
周子「でもよくわかんないなー? こう?」ガシャガシャ
荘一郎「違います。中心だけです! それともっと丁寧に……! スイーツはかけた手間がそのままおいしさになるんですから……!!」
周子「センセ、ちょっとあたしの手を取ってやってくんない?」
荘一郎「では――失礼します。こうです」シャカカカ
周子「え、あ、ホントにやっちゃうんだ……っ」
周子「わー、手……取られてる」
荘一郎「わかりましたか?」
周子「へ? う~ん、もーちょいかなー。もーちょいで手に馴染みそう」
荘一郎「直角に入れて、こうです。ハンドミキサーに頼るのもいいですが、基本は押さえておかなくてはダメですよ」シャカカカ
周子「……りょーかい」
女子B「あーずるい! 先生! 私も教えてください!」
ワタシモー!! ワタシモオネガイシマス!!
周子「う、みんな目ざとー」
時折騒がしくなりつつも、チョコレート作りの講義は進む。
ガナッシュ作りのデモンストレーションが行われると、そこに素材として使用された果物の香りが、教室に満ちるショコラの香りと混ざりあった。
ありす「この香り……苺ですか」
荘一郎「ええ。この生クリームは苺を煮出したエキスを混ぜて、風味をつけています。ほのかな素材の味を楽しんでいただけたらうれしいですね」
……
荘一郎「――さぁ、どうぞ、みなさん召し上がってください」
ワー! オイシー!! キレイ…
女子C「かわいいっ!! でも食べるのもったいないっ!」
女子B「こっちの丸い形のは葡萄の味だ……。ボンボンってこういうのもありなんだ……」
荘一郎「はい。それぞれのフィリングに合わせてデザインを変えてあります」
ありす「もぐ……参考になります……」
荘一郎「どうも。本当は神谷やアスランさんとも協力して、とっておきのを振舞いたかったのですがね」
周子「とっておき? なんでそれやらなかったん?」
荘一郎「空路の遅れで、材料が届かなかったんです。残念に思いますよ。……届くのは今日の夜か、明日か」
周子「力入れてたんだねー。荘一郎さんってショコラティエだったっけ?」
荘一郎「パティシエですよ……けれどチョコレートは、特に熱心に勉強したことがありましてね」
周子「そうなん?」
荘一郎「餡子を食べられなかった反動かも知れませんがね……道は繋がっているものです」
周子「……ふぅん。じゃ、はい。荘一郎さん」スッ
荘一郎「んむっ?」パクッ
周子「どーですか、センセ。生徒のチョコレートの出来栄えは?」
荘一郎「……よう、できてます。おいしいですよ」
周子「あはっ♪ やったー、めんきょかいでーん♪」
女子A「しの……荘一郎さん!! 私のロリポップの味も確かめてください!!」
女子D「東雲くん! 私のもどーぞ!! 召し上がってください!!」
女子E「先生!! 私本気で作ったからアドバイス歓迎です!! むしろ罵っていただいても結構です!!」
周子「わぉ!?」
女子B「あなた!!」
周子「え?」
女子B「さっきから、何度も道を切り開いてくれるわね! むかっとくるけど、感謝するわ!! ありがとう!!」
周子「ど、どーいたしまして?」
アイドルにはつきものの混乱を抱えつつも……つつがなく、レクチャーもデモンストレーションはこなされていった。
教室自体は好評のうちに進んだのだ
では、そこで。
橘ありすになにがあった?
荘一郎「………… 一人の女性の話に憤っていました」
……
ありす「よし、うまくできた……これで、次からはもっと……」
女性「おいしいのをプレゼントできる……」
ありす「えっ」
女性「あ、あら、ごめんなさい。タイミングが被っちゃったわね……あはは……」
ありす「いえ、ちょっとびっくりしただけですので」
女性「そう……」
ありす「……」
女性「え、えっと……あなたもチョコをプレゼントするの? それとも、それは自分用?」
ありす「えっ、ああ、あのこれは……その、料理の練習の一環で作ったものでして……誰かにあげようなんて」
女性「そうなの。そのチョコきれいにできてるのに」
ありす「そちらだって上手じゃないですか。誰かにあげるんですよね?」
女性「これは…………ううん、自分用よ」
ありす「そうなんですか?」
女性「わざわざパティシエの教室に来ておいて、自分用ってちょっと意地汚いかしら?」
ありす「い、いえ。好きにすればいいと思います……自分に贈るごほうびチョコっていうのも浸透してきているみたいですし」
女性「ごほうび……かぁ。そうね、そういうことにしましょうか」
ありす「あれ? でもさっきあなたもプレゼントするのと聞きましたよね。あなた“も”ってことは、誰かにあげるつもりじゃなかったんですか?」
女性「もうあげたの。受け取ってもらえなかったけど」
ありす「え……?」
――――――――――――――――――――――――――――――――
ありす「私、その人の話の何に怒っていたんですか……?」
315プロの事務所。テーブルを挟んだ向こうにいる東雲さんへ私は問いかけました
周子さんは東雲さんを私たちのところまで連れてきてくれたのです。
荘一郎「……あまり、みなさんに話しては失礼なんですが……その女性には意中の男性がおられたんです」
周子「ふぅん、あれかな。フラれ話……だったのかな?」
荘一郎「端的に言えば、そうでした。彼女のプライバシーなんで詳しくは言えませんが。チョコレートとともに気持ちを伝えようとしたら、その男性には恋人がいることが分かったんです」
千枝「あ……そうなんだ。かわいそう……ですね……」
荘一郎「お嬢さん、あなたはその男性に怒っていたんですよ」
ありす「どうしてですか」
荘一郎「ずっとその女性の世話になってきていたのに、好意に気づかないのはひどいと、そう言っていました」
『ひどい男性っているんですね。お弁当作っていったり、代わりにお仕事引き受けたりしてたそうですけど……なんにも気づかなかったなんて』
『気づいていて、利用してた方がまだいいですよ、自覚している分だけ。……こんなの待ってた人を踏みにじってます』
『やきもきさせて、苦しませて、ひどいです』
荘一郎「そんなことを言っていました」
晴「んー、それ、男の方ひどいかぁ? 好きだったんならさっさと告白でもしてれば良かったんじゃ」
千枝「晴ちゃん。そんなに簡単に動けるものじゃないよ。……ゆっくり、いい関係っていうのを育てた上じゃないと、言うのが怖いことってあるんだよ多分……」
晴「ん、千枝、そーゆーのわかんのか?」
千枝「そ、想像ですっ、想像! ほら、自分の中の気持ちが自分で分かってないってこともあると思うの、ね、直央くんっ?」
直央「えっ!? えっと……はい、よくわからないですけどそういうこともあると思います……っ」
ありす「…………」
荘一郎「どうです、なにか思い出しましたか?」
ありす「思い出せはしません……が、私はその場面では今のようなことを言うとは思います」
ありす(ずっと好きだった人に、それとなく好意を伝え続けて……それでも、まったくそれは届いていなかったなんて)
ありす(それを自分で受け入れられなくて、未練を引きずったまま、その人はバレンタインフェスタのチョコレート作り教室なんかに来た。私はそんな人を……ええ、きっとかばう)
荘一郎「そうですか。では、その後の電話の内容も覚えていらっしゃらないですよね」
ありす「その後だったんですか? 電話は」
荘一郎「ええ。私にさっきの様な事を言った後に、電話がかかってきたようで、教室の外に出ていかれました」
周子「私が芳乃ちゃんのフォローしてた時だね。参ったよーよしのん着物で来るんだもん。目立ってアイドルだって騒がれてたらどーするつもりだったのかな、あはは」
ありす「……では、芳乃さんも電話の内容を知りませんよね」
周子「そうだね」
荘一郎「電話から戻ってきて、あなたは急ぐように教室を後にしました」
ありす「顔色悪かったそうですね、その時の私」
周子「それで急いでたみたいだね。あたし、ありすちゃんが一回教室に戻ってきたことを見逃しちゃったもん」
ありす「そんなに急いでいたんですね。時間的な問題でもあったんでしょうか。それとも焦っていたのか」
晴「そんじゃチョコは? 志狼にあげるとか言ってた?」
荘一郎「それは聞いていませんね。……ああ、ただ教室を後にする時、作ってラッピングしたチョコレートを数秒じっと見つめてはりましたよ。持っていくかどうか迷ってはったんだと思いますが」
ありす「迷ってた……それで結局チョコは」
荘一郎「持っていきましたよ」
かのん「志狼くんにあげるかどうかで迷ったのかなぁ?」
ありす「いえ、まさかそんなはずは……ないです。あの子と志狼くんは関係ないですから」
晴「あの子? あ、電話の相手か?」
周子「ん? 電話の相手分かってるんだ。なら話聞こーよ」
ありす「…………そうですよね。聞くべきです。うん……そう……クラスの友達なんだし、気軽に……」
千枝「ありすちゃん……疲れてる?」
ありす「いえ……」
周子「気が進まないの?」
ありす「そんなことないです」
ありす「……」
晴「……明日か、明後日か、志狼に会えたらいつでもチョコのことはくわしく聞きだせるだろ。疲れてんなら急いでその友達ってのに聞かなくてもいーんじゃねーか」
ありす(晴さん、私を気遣ってるの……? 私今そんな怖がってるように見えるのかな……)
ありす「あの、実は……メールもその子からきてまして。……でも、私が昨日のことを確認したいって聞いたらその子――」
私はメールのことを明かしました。
――ひどいと、そんな言葉を向けられたことを。
晴「ひどいって、おまえがか?」
ありす「はい……昨日やったことが、きっと原因だと思うんです」
周子「えー、ありすちゃん人を傷つけるような子じゃないと思うけどな」
千枝「私もそう思います」
ありす「……」
ありす(話しちゃった……気を、楽にしたかったのかな)
ありす(こんなの、ごまかしなのに。ひどいと言われたって、いや言われたからこそ確かめなきゃいけないのに)
直央「あの、その人は橘さんが記憶を消えたことを知らないんだよね?」
ありす「え? はい」
直央「教室を出た後、橘さんは?」
千枝「事務所に戻ってきたの。その時だよ、桃華ちゃんが『同年代の男子にあげました』って言葉を聞いたのは」
荘一郎「教室を飛び出していった先でチョコは渡されたんですね」
直央「……そこまでは、記憶があったんですね」
晴「そういえば、こんなに昨日のこと聞きこんでんのに記憶が消えた理由が全然わからねーな」
周子「あ、ゴメン。ちひろさんからの情報教えてなかったや。ありすちゃん、テーブルの上で突っ伏して眠ってたんだってさ」
ありす「眠ってたんですか?」
周子「うんそーそー! プロデューサーはイベントで疲れたんだろうって。それでありすちゃんの親呼んで迎えに来てもらったんだって」
ありす「それで……そのまま家に帰って、今日の朝まで起きなかったということですか。冷蔵庫に入ってたご飯に【おつかれさま】って書かれた紙が貼ってあったけど、それが理由……疲れてると思われたんだ」
かのん「すっごく、ぐっすりだったんだね~」
ありす「そ、そのようですね。パジャマに着替えさせてくれていましたが、その間も私は起きなかったということに……」
晴「睡眠薬でも飲んだのかよ?」
荘一郎「本当に、一度医者にかかった方がよろしいかもしれませんね。頭になにかあったら一大事です」
晴「そうだよ! あ、そういや315プロには元医者がいただろ? ちょっと連れてきてもらおーぜ!」
…ガチャ
桜庭薫「……呼ばれたようだな」
桜庭薫
http://i.imgur.com/ijILbzn.jpg
かのん「あ、かおるせんせーだ!」
晴「うぉ!? 話したとたんに来た! なんつータイミングだよ、桜庭乱入ってやつか!?」
桜庭薫「なにを言っている」
玄武「乱入じゃあねえさ、途中で見つけたんで同道を願ったんだ」
文香「失礼します……」
ありす「あ、文香さん、黒野玄武さん。どうしてここに。ブックカフェで本を読むって……」
文香「……あの後、二人で考えてみたんです。どうして橘さんの記憶が無くなったのか」
玄武「先義後利。おせっかいかも知れねぇが、聞いちまったからにはなにもしないでいられなかったんでな」
ありす「私のために?」
玄武「ああ、とりあえず話を聞いてくれるかい」
キリオ「ひゃー、退避でにゃんす!!」ダダダッ!!
直央「わっ!?」
かのん「どうしたの、逃げてきたの?」
キリオ「まさしくっ。ああ、チョコが怖い、チョコが怖いぞなもし~!」
荘一郎「チョコ?」
芳乃「だから逃げなくてもそなたを悩ませることはないのでしてー。もーなんど言ったらわかるのかしらー」
周子「あ、芳乃ちゃんまで!」
荘一郎「ずいぶん、人が増えましたね……」
ありす「芳乃さん……証言者ですか?」
文香「……ええ、そうでもあるのですが……」
玄武「もっと重要な事をしてもらうために連れてきた」
ありす「重要な事?」
玄武「これから、嬢ちゃんの記憶を戻すのさ」
ありす「え――――」
塩見周子「誕生日に」東雲荘一郎「想を練る」 の設定を踏襲してますが、繋がってると見てもいいし、見なくてもいいですよー
このSSを読んでなくても支障がないように作ってますので、お好みの見方でどうぞです
続き投下
晴「ええっ!? キオク戻せんのか!」
玄武「ああ。戻せる」
ありす「戻すって……本当に」
文香「……記憶が消えた原因が分かったので……」
ありす「原因も分かったんですか!」
文香「はい……芳乃さんの証言から類推ができました」
ありす「なにがあったんですか。それで、記憶を戻せるんですかっ」
玄武「ああ。だが話の前に、確かめさせてくれるかい」
文香「……本当に昨日の記憶を、取り戻したいと思われますか」
ありす「も、もちろんです」
文香「…………そこに思いださない方が良かったと……後悔してしまうような過去があったとしても……ですか?」
ありす「後悔……」
千枝「あ、ありすちゃん」
ありす「……」
ありす「――ええ、もちろんです。決まってるじゃないですか」
晴「ありす!」
ありす「今日、ずっと私は昨日を追い求めてきたんです。ここで逃げては協力してくれたみなさんにも申し訳が立ちません」
玄武「義務感、かい?」
ありす「やらなくちゃいけない……そう思うからだけじゃありません。私は、そう……私でありたいんです」
ありす「今の私は“昨日”をずっと積み重ねてここにいます。それが一日でも空いてしまうのは、きっと“これから”にキズをつけることだと思うんです」
ありす「昨日何かがあったとしても、それを知らずにすませたくはありません。知りたいんです、私は」
周子「おーありすちゃん、かっこいーっ」
玄武「そうか……」
ありす「それに……実は、私は今日あったことをずっと書いてきているんですが、それが一日空欄になってると落ち着かないんです」
玄武「ふ……そうかい。天晴れだ、嬢ちゃん」
芳乃「そなたの決意はするどく強くー、想いは力を持ちましてー、なればきっとその想いが求める答えへと導くのでしてー」
晴「んじゃ、昨日のこと思い出させてやってくれよ」
ありす「その前に、私の記憶が消えた理由が知りたいですね」
玄武「ああ。教えとこう。嬢ちゃんが昨日のことを思いだせないのは」
玄武「……ウィスキーボンボン、もしくはそれに類するアルコールが含有されたチョコレートの過剰摂取によって引き起こされた記憶障害――いわゆるブラックアウトが原因だ」
ありす「な……っ!?」
玄武「そうだよな? 芳乃さん」
芳乃「おおせのとおりにー」
芳乃「そなたはー、わたくしがチョコレー糖教室でこしらえたそれらをー、一度に召されたのでしてー。そして反動でー」
玄武「長時間の連続的ブラックアウトが発生したって運びだな」
ありす「そんな、私芳乃さんのチョコを食べたんですか」
玄武「あっちの事務所の証言を文香さんが集めてくれた。嬢ちゃんが突っ伏してたテーブルでは『友チョコ交換会』なるもんが行われてたらしい。そこにはチョコが大量に置いてあったんだ」
芳乃「わたくしもー、そのテーブルにチョコを置いたのでしてー」
玄武「嬢ちゃんはそれを一気にかっ込んだらしい。食べるとこを目撃したヤツはいなかったが、芳乃嬢のチョコだけ大幅に減ってたからな。帰ってきた嬢ちゃんがその腹に収めたってのは状況から分かる」
ありす「一度にそれを……どうして……、って、アルコールで記憶を失うなんて、そんな……酔ったんですか、私は」
周子「あ……確かに、ボンボンの作り方も教えてて、芳乃ちゃんそれを作ってた……けど、お酒なんて」
荘一郎「材料にはありましたが、それを入れたんですか? いや、でもお酒は……確か……」
芳乃「お二方ー。これは確かにわたくしのふるまいによる因果でしてー、そうなのでしてー」
直央「あるこーる、お酒……」
ありす「そんな……そんな。記憶を失うほどアルコールを摂ったというんですか。み、未成年飲酒になってしまうのでは……」
薫「そうではない。事情は不明瞭なところがあるがこれは偶発的な事故だろう。アルコール分解酵素が少なかったことと、恐らくは空腹の状態で一挙に摂取してしまったことが原因のな」
文香「そうです……私は、橘さんも酔おうとする意図は無かったと思考します……」
薫「そうだな、飲酒によって記憶が消えるメカニズムについて簡単に説明しておこうか」
キリオ「むむむっ。オイシャ先生のコーギでにゃんすか?」
薫「……ブラックアウト(飲酒による記憶喪失)は、端的には海馬の活動障害。アルコールが神経細胞に影響を与えるのが原因なんだ」
薫「神経細胞はシナプスを介し互いに結合し、神経回路を形成している――」
晴「えっ、ちょっ、話がむずいって! シナプスって何だよ!?」
薫「シナプスとは神経細胞と神経細胞の繋ぎ目のことだ。神経細胞からグルタミン酸などの神経伝達物質が放出されると、その後方の神経細胞が出された伝達物質を受け取る。これによりシナプスを越えて情報の伝達がなされるわけだな」
薫「まぁここでは、神経活動によって放出されるグルタミン酸と、それを受け取るレセプター……NMDA受容体、それが記憶には重要とだけ覚えておきたまえ」
ありす「はい。えっと、グルタミン酸とそのレセプターですね」
薫「ああ。そしてアルコールはNMDA受容体の活動を低下させる」
ありす「え」
薫「さらに神経細胞にステロイドを産生させ、その働きを阻害するんだ。……結果、記憶の形成に不備が出る」
周子「えっ、お酒飲んだ時ってアタマでそんなことおこってんの。未成年飲酒は脳をわるくするーってそういうことなんだ」
薫「ああそうだ。簡単に伝えたが、これが飲酒による記憶障害だ。アルコールは脳細胞を破壊するのではなく、その活動を抑制させる」
薫「分解酵素・アルコールデヒドロゲナーゼが足りてなかったり、体内の水分が少なかったりすれば、少量でも血液中のアルコール値は瞬く間に上がる……」
薫「君はその二つの条件を満たしている。子供で、女性だ」
ありす「子供、ですか」
薫「君の記憶障害は薬剤性の健忘といえるな」
ありす「薬剤性……でも、それは多分きっかけに過ぎないじゃないんですか」
薫「なに?」
ありす「芳乃さんのチョコを私はどういういきさつかは知らないですけど、大量に食べたわけですよね? その時の私の、精神状態ってふつうじゃなかったと思うんです」
薫「ああ。言いたいことは分かる。君の場合、“心因性”の原因も存在する、複合要因の健忘だと僕も思っている」
ありす「やっぱり……」
ありす「……」
直央「あ、あのどうしたんですか?」
ありす「いえ。自分から鍵を閉じてるんなら、どうやって思い出せばいいかわからないと思ったもので……」
薫「心配するな。これはチョコレートがある種のトリガーとなって引き起こされた記憶喪失だ。そしてまったく重症じゃない」
ありす「そうなんですか先生?」
薫「ああ、見たところ君の頭は明瞭に、そして非常に論理的に動いているようようだ。僕が太鼓判を押そう。記憶は蘇る」
ありす「あ……」
晴「良かったな、ありす! 絶対元に戻るってよ!」
ありす「はい。……ふぅ……なんかお医者さんに言ってもらえると安心します」
薫「……」
玄武「じゃあ、納得いったところで始めるか」
文香「芳乃さん……お願いします」
芳乃「そなたー、どうぞこちらへお座りくださいー」
ありす「えっ芳乃さん」
薫「後は彼女の導きに従いたまえ。リラックスしてゆっくりと記憶をひもといていくんだ」
芳乃「失せ物探しは得意なのでしてー、こころ安らかなればーきっと再びあの日の思いが宿るでしょうー」
ありす「カウンセリングのような感じでしょうか? よろしくおねがいします」
文香「……あの、橘さん……このチョコレートをどうぞ」
ありす「え?」
かのん「あ、板チョコだー」
文香「失われた記憶を思い出すのは、脳に負担がかかることでしょうから……栄養補給を。チョコレートに含まれるビタミン類やミネラルは脳の活動を助けます」
ありす「あ、ありがとうございます」
薫「うむ。チョコレートは記憶を戻しやすくする。ブドウ糖の補給にうってつけだし、加えてカカオの香りはリラックスを促す……食べておきたまえ」
荘一郎「そういうことなら事務所に置いてあるトリュフチョコも召し上がってください。たくさん作ったので」
周子「おぉ、荘一郎さんやさしーじゃん。後であたしもちょーだいね」
晴「えー! なんかありすだけズリー!」
周子「晴ちゃん、怒んない怒んない」
千枝「みんな、優しいね……」
直央「うん、とっても」
……
ありす(記憶が消えるきっかけがチョコなら、蘇らせるのもまたチョコ……おかしな話ですね……)
リラックスできるようにと、他の方々は部屋を出ていかれて。
私と芳乃さんだけがこの部屋に残されました。
部屋に残った微かなチョコレートの残り香。それはあのトラックのそれよりも控えめで、落ち着きを与えるものでした。
ありす(大丈夫……思い出せる……受け止められる)
芳乃「目を閉じー、しずかに、ゆるりとー空気をお吸いになられませー……」
・・・
薫「――ブラシーポに箔をつけるのはあれぐらいで良かったのか」
玄武「押忍……」
文香「ありがとうございました……橘さんもおかげでずいぶん落ちつくことができたと思います……」
薫「ウィスキーボンボンによる薬剤性健忘、か。どちらが考えたんだ」
玄武「俺が……」
文香「いえ、あなたはウソは気が進まないと言いました……私が考えたんです」
薫「……二人で、のようだな。まぁ、僕も同意したから協力したんだが。健忘とは心理的な作用が絡むものだしな」
薫「元医者としての僕の言葉が彼女の鎖を解き放つ力になるのなら……こういうことをするのもやぶさかじゃない」
文香「私が考えたんです……心因性の原因だった場合…………つまり記憶の封印が橘さんの意思だった場合……思い出すのは難しいものになると……」
薫「自分の中の防衛機制の働きで、忘却しているケースだな」
玄武「その場合思い出させたかったら、暗示だか催眠だかそういったもんの力が必要になるだろうと考えたのは、俺だよ」
薫「……だから僕に、記憶は必ず蘇ると言わせたわけだ。説得力を持った言葉で彼女にそう信じ込ませるために」
玄武「自分を守るために忘れているわけだから、無理に思い出させるべきじゃあねぇんだろうが……」
文香「あの、文面を見てしまったら……今日思い出すべきだろうと……はい。勝手に思って、行動に移したのです……」
文香「【もう今日のことはいいから、そっとしといてあげてよ――】 橘さんがメールを確認した時目に入ってしまった文面は……このような文でした」
玄武「忘れた過去を知ってる人間がいて、非難めいた書き方でメールを送ってきていた。文香さんはこれが人間関係のヒビになりやしないかと心配したんだな」
薫「気遣い上手というか、考え過ぎというか」
玄武(それでも、この黒野玄武、嬢ちゃんが嫌なら無理に思い出させるツモリは寸毫も無かった)
文香(でも――ドアの前で、そのクラスの方から【ひどい】と返信されたと聞いて……やっぱり思い出した方がいいと心の天秤が傾いて……)
気持ちを確かめたうえで、実行に移した。
玄武「ウソなんざつくべきじゃあねえとは重々承知していたが、ブラシーポってのははこっちの思惑を話した時点で効果が無くなるからな」
文香「それで……橘さんの心も、ある部分では真実を知ることに恐怖を覚えているはずでしたから……心因性だけが忘却の理由ではないと教え、思い出せるはずだと刷り込みを行ったんです」
文香「でも、やはり……これは、身勝手なおせっかいだったでしょうか……?」
玄武「だが、実際にこんな本人を一時でもないがしろにしちまう方策をあげたのは、俺だ。」
文香「いえ……そんな、あなたは……」
薫「――君達二人はなんというか、独断で動くことに慣れていないのだな」
文香「え……?」
薫「何を悩んでいるんだ。ブラシーポ……暗示に関わる虚偽を気にしているようだが、それは彼女の記憶を戻す上で必要なものだった」
薫「……そして、彼女自身も今日記憶を取り戻したかった。ならば君らは彼女の本意を汲んだ行為をしたんだ」
薫「元医者として言うが、自分の善意にあまり疑問を投げないことだ。その躊躇は誰かへの救いを失敗させるのかもしれないのだから」
玄武「……押忍ッ。先生の言う通りだな。男が決めてやったことに後悔は不要……当たり前のことだった」
文香「……そうですね。橘さんの助けになりたいという想いは、はい……本当だったと、言いきれますから」
薫「そうだ。付き合わせた僕にも、あの少女にも失礼だ。――それに、チョコを食べて眠ったというのは本当なのだろう?」
文香「それは……はい。芳乃さんのチョコが大量に無くなったところで橘さんは眠っていましたから……状況的にそうだと思われます……」
玄武「だが、その実際チョコにアルコールが入っていたかどうかは不明瞭だったんだ。芳乃嬢は『霊験あらたか』なものだと言うだけだったからな……不思議と納得しちまったが」
薫「しかしやけ食いするような精神状態で、食べてそのまま精神的疲労から熟睡した……こう言っても、あの少女は記憶が消えたことに納得しなかっただろう」
薫「本当にそのチョコレートに不可思議な力が宿っていたわけではあるまいし」
文香「不思議な力。でも芳乃さんですから……それも……否定はできません……」
薫「まさか……だがまぁ、彼女にはそう思わせる雰囲気はあるな。――その力を借りて、きっと記憶の回復は進むだろう」
…
……
芳乃「――――」
まぶたの裏の暗闇の中で、芳乃さんの声が遠く、こだましています。
頭の中で私を縛っていた鎖が、“ゆるり”と解かれていって――深く、深く意識が沈んでいきました。
沈む……泳ぐ……。
記憶の海を私は漂っていって……
気づけば、私は学校の前にいました。
ありす(……え?)
制服を着ています。手には、ああ……ピンクの包装紙と、黄色いリボンでラッピングされたチョコが。
そうでした。家から持ってきたのです。――14日。
バレンタインだから。
ありす「うーん……小道具だってことにしましょうか、これ……」
グラウンドから響く男子の声が、悩んでいるそんな私の耳をお構いなしに叩きました。……もう。心の準備をしてるのに。
ありす「……本当に、子供……」
やっぱり落ち着いた大人の人じゃないと……
――ダダダダダダッッッ!!
ありす「え……」
志狼「ぜはっ……!!! ぜはーっ!!! ここまで逃げれば追ってこねーなっ!!! ぜはーっぜはーっ!!!」
ありす「しろ……橘志狼っ!?」
志狼「あん? ……げっ!? ありす!? なんでこんなとこにいんだよ!?」
……そうです。やはり私はこの日、志狼くんに会ったのです。
ひとまず今日の投下はここまでです
終盤に入ってきてます
ありす「それはこっちが聞きたいですよ、ここは私が通ってる学校です、私がいるのは自然でしょう」
志狼「がっこう? あっ、おまえよくみりゃ制服着てんな! いーなー! なんか軍隊みてーだっ」
ありす「制服への反応がそれですか……軍隊なんて言わないでください。というかどうしてここにいるんです。どうやって私の学校を突き止めたんですか、ストーカーですかあなたは」
志狼「おまえに会いに来たわけじゃねーよっ! ここには逃げてきただけだ!」
ありす「逃げてきた? そういえばさっきもそう言っていましたね。またトラブルでも起こしましたか。相変わらずですね、あなたは」
志狼「ありすおまえ、オレをバカにしてんだろー!? チョコ食べちゃダメなんてイミわかんねーこと言われてもナットクできなかったから逃げただけだ!」
ありす「チョコ? ……いっぱい抱えてるそれですか」
志狼「ああ! ぜんぶチョコだぜ! 食べるためにあるのに食わねーなんて、あれだチョコにたいするボートクだぜ、ボートク!」
ありす「…………まぁ、あなたもアイドルですからね。貰いますよね。自然な流れとして」
志狼「んー? あれありす、おまえもなんか持ってるけど、それチョコか?」
ありす「っ!? こ、これは小道具です。本当です! チョコじゃありません」
志狼「そーなのか?」
ありす「よしんばチョコでも、あなたにあげるチョコなんてないですからっ」
志狼「む……! ベツにおまえのチョコなんていらねーし! へっへ~ん、ありすに貰わなくてもこんなにあるもんね~!」
ありす「む……!」
志狼「こっちのが、ありすのよりうまいしなっ!」
ありす「食べたことないくせに勝手なこと言ってくれますね……!
ありす「今、私料理を勉強しているんです。チョコだって上手に」
志狼「むぐむぐ、おっ、これアーモンド入りだ。やったぜ!」
ありす「会話してる時に食べないでくださいっ!」
志狼「ありすも食う?」
ありす「結構ですっ」
志狼「ふーん、いらねーんだ。あ、あれか、ダイエットやってんのか?」ムグムグ
ありす「ベツにしてません。太ってないですし……というか、早くいなくなってくれると嬉しいんですが」
志狼「あん?」
ありす「ここは私の学校ですよ。ここで二人でいるところを見られたらなんて言われるか……子供なあなたとウワサになるなんてとてもとてもとてもイヤです」
志狼「んなっ!! ふざけんなよ! オレだってやだからな!! 誰がおまえなんかと! クイズ番組でオレに負けたくせに!」
ありす「前に戦ったあの番組ですか……あれはチーム戦です! あなただけの力で勝ったわけではないです! 関係無い話をしないでください!」
ありす「というかあなた――前、ライブのチケットあげたことへの感謝、忘れてるみたいですねっ」
志狼「うっ、確かに前貰ったけど、まだ言うのかよー」
ありす「貸しですから」
志狼「ずっという気かよ。あれだ、じゃあオレのライブにも招待してやる! これで貸し借りなしだなっ!」
ありす「あ、あなたのライブなんかに興味ないですっ」
志狼「んだよ、じゃあどうやって借りを返せばいいんだよー!」
ありす「……思いついたら言います。今はまず、ここから離れてください」
志狼「はなれる?」
ありす「ほら、早く。借りを返したいんでしょう」
志狼「ありす……! わかったよ、いなくなりゃあいいんだろっ! くそーっ!」
ありす「ふぅ……さようなら」
志狼「これで貸し借り無しだからなー!」
ありす「あれ? いつこれで借りを返せるって言いましたか? 私はただこの場におけるアイドルの適切な行動を促しただけですよ」
志狼「あー、ズリー!! メイレーされ損じゃん、オレ!!」
ありす「アイドルらしい行動を教えてあげたんですよ、私は。感謝してほしいぐらいなんですが……ほら、ビッグなアイドル目指しているんなら、早く立ち去ってください」
志狼「ぐぐぐ……っ!」
ありす「ビッグになりたいっていうのはウソだったんですか?」
志狼「ウソじゃねー! オレはぜってービッグになるの! 見てろよっ!! さっそうとここから立ち去ってやるぜー!」
ありす「そんな力入れなくてもいいですけど」
志狼「スペシャルシローダッシュ!! うらぁぁあああああっ!!!」ダダダダダダダッッッッ!!!!
ありす「あんな気合いの入った立ち去り方がありますか……もう。本当に子供……」
ありす「ふぅ……ああいう風にカンタンな人間だったら、色々考えずにすむのにな……」
私は手に持ったチョコに視線を落とし、そう呟きました。
そうです。このチョコはプロデューサーに渡されるのです。
しかし、『同年代の男子』に渡したというのはどういうことだったんでしょう。
橘志狼との邂逅はここで終わりました。チョコを渡すチャンスはここぐらいしかなかったはずですが。
これからは……そう、迎えに来たプロデューサーに驚きつつも、会社まで送ってもらって。そこからフェスタのお仕事に入ったのです。
5W1H。
だれに、いつ、どこで――私はチョコを渡したんでしょう。
私の意識は記憶の世界を辿ります。
…
……
女性「――でも、きっと、私のがんばりが足りなかったせいなのよ。特別な人になるのって……難しいものね……」
ありす「ダメじゃないですよ、その……男の人の方も悪いと思いますよ、私は」
イベントのお仕事が終わった後、私は周子さんに声を掛けられてチョコレート作り教室へと赴きました。
料理の腕を上げるいい機会だと思えたのです。
……志狼くんにチョコの味について勝手な事を言われたのが尾を引いていたのかもしれませんが。
そこで私はチョコを作り……一人の女性の話を聞いたのでした。
女性「あ……ごめんなさい。私なにをやってるんだろう、こんなの聞かされたって、困るのに……勝手に話して……」
ありす「い、いえ。別に良いと思います……その、元気出して下さい」
女性「……ありがとうございます……そうね、切り替えていかなくちゃね……」
ありす「そうですよ。あの、私は……」
女性「はい?」
ありす「聞く限りだと、その人、ひどい性格のように思えます。あなたに感謝も関心もなにもなかったなんて」
ありす「ちゃんと……気づいて、受け止めてあげるのが、大人の度量というものでしょう」
女性「……そうもいかないのよ、大人でも。いえ……きっとこういうのは大人も子供も関係無いんでしょう……どう思い、どう感じるかは止められないもの」
ありす(かばうこと、ないのに)
私は話を聞いて、少し怒ったと思います。
この人の気持ちを知らないまま、気楽に生きているその男性に。
“報われない”というこの世界の不条理そのものに。
そして、そのすぐ後に。
――♪
あの電話がかかってきたのです。
そしてそれが。
私に、『今日』を消したくなるほどの動揺を与えることになったのです。
……
最初の話題は、そう――
13日の日直の仕事のために借りた、ボールペンについてのことでした。
ありす「――もしもし?」
『橘さんっ!』
ありす「わっ……な、なにか?」
――『ボールペン、どうして返してないの! 時間あったでしょっ!? しかもあんな事まで言うなんて!!』
ありす「ボールペン? あ……もしかして、学級日誌書く時に借りた赤ボールペンのこと?」
――『そうだよ! どうして返してないの! 帰る時こっそり返すんだと思ったのにっ!』
ありす「ごめんなさい。忘れてしまってて……お仕事が、あったから」
――『わ……忘れた……』
意表をつかれた様に、彼女の声は引っ込んで――
そして、ほんのちょっとの沈黙の後に……低い、静かな声が、彼女から発せられました。
まるで、怒りを無理矢理抑え込んだような。
――『……思い出さなかったの?』
ありす「え、えっと、昨日、色々と今日のために用意することがあって……その内に頭から抜け落ちてしまってて」
――『…………昨日、用意したのはチョコレート?』
ありす「まさか! 私はアイドルだから、そういうのは」
――『……じゃあ誰にもあげるつもり、無かったんだ? ほんのちょっとでもそういう気持ち、持てなかったんだ』
ありす「あの、話がよくわからない……」
――『アイドルなのに』
ありす「え?」
――『大切なあなたに甘いプレゼントとか言ってるくせに。テレビで色んな人に笑顔を向けてるくせに。みんなが大事な人ですとか言ってるくせに。橘さんの、本性はそんなのと全然違うんだね』
ありす「……」
――『アイドルってウソつくのが仕事なんだ』
ありす「っ!」
少し顔が熱くなりました。
今まで、学校でアイドルということを話題にされ、からかわれたり、囃したてられたりされたことは何度もあります。
そんな幼稚なからかいには心揺らされたりはしないけれど……今の彼女の言葉はあまりに唐突で、そして勝手でした。
アイドル全体を馬鹿にできる根拠が分からない。
橘ありすという人間を勝手に決定しないでほしい。
ありす「信念の自由」
――『なに?』
ありす「チョコをあげようとする気持ちは、勝手に湧くものです。それが湧かなかったからといって非難されるべきものではありません」
――『……な』
ありす「私の本性をこんなので勝手に決められても困ります」
私は淡々と、丁寧な口調で言葉を返していきました。……その丁寧さは逆に相手への攻撃となることを知っていながら。
ありす「そもそもボールペンのことをどうして知っているんですか。日直の彼から聞いたんですか」
――『……ちがう』
ありす「聞いてない? ならなんで知っているんです? というか……私に電話してきたのはなぜなんですか?」
――『……』
ありす「ボールペンはちゃんと返しますから大丈夫ですよ」
――『…………それだけ?』
ありす「それだけって……借りたものを返したら話は終わりだと思うんですけど」
――『それで終わりなんだ』
ありす「あの、話はこれだけですか? あ、ペンを返せてないって教えてくれて助かりました」
――『やっぱり冷たい人だね、橘さん』
ありす「はい?」
――『なんにもわかってない。人を傷つけたことを知りもしないんだ』
ありす「あの、私がボールペンを返さなかったことで、誰かが傷ついたの……?」
――『バカにしてるように聞こえるよ』
ありす「―― ○○君……ですか?」
私はそこで、ペンを借りた男子の名前を挙げました。日直をいっしょにやったクラスメイト。
――『そうだよ』
ありす「えっ、そんなっ。返し忘れた私が言うことじゃないですけど、あの男子は、ペンを返すの遅れたことを気にするような人じゃないでしょう?」
――『橘さんさぁ、○○君をどんな子だと思ってんのよ』
ありす「え、それは、子供っぽ……いえ、快活で、みんなを笑わせるのがうまくて、……それで足が速くて……」
――『それだけ』
ありす「え、えっと、よくからかってくるのは困るけど、まぁ明るい性格だなと……」
――『それだけ。…………ったくせに』
ありす「え、なんです」
――『 いっしょに帰ったことあるくせにっっ!!! 』
ありす「わっ……!?」
“いっしょに、帰ったことがある”
その言葉に刺激され、私の頭に風景があざやかに蘇りました。
前にも日直が終わって、帰る時間が必然的にいっしょになって、帰り道を彼といっしょに歩いたことがありました。
並木道の帰り道。夕暮れと、バカな話……。
……でもなんで。
なんでそんなことを知ってるの。
ボールペンのことといい、どうして――
ですが。疑問に思うのと同時に、私の頭脳は無意識に答えを探し、一つの絵を作り上げていました。
それは普段からミステリを愛好していて脳に回路がつくられていたからかもしれませんし、彼女の怒りが溢れた声がそれだけ雄弁に周辺の事情を語っていたからかもしれません。
――――彼女が○○君のことを知っているのは、彼と話したから。あるいは彼に近しいところで調べたから。
そんな事をした理由はもちろん…………彼女が○○君のことを好きだから。
そう。それは直感のようなスピードで思い至ったことでした。
――『なにも気づかないで!! ひどいと思わないの!!』
ありす「…………あの」
――『なに!』
ありす「○○君は、その、私からチョコを貰いたかったんですか」
――『っ!! そうだよ!!』
絵を理解した時、冷静さが取り戻されました。
今彼女が憤っているのは『自分が好きな○○君に、チョコをあげなかった橘さんひどい』とこういうことなのです。
…………こういうことなのだと思いました。
ありす「……ごめんなさい、全然気づかなくて……でも、チョコレートに関してはこれはどうしようもないことで」
――『それはいいよ、もう!!』
ありす「えっ」
しかし。
そこで意表を突かれました。チョコをあげなかったことを責めているのだと思った矢先に、それはいいと言われたのです。
そう。彼女が私を責めるのはここからで――
――『どうして下に見るの!!』
ありす「し、下に……?」
――『どうして、真面目に受け止めてあげないの!! どうして……!! その!! 勝手にあれはこうだなんて決めちゃうの!?』
ありす「あの、どういうことですか?」
――『○○君はねぇ!! 橘さんを笑わせるために冗談言ってるの!!』
ありす「えっ」
――『アイドルのお仕事で教室にいないこと多いから浮かないように!! 悩みだって多いだろうから和ませるために!!』
ありす「私の、ため?」
――『足が速いってのは覚えてるけど、それ橘さんも出てた運動会のリレーで思ったことでしょ!!』
ありす「……そ、そうですけど」
――『特訓してたからっ!!! それっ!!』
ありす「特訓……っ」
――『橘さんがもし転んでも、自分がカバーするって!!』
ありす「な……っ!?」
――『ずっと、ずっと残って練習してたんだから!! ……そんなの想像も、したこと、なかったでしょ』
なかった……
ありす「えっと……あの、か、確認を……してもいいですか……理解が、そのまだ追いついていなくて……!」
――『やっぱり……全然思ったことも無かったんだね』
――『そんな風にわかんないのは子供っぽいって、男子なんか馬鹿だからって、全部全部決めつけてたからでしょ。それが早く大人になるってコトなの』
ありす「……っ!?」
――『冷たい人だよ。最低……大きくなりたいって考える前にもっと大事なことあるんじゃない』
ありす「あ、あの」
――『○○君がケガしてたのだって、絶対橘さんのせいだよ』
ありす「け、ケガって――」
その刹那。通話は打ち切られました。
彼女は堪え切れないように溢れだした言葉を、一気呵成にぶつけて――その勢いのまま、非難のように沈黙を私に残していったのです。
……そう、私は残されました。
無関心を振るい、善意も好意も虐げたという罪科を抱えた私を……混乱と動揺の波が呑みこんでいきました。
私は、なにも気づかなかった。気づこうともしなかった。
アイドルだからしょうがない……。
告白されても受けるわけにはいかないから。
違うそうじゃない。気づかなかったのはまた別の罪深さだ。
アイドルでも、気づかなかったという罪は消えない。
でも! それは罪じゃない。
無理難題だ……ふざけてるのをどう真面目に受け止めろっていうの……
でも踏みにじられた人はいる。
知りませんよ、そんなの……私の責任じゃない。
ひどい人ですね。
ひどくないっ!
やきもきさせて……苦しませて。それに気づかなかった人はひどいって、さっき言ったのに意見をもう変えるの?
あの、女性の話とは状況が違う!
どう違う……?
それは――
でも、しょうがない。同年代の男子なんて……男子なんて……子供……にしか見えないから。
でも、その偏見こそが
荒れた思考が頭の中で暴れ回る。
ああ、せめてあの子がもっと感情的になってくれていたら。
関係の無い話題で――アイドルやって調子乗ってるとか、番組でのトークがおもしろくないとか――そんな文脈に沿っていない文句をつけてくれていたら、冷静に切り返せていたのに。
しかし、彼女は賢い女の子でした。ただ、非難のための非難はしなかったのです。
だからその批判は、冷たくて。
無自覚だったことそのものを、冷徹に責めていて。
ああ、結局私は、詰られたのではなく、詰まされたのです。
正当性を見つけても。刻まれた言葉はそんなものを容易く逃避のための言い訳だと砕きます。
ありす「……そんな…………そんな……」
プロデューサーに迎えに来てほしいと言った私の頭に、それを目撃するかもしれない男子は存在していたでしょうか?
バレンタインの今日。ああ、まさにプロデューサーは私を迎えに来たのです。……それを目撃させることで引導を渡してしまった可能性は?
そして、“ケガ”……ケガをさせた?
どうして、ケガをすることがある? たとえ、そう“フられた”からってケガなんてするわけないのに――
ありす「そう、違う……――あ」
『するわけない』
ああ、この言葉が。頭に根付いた固いこの言葉が、見える世界を狭くして……
ありす「…………どうしよう、……も、戻らなきゃ……」
混乱を濃く頭に残したまま……私はそんな追い立てられるような衝動だけを抱え、動きだしました。
ケガをしたと聞いても、何も動かずほおっておくなんて……それは、ひどいことだと、考えて。
冷たい人間。
そんなレッテルを張られるのは我慢ができませんでした。
そんな自分は…………怖すぎました。
……
荘一郎「そうですか用事が。どうぞ……入退室は自由ですので」
ありす「はい、すみません」
荘一郎「チョコ、ようできてましたよ。がんばりましたね」
ありす「………………チョコ」
ありす「…………………………」
荘一郎「どうしたんです?」
ありす「いえ、持っていきます。…………持っていきます」
ありす「まだ……まだなんとかなるかもしれない…………」
――
――――
拓海「ったくよ! ビビってんじゃねぇよ夏樹!」
夏樹「だーかーら、ビビったワケじゃねーって。うっかり入り間違えちまったの。拓海は耐えたのかよ? 『壁ドン』」
拓海「ハッ、余裕だったぜ……男だからってなんてことねぇさ。ようは気合いどれだけ入ってっかだな」
夏樹「でも、『壁ドン』ってよ、やられっと意外と近いように感じないか?」
拓海「ああ、だがよ、ガンの飛ばし合いは目ェ伏せた方が負けだぜ」
夏樹「そんなもんか? ……じゃあ、アタシの方の負けかな。目を逸らしちまったし」
拓海「あァ!? 夏樹、テメーはただのオトコにやられたんだろーが!? なに負けてんだよっ!」
夏樹「ん、んーワリ。あんなマンガみたいなシチュ経験なくてよ。それに今思い返したら、ナツキ……美少年くんだったしな。……ってなに考えてんだアタシは」
拓海「夏樹よぉ、お前なんか『壁ドン』いってからヘンじゃねーか?」
夏樹「ちょっち、リズム狂ったかもね。バイクで風に当たってくっか――っと、あれ、ありすちゃんじゃねーか?」
ありす「プロデューサーに帰るって伝えて……あ」
拓海「よォ。仕事は終わったのか?」
ありす「拓海さん……それと」
夏樹「あ、アタシ夏樹夏樹」
拓海「ふはっ! 髪下ろしてるからわかんないってよ!」
夏樹「笑うなって。ありすちゃん、そんなにアタシ変に見えるか?」
ありす「え……? あ、きれいだと、思います」
夏樹「キレイ! ははっ、んなストレートな褒められ方、慣れてないなっ! ……キレイ? キレイか。きれいに見られるもんか、そっか…ほーん…」
拓海「なに言ってんだ?」
夏樹「いや、なんでもない、なんでもないぜ。んで、ありすちゃんは何してんだ?」
ありす「わ、私は……その、家に、戻ろうと……」
夏樹「あ、帰るのか? よし! アタシが送ってってやるよ!」
ありす「えっ」
拓海「おい、夏樹!?」
夏樹「ワリィ、ツーリング誘っといて。アタシ、風浴びがてらありすちゃん送ってくわ」
ありす「でも……」
夏樹「遠慮はいらないぜ! こういうときは助けあいだろ?」
ありす「はい。助かります……本当に。ありがとうございます」
夏樹「いーって、いーって! じゃあ、拓海は……そだな、チョコレート作り教室にでも行って楽しんでてくれ」
拓海「いや、行かねぇけどよ」
夏樹「そっか? じゃあ、あそこの小悪魔喫茶のヘルプでも」
拓海「するかァァっ!! ……つーか夏樹テメー事故んなよ。YAIBA、サスもブレーキも貧弱じゃねェが、優秀ってわけでもねえからな」
夏樹「聞いたか、ありすちゃん、拓海って優しいヤツなんだよ」
拓海「や、やさしくねーぞオラァ!」
ありす「…………」
お二人の軽妙な会話も、遠く。
私はまるで心の整理がつかないままに、夏樹さんが渡してくれたヘルメットをかぶりました。
……ここで逃げていれば、あるいはまだ傷は浅くてすんだのかもしれません。
しかし状況の運びは、実にスムーズに私を校区へと戻しました。
因果。運命。原因、結果。
因果応報。
…………罰を受けたのならば、罪があったということでしょうか?
…………
夏樹「ここでいいのか? そんじゃな! お疲れっ!!」
ありす「はい……ありがとうございました」
バイクを降りた私は、のろのろと、遅々とした歩みで見なれた道を進んでいきました。
件の男子の家はどこにあるかは知っていました。
あの帰り道をいっしょに帰った時に彼の家はわかっていました。
ありす(ケガって……どうしたんだろう)
ありす(大丈夫なのかな)
ありす(私が……悪いのかな……)
お見舞いに行くことは善行です。
ケガを心配すると言うのはきっと『親切』というカテゴリに入る行為です。
ありす(なら……私は、今は少なくとも、悪い人じゃない……)
ありす(このチョコだって、そう、お見舞いの品として渡すことができる)
アイドルだけど……こういう状況なら無理はないはず。
偽善。
チョコを渡してどうするの。
そんなアリバイ作りをして、なんになるの。
それで、男子が告白したら受けるつもりなの?
――え。
そんなつもりもないのに、行ってどうするの。
ありす「……じゃあ、私は、どうすればいいの……!!」
どうして、こうして動いてる?
ありす「私は……冷たい人間じゃないから……!」
――――そう思いたいから。
ありす(ちがうっ!)
――その時、道の向こうから二つの人影が見えました。
ありす「……っ!」
瞬間、私は駆けだして街路樹の陰に隠れます。
ありす(どうして隠れるの……っ!?)
自分の行動の意味が分かりませんでした。
チャンスじゃないか。
少年「う……ぅ……」
少女「……だよ! ……だからっ!」
あの、電話をかけてきた女子と。
あの、いっしょに日直をやり、いっしょに帰り、そして……私に好意を持っているという男子が。
いっしょに歩いてきているのに。
……でも到底飛び出せるものではありませんでした。
男の子の方は泣いていて。
そして、あの女の子の方はなんともけなげに、必死にはげましながら、彼を支えて歩いていたのですから。
なら、いっそ遠くまで逃げればよかった。
悪にも善にもなりきれない、中途半端な私が保った距離は、彼女の弾劾を避け切れる間合いではありませんでした。
少女「――橘さんひどいよね! でも私は君のカッコよさ知ってるもん! 安心してね!」
「橘さんあんなCM撮ってるのに、ジッサイは全然性格違うよね! アイドルやってるからきっと感覚がおかしくなってるんだよ! さっき電話して文句言っておいたからね!」
「だから……その、気にすることないよっ! 橘さんのことなんか忘れよっ!? ねっ!? あんな冷たい子、どうでもいいじゃない!」
「知ってる!? 私あの子がこう言ってるの聞いたことあるの! 男子なんかみんな子どもで全然好きになれないって! 最初からバカにしてるんだよっ! よく知りもしないのにサイテーだよね!」
ありす「……」
ありす「……ぅ……っ!!」
声が次第に大きく、そして、小さく。二人分の足音とともに遠ざかって……
耳の震えはなくなりました。
でも代わりに。
身体そのものが、震えて……――――!!
ありす「………………」
ありす「……………………ふっ、……く」
ありす「ぅぅ…………っく……!!!」
ありす「ち、違います……わたしは……」
ありす「冷たい人じゃありません……最低じゃ…………ありま…………せん……っ!!」
志狼「ありす、か?」
ありす「……!!」
そう……だった。
私は……『2回』、志狼くんに会ったんだ。
それで――
ありす「どうして……っ! あなたが……っ!!」
志狼「オレは……ベツに、なんでもねーよ。ここらへんウロウロしてただけだ!」
そこで、奇妙なことに、唐突に現れた志狼くんとあの男子が心の中で重なって。
ありす「……ん!」
志狼「なんだよ」
ありす「チョコですっ!!! あげますっ!!!」
志狼「ハァ!? おまえ、なに企んでんだ? チョコは……あれだぞ、めっちゃじゅーよーなモンで」
ありす「いいからっ!! 早く受け取るっ!!」
思い出した
志狼「お、おう?」
ありす「……っ! 渡しましたからねっ!!」
志狼「おい! どこいくんだよっ!!」
ありす「どこでもいいでしょうっ!!」
志狼「待てよ! いきなりワケわかんねーぞ!!」
ありす「聞かないでっ!! 子供なのに、私を困らせないでくださいっ!!」
志狼「んな……っ!?」
ありす「私は、私は……お、大人に……!! ――っく! う、ぅぅぅ!!」
走って、走って、私はその場を離れました。
会社に戻ってきたときには、もう辺りは暗くなっていました。
自宅の方が近かったのに、私は会社に向かったのです。
どうして?
独りが怖かったから?
『アイドル』という仲間がいる所へ行きたかったから?
自分を肯定してくれる人が、欲しかったから……?
桃華「あら、ありすさん」
ありす「…………」
桃華「おつかれさま、ですわっ! どうかいたしましたの?」
ありす「いえ……」
桃華「そうですの? しかし、遅いお戻りですわね。わたくしは今帰るところですわ」
ありす「……」
桃華「ありすさん、なにか用事があったのかしら? ……あ! もしかしてチョコを誰かに渡して来ましたの?」
ありす「――――そうです」
桃華「え?」
ありす「私は同年代の男の子にあげました」
桃華「まぁ……それは!」
ありす「あげたんです、ちゃんと。……そう、ちゃんと」
私は、なにかを無かったことにするために、チョコを――――
ケイト「グッバーイ!」
唯「ばーいっ! あ、こっちのもおいしーっ! これが甘い誘惑かー! 素肌の口どけ、確かめないとだねっ!」
久美子「も、もう……いつまでも言わないで」
ありす「……」
『友チョコ交換会』の面々が解散していく様子を眺めながら、私はじっと黙って座っていました。
人恋しいのに、人と話すのがわずらわしいという、そんな矛盾した気持ちだったのです。
優「でも、チョコい~っぱい種類あったねぇ」
唯「ホント! イベント楽しかったけどちょーっとだけ疲れてたから、元気ホキューできたの助かったー☆」
ありす「……」
仲間であるアイドル達の声を支えられておきながら、私の頭は会話を理解することはなく。
ただただ自分のことだけに意識は向けられていました。
ありす(【もう今日のことはいいから、そっとしておいてあげてよ】……か……)
ありす(……私は、本当に最低なんでしょうか)
男子を子どもとして見て、傷つけていたことも知らなかった。
それで、いざ傷ついている様子を目の当たりにしたら、それに慄いて、志狼くんを代償行為に利用して。
私は、私は……大人である前に。子供である前に。
悪になってしまったのでは……
違うっ!
私は冷たい人じゃない! そう! 志狼くんにチョコを渡したのだって、きっと最初からそうしたいという気持ちがあったからです!
あげたんです……私は……!
同年代の男子を決して無視していたわけじゃありません……
そう、規定、しないと……私は、私でいることに耐えられない。
ちひろ「さて、この友チョコを溶けないようにしておかなくちゃ。あら、ありすちゃん?」
ありす「……」
ちひろ「プロデューサーさんに帰るって伝えたんじゃ……ふふっ、さびしくなっちゃいましたか?」
ありす「いえ……」
ちひろ「いいんですよ。もう少し事務所にいても。イベント、お疲れさまでした」
ありす「はい……」
ちひろ「テーブルにあるチョコレート食べていいですよ。みなさんが持ちよったものですから」
ちひろ「あ、でも、芳乃ちゃんはなにか注意していましたね」
ありす「……?」
ちひろ「一粒食べれば悪気が消えるって。でも食べすぎないようにって」
ありす「え」
ありす「悪気が消える――――?」
思い出した
ちひろ「はい。そういうことですから、食べすぎには注意してくださいねっ」
ありす「わかりました」
ちひろ「それでは、私は仕事に戻りますね」
ありす「…………」
ありす「これが、芳乃さんのチョコレート」
ありす「私は、悪い人じゃない……」
ありす「――――っ!!」ガバッ!!
ありす「はぐ……っ! んむっ!! ……っ!」
ありす(…………あ)
ありす(頭の中が溶けるみたい)
ありす(これが、悪い気が消えるってこと…………?)
ありす「……もっと――!!」
ありす(消えちゃえ)
ありす(消えちゃえ、消えちゃえ)
ありす(消えちゃえ――――っ!!!)
ありす「……あっ」
ありす「――――――――」
思い出した
全部思い出した
――――――
――――
――
ありす「あ……ぁぁ……っ」
芳乃「起きられましたー?」
ありす「わかった……そうだった。そうだったんだ……っ!」
芳乃「ええーええー……そうだったのでして……」
夢の中で、私は昨日の記憶を取り戻しました。
橘ありすの軌跡のすべて。
ありす「わ、わたし、わたし……!」
芳乃「すべてをこころに溶かすことはー、急いてはなりませぬー……」
芳乃「壊れぬようー、ひびわれぬようー、しばし、ゆるりと、時を待つのでしてー」
ありす「だ、だめです」
芳乃「はてー?」
ありす「知ったからには、う、動かなくちゃ……ちゃんと、決着つけなきゃ……!」
芳乃「焦ってはならないのでー」
ありす「でも……!」
芳乃「まことに申しわけなく思いますー……わたくしのチョコレー糖、みなさまの助けになればと置いたのですがー、それがそなたを二重に苦しませたのでしてー……」
ありす「芳乃さんは悪くありませんっ!!」
ありす「悪いのは、きっと私なんです……! 昨日の時点でそれを認めていたら……っ! せめて、むやみに下に見ていたことだけでも後悔していたら……こんな、ことには」
芳乃「……人の想いは、力を持ちましてー、そなたは今、知らなかったことを知っているのですねー……」
ありす「行かせて下さい。大丈夫です。色んな人に協力してもらって、迷惑かけて……ここまでしてもらったのなら、私が最後に動かなきゃいけないと思うんです!」
芳乃「……」
芳乃「わたくしは、そなたの想いが届くことをー、そなたが幸多き事をずっと祈っておりますー」
ありす「芳乃さん」
芳乃「ええー。因果が決する場へと赴かれるとよろしいでしょうー」
ありす「ありがとうございます……!」
ひとまず今回の投下は終了
次辺りで完結です
――……
晴「えっ、一人で行くのか?」
ありす「はい。ここからは……私の問題なんで」
千枝「私達も手伝うよ?」
晴「そーだよ、ここまできてイマサラな遠慮なんてすんなよな。なにがあったんだよ、昨日」
ありす「……帰って来てから話します。それと……すみません。これは私がけじめをつけないと、ダメな事なんです」
千枝「ありすちゃん……」
周子「そっかー。ねー文香さん、ここは気持ちよく送りだすのが友情かなぁ?」
文香「え、えっと…………いたずらに助けるのではなく、自助努力を見守るという……そんなあり方もまた、友情の一つだと……私は思います」
周子「そそ! ジジョドリョク! 天は助けたものを助けるってやつ」
文香「天は自ら助くる者を助く……でしょうか……?」
周子「そう、それ。よしっありすちゃん、いってらっしゃーい。ばしっと自分を助けてきなよ!」
ありす「え……。いえ、自分を助けることばかり、考えていては……ダメなんです」
晴「んー? なんか難しいジョータイみてーだけど、本当に大丈夫か?」
ありす「大丈夫です。……何をするべきかは理解しています。簡単な道理でした……」
千枝「晴ちゃん。私たち待ってた方がいいみたい」
晴「んじゃ、これだけ聞かせてくれよ、気になってたんだから。結局志狼のヤツにチョコあげてたのか?」
ありす「…………」
ありす「姿が、重なって」
晴「は?」
ありす「……勢いで、渡していました。……志狼くんからしたらとばっちりのようなものです」
晴「と、とばっちりぃ?」
玄武「……?」
ありす「では、行ってきます。みなさん本当にありがとうございました」
周子「なにか持っていかなくていいの?」
ありす「いいんです」
ありす「……ごまかしは、無しです。この……赤ボールペンだけでいいんです」
……
千枝「行っちゃったね、ありすちゃん」
晴「まぁ、やることはわかってるみたいだから平気じゃねーの?」
仁奈「ふわぁぁぁー……。ありすは、昨日の気持ちになれたですか?」
かのん「あ、になちゃんおはよー! うん、ありすちゃん、思いだしたみたいだよっ」
芳乃「ふむー……」
文香「……? あの……?」
芳乃「わたくしも、因果に織られる身の上とは承知しておりましたがー、あのチョコレー糖が斯様なことを引き起こしてしまうとはー……」
芳乃「現人神になってしまわれなかったのは幸いでありー、やはり気はみだりに、歪めたりするものではないのでしてー……」
文香(芳乃さん……)
文香「その……今回は、偶発的な事象が重なった結果で……芳乃さんに責任を求めるのは誤りだと……」
キリオ「笑うでにゃんすっ!!」グニッ!
芳乃「ふへー?」
文香「わぁ……っ」
キリオ「和気財を生ずっ! 笑って損した者はなし! なべて世は寄せ鍋でにゃんす~っ! いっちょうカカカと笑い飛ばせば、キミョーキテレツあらフシギ! この世はおもしろきことばかりぞな!」グニグニ
芳乃「こるぇー、頬をお放しなさいますぇー」
文香「あ……え……っと……これは、どういう?」
キリオ「笑うでにゃんす、おにんぎょサンっ! 自分を笑うネタが一つ増えたことを祝うでにゃんす!」
芳乃「ねた? ほー……なるほど、そのような考え方もありますのねー?」
キリオ「人間万事塞翁が馬!」
芳乃「禍福はあざなえる縄の如くー、繋がって巡るものー。なるほどー、おっしゃるとおりでしてー」
文香「……分かりあっている……のでしょうか?」
芳乃「なればわたくしも笑いましょうー。うふふふふー」
キリオ「にゃははははっ! にゃんともスバラシキ可憐な笑い! そうそう、そのように笑うでにゃんす! ワガハイ、カナシイ顔など嫌いでにゃんす!」
芳乃「なるほどー、まつろわぬそなたの奔放さもー、鮮やかなる山景のひとかけらなのでしてー。むやみに消しては心侘びしくなるのですねー」
キリオ「にゃっ!? 消す!?」ビクッ
芳乃「恐れられぬようー。そなたのー妖しき気を浄化せしめるために増やしたチョコレー糖もー、今はなくー」
文香(ああ……この“にゃんすさん”のために……芳乃さんはあの悪気を消滅させるチョコレートを作ったのですね……)
キリオ「もうないでにゃんすか! これはらっきぃ! 因果の助けにカンシャカンゲキ雨あられ!」グニグニ
芳乃「むむむ~、むやみに頬をもてあそぶものではないのでしてぇー」
キリオ「にゃはははっ! ワガハイ、生の実感“じょわ・ど・びーぶる”にうち震えている最中! ぶれいこうぶれいこう!」グニグニ
芳乃「ふむー、この礼節を知らぬところはー、やはり悪しく感じましてー。やはり少々気を祓ったほうがよろしいかもしれないのでしてー」
キリオ「むっ? でも、もうあのちょこは無いのでにゃんしょ?」
芳乃「ええー、とても稀少ゆえー……」
芳乃「今はこの一粒しかなくー」スッ
キリオ「」
芳乃「これー、逃げてはダメなのでしてー。少しだけですのでー」トトト
キリオ「にゃにゃにゃ~!!」タタタ
芳乃「うふふ、ほらー、祓ってさしあげるのでー。こちらに参られませー」トトト
キリオ「えすおーえすでにゃんす~!!」タタタ
文香「良かった……芳乃さんも気を落とされなかったようです……」
玄武「ああ、良かった」
薫「もう、僕の出る幕は無いようだな。失礼する」
玄武「行っちまうのかい?」
薫「今日は天道がいないんでな。柏木とレッスンをしなければならない」
文香「あの、ありがとうございました……」ペコリ
薫「記憶が戻って何よりだ。また症状があらわれるようになったら言いたまえ。病院は紹介できる」
文香「はい……」
玄武「俺らにできるのもここまでだな。お疲れ様だ、文香さん」
文香「はい、お疲れ様です。……付き合わせて申し訳ありませんでした。……聞きこみや……ストーリー作りも、随分手伝っていただいて……」
玄武「だからよ、それは俺が勝手にやったことでアンタが謝ること…………やめるか。この議論、絶対循環しちまう。この話は言いっこなしで幕引きだ」
文香「……言いっこなし、ですか……?」
玄武「ああ。嬢ちゃんに昨日が取り戻された。俺はひとまずその自分の功績に満足してるさ。文香さんも今回はずいぶん熱心に動いたな」
文香「私…………あの拒絶するようなメールの文面を見てしまった時、こう思ったのです。…………『昨日の橘ありすさん』が、ひどいものに固定されてしまうのではないかと」
玄武「固定、か」
文香「はい。川端康成の『無言』という作品を知っていますか?」
玄武「新思潮の有名どころは抑えてる。……タクシーに乗る幽霊が登場する怪談みてぇな話だったか?」
文香「そうです。一言も発しない女性の幽霊が出てきます……この作品には、次のような一節があるのです」
――『過去というものは誰の所有でもない』、『強いて言えば、過去を語る現在の言葉が所有しているだけかもしれません』――
文香「過去を語る時、必ずしもそのまま真実が語られているわけではありません。語る者の“騙り”が入るのです。それは、時に主観によるレッテル張りにも繋がります」
玄武「なるほど。だから文香さん、アンタは動いたんだな……」
文香「過去は語る人のもの……もし、記憶がない状態でひどい人だと決めつけられてしまえば――」
玄武「反駁も抗弁も不可能だな。一方的だ」
文香「はい。それは、あまりに……その、ひどいと思えて。人に語られるのが不可分になっているアイドルだからこそ……自分の真実を持っていてもらいたいと、そう……考えました」
玄武「……その自分の真実ってのが、弱気の虫になることもあるがな……いや、それでも向き合えるだけ救いがあるか」
文香「はい?」
玄武「いや文香さんは志士仁人……立派だって思ってよ。俺もこんなナリだから、ずいぶん周囲に悪逆無道だと思われたもんだ」
文香「? ……玄武さんはいい人でしょう?」
玄武「……くはっ、はははっ! 俺の負けだ。勘弁してくれ文香さん」
玄武(恥じることはねえよな、どんな過去でも。……重ね合わせんのはやめだ)
玄武(しかし重ね合わせるといえば……嬢ちゃん、姿が重なったからチョコを渡したって言ってたな)
玄武(渡してぇヤツに、そんなに姿恰好が似てたのか? それとも、特徴や雰囲気か?)
周子「ありすちゃん、なにがあったかは知らないけどうまく収まるといいね。あ、荘一郎さんも、わざわざ呼び出しちゃってごめん」
荘一郎「いいですよ。しかし、周子さんも優しいですね」
周子「そーよ、しゅーこの半分は優しさでできてるのよん。あ、もう半分はキギョーヒミツねっ!」
荘一郎「……その半分も大体見当がつきますけどね」
周子「む、なにそれーっ、そんな単純なもんじゃないよっ」
荘一郎「そうですか?」
周子「そうだよもー! ……そんでさ、結局、今日ずっと試行錯誤してたっていう『とっておき』のチョコレートはできたん?」
荘一郎「神谷とアスランさんが手伝ってくれたおかげで、完成しましたよ。まだ東雲荘一郎の色を乗せてはいませんが……十分に絶品です」
周子「おお、おめでとー♪ よしっ、荘一郎さん感謝しなよ、第三者のキャッカンテキ意見ってのをしてあげるっ!」
荘一郎「やっぱり、それが目当てじゃないですか……わかってましたけども」
周子「あら、バレてた? ははっ! いいじゃない、ホワイトデーのお返しを今貰うってことで♪」
荘一郎「ホワイトデー……それなら、仕方ありませんか」
周子「みんなー朗報だよっ。荘一郎さんがありすちゃんを手伝ったみんなに、絶品スイーツ振舞ってくれるって!」
晴「え、マジ! やったー!!」
かのん「わぁ! かのんあまーいのだーいすきっ!」
荘一郎「周子さん!? 何を勝手に集めてはりますか」
周子「だからー、言ったっしょ? しゅーこの半分は優しさだって。あたし博愛主義者なんだよね」
荘一郎「ずいぶん他力本願な博愛主義もあったものですね。まぁ……拒みはしませんが」
周子「お、OKなんだ! さっすが、そーいちにーちゃんも優しいね」
荘一郎「食べ過ぎて太らないよう、注意はしておきますよ。アイドルなんですから」
周子「ほーい」
周子(ありすちゃん、終わったら戻っておいでね)
――
――――
ありす「は……っ、は……っ」
既に日は傾きはじめていて、道に落ちる日差しはどこか乾いた、頼りないものになっていました。
昨日も走ったあの並木道の地面を蹴る私の足音が、冷たい風の中に紛れて、やがては消えていきます。
ありす「……認めるのが、こわかったんだ」
夢の中で見た昨日の記憶は、追体験の動画のようで。
客観的な意識がそこにはありました。
なにをどうすれば良かったか。
こんなことになった原因は何か。
すべてを知った今、なにをすべきか……ちゃんと考えることができました。
ペンを返して……謝って、お礼を述べましょう。
軽んじたことを。決めつけていたことを、謝って。
やってくれたことに、お礼を言う。
その上で――また、ごめんなさいというのです。
善意には感謝を。
好意には謝絶を。
きっぱりと伝えるのです。
そう、断らなきゃいけない。チョコレートも……本命のものはあげられないと言わなきゃいけない。
私にも憧れは……ありますから。
13日に、彼のことが頭に浮かばなかったのは事実です。
未来は……どうなるか分かりません。ただ今の気持ちは分かります。今伝えるべきはそれなのです。
――“ありがとう”と“ごめんなさい”
けじめをつける。
ありす「でも……ケガ……」
ケガのことはどう言うべきなのでしょうか。
……昨日、あの子に支えられて歩いていた時、彼は服や髪が確かに乱れていたように思います。
どこかが重症というようには見えませんでしたが、乱れた姿から察するに、すり傷や打ち身などのケガを負っていたのでしょう。
ありす(どうしてそんなケガをしたの?)
ありす「あれ……ケガって……? 何かが、まだ、繋がりそう……」
ありす(思い出そう。あの子はなんて言っていた?)
――――『○○君がケガしてたのだって、絶対橘さんのせいだよ』
ありす「……う」
あの冷たい声が思い出されて、ずきりと胸が痛みました。
ありす(『絶対私のせい』……この言い方は、決め付けみたい。事実を伝えてるって感じがしない)
ありす(あの子はどうして、私のせいだと思ったの? ……それは、もちろん、彼が傷ついているのを知っていたから。……彼が私に冷たくスルーされたことを知っていたから)
傷ついた彼は、なにをした。
どうしてそこまで傷ついた。
ありす(やっぱり……プロデューサーがトリガーになったのかも)
当日、学校まで迎えに来てくれたプロデューサーに私はチョコを渡している。
それを見て……彼は、なにか突発的な行動を起こしたのかもしれない。
推測ですが、これは整合性がありました。
だからあの子も怒った。
なにも知らないくせに背伸びする私が、許せなくて。
ありす(……ごめんなさい)
彼女にはなんて言えばいいのでしょう。
あそこまで、冷徹に私を弾劾した彼女。
ひどいと、冷たいと、サイテーだと。
私をそう見切った彼女。
友達だと思っていました。
彼女は気さくで、そして賢い人でした。
よくお仕事に休んでいる時のノートもとってくれました。
意見だって、大勢人を集めなくても一人で言うのです。
今回だって――彼女は、一人で私を責めて、一人で彼を支えていました。
彼女は……きっと正しい人です。
だから。だから……
ありす「……ぅ……っ」
悲しい。
そんな正しい友達にあんなことを言われた自分が。
彼女のことを思いだすと、今はもう黒い靄が心にかかってしまうことが。
また……友人に戻れるでしょうか?
それともそんな提案は、またなにもわかっていないと切り捨てられてしまうでしょうか?
ありす「それでも……」
彼女にも、何かを言わなくちゃいけません。
ごめんなさいと謝る……?
私に言うなと怒られる気がします……
でも、他に言うべき言葉も見つかりません。
ありす「……正しいのは、あなたでしたと……そう言えば」
――「橘さんっ!!?」
ありす「なっ! えっ!?」
瞬間、かけられた声に驚いて振り向きます。
そこに立っていたのは。
少女「……」
まさしく、私を弾劾した彼女その人でした。
少女「橘さん」
ありす「は、はい……」
少女「橘……さん……」
ありす「あの、昨日は……!!」
少女「昨日……」
少女「きのう」
少女「――――ぅ、うぅぅ……っ!!」
ありす「え?」
彼女の目から、涙があふれました。
驚く私をよそに、さらに、彼女は決壊したように声をあげて――
少女「わぁぁああああああああぁぁぁぁー――――――ぁぁぁあんっっっ!!!!」
ありす「え、えっ!?」
少女「ごめん!! ごめ、んねぇっ!!! 橘さんっ!!」
ありす「あ、あの、大丈夫? なにがあったの……?」
少女「橘さんは! 悪くないって……っ!!! 私っ! 怒られて……っ!!!」
ありす(悪くない――)
ありす「怒られた……え? あの子に?」
少女「うん……っ!! 橘さんはがんばってるのに……っ!!! そ、そんなぁ、そんな好き勝手言うのはっ、ひどいってぇ……っ!!」
ありす「……っ、い、言われてもしょうがないよっ! 私、本当に、全然……」
少女「ううんっ!! 違うの、違うの……私だって、わかってたからっ!! 橘さんに悪気があったわけじゃないって!! それなのに、私……ぐすっ!!」
ありす「落ち着いて……」
少女「反論できないのを知ってて、思いっきり、最低扱いしたのっ!!!」
ありす「っ……!」
少女「橘さんの悪いところを、ほ、ほんとにっ、直したいんなら……っ! 注意すれば良かっただけなのに……っ!!! わた、しは……う、ぅぅ」
ありす「でも! 言われたことは本当ですよ!」
少女「違うよぉ……!! やり方が間違ってたんだよっ! け、結局私は、ただ、橘さんに腹が立ったから、攻撃しただけ……っ!! ふ、踏み台にしただけ……っ!」
ありす「それでも……」
少女「陰口なんて大きらいだったのに……っ! 私、橘さんがいないとこでさんざんに言っちゃって……っ! きょ、今日の慰めるメールを送る時にも、そんな風に書いてっ!」
少女「でで、でもぉ、あの子そんな風に言うのは、ひどいってぇ……!! ○○君、今日自分が捕まっちゃうかもしれないのに、そう言ってて……っ!!」
ありす「……そんなっ、それは違うっ」
少女「その通りだよっ!! ごめん、ごめん……っ!! 許してぇ……!!」
――……
泣き続ける彼女は、ずいぶん自問自答を繰り返していたのでしょう、それからも自分が悪い自分が悪いと泣きながら話しました。
私は私で……それは違うと、私はあなたの言う通り本当に悪かったのだと、慰めているのか論破しようとしているのかわからない勢いで彼女の言葉を否定し続けました。
彼女は悔いていました。
言いたい放題言ったことは、自分の都合だったと。橘さんだけにむやみに厳しく当たったのだと。
でも、後悔なら私だって負けていませんでした。
あなたが言ってくれなければずっと自分の歪みに気づかなかったと。あんな言い方をされていなければずっとこのままだっただろうと。
――そしてすぐに自分の非を探したあなたは、逃げてしまった私よりも立派だと。
そう言いました。
10回ほど、この議論は循環し……同じ話題が繰り返されて。
互いの体力は消耗されていき……
最後の終着点は、お互いの“ごめんなさい”でした。
ありす「……大丈夫?」
少女「…………うん、ごめん……」
ありす「いえ……」
少女「私、ね。○○君のことが好きなの」
ありす「……うん」
少女「……ごめん、だから、あんな風に辛く当たったんだと思う……最低だね……」
ありす「そんな。謝るのは私です……心のどこかで見下していたのは事実です」
少女「でも私も正しくはなかったのです。橘さんに慰められる資格はないのです」
ありす「そんなことはありません。あなたが正しかったからこそこうして……やめよっか、もう」
少女「うん……水掛け論だね……ごめん」
ありす「私も……ごめんなさい。あ……違う、これ、彼に言わないといけない……」
少女「謝っちゃダメだよ。○○君は橘さんは悪くないって言ってるんだから」
ありす「それでも、ケガもしたっていうのなら……あっ!」
ありす「彼はどうしてケガを? それにさっき、捕まっちゃうかも知れないって……一体なにが」
少女「ケガ……捕まる……ぅぅうっ、そう、そうなの……っ!!」
ようやく泣きやんだのに。彼女は、再び悲痛に顔を歪めました。
少女「○○君……っ! 橘さんが帰った後だと思うんだけど、学校を飛び出していっちゃって」
少女「私、後を探して、追ったの……! すっごく、こわい顔してたから……!」
少女「すごい勢いで走っていったから、すぐに見失っちゃったけど、絶対にほっとけないって思って……私、ずっと探して、探して……!」
少女「それで大分経って――地べたに座り込んで、泣いてる○○君を見つけたの」
少女「すり傷あって、顔も叩かれたみたいに赤くて。そんなだったから私話しかけられなくて…………でも格好見て、頭はカーッてなっちゃって」
ありす「私に電話したんですね。その時だったんですか」
少女「うん……! そうやって橘さんを責める前に、駆け寄ればよかったのに……!」
ありす「……その話は置いておこう? それでどうして、そんなケガをしてたのかな……?」
少女「ケンカ、したらしいの」
ありす「け、ケンカ!? 誰と!?」
少女「私、泣いてる○○君を支えていっしょに帰ったんだけど……そこで、大人の人に声かけられたの」
少女「その人、うちの所属アイドルとケンカしたというのはあなたですかって、またお話をしにうかがいますって――そう言って名刺を○○君に渡していったの!」
ありす「……え」
少女「なにかの冗談か、間違いだと思ったんだけど――――、さっき、○○君に連絡とったら、なんか本当にアイドル事務所の人たちが来るみたいで……っ!!」
ありす「アイドル……!?」
少女「そうなの、だから、私様子を見に○○君の家に行こうとしてたの……っ!」
少女「なにがあったんだろう。捕まっちゃうのかなっ、相手ケガさせてたらそういうこともあるんでしょうっ!? 誰とケンカになったんだろ、橘さんは違うし……!!」
ありす(“橘さん”は違う……?)
ありす「あっ」
――――“橘”?
……整理して考えよう。
昨日学校の前で私はプロデューサー以外に誰に会った?
昨日の並木道で、クラスメイトの二人を目撃した私は、その後誰に会った?
昨日、遅い時間に事務所に帰ってきて、ケンカをした様な傷を作っていたのは誰?
今日色々、ややこしいことがあると言っていたのは誰?
今日、プロデューサーさんと元弁護士である天道輝さんと話していたのは?
ありす「まさか志狼くん……!?」
そう。どうして昨日、私は志狼くんをあの男子と重ね合わせてしまったの?
要因はゲシュタルト。
全体像が近かったから。
ケンカの後の様な、雑然とした雰囲気が……同じように見えたから――――
――
――――
――――――
少年「橘……」
少年は思い返す。
昨日の自分と、橘ありすと、橘志狼のことを。
誰もいなくなった教室。
貸したボールペンとともに渡されるはずだったチョコは……その手には無かった。
いつも相談に乗ってくれるあの女子から義理だからねと渡されたものが一つ、あるだけ。
橘はアイドルだから、渡せないんだ。
アイドルなんかやってるから、かっこいいヤツをいっぱい知ってるんだろう……と、そう思った。
だからこそ、窓から見た、橘が門の前で話していた相手が気になった。
そいつは橘の前でチョコを食べてるみたいだった。
――あんなヤツに渡したのか?
そう思うと、頭がカッと熱くなって、俺はそいつを追いかけていた。
そいつはいきなり走りだして。ぐるりと学校の周りを走って裏門のところまで行ったみたいだった。
俺はヤツを追いかけた。
どんなヤツなんだあいつは。
どこかで見たことがあった。
テレビだ……、あの顔は、そう、橘も出てたクイズ番組で――
志狼「ありすと会っちまってよー。え、どうなったかって。ま、いつも通りな感じだよ」
そいつは電話を受けた。
少年「あいつ……!!」
ありすと、橘をそう呼びやがった。
志狼「え? ヘンな事なんて言ってねーよっ! ……う、そりゃ、ありすイラついてたけどよ。そんなのいつものことだろ?」
志狼「はぁ? 謝る? お詫びするまでもねーよっ……あー、あー、あのこと言われると弱いな」
志狼「わかったわかった。でもさオレも前チケットくれたお礼に、今度はオレらライブに招待してやるぜっていったんだぜ? アイツ断りやがったけどよ」
志狼「一回生で見てみりゃ、ありすのヤツ、オレのコト、ぜってー見直すって思うんだけどなー! ははっ!」
いつも通り。いつものこと。
ライブに招待。
『ありす』呼び――
芸能界でアイドルをしている彼氏と彼女。……そんな風にしか聞こえなかった。
志狼「んじゃな、なお」
電話を切ったそのタイミングで、俺は思いっきりそいつを押した。
志狼「うがっ!? いって……! なんだぁ!?」
少年「……なんで! おまえがぁ! おまえなんかがぁ!!」
志狼「なんだオマエっ! いってーだろーがっ!!」
少年「橘……っ!!」
志狼「おうっ! オレは橘志狼だこのやろう! いきなり押してきてなんなんだよ!」
少年「……こんなヤツに……っ! こんなバカに……!! オレじゃなんでダメなんだよ……このやろう……! お前なんかに食わせるか!! それよこせっ!」
志狼「ああっ、チョコ狙いか!? 盗賊かよおまえーっ!? 渡してたまるかっ!!」
少年「この野郎――!!」
志狼「痛てッ!! ……オマエ、やる気か!? アイドルだからって逃げると思ったら大間違いだぞこのやろーっ!!」
少年「なんで……っ! なんで……っ!! コイツだけ特別なんだよ」
志狼「はぁ!? なに言ってんだっ! チョコはわたさねーかんなっ!!」
少年「うるさい、このやろうっー!!!」
志狼「がふっ!? にゃろ、なっめんなっ!!」
少年「ぐっ!?」
そうして俺たちは取っ組み合いのケンカになった。
すいません、後投下するだけなんですが急用が入ったので中断します
申し訳ありませんがもう少しお待ちを
――……
志狼「なんだぁ!? オレのチョコがうらやましーのかよっ!?」
少年「うるさいっ! それだけじゃねえよ!」
志狼「でもオレに怒ってもしょーがねーだろーが! 貰えなかったからっておまえ、それはばかみてーだぞ!」
少年「ばかだと……っ!!」
志狼「貰いたいんなら、貰えるような自分になれよっ!! そうしなきゃいけねーだろっ! こんなんオレだってわかるぞ!!!」
少年「俺は……ずっとやってきたんだよっ!! ずっと、ずっとだ!!」
志狼「あぁ? お前、なに泣いて」
少年「ぐっ!! うるさいっ!! うるさいうるさいっ!」
志狼「……おまえ、あれか? がんばったけどダメだったとか……そう言いたいのか?」
少年「うるせーって言ってるだろーがぁぁっ!!! だったらどうしたぁ!!」
――
――――
ありす「志狼くんがケンカの相手……そんな……」
少女「大丈夫、かな……慰謝料とか請求されたりしないかな」
ありす「まさか。志狼くんそこまで重いケガなんてしてないし……大事にはならないはず」
少女「……橘さん、もし、もし、○○君が捕まりそうになったら、その志狼くんを説得してくれる?」
ありす「え……っ、そんな話じゃ……」
少女「……!!」
ありす「……うん、そうなったら、志狼くんと事務所を論破する……」
少女「あ、ありがとうっ!」
ありす「は、はい」
少女「……」
少女「…………だめだね、今私すっごく情けない……」
ありす「えっ?」
少女「……ごめんね、橘さん。ごめんなさい……」
ありす「ま、またっ、もう謝らないで下さい……私だって……本当に昨日は……」
少女「違うの。違うの……その話じゃないの」
少女「……私ね、ノートを写してる橘さんから、ボールペンを取ったの」
ありす「ボールペン? あ……!」
少女「今持ってる……」スッ
ありす「……無くなったと、思ってたのに……」
少女「返すね」
ありす「どうして……どうして取ったの」
少女「そうすれば、日直の日誌書く時、“誰か”からペンを借りなきゃいけなくなるでしょ……?」
ありす「あ……そういう……こと。そこまで……」
少女「うん…………でも、この事○○君は知らないからね。私が、勝手にやったこと……だから」
ありす「……」
少女「私、なにやってるんだろうね。……頭悪いよ」
ありす「そんな。ペン取ったのは悪いことだとは思うけど……私怒ってないよ。むしろ、すごいって思う」
少女「すごい? 私が?」
ありす「ええ。まっすぐだから」
少女「まっすぐ……? どこがよ?」
ありす「気持ちが、だよ。その行動力をもっと自分のために使ってください」
少女「……っ! じ、自分のために、使ったよ。ありすちゃんを踏み台にしてさ……」
ありす「私のことはもういいの。因果応報だと思ってるから……。だからもう、素直になってください」
少女「素直って……」
ありす「アドバイザーという今の関係に満足してないなら、背伸び、しなきゃ。……それは、きっと私の背伸びよりずっと正しいから」
少女「橘さん……。…………うん、わかった。ペン取ったのに、あんなこと言ったのに……ありがとう」
ありす「そんな。友達でしょう?」
少女「友達?」
ありす「ノートとってくれたりするじゃないですか。お返しです」
少女「……うん」
少女「いつでも頼んでくれていいよ。私、ノートなんかいくらでも代わりにとるし、写させるから……」
ありす「ありがとうございます」
ありす(あぁ……私たち、友達のままでいられたんだ)
少女「じゃ、……じゃあ、行かなきゃ」
ありす「はい、行きましょう」
少女「なんでケンカになったのか、詳しいことは分からないけど……どんな風になってるか、知っときたい」
ありす「……はい」
少女「大丈夫だよね。志狼くんっていう子、そんな乱暴じゃないんでしょ?」
ありす「え、あー……んー……乱暴……では、無いとは……言えるかも……しれない」
少女「どうして、そんなに言い淀むの……? もしかして悪い子なの?」
ありす「悪い人ではないです」
少女「そこは即答なんだ……」
ありす(あれ? どうしてこんなすぐに否定できたの。いつも……ケンカになるのに)
でも悪ではないと、そう言えました。
悪になれるほど複雑ではないというか……
そうです。志狼くんは悪じゃなくて――橘志狼なのです。
――
――――
男子宅前
少年「アッハッハ!! じゃあな志狼! オレ応援してやるからさ、トップアイドルになれよな!」
志狼「あたりまえだろーっ!! つーか、がんばらなくちゃいけねーのは、おまえの方もだろ!」
少年「あーそうだな……ま、俺は大丈夫だからよっ!」
志狼「そうか? んじゃ、またな! オレのカツヤクみてろよなーっ!!」
少女「え……!? なにあれ」
ありす「わ、笑い合ってる……?」
驚愕しました。
彼の家まで状況を確かめに来た私たちが目撃したのは、そんな意気投合した様子の二人でした。
まわりには大人の人が三人。
彼の母親が、315のプロデューサーと思しき人に頭を下げていて、それを天道さんがとりなしています。
天道輝
http://i.imgur.com/IUdUOeF.jpg
輝「いやー、いいっすいいっす。子供同士で決着つけられたんなら、大人が出る幕なんてないんで」
志狼「だから、なんでもないっつったじゃんか!」
輝「だから、なんでもない、なんでもないって事情を全然喋らなかったせいで俺たちが事実確認するはめになったんじゃねえか」
エムP「そうだよ。こういうことがあると事務所としては気をつけて動かなきゃいけないんだから。これからは教えるんだよ」
志狼「だって……なんでもなかったんだもんよ……!」
少年「……志狼、お前、黙っててくれたのか……」
母親「本当にすいませんでした。名刺見てもう私、びっくりしちゃって。訴えられるのかと……この子何にも言わないし」
少年「ただ、ちょろっとケンカしただけだったからだよ……」
志狼「なー! オトコじゃ、にちじょーチャレンジってやつだよな」
輝「日常茶飯事な。ま、問題にならずに済んで良かった。こっちの事務員ももうちょっと事情を確かめてから名刺渡すべきでしたね」
ありす「ケンカは……したって」
少女「でも仲直りもしてるんだっ! やった……! やった!」
ありす「なにがあったの? 昨日、あんなに泣いてたのに」
少女「わかんない。わかんないけど……なんか、もう、大丈夫みたい」
ありす(志狼くん、あなたがなにかをしたんですか?)
昨日の時間軸を整理します。
彼は私が帰ったあたりの時間に、学校を飛び出していったと聞きました。
状況から判断すると、私と話していた志狼くんを見て、その後を追ったのでしょう。
ならば、志狼くんは私と別れてからそんなに時間が経ってない時に、それこそ岡村直央さんからの電話を受けたすぐ後にでも彼とケンカになったのではないでしょうか。
そんな唐突にケンカになって……なにをもってあの男子二人は今のような仲になったのでしょうか
ありす「男の子って……わからない」
――
――――
少年(志狼。お前は強いなぁ)
少年(俺は……橘が好きでも、本気で努力してたワケじゃなかったんだ……)
少年(『こんだけしたら、好きになってくれるだろう』って……そんな、クジでも引くみたいに考えてた)
少年(誰かの特別になりたかった。それが……橘だったらいいと思った。キツいとこあるけど、顔はいいし、頭はいいし……アイドルまでやり始めてたから)
少年(景品じゃねーのに)
昨日の、ケンカの記憶がよみがえる。
志狼「――誰かの特別になりたかったらなぁ!! 特別になるまでがんばるしかねーんだよっ!!」
少年「なにを……っ!! オレだって色んなことやったんだよ! でも意味なくて……」
志狼「それがどーした!?」
少年「はぁ!?」
志狼「大勢の内の一人にしか見てもらえないのが怖いんなら……っ! ちょっとずつでも! 意味ない感じしてもっ! 振り向いてもらえるようにがんばるしかねーだろっ!!」
少年「……はぁ!?」
志狼「だってしょーがねーだろ! オレもお前も、主役だって決まってるわけじゃねーんだからよ!! そこらへんの一人なんだから!」
少年「そこらへんの……ひとり……だ?」
志狼「チョコ貰いたいヤツがいたんだろ? ……でも、そいつだって、必死に他のヤツを追っかけてる最中かもしれねーだろ……」
志狼「なら、もう、競走じゃん……」
少年「競走!? その他の奴とか!? なら、おまえ――」
志狼「ちげーよっ! バカッ!! 他の奴を追いかけてるそいつと同じぐらい、自分は強くなくちゃいけねーってことだ!!」
少年「つよ……はぁ!? わかんねーよバカかお前っ!」
志狼「おまっ! バカ言うなバカッ!! あれだっ、よーするに! モクヒョーに向かってがんばってるヤツに認められてーんならっ!! こっちも同じステージ立ってなきゃいけねーってコト!!」
少年「なにぃ……!?」
志狼「なぁ、おまえさ、よくわかんねーけど、振り向いてもらいたいヤツと同じくらい、ドリョクしたのか? レベル足りてんのかよ?」
少年「あ、あぁ……!? レベルなんてっ! どう合わせりゃいーんだよ!! 無理言うな!」
志狼「ムリだぁ!?」
少年「全然違うんだよ! よく考えりゃ、見てもらえるはずねーんだよ!!」
志狼「バッカやろ……!!! そーだよっ、だから必死で見てもらえるように特訓すんだよ!!」
少年「特訓? そんでゼッタイ見てもらえるようになんのかよ!?」
志狼「んなのわかんねーよっ!! でも、そうしなきゃ……いつまでたっても…………怖いままだろーが……」
志狼「自分を受け止めてくれる誰か…………っ…………いたら、いいなって…………っ思うんならっ!!」
志狼「へこたれるんじゃねーよ!! やってきたことがあるなら続けろよ!! よくわかんねーけど!! よくわかんだ、オレ、こーいうのは!!」
少年「……ぐ」
志狼「オレだって、オレだって……!! こえー時もあるけどっ! そうやってきてんだよっ!! お前はどーなんだおいっ!!」
少年「……ぐ、く……ぅ……っ!!」
――――
――
少年(あー……あれで心にズガーってきて、俺泣いたんだよな)
少年(で、志狼のヤツ……その後、泣いたオレをなぐさめやがったんだ)
志狼『泣くなよ……っ! オレだって辛くなるだろーが、くそ……ぉ!』
志狼『あれだっ! おまえもなんかのトップ目指せよ! トップはゼッタイ特別なんだからよ――』
少年(……特別になりたいっていうのは、あれ、志狼の気持ちなのかな)
少年(なんか、力入った意見だったし……)
少年「それで結局、あの後ずっと話をして……打ち解けて……恥ずかしいことも喋ったから二人の秘密にしようぜってなって……」
少年(で、別れた後、座って自分のこととか橘のこと考えてたら……またわけわかんないほど、涙が出てきて……)
少年「……今日、こんな風になった」
少年「橘のことを悪く言ったあいつに、怒っちまったし……あれ、言いすぎたかな。協力してくれてたのに……」
あれも志狼のせいだろう。あんな言葉を聞いたから――がんばってるヤツをひどく言うのは最低だと思ったんだ。
少年「志狼か。……ヘンなヤツ。アイドルっていうのはあんなのがいっぱいいるのか?」
少年「でも…………志狼みたいなヤツなら橘とやりあえるんだろうな。同じステージ、か……」
少年(橘……)
少年「――――大丈夫、もう、涙出ない」
少年(ふっ切ったんだ…………)
――――…………
少女「ああっ! メール来た! ○○君からっ」
ありす「彼からっ? どんなメールが?」
少女「え……あっ」
ありす「どうかした……?」
少女「あの、橘さん」
ありす「はい?」
少女「やっぱり、橘さんは謝りに行かなくていいよ……」
ありす「え、なぜ……」
少女「【橘のことはもういい。ふっ切ったから】って……」
ありす「ふっ切った?」
少女「うん。そうみたい……多分、強がりじゃないと思う」
ありす「でも……けじめが。そう、彼の善意に気づかなかったことへの謝罪をしなくちゃ」
少女「ううん。それも……いいよ……もう」
ありす「だけど! それじゃあ、私何も決着をつけられない……私が関係無いまま……終わっちゃう」
少女「そうだね……それだよ――関係なかったのかも」
ありす「なに言ってるのそんなわけないっ。私が原因になってるのに」
少女「橘さん。でもこういうことって多いんじゃないかな。原因になってても、その結果がなにも知らない内に終わっちゃうっていうの」
ありす「……どういうこと」
少女「私の勝手で橘さんを巻き込んだってこと。うん、そうなんだよ」
よく分からない理屈でした。
この件において、橘ありすは中心と言ってもいい位置にいるはずです。
それが関係ないはずがありません。
……でも。
少女「ね?」
私の目を見据える彼女の目は、有無を言わせない真剣さを帯びていて。
ありす「はい……」
と、私にそう答えさせたのでした。
その瞳の光の出所は、そっとしておいてあげてほしいという彼女の意思……だったのでしょうか。
ここに来て私は役から下ろされたようです。
しかし、それでも……友達にしてあげたいことはあるのでした。
ありす「――わかりました。私はもう、出ていかない方が良いみたいです。彼の方でなかったことになっているみたいですし」
少女「はい……。ごめんなさい。振り回してしまいました」
ありす「いいんです。その代わり、お願いが。――このペンを返してあげてくれませんか?」
少女「え、ペン?」
ありす「はい。日誌を書く時に借りたのです。……それで伝えてほしいです。『橘ありすは、とても感謝していた』と」
少女「感謝……。そっか――うんっ! わかった」
私は借りた赤ボールペンを彼女に手渡しました。
さっきとは逆です。私が、彼女にペンを渡す。
言葉に出さないだけで。これは後押しだと、お互い了解していました。
ありす「お願いします」
少女「任せて。……今から行ってくるから」
ありす「はい」
ありす「……あの、私。ずっと見てくれた人には感謝をするんです。でも今回は、気付かなくて……説得力がないかもしれませんが」
少女「ん?」
ありす「あなただって感謝されていると思いますだから……背伸び、ですよっ」
少女「も、もう! 橘さんっ! そんな風に念を押さないでよ! 恥ずかしくなってくるじゃないっ!」
ありす「あ、すいません……じゃあ、また学校で」
少女「うん。また、学校で」
彼女の姿を見送ります。
ありす(がんばって……)
その後ろ姿を見て、私は不意に諒解しました。
この話は彼女と彼のものだったのだと。
一人になった私の頬を、冷たい風が一筋撫でていきます。
胸のざわつきが、孤独に煽られてぞわりと一際激しくなりました。
――――それは、ぶつけられなかった靄。
清算できなかった濁りでした。
感謝も、謝絶もとうとう自分で行うことができず。
私の胸の奥にたまったものは、消化も昇華もされずに、宙ぶらりんになっていました。
ありす(私は……このままでいいの?)
――
――――
315プロ事務所
周子「…………!」
晴「す、すげぇ……なんだこれ…………」
キリオ「にゃ…………っ…………」
芳乃「なんとー…………」
かのん「ふわぁ~~~魔法みたい」
千枝「こ、これ! すごいです! な、なんていったらいいのかな……!」
文香「『気品高く、ふくよか。奥深く、おとなっぽい。熟しきっている。微妙にこだましている。そんな表現がすべて入っている』――」
千枝「え、文香さん……? そうです。そんな感じがしますっ」
玄武「『それまで食べたチョコレートとこれを比べると、マリリン・モンローとその骸骨ぐらいの違いがある』……そう、ある小説家が書いてたな」
文香「あ……あなたもあの文章に触れたことがあるのですね……」
玄武「世界のことを知りたかった時に読了しといたんだ。しかし、なるほど……世界は広ぇ。こんな味だとは。俺は全然知っちゃいなかったようだな」
文香「はい……本当に想像以上……ここまで神秘的で、幸福に溢れ……儚い味だとは」
幸広「ははっ! よかったじゃないか東雲。こんな顔が見たかったんだろう?」
荘一郎「ええ。あの味に近づけたようです。神谷、アスランさん、ご協力感謝します」
アスラン「アーハッハッハッ!! 黒白の騒乱は今カタストロフを迎え、ガイアの賛歌を奏でん!!」
周子「アイスクリームに溶いたチョコクリームをかけてるん、だよね……? それだけなのになんで、こんな味になるの?」
荘一郎「単なるクーベルチュールではないんですよ」
神谷「ザイールから取り寄せた超一級のカカオ・ビーンズを、炒りたて挽きたてで提供してるからね」
アスラン「我が混沌の魔力と、カミヤの霊素抽出術! そしてソーイチローの幻惑の技により紡がれしこの黒と白の宝玉はまさに現世の檻を消し去る啓示の聖贄!! ハーハッハ!! 震えよ光の民よ!!」
荘一郎「……アスランさんお静かに。他の事務所の方もおられるんです。封印しますよ」
アスラン「……し、静かにシマス」
玄武「なるほど……プロの料理人と菓子職人が苦心して作ったってわけか。単なる菓子じゃあなく至高の一品料理と見た方が適切だな」
千枝「これ、なんて名前のスイーツなんですか?」
荘一郎「『ダーム・ブランシュ』。フランス語で白い貴婦人という意味です」
周子「なるほどねぇ、白い貴婦人ねー。ホワイトデーのお返しにぴったりの名前かもね」
芳乃「口に入れた途端、夢幻の雪のごとくー。なんとも不可思議な、奥深き味でして―」
かのん「ふわぁ~、すっごくおいしい~」
仁奈「フワフワの気持ちになるですよ~……」
晴「ありす早く帰って来ればいいのにな。全部食べちまうぞ、まったく」
芳乃「すべてが、この菓子のようにたやすくかき消えるものではないのでしてー。飲みこみがたきものにー喘いでいるのやもー」
――
――――
彼女が言った言葉が、私の心にまだ蠢いていました。
いくら謝られても、撤回されても。
その言葉は、私が肯定した、私の言葉として残っていました。
私は大人になろうとして。他人を子供っぽいと決めつけていたのです。
自己分析は得意ですが……それはもしかしたら、自分への興味が深いだけなのかもしれません。
他人の行動の真意を分析しようとしたことが、いったい何度あったでしょう。
憧れに追いつくために、早く大人になりたかった。
子供っぽいのは嫌だった。
そんな風に行き急ぐから、見えないものがでてくるのでしょう。
大人になることは、なろうとすることは……それによって零れ落ちるものを知った今では、なにか、恐ろしい様なものだとさえ思えて。
………………いままでの私は、間違っていたのでしょうか。
大人になろうと背伸びするのはやめたほうがいいのでしょうか。
いえ、そもそも。
私はこのトゲが刺さったまま、走り続けることができるの――――
志狼「お前、こんなところで突っ立ってなにしてんだ?」
ありす「わっ!?」
志狼「なんだよ。驚き過ぎだろっ……ってか、ありす、昨日もここらへんに立ってたよな」
ありす「し、志狼くん!? どうしてここに!? 天道さんやプロデューサーさんはどうしたんですかっ」
志狼「二人はドラマチックスターズのレッスンに行くって先に行ったぜ。……って、あれ? なんで二人がいたこと知ってんだ?」
ありす「え、えっと……もふもふえんのお二人に聞いたんです」
志狼「なんでなおとかのんが教えるんだよ」
ありす「心配だったからですよ。あなた昨日何があったか、今日二人と話し合ってたのはなぜかとか、なにも教えなかったそうですね」
志狼「うっ、ベツに教えてもヘンな心配かけるだけだろーと思ったからだって、それは」
志狼「……ま、でも、帰ったら謝っとくか。オレ達はチームだからな!」
ありす「え……謝る?」
ありす「……いいですよね、あなたはカンタンで。うらやましいです」
志狼「なにがカンタンだよっ!? お前オレのこと、バカにしてるだろー!」
ありす「ば、バカになんてしてません! これは本当にうらやましいと思って……!」
志狼「うらやましい? なんだありすー、お前オレに憧れてんのか?」
ありす「あこが……っ! それはないです! 勝手にヘンな勘違いしないでくださいっ!! ほんとにもう」
ありす「…………そんな風だからあなた、誰かとケンカになっても仲良くできるんですか」
志狼「ケンカになっても仲良く? お、おいっ!! オレ別にお前と仲良しじゃねーぞっ!」
ありす「い、いや! これは私とのことを言ったわけじゃないですからっ!」
志狼「なんだよ、驚かせんなよなー……!」
志狼「――あ、そうだ、思い出したっ。ありす、おまえに言いたいことあったんだよ!」
ありす「言いたいこと? あ……っ」
ありす「あなたも…………私を批判するんですか」
志狼「ハァ? ヒハンってなんだ?」
ありす「だから……私を責めるんじゃないんですか」
志狼「なんだそれ? オレが言いたいのはな、おまえより先にぜってービッグになって、そんでもってかっこいいオトナになるから、なめんなよってコトだよ!!!」
ありす「え……」
志狼「ありす昨日、オレのこと子供とか、自分は大人とか言ってたじゃねーか」
ありす(去り際の……)
志狼「ふざけんなよ、オレも、おまえもまだ子供だろ!! 勝手に勝利宣言すんなっむかつくっ!」
ありす「しょ、勝利宣言?」
志狼「そーだ、勝つのはオレだからな!」
ありす「…………えっ」
志狼「先にかっこいーオトナになるのはオレなの! わかった!?」
ありす「な……」
志狼「オレはお前に置いてかれるなんてことはねーからな! いや、むしろぶっちぎって、そんでビッグになって空の上から見下ろしてやるぜー!」
ありす「…………!」
志狼「オレは、おまえなんか待ってやんねーぞ! 負けたくなかったら、死ぬ気で走って追いついてこいよっ!」
ありす「……です」
志狼「ん?」
ありす「こっちのセリフですよ…………ばか。あなたに待てますかなんて聞きません」
志狼「ばっ、ばか!? オマエなっ! それ、こっちのセリフだっての!! 昨日のコト忘れたみたいにカクニンしてきて! お前、キオクリョク問題あるだろ!」
ありす「……はぁ。今回は色々込みいった事情があったんですよ」
志狼「じじょー? どんなワケがあったんだ?」
ありす「言えませんよ……でも、そうですね。もう少し、あなたが大人になったら。それで、その時あなたと私がまだ話をするような関係だったら。その他いろんな条件を満たしたその時なら……教えてあげてもいいかもしれませんね」
志狼「なんだそれ? オトナになったら言うのか?」
ありす「……ふ。あなたが大人になるなんて信じにくいですけれどね」
志狼「バッ! だからオレはオトナになるのっ! 好き嫌いなくメシ食ってだなー! そんでいっぱいダンスしまくってだなー! べ、べんきょーもなおとかに教えてもらってだなー……! オトナになるんだ!」
ありす「そうですか。がんばってください。私はあなたを待ちませんから……すぐに大人になっちゃいます」
志狼「あ、ありす! なにとってんだよっ!」
ありす「…………あはっ」
あ、笑いが。
思えば……こんな風に笑えたのは
ありす「今日初めて……か」
ちょっとだけ、志狼くんがあの男子とケンカになってなお仲良くできた理由が、分かったような気がしました。
正しいケンカができる才能?
ありす(今頃……あの二人話はずんでるかな。盛り上がってると、いいな)
――
――――
荘一郎「……おや? このラッピング、あのお嬢さんが昨日私の教室で作ったチョコでは?」
千枝「あ、やっぱりこれ、ありすちゃんのだって!」
直央「見つかってよかった! ありがとうございました芳乃さん」
芳乃「いえいえー。失せ物探しはーお任せをー」
晴「おおっ! ありすのチョコ見つけたのかよ!」
千枝「うんっ。やっぱり志狼くんに渡された後、事務員さんが回収して、トラックにいってたの」
仁奈「仁奈も探すの手伝ったですよ!」
晴「ん……? でも、なんで見つけてきたんだ?」
芳乃「仕切り直しでしてー」
千枝「ありすちゃん、勢いで渡したって言ってたから……私こういうのはちゃんとした気持ちじゃないとダメだと思って」
晴「え、リテイクさせるために探してきたのかよ?」
千枝「うん。きっと昨日のこと、少しでも取り返したいと思うから……」
晴「ふーん、そんなもんか。……でも、ありす改めて志狼にチョコ渡すかぁ?」
かのん「それは、おたのしみだよ~。でもしろうくん甘いの好きだから、勝手に取っていくかも!」
晴「ははっ! ありそーだなそれ! ……オレも板チョコ探してもらうかな」
周子「楽しそーだね。よし、ありすちゃんにメールしたげよ。早く戻っておいでー」
――
――――
志狼「なんで笑ってんだーっ!? くっそー、ヨユウの笑み浮かべやがってー!」
ありす「そうだ、チョコのお返しは別に良いですよ?」
志狼「あん?」
ありす「事務所に保管されて見つけるのも困難でしょうしね。もし見つけて、食べたなら、お返しを受けてあげてもいいですけど」
志狼「なに~!?」
ありす「でも食べてないんですよね」
志狼「食べてねーけど、お返ししなきゃいけねーなら食べないでよかったっての!」
ありす「そっか……でももったいないことをしましたね、あなた。私のストロベリーガナッシュはパティシエに褒められるほどの絶品だったのに」
志狼「ゼッピン!? そ、そうだったのか!? くっそー食ってりゃよかったか……いや! これはありすのワナだ! ひっかかんな!」
ありす「未練はっきり残ってるじゃないですか」
――♪
ありす「あ、周子さんから連絡が……わっ、東雲さんがスイーツを振舞ってくれるそうです」
志狼「えっ!? なんでありすに!?」
ありす「私だけじゃありませんよ。晴さんに、千枝さんに、仁奈さんに、もふもふえんのお二人ももう食べてるみたいですね」
志狼「えーっ!! なおとかのんも!? どうなってんだよっ!? オレだけ仲間はずれかよー!?」
橘志狼
http://i.imgur.com/nXSdbVt.jpg
ありす「あははっ……しょうがないですね。ついてきてもいいですよ? どうしますか」
志狼「あったり前だー! オレだって食いてーぞ、そのスイーツっての!」
ありす「そうですか。――じゃあ、行きますかっ」タタッ
志狼「おいっ!? 走んのっ?」
ありす「ええ、走ります。ほら……ついてくるんでしょう?」
志狼「なめんなよっ! 走るのは望むトコロだっ!」
並木道を駆けだします。
明日になれば、こんなはしゃぎようを後悔するのかもしれません。
志狼くんに心なごまされるなんて不覚だと…… 一生の不覚だと、そんな嫌な思い出としてファイルするのかもしれません。
でも、今感じている気持ちは……この、15日の私のものでした。
どうしようもありません。後悔は、後で悔いるから後悔というのです。
ええ、だからしょうがないのです。
今、こんな風に二人で走っても。
ありす「ふふっ……脱落したくなかったら死ぬ気で走って追いついてきてくださいっ」
志狼「おまっ、ありす! だからそれオレのセリフだろー! パクんなー!」
完!
完結です。いつもよりは読み難い話になってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。
クロス系の過去作置いときます
橘志狼「よーしっ公園で自主練だ!」橘ありす「私たちが使う予定なんですけど」
橘志狼「顔面セーフっ!!」橘ありす「アイドル的にはアウトですよ」
橘志狼「ありすっライブのチケットくれ!」橘ありす「なんの冗談ですか」
橘志狼「早押しは得意だぜっ!」橘ありす「正解しないと意味ないですよ」
櫻井桃華「あら、あなた忘れ物をしておりますわよ?」 都築圭「ごめん、静かにして」
塩見周子「誕生日に」東雲荘一郎「想を練る」
SideMも徐々に盛り上がってきて嬉しい限り。ST@RTING LINEすごくいい曲!
書くの忘れてたwwww
榊夏来「……猫?」佐城雪美「うん……ねこ」
も書いてます
見てくれてる人がいるのはうれしいですね。ありがとう
ホワイトデーはいつか書くかもしれません…が、時期逃しちゃいますね。でも、これからの話の中で言及するかも
未定です
聞かれたので、過去作をあげておきます
765
春香「竜とロマンとアイドルと」(竜✝恋とのクロス)
春香「千早ちゃんが妖刀に憑かれた」(安価)
春香「伊織が学校のミスコンで負けた」(安価)
ジュピター
北斗「趣味はヴァイオリンとピアノかな☆」
エムマス
若里春名「うわあああっ、今日のロケ弁ステーキ入ってるぅぅっ!!」
牙崎漣「寺で修行ってなんだコラ」
モバマス
芳乃「おやーこれは封印しなければなりませんねー」こずえ「えぇ~」
芳乃「むー…そなたは天照様でしてー?」紗枝「うちですか?」
DS
愛「『秋月涼』対『水谷絵理』」
実は意外と皆さんの反応にびっくりしてます。アイマスでこういうのはあまり受け入れられないのではないかと思っていたので
とてもうれしいです。
次は誰と誰の話にしようか…
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