モバP「うさみんせいじんのそうぞうりょく」 (65)


アイドルマスター・シンデレラガールズの安部菜々さんのSSです。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1364877257


…プロデューサー。

プロデューサーは、ナナのこと、知ってますか?
本当の、正しい意味として。

ふふっ…そうやって、真剣に考えてくれるんですよね。
ナナは、プロデューサーのそういうところ、好きですよ。

結構長くなっちゃうんです。だから、このお店で。
本当のナナの、ちょっとだけ、むかしのおはなし。

ナナがナナになる前の、とにかく、昔のお話。
何から話せば、いいのかな。

ああ、思いつきました。でも、その前に。
ほら、グラスをこっちに。
じゃあ、いきますよ?

ふふっ、こんなところ、見つかったら大変です。

かんぱいっ。




ええと、まずは。

ナナがまだ、学生だった頃の話からですね。

そのときのナナは、まだまだ今よりちっちゃくて。
自分で言うのもなんですが、割と先輩方に可愛がられてました。

どこまでも普通の女の娘。

なんとなく、友達と学校に行って。
なんとなく、友達とテスト前には勉強会をして。
なんとなく、将来の目標も決まらないまま、日々を過ごして。

言い忘れてました、これはナナが高校生の時の話です。
ほら、セーラー服とか着てたんですよ?この前も撮影で着てました。
ルーズソックスとか履いてナウい感じで…え?

あ…それでそれで。

特に趣味があるわけじゃなくて、その頃は友達とおしゃべりすることが趣味でした。
昨日のドラマ、人気の音楽番組、売れている俳優、輝くアイドル。

その中でもナナが気になっていたのはアイドルでした。

同い年で、とっても可愛らしい衣装を着て、笑顔をふりまいて。
ナナもあんなふうになれればいいな。なりたい。

…けれど、憧れを口に出すだけで、やってみようという勇気は、ナナにはありませんでした。



雑誌に乗っているアイドルのようになりたい。

ページをめくるごとに、煌めきを携えた衣装でナナの目を奪うアイドル。
どのアングルからも、どのシチュエーションからも、彼女らはどこまでも輝いて。

けれど、ナナは普通という、未来永劫続くレールの上を外れることが出来なくて。
普通はこのまま進学して、大学を受験して、就職して、幸せに暮らす。
もしくは、高校を卒業して、就職して。

その世間の共通認識という名のレール。すなわち、常識、です。
ここから外れる人は、よくも悪くも、奇異の視線に晒されると思ったから。

だから、ナナには実行する勇気がありませんでした。
でも、アイドルになって、みんなを笑顔にして。そんな憧れも持っていて。

ナナの持っていた感情の二律背反は、人生をゆっくりと歪曲させていきました。

常識から外れる、憧れという禁忌に惑わされ、それはさらに大きくなって。
手に入らないものほど欲しいと思うような…そんな気持ちでしょうか。

それはある日、とあるノートに形になりました。


こんなアイドルになりたいな。

そう思ったときには、手が動いていました。
普段じゃ、絶対に言えませんけど…その、設定、というか?

ちょっとした妄想を綴ったノートでした。
こんな衣装を着て、こんなアイドルになって。
こんな感じの歌を歌って、こんなダンスをしたい。

書き始めたら手が止まりませんでした。
ウサミン星人の想像力を駆使して書きはじめました。

思いついて思いついて、書ききれないほどに。
過去はこう、こういう設定のほうが可愛いかな。
こんな衣装が着たい。そう思って自分で考えた衣装も描いてみたりしました。

そして、きっと。

ナナの妄想をそこに綴り終えた後、ペンが転がる音と共に訪れる静寂。
なんだか急に、何をしてるんだろう…なんて自己嫌悪に陥ってしまって。
気分転換をしよう。気晴らしをしよう。そう思って、街に出る準備をしました。

ふと出た街で…ナナの夢は、すぐに色褪せていくことになりました。


街には色々な希望であふれていました。

街角のテレビでアイドルを見て、憧れて、望んで。
アイドルの曲が流れて、アイドルの広告がたくさんあって。

ナナもいつかはこんなふうになれるのかな。そう思いました。
ふとウィンドウに映るナナを見ました。

ちっちゃくて、小学生にも見られて、いいところ中学生。
こんなナナでも、アイドルって出来るのかな。

気になって調べてみようと思って、近くの書店に寄りました。

以前友達が持ってきた、アイドルが掲載されている雑誌を探しました。
笑顔の可愛いアイドルが表紙のその雑誌をすぐに見つけて、ページをめくって。

アイドルになるためには、オーディションを受けないといけない。
アイドルになりたいことをアピールしなければならない。
そういうことを学びました。他にも、たくさんの事を。

たくさんのアイドルが今も生まれ、消えていること。
アイドルで輝けるのは、幾千万の、ほんの一握りであること。
普通のアイドル候補生なら、頑張ろうと思うところかもしれません。

けれど、ナナには、自信がありませんでした。


もし、失敗したら?所属できても、売れなかったら?

貴重な時間を失ってしまうかもしれない。
そう考えると怖くて仕方ありませんでした。

過去、アイドルだった人の体験談を書いた雑誌もありました。
ぱらぱらと流し読みしていると、あるページで目がとまりました。

高校、大学を中退して一時の人気を得て、何かの拍子に転落して。
学歴もない、何もない。そのままアルバイト生活を続けていること。

一瞬、何も考えることができませんでした。

ページをめくる手が早くなりました。

過去、過去、過去。黒い過去がページを埋めていました。
あの頃に戻りたい、あの頃からやり直せるなら。もう1度だけ。
あの頃の人気はどこへ行ってしまったのか。あの頃、あの頃、あの頃は。

あの頃の、輝きは、どこへ行ってしまったんだろう。
こんなはずじゃなかった。私の人生は、こんなはずじゃなかった。
もっともっと輝いて、人の前にたって、そして、そして——————!

ナナの夢に、小さな、けれど、深いひびができた瞬間でした。


悲痛な叫びでした。

それ以上ページをめくることが出来なくなって、読むことをやめました。
ナナにはめくる勇気がありませんでした。めくる力すら入りませんでした。

現実を、知りました。

みんなが羨んで、望んで、憧れて。そんな職業、アイドル。
街角でスカウトされた友達もいました。アイドルになれちゃうかも。
そんなふうに笑顔で嬉しそうに話している友達を思い出し、怖くなりました。

恐ろしくて仕方がありませんでした。

成功するひとがいれば、失敗するひとがいる。当然のことなのに。
当然のことなのに、現実を見ようとしなかった自分がいたことが。
そして、何も考えず、アイドルの光だけを求めていたことに。

…光があるのなら、必ず影ができるのに。


そこからはどうやって家に帰ったのか覚えていません。

適当にふらふら歩きながら帰ったんだと思います。
帰ったらただいま、それだけを伝えて自分の部屋に戻りました。

淡いピンク色をした、ナナには少しだけ大きなベッドに横になりました。
あたまもとには、たくさんのぬいぐるみ。小さな頃から集めていました。
嫌なことがあったとき、寂しいとき。そっと抱いて寝た記憶があります。

もうすぐしたら受験も近づいてくるのに。首だけを回して、勉強机を見ました。
並べられた参考書、ノート。どれも小さな付箋を張っていて、女の子らしい字でメモをして。

勉強をしなければいけないのに。そう思っても、机に座ることはありませんでした。
…そうじゃない、かも。座る気になれなかったから、座らなかっただけ。

ナナに与えられていたのは権利でした。義務ではなくて、権利。
高校を卒業して、就職することも、進学することも自由だったわけですから。

あの2冊の雑誌を思い出しました。

ナナはアイドルになりたい。でも、失敗することが怖い。
かと言って、大学へ行って目標があるわけじゃない。
ああ、どうしたらいいんだろう。

希望と絶望がナナを取り込んだときには、意識は既にありませんでした。


そして。

次に気がついた時には、空はだいぶ暗くなっていました。
夜ご飯を食べて、お風呂に入って、何をしていても、離れませんでした。

あの、光と影が。

でも、いつまでも現状維持は出来ません。
時間は1分1秒と、確実に進んでいくのですから。
あまり気が進まなかったけれど、机に座って勉強をはじめました。

少し、忘れたかったのかもしれません。

その日から、来る日も来る日も勉強をしました。
アイドルという夢を忘れようと思ったからです。
諦めることは出来ない、けれど、思い出すと辛い。

まだだいじょうぶ。大学に入ってから考えてもいい。

ナナは、甘えていました。きっと何か手があるはず。
少しの間、忘れるだけだから。そう思っていました。

何もしていないのに、失敗することだけへの恐怖が募っていました。
それに反して、やはりアイドルになりたいと思う自分も居ました。

そんな二律背反を抱えながらも、3年生の春を過ぎたくらいの
最初の模擬テストでは、かなり優秀な成績を修めることができました。
これならあの大学も狙える、ここも、ここだって充分に狙える。

先生はナナを応援してくれました。

ナナのためにわざわざプリントを作ってくれたり、わからないことを聞きに行くと、
先生は自分の仕事の時間を後に回してまで教えてくれました。
みんなが期待してくれている。そう感じました。

…でも、勉強している動機を、夢を忘れるためだとは、伝えずに。


ナナの受験は、合格最低点を遥かに超えて成功しました。

第一志望の、世間でも高学歴と呼ばれる大学に合格した時も、
まだナナは現実を見ていませんでした。まだ、だいじょうぶ。まだ、時間はあるから。

そう言い聞かせていました。

不安を、焦りを隠すため、自分自身をごまかすために。
本当は、少しだけ後悔もしていたのに。これでよかったのかな、これで、なんて。

大学のはじめの2年間はあっという間に過ぎてしまいました。
勉強をすることは苦ではありませんでした。受験の時にコツを掴んだようで。

そしてナナは成人して、お酒も飲めるようになって、ある日。
普段から一緒にいる友達とお酒を飲んでいる席で、友人は言いました。

「ああ、もうそろそろ、就職の事も考えないといけない」

それを聞いて、ナナは我に返りました。

あれ。ナナは、いつアイドルになるんだっけ。
今まで、何をしてたんだっけ。どうやって、アイドルになるんだっけ。
気付きました。大学でやっていることは、高校でやっていた事と何ら変わりがないことに。

ナナは…なにを、していたんだっけ。


焦りました。

アイドルをしたくても、就職のための情報だって集めなければいけない。
ナナの就職活動に使うスーツだって、写真だって、履歴書だって、そうです。
企業の合同説明会に出席するための交通費だって、たくさんのお金がかかります。

もうすぐ就職も視野に入れないといけないナナには、遅かったのですから。

それに加えてアイドルとしてオーディションに通って、アイドルになる?
…出来るはずが、ありませんでした。ナナの夢が、現実に押しつぶされた瞬間でした。

お酒の席を飛び出して、家に帰りました。

今度はただいまも告げることが出来ず、まっすぐ部屋に戻りました。
机に座って、あの自分で書いた、痛々しい妄想ノートを取り出しました。

もう勉強することなんかほとんどない。机は綺麗なまま。
最初の1ページ。こんなアイドルになりたい。そう書いてありました。

ページを進めるごとに、設定はどんどん膨らんでいっていました。
本当に、痛い。どうして、こんなもの書いちゃったんだろ。本当に、どうして。

けれど。

ここに詰まっていたのは、どこまでも痛々しい設定で。

途方も無いぐらい無謀な想像の夢だったけれど。

それでも、それでも、そこに書かれていたのは。





本当に、ナナがなりたいと思っていた、ナナでした。


もう、こらえきれませんでした。

涙が頬を伝うのを、止められませんでした。
1ページずつ進めていくごとに、痛々しくなっていくナナの設定。

歌って踊れる声優アイドルを目指して、ウサミン星からやってきた。
…稚拙な妄想だ、想像だ、って…笑う人もいるかもしれません。でも。

でも、でも。それでも。
これが、ナナの全てでした!
小さなころから憧れて、望んで。

何度も忘れようとして、それでも諦めきれなくて。
たった1冊のノート、それでも、この中には、ナナの全てが詰まってて。

メイドさんのおしごとをしながら、夢に向かってる設定で。
ウサミンパワーで、カラフルメイドに変身できる設定で。

何もかも、一生懸命考えて。
時間を忘れるくらい、ずっとずっと思い描いていた夢を、自ら諦めようとして。

読み進めていくうちに、最後のページになりました。
幾重にも幾重にも重ねられた、なるはずだったナナの設定。

その最後には、こう書いてありました。
ナナの好きな、ピンク色で。可愛く書けるように練習した、女の娘らしい字で。



ぜったいに、アイドルになる。


涙が、とまりませんでした。

ベッドのシーツを思いっきり掴んで、顔に当てて。
あふれる涙を止めても止めても、止まることはありませんでした。
片手で、大切なノートを抱きしめて。後悔が全ての感情を支配して。

ナナは、ナナは。何をしていたんだろう、って。

自分を自分で誤魔化して、失敗ばかりを見て、背を向けて。
本当にやりたかったことを、何1つとして出来なかった後悔で。

この数年間はなんだったんだろう。

やらないよりやって後悔した方が、ずっといい。
頭ではわかってたはずなのに。どうして出来なかったんだろう、って。

もう、そのチャンスが巡ることは、ない。

いつかの、あの雑誌を思い出しました。
そして、少しだけ、気持ちがわかりました。

ああ、あの頃から、やり直せたら。
こんなはずじゃ、なかったのに。
どこで間違ったのかな。

どこで、ナナはまちがったのかな。


後悔先に立たず、とはよく言ったものだと思います。

結局、いくつか内定を貰うことが出来て、ナナはOLになることにしました。
学歴に加え、大学内外関わらず、様々な就職に有利な活動をしていましたから。

アイドルという夢は、もう無残にも消えかかっていました。
この年齢から、あの衣装を着るなんて。そう思っていました。

夢を叶えられなかったから、ナナはただ仕事をこなしていました。
今度はナナが人の夢を叶えられるようサポート出来るように、人のために。

当時の社長からも、業績を認められるようにもなりました。
期待の新人なんて褒めそやされて、努力を認められ、喜びました。

その頃には、東京から電車で1時間のところにアパートを借りて住んでいました。
小さかったけど、ナナが1人で住むにはぴったりでした。

ナナは異例の出世をしそうなところまで手が届きそうでした。
けれど…そうなることは、ありませんでした。

新人が、先輩の業績を軽く抜いて、新人と比較され卑下されて。
先輩もいい気分じゃなかったでしょう。

そして、上司もでした。

ナナ以外の業績が伸び悩んでいた部署でしたから、
新人教育に難があると社長に苦言を呈されたそうです。

嫌がらせが、はじまりました。


今までもあった些細なミス。

よく頑張ってるんだから、気にしないで。私たちがフォローする。
そう言ってくれていたみんなが、少しずつ、少しずつ。

変わっていきました。

陰口だったり、デスクの上がめちゃくちゃだったり。
でも、ナナは全くと言えば嘘ですが、気になっていませんでした。
そのときのナナにも、本当に仲良くしてくれた友達が居ましたから。

それより遥かに、夢を諦めざるを得なかったことの方が辛かったから。

いつも通り出社して、いつも通り机を片付けて。それが日常で。
人の何倍ものスピードで仕事をこなして、定時であがって。

先輩も上司も、相当に頭に来ているようでした。

そして。

ナナのことだけなら、我慢が出来ました。
上司が、お父さんやお母さんのことまで言い始めて、もう。

ダメでした。


ナナは思っていたことを、全てそのままぶつけました。

新人教育なんてあなたは私にしなかったでしょう。仕事は自分で覚えた。
先輩方も最初は優しかったのに、今では嫌がらせしかしてこない。
どうして私がそんなことをされなければいけないの。

私のことだけなら構いません。でも、親は違うでしょう。

ついには手を上げそうになりました。でも、友達が止めてくれました。
結構な騒ぎになって、社長室にまで呼び出されることになりました。

もう、ここで働く気はありませんでした。

友達がナナがされていたことを社長に証言してくれたらしく、
その結果、上司も先輩も異動が行われました。

ナナの事を気に入ってくれていた社長も、友達も。
最後まで引き止めてくれましたが、もう、わからなくなりました。

何のために働いて、ナナは何をしているんだろう、って。

辞表を書いて、荷物をダンボールにまとめて、社員証を置いて。
さようなら、今までありがとうございました。

たったそれだけを告げて、そこから出て行きました。


その日の夜、お母さんから電話がかかってきました。

お母さんに会社を辞めた事を知られていました。理由も、全て。
社長がわざわざ電話をかけてくださっていたそうです。
菓子折りをもってわざわざ伺ってもくれたそうです。

ごめんなさい。

どうしてお母さんが謝るの。そう聞いても、答えてはくれませんでした。
代わりに、疲れてるだろうから、少し帰っておいで。そう言ってくれました。

1日実家に戻ることになり、お金のあてもないので、求人情報誌を貰ってきました。
お母さんはナナに何も言わず、おかえり、とだけ、優しい声で言ってくれました。

申し訳なくて、上手く話すことができませんでした。
作ってくれたご飯も、はっきりと味を覚えていません。

久しぶりに入った部屋は、まだ綺麗なままでした。
きっとお母さんがたまに掃除をしてくれていたんだと思います。

ああ、懐かしいな、この机。

香りのついたペンを入れていた。
みんなでとった写真を入れていた。

ここには、何を入れたんだっけ。
1番上の、鍵のかかった引き出しに。

確か、この中には。


鍵はすぐに見つかりました。

デスクライトのすぐそばにかかっていました。
そっと鍵を差し込んで、回して。かちゃりと、小さな音を立てて。

ああ、やっぱり。
ここにあったんだ。あのノート。
見ることがないようにって、鍵をかけて、入れておいたんだっけ。

あの頃は、失敗が怖かった。
あの頃は、後悔した。

いつの間にか、自問自答していました。

じゃあ、今は?

もう、失敗を味わった。
もう、後悔はしたくない。

失うものは、何もない。なら、やってみたい。
そして、きっと、過去から未来を取り戻す。

失った未来を、もう1度。



アイドルという、ナナの夢を。


全てがゼロになった今。

ナナはナナを誤魔化したりしない。
もう、何もあきらめない。あきらめたくない。

ねえ、お母さん。成長して小さくなった背中に、そう声をかける。
どうしたの。いつも通り、とっても優しい声で答えてくれる。

『ナナがアイドルになりたい、って言ってたの、覚えてる?』

「もちろん。あの頃は、ずっとアイドルばっかり」

「でも、普通に社会人になって、立派になっちゃって」

『…うん、それで、ナナは—————』



「アイドル、したいんでしょう?」


『…え?』

「やってみるべきだと思う」

「あなたの、菜々の。ずっとむかしからの、夢でしょう」

「こんな服を着たい、あんな衣装を着たい」

「歌って、踊って、アイドルに」

「お母さん、覚えちゃうほどだったから」

「しばらくは、アルバイトでもしながら、やることになるんだろうけど」

「お母さんは、応援するから」

「疲れたら、いつでも帰ってきなさい」

「ここは、菜々の家なんだから」

にっこり笑ってくれた。
遠慮していた自分が、馬鹿らしかった。

『ありがとう、お母さん』

そう言って、ナナも笑った。
ちょっとだけ。本当にちょっとだけ。

泣いちゃった。


アパートに戻って、求人情報誌を開いて。

手元には、もう離すことのない、ナナの大切なノート。
何のアルバイトがいいかな。そう思って、ノートをちらりと見て、思った。

そういえば、メイドさんのお仕事しながら、だった。
こういう求人情報誌に、メイドカフェって乗ってるのかな。

探してみると割とたくさんある。
あ、ここ、知ってる。テレビで見た。
もし、働けるんだったら、ここで働きたいな。

そう思ったときには、履歴書を取り出していました。

面接当日になりました。
ナナの私服って、結構見つけるの大変なんですよ。
ほら、その…ナナって、大きくない、ですから。身長…が。

せいいっぱい、背伸びをした大人っぽい服装で行きました。
店長さんは優しそうで、それでも、履歴書も見て驚いていました。
見た目と年齢の、その…あれです、ギャップに、驚いてました。

でも…うん、いける。そう言ってくれて、採用が決まりました。

資料ももらって、明日から出勤してもらうから。
わかりました、よろしくお願いします。笑って答えました。

あ、自己紹介考えておいて。
普通のじゃダメだよ、インパクトのあるやつ。

わかりました!

わかってないのに、そう答えちゃってました。
夢へ1歩近づきました。メイドさんをしながらのアイドル。

それが、嬉しくて。


家に帰ってから、ナナは悩むことになりました。

普通じゃない、自己紹介?って、何だろう。
そして、気付きました。このノートの設定…もとい想像を使えば、もしかして?

いやいやいやいや。普通じゃないけど、普通じゃなさすぎるよ。
でも貰ったネームプレートは「なな」ってひらがなで書いてあるし。
一応ナナはこれでも20代…なのに、周りの娘、10代だって言ってたし。

結局1日悩んでも、案は出ませんでした。

今日から、よろしくお願いします。そう声をかけて入りました。
自己紹介どうしよう…まだ少し時間はあるし、いいや。
そう考えて店に入ったら。

どこを見ても埋まってない席がありませんでした。
何で?どうして。今日、お休みの日じゃないのに?
考えている暇もなく、先輩のメイド長さんに更衣室に押し込められて。

…あとから聞いた話だと、店長さんがネット上で告知していたそうで。

気付いたらもう完璧にナナはメイドさんになっていました。
よく似合ってますよ。メイド長さんは笑ってくれました。
にっこり笑って、じゃあ、行ってきて?の一言。

え、もう?


「今日からここで働いてもらう、ナナちゃんでーす!」

可愛い!かわいい、可愛い!
みんなとっても喜んでくれました。

「ほら、自己紹介、自己紹介」

あ…忘れてた、着替えてる時にでも考えておけばよかった。
え、えっと…その。そう呟いてる間にも注目が。

考えてるうちにも注目の視線が集まって。
ああ、逃げられない。そう思ったら、もう行き当たりばったりでした。

『歌って踊れる声優アイドル目指して、ナナはウサミン星からやってきたんですよぉっ!』

『キャハっ! メイドさんのお仕事しながら夢に向かって頑張ってまーすっ!』

『応援よろしくねーっ!さぁ、いっしょにーっ!ブイッ』



…顔から、火が出そうでした。


けれど。

それでもすらすらとナナは言えました。
だって、いつかは、言うつもりでしたから。

可愛いアイドルになりたくて。
歌って踊れるアイドルになりたくて。

やっと、夢に手が届きそうでしたから。

その瞬間、すごい歓声に包まれました。
可愛い、可愛い。ナナちゃん、一緒に写真を撮って。
こっちも、こっちもお願いします!ちょっと順番守って下さい!

みんな、すっごく嬉しそうにナナを見てくれるんです。
店長も、メイド長さんも、メイドのみんなも驚いてました。

後からインパクトばっちり、なんて褒めてもらえました。

メイドカフェのお仕事はとっても楽しいです。
ごしゅ…お客様が喜んでくれるから。

みんな、本当にナナによくしてくれました。
右も左も分からないナナを、親切に、ていねいに。
少しずつ、ナナに会いに来てくれる人も増えて来ました。

ナナちゃん、ナナちゃん。会いに来たよ。
そう言ってくれるだけで、とっても嬉しかったです。
実際のアイドルって、こんな感じなのかな。どうなのかな。

そう思い始めたときには、プロダクションを調べ始めました。


さまざまなプロダクションがありました。

でも、ナナにはその違いがイマイチわかりませんでした。
とりあえず、アイドルになるにはオーディションを受けないと。
画面いっぱいに表示されている様々なプロダクション名をリストにまとめました。

東京にあるプロダクションは、数えきれないほどありました。
ああ、これだけあれば、どこか仮でも受け入れてくれるかな。

プロダクションの設立、業務、発展。
オーディションを受ける際に、それらを全て覚えていました。

そのプロダクションで活躍するアイドルだと、この人。
プロダクションを設立して、これだけの期間にこれだけ発展して。
何人も有名なアイドルを世に送り出したこんなプロデューサーがいて。

このプロダクションは過去はこうで、現在はこう、未来はどう発展していくか。

想定されうる質問を模索して考えて、何もかも。
ナナは、理想的な受け答えが出来るように、日々案を練り直しました。
就職活動と、勉強が苦でなかったことが、ここでも幸いしてくれていました。

履歴書も送って、日時日程も決まって。後は行くだけ。
そのときのナナは思っていました。

今までの経験を活かせば、きっと出来る。アドバンテージだ、って。
他のアイドル候補生にない、アピールが出来る。だから、受かるだろうって。

…いつになっても、ナナは甘い考えを捨てることができませんでした。


オーディションに向かう日々がはじまりました。

1日にいくつかのプロダクションへオーディションに行く日もありました。
メイドカフェのアルバイトに被らないよう、上手く店長さんに調節してもらいました。

いくら知っている土地であっても、ナナの身体は小さくて。
歩いても歩いても、なかなか距離は縮まらなくて。

けれど、ナナには交通機関を使うような金銭的余裕はありませんでした。

履歴書も何枚書いたかわかりません。
きれいな服をきて、きれいに映るよう写真を撮って。
ナチュラルな程度に抑えてメイクだってして。その上、家賃だって生活費だってかかります。

お金、お金、お金。
働いても働いても、プラスにはなりません。
むしろ、日々をやっと過ごせているぐらいでした。

ご飯だって食べなきゃいけない、けれど、お財布にはお金がない。
預金通帳を開いてみても、会社につとめていた時のたくさんの預金は底をついていました。

どこまでも、どこに行ってもお金がついて回ります。何をするにもお金がかかります。
お風呂に入ることだって、テレビを見ることだって。ちょっとしたことですら。
生きるということは、とてもお金がかかることだと実感しました。

アルバイトが終わって疲れて帰って、ご飯を作る余裕がないときは、
閉店前のスーパーに寄って、半額のお惣菜やお弁当を買って日々と空腹をしのいでいました。

それでも届く通知は、ただ、一言。
短い社交辞令の下に連なる、三文字。

不合格。


この度は、当社のオーディションにご応募いただきまして、誠にありがとうございました。

慎重に選考いたしました結果、残念ながら今回はご期待に添えない結果となりました。
ここにご通知申し上げますと同時に、ご了承くださいますようお願いいたします。
末筆になりましたが、今後のご健闘をお祈り申し上げます。 

文面は違えど、不合格には変わりありませんでした。
東京にある、ほとんどのプロダクションに落ちたことになりました。

働いて働いて働いて、日々プロダクションを回って同じ事をアピールして、同じ事を言われます。

この歳から、アイドルを目指すっていうのは、ちょっと。
見た目は幼く見えて可愛らしいけれど、ううん。
いまどき、そういう設定は流行らない。

身体は疲れきっていました。精神的にも、疲れていました。

どうしようもなくて、どうしようもなくて。
家に帰って、きれかかって点滅した蛍光灯をぼんやりと眺めながら。

ああ、あの頃から、やりなおせたら。

そう思う度に、薄くて、暖もとれない布団に丸まって、泣きました。
悲しくなる度に、ノートを開いて、ナナは自分を励まし続けました。
涙でにじんで、軽くしわがれたノート。ところどころ破れて、それでもナナには宝物でした。

ナナの、夢の形だったから。



残ったプロダクションにも落選しました。

スタイルのいい、端正な顔立ちの美人が合格をさらっていきました。
これで、ナナは、東京にある全てのプロダクションに、落選したことになりました。

東京周辺のプロダクションに通うことなど、出来ません。
そのときでさえ、店長に無理を言って予定を調節してもらっていたのに。
そんなことをしてしまっては、アルバイトすらまともにこなせなくなってしまうから。

ナナの夢は、終わりました。

仕事ばかりで家は掃除も出来ていない。
電気代を払えず電気は止まっていました。
そして、既に家賃は2ヶ月分の滞納をしていました。

預金残高も残り4桁。お財布には数千円しか入っていません。

次のお給料まで1週間後。
毎月節約して生活をしても、立て直すには半年はかかります。
そんなナナには、もう何かをする余裕も時間もありませんでした。

この家の物を売れば、全額返済して、数千円は残るはず。
会社に勤務していた頃に揃えた、そこそこ値の張る家具もありましたから。

家に帰ろう。いつまでも夢にしがみついて、両親に迷惑はかけられない。
アルバイトじゃなくて、きちんとした仕事について、安心させよう。

電話をかけようとして受話器を手に取りましたが、繋がりません。
携帯電話も止まっていました。充電することも出来ません。

ポケットから小銭の音が聞こえて、硬貨数枚を持ち、部屋着のまま外に出ました。


その当時でも、携帯電話を1人1台持っているのが常識に近くて。

だから、なかなか公衆電話は見つかりません。
昔はもっと多かったんですけれど。あはは、昔ですよ。

ボックスの公衆電話。やっと見つけた。

もうまともに外に着ていく服もありませんでした。
数枚のよれた、お気に入りのシャツを着回していました。

からからと音を立てて硬貨が吸い込まれ、繋がる状態になって。
懐かしい電子音を右耳に感じながら、両親が出るのを待ちました。

ただいま、留守にしております。
そっか。お母さん、居ないんだ。なら、留守番電話に。

『もしもし』

『あ…ナナ、だけど』

『…えっと、その…』

『…家に、帰ろうと思って』

『もう、夢を追うのはダメみたい…』

『お金もなくて、時間もなくて。なんにもなくて』

『だから、家に帰って、きちんとした仕事について、それで——————』

ご利用、ありがとうございました。

途中で終わってしまった留守番電話のメッセージ。

けれど、これだけ伝えれば、きっと話の意図は理解してくれるはず。
お母さんにきちんとしたメッセージも残せない私って、何なんだろう。
残ったお金で、家の契約先に電話をかけ、解約することを伝えて。

どうしようもない情けなさを胸に蓄積しながら、家へ戻りました。


家へ帰ろう。

ナナはそう決めましたが、いきなり引越しも出来ません。
家財道具を引越しの際に売り払えば、家賃その他は返済できる。
けれど、引越しをするだけのお金がない。そして、アルバイトもある。

いきなり辞めることになって、店長さんに迷惑はかけたくない。

明日アルバイトに行ったら、店長さんにきちんとお話をしよう。
原則として、1ヶ月前には辞める事を伝えておかなければなりません。

ああ、もう行かなきゃ。

ポイントカードでかろうじて形を保っている薄い財布から、500円を取り出して。
何かあったときの為に、とナナは自分に言い聞かせ、ポケットに入れて家を出ました。

おはようございます。

ナナちゃん、おはよう。今日も頑張ろう。
にっこりとした表情で、優しい声だけが響く、早朝の店内。
お客様にお出しするメニューの仕込みをしていらっしゃいました。

あの、店長さん。
その…ナナ、お話があって。
言うなら今しかない。伝えないと。

『ナナ…お店を辞めて、実家に戻ろうと…思うんです』


しきりに動いていた店長さんの手が止まりました。

「どうして…」

店長さんの驚いた声が、胸に刺さります。
けれど、すぐに心配そうな表情で、ナナを見つめてくれて。
いつもよくしてくれていた店長さん。何もかも包み隠さず伝えました。

本当にアイドルを目指していたこと。全て落選して、もう未来がないこと。
それを聞いて、店長さんは自分のことのように悲しんでいました。
そして…腕組みをしながら、何かを思案しているようでした。

「………」

「…もし」

「もし、ナナちゃんの夢が叶うとしたら」

「ナナちゃんは、これからもここで働いてくれるかな」

『………』

どういう意味だろう。もう叶わない夢だって知っているのに。
けれど、どこか確信めいたところが、そこにはあって。
ナナは、心からの笑顔で言いました。

『はい!』

『ナナは、ここでみんなと働きながら』

『歌って踊れる、声優アイドルを目指すのが、夢ですから!』


翌日、アルバイトに出たら、お店のようすがいつもと違いました。

なんだか、皆さんがナナの事を見ている気がしました。
もう、ナナが辞めることは知れ渡っている、と言った感じでした。

メイドさんたちも、ナナの方をみて、お客様と小声で会話していました。
会話のふしぶしに、ナナちゃん、ナナさん。その一言が、聞こえてしまって。

…また、なのかな。

また、こういうふうになっちゃったのかな。
以前に勤務していた会社の事を思い出しました。
みんなとやっと仲良く働けていると思っていたけど。

それは、ナナの思い込みだったのかな。

ナナが接客に入ると、メイドさんもどこかへ行ってしまいました。
お客様も、なんだか慌てた顔で、注文をいつもより多く頼んでいました。

最後まで、気持ちよく働きたかったな。

けれど、こうなったのもナナのせい。仕方ない。
人気のメイドカフェですから、空きが出ると大変です。
風邪で1人休んだだけでも、その日の仕事は大忙しになって。

もっと、ずっと前から店長さんに伝えることができたなら。

それができたなら、こんなふうにはならなかったのかな。
でも、きっと、明日には元に戻ってるよ。こんなことは今日だけ。

…そう思っていたナナの希望が叶うことは、やはり、ありませんでした。




『おはようございます!』

おはよう、ナナさん。ナナちゃん。おはよう。
皆さんはとっても可愛い笑顔で挨拶をしてくれました。

あ。今日は昨日みたいなことはないのかな。
そう思っていましたけれど。

お昼どきになって、お客様が増えて。
また、はじまりました。

ナナさん、ナナちゃん。
やはり小声で、お客様と話していて。

それは、2日、3日。1週間、2週間と続いて。
いつまでも、どこまでもナナの耳に届いていました。

そして、ある日、ふと耳に入ってきたその言葉。
お客様とメイドさんとの会話です。

「あの、ナナさんが——————」

『そうだったのか、それなら、俺に————』

「本当ですか?今度——————」

『えっと、何て名前だったかな——————』

『シン…えっと、ええと…ああ、思い出した』






『シンデレラガールズ・プロダクションだ』


シンデレラガールズ・プロダクション?

聞いたこともないプロダクション。
地元のリストにもないし、東京にもない。
ナナの記憶だと、そんな名前は見たこともない。

会話を終え、メイドさんは店長さんとお話していました。
2人の表情は真剣そのもので、驚きました。

そこまで、何の話をしているんだろう?

気になってしまいましたが、聞けませんでした。
もし、拒絶を明確に示されてしまったら、と思って。

3週間が過ぎ、残りの勤務も1週間。
帰り際に、店長さんに声をかけました。

『あの…えっと、あと1週間、よろしくお願いします』

「え?あ、うん。よろしく」

すぐに振り返って、にっこりと笑ってくれて。

店長さんは熱心にパソコンを開いて作業をしているようでした。
ちらりと見えた感じだと、何やら資料を作っているようで。
邪魔になったらいけないと思い、帰ることにしました。

その翌日から、お店には異常なまでの人数のお客様がつめかけることになります。


「すみません、最後尾はこちらです。ただいま、40分待ちです!」

いつも優しい店長さんが出しているとは思えない、大きな声をあげて。
他のメイドさん数人も、状況を理解しているようで、業務に追われていました。

「こちら、ご主人様がた、よろしければ」

そう言ってお茶を入れた紙コップを店外で配布しているようでした。
どうなっているんだろう。お店の様子をみて、気付いたことがありました。

接客しているメイドさんが、お客様に何やら手渡しで紙を配っていました。
そして、また。ナナさん。ナナちゃん。お願いします。
何やらアンケートのようにも見えました。

ナナは今の状況について何も知りませんでしたし、
お客様がお店に入りきらないくらいの大人数でしたから、
ただただ、目の前のお客様への接客をするのに精一杯でした。

「ナナちゃん!一緒に写真撮って!」

「俺も!」

「あ、俺もお願いします!」

「僕、その次で!」

「お願いします!」

…これ、本当にどうなっているんだろう?


翌日も、次の日も、その次の日もとどまるところを知りませんでした。

むしろ、日を重ねるにつれ、もっと増えて。
5日目には、待ち時間が1時間半を超えていました。
お店の外にまで、長蛇の列が出来ているほどだったんですよ?

それでもみなさんは並ぶことをやめず、店にいらっしゃいます。
相変わらず、アンケートのようなものは続いているようで。

そしていきなりの、2日間の休暇をもらいました。
これはナナだけではなく、皆さんに。
みなさんに均等に、でした。

この忙しさの中だったので、お給料にも色をつけてくれて。
おかげで、お引越しをする為のお金は、ぎりぎり溜まっている予定でした。

2日間のお休み、か。
ダンボールに詰める荷物は詰め込んだ。
この前のアルバイトの日で最後だったのかな、と思って。

荷物をまとめて、すっかり広くなった和室。
小さなガラステーブルには、ナナのネームプレートが置いてあって。

あ…お引越しの予約を入れないと。

でも、電話代も電気代も払ってないや。そう思って、銀行に行きました。
残りにまだ数千円入っていたはず。もしかしたら、お給料も入っているかも。
銀行で預金を確認したとき、ナナはあまりにも驚いてしまい、声すら出ませんでした。

…ナナの口座には、50万円以上のお金が入っていたのですから。

この前途中で落としたスレの完全版か

支援だ


お給料が十数万円。これには納得ができました。

けれど、そこに、さらにお母さんの名義で30万円近くの振込がありました。
30万円近くも、です。ナナにはわけがわかりませんでした。

慌ててナナが稼いだお給料の中から携帯代と電気代を支払い、電源をつけました。

早く、早く。充電がきれていて、点灯するまでに時間がかかる携帯。
ディスプレイに光が灯り、そこにはお母さんからの3通のメールがありました。
送信日時が電話をしてすぐに1件目、10日近い間隔で残りが送られていました。

1件目。

菜々へ

アイドルになるのが、夢なんでしょ。
困ったときには、力になるから。
だから、もう少し、頑張って。

2件目。

菜々へ

連絡がないけれど、大丈夫かしら。
便りがないのは、元気なしるしって言うけれど。
まだ、夢を追いかけていますか?

3件目のメール。

菜々へ

少しだけれど、お金を送りました。
何かあったときのためにと貯めておいたお金です。
これで、あなたの夢への道が繋がれるなら。



全てのメールを読み終わる頃には、涙があふれていました。


ごめんなさい。

ごめんなさい。お母さん。
ナナは、もう夢を諦めるの。
いつまでも心配はかけられないから。

普通に働いて、普通に結婚して、普通に幸せになって。

芽生えた罪悪感に押し潰されそうでした。
普通の家庭がすぐに出せる金額なわけがありません。
これだけあれば、お母さんはもっとぜいたくを出来ただろうに。

お父さんだって、必死に働いて稼いだお金なのに。
遊びにいったり、欲しいものを我慢してためたお金なのに。

これは両親に返す。
一切このお金に手を出したりしない。
絶対にこのお金にだけは手をつけてはいけない。

ありがとう。
その気持ちだけで十分だから。
明後日には帰るから。そう伝えるだけでいい。

電話番号を入力して、発信ボタンを押すだけ。そのとき。

着信音。

どうして?

何かあったのかな。

それとも、何か忘れていたのかな。



…どうして、店長からこのタイミングで電話がかかってくるのだろう?


『…はい、ナナです』

「やっと繋がった」

『…ええと、どうしたんですか?』

「今から店まで来れないかな、大事な話があるんだ」

『大事な話、ですか?』

『…わかりました』

ああ。そういえば、制服を返していない。
なけなしのお金でクリーニングに出しておいた。
これも持って行ってお店に返しておかないといけない。

バッグにきれいに折りたたんで制服をいれて。
いつも通りメイクもほとんどすることなく、お店に向かいました。

呼び出されたのはナナだけなのかな?
店にあかりは灯っているけれど、人の気配がほとんどしない。

何だろう。怒られちゃったりするのかな。
人は不安を感じると、マイナス方面に事を構えるらしいです。
そのときのナナは、まさにその通りに考えを巡らせていました。

お店の前まで来て、深呼吸して。
からんからん、とドアベルを鳴らしながら、中に入りました。

中には、既に人がいました。でも、店長さんじゃない。

「こんにちは」

「安部菜々さん…かな」

「ああ、すみません。自己紹介が遅れました。俺…いえ、私は」

「シンデレラガールズ・プロダクションの、プロデューサーをしています」





「あなたを、スカウトしに来ました」


『…え?』

プロダクションのプロデューサー?
確か、以前にお客様が話していたような。

『ど、どうして…ナナ、いえ…私なんですか』

「こちらの店長さんから、ご連絡をいただいて」

「このように、多数の署名…推薦もいただいてます」

「あまりにもすごい量だったので、びっくりしました。あはは」

「ネット上のものも含めれば…4桁に届くかもしれません」

『しょ、署名?推薦?』

「はい。ご覧になりますか?」

『は、はい…お願いします』

「えっと…今日、全部は持ってこれていないんですけど、これらがその一部です」

『…これ、って…』

「これだけの数の推薦を集められるなんて、本当にすごいと思います」

「愛されていらっしゃる証拠だと思います」

「他にも、このような資料もいただいています」

そこには、ナナとお客様が笑顔で写真を撮っているところ。
店内でのナナの接客をしているところ。ナナのお店の業務報告も添えてありました。

…みなさんが、ナナの為にと、やってくれていたことでした。


『当プロダクションは、新しく営業を開始するプロダクションです』

『今、その為のアイドルを募集しています』

『人からこれだけ愛されて、信じられているあなたとなら』

『きっと、トップアイドルになれると思うから』

『やってみませんか、アイドルを』

「………」

ナナが、アイドルになれる?
あのノートの通りのアイドルに、なることができる?
夢を追い続けて、追い続けて、叶わなかった夢を、今、叶えられる?

そのチャンスが、今ここに、目の前にあるんだ。そう思ったら、ナナは。

「…は」

「はい…よ、よろしく…お願い、します」

「よろしく、お願いします…!」

『………』

『こちらこそ、よろしくお願いします』

彼はにっこりと笑って、そう言いました。

…いえ、彼というべきじゃないですね。ですよね?





プロデューサー。


ナナはそれまでの事を、プロデューサーに話しました。

ずっとアイドルになりたかったこと。
失敗に背を向けて、諦めようとしていたこと。
何もかもを失って、夢を取り戻したいと思ったこと。

だから、かな。

その後に続けて、プロデューサーに話したこと。

ナナはウサミン星からやってきて。
歌って踊れる声優アイドルを目指してて。
ラブリービームだって出すことができて。

そんな話にも、一言も笑ったりしませんでした。
今までの人は、笑うか、渋い顔しかしなかったのに。

プロデューサーだけは、真剣に聞いてくれました。

あのときは、本当に嬉しかったんですよ?
ナナの歳すら聞きませんでした。

だから…プロデューサーは今でも、ナナの活動を笑ったりしない。
ナナのこと、つまり…ナナのアイドルへの気持ちを知っているから。

『履歴書だけは、社長に出さないといけないので』

『けど、中身は見ません。ウサミン星人、ですから』

『みても、住所が分かりませんし』

『あ…地球の、仮の住所だけは、社長から聞いておきますけど』

そう言って、笑ってくれて。
今でも、その履歴書は社長しかみていないって。

この前、ちひろさんが笑って言っていました。


プロデューサーが契約を終えて帰ったあと、店長さんが奥から出て来ました。

『あ、あの…ありがとうございました』

「うん?ああ、ナナちゃん。上手くいってよかった」

「お客様の中に、今度新設されるプロダクションがあるって言う人がいたから」

「調べてみたら、自薦他薦も問わない、って書いてあったから」

「推薦のことをネット上のページで告知したら、ああなったんだ」

「それで、みんなに協力を煽って、書類を作って応募したんだ。…勝手なことをして、ごめん」

『いえ!そんな…ナナ、本当に嬉しかったです。本当に、ありがとうございます』

「………」

「えーと、感謝されるようなことをした覚えはないんだけれど」

「僕はただ、ナナちゃんは夢が叶うなら、この店で働くって言ってくれていたから」

「ナナちゃんが辞めたら、僕もみなも、お客様も寂しいから」

「…ただの、自分勝手だよ」

「家族が減るのは、寂しいから」

「ただ、それだけ」

くすりと笑って、店長さんはそう言ってくれました。
本当に、優しい人ばかり。このお店で働けてよかった。
勝手によくわからない勘違いをしていた自分が、恥ずかしいよ。

『………ふふっ』

『これからも、よろしくお願いします!』

そのときのナナの頬に伝っていたのは、間違いなく、嬉し涙でした。


家に帰って、お母さんに電話をかけました。

お母さん。ナナ、アイドルになれた。
今度から、アイドルとしても活動するの。
ありがとう。頑張るから。ナナ、頑張るから。

「おめでとう」

本当に嬉しそうに、お母さんはそう言ってくれました。
仕事が決まったら、教えて。声が弾んでいたのを覚えています。

電話を切って、改めて思い出しました。

お引越しをするために契約を解除するって言ってたんだった。
ああ、間に合うかな。

結局、間に合うことはありませんでした。
けれど、再契約の際に少額のお金を払うだけですみました。

あのお金には手を付けないと決めていたので、
ナナの持っていたいくつかの家具を売りました。

その代わり、残ったお金で小さな卓袱台を買って。
和室にガラステーブルよりも、こちらの方が似合っていました。

質がいいとは言えないけれど、ナナにはこれで十分。
家具も少ないし、お金もほとんどない。けれど、とても嬉しくて。

だって、ナナの手の中には、これからはじまる未来があったんですから。


そして、プロダクションが営業をはじめた日。

「ここにいるのは、これからトップアイドルになるみんなだ!」

「仲良くやっていってくれることを願ってる」

「今日から、よろしくな、みんな!」

そんな掛け声から、みんなの未来がはじまりました。
年少組から年長組というように、色々な人が在籍していました。

よろしく、ナナちゃん。
あ、ナナちゃんはどこ出身?

『え?』

『な…ナナは、ウサミン星から来ました!』

そうなんだ!でも…ウサミン星ってどこにあるの?

プロデューサーに視線で助けを求めると、すぐに逸らされました。
あのときのことは、ナナ…今でも少しだけ根に持ってるんですよ?

ナナちゃんは何歳なの?

『ナナは…ええっと、ナナは…そう!永遠の17歳!』



…空気が、凍りました。


ああ、なるほど…というような空気が流れました。

でも、その事でナナをバカにする人は居ませんでした。
他の人も、真剣な気持ちでアイドルになったと思うんです。
だから、たまにいじられるくらいで、楽しくやれてるんですよね。

それと…た、多分…何人かは、ナナの年齢を感づいている気がします…

だって、たまに年長組の皆さんからお声がかかるんです。
今日、ちょっとどう?とお酌のようなモーションで。

…ナナ、いつまで耐えられるかわかりません。

あ、いえ!そうではなくて。
えっと…話がそれました。忘れて下さい!
その後は…ええと。お仕事の話でしょうか。

メイドカフェだったり、署名の事があったので、
ナナの名前は最初からそこそこ知られていました。

営業をしていると、必ずお店の人が来てくれるんです。
あ!来てくれたんですか!ありがとうございます、なんて言って営業して。

え?レッスンは…体力が…き、きつくないですよ!


普通の人にも認知度が出てきて、ニューイヤーライブもしました。

最初はナナのテンションに少しだけ、引かれちゃってましたけど。
ちょっと、引かないで!一緒に!って言ってたら、皆さん笑ってくれました。

内心、焦ってたんですよ?

でも、最後にはみんなウーサミンっ♪ってやってくれましたから。
結果としてはバッチリ…バッチリだったと思います。

結構、可愛いと思うんですけど…こうやって、ウーサミンっ♪
キャハっ、プロデューサー、ナナはカワイイですかーっ?

…やりすぎ?

いえ、酔ってません。ま、真顔で言われると恥ずかしくなってきました…

プロデューサーの前だと、調子が狂っちゃいます…あはっ。
え?あ、別に深い意味はないんです!ないですよ。

それでも…

それでも、一生懸命、そんな活動をしていたから。

ナナは、プロデューサーと一緒にここまで来れたんです。

…ナナのおはなしは、これで終わりです。聞いてくれて、ありがとうございます。

あ…そういえば、プロデューサーも、お話があるって言ってました。

どうしたんですか?


「………」

「菜々の次の夢が叶う、ってところかな」

「頑張って、菜々の誕生日に合わせることができたんだ」

『…そ、それって…』

「ああ」

「菜々のCDデビュー、決まったぞ」

『ほ、本当に?』

『本当に決まったんですか?』

「5月15日、菜々の誕生日に」

「…おめでとう、菜々」

『………』

『嬉しいです』

『嬉しい、です…!』

「これからレコーディングがあるから、今よりもっと忙しくなるぞ」

「けど、頑張ろうな?」

『はい!』


ああ、また、泣いちゃう。

プロデューサーの顔が、なんだかにじんでみえちゃって。
アイドルに憧れて、早何年。もう後には引けないと思ってて。
夢が叶ったけれど、このまま停滞しているのも、最近は危機感を感じていて。

でも、CDデビューが決まって、新しい1歩が踏み出せる。
まだ、アイドルを続けていられる。
そう思ったら、ナナは。

『ありがとう、ございます…』

「…って、泣いてるのか?ああ、ごめん。そんなつもりじゃ」

『えへへ…わかってます。その…嬉し泣き、です』

「それなら…って、そうじゃなくて。とりあえず、ハンカチ使ってくれ」

慌てているプロデューサーがおかしくて。
泣いているのに、心から笑うことができた。

プロデューサーと、これからもずっと、トップアイドルを目指していく。

今日、この日は、いい機会かもしれない。
気付いたら、思ったことをそのまま伝えていて。

『…プロデューサー』

『プロデューサーにはホントのナナの姿を教えちゃうから、引かないで下さいね』


プロデューサーには、伝えておきたい。

その気持ちがどこから来ているのかは、なんとなく想像がついちゃった。
自分の事には構わないで、ナナの事だけを考えてくれるプロデューサーだから、ナナは。

だから…ナナはそれを、ナナらしく、伝えることにします。

ウサミン星人の想像力で、あなたとどこまでも広がる夢を描いて。
ウサミン星人の創造力で、あなたといつまでも夢を叶え続けたい。

『ウサミン星出身なのは…えーと、ホントです!』

「………」

「うん、知ってる」

『…もう』

「ごめんごめん」

『…えっと、その…』

『ホントのナナは…ただの…普通の子ですけど』

『それでも、トップアイドルになるまで…お願いします!』

なるまで、じゃなくて、トップアイドルになったその先も。
ずっと、ずっと、あなたの隣にいられたらいいな。
あなたも、そう思ってくれていたらいいな。

ナナの、最高のプロデューサー。そして、ナナの、たった1人の。






『————————————ご主人様っ♪』

                      おわり


以上です。ありがとうございました。
html化依頼を出させていただきます。

また、間違いを見つけた場合、15時まで補足修正を行います。
それを過ぎた場合、補足修正はありません。

ありがとうございました。

良かったです、乙でした


>>24 修正です。

☓ 『キャハっ! メイドさんのお仕事しながら夢に向かって頑張ってまーすっ!』
○ 『キャハっ!メイドさんのお仕事しながら夢に向かって頑張ってまーすっ!』

としてお読み下さい。文字の大きさが統一出来ていませんでした。失礼しました。

読み終わった… 何かリアルすぎて怖い
でもその分感動がすごかった、おつ!


修正は以上です。ありがとうございました。

おつ!
ウサミンはきっとこういう苦労話いっぱいありそうだけど全然それを感じさせないとこが好き

あかん、ガチ感動して、ウサミン落ちが使いにくくなるじゃないか……

ウサミンに感情移入しすぎて泣けた、訴訟

あなべべさんじゅうななさいとかオチ担当とか言ってごめんなさい

みくにゃんのファンやめてあべななさんのファンになります

毎回オチに使ってごめんなさい。でも次も使います



思ったよりもいい話で引きこまれた

菜々さんは幸せにしたいアイドルNo1

練り直してきただけの事はあるな。お見事。
ウサミン優秀説浮上

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