【ミリマス】帰省できなかったシアター上京組の年末年始 (13)

スレが立ったら書きます。大晦日に慌てて書いた話だけで満足しようと思っていたのですが、年始のことまで頭に浮かんできたので書きました。

【概要】
出てくる人:木下ひなた、横山奈緒、ジュリア、白石紬

大晦日の話と、一月二日の話を両方続けていきます。

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【2020年12月31日】


 暖房が効いて暖かい自室の中で、木下ひなたはまどろんでいた。突っ伏していた炬燵から頬を引き剥がして壁の時計を見ると、時刻は午後4時だった。仕方が無いことであるとはいえ、大晦日を独りで過ごしたことの無いひなたは、何をしようか、あるいは何をしたいのかも分からないまま、中学校の宿題を卓上に放り出したままにしていた。

 全世界的にウイルス性の伝染病が流行し、あらゆるものが大きな打撃を受けた一年だった。社会の仕組みそのものも変容してしまった。感染拡大を抑止するためにニュースでも新聞でも盛んに叫ばれていたのは、狭い空間で密になることや、大声を張り上げること、あるいは集まって会食をすることだった。人口の密集する都市部で生活する人間は、自らが病を持ち帰ることを恐れて故郷に帰ることもできないまま盆を過ごし、そして今、年末年始を迎えようとしていた。

 師走を迎えるずっと前の段階で、クリスマスの公演は無観客のネット配信となることが決まっていた。カウントダウンから続く元日ライブも今年は実施見送りとなり、年末年始は事務所に所属する全アイドルに休暇が出ることが言い渡されていた。クラスターの発生や、通勤途中での感染を避けるため、年始の数日間が過ぎるまでは、劇場も一時立ち入り禁止となるほどだった。

 去年までのひなたは、冬休みの間北海道に帰ることができていた。地方からやってきて東京で一人暮らしをしている者は、優先的に帰省の機会を与えられていたからだ。しかし、日々感染者の増加が報じられる都市部から田舎へ帰ることによってもたらされる災禍や、懇意にしている近所付き合いの悪影響を鑑みて、東京に残ったまま年を越すことをひなたは家族へ告げたばかりだった。家族の生命と社会的立場を守るための決断であることを、北海道の両親は尊重してくれた。愛してやまない祖父母も、ひなたの選択を笑って受け入れてくれた。だからこそ、東京で一人、顔を曇らせているのはきっと自分だけなのだと思えば、不甲斐なさに目尻が熱くなるのを感じた。そんなことで涙を流しそうになる自分を責めたくなって、まだ洗い物を済ませていない台所や、卓上に散らばったプリントのことを考えようとした。暖かいのは足元だけだった。

 乱れた心を鎮めるには、乱れたものを整えることだ。ひなたは頬を叩きながらそう念じて、炬燵から足を抜いた。窓の外に見えた空は、灰色の雲に覆われていた。

 昼食の後片づけを丁寧に終えた時、ひなたのスマートフォンが鳴った。彼女のプロデューサーからの連絡であることを、設定した着信音が告げていた。

「もしもし、おつかれさまです」
「お疲れ様、ひなた。今、時間大丈夫か?」
「うん、平気だよぉ」

 通話の向こう側で、固定電話の呼び出し音が聞こえてきた。劇場の事務室に設置された電話機とは違う音だった。

「まぁ、大した用件があるわけでもなかったんだ。ひなた、年末は帰省しないで東京に残るって言ってたから、どうしてるのかと思ってな」
「あっ……」

 ひなたの胸中にズキンとした痛みが走った。平気だよ、と言おうとしたのに、喉の奥でつっかえて、気道が塞がれてしまったかのようだった。

「あっ、あの……プロデューサー」

 ひなたの声は震えていた。言えば迷惑になる。だが言わなければ、あとどのくらいこの寂寥感と戦わなければならないのか分からず、途方に暮れてしまうことは火を見るよりも明らかだった。

「今、事務所の方にいるのかい?」
「ああ、劇場は閉まってるからな。ちょっと今の内に片付けておきたい仕事があって」
「……事務所に、行っちゃダメだろか?」
「……どうした、ひなた」

 受話器の向こう側から聞こえてくる声が、柔らかくテンポを落とした。

「毎年、年末年始は家族と一緒だったんだけども、一人で過ごすのなんて初めてで、その……ちょっこし」
「いいよ、おいで。こまめに換気してるから、暖かい恰好で来るんだぞ。マスクも忘れずにな」

 寂しい、と口にする前に、プロデューサーが先にそれを拾い上げてくれた。気の抜けたように肺から出ていく空気が、ひなたの不安をいくらか引き取ってくれた。抑えつけていたストレスがまぶたの端から零れ落ちている。鼻をすする音を悟られないよう、ひなたはティッシュを何枚か手に取った。
 じゃあ後で、と通話を終えるや否や、ひなたはてきぱきと身支度を始めた。プリントをクリアフォルダに入れなおして、鞄の中へ。差し入れとして持っていけるものが無いかどうか、冷蔵庫をがばっと開いた。ニット帽を被り、長いマフラーをぐるぐる巻いて口元を隠すと、靴を履き終える前に玄関の扉を開いた。

 例年と異なって、元日から、場所によっては三が日が終わるまで閉店してしまう商店が多い、とニュースでは報じられていた。だから、ひなたは、商店街のあちこちに人が列を成しているのを見ても、特に驚きはしなかった。それほど凝った変装をしていない自分に気づくものがいないかどうか、その方が関心ごとであった。

 乗客の少ない身軽そうな電車に揺られること数駅。日の沈みかけた時間帯だったが、こんな年末にスーツや学生服を見かけることはほとんどなかった。車内の乗客がマスクをつけていない光景をひなたが思い出せなくなるぐらいに、誰もかれもが口元を隠していた。

 北海道の強烈な寒さに比べればひなたにとって東京の冬はまだ暖かく感じられたが、ビルの隙間から吹き込む冷たく乾いた北風が、肌をビシビシと叩いている。今にも雪が降り出しそうだった曇り空の隙間から、青がちらほらと見えていた。

 事務所への道すがら、ひなたの前方に見慣れたシルエットの赤毛が現れた。背中にギターケースを担いでいる。少し足を速めて顔を覗き見てみると、黒いマスクの向こう側で、パンクメイクを纏った彼女はニヒルに笑った。

「ジュリアさん、今日もカッコいいねぇ」
「キマってるだろ? ちょっと気合入れてたんだ」
「……ジュリアさんも、事務所に行くところかい?」
「ああ。あまりに暇なもんで、この辺の路上で歌ってきていいかどうかプロデューサーに訊いてみたんだけどさ『炎上するからやめとけ』って言われちまった。家に帰ろうかどうか、迷ってたんだ」

 そのまま歩き続けるひなたに、自然とジュリアはついてきた。寂しさに負けて大人に縋り付こうとしている自分に仲間ができたようで、ひなたは安心感を覚えていた。北海道に帰るのをやめた自分と同じで、ジュリアも福岡に帰るのは控えたのだと、道中で話してくれた。

「一度ぐらいは家族に会わない正月があってもいいかな、って思ってさ。それに、西日本の雪が酷いみたいで、飛行機が欠航になっちゃってるらしいから、どっちみちあたしは帰れなかったな」

 明るい調子で話すジュリアの声を聞きながら歩いていると、もう事務所の入り口へ続く階段の前だった。狭い雑居ビルに二人分の足音を響かせながら階段を上った先に、さらに一人、お仲間が立っていた。

「木下さんに、ジュリアさん……どうしてここに?」
「いや、まぁ……なんていうか、暇だったから。ムギは実家に帰るんじゃなかったのか?」
「その予定だったのですが、大雪で北陸新幹線が動かなくなってしまい、急遽取りやめたのです」
「あっ、そういえば、新幹線も運休になってるって、朝のニュースでやってたわぁ」
「それで、仕方無く家に戻ることにしたのですが……」

 紬がキャリーケースに視線を落とした。

「……『また』逆向きの電車に乗ったのか?」
「ちっ、違います! 降りる駅を間違えただけです! 気が付いたのが、改札を出た後だったもので」
「しかたないよぉ。東京の電車、なまらややこしくて、わけわからんからねぇ」
「いや、東京来て結構経つんだし、そろそろ慣れろって。……ほら、こんな所で立ち話してないで、入ろうぜ」

 先に扉を開いたジュリアに促され、紬の後に続いてひなたがドアをくぐった。一枚の壁を隔てた先は暖房が効いていて暖かかったが、時々隙間風のように冷たい空気が通り過ぎていく。視界の奥で、窓が半開きになっていた。


「お、三人揃って来たのか。お疲れさん」

 応接スペースのソファに腰掛けながら、プロデューサーが蜜柑の皮を剥いていた。テーブルの上には残骸が二つ三つと転がっている。

「歩の実家から愛媛ミカンが箱で送られてきてさ。わざわざ農家から買ってくれたらしいんだ。いっぱいあるから摘まんでいいぞ」
「開口一番におっしゃることがそれとは……私達が、食い意地の張った娘達だとでも、お思いなのですか?」
「ちょうど甘いものが欲しかったんだわぁ。実が詰まってて美味しそうだねぇ」
「お、これでかくて美味そうだな。これにしよう」
「……」
「紬も食べたそうな顔してるじゃないか。遠慮するなって」
「……もう」

 少しずつソーシャルディスタンスを取って各々が腰掛け、一人で座っていたソファは定員いっぱいになった。少々不満そうにしながら、紬も蜜柑を箱から取り出していた。ひなたが手に取った橙の果実は少々ひんやりしており、確かな重量感があった。底の部分の皮に爪を挿し込むと、掌にしぶきがかかって、柑橘類特有の酸味を含んだ爽やかな香りが立ち上る。薄皮の破れ目からあふれてきた果汁の甘さが口の中に広がっていく。炬燵でぬくぬくしながら頬張れたらもっと最高だろうな、とひなたは口元を緩めていた。

 敷かれたティッシュぺーパーの上には、ほどなくして蜜柑の皮が山と積まれた。途中で紬が煎れた緑茶が、まだほこほこと湯気を立てている。ひなたの隣で、プロデューサーは誰かとメッセージのやり取りをしているようだった。

「なぁプロデューサー、大晦日にまで仕事してたのか?」
「ん? ああ、年明けにやってもよかったんだけど、年内に仕事を残すのもな。もう終わったから、俺は自由だよ」
「プロデューサーも、実家には帰らないのかい?」
「今年は東京にいろ、って言われちゃったよ。去年も帰ってないんだけどさ」
「はは、あんたも年末年始は一人なんだな」

 様々な理由で帰省できなかった人間で集まることに妙な連帯感を覚えて胸の内が温かくなるのを、ひなたは感じていた。ふと、鞄に詰めてきた学校の宿題のことを思い出した瞬間、背後でカランカランとドアベルが鳴った。

「まいど! お蕎麦、六人分買ってきました! あと何か色々」
「お遣いありがとうな、奈緒。でも、五人分で良かったのに」
「私が二人分食べるからいいんです。も~あのアホ兄貴、自分だけ出かけて妹を一人にするなんてホンマ信じられへん!」
「本当は奈緒だけ大阪に戻る予定だったんだろ?」
「んー……まぁ、そうなんですけどね……色々あって、帰るのやめたんですけど、同じようにしてる人がおってよかったです。ぼっちで年を越すことにはならんで済みそうやし、プロデューサーさんに声かけてみて正解やったわ~」

 領収書をプロデューサーに渡すなり、奈緒は手を消毒して、マスクも外さず段ボール箱から蜜柑を拾い上げていた。

数時間後、年越し蕎麦を啜る音も止むと、静かな事務所の時計も十時半を過ぎようとしていた。

「ここから徒歩圏内に神社あるらしいんだが、日付変わったら初詣行かないか?」
「うーん、ジュリアさん、そんなに遅くだと電車止まってて帰れないんじゃないだろか……」
「ふふん、こういう都市部だと終夜運転してるから、電車があるんだぜ」

 得意気な表情には心強さがあったが、「あかん、今年は終夜運転してへんて」と、スマートフォンを眺めていた奈緒からの一言に、ジュリアはすぐさま眉をひそめてしまった。

「こんな夜中に女の子だけで歩かせるわけにもいかないし、帰りは俺の車でみんなの家まで送るよ」

 夜遅くなってしまうけど、と言おうとしたプロデューサーの言葉は、拍手の音でかき消されてしまった。一瞬目を鋭くした紬も、硬い表情のまま拍手に乗っていた。普段だったらもうこの時間には床に入っているひなたも、すっかり賑やかな雰囲気で胸の内がいっぱいになり、一緒になって手を叩いた。

 こんな年末年始にはなって欲しくなかった、という重たい不安が、少しずつ少しずつ、心の底で溶けていく。いつまで続くのか分からない警戒状態も、気を抜かずに明るい気持ちでいられそうだ……と、ひなたは仲間の笑顔を見ながら感じていた。

 一年の終わりへ向けて刻まれていく時計の針を眺めながら、ひなたは来年の抱負を考え始めていた。


~よいお年を~

【2021年1月2日】

 横山奈緒は、布団の呪縛から逃れることができずにいた。

 寝る前に暖房を切っていた部屋の中は極寒だ。この幸福な空間から少し足を出しただけでも、一月の冷えた空気が肌をぎゅっと握りしめてくるのが分かりきっている。「もう少しだけ」とか「お布団さんが重すぎんねん」とか、自分にいくつも言い訳をしつつも、手を伸ばしてエアコンのリモコンを手中に収めた。手探りで見つけた暖房のスイッチを入れて、そのままボトッと枕元にリモコンを落とした。 
 まだうまく開かない目を擦りつつ、充電ケーブルを刺したままのスマートフォンを見ると、兄からのメッセージが残されていた。

「なんや、こんな正月早々から練習行くんかいな」

 大晦日と同じように、一月二日も家には一人きりになることが約束された瞬間だった。

 大晦日に事務所の友達と行ってきた深夜の初詣、その翌日。夜更かしを通り越して徹夜してしまったせいで、元日は寝る以外に何をしたのか、奈緒の記憶はおぼろげだった。兄の姿は見かけた気がしたが、夢だったかもしれない。ああそうだ、ひっきりなしに届くメッセージや写真に文字で加工された年賀状に返事をしていたのだ、と、意を決して掛け布団をめくり、体を起こしながら奈緒は思い出していた。壁の時計が十一時半を指していた。目覚ましのアラームをかけないで眠れば、奈緒の朝がこうなるのは珍しいことでは無かった。

 冷蔵庫から取り出した牛乳をマグカップに注いで電子レンジへ。どうせ間もなく昼食時になるのだからまだ何も口にしなくてもいいぐらいだったが、目が覚めたら何か口に入れたいという気持ちが勝っていた。

 何となくつけたテレビでは、やはり伝染病のニュースが真っ先に扱われていた。緊急事態宣言の発令も間近だと、きつくネクタイを締めたニュースキャスターが話している。いつまでこれが続くのだろうと考えると、朝一番からしおれてしまいそうだった。

 奈緒が実家に帰らないと連絡したのは十二月の中旬だった。東京と大阪でさほど状況は変わらないと考えていたから、帰っても帰らなくても同じだったかもしれなかった。だが、同じように地元を離れて東京に住む地方出身のアイドルの何人かが「東京に残ることにした」と話していたのが、奈緒の決断の決め手になった。
 東京に残っていても兄と一緒に暮らしているのだから、それほど大きな寂しさを感じることは無かった。それよりも、他の地方出身者――特に、一人暮らしをしている年下の者達――のことが、奈緒は気がかりだった。

 お節介かもしれないと思いつつも、プロデューサーに連絡を取ってひなたや紬に声をかけてもらったのは正解だった。スーパーを出たばかりの所で年越し蕎麦の追加を買うためにレジに並び直すのも、手間ではあったが奈緒は素直に喜んでいた。そんな楽しかった年明けの一時を思い出していると、すぐ目の前に迫った、予定の無い一日の退屈さが、壁のように奈緒の目の前にそびえ立っていた。

「うーん……ヒマやな……けど、誰かの家に集まったりするわけにもいかへんし……」

 佐竹飯店も年末年始は完全に閉めてしまう、と美奈子が言っていた。家族と過ごしているのだろうから、そこを邪魔するわけにもいかなかった。何人かの連絡先をぐるぐる眺めていると、テレビから、覚えのある行楽地の名前が聞こえてきた。例年観光客の多い地も、閑古鳥が鳴いている……奈緒の予想した通りだった。顔を上げてモニターを眺めていると、開けた平地が見えた。芝生に覆われて、密という言葉の対極にある。これだ。スマートフォンを握りしめた次の瞬間、奈緒はメッセージアプリのグループに誘いをかけていた。

 街を歩く人は少なく、電車に乗っている人も数えられる程度だった。奈緒自身も含めて、みんな、顔の半分以上が覆われている。マスクをつけることが当たり前になってから、見知らぬ人の顔を観察しようとすることがすっかりなくなってしまった。そんな風に変わった自分がこれからもっと変わってしまいそうな気がして、厚着をしているのに奈緒は寒気を感じていた。

 ミリオンパークの一角にある古い公園、そのベンチには既に先客がいた。

「早かったなぁ、紬」

 マフラーに半ば顔を埋めながら、白石紬はちょうどマスクをずらしてお茶を飲もうとしている所だった。水筒から立ち上る湯気に負けないぐらい、呼気が白く膨れている。

「ええ、家に一人、さすがにすることもありませんでしたので」
「膝掛まで持ってくるとは準備ええなぁ。私も持ってくればよかったかもしれへんわ」

 奈緒は肩から下げたバッグをベンチに置いた。

「……ソースの香り?」
「たこ焼き作ってきたんや。せっかく昼時に集まるんやし」
「私も、葛切りを持ってきたのですが……こう寒いと、冷たい甘味より、温かいものの方が良かったかもしれませんね」
「ええやん。女の子にはスイーツ大事やで。ホンマはなー、大晦日みたいに事務所で集まれたらよかったんやけど、プロデューサーさんが無理やって」
「また、お仕事を……?」
「いや、そうやないねんけど……」

 これ見てみ、と言いながら、奈緒がスマートフォンのメッセージを紬に見せた。


 元旦の午後まで大人のリモート飲み会に参加させられてた。
 さっき起きたけど二日酔いが酷い。二日酔いどころか二週間酔いぐらいはある。
 すまん、今日は死体でいさせてくれ。密になる所は避けてくれよ。


 奈緒が送ったスタンプを見終わると、仕方のない人ですね、と紬が溜息をついた。

「そういうわけでな、密にならん所やったら、と思って、ミリオンパークや。散歩しとる人はちょいちょいおるけど、まぁええやろ」
「今日も冷え込みますが、日差しはあたたかいですね。外に出るにはいい日かもしれません……あっ」

 紬が明後日の方向へ視線を向けた。奈緒も振り向くと、一目でそれと分かる人影がこちらに向かって歩いてくる。二人の視線に気づいて、右手が上がった。

「今日は『ジュリアちゃん』やな」
「アイシャドウ切らしてたんだよ。年末に買うのを忘れててさ」

 モッズコートのモスグリーンに、下ろした赤毛が映えている。アイメイクはナチュラルだったが、トレードマークの青い星はしっかり頬に乗せられていた。

「そのギター……今日も、路上ライブをやろうとして、止められたのですか?」
「『も』って何だよ。ミリオンパークに集まるんだったらギター弾いてちょっと歌うぐらいできるだろうと思ってさ。マスクを外して大声出すわけでもないんだし」

 ああこれ、と言いながら、ジュリアがバッグの中から紙袋を取り出した。

「おぉ~めんべいやん。めっちゃ好きやーコレ」
「年賀状と同じようなタイミングで、箱で送られてきたんだ。あたし一人じゃ到底食べきれないよ」

 荷物で狭くなってきたベンチをどうしたものか、と考えあぐねていた奈緒だったが、視界の端に東屋が見えた。中央部は日差しが入ってこなくて寒そうだが、適度に距離を取って腰かけるにはうってつけだった。
曇っていた大晦日とはうってかわって、頭上は青一色だった。雲の無い世界に来たみたいだった。ばさばさ飛んできた鴨の群れが、遠くの池に次々と着水していくのが見えた。
 紙袋の中のめんべいを一枚失敬したくて奈緒がうずうずしていると、ポケットの中がぶるっと震えた。着信だった。ミリオンパークに着いた、と電話の向こうでのんびり話すひなたの姿が、奈緒達から見えていた。赤のダッフルコートに緑のニット帽のカラーリングは、否応なしに林檎の果実を思わせた。

「遅くなってごめんねぇ」
「いうて、別に急ぐ用事があるわけでもないんやし、気にすることないで」
「連絡もらったとき、近所で餅つき大会やってたっけ、ちょっこしお手伝いしてたんだよぉ」

 参加者が少なくて余りをいっぱいもらってきた、と言いながら、ひなたは手持ちのトートバッグからタッパーを取り出した。

「半分はきなこ餅、もう半分はバター餅にしてきたべさ」
「バター餅……?」
「名前の時点で美味いヤツやん。食べたことあらへんけど」
「秋田の方でよく食べられていると、聞いたことが……」
「うん、北海道でもお正月にはよく作ってるよぉ。いっつも家でお餅ついて、中々無くならなくてね、色んな食べ方するんさ」

 さっきまでは牽制し合うように開かれなかったパックの類は、ひなたが餅のタッパーを開けたのを皮切りに、いっせいに口を開けた。たこ焼きと餅からは湯気が立った。「いただきます」と四人が口を揃えた次の瞬間には、四人分の割り箸が蒸気の中へ吸い込まれていった。

「やっぱりみんな餅からいくんだな」
「あまりにいい匂いがするものですから……」
「あーーーっ、あかん! これはあかんで!」

 口中に広がる甘みと、ほんのり塩気を含んだバターのコクに、奈緒は声をあげずにいられなかった。絶対に美味しいはずだ、という予想は確信に変わり、喉の奥へ餅があっという間に滑り込んでいく。まだ一枚目の餅を食べきっていない内から、奈緒は視界にある食べ物をとりあえず紙皿の上へ載せていった。

「なぁヒナ、これどうやって作るんだ?」
「後でスマホの方にレシピ送っておくねぇ」

 スマートフォンを取り出していじり始めたひなたを見て、奈緒は携帯電話を買ったばかりの祖父の姿を思い出した。スマートフォンを貸与されて随分経つのに、それぐらいひなたは電子機器に不慣れだった。

「この辺の店見てて思ったんやけど、東京って四角い餅ばっかり売っとるんやな。餅は丸いもんやろ」
「そう言われれば……地元みたいな丸餅って、無いことは無いけど、あまり見かけなかったかもしれないな」
「東日本と西日本で分かれているそうですね。石川だと、どちらの餅も半々ぐらいですが……」
「うちは四角だねぇ……。搗いた後のお餅を平べったく伸ばしてから切り分けるとそうなるべさ」
「この四人って出身地全然ちゃうねんなぁ。訛りもバラバラやし、そもそも紬とジュリアは方言話さへんよな」
「ええ、通じなかったら恥ずかしいですから。もっとも、慌てていると、つい金沢弁が出てしまうこともありますが……」
「あたしは、両親が標準語だったからな。親戚とか地元の友達はみんな博多弁だから、話せなくはないぜ」

 ばってん、あたしん身なりで博多弁ば喋ったら、ガラが悪かて思わるーやろ? そげなん、ロックやなかな、って思うて。

 一呼吸置いてから、わざわざジュリアは博多弁でそう喋ってみせた。

「……他のヤツ、特に茜とバカPには言うなよ。からかわれたら面倒だから」

 クールな見た目に反するギャップの可愛らしさを奈緒は早速からかいたくなったが、耳をほんのりと赤くしているジュリアを見て、言いたかった言葉をたこ焼きと一緒に喉の奥へ押し込んだ。それ以上の言及は許さない、とでも言いたげに、ジュリアもきなこ餅を丸ごと口の中に放り込んでいた。

「みなさん、新年の抱負などは、決まりましたか」

 お茶を飲みながら、紬が尋ねてきた。大晦日から元日にかけての数時間では結局うやむやになったままの話題だった。

「紬はどうなん?」
「私からですか……。衣装のデザインに参加したい、と考えています。抱負というよりは、やりたいこと、の話ですが」
「やりたいことなら、あたしもあるなぁ。劇場に林檎の木を植えるか、畑を作るんさ。敷地内に空き地があるって、プロデューサーが言っててねぇ」

 無理があるって分かってるけどねぇ、と付け足して、ひなたは頭を掻いた。

「あたしは、バンドを組みたいな。プロデューサーにも具体的な企画として相談してみようと思っててさ。劇場のヤツ何人かに声かけて、集まってくれたらいいなって。ギターはあたしがやるとして、夏のフェスに参加した時、ドラムを亜利沙に教えたんだ。多分、アイドル同士で組むって話になれば、乗ってくるだろ、あいつなら。シズもやれるならキーボードで参加するって前に言ってたんだ」
「そういうんなら、朋花が何かのイベントでベース弾いとるの見たで。天空騎士団がお客さんで来てくれそうやな」
「三味線は……やはり場違いでしょうか?」
「三味線か……いいと思う。楽曲の方向性は和ロックかな。ふふ、考えてるだけでワクワクしてくるぜ」

 好きなことを語って、子どもみたいに目をキラキラさせているジュリアを見ながら、奈緒は戸惑っていた。やりたいこと。自分には何があるだろうか。
 アイドルとしてもっと大成する。もちろんそれは、やりたいに決まっている。でも、具体的に何を? 上から目線の兄に、参ったと言わせる。でも、どうやって? 美奈子と組んでいるユニットで、新曲が歌いたい。でも、曲も振り付けも衣装も、自分の力では作れない。ひなたと紬とジュリアのような、自分の力で実現できる具体的なビジョンが、奈緒の頭には思い浮かばなかった。抜けるような青空から差してくる日光が眩しくなって、奈緒は目を思わず目を細めた。

「奈緒さん、ぼんやりして、どうしたんだい?」
「んー……私、具体的にやりたいこと、決まってへんな、って」
「じきに見つかるだろ。これだけ刺激だらけの集団の中にいるんだから」
「……それもそうやな」

 単なる一時しのぎに過ぎないかもしれなかったが、「じきに見つかる」という言葉は、その瞬間の奈緒を安心させた。四日からは劇場の立ち入り禁止も解かれることになっている。一度にレッスンルームに入れる人数には制限がかかっていたし、施設内のどこにいようがマスクの着用が義務付けられているから、日常を取り戻せているとは到底言えなかった。それでも、奈緒はレッスンルームの鏡の前が恋しく思えた。たったの数日間離れていただけなのに。

 奈緒の視界の端に、二人の子どもの姿が見えた。澄んだ空気に乗って話し声が僅かに聞こえてくる。耳の中へ入り込んできた言葉に、奈緒は思わず目を見開いた。

「……お年玉」
「え?」
「……帰省せえへんかったから、今年のお年玉もらえへんやん!」
「あ、そう言われれば、そうだねぇ」

 ひなたの返事はのんびりとしていた。紬も、ジュリアも、きょとんとしている。胸の内に生じた焦りとは裏腹に、動揺しているのは奈緒一人で、それがまた奈緒にはもどかしかった。

「いいんじゃないか。あたし達、仕事してお金稼いでるんだし」
「そうですね。仕送りもしてもらっているのですから、お年玉はもらえなくても……」
「そうは言うてもな。もらえる内にもらっとかな。こういう機会に欲しいもの、あるんと違うか?」
「……待てよ。あのギター、もうしばらく待つつもりだったけど、もしかしたら……ああ、くそっ! 奈緒! なんてこった、悪魔の囁きだぜ……!」

 ジュリアが拳を握りしめてわなわなし始めた。ジュリアはもうこっち側やな、と、肩を抱いて奈緒は語りかけた。箸を伸ばして、タッパーに残った最後の一枚の餅を手繰り寄せる。「遠慮の塊」の概念が関東には存在しないらしいことを、奈緒はもう学習済みだった。

「奈緒さん、随分たくさん食べたねぇ」
「半分近く、お一人で召し上がったのでは……?」
「半分……?」
「お餅が余ってしまいそうだったから、助かったべさ」
「……そんなにたくさん食べて、大丈夫か?」
「あ……か、カロリーは年を越せへんから問題無い……って、もう年明けとるがな……あーー!!」

 奈緒の脳内が、お年玉の使い道から、カロリーの消費手段に上書きされた瞬間だった。


 終わり

以上になります。ここまで読んでくださってありがとうございます。
突発的に考えた話だったので以前のものとの繋がりは特に持たせていません。(前の続き、早く書かないと……)

567プロダクションの活動は全くもって収まる気配がありませんね。
皆様ご安全に。

今の時期考えると上京組は大変なんだねぇ
乙です

>>2
木下ひなた(14) Vo/An
http://i.imgur.com/PtpcFlX.jpg
http://i.imgur.com/vAdN7Bb.png

>>3
ジュリア(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/02WjX7S.png
http://i.imgur.com/uESGovb.jpg

>>4
白石紬(17) Fa
http://i.imgur.com/G09quRI.png
http://i.imgur.com/yzp34pR.png

>>5
横山奈緒(17) Da/Pr
http://i.imgur.com/HaHGdPr.png
http://i.imgur.com/TLNjmYo.png


遠慮のかたまりって関東にはないん?

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