琴葉「常識的に考えるに、仲の良い者同士が一つの空間に存在し」
琴葉「そこに封の開いた飲みかけの炭酸飲料がポツンと置かれていたとして」
琴葉「相手が離席中であって」
琴葉「最低五分は戻って来ないと分かり」
琴葉「同席者が堪えようのない喉の渇きを終始覚えていた場合」
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琴葉「……いや、それは言い訳だろう」
琴葉「同席者は相手に好意を持っている」
琴葉「ライクではない、ラブの方で」
琴葉「目の前にいると緊張する。傍に居られるだけで心が落ち着かない」
琴葉「意識すればほっぺが熱を持つのが分かる」
琴葉「だから感じてる喉の渇きだって、原因はそもそもそれであって」
琴葉「そうすると、私の体をこんな風に変えてしまった」
琴葉「あの人に責任を追及するのは自然な成り行きではないか?」
琴葉「そうだ。誰に訊いたとして」
琴葉「恐らく十人に訊いて八人には賛同を得られるはずである」
琴葉「多数決なら大勝利だ。故に、私は彼を追及する」
琴葉「そのドリンクホルダーに置かれている、手を伸ばせば触れる場所にある」
琴葉「しいたけジュースを飲む権利が助手席の私にもあるのだと!」
琴葉「…………」
琴葉「……これをジュースって言ってもいいのかな?」
琴葉「容赦なく、そして際限なく」
琴葉「脳内では疑問符が浮かんでは消えて行く」
琴葉「それは戯れに買われた商品であり」
琴葉「どう見てもジョークグッズの類のようであり」
琴葉「ご丁寧に普通の缶より寸胴の、容量で言えば350mlの」
琴葉「飲み切れるものなら飲んでみろ、そう太々しく息巻くような」
琴葉「椎茸由来の禍々しい……薄茶色のラベルでその身を包んでいた」
琴葉「実を言えばプロデューサーの運転する」
琴葉「送迎用の社用車がパーキングに駆け込んだのはこの飲み物のせいであった」
琴葉「運転中に一口飲んで顔をしかめ」
琴葉「二口飲んで悶絶して」
琴葉「恐る恐ると怯えながら、遂には口付けることを諦めホルダーに封印した」
琴葉「そうして私に伝えたのだ」
琴葉「『琴葉、トイレ』」
琴葉「断っておくが私は彼のトイレではない。重々承知であるだろうが」
琴葉「とにかくこうして車は立ち止まった。今から五分は前の話である」
琴葉「そう五分、もう五分経った……。そろそろ戻って来ちゃうかな?」
琴葉「瞬間、私の脳裏がスパークする。別段焦げ臭い匂いはしていないが」
琴葉「思考回路はポンコツになっているように思う。上手く優先順位がつけられない」
琴葉「これも全ては甘い恋のせいだ、ラブのせいだ」
琴葉「そこから来る喉の渇きも全部優しい彼のせいだ! 時間が無いのは誰のせいだ?」
琴葉「それは悶々と考え続けていた自分の愚かさのせいであろう」
琴葉「――故に、私は断罪されるべきだ」
琴葉「意を決して伸ばした指先が、今、件のジュースの缶に触れる……!!」
琴葉「ホルダーから缶を取り出す時。ガタリと物音が弾けた時」
琴葉「まるで鉛の重りのようなソレが自分の意志通りに動いていると分かり」
琴葉「車内に田中琴葉は居らず、存在するは色めき立ったアーサー王」
琴葉「今、有名な逸話もかくやと缶が台座から外される」
琴葉「……怖いもの知らずの無謀者が、とうとう引き抜いてしまったのだ」
琴葉「こぼさぬよう、落とさぬよう、震える指先で辛うじて支えたそれは」
琴葉「ぷん、と椎茸の豊潤な香りを飲み口付近から漂わせ」
琴葉「私が僅かばかりに抱いていた好奇心をたちまち後悔の色に染めた」
琴葉「……正直飲み物と呼ぶのもおこがましい、この得体のしれないちゃぽちゃぽは」
琴葉「私が缶を揺らすたびにしゅわしゅわと気泡を弾けさせて」
琴葉「自身が紛れもないジュースであると」
琴葉「混ざり物の無い炭酸飲料であることを固く誇示して恐怖を煽るのだ」
琴葉「飲用者を脅しすくみ上がらせる様はどうして悪魔のようである」
琴葉「恐らくジャンルで分けたなら、めんつゆなんかとおんなじ区分に入るもので」
琴葉「むしろそうしたカテゴリに入れた方が両人にとっても幸せなのではなかろうか?」
琴葉「ジュースという生まれのせいで、炭酸を加え入れられてしまったから」
琴葉「……飲み口を顔に近付ける程そうした思いが強くなる」
琴葉「同時に、このてらてらとした銀の縁に」
琴葉「想い人の唇が一瞬でも触れていたという事実に禁忌の思いも激しくなる」
琴葉「すぅ、はぁ、すぅ……。私は呼吸を整えた」
琴葉「続けて車外の様子をくまなく見やる。が、そこにプロデューサーの影は見えず」
琴葉「しかし迫り来る期限は感じていた。かれこれもう十分は経った」
琴葉「いい加減姿を見せてもおかしくない……だけの時間がとうに流れている」
琴葉「なのに、どうしても踏み出し切れないのは」
琴葉「間接キスという乙女の秘め事を完遂するのに躊躇するは」
琴葉「それが椎茸味で良いのかという葛藤と躊躇いによるものだ!」
琴葉「椎茸味……! 椎茸味……!!」
琴葉「いいの? それで、私はいいの!?」
琴葉「納得できるの田中琴葉っ!!?」
琴葉「これは業よ! 確かにまたとないチャンスだけど、見逃せられない好機だけど!!」
琴葉「ここで、妥協しようものなら! これから先、生涯一生!」
琴葉「『ねぇママー、キスってどんな味ー?』」
琴葉「『もうこの子ったら、おませさんね』」
琴葉「『でもそうね、お母さんの初めてのキスの味は――』」
琴葉「『し・い・た・けっ♪』」
琴葉「絶・対・ダメっっ!!!!」
琴葉「今すぐ缶を元に戻して! 強情しないっ! すぐ戻すの!!」
琴葉「トラウマを抱えてしまう前にっ!! 今後一切『キス』という単語を聞いて」
琴葉「椎茸の風味をリフレインしかねない傷を負う前に今すぐ缶を戻すの琴葉っ!!!!」
琴葉「……はぁっ、はぁ、はぁっ…はぁぁ~………!」
琴葉「わ、我ながら、我ながら凄まじい精神力を必要としたその拒絶は……」
琴葉「傍から見ればみっともない程に取り乱した少女の茶番に見えただろう」
琴葉「実際自分でもそう思った。勝手に一人で悶々とし、グダグダ理屈を捏ね回し」
琴葉「挙句、自己完結と崩壊によって尻切れトンボに終劇した」
琴葉「とても他人には見せられない恥の上塗りの極致である」
琴葉「そうしてだから、こそ、だからこそだ」
琴葉「…………い、いつの間に戻って来てたんです?」
琴葉「えっ? 私がお芝居を始めた時?」
琴葉「……おませさん」
琴葉「れ、練習に熱が入ってるみたいで声を掛けづらかった――ですか」
琴葉「…………」
琴葉「……あ、あのぅ、私、プロデューサー…………」
琴葉「さっきの、その、練習のアレは」
琴葉「二人だけの秘密に…ええ、はい。……してください……そっ、それから!」
琴葉「意外に――飲める味でしたね。……良ければ残りを頂いても?」
おしまい!
しじみ汁で口直しだな
琴葉は面白いな、乙です
田中琴葉(18)Vo/Pr
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http://i.imgur.com/uocYmbN.jpg
乙
飲めるのかよ
面白かった乙
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