美海「憑き物落としをして下さい」京極堂「――話を聞こう」 (229)

宝船の凪

宝船

ながき世の
とをのねぶりの
みなめざめ
波のり船のおとのよきかな
―――――画図百器徒然袋 上巻、及び下巻
鳥山石燕/天明四年

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1395818605

1


びゅうびゅう――
びゅうびゅう――
音がする。海の音―――いや風、海風だ、海風の音だ。

びゅうびゅう――
びゅうびゅう――
船が進む。浮き上がる(――沈む)

びゅうびゅう――
びゅうびゅう――
あぁ――目が醒める。醒めてしまう。
夢から醒める―――時が進む(――戻る)

そこで私は微睡みの中から浮かび(――沈み)
太陽の光の元へ晒されたのだった。


びゅうびゅう――
びゅうびゅう――
車窓から見る海は白銀の絵の具に覆われ、乱反射した光が時刻を狂わせていた。
海の向こうに見えるのは朝日か、夕日か――幾ら見てもそれが朝の景色なのか、夕暮れの景色なのか判らない。
時が止まっているように見えた。
あぁコキュートス、氷漬け地獄だ。――氷漬けにされた海の底には裏切り者の罪人が――
罪人が氷漬けになっている。
動く物は電車に乗った自分だけ。時が止まった世界で進むのは自分だけ。
異界だ。自分はまた異界へ足を踏み入れるのだ。
罪人はコキュートスで氷漬けになる――私も彼処で――もしかしたら――
恐らく――

自らの意志とは関係なく――電車は異界へ。
関口巽は微睡みの中の不完全な覚醒の中、件の鴛大師市に足を踏み入れた。

「遠い所を良くおいで下さいました。」
丸い眼鏡を掛けた小柄な女性はそう云うとペコリと会釈をした。
「すみません。朝早くに」
隣の敦子が云った。
あぁ――あの太陽は朝日だったのか。なら今は朝か――だからこんなに寒いのか。

今回この港町に来たのは、彼女の勤める稀譚舎がこの港町の地域観光課からの持ち込み依頼を受け、本を出版することになったためだ。
出版する本は、科学の面から見た海村と、海神様とおじょしさまの話を題材にした小説。そして海から上がったという謎の古文書を一冊に纏めたものになる予定だと敦子は云っていた。
何故、私のような風采の上がらぬ三流文士に、執筆の依頼が流れてきたのかは未だに判らない。

「そうかしこまらないで下さい、本の出版をお願いしたのはこちらですから」
眼鏡の女がそう云った。
近くで見ても年齢の分からぬ奇妙な女だった。顔のパーツも曖昧で特徴がない。
名前を聞き逃したところでやっと頭に幾筋かの白髪の縞を発見し、この女性は自分よりかなり年上だと判断することが出来た。
「あの―――関口先生?」
敦子と眼鏡の女が同時に云った。
そこで漸く目の前の眼鏡の女が手を差し伸べていることに気付いた。
――気付かなかった。

女は地域観光課のモブと云った。藻武と書くらしい。

――鴛大師市には至る所に灰白い物が降り積もっていた。
敦子から聞いていた『ぬくみ雪』と云うものらしい。話を聞いた時は、波の花を想像していたが実物は雪そのものに見える。
だが本物の雪ではない。デトリタス――生物の死骸や糞尿が砕け、分解された粒子。
目の前に積もる美しい雪は全て死骸と糞尿の山なのだ。
この街はやはり――コキュートスなのだと、覚醒した頭でも結局そんな感想しか抱けなかった。

――見たままの言葉しか出てこない。やはり自分は引き出しが少ないのだ。その上偏っていて浅いから上手い例えが出てこない。
――京極堂ならこの異界を何と云うだろう。
――彼なら、微かに笑って、
『この世には不思議なことなど何もないのだよ。降り積もっているのは有機物の粒子で、氷漬けは唯の局所的異常気象だ』
――とでも云うだろうか。

2


まなかさんが戻ってきた。海から引き上げてしまった。
もう凪のままでは居られない。嫌でも進んでしまう。

光は喜んでいなかった。嬉しそうじゃなかった。
怖がっていた。

――何を?

――汐鹿生で見た事を?

『頼む。汐鹿生の事は、今日見た事は黙っていてくれ』

――汐鹿生の事。今日見た事。

『話すとあかりもまなかも悲しむ。迷惑だって掛かる。こんな事が地上に知れたらきっと今迄通りには居られない。――頼む知られたくないんだ』

――光は何か隠してる。隠すことでそれを隠してる。

『まなかが起きてから俺が話す。だから頼む。今日見たことは三人だけの秘密にしてくれ』

――秘密。

――光がしてして欲しくない事はしたくない。

――このまま時が、時が止まってしまったら。

――まなかさんが覚醒めなければ。

――汐鹿生にまなかさんはもう居ない。発信機も壊した。汐鹿生にはもう行けない。

「私が話さなければ――黙っていれば」

――でも、光はそれで喜ぶの?嬉しくなるの?

彼女を見る光の姿が何だか不意に醜い物に見えて、私は病室を後にした。
病室の外では三橋先生と、着物姿の見たことのない男の人が話しをしていた。
――前に読んだ小説の作者に似ている。
――名前は出てこなかった。

着物の男が会釈をしてきたので、私も不器用に会釈をした。
三橋先生は着物の男を、古本屋で、神主で、憑き物落としだと紹介した。着物の男は不機嫌そうにしていた。
どうして鴛大師市にと私が聞くと、着物の男は『彼から調べ物を頼まれたんだ』――と云った。

――妙に居心地が悪かった。

――まなかさんと光がいる病室の前にいるからか。

――着物の男が怖いのか。

――それとも、嘘を付いているからか。

結局、私は――母から売店で、何か買ってきてと頼まれた――と嘘を付いてその場を後にした。

後方から『あぁ――彼女が』と云う声が聞こえた。

3


時計を見ると十九時を回っていた。この街にきて半日経つが、その大半を寝て過ごしてしまった。
三時頃に下で、海から人が上がったと云う声が聞こえてき一度だけ目を醒ましたが、
土左衛門でも上がったのかなと思いながら、直ぐに二度寝を決め込んだように思う。
あれは現実だったのか夢だったのか。――覚醒していても半分寝ているような自分にはそれを判断することは出来なかった。
隣室の敦子は宿に着くなり取材に行くと言い残し、未だに帰ってこない。
否、部屋が違うから例え帰ってきていたとしても、気が付いていないだけかもしれない。
そもそも私は寝ていたのだから。気付きようがない。

コンコンコンと、三回ドアが叩かれる音がした。やけに刺のある叩き方だ。
敦子だろうか――彼女には少し寝てから取材に行くと云ってあった筈だ。どう言い訳しよう。
そんなことを半覚醒状態の頭で思いながらドア開けると――。


芥川龍之介の幽霊が立っていた。
何時もの仏頂面で。


「なっ――なっ――」
――何故京極堂がここに、ここに居るんだ!私はまだ夢を見ているのか?
――これは夢?夢か?
――私はまだ覚醒していないのか?


――夢――否、夢じゃない。


――夢で京極堂など見る筈がない。
――夢で見ようものなら一発で起きてしまう。

――つまりこれは現実だ。
――眼前には京極堂が居るのだ、背後に敦子の姿も見える。
――私は一発で目が冷めた。

何故君がここに、と口に出すまでには数秒の時間がかかった。
「それは僕の台詞だよ。――敦子から本の出版の話は聞いていたけど、依頼した小説家が依りにも依って君だったとは」
敦子を指さしながら京極堂が云う。
「おい、僕の質問に答えろよ、何で君はここにいるんだ」
「はぁ――まったく。ずっと寝てたくせに威勢だけはいいな」
そう云うと、京極堂は懐から古い和綴じの本を取り出した。
「――これの調査を頼まれたからだ。君も敦子から聞いただろう?」
「何だそれは」
「例の古文書です」
敦子が云った。
「古文書?――海から上がった古文書か!」
「そう、その古文書さ。――知人の三橋君から調査を依頼されてね」
三橋君こと三橋悟は異常気象の研究者らしい。

海から上がった古文書は彼の専門外で、大学でも調査できる人が居らず、
こっちに調査依頼が回ってきたのだよ――と京極堂は簡潔にそう述べた。
「これは海から上がったものだから、取り敢えず海村の老人に話を聞こうとしたんだ。しかし皆冬眠していて話が出来ない。
でも三橋君の研究室にいる青年の祖父が、冬眠せずに地上に居るというのが分かってね。入院している病院へ話を聞きに行ったんだ」
そこで敦子と会ったんだと京極堂は云った。
「敦っちゃんは何で病院なんかに?」
「何でって、三時頃に海から人が上がったからですよ。ご存じないんですか」
「あぁ――下で、云っていたね。――土左衛門でも上がったのかい」
違いますと敦子は云った。
「――五年前に海中で行方不明になった女の子が発見されたんですよ。海中で冬眠していたようです。
年も取らずに当時のままの姿で」
「――例の、冬眠というやつかい?海村に住む人が出来るという。――熊じゃあるまいし、況してや海中で。俄には信じがたいな」
「否、本当のことだよ関口君。彼らには胞衣がある。胞衣を持つ人は危機的状況に陥ると長い眠りにつく。――それが冬眠だ」
胞衣――海村に住む人々が持つ特殊な身体機能――らしい。
これも敦子から聞かされた。
「胞衣とは本来後産で体外に排出される羊膜や胎盤のことだが、彼らには皮膚を覆う器官のことだ。僕らの肺、魚の鰓と変わらない。そして冬眠を行うために必要な器官でもある」
「胞衣の話は僕も敦っちゃんから聞いたよ。確か地上に上がるときに胞衣を失ったけど、地上の娘が海神様と子を作ることでまた胞衣が出来たんだろう?海神様とおじょしさまの伝説とか云う」
「まぁ大筋はそうだが大雑把だなぁ。本当にこの港町を題材に小説が書けるのかい?」

書ける――と断言出来ずに、
うぅんと云う声を出すと――

仕方がないね。一から聞かせてあげるよ
海神様とおじょしさまの伝説を、と彼は云った。

「この鴛大師と海中の汐鹿生に残る海神様とおじょしさまの話はこうだ――。
人は初め皆海に住んでいた。だが地上に憧れた人間は海神様がくれた海で暮らせる特別な羽衣――胞衣のことだね。
その羽衣を脱ぎ捨てて地上へと上がった。だが、地上へ上がった人間には数々の災いが待ち受けていた。
災いを海神様の怒りだと考えた人間たちは少女を生け贄に、つまり海神様の嫁にした
――生け贄の少女はおじょしさまと言う人形に変わりったが、現在まで祭りとしてこの地方に残っている」
「おふねひきね」
その通り。と京極堂は云い更に続けた。
「海神様に嫁いだ女は子を成し、子孫は栄えていった。だが女は次第に鬱ぎ込むようになった。
女は地上に思いを寄せる愛しい人を残していたからだ」
「――胞衣を失った女が海中で生活して子を作れるのか?」
「その質問には後で答えよう。まずは伝承の続きだ――女はその男が気がかりで、
何時まで経っても地上を忘れることが出来なかった。海神様は手を尽くして女を喜ばせようとしたが、
結局女は地上を忘れることは出来なかった。万策尽きた海神さまは女を地上へ返す事にしたんだ。
女からあるものを奪って」
――何を奪ったというのだ。海神様は。
「海神様は――女を地上へ返すとき感情を、人を愛する心を奪った」
京極堂は静かにそう云った。あの寺で愛を失い時を止めた振袖の少女が思考の端に顕れた。
――愛を失い地上に帰った生け贄の娘。
――その娘は時も止めて。
「だが男は既に死んでいた。女を待つものは誰も居なかった。
女が地上へ帰り、それから数百年後に海神様は亡くなった。そして海神様は海になった。
――というのがこの地に伝わる海神様とおじょしさまの物語だ」
後半の部分は敦子も詳しくは知らなかったらしく、取り出した手帳にサラサラと内容をメモしていた。
「そして、この海神様とおじょしさまの物語は、実際にこの鴛大師市と海中の汐鹿生であった事だ」
「実際にあった?まぁ伝説や神話は実際にあったことが変化したり、脚色されたものだとは思うが――何か根拠があるのか?」
「あぁ――この古文書さ。まだ前半だけしか解読できていないが、海神様とおじょしさまの成り立ちが書かれている」

「この地の海神様・おじょしさま信仰はね――恐らく恵比寿信仰が元となっている」
「恵比寿?恵比寿が海神様なのか?」
「いや恵比寿信仰は海からやって来る漂着物に対する信仰が元だ。
海その物を神格化した訳ではない――最も古い記録では恵比寿はこのような字を書く」
そう云うと京極堂は懐から紙と筆を取り出し、『夷』と言う字を書いた。
「この字は東方の異民族を意味する。つまり海より流れてくる異邦のものだ。
そしてそれらを神として祀る風習が寄神、漂着神信仰だね。鯨や石、変わった所だと土左衛門、
つまり水死体を祀る所もある」
「土左衛門を祀るのか?」
「漁村ではあったらしいよ。豊漁祈願のために。――そして鎌倉時代頃に土着信仰の恵比寿は、
記紀神話の『蛭児』と同一視され始めた」
紙に『蛭児』と書く。
「蛭児は不具の子として産まれ海へ流された神だ。えびす神総本山の西宮神社では蛭子を祀っているが、
その社伝では蛭児は西宮に漂着し、夷三郎殿と称され海を司る神として祀られたと言われている。
つまり流された神と漂着物の神格化が習合されたんだ」

「おふねひきは地上に上がり胞衣を失った人々が海神の嫁になる娘を海へ流すことよね」
「そうだ」
「じゃあ兄さんは、海へ流された蛭児と、生け贄の娘を流すおふねひきが同一視されたと考えているの?」
「少なくとも現在のような人形を流す祭りになる前、実際に人を流していた時期はそうだっただろう。
ここでさっきの関口君の問いの答えだ。――古文書によると初代おじょしさまはね、胞衣を持って産まれたようなんだ」
「胞衣を――持っていたのか」
確かにそれなら海中で生活し子を生せる。

「実際、十四の海村近辺では胞衣を持たない人から胞衣を持つ子が産まれるという事があるらしい。
目に見えて現れないだけで、胞衣の遺伝子は残っていると言うことだね」
――胞衣は劣性遺伝と云うことか。
「胞衣を持って生まれた者は海から離れては暮らせない。地上へ進出していった人々にとって云わば不具の子『蛭児』だ。
そうした人を海神様の嫁に。――海に流した」
――蛭子のように。それがおふねひきの起源か。
「だが流され漂着した汐鹿生では不具の子『蛭児』ではない。海から見れば地上こそが遠い異界だ。
そこから流れ着いたおじょしさまは『夷』なんだ」
紙に書かれた『夷』の字を指さしながら。京極堂は静かにそう云った。
「つまり海から見ればおじょしさまは恵比寿なのね」
「そう異界より流れ着く神だ。そして――初代おじょしさまはもう一度流れ着く」
「もう一度?」
敦子が聞き返した。

「そう、もう一度だ。――愛を奪われた『初代おじょしさま』は地上に返され再度漂着する。おじょしさまは地上でも恵比寿となるわけだ。
――この地で海神様だけでなくおじょしさまも信仰されているのは、地上と海中の両方で生け贄の娘を恵比寿としたからだろうね」

ここで一旦休憩。

続きは数日後に。

ちょっと>>1くん
もしか他の場所で京極堂SS書いたりしなかった
あと何か作ったSSでもし言えるものあったら教えてくれない

>>14
栄螺鬼の人のは参考にしてますけど初SSですよ。
鉄鼠の檻が読んでたら乱丁だったので、その怒りの発散に書います。


投稿再開します。

「ちょっと待って兄さん。――この海神様とおじょしさまの話は実際にあった事って云ったけど、
実際に海の中には海神様と云う人物が居たの?」
「居たんだろう」
京極堂は当然だという顔で答えた。
「でもそれだと海神様は、初代おじょしさまが地上へ帰った後、数百年は生きている事になるわ。
実際にあった事だとすると可怪しいでしょう?」
「――確かにそんな長生きな人間がいればそれこそ神だ。――どういうことなんだ京極堂?」

「そんなの考えれば分かるだろう。――海神様は一人の人物のことじゃないってことさ」
「一人じゃ――ない?複数居たのか」
「あぁ――。この古文書によれば、海神様とは初代おじょしさまから人形へ切り替わるまでの間、
汐鹿生を統治していた者達の総称だ」
「海神様と呼ばれていた統治者が複数居たということ?」
「そうだ。――そして神として崇められていたのだろうね。――そもそも初代おじょしさまは、
海神様の怒りを沈めるために、生け贄にされている。既に起こっている災いを鎮めるための『生け贄』だ。
木原老人から聞いたが、この地で災い、つまり異常気象が起こるのは海神様の信仰が薄れるからなのだそうだ」
「海神様は実際に災いを起こせたのか?――異常気象を」
「馬鹿だなぁ。只の人間にそんなの起こせる訳無いだろう。――そんなの災いが起こって、
それを海神様が起こしたものだと考えただけだ。」

「彼等は地上へ進出し胞衣と、神と崇めた統治者への信仰心を失った。そうしたら災いが起きた。
災いを鎮めるには信仰心が必要だ。海への信仰心は即ち胞衣だ。だから胞衣を持つ娘を生け贄にした。
地上で暮らせない出来損ないの胞衣持ちも、海を基準に考えれば信仰心の強い娘ということに為る。胞衣が有るのだからね。
そして初代おじょしさまが流された後――災いは実際に終息した。
当然地上では海の中の統治者が神の力を持っていると確信しただろう。地上での信仰心の復活だ。
だから二代目おじょしさまからは、生け贄ではなく統治者へ信仰心を示すための年貢と為った」
年貢――信仰心を示すため、胞衣持ちの娘を今度は嫁として流した。

――初代が流され災いは去った。だがその後も毎年おじょしさまは流された。
――それは信仰心を示すためだったのか。海神様が怒り、再度災いを齎さないための。

「そして生身のおじょしさまから人形へ切り替わる時、海村を統治し海神様と呼ばれていた何人もの統治者は、
全て纏めて一つの神格『海神様』となったんだ。それにより過去が遡って形成され海神様は数百年以上生きたことになった。」
「ちょっと待て――切り替わると云ったが、今のおふねひきは、最初のおふねひきとは別なのか?」
「あぁ、別だよ。――海神様は初代おじょしさまが地上に帰った後、数百年後に死亡したとされている。
つまり初代おじょしさまが帰って数百年後に統治者が居なくなったんだ。統治者が不在となれば当然年貢は無くなる」
――おふねひきが無くなる。

「だが――そこからどれ位経ってかは判らないが、また災いが起こったんだろう。
――新たにおふねひきを始める必要が生まれた」
「当時の人達は再度訪れた災いを、信仰心が消えたから、
つまり年貢であるおふねひきを行わなくなったからだと考えたわけね」
「そうだ。――だが災いを鎮めてくれる神はもう居ない。統治者、つまり神は滅んでしまったから。
だから彼等は災いを鎮める新たな神を見つける必要があった」
「新たな神?」
「それは何なの」
「海そのものさ。死後に海神様は海中に溶けたとある。海を神格化したんだ。
海村の統治者『海神様』は本当の意味で海の神『大綿津見神』に為ったわけだ。
――そして新しいおふねひきでは、嫁入りの生け贄ではなく、人形を流し始めた」
「何故人形を――嫁ぐ必要がないからか?統治者への嫁入りではないから、生きた人間で無くても良いということか?」
「それもあると思うが――人形を流し始めたのは形代流しが元だろうね」
「形代――流し?」
「たしか、災いを『人形<ひとがた>』に移して川や海へ流すことでしょう?宝船とか。
――あぁ、つまり災いを鎮めるための『人形<ひとがた>』の代わりに、
この地では『人形<にんぎょう>』に災いを移して流し始めたのね」
敦子がそう云った。災いを流す――それが現在のおふねひきか

京極堂は何処からともなく和綴じの本を取り出した。
鳥山石燕の百器徒然袋の上巻だ。
頁を捲り、宝船を指し示す。
宝船の上では七福神が眠りこけていた。
「敦子が云った宝船だが、これも災い、と云うより悪夢を食べてもらうためのものだ」
「食べてもらう?」
「――この絵の宝船には描かれていないが、宝船の帆には『獏』と書かれることが多かった」
「獏?夢を食べるあの獏か?」
「その獏だ。――宝船の起源は悪夢を乗せて流すというと夢祓えの船や、
貧乏神を送る中国の『送窮鬼』と云う習わしから来ているとされている。
悪夢や貧乏を流す、すなわち獏に食わせる。――これらの習わしが七福神と合わさった」
――獏と貧乏神の船に七福神が乗船したのか。
「七福神と厄祓いの船が合わさったのは、悪夢や貧乏を流すだけでなく、
福の神を乗せて帰ってくることを祈ったのかもしれない。
――実際、宝船に乗った七福神は庶民の間で流行したようだしね」

「元日に悪夢を食べた『獏』は船に乗り水に流される。災いを流す形代流しだ。
――所で関口君、宝船には誰が乗っている?」
京極堂は唐突にそう訊いた。
「それは――七福神だろう」
――大黒天に。
――布袋に。
――恵比寿――恵比寿?
「そうか!恵比寿――この地のおじょしさまは恵比寿でもある。そして同時に災いを食わせる獏でもあるんだな!
悪夢、つまり災いを移して流す」
「そう――現在のおふねひきは、おじょしさまの『恵比寿信仰』と、
災いを水、つまり『海』へ流す形代流しの『宝船』が合わさり生まれたんだ」

ここまで。
書き溜めがもうないので、続きは4、5日後に

>>23訂正
☓「元日に悪夢を食べた『獏』は船に乗り水に流される。災いを流す形代流しだ。
○「元日の夜に悪夢を食べた『獏』は、船に乗り水に流される。災いを流す形代流しだ。

上の文章だと12月31日から元日にかけての夢になっちゃいます。
初夢は元日の夜から二日にかけての夢ですので下が正しいです。

すこしだけ投稿

以上がこの地の海神様とおじょしさま、そしておふねひきの話だ――と京極堂は結んだ。
――確かに、伝承は理解できたし、どのような経緯で生まれ、変化したかも判った。
――だが些細な疑問が笹暮のように頭に残っている。

「判った、よく判ったよ京極堂。――それにしても何故、石燕は画図百器徒然袋に宝船を載せたんだ?
宝船は妖怪じゃないだろう」
「あぁ――それはね、この中に描かれた妖怪は全て、七福神が海上で見た夢だからさ」
「七福神の夢?」

京極堂は画図百器徒然袋の下巻を取り出し、ある絵を指し示した。
それは待たしても『宝船』であった。
七福神は砂浜と思われる所で宴をしている。

「画図百器徒然袋に載っている妖怪たちは全て、海上の七福神が見た夢という形をとっている。
一番初めには眠る七福神を、最後には浜辺に流れ付き夢から醒めた七福神を描いている。
石燕は悪夢を流す宝船の上では七福神が引き受けた悪夢を、
――つまり妖怪の夢を見ているのではないか――と考えたのだろうね」

「なるほど――じゃあ、書かれている詩は何なんだ?」
「君はそんなことも知らないのか」
――知らないのだから仕方がない。

「これは『ながき世の とをのねぶりの みなめざめ 波のり船の おとのよきかな』
と書かれている。
解釈は幾つかあるが、
『進みゆく船は心地良い波音を立てるので、過ぎ去る時すら忘れてしまい、
ふと、朝はいつ訪れるのだろうと思う程の夜の長さを感じた』とか
『順調に進む船が海を進む波の音は、夜が永遠に続いてしまうのではと思うほどに心地良いので、
思わず眠りも覚めてしまう』と云う意味だね。
元日の夜に、この詩が書かれた宝船の絵を枕の下に置き、三度読んで寝ると吉夢を見られると云う。
悪夢を見た場合は、先ほど云ったように水に流す」

「――兄さん、私も一つ質問が在るわ」
静かにメモを執っていた敦子が訊いた。
「なんだい?」
「その古文書の表題のことよ。――兄さんはそれを古文書、古文書と云っているけどらしくないわ。
古い本を全て古本と云っているようなものだもの」
――云われて初めて気付いた。確かにらしくない。京極堂なら表題を云うはずだ。
「京極堂、その古文書の表題は何なんだ?」

「表題か――表題は書かれていないのだよ」
「書かれてない?」
「あぁ、――表紙にはこの絵が描かれているだけだ」
――絵?
そう云われ、彼が手にしている古文書に目を遣る。
掠れて殆ど消えているが、――墨で書かれた輪の中に、子宮らしきものが描かれている。
子宮の中央には朱墨で点が押されてるのが判った。
子宮の中の点――胎児――否、胚か?


「――表紙にはこの子宮の絵だけで、名前が判るようなものは書かれていない。
だから現時点では『古文書』と読ぶしかないんだよ」

幕間1


「喜べ読者諸君。そうだ僕だ!第六天魔王『榎木津礼二郎』の登場だ!!」

「榎――さん?――何故ここに榎さんが居るんだ!あなたは汐鹿生に来ていないだろう!」
「そんなの僕が知る筈無いじゃないか。僕はここに居るから僕なのだ!僕が居る理由は京極に聞け!」

「全く意味が判らない――おい京極堂、説明してくれ」
「説明だって?――そんなの、ここが幕間だからに決まってるじゃないか」
「まっ、幕間?――どういう事だ」
「幕間というのは幕と幕の間、このSSの場合は章と章の間のことだよ」
「そんなことは知っている!何故その幕間に榎さんが居るのかを聞いているんだ!」
「五月蝿いな――そんなの作者が登場させたかったから登場しただけだよ」
「なっ――何だそれは」
「作者はSSを、と云うより物語そのものを書くのが初めてで、
『榎木津礼二郎』と云う人物を本編に上手く登場させる方法を思いつかなかったのだよ。
そもそも榎さんは探偵だ。探偵は依頼がなければ現れない。
だが汐鹿生から来るような依頼を作者は思いつかなかったんだ。
木場の旦那に至っては管轄があるから、水死体でも流れ着かない限り登場のさせようがない」

「だから――幕間に登場させたのか」
「そう、基本的に章と章の間は時間経過や何らかの行動が行われる場所だ。
だが章と章の間に何も書かれていない場合、読者はそれを想像するしか無い」
「当たり前だ」
「だから幕間に榎さんを登場させたんだ。ここなら自由に登場させられるからね」

「僕は海のように心の広い神だから望めば顕われるのだ。うろこ様と呼べ」

「だがここだって小説の一部の筈だ。そこに汐鹿生に居ない榎さんを登場させたら物語の整合性が取れない。
前の章で登場していない榎さんが、次の章ではさも当然のように居ることに為るだろう」
「そうならないように――幕間は君の見た夢と云う事に作者はするようだ」
「ゆ、夢?――それは夢落ちにするということか!」
「そうだよ。君は次か、その次の章で『昨日は嫌な夢を見た』とか云えばいいんだ。そうすれば物語の整合性は取れる」
「そんな――そんな三流小説みたいな」

「何だ関君だって三流文士の面汚しだろうが、夢落ちにだって責任を取れ」
「そんなのSSの作者が責任取るべきでしょう!僕は知らない」
「全く、これだから関君は懐が淋しいのだ。そんなでは一生猿だぞ――ピテカントロプスの成り損ないだ!」

「何なん、何なんだこの悪夢は!おい京極堂、これが幕間の夢なら、早く夢から醒めさせろ!」
「五月蝿いな。そんなにこの夢が嫌いなら、起きた時に獏に食わせて水に流せばいいじゃないか」
「今直ぐ流せ!僕はこの夢を見たくない!」

以上です
次はまた数日後に

今更だけど
>>1訂正

☓波のり船のおとのよきかな

○波のり船の
 おとのよきかな

回文の改行忘れてました。

>>31またまた訂正

☓「榎――さん?――何故ここに榎さんが居るんだ!あなたは汐鹿生に来ていないだろう!」
○「榎――さん?――何故ここに榎さんが居るんだ!あなたは鴛大師市に来ていないだろう!」

汐鹿生、海ん中じゃん。

投稿します。

美海ちゃん吹っ切れてしまったか――。

4


昨日見た着物の人が、誰に似ているのか漸く判った。
芥川龍之介だ、芥川龍之介のポートレートによく似ているのだ。
――そうだ、あの小説は。
――以前読んだ小説は――『羅生門』だったのだ。


私は、――その小説が嫌いだった。
その小説を読むまで、善と悪はきっぱりと線引が出来る物だと思っていた。そして普遍的な物だと。
だが――違った。
善と悪はもっと曖昧で、考えれば考えるほど境目がぼやけてくる。
――私は羅生門が嫌いだ。

私は学校の授業で、初めてそれを読んだ。――『羅生門』を
内容は――

――下人が羅生門で雨宿りをしている。

――下人は、餓死するか、若しくは盗人になるより他に無いが、その勇気が無い。

――だが男は羅生門で死体から髪をとり、鬘をつくろうとする老婆を見つける。

――男は怒り、悪を憎む心が燃え上がる。

――だが老婆は云う、自分がしていることは悪だが、ここにある死体達はそれをされても仕方がないと。

――下人はそれを聞くと、ある勇気が生まれて来る。

――下人は老婆から服を剥ぎ、闇に消える。

――下人の行方は、誰も知らない。

授業後の小テストでは――この小説の中で『悪』は何処にあるか、という物が出た。
テストが終わった後、さゆに訊いた。
――何と書いたかと

さゆは――『善悪を決めているのは周囲からの縛りだと思う。だから何も縛りがない時には、
善悪は登場人物の頭の中にしか無い。下人の頭に悪だと云う気持ちはないが、老婆から見れば下人は悪だと云える』
――そう書いたと云っていた。
私は――



『ちょっと出てくる』
廊下から光の声が聞こえた。

光が出てって、何分か――否、十数分か?
時計を見ていなかったので定かではないが、
玄関から声がした。――男の声だ。
――昨日、病院で聞いた声。
――『あぁ――彼女が』

見に行くと、芥川龍之介の幽霊が立っていた。昨日と同じ顔で。
名前は確か――『中禅寺』――三橋先生はそう読んでいたように思う。
「君は――美海ちゃんだったね。潮留あかりさん――お母さんに話を聞きたいんだが御在宅かな?」
「話を――」
――何の
「あぁ、例の海から上がった古文書の件でね」
「古文書の?――すみません。母は今仕事に行っています」
「そうかお仕事に。――否、有り難う、また日を改めて来るよ」
「あっ、あの」
中で待ってはどうですか――と私はなぜか引き止めた。
構わないのかい
――と男は云った。
「――多分直ぐに帰ってくると思うので」

何故私はこの着物の男を引き止めたのだろう。
昨日怖いと思ったのではなかったのか。
それとも、昨日怖かったのはやはり――

「――中善寺さんはどうして三橋先生とお知り合いに?」
私は男に話しかけていた。
「ん?――ああ、彼の悩みを解決したことがあってね。それからの付き合いなんだ」
「――それって昨日三橋先生が云っていた憑き物落とし――ですか?」
「まぁ――そうだよ」
男はとても機嫌が悪そうな顔でそう答えた。
だが、別に怒っている訳では無さそうで、実際声音は来た時と変わらない。
元々このような顔なのだろう。
私は続けて質問した。
「憑き物は、妖怪は居るんですか?本当に――」
「居るよ。だが存在しない」
「?」
存在しないとは――居ないということだ。
居ないものをこの男はどう落とすのだろう。
聞き返そうと思った所で、男は静かに口を開いた――。
「妖怪は自分の基準で測れないもの、理解できないものを判るために生まれたんだ」
「どう云う――事ですか?」
「そうだね、例えば君が山で大声を出して、帰ってきた山彦を聞いたとする。――君はどう思うかな?」
「えっ――あの――声が反響してきたんだと」
「普通はそう思うね。でも君が一切の知識を持たずに山彦を聞いたらどうだろう?」
「それは――」
不思議だと思います――そして恐怖も――と答えた。
「向こうの山から自分の声が聞こえるのだからね」
「はい」
「昔の人は其れを『木霊』と云う樹木に宿る精霊の仕業だと考えた。
『不可思議な現象』に対して『精霊』と云った原因を定めることで、現象に折り合いをつけたんだ」
「――じゃあ妖怪もそうやって、現象に折り合いをつけるために生まれたと」
全てではないが概ねそうだと男は云った。

「じゃあ――科学が発展して、全ての現象に折り合いがついたら、妖怪は居なくなるんですか?」
「居なくは為らないよ。――物差しが細かく、長くなっても、心の大きさや重さを測れないようにね」
「それは――どういう?」
「――確かに科学が発展し、全ての現象の原因が判れば『不可思議な現象』は無くなる。だがそれは外の世界の出来事だ」
「外の世界?」
――私が見ている世界ですか、と私は答えたが男は否定した。
「違うよ、君が脳を通して見る前の世界のことだ――君は世界を脳を通して見ているね」
「えっ?――はっ、はい」
「脳は自然界のありとあらゆる理を無視することが出来る」
「理を無視?」
「そう理、つまり物理法則は脳の中では完全に無視することが出来る。
例えば、草むらで影を見て、脳がそれを人だと処理する。意識は其れを人を見たと思い、心は人を感じる。
だが、例えば脳が其れを人ではない妖怪だと処理すれば、意識は其れを妖怪を見たと思い、
心は妖怪を感じる。実際には人や枯尾花でもね。
逆に心が妖怪、否、幽霊の方が判りやすいか。心が亡くなった人と会いたいと感じれば、脳は幽霊を見せるんだ」
「それは――最後のは――在るんですか?見たいものを見るというのは」
「見ようと思っても見えないよ。意識すればそれは脳に伝わる。脳はそれに対し在り得ないという答えを出してしまう。
だから此れは無意識で無ければいけない。つまり心が、意識を介さず脳に要求する。
脳は要求に応じ、亡くなった人の像〈イメージ〉を心に与える。そして其れを意識が認識する。
だが、それは現実では不可能だ。それは現実亡くなっていて存在しない。
脳はその矛盾の折り合いを、幽霊といった形で着ける。つまり現実に存在しないもの作ってしまうんだ。
そして知覚した人の中では、それが真実となる」

心が見たいものを無意識のうちに望めば、脳は其れを見せる
そして、それは心から見れば真実と変わらない。
じゃあ、光は?――私は?

「質問の答えは此れでいいかな?」
「へっ?」
「いや――妖怪は居るかという質問だったからね。最後は幽霊の話しになってしまったけど」
あぁ――そうだった。私はこの男に妖怪は居るかと訊いたのだ。

「あっ、あの――じゃあ、もう一ついいですか?」
「――何だい?」
「――悪いことを理由をつけて、正当化する場合どうすればいいんですか?」
「それは?」
「あっ――国語の問題なんですけど、中禅寺さんそう言ったことに詳しそうだから――その」
「ふぅん――そうだね、脳は見たくない無い理由を『提示』し『対処策』を出すだろうね。
所謂『合理化』だ。無意識のうちに理由を出し、其れを正当化する。防衛機制の一つだね。
例えば、――取れない位置の果実は酸っぱいだとか、やめた会社は碌な所じゃないと正当化する」

――理由を出して正当化する。
――其れは隠すことも?

じゃあ光は理由を――『まなかさん』に求めたの?
じゃあ私は――

『其れは――』
と口を開く寸前で――。

ジリリリリリン――
ジリリリリリン――
と云う音が鳴った。
――電話だ。
すみません――と云い残し、私は電話を取りに向かった。


『美海ごめ~ん』
母の声だ。
話しを聞くと、残業で今日は遅くなるという。
中禅寺さんが話を聞きに来ていることを告げると、
『あぁ、昨日病院で、近々お伺いするかもって話してたな~』
――と電話越しに聞こえてきた。

待たせていた中善寺に、残業で遅くなることを告げると、
余り長居するのも良くないから、また日を改めてにするよ――と云い腰を上げた。帰ってしまうのだ。
――まだ答えが訊けていない。
――訊かなくてはいけない。
――どうすれば。


――そうだ!

『何方に連絡すれば良いですか』――と私は云った。

「ん?――何がだい」
「いえ――あの、母の都合が良い時を連絡しようかと――思って」
――嘘だ。そんなの今考えた。私は――

「あぁ、態々済まないね――此処に連絡してくれれば良いから」
そう云って、紙に宿と電話番号、自らの部屋番号を書いて渡してくれた。
――あぁ、此れで訊ける。答えを。
――でも、訊いて私はどうするのだろう。
――何が出来るのだろう?

――私は、何が

ここまでです。

凪のあすから終わってしまったけど、
何とか書ききります。
続きは一週間後

>>41訂正

☓「――悪いことを理由をつけて、正当化する場合どうすればいいんですか?」
○「――悪いことを理由をつけて正当化している場合、その人の中ではどうなっているんですか?」

投稿します

5


昨日は嫌な夢を見た。
否、今日見た夢だろうか?
寝てから今朝までずっと悪夢を見ていたのか?
――判らない。



起きて直ぐに悪夢を『獏』に食わせて流そうと思ったが、
それを思いついた時には、何を夢で見たのか忘れてしまっていた。
どんな悪夢を見たのだったか。
内容を忘れても、人は其れを悪い夢だったと認識しているのだから、
脳の中に其れは残っているのだろうか?
其れとも、意識に残っているだけで、脳には何も残っていないのだろうか?
あの悪夢は、確か――

「あぶないですよ」
隣から敦子の声が聞こえた。

へっ――と云う空気の抜けるような無様な声を出して、前のめりによろけてしまった。
何とか体制を整え足元を見ると、地面に僅かな窪みがある。
窪みは夕焼けで赤く染めあげられ、影の部分との強烈なコントラストを生み出していた。
――見えなかった。
――否、頭に入ってこなかっただけか。

――思えば、私は今朝からずっと悪夢について考えている。
――結局昨日と同じ。起きていても、寝ていても、仕事らしい仕事はできない性分なのだ。

今日は敦子を伴って、取材に奔走した。
伴ってというのは正確ではないかもしれない。――結局の所、敦子は私のお目付け役なのだろう。
昨日、早々に仕事もせず眠りについた私に対する監視なのだ。

だが、取材と言っても、昨日京極堂から聞いた話の裏付けや、補足程度と云った物が多く、
其れ以外の目新しい話は聞くことが出来なかった。

京極堂は半日は古文書の解読に使うと言っていたが、
夕方からは『潮留あかり』と云う人物に話を聞きに行くとのことである。
潮留あかりは汐鹿生の鳴波神社の宮司『先島灯』の娘らしく、古文書について何か知っているかもしれないと云っていた。
どうやら、京極堂は古文書が鳴波神社の所蔵していた物ではないかと考えているらしい。

ぼんやりと今日あったことを思い出していると、
『あっ!』
と、また敦子の声が聞こえた。
右から何か黒い影が迫ってくるのが視界の隅に見て取れた。

『へっ』とか『ひゃっ』――と云う情けない声を発しながら、否、音を漏らしながら。
私は『其れ』にぶつかり、尻餅をついて倒れた。

ザッザッザッと云う、足音が後方から聞こえ、追いかけるように
『ちょっと!危ないでしょう!』と云う敦子の声が頭上から響いた。

「大丈夫ですか?」
私は、敦子に支えられ立ち上がる。
大丈夫だと私は云った。
幸い目に見える怪我はしていないが、打った尻が痛い。若しかしたら明日には青痣に為るかもしれない。
「でも、一体何だったんだろう」
「さぁ、暗くてよく見えませんでしたけど、少年――みたいですね」
「そう――なのか」
――衝撃のせいで、何に当たったのかも判らなかった。
――否、衝撃のせいだけではない。この赤と黒のコントラストの中では、何が何処にどの様に在るのかも判らなくなる。

何の気なしに少年が来たと思われる径に目を遣る。

細い径だ。
左右には木々が立ち並んび、斜陽が其れに遮られながら、地面に赤い斑模様を作り出している。
斑模様の中に、足跡が見える。上に続いているようだ。
斑の中の足跡を目で追っていくと――少し先で途切れている。

――大きな黒い影
――何だあれは

影は地面と同様、所々斑の夕日に染め上げられている。

赤い海の中に、赤と黒の斑の影が――強烈なコントラストを描きながら存在していた。

近くには黒い、否、――赤黒い水溜りが在る。
水溜りは影の一部の丸い所から、垂れ出ているように見えた。

――在れは
――血か?

隣から『きゃっ』と云う、敦子の悲鳴が聞こえてくる。

再度、影に目を遣る。――赤黒い海を作り出す影に。

――あの形は

――ひと――か?

――人だ。

――人が血を流して倒れている。

――人が!

「ひっ――!?」
私は盛大に尻餅をついた。敦子はいち早く放心から立ち直ったのか、
『助けを!』――と云いながら、直ぐに走っていった。
私はその場で放心していた。目の前の影を見ながら。

――この影は男――か。その証拠に髭が生えている。

――何処と無く知人の伊佐間一成に似ている。

――頭には血が

――血が

――血

敦子は数分して戻ってきた。
「救急車は呼びました。その人は――」
そこまで云うと、倒れている影に近づいていく。
そして、血が流れる顔を覗き込みながら、
ポツリ――と呟いた。



「――三橋――先生?」

ここまで。

続きはまた少ししてから。

投稿します

時計を見ると三時四十七分を示していた。
意識が途切れてから四時間以上経っている。

「急ぎましょう。――兄貴は四時半に行くと告げているそうなので」

――四時半
――其れまで後四十分――か

敦子に急かされて、私も急いで用意を済ませる。

外はまだ昼と変わらない。
だが此の光景が、数時間後には赤と黒の異界へ変わる事を
私は知っている。

潮留家へ向かう道すがら、私が寝ている間に二人が何をしていたかを訊いてみた。

「兄貴は古文書の事を訊きにサヤマートへ向かってました」
「あぁ矢張りそうか――でも、京極堂は誰に古文書の事を?」
「潮留あかりさんです。――サヤマートに勤めてました。
ちょうど着いたのがお昼の休憩時間で話も直ぐに」
「其れでか――だが一体古文書の何を?」
「儀式を知っているか――そう兄貴は訊いていました」
「儀――式?――何だい其れは」
「判りません。二人の話が終わった後に兄貴に訊いたんですが、
今はまだ話せないとしか」
「そう――か。――其れで、其の後は?」
「波七海病院へ行きました。――てっきり三橋教授のお見舞いかと思ったんですが」
「違ったのかい?」
「お見舞い自体はしたんですが、直ぐにお医者様と何か話しだして
――その後何処かへ電話を」
「其れで、何を京極堂は話していたんだい?」
「知りません」
「へっ?」
「お医者様の時も電話の時も――後で判るからと追い払われました。
問いただす前に関口先生を潮留家へ連れて来いと云われたんです」

――ああ

――じゃあ、結局彼女も寝ていた私と同じで、何も情報は掴んでいないのか。

――其れが判り、私は少しだけ安心した。

潮留家へは予定より十分ほど早く到着した。
入り口には京極堂と、
髪をみずらのように結った少女が立っている。

――変わった瞳の色だ。
――くすんだ水色の、否、緑も入っているのか?
――何だか酷く儚い、其れに悲しい色だ。

少女は礼儀正しく自己紹介をした。

少女――潮留美海に促され、
私達は家へと上がった。

廊下を歩きながら、
自分だけ酷く場違いな気がして不安になる。

――京極堂は憑物落としに此の家へ来たはずだ。


――ならこの先に、相手が――


――だが、


――だが其れなら私を呼ぶ意味は無い。


――京極堂は私を呼んだ。


――憑物落としに


――其れはつまり


――つまり


――私も


――私にも

部屋には二人の人物が居た。
机の右側には日焼けした青年が座っている。
くすんだ紫色の眼が印象的で、見た目には正しく海の男と云った感じだ。

正面からやや左には青い服の少年が座っている。
青い瞳がやけに視界に入るが、
其れはどうも少年が此方を睨んでいるからのようだった。

「初めましてだね。――僕は中禅寺。友人の三橋教授――三橋君に頼まれて、
古文書の調査をしている者だ」
京極堂は此方を睨みつける少年に対して、
何時もの口調で自己紹介をした。

少年は、その自己紹介を訊きやや竦んだようだった。額に汗が浮かぶのが見える。

少年は一言

――貴方が

と云った後、

「先島光です」
と、自らの名を告げた。

少女に促され、京極堂は少年の机を挟んで正面に、
敦子と私は京極堂の左斜め後ろへ座った。正しく傍観者という位置と云える。

私達が座るのを見届けると、少女は机の左側に座った。

少女が座り終えた直後に、
少年が口を開いた。――青い服の少年が
「――紡から聞きました。古文書の事を話すって。でも、一体どうして此処に?
紡はまだしも俺や美海は関係無いでしょう」
「在るんだよ。――君も判っている事だろう?」
「何の――事ですか」――少年の視線が険しくなる。
少年が立ち上がりそうに成った所で、
少女と、――木原青年が其れを制した。

「光――中禅寺さんの話、訊こう」
「美海?――何だよ――なん」
「光――中禅寺さんの話を」
「紡?――一体、一体何なんだよお前ら」
「先島君、此の古文書は汐鹿生の物だ。だから君と――そして君のお姉さんにも関係がある。
僕は其のことを訊こうと思ってね」
「――知りません!そんな古文書なんか」
「僕は話すよこの古文書の事を――三橋君の頼みだからね」
「――っ――」
少年は目を一瞬見開いた後、静かになった。
僅かながら京極堂から視線を逸らしたのが見て取れる。
京極堂は木原青年の方へ顔をやり、
「木原君。急に呼んですまないね」――と云った。

どうやら京極堂が病院で話していた相手は木原青年らしい。
恐らく潮留家へ来るように告げたのだろう。


――ならば彼にも


――彼にも、


――憑物が

「木原君、三橋君は此の古文書の事で何か云っていたかな」
京極堂は青年を見ながら尋ねた。
「何か――ですか――あぁ、古文書の内容によれば調査費が下りるかもしれないと、
そう、教授は云っていました」
「其の話は僕も訊いたよ。君達の調査は大学側から見切りをつけられそうに為っていた。
その話自体は一ヶ月前に大学側から告げられていたんだろう?」
「そう教授からは訊きました」
「だが、一週間前古文書が発見された。
発見された古文書に価値が在れば、調査費が下り調査が続けられるかもしれない、
そう三橋君から云われたんだね」
「――そうです」
「其の事は誰かに話したかい?」
「はっ?」
「調査が終わるかもしれない事、そして調査費の事だよ」
「あぁ、其れは――光や要に」
「調査が終わるかもしれない事を、先島君たちに告げたのはどうしてかな」
「あんた――其れが何の関係があるんだよ」
少年が噛み付いた
「先島君――此れは重要な事なんだ」
「――っ」
「木原君、良いかな?」
京極堂は青年を促す。
青年の隣で少年が京極堂を睨んだ。

「――光たちに其のことを告げたのは、
――只――落胆させたくなかったからです」
先島少年の方を見たがらそう告げた。

「寒冷化の解決策が見つかる前に調査が終わるかもしれない。
其れを申し訳なく思ったのかい?」
「――」
「おい、あんた――」
「光――」
先島少年を少女が止めた。

「其れともその時点では向井戸まなかが発見されてなかったから――かな?」
「――その通りです。光や要は冬眠から目覚めましたけど、
向井戸は見つからなかった。調査も終わりそうで――そんな時、
「古文書が打ち上げられた」
「――そうです。だから二人に古文書の――調査費のことを話しました」
「彼女には」
「彼女?」
「比良平ちさきさんには調査が終わりそうだと云っていたのかな?
彼女も汐鹿生の人だと訊いたけれど」
「――云いました。もう調査が続けられそうにないと」
「何時の事だい?」
「其れは――、一ヶ月前です。教授から訊いて直ぐに」
「古文書による調査費の事は?」
「云っていません。――糠喜びさせたくなかったので」
「――そうか、よく判った」

――可怪しい


――矛盾している。


――彼は少年達には古文書の事を話している。――落胆させないために。


――だが、同じ汐鹿生出身の比良平ちさき為る人物には話さなかった。


――何故だ。


――何故

「――其れじゃあ、此の古文書に書かれている事を話そうか」
京極堂は其の事を問いただすことはせず、
話を切り替え、――目の前の少年を見据えた。

「――いいかな?」
「――」
少年は黙っている。否、我慢しているように見える。

京極堂は、少年から視線を外し、一同を軽く見回した後、
厳かに語り始めた。
「この古文書には海神様・おじょしさま信仰の成り立ちと、――冬眠の方法について詳細に記載されている」

『おじょし――さま』

『信――仰』

『冬眠の――』

部屋の其処此処からそんな単語が聴こえて来た。


「じゃあ、先ず海神様・おじょしさま信仰の成り立ちから説明しようか」


そう云うと京極堂は、
信仰の成り立ちについて語り始めた。
二日前、私に話した時と同じように――




「――以上が此の地の海神様・おじょしさま信仰の成り立ちだ」
信仰の成り立ちを説明し終えた京極堂は一同を見渡しながら、
質問はあるかいと云った。

皆、――何も云わなかった。

「ふむ――じゃあ、次は冬眠の事を話そうか」


その時京極堂は先島少年を見据え、
再度――
「いいかな?」――と尋ねた。


少年は俯いている。京極堂の方を見ようとはしない。


「そうか――なら」


――話そう。京極堂は静かにそう云った。

「此の古文書によると、
目覚めた際に種族の数を減らさない為、
或ことをしてから冬眠に入れと書かれている」








「何だその或る事とは」
――私は訊いた。








「其れはね――













『子作りの儀式』――だよ。
齢十四から上の女性は、性交をした上で冬眠に入れと書かれている」

「なっ――何だ其れは、何でそんな事をして冬眠する!」
「種族の数を減らさない為だ。――冬眠前に性交を行うのは種族維持のためだよ。」
「待て京極堂!――冬眠は十月十日で目醒るのではないだろう。現に彼等は、
先に目覚めた先島君達も五年間は眠っていた!眠っている間に産まれてしまっては、
種族維持どころではない筈だ!」
「そうだね、――だから彼等は冬眠の間中、身籠り続けるんだ」



――身籠り続ける?



――それは、



――あの病院の――妊婦のように?

「そんなの在り得ないだろ!冬眠の間中、何年も子供を宿すだなんて」
「そうよ、兄さんそんなの」
「そんな」
「――在り得ない」
皆が口々に否定的な言葉を話す。無論私自身も。
だが京極堂はそれに動じることもなくただ一言、

『在るのだよ』――と云った。

「――着床遅延と云うんだ」
京極堂は静かに云った。



「何――何だ其れは、ちゃくしょう――ちえん?」
「一部の動物の胚は条件が整うまで着床せず、子宮内で浮翌遊状態を保つんだ。
其れを着床遅延と云う。
熊は冬眠期間の約六ヶ月、穴熊に至っては十ヶ月もの間、胚の状態で子宮内を漂い続ける。
人間でも一周間程度の遅延が起こる事が在るが、この海村の人々はもっと長いのだろうね。
熊のように冬眠から目覚めるまでの間、着床が遅れる。つまり
――身籠り続ける」
「そんな――そんなのが」
――在る、のか。

皆、言葉を失っている。一人を除いては
「本当に在るんですか。そんな事が」
――木原青年が訊いた。
「在る、とは断言できないが、災いの時の対処法と為っているから、
少なくとも昔から、災いがある度に子作りの儀式が行われていた事は事実だろう。
冬眠中に本当に身籠り続けるかは判らないがね」
――木原青年を見ながらも、
――京極堂の言葉は先島光に向かって発せられているような錯覚を覚えた。

「胞衣とは本来、羊膜や胎盤のことだ。しかし、汐鹿生で胞衣は体を覆う器官の事でもある。
何故皮膚に宿る物に羊膜や胎盤の総称を付けたのか――僕には其れが判らなかった
だが、此の古文書に書かれた儀式の事、そして着床遅延の事を知り其れが判った。
胞衣は胎児を守るものだ。だが胞衣、つまり『羊膜』は胚が着床しなければ作られない。
冬眠中は着床遅延する、胚を守る胞衣が無い訳だ。だから子宮の外に求めた。
冬眠中に分厚くなり、外側から胚を守る器官を羊膜、つまり『胞衣』に見立てた」

――だから皮膚に宿る物に胞衣の名が与えられた。

――冬眠中、着床遅延し浮翌遊する胚は、子宮と、それを女性ごと包む外側の胞衣で守られる。

――古文書の絵に描かれた輪が何なのか漸く判った。

――子宮と胚、

――その周りを囲む輪は

――『胞衣』

以上です。
疲れた。

冬眠時に子作りはしないのかな~
と云う疑問と
胞衣って羊膜のことなのに皮膚にある物に
其の名前がつくの変じゃないかと云う疑問があったので
こんな解釈になりました。

129、130
何故か浮翌遊に翌の字が入ってます。
原文は浮翌遊なのに何故翌の字が?
妖怪?

また翌の字が?
何故?

読んだ人試しに漢字で「ふゆう」って書いてレスして~
翌が入るかもしれん。




ここだと魔 力やらなんやらに 翌が入るよ

メール欄に saga (sageじゃなくてね っていれると伏字とか回避出来るはずう

何が伏るかも初心者スレかどっかに書いてあったはずう

魔力 浮遊

>>134
ありがとう

テスト
魔力 浮遊

「――着床遅延と云うんだ」
京極堂は静かに云った。



「何――何だ其れは、ちゃくしょう――ちえん?」
「一部の動物の胚は条件が整うまで着床せず、子宮内で浮遊状態を保つんだ。
其れを着床遅延と云う。
熊は冬眠期間の約六ヶ月、穴熊に至っては十ヶ月もの間、胚の状態で子宮内を漂い続ける。
人間でも一周間程度の遅延が起こる事が在るが、この海村の人々はもっと長いのだろうね。
熊のように冬眠から目覚めるまでの間、着床が遅れる。つまり
――身籠り続ける」
「そんな――そんなのが」
――在る、のか。

皆、言葉を失っている。一人を除いては
「本当に在るんですか。そんな事が」
――木原青年が訊いた。
「在る、とは断言できないが、災いの時の対処法と為っているから、
少なくとも昔から、災いがある度に子作りの儀式が行われていた事は事実だろう。
冬眠中に本当に身籠り続けるかは判らないがね」
――木原青年を見ながらも、
――京極堂の言葉は先島光に向かって発せられているような錯覚を覚えた。

「胞衣とは本来、羊膜や胎盤のことだ。しかし、汐鹿生で胞衣は体を覆う器官の事でもある。
何故皮膚に宿る物に羊膜や胎盤の総称を付けたのか――僕には其れが判らなかった
だが、此の古文書に書かれた儀式の事、そして着床遅延の事を知り其れが判った。
胞衣は胎児を守るものだ。だが胞衣、つまり『羊膜』は胚が着床しなければ作られない。
冬眠中は着床遅延する、胚を守る胞衣が無い訳だ。だから子宮の外に求めた。
冬眠中に分厚くなり、外側から胚を守る器官を羊膜、つまり『胞衣』に見立てた」

――だから皮膚に宿る物に胞衣の名が与えられた。

――冬眠中、着床遅延し浮遊する胚は、子宮と、それを女性ごと包む外側の胞衣で守られる。

――古文書の絵に描かれた輪が何なのか漸く判った。

――子宮と胚、

――その周りを囲む輪は

――『胞衣』

修正完了。

続きは3~4日後かな。

SSの結末を
映画のミストみたいにするか、
容疑者Xの献身みたいにするか、
アイデンティティーみたいにするか、
それとも普通にハッピーエンドか・・・悩むな

ちょっと投稿

「この古文書は君の、――鳴波神社の物じゃないのかい」
京極堂は唐突に、少年に――先島光に尋ねた。
「君は、冬眠の事を――そして冬眠の前に行われる儀式の事を知っていたんだろう」
「なっ何ですか。――しっ、知らない、そんなの。見たことも無い。
根拠は――根拠は何なんですか!」
少年は京極堂の問いに酷く狼狽した様子を見せた。
冬眠の――子作りの儀式の事が語られている際は、
じっと感情を出さぬように努めていた様子だったが、今の少年にその様子は見られない。
怒りと混乱と、そして恐怖がない混ぜになった奇妙な顔で京極堂を睨んでいる。そう見て取れた。

京極堂は少年に向かって一言
「サヤマートだ」――と告げた。

京極堂の言葉を訊き少年は『ぐっ』とも『うっ』とも云える奇妙な音を発した。
少年の威嚇する目は一瞬のうちに、十四歳の少年の目に変じた。怒りと混乱の感情は消え、
その目には恐怖の色しか窺えない。
サヤマート、京極堂が尋ねた所。古文書の事を――否、儀式の事を。
「確認しに行ったよ。――潮留あかりさん、君のお姉さんに」
「あか――り?」
「病院で一番初めに在った時、君のお姉さんは古文書の事は知らないと言っていた。
その時の様子は本当に知らないみたいだったし、僕も本当だろうと思った。
だが、古文書を読み進めていく内――儀式の話が出てきた。
其の事は当然訊いていなかったからね。知っているかと気になっていたんだよ。
昼にサヤマートへ訊きに行ったら案の定、儀式の存在を知っていると云っていた」
「其れは、お母さんが嘘を?」――少女が訊いた
「否、儀式の存在だけ知っていて、内容や其れが書かれた古文書は知らなかった」
少女の方に顔を向け京極堂が答えた。
「どういうことですか?」
「儀式の内容が長男から長男へ伝えられるものだからさ。
あかりさん――君のお母さんはそう云っていた。
内容について知っているのは父と――先島君、君だけだと」
そう云いながら京極堂は視線を少年へ戻す。
「認めるかい?此の古文書が鳴波神社のものだと」
京極堂は少年に再度訊いた

「光――」
少女が少年の名を呼んだ。少年はその呼びかけに応えない。焦点の定まらない瞳で、
只、京極堂をじっと見ていた。その目にはやはり恐怖の色しか窺えない。


「何ならお姉さんを呼ぼうか――その方が」
「やっ、やめてください!」
――少年が叫んだ。
少年――先島光の顔からは大量の汗が流れだした。冷たい飲み物を入れたコップのように、
張り付いた汗が照明に照らされ、テラテラと輝きながら机の上に落ちた。
机には少年の汗が、溢れだした感情の海のように溜まっていった。



「――――めます」
「――光」
「認――めます。それはうちの――成波神社の物です」
少年は只、短くそう告げた。

「五年前、彼等をおふねひきに誘ったのも、本当は地上に彼等を、否――
彼女を引き止める為かい?」
「彼女?」――少女が復唱するが、京極堂はそのまま続けた。
「彼女――『向井戸まなか』を」
その名を訊き、少年の顔に恐怖の色がいっそう濃くなった。
「子作りの儀式に『向井戸まなか』を参加させないように、
地上でのおふねひきを強行した」
京極堂は少年に向かってそう云った。
「――っ――そう――です」
「――君が汐鹿生の事を隠そうとしていたのは。お姉さんのためでも在るのかな?」
「――ぐっ――」
「父親が行ったかもしれない儀式を隠すために。地上で暮らす彼女を守るために」
「――その、通りです。――あかりは、姉は地上で自分の居場所を持ってます。
でも、子作りの儀式を父親が行ったと判ったら。――その居場所も」
「無くなると考えたわけだね」
「――はい」
「先島君――五年前に何があったか訊かせてくれるかい」
「――」
「――光」少女が少年を促すように名を呼んだ。
今度は確かに少女の方へ顔を向け、極僅かながら頷いた。

「お話し――ます」

少年は語り始めた。――五年前の事を
「――親父は云ってました。災いが起こった時、種族を守るために眠るって。
眠る前に子作りの儀式をやるって。――でも本当に遣るなんて思わなかった。
だけど今年、否――五年前に儀式をするって。災いが来るから、うろこ様の託宣だとか云って」
「うろこ様とは?」
「大人達が信じてる海神様の使いです。俺は見たことも声を訊いたこともないですけど。
否――多分汐鹿生の人全員が居ると思ってるだけで、本当に見たり、
声を訊いたりした人は居ないと思います」
なるほど――とだけ京極堂は云った。

「災いの事は――信じてなかったんです。だけど地上でもおさめ雪が降るようになって。
――寝たくもないのにどんどん眠くなって。
其れで――あぁ親父が言っていたのは本当だったんだなって思って。――冬眠も――儀式も。
大人達はうろこ様の、――託宣に従うだろうと思いました。冬眠も、それから儀式にも。
だから親父に云いに行きました。まなかやちさき、其れにあかりを儀式に参加させたくないと。
――親父は何も云いませんでした。
でも駄目だとも云わなかった。だから俺はそのまま地上に――地上でおふねひきを、
あいつを――まなかを引き止めるために」
「儀式参加を阻止するためにおふねひきを持ち出したんだね。――だが、
おふねひきの最中に君達は行方不明となった」
「――そうです」
「目醒めた時には彼女は居らず、五年の月日が流れていた。
さらに汐鹿生へは――海流の影響で入れなくなっていた」
「――っ」
「君は不安だっただろう海中の何処に彼女が居るのか――そして彼女が、
妊娠していないか」
少年は頷いた。

「その後、美海ちゃんの――胞衣の剥がれる音が聴こえる体質で、
何とか汐鹿生に入ることが出来た。其処で、
――見付けたんだろう?」




――見付けた?


――何を?


――彼等は海中で何を見付けたんだ。


――妊娠した――


――妊娠した、


――女達を?




































「其処ら中に屍体を。――殺された汐鹿生の人々を」




――屍体?



屍体とは死んだ人間の事だ。

何故其れが今出てくる。
汐鹿生に居るのは妊娠した女性たちではないのか。
何故、
何故屍体が出てくるんだ!

「何で!――違っ――違う!そんな物無かった。皆んな寝てた。冬眠してた。海の中で!」
「待て――何だ其れは。京極堂、本当なのか其れは」
「違う!皆んな寝て――」

「やめて!」
突然発せられた其の言葉に場の時間が停止した。
少女が、潮留美海が叫んだのだ。

「――みう――な?」
「ごめん、光――私話したの。中禅寺さんに汐鹿生の事。――屍体の事」
――話した?
此の少女は京極堂に屍体の事を話していた?
何時、一体何時――

あの――あの電話か!
京極堂は電話に出たあとにサヤマートへ向かった。
あの時既に京極堂は潮留美海から汐鹿生の屍体の事を訊いていたのか。

だが
――本当に屍体が在るのか。汐鹿生に――海の中に

そんな私の疑問を少年達の会話がかき消した。
「なっ何で、――何で話したんだお前!」
「――怖くなった」
「怖くなった?――何だよ其れ――おい」
少年が言い終える前に少女の眼からは涙の雫がこぼれ始めた。
――畳に染みがポツポツと産まれていく。感情が漏れていく。
「――みう――な」
少年の顔から感情の爆発が急速に萎えていくのが見てとれた。
まるで目の前の少女が少年の感情すらも涙として流しているように。

「先島君」
京極堂の声が響いた。
少年は一瞬視線を声の方へ向けたが、直ぐに少女の方へ目を戻した。
否、黒衣の男を見ぬように少女の方へ視線を反らせたのだ。

「彼女は君の守りたい物と、自分の守りたいものの間で必死に葛藤したんだ。
そしてその葛藤の末、彼女は僕に告げる事を決めた。――憑物落としを依頼するために」
止まっていた部屋の空気がその一言で流動し始めたのが皮膚を伝って感じられた。
少年も、少女も――部屋にいる全ての者の意識が京極堂の発する言葉に釘付けと為っている。
最早訊かないという選択肢は此の場には存在していない。

黒衣の男が少年を見据える。

「在ったんだね。屍体が」
少年は少女から京極堂へ視線を移した。
まるで重力に引き寄せられるように。――自らの意志とは反する動きに見えた。



「在ったんだね」
京極堂が再度尋ねる。



「光――話して」
少女が諭すように語りかける。目からは涙が絶えず溢れだしている。
だが、その瞳に弱々しさは感じられない。
在るのは只、強い意思のみだ。
――少年の告解を促す、強い意思。



「――話して」
もう一度、全く同じトオンで少女の声が響く。
荒れる波のような、吹きすさぶ風のような、それでいて母親の声のような。
重みの在る声だった。



「みう――」
「話して」
告解――これは少女の告解であり、そして同時に告発なのだ。
此の少女は、少年にとって屍体を隠す事に協力してくれた共犯者であり、
其れと同時に秘密を京極堂へ告げた告発者でもある。
そして彼女は少年を裏切った――裏切り者という事にも。




「光」
「――」
少女が少年の名を呼ぶ。少年は喋らない。



「話して――くれるよね」
無言の少年を、少女の聖母のような言葉が絞めていく。
少しずつ、確実に少年の首は絞まっていく。
少年の目には涙が溜まり、
口は固く閉じられ、唇に血の玉がポツポツと浮かんでいる。



「光――」
「――っ」














『話して』

少年はぽつぽつと、紡ぐように語り始めた。
汐鹿生の――屍体の事を。
私は少年が語る屍体の様子を訊きながらもまだ本当の事か信用できないで居る。
海の中に――汐鹿生の人々の死体が在る?
到底信じられない話だ。だが――彼等は見たのだと云う。
屍体を――。

「――初めは冬眠が失敗したんだと――思いました。皆んな――所々腐りかけてて、
衰弱して死んだんだって思って。――でも」
「腹に切られた痕があったんだね。美海ちゃんからそう訊いた」

――切られた痕?
――其れは――

「そうです。――呆然として、どんどん怖くなって。帰ろうって思って。
待たせてた美海を見に行ったら――居なくなってて。
合流した要と必死に探してたら――学校に、
近くにまなかが居るって言って――歩き出して。
俺怖くて、多分要も怖くて――美海の、此奴の――後を追うしかなくて。
着いて行ったら――ほんとにまなかが――五年前のまま眠ってて。――あいつ服を着てなくて」
――儀式に参加させられたと思った、と少年は云った。

「最初はまなかを地上に引き上げることしか頭に無かったんです。でもいざ引き上げる時になって
――屍体の事を、地上の人に知られてもいいのかと思いました」
何故と敦子が訊いたが、その質問には京極堂が答えた。
「――汐鹿生はここ五年間誰も入れなかった。つまり周囲と隔絶された場所だ。
無数の屍体と、その中に一人だけ生きた少女。屍体には殺されたと思われる痕跡もある。
彼女が疑われると思ったんだろう。村人殺害で」
「どうして兄さん?確かに海村で生きていたのは彼女だけだけど、其れにしたって」
「腹が割かれていたからだ」
「――腹?」
「遺体は腹が割かれていた。この古文書には子作りの儀式が書かれている。
動機に成り得るかは別だが、カストリ雑誌のネタには持って来いだろう。海中の生者と屍者、
子作りの儀式と腹を割かれた屍体。嫌でも向井戸まなかに好奇の目が向けられる」
「其れは、――そうね。多分そうなるわ」
私は思わず嗚咽した。
恐らくそうなるだろう。彼らはこの手の話に飢えている。奇怪な事件に脚色や邪推の尾鰭を付け、
大衆と言う海に放つのが彼らの商売だ。現に私もそうしていた――楚木逸巳として。
「君は引き上げる前に二人にこの事を口外しないようにと告げたんだね。彼女に疑いが掛かるかもしれないから。
そして村に来れないように発信機も壊した」
「――はい」
「君は『向井戸まなか』の『獏』に成ろうとした。彼女の眠りを妨げる、
全ての『悪夢』から守る『獏』に、
全ての『感情』から守る『繭』に」
「――」
少年は俯いたまま、机をじっと見つめている。

――獏、京極堂はそう云った。

――獏、悪夢を喰らい流される。

――宝船の――獏

此の少年に獏が――

獏が憑いている。

「先島君、君は――彼女の眠りを妨げる存在である三橋教授を、
襲った。――違うかい?」
「――っ――」
「おい京極堂、話が飛躍しすぎだ!何故彼が――」
「三橋君の調査だよ。調査が続けば汐鹿生の事が知られてしまう。
だから先島君は彼が持つ古文書を奪えばと考えた」
「何故だ?何故古文書を」
「子作りの儀式の事が明るみに為る上、場合によっては調査費が下りるから。そうだろう?」
そう云いながら京極堂は少年へ――先島光へ視線を向けた。
「――君は調査が続けられなくなりそうだと木原君から聞いていた。
そして古文書の真偽に依っては調査費用が下りるかもと――
だが、古文書が無くなれば調査も続けられなくなり、子作りの儀式の事も知られることはない。
だから君は昨日、教授を呼び出し不意をついて――」
「おっ俺は昨日――家に」


「居なかった」

「み、みう――」
「昨日光は、夕方何処かに出かけていった。私ちゃんと訊いた」
「――其れは」
「君が出て行ったと彼女が云う時間の、十分程後に僕は潮留家に行っているよ」
「なっ――」
「僕は三十分程彼女と話をした。その後十分程、彼女は電話に。
電話が終わった後、僕は直ぐに帰ったが、伺っている間に帰宅した人は居ないよ」
「うあっ――うぅ――」
「君は空白の時間、何処に居たんだい」

「其れは――」
其れは――と少年は数度復唱した。

「僕や美海ちゃんは、海村の屍体の事を警察に云うつもりだ。
三橋君を殴った人物は少年だと云う目撃証言も在る。
関口君の服のボタンには青い繊維も残されていた。――そうだね関口君」
唐突に私へ言葉が向けられた。同時に皆の視線も。
「あ――あぁ!そうだ。証拠として提出した」

「そんな」――少年の声が漏れる

「仮令このまま黙っていても、何れ警察は君に辿り着く。
無論、汐鹿生へも。今度は大学の海流研究者じゃない、――警察だ」
「――う、うぅ――ううぅ、くっ――――」
「先島君、――人は獏には成れない。喰らった悪夢は何れ吐き出さなくてはいけない」
「あっ――ああ」

「光、お願い話して、昨日の事を」
「美海――」

「其れもまなかさんの為なの?」
「まな――か」

「三橋教授を襲う事がまなかさんの為なの?」
「ま――なか」

「そんなの――そんなの、まなかさん望んでない」
「ぐぅ――、うう」

「光!」
「あ、あぁ」

「ひかり!」
「あぁ――あああっ」

『ひーくん』――何処からかそんな幻聴が訊こえた気がした。
其れが何処から訊こえた、誰の声だったのかは判らない。
本当に訊こえたのかも――

『まなか』――少年は何度も少女の名を復唱する。幻聴に呼応するかのように。
――そして

「――まなか、俺は――俺は」

――少年は許しを請うように、只一言

「まなかの為に」

とだけ云った。

変な海流があり、其処で新たに古文書らしきものを見付けた――そう云って呼び出したと少年は語った。
「君は三橋君が古文書を持ってくることを期待したんだろう。
特殊な海流や新たな古文書が見つかれば、手持ちの資料と比較するために其れを持ってくると思ったんだね。
だが鞄の中に古文書は無かった。――其れはその時には僕が持っていたからね」
京極堂は手にした本を微かに持ち上げた。
「俺は只、古文書を奪おうとして」
「だが三橋君は複数回殴られている」
「――っ――」
「殺そうとしたんだろう」
「俺は――」
「君は焦った筈だ。古文書が無いと云う事は誰か別の人物の手に渡っている筈だと。
当然儀式のことは遅かれ早かれ知られてしまう。古文書により調査費が下り、調査の最中屍体が発見されれば、
彼女に疑惑と好奇の目が向けられる。君は彼女を守るための方法を必死に考えた。そして――
昏倒した彼を再度殴りつけた。彼が居なくなれば調査が終わると考えた」

少年が無言だった。だがその顔からは汗が染み出で、唇の血の玉も増えている。
この少年は殴ったのだ。三橋教授を。

「彼は一命を取り留めた。だが今も意識が戻らない」
「俺は――まなかを守ろうと――して」
「其れでも無関係な人を傷つけていい理由にはならない。」
でも――と弱々しく少年は呟いた。

「君がしたことは只の殺人未遂だ。その行為に彼女の為と言う正当化を行うのは――彼女を、
君が愛する者を冒涜する行為に他ならない――と僕は思うがね」

必死に抑えていた少年の感情は、限界を超え――ついに決壊した。
其れを見ながら隣の少女も悲しそうな、否、辛そうな顔をしている。

「先島君――三橋君はね古文書に何の興味も無かったんだよ。そもそも彼の調査は海流だ、
彼の調査対象は飽く迄海村の外、海村の中の調査は歴史学者の範疇さ。
何もしなければ彼は今頃調査を終えて大学へ帰っていた筈なんだ」
「でも教授は――調査が続けられなく為ったと」
木原青年が云った。
「彼の嘘だろうね。――木原君、君が海村の調査を続けたいと云うことは判っていた。
だが、自分は早く調査結果をまとめたい。十四しか無い海村の海流データだ。
木原君が中学時代から行っていた海流調査と、三橋くん自身の現地調査でも十分貴重な記録だよ。
調査費用など出して貰わずとも既に結果が出ていたんだ。
結果を早く発表したい三橋君は、
大学に見切りをつけられ調査が続けられなくなったと嘘を君に告げたんだろう。
飽く迄自ら止めるのではなく続けられなくなったのだと」
「――古文書は」
「古文書は全くの想定外だったんだろうね。まぁ、それでも海流の研究者が古文書を見付けた所で、
研究には何も関係ないから、普通は三橋君に対して調査費用など下りないよ。
古文書のことは、価値が有って調査費が出れば程度のつもりで君に話したのだろう。
君が彼等に話したのと同様に、木原君――君を落胆させたくなかったのかもしれない」

「その話を聞いた君は先島君たちに告げた。
だが先島君、君は古文書の価値を過大評価した。
――古文書により調査費が降りれば汐鹿生まで調べられると思ったわけだ」
云いながら京極堂は右から正面へ視線を向ける――先島光へ
「――俺は――どう、すれば――」
「云っただろう、人は獏には成れない。警察に本当の事を言うんだ。三橋教授の事を、
その原因の――汐鹿生の屍体の事を」
「でも――まなかは、まなかが疑われて」
「疑惑や好奇の目は向くかもしれない。だが彼女は犯人じゃない」
「えっ――?」
「犯人で在る筈がない――君達が見た遺体は完全には白骨化していない。海中では分解は遅くなるが、
肉が残った遺体があることを考えると、この殺人は比較的最近行われたと考えられる」
「あっ――」
「彼女の姿は五年前のままだ。成長を止め眠りに着いた彼女に殺人を犯すことは出来ない。
――彼女は犯人じゃない」

ここまで。

汐鹿生の住人皆殺しはちょっとやり過ぎたかもしれないけど、
五年もののクローズドサークルがあるのに殺人事件が起きないのは可怪しいよね!
っということで許してくださいw

うろこ様については実際にいる登場人物だと冬眠中に汐鹿生でやりたい放題なので、
このSSの中では只の神社のシステムにしました。
うろこ様ファンの皆さんすみません。

あと「妖怪の理 妖怪の檻」を読みましたが、
このSSを書き始める前に読めばよかった。実に面白い内容

投稿します。

時が――止まった?
光が戻ってきたら時が止まってしまった。
何故?――光が帰ってくるまでは時が――進んでいた?

「俺が帰ってきたら時が止まった?――意味分かんねえよ、何で――何で」
「時が進んでいたんだよ。先島君が目覚める前までは」
「なんだよ――其れ」
「彼女も獏に成ったんだ。君と同じように」

獏に――
ちさきさんが獏に。
獏に成った?光と同じように?
彼女も――獏に――

「ちさきも獏に成ったってのかよ!」
「そうだ。彼女は獏に成った。君が隠すことで食べたように、
彼女は殺すことで食べたんだ。悪夢、否、過去をね。
恐らくちさきさんは木原君に区切りをつけようと云われた時――告白された時から、
汐鹿生と云う過去との区切りをつけようとした。彼女は時を進めようとしたんだ。
つまり彼女は海中で眠り続ける者達を殺す事で時を進めたんだ」
「ふ、巫山戯るな!時を進めるため。其れが動機だってのか!そんな、そんな事で――」
「先島君。動機など後付で他人の納得するために構築されるものだ。
何を考え行動したかなど他人には絶対分からない。
だから、事件に明確な動機など無い。真実区切りをつけようと思っていたのかも分からない。
只、彼女は区切りをつけようと云われ、告白され、次の日に海へ潜り、恐らく汐鹿生へ侵入した。
そして其処で事件を起こせる状況が訪れた。発見されない状況が――
だから殺した。其れが訪れたから。そしてその殺人は結果的に時間を進めることになったのだろう。
殺人が彼女にとっての区切りをつける行為になったわけだ。
だから彼女は毎日長時間海へ潜り――汐鹿生の人々を少しずつ殺していった。自ら時を進めたんだ」
「まさか、そんな筈――」

「何をしているか聞かれた時に海の中に君達が眠っているからと答えたのは、
恐らくその段階で君に伊佐木君、まなかちゃん意外の村人全てを殺し終えていたのだろう。
木原君に君達を探していたと云ったのは、見つけ出すためじゃない。――殺すため、
彼女は君達三人を、君を殺すために潜っていたのだよ」
「ち、ちさきが俺を――殺そうとしていた?」
光はまたも混乱する。心が揺さぶられている。光の心が荒れている。
ちさきさんによって光は大きく揺さぶられているのだ。船に寄せる荒波のように。彼女が光に押し寄せている。
上下左右に揺さぶられている。

「彼女は時を進めようとした、其のために村人を殺し、その悪夢を時間経過により海に流そうとした。
彼女は悪夢を喰らう獏に成り、獏に成った自らを海へ流そうとしたんだ。
獏の船、即ち宝船。――彼女は自らを依代に形代流しを行っていたんだ」

形代――流し。
災いを紙へ移して川や海へ流す事――だと聞いたことが有る。
ちさきさんは災いを自らに移して、否、食べて。
其れを海に流そうとした。其れが――其れこそが、
この事件の真相。この事件の――中身。

「彼女の計画は、あと一歩と云うところまで至った。だが、どうしても三人が見つからない。
其れもそうだ、先島君、君達は汐鹿生の外で冬眠したのだから汐鹿生には居ない。見つかる筈もない。
だが彼女は其れを知らない。ちさきさんは時を進めるために、君達を探して村人殺害後も潜り続けた。
何度も海中を探し続けた。しかしそんな折――君が目覚めた。
殺そうと探していた人物が目覚めてしまった。時を止めている者が、
――『過去の姿』のまま現れた」

過去が五年前の姿で現われる。
其れは――亡霊。
過去からの亡霊。
光はちさきさんにとって五年前からの亡霊だったのだ。
紛れも無い過去その物。
其れが現れた時、彼女は――

「そして彼女の時は――」
「――とまっ――た」
光が云った。呟くような、漏れだすような声だ。

あの日――
あの巴日の日。光の時間は動き出した。だが、ちさきさんは――
ちさきさんの時間はあの日止まってしまったのだ。
光の復活に拠って。

「彼女の時間は停止した。先島君が目覚める事によって。
獏を乗せた宝船は凪の海に囚われた。
だから彼女は木原君に云ったのだよ。『時が止まってしまった』――とね」
「あ、ああ」
紡の声が漏れている。最早言葉ではなく音だ。
「彼女は先島君を殺したかっただろう。ずっと探していたのだから。
だが、先島君は潮留家に居候することになり、何処へ行くにも美海ちゃんが付きっ切りだった。
そうだね美海ちゃん?」
「はっ、はい」
「当然其れでは殺せない。村人を殺せたのは汐鹿生が彼女以外誰も入ることの出来ない空間で、
尚且つ村人が冬眠していたからだ。潮留家に居ては殺せないし、外へ出ても美海ちゃんが居るから隙が無い。
喰らってしまいたい、そして流してしまいたい。だが其れは、汐鹿生の中だけで行える形代流しだ。
地上では行えない。そして殺せないまま手を拱いているうちに今度は――伊佐木君が目覚めた」
「また――時が」
紡が云った。

「そう、再度停止する。より強く彼女の時間は過去に繋ぎ止められてしまった。
彼を自らが住む木原家へ住まわせる事が出来たが、今度も殺害を行えない状況になってしまった」
「其れは」
「三橋君だよ。伊佐木君は三橋君と相部屋になったんだ。当然殺すことは出来ない。
そして其の家には木原君、君も居る。全員の眼を盗んで伊佐木君を殺すのは不可能だ。
彼女は殺したい相手と同じ屋根の下で過ごす事になった。
隣室には過去が居る。五年前の姿で其処にいるわけだ。当然精神は削られ摩滅して行く。
過去への恐怖が蓄積していき――二日前、遂にピークを迎えた」
二日前、其れは――
其の日は――

「二日前まなかちゃんが引き上げられた。発見場所は汐鹿生の内部だ。
彼女にとって其れは、汐鹿生に侵入出来ないという完全犯罪の大前提が崩れたことを意味している。
即ち完全犯罪の破綻だ。衰弱死になりかけている途中の他殺体が、発見されてしまったと彼女は考えただろう。
だが、先島君達は何故か屍体の事を語らない。隠している。
彼女には意味が解らなかっただろう。其れこそ理解不能な恐怖だ。
そして翌日の夕方、三橋君が殴られる。三橋君が殴られたことで、木原君は病院へ向かった。
此処で図らずも木原家にはちさきさんと伊佐木君の二人だけになった。
邪魔者が居なくなった伊佐木君は、恐らく汐鹿生の屍体の事を彼女に語ったのだろう。
ちさきさんは自らが犯した罪を、過去の存在から告げられたんだ。
其れにより、限界まで削られていた彼女の精神に最後の一撃が加えられた。そして彼女は耐え切れずに、
――逃げ出した」

ここまで。

前回の投稿で言っていたアイマスミステリーSSのタイトルですが、
伊織「アイドルのアイデア」
に決定しました。このクロスSSもあと1~2回の投稿で終われそうなので、
完結後に新しくアイマススレを立てようと思います。
発見したらまた見てね~

投稿します
これでラスト

11


事件は急速に進展した。
先島光の自首と犯行動機。潮留美海、木原紡、そして京極堂の持つ情報の提供。
それらの凡てが汐鹿生の事件の存在を示唆していた。

当初、汐鹿生の事件の存在を荒唐無稽だとしていた警察も、
失踪した二人の捜索が汐鹿生の内部へ及び、件の屍体を発見したことで、
京極堂が語る事件の内容を信用せざる負えなくなったらしい。

警察により発見された屍体は未だ完全には腐敗しきっておらず、殺された痕跡も確認できたことで、
衰弱死ではなく殺人事件として認識された。
この時点で比良平ちさきが作り上げた事件の構造。
時間経過による死因の隠蔽が破綻したことになる。

警察は隅々まで汐鹿生を捜索したものの内部に失踪した二人の姿は無かったらしい。
結局、警察は夜間の潜水により方向が狂い、何処かへ流されたのではないかという結論に達した。
海中での捜索は続いているものの汐鹿生の屍体の引き上げが優先されており、
比良平ちさきと伊佐木要の捜索は進んでいない。
警察も現状では比良平ちさきを犯人であるとは断定していないようである。

三橋教授は向井戸まなかが目覚めた次の日の朝に目覚めた。
脳等への障碍は残らなかったようだが、念のため暫く入院するそうである。
第一発見者で、友人の友人という関係の手前一度見舞いに行ったが
先島光と比良平ちさきについてやりきれない思いなのか、ずいぶんと落ち込んでいる様子だった。
彼が気に病む必要がないことは私にも分かったが、
当人にはそうとも云えぬのだろう。
遠因とはいえ、古文書の発見と汐鹿生の調査が今回の事件を生み出したのだから――

汐鹿生の事件が発覚したことにより、本の出版は取りやめとなった。
当然、寄稿する予定だった私の小説は書かずして終了を告げられたことになる。
出版中止が告げられた其の日の内に、私と敦子は鴛大師市を後にせざるを得なくなった。
すっきりとしない思いだったが、旅費を出しているのが私ではない以上どうすることも出来ない。

事件は流される前に明るみに出たが、事を真相を知るであろう人物は海の彼方へと流れてしまった。
これではすっきりとした解決などではない、むしろ今やっと始まったばかりではないか。
今やっと、汐鹿生の事件はスタートラインに立っている。
時間が漸く進み始めたのだ。

だが私は最早事件の関係者ですら無い。汐鹿生の事件は私とは無関係に進んでいる。
鴛大師市から戻っての数日後、靄靄した思いは中々晴れなかった。其れこそ私は凪いでいたのだ。
だから私も時を進めようとした。
小説を書くことに拠って。

だがどうしても書き始める踏ん切りがつかなかった。
書こうと思ってもどうしても筆を執ることが出来なかったのだ。
あの事件を体験した上で其れを元にに小説を書く。
其れが果たして良いことなのかどうか自分には判断がつかなかった。
誰かに宣言してしまえば、
書かざる負えない状況に自分を追い込めば其れが出来るであろうことは判っている。
京極堂なら、彼なら其の事に明確な答えを出してくれるかもしれない。
だがどうしても会いに行きにくかった。
判断を自分以外の他人に任せているようで嫌だったというのも在るのだろうが――

だからこそ、今朝の新聞記事は私にとって一つの追い風となった。
赴くための追い風に。

私は朝食もそこそこに用意を済ませ家を出た。

眩暈坂――其の上にある古書店へ

あの男の元へ

「今日は客が多いな」
古書店の主は何時もの仏頂面で其処に居た。
私の方をちらりと見た後また手元の本へと視線を戻し話し始めた

「僕以外にも客が来たのか?」
「午前中に榎木津が。なんでも中学生の少女から想い人捜索の依頼を受けたらしい。
湯冷ましだとか、お湯がどうとか言っていたが意味はよく分からない。そもそも何故僕に言いに来たのかもね」
榎木津に人探しの依頼とは、見つかる気が全くしない。
そう思いながら私は京極堂の斜め前に座った。

「君が来た理由は此れかい」
京極堂は新聞を指さしながらそう云った。
新聞には『記憶消失の少年、浜辺へ流れ着く』とある。発見場所は木場修の管轄内だ。

「この少年が伊佐木要ではないかと思って、其れを云いにここに来たんだろう」
「ああ、其れも在る」
私は簡潔にそう述べた。

「流れ着いたこの少年、伊佐木要だと思うか?鴛大師市から流れ着いたと」
「そんなの僕に分かるわけ無いだろう。本人かどうかは警察か木原君達に、海流のことなら三橋君に聞きなよ」
「まあ、其れもそうだな。――三橋教授はその後どうなんだ?」
「殴られた所が禿になってしまったと嘆いていたよ。退院後は警察の汐鹿生探索へ協力するらしい。
其れが自分なりの責任のとり方だといっていた」
「そうか。――先島光の方はどうなんだ」
「明確な殺意は認められるが、一四歳という事を考えれば、其処まで重い罪には出来ないだろう。
保護観察が妥当かな」
「なるほど」
「ああ、それとね関口君。榎木津が探している人物、例の伊佐木要なんだよ」
「なっ!そ、そうなのか」
「ああ、彼の捜索を依頼したのは美海ちゃんの同級生でね、彼に好意を寄せているらしい。
警察が比良平ちさきと伊佐木要の捜索よりも、海流の屍体の引き上げを優先しているから、
あんなのに捜索を依頼したんだ。もっと別の探偵を頼めば良かっただろうに――
だから今朝、榎木津が来た時にこの新聞の記事の事を教えてやった。
まあでも、汐鹿生の方から警察へ連絡が行くのが早いだろうね。
木原君達に一応連絡を入れておいたから。
仮にこの少年が伊佐木要だとしても、榎木津が探偵としての成功報酬を受けれるかは半々だな。
まあ、捜査費は出るだろうが依頼主は中学生だから大した額にはならんだろう」

「報酬――そう言えば憑物落としの報酬は貰ったのか?
あの後向井戸まなかが目覚めたり、警察へ行ったりで貰い損ねたんじゃないのか?」
「ああ、報酬か。報酬は少し前に贈られてきたよ」
そういうと京極堂は奥から丸い石の様なものを取り出してきた。

「其れは――何だ?」
「憑物落としの報酬だよ。潮留美海の名で贈られてきた」
「此れが報酬?」
「あぁ、彼女が以前海岸で拾ったものらしい」
「だがこんな――馬糞の様な物に価値があるのか?」
「あぁ、あるよ。此れ一個で、君の年収位の価値がある」
「なっ、馬鹿な!?其れはそんなに価値がある物なのか?一体其れは何なんだ」
「此れは『竜涎香』と云ってね、抹香鯨の体内で作られる胆石なんだよ」
「鯨の胆石?何故、其れがそんなに」
「此れはね香料になるんだ。それも最高級の香料に。
入手も海岸に流れ着いたものを偶然に見つける以外に手はないから、自ずと価値が跳ね上がる。
今の価値なら金の八倍くらいか」
「金の八倍!?」
目の前の石の八倍の金。
京極堂はどうやら私の年収を可也嵩上げして話しているようだ。
恐らくは小馬鹿にするためだろうが。

「まあ、売る伝が見つからないから宝の持ち腐れではあるけどね。
ところで関口君、覚えているかい?漂着神信仰で信仰の対象と為るものを」
「はぁ?何だいきなり。ええっと確か鯨とか石とか――」
鯨と、石
鯨の――石?

「あぁ!じゃあ此れは」
「ああ、そうさ此れだって立派な『恵比寿』なんだよ」
京極堂は微かに笑いながらそう云った。
宝船は宝を載せて京極堂の所に流れ着いたらしい。私は苦笑しながらそう思った。

「なあ京極堂。彼女はどうなったと思う?」
「彼女――比良平ちさきか」
「生きてると思うか」
「どうだろうね、海の彼方へ流れたか――其れとも衰弱して海の底で冬眠したか」
冬眠、胞衣を持つ人々は危機的状況に為れば眠りにつく。
其れが冬眠。
彼女はあの海の深淵で眠りについて――

私はおさめ雪の積もった鴛大師市をコキュートス――氷漬け地獄に例えた
だが、 比良平ちさきかにとって其処は楽園だったのだろう。
木原紡と過ごす楽園。

裏切り者はコキュートスで氷漬けになる。
彼女は今頃海の底で氷漬けに為っているのだろうか――
永遠の眠りに――時間を進めようとした者の罰として
それとも――

「京極堂、比良平ちさきは本当に犯人なのか?いくら愛する人の為とはいえ、村人全員を殺したんだろうか」
「知らないよそんなの」
「でも、云っただろう比良平ちさきが犯人だと」
「僕も云ったじゃないか、まやかしだとね。彼女が犯人かどうかなど判らないよ。
実際警察も犯人であるとは断定していない」
「なっ――で、でも、他に犯行を置かせる人物はいないんだろう」
「一人居るじゃないか」
「何だと!誰だ其れは」
「向井戸まなかだよ」
「向井戸――まなか?だが其れは君が不可能だといったじゃないか!五年前に冬眠した彼女に犯行は不可能だ。
元に彼女の姿は五年前のまま発見された。君は彼女が冬眠状態のまま人を殺したというのか?」
「否、そうじゃないよ。ただ僕は彼女が一ヶ月前に目覚めていた可能性もあると言っているんだ」
「一ヶ月前に――目覚めた?」
「彼女は若しかしたら一ヶ月前に目覚めていたのかもしれない。目覚めた彼女は村人の腹を割いて周り、
最後には空腹により『再度』冬眠した。これなら彼女でも犯行は可能だろう?」
「そっ、其れはそうだが。其れならなんであの時向井戸まなかに犯行は不可能だなんて云ったんだ。
彼女にだって可能性は在ったんだろう?」
「そんなの彼等を納得させて警察へ向かわせるためだよ。事件は現在進行形で消えてゆく特殊な構造に為っている。
重要なのは汐鹿生の件を衰弱死ではなく殺人として明るみに出すことだ。犯人は重要じゃない」
「じゃ、じゃあ、比良平ちさきは犯人じゃないかもしれないのか?」

「否、断言はできないが十中八九犯人は彼女だろう。向井戸まなかにも犯行が行えるというだけだよ。
只、比良平ちさきを犯人だと僕が想定したのも情況証拠の積み重ねで、本当に犯人かどうかは判らない。
其れに本来判断するのは警察の仕事だ、僕がするべき仕事じゃない」
それだけ云うと京極堂は話に区切りをつけた。
汐鹿生の件についてはもう話をする気はないらしい。
比良平ちさきと伊佐木要が見つからぬ以上は話しようも無いのだろうが――

「それで新聞の件以外で、君は何の用件でここに来たんだ。
僕は此れでも君と違ってとても忙しいんだ。つまらない用で来たのならもう相手にしないよ」
京極堂はもう話は終わりだとでも云うような顔である。
其処で漸く私は来訪の目的を思い出した。
私は彼に宣言しに来たのだ。
時を進めることを。
其のために小説を書こうとしていることを。
私はその決意を彼に伝えた。

「小説を書こうと思っるんだ。その、其れを伝えようと思って」
「小説?敦子が云っていたが発刊は中止なんだろう、新作として発表する気かい?」
「否、発表はしない。只、書かずに入られなくてね」
「ふん、物好きなことだね。――其れをどうして僕に云いに?」
「否、其の――書いていいものかと思って」
「はぁ、君の職業はなんなんだ関口君。君だって三流文士の端くれだろう。
文章を書くのが仕事のはずだ。書いて良いかは自分で決めろよ。プライドも何も無いのかい?」
「自分でもそう思う。分かってる。決めてもらおうと思っては居ないよ、
只、宣言したかっただけなんだ。書いているということを告げておけば後には引けないからな。――書くよ。
彼処で体験したことを。実はタイトルはもう決めてるんだ」
「ほう――」

小説の内容は地上と海中を舞台とした御伽話を考えている。
私は彼等を思いながら其れを書こうと決めた。

海中で眠っていた少女を――
守ろうとした少年を――
救おうとした少女を――

海へ消えた女を――
追いかけた少年を――
地上へ残された青年を――
彼等を思いながら書こうと決めた。

其れに何の意味があるのかは分からない。
だが、書かなければいけない気がしたのだ。
私の中で時間を進めるために。折り合いを付けるために。

比良平ちさきは凪いでいた時を進めようとした。
その為に獏に成り、最後には自ら流された。

時を進めようとした彼女は海中で眠りについているのか――
それとも何処かへ流れ着いたか――
其れは私には分からない。

獏の帆船は凪の海から抜け出せたのだろうか。
抜け出せたのなら宝を積んで、またあの港に流れ着くのだろうか――

びゅうびゅう――

びゅうびゅう――

音がする。海の音―――
否、其れは

タイトルは何だと京極堂が聞いてきたので、
私は其の問いに一言

『凪のあすから』とだけ答えた。

(了)

ここまで!
長かったけどやっと終了です。
初SSでこんなの書くべきじゃなかったね

おそらく見てる人居ないだろうけど、
最後まで読んでくれた人ありがとう
また見つけたら読んでください

それでは

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