エルシィ「私の神にーさまがコミュニケーション不全なわけない」(533)

桂馬「だからお前は何度いったらわかるんだ!!」

桂馬「ブランド別にわけてあるゲームを勝手に整理するんじゃない!!」

エルシィ「う~、う~」

麻里「……」

エルシィ「あ、にーさまお夕飯は」

桂馬「いらないよっ」

バタン

エルシィ「また、にーさまをおこらせてしまいましたぁ」

麻里「エルちゃん、ちょっと」

エルシィ「はい、なんでしょうお母様」

麻里「いまさらなんだけど、あの子学校で、どう?」

エルシィ「……どう、といわれましても」

麻里「桂馬、エルちゃんのおかげで変わってきたけど」

麻里「ホラ、半ヒキコモリみたいなものだし」

麻里「あの子、トモダチも家に連れて来たことないし」

麻里「近頃どうにも心配で心配で夜も眠れないのよ~」

エルシィ「あ、あのっあのっ、にーさま大丈夫ですよ!!」

エルシィ「まいにち元気でやってます!(主にゲームを)」

麻里「なら、いいんだけど。ねぇエルちゃん、これからも桂馬のことよろしく頼むわね」

エルシィ「ははは……」

 こうして私はお母様に神様のことを頼まれてしまいました。まぁ、頼まれたからってなにができるわけでもないんですが。

 正直に私の心情を吐露すると、神様の性格を改変するのはたぶん不可能です。

 だって神様は、神様ですから。(←ヒドイ)

 どうやらお母様はテレビのニート特集を見て神様のしょうらいに益々不安を募らせちゃったみたいです。

 テレビの見すぎもよくないものですね。

 今後は私もひかえます。

 それから、今日以降いつも以上に神様の行動を注意深く観察することにしました。

 あと、私はいろいろと忘れやすいので細かなこともメモに残し、データをしゅうしゅうすることにしました。

 あれ、なにかにーさまの攻略みたいですね、これ。

 さて明日に備えて今日は休みますね。おやすみなさい。

エルシィ「おはよーございます、にーさま」

麻里「おはよう、桂馬」

桂馬「おはよー」

 神にーさまの朝は早い。

 ……というか、目が真っ赤に充血しまくってます。また徹夜ですか。

桂馬「ふはははっ!!」

エルシィ「ひいっ!?」ビクゥッ

桂馬「おっといかん、謙信ちゃんとしぃちゃんの掛け合いを思い出してしまった。久々のヒットだったな、あれは」

 とりあえずいつもどおり気持ち悪いです。

 もちろんにーさまの話題は、ゲームの話なので、私もお母様もその内容をうかがい知ることはできないのですが。

麻里「桂馬、学校行くなら朝飯キチンと食べてきな。アタマまわらないよ」

桂馬「すばらしいな。しかし、なぜ輝元ちゃん。元就ちゃんではなぜいけなかったのか」

 どうやらにーさまの頭の軸は、朝からフルMAXで回転しているみたいです。回ってはいけない方向に。

エルシィ「うー、にーさま。口あけてください。あーん」

桂馬「あーん」

 機械的に切り分けたベーコンエッグを口の中に運びます。

 さながら私はアシカの飼育員です。

登校フェイズ

桂馬「……」

 ぴっぴこぴー(電子音)

エルシィ「うー、ぽかぽかして気持ちいい日和ですね」

桂馬「……」

ぴっぴこぴー

エルシィ「あ、そーいえば今日の英訳当たるじゅんばんだったんだ。だいじょぶかなー」

桂馬「……」

ぴっぴこぴー

 にーさまといつものように楽しくおしゃべりをしながら登校します。

 この時ばかりは、日々の激しい駆け魂狩りを忘れ、心健やかに過ごすことが出来る癒しタイムなのです

エルシィ「えっ、やだ。にーさま、宿題はちゃんとあのあと、済ませておきましたよー。同じミスは二度も繰り返しませんっ」

桂馬「……」

ぴっぴこぴー

 ――もちろん楽しく登校しつつも駆け魂の気配を探ることも忘れません。

 私は常に努力を怠らないのですから。

エルシィ「おはよーございまーす」

クラスメイト「おはよー」

クラスメイト2「エリーおはよー」

桂馬「……」

チャラチャラ~チャ~

 にーさまは無関心の極みですね。

 これではいけません。挨拶は基本的なコミニュケーションですよ。

エルシィ「にーさま、朝の挨拶を」

桂馬「ん。そうか、そういえばまだだったな。おはようよっきゅん」

桂馬「よっきゅんかわいいよよっきゅん。ちゅっちゅっ」

 サイアク。

 にーさまがゲーム機にキスした瞬間、周囲の子たちが一斉に机を引き離しました。

女子1「うわ、マジでオタメガそれはないわ」

女子2「二次コンきわまれりwww」

 チャラチャラ~チャ~

エルシィ「にーさま~」

桂馬「しっ、静かに!」

 突如として起立すると、両手を前方に突き出し静止します。

 にーさま、もう完全に別次元に行ってしまわれたのですね……。

二階堂「……」

 ああ、先生の目が冷たいです。

二階堂「で、桂木くん。私はいつ朝のHRに入れるのかね」

桂馬「静かにしろといっている!! ――いま、イベント降りてくる」

 ピコーン!

桂馬「よし、回収。あ、どうぞ続けて」

二階堂「……とりあえず桂木兄妹は次の時間廊下な」

エルシィ「にーさまー」

 ザワザワ。

歩美「……あほ」

1時限目 国語 『廊下』

桂馬「……」

エルシィ「う~、にーさまのせいで廊下に立たされちゃいました~」

桂馬「ボクは静かにゲームができるので一向に構わん」

エルシィ「かまいますよ~恥ずかしいです~」

 ガラリ

二階堂「こら桂木。ちゃんとバケツ持て」

桂馬「おい、いまどき罰則が両手に水の入ったバケツもって副立哨なんてありえるのか」

二階堂「ふむ」

二階堂「私も始めてやらせたが意外と楽しい」

桂馬「教室に入れないのは問題じゃないのか」

 にーさま。よっぽどバケツ持つのがいやなんですね。

二階堂「お前を教室に入れておくほうが問題なんだよ」

 ピシャリ

 先生は無情にも教室に戻っていきます。

桂馬「……アイツ、教師として問題ありすぎるな」

 にーさまにだけはいわれたくないと思われます。

桂馬「おい、エルシィ。ボクの分のバケツも持て」

エルシィ「ひとりで四つは無理ですよ」

 それにしてもたっぷりと水を汲んだバケツを60分間持ち続けるなんて。

 これを考えた人はマゾですね。

エルシィ「も、むりー」

桂馬「ボクの手はバケツを持つように出来ていないんだ。PFPを持つために出来てるんだ」

楠「……なにやってるんだ、お前は」

どこかで聞いた声に顔を上げると、そこにはあきれた顔をした楠さんがにーさまを見つめていました。


桂馬「主将。サボリですか」

楠「私は教室移動だ。お前といっしょにするな!」

桂馬「冗談ですよ」

 かつてのにーさまの攻略対象だった、春日楠さん。檜さんの件以来で、こうして顔を合わせるのは久しぶりです。

 だからでしょうーか、彼女はにーさまとの距離感をはかりかねているのか、どこかもじもじしています。

 にーさまはいつもどおり不動の姿勢ですが。

楠「それにしてもいまどき廊下に立たされるとは。お前は自分のクラスでも問題児のようだな」

桂馬「問題などなにもありません」

チャラチャラ~チャ~

楠「ひととはなしをする時は、ちゃんと目線をあわせろ!!」

桂馬「おうっ」

 楠さんがにーさまの耳をつかんでひっぱります。たまらずにーさまもゲーム機をしまうと、視線を彼女に向けました。が。

楠「……」

桂馬「……」

 えーと、なんで無言で見つめ合ってるのでしょうか。

楠「//////」

桂馬「で?」


楠「ひ、ひとの顔をじろじろと見るなーっ!!」
桂馬「なんでだっ」

 なぜか正拳突きが見事に決まりました。このひとは何がしたいんでしょうか。

楠「とにかく。日ごろの生活態度の悪さは途中で見放してしまった私にも問題があるみたいだな。うむ」

楠「……桂木、放課後道場に来い。お前の歪んだ根性を一から叩きなおしてやる」

 楠さんはいいたいことだけいって去っていきました。

桂馬「なぜだ。楠の話はエンドを迎えているはずなのに」

桂馬「どうなっているんだ、エルシィ!!」

エルシィ「そんなこといわれてもー」

桂馬「これだから、リアルはクソゲーなんだよ。幕は降りたんだ。これ以上物語を続ける必要もないだろう」

エルシィ「楠さんは檜さんがらみで他の方より多く会う機会がありましたから」

桂馬「あいつ、エンカウント率高すぎだぞ。記憶、ちゃんと消せてるんだろうな」

エルシィ「うー、自信ないです」

桂馬「このバグ魔が」

エルシィ「バグ魔じゃないです~」

二階堂「で、お前は上級生と放課後デートの約束か」

桂馬「げ」

二階堂「余裕だな、桂木くん」

桂馬「……」

二階堂「授業妨害の上にナンパか。よっぽどお前は私が嫌いなようだが」

エルシィ「あわわわ~」

二階堂「お前のイジメ、もとい罰は明日以降発表してやる。楽しみにしているんだな」

 ガラッピシャッ

桂馬「……はやく教えろよ」

エルシィ「自分だって気づかなかったくせに~」

二階堂「というわけだ。楽しい授業に戻る」

歩美「……」

ちひろ「……」

桂馬「あっ、またイベント取りこぼしたっ!」

 ピッピロピ~

1時限目休み時間

桂馬「まだ昼休みにもなってない」

桂馬「無意味に長すぎだろ」

桂馬「もう学校は放課後のシーンだけで充分だな」

エルシィ「現実に都合よく時間が進むわけないじゃないですか~」

桂馬「……」

エルシィ「無視しないでください」

桂馬「時間のムダ!」

エルシィ「それにしてもにーさま。放課後、楠さんの道場に行くんですか」

桂馬「行くわけないだろ。暴力の匂いしかせん」

桂馬「それにあいつのストーリーはFDまで終了してる」

エルシィ「FD?」

桂馬「あいつの姉の話をこの間やったばかりじゃないか」

桂馬「三度も登場するなんて図々し過ぎるぞ」

桂馬「勝手に出てきて余計な分岐を作るんじゃない」

桂馬「ほとんど曲芸商法だぞ。ボクは買わん」

歩美「ね、ねー桂木」

 私たちが話をしていると、同じクラスの歩美さんとちひろさんが話しかけてきました。

 もっともにーさまに話しかける人はほとんどクラス内でも限られていますが。

ちひろ「この前? もそうーだったけどアンタ春日先輩と知り合いなの?」

ちひろ「オタの桂木と先輩じゃ接点なんか何一つなさそうなんだけど」

桂馬「……」

 あ、にーさま。いまあからさまに嫌そーな顔しましたね。

桂馬「知り合いだよ」

歩美「……」

ちひろ「……」

桂馬「……」

エルシィ「……」

歩美「ってそれじゃ話が終わっちゃうでしょーが」

ちひろ「あんたコミ不全? ちょっとは会話のキャッチボール出来ないの?」

エルシィ「え、えーとえーと」

 まずいです。このままではにーさまのクラスにおける社会的地位がっ!(←もともと無い)

桂馬「それは正しくないな」

ちひろ「へ?」

桂馬「出来ない、のではない。必要が無いので行わないだけだ」

歩美「あのね……」

チャラチャラ~チャ~

桂馬「口なんて飾りだよ」

桂馬「Y/N」

桂馬「実際リアルに関しての返答はこれだけあれば充分だ」

歩美・ちひろ「「いまのってどういう発音」」

 にーさまの、にーさまの、声がとってもメカニカルです。

桂馬「だいたいボクと彼女がどうこうってどーでもいいだろ」

歩美「ど」

歩美「どーでもよくない!!!」

 どうしたんですか、歩美さん。怖いです。

 彼女は、怒鳴った瞬間我に返ったのか、顔を真っ赤にしてきょときょと視線を彷徨わせ始めました。

桂馬「はぁ」

桂馬「――このまえ、ボクとエルシィが不良に襲われていた所を助けてもらったんだ」

歩美「……ホントに?」

桂馬「それ以来、目をかけてもらってる。彼女、面倒見がいいみたいだからな」

ちひろ「そ、それだけ?」

歩美「え?」

ちひろ「え?」

 ふたりは顔を見合わせたまま固まり、それからほとんど同時に目線をそらしました。

ちひろ「そ、そーだよな。あの春日先輩が桂木みたいなメガネオタ相手にするわけないもんなー」


歩美「そ、そーだよね。桂木みたいなメガネを」

桂馬「メガネはどーでもいいだろ」

歩美「だって、先生がデートだとかなんとか」

桂馬「は?」

歩美「う」

歩美「なんでもないよっ。じゃあねっ!!」

 歩美さん。……ちょっとわかりやすすぎますよ。

桂馬「……なんなんだいったい」

桂馬「これだからリアルにはついていけないよ」

エルシィ「にーさま」

 にーさま。にーさまはリアルでも日ごろ否定されているテンプレ主人公を体現しているのですね。

桂馬「さーて、ゲームゲーム」

ガラガラッ

児玉「オラーっ、桂木ぃゲームしまえーッ!!」

桂馬「げーむぅ……」

―そして昼休み―

桂馬「ゲーム、ゲーム」

 チャイムと同時に、にーさまは席を立つとどこかに飛び出して行きました。

 こっそりとついていくことにします。

 ゲームに集中しているときは周りを全然見ていないので、たぶん大丈夫です。

 この方向は、屋上ですね。

 ベンチに腰を下ろすにーさまを確認してから、私は茂みに身を隠すと、買い置きのサンドイッチを頬張りながら監視を始めました。

桂馬「ふう。これでようやく誰にも邪魔されずゲームができるよ」

月夜「……」

月夜「……あ、あの」

 なんか見たことある人が、えーと誰でしたっけ?

楠「桂木じゃないか」

 なんか見たことある人をさえぎって楠さんの登場です。

 でも、にーさま、余裕で二人の問いかけに無視。

 さすがです。

桂馬「……」

楠「いま、その、昼食か?」

桂馬「ふひひ」

 あっ、この距離からでもわかります。楠さん、かなりムカッときてます。

楠「無視、す・る・な」

 ぎゅうううっ

桂馬「ぶっ!?」

 にーさまの耳が、……さながら、ダンボみたいに。

桂馬「なんですか、主将。いちいち人の肉体を痛めつけないと会話出来ないのですか」

楠「お前がいうな」

桂馬「……」

楠「……」

 あ、でもベンチの隣には座るんだ。ひたすら嫌な空気ですけど。

楠「その、なんだお前に礼をいおうと思ってだな」

桂馬「礼?」

楠「姉上の件でいろいろと世話に、なったような……」

楠「あれ? あれ? 世話になったよな。なぁ?」

桂馬「ボクに聞かないでください」

 あちゃー。確か地獄の電力不足で、記憶の消し方がかなり雑だったから。

 彼女の中で幾分齟齬が生まれているみたいですね。

 ちなみにどのように消しているかは私にもわかりかねます。

楠「不思議だ。でも、ここでお前に姉上のことで相談したことは覚えているのに」

桂馬「……」

楠「なあ、少し話を聞いてくれるか」

桂馬「聞くだけなら」

楠「お前と姉上に関しての記憶。どうも曖昧なんだ」

 それは、たぶん楠さんに関しては二回も記憶を上書きしているから。

 人間の脳、特に記憶の改ざんに関してはかなりの負荷を掛けていると。

 室長に聞いたことがあります。

 記憶をつかさどる大脳新皮質のつくりは堅牢ではない。

 そこに地獄から強圧力の電波を送って書き換えを無理に行っているので、回数を重ねるごとに危険度は増す、と。

楠「無理に思い出そうとすると、頭の奥がひきつるように痛む」

楠「思い出せないことが、私にとってはストレスだった」

桂馬「主将」

楠「でも、不思議なんだ」

楠「お前と話していると、痛みがやわらぐ気がする」

楠「なあ、桂木。おまえはなにか、私に隠していることがないか?」

 にーさまは、ゲーム機から目を離すと傍らに置き、両腕を組んで蒼穹を見上げます。

桂馬「で、この話いつまで続けるんですか?」

 えーと。にーさま、それはあんまりです。女の子は繊細なんですよ。

楠「……っ! そんないいかたないだろう」

桂馬「――思い出せないなら別に、無理して思い出す必要もないと思う」

楠「そんな」

桂馬「ボクは限られた時間を有効に使いたいだけだ。これ以上あなたの話を聞いてもしかたがありませんね。元々、ボクとあなたは他人なんだし」

楠「他人とか、いうな」

桂馬「他人、じゃないですか」

楠「でもっ、おまえは私の道場のっ」

桂馬「檜さんがアメリカに帰った以上、ボクにはもう無関係な場所だ」

楠「――空手部の時もそうだが、自分からはじめたことを次から次へと投げ出して恥ずかしくないのか!!」

楠「この根性なしがっ」

楠「よわむしっ!」

楠「それでも男かっ。少しはいい返したらどうなんだっ!!」

 一度に怒声をはなったせいか、彼女の両肩が大きく上下しているのが見えます。

 楠さんは、眦を決してにーさまに指を突きつけると、いまにも牙をむきそうな猛獣のように身構えます。

 あわわ、にーさまピンチです。

 たたた、助けなきゃ。

桂馬「それで終わりですか? あなたはもう少し語彙を増やしたほうがいい」

楠「おまえはっ!!」

桂馬「ンごっ!?」

 スコーンっとどこからともなく茶筒の長いのみたいなのが飛んできて、にーさまの側頭部を直撃しました。

楠「桂木っ」

 楠さんが慌てて倒れたにーさまを抱き起こします。

 う~、出るタイミングを逸しました。なによりはたから見ていて止めなかったことがにーさまにばれると余計怒られそうな気がして、躊躇し

てしまいます。

 でも。

エルシィ「にーさまっ」

楠「うわっ、とおまえは桂木の妹。おい、それよりそこのやつ。なんのつもりだ」

 あれ、これ。私知ってます。望遠鏡です。私は落ちていた筒を拾い上げると、楠さんの背中に隠れながら、筒の飛んできた方向を向きまし

た。

月夜「騒々しいですね。まったく」

月夜「痴話喧嘩なら、他でやってください」

楠「ち、痴話喧嘩っ、ち、ちがうっ」

エルシィ「にーさま~、だいじょうぶですかぁ~」

桂馬「おまえな、見てたんならとめろよ。このスットコダメ悪魔」

エルシィ「すみませ~ん」

楠「騒がせて気分を害したなら謝る。しかし、いやおうなしにこれはないんじゃないか」

エルシィ「そーです。そーです、にーさまからかわいい顔をとったら何も残りません」

楠「そうだ。桂木のかわいい顔がっ」

桂馬「……」

楠「……」

エルシィ「……」

楠「なにをいわせるんだっ!!」

 ドバキッ!!

桂馬「ンごっ!?」

エルシィ「なにもいってませ~ん」

楠「//////ッ!!」

月夜「どちらにしても、その嘘つきとかかわってもいいことはありませんよ」

桂馬「……うそつき?」

月夜「ずっと待っていたのに」

月夜「結局、うつくしいものなんてこの世のどこにもないのですね」

桂馬「――おい」

 思い出しました。この小柄な方は九条月夜さんです。私の頭は自分でもどうなっているのしょうか。不安です。

桂馬「ちょっと、待て」

月夜「さわらないでっ!」

月夜「このっ、うらぎりものっ!!」

 激しく傷ついたような声が、屋上に響き渡りました。

 その時、私は月夜さんの目に確かに涙が浮かんでいるのが見えたのは、気のせいなんかじゃないです。

桂馬「……」

楠「……」

エルシィ「……」

 彼女の座っていたベンチにぽつぽつと涙のあとが数滴こぼれていました。

 置き忘れたのか、人形がひとつ。

 私たちをじっと責めるように見つめている。そんな気がしました。

ドロドロドロドロドロドロドロ

エルシィ「え、えええーっ!?」

 私の駆け魂センサーが反応しています。これってまさか。

ドロドロドロドロドロドロドロドロ

エルシィ「にーさま、間違いありません。彼女の中に、また駆け魂がっ!!」

桂馬「ウソだろ。同キャラ連回攻略なんて、曲芸商法レベルだ」

桂馬「やっぱりリアルなんて」

桂馬「クソゲーだっ!!」

OP 『God only knows』
http://www.youtube.com/watch?v=JQd0ICIJ1FM

楠「おい。どういうことだ、桂木」

桂馬「へ?」

楠「へ、じゃない。姉上といい、いまの女といい。説明してもらうぞ」

桂馬「なあ、エルシィ」

エルシィ「はい、なんでしょう」

桂馬「これと同じシーンは少なくとも50回以上見てるぞ。いずれもバッドエンド直行だ」

エルシィ「あ、あわわ」

桂馬「クイックセーブからロードできないか? できれば今日の朝からが望ましい」

エルシィ「むりですぅ」

桂馬「早朝からやり直させろ。そしたら今日は学校を休む」

楠「安心しろ。なんの話か知らんが。明日から私が家まで迎えにいってやるぞ」

桂馬「……エルシィ。時間がない、耳を貸せ」

エルシィ「に、ににににーさま」

桂馬「ボクは月夜を追うっ、そいつはまかせたっ!!」

 ドンッ!

楠「まてーっ、桂木っ!!」

エルシィ「はぅ、ひどいです!」

桂馬「ハァハァ、最近こんなのばっかりだ。大体ボクのスペックは飛んだり跳ねたりするのに向いてない」

桂馬「肺が痛い。走りすぎた」

桂馬「さてと」

 ボクは呼吸を整えると、かつての攻略相手、九条月夜のいる2Aの教室の前に立った。

桂馬「そろそろ昼休みも終わる、普通なら授業を受けるため教室に戻っているはずだが」

桂馬「それにしても」

 月夜が大事にしていた人形『ルナ』を指先で弄びながら目の前の扉に手をかけた。

 あれほど大事にしていた人形を忘れてしまうなんて、本当に慌てていたのか。それとも記憶の消去が不完全なのか。

 あるいは、彼女の中にこそ、ディアナが探していた『女神』が存在するのか。

2A女子「九条さん? まだ、教室に戻ってないけど(なにこいつキモッ!!」

桂馬「そうか。ところで、いくつか質問させてもらってもいいか」

2A女子「ええ」

 ボクは極めて的確に用意していた質問をリアル女子問うと、いくらかの情報を得てその場を後にした。

2A女子「きゃー、きゃーっ、オタメガと口きいちゃったーっ」

女子B「うっそー、あいつマジやばくね?」

女子C「うっわ、あいつ人形抱きかかえてた、人間捨ててね?」

女子A「マジキモいんですけど」

桂馬「ふん、モブどもか」

 ボクは偶像は認めない主義なんだ。2次元にこそ神は宿る。

桂馬「なにもわかってないやつらだ。これだからリアルは精度が低い」

 授業開始のチャイムが鳴り終えると同時に、月夜が所属している天文部の部室に到着した。

桂馬「誰も居ない。帰ったか?」

エルシィ「うー、おいてきぼりなんてひどいです」

桂馬「おまえか。ったくこのポンコツ。楠はまいたのか」

エルシィ「楠さんものすごーく怒ってました。命の危機でしたよー」

桂馬「そんなことはいい」

エルシィ「にーさま、ひどいですよ」

桂馬「ひどいのはお前らのほうだっ、なんなんだあれはっ、また駆け魂にとりつかれてるじゃないかっ。地獄のやつらはキャッチアンドリリー

スしてるのか!」

エルシィ「そんなことするはずないじゃないですかー」

桂馬「エルシィ。いちど駆け魂を出したやつに、もういちど駆け魂が入るってケースは多々あるのか」

エルシィ「わかりません。でもありえないことじゃないと思います」

桂馬「一度埋めたはずの、心のスキマがまた広がったのか」

桂馬「ボクが埋めた以外の外因が新たに増えたのか」

エルシィ「あー、それよりも、にーさま午後の授業」

桂馬「授業なんてどうーでもいい。だいたいおまえは悪魔なんだから勉強しなくていいんだっ。本末転倒してるぞ」

エルシィ「……」

エルシィ「おお」

桂馬「……」

エルシィ「ひぃいいいっ。無言でほっぺをひっぱらないでくださいーい」

桂馬「なあエルシィ、ボクの推論では月夜の中にディアナがいってた女神がいる可能性が高いと思う」

エルシィ「そうなんですかっ!?ってそれよりもにーさまにいわなければならないことがあるんですっ」

桂馬「なんだ」

エルシィ「ふたつです」

桂馬「ふたつ?」

エルシィ「月夜さんの中に居る駆け魂、反応がふたつありました」

桂馬「なんだよそれ、どうなるんだ」

エルシィ「わかりません。いま室長に連絡しましたが、極めて珍しいケースだそうです」

エルシィ「彼女の中の駆け魂が、いま身体の中でどのような影響を与えているのかもよくわからないそうです」

桂馬「それじゃあ、彼女の中に女神がいるかどうかってのも、記憶のあるなしでは判別できないな」

桂馬「不確定な情報ばかりだが。まずは月夜を探すのが先決だ」

エルシィ「どうするんですか」

桂馬「選択肢総当り戦だっ!!」

エルシィ「またー」

桂馬「つべこべぬかすなっ! ホラ行けっ。少しは役に立てっ」

エルシィ「はーい、がんばりますっ!!」

桂馬「……」

桂馬「あいつ、ホントにアホだな」

桂馬「センサー使えば一発なのにな」

桂馬「とりあえず、いくつか確かめたいことがるので、エルシィには席を外してもらおう」

移動フェイズ

屋上

桂馬「ゲームならワンクリックだけなのに。リアルめ。どれだけボクを苦しめるつもりだ」

 屋上に着くと案の定、月夜が泣きそうな顔で辺りを見回しているのが見えた。

月夜「ない……」

桂馬「探してるのはこれか?」

月夜「!?」

桂馬「どうした。ホラ」

月夜「こないでっ、桂馬。ずっと待ってたのに」

桂馬「待ってた?」

月夜「美しいものいっしょにさがそうって」

月夜「私のために命をかけてくれたっ」

月夜「このベンチで、ひぐっ、いつか、桂馬のほうから声をかけてくれるって、信じてたのに」

月夜「あんな女とっ、ひぐっ。イヤっ、こんなの美しくない」

桂馬「ちょっと待て、楠のことか。おい、おまえの考えてるのとたぶん全然違うぞ」

 月夜の身体の回りに黒い瘴気のようなものが漂いだしているのが見えた。

 まずい。

 かなりまずいぞ、これは。

桂馬「まて、落ち着け」

月夜「こないでほしいのですっ!!」

桂馬「ちょっ、待て暴れるなっ」

月夜「私以外の女と仲良くしてたっ!!」

 ガチョン!

 月夜を止めようともつれあっているちに、ボクの懐からPFPが転がり落ちる。

偶然だろうかゲーム機に電源が入り、画面上にいとしのよっきゅん(※ボクの嫁)の画像が映し出された。

月夜「またゲーム。私も、私も」

月夜「この醜い世界で生きているのはもうたくさんなのですっ!!」

 瞬間、黒い瘴気を払うように、PFPから拡散された光が辺りを薙いだ。

桂馬「っ。どこだ、月夜」

 いない。どこにもいない。

 首筋から背骨、骨盤までいいようのない悪寒が電撃的に貫く。脳みその奥が、ちくちくと痛む。

桂馬「月夜ーっ!!」

月夜「――ここです」

桂馬「え」

桂馬「えええええええええええっ!?」

 全身の力が抜け、ボクは腰砕けにその場に座り込んだ。

 ボクの目の前のPFPの画面中央に。

 デフォルメされた『月夜』らしいゲーム女子が、こちらに向けて声を投げかけていた。

『放課後:教室』

桂馬「ん~」

桂馬「放課後になってしまった」

エルシィ「にーさま、いったいどこにいってたんですか! 月夜さんも見つかりませんし」

桂馬「しっ」

エルシィ「?」

月夜『桂馬、この方はどなたですか』

エルシィ「にーさま、ゲームしてる場合じゃありませんよ」

桂馬「慌てるな。これが月夜だ」

エルシィ「にーさま」

 エルシィの目がドブ川に落ちた野良犬を見るような目つきに変わったのがすぐに理解できた。

 何度もいうようだが、こいつは時々ボクを無意識的に下に見ている部分が、あからさまに外面に出ることがある。不愉快だ。

桂馬「おい、ボクは現実逃避しているわけじゃないぞ」

エルシィ「にーさまぁ」

 エルシィの語尾が濁音で滲んだ。黒々とした瞳があっというまに潤んでいく。

 まったく人の話を聞かないやつだ。ボクは、PFPを机の上に置くと、月夜には聞こえないくらいの小声で耳打ちした。

桂馬「たぶん、駆け魂の影響だ。前回は小人化だったろ。今回は2D化した」

エルシィ「つーでーか」

 一瞬で内容が処理領域を踏破したのか、エルシィの顔から表情が消え去った。

 まるでアホの子のようだ。

 いや、アホなのか……。

月夜『桂馬』

桂馬「月夜」

エルシィ「にーさま、きもちわるいです」

桂馬「うるせ」

月夜『まだ、話の途中なのですね』

 画面上でデフォルメ化された彼女が、つんと顔を横向きに反らせる。

 リアルでやられればウザイだけだが、なぜだろう。2次元では全てが許される。

 背景シーンの塗りと、人物のコントラストの差も完璧だ。実に申し分ない。

桂馬「なぁ、エルシィ。月夜、このままでいいかな」

エルシィ「いいわけないでしょう!」

月夜『別に私はかまわないです』

月夜『ここにいれば、私はずっと桂馬といっしょにいられます』

月夜『桂馬、ずっといっしょに居てくれますよね』

桂馬「……ああ」

エルシィ「にーさまの二次コンを甘く見すぎていました」

 何が二次コンだ。これぞ完璧な世界の融合だ。究極の一だ。

月夜『桂馬』

桂馬「月夜」

エルシィ「にーさま!!」

 エルシィがボクの腕を発狂したチンパンジーのような握力でぐいぐいと引き寄せる。

 しかたなしに、月夜の入ったPFPを机に置いて壁際に移動した。

エルシィ「にーさまはそれでいいかもしれませんが、私は彼女がゲーム機の中で幸せになれるとは思えません」

エルシィ「冷静になってください」

桂馬「ボクはいつだって冷静だ」

 冷静すぎるくらい冷静だ。

エルシィ「ぜんぜん冷静じゃありませんよ」

桂馬「失敬な。おまえにボクの何がわかる」

エルシィ「私のほうが、にーさまよりも、にーさまのこと一番わかってるんですっっっ!!!」

 そんな無茶苦茶な。これだからリアルは。

 真っ赤に顔を引きつらせたエルシィは、両手を水車のようにぶんぶん振り回しつつ、距離を詰めてくる。

 本能的な恐怖を感じた。ボクは、理性的に事態を打開しようと、彼女を説得にかかった。

桂馬「おまえの理論は破綻している」

エルシィ「きーっ!!」

桂馬「わー、ばか、やめろ、こら。暴れるな」

 事態が悪化した。現実は非常だ。

歩美「なんだなんだー」

ちひろ「どーした、エリー馬鹿兄貴にいじめられたのかー」

 先ほどから教室の隅で、こちらをちらちら気にしていた野次馬どもが、ここぞとばかりに介入してくる。

エルシィ「わーん。ちひろさーん、にーさまがゲームばっかで、私のことかまってくれないんですー」

ちひろ「なにー、桂木。こんなかわいい妹をいじめるなんて、どうしようもないなー」

歩美「妹にはやさしくしてあげなさいよね」

桂馬「だーれが、妹だ。誰が」

 やっかいなのが沸いてきた。

桂馬「このバグ魔が……」

これ以上横道に逸れさせるんじゃない。ボクは今、どうやって駆け魂を出すか必死に考えているのに。本当に、役に立たないヤツだ。

エルシィ「ひん、ひん」

歩美「桂木」

ちひろ「クズー、人間のゴミー」

 ダンゴ虫のように丸まったエルシィを抱きかかえるようにして、二人がこちらを睨みつけている。

 クソ、不完全リアル女子がっっ!

 腹の底ではなに考えているかわからないくせに、こんな時ばかり団結したふりしやがって。

桂馬「月夜、とりあえずこの場を離れるぞ」

月夜『ここは騒がしいのです。静かな場所に行きましょう』

 ボクがPFPの月夜に向かって話しかけるのを見とがめた歩美は、傷ついたような顔をして眉をひそめた。

歩美「かつらぎぃ」

ちひろ「とうとう脳が……」

 脳が何だというんだ!!

 ボクはバッグを背負うと悠然と、教室を後にした。

移動フェイズ『校門前』

月夜『どこに向かっているのですか?』

桂馬「ボクんちだよ」

 三々五々、下駄箱から吐き出されていく人ごみに紛れて歩くと、一日の疲れがどっと圧し掛かってくるような気がして、軽い眩暈を感じた。

月夜『桂馬、だいじょうぶですか? 顔色が悪いのです』

桂馬「問題ないよ、それより」

桂馬「おまえ、今の自分の状態、理解しているのか?」

月夜『――よくわかりません』

桂馬「聞きかたが悪かった。月夜から、ボクはどうみえる?」

月夜『どうって、私は今自分の部屋に居るみたいです』

月夜『でも、どうしてもドアから外に出られないのです』

月夜『目の前には、普通に窓があって、そこから桂馬の顔が見えるのです』

桂馬「ボクの顔?」

月夜『桂馬の顔と、周りの風景。見える場所は刻々と変わっていくのです』

月夜『ドキュメンタリ番組を延々と見させられている気分です』

桂馬「ふむ」

月夜『ケージに入れられた、猫か犬といった気分ですね』

桂馬「体調は、どうなんだ」

月夜『その、なんだか胸がモヤモヤして頭がぼーっとします。でも、悪くないです』

月夜『特に、桂馬の顔を見ていると、なんだか胸がいっぱいで……。うまく、言葉で言い表せないです』

桂馬「そうか」

月夜『ところで』

月夜『屋上で会った女性のこと聞かせて欲しいです』

桂馬「あ、あれか? あれは、ボクの妹だ」

月夜『そちらではありません。背の高いほうです』

桂馬「ちょっとした顔見知りだ。たぶん、もう会うこともない」

月夜『……その会うこともない方が、しおらしくお待ちになっているのですっ』

楠「……」

 月夜の噛み付くような口調に顔を上げると、校門の前には獲物を待ち伏せる猫科の猛獣の目をした女が、

 一片の隙も無く、ボクとの距離を測っていた。

桂馬「主将」

楠「桂木」

 視線が絡み合う。彼女の瞳に慈悲を探したが、皆無だった。

楠「じゃあ、ちょっとお話しようか」

 ボクが知る彼女の中で、もっとも美しい笑顔だった。

桂馬「弁護士をよんでもいいかな?」

楠「むり」

月夜『けいまぁ』

桂馬「ごめん、ちょっと隠れてて」

月夜『んぐーっ』

 ボクはPFPをバッグに仕舞い込むと楠から距離をとった。

楠「……」

楠「おしいな、いますぐそのゲーム機を粉々にしてやろうと思ったのに」

 こうしてボクは殺人を未然に防いだ。

桂馬「主将、ホント、今日は混みいってて、時間がないんですよ」

桂馬「だから」

楠「なんだよ」

楠「そんなに、私とは話す価値も無いのか?」

 彼女とボクの背は、ほとんど同じだ。直視した瞳に、背後の蒼穹が溶かし込んだように見えた瞬間、不意に歪むのを見た。

 両腕を組んで強気に振舞っているが、心理学的にいえば防御姿勢であり身構えている自分を守る典型的なサインだ。

 表情こそ怒ったように強張らせているが、知らない場所に置き捨てられたような子犬の目ですがられると、ボクの胸の奥が軋むように痛ん

だ。

桂馬「はぁ」

 学内でも評判の楠とこれいじょう校門前で言い争っても衆目を集めるだけでたいした意味は無い。むしろマイナスだろうか。

 くそ、攻略以外ではリアルと接触しないと決めていたのに。

 不合理すぎる。

桂馬「わかりましたよ、別の場所で話しましょう」

 どうせリアル女子と言い争って勝てるはずも無いのだから。

移動フェイズ『下校』

楠「♪」

桂馬「……」

 背中に負うたデイパックの中から必殺の気合を感じる。間違いなく月夜のものだ。

楠「ん、んーゴホン。私も、いろいろと忙しい身なのだが。後輩たる桂木の面倒も見なければならないのがツライところだ」

 気合の波動が強まったのを感じた。間違いなく、ボクの寿命は大きく削られている。

楠「そ、その、男子と学外を歩くことはあまり無くてな。なにか、気恥ずかしいな」

 必殺の潮合。極まった。

桂馬「主将、そんなにボクのことが嫌いですか」

楠「ん? なんのことだ?」

 こんなイベントいらねーよ。

楠「ところで、どこにむかっている」

桂馬「ボクの家」

楠「っ、おい。まだ、そんな、ちょっと早すぎるぞ。その、私はお前のことまだよく知らないし。いや、そーゆうことではなく、桂木が基本的
には悪いやつではないということは知っているが、その段階を踏んでだな」

桂馬「……」

桂馬「そーいうのもーいーから」

楠「な、なにーっ!!」

電柱

歩美「……うそ」

ちひろ「……」(←ちょっとムッとしている)

エルシィ「にーさま、駆け魂はーどーすれば」

ちひろ「ねーエリー。桂木のやつどこに向かってるかわかる?」

エルシィ「はやや。たぶんおうちだと思いますー」

歩美「――なんで」

ちひろ「よし、ふたりは私の後をしっかりついてくるよーに」

エルシィ「わわわー、歩美さん。しっかりしてくださいーい」

桂馬「なんだろう」

楠「どーしたんだ、いきなり立ち止まって」

桂馬「着々と何かが進行している気がする」

桂馬「つまりはいやな予感だ」

楠「――さっさと進め」

桂馬「いちいち頭を叩かないでください、データが飛ぶ」

 そんなやり取りをしながらしばらく歩いていると、自宅兼喫茶店であるカフェグランパが見えたきた。

 営業時間は9:00~17:00、休みは火曜定休だが、母さんの気分によって急遽しまることがよくある、こじんまりとした店だ。

 20人も入ればいっぱいになってしまうこの店はほとんど趣味としか思われない。

 島の家が壊れた際に、じーちゃんが住んでたここにボクら家族は越してきた。

楠「なんだ、桂木。喫茶店じゃないか、ここは」

桂馬「ここがボクんちなんです。一階は店です」

楠「へぇ~(どきどき)」

楠「ん、んっ。軟弱な(か、かわいいお店だな)」

 ゲーム内では美人の先輩との下校シーンなど垂涎モノのはずだが、リアルに置き換わるとあら不思議。

 気は使うわ、体力は使うわ、ストレスが溜まるわ、SAN値が高まるわでいいとこなどなにもないわ。

桂馬「……にしても、ゲームならワンクリックで移動できるのに、どうして現実はこんなにも不親切な設計なんだ」

楠「またゲームの話か。おまえの頭の中にはゲームしか詰まってないのか」

楠「なんていうか、本気で心配になってきたぞ」

楠「あ、あくまで先輩としてなんだからなっ!」

 リアルツンデレうざいです。

楠「あ」

桂馬「どうしたんですか」

楠「その、お前のご家族の方がやってらっしゃるのだろう。手土産を持ってくるの忘れてしまった」

桂馬「……ここがボクんちなんです。一階は店です」

楠「おい、流すな」

麻里「いらしゃーい、あら桂馬。おかえりなさい」

 丸窓に格子の入ったガラスを嵌め込んであるドアを手前に引くと、母さんがグラスを拭く手を止めてこちらを見た。

桂馬「――ただいま」

楠「こ、こんにちわ」

麻里「こんにちわー」

桂馬「……」

楠「……」

客「……」

客「……(なんだ、このプレッシャーは)」カタカタ

麻里「えー、えーと。桂馬、ちょっとちょっと」

桂馬「なに?」

麻里「お、おめでとう」

桂馬「だからさっきから何の話をしているんだ」

麻里「え? 彼女つれてきたんじゃないの?」

楠「///」

楠「ちがいますっ。あの、お母様、私は3年の春日 楠と申しまして、今日は」

麻里「あらー、ふたりで仲良くいちゃいちゃしにきたんでしょー。
ごめんねー気が利かなくてー。うちの子こんなんだけど仲良くしてあげてねー。かわいいところもあるのよ、ホント」

楠「そ、その確かにかわいいところはありますが……」

麻里「あららー。ごちそうさま」

楠「ちょっ、ちちちがいます。おい、桂木、そのお前のなんとかいってやれ」

麻里「そっかー。楠ちゃんはお姉さんなのね。かわいがってね」

楠「だ、だから」

 果てしなく不毛な会話だ。ここまでテンプレ通りの流れは、もはや様式美に属する。

 ゲームでは。ボクは、不貞腐れながらソファーに腰掛けると、視線で彼女に座るよう促した。

楠「なんというか、すごい母君だな」

桂馬「あまり相手にしないでいいです」

麻里「もー、桂馬ったらてれちゃって。貴方は紅茶でいいかしら」

楠「恐縮です」

桂馬「もー、こっちにくんなよなー」

麻里「はいはい。お邪魔翌様」

 薄笑いを張り付かせながら、母さんはカウンターの奥に引っ込んでいく。

 だから、ここに連れてくるのは気が進まなかったのだが。

楠「紅茶、美味しいな」

桂馬「どーも」

 彼女は、この店に入った瞬間、借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。

 うつむいたまま、小鳥のように小さな口を開け、カップを傾ける。

 母さんを意識しているのか、時々ちらちらと目線を奥に流しているのがわかった。

楠「で、だな。何の話だったか」

桂馬「手短に済ませてください。ボクはこうみえても忙しいんだ」

楠「お前はまったく、ずるいな。このような小洒落た場所で私の気勢を削ぐとは」

楠「いいたいことも、いいにくいじゃないか」

 ウソをつくな。いつもいいたいほうだいじゃないか。

楠「うむ。では本題に入らせてもらうか。主に、お前の普段の生活の改善についてだが――」

 彼女が話し始めようとした瞬間に、店の扉がさえぎるように音を立てて開いた。

麻里「いらっしゃーい。ってあれ、天理ちゃん?」

天理「……」キョロキョロ

天理「……っ!?」

 なんで今日に限って店に来るんだ。

 天理は、ボクの存在に気づくと、一瞬顔を上げたが、隣の楠に気づいた途端、しゅんと肩を落とし俯いた。

 両手にはイエロー系の淡い巾着を持っており、うなだれるようにして袋を結んでいる紐がぶらぶらと左右に揺れた。

天理「桂馬、くん」

天理「あの」

天理「こんにちわ」

桂馬「なにか用か?」

 ボクが声をかけると、水を掛けられた犬のようにびくびく身を震わせる。

 こいつはビクビク系幼馴染だ。

楠「おい、桂木。この子は」

桂馬「鮎川天理」

楠「あのな。それだけじゃわからないだろうが」

桂馬「情報は必要なものを最小限に」

楠「あのな。それだけじゃわからないだろう」

麻里「天理ちゃんは、桂馬の幼馴染なの。隣に住んでるのよ」

桂馬「まったく精度の低い幼馴染だが。何か用なのか。ボクは今、大変立て込んでいる。簡潔に済ませてくれ」

天理「あ、あのね桂馬くん、私」

天理「私……」

桂馬「うん」

天理「あの、ね」

桂馬「続けろ」

天理「……」

桂馬「ツ・ヅ・ケ・ロ!!」

天理「ひ」

楠「おいおい、桂木。女の子相手にそんな高圧的に話すんじゃない。ほら、君もそんな所で立っていないで、ほら、掛けなさい」

天理「は、はい」

 うながされるままに、ソファに掛ける天理。天理ちゃん、マジ空気読めないのな。

天理「桂馬くん、今日ね。調理実習でクッキー焼いたの。その、うまくできたから、よければその、食べて欲しいなって」

桂馬「ボクは甘いモンが嫌いなんだよっ」

天理「うん、知ってる。だから、甘くないよ」

桂馬「ふん」

 包みから出てきたクッキーは、丸い形をしており、アーモンドの香ばしい匂いがしている。

 口の中に入れると、確かに天理のいうように甘くは無かった。むしろ。

桂馬「こりゃ、せんべいだろ」

天理「うん。だから、甘くないよ。桂馬くんの好みに合わせたよ」

桂馬「まあ、悪くないな」

麻里「……まあ我が子ながら、不運なヤツ」

 母さんは、ボクの後ろで合掌すると、そそくさとカウンターの奥に引っ込んでしまった。

 なんなんだ。

楠「……」ピクッピクッ

楠「へえ、桂木。興味があるのはゲームだけかと思いきや、こーんなかわいい彼女が居るなんて」

天理「か、かかかか」

楠「――そーいえば、姉上にもちょっかいだしてたし。私のようなガサツな女に付きまとわれてさぞ迷惑だったろうな、は・は・は」

桂馬「あ、あだだだだっ!!」

は・は・はの笑い声で、リズムに乗って、ボクの太ももに蹴りが入る。

天理「か、彼女じゃありません!!」

楠「は」

楠「はははは、そーなのか。桂木?」

 もー知らん!!

楠「そーか、そうだろうな。わ、私としたことが。すまない、痛かったか、桂木。不意に怒りの神が降りてきてな」

キイイイインッ

ディアナ「そうです、彼女ではありません。天理と桂木さんは、運命で結ばれた婚約者です」

 三者、一様に真顔。

 辺りを見回すと、残っていた最後の客も風を食らって退散したのか、店内はセルフ貸切状態に陥っていた。

楠「こ、こんにゃく?」

ディアナ「こんにゃくではありません。婚約者です」

楠「婚約者ぁあっ!?」

ディアナ「許嫁です。ラブです。愛です」

桂馬「おおおいっ!!」

 ボクは硬直した楠を放置し、ディアナの手を取り、壁際に引き寄せた。

ディアナ「ダメです、桂木さん。あの方が、見ています」ふるふる

桂馬「どーいうつもりなんだよ、お前は!! いきなり出てきて!!」

ディアナ「どういうつもりか、と聞きたいのはこちらのほうです。天理というステディがありながら他の女性にうつつを抜かすとは」

ディアナ「このような暴挙、天が許しても女神が許しません」

ディアナ「天理がここにくるのにどれだけ勇気をふりしぼったか、その脳みそで理解しているのですか」

ディアナ「あの女性にはとっとご退場願って、とっとと私とイチャイ……もとい、天理と愛を育む作業を続行しなさい。勘違いしないでくださいね、これは全部天理のためですので。愛が育たなければ、女神の力も取り戻せないのですよ?」

こいつ、一息で喋りやがって。

楠「ちょっと待った!!」

楠「婚約者だのなんだの、いきなりなんの話なんだ。いきなり出てきて失礼な」

ディアナ「失礼? いうにも事欠いて彼になんて事を」

桂馬「いまのは絶対ボクにじゃないぞ!! わざとやってるだろ!! おまえ!!」

ディアナ「そう、私と桂木さんは、あなた・おまえで呼び合う親密な関係なのです」

楠「……先ほどと、かなり雰囲気が違うな」

ディアナ「と、いうわけで同じ学園の先輩後輩程度の仲よりかは、私たちの方が深い関係なので、お引取り願いませんか」

楠「――どうやら桂木の生活態度改善には、外因的要因の排除も必要なようだ」

 バキッ、バキバキッ!!

 楠は、両拳の間接を鳴らすと、上体をややかがめ、猫科の猛獣が飛び掛る寸前に行う、筋肉のしなりを見せた。

ディアナ「愚かな、たかが人間風情が」

楠「私は桂木のような男でも簡単に見捨てたりはしない」

ディアナ「愛の力を見せ付けてあげましょう」

桂馬「やめろ――やめろ」

 グラップラーどもが、必殺の気合を引っさげ、激突の潮目を見極めるため、じりじりと間合いを詰めていく。

楠「ふっ」

 最初に仕掛けたのは、楠だ。限界まで引き絞られた弓から、矢が放たれるがごとく、右の回し蹴りが、空間を裂いて唸った。

 ディアナは、咄嗟に紙一重の差で後方に飛ぶ。足先の触れた前髪が、数本ちぎれ、宙に舞った。続いて、楠の正拳が弾丸のように打ち出される。ディアナは、左手でパリィすると同時に、右ひざをかがめ楠のわき腹に肘うちを叩き込んだ。

 がくりと、倒れこむかに見えた楠は、そのままの勢いを殺さずヘッドバッティングをディアナの額に見舞った。

 ディアナは額を押さえ、低くうめく。

 楠のローキックが、ピンポイントでディアナの左腿を叩きこまれた。痛みに耐えかね、倒れこんだかに見えたディアナだが、そのまま転がるようにして、地を這うと、両腕をブリッジの要領で床に突き立て、両足をまっすぐ矢のように垂直にし、楠の胸に蹴りを見舞った。

 楠は牽制の蹴りを放った後、壁に手をつき呼吸を荒げる。わずかに彼女の方が分が悪いように見える。

 しかし、なぜこんな展開に。

 神のみぞ知るセカイは軽いラブコメじゃなかったのか。

楠「……八歩蟷螂拳の穿弓腿。素人ではないようだな」

ディアナ「天理の愛の深さをおもい知りなさい」

 もう、やだこの女神。

桂馬「待てよ……」

 もう、こいつらほっておいてここから逃げ出せばいいんじゃないだろうか。

 そう思っていた時期が、ボクにもありました。

 けれど。

エルシィ「神にーさまーただいま戻りましたー」

 悪魔が。

ちひろ「へー、ここがエリーの家かー。中々オシャレな店じゃん」

歩美「わ、私はたまたま部活が休みだから来たんだからねっ。ホント、たまたまだから。別に他意はないんだからねっ」

結「へーここが、桂木くんのおうちかい」

かのん「こ、こんにちわー」

美生「失礼するわ」

 こんな時に真価を発揮するなんて、思いもしませんでした。

エルシィ「にーさま、あの……」

桂馬「……」

エルシィ「あの、なんですか。もしかしてすごく怒ってます」

桂馬「ごめん、エルシィ」

エルシィ「なんですか、急に改まって」

桂馬「ボク、おまえのこと誤解してた」

桂馬「おまえって、本当に悪魔だったんだなーって」

楠「な、なんだなんだ急に。桂木のクラスメイトか」

ディアナ「またお邪魔虫が、ぞろぞろと」

桂馬「こら、ヘッポコ。ちょっとこい」

エルシィ「いたい、いたい、はなしてくださーい」

桂馬「どういうつもりでこの面子を集めてきたんだよ!!」

エルシィ「え? えーと」

エルシィ「特には」

桂馬「お前にロジックを求めたボクが馬鹿だったよ」

エルシィ「まあまあ、いいじゃないですか。みんなにーさまの知り合いですよ。記憶無いけど」

桂馬「全然よかーない」

 ボクが気まずいんだよ。もしかしたら、こいつの頭の中にはボクの存在がインプットされてないのか?

ディアナ「もしかして桂木さん、この方たち」

桂馬「……」

桂馬「そーだよ。ボクが攻略した相手ばかりだ」

ディアナ「――(ムカッ)」

~当人達の談~

ちひろ「いやー、別に寄る気はなかったんだけどさー、エリーがどうしてもっていうんで」

歩美「私はちひろが行くっていうから。特に桂木がどうこうっていうわけじゃ」

結「ボクは、途中でたまたま会ってね。友達の家に遊びに行くのに理由はいらないだろ」

美生「私は、その、今日はバイトも無かったし。結にたまたま行き会わせて」

かのん「その、私今日休みだから。桂木くんの家、喫茶店だっていうし。この前のテストの時のお礼もしてないし」

楠「だから、私が先口だっていっているだろうが」

ディアナ「全て天理の為です」

~証言おわり~

麻里「……」ぎゅ~っ(←自分の頬を抓ってる)

麻里「え、なに、どういうことなのエルちゃん?」

エルシィ「そのー、にーさまはみんなに愛されてるってことで」

桂馬「こら、うまくまとめたつもりか。ヘボ悪魔」

どーして事態を悪化させるのだ。PFPを完全にスリープ状態にしておいてよかった。

 月夜ルートが収束するところだった。

麻里「まー、こんなに桂馬の友達が来てくれたなんて初めてじゃないかしらー。よし、今日はおごっちゃう。みんな好きなもの頼んでねー」

 母さんのはからいに、黄色い歓声が飛ぶ。それぞれ、なんとはなしに紹介をしあっているようだが、ギャルゲで鍛えたボクにわかる。

桂馬「なんという、うわべ感」

 かのんについてはノータッチですか。そうですか。母さんも触れないようだが。

 メガネか? メガネのせいで気づかないのか?

 キャッキャッ、ウフフ

桂馬「よーし」

エルシィ「あ、なにしてるんですかー。皆さんとおしゃべりしましょうよ」

桂馬「馬鹿な、いまこそ千載一遇のチャンス。ゆーっくりとやつらに気づかれないようドアまで移動するんだ」

 ちなみに失敗は、即、死だ。

 戻ってCG回収も不可能。

ハクア「こんちわー!!桂木ーっ、エルシィー! 元気にやってたーっ、て」

 ドアの所までステルス移動していたのに。どうして、こうも、邪魔をするんだ。
 
 事態は、今最悪の時を迎えている。

 残念、桂木桂馬の冒険は終わってしまった!!

ディアナ「現実逃避しないでください」

ハクア「あ、アレ、アレアレ!? ね、ねえ桂木、もしかして私お邪魔だった?」

ちひろ(鎌だ……イベント帰り? 桂木の知り合い? オタ友? 女? 美人?)

歩美(でっかい鎌)

かのん(え、なに? 鎌?)

結(コスプレ?)

美生(変なカッコ。鎌?)

楠(……だ、だれなのだ、もう! これ以上増えないでくれ)

ディアナ(新悪魔の方。確かハクアさん)

エルシィ「どうしたのーハクア、遊びに来たの?」

ハクア「うん、そうなんだけど。いま、大丈夫?」

桂馬「全然大丈夫じゃない!」

ハクア「お前には聞いてない!」

 ゴッ

桂馬「んがっ」

 いちいち鎌で殴るなよ。

歩美(なんだ、エリーの知り合いか……って、なんで安心してるかー、私ーっ!!)

ディアナ「どうも、お久しぶりです。ハクアさん」

ハクア「あ、あー。天理久しぶり」(←知り合いを見つけてちょっと、ほっとしている)

エルシィ「えー、なになにーっ。ハクア、天理さんといつの間に仲良くなったのー」

ディアナ「ええ。この間、桂木さんとデゼニーシーでデートをした時にですね。軽く、会いまして」

チラッ。

 その時ボクは、店内の人間全員が、真昼に白竜が蛇行するのを見たような顔つきで、こっちを注視したのを理解した。

 やめろー、やめろー。ナイスボートだ。このルートだけは、このルートだけはっ!

ちひろ「え、デート!! 桂木がっ、ってかこの子とっ!?」

歩美「え、え、え? なに、なんなの?」

結「へー、やるじゃないか」

エルシィ「えー、私も知りませんよー。ハクアー!」

ハクア「私も行ったんだから、てか、さり気に私を従にするなー!」

かのん「……桂木くん、それほんとう?」

エルシィ「えー、ハクアばっかりずるいー。にーさま、なんで私も連れて行ってくれなかったんですかー」

桂馬「ディアナ、お前は、ボクに恨みでもあるのか?」

あと、エルシィ。お前に発言権は無い。

ディアナ「恨み? そんなものはありませんよ。私は天理のために、よりよい選択肢を取り続けるのみです」

桂馬「この中に女神がいるかもしれないだろ。お前の発言は、パワー減につながるんじゃないか」

ディアナ「……失念していました。私としたことが。これも全て桂木さんのせいです」

桂馬「おい」

 くそ、このままではどうしようもないな。全然話が進まない。

 月夜に今日中に確かめて置かなければならないこともあるし、ゲームも進めておきたい。

 使いたくは無かったが、再びやるしかないのか。

 あの、禁断の強制展開技を。

楠「――っ!?」

ボクが対象を物色し始めると、一番近場にいた楠が距離を開けた。

かのん「あの、どうしたんですか。急に」

楠「いや、何故だか急に悪寒が……」

桂馬「……ちっ」

ディアナ「桂木さん、もしやいつぞやと同じような手を使うつもりでしたか?」

ハクア「いつぞやって、あの、ノーラの時の、胸を、さ、さわ、ってなに考えてんのよっ!!」

ハクア「変態!! 不埒者!」

 安心しろ、ハクア。お前は大丈夫だ。何しろ掴む所がないからな。

ハクア「なぜかしら。いま、非常に不愉快なオーラを感じたわ」

 ダメだな。女神や悪魔は、以外に勘が鋭い。

 そうだな、かのんにするか。意外と、トロそうだし。

かのん「?」

ハクア「だから、やめろっていってんの!!」

 やむを得ない、プランBだ。ボクは、携帯を隠しながらメールを打ち、速やかに送信した。

ハクア「あ、ちょっと。桂木、いま妙な動きしなかった? なに、隠してるのっ。見せなさいっ! このーっ」

桂馬「だが断る」

ディアナ「やめてください。この人にあまりくっつかないで、と以前にもいいませんでしたか?」

ハクア「だれがこんなやつにくっつくかっ! 気色悪いっ!」

 ハクアの鎌が、うなりをあげてボクの腰に叩き込まれる。

 耐えろっ、耐えるんだっ!!

歩美「ちょっと、やりすぎじゃないの!? やめたげなさいよ!」

ちひろ「そうだー。コスプレ女は帰れー!」

ハクア「だれがコスプレかーっ!」

 混乱が猖獗を極めたその時、高らかに両手を打ち鳴らす音が、店内に響き渡った。

エルシィ「はーい、はいはい!! 皆様お静かに願いまーす!」

エルシィ「本日お集まり頂いた淑女の皆様。いろいろとにーさまに聞きたいことがあるようですが、このままここでお話を続けていても収拾がつかないかと」

エルシィ「そこで提案がありまーす」

エルシィ「ここはいったん場所をにーさまの部屋に移しまして、個々に面談をする、というのはどうでしょうか?」

エルシィ「いろいろと他の方に聞かれたくないこともあると思われますし」

ディアナ「私はそれでかまいません」

ハクア「べ、べつにいいケド」

かのん「私も、彼に個人的に確かめたいことがあります」

エルシィ「では、順番にならんでくださーい。整理券を配布しまーす」

美生「……」

結「おもしろそうだね。ボクも参加するよ」

楠「ちょっと待て、私が一番最初だぞ! これだけは譲れん!」

エルシィ「順番は抽選でーす」

 助かった。エルシィがメールに気づかなかったら、そう思うとぞっとする。

 ふふふ。飼いならされた羊どもめ。日本人は列を作りたがる。

 それに、半ば強制的だとしても、自分の決めた選択肢には従ってしまうものなのだ。

 既にエンディングを迎えた攻略相手とはいえいいかげんなゲーマーだと思われたくないしな。

 アフターケアも万全、それが神のクオリティだ。ついでに女神の辺りもつけておけば、一石二鳥。


 ――さあ、各個撃破してやる。ここからが、ボクのターンだ!

『桂馬の部屋』

一人目~エリュシア・デ・ルート・イーマさん~


エルシィ「にこにこ」

桂馬「……で」

エルシィ「さあ、はりきってお話しましょー」

桂馬「わかりにくいボケかたすんなっ! なんで、さりげにお前まで参加してんだっ!!」

エルシィ「そんなこといわないでくださいよう。お喋りしましょうよ! ホラ、ちゃんとお菓子とお茶も用意しましたっ」

桂馬「おまえは頭の悪いOLか」

エルシィ「でも、さっきはすぐメールの指示通り行動しましたよー。ほめてください」

桂馬「ああ。だが許さない」

エルシィ「なんでっ、ほめてほしーです」

桂馬「つけあがるなよ、この小悪魔」

桂馬「――もういい。それより話は、月夜の事だ」

エルシィ「え? にーさまの、これ以降の進退問題についてじゃないんですか?」

桂馬「なんでナチュラルにボクを退場させようとしてるんだよ。とにかく、お前は今から月夜についての情報を集めて来い。スキマが出来たのは、たぶん何かしら理由がある」

エルシィ「え、でも、この後かのんちゃんとお話しよーと思ってたのに」

エルシィ「私、かのんちゃんの振り付けたくさん練習したんですよー。チェックしてもらおーかと」
 きゃっきゃっ

桂馬「情報取ってくるまで帰ってくるな、次」

エルシィ「えー」

桂馬「えーじゃない。だいたいなんで歩美やちひろまで連れて来たんだっ。どこかで適当にまいてこいよ!」

エルシィ「それはですねー。私にも学園における地位というか、グループ内における微妙なパワーバランスがありまして。乙女はいろいろと複雑なのですよ」

 そんなドロドロした女特有の力関係なんてどーでもいい。

桂馬「いけっ!!」

エルシィ「ひゃんっ」

エルシィ「ひどいです、にーさま。腰を蹴りつけるなんて」

 ブツブツいいながら、窓から旅立っていく悪魔。サクサク進めていかないと、今日中に終わらんぞ。

二人目~高原歩美さん~

 コンコンと、控えめにドアをノックする音がする。ボクはPCラックの前にある椅子に深く腰掛けたまま、向こう側で立ちすくむ人物に声を掛けた。

桂馬「どうぞ、開いてるよ」

歩美「へへ、ど、どもー」

 いつもの快活さとは打って変わり、歩美の態度はどことなく挙動不審だった。数台のマシンを同時に起動させているので、室内の空調は常に一定に保たれている。

 カリカリとCPUが刻む、冷たく厳かな駆動音が辺りを覆っている。照明は落としてあるので彼女の表情は見えにくい。ボクは、眼鏡を外すと、疲労でしこった眼球をリフレッシュさせる為、眉間と目蓋をぐいぐいと揉み解した。

歩美「あ、眼鏡はずしてる」

歩美「が、学校じゃ、外さないよね。は、初めて見たかな。はー」

 彼女は、放心したように立ったまま、視線だけは動かさないので、なんとなく気恥ずかしさを感じた。

桂馬「かけなよ。どーしたんだ、キョロキョロして」

歩美「その、私男の子の部屋って入ったことあまりなくて」

桂馬「あまり?」

歩美「あ、あまりじゃないです。実は初めてです、はい。そ、その人形とか飾ってないんだ」

桂馬「別にボクは特典には固執しない性質なんだ。3次元になると手入れも大変だし。
実のところそっちはあまり興味は無い。ギャルゲーはデータだけあれば充分だ」

歩美「そうなんだ。いや、わかっていたというか、わかりたくなかったというか」

桂馬「ところで、今日はボクに何か話があって来たのか。何かあるなら、簡潔に済まそう」

歩美「いやいやいや。別にー、今日来たのは直接桂木になにか用があったから来たんじゃなくて、
その、帰りにエリーと会って? その私たち結構仲良いのに? 
お互いの家にも行ったこと無くて、その、流れ? というか」

 さすが、現役女子高生。まとまりの無い喋り、ここに極まれり。

桂馬「じゃあ、特にないのなら――」

歩美「と、思っていたんだけど。お店に入っていろいろと疑問がうまれました、はい」

歩美「……」

歩美「あー、なんか調子でないなー。うん、私らしくない。よし、はっきりいこうじゃない!」

歩美「――その、今日お店に居る人の中で、桂木と付き合ってる人って、いる?」

 はっきり、と啖呵切ったわりには、ずいぶん尻すぼみじゃないか。

歩美「か、勘違いしないで欲しいんだけどっ、ただ、あれじゃん? 
彼女とかいたら、私らそのマズかったかなー、と。
その、かのんちゃんがアンタなんか相手にするわけ無いけど、
その、鮎川さんとか、コスプレの人とか、春日先輩とか。
特に、春日先輩は前にも教室にアンタのこと呼びに来てたし、そのお」

桂馬「いない」

歩美「ほんとう?」

桂馬「ボクに付き合っている人なんて居ない」

桂馬「なぜなら、ボクのメインヒロインはいつでもここにいるからっ!」

 ボクはPFPを歩美に突き出すように見せ付けると、声を大にして宣言した。

 そう、この中にはセカイの全てが詰まっている。

 完全無欠で、究極の一が。

歩美「は」

歩美「はははははははっ、そーだ。そーだった、そういえばアンタはそういうやつだった」

歩美「はー、バッカバッカしー」

桂馬「馬鹿馬鹿しいとは何事だ。ここには人類の全てが詰まっているんだぞ」

歩美「ところでさー、ひとつ気になったんだけど」

歩美「桂木ってさ、マジで、女の子に興味ないの?」

桂馬「ちょ、おい、近いって」

歩美「いいからっ、答えてよ」

桂馬「ふっ、ボクは2進数のセカイの人間。血と肉を持ったリアル女子等に興味は――」

歩美「本当?」

 気づけば彼女の顔が、ボクの前髪に触れる位置まで近づいていた。

 黒々とした瞳が、モニタの僅かな光を映しこみ、夜の河のようにゆらゆら揺れている。

 睫が震えるように瞬いた。ぷっくりと膨らんだ唇が、誘うように開く。小さく真っ白な歯が、闇の中で蠢く。

 燃え立つような朱に染まった頬が網膜を裂いてちらついた。ボクという観念が消える。存念が失せる。確固たる理想が止揚する。

歩美「ね、試してみない?」

桂馬「――た、試す」

歩美「桂木の手、やらかいね」

桂馬「ボクに、ふれるな……」

歩美「ここから先、任せてもいいかな」

 甘えるようなその声に、思考が硬直化した。

 攻略はゲームの延長。遊戯は遊戯でも命をかけたゲーム。ベットの対象はボクの命だ。

 首筋に巻かれた重たげな契約が、常に囁いている。

 大脳が燃えるようにじんじんと疼く。

 歩美のことを想う。

 青く、涼やかな清流を駆ける、雌鹿のように引き締まった身体が、今目の前にある。

 深く座り込んだ椅子に圧し掛かるようにして、熱い吐息が耳元に触れた。

歩美「ね……」

 意識が白濁していく。曙光は見えない。

エルシィ「はいはーい、時間切れー。時間切れでーす!」

桂馬「げっ」

歩美「っ!!」

 歩美はボクを突き飛ばすと、真っ赤な顔をして走り出していった。

 あ、なんだったんだ今の。落ち着け、たかがリアルだ。

 曖昧なリアルの駄フラグを立ててる場合じゃないぞ。

 ふと気づくと、エルシィが両腕を組んでじっとりとした目線を向けていた。

桂馬「なんだよっ、行ったんじゃなかったのか」

エルシィ「にーさまの、えっち」

桂馬「はぁ!? いいがかりだっ!! ボクが、毒フラグに乗るとでも」

エルシィ「でもー、いい雰囲気でしたー。私が止めなければー攻略でもないのにー」

桂馬「う、うるさいなっ、次だ、つぎっ」

エルシィ「ごまかそうとしてます。攻略でもないのにーキスをー」

桂馬「さっさと行けっての!」

桂馬「……クソ、これだからリアル女子は。前振りも無くルート開放しようとするんじゃない」

 それにしても、歩美は女神なのか。

 キスすれば、いっそはっきりしたかもな。

 正直、主導権を取られるのは苦手だ。

とりあえず今日は終了

これ以上考えても時間の無駄か。次。
 
三人目~青山美生~

美生「ど、どうも」

 猫目で、明るい髪色で、デコが出てて、ツインテールで、小柄な子の登場だ。

 サクサク流してこー。

 美生は緊張しているのか、部屋に入ったきり微動だにしなかった。
 塗り固められた、彫像のようにうっそりと立つ姿を見ながら、ボクは激しく強張っていく肩の凝りと、
この夜を越えていくことの出来る可能性を想った。

美生「あの、私たち初対面よね、ほぼ」

 最初に口火を切ったのは、彼女だった。ボクはギロチン首をさすりながら、眼鏡の弦の座りを無意味にいじると、応えた。

桂馬「ほぼ?」

美生「その、あなたには売店の前で、小銭の使い方を聞いたことがあるわ」

 攻略直後に会った?

桂馬「あー、そういえば、外パンの」

 結と入れ替わっていた時期にパン屋で会う前に、一度顔を会わせていたかも知れない。

 それに同じ学内で、学年なら何度かすれ違っていたこともありうる。

 もっとも、興味ないから気にしたこともなかったが。

 そんな事をつらつら考えていると、目の前の症状は、わざとらしい咳払いをして、

 一歩前に出て、見上げるようにしてボクの顔を覗き込んだ。

美生「私、2Aの青山美生、よ。貴方は?」

桂馬「桂木桂馬」

 既知の人間に自己紹介されるとこんな気分になるのか、とややテンションを下げながらも観察は怠らない。

 そういえばディアナがいっていた。女神は封印の力を使い果たし動けなくなっている、かもしれない、と。

 美生の記憶は完全に書き換えられていた。だが、本当に居ないと断定していいのだろうか。

 彼女ら、の中に女神が居たとしても、力が残っていなければ、人格の表層上に出てこられない、ということもある。

 ディアナは、宿主の表面に出て、身体を自由に動かすまで十年かかっている。

 ボクの仮説では、女神はボクと出会いやすい位置に存在する。

 新悪魔の、エルシィではなく、もっと上のやつらがボクをバディに選び、

 駆け魂を出す方法を恋愛に沿うよう誘導していったのは女神に愛を与え、覚醒を促すものだったとしたら。

 ある程度は当たりを付けていたのかもしれない。

 会いやすい、顔を合わせやすい、共通点を見つけやすい。

 そういった点では、楠は学年がひとつ上にもかかわらず、姉を通してだがエンカウント率は極めて高かった。つまりは、女神として疑える。

 いや、同クラスの歩美やちひろを除けばダントツかもしれない。他の対象者を考察してみよう。

 かのんは出席自体が稀だ。彼女はひとまず置いておくとして。

 ここで、美生を考えてみると、同学年でもあり、バイトを行っている固定キャラという属性も付随する。

 即ち、いざという時、イベントは起こしやすいし、居場所の特定も便利だ。

 ここまで穿って考えると、彼女の家の没落も、父親の死すら疑わしくなってくる。

 やるだろうか。

 あるだろうな、やつらはどういいつくろおうと、悪魔だ。

 仮定として、女神の覚醒が段階的で、記憶の保持が遡って復活するかもしれない、

 という可能性を残しておくと、こいつの中に女神が居ても、別段不思議ではない。

 黙り込んだボクが気を害していると勘違いでもしたのか、

 美生は、所在無げに佇んでいたが、思い切ったように顔を上げると、一気にいい放った。

美生「な、なによ。私は結に付き合ってお店に来ただけで、その、庶民なんかに興味なんてないんだからねっ! 
前々からなんとなく気になってなんかないんだからっ!」

 いわでもいいことをいってしまい、顔を伏せる美生。

 それにしても、なんというツンデレ率。

 正直、最近流行ってないぞ。

美生「ねえ、私たち、どこかで会ったことってないわよね」

 美生が不安げに、眉を八の字にして尋ねてきた。

桂馬「うん?」

美生「な、なによ。なにかいいなさいよっ。これじゃあ、私がいい寄ってるみたいで、その。
   別に、いつもの私はそんなに軽い女じゃなくて、そのホントよ、信じてっ、あなただけなんだからっ」

桂馬「おい、ちょっと」

美生「本当よ、こんな気持ち。自分でも抑えられない。どうしてなの、わからないの」

 小柄な美生が、崩れるようにして、ボクの胸の中に倒れこむ。清潔なシャンプーの香りが漂う。それにしても、ボクの部屋には何かリアル女

 子のテンションをおかしくする物質でもあるのか。甚だ疑問だ。

美生「この感じ」

桂馬「ととっ」

 触られるのは苦手だ。ボクは自分の顔が紅潮していくのを感じ、

 またそれが妙に気恥ずかしく、とめどなく頭の芯が茹っていくのを止められない。

 どーして、現実の女は我がままで、非効率的で精度が低いのにこんなに柔らかいんだ。

 美生のちっちゃな指先にある白い爪が、視界の隅をちらつくたび、息苦しくなる。

 こんなもの、物理的反射だ、動物的情動だ、と頭の中で連呼しても、その先に続くイメージだけが勝手に肥大していく。

 ああ、くそ。リアルの壁は、思った以上に重厚で難物だ。

美生「ごめんなさい」

 潤んだ瞳が、心細げに秋波を送ってくる。

 意図的なものなのか、それとも無意識の産物なのか。女は生まれながらにして娼婦だ、

 とはよくいったもの。全ての現実を踏破すると誓った胸に、あっさりと亀裂が入る。

美生「はしたないってわかってるのに。もう少しだけ、もう少しだけ」

 子犬のように彼女が頬を摺り寄せた。

 と、その時。

 カーン、カーン、カーン、と。 

エルシィ「はーい、はなれてくださーい。コーヒーブレイクです!」

フライパンを叩きながら、羽衣でティーセットを持ち上げつつエルシィが入室してきた。

桂馬「とりあえず、落ち着いて話そう。時間はある」

美生「うん」

 どう考えても、初対面の人間同士が行うスキンシップではない。

 あの夜の続きを、そのまま補完していると考えたほうが理解しやすい。

 美生も記憶といくらか残った感情のギャップに戸惑っているのか。少し離れたクッションに腰掛け、

 ちらちらボクの顔色を伺っているのが見て取れた。

エルシィ「うー」

 エルシィは、親の敵を見るような目で、ボクをにらみ付けると部屋を出て行った。

 あいつ、扉の向こうで聞き耳でも立てているのか……?


『ドアの向こう側』

ハクア「ど、どうだった! ねえ、どうだったの!?」

エルシィ「うー、美生さまと抱き合ってましたっ」

楠「不純な。男女七歳にして席を同じゅうせず、という言葉を知らんのか」

天理「桂馬くん」ショボン

ちひろ「……まさか、あいつにそんな甲斐性が」

かのん「ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソだ」

~再び桂馬の部屋~

美生「ねえ、ひとつだけ聞かせて」

 絶対ひとつで終わらんな、これは。

 今みたいに切り出した場合、女の問い詰めはひとつじゃ終わらないんだよっ!

 ゲームでは。

美生「貴方は、私と夜会に出かけたの?」

桂馬「おかしな質問だな。どうして、それをボクに問う」

美生「それは」

美生「記憶が判然としないの。私の記憶では、運転手だった森田と行ったことになってる」

美生「森田にダンスを教えて、いっしょに踊って」

美生「あいつは、その最初は手に触れただけで真っ赤になって」

美生「なんだか私も、つられてすごく照れくさくて、でも不思議といやじゃなくて」

美生「そして、最後に、そのキスを」

桂馬「じゃあ、それが真実だ。いずれもボクには関係ない」

美生「ちがうの、ちがうのよっ!! それでは嫌なのっ!! そんなことあってはならないっ!!」

 美生の悲壮な顔。セカイがパースペクティブを失い、セピアに染まった。

 視界が逆転すると同時に、身体の内側が激しい搔痒を覚える。

 ボクの胸が、ずきりと痛んだ。

美生「大切な誰かがいってくれた」

美生「私の笑顔を見たいって」

美生「私の心に住みたいって」

美生「例え、私の記憶が誰かに消されようと、その人はずっと居るの」

美生「もうダメだって思った時も、つらくて泣きそうな時も、顔すら思い出せないその人を思えばがんばれるのよ」

美生「ごめんね、それがあなたのような気がしたの」

美生「ホント、馬鹿みたい。迷惑よね」

美生「私の勘違いよね」

 寂しそうに笑う彼女の横顔を見た時、ボクは初めてこの契約を心の底から呪った。

 人の記憶をいじるんだ。

 代償を理解していたつもりだったけど、事実それはつもりでしかなかった。

 人間のココロまでは、どんな精巧な機械も演算できない。

 ここでたやすく彼女に、それはボクだと云えたらどんなに楽だろう。

 もし、彼女の中に女神が居なかったら? これからも攻略は続けなければならないんだぞ。

 その時、この感情は枷になる。

 指先から全身が冷えていくように、ボクのココロを凍結させる。

 神に感情はいらない。必要なのは冷徹なロジックと鋼のメソッドだ。

 目の前の女を人間と認めるな。今はまだ、見切りが出来ない。

 愛を与えるということが、これほどに重いとは、知らなかった。

美生「ねえ、キスして」

美生「そうしたら、きっと」

 女神はいずれ出さなければならない。なら、躊躇う必要などないはずだ。

 ボクは無言で、美生を引き寄せる。

 瞬間を永遠に感じる。

 唇が触れ合う。頭の奥で明度の高いランプが灯る。

 頬に、あたたかな涙を感じた。

美生「なに?」

桂馬「なにか、思い出せたのか」

美生「な、なにも、でも」

美生「もう一度したら、思い出せるかも」

 上気した頬で、恥ずかしそうに呟く。落胆と怒りと、悲しみを同時に感じた。

桂馬「ひとつだけ教えてくれ。お前の中に、女神はいるか」

美生「女神? なに、言葉遊びかしら。それよりも――」

桂馬「そうか。じゃあ、ボクの用事は済んだ。出て行ってくれないか」

美生「え」

 努めて平静に喋ったつもりだ。

美生「え、え、なんで? ね、ねえ。そんなに私とするの嫌だった?」

桂馬「ああ」

 この上も無く彼女の顔が歪んだ。今度は冷静に云えたと思う。

美生「うそよ。だったらなんで」

桂馬「理由なんか無い。しいていえば、相手が君だからだ」

美生「っ!」

 鋭い嗚咽が聞こえた。たまらず顔を背ける。

 視界の端に、彼女の唇が僅かに動くのを感じた。

美生「――さよなら、無駄な時間取らせたわね」

 無理に微笑もうとしたのか、その相貌がますます幼く見えた。握り締めた拳。ボクは汗ばんだ手のひらを、開きまた握った。

 消え入りそうな声とともに扉が閉まる。地上から音が消えたような気がした。

 誰も居なくなった部屋に息を呑むような、激しい孤独を感じる。

 知らず、右腕で死の首輪を掴んでいた。窓際に近寄り、闇に沈んだ道路を眺める。

 眼下に点在する街路灯が濡れたような光を放射している。

 小さくなっていく美生の背中を見ながら、ボクは確かな決別を感じる。

 窓際のカーテンを閉める。

 もう二度と、振り向かなかった。

四人目~中川かのんさん~

桂馬「気を取り直していくか」

桂馬「人間の体細胞なんて2ヶ月で全部入れ替わるし」

かのん「抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、抱き合ってるのはウソ、ウソ、ウソ、ウソ、ウソ」

桂馬「でも、このドアは開けたくない気がする」

桂馬「……でも、開けるしかないのか」

 ガチャリ

かのん「――はっ」

かのん「じーっ」

かのん「ど、どうも」

 かのん、か。会う機会の頻度から考えると、こいつはボクの仮説からかなり離れているんだよな。

そもそも、テスト受けにしか来てないぞ、たぶん。

 かつての攻略相手、つまりは女神候補のひとりに数えられるが、エンカウント率は低い。

 まだるっこしいことはやめて、直に行くか。


エルシィ「にこにこ」

ハクア「じーっ」

桂馬「あのな、お前ら」

桂馬「いったい、いつの間に入ってきたんだ。内包型ウイルスか!? かのんが話しにくいだろう。出てけよ」

ハクア「出てけ? ンまぁ、私たちを追い出してどんな卑猥なことをするつもりなのよ。この、変態クズ男!!」

桂馬「エルシィ」

 ボクはこめかみに軽い疼きを感じ、利き手で最初にハクアを指し、次に出口を示した。

エルシィ「えっと、私はハクアを止めたんですけど」

エルシィ「ハクアはかのんちゃんが一番危ないって」

桂馬「何を考えてるんだ」

ハクア「だって(その子が、ずば抜けてかわいいから)」

エルシィ「じーっ」

桂馬「なんだよ」

エルシィ「あのぅ、にーさま、何かありましたか? その雰囲気が」

桂馬「ふいんき (←なぜか変換できない)がどうしたんだ」

エルシィ(神にーさま、いつもより元気ないです。何かあったんでしょうか)

かのん「あのう、何の話でしょう」

ハクア「私たちのことは気にしないで、桂木がわるさしないよーに、見張ってるだけだから」

かのん「……大変申し訳ないんですけど、席外してもらいません?」

ハクア「え?」

エルシィ「え?」

かのん「え?」

 なに、この展開。悪い予感しかしない。

桂馬「わかった、こうしよう」

 ガチャ、

ハクア「アンタが部屋を出て行ってどーする」

桂馬「わかった」

かのん「……」

 ガチャ

ハクア「だから、ふたりで出て行ってもしょーがないでしょ!!」

桂馬「どーしたいんだよっ!!」

桂馬「もしかして、アレか。お前はあれなのか?」

ハクア「//////」

ハクア「だ、だれがヤキモチなんかお前なんかに妬くかっ! バカっ!! 自意識過剰!! 変態男っ!!」

桂馬「ちょっ、まっ、まだボクはなにもいっとらんっ!」

ハクア「なによっ、なんでそいつの肩ばっか持つのよっ!」

エルシィ「ハクア……」

ハクア「もー知らん!! 桂木なんか、こんにゃくに頭ぶつけて死ぬれっ!!」

 ハクアは、真っ赤な顔をして叫ぶと、低反発マクラをモニタに叩きつけ、部屋を駆け足で去っていった。今日はいったい、何しに来たのか。

エルシィ「……にーさま、ハクア怒って出て行っちゃいましたよ」

桂馬「追いかけてやれ」

エルシィ「はい」

 排除完了。

 さて、ぬるいリアルの壁などでは、真理に到達したボクを遮ることなど出来ない。

桂馬「さ、お邪魔虫は追い払った。何か話があるんじゃないか?」

かのん「うん、その。この間のお礼もまだ、だったから」

かのん「桂馬くんに教えてもらったおかげで、私ちゃんと百点取れたんだよ」

かのん「いつもはお仕事であんまり勉強できないから、学校にはテスト受けに来てるだけになっちゃってるけど」

 一度喋りだすと、最初のぎこちなさはどこにいったのだろうか。

 エルシィもかくや、という勢いで、取りとめも無い話のやりとりをボクらは始めた。

 こうして話すと、特に変わった話題でもないが、とうとうと彼女のお喋りは流れていく。

 おそらく、アイドルという仕事上、かような無為の時間もほとんど取れないのだろう。

 学校に来ないのであれば、腹を割って話す友達も作れないのか、

 彼女は自分の仕事のこと、日常のちょっとしたこと等をさもうれしそうに話していた。

 聞き役に徹しているボクは、注意深く彼女の表情を見ながら、情報を集めていく。

 どいつもこいつも、このくらい話してくれれば攻略は楽なのに。

かのん「――で」

桂馬「よし、次の選択肢だ!」

 キスの事を聞く
 懐のスタンガンについて
 西川かのんについて

→キスの事を聞く
 懐のスタンガンについて
 西川かのんについて

桂馬「なんだ、他の二つの選択肢は」

かのん「え、どうしたの?」

桂馬「回りくどいことはやめて、直接聞くぞ!!」

かのん「あ、私も桂馬くんに聞きたいことがあります」

 ガクッ

桂馬「話の腰を折るなよ」

かのん「桂馬くんって呼んじゃった、でもいいよね。クラスメイトなんだし」

桂馬「ボクの呼び方は好きにしてくれ、それより――」

かのん「さっきのツインテールの子とはどういう仲なんですかっ!!」

かのん「(私、桂馬くんに振られてるし、もしかしたらさっきの子とつきあってるのかな)」

桂馬「どういう仲でもない。少なくとも、君が思ってる関係じゃない」

かのん「じーっ」

かのん「あやしいな」

 警戒心を抱かせてしまったようだ。ボクは速やかに情報を取得したいだけなのに。

桂馬「じゃあ、どうしたら信用するんだ」

かのん「――キ」

桂馬「? 聞こえないよ」

かのん(キスしてみてなんて、いくらなんでも恥ずかしくていえないよー)

桂馬「どうした――」

 ボクがかのんの声を聞こうと、近づいた瞬間。ベッドに置いてあったPFPに明かりが灯るのが見えた。

 スリープ状態にしてあったはずなのにっ!?

月夜『桂馬、ここ、どこですか? 桂馬?』

かのん「女の子の声?」

桂馬「あ、あははははっ。ゲーム、ゲームの声だよ」

 マズイ、マズイぞ! 月夜が起きてしまったらかのんのことは説明しづらいぞ!

 これいじょう、好感度を下げるのはまずい。

 考えろ、考えるんだ、マクガイバー!!

この窮地から奪取する妙手を――っ!!

エルシィ「にーさまっ!!」

桂馬「今度は何だっ!!」

 ドアを勢いよく開いてエルシィが飛び込んできた。うまいぞ、このイベントを上手く活用すれば。あるいは。

エルシィ「下でハクアと歩美さんたちが喧嘩してますー」

桂馬「……オイ」

かのん「桂馬くん、大丈夫? 顔が灰色だよ。気分悪いの?」

桂馬「かのん、時間はいいのか」

かのん「うん? あーっ、もうこんな時間っ! スタジオに行かないと間に合わないよ」

桂馬「下まで送るよ。タクシーも呼んでおこう」

かのん「あ、ありがと。でも、ホント大丈夫? 今度は真っ青に」

桂馬「ハハハ、それは今日のお月様が冴え冴えと輝イテイルカラダヨ」

エルシィ「にーさまの顔色が糸コンニャクのよーに」

トットットットッ、ダンっ!!

エルシィ「きゃっ、急に立ち止まらないでください」

 階段を下りると、そこは戦場だった。

ハクア「だから、何度もいわせないでっ!! カンケーないやつは帰れっ!!」

歩美「だから、私たちは桂木に会いに来たんじゃないってば!」

ちひろ「そうだー、コスプレ女は巣に帰れー」

天理「わわわ、喧嘩はやめようよ……」

楠「お前ら、近所迷惑だぞっ! いい加減にしろっ」

桂馬「……」

かのん「あ、あの桂馬くん?」

桂馬「お前ら――」

 人がやりたくも無いアフターケアや女神探しに心血を注いでいるっていうのに。

 こっちは、もう昼からゲームやってないんだぞ。

 ――やるか。

ここに再び、落し神無双降臨っ!!

 超

 ――強制展開技ッッ!!

ハクア「なにが近所迷惑よーっ、このっ!」

楠「いい年して常識も理解できないのかっ、それに目上の人間には敬語を使うものだっ」

桂馬「あー、ブレイクブレイク」

ハクア「っ! 何よっ、引っ込んでてよねっ」

楠「そうだ、女同士の話し合いだ、桂木は引っ込んでろ」

桂馬「ボクが裁定してやる」

楠「……っ!?」

ハクア「ッ!?」

 ムニョン

 その時、空間は凍結した。

ボクは何の脈絡も無く二人の両胸を同時に掴むとやわやわと揉み解した。

楠「……あ、あ」

ハクア「ふ、あぁ……」

桂馬「ふむ」

桂馬「楠主将のかちー」

 硬直したままの楠の右手を取って勝ち名乗りを上げさせる。

 ――どうだ、前回はこれで悪魔たちを退散させた。今回は。

楠「ふ、ふぇええええっ」

桂馬「へ?」

楠「み、みらいのっ、ひくっ、旦那さまにしかさわらせないってきめてた、っく、のに」

桂馬「え、あ、ちょ、マジで!?」

 ガン泣きかよ。ありえん。

桂馬「ん、酒? 誰だ、飲ませたやつは!」

エルシィ「え、これジュースじゃないんですか?」

エルシィ「その前にいうことがあるんじゃないですか?」

桂馬「んー」

桂馬「主将、アンタはそんなキャラじゃないはずだ」

楠「ふぇええええっ」

ハクア「なんで!! 私の負けなのっ、も、もういっかい、ホラもういっかい試しなさいよっ!!」

エルシィ「ちょっ、ハクアーっ!!」

歩美「さ、最低っ!! 最低っ、最低!!」

ちひろ「変態!! クズ!! 色情魔っ!! 腐れゲーム脳っ!!」

麻里「こ」

麻里「この、バカやろーっがあああああああああああああああっ!!」

 ガッ!!!

 脳裏に、電光が走った瞬間、最期に思ったのは。

 母さん、いたんだ……。

『神のみぞ知るセカイ』 
BADEND【私の神にーさまはコミュニケーション不全でした】
EDテーマ
集積回路の夢旅人

作・桂木桂馬

ランプに火を灯したら さあ出かけよう
始まるよ ホール・ニューワールド

FEELING HEART
感じるよ このトキメキ
(ドキ ドキドキ)

HEALING HEART
どんなこともかなう
(困った時は SAVE&LOAD)

約束の場所で君に会える

素敵な世界の無敵なボクさ
素敵な世界の無敵なボクさ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・
・・・

ゲームを続けますか? Y/N

→Y

ロードしました。

天理「けーまくん」

天理「起きて、ねぇ」

桂馬「はっ! ここは? みんなは」

エルシィ「帰りましたよ。もう」

麻里「あのね、桂馬。女の子は繊細なの。はぁー、ゲームしかやったことの無い桂馬には彼女なんてやっぱ無理なのかなー」

桂馬「っつつ」

麻里「とっさに手が出ちゃったのはやり過ぎだけど、母さんは謝りませんからね」

麻里「ふたりには明日謝っておきなさい、いい?」

 ふ、ふふふ。さすがだ、一瞬にして場面展開させた。

 ゲーマーに不可能はないぜ!!

麻里「ひ・と・の・は・な・し・き・い・て・る!?」

桂馬「はい」

麻里「そうだ、アンタ天理ちゃんにお礼いっておきなさい。気がつくまで膝枕してくれたんだから」

桂馬「ひざまくら」

天理「う、うん」

 天理はボクと目が合うと、恥ずかしそうに視線をそらし、スカートの裾を掴んで顔を伏せた。

桂馬「その、すまない」

天理「い、いーよ。私が無理いってしたんだし。うん。それよりも、桂馬くん。もう平気なの」

桂馬「……」

桂馬「ああ、全部天理のおかげだよ、ありがとう」

 キラキラ(←男前な顔)

天理「//////」

桂馬「ふむ」

 あいかわらず単純なヤツだ。

エルシィ「うー、私もにーさまに膝枕してあげたかったのにーっ」

麻里「ま、エルちゃんたら。桂馬ー、モテモテじゃない!」 

天理「ふふ」

 キャッキャッ、ウフフ。

 で、綺麗に終わるはずもなく。

結「ああ桂木くん、気がついたかい。心配したよ」

桂馬「……え」

エルシィ「結さん、心配して残ってくれたんですよー」

 不運の底には、底があることを、ボクはまだ知らなかった。

~家の外~

ハクア「私も心配して帰らなかったのにー。うぅー入りにくい空気が醸成されてる」

ハクア「私もコーンスープ飲みたいっ、ううっ」



~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~


 五位堂結のことについて語ろうか。といっても、ボクが結に関して持っている情報はそう、多くない。

 私立舞島学園2年A組在籍。ちなみにウィキぺディアに載ってる情報はD組となっているが、間違いだ。

 打ち込んだ者はとっと訂正することをお勧めするよ。正確な情報でなければ、限られたWEB資源の無駄遣いだしね。

 他には、平時は和服を着ていたとか、見たまんまのお嬢様(テンプレ通り!)だったとか、

 ほとんどが過去形なのは、攻略後、需要があるかないかわからないボクっ子にチェンジしてしまったこと。

 そーいえば、ちひろが発足させた2BPENCILSにドラムで加入したとか。その程度だな。

 以上に述べたことは、人間的な本質とはいっさい関わり無い。

 ボクとも関わりなく彼女の人生は、CTRL押しっぱなしに進んでいくと思っていたんだが。

~家の外~

ハクア「私も心配して帰らなかったのにー。うぅー入りにくい空気が醸成されてる」

ハクア「私もコーンスープ飲みたいっ、ううっ」



~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~


 五位堂結のことについて語ろうか。といっても、ボクが結に関して持っている情報はそう、多くない。

 私立舞島学園2年A組在籍。ちなみにウィキぺディアに載ってる情報はD組となっているが、間違いだ。

 打ち込んだ者はとっと訂正することをお勧めするよ。正確な情報でなければ、限られたWEB資源の無駄遣いだしね。

 他には、平時は和服を着ていたとか、見たまんまのお嬢様(テンプレ通り!)だったとか、

 ほとんどが過去形なのは、攻略後、需要があるかないかわからないボクっ子にチェンジしてしまったこと。

 そーいえば、ちひろが発足させた2BPENCILSにドラムで加入したとか。その程度だな。

 以上に述べたことは、人間的な本質とはいっさい関わり無い。

 ボクとも関わりなく彼女の人生は、CTRL押しっぱなしに進んでいくと思っていたんだが。

桂馬「おい、待て。そこでとどまれ」

 無意識のうちに顔が真っ赤になる。

結「どうしたんだい、急に?」

 ボクは大きく深呼吸をすると、眼鏡の位置を直し、彼女の顔を見つめる。

桂馬「よし、その位置だ。そこなら問題ない」

天理「桂馬くん……」

 天理は何か勘違いしたように、しょんぼりと俯く。

 ちがうぞ、これはちがうぞ!

 おそらく、結とボクの身体が入れ替わっていた時の残滓だろう。やたらに触れたり、近づいたりしなければ大丈夫のはずだ。

エルシィ「にーさま、まさか」

結「つれないじゃないか、それにしても気分の方はどうだい? もし、体調がよろしくないのなら、ボクはこの帰らせていただくが」

桂馬「なにか話があったんだろう。もう、外も暗い。送りながら聞くよ」

麻里「桂馬ー、すぐ戻る?」

桂馬「ああ」

結「そうかい、桂木くん。ボクは全然かまわないさ」

 店を出ると、既に外は日が完全に落ちきっていた。

 気温が低く、冷たい夜空には月が冴え冴えと輝いている。

 疾駆するいくつかの雲の群れが、時折光を遮った。

結「なんていうか、君とこうして歩いているのが不思議だな。あ、そういえば、改まって自己紹介したことはなかったよね。ボクはA組の五位堂

結、よろしく」

桂馬「桂木桂馬だ」

 結と当たり障りの無い会話を続ける。バス亭まで歩いているうちに、いつしかボクの意識は深い底に潜行していった。

 ――完全に忘れている、のか? 

 もっとも、彼女が必ずしも真実を述べているとは限らない。

 かといってウソをつく必要も無い、のか?

 ディアナがいったように、女神のいる対象者は記憶を補完している筈なら、

 今までの攻略相手がひとりもボクにアクションしてこなかったのは、異様、とさえいえる。

 キスまで許した相手なら、当然興味があってしかるべし。

 それが、今日の今日まで、話を聞きに来るでもなければ、顔を見に来るわけでもなかった。

 これはいったい、何を指し示している。

 記憶は残っているのか?

 消えているのか?

 それとも、段階的に復元しているのか?

結「――桂馬、くん」

桂馬「すまない」

結「あは、桂馬くんって案外ぼーっとしてる所があるんだね。見た感じは、そう、まるで王子さまみたいなのに」

桂馬「やめてくれ、ゾッとしないな」

結「はは、ま、かいつまんでいうとこれを機に、ボクと友達になってくれないかな、って

話なんだ。どうかな」

桂馬「ああ。かまわない」

結「――よかった」

 結が莞爾と微笑む。その瞳を網膜に焼き付けた時、ボクの背筋から腰骨を一直線に火が走るのを感じた。

~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

エルシィ「にーさま、遅いです」

桂馬「居たのか、エルシィ」

エルシィ「ごはんが冷めちゃうと思って、あれ? あれ?」

ドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロ

桂馬「おい、これってまさか……」

エルシィ「間違いありません、これは」

桂馬「いつもの間違いであってくれよ」

エルシィ「ひどいです、にーさま。こと駆け魂に限って、私に間違いはありません」

エルシィ「結さんに、駆け魂の反応が……」

桂馬「ふ、ふふはははははははっ」

エルシィ「に、にーさま」

エルシィ「にーさまが壊れてしまいましたぁー」

桂馬「もういい」

桂馬「もう何でもこいだっ!!」

桂馬「面白い、リアルがボクに逆らうというのなら!!」

桂馬「何度でも再攻略してやる!!」

桂馬「ボクの二つ名がなぜ、落とし神と呼ばれているか、教えてやろう」

エルシィ「お遊戯の神様ですけどね」

桂馬「ふふふ、お前はあとでオシオキだ」

エルシィ「え、えええええーっ!?」

エルシィ「なんでですか?」

桂馬「自分の胸に手を当ててよく考えてみるんだなっ!」

エルシィ「ん~」

エルシィ「私、なにかしましたかぁ~」

桂馬「したよ、いろいろと。お前は何かしても問題だし、何もしなくても大問題なんだよ」

エルシィ「お仕置はいやです~。堪忍してくださ~い」

桂馬「いやだ、ベンベン」

桂馬「馬鹿なこといってないで、明日以降の攻略手順をだな――」

月夜『どこにいっていたのですか』

桂馬「う」

月夜『私は、こんなふうになってしまって、すっごく不安なのに』

 部屋に入った瞬間、自分の頭から血の気が引いたのがわかった。

桂馬「ちがう、ボクの話を聞いてくれっ!!」

月夜『知りませんでした。桂木さんは、随分と女性の方に好かれているのですね』

 マズイ、マズイぞこれは。

 ここからは、答え方ひとつでバッドエンドに直結する――!

桂馬「あのな――」

月夜『ケダモノっ、二度と信用ならないのですっ!!』

桂馬「あ――」

 PFPの画面が、プツンと音を立てて落ちた。

桂馬「……ふ、ふふふ」

エルシィ「にーさま、どうすんですか、これから」

桂馬「寝る」

エルシィ「えぇーっ!!」

桂馬「あ、お前は情報集めとけよ、月夜と結の分だ」

エルシィ「いまからですかー!?」

桂馬「ZZZZZZZZZ」

エルシィ「そんな、ベタ過ぎですう」

『翌日』

エルシィ「おはよーございます」

麻里「おはよー、エルちゃん、桂馬」

桂馬「おはよう。なんだ、エルシィ、その顔。隈ができてる。夜はしっかり寝ないとダメだ。脳細胞が劣化する」

エルシィ「にーさまは、さぞよく眠れたでしょうねぇ」

桂馬「――いや」

桂馬「寝ていないよ、やることもあるしな」

エルシィ(にーさま、そうだ。にーさまは、月夜さんと結さんのことでよく眠れなかったんだ。
本来、駆け魂狩りは私の仕事なのに、
それを私だけ――なんて逆恨みした自分が恥ずかしいよ。
うん、私もこれからはにーさま以上に頑張らないと)

桂馬「エルシィ、苦労かけたな」

エルシィ「にーさま(やさしい)」

 ありがとう、エルシィ。おかげでちょっとはゲームがやれたよ。

エルシィ「それで、にーさま、月夜さんは」

桂馬「ほら」

 朝、一番でPFP を起動させると、画面上の月夜はベッドの中で毛布にくるまったまま、ぴくりともしない。

 こちらの声掛けにも応じず徹底抗戦の構えだ。

エルシィ「これから、どーしましょー」ひそひそ

桂馬「悪印象は好印象に変換可能。こいつが怒ってるってことはボクを強く意識しているってこと。
幸いこいつの身柄はボクがおさえている。引き続きコミュニケーションをとりながら、スキマを探っていくぞ。あとは学校で、だ」ひそひそ

麻里「ほらー、早くたべちゃわないと片付かないよー」

桂馬「あー、はいはい」

エルシィ「結さんの方は、どうしましょう」ひそひそ

桂馬「休み時間に会うようにしよう。それから、今日は月夜の方を重点的に攻略する。時間を置きすぎるのもよくないからな」ひそひそ

 ボクらは手早く食事を済ませると、家を出る。

結「おはよう、桂馬くん、エルちゃん。今日もいい天気だね」

桂馬「お」

エルシィ「おはよーございます」

 そこには、待ち構えるようにして結がいた。

結「どうしたのかな、ボクたちは友達だよ。学校にいっしょにいこうよ」

桂馬「かまわないが」

エルシィ「いっしょにいきましょー」

美生「おはよう」

 ……さすがにこれは気まずいだろ。結はにこにこしながら、ボクと美生を見比べる。

 美生はボクの視線に気づくと、恥ずかしげに両手を後ろに組んでモジモジし始めた。

 とことんハードルを上げてくれるなっ、リアルってやつは!!

結「うん。別に示し合わせて来たわけじゃないけど、昨日彼女とちょっとした感情の行き違いがあったんだって? 一晩立って頭も冷めたろうし、さ、仲直りしなよ」

美生「――」

美生「……う、うん。まあ、庶民がどーしても仲直りしたいっていうんなら、
特別に結の顔を立てて、昨日のことは水に流してやってもいいかしらっ」

エルシィ「にーさま、昨日美生さんとなにかあったんですか」

美生「……」

美生「//////」

美生「水に、流してあげ、る」

朝から泣き喚かれても、はぁ。しょーがないな。ここで冷たい態度を取っても結にはマイナスなだけだろうし。

桂馬「ボクとナカナオリシテクダサイ」

美生(ホッ)

美生「まったく、しょーがないわね♪」

結「うんうん」

 なんだよ、そのドヤ顔は。

エルシィ「にーさま、リア充すぎますよ」

 その存在とは対極的なものだ。エルシィは間違っている。

 仲良く談笑しながら歩く。いちいち結に会いに行く手間は省けたとはいえ、これは。

桂馬「ところで、お前に聞きたいことがあるんだが」

結「ボクに?」

美生「しょーがないわね。特別に庶民に答えてあげるわ。特別にっ」

 美生が。

桂馬「それでだな――」

美生「もぅ、なんでそんなに聞きたがりなのっ。この庶民は」

結「……」

 美生が果てしなく――。

桂馬「ちょっ、お前には」

美生「庶民は、もう少し身だしなみを整えたほうがいいわね。素材は悪くないのだから」

結「あ、あのね。ボクにもしゃべらせて」

美生「桂馬、明日からはあなたが私の家まで来なさい。その方が効率がいいわ」

 ウザキャラにジョブチェンジしてしまった。

美生「桂馬は――」

美生「桂馬♪」

結「あのね、美生。ボクにも話させて――」

美生「それでね、あのパン屋の主人ったら」

 女の頭の中からは都合の悪い記憶は自然に消去される仕組みなのか。

 なに、この超展開は。

エルシィ「学校に着きましたよー」

桂馬「ぜ、全然、結と会話出来なかった」

エルシィ「美生さん朝から元気でしたねー」

桂馬「お前も少しはなんとかしろよ」

エルシィ「私は結さんとたくさんおしゃべりしちゃいましたよー」

桂馬「お前があいつの好感度あげてどーすんだ」

エルシィ「昨日喧嘩したんですか? でも、よく仲直りできましたねー」

桂馬「そんなワケあるか。アイツの目は、笑っていなかった。つまりは毒フラグだ」

エルシィ「どく、ですか」

桂馬「今の状態で個別ルートに入るわけにはいかない。駆け魂狩りも出来なくなる」

桂馬「その時こそ、ボクとお前の本当の終わりだ」

エルシィ「どーしましょう、どうしましょう! にーさま、マズイですよお」

桂馬「そうならないように考えているんだ。ゲーム展開が進むにつれ、
主人公の能力が制限されていくなんて、Dカウンター上がりまくりだよ。
こんなんじゃDダイヴできないよ」

エルシィ「?」

桂馬「お前はニーナ、いやディクだな」

エルシィ「??」

エルシィ「え、私は別に不自由してませんが」

桂馬「だからお前を主に考えるんじゃない!! お前が従なの!」

エルシィ「えー。それにしても記憶は消されてる筈なのに」

桂馬「地獄の消去方も機能しているか疑わしいな。
よし、エルシィ。出来るだけお前は他のリアルどもが接触してきたら遠ざけるようにするんだ。ここから先は、本当の戦場だ」

エルシィ「あのー、だったら学校を休んで、月夜さんを攻略すればいいのではないかと。結さんの駆け魂はその後に」

桂馬「馬鹿だな、お前は。単位が足りなくなったらどうするんだ」

桂馬「日常はゲームじゃないんだぞ、まったく」

エルシィ「……(堂々と授業放棄してる方がよくいうなあ)」

桂馬「いま、なんか思ったな」

エルシィ「え、ぜんぜん。なにも思ったりしませんから」フルフル

桂馬「そうか、ってバレてんだよ!」

エルシィ「ひーん、信じてくださいー」

 これいじょう攻略(済)どもにまとわりつかれたら、どーしようもないぞ。効果的にスットコを使用していかないと。

楠「あ」

桂馬「うん。うわ!」

楠「……」

楠「//////」

 ダッ! トントントンッ!

 何もいわずに走りさっていった。

桂馬「せめてなにかいえよ。また不条理なフラグが」

エルシィ「わー、かお真っ赤でしたねー。へー、にーさま攻略以外ではリアルに妥協しないっていってましたよねー」

桂馬「おい、なんだその平坦な口調は」

エルシィ「……」

 お前も無言になるなよ!! わけがわからん!

『授業中』

桂馬「おーい、おーい」

月夜『……』

桂馬「おい、だから昨日は悪かったって。話くらい聞けよ」

モブ子「……」

桂馬「月夜? 聞いてるか、おい」

モブ子(やばい、マジやばい。今授業中だよね。なんで桂木のやつゲーム機と会話してるの? 
    違う次元の扉開いちゃったの? 新たなステージに到達しちゃったの?)

桂馬「返事しろって、なあ」

二階堂「――で、あるからして」

桂馬「次の休み時間はちょっと忙しいんだ。なぁ、話し合おう。ボクと君の美しいセカイについて」

モブ子「せ、先生。桂木くんがうるさいんですけど、注意してください」

クラスメイト「「「「「「よくいった!!」」」」」

二階堂「桂木? そんなやつは私の目には映らん」

モブ子「え?」

二階堂「桂木はゲーム脳をこじらせて死にました」

二階堂「――で、このページの主人公の心情だが」

モブ子「……(それでいいんかい!)」

桂馬「おい、せめて顔だけでも見せてくれよ! なぁ」ガチャガチャガチャ

女子1「ねえ、ちょっと冗談じゃなく気色悪いんだけど。アンタ、席変わりなさいよ」

女子2「いや、いやいやいや! それはない、それはないよ!」

女子3「ヤバイって……あいつ」

男子1「狂ってるよ」

歩美「……ばか」

ちひろ「ゲーム脳が」

 そして昼休みになった。一向に月夜の機嫌は直る気配が見受けられない。

 画面上には、小奇麗な部屋と、毛布にくるまった彼女の頭が僅かに見えているだけだ。

桂馬「おい、月夜。おーい」

月夜『現在月夜は出かけておりますので、お返事することは出来ないのです』

桂馬「……」

桂馬「月夜、ぺったん、ぺったんたん」

桂馬「月夜の胸は大草原の小さな双半球」

月夜『アグネスと都知事に通報します』

 聞こえてるじゃん。

エルシィ「にーさま、さっきの授業はちょっと際立ちすぎていましたが」

桂馬「ささいなことは気にするな。……よし、来たな」

 教室の出入り口に、結と美生の姿を確認して、ボクは腰を上げた。

桂馬「エルシィ、例の羽衣人形で誤魔化しておいてくれ。ボクは屋上に行く」

エルシィ「任せてください、にーさま」

 月夜と初めて会った屋上に向かいながら、総括を始める。

 まず、第一点として、消えていた敷物が戻っていた事。

 あれは外界を拒絶するココロの隙間を表す最もたるものだった。 

 つまりは、一度埋まった隙間が再び血を流している、彼女の痛みを表している。そう解釈できる。

 つまりは彼女の周りで、確実に隙間の広がるような何かがあった。

 昨夜のエルシィの調査の結果、彼女の身辺で何かあった、という明白な事実は洗い出す事が出来なかった。

 おそらく本人自身のメンタルに関わることなのだろうが、こういう表に出ない程度のものは、一番気づきにくく解決しにくい。

 直接ぶつかって確かめるしかない。

 第二点として、記憶の保持。

 消された筈のモノが完全に復元しているのか。それとも、彼女が当たりなのか。

 ――月夜の中に女神がいるのか。

桂馬「そんなにボクのこと許せないか」

月夜『……』

桂馬「また、だんまりか。じゃ、これだけは教えてくれ。昨日、お前の家に電話した時、どうして自分の母親にあんなこといったんだ」

月夜『……』

桂馬「友達の家に泊まるから、当分家には帰らないって」

桂馬「エルシィが居たから上手く誤魔化せたけど、男の家に泊まるなんていったら絶対許さなかっただろうな」

月夜『……心配なんてするわけありません』

月夜『桂馬、覚えてますか。私が小さくなった時のこと』

月夜『ママは仕事がいそがしいのです。連絡さえ入れておけばいちいち騒ぎませんよ』

桂馬「……月夜」

月夜『ママはデザインで手一杯。私に構う暇があったら、マネキンに着せる服を一着でも多く考えたいのですよ』

 月夜の人形に対する異常なまでの執着。ボクは気にならないが、高校生になってまでアレを持ち歩くのは、正直なトコロ異常だろう。

 こいつの隙間は人間に対する憎悪だけだと思っていたが……。

桂馬「よし」

桂馬「月夜、放課後、ボクと出かけよう」

月夜『え?」

桂馬「美しいもの、探しにいこう」

桂馬「約束しただろ? 約束は必ず履行する。それがボクのポリシーだ」

月夜『桂馬……』

桂馬「君をデートに誘いたい。受けてくれるだろうか」

月夜『……』

 それは本当にかすかな動きではあったが、彼女がしっかり首を縦に振るのがちゃんと見えた。

『教室』

美生「なによ、やけに無口じゃない」

羽衣人形「……」

美生「箸の進みも遅いし。どうしたの? おなかでも痛いの?」

エルシィ「そーですか? あはは、にーさまおなかがすいて元気がないのかもしれません」

エルシィ「たくさん、食べれば元気になりますよー」

結「じーっ」

結「……ねぇ、これって」

エルシィ「あーっ、窓の外に空飛ぶ鯨がーっ!」

結「え?」

美生「え?」

 一瞬の隙を突いて、羽衣人形と入れ替わる。

桂馬「ふぅ」

結「あ、あれ桂木くん。なんか、妙に存在感がはっきりしたというか」

桂馬「面白いこというな、お前は」

結「あれ、あれ?」

美生「なによ、本当におなかがすいてたの?」

桂馬「そうだよ」

エルシィ「さー、細かいことは気にせず食事を続けましょう」

 なにやら納得がいかない、という思案顔の結を無視し、遅い昼食を始める。

 ちなみに、ボクは食にほとんどこだわりが無い。そもそも食べる、という行為自体時間の無駄なような気がしてならない。

 エルシィが一食ゆっくり噛み込んでいる間に、ゲームなら一人は攻略してるぞ。

結「その、このサンドイッチどうかな」

桂馬「ああ」

 もくもくと平らげるボクの顔を深刻な目つきで眺める結。

 なんだよ、お前がくれたんだろーが。

結「口に合わなかったな」

桂馬「いや、だったらそういってる」

結「ふ、ふーん」

エルシィ「にーさまは、いいたいこと黙ってられない性格ですから」

美生「ね、ねえ。その、庶民は好き嫌いとかある?」

桂馬「ボクは甘いものは嫌いだ」

エルシィ「ふふっ」

 なんだ、こいつ含み笑いしやがって。

美生「へ、へーぇ」

結「ちなみに、このサンドイッチはボクが作ってきたんだ」

美生「くっ、家庭的ね。でも、私だってそのくらい……」

桂馬「結が?」

結「そんな、たいしたことないよ。その、ジロジロ見ないでくれないかな」

桂馬「ふーん、手料理ね」

エルシィ「ちなみににーさまのお弁当は私が毎日作ってまーす」

美生「け、献身的じゃない」

結「やるじゃないか。愛されてるね、桂木くんは」

エルシィ「あ、愛だなんて、そんな。私とにーさまは」キャッ

桂馬「お前は、もう少し食べれるものをつくれ」

エルシィ「そんないいかたしなくてもー」

結「ははっ、褒めてあげなよ」

エルシィ「どきどき」

桂馬「……じーっ」

桂馬「ボクは褒めて伸ばさない。叩いて鍛えるタイプなんだ」

エルシィ「がーん」

結「あははっ」

美生「オムそばパンもいいものよっ。一個百円だし」

桂馬「ひとつくれ」

美生「しょーがないわね、恵んであげるわ」

エルシィ「にーさまぁ」

桂馬「だああっ、いちいち泣くなっ」

 このような凡百にある日常パートに歯を浮かせつつ、昼休みは終わった。

結「ねえ、桂木くん。明日もいっしょに昼食を取らせてもらっていいかな」

結「ねえ、美生」

美生「え、まあ、結がそーしたいっていうのなら別に私は」

それは、こちらとしても好都合である。

桂馬「ああ、いいよ」

結「それと、明日は桂木くんのお昼、ボクが作ってこようか! いいよね、友達だし」

美生「えっ!?」

結「なにかな」

美生「……なんでもないです」

 背後に気配を感じ、振り向く。そこには獣が居た。

歩美「……」

ちひろ「……」

 どーでもいいが、お前の親友たちが人を五、六人殺してそうな目つきでこっちを睨んでいるのだが。

あっちはいいのか?とりあえず、見なかったことにしよう。

『放課後、デゼニーシー』

桂馬「というわけで、なるさわ市のデゼニーシーにやってきました」

桂馬「あと、前回の経験を踏まえて五時以降は割安になるらしい」

桂馬「財布にもやさしいしね」

月夜『桂馬、私デゼニーシーってはじめて来ました』

月夜『もちろん、男の人とふたりで、って意味ですけど』

桂馬「そうか。じゃあ、今日はしっかり楽しんでくれ」

カップル男「あいつ、ゲームのキャラと喋ってんぜ」

カップル女「やだー、超キモーい」

オタA「ふひひ。同士発見。でも、ボキの嫁は抱きマクラ。あの眼鏡クオリティ低ス」

月夜『桂馬』

桂馬「雑音など気にするな、ボクラはいつもいっしょだ」

月夜『エスコートは任せます』

桂馬「そうだな、とりあえず無難に最初は、コーヒーカップで決めよう」

 ボクは月夜の映し出されたPFPを抱きかかえると、カップに着座する。

 しかし、これを最初に考えたやつはどういう脳の構造をしているんだろうか。

 中央のハンドルを回すと回転数が早まるなんて脱帽だ。

月夜『桂馬、少し回しすぎでは?』

桂馬「はは、このくらいで、月夜もたいしたことないな」

月夜『むかっ』

月夜「いいでしょう、最大限までやりなさい』

桂馬「後悔するぞ、いいのか?」

月夜『後悔するのは桂馬だけ、なのです』

桂馬「その言葉、ボクに対する挑戦と見た! いくぞっ」

 それ、ぐーるぐーる、ぐーるぐーる、ぐーるぐーる。

 ぐーる、ぐーる。

 ぐーる、ぐる。

 ……。

 …。

桂馬「ぐえぇ、まわしすぎた」

桂馬「これは、三半規管に来るな」

 胃がでんぐり返りそうだ。

月夜『だいじょうぶですか、少し休みますか?』おろおろ

桂馬「ふっ、神に休息など必要ないわ、次は、そうだこれにしよう」

桂馬「イッツ・ア・ショート・ワールド」

月夜『版権的にはデリケートな場所ですね』

 こまけえこたぁいいんだ、というところか。ボクらは、さっそうと最小世界に乗り込んだ。

桂馬「ふたりです」

係員「へ?」

桂馬「ふたりでお願いします」

係員(ああ、そうかかわいそうな子なのか)

 ボートに乗って河下りをしながら、世界各国を回るアトラクション。

 いろんな民族衣装を着た人形やらギミックやらに、月夜も目を細め大満足だ。

月夜『わあ』

月夜『いいものですね』

桂馬「そうだな」

月夜『あ、見て見て桂馬。あの子の衣装、ルナとそっくりです!』

桂馬「著作権侵害だな、訴えよう」

月夜『あは、桂馬ったら』

 なんとなくしみじみしてしまった。しばらくたつと、ちょっとした暗がりに入る。

 ここぞとばかりに、前の席のカップルがキスをし始めた。

 サカってますね。リアルってやつは風情がなくて困るよ。

月夜『ね、桂馬』

桂馬「どうしたんだ……」

 声に気づき画面に視線を落とすと、月夜が恥ずかしげに目を伏せ、小鳥のように口をちょんと突き出しているのが見えた。

 んー、深く考えなくてもいいか。

 ボクは、PFPを持ち帰ると、画面の月夜に自分の唇を合わせた。

 そっと離れると、画面上のアニ月夜が頬を上記させてこちらを見ていた。

月夜『ふふ』

桂馬「んー、そろそろ終わりかな」

月夜『桂馬、かわいいです』

桂馬「なんだよ、それ」

 このあと、ボクと月夜は順調にイベントをこなしていった。

 すなわち空飛ぶ象に乗ったり、機関車に乗ったり、絶叫マシーンに乗ったりした。月並みだな。

桂馬「最後に観覧車にでも乗ろうか」

月夜『意外と、ロマンチストなのですね』

桂馬「なんかいったか?」

 パスの終了時間もあと少しである。のんべんだらりと列に待っていると、後ろから声を掛けられた。

カップル男「あのー、大変申し訳ないんですけど、順番譲ってもらえませんか?」

カップル男「その、実はパスの時間がギリなんで、最後にこいつと乗りたいんです」

カップル女「おねがいします」

係員「譲ってやりなよ、兄ちゃん」

 だが、それはこちらとて同じ事。

 ここで譲って次の周回グループに回ってしまうと、

 月夜から悩みの話を聞きだしていくルートを変更せざるを得ない状況になってしまう。

桂馬「時間が無いのはこっちもだ」

桂馬「あいにくだが、ダメだ。ボクにも連れがいる」

カップル男「え、どこに?」

桂馬「ボクの彼女は、いつでもこの中に居る!」

係員「……」

カップル男「……」

カップル女「……」

係員「あのな、兄ちゃん。兄ちゃんはオタクってやつか? 
アベックに嫉妬してるのかわからんけれども、そういう嫌がらせはやめたほうがいいぜ」

係員「そんなんじゃ世の中通用しないぜ」

野次馬「そーだ、そーだ譲ってやれよ!」

野次馬B「オタクは巣に帰って、ゲームやってろやー!!」

 どうやら周囲の人間全てを敵に回してしまったようだ。これだから現実ってやつは。

 どっちにしてもボクは引かないがな。ふははは。

桂馬「黙れ!! なんといわれようと、この席は譲らない!」

 ゆーずーれ! ゆーずーれ! ゆーずーれ! ゆーずーれ!

 群集効果もあってか、怒号のような譲れコールが巻き起こる。

 怒声は、地を響かせ、空を割るようだ。

月夜『も、もういいですよ。桂馬、いきましょう』

桂馬「いやだ、譲らん」

 気づけばほとんどつるし上げになっていた。

 引き倒され、小突き回される。ボクは月夜をしっかり胸に抱きしめると、自分の意思と理念を思った。

 最後まで、成し遂げよう。それだけを考えて、痛みに耐える。

 何の為に行うのか。何の為に貫くのか。

 迷う時期など元々無かった。ならば。

 強く立ち上がる。いつしか、人々はボクの形相を見て遠ざかっていた。

 係員にパスを見せる。痛む膝を無理やり叩き起こし、遊具に滑り込んだ。

月夜『なんで、なんでそこまで』

 しゃくりあげる声。なんて、ボクらしくない。けど、代償を払った価値があると。

月夜『馬鹿です、本当に』

 信じ、続けなければ、世の中に行えることなど何も無いのではないか。

桂馬「月夜、見て」

月夜『わあ……』

 落ちていく夕日は、想像ほどではなかったように思える。

 燃えるような夕日が、山際の稜線へとゆっくりと落ち込んでいく。

 視界の隅々から黒と紅の混じったグラデーションが、境界線を塗りつぶしていく。

 目蓋を焼く、光量が最後の輝きを見せた。同時に、黒の世界が始まりを告げた。

 手に入れられるものは、ほんの少し。

 それでも人は、どうして進んで代償を払い続けようとするのだろうか。

桂馬「世界は、美しくないかもしれない」

月夜『桂馬、そんなことは』

桂馬「それでもボクは、この風景を君に見せたかったんだ」

月夜『ありがとう』

月夜『あり、が、とう』

桂馬「泣かないで欲しいよ。な」

月夜『うん』

月夜『桂馬に、聞いて欲しいのです』

 月夜がまさに話しはじめようとした時、観覧車は地上に到達した。

桂馬「なんて、タイミングの悪い」

桂馬「話、歩きながらでもいい」

 月夜が画面の中で頷く。僅かに暗い目が光ったように見えた。

桂馬「あ、れ」

 扉を開け、腰を上げると、妙に頭が重く感じる。

 視界がゆっくりと狭まっていく。

 膝に、生暖かい物が落ちた感触。窓ガラスに自分の顔を覗き見ると、間抜けにも鼻から一筋の血が流れていた。

 意識が空転していく。眠りに落ちていく瞬間にも似た意識の喪失。

桂馬「月夜、ごめ――」

 硬質な落下音と共に、理性を喪失した。





~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

 桂馬が倒れた。

 理解できない。私は、自分の口から吐き出される叫びを、どこか人事のように感じていた。

 何も感じないようにしてきた。意識を、感情をなるべく押し殺して生きてきたつもりだった。

「桂馬、桂馬、しっかりして、ねえっ、ねえっ!!」

 何も答えない。横倒しになった彼の表情は、私の位置からは、まったく確かめられない。

「誰か、誰か来てくださいっ、桂馬がっ、桂馬がっ」

 胸の奥が焼け焦げたようにちりちりする。

 今すぐ駆け寄って抱き起こして上げたかった。

 ここから出られれれば、通報することも助けを呼ぶことも出来るのに。

 ――ここから出る?

 桂馬の身体も心配だったが、それ以上に私の意識を萎えさせたのは、この完璧な世界を捨ててしまう、という恐怖心だった。

「あ――」

 少なくとも、この中に居れば、辛いことも悲しいことも無い。

 アノ人にも会わなくて済む。

 桂馬はなんだかんだいっても優しい。

 私をいつでも気にかけてくれるし、お姫様のように扱ってくれる。

 現実世界に戻ってしまえば、私は一日中誰とも口を利かない事だって当たり前だった。

 そんな世界に戻る。

 ルナとお月様だけが友達の、暗く冷たい世界。

 私をひとりの人間として、女の子として扱ってくれた桂馬。

 今、その全てを失おうとしている。

 私と世界。

 セカイと桂馬。

 比べる意味などなかった。

 ――本当に必要だったのは。

「にーさま、大丈夫ですか!!」

 私が呆然としている間に、彼の妹さんがどこからともなく駆けつけてきた。

 そこからは、流れるように救急隊員が駆けつけ、彼を病院に搬送していった。

 私の胸の中を真っ黒な霧が覆っていく。 

 美しいものを見つけられなかったのは、結局私自身が醜いからだったからだ。

 両親の離婚。崩れ落ちていく世界。

 私がやって来たことは、過去を憎み、母と自分を捨て去っていった父を憎み、

 それから生活を支える為にがむしゃらになって働いてた母を蔑むことだけだった。

 感情の発露を動物的だと捉え、蔑み、孤高の住人を気取ることだけでしか、自分を慰めることが出来なかった。

 ひとりぼっち世界が美しいわけが無い。

 物言わぬ人形が暖かいはずも無い。

 何のぬくもりの無い冷たい世界の月になって、冴え冴えと輝いたとしても。

 誰がその美しさに微笑んでくれるのだろうか。

 彼の母は、病院に急いで駆けつけると泣き出しそうな顔で終始うろたえていた。

 こころが、また強く軋んでいく。

 今日一日安静を言い渡され、彼の母親は心配そうに帰っていった。

「大丈夫ですよ、月夜さん。にーさまは、ちゃんとお医者様にみてもらって太鼓判押してもらいましたから」

 彼の妹は、私を気遣ってそういってくれた。

 彼女も私がこんな姿でも差別をしない、あたたかい人だった。

 自分がたまらなく恥ずかしい。

「少し月を見たいのです。屋上に連れて行ってくれませんか」

 彼女は多くをいわず、私を大事そうに抱え、病院の屋上に据え付けてあるベンチにおいて去っていった。

 無理をいってひとりにさせてもらったのだ。

「じゃあ、三十分たったら迎えに来ますので」

 空を眺める。分厚い黒雲が、幾層にも重なりあって辺りを覆っている。

 雨の降る気配は無いが、それゆえいっそう圧迫感が募った。
 
 風すら鳴りをひそめている。 

 世界は死に絶えている。そう感じた。

 じっと目を凝らし、闇を見つめ続ける。

 月はまだ見えない。


~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~



桂馬「エルシィか」

エルシィ「はうっ、にーさまもう起きてだいじょーぶなんですか」

桂馬「こんなもんはどうってことない」

エルシィ「でも、傷が傷ですし。今日はとりあえず休んでくださいよ、ね」

桂馬「そんな悠長に構えてる場合じゃない」

桂馬「とっ、月夜の入ったPFPはどこなんだ」

エルシィ「それなら屋上に。月が見たいって」

桂馬「くそっ、なんてことだ。いくぞっ」

 ボクは頭の包帯を取り外すと、駆け出した。

エルシィ「走っちゃだめですよー、にーさま」

桂馬「いそげっ」

 屋上にたどり着く。

 心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、頭の奥が爆発するように、ズキズキ痛んだ。

エルシィ「あれ、屋上の扉が開いてる」

桂馬「これは……」

 ベンチにあるPFPを起動させる。そこには、通常の起動音と共にロゴが映し出され、月夜の姿は無かった。

 ベンチの下を見ると、床を黒くぬらした水の痕跡が残っていた。

 ボクは唇をかみ締めると、中指で眼鏡の位置を直した。

 ここが、最後の分岐だ。

エルシィ「あ、あれー。月夜さんがいませんよー!?」

 エルシィが慌てふためくのを見て少し冷静になる。

 なるほど。実はこいつ要所要所で役に立ってるな。

エルシィ「どうしましょう、ねえどうしましょうにーさま!」

桂馬「慌てるな、センサーを使えといつもいってるだろうが」

エルシィ「あ、はい。――よかった、まだそんなに遠くへは行ってませんよ」

エルシィ「けど、どーしてゲームから出られたのに黙って出て行っちゃったんでしょう」

桂馬「……」

 世界からの逃避。
 
 愛への枯渇。

 自己嫌悪。

 そして、母親への反発。

桂馬「全てのフラグメントは収束した」

桂馬「――エルシィ。見えたぞ、エンディングが」



~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

 私の行うことが全て罪に値するならば、せめて何も為さない事が善行に繋がると思いたい。

 そういったのは誰であったのだろうか。

 気づけば私は、夜気に身を震わせ、ひとり佇んでいた。

 敷物の無いベンチが私の身体から熱を奪っていく。

 傍らにある、彼がいつも持っていたゲーム機を見つめ、それから自分がこの世界に帰還したのだとようやく気づいた。

 私も、幼いころはもっと快活で友達もたくさん居たような気がした。

 好んで世間を遠ざけ、その挙句がこの有様だ。月明かりささない闇の中、街灯のぼんやりした光を頼りにゲームのスイッチを入れた。

 クリアな音と共に、会社のロゴらしきものが浮かび上がる。

 それから、四苦八苦してゲームを起動させると、彼が好きだったゲーム始めてみた。

 コミカルな音と共に、画面のアニメが動き始める。

「ふふっ。桂馬はこんなのが好きなのですか。本当に変わった人です」

 究極の美の探求者。彼が美を語るのは、さすがにおこがましいが、好きなのであれば仕方が無い。

 だって、仕方が無い。

 好いてしまうことに、理由などないのだから。

 彼の記憶は一部あいまいだった。ただ、感情とあの時いえなかった言葉だけが、ずっと胸に巣食っていた。

 いつか、あの場所に居続ければ、日常からかけ離れた素敵なことが起こるような気が、根拠も無くあった。

 けれども、現実ではそんなことはありえない。自分でも理解していた。

 世界と理想に折り合いを付ける。

 当たり前のことが出来ない自分は、異常なのではないのだろうか。

 努めて平静を保つ。揺り動かされない仮面だけが、私を守る盾だった。

 けれども、本当は構って欲しかった。抱きしめて欲しかった。必要とされたかった。

 物質的に満たされていても、心は常に飢えていた。

 あの、冷たい家に帰るつもりは無い。

 どうして、私はあの時、ここから出られなかったのだろうか。

 自問自答する必要も無く。

「ごめんなさい、桂馬」

 心が答えを出していた。

 顔中が燃えるように熱い。

 私は、自分の中の感情が涙といっしょに流れ落ちていくのを感じた。

 子供のように蹲り、床に両膝を突いて泣き叫んだ。

 髪を掻きむしって、頭を振って、鼻を垂らして、幼児のように、誰はばかることなく感情を開放した。

 それから、祈った。私が祈るのはいつも月だ。哀願した。

 どうか、顔を見せておくれ、と。

 桂馬を見捨て、保身に走った自分は許せない。

 彼は頭を打っていたのだ。もし、取り返しのつかないことになっていたらどうしていたのだ。

 いつものように、取り繕っていたのか。そうだろう。自分はそういう女だ。

 ――もしかしたら、それを望んでいたのかもしれない。

 そうすれば、なに憚ることなく、彼といっしょに居られる。スマートかつ優雅に。

 感情がグチャグチャだ。心の置き所がない。逃げ場所が無い。

 居ていいところも見つけられない。

 びたびたに涙で濡れたタイルを見て、苦笑が漏れた。

 今の私は、たぶん世界で一番醜い。

 ふらふらと立ち上がる。

 桂馬には、もう会えない。胸がバラバラに砕けそうだ。

 私は、今、誰かに自分を壊して欲しいと心の底から感じる。

 誰か、私を壊して。

 もの言わぬ、人形のように。




~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

桂馬「早く、見つけるんだ。ボクの予想では、今の月夜は酷く不安定な状態にある」

エルシィ「えー、なんでわかるんですかっ!?」

桂馬「このパターンはさんざん経験してきた、ゲームではっ」

エルシィ「……それが、結構当たってしまうから、問題なんです!」

桂馬「どこだ、どこだ、月夜!」

 今の心理状態では、そう遠くまで行けないはずだ。

エルシィ「あくまでも勘、なんですねっ!」

桂馬「うまいこといったつもりか」

 今は、もうほとんど午前をまわる寸前だ。おまけに、駅前のこの辺りは治安がいいとはお世辞にもいえない。

 危険だ。火薬庫に葉巻を投げ込むがごとく。

 胸ポケットの携帯に、着信が来た。先程から何十回目だろうか。

 そういえば、今日はしている暇が無かった、な。

桂馬「あー、母さんか、今は忙しいんで、うん。用件は聞かなくてもわかってる。じゃあ」

 母さんの怒声を浴びながら、携帯を切った。

エルシィ「電話してる場合じゃないですよっ」

桂馬「あー悪い、悪い」

エルシィ「あれ、月夜さんですっ!」

 エルシィの声に顔を傾けると、舞島の制服を着た少女が、中年の背広姿の男に手を引かれ、そのまま着いていっている。行く先は、……。

 また、パターンだな、おい。条例違反だよ、それは。

桂馬「今時、昼ドラでもやらないぞ、かかれっ」

エルシィ「おーっ!!」

 ボクの掛け声と同時に、エルシィの羽衣が縄状に変化する。

 するするとそれは意思を持った蛇のように伸び、男の足首に巻きつくと同時に引き倒した。

桂馬「月夜っ!!」

月夜「け、いま」

桂馬「逃げるな」

月夜「あ、あ。だって私、わたし」

桂馬「ちょうどいい、今からつきあって欲しいところがある」

月夜「はなしてください、はなして――」

桂馬「ダメだね。この手は離せない」

桂馬「なんで、あんな真似をしたんだ」

月夜「私は、私に罰を与えようと」

月夜「だって、私は、こんなにも、醜いのに」

月夜「どうして、あなたは」

 ボクは無言のままタクシーを止め、月夜を叩き込む。

桂馬「エルシィ、ボクら家に帰る。お前は、あとで、な」 

 目配せをする。さすがに、理解したのか、エルシィは猛烈な勢いで首を振ると、やや真剣な顔で直立不動の姿勢をとった。

 車の中で、彼女は終始無言だった。病院から、家まではそれほど離れていない。

 支払いを済ませ、二人きりになると、再び静寂の世界が辺りを覆った。

月夜「私は、あの時、桂馬を助けたかったのです」

桂馬「ああ、わかってる」

 簡単な話だった。

桂馬「ひとつ賭けをしないか」

月夜「賭け、ですか」

 彼女が必要だったのは、美しい世界でもなく、価値観の変革でもなく。

桂馬「今日は、お前の家に電話をしていない」

桂馬「この先を曲がった角が、知ってのとおりボクの家なんだが」

桂馬「君の大切な人は来ているのかな?」

月夜「来るわけないです。ママは、ソウルで大切な仕事が――」

桂馬「それでも、定期連絡の時間からすれば、ギリギリ間に合うはずだ」

月夜「来るわけないです、桂馬、もういい加減に――」

桂馬「いいかげんにするのはお前のほうだ!!」

月夜「――っ!?」

桂馬「どうして、何も見ようとしない、感じようとしない、信じようとしないんだっ」

月夜「だ、だって、この世界は誰も彼も嘘つきで」

月夜「桂馬だって、私のこと無視していたのですねっ!!」

桂馬「でも、今はちゃんとここにいる」

桂馬「君のそばに居るよ」

月夜「うそだ、うそだ、うそだっ!!」

月夜「私だって、なんだかわからないけど、桂馬のこと忘れていたっ」

桂馬「いいかげんにするのはお前のほうだ!!」

月夜「――っ!?」

桂馬「どうして、何も見ようとしない、感じようとしない、信じようとしないんだっ」

月夜「だ、だって、この世界は誰も彼も嘘つきで」

月夜「桂馬だって、私のこと無視していたのですねっ!!」

桂馬「でも、今はちゃんとここにいる」

桂馬「君のそばに居るよ」

月夜「うそだ、うそだ、うそだっ!!」

月夜「私だって、なんだかわからないけど、桂馬のこと忘れていたっ」

月夜「こないで、こっちにこないで!」

月夜「この世に美しいものなんてないっ」

桂馬「そうかな?」

月夜「わっ」

 ボクは月夜の肩を無理やり押し出した。通りの辻から、首だけ突き出す格好になり。

 そして――。

月夜「ウソ――」

桂馬「ウソじゃない。連絡が無ければ、飛んでくる程度には大切にされてるらしいな」

 家の前には、母さんと、月夜の母――初見であるが間違いない――月夜とよく似た女性、九条陽子が、

 餌をもらい損ねた熊のようにうろうろと歩き回っているのが見えた。

桂馬「世界は、きっと、もう君を裏切らない」

月夜「桂馬、あなたは世界のこと、なんでも知っているのですね」

月夜「まるで、神様みたい」

桂馬「そう、ボクは神だからな」

桂馬「――神のみぞ知るセカイだ」

 月夜を抱き寄せる。二人で並んで、空を見上げた。

 分厚い雲から、前途を祝福するように、銀色の月が星屑を纏って煌いている。

 月夜の顔。長い睫が、細く瞬いている。

月夜「あの時、いえなかった。だから、いわせて欲しいのです、桂馬」

月夜「大好き、愛しているわ」

 答えず、口付けた。

 それは、短いようで、長いようで、心で計れば永遠だった。

月夜「この瞬間も、私、忘れてしまうのですか?」

桂馬「大丈夫。ボクは神だ」

桂馬「月夜が忘れても、ボクとあの月は、永遠に忘れはしない」

 月夜の身体が、暗夜を割いて輝きだす。視界の向こうに、ボクは苦心して出した、諸悪の根源を確認した。

桂馬「――いまだ、エルシィ!!」

エルシィ「おつかれさまでした、神にーさまっ!!」

 エルシィの抱える拘留ビンが、蠕動しながら巨大化する。

 ここからは、単純な力の引き合いになる。

エルシィ「こ、のーっ!!!」

 真っ赤な顔をしたエルシィがビンを抱えたまま宙を舞い続ける。

 やがて、引き合いは最後を迎え、駆け魂は力尽きた。

エルシィ「やったー! 駆け魂、拘留!!」

 笑顔のままVサインをする、悪魔を見ながら、ボクはその場にへたり込み、そしてボクだけの神に祈りをそっと捧げた。

 答えず、口付けた。

 それは、短いようで、長いようで、心で計れば永遠だった。

月夜「この瞬間も、私、忘れてしまうのですか?」

桂馬「大丈夫。ボクは神だ」

桂馬「月夜が忘れても、ボクとあの月は、永遠に忘れはしない」

 月夜の身体が、暗夜を割いて輝きだす。視界の向こうに、ボクは苦心して出した、諸悪の根源を確認した。

桂馬「――いまだ、エルシィ!!」

エルシィ「おつかれさまでした、神にーさまっ!!」

 エルシィの抱える拘留ビンが、蠕動しながら巨大化する。

 ここからは、単純な力の引き合いになる。

エルシィ「こ、のーっ!!!」

 真っ赤な顔をしたエルシィがビンを抱えたまま宙を舞い続ける。

 やがて、引き合いは最後を迎え、駆け魂は力尽きた。

エルシィ「やったー! 駆け魂、拘留!!」

 笑顔のままVサインをする、悪魔を見ながら、ボクはその場にへたり込み、そしてボクだけの神に祈りをそっと捧げた。

EDテーマ「コイノシルシ」
http://www.youtube.com/watch?v=9pMi7Bo8Dto&feature=related



エルシィ「やりましたねー、にーさま。苦労しましたよ、今回も」

桂馬「感動にひたってるところ、悪いんだが」

桂馬「まだ、結の駆け魂、残ってるからな」

エルシィ「はっ!」

桂馬「はっ、じゃなーい。このヘッポコ!」

ふ、最後にポカしちゃったお
2回投稿してしまった

桂馬「そういえば、お前、駆け魂の反応が二つあったとか、どうとか」

エルシィ「……おかしいですね。彼女の中からはもう反応がありません」

桂馬「壊れてんじゃないのか、そのセンサー」

エルシィ「え~。そうかなぁ。一度見てもらった方がいいですかねぇ」

桂馬「要交換だ」

桂馬「ついでにお前の残念な頭の中身も交換してもらえ」

エルシィ「う~」

桂馬「ま、それはともかく」

桂馬「元々ボクはルート決め打ち派だ」

桂馬「明日からは、的を絞っていくぞ」

エルシィ「月夜さん大丈夫ですかねぇ」

桂馬「ま、平気だろ。それに気にしても仕方ない」

桂馬「彼女の物語はこれで完全に閉じた。ボクの中ではね」

桂馬「それでも、不安が残るなら」

桂馬「あの月に祈っておけばいいさ」




~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~


月夜編epilogue bridge

 不透明な空を見続けているうちに、ふと雨の匂いを感じた。

 私は、いつものお気に入りのベンチから腰を上げ、雨の気配で重たくなった前髪を弄びながら、ルナを抱きなおした。

 今週の天気予報は当てにならない。おととい、きのうと、外れっぱなしだ。
 
 今日は、傘をもってきておいて正解だった。 

 日常は出来るだけ軽快に過ごしたい。ルナも居るし。

 私はあまり力も無いので、たくさん荷物があるとすぐ、疲れてしまう。

 それに、今日は母が早めに仕事を切り上げて来るので、いっしょに食事をする約束をしている。

 ――まるで、子供だ。いや、私はまだ子供なのか。

 ずっと、醜いと思っていた世界も見方をひとつ変えればそれほど酷くない。

 いや、好ましい、と思えるようになったのは、私が成長したからだろうか。

 きっかけは、自分でもよく覚えていない。

 けど、まるきり違った世界でも、互いの歩み寄りでどんな風にも近づけることを知った。

 あの日、子供のように泣きじゃくって母と話を続けるうち、彼女も理想と現実の間で苦しんでいたことを知った。

 出来ることと、出来ないこと。

 醜さを切り捨てるのではなく、その中で美しさを探し続ける意味。

 目の前が、不意に開けた気がした。

 私の心はあの日からずっと穏やかだ。

 意識は常にクリアで、呼吸は健やかだ。

 つまらない、価値を認めなかった日常が黄金より価値があると気づけたのは僥倖だった。

 ――けど、なぜだろうか。

 まるで、傍らの羽をもがれたように、時折酷い寂しさを感じる。

 それは、根拠の無い痛みだが、なぜか懐かしさすら覚える。

 重たげな扉を両手で押し広げ、階段をゆっくりと下りる。

 過ぎていく教室のあちこちから、談笑する声や、楽器の爪弾く音色が漏れ聞こえる。

 渡り廊下の窓から覗き見える鉛色の空が泣き出しそうで、歩を早めた。

 下駄箱で靴を履き替え、傘立てを見た。ない。確かにここに置いておいた!

 ついていない。知らず、ため息が漏れた。

 きっと、傘を忘れた誰かが持っていったのだろう。
 
 その人は、きっと特別な用があって、やむにやまれず傘を拝借したのだろう、と思い込むことにした。

 濡れて帰る。それとも止むまで待とうか。

 お話のように、そうそう知り合いが、しかも同じ方角に帰宅するクラスメイトが通りかかる。

 そんな、夢想が頭の中に沸き起こり、直ちに霧散した。

 ふと気づく。

 目の前の昇降口に、自分と同じように足止めをされて立ち往生している男性が居た。

 細身で長身だが威圧感は感じなかった。

 一際胸が高鳴った。

 理由など無い。彼の背中を見るにつけ、自然と頬が紅潮するのがわかる。

 なんだ。なんだ?

 理解できない。まったく知らない人だ。――いや、知り合いか?

 自分には親しい男性など居ない。前に回って顔を確かめようか。

 足が出ない。縫い止められた人形のように微動だに出来なくなってしまった。

「災難だな。今日の降水確率は安全基準値を満たしていた筈だ」

 少年の声は、思っていたより低く、なぜかよく耳になじんだ。

 さ、声を掛けろ。声を出せ。自分を鼓舞する。だが、のどの奥に粘土を詰め込まれたみたいだ。

 舌が乾いた雑巾みたく、上あごに張り付いて動かない。

「精密機器は水に弱い。もっとも、人間は完全防水だけどね」

「あ、あの――」

 彼が、前を向いたままそっけないデザインの傘を突き出してきた。

 何も考えずそっと受け取るときに、細い指が私の手に触れた。

 冷たく、滑らかな感触だった。

「どうやら、君のデータは保護しておいたほうがいい」

 使え、という意味なのだろうか。

 誰。

 あなたは――。

「あなたは、だれなのですか?」

「ボクは、君の中の、ただのバグさ」

 小ぶりの雨の中を駆け出す、彼の背を眺めながら、震えだす胸を押さえ、ただその場に立ち竦んでいた。

 銀色の糸のような、雨の中を。

 ずっと。



~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~





桂馬「――で」

結「うん」

桂馬「これをボクに全部食え、と」

結「頑張って作ったんだよ。食べて欲しいな」

エルシィ「これは、とても一人で食べられるような量では」

美生「結、あなたさすがに今日のは作りすぎよ! コイツの胃袋のキャパを完全に超えているわ!」

 月夜攻略後、数日が経過した。

 ボクは当初の予定通り、順調にルートを埋めている。
 特に、一人に絞れるようになったので、かなり攻略が早まると想定していたのだが、
やたらおまけが出張るので、思っていた以上に時間を食ってしまっているのが難点だ。

結「どうしてだい。桂木くんは、昨日も喜んで食べてくれてたよ」

美生「私の作ってきた分まで入らないじゃない」

桂馬「……」

エルシィ「わー、にーさま男です」

 とにかく、残らず食べないと。

 相手が乗っているときは、こっちものっかってやらないとな。

 それにしても、このまま食事だけをいっしょに続けていても埒が開かない気がする。

結「どうしたんだい、そんなにボクの顔を見つめて」

 エルシィにも調べさせたのだが、こいつの隙間になる要素がなかなか見つからないな。

 どう見ても、こいつは好き放題やってるし、以前とは段違いな生き方だ。

 というか、学校側はなんでこいつが男子制服を着用しているのになんにもいわないんだ。

 おおらか過ぎるよ。どういう校風だよ、まったく。

エルシィ「にーさまが、それをいいいますか」

桂馬「なにかいったかね、エルシィくん」

エルシィ「いーえ、なにも。ごちそーさまでした」

桂馬「ぷりぷしてどっかいっちゃった。反抗期か」

結「ねえ、桂木くん。兄妹仲がいいのはよろしいんだけど」

桂馬「おい、ちょっと」

 だから、なんでこいつはボクの身体に触れたがるんだよ!

結「兄妹でべったりなのは、ちょっと、どうかな?」

美生「お前がどうとか、人のことよくいうわね……」

美生「それと、ひっつきすぎ」

桂馬「うわっ」

美生「結、あなた一応そんな格好でも女なのよっ。その、外聞をわきまえなさい、外聞を」

結「なんだ、やきもちかい」

美生「だ、だれがっ」

桂馬「く、くるしい」

 美生の、薄い胸で顔がつぶれる。

美生「――きゃっ」

結「ふーん。でも、あくまでボクたちは友達だから。美生が心配することなんてなにもないさ」

結「ねえ、桂木くん」

桂馬「だ、だからなー」

 きゃっ、とかいっておいて、いい加減抱きしめるのはやめてくれ。息が……。

結「美生、はなしてあげて」

美生「//////」

 うーん、いちいちこのコンビは疲れるぞ。

 どうにか打開策を考えないとな。このままじゃ千日手だ。

桂馬「……ブツブツ、離す……いや、いっそ、逆手に取るか」

美生「なに、ブツブツ独り言」

結「桂木くんは、おもしろいね」

また明日以降UPなんだぜ
今日もしごとだったんだぜ
旗日なんて関係ないぜ
生きるってツライ

今、仕事終わって帰着
更新は、今日か明日です

『放課後、下校フェイズ』

結「それじゃ、どこかに寄って帰ろうか」

美生「そこまでいうなら、いっしょに帰ってあげなくもないんだから」

 いわゆる、下校イベントである。

 攻略対象との好感度によりランダムに発生したり、幼馴染が同じ学校に居る場合は、デフォルトとして固定されるものだ。

 ちなみにエルシィはこの場にいない。

 ボクの指示で、月夜の中に居たはずのもう一匹の駆け魂を探させている。

 ハクアの時のように、なまじ負のエネルギーを蓄えさせると厄介だし、また他の隙間に入る前に捕らえなければ、面倒ごとが増えるだけだ。

 気が重いな。本当にこのままだとゲームをする暇も無いぞ、まったく。

結「また、考えごとかい、桂木くん」

美生「レディがふたりも居るのに……本当に無作法な男ね」

結「いま、どこかに寄って遊んでいこう、って話をしていたんだけど」

結「何か希望はあるかい」

桂馬「ゲームがしたい」

 衆議は一決し、ボクたちはゲームセンターへと行くことになった。

 それにしても、不甲斐ないな、我ながら。

 結がいると受身にまわってしまう。これは、強制イベントなのか?

 いまいち彼女の意図が読めてこないこともあり、調子が狂う。

 大体が、こいつのどこにスキマが出来る要因があるんだ。

 かつてのように自由を束縛していた干渉はないし。

 バンドに加入して好きな音楽は続けてるし。

桂馬「……これならゲームがまともに出来ないボクのほうがよっぽどストレス溜まってる」

桂馬「とかいってる間に到着したぞ」

桂馬「ここは、田舎の舞島にしては頑張っている中々に大きいゲームセンターだ」

桂馬「そこはかとなく漂う寂寥感が一際目立つ」

桂馬「利点は学校から近いぐらいだが、時々教師が見回りに来ているらしい」

桂馬「ボクもたまに利用している」

桂馬「構造は全3階建て」

桂馬「一階はクレーンゲームがメイン」

桂馬「二階はプリクラや音ゲー」

桂馬「三階はビデオゲーム、レトロなものが多い」

桂馬「学生がたくさん屯してるのは、一・二階に限定される」

桂馬「三階はほとんどがその手のマニアばかりだ。素人にはお勧めできない」

桂馬「……描写はこのくらいでいいだろうか」

桂馬「この手法はありし日の、剣乃ゲームを思い出させる」

桂馬「自分でいっててちょっとむなしい」

美生「さっきから、何を一人でブツブツと独り言をいってるの?」

 ボクは描写を省いてやったたけなのに。

結「うわー、いろいろあるんだね」

美生「じーっ」

 再述すると、一階はクレーンゲーム機がメインだ。いちいち説明はいらないくらい、一般には認知されているが、
 お嬢様のふたりにはそもそもこのような下賎な場所に出入りする経験がなかったのだろう、
 目をキラキラさせながら、プラ箱の中の景品に見入ってる。

美生「……あのクマ、かわいい」

結「そうだね、すごく愛らしいね」

桂馬「……」

 どうやら庶民と高貴なかたがたの感性は著しくかけ離れているらしい。

 ふたりが手放しで賛美するぬいぐるみに、ボクは美を見出すことが出来なかった。

結「よし、ボクがとってあげる! まかせて」

美生「結、がんばって!」

 結は勢い込んで、硬貨を放り込むとスティックを操作し、アームを獲物に目掛けて振り下ろした……。

 ――。



 ―。


 が。

結「おかしいなぁ、全然取れないや」

美生「ちょっと、しっかりしなさいよ」

 所詮は素人の悲しさ。基本の動かされるやつから動かす、という作業すら怠る彼女に勝利はなかった。

 ほとんど博打と同じだ。どう考えても、費やした代金ほどの価値の無い物を、どうして人は躍起になって手に入れようとするのだろうか。

結「む。なんだよ、桂木くん。その顔は」

桂馬「いやいや。どうだ、もう堪能したか」

美生「こんなの取れるわけ無いじゃない、詐欺よ、詐欺」

桂馬「ふふふ」

結「――桂木くんはゲーム得意かもしれないけど、君でも無理だよ、これは」

桂馬「無理?」

桂馬「いま、無理といったか?」

美生「取れるの?」

桂馬「取れる」

結「随分と自信があるみたいだけど」

桂馬「自信ではない、これは確定事項さ」

結「面白い、賭けをしないか? ボクが使った分だけで君が二つ以上取れたら」

結「君のいうことをなんでも聞こうじゃないか?」

美生「うん。いくらお前でもこれは無理ね」

桂馬「その言葉、忘れるな」

 ならば、見せてやろう。

 ――禁断の落とし神モードを!!

 ボクはコインを投入口に叩き込むと、右手の指を鳴らし、ジョイスティックに添える。

 アームの能力、クレーンの角度、位置、起動範囲。

 それらは、全てとうの昔に把握している。まるで、何千回何万回、通いなれた道を、昼日中歩くように。

 イメージしろ。

 自分がゲームの神ならば。

 叩き込め。

 勝利に至るルートを。

 選別しろ。

 確定した未来を逆に辿るように。

 ボクはコインを投入口に叩き込むと、右手の指を鳴らし、ジョイスティックに添える。

 アームの能力、クレーンの角度、位置、起動範囲。

 それらは、全てとうの昔に把握している。まるで、何千回何万回、通いなれた道を、昼日中歩くように。

 イメージしろ。

 自分がゲームの神ならば。

 叩き込め。

 勝利に至るルートを。

 選別しろ。

 確定した未来を逆に辿るように。

 脳幹から全身をつなぐ霊脈に、電力が駆け巡るイメージ。

 幾千、幾万の道が勝利に向かって、ただ一筋を導き出す。

美生「け、桂馬」

結「桂木、くん」

桂馬「――ボクは、神だ!!」

 ボクは、ボタンを押し込んだ瞬間、勝利を確信した。

……。



…。



桂馬「わ、ははははは、わははははっ」

結「ちょっと、こんなにもって帰れないよ!」

美生「桂馬のばかー!!」

桂馬「ふ、神に逆らうからだ」

結「だからって、全部中身を取り出す必要はないと思う」

客A「ワンコインで筐体の中をカラにするとは」

客B「おそろしや」

店員「……」

結「ねえ、お店の人がすごい目で睨んでる。いこうよ」

桂馬「その前に、これ」

結「え?」

桂馬「その豚の人形、欲しかったんだろ」

結「わ、わたし……ボクに」

桂馬「結はそれにこだわりすぎた、だから失敗したんだ」

桂馬「何事も、【離】が重要だ」

桂馬「近づきすぎると、見えなくなる。離れすぎても、な」

結「けい……桂木くん、ありがとう」

結「あと、このストラップ、犬だから」

桂馬「……」

くいっ、くいっ。

美生「桂馬。よくやったわ。このくまのぬいぐるみは、そのアンタがわざわざ苦労して取ったんだし、
もらってあげるから、ありがたく思いなさいっ」

店員「それ、ヌートリアです」

桂馬「……」

結「……」

美生「……」

 誰得だよ。

 それにこの造形。失敗作ってレベルじゃないぞ。

 美生は、なんとも形容しがたい顔をしていたが、最後に微笑んだような表情をした。

 いいんだ、無理しなくて。 

 ユーザー甞めてる会社は、天罰が下るから。

 倉庫に、赤猫這わされたりするから。

桂馬「……二階に行くか」

結「うん」

美生「ええ」

 び、微妙な雰囲気になってしまった。

桂馬「……二階はプリクラ、いわゆるプリントシール機のフロアになっている」

桂馬「一世を風靡したいわゆるプリクラは、2002年をピークに減少傾向を続けている」

桂馬「斜陽産業だ」

桂馬「アトラスは撤退したのに、バンダイは作り続けている」

桂馬「需要があるのか? あるんだから作ってるんだろうなぁ」

結「また独り言かい?」

桂馬「いや、鴨と葱と猟師の話だ」

結「よくわからいけど、深遠だね」

 そうでもない。

 話の流れとして、結と美生、ボクの三人でプリクラを撮った。

 これがエルシィのいっていた青春の一ページってやつだろうか。

 ……デフラグの処理画面を見つめていたほうがマシかも知れない。

 こんな子供騙しでも、一度もやったことの無い小娘どもには大人気だ。

美生「ちょっと、あんまりくっかないで!」

桂馬「真ん中はやめてくれ! 寿命が縮む!」

結「いつの時代の人間なんだ、君は」

 撮影が終了した後、シールを仲良く分け合う。

 ふと、顔を上げた瞬間、隣のブースから出てきた30代くらいの女性と眼が会い、同時に視線を逸らす。

 ボクは切ない気分で悔し涙にまみれた。

 一息入れよう、という所か、壁に寄りかかっていると、目の前に紙コップが突き出される。

 顔を上げると、憎らしいほどさわやかな顔をした結がいた。

結「おつかれさま。っていうほどでもない?」

桂馬「――美生は」

結「化粧を直してくるって」

桂馬「ああ、そういえばお前に聞こうと思っていたことが……」

結「なんだい、なんでも聞いて欲しいな、君になら」

桂馬「だから、そう顔を近づけてくるなよ」

結「つれないな。そこが、またかわいいんだけどね」

桂馬「逆じゃないか。そんなことはどうでもよくて」

桂馬「結、どうしてそのお前はそのカッコするようになったんだ」

桂馬「女子なのに、男子の服装というか」

結「うん。うーん、それは、楽だからかな」

桂馬「ラク……」

結「君にはわからないだろうけど、女の子にはいろいろしがらみがあってね」

結「この格好なら、まだるっこしい女言葉を使っても不自然じゃないし」

結「そう、すごく心がやすらかなんだ」

桂馬「……」

結「な、なんだよ」

桂馬「……」

結「なにか、おかしなこといったかな?」

桂馬「……」

結「ねえ、なにかいってよ」

桂馬「……」

結「ねえってばぁ」

桂馬「見かけにこだわることに意味があるのかな」

結「え」

桂馬「本人が満足しているなら、問題ないだろうけど」

結「なんだよ! いいたいことがあるなら、はっきりいったらどう!」

桂馬「世の中なんでもかんでも、1とゼロに割り切れない」

結「ボクが、中途半端だとでも?」

 驚いたな。軽くつついただけで、こんなに激昂するなんて。

美生「--!!」

桂馬「ちょっと待て」

結「まだ、話は――!」

桂馬「残念だが強制イベントらしい」

結「はぁ!? またわけのわからないことを!」

美生「――だから、ぶつかってきたのは、そっち! いい加減にしてよ!」

リョー「あーん、テメーのせいでコーヒーがこぼれちまったじゃねーか!」

帽子「やったれ、やったれー!!」

[ピザ]「なめてんのかよー、おい!」

桂馬「また、お前らか」

 また、このパターンか。

 それにしても、この三人組いつもいつも忘れたころに登場するな。

 面子もブレないし。

 兄弟なのか? 兄弟なのか?

美生「桂馬!!」

リョー「また、テメーか。コラコーラァ!! しっかも、また女連れ!」

[ピザ]「許せませんなぁ――」

帽子「やったれ、やったれー!!」

美生「――こいつら、私にぶつかってきて、慰謝料払えとか」

美生「おまけに、私の身体イヤラシイ目で……。やっつけて!」

リョー「おーい、こっちも選択肢くらいありますよー!」

帽子「そうだ! リョーくんはロリじゃないぞ! おっぱい好きだぞ!!」

 どっちにしろ、ボクがどうにかできる相手じゃない。

 自慢じゃないが、腕力は女以下だ!

桂馬「あー、その、まずはお互い交渉のテーブルについてだな」

 ここは、大人の対応で丁重にお取引を願うしかない。

結「ここはまかせて」

桂馬「結?」

結「君たち、かよわい女の子に向かって乱暴するなんて酷いじゃないか!」

リョー「ら、乱暴?」

帽子「蹴り入れられたのはこっちなんですがね」

結「ボクが相手になるよ」

桂馬「ちょっと、待てって! ツマンナイ意地張ったってしょうがないだろ」

桂馬「とにかく、ここは話し合ってだな」

 相手は男三人だ。人間出来ることと出来ないことがある。

 美生や結のことを考えれば、下げたくない頭だって――。

結「見損なったよ、桂木くん!! えい!」

 ぽか。

桂馬「ぎゃー」

リョー「ってーな。この野郎!!」

 おい、少し待て。結は女なんだぞ。

 あれ。

 あれあれ、もしかしてこの馬鹿、光物出して。まるで気づいていない!

桂馬「おい!!」

結「え!?」

 気づけば、ボクは彼女の前に飛び出していた。

 長髪の男が、自分の握り締めていたナイフを震わせながら硬直している。

 遅れて、鋭い痛みが右手の指先を襲った。

桂馬「――っ」

リョー「し、知らね、知らね、オレが悪いんじゃ、あ・あ」

[ピザ]「や、ヤバイ。ヤバイって」

帽子「に、逃げよ、リョーくん!」

 どくどくと右の親指から真っ赤な血が噴出す。

 案外な量に、痛みよりも驚きのほうが大きい。リノリウムの床に血痕が流れ、小さな池になっていく。

結「あ、あ、ああ。か、桂木く、ん」

美生「どいて!!」

美生「桂馬、しっかりして、今救急車呼ぶから!!」

桂馬「……いや、必要ない」

 警察は展開上まずい。

 それに、結の身体から立ち昇る妖気。

 ――あの時と同じだ。

美生「必要ないって、そんなワケないでしょっ!! ばかぁ!!」

結「わ、わた、私」

 ダッ!

 真っ青な顔をした結は、ボクと目線が合うと同時に、首を左右に振りその場を駆け出した。

桂馬「おい! ちょっと、待て!」

桂馬「くっ!」

桂馬「美生、結を追ってくれ!! あの顔だ、何をするか、わからない!」

美生「え、でも、怪我が!」

桂馬「頼む、ボクは走れそうも無い」

桂馬「無理をいってる。でも、今は君しか頼れない」

 彼女の逡巡が見て取れた。

美生「……わかった。すぐ戻るから! そうしたら病院に連れて行くわ」

美生「ここを離れないで!」

 こうしている時間すらもったいないと判断したのか、彼女は落ち着いた声でうなずくと、走り出した。

 とにかく人が集まってくる前にここを離れないと。

桂馬「……こんなパターン想定してないぞ。だが」

 ボクは携帯を左手で操作すると、エルシィに掛けた。

携帯「――電波の届かない所におられるか、電源が入っていないためかかりません」

桂馬「おい、なにやってるんだ!」

桂馬「大事な時に。っ、やばい」

 意識が。指先には神経が集中しているから、思ったより血が出るもんだ。

 路上で倒れ掛かった時、背中を誰かの手が支えた。

ハクア「なーに、やってるのよ。って、どうしたの!!」

桂馬「ちょうどよかった」

桂馬「少し、手を貸してくれないか」




~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

 私。

 全部私のせいだ。

 一気に階段を駆け下りる。

 胸の中が重苦しい。喉から泥を無理やり詰め込まれたみたいに。

 自分でもどうして、あんな風な態度を取ったか理解できなかった。

 よく考える必要も無く、あの時は詫びてしまえば問題など無かったのに。

 無意味に我を張ってしまった。

 桂木くん、ごめん、桂木くん。

 戻って、今からでも謝らないと。

 怪我をしている彼を置いてきてしまった。

 すっと、頭から血が引くのが自分でもわかった。

 ――怖い。

 ――嫌われたくない。

 男の格好をしていたのは、そうすることで、自分を変えられると思ったからだ。

 中途半端。

 そんなこと、一言もいってないのに。

 なぜか、咎められた気がした。

 だから、男以上に雄雄しく振舞ってみせたかった。

 見せなければ。

 本当の自分は。

 弱くて、勇気が無くて、殿方と口をきくのも怖いくらい臆病なのに。

 強くなりたい。

 強くなったのか、気のせいではないのか?

 格好だけではないのか。

 いつも、怯えていた。

 自分では変われたつもりなのに。

 ――そうすれば、きっと。真っ直ぐに想いを伝えられるとそう信じたのに。

 怖いよ、桂馬様。


~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

ハクア「お前はどう見ても喧嘩するタイプじゃないでしょう。まったく」

ハクア「危険になったら逃げるくらい、どんな下等動物でもする!」

ハクア「まったく」

 ぐーる、ぐーる、ぐーる。

桂馬「おい、そんなに包帯巻く必要あるのか」

ハクア「怪我人は黙ってゆーこと聞く!!」

桂馬「へいへい」

 ボクは自分の部屋で治療を受けながら、先程の事を思い返していた。

 結の過剰なまでの反応。

 彼女はどう考えても攻撃的な性格ではなかった。だとすると――。

桂馬「……憑依者は駆け魂の力を引き出す」

ハクア「なんの話よ。おまえが怪我したのもその子のせいなんでしょ」

桂馬「なに、怒ってるんだよ」

ハクア「別に。それに助けてもらったっていうのに逃げ出すなんて」

ハクア「最低ね、そいつ!」

桂馬「別に責める必要は無い。むしろ、あいつらには感謝してるんだ」

桂馬「どうやら、攻略の糸口がつかめた」

ハクア「……」

ハクア「あ、」

桂馬「あ?」

ハクア「アホか!! あんたね、もうちょっと、自分のこと、……大切にしなさいよね」

ハクア「桂木のこと、心配なんだから」

ハクア「って、私じゃないからね、私じゃ! ホラ!」

桂馬「ハクア――」

桂馬「すまない、助かったよ。礼をいう」

ハクア「――桂木」

ハクア「な、なんか変な気分ね。おまえが私に、礼をいうなんて」

桂馬「いや、感謝してる」

ハクア「なによ、なによ。調子狂うじゃない」

 そっとドアが軋み開く音が聞こえた。エルシィだ。

エルシィ「にーさま! 怪我、したんですか!」

エルシィ「!! ……ハクア」

桂馬「おまえなー、電話したんだぞ。着歴くらい確認しろよな」

エルシィ「け、怪我のほうは」

ハクア「ああ。エルシィ、私が簡易的な治癒魔術を掛けておいたから、大丈夫よ」

ハクア「もっとも、完治するまでには数日かかるけど」

ハクア「でも、桂木も運がよかったわねー。私が居て。ホントなら縫う切り傷よ」

ハクア「エルシィはこの術まだ、使えないものねー」

桂馬「……おい、エルシィ?」

エルシィ「――そうですね、ハクアがいれば。すいません、神様、以後気をつけます」

 ギィ、バタン。

ハクア「エルシィ、ちょっと、ねえ! どうしたのよ!!」

 エルシィを追って、ハクアが出て行く。

桂馬「なに、あいつ一丁前に落ち込んでるんだ。たく」

 この後、美生から携帯に連絡があった(※ボクは教えてないぞ!)が適当にお茶を濁しておいた。

桂馬「動くのは、明日か」

 たぶん、残された時間はもう、あまりない。

『翌日・舞島学園』

桂馬「エルシィのやつズル休みかよ」

桂馬「まったく、問題のあるやつばっかだよな」

桂馬「さてと、結の様子でも見ておくとしようか」

 A組に向かう。

 ――珍しい、今日は誰も邪魔をしてこないぞ。

桂馬「いつもこれくらいならラクなのにな。さて」

 A組の教室に立つと、なにやら教室内がざわついているのが見て取れた。

 なんだ。

男A「――五位堂がさ」

男B「ああ、すげえな」

桂馬「ちょっと、いいか。なにかあったのか」

男A「いや、五位堂のやつ久しぶりに女子の制服で登校してきたんだよ」

男B「オレも気づかなかったけど。あいつ、あんなイイ女だったか?」

桂馬「はあ?」

 目を凝らすと、人の群れが密集しているところから、妖気が黒く立ち込めている。

 掛け魂の邪気は、悪魔かバディにしか認知出来ないのが幸いだった。

桂馬「これは、相当進行してるな」

男C「なんつーかさ、色っぽさが半端じゃないよな」

男D「見てるだけでムラムラしてくる」

男E「やべぇっス。やべぇっスよ! なんとか挨拶だけでも」

男F「おい、結さまに話しかけるな。穢れる」

男G「おれ、犯罪に走りそう。彼女なら人生間違えてもいーわ」

男H「結たんのおっぱいにちゅっちゅっしたいよぉ」

桂馬「――危険すぎるぞ」

 主に彼女の貞操が。

桂馬「おい、すまないが五位堂結を呼んでくれないか」

男A「あーん、他のクラスのやつは用ねーんだよ!」

男B「帰れ、帰れ!!」

桂馬「わ、わわわわ」

 ボクはところてんが押し出されるようにして、クラスから弾き出された。

 ――時間がない。

桂馬「結! ボクだ!! 桂馬だ!! 話がある!!」

 モーゼがエジプト脱出の時、海を割ったように、人垣が左右へと均等に別れた。

結「桂馬様」

 ――息を呑む美しさだった。

 間違いない、掛け魂の効果だ。そうは判っていても、抗えない異様な魅力があった。

 あ、ありえない。このボクがゲーム女子以外に心を動かされるなど。

 たっぷりとした黒髪が、うねるようにして波打っている。

 大きな瞳は、濡れた黒曜石のように輝き、ねっとりとした熱を孕んでいた。

 ぷっくりとした唇が震えるたびに、視点が定まらなくなっていく。

桂馬「結」

結「……っ」

桂馬「ってなんで逃げるーっ!!」

結「きゃっ」

 急に走り出した彼女を押しとどめようとした時、袖が指に絡んで、机ごと彼女を押し倒すかたちになった。

桂馬「ってて、て」

結「ん、やぁっ」

 ふにょん。

桂馬「え? なんだ、この感触」

 ふにょん、ふにょん。

結「あ、はぁっ……桂馬様」

男A「――この野郎」

男B「人のクラスの女に!」

男C「[ピーーー]っ、[ピーーー]!!」

男D「最期に言い残すことは」

桂馬「――ああ」

桂馬「意外と大きいんだな」

 襲い掛かる男たち。

 ボクは、絶え間なく降りかかる鉄拳の雨に身を晒しながら。

 走り去る結の姿を見続けていた。

……。


…。

『2B教室』


桂馬「……」

 チャラチャラ~チャ~

クラス女子A「オタメガのやつ、他のクラスに押しかけて、女の子襲ったんだって」

クラス女子B「とうとう現実とゲームの境がなくなったのかな」

クラス女子C「怖いわ」

ちひろ「……」

桂馬「なんだよ、なにかいいたいことでもあるのか」

ちひろ「べ、べつにないわよっ。話しかけるな、このゴキブリ男!!」

桂馬「……ふん」

 チャラチャラ~チャ~

ちひろ「ね、ねえ。桂木って結狙いだったの? だったらやめときなって」

ちひろ「彼女が桂木みたいな、カースト最下層相手にするわけない」

ちひろ「……傷つくだけだよ、本当」

桂馬「――ボクは!!」

ちひろ「っ!!」ビクッ

桂馬「現実ごときで傷ついたりしないっ!!」

桂馬「ボクの理想は、それほどヤワに構築されていない。リアルなど」

桂馬「――楽勝だ」

ちひろ「ふーん、すごい自信ね」

ちひろ「振られて、泣き暮らすがいいわ。べーっ!」

 チャラチャラ~チャ~

桂馬「……」

クラス女子D「ねぇ、聞いた」

クラス女子E「A組の――が、五位堂さんに告白するんだって」

クラス女子D「見に行くー?」

クラス女子E「悪いよー、やめときなって」

ちひろ「うぷぷ。こりゃ、桂木くんの大ピンチだ」

ちひろ「てか、戦う前から負け決定だわ」

桂馬「うるさいな」

PFP『メールだよ!』

桂馬「……」

ちひろ「あららーどしたのかなー、ショック? ねえショックで死ぬの?」

ちひろ「おーい、もしもーし」

 エルシィが役に立たない今、無理やりハクアに見張らせといてよかったな。

 ――代償は高くつきそうだが。

 男装の意味。

 過剰なまでの反応と自意識。

 彼女は真の意味で解放されていたわけじゃなかったんだ。

 なら、最後の一押しが必要だ。

 今度は、ボクが結を助ける番だ。

桂馬「――来た。エンディングが、見えた」


……。

…。

二階堂「おい、桂木。おめでとう、ついに性犯罪者にノミネートされたぞ」

二階堂「職員室まで来い」

二階堂「全身全霊を掛けて弁護してやる」

ちひろ「うわ、すごい笑顔」

桂馬「……」

桂馬「――嵐になるな」

桂馬「あ、これメモリ預かっといて」

ちひろ「あ、うん」

 ダッ!!

二階堂「あっ、コラ!! 逃げるな!!」


~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

「五位堂、前から好きだったんだ。オレと付き合ってくれ」

 私はどうしてここに居るんだろう。

 言葉でない。

 目の前の方の顔が理解できない。視線では確かに捉えている。

 けれども、頭の中に浮かんでくるのは昨日の桂馬様の、苦しげな表情だけだった。

 今日もわざわざ。会いに来てくれたのに、恥ずかしくて、怖くて逃げ出してしまった。

 こんな場所で、こんな時間を割いている場合じゃないのに。

 逃避なのだろうか。

「聞いてるのか!! なぁ!!」

「いたっ、やめて」

「なあ、いいだろう。なぁ」

 飢えた犬のように喘いでいる。

 私の目の前で真っ赤に開いた男の口腔は酷く下卑て映った。

 純粋な恐怖。

 足がすくんでいうことを聞かない。

「お前、すげえよ。なんかさ、見てるだけで、こう。へへ、わかってるだろ」

「し、知りませんっ、はなして、下さい」

 男装をやめた。元に戻してみれば素直になれるかもしれないと思ったのだ。

 ううん。


 それはウソだ。

 私は美生に嫉妬していた。

 自分を偽ることなく、桂馬様に接する彼女を見ていて、酷く嫌な気持ちなった。

 だから、殊更男にこだわったのかもしれない。

 男性のスッキリした、何事にもこだわらない、プラスの部分。

 そんなもの、そうあって欲しいと、私が望んだ幻想なのに。

「お前、けっこう胸でかいな。へへ、あのオタク野郎に触らせてただろっ!」

 やめて。

 やめて。

「な、いいだろ、いいだろぅ! なぁ!!」

 こんなの私の望んでいた男らしさじゃない。

 私、

 わたしは――!!

~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

桂馬「待てーっ!! 結からはなれろっ!!」

 ボクは、結に抱きついていた男へとPFPを投げつけた。

 もっててよかった! PFP!

男「があっ!! この、テメー、オタメガっ!!」

結「桂馬様っ!」

 渾身の体当たりだった。二度は出来ない。

 やっぱり、こいつ。憑かれてる。真昼間、人気のない校舎裏とはいえ、
 ここまでの行動に出るなんて。正気を失っていなければ出来るものじゃない。

結「桂馬様、私、私」

男「オタメガ、なにのこのこ出てきちゃってンの? 結はオレと付き合うんだ、なぁ!!」

結「ひ」

 結はボクの後ろに隠れると、涙目のまま背中にすがりつき震えている。

結「桂馬様が来てくれた。もう大丈夫、だいじょうぶ、だいじょうぶ」

桂馬「……」

 親鳥から離れたひな鳥が再び庇護を得た。

 世界中にここより他安全な場所はない。

 けれども、いつかは。

 もういちど、暖かい羽から解き放たれて。

 自分の風切り羽を振るわせられるか。

桂馬「結」

結「けいま、さま」

桂馬「君の口から、直接断るんだ」

 ――信じている。

結「で、も」

 ――あの時、ボクを救い出したヒーローを、もういちど。

桂馬「君がなりたかったのは男か? 違うだろ!! ソフトが優れていればパッケージは関係ない!!」

桂馬「男だとか、女だとか、そんな次元にこだわるのはもうおしまいにするんだ!!」

桂馬「真の自由を手に入れるんだ!」

 うつむいたまま、彼女は男に向かって歩き出す。

 彼女はしっかり相手の目を見つめたまま。

結「私、あなたとはお付き合いできません」

 自分の意思をカタチにした。

男「があああああああっ!!」

桂馬「うわっ、……まったく」

 無理ゲー、勝てるわけないだろ、こんなの。

 だけど、結は勇気を示したんだ。

 逃げるわけにはいかない。

 男の突き出してくる拳。目を逸らさない。まっすぐ見つめる。

 楠の言葉を思い出す。

 しっかり大地に踏み込んで、正しい姿勢の拳が一番強い。

 それでも、激突の瞬間。なぜかボクの上体は揺らいだ。

男「があああああっ!?」

桂馬「わあっ」

 勝負は一瞬でついた。ボクの拳がカウンター気味で男の顔面突き刺さった。

桂馬「なにか、踏んだ気が」

桂馬「……これか」

 偶然にも踏み込んだ位置にPFPが落ちていたのだ。

 さすが、相棒だ。頼りになる、どっかの悪魔とちがって。

結「桂馬様」

桂馬「結、よくやったな」

結「ずっと謝りたかった。ごめんなさい、ごめ――」

桂馬「これだけは覚えておいて欲しい。真の自由にはリスクがつきものだ」

桂馬「選び取ったルートの先に何があるかなんてわからない」

桂馬「どんな格好をしていても、君は君。五位堂結だ」

結「でも、いつもくじけそうになるの。不安でしかたない、私弱いから」

桂馬「精一杯頑張るんだ、どんな時でも」

桂馬「現実はいつも無常だ。あがいてもあがいても先が見えない時もある」

桂馬「そんな時にはボクを呼べ」

桂馬「――いつだって、駆けつけてやる。白馬に乗った騎士のようにね」

結「お慕い申しております、桂馬様」

 彼女の細いおとがいを上げて、口付けを交わす。

 結の瞳は、もう輝きを失わないだろう。

 二度と。

桂馬「エルシィ、居るんだろ、頼むぞ!!」

エルシィ「えっ、えっ」

 エルシィの動きに精彩がない。開放された駆け魂は、彼女の拘留ビンに捕らえられたかと思いきや、
 あっさりとビンを破壊し、虚空に舞う。

ハクア「あー、もう見てられんないわ! どいてなさい!!」

 ハクアは証の鎌を素早く投げつけ、駆け魂を宙に縫い付けるとビンを懐から取り出し狙いを定めた。

ハクア「こンのーっ!!」

 霊力が奔流となって、ビンに吸い込まれていく。

 抵抗をほとんど見せず、悪意の塊は存在を固着させた。

ハクア「駆け魂、拘留!!」

 満面の笑みを浮かべた悪魔が、蒼穹を疾駆して勝どきをあげた。

桂馬「ふう、なんとか今回も無事に終わった」

ハクア「感謝しなさいよねー、桂木♪」

桂馬「おい、エルシィ。どうしたんだ、いったい!」

エルシィ「……」

 スィ~

ハクア「え、あれっ! ちょっと、エルシィ!! どうしたのよ、ちょっと」

桂馬「……あいつ」

…………。

………。

……。

…。

エルシィ「私、何も出来なかった……」

エルシィ「一人前だなんていって、何も出来てない」

エルシィ「にーさまも、ハクアがバディだったらって思ってるよ」

エルシィ「からっぽだ」

エルシィ「私、カラッポだよ……」

 ――ビュッ!!







~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~
▼ 【エリュシア・デ・ルート・イーマ】ルート 開放されました
~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

桂馬「おい、ハクア。エルシィを追ってくれ」

ハクア「う、うん。あれっ?」

 ビーッ、ビーッ!!

桂馬「なんだ」

ハクア「ごめん、本部から緊急連絡よ、え――はい、わかりました」

桂馬「いったい、何があったんだ」

ハクア「本部から連絡。この地域に、古悪魔の邪気を確認したらしいわ」

ハクア「――魂強度(レベル)は、測定不能」

ハクア「追っ付け、地獄から殲滅部隊が出撃する」

 灰色の顔を俯かせ、ハクアがか細い声で呟いた。

桂馬「それだけじゃないだろ」

ハクア「……」

桂馬「いえよ」

ハクア「このレベルの駆け魂は到底、今の部隊じゃ鎮圧出来ない」

ハクア「捕獲は不要。私たちに出来るのは時間稼ぎくらい」

ハクア「……宿主は、有無を言わせず駆け魂もろとも破壊される」

桂馬「それでも、この前の時は少しは余裕があったじゃないか」

ハクア「いちばん上からの命令なの、誰も逆らえない」

ハクア「――例え、室長でも」

ハクア「……」

桂馬「途中で黙るな、最後まで教えてくれ」

桂馬「宿主は誰なんだよっ!!」

 つめ寄った時には、気づくべきだった。

 彼女は、泣き出すのをこらえながら無理やり喋っていたんだ。

 そして、ボクのやっているのはただの確認作業。

 唇を振るわせた彼女は、もう崩壊していた。

ハクア「宿主は、エルシィ。冥界法治省は彼女を駆除対象に決定した」

ハクア「――かつらぎぃ、わ、わ私ぃ」

ハクア「エルシィを殺せないっ!!」

桂馬「――は」

ハクア「それにぃ、エルシィが[ピーーー]ばっ、アンタだって助からないのよっ!!」

 全身から力が抜ける。大地が崩れ去った気がした。


FLAG.XXX 【神のみぞ知るセカイ】




 同日、冥界法治省特別幕僚本部にて、臨時の会議が開かれていた。

 世界各地にて、平行して業務を遂行する傍ら、今回のようなオンライン会議が行われるのは極めて異例である。

 ――が、全ての予定を変更して勧めなければならない、理由があった。

 即ち、極東支部におけるイレギュラー、推定レベル7対策だ。

 会議に名を連ねるのは、そうそうたる顔ぶれ、北米伐魂隊司令ギャブレー・デッラ・モンテ・ドゥミ、

 中部アフリカ分隊将軍ゴロゴロ・ラグラン・ガンホーン、

 欧州捜索隊隊長ロードレット・ルウム・レントラント、

 南部極地室長アノア・ノア・デルフリクト・ニース、その他諸々である。

「それでは、意見も出揃ったところで最後に決だけとるが異論はないな」

 議長のギャブレーが厳かに告げると、いずれの幹部も忙しいのか、時間を気にしだした。

「ま、本来なら、極東で処理してもらう案件でしょう。いちいち上まで挙げられてもねぇ」

「互いに忙しい身の上。このような無益な召集はほどほどにして欲しいですな」

 音声のみで、個々の表情は窺い知れぬが、それぞれに安堵の空気が流れ始める。

「それでは、決を採る。宿主諸共駆け魂を破壊。殲滅一個中隊の派遣に賛成のものは挙手を願う」

 満場一致で、議題が決まり掛けた、丁度その時。

 スクリーンに、割り込み映像が入るのを、極めて冷徹に彼らは見た。

「極東支部のドクロウか。もうお前の稟議書はとっくに却下されている。いちいち三等公務魔ごときの命を斟酌している暇はないのだよ」

 ギャブレーは舌打ちをして、回線を強制切断する為に、音声認識コードを発令しようとするが、

 悲鳴じみたドクロウの声がそれを押しとどめる。

「無理をいっているのはわかります! しかし、彼女の今までの功績を考えれば、
 もういちどご再考の余地はあるかと存じますっ。この、ドクロウ、伏して伏しての願いです。なにとぞ、皆様も、なにとぞっ」

「確かにこの短い期間で十二匹はたいした成果だけど、ねぇ」

 アノアに賛同するよう、ゴロゴロも言葉を続けた。

 プラスよりマイナスがはるかに大きい。上に立つものは、時には非常な選択も必要なのだよ」

「――だが、推定レベルとはいえ7は珍しい。捕獲できれば、今後の研究の進捗状況はかなり改善される」

 ロードレットの声に気おされたかのように、一同押し黙る。

 なにしろ新地獄は建国されてまだ新しい、サンプルはどの部署もどれだけあっても不足を訴えている。

「――うむ。確かに捕獲が可能であれば、それが一番望ましい。ドクロウ、何か打つ手はあるのか」

「腹案があります。お任せを」

「うむ。皆に反対意見が無ければ、時間的猶予を与えてやりたのいのだが」

 議長がぐるりと一同を見渡す。声は無い。

 形ではあるが、総意を得たと判断した議長は、再集決を下した。

「――殲滅作戦は12時間停止。各員は対象標的Eの監視を続けろ」

 エルシィの上司である、ドクロウ室長は回線を切断すると、ブースの椅子に深くもたれかかり、ため息をついた。

「室長、どうなりましたか」

「ハクアか。なんとか凍結には持ち込めたよ。駆け魂を捕獲できる腹案があるといってな」

「じゃ、じゃあ――」

「ウソだ。あんなもの対象から分離させて捕獲する技術はどこにも無い」

「それじゃあ、結局エルシィは助からないんですね」

 ハクアは自分の無力さに、拳を握り締める。電力を落とした薄暗い室内の床に、涙がつたった。

「慰めることも出来ない。だが、時間だけは稼げた」

「これは……」

 ハクアは手渡された小箱をきょとんと見つめると、右手でぐしぐし目蓋をこすった。

 小箱の材質は薄い青み掛かった半透明の、直径十センチ程度のちいさな物だ。

 なめらかな光が、薄闇の中でぼんやりと輝いている。

 ハクアが目を細めると、箱の中央にうっすら小さなナイフらしきものが浮かんでいるのが判った。

「鍵だよ。首輪のな。時間を稼いだのは、せめてエルシィのバディだけでも、と思ってな」

「でも、これって充分な規則違反じゃ」

「ばれれば降格、下手すりゃこれだ」

 ドクロウは、仮面の下で手刀を走らせる真似をすると、低く笑った。陰鬱な声だ。

「エルシィは、昔から出来が悪くてな。せめてもと、マシな協力者をつけてやりたかった。
それが、桂木桂馬だ。下に降りてからあいつは変わった。
努力してるのはわかったが、それだけじゃどうにもならないのがこの世界だ」

「室長」

「それでもな、あいつが結果を出してくれた時には、なんともうれしかったものだ。
それがこんな結果になるなんて。駆け魂にとり憑かれるなんて、悪魔の恥さらしだ。まったく」

「私も、エルシィのこと笑えません。私も、憑されたから」

「――運が悪かった、としかいえない。誰も判らなかったんだ。あんな大物が隠れていたなんてな」

 ドクロウの言葉から生気が完全に失せる。室内からは、音ひとつしない。

 絶望感がふたりを覆った。

「私、エルシィに助けてもらった。なんとかしたいよ、してあげたいよ。
 でも、何も出来ない。何もしてあげられない。こんなんで、こんなんで、友達だって、いえないよぉ」

「まだ、やれることがある。それは、エルシィの協力者、桂木桂馬を救うことだ」

 ハクアは、ドクロウのしゃれこうべを模した仮面の向こうに深い嘆きと、
 それを押し殺して奮い立たせようとする深い決意を感じた。

「いいか、ハクア。エルシィの肉体が破壊されれば、桂木桂馬の首輪も作動する。
動力は本部のサーバーから命令が出ており、どうにもできん。
だから、強制的にこのマスターで解呪するしか方法は無い。
だが、慎重に扱え。所詮は複製品だ、下の世界の空気では十秒と持たん。
箱から出したら、すぐ首輪に突き立てろと伝えるんだ。
チャンスは、二度無い。よく、理解するんだ。
救えるのは桂木桂馬ただひとり。やれるのは、他の誰でもない、お前だけなんだ」

 ハクアは、鍵の小箱を抱え込むと、まっすぐ視線を上げた。怯えはない。強い意志を持った、強固な瞳だ。

 ドクロウは、頷くと、席を立って彼女に背を向けた。

「室長はどうされるのですか」

「あがいてみるさ、さいごまでな。簡単に諦められないだろう。だって、エルシィは私の部下なのだからね」

 ドクロウは部屋を出て、長い渡り廊下を歩く。

 通しガラスの下に浮かぶ都市の電力制限のために細々とかしこにしか見えない明かりに目を落とし、唇を強くかんだ。

 自分に出来るのはせいぜい折衝による時間稼ぎ。それでも、まだ彼女の命を諦めたくなかった。

 鑑みるに、エルシィの運命は憑依された時点で決定付けられていたかもしれない。

 古悪魔が転生すれば、舞島の街が、二・三度消滅するのは簡単なことだ。

 彼女の死は絶対だ。この運命はくつがえらない。

 もし、彼女を助けられるものがあるならば。

 ――それは、全知全能の力を持った神だけだろう。

とりあえず、今日は終了。
次回更新は今年中。
次で完結させるので、次回ぶんは相当長くなる予定です。

2

 桂木桂馬は朝焼けを見ながら、もしかしたらこれが最後かもしれないと感じた。 

 掛けっぱなしの眼鏡を外し、眉間を強くもむ。

 徹夜など毎度のごとく慣れている。

 だが、昨夜はおそらく自分の人生の中で一番長い夜だっただろう。

 昨晩のひとしきり降った雨のせいか、辺りに米のとぎ汁を撒いたような霧が掛かっているのがわかる。

 窓際から視線をおろす。道路の向こう側に、ぼんやりと人影が見えた。

「おい、エルシィ!!」

 知らず、呼びかけていた。

 心配させやがって!

 昨日はどこに行っていたんだ!

 ――でも、帰ってきたんだな。

 桂馬の頭の中に、今まで感じたことのなかったゴチャゴチャした感情が乱舞する。

 おまえは、本当にどうしようもないやつだ。悪魔のくせに駆け魂にとり憑かれやがって。

 おおかた、家に帰りづらくて、その辺をフラフラしていたんだろう!

 馬鹿だ、おまえは馬鹿だよ!

 おまえは、ドジで、どうしようもなくて、ダメな悪魔だ。

 ……だから、ボクがついていないとどうしようもないんだ。

 今だけは怒らないでいてやる。だから、これからのことを考えよう。

 おまえの駆け魂は、ボクが必ず。

 少女が振り返るのが見えた。部屋を飛び出して、二段、三段飛ばしで駆け下りる。自分でも理解しがたい速度で家の前に飛び出す。

 両足に地面のざらついた感触。そこで、靴を履くのを忘れたことに気づいた。

 桂馬は少女の前に立って、強く咳き込んだ。

 霧の中で立っていたのは、あのドジな悪魔ではなく、瞳をまん丸にして驚いている、幼馴染の鮎川天理だった。

 本当にらしくない。

「ど、どうしたのかな、桂馬くん」

「おはよう、天理」

 努めて平静を装った。

「お、おはよう」

 この距離まで気づかないとは、自分でも滑稽だった。

 彼女に挨拶をすることが目的だったのではないし、今は特に用もない。

 桂馬は、視線の置き所も思いつかず、彼女の顔を眺めた。

 特に意識したことは無かったし、天理の顔などいつでも見れると思っていた。

 だが、もしかしたら今日が最後なのかもしれない。

 考えれば、こうして彼女の顔をまじまじと見つめることなど今まで幾度あったろうか。

 そうして、その機会は今を境に永遠に失われるのかもしれない。

 早朝、道の真ん中で見詰め合う男女。

 桂馬が繰り返しゲームの中でやってきたような行動だが、実際自分で行ってみると、酷く現実感に乏しいものだった。

「天理」

「桂馬くん、どうしたの、私の顔になにかついてるかな」

 天理の顔は、茹で上がったように、あっという間に赤くなった。

 少女は俯きがちに顔を恥ずかしげに伏せ、鞄のアクセサリーをいじり始める。

 桂馬は無言。

 時間だけが縫いとめられたように、固着する。

「な、なんだろう。なにか、あるのかな」

「いや、なんでもないよ。ごめんな」

「おかしな、桂馬くん」

 天理がどこか緊張した面持ちで、ふわり微笑む。

 それだけで、なにか、崩れてしまいそうだった。

 慌てて後ろを向き、郵便ポストから新聞を引き抜く。

 読むことなどない。情報はネットで充分。

 要するに自分は手持ち無沙汰なのだ。

 相手は天理なのに?

 桂馬は、自分がかなり動揺していることに気づき、嘆息した。

「今から学校か」

「うん、今日は日直だから早く行かないといけないんだ。桂馬くんは、随分とのんびりさんなんだね」

「ま、がんばれよ」

 素っ気無さはいつもの通りだが。天理は、彼の中に口には出せない程度の違和感を感じていた。

 そもそもが、彼が慌てているところなんてほとんど見たことが無いし、わざわざ下りてきて挨拶をすること自体、ちょっと考えにくい。

 普通に歩いてて、道であっても用が無い限り気づくこともなさそうなのに。

 ――待って、と天理はいいそびれたまま、彼が玄関口吸い込まれて行くのを呆然と見送った。

 あとに残るのは、それを影からじっと見守っていた彼女の母の薄ら笑いだけだった。

3

 桂馬の心とは裏腹に、天気は快晴だった。

 雲ひとつ無い、晴天。

 太陽の下に、霧はもう晴れていた。

 エルシィのことを母に咎められる前に家を出た。

 もっとも、待ちつかれ、台所でこんこんと寝息を立てて居る母は気づきもしなかっただろう。

 それでも、弁当だけは珍しく作ってくれていたのか、食卓に置いてあった。桂馬は、無造作にそれをひっつかむとそのままバッグに入れた。

 空は、澄み切った蒼を刷いたようにまぶしく輝いている。

 桂馬は、いつも通り登校し、誰と挨拶を交わすでもなく自分の席に座ると、PFPを起動させた。

 彼女に会う前に戻っただけ。

 いつも通りの日常。

 何もかも変わらない。

 ただ、ここにはエルシィが居なくて、証の首輪だけが残った。

 桂馬は指先で、春先から居座っていたそれを、ちんと弾く。

 とりたてて平凡な金属の音が鳴った。

「桂木、おはよ。エリーは今日どうしたの?」

 物憂げなまま目を細めていた桂馬に、クラスメイトの歩美が声を掛ける。

「あいつは、来ないよ」

「来ない? 風邪でも引いたの、昨日は元気だったのになぁ」

 もう、来ない。

 もう、来ないんだ。

 もう、彼女がこの部屋に入って、学生のフリをすることもなく。

 そして、今日自分自身がこの風景を見納めになるかもしれない。

 桂馬は、それから自分が残りの少ない時間でやり直せる名作ゲームのリストアップを脳内で始め、
激しいむなしさと、虚ろの様な疲れを覚えた。

「どうした、桂木。発作か? 先生は静かにしてくれると助かる」

 桂馬は二階堂の声で我に返ると、朝のHRが始まっているのにようやく気づいた。

 クラスメイトからの明らかな侮蔑と諦観の入り混じった視線が全身に突き刺さる。

 いつのまにか立ち上がっていたのだろう。

 促されるままに椅子に座ると、サイドに掛けてあったバッグから、詰めておいた弁当の袋が転がり落ちた。

 ――何の気なしに、袋からちらりと白いものが見えたのだ。

 桂馬は弁当箱から、チラシの裏に書いた文面に目を通す。それは、幾度も目にした馴染み深いものだった。
『にーさまへ、これを食べて今日もがんばってくださいね。エルシィ
 P・S 首輪のことはハクアがなんとかしてくれますよ         』

 いつも以上に、下手糞な字だった。末尾に向かうにつれ、文字がかすんで読みにくくなっている。それは、最後の力を振りしぼって書いたことが見て取れた。

 署名した名前の部分は水滴で滲んでいる。その下に書かれた似顔絵は、母と自分と、エルシィのものだった。

 にじみが横に広がって、彼女の絵だけ泣いているように見えた。

 弁当箱を開ける。

 母の手ではない、それはすぐにわかった。

 上部のしきりには色とりどりのおかずが詰まっている。

 そして、その下には、卵と鳥そぼろとのりを使って作られた彼女の顔が、満面の笑みを浮かべていた。

「なんだよ、まともな料理だって作れるじゃないか……」

 桂馬は箸を取り出して、周りの目を気にせず一心にかきこむ。

 見た目は整っていたが、中身の味のバランスは滅茶苦茶だった。

 あいつは、どんな気持ちでこれを作ったのだろうか。

 どうして、帰ってきたのに声すら掛けず出て行ったのだ。

 どうして、あいつはあんなに馬鹿なのだ。

 どうして、どうして、どうして!!

「ボクの心配なんかしてる場合じゃないだろう」

 桂馬は箸を置くと、手早く弁当箱を仕舞う。

 こんなことをしている場合ではない。ショルダーバッグを肩に担ぎ、椅子を引く。

 それから、PFPを起動させると、ようやくいつもの調子が取り戻せたような気がした。

「なんだ、サボりか。理由はどうする、風邪か? 腹痛か? よりどりみどりだぞ」

 二階堂の声に反射的に答えていた。

「急性インフルエンザです」

 周囲の席がいっせいに引かれ、綺麗な空間が出来上がる。桂馬は、彼らの一糸乱れぬ行動に初めて美を感じた。

 扉に手をかけ、一瞬だけ室内を振り向く。

 歩美の咎めるような、悲しそうな表情が視界に映ったが、彼は踏みとどまることなく、そのまま教室を後にした。

 授業中なのが幸いしたのか、桂馬は誰にも見とがめられることなく、屋上にたどり着く。

(こういうときに限ってゲームでは邪魔が入ったりするんだが、今日はついてるな)

 朝、登校する時から感じていた視線。

 さあ、ここから再びロードしよう。

「いるんだろう、出て来いよハクア」

 桂馬の後方、一段高い給水タンクの裏に隠れていたのだろうか、彼女は音も立てず、そっと降り立つと、無言のまま近づいて正対した。

 ハクアの表情を見て桂馬は息を呑んだ。

 いつものくるくる変わる感情がそこからは全て喪失していた。

 精巧な人形のように静止した彼女の顔は、一流の芸術家が造形した彫刻のように完璧で、非の打ち所のない美しさを表していた。

 大きくやや吊り上った宝石を埋め込んだような瞳。すら、と高く整った鼻梁。薄く刷かれたような細い唇。

 大理石のようになめらかなおとがい。鈍く輝く銀のように、波打つ長い髪。

 ふたりの視線が交錯した時、桂馬はつい、気おされたように一歩退いた。

 これが、あのハクアなのか?

「エルシィはどうなったんだ」

「最初にあの子のことなのね。……アンタってやつは、本当に」

「濁すなよ。ボクらに時間はもうあまり残されていない」

「おまえの話を聞いている暇はないわ」

 ハクアは懐から、青く光る箱のようなものを取り出して、突き出す。桂馬は、目を細めてそれを受け取ると、こわごわと眺めた。

「なんだ、これは」

「それは、鍵。中央に浮かんでいる短剣が首輪の解除キーよ。これを使えば、おまえは解放されるわ。それを、渡すためだけに来たの」

 感情を交えず淡々と語る。桂馬が呆然としているのを尻目に、彼女はきびすを返すと、宙に舞った。

「おい、ちょっと待て! まだ、エルシィのことを聞いてない。勝手に、行こうとするな」

「私からいうことはない。消えろ」

「ちょっと、待て――」

 桂馬の声を遮るようにして、大鎌が振りぬかれる。前髪が、切断され空に舞う。

 ハクアは本気だ。躊躇のない殺意を感じ取った桂馬は、その場に凍りつくと視線だけかろうじて彼女に向ける。

 そこにはもう、親愛も感情も、心の温度さえ見えない悪魔がいた。

 桂馬は、その時、彼女が自分とは違う生き物だと実感した。

「理解度の低い人間ね。もう、事態はおまえのどうにか出来るレベルを超えている。エルシィのことは私たちで何とかする。忘れなさい。その鍵を使って首輪を解除し、日常に戻るがいい。それこそ、おまえが望んでいたことだろう」

「日常に、戻る?」

「後、数時間後に彼女の魂は狩られる」

 桂馬は校舎の中央に据え付けられた時計に眼をやる。一時間後といえば、午前十時ジャストだ。

「それまでに、首輪を取っておくことね。でなければ、死ぬ。これ以上、私たちに努力させないで。それと、その鍵はすごくデリケートなの。箱から出せば、この世界の空気には長くもたない。すぐに首輪に突き立てなさい。いいわね」

「おまえたちは、エルシィを見殺しにするってことなんだな」

「人間風情にはわからない」

「全て投げ出すってことだ」

「おまえに何がわかる」

「――友達じゃなかったのか、ハクア」

 銀線が閃いた。

 桂馬は、胸から背中へと抜ける打撃を感じながら、背後の壁まで吹き飛ぶと、意識が混濁していくのを感じた。

「お前は、勘違いしている、桂木。これは、チャンスなのよ。あの大物を捕まえられれば、今までの失点は全て取り消しになる。
 あの子が私の友達なら、きっと――」

「い、うな」

「私の糧になることを喜んでくれるわ」

 にい、と。

 桂馬は引きつるような、悪魔の微笑を網膜に焼き付けながら、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 4

 ハクアは空を飛びながら、桂木桂馬のことを思った。

 ここまでやらないと。

 あの男は冷徹に見えてお人よしだ、もしかしたら何とかしようと思うに違いない。

 それではダメなのだ。

 エルシィはもう助けることは出来ない。ならば、彼の命まであやふやな可能性に掛けさせ危うくすることなど誰が出来ようか。

 それでは、危険を冒した室長のこころざしや、エルシィの願い、そして自分の気持ちの全てが、何一つとして報われない。

 センサーの警戒音が、一際高く跳ね上がった。空を切る羽衣のスピードを幾分落とすと、変化しかけている駆け魂の中心地が見えた。

 極東支部全ての駆け魂隊が集まっているのだろう。

 辺りには無数の新悪魔たちが群がり、術式を構築している姿が見えた。

 今や、エルシィと融合した復活寸前の古悪魔は、前回のレベル四事件の倍の大きさに巨大化している。

 その姿は天を圧し、外形の異形さは、世界の醜悪さを掻き集めたようだった。

 頭部は黒山羊に相似し、身体は昆虫のそれに近く、無数の脚が生えていた。

 かの怪物は、舞島市の海岸線を這うようにして侵食し、都市部へと向かっている。

 人間の軍隊も防戦に回っているのだが、つんざく火砲の雨は怪物の足止めにすら及ばぬのだろう、
時間と共に包囲線がたわまり、千切れていくのが予見出来た。

「なにやってんのよ、ハクア。いままでどこほっつき歩いてたのよ!!」

 ハクアと同じく、地区長のノーラが切羽詰った表情で叫んでいる。

 ハクアは、包囲陣を張る隊員を大きく迂回すると、彼女に近づいて声をかけた。

「ごめんなさい! 状況は!!」

「今更ノコノコやってきて、なにいってるのよ!! あんなモン無理無理! 
なに考えてるのよ、本部の連中は!! 今の戦力と装備じゃ足止めだって出来ないことくらいわかるでしょ! 
アンタも怪我したくなきゃ、適当に隠れてることね!! まったく、どこの馬鹿よ、駆け魂にとっ憑かれたマヌケは!」

「エルシィよ」

「え……」

 勢いよく畳み掛けるように話していたノーラの顔が凍りつく。彼女の顔が、ハクアには酷く幼げに映った。

「あの怪物はエルシィなの」

「それじゃ、殲滅対象は……」

「彼女よ」

「で、でも」

「エルシィの命は誰にも渡さない。彼女の命は、このハクア・ド・ロット・ヘルミニウムが貰い受けるわ」

5

「桂木、しっかりしなよ、桂木!」

 桂馬は耳元で叫ぶ声と、肩を揺らす度に湧き上がる痛みでようやく正気に戻った。

 目前には、かがみこんで顔を覗き込んでいる、クラスメイトの高原歩美が居る。

 ハクアはとうに居なかった。歩美は不意に視線が合うと、気恥ずかしげに顔を逸らした。

「ねぇ、インフルエンザ辛いの? 熱あるなら、早く帰らないとダメじゃない」

「なんで、ここに……」

「え、えと。朝ご飯食べてくる暇なかったから、そのヘソクリカロリーをですね、摂取しようと。ってどーでもいいじゃん!」

「確かに、どうでもいいな」

「そんな簡単に流されると傷つくんだけど」

「いま、何時だ」

「え、9時55分だけど。もう2時限目はじまるまえ。保健室いく? 気分悪いのなら、ついていこうか?」

 歩美は心配げに眉をひそませると、ちょいちょいと屋上扉を指し示す。

「そんなことしている暇はない」

「ふーん」

 わざわざ様子見に来たのにその態度はなんだ、と不満げな様子の歩美は、まるで構って欲しいとせがむ子供のようだ。

 桂馬は、半目になると、お義理に声を掛けた。

「……ちなみに、さっきからチラチラ見ているのはなんなんだ」

「知りたいの、しょうがないなぁ。ホラホラ、さっきからガンガンテレビでやってるんだけど……見る」

 桂馬はワンセグに視線を落とすと息を呑んだ。

 携帯に流れる映像には、ヘリからの航空撮影に舞島海岸の遠景が、黒い靄に霞んで映っている。

 規則的に聞こえる爆発音が、その映像から現実感を希釈していた。

 テロップにはこう出ていた。

『舞島市に巨大生物出現!! 自衛隊出動、北の攻撃か!?』

 ――と。

 全身が総毛だった。

 桂馬は後ろも見ずに走り出すと、階段を飛び越え踊り場に着地した。

 さらに、駆ける。廊下を歩く生徒にぶつかりながら、荒い息を細かく吐き出した。

「あれ、もういいの? みんなはこれ、テロじゃないかっていってるんだけど、ちょっと。おーい、聞いてますかー、人のはなしー」

「ちゃんと、聞いて、る」

(まるで前回の焼き直しじゃないかっ! だが、この前と違うのは、いまのボクにはエルシィとハクアの助けはまるで望めない。
むしろ、新悪魔には邪魔される可能性の方が高いってことだ)

 桂馬は全力で走っているつもりであったが、いかんせん殴られた胸が痛むわ、寝不足だわで、全然スピードが出ていない。

 その証拠に、歩美は涼しい顔で傍らを併走している。

(たぶん、あの駆け魂もろともエルシィが拘留されるまで、まだしばらくは時間があるってことだな)

 ハクアの考えたことなんて見え透いてる。

 無理に自分を冷酷に見せて突き放そうとしたのだろうが、付け焼刃の演技は大根以下の薄っぺらなものだった。

 それでは、なんであれほどまでにショックを受けたのだろう。

 たぶん、自分に絶対頼ってくると決めかかっていたのだ。

 いつもは、心のどこかで下に見ていたふたり。

 馴染みすぎだと。そう、常日頃口に出していたのに。

 依存していたのはどちらなのだろうか。

「いきなり走り出してどうしたのー、私がいうのもアレだけど、廊下を走るのは危ないよー」

「う、うる、さい。お、まえは、も・ど・れ!」

 自分では走っているつもりでも、ほとんど足が前に進まない。

 身体のコンディションはぼろぼろだが、桂馬の頭の中は、めまぐるしく回転を始めていた。

 選択肢は既に絞られた。

 残るは心を決めてトリガーをひくだけだ。

 のるかそるか。

 代償は、我が魂。

「歩美、ひとつ、頼まれてくれないか」

「――いいけど」

「とりあえず、タクシー呼んでくれ」

 格好つけてみたものの、ヒーローがヒロインのピンチに颯爽と駆けつけるというわけにはいかず。

 桂馬の体力は下駄箱にたどり着く前に、既に尽きていた。

6
「――臨時ニュースの続報です。本日午前九時ごろに舞島市西海岸付近で目撃された巨大生物ですが、
機動隊の制止に従わなかった為、現在実弾を用いての鎮圧を行っているとのことです。
え、今現場から中継が入った模様です。はい、現場の広瀬さん」

「はい、こちら現場の広瀬です。えー、聞こえますでしょうか。
ただいま実弾射撃の音が鳴り響いています。とても、国内のこととは思えません。
未確認巨大生物ですが、大きさは三十メートル程でしょうか、
とても現実の風景とは思えません。あー、機動隊の車両がですね、
道塞ぐようにして停めていた車両が、木の葉のように吹き飛ばされました。
えー、見えますでしょうか。燃えています、炎上しております。熱いです、非常に熱いです。
熱気がものすごいです。あ、あれ。機動隊の人たちでしょうか。こちらに下がっております、下がって来てます。
退却、です。退却の声が聞こえます。あー、あれは――」

「えー、広瀬さん? 広瀬さん? 映像と音が、広瀬さん?」

「――大変失礼しました。現場はただいま、混乱しております。撮影もままならない状況です」

「映像がまったく映らないんですけど、広瀬さん。スタジオの声繋がっていますでしょうか?」

「――え、広瀬です。音声のみ繋がるようです。先程の衝撃で、機材が一部故障した模様です。
現在の情報は音声のみで送らせていただきます。
あー、あれはなんでしょう!? 少年です! 高校生でしょうか? 
学生服を来た少年が、未確認に近づいております。危険です。完全に危険です! 警察は、機動隊は何をやっているのでしょうか?」

「広瀬さん! 現場に高校生が紛れこんでいるって本当でしょうか? 広瀬さん?」

――しばらく、おまちください。

7

「お客さん、これ以上はちょっと行けませんね」

 桂馬は無言で支払いを済ませると、車両から降りてざわめきの群れに近づいた。

 報道関係と話を聞きつけてきた野次馬が渾然一体となった壁を作り出している。

 人壁の一番最先端には警察が規制を敷いており、通常のやり方では通り抜けるのは不可能そうだ。

 どうしたものか、と首を傾げたその時、桂馬は既に壁を越える必要性を失った。

 即ち――。

「確かにこれは、ラスボス並だが。ここからは、ボクのターンだ。好きなようにやらせてもらうぞ」

 古悪魔はそびえる山のように巨大だった。

 その怪物の足元の辺りで、ちょこまかと機動隊員が散発的に、ニューナンブM60やS&WM37で抵抗を試みているが、
いずれも悪魔が脚を一振りするたびに蹴散らかされていく。

 ライオットシールドが木の葉のように跳ね飛ばされていくのが見えた。

「おい、エルシィ、ボクだ!! 目を覚ませ!!」

 桂馬は、引いて行く隊員の波に逆らうようにして、車道から堤防を駆け下りると、砂浜を抜き去って接近する。

「――お、い」

 目の前を巨木のような怪物の脚が貫いた。吹き上げた砂が、注ぐようにして全身に降りかかる。

 怪物の脚は、巨大な削岩機だ。

 一撃を受けただけで即死するだろう。砂浜にぽっかりとあいた、人間一人を飲み込む大穴がそれを物語っていた。

 この怪物にエルシィの意識が残っているのだろうか。

 もしかしたら、自分はまったく無意味なことをしているのかもしれない。

「こんな無理ゲー、普通なら積みだろう」

 だが、ボクは積みは作らない主義なんだ。

 怪物の異様なフォルム。全ての禍々しさを具現したようなそれは、海岸線を無目的に、ゆっくりと平行して歩いている。

 怪物が市外に向けて動き出せば、どれほどの被害が出るのだろうか。桂馬は冷静に死者を計上しようとして、頭を振った。

 その前に、彼女を止める。

 止めなければならない。

 例え、世界中の誰もが諦めても。

 自分だけは諦めてはいけないのだ。

 駆ける。

 駆ける。

 桂馬の身体はとうに心臓が爆発寸前だ。全身の血液が逆流し、堪えきれない痛みがあちこちを襲った。

 呼びかける度に引き倒され。

 飛び散る小石で眼鏡はひび割れ、視界は判然としない。

 桂馬の額は大きく割れて、とめどなく流れ出る血で、朱に染まった。

「止まれ! エルシィ!!」

 何度と無く死地を越え。

「頼む、止まってくれ!! がんばるんだ!!」

 言葉すら意味をもたなくなっても。

「聞けよ、こ、の」

 呼び掛け続ける。なぜならそれは。

 もう、どれだけ走ったのだろうか。まだ、この古悪魔が処分されないというのなら、それほど時間は経ってないのだろう。

 もう立てない、もう歩けない、もう声が出ないと何度思い返したことか。

 桂馬は、血糊でぐっしょりとぬれた前髪を後ろへ撫で付けると、笑いそうになる両膝を手のひらで押さえつけ無理やり立ち上がった。

 諦めるな。

 諦めるんじゃない。

 声すら届かない怪物とひたすら併走する。策すらない。さぞかし滑稽なことだろう。

 桂馬が自嘲の笑みを浮かべながら、それでも立ち上がると。

「なんで、そこまでするのよぉ」

 証の鎌を携えた悪魔が、瞳に涙を溜めて立ちすくんでいた。

「おまえは浅はかなんだよ、ハクア」

「なによ。もう、エルシィは救えない。だから、せめてあんただけでも助かって欲しかったのに」

 ハクアは鎌を取り落とし、両手で顔を覆った。

 乾いた砂浜へとこぼれた涙が吸い込まれていく。彼女は背中を丸めて子供のように震えていた。

「首輪を外して、なにもかも忘れてしまえばいいじゃない! 
桂木はいつだって、そう思ってたんでしょう!! 
なんで、そんなに一生懸命なのよ!! 
私たちのことなんてどうでもいいはずなのに!! どうして、どうして!!」

「どうでも、なんてよくない」

「桂木」

「――これが、おまえとエルシィの望んだエンディングなのか!? 
違うだろうが! 
エルシィは尊敬した姉のようにみんなに認められたかった! 
おまえだって、本来の実力を発揮して成功する、
誰もがうらやむそんな終わりを目指してまがりなりにも今日まで頑張ってきたはずだ!! 
それが、こんな最期でいいのか! 
わけのわからん駆け魂に憑依されて、何の意味も無い死を受け入れて!! 
こんな世界の収束の仕方は、
――神として認められないな」

「かつらぎぃ……」

「全て女の子を正しいエンディングに導く。それが、ボクに託された運命なんだ。ボクもハクアもエルシィも、――まだここでは終われない」

 桂馬はそこまでいい終えた瞬間、自分の身体がすさまじい勢いで引き上げられるのを感じた。

 はらわたを千切られそうな感覚。脳裏に自分の胴が真っ二つになる瞬間が、無限かつ連続に浮かんだ。

 怪物の右手。桂馬を絞り込むようにして巻き上げている。 

 やがて、視点が定まると、怪物のらんらんと光る赤黒い目が自身を覗き込んでいるの気づいた。

「やっと、会えたな、エルシィ」

「桂木、いま助けるからー」

「待て、ハクア。いま、ボクが話をしている」

「そんな――」

 ハクアは宙で鎌を振り上げたまま固まると、やがて諦めたかのように得物を下げた。

「聞こえるんだろ、エルシィ。出てきてくれ」

『にぃさま』

 怪物の喉仏中央部に突起物らしき何かが浮かび上がる。

 それは、赤黒く見るに耐えない色をしていたが、確かにエルシィの顔だった。

『私、もうだめみたいです。簡単に駆け魂に憑かれちゃって、気づいたら、もうこんな風に。本当、どうしようもない……』

「エルシィ! そんなのいいのよ!! 自分を強くもって、そうすればきっと、そこから抜け出される!! 
 私が出来たように、あなただって!!」

『無理だよ、私ハクアとは違うもの。でも、にーさまは、ひとりでも大丈夫だから』

「エルシィ、私、私、なにもできないよぉ、ごめん、ごめんね」

『いろいろ煩わせちゃってごめんね。でも、ハクアのおかげでにーさまだけは助けられてよかった』

「エルシィ」

『――にーさま、早く鍵を使って首輪を解除してください。これでよかったんですよ。いままで迷惑たくさんかけてごめんなさい、それと』

 エルシィの顔。くしゃりと歪んだ。

『また、会えてよかったです』

 桂馬は、無言で鍵を模した短剣の箱を取り出してみせる。

 それは、灰色の空の下で一際流れるように輝き、海の光を集めたように、青く、美しかった。

 箱の中から剣を取り出し、天に掲げる。

 悪魔との契約を絶つ唯一の鍵。

 手を離す。

 それは、灰色の雲間から差す僅かな光量に身を横たえて輝きながら、あっさりと水に溶けいっていった。

『ど――うして』

 エルシィの顔。信じられないと、驚愕の表情で固着。

「このゲーム、途中では降りない。駆け魂狩りは、ボクとお前で続けるんだ」

 桂馬は、緩んだ怪物の手の中から抜け出ると、四つんばいのまま腕を伝ってエルシィの声がする位置まで移動した。

「私は、ドジでへっぽこで、いつだってにーさまの足を引っ張って……」

「そんなこと折り込み済みだ」

「しまいにはハクアとにーさまに嫉妬して、駆け魂にとり憑かれちゃって……」

「誰もが不完全だから、向上しようと努力する。エルシィみたいな半人前ならいわずもがなだ」

「うー、でも私じゃ、私じゃにーさまに不釣合いで」

「いいかげんにしろ! このっ!!」

 右腕を声のする位置に突きこむ。溶けたバターのようにそれは簡単に出来た。

 エルシィの細くなめらかな腕。桂馬は渾身の力を混めて、彼女を駆け魂から引きずり出した。

 エルシィの細い肩を両腕で押さえ込む。黒々とした美しい髪と、泣き出しそうに潤んだ瞳。

 全身の血が急激に熱くなる。

 思いのほか不快ではなかった。

「おまえ以外はいらない。エルシィはボクのパートナーで、最強の相棒だ!!」

「にーさま」

 唇を近づける。鼓動が弾けそうに高鳴っていく。

 彼女が両目を閉じて、祈るように俯く。

 神々しさすら感じた。

「これは、おまえとボクの新しい契約だ」

 ――交わした口付けは、今までの誰よりも冷たくて、なめらかだった。

 轟音と共に、古悪魔のカタチが崩壊を始める。

 波頭が黒く打ちあがり、目前に迫った。

 桂馬はエルシィと共に、砂浜に降り立つと敵影を見据える。

 空を圧する巨影。

 ふたりは拘留ビンを互いに支えあうようにして抱きかかえると、真っ直ぐそれに向けた。

 迷いは無い。

「いくぞ、エルシィ。エンディングは、もう見えた!!」

「はいっ、にーさま!」

 ふたりは重なりあう、てのひらのあたたかさを感じた時、勝利を確信した。

CAST

エリュシア・デ・ルート・イーマ(ジョブ:家事専用悪魔)
ハクア・ド・ロット・ヘルミニウム(ジョブ:ドメスティック・ジーニアス)
桂木 麻里(ジョブ:桂馬の母ちゃん)
鮎川 天理【ディアナ】(ジョブ:一方通行幼なじみ)【ユピテルの姉妹】
高原 歩美(ジョブ:陸上女子)
青山 美生(ジョブ:元セレブ)
中川 かのん(ジョブ:ローラーコースターアイドル)
春日 楠(ジョブ:ファンシー拳法家)
小阪 ちひろ(ジョブ:ふつーの人)
九条 月夜( ジョブ:美意識過剰天文部員)
五位堂 結(ジョブ:ドラムスメ)
ドクロウ・スカール(冥界法治省極東支局亡霊対策室長)
ノーラ・フロリアン・レオリア(ジョブ:お邪魔女さん)
ギャブレー・デッラ・モンテ・ドゥミ(冥界法治省逃亡霊特別本部議員)
ゴロゴロ・ラグラン・ガンホーン(冥界法治省逃亡霊特別本部議員)
ロードレット・ルウム・レントラント(冥界法治省逃亡霊特別本部議員)
アノア・ノア・デルフリクト・ニース(冥界法治省逃亡霊特別本部議員)
二階堂 由梨(私立舞島学園高校2-B担任)
リョーくん(パセリ)
男(当て馬)
駆け魂7(ラスボス)

桂木 桂馬「落とし神」

 あの事件から、数日が過ぎた。

 今回に関しては、地獄の処理能力は完璧だった。

 一連の出来事に関して、覚えている者は誰も居ない。

 つまりは、細かい処理が出来なく、数日さかのぼって、関係者全員の記憶を消去してしまったのだ。

 ま、ボクがキスしてしまったことで、彼女との関係が変わってしまうのも不都合だ。

 その点は極めて評価しているのだが。

「出来るならさっさとやれって話だよな」

「何か、いいましたか、にーさま」

「なんでもないよ」

「あっ、いま私の顔見てため息つきましたねー。しつれーです」

「なにを一人前な口を利いてるんだか。はぁ」

「にーさま、ため息をつくとしあわせが逃げちゃいますよ」

「悪魔といっしょに居る時点で、既に幸運とは程遠いような気がする」

 やっぱり、失礼です、と憤るエルシィと共に、家路を辿る。

「今日の夕飯は、地獄風包み焼きハンバーグですよ」

「包むってのが曲者だな。どうして、普通に作らないんだ、おまえは」

 地獄風っていいたいだけちゃうんか。

「にーさまに私の故郷の味をたくさん知ってほしーからですよ」

 ね、と目尻を下げるエルシィを見て、思わず視線を逸らしてしまう。

 くそ、どーせならボクの記憶も消しておいて欲しかった。

「デザートはどうしましょうか、ねぇ、にーさま?」

 屈託無く微笑む彼女を前にして。

「……甘くないので、おねがいします」

 ボクはこの先も続く、運命を受け入れた。

お・し・ま・い♪

これにて完結!
暇人ども、ご愛読ありがとうございました!!

適当に埋めといてくださいってことさ

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