照「ドーモ。スガ=サン。バカップルスレイヤーです」京太郎「!?」 (297)

 
・原作改変あり
・キャラ崩壊あり
・京咲
 

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1408029166

 

 ――某日、宮永家。
 世間的には春休みと称される時期。
 宮永咲は、姉である照へとこんこんと説いていた。
 僅かに頬を上気させながら、時に身振り手振りを交え、熱心に説明してくれている。
 思い付くままに言葉を並べ立てているのだろう、咲の話は、時系列が前後したりしているため非常に解り難い。

 けれども咲が何を言いたいか、それを照は漠然と理解出来ていた。
 内容を要約すれば、咲の主張したい事は唯一つだろう。

 話の腰を折らぬよう、そっと、しかし深く、照は息を吐いた。

 上機嫌な咲の様子とは裏腹に、照は憂鬱であった。
 妹の話を聞いている――といっても、半分以上聞き流している――と気分がどんどん沈んでいく。
 こんな拷問にも等しい仕打ちを、何故自分が受けなければならないのだろうと思う。

 

 

(……これは何の罰なんだろう)


 因果応報という言葉がある。
 ある界隈では、インガオホーと表記されるそれ。
 ざっくばらんにいえば、良い事をすれば良い事が、悪い事をすれば悪い事が自身へと返ってくるという意味。

 善因には善果あるべし。
 悪因には悪果あるべし。
 害為す者は害されるべし。
 災い為す者は呪われるべし。

 つまり天罰覿面というやつだ。
 いや、別に咲が装甲する訳ではなく、陰義を使うわけでもないし、零式防衛術だって使えたりしないけれども。

 

 

 しかし一方で、照は螺旋波紋掌打的な何かを使用出来たりする。
 例をあげると……プルタブを開けていない缶ジュースへ掌底を打ち込めば、即破裂。
 自分でした事ながらもあまりの威力に怖じ気づき、それ以来封印している技である。

 雀力イズパウワなのだろうか。
 得意とする回転力の応用なのだろうか。
 それとも“全ての道はローマに通ず”という諺の通り、麻雀も古代ローマカラテに通ずるのだろうか。

 ふと試した折、まさか本当に使えるとは……と照自身驚愕したものだ。

 尚、人に対して使えばどうなるかについては、流石に実験しようと思わなかった。
 「グワーッ!」って感じで、アワレ、オオホシ=サンはしめやかに爆発四散! とかなったりすれば、取り返しがつかないからだ。
 大星淡の雀力であれば耐えられるかもしれないが、流石に危険過ぎる。

 

 

 ――まあ、それはともかく。
 因果応報から考えるとこの場合一体自分の何が悪かったのかと、現実逃避がてら照は思索を巡らせた。


(…………)


 咲に対して適当に相槌を打つのはやめぬまま、暫くの間考え込んでみたものの、特に悪い事はしてないように思えた。
 至って品行方正である。少なくとも、照の主観においてはそうであった。

 ……これは、いわゆるバタフライエフェクトというやつかもしれないと、ふと過る。
 過去に行った何かが切欠で、思いもよらぬ事態へと進む感じのあれだ。

 ……もしかすると一年前白糸台高校卒業後、長野の大学へ進学したのが、不味かったのだろうか。
 ……それとも、和解した両親が住まう長野の実家から通学する事を決めたのが、不味かったのだろうか。
 ……はたまた、数日前から何やら浮ついた妹の様子に、心配半分興味半分で何かあったのかと、訊いたのが不味かったのだろうか。

 

 

(――――それだ)


 バタフライエフェクトでも何でもなく、つまりは自分のせいだと気付く。
 咲が普段よりも洒落た感じの服を着て、朝方からそわそわと時間を気にした風情だった時に察知しなければいけなかった。

 照が普段読む恋愛が主題となっている本において、こういう場合の相場は決まっている。
 古事記には書いてないが、女が変わる切欠は、陳腐であるが大抵そういうものなのだ――。

 そんな感じで一人うんうんと納得していると、ふと咲が訝しげな目を向けてきた。


「ねぇおねえちゃん、聞いてる?」

「……うん、聞いてる」


 照だけに――と胸中で呟いた後、実は途中からまともに聞いていなかったのだが、神妙に頷き話を合わす。
 仮に聞いてなかったと正直に答えて、惚気話を再び最初からループされると我慢出来るか怪しいからだ。
 もしそうなったなら、堪忍袋の緒が切れるであろう。
 怒りが頂点に達してしまえば、如何に温厚な自分(※照主観)であっても螺旋波紋掌打を妹へ打ち込む筈。
 場合によっては、覇王翔吼拳さえも使わざるを得ない。

 

 

「ならいいけど……それでね、京ちゃんったら――――」


 再度、語り始める咲。
 まだ続くんだ、いい加減にしてほしい……と、照の頬が引き攣った。

 このままであれば、延々とその京ちゃんとやらの過去から現在迄について語り明かしそうな勢いだ。
 事実、小一時間ほど咲は喋りっぱなしである。

 聞いていた内容から察するに、交際し始めて嬉しいのだろうが、正直鬱陶しかった。
 精神衛生上、大変よろしくない。
 そういった相手のいない照的に、あてつけか何かだろうかとも思う。


「……咲、時間いいの?」

「えっ――――ああっ!」


 咲が時計を見遣り、慌てた様子でソファから立ち上がる。

 

 

「えっと、おねえちゃん、お昼ご飯は冷蔵庫に昨日の残りがあるから――」

「うん、温めて食べる。大丈夫」

「晩ご飯までには帰ると思う。もし遅くなるようなら連絡するから」

「遅くって……もしかして朝帰り?」


 先程の色ボケた長話の意趣返しのつもりで、からかう様に咲へ問う。
 さっと咲の頬が朱に染まった。


「そ、そ、そ、そ、そんな訳ないよっ!?」


 あたふたしている咲に睨まれた。
 どうやら健全なお付き合いのようだ。
 まあ、高校生であることだし、付き合って間もないなら当然であろう。
 そこで実は……朝帰りするかも……とか言われても照だってリアクションに困ってしまう。

 

 

「――行ってきます」

「……デート頑張ってね」


 照はふりふりと手を振り、再度からかいながら咲を見送った。
 そして玄関の扉が閉まる音を確認して、ソファへダイブ。


「妹に先を越された。妹に先を越された。妹に先を越された。妹に先を越された。妹に先を越された。妹に先を越された。妹に先を越された――――」


 クッションへ顔を埋め、ぶつぶつと呪詛を零す。
 特段彼氏が欲しいという訳ではないだが、やはり妹に先を越されるというのは、姉的に屈辱であった。


「…………そうだ」


 がばりと面を上げ、スマートフォンを取り出す。
 こういう時はと、電話帳に登録された番号をタップ。


『――もしもし』


 ややあって繋がる通話。
 高校生活の三年間で聞き慣れた友人の声。

 

眠気が限界なのでここまで
暇な時に遅筆更新

 

「助けて、スミえもん」


 説明も前振りもせず、照は開口一番助けを求めた。


『人違いだ』


 一言で切り捨てられ、通話が無慈悲に切断される。
 不通音がツーツーと虚しく響く。

 ……単なるジョークなのに即切りしなくても良いのでは。
 ……菫はちょっと短気過ぎる。これはカルシウムの摂取をすすめなくてはならない。
 ……いや、もしかしたらイラついていたのかも。可能性として考慮出来るのは――あの日。
 ……そうだとすれば、菫は比較的重い方であるので、こちらから配慮すべき。

 照はそんな事を考えながら、弘世菫へと再び電話を掛けた。


『……もしもし』


 普段より一層低い菫のハスキーボイス。女性であるのにイケボ。流石麗人。
 貴女の心をシャープシュート的な感じで壁ドンとかされて囁かれたら、一発で堕ちてしまう娘もいるのではないだろうか。

 

 

「菫、さっきはごめん……生理辛い? 大丈夫?」


 どこか不機嫌そうな菫の声音に、照は予想が的中していた事を確信して気を遣ってみた。


『照――次ふざけたら着拒するからな』

「酷い。私は大真面目」

『はー……。こいつは、ほんとに……』


 電話越しなれど、眉間を押さえて何かに苦悩する菫の姿が、容易く想像出来る。


『それで、何の用だ?』

「大変な事が起こった。私のアイデンティティの危機。クライシス帝国位危ない」


 RX、つまり太陽の子如く断固として戦う必要があるのかもしれない。
 確か昔買ったサンライザー&リボルケインがどこかにあった筈である。


『これは絶対大した事ないパターンだな』


 燃え滾る照の決意に反して、菫は冷淡であった。
 ちなみにここでいう冷淡は、冷たくなった大星淡を発見するという意味ではない。

 

 

「そんな事ない……なんと――妹に彼氏が出来て惚気けてくる」

『…………で?』

「妹が私に惚気けてくる」


 菫の素っ気ない反応にリピートしてみた。
 そう、照にとっての重点である。


『それで私にどうしろと……お前を励ませばいいのか?』


 東京にいる菫が長野にいる照に対して出来る事など、それ程度であろう。
 ふむと、照は一拍を置いた後に提案した。


「菫、愛を叫んでみて」

『……一応訊くが、何故?』

「私には愛が足りてないから」

『意味が解らん……まあ、お前も彼氏を作ったら良いんじゃいのか? 高校時代から人気はあっただろう?』

 

 

 確かに有名人である照は、白糸台で人気があった。
 しかし照が男子生徒に告白された事など皆無だ。いや、決してモテなかった訳ではないのだ。
 照は知る由もなかったが、テレビ映りや麻雀の実績から、男子生徒の間でいわゆる高嶺の花扱いされていたのであった。

 そして大学での一年間、これも宮永照はモテなかったわけではない。
 けれども同大学の友人が間の抜けたところがある照をガードしていたせいで、現在は浮いた話は皆無である。

 ――ちなみに。
 弘世菫に関してだが、高校時代大学と変わらず、彼女は同性から多大な人気を博していた。きゃー菫様って感じで。


「別に彼氏が欲しい訳じゃない」

『あー、まあ、可愛い妹がじゃれてきてるだけだろう? 姉だし我慢するしかないな』

「むぅ……」


 菫には見える筈がないけれども、照は頬をぷくっと膨らました。
 そうしてから話題を妹から互い大学の話等へと移す。
 そんな風にして友人との他愛もない世間話で、照は時間を潰したのであった。

 

 

 尚、余談であるが弘世菫との長電話の後。
 照は物置でサンライザー&リボルケインを探してみたのだが、それらは発見出来ず、かわりに凶々しい雰囲気を纏ったメンポが出てきたりしたのだが――。
 まあ現時点において、それはどうでもいい話であろう。



 【①とにかく宮永咲は惚気けている】――了

 
 

一旦ここまで

 

 《自宅の冷蔵庫を開けるとプリンがあった》

 照にとって、もうこれだけで有頂天になる出来事だ。
 正に僥倖……そう、圧倒的僥倖である。

 透き通ったガラスのカップに収まった贅沢な三層仕立てのプリンが、照の食欲を絶えず刺激してくる。
 処女雪の如き白さを称える生クリーム、目に眩しい山吹色のカスタード、官能的ですらある琥珀色のカラメルソース。
 スーパーやコンビニで売っている百円台のものではない。明らかに洋菓子店で売られているタイプだ。

 プリンソムリエを自称する照には、それが如何に美味なるものかが簡単に想像出来た。
 こうして見ているだけで、ロマンティックが、愛が止まらない心地である。
 明日を遮るガラスの壁を今砕きながら、日の当たる場所を見つけるのさって感じだ。


「しかも――――五個ッ」


 照はくわっと目を見開いた。
 見る人――例えば弘世菫などが見れば、表情の変化が乏しい照の顔に、喜悦の色が浮かんだ事を感じ取れたであろう。

 そう、なんといっても五個である。
 甘いの三個欲しいかと尋ねられたならば、照的にはただただ頷く事しか出来ないのに、今回は五個あるのだ。
 一個よりも三個の方が嬉しいし、五個なら更に嬉しい。

 

 

 でも……何故プリンが? と照は疑問を覚えた。
 少なとも今朝までは無かった筈だ。

 ――という事は。
 自分が本屋へ出掛け、その後喫茶店で昼食を済ましている間に、このプリンは何処からともなく忽然と湧いて出たのだろうか。

 そんな世界不思議発見的発想をしてみる。


「全くもってミステリィ」


 ……ポケットを叩けばビスケットが一つというけれども、それの亜種だろうか。
 ……もしかしたら、この冷蔵庫は宝具的な何かなのかもしれない。叩いたりすれば、プリンが増えたりするのかも。
 ……もしそうだとしたら、これは“全て遠き理想郷(アヴァロン)”に匹敵するランクEXの宝具。

 そんな愚にもつかぬ事を考え、冷蔵庫の扉を閉めて一度軽く叩いてみる。


「……増えてない。残念」


 開けて確認してみるも、プリンの数が倍になったりはしていなかった。
 まあ増えないものは仕方ないと思いつつ、プリンを五個とも取り出す。
 無論、全部食べるつもりである。一つたりとも残さない。駆逐してやるとばかりの勢いだ。

 

 

 ――ちなみに。
 このプリンは照が外出している間に家の誰かが買って来たのだろう事を、当然照は解っていた。
 その誰かについては――両親は仕事であるので、多分咲であろう。

 しかし、プリン五個というのが腑に落ちない。
 家族四人である事を考えれば、四個であっても良い筈。単純計算して一個余るのだ。
 

「…………おねえちゃん、何してるの?」


 照がテーブルの上に五個のプリンを置いた瞬間、不意に聞こえる背筋も凍る様な咲の声。
 照は糸の切れたジョルリ人形めいて動作を停止した。
 言い訳を考えながら声の方向へと振り向くと、妹の底冷えした眼差しとぶつかる。


「「…………」」


 両者無言で向き合った。
 目を逸らしたら敗けだと言わんばかりの膠着状態が、しばしの間続く。
 しかし、そんな気不味い沈黙に耐えられなくなり、先に目を逸らしたのは照であった。

 

 

「ワ……」

「……わ?」

「ワタシ、プリン、マルカジリ」


 魔獣テルー誕生の瞬間である。
 照の片言の呟きは、まるで言い訳の体をなしていなかった。
 その台詞は交渉失敗時である上に、自ら交渉を打ち切ってしまっている。

 姉の意味不明な言葉に、咲は肩落として深々と溜息を吐いた。


「おねえちゃん、全部食べようとするなんて意地汚いよ?」


 正論である。
 そう言われると、照はぐうの音も出ない。
 姉の威厳が損なわれる緊急事態だ。
 如何に汚名返上すべきかと考えていると、咲が冷蔵庫から紅茶のペットボトルを取り出した。


「もうっ……仕方ないなあ」


 そう呟き、五個のプリンのうち二個を確保する咲。

 

 

「ほんとはお父さんとお母さんの分のつもりだったんだけど、まあいっか」

「……いいの?」

「二人には内緒だよ?」


 咲は一度悪戯っぽく笑んだ後、グラスを三個取り出し、そこに氷と紅茶を入れ、そのうち一つを照へと渡す。
 そうしてから、残った二つとプリン二個をトレーに載せた。
 おそらく自分の部屋へと持っていくつもりなのだろう。

 なるほど来客か、元々予定があったのだろう、そのため一個プリンが余分にあったのだ――と、照は思い至った。
 二組の紅茶とプリンから考えれば、自明の理である。
 

「誰か来てるんだ?」

「あー、うん、ちょっとね……」


 照の問いに、咲は照れ笑いを浮かべ、もじもじしだす。
 視線を床に泳がせて手をなんだかもにゅもにゅさせている妹の様子は、照の目から見ても如何にも乙女って感じだ。


「咲……もしかして彼氏?」

「……うん」


 目を合わさぬまま小さく首肯する咲。

 

 

 なるほどと照は納得した。
 単なる友達が来ているだけでは、この様な反応はしないだろう。
 以前女友達――原村和と片岡優希――が来ていた時とは異なり、今の咲は明らかに挙動不審であった。

 咲は取り繕う様にコホンと一度咳払い。
 そうして、僅かばかり頬に朱を残したままで照へと視線を向けた。


「え、えっと――待たせてるから!」
 

 一週間ほど前はあんなに惚気けてくれやがった癖に、咲は恥ずかしげに会話を打ち切り、トレーを持ってダイニングからとてとてと出て行った。
 そっかー彼氏か、咲が言っていた京ちゃんとやらが来てるのかと思いつつ、一人残された照は、取り敢えずプリンの入ったカップの封を切った。
 

「……美味しい」


 プリンをゆっくりと味わいながらも、思索を巡らす。
 長らく離れていたとはいえ、現在照にとって咲はまあ可愛い妹といって差し支えない。
 という事は、妹の彼氏を見極めてあげるのも、自分で役目でないだろうかなどと思う。
 何ぶん人を見るという点に関しては、照には自信があった。
 麻雀で同卓すればある程度判断が効く上に、仮にしなくても照魔鏡の応用でちょちょいのちょいって次第だ。
 もし仮に人格的に問題があったりしたら不味かろう。

 

眠すぎるのでセーブ

 

 本音はまた別であるが、そんな風に理論武装してみた。


「まあ、照魔鏡は冗談だけど」


 プリンを口へと運ぶ合間に、ぼそりと零す。
 麻雀で同卓したら傾向を判断出来るのは真実であるけれども、流石に照魔鏡とてそこまで万能ではないのだ。


「――ご馳走様でした」


 ややあって全て平らげた後、プリン美味しゅうございましたと咲へ感謝の合掌。
 そうして、空いた容器等を片付ける。


「さて……」


 これから照が向かおうとした先は――もちろん咲の自室だった。

 人の恋路を邪魔するやつは云々かんぬんという言葉はあるものの、照が出歯亀じみたマネをしようとするのは、無理ならぬ事であろう。
 興味を持つなという方が、きっと間違っている。

 妹があれだけ熱をあげているのだから、少し話してみたくなったのだ。
 ついでに、この状況で咲をからかうと面白いかもしれないとか企んでいた。
 散々……そう本当に散々、咲から惚気けられたのだ。
 多少の仕返し位、神様も大目に見てくれるだろう。

 

 

 照は咲の部屋を目指しながら、妹の惚気話を思い返した。 

 
 『京ちゃんったらさ、日替わりのレディースランチ食べたいからっていきなり私に頼むんだよ? そのためだけに食事に誘うってどうかと思わない?』

 と、非難めいた風情で訊いておきながら『……まあ、おいしそうにご飯を食べるところとかは嫌いじゃないけど』とか。

 『昔からなんだけどお調子者というか、子供っぽいとこがあるというか……まあ、そこが可愛いかったりするんだけど』とか。

 『すぐ茶化してくるんだよ。……まあ、誰にでもしてるわけじゃないし、私も嫌ってわけじゃないけど。でも人前ではやめて欲しいかな』とか。

 『それにね――――』


 これは駄目だと、思考を打ち切る。
 自虐風自慢にも似た惚気が、こうまで気分をささくれ立たせるとは。
 人によっては壁ドン案件の範疇だろう。
 もちろん女子の憧れのシチュエーションである壁ドンではない。
 イラついたら突然開始してしまう拳vs壁の異種格闘技戦的なアレだ。

 照は微妙に憤りつつ、部屋の前で立ち止まった。
 取り付けられたドアプレートには、アルファベットでsakiと書かれている。
 ドアを静かに少しだけ開け、中の様子をこそっと覗き――驚愕すると共に硬直した。
 家政婦は見たならぬ、照は見たというやつである。
 そこには、隣り合って座っている一組の男女、宮永咲と須賀京太郎がいた。

 

 

 まあ、それはいい。これまでの経緯からすれば当たり前である。
 問題は二人が……なんというか……こう……人工呼吸的な行為をしている点だ。
 言い方を変えればマウストゥマウス。つまりは接吻。それも、かなーり熱烈な感じであった。

 咲の方は身長差を埋めるために頤を反らし、隣の彼氏つまり京太郎の方は、咲の腰へと手を回し横抱きにした姿勢。
 そんな感じの密着状態で互いに目を閉じ、時に角度を変え口付けを交わし合い、二人の世界に浸っている。

 照が生ける彫像と化して十秒、いや二十秒ほど経っただろうか。
 粘着質な音――多分舌を絡め合っているのだろう――と偶に漏れている妹の艶やかな吐息が、微かに耳へと届き続ける中。
 照ははっと我に返り、音を立てぬようドアをゆっくり閉めた。


(見てはいけないものを見てしまった……)


 照は瞼を落とし、ふるふると首を左右に振った。
 次いで、落ち着くために何度も深呼吸する。

 予想だにしていなかった桃色時空を直視し続けたせいか、頬が熱く胸の鼓動がうるさい。
 戦略的撤退という選択肢が脳裏にふと過るものの、却下。
 すごすごと引き下がるのは姉の沽券に関わる。
 ここまで来たらもう意地であった。
 少し時間をおいて動悸が収まった頃を見計らい、照はドアをノックした。


「咲、ちょっといい?」

 

 

 すぐさま室内から聞こえる衣擦れとドタバタとした音。
 それにやや遅れて、上擦った妹の声が返ってくる。


「お、おねえちゃん!? な、な、な、な、何かな?」

「挨拶でもしておこうと思って」


 照が再度扉を開けると、先程の密着した状態とは違い、咲と京太郎の距離はやたらと離れていた。
 二人は慌てて取り繕ったのだろう。そう容易く見て取れる状況であった。

 京太郎に関しては、窓の外を見遣り、何もない様子を装っている。極めて不自然である。
 咲にいたっては、さも読書していましたといわんばかりであるが、しかし手に持った上下逆の文庫本のせいで台無しとなっている。
 更には二人共頬が上気したままだ。

 それらを敢えて無視して、照はクッションの上にちょこんと正座した。


「ドーモ。スガ=サン。バカップルスレイヤーです」


 照は丁寧にオジギをした。
 アイサツは絶対の礼儀だ。古事記にもそう書かれている。


「!?」

「お、おねえちゃん!」


 あまりといえばあまりな挨拶に、京太郎が動揺を露わにし、咲は咎める様な声を上げた。

 

vs睡魔勃発中のためセーブ

 

「もちろん冗談……宮永照です」

「あー、えっと須賀京太郎です」


 ぺこりと頭を下げ合う。
 そうして、0.2秒というわけでもないが、顔を上げると互いの視線がぶつかる。
 両者そのままじっと見つめ合った。


「……えっと、それだけ?」


 咲がおずおずとそう訊いてくるのも無理はない。
 照と京太郎の二人が無言のままで、獅子おどしに水が溜まりきりカコンと落ちる程度の時間が流れていた。

 まあ、見つめ合っていた事自体は、特に意味はない。
 単に照が話題を思いつかなかっただけである。京太郎側もきっとそうなのだろう。
 取り敢えず、こちらが主導権を握らなくては――と、照は口を開いた。


「ご趣味は?」

「あー、と。俺の場合、麻雀と筋トレとかっすね――――って、見合いじゃないんですから!」

「須賀くん、ナイスツッコミ」

「ああ、おねえちゃん的にボケたつもりだったんだ、それ……」


 ボケに即反応してくれるのは、照的にポイントが高かった。
 何故なら、ボケっぱなしほど悲しいものはないからだ。
 照が弘世菫と仲良くなったのも、そこらあたりが関係しているのかもしれない。
 菫のツッコミ能力は優秀なのだ。
 

「まあ、それはともかく……二人はどこまで進んでるの?」


 照は当初の目的を果たすために爆弾を投下した。

 

 

「えぇっ!?」

「なっ!?」


 二人が同時に仰け反った。
 やたらとオーバーリアクション。
 何か後ろめたい事でも……まあ、多分あるのだろう。
 例えば、先ほど照が見たぐっちょんぐっちょんな感じのアレとか。


「あ、あ、あ、あのね、おねえちゃん……なんていうかその……ふ、ふつーな感じだよ! そう普通! だよね京ちゃん!?」

「え、あ、うん。そう、ふつーっすよ。普通。あはは……」


 あたふたしている二人を見て、全く答えになっていないのではと、照は思う。


「なるほど、フレンチキスは普通と」

「「え゛!?」」


 照が落としてみた爆弾に、二人は顔を赤くして固まった。
 そしてややあって、油が切れたからくり人形の様にギギギと動き出す咲。
 ちなみにこのギギギとは、照に対して大星淡が言った「ギギギ」とはまた別であり。
 というか「ギギギ」って何なんだろう。
 早く進んで欲しいものである。


「お、お、お、おねえちゃん。なんでそれを……」

「さっき見ちゃった」


 てへっと、よそ行き用の笑顔で応じてみる照。
 一方、京太郎はバツが悪そうに目を逸らし、咲は「あうあうあうあう」と意味の通らない言葉を零している。
 もちろん、二人共もはや耳まで真っ赤であった。

 

 

 そんな二人の慌てる様を眺めて、照は溜飲を下げた。
 妹をからかうのは、これ位にしておこうと決める。
 惚気話の仕返しとしては十分であった。
 やり過ぎて恨まれるのも不味かろう。


「というわけで、将来の義弟と親交を深めに来た」


 割りと素直な気持ちで言った照の発言に――――咲が湯気を上げ倒れてしまったのは、言うまでもないだろう。



 【②たまには宮永照だって意地悪する】――了

 

 

 宮永照の昼食は、大学内において幾つかのパターンが決まっている。
 もちろん便所飯などという考えるだに恐ろしい行為はしたことがない。
 学生食堂等を利用するレアケースもあるものの、大抵ロビー等適当な場所にてランチタイムとなるのだ。

 これはいつも昼食を共にする学友二人に関係していた。
 友人達――正確にはその内一人――は弁当持参が殆どであり、照もそれに合わせる形で昼食をとる事となる。
 ただ合わせる形といっても、照が弁当を作って大学へと持っていくかといえば、その時々の気分としか言い様がない。
 普段朝に弁当を作っている妹へ頼めば用意してもらえるが、照としては流石にそれは気が引ける上に、姉として如何なものかと思う。
 なので、照が弁当を持参するパターンは、起床時間を妹に合わせ一緒に作る時位であった。

 朝食がてらのつまみ食いや他愛のない世間話をしながらの料理を弁当箱に詰める時間は、照にとって楽しいものである。
 まあ、毎日まではしようとは思わないけれど。

 ――そういえば。
 弁当といえば春休みが終わって以来、時々咲が弁当を二人分作るようになった。
 最初にその二個分の弁当を照が見た時、まさか妹が愛する姉のため自発的に?
 と、照は感激しかけたのだが……当然そんな理由で二人分作っていたわけではなかった。

 無論、交際し始めた彼氏のためだ。
 はにかみながらその旨をこっそり告げてきた咲に対して、照はなんたる女子力と愕然としたものである。
 あまりのリア充っぷりに、妹がなんだか遠く感じたりもした。
 もしかして、いわゆるカップルの定番である“あーん”とか恥ずかしげもなくするのだろうか。
 ――そう、この二人がたまにやっている風にと、照は共に昼食をとっている彼女達をちらりと見た。

 

 

「美穂子、それ美味しそう……一つもらってもいい?」


 そう訊いたのは、赤みがかった茶髪が緩くウェーブしたセミロングの女学生――竹井久である。
 その胸は標準的だった。


「ええ、いいですよ。どれですか?」


 と小首を傾げ、色素の薄い淡く金色がかった長い髪を揺らしながら応じたのは――福路美穂子。
 なんとなく雰囲気からして家庭的で優しげな女学生だ。
 実際、料理等彼女の家事能力はすこぶる高い。
 いつも作ってくる弁当からも、それは窺えるだろう。
 更に……その胸は豊満である。
 つまり内面的、外見的にも男性に好まれるタイプ。
 ナンパされる頻度も、それを証明している。


「その唐揚げが欲しいかな、なんて」

「竜田揚げですねけどね……はい」


 美穂子は、手ずから箸で摘んだ竜田揚げを久の口元へと運んであげていた。
 そんな仲睦まじげに「あーん」している二人から、照は視線を外し、なんとなく自身の胸元見て、ぺたぺたと撫でる。
 思わず溜息が零れた。

 その胸は――平坦であった。
 いや、全く無いわけではないのだが、残念ながら比較的平坦なのだ。
 まことに悲しい物語である。

 

 

「あら、照どうしたの? この世の終わりみたいな顔しちゃって」

「格差社会の悲哀を噛み締めてたところ」


 照はツナサンドを一口齧り、久へ素っ気なく返した。
 そんな二人の会話を聞いていた美穂子が、要領を得ない様子で首を捻る。


「……格差社会、ですか?」

「ははーん、さては」


 と、久がしたり顔で口を開いた。


「私と美穂子がラブラブだから妬いちゃった? いやー、モテる女はツライわね」

「ひ、久! ラブラブだなんてそんなっ……私と久はそんな関係じゃないでしょう!」

「やーねー美穂子、冗談よ。冗談」


 久がケラケラと笑いながら、照の顔を見る。


「本当はあれよね? 発育の差に絶望してたのよね?」


 二人同時にからかう機会が出来たためか、久は見るからに楽しそうであった。
 まあ、いつもの事である。こういう性格なのだ彼女は。


「……絶望なんかしてない」


 照は無表情でそう言い、豆乳フルーツミックスのパックに刺さったストローを、不満気な様子も露わにして音を立てて吸った。

 

 

 「久はいつもそう、すぐ人をからかってくる。美穂子から言ってあげて、そういうのは良くないって」

 「えっ、私ですか!? ……え、えっと……そ、そうですよ、久。人が気にしてるところをあげつらうのは駄目」

 「……また二人して私を悪者にする」


 その場でしなを作り、よよよと目元に手をやる久。
 しかし、すぐにその真に迫った泣きマネをやめ、やれやれと肩を竦める。
 見事な変わり身の速さだった。


「まあ……照はそんなに気にしなくてもいいのに。十人十色っていうじゃない」

「久に持たざる者の気持ちは分からない」


 照としては、やはり無いよりもある方が良いのだ。
 大体、妹に僅かばかりでも負けてしまっている事からしてショックなのである。
 以前は負けてな……いや、同程度であったというのに。


「もしかして、あれ? 意中の人がそういう好みとか? 照に春が来ちゃった?」


 いきなり久は何を言い出すのかと、照は唖然とした。
 美穂子も目を丸くしている。
 ついでに彼女の胸も丸く、つまりは豊満であった。


「あらあら……照、そうなの?」

「男は胸の大きな女性に弱いっていうしね……高校の時、麻雀部の後輩もそうだったし」


 何故か久はうんうんと頷いているが、意中の人云々は全くもって的外れである。
 話をありもしない方向へと進められても、照としては困ってしまう。

 

一旦QK

 

「久、別にそういうわけじゃない」

「あら、そうなんだ。面白くな……じゃなかった、手伝ってあげようかと思ったのに」

「……仮に好きな人が出来ても、久には相談しない。碌な事にならなさそう」

「む、酷い言い草ね」

「普段の行いを省みるべき」


 二人の遣り取りを見て苦笑している豊満な美穂子を横目に、一体どう手伝うつもりなのか、と照は胸の内で付け足した。
 そもそも胸が大きい方がタイプな男性ばかりではないだろう。
 その後輩についても偶々そうだっただけではないのか。
 照はそこまで考え、……ん? 麻雀部の後輩? と首を傾げる。

 久が清澄麻雀部に在籍していた頃、女子部員は団体戦ギリギリの人数であり、男子部員に至っては一名だけという有様だった筈。
 以前に確かそう聞いた。
 つまり、その年下の男子部員は咲と同じ部活であり、同時期に在籍していたという事だ。
 咲の惚気話を考慮すれば必然的に――。


「久、その後輩についてなんだけど」

「須賀くんがどうかしたの? ……って、照は会った事ないから分からないか」

「ううん、会った事はある」


 照はそう言い、ふむと顎に手を添えた。

 

 

 久の話からすれば、須賀京太郎は胸が大きい娘がタイプだったらしい。
 しかし、今は咲と絶賛交際中である。ベロチューしていたのも見たしラブラブであろう。
 二人して石破天驚拳を撃てそうな勢いだ。

 これらと慎ましい咲の胸から、導き出される答えは……。


「という事は、趣味が変わったのかな」

「……ん? 須賀くんが? なんで?」


 久が怪訝そうな顔を向けてきた。


「なんでって……その須賀くんは、私の妹と付き合ってるから。つまり咲の彼氏」


 さらりと照は暴露した。
 二人は妹と知り合いであるから、問題なかろうとの判断だ。
 特段隠さないといけない様な事ではない。


「あらあらまあまあ……確かにあの二人ならお似合いですね。以前から仲が良さそうでしたし」


 照の発言を受け、のんびりと言う美穂子の一方で、久が口を尖らせる。


「……ちょっと待って、照。二人が付き合ってるって……いつから?」

「春休み前に須賀くんの方から告白したって、咲に聞いたけど」

「何それ、私聞いてない」


 久はなんだか不満気に呟いた後、ポケットから取り出したスマートフォンを操作し出す。

 

 

「まあ、自分から言いふらす事でもないでしょうしね」


 美穂子のさりげないフォロー。彼女の胸は豊満だった。きっと心も豊かなのだろう。
 ……こういう気遣いがモテる女の秘訣なのだろうか。覚えておかないと。
 照はそんな事を思いながら、プラスチックのフォーク片手にマカロニサラダを平らげにかかる。

 暫くの間会話が途切れ、黙々と食事を取る三人。
 照的には、黙ったままの久が不気味といえば不気味であった。
 照が知る彼女ならば、先程の反応から何かしらのリアクションはあってもおかしくないのだ。
 まあ、何も無いなら無いで、問題は無いのだけど――と照が思った瞬間、突然久が「ふふふふ」と不吉な笑みを零す。
 久の視線の先には、手に持ったスマートフォンがあった。


「ふーん……そうなんだ……須賀くんったら、私に向かってそんな態度とるんだ……いい度胸じゃない」


 薄く笑みを浮かべたまま、そう呟く久。
 非常に攻撃的な――なんだか獲物を発見した猫科の獣を連想させる笑顔だ。


「……久、どうしたの?」


 照が訊くと、「これ!」と久がスマートフォン向けてくる。見ろという事であろう。
 照は画面――LINEのメッセージが表示されてる――を見遣り、内容をそのまま声に出した。


「『須賀くん、私に至急報告しないといけない事は無いかしら?』、『特にないっす』」

 

訂正
×照が訊くと、「これ!」と久がスマートフォン向けてくる。見ろという事であろう。
◯照が訊くと、「これ!」と久がスマートフォンを向けてくる。見ろという事であろう。

 

「先輩かつ師匠である私へ、そんな面白い事を報告しないなんて……乾たく……じゃなかった、須賀くんは許せないね」


 一人ヒートアップしている久に、照ははてと首を傾げる。


「……師匠?」

「えっと、高校の時久が麻雀とか教えてあげてたらしいですよ」

「美穂子、それはついでね! 主に女の子の口説き方とかよ! まあ、それは別にどうでもいいわ!」
 

 どうでもいいらしかった。
 久は言うなり、鞄から手帳を取り出し、それを捲り内容を確認している。


「次の土曜が良さそうね……部活はあるか和に確認しておかないと……」


 どうやら久は直接清澄高校へと強襲するつもりのようだ。
 そうなれば、咲と京太郎は多分イジられる事になるだろう。
 照はそう推測して、心の中で二人に南無と合掌した。
 もちろん自分が二人の仲を暴露したのが、そもそもの原因であると、照自身判っている。
 しかし、その事から全力で目を逸らしているのだ。
 覆水盆に返らずなのだから仕方がない。過去は振り返らない質なのだ。


「大体相談に乗ってあげてた私に何も言わないなんて、薄情過ぎじゃないかしら……」


 ……ブツブツ言っている久は放っておくとして。
 ……まあ、どうせいつかはバレるのだし、遅かれ早かれこうなる。『私は悪くない』。

 照はそう思いつつも、忠告はしておこうと咲と京太郎へメールを送るのであった。

 

 

□■□
 

 ――清澄高校屋上。
 宮永咲と須賀京太郎は二人仲良く隣り合って座り、昼食をとっていた。


「はい、あーん」

「咲、やっぱりそれは恥ずかしいっていうか……」

「……京ちゃん」


 うるうると見上げてくる咲に根負けして、京太郎は箸で掴まれた玉子焼きを頬張った。
 程良い甘さがふんわりと口の中に広がる。


「うん、美味い」


 京太郎が褒めると同時に、ポケットに入れていたスマートフォンがぶるぶると震えた。
 隣の咲も同様である。取り出し確認してみれば、メールの差出人は照であった。


「なになに……『面倒な事になったけど頑張って』?」

「これ同時送信されてるね。私も同じメールだ」

「……何だろうな、これ?」

「……何だろうね?」


 不思議そうに顔を見合わせる二人が、忠告として機能していないメールの意味を悟るのは――もちろん後日の事である。


 【③これでも大学ではうまくやっている】――了

 

本日ここまで

 

 人生は何が起こるかわからない。
 諺で言えば、人間万事塞翁が馬や諸行無常とか言われるやつだ。
 そうそう突飛な事態は頻繁に起こりはしないものの、過去の自分へと伝えれば、まさかと思う様な事だって起こるだろう。

 もちろん照にだって、そういった憶えがある。
 例えば――そう、新作の仮面ライダーとか。
 照がかつての自分に、今度のライダーの脚本は虚淵氏であると言えば『マジで?』と思う筈だし、モチーフがフルーツだと言えば『こいつら未来に生きてるな』と感じるだろう。
 ましてや、そのライダーの劇場版はサッカー大決戦である旨を伝えれば『一体どういう事なの?』となってしまうだろう。

 それに憶えといえば、私生活においても、照が以前なら考えてもいなかった状況になっているのだ。
 父と妹が別居していた頃には、再び家族一緒に暮らすようになると照は思ってもいなかった。
 ……いや、心の奥底でそれに対する希求と葛藤が綯い交ぜになり、深く考えない様にしていたというのが正しいか。
 照としては、あの頃は色々と複雑だったのだ。

 まあ、そこらあたりの諸事情は両親とか妹とか、はたまた色々と大人の事情とかが絡むので、置いておこう。
 とにかく、良い悪いに問わず、かつての自分が思いも寄らぬ事というのは、起こり得るのである。

 故に、今自分が直面している状況だってそういった類のものなので、現状を受け入れないといけない。
 ……納得できるかどうかは別として。

 照そんな風に考えながら、自分の着ている服装をまじまじと見た。
 照の体を包むのは、肩と裾にフリルがあしらわれた――新妻の象徴とも言うべき、清楚な純白のエプロンであった。

 

 

 補足すると、もちろんエプロンだけではない。
 羞恥心の欠如した痴女じゃないのだから、当たり前だ。
 今の情報だけで新妻裸エプロンとかを即座に想像した人は、色々な意味で汚れている可能性がある。
 如何に長野が魔境とはいえ、NAGANOスタイルの体現者は限られているのだ。肝に命じて置くべきだろう。

 ついでに余談だが、パンツ穿いている世界線であると明示しておきたい。
 これは穿いてない娘が存在する可能性を、全て否定するわけではない。
 しかし、基本的には穿いているのである。
 照だって穿いているし、その妹だって穿いている。
 大体普段は穿いていた方が、色々と都合が良いのである。
 穿いているからこその様式美というのは、確かに存在する上に、あるからこそ、ないというのが際立つのである。

 特に意味は無い話なので、閑話休題。

 照が着けているエプロンの下には、黒いロングのワンピースが着込まれ、そのスカートの裾下からは、白いパニエがのぞいている。
 更に頭の上には、白いフリルで花とリボンをあしらった可愛らしいヘッドドレスが着けられていた。ちなみにヘアバンド部分は黒。

 つまり、照の今の装いは――メイド服だった。
 それもブリティッシュスタイルと言われるシックなタイプだ。


「仕上げはこれじゃな」


 ほいと、染谷まこが縁の無い眼鏡を照へと差し出す。
 そのまま素直に照は受け取り、眼鏡を掛けた。当然、度は入っていない。伊達眼鏡であった。

 正統派メイド@眼鏡装備と化した照を見て、久がニヤニヤと頬を緩ませた。


「照、良く似合ってるわよ。メイド長みたい」

「……久、この服は聞いてない」

 

 

 何故こういう状況になってしまったかと言えば――照がバイトをしてみようかと思い立ち、数日前に久に相談した事が発端であった。
 その時久に紹介されたのが、雀荘『roof-top』というわけだ。
 照的に麻雀自体は好きであるので、趣味と実益を兼ね魅力的に思えるバイト先の提示だった。

 ……麻雀の腕には覚えがあるし、メディア向けに鍛えられた外面も自信がある。
 ……ノーレートのため客層は悪くないというのもいい。

 そんな風に考えた結果、紹介を受け本日面接に来た照であったが、これは想定外だ。
 まさか……雀荘の制服がメイド服であるとは。しかも試着させられる始末。
 コスプレ趣味のある弘世菫なら、ボヤきつつも内心喜ぶかもしれないが、照にはそういった趣味はないのだ。

 ……久の言う事を鵜呑みにせず、事前にHPなりで調べておくべきだった。
 照がそう後悔していると――久が短いスカートを、絶対領域を確保したまま器用にぴらっと一度持ち上げ、にゃんと片手でポーズをとった。
 

「もしかして照としては、こっちみたいなのが良かった?」


 見るからに久はノリノリである。
 彼女の着ているメイド服は、いわゆるフレンチメイドと言われるタイプだった。
 強調された胸、扇情的なミニスカート、太腿を強調する黒のハイソックスと、色々際どく、しかも何故かネコ耳カチューシャ装備。

 というか、久はここでバイトしているわけでもないのに、何故メイド服を着用するのか。
 照には全くもって判らなかった。


「そういうわけじゃない。そもそも久みたいな服は論外。断固拒否する」


 顔色一つ変えず冷たくそう告げる照に、咲――照と同様のメイド服を着ている――が口を開いた。

 

 

「おねえちゃん分かるよ。流石に恥ずかしいもんね」

「あら、咲だって以前は私と同じミニスカートのやつを着てたじゃない?」


 と、横から口を挟む久。


「そ、それはそうですけど……あれは染谷先輩がどうしてもって言うから……」
 

 咲の言葉に、まこがくいっと眼鏡を押し上げた。


「適材適所というやつじゃ。実際似合っとったじゃろう? 和もじゃけど、咲のフレンチメイドは人気があったけーの……じゃが」


 まこがやれやれといった風に両肩を上げ、壁に背をつけ他人事の様に事態を見ているパリっとした執事服を着た青年へと、目を向けた。


「京太郎が最近うるさいけえ、咲にも大人し目のやつを用意したっちゅうわけじゃ」

「ちょっ! 染谷先輩それは言わない約束ですよ!」


 泡を食った様子で、京太郎が声を上げた。

 ……なるほど、妹の彼氏は独占欲が強い。見た目がチャラそうなのにちょっと意外。
 ……まあ、咲も満更でもなさそう……いやむしろかなり嬉しそうなので、そこにツッコムのはやめておいてあげよう。

 そんな思考の照とは対照的なのが、久であった。


「へぇ、須賀くんったらそうなんだ」

「……何が、っすか?」


 久がなんだか生暖かい流し目を、京太郎へと向けた。


「具体的には、俺の女に手を出すなってタイプ? なに俺の女ボコってんだ、殺すぞとか言っちゃう?」

「んっ、がっ、俺の女って……」

 

 

 照れ隠しなのだろう、がしがしと頭を掻く京太郎が、続けて拗ねた感じで零す。


「この前、これでもかって位人をからかったのに、まだイジるんだもんなぁ……これだから部長は」

「もう部長じゃないわよ――それはともかく、だってあれは報告しなかった須賀くんが悪いんだもの」

「いや、あれはタイミングの問題のだったというか」


 京太郎は言葉を切り、両手を上げた。事実上の久への降伏宣言であろう。


「っていうか、降参っす。勘弁して下さい」

「人に頼む時は誠意を示さないといけないんじゃないかなーって、私は思うのよね……須賀くんはどう思う?」

「誠意って竹井先輩にはかなり似合わない言葉ですよね。自分がしない事を人にさせるのはどうかと俺は思います」


 ぼそりと漏らす京太郎に、久が間髪入れず非常に優しげな笑顔で言った。


「何か言った須賀くん? 私聞こえなかったなー……もう一回言ってみて?」

「なんでもないです……で、俺は何をすればいいんっすか?」

「あら、何かしてくれるんだ。言質をとったと思っていいのかしら」


 ぽんぽんと言葉を交わす二人に対して、手馴れているというか仲が良さげな感じだなと照が思ったと同時に、咲が二人の間に割って入った。


「竹井先輩ちょっと待って下さい! 京ちゃんに何をさせるつもりですか!?」


 咲は全く迫力なく久を威嚇した。例えるなら、がるるといった感じのチワワ。足をプルプルさせてそう。


「やあねぇ、咲、変な事はさせないわよ――咲には変な事してるかもしれないけど」

「なっ! へ、へんなことしてないです!」

「はいはい、そこまでじゃ。久はもう勘弁しときんしゃい」


 まこが手を叩いて鳴らし、止めに入った。

 

 

「まあ、話を戻すんじゃけど、照さんに関してはメイド服もよう似合っとるし、問題なかろう」

「……採用?」


 照が尋ねると、まこはうむと首を縦に振った。


「後は接客マニュアルじゃな――咲、見本見せて上げんしゃい」

「えっ、私ですか!?」

「おう、妹Verでええけえの。ほれ、京太郎を客に見立てて」

「えっ、俺っすか!?」


 似た様な反応をした咲と京太郎が、二人顔を見合わせ、仕方ないといった感じで同時に息を吐く。


「あー、うん、いくよ京ちゃん」

「おう、いつでも来い咲」


 向き合い、よしっと気合を入れる二人。


「おはよう――おにいちゃん」


 咲は首を僅かに傾げ、にこりと微笑んだ。
 姉妹というのは、こういう笑顔の作り方でも似たりするのかもしれないと、照はふと思った。
 事実、照の営業用の笑顔とどこか重なる笑顔であった。


「もうっ、おにいちゃんったら、咲が起こしに来ないと駄目なんだから……」

「ん、ああ、いつもわりいな咲」

「……朝ご飯もう出来てるよ。早くしてね」


 咲は少し焦れったそうに言いつつ、視線を泳がせ、もじもじと照れた感じを演出している。

 

 

「あっ、そうだ! 今日おにいちゃんと一緒に学校に行ってもいい?」

「別にいいけど……やたらといきなりだな」

「そういう気分の日だってあるよ……たまにはいいよね? だって……咲、おにいちゃんの妹なんだもん。おかしくなんかないよね!」

「ああ、妹だもんな!」

「おにいちゃんだけど愛さえあれば関係ないよね!!」

「うんっ、そうだな!!」


 照はやけくそ気味に役をこなし始めた二人を見るのをやめ、まこへと顔を向ける。


「…………これお客さんにするの?」

「あくまで一例じゃ。詳しくはマニュアルに……ほれ」


 手渡された接客用マニュアルと書かれた冊子を捲ってみれば――。
 妹から始まり、姉やらゆるふわ巨乳女子高生やら毒舌クール系貧乳女子高生やら年下小悪魔女子高生、エトセトラエトセトラ。
 色々な役作りの会話例が記載されている。
 大変な店に来てしまった……と、照が戦慄している傍ら、まこがきらりと眼鏡を光らせた。


「ちなみに――女性客向けもある。京太郎、それはもうええから、対女性用をやってみい」

「……もしかしてアレっすか?」

「そう、アレじゃ」


 まこがそう言うと、京太郎が何かを諦めた表情をして、咲を壁際まで連れて行く。

 

 

 壁を背にした咲を、京太郎はじっと見つめた。
 数秒おいて続けざまに、左の掌を壁へどんっと叩き付ける。
 咲の顔の横に京太郎の右腕が伸ばされた形だ。


「……京ちゃん」


 そう呟く咲の眸から視線を外さぬまま、京太郎は咲との距離を詰め、右膝を曲げた。
 丁度咲の股下を狙ったのだろう、膝と壁でロングスカートが挟まれている。
 そんな壁ドンから股ドンの二連コンボで受けた咲は、ゆっくりと両の瞼を落とす。
 僅かに顔を上げ、まるで何かを待つかの様な姿勢だ。


「咲……」


 小さく名を呼んだ京太郎が、咲へと顔を近付け――。


「誰もそこまでやれとは言っちょらん!」


 まこがどこからか取り出したハリセンでスパンと軽く京太郎を叩く。
 それを見て、久は「須賀くんたらバカねー」と破顔した後、照へと振り向いた。


「照、まあ、こんな感じの店よ。やれそう?」


 ……こんな感じってどんな感じだ。まあ咲とその彼氏もバイトしている様だし何とかなるだろう。
 なんて照は思いつつ、久へとこくりと頷くのであった。

 

 

「いや、染谷先輩こうなんか盛り上がちゃって……なあ咲?」

「だよね。仕方ないよね、京ちゃん」

「……二人とも、まさか部活でもそんな感じじゃないじゃろうな?」

「「…………」」


 つ――と、まこから目を逸らす二人。

 ――前言撤回。
 このバカップルはあてにならなさそうだし、何とかならないかもしれない。
 照はそう考え、取り敢えず接客を覚えようとマニュアルを捲るのであった。


 【④つまりは二人はバカップルである】――了

 

寝ます

 

 ――宮永家、夜。
 

「最近、学校とかはどうなんだ?」


 食事をとる時は、誰にも邪魔をされず、自由で救われていなければならない――そう照は思う。
 程度の差はあるものの、誰だってそう思う筈である。
 ただ、静かに食事をとる必要があるかと言えば、必ずしも全てに当てはまらないだろう。
 何事にも、例外というものは存在するのだ。

 例えばそれは、家族の団欒であったり、友人達との何でもない様な会話であったり、食事に花を添える要素は多種に渡ると、照は考える。
 つまりは、時と場合によるというやつ。

 ならば、この唐突な父の問い掛けはどうなんだろうと、照は思索を巡らした。
 料理を食卓に置き、本日は仕事で遅くなるという母以外の全員が揃い、合掌した後、いざという段になって、いきなりコレだ。

 ……まず多少なりとも食べてからで良いのでは。
 ……そもそも、私と咲どちらに向けて言ってるのだろう。

 照がそう思いつつ、咲を見れば、妹も父に特に答える事なく、フォークを手にしている。
 では自分も……と、ソースが飛び散らぬよう、スプーンとフォークを用いてパスタをくるくると巻いた。
 テーブルマナーからは外れた行為であるが、父であるし別に構わないだろうとの判断である。

 今晩の夕餉は、咲と照が一緒に作った料理だった。
 パスタの具材はベーコンと茄子。
 これらは、オリーブオイルで焦げ目が軽く付く程度に炒めている。
 ソースはアーリオ・オリオ――オリーブオイルでニンニクを弱火で加熱したオイルソース――をベースにしたトマトのソースだ。

 

 

 パスタを口へと運ぶ。
 火を通したトマトのまろやかな酸味。
 硬すぎず柔らかすぎず、程良いパスタの食感。
 そして食欲をそそるオリーブオイルとニンニクの風味。

 思わず――照の頬が綻んだ。
 合作故か、なかなかな出来栄えだった。
 妹曰く、ソースの調味でブイヨンだけではなく、隠し味で薄口醤油を使うのがポイントとの事。
 だからだろう、洋風ながらも、どこか懐かしい味わいに仕上がっている。
 自分一人では、この味は出せなかったかもしれないと思う。
 照は料理が下手ではないのだが、腕前において妹よりはやや劣るのだ。

 ……まこと醤油は日本の心。

 うむと頷き、続いて焼いたバケットに手を伸ばす。
 パスタのソースを僅かに付け食べると、これまた良く合う。
 箸休めには、ドレッシングのかかったシザーサラダ。
 上には、温泉卵が乗っている。これを崩してサラダに絡めると、とろっとろで美味しいのだ。

 もきゅもきゅと食べながら、照は幸せであった。
 人間というものは大抵の場合において、美味しい食事があれば些細な事など吹き飛んでしまうものなのである。


「娘達が無視する……」


 暫くの間黙々と食事をとっていると、どんよりとした雰囲気で父が零した。
 どうやら先程の問いは、照と咲両方に向けてのものだったようだ。

 

 

 確かに無視する形になった――食べていたらどうでも良くなった――のは申し訳なく感じるものの、照的には非常に鬱陶しかった。
 まあしかし、このまま放っておくわけにもいかないだろうと、照は思い、食事の手を止めた。
 

「特に変わった事はないかな」


 そう父に告げ、お冷を一口。
 照としては、そうとしか言い様がなかった。
 本当に、特別変わった事がないのだ。
 勉強についていけないとか、友人関係で悩んでいるとかもない。
 そもそも仮にあったとしても、父に相談する前に友人なりに相談するだろう。


「そうか――咲はどうだ?」


 父がちらりと咲に視線を向けた。


「ん、普通だよ」


 逡巡せず、すぐさま答える咲。
 また出た普通。日本人が好きなアレである。
 照が思うに、それは答えになっていない。


「部活とかはどうだ?」

「特に困ってないかな。新入生の娘とも上手くやれてると思う」


 父の再度の問いに、咲がサラダをつつきながら応じる。


「それに、和ちゃん――部長も頑張ってるしね」

「ふむ、そうか…………ああ、そういえば」


 重々しく頷いた父が、さも今思い付いたといった様子で、口を開いた。


「須賀くん――あの子も麻雀部なんだったか? ほら、小学生の時から咲と同じ学校だった子」

 

 

 一瞬、そうほんの一瞬、咲が眉をぴくりと動かした。

 ……ああ、それが父の本命か。
 照はそう直感した。要するに今までは前振りだったのだろう。
 さて咲はどう答えるつもりなのかと思いつつ、バケットを一口齧る。


「そうだけど――うん、京ちゃんとも仲良くやれてると思うよ。同じ部活だし」


 咲はすらすらと答えた。


「何かあったりは――」

「特にないかな。いつも通りふつーだよ。うん、ふつー」


 咲の言葉にきっと嘘はない。
 いつからのいつも通りかを、明言してないだけだろう。


「二人で遊びに行ったりは――」

「うん、麻雀部の友達と一緒に出掛けたりもするよ」


 『も』するよ――なるほど、これまた嘘ではない筈だ。


「……たまに作ってる、あの二人分の弁当は――」

「和ちゃん、優希ちゃんと約束して、食べたりしてるからね」

「……ならいいんだけどな」


 諦めた様子の父の一方で、照はそっと目を伏せた。
 咲が特に動揺した様子も見せないあたり、流石だと照は思う。
 このあたりの外面は、咲も照と同様、母親から受け継いだのかもしれない。もしくは麻雀で鍛えられたか。

 ……まあ何にせよ、変に拗れずに済んで良かった。
 照は一度ふうと息を吐き、食事を再開するのであった。

 

 

□■□


 ――こんこんと、二回部屋のドアがノックされる。
 照はベッドに腰掛け読んでいた文庫本――『春琴抄』から面を上げ、ドアの方を見遣った。


「おねえちゃん、お風呂空いたよ」


 ドアを開け、現れたのはパジャマを着た咲だった。
 風呂上がりの紅潮した頬に、タオルを頭に巻いたままという格好である。


「ん……あと少ししたら入る」


 そう答え、再度本へと目を落とす。
 一度読み始めたら、一気に読み終えたいタイプなのだ。
 終盤に差し掛かっているため、そう時間は掛からないだろう。


「…………」


 普段ならば、一言声を掛けた後、部屋をあとにする咲が何も言わない。
 おそらく、部屋に一歩踏み入ったままで止まっている。そう気配で判る。


「咲……何?」

「おねえちゃん、ちょっといいかな?」

「うん、いいけど」


 照が了承すると、咲はドアを閉め、照の隣へ腰掛けた。


「え、えっとね……さっきはありがと」

「……何が?」


 照は要領を得ず、まじまじと咲を見た。


「お父さんに、京ちゃんの事何も言わなかったでしょ」

「ああ――そんな事」


 照としては、口を挟む必要性を感じなかっただけだ。
 しかし、妹が父に言わなかった事に関して、疑問を覚えないわけでもない。

 

 

「どうして父さんに言わなかったの?」

「あー……うん、お父さん、昔からちょっと京ちゃんに思うところがある感じというか……多分悪印象を持ってるわけじゃないんだけど……」


 ……どうせあのバカ父は、娘可愛さに咲の近くにいた男子を目の敵にしていたのだろう。
 見苦しい事この上ないが、男親というものはそういうものかもしれないと、照は思う。


「お父さんにはタイミングを見て言おうかなって……お母さんにはバレちゃってるけど」

「……咲が付き合ってるって、母さんは知ってるんだ」

「うん、私が選んだなら大丈夫だろうって笑ってた」


 父と違って、おおらかな事である。
 確かにあの母ならそう言うだろうと、照は納得した。
 それと同時に、はにかみながらも嬉しそうに――そう本当に嬉しそうに微笑む咲を、少しだけ羨ましく感じた。
 恋に恋する年頃というわけでもないが、照だって、いわゆる乙女的な憧れは持っている。
 先程まで読んでいた本ではないが形は色々あれど、想いを寄せ合う相手がいるのは、きっと幸せなのだろうとも思う。


「……咲、ちょっと訊いてみたいことがある」

「何、おねえちゃん?」


 小首を傾げる咲に、照は僅かに逡巡した後、口を開いた。


「その……須賀くんと咲は昔から知り合いだよね?」

「あー、うん……もう初めて会って八年かな」

「……そんなに長くいて、嫌なところとかないの? 好きなところだけ?」


 照が訊きたかったのは――この前の冗談めいた惚気ではなく、真実の部分だ。

 人という生物は、善悪あるものだと照は知っている。
 鏡という稀有な特性を持つ故に、理解してしまっている。

 どんなに好意をもっていたとしても、我慢出来ない部分もあるだろう。
 相手と接した期間が長い程、良いところを、しかし悪いところを知らざるを得ない筈だ。
 本という虚構の世界でなく現実の世界において、それを知っても尚――――。

 

 

 照の言葉に、咲がきょとんとした表情を向ける。
 そして、考えを纏める様に一度視線を落とし、ややあって再度照を見た。


「……えっとね、おねえちゃん、京ちゃんのことは好きだけど、嫌いなところだってあるよ」


 咲の榛色の眸には、真摯な色が浮かんでいた。


「腕によりをかけてお弁当作ってるのに、嫌いなものにはちっとも手をつけないの。バランス良く食べないといけないのに……そんな京ちゃんは嫌い」


 ……まあ、誰だって好き嫌いはある筈だ。
 照だって出来ればプリンだけ食べていたい。無理であるけれども。


「昔っからだけど、胸のおっきな娘がいたら、デレデレして鼻の下を伸ばす京ちゃんが嫌い」


 どうやら宗派が変わったというわけではないらしい。
 つまり巨乳が好きと咲が好きは両立するという事なのだろう。
 好きの方向と強さが違うというやつだ。


「何かにつけて、私を子供みたいに扱う京ちゃんが嫌い。誕生日から言えば私がお姉さんなのに……」


 それは、本とかで良くある男の意地というやつではないだろうか。
 というか……これも惚気話ではないのか――と照はふと過った。


「本当は優しいのに……時に、酷く怖い目をする京ちゃんが嫌い」


 ……そういった目をする彼が、照には想像が付かなかった。
 そう深く知っているわけではないが、彼の人物像からは外れている様に思える。


「……本当は何かを悩んでるのに。私にそれを言ってくれない京ちゃんが嫌い」


 …………。


「でも――京ちゃんのことが好き。大好きなの」


 ――――知っても尚、大好きだと、咲は言い切った。


「咲、例えば、そう例えばだけど――裏切られたとしても? 酷く突き放されたとしても?」


 ――過去と重なる。
 誰にとは言わず、照は問うた。
 咲も誰にの部分を問い返す事なく、すぐさま頷いた。


「多分……ううん、きっと好きなままだと思う」

「……いきなりごめんね、咲……ありがとう」


 勘の良い妹が言うのだから、きっとそれは真実なのだろう……そう信じられる。
 妹に柔らかく笑みを向けながら――照はそう胸の内で呟くのであった。


 【⑤こうして姉と妹の夜は更ける】――了

寝ます

 

 唐突だが、宮永照には趣味がある。

 まず一つ目――在り来たりかもしれないが、読書。
 照は、和洋問わず物語に触れる事を日常の一部としている。
 いわゆる純文学と呼ばれる類のものから大衆小説まで、興味を引かれた本を都度読んでいくタイプである。

 そして二つ目――お菓子を食べること。
 こちらも和洋、いやむしろ種類を問わず、何でもいける口であり、照的にライフワークと言っても過言ではない。

 たとえば高校一年生の時、近場に美味しい点心を出す店が出来たと聞けば、弘世菫を誘い店へ。
 夏場に季節限定の特選宇治金時が出る店があると聞けば、これまた菫を誘い店へ。
 ケーキバイキング食べ放題フェアがあろうものなら、なんとしてでも菫を誘い店へ。
 そんな感じのスイーツ探求に関するエピソードは、数知れない。
 そう、なんといっても甘いの大好きっ娘なのだ。もちろん、プリンイズNo1。

 尚、余談であるが、菫も照と同じく甘味を好むタイプである。
 しかし、照と菫で決定的に異なる点がある。照は太りにくいタイプであり、その一方で菫はそうでないという点だ。
 だからだろう、照がスイーツ巡りに誘った際、菫は「ああ……カロリーが」とか「今夜走れば大丈夫だよな……うん」とか、複雑そうな表情でいつもブツブツ零していた。

 もちろん照としては、菫を太らそうとしていたではなかった。
 菫を誘うこと自体は純粋な厚意かつ一人で食べるよりは友人と食べた方が楽しいからであり、悪意はない。
 悪意はないけれども、菫の葛藤を気付かない振りはしていたのだが――まあ、それはともかく。

 とある日曜日。
 照は書店で本を購入した後、一人商店街を歩いていた。

 前述した趣味のためである。
 ちょっと変わったケーキ屋が出来たと、友人から以前に聞いていたのだ。
 そこは持ち帰りだけではなく、店内のスペースで食べる事が出来、しかも結構美味しいとのこと。
 そうなれば、その店に足を運んでみようとなるのは、照の性格からして無理ならぬことであろう。

 

 

 目的の場所に向かいながら、照はなんとなく昔を思い出した。

 ……高校の時は菫や、虎姫の皆と良く評判のお店に行ったっけ。
 ……夏休みに入れば東京へと顔を出すつもりであるから、その時に菫やかつての虎姫の面子でスイーツ巡りに行くのも良いかもしれない。
 ……うん、そうしよう。菫達に連絡しておかないと。

 照が夏休みに思いを馳せ、予定を決めた時、ちょうど目当ての店へと辿り着いた。
 駅前にある商店街、そのメンストリートからやや外れた雑多な店が並ぶ裏通りの一角。
 そこには、見た目からして、いかにも西洋風の喫茶店といった風情の店が居を構えていた。

 店の名前は『A Taste Of Honey』。
 日本語で蜜の味との名を冠したケーキ屋だった。
 軒先にはイーゼル――木製の三脚――が置かれ、本日のおすすめメニューが書かれた黒板が立てかけられていた。
 黒板の内容を上から順に目を通していくと、可愛らしい文字で旬の果物を強調したメニューが並んでいる。
 その中に、一際異彩を放っている――花丸を添えられた『パティシエ特製ドッキリケーキ!特価!』との文字。

 ……一体どうドッキリさせてくれるのだろう。

 そんな疑問が頭の片隅にふと過る。
 照としては、『旬のフルーツたっぷりプリン・ア・ラ・モード』に最大限心躍っているのだが、ドッキリケーキとやらにも興味を惹かれる。
 さて、どうしようか……と、腕を組み、思索に沈もうとした瞬間、後方に人が立ち止まった気配を感じた。


「あ、照さんじゃないですか」


 その聞き覚えのある声に振り向けば、明るく金色がかった髪の青年――須賀京太郎がいた。
 無地でグレーの首元が開いたカットソーに、襟首から僅かに白いインナーがのぞき、ボトムズはゆったりとしたユーズドのジーンンズといったラフな装いだ。


「……あれ?」


 と、照と目があった京太郎が少しばかり驚いた表情をする。

 

 

 何かおかしいところがあるだろうかと、照は自分の服を確認した。
 トップスは、白い薄手の生地を使った長袖のウィングカラーシャツ。首元の第一ボタンは止めていない。
 そしてボトムズは、ひざ丈上のややタイトなデニムスカート。
 カジュアルで清潔感のある組み合わせ。特別おかしいところは無い様に思える。


「いや服装じゃなくて、ここっす」


 照の訝しげな様子を察知したのか、京太郎が自身の目元を指し示す。


「ああ、これ」


 照は得心して、掛けている縁無しの眼鏡を一度押し上げた。


「これは単なるファッション。伊達眼鏡」

「前は掛けてなかったですよね……もしかして『roof-top』のあれが気に入ったんですか?」


 図星を突かれ、照は京太郎から目を逸らした。
 当てられたからといって何が悪いというわけでもないのだが、なんだか気恥ずかしかったからだ。
 そんな拗ねた子供の様にぷい横を向いた照に、京太郎が一度苦笑を零した。


「ま、それはともかく、照さんもこの店に?」

「……『も』というと、須賀くんも?」


 照は逸らしていた顔を戻し、京太郎へ質問を返した。


「ですです。美味しい店が出来たって聞いたもんで……まあ、こんなとこで立ち話もなんですし、とりあえず入りましょうか」


 京太郎は言うなり、特に物怖じしていない様子で、店の扉を開く。
 ドアベルの澄んだ音が鳴って、それにやや遅れて、従業員の快活な声が響いた。

 

 

「いらっしゃいませ!」


 照と京太郎を出迎えてくれたのは、艶やかな黒の長髪を結わえ背に流した、二十代前半に見える若々しい女性。
 店名――『A Taste Of Honey』と刺繍が入ったエプロンを付けている。


「えっと、二人ですけど、席は空いてますか?」

「はい、二名様ですね。案内致します!」


 京太郎の問いに、黒髪の女性が明るい笑顔で応じて先導してくれる。
 狭い店内には女性客達や一組の若いカップルがいたが、近くの広いテーブル席が空いていた。
 案内されるがままに照と京太郎は席につき、従業員の女性がお冷を用意してくれると同時に持ってきてくれたメニューを開く。


「今日のおすすめは、苺のミルフィーユ、春の彩りタルト、マンゴーロールケーキ、旬のフルーツたっぷりプリン・ア・ラ・モード、パティシエ特製ドッキリケーキになっております」


 メニューを眺める二人に、従業員の女性が愛想よく言った。


「……私は『旬のフルーツたっぷりプリン・ア・ラ・モード』、オレンジティーのセットで」


 照としては、『パティシエ特製ドッキリケーキ』は気になるものの、やはりプリン・ア・ラ・モードは捨てがたい。


「んー、俺は」

「須賀くん、ちょっと待って」


 京太郎が注文を告げようとした矢先、照がそれを遮った。


「私、『パティシエ特製ドッキリケーキ』を少し食べてみたい」

「はい? もう一個食べるんですか?」


 要領を得ない様子の京太郎を、照は真剣な目で見詰める。


「食べてみたい」

「…………」

「食べてみたいの」

「……あー、なるほど」


 何かに思い至ったのか、京太郎が頷いた。
 照としては無理矢理となると体裁が悪いため、自発的に行ってくれるなら大変助かる。
 淑女的に奥ゆかしさは大事なのだ。そして男は甲斐性であるのだ。

 

 

「じゃあ、俺はこの『パティシエ特製ドッキリケーキ』で」

「ドリンクはどうなさいますか? こちらのセットメニューで『ブラッディ・アイ』が御座いますが」

「……『ブラッディ・アイ』?」


 と、首を傾げた照に、従業員の女性が片目を閉じ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「こちらもおじさん――じゃなかった、マスターと私のおすすめです」

「じゃあ、それで」

「ちょ、照さん……まぁ、いいか」


 溜め息を吐く京太郎。
 その一方、従業員の女性が二人の注文を復唱して席を後にした。


「……ちょっと意外かな」

「何がですか?」


 ふと漏らした照の呟きに、京太郎が反応した。


「ん……須賀くんって一人でこういう店来るんだ、と思って。それになんだか手馴れてる」

「あー、それはっすね……別にいつも来てるわけじゃ……えっと、咲には内緒ですよ」


 と、前置きして京太郎がバツが悪そうに続ける。


「まあ、いわゆるデートの下見というか……ほら連れて行ってハズレだと、不味いじゃないっすか」


 つまりは、咲のためという事だ。
 彼はなかなかマメらしい。涙ぐましい努力であると感じる。


「男一人でこういう店に入るのは正直ちょっと躊躇うものがあるんですけどね……そういう意味で今日は助かりました」


 いきなり頭を下げる京太郎。
 照としては特に感謝される事はしていないのだが。

 

 

「照さんがいたからスムーズに入れましたし……あ、もしかして一人で食べたかったりしました? ほら、結構強引に進めちゃったんで」


 京太郎の言葉に、照は表情を変えず、しかし驚愕した。
 改めて考えてみれば、いつの間にか二人でケーキを食べる事になっている。
 照の主観からすれば、これはかなりのたらしスキルである。戦慄すら覚える。
 交際している彼女の姉とはいえ、こうも自然にことを運ぶとは。


「久が言ってた女の子の口説き方を教えたっていうのは本当だったんだ」

「…………はい?」


 京太郎がどこか間の抜けた表情をする。


「多分それで咲を陥落させた。納得」

「ちょっと、ちょっと、ちょっと! 照さん何か勘違いしてません!? ってか口説き方って何!?」

「だって、久が前に須賀くんに女の子の誑かし方を伝授したって言ってた。どんな娘もイチコロよって感じで」


 別にそこまで言っていたわけではないのだが、照の記憶の中ではそういう事になっているのである。
 実際、照の知る、もしくは京太郎の知るだろう竹井久という人物像からすれば、言いかねないのが恐ろしいところだ。
 世が世なら、世界で一番最も多く、女性に面と向かって掛け値なしの本っ気で「死ね」と言われる可能性すら、彼女にはあるかもしれない。
 一応補足しておくと、この世界線における竹井久はノンケである。そういう解釈なので安心して欲しい。


「いやいやいやいやいや! 伝授されてないですから!」

「……そこで慌てるのが一層あやしい」

「何でそんなに冷たい目を!? もしかして照さん的に俺はそういうキャラなんすか!?」

「正直な話、初見の印象だとちょっとチャラそう……これは咲が心配」

「見た目で決めつけないで! 俺は咲一筋ですから!」

「……彼女の姉をケーキでたらしこもうとしてるのに?」

「た、たらしこむって……人聞きの悪い。そんな意図は欠片もないです」

 

すいませんセーブで

 

 心外だ、と言わんばかりに眉を寄せる京太郎に、照は頬杖をついて胡乱げな眸を向けてみた。


「本当?」

「本当の本当っすよ。天地神明、八百万の神様に誓ってもいいですね。特に瀬織津比売あたりに」


 瀬織津比売と言えば、宇治の橋姫神社において橋姫と習合している神様である――それはともかく。
 テーブルを挟んで、打てば響くという具合で応じてくる京太郎がなんだか面白くて、照の内側からふつふつと悪戯心が湧き上がってくる。
 久の事を悪く言えないなと思いつつ、照は心の赴くままに言葉を投げた。


「そう――――それは私に魅力が無いって受け取ってもいいのかな」

「……えっ?」


 テーブルへと視線を落として悲しげに演技する照に、京太郎が一瞬硬直する。


「あ、いや。別にそういうわけではなくてですね」

「ちょっとショック」


 ダメ押しで悄気げた風を演出してみる。


「……あー、えっと、その何と言うか……うん……照さんは可愛いと思います。眼鏡も似合ってますし」


 真面目ぶった様子で、腕を組みうんうんと頷く京太郎。
 目まぐるしく変わる彼の表情が、なんとなく照に後輩――大星淡を思い出させた。


「ほら、やっぱり口説いてる」

「あれっ!? これってもしかして、俺嵌められた!?」


 酷く愕然とした風情の京太郎に堪えられなくなり、照は思わず僅かに吹き出してしまう。
 続け様に、京太郎から顔を逸して、口元を手で隠した。

 ……頬が熱い。
 面前で吹き出すという端ない行いに、顔に血が上るのを自覚した。

 非常に珍しい状況だ。
 鉄面皮めいた普段からすれば、表情をこうまで崩す照は稀であった。

 

 

 そんな見るからに取り繕うとしている照を見て、京太郎が溜息を吐いた。


「……俺って年上にイジられる宿命でも背負ってるのかな」


 その様な印象を抱くのは、きっと主に誰かさんのせいだろうと、照は思う。
 しかし口ではこう言いつつも、京太郎は久に対して、悪感情を持っているわけではない筈だ。
 以前の『roof-top』における二人の遣り取りもそうだが、照が見るところでは、何だかんだ言って仲の良い先輩後輩の関係である。
 それは両者の言動の節々に現れていた気安や表情から判断が付く。
 接し方は違えども、菫と淡の関係性に近いかもしれないとも思う。


「清澄に入ってから、こんなのばっかな気が……」


 京太郎が窓の外を見遣り、口を尖らせた。
 そんな横目に映る拗ねた様子の彼がこれまた可笑しくて、再度吹き出さないよう照は必死に堪えた。
 そうして、笑いの衝動が収まり、落ち着いた頃を見計らい、正面を向く。


「ちょっと悪乗りし過ぎた。ごめんね」


 謝罪する照に対して、京太郎がほんの少しばかり目を見張った。


「須賀くん、どうしたの?」

「照さんもそんな風に笑うんだなと思って……それにやっぱ姉妹なんだなと……いや、最初から解ってはいるんですけど改めて」


 それは先ほど吹き出してしまった件だろうか。
 そして、どうしてここで咲が出てくるのだろう……と、照は小首を傾げた。
 きょとんとした様子の、しかし表情を変えない照に対して、京太郎が口を開こうとした瞬間。


「お待たせしました」


 と、従業員の女性が、頼んでいた注文分を運んできた。
 照の前には、さくらんぼ、キウイ、苺、メロン、オレンジ、パイナップル、マンゴスチンと、形良く盛りつけられプリン・ア・ラ・モードが置かれる。
 食欲をそそってくるプリンに対してきらきらと目を輝かせる照の一方で、京太郎が顔を曇らせた。

 

訂正

×それは両者の言動の節々に現れていた気安や表情から判断が付く。
◯それは、両者の言動の節々に現れていた気安さや表情から判断が付く。

 

 何故なら、京太郎の前に置かれたのは、おぞましい色彩と名状しがたい形状の物体。
 ぱっと見た感じ、それはグロかった。というか、余りにグロ過ぎた。
 敢えて形容するなら――緑、青、黒、白、そして昏い血の様な赤が垣間見える何かの肉塊。


「……えっと、これは?」

「これはですね……」


 頬を引き攣らせる京太郎に対して、従業員の女性が僅かに胸を反らし得意気に口を開く。


「おじさんと私が一緒にプレイしたバイオハザードを参考にして作った肉塊ケーキです!」


 従業員の女性はドヤ顔であった。

 ……なるほど言われてみればソンビっぽいと、照は納得した。
 そう――納得は一応したけれど、この形状はスイーツとしてどうかと思わないでもない。


「そしてこれが『ブラッディ・アイ』です」


 京太郎の前に、飲物が……グロい物体第二弾が置かれる。
 グラスの中には、透明度の高い赤い液体。
 発泡している見た目からして、色付きの炭酸飲料だろう。
 ブラッディの名の通り、血を彷彿とさせるものの、これだけならさほどグロテスクではない。
 問題があるのは……グラスの底に沈んでいる、やたらとリアリティを追求した物体だった。

 端的に言えば『眼球』である。
 比喩表現ではない。まさにリアル目玉。
 瞳孔や毛細血管のつくり込みが、実に生々しい一品だ。


「ごゆっくりどうぞ」


 従業員の女性が感じの良い笑顔を振りまいて、席を後にする。

 

 

「照さん……これ食べなきゃ駄目ですよね?」

「うん、駄目」


 ケーキを残すなんて勿体なさすぎて、照としては許容出来ない。
 即座に頷いた照に、京太郎があたかも絶望した様な顔を向けた。


「ですよねー……まあ食えないものは店で出さないか……」


 京太郎が恐る恐るといった感じで、肉塊ケーキにフォークを突き刺す。
 そうして、数秒ほど迷った素振りをした後、覚悟を決めたのか、切り分けたケーキを口へ。


「須賀くん……どう? やっぱりゾンビ味?」

「ゾンビ味とは一体……いや、グロい見た目に反してこれは」


 そう言い、京太郎が再度ケーキを一口。


「うん、美味い。最初はどうしようかと思ったんですけど、すっごいちゃんとしたケーキになってますよ、これ」

「……ちょっともらっていい?」


 照が強請ると、京太郎がケーキの乗った皿を照の方へと押し出す。


「……本当……美味しい」


 ゾンビ味とかいう衝撃の味わいではない。
 照が拍子抜けしてしまうほど、ケーキの味は整っていた。
 緑のスポンジはおそらく抹茶で着色したのだろう、風味からそう判る。
 青は着色された生クリーム、黒は甘さ控えめのチョコレート、そして赤は部分によってイチゴとラズベリーのソースが使い分けられている。
 スイーツ巡りをして舌が肥えた照にとっても、そのケーキの味は十分な完成度だった。


「……もう一口いい?」

「一口と言わず好きなだけいいっすよ」


 ……咲の彼氏は人間が出来ている!
 初見の印象を棚上げにして、照はそう感動した。現金なものである。
 もしも照に犬の尻尾が生えていたとしたら、喜びの余り何度も大きく振っていただろう。

 

 

 ややあって、照が押し返した皿を見て、京太郎が訊いてくる。


「あれ? もういいんですか?」


 ケーキは半分程残っていた。


「うん、私だけ食べるのは良くない」


 京太郎の言葉通り好きなだけ、つまり目前で一人全部食べるというのは、照としても気が引ける。
 流石にそこまで無神経ではないのだ。
 また恩知らずでもないので、もらった分のお礼はしないといけないとも思っていた。


「……ねえ、須賀くん」


 京太郎が『ブラッディ・アイ』の眼球一個をフォークに指し、そのまま口に入れた時、照が呼び掛けた。
 

「はい? ……あ、もしかして照さんもこの目玉を食べたいとか?」

「別にそういうわけじゃない」

「ちなみにこれカルピスゼリーですね……しかし良く出来るなあ」


 グロテスクな目玉に感心した様子の京太郎に呆れつつ、照はプリンをスプーンで一口分すくい、京太郎へと差し出した。


「はい」

「えっと……照さん、これって」

「もちろんケーキのお礼」


 ――プリンを他人にあげる。
 それは照にとってマキシマム友好の証である。
 実際、かなりレアなシチュエーションだ。
 体験した人間は、虎姫の面子等に限られる。


「いや、お礼なのはいいですけど、その……」


 照は、今なら久の気持ちが理解出来る気がした。
 年下の、それも比較的気安い相手をからかうのは、なんというか非常に楽しい。
 よく読む作家の嗜虐と被虐も、こういう感情に通ずるのかもしれないと、ふと浮かぶ。

 

訂正

×京太郎が『ブラッディ・アイ』の眼球一個をフォークに指し、そのまま口に入れた時、照が呼び掛けた。
◯京太郎が『ブラッディ・アイ』の眼球一個をフォークに刺し、そのまま口に入れた時、照が呼び掛けた。

 

「須賀くん、ほら食べないと」

「……マジっすか? マジで食べないと駄目?」

「うん、駄目」


 照が対メディア用の朗らかな笑顔で告げると、京太郎は抵抗を諦めたのか、差し出されたプリンへと素直に口を開く。


「はい、あーん」


 京太郎の口内へプリンを乗せたスプーンが到達し、口が閉じられたその時、京太郎が目を見開いた。
 それに数秒遅れて、照の背筋に言い知れぬ悪寒が走る。


「…………」


 押し黙りスプーンを口にして固まったままで、急速に顔色が悪くなっていく京太郎。
 おそらく照の後方、店の入り口を見て硬直しているのだろう。目は見開かれたままで、視線は固定されいる。
 その視線の先を追って、照が振り向けば――店の入り口には、咲がいた。
 妹の目は確かと京太郎をとらえ、その眼差しは氷結地獄もかくやと言わんばかりの冷たさだ。

 これは不味いと、照の第六感が危険を告げてくる。
 慌ててスプーンを引き抜いた。

 やがて、従業員の女性に先導された咲が、店内のスペースを進んでくる。
 よく見れば、茶色をツーサイドアップにした小柄な娘と、桃色の髪をサイドテールにしたすこぶる豊満な胸部を持つ娘も一緒だ。
 ちなみにその豊満な娘の方の胸は、美穂子すらも容易く凌駕していた。実際凄い。
 何を食べればそこまで育つのか、照としては不思議で仕方ない。

 彼女達もIHで見た覚えが、照にはあった。
 確か、胸部が圧倒的な桃色の娘が、原村和。胸部が慎ましい……いや平坦な方が片岡優希だ。

 

訂正

×おそらく照の後方、店の入り口を見て硬直しているのだろう。目は見開かれたままで、視線は固定されいる。
◯おそらく照の後方、店の入り口を見て硬直しているのだろう。目は見開かれたままで、視線は固定されている。

すいません眠気が限界ここまで

もっぱつ訂正

×よく見れば、茶色をツーサイドアップにした小柄な娘と、桃色の髪をサイドテールにしたすこぶる豊満な胸部を持つ娘も一緒だ。
◯よく見れば、茶色の髪をツーサイドアップにした小柄な娘と、桃色の髪をサイドテールにしたすこぶる豊満な胸部を持つ娘も一緒だ。

 

「あ、待ち合わせしてたのでこの席で大丈夫です」


 京太郎と照が座るテーブル近くに来た時、咲が従業員の女性にそう告げた。


「だよね、京ちゃん」


 にこやかに、だが有無を言わさぬ迫力を滲ませる咲。
 気圧されたのか、凄い勢いでこくこくと京太郎が頷いた。
 そして咲は京太郎の隣に座り、一緒にいた友人、和と優希は照の席の側に。

 三人が注文を告げ、従業員の女性が去った後、テーブルには静寂の帳が降りた。

 照は非常に気不味かった。
 咲の友人達、原村和、片岡優希も同様だろう。
 二人して黙したままで咲と京太郎へ交互に視線を送っている状況が、雄弁にそう物語っていた。

 ……別段疚しい事があるわけではないけれども、見られた瞬間が良くない。
 ……こういう場合、私の方から何か言った方がいいのだろうか。
 ……いやしかし、須賀君に任せておいた方が拗れないかもしれない。

 そんな風に照が迷っていると、優希が何やら京太郎へと謎のブロックサインをしている。
 照の見るところ、ジェスチャーの内容は正確に判らないものの、これは咲を何とかしろという事だろう。

 やがて意を決したのか京太郎が口火を切った。


「……咲」

「何かな、京ちゃん」


 咲の優しげな声音。
 けれど何故か照は怖気を覚えた。
 京太郎も等しく感じたのか口元が引き攣っている。

 

 

「誤解だからな。誤解」

「うん、大丈夫判ってる。誤解なんてしてないよ。単に見たままだよね?」

「それは全く大丈夫ではないんじゃ!?」

「どうしてかは知らないけど、『あーん』してただけだもんね……しかもっすっごいっ仲よさげなっ感じでっ」


 笑顔のまま最後をやたらと強調する咲。
 目は全く笑っていない。どうやらお冠のようだ。
 

「……修羅場、ですね」

「正妻と間女の戦。きっと若さ故の過ちってやつだじぇ……京太郎、ツケを払う時が来たのだ」


 和と優希がぽつりと漏らすが、照としては京太郎に借金を背負わせたつもりもない上に、咲と争う理由もない。


「正妻と間女……そうなの京ちゃん?」


 咲にじろりと睨め上げられ、京太郎が慌て出す。


「なわけ無いって! 偶然会っただけだ!」

「……大いなる偶然が全ての始まり。嫉妬と憎悪が嵐を呼ぶ。怒りと悲しみによって今姉妹で最後の戦いが始まる……次回、修羅」

「全てを得るか地獄に落ちるか、って優希、茶化すなよ! あと和もその軽蔑したような目はやめて!」


 律儀にツッコミを入れた京太郎が続ける。


「咲、マジで照さんと何かあるわけじゃないからな。本当の本当に、店先で鉢合わせて一緒に入っただけで……」


 その言い訳に対して、咲はぷくりと頬を膨らました。

 

 

「だから、そんなの判ってるもん」

「……ん? あれ?」


 不思議そうに首を傾げる京太郎。

 内心、照も同様であった。
 いや確かに、咲が誤解しているにしては、こちらに何か敵意めいた所作を向けて来ないなと、思ってはいたのだ。
 普通恋人の浮気と見紛う様な場面を目撃すれば、彼氏だけでなく相手にも何かしらのアクションがある筈。
 それが無いということは、そもそもの前提、つまり咲が誤解しているというのが間違っていたのだろう。


「それくらいは判るし、信用も信頼もしてるよ。京ちゃんもおねえちゃんも」


 照の推測を肯定する言葉が、咲から出た。
 その信用と信頼に自分も含まれている事が、照として少し面映い。


「あー、咲、じゃあ何でそんな不機嫌そうだったんだ?」


 京太郎の疑問は至極もっともだろう。
 実際、咲は件の目撃時から刺々しい雰囲気だったのだから。


「だって……だってだよ、京ちゃん!」


 むぅ、と眉根を寄せた咲が京太郎をじっと見詰める。


「京ちゃんに『あーん』するのは、私だけの権利なんだもん!」


 そう断言する咲。

 ……何を言ってるのか、この妹は。
 私だけの権利とかいう堂々とした宣言に、照は愕然とした。

 

 

「私これ知ってるじぇ……いつものパターンだって」

「部活では控えてくれると嬉しいんですけどね」


 呟いた優希と和が、溜息を吐いた。
 それに構わず、咲が更に京太郎へと言い募る。


「だから、おねえちゃんでもあれは駄目なの! 京ちゃん分かった!?」


 あたかも縄張りを主張する猫のようだと、照は思う。
 しかも先程の片岡優希と原村和のぼやきから考えれば、こんな感じの出来事はしょっちゅうあるらしい。
 恋は盲目との言葉があるが、もう少し周囲を考慮しても良いのではないだろうか。
 呆れて物も言えない。

 しかし、京太郎の方はそう思わなかったようだった。
 なんだか熱っぽい眸で咲を凝視している。


「咲……ごめんな、俺が悪かった」

「……それに、信じてるけど心配なものは心配なんだから、不安にさせちゃ嫌だよ?」


 上目遣いの咲に対して、京太郎は咲の髪をくしゃりと一度撫で、そのまま頬に手を添える。


「杞憂だって。いつも言ってるだろ? 俺は咲一筋だって」

「京ちゃん……」


 頬に添えられた京太郎の手に自らの手を重ね、頬に朱を昇らせてうっとりとした様子の咲。
 完全に二人の世界に没入している。
 事実、この時従業員の女性が注文した分を持って来たのだが、咲と京太郎の目には入っていないようだ。
 一瞥も与えていなかった。

 

 

 石火、照はテーブルを蹴り上げた!
 恐るべきはニンジャ脚力!


「イヤーッ!」


 右腕が大気を巻き込んで旋回!
 というのは照の妄想である。
 脳内で憂さ晴らししてしまう程に、見ているだけで胸がムカムカとしてくる桃色空間が、照の眼前に展開されている。

 やがて、苦笑いしながら従業員の女性が去った後も、咲と京太郎はしきりにイチャついてた。
 今も二人ぴったりとくっ付いていやがるわけで。


「なんつーかその……そもそも照さんが咲に似てるから、からかわれて押し切られちゃっただけで、他意は無いんだって」

「そんなに似てるかな?」

「流石は姉妹だなって思うぞ。笑顔とかも良く似てる。だから、あれは咲を思い出してついって言うか……」

「……なら仕方ないかな」

「思い出しちゃう程に咲がかわいいのも悪いんだぞ?」

「もうっ、やだっ、京ちゃん恥ずかしいよ……」


 ……なら、人前でそんなにベタベタするのは、やめたら良いのに。
 そう思いはするものの、照は口に出すことはなかった。
 一々ツッコムのも最早馬鹿らしいのだ。


「ぷっちーん」


 優希がこめかみ辺りを痙攣させつつ、そう零す。
 精神衛生上の理由から無視を決め込んだ照の一方で、優希の堪忍袋の緒は切れたようだ。


「……そこまでにしておくんじぇ、二人共」

「ほんと咲だけだからな、俺は」

「私も……京ちゃんだけだよ」

「うがー! 無視すんな! 聞けー!! このバカップル!!!」


 優希は気炎を上げているが、咲と京太郎には通じていないようだった。
 固有結界的な何かでも展開しているのだろうか、このバカップル。
 まあ、どうでもいいけど……と、照はプリンをスプーンで掬った。


「はぁ……お姉さん、この二人何とか出来ません?」


 和が困ったものだと言わんばかりの視線を、照へと向けてくる。


「無駄な労力は使いたくない」

「……そう言わずに」

「きっと馬鹿は死ぬまで治らないと思う」


 照はプリンを口に運びながら、和へとそう答えたのであった。



 【⑥だからといって、殺すべし。慈悲はない。とはならないのである】――了

 

ここまで

帰宅できそうにないので保守だけ

 

 ゴールデンウィークも過ぎた五月中旬の日曜日。
 とある図書館内部。

 仄かに漂う本の匂いが、照の鼻腔を擽ってきていた。

 嫌な匂いという訳ではない。
 むしろ、どこか気持ちを落ち着かせてくれる香りだと感じる。

 ……これは、紙とインクの匂いだけでなく、文化と歴史の薫りでもあるだろう。

 照は胸中で独り言ちながら、本棚に手を伸ばして一冊抜き取った。

 背表紙には『拝啓カフカ』の文字。
 カフカの著作自体は何冊か読んでいるため、興味を惹かれたのだ。
 タイトルからしてカフカ本人かその作品を題材にしたものなのだろうと、見当を付けていた。

 そして、本を片手に読書スペースへと向かい、不意に気付く。
 四人掛けの机に、見知った顔が二つあった。

 一人は広げた本へと何やら視線を落としたままの妹。咲だ。
 その右隣に座っているのは、口元を押さえつつ欠伸なんてしている京太郎で、彼は続け様に背伸びをした後、ふと視線を彷徨わせた。

 目が合う。
 こちらを、彼も認識したのだと判る。

 京太郎は咲の袖を僅かに引っ張り、本から面を上げた妹へと何やら耳打ちをしていた。

 二人の距離が近い、と照は感じた。
 まるで咲の横顔へと接吻をしている様に見えなくもない。

 

 

 ……中学や高校時代、こんなシチュエーションは、ついぞ私に訪れなかった。
 ……そう、なかった。文学少女的に考えれば、妹と同じく起こり得ても良かった筈なのに、なかった。

 そんな事を考えながらも、当然照は承知していた。
 いきなり二人がイチャつき始めた訳ではない事を。
 だが、イチャつく意図はないにしても、見方によってはリア充アピールめいた行動だ。
 さながら砂漠で水を欲する旅人相手に、与えず見せつけるだけの如き挑発的な非人道的行為。

 ……おかしい。こんなことは許されない。
 ……バカップル殺すべし。慈悲はない。

 飛躍した論理をもって、脳内の高速裁判で有罪(ギルティ)を宣言しつつ、妹とその彼氏、二人が座る机へと歩を進める。
 よくよく観察すれば、机の上には筆記用具と教材、そしてノートがあった。
 

「――なるほど。咲と須賀くんは図書館デート、と」


 咲と京太郎の正面の席に座るなり、照は殊更無表情で言葉を投げた。
 すると、京太郎が眦を下げる。


「あー、そう言われると、確かに……うん、まあ、これもデートっちゃデートなんですかね」


 思わず、絶句。
 呆れを通り越して感心してしまう。

 

 

 ……こやつ、ストレートに惚気で返してくるとは。


 予想外の反応に照の毒気が抜かれた矢先、咲が机の上に広げた教材をシャープペンで指し示してきた。


「おねえちゃん、ほら、中間テストがもうすぐだから、試験勉強なの」

「ん、それは見れば判る。からかっただけ……でも、あんな返しが須賀くんから来るとは予想してなかった」


 そう告げると、京太郎が困った様に頭を掻いた。


「あー……照さんは、俺にどんな反応を期待してたんですか?」

「それは……慌てた感じで必死に否定するとか、お姉さんにからかわれる年下系の反応とか、もっとこう……」


 適切な言葉を選ぶため、一瞬思索を巡らせる。
 照の考えるところ、年上ならば、ウィットに富み、かつ相手に理解出来そうなものを選ばなくてはならない。
 この場合、二人に相応しそうなものは――。


「うん、そう……例えば、長野の雪原でもっと私を笑顔にしてよなものに対するリアクション」

「おねえちゃん、怒るよ」


 じとりと咲の目が据わった。
 何が気に入らなかったのだろうと思いつつも、素知らぬ振りで回避。
 続けて、京太郎の様子を照が窺ってみれば、彼はそっと視線を机に落としていた。


「言いにくいんですけど……」


 と、前置きして、なんだか痛ましげな京太郎が続ける。


「照さんは、竹井先輩から、すっごい悪影響を受けてます。間違いないっす。俺は詳しいんです」

 

 

 ……何について詳しいのだろうか。
 ……いや、そもそも。


「何故そんな沈痛な面持ち? 須賀くん的に、それは目頭を押さえて、涙を堪えるフリをすることなのかな?」

「後輩として部長の代わりに謝罪するべきかもしれません。まさか、照さんが毒電波の餌食になるなんて……」

「私に対してなら、雛見沢症候群感染の方が合うと思うけど」


 というか、照としては、餌食になった覚えがないのだが。
 京太郎の言動は、些か大袈裟であろう。
 

「とにかく、アレを見本にしては駄目ですからね? 俺の照さんに対する“尊敬し得る人物度数”がダダ下がりしていきますよ?」


 アレ呼ばわりされた久の事はさておき、そんな数値があるとは初耳だ。
 一体、自分はどの程度なのだろうかと、照は興味を引かれた。


「その数値って……私はどれ位?」

「んー、100を最高値として現在72ってとこですかね」


 72。
 そう、ななじゅうに、だ。
 特に意味はないが72だった。
 数字に何か嫌なものを感じたりもしたが、それは気のせいだ。
 間違いない。きっと鉄板である。

 兎にも角にも、照からしてみれば、高いか低いか判断しかねる数値だった。


「ふむふむ」

「ちなみに、俺が高校一年の時、IHで照さんを見た時は限りなく100に近かったです」


 京太郎から、さらりと言われた内容を、照は即座に理解出来なかった。

 

 

「……えっ? ということは、既にかなり下がってるような」

「昔に比べれば、下がってますね」


 はっきり、しっかり、容赦なく言い渡された。
 照の主観的に驚愕の事実である。
 「あれ?」と、思わず首を傾げてしまう程だった。


「本当に?」

「残念ながら本当っすね」


 何故だか知らないが、ダダ下がりしていたらしい。
 その事実を受け止め、アイエエエ! ナンデ!?
  と、表情を崩さず首を傾げたまま内心ショックを受けている照の一方で、さもありなんといった風情で咲が呟いた。


「だって、最初に直接会って、あの言動だったから……京ちゃん面食らってたもんね」


 ああ、と京太郎が頷いた。


「思ってたよりも遥かにユニークな人だな、と」

「おねえちゃんは、ちょっと天然入っちゃってるから」

「なるほどな。咲が結構ぽんこつなのと同じか」

「そうそう一緒……って、ちょっと! 京ちゃん、私はぽんこつじゃないよ!? 家事だって出来るし!」

「家事はともかく、俺目線だとそうでもないぞ? つか、自分でもわかってるだろ?」

「ど、どこが!?」

「ほら、天性の超絶的な方向音痴とか。お前は分類するなら、色々と残念系だ。わりと澄ましてるけど、仲良くなると特にな」

「そんなことないですっ!」

「まあ、他にもあるけど……咲の名誉の為に言わないでおく」

「う……京ちゃんがそこまで言うなら、私も言わせてもらいますけどっ!!」


 と、ヒートアップしている様子の咲が、フンスと腕を組み、京太郎を睨め上げた。

 

 

「京ちゃんだって、時々頭悪くなってるよね。特定の状況で」

「ばっか、俺は至って普通だろ? 平凡と書いてふつーと読むだぜ?」


 言いつつ、おどけた調子の京太郎に対して、咲がぼそりと零す。


「昔、部屋に隠してた本とか。その好みに関する諸々」

「すいません、ほんと勘弁して下さい」


 即堕ち二コマめいた敗北宣言であった。実際早い。
 だが、咲は追撃の手を緩めない。


「他にも、中学三年の時とか。高校に入ってからだって……詳しく言おうか?」

「咲さん、やめて。その話題は死にたくなるんで。いやマジで」


 そんな将来の力関係が容易く想像出来る二人を眺めながら、照は“尊敬し得る人物度数”の減少に関する過去を省みた。
 暫しの間追憶してみれば、思い当たる節が、確かにあった。

 しかし、下がる事もあるのなら、上がる事もある筈。
 そう思い至る間も、夫婦漫才地味た遣り取りが、照の眼前で繰り広げていた。
 周りから注がれる視線が非常に痛い。とりあえず、延々と続けそうな二人を、止めないといけないと判断する。


「ストップ。二人とも、図書館では静粛に」


 図書館を強調して告げると、咲と京太郎はぴたりと静止した。

 二人は周囲の状況を理解したのだろう。
 咲は赤面し、京太郎に関しては、やってしまったと言わんばかりに天を――屋内故見えないだろうが――仰いでいる。

 居たたまれないのは、照だって一緒だ。
 耳に微かに届いてくる『修羅場』等の単語とか、『バカップルは死ね』といった風情の呪いが込められた視線に、すこぶる居心地が悪い。
 直接関係ないし、悪くないのに、なんたる理不尽なのだろう、と思う。


「ともあれ……話を戻して参考までに訊くけど、須賀くん、その“尊敬し得る人物度数”とやらの基準は?」

 

セーブ寝ます

一応最後までプロットは作ってるので暇が出来れば書きます

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