阿良々木暦「こよみヒストリー」 (31)


物語シリーズ、オリジナル展開です。



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001



「戦争を、しましょう」

無数の文房具を構え、彼女は言った。

それが彼女との出会いだった。

針鼠のように周囲の全てを拒絶し、敵と見做す。

それが、蟹に行き遭った彼女の対処方針だったのだ。

その強烈すぎる初対面の印象は、今でも覚えている。

『なんて女だ』。

>3
そうですー。




002



「I love you」

「……おめでとうございます」

それは、臆面もないあまりにも堂々とした愛の告白だった。

今思えば、あの八九寺がまともな突っ込みも出来ない程に。

こうして僕に恋人が出来た。

全てがあまりにも唐突で、僕にとっては夢のような出来事で。

周囲を引っ掻き回して、驚かせて、それでいて何処か楽しい。

そう、まるで、台風みたいな女だ、と思った。




003



「私が困っているときにはいつだって助けに駆けつけてくれる王子様みたいなところ」

戦場ヶ原は、そう言って僕を好きだと言ってくれた。

化物の僕を、好きだと言ってくれたんだ。

主導権を握られっぱなしなのは今更言うまでもないだろう。

でも、まあ、悪い気はちっともしなかった訳で。




004



「阿良々木君が大学生だなんて世も末ね」

高校生の時分に起きたトラブルの数々もそれなりに無事に終焉を迎え、待ちに待ったキャンパスライフがやって来た。

ひたぎは精一杯の皮肉と共に僕を祝福してくれた。

「では、早速デートをしましょう」

今日から授業があると言うのに、ひたぎは相変わらずのマイペースを保っていた。

お前はいいのかも知れないけれど、僕は高校で落ちこぼれたから大学で二の足を踏むことはしたくないんだけれど。

「大学生は人生において最もロッケンロールな時期なのよ。暦は知らなかったのかしら」

成る程、それは確かに、そうかも知れない。

就職したが最後、気楽に遊べる日常はもう戻っては来ない。
ならば、最初の一日くらいは、いいか。

その初日の甘さが単位の不足に繋がり(無論、ひたぎはそんなことはなかった)、教授に土下座攻撃をすることになるのは、また別の話。





005



正直に言おう。

僕は見蕩れていた。

文字通り言葉も出ずに、僕は固まっていた。

「どう?似合うかしら」

似合うに決まっている。

彼女が本当に僕の恋人からクラスチェンジして嫁になるだなんて、目の当たりにした今現在であろうとも信じ難い事実だ。

「でも、阿良々木ひたぎってなんだか噛むことを強要しているようや名前よね」

余計なお世話だ。

ひたぎは白無垢も似合うかと思っていたが、断然ウェディングドレスの方が似合っている。

これは本当にひたぎか?

僕は人生の絶頂においてショックにより死んでいて、夢を見ているんじゃないか?

「ありがとう。暦にそう言ってもらえて嬉しいわ」

ひたぎはとびっきりの笑顔と共に、殊勝にもそんなことを言った。

「こんな日くらいは、私も素直になるわ……特別な日だもの」

そうだな、その通りだ。

「一生離さないでね、暦」

当たり前だ。

この腕が千切れたって、離すものか。





006



「あら、お帰りなさい暦」

家に帰ると、エプロン姿のひたぎが迎えてくれた。

実家暮らしの時は実感のなかった感慨ではあるが、家に帰って誰かが迎えてくれるというのは素晴らしい。
今度、実家に帰った時は火憐ちゃんと月火ちゃんに少し優しくしてやろう。

「ごはんにする?うどんにする?それともパスタ?」

いずれにせよ炭水化物は免れないようだった。

余談ではあるが、ひたぎは料理が上手い方だと思う。
が、手を抜く傾向にあるのだ。
その時は大体、今日のように茹でてチンして完了の麺類志向になる。
本人曰く『毎日ご飯が美味しかったら増えちゃうじゃない』との事だが。
料理が美味すぎるのも良くない、という主張をする点では非常にひたぎらしいのだが……。

……と、今日はパスタにしようかなと思っていると、食卓に並ぶのは白飯、パスタ、うどん。
しかも二人が食べる量ではない。
あらゆる種類を網羅したその様子は、知らぬ人が見たらビュッフェかと見紛うほどの量だ。

「今日はごちそうなのよ」

ごちそうはいいけれど、なんで全部主食なんだよ。

「いいことがありました。聞いて頂戴」

珍しくかなり上機嫌なひたぎさんであった。

僕が何だ、と問うとすっと眼を細めて笑う。

僕が一番好きな、ひたぎの笑顔。

「子供が出来たの」

子供?

子供って、あの子供?

「暦との愛の結晶よ」

その時ばかりは、僕もあまりの嬉しさに記憶が薄い。

僕にも人並の幸せを手に入れられることは、この時は確かに出来たと思ったのだ。





007



娘が産まれてはや五年近くが経つ。

娘は可愛い。
ひたぎとの子供ということもあって、猫可愛がりである。

ただ、ひたぎの英才教育のお陰で家の中での僕の地位は一番下だ。
具体的には、ひたぎの暴言と傲慢を受け継いでいる様子が垣間見えるのだ。
僕のアホ毛を受け継いでくれたのは嬉しい限りだが、将来が楽しみであると同時に恐ろしすぎる。
恐怖政治の下、ヒエラルキーがは確立されてしまったのだ。
いや待て、僕にはまだ忍がいる。うん。

「どうしたの暦、難しい顔をして」

ひたぎが真面目な表情で覗き込んでくる。

ああ、そんな事よりももっと大きな問題がある。

「……やっぱり、そうだったのね」

僕ももういい年だ。三十路も近い。

なのに、外見が全く変わらない。

高校生の時のままだ。

どうやら僕は、吸血鬼の年を取らない性質を持ち越してしまっていたらしい。

人として生きて行く上で危惧していたことではあったが、楽観視していたと言わざるを得まい。

二十代半ばまではそれも誤魔化せるが、もうそろそろ若いでは通用しない時が来る。

「私一人がいいと言っても、暦は受け容れないでしょうね」

世の中には世間体というものが存在する。

例えひたぎがそのままでいいと言ってくれても、十年以上も全く老けない人間が近くにいたら、周囲の人間は必ず怪しむだろう。

そしてそれはいつか、化物に対する迫害へと変わる。

僕一人ならばまだいい。
が、ひたぎ達にまでとばっちりが行くのだけは絶対に避けたい。

「……私やあの子を気にすることはない……と言っても、無駄ね」

それをしてしまったら、阿良々木暦は阿良々木暦でなくなる。

いつか僕がひたぎに言った言葉だ。

けれども、この状況においてもそんなことを言っているのは、ただの我儘なのかも知れない。

何が正しくて何が間違いかなんて。

僕にはわからなかった。





008



吸血鬼は不死身だ。

僕は限りなく人間に近い状態だから、と僅かな希望を抱いてはいたけれど。

それでも、やっぱり儚い希望に過ぎなかったらしい。

「吸血鬼の力は強過ぎる。吸血鬼の血は猛毒じゃ。人間の血を水に喩えると、それこそプール一杯の水に垂らしただけでも、致死量に至らしめる程の濃度を持つ」

忍がいつしか影から抜け出し、背中合わせに言葉を紡ぐ。

「……儂を消しても良いのじゃぞ」

忍を殺せば、僕は正真正銘の人間に戻れる。

だがそれだけは許されない。僕と忍の関係は、言わば生きる為の罪滅ぼしだ。

死にかけの鬼に首を差し出した僕と。

自ら死を望んだ哀れな鬼の。

惨めに格好悪く恥を晒し生きることによる、終わることのない、贖罪だ。

「もう充分じゃ。お前様とおった数年は、悪くはなかった」

忍がいくらそう言ってくれたところで、これだけは捻じ曲げる訳には行かない。

「それこそ、欺瞞だとかつまらん意地というやつではないのかの?」

そうかも知れない。

けれど、忍の存在を消して僕だけ幸せに生きて行くなんて事は、文字通り死んでも不可能だ。
意地を張っている訳でも何でもないのだが、それをしたら僕が僕ではなくなってしまう。
そもそも一度死んだ人間が生を謳歌しようとしている事すら、烏滸がましいと言うのに。

「誰も彼もが幸せになるハッピーエンドなぞ、今更求めている訳ではあるまいな?」

当たり前だ。

そんなものは初めて死んだあの日。

高校生最後の春休み。

あの時に、全てを諦めるつもりでこうなることを望んだのだから。

誰かに非があるとするのならば、それは間違いなく、化物の分際で一人前に幸せなんてものを掴もうとした、僕だ。





009



ならば、化物として生きて行こう。

中途半端な化物として。

死ぬことの出来ない時の牢獄に身投げをしよう。

吸血鬼の寿命がどれくらいなのかはわからないけれど。

そもそも、寿命という概念自体すらあるかもわからないけれど。

形あるものはいずれ風化する。

不死身と言えど、その理にだけは抗えない筈だ。

人間ありきの怪異が滅びるのは、人間が絶滅しいなくなった後だとしても。

その時その瞬間まで、僕はこの罰を甘受しよう。

それが、僕の行える唯一の贖罪だ。





010



「こんにちは、阿良々木先輩。ご機嫌は麗しくないようで」

僕が化物として生きることを決めた翌日、扇ちゃんはふらりと僕の前に現れた。

ひたぎにも内緒で家を出た僕とピンポイントで鉢合わせるあたり、扇ちゃんらしいと言えばらしい。

「本当に良かったんですか?」

いい訳ないだろう。
けれど、他に選択肢なんてないように思われた。

「本当に愚か者ですね貴方は。そんなのだから私のような存在を産み出してしまうんですよ」

扇ちゃんが、怒っていた。

珍しいどころの話ではない。

あの、どんな時でも窪んだ瞳で怪しげに嗤う印象しかなかった扇ちゃんが、怒りという感情を顕にしていたのだ。

と思いきや、一転、すぐに元の笑顔に戻る。

「貴方は自惚れが過ぎますよ。何でもかんでも自己完結させてしまうからこんなことになるんです」

自分の片割れからの言葉は、より深くはらわたを抉る。

けれど、僕にはこれ以上の答えなんて出せそうにない。

「じゃあこうしましょう。忍ちゃんに血を全部吸ってもらって完全な吸血鬼になり、戦場ヶ原先輩も阿良々木先輩Jr.も吸血鬼にしちゃいましょう」

それは、とても魅力的な提案に聞こえた。

だが僕にとって、というだけだ。
それでは何の意味もない。

僕もひたぎも忍も全員がハッピーエンドで終われる。
そんな選択肢があるのならば、とっくに選んでいる。

そう。

『吸血鬼なんて可哀想な生き物になるのは僕だけでいい』。

「阿良々木先輩の愚か者」

その言葉には、侮蔑の響きが含まれていたのだと思う。

そんな事は、キスショットに出会ったその瞬間に、理解している。

理解している、つもりだ。





012



僕がひたぎの下を逃げ出し、全国を当てもなく放浪し始めてから数ヶ月が経った。

貯金から何から全て置いてきたのでその日暮らしの生活だが、平和な日本においては案外なんとかなるものだ。

……まあ、ホームレスの真似事どころか実際そうなので、少々惨めではあるけれど。

故郷より遠く離れた公園のベンチで何をするでもなく呆としていると、隣に座る人物がいた。

「や、阿良々木くん。ご無沙汰だね」

いつか現れるとは思っていたが、案外早かったな。

「きみが何を考え、何を思ってここにいるのかは知らない。でも、頼まれちゃってね」

頼まれた、と忍野は言った。

恐らくは羽川か、ひたぎあたりだろう。
探偵や警察に捜索願いを出したところで、効果は薄いと考えたと思われる。

「ツンデレちゃんとケンカしたんだって?羨ましいよ」

忍野は煙草をくわえて相変わらずの、軽薄で人の癇に障る笑顔を浮かべる。

お前に僕の何がわかるんだよ、と激昂しそうになる感情を諌める。

ここで忍野に八つ当たりをした所で、何が変わる訳でもない。

「相変わらずだねぇ阿良々木くんは。相変わらずすぎてぶん殴ってやりたいよ」

空を仰いで手を翳す忍野。

こうしてホームレス風の二人がベンチに座っている光景は、本人である僕ですら滑稽だと思うのに、傍から見たらどう映っているのだろうか。

「ケンカ出来る相手がいるのは喜ばしことだ。軒並みな言葉しか言えないけどさ、ケンカ出来るんなら、してみたらいいんじゃないの?」

まだ喧嘩の出来る相手がいるだけきみは幸せ者だ。

そう言われている気がした。

天涯孤独の忍野としては、どのような想いでその言葉を紡いだのか。

人ではない僕でも、まだ、人と繋がっている。

それを人は絆だとか、縁だとか呼ぶんだ。

「ま、どうしようもなかったら僕のところにおいで。その時はきっちり『助けて』あげるからさ」

結局火を点けなかった煙草をゴミ箱に捨てると、忍野は別れの言葉も言わずに去って行った。

忍野の言いたかったことは、なんとなくだが理解は出来た。

出来る限り人間として足掻け、と。

それも叶わないならば、怪異として殺してやる、と。

今思えば、頼まれたと言うのも恐らくは嘘だろう。

あの風来坊の居場所を特定して、更に頼み事をするのはあの羽川でも心底憔悴する程の大仕事だったのだ。

ああ、まったく。

本当に、お節介な奴だ。





013



思わず家の前で立ち止まる。

自分の家に帰るだけの行為が、こんなにもきついとは、以前は思いもしなかった。

ひたぎに怒られるのが怖い訳じゃない。

どんな種類であれ、例えそれが殺意だとしても、そこに感情の交換があるのならば余地はある。

僕が何よりも恐れていたのは、そう。

人との断絶だ。

怪異は人ありきの存在。
ならば、嫌でも人と関わり生きることが出来る。
いつか僕の事を知る人間がいなくなったとしても、僕に人の部分は残る。

人に片思いをする化物として、僕は――――。

「家の前で何をしているのかしら」

なんて逡巡をしている内に、扉が開く。
出てきたのは勿論、ひたぎだ。

「暦がいなくなること百とんで六日。随分と長い家出だったわね」

言葉が出ない。

何が正解だったのだろう。

キスショットに首を差し出さなければ良かった?

羽川に深入りしなければ良かった?

ひたぎを受け止めなければ良かった?

八九寺に声を掛けなければ良かった?

神原を見捨てれば良かった?

千石に関わらなければ良かった?

何が正解で何が不正解だったかなんて、今となっては無意味な懐古ではあるけれど。

それでも――――。

「お帰りなさい」

何も聞かず、ひたぎは笑顔でそう言った。

……そうか。

どうだって、いいのか。

この身はひたぎの為にある。

それだけでいいのか。

少なくとも、ひたぎのいる、この瞬間だけは。





014



「……阿良々木さん」

八九寺に背後から声を掛けられたのは、墓標の前で手を合わせている時の事だった。

「阿良々木さん、この度は」

振り返り八九寺に居直る。八九寺は、顔を伏せ次の言葉を探しているように見えた。

いいんだ、八九寺。

いずれこうなる事はわかっていた。

まず初めに、千石が逝った。

次に老倉が逝った。

神原が。

火憐ちゃんと月火ちゃんが。

羽川が。

忍野や臥煙さんたちは良く分からない。
年齢的にはとっくに寿命は尽きていても全くもっておかしくはないが、ひょっこり生きていたりする気もする、と思わせるあたりが彼らが彼らたる所以だ。

そして先日、ひたぎが逝った。

特に何かあった訳ではない。
全員が全員、天寿を全うしてくれた。
それだけで、僕にとっては充分な程の感謝を捧げたい。

僕の子供については、生きてはいるが、会ってはいない。
流石に一切年を取らない家族がいては社会的にも問題だ。
子供には僕は死んだことにしてある。
それでも約束通りひたぎだけとは会ってはいたが、やはり自分だけ老けずにいる、というのはことの他、中々に辛いものがあった。

「これから、どうされるので?」

特に考えてはいなかった。僕が今の今まで欠片でも人間として生きてこられたのは、ひたぎや友人たちのお陰だ。
その彼らがいなくなった今、僕を人間側に留めるものはない。

化物として生きて行くくらいならば、このまま、死んでしまおうか。

それもいいかと思ったけれど――。

そんなことしたら、地獄でひたぎに殺されちまう。

旅にでも出ようかな。

あの風来坊が、怪異という理不尽に覆われ助けを求める誰かを探していたように。

「そうですか。私はいつでもこの辺りにいますから、また見かけたら声かけてくださいね」

神様としての格も上がって管理範囲広がったんですよ、と鼻息も荒く無い胸を張る八九寺。

八九寺は八九寺なりに、僕を慰めてくれているらしい。

勿論、その時はお言葉に甘えてそうさせて貰おう。





015



ひたぎ達が死んで、どの位経っただろうか。

羽川と忍野を見習ってあらゆる国を回って来たが、身一つで放浪するにあたって、日本は人目を気にしなければ一番便利かも知れない。
蛇口をひねれば飲める水が出るのは素晴らしい。

名も知らない公園でドーナツに噛り付いていると、ドーナツの匂いに釣られたのか忍が現れる。

ちなみにドーナツの資金源は怪異関連の専門家としての報酬であり、いかがわしくありませんよ。

「気付いておるかよ、お前様よ」

フレンチクルーラーとポンデリングを忍に手渡す。

気付いている。

気付かない方がどうかしてる。

「いつの間にか、儂のお前様のリンクが切れておるの」

そう、忍はかつての幼女の姿ではなくなっていた。

鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードその姿に。

立った状態でもなお遥かに見上げる身長で、忍は不敵な笑みを浮かべながらドーナツを口に放り込む。

心当たりは、なくもない。

最近、やたらお腹が空かないし眠くもならない。

それに何より、化外の存在としての力が、明らかに増してきている。


「お前様がひとつの怪異として存在を確立したということよ」

妖艶にも舌舐めずりで砂糖を舐め取ると、そんなことを宣った。

「人間でもない。吸血鬼でもない。『阿良々木暦』という怪異の誕生じゃな」

性質のそれは吸血鬼に近いがの、と忍。

だから、忍が離れたのだろう。

言ってしまえば、忍と二人でひとつの吸血鬼もどきという存在だった僕が、長い時を経て『一人前』の怪異として成立してしまった。

人を食わない。

血も吸わない。

太陽にも灼かれない。

海も渡れるし、にんにくも効かない。

ただ、死なないだけ。

あまりにも中途半端な怪異だ。

でも、僕らしいじゃないか。

忍は、これからどうするんだ?

「儂はもうキスショットとして生きて行くつもりは微塵もありはせんよ」

その言葉は素直に、嬉しかった。

忍とは呆れるほどに長い付き合いになったけれど、考えていたことは一緒だったのだ。

僕は中途半端な化物として。

忍は忍として。

あの日、街頭の下で契りを交わした時から、それは不変のものだったのだ。

例え離れ離れになったとしても、僕と忍は綺麗に歪な縁で結ばれている。

それだけで、充分だ。

「じゃあの、『阿良々木暦』よ」

残りのドーナツを僕の手から掻っ攫い、忍は手を振る。

気の遠くなる程、いつ死ねるかも分からないこの身ならば。

また何処かで一回くらい会うこともあるだろう。





016



「やあ。相変わらず不景気な顔だね、鬼のお兄ちゃん」

忍と袂を分かってからまた幾年と時は流れ、僕がまだ高校生だった頃の知り合いは、片手で数えるほどしかいなくなってしまった。

まず忍、神様である八九寺に、加えて怪異の集合体であり僕の映し鏡である扇ちゃん。

そして、死体を基盤とした式神の斧乃木ちゃん。

臥煙さん達の消息は杳として知れないが、元から死んでいる手折さんを除けばいくら人間離れした彼等でも流石に生きてはいないだろう。
エピソードやドラマツルギーは、まだ生きているのだろうか。

「久し振りだね。五百年振りくらい?」

聞けば斧乃木ちゃんは未だ臥煙一族の下で式神を営んでいるらしい。
前回、最後に会ったのはいつだっただろうか。
さすがに五百年は盛り過ぎだが。

「これ、あげる」

と、斧乃木ちゃんが差し出したのは、一通の手紙だった。
唐突かつ意味不明なものを受け取り、言葉も出ない。

「これは、忍野のおじちゃんが頼んで、影縫のお姉ちゃんがアドバイスして、えっと……か……か……泥舟が形を整えて、臥煙のお姉ちゃんが書いたもの」

懐かしい名前の顔ぶれに、僕は反応出来ずにいた。それにしても貝木の苗字くらい覚えておいてやれよ。

「死にたくなったら開けていいよ、と忍野のおじちゃんから言付かっているよ。中身は鬼のお兄ちゃんの殺し方と、世界の滅ぼし方、だそうだけど」

忍野メメが依頼し、影縫余弦が助言をし、貝木泥舟が整え理を騙し、臥煙伊豆湖が記したもの。

斧乃木ちゃんの言葉の断片から推理するに、恐らくはこの不死の身における自殺の方法と、力の有効活用方法だろう。

それはきっと、彼等が僕に遺してくれた良心か、もしくは。

ありがとう、と礼を言い手紙をポケットに仕舞う。

「開けないんだね」

自分が辿ってきた道筋に後悔や反省は山ほどしたけれど。

死にたいと思ったことは、一度もないからな。





017



年月は全てを風化させる。

物質はもちろん、概念的なものから形のないものまで、全てだ。

唯一変わらないとするのならば、今この時にも流れ続けている時間だけだろう。

あれから、どれだけの時が流れただろうか。
どれだけの年月を体験して来たのだろうか。

永劫にも近い年月を過ごして行く上で、精神は最適化を行う。
一日はやがて一時間に等しくなり、更には一分へ、一秒へと。
未だに人類が滅びていないところを見る限り、そんなに経っていないのかも知れないが。

忍はどうしただろうか。
人恋しいなんて感情はとっくに何処かへ置いてきてしまったが、気にはなる。

摩耗し切った身体を引きずって、街頭の下へと腰を下ろした。

怪異はいつの時代でも大衆に受け入れられるものではない。

異なる存在となった対価、とでも呼ぼうか。

人とは違う存在というだけで、人から攻撃される理由に十分なり得る。

僕が人間に対し傷付けたり襲ったりと、何かする訳じゃあないのだけれど――そんなことは人間からしたら関係ないのだ。
人間は弱いから、群れて異物を排除しようとする。
僕もかつては人間だったからよくわかる。

人間に襲われたからと言って、僕が人間を憎むことは出来ない。

僕は人間が大好きだ。

身体中を撃ち抜かれ、斬られ、人間ならばとっくに死んでいる程の攻撃を受けても、だ。

もはや血もほとんど流れ出て、四肢に至っては今にも千切れ落ちそうだ。

何も珍しい事じゃない。

今までにも何回でもあったし、仕方の無い事だ。

人間として産まれ、化物になった後も人間に助けられ、人間によって生かされ、人間の手で殺される。

それでもいい――そう思えないのならば、僕はまだ化物になり切れていないのだろう。

死にたくは、ない。

僕を生かしてくれた人々の為にも、寿命を全うするまでは死ぬ訳には行かない。

怪異である僕の寿命がどれ程なのかはわからないけれど。

それだけは、絶対に譲れない。

そんな綺麗事を言い訳にしてでも、死にたくはないのだ。

しかし、どうすればいい?

元は吸血鬼をベースとした僕の身体だ。

人間の血を摂取することが出来れば、生き長らえられるだろう。

人は喰わないという主義には反するが、でも、けれど。

死にたくない。

僕だっていつかキスショットを助けたんだ。

死にたくない。

だったら、ひとりくらい、


「ちょっと、貴方大丈夫!?」

葛藤の最中、大声で現実に呼び戻される。

目の前にいたのは、

「救急車……えっと、何番だっけ……ああもう!」

容姿こそ似てはいなかったが、雰囲気が僕の愛する女にそっくりな女の子がいた。

それに加え、硬度の高そうなアホ毛がチャームポイントとなっていて、非常に似合っている。

ひょっとして。

そうなのか。

「あ、気が付いた?ちょっと待ってて、今救急車を――」

慌てふためく彼女の手に、制止するよう千切れそうな手を伸ばす。

救急車はいらない。
そんなものが来たらそれこそ大騒ぎになってしまう。

「あれ……?あ、貴方……」

彼女もようやく気付いたのだろう。

今の僕は、明らかに人が耐えられる損傷のレベルを超えている。

僕は中途半端ではあるが吸血鬼だ。

君の血を吸えば、この場も乗り切ることが出来る。

「…………っ!!」

あまりの急展開に、彼女も怯えている。当たり前だ。

早く逃げ出してくれ。

そしたら、諦めもつくんだ。

死にたくはないけれど、その為に誰かを犠牲にするなんて、もっと嫌なんだ。

と、彼女は何を考えているのか、電信柱にもたれかかる僕の前に座り込んだ。

「大丈夫よ、見捨てたりしないから」

性分なのよ、と彼女は震える声で精一杯笑ってみせる。

その笑顔も、あまりにもひたぎに似ていて。

「ねえ、せめて、最後に教えてよ。貴方、名前は?」

僕は思わず彼女を抱き締めた。

皆が逝って、化物として扱われ、人としての感情も捨てきれず、曖昧なままの僕だったけれど。

僕は一人ではなかった。

それだけでいい。

「……阿良々木暦」

それだけで、理由としては充分だ。



こよみヒストリー END


拙文失礼いたしました。

付き合ってくれた方、ありがとうございます。

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