幼馴染「いつまでも変わらないよ」 (15)
男「ひっこしって、なーに?」
まだ無邪気だったころの僕は、母の顔を見上げた。
母さんは申し訳なさそうな顔だったけど、口元だけは辛うじて笑っていた。
そして、労るように俺の肩にそっと手を置いた。
男母「それはね、遠く、遠くに行っちゃうこと。みんなと離ればなれになっちゃうことなのよ」
それは当時の僕にとっては、残酷な言葉だった。
男「いやだ!そんなのいやだよ!」
まるで決められた運命に逆らうかのように、僕はジタバタと暴れた。
ずっと過ごしてきたこの場所を離れるのは、いやだった。
仲のいい友達と離れ離れになるのは、いやだった。
気がつけば、涙で視界がぼやけていた。
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男母「ごめん……ごめんね」
ふいにあったかくて柔らかい感触に包まれたと思ったそのときには、母さんに強く抱きし
められていた。
母さんの声は少しだけ震えているみたいだった。
だけど、無理に明るい声を作って、僕に言った。
男母「幼馴染ちゃんにバイバイってしてきなさい?いい子だから、ね?」
男「ひっく、ひっく……」
ついに僕は抵抗をやめた。
もうどうすることもできないっていうことは、幼い僕の頭でもなんとなんわかっていたんだと思う。
それに、わがままを言って母さんを困らせるのはいやだった。
母さんも悲しいんだってことは、僕にもわかっていたから。
僕が泣きやむまで母さんは、背中をポンポンと優しく叩いてくれた。
靴をはいて外に出ると、夕焼けが町全体をオレンジ色に染めていた。
どんよりとした気持ちを引きずって、僕は幼馴染ちゃんの家に向かった。
おそるおそると、震える指でベルを鳴らすと元気な声が聞こえてきた。
幼馴染「はーい!」
男「おさななじみちゃん、ぼく……」
幼馴染「おとこ?まって!すぐいくから!」
ドタドタと勢いよく床を走り回る音が、ドア越しに聞こえてきた。
それから間をおかずに、幼馴染ちゃんが飛び出してきた。
幼馴染ちゃんの顔を見ると、ふと涙があふれてきた。
幼馴染ちゃんは手に持っていたボールを離して、驚いた声をあげた。
幼馴染「どうしたの!あんた、ないてるじゃないっ!こんどはだれにやられたの!わたし、やりかえしてきてやるから!」
男「ちがうんだよ、おさななじみちゃん!ちがうんだよ!」
幼馴染ちゃんは、僕がだれかにからかわれたと勘違いしたんだろう。
もしそうだったら、どれだけよかっただろう。
もしそうだったら、どれだけ僕は喜んだことだろう。
男「ぼくね……ひっこし、することになったんだよ」
幼馴染「…………」
男「とおく、とおくにいっちゃうこと。みんなとはなればなれになっちゃうことだって、おかあさんがいってた」
幼馴染「…………」
男「ぼく、いやだよ!みんなと!おさななじみちゃんと!はなればなれになっちゃうなんて!ぼく、いやだよ!」
幼馴染「おとこ……」
そのときの幼馴染ちゃんがどんな顔をしていたのか。
僕はうつむいていたからわからなかったけど、なにかを考えこんでいるみたいだった。
幼馴染「ゆるせない……!」
男「え?」
幼馴染「おとこっ!」
しばらくすると、急に腕を強くグイッと引っ張られた。
そして、そのままずるずる引きずられる。
幼馴染ちゃんは、聞いただけで人を安心させるような、力強く頼りがいのある声で僕に言った。
幼馴染「しっかりしなさい、おとこ!だいじょーぶ!あんたはわたしがまもってあげるんだから!」
男「おさななじみ、ちゃん……?」
幼馴染「にげるわよ、おとこ!ふたりでとおくに!あんたをほっておくなんて、わたしできない!」
男「へええっ!?」
僕は、びっくりしてその場に飛びあがりそうになった。
幼馴染ちゃんは、そんな僕をまったく気にした様子はなかった。
男「お、おかあさんしんぱいするよ!おさななじみちゃんのおかあさんだって!」
幼馴染ちゃんは急に立ち止まった。
それから、僕のほっぺを横にグイッと引っ張った。
幼馴染ちゃんは力が強かったから、ものすごく痛かった。
男「いひゃい……」
幼馴染「あんたねえ、わたしとはなればなれになってもいいの!?」
男「それは……」
幼馴染「わたしはイヤよ!おとこはわたしのだいじなおとうとなんだから!」
男「おとうと……」
喜んでいいのか悲しんでいいのか、わからなかった。
だけど、幼馴染ちゃんにそう言われると、僕はなんだか勇気がでてきた。
うつむいていた顔をあげて、僕は幼馴染ちゃんを見つめて言った。
男「おさななじみちゃんありがとう。ぼく、なんだか、ゆうきがでてきたよ」
幼馴染「おとこ……」
男「ぼくも、いやだ。おさななじみちゃんと、ずっといっしょにいたい。いつまでもいっしょにいたいよ」
たしかに僕は母さんを悲しませたくなかった。
だけど、幼馴染ちゃんの悲しむ顔を見るのはもっといやだった。
幼馴染「…………」
幼馴染ちゃんは、何も言わずに僕の腕を引いて歩き始めた。
僕よりずっと前の方にいるから、顔はよく見えなかった。
それからはしばらく、二人でアスファルトの上を歩いた。
その途中で気になったことがあったので、僕は尋ねてみることにした。
男「ねえー」
幼馴染「なーに?」
男「ぼくたち、どこにいってるの?」
幼馴染「えきよ。えき。でんしゃにのるの」
男「ぼく、おかねもってないよ……」
幼馴染「だいじょーぶ。わたしのおさいふ、せんえんはいってるの。だから、ふたりでどこまでもいけるわよ」
男「すごーい!おさななじみちゃん、おかねもちだねえ!」
僕がそう言うと、幼馴染ちゃんは得意げに鼻を鳴らした。
幼馴染「すごいでしょ!ずっとためておいたおとしだまなの!」
男「あ……」
それを聞いて、舞いあがった僕の気持ちは一気に冷めてしまった。
男「おさななじみちゃん、ごめん……」
幼馴染「なんでおとこがあやまるのよ?」
男「だって……」
僕が顔を下に向けたそのとき、幼馴染ちゃんはいきなり僕の肩をつかんで前後に大きく揺さぶった。
不思議だと思うけど、それで僕の中の沈んだ気持ちはどこかに消えてしまった。
幼馴染「あんたは、なにもしんぱいしなくていいの!ぜんぶわたしにまかせておけばいいんだから!それに――」
男「それに……?」
幼馴染「おとしだまなんて、らいねんももらえるじゃない。それがどうしたのよ」
男「…………」
幼馴染「でも、おとこはちがうでしょ?らいねんになったらもどってくるの?」
男「そんなの、ぼくにはわかんないよ……」
幼馴染「でしょ?じゃあ、わたしにとってどっちがたいせつかわかるわね?」
男「おさななじみちゃん、ありがとう……」
このとき、僕の胸の内には再び強い気持ちがわきあがってきた。
幼馴染ちゃんとずっと一緒にいたい。
そして、そのためにはどんな犠牲もいとわない。
そんな強い気持ちだった。
僕たちはこのままなんの問題もなく逃げ切れると信じきっていた。
だけど、その時の僕たちは子どもだった。
まだほんの小学校の低学年だった。
すでにわかっているように、千円で行ける範囲なんてたかが知れている。
それに、僕たちが考えていたほど大人たちも馬鹿じゃなかった。
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