陣内崎市の戦略核 (143)


* * *



 有田稀有は探偵である。




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 北海道の西、かつては札幌と呼ばれていた大都市も、いまや陣内崎と名を変え、かつての面影は既にない。悪鬼羅刹のはびこる魔都において、二年前、彼女は十五歳という若さで探偵事務所を開設したやり手だ。
 十五歳――そう、十五歳である。世が世なら女子高生探偵というセンセーショナルな看板を掲げていてもおかしくはない。

 太く編んだ三つ編みに太いフレームの眼鏡をかけ、大きくくりくりとした瞳は印象的だ。太めの眉が、精悍な印象すら与える。
 ちんまい外見に似合わない毒舌家でもあるが、舌鋒の鋭さが果たして幼さの残る姿に必要なのかどうか、俺はいまだにわからないでいる。

 ついでに彼女は俺の姪でもある。名探偵ならぬ姪探偵……いや、やめておこう。
 自分のジョークのつまらなさ加減に辟易し、煙草の紫煙をふっと虚空に吐き出した。

「ちょっと豪雨さん! 煙草を吸うときはベランダでっていっつも言ってるじゃないですか!」


「おま、折角の俺のハードボイルド気分をだなぁ……」

「そんなちぃとも腹の足しにならないものは、犬に食わせちまえばいいんですよ。
 とにかく、あなたの雇用主はわたしです。ルールを守れないなら解雇です、解雇!」

 俺は無言のままに圧力に屈し、煙草を携帯灰皿で押しつぶす。
 稀有はいつだって俺に対して解雇をちらつかせ、言うことを聞かせようとしてくるのだ。これはれっきとしたパワハラである。訴えたら確実に勝てるだろう。
 この都市に労働基準監督署が現存していれば、の話であるが。

 わかっていないのだ。探偵なんてやくざな稼業であるからには、少しは格好つけたってばちもあたるまいに。
 トレンチコートに身を包み、バーカウンターで煙草をくゆらせる渋みを稀有が理解するのは、一体いつになることやら。

 色々言いたいことはあったが、しかし、ここを追い出されてしまえば俺に行くあてはない。「能力者」である俺を受け入れてくれる場所など、ここ陣内崎をおいて他にはないのだから。


「今日の予定は?」

 尋ねられて、俺はメモ帳へと目を落とす。稀有のボディガード兼秘書が俺の役割なのだった。

「十一時に警察署へ行って、殺人事件の解決が二件。午後からは何も入ってない」

「そうですか。退屈ですね」

 ため息をついて、稀有はもう一度はっきりと、退屈です、と呟いた。
 精悍にも見える彼女の顔つきは、いつもこの瞬間だけ、虚無に塗り潰される。

「まぁ、ぱぱっと行って、ぱぱっと終わらせましょう。午後からは何も入ってないんですよね? でしたら、そうですね。一週間ほど早いですが、豪雨さんの勤務半年おめでとうパーティでもしましょうか」

「お前にそんな粋な計らいができるとは思わなかったな」

「嬉しい時は素直に表現してくれたほうが、こちらとしても嬉しいです」

 時折とても迂遠で婉曲な皮肉を吐く割に、時折こうやって真っ直ぐ言葉をぶつけてくるのが、俺はとても苦手だった。俺のハードボイルドが崩れてしまうからだ。
 顔のにやけが抑えられない。


 稀有は笑った。どうにも恥ずかしくなって、トレンチコートを羽織ながら足早に事務所の扉から出て行く。

「電車で行くか、タクシー拾うか」

「タクシーにしましょう。どうせお金は有り余ってます」

 不遜な物言いではあるが、事実なのだから反論のしようもない。
 ボディガードが必要な理由の一端もそこにあるのだが、それはそれだ。

 陣内崎の中央警察署は事務所からさほど離れていない。というよりも、中央警察署のそばに事務所を設けた、という表現のほうが的確だろう。
 警察は稀有の一番のお得意様だ。警察に頼られる探偵など物語の中にしか存在しないというのならば、もしかすると稀有は、探偵ですらないのかもしれなかった。

 お得意様過ぎて、命まで狙われるのだから。


「お待ちしておりやした」

 所内に入った俺たちをすぐに出迎えたのは、捜査一課のボスである南原真南課長。刑事と聞いてすぐに思い浮かべるとおりの強面で、白髪交じりの短髪はいつも丁寧に同じ長さに揃えられている。
 責任感が強く俺たちの――というより稀有のことも丁重に扱ってくれるが、ネクタイのセンスが悪いことだけが珠に瑕だった。

「有田殿、本日もよろしくお願いします」

 きちりとお辞儀をする真南に対し、稀有はかすかに会釈しただけで、居心地悪そうに先を促した。

「それで、死体は」

「第四安置室に」

「わかりました」

 そう言ってすたすたと歩いていってしまう。

「変わらないな」

 嘆息こそしないまでも、やはり悲しくはなる。退屈だと言っていた様に、彼女にとってこれは仕事と呼べるほどやりがいのあるものではないのだろう。
 求められるままに、やりたくもない仕事を淡々とこなすことの辛さは、俺にはいまいちわからない。人をいくらも殺したことだってあるが、それだって結構割り切れていたのだ。


「いや、あれでも結構変わったほうだ」

 真南はぼそりと言った。稀有との付き合いは真南のほうが長い。こいつが言うのならばそうなのだろう。

「それにしても、雨宮。お前、相も変わらず、眼が淀んでるなぁ」

「うるせぇ」

 こちとら気にしてるんだ。

 第四安置室へと俺たちが到着すれば、すでに稀有は一仕事を終えたようで、目を瞑って壁へと寄りかかっている。
 やってきたのを確認すると、二人の名前を挙げ、

「そいつらが犯人です。それじゃあ、よろしくお願いします」


 踵を返して部屋を出て行く。
 毎度のことなので慌てはしない。俺も、真南も、心苦しそうな顔をきっとしていることだろう。そういった感情を全て飲み込んで、俺は稀有の後へと続いた。
 背後で真南が敬礼をしているのが見えた。

 有田稀有は探偵である。

 彼女は、死体を見れば犯人がわかる。
 そう言う能力を持っている。

 彼女にとって殺人事件ほど退屈なものはない。死体を一目見て、名前を言えば、それで全ては解決するのだ。凝ったトリック、アリバイの有無、如何なる動機も彼女の前では意味を成さない。論理を超越して犯人を見つけ出せる「能力者」、それが有田稀有である。
 それゆえに多方面からは崇め奉られ――同時に、何度も命を狙われてきた。

 稀有は生きているだけで不祥事の源泉だ。迷宮入りや冤罪がなくなっては困る人間など掃いて捨てるほどいる。
 陣内崎にやってきてからはそういったことも少なくなったようだが、それでも、ボディガードが必要な生活は変わらない。
 稀有の親、つまりは俺の姉も、そんな彼女を見離した。


「遅いですよ。パーティの準備しましょうよ」

「……あぁ」

 打って変わって楽しそうな稀有の表情に、やっと自らの頬が綻んだのを知る。俺は決してロリコンではない。自分にとって大事な存在の笑顔のために働くのは、実にハードボイルド的だと構えているだけだ。

 二人ぶんの準備などコンビニで適当に買えばいいとも思うのだが、稀有としては決してそうではないらしく、陣内崎の街中まで行こうと誘われた。
 断ればまた解雇だなんだといわれかねない。雇用主の意向に沿うことに否やもない。地下鉄の駅を目指すことにした。

 陣内崎は魔都との別称もあるとおり、様々な人種と物品が縦横無尽に入り乱れた都市である。心地よい日光に照らされた広場を擁する大通りもあれば、そのすぐ脇の薄暗がりでは非合法の品も取り扱われている。
 ロシアンマフィア、華僑、在日米軍、そして「能力者」。さながら火薬庫となったこの都市は実質的に治外法権で、政府だって手を出せない。
 いや、手を出そうとした結果が先の内戦なのだから、二度も火中の栗を拾おうとはしないだけなのだろう。


 中には危険を承知で栗を拾おうとする物好きもいるが、そんな人間は山師と代わらない。もしくは油田を、黄金郷を探しているに近しい。

 俺は陣内崎に来ておおよそ半年。対して稀有は二年以上を過ごしている。当然街については彼女のほうがずっと詳しいので、俺にできることといえば荷物持ちと、周囲の気配に慎重になるくらい。
 どちらかといえばお目当ては裏路地のようだった。浮浪者がダンボールの上で横になり、中身のなくなったビール瓶の口を舐めている。フードとマスクで顔を隠した男の姿も多い。銃を忍ばせているやつだって、すれ違っただけで三人はいた。

「……物騒だな」

 幸いこちらに対して敵意はないようだ。それでも油断はならないが。

「豪雨さんはこの辺は初めてなんですか?」

「そうだな。厄介ごとは嫌いだ」

「でも多分、厄介ごとのほうは、豪雨さんのことが好きだと思いますよ。そう言う顔してますもん、豪雨さん」

 けらけら笑う稀有はこんな怪しい場所にいても自然体だ。言うとおり、初めてではないのだろう。


「あ、あそこです。お目当ての場所」

 稀有が指差した場所は雑居ビルの一階で、恐らくは通用口と思しき扉に、大きく「モノクロ屋」と書かれていた。
 ……怪しすぎる。

「何屋なんだ?」

「雑貨屋ですよ。いえ、何でも屋、というべきですかね。折角ですから奮発して、いいお肉でも、と思いまして」

「こんなうらぶれた雑居ビルに、か? 人肉じゃねぇだろうな」

「人肉の方が安い街ですから」

 違いない。

 扉を開けると軽く鈴の音が鳴って、カウンターの奥の通路から、のっそりと巨大な影が姿を現した。

「――は?」

 素っ頓狂な声が漏れる。
 店の奥から姿を現したのは、正真正銘、紛れもなく、パンダ。
 白と黒の毛皮。二メートルはある背丈。愛嬌のある顔に、鋭い爪と牙。

 なるほど、だからこその店名か、とは思えなかった。


「なんだこれ」

「ここは陣内崎ですし」

 戸惑う俺に対して一言で稀有は回答を寄越す。

 そうだった。ここは陣内崎なのだった。
 普通なら、常識的に考えれば起こるはずのない出来事も、ここでは容易く起こりうる。なんせこの都市は普通でも常識の範疇にもないのだから。
 それで納得できる程度には、俺もこの都市に馴染んできたのだろう。

「……」

 パンダは喋らない。当然か、それともいっそ、喋ってくれれば気持ちがいいのにと思う。
 そんなパンダ相手に稀有がナントカ牛のドコドコの部位がこれくらい欲しいんですが、というような話をすると、パンダはこくりと一度うなずいて、その巨体を揺らしながら奥の通路へと消えていった。

「なんなんだ、あいつは……」

「パンダさんです。見ての通り。それ以外のことは、わたしにもわかりませんねぇ」

 それでいいのか、と言おうとしたそのとき、パンダが油紙に包まれた肉を持ってやってきた。稀有はにこやかにそれを受け取ると、キャッシュカードで支払いを済ませる。
 ……カードまで対応しているのか、この店。


 店を出るとまた薄暗い路地。上を見上げれば晴天だが、入り組んだ奥底までは太陽の光も届かないようだ。
 俺は手でひさしを作った。光に目を細めながらも頭上に鎮座ましましている「ソレ」の姿を見極めようとする。

 陣内崎の上空三キロメートルには、戦略核が浮いていた。

* * *


* * *

 その日の夕食は焼肉で、パンダから買ったあの肉は、確かに舌の上でとろけるほどに美味だった。かなり大きなブロック肉だったのだが、俺も稀有も頬をほころばせながら、おいしいおいしいと瞬く間に平らげた。
 食後に出てきたのは道中で買ったケーキだ。さすがに二人で1ホールは消費しきれないと考え、稀有はモンブランとショートケーキ、俺はティラミスとミルクレープを選んだ。

 ミルクレープが果たしてハードボイルド的であるか、万人の意見が俟たれるところではあるかもしれない。しかし、まぁ、そこはそれ。無礼講というやつだ。
 俺のポリシーなど稀有の鶴の一言の前では何の意味も持たない。それに、ケーキをぱくつく稀有が存外楽しそうだったので、それでいいじゃないかとも思う。

 ワインを一本あければあとはもうぐでぐでである。そもそも俺はさほどアルコールに強くない。姉も、両親も、強くはなかった。祖父母もそうだったと聞いている。恐らく血筋なのだろう。
 だから、俺と殆ど同じペースで飲んでいた女子高生探偵がふらふらするのも、至極当然の帰結である。


「大丈夫かよ」

「らいじょおぶれすよぉ」

 トイレから戻るのさえ壁伝いの人間が一体何を言っているのか。
 俺もだいぶ意識が散漫になっている自覚はあるが、さすがに自立くらいはできている。

「ほれ、ソファ座れ。水持ってくるから」

「ありがとうございますぅ……」

 ぼすん、と勢いよく稀有はソファに落下して、水道水をおいしそうに飲み干した。

「豪雨しゃんも! ここ!」

 さすがに簡単に酔いは覚めるはずもなく、言われるがままに稀有の隣へと腰を下ろす。
 そうした瞬間、こてんと稀有が俺の肩に自分の頭を預けてくる。大して重たくはないが、それよりなにより、稀有から漂ってくる甘い芳香が俺の鼻腔をくすぐって仕方がないのだった。
 わざとやっている。すぐにぴんと来て、同時にため息もつく。いっちょまえに恥ずかしがってるな、俺。


「ん」

 膝の上を示してやると、にんまりと猫のように微笑んで、稀有は俺の脚を座面、胴体を背もたれとして活用しだした。俺は手持ち無沙汰になった両腕を稀有の背中から回し、腹の辺りを揉んだり撫ぜたりしてみる。
 くすぐったそうな声を出す稀有。少し熱っぽくも感じられるそれを意図的に無視して、少し強めに抱きしめた。

「好きです、豪雨さん」

 そう言う稀有の顔はこちらからでは見ることはできない。真顔なのか、はにかんでいるのか。

「いっぱい、助けてくれました。いっぱい、いっぱい。だから」

「俺は荒事担当だからな」

「それだけじゃなくて……」

 少し待ってみたが、続きが聞けることはなかった。すぅすぅ。可愛い寝息が腕の中から聞こえてくる。


 親からも親族からも見離されたこいつを俺が引き取ったのは、大学四年目のことだ。引き取ったといっても大したことじゃない。どこにも行き場がないこいつが不憫に思えて、どうせ一年バイトと卒論しかないのだから、寝床くらいならと呼び止めたに過ぎない。
 半年経たずに結局当局の人間が陣内崎へと連れて行ってしまった。だから、実質的に一緒に暮らしたのは、四ヶ月ちょっとの間だけだ。それをどうにもこいつは多大な恩を受けたと思っているようなのだった。

 もう二度と会うことはないと思っていたのだが、まさか数年を経て、陣内崎で雇用される関係になるとは。
 意外ではあったが、けれど現状に俺は生憎と満足しているのだ。好きな女を守るだなんて、それは随分とハードボイルド的じゃあないか。

 荒んだところもある女だけれど、狂った人間ばかりのこの陣内崎において、稀有はまだだいぶマシなほうだ。

「……」

 俺も酒が回ってきたようだ。吐いたりはしないが、視界があやふやになってしまっている。これはよくない。
 稀有をソファに横たえると事務所の隅にある折りたたみベッドを開いた。タオルケットを敷き、そこに稀有を寝かせてやる。一瞬うっすらと目を開いた稀有は、俺に軽く口付けをして、すぐに眠りへと落ちていった。
 ……まったく、勝手なものだ。俺のハードボイルドが崩れてしまう。

 自分の中で湧き上がる色々を押さえ込んで、俺も稀有の後を追うべく、ソファに横になる。


* * *

 どんなありえないことだとしても、陣内崎ではありうる。
 「普通」だとか「常識」だとか、そういった言葉を物差しにしていては、この都市では食い物にされるだけだ。
 それは半年前、「有田稀有探偵事務所」のボディガード兼秘書となった俺に対し、稀有が一番はじめに言ったことである。

 戦略核が理論不明のまま浮いている都市なのである。住人だって到底まともではいられない。そりゃあパンダも肉を売るだろう。

 この都市は歴史こそ浅いけれど、一朝一夕では語りつくせないほどの争いに巻き込まれた。それこそ、日本における戦後近現代史の八割が陣内崎――旧称札幌市を中心としたものであるくらいには。
 理由は、最初こそ米ソ冷戦構造に巻き込まれたに過ぎない。だが能力者が現れるようになってからだと話は変わる。


 科学では解明できない存在らしいのだ、俺たちは。利権だとか、武力だとか、そういった面倒くさいことがどうしたってついて回る。自衛のための都市。それが陣内崎のもう一つの姿。
 ただし、それに輪をかけて胡散臭い話がてんこ盛りになっているのが現状でもあった。どんなことでも起こりうるとはいえ、都市伝説染みた逸話が、存在が、まことしやかに噂されている。
 もしかすると俺たちが知らないだけで稀有が都市伝説扱いになっているかもしれないのだ。どんな殺人事件も解決してしまう名探偵、とかなんとか。

 ありえないと思っていても、ありえるかも、と思ってしまう。
 まったく厄介な都市である。

 俺が何で今更そんなことを思っているかといえば、我が探偵事務所の主であらせられる有田稀有女史が、陣内崎市の都市伝説をまとめたゴシップ誌を熱心に読み耽っているからなのだった。


「……」

 かれこれ一時間ほど、一言も喋らない。もうそろそろ読み終わってもいいころだが、よくもまぁ集中が途切れないものだ。
 殺人事件が何よりの退屈である稀有にとって、あるいはそういった人が死なないような謎こそが、探偵として最も望んでいることなのかもしれない。
 人探し、動物探し、浮気調査に素行調査。派手ではない地味な、そして地道な作業を求めて、あえて稀有は探偵事務所なんぞを立ち上げたのではないか。そう思えてならなかった。

 雇用主を慮るのは労働者の義務といっても過言ではない。心の隅にとどめておくことにしよう。

 時計を見れば一時ももうすぐ回ろうとしていて、俺はすっかり空腹だった。
 かといって勝手に食事を取ればやいのやいの言われるのは目に見えている。諦観を覚えたので、大人しくハウス。


「……」

「……」

「……」

「……楽しいのか?」

「楽しいです」

 即答だった。ならいいか、ともう一度俺は諦観を発揮することに決めた。

「こないだ起こった日航ジャンボ機の墜落事故、あれも能力者のせいらしいですよ」

「それって、ただの整備不良を能力者のせいにしてるだけじゃねぇの?」

 埒外の存在がいて、そのせいで何でも起こりうるのなら、当然そういうことだってあるだろう。
 俺の返答が稀有にはいたく気に入らなかったらしい。ようやく雑誌から顔を上げて、

「そういうロマンのないことを言っちゃだめです。つまんない。今度言ったら解雇ですからね」

 それを果たしてロマンというのだろうか?


 百人規模で人が死んでいるはずの墜落事故に対して、そう言う物言いができるという時点で、やはり稀有もどこか螺子が外れているのだ。俺はそれを肯定こそしないが、否定もまたしない。
 誰かをとやかく言えるほど、俺だってまともではないのだから。

「あとは……ほら、銀輪部隊が再結集ですって」

「はぁ?」

 かつての内戦で政府たちと戦った能力者たち、彼らの自称。本当に再結集したならば、殆ど全員四、五十代のはずだが。
 ……ていうかその記事の見出しのところ、ちっちゃく「か!?」って書かれてるじゃねぇか。

「あ、本当ですね。豪雨さんって目は淀んでるのにこういうところは目敏いんですから」

 喧嘩売ってるのか、お前は。

「まさか。そんなはずないじゃありませんか」

 歳に似合わぬ妖艶な微笑を浮かべて、

「愛してますよ、豪雨さん」

 ……まったく、男とは情けなくなるほど単純な生き物らしい。


「とりあえず見せてみろ。少し不安になってきた。検閲だ」

「いやらしいページは見てませんよ」

「知らねぇよ」

「豪雨さんも見ちゃダメですからね」

「見ねぇよ。何があんだよ」

「星屑きらりちゃんのグラビアとか」

「俺はオタクじゃねぇ」

「あ、それはきらりちゃんファンを馬鹿にした発言ですね」

 まさかこいつもファンなのだろうか。
 最近よく大通りのほうでファンの集いみたいなものを見るから、てっきり一部マニアをフォーカスした地下アイドルかと思っていたのだが。

 あいつも出世したもんだ。


「どうかしました? 豪雨さん」

「いや、どうもしねぇよ。ほれ、取り合えず見せてみろ」

 ゴシップ誌を受け取って、それをぺらぺらめくって見ようとしたとき、事務所の黒電話がけたたましく鳴り響いた。
 じりりりりん、じりりりりん。

 じりりりりん、と。

 それは依頼の電話である。このご時勢においても、俺と稀有は携帯電話を持ち歩いていない。だから全ての依頼はこの事務所の黒電話へとかかってくる。
 電話が鳴るのは別段珍しいことではないはずだった。

 だのにどうしてだろう。嫌な予感がして――あぁそうだ、この感覚は昔味わったことがある。自分より強い相手に戦いを挑まなければいけないときに酷似している。

 ごくり、と喉を鳴らした。自分のものかと思いきや、口の中はからからで、なら誰なのだと考えれば、残されたのは稀有しかいない。
 眼が合う。互いにうなずいて、それでもなんとか受話器に手を伸ばせたのは俺。

 真南からの電話だった。

 密室殺人。政府要人が射殺された。

 死にそうな声で彼はそう告げたのだった。

* * *

―――――――――――――
今回の投下はここまでです。深夜に少しだけ追加分があります。

ジャンル:ミステリではありません。悪しからず。
またくっそ長い話になると思われます。あるいは、あと三分の二くらいで終わるのかもしれませんが。
まぁ言葉遊びではあります。

設定は、今あやふやな点でも、いずれ説明があると思って頂いて結構です。

それでは何卒お付き合いよろしくお願いいたします。


* * *

 すぐ来てくれと、珍しく重苦しい様子で告げた真南からは、有無を言わさぬ迫力があった。それに負けたわけでもないのだが、俺も稀有も電話越しに頷いて、上着を羽織るだけですぐに事務所を出る。
 密室殺人。真南の言った言葉が頭の中でリフレインする。
 稀有の前では密室だろうがイリュージョンだろうが意味を成さない。死体さえあれば、犯人は特定できる。それでも真南が俺たちを急がせるということは、それなりの理由があるのだろう。

 その理由について今考えることはあまりない。情報が少なすぎるうえに、おいおいわかることなのだ。いずれわかることに思考をめぐらせるのはリソースの無駄遣いというものだろう。

 恐らく問題は密室殺人という部分にはないのだ。それくらいの予想は容易だった。真南が死にそうな声を出していた理由は、被害者が政府要人であるから。
 陣内崎だからといって別段全員が能力者というわけではない。この都市は奇跡的なバランスのもとに――それは政治的にも、武力的にも――成り立っている。構成要素としての、政府要人。


 やつらの行動原理は明快だ。利益。利権。甘い汁に寄ってくる、夏の夜の虫。
 逆に、そのためならば、バランスを崩すことさえ躊躇しない。

 あいつらはビル数棟くらいなら容易く爆破するからなぁ。
 犠牲者などお構いなしに。

 勿論全員が全員そういうわけでもないのかもしれないが、経験則で言えば、十割がそういった腐った人間ばかりだ。

「は」

「……? どうしました、豪雨さん」

 俺は口を手で隠し、なんでもないと言った。こうでもしていなければ次々こみ上げてくる自嘲を対処できないと思ったから。

 腐った人間と。
 俺がその表現を使うのか。他人に。


「……」

 まぁ、ともかく。
 重要なのは、なぜ政府要人が死んだのか。
 バランスを崩そうとしたのか、崩されようとしたバランスを戻そうとしたのか。

 指示された場所は豪邸だった。「家」という表現よりは「邸宅」という表現がふさわしいほどの。
 パトカーの姿は事情が事情だからか見当たらない。代わりに、ガードマンが俺たちを屋敷の中へと案内してくれた。
 すぐに真南が俺たちを出迎える。ぶすっくれた、全く面白くないような顔をして、「協力すまない」と頭を下げた。

 全く面白くない度合いで言えばここにきての稀有も負けていない。どうせ彼女にとってはたかが殺人事件である。所詮密室殺人である。電話を受けたときほどのインパクトは既に薄れ、その反応は仕方がない。
 政治的に重要案件であることは稀有自身わかってはいるのだろうが、基本ノンポリで、ともすればアナーキストでもある彼女にとっては、死体は飯の種でこそあれそれ以上ではないのかもしれない。
 この都市に住んで能力者なんてものをやっている以上、そうなるのはわかるけれど。


「……相変わらず眼が淀んでるな」

「あんたも随分淀んでるぞ。寝不足か?」

「……まぁな」

 肯定されてしまった。困った。

「馬鹿やってないで早く現場へ案内してください。推理もなく、理屈もなく、直感すらなしに、私がずばっと解決してあげますから」

 そう言う稀有の瞳もまた随分と淀んでいたので、俺はなんとなく、手を握ってやることにした。
 稀有は一瞬こちらを睨むが、それを無視していると、観念したのか強く握り返してくる。

「仲のいいことで」

 真南の台詞は聞こえていないふりをすることとした。

「密室殺人、だっけか」

「あぁ。被害者は市議会議員の一人だ。自宅の書斎に鍵をかけて執務をしている最中を狙われたらしい」

「それは、いつもそうなのか? トリックとかではなく?」

 あからさまに稀有が「そんなことどうだっていいじゃないですか」といった顔をしていたが、それもまた見ていないこととする。


「側近の話ではな。集中したい、らしい。外部から鍵をかけた形跡は、いまのところ見つかっていない」

 密室殺人自体は可能にする方法などいくらでもある。手っ取り早いのが瞬間移動。でなければ、それこそ、「どこからでも施錠できる」能力者だっているかもしれないのだ。

「そいつは殺されるような、なんていうんだ、動機があったのか?」

「そりゃあたんまりとあったろうさ。なんせ一週間後から議会が開くんだ。何らかの組織の示威行動としては、これ以上のものもないだろう」

「そんなこたぁどうだっていいんですよ。大のおとなが、愚かしい。動機などはどうだっていいのです。方法などはどうだっていいのです。私の仕事は犯人を告げること。警察の仕事は犯人を捕まえること。違いますか?
 動機も方法も、犯人を捕まえてから、拷問でもして吐かせりゃいいじゃあないですか。そういうくだらないことに、つまらないことに盛り上がられると、私としては気が狂っちまいそうなんです」

 吐き捨てるように――否。稀有はそう吐き捨てる。
 繋いだ俺の甲に爪が立てられている。

「……」

 俺も真南も押し黙ることにした。


 殺人現場は二階にあった。柔らかい赤い絨毯が引かれているなどまるで海外ドラマのようだったが、中に入るとそんな軽口は叩けない。
 射殺と聞いていたから大したものではあるまいと思っていたのだが、なかなかどうして、念の入った殺され方だった。
 なぜなら、頭が粉々に吹き飛んでいたのだから。

「正確な判断は司法解剖頼みだが、直接の死因は腹部への被弾。死んでから、頭を数発、こなごなに撃ち砕かれている」

 怨恨か、それとも示威行為なのか――

「露木甘露」

 は?

 俺の思考を全て持っていく、稀有の名指し。

 つゆき、かんろ。

 露木甘露。

「つっ――!」

 声が上ずったのを必死に堪えた。だめだ。稀有に知られてはならない。
 そういう設定にはなっていない!


 ……そうかそうか、そっちか。
 瞬間移動でもなく、施錠なんかでは当然なく、そっちか!
 となると、なるほど、腹部に一発、それは確かに、プロの犯行だ。的が小さく、堅牢な頭蓋に守られた頭部なんかよりは、ずっと狙いやすい。

 だがすると、今度は逆に理解ができない。怨恨。示威行為。あいつが?

 《神出鬼没》の露木甘露が?

「……」

「仕事は済みました。行きましょう豪雨さん」

「……」

「……豪雨さん?」

「ん、悪い。そうだな。真南、犯人さえわかれば問題ないんだろう?」

「問題ない、と言いたいところだが……継続的な手伝いを頼めれば、こちらとしては、それ以上嬉しいこともない」


「継続的な手伝い、ですか。犯人の名前以外のことがあると?」

 おいおい、待てよ。

「まぁな。犯人は能力者である可能性が高い。当然俺たちも手を使うが、お前らのほうがアングラには詳しいだろう」

 稀有、気持ちはわかるが。

「そちらを調べて欲しい、と」

 嬉しそうに話を進めるんじゃあない!

「そういうことだ」

「もちろ――!」

「稀有」

「――ん? なんですか、豪雨さん」

「お前、やるのか? っていうか、できるのか?」

「何言ってるんですか豪雨さん。折角の、待ちに待った、血なまぐさくない依頼ですよ。人探し。人探し! ああなんて素敵な響きなんでしょう! これを断っちゃ、お天道様に顔向けなんてできませんよ!」

「相手は人殺しだ」

「何言ってるんですか、荒事担当」

 言葉に詰まった。確かに俺は荒事担当だ。こいつの身に降りかかる火の粉を払うのが俺の役目。
 ……仕方がない。

「わかったよ」

 利も理もないのだけれど、それでも稀有に俺は逆らえない。とはいえやつと直接相対することだけは避けたいので、打たねばならない布石も多い。

「……忙しくなりそうだな」

「そうですね!」

 花の咲く笑顔で稀有はそう言った。

 違う。そうじゃない。

―――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。

なお、当作品の「有田稀有」は、有言実行とはなんら関わりはありませんので、念のため。

今後もよろしくお願いします。


* * *

「ところで」

 帰りのタクシー内でおもむろに稀有は尋ねてきた。

「私たちにまで捜索を依頼するなんて、や、それはそれで超絶ハッピーなんですが、状況はそれほどまでに逼迫しているのです?」

「……お前、陣内崎の議会制くらい理解してろよ」

 俺だって他人に教えられるほど知っているとはいえないが、常識の範囲内くらいの知識はある。

「言われても困りますよ。私、最終学歴、高校中退なんで。現在高卒認定勉強中なんで」

「あー……まぁ、うちの議会は前期と後期で二回開かれる。んで、真南が言ってたように、それが来週から。そこで今後の政治的方針だとか、条例だとか、新しい組織の設置だとかを決めるわけだ。前期だから予算の承認もあるな。
 で、決定やら承認やらってのは、はいわかりましたっつってぽんと判子を押すようにはいかねぇ。誰かの利益は誰かの不利益だったりするし、限られた予算を振り分けるわけだから、どこかにしわ寄せが行くことも多い。
 それ以前に、派閥もある。特に陣内崎だと、俺らみたいなそのものずばり一騎当千の兵隊がごろごろしてるわけだから、必然的に軍閥が多くなってな。ドンパチやらかしたりも多いのさ」


「軍閥?」

「軍閥ってのは……使用目的問わず、武力を持った集団ってところかな。それが個々の政治的思想を持って、議会でやりたいことを通そうとしてるわけだ」

「ふむ。ということは、今回の事件は場外乱闘みたいなものだと」

 面白い喩えをするやつである。だが、言い得て妙だ。

「そうだな。誰かが殺し屋を雇った可能性が高い」

 真南は戦々恐々としていることだろう。もしこれが本当に軍閥同士の争いの発端であるとするのなら、やられたほうだってぼーっとはしていないはずだ。血で血を洗う戦争が起きる可能性は高い。
 争いは争いを呼ぶ。どちらかが倒れるまで、噛み付きあうだけ。

 かつての内戦は、能力者対日米露というわかりやすい構図だった。「人間」として社会で生きたい能力者と、異端を恐れた政府。その結果が陣内崎で、陣内崎上空に漂う戦略核で。
 あれをアメリカのファインプレーだというやつもいれば、いや独断専行だ、後先考えない行動だというやつもいる。そのあたりの判断は、俺にはつかない。
 ただ、陣内崎市の戦略核は、今日も暢気に浮いているけれど、明日には落ちてきてもおかしくない代物だ。なぜ宙に固定されたままなのか誰も知らない。


 普通に考えれば恐ろしい話だが、誰もがそれを無視している。頭上にある死のシンボルを市のシンボルへと転化し、日々を楽観的に生きている。
 悲観的に生きるよりはよいだろうか。よいといえるのだろうか。

 争いはいつしか形を変え、陣内崎の中でのそれになっている。それを、したがって小規模化していると判断することに、俺は少し慎重だった。

「大丈夫ですよ。なんとかなりますって」

 どんな顔をしていただろう。稀有の宥めるような顔を見る限り、随分と深刻な顔をしていたのだとは思うが。

「それにしても、豪雨さんも意外と色々知っているんですね。さすが高学歴は違います」

 ただ大学を出ただけだというのにこの言われようだ。稀有にとって、学歴は少し、コンプレックスになっているのかもしれない。

 気持ちを切り替えるために一度小さく息を吐き、バックミラーで後ろを確認した。


「……稀有」

 尾行されている。
 いつからだ。どこからだ。

 どこでもある銀色の軽自動車。運転席に一人、助手席に一人、ツーマンセル……性別、人相、体格はわからない。が、確実に、堅気ではない。

「なんですか?」

「今すぐタクシーを降りるぞ。尾行されてる」

「ラジャです。あとの指示は豪雨さんに一任します。
 任せましたよ、荒事担当」

「イエッサー」

 ここのところはなりを潜めていたが、稀有は命を狙われることなら慣れっこだ。当然慌てたりはしない。
 ただ、相手の目的が直接稀有の命なのか、それとも先ほどの殺人事件に関わってしまったからなのか……それだけが不明瞭。そして相手の目的を誤認することは、こういった撤退戦において、致命的になりうる。
 万事をケアできるように立ち振舞うべきだろう。


 曲がった先で釣り銭も拒否し、急いで俺たちはタクシーを降りた。そのまま細い路地へと入っていく。

 軽自動車はタクシーを通り過ぎこそしたが、すぐにブレーキの音が聞こえてきた。
 ビンゴだ。くそったれめ。

 もし相手の狙いが稀有であるのなら、俺は稀有から決して離れてはいけない。確認できた敵影は二人だけでも、伏兵がどれだけ潜んでいるかわからないからだ。
 逆に、事件の関係者である俺たちに用があるのなら、稀有はいないほうが足手まといにならなくて済む。稀有は胆力こそ人一倍あれど、戦闘能力はからきしだから。

「どうしますか」

 稀有が尋ねてくる。時間はあまりない。
 判断は一瞬で。そう癖をつけておくことで、生き延びることのできる瞬間がきっとある。それは俺に戦いを教えてくれた師匠の言葉だ。

 ……よし。


「稀有、お前は隠れてろ」

「わかりました。信じます」

 疑義を挟まないのは、当然そんな時間がないからということもあるが、それ以上にこいつが俺に信頼を置いてくれているからに他ならない。荒事担当、雨宮豪雨。そう言った個人の仕事っぷりに。
 それは正直、嬉しいことだった。

 ならば俺もその信に応えねば。

 追っ手の目的が稀有ではないと判断した決め手は、まるで堂々としていたからである。姿を隠すつもりがどこにもない。
 寝こみを襲うでなく、トイレに離れた隙を狙うでもなく、白昼堂々。それはあるべき姿ではない。それはプロの仕業ではない。

 いや、寧ろ、プロゆえなのかもしれなかった。気配を隠すつもりすらないのは真っ向勝負で俺を倒せると踏んでいるからなのだ。そして、であるのならば、追っ手の正体は殺し屋ではない。
 荒事のプロではあるが、プロの殺し屋ではない。


 曲がり角を寸前で引き返し、現れた追っ手へと誰何も経ずに蹴りを叩き込んだ。
 感触がよくない。芯を捉えていない。防がれたと判断して即座に距離をとった。相手も追撃をケアするために後ろへと跳んでいる。

「もう、痛いのよー」

 女の声だった。もっと言えば、少女の声だった。

 濃紺のダッフルコート。フードを被っていて顔は見えないが、首の横から白銀の髪の毛が二房、豊かな胸元まで垂れている。
 季節は秋口。コートの季節にはまだ早い。裸足なのも謎だ。

「コートのお仲間さんなのねー」

 とぼけた声である。俺は確かにトレンチコートを羽織っているが、これはファッションだ。ハードボイルドがゆえの宿命なのだ。
 いかん。だめだ。相手のペースに呑まれてはいけない。もう一人の姿も見えないのだから。

 ……稀有は大丈夫だろうか。もう一人は稀有を追った? いや、ルート的には、稀有を追うならこの道しかないはず。大丈夫だ。心を乱すべきではない。


「おにーさんは敵なのー?」

「……それはこっちが聞きたいくらいだ。お前は誰だ。なぜ俺たちを追う」

「うーん、そんなこと聞かれても困るかなー。ごめんなさい、先生から言っちゃいけないって言われてるのー。
 あ、でも、わちきってばどーせバカだから、ぜんぜん理解できなかったけどー」

 距離をじりじりとつめる俺に対し、一方のダッフルコートは、全く動く様子を見せない。ハンドポケットのまま、能天気な声を垂れ流し続ける。

「先生はねー、とっても怖くてー、だけどとっても強くてー、みんなからとっても頼りにされてるっぽいー? もちろんわちきも頼りにしててー、うふふー」

「……ちったぁ黙るつもりってのがねぇのか」

「あー、ごめんなさい、わちきってばバカだからー、本当バカで困っちゃうからー」


 銃口。

 ダッフルコートがサブマシンガンを両手に抜いている。

「い――つの、ま、にっ!?」

「みんなに迷惑ばっかりかけてるのー」

 ぱらららららららららんと鉛弾の驟雨。数多の殺意。直線状の路地裏では、避ける場所などありはしない。

「や、ばっ」

 あわせて俺も能力を起動する。


 数年前の話である。俺は大学デビューに失敗した。
 あまりにも平々凡々な高校時代を過ごしてしまったためか、勿論それ自体に不満はなかったのだが、もっと輪の中心にいられるような人間になろうと思ってしまったのだ。
 だが、今思えばそれは思い上がりだった。輪の中心にいられるような人物は、自然と輪の中心にいられるような人間性を持っているのだ。それが持って生まれた才能なのか、それとも努力の結果手に入れたものなのかはともかくとして。

 そこをかつての俺はわかっていなかった。付け焼刃で格好よくあろうとしてしまった。
 そのときちょうどハマっていた、無頼系の探偵を目指そうと思ってしまった。

 暑かろうとトレンチコートを着てみたし、吸えもしない葉巻を買い、バーのカウンターでスコッチを飲んで吐いたこともある。思い返すだけで忌々しい、痛々しい、正直思い返したくはない、思い出である。
 当然そんなハードボイルドは失敗する。どう失敗したのか、それこそ口には出せない。ただ、俺に友達はできなかった。

 学食でひとりぼっちで昼食を摂ることが常態化した自分に気づいたとき、俺は自らの過ちを知ったのだった。

 ハードボイルドとは何か。それは、ぶれないことである。歪まないことである。そしてそれは、自らの芯が、だ。格好ではない。内側から滲み出てくる「硬さ」。


 大事なものを守りたいとか。
 愛する人を助けたいとか。

 だから俺は、自分の能力が、結構嫌いではない。

 硬く、重く。それが俺の能力である。


 小気味いい音と共に弾丸が全て弾かれる。能力を用いても、やはり数多の弾丸は相当に痛い。涙だって出てくる。それでも漏れそうになる声を飲み込んで、俺は真っ直ぐダッフルコートへ突っ込んでいった。

「迷惑かけるたびにごめんなさいはするんだけどー、でもでも、何度もやっちゃうんだー、わちきってばバカだからー」

「頭イカレてんのかこいつ!」

 全てにおいておかしすぎる。

 言動がおかしいのはともかく、こいつ、いつの間にサブマシンガンなど出してきた?
 俺は決して目を逸らしたりなどはしていない。それなのに目の前のダッフルコートは、確かにハンドポケットからノーモーションで、二丁のサブマシンガンを出してきたのだ。
 取り出す瞬間すら見えなかった。気がつけば、それは俺に向けられていた。

 熟練の技を遥かに超越した神速。
 恐らく、能力者。


「あーあ、また怒られちゃうのかなー」

 顔。

 が、

 澄み切った両の瞳が俺に向けられている。鼻が触れ合うほど、その距離約五センチ。
 ダッフルコートのフードの下にあったのは、声に負けず劣らずの愉快な顔だった。愉快そうな顔だった。もしかしたら稀有よりも年下かもしれない。右目の下、泣きぼくろのように、ハートの形のシールが貼られている。

「い」

 つの間に、この距離まで。
 確かにこいつは、この瞬間まで、数メートル離れた位置にいたはずなのに。

 至近距離からのアッパーカットが俺の顎を直撃した。


「ぐうっ!」

 その声は俺とダッフルコートの両方からだった。
 拳が砕けて血が飛び散る。鉄塊と化して高速移動している俺に対して、生身の手で殴るなどするから、それは当然の結果である。
 だがこちらも問題ないとは言えない。このダッフルコート、言動はキチガイのくせに、やたらと綺麗なフォームで攻撃をしてくるのだ。痛みはないが衝撃が俺の上半身を揺らした。

 ダメージが軽微なのは俺。そのまま勢いに任せて地面を踏みしめ、震脚、大地を揺らしながら全力で拳を振るってやる。

「怒られたくなぁ――」

 ダッフルコートはぶっ飛んでいきそのままビルの外壁へと激突、鉄筋コンクリートごと内部へと崩れこんだ。

 物体のエネルギーに大きな影響を与えるのは速度と質量である。ただとにかく硬く、重たくなる俺の能力。そしてそれを最大限に活用した拳は、常人のそれをはるかに凌駕する。

「――いなぁー」

 右腕を肩からあらぬ方向へと曲げ、ついでに間接も三つほど増やしながら、それでもダッフルコートは能天気に笑っている。
 先生とやらに怒られないか、心配している。


「……やべぇな、こりゃ」

 嫌な予感しかしない。
 もしかしたら選択をどこかで間違ってしまったかのような、そんな錯覚にさえ陥った。
 こいつは敵に回したらいけないタイプだ。徹頭徹尾、まともではない。そんな存在を相手取って、こちらもまともでいられる保証などどこにもないのだから。

「うーん、やっぱりお仕事はー、きちんとやらなくっちゃだめなのねー」

 瞬間移動。俺の胸倉をダッフルコートが掴んでいる。
 まただ! なんの準備もなく、予兆もなく、こいつは一瞬で!

「あはーはーはー」

 拳を振るったのは殆ど反射といってもよい。しかしそれはきっちりと読みきられていて、大振りぎみの俺の腕を掻い潜り、脚を払われた。
 いくら重くともバランスは崩す。少しでも抵抗しようと体をねじりながら倒れこみ、反動での後ろ蹴り。だが先に動いたのは有利な立場にいたダッフルコート。俺の鳩尾へと膝を叩き込みながら馬乗りの体勢に。
 どこからともなく現れたサブマシンガンの先が、俺の口の中へとねじ込まれる。

「ばいばーい、なの!」




「はい、そこまで」



 聞きなれた声が目の前からした。それはある種のトラウマを呼び起こす声でもある。

 目の前にいたのはダッフルコートではなかった。切れ長の瞳と蓬髪の持ち主。真っ赤なルージュを引いていて、口元は楽しそうに歪んでいる。

「師匠!?」
「先生!」

 俺とダッフルコートの声がハモった。

 ……は?

「先生、邪魔しないで欲しいのよー」

「あぁ、すまない阿片。お前が混じると話が全くもって進まないんで、あたしがいいと言うまでお口にチャックだ」

「わかった! お口にチャック! なの!」

 自分の手を慌てて口にやるダッフルコート。いや、いま、「阿片」と呼ばれていたか?

「それにしても久しいな。元気にしていたか、豪雨」

「えぇ、師匠こそ、お変わりないようで」

 青山緑青。俺に戦闘のいろはを、生き残る術を教えてくれた人物であり、そして筆舌に尽くしがたいほどの性悪だった。

 軽口を叩きながらも手汗でいっぱいだ。死ぬことが恐ろしいのではない。この人が恐ろしいのでもない――いや、当然恐ろしくはあるのだけれど――師匠が出てきたということはつまり、そういうことで。
 俺たちを狙っているのは、この都市そのものだということで。


「俺と稀有は殺されますか?」

 単刀直入に尋ねてみる。

「あぁ、そのつもりだ」

 あっさりと返ってきた。

「――ったが、気が変わった。お前もあの小娘も逃がしてやろう。見逃してやろう。なぁに問題はない。豪雨よ、お前がいないうちに、あたしは副隊長まで上り詰めたのだ。だからまぁ、大体のことはなんとかなるのだ。
 しっかし初めてお前の恋人を見たが、なかなかどうしてお前もロリコン趣味だな。あんなちんまいのが好みなのか。あんなのがいいのか」

「あんなのって言い方は酷いんじゃないですか」

 これでも、俺の大切な相手なので。
 一応の抗議の声を、やはり当然のように師匠は聞く気がないようだった。

「あんなののために、豪雨、お前はあたしのもとを離れたのか。あんなののために、お前は――」

 そうして、意外なことではあるが、酷く悲しんだ様子でこう続けるのだ。

「――銀輪部隊を抜けたのか」 

* * *

――――――――――――――
今回の投下はここまでです。

苗字と名前の最初の文字を同じにしつつ、読みだけは異なるようにするのが、
意外と大変なのです。

今後もよろしくお願いします。


* * *

 俺は稀有に嘘をついている。

 彼女よりずっと前から能力者だったということを隠している。

 大学時代のバイトが反能力者側との抗争だったということを黙っている。

 銀輪部隊が秘密裏に存在することを言わないでいる。

 悪気はなかった。彼女が能力者となったとき、俺が能力者であることは誰も知らなかった。両親も、稀有の親である俺の姉さえも、知らなかった。
 能力者は基本的に陣内崎へと移送される。遅いか早いかの違いはあれど、有用か無用かの違いはあれど、その決定が覆った例はいまだかつてないと聞いている。

 だが、戻ってきた人間はいる。

 俺の師匠の青山緑青はそういう人間で、治安維持組織「銀輪部隊」の一員として、反能力者の一派と戦いを続けていた。
 「銀輪部隊」。昔、能力者たちの権利を求めて立ち上がった人々の名前。その名前はいまや古典と化してしまっているが、本質ではない。事実ではない。人々の目に見えないところに、能力者の目にすら見えないところに、確かに存在している。
 銀輪部隊の目的、それは能力者を守ること。どんな手を使っても。表からも裏からも手を回し、なんとしてでも。

 また戦略核を落とさせるわけにはいかないから。


 師匠は同時にスカウトもやっていて、俺はそうして引き抜かれた。
 きみは能力者だね。隠してもわかるんだよお姉さんには。して能力は? なんとそれは有用だ。ところで人助けをするつもりはないかい? いやなにも悪事じゃない。戦争を未然に防ぐ、誰にでもできないお仕事さ。
 云々というやりとりがあって、俺は結局、いわゆるところの「正義の味方」になることを選び取った。

 だが、勘違いしてもらっては困る。俺は有田稀有探偵事務所の荒事担当で、秘書である。それは稀有を騙していたとしても変わっちゃいない。
 俺が稀有を大事に思っていることも、稀有のためにこの都市へ来たことも、そこに何一つ騙りはなく、衒いもない。

 俺は稀有を守るために銀輪部隊を抜けたのだ。

「……銀輪部隊は能力者を守る組織。俺はただ、折衷案をとっているだけです」

 詭弁だ。それをわかっているだろうに、しかし師匠は、俺の言葉にぷっと吹き出した。

「あははははははっ! うまい! うまいよ、うまいこと言ったもんだ!
 豪雨よ、お前腕は鈍ったみたいだが、そのぶん口が上手になったんだな。あたしを笑わせるなんてなかなかだ、うむ、褒めてやろう」


「遠慮しておきます」

「む、遠慮されてしまったか。まぁいい、ともかく、とりあえず、なんとやら、だ。
 確かに銀輪部隊は能力者を守る。そのための組織で、それだけの組織。数の多寡は問題ではない。なるほど、一応、綱渡り的にだが、筋は通っている……か」

「とりあえず降りちゃくれませんかね? それと、事情の説明が欲しいんですが」

「なんだ、あたしに要求をするとは、随分と偉くなったもんだなぁ。ん? それに、あたしが重いと、お前はそう言っているつもりなのかい?
 退けるって点に関しては、そこは心優しいあたしのことだ、当然否やがあるはずもないわけだ、がぁ? 事情の説明は、少しばかり難しいところがあるぞ」

「どういうことですか。露木甘露。《神出鬼没》。あいつも銀輪部隊の所属のはず。知らないってこたぁないでしょ」

「あぁ、いや、知らないんだ。あいつもまた銀輪部隊を抜けたからな」

「……マジですか」


 会ったことは一度しかないが、噂は何度も聞いている。
 傭兵崩れだか軍人崩れだかの寡黙で無愛想な男。保有能力は「物体透過」。
 壁も、扉も、やつの前ではまるで無意味。そんなところからついた二つ名が《神出鬼没》。今回の密室も、能力の前では密室でもなんでもない。

 傭兵崩れであるが故に、軍人崩れであるが故に、争いを疎んで銀輪部隊に入ったとされる大男。やつがなぜ、逆に争いの火種となるような行為に手を染めたのか。

「じゃあ、なんで師匠は俺たちを追ってたんですか」

「名目上は無関係とはいえ、芋蔓式に露木からあたしたちの情報が漏れるともわからん。勿論、あいつほどの実力者をどうにかできるのがごろごろいるはずもないが、念には念をというやつだな。
 それに、少し気になるところもある」

「気になるところ、ですか」

「あぁ。弟子には特別に教えておいてやろう。最後に露木が関わっていた案件は、極東社がらみだ。やつは極東社の案件に就く寸前に抜け、その後一人で壊滅させ、姿をくらませた」

「極東社……選民思想バリバリのヤクザじゃないですか」


「あぁ。やつらは陣内崎から出たがっていたからな。出たがっていた、というか、無能力者を支配したがっていたからな。こちらとしても重要案件ではあったのだが……この有様だ。潰れたことは結果オーライだが。ふん。
 とりあえず忠告しておくが、『露木甘露には関わるな』。これは最早お前の手には負えんぞ? 今度こそ本当に殺さなきゃならんかもしれないんだ。あたしとしても、それはしたくない」

「銀輪部隊が対処に当たる?」

「そういうことだ。見過ごすには、少し事態が大事になりすぎたきらいがある。
 露木は極東社の残党から狙われ、議員の所属している一派からも狙われ、その上で新たに議員を狙っている。その理由はわからん。が、殆ど死にに行くようなものだ。あいつが無駄死にをするタイプだとは思えんが、それほどの何かがあった可能性もある」


「極東社と議員は関係していた。そういうことですね」

「断定はできん。ただ、まぁ、そうだな。露木の行動から鑑みるに、素直に思考すればそうなるだろう。
 極東社も殺された議員も、能力者の権利拡充、権益拡大を狙っていた。陣内崎から出て、無能力者たちの上に立とうとしていた。その思想自体をあたしは否定しないし、銀輪部隊も否定はしないが、その思想が能力者をまた戦争に巻き込むのなら、それはだめなんだ。
 そして露木もそれはわかっているだろうに、戦争に巻き込みかねない行動をしてしまった」

「だから、銀輪部隊は動かざるを得ない」

「あぁ」

「構図は極東社と議員一派に露木が対する形。でも、それは露出している部分に過ぎないし、何より二者は自分たちを襲ったのが露木の独断だとは思わない。二者に敵対する組織からの派兵であると誤認された場合……」

「理解が早くて助かる。そうだ、そのとおりだ。あたしたちはその誤認が最も恐ろしい。疑心暗鬼に取り付かれた末の大戦争だけは避けたいのだ」


 ふむ、そういうことか。

 結局師匠は言うだけ言って俺の上から退いてくれることはなかったけれど、その代わりなのか、事態の核心をぺらぺらと喋ってくれた。
 稀有はタクシーの中で「事態が逼迫しているか」と尋ねた。俺はその問いに対して、今ならより深く頷こう。銀輪部隊が出てきた以上――出てきてしまった以上、俺たちにできることはない。皆無だ。

 銀輪部隊はとにかくバランスを保つことにのみ特化した組織である。誰が指示するわけでもなく、「これは危なくなりそうだぞ」と思った人間が率先して事態の対処に当たる。そういう自浄作用の具現のようなものだ。
 ただただ、この都市を守るため。平穏を維持するため。

 あぁ、それはなんてハードボイルドなことか。

「わかりました。俺も、師匠たちがことに当たってくれるなら、それ以上の安心はありません。こっちはなんとかなりますよ。稀有のはぐらかすには少し骨が折れるでしょうけど」


「頼んだ。それさえ守ってくれれば、他にいうことはないよ。今こうして口の軽さを見せ付けたのも、事情がわかれば首を突っ込まないと思ったからなのだ」

 それは師匠の思惑通り、俺にかなり効果的だったといわざるを得ない。
 この件は、俺や稀有の管轄にはない。

 満足した顔の師匠は、そこでやっとこさ重い腰を――勿論、表現の上の話だ――あげた。一仕事終わったというように額を拭っている。

「終わったぞ、阿片。阿片?」

 師匠の背後で阿片と呼ばれたダッフルコートがこくこくと頷いた。依然、口には手を当てたままである。

「あぁ、あたしがお口にチャックといったからか」


「……あいつは何なんですか? 師匠のこと、先生とか呼んでましたけど」

「片平阿片。あたしが今訓練してるやつだ。お、ということはつまり、お前の妹弟子だな。ほら喜べ豪雨、妹だぞ。かわいいだろ」

「シゴキが過ぎたんじゃないですか? 言動が人間のそれじゃない」

「れっきとした人間だよ、あれでも。ちょっとな、頭が弱いんだ。酸素の薄いところで育ったらしい」

 なんだそれは。火星人か月人とでもいうつもりだろうか。

「その辺の性格矯正も含めてあたしの仕事ってわけさ。……ほら、阿片。お口チャックは終了だ! 帰るぞ!」

「はーいなの! 帰るのー! ばいばい、おにーさん!」

 出会いに比べればあまりにもあっさりと、師匠と片平阿片は姿を消した。
 全身からどっと力が抜ける。見逃されたという感じはなかったが、しかし、命拾いをした。九死に一生を得た。生存本能は確かに生きる喜びを噛み締めている。
 師匠と戦って勝てるほど、俺は自分に自信はない。

 手を退こう。店じまいをしよう。どだい、人探しなど最初から柄ではなかったのだ。

 俺はそう伝えるべく、稀有のもとへと戻ることとした。

* * *

―――――――――――――――――
今回の投下は、短いですがここまでです。

説明回。
「銀輪部隊」は「筋肉少女帯」の同名楽曲より。

次回もよろしくお願いします。


* * *

「却下です。ド却下です」

「なぜ!?」

「『なぜ!?』じゃありませんよ! 裏の組織とやりあって、負けて戻ってくるならまだしも、説得されて手を退こうとするやつがありますかっ!?」

 当然だが、相手が銀輪部隊であることは伝えていない。俺が稀有に言ったのは、明らかにパンピーではない二人組と交戦、事情を聞いて戻ってきたというところだけである。
 その結果が却下だった。さらに輪をかけてのド却下だった。

「や、だがな、やつらの言うことも一理あったんだ。俺は荒事担当だが、そこまで裏の世界に精通してるわけじゃない。お前なんて民間人だ。自分の手の出せる領域を見極められないと、本当に大変なことになるんだぞ」

 それは本当だ。過ぎた行動は身を滅ぼす。俺は、自分の身など稀有のためにならどうなってもよいとは思っているが、今回ばかりは話が別だ。有田稀有という存在ごと抹消されかねない。
 勿論稀有だってそれくらいのことは理解はしているのだろう。が、「それでも」という気持ちがいまだぶらさがっているようで、こちらを睨みつけながら唸っている。


「わかってくれ。これはデリケートな問題すぎる。単なる武力だけじゃない、政治的な問題だ。そして俺たちは、武力の範囲にも、政治の範囲にもいない。
 俺はお前の身の安全を守る責任がある。お前が危ないところへ行くのは、許容しがたい」

「……」

「稀有」

「わたしのことが大事」

「は?」

「そうなんですか? そういうことですか」

 顔を赤らめながらそういうことを言い出すな。せめて少しは空気を読め。
 思いはしたが、言えるわけもなく。

「……まぁな」

 なにこれ。超恥ずかしいんですけど。


「……じゃあ、まぁ、しょうがないです」

 よしよし。これにて一件落着。俺によし、稀有によし、師匠によしの、三方良し。

「すまない、邪魔するぞ」

 がちゃりと事務所の扉を開け、ずかずかと入ってきたのは一人の少女だった。凛々しい顔立ちは十分に大人びているが、とにかく背が低い。一五〇半ばの稀有の額ほどしかない。
 ノーネクタイのパンツスーツ。すらりと脚は長く、髪の毛は鴉の濡れ羽色。腰に手を当てて、言葉遣いに違わぬ不遜な態度。
 なにより、それぞれで色の違う瞳。

 右目は濃い茶。左目は青みがかった金色。

「……アイヌか」

「そうなんですか?」

「ほう、よくわかったな」

「そりゃわかるさ。目ェ見ればな」

 決して比喩的な表現ではない。アイヌ、それも純潔に限るが、彼らはみな左右で違う色の瞳を持っているのは有名な話だ。そのせいで差別や民族浄化の憂き目にもあっているが、能力者にまついわる様々なごたごたの中に紛れ、ひっそりと生きているとは聞いたことがある。


 稀有が知らないのは純粋に学力の問題だろう。アイヌを初めとした先住民族に関してきっちりと習うのは、確か高校だったはずだから。
 そう言う意味では背丈が低いのも特徴である。なるほど、どうやら彼女は自らの出自を隠そうとしないタイプの人間らしかった。

「なんじゃ、この探偵事務所、アイヌはお断りか?」

「うちらは人種差別とは無縁だ。こんなところにおいやられてまで少数派差別だなんて、馬鹿らしい」

「違いない」

 莞爾として少女は笑った。
 どんな荒波にも挫けないような強さがそこにはあった。

「あなたは今『探偵事務所』と言いましたが」

「ん? おかしなことを言うなよ、嬢ちゃん。ここは探偵事務所じゃろう? 表にも、そう看板が出ていたが」

「えぇそうです。あなたは間違っていません。『有田稀有探偵事務所』と、あなたが見たであろう看板には、そう書かれていたはずです」

「いかにも」

「だからこそ。だからこそ私は言っているのです。間違ってなどいないでしょう。しかし、だからこそ、あなたは勘違いしているのだと」


「おいおい、安楽椅子探偵を気取るなよ、嬢ちゃん。皆目見当がつかんぞ、なぁ」

 笑いながら話しているアイヌの少女であるが、その声は笑っていない。稀有に対して理解不能だと判断を下している。
 相対する稀有もまた声は冷たく、瞳は虚無。俺はその理由を知っている。

「失礼。うんざりしていまして、色々」

「あんたは殺人事件の捜査に来たのか?」

 助け舟を――というよりも、緩衝を、干渉を、入れてやらなければいけない。そう判断した俺の行動は迅速で正確だった。

「この探偵事務所は殺人事件しか扱わないんだ」

 いや、それは事実ではない。恐らく依頼が来れば稀有は喜んで引き受けるのだろうが、しかし、俺にも彼女にもその能力はない。ノウハウはない。
 稀有にあるのは殺人事件の犯人を言い当てる能力だけである。
 だから、探偵事務所なんてそもそもがお飾り。言い方は悪いが稀有のおままごとにすぎない。

 だから稀有は言ったのだ。間違いではないが、勘違い。ここは有田稀有探偵事務所。しかし、おわすのは決して普通の探偵ではなく。


 そして、俺の言葉を受けて、アイヌの少女はにやりと口の端を歪める。

「あぁ、そんなことか」

 と、あっさり吹き飛ばすのだった。

「わたしは嬢ちゃんになぞ用はない」

 俺を指差して、

「雨宮豪雨。貴様に用がある」

「却下です。ド却下です」

 惚れ惚れする速度だった。即断即決以上の何かだった。


「……なに?」

「あなたが何者なのかですとか、どんな用事があるのかですとか、一切合財どうでもよくて、とにかくたった一つ、まず一つ、何よりも大きな間違いをあなたは犯しています。
 豪雨さんは私のものです。私のために働き、私のために戦う、そのための豪雨さんです。仮に豪雨さんを遣いたいのだとすれば、それは私に言うしかないのです。
 ――そこをあなたは、間違っている」

 椅子から降り、つかつかと稀有はアイヌの少女へと歩み寄っていく。
 そうして、すわ胸倉へ掴みかかろうとして、拳を握りこんだ。

「勘違いも、甚だしい」

「この、異常者が……っ!」

 対するパシヶリの反応も侮蔑の色を帯びている。

「……まぁ、なんだ。とにかく、あんた、名前と用件くらいは教えてもらえないか。二人ともソファに座って、珈琲と紅茶、どっちがいい?」

「コーヒー。アメリカンで」

「稀有はコーヒーな。あんたも?」

「は、敵国の飲み物を飲むかよ。すまぬが紅茶じゃ」

「アメリカが敵国? 一体いつの時代の人間ですかあなた」

「ほう、アメリカが敵国だったことくらいは知っているようだな、中卒」

「……?」

 なんだ? いま、違和感が……。


 とはいえ、そんな違和感など焦燥感にかき消されてしまう。なにせローテーブルと煎餅を挟んで、ソファに座った二人が凄絶な視線合戦を繰り広げているのだ。俺としては場を収めることに躍起にならざるを得ない。
 そうしてコーヒーと紅茶を無事出し終えた俺は、稀有の隣に座りながら進行を司る。

「村木パシヶリ」

 アイヌの少女は本名をそう呼ぶようだった。苗字が日本式、名前がアイヌ式なのは、戦後に生まれたことの現われだろう。

「有田稀有探偵事務所に依頼をしたいとのことですが」

 『有田稀有探偵事務所』を殊更に強調して稀有は言った。

「単刀直入に言おう。
 露木甘露を探し出して欲しい」

「――つ、ゆき」

「……かんろ、を?」

 このときの俺の驚愕を一体どうすれば他人に伝えられるだろう!


 まるでやり過ごしたはずの蛇が後ろから襲ってきたに等しい。露木甘露。聞きたくもない名前が、不意打ちのように俺の後頭部をがつんとやってきたのだ。
 稀有もまたアイヌの少女、パシヶリの口から紡がれるその名に驚きはしているようだけれど、俺と驚きの質は全くもって異なる。

 俺たちの驚きをパシヶリはどう受け取ったのだろう。色の違う瞳をぱちくりさせ、それでも言葉は止まらない。

「あ、あぁ。露木甘露。聞いたことはあるか、ないか、知らぬが……プロの傭兵のようなものだ。物体透過の能力者で、ついた通り名が《神出鬼没》。
 わたしは今、諸事情あってあいつを探している。というより、ん……これは、言ってしまってもいいかの……あいつを止めなければいけない理由が、わたしにはある。有体に言ってしまえば恩がある。その恩を返したい」

「……」

 俺も稀有も、無言だった。

「……引き受けてはくれないか」

「いくつか、質問が」

 口を先に開いたのは稀有だった。


「あいつを止めると、恩を返すと、今あなた……パシヶリさんは仰いましたが、露木甘露……そのかたを止めることが恩を返すことになるんですか?」

「ん……まぁ、そうだな。そうだ。あぁ、そういうことになる。あいつはわたしを助けてくれた。今度はわたしが助ける番だ。……もっと詳しく説明しないとだめか」

 だめだ、と思わず言いそうになった。

 おかしい。全てがおかしい。
 ありえないとまではいかないが、辻褄があわなさすぎる。
 平面の面積を求めているときに、いきなりz軸が現れたような、そんな情報過多。別のベクトルの混在。

 師匠の話には村木パシヶリの存在などどこにも出てこなかった!

 いや、待て。確かに師匠も全てを知っていたわけではない。つまり、パシヶリが知っていることは、師匠の知らない情報ということだ。
 なぜ露木甘露が銀輪部隊を抜けたのか。なぜ一人で極東社を壊滅させたのか。なぜ議員を狙った/ているのか。それらの一部、もしかしたら全てを、この少女が握っているのかもしれない。

 そう考えればここで手放すにはあまりにも惜しい――


 とそこまで考えて、おいおい、と冷静な自分が突っ込みを入れる。
 お前はもう銀輪部隊ではないのだと。首を突っ込むなと言われただろうと。
 なるほど確かにその通りである。師匠にも言われた。そして俺が稀有にさきほど忠告した。これは俺たちができることの範囲を通り越している。ちょっとした興味で首を突っ込んでいい部類ではない。

「いえ、とりあえず、大丈夫です。では、なぜうちを……豪雨を、という意味で、ですが……うちを頼りにしようと?」

「なぜといわれてもな。人探しといえば探偵と相場が決まっているだう? 有田稀有と言えば、かつて一世を賑わせた大スター。稀代の名探偵。どんな難事件もたちどころにすぱっと解決。『解決しすぎて』命すら狙われたという」

 ぴく、と、稀有の手が動いたのを俺は見逃さなかった。お茶請けが煎餅であってよかったと俺は本気で思う。もしこれがケーキであったのなら、稀有は目の前の彼女をフォークで刺しているだろうから。

「そんな人間のボディガードを勤めている男なら、きっと相当に腕も立つのだと、そう思っただけさぁ」


「ふむ。うちの従業員が真っ当に評価されるというのは、随分と嬉しいものですね。
 そのとおり。彼はよく働きますよ。お目が高い」

 どこまで本気かもわからない台詞にいちいち喜んでなどいられない。俺は儀礼的に頭を下げるだけにとどめる。
 そして恐らく、稀有も気づいていることだとは思うが、この村木パシヶリという少女は嘘をついている。

 露木甘露を探しているのは本当だろう。恩返し云々は不明だが、言葉自体は真に迫っていた。一見して嘘とも思えない。
 ただ、俺を――ここを、頼った理由は口からでまかせである。稀有が有名なのは確かにそうで、それは稀有自身否定しないが、だからといって俺には決してたどり着かない。
 稀有が命を狙われていたことは殆どの人間が知らないことで、即ち俺がボディガードとしての役割を担っていることもまた、殆どの人間は知らない。そして俺が知る限りにおいて、村木パシヶリという存在は情報を知りうるコミュニティないにはいない。

 こいつは俺の腕が立つことを知っていた。通常知りえないことを知っている人間は、概して怪しいものだ。


「ふむ。うちの従業員が真っ当に評価されるというのは、随分と嬉しいものですね。
 そのとおり。彼はよく働きますよ。お目が高い」

 どこまで本気かもわからない台詞にいちいち喜んでなどいられない。俺は儀礼的に頭を下げるだけにとどめる。
 そして恐らく、稀有も気づいていることだとは思うが、この村木パシヶリという少女は嘘をついている。

 露木甘露を探しているのは本当だろう。恩返し云々は不明だが、言葉自体は真に迫っていた。一見して嘘とも思えない。
 ただ、俺を――ここを、頼った理由は口からでまかせである。稀有が有名なのは確かにそうで、それは稀有自身否定しないが、だからといって俺には決してたどり着かない。
 稀有が命を狙われていたことは殆どの人間が知らないことで、即ち俺がボディガードとしての役割を担っていることもまた、殆どの人間は知らない。そして俺が知る限りにおいて、村木パシヶリという存在は情報を知りうるコミュニティないにはいない。

 こいつは俺の腕が立つことを知っていた。通常知りえないことを知っている人間は、概して怪しいものだ。

 断るか。俺の視線を受け、稀有も頷いた。断りましょうと瞳が告げている。


「すみませんが……」

「雨宮豪雨。五分だけ時間を貸して欲しい。いや、ここは有田稀有、貴様に頼むんだったな。
 お願いだ。五分でいい。貴様の護衛を説得する時間をわたしにくれ。それでだめだったら諦める。本当だ、約束する、この通りだ!」

 ローテーブルに額をこすりつけるようにパシヶリが頭を下げる。まさに平身低頭という言葉が相応しいほどの態度に、俺も稀有も、一瞬呆気にとられてしまう。
 お互い顔を見合わせた。流石の稀有も居心地が悪いのか、まぁ、五分だけなら、と言葉を濁してしまう。

「本当か!? 助かる!」

 ぱぁっとパシヶリは顔を輝かせ、そして次にこう言った。

「じゃあ、悪いが有田稀有、少し席を外してくれないか」

「は?」

「なにが疑問だ? わたしが借りたのは雨宮豪雨の五分じゃ。貴様の五分じゃあない」

「ならば却下です。得体の知れない人間を、私の豪雨さんと僅かでも一緒にすることなどできません。お帰りください」

「おい」

「お帰りください、客人」


 パシヶリの手を掴んで稀有は無理やり彼女を立たせた。そうして、大声で叫び声をあげるパシヶリをそのまま事務所の外の廊下へと押し出してしまう。

「おい! おい! 本当か! 少しはものを考えろよ貴様! いいのか! 露木甘露は、あいつはやる男だ! やれる男だ! 極東社を潰したのも、議員を皆殺しにしようとしているのも、確固たる目的があるからだ!
 雨宮豪雨! お前がそれをわからないはずは――!」

 勢いよく扉が閉められる――否、扉を閉めたのは俺だった。

 なんだ。あいつ、あの女、一体最後になにを言いかけた?
 あの口ぶり、まるで俺と甘露の繋がりを、
 銀輪部隊のことを知っているようだったじゃあないか!

「全く、困っちゃいますよね。ああいう輩は」

 手をぱんぱんと払うジェスチャーをして、満足げに稀有は頷いた。
 廊下からはパシヶリの声が僅かに漏れ聞こえてくるが、その内容までは理解できない。しないほうがいいような気も、僅かに、する。

「……」

「豪雨さん?」

「いや、なんでもない。小腹が空いたな。そろそろ昼飯にするか」

「それは実によい考えです。ナイスアイデア、というやつですね」

 昼飯を食べに外へ出たとき、既にパシヶリはいなかった。
 俺の胸中に一抹の不安を残した彼女の姿をなんとか飲み込んで、俺は稀有に向かって笑顔を作ることに、なんとか成功した。

* * *

―――――――――――――――
今回の投下はここまでです。

無論、この作品はフィクションです。
現実のアイヌの人々とは全く関係がありません。

今後もよろしくお願いします。


* * *

 眠れなかった。

 情事を終え、体は随分と疲れているのに、どうにも眠気が襲ってこない。
 稀有は俺のシャツを掴みながらぐっすりだ。ショーツは身に着けているが、ブラは着けていない。寝息を立てるたびに小振りな胸が上下している。
 彼女の体温は比較的高い。一緒の布団に入っているだけで、こちらまで暖かくなってくる。

 安らかな顔を見ていると頑張ろうという気になってくるのは不思議なものだった。

 きっとそれが愛なのだと思う。
 俺は稀有に恋しているのではなく、稀有を愛しているのだと思う。

 その差は実に奇妙なもので、もしそれぞれを定義づけるのだとすれば、前者は相手に求め、後者は相手から得るものなのだと思う。
 愛を求めるのではなく、恋を求める。
 恋を得るのではなく、愛を得る。


 今だってそうだ。俺は稀有から安らぎを得ている。決して求めたりなぞしていないのに、勝手に自分の奥底から沸きあがってくる、正体不明の無限のパワー。
 いまならなんだってできる気がする。
 不可能だって可能になる。

 稀有のためなら銀輪部隊だって相手にしてみせよう。

「……」

 あぁ、そうだ。正直に言おう。弁明と言い換えてもいい。
 俺は銀輪部隊が恐ろしい。
 そして同時に、このままではいけないのでは、とも思い始めている。

 両者を同時に選ぶことはできない。克己し、恐怖に打ち克つか、それとも安寧の日々の中に身を委ねるか、二つに一つ。
 違う。俺は内心で首を横に振る。果たしてこのままで安寧の日々に溺れることができるのか、そしてなにより、稀有の身に被害が及ばないか、それが全て。
 もし彼女が害されるとわかれば、俺は恐らく、飛び出していくだろう。師匠の前に立ちふさがりもするだろう。


 誓ってこれは同情ではない。家族に見捨てられ、権力者から狙われ、弱者から担ぎ上げられた一人の少女がかわいそうだからというわけではないのだ。
 俺は彼女から、もっともっと、安らぎを得たいのだ。

 けれど、だがしかし。
 怖いものは怖い。
 
 俺が師匠に勝てる道理はない。片山阿片と呼ばれたあの少女と互角の勝負がせいぜいだろう。だから、俺が俺の目的を果たせる可能性は、殆どないと言ってもいい。
 それでも、なぜだか昼間のアイヌ――パシヶリのことが気になって仕方がない。なぜ露木甘露が蛮行に及んだのか。確かに、師匠も、誰も、その理由を知らない。知らないままに、やつを討とうとしている。
 寡黙な大男。歴戦の傭兵。仮称:再建八八部隊。《神出鬼没》。反戦主義者。それがやつ、露木甘露という男だったはずだ。


 自己免疫疾患。そんな単語が脳裏を過ぎる。
 陣内崎の安寧秩序を守るための銀輪部隊が、甘露を殺害せしめたとして、それはあまりに安易に過ぎるのではないか。

 心配しすぎだろうか。だったらいいのだけれど。

「……」

 寝付けない。

 俺は諦めて上体を起こした。起こさないように、ゆっくり、そうっと、一本一本丁寧に、シャツを掴む稀有の指を解いていく。
 スウェットを穿いて外へ出ることにした。そういえば、煙草が切れていた。気分転換がてら散歩というのも悪くないだろう。

 コンビニまでは徒歩二分。まさしくconvenienceというわけだ。
 深夜でも明るいそこは、陣内崎にあっても人を寄せ付ける性質を持つ。深夜をとうに回っている時刻であるというのに店内に客が数人いた。
 レジで煙草の数字を伝えるだけの簡単な作業。俺は愛用の煙草を示し、小銭を払って商品をポケットの中へと突っ込んだ。


 早速軒先で吸おうとしたそのとき、コンビニの硝子越しに、キャスケット帽が大きく飛び跳ねたのが見えた。
 小柄だがすらりとしたスタイルのいい体型。帽子はまだわかるのだが、上下ともに臙脂のジャージ、さらにサングラスとマスクをしているのだから、怪しさ満点である。
 あまりの不審者ぷりに目を逸らせずにいると、キャスケット帽はそそくさと踵を返した。まるで俺に見られて不都合があるかのように。

 その動きを見て、ぴんとくる。

 自動ドアを戻って店内へ。俺がやってくるのを察知したそいつは、見るからに慌てて棚と棚の間へと逃げ込んだ。お菓子コーナー。こちらも当然追う。

「なにやってんだ、起立」

「立浪起立? 人違いでは? あたしはあんな美少女じゃありませんよ?」

 誤魔化すつもりがあるのかないのかわからんやつである。


「ばればれなんだよ。お前、俺を見て逃げようとするんじゃねぇ」

「逃げようとなんてしてないもん! アイドルだってことがばれたら大変なんだから!」

 周囲を気にし、小声で叫ぶという妙技を披露しながら、嘗ての同僚立浪起立は――B級アイドル星屑きらりは、俺の鳩尾に拳を叩き込んできた。
 それを能力で防いでやると、逆に起立は「ぐえ」とカエルに似た声を上げてうずくまった。

「大丈夫か?」

「……骨が折れた」

「そうか。じゃあな」

「なんか奢って」

「はぁ?」

 さっきまで他人のふりをしていた人間がいきなり何を言っているんだろう。
 店員の視線が痛い。このとち狂った女が『あの』星屑きらりその人であることには気づかれていないようであるが。

「……ビールでいいか?」

「あたし一応、公式では18歳ってことになってんだけど」

「お前、俺とタメだったよな」

「うん。今年で25」

 ……ファンの人々に対してお悔やみを申し上げることにしよう。


「文句を言うなら買わん。人違いなんだろ。じゃあな」

「あ、あっ、待ってよ! ジョーク! 単なるジョークだってば! 陣内崎ジョーク!」

「わけのわからん区分をつくるな」

「いや、ばれたくなかったのは本当だけど……でも、そういえば豪雨ちゃんに用事があったなって」

「一年ぶりに会って、用事か」

「そう、用事。それだけでわかるかな?」

「……まぁな」

「そっか。豪雨ちゃん変わらないね。眼が淀んでるところも、そのくせ察しがいいところも」

「うるせぇ」

「まぁ、話は聞いてくれるんでしょ? 冗談はこれまで。本当にね。
 ちょっと待っててよ。買い物済ませちゃうから」

 そう言って起立はカップラーメンを三つとストッキング、あんまんを買って、俺に奢らせることもせずにコンビニを出た。
 なんだ、呆気ない。

 と言ってられるほど余裕がないのは事実である。


 最寄の公園のベンチに座り、俺は煙草を咥え、起立はあんまんにかぶりつく。
 さてどうしたものかと考えるも、その時間は一瞬だった。あくまでも普通に向こうから切り出してくる。

「師匠と会ったんだって?」

「あぁ。遭っちまった」

 出会ったのではなく、遭遇してしまった。

「ふーん」

 ある程度は――もしくは殆ど全ての顛末を知っているのだろう。淡々と相槌を打って、起立はにっこりと笑う。

「大変だねぇ」

「大変だよ、本当に」

 あるいは、全てを見て見ぬ振りすれば、大変なことなどどこにもないのかもしれなかったが。

「大変なのはこっちもだよ。あたしはアイドルのお仕事あるから、そう頻繁に銀輪部隊できるわけじゃないけどさ。師匠なんか頭から角生やしながら、『絶対とっちめて吐かせてやるんだ』って」

「甘露を?」

「うん」

「楽しそうな顔してか?」

「うん」

 それは酷く凄絶な笑みだっただろう。俺なんか、絶対見たくない。


「あはは、変わらないよねぇ。どころか、前よりも鋭くなったかもしんない」

「新しい弟子もいたな」

「あぁ、阿片ちゃん? 入って半年くらいになるのかな。面白いコだよね」

 あれを面白いで片付けられるのは驚嘆に値する。それとも、魔窟たる芸能界においては、あんなのは序の口だとでもいうのだろうか。

「あいつは、その……なんなんだ?」

「なんなんだ、って言われてもね。わかんない。ちょっと、空気の薄い環境で育ったらしくて、そのせいで頭の調子が悪いんだって」

 師匠も言っていたな、それ。どういうことだ? チベットの山奥ででも生まれたのか。

「でも、あのコがいるおかげで、結構師匠の鋭さは収まってきてる感じもあるんだけど」

「そうなのか?」

「露木さんは傭兵さんだけど、師匠は軍人の家系っしょ? 千島列島守ってた部隊の生き残り、その孫だって聞いたけど」

「九一部隊な」

「そう、それ。守りたいものを今度こそ守るんだって。それこそが青山家の悲願なんだって、言ってた」

「で、お前は釘を刺しに来た、と。俺が師匠の邪魔をしないように」


 腹の探りあいをするつもりもなかったので、一気に懐へと攻め込んでみる。
 あくまで起立は能天気に、顎へ指を当てたりなんかしながら、僅かに宙を仰いだ。

「三角ってとこかなぁ。師匠からそう言われたわけでもないし、止めろって言われたわけでもないし……。
 ただ、豪雨ちゃんが無駄死にするのは、犬死するのは、見たくないなぁって。
 だから、豪雨ちゃんが確固たる意志に基づいて師匠の邪魔をするのなら、それはまぁ、勝手に死ねばいいとも思うよ? 師匠に勝てるわけないだろうし」

 中途半端に首を突っ込めば、その死にきっと意味はない。だが、死んでもよいと思いながら死地に赴くのは、きっと内容が異なるはずだ。
 少なくとも俺はそう思う。起立もそう思っている。

「ボスも行方をくらましてから長いしねぇ。新興勢力の勃興も多すぎててんてこまい。師匠としてもストレスたまってるところがあるんじゃない?」

「だんだんとよくない方向に向かっていってる感じか」


「そう! そうなんだよ豪雨ちゃん。
 万物不変なんてありえない。平和もいつか崩れる。だけど、争いだっていつか収まる、そのはずなの。天秤の均衡を保つのがあたしたちの役目。でしょ?
 だけど、なんていうか、説明はしづらいんだけど……うん。気持ち悪い」

 気持ち悪い、か。
 直感は大事だ。経験と無意識の集合体であるソレが俺を悩ませているように。

 急激な事件は起きていない。ただ、なんとなくしっくりとこない。
 事件とも呼べないこまごまとした何かが頻発して、それは本当に都市伝説レベルのものばかりで、対応するまでもないのだけれど、そういった見過ごせるレベルの要因がいつか重なりあうのじゃないか。
 そして、中心には、渦を作り出している何者かがいるのではないか。

 起立が気持ち悪いと称したのはそういうことだ。

「極東社が壊滅したのは知ってるしょ? あそこは確かにレイシストの集まりだったけど、実際行動に移せるほどの力はなかった。
 議員も決して清廉潔白な善人ではなかったけど、別に、陣内崎では目立った存在じゃない」

 誰かがちょっかいを出しているみたい、と起立は言う。


「それに、不安を煽るような、変な都市伝説も増えてきてるしさ」

「ゴシップ週刊誌に載っていたような?」

 ジャンボ機の墜落だとか、銀輪部隊の再結集だとか。
 稀有が読んでいた雑誌を思い出す。

「え? あぁ、豪雨ちゃんも読んだんだ。うん、ああいうの。海水から冶金だとか、能力を失った人が現れたとか、パンダがお店やってるとか、神様と話せる能力者だとか、そんなのばっかり。
 信じちゃう人だとか、縋っちゃう人が、少なからずいる以上は」

「そういう噂を流しているのも『何者か』だと?」

「や、違うよ豪雨ちゃん。だったらやだなぁって、それくらい。
 色々、タイミングが悪い。タイミングが悪すぎて……悪いことが重なりすぎて、ちょっぴり疑い深くなっちゃってるだけ。誰かがやってるんじゃないか、ってね。
 火のないところに煙は立たない。なら、誰かが火をおこしてる可能性は、やっぱり考慮にいれなくちゃ」


 だからこそ、「誰かがちょっかいをかけている」ように感じられるのだ。焦点を意図的にずらされているような、そんな違和感があるから。
 師匠も甘露を始末して、それで全てが終わるとは思ってもいるまい。さりとてやつを野放しにすることもできないでいる。
 捕獲して事情を問い質すのが最善うが、素直に話せるような問題なのであれば、甘露は真っ先に銀輪部隊を頼るだろう。銀輪部隊を頼らなかったということは、逆説的に甘露は組織を不要と判断したことになる。

 能力的になのか。
 信頼的になのか。

 ……難しい。前者であれば、けれど、ならば甘露一人で立ち向かえる道理はない。後者であれば、銀輪部隊の中に敵がいるということである。どちらとしても、考えたくない。

「考えてる?」

「あぁ、考えてる」

「意味もなく死なないでね。それは、あたしも悲しいから」

 意味もなく、か。


「そもそも死に意味の有無を考えること自体、意味がないんじゃないか。結果を残すとか、意志を託すとか、それは行動に伴う事柄であって、死に伴う事柄じゃないだろ」

「結果を残せなければ、意志を託せなければ、即ち何も果たせなければ、行動に意味はなかったって豪雨ちゃんは考える?」

「客観的にはそうだろうな。仮に俺が大事な情報を手に入れたとして、それを伝えられなかったら意味はない。無念さの中で死んでいくんだろう」

「やだやだ、随分ニヒリズムに酔って――寄ってしまったんだね、豪雨ちゃんは。
 もっと楽しく考えなよ。例えばこの世に神様がいるとしたら、あたしたちが今なにをやっているかは勿論、当然あたしたちの考えていることだってお見通しなわけ。頑張れば頑張ったぶんだけ、ちょっと融通利かせてくれることがあるかもしれないじゃん」

 神様の有無を論じているのではないのだろう。だから、そんなものはいないと一蹴するのは簡単だけど、本質ではない。

「どんなふうに?」


「それはわかんないけどさ。たとえば爆弾があって、赤と青のコードのどちらかを切れば止まって、間違えたら爆発しちゃうってとき、神様はきっと手助けしてくれるとあたしは思うんだよ。
 だって神様はなんでも知ってるんだから、どっちを選べばいいか、どんな選択をすればいいか、わかってるに違いないもん」

「まぁ全知全能とは限らないかもしれないけどな」

「それは確かにあるね」

 きっと論じているのは生き様だ。どうあるべきか。どう生きるべきか。極めて抽象的で漠然としたそういうことを、だらだらと語ることが俺は嫌いではなかった。
 勝手な意見で申し訳ないが、陣内崎にいるどんな能力者もみんな、いや、普通の人間誰しも生き方/生き様から逃れることはできないのだと思う。先立つものが理想か現実かくらいの違いはあれど。
 そういうことならば、もし神様が俺の行動を、思考を、逐一照覧あったとして、思わず手助けしたいと思うくらいの行動をしてみたいものだ。


「お前にも、あるのか」

「なにをさ」

 笑いながら返されて、そこで初めて自分の質問がふわふわしていたことに気がつく。

「生き様というか、軌跡というか、これからをというか」

 現在、過去、未来。全て異なっているように見えて、どれも大した違いはない。
 過去があって、現在があって、未来があるのだから。

 起立は「あは」と笑った。自信に満ちた、アイドルの顔だった。

 何千何万というファンを虜にする顔だった。

「なーにバカいってんのさ、豪雨ちゃん。
 あたしの目的は今も昔もただひとつ。トップアイドル、それっきゃないね。行動の全てはそれにむけられてるわけ。陣内崎に来てからも、それは変わんない。
 あたしがキラキラする。みんながそんなあたしを見て、キラキラする。そうしたらあたしも嬉しくって、どんどんキラキラしていられる。この連鎖。連鎖なわけ」

 思わず俺すらもファンになってしまいそうなほど、立浪起立は――否、星屑きらりはいい笑顔をしている。


「物事が単発で終わることなんてない。全部続いていく。そうして、いつか、全世界の人があたしの名前を知る。六十億人のファンクラブ会員ができる。『KIRARI』が合言葉になって、戦争だってなくなる」

 俺は決して笑ったりしなかった。起立が本気でそう言っていることがわかったから。
 心無い人間は、本気で言うからこそ笑いもするだろう。しかし、それは全くの愚考であると、愚行であると、言わざるを得ない。

「……そのアイドルさまが、こんな夜更けに出歩いていていいのか。しかも男と二人って」

「やばいよ、やばやばだよ! でもまぁ、それくらい大事な事だってことさ。銀輪部隊、それも師匠に向かってくなら、今生の別れになるかもだし?
 それにまぁ、明日はオフだから。こんな芋ジャー着たあたしの姿なんて、豪雨ちゃんは見てないんだよ」

「それはまぁ一向に構わないんだが。
 お前は結局、俺を止めにきたのか? 焚き付けにきたのか?」

「わかってないなぁ豪雨ちゃんは。
 そんなの勝手にすればいいんだって」

 なるほど確かにその通りだった。


 そして起立は大あくびと共に立ち上がった。目じりに滲んだ涙を拭い、肩をまわしてストレッチ。

「んじゃ、まぁ、言いたいことは言ったから、あたしゃ帰ることにするね。ばいびー」

「……おう。ありがとな」

「惚れんなよ」

「惚れねぇよカス」

「カス!? いま豪雨ちゃん、あたしのことカスって言った!?」

「あぁもういいから早く帰れよ! 夜更かしはお肌の大敵らしいぞ!」

「そのとおりだね! ってことで、本当にさよなら」

 去り際、起立は振り返って。

「行動するなら早いほうがいいよ。師匠、もう露木さんの居場所を掴んだみたい」

 背中を向けたまま手を振って、起立は今度こそ、闇夜の中に溶けていった。

「……」

 ……あいつ、これが本題だったな。

 師匠の邪魔をするつもりはない。だが、自衛のために、情報くらいは集めておいてもいいだろう。甘露が純粋に悪であろうと、それとも何らかの善行の途中であったとしても、関係ない。
 俺はただ稀有を守るだけなのだ。
 それを再確認できた夜だった。

「……」

 その後、家へと戻った俺を待っていたのは、稀有のいないベッドであったわけなのだが。

* * *

――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。

イマジンブレード……あれもきちんと完結させねば、とは思っているのですが。
心が弱っているときでないと書けない話なのです。必ず脱稿できるときが来ると思いますので、
気長に待っていただければ幸いです。

今後ともよろしくお願いします。



* * *

「……」

 驚くほどに冷静だった。寧ろ、体温は下がっている。自分の体がどこかへ行ってしまったかのように地面の感触がない。
 ベッドの上には一枚のカードが残されている。随分と洒落たことをするやつだ。誰だかはわからないが、それだけは評価できる。せめて苦しまないで殺してやろう。
 ビルの名前が書かれている。そこで待つと、たった一言。
 そして月の輪の絵。

 銀輪の絵。

 ……いや、イコールで結びつけるのなんて性急すぎる。普通に考えれば証拠を残す必要なんてないのだから、これは明らかに罠で、銀輪部隊に罪を擦り付ける仕業に違いない。
 そう、罠だ。ビルへ向かえば敵の思う壺。そうであることはわかっているのに、わかりきっているのに、俺の体は動くのをやめない。すぐさま公衆電話に入って真南を呼び出した。

 真夜中もとっくに過ぎているというのに、2コール目で真南は出た。


「……どうした、こんな夜更けに」

「協和第三ビルを知っているか」

 電話口では僅かな沈黙があったが、浮かんだ様々な疑問を真南は飲み込んでくれたのだろう、都市の中心からは少し外れたところにあると教えてくれた。

「……何があった。何しに行くつもりだ」

「稀有が攫われた」

 俺は正直に答える。

「カードが落ちていた。協和第三ビルへ来い、と」

「行くつもりなのか」

「それ以外にない」

「……そこは物騒なところだ。極東社。知ってるか。そこのアジトがあった」

「あった、ということは」

「今はない。俺たちが追っている露木甘露、そいつに潰されたからな。残党はまだかなりいるだろうが、どうなんだ? 何か恨みを買うような真似でもしたのか?」


「まさか」

 またも正直に答える。俺は極東社などとは何の縁もない。稀有だってそうだ。
 だからきっと、稀有が狙いなのでも、俺が狙いなのでもない。それなのに俺たちが狙われた。この不合理。辻褄の合わなさ。

 巻き込まれたような。
 利用されているような。

 起立との会話を思い出す。

 そして、もし仮に「そう」なのだとしても、俺は稀有を助けないわけにはいかないのだ。

「極東社のこたぁ管轄外だから、正直よくわからん。ただ、とにかく物騒なやつらだとは聞いている。気をつけろよ」

「あぁ、悪いな」

「なに、いいってことよ」

 受話器を戻した。反転して空を睨みつける。
 細い、細い辛うじて見える程度の三日月。その月だって群雲に隠れて随分と夜は暗い。


 ビルまでは本来なら公共交通機関を使う距離だった。しかし、深夜という時間帯、当然やっているわけもない。唯一頼れるのは自らの脚。俺は全速力で目的地へと向かう。

 認識が甘かった。後悔してもしきれない。首を突っ込むか、突っ込まないか、そんな判断で悩んでいた自分はなんと愚かなんだろうか。
 とっくに首を突っ込んでいたのだ。いや、首を突っ込まされていた、というべきか。
 起立の言う中心人物、絵図を描いている人間にとっては、既に俺も稀有も役者として演壇に上げられていた。それを俺たちは理解していないで、あまりにも悠長な選択を――あぁ、畜生、畜生!

 なんてバカなんだ!

 もし人生が二度あれば、新しい選択ができるのであれば、過去の自分を叱責したい。新しい道を選びたい。パシヶリと一緒にいったっていい。片時も稀有から目を離すものか。俺はあいつからまだまだ安らぎを得たいのだ。
 そして人生に二度目なんてない!

「くそっ!」


 いまだ姿の見えぬ、おぼろげな輪郭すらもつかめぬ黒幕は、一体俺たちになにをしたいのか。なにをさせたいのか。どんな踊りを踊ってほしいのか。
 役割はなんだ。道化か。悪の枢軸か。それともまさか正義の味方か。
 わからない。わからないままに、それでも俺は稀有を助けなければいけない。そういうふうにできている。

 そしてそれすらもきっと、敵の手のひらの上なのだ。
 俺がただただ稀有を助けるために行動するだろうと知っているから、敵はこんな選択をとることができた。

 苦々しい思いを吐き出す方法はない。たどり着いたビルの扉を苛立ち混じりに蹴破りながら、俺は敵の手中へと転がり込む。
 警報が鳴っている。知ったことか。稀有さえ助け出せればそれでいいのだ。
 どこだ。どこにいる。稀有も、敵も、どちらだっていい。


 と、そのとき、

「おにーさんなの!」

 甘ったるい声がフロアに響いた。通電していないから、視界は暗い。それでも夜の中を走ってきた視界はすっかり順応していて、まるで暗闇に紛れるように、濃紺のダッフルコートがこちらへ歩を進めてくる。
 間違えるものか。片平阿片。俺の妹弟子。
 なぜこいつがここにいるのか。

「どーしておにーさんがここにいるの?」

 それはまるきりこちらの台詞だった。なぜ阿片がここにいるのか。そして、彼女がここにいるということは、恐らく師匠もまたこのビル内にいるはずで。

「どうして、お前、が」

 尋ねてから、しまった、と思った。

「――」

 嫌な予感。怖気。

 阿片はまるで自分自身を律するかのように、自らの口を両手で覆った。「お口にチャック」。師匠から言いつけられているのだ、「何か」を漏らしてはいけないと。口外してはいけないと。
 そして、その何かとは、甘露のことに他ならない。


 起立からの忠告が蘇る。

 きっと、恐らく、敵が望んだのはこの状況。

 衝撃。

 意識の死角からやってきた攻撃に、防御行動すらとることはできなかった。脇腹のどこかが捻じ切れ砕ける音、同時にやってくる激痛に絶叫を上げながら、壁へと激突する。

「おいおい、おいおい、どうしてだ? どうしてお前がここにいるんだ? 豪雨よ」

「師匠……」

 この場で最も会いたくない人物、青山緑青その人が、俺の眼前に立っている。
 頭から血を流している。服もところどころ破れ、肩には折れたナイフの刃が突き刺さり、赤い雫が一滴、また一滴と廊下を濡らす。

「何をしにきた? まさか、邪魔なのか? 邪魔をしにきたというわけじゃあ、ないだろう? ないだろうよ、豪雨ゥ?」

 踵を返したくなるほどの重圧だった。
 恐らく、師匠は今まさに甘露と戦っているのだ。やつの息の根を止めようとしているのだ。そして俺は明らかに異物であり、邪魔者であり、障害とすらみなされている。
 誤解は解かねばならない。俺は師匠の、阿片の、敵ではない。敵ではないのだが……。


「……」

「あまり時間がないんだ。早く答えてくれよ、豪雨。それだけだ。答えをくれるだけで、全ては済むんだ」

 わからなかった。どこまでが敵の手のひらの上なのか。

 俺がここに来た意味。師匠たちと出遭わされた理由。それは、甘露が殺されることを止めることなのか。
 それとも、師匠たちが甘露を殺すことがそもそも敵の目論見どおりなのか。
 おかしかった。全てがおかしかった。

「どうなってるんですか、これ。何もかもが、おかしい。おかしいことだらけじゃないですか」

 それは率直な感想だった。ともすれば泣き出しそうになってしまうほど、俺はにっちもさっちも行かなくなってしまっているのだった。
 稀有は助ける。立ちはだかる存在は薙ぎ倒す。それはそれでいい。問題ない。結構だ。
 だが、この見えない糸に操られているような不快感は、一体どうすればいい。

「あまりお前とかかずらわっている時間もない。簡単に答えてやろう」

 師匠はやれやれとため息をつきながら髪をかきあげた。血で固まった髪の毛を。


「違和感を感じていたとしても、それは甘露を殺した後のことだ。私は今、甘露を殺して戦争への不安を払拭する、それ以外は考えていない。
 阿片! あとのことは任せた。言ったとおりに動け。くれぐれも、考えようとはするんじゃあないぞ」

「はいなの!」

「じゃあな、豪雨」

 温かみのある言葉ではなかった。見捨てるかの如く師匠は言い放ち、瞬きする間にその姿を消す。

「これでいいのか? 本当にこれでいいのか? なにもわからないままに、操られるように……本当に甘露を殺しても平気なのか? やつの動機もわからないままに?」

「……おにーさんは、甘露さんを助けにきたの?」

「違う! 違うんだ! ただ……」

 ただ。そのあとが続かない。
 それは全く理屈ではなかった。このまま進んだらよくないのではないかという不安感と、しかし最早全ては取り返しがつかないのではないかという焦燥感が、致命的に俺の言葉を堰き止めている。
 確かにそれは致命的だった。そして、それに気がついたときにはもう遅い。

 阿片は二丁のマシンガンを抜いている。


 技量や技術を超越したその速度。なんとか反応することには成功し、弾丸の嵐を硬化で防いだけれど、その圧倒的な物量の前にがりがりと端々を削られてしまう。

「敵は消せ、って言われてるの。敵かどうかわからなかったら、とりあえず消せって言われてるの」

 声は背後から聞こえた。
 振り向く――視界の端で、ナイフを構えたダッフルコート、そのフードの奥で無邪気に輝く瞳が見える。

「は、や」

 さとは全く別次元であることは明白だった。だからそれが能力のはずで、俺が攻略しなければいけない障害で。
 違うといっても阿片は聞きやしないだろう。そう易々と、みすみすと、逃がしてくれるはずもない。

 硬化させた右腕でナイフを弾いた。二度、三度の追撃をそのたび捌き、四度目で阿片の小柄な体を大きく弾き飛ばす。


「やるしかないのか……?」

 体勢を立て直しながら呟く。
 眼前で銃口を向けてくる阿片を見れば、既に答えは出ているようなものだった。

 考えろ、考えろ、考えろ!

 俺はどうすればいい!?

 阿片の能力は十中八九時間停止。でなければ今まで起きたことの説明がつかない。まさか、そんな、嘘だろと愕然しながらの解答だ。それは人間が持つにはあまりにも強大すぎる。
 ただし幸い能力の相性は悪くない。瞬間移動も無拍子の銃撃も硬化で防げることはわかっている。阿片が俺の装甲を貫けないのなら、この勝負は終わりのない戦いになるだろう。

 そして、それはまずい。
 俺の目的は阿片を倒すことではなく、稀有を救い出すことなのだから。

 ここでこんな時間はかけていられないのだ。


「逃がさない、のっ!」

 僅かに後ろへと重心をかけただけでこれだ。阿片は壁を蹴り、天井を蹴り、おまけに時間停止をも使って、一瞬で俺の背後で銃口を向けてくる。
 ぎらぎらと輝く瞳。まるで戦いが楽しくて仕方がないというような。

「づあぁっ!」

 弾倉全ての二倍が放射。硬化していなければ蜂の巣を通り越して肉片と化しているはずだ。それを激痛で抑えて、吹き飛ばされるのに任せながら距離をとった。
 目じりに涙が浮かぶ。硬化で防いでいたとしても、痛いものは痛い。

「だーかーらー」

 眼前一杯にダッフルコートのフード。

「逃がさないって言ってるのっ!」

 胸倉を掴まれた。そこを起点にして阿片が地を蹴った。俺を力任せに引っ張りながら、両の脚で俺の首を――正確に言えば気道を狙ってくる。
 速すぎる。動きではなく切り替えが。
 弾丸が通じないと判断したとたん、頚椎を折りに、それか呼吸を止めにきやがった。


 これは捨て置けない。応戦しようと拳を振りかぶった次の瞬間には、阿片の脚は狙いを首から右腕に変え、ぎっちりと絡み付いていた。
 骨が軋みをあげる。苦し紛れに、小柄な阿片の体を地面へと叩きつけようとするも、一瞬で阿片は俺から距離をとっている。

 銃口を向けながら。

 まず光が暗いフロアを照らし、弾丸がやってくるのはその数瞬後だ。そしてその間に覚悟は既に決まっている。硬化を念入りに発動し、常人にとっての決死圏へと身を躍らせた。
 激痛、激痛、激痛。しかし怯まない。脚も止めることはできない。結局、俺にできることなどは高が知れている。とにかく前へ出て圧力をかけねば戦いにもならない。

「あはーはーはー!」

 弾丸は切れない。阿片は時間のかかる行いなどしない。俺を強か打つ嵐は、決して弱まることなどなかった。

 阿片のもとへと至るまでの時間はそれでも一秒を切っている。飛び掛る時点で拳の準備は済んだ。床を踏み抜かんとばかりの速度は、無論阿片にとっては停止状態にも等しいのだろうが、それでも俺は真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ前へと進む。


 当然の空振り。しかし俺は壁を前にしている。阿片の居場所は考えるまでもなかった。

 再び弾丸を浴びながらの裏拳。掠った感触はあったが、掠ったに過ぎない。そのまま飛び出していく。

「おにーさん凄いの! 倒れないの!」

 一振りで鉄筋コンクリートをぶち抜く豪腕を見ても阿片の快哉は止まらない。気が振れているというのもあるだろう。が、それ以上に、師匠の教育は効果覿面だったようである。立派な戦闘狂のできあがりだ。
 いや、師匠は徒手空拳が主だった。こいつもなかなかにやるが、それよりもむしろ、トリガーハッピーの表現が正しいだろう。

 弾丸を拳で弾きながら突進。本来肉眼では捉えられないはずの弾丸が、集中極まる俺の視界の中を、線となって駆け抜けていく。
 研磨。脳裏に浮かぶのはそんな単語。
 神経が研ぎ澄まされ、ただただ戦いに特化してゆく。

 それはある種満ち足りた世界だった。本能の世界だった。どこまでも鋭い戦意は刃となり、そして刃は国宝級の輝きを放つ。触れれば落ちる一振りの鋼。


 力任せに殴っていたのでは当たらない。体が動いたそのときには、既にやつはその場にいない。
 反転しながら蹴り。今度こそその小柄な体を捉える。遠心力のままに吹き飛ばし、扉をぶち抜いて阿片は飛んでいくが、倒せたという確信はなかった。
 追撃という選択肢は当然である。飛び出した俺の背後に気配。振り向くが、遅い。

「あはーはーはー」

 あくまで笑いは楽しげだ。

 脚払い――バランスを保とうとすることは諦めた。転びながら阿片の脚へ水平蹴り。
 それも読まれていた――のか、能力のためか。阿片はそれを跳んで回避し、着地点は俺の鳩尾。
 内臓がねじくりまわされる。喰ったものを吐き出さなかったのは奇跡だった。

「わちき、いろんな人と戦ってきたけど」

 がちゃり。重々しい物音。
 発生源がなにかなど確認する必要もない。


「『ここ』が柔らかくなかった人は、ちょっと知らないの」

 眼球。

 文字通り、目の前の、眼前に黒い丸い穴がぽっかりと、

 ががががががががががががががががががが

 ほぼ零距離の射撃が顔面を顔面を顔面を、

 襲って!

「ああああああああああっ!」

 脳が揺さぶられる。衝撃は最早痛覚を麻痺させ全身を真っ白に塗り潰していく。

 そんな中でも脱出動作を取れたのは師匠に感謝せねばならないだろう。そうなるように、そう動けるように教育してくれたのは、ほかならぬあの人だから。

 逃げ出したはいいが地面が消失した。音も、景色も、消失している。
 五感がてんでばらばら。頭痛は止まない。いっそ能力解除していたほうが楽だったと思える程度には。


 だが。
 稀有。

「死ぬもんかよ!」

 喉への足刀。

 喉仏が潰れた音がした。

「――っ!」

「それはわかんないのよ?」

 ようやく再構築されてきた聴覚世界に、真っ先に阿片の言葉が飛び込んでくる。

「ぁ、が、うぁ」

 わかるさと答えたつもりだったが、声帯がいうことを聞きやしない。完全にいかれてしまっている。

「あははっ! あったまおっかしい人みたい! なの!」

 てめぇがいうなや。


「でもでも凄いの! おにーさん、目ん玉撃っても死ななかったの! わちきびっくりしちゃった!
 うんうん! おにーさん強い! わちきがあった中で、六番目くらいに強いと思うの!」

 片手に余る程度には、か。
 笑えもしない。
 そんなんだから稀有をみすみす浚われてしまうのだ。

「だからちょっと、わちきも本気出しちゃおうかな!」

 は?

 と思うのと、俺の体が吹き飛ぶのは、全く同時。

 意識が一瞬ふっつりと途切れる。能力は残存していた。体を貫かれたという衝撃はない。肩は外れ、激痛で視界は赤く点滅しているが、命に別状があるわけでもない。
 ただ、見えない。見えなかった。

「……いつの間に撃った?」

 知らぬ間に巨大なリボルバーを両手で握っていた阿片に、答えなど得られないのはわかっていても、問わずにはいられない。
 こいつは撃っていない。俺にはそんな動作見えなかった。
 いくら視界がなまくらになっていたとしても、敵の攻撃動作を見逃すことなどあるもんか。


「あははーはー! わちき撃ってないよ! 撃っていないもん、ないったら!」

「時間停止……そりゃそうか、そりゃあそうだよなぁっ!」

 時の止まった中で打つ動作まで終了させてしまえば、当然そうなる。寧ろ今までそうしていなかったのが不思議なくらい、で……。

 なにかがおかしい。

 疑問を抱きながらも体は別行動をとっている。拳は再三回避されるも、振り向きざまに背後へ投石、牽制を試みる。
 猪口才な、という返事の変わりの轟音。巨大なリボルバー、その規格外の銃口から飛び出した弾丸は、熊撃ち用のものだ。口紅に酷似したそれの威力は硬化を容易く上回り、俺の耳を弾き飛ばしながら背後の壁を打ち砕く。

 拳銃弾ならまだしも大口径の弾丸は防ぎきれない。勿論当たり所にもあるだろう。骨の硬く、筋肉の厚い部分で受ければ、あるいはといったところ。

 死ぬのか? と随分遅れてやってきやがったのは焦燥感。
 稀有を守れないまま? 愚者の烙印を押されて?

 そんなのは嫌だ。


 吼える。と同時に胴回し。空を切った一撃が壁を崩壊させようとも、俺は構わず次撃を、それもまた回避されればさらなる追撃を、ひたすらに放ち続ける。
 爆砕に次ぐ爆砕。土煙舞う中、ダッフルコートの姿は見えないけれど、心底楽しそうな嬌声は止まらない。

「あはーはーはー! いっぱいいっぱいお仕事なの!」

 嫌だ嫌だとだだをこねたって、悲しいかな現役の阿片と比べてしまえば俺などロートルもいいところ。訓練を怠っていたツケは確かに、確実に、たまっている。

 弾丸が体を撫ぜていく。マズルフラッシュが暗闇を照らし、その一瞬、こちらを目敏く見つけて笑う阿片と眼が合った。

 攻撃は当たらない。一方的に攻撃される。頼みの綱の肉弾戦だって、五分五分、もしくは四分六分で不利。
 八方ふさがり。
 どうしようもない。

 押し寄せるのは後悔だ。わかっている。過去を変えることはできない。だから今なのだ。だからこれからなのだ。
 それでも。

 それでも、と思ってしまう。


 稀有を守りたい。守りたかった。俺はあいつの隣にいたいだけなのだ。あいつの笑顔を見ていたいだけなのだ。それを守ることが俺の幸せなのだ。

「誰だ! 誰が一体それを邪魔した!?」

 腹立ち交じりの攻撃は何度目かわからない空振りで、その勢いで消火器を破壊し、消化剤を盛大に撒き散らした。
 息が苦しい。視界が悪い。俺にできることはこの煙幕に乗じて向かっていくだけ。

 猪突猛進。なんという愚かさ。

 そうして苦し紛れに放った一撃が、拍子抜けするほどにあっさりと、阿片の防御を貫いた。
 吹き飛ばせたのは単純に体格の差だ。腕力の差だ。言ってしまえば重さの差だ。そして重さで俺に勝てるやつはいない。だが、俺に去来するのは喜びよりも疑問。疑念。理解不能。
 なぜここで命中した?


「あはーはーはー……」

 左腕がぐちゃぐちゃになった阿片が立っている。右腕だけはなんとかカバーしたのか、ぶらりと垂れ下がってはいるが、健全に見える。

「まさかまさかなのねー。まさか、こんなことになるなんて、思わなかったのねー」

 頭がおっつかないままでも、やはり訓練のせいだろう、体はこの好機を逃すまいと走り出していた。対する阿片から、今度は銃すら抜いていないのに、弾丸の驟雨がやってくる。
 疑問を殴り飛ばすつもりで阿片を殴った。またも回避はない。俺にはその理由に見当もつかない。
 吹き飛んだ阿片は地面を数メートル跳んで、瓦礫に頭を大きくぶつけ、跳ねた。四肢を使って野生動物のような着地。頭部から流出する血液が顔面をべったりと赤く染めている。

「あはーはーはー、まだまだ終わっちゃいないのよー!」

「まだやる気かよ!」

 俺の目的は阿片と殺しあうことではない。せめてそのまま眠っていてくれたら、俺はこいつなんて放っておいて、すぐさま稀有を探しに行くというのに。


「当たり前なの! 当たり前に決まってるの! 敵は殺せって言われてるの! 言われたことはやらなくちゃ、めっ、なの!」

 がたがたと阿片は震えていた。心底楽しそうな口調で、表情で、声を張り上げているのに、血まみれの顔面は蒼白に見える。高揚した肉体は寒そうに見える。
 決してこれまでの異常の延長線上にないのは明らかだ。阿片のことを慮る義理など皆無だが、そんな彼女の姿に一抹の不安を覚えるのも確か。

 痛みに耐えられないのではない。
 阿片は怯えているのだ。

「やらなくちゃ、やらなくちゃ、そうなのやらなくちゃなの、やら、や、殺らなくちゃ!」

 かちかちと歯の根を噛み合わせ、ついには銃を取り落とし、阿片はその場に蹲ってしまう。


「結果が、結果が全てだから、過程なんてどうでもよくて、そうなの、言われたことは、きちんと、守って、なの、なの、そうなの、結果を出さないと、言いつけを守らないと、そのためには、わちき、なんだってやるから、やってみせるから!

 お父さんいやなの、地下室は暗いの、怖いの、息苦しいの!
 ごめんなさい、ごめんなさいだから、今度はちゃんとお方付けするから、おもちゃばこに戻すから、だから、おしおきは、地下室はやなの!

 お母さんいやなの、首を絞めるのは苦しくて、痛くて、ぼーっとするの!
 そんな怖い顔しないで! ごめんなさい、ごめんなさいだから、今度はもっといい点とるから、ひゃくてんとるから、だから、首は、手をこっちにむけないで欲しいの!」


 俺は何事かを喚くそんな阿片の姿を、ただ呆然と見ているだけしかできなかった。

 そうすべきでないことはわかっているのに。
 他にすべきことがあるのはわかっているのに。

「やらなくちゃ」

 阿片はゆらりと立ち上がる。

「先生の言いつけは守れないけど」

 嫌な予感がした。

「先生の言いつけは守らないと」

 主従が逆転している。論理が破綻している。
 師匠の言いつけを守るために、師匠の言いつけを破った方法を使おうとしている。

 同時に駆ける。
 片平阿片。こいつは既に人の心を有していない。人間の姿をもった、けれど心の壊れた、どうしようもない存在に過ぎない。

 過去にあった一切合財、なにがしも全く興味はなかった。

 稀有は絶対に助け出す。そして、この目の前の少女を、殺してやることこそが慈悲なのだとも強く思った。

 ぼそりと阿片の口元が動く。開いた瞳孔でこちらを見ながら。

「三行程省略――なの」

* * *

―――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。

少し時間が開いてしまい申し訳ありませんでした。
そして最後の「行程」は「工程」の誤字となります。

次回までしばらくおまちください。

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