モバP「終わりと始まり」 (26)

プロデューサーが過去と決別する話。

※都合によりアイドルの年齢が変わってます。あと、割とシリアスです。



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 最初にそれを教えたのはテレビだった。後頭部を殴られたような衝撃。まるでそこら辺の強盗事件と同レベルのニュースであるかのようにさらっと流して次のニュースに移るアナウンサー。「残念ねぇ」とだけ言い、何事もなかったかのように食事に戻った母。まだ中学生だった俺は、夕飯を食べるのも忘れてその全てに呆然としていた。

 翌日、学校でその話題について話した。反応は芳しくなかった。「そんなことより」ぐらいは予想していたが、野球好きのクラスメートの思想は想像を越えていた。

「無くなったって誰も困らんやろ、そんなん」

 おとなしく真面目な生徒だった俺が他人を血が出るまで殴ったのは、その直後が初めてだった。当時の担任が同族でなければ退学になっていたかもしれないほどだった。ひとしきり怒った後に、「俺なら通信簿で成績を1にしたるわ」と憤慨した様子で呟いたのが印象的だった。

 しばらくして、願ってもない話が舞い込んできた。

「署名活動、ですか?」
「せや、ほんの少しかも知れんがお前でも協力出来るで」

 用紙を貰って署名を募った。この頃になると問題は日本全体を揺るがすようなものにまで発展していたせいか、予想より遥かに多く集まった。驚くべきことに、俺に殴られた彼までもが署名しに来た。「俺はあのオーナーが嫌いなだけや」などと言っていたのを覚えている。もちろん心からお礼を言った。最終的に400人ほど集まったと思う。

 結局、俺の愛したチームは解散が決まってしまった。ストライキも署名活動も、さらなる合併を中止させる事までしか出来なかった。
 2004年9月24日。心模様じみた曇り空と多少の蒸し暑さの中、運良く手に入れたチケットを握りしめた俺は大急ぎで大阪ドームに向かっていた。俺が愛した大阪近鉄バファローズの最期の主催試合が始まるまで、あと1時間。

「……デューサー。プロデューサー!」
「ん?ああ……」

 不快にならない程度に脳に響く声で、20年前から現実に引き戻された。机の上に積み上げられていたはずの書類は七割方消えており、目の前にはぷくーっと音を立てんばかりに頬を膨らませた女の子。酒好きの野球アイドルとして俺がプロデュースしている姫川友紀だ。

「もー、ちゃんと聞いてた?」
「悪い悪い、ビールを飲みすぎたから今度こそ禁酒するって話やったな」
「……1ミリも聞いてないことは分かったよ」

 可愛らしく表情を変えつつ眉間にシワを寄せてねっとりとした視線を向けてくる友紀。身長がさほど変わらないため、やや威圧感を感じる。

「で、何の話やっけ」
「だーかーらー!仕事終わったら一緒に京セラドーム行こうって話じゃん!どんだけ仕事に集中してたのさ」
「京セラ?甲子園やなくて?」 
「うん!」
「時間はあるしええけど……」

 意外な話だった。友紀は東京に本拠地を置く東京キャッツの熱狂的なファンである。そして今日、京セラドームでやる予定の試合はオリックスと西武の一戦だったはず。友紀と俺が大阪に転属になってから数年が経っているとはいえ、彼女が自分からオリックスの試合を観に行きたいと言い出すほど大阪に染まっていたとは。

「こないだ宮崎に帰ったらこんな写真を見つけてさ」

 そう言って、友紀は1枚の写真を見せてきた。セピアに染まった随分と見覚えのあるスタンドをバックに、ピースを向ける父親と娘らしき2人。右下には「2004.9.24」と刻まれている。

「……大阪ドームでの近鉄の最終戦の日やな。ユッキも行ってたんか」
「そうそう、お父さんと2人でね。これはその時に隣にいたお兄さんに撮ってもらったんだ」
「それで、20年前の思い出の場所にまた行こうってことか」
「うん!ついでにあの時の思い出のお兄さんにも会えたらなって!」
「なるほどなぁ……やけどその人のこと覚えとるんか?もう20年も前やから色々変わってはるんちゃう?」
「女の子は人との出会いは忘れないものなんだよ!」
「うわぁ見事なドヤ顔」

 ペチャクチャと喋りながら、最後の書類にサインする。これで今日の仕事は終わりだ。
 俺はユッキが何をあの日に残してきたのか、全く知らない。でも、その中身をもし知れたのならと思った。パートナーの思い出や秘密を知りたいというのは、すべての男に共通する欲望なのだ。おそらくは女にも。だから。

「ユッキ、準備出来たか?」
「えっもう終わったの!?」
「ふん、プロデューサーはこれぐらいの仕事一瞬で片付けられんと務まらへんのよ」
「プロデューサーもドヤ顔してるじゃん」

 20年前のそれぞれの思い出を、2人で回収しに行こう。

続きは明日あたりに。

 暑い夏の日だった。外遊びから帰ってきたあたしを見つけるなり、お父さんがおもむろに言った。

「友紀、9月に野球観に大阪行くぞ」
「大阪?阪神を倒しにいくの?」
「いいや、今年で無くなる近鉄の試合だ」
「きんてつ?何それ?」

 まだ小さかったあたしはてっきり甲子園に行くと思いこんでて、そこの大声援が怖かったので嫌がっていた。でも、そうじゃなかった。キャッツファンである以前に熱狂的なプロ野球ファンだったお父さんは、今までのプロ野球をめちゃくちゃにしかねない合併や1リーグ制への移行に最初から猛反対してた。それが実を結ばなそうだと悟ると、最後の日のチケットを取った。近鉄の葬式をするために。

 関西に向かう列車の中で、あたしはお父さんに尋ねた。

「なんで近鉄の試合なんかに行くの?パ・リーグなんだしどうでもいいじゃん!あたしキャッツ見たいのに!」

 お父さんは黙ったままだった。その表情を正確に覚えてはいないけど、どことなく悲しそうだったような気がする。その時の気持ちを理解するには、あたしはあまりにも幼稚だった。どんなチームにも熱狂的なファンがいて、「どうでもいい」チームなんてどこにもないことも、まだ知らなかった。

 シーズン終盤にも関わらず、席はそれほど埋まっていなかった。今年は優勝争いに絡むこともなかったし、毎年引退試合を組んでいるホーム最終戦はもう少し後だからだろうか。

「プロデューサー、こっちこっち!」
「ユッキ……おま、どこにそんな元気あんねん……」

 リールを取ってもらった犬のように走り回る友紀を息を切らして追いかけ、何とか席につく。三十路で若干運動不足気味の身体には京セラドームの五階席は遠すぎた。

「お疲れ!乾杯しよっ!」
「ありがと、ところで何杯買うたん?」
「とりあえず4杯!」
「買いすぎやろ、今日はそれだけにしとくんやで」
「ちぇー」

 ふくれっ面をする友紀を撫でたりして何とかなだめる。6年前にスカウトした時から、本当にこいつは変わってない。俺としょっちゅう飲むのも、26とは思えないほど子供っぽい振る舞いをする所も、気配り上手で面倒見もいい所も。変わったことと言えば、俺たちの関係性ぐらいだ。

「かんぱーい!」
「乾杯!」

 喉を駆け抜けたアルコールが体に染み渡っていく感覚。酒豪でも酒好きでも無いが、確かにこの瞬間は好きだ。
 見渡すと、ぼちぼち埋まり始めたスタントが目に入った。グラウンドには守備練習をする、バファローズのロゴを背負った選手たち。時折聞こえる売り子の声。電光掲示板を流れるCM。遠目から見れば、20年前と何も変わっていない光景。それでもー

「ー変わってもうたんよなぁ」
「んー?」
「独り言」

 ー俺の愛したバファローズは、もう無い。分かっているはずなのに、その事実が頭の中をぐるぐると回り続けている俺は、まだあの日の試合を終わらせられずにいるのだろう。あるいは囚われたとでも言うべきか。
 20年前のスタンドの光景が、また脳裡をよぎった。

 この日のスタンドは満員だった。普段は閉まっているバックスクリーンの真下の席まで開放するという大盤振る舞いをするほどだった。しかしー

「……ほんまに近鉄ファンやった人、何人おるんやろ」

 ーものの見事に一見ばかりだった。何しろ近くの席から「ブライアントは見られるかな」なんて声が聞こえてくる始末である。10年前に引退しとるわボケ。それだけ近鉄というチームに、誰も興味が無かったということなんだろう。
 不意に左肩を叩かれる。目を向けると親子連れがいた。30代ぐらいの父親と、小学校に入るか入らないかぐらいの娘。

「ここ、いいかな」
 
 ああすみませんいつもの癖で、なんて言い訳をして荷物をどけた。普段から大阪ドームに来ている身には、隣に人が来るなんてことの方が珍しい話だったのだ。
 荷物をどけていると、女の子が話しかけてきた。いつの間にか父親の方はいなくなっている。

「おにいちゃん、なんでそがんとこに荷物ば置きよったと?邪魔やん」
「……君は近鉄の応援しに来たことあるん?」
「ううん、あたしキャッツファンやけん」
「キャッツみたいに人気あってファンも多くて球団消滅なんて目に遭うはずがないところのファンには分からんやろけどな、普段はこの球場誰もこーへんねん。荷物横に置けるぐらいガラガラなのがいつものことやったんや。せやから普段の癖で横においてたんや。気ぃ悪くしてごめんな」
「……」

 思ったよりきつい言い方になってしまった。こんな小さな子相手に大人げない。

「きんてつ、無くなると?」
「そこからかいな……せやねん、近鉄は今年で無くなる。うちらは好きなチームが無くなるんや。今日は近鉄がホームでやる最後の試合やからこんなに人が来とるんやろ、大半は強かった時にしか来んかった薄情者ばっかやろけどな」
「別に無くなるのはよかばってん、何で無くなると?ファンおらんと?」
「何抜かしよるんじゃボケ!」

 まずいと思った。目の前の女の子は完全に怖がっていて、泣きそうにさえなっている。だが、もう止まらない。



「経営は確かにあかんかった、せやけど楽天とかライブドアに身売りするとかなんぼでも手段はあった!それを合併とか抜かしよったんや!自分、生まれてからずっと好きやったチーム無くなる気持ち分かるんか?なぁ!ほんで球界再編とか言うてプロ野球そのものを潰そうとしよったのも自分ところのオーナーやろが!結局2リーグ制維持にしか興味無かったくせに味方面しよる選手会も同罪やがな!」
「……ごめんなさい」
「……こっちもごめん、熱くなりすぎた。別に今更近鉄ファンになってくれなんてよう言わんけど、せめて試合観て楽しんでくれたら嬉しいわ。どうでもいいチームなんてないんやからな」

 20年前のあの日。横のお兄さんにこっぴどく怒られたあたしは、お父さんに泣きついてーもっとこっぴどく怒られた。今にして思えば当たり前のことなんだけど、当時キャッツが全てだったあたしには本当にショックだった。
 なかば無理矢理に礒部公一のユニフォームを着せられたあたしだったけど、試合が始まるとびっくりした。
 ファンの熱気がすごい。赤く染まったスタンド全体が近鉄の選手に歓声を送り、メガホンや応援バットがこれでもかってぐらい叩かれる。近鉄の選手がヒットを打てば地鳴りみたいな歓声が湧いて、三振を取れば優勝したみたいな拍手。

「どうや?近鉄もええもんやろ?」

 そう聞いてくるお兄さんに、あたしは大きく頷いた。それを見たお兄さんは、とても寂しそうに笑った。

 試合はあっという間に進んでいった。あたしはお兄さんと一緒に同点犠牲フライに叫んだり、ヒットにはしゃいだり、奪三振に喝采を送ったりした。ほんの短い時間だったけど、にわかだったけど、あの日のあたしは間違いなく近鉄ファンだった。
 11回の裏、近鉄がサヨナラ勝ちを収めたその後で、お兄さんが声をかけてきた。

「楽しかったか?」
「うん!」
「そら良かった。今日のこと、できれば忘れんといて欲しいな。よかったらお兄さんと約束してくれるか?」
「うん!わすれないよ!いつかまたあおうね!」

 お父さんとの写真を撮って貰って別れた。無邪気に「またいつか会える」なんて思いながら。

「あたしさ、あの後本当に近鉄が無くなったのが信じられなかったんだ。なのに野球ニュース見ても、初めから近鉄なんて無かったみたいな扱いでさ。あの時おにいちゃんが……プロデューサーが言った『好きなチームがなくなる』ってこういうことだったんだなって思った」

 懐かしそうに語る友紀。俺は黙ったままだった。

「あたしはキャッツしか興味無かったんだけど、それから他のチームも応援したりするようになったんだ。アイドルじゃなくて野球ファンとしての今のあたしがあるのも、プロデューサーのおかげ。野球ファン姫川友紀の物語はね、あの日から始まったんだよ」
「始まり……か。終わりじゃなくて」

 友紀の言葉を反芻する。20年前に始まった物語の結果が今俺の目の前にあるのだと思うと、置き場の無かった想いがすとんと収まったような気がした。

「友紀、ありがとうな」
「どうしたのさ改まっちゃって。ビール足りてないんじゃないのー?」
「俺まで飲んだら帰りに背負う人おらんくなるやろ、そういう話やなくて……」

 言葉を切る。これを言ってしまえば、俺が守り続けた……いや、囚われ続けた20年は意味がないものとして消えてしまうだろう。それでいいのだ。あらゆるものに始まりがある以上、いつかは必ず終わらなければならないのだから。死ぬ前に見せる光景として、今の友紀以上のものがあるだろうか?自らの死によって完成する、野球ファン姫川友紀という物語以上のものが。

「俺が今やっと『大阪近鉄バファローズ』を終わらせられた、ってだけやから」

 不器用に笑って、グラウンドに目を向けた。一瞬だけ、礼を言うかのように、あの紅色が見えたような気がした。

野球絡みで畜生じゃないユッキが見たいなぁと思って書いたらこうなりました。野球自体に複雑な思いを抱いて葛藤しつつ6年間ユッキをプロデュースしてあまつさえ進んだ関係になっちゃってたプロデューサーってどないやねんって話は無しで。
近鉄最後のホームゲームをやった9月24日に間に合わなかったことだけが心残りです。終わります。

>>20>>21の間にあるべき↓の部分が抜けてました本当に申し訳ありません




 試合はオリックス有利に進んでいた。グラウンド整備中に買ってきたビール(結局友紀をなだめきれなかったのだ)を開ける友紀を見て、ふと思い出して尋ねてみる。

「なぁユッキ」
「んー?」
「6年ぐらい前に始球式の仕事しに来たときもここ座らへんかった?」
「あ、覚えてたんだ」
「そりゃまぁユッキのプロデューサーなわけやしな」

 忘れるわけがない。あの時友紀に俺が野球に抱く複雑な思いを伝えられなかったら、無意識に野球の仕事を遠ざけていた俺のままだったら、多分今の友紀はなかったはずだ。

「じゃあさ、20年前の近鉄の最後の試合の時にプロデューサーの横にいた女の子のことは?」
「……女の子に怒鳴ってもうた記憶ならあるけど……まさか」

 アルコールで多少回らなくなりつつある頭で、記憶を必死でたぐる。あの女の子の緑の瞳が、栗色の髪が、横にいる友紀と重なる。友紀はにっこりと笑って言った。

「久しぶり、おにいちゃん」
 

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