先生「祖父・祖母がご存命なら戦争の悲惨さを聞いてきてください」 (75)

おじいちゃん「今そんな話してもしょーがないっぺ」

俺「だよなぁ・・・」

学校の宿題で戦争の事をおじいちゃんに聞いたら↑みたいになったんだけどwww

役にたたねえジジイだな

田舎の方の人はあんまり苦労しなかったらしいな

ないっぺ

>>2
うちの爺ちゃん馬鹿にするなww
誰だってつらい経験は話したくないだろ

今の世代の祖父母はもう戦争よく知らない世代じゃね?

実際何も無かった可能性

じいさんばあさんぼけてるから聞いても無理

>>3
そうなの?
沖縄以外は地上戦がなかったんだよな?

支那方面軍で雑魚の国府軍をバッタバッタと倒した話とかでもいいんだろうか

俺のじいちゃん会うといつでも予科練の話ドヤ顔で話してきて困る

同じ話50回ぐらい聞いた

家族を交通事故で亡くした人にも事故の悲惨さ聞けば良いのに
交通安全の大切さを教える為に

じいちゃんの年齢は今80いくつで、ボケてないよ
元気にウォーキングしてるよ

>>11
話したことを忘れてるんだよ(´・ω・`)

レイプされて出来た子供が俺の父ちゃん

>>15
あるある

>>11
予科練って特攻の?
マジならすごいな

>>9
そう
むしろ普段より良い暮らししてただろ
都会もんが農作物高く買ってくれて

>>11
部活の大変さ語るのと変わらんな

俺「戦争の話し聞かせて」
爺「国に土地を根こそぎ徴収された死ねよ」

ワロタ

>>18
まじか、あれって強制的に国に徴収されて兵士とかの食事になってるかと思った
当時の日本政府もそこまでひどくないか

誰に聞いても空襲はきたけど直接戦ったことはないって

今のガキンチョのジジババって戦時中5歳とかそんなんじゃないの

いまどきの小学生の祖父母って戦争経験してないんじゃね?

そういや小学校のとき白黒の映像で日本かアメリカかは分からんが戦闘中の戦闘機の映像見せられたな

その映像見てるとき担任だった女の先生が
「こういう映像見ると『かっこいい』とか言い出すバカな子が居るけど・・・」
とかみんなに釘を刺すように言ってた

当時は小学生だったから言えなかったが、今なら言える
戦闘機がカッコイイのは当たり前だろボケ

甥っ子が俺に聞きに来たぞ

FPSばっかやってるから同じようなもんでしょって

俺のじいちゃんは80いくつで今は終戦から68年だっけか?
70中盤~80は戦争経験者じゃね?
実際じいちゃんは経験したって言ってるし

>>24
下手すりゃ大学でゲバ棒振ってたとかそんな感じになる

>>22
実際空襲も地上戦もなかった地域もあったらしいな

おじいちゃん「鬼畜米英を撃滅せよ」

>>27
12歳の子の何の経験を聞くつもりだ?

俺が小学生のときジーチャンから聞いた話
山の方に疎開してたときに艦砲射撃があって海の近くの缶詰め工場が被害にあった
そんときにその工場まで缶詰め沢山拾いに行ったらしい

じじいがその頃住んでた場所はどんな状況だったか調べるくらいしてから聞けよ・・・

半島からの引き上げ民だったから単なる朝鮮への悪口になっちゃってね

通信兵だった爺さんが未だにモールス信号?を覚えていた

>>31
疎開中の出来事とか、空襲の惨事とかかな
戦争にまつわる体験談聞ければいいかなと

30代後半おっさんの俺の爺さんでやっと戦争に行った世代なんだよな
今の子供達の爺さんって戦争知らんだろう
ひい爺さんが存命ならいいけど

>>32
こういうのが知りたい
疎開中の出来事や山の上での生活とか

俺のじいさんは神風特攻する3日前に戦争終わったって言ってたな
歴ヲタの俺にいろいろ教えてくれたが満州行ってたじいさんの姉妹の話は死ぬまで教えてくれなかった

>>37
そうなのか、じゃあもう戦闘参加者はほとんど残ってないのかな

修学旅行で沖縄いったときの感想文の内容のせいで呼び出されたことを思い出した

かっぺだったらあん時は貧しかったはwwwくらいの感想しかねんじゃねーん

俺のばあちゃんは集団自決で大怪我したものの生き残ったことを笑い話にしてるよ

子供の疎開体験って田舎もんに虐められたりとか都会もんを虐めてやったりとかその程度よ

じいさんの言うとおりだな。その教師がバカだ

今の小中学生の祖父祖母はもう戦後世代になるだろう

教員にヘルシング読ませてやりたいな

小学生には戦争中の悲惨さを教るより戦争後の悲惨さを教えた方がいいんじゃないか?
厳密にいえば戦争で負けたらどんな悲惨な目にあうか知ってもらう

おじいちゃんやおばあちゃんに戦後外人たちにどんな惨めな思いさせられたか
悔しい思いをさせられたかを克明に語ってもらってさ

そうすれば 戦争=悪 ではなく 戦争=負けることが悪 という現実を理解できて
「よし、次の戦争では絶対に負けないようにしよう!」って気概を持った子が育つ

>>11
俺の爺ちゃんも同じく予科練の話してたな
もう死んじゃったけど

うちの爺様はシベリアから帰ってきたら人が変わったように無口になったそうだもとから静かな人ではなかったと聞いてびっくり

朝起きたら隣で凍ってる人とがいたらしい

今の爺婆はギリギリ戦中に入る程度だろ

話したがらないほど悲惨だったようですでいいじゃん

じじい「ククク…50人は殺った…」

俺「悲惨?」

じじい「いいや…憎き敵兵を殺せるんじゃ…幸福じゃて…」

シベリア抑留組は大変だったみたいね
1日の食事が角砂糖2個と1皿のスープだけで強制労働

俺のじいちゃんは原爆を見たって

高校の授業中?
遠くの方で何かチカッと光ったかと思えばゆっくりキノコ雲が現れて驚いたと

長崎の原爆ですね

1945年生まれの作家池澤夏樹の娘がもうアラフォーだもんな

爺さんに、頭良いやつが片っ端から狂って行って糞ワロタwwwwwwwwwwwwwwww
みたいな微妙な話を聞かされた事あった

うちのじいちゃんは昔は頭いいやつは軍にいって大学教授とか、たいしたことないやつがなるもんだったとかいってたな

青森の田舎だから大した空襲も食料不足も無かったらしい
皆徴兵サボってたとか

むしろ戦後2年くらいの食糧難の時代を語って貰ったほうが悲惨さがわかりやすいんだけど
あの時代に盗みや闇取引をしてない人はいなくて下手すると吊し上げになるからタブーっていう

戦時中に大人だった人は今90歳以上の世代

今の学生のおじいちゃんおばあちゃんは昭和二桁世代、せいぜい戦時中はまだ子供

>>57
どこの所属での話?潜水艦とか?

なぜ70年も前の話を小学生に聞かせようとするのか
リアルタイムで毒ガスくらってる同い年もいるのに

爺さんは敗戦時南方にいて一時的に捕虜になったらしいんだけど
責任者のイギリス軍の人が結構いい人でなかなか楽しかった…という話しかしない
悲惨だったり残虐だったりの話はあまりしたくないのかね

>>64
ビルマ戦線か?まさにアーロン収容所の話じゃねえかね?

うちの爺さんは中島勤めで航空機つくってた
戦後は英語話せたからGHQに通訳で雇われた

戦時中に明治生まれの命令で戦争に赴き、むちゃくちゃな命令にも関わらず日本の為に必死に戦い、戦後の日本の復興の原動力となった大正生まれの世代は本当に尊敬するわ。

一方、団塊の連中は偉大な先輩方から何も学ばなかった模様

>>65
そこまでは…もっと詳しく聞いときゃ良かったね
もはや耳が遠すぎてコミュニケーションほぼ不可能状態\(^o^)/

声がダメなら筆談すればいいじゃない

7mm7、13mm、20mmをすべて搭載した零式艦戦ってあったのかな
うちの爺さんが整備した機体には全部あったと言うんだが
混同してるだけかもしれないがな

戦争の話といえば、爺さんに12.7㎜弾の恐怖を叩きこまれたな。
「通りに機銃掃射→爺さん溝に飛び込む→通りの人々が肉片と化す」の話は怖かった。

あとは「広島を出た二日後に新型爆弾投下の話を聞く」とか

未亡人食いまくったぜガハハハハ
くらいしか聞いてない

>>70
7.7mm機銃1と13mm機銃1とした52型乙型ならあるっぽい
20mmは主翼にデフォ装備だし

大学でゲバ棒振り回したり火炎瓶作ってみたりデモで暴れて警官を仲間と数人で殴り倒したりしてたアカのおフェラ豚だった場合はどうすればいいですか?

>>73
あったのか・・・砲が3種、弾も3種なんてなんでまたそんなめんどくさい機体を・・・
射爆員の爺さんは大変だったろうな

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