だいたいなんでも解決してくれる杏ちゃん小品集 (123)
モバマスSSです。
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~高垣楓編~
――事務所内の一室
楓(……少し、時間が空いちゃいましたね)
楓「こんなときは……ふふっ」
楓(窓、カーテン、テーブル、椅子……)キョロキョロ
楓(ドア、ドア……扉、戸……蛍光灯……明かり……)
楓(…………)
楓(…………?)
楓(おかしいですね、こんなはずは……)
楓(落ち着いて、落ち着くのよ楓。ダジャレを言うのは誰じゃ。――よし)
楓「ふぅ……」
楓(…………)
楓(……お、思いつかない!?)
*
――通路
杏「あー疲れた。早く帰ってダラダラしよっと」トコトコ
楓「杏ちゃん!」ドン!バキャア!
杏「うわあ! か、楓……さん?」
楓「私にはなにもない!!」
杏「なんなの!?」
楓「……驚かせてしまってすみません」
杏「いや、それより壁に穴あいてるけど、そんなパワーキャラだっけ?」
楓「壁なんかどうでもいいんです、聞いてください」
杏「う、うん……なに?」
楓「……ダジャレが」
杏「……が?」
楓「ダジャレが思い浮かばないんです!」
杏「予想通りにくだらない」
楓「くだらないとはなんです、私からダジャレを取ったらなにが残るんですか!」
杏「いや、大部分残るでしょ。むしろ楓さんはヘタに喋らない方がいいと思うよ」
楓「私は――人形じゃない……!」
杏「すぐ影響を受ける」
楓「そんなことより、どうしましょう。私は、どうしたら……?」
杏「てか、なんで杏に訊くの? そんなん杏にはどうしようもないよ」
楓「その……世間では、なにかあっても、『どうせいざとなれば無敵の杏ちゃんがなんとかしてくれるだろう』と評判で」
杏「やめてよ! そういう風潮ぜったい嫌だからね!!」
楓「冗談です」
杏「実は絶好調じゃない?」
ちひろ「――あら、楓さんに杏ちゃん」
楓「!」ビクッ
杏「あ、ちひろさん」
ちひろ「……その壁は」
楓「杏ちゃんが壊しました!」
杏「マジかこの人」
楓「すみません、これ杏ちゃんがやったことにしてください」ヒソヒソ
杏「ええ? なんでさ、やだよ……」
楓「私、最近色々とやらかしてて、次やったら禁酒させられるんです」ヒソヒソ
杏「でも杏だって怒られたくないし」
楓「お金ならいくらでも積みます」ヒソヒソ
杏「そういうのやめようよ」
楓「だいじょうぶです、私こう見えてもお金はけっこうあるんです」ヒソヒソ
杏「いや、あるように見えてるよ。楓さんクラスが貧乏だったらこの仕事、夢も希望もないよ」
楓「じゃあ飴を。トラック1台分、トラックごと進呈します」ヒソヒソ
杏「迷惑だって」
ちひろ「なにをコソコソと――」
杏「あー、えっと……」
楓「お願いします」ボソッ
杏「あ、あのさ……杏、ちょっと勢いあまって壁に穴あけちゃって……ごめんね」
ちひろ「杏ちゃんにそんな力あるわけないでしょう。楓さんですね?」
杏「ですよね」
ちひろ「素直に謝れば穏便に済ませてもよかったんですが、ひとに罪をなすりつけるとは、さすがに許せませんね」
楓「そんなの後出しだから言えることですよ。最初から正直に言っても怒られましたよ、ぜったい」
杏「立場をわきまえよう」
楓「ご慈悲を!」
ちひろ「いーえ、今度という今度は――」
杏「……そいえば楓さん、手は平気なの?」
楓「手? あ、ハイ。なんともないです」
杏「そっか」
ちひろ「手が、どうかしたんですか?」
杏「いや、これ楓さんが壁ドンで穴あけたんだけど、楓さんもそんな武闘派じゃないでしょ? だったらもしかして、壁のほうに問題があるんじゃないかなって」
ちひろ「……壁に?」
*
――翌日
杏「白アリかぁ」
楓「はい♪」
杏「で、おとがめなしになったわけね」
楓「私のおかげで早く発見できて被害が少なかったですからね♪」
杏「怪我の功名でしょ。いい歳した大人がはしゃがないの」
楓「そのセリフ、ナナちゃんの前でも言えるんですか?」
杏「菜々ちゃんを巻き込まない」
楓「もちろん杏ちゃんのおかげでもありますから、お礼にトラック1台分の現ナマを進呈します」
杏「そういうのやめてってば」
楓「お金はおっかねー、ですからね♪」
杏「…………」
楓「?」
杏(――あ、自分で気付いてない)
杏「なんか、杏が言うのもなんだけど……楓さんてけっこうダメ人間だよね、意外と」
楓「…………ふふっ」
杏「なんで嬉しそうにしてんのさ」
<高垣楓編、終わり>
~鷺沢文香編~
――事務所内の一室
『ガチャ』
文香「……たしか、この部屋のはずですが」キョロキョロ
文香「少し、早すぎましたか」ストン
文香「待たせていただきましょう……」ゴソゴソ
文香「…………」ペラッ
文香「…………」ペラッ
文香「…………」ペラッ
『ガチャ』
杏「あー、疲れた」トコトコ
文香「…………」ペラッ
杏「うーん、軽く寝てから帰ろっかな……」ボフッ
文香「…………」ペラッ
杏「よっと」ゴロン
文香「…………!」ハッ
杏「……zzzzz」スヤァ
文香「杏さん」
杏「うわあ! えっ、文香? いつからいた?」
文香「……1時間ほど前、ですね」
杏「ええ……ぜんぜん気づかなかった……忍者みたい」
あやめ「いま忍者の――」ガラッ
杏「してない」ピシャン!
杏「……『ガラッ』?」
杏「…………」ガチャ
杏「…………」バタン
杏「……まあいっか」
文香「あの……」
杏「あっ、ごめんごめん、声かけられてたんだっけ」
文香「相談したいことがありまして……」
杏「……杏に? なに?」
文香「実は最近、ある小説の評判を聞きまして、興味をそそられ、ぜひとも読んでみたいと思ったのですが……なにぶん古い作品なので、遥か昔に絶版になっており」
杏「ふむふむ?」
文香「叔父の店にもそれは置いておらず、他の古書店もいくつか巡ってみたのですが、やはり見つからずに……」
杏「あのさ、なんでそれを杏に相談しようと思ったの?」
文香「『困ったことがあれば杏さんに言えばなんとかしてくれる』、と」
杏「やめてよ! 誰だそれ言ったの!」
文香「高垣かえ――いえすみません。口止めされてまして」
杏「まるで隠す気ないよね。まあ予想通りだけどさ」
文香「お知恵を、貸してはいただけないでしょうか?」
杏「そう言われても……ブックオフオンラインとかヤフオクにはなかった?」
文香「……?」
杏「あー……スマホはあるよね? 検索するといいよ」
文香「け、検索」プルプル……ポチッ
杏(やっぱり使い慣れてないかー)
文香「…………」プルプル……ポチ
杏「…………」
文香「…………」プルプル……ポチ
杏(遅い!)
文香「あ、ありました! ブックオフに!」
杏「まって! なんで3タップで商品にたどり着いてんの!?」
文香「しかし……在庫はあるようですが、これは」
杏「どうかした?」
文香「……19800円、ですか」
杏「たっか! え、小説でしょ? そんなにするもん?」
文香「希少本であれば、そのようなこともありますが……」
杏「プレミアついてるってことね。さすがに本1冊にその値段は出したくないなー」
文香「…………それでも」プルプル
杏「あ、ストップ。いちおう他のとこも見て――いや、杏が調べるから、ちょっと待ってて」
文香「お手数おかけします……」
杏「タイトルはなんていうの?」
文香「『一億年の孤独』です」
杏「ひどい話だな」
杏(ヤフオクには……ないか。メルカリにもなし。あとは、アマゾンが中古扱ってたかな?)
杏(あ、出品されてる――けど、2万円超えてら。うーん……ん?)
杏「……Kindle版あるじゃん」
文香「きんどる?」
杏「電子書籍だよ。値段、千円ちょっとだ」
文香「……電子」ピクッ
杏「スマホでも読めるから、これなら――」
文香「杏さん!!」
杏「な、なに?」ビクッ
文香「…………」
杏「…………」ドキドキ
文香「……頭が固いと、古臭いと言われるかもしれません。ですが私は、どうしても電子データというものに信頼が置けないのです。もちろんそれが紙の本に印刷されたものであれ、液晶画面に表示されたものであれ、たしかに文字として、情報としての価値は変わらないでしょう。しかし紙は少なくとも触れることができます。自ら手放さないかぎりは、いつまででも所有しておくことができます。しかし、データはどうでしょう? 形なきものは、いったい、いつまで存在し続けてくれるのでしょうか? ずっとずっと、それが永遠にあるものと信じて疑わず、何年にも渡って生活を切り詰めて、自由にできるお金の大半を費やし続けた果てに、突然のサービス終了と――」
杏「まって! 黙って!! 黙れ!!!」
文香「はっ! す、すみません……」
杏「途中から違う話だったよね! その手の話題はデリケートなんだから気を付けて!」
文香「……つまり私は、紙の本が好きなのです」
杏「最初からそれだけ言ってほしかったよ……じゃあ、19800円出す?」
文香「迷うところです。そもそも、その本が面白いかもわからないですから」
杏「まあ2万近く出してハズレは引きたくないよね。――あ、だったら」
文香「なんでしょう?」
杏「いや、試しにKindleで買って読んでみて、それから2万円出してもまだ欲しいって思ったら、本買えばいいんじゃないかなってさ」
*
――翌日
文香「素晴らしい作品でした!」
杏「もう読み終わったんだ、早いね。じゃあ本買うの?」
文香「すでにポチりました。明日には届く予定です」
杏「そっか、余計なお金使わせちゃったね」
文香「……いえ、誤差のようなものですし、むしろ感謝しているぐらいです」
杏「なんで?」
文香「常日頃から滅べばいいのにと思っていた電子書籍に、試し読みという使い方があるとは、目から鱗でしたから」
杏「過激派こわい」
文香「……杏さん」
杏「うん?」
文香「素敵な物語を、ありがとうございました」
杏「えっと……どういたしまして?」
<鷺沢文香編、終わり>
※公式の文香さんは過激派ではありません。
~岡崎泰葉編~
「泰葉ちゃんおはよう」
泰葉「おはようございます、いつもお世話になってます」
「こないだの公演、大好評だったね」
泰葉「はい、自分でも、とてもいい舞台になったと思ってます」
「他の子たちもよかったけど、演技力はさすがに泰葉ちゃんが頭一つ抜けてたね」
泰葉「い、いえ……そんなことは……」
「あ、岡崎さん。公演観に行ったよ、すごくよかった」
泰葉「本当ですか? 嬉しいです」
「話も面白かったし、やっぱり岡崎さんがよかったね。『岡崎泰葉ここにあり』って感じで」
泰葉「そんな……私なんて、まだまだです」
「謙遜するね。でも見る人が見ればわかっちゃうよ。さすがは岡崎さんだ」
泰葉「ありがとうございます」
泰葉「…………」
――事務所内通路
泰葉(戻ってくるの遅くなっちゃったな。外、もう暗い)テクテク
泰葉「…………」
泰葉「……『さすが』、かぁ」
泰葉(評価されてる、褒めてもらってるってことはわかるけど)
泰葉(もっと違う言葉が欲しい、なんて思っちゃうのは、贅沢なのかな……?)
泰葉(……あれ? ここの部屋、ドアが開いてる)
泰葉(誰か、いるのかな)ソロソロ
杏「zzzzz」スヤァ
泰葉「ええ……?」
杏「むにゃむにゃ……」スヤスヤ
泰葉(…………どうしよう)
*****
ヨーコさんたちを見送った私に、三人組の女性が話しかけてきた。
三人はそれぞれ、ショーコ・ワカバ・ホタルと名乗った。オートマトンではない、だけど、人間ともなにかが違う。
「私たちは旧文明の忘れ形見。荒野で懸命に生きてきました」
代表するように、ワカバと名乗った女性が言った。
「旧文明?」と訊き返す。
「ヤスハさんはオートマトン……機械なんですよね?」
「はい」
「……触れてもいいですか?」
なぜか、他のふたりがびくりと身を震わせた。
「もちろん、構いませんが……」
ワカバさんの手のひらが、ぺたりと私の頬に当てられる。
ショーコさんとホタルさんが緊張したような面持ちで見守っていた。
「ああ、よかった」ワカバさんがほっと息をつく。 「もしもヤスハさんが人間だったら、いまので死んでいます」
それからワカバさんは、自分たちは戦時中に開発された人工生命体だと言った。
人間と、ワカバさんとホタルさんは毒性のある植物、ショーコさんは毒キノコを掛け合わせた、触れるだけで人の命を奪うことができる生物兵器だと。
ある施設で研究が進められていたが、実用化される前に戦争が激化し、施設ごと打ち捨てられた。気が付けば地上は焦土と化し、人間たちは地下に逃れていた。
施設を抜け出した彼女たちは有害物質に耐性があり、地上でも生き延びることができて、ずっと、あてもなくさまよっていたらしい。
「カラカラの、毒に染まった大地……フゥ、毒キノコにとっても厳しかった……」
ショーコさんがつぶやいた。
「……事情はわかりましたが、それであなたたちは、私になにを?」
「地上を蘇らせるんですよね?」とホタルさんが言った。
「……はい」
「それなら、私たちにお手伝いをさせてください」
ここの土壌は汚染が強すぎて、植物の生育は難しいだろう。種の数には限りがあるから、まずは少しでも汚染の少ない土地を探さなければならない。
「汚染レベルは以前より下がっているんですね?」
ワカバさんが言った。
「はい、ヨーコさんが以前調査したときよりは、ほんのわずかにですが」
「では放っておいてもある程度の改善は進んでいると。……ショーコちゃん、よさそうなところ、わかりませんか?」
「フヒ……だったら、こっち……」
ショーコさんに続いて歩き出す。どこまで行っても景色は変わらない、見渡す限りの荒野が続いていた。
「このあたりとか……どうだろう?」
案内されたところの土の成分を計測してみる。
「汚染が少ない……どうして?」
「こ、このあたりは……菌類の活動が活発なんだ……自然のサイクルが早いから、回復が進んでる……」
開墾のための道具と雨水を貯める容器を作り、土を耕して種を植える。それを繰り返して日々を送る。
オートマトンの私とは違い、彼女たちにはかなりの重労働だろうに、三人とも献身的と言っていいぐらい熱心に手伝ってくれた。
「どうして、私を手伝ってくれるんですか?」
ふと思い立って訊ねてみる。
「私たちは呪われてるんです」
作業中のホタルさんが、私に背を向けたまま言った。
「人を殺すために生み出されて、それすらもできないうちに捨てられました。じゃあ私たちは……私は、なんのためにこの世に生まれたんでしょうね?」
返す言葉が見つからず、私は沈黙してしまった。
「ずっとずっと、なんで私は生まれたんだろう、なんで私はまだ生きているんだろうって思いながら、生き延びてきました。そして、ヤスハさんたちを見つけました。人間は地上では生きられませんから……こんな体に生まれたからこそ、私たちはヤスハさんのお手伝いができるんですよ」
だから、と言って、ホタルさんが振り返り、ひかえめにほほ笑んだ。
「どうか、私たちが生きたことに、意味を与えてください」
あるとき、ヘレンと名乗る女性が通りがかった。私やヨーコさんたちに続いて、地下から地上にやってきたらしい。
彼女は私たちが作業する様子を興味深げに眺めていた。
部分的な機械化もされていない、完全な生身の人間だ。長いことここにいたら、病にかかってしまうだろう。
「地下に戻ってください」と私は言った。
だけど、彼女は微笑をたたえたまま首を横に振り、
「地上はゴールではなかった。それだけのことよ」
そう言い残して、ひとり、悠然と歩き去っていった。それ以来、彼女の姿を見ることはなかった。
それから何日か経ったが、植えられた種は一向に発芽する気配がなかった。やはり、これでもまだ汚染が強すぎるのかもしれない。
「……なかなか、うまくいきませんね」ワカバさんがつぶやく。「ショーコちゃん、ここはひとつ」
「フヒ……わ、わかった」
なにをするつもりなのか、と私が訊ねるよりも早く、ショーコさんが息を吸い込み、
「ヒャッハァ!!! お前らァ! もっと気合い入れろォオオオ!!!」
大きな声で叫んだ。
「……どうです?」
あぜんとする私に、ワカバさんが話しかけてくる。
「どうとは……え? 汚染レベルが、下がってる……?」
「よかった、菌類が活性化したんです」
「なぜ?」
「さあ?」
次の日、初めて植物の芽が地上に顔を出した。三人は、私といっしょになって大喜びしてくれた。
だけど、地上の汚染には耐えられても、彼女たちは生物だ。私と違って、寿命がある。
長い時が流れ、ひとり、またひとりと、この世を去っていった。そして最後のひとりも。
「最後まで、手伝ってあげられなくて、ごめんね」
衰弱した、かすれた声でホタルさんがつぶやく。
「ごめんなんて言わないでください。みんながいてくれて、私はすごく助かったんですよ。とってもとっても、嬉しかったよ」
「……うん」
ホタルさんは弱々しく、だけど輝くような笑顔を見せて、それから、二度と動かなくなった。
そして私はひとりになった。長い年月、ひとりで種をまき続けた。
地下に戻ったみんなも、もう生きてはいないだろう。
だけど、私は孤独じゃない。 私には記憶がある。だいじなだいじな、みんなとの、ヨーコさんとの思い出が。
壊れていた私を起こしてくれたこと。“ヤスハ”という名前をくれたこと。いっしょに地上を目指したこと。その頬に触れて、あたたかいと思ったこと。何度も何度も、名前を呼んでくれたこと。
それだけで私は生きていける。気が遠くなるほどの時を、更に何千年でも。
ある時期から、気が付けば時間だけが経過していることがあった。
なにか回路に異常が発生しているのだろう。構造は把握していても、自分ではあまり本格的なメンテナンスはできない。むしろ、よくここまでもったものだと思う。
片方の腕が取れてしまった。
どれだけ注意を払っていても、ボディは少しずつ痛んでゆく。腕でよかった。脚を失うよりは、いくらか不便が少ない。
動くと、体の内部からきしむような音がした。ゆっくりと気を付けて、今日もたくさん種をまこう。
約束、したもの。
その日の空は晴れ渡っていた。
以前のような、赤い砂塵に曇った空ではなく、透き通るような一面の青空だ。
私は大きな木に背中を預けて座り込んでいた。
意識が途切れる頻度は日を追うごとに高くなり、目覚めるまでの時間も長くなっていった。
今となっては、意識を保っている時間のほうが遥かに少ない。
生い茂る緑の葉っぱの隙間から、陽光が降り注いでいた。
あたたかいな、と思った。
どこからか小鳥が飛んできて、私の頭や肩にとまった。
体が動かない。耳も、聞こえてはいないようだ。
きっと、私はここまでなんだろう。
だけど、もう私がいなくなってもだいじょうぶ。
だってここは、地上はもうこんなに――
ヨーコさん、
お花、いっぱい咲いたよ。
*****
――事務所内の一室
泰葉「――ちゃん、杏ちゃん、起きてください」
杏「んぁ……あー、ヤスハだ……」
泰葉「もう日が暮れてますよ。事務所に泊まる気ですか?」
杏「そんな社畜みたいなマネしたくない……」
泰葉「じゃあ帰りましょうよ、ほら起きて」
杏「ふわあ……むっちゃ長い夢見てた……」
泰葉「続きは家で見てください。タクシー呼びますね」
杏「んー、その前に、ちょっとこっちきて」
泰葉「? なんですか?」
杏「えい」ギュッ
泰葉「!?!?」
杏「……がんばったね」ギュー
泰葉「な、なんですか! いきなり!」バッ
杏「や、なんとなくそんな気分で」
泰葉「……タクシー呼んできますから、荷物整えといてくださいね」ガチャ
『バタン』
杏「ここで呼べばいいのに」
杏「うーん……? 杏、ちょっと寝ボケてたかな」
杏「……まあいっか、泰葉、なんか嬉しそうだったし」
<岡崎泰葉編、終わり>
~鷹富士茄子編~
杏(あー、学校疲れた)
杏(今日はレッスンもないし、さっさと帰ってダラダラしよっと)トコトコ
杏「…………」トコトコ
杏「…………?」トコトコ
杏(なんだろ……? 今日、ぜんぜん信号につかまんないな……)トコトコ
茄子「杏ちゃん!」バッ
杏「そういうことかよ」
茄子「偶然ですね♪ ちょうど杏ちゃんに会いたかったんですよ~」
杏「嫌だなあ……」
茄子「そんなこと言わないで!」
杏「いちおう聞いとくけど、杏になにか用?」
茄子「はい、実は……ご相談がありまして」
杏「またなの? こんどはなにさ」
茄子「『デレぽ』、あるじゃないですか」
杏「うん、あるね。……そいえば最近見てないな、BOTどうなってんだろ?」
茄子「朝のあいさつのやつですね、元気に稼働中ですよ」
杏「マジか。邪魔かもしれないし、そろそろ止めてもらった方がいいかな?」
茄子「そのままでいいんじゃないですか? もうみんな日付変更線みたいに思ってますよ」
杏「日付変更線」
杏「……まあいいか。それで、デレぽがどうかした?」
茄子「デレぽでほたるちゃんが投稿するじゃないですか」
杏「うん」
茄子「それに私がコメントをつけますね」
杏「……うん」
茄子「返信がこないんです!!」
杏「だからなんだってんだ!」
茄子「不安になるじゃないですか! 実は嫌われてるんじゃないかって!」
杏「茄子、そんなネガティブ人間だったっけ?」
茄子「『アイツちょっと愛想よくしたら勘違いしちゃってマジうぜー』とか思われてたら……」
杏「それはもはやほたるちゃんじゃないよ」
杏「ていうかね、なんでそれを杏に相談するの?」
茄子「『杏さんは頼りになりますから』って」
杏「マイルドな言い方なら許されると思うなよ。それ言ったの誰?」
茄子「ふみ――コホン、いえ、名前は伏せますが……」
杏「うちの事務所に『ふみ』から始まるのはひとりしかいないんだよ。なにも伏せられてないよ」
茄子「そこは置いといて。杏ちゃんは、どう思いますか?」
杏「どうもこうも、茄子の考えすぎだよ。女子中学生か」
茄子「ほたるちゃんは私のこと嫌っていないと?」
杏「うん」
茄子「むしろ大好きだと?」
杏「そこまでは言ってない」
茄子「では、なぜ返事をくれないんでしょう?」
杏「さあ……それは杏には……」
『ピローン』
茄子「!! いま、ほたるちゃんが投稿しました!」
杏「なんだその通知」
茄子「…………なんてこと!」ポチポチ
杏「なに? ほたるちゃんどうかした?」
茄子「飴の袋を開けたら中身が吹っ飛んでドブにホールインワンしたそうです」
杏「通常営業だよね、言っちゃ悪いけど」
茄子「ちょうどいいです。私がコメントをつけてみますね」
杏「メンタル弱いのか強いのかはっきりして」
茄子「『飴だったらお姉さんが山ほど買ってあげますよ』、と」ポチポチ
杏「それ誘拐犯か烈海王のセリフだよ」
茄子「よし、送信!」ポチッ
杏「杏、もう帰っていい?」
茄子「…………」
杏「…………」
茄子「…………」
杏「…………?」
茄子「返事がきません!」
杏「気が短い」
杏「ほたるちゃんもそんな四六時中スマホいじってないでしょ、女子中学生じゃないんだから」
茄子「女子中学生ですよ」
杏「女子中学生だったね」
茄子「まあたしかに、うちのアイドルってあまり学生感のない学生が多いですよね」
杏「うん、杏なんかたまに自分が女子高生であることも忘れるよ」
茄子「――――!」ハッ
杏「なんだその反応。言っとくけど杏いま制服姿だよ、学校帰りなんだから」
茄子「学校……行ってるんですか」
杏「いちおうね。めんどうくさいけど」
茄子「ナナちゃんはどうなんでしょうね?」
杏「なんでみんなすぐ菜々ちゃんに振るの?」
茄子「それよりも、返事がきません……」
杏「ほたるちゃんのことだし、なんかあってスマホ見れない状況だったりするんじゃない?」
茄子「たとえば?」
杏「百でも二百でも思いつくよ。スマホ落として割っちゃったとか」
茄子「お姉さんがスマホを買ってあげる……」
杏「やめなよ、あまり高価なものもらうと本格的に怖いから」
茄子「予備を含めて、トラック一台分ぐらい」
杏「落ち着いて。てか、その単位流行ってるのか」
茄子「ほたるちゃん……どうして……」グスグス
杏「情緒不安定すぎる……ん? 茄子、スマホ見せて」
茄子「え、はいどうぞ」スッ
杏「ほたるちゃん、写真付きで投稿したんだね」
茄子「はい、飴をドブに落としてもほたるちゃんはかわいいです」
杏「それは褒めてるつもりなの?」
茄子「それで、写真がどうかしたんですか?」
杏「んー……」
杏(やっぱり、背景に見覚えある。ほたるちゃんは徒歩だよね。時速4~5キロとして……)
杏「タクシー乗ろう」
茄子「へ? はい」サッ
タクシー「ハァイ」キキッ
杏「ノータイムで捕まえるな」
『ブロロロロ……』
杏「〇×神社の、ふたつ先の通りを右曲がったとこまで」
タクシー「ヘェイ」
茄子「??」
『キキッ』
杏「よし、たぶんぴったり、降りて降りて」
茄子「杏ちゃん? ここは?」
杏「めんどうくさいから、本人に直接訊いてよ」
茄子「本人?」
ほたる「あ、茄子さん……?」
茄子「!! ほたるちゃん……」
杏「あ、車出しちゃって。ウチまでね」
タクシー「ヘェイ」ブロロロロ……
杏「なんで『ウチ』でわかるんだ」
*
――翌日
ほたる「杏さんおはようございます。昨日は、ありがとうございました」
杏「あ、ほたるちゃんおはよ。あれ、結局どういうことだったの?」
ほたる「その、茄子さんにはいつもお世話になっているので、デレぽのことも含めて、できれば直接会ってお礼を言いたかったんですが……」
杏「……だけど運悪くスケジュールが噛み合わず、すれ違い続けて、機会がぜんぜんなかったってところかな?」
ほたる「はい……。それで昨日、茄子さんから、杏さんが連れてきてくれたと聞きまして」
杏「いいよべつに。正直、相手するの面倒で押し付けただけだし」
ほたる「それでも……お礼代わりといってはなんですが、もしよろしければこれを……」
杏「うん、なんとなく想像はつくけど、なにその大量の飴」
ほたる「茄子さんに買っていただきました」
杏「だろうと思ったよ」
ほたる「トラック1台分」
杏「バカじゃないの」
<鷹富士茄子編、終わり>
~宮本フレデリカ編~
――事務所内の一室。
杏(あー疲れた……ちょっとソファで昼寝でもして――)ボフッ
杏(……いや、もたもたしてるとまた面倒なのが来そうな気がする)
杏「今日はさっさと帰ろう。誰も杏を止められやしない」
フレデリカ「そうは問屋がフレデリカ!」バァン!
杏「ああ、もう……」
フレデリカ「わお! 杏ちゃん奇遇だね、運命の出会いだね!」
杏「明らかに狙いすましてきたよね?」
フレデリカ「細かいことは気にしなーい♪ ほら、考えるな感じろって美城専務も言ってたし?」
杏「それを言ったのはブルース・リーだし、ブルース・リーの言葉でも聞けることと聞けないことがあるんだよ」
フレデリカ「フレちゃんねー、杏ちゃんにお願いがあるんだー」
杏「知ってるよ。いいかげん、この負の連鎖みたいなのやめよう」
フレデリカ「負の連鎖?」
杏「こんどは誰から? 順番的に茄子?」
茄子「ナスじゃなくてカコですよ!」バァン!
杏「そう言ったよ!!」
フレデリカ「あ、カコさんなんか久しぶり~」
茄子「あらフレデリカちゃん、お久しぶりです♪」
杏「ん?」
茄子「少しお話していきたいけど、私このあとレッスンなんです。ごめんなさいね~」
フレデリカ「ざんねーん、レッスンがんばってねー」
『バタン』
杏「……あのひと、なにしに来たんだ?」
フレデリカ「自己紹介かな?」
フレデリカ「そうそう、それで杏ちゃんにお願いなんだけどー」
杏「もう聞くだけ聞くよ、なに?」
フレデリカ「課題を手伝って!」
杏「いっそ清々しいね……課題って、フレデリカの学校の?」
フレデリカ「そだよー、ドレス1着作らなきゃいけないんだ」
杏「いつまで?」
フレデリカ「あした」
杏「進捗具合は?」
フレデリカ「デザインはできてるねー」
杏「……だけ?」
フレデリカ「生地も買ってあるかなー?」
杏「それ世間じゃ手を付けてないって言うんだよ」
フレデリカ「最近忙しかったんだよねー、ライブがあったから」
杏「それは仕方ないけど……そっち系だったら杏より他の人に頼んだほうがいいんじゃない? きらりとか心さんとか」
フレデリカ「鈴帆ちゃんとか?」
杏「そこはちょっと違くないかな」
フレデリカ「でも、杏ちゃんがいいんだよねー」
杏「なんでさ」
フレデリカ「杏ちゃんはお洋服、どうやって作るかわかるよね?」
杏「んー……まあ、だいたいは」
フレデリカ「実はフレちゃん、パターン引くのがすっごい苦手なのだ……」ショボン
杏「……あー、たしかに苦手そう」
フレデリカ「パターンとは型紙とも言って、紙にお洋服の各パーツごとの輪郭になる線を実物大に書いたものだね。お洋服の設計図みたいなもので、とってもだいじなんだよ~。これを生地にあててを裁断したりするんだ。動詞が『引く』なのは、パターンを作るときの実際の動作が、主に『線を引く』になるからだね」
杏「誰に説明してんの?」
フレデリカ「杏ちゃんの前にはぁとさんにも聞いてみたんだけど、はぁとさんは市販の型紙を買ってアレンジとかしてるみたいで、『自分でイチから引くなんてむぅーりぃ~』だって」
杏「ホントにその口調だった?」
フレデリカ「きらりちゃんはー、『お手伝いしたいけど、これからお仕事で時間ないにぃ……』って言って」
杏「あー、なんか流れがわかった」
フレデリカ「『パターンなら、きらりより杏ちゃんのほうが上手だよぉ☆』って」
杏「余計なことを……」
フレデリカ「上手なんだ? っていうか、やったことあるんだねー」
杏「前にきらりと、自分らの衣装手作りしたときにね。ほとんどはきらりが作ったんだけど」
フレデリカ「だったら、ぜひともその手腕を!」
杏「うーん……そういえば、フレデリカの相方は?」
フレデリカ「相方? レイジーレイジーのクレイジーなほう?」
杏「どっちもだよ、それは」
フレデリカ「シキちゃんにはお願いしてないねー」
杏「なんで?」
フレデリカ「……あのねー、アタシいつもシキちゃんに頼ってばかりだから」
杏「……だから?」
フレデリカ「お仕事じゃないときぐらいは、シキちゃんの手を借りずにやりたいなあ、って」
杏「それで他の人を頼ってちゃ世話ないよ」
フレデリカ「ねー♪」
杏「格好つけたいんだ?」
フレデリカ「そうかも」
杏「……しょうがないな。いいよ、手伝ってあげる」
フレデリカ「ちょろい!」
杏「怒るよ」
杏「でもパターンかぁ、でっかい机ないとやりづらいんだよね、アレ」
フレデリカ「安心しるぶぷれ。そう思って、会議室借りておいたよ」
杏「順番おかしくない? わざわざ場所取っておいて杏に断られたらどうすんのさ」
フレデリカ「おかしくないよー」
杏「そう?」
フレデリカ「ここ会議室はいっぱいあるからねー、部屋がぜんぶ埋まっちゃって会議ができないなんてことにはなったことないみたいだし、もし断られちゃって予約した部屋使わなくても、それで困っちゃうひとは出ないよね。だったら先に場所おさえておいて、杏ちゃんを説得する材料に使った方がいいよね。フレちゃんあったまいー♪」
杏「ちょっと感心したけど、それ杏に言っちゃだめでしょ」
フレデリカ「杏ちゃんならお見通しかもしれないから、自分から言っちゃったほうがいいんだよー」
杏「そこまでなんでもかんでも見通しちゃいないよ」
*
――会議室
杏「この机なら十分かな。えっと、デザイン画? 見せてよ」
フレデリカ「はーい」サッ
杏「へえ、これは……」
杏(……絵は上手い――んだろうけど)
杏(画風が独特すぎて、構造がよくわからない)
フレデリカ「どう?」
杏「うん、いいと思うけど……ここの赤いのって、隣の黒いとこと縫い合わさってるの? 上から被さってるだけ?」
フレデリカ「…………どうなんだろ?」
杏「やっぱりこのタイプか」
フレデリカ「できそう?」
杏「ちょっと待ってね……」
杏(この手の感覚派は、ろくに構造も考えないで筆を走らせるけど、なぜかきっちり成立していることが多い。だからきっと『正解』はあるはずなんだよね。ここはたぶん……縫ってはいない、折り返して裏側を見せてるのかな? それで下の生地の切り替え線を隠して……。ウエストの切り替えは前より背中側のほうが位置が高い。後ろ方向にボリュームをもたせようとしてるのか。ドレープが多い、円形でも足りない。円周半分の円形パターンをふたつ作って接ぐとちょうどいいか……)
杏「――うん、たぶんわかった」
フレデリカ「すごい! フレちゃんぜんぜんわかんない!」
杏「これ、着るのはフレデリカ?」
フレデリカ「だよー」
杏「じゃあ、先に採寸しよう」
フレデリカ「83-57-85だよ?」
杏「縦も要るんだよ。後ろ天からバストラインまでとか、バストラインからウエストラインまでの長さとかね」
フレデリカ「……覚えてない!」
杏「まあ、それ覚えてるひといないと思うよ」
杏「……うん、採寸はおっけーね。パターン用紙とシャーペン出して、あと定規」
フレデリカ「はい!」
杏「…………」シャッシャッ
フレデリカ「アタシは今できることないから応援してるね! フレフレデリカ~」
杏「気が散る」シャッシャッ
杏「これ、もう切っちゃって」ピラッ
フレデリカ「手早ーい」
杏「生地も持ってきてんでしょ、できたとこから裁断しときなよ」
フレデリカ「シーチングもあるけど?」
杏「必要ないよ」
フレデリカ「シーチングとは仮縫い用の安価な布のことで、ちゃんとした手順だとパターンができたらこれで裁断して、ざっくり縫ったりマチ針で止めたりして仮の完成形を作るんだよー。フツーはこれで出来を確認してパターンを微修正したりするんだけど、杏ちゃんは修正箇所なんて出ないからこの工程を省略していいって言ってるんだね、すごい自信だね!」
杏「だから誰に説明してんの」
フレデリカ「…………」チョキチョキ
杏「…………」シャッシャッ
フレデリカ「…………」チョキチョキ
杏「…………」シャッシャッ
フレデリカ「……喋ってもいい?」チョキチョキ
杏「ん、ヘーキだけど」シャッシャッ
フレデリカ「杏ちゃんは、なんで手伝ってくれるの?」
杏「自分で頼んでおいて」
フレデリカ「そうだけどー、断られちゃっても仕方ないなって思ってたから。困ってるのはアタシのジゴージトク? だし」
杏「……そうだね」
フレデリカ「どうして?」
杏「フレデリカ、学校あんまり行ってないんでしょ」
フレデリカ「……うん」
杏「辞めるつもりは?」
フレデリカ「ないかな。考えたことはあるけどね~」
杏「そっか」
フレデリカ「アタシねー、自分のブランドを持つのが夢なんだー」
杏「へえ」
フレデリカ「もちろんアイドルも楽しいし、こっちもやめるつもりはないよー。欲張りデリカ?」
杏「別にいいと思うよ。夢なんて、いっぱいあっていいでしょ」
フレデリカ「でもアタシあんまり器用じゃないから、両方しっかりはできてないんだよね。休んでばっかりだし」
杏「それでもね、いいと思うよ」
フレデリカ「そうかなー?」
杏「さっきの答えね。杏にはそういうのないから、そういうひとは、ちょっとだけ応援したいって思うんだよ」
フレデリカ「印税生活はー?」
杏「ああ、そうだね。それがあった」
フレデリカ「がんばらない生活のためにがんばろ~!」
杏「本末転倒ってやつだよね」
杏「はい、パターンぜんぶできたよ」
フレデリカ「ありがとー♪ あとはうちで作業するね」
杏「こんだけ複雑な造りだと縫製も大変だよね、間に合う?」
フレデリカ「せっかく手伝ってもらったんだし、間に合わせないわけにはいかないよねー」
杏「そんなん気にしないでいいけど、まあ、がんばってね」
*
――翌日
『ピロン』
杏(ん、フレデリカから……)
杏(……おー、いい出来じゃん)
杏(隈できてやんの)クスッ
『ガチャ』
志希「……グンモーニン、杏ちゃん」ムスッ
杏「あ、おはよ……」
杏(なんだろ、なんか機嫌悪そう?)
志希「杏ちゃん」ムスー
杏「な、なに?」
志希「…………」
杏「…………」ドキドキ
志希「あたしはどうやら、女だったらしいよ……」
杏「今までなんだと思ってたの?」
志希「とゆーわけで、えいえい!」ベチベチ
杏「いた――くもないけど、なに? なんで?」
志希「これでよし」フゥ
杏「だからなにが!」
志希「男女の心理差の例でね、コイビトの浮気が発覚したときに、男は自分のコイビトに、女は浮気の相手に怒りを向ける傾向があるんだって」
杏「うん?」
志希「もう気は済んだから、じゃーねー」フリフリ
杏「ええ? ちょっと……」
『バタン』
杏「……女って面倒くさい」
<宮本フレデリカ編、終わり>
~村上巴編~
巴はガチャリと音を立ててその部屋に入った。どこからか微かに、すうすうと寝息らしきものが聴こえる。
奥に足を進めると、音の発生源がソファに横たわっている姿が目に映った。
「寝とるんか……」
声が届いたのか、それとも気配を察知したのか、ううんと声を上げて杏が薄く目を開く。
「……いま、何時?」
寝惚けたような声で、杏が訊ねる。
「午後の五時じゃ」
「もうそんな時間か……」
杏が体を起こし、大きく伸びをする。
「邪魔してもうたか」
「いや、もう十分寝たから……ていうか、巴はなんでここに?」
「ちいとばかり話――いや、頼みがあっての」
杏がうんざりしたように溜息をつく。
「またか、今度は誰の差し金?」
「……告げ口は好かん」
「じゃあ質問を変えるよ、何デリカの差し金?」
「わかっとるんじゃないか」
「いや、わかってはなかったよ」
杏が含み笑いを漏らす。
巴は意味がわからず眉を寄せた。それから一瞬遅れて、鎌を掛けられたのだと気付き、小さく舌打ちをした。
「意地が悪いのう」
「ごめんごめん。で、頼みってなに? 聞くだけは聞くよ」
「うむ、まあ頼みというか、まずその前に質問なんじゃが」
巴はバッグから将棋盤と駒を取り出して見せた。
「指せる人かの?」
*
巴は将棋を趣味としている。それは父親の影響だった。
任侠団体と将棋は古来より関わりが深い、というのが関係しているかは知らないが、巴の父親は大の将棋好きで、アマチュアとしてはそれなりの指し手でもあった。あるとき彼は、戯れにまだ幼い娘に駒の動かし方を教えた。
女児である。もし興味を持たないようなら仕方ない――と、ものは試し程度のつもりだったが、意外にも巴はこれに夢中になった。
彼は喜んで将棋の手ほどきをし、娘からせがまれれば無理をしてでも時間を作って相手をした。
家に出入りする若い衆たちも多くは将棋の心得があり、巴が相手に不自由することはなかった。
そうして、巴はぐんぐんと棋力を高めていった。小中学校にも将棋を嗜む同級生はいたが、到底巴の相手になるものではなかった。
父親には何百回負けたかわからない。しかし何年もかけて挑み続けるうちに、やがてハンデが大駒落ちから飛車落ちに、飛車落ちから角落ちに、そして香落ちになり、ついには平手でも勝負になるようになった。
東京へやってきてアイドルになり、新しい知人たちが増えて、巴がまず考えたことは、将棋を指せる奴はいるだろうか、ということだった。
同僚アイドル、事務所の職員、そして自分の担当プロデューサーと、指せるものはそれなりにいた。巴は喜び勇んで対局を申し込み、その全員に土をつけた。
勝つことはもちろん嬉しい。しかし同時に、「こんなものか」と残念に思う気持ちもあった。
将棋というゲームは、ある程度以上の実力差があれば、百戦して百回とも強い方が勝つように出来ている。やはり、それなりに実力が伯仲している者同士でないと面白いものではない。親元を離れてみると、身近に巴と戦える者はいなくなっていた。
最近はネット将棋というものも始めた。
これは回数をこなしていくうちに、同じくらいの力量の者同士が当たる仕組みになっている。ネット上では沢山の強者がひしめき合っていて、ここでは巴も勝ったり負けたりの勝負を楽しめていた。
しかし、顔も名前も知らない相手では、なかなか戦っているという実感が湧かない。できれば面と向かって、盤を挟んで指し合いたいというのが本音のところだ。
そんなある日、同僚アイドルの宮本フレデリカが、「杏ちゃんに課題手伝ってもらっちゃった~」と言いふらしている姿を目にした。
双葉杏。ニート系アイドルという奇妙な触れ込みで人気を博している一方で、近頃は同僚アイドルたちから持ち掛けられる悩み事を片っ端から解決してるという噂もある。
自他ともに認める怠け者と名高く、巴自身も彼女が事務所で昼寝に励んでいる姿は度々目撃していたが、杏とて常に眠っているわけではない。聞くところによると、ゲームをしたり漫画を読んだりアニメを観たりと、娯楽にはむしろ積極的な方であるらしい。ならば、将棋の心得もあるかもしれないと巴は思った。
若い女性で将棋を嗜む者なんて、そうはいない。しかし、もし指せるのであれば、おそらく相当に強いだろうという印象が彼女にはある。
*
「んー……まあ、指せるよ」
若干迷ったような口ぶりで、杏が答える。
「なら、一手御指南いただきたい」
「堅苦しいね」
杏がけらけらと笑う。
「将棋かー。いいよ、一局だけね」
「ありがたい。あと、生意気言うようで恐縮じゃが」
「なに?」
「本気で、頼むわ」
杏から見れば巴は年下だ、花を持たせようとするかもしれない。考え方は人それぞれだが、巴は手加減をするのもされるのも好きではなかった。手加減されて、それでも負けるというのならまだいい。だが、勝たせてもらうのは御免だ。それよりは惨敗のほうが遥かにいいと思えた。
杏は一瞬ちらりと巴に視線を向け、「はいよ」と答えた。
木製の二つ折り将棋盤をテーブルに開き、駒箱を逆さにする。巴は大橋流の手順で、杏は順番は関係なしに目についたところから無造作に駒を並べていった。
「先後はどうしようかの?」と巴が云う。
一般的には強い方が後手を持つものだが、杏が将棋を指している姿を見たことはなく、その実力は未知数だ。また、将棋指しの自称強い、弱いほど当てにならないものはない。
「振り駒でいいんじゃない?」
杏がこともなげに答える。巴は、「うむ」と声を出し、自軍の歩を五枚取って盤に中央に放った。歩が一枚、と金が四枚表、という結果になった。
「そっちの先手じゃ」
「うん。じゃ、お願いします」
杏が小さく礼をし、ぼんやりと盤面を眺める。三十秒ほどそうしたあと、おもむろに腕を伸ばし、角道を開けた。十人中六人か七人はそうする、ごく普通の初手だ。
杏ならば、いきなり意表を突くような手を指してもおかしくはない、と身構えていた巴は、ほっとしたような落胆したような、不思議な気分だった。
「端歩でも突くかと思ったわ」
「それでもよかったけどね」
後手の巴は飛車先の歩を突いた。続く杏も己の飛車先を突き、巴は更に8五に歩を進めた。
杏、7七角。巴、3四歩。杏、8八銀と手が進む。声にこそ出さないものの、これは巴が「角換わりでどうじゃ?」と問いかけ、杏が「好きにすれば」と答えた形である。
双方の金上がりを挟んで、角を交換し、自陣を整える。自然と先後同型に近い形となっていたが、巴がそれを外した。6二に玉が上がる。
「へえ、そっちなんだ」と杏がつぶやいた。
角換わり右玉、これはおよそ一年前、巴が初めて父を破った際に取った陣形だった。
未だ十三年の人生しか歩んでいない巴にとって、何十年と将棋を指してきた大人たちとは埋められない経験の差がある。強い弱いというよりは、知っているか知らないかという部分で序盤に不利を負ってしまう。角換わりから、順当に相矢倉、相腰かけ銀ともなれば、散々研究し尽されている定跡手順だ。
ならば、見たこともない戦型にすればええ、と巴は考えた。
無論、これとて例がないわけではない。しかし珍しい形ではある。巴の父はこの一手に大いに唸り、そして娘に平手では初の白星を贈ることとなった。
杏は落ち着いた様子で左端の歩を突き、巴が応じると今度は右端の歩を突いた。
杏の指し手は早い。時間制限を設けているわけでもないのに、一手あたり一分かそこらで手を繰り出す。巴はつい自分も早く指さなければならないと焦るのを堪えて、一手一手、熟考しながら指し手を選んだ。
やがて駒がぶつかり、小競り合いが繰り返される。主に巴が仕掛け、杏が受ける形だったが、決定的な隙はなく、なかなか攻め込むことができない。やはり杏は強い、と胸が熱くなるのを自覚しつつ、巴は集中力が研ぎ澄まされていくのを感じた。
幾度かの駒の交換があり、杏が銀二枚を、巴が金と桂を一枚ずつ多く持つ形となった。損得で云えば、ほとんど差はないだろう。
杏が持ち駒の銀を打ち、巴の角にぶつける。
――ここが勝負どころじゃい。
巴は6六に角を切った。
「おっ」と声を発して、杏が銀で角を取る。その頭に、持ち駒の歩を叩きつけた。
杏はこれを取るか、避けるか、放置するか。いずれの場合も、そう簡単に攻めは途切れない。巴はここで一気に攻勢をかけるつもりだった。
相手の手番ながら、巴は盤面を睨み、それぞれの変化に思考を巡らせた。そして、異変に気付いた。これまで安定したペースで指し続けていた、杏がなかなか指さない。
流石の杏も考え込む局面か、それともまさか眠ってしまったんじゃあるまいな、と巴は顔を上げた。
杏は、当然眠ってはいなかった。その両眼はしっかりと開かれ、射竦めるように盤上に向けられていた。しかし、ぴくりとも動かない。
――読みを入れとるんか?
それから三分が過ぎ、五分が過ぎた。杏はやはり微動だにしない。
なにか話しかけてみようかとも思ったが、巴はそれをしなかった。邪魔になるかもしれないから、というのもあったが、声をかけても耳に届かないだろうと思ったからだ。
十分が経過する。
呼吸はしているのだろうか、と巴が不安になったころ、杏が動く。
その手が持ち駒の歩をつかみ、盤上に伸ばされる。ぱちりと軽い音を立てて7四のマスに置かれた駒から指が離れる瞬間、巴の目には、杏の手がぶるぶると震えたように見えた。
「大丈夫かの? 中断しても構わんのじゃが」と巴は云った。
「ん、へーき。もう疲れるとこは終わったから」
「……ほうか」
どういう意味か、と問いたくもあったが、ともあれ杏は指した。本人が平気と云うのなら今は勝負の続きだ。巴は盤上に目を向けた。
――7四歩。
なるほど妙手だ、と巴は心の中で唸った。次に桂馬を取った手が王手になる。
6六の銀を取り、桂馬を取られ、玉で歩を払う。杏は金で6六の歩を払う。互いに攻め手は止まり、角桂と銀二枚の交換となる。相手の陣形は乱せるものの、駒の勘定では到底得とは云えまい。
しかし、この歩を取ってしまうのは、玉が突っ込み過ぎて危険であるように見えた。仕切り直すつもりで、巴は6六の銀を取る。だが局面は、巴の想像したようには進まなかった。
杏、7三歩成。巴、同玉。そこまでは読み通り、しかし杏はそこで、空いた6五の地点に、取ったばかりの桂馬を打った。
意表を突かれた王手だったが、歩は金取りに残っている。うまくすれば後で拾えるかもしれない、などと思いながら、巴が8三に玉を逃がす。
杏は続けて7二に銀を打った。王手飛車取り、とはいえ、この地点には何も利いてはいない。タダ捨てだ。
巴、同玉。杏、7九飛、再三の王手がかかる。
「ぬぅっ……」
思わず声が漏れた。先の桂馬のせいで、合駒が利かない。
巴は6一へ玉を逃がした。杏、7二角、再びの王手飛車取り。巴、5二玉。杏、8一角成。
巴がほっと息をつく。飛車を奪われてしまったが、連続王手は途切れた。巴、6七歩成。金を取り、敵玉に王手がかかる。杏、同玉。
持ち駒を確認する。金三枚、銀二枚、桂。方や杏は持ち駒を惜しげもなくばらまいたせいで、飛車しかない。駒の損得では負けていないだろう。
しかし自玉はかなり危険な状態にあるように見えた。左が広いが、6五の桂馬がうるさい。まずはこいつを黙らせなければならない。
巴は6四に銀を打った。杏は8二飛、王手だ。
飛成でも同じように王手がかかるのに、わざわざ持ち駒を使うんか?
巴は首を捻りつつ、4三に玉を逃がす。杏、3二飛成。
寒気がした。打ったばかりの飛車を、ためらいもなく捨てる一手。
まさか、と思った。
巴、同玉。杏、5四馬。
なんじゃこれは。
巴、4三金。杏、7二飛成。
なんじゃこれは。
巴、4二金打。杏、4三馬。
“終わったから”という杏の言葉が、巴の脳裏に蘇る。
まさか――詰んどるんか?
巴、同玉。杏、5三金。巴、同銀。杏、同桂成。巴、同玉。杏、4五桂。巴、同歩。杏、4四銀。巴、同玉。杏、4二龍。
「どうする?」と杏が囁く。
「……もう何手か、指そうかの」
「そう」
巴、4三桂。杏、5五金。巴、3四玉。杏、3五金。巴、同桂。杏、4四龍。
「ありません」会釈しながら、巴がつぶやく。
「おつかれー」
杏がソファに深く体を沈め、はあっと大きく息をつく。
「……そっちのほうが、疲れてるように見えるのう」
「一キロは痩せたね。間違いない」杏が笑いながら云う。
『何をされたのかわからん』というのが、巴の正直な感想だった。
ここまで見事に寄せ切られると、悔しさよりも感心してしまう。相手がいないなんて自惚れていた数時間前の自分を笑ってやりたくなった。
ふと巴は考える。今日まで、杏が将棋を指せるなんて知らなかった。おそらく誰も聞いたことがないだろう。
巴が趣味は将棋だと公言し、常日頃から相手を探しているのは誰もが知るところだ。しかし杏から勝負を持ち掛けてくることはなかった。これだけ指せるというのに。
いや、これだけ指せるから、だろうか。巴が将棋好きだといっても、所詮十三歳の小娘のこと、自分の相手にはならないだろうと考えたのかもしれない。事実、その通りだったわけだが。
どんな経緯で杏が将棋を覚えたのかはわからない。しかし、杏こそ、勝負になるような相手がいないのではないか。勝って当然の退屈を味わっているのではないか、と思った。
「……また、相手してくれるかの?」
「うーん……いや、もう当分やんない」
――それは、いつかは相手をしてくれる、と思ってええんじゃな?
「ほいじゃあ、そのときまでに、せいぜい強うなっとくわ。首を洗って待っとき」
まるで負け惜しみの見本のようなセリフだ、と自分で笑ってしまう。
「期待しないで待ってるよ」
杏がへらっと気の抜けた笑みを返した。
いい目標ができたが負けは負け、やはり悔しいものだ。あとで誰か相手に気晴らしでもしちゃろうか、と考えつつ部屋を出て行こうとした巴だったが、
「あ、待って」
杏の声に振り返る。
「疲れすぎて動けない。ちょっと肩貸して、きらりかプロデューサーのところまで連れてって」
「……嘘じゃろ?」
「いや、本当に」
巴は疑わしく思いながらも杏の腕を自分の首の後ろに回し、立ち上がらせた。杏は本当に地に足がついていないように全体重をかけてきた。小柄な杏とはいえ、重いものは重い。荷物は部屋に置いて、後で取りにくることにした。
「悪いねー、楽ちん楽ちん」
「まあ、うちのせい、かもしれんし……」
対局で疲れたというのなら、それは勝負を持ち掛けた自分が原因ということになるだろう。しかし、なにか釈然としないものを感じる。いくら頭を使ったとはいえ、自力で歩けなくなるなんてことがあるだろうか?
ゆっくりと足を進めながら、ちらりと真横に並んだ顔に目を向ける。
いつ見ても十七歳とは思えない、自分より年下の子供のような容姿だ。
「うん? どうかした?」と杏が云う。
「なんでもない」と巴は答えた。
この幼気な少女が、将棋で鬼のような強さを見せたかと思えば、今度は疲れ果てて動けないと云う。
どこまでが本当で、どこからが嘘なのかわからない。あるいは全て本当なのかもしれないが――まあとにかく、
双葉杏っちゅうんは、変なヤツじゃ。
先手▲双葉杏、後手△村上巴
▲7六歩、△8四歩、▲2六歩、△8五歩、▲7七角、△3四歩、▲8八銀、△3二金、▲7八金、△7七角成、▲同銀、△2二銀、▲3八銀、△3三銀、▲3六歩、△6二銀、▲4六歩、△6四歩、▲6八玉、△6三銀、▲5八金、△5二金、▲4七銀、△7四歩、▲3七桂、△7三桂、▲2五歩、△8一飛、▲6六歩、△6二玉、▲9六歩、△9四歩、▲1六歩、△1四歩、▲2九飛、△7二玉、▲6七金左、△5四歩、▲5六歩、△4四銀、▲7八玉、△3五歩、▲同歩、△同銀、▲3六歩、△4四銀、▲9八香、△5三銀、▲8八銀、△8四角、▲7七桂、△7五歩、▲同歩、△同角、▲7六歩、△8四角、▲5七金直、△7四銀、▲5八銀、△3八歩、▲4七角、△6三金、▲3八角、△4四歩、▲6八玉、△6五歩、▲同桂、△同桂、▲同歩、△7三桂、▲7五桂、△6五桂、▲6三桂成、△同玉、▲6六歩、△5七桂成、▲同銀、△6五歩、▲7五桂、△5二玉、▲6五歩、△7三桂、▲6四金、△同銀、▲同歩、△7五銀、▲同歩、△同角、▲6三歩成、△同玉、▲6六銀打、△同角、▲同銀、△6五歩、▲7四歩、△6六歩、▲7三歩成、△同玉、▲6五桂、△8三玉、▲7二銀、△同玉、▲7九飛、△6一玉、▲7二角、△5二玉、▲8一角成、△6七歩成、▲同玉、△6四銀、▲8二飛、△4三玉、▲3二飛成、△同玉、▲5四馬、△4三金、▲7二飛成、△4二金打、▲4三馬、△同玉、▲5三金、△同銀、▲同桂成、△同玉、▲4五桂、△同歩、▲4四銀、△同玉、▲4二龍、△4三桂、▲5五金、△3四玉、▲3五金、△同桂、▲4四龍
まで、135手で双葉杏の勝ち。
<村上巴編、終わり>
※元棋譜は、先手福崎文吾先生、後手石田和雄先生の対局です。
~森久保乃々編~
――事務所内の一室
杏「ふー、疲れた」ボフッ
杏「…………」
杏「…………」
杏(あ、これ誰かくるやつだ)
杏(せめて面倒な人じゃありませんように――)
『ガチャ』
乃々「あんずさぁーん……」プルプル
杏「乃々かー、なんか生まれたての小鹿みたいになってるけど、だいじょうぶ?」
乃々「あ、はいなんとか……あの、それより……杏さんがどんな願いでも叶えてくれるというのは、本当でしょうか……?」
杏「なにひとつとして本当じゃないよ。杏はシェンロンでもランプの魔人でもないんだよ」
乃々「そ、そんな……」ヨロッ
杏「あー……もうあきらめてるから、いちおう聞くだけ聞いとくよ。願いってなに?」
乃々「その……もりくぼは今からお腹を切って果てるので……介錯をお願いできたらと」
杏「嫌だよ!?」
乃々「あう……では、セルフでなんとかしますので、せめて見届けてくれれば……」
杏「それも嫌だよ、一生モノのトラウマになるよ」
乃々「誰にも看取られないのは寂しいんですけど……」
杏「まず、なんで果てようとしてんの? なにがあった?」
乃々「……もりくぼの、ポエム帳を落としてしまったんですけど」
杏「うん」
乃々「…………」
杏「…………」
乃々「…………?」
杏「だけ!? そんなことで!?」
乃々「そんなことじゃないんですけど! あれを誰かに見られたら、もりくぼは地獄に帰るしかないんですけど!」
杏「地獄出身みたいになってるけどそれでいいの?」
乃々「とりあえず巴さんからドスを借りてきますので……」
杏「万が一持ってたら困るからやめて」
乃々「では、紗枝さんから……」
杏「乃々はなにを言ってるんだよ」
杏「ええと、そのポエム帳? は見つかってないの?」
乃々「はい……」
杏「いつどこで落としたかは?」
乃々「わかりません……」
杏「んー、だったら、まだ誰も拾ってないって可能性もあるんじゃない?」
乃々「でも……今日通ったところは、くまなく探したんですけど……階段を何往復もして……」
杏「ああ、それで脚プルプルしてたんだ。でもそれ、拾われてたとしても乃々のだとはわかんないよね?」
乃々「名前書いてありますので……」
杏「えらいな。じゃあ、最後にそれ確認したのいつかってのと、それからどう動いたか教えてもらえる?」
乃々「……今日は朝からレッスンがあったので、プロデューサーさんの机の下に隠れていました。そのとき新しいポエムを書いていたので、それまであったのは間違いないんですけど」
杏「うん、それから?」
乃々「たしか……レッスン開始時間になってもプロデューサーさんが探しにこないので、不思議に思って通路の様子を確かめようと思いました」
杏「うん」
乃々「そうしたら……部屋を出たところでプロデューサーさんと鉢合わせて、抱えられて更衣室まで連れていかれました」
杏「うん」
乃々「それで、第二レッスン室でレッスンを受けて……更衣室に戻ってから、ポエム帳がないことに気付いて……」
杏「…………ふーん」
乃々「ああ! 今頃拾った誰かにSNSにアップされて笑いものにされてるに違いないんですけど! 死ぬしかないんですけど!」
杏「落ち着いて。まだ拾われてるかどうかもわかんないし、見つけてからでも遅くないからね?」
乃々「さんざん探したんですけど……」
杏「たしか落とし物はビル管理室に届けられるんじゃなかったかな? 行ってみた?」
乃々「!! い、いえ……」
杏「いちおう行ってみたら? 拾ったひと、中身見ないでそのまま届けてるかも知れないし」
乃々「は、はい! 行ってみますけど!」
『ガチャ』『バタン』
杏「…………」
杏「しょうがないなあ、もう……」トコトコ
――エレベーターホール
杏(……階段を何往復も、ね)
ちひろ「――あら、杏ちゃん。どうしました?」
杏「あ、ちひろさん。このエレベーターって、もう使っていいの?」
ちひろ「はい、点検工事は午前中で終わってますよ」
杏「……そっか、ありがと」
『チーン、ジュウキュウカイデス』
杏「…………」トコトコ
杏(ここ、かな?)ガチャ
杏(で、机はこれで……。あ、やっぱりあった、ポエム帳)
杏「…………」
杏(……ちらっとね、ちらっとだけ)
杏「ごめんね……」ピラッ
『女の屍体』
目の前で女が死んでいる。
胸から銀のナイフを生やし、ゆっくり血だまりを広げている。
はて曲者はいずこに消えたものか。
とうに逃げ出してしまったろうか。
目の前で女が死んでいる。
よく見ればその顔に覚えがある。
屍体はわたしの知人だろうか。
よく見ればナイフにも覚えがある。
凶器はわたしのナイフだろうか。
よく見ればわたしも血にまみれている。
しかしわたしの血ではないようだ。
杏「…………」パタン
杏(なんか想像してたのと違った)
杏(……私が持ってっちゃうと、どうしても『見られたかもしれない』という疑惑が残るから、これは乃々が見つけた方がいい。戻ろう)
――元いた部屋
杏「よし、乃々はまだだね」ボフッ
『ガチャ』
乃々「杏さん……」
杏(あぶね)
乃々「ビル管理室にも……届いてませんでした……」
杏「じゃあ、今日乃々が通ったところいっしょに探してみよう。ほら、ひとりだと見落としがあるかもしれないし」
乃々「無駄だと思いますけど……」
『チーン、ジュウキュウカイデス』
杏(乃々が階段を重点的に探したのは、そこで落とした可能性が高いと思ったから。なんでわざわざ階段を使うかというと、午前中このエレベーターが点検中だったから。――だけど、乃々が階段で19階まで昇ろうとするとは思えない。階段を通ったのは、プロデューサーに抱えられて更衣室に向かってるときだ)
『ガチャ』
乃々「隠れていたのは、ここですけど……」
杏「うん、なにもないね」
乃々「何度も見ましたから……」
杏「朝ここに来たときの道のりは、今通ったのと同じ?」
乃々「え? あ、いえ。さっきのエレベーターは工事中だったので、通路の奥のほうの別のエレベーターで……」
杏「ふうん、エレベーターを降りてからは、間違いなくこの部屋に入った?」
乃々「??」
杏(乃々の使ったエレベーターはちょうど通路の反対側になるから、出てから見える景色がほとんど変わらない。ついいつものクセで、いつもと同じように部屋に入ったら)
乃々「……!! ちょ、ちょっと待っててほしいんですけど!」ダッ!
杏(ここの、向かいの部屋なんだよね)
<アッタンデスケドー!
杏「はい、めでたしめでたしっと」
*
――翌日
きらり「あ・ん・ず・ちゃぁーん!!!」
杏「きらりは今日も元気だねえ」
きらり「ねえねえ、杏ちゃん。最近みんなのお悩み解決してくれてるって、ホントぉ?」
杏「あー、まあ、結果的にね」
きらり「きらりもお悩み相談していいかなあ?」
杏「うん? いいけど、なに?」
きらり「えっとねえ、杏ちゃんがみんなから頼りにされてて、きらりもとーってもハピハピ☆」
杏「杏としては不本意なんだけどね」
きらり「でもでもぉ、杏ちゃんをみんなに取られちゃったみたいで、きらり、ちょっぴりさみしい☆」
杏「…………」
きらり「…………」
杏「……じゃあ、今日は1日きらりに付き合うよ。どこでも連れてっていいよ」
きらり「にゃっほーい! 杏ちゃんひとり占め~☆ きらりーんこーすたー!」
杏「こわいこわい、せめて肩車にして」
ベテトレ「双葉ァ!!」バァン!
杏「あ、まずい」
きらり「にょわ?」
ベテトレ「なにをしている! とっくにレッスンの時間だぞ!」
杏「逃げろきらり、このまま杏を乗せて」
きらり「え、杏ちゃん、これからレッスンだったのぉ!?」
ベテトレ「諸星! 双葉をよこせ!」
きらり「え……えっと……」
杏「ほらほら、今日はひとり占めするんでしょ?」
きらり「…………ご、ごめんなさーい!!!」ダッ!
ベテトレ「諸星!?」
杏「おー、さすがきらり、速い速い」
きらり「もお! 杏ちゃんあとで怒られちゃうよぉ!」
杏「今回はきらりも共犯だよー」
きらり「むー……杏ちゃんは困った子だにぃ」
杏「そりゃそうだよ。だって杏は、杏だからね」
<森久保乃々編、終わり>
以上ですべて終わりです。
乙でした
杏はなんかT◯Heartとかのギャルゲの主人公みたいなキャラだな
やれやれ系の
乙
そうとう頭を使うSSだなぁ……と思ったら、なるほどという話です
おつおつー
杏の本気出したら大抵の事できう感は異常
杏は天才だぜ!
おつおつ
乙。
もりくぼのポエムがなんか病んでる感がある気がするが、中学生がちょっと拗らせてると考えればそこまででもないのか?
この作風で絵本作家は無理だと思うが。
とりあえず杏は女性初の棋士目指そうか
休みは多いぞ
>>121
世の中にはいろんな絵本がありますので
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