『忍ちゃん。君は会うべきだ』
あの日、神原駿河が忍野忍を論破したことが強烈に印象に残っている者は僕だけではないと思うが、当の本人たちはどうだろうか。
『400年がかりで蘇ったかつてのパートナーと会わずに済まそうなんて、それは良くないことだ。とても良くないことだ。それは、正しくない』
600年生きた吸血鬼に正しさを説くなど、年端のいかぬ少女には荷が重いというか、ぶっちゃけ無謀なことだけど、年端のいかぬ少女だからこそ言える言葉だったことは確かであり、だからこそ忍は論破されたのだと思う。
『話にならない。誰かと誰かが出会わなければ話にならない。物語にならないだろう!』
当時の心境を神原に訊ねると、伝説の吸血鬼を論破した伝説の後輩は電話越しにあっさりとこう答えた。
『あの時は仕方なかったんだ』
「仕方なかったって何がだ?」
『あの時、私以外に忍ちゃんを説得出来る立場の者が居なかった。だから仕方なかった』
久しぶりに聴いた後輩の声は、あの時よりも少しだけ大人びていて、言っている内容もまた大人びていた。客観的に神原は語った。
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『忍ちゃんのかつてのパートナーに1番近しい境遇だったのは戦場ヶ原先輩のかつてのパートナーだった私しか居なかったし、忍ちゃんとほとんど初対面だった私だからこそ、忌憚ない意見を述べることが出来た過ぎない』
「かっこいいよ、お前のそういうところ。今も昔も、僕はお前のそんなところに憧れる」
素直に称賛すると神原は脈略なく要請した。
『阿良々木先輩。忍ちゃんと代わってくれ』
「ん? いいけど、ちょっと待ってくれ。おーい、忍。神原がお前と話したいってさ」
影に向かって呼びかけると、横着に手だけを影から覗かせて、その幼女の小さな手に携帯を握らせると影に沈んでいった。
よもやかつての因縁が再燃したわけではなかろうが、たっぷり数十分の時が流れて、僕の影の中で口論しているのではと不安に思い始めた矢先、忍が陰から姿を見せ、僕に通話の切れた携帯を投げて寄越した。
「なんだって、神原」
「積もる話じゃ。あの猿娘、なかなか立派になりおって。感想戦で二度負ける棋士の気分を味わったわ。じゃがまあ、悪くなかった」
また負けたのか。でも悪くなかったらしい。
「なあ、忍」
「なんじゃ、我があるじ様よ」
「お前、悔しくなかったのか?」
あの時、ついぞ聞けなかった忍の心境について訊ねると、忍はかかっと笑い飛ばした。
「悔しいに決まっておろう」
「そうか」
「じゃが、同時に清々しくもあったな。あそこまで忌憚なき意見とやらを述べられることなど、どれだけ長生きしたとしてもなかなか経験出来ぬことじゃろうしな。そう言った意味では良い思い出といえよう」
思い出。思い出せる、過去。忍は目を閉じ。
「儂はあの日、かつてのパートナーと会わせてくれた猿娘に感謝しとる。それを今日、直接云えた。じゃから、少し胸が晴れたわい」
「そりゃあ、めでたいな」
「かかっ。めでたしめでたし、じゃ」
600年生きた吸血鬼が今更成長するかは定かではないが、僕の目の前にはたしかに、成長する筈のない幼女の成長が見て取れた。
「それにしても電話とは便利じゃの」
「そうか?」
「ああ。会って話すよりも素直になれる」
たしかにそうした良い一面もあるかも知れないが、僕はやはり、直接会って話したい。
「会わないと話にならない、か」
「物語にならないとも言ってたな」
「じゃがこうして物語は成立しとる」
もしも面と向かって神原と忍があの日のことを話したならば本当に口論になっていたかも知れないと思うと、たしかに電話越しのほうが物語には適している側面もあるのだろう。
「しかし、お前様よ。一度物語が始まったのならば、終わらなければなるまい」
「だから終わっただろ? 通話が切れて、めでたしめでたしって言ってたじゃないか」
「それで終わりなど些か淋しいじゃろうて」
通話切れは淋しい。だから忍は僕に囁いた。
「あの猿娘、実は漏らしていたらしいぞ」
「フハッ!」
今明かされたあの伝説の名シーンの裏話に僕の声は裏返り反転して、愉悦が響き渡った。
というわけで、後日談の物語の、汚いオチ。
「正しさなど、裏を返せばこんなものじゃ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
正しさとはなんだろう。それを理屈で説明することは難しい。神原は忍に対して間違っているとは言わなかった。ただ良くないことだと言った。それを踏まえると、忍が汚いオチをつけたことも、そして今、僕が汚い哄笑をぶち撒けていることも良くないことだろう。
神原は、「それでもいい」と言うだろうか。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「あの猿女はこの儂に正しさを説きながら悪事を働いておった。じゃが、儂はそれを良くないことだとは思わん。何かに感動して涙を流している最中に今晩の献立を考えることや、何かに腹を立てて憤っている最中に卑猥な妄想をしても何ら間違ってはおらん。それはそれ、これはこれ、じゃからな」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
そう。たとえあの日あの時、忍にアイアンクローをされた神原が漏らしていたとしても、たとえそれが小であれ大であれ、神原の正論は正論として成立し、論破された事実はそのままそっくり残る。正論か正露丸かの違い。
『論理なんて知るか!』
大であれ、小であれ。僕にとっては大きな問題であるが、大なり小なり、人は間違える。
吸血鬼の忍が間違えるのだ。人も間違える。
『人に好かれて良い奴でいる必要はない』
脳裏に過ぎる神原の言葉を、忍が肯定する。
「それでもいい……それでもいいのじゃ」
忍が明日漏らすなら、その日僕も漏らそう。
「忍、僕だって正しくない」
「かかっ。おそろいじゃな」
「僕たちはそれでいいんだ」
沢山間違えるからこそ見える正しさもある。
後になってからこそわかる、後日談の物語。
後から悔やまなければ、後悔ではないから。
【後物語】
FIN
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