※人が死にます。
※続き物です。前回はこちら。
対木もこ「私と荒川憩のカレーうどん戦争」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1386704323/)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1389157781
暑い。
新幹線を降り、大阪駅のホームに足を置いた時最初に感じたものがそれだった。
やはりこんな事ならあいつの電話など断ればよかったと、新幹線の中で何度もした後悔を一つ重ね、溜息を吐きながら自動販売機で紅茶を買う。
あいつというのは、まぁ、言うまでもなくナース服だ。
名前は新堀川だったかなんだったか……もう少し東京っぽい川の名前だったような気もするけれど、覚えていない。
元々人の名前を覚えるのは苦手なのに、ましてやあんな面倒なことがあったのだから尚更ナース服の名前などどうでもよかった。
面倒なこと。
面倒な事件。
「……ふん」
先々月に私の学校で起きた殺人事件は、やはりもう二ヶ月の出来事でしかなく。
改めてそれについて何かを語る必要はないだろう。
裁判の結果も同様に、興味がないので知らない。
ナース服だけは、気にしていたけれど。
紅茶を一気飲みして、ゴミ箱に捨てる。
右目を細めてみるも、やはりナース服は見当たらない。
「……いないじゃねぇか」
人を名古屋から呼びつけておきながら随分な態度だ。
あるいはあいつにもナース服以外の服を着るという良識と常識があったのかもしれないと思い、それらしい人物を探そうと思ったが、よくよく考えたらあいつの外見さえ殆んど覚えていなかった。
あいつどんな顔だっけ。
女だったのは覚えてるけど。
「……、……」
やはり大阪なんてくるんじゃなかった。
携帯で連絡を取ろうと思ったが、あいつの連絡先を知らない。
顔も分からない、名前も分からない、連絡先も分からないでは手のうちようもなく、非常に不本意ではあるが、ホームで待つくらいしかすることがなかった。
引き換えして名古屋に帰ろうにも、反対ホームに行くのが面倒くさい。
適当に椅子に座り、辺りをなんとなく見回す。
土曜日の朝九時過ぎ。なんだってこんな時間に大阪まで来なくてはいけないのかという不満を抱いているのが果たして私以外にどれほどいるだろう。
あのサラリーマンやあっちの学生などはきっとそうかもしれない。
仕事か部活かは分からないが、どいつもこいつもご愁傷様だ。
忙しそうに、あるいは面倒くさそうに皆ホームを右へ左へ歩く。
その度に私が座るベンチを一瞥しては通り過ぎて行く。
待ち合わせしている暢気な女子学生に見られているのだとしたら、相当に間違っている。
私だって本来はこのクソ暑い八月─もうそろそろ九月になりそうだ─に、わざわざ日本一うるさい場所であろう大阪なんぞに来るつもりは毛頭もなかったのだ。
しかも一回ならまだしも、二回も。
できることなら折角の休日、部活に行くか一日中ベッドの中で包まっていたかった。
その為に金曜の学校帰りに散財して食料を購入したと言うのに。
ういろうに納屋橋まんじゅうに名古屋嬢にシャチナゴンに……。
これらを一口ずつ食べるのが週末の数少ない楽しみだったと言うのに。
あのナース服の電話さえなければ。
──遡ること前日。
「……」
学校から帰り、自室の携帯が鳴り響いた。
鞄を鞄掛けにひっかけ、充電器にさしっぱなしだった携帯電話を開く。
そこには、知らない電話番号が載っていた。
というより、私の携帯の電話帳に搭載されている番号なんてたかが知れている。
両親と学校と、最寄の交番くらいか。
あとは、一人だけ個人の番号があるけれど。
それは、今は関係のない話だ。
正直に言って私は携帯など必要ない。
両親だって本来はそう思っていただろうけれど、高校に入った折だからということで、半ば無理矢理持たせたに近く、私自身はまるで必要と感じたことは一度もなかった。
その証拠に私は携帯電話を持ち歩いたりはしない。使わないものを持ち歩いていても邪魔だし、落として悪用されたら面倒だからだ。
多分に、両親も、私に携帯電話が必要だとは思っていないだろう。
普段持ち歩いていない事も知っているはずだ。
別段自室に鍵は掛けていないし、入るなとも言っていない。
掃除だったり何だりで、私がいない間に私の部屋に入ることもあっただろう。
そしてその度に、自室に置かれたままの携帯電話に気付いただろう。
だけれど、それについて私が何か言われたことは一度もない。
両親との微妙な距離は、年を重ねるごとに広がっていく。
おはようございます、いただきます、ごちそうさまでした、いってきます。
ただいまかえりました、おかえりなさい、おやすみなさい。
これだけあれば、私と両親の会話は殆んど埋まる。
これ以外の言葉を最後に両親に向けたのは、何年前だったか。
笑ったり泣いたり怒ったりしたのは、もう記憶にすらない。
記憶にある出来事なんて、きっと。
「……」
そっと左目のリボンに手を触れる。
携帯電話も、家族の溝も。
あれさえなければ、違っていたんだろうか。
なんて。
そんなこと。
ただの、詮無い仮定だけれど。
私は別にそれでも困らないのだけれど、両親は違ったのだろう。
先ほどは「私の両親の会話」と言ったけれど、少し語弊があった。
両親は私に対して出来る限り明るく接し、多く語り、良く尋ねる。
学校はどうだとか。
勉強はどうだとか。
麻雀はどうだとか。
友人はどうだとか。
ありふれてありふれた質問を、優しく辛抱強く聞いてくるのだ。
だけれどそれに対して私が返す言葉などろくになく。
適当に首を横に振り、適当に首を縦に振り。
曖昧な表現でもって、
曖昧な態度でもって、
曖昧な目線でもって、
そうしてやがて両親が困ったような微笑を浮かべて、会話が終わる。
私にとって会話は苦痛であり、両親にとって私は苦痛なのかもしれない。
そして私はそれでも良いと思い、両親はそう思わなかった。
だから私が高校に入学した際に、半ば無理矢理にでも携帯電話を買ったことは、正直に言って意外だった。
私と両親の間の溝のようなものは年々広がっていっていたし、それを阻止するためか両親が私に強くものを言ったことは一度もなかった。
そんな両親が、難色を示した私を押し切ってまで携帯電話を買ったのは恐らく、切欠だったのだろう。
切欠づくり。
コミュニケーションの切欠に携帯は、確かに有効だ。
顔を見なくても電話が出来るし、会話が面倒ならメールと言う手段をとる事も出来る。
両親は表立っては“帰り道が心配だから”とだけ言って私を言いくるめたけれど、それだけではないことくらいは、なんとなくだけれど私にも分かった。
尤も。分かっただけで、理解はしていない。
この四ヶ月間で、私が両親と携帯を通じて話したことは一度もないのだから。
それに。どうせなら今ではなく、あの時持たせてくれればよかったのに。
今更渡されても、もう遅い。
そんな私にとっての携帯電話は、目覚まし電話としての使用が専らだ。
或いは学校から帰ってきて、留守番電話に両親からの言葉があったら、それを聞いて消去するだけのメモのようなものである。
その私の携帯電話が鳴ったのだ。
両親が私の携帯電話に電話をする時は、大抵私は学校で、携帯電話を持ち歩いていない。
家にいる休日は、電源自体切っている。
なので、こうして私の目の前で携帯電話が鳴る所を見るのは、初めてだったりする。
「んおう……」
思わず驚いてしまった。
携帯電話ってこんな音するのか。
二コール分ほど固まって聞く。
多分親が間違ってこのタイミングで電話をしてきたのだろう。
このまま黙って待っていれば直に止まるだろうと思い、そのままの状態で放置し、机に向かい座る。
よりによって週末だからと言う理由で、宿題が複数教科重なってしまったのだ。
さっさと終わらせて、土日は麻雀かベッドに引きこもるかしたい。
数学の教科書とノートを開き、筆箱を取り出す。
「……」
Trrr...
「……」
Trrr...
「……」
Trrr...
「……」
『ただいま電話に出ることができません。三十秒以内にお名前とご用件をお話ください』
「もこちゃーん?」
は?
「もこちゃん聞いとるぅ? あんなぁ、うちやでぇ。この間ぶりやんなぁ。もうすっかり暑ぅなったなぁ。
最近元気しとるぅ? もこちゃん全然電話してくれへんから寂しいわぁ。
そいやなぁ、あれやん。こないだインハイあったやんかぁ。試合観たぁ?
いやぁ、まさかあんな事になるなんて思わへんかったわぁ。
先々月の委員長といい、先月といい、なんでこんな続くんやろなぁ……。
あぁ、でも話したいことはそれやないんやぁ。
個人戦観てくれたぁ? うち頑張ったんやでぇ。
来年は個人戦と、団体戦もやけど、一緒に全国で対戦できたらえぇなぁ。
……、あれ、もう三十秒? 早いなぁ。まだ言いたいこと言ってへんわぁ。
あんなぁ、」
そこで留守電は切れた。
三十秒フルで喋るなよ。
私の事をちゃんで呼ぶ奴など、私は一人しか知らない。
口調からしても恐らくナース服だとは思う、の、だけれど。
「なんで私の電話番号知ってるんだこいつ……」
当然ながら、私は教えていない。
あのナース服には今月一回会っているけれど、それから今日までの間で、あいつが何をどう動いていたのかは知らない。
どうやら私はまだ面倒な奴に目をつけられたままのようだ。
まぁ。とはいえ。
直接目の前でだらだらと話されるわけではない。
単純に電話なのだから、出なければいいだけの話だ。
Trrr...
「……」
Trrr...
「……」
Trrr...
「……」
Trrr...
「……」
『ただいま電話に出ることができません。三十秒以内にお名前とご用件をお話ください』
「それでなぁ、もこちゃん」
うるせぇなこいつ!
「なんだよ」
「およ?」
すっとぼけた声出しやがって。
「なんやもこちゃん、聞いとったんかぁ。ほんなら出てくれてもええのにぃ」
出るつもりはなかったよ。
お前があまりにうるさいから仕方なく出ただけだ。
「照れ屋さんなんやなぁ」
下らないことを言ってないでさっさと用件を言え。
でないと切るぞ。今度は電源ごと。
「もぉ、冷たいやんなぁ」
お前が緩いだけだよ。
「ん……、」
こほん、とナース服(かどうかは電話越しなので分からないが、まぁいい)が咳払いをする。
少しだけ真面目な声になった。
「もこちゃん、インハイは観た?」
「……一応」
好きで麻雀やってるからには、とりあえずは観るだろう。
それに、今年のインハイは、何かと因果があるようだったから。
「……せやね」
先月、今月と、インハイに関わる高校で続いて事件が起きている。
そのため、今年のインハイは本来のラダーとは異なる進行もあって、何かと話題になった。
「……」
「……おい」
「ん、なに?」
「勝手に掛けてきて勝手に暗くなるな」
「あぁ、うん、ごめんなぁ」
苦笑いを軽く聞き流して、そっと左目のリボンを触る。
一人のときはついつい触ってしまう、嫌な癖だ。
嫌なものは決してなくならない。
欲しいものは手に入らないのに。
「用件は?」
「あぁ、うん」
先々月に、私の高校。
先月に、別の高校。
そして今月。
「えっとな。決勝に出てた千里山、おるやんかぁ」
「あぁ……」
繰上げで決勝に進出してたな。
……、嫌な予感がする。
そして嫌な予感は、えてして当たる。
「……、その、千里山の部長さん。清水谷さん。亡くなったんや」
「……」
「殺されたんやって」
「……ふぅん」
清水谷竜華。北だったか南だったかの大阪代表の、大将。
そいつが、殺された。
真面目──というより、落ち込んだ声。
同じ大阪同士だし、面識はあったのかもしれない。
「……うん。時々麻雀打ったり、遊んだりもしてた」
「ふぅん」
顔見知りということか。
「ちゃう。顔見知りやない。友達や。大事な友達」
「あぁ、はいはい」
ちょっと本気で怒られた。あいつに怒られるのは二度目だったりする。
一回目は、確か、阿知賀の時だったか……。
友人だろうが恋人だろうが家族だろうが、他人という事には変わらないだろうに。
いちいち誰かが死んだことに心を痛めていたら、身がもたない。
割り切って割り振ることが、つまらない人生への数少ない抵抗だ。
「……もこちゃん」
「嫌だよ」
言われる前に言葉をかぶせる。
「え?」
「お前、どうせ、私にそっちに行けって言うんだろう」
「そうやけど……」
こいつのことだ。どうせ清水谷竜華を殺した犯人を見つけて欲しいとでも言うんだろう。
「……だって、こんなん」
そりゃあお前にとっては知り合いだか友人かもしれないけれど、私にとっては接点なんて殆んどない赤の他人だ。
なんでそいつのために時間を消費しなければならない。
それに、それは警察の仕事だ。
私は唯の高校生で、探偵じゃないんだよ。
「でも、何度も事件解決しとるやんか」
それは仕方なくだ。
たまたま目の前に事件があって、たまたまそれの真実が分かっただけで、別に解きたくて解いているわけではない。
先々月も先月も。
今月の最初の事件も。
解いた所で、私は幸せにはなっていない。
そもそも事件自体が不幸なもので、解いても解かなくても、誰も幸せになんてなれない。
だから事件になんて、本来関わるべきじゃない。
平穏に、何もない人生を生きることが、一番分かりやすい生き方だ。
「そんなん、つまらんやんか」
人生なんて本来そんなもんだ。
「なんで? 楽しいこと、一杯あるやん」
その分辛い事も一杯ある。楽しんだ分、楽しくないことは平等に訪れる。
そして楽しい事より楽しくないことの方が、人の心にはよく残る。
だからどちらもないほうがいい。
「……、……。そんな考えで生きるの、辛くないん?」
「辛いよ」
生きることは苦痛でしかない。
生きることは辛苦でしかない。
愛されたいなんて思わない。
殺されたいとしか思わない。
清水谷竜華を殺した犯人も、どうせなら、私を殺してくれればよかったのに。
「もこちゃん……」
「……」
いっそのこと自殺してしまえば楽になれるのかもしれないし、多分に実際楽になれるのだろうけれど、でもそれだけはしたくない。
自殺は解放で、そして自殺は逃避だ。
死ぬより辛いこの地獄のような人生を、陽に当たらないように隅っこで生きることが何よりの苦痛になるだろう。
或いはそれが、私に出来る唯一のささやかな抵抗なのかもしれないけれど。
「……」
左目のリボンは、何も言わない。
「……、そういうわけだから。私は事件なんて興味ない」
さすがにここまで拒否すれば、向こうも引くだろう。
基本的に自由奔放な性格だけれど、無理を通すような奴ではなかったはずだ。
先々月から数えて三回か四回ほど接しただけで、性格を把握するのは難しいけれども。
「それでも、お願いしたいんや。お願い、もこちゃん」
「嫌だ」
「お願い……」
「嫌だ」
どうしてこいつは、他人にそこまで感情移入できるんだろう。
そんな事しても、何の得もしないのに。
そんな事しても、唯の損にしかならないのに。
そのまま数分、沈黙が続いた。
「……、……。……もこちゃんがそこまで嫌言うなら、しょうがないか」
ごめんなぁ、と、努めて明るい声で笑った。
「うん。無茶言うてごめんなぁ。ほんなら、またな」
「……」
ツー、ツー、という電話音を数秒ほど聞いて、電話を充電器に戻す。
そのままベッドへと身を投げ、深く溜息を吐いた。
なんだって私が事件に首を突っ込まなければならない。
先々月は私が第一発見者で、しかも犯人にされかけていたので仕方なく解いただけだし、先月や今月頭のも似たようなものだ。
「……」
事件なんていらない。
幸福なんていらない。
起伏なんていらない。
平穏でいい。
「……」
「……」
「……」
「……」
──あぁ、くそ。
──面倒だ。まったく面倒だ。
──まったくどうして、あんな奴に関わってしまったんだろう。
──まったくどうして。
「……」
「……」
「……はぁ」
頭を掻いて、溜息を吐く。
そのまま左手を左目に。
あぁ、もう。
関わるだけ損するというのにな。
なんだかんだで私も、馬鹿なんだろうな。
「……、もしもし。詳しく事件を話して」
──その電話から二十四時間経っていない今に、話は戻る。
新幹線の中で予めナース服にメールで教えてもらった情報を見たが、手持ち無沙汰なのでもう一度確認。
……、そういえば結局何故ナース服が私の電話番号とメールアドレスを知っていたのかは謎なままだ。
後で聞いたほうが良いのか、それとも突かない方が良いのか。
どちらにしても面倒なので、とりあえずは放置しておくことにしよう。
「……」
被害者は清水谷竜華。
病院の駐輪場で、腹部を刺された状態で発見される。
八月末だと言うのに何故かコートを羽織っていたのが気になるものの、そのコートも本人のものだと言う確認が取れている。
凶器のナイフはすぐ近くに落ちており、指紋は被害者のものしか発見されなかった。
おそらくは、引き抜いた時についたんだろう。ナイフの柄にも血が付着していた。
事件は昨日の土曜日に起きたという事で、被害者は私服だった。
……ということは、あいつは事件が起きた当日に私に電話してきたのか。
当日だけでどうやってここまでの情報を集めたのか気になるけれど、それはこれまでもそうだったので今更疑問に思っても仕方ないだろう。
所持品のバッグからは特に何かなくなっている様子もなく、財布も手付かず、とのこと。
ただ、何故か唯一生徒手帳だけが見つからないそうだ。
とはいえ、生徒手帳を盗んだ所で金にはならない。
恐らくは学校に置き忘れたのか、それとも自宅にあるんだろう。
なので、通常であれば怨恨を疑うべき状況ではあるが、清水谷竜華を恨む人間なんて誰もいないと専らの評判だったようで。出来た人間である。
通り魔だとしても財布は手付かず、服の乱れも争った形跡にしては少ないというのが矛盾している。
事件の瞬間の目撃者がいないと言うのもまた面倒な話だ。
「……ふぅん」
ついついリボンの先端をよじる。
「なんか分かったぁ?」
「これだけじゃな」
「そっかぁ」
「……」
「……」
「……あ?」
「おはようさん、もこちゃん」
見上げると、そこにはナース服がやっぱりナース服でいた。
どこでもナース服なんだなこいつ。
「ごめんなぁ、遅なって」
「危うく忘れかけてたけど、確かに言われて見れば遅い」
「堪忍なぁ。もこちゃんに言われたとおり調べてたら遅なってもうたんよぉ」
「私が悪いってか」
「そうやないよぉ」
ナース服に先導されて、改札を抜ける。
大阪に来るのはこれで二度目か。相変わらず人が多くて辟易する。
ましてやその両方で殺人事件が絡んでいるとなると、尚更。
「……、せやね」
ちょっと申し訳なさそうな顔をする。
「でも、ほんまにきてくれてありがとう」
「別に……」
再びふにゃりと笑った。
困っていても辛くても、出来る限りこいつは笑おうとする。
面倒な性格だ。
私もだけれど。
「でも、どうして? そらきてくれてうちは凄い嬉しいけど」
「……、まぁ、ちょっとね」
駅を出る。
大きなロータリーにはタクシーやらバスやら自家用車やらでごった返しており、見ているだけで目が疲れそうだ。
「もこちゃん、こっちやで」
「ん……」
ロータリーで待つ一台のタクシーを指差し、ナース服が手招きする。
「ほんなら早速病院に向かってくださいなぁ」
「あいよ」
清水谷竜華は事件当日、このタクシーに乗って病院まで向かったようだ。
そのタクシーを捕まえるべくナース服には動いてもらっていたが、本当に見つけるとは思わなかった。
見つからなくても仕方ない程度には考えていたのだけれど。
「うちかてやるときはやるんやで」
ふふん、と胸を張る。
「嬢ちゃんたち、あの子の知り合いなんか」
「そうやねん」
私は違う。
が、それを言ってもあまり意味がないので黙っておく。
「そうかぁ。いやまさか、自分の乗せた客が、その後すぐ殺されるなんて思わへんわ」
「そうですねぇ」
「べっぴんさんだったし気前も良かったし、ほんま残念やわ」
「せやねぇ」
清水谷竜華の外見はまぁ、確かに美人の部類に入るだろう。
スタイルも良いとかなんとか。
……ちっ。
「もこちゃんはこれからやで」
「うるさいよ」
余計な励ましはやめろ。
これでもお前に初めて会った先々月よりは背が伸びてるんだぞ。
二ミリだけど。
私の身長の話は置いといて。
「気前が良いっていうのは?」
気になったことを尋ねる。
そもそも、清水谷竜華は何故病院に行こうとしていたのだろうか。
「あぁ、あの子、釣り貰わへんかったんや」
「お釣りを……」
「まぁ、言うても二百……なんぼやったかな。二百七十円やったか。そんくらいの釣りやけどな」
大阪人は金勘定に細かいと聞くけど。
「皆が皆そういうわけやないよぉ」
まぁ、そうか。
「それと、清水谷さんやけど、多分園城寺さんの見舞いに行こうとしてたんちゃうかな」
「……ふぅん」
「あぁ、見舞い言うとったな」
園城寺というのは、恐らく園城寺怜のことだろう。
清水谷竜華と同じ高校の麻雀部で、共にインハイに出場していたのを思い出す。
確か準決勝で倒れて、繰り上がりで出場した決勝でも辛そうにしていたけれど。
「園城寺さん、心臓に持病があんねん」
「ふぅん」
持病、ね……。
「その園城寺怜の見舞いに行く前に殺された、と」
「せやなぁ」
「……、清水谷竜華の自宅から病院まではどのくらい?」
「ん? んー……」
車で十五分ほど、という回答。
その後も道中運転手から話を聞いて、病院の前で降ろしてもらう。
清水谷竜華が下りた場所は正門のようだ。
まぁ、わざわざ裏門へいく理由はない。
「坂か」
病院へはなだらかな上り坂になっている。
「園城寺怜の病室は?」
「あっちやね」
指差された方を見る。
病棟はここからだと三つ確認できる。相当大きな大学病院だ。
正面が一番大きく、次いで左、三つ目の右の病棟も八階建てくらいはあるだろう。
正面の上り坂を登って左に折れるか、先に左に進み階段を上がるかの二択で、恐らく清水谷竜華は後者を選んだのだろう。
それに倣い、左へ進む。
当然のごとく左の階段、そしてその脇の駐輪場─事件現場だ─には警察官がおり、とても入れる雰囲気ではない。
まぁ、当たり前だけど。
「さすがに現場を見るのは無理か……」
ここから遠巻きに見る分には可能だけれど、あまり意味がなさそうだ。
さすがに遺体はもうここにはないようで、血痕やら恐らくは清水谷竜華を囲んだのであろう人型のテープをなんとなしに見やる。
テープの形から察するに、遺体は病棟の方へ頭をむけ、足は駐輪場の方へ向いている。
「……」
「もこちゃん、また目ぇ触っとる」
遺体は仰向けだったらしい。
まぁ、普通刺された死体がうつ伏せになる確率は低い。
「清水谷竜華の死因は?」
「んと……。腹部を刺されたことによる失血死、やね」
メールで読んだが、もう一度だけ確認する。
「複数回刺されたんだっけ」
「せやね。血痕も多いし、事件現場はここで間違いなさそうや」
「……」
あぁ、そういえば、とナース服が続ける。
「複数の刺し傷のうち、一つだけ変な傷があんねん」
「変な傷?」
それはメールになかった。
「分かったの今朝やったからね……。ええと、全部で七つくらいあった刺し傷のうち、一つだけ胃を傷つけとんねん。それに少し浅いし」
「……」
「他は全部それより上やね。まぁ、たまたまやと思うけど」
こんな物騒な話──というか、まさに事件の話をしていたからか、見張りをしている警官に白い眼で見られる。
「あ、あはは。もこちゃん、行こうか」
くいっと袖を引っ張られ、仕方なく駐輪場を後にして、病棟へと向かう。
当然目的地は、園城寺怜の病室だ。
どうやら予め園城寺怜の病室は知っていたようだ。
友人だといっていたのだから、まぁ考えてみればおかしなことではない。
受付を通り過ぎ、エレベーターで階を上がる。
どうやら園城寺怜は個室で優雅な入院をしているようで、高校生なのに随分なご身分だ。
ネームプレートを見やりつつそんな事を思う。
ナース服のノックに、やや間があって「どうぞ」という答えが返ってくる。
「こんにちはぁ」
「あぁ、憩やんか。……と、そちらさんは?」
「こっちはもこちゃん。うちの友達ですぅ」
「へぇ」
勝手に話が進んでいく。
大阪のテンポにはついていけない。
「なかなか可愛らしいやんか」
「そうなんですよぅ」
「というか無口やな」
「そうなんですよぅ」
……、……。
面倒だな……。
猛烈に帰りたくなった。
「へぇ、ふぅん」
まじまじと見られる。
品定めをするように、というか実際しているのだろう。頭から足先まで見つめられる。
「……似とるなぁ」
ぼそっと呟いた。
……が、すぐに咳払いをして誤魔化した。
「……」
「……」
「……」
「……、なんでもない」
先に折れたのは、園城寺怜のほうだった。
ぽかんと口を開けて、頭の上にクエスチョンマークを作っているナース服はさておき。
「ええと。清水谷竜華の事件について聞きたいんだけど」
「直球やなぁ」
面倒なことは嫌いだ。
ついでに言えば、園城寺怜は三年生で、私は一年生だけれど、敬語も面倒なので使わない。
……、いや、まぁ、ナース服も二年生なんだけど。
あんまり年上と言う感じがしない。
ふにゃふにゃしてるからだろうか。
「彼女が殺害される直前、電話をしてきたって言うのは本当?」
「あぁ……」
殺害現場にはナイフと鞄のほかに、携帯電話も転がっていた。
その電話の一番上の発信履歴は他ならぬ園城寺怜であり、時間はまさに死亡推定時刻そのもの。
「あん時、うちはここにおったんやけどな。見舞いに来た、言うてたんや」
「……」
この個室には、当然ながら監視カメラはない。
なので、園城寺怜が本当にこの個室で電話を受け取ったのかは定かではない。
「疑われてるんか」
「疑ってるよ」
私と園城寺怜を交互に見ながら、ナース服が情けない表情を浮かべる。
別に私とてむやみやたらに喧嘩を売っている訳ではない。
清水谷竜華を殺した犯人は、何も奪っていない。
殺された清水谷竜華自身もまた、あまり抵抗していない。
そう考えると、通り魔や強盗の犯行と考えるよりは、
「顔見知りの犯行の方がしっくりくる……やろ?」
「そうだね」
そういうことだ。
「憩はミーハーやから、今度はどんなん呼んだんやろ思ったけど、自分、結構頭回るほうやんな」
「……」
自分、というのはこの場合私を指すのか。
大阪の言葉は面倒だ。
「もこちゃんは凄いんですよぅ。もう何件も事件解決しとるんですぅ」
「ほー、そらすごいわ」
「今月頭の阿知賀のも、それと先月のも、もこちゃんが解決したんですぅ」
「やるやんなぁ」
放っておくとすぐに事件から離れるなこいつら。
大阪のこの感じには着いていけない。
「褒めてるんやで?」
「だから嫌なんだよ」
褒められても嬉しくない。
放っておいてほしい。
いつだって私は一人でいたい。
でも、放っておくとこいつらはつけ上がる。
なんとも面倒なシステムだ。
「謙虚やんなぁ。……それとも、臆病なんか」
「どうとでも」
つれないなぁ、と園城寺怜は肩をすくめて、
私は目を逸らした。
「まぁ、でも、うちには無理やで」
「そうなんですかぁ?」
そうや、と園城寺怜が頷く。
椅子から立ち上がり、外の景色を眺める。
ここからだと遺体を模ったテープのうち、上半身しか見えない。
下半身は駐輪場の屋根が邪魔してしまっている。
「……」
「うちがここで竜華と電話した時、他の皆もおってん」
「他?」
「せや。一緒にインハイ打ったメンバーや」
「なるほど」
証人、ってわけか。
「皆に確認すれば分かると思うで」
「ふぅん……」
恐らくは園城寺怜は、既に警察に似たような質問をされているだろう。
だとすると、嘘をつく可能性はあまり高くない。
仮に園城寺怜が犯人で、アリバイが欲しかったのだとしても、犯行現場からここまでの距離は恐らく十分ほど。
受付や廊下、エレベーターか階段を使ってここまで戻るのに誰にも目撃されない可能性など、ゼロと言って良いだろう。
それに、あの犯行現場と清水谷竜華の死因を考えるに、犯人は相応の返り血を浴びているはずだ。
そんな人間が病院内をうろついていたら、間違いなく見つかる。
ましてや、返り血を浴びた服を着替えたのだとしても、処分する時間も場所もない。
現場近く、或いは病院内で血痕のついた服が見つかっていない以上、園城寺怜を疑う理由は、現時点ではない。
「……」
或いは……。
リボンをくゆりながら、考える。
「園城寺さん、清水谷さんに変わった様子とかありませんでしたぁ?」
考え込む私の代わりに、そう尋ねたのはナース服。
「ん? んー……」
「誰か付きまとってたとか、そういうんは?」
「竜華は人気者やし優しいからなぁ。大抵誰かと一緒やったで」
「そうなんですかぁ」
「せや。責任感強うて、優しくて、そんでもって少し抜けてるところもあって……」
少しだけ言葉に詰まる。
二人の関係は、中学の時かららしい。
病弱で、まだ麻雀もあまり強くなかった時からずっと親身にしてくれていたことや、絶えず笑って励ましてくれたこと。
高校三年になって、最初で最後のインハイで決勝までいけたことなど。
詰まりながらも、そういう事を話してくれた。
「もう、おらんねんなぁ……竜華」
改めて現実を突きつけられた園城寺怜が、言葉と共に涙を零す。
「……」
事件に関わっても、ろくなことがない。
見なくても良い涙を見るはめになるから。
事件に関わっても、ろくなことがない。
聞かなくて良い言葉を聞く事になるから。
だから事件は楽しくない。
だから殺人は許されない。
「うちが気付いたことなんてそれくらいや。ほんとにいつも通りやったで」
「そうですか……」
目元を拭いながら、園城寺怜がそう答えた。
あまり長いこと話を聞いても、園城寺怜の体に障るということなので、一度病室を後にすることにした。
廊下を適当に歩く。ナース服も、珍しく静かだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
こいつといて沈黙が続くのは、割と珍しい。
静かなのは好きだ。だから、これでいい。
と、思う。
「……」
「……」
「……」
「……おい」
「え?」
一歩後ろを歩くナース服に声をかける。
俯き気味に歩いていた顔を上げ、きょとんとした表情を浮かべる。
「食堂とか、ないの。ここ」
「どうしたん?」
「朝食べてないんだよ。もう良い時間でしょ」
院内の時計は、十一時を少し回ったあたりだった。
こっちにきて二時間くらいか。
「朝は食べんと体に悪いで?」
「朝弱いんだよ」
「あぁ、もこちゃん、見るからに低血圧っぽいもんなぁ」
そんなら食堂に行こうかぁ、とナース服が笑う。
すいすいと病院を歩くナース服。
こう見ると、ようやくこいつの服装が正しい場所にいる気がする。
今までが今まで過ぎて、変な慣れ方をしてしまったけれど、本来はナース服って病院にいるものなんだよな。
なんか感覚が麻痺してきた。
「こっちやでー」
「……」
と、いうか。
「はいとーちゃーくぅ」
「……」
「? どないしたん?」
「いや……」
なんでこいつ、迷わないんだろう。
まるで何度もこの病院に来たことがあるかのような慣れっぷりだ。
いや、それどころじゃない。
単純に見舞いや自身の診察できただけなら食堂なんて寄らずに帰るだろうに。
わざわざ辛気臭い病院で食事するなんて奴は多くはないと思うのだが。
「そうかなぁ」
お前は病院に慣れているみたいだけれど、普通はそうだ。
いや、病院に慣れると言うのも中々おかしな話だけれど。
「まぁ、でも、確かにこの病院のことは良う知っとるで」
「親がこの病院経営してるとか言うなよ」
「あ」
「……」
……。
……、……。
……、あぁ、そうなの。
そりゃあ詳しいだろうね。
「……っていや待て、確か自宅も病院だっただろ」
「せやで?」
「前も思ったけど、いくつ経営してるんだよ……」
「んー……」
「あ、いや、やっぱり良い。答えなくて良い」
聞いたところで私にメリットはなかった。
別段こいつの親が仕事人間だろうが、私には一切関係ない。
強いて関係があるとすれば、今回の事件のある程度の情報が手に入って手間が省けていることくらいか。
改めて考えると、死因やらなんやらが分かるって凄い立場な気がする。
「ほんなら何食べるぅ?」
「病院の食事だしな……」
あまり期待は出来ない。
最近は病院の食堂の食事もレパートリーやらなんやらが増えて、進化が目覚しいらしいが、それでもやはり一度ついたイメージは中々拭えない。
食堂で出る食事と病院食はまるで異なるのだけれど、どこかやはり“そういう”感じがするのだ。
カロリーやら栄養素やらを最優先して、味の方が今一だったりとか、そういう一昔のイメージ。
「そんなことないよぅ。最近は美味しいんやで」
「まぁ、そうかもしれないけど」
レンジでチンとかなんだろうか。
「そんなことありませんよぅ。ちゃんと作ってますぅ」
「分かったよ」
変なところで意地っ張りだ。
「うちは朝ご飯食べとるから、もこちゃん選びぃな」
それで遅刻してきたわけじゃないよな。
「違うもん」
もんってなんだよ。
カレーうどんが見当たらないので、仕方なく目についたたこ焼き定食と言うのを購入する。
たこ焼きで定食ってどんななんだろうという興味が凄かった。
「カレーうどん好きなんやなぁ」
名古屋市民としては譲りがたい。
「でも、あってもこっちのはご飯入っとらんけどなぁ」
それは知っている。
生まれてこの方ずっと名古屋市民なので、カレーうどんにはうどんしか入っていないというのを知ったときはカルチャーショックが割とあったけれど、さすがにもう慣れた。
「うちの方がカルチャーショック受けたわぁ。卵はまだしも、なんで下からとろろとご飯が出てくるんや」
それが美味しいんだろうに。
「しかももこちゃん、醤油とかかけるし……」
それが美味しいんだろうに。
「こっちはソース文化やから、ほんまにびっくりやわぁ」
その割にうどんの汁は薄いんだよな。
不思議な場所だ、大阪。
「おい」
「うん?」
「なんだこれ」
「なにって……。もこちゃんが頼んだんやろ?」
「待て、これがたこ焼き定食か?」
「せやぁ。もこちゃん、たこ焼き見たことないん?」
「そっちじゃぇねよ」
たこ焼きにご飯に味噌汁に漬物って。
メインのおかずがたこ焼きしかないじゃねぇか。
「だってたこ焼き定食やもん」
「なんでもかんでも定食ってつければいいわけじゃないぞ……」
ワンコインより安い時点で察するべきだった。
いやまぁ、これでそれ以上とられたらただのぼったくりだけれど。
にしたって、たこ焼きでご飯を食べるのか……。
無理だろ……。
「炭水化物で炭水化物食べろっていうのか」
「カレーうどんとご飯も同じやんかぁ」
「とろろを忘れるな」
しかも我が県のカレーうどんは、こんな組み合わせとは一味も二味も違う。
カレーうどんはカレーうどんで食べて、その後にとろろとカレーをご飯に絡ませて食べる代物だ。
たこ焼きとご飯を交互に食べるのとでは訳が違う。
「もこちゃん、何気に凄いこだわりよるなぁ」
「お前らが何も考えてないだけだよ……」
たこ焼きをつんつん突く。
ソースの味だけでご飯を食べなくちゃならないのは中々にしんどい。
「でも、焼きそばパンとかも似た様なもんやんかぁ」
「まぁ、そうだけど」
確かにあれも炭水化物の組み合わせだ。
いつの間にか市民権を得ているのが不思議ではある。
というか、私はパンがあまり好きではない。
「あぁ、分かるわぁ。口の中ぱさぱさになるもんなぁ」
「つまみ食いするな」
唯一のおかずなんだぞ。
「喉乾くのは嫌やんなぁ。せやからこっちのダシは薄いのかもなぁ」
「漬物食べるな」
確かにこっちの味噌は名古屋に比べて薄い。
ダシも違うし。
あんまり昆布は使わない地域だからな。
「つまみ食いしてないで、事件の事でまだ私が知らないことを教えろって」
「えぇ……」
なんで嫌そうなんだよ。
何しに私を呼んだんだこいつ。
「いや、だって、食事中やで?」
「別に良いよ」
目の前に死体があるわけでもあるまいに。
まぁ、仮にあっても別段構わないけれど。
「……、もこちゃんはそうかもしれんけどぉ」
つまみ食いしたいから話さないとか言ったら張ったおすぞ。
「ぎくぅ」
「……」
冗談やぁ、と言い訳がましく手を振りながら、どこからか手帳を取り出す。
「ええと。ほんなら話すなぁ」
「ん」
味噌汁を啜りながら、ナース服の話に耳を傾ける。
「さっき園城寺さんが言ってた電話は後で確かめるとして。その、清水谷さん以外のお見舞いに来たメンバーなんやけどな」
「インハイのメンバーだっけ」
「正解やぁ。ええと、江口さんと船久保さんと……まぁ、要はインハイで一緒のチームだった人達やんな」
「清水谷竜華と一緒に来たわけではない、と」
「せやね。誰も清水谷さんには会わなかったって言っとる」
「その中に犯行が可能なのは?」
「全員やね」
そいつはまぁ、なんとも。
面倒だな。
「まぁ、体が丈夫やない園城寺さん以外やったら、皆走って現場まで十分やからなぁ」
「確かに」
三人が園城寺怜を見舞った後、別々に行動したせいでアリバイはない。
「江口さんと船久保さんは揃って学校に部活、二条さんは風邪気味だったからそのまま自分も診察を受けるために病院に残ったそうなんや」
「……ん。だったら二人は一緒にいたことにならないか?」
「でも、病院を出たところで、江口さんがトイレに行くって戻ったそうなんや」
「あぁ……」
つまりそこで二人は一時的に別行動をしてたわけか。
それなら三人誰にでも犯行を行うチャンスがある。
「もう一度時系列を整理しようか。三人が園城寺怜を見舞った後、清水谷竜華が園城寺怜に電話をし、そして清水谷竜華が死体で発見された」
「そうやね」
「そしてその電話は四人が揃って聞いている」
「うん。ちゃんと電話越しに清水谷さんの声がしたって三人が言っとる」
「……」
「もこちゃん?」
リボンをくゆらせる。
「なんで清水谷竜華は、三人とは別だったんだ?」
見舞いをするなら、別々に訪れる理由がない。
むしろ、まとめて見舞われたほうが園城寺怜も楽だろう。
「それは……」
手帳を一枚めくる。
「ええと。本来は、四人で一緒に見舞いに行くはずやったんやって」
「四人で?」
「うん。でも、当日清水谷さんが寝坊したから先に行ってて欲しいって電話したみたいや」
「誰に?」
「ええと……船久保さんやね」
「ふぅん……」
やっぱりご飯があまってしまった。
こいつが貴重なたこ焼きを横取りしたせいだ。
「それからタクシーで病院まで来て、電話をした後で殺された」
「……うん」
味噌汁を全部飲み、箸をおく。ご飯が少し残ってしまったが、仕方ない。
おかずがないとご飯が食べられない性分なのだ。
テーブルを指で突く。
とん。とん。
「もこちゃん、何か気付いたん?」
「ん……。少しね」
「なに、教えてぇな」
ずずいと身を乗り出すナース服と、身を引く私。傍から見たら看護士にわがままを言って釘を刺されている入院患者のようだ。
……不本意である。
「教えてくれへんの?」
「……」
「もこちゃんケチやんなぁ」
乗り出すナース服の手に収まっている手帳を見て、ふと思う。
「……生徒手帳」
「へ?」
確か生徒手帳はまだ見つかっていないとか。
「あぁ、うん。でも、それって事件に関係ある?」
「……さぁね」
単純に、学校かどこかにある可能性は十分に考えられる。
というか、その方が高い。
休みの日にわざわざ生徒手帳を持ち歩く人間なんて、滅多にいない。
人によっては定期を財布やカード入れでなく、生徒手帳に入れる場合もあるだろうけれど、清水谷竜華の定期は定期入れから見つかっている。
だけれど。
何故かそれが、引っかかる。
とん。とん。
テーブルを指で弾く。
何より今回の事件で見えないのが、動機だ。
ホワイダニット。
何故清水谷竜華は殺害されたのか。
何故事件を誰も目撃していないのか。
何故清水谷竜華はあんな格好をしていたのか。
鍵は、もう持っている。
「……、……。ちょっと頼まれろ」
「うん?」
「事件当日園城寺怜に見舞いをした三人に、電話できる?」
「電話でええん?」
「構わない」
でないと、間に合わない。
疑問そうな表情を浮かべて、それでも頷いて携帯電話を取り出した。
病院内だけれど、電話できるのか?
「ここは電話オーケーなスペースなんやぁ」
「ふぅん」
医療機器の進歩も目覚しいときくし、近い将来は病院内どこでも電話できるようになるかもしれない。
いや、それだったら電話の方が先に進化しそうだ。
数コールの後、ナース服が口を開いた。
「あ、もしもし、船キューちゃん? うちやぁ。あんなぁ、ちょっとええ?」
どうやら相手は学校だったようだ。
部長が死んだのに部活動とは熱心なのか薄情なのか今一判断に難しい所だけれど、むしろそういう時だからこそ顧問が集めたのかもしれない。
まぁ、なんにせよ、私にとっては好都合だ。
掛けなおしたりする手間が省ける。
そのままナース服に話してもらおうと思ったけれど、自分では事件のことが分からないと一点張りで、半ば強引に電話を渡されてしまった。
あまり電話は好きではないのだけれど……。
それに、相手からすれば、私は会った事のない人間だ。
そんな人間が事件についてかぎまわっているとなったら、余計な警戒をされてしまうのではないかとも思う。
得られるべき証言が得られなくなってしまう可能性は避けたいのだけれど。
「もしもし」
「んーと。どちらさん?」
思いきり怪訝な声で対応される。
先行きが思いやられるな……。
「あぁ、いきなり失礼。清水谷竜華の事件でちょっと気になることがあって」
「先輩の?」
それから少し沈黙があって、再び電話口から返事が返ってくる。
切られてしまったのかとも思ったけれど、そうではないらしい。
「……すいません。ちょっと場所を移動してました」
「あぁ、どうも」
「いえ。うちとしても、おおっぴらに部室で出来る話やないですしね」
それはそうだ。
「そんで、確か荒川さんからかかってきたはずなんですけど、お知り合いで?」
「え、あぁ、まぁ」
荒川っていうのかこいつ。
正直名前忘れてた。
「……本当にお知り合いですか?」
「ほんとだよ。荒川……、そう、荒川憩だろ」
やっと思い出した。
それに、知り合いなのは事実だ。嘘は言っていない。
友人かと聞かれたら、ちょっと返答に窮したけれど。
「むぅ……」
じとっとナース──荒川さん、が抗議の目線を向けてくるがスルーする。
「……まぁええですけど」
全然良さそうではない声だけれど、そこに突っ込んだら話がややこしくなるので何も言わない。
柔軟な相手でよかった。
「それで、何か?」
「あぁ、ええと」
リボンをくゆる。
「清水谷竜華と園城寺怜、ここ最近の二人の仲はどうだった?」
「そりゃあもう。めっちゃ良かったですよ。正直誰も割って入れんやろ言うくらいべったべたでしたわ」
「それは昔からずっと?」
「え? あー……」
やや間があって、再び返答。
「私は高校に入ってからの二人しか知りませんけど、私の入学した時……つまり去年に比べたら、今年は凄い仲良かったですね」
「ふぅん……」
「それが何か?」
「……去年の今頃からじゃなかったか、二人の仲がより良くなったのは」
「え?」
ふくれ面をしていた荒川憩も目を少し丸くして不思議そうな顔をする。
「多分、そうですね。去年のインハイが終わるくらいです」
「生徒手帳は?」
「え?」
「清水谷竜華はそれから生徒手帳を大事にしてなかった?」
「……、……」
返事は一旦止まる。
予想外の質問だったのかもしれない。思い出そうと答えが止まったのか、或いは不審がられているか。
向こうが黙っている間に、荒川憩が口を開いた。
「ねぇもこちゃん、なんでそんな質問するん?」
「大事な質問だよ」
「うちには分からんわぁ……」
テーブルに頬をつける。
ふくらませていたせいか、ふしゅんだかなんだか情けない音が聞こえた。
「どう?」
「……、えぇ、そうですね。言われて見れば、確かに生徒手帳大事にしてました」
「……ふぅん」
「一度落としたとき、もの凄い焦ってましたね。確かにあれはおかしかったです」
「……そうか」
ぱちりぱちりと、パーツを一つずつ当てはめていく。
残るピースは、あとわずか。
「最後に一つ」
「……なんでしょう」
「清水谷竜華以外の人間で、園城寺怜の余命について知っていた人間は?」
「──え?」
再び、電話口から声が途切れた。
先ほどと同じ、答えを探す沈黙。
だけれど、答えは返ってこない。
そしてそれは、十分な解答だ。
「……、え、っと。余命、って、なんの」
「いや、いい。分かった」
「園城寺先輩に余命があったんですか?」
「それじゃあ」
「ま、待ってください」
止められる。
「なに?」
「そちらさんは、先輩を殺した犯人が、分かっとるんですか?」
「……」
荒川憩が、きゅっと手を組んだ。
じっと見つめられる。
だから事件は嫌なんだ。
「分かってるよ」
「……それは、絶対正しいですか?」
「恐らくは」
「絶対ではないんですか?」
絶対なんて言葉、私は信じていない。
他人を信用していない程度には、自分を信頼していない。
この世で一番信用ならないのは、自分自身だ。
だから、絶対はない。
「……そうですか」
「そう。私のいう事は信じない方が良い」
「そうします」
「それがいい」
「どうせ今から……犯人の所に行くんでしょう」
「……」
そうだ、とは言わなかった。
勘が良いのか、頭が良いのか……恐らく、その両方なんだろう。
そのどちらも私にはないものだ。
意地が悪く、運が悪いのが私だから。
運悪く生まれてしまって、底意地悪く生きているのが、私だから。
「ほんなら、もう、切りますわ。皆の所に戻らな」
「じゃあ」
あっさりと電話は切れた。
最後に厭味か暴言の一つでも吐かれるかとも思ったけれど、特にそんな事もなく。
やっぱり頭がいいのだろう。
だから、私を責めることができなかったのかもしれない。
頭が良いのも、考え物だ。
携帯電話を荒川憩に返し、立ち上がる。
「もこちゃん、どこ行くん?」
「ここにいても仕方ないだろう。そうだな……」
少し考えて、思いつく。
「園城寺怜の主治医、って言えば良いのか? 担当してる医師には会えないかな」
ピースの最後は、そこにある。
「? それはなんで?」
「なんでも。出来る?」
「まぁ、出来るけど。というか園城寺さんの病室に行けば会えると思うしなぁ」
それもそうか。
検査入院なのか本入院なのかは知らないが、個室まであてがわれている以上、診察くらいはするだろう。
「診察、ちゅうか、手術する言うてたで」
「……え?」
手術?
園城寺怜が?
「うん。持病の心臓の」
「……」
園城寺怜がこのタイミングで手術、か。
「せやね……。何もそんな時に、こんな事件起こらへんでもええのになぁ」
「……」
心臓の手術の前日に、清水谷竜華が殺害?
そんな偶然、ありえるか?
「……」
……。
……。
……、……。
あぁ。
そういうことか。
盆を持って立ち上がる。
「行くってどこに?」
「決まってるだろ」
「園城寺怜の病室だよ」
最後のピースは、たった今埋まった。
この世に生まれる確率は、恐らく数字にすると、数億分の一といったところか。
隕石が自分に直撃する可能性はそれより低く、百億分の一らしい。
雷に打たれる確率は一千万分の一。
自動車事故にあう確率は一万分の一。
飛行機事故にあう確率は二百万分の一。
人が自殺する確率は五十分の一。
リストカットで死ねる確率は二十分の一。
網膜はく離になる確率は、一万分の一。
そんな確率のお話。
運悪く、本当に運悪く不幸にも恵まれずこの世に生まれてしまったのに、死ぬ確率は訪れてくれない。
理不尽な話だ。
リボンをくゆる。
果たして、殺人事件に首を突っ込む確率はどんなものだろう。
ましてやそれが四件となると、いかがなものか。
嫌なものは決してなくならない。
いつだって世界は理不尽だ。
いつだって世界は不平等だ。
いつだって世界は非常識だ。
なにも私のような人間を生まなくたって良いのに。
なにも私のような人間を生かさなくても良いのに。
なんで私じゃないんだろう。
清水谷竜華が羨ましい。
殺される幸運が羨ましい。
「園城寺怜、いる?」
惨めったらしく生きるしか出来ないというのは、地獄だ。
地獄を這い蹲って生きるしかない。
「どないしたん」
顔色がすこぶる悪い。
息も絶え絶えといった表情だ。
先ほど話を聞いたときもあまり体調は良さそうではなかったものの、それの比ではない。
「園城寺さん、大丈夫ですか? 誰か呼びましょうか?」
慌てて荒川憩がナースコールを押そうとしたが、園城寺怜がそれを手で制した。
「話したさそうな顔しとるから、少しまってな」
「……はい」
一つ苦しそうに笑いながら園城寺怜が、上半身だけ起こした。
「見ての通り、ちょっと体調悪うてなぁ。しかもこの後手術やし、出来ればまたにして欲しいんやけど」
「それは出来ない」
「なんでや」
「その“また”がないからかもしれないから」
「……」
眼を見開いて驚き、そして少し笑った。
荒川憩は、ぽかんとしている。
「それはどういう意味なんや」
「言葉どおりの意味だよ」
園城寺怜。
恐らく彼女は、
「もう長くないんじゃないか?」
きっともう、リミットが近い。
「……、……。それは、誰かに聞いたんか」
「いや。ただの勘」
「そうか……」
再び園城寺怜は、身をベッドに戻した。
病室の時計を見る。
午後十二時過ぎ。
清水谷竜華が死亡して、二十二時間がすぎた。
「え、と。園城寺さんが長くないって、え?」
「言葉どおりの意味だよ。この後の心臓移植の手術を受けなかったら園城寺怜は死ぬ」
「せや」
状況に追いついていない荒川憩を置いて、話を進める。
「余命宣告は、いつされた?」
「……あぁ、さすがやな。そのつもりできたんか」
「まぁね」
近くの椅子を手繰り寄せ、園城寺怜の脇に座る。
立ったままの荒川憩は、相変わらず口を開けたままだ。
「余命宣告されたのは、去年の今じゃないか?」
「正解」
「で、タイムリミットはもう残り僅か」
「……正解」
苦笑したような表情を浮かべる園城寺怜。
実際苦笑いしか出来ないだろう。
「詰んどるか」
「さぁ、どうだか」
「持ち点千点って所かなぁ」
持ち点千点、ね。
それは言いえて妙で、多分正しい。
その持ち点は余命という意味だけではなく、
疑う人間と疑われる人間という対置における持ち点だ。
私は園城寺怜を疑い、
彼女はそれから逃げる。
そういう意味での、残り千点。
「……やっぱり」
「?」
ゆっくりと息を吐きながら、園城寺怜がそう零す。
「やっぱり似てんなぁ。自分」
それは、私と、園城寺怜が、という事だろうか。
「せや」
「どこが」
「似た目の話やないで。中身や」
中身。
精神。
だけれど、それこそ、ありえない。
いや。
或いは、言葉通り似ているのかもしれない。
似ているからこそ、違って見える。
「生きるの、楽しくないやろ」
「……」
「なんで自分みたいなんが生きてるんやって、そう思うやろ」
「……思うよ」
園城寺怜は笑い、
私は笑わなかった。
笑えるだけ、私よりましなところにいる。
たったそれだけの差が、酷く大きい。
大きく見えた。
「生きるのが辛くて辛くて仕方ないって顔しとる」
そうだな。
「世界中のどこにも自分の居場所なんてありません」
そうだな。
「憩ちゃんみたいな良い子に優しくされると、かえって辛いやろ?」
「……そう思うよ」
私なんか放っておけば良いものを。
なんでわざわざ構うんだ。
「それは憩ちゃんが優しいからやろ。それか、本能みたいなもんやなぁ」
「本能?」
「せや。人は誰だって、自分の前に病人がいれば治そうとする。医者であろうとなかろうと」
道端で怪我をしている人を見たとき。
普通であれば救急車を呼ぶ。
あるいは、泣いている人を見たとき。
普通であれば励まそうとする。
そういう事を言っているんだろう。
私がそれをするかどうかはともかく。
「いや、むしろ自分はされる側やで」
「……」
顔は白い。
ひょっとしたら顔面蒼白と言う言葉を当てはめた方が良いのかもしれないけれど、枕元にあるナースコールを本人が鳴らさない以上、私が園城寺怜の体調について何か言うつもりはない。
尤も、今ここであれを鳴らされたら、きっともう話は出来なくなる。
それは困るのだ。
「憩から聞いてるで。なんや色々活躍しとるみたいやんか」
「別に」
そんなつもりはない。
「でもなぁ。それって普通やないで。普通の人間は、例え巻き込まれたんやとしても、殺人事件を解いたりなんてせぇへん。大人しく警察に世話になるんや。それが分相応ちゅうやつやろ」
「だって普通、死体を見たら慌てるやろ。それをどうこうするやなし、ただ淡々と検死? 現場検証? そんなん普通の神経やないで。だからきっと、病なんや」
あぁ、それは確かにそうかもしれない。
「死に対して心が緩慢になる、散漫になる病。自分の命も他人の命も、生きてようが死んでようが等しく平等に並んで無価値だと思う心の病気や」
それは酷く正しい言葉で、そしてしっくり来る言葉だ。
先々月の事件。
私は元委員長を犯人だと言い、刑務所で彼女の心の拠り所を踏み散らした。
当然彼女が自殺を選ぶ可能性だって考慮は出来た。
けれど。
だからといって、決して言葉を緩めると言う選択肢はなかった。
それは例え彼女が自殺を選んだとしても、構わなかったのだ。
確かに言葉ではそうすることを許さないと言った。それは今も変わらない。
人を殺した人間は、自殺する権利はない。
それは、今でも変わらずそう思っている。
でも。その言葉を突きつけた結果、元委員長がそれでも自殺を選んだとしても、それはなんら私には関係ないことだと割り切ったのだ。
それは多分、園城寺怜の言うとおり。
あの空き教室で死んだ被害者も刑務所で会った元委員長も。
どちらも優劣なく、等しくどうでもいい命だという心だったんだろう。
そして、その中には当然、私の命だって含まれている。
「人は誰でも病気になるんや」
それは園城寺怜みたいな、分かりやすい身体の病かもしれないし、
或いは気付きにくい心の病かもしれない。
そして厄介なのは、心の病。
目に見えない、不死──不生の病。
「対木もこ、やったっけ。自分、心が病んでるんちゃうか」
「……」
「せやから殺人事件なんて平然と対面できるんちゃうか」
「……」
「どうなんや」
もしかしたら、生まれた時だけはまともだったかもしれない。
生まれてこなければ良かったと思う。死にたいとも思う。
それでもこんな惨めな人生を這いつくばってしまっているのは、死ぬより生きる方が辛いからだ。
この泥沼があと数十年も私を苦しめるのかと思うと、確かにそれは罪状ともとれた。
間違って生まれてしまった罪滅ぼしは、死ぬまで惨めな人生を送ることで。
だから心を殺せば少しは楽になれるかと思ったけれど、そんな事はなかった。
だってそれじゃあまるで助かりたいみたいだから。
私は助かってはいけないちっぽけな人間なのだった。
それでも、どうしても生きなければいけない気がするのだ。
楽しむためではなく、苦しむために。
死ぬより生きる方が、よっぽど惨めで辛いから。
だから私は、生きなければいけないのだ。
ちっぽけな私には、ちっぽけな人生がふさわしい。
だから今の私が園城寺怜に返すべき言葉は、たったこれだけだ。
「知らねぇよ」
「そろそろ私の話をして良いか?」
「構へんよ」
じゃあ、遠慮なくいわせてもらおう。
「清水谷竜華を殺した犯人は、園城寺怜。あんただ」
驚いた表情は、荒川憩。
園城寺怜は、苦しそうな表情であれど、慌てた様子はない。
最初から私が訪れた理由が分かっていたんだろう。
頭が良いと言うのは、こう言う時に面倒だ。
「……いや、もこちゃん。それは無理やよ」
口を挟んだのは、荒川憩だった。
あまり多く話せる状態ではない園城寺怜の代わり、というわけではあるまい。
単純に私の言葉に納得が言っていないだけだ。
「だって、園城寺さんが清水谷さんから電話をもらった時、確かにこの個室におったんやで?」
「そうだな」
「電話越しに清水谷さんの声を他の三人も聞いとるし、清水谷さんの携帯にも発信履歴がちゃあんと残っとった。間違いない」
或いは三人が全員共犯で、口裏を合わせている可能性も、確かにないわけではないけれど。
でも、その可能性は先ほどの電話で消えた。
園城寺怜の余命について、他の部員は知らなかったようだ。
であれば、口裏を合わせるという発想には至らない。
この犯行において、園城寺怜と共犯になれる人物がいたとしたら、それは園城寺怜の余命について知っている人間だけだ。
「どういうことなん、さっぱり分からんわ」
「順番に話す」
──全ては一年前から。
そこから、この事件は始まった。
「……一年前、あんたは余命宣告をされた。ちょうど今の時期まで、というタイムリミットが」
「うん」
答えたのは荒川憩。
「自分の余命を人に喧伝する性格じゃないあんたは、それを部員には言わなかった」
家族には言っただろうけれど、当然学校には伏せるようにと言っていただろう。
家族も、娘の余命なんて出来ることなら口から出したくないだろうし、下手したら最期のお願いになるかもしれない。聞かない道理がなかった。
そうして園城寺怜の余命は、本人とその家族、そして病院だけが知る由となった。
ただ一人を除いて。
「それが……清水谷さん?」
「そう」
どうやって知ったのかは知らないが、知ってしまったものはしょうがない。
それを他の部員に言いふらさなかっただけ彼女はやはり出来た人間だったのだろう。
そして清水谷竜華は、ある決心をする。
「ある決心、って」
「ドナー登録だよ」
少しだけ口を開け、溜息を吐いた。
私ではなく、園城寺怜が。
「清水谷竜華は、大事な友人のために、ドナー登録をした」
「ちょ、ちょっと待ってや。話が急すぎて……」
「この辺の話は、私よりそっちの方が詳しいだろ」
「そうかもしれんけど……そうやなくて」
ドナー登録自体は、特別難しいことではない。
市役所にでも行けばドナーカード、いわゆる意思表示カードは手に入る。
ドナーとして認められる条件は幾つかあるものの、園城寺怜のためであるならば間違いなく心臓の移植希望だろう。
であるならば、清水谷竜華はその項目を恐らく全て満たしている。
年齢が一定以下で、健康であること。
そしてなにより、本人の遺志。
清水谷竜華には、その意思と決心があった。
そして清水谷竜華は、それを誰にも言わなかった。
園城寺怜が余命を誰も言わなかったように、
清水谷竜華も、ドナー登録のことを誰にも言わなかったのだ。
そしてそれが、今回の事件の動機になる。
「もこちゃん。それは成り立たんよ」
再び私の言葉を否定したのは、荒川憩だった。
「そらドナー登録自体はできるよ。でも、清水谷さんが園城寺さんに臓器提供できるかなんて、そんなん分からんで」
「そうだな」
臓器提供をする側の人間と、してもらう側の人間─ドナーとレシピエントという─は、それを互いに知らされない。
ドナーは死亡して初めて臓器を改めて提供できるかチェックされるし、何より死亡して初めてレシピエントの選定に入るのだ。
彼女が園城寺怜に自身の心臓を提供できるかどうかは、それこそ死んでからでないと分からないのだ。
でも、清水谷竜華にとってはそれでも良かった。
何もしないではいられなかったのだろう。
大切な友人が、余命一年といわれたら、いてもたってもいられないのが清水谷竜華という人間だ。
たとえ自身の心臓を移植できなくとも、何か行動しないと気がすまなかったのだろう。
言ってみればそれは唯の気休めで、意味さえないようなささやかな抵抗に過ぎなかった。
少なくとも、昨日までは。
「勿論この一年清水谷竜華は、祈り続けたんだろう。あんたに提供できる心臓を持つドナーが現れるのを」
確率はおよそ数千から数万分の一。
天和を和了る確率よりは高いけれど、それでも決して高くない。
あまりにも一年と言う期間は短すぎた。
「それで期限が来たから、駄目元でとりあえず殺した、っていうつもりやないやろ? もこちゃん。いくらもこちゃんでも、そんなん許さんで」
「違うよ」
なんでお前が泣きそうな顔してるんだよ。
どこまでお人よしなんだ。
「園城寺怜と清水谷竜華の仲はすこぶる良かった。自分が生きるために、数千から数万分の一の確率に賭けて殺す様な関係じゃなかっただろう」
「……そうや。だから、園城寺さんが清水谷さんを殺すなんてありえへん」
「丁度一年前、二人は互いに秘密を抱えた」
そしてそれを機に、二人は急速に仲が深まった。
誰も間に割って入れなくなるほどに。
それもそうだろう。
片方は余命が一年で、片方はその命のを救いたいと思っていたのだから。
友人だとか恋人だとか家族だとか、そういう言葉では補えない特別な絆だ。
「……自分が生きるために、相手を殺す事なんてしない。それはきっと正しい。でも」
「相手を生かすために、自分の命を投げることはありえるんじゃないか?」
「──……」
「もこちゃん、ちょっと、待って」
一年前、清水谷竜華は一つの決心をした。
それは、ドナー登録をすることだ。
そしてこの一年間で清水谷竜華はもう一つの決心を固めつつあった。
それが、園城寺怜の為に自分の命を犠牲にすること。
だからこそ、清水谷竜華は、園城寺怜を守り続けた。
一日一日が全て、最期の思い出だったから。
「……じゃあ、もしかして、清水谷さんは」
「あぁ」
病院の駐輪場で、自分で自分の体を刺し、
そして、絶命した。
「自殺やった、って、こと……?」
へたん、と床に荒川憩が座った。
座ったと言うより、腰が抜けたとか、そういう表現の方が正しいだろう。
「……」
園城寺怜の呼吸は、浅く速い。
終わりは近い。
「いや。それでもやっぱり、園城寺怜が犯人だよ」
「……、……どういうこと? だって、自分で自分刺して死んだんなら、自殺やんか」
目元を拭いながら、荒川憩が見上げる。
「確かに彼女は自分で自分を刺した。ここだけとれば自殺といえる」
「じゃあ……」
「でもそのきっかけは、園城寺怜だ」
「き、っかけ……?」
殺人事件なんて解いても幸せにならない。
園城寺怜は苦しみ、荒川憩は悲しみ、そして清水谷竜華は報われない。
私のしていることは、いつだって誰かを傷つける。
それでも。許されない罪が目の前にあるなら。
せめてそれを言葉にしないといけない。
それで何も変わらなくても、
それで誰も救われなくても。
こんな惨めな自分だから、こんな愚かな自分だから、
せめて生き方だけは変えちゃいけない。
自分の決めた言葉の出し方を、曲げちゃいけない。
それさえも曲げてしまったら、その時は本当に、生きていけなくなるから。
彼女を見逃したら、
彼女を許容したら、
自分も救われたくなってしまうから。
このちっぽけで情けない人生を辛うじて生きているのは、救いがないからだと思っているのに。
それなのにそんな事を考えてしまったら、もうどうしようもなくなるから。
だから、私は、園城寺怜を糾弾しなければならない。
「事件当日──清水谷竜華が死亡するよりもっと前。それが事件の最初だ」
「最初?」
タクシーの運転手は、彼女の自宅から病院へ向かっている。
「清水谷竜華の自宅。そこが、もう一つの事件現場だよ」
恐らくはそこで、ドナーカードについて口論になったのだろう。
複数回刺されたにしては少ない服装の乱れは、この時できたものだ。
唯一争った、七回のうちの一回分。
「傷跡の中に一つだけ他と違う傷があったって言ったよね」
「うん……」
普通人間の胃は、立っているときは重力に伴い下がり、反対に横になっているときは心臓側に上がる。
つまり胃を傷つけていない刺し傷は立っている時に着いたもので、そうでない唯一の刺し傷は、横になっている時についたものだ。
立ったまま争うとは考えづらいし、他より浅いという事は自分の意思で思い切り刺したわけではないということだ。
そこで、最初の傷がついた。
そして、事件の幕が開いた。
「その後、彼女は園城寺怜を一人で病院に向かわせた」
「なんで?」
「見舞いが来るからよ」
清水谷竜華にとって最も避けたいのは、園城寺怜が拘束されることだ。
余命短い園城寺怜にとって、たとえ事件が全て明るみに出なかったとしても、数日拘置所に身を置くだけでそれはかなり体を蝕むだろう。
だから園城寺怜をきちんと見舞わせることで、アリバイを作った。
そして自分は、タクシーで病院に向かった。
さすがに歩いて病院に行くのはきつかったのだろう。
「……、あ」
「そう」
だから遺体は夏なのに暑い上着を羽織っていた。
運転手に傷を見られるわけにはいかなかったから。
お釣りを受け取らなかったのも、そんな余裕がなかったというのと、なにより、
これから自分で自分を殺そうとしている人間が、一々お釣りを気にしないという事でもあったのだ。
「……予定外な形で傷を負った清水谷竜華はきっと、こう考えた」
このまますぐに治療を受ければ、確かに自分は助かる。
でも、園城寺怜は助からない。
今自分がここで通り魔に襲われたように装えば、園城寺怜にはアリバイがある。
そして何より、すぐ近くに病院がある──
「なんで、病院……?」
「……彼女にとっては、死ぬことは別段構わなかった。でも、遺体としてすぐに発見される必要もあった」
ドナーとして、出来る限り早く死体として認定される必要があったのだ。
「心臓死を認定されてから心臓移植が出来るのは、死後四時間から四十時間の間……」
「そう」
だからいつ発見されるか分からない自宅で死ぬわけにはいかなかったし、だからといって死ぬ前に病院に搬送されるわけにもいかなかった。
確実に死後すぐに搬送してもらえる死にかた。
それが、これだった。
「……清水谷竜華は、自殺といえるかもしれない。でもその背中を押したのは間違いなく、あんただ」
最初の刺し傷がなければ。
すぐに病院に彼女を連れて行けば。
そうすれば、彼女が死を選ぶことはなかった。
これは立派な犯罪だ。
「……、でももこちゃん。証拠がない」
証拠はある。
「ドナーカードが入った生徒手帳。今もこの部屋にあるはずだ」
「……」
唯一現場から消えたもの。
そしてこの事件の発端になったもの。
それはきっと、今も園城寺怜が持っている。
「なんでこの部屋にあるって分かるん? 病院に行くまでにどこかに捨てたかもしれへんやんか」
「捨てられないよ」
捨てられるはずがない。
だってそれは、彼女の遺志であり、心だから。
清水谷竜華が園城寺怜を想っていたように、
彼女だって清水谷竜華を想っていたはずだ。
だから、捨てられない。
「……あぁ。ほんまに、凄いなぁ」
少しだけ掠れた声で、そう言った。
「……全部その通りやんな」
「……園城寺さん」
床に座ったままだった荒川憩が、辛そうに、本当に哀しそうにそう零す。
それは自白と取れる言葉だった。
「生徒手帳は?」
「枕の下や」
手渡された生徒手帳をめくってみる。
そこには確かにドナーカードがあり、そして一滴だけ血痕がついていた。
何よりの証拠と言っていいだろう。
「……なぁ」
「なに」
目は瞑ったまま。涙だけ伝って、枕を濡らした。
「うちは、どうすればいい?」
「……知らねぇよ」
「生きる権利あるんかなぁ……」
突き詰めて言えば。
清水谷竜華の心臓が、園城寺怜に適しているかどうかは、今のところ誰も知らない。
ただ、もし適合しているのだとしたら、彼女の死亡時刻と園城寺怜の余命からして、余裕はない。
出来れば早いうちに手術をしたほうが良いだろう。
それが許されるかどうかは、ともかく。
「なぁ」
「なんや?」
「今でも私とあんた、似てると思うか?」
「きつい質問やなぁ……」
流れる涙を拭うことなく、園城寺怜が目を開いた。
視点はあまり合っていない。
タイムリミットは、もう近い。
「自分は、どう思う?」
「……」
そんなの、決まってる。
分かってるくせに、聞くな。
「知らねぇよ」
「言うと思ったわ」
「そ、そんな事より。ナースコール!」
ぱっと立ち上がり、ナースコールを押そうとする荒川憩よりも早く、それを背で隠した。
「なにするん!?」
「これはあんたが押していいものじゃない」
「でも……!」
「園城寺怜」
瞳孔が少し開いているようにも見える。
「あんた、持ち点がまだ千点あるって言ってたな。それはこのナースコールのことなんじゃないか?」
「……、ほんま、ようわかる、なぁ」
「私は、別に止めない」
生きたいと思うのならばそうすればいい。
殺人犯に自殺する権利はないといったけれど、これも似たようなものだ。
安易に死のうとするなんて許されない。
生きて日陰を這い蹲り続けろ。
ただ。
あんたの望む生き方が出来るかどうかは、運次第だ。
「あんたが清水谷竜華の臓器を提供してもらえる確率は、数千から数万分の一」
「和了れると思うのなら、試してみればいい」
押しても押さなくても、いずれ園城寺怜は余命で死ぬ。
余命を全うして苦しんで死ぬか、それとも手術で移植してもらえる心臓が清水谷竜華のものである確率に賭けるか。
前者なら死んで罪を償ったことになるのかもしれない。
後者なら生きて罪を償い続けることになるだろう。
ただし、その心臓が、お前の最も大事な人のものであるかどうかは、誰にも分からない。
清水谷竜華の想いをこめた心臓を受け取れずに他人の心臓を移植されるのは、園城寺怜にとっても死に等しい絶望だろう。
殺人を犯してまで得ようとした大事な人の心臓が、自分以外の誰かの体に移植される可能性だってあるのだ。
第三者の心臓を移植してもらい、共に生きるという未来を蹴ったお前に、もう幸せなんてものはない。
清水谷竜華の想いを受け取れずに惨めに生き恥をさらすか、清水谷竜華の所に行くか。
どちらを選ぶかは、お前次第だ。
「……じゃあ、もう行くよ」
「ちょ、ちょっと、もこちゃん!」
荒川憩の手を引き、病室を後にする。
「放してや、こんなんだめや!」
「後は本人が決めることだ」
「なんで、なんでそんなんなん? そら確かに園城寺さんのした事は許されないことかもしれんけど! でも!」
「でも?」
「これで園城寺さんが死を選んで、もし本当に清水谷さんの心臓がドナー適正を満たしてたら……! 誰も救われないやんかぁ……!」
知らねぇよ。
人を殺した人間は、救われちゃいけないんだよ。
自分で死を選んだ人間も、全く同じだ。
だから二人とも救われないし報われないのが当たり前なんだよ。
「死んでいい命なんかあらへん……。たとえ園城寺さんが、許されないことをしたんやとしても、助かる可能性があるなら、助かるべきなんや」
「……」
人を殺した人間には、人権はない。
自殺する権利もなければ、楽をする権利もない。
園城寺怜にとって他人の心臓で生きることと僅かな余命を過ごして死ぬこと、どちらが苦痛なのか。
それはきっと、彼女にしか分からない。
そしてそのどちらを選んでも、清水谷竜華は生き返らない。
残った想いを、残った人間が汲み取るしかない。
──事件から数日後。園城寺怜が病院で息を引き取ったというのは、荒川憩から電話で知らされた。
心臓移植自体は成功したらしいが、術後の経過が良くなかったようだ。
心臓移植が成功する確率は今の医療技術では八割から九割の間で、その後数日で命を落とすのも稀らしい。
よほど運が悪かったのだろうか。
それとも、薬をきちんと摂取していなかったのか。
それは、私には分からない。
ただ、一つ言える事は、少なくとも心臓移植をして数日の間は誰かの心臓で生きたということだ。
その心臓が誰のものであるかは、私も荒川憩も、そして園城寺怜も知らない。
……或いは、園城寺怜だけは分かったのかもしれない。
その数日間が希望だったか絶望だったかは、それこそ誰にも分からないことだけれど。
「もこちゃんは、どこから園城寺さんのこと疑っとったん?」
「初めて事件現場を見たとき」
「えっ、なんで?」
「死体の位置が、病棟を見上げてるようだった」
「あぁ……」
「それで、園城寺怜の病室から現場を見下ろしたら、丁度清水谷竜華……テープだけど、上半身だけ見えたんだ」
「……」
「それで、きっと清水谷竜華は死ぬ直前に園城寺怜の病室を見てたんだろうって思って」
「それで、自殺だって思ったんや」
「まぁ、ね」
「……、もしかしたら、清水谷さんが病院で死のう思ったのも、園城寺さんの病室だけでも一目見ようと思ったんかもなぁ……」
「さぁな」
「もう一つだけ質問、ええ?」
「どうぞ」
「もこちゃん、ドナーとか移植手術に詳しかったやんか」
「あぁ」
「でも、ずっと一緒にいて、調べてる様子もなかった」
「……」
「もこちゃん。角膜移植にも、ドナー登録ってあるんやね」
「……そうだな」
「もこちゃん、まさか──」
「知らねぇよ」
こうしてまた、誰も救われない話に巻き込まれたわけだけれど。
ふと、思う。
もし、私が今回荒川憩の話をやっぱり断っていたら。
そしたら、どうなっていたんだろう。
もしかしたら私が何もしなくても、警察が真実にたどり着いていても不思議ではない。
まさか荒川憩が事件の顛末に気付けるとは思えないけれど、その可能性だって決してゼロではないのだ。
そして、仮に私が事件を解かなかったとしても、園城寺怜は心臓移植をすんなりうけていただろうか。
心の中でずっと葛藤はあっただろう。
だとすれば、私が何もしなくても、園城寺怜が手術を断り死を選んでいた未来もきっとあったはずだ。
結局の所、私が何をしても、未来なんて変わらないと言うことだ。
私にそんな大きな力はない。
あくまで私はちっぽけで、その程度の存在なのだ。
でも。少しだけ思う。
私が事件に関わっていなければ。
せめて一人分の涙だけは減らせたんじゃないか。
どこまでもお人好しで、どこまでも能天気で、
どこまでも優しいどこかの誰か。
そんな誰かだけでも、悲しませずにすんだんじゃないだろうか。
……。
……。
……なんて。
そんな事、それこそ考えても面倒なだけだ。
ちっぽけな私は、惨めに生きるくらいで丁度いい。
誰かの何かになろうだなんて、そんな夢は見ちゃいけない。
これまでも。
これからも。
ずっと私は、一人なんだから。
(第二章 終わり)
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