撫子「世界で一番可愛い花」 (54)

満開の花畑の中。

夕焼けで赤くなり始めた空は、笑顔のその子を明るく暖かく照らしていた。

舞い散る花びらの中、私たちは手を重ね合わせる。


「あなた、とってもかわいいわ」

「きみのほうが」

「ねえ、しってる? かわいいこには、キスをするものなのよ」

「そうなの?」

「そう……めをとじて」


意味もわからぬままに、勢いで押されるがままに、

私は、唇を……


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――
――――
――――――


「…………ぁ……」


綺麗すぎるその光景は、どうせ夢なのだろう……その感情が芽生えてすぐに、意識は一気に現実に引き戻され、私は目を覚ました。

身体は少し汗ばんでいる。抱きかかえてくしゃくしゃになった暑苦しい毛布から身を離し、深呼吸をする。

外はまだ薄暗い。手探りで枕元の携帯をとり、その眩しい光を直視しないように薄目で時刻を確認する。

午前4時15分。まだ寝ていていい時間だった。

目を閉じて携帯を置き、毛布に足だけ突っ込んで体勢を変える。


私は、もう一度、夢の中にいきたかった。

あの綺麗すぎる甘い夢は、今日初めて見たものではない。過去にも何度か見たことがある。

そして、それは単なる作り上げられた夢ではないこともわかっていた。あの夢は、確かに遠い過去に起こった事実を元にしたものなのだ。


何歳だったのかも覚えてない。どこでの出来事だったかも覚えてない。

けれど、あの満開の花畑の中で交わしたキス。

あれが私、大室撫子のファーストキスだったのだ。



「それじゃ、行ってくるね」

「ねーちゃんどこいくの?」

「友達と待ち合わせてるんだ。遅くならないうちには戻るから」

「ふーん、いってらっしゃーい」


妹たちに留守を任せ、私は家を出た。

待ち合わせは10時。早すぎるわけでもないが、ちょうどいい頃合いに到着できるだろう。

先日買った秋物の服を今日初めて着た。夏が終わり、過ごしやすい気温になったところに着る新しい服の気持ちよさは、少しだけ私の顔を綻ばせる。


「あら、撫子ちゃんおはよう」

「あっ、おはようございます」


通り過ぎる横目に見ていた集団のうちの一人が振り向き、こちらに気づく。近所に住んでいるおばさんだった。


「何してるんですか?」

「ああ、これ今、お花を植える準備をしてるのよ。緑化運動でね、この道の花壇一帯に新しくお花を……今日私ボランティアなの」

「なるほど……」

「あっ、ちょっと待って!? これ今から植えるお花、ナデシコの花なのよ!」

「えっ」

「ちょっと皆聴いて~! これナデシコ今から植えるってとこに来てくれたわよ、撫子ちゃんが!」

「ああ大室さんとこのかい!」

「へえ、撫子ちゃんって名前なのかい?」

「ああ、まぁ……」


おばさんが周囲の軍団に話を振る。一度捕まったらしばらくは離してくれないおしゃべり集団だ。

「すいません、ちょっと急いでて」とぎこちなく切り抜け、私は小走りで逃げ出す。

名前のことでいじられるのは、やはりどこか気恥ずかしいものだ。なんて返していいかもわからないし、自分が取るべき最善行動もわからない。

もう少しコミュニケーションが上手だったら上手く返せたのだろうか。しかし、考えても考えてもベストな返答はでてこなかった。

「ふぅ…………」


小走りのペースを落として、また自然に歩き出す。息が切れてたり、さっきの気恥ずかしさで赤面が残っていたら嫌だなと思いながら、大きく息をついた。


「…………」


ナデシコの花は、やはり名前の関係上よく見る機会がある。うちの親も好きで、庭に咲かせていたことも過去にあった。確か、ちょうど今が見頃だったはずだ。


そしてその花を久しぶりに見て思い出したのは、今朝の夢のことであった。


(また、あの夢を見た……)


遠い過去の記憶。私のファーストキス。

我ながらなんと女々しいことか。意識の底で、もう一人の私が「忘れてはいけない」とでも言うように、あの夢を時々見せてくる。

あの相手は誰だったのだろう。今でも知っている人なのだろうか。ぱっと思いあたる節にその候補はいなかった。

幼稚園か……小学校低学年の頃だったと思う。だとすればその時の同級生か?

ひとつだけ確かなのは、その相手はとてつもなく可愛かったということだけだ。


(昔から、可愛い子に目が無かったのかな、私は……)


見境ないというわけではないが、少しだけ自己嫌悪に陥りながらも、静かに笑い飛ばした。どうせ昔の出来事、幼い頃の無垢な過ちである。

夕焼けと、カラフルな花々が咲き誇る中で交わしたキス。相手側からやってきたとはいえ、女の子が好きになってしまったのはあのキスが原因な気もしないではない。

誰が相手だったかくらい、思い出してあげたいものだが……


(きっと今は、物凄い美人になってるだろうな)


思い出せないものは、いくら考えたって思い出せない。

今でも夢に見れるだけ、ありがたいことだ。前向きに考え、私は薄れゆく記憶の中の女の子にお礼をいった。


綺麗な思い出を、ありがとう。



「あれっ、誰も来てない……」

若干遅れちゃったかなと思いつつも、どうやら一番乗りは私だったらしい。

背中を壁にあずけて、携帯で時刻を確認した。9時50分。なんだかんだで几帳面な三人だし、誰かしら先に来ているとは思ったのだが……

ポケットに携帯を戻そうとした瞬間、着信があった。連絡先の表示には「三輪 藍」と出ている。


「もしもし、藍?」

「あっ、撫子? もうみんなそっちにいるの?」


電話口から聞こえる一声だけで、藍が焦っているような印象を受けた。寝坊でもしたのだろうか……と一瞬思ったが、めぐみならまだしも藍にその可能性は低い。


「大丈夫、まだ誰も来てないよ」

「そ、そう? あのね、ちょっと急なんだけど……」


「私、お通夜が入っちゃったの」

「……えっ?」

「急でごめんね、今朝のことみたいで……そんなに遠くない親戚の方なのよ。私も今日の準備してたらいきなり知らされて……」

「ほ、ほんとに? じゃあ藍今日はだめか……」

「ごめんね、本当にごめん! また後でお詫びするから……」

「いいよいいよ。藍のせいじゃないでしょ。みんなも納得するって」

「あぁ……ごめんねほんと。せっかく今日のための服買ったのに……これ脱いで喪服着なきゃなんて」

「仕方ないって。また近いうちに遊ぶ計画立てようよ。みんなで考えておくからさ」

「ありがとう。美穂たちによろしくね? 2人に連絡する時間がちょっと無くて……メールでもあれだし」

「大丈夫大丈夫。私が伝えとく」

「本当に? ごめんね撫子……」


何度も詫びる友人を宥めて、電話を切ってあげた。急な事態なら仕方ない。誰も悪くないよと。

そうなると三人か……いつも藍がいるから、あの二人の暴走を止めるのは私しかいなくなるなぁと思っていると、よりかかる柱の後ろの方から大きな声が聞こえた。


「それはめぐみが悪いんじゃないの!」


聞き覚えのある声と聞き覚えのある名前に驚いて向かうと、四角い柱のちょうど反対側に美穂が立って電話をしていた。


「なんだ、美穂ここにいたの」

「あっ、撫子……! ほらめぐみ、撫子来たわよ」

『えーっ!? ちょ、やだ怖い!』

「怖いじゃないわよ! ちゃんと自分で説明し……あ、こら!」


訝しげな顔で携帯を睨む美穂。


「ど、どしたの……? 今の電話、めぐみ?」

「聞いてよ撫子~! めぐみ今日来れないんだって」

「えっ! なんで!?」

「バイト明日だと思ってたら、今日だったって……この前シフト代わってもらったりしたからどうすることもできないし、今日行けなくなっちゃったーって」

「えー……それはめぐみが悪いね」

「本当よねえ。しかも撫子に怒られるのが怖いからって私に電話して来たのよ? 代わろうとしたら切っちゃうし」

「どんだけ私怖がられてんの……そんな引っ叩くほど怒らないんだしさ、ちゃんと事情言えば許すのに」

「めぐみが今日の映画見たいって言い出したのに~……まあ、こうなっちゃったものは仕方ないわね! 三人で思う存分楽しんで、後でめぐみに自慢しまくりましょ♪」

「あ、それなんだけど……」

「?」


「藍も今日来れないみたい。なんか急な法事が入っちゃって……」

「えっ! 藍が!?」

「さっき電話来たんだよ。近い親戚の人が亡くなっちゃったとかで……」

「えー……それはもうどうしようもないわね」

「いっぱい謝られたよ。大丈夫だって言っといたけど」

「藍は偉いわねぇ……どこかのめぐみちゃんとは大違いだわ」


美穂は大きなフリルのついたワンピースを揺らして携帯をしまうと、はっとなった顔で私に迫った。


「……ってことは、今日は私たち二人!?」

「まあ、そうなるね」

美穂と二人きりで何かをすることは珍しかった。大抵周りに誰かしらがいるのだ。

たまたま行った出先で美穂と出くわすことなどはよくあるが……意識して二人で何かをしたことは、あまりない。


そして、美穂はいつも、私と二人になると少し人が変わる。


「じゃあ……映画はやめた方がいいわね。私たちだけ見ちゃっても、あとの二人が可哀想だもの」

「うん。映画はまた今度にしよう」


「撫子、何かしたいことある?」

「…………」


私と二人になると、美穂はとても優しくなる。

別に普段が優しくないわけではないのだが、明らかに……落ち着いた子になる。こんな感じだったっけと気づいたのは最近だが、悪いことをしているわけでもなし、まだ誰にも言っていない。


私は過去に、自分なりの答えを出した。

美穂は、環境に応じて自分を変える子なのだ。


みんなで一緒にいるときには、明るく楽しいムードメーカーになる。もっと大人数になれば、みんなを楽しませようと美穂は張り切る。

その一方で、ちゃんとするときはちゃんとする。家柄が良いのか、美穂は実は物凄い礼儀正しい。年上の人には敬意を払い、子供相手にはとても優しく応対する。老若男女隔てなく、ここまで応対の上手な子を私は見たことがない。

足りないものを埋めるように、時には邪魔にならないように、美穂は自分を切り替える。

ただ、私の前でこの性格になる意味だけは、未だにわかっていなかった。

私に迷惑がかからないようにしているのか?

「……撫子?」

「えっ、ああ、何?」

「もう、だから撫子のやりたいことを聞いてるの。今日はどうせ二人なんだし」

「…………」


「……美穂は? 何かやりたいこととか、行きたいところとかないの?」

「えっ、私?」

「そうだよ。美穂って……あんまり自分を出さないじゃん。何がしたいとか、無いわけじゃないでしょ?」

「え……」


「今日は私、美穂に付き合うよ」

美穂は自分を変えて、他人に尽くす子だ。

だとしたら、 “本当の美穂” とは一体どれなのだろう?

隠している本当の自分……美穂自身の欲求を出してあげたいと思った。


「…………今日は……いえ、ちょうど……」


少しうつむいて美穂は考えている。頭にのっている薔薇の髪飾りは、今日はいつもより開いている気がした。


「どこでもいいよ。何でも付き合う」

「……うん、わかった」


「私、ずっと行きたいところがあったの。ついてきて!」



「あっ、撫子急いで! もうバス来てるわ」

「え、バス乗るの?」

「大丈夫よ。そこまで遠くへは行かないから」


乗客の疎らな市営バス。さっとパスモをタッチすると、美穂は一番後ろの席を選んだ。


「久しぶりだなあ、バス乗るのって」

「便利よねえ、今はカード一枚タッチするだけで乗り降りできるもの」

「これどこ行き? 美穂が行きたいところってどこ?」

「ふふ、着いてからのお楽しみよ♪」


全く想像がつかない。県外まで出ることはないと思うが、それにしてもわからない。いたずらっぽいその笑顔から、意図を察することもできなかった。

すぐに扉は締まり、バスはゆっくりと出発する。

隣の美穂は少しうつむきながら、いつになく大人しくしていた。その表情は髪に隠れて、真横からではわからない。考え事をしているのか、はたまた寝ているのか。

話しかけようにも、どこにいくかの質問にはどうせ答えてもらえないし、私は何の言葉も出てこなかった。

そうして暖かいバスに揺られながら一人で考えを巡らせていると……気づかないうちに私は寝てしまっていた。


優しく揺り起こされた時には、そこはもう目的地だった。


「こ、ここって……」


フラワーパーク。県下でもなかなか名のある観光スポットだ。四季折々の花を咲かせており、中でも春のチューリップは全国的に有名である。


「連れて来たかったのって……ここ!?」

「ええそうよ。来たことある?」

「来たことあるというか、もう何回来たか覚えてないよ。小さい頃からよく連れてこられたし……この前も花子たちと来てさ」

「ごめんなさいね、新鮮味が無くて」

「いいよいいよ。そっか、美穂、花が好きなんだね」

「うふふ……まあ、そうね」


「私、撫子と二人になれたら必ずここに来ようって、前からずっと決めてたの」

「え……?」


「すみませ~ん、高校生二人お願いしまーす♪」


なにやら意味ありげな言葉を残し、美穂はチケットを買いに行った。

今日の客足はそこそこ多く、どうやらナデシコが見頃であるようだった。



「意外だよ。美穂ってもっとショッピングとか、カフェ派だと思ってたから」

「今日はちょっと特別なの。そこで座って待ってて? 私、飲み物買ってくるから」


入口ゲートから入ってすぐのベンチに座らされ、私は自販機へと走る美穂の背中を目で追う。

確かに何度も来たことはあるが、美穂が自分で選んだ場所が私の馴染みある場所と同じであることが、少し嬉しかった。

美穂にちょっとだけ、近づけた気がして。


でもこの人の多い週末だ、知り合いに見られたりしたらアレかな……と客の中に見知った顔が無いかを確認していると、なーにしてるの? と美穂が素早く飲み物を買って戻ってきた。

買ってきたのはまさかの炭酸飲料だった。


「意外すぎるんだけど! ファンチオレンジって」

「あら、撫子これ好きでしょ?」

「まあ嫌いじゃないけどさ……美穂のことだから、てっきりお茶系かと」

「いいの。今日はこれ飲んでね」

「うん……あれ、美穂は何も買ってないの?」

「私は大丈夫よ。二人でそれ飲みましょ」


それ大丈夫なの……? と呟きながら、缶を開けて最初の一口を美穂に譲る。ありがと、と両手で受け取り、くびりと軽く飲んで私に返してきた。

久しぶりの味に懐かしさを憶えていると、美穂は私との距離を少し詰めて、空を見上げた。

雲ひとつない快晴。と思いきや遠くの空に小さい雲はあったが、文句無しの晴れ渡った空だ。

陽は穏やかで、暑すぎるわけでもなく、そよ風と相まって非常に心地よさをもたらしている。客たちの喧騒が無ければ、私はまた眠ってしまいかねない。


「いい天気ね……」

「そうだね……」


「こんな天気のいい日には……」


「昔話でもしてあげようかな!」

「む、むかしばなし?」

「そうよ。昔話」


突拍子もないことを言い出す美穂。その笑顔は屈託なく、どうやら本気で何かを話してくれるようであった。


「天気関係あるのかな……むしろそういうのって雨とか降ってる時にするもんじゃないの?」

「いいえ、これは今日この時じゃないと……だめなの。これから先にも、同じようなチャンスがあるとは思えないから」

「?」


「それじゃ、話すわね」


「美穂ちゃんの、初恋の話」

「!!」


――――――
――――
――

私ね、小さい頃は、とても無口な子だったの。

無口で、いつもむすっとしてた。何に対しても興味が持てなくて、それはそれは可愛気の無い子だったと思うわ。もちろん外見はパーフェクトだったけどね?


おうちは比較的裕福だったから、満ち足りた生活を送っていたの。綺麗な服もたくさん買ってもらえたし、自由に育てられてたと思う。

でも楽しいと思えることが全然なくて、いつも不機嫌そうな顔をしてるって、よく周りに言われたものだわ。「美穂ちゃんは、いっつもつまんなそうにしてるわね」って。

それでも世話焼きな家族たちは、私をいっぱい構ってくれた。私をいろんな所に遊びに連れていったり、旅行に行ったり。

私はそれも気に召さなくてね、放っておいてほしいっていつも思ってた。私には友達も何もいらない、一人にしてほしいって……

あれは……今から10年以上も前だったかしら。私は両親に、親戚の家族に何日か預けられたの。いとこと一緒に、遊びに連れて行ってもらいなさいって。

でもそれが、ただの厄介払いだってこともわかってた。ひねくれものの私に疲れた両親が、私を置いて二人で旅行に行ってたみたい。別に連れて行って欲しいとも思わなかったけど、心の底がムカムカしたのは何故なのかしらね。


その親戚の家族も、私に世話を焼いてくれたわ。「美穂ちゃん、どこか行きたいところある?」って。

「誰もいなくてもいいから、家に帰りたい」って私は答えた。でもそんなこと、当時の幼い私には許されるわけもないわ。責任を持って預かってるわけだしね。

親戚はそれでもたくさん考えを巡らせてくれて、「この近くに女の子でも楽しめる場所があるんだよ」といって、私を車に乗せた。


そうして連れてこられてのが、このフラワーパークだったわ。ちょうど今と同じくらい、過ごしやすくなった秋口のこと。

初めて来たけど、特に興味は湧かなかったわ。確かに綺麗な場所だったけれど、「こんなもんよね」って見下してた。

でもその日はたくさんのお客で賑わっていたわ。きっと何かの開花時期だったのね。


私は親戚一家の後をつくように歩いていたのだけど、その人ごみの中で小さな子が思い通りに動けるわけもなく……すぐにはぐれちゃったの。

別に迷子になるのが怖いとも思わなかったわ。どうせ出口ゲートはひとつしか無いんだし、出入り口に近い所で待っていれば必ず見つかるって。

そう―――ちょうど今、私たちが座っているベンチで待っていたの。



「どうしたの?」

「えっ……?」


何をするでもなくぼーっと人混みを眺めていると、横から声がかかった。


話しかけてきたのは、眼鏡をかけた、私と同じ年頃の女の子だったわ。

手を後ろに組んで、興味深そうに私を見つめてた。

「元気ないよ、大丈夫?」

「別に」

「ふーん……一人で来たの? お母さんは?」

「別に……」

「別にって……」


私は知らない人と喋るのが嫌いだった。知ってる人と喋るのが好きでもないけど。

その子の顔もあまり見ずに、どこかへ行って欲しいというオーラを出しながら無視を決め込んでいたわ。そしたら……その子は私の頭に手を置いて、優しく尋ねた。


「もしかして、迷子なの?」

「!」


勘が鋭い子だったのね。すぐに見抜かれちゃった。

別にはぐれたからって困ってるわけじゃなかったけど、自分が迷子だって自覚は一応あったから、私は逃げようと思った。知らない人にまで世話を焼かれて、迷子放送でもされたらたまったもんじゃないって。


でも、

「待ってよ!」

「なっ、離し……!」

「誰にも言わないから……迷子だったら、私が一緒に待っててあげる。私も迷子なんだ」

「えっ……?」


びっくりしたわ、心が読まれたの。

てっきり迷子だ迷子だって騒がれるかと思ってたけど、その子は私の想いを汲み取ってか、誰にも言わないことを約束してくれた。その子も同じように迷子だったらしいから、偶然わかったのかしらね。


「迷子が二人いれば、迷子じゃなくなるよね」

「……そうね」


その子は私に笑いかけながら、隣に座った。そこで初めてちゃんと顔を見たの。眼鏡をかけてはいたけど、綺麗な顔立ちの女の子だったわ。


私はそこからその子に興味を持ち始めた。私と同じくらいの年のくせに、妙に大人びてて、でも飾り気もなくて、優しい目をしたその子に……

「ここに来たのは初めて?」

「……うん」

「そうなんだ。私はもう5回くらい来たかなぁ……うちのお母さんが好きでさ」


「私ね……妹が生まれたんだけど、その妹に、ここの花を見せてあげたいんだって。まだ赤ちゃんなのに……花のことなんかわかるのかなぁ」

「…………」

「まあ、いいんだけどね」

「…………」


「みんな妹のことばっかり構ってつまんないから、今日は私ひとりで回ろうと思ってたんだけど……ちょうどよかったよ」

「?」


「ここ、初めてなんでしょ? だったら私が案内してあげる。一緒にいこ?」


手を握って……私をエスコートしてくれた。


「キミ、名前は?」

「……やえの、みほ」

「みほちゃんか。よろしくね」


もうこの時には私、この子のことが少し好きになってたわ。




「ちょ、ちょっと待った!」

「?」

「あれ……? あれ……」

「どうかした? 撫子」


美穂の話を聞きながら思い描く光景に、私は少しだけ心当たりがあった。

もう少しでその心当たりの正体がわかりそうだ。すぐそこまで来ている……


「……まだまだ続きがあるのよ? この話」

「あ、ごめん……続けて?」


美穂はくすりと笑うと私の手から飲み物をとり、少しだけぬるくなったそれをまた一口飲むと、目を閉じながらゆっくりと話を再開した。




その子は本当にこのフラワーパークに詳しかったわ。

咲いている花の名前から、それがどんな特徴を持っているかまで教えてくれて……不思議ね、さっきまで興味のなかった花が、こうして好きな子と一緒に見てると、とても綺麗で可愛く思えた。


その子はさっき自分のことを迷子だって言ってたけど……本当は迷子なんじゃなくて、園内を把握していたから自由行動を許されていたんだと思う。その歳でそんな気の遣い方ができるなんて、全くすごい子よね。


途中で休憩したとき……喉が渇いたでしょ? って、自動販売機で飲み物を買おうとするんだけど、背が足りなくてね? ジャンプした拍子に別のボタンを触っちゃって、目的とは違う飲み物が出てきちゃったの。

私が笑ってると、恥ずかしかったのか少し顔を赤くしてね……「こ、これも美味しいから大丈夫だよ」って、私にくれた。

ファンチオレンジ。私、そのときまで炭酸飲料って飲んだことがなくて……初めての感覚に、なにこれ! って、びっくりしたわ。そうしたら今度はその子が笑って……

笑われたのは恥ずかしかったけど、おいしかった。量が多いから、二人で飲みっこしたのよね。

その子はジュースでの失敗を挽回しようと思ったのか、そこから張り切りだしたわ。私のお気に入りの場所がいくつかあるから、全部紹介したいんだーって……


教えてくれる場所は、どれも本当に綺麗で。今思い返せば、あれは当時私たちの身長が低かったっていうのもあるんだけどね……

まるで地平線の向こうまで、花でいっぱいなように見えて……私も夢中になってた。二人で手を繋いで、次から次へと……


私はもうその時には、今までのひねくれた自分をやめていたの。この子の前では、いい子の自分を見せたくて。


あんなに満ち足りた時間は無かったわ……景色は本当に綺麗で、その子の隣にいるのが楽しくて、私の手を引いて案内してくれるのが嬉しくて。

あとから聞いたけど、その姿を私の親戚が見てたみたい。「はぐれちゃったから探してたんだけど、美穂ちゃんがあんなに笑ってるところは見たこと無かったから、遠くから見守ることにした」って言ってたわ。

最後に案内してくれた場所は、色とりどりの背の低い花がたくさん咲き誇る、文字通りの花畑みたいなところだった。


「この花はなんて名前なの?」

「これは……ナデシコだよ」

「へえ……とっても綺麗ね」

「うん……私の名前も、この花からついたんだ」

「えっ?」

「え……ああっ! まだ私の名前言ってなかったっけ!」





「『私は大室撫子。紹介遅れてごめんね』って、恥ずかしがりながら言ってくれたのよね」

「あああああーー思い出した!! 思い出した……!」

「あら、やっと?」

「い、今頭の中でパズルが完全に……! う、嘘でしょ!? あれ美穂だったの……!?」

「待って待って、まだ続きがあるんだけど」

「いやちょっとそこからは! その先はだって……!」

「だーめ、ちゃんと聴きなさい。私たちの大事な出会いなんだから」

「う、ううぅ……」


私と二人きりになったらここに来ようと言っていた意味が、ようやくわかった。


櫻子が生まれて間もない頃……私は確かにここに来ていた。ナデシコの花の開花時期に……

そこで、誰か知らない子とずっと一緒にいたのだ。私は何度もパークに来ていたから、この場所に詳しいことに得意気になっていて……連れまわすように遊んでいて……


あの時の女の子が……美穂……!?




「今がちょうど見頃なんだよ、綺麗でしょ」


その子は私の隣にしゃがんで、眼鏡をとった。

目が悪いんじゃないの? って聞くと……遠くのものは眼鏡がないとよく見えないけど、近くのものは大丈夫なんだって言ってた。

「綺麗なものを近くでちゃんと見たいときは、眼鏡は外すんだ」って……


ふふ、その子があんまりにも真っ直ぐな目をして言うものだから、思わず尋ねちゃったわ。「それ、私に言ってるの?」って。

そうしたらその子、真っ赤になっちゃってね?

「お顔が真っ赤よ?」って笑ったら、「ゆ、夕陽のせいだよ」って……

私はついに笑いだしちゃったわ。その子があんまりにも可愛すぎて。あんなに笑ったことは、それまでの人生には無かったと思う。

そうしたら……

「やっと笑ってくれたね」

「えっ?」

「だってみほちゃん、最初に見た時はすごいつまんなそうにしてたもん」

「そ、そんなこと……」



「やっぱり、笑ってる方がかわいいよ」

「!!」


今でも忘れられないわ…… “可愛い” なんて言葉、それこそ色んな人に言われてきたけど……あの時ほど心が揺らいだことはなかった。


嬉しくて、嬉しくて……でもどうしていいかわからなくなくてね。その子の顔も見れなくなっちゃって、うつむいちゃった。

そうしたらその子は、うつむく私の髪に薔薇の花をさしてくれたの。さっきバラ園の所で拾ったんだって……ちゃんと綺麗にして、棘もとってね。


「うわ、似合う!」

「ほ、ほんと?」

「すっごい似合ってる……!」


「あ、ありがと……」


「みほちゃん、私が今まで見てきた子の中で、一番可愛いよ!!」




「も、もういい!」

「え~? これからでしょ、これから」

「もうわかってるんだよ! 全部思い出した……」

「思い出して貰えたのは嬉しいけど、ちゃんと最後まで聞いて?」

「む……」


口元に人差し指を当てられ、私は何も言えなくなる。


「おませな私は、その年頃でも本とかで読んだ色恋に興味が尽きなくてね……そこでいきなり撫子に告白しちゃったのよ。『大好き!』って……好きな子には告白するものだと信じ込んでいたから」

「でも撫子ったらよくわかんなそうにしてて、『私も大好きだよ、同じだね』なんて言って……」

「そこで確か、急に強い風が吹いたの。私は転びそうになって、撫子が抱きしめてくれて……チャンス!って思ったから、その隙にちゅっ て行っちゃったのよね」


「覚えてる? ちょうどこんな風に……」

「わ、わかってる! わかってるから!」

「……あら? 今はダメなの?」

「ダメっていうか……めっちゃ人いるじゃん! 誰かに見られたらどうすんの!?」

「だってあの時はそんなの気にしなかったじゃない」

「そ、それは子供の頃だったから……大体私あの時までキスされたことなんて無かったんだよ? だから、不可抗力で……」

「不可抗力でもなんでも、撫子はあの時に私のハートを奪ってるの……あの時キスまでしておいて良かったと思ってるわ。こうして今でも覚えていられて、こうして撫子と再会できるまで忘れられずにいられたんだものね♪」

「う…………」

ずっと守ってきた秘密を解き放ち、戸惑う私を見る美穂は上機嫌だった。


しかし次には何故か顔を曇らせ、声のトーンを落として独り言のように話しはじめた。


「まさか一緒の高校になるなんて思ってなかったけど……それまでもずっと、私はナデシコの花を見るたび、あなたのことを思い出していたわ」

「え……?」

「撫子みたいな子に、自分もなりたいって……私の人が変わったのもそこから。とにかく無関心でスレた子だったけど、そこから私は笑うことが増えた。人に気を遣えるようになった。撫子みたいに、誰かをエスコートできるようになりたいって思って……」


からかうような笑顔は急に不安気なものになり、私にそれを見られたくないのか、美穂は俯きがちにその緩やかな髪で横顔を隠す。

両手を膝の上で固く握り締め、肩を狭めて小さくなっている。


声色は、泣いていた。

「こ、このカチューシャもね、いっぱい探して、薔薇のついてるやつを見つけたの。薔薇の飾りをつけられるように、わざわざオーダーメイドしてもらったこともあったわ」


「あの時撫子に言ってもらえた、 “可愛い” が忘れられなくてね……」

「!」



「 撫子……どう? 私は……今でも、あなたの人生で、一番可愛い子でいられてる? 」



めぐみや私をからかうときの、いつもの顔……でも不安と緊張で泣きそうなほどに声をふるわせてしまっている美穂が、私の手を包んで囁いた。


初めて見る、美穂の顔。

ずっと封印してきた事実を打ち明け、抑えてきた全てが勝手にに溢れてしまい、感情をコントロールできない顔。

“いつもの自分” でいたいのに、弱い部分、怖がりな部分、誰よりも乙女な部分が、隠しきれていない顔。


美穂の、本当の姿。


その顔には……確かに昔と同じ面影があった。

「……そろそろ、花を見に行こうよ。せっかくパークに来たんだから、このまま入り口近くで座ってるだけなんて勿体無いでしょ」

「……え……?」


「ほら、涙拭いて。小さい子に笑われるよ」

「な、泣いてなんか……! じゃなくて撫子、今の質問には答えてくれないの!?」

「ふふ……」


ベンチから立って、私は何度も来たこのフラワーパークの “とっておきの場所” を、思い返すように見渡す。

咲く花は変わっても、ここは昔と変わらない。いつでも花の匂いがいっぱいで、いつでも綺麗な花が咲き誇っている。


少し訝しげになりながらも空き缶を捨ててきた美穂の手を取って、私たちは歩き出した。


あの時と、同じように。




「偶然かな……私、今朝ね、美穂の夢を見てたんだよ」

「えっ?」

「そう、美穂と出会った時の……さっきの話のシーンだった。このナデシコが咲く場所で……」


二人でしゃがんで、花を楽しむ。

なるほどこうして屈んでみると、本当に地平線の向こうまでナデシコの花でいっぱいであるかのように見えた。


さっきの質問に答えなかったのがまだ気に入らないのか、ちょっとだけむすっとした表情の美穂だが、私の手だけは優しく握ったまま離さない。


きっと、私と出会う前の美穂はずっとこんな顔をしていたのだろう。


「……その夢は、それまでにも何度か見てたんだよ。でも、相手が誰かわからなくてね……あれ、美穂だったんだ」

「なんだ、覚えてたんじゃない」

「いや、忘れてたよ。覚えてたら……とっくに言ってるだろうし」

「…………」

「美穂、ごめんね……ずっと、気づいてやれなくて」


「失礼だよね、私……ふぁ、ファーストキスの相手を忘れるなんてさ……」


「……許してほしい?」

「えっ」



「撫子がそこまで言うなら、許してあげてもいいわ。忘れてたことも、何もかも全部」

「ほ、ほんとに?」


「その代わり……ひとつだけお願い」


美穂は手を握ったまま自分だけ膝立ちになると、もう片方の手で私の肩を抑え、素早く唇を重ねた。


「…………!」

身動きを許されなかった。両腕は塞がれ、足を動かしたら尻もちをついてしまう。


誰か人が見てるかもしれない……恥ずかしさから来るその拒絶反応を押し殺し、私は静かに美穂の要求に応えようと、口を押しつけた。


美穂は最初から、今の私があの時出会った “撫子” と同じであることに気づいていたのだ。


気づいていながら、今日まで黙っていた……いや、正確には、私と二人きりになるときだけは答えを明かそうとしていたのだろう。私の前でだけ、出会った頃のような “みほちゃん” を演じて。


今日二人きりになれたのは偶然だったが、もしあのまま二人きりになれていなかったら、美穂はずっと気持ちを閉じ込めたままだったのだろうか。



目を閉じて、口先の感覚だけを研ぎ澄ます。

美穂の柔らかい匂いは、私が何度も夢見ていたものと同じだった。

「もう絶対、私のことを忘れないでね……」


「…………」



瞳を潤ませながら、美穂は精一杯の笑顔を作った。


その笑顔は……初めて会った時と同じ、世界で一番可愛い笑顔のままだった。



「忘れないよ。絶対」


もう絶対、この子の側を離れない。




「はあ、すっかりお昼すぎちゃってごめんなさいね」

「大丈夫だよ。どうする? めぐみのお店でも行ってみる?」

「あ、いいわね! 二人で怒ってあげましょ♪」


心のつかえが取れたのか、美穂はいつもの元気なモードに戻って、私の手を取りながら楽しそうにフラワーロードを歩く。

手を取るというか、片腕を抱きしめて離してくれない。


「あ、そうそう!」

「?」


片腕を絡ませたまま、器用にポーチの中を探る美穂。取り出したのは、パステルグリーンの眼鏡ケースだった。


「はいこれ、かけて♪」

「これ……眼鏡?」

「あ、一応伊達よ? でもあの時の撫子が使ってたものと同じやつがいいから、似てるものをたくさん探したの」

「嘘でしょ! そんなことまでしてたの!?」

「まあね♪」

立ち止まって、久しぶりに眼鏡をかけてみる。美穂の記憶はよほど鮮明に残っていたのか、私が見ても昔使っていたものと見分けがつかない。


「こっちむいて?」

「ど、どうかな……」

「きゃー! こんな感じこんな感じ♪」

「あー、眼鏡懐かしいな……」

「ふふ……」


じゃあ、私も……と、美穂はカチューシャを外して髪を整えた。


言われてみれば確かに、カチューシャを外した美穂は、夢に出てくる子と同じ顔をしていた。


「うん、そんな感じだった」

「もう! 本当は全然覚えてないんでしょ?」

「いや、名前は覚えてなかったけど……顔は覚えてたんだよ?」

「ほんとに~?」


「流石にそれだけは忘れなかったよ」



「だって、私が今まで見てきた中で、一番可愛い子だもん」


「っ……!!!」




夕焼けのせいか、不意打ちのせいか……笑ってしまいそうになるくらい、美穂の顔は赤く染まっていった。


その驚きに見開かれた目を見つめる。

眼鏡を外して。

「―――さっきの質問……答えるね。美穂は今でも、私が見てきた中で一番可愛い女の子だよ」



「こんな可愛い子、見たことない」



「だから、もっともっと、美穂の可愛いところを見つけていきたいって、思ってる」



「その……今からでも、大丈夫かな」



「もう絶対、忘れたくないんだ」



「本当に初恋だったのなら……今からでも間に合うのなら……」



「もう一度私と、付き合ってくれますか?」




何も言わずに、美穂は私を強く強く抱きしめてくれた。



世界で一番可愛い、満開の笑顔で。



~fin~

ありがとうございました。


撫子さん誕生日おめでとう!

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