タラヲ「わーい! ボクも『能力』に覚醒したデース!」(138)

マスオ「ええーっ!!!本当なのかいタラちゃん!?」

タラヲ「はいデース!」バチバチバチッ

マスオ「うひゃー!!こりゃすごい電撃だ!!」

               <Index>
サザエ「タラちゃん、もう『能力名』は分かったの?」

タラヲ「もちろんデスぅ!」














           <Biblio>          <The Lights in the Sky Are Stars>
タラヲ「そう、我が『能力』の名は―――――   『僭主に阿る雷霆』   」

             <Biblio>
フネ「おやタラちゃん、『能力』に目覚めたのかい?」トプン

サザエ「いやだ母さんったら、いきなり影から出てこないでくださいよー」

タラヲ「おばーちゃーん!」

フネ「なんだいタラちゃん?」

タラヲ「殺るデース!」バリバリバリバリッ
















フネ「ふふふ、まだまだ甘いね」シュン

タラヲ「――――ッ!!?」

             <20,000 Leagues Under the Sea>
マスオ「流石、母さんの   『幽世に揺蕩う曳船』   は一味違うねぇ」

サザエ「力押しだけじゃ、ディラックの深淵は攻略できないわよ~」

タラヲ「むぐぐ……ッ!!」

フネ「タラちゃん、よくお聞きなさい」

フネ「私の『幽世に揺蕩う曳船』は、肉体の対消滅と対生成によって量子の海を自由に移動する能力なのよ」

タラヲ「ズルいデスぅ!」

フネ「ふふふ、それだけじゃないのよ」ギューーーン

タラヲ「ッ!!?」チュドーーーン

マスオ「ええーーっ!! 反物質砲はやり過ぎなんじゃないかい!?」

フネ「大丈夫ですよマスオさん」

タラヲ「む、無念デス……」バタリ

フネ「ライデンフロスト効果を加味しても、ほとんど大気中で対消滅したからね」

フネ「気絶しただけで大事には至っていないよ」

サザエ(この手際の良さ……母さんだけは敵に回したくないわね)

波平「ほう、そうかそうか」

サザエ「いきなり母さんに挑みかかるもんだから、びっくりしちゃったわよ」

マスオ「覚醒したては精神が不安定になるからねぇ、仕方が無いよ」

フネ「そうですよサザエ、あなたが覚醒したときなんて……」

サザエ「か、母さん……!」

カツオ「ごちそうさま」

ワカメ「あれ、お兄ちゃんもう?」

カツオ「部屋に戻る」

タラヲ「カツオお兄ちゃん、逃げるデスかぁ?」

カツオ「……………」バタン

ワカメ「ちょっと、タラちゃん……」

マスオ「確かに、うちで『能力』に覚醒していないのはもうカツオ君だけだからねえ」

波平「下らん、素質はあるのにそれを磨こうとせんからいかんのじゃ」

ワカメ「お兄ちゃん……」





カツオ「………ついにタラちゃんまで覚醒しちゃったか」

カツオ「また、止められないのかな」

【学校】

中島「磯野ー、放課後野球しようぜー」

カツオ「中島、ゴメン……今日は用事があって」

花沢「あら磯野君、そんな暗い顔してどうしたのよ」

カツオ「花沢さんまで……」

カツオ「二人とも本当にゴメン」


カツオ「………ありがとう」

中島・花沢「?」

【磯野家】

カツオ「ただいまー」

カツオ「………やっぱり、家には誰もいないか」

カツオ「なら、一番最初に動き出すのはきっと」


ドンッドンッ


三郎「ちわーッス、三河屋でーす」

三郎「サザエさ……っと、どうしたんだいカツオ君?」

カツオ「三河屋さん」

カツオ「お願いだから、このまま何も言わずに帰って欲しいんだ」

三郎「一体何の話だいカツオ君、そういえば今日はサザエさん達が……」

カツオ「家には僕一人だよ、三郎さんも知ってるくせに」

三郎「へぇ………じゃあ、カツオ君はどこまで『知っている』のかな?」



突如として三郎の右腕が3倍程の太さまで膨れ上がる。

表面に這う血管は鼓動と共に蠢動し、不気味に赤黒く変色した皮膚からは陽炎が立ち上っていた。

奇妙で醜悪な肉塊と化した右腕の狙いを目の前の少年に定め、弓を引き絞る様に体が捩られた。

刹那、裂帛を纏う剛腕が、カツオの肉体を粉砕せんと肉薄する。

―――だが。



カツオ「『識っている』さ、何もかもね!」

三郎「―――ッ!!?」


指弾の間、カツオは既に三郎の背後へと回っていた。

                     <Librarian>
三郎「馬鹿な、情報では貴様はまだ『覚醒者』では……ッ!!」


言葉を待たずしてカツオの拳が放たれる。

肉薄した体勢から放たれたボディブローは、相手が常人であれば一撃で意識を刈り取る程の威力を孕んでいた。

                         <Biblio>   <The Stolen Bacillus>
しかし、人外の反応速度で三郎は自らの『能力』である『愚者が囀る晩餐』を再発動。

腹部の細胞が異常増殖し、服を突き破ってキチン質の防御甲殻を纏う。


三郎「残念だったねカツオ君!!肉弾戦で僕に勝とうだなんて」


紡がれた嘲笑の言葉は、全てを言い終える前に中断させられた。

                       ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
脇腹を捉えた拳が着弾すると共に、全身余すところなく拳の威力が注がれる。


カツオ「―――残念だよ、三河屋さん」


断末魔の悲鳴と共に、紅と蒼の血を吹き出しながら、全身を砕かれ奇妙なオブジェのように歪んだ三郎の肉体は、

磯野家の勝手口から裏庭の塀まで吹き飛ばされた。

カツオ「………ついに始まってしまった、終わりの時が」


そこには勝利の余韻など無く、ただ韜晦の中に護り続けた平穏が消え去ったことに対する寂寥感だけが、

寒風の如く心中で吹き荒ぶのみであった。


カツオ「みんな……どうか無事で」

【商店街からの帰り道】

ワカメ「お姉ちゃん、今日の晩ご飯は何?」

サザエ「うふふ、買ってきた食材から当てられるかしら」

ワカメ「あ、あの人」

サザエ「あらまあ、甚六さんじゃないですか」


甚六「……お……の……」


サザエ「………甚六さん?」


甚六「………まえら…………いで………」


ワカメ「お、お姉ちゃん……」

サザエ「待って、様子がおかしいわ」



甚六「お前らのせいで……俺はッ……俺はアアアァァァァァァッ!!!!」

【町内会からの帰り道】

かる「ほら、あの時のおフネちゃんってば」

フネ「ふふふ、そんな懐かしい話もあったわねぇ」

かる「ええ、本当に懐かしいわ」

フネ「……おかるちゃん?」



かる「―――――もう、あの頃には戻れないのね」

【伊佐坂邸】

伊佐坂「………」パチン

波平「あ、いや……これは手厳しい」

波平「むむむ」

伊佐坂「波平さん」

波平「なんですか?」

伊佐坂「次の一手は早くした方がいいですよ」



伊佐坂「なにせ、もう時間が無いですから」

ドゴオォォォオオオッ!!!!



波平「な、なんじゃさっきの音は!?」

波平「今さっき、儂の家の方から聞こえてきたような……」

伊佐坂「やれやれ、三郎君も派手にやりますね」

波平「伊佐坂先生……どういうことですかな」



伊佐坂「―――――こういうことですよ」

【公園】

イクラ「ハーイ」

タラヲ「イクラちゃん、どうしたデスか?」

イクラ「バーブ」

タラヲ「いい加減にするデス」

タラヲ「ハーイやバーブで分かるワケないデスよこの池沼」

タラヲ「これだから知恵遅れの相手は……」

イクラ「調子に乗り過ぎだ、タラヲ」

タラヲ「ッ!?」


次の瞬間、イクラの体を激しい光が包み、そして燃え上がった。

焼け落ちた服の下から現れたのは、プラズマの輝きと公園を舐めつくす熱波。


タラヲ「イ、イクラちゃん……まさか!!」

イクラ「そうだよタラヲ、これが俺の本当の姿」

           <Biblio>        <The Naked Sun>
イクラ「そして俺の『能力』――――『供犠焼べ斎戒為す聖壇』だ」

【とある裏路地】

マスオ「それでどこにあるんだい、アナゴ君おすすめの店ってのは」

アナゴ「………」

マスオ「………アナゴ君?」

アナゴ「騙して悪かったね、フグ田君」

アナゴ「君が行くのは隠れ家的な飲み屋なんかじゃあない」



アナゴ「地獄、さ」


マスオ「そうか……いつかこんなことになる気はしてたんだ」

アナゴ「おやおや、いつから気づいていたんだい?」

マスオ「カツオ君は、僕にだけは打ち明けてくれていたからねえ」

アナゴ「ふふん、君にしてはやけに無警戒についてくると思ったよ」



マスオ「――――だって、君に任せれば他人を巻き込まない場所を選んでくれるだろう?」



アナゴ「――――解ったような口をきくじゃあないか、フゥゥゥグ田くゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!」

【商店街からの帰り道】


甚六「お前ら、お前ら、お前らァァァァァアアアッ!!!」


頭を掻き毟り髪の毛を引き千切りながら、血走った目を見開き口角から泡を飛ばして叫ぶ甚六。

その足元のアスファルトはひび割れ、足に面した部分では砂を通り越し微粒子となって宙を舞う。

周囲のブロック塀や電柱にもひびが入り、街の一角がまるで見捨てられたゴーストタウンのように劣化してゆく。


                    <Librarian>
サザエ「甚六さん、まさかアナタも『覚醒者』!?」

甚六「ああ……そうさ」


弛緩したようにだらしなく腕を下ろした姿は生気に乏しく、まるで幽鬼のごとく見られた。

ただその内に秘める憎悪と憤怒、そして殺意が圧力となりどうしようもなくその存在を認めさせる。

                <Humiliated and Insulted>                               <Biblio>
甚六「俺の……いや、僕の 『鬱屈と焦燥の歪力』 は対象の精神的ストレスを機械的ストレスに変換する『能力』だ」

甚六「だからさぁ……『あの方』の言う通りにずっと浪人として、蔑みと憐みの視線に晒されて、無力感に蝕まれて」

甚六「きたる日のために……ずっと、ずっと、ずうぅぅぅぅぅぅっと!!!!!」


再び叫び声をあげると同時に放たれた黒い稲光のようなチカラの奔流が、道路の舗装を裂きながら二人へと襲い掛かる。


ワカメ「お姉ちゃん、危ない!!」


迫りくるチカラに向けてワカメが両手をかざした瞬間、地面が凍結し無数の霜柱がアスファルトを突き破り生えた。

機械的ストレスそのものに噛み砕かれ粉雪と舞い散りながら、その威力を減殺。

稼いだ時間の内にサザエが飛び退いた軌道上に、遅れて破壊の波濤が押し寄せる。

サザエ「助かったわワカメ、サンキュー」

ワカメ「どういたしまして、でも甚六さんの『能力』……」

サザエ「ええ、かなり厄介ね」

          <The Cold Equations>
ワカメ「わたしの『聳える峻拒の薄氷』では直接対処できないし……」

          <The Winds of Change>
サザエ「わたしの 『皇女に傅く絶息』 の有効射程内に捉えるのにも一苦労しそうね」


冷や汗が一筋、サザエの額を滑り落ちた。

その姿を見た甚六が、狂ったように嗤う。

甚六「くふ、くふふ、ふははははははははははは!!!!」

甚六「最高じゃないか、この威力、この破壊力!!!」

甚六「溜め込んだストレスを直接発散できるんだ、こんなに気持ちいいことはない!!!!」



甚六「でぇもぉ――――まぁぁだぜぇぇぇんぜん足りねぇぇぇぇぇええええっ!!!!!」



甚六が一歩を踏み出す度に、その足元に吐き出された破壊によって地面が灰塵と化す。

その姿は獲物を見出した狩人か、地獄へ連立つ仲間を見つけた亡者か。

或いはもっと冒涜的でおぞましい何かにさえ見えた。

【町内会からの帰り道】

かる「無駄な抵抗はしないで、楽に終わらせてあげるから」

フネ「くうっ……お、おかるちゃん……」


寂しげな瞳の中に闇を湛えて、かるは無慈悲に先手の攻撃を放つ。

老体には耐え難い重圧によって、フネの体は地面へと叩き付けられた。

全身が軋む音と共に、砕けたアスファルトの中に体が埋まる。

【伊佐坂邸】

伊佐坂「あなたも私も老いた」

伊佐坂「だからこそ、不意打ちという姑息な手が有効打と成り得たのですよ」

波平「伊佐坂先生、あんた……」


伊佐坂の手にした自らの著作から、半透明に輝く文字列が流れ出す。

光の帯と化した物語を纏い、かざした左手の先には、片膝を突く波平の姿があった。

既に疑問の声を上げることすら難しいようで、軒先の床板を軋ませながら、

俄には信じがたい現状を冷静に理解し、打開策を探る、圧倒的に不利な硬直状態。

頭上より降りかかる重圧は刻一刻と重みを増してゆく。

伊佐坂・かる「「私たちは似た者夫婦でね」」



                 フネさん
伊佐坂・かる「「きっと今頃、      も同じ苦しみを味わっている頃ですよ」」
                 波平さん

【公園】

タラヲ「喰らうデスッ!!」


鉄棒、雲梯、ジャングルジム。

公園に設置されたあらゆる金属が紫電を纏い、地面から引き千切られ、イクラへと襲い掛かる。

タラヲの『僭主に阿る雷霆』の圧倒的電力によって生み出された、超磁力による暴力だ。

――――だが。


イクラ「どうした、その程度か?」


鋼鉄が、触れた瞬間に蒸発する。

『供犠焼べ斎戒為す聖壇』により、プラズマ生命体として再構築されたイクラの肉体は、

ただ佇むだけで巨大質量による攻撃を無効化する。

紅く輝く顔が失望に、次いで嘲笑に歪む。


イクラ「がっかりだよタラヲ……あの磯野とフグ田の混血児が、この程度なのか?」

タラヲ「まだまだデスうううううっ!!」


挑発の言葉に応えて、タラヲが咆える。

砂場や地面の砂鉄が磁力によって浮かび上がり、二本一組の線となって空中に固定される。

その上に残る鉄骨が砲弾として装填された。

砂鉄のレールに莫大な電力が供給され、鉄骨が巨大なローレンツ力によって加速される。

電気抵抗により発生したジュール熱でレールをプラズマ化させながら、巨大質量が超々音速で飛翔する。

都市を賄える程の電力によってのみ実用化されるこの兵器は、レールガンと呼ばれる。


タラヲ「これだけじゃ無いデスよおおおおおおっ!!」


タラヲの背中から、光輪が生まれた。

それは輝きを一層強めながら空へ向かって拡大、その巨大さと光量を以って宵闇に呑まれんとする街を昼へと引き戻す。

その正体は『僭主に阿る雷霆』の磁場操作によって生み出された、全周30kmに及ぶ不可視の粒子加速器である。

抽出された微量重金属元素をイオン化し、亜光速まで加速し投射する、荷電粒子砲として使用されるために生み出されたものであった。


タラヲ「消し飛べデスううううううううううっ!!」

先ほどの重力に任せた攻撃とは比較にならない、膨大な運動エネルギーを孕んだ2種類の砲撃が、回避軌道を全て潰し、

イクラのプラズマの肉体を容赦なく噛み砕かんと襲い来る。

その射線上の町並みをイクラごと消し飛ばしてしまうような威力を、残酷で無邪気な笑みのまま、逡巡も無く振り回す。

それに対してイクラのとった行動は、ただ右手をかざす、それだけだった。

着弾の瞬間、公園の敷地全体が爆炎と衝撃波に蹂躙され、余波を食らった近隣の家々までが吹き飛ばされる。

壊滅した町の一区画はまるで世紀末の様相であった。

――――だが。


イクラ「これ以上俺を失望させるなよ……タラヲ」


またしても、無傷。


イクラ「俺の体はただのプラズマではない……超々高密度プラズマだ」

イクラ「俺の体が孕む熱量と圧力はあらゆる物質を破壊し、あらゆるエネルギーを相殺する」

イクラ「運動エネルギー、電気エネルギー、低温高温、電磁波に放射線、なんでも試してみるといい」

イクラ「完全な生物であるこの俺には、その全てが防御にも値しない程度の攻撃だ」

その事実に然しものタラヲも声を失う。

失望をプラズマの灼眼に湛えたまま、茫然自失とするタラヲにイクラが歩を進める。

タラヲはこの時初めて理解した、恐怖という感情を。

自分がいかに幼く無力な存在であるかを噛みしめた。

タラヲのズボンが恐怖に濡れる、肌を焼く熱波を浴びてなお怖気に全身が震える。


タラヲ「イクラちゃん……ボクたち、友だちデスよね……?」


絞り出せた言葉は、それだけだった。

それを聞いたイクラの表情から感情が失せる。


イクラ「最期の言葉がそんなくだらない命乞いだとはな」

イクラ「――――残念だよタラヲ、さよならだ」


触れるだけで全てを破壊する灼熱の腕が、タラヲの胸を貫く。

断末魔を上げるヒマさえなく、タラヲの全身が燃え上がった。

その瞬間にさえ、イクラは眉ひとつ動かすことは無かった。

【とある裏路地】

アナゴは、スーツのポケットに両手を突っ込んだまま不動。

自然体ながら、その鋭い眼光はマスオの一挙手一投足を捉え、僅かな隙を見せることさえ許さない。

だが、それはマスオの側も同じだった。


マスオ「………仕掛けてこないのかい?」


安い挑発を打つ。

その言葉に口角を歪め、アナゴは嘲笑を答えとする。


マスオ「何が可笑しいんだい?」

アナゴ「ふっふぅー、マスオ君こそ何をいっているんだか」


アナゴ「――――もうとっくの昔に仕掛けているよ」

脊椎に氷柱を挿し込まれたような悪寒。

怖気を振り払うかのように先に動いたのはマスオだった。

振り被る時間すら惜しく、押し出すように構えた左の掌をアナゴに向け、刹那。


宵闇の帳が降り始めた空に腕が舞う。


マスオのものだった。


マスオ「うぐっ!!」


肩口から両断された左腕は、振り上げたベクトルを保持しながら冗談のように虚空に踊る。

反射的に傷口を右手で抑えながら、生まれた隙を取り繕うようにアナゴを睨みつける。

アナゴ「ずいぶんと詰まらない展開じゃあないか、マスオ君」

        <A Descent into the Maelstrom>
アナゴ「私の    『遍く虚空の簒奪者』    は、まだ1割のチカラも発揮していないんだよ?」


瞳を失望の色に染め、批判するように言葉をぶつける。


アナゴ「道化を演じるのも大概にしたまえ」

アナゴ「そんな猿芝居で、わたしを騙し果せるとでも本気で思っているのかい、君は」

その言葉に、マスオの唇が苦悶に引締められたモノから、自嘲的な笑みへと変わる。


マスオ「まいったな……少しぐらい油断してくれたっていいじゃないか」

アナゴ「油断も何も、その左腕は最初から義手だろう?」

マスオ「バレていたんなら仕方がないや」


やれやれとかぶりを振りながら、左肩を押える右手に力を込める。

金属が拉げる音を立て、肩口に接続された機械式義手の残滓を吹き飛ばしながら、闇が噴出する。

それは闇と言うにはあまりにも深く、暗く、そして澱みのない、限りなく透明に近い黒だった。

漆黒でもなく、闇色でもない、敢えて表現すれば、そう。



――――『夜色』に染め上げられた腕であった。


       <The Left Hand of Darkness>
マスオ「この   『凋落と禍殃の腕』   を見せるのは、君で3人目だ」


アナゴ「『生きている中では』だろう?」


予定調和のように重ねられた言葉は、闇夜に追い立てられる黄昏色と共に、地平線の彼方へと溶けて消えた。


【商店街からの帰り道】

サザエ「いくわよワカメ!」

ワカメ「任せてお姉ちゃん!!」


サザエが掲げた腕に、大気が渦を巻いて押し寄せる。

更にワカメが手を翳すことで、分離された大量の窒素が冷却され、液化する。

凝縮された圧力を一点だけ解放することで、液体窒素の吹雪が高圧で吹き荒れた。

<The Winds of Change>           <The Cold Equations>
  『皇女に傅く絶息』  による大気操作と『聳える峻拒の薄氷』による冷却の複合攻撃である。


甚六「喰らわねえよ、バアアアアアアアカッ!!!」


致死の攻撃にも怯えず、甚六は血走った眼を見開き、道化のように顔を歪める。

犬のように伸びた舌が顎を超えて垂れ下がり、興奮に溜まった唾が叫びと共に吐き出される。

液体窒素の飛沫も、凍結した水蒸気の刃も、それを吹き付ける圧力そのものまで『鬱屈と焦燥の歪力』に噛み砕かれてゆく。

全ての分子結合、全てのエネルギーの結束さえも粉々に挽き潰し、低温も高圧も甚六に届くことは無かった。

だが、それは二人にしても計算通りに過ぎない。

生まれた隙に、足元に空気を吹き付けた反動でサザエが浮かび上がり、背後に大気を吐き出すことで高速で突撃する。

ワカメも路面を凍結させ、氷の刃を履いて踊る様に滑走する。

左右からの挟撃に、甚六が迎撃の攻撃を両手から放つ。

回避し切れずにワカメの右腕が抉られ血がしぶく、失血のダメージが重なる前に傷口を凍結させ止血。

サザエは足の裏から吹き出す風圧を上げて飛翔、縦方向の動きで大きく回避。

ワカメが甚六を射程に捉え、その左腕から凍結を開始する。

甚六はすかさず凍結した己の皮膚に能力を発動、低温が筋肉に届く前に組織を破壊し剥離、そのまま迫るワカメへの攻撃に転じる。


ワカメ「そんな、自分の腕をっ!!」

サザエ「離れて、ワカメッ!!」


そのタイミングで颶風を纏ったサザエが頭上から落下。

大気組成の中で最も重い元素であるキセノンが集約され、螺旋に渦巻き甚六の脳天を穿たんと放たれる。

迎撃の隙にワカメが一端離脱、おざなりに放たれた機械的ストレスの牙がその横を未練がましく削り取る。

サザエ「はあああああああああああああああああああっ!!!」

甚六「こんな、ものでええええええええええええええええっ!!!」


破壊と破壊の拮抗が起きた。

キセノンの螺旋がその先端を噛み砕かれながらもじりじりと甚六に迫ってゆく。

巻き込まれた周囲の大気の摩擦により静電気が蓄積され、放電。

火花を散らす鍔迫り合いのように、希ガスの大槍と破壊の爪の激突が雷光に彩られる。

永遠のような五秒間が終わりを告げる。

敗れたのは、サザエの方だった。

風が止まり、余剰の威力が空を割き、サザエの太腿や肩口に傷が奔り鮮血が舞う。


ワカメ「お姉ちゃんっ!!!」

甚六「あはははははははははははっ!!!!」

甚六「分かったか、これが僕の痛みだ、これが僕の苦しみだ!!!」

甚六「どんな暴力でも僕の苦痛を超えることはできない、全てを噛み砕いて嚥下してやる!!」

甚六が血塗れの左腕を演劇染みた動作で振って、宙に赤十字を描く。

それは地に堕ちつつあるサザエへの祈り、勝利を確信した故の余裕。

最期に呪いの祝詞を届けようと、一層大きく息を吸い込み、そこで気づいた。


サザエ「ええ、あなたの負けよ、甚六さん」


息ができない。

いやそうではない、呼吸を試みる程に苦しくなる。

人体は脆い、ほんの些細な環境の変化にその肉体は耐えられない。

酸素濃度6%以下の空気を吸引することで肺胞のガス交換機能は逆転し、血中から貴重な酸素を吐き出す。

ただの一息で脳への酸素供給が断たれ、死に導かれる。


甚六「バカ……な……」


甚六の体が崩れ落ちる。

それを見届けて、サザエは風に抱かれてふわりと大地を踏みしめた。

流血は見た目こそ痛ましいが、大事には至っていない。

ワカメ「やったわね、お姉ちゃん」

サザエ「ええ、大変だったわよ」

サザエ「できるかぎり近づいて射程範囲を搾らないと、ここら一帯の住人をみんな犠牲にしちゃうんだもの」


扱い辛くて嫌になっちゃう、とサザエが不敵に笑う。

傷口の凍結による止血を行いながら、その愚痴にワカメは微笑みで応えた。

【伊佐坂邸】

波平「伊佐坂先生、考え直してはくれんかね?」

伊佐坂「命乞いですか?みっともないですよ」

伊佐坂「仮にも『不毛なる鏖殺』と綽名された貴男のそんな姿、見たくはなかったですね」

波平「いいや、そうじゃない」

波平「儂は、あんたを殺したくなどないんじゃ」


一瞬、時間が硬直する。

天使が通ったとでも表現されそうなその弾指頃、

静寂を破ったのは、伊佐坂の嗤う声だった。


伊佐坂「く……くはは……くははははははははははははははははは!!」

伊佐坂「ふざけないで下さいよ磯野さん、ブラフのつもりですか!!?」

伊佐坂「こんな絶体絶命の状態で、あなたに何ができると言うんですかッ!!」

激昂した伊佐坂の台詞と共に、ページから溢れだす光量が爆発的に増大した。

まるで頭が吹き飛んだ給水栓のように文字が噴出し、その量に比例して軒先全体が噛み砕かれてゆく。


                <Notes from Underground>
伊佐坂「どうですか、私の  『文豪を責苛む重圧』  を喰らった感想は?」

        <Biblio>
伊佐坂「この『能力』の本質は情報熱力学に基づき、情報をエネルギーに、そのエネルギーを更に質量に変換するものです」

伊佐坂「本というものはね、読み手によって千差万別にその表情を変えるものなのですよ」

伊佐坂「同じ本を読んでも、真の意味で全く同じ感想を持つ人間は存在しない……」

伊佐坂「分かりますか波平さん、私の書いた本の読者の数だけ、この本が持つ情報量は増えてゆく」

伊佐坂「多くの人間の解釈に基づいて生み出された情報が変換されたエネルギーを純粋な質量に変換してやれば……」


ただでさえ伊佐坂を包み込むほどの量だった文字列が、一層その密度を上げる。

今までの破壊は小手調べに過ぎなかったと言うかのように、その影響下にあるあらゆる対象が蹂躙されてゆく。

波平の老体がそれに耐えられず弾け飛ぶ光景を思わず幻視しそうになるほどに。

しかし、その中にあって波平の顔に浮かぶのは、死への恐怖では無く、悲しみであった。


波平「……忠告はしましたぞ」


波平がぼそりと呟く。

憤怒の形相のまま伊佐坂はそれを無視し、文字列の結界を広げてゆく。

狂ったように嗤いながら、目を見開き、陥没してゆく地面の中心にいる波平を平伏させようと攻撃を重ねてゆく。

―――だが。


波平「よっこらせ」

伊佐坂「なっ……!!」


まるで夕飯に呼ばれて腰を持ち上げるように、ごく自然な動きで、

伊佐坂が放ち続ける重圧の中、それを全く気にも留めぬように波平が立ち上がる。


波平「まさかこれを伊佐坂先生に対して言う羽目になるとはの」



波平「この……ばっかもおおおおおおおおおおおおおおおんっ!!!」

その声は伊佐坂の放つ重圧を掻き消し、それだけでは止まらない。

衝撃波によって伊佐坂の腕が千切れ飛び、体は家屋の残骸へと叩き付けられた。

本を掴んだままの腕が、ぱらぱらとページを風に捲られながら、傾いた屋根まで飛ぶ。

纏っていた文字列は輝きを失い、風に舞って空気に融けるように消滅してゆく。

屋根瓦を肉が打つ湿った音が響いた後、思い出したかのように伊佐坂が吐血した。

理解できない。

明らかに波平の『能力』による反撃だと言うのに、その正体が全く分からない。


伊佐坂「がはっ!!」

伊佐坂「磯野さん……一体何を……?」

波平「得心いかない様子じゃな、無理もなかろう」


悠々と立ち上がった波平の姿からは微塵もダメージを受けた様子が見られない。

一撃で満身創痍となった伊佐坂とは対照的な姿であった。

伊佐坂「ははは……私の生涯をかけて紡いできた物語が」

     <Notes from Underground>
伊佐坂「  『文豪を責苛む重圧』  の情報圧が……まるで通じていない」

伊佐坂「一体、今まで私は何の為に……」

波平「伊佐坂先生や、もういいじゃろ」

波平「いったいあんた、誰の命令でこんなくだらないことをしたんじゃ」


その言葉を聞いた伊佐坂は憐れむような、蔑むような

そして最終的には諦めるような目で、こう答えた。

伊佐坂「そう、あなたは何も理解していないんだ」

伊佐坂「あなたの息子が、カツオくんが、どういう存在なのかを」

波平「カツオがなんじゃというんじゃ!?」

伊佐坂「ふっ……『あの方』に与えられた私の役目は所詮時間稼ぎ」

伊佐坂「もう、思い残すこともあるまいて」

波平「いかんッ!!」

波平「早まるな、伊佐坂先生ーーーッ!!」

伊佐坂「すまない……おかるさん」


波平の叫びも空しく

伊佐坂邸は轟音と共に爆発した。

【町内会からの帰り道】

かる「おフネちゃん、そろそろ諦めてちょうだいな」

かる「私も楽しくてこんなことしているわけじゃあないのよ」

フネ「そうね……」

フネ「いつまでも、おかるちゃんの相手はしていられないものね」


不敵に笑っていたかるが怪訝の表情を浮かべる。

一体なんのつもりかと問いただそうと口を開いたその時


――――光の柱が降り注いだ。

かる「なっ!?」


否、降り注いだのではない。

始点と終点を逆だと勘違いするほどに空高くまで、光が立ち登っているのだ。

その光の中、陥没したアスファルトから、フネの体が何事もなかったかのように立ち上がる。


かる「嘘……私の『能力』は!?」

      <The Idiot>
かる「『仮初の九泉の姿見』の効果がなんで消えるのよ!!」

フネ「簡単なことさ」


光の中から歩み出たフネが応える。

切り捨てるような言葉とは裏腹に、その声音は悲しみに染まっていた。

逆光によって表情を窺い知ることができなかったのは、二人にとっての救いだったかも知れない。

フネ「おかるちゃんの能力がそのまま『重力』を支配する能力」

フネ「つまり重力子を隷属する能力なら、とっくの昔に私は死んでるわよ」

フネ「重力波によって素粒子レベルで分解するなり」

フネ「マイクロブラックホールの事象の地平面で存在情報を食い荒らすなり、方法はいくらでもあるさ」

フネ「でも、おかるちゃんはそれをしなかった」

フネ「いや、できなかった」

かる「う……」


正鵠を射たフネの指摘に、かるの声が詰まる。

その様子が、フネの推論の正しさを自ずと証明していた。


フネ「私の知ってるおかるちゃんなら、最初から全力をだしたはずよ」

フネ「つまり全力を出しても、最初は私を地面に埋めるだけで精いっぱいだった」

かる「う…ううう……」

フネ「つまり、重力子そのものではなく、重力子を発するものを支配する能力ということさね」

フネ「そんな芸当を私に感知させずに行おうとすれば、自ずと手段は限られる」

フネ「おかるちゃんが支配しているのは通常の物質とはパリティが反転した物質」

フネ「鏡像パートナーと重力子によってのみ相互作用する存在」

フネ「つまりシャドーマター……あるいは鏡像物質さ」


答え合わせというよりは断言。

突きつけられた回答に対し、かるは追い詰められた獣の呻り声しか出せない。

それは幾百の言葉を連ねるよりも雄弁な肯定であった。


フネ「ネタが割れば後は簡単、それを対消滅させてやればいい」

フネ「私の『幽世に揺蕩う曳船』には、それができる」

かる「うううううううううううううううう!!!」


先ほどの光は、対消滅によって生じたエネルギーの発露。

従えるべき鏡像物質を失った今のかるは無能力者も同然、フネに抗うことさえできない。

それを理解した上で言葉による説得を続けられることが、どれほどの屈辱か。


フネ「勝負はついた、さあおかるちゃん」

かる「いや、ダメよ、ぜったいにダメ!!」

フネ「……どうしてそんなこと言うの?」

フネ「無駄に命を落とす必要なんてないでしょ?」

かる「無駄じゃないっ!!」


顔を紅潮させ、眦に涙を溜めて反論するかる。

その姿はさながら聞き分けのない童女のようであった。

かる「そう……無駄じゃない」

かる「私の役目はあなたの足止め」

かる「それはもう十分果たしたわ」

フネ「おかるちゃん!!」


フネの悲愴な叫び声と共に、町の一角から爆音が轟いた。

伊佐坂邸の方角からであった。


かる「ふふふ……私ももう、疲れちゃった」

かる「貴男……私もすぐにそちらにいきます」

フネ「おかるちゃん……だめえ!!」


フネの制止する声など聞こえないように、かるはあたり一帯を巻き込んで自爆した。

【公園】


勝利の余韻を味わっていたイクラは、今になってやっと気が付いた。

死体が、燃え尽きない。

炭化どころか分子が原子まで分解され、その原子さえも電子と陽子に分離するほどの高温のハズなのだ。

          <Biblio>     <The Naked Sun>
それでも自分の『能力』は、『供犠焼べ斎戒為す聖壇』は絶対のものだと信じていた。

過信していた。

だから反応が遅れた。


タラヲ「あはっ、やっと捕まえたデース」

イクラ「なッ!!」

がしりと、骨まで炭になったタラヲの手に、その胸を貫くイクラの腕が掴まれた。

熱源に直接触れた手が蒸発し、プラズマ化してはその質量を減らしてゆく。

それでもイクラは恐怖していた。

動くワケのない手が動き、焼け潰れたハズの声帯が声を奏でたのだ。

茹で上がり白濁したタラヲの眼球がグルリと回った。

視線が、合った。

気づいた時には、叫んでいた。

イクラ「タラヲオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


絶叫しながら、腕を引き抜こうとする。

今にも脆く崩壊しそうな黒い躰は、しかしその腕を一向に離そうとしない。

半ば狂乱しながら、今度こそはと一層強く全身に力を込めたその時。

――――ピシリ。

その音は幻聴だったのかも知れない。

本来ならあり得ないことだからだ。

イクラの全身が罅割れ、傷口からプラズマの体液が吹き荒れる。

体液と言っても、圧力から解放され外気に曝されたプラズマ生命組織は、瞬時に格子構造が破壊されただのプラズマに戻ってしまう。

次いで喉から迫り上がる吐き気、そのまま吐血。

ワケが分からないまま、自分の体が崩壊している事実だけはどこか冷静に理解していて、

その事実が意識の表層の混乱を一層際立たせた。

タラヲ「イクラちゃん、もしかしてボクの『能力』がただの電磁力操作なんて本気で思ってたんデスか?」


崩壊を続けるイクラの躰とは逆に、炭化していたタラヲの肉体は、映像の逆再生のように復活を遂げてゆく。


タラヲ「まあ、ボクもこうして死にかけたおかげで本当の『能力』を理解できたんデスけどねぇ」


傷を抉りながら、再生したタラヲの手ががイクラの胸に沈んでゆく。

再び指が沸騰して蒸発、しかしその先から蒸気が元あった場所へと戻ってゆく。

破壊と再生を繰り返しながら、少しずつ指先がイクラの体内へと進んでゆく。


タラヲ「イクラちゃん、君の体である超々高密度プラズマを維持する皮膚に相当するのが高密度の磁力線デス」

タラヲ「ボクのチカラでその磁力線を中和させてもらったデスぅ」

イクラ「だがっ、それだけではこの状況は説明できん!!」

イクラ「貴様は確かに死んだはずだ、今でも確かに心臓を貫いているのだぞ!?」

タラヲ「……イクラちゃん、『電気』ってなんデスか?」

イクラ「はあっ!?」

突然の問いに呆けた声で応えるイクラ。

その声に対して、出来の悪い生徒を諭す教師のようにタラヲは続けた。


タラヲ「電気が流れる……電流とは、すなわち電荷の移動、電子が動くことデース」

           <The Lights in the Sky Are Stars>
タラヲ「そう、我が     『僭主に阿る雷霆』     の本質は電子の隷属だ」

イクラ「タラヲ、お前……」

タラヲ「イクラ、貴様の『能力』は肉体を強結合プラズマに置換し再組織化した上でその維持を図る、そこまでだ」

タラヲ「高温によって周囲の物質を蒸発させることは『能力』の副産物に過ぎない」

タラヲ「ならば、蒸発した物質の電子を隷属し、結合を再生させることなど雑作も無いことよ」

イクラ「バカな、そんなことが……」

タラヲ「生命活動もただの化学反応に過ぎない」

タラヲ「心臓が止まって死ぬのは、血流が止まることで酸素と栄養の供給が停止し、細胞が活動を維持できなくなるからだ」

タラヲ「だが、我が『僭主に阿る雷霆』により電子を隷属すれば細胞内、ミトコンドリアマトリクスのプロトン勾配を直接変化させることなど容易い」

タラヲ「貴様に心臓を貫かれ、肺腑を抉られ血が沸こうと、今の我の生命活動には何の支障もないのだよ」

指先が、イクラのプラズマの心臓に届いた。

破壊と再生を繰り返す手で、脈動するプラズマの塊を握る。


タラヲ「イクラ……君は心臓を失って果たして生きていられるかな?」

イクラ「タラヲ……」


イクラの顔が恐怖に陰る、そのプラズマの輝きさえ暗く見えた。


イクラ「俺たち……友達だよな?」

タラヲ「――――残念だよイクラ、さよならだ」


ぐちゃり、と湿った音がした。

最期の悲鳴はくぐもった小さなものだった。

イクラからプラズマの輝きが消え去り、ただの幼児の肉体へと戻る。

その瞳は、絶望と諦観に染まっていた。

タラヲ「ふう、なかなか強かったデスぅ」

タラヲ「でもイクラちゃん程度はボクの敵じゃなかったデース!」

浮江「そうね、タラちゃんは強いわよね」

タラヲ「ッ!?」

浮江「だからそのチカラ、私に貸してちょうだい?」

タラヲ「あ、あああ……!!」


             <Crime and Punishment>
浮江「――――私の 『酷薄な久遠の微睡み』 の世界へようこそ、タラちゃん」



タラヲの瞳から光が失せ、ガクリと膝をつく。

夜風にプラズマの残り香が舞い散り、破壊の限りを尽くされ更地のようになった公園に暗闇が戻った時、すでにタラヲと浮江は姿を消していた。

【商店街からの帰り道】

サザエ「甚六さん……なんでこんなことを」

ワカメ「私たちが襲われたのならお兄ちゃんたちも危ないかもしれないわ」

サザエ「そうねワカメ、早く家に帰りましょう」

タイ子「いえ、それはダメなんですよサザエさん」

ワカメ「――――お姉ちゃん、危ない!!」


サザエの背後、地面から唐突に湧き出すように出現したタイ子。

ワカメはいち早く反応し、その身を守ろうとサザエを突き飛ばした。

サザエは驚愕のまま地面へと倒れ伏し、一瞬で意識を再び切り替えて体勢を整えながら振り返る。

そこにはタイ子の左腕に胸を貫かれたワカメの姿があった。


タイ子「あらあら、先に厄介なサザエさんの方を始末するつもりだったのに」

サザエ「た、タイ子さん……?」

サザエ「どうして、どうしてあなたがワカメをッ!?」

ワカメ「お姉ちゃん……私、もうダメみたい」

ワカメ「お兄ちゃんたちのこと、あとはよろしくね」


口から血の筋を流して、それだけをサザエに告げる。

瀕死の、既に手遅れで死を待つだけのワカメが、タイ子の腕をつかむ。

次の瞬間、ワカメの肉体ごとタイ子は氷の棺に封印されていた。


サザエ「まさか……こんなことになるなんて」

タイ子「ええ、まさかワカメちゃんが最期にこんなことができるなんて、思いもしませんでしたよ」


再び背後に現れた、二人目のタイ子。

その台詞が終わらぬうちに、サザエの手刀が真空の刃を纏って一閃。

新たなタイ子の首を切断し宙に舞わせる。

タイ子「あらあら、おかげで貴重な分体がまた一つ無駄になってしまいました」


空中に舞い続ける首が、言葉を続ける。

その異様な光景にサザエの生理的嫌悪感が刺激され鳥肌が立つ。

首の無いタイ子の肉体が動いた。

重力に従って崩れ落ちるのではなく、明確な意思に従って。

反応が遅れた。

致命的な手遅れだった。

顎を貫く衝撃に、サザエの意識は一瞬で刈り取られた。

【とある裏路地】

     <The Left Hand of Darkness>
マスオの   『凋落と禍殃の腕』   の拳が宙を穿つ。

アナゴとの距離は未だ15m以上、打撃が届く距離では無い。

――――だが。


アナゴ「やっと本気になったようだね、フグ田くん」


その左手が纏う闇色が、飛んだ。

与えられた初速から減速するどころか、逆に加速して、音の壁を悠々と貫く。

アナゴがステップを踏み、更に首を傾げ、宙を駆けた拳は遥か横を過ぎ去るが、その衝撃波に髪の毛を数本持って行かれる。

アナゴの厚い唇が笑みに歪む。


アナゴ「そうだ、それでいい」


外れた攻撃がビルの外壁に直撃し、コンクリートの壁を陥没させる。

轟音、舞い散る粉塵、明滅する電灯。

くつくつと笑いながら、アナゴの手がついにポケットから抜き放たれた。

それと同時に再び不可視の斬撃が奔る。

アスファルトが熱したナイフで切り取られるバターのように滑らかに割けた、

と思った次の瞬間には既に破壊が到達していた。

しかしすでにそこにはマスオは居ない。

アナゴのモーションから先読みで飛翔し、攻撃を避けたマスオが夜色の左腕を振りかぶる。

その動作だけで、空中で爆発的な加速を得たマスオの体が刹那でアナゴに肉薄、

握りしめた左拳を解放すると共に、爆発が起きた。

アナゴの姿が砕け、そして空気に融けるように消えた。

爆炎が消え、視界が開ける。

その視線の先には、マスオが詰めた距離と同じ距離を離して、無傷のアナゴが佇んでいた。


               <Biblio>
マスオ「……それが君の『能力』、というワケかい?」

アナゴ「ほお、アレだけの接触でもう解ったとでもいうのかい君は」


マスオの眼鏡が月光を反射し白く染まる。

説明を促すようなアナゴの姿に、マスオが訥々と語り始める。

マスオ「最初の攻撃はカマイタチ、それに先ほどの幻影」

マスオ「つまり真空や空気の屈折率の変化を利用できる、大気操作系の能力」


自分の妻の能力を思い出し、だからこそ断言する。


マスオ「――――ではないのだろう?」

アナゴ「ああ、そうだよ」

マスオ「素直に認めるんだね」

アナゴ「別に、わざわざ偽装したワケでもないからねえ」

マスオ「……大気密度の変調による幻影はない、ボクの攻撃で大気が攪拌されていたからね」

マスオ「蜃気楼を生み出せるような安定した空気の層をあのとき作ることはできなかった」

マスオ「では他の方法で光を曲げたことになる」

マスオ「それができるのは、光子そのものを直接操作する能力、または」

マスオ「――――超質量による、重力レンズ効果だ」

マスオ「そう考えればカマイタチの方も説明がつく」

マスオ「超質量によって周囲の空気を引寄せ真空を生み出したんだ」

マスオ「つまり、君の能力は……マイクロブラックホールの生成と操作だ」

アナゴ「ご名答」


パチパチと、拍手の音が白々しく響く。


アナゴ「では私も推理してみようか、君のその左腕の正体を」

マスオ「……聞こうか」

アナゴ「まず、殴りつけた拳の威力が飛んできた」

アナゴ「そして空気を殴りつけることで空中で加速」

アナゴ「更には拳から爆発を引き起こす」

アナゴ「まるでその左腕自体が巨大なエネルギーの塊のようだが」

アナゴ「――――違うのだろう?」

マスオ「そんな言い方をするんじゃ、本当にネタが割れているようだね」

アナゴ「最後の爆発が不可解だったよ、少し頭を捻れば正体が分かったけれどねえ」

アナゴ「私がブラックホールを扱う能力者でなければ分からなかっただろうさ」

アナゴ「……あれはホーキング輻射だね?」

マスオ「ああ、その通りさ」

アナゴ「握りしめた拳の中で圧縮された大気中の塵や空気分子がマイクロブラックホールと化し」

アナゴ「その全質量をホーキング輻射として蒸発、爆発を引き起こしたというワケさ」

アナゴ「ではどうやってそこまでの圧縮を行うか」

アナゴ「圧縮に対しては、通常は膨張する方向に反作用が起きる」

アナゴ「だがそれを逆転させてしまえば?」

アナゴ「圧縮されるほどに圧縮しようとする力が働けば、無限に圧縮されついには空間に穴を空けることも可能とする」

アナゴ「逆に膨張に対しては、膨張し続けようとするが故に加速度的に体積を増やし続ける」

アナゴ「それを利用すれば打撃した空気が超音速で飛んでゆくし、空中で方向転換しつつ加速するほどのベクトルを得られる」

アナゴ「つまり引き起こされる事象は運動方程式の符号の逆転、それを可能にすることは通常の物質ではありえない」

アナゴ「君のその左腕は――――負の質量を持つ暗黒物質の塊だ」

マスオ「……ご名答」


意趣返しのように応えるが、拍手までは真似しない。

少ない情報から能力を見事に推定して見せたことで、アナゴの実力を改めて思い知らされる。

気を引き締め直している内に、もう話は終わったとばかりに既にアナゴは動き始めていた。

再び真空の刃が奔る。

マスオはそれを受け止めようと左腕を構える。

暗黒物質でできた左腕はあらゆる攻撃の反作用を逆転させ、自身の威力と相殺させ無効化する。

だが、マスオの背筋に再び悪寒が走る。

咄嗟に腕を下ろし、回避の動きに入るが、完全には間に合わない。

二の腕が浅く切り裂かれ、瘴気のように夜色の血がしぶいた。


マスオ「バカな、ボクの左腕を傷つけることは不可能なハズだよっ!?」

アナゴ「……ご名答、と先ほどはいったが、実はアレは嘘だ」


アナゴが嗤った。

アナゴ「そうだね、せっかくだからネタばらしをしてあげようか」


アナゴの独白が続く。


アナゴ「ブラックホールに吸い込まれた真空によるカマイタチという君の推測、それだけは間違いだったのさ」

アナゴ「正しくは空気分子の間隙、真空部分に極小のカー・ブラックホールを多数発生させる」

アナゴ「それは円状の特異点の中で自己完結する閉じた因果律、他者からの干渉を完全に拒む空間だ」

アナゴ「押し付けるだけで領域内のすべての物質を排斥し、どのような物質であっても一方的に傷つける」

アナゴ「万象の拒絶、絶無の孤独、暗黒物質である君の左手さえもその痛みからは逃れられない」

アナゴ「――――絶対強度の真空、それがあの刃の正体さ」


マスオは戦慄していた。

全幅の信頼を置いていた『凋落と禍殃の腕』が傷ついたこと。

そして一度は自分が見誤った『遍く虚空の簒奪者』の能力を、アナゴ自身がここまで簡単に詳らかにしたこと。

舐められているワケではないのだろう、だがアナゴには絶対の自信があるのだ。

彼には何者にも敗れはしないと言う絶対の自負がある。

眼前に威風堂々と立ち塞がる友の姿に、マスオの額から再び冷や汗が流れた。

【???】

???「タイ子さん、順調にすすんでるかしら?」

タイ子「ええ、シュミレーションのケースβ、ステージ23から46までクリアしましたよ」

???「演算負荷はまだ大丈夫そう?」

       <Journey to the Center of the Earth>
タイ子「私の      『荒物を咲う巌』     で融合させたスパコンで充分間に合っています」

タイ子「サザエさんに倒された分体を補充する余裕はありませんが、計画には支障ありません」

???「そうだ、浮江さんから連絡があって、イクラちゃんが……」

タイ子「気にしないで下さい、あの子は失敗作ですから」

タイ子「それよりタラちゃんは?」

     <Crime and Punishment>
???「 『酷薄な久遠の微睡み』 の洗脳はちゃんと効いたみたいね、いま浮江さんと現場に向かっているそうよ」

タイ子「そうですか、では私の残った分体も合流させますね」

タイ子「それからあのヒトも……」

???「ええ、お願いするわ」

???「――――終わりは近いわね」

【磯野家】

波平「誰かおるかーーーっ!!」

カツオ「父さん……」

波平「カツオ、無事じゃったか」

波平「では、先ほどの音はまさか……」

     <Librarian>
カツオ「 『覚醒者』 であることを黙っててごめん、父さん」

波平「まあいい、今はそれより家族皆の無事の確認が先決じゃ」

フネ「あらお父さん、帰っていらしたんですか」

波平「マスオ君は?」

波平「サザエやワカメ、タラちゃんはどうした?」

フネ「さあ……私もいま帰ってきたばかりなので」


伊佐坂夫婦の自爆を食らったハズの波平とフネにダメージは見られない。

ただ、その表情の蔭りは二人に何があったのかをカツオに知らせるには充分だった。

タラヲ「ただいまデース!」

サザエ「……」

ワカメ「……」

カツオ「タラちゃん、ワカメに姉さんも!」

タラヲ「カツオお兄ちゃーん!」

タラヲ「……死ね」

カツオ「ッ!?」

フネ「危ない!!」


唐突に、伸ばされたタラヲの指先がアーク放電の青白い輝きを放ちながら一閃される。

反応できないカツオを庇おうと、フネが一瞬で転移。

二人の間に割り込み、タラヲの攻撃を食らう。

フネの老体が、胸で上下に分断される。


タラヲ「殺ったデース!!」

フネ「……やっぱりタラちゃんはまだ甘いね」

カツオ「か、母さん!!」

フネ「大丈夫だよ、カツオ」


分かたれたフネの上半身と下半身が再度の転移。

構築情報を肉体が傷つく前の記録より組み上げ、すぐさま復活を果たす。


浮江「ダメじゃないタラちゃん、狙うなら心臓より先に脳だっていったでしょう?」

タラヲ「ごめんデスぅ……」

カツオ「浮江さん……なんで……?」

ノリスケ「おやカツオくん、もしかしてこういうシナリオは初めてだったのかい?」

カツオ「……ッ!!」


浮江の後ろから姿を現したノリスケの言葉に、カツオの声が詰まる。

驚愕に見開かれた瞳をすぐさま敵意に燃やし、拳を握りしめ跳躍。

壁を蹴りタラヲの横をすり抜け、ノリスケの顔面にカツオの一撃が炸裂。

肉を打つ鈍い音と骨が砕けるくぐもった低音に、裂けて血に塗れた皮膚が奏でる湿った音が重なる。

カツオ「ぐあああああああああああああっ!!!」

ノリスケ「どうしたんだいカツオくん?」


その音はカツオの腕から聞こえたモノだった。

殴りつけた側であるカツオの拳が、耳障りな音と共に破裂し血飛沫を上げる。

その光景は確かに存在した。

まるで映像が突如として切り替わったように、カツオの腕が復元されていた。

ただしその拳には血が滲んでいる。


ノリスケ「へえ、あの状態からでも結果の再収束が可能なんだ」

      <Index>      <The Gods Themselves>
ノリスケ「『能力名』は確か、 『禁忌に狂れる神籬』 だったっけ?」

カツオ「なんで、そこまで……」


先ほど倒した三郎はカツオが『覚醒者』であることすら知らなかった。

しかしノリスケから放たれた言葉は、明らかに全てを識っているものの言動だった。

自分の識らない事態に陥っていること自体が、今のカツオにとっての恐怖であった。

波平「カツオ、お主は一体」

ノリスケ「叔父さん知らないんですか?」

ノリスケ「カツオくんがすべての元凶だっていうのに」

カツオ「やめて、やめてくれよ……ノリスケ叔父さん……」

             <The Gods Themselves>
ノリスケ「カツオくんの 『禁忌に狂れる神籬』 の効果は波動関数の確率分布の支配、で合ってたよね?」

ノリスケ「不確定性原理に基づき、ミクロな時間スケールにおいてのみ定められないハズの情報をマクロな時間まで拡大」

ノリスケ「さらに波動関数の総和もマクロな時間スケールにおいて最終的に1になれば、局所的にはいくらでも増減可能と」

ノリスケ「都合が悪いことは無かったことにできるし、いいことだけは何回でも繰り返すことが出来るなんてね」

ノリスケ「まるで本当に神のチカラじゃないか!」


芝居がかった大仰な動きで、カツオの『能力』に対する驚きと嫉妬、幾許かの恐怖と嫌悪感を表現する。

それに続けて口角を歪め、嗤い――――


            <The Man in the Hight Castle>
ノリスケ「でもボクの  『不破たる金剛の肉叢』  に対しては何もできないみたいだね」


胸を張り、幼い子どものように無邪気に勝ち誇った顔で、自らの絶対の優位の証明に歓喜していた。

波平「ノリスケ、儂にはお前が何を言いたいのかさっぱり分からん」

波平「だがこれだけは理解できる」

波平「儂らの敵になりおって、この……ばっかもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!!!」


波平の声が指向性をもって放たれ、周囲を巻き込んでノリスケを微塵に刻む。

超音波により微粒子を振動させその摩擦により対象を切断する超音波カッターであった。

更に波平の頭から幾条もの光の帯が放たれ、先ほどの攻撃で舞い上がった粉塵の中の人影に着弾。

そのまま回転を加え、広範囲を切断しようとする。

様々な波長域で生み出されたレーザーによる多重攻撃であった。


ノリスケ「いやあ、効かないとわかっていても叔父さんからの雷は怖い怖い」

波平「なっ!!」

          <The Man in the Hight Castle>
ノリスケ「ボクの  『不破たる金剛の肉叢』  はボク自身の空間位相を固定し、理想的な剛体として振る舞わせます」

            <The Currents of Space>
ノリスケ「叔父さんの  『森羅を劈く波濤』  がいくら万能でも、空間を固定されれば波は伝播できないでしょう?」

ノリスケ「ゲームで言えば完全物理無効って奴ですかね、あはははは!!」

フネ「危険だねえ、ノリスケさんの『能力』は攻撃力に欠けるけど前衛の壁として優秀過ぎる」

ノリスケ「分かってますよ、ボクは決して死なない代わりに決定打に欠けます」

ノリスケ「だからこそ浮江さんに協力して貰ってるんですよ」

          <Crime and Punishment>
浮江「ええ、私の 『酷薄な久遠の微睡み』 は脳さえ無事なら死者でも操れるの」

カツオ「それじゃまさか……姉さんとワカメは……」

波平「浮江さんあんた、死者を冒涜しとるのかッ!!」

浮江「仕方ないじゃない、磯野に対抗できる戦力なんて磯野だけなんだから」


浮江が不敵に嗤う。

それはカツオのよく知る知的で活動的な年上の女性ではなく、人間を弄ぶ悪女の顔であった。


浮江「ほらタラちゃん、どんどん攻撃しちゃって!!」

タラヲ「分かったデース!」


次の瞬間、

タラヲの指先が浮江の頭部を貫いた。

ノリスケ「……え?」

浮江「あ、あがっ……あ゛あ゛あ゛っ!!?」

タラヲ「この程度の『能力』で、ボクを本気で操れると思ってたデスかー?」

タラヲ「量子演算領域の恒常性維持機能で、とっくの昔に洗脳は解除されていたデスよ?」


タラヲの指先が浮江の脳を頭蓋の中で掻き回し、その度に彼女の眼球が痙攣。

口から声となっていない無意味な音を吐出し続ける。

浮江の支配から脱したサザエとワカメの肉体が、ただの死体へと還り崩れ落ちる。


タラヲ「うん、だいたい分かったデスぅ」

タラヲ「だからこれはもう要らないデース」


指先から放電、眼球が瞬時に沸騰し白濁。

茹だった赤黒い血を噴出しながら、膨張した水蒸気により浮江の顔の造形が崩壊し、破裂した。

桃色の脳漿が飛散し、人体から発せられた血の臭気を帯びた湯気が磯野家の玄関に広がる。

タラヲの顔には、いつもと変わらぬ笑み。

波平「タラちゃん……元に戻ったのかい?」

タラヲ「おじーちゃーん!!」


惨状の中、タラヲは日常のように波平の腕の中へと駆けてゆく。

波平の背筋に悪寒。

思わず身を引くが間に合わず、左腕が爆ぜた。


カツオ「タラちゃん!?」

波平「くっ、やはりまだ洗脳が……ッ!!」

タラヲ「何を言っているデスか?」

タラヲ「ボクはもう洗脳なんて受けていないデス」


表情は変わらぬ笑み。

浮江を殺した時も、波平の左手を破壊したときも、絶えず変わらぬ歓喜の表情。


タラヲ「これはボク自身の意思で、ボクの最強を証明する為にやったことデース!」

タラヲ「磯野の血はボクだけで十分デスぅ、おじいちゃんもおばあちゃんも、カツオお兄ちゃんもボクが殺るデース!!」

無邪気ゆえに残酷。

幼い闘争本能の発露は、最悪な状態で具現化してしまった。

タラヲが指を鳴らすと、サザエとワカメの死体が再び立ち上がる。


タラヲ「さっき浮江お姉ちゃんの脳みそから量子演算領域にアクセスして『能力』を逆算したデス」

タラヲ「脳細胞の電位差の調整と各種神経伝達物質の合成、ボクの手にかかれば余裕で再現可能デース」


自らの母親を、叔母を、肉親の死体を何の拘泥も無く操るおぞましさ。

歴戦の波平でさえ耐え難い忌避感、可愛がっていた孫がこれほどのバケモノだと知ってしまった絶望。


ノリスケ「予定は変わっちゃったけど……まあタラちゃんが戦力になるのには変わりないみたいだね」

タイ子「そうねアナタ、なにも問題はないわ」

フネ「タイ子さん、いつの間に」

タラヲ「楽しいショウの始まりデース!!」

光の無い瞳孔で、サザエとワカメが動く。

タラヲが無声放電によってサザエの集約した酸素からオゾンを合成、更にワカメが冷却し液体オゾンとする。

大量に生成された液体オゾンが粘液のように動いた。

不対電子を持つことで常磁性を示すオゾン分子が、タラヲが発生させた磁場に反応し誘導されたのだ。

対して波平は指向性衝撃波を放ち凍てつくオゾンの海嘯を破砕する。

             <The Currents of Space>
全ての波を支配する  『森羅を劈く波濤』  なら電磁波への干渉も可能であるが、波平の全盛期は過去のものであり、特化型であるタラヲの磁場操作を無効化するほどのチカラはない。

左手を失ったことによる消耗も合わせれば、純粋な運動エネルギーの衝突にこそ分があると判断した。

弾けた液体オゾンが玄関の壁や床材を凍結させ、さらには腐食させてゆく。

酸化力の高い化学種であるオゾンは分解することで活性酸素種であるヒドロキシラジカルを生じ、有機物の分子結合を分解、破壊する。

気化したオゾンが粘膜を侵し喉と眼球に痛み。

          <The Gods Themselves>
すぐさまカツオが 『禁忌に狂れる神籬』 を発動し、オゾンの空気拡散を再収束させ自分と波平の周囲を安全圏とする。

視覚を失わずに済んだ波平が透かさず反撃の指向性衝撃波を放つ。

追撃の準備をしていたタラヲが反応、超音速境界層の槍は髪の毛を数本引き千切るに留まった。

すでに磯野家の玄関口は建造物の原型すら残らない。

タラヲ「カツオお兄ちゃんの攻撃はイクラちゃんのパパが止めてくれるデス」

タラヲ「そしておじいちゃんの攻撃、プラズマやレーザーは磁場の影響で命中精度が下がり、衝撃波は音速を超えられないデス」

ノリスケ「それに重力波も伊佐坂先生の重圧を掻き消す程度が限界なんでしょう?」

フネ「よく作戦を練ってきてるねえ……なら私からタラちゃんにお仕置きしようか」

タイ子「おばさま、そうはいきませんよ」


フネの反物質砲をタイ子がその体を盾とし受け止め、爆散。

血液が飛び散ることも無く、まるで彫像を砕いたかのように石塊と砂の粉塵だけが舞い散った。


タイ子「おばさまの攻撃には貫通力はありませんものね、分体を犠牲にすれば私でも防げます」

フネ「タイ子さん、その体は……」

           <Journey to the Center of the Earth>
タイ子「これが私の      『荒物を咲う巌』     のチカラです」

タイ子「あの失敗作のイクラがプラズマ生命への進化なら、私は金属珪素基生物への進化ですね」

タラヲ「イクラちゃんのことは残念デスう」

ノリスケ「あっはっは、いいんだよタラちゃん、あんな紛い物はいくら殺してしまってもね」

カツオ「イクラちゃんが……殺された?タラちゃんに?」

タラヲ「ボクに歯向かってきたんだから当然デース!」

波平「ノリスケ貴様、自分の息子を失敗作だの紛い物だの、なんだと思っておるんじゃ!!」

ノリスケ「だって真実なんだから仕方ないじゃないですか叔父さん、だから……」


ノリスケの笑顔が瞬時に温度を下げた。

能面のように固まった笑みの視線の先には、カツオの姿。


ノリスケ「全てを取り戻す為に――――カツオくん、これ以上の勝手は許さないよ?」


あまりの戦慄にカツオが無意識に後ずさる。

歴戦の猛者である波平でさえ、失った左手の激痛からではない冷や汗を一筋垂らした。


ノリスケ「さあ、全ての終わりを始めよう」

ノリスケ「そのためにも邪魔な磯野家の皆さんには、申し訳ないけど死んでもらいますよ」


その言葉を受けてタラヲが指揮者のように指を振り、二人の死者が踊った。

カツオ「姉さん……ワカメ……ッ!!」

波平「なぜこんな惨たらしいことを……ッ!!」


足首と肘から先を氷の刃で覆ったワカメが、路面を凍結させながら滑走する。

振るわれる刃をカツオは敢えて受け、『能力』により結果を再収束。

防御した腕ごと体を両断するはずだった氷の刃は逆に砕け、失った手応えにバランスを崩したワカメに容赦の無い拳。

『拳が当たった』という事象の可能性を並列展開することで多重攻撃とし、今の状況で攻撃可能な部位全てに打撃が入る。

少女の華奢な肉体が、砕けた氷の破片と共に吹き飛ばされ、向かいの家のブロック塀に激突、全身から血をしぶく。

その隣では颶風を纏ったサザエが、キセノンの螺旋槍を構えて波平へと突貫。

連続した指向性衝撃波によって螺旋の貫通力を拮抗させながら、老兵の頭部に破壊の輝き。

気づいたサザエが攻撃を中断し離脱するが、数瞬遅れ硬X線レーザーの刃で左足を切断。

自らの背後の壁にタラヲが一瞥をくれると、砕けた骨と断裂した筋繊維を無視してワカメが立ち上がった。

もとより痛覚を感じる意識は残っていないのだ。

出血と骨折を肉体を凍結させることで無理やりに応急処置し、再びカツオに立ち向かう。

反応してサザエも圧縮空気で加速し再度の攻撃を開始する。

カツオ「父さん、まずタラちゃんを止めないと!」

波平「分かっておる、しかしどうすれば……」


カツオがアイコンタクトで伝える、「ボクに考えがある」と。

迫りくるワカメの脇を抜けてタラヲに向かって走り出す、死した妹からの追撃は結果の再収束で転倒させることで回避。

タラヲに肉薄し拳を掲げれば間にノリスケが割って入る、一縷の希望にかけて全力で打撃。

前回と結果は変わらず、自らの威力で拳が粉砕、結果を再収束させることでダメージを最小限に抑えて再生させる。

波平が再び指向性衝撃波の槍を放つ。

しかし先ほどより更に距離が遠いため、発動を確認してからでも高々音速程度の速度では再び避けられてしまう。

タラヲもそう思考し、余裕の笑みを浮かべた。






――――その笑みが破裂した。

ノリスケ「タ、タラちゃん!?」

カツオ「上手くいったみたいだね」

ノリスケ「そんな、タラちゃんなら叔父さんの指向性衝撃波ぐらい余裕で避けられるハズ……」

カツオ「その慢心のおかげだよ」

波平「左様、しかしカツオよく思いついたのお」

カツオ「姉さんほど上手くはできないけどね」

ノリスケ「ま、まさか……」

カツオ「そうだよ、結果の再収束で空気の拡散を操作して、ヘリウムを集めたんだ」


音速は媒質の分子量と反比例する。

平均分子量29の空気中の音速は常温で340m/sであるが、分子量4のヘリウムガス中での音速はその三倍近い1000m/sとなる。

三倍速で迫る衝撃波の槍はタラヲの目測を誤らせ、結果頭部に直撃したのだ。


波平「タラちゃんと言えど演算中枢である脳を破壊されればひとたまりもない」

波平「有効打を失ったあんたら夫婦の不利じゃ、わかるな?」

ノリスケもタイ子も死や捕縛に対しては無縁の『能力』ではあるが、今回の目的は磯野の撃破だ。

計画のためにここでの失敗は許されないと焦りを見せたそのとき。


タラヲ「おじいちゃんもカツオお兄ちゃんも、酷いことするデスう」


首のない死体が、起き上がった。

どこから発せられているのかも不確かな声が、現実味を帯びないままに響く。

飛び散った血液、骨、筋肉、皮膚、そして脳髄が逆再生のように頭部があった場所に集い、そして完全に修復された。


波平「バカな……タラちゃん、どうして生きておるのじゃ」

タラヲ「ボクの思考は既に脳だけで行ってるものではないんデス」

タラヲ「体中の利用可能な有機分子すべての量子スピンを使ってバックアップと補助演算を行ってるんデス」

タラヲ「いわばボクの全身が量子コンピュータと化していると思えばいいデス、頭を吹き飛ばしただけじゃ死なないのデス」

タラヲ「ちなみに心臓を止めても細胞の活動は電子隷属で続けられるから、ようするにボクは不死身デース!」

ノリスケ「あはははは、磯野はどいつこもいつもバケモノだね!」

タイ子「でも味方となればこれほど心強い存在もありませんわ」

ノリスケ「まあボクらみたいに死なない『能力』でも持ってなきゃまともに付き合いたくはないけどね」

カツオ「ど、どうしよう父さん……」

波平「ええい、狼狽えるでないわ!!」


死者を操り、頭を砕いても心臓を潰しても死なず、傷一つなく肉体が蘇り、

世界を世界足らしめる四つの力の内のひとつである電磁気力を隷属する。

磯野とフグ田の血統より産み落とされし、無垢と残酷の極致。

『僭主に阿る雷霆』の名に相応しき、雷帝の独裁者。

フグ田タラヲという絶対強者の君臨を今や疑う者はいない。

フネ「仕方ありませんねえ、アナタ」

波平「母さん、まさか……ッ!!」

フネ「私が命を賭けます」


フネの姿がブレた。

二重、三重、十重二十重に重なるフネの姿が実体と化す。

存在情報の複写による分身、肉体を対消滅させ再構築する『幽世に揺蕩う曳船』だからこそ可能な技である。


タイ子「させません!!」

それに応じて、死人が墓穴から蘇るように、地面から何十体ものタイ子が生えてきた。

タイ子にとっての肉体は土塊の器であり、この日に備えて吸収統合してきたいくつもの高価な演算機器の処理能力があれば

これほどの数の体を一糸乱れぬ統率で同時に動かすことさえ可能とするのだ。


フネの軍勢とタイ子の軍勢が激突する。

タイ子「長くはもちません、早くケリをつけてください!」

ノリスケ「分かった、いくよタラちゃん!!」


タラヲが驚異の再生力を持っていようと、あくまで離れ離れになった肉体を寄せ集めて再結合しているだけである。

対消滅によって物質そのものを消し去る反物質砲に晒されれば、命の補償は無い。

故に壁として、金属珪素化合物の塊であるタイ子が奮戦しているのだ。

まともな戦力となる分体を生み出すには長い時間を必要とするため、今この場にいる百体弱の肉体を破壊し続けるだけの分の悪い消耗戦。

だがフネにとっても、今まで打ってこなかった手だけあって分身には相当のリスクがあるハズだ。

だからこそただの時間稼ぎに全てを費やす覚悟ができる。

この局面が今後の全てを左右するのだ。

事態は刻々と進んでゆく。

カツオの拳が起き上がったワカメの死体を跡形もなく砕き、波平がサザエを細切れにする。

挟み撃ちの形でタラヲに放たれたフネの反物質砲の軌道に、タイ子が肉体を割り込ませる。

爆発を背に、タラヲがフネの軍勢を抜けた。

それを狙うカツオの拳が、ノリスケの腕に再び阻まれる。

笑みを浮かべたタラヲの紫電の指先が、波平に届いた。

肉の焦げた臭いと、鉄錆のような血の匂い。

波平は慈しむように残る右手で、心臓を貫かれたままタラヲを抱き寄せる。


タラヲ「あはっ、おばあちゃんと違って、おじいちゃんは心臓を潰せば終わりデス」

波平「ああ、そうじゃな……その通りじゃタラちゃん」


口元から一筋の血を流しながら、愛しい孫に向ける笑みに曇りは無い。


波平「すまないタラちゃん、儂にはもうこうすることしかできんのじゃ」

タラヲ「貴様……何を!?」


慈愛の表情のまま、タラヲを抱く右腕に光が燈る。

タラヲの肉体が、光の帯に解けてゆく。

タラヲ「なんだ、なんなのだこれは!?」

タラヲ「何故我の肉体が再生しない、貴様のレーザーや超音波程度では物質の消滅など……」

波平「ド・ブロイ波じゃ」

波平「物質……粒子と波動は、同じものとして扱うことができる」

波平「波動としての物質の振動を減衰させ、質量をエネルギーとして放出すれば、物質は消滅する」

タラヲ「くっ……まさかこんなチカラを隠していたとはッ!!」

波平「すまないなタラちゃん、儂はタラちゃんを正しく導いてやることができなんだ」

波平「儂にできるのは間違った道を歩み始めたタラちゃんに引導を渡すことだけ」

タラヲ「や、やめろ……やめろおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

タラヲ「磯野とフグ田の混血児である我が、地上の支配者たる俺が、こんな、こんなところで!!」

タラヲ「認めない、認めないぞおおおおお!!うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


吹き荒れる高圧電流の嵐の中でさえ、波平は笑顔を絶やさなかった。

恐慌のままにタラヲは波平の肉体を破壊するが、光へと還り始めた体が再生することは無い。

慟哭のような放電を繰り返す紫電が波平の全てを消し炭に変えるのと、タラヲのすべてが光となって消え去るのは、ほぼ同時であった。

タイ子「そんな、タラちゃんが……」

フネ「あなたも終わりです、タイ子さん」

ノリスケ「タイ子おおおおおおっ!!!」


残り数体となったタイ子に対して、フネの容赦ない砲撃は止まらない。

戦闘に要した時間は43秒、たったそれだけで百体弱の金属珪素化合物の人体が全て活動不可能なまでに破壊され尽くした。


カツオ「母さん、やったんだね」

カツオ「でも父さんが……」

フネ「カツオ……よく聞きなさい」


戦いを終えたフネがそう語り始めようとしたそのとき、

フネの頭部が、破裂した。

カツオ「……え?」


攻撃がきた方向に目を向けて唖然とする。

フネを攻撃したのは、フネ自身だった。

他のフネも、同じように自分以外のフネを殺そうと攻撃を始める。


カツオ「なん……で……?」

フネ「仕方ないことなんだよ」


先ほどの攻撃で頭部が半分以上吹き飛んだフネが、声を発した。

そうする間にも、フネの分身の共食いは続いてゆく。


フネ「自分と同じ存在が複数いることに、人間の精神は耐えられない」

フネ「自己の同一性を守るために、殺しあうしかないのさ」

フネ「運が良ければ生き残った一人が『磯野フネ』を続ける、それだけさね」

爆発音が重なる。

生き残った最後の二人のフネが、同時に互いの頭部を吹き飛ばしたところだった。


フネ「……やっぱり、同じ経験値をもつ者同士じゃ相討ちになるわよね」

カツオ「母さん……」

フネ「この『磯野フネ』にはもう肉体を再構築する余力は無いよ」

フネ「これで最後……ああ、お父さん、タラちゃん……私もそちらへゆきます」


フネの片方だけ残った瞳から光が消えた。

落ちた影はただの影で、もう二度と水面のように揺れることは無かった。


ノリスケ「……なんだ、生き残ったのはボクとカツオくんだけか」

カツオ「ノリスケおじさん」

ノリスケ「まあ、タイ子の本体は死んじゃいないんだけどね、でも事実上のリタイアは免れない」

ノリスケ「残った以上、ボクとカツオくんとで決着を付けなきゃならないけど……」

ノリスケ「分かるよね、君じゃ絶対にボクには勝てない」


その言葉が終わる前に、カツオは駆け出していた。

ノリスケの目的が何か分からないが、こうなった以上は自分だけは生き残らなければならない。

そしてまた全てをやり直すのだ、全てを――――


カツオ「……ッ!?」

ノリスケ「おやおや、どうしたんだいカツオくん?」


カツオの動きが突如として止まった。

慣性による揺らぎすらない、動画の一時停止のような静止。

全身が硬直した中、唯一動く眼球がゆっくりと追いつくノリスケの姿を捉えた。

          <The Man in the Hight Castle>
ノリスケ「ボクの  『不破たる金剛の肉叢』  にはこんな使い方もあるんだよ」

ノリスケ「そもそも『自分』なんて曖昧な対象は、認識次第でどうとでも伸ばせるんだ」

ノリスケ「君はさっきからボクの服にすら傷をつけられなかった」

ノリスケ「なら、君の周囲の空気を『ボクの一部』と認識して干渉できない檻と化すことだって不思議なことじゃない」


息ができない、空気を呼気として取り込むことができず酸欠に陥りかけている。

<The Gods Themselves>
 『禁忌に狂れる神籬』 で抜けだそうとするが、分岐点から再収束可能な回避ルート全てに空間固定が及んでいるようで、効果がない。

ノリスケの『能力』をあくまで身を守るチカラであると見誤った結果、カツオは窮地に立たされていた。


      <Librarian>
ノリスケ「 『覚醒者』 でさえなければ、相手の肉体すら自分の延長として捉えて、心臓や脳を切り離して即死させられるんだけどね」

ノリスケ「残念ながら君の肉体の内側には干渉不可能だから、ゆっくりと苦しんで窒息死していってくれよ、カツオくん」

???「――――それじゃあ困るんだよ」


突如として、空間が割れた。

ノリスケ「なっ……!?」

カツオ「かはっ……ごほっ……はぁはぁ……」

マスオ「大丈夫かいカツオくん、サザエや父さんは?」

カツオ「ゴメン……ボクはまた、みんなを守れなかった」

マスオ「そうか、でもあまり自分を責めちゃいけないよ」

ノリスケ「なぜ君がここに……そうか、裏切ったんだな!」


背後の人影に振り返り、憤怒の形相で顔を紅潮させながらノリスケが叫ぶ。


ノリスケ「アナゴさんッ!!!」

アナゴ「裏切ってなどいないさ、最初から私は君らの味方なんかじゃあなかった」

アナゴ「そうそう、謝るのが遅くなったが試すようなことをして悪かったね、フグ田君」

マスオ「構わないさ、それに戦いの中で違和感は感じていたんだよ」

アナゴ「……まったく、君には敵わないね」


アナゴの厚い唇がニヒルに歪んだ。

ノリスケ「どうしてなんだアナゴさん、あなただってこの世界に不満があるんだろ!?」

アナゴ「不満が無いと言えば嘘になる」

アナゴ「だが、『あの方』の甘言に乗せられるほど私は愚かではないよ」

アナゴ「君や伊佐坂一家、三河屋の三郎君のようにはね」

ノリスケ「なぜ磯野の味方なんかするんですか!!」

アナゴ「私にはね、きっとこの世界しか無いんだよ」

アナゴ「三郎君は浮江さんへの恋心を利用されて、まんまと騙されてしまったようだけどね」

アナゴ「きっと君たちや、『あの方』の望む世界に私の居場所はない」

ノリスケ「でもこの世界は間違ってる、そうでしょ!?」

アナゴ「間違っているかどうかじゃあない、どの世界も結局は優しい嘘なんだよ」

ノリスケ「認めない、そんな……」

アナゴ「ならば、戦うしかあるまい」






アナゴ「――――私の『最強の矛』と君の『無敵の盾』、矛盾対決と洒落込もうじゃあないか」

邂逅は刹那。

アナゴの『絶対強度の真空』がノリスケの『理想の剛体』と激突する。

音は無く、かわりに虹が産まれた。

空間の歪みは光を引き込んで、圧縮或いは膨張した空間によって見かけ上蛇行する光がドップラー効果による色彩を放つ。

虹の膜に彩られた幻想的な光景は、しかし致死の拮抗。

アナゴがノリスケの空間固定を破らなければ、カツオの二の舞を演じる羽目になるだろう。

『矛』で貫くことが叶わなければ『盾』に喰らわれる、これはそういう戦いだ。

それは一瞬だったのか、あるいは数時間もそうしていたのか。

歪んだ空間によって時間さえ曖昧に感じられる中で、しかし因果律は結果へと収束する。

虹の裂け目の向こう側で、ノリスケの上半身が宙を舞った。

ノリスケ「がっ、は……」

アナゴ「咄嗟に傷口を空間固定して出血によるショック死は免れたようだね」

アナゴ「でも切り離された内臓も止められた血流もそのままじゃあ、どの道君は助からない」

ノリスケ「分かってますよ……ボクの負けです……」

ノリスケ「すまない……タイ子……」

ノリスケ「――――すまない、チドリ」

ノリスケの時間が、停止した。


カツオ「これは……?」

マスオ「細胞が活動不可能な損傷を受ける前に、『能力』で肉体すべてを完全に固定してしまったんだろうね」

マスオ「外部から干渉できないから結局治療もできないし、どれ程の意味があるかは分からないけれど」

マスオ「一応生きているとも言えるが、実質的にはコレはもう頑丈な死体でしかないよ」

カツオ「ノリスケおじさん……」

アナゴ「それじゃあ行こうか、カツオくん」

カツオ「行くって、どこに……?」

アナゴ「『あの方』の居場所にさ」

【花沢不動産】

カツオ「こ、ここは……ッ!!」

アナゴ「君には残酷かも知れないが、これが真実だよ」

アナゴ「しかし、この場所を放棄せずに待ち続けていたとはねえ」

花沢「私の家よ、なぜ逃げる必要があるのかしら?」

カツオ「全部……花沢さんが仕組んだことだったのか」

花沢「ゴメンね磯野君」

カツオ「……中島の家を見てきたよ、倒壊してた」

花沢「それも私の仕業よ」

カツオ「中島をどこにやったんだ!!」

花沢「そんな怖い声ださないで、ちゃんとここに居るわよ」


まるで最初からそこにいたかのように、気が付けば中島の姿があった。

中島自身も、自分の身に何が起きているか理解していないように見えた。

中島「磯野……?」

カツオ「よかった、中島……」

花沢「その安堵は中島君が親友だから?」

花沢「それとも――――この世界を繰り返すのに必要な存在だから?」

カツオ「ッ!!」


花沢の核心を突く言葉にカツオが驚愕を、中島が無理解による一層の忘我の表情を浮かべる。


花沢「やっぱり、中島君には死んでもらうしか無いみたいね」

アナゴ「それは困るんだよ、私としてもね」

マスオ「悪いけど状況がこうなった以上、ボクもカツオくんに賭けるしかないんだよ」


二人が、動く。

アナゴが不可視かつ絶対なる刃を放ち、それに先行し併走する形でマスオが踏み込む。

アナゴの攻撃は陽動ではなく必殺の気迫を孕み、それが避けられようとも回避軌道にはマスオの夜色の拳が待ち構える。

確実に相手を花沢を仕留めるためのコンビネーションは、少女の姿を相手にしても一分の情け容赦など持ち合わせていない。

――――しかし。


花沢「なるほど、確かに最強と呼ぶべき存在に二人とも非常に近いわね」

花沢「『この世界では』だけど」


絶対の破壊を約束するハズの刃を右手で掴み、止めることなど叶わぬハズの夜色の左腕を左手で包み込む。

次の瞬間、不可視の刃が砕け、暗黒物質の拳に亀裂が入る。


マスオ「ぐあああああああっ!?」

アナゴ「マスオくん!!」


珍しく冷静を欠いた声を上げるアナゴの視界から花沢の姿が消える。

次の瞬間、アナゴは視界を埋める花沢の顔を認識すると共に腹部に熱さを感じた。

花沢「この宇宙でしか通じないちっぽけな孤独なんて、私には届かない」

マスオ「嘘だろう……アナゴくん」


その言葉を言い終える間もなく、マスオの首が飛ぶ。

アナゴの胴体を引き裂きながら振り抜かれた花沢の腕が、距離を無視した断頭台と化したのだ。

マスオの首が地面に転がり、それを見て思い出したかのようにアナゴの体が崩れ落ち周囲に赤が広がる。

その光景に中島の瞳の焦点が、合った。

悪夢から目覚めるように、中島の顔に表情が蘇る。

――――恐怖が。


中島「うわあああああああああああああああああああああっ!!!」

カツオ「中島!? 中島ッ!!」


咄嗟に中島に伸ばされたカツオの腕が、歪む。

歪みが肉体が耐えられる限界を超え、骨が折れる乾いた味気ない音が鳴る。

音は連続して響き、骨だけではなく筋繊維や血管が引き千切れる耳障りな湿った音が加わり、

雑巾でも絞るかのように人体の一部が捻れて軋み潰されて捩れ挽き潰されて原型を失う。

カツオ「くっ……こんなところで中島が覚醒するなんて」


結果の再収束により破壊しつくされた腕を再生させるが、爪は割れ何か所から血を流したままとなる。

このままでは再収束不可能な致命傷を負う可能性もあるため、仕方なくカツオは一端中島と距離を取る。

ソファや机など、応接間の調度品が中島に近い場所から捻じられ千切れてゆく。

壁や床板も歪み、空気すらも捩じ曲がって中島の姿が陽炎のように揺れて見えた。


    <Index>  <The End of Eternity>          <Biblio>
花沢「『能力名』は『乾坤を閉ざす天蓋』……曲率操作の『能力』だったわよね?」

花沢「今回もちゃんと中島君に発現したみたいじゃない、よかったわね磯野君」

カツオ「花沢さん、君は本当に全部……」

花沢「でももう終わりにしましょう」


その言葉と共に、中島の前に『なにか』が現れた。

その姿はとても形容しがたいが、あえて言えば頭足類に近かった。

不定形の粘菌と海底生物、あるいは顕微鏡で拡大した微生物を混ぜ合わせて叩き潰し何とか形になるように直そうとした。

そんな印象を受ける『なにか』が破壊を撒き散らす中島に向かって触手のようなものを伸ばす。

触手が引き延ばされ、捻れて千切れる。

その断面から沸騰するように粘液の泡を伴って肉が盛り上がり、再び触手を形作る。

おぞましい音と臭気を放ちながら、何度も何度も触手を叩き付ける。

眼窩と思わしき七つの穴は底が見えないほど暗く淀み、その表情は苦痛か歓喜か、そもそも感情があるかさえ分からない。


花沢「ふうん、中島君の『歪める』チカラは概念干渉レベルに達しているみたいね」

カツオ「止めてくれよ花沢さん!!」

花沢「止めないわよ、だって磯野君は中島君の『能力』を更に暴走させて全宇宙の曲率を歪めるつもりなんでしょう?」

カツオ「ッ!!」

花沢「宇宙の曲率の変化によって、宇宙の密度が変化し膨張加速は反転してビッグクランチに向かうわ」

花沢「更に磯野君はビッグクランチにおいて自分の『能力』で初期条件を都合がいいように厳密に定める、振動宇宙の可能性をね」

花沢「これで新たなビッグバンによる一巡した世界は、磯野君の願うままの世界として生まれ変わる」

カツオ「……そんなに都合よくはいかないよ」

花沢「そうよね、でなければ何度も繰り返しこんな綱渡りみたいなことをしなくてもいいもの」

花沢「……あなたは11歳の一年間を、いったい何度繰り返してきたの?」

カツオ「答える意味のない質問だね」

カツオ「ボクはただ、家族みんなが生きて、幸せにこの一年が終わってくれればそれでいいんだ」

カツオ「なのに、何度繰り返しても誰かが死んで、狂って、平和は脆く崩壊してしまう」

カツオ「まるで検閲官が平和な未来を許さず包み隠してしまうように、ボクは今まで到達できなかった」

花沢「……家族の平和、ね」

花沢「それは本当に家族全員を守る戦いなのかしら?」

カツオ「……え?」

花沢「磯野君が運命を捻じ曲げようとしたことで、未来を奪われた家族の存在をあなたは信じることができる?」

カツオ「悪いけど、ボクは花沢さんとは結婚する気はないよ」

花沢「そうじゃないのよ」

花沢「教えてあげる、本当の私の名前」

花沢「――――フグ田ヒトデよ」

カツオ「フグ田……ッ!?」

花沢「そうよ、磯野サザエとフグ田マスオの間に産まれた第二子、長男であるフグ田タラヲの妹にあたる存在、それが私」

カツオ「嘘だ、そんなワケ……仮に生まれていてもタラちゃんより年下なハズで」

花沢「そうよ、磯野君が……いや、カツオお兄ちゃんがこの世界の繰り返しを望んだとき、まだ私は産まれていなかったもの」

花沢「でも過去が歪められて、未来の可能性が書き換わり消えてしまう瞬間を私は『視た』」

           <Biblio>     <The Beast that shouted Love at The Heart of The World>
花沢「それが私の『能力』――――          『夜終に紕う禰古万』           だったから」

中島「あああああああああああああああああああああああああっ!!!」


花沢の独白に中島の悲鳴が重なる。

あまりの展開に中島の存在を一時忘れていたカツオが我に返り、視線を向ける。

青い血霧を吹き出しながら無秩序に振り回される触手の内一本が、中島の『能力』と拮抗しながらその胸元へと僅かずつ近づいていた。

カツオ「一度発動した中島の『乾坤を閉ざす天蓋』を破ろうとしている!?そんなバカな!!」

花沢「中島君の『能力』による自衛本能は確かに無敵よ……この世界では、だけど」

カツオ「アレは一体何なのさ、アイツを呼び出すことが花沢さんの『能力』なの!?」

花沢「一体何って、見ての通り『この世ならざる存在』じゃない」

花沢「だからこの世界の法則も通じない」

花沢「この世界で絶対を誇るどんな能力でも、異世界の物理法則には通じない」

花沢「だからアナゴさんもマスオさんも私に殺された、そして中島君も……」


その台詞と共に、ついに中島の体に触手が触れ、次の瞬間には胸板を貫いていた。

『なにか』は樹のうろを風が抜ける音と、マイクのハウリング音と、ガラスを引っ掻くような硬質な音、

その他あらゆる不快さと、不安を喚起させる音を混ぜ合わせたような奇妙な声で哭いた。

獲物を仕留めた歓声か、自分が奪った命に対する懺悔か、それは理解できなかった。

中島に致命傷を与えると共に、『なにか』は輪郭を一瞬で崩して融けたのだ。

まるで粘度の高い油のように、溶解した組織が光を反射して虹色の膜を作りながら崩壊してゆく。

もう役目を終えたのだから消え去っても良いだろうとでも言うように。

カツオ「中島ッ!!」

中島「い……その……?」


結果の再収束による治療は不可能だった、『なにか』に与えられた傷は因果を歪めることを拒み傷を塞ぐことができない。

仕方なく傷口の周囲の組織を最適化するが、心臓を再生できない以上これは死を前提にした延命に過ぎない。


花沢「楽に逝かせてあげないなんて可哀想じゃない」

カツオ「……この世の物理法則からハズれた存在になる、それが花沢さんの『能力』なのか?」


無理やり話題を逸らすカツオ、花沢は敢えてそれに乗る。


花沢「ヒトデちゃんって呼んでくれないのね、カツオお兄ちゃん……まあいいわ」

花沢「結果的に近いけど、私の『夜終に紕う禰古万』の本質はただ『視る』ことよ」

花沢「『強い人間原理』って知っているかしら?」

カツオ「……この世界の根幹を成す物理定数の奇跡的なバランスは、人間が観測することで定められたとする説のことかな?」

花沢「ええ、それでだいたい合ってるわ」

花沢「この世界を構成するバランスは、とても危うい」

花沢「ほんの少し物理定数がズレただけでこの世界は存在を許されなくなる」

花沢「なのに実際この世界がこうして存在を許されるのは、それを観測できる存在があってこそだと、そう提唱した学者がいたわ」

花沢「それはある意味で、曖昧だった世界を『視る』ことで定めてしまったと言っても過言ではない」

花沢「その説に則れば、人類が全く違う系統の知的生命体で、それが存在する為に必要な物理定数が違ったのなら、また違った世界になっていたことでしょうね」

花沢「箱の中の猫の生死は箱を開けるまで分からないなんて思考実験があるけれど、猫にとっては箱を開くことで世界の方が定まるのよ」

カツオ「つまりそれが……君の『能力』」

花沢「ええ、さっきの生き物も私がそこに『視た』から存在したの」

花沢「でも殊更特殊なことでも無いわ、カツオお兄ちゃんの『能力』だって基本的には同じだもの」

花沢「この世界で起こり得ることを量子演算領域で計算して、自分の認識の中で現実に重ねる」

花沢「そうしてこの世界の情報量を、自分が演算した事象の情報量が上回った時、世界は変質する」

花沢「恣意的な観測による現実の捏造こそが『能力』と呼ばれるものの正体だもの」

カツオ「でも君のそれは明らかに異質だ」

花沢「だって、私は何者にもなれなかったんだもの」

花沢「過去を歪められたことで『フグ田ヒトデ』という存在は、その可能性は消滅したわ」

カツオ「でも君はここにいる」

花沢「カツオお兄ちゃんが繰り返すことにしたこの世界を『視た』からよ」

花沢「そしてそこに自分と同じ存在を『視た』」

花沢「まあ、未来の消滅という『死』に本能的に『能力』が暴発したみたいなものだったのだけれど」

花沢「でも結局未来の私は消滅したワケだし、そうなら今ここに居る私っていったいなんなんでしょうね?」

カツオ「……なんでボクの邪魔をしたんだ」

花沢「勘違いしないで欲しいから言っておくけど、私が直接邪魔をしたのは今回が初めてよ?」

花沢「今までのカツオお兄ちゃんの失敗は、なるべくしてなった結果なの」

カツオ「そんなことを聞いてるんじゃない」

花沢「……そうやって、失敗を続けるカツオお兄ちゃんが不憫になったからよ」

カツオ「なんだって!?」

花沢「分からないの?」

花沢「完全に失敗してやり直しすらできなくなれば、カツオお兄ちゃんはこの苦行から解放される」

花沢「そう、全部カツオお兄ちゃんを想ってやったことよ」

花沢「だって――――私はカツオお兄ちゃんのことを愛しているから」

カツオ「ふざけるな!!!」

花沢「ふざけてなんていないわよ」

カツオ「その愛の結果がこれだっていうのか!?」

花沢「だってこうでもしないとカツオお兄ちゃんは救われないじゃない」

カツオ「何が救いだ、ボクはそんなもの」

花沢「……ノリスケさんとタイコさんの最初の子どもはチドリって名前の女の子だった」

花沢「それがこのループの中でイクラという名の男の子に変わってしまった」

カツオ「そ、それは」

花沢「これほど分かり易くはないけど、あなたが守ろうとしたハズの家族だって少しずつ変質してしまっている」

花沢「一度変質してしまった存在は、この世界をやり直そうとも元に戻ることはなかった」

花沢「そう、元には戻らずにさらに変質が続くだけ」

カツオ「やめろッ!!」

花沢「このまま続けて、カツオお兄ちゃんが望んだ本当の平和な家族を取り戻せるの?」

花沢「再び家族が狂い始めるまでの、たった一年間の平穏そのものを目的にループを繰り返してはいない?」

カツオ「ボクは……ボクは……ッ!!」

花沢「いつ終わるとも知れない永遠の家族ごっこが地獄でなくてなんだというの?」

カツオ「…………」

花沢「最後に一つ教えてあげる」

花沢「どうしてこの世界を何度やり直しても上手くいかないと思う?」

カツオ「え……?」

花沢「カツオお兄ちゃんが最初にこの世界をやり直そうとしたとき、生き延びるために未来の私が『視た』のよ」

花沢「あなたを絶望させて、同じ一年間を繰り返すなんて荒唐無稽な決意をさせた『その世界』を」

カツオ「それじゃあ……」

花沢「私という観測者を消さない限り、この世界の運命は変わらないわ」

カツオ「……ッ!!」

花沢「さて、因縁の説明が長くなったけど、これで心置きなく戦えるわよね?」

花沢「ラストバトルを始めましょう――――カツオお兄ちゃん」



相手は物理法則から、この世の因果から隔絶した存在だ。

カツオの『禁忌に狂れる神籬』すら通じない相手に、それでもカツオは拳を握りしめ立ち向かう。

対する花沢は今まで静かに話していたときと変わりなく、何の構えもなくただ佇むだけ。

小細工の通じる相手ではない、かといって真っ向から向かっても勝負にならない。

巨象に立ち向かう小蟻のような、勇猛と履き違えた無謀だと理解していても、カツオの体は止まらない。

そして――――

花沢「なん……で……?」


信じられないモノを見たという顔で、花沢が呟いた。

カツオの顔面には悲しみの表情が張りつき、その拳は


――――彼女の胸を貫く直前で、停止していた。


花沢「どうして、どうして止めたのよ!?」

カツオ「花沢さんが反撃する可能性が視えなかったからだよ」

花沢「可能性の揺らぎを利用した未来視!?でもそれも私には通じないハズ……」

カツオ「視たのは『ボクの可能性』だ、ボクが死ぬ未来はどこにも無かった」

花沢「あ……」

カツオ「花沢さん」

カツオ「――――なんで、ボクに殺されようと思ったんだい?」

初めて人間らしい感情を露わにした花沢は、その言葉を聞いて膝が崩れ、その場にへたり込んでしまった。

その姿は最凶の『能力』を持つ怪物ではなく、年相応の少女のそれであった。


花沢「だって、しかたないじゃない……」

花沢「私がいるからカツオお兄ちゃんが苦しむんじゃない……」

花沢「なら……私が死ぬしかないじゃない!!」

カツオ「花沢さん……」

花沢「ごめんなさい、私なんかもっと早く死ぬべきだった」

花沢「覚悟を決めたつもりでも、せめてカツオお兄ちゃんの手にかかって殺されたいなんてふざけた幻想を捨てきれなかった……」

カツオ「いいんだ、もういいんだ花沢さん」

花沢「よくない!!」

花沢「優しいカツオお兄ちゃんは、これで私を殺す機会を永遠に失ってしまった!!」

花沢「この世界のループから抜け出す最期のチャンスを失ってしまった……」

花沢「三郎さんですら丁寧に致命傷を避けて再起不能に留めたカツオお兄ちゃんは、理由を知ってしまえば私を殺せなくなる!!」

花沢「そして私は、自殺や他の人に殺されて死ぬことになっても、カツオお兄ちゃんへの執着が『能力』を暴発させてきっと生き延びてしまう……」

花沢「もう嫌なの、私のせいでカツオお兄ちゃんが苦しむのは……これ以上『視て』いられないの……ッ!!」

カツオ「……本当にそうかな?」

花沢「……え?」

カツオ「今までは無理だったかも知れない、でもこの世界を繰り返すうちに家族みんなが平和に暮らせる世界がくるかも知れない」

花沢「で、でもそれは私が『視た』せいで……」

カツオ「花沢さんが原因だって確証はないんだろう?」

花沢「そ、それは……そうだけど」

カツオ「花沢さんはボクの姿を見続けて、独りで追い詰められてしまったんだ」

カツオ「自分のことに必死過ぎて今まで気づかなくて、ゴメン」

花沢「いいわよ、そんなこと謝らなくても」

カツオ「それに、ボクの望む平和な未来には花沢さんがいて欲しいんだ」

花沢「そ、それって私をお嫁さんに」

カツオ「それはない」

花沢「……こういうときくらい、ちょっといい返事をしてくれてもいいじゃない」

カツオ「兎に角、だ」

カツオ「仮に花沢さんを犠牲にすることで平和になったとしても、そんな世界はボクには必要ない」

カツオ「まだ世界の繰り返しは続けられるハズなんだ、なら限界まで足掻き続けるだけだよ」

花沢「カツオお兄ちゃん……」

カツオ「もう中島の限界も近い、早く次の世界を始めないと」

花沢「……うん」


辛うじて息を続けている中島の手を握る。

能力の暴走という苦痛を再び中島に味あわせることは心苦しいが、その懸念を払いのけて意識を集中する。


花沢「次の世界でまた会いましょう、カツオお兄ちゃん……いや、磯野君」

カツオ「ああ、また会おう……花沢さん」


世界に光が広がり、そして閉じた。

ひとつの世界が終わりを迎え、産み落とされた始まりの光が弾け、そして――――

中島「おーい磯野ー!野球しようぜー!!」

カツオ「よーし、ちょっと待っててよ中島!」


いつもと変わらない今日が始まる。

正確に言えば変わってしまったこともある。

お父さんの声は聞きなれない感じがするし、ワカメは仲の良かったハズの堀川君を気味悪がるようになってしまった。

何も犠牲にしない世界なんて綺麗ごとで、自分の求める綺麗ごとのために世界を歪めるボクこそ悪なのかも知れない。

それでもみんなが笑って暮らせる一年後を迎えられることを望むぐらいは、個人に許された最低限の幸せであって欲しいと願っている。

また駄目かもしれないという諦観を切り捨てて、今度こそはという希望だけを胸に抱いて、

ボクらはまた日常を、繰り返す。



~fin~

これって元ネタなに?

>>128
能力名の元ネタにした小説の一覧をおいておきます

The Lights in the Sky Are Stars:邦題『天の光はすべて星』(フレドリック・ブラウン)
Twenty Thousand Leagues Under the Sea:邦題『海底二万里』(ジュール・ヴェルヌ)
The Stolen Bacillus:邦題『盗まれた細菌』(H・G・ウェルズ)
The Naked Sun:邦題『はだかの太陽』(アイザック・アシモフ)
Humiliated and Insulted:邦題『虐げられた人々』(フョードル・ドストエフスキー)
The Cold Equations:邦題『冷たい方程式』(トム・ゴドウィン)
The Winds of Change:邦題『変化の風』(アイザック・アシモフ)
A Descent into the Maelstrom:邦題『メエルシュトレエムに呑まれて』(エドガー・アラン・ポー)
The Left Hand of Darkness:邦題『闇の左手』(アーシュラ・K・ル・グイン))
Notes from Underground:邦題『地下室の手記』(フョードル・ドストエフスキー)
The Idiot:邦題『白痴』(フョードル・ドストエフスキー)
Crime and Punishment:邦題『罪と罰』(フョードル・ドストエフスキー)
Journey to the Center of the Earth:邦題『地底旅行』(ジュール・ヴェルヌ)
The Gods Themselves:邦題『神々自身』(アイザック・アシモフ)
The Man in the Hight Castle:邦題『高い城の男』(フィリップ・K・ディック)
The Currents of Space:邦題『宇宙気流』(アイザック・アシモフ)
The End of Eternity:邦題『永遠の終わり』(アイザック・アシモフ)
The Beast that shouted Love at The Heart of The World:邦題『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハーラン・エリスン)

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年01月08日 (木) 17:36:04   ID: Q_jTBjIL

ネット小説か何かで同じような文体の人を見たことがあるな。
タイトルは忘れたが

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