「……蜻蛉、少しいいか?」
僕には許婿が居る。彼の名は青鬼院蜻蛉。
鬼の先祖返りだが、僕よりは強くない。
けれど僕よりも、彼はタフな男である。
「こんな夜更けにどうした、許嫁殿」
部屋の扉を開けた蜻蛉は風呂上がりらしく、長髪の先から雫が滴っていた。良い匂いだ。
風呂上がりなのにいつもの仮面で素顔を隠す彼は、まるで"青鬼院蜻蛉"という仮面を被っているように感じられるが、そうでもない。
「君は仮面が好きだな」
「うむ! 私は仮面が大好きだ!」
彼は単純なので、気に入っているから仮面を付けているに過ぎない。深い意味はない。
「それで、どうしたのだ?」
「少し……話したい」
「ふむ……ならば、入るがよい」
僕を部屋に招き入れた蜻蛉はどっかりソファに腰掛けて、おいでおいでと手招きした。
「さあ! 遠慮せずに座れ、許嫁殿!」
「では、遠慮なく」
「待つがいい」
「え? さっき座れって……」
「私の膝の上に座れと言っている」
言い忘れていたが、彼は真性の変態である。
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「どうして僕が君の膝の上に……」
「私の趣味だ。いや以前、車で許嫁殿を膝に座らせた際、存外心地良かったのを思い出してな」
「勝手な奴め……」
蜻蛉は自分勝手で自分本位。自分が良ければそれでいい。僕の気持ちなど考えていない。
「なんだ。口では文句を言いつつも、貴様の身体は意外と素直ではないか。悦いぞー!」
「うるさい黙れ」
「そうこなくてはな。私は許嫁殿のそんな意地っ張りなところが気に入っているのだ」
苛々する。それなのに、蜻蛉の膝の上は存外心地良かった。兄上……いや、父上の感触。
「蜻蛉……僕の話を訊いて」
「よし、わかった。訊こうではないか」
蜻蛉は訊いてくれる。僕の話を、きちんと。
「御狐神くんのことなんだが……」
「ふむ。双熾がどうかしたか?」
「彼は優しい。僕に優しくしてくれる」
「奴は許嫁殿が大好きだからな」
「僕も御狐神くんのことが大好きだ」
「そんな惚気話を訊かせに来たのか?」
違う。ここからが本題。ここからが肝心だ。
「御狐神くんは……毎晩キスしてくれる」
「そうか。それがどうした?」
「日によって、ほっぺとか、額とか……」
「ふん……奴め、愉しんでいるな」
御狐神くんは愉しんでいる。僕の反応を。
「そうされると、僕は寝付きが悪くなる」
「なるほど。盛ってしまうというわけか」
「さかっ……まあ、そういうことだ……」
思わず否定しそうになるもなんとか堪えた。
「それで、許嫁殿はどうしたいのだ?」
「どう、というと?」
「双熾に押し倒されたいのか?」
違う。僕じゃないんだ。訊きたいのは逆だ。
「蜻蛉、教えてくれ。御狐神くんは、その……僕を押し倒したくはないのだろうか?」
「ふむ?」
「君は男として、どう思う?」
同じ男性としての意見を伺うも、首を振り。
「わからん!」
「あくまでも君の意見でいいんだ」
食い下がると、蜻蛉は優しく頭を撫でつつ。
「私も許嫁殿のことが大好きだが、押し倒したいとは思わん。だから、わからんのだ!」
「そう、ですか……」
思わず敬語になってしまう。なんか悔しい。
「許嫁殿よ」
低すぎず、高すぎない、青鬼院蜻蛉の美声。
「あくまでも私の意見だが……恐らくは許嫁殿のことが大切だから、手を出さないのだ」
「僕が、大切だから……?」
「ああ。とはいえ私も奴もSなので、いずれ新雪に足跡をつけたくなる欲求には抗えないだろう。だから早く双熾の元へ戻るがいい」
青鬼院蜻蛉。僕の許婿。婚約者。変態だけど、悪い奴ではない。むしろ、良い奴だ。
彼の膝は暖かくて、彼の言葉は温かい。
頭を撫でる手つきは想像以上に、優しい。
「ありがとう……蜻蛉」
「感激したのなら蜻さまと呼べ!」
彼はS。そして僕はMらしい。ならば従う。
「蜻さま……」
「うむ! 悦いぞー悦いぞー!!」
上機嫌な蜻さまに僕は本当の感謝を伝える。
「本当にありがとう、蜻さま。……僕と御狐神くんが知り合うきっかけを作ってくれて」
「ふむ。その台詞はなかなかに……ドSだな」
少しも寂しそうではなくむしろ誇らしげだ。
「ところで『元』許嫁殿よ」
「なんだ、『元』許婿様よ」
キョトンと首を傾げると、蜻さまは耳元で。
「私は今、ものすごく便意を催している」
「……は?」
「悦いぞー悦いぞーその唖然とした表情!」
こ、この男。やはり蜻蛉は蜻蛉でしかない。
「双熾とはこういうプレイをしないのか?」
「み、御狐神くんはそんなことしない!!」
「しかし、奴の苗字は御『ケツ』神だぞ?」
駄目だこの男。たぶん言いたかっただけだ。
「人のことを君のワールドで語るな!」
「私のワールドではない。この世に生きとし生けるものは糞と尿を垂れ流すのだ」
「気分が悪い。少し席を外させて貰う」
「おっと。まあそう急くな、『元』許嫁殿」
がっちりホールドされた。何を考えている。
「蜻蛉」
「んん? なんだぁ? どうしたぁ??」
「君は催しているのだろう?」
「ああ。お恥ずかしいことにな」
「にも関わらず、何故トイレに行かない?」
僕が訊ねると、彼は愉快そうに肩を揺らし。
「これはそういうプレイだからだ!」
「独りで勝手にやってくれ。僕は帰る!」
「つれないことを言うな、『元』許嫁よ」
「うるさい! とにかく僕を巻き込むな!」
ジタバタ暴れる僕が痛くないように、蜻蛉は優しく抱きしめている。そして、彼は云う。
「私もたまには、独りが寂しい」
「蜻蛉……」
「だからそばに居てくれ……凜々蝶」
なに言ってるんだ。こんな状況で。だけど。
「君は一応……僕の婚約者だったからな」
「凜々蝶……」
「はん。気が変わる前にさっさと済ませろ」
「うむ! それでこそ、私の許嫁殿だな!!」
昔みたいに素直じゃない僕が、好きらしい。
「凜々蝶」
「なんだ、さっさとしろ」
「手を握って欲しい」
馬鹿なのか、この男は。まあ、いいけどさ。
「はっ……造作もない」
「貴様の手は温かいな」
「はっ……君には負ける」
お互いの体温が混じり合って心地良かった。
「む? そろそろ刻限のようだ……」
「そ、そうか……」
「緊張しているのか?」
「べ、別に……」
すぐ背後で脱糞される。ドキドキしていた。
「怖いか?」
「怖くない」
「そうか。私も怖くない」
「今から、その……漏らすのに?」
「ああ。凜々蝶がそばに居てくれるからな」
おかしいおかしいおかしい。なのに、何故。
「貴様もそうであろう?」
「僕も……蜻蛉、君がそばに居るから……」
「おおっと! 急激な波が私の腹を襲うぅ!」
ぶりゅっ!
「きゃあっ!?」
「フハッ!」
やっぱり、怖いものは怖い。恐怖の愉悦だ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!
「きゃあああああああああああっ!?!!」
「凜々蝶さま!? 如何されましたかっ!?」
扉を蹴破った僕のSS。御狐神くん、助けて。
「なんだ。遅かったではないか、双熾」
「蜻蛉さま……よくも凜々蝶さまを!」
「今夜はせいぜい、優しくしてやるんだな」
放心状態の僕をお姫様抱っこして、まるで割れ物を扱うように優しく御狐神くんに抱かせた蜻蛉が背を向ける。お尻が下痢まみれだ。
「双熾」
低すぎず、高すぎない、青鬼院蜻蛉の美声。
「宝石は必ずしも大切にされることを望んでいるわけではない。それを胸に刻むがよい」
「蜻蛉さま……まずはお尻を拭かれては?」
「フハッ! 私には、私のワールドがある!」
「左様でございますか……ならばお好きに」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
御狐神くんが一礼して、静かに扉を閉める。
「凜々蝶さま、キスをしましょう」
「また、おでこ?」
「いえ、まずはお口直しから」
『フハハハハハッ!! 悦いぞ悦いぞー!!』
扉越しでも聞こえる高らかな青鬼院蜻蛉の哄笑。その晩、御狐神くんは僕を宝石ではなく、ひとりの女の子として、愛してくれた。
【蜻x僕 SS (ショート・ストーリー)】
FIN
懐かしい……お前だと思ってたけどさあ!
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