最上静香の「う」_五杯目_ (23)
ミリマスSSです。
一応地の文形式。
あまり繋がりはありませんが、続き物です。
もがみんがうどんを食べるだけのSS。
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三月になると、暖かい日が増えるようになった。年明けから厳しい冷え込みが続き、このまま氷河期に入るのではないかと誰かが冗談めかして言ったものだが、北風は次第に東風となり、お天道様は春を忘れずに連れてきた。陽光眩しく、花の蕾も膨らみつつある。
季節の移ろいを感じながら、最上静香は通りを歩いていた。衣服も先月まではウールのコートを着て手袋やマフラー、時にはニット帽に耳当てまで身に着け、雪達磨のような出で立ちであったが、今日は薄いジャケットを羽織る程度で十分である。
春の到来を肌で受けながらも、なお静香はうどんでも春を味わいたいと思った。静香はうどんをこよなく愛する十四歳の少女である。
芸能事務所に所属している静香だが、この日はオフであった。普段であれば春日未来や伊吹翼、北沢志保などの仲間たちと出掛け、共にオフを過ごすことも多いが、あいにく今日は皆が仕事であった。さらに両親も仕事や用事で夕方まで帰宅しないとのことである。
こうして家にいては手持無沙汰であったため、十一時を過ぎて静香は家を飛び出していた。散歩をして外の光景をゆっくりと眺め、春光の温かさ、春風の湿っぽさを受けては、静香は春がやって来ていることを実感していた。しかし、腕時計が十二時を差そうというとき、腹の虫がぎゅるりと鳴いた。どうやら体の内側からも静香は春を感じたいようである。
彷徨から一転、静香はうどん屋へと邁進した。春を味わえるうどん屋は近くに当てがあった。
色褪せた暖簾をくぐると、「あら静香ちゃん、いらっしゃい」と女将の威勢のよい声を受けた。客の入りはまばらである。静香はカウンター席の端に座った。引き戸が開けっ放しのせいか、うどんを茹でる窯では湯が滾っているにもかかわらず、店内の空気は爽やかであった。店内に置かれたテレビからはニュースが流れているが、内容も相まって乾いたように聞こえる。
女将がやって来てお冷のグラスを置いた。
「久しぶりねえ」
女将は静香に話しかける。静香は小さい頃から両親に連れられている、常連であった。
女将は静香に話題を様々に投げかけた。元気だったかい、今日は一人なのね、この前の歌番組見たわよ、可奈ちゃんという娘はおっちょこちょこちょいなんだねえ、とお節介な性格ゆえ話し始めるとキリがない。
自らに関わる事柄を根掘り葉掘り聞かれるのはあまり好まない静香であったが、年少にも人懐っこく接するこの女将となると話は別で、頬を緩めた。寂しさを紛らわせるために外に出たのだから殊更である。こうしてしばらく話していると、
「母さん、早う注文取らんかい」
と窯の前で陣取る大将に諭されるのが、最近の常であった。
今回も女将は大将に諭され、静香に注文を訊ねた。
すでに決めていた静香は、お品書きを見ずに答えた。
「野菜天ぶっかけうどんと、しそおにぎりを一つ下さい」
「温かいのでいいかしら?」
「はい、お願いします」
静香の注文が厨房に通ると、大将は流れる手つきで麺を湯がき始めた。女将も冷蔵庫から野菜を取り出し、具材の準備に取り掛かる。
静香はまず、ぶっかけうどんを頼んだことに春を感じた。冬場はうどん屋へ向かう間に体が芯から冷えてしまう。それゆえ、温かい出汁がたっぷりと入ったうどんや沸々と土鍋の中で煮えた鍋焼きうどんを頼みがちであった。ぶっかけうどんを頼むということは、こうした冬場の心理的な制約から解き放たれとことと同義であった。なお、季節が夏に近づくにつれ、冷えたうどんを次第に頼みがちになるのだが。
ぶっかけうどんは岡山または香川で発祥したとされている。どちらが元祖か白黒つけるのは野暮であろう。茹で上げたうどんに具材と薬味を盛り、そこに少し濃いめの出汁を打ちかける。一聞すれば乱暴なようだが、麺の魅力を最大限引き出す食べ方であり、それゆえうどん屋の真価が問われる。夏場は麺を冷水で締め、冷やした出汁をかけることで、また違った趣を楽しむことができる。静香は先日も岡山出身の陶芸を特技とするアイドルとこのうどんの話で意気投合したこともあり、ゆえに今日はぶっかけうどんを特別求めていた。
途端、入り口からわっと人波が流れ込んできた。オフィス街も近いこの店は、正午を過ぎ昼休みに突入すると途端に混雑し始める。ワーカーたちもうどんに飢えたうどん人(びと)である。静香の存在など目もくれず、テーブルに座るとお品書きを眺め始めた。平和で穏やかであった店内は途端に一秒たりとも気を抜けぬ乱世の様である。それまで丼を洗っていたパートの女性が、前掛けで手を拭きつつ流し台から彼らのもとへパタパタと駆け寄った。
静香は幸いにも店が込み合う直前に注文したお蔭で、うどんが運ばれてくるのは十分とかからなかった。
「はい、お待ちどおさま。野菜天ぶっかけとしそおにぎりね」
女将がカウンターに皿をごとりと置いた。口調はのんびりとしているが、次々と押し寄せる注文を捌くため女将の動作はテキパキとしており、翻って厨房に戻ると海老に衣をつけて揚げ始めた。
円形の大皿の中にはうどんが盛られており、その上には野菜の天ぷらが幾つも載せられていた。衣をまとった姿はおぼろげで印象派の静物にも見えるが、個々の野菜たちは衣の中ではっきりと存在感を放っていた。コバルトブルーで縁取られた磁器の中でその個性を主張する様はビッグバンドさながらであり、ジャズエイジ、狂騒の二十年代が百年越しに到来したかのようである。
静香は茶色の小瓶に入った熱い出汁を皿に回しかけた。中心に盛られた大根おろしと生姜は雪解けのようにはらはらと崩れ、野菜の天ぷらたちは赤銅色に染まる。次第に出汁はうどんの麺を少しずつ浸していく。出汁の香り、薬味の香り、そして天ぷら独特の油っ気のある香りが皿から沸き上がり、混ざる。その複雑な香りを嗅いだ静香は喉を鳴らした。準備は万端である。
手を合わせてから箸を割ると、静香は麵を薬味と出汁に絡め、それから啜った。麵を切らずに器用に箸で引き出していく。麺は店主である大将の手打ちで、コシが程よくあり、小麦の香りや味も穏やかである。主張が控えめな麺ではあるが、この慎ましさのお蔭で、出汁の旨味と香り、大根や生姜、小葱などの薬味の風味が混ざり合い、全体の味わいが調和する。出汁は鰹節が利いており、さらにたまり醤油と粗糖を加えているらしく、コクがしっかりと表れている。味の豊かさ、底深さに静香は満足げに頷いた。
器を縁取って並ぶ野菜天に目を向けた。静香はまず南瓜の天ぷらに手を付けた。ほくほくとした食感の後に現れるほのかな甘みは、打ちかけた出汁の風味と相まって絶妙である。それから静香は、淡い緑色の花のような形をした野菜を選んだ。口に運ぶやいなや、鮮烈な香りが鼻を抜け、独特な苦みが味覚を刺激した。
ふきのとうである。
このうどん屋の野菜天は季節ごと日ごとに中身が変わるが、このとき旬の野菜をなるべく取り入れることが女将の気遣いであった。ゆえに季節の移ろいを味わい、季節の訪れをありありと自覚することができるのである。静香が何よりもこの一杯を欲した理由であった。特にアイドル活動が忙しかったこの頃、静香は季節を五感で楽しむことも難しく、いつの間にか年を越し、いつの間にやら二月は逃げ去っていた。ほんのささやかでも春の訪れを受け取りたいと願い求めるのは、人としての性かもしれない。
箸を麺へ向け、一口、二口と啜っては、また天ぷらへと箸を戻す。くし形に切られた玉ねぎは非常に柔らかく、おそらく新玉葱なのだろう。芯の方は油の熱でとろりと溶け、出汁に浸して食べると、その強い甘みと旨味から脂身の多い肉を食べたのかと思わず錯覚する。
静香はおにぎりを一口齧った。お米も保存がよいのか、おにぎりに歯を立てると、新米のような瑞々しくむっちりとした食感である。混ぜ込まれた赤じそふりかけの甘酸っぱい風味も心地よい。野菜天とはいえ、揚げ物が多いと口内が油っぽくなるのだが、赤じその清涼感ある酸味がこれを洗い流してくれる。
次に取った天ぷらに、静香は「おや」と思った。縦に半分に割った、五センチほどの釣り鐘型をした野菜の天ぷらである。小さな白菜のようにも見えるが、葉が幾重に重なっているわけでもなく、芯の方まで身が詰まっており、不思議な形をしている。
「それね、子持ち高菜っていうのよ。食感もいいし、美味しいの」
不思議そうに眺める静香の姿を見たのか、女将は殺到する注文を捌きながら野菜の名を教えた。つぼみ菜とも呼ばれ、福岡などで少しずつ作り始めているらしい。
一口齧ると、瑞々しく小気味のよい、筍やブロッコリーの芯のようなシャキっとした食感である。火の通し方も絶妙なのであろう。ほのかにツンとした辛みとほろ苦さは、なるほど高菜のようでクセになる。このような野菜もあるのかと静香は感心した。
かき揚げにされているのは、つくしである。はかまも丁寧に取り除かれていて舌触りもよい。サクリとした食感も心地よいが、出汁も程よく吸っている。アク抜きを少ししすぎたのか独特の苦さは無いけれども、つくしを食べているという事実に、静香は春の訪れを感じて心が動く。
春の祭典! 野菜たちは春を紡ぎ、奏でる調和は静香を魅了する。没頭すれば静香は一心不乱でうどんを楽しむ。その手つきは相変わらず淀みがない。うどんを啜る。野菜をほおばる。おにぎりを齧り、また野菜を口にする。そしてうどんを口に運ぶ……。春はいつでもときめきの夜明けなのだ。
静香はうどんを最後の一本まで食べ切ったが、器には一つの野菜が残っていた。
くし形に切られた、トマトの天ぷらである。
静香はトマトが嫌いではない。むしろ好物である。しかし、トマトを揚げると何が起こるのか、静香はよく知っていた。とにかく熱いのである。揚げるうちにトマト内部の水気がうんと熱を持つ。ゆえに静香は最後までトマトに箸を付けなかった。もちろん、熱を加えたトマトの程よい酸味、旨味とうどん出汁の相性のよさも静香は知っている。また、真夏の印象が強いが、この国ではトマトの旬が実は春であることも。
しかし油断は禁物で、しばらく置いていてもトマトの天ぷらは熱を依然として保っている場合もある。静香はトマトを慎重に、しかし一口で頬張った。
あつっ。
嚙んだ刹那、熱い熱いトマトの水気が弾け、静香の上顎や舌を焼いた。彼女は静かに悶え、目を見開き、少しでも口内を冷まそうと鼻腔から出来るだけ空気を吸い込んだ。
ああ、今回も上顎にぷっくりと水ぶくれができるだろう。静香は苦笑した。トマトによって火傷するかしないか、このことを勝負とみなすのならば、これまで六戦して今日で五敗目である。だが、これも一つの春の形としての一興なのだ。
ようやく口内が落ち着くと、静香はゆっくりと息を吐いた。うどんの味わい深さはも勿論のこと、春の訪れを十二分に堪能した、充実感に満ちた一息である。お冷の入ったグラスを傾けると、上顎にピリッとした刺激を受けた。
静香は会計を済ませようと立ち上がり、辺りを見回した。卓やカウンターに座る客は目の前のうどんに目を向け、うどんに没頭している。厨房は一段落したのであろう。大将が所在なくテレビを眺めていた。静香が立ったことに気付いた女将は、素早くレジの方へと向かった。
「ご馳走様でした」
「またいらっしゃいね」
「はい」
女将の柔和な笑みに、静香もまた笑みで応えた。
季節が変われば野菜天もがらりと中身が変わる。春夏秋冬、その季節を味わえるのだ。今日この一杯を通じて春の到来を感じられたことに、静香は心から感謝した。無論、この店は温かい出汁が並々と注がれたうどんも、ざるうどんも非常に美味である。また近いうちにここを訪ねよう、そう静香は思った。
引き戸から通りへ出ると、強い風が吹き抜けた。春疾風である。建物の壁や信号、電線に当たって風が鳴る。しかし、静香は体をかがめず、むしろ風を受け止めるように体を大きく伸ばした。陽光を蓄えた温かい風が静香の体を包み込む。静香は自身の体のすべてが春に染まり、春の眩しく温かい空気のなかに溶け込んでしまうように錯覚した。
風が吹き去ると、何処からか花の香りが運ばれてきた。
……つづく?
本当は3月半ばに書き上げて投稿しようと思っていたので、少し時期がズレてしまいました。
トマトの天ぷら、美味しいけど熱いですよね。揚げたてを食べると十中八九、口をヤケドしちゃいます。
では皆さんもよいうどんライフを。
過去作はこちらです。お夜食に是非。
最上静香の「う」
最上静香の「う」【ミリマスSS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1484490831/)
最上静香の「う」_二杯目_
最上静香の「う」_二杯目_ - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1494082798/)
最上静香の「う」_三杯目_
最上静香の「う」_三杯目_ - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1549628270/)
最上静香の「う」_四杯目_
最上静香の「う」_四杯目_ - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1567168315/)
こちらもよかったらどうぞ。
最上静香「あれは・・・うどん職人!?」藤原肇「違います!!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1396941747
乙
蕃茄を食べるシーンが可愛かったです
夜食食べたくなってきた
乙です
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/NbEUs8y.png
http://i.imgur.com/9bmfY7U.jpg
乙でした
季節の天ぷらはいいですね。ふきのとうの天ぷらとかも好き
公式でこんなシーンが見られる日が来るとは思わなかったw
https://i.imgur.com/YeCtRwo.jpg
このSSまとめへのコメント
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