ダイヤ「吸血鬼の噂」 (311)

ラブライブ!サンシャイン!!SS

※残酷描写ありなので苦手な方は注意してください。


過去にはこんなの書いてます

善子「一週間の命」
善子「一週間の命」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1495318007/)

千歌「ポケットモンスターAqours!」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1562365941


ダイヤ「──はぁ? 吸血鬼?」


それは、ゴールデンウイークを明日に控えた4月26日金曜日のことでした。


鞠莉「そ、吸血鬼。最近噂になってるんだヨ」

ダイヤ「はあ……」

鞠莉「あ、ダイヤ~? その反応信じてないネ?」

ダイヤ「まあ……」


生徒会室で連休前の仕事を三年生三人で片付けながら適当に話を聞き流す。


鞠莉「なんでも、ここ最近夜になると出るらしいんだヨ……」

果南「で、出る……?」

鞠莉「……血……血……って呻きながら、校舎内で女生徒の血を探して彷徨うリビングデッドが……!!」

果南「……ッヒ!!」


鞠莉さんがおどろおどろしい口調で、眉唾な噂を口にすると、果南さんが涙目になって、書類で顔を隠す。

というか、吸血鬼からリビングデッドに変わっているのですけれど……。


鞠莉「身を隠したって無駄……リビングデッドの嗅覚は的確に活きの良い乙女の血の匂いを嗅ぎ分けて、喰らいに来るんだから……!!」

果南「…………!!」

鞠莉「果南みたいに活きの良い生娘なんか、特に──」

ダイヤ「──いい加減になさい」


書類の束で、鞠莉さんを軽くはたく。


鞠莉「Ow !」

ダイヤ「果南さん、大丈夫ですからね。こんなのただの噂話ですわ」

果南「……ぁ、ぁはは……そ、そう、だよね……」

鞠莉「もう!! ダイヤ、邪魔しないでよー!!」


怖い話で脅える果南さんを見るのが楽しいのか、鞠莉さんがぷりぷりと文句を言って来る。


ダイヤ「はぁ……噂話もいいですが……。早く仕事を片付けないと……。明日からは10連休なのですわよ?」


今年のゴールデンウイークは長い。

ここで仕事を連休明けに持ち越すのはよくないと思い、今日三年生はAqoursの練習そっちのけで生徒会の仕事をさせて貰っているのです。

これで終わりませんでしたなんて言ったら示しがつかないし、申し訳も立たない。


鞠莉「んーもう……ダイヤは頭が堅いんだから! こんな忙しいときにWitに富んだJokeで場を和ませようってマリーの気遣いがわからないの?」

ダイヤ「はいはい……」


鞠莉さんの言葉を聞き流しながら、果南さんに目を配ると、


果南「……………………」


顔を真っ青にしたまま、フリーズしている。

果南さんは普段はサバサバしているけれど、怖い話が滅法苦手なのです。

怖い話が苦手な人は一度こういう話を耳にしてしまうと、それが頭の中にこびり付いてどうしようもなくなってしまうもの。


ダイヤ「果南さん」


わたくしはそんな果南さんの様子を見かねて、彼女の手に、自らの手を添える。


果南「……!? あ、な、なに……!?」

ダイヤ「本当に、大丈夫ですからね」

果南「ダイヤ……う、うん……」


果南さんは未だ目尻に軽く涙を浮かべながら、わたくしの手を握り返してくる。


ダイヤ「…………」


久しぶりに幼馴染の可愛い部分を見ることが出来て、なんだか少し懐かしい。


鞠莉「ダイヤばっかりずるいー!! ほら、果南! マリーのところにも……!」

果南「……やだ。鞠莉、すぐ怖い話するから」

鞠莉「…………」

ダイヤ「自業自得ですわ」


わたくしはショックを受ける鞠莉さんを見て肩を竦める。

たまには良い薬ですわ。

──さて、と。仕事に戻るために、果南さんから離れようとするも。


果南「…………っ」


果南さんが手を放してくれない。


ダイヤ「えーっと……果南さん」

果南「……ダ、ダイヤ……」

ダイヤ「はい」

果南「……今日泊まりに行っちゃダメ……?」


普段見ることの出来ない、可愛い幼馴染に面食らいながらも……。


ダイヤ「……すみません。ちょっと今夜は用事がありまして……」

果南「じ、じゃあ……ルビィのところに泊まりに行く……」

ダイヤ「それは同じですわ……。どっちにしろ、今日からルビィは花丸さんと一緒に善子さんの家にお泊りに行ってしまうので……」

果南「そんなぁ……」

鞠莉「果南! わたしの家だったらいつでも──」

果南「イヤ」

鞠莉「…………」


やれやれ……。


鞠莉「……というか、ダイヤ。泊めてあげればいいじゃない? なんで、果南にそんなイジワルするの?」

ダイヤ「貴方に意地悪とか言われたくないのですが……。先ほど、言っていたじゃないですか」

鞠莉「What ?」

ダイヤ「夜な夜な、この学校に不審者が出るのでしょう?」

鞠莉「不審者……いや、リビングデッド的な吸血鬼が……」

ダイヤ「吸血鬼なのか、リビングデッドなのかはっきりしてください……。……まあ、そんな眉唾な存在かはともかく、火のないところに煙は立ちませんから。少し見回りくらいした方がいいかなと思いまして」

果南「見回り!? あ、危ないって!!」


果南さんがますます顔を青くする。


ダイヤ「こんな田舎の学校にわざわざ侵入してくる人なんて居ませんわよ……。大方、大きなネズミでも住み着いたとか、その辺りでしょう」

果南「で、でも……」

ダイヤ「原因がわかれば、果南さんも怖い想いをしなくて済みますし」

果南「でも……」

ダイヤ「それとも、果南さんも一緒に見回りしてくれますか?」

果南「……それは無理」

ダイヤ「でしょう? 生徒が安心して学業に専念出来るように努めるのも生徒会長の役目ですから」


そんなやり取りをしていると──

──コンコン。


果南「ヒッ!!?」


急にドアがノックされて、果南さんが飛び上がる。


善子「ダイヤ、鞠莉、果南。入るわよ……って、何やってんの?」


ドアを開けて入ってきたのは善子さんでした。

入室するなり、果南さんが涙目でわたくしに抱き付いている姿を認め、怪訝な顔をする。


果南「……な、なんだ……善子ちゃんか……」

ダイヤ「すみません……そこの理事長が、意味もなく果南さんを怖がらせるという、性根の腐った遊びに興じていたもので、すっかり脅えてしまって……」

鞠莉「え、辛辣すぎない?」

善子「……? まあ、いいけど……」

ダイヤ「それはそうと……どうされたのですか?」

善子「ああ、えっと……今日はもう練習終わりにして、引き上げようと思って。その報告に」

鞠莉「え、もう? 随分早いわね?」


……確かに、まだ練習を切り上げるには少し早い気がしますわね。


善子「まあ、そうなんだけど……ちょっと千歌が調子悪いみたいで、先に帰るってことになって」

ダイヤ「千歌さんが?」

善子「お隣のリリー曰く、ここ数日ずっと調子悪いらしくって……」

ダイヤ「それは……心配ですわね」


言われてみれば、ここ数日、千歌さんは貧血気味だと言っていた気もしなくはない。


善子「リリーが付き添うって申し出てくれたんだけど……大丈夫って言って、千歌は一人で帰ったわ。……リーダーも居ないし、明日からは連休だし、今日は早めに切り上げて、英気を養おうって話になってね。……って、どうしたの果南?」

果南「え……あ、いや……千歌、調子悪いのか……」

善子「?」

果南「それじゃさすがに、泊まりに行くのは悪いな……」

善子「何? 千歌の家に泊まりに行くつもりだったの?」

ダイヤ「さっきも言いましたけれど……果南さんはそこの意地悪な理事長のせいで、ちょっとナイーブになっているのですわ」

鞠莉「だから、わたしの家に泊まりにくればいいのに……」

果南「そ、そうだ……! 善子ちゃんの家、泊まっちゃダメ……!?」

善子「え!? ウ、ウチ!?」

果南「ルビィもマルもいるんだよね……!? 人がいっぱい居た方が安心する……。……あ、いや……迷惑なら、無理にとは言わないけど……」

善子「……ま、まあ別に一人増えようが二人増えようが構わないけど……!」

果南「ホントに!?」

善子「……全くしょうがないわね。脅えてしまったリトルデーモンを受け入れるのも堕天使の使命だし、いいわよ一緒に面倒見てあげる」

果南「あ、ありがとう……!」


珍しく、果南さんに頼られて嬉しいのか、善子さんは腕を組んで誇らしげな顔をしている。


ダイヤ「そういうことでしたら……泊まりの準備もあるでしょうし、果南さんは先にあがってくださいませ」

果南「え、でも……」

ダイヤ「後はわたくしと鞠莉さんでやっておきますので……。それに、このままだと集中出来ないでしょう?」

鞠莉「♪~~」


鞠莉さんはへたくそな口笛を吹きながら、目を逸らす。全く……。

鞠莉さんがまた怖い話をしてくると思うと、果南さんは気が気でないでしょうし。


果南「う、うん……なんか、ごめん……」

ダイヤ「いいのですわよ。それより、ルビィたちのこと、よろしくお願いしますわ」


弱っていて、いつもより素直な果南さんを送り出す。

帰り支度を始めて、果南さんがわたくしたちに背を向けた際、


善子「……そういえば、さっきの怖い話って……もしかして、吸血鬼の噂のことかしら?」


善子さんがそう耳打ちしてくる。


ダイヤ「あら……善子さんもご存知だったのですわね」

善子「まあ、ね……一年生では結構話題になってたから」

ダイヤ「そう……。まあ、今日見回りもしますので、すぐに落ち着きますわよ」

善子「そう……? ……ダイヤが見回りするの?」

ダイヤ「ええ、生徒達の不安を取り除くのも、生徒会長の役目ですから」

善子「真面目ね……気を付けてよ。んじゃ、お守りにこれ貸してあげる」


そう言って、善子さんはポケットから取り出したものをわたくしの手に握らせる。


ダイヤ「……? これは……ロザリオですか?」


それは十字架のついた数珠──所謂、ロザリオでした。


善子「ええ。もし、本当に吸血鬼が居たとしても……十字架があれば安心でしょ?」


確かに吸血鬼は十字架に弱いと言いますものね……。彼女なりの気遣いなのでしょう。


ダイヤ「ええ、ありがとうございます。この御守りがあれば、吸血鬼も怖くありませんわ」

善子「ん……ま、こんな田舎の学校だし……何もないとは思うけど。気を付けてね」


善子さんはそう言葉を残して、


果南「それじゃ、ごめん。あとは任せるね、ダイヤ、鞠莉」


果南さんと共に生徒会室を後にしたのでした。


ダイヤ「……さて、それでは仕事、片付けてしまいましょうか」

鞠莉「……ん、ダイヤ、あんまり怒らないんだネ?」

ダイヤ「……怒って欲しいのですか?」

鞠莉「まさか」

ダイヤ「……一生徒には判断が難しい書類が増えてきたから、果南さんを怖がらせて追い返したんでしょう?」

鞠莉「……何、気付いてたの?」

ダイヤ「まあ、なんとなくは……。果南さんはなんだかんだで、わからなくても最後まで手伝ってくれるでしょうからね……。それにしても、怖がらせすぎだったと思いますけれど」

鞠莉「……ちょっと反省してる。……けど、吸血鬼の噂があるのは本当だヨ?」

ダイヤ「でしょうね……。一年生の間でも噂になってるそうなので……」

鞠莉「見回り……手伝う?」

ダイヤ「大丈夫ですわよ。鞠莉さんは学校に来るのに、船を使わないといけませんし……わたくし一人で大丈夫ですわ」

鞠莉「そう? ……でも、何かあったらすぐ連絡してよね? 飛んでいくんだから」

ダイヤ「ええ、そのときはよろしくお願いしますわ」


……それにしても、吸血鬼、ですか。

この噂はどこの誰が……もしくは何が立てている煙なのか……。今日の見回りでちゃんとわかるといいですわね。





    *    *    *





──夜、浦の星女学院校舎内。

静まり返った真夜中の校舎内を、懐中電灯で照らしながら、進んでいく。

教室一つ一つを見回り、図書室や音楽室などを順に廻っていく。

ただ、そのどこにも不審な影はなく……。

一応、生徒会室や部室も見回ったけれど……特に怪しいものは見つかりませんでした。


ダイヤ「あとは……理事長室と保健室くらいかしら……」


とは言え、理事長室は鞠莉さん不在の状況で調べるのは少し気が引ける。

と、なると……残りは保健室くらいかしらね。

校舎の1階は普段生徒が立ち寄る場所と言うよりは、教職員のための場所が多いため、後に回していましたけれど……。

どちらにしろ、この調子だと、特に問題もなく。噂は噂のままと言うことに終わってしまいそうです。

……せめて、呻き声と勘違いされたものの原因くらいは見つけられればよかったのですが……。

1階の廊下を照らしながらゆっくり歩を進めていく。

──ふと、そのとき。


ダイヤ「……?」


違和感を覚えた。


ダイヤ「……何……?」


それは保健室に近付くたびに少しずつ大きくなっていく。


ダイヤ「……保健室に……何か……居る……?」


それは、何かの気配だった。わたくしはそっと懐中電灯を消す。

静まり返った真夜中の校舎の中。光源は非常灯の灯りと、月明かりのみ。

──ゆっくりと保健室に近付き、ドアに付いている除き窓から中を伺う。

保健室の中に人影は見えない。……ですが、一つ不審な光景。

──ベッドの周りの遮光カーテンが閉ざされている。

普通帰るときにカーテンは全て開けて、括ってから帰るはずです。

そして、何より。


 「……ぅ……ぐ……ぅっ……ぐす……」

ダイヤ「…………」


室内からは、すすり泣く様な声が聞こえる。

──確実に人が居る。

ただ……噂と違う。

鞠莉さんから聞いた話だと『血……血……』と呻く声だと言っていた。

……いや、この際重要なのは台詞ではないですわね。

この真夜中に誰かが校舎内に侵入し、声をあげているという事実がきっとこの噂の煙なのですわ。

ですが……。

保健室ですすり泣く人──女子校と言うのもありますが、声からしても恐らく女性。

それも学校で……。

少し暗い背景が否が応でも想像出来てしまう。

……陰湿ないじめや、そういう類のものでしょうか。

我が、浦の星女学院でそんなことがあるなんて考えたくないのですが……。


ダイヤ「…………」


ただ、このまま見て見ぬ振りをして帰るわけにもいかない。

原因は夜な夜な保健室に篭もって、すすり泣く女生徒が原因だったなんて、報告出来るわけもない。

今、彼女の心の傷を癒やして、全ての誤解を解いて、それで初めて解決なのです。

わたくしは意を決して、保健室の引き戸に手を掛けた。

──ゆっくりとドアを開いたつもりでしたが、本当に静かな真夜中の校舎。

それだけで、中に居る女生徒が、誰かが入ってきたことに気付くには十分だったようで。


 「…………っ……!」


遮光カーテンの向こうで、息を呑む声が聞こえた。

そして、同時にすすり泣く声も止まる。


ダイヤ「……そこに誰か、いるのですか?」

 「………………!」


確実にそこに居る。人の気配。


ダイヤ「安心してください……貴方に危害を加えるつもりはありませんわ」

 「…………ぃゃ」


小さく声があがる。脅えきった声。


ダイヤ「……こんな時間にこのような場所に居るなんて、何か事情がお有りなんでしょう? もし、よかったら、わたくしが力になりますわ……」


少しでも警戒を解けるように、柔らかい口調で、そう言葉を掛けながら、ゆっくりとベッド周りのカーテンの方へと近付いていく。


 「…………っ!! 来ないで……!!」

ダイヤ「……え?」


わたくしの制止を促す、大きな声。

わたくしはそれを聞き、驚いて立ち止まる。

その内容にではない。

その声にだ。


ダイヤ「……嘘」

 「来ないで……!! お願い……来ないで……!!」


この声……聞き間違うはずがない。

わたくしは先ほどとは打って変わって、駆け寄るように近付き、


 「来ないでぇっ!!!」


──カーテンを開け放った。


ダイヤ「……!? ひっ!?」


わたくしはその光景を見て、思わず尻餅をついてしまった。


 「ぅ、ぁ……ダ、イヤさん…………み、見ないで……見ないでぇ……!!」


目の前に拡がっていたのは……。

血まみれのガーゼや絆創膏が周囲に撒き散らされたまま、泣きじゃくっている──千歌さんの姿だった。

その腕や脚には、大量の血が付着している。


ダイヤ「千歌……さん……? あ、貴方……な、なにをしているのですか……?」

千歌「……ぅ……ぐ……見ないで……見ないでよぉ……」


頭が追いつかない。

周囲にあるガーゼや絆創膏は何……?

なんで千歌さんは血まみれなの……?

なんで泣いているの……?

わけがわからない。

ふと──泣きじゃくる千歌さん傍にカッターナイフが落ちていることに気付く。

そして、結びつく。


──自傷……。


彼女はカッターナイフによって、自らの腕や脚を切り付けていた。

そうなると恐らく周りにあるガーゼや絆創膏は治療に使ったもの……?

とにかく、止めなくては……!


ダイヤ「千歌さん……!!」


わたくしは立ち上がり、上履きのまま、ベッドの上の千歌さんの元へ。

靴も脱がずにベッドに乗るなど、はしたないですが緊急事態です。

ですが、


千歌「来ないでぇ!!!!!」

ダイヤ「……っ!!」


千歌さんの絶叫が響く。


千歌「来ないで……来ないで……来ないで……来ないで……!!」


錯乱気味に、ベッドの上を後ずさるように、奥に逃げていく。


ダイヤ「大丈夫ですから……! 事情をちゃんと聞かせてください……!! どうしてこんな──」


──自ら傷つけるような真似を……。


千歌「ダメぇ……!! 来ないでぇ……!!」


こんな状況の彼女、放っておくわけにいかない。

わたくしは身を引いて逃げる彼女に手を伸ばす──


千歌「来ないでぇ……!!!!」


──ドン。

音と共に、視界が回った。


ダイヤ「──……な……ぇ……??」


一瞬何が起こったのか理解出来なかった。

鈍痛がする。

身体を打った。

ゆっくりと身を起こすと、千歌さんにベッドから突き飛ばされたのだと気付く。

わたくしはベッドから1メートルほど離れた場所に転がっていた。


千歌「……っひ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!!!」

ダイヤ「…………っ……」


千歌さんは今度は謝罪の言葉を繰り返しながら、縮こまる。

異常だ。異常なことが多すぎる。

そもそも──

女子高生がベッドの上から、両手で押しただけで同体格の人間をここまで突き飛ばせるはずがない。


ダイヤ「何が……何が起こっているの……?」

千歌「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめ──」


急に千歌さんの謝罪が止まる。


ダイヤ「……? ……千歌、さん……」

千歌「……ぁ」


蹲っていた、千歌さんは急にベッドの上を這うようにして、こちらに向かってくる。


ダイヤ「ち、か……さん……?」

千歌「……ぁ……におい……」

ダイヤ「……匂い……?」

千歌「……いい……匂い……」


千歌さんと目があう。


ダイヤ「……っ……!!?」


そして、彼女の目を見て、戦慄した。

なんと形容すればいいのかわからない。だけれど、確実に彼女の目は、わたくし──黒澤ダイヤという人間を見ていなかった。

──なんだか、おいしそうな餌を見ているような、そんな恍惚とした表情のように、見えた。


ダイヤ「ち、千歌さん……!! ……ど、どうしてしまったのですか……?」


声を掛けながら、後ずさりしようとして、


ダイヤ「っ……!!」


痛みを感じて、前腕から流血していることに気付く。

突き飛ばされたときに、床で思いっ切り擦ったか、何かにぶつけたか。

とにかく、血が流れ出し──


千歌「…………ち」


千歌さんの視線は、わたくしのその流れる血を見つめていた。


千歌「血……血……血……!!! 血!!!!! 血!!!!!!!! 血!!!!!!!!!!!」

ダイヤ「ひっ!?」


急に大きな声をあげて、血と連呼し始める。


千歌「血!!! 血!!!! 血、血、血、血、血、血、血、血!!!!!!!!!!!!!」

ダイヤ「……!?」


そして、そのまま飛び掛ってくる。

千歌さんは仰向けに床を転がっていたわたくしに覆いかぶさるように、組み伏せてくる。


千歌「ぁ血、血……血!!!!!」


目を血走らせ、血と連呼するソレは──噂の吸血鬼そのものだった。


ダイヤ「……千歌……さ……」


余りの光景に、恐怖に、身体が強張って動けなくなる。


千歌「……血……やっと、血……」

ダイヤ「や……やめて……」


恐怖で身体が震える。

逃げなくては。


ダイヤ「……やめて……っ!!!!」


大きな声をあげて、身を捩る。

だが──


千歌「血……!!!」


千歌さんの押さえ込む力が強すぎて、全く逃げられない。


ダイヤ「い、いや……!! いや!!!!」


必死に抵抗する。


千歌「……血!!!」

ダイヤ「お願い!!! やめて!!! だ、だれか……!! 誰か助けて……!!!」


押さえつけられて動けないまま、必死に身体を捩っていると──カラン。

ポケットから、何かが落ちた。

──途端に、


千歌「!!!? いやぁぁぁッ!!!!?」


千歌さんは絶叫を上げて、後ずさる。


ダイヤ「……はっ……はっ……!? た、助かった……?」

千歌「いや、いや……怖い……それやだ、こわい……!!!」


千歌さんは再び身を縮こまらせて、泣き叫ぶ。


ダイヤ「それ……って……」


千歌さんが怖がっているもの……それは、


ダイヤ「ロザリオ……」


善子さんから貰った、ロザリオだった。

その十字架を怖がっているようだ……。


ダイヤ「…………」


わたくしはゆっくりと立ち上がって、床に落ちたロザリオを拾い上げる。


千歌「ひっ……!!」


そして、ロザリオを手に持ったまま、千歌さんの方へと近付くと、


千歌「ごめんなさい!! ごめんなさい!!! ごめんなさい!!!! ごめんなさい!!!!!!」


千歌さんは絶叫しながら、謝罪を連呼する。

もう、これは確信していいでしょう。確実にこのロザリオを嫌がっている。ですが、これでは本当に……。


ダイヤ「……本当に吸血鬼なのですか……?」

千歌「ごめんなざい……っ……ごべんなざい……っ……!!!!」

ダイヤ「…………」


泣きじゃくりながら、全身を縮こまらせ、謝罪の言葉を繰り返す千歌さんからは……いつもの元気で明るい様子が全く感じられない。


千歌「ぅ……ぐ……ふぐっ……」

ダイヤ「…………」


ただ、あまりに辛そうなので、


ダイヤ「……仕方ありませんわね」


わたくしはロザリオをポケットにしまう。


千歌「は……っ……は……っ……」


そうすると、千歌さんは息を切らせながら、少しずつ落ち着いていく。


千歌「ダイヤ……さん……」

ダイヤ「…………千歌さん、事情を聞かせて貰えませんか……?」

千歌「……う、ん……はなす……けど……」

ダイヤ「……けど?」

千歌「おねがい……血を……ください……おねがいします……」

ダイヤ「…………」

千歌「もう……おなかが、へって……死にそう、なの…………」

ダイヤ「……どうやら、そのようですわね」


あの血への執着……。お腹が減ってという言い回し。相当な飢餓状態なのではないかと推察出来る。

ただ、また正気を失われて襲われたらと思うと……これ以上近付けない。


ダイヤ「……どのようにすればいいですか?」

千歌「…………くれるの……?」

ダイヤ「このままじゃ……会話が出来そうにないので。ただ、噛み付かれたりするのは……」

千歌「ん……ティッシュ」

ダイヤ「ティッシュ?」

千歌「しみこませてから……こっちに、なげ、て……」


なるほど。確かにそれなら、近付かずにわたくしの血を千歌さんの方に渡すことが出来る。


ダイヤ「わかりました」


千歌さんから視線を外さないように、養護教諭の使う机の方へとゆっくり近付いて……。

机の上にあるティッシュ箱から、ティッシュを数枚取り出してから、腕の傷口の血を拭う。

流血量は大したことはなく、すぐにティッシュで拭き取ることが出来た。

ただ、落ち着いたら消毒はした方がいいかもしれませんわね……。


ダイヤ「あの……余り量がないのですが……」

千歌「……だいじょぶ……新鮮なら、ちょっと舐めれば……落ち着く……と、思う……」

ダイヤ「そう……ですか」


わたくしは自分の血を拭ったティッシュを丸めて、千歌さんの方へと放る。


千歌「……血……!!」


千歌さんはその丸めたティッシュに飛びつく。

わたくしは、その挙動に警戒しながら、ポケットのロザリオに触れておく……が、これ以上の心配はなかったようで……。


千歌「血……血……っ……」


千歌さんは涙を流しながら、わたくしの血が染み込んだティッシュを舐めていた。


ダイヤ「…………」


思わず顔を顰めてしまう。


千歌「……はっ……はっ…………ごめんね。気持ち、悪いよね……」

ダイヤ「……っ……い、いえ……」


この光景に生理的嫌悪がないなんて……どうやっても言い切れない。


ダイヤ「ごめんなさい……」

千歌「うぅん……チカも、自分で……っ……気持ち悪い……って、思う……っ……」


泣きながら言う。


ダイヤ「…………」

千歌「……ダイヤさん……チカ……吸血鬼に、なっちゃったみたい……」


千歌さんはわたくしに向かって、苦しげに、そう言葉を紡ぐのだった。





    *    *    *





ダイヤ「……落ち着きましたか?」

千歌「……うん」


あれから……わたくしは消毒用のアルコールで傷口の消毒をして、ガーゼを当てて治療をし、千歌さんは再びベッドの奥の方でその身を縮こまらせていました。


ダイヤ「その……何があったのですか……?」

千歌「…………ちょっと前からね、ずっと貧血気味で……おかしいなって思ってたんだけど」

ダイヤ「……ええ」

千歌「夜になるとね……急に、血が飲みたくなるの」

ダイヤ「……」

千歌「最初は……なんか、すごく喉が渇くなってくらいに思ってたんだけど……いくら水を飲んでも、全然渇きが収まらなくて……。……それが何日か続いたある日ね、ウチの旅館に来てたお客さんの子供がね、夜に旅館内で転んで怪我しちゃったんだ。……そのとき、旅館の床にちょっと血がついちゃってね。事情を聞いて後片付けをすように呼ばれたの」

ダイヤ「……まさか」

千歌「……もう、床についてた血を見た瞬間、わけわかんなくなって……床の血を……舐めてた」

ダイヤ「…………そう、ですか……」

千歌「……そしたらね、その血が、おいしくっておいしくって……やっと満たされたって思ったのと同時に……怖くなった」

ダイヤ「…………」

千歌「……なんかわかっちゃったんだ……自分が他人の血を欲してるって……その後、自分の部屋に篭もって我慢してたんだ……。一日目は我慢できた、でも次の日には血が欲しくて、もう頭がおかしくなりそうだったから、タオルを口に詰め込んで我慢した。三日目……っ」


千歌さんの言葉が詰まる。


ダイヤ「……三日目、どうしたのですか……?」

千歌「……気付いたら……お客さんの部屋の前に居た」

ダイヤ「……!!」

千歌「たまたま泊まってた……若い……女性のお客さんの……部屋」

ダイヤ「まさか……」

千歌「うぅん……そこで踏みとどまれたよ。……でも、このままだと次は絶対に襲っちゃうって思って……。夜の間は誰も居ない学校に来ることにしたんだ……」


つまり……ここ最近の吸血鬼の噂は、他人を襲わないように学校に潜んでいた千歌さんだったということです。

火のないところに煙は立たぬと言う言葉の通りに探りに来て……まさに、煙の出所を見つけたのはいいのですが。


ダイヤ「まさか本当に吸血鬼だったなんて……」


しかも、それがまさか自分と同じグループ内の人間だとは……。


千歌「学校でね……最初は教室とかで朝まで待ってたんだけど……。ふとね、血の匂いがして……気付いたら保健室に来てた」

ダイヤ「……治療に使った、ガーゼや絆創膏」

千歌「……見つけたときは本当にラッキーだったと思った。たまたま捨てるのを忘れちゃった日だったんだよね。……次の日はゴミがちゃんと捨ててあって、お腹が空き過ぎて……辛かった。次の日からお昼の間に出来るだけゴミを集めて、ベッドの下に隠してた……」

ダイヤ「…………」

千歌「それでどうにか凌いでたんだけど……だんだん、古い血じゃ全然満たされなくなって……。それで思ったの、自分の血を飲めばいいんじゃないかって」

ダイヤ「……なっ」

千歌「自分の腕をカッターで切りつけて……舐めてみたけど……全然ダメだった。自分の血じゃ、ダメみたい。……それにね」


言いながら、千歌さんはベッドの上にあるカッターナイフを手に取る。


ダイヤ「え、な……!? 千歌さん!?」

千歌「……ん゛!!」


思いっきり、カッターで自らの腕を切りつける。

すると、傷口から血が流れ出す。


ダイヤ「何をやっているのですか!!?」


わたくしは駆け寄ろうとして、


ダイヤ「……!!」


見る見るうちに、その傷口が塞がっていく光景を目にする。


千歌「……こんなの……もう、人間じゃないじゃん……」

ダイヤ「…………」

千歌「チカ……化け物になっちゃったみたい……」

ダイヤ「そん、な……」

千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「な、なんですか……?」

千歌「さっきの十字架……でさ」

ダイヤ「……?」

千歌「……チカのこと、殺したり……出来ない……?」

ダイヤ「……なっ!?」

千歌「たぶん……無理矢理、喉とかに突き刺せば……死ねると思う」

ダイヤ「あ、貴方!! 自分で何を言っているのか、わかっているのですか!?」

千歌「…………」

ダイヤ「殺すだなんて……そんな……」

千歌「…………さっきのダイヤさんの血……一週間振りの新鮮な血だった」

ダイヤ「……え」

千歌「おいしくて、おいしくて……一口舐めただけでも、涙が止まらなかった……。やっと生きた心地がした。それで──」


千歌さんは心底苦しげに、


千歌「またこの血が欲しいって……思った」


そう言った。


ダイヤ「…………」

千歌「このままじゃ……いつか、人を襲う……」

ダイヤ「……千歌さん」

千歌「ホントはね……首筋に噛み付きたいの」

ダイヤ「……!」

千歌「自分でも何でか、わからないけど……女の人の首筋に噛み付いて、そこから血が吸いたい。そしたら、どれだけおいしいんだろうって、そんな考えがずっと頭の中でぐるぐるしてる。……吸血鬼の本能なのかな」

ダイヤ「そんな……」

千歌「……どんどん血が欲しい気持ちが昂ぶってくの……たぶん、もう何日もしない間に耐え切れなくなる。そしたら、私は周りの人を襲い始める」

ダイヤ「…………」

千歌「私……そんな風になるくらいなら……死んじゃいたい。そんなのもう……ホントに人間じゃないもん……化け物だよ……」

ダイヤ「………………」

千歌「……お願い、ダイヤさん……巻き込んじゃったのは謝る、ごめんなさい……。……でも、もう頼れる人、ダイヤさんしか居ないの……。自分じゃ怖くて死ねないから……チカが……っ……チカが完全に人間じゃなくなる前に……殺してください」

ダイヤ「……っ」


眩暈がした。

殺す……? わたくしが……千歌さんを……?


ダイヤ「……血を吸うのを……我慢は出来ないのですわよね」

千歌「……うん。……今はギリギリ正気は保ててるけど……正直吸いたいって思ってる自分が居る」

ダイヤ「どうやって吸うのですか?」

千歌「……? えっと……夜になると、キバが生えてきて……」


千歌さんがあーーっと大口を開けて口内を見せてくれる。

暗がりでわかり辛いが、僅かな月明かりの中で目を凝らしてみると、確かに上顎の犬歯が鋭く尖っていた。


ダイヤ「一度にどれくらい吸うのですか?」

千歌「え? ……直接やったことはないから、わかんないけど……ちょっと吸えば満足する気はする。……たぶんだけど」

ダイヤ「……そうですか」


わたくしは、ポケットからロザリオを取り出した。


千歌「……っ!!」


千歌さんが十字架を見て、本能的にか身を縮こまらせる。

……そのまま、ロザリオを机の上に置いて。


ダイヤ「…………」


わたくしは千歌さんの方へと足を運ぶ。


千歌「へ……」


そのまま、髪を纏めて、右肩の前側へと髪を垂らす。

──つまり、首の左側部が完全に露出する形になる。


千歌「へ、あ……ちょ、な……ダ、ダイヤさん……?」

ダイヤ「……人間の血液は確か大体4ℓほど……。致死量の失血は確か20%程度だったはずですわ。さすがに800mℓも一回の吸血行為で吸い切れないと信じましょう」

千歌「な……なに……言ってるの……?」


そのまま、わたくしは千歌さんの顔の近くに首を差し出す。


ダイヤ「……吸いたいのでしょう?」

千歌「……!! や、やだ……!!」


千歌さんは涙目で首を振る。


ダイヤ「……どうして?」

千歌「だって……ダイヤさんから血を吸ったら……そんなの……っ……」

ダイヤ「……餌みたい、ですか?」

千歌「……っ……」

ダイヤ「…………でも、誰かから吸わなきゃ耐えられないのでしょう?」

千歌「……だ、から……」

ダイヤ「殺してくれと」

千歌「…………」

ダイヤ「千歌さんのお気持ちはわかりました。……わたくしの想っていることも聞いていただけませんか」

千歌「………………うん」


千歌さんは小さな声で頷く。


ダイヤ「……わたくしは例え貴方がどんな存在であっても、死んで欲しくない」

千歌「……!」

ダイヤ「ましてや、貴方を殺すなんて……絶対に嫌ですわ。お断りします」

千歌「……ダイヤ、さん」

ダイヤ「わたくしは……同じAqoursの仲間ですわ。絶対に貴方を見捨てたりしない」

千歌「…………でも」

ダイヤ「わたくしの血を吸って、時間が稼げるなら……血液全部をあげることはもちろん出来ませんが、わたくしの血を飲んでください」

千歌「…………」

ダイヤ「その代わり、いくつか約束してくださいませ」

千歌「……約束?」

ダイヤ「わたくし以外の血を絶対に飲まないこと。他の人間を襲わないというのは当たり前ですが……使い終わったガーゼや、床や壁についた血を飲むのもやめてください。感染症や病気に掛かる可能性が高すぎます」

千歌「え……う、うん」

ダイヤ「そして……死にたいなんて、二度と言わないで」

千歌「……!」

ダイヤ「わたくしは、貴方に生きていて欲しい」

千歌「ダイヤ……さん……」

ダイヤ「そして、生きて、元に戻る方法を一緒に探りましょう。……それが、わたくしが貴方に血を提供する条件ですわ」

千歌「…………」

ダイヤ「約束……出来ますか?」

千歌「……いいの?」


千歌さんが搾り出すような声で訊ねてくる。


千歌「チカ……人間じゃないよ……っ……? ……生きてて、いいの……っ……?」

ダイヤ「貴方は人間ですわ」

千歌「……!」

ダイヤ「自分を無理矢理押さえ込んででも、誰かを傷つけないように身を粉にする姿は……わたくしが知っている千歌さんそのものですわ。その心は……どう考えても人間の心よ」

千歌「……人間の……心……」

ダイヤ「……今は事情があって……人から血を吸わないとダメなだけですわ。ただ、そういう個性があるだけで……貴方は人間ですわ」

千歌「……うん……っ……」

ダイヤ「……千歌さん」

千歌「……うん……っ」

ダイヤ「わたくしの血を──飲んでください」





    *    *    *





──千歌さんが深呼吸をしている。

覚悟を決めているのだろう。

吸血行為── 一線を越えることへの覚悟を。


千歌「……ふー……。……血、貰います」

ダイヤ「……はい」


ベッドの上に座ったまま、真正面から向き合い、抱き合うような形で、

千歌さんが自らの顔をわたくしの首筋に近付けていく。

そして、


千歌「ぁー……」


口を開いて、


千歌「──むっ」


噛み付いた。


ダイヤ「……っ」


そのまま、ブスリとキバが首筋に突き刺さってくる。

そして、そこから、血を吸っていく。


千歌「……ん……ちゅ……ちゅ……」

ダイヤ「……ん……」


キバが刺さっていると言う割には、痛いと言うよりはくすぐったかった。

千歌さんが少しずつ血を飲んでいく。

すると、何故だかだんだんと心拍数が上がっていく。

吸血されるという、余り経験し得ない行為に、緊張しているのかもしれない。


千歌「……ん……ちゅ……コク……」


しばらく、吸血行為を続けた後──


千歌「ん……ぁ……」


千歌さんはわたくしの首筋から離れた。


千歌「……は……ぁ…………おいしぃ……」


千歌さんは心底幸せそうに、息を漏らす。


ダイヤ「……そう、ですか……」

千歌「うん……なんか、生きた心地がする……」

ダイヤ「千歌さん…………もっと、吸っていいですわよ……?」

千歌「……え?」

ダイヤ「いえ……もっと、もっと吸ってください……わたくしが枯れるまで、吸ってください……?」

千歌「へ……え……?」

ダイヤ「わたくしはもう千歌さんのものです……? 好きにしてくださいませ……?」

千歌「……!? ま、待って……!!? ダイヤさん、どうしちゃったの……!!? さっきと言ってること違うよ!?」

ダイヤ「…………え……あ……? ……え、今わたくし……なんて……?」

千歌「……えっと」


一瞬頭に靄が掛かっていたような気がする。

なんだか、凄く千歌さんに血を吸われるのが心地よくて……もうずっと吸っていて欲しい……。


ダイヤ「え、あ、いや……!!」


思わずかぶりを振る。


千歌「だ、ダイヤさん……?」

ダイヤ「い、いえ……大丈夫ですわ」

千歌「ホントに……?」

ダイヤ「……ええ」


得体の知れない現象に襲われた。


ダイヤ「……あの、追加でお願い事をしていいですか?」

千歌「う、うん」

ダイヤ「たぶんなのですけれど……血を吸われた直後、わたくしにもなんらかの影響があるようですわ……。血を吸った直後にわたくしが言ったことは、あまり聞かないで貰っていいですか……?」

千歌「う、うん! わかった!」


これは正直考えていなかった。

ただ、千歌さんの様子は明らかに吸血前と今では、声の調子が全然違う。

今はいつもの千歌さんだ。

ちゃんとした吸血行為をさせることによって、千歌さんは元の精神状態に戻るというのは恐らく間違いない。

わたくしにも影響があると言うのは予想外だったとは言え、彼女へのケアの仕方としては正解だろう。

ただ、


ダイヤ「バランスは考えなくてはいけないかもしれませんわね……」


吸血されて、こちらが正気を失ってしまっては元も子もない。

これから、元に戻る方法を探りながら……同時に今の千歌さんの状態を知っていく必要がありますわね……。





    *    *    *





……さて、あの後わたくしたちは保健室の後片付けをしてから、家路に着いているところです。

月灯りに照らされながら、夜道を歩いています。


ダイヤ「……本当に自分の家には帰らないのですか?」

千歌「……うん。旅館だと、人が多すぎて……怖い」


これからゴールデンウイークの10連休だと言うのに、学校に居座らせ続けるわけにもいかないと思い、帰宅を促しはしましたが……。

誰かを襲ってしまう恐れは彼女の中では払拭しきれていないようで、自宅に帰ることは拒んでいる。

まあ、そうなると……。


ダイヤ「しばらくはわたくしの家に泊まってくださいませ。……とは言ってもずっと、と言うわけにはいきませんが……」

千歌「うん……ありがとう、ダイヤさん」


さすがに数日もしたら、泊まりに行っていたルビィも帰って来てしまう。

まだ千歌さんの吸血鬼化がどういうものなのか、全く見当が付いていない現状で、誰かにこの事実が漏れるのは恐らく良くないだろう。

わたくしはいろいろ考えた末、彼女を受け入れたとは言え……これから知る人間が恐怖したり、嫌悪しない保証など何処にもない。

せめて、危険がない状態の確保がしっかりと確認出来るまでは、二人の秘密としておいた方が無難でしょう。

……とりあえず。


ダイヤ「現状わかっていることを少しずつ整理しましょうか」

千歌「あ、うん」

ダイヤ「その現象……吸血鬼化はいつからなのでしょうか?」

千歌「うーんと……10日くらい前からだと思う」

ダイヤ「きっかけは……?」

千歌「……わかんない。いつも通り生活してたら、突然だったから……」


……まあ、それがわかればもう少し何かアクションを起こしていそうなものですものね。


千歌「強いて言うなら……」

ダイヤ「言うなら?」

千歌「最近ダンスが難しくて、苦戦してた気がする……」

ダイヤ「……ダンスが難しくて、吸血鬼化するのですか……」

千歌「ほら……ストレス性なんちゃらで」

ダイヤ「ストレスで吸血鬼化するのだとしたら、世の中今頃、吸血鬼だらけですわ……」


まあ確かに、外的要因なのか、内的要因なのかで話は結構変わってくるのですが……。

後は……。


ダイヤ「どこまで吸血鬼なのでしょうか……」

千歌「どこまで?」

ダイヤ「ほら……吸血鬼と言えば、みたいなイメージがあるではないですか」

千歌「あー……十字架とニンニクが苦手みたいなやつ?」

ダイヤ「はい。……十字架は苦手ですわよね」

千歌「うん……見ると、すごい怖く感じる……」

ダイヤ「大蒜は?」

千歌「ニンニクもダメかな……。ニンニク使った料理があると、部屋に入れない」

ダイヤ「そこまでですか……?」

千歌「臭いだけで、目とか鼻が痛くなって……耐えられなくなる」

ダイヤ「なるほど……他には?」

千歌「……河に近寄れなくなったかな」

ダイヤ「……河ですか?」

千歌「うん……調べて知ったんだけど……吸血鬼って流水? 流れてる水が苦手なんだってさ……」

ダイヤ「流水が苦手……それはわたくしも初めて知りましたわ」


ある程度の知識があるとは言え、特段吸血鬼について調べたことがあるわけではないですし……。

この辺りは、少し勉強をした方がいいのかもしれない。

ただ、ここまで聞いている限り、思った以上に普通のイメージ通りの吸血鬼の性質を持っている状態だとわかります。


ダイヤ「……となると、シャワーやお風呂は?」

千歌「シャワーは無理かな……水道から出てくる水も怖いって感じる……。お風呂は一応大丈夫だけど……湯船に浸かってるとちょっと気持ち悪くなってくる」


水に対する感覚もかなり変わっている……。

そういえば、聖水が苦手と言うのは聞いたことがありますが、それと関係しているのでしょうか……?


ダイヤ「苦手と言えば……日光は?」


吸血鬼と言えば日光が苦手と言うのがとにかく有名な話です。

でも、ここ数日も学校にはちゃんと来ていたし……。


千歌「うーんと……日光がきついなってのはずっと感じてた。ちょっと日差しを浴びると頭がくらくらして倒れそうになる」


そこまで聞いて、そういえばここ数日はずっと貧血気味だったと言う話を思い出す。


千歌「ただね。お昼の間は……あんまり吸血鬼っぽくないんだよね」

ダイヤ「そうなのですか?」

千歌「うん、キバも普通の歯に戻ってるし……。血が欲しくなるのも夜だけなんだよね」

ダイヤ「なるほど……」


もしかしたら、太陽が出ている時間は、吸血鬼性──とでも言うのでしょうか──が減るのかもしれない。

あと、確認しておかないといけないことと言えば……。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん、なに?」

ダイヤ「血、今でも吸いたいと思っていますか?」

千歌「……うぅん、今は大丈夫」

ダイヤ「……やはり、ある程度満たされていれば大丈夫と言うことですわね。……どれくらいで次の波が来るかはわかりますか?」

千歌「……直接吸えたのは初めてだから、わかんないけど……。たぶん今までの感じだと、2日間全く血に触れられないと……かなり辛かったかな……」

ダイヤ「となると、スパンは2日くらいが限度と考えましょうか……」


余り無理をさせるとまた千歌さんの精神が不安定になってしまう恐れがありますが……まだ詳細がよくわかっていないとはいえ、頻繁にやりすぎると、わたくしにも少なくない影響が及ぶ可能性がある。

そこは様子を見ながら慎重に吸血行為を行う必要がありますわね……。

そんな考察を続けていると──直に我が家が見えてきたのでした。





    *    *    *





ダイヤ「ん……」


自宅に着くと、安心したのか、急に眠くなってくる。

いろいろあったからでしょうか……。

ただ……。


ダイヤ「お風呂に入りましょうか……」

千歌「あ、うん、行ってらっしゃい」

ダイヤ「……いえ、貴方も入るのですわよ?」

千歌「……え? わ、私はいいよ……」

ダイヤ「ダメですわ。さっきまで血塗れだったのですわよ? それに……長いことまともにお風呂に入れて居ないのではないですか」

千歌「……ぅ」


流水がダメと先ほど聞きましたし、湯船でも気持ち悪くなると言うことは、ほとんど入浴が出来ていないと考えた方がいいでしょう。

幸い吸血鬼の特性なのかはわかりませんが、その所為で臭う……みたいなことはないのですが。

……と言うか。


ダイヤ「余り、汗の臭いはしませんわね……」

千歌「ぅ……そういうこと言いながら、ニオイ嗅がないでよぉ……」


代謝の仕組みが普通の人間と吸血鬼とでは違うのでしょうか……?

まあ、どちらにしろ、流水が苦手と言うのがどれ程のものなのか確認することも出来ますし……。

それに──


ダイヤ「とにかく……お風呂に参りましょう」

千歌「はーい……」


──吸血鬼である彼女を自宅で一人にするのはやはり憚られた。

こういうとき信用していないのかと言われると、少し困ってしまいますが……今の彼女は何かの拍子に自分が全く制御出来ない瞬間が訪れる。

そうなったとき、わたくしの家族にもし被害が及んだら……優しい千歌さんはまた自分を強く責め立ててしまうでしょう。

そうならないためにも……出来る限り、目の届く範囲で千歌さんを見ている必要がありますわよね……。





    *    *    *





──脱衣所。

我が家の浴室はそれなりに大きい。

もちろん、旅館の娘である千歌さんの家のお風呂は、この比ではありませんが……。

脱衣所で服を脱ぎながら──


千歌「ん……しょ……」


彼女の身体を横目で観察する。

身体的な部分としては、これと言って変わった部分は見当たらない。


千歌「ん……どうしたの?」

ダイヤ「いえ……吸血鬼になった際に歯の他にも変化はないのかなと思いまして……」

千歌「変化……あ、えっと……」

ダイヤ「? 何かあるのですか?」

千歌「肌が……すべすべになったかも」

ダイヤ「……それは何よりですわね」

千歌「い、いやホントだもん!」


それが吸血鬼化によるものなのかはわかりませんが……ただ、


千歌「う……/// ジロジロ見られるとさすがに恥ずかしいよ……///」

ダイヤ「そうですわね……ごめんなさい」


彼女の身体には不自然なほど、傷や痕がない。

あまりに綺麗過ぎる。

先ほど目の前で見せられたことですが、今の彼女には、とてつもない治癒再生能力がある。

それによる作用で肌がとてもいい状態で保たれているという可能性は大いにある。

──ふと、わたくしも脱衣所の鏡を確認してみると。

首筋にはしっかりと、先ほど千歌さんが吸血のために噛み付いた傷跡が二つ残っていた。

余り深い傷ではないとは言え、このまま外を出歩くと少し目立つかもしれませんわね……。


ダイヤ「これは隠しておかないといけませんわね……」


絆創膏でも貼って誤魔化しておきましょう。

鏡を見ながら、首筋を撫でていると、


千歌「ダイヤさん? お風呂入らないの?」


鏡に映るわたくしの横に千歌さんも割り込んでくる。


ダイヤ「…………」


鏡に映ったまま、並ぶと身体の起伏の違いが明確にわかる。


千歌「……? どうかしたの?」

ダイヤ「……なんでもありませんわ」


何故、年下なのにそんなに発育がいいのか……全く不公平ですわ。


ダイヤ「千歌さん! 早く入りますわよ!」

千歌「え、な、なんで急に怒ってるの!? ねえ、ちょっと!! ダイヤさーん!?」





    *    *    *





さて……浴室に足を踏み入れてみて……。

思った以上に千歌さんの流水が怖いというものが深刻なことがわかりました。


千歌「…………」


千歌さんは、浴室の壁に張り付いて動けなくなっていました。


千歌「ダ、ダイヤさん……み、水……流れてる……」

ダイヤ「……ここまでと言うのは完全に予想外でしたわ」


湯船に浸かる前に、わたくしが身体をお湯で流していたところ……。

千歌さんは排水口に向かって流れている水に脅え始めてしまった。

入浴へ抵抗があるくらいの認識だったのですが、恐らくこの感じだと入浴はまともに出来ていなかったと考えた方がいいかもしれません。

とりあえず……。


ダイヤ「すみません……わたくしの配慮が足りませんでしたわ。水が流れきるまで少しだけ待ってくださいますか?」

千歌「う、うん……いや、その……こちらこそ、ごめんなさい……」

ダイヤ「いえ……」


しばらくして……。完全に水が排水口に流れていったのを確認してから。


ダイヤ「……これで、通れますか?」

千歌「う、うん……」


千歌さんがおっかなびっくり湯船の方に近付いてくる。

もちろん浴室なので、多少の水気はあちらこちらのあるのですが……。

それを怖がっては居ないので、本当に流水がダメと言うだけのようですわね。


ダイヤ「それでは……湯船に浸かりましょうか」

千歌「え、で、でも……先に身体洗わないと……」

ダイヤ「洗えるのですか? 身体を流すお湯も怖いのでしょう?」

千歌「それは……うん……」

ダイヤ「ここは公共の浴場ではないので……気にしないでくださいませ」

千歌「あはは……ありがとう」


そう言いながら、千歌さんは再びおっかなびっくり湯船へと入っていく。


千歌「ぅ……」


僅かに顔を顰めながら。

先ほど言ったとおり、平気は平気だけれど、水に触れると言う行為自体が少し辛いのかもしれません。

早めに入浴を済ませた方がいいかもしれませんわね……。


千歌「……ダイヤさんも……お湯、浸かって……? チカのこと待ってたから……寒かったでしょ?」

ダイヤ「ふふ、ありがとうございます……」


そうは言っても気を遣う余裕はあるようで……。

わたくしも千歌さんに倣う様に、湯船へと身を沈める。

出来るだけゆっくり湯船に浸かる。

水が浴槽から零れて流水になると、千歌さんは再び身動きが取れなくなってしまいますからね……。


ダイヤ「千歌さん……気分はどうですか?」

千歌「……ん……少し落ち着かないくらい、かな……大丈夫」

ダイヤ「何かあったら、早めに言ってくださいね」

千歌「うん……ありがと」


しかし、入浴だけでこれだけ苦労するとなると……吸血行為以外でも生活が大変になっている部分が多くあるかもしれない。

千歌さんはここ10日間ほど……どれだけ不安だったのか。あまりに不憫に感じて、思わず千歌さんの顔を見つめてしまう。


千歌「ん……なぁに?」

ダイヤ「……いえ」


彼女がわたくしに殺してくれと懇願したのは……もう疲れてしまっていたからなのかもしれない。

自分の異常な状態に……。

わたくしの判断が間違っていたとは思ってませんが……。

こんな状況になっても生きなさいと言うのは……酷なことを言ってしまったのかもしれません。

そんなことを考えていたら、


千歌「……でも、ダイヤさんが見つけてくれて……よかった」

ダイヤ「え……?」


千歌さんはそう言う。


千歌「だって……もし、ダイヤさんが見つけてくれなかったら……たぶん狂ってた」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「誰にも相談出来ずに……ホントに人を無差別に襲う……吸血鬼になってたと思う」

ダイヤ「……そう」

千歌「ホントに……人間じゃなくなってた……」

ダイヤ「…………」

千歌「繋ぎ止めてくれて……ありがとう、ダイヤさん……」

ダイヤ「…………」


わたくしは思わず──


千歌「……わっ!?」

ダイヤ「千歌さん……」


──千歌さんを抱きしめていた。


千歌「ダ、ダイヤさん……?」

ダイヤ「……辛かったですわね」

千歌「……!」

ダイヤ「大丈夫……貴方はちゃんと元に戻ります。元の生活にきっと戻れますから……」

千歌「……ぐす……っ……。……うん……っ……」


たまたま偶然、あの場に居合わせてしまったが故に、わたくしは彼女の問題に足を踏み込んでしまいましたが……。

それでも、関わった以上、知ってしまった以上、放っておくことなんて出来ない。彼女を孤独な世界に、還してはいけない。

誰よりも優しい彼女が……本当に人間に戻れるまで、力を尽くそうと。

わたくしはそう心に誓ったのでした。





    *    *    *





──入浴を済ませて……。

今度こそ休もうと思い、布団を並べる。

深夜に学校で千歌さんと出会ってから、相当時間が経過している。

もう夜明けも近い時間になっているため、かなり眠い。

わたくしがうとうとしている傍で、


千歌「ダイヤさん大丈夫……? かなりうとうとしてるけど……」


千歌さんは随分元気そうだった。


ダイヤ「千歌さんは……眠くないのですか……?」

千歌「あ、えっと……夜の間はなんか目が冴えちゃって……」

ダイヤ「……なるほど」


失念していた。

吸血鬼はどう考えても夜行性の生き物。

つまり、夜の間は眠らないと言っても差支えがないでしょう。

さて、どうしたものか……。


千歌「ダイヤさん……眠いなら寝ていいよ?」

ダイヤ「……え、ええ」


そうしたいのは山々なのですが……。やはり、千歌さんを一人にしたまま、眠ってしまうのは……。


千歌「……ダイヤさんが寝てる間、チカも一緒に横になってるね」

ダイヤ「え……?」

千歌「私が一人にならないようにしてるんだよね」

ダイヤ「……気付いていましたのね」

千歌「うん……。私今一人になると、何するかわかんないもんね。心配なら、ダイヤさんが寝てる間は紐とかで繋いでくれててもいいよ」

ダイヤ「い、いくらなんでも、そんなこと出来ませんわ……!!」

千歌「……ありがと、優しいね」

ダイヤ「そんな……」


優しい、だなんて……。

……わたくしは千歌さんのことを、体の良い理由で見張ろうとしていただけなのに……。


ダイヤ「わ、わたくし……千歌さんのことを……」

千歌「あはは……いいんだよ。だって、チカが今普通じゃないのは事実だもん」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……でも、その上で一応言っておくね。……ダイヤさんとした約束は絶対に守る。何がなんでも守るから」

ダイヤ「……!」

千歌「……その上で、ダイヤさんが不安なときは好きに拘束でもなんでもしてくれていいから」

ダイヤ「…………ごめんなさい、千歌さん」

千歌「うぅん、大丈夫だよ」

ダイヤ「そうじゃなくて……」

千歌「?」

ダイヤ「わたくし……貴方のことを少し見くびっていたのかもしれません。……貴方は本当に、本当に優しい人なのですわね」

千歌「……んーん、普通だよ」

ダイヤ「謙遜なさらないで? ……貴方がそこまで言うなら、信じますわ。ただ、血が欲しいときは本当に早めに言ってくださいね? 貴方の理性が飛んでしまってからでは対応も遅れてしまいますから……」

千歌「うん、わかった」

ダイヤ「……ふぁ」


軽く欠伸が出る。……そろそろ限界かもしれません。


千歌「ゆっくり休んでね……ダイヤさん……」

ダイヤ「……ありがとう、千歌さん……。おやすみなさい……」


わたくしが目を瞑ると……すぐに睡魔が押し寄せてきて、わたくしの意識はすぐに混濁を始める。

こうして、長い夜が一先ずの終わりを告げたのでした。




    *    *    *





──翌日。


ダイヤ「ん……ぅ……」


わたくしが目覚めると……。


千歌「……すぅ……すぅ……」


すぐ横で千歌さんが寝息を立てていた。


ダイヤ「時間は……」


部屋にある壁掛け時計を確認すると──時刻は10時前ほどを指していた。

夜明けから大体5時間くらいでしょうか……。

あんなことがあった後だと言うのに、存外ぐっすり眠ることが出来た。

精神的にも、肉体的にも、疲れていたと言うのも多分にあると思いますが……。


ダイヤ「我ながら能天気なものね……」


少し自分に呆れてしまいますが……普段から睡眠はしっかりとる習慣がある意味いい方向に働いたのかもしれない。

かなり寝坊気味なのは気になりますが、幸い今日からゴールデンウイークですし……。


千歌「すぅ……すぅ……」


隣で穏やかな寝息を立てる、千歌さんに目を配る。


ダイヤ「……そういえば、千歌さんの言う通りなら、今は吸血鬼化が解けているはず……」


確認するなら……歯を見ればいいのかしら。

少し口の中を──そう思って手を伸ばして、


千歌「……んにゅ……」

ダイヤ「…………」


やめた。


ダイヤ「……確認なら千歌さんが起きてからでもいいですわよね」

千歌「……すぅ……すぅ……」


あまりに気持ち良さそうに眠っているし……睡眠の邪魔をするのは可哀想だと思ったので……。

千歌さんも相当疲れていたでしょうし、日が昇るまでの間、彼女は目が冴えていても尚、わたくしの横でじっとしていてくれたのだと思う。

眠れないまま、一人横になって過ごすのは思いのほか疲れるものです。

やっと、日も昇り、眠りに就くことが出来た彼女を、今は起こさないであげた方がいいでしょう。


ダイヤ「……さて、千歌さんが起きるまで、どうしましょうか」


少し遅めの朝食を取ろうかしら……。

ゴールデンウイークの間はお手伝いさんには休暇を取ってもらっているので、準備は自分でしなくてはいけませんが……。

その際、千歌さんの分も一緒に作って……。


ダイヤ「……いえ、それも千歌さんが起きてからにしましょうか」


すぐに考え直す。

今現在彼女が何を食べられるのかもわからないですし……。

……と言うか、吸血鬼も食事をするのでしょうか……?

流石に人の血液だけしか口にしないと言うことはないと思うのですが……。

と、なると今他にやるべきことは……。


ダイヤ「吸血鬼について調べることかしら……」


それならば、とりあえず情報の収集出来る物や場所……自宅ならパソコン、あとは図書館などでしょうか。

自室にあるノートパソコンを探しながら、ふと──


ダイヤ「……あら?」


机の上で携帯電話がピコピコ光っているのが目に止まる。

いまどき珍しくなってしまった、ガラパゴスの携帯を開くと、LINEに通知が来ていた。


 『Mari:見回りどうだった? 吸血鬼いた?』


ダイヤ「……居ましたけれど」


 『ダイヤ:いえ、予想通り大きめのネズミがいただけでしたわ。ちゃんと捕まえましたので、安心してください』


そう返す。

流石にここでバカ正直に答えるわけにも行きませんからね。


ダイヤ「……果南さんからも通知が来ていますわね」


 『果南:ダイヤ、大丈夫? 何もなかった?』


果南さんからも鞠莉さんと同じような連絡が来ていた。

……まあ、果南さんにも同様の返事をする以外出来ませんわよね。

先ほどと同様の文言をポチポチと打ちながら、


ダイヤ「……あ」


あることを思いつく。


ダイヤ「……もしかしたら、あの二人なら……わたくしより詳しいかもしれない」


そう思い、果南さんへの連絡の後に、更に別の二人に連絡を送ることにしました。





    *    *    *




千歌「──ぁーー……」

ダイヤ「……確かに歯は元の形状に戻っていますわね」


昼過ぎくらいになると、千歌さんが目を覚ましたので、当初の予定通り、歯を確認させて貰う。


ダイヤ「歯が元に戻る……と言うことは、吸血欲求もなくなるのですか?」

千歌「うん。朝になっちゃえば血がなくても我慢出来るから、とにかく夜を越えちゃえばって感じだったんだよね」


言われてみれば、千歌さんは保健室のガーゼなどを昼に集めて隠していたと言っていたけれど、

仮に昼の間も夜と同様の吸血欲求があるなら、血を見た瞬間正気を失ってもおかしくはないはずです。

人の居る時間に騒ぎが起こっていなかったのは、昼の間は夜に比べてかなり吸血鬼性が下がると言う何よりの証拠でしょう。


ダイヤ「……と、なると、流水や十字架も昼の間は平気なのですか?」

千歌「んーと……触るのは無理だけど、夜ほど怖くなくなるかも」

ダイヤ「なるほど……ちょっと試してみてもいいですか?」

千歌「あ、うん」


わたくしは千歌さんに了承を貰ってから、部屋の隅の方へと歩いて行く。

部屋の隅についたところで、ポケットから、昨日善子さんから貰ったロザリオを取り出す。


ダイヤ「千歌さん、無理だったらすぐに言ってくださいませね」

千歌「う、うん……」


ここから、手に持ったまま、どこまで近付けるかを確かめる。

……とは、言ったものの、わたくしが取り出した時点で千歌さんの顔色が少し悪くなった気がする。

昨夜は、わたくしが取り出しただけで、身を縮こまらせて脅えていたから、夜に比べると幾分マシというのは本当らしいですが。

手にロザリオを持ったまま、ゆっくり近付いていく。


千歌「……ぅ」

ダイヤ「……大丈夫ですか?」

千歌「……うん、まだ平気」


大声をあげて発狂してしまう、夜の状態と比べるとかなり近付いても平気そうですわね。

お互いの距離が残り1mくらいまで近付いたところで、


千歌「…………こ、これ以上は無理……」


千歌さんが座ったまま後ずさる。


ダイヤ「……わかりました」


わたくしがロザリオをポケットにしまうと、


千歌「……ほっ」


千歌さんは胸を撫で下ろした。

そこからもわかりますが、目に見えることによって与えられる影響が大きいようですわね。


ダイヤ「ポケットに入っていれば平気なのですわね?」

千歌「うん、一応。……ちょっと気にはなるけど」

ダイヤ「十字架の気配みたいなものを感じるということかしら?」

千歌「うぅん。持ってるって知ってるからってだけかな。十字架の気配的なものは感じないよ」


やはり、十字架は目に見えると影響があると言うことで間違いなさそう。


ダイヤ「それなら……これは普段は部屋に置いておいた方がいいかしらね」


わたくしが持っているとわかっていたら、千歌さんも落ち着かないでしょうし……。


千歌「あ、いや……ダイヤさんには持ってて欲しい、かな」

ダイヤ「え? ですが……」

千歌「もし、何かあっても……それを持ってれば、チカのこと撃退出来ると思うから……」

ダイヤ「…………わかりました」

千歌「……うん、ありがとう」


彼女が最も恐れているのは、自身が人を襲ってしまうことのようです。

保険として、わたくしには身を守る手段を持っておいて欲しいというのも、わからない話ではない。

仮に危害の方向がわたくしじゃなかったとしても、千歌さんが暴走してしまったときに止める手段にもなりますからね……。

……その後も、ロザリオと流水についての反応を二人で検証していると、確かに千歌さんの言う通り、拒否反応は夜に比べて随分マシだと言うことがわかりました。

昼の間、十字架は目視1mより近付くのは難しい。流水は10cmほどまでは大丈夫なようです。

水への嫌悪も多少和らぐようで──となると、今後の入浴は日が出てる間の方がいいかもしれませんわね。

結果論とは言え、昨日の夜に無理矢理入浴させてしまったのは、少々悪いことをしましたわ。


ダイヤ「……さて、他に調べることは──」


と、次に何をしようか考えていたところで、

──くぅぅぅ……。


千歌「あ……お腹空いたね」

ダイヤ「…………///」


お腹が鳴ってしまい、わたくしは思わず赤くなって俯く。

そういえば、ご飯を後回しにして、忘れていましたわ……。


ダイヤ「ち、厨房に行きましょう……何か簡単なものを作ろうと思いますので、手伝ってくださいますか?」

千歌「あ、はーい」


わたくしは千歌さんを連れて厨房でお昼ご飯を作ることにしました。





    *    *    *




ダイヤ「……ご飯は食べられるのですか?」

千歌「あ、うん。普通に食べられるよ」

ダイヤ「一応聞いておきたいのですが……食事で血への餓えを紛らわすということは……?」

千歌「……無理、かな。どんなにご飯を食べてても、血が欲しいって一度感じたら全然満たされなくなっちゃうから……」

ダイヤ「まあ、そうですわよね……」


それでどうにかなるなら苦労はしていないでしょう。


ダイヤ「大蒜の他に食べられないものは?」

千歌「食べられないものというか……水があんまり飲めない」

ダイヤ「え?」

千歌「最初のうちはちょっと水の味が変だなってくらいだったんだけど……ここ1~2日は水飲むと、気持ち悪くて吐き出しちゃってた……」

ダイヤ「そ、それって相当困りませんか……?」

千歌「う、うん……割と喉が渇いてて辛いかも……あ、でも昨日はダイヤさんが血を飲ませてくれたから、今は大丈夫だよ?」

ダイヤ「そ、そういうものなのでしょうか……?」


人間は4~5日も水を飲まなければ死んでしまいます。

血が水の代わりになると言っても……昨日千歌さんが飲んだ血の量なんて、遅らく100m?にも満たない量です。

吸血鬼は根本的に体質が違うといえばそれまでかもしれませんが、人間が一日に必要と言われてる水の量は1.5?以上なんて話を聞いたことがあります。

どう考えても足りているとは思えない。


ダイヤ「本当に大丈夫なのですか……?」

千歌「……えーっと」

ダイヤ「正直に言ってください。餓えもそうですが、渇きも十分理性を失う要因になりかねませんわ」

千歌「…………正直に言うと、ものすっごく喉が渇いてるかも……」

ダイヤ「……ですわよね。どう考えても、血液だけで補えているとは思えませんもの」

千歌「ごめんなさい……」

ダイヤ「いえ、謝らないでください」


……とは、言ったもののどうしたものか。

水を飲むことが出来ない以上、水以外のものから水分を補給しないといけないということだ。


ダイヤ「そうなると……野菜や果物でしょうか……」


とりあえず、何かないかと冷蔵庫を開ける。

その瞬間──


千歌「──¢£%#&□△◆■!?」


千歌さんが奇声を発した。


ダイヤ「え!?」

千歌「!!!!!!!!!」


鼻を押さえ、涙を流してのた打ち回っている。


ダイヤ「まさか、大蒜……!!?」


焦って視線を冷蔵庫の方へ戻すと、チルド室の中に保存用の袋に入れられて保存されている皮を剥いた大蒜があるのに気付き──すぐさま、冷蔵庫を閉じる。

振り返ると、


千歌「……はっ……はっ……」


のたうち回るのは止まったものの、千歌さんは涙を流したまま息を切らせて蹲っていた。


ダイヤ「ち、千歌さん!? 大丈夫ですか!?」

千歌「……はぁ……はぁっ……し、死ぬかと……っ……思った……っ……」

ダイヤ「すみません……! わたくしの不注意でしたわ……!」

千歌「う、うぅん……あ、あはは……」

ダイヤ「もう……!! なんでこんなタイミングで大蒜が冷蔵庫の中にあるのですか!?」


わたくしも気が動転して、思わず声を荒げてしまう。


千歌「だ、大丈夫……ちょっと、びっくりしただけだから……」

ダイヤ「千歌さん……本当に、ごめんなさい……」


大蒜があると、部屋に入れないと言うのは事前に聞いていたのに。不覚でしたわ。

と言うか、保存袋に入れれば臭いはあまり漏れ出さないはずなのに……。


ダイヤ「かなりニオイに敏感なのですわね……」


そういえば、学校に居る間も最初は教室で待っていたけれど、保健室から血の匂いを感じて移動したと言っていましたし……嗅覚も人間離れしているのかもしれません。

冷蔵庫の厚い扉が一枚あれば、とりあえず大丈夫なようですが……。


ダイヤ「……とりあえず、部屋で待っていてくれますか?」

千歌「ごめんなさい……そうします……」


千歌さんはへろへろとわたくしの部屋へと戻っていく。

誰かが食べようと思っているものだと言うのには間違いありませんが……とりあえず、大蒜は後で処分しましょう。

しばらく千歌さんは泊めるつもりである以上、大蒜があるとそれだけで危険です。

……本当に死んでしまうのではないかと言う、苦しみ様でしたし。


ダイヤ「……さて」


チルド室の中に大蒜が置いてあった……。


ダイヤ「とりあえず、今は冷蔵室は開けない方がよさそうですわね……」


そう思い野菜室を開ける。

幸いなことに、こちらには大蒜は置いては居なさそうです。


ダイヤ「トマト、タマネギ、レタス……えっと、確か食パンは残っていましたわよね。サンドイッチにしましょう……」


ベジタブルサンドなら、水分も補給出来て、腹の足しにもなる。

……ただ、この組み合わせだとベーコンか卵が欲しいのですが、ベーコンも卵も、さすがに野菜室には置いていない。

冷蔵室を開けたいところですが、千歌さんに部屋に退散してもらったとは言え、あの嗅覚だとニオイを感じ取ってしまう可能性は十分ある。


ダイヤ「……背に腹は代えられませんわね。今日は野菜だけのサンドにしましょうか」


一人呟きながら、トマトやレタスを取り出している折に、


ダイヤ「……? あら、これって……」


真っ赤な液体の入った瓶が目に入る。


ダイヤ「……これ、いけるかもしれませんわね」


わたくしはサンドイッチに材料とその液体の入った瓶を取り出して、早速食事の準備を始めるのでした。





    *    *    *





ダイヤ「千歌さん、お待たせしました」

千歌「ん……」


わたくしの声を聞くと、千歌さんは身を起こす。

わたくしがサンドイッチを作っている間、畳の上で横になっていたみたいです。


ダイヤ「先ほどは本当にごめんなさい……」

千歌「んーん……あんなの誰にも予想出来ないよ……気にしないで……あはは」


千歌さんはそう言って力なく笑う。

申し訳ない気持ちでいっぱいですが、このままでは延々と謝罪をしてはフォローされての繰り返しになりかねないので、これ以上の謝意は飲み込むことにした。

こういうものは今後の反省に生かすしかない。

とりあえず、ここで突っ立っていても仕方がないので、持ってきたお皿を自室のちゃぶ台の上に置く。


千歌「……わ、サンドイッチ? おいしそう……」

ダイヤ「ええ、ベジタブルサンドですわ。これなら水分も取れると思いまして……それと──」


お皿と逆の手で持っていた、瓶を置く。


千歌「……!」


途端、千歌さんが涎を垂らす。


千歌「……って、わわ……」


千歌さんは慌てて涎を拭う。


ダイヤ「やっぱり……これを持ってきて正解でしたわ」

千歌「飲んでいいの!?」

ダイヤ「ええ、もちろんですわ」


先ほどまで、ぐったりしていた千歌さんが目を輝かせる。

その視線は机に置かれた赤い液体の入った瓶に注がれている。

そう──これは、


ダイヤ「トマトジュース……吸血鬼が好きそうなイメージの飲み物ですわ」

千歌「……!!!」


千歌さんが無言でコクコクと首を激しく縦に振る。

もう待ちきれないといった様子なので、フタを開けて、コップに注いで彼女の目の前に差し出すと、


千歌「いただきます!!」


千歌さんはそれを一気に煽って、


千歌「コクコクコクコク……ぷはぁ……!!」


一気に飲み干してしまった。


ダイヤ「ふふ、おいしいですか?」

千歌「おいしい……!!」

ダイヤ「まだ、ありますからね」

千歌「うん!!」


再び注いであげると、千歌さんはコップに溜まっていく真っ赤な液体をキラキラした目で見つめている。


千歌「いただきますっ!!!!」

ダイヤ「ふふ、焦らないで飲むのですわよ」


やはり気を遣ってはいましたが、相当喉が渇いていたようです。

わたくし同様水分の確保には彼女も頭を悩ませていたのかもしれません。

文字通り数日振りに水を見つけた砂漠の旅人のように、幸せそうに赤い液体を飲み干していく。


千歌「ぅ……ぅぅ……っ……おいしいよぉ……っ……」

ダイヤ「よかったですわね……」

千歌「うん……ありがとう……っ……」


再び注いであげると、また夢中になって飲み干す。

大蒜があったときは、なんでよりによってと思いましたが……こうしてトマトジュースを見つけたことでチャラにしましょう。

吸血鬼になってしまった千歌さんと出会ってから、初めて彼女が喜ぶものを見つけてあげられて少し胸を撫で下ろす。

多くの制約の中でどうするかばかり考えていたので、千歌さんもわたくしも少し気が滅入っていましたが……こうして、幸福感を味わえるものを見つけられて良かったですわ。

──千歌さんは相当喉が渇いていたのか、一瓶あったトマトジュースはすぐに空になってしまいました。


千歌「……ぁ。……もう、ないんだ……」


それを見て千歌さんはシュンとする。


ダイヤ「あとで買ってきましょう。これから先、水の代わりになると思いますから」

千歌「うん!!」

ダイヤ「それでは、サンドイッチも食べましょうか」

千歌「はーい!!」


かなり遅くなってしまいましたが、二人で昼食を取る。


千歌「あむ……♪ おいひぃ……♪」

ダイヤ「……ふふ」


昨日出会ってから、ずっと暗い表情が続いていましたが……。

ここに来て、彼女の満面の笑みを見ることが出来て、わたくしは心底安心したのでした。





    *    *    *





ダイヤ「それでは、日が傾き始めたら迎えに来ますわね」

千歌「うん、わかった。日傘、ありがとね」


千歌さんは十千万旅館の軒先の日影に身を逃がしてから、日傘を開いたままわたくしに手渡してくる。


ダイヤ「せっかくですから、千歌さんが持っていてもいいのですわよ?」

千歌「んーん。ダイヤさん、これから沼津まで買い物に行くんでしょ? さっきもダイヤさん、家出るときに、今日は日差しが強いって言ってたし……チカは日が沈むまで大人しくしてるから平気だよ」

ダイヤ「そうですか……出来るだけ早めに用を済ませて戻ってきますので」

千歌「うん。その間に志満姉にしばらくダイヤさんちに泊まりに行くって言っておく」

ダイヤ「ええ。それでは、また後で」

千歌「うん、またねー!」


── 一先ず、千歌さんには一度昼の間に家に帰ってもらい、わたくしは沼津に買出しに行くことに致しました。

それに、沼津には他にも用事がありますし……。

千歌さんから受け取った日傘を少し傾けて、空を見上げる。


ダイヤ「それにしても、今日は本当に日差しが強いですわね……」


まだ5月前だと言うのに、厳しい直射日光ですわ……。

もともと千歌さんのために日傘を持ってきたのですが、あまりに強い日射に途中から一緒に入れてもらう形で十千万旅館まで歩いて来ました。


ダイヤ「全く……ここ最近は暖冬や冷夏と言った気象が増えた気がしますわ……勘弁して欲しいですわね。まだ5月前なのに、今日の日差しはまるで真夏みたいですし……」


天気予報でも今日は少し暖かくなると言っていた。……いや、むしろ太陽が頑張りすぎているくらいでしょう。

千歌さんにとっては辛い気象だと思いますし……出来れば曇ってくれればと願ってしまう。

雨が降るとそれはそれで吸血鬼は外に出られなくなってしまう気がしますし……。曇りがいいですわ。

ぼんやり考え事をしながら、一旦荷物を取りに家に戻る。


ダイヤ「……本当に今日はすごい日差しですわね……。眩しい……」


わたくしは少しだけ顔を顰めながら、一人お昼過ぎの内浦を歩くのでした。





    *    *    *





──沼津に着いたのは15時頃でした。


ダイヤ「余りのんびりもしていられませんわね……」


買い物もそうなのですが、待ち合わせをしている。

すぐさま、やば珈琲まで足を運ぶと。


花丸「あ、来たずら! ダイヤさーん!」

善子「自分から呼び出しておいて、珍しく遅いじゃない」

ダイヤ「すみません、お待たせしました」


店内の席で待っていたのは花丸さんと善子さんでした。

……と、いうかわたくしが呼び出したのです。


ダイヤ「すみません……皆で遊んでいたところだったと思うのですが……」


泊まりに行ったところですから、それこそ一緒に居たと思いますし……。


善子「ま、別にいいわよ。買い物してただけだし……。私は家でゲームがいい言ったのに……」

花丸「たまにこうして外に連れ出さないと、太陽の光が全然浴びられないずら」

善子「うっさいわね……余計なお世話よ」

ダイヤ「ふふ……善子さんも大変ですわね。こんな日に」

善子「……? そうよ、わざわざお泊りの日にそんな気遣いしなくてもいいじゃない」


……こんな日差しが強い日に。と言う意味だったのですが……。

まあ、いいでしょう。


ダイヤ「ルビィと果南さんは?」

善子「なんか二人でぬいぐるみ見てるって言ってたわ」

花丸「ルビィちゃんがぬいぐるみ好きなのは知ってたけど……果南ちゃんもだったんだね。意外ずら」

ダイヤ「果南さんはああ見えて可愛いものが好きですからね」

善子「ま、それはともかく……なんでわざわざ私とずら丸は指名されて、呼び出されてるわけ?」

花丸「……そうだね、何か聞きたいことがあるって言ってたけど……」

ダイヤ「単刀直入に。吸血鬼について、何か知ってることがあれば聞きたくて」

花丸「ずら? 吸血鬼?」

善子「……例の噂の話? あれ、でも大きなネズミがいただけだったんじゃないの? 果南はそう言ってたわよ」

ダイヤ「ええ、そうなのですが……。ただ、それだけだとやっぱり説明しきれないことがいくつかあって、もう少し調べてみようと思ってるのですが……。……果南さんには心配を掛けたくなくてそう言いましたが、もし万が一吸血鬼とやらが本当に居たらと思うと少し不安になりまして」


ほどほどに嘘を混ぜながら、そう嘯く。


善子「……ダイヤが? なんか変なものでも食べた?」

花丸「善子ちゃん……失礼ずらよ」

ダイヤ「いえ……善子さんの反応も仕方ありませんわ。わたくし、普段はそういうことは全く信じていませんので。……ですが、やっぱり夜の校舎は一人で歩くと不気味で……少しでも噂の吸血鬼とやらを知っておけば心持ちも軽くなるのではないかと」

善子「……ふーん、なるほどね」

ダイヤ「わたくしも気になって少し調べてはみたのですが……花丸さんや善子さんなら、わたくしよりも詳しいかと思いまして」

花丸「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずずらね……。一周回ってダイヤさんらしいかも」


どうにか、納得はしていただけたようです。


善子「うーんまあそうね……でも簡単なことは調べたんでしょ?」

ダイヤ「ええまあ」

花丸「有名な話だと、十字架、大蒜、聖水……そして、日光に弱いってことだよね。あとは人の血を吸う」

善子「正確には若い女性の血かしらね」

ダイヤ「そうなのですか?」


そんな限定条件があるのは知らなかった。


善子「まあ、今の吸血鬼のイメージではって話だけどね」

ダイヤ「今の……?」

花丸「もともと吸血鬼の話って世界中であって……特に東欧では昔から伝承がたくさんあったんだよ」

善子「多くの伝承では死者が甦った者とかそんな感じの存在だったかしらね? ノスフェラトゥなんて言ったりするけど、こっちよりもヴァンパイアって言う方が馴染みがあると思うわ」

ダイヤ「ええ、ヴァンパイアならわたくしも聞いたことがありますわ。……でも、それは吸血鬼の英名みたいなものなのでは?」

善子「んー……まあ、そうっちゃそうなんだけど、語源が曖昧なんじゃなかったかしら。元の意味合いとしては妖怪とか魔獣って意味合いだった気がするわ。ま、それはそれとして、“これぞ吸血鬼”って感じになってくるのはドラキュラ伯爵からよね」

花丸「ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』ずらね。1897年の刊行物かな。まあ、これ以前にも吸血鬼を題材にした創作物はあるけど……1819年、ポリドリの『吸血鬼』。1872年、ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』なんかは『吸血鬼ドラキュラ』に大きな影響を与えたって言われてるよ」

善子「あんたよく刊行年なんか覚えてるわね……。まあ、そういう作品たちから今の所謂『吸血鬼像』が作られていったのよ」

ダイヤ「……? となると、吸血鬼と言う生き物? 妖怪? 怪異がもともと居たのではなく、あくまで創作の中の存在と言うことですか……?」


そこまで言って、


花丸「ずら?」

善子「……?」


二人が不思議そうな顔をした。


花丸「えっと……ダイヤさん、信じてるわけじゃないんだよね?」


……しまった。この聞き方では、まるで吸血鬼が実際に居るのを知っているみたいではないですか。


ダイヤ「あ、いえ……えっと……。火のないところに煙は立たぬと言うではないですか。架空の生き物とは言え、やっぱり元になったものがあるのではと思いまして」

善子「ああ、まあ……諸説あるわよね」


……どうにか、誤魔化せましたわね。


善子「でも怪異的な話って辿ってみると、実際にそういう魔物が居たと言うよりは、民衆の恐怖が伝承の中で落とし処をつけるために人智の及ばないモンスターをでっちあげちゃってたりするのよね。もちろん、とんでもなく強い獣が伝説になって化け物として語り継がれるってパターンもあるけど」

花丸「伝染病とか流行り病なんかは、そういうものに結びついてることが多いよね。実際吸血鬼の伝承も狂犬病から来てるんじゃないかって言う人もいるし」

ダイヤ「狂犬病ですか……」

花丸「狂犬病は日本だと70年以上発症例がないから……マルたちには馴染みがないけど、噛まれて感染する、感染者は狂暴化したり、水を極端に怖がる恐水症って言われる症状を発症するずら」

善子「あとは、光も怖がるようになるんだっけ……?」

花丸「うん、瞳孔反射が弱って光を嫌うようになるずら。あとは風の動きとかにも過敏になって、嗅覚や聴覚が鋭敏になるとか言うね。精神錯乱とかもあって、人が変わっちゃうとも聞いたことがあるずら」


確かに、聴覚はわかりませんが……嗅覚の鋭敏化、噛み付くことや、光や水を忌避すると言うのはまさに今の千歌さんに近い状態とも言える。血に餓えれば精神錯乱も起こすし、狂暴にもなっていた。

……ですが、まさか千歌さんが狂犬病というわけではないでしょう。


善子「私はその説あんま好きじゃないけどね……」

花丸「そうなの?」

善子「だって、狂犬病って致死率100%の病気じゃない。……それに、狂犬病は人から人へは基本的に感染しないって言うでしょ? 吸血鬼の本懐はやっぱり、吸血して仲間を増やすって部分だと思うんだけど。類似点があるのは認めるし、それがモチーフになったってのはあるかもしれないけど……。狂犬病と吸血鬼が同視されてたってのは飛躍じゃないかしら」

花丸「……一理あるずら」

ダイヤ「人から人へ……」


善子さんの発言に少し引っかかる。


ダイヤ「あの……吸血鬼と言うのは人から人に移っていくものしかないのでしょうか?」

善子「んー……増え方としては基本的にそうよね。美しい女性を好んで吸血する。なんでかわからないけど、吸血の際は絶対首筋に噛み付くのよね。そして、血を吸われた人間も吸血鬼になるってのが多いわ」

ダイヤ「…………」


吸血方法も千歌さんの特徴と一致している。千歌さんも『何故か首筋に噛み付きたい』と言っていたし……。


花丸「丁度、今ダイヤさんが絆創膏してる辺りだよね」

ダイヤ「……!?」

善子「え?」


思わず首筋を押さえる。

千歌さんからの噛み傷を隠すために、絆創膏を貼ったのを忘れていた。


善子「……え、ち、ちょっと……まさか」

ダイヤ「え、あ、いや……その……」

花丸「ずら?」

善子「……ま、まさか……こんな話してるときに、そこに傷があるって……」

ダイヤ「こ、これは、その……!」


不味い。

吸血鬼の存在がバレる。

いや、それだけではありません。

この話の流れだと、わたくしは吸血鬼化された人間だと思われる可能性が高い。

ここまでの話で千歌さんとの類似点は多いですが、千歌さんには他人を吸血鬼にする力はありません。

わたくしは大蒜のニオイを嗅いでも大丈夫でしたし、水も平気、そして十字架も──そうだ、十字架……!!


ダイヤ「へ、変な疑いを掛けないでください!! 昨日、善子さんから貸して頂いた十字架も……ほら、このように持っているのですわよ!?」

善子「……最近の吸血鬼って十字架を克服してるのとか、いるのよね」

ダイヤ「!?」

善子「それに、そんなに必死になって、否定する理由はなに?」

ダイヤ「そ、それは……」

善子「ただでさえ、突然こんな話してきてらしくないなって思ってたし……まさか、ダイヤ」

ダイヤ「ま、待ってください!! 誤解ですわ!!」

善子「なら、その絆創膏剥がして見せてよ」

ダイヤ「……!」

>>32 文字化けしてたので修正


ダイヤ「……ご飯は食べられるのですか?」

千歌「あ、うん。普通に食べられるよ」

ダイヤ「一応聞いておきたいのですが……食事で血への餓えを紛らわすということは……?」

千歌「……無理、かな。どんなにご飯を食べてても、血が欲しいって一度感じたら全然満たされなくなっちゃうから……」

ダイヤ「まあ、そうですわよね……」


それでどうにかなるなら苦労はしていないでしょう。


ダイヤ「大蒜の他に食べられないものは?」

千歌「食べられないものというか……水があんまり飲めない」

ダイヤ「え?」

千歌「最初のうちはちょっと水の味が変だなってくらいだったんだけど……ここ1~2日は水飲むと、気持ち悪くて吐き出しちゃってた……」

ダイヤ「そ、それって相当困りませんか……?」

千歌「う、うん……割と喉が渇いてて辛いかも……あ、でも昨日はダイヤさんが血を飲ませてくれたから、今は大丈夫だよ?」

ダイヤ「そ、そういうものなのでしょうか……?」


人間は4~5日も水を飲まなければ死んでしまいます。

血が水の代わりになると言っても……昨日千歌さんが飲んだ血の量なんて、遅らく100mℓにも満たない量です。

吸血鬼は根本的に体質が違うといえばそれまでかもしれませんが、人間が一日に必要と言われてる水の量は1.5ℓ以上なんて話を聞いたことがあります。

どう考えても足りているとは思えない。


ダイヤ「本当に大丈夫なのですか……?」

千歌「……えーっと」

ダイヤ「正直に言ってください。餓えもそうですが、渇きも十分理性を失う要因になりかねませんわ」

千歌「…………正直に言うと、ものすっごく喉が渇いてるかも……」

ダイヤ「……ですわよね。どう考えても、血液だけで補えているとは思えませんもの」

千歌「ごめんなさい……」

ダイヤ「いえ、謝らないでください」


……とは、言ったもののどうしたものか。

水を飲むことが出来ない以上、水以外のものから水分を補給しないといけないということだ。


ダイヤ「そうなると……野菜や果物でしょうか……」


とりあえず、何かないかと冷蔵庫を開ける。

その瞬間──


千歌「──¢£%#&□△◆■!?」


千歌さんが奇声を発した。


ダイヤ「え!?」

千歌「!!!!!!!!!」


鼻を押さえ、涙を流してのた打ち回っている。


ダイヤ「まさか、大蒜……!!?」


出来ない。

この下には噛み傷がある。

わたくしが吸血鬼になっていなくても、これは紛れもなく吸血鬼によって作られた噛み傷だ。

もし吸血鬼が、善子さんの言う通り、吸血鬼的な弱点を克服できている個体もいるのだとしたら、自分がそうじゃないことをこの場で証明する方法が一つもない。


善子「……別に後ろめたいことがないなら、出来るでしょ?」

ダイヤ「………………」


どうする。どうする……?

今わたくしから吸血鬼の存在が露呈すると恐らく悪いことが起きる。

善子さんは吸血鬼を人間にとって善いものとして喋っているとは思えない。


ダイヤ「……こ、れは……」


わたくしが答えに窮していた、そのとき──


花丸「善子ちゃん……やめるずら」


花丸さんが善子さんを嗜めた。


善子「いやいや……ずら丸、あんた状況わかってるの?」

花丸「状況がわかってないのは善子ちゃんずら……」

善子「はい……?」

花丸「妹が泊まりに行った晩、翌日首筋に張られた絆創膏……普通乙女だったら人になんか言えないずら」

ダイヤ「…………!」


これは、ナイスアシストですわ……!!


ダイヤ「そ、そうですわ……!! そ、そんなこと答えられるわけないではありませんか……!!」


そう言って、わたくしは恥ずかしそうに俯く演技をする。


善子「……は?」

花丸「……はぁー……善子ちゃん、耳を貸すずら」

善子「……?」


花丸さんが善子さんに耳打ちをする──と、

みるみる善子さんの顔が真っ赤に染まっていく。

そして──


善子「そ、そういうことなら、早く言いなさいよ!!!!/////」


顔を真っ赤にして、声を張り上げた。


花丸「だから、自分から言えるわけないずら……ましてやこの場で見せろなんて、デリカシー皆無ずら」

善子「ぅ……/// ご、ごめんなさい……///」

ダイヤ「い、いえ……わかっていただければ、いいのですわ……」


かなり良心が痛みましたが、助かりました。

恐らく花丸さんが善子さんに耳打ちした内容はこう──『首筋のキスマークを絆創膏で隠してるんだよ』


善子「でも、ダイヤが……ふ、ふーん……」

花丸「……あ、そっか」

善子「……?」

花丸「ダイヤさん……その人に心配されちゃったんだね」

ダイヤ「……!?」

花丸「学校のために吸血鬼のことを調べて頑張る愛しの人が心配な恋人……その人に心配を掛けないために、少しでも情報を集めて対策してるんだよって姿勢を見せるために」

善子「……あ、ああ……ダイヤがリア充に……」

ダイヤ「…………」


なんだか、花丸さんの妄想が変な方向に肥大を始めましたが……。この場はとりあえず、そういうことにしておいた方がいいかもしれませんわね……。


花丸「そういうことなら、協力するしかないよね! 善子ちゃん!」

善子「え!? ま、まあ……」

花丸「吸血の話だったっけ」

善子「え、ええっと……そうだったわね……。コホン」


善子さんは軽く咳払いをしてから、先ほどの会話の続きを始めてくれる。……本当に助かりましたわ。


善子「……ま、これも最近のイメージだけど、吸血鬼が吸血した相手も吸血鬼になるって話はよくあるわ。眷属化って言い方をすることもあるわね」

ダイヤ「眷属化……?」

善子「隷属化って言うのかしらね? しもべにしちゃうのよ」

ダイヤ「しもべ……ですか」

善子「眷属化すると、自分を眷属化した吸血鬼には逆らえなくなるっていうのが多いわね」

花丸「あ……それに近いことで吸血鬼って魅惑や誘惑の能力があったよね」

善子「ああ、確かにチャームも有名よね」

ダイヤ「チャーム……?」

善子「魅了の魔法が得意って言う設定がよくあるのよ。噛まれた人間は魅了されちゃって、逆らう気なんてなくなっちゃうの」

花丸「それに血を吸われた相手は性的な快楽があるなんて話もあるよね」

ダイヤ「…………!」


これには心当たりがあった。

千歌さんに噛まれたあと、頭の中に靄のようなものが掛かり、頭が冷静に働かなくなって……。

おぼろげな記憶の中で……わたくしは確か、もっと吸血をして欲しいとせがんでいた気がする。

なるほど……あれはそういうことだったのですか……。


善子「ま、この辺はホントに媒体によってあったりなかったりだけどね。……ものによっては血を吸われても吸血鬼化しない、ただの餌パターンだったり、はたまた吸血鬼にはならず、吸血鬼もどきみたいな出来損ないなっちゃったりで、もう作者の都合次第なところあるわよね」

ダイヤ「な、なるほど……」


つまり千歌さんに関しては、眷属化はしないが、チャームはあると言った感じのようですわね……。


ダイヤ「他には何かありますか……?」

善子「そうねぇ……吸血鬼は得てして美しかったり、スタイルが良かったりするのも特徴としてあげられたりするわね」

花丸「あとは再生能力かな……不死者なんて言うくらいだもんね。あと身体能力もずば抜けてるって言うずら」

善子「魔眼があるとか……これはチャームに付随する能力で、見つめた相手を魅了する力があったりするわ」

花丸「鏡に映らないとか」

善子「棺桶で眠る」

花丸「招待されていない家には入れない」

善子「銀の武器に弱い」

花丸「杭で心臓を貫かれると死ぬ」

善子「……前々から思ってたんだけど、それってどんな生き物でも死ぬわよね」

花丸「それ以外で心臓を刺されても死なないってことじゃないの?」

ダイヤ「トマトジュースが好き……とかは?」

善子「あー……そういう設定のもあるわね」

花丸「手塚治虫とかそうだよね」

善子「へー……あんた漫画も読むのね? 意外だわ」

花丸「漫画でも有名処なら読んだことあるずら」

善子「なるほどね。……まあ、その設定は怪物くんの方が古いけど」


随分マニアックな話になってきてしまいましたが……。

千歌さんにはない特徴はいくつかありましたが、基本的には所謂『吸血鬼』の特徴を有していると言うことで概ね間違いがないようですわね……。

……ただ、重要な情報がまだ出ていない。


ダイヤ「あの善子さん、花丸さん」

善子「ん?」

花丸「ずら?」

ダイヤ「仮に、吸血鬼になってしまったら……その人はもう元には戻れないのでしょうか?」


──そう、重要なのはそこなのです。

これが達成されなければ、どれだけ性質を知っても意味がない。解決しない。


善子「うーん……吸血鬼化した人間が元の真人間に戻るかって話よね……」

花丸「どうなんだろう……お話だとやっぱり被害者みたいな描かれ方が多くて最後は死んじゃったりするよね」

善子「……そうねぇ。吸血鬼になる理由って、多くの場合が吸血鬼の血を体内に取り込んじゃったからって言うのが多いんだけど……」

ダイヤ「……血を体内に……」

善子「そ。吸血される際に吸血鬼の血が吸われる側にも混じっちゃうと、吸血鬼になっちゃうの。ただ、血って時間である程度薄れるじゃない? 常に体の中で新しいのを作ってるわけだし。だから、吸血鬼と関わらなければだんだん吸血鬼じゃなくなっていく……みたいなのは見たことあるかも」

ダイヤ「……なるほど」


具体的な解決方法かと言われると少し曖昧ではありますが……。

戻る可能性がちゃんとあるなら希望はある。

一先ず、聞きたいことは聞けたかと思い腕時計を見ると。


ダイヤ「もう4時ですか……」


思った以上に話し込んでしまいました。

そろそろ買い物を始めないと、日没の時間に間に合わなくなってしまう。


ダイヤ「貴重なお話……ありがとうございました」

善子「ま、参考になったなら何よりね」

花丸「大変かもしれないけど……彼氏さんとのこと、頑張ってね!」

ダイヤ「!? あ、ありがとうございます……」


そういえば、そんな話になっていましたわね……。

これはこれで、めんどくさいことにならなければいいのですが……。

まあ、大事の前の小事と言うことで、今は気にしないようにしましょう……。


ダイヤ「それでは……わたくし買い物がありますので」

善子「承知」

花丸「ダイヤさん、またねー」

ダイヤ「あ……そうでしたわ、お二人に渡そうと思っていたものが」

花丸「ずら?」


わたくしはカバンから、ソレを取り出して、善子さんに手渡す。


善子「これって……」

ダイヤ「よかったら皆さんで食べてくださいませ。あと善子さん、お母様にルビィがお世話になっていますとお伝え下さい」

善子「あ、ああ……うん、わかった」

ダイヤ「それでは、失礼致しますわ」


一通り、聞きたいことを聞くことが出来たわたくしは、この場を後にしました。


善子「……ねぇ」

花丸「ずら?」

善子「なんでニンニク……?」

花丸「さぁ……?」





    *    *    *





──駅前のスーパーマーケット。


ダイヤ「トマトジュース……トマトジュース……あ、ありましたわ」


スーパーの中を歩き回りながら、飲料売り場でトマトジュースを見つける。

ペットボトルに入った一般的なトマトジュースです。


ダイヤ「一本720mℓ……」


水の代わりの飲料として買う以上、1日2本以上は飲むと考えた方が無難でしょう……。


ダイヤ「そうなると……」


冷やされたペットボトル飲料の売られている場所の向かい側に、箱で売られているものを見つける。

少々荷物になりますが……何度も沼津まで買いに出られる保証はないですし……。


ダイヤ「箱で買って帰りましょう」


これも千歌さんのためですわ。

ペットボトル15本入りの箱を、カートの下段に載せる。

それにしても……。


ダイヤ「トマトジュースって思いのほか安いのですわね?」


15本入りで3000円ちょっと。

なかなかリーズナブルではないですか。

──ふと、その隣に瓶に入ったトマトジュースを見つける。


ダイヤ「あら……こちらは千歌さんが今朝飲んでいたものに似ていますわね」


わたくしのイメージではペットボトルと言うよりは、瓶に入っている方が馴染み深いのですが……。


ダイヤ「こちらの方が少し高級なのかしら? 千歌さんのために、一本くらい買って行ってもいいかもしれませんわね……」


なんせ、彼女はこれしか飲む飲料がないのですし……。

そう思って、値札を見て──


ダイヤ「16,200円……?」


思わず自分がカートに詰め込んだ箱と見比べてしまう。


ダイヤ「え……?」


一本辺りの値段が数十倍違うのですが……。


ダイヤ「……買えなくはないですけれど」


とはいえ、さすがにお小遣いで賄える額と言うのは厳しい。

……と言うか、


ダイヤ「……今日千歌さんが飲んでいたのは、一体いくらするトマトジュースだったのかしら……?」


……まあ、細かいことを考えるのはやめましょう。





    *    *    *





帰り道、バスに揺られながら、花丸さんと善子さんから聞いた話を頭の中で反芻しているが……。

千歌さんが今吸血鬼であると言うのはほぼ間違いがないと思う。

だけど、何故そんな面妖な存在になってしまったのかの見当が全くついていなかった。

千歌さんが元々吸血鬼だったと言う線は極めて薄い。

となると……。


ダイヤ「千歌さんを吸血鬼化させた吸血鬼が居る……?」


……とは言うものの、結局どこまで行っても吸血鬼と言う存在が眉唾なことに変わりがない。

なんせ、今日聞いた話でも所謂吸血鬼要素も当てはまったり当てはまらなかったりなのです。

ましてやトマトジュースが好きと言うイメージは──手塚治虫の名前も出ていたし──極めて最近の吸血鬼のイメージだと言う話です。

そうなると、今回の吸血鬼は最近生まれた吸血鬼……?

いや、もしかしたら過去の時代から実はトマトジュースが好きで、何かの拍子に手塚先生がそれを知って、作品に流入したという可能性もなくはないですが……。


ダイヤ「……いや、たぶんないと思うのですが……」


何が言いたいかと言うと、吸血鬼という明確な存在が居るにしては、あまりにあやふや過ぎる気がするということです。

確実に千歌さんは吸血鬼になってしまっているとまで言えるのに、それにしてはイメージが生き物っぽいというよりは……。

──通俗的すぎる……?

おどろおどろしい怪異というよりは、完全にキャラクターのようではないでしょうか……?


ダイヤ「……まあ、光を浴びて灰になられても困りますけれど……」


吸血鬼は太陽の光で灰になってしまうらしいですし……。

そうならないで居てくれるのはむしろ僥倖でしょうか。

そんなことを考えている折、バス内に西日が入ってくる。


ダイヤ「……今日の日差しは本当に眩しいですわね」


沈んでいく夕日を見ながら──


ダイヤ「……また夜が、始まりますわね──」


わたくしはバスに揺られながら、一人呟くのでした。





    *    *    *





──十千万旅館の玄関をくぐると……。


千歌「あ、ダイヤさん……!」


千歌さんが座って待っていました。


ダイヤ「ここで待っていたのですか?」

千歌「うん。……まあ、やることがあったわけじゃないし。ただ、志満姉にお泊りの許可は貰ってきたよ」

ダイヤ「そうですか。……まだ外は日差しが強いので、日が沈んでから発ちますか?」

千歌「あ、うん……。西日だと横から来るから防ぐ方法ないもんね」


そうなると、あと30分くらいかしら……。

そういえば……ふと、気になることがあるので千歌さんに耳打ちしながら訊ねる。


ダイヤ「あの……吸血鬼化のタイミングって、いつなのですか? 日の入直後……?」

千歌「えっと……日が沈んでから夜になるにつれて徐々に進んでく感じかな……。深夜になるころには完全に吸血鬼になってる」

ダイヤ「なるほど……」


まあ、それなら急いで発つ必要もありませんわね……。

そう思い、わたくしも玄関先に腰を降ろす。


千歌「それ……」

ダイヤ「?」


千歌さんの視線を追うと、持っていたトマトジュース入りのダンボールにぶつかる。


千歌「ごめん……重かったよね」

ダイヤ「いえ、これくらい大丈夫ですわ。普段からスクールアイドルとして鍛えているのですから」

千歌「うん、ありがと……ダイヤさん、優しいね」

ダイヤ「ふふ……貴方には負けますわ」

千歌「ええ? チカ別に特別優しいとか、そういうことは……」

ダイヤ「貴方のその謙遜するところも、貴方の優しさの要素なのかもしれませんわね」

千歌「え、ええ……?」


なんとなく……こうして話していると、今千歌さんがとんでもない問題を抱えているのが嘘のようですが……。

でも、事は実際に起こっている。

そして、それが目に見える形で起こる時間が今日も迫ってくる。


ダイヤ「気合いを入れなおさないといけませんわね」

千歌「……?」

ダイヤ「千歌さん……今日も頑張りましょうね」

千歌「! うん!」


千歌さんはだいぶ肩の力が抜けてきたのか、朗らかな笑顔で返事をしてくれたのでした。





    *    *    *





──黒澤家。


ダイヤ「千歌さん、あーん」

千歌「ぁー……」

ダイヤ「写真撮りますわよ」


──カシャ。


千歌「自分のスマホで延々と自分の口開けてる写真撮られるの……変な感じだなぁ」

ダイヤ「まあ……そうでしょうね」


とりあえず、我が家に移動し、日は完全に沈みきった時間。

外には月が煌々と輝いている。

日差しが強い一日だったので、夜になってくれて一安心と言ったところです。


ダイヤ「夜は涼しくて過ごしやすいですわね」

千歌「そうだね」


今は、夜中に向けて徐々にキバに変わっていく千歌さんの歯の経過観察をしています。

こういう地道な検証はどこかで何かの役に立つ可能性がありますから。

ただ、思ったよりもキバになっていく時間は早い印象です。

確かに昨日見たものよりは小さいですが、もう十分にキバと言えるレベルで、ただの尖った犬歯と言うには鋭いでしょう。

──くぅぅぅ……。


ダイヤ「……ぅ……///」


どうして真面目なことを考えているのに、お腹が鳴ってしまうのでしょうか。


千歌「あはは……もう20時過ぎだもんね」

ダイヤ「千歌さんは、平気なのですか……?」

千歌「うん、血が飲めればそんなにお腹は減らないんだよね」


便利なのか不便なのか……。……いや、不便ですわね。


ダイヤ「何か作ってきますわね」

千歌「あ、私も手伝う……えっと、まだニンニクってあるのかな」

ダイヤ「いえ、もう大蒜はありませんわ。お手伝いお願いしますわね」

千歌「はーい」





    *    *    *





千歌「~~♪」


千歌さんは手際よく、野菜を切ってくれている。

本日の晩御飯ですが……そんなに手間をかけている暇もなさそうなので、無難に肉と野菜の炒め物にしました。

今日はお手伝いさんもいないですし、両親も基本的に忙しい我が家の厨房は、割と自由に使えます。

……もし、わたくしに家の用事があっても、今回ばかりは千歌さんを優先しなくてはいけないので、いろいろと言い訳も考えておかないといけませんが……。

基本的にはAqoursと生徒会があって忙しいということを理解して頂けているので、よほどのことがない限りわたくしが出張らなくてはいけない用事もないと思いたいですが……。


ダイヤ「ご飯はこれでよし……野菜炒めと白米だけだと少し寂しいかしら……」

千歌「お味噌汁とか?」

ダイヤ「……そうですわね。汁物を作りましょうか。確か味噌は……」

千歌「じゃあ、お鍋でお湯わかすね」

ダイヤ「お願いしますわ。お豆腐は……さすがに急だとないから、油揚げかしら」

千歌「お味噌汁ねぎ入れる~? 切るよ~?」

ダイヤ「ええ、お願いします」

千歌「はーい」


二人でテキパキと晩御飯を用意する。

千歌さんは普段適当なイメージがありますが、やはり旅館の娘だけあって、家事はしっかりしている。

この辺りは曜さんや梨子さんも褒めていたので、知ってはいたのですが、目の当たりにすると割と驚いてしまう。


千歌「ねぎよーし! ……ん? ダイヤさん、どうかしたの?」

ダイヤ「いえ、料理上手ですわね、千歌さん」

千歌「ん、切ってるだけだよ?」

ダイヤ「いえいえ、ルビィなんか包丁を持つだけでも危なっかしくて見ていられないので……」

千歌「あー、まあ……なんか想像出来るかも。野菜切り終わったよ」

ダイヤ「それでは、炒めますわね。千歌さんはお味噌汁をお願いしてもいいですか?」

千歌「はーい」


こうして二人で入れ替わり立ち代り料理をするのは単純に楽しいですわね。

フライパンに油を引いていると、


千歌「えへへ♪」


千歌さんが唐突に楽しそうに笑みを零す。


ダイヤ「どうしたのですか?」

千歌「んーん、なんかこうしてるとさ」

ダイヤ「はい」

千歌「新婚さんみたいだね~」

ダイヤ「!?」


フライパンを持つ手がブレて、ガタッと音を立てる。


千歌「わ!? 大丈夫?」

ダイヤ「……え、ええ。問題ありませんわ、ごめんなさい」

千歌「ん、気を付けてね」

ダイヤ「え、ええ……」


全く何を言い出すかと思ったら……。

新婚さん……ですか。

なんとなく、首に貼った絆創膏を撫でる。

このキスマークを付けた人が横に居る……。

その人と新婚さんのように一緒に料理を……。

──って、わたくし何を考えているのですか!!

思わずかぶりを振る。


千歌「?」


それにこれはキスマークではありません!! 噛み傷ですわ!!


千歌「ダイヤさん?」

ダイヤ「これは噛み傷を隠しているだけですわ!」

千歌「ふぇ!? う、うん知ってるけど……?」


全く……千歌さんや花丸さんが変な事を言うから……わたくしも感化されて変なことを考えてしまったではありませんか……。


千歌「ふんふん~♪ そろそろいいかな~?」

ダイヤ「…………」


ただ、よくよく考えてみると、千歌さんと二人っきりで料理してるというのは不思議なシチュエーションですわね。

ルビィや果南さんと二人で料理をしたことはありますが……。千歌さんとは特別二人っきりになる間柄でもなかったですからね。


ダイヤ「…………まあ、悪くないですわね」

千歌「ん? 何か言った?」

ダイヤ「いえ……別に」

千歌「?」


わたくし、少し不謹慎かもしれませんが……。

少しだけ、少しだけですが……。

今、この状況が楽しいな、なんて。

ほんの僅かに思ったりしていなくもありませんわ。





    *    *    *





千歌・ダイヤ「「いただきます」」


二人で手を揃えて、遅い晩御飯を食べ始める。


千歌「ぁむ……ん~やっぱり自分たちで作ったご飯はおいしいね!」

ダイヤ「ふふ、そうですわね」


料理は楽しかったので、しばらく二人で過ごすのなら、もうちょっと凝った料理をするのも良いかもしれない。

ずっと、気の滅入ることばかりだと、事もいい方向に進みませんしね……。


千歌「そして、トマトジュース! いただきます!」


千歌さんはコップに注いであったジュースを一気に煽る。


千歌「コクコクコク……ぷはぁ!! やっぱおいしい!! この一杯の為に生きてる!!」

ダイヤ「もう、親父臭いですわよ……」

千歌「あはは、一度やってみたかったんだよね」


飲み干されてしまったしまったコップに、トマトジュースを注ぐ。


千歌「あ、ごめん、ありがと」

ダイヤ「貴方にとっては命の水ですから……遠慮せずに飲んでください」

千歌「うん! 生きてて、こんなにトマトジュースがおいしいって感じることがあるなんて思わなかったよ……」

ダイヤ「ふふ、そうかもしれないわね」

千歌「ただ……」

ダイヤ「ただ?」

千歌「やっぱり、お昼に飲んだトマトジュースの味は忘れられないなぁ……ホントに喉渇いてたから、ホントおいしくって……」

ダイヤ「……そ、そうですわね」


あれが高級品だったと言うことは、きっと知らない方がいいでしょう。


千歌「そういえば、ダイヤさんのお父さんとお母さんっていつも家に居ないの?」

ダイヤ「そんなことはないですけれど……。基本忙しいので家を空けている事が多いですわね。特にゴールデンウイークは出席しないといけないお酒の席が多いでしょうし……帰ってくるのは遅くなることが多いですわ」

千歌「そうなんだ……」


とはいえ、今の状況的に、これはむしろ望ましい。

出来る限り、千歌さんと二人で過ごせる環境が確保されている方が何かと困らないでしょうし。


千歌「あむ……もぐもぐ……。……コクコクコク、ぷはっ!」

ダイヤ「もう……そんなに焦って食べると、喉に詰まらせますわよ?」

千歌「だって、おいしいんだもん!」

ダイヤ「ふふ、そうですか」


千歌さんは随分表情が明るくなった。

これは確実に良い傾向です。

──ただ、今後これはどう転ぶかわからない。

今夜から、明日の夜に掛けて、発生する問題がある。

……二度目の吸血行為。

どのタイミングで耐えられなくなるのかの見極めが必要ですが、我慢をさせすぎるわけにもいかない。

この辺りは慎重に考えなくてはいけない。

吸血時に起こる、チャーム現象の問題もありますし……。

とりあえず、食事が終わったらその辺りの情報共有をしなくては。


千歌「もぐもぐ……えへへ♪」


ただ、今は幸せそうなので、食事に集中させてあげましょう……。





    *    *    *





ダイヤ「……さて、今後のことを考える前に。今日調べてきてわかったことをいくつか、お話しますわ」

千歌「うん」

ダイヤ「わかっていること含めて……吸血鬼の特徴を順に言っていくと──」


 ・血を吸う架空の生き物。特に若い女性の血を好む。

 ・十字架、大蒜、聖水、流水、日光などに弱い。

 ・不死者と呼ばれ強い再生能力を有する。また、力も強く、身体能力も高い。

 ・トマトジュースが好き。


千歌さんと情報の共有をしながら、ついでに紙に箇条書きで書き出していく。


ダイヤ「今の千歌さんに見られる特徴はこの辺りでしょうか……」

千歌「私も自分でいろいろ調べたけど……ここにない特徴もあるよね?」

ダイヤ「……そうですわね」


 ・鏡に映らない。

 ・棺桶で眠る。

 ・招待されてない家には入れない。

 ・銀の武器に弱い。

 ・杭で心臓を貫かれると死ぬ。


千歌「……鏡には映るかな」

ダイヤ「ええ、昨日鏡に映っていましたし」

千歌「棺桶でも眠らないかな……というか、棺桶ってどこにあるんだろう」

ダイヤ「招待されてない家には入れない……と言うのは確認が難しいと思いますが」

千歌「……でも、これはそうかもしれない」

ダイヤ「?」

千歌「だって、あれだけ餓えてても、誰かの家とかじゃなくて、学校に行ってたし……むしろ、行こうなんて発想がなかったけど」

ダイヤ「……ふむ」


確かに、正気を失っていたら見知らぬ家に押し入って、吸血していてもおかしくはない。

そういうことがなかったというのが、イコールでこの項目の証明になるかは微妙なところですが……。


ダイヤ「どちらにしろ、招待されていない家には入らないに越したことはありませんから……これはあってもなくてもですわね」

千歌「だね」


むしろ、弱点に数えられているものの中では、今の千歌さんにはあった方が良い弱点かもしれない。

仮に正気を失っても吸血鬼の性質が行動を制限してくれるなら、それは恐らくプラスでしょう。


千歌「銀の武器に弱い。……たぶん、どんな武器にも弱いと思うんだけど」

ダイヤ「杭で心臓を貫かれると死ぬ。この二つは実証する必要もないので、まあ、そういうことがある程度の認識でいいかもしれませんわね」

千歌「うん」


……さて、ここからが本題です。


ダイヤ「……吸血鬼にはチャームという能力があるそうなのです」

千歌「チャーム?」

ダイヤ「魅惑、誘惑の力らしいですわ。いくつか発動条件はあるそうなのですが……」

千歌「?」


彼女の紅い瞳を見つめていても、特に変わったことはない。

とりあえず、魔眼の能力はないと考えていいでしょう。


ダイヤ「吸血時に血を吸った相手に、そのチャームが掛かってしまうようなのですわ」

千歌「……あ、もしかして、血を吸ったときにダイヤさんがちょっとおかしかったのって……」

ダイヤ「ええ、恐らくチャームの影響でしょう。吸われた側にはその……性的な快楽が生じるそうですわ」

千歌「……? せーてきなかいらく?」

ダイヤ「……えぇっと……まあ、気持ち良いと感じると言うことですわ」

千歌「そうなんだ? あ、でも確かにダイヤさん、気持ち良さそうだったかも……」

ダイヤ「!?/// そ、そういうことは言わなくていいですわ!!」

千歌「ふぇ!? ご、ごめんなさい……?」


……まあ、わたくしはこの間、自分の感覚が信用出来ない状態なので、千歌さんの言葉の方が信頼出来るものなのですが……。

そういうものだとわかっていても、一時的にとはいえ性的に興奮してしまっていただなんて……はしたないですわ。


千歌「んっと……魅惑ってことは、血を吸った相手を好きになっちゃうってことなのかな」

ダイヤ「そういうことだと思いますわ。……わたくしがおかしくなっていた時間はどれくらいでしたか?」

千歌「んー……10秒くらいだったかな」


10秒……これを乗り越えれば、とりあえず正気に戻ってこられる。

多少恥を掻くことになるかもしれませんが……。まあ、仕様がないでしょう……。


ダイヤ「千歌さんに血を吸われた直後、10秒ほどの間、わたくしの言うことは無視してもらえますか?」

千歌「うん、わかった!」


あと、話してないことは……。眷属化と、吸血した相手を吸血鬼化してしまうと言うことでしょうか……。

とはいえ眷属化は恐らく程度問題でしょう。チャームのことを隷属化と表現した延長線の話のようなものと解釈出来る。

これに関してはそこまで長く起こる現象ではないですし、割愛で。

吸血鬼化に関しても……千歌さんにはそのような能力はないことがすでに判明している以上、言う必要がないと思う。

……この二つは変に知ってしまうと、千歌さんが必要なときの吸血を躊躇ってしまう恐れがありますし。


ダイヤ「……っと、そろそろ、歯の写真を撮りましょうか」

千歌「あ、うん。はいスマホ」

ダイヤ「ありがとう。それでは、口を開けてください。あーん」

千歌「ぁー……」


──カシャ。


千歌「……どう?」

ダイヤ「……随分伸びてきましたわね」


時刻は9時半。

そろそろ本格的に夜が始まってきて、千歌さんの吸血鬼化も進行してきた。

記憶が確かなら、まだ歯は伸びますが、もう歯を見るだけで十分吸血鬼と疑われる容貌になってきました。……いや、実際に吸血鬼なのですが。


ダイヤ「吸血欲求はどうですか?」

千歌「……ちょっと吸いたいかも」

ダイヤ「1~100で言うとどれくらいですか? 100が我慢出来ない状態と考えてください」

千歌「……30くらい?」

ダイヤ「30……」


……思った以上に早い気もしますが、100が完璧に我慢の出来なくなるタイミングだと考えると、妥当なのでしょうか。

2日もすると、口にタオルを詰め込んで我慢していたと言っていたので、そこが100と考えると……。

やはり、2日に1回は吸血をさせてあげないと危ない。


ダイヤ「逐一、吸血欲求についても聞くので、考えておいてくださいませね」

千歌「うん。……でも今日は我慢する。トマトジュースもあるし」

ダイヤ「ええ、そうしてくれると助かりますわ。ただ、無理はしないように」

千歌「うん」


あらかた、今日の情報共有を終えて。

……さて、本格的に夜の時間が始まりますわね。





    *    *    *





23時ごろになると、玄関の方で音がする。恐らく、父と母が帰宅したのでしょう。


ダイヤ「ちょっと、お父様とお母様に千歌さんが泊まっていることを説明してきますわ」

千歌「あ、うん」


──玄関へと足を運び、靴を脱いでいる母を見つける。


ダイヤ「お母様」

黒澤母「あら、ダイヤ。どうかしたのですか?」

ダイヤ「本日、お友達が泊まりに来ていまして……」

黒澤母「果南さんですか?」

ダイヤ「いえ、千歌さんですわ」

黒澤母「千歌さん? 確か、十千万旅館の末っ子でしたわね」

ダイヤ「ええ」

黒澤母「わかりました。あまり騒がしくはしないように」

ダイヤ「心得ておりますわ」


──……家族の了承は良し。

……ふと、


ダイヤ「あら……?」


母が指に絆創膏を貼っていることに気付く。


ダイヤ「お母様、怪我をされたのですか?」

黒澤母「ああ……御花の手入れをしているときに切ってしまいまして……」

ダイヤ「そうなのですか……お気を付けくださいませね」

黒澤母「ええ、ありがとう、ダイヤ」


母は軽く微笑んでから、家の奥へと歩いて行く。

……わたくしも早く千歌さんのところに戻りましょうか。

わたくしの部屋は玄関からほとんど離れていないので、すぐに自室に戻ると、


千歌「…………」


千歌さんがぼんやりしていた。


ダイヤ「……千歌さん?」

千歌「…………」


声を掛けても反応がない。


ダイヤ「千歌さん……?」

千歌「…………」


嫌な予感がした。


ダイヤ「千歌さん!!」


すぐ駆け寄って、肩を揺する。


千歌「あ……ダイヤさん……」

ダイヤ「千歌さん!! 大丈夫ですか!?」

千歌「え……大丈夫……」


受け答えがぼんやりしている。


ダイヤ「今、何を考えていますか!?」

千歌「……血の……匂い……」

ダイヤ「……!!」


まさか、お母様の血の匂いに反応している……!?


ダイヤ「千歌さん!! しっかりしてくださいませ!!」

千歌「ん……だい、じょぶ……吸いたいわけじゃない……から……」


本人は大丈夫だと言いますが、完全に血の匂いに意識が持ってかれている。


ダイヤ「……っ……失礼します!!」

千歌「ゅ……?」


千歌さんを無理矢理抱き寄せて、自分の胸に顔を埋めさせる。


千歌「……ダイヤさんの……匂い……」

ダイヤ「…………」


恐らく血の匂いが彼女を狂わせる。

なら、一旦落ち着くまでこうして居た方がいい。


千歌「……ん……」


5分ほど、抱きすくめたままでいると……。


千歌「……あ、あれ……?」


千歌さんが正気を取り戻したのか、胸の中でもぞもぞと動き出す。


ダイヤ「千歌さん……このまま答えて」

千歌「……え、う、うん」

ダイヤ「今の吸血欲求は……どれくらいですか……?」

千歌「…………70」

ダイヤ「70……」


想定より圧倒的に欲求が増すのが早い。

血の匂いを感じて、一気に欲求が加速してしまったのでしょうか。

誤算でした。

どうする……?

時刻は23時過ぎ……明日も両親は所用があって朝から出なくてはいけないはずなので、恐らく日付が変わる頃には就寝すると思われる。

となると、あと1時間……。

わたくしの自室に来るとは思えませんが、家の中を家族が動き回っている状態で吸血をさせるのはリスクが高すぎる。

かといって、今千歌さんと離れるとまたお母様の血に反応してしまうかもしれない。


ダイヤ「千歌さん……1時間、このままで我慢してくださいませんか?」

千歌「え?」

ダイヤ「……その……嫌かもしれませんけれど」

千歌「いやじゃないけど……」

ダイヤ「そう……ありがとう」

千歌「……私、変になってた?」

ダイヤ「……少し、理性が飛びかけていました」

千歌「……そっか」

ダイヤ「……お母様たちが眠ったら、すぐに血を飲ませてあげますから」

千歌「……今日は我慢出来ると思ったのに……どうして……」

ダイヤ「それは後で考えましょう」

千歌「……うん」


口ではそう言うものの、わたくしも混乱していた。

欲求の増大進行が早すぎる。

そして更に、わたくしたちの見積もりは甘かったことが段々とわかってくるのです……。





    *    *    *




30分もしないうちに、


千歌「……ふー……ふー……」


千歌さんが段々落ち着かない様子になっていく。


ダイヤ「……どれくらいですか」

千歌「……80……うぅん……85……」


血の匂いをシャットしているのに、どんどん吸血欲求が肥大している。

つまり……。匂いが原因じゃない……?

千歌さん自身、直接吸血したのは昨日が初めてと言っていましたし、彼女の予想よりも吸血欲求の満たされる具合が大きくなかったのかもしれません。

……となると、


ダイヤ「千歌さん、このまま顔を離さないでくださいませ」

千歌「う、うん……」


どうにか、彼女を抱きすくめたまま手を伸ばして、自分の机の引き出しを開ける。


ダイヤ「……えっと、確かここに」


文房具をしまっている引き出しの中を手で探って……。


ダイヤ「あ、ありましたわ……!」


カッターナイフを手に取る。

──もし吸血行為の満たされる率があまり高くないと言うなら、直接吸わせずに飲ませる方法の方が効果が高いことになる。

もしそれが事実なら、チャーム問題も同時に解決しますし、むしろ事態は好転する。

……しますが。

どうにも、そうなる気はしない。

ただ、試す価値はあります。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「……今血を飲ませてあげますから、このままで」

千歌「……! ……うん」


言うと千歌さんはわたくしの背中に腕を回して、わたくしの胸に顔を強く押し付ける。

──カチカチカチとカッターナイフの刃を出す。


ダイヤ「……ふー……」


ゆっくり息を吸ってから──


ダイヤ「──っふ」


左手の薬指の先に軽く刃を当てる。

すると、皮膚が裂けて、ぷくっと血が浮かんでくる。

──瞬間。


千歌「……っ!!」


わたくしに抱きついたままの千歌さんの体がビクリと跳ねた。

この至近距離。血の匂いに反応しているのでしょう。


ダイヤ「千歌さん、顔をあげて」

千歌「……ぅ、ぅん……」


ゆっくり顔をあげた、彼女の口元に切れた左手の薬指を持っていく。


ダイヤ「……このまま、舐められる?」

千歌「……血……!」


千歌さんは血を認識すると、わたくしの問いには答えずその指を咥える。


千歌「……ん……ちゅ……」


傷口から吸い上げるように、血を飲む。


千歌「……ん、ちゅぅ……」


夢中になってわたくしの指をしゃぶる千歌さんを見ていると、


ダイヤ「…………」


チャームのときとは違う謎の背徳感に襲われる。

……これは血を与えているだけですわ。やましいことなんて一切ない。ありませんわ。

千歌さんはしばらくちゅぅちゅぅと、わたくしの指をしゃぶったあと……。


千歌「ぷは……おいし……」


うっとりとした顔で指から口を離した。

千歌さんの唾液で濡れた指は……まあ、もうこの際気にしている場合でもありませんわね……。

それは、ティッシュで拭くとして……。


ダイヤ「落ち着きましたか……?」

千歌「あ……うん……」

ダイヤ「欲求は今どれくらいかわかりますか……?」

千歌「………………」

ダイヤ「素直に答えてくれればいいですから」

千歌「……70……くらい……」


……やはり、そう甘くはなさそうですわね。

理由はわかりませんが、彼女の吸血欲求は加速している。

そして、直接吸血させる以外で血をあげても、そこまで解消はされない。

……となると、


ダイヤ「……恐らくこの調子だと、今晩を吸血無しで乗り切るのは無理だと思います」

千歌「……うん」

ダイヤ「深夜を回ってから……適度なタイミングで直接血をあげますので……もう少しだけ我慢してください」

千歌「……うん」


千歌さんは俯いて返事をする。落ち込んでいるのが目に見えてわかる。

……でも、仕方がない。

とにかく、今は今の状況を乗り越えることを考えなくてはいけない。

時刻は──あと20分ほどでテッペンになる。

そこからどれだけ我慢出来るかですわね……。





    *    *    *





──あのあと、自分で切った薬指を治療しようとしたのですが……。


ダイヤ「…………」


気付けば傷口は塞がっていた。

もちろん、そんなに深く切ったつもりはないのですが……。

部屋に置いてある化粧台の鏡の前で、首筋に貼ってある絆創膏を剥がすと──


ダイヤ「……やはり、こちらも傷口が塞がっている」


ただ、首筋の噛み傷は、傷口が塞がっているだけで傷跡自体はまだ残っているのですが……。

とはいっても、吸血のために深々と歯を突き立てたと言う割には、治りが早すぎる。

……もしかしなくても、特殊な事情で傷が治ってると考えた方がいい。

状況証拠から考えると……千歌さんの唾液のせいでしょうか。

千歌さんにとんでもない再生能力があるのは、もうすでに確認済み。

もしかしたら、彼女から分泌された唾液にも、似たような治癒効果があるのかもしれません。

この情報は有益かもしれない……。

わたくしが怪我をした場合、ちゃんと血を止めないと、千歌さんは常に血の匂いに晒されることになってしまう。

ですが、この治癒効果を使えば、いざというとき今回のように、指を軽く切って血を与える緊急処置のケアもしやすいと言うこと。

尤も──


千歌「……ん……血……欲しい、よぉ……」


こんな状況でなければ、もっと考察する暇があるのですが……。


ダイヤ「大丈夫ですか……? もう、いつでも血は与えられますわよ……?」

千歌「ん…………」


時刻は日付を跨いで、0時30分。

恐らく両親も就寝したと思われます。


千歌「……もう、ちょっと……我慢……する……」

ダイヤ「……今、どれくらい?」

千歌「……90……」

ダイヤ「…………」


限界ギリギリですわね……。もうこれ以上は千歌さんから、絶対に目が離せない。

歯は日付が変わる頃には、すでに伸びきっていて、今は完全に吸血鬼状態です。

先ほどから、トマトジュースを飲ませてあげたりはしているのですが……。

気が紛れる程度で、吸血欲求そのものを減らす効果は全く認められない。

……まあ、あくまで水の代わりだったので、そこまでの効果は期待してはいませんでしたが。


千歌「…………ぅ…………」

ダイヤ「……千歌さん」


千歌さんは先ほどから、横になり、体を縮こまらせて、吸血欲求に耐えている。

こうなってしまうと、もうわたくしに出来ることは、いつでも吸血出来るように構えている以外出来ることはありません。


千歌「ぅ……ふー……ふー………………きゅうじゅう……ご……くらい……かも……」


小さな声で千歌さんが呟く。


ダイヤ「……もう限界ですわ。千歌さん、吸血の準備をしましょう」

千歌「…………」


蹲ったまま、千歌さんがいやいやと小さく首を振る。

……やはり、まだ吸血をすると言う行為そのものに抵抗があるのでしょう。

一番人間離れした行為ですものね……。

とは言っても……もう、彼女のわがままを聞き続けている場合でもなくなってきている。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……ぅ……ダイヤ……さん……」


千歌さんを抱き起こすような形で、起き上がらせる。

そのまま、抱きしめるようにして、彼女の頭部の後ろの手を添えたまま──

昨日も噛み付かれた左首筋のすぐ傍に彼女の顔を持ってくる。


ダイヤ「……口、開けて?」

千歌「…………っ」


千歌さんは再度いやいやと首を振る。


ダイヤ「すぐに吸わなくてもいいから……我慢出来なくなったら、すぐに吸血に移れる状態にだけでも」

千歌「…………」

ダイヤ「お願い……」

>>19 すいません……かなり遡りますけど、ここも文字化けしてる。修正。


キバが刺さっていると言う割には、痛いと言うよりはくすぐったかった。

千歌さんが少しずつ血を飲んでいく。

すると、何故だかだんだんと心拍数が上がっていく。

吸血されるという、余り経験し得ない行為に、緊張しているのかもしれない。


千歌「……ん……ちゅ……コク……」


しばらく、吸血行為を続けた後──


千歌「ん……ぁ……」


千歌さんはわたくしの首筋から離れた。


千歌「……は……ぁ…………おいしぃ……」


千歌さんは心底幸せそうに、息を漏らす。


ダイヤ「……そう、ですか……」

千歌「うん……なんか、生きた心地がする……」

ダイヤ「千歌さん…………もっと、吸っていいですわよ……?」

千歌「……え?」

ダイヤ「いえ……もっと、もっと吸ってください……わたくしが枯れるまで、吸ってください……♡」

千歌「へ……え……?」

ダイヤ「わたくしはもう千歌さんのものです……♡ 好きにしてくださいませ……♡」

千歌「……!? ま、待って……!!? ダイヤさん、どうしちゃったの……!!? さっきと言ってること違うよ!?」

ダイヤ「…………え……あ……? ……え、今わたくし……なんて……?」

千歌「……えっと」


一瞬頭に靄が掛かっていたような気がする。

なんだか、凄く千歌さんに血を吸われるのが心地よくて……もうずっと吸っていて欲しい……。


ダイヤ「え、あ、いや……!!」


思わずかぶりを振る。


千歌「だ、ダイヤさん……?」

ダイヤ「い、いえ……大丈夫ですわ」

千歌「ホントに……?」

ダイヤ「……ええ」


得体の知れない現象に襲われた。


ダイヤ「……あの、追加でお願い事をしていいですか?」

千歌「う、うん」

ダイヤ「たぶんなのですけれど……血を吸われた直後、わたくしにもなんらかの影響があるようですわ……。血を吸った直後にわたくしが言ったことは、あまり聞かないで貰っていいですか……?」

千歌「う、うん! わかった!」


千歌さんにとって辛いお願いだとは思う。

彼女は今日は我慢すると言っていましたし……。

ですが、無理なものは仕様がないのです。

それによってもっと事態が悪化してしまっては元も子もない。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「…………ん」


わかってくれたのか、千歌さんは小さく首を縦に振ってくれた。


千歌「……ぁー……」


小さく、口を開けて昨日と同じ位置に、


千歌「──むっ……」


千歌さんはすぐに歯を立てた。


ダイヤ「……っ」


……まあ、傾向から見て、首筋の前で口を開いたら、もう我慢出来ないだろうと言うことはわかっていました。

千歌さんも、それがわかっていたから、拒んでいたのでしょうし。

彼女のキバが首筋に突き刺さっていく。そして、そのまま吸血を始める。


千歌「……ん……ちゅぅ……ちゅぅ……」

ダイヤ「…………っ゛…………」


千歌さんが首筋から血を吸い上げる瞬間──背筋辺りから脳天に向かって、ゾクゾクっとした快感が全身に走り抜ける。

……ちょ、待って、これ……っ


ダイヤ「……ぁ……ゃ……待って、くださ……っ」


覚悟していたはずなのに──いや、むしろ今回は前情報で理解していたからこそでしょうか。

吸血行為により発生する快楽によって、口から自然と嬌声が漏れ出てしまう。

そして、同時に──心臓がドクンドクンと激しく脈打ち始める。

──チャームが始まった。


千歌「……ちゅ……ちゅぅ……」

ダイヤ「……は、ぁ……♡ ……千歌さ……だ、め……き、もちぃ…………♡」


脳が痺れる。

千歌さんが噛み付いている部分に否が応でも神経が集中していく。


千歌「…………ちゅー……ちゅぅー……」

ダイヤ「……ゃ……♡ ……こ、れ好き……♡ ……きもち、ぃ…………だ、め……♡」


声が抑えられない。気持ちいい。

快感に自分が支配されている。


千歌「……ん……ぷはっ」


千歌さんが吸血を終えて、口を放す。


ダイヤ「……ぁ、ゃ……や、やめないで…………♡」

千歌「……は……はっ……ダ、ダイヤさん……落ち着いて……」

ダイヤ「もっと……♡ もっと、ください…………♡ それ、好きなの……♡」

千歌「ダイヤさん……もう終わったから……」

ダイヤ「……そんなこと言わないでください…………もっと、気持ち良ぃのが欲しいの…………♡」


離れようとする千歌さんに抱きついてすがる。

──もっとして、もっと、もっともっともっともっともっともっともっと……。


千歌「ぅ……ダ、ダイヤさん……」


千歌さんが困り顔をして、わたくしの名前を呼んだタイミングで──


ダイヤ「…………/// ……すみません……/// 取り乱しましたわ……///」

千歌「え、あ、うん」


理性が戻ってきて、千歌さんから離れる。


千歌「えっと、その……チカが言うのもなんだけど……大丈夫……?」

ダイヤ「え、ええ……///」


まだ心臓がバクバクと音を立てているのは、今恥ずかしいのか、チャームの余韻的のものなのかはわかりかねますが……。

正直、今回は来るとわかっていたのもあって、自分としては抵抗する気でいたのに……まるで、抵抗出来ず今回も完全に虜にされてしまっていた。

我ながらはしたないし、情けないと思うのですが……これは恐らく抵抗不可能ですわね……。

理性まで飛んでしまうピークは10秒ほどで終わってくれるのがせめてもの救いでしょうか……。


ダイヤ「……とりあえず、今の吸血欲求はどうなりましたか?」

千歌「あ、えっと……0かな。……満腹状態みたいな感じ」


何はともあれ……目的はしっかりと達成されたようですわね……。


ダイヤ「それは何よりですわ……」


ちゃんと欲求を満たせたのなら、わたくしも恥ずかしい想いをした甲斐があるというものです──そういうことにしておかないと、本当に恥ずかしくて倒れてしまいそうなので。


千歌「うん、ありがと……ダイヤさん」


彼女がお礼混じりに微笑むと。


ダイヤ「……!///」


その可愛らしい笑顔にドキリとする。

……確実にチャームに引っ張られていますわね。


ダイヤ「と、とにかく……!/// 首筋の傷……また絆創膏でも貼っておかないといけませんわね……!///」


チャームの余韻のせいで、恥ずかしくて、彼女の顔が見ていられないので、わたくしは背後の化粧台に視線を移す。

首筋の傷跡を鏡で確認して──


ダイヤ「……血は出ていませんわね」


もうすでに血が止まっていることに気付く。

もちろん、噛み傷は僅かにクレーターのように窪んでいるので、傷口と言えば傷口のままなのですが……。

やはり、治癒が早いのはほぼ間違いない気がします。


千歌「……あ、絆創膏貼ってあげるよ? 鏡越しだとやりづらいだろうし……」


背後から声を掛けられて──


ダイヤ「それでは、お願いしようかしら──」


振り向いた途端──

千歌さんの顔が思った以上に近い位置にあった。


ダイヤ「!? きゃぁっ!?///」


不意を打たれて驚いて、声をあげてしまう。


千歌「!? ご、ごめん……脅かせるつもりじゃ」

ダイヤ「い、いえ……大丈夫、ですけれど…………?」

千歌「……? どうかしたの……?」

ダイヤ「……いえ、なんでもありませんわ。絆創膏、貼ってくださいますか?」

千歌「……あ、うん」


千歌さんがいそいそと、部屋に置かれた救急箱を取りに行く。


ダイヤ「…………。……気のせい、ですわよね……?」


ある懸念が頭を過ぎりましたが……。まあ、恐らくこれは気のせい。

わたくしも相当気が動転していましたから、見間違えたのでしょう……きっと、気のせいですわ。





    *    *    *





さて……夜明けまでまだ時間があります。

夜明けは大体5時ごろ……。今は2時過ぎなので、あと3時間くらいでしょうか。


千歌「…………はぁ」

ダイヤ「……日が昇るまで何かしましょうか」

千歌「…………」

ダイヤ「退屈ですものね」

千歌「……ダイヤさんは寝ちゃっていいよ」

ダイヤ「……いえ、わたくしも起きるのが遅かったから、目が冴えていますの」

千歌「…………そっか」

ダイヤ「千歌さん……」


千歌さんは相変わらず横になって、縮こまっている。

吸血の後、徐々に我慢出来なかったことを再度自覚して、また気落ちしている様子でした。


ダイヤ「…………」


せっかく明るくなってくれたのに……どうにかしてあげたいですわね。

千歌さんの好きそうなもの……何かないかしら。


ダイヤ「……あ」


そして、思い出す。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「……ん」

ダイヤ「ライブのDVDを見ませんか?」

千歌「DVD……?」

ダイヤ「ええ、μ'sの出ているライブDVDですわ」

千歌「! 見る!」


よかった、食いついてくれましたわ。

DVDの置いてある本棚の前で、


ダイヤ「どのときのライブがいいですか?」


訊ねる。当たり前ですが我が家にはμ'sの出ているライブDVDは全て揃っています。どんなリクエストが来ても対応可能ですわ。


千歌「んっと……スクールアイドルフェスティバルのときのがいい!」

ダイヤ「ふふ、さすが千歌さん。それを選ぶとは……わかっていますわね」


──スクールアイドルフェスティバルは、初夏に開催されるスクールアイドルの祭典です。

有り難いことに今年はAqoursやSaint Snowも出場が決まっているため予習にもなりますし、いいチョイスですわ。

本棚から、リクエストされたDVDを取り出して、それを自分のノートパソコンにDVDドライブに入れる。


千歌「わくわく……!」

ダイヤ「……ふふ」


程なくして映像が始まる。

ノートパソコンの小さな画面なので、二人で肩を寄せ合うことになるので少々窮屈ですが、

映像が始まり、曲が流れ出すと──


千歌「……!!」


千歌さんは目をキラキラと輝かせて画面に齧り付いている。

わたくしが横にいることなんて、頭のどこかに行ってしまってるんじゃないかと言うくらい、夢中で映像の中のμ'sを追っている。


ダイヤ「ふふ、本当に好きなのね……」


まあ、それに関しては、わたくしも右に同じなのですが。

──二人でライブの映像を見て過ごす。

あんなに落ち込んでいた千歌さんが、気付けば自然と身体を揺らして楽しそうに、映像に食い入っている。

本当にμ'sの力は、スクールアイドルの力はすごいですわね……。

──二人で映像に夢中になっていると、時間が過ぎるのはあっと言う間でした。


千歌「……あれ、もう終わり……?」

ダイヤ「ふふ、もう二時間以上経ってますわよ?」

千歌「うそ……!? あっと言う間だったよぉ……」

ダイヤ「それくらい、楽しいエネルギーがいっぱいのライブだったと言うことですわね」

千歌「…………。……うん、そうだね」

ダイヤ「……?」


急に千歌さんの声がトーンダウンする。

今の今までライブの映像を見て、嬉しそうにしていたのに。


ダイヤ「千歌さん……? どうかしましたか……?」

千歌「…………私、スクールアイドルフェスティバル、出られるかな」

ダイヤ「……!」

千歌「……って、ごめん……。リーダーがこんなこと言ってちゃダメだよね」

ダイヤ「千歌さん……」


彼女のリクエストだったとはいえ、またしても、わたくしの配慮が足りなかったことに気付かされる。

ライブは来月に迫っている。

これから初夏に向けてどんどん日差しも強くなる。

そうしたら……吸血鬼になってしまった千歌さんはどんどん太陽の下での活動が制限される。

……いつ練習に参加出来なくなってもおかしくはない。

そして、スクールアイドルフェスティバルは野外フェスです。

つまり、この事態が解決しないと最悪──


千歌「大丈夫だよね。まだ一ヶ月もあるんだもん、ライブまでにはきっと解決してるよね」

ダイヤ「……ええ」

千歌「それでね、私も、皆にいーっぱい笑って貰える様なライブするからさ」

ダイヤ「……そうですわね」

千歌「だから、練習も、いっぱいしないと、しない、と……っ」

ダイヤ「…………」


わたくしは、強がる千歌さんを、抱き寄せる。


千歌「ダイヤ……さん……」

ダイヤ「……強がらなくても、大丈夫よ。……今はわたくししか居ないから」

千歌「…………っ……! ……スクールアイドル、出来なくなるの……やだよぉ……っ……」

ダイヤ「……大丈夫ですわ」

千歌「…………ぅ……っ……ぐす……っ…………元に……戻りたい……っ……」

ダイヤ「……大丈夫、きっと元に戻る方法は見つかりますわ」

千歌「…………ぅ……ぅぅ……っ……吸血鬼のままなんて……やだよぉ……っ……」

ダイヤ「……大丈夫……。……わたくしも、一緒に元に戻る方法を、探しますから……」

千歌「……ぅ……ぐす……っ……。……うん……っ……」


気休めにしかならないかもしれないけれど。

わたくしは千歌さんを抱きしめたまま、何度も何度も『大丈夫だから』と答えながら、彼女の背中を優しく撫でる。

嗚咽をあげながら、千歌さんはわたくしの胸にすがるように、ぽろぽろと涙を流す。


千歌「……ダイヤ……さん……っ……」

ダイヤ「大丈夫……わたくしが居るから、大丈夫ですわ……」


わたくしは千歌さんが泣き止むまで、ただ抱きしめて励まし続けるのでした。





    *    *    *





千歌「…………んゅ……」


あのあとしばらく泣き続けていた千歌さんは、泣き疲れたのか、わたくしの胸に抱かれたまま、眠ってしまった。

辺りを見回すと、障子の先で空が白み始めているのがわかる。

吸血鬼が眠る時間が始まりますわね……。


ダイヤ「今お布団を敷きますから……少し待っていてくださいね」

千歌「ん……ぅ……」


千歌さんをゆっくり畳に寝かせてから、布団を敷く。


ダイヤ「千歌さん、ちょっと移動しますわよ」

千歌「……んぅ……」


流石に果南さんのように、お姫様抱っこをする腕力はないので、千歌さんを抱きしめるようにして、起き上がらせ、寝ぼけたままの彼女を布団に誘導する。


ダイヤ「はい、到着」

千歌「ぅん……」

ダイヤ「おやすみなさい、千歌さん」

千歌「………………すぅ……すぅ……」


千歌さんはすぐに寝息を立て始めた。


ダイヤ「ゆっくり、休んでくださいね……」


せめて、眠っている間くらいは安心した気持ちで居て欲しい。

そう願いながら、わたくしは自然と彼女の頭を撫でていた。


ダイヤ「……ふぁ……」


なんだか、わたくしも眠くなってきましたわね……。


ダイヤ「……わたくしも眠りましょうか」


また明日も何が起こるかわからない。

ちゃんと眠って体力を回復しなければ……。

自分が使う布団を敷くため立ち上がろうとしたとき、


千歌「……ゃ……」

ダイヤ「……?」


千歌さんが小さな声をあげて、服の裾を掴んでくる。


千歌「……ひとりに……しないで……」

ダイヤ「…………」


寝言でしょうか。


ダイヤ「……仕方ありませんわね」


わたくしはそのまま、千歌さんの眠っている布団にお邪魔する。


千歌「……ん……ぅ…………すぅ……すぅ……」

ダイヤ「ふふ……ルビィが怖い夢を見たときみたいですわね……」


お姉ちゃん、いかないでと……。寝ぼけながら、わたくしの服の裾を掴む妹の姿を思い出す。


ダイヤ「……妹がもう一人増えたみたいですわね」

千歌「……すぅ……すぅ……」

ダイヤ「……ちゃんと傍にいますから」


そしてこういうときは決まって、安心させるために、手を握るのです。


千歌「…………にゅ…………すぅ……すぅ……」

ダイヤ「千歌さん……おやすみなさい」


再び彼女に就寝の挨拶をして、わたくしは目を瞑った。

わたくしが眠りに落ちるまでの間ずっと……千歌さんの手を握りながら……。





    *    *    *





──翌日。


ダイヤ「ん……」

千歌「……すぅ……すぅ…………」

ダイヤ「……!?」


起きると、目の前に千歌さんの顔があった。

──…………あ、ああ……一緒の布団で眠ったのでしたっけ……。

昨日は手を繋いで眠ったところまでは覚えているのですが、気付いたら千歌さんはわたくしの胸の辺りにすっぽり収まり──わたくしは何故か千歌さんの背中に手を回す形で抱きしめていた。


ダイヤ「………………」


我ながら眠っている間に何をしているんだと思ってしまいましたが、もう流石に妹のルビィとも床を一緒にすることが減った今日……一緒の布団で誰かが眠ってくれるという安心感で無意識に抱きしめてしまったのかもしれない。

ルビィと一緒に眠っているときも、朝起きたらルビィを抱きしめていたこと……そういえば、ありましたわね。


ダイヤ「なんだか……この感覚、少し懐かしいですわね……」

千歌「…………すぅ……すぅ……」

ダイヤ「ふふ……本当にもう一人、妹が出来たみたいですわ……」


思わず頭を撫でると、


千歌「…………んゅ……」


千歌さんは小さく声をあげながら、くすぐったそうに身じろぎする。


ダイヤ「ふふ……なんだか、可愛いですわね……」

千歌「ん…………だいゃ、さん…………?」

ダイヤ「おはようございます、千歌さん」

千歌「ぉはょ…………ぅ…………」


寝ぼけ眼の彼女は、わたくしの胸に頬ずりするように、顔を押し当てたあと──


千歌「……くぅ…………くぅ………………」


再び寝息を立て始めました。


ダイヤ「……お寝坊さんね」


全く困った子ね。と内心笑ってしまいますが……。

──それだけ、今は安心しているということ。昨日からずっと不安に押し潰されそうな様子だったので、今の気の抜けた感じは逆に安心する。

もしかしたら……ですが、彼女も妹として、この状況に無意識に懐かしさを感じているのかもしれませんわね……。


ダイヤ「今日はお休みですから……特別ですわよ、千歌……」


彼女の姉になったような気分で、頭を撫でながら──


ダイヤ「わたくしも……もう少し、ゆっくりしようかしら……」


千歌さんの温もりを感じながら、幸せなまどろみをもう少し楽しむことにしたのでした。





    *    *    *




……さて、わたくしたちが起きたのは13時過ぎでした。


千歌「ふぁぁ……よく寝た……」


8時間睡眠……やや、寝過ぎな気もしますが、まあいいでしょう。今日はお休みですから。


千歌「ん……? ダイヤさんどうしたの? なんか、嬉しそう……?」

ダイヤ「ふふ、なんでもありませんわよ。さ、千歌さんはお布団を畳んでくださいませ。わたくしはその間に朝ご飯……じゃなくて、お昼ご飯を作ってきますので」

千歌「あ、はーい」


部屋を出ていこうとして、


ダイヤ「……と、その前に」

千歌「?」


戻ってきて、千歌さんの頬に手を添える。


千歌「ふぇ!?///」

ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん!?/// え!?/// い、いきなり!?///」

ダイヤ「……? 口を開けてください、歯を見ますので」

千歌「ハ……?/// ……あ、ああ歯ね……///」

ダイヤ「……? どうかしたのですか?」

千歌「……急に頬に手とか添えてくるから……キスされるのかと思った……///」

ダイヤ「!?/// な、なんでそうなるのですか!?///」

千歌「い、いや、だからびっくりしたんだって……!!///」

ダイヤ「も、もう!!/// バカなこと言ってないで早く口開けて!/// 確認しますから!!///」

千歌「う、うん……!/// あ、ぁー…………///」


千歌さんが例のごとく口を開く。

そして、わたくしも例のごとく彼女の口の中を観察する。


ダイヤ「……歯はちゃんと元に戻ってますわね」


まあ、戻ってなかったら困るのですが……。

この分なら、日中の観察はあまり必要ないのかもしれない。

吸血鬼は知っての通り夜の生き物。

夜以外はその本性を表すこともありませんでしょうしね。


ダイヤ「もう、いいですわよ」

千歌「……んぁ……。うん」


千歌さんが口を閉じたあと。

目が合う──


千歌「…………///」

ダイヤ「…………///」


さっきのやり取りを思い出して、二人して紅くなる。


千歌「ダイヤ……さん……///」


って、なんでこんな雰囲気になっているのですか!?


ダイヤ「ち、千歌さんっ!!!」

千歌「!? は、はい!?」

ダイヤ「貴方は布団を畳むっ!! わたくしはご飯を作るっ!! いいですわねっ!?」

千歌「ら、らじゃー!!」


半ば無理矢理、その場から逃げるように脱出する。


ダイヤ「……///」


──もう、心臓の音がうるさい……。

昨日から変に意識してしまって調子が狂う。

花丸さんや千歌さんの言動もそうなのですが……。


ダイヤ「チャームの影響もあるのかしら……」


チャームはそもそも魅惑の能力だと善子さんや花丸さんは言っていたし……。少なからず影響がある可能性は否めない。

──ドクン、ドクン、ドクン。


ダイヤ「ああ……もう……///」


こういうときは体を動かした方がいい。……早く昼食を作ってしまいましょう。


ダイヤ「……流されてはいけませんよ、黒澤ダイヤ……」


自分にそう言い聞かせながら、胸の鼓動を誤魔化すように、わたくしは厨房へと足を運ぶのでした。





    *    *    *





千歌・ダイヤ「「いただきます」」


本日も二人揃って、昼食をいただく。

今日も簡単にサンドイッチを作りましたが、今日は冷蔵庫を開けられる状態でしたから、ハムとゆで卵を挟んでいるので、昨日より味気があると思いますわ。


千歌「もぐもぐ……」

ダイヤ「……おいしいですか?」

千歌「うん、おいしいよ」


サンドイッチを食べながら、時折トマトジュースを飲む。

その繰り返しで千歌さんは昼食をもくもくとお腹に収めていく。


ダイヤ「…………」


あまり落ち込んでいる様子は見せないようにしているのかもしれませんが、明らかに口数が少ない。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「……ん?」

ダイヤ「この後……はとりあえずお風呂ですわね。髪を乾かしたら沼津までお出かけしませんか?」

千歌「……この時間からだと、行ってもすぐに日が落ちちゃうんじゃないかな」

ダイヤ「確かにあまり長居は出来ないかもしれませんけれど……。今日はいい塩梅の曇り空ですし。天気予報を見たら雨も降らないみたいですので」


有り難いことに、今日は昨日と違って日が隠れているし、雨が降る心配もない。

今の千歌さんが安心して出歩ける貴重な天気なのです。


千歌「ん……でも……」

ダイヤ「余り家でじっとしていても、どんどん気落ちしてしまうと思いますから……。少し気晴らしにお買い物をしましょう?」

千歌「……わかった、そういうことなら」


よかった、納得してくれた。


ダイヤ「それでは、早く食べて片付けてしまいましょうか」

千歌「うん」





    *    *    *





──浴室。


千歌「ふぅ…………」

ダイヤ「お湯……大丈夫ですか?」

千歌「うん、昨日の朝方入ったのに比べると……」


やはり、吸血鬼化していない状態だと、水への精神的抵抗が減るみたいですわね……。

流水はやはり無理なようなので、気をつける必要こそありますが……。

……しかし、


千歌「ふぇ……? どうしたの、じっと見つめて……?」

ダイヤ「……ちょっと、失礼しますわ」


千歌さんの髪に手を伸ばす。


千歌「……!?///」


そのまま髪を撫でたり、梳いたりしてみる。


千歌「は……/// え……/// え……!?///」

ダイヤ「……やはり、サラサラですわね」

千歌「ふぇ……!?/// ぁ……/// ぅ……///」

ダイヤ「昨日からずっと気になっていたのですが……」

千歌「き、気になってたの!?///」

ダイヤ「……髪の状態も、肌の状態も……不自然なほどに良すぎる……」

千歌「……へ?」


これは代謝がどうと言うか……。

根本的に美しい状態が維持されているような気がしてならない。


ダイヤ「吸血鬼は容姿が美しいのも特徴とされていると善子さんは言っていましたわ。吸血鬼化の影響で、千歌さんの肌や髪のコンディションも最高に保たれているということなのかもしれませんわ」

千歌「…………」

ダイヤ「肌がすべすべになったと言っていましたし……千歌さん、他に何か心当たりはありませんか?」

千歌「…………知らない」


千歌さんがぷいっと顔を背ける。


ダイヤ「もし、少しでも気になることがあったら教えてくださると……」

千歌「自分で見ればいいじゃん、目の前にいるんだから」

ダイヤ「え……いや……その……?」


何故か急に千歌さんがそっけなくなった気が……?


ダイヤ「……主観的な部分でしかわからないこともあるかもしれませんし……」

千歌「……かもね」

ダイヤ「千歌さん……?」

千歌「……お風呂、出る」

ダイヤ「え、ま、まだ入ったばかりではないですか……?」

千歌「チカの身体、綺麗に保たれてるんでしょ? なら、いいじゃん。どっちにしろ、シャワー使ったり身体流したり出来ないから、シャンプーとか、コンディショナーとかしなくても綺麗なら、ちょうどいいね」

ダイヤ「ち、千歌さん……?」

千歌「ダイヤさんはごゆっくりどうぞ」

ダイヤ「え、ち、ちょっと待ってください!!」


気のせいかと思いましたが、どう考えても今の千歌さんの態度は、明らかに不機嫌です。


ダイヤ「わ、わたくし、もしかして何か気に障ることを……」

千歌「……知らない」

ダイヤ「ま、待って……! わたくしも一緒に出ますから……!」


焦って湯船から出ようとして、


千歌「ダイヤさんは髪も身体洗わないとダメじゃない?」

ダイヤ「……!」


言われて気付く。


ダイヤ「ご、ごめんなさい……わたくし、そのようなつもりで言ったわけでは……」

千歌「…………」

ダイヤ「……日中の時間帯から吸血鬼扱いされては……気分が悪いですわよね……すみません」


わたくしが、謝罪をすると、


千歌「…………そういうことじゃないもん」


千歌さんは小さな声でそう返す。


ダイヤ「……え?」

千歌「……ダイヤさんのおたんこなす!」

ダイヤ「え……え?」

千歌「にぶちん! とーへんぼく! もう、知らない!」

ダイヤ「ち、ちょっと待って……」


わたくしの制止も虚しく。千歌さんは浴室から出て行ってしまいました。


ダイヤ「…………?」


彼女を怒らせてしまった理由がわからず、呆けてしまう。


ダイヤ「おたんこなすですか……」


久しぶりに聞きましたわね……あのような幼稚な悪口。


ダイヤ「……とりあえず、お風呂から出たら謝りましょう……」


わたくしは千歌さんに言われたとおり、とりあえず身体を洗うことに致しました。

……それにしても、どうして急に怒り出したのでしょうか……?

何度も理由を頭の中で考えていましたが、結局答えが出ることはありませんでした。





    *    *    *





お風呂からあがると、千歌さんはわたくしの部屋で髪を乾かしながら待っていました。


ダイヤ「えっと……千歌さん」

千歌「ダイヤさん」

ダイヤ「は、はい」


何故か妙な迫力があって、思わず背筋が伸びる。


千歌「そこ座って」

ダイヤ「は、はい……」


千歌さんが自分のすぐ横を指し示すので、言われたとおりそこに腰を降ろす──と、


千歌「乾かすよ」


おもむろにわたくしの髪をドライヤーで乾かし始める。


ダイヤ「え……? い、いや、自分で出来ますから……」

千歌「チカの髪は触っておいて、自分の髪は触らせてくれないの?」

ダイヤ「!? え、ええっと……?」

千歌「それに、私の髪、短いからもう乾いたし」

ダイヤ「は、はあ……」


……とりあえず、ここは言うことを聞いた方が良さそうだと思い、大人しく髪を乾かしてもらうことにしました。


ダイヤ「…………あの、千歌さん」

千歌「何?」

ダイヤ「……怒ってますか……?」

千歌「……怒ってるかも」

ダイヤ「……えっと……理由を聞いたら……更に怒りますか?」

千歌「……理由がわかってないことをすでに怒ってるし、聞かれても教えたくない」

ダイヤ「そ、その……ごめんなさい……」

千歌「……もう、いい……チカも悪いから」

ダイヤ「……え?」

千歌「期待しちゃったみたい」

ダイヤ「……期待……?」

千歌「……なんでもない、今のは忘れて欲しいかな」

ダイヤ「……は、はい」


なんだか、わかりませんが……。一応、解決……したのでしょうか……?


千歌「……ダイヤさんの髪、完全なストレートだね……羨ましい」

ダイヤ「……千歌さんの髪も癖は少ない方ではないですか?」

千歌「うーん、ちょっと内巻き気味だけど……まあ、曜ちゃんほど癖っ毛ではないかな。でも、ここまでストレートなのは女の子なら皆羨ましいんじゃないかな」

ダイヤ「そうでしょうか……。日本人形みたいではないですか?」

千歌「ダイヤさん髪の毛真っ黒だもんね……でも、私は綺麗だなーって思うよ」

ダイヤ「あ、ありがとうございます……」


さっきと打って変わって褒められる。


千歌「果南ちゃんも鞠莉ちゃんも言ってたよ? ダイヤさんの髪はお手本みたいな黒髪ストレートロングで羨ましいって」

ダイヤ「鞠莉さんは色もですが、わたくしとは真逆の髪質ですからね……果南さんもストレートですけれど……」

千歌「海水で傷みやすくて、手入れが大変ってよく言ってるよね」

ダイヤ「ですわね。……でも、わたくしもたまにパーマをかけること、ありますのよ?」

千歌「そうなの?」

ダイヤ「ええ。少しウェーブがかかっているのも好きですので。……ただ、すぐストレートに戻ってしまうのですけれど」

千歌「女の子のヘアスタイルって生まれつきの髪質との戦いなところあるよね……曜ちゃんなんかもう割り切っちゃってるけど、子供の頃は癖っ毛いやだーってよく言ってたし」

ダイヤ「曜さんも大変そうですわよね……水泳の選手は特に」

千歌「消毒の塩素で色とか抜けちゃうんだっけ? 言われてみれば、昔はもうちょっと黒っぽかった気もしなくはない……」


何気ない世間話。……と言うか、ガールズトークでしょうか?

よかった……。本当にもう怒ってはいないみたいです。

二人でぼんやりと会話をしていると、程なくして、


千歌「うん、そろそろ大丈夫かな」

ダイヤ「ええ、ありがとうございます。千歌さん」


髪を乾かし終わる。


ダイヤ「それでは、身支度をして、出かけましょうか」

千歌「うん」


春物の上着を手に取る。

その際──ポケットから、何かが落ちる。


ダイヤ「きゃぁ!!?」


驚いて咄嗟に声をあげてしまった。


千歌「え、なに? どしたの──わぁぁあぁぁ!!!?」


千歌さんが落ちたソレを見て、わたくし以上に大きく飛び退いた。

──ソレは善子さんから貰ったロザリオでした。


千歌「び、び、び、びっくりしたぁ……!!」

ダイヤ「ご、ごめんなさい……うっかりしていました」


わたくしはロザリオを拾ってポケットにしまう。

そういえば、昨日出かけたときにポケットに入れたままでしたわ。


千歌「う、うぅん……大丈夫。それじゃ、いこっか」

ダイヤ「そうですわね……」


二人揃って、部屋を出て行く。

玄関まで行き、二人で靴を履いている最中、ふと疑問に思う。

──……どうして、わたくし……ロザリオを見て、声をあげるほど驚いたのかしら……?





    *    *    *





千歌「……着いた!」


沼津に到着したのは16時前でした。

日没まではもう2時間くらいしかないので、本当に長居は出来そうにありませんが……。

ただ、本当に今日はいい塩梅の曇り空のお陰で、外を出歩いていても、千歌さんの顔色が大分良い。やはり連れ出して正解でしたわね。


千歌「それで、どこにいくの?」

ダイヤ「今晩作るご飯の買い物をしようと思いまして」

千歌「おお! なるほど! 何作るの?」

ダイヤ「何がいいですか?」

千歌「んー……んー……おいしいもの」

ダイヤ「ふふ、そうね。わたくしもおいしいものが良いですわ」

千歌「わ、笑わないでよぉ! 考えてなかったんだもん……えっと、そうだなぁ…………カレーとか?」

ダイヤ「カレーですか……いいですわね。となると具材は……」

千歌「ニンジンは冷蔵庫にあったよね」

ダイヤ「ええ、あとは馬鈴薯かしら……」

千歌「ばれーしょ?」

ダイヤ「あ、えっと……じゃがいものことですわ」

千歌「ばれーしょって言うじゃがいも?」

ダイヤ「じゃがいものことを馬鈴薯と言うのですわよ」

千歌「……??」


二人でそんな話をしながら、スーパーに入ろうとしたとき──


千歌「…………」


千歌さんがピタリと止まる。


ダイヤ「? 千歌さん?」


千歌さんの顔を見ると、真っ青になっていた。


ダイヤ「ち、千歌さん!? どうしたのですか!?」

千歌「ダ、ダイヤさん……た、たぶんチカ、これより先に進めない……」

ダイヤ「ど、どういうことですか……?」

千歌「わ、わかんないけど……この先に行くのは命の危険がある気がする……」

ダイヤ「…………あ」


……しまった。この規模のスーパーだったら、この時期でも確実に置いてある。


ダイヤ「大蒜……」


大蒜のニオイに異常に敏感なのはもう目にしている。

スーパーに入るのは無理そうですわね……。


ダイヤ「他を当たりましょうか……」

千歌「う、うん……でも、どこで買えば……」

ダイヤ「そうですわね……カレールーはコンビニで買えばいいとして……。馬鈴薯──じゃがいもは個人商店で買いましょう」

千歌「あ、八百屋さんならニンニクは置いてない……のかな?」

ダイヤ「大蒜は今は旬ではないので……国産に拘っているお店もあるでしょうし、そういう場所なら大丈夫だと思いますわ」


二人で踵を返して、駅前ロータリーに戻ってくると──


 「あれ? お姉ちゃん……と千歌ちゃん?」

 「ん? 千歌ちゃんと、ダイヤさん?」


聞き覚えのある声がする。

声のする方を見ると、


ダイヤ「ルビィ……花丸さんも」

ルビィ「わ、偶然だね!」

花丸「二人ともこんにちは。千歌ちゃん、体調は大丈夫?」

千歌「あ、うん、だいぶよくなったよ」

花丸「それはよかったずら」


ルビィと花丸さんでした。

そんな中、花丸さんが近付いてきて、こそこそと話しかけてくる。


花丸「ダイヤさん……彼氏さんは説得できたずら?」


一瞬何のことかと思いましたが、そういえばそういう話になっているのでしたっけ……。


ダイヤ「え、ええ、まあ……お陰様で」

花丸「そっか、力になれて何よりずら」


花丸さんは腕を組んで得意気に頷いている。

まあ……参考になったのは確かなので、いいでしょう。……たぶん。


千歌「? どうしたの?」

ダイヤ「いえ、なんでもありませんわ」

花丸「乙女の秘密ずら」

千歌「……?」


そう言いながら、花丸さんの視線が首筋の絆創膏に注がれている気がするのですが……。

まあ、花丸さんならわざわざ言いふらしたりはしないでしょう……。


ルビィ「二人はお買い物?」

ダイヤ「ええ、千歌さんと一緒に夕食を作ろうと思って」

花丸「ずら? 二人ってそんなに仲良かったの?」


花丸さんが首を傾げながら、ルビィに訊ねる。


ダイヤ「少し、Aqoursの活動について相談を受けていまして……ゆっくり二人で食事をしながら、考えましょうということになりまして」

千歌「……? …………あ、うん、そうそう! そうなんだよね!」


千歌さんは最初なんの話かわかっていない様子でしたが、なんとか途中で気付いてくれたようですわ。

ちなみに……ギリギリ嘘はついていませんわ。


ルビィ「千歌ちゃん、悩み事……?」

千歌「あ、うん……まあ、ちょっと」

花丸「ルビィちゃん、きっとあんまり詮索しない方がいいよ。わざわざダイヤさんに相談してるくらいだから、きっと言い辛いことなんだよ」

ルビィ「あ、そっか……ごめんね」

千歌「う、うぅん、気にしないで」

ダイヤ「それより、貴方達は何をしにここまで? 善子さんは一緒ではないのですか?」


会話が続くとボロが出かねないので、話題を切り替える。


ルビィ「あ、うん……それがね」

花丸「ゴールデンウイーク特別はいしん? とやらで追い出されたずら」

ダイヤ「配信……ですか?」

千歌「あ、善子ちゃんがよくやってる、生配信?」

ルビィ「うん……1時間くらいだからって言われて」

花丸「そういうことならって、二人で買い物に来たずら」

ダイヤ「まあ、3日もお世話になるわけですからね……そういうこともあるでしょう。ルビィ、迷惑は掛けていませんか?」

ルビィ「うん! 大丈夫だよ! むしろ、善子ちゃんのお母さんに『ルビィちゃんは育ちが良いのね』って褒められちゃった!」

ダイヤ「そう、それなら安心ね……」


妹がよそ様で変なことをしていないかと言うのはいつも不安ではありますが、どうやら問題ないようですわね。


ルビィ「それにね! 善子ちゃんちってすごくって、お風呂がハーブ湯になってるんだって! すっごい良い匂いだし、オシャレだし、びっくりしちゃった!」

千歌「ハーブ湯……! さすが善子ちゃん……オシャレ……」

花丸「……オシャレというか……いつもの堕天使の延長ずら。なんかハーブは聖なる力を中和してくれるからとかなんとか、わけのわからないことを言ってたずら……」

ダイヤ「善子さんは相変わらずのようですわね……」


その知識に昨日頼らせてもらったばかりなので、その拘りは全く否定出来ませんが……。


千歌「……と、言うかせっかくなら二人も一緒に配信に出ちゃえばいいのに」

ルビィ「え?」

千歌「前、堕天使スクールアイドルのときに善子ちゃんの配信にちょこっと出たことあったでしょ? ルビィちゃん人気あったし……意外と視聴者の人も喜んでくれるんじゃないかな」

花丸「言われてみればそうかも……3人ではいしん……」

ルビィ「……ちょっと楽しそうかも」

花丸「……ルビィちゃん! 急いで善子ちゃんちに戻るずら!」

ルビィ「うん!」


二人は顔を見合わせ頷いて、踵を返して走り出す。


ダイヤ「あ! 二人とも! 走ったら転びますわよ!」

ルビィ「気をつける~!」

花丸「千歌ちゃん! ダイヤさん! また練習で~!」

ダイヤ「……もう」


慌しい妹たちを見て、思わず肩を竦めてしまう。

まあ、元気なのはいいことなのですが……。


千歌「練習……そっか、月曜からやるって話だったっけ」

ダイヤ「……そういえば、そうでしたわね」


ゴールデンウイークは最初の土日は完全オフにしようとは決めていましたが、それ以外の日は練習をしようという話をしていたことを思い出す。


千歌「…………明日、曇って欲しいな……」

ダイヤ「…………」


いつも快晴を望み、明るく真っ直ぐな、彼女らしからぬ願いに、胸が痛む。


千歌「…………どうして、こうなっちゃったんだろう」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「…………そのうちAqoursで居られなくなっちゃうのかな……」

ダイヤ「…………」


悲しげな顔でそう言う、千歌さんの顔を見ているのが辛くて、


ダイヤ「千歌さん」


わたくしは千歌さんの手を取った。


千歌「え……ぁ……ダイヤさん……?」

ダイヤ「まだ、買い物は始まっていませんわよ? 行きましょう?」

千歌「……えへへ、うん」


少しでも笑っていて欲しいと想って、願って、彼女の手を引き、歩き出す。

その想いからか、手をきゅっと握ると、


千歌「…………」


千歌さんは無言で握り返してくる。

今は……今はわたくしが千歌さんを支えるのです。

そして、彼女をまた、笑顔で居られる世界に戻してあげる必要がある。

……千歌さんの笑顔にはそれだけの価値がある。そう想うから。





    *    *    *





ここ数日、千歌さんは本当に精神的に参っているのが、間近で見ると痛いほど伝わってくる。

特に自分が真っ当に人間としての生活が送れなくなり──Aqoursとしての居場所がなくなることにすごく脅えている。

どうにかして、彼女を元気付けてあげたいのですが……。

千歌さんの現在の状況は、日常生活に密接な制限が多すぎて、ふとした拍子に思い出して落ち込んでしまう。

外に連れ出せば何かしら、元気になってくれるかと期待して出かけたのですが……何か、何かないでしょうか……。

そんな無責任な期待をしながら、歩いていると……その機会は案外すぐに訪れたのでした。


 「──あ、あの! もしかして、Aqoursの千歌ちゃんとダイヤさんですか!?」

千歌「……え?」

ダイヤ「?」


声を掛けられて立ち止まる。

そこは──仲見世通りに入ってすぐの場所にあるお花屋さんでした。

その店先に立っている女の子が声を掛けてきた人物で……。


千歌「えっと……?」

ダイヤ「貴方、Aqoursをご存知なのですか?」

女の子「はい! PVとか見ていて、私大好きで……」

千歌「……! そうなんだ……!」

女の子「……あ、そうだ! ちょっと待っててください」

千歌「……?」


女の子はそう言って店の奥へと小走りに駆けて行く。

……すぐに戻ってきた彼女は、手にオレンジと白色の可愛らしいお花で作られた小さなブーケを持っていました。


女の子「あのこれ、どうぞ!」

千歌「え、わ、私……?」

女の子「実はAqoursの皆のイメージブーケを作ってる途中で……全員分はまだ出来てないんですけど、千歌ちゃんのイメージブーケは最初に作ったから……!」

千歌「!」

ダイヤ「……ふふ、貴方は千歌さん推しなのですわね?」

女の子「は、はい……!」


わたくしがそう訊ねると、少し照れくさそうにする、お花屋さんの女の子。

一方、千歌さんは──


千歌「…………そっか……そっか……っ……」

女の子「……え?」


口元を抑えて、ぽろぽろと涙を零していた。


千歌「私……Aqoursなんだよね……っ……」

ダイヤ「ふふ、当たり前ではないですか……」

女の子「え、えっと……」

ダイヤ「大丈夫ですわ、嬉しくて感極まってしまっただけだと思いますので」

千歌「応援してくれて……ありがとう……っ……私、頑張るから……っ」

女の子「! は、はい! これからも応援してます!」

千歌「私……っ……頑張る……っ……」

ダイヤ「……ふふ」





    *    *    *




──千歌さんはブーケの入った白いビニール袋を片手に、そしてもう片方の手はわたくしと繋いだまま歩く。


千歌「えへへ……」


二人で歩く最中、何度も手に持ったブーケの入った袋を見てはニヤニヤとしている。


ダイヤ「ほら、千歌さん、前を見て歩かないと危ないですわよ」


すれ違う通行人とぶつかりそうになっていたので、ちょっと強めに手を引く。


千歌「わわっ!?」

ダイヤ「すみません」


ぶつかりそうになった通行人に謝りながら、少しよろけた千歌さんを支える。


千歌「あはは、ごめんなさい……」


千歌さんは謝りはするものの、相変わらずにやけた表情をしている。

よほど嬉しかったのでしょう。


ダイヤ「ふふ……」


安心からなのか、わたくしも思わず笑みが零れる。

やっと、笑ってくれた。よかった……。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「チカ……もうちょっとだけ頑張ってみる」

ダイヤ「ふふ……わたくしも出来る限りの協力を致しますわ」

千歌「うん、ありがと! ……待っててくれる人がいるんだもん! こんなところで負けてられない!」

ダイヤ「ええ! その意気ですわ!」


やっと千歌さんらしさが戻ってきましたわね。


ダイヤ「それでは! 買い物に参りましょうか!」

千歌「うん! ばれーしょが待ってる!」


わたくしはニコニコ笑顔を取り戻した千歌さんと手を繋いで、商店街を進んでいくのでした。






    *    *    *





──さて、無事馬鈴薯とカレールーを手に入れた、わたくしたちは帰路に就いています。


千歌「思ったより遅くなっちゃったね」

ダイヤ「そうですわね」


買い物を終えて、バスに乗り込んだのは18時半前のことでした。

そろそろ日没の時間。

内浦までの道のりは45分ほどかかるので、バスの中にいる間に日は沈んでしまうでしょう。

早めに帰るのに越したことはありませんが……。


ダイヤ「まだ時間に余裕はありますから」

千歌「あはは、そだね」


日没になった瞬間、急激に吸血鬼化するわけではない。

強い吸血鬼化が認められるようになってくるのは、大凡21時以降。

それまでは緩やかに進行していくだけですし、まだまだ時間的な余裕がある。

今日は曇り空のお陰で、バス内に差し込んでくる西日もありませんし……。


千歌「えへへ……」


千歌さんはご機嫌な様子ですし、短時間でしたが、一緒にお出かけしてよかったですわ。

ふいに、千歌さんが繋いだ手をきゅっと握る。


ダイヤ「? どうかしましたか?」

千歌「んーん……なんか、ずっと手繋いでてくれて……嬉しいなって」

ダイヤ「…………」


言われてみれば、そうでしたわね……。

商店街に入る前、強引に手を引くために握ってから、手を繋ぎっぱなしでしたわ。

……あら、もしかして……馬鈴薯を買うとき、やたら店主さんの視線が微笑ましかったのって……。


ダイヤ「…………///」


改めて考えてみたら、急に恥ずかしくなってきて、思わず繋いでいた手を放す。


千歌「あ……手、放しちゃうんだ……」

ダイヤ「え、いや、その……」


千歌さんがしゅんとしてしまったので、慌てて握り直す。


千歌「! えへへ……」

ダイヤ「……手を繋いでいると、何か違うのですか……?」

千歌「うん、ダイヤさんが温かくて嬉しいなって」

ダイヤ「……千歌さんの手の方が温度は高そうですけれど……」


わたくしは少々冷え性気味なので、温かい季節でもよく手が冷たいと言われる。

逆に千歌さんの手はやたら温かかった。代謝の違いでしょうか……?


千歌「あはは、そうじゃなくてね。……んー、心がかな……」

ダイヤ「心、ですか?」

千歌「うん……ホントはすっごく不安なはずなんだけど……。ダイヤさんが傍にいてくれるだけ……すっごく心強い。手繋いでくれてる間は、もっと安心する」

ダイヤ「そう……」


そういう風に言ってもらえると、悪い気はしない。

思わず、彼女の手をきゅっと握ると、


千歌「えへへ……」


千歌さんは幸せそうに微笑みながら、手を握り返してくる。

そのまま、千歌さんはコテンと頭を預けてくる。


ダイヤ「千歌さん?」

千歌「……ダイヤさん、ありがと……」

ダイヤ「ふふ、どういたしまして……」

千歌「ちょっと眠いかも……」

ダイヤ「眠ってもいいですわよ。着いたら起こしてあげますわ」

千歌「うん……」


そう言うと、千歌さんは目を瞑って、わたくしの方に身を預けてくる。

わたくしは、人の温もりを感じながら、往く帰り道は──存外悪くないなと、思ったのでした。





    *    *    *





異変が起きたのは、自宅のバス停まであと10分ほどの場所に差し掛かったときのことでした。


千歌「…………ぅ」

ダイヤ「? 千歌さん? 起きたのですか?」


千歌さんから小さなうめき声が聞こえてきて、声を掛ける。


千歌「…………ふ……ぅ……」

ダイヤ「……千歌さん?」


起きたのかと思ったら、千歌さんの身体が小刻みに震えだす。


ダイヤ「!? 千歌さん……!?」

千歌「…………ぅ……く……ふぅ…………ふぅー…………」


気付けば千歌さんと繋がれていた手の平が汗で湿っていた。

はっとなって、彼女の額を見ると、脂汗が滲んでいる。


ダイヤ「大丈夫ですか……!? 酔いましたか……?」

千歌「…………血、が……」

ダイヤ「え!?」


その発言に血の気が引く。

まさか──


ダイヤ「ちょっと、失礼します!!」


千歌さんの顔に手を添えて、自分の方に向き直らせる。


ダイヤ「口、開けて!」

千歌「ぁ、ぁー……」


彼女の口の中を見て──更に血の気が引いていく。


ダイヤ「ど、どうして……」


千歌さんの歯が──吸血鬼状態になっていた。

それも、伸びかけの状態などではない。

完全に吸血鬼のソレなのです。

慌てて窓の外を見ると、確かに夜の時間は始まっていますが、まだ僅かに西の空には昼の明るさの余韻が残っている。

昨日はまだこの時間は全然吸血鬼化が進んでいなかったのに、何故……!?


千歌「……ぅ……ふぅ……ふぅ……」


そんなことを考えている間にも、千歌さんの呼気はどんどん荒くなり、震えは大きくなっていく。

これは……もしかしなくても、血を欲している状態です。


ダイヤ「千歌さん……! 今の欲求はどれくらいですか……!?」

千歌「……きゅぅ……じゅぅ……」

ダイヤ「90……!?」


もうすでに限界ギリギリではありませんか……!!


ダイヤ「千歌さん……! もう少しだから、我慢してください……!! 荷物はわたくしが持ちますから……!!」

千歌「ふ……ぅ……ぅん…………」


あとバス停何個分……!?

千歌さんからブーケの入った袋と、買い物袋を受け取りながら、外を見回す。

あと5分程度で着く。

最寄りのバス停から家まで走って……あ、いや、今の状態の千歌さんは走れるとは思えない。

ギリギリ家まで間に合うかどうか……!!

焦る思考の中、気付けば、


千歌「ふ……ぅ…………んぁー…………っ」

ダイヤ「!?」


千歌さんはわたくしの首筋に噛み付こうとしていた。


ダイヤ「ス、ストップ!!」

千歌「むぎゅ……っ!!」


彼女の頭を無理矢理抱きかかえるようにして、どうにか噛みつきを回避する。

不味い……不味い……! 不味いですわ……!!


千歌「ふぅー…………ふぅー…………!!」


もう千歌さんは限界……!

ですが、外での吸血は絶対回避しなければならない。

外でチャームにかかってしまったら、本当に収拾がつかなくなってしまう。


ダイヤ「千歌さん、お願い!! 我慢して!!」

千歌「ふ、ぅ……ふぅー…………」


彼女の頭を抱きかかえながら、祈るように、目的地に着くまで耐える。

──あとバス停一つ分なのに、どうしてこんなに長いの!?

時間が掛かりすぎですわ……!!!

バスは普段と何も変わらず運行しているはずなのに、今この瞬間だけはやたらのろのろ動いているように感じる。

お願い、お願い……!! 早く、早く目的地に着いて……!!





    *    *    *





バスを降りる際、運転手の人に「お嬢ちゃん大丈夫かい!?」と心配されてしまいましたが。


ダイヤ「少し酔ってしまったみたいで!! 家はすぐそこなので、お気になさらず!!」


そう言って、バスを飛び出した。

バス停から自宅までは一直線。

ここさえ、抜ければ……!!


千歌「……血!!!」

ダイヤ「……!!」


手を引く千歌さんが、大きな声をあげた。


ダイヤ「あとちょっとだからっ!!!」

千歌「血、血!!!!」


千歌さんが強い力で手を引っ張ってくる。


ダイヤ「っ……!!」


ここで、引きずり倒されて吸血されるのはダメです……!!

わたくしは咄嗟に繋いでいた手を振りほどいて──


千歌「血っ!!!」

ダイヤ「血が欲しいなら、こっちですわ!!」


自宅までの一直線の道を全速力で走り出す。


千歌「血ぃ!!」


正気を失った千歌さんが、後ろから追いかけてくる。

これでいい。

辺りに他の人影はない。

なら、千歌さんはわたくしだけを追いかけてくる。


ダイヤ「こっちですわよ!! 千歌さん!!」

千歌「血、血、血!!!」


目を血走らせて、千歌さんが追いかけてくる。


ダイヤ「は、はや……!!」


先に勢いをつけて飛び出したはずなのに、千歌さんは思った以上に足が速く、どんどん距離を詰められる。

自宅正門前の石段に差し掛かり、普段絶対しないような大股で走りながら、階段を一段飛ばしで駆け上がっていく。

こんなところ、お母様に見られたら絶対に叱られる。


ダイヤ「緊急事態なのでっ!!!」


誰が見ているわけでもないのに──正確には千歌さんは見てますが──大声で言い訳しながら、階段を駆け上がる。

全速力で黒澤邸の正門をくぐり抜けると、左手に我が家の玄関が見えてくる。


ダイヤ「っ……!!」


無理矢理引き戸を開いて、屋内へと転がり込む。

田舎特有の留守なのに鍵を掛けない習慣、普段はこのご時世に不用心なと、顔をしかめるところですが今日ばかりは助かりました。

急いで靴を脱ぎ捨て、部屋まで走ろうとしたところで、


千歌「血血血血ぃっ!!!!!!」

ダイヤ「!!」


追いついてきた千歌さんに背後から押さえつけられ、玄関前の廊下に倒れ込む。


ダイヤ「へ、部屋まで待って!!!」

千歌「フゥーッ!!! フゥーーッ!!!!」


千歌さんの顔が首筋に迫ってくるのが気配でわかる。

首を捩りながら、彼女の顔を確認すると──


ダイヤ「……!!」

千歌「……ふぅーーっ!!!! フゥーーーーーッ!!!!!!」


千歌さんは涙を流していた。

その涙が……何を意味しているのか。何故だか少し……わかるような気がして……。

思わず、彼女の頭を後ろ手に抱くようにして──


ダイヤ「……よく、頑張りましたわね。……吸ってもいいですわよ」


彼女へ吸血を許可したのでした。


千歌「ん、ぐぁあーーーっ!!!!」


──ブスリ。

剥がす暇のなかった絆創膏を貫く形で、歯が首筋のいつもの場所に突き刺さってくる。


ダイヤ「っ゛…………!!」

千歌「ん…………ちゅ…………ちゅぅ…………」

ダイヤ「は……っ……はぁ…………♡ ……ん…………ん……っ…………♡」


快感が昇ってくる。

思考が刺激で掻き消されていく。


ダイヤ「や、ぁ…………♡ …………ふ、ぅ…………ん…………っ…………♡」


声が漏れる。気持ち良い。


千歌「ちゅ…………ちゅ、ぅ…………っ…………ぷは…………」

ダイヤ「ゃっ…………♡」

千歌「…………ごめんなさい……っ……」

ダイヤ「はっ……♡ はっ…………♡ 千歌さ……っ……♡ もっと……♡」

千歌「ごめんなさい……っ……。ごめんなさい……っ……!」

ダイヤ「……?? 千歌さん、もっとぉ…………♡」

千歌「ごめんなさ……っ…………ごめんなさい……っ……!!」

ダイヤ「……千歌、さ…………ぁ…………」


気付けば──千歌さんに後ろから抱き竦められていた。

そして、彼女は──


千歌「ごめ……っ……ごめん、なさ……っ…………ごめんなさい……っ……ごめん、なさい…………っ……!」


何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、泣いていた。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「わた……っ……わ、たし……っ…………」

ダイヤ「ちゃんと、家まで我慢できましたわね……偉いですわ。ありがとう」


吸血前に後ろ手に抱きかかえるようにしていた手で、頭を撫でる。


千歌「っ゛……!!! ぅ、ぅぁぁぁ……っ……」

ダイヤ「……よしよし」

千歌「ぅ……っ……あ、ぁぁぁ……っ……」


わたくしは、ただ泣きじゃくる彼女に言葉を掛けて、撫でてあげることしか……できませんでした。





    *    *    *





ダイヤ「──あーん」

千歌「ぁー……」


千歌さんの口の中を覗き込む。


ダイヤ「……やはり、完璧に吸血鬼化していますわ」

千歌「……うん」


時刻は20時過ぎ。

昨日のこの時間の写真と比べても──というか、もう比べる必要もないほど立派なキバになってしまっていた。


千歌「……どうして」

ダイヤ「…………」


もう答えは出ている気はした。

──根本的に吸血鬼化が加速している。

ただ、明言化はしたくない。

今、千歌さんに辛い現実を突きつけても、いいことなんて何も……。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん……」

ダイヤ「少し遅くなってしまったけれど……夕御飯を作りましょう?」

千歌「ごはん……」

ダイヤ「カレー一緒に作りましょう?」

千歌「……うん、ばれーしょが待ってるもんね」

ダイヤ「ええ」


今は少しでも普通に……千歌さんと過ごした方がいい。

わたくしと千歌さんは買い物袋を持って、厨房へと足を運ぶのでした。






    *    *    *





ダイヤ「──はい、野菜洗いましたわ」

千歌「うん、じゃあ皮剥くよー!」

ダイヤ「お願いしますわ」


流水に触れない千歌さんは野菜を洗うことはできないので、わたくしが洗ってから手渡す。

千歌さんはピーラーを片手に張り切っている。


ダイヤ「張り切りすぎて、手を切らないようにしてくださいませね」

千歌「はーい!」


千歌さんが野菜の皮剥きをしている間に、わたくしは鍋の準備をする。

二人分なのでそんなに大きなものは必要ないので、普通のお鍋に水を貯めていく。


千歌「出たな! ばれーしょの芽! しっかり、えぐってやるぞぉ!」

ダイヤ「…………」


どう考えても、空元気ですわよね……。


千歌「あ、ダイヤさん! お水あふれてる!」

ダイヤ「え?」


言われて手元を見ると、鍋から水が溢れ出していた。


ダイヤ「…………」


余分に入れてしまった水を捨ててから、コンロの上に鍋を置く。


千歌「ダイヤさん……大丈夫……?」

ダイヤ「ごめんなさい……少し考え事をしていて……」


全く、わたくしが心配されて、どうするのですか……。

ただ……現実問題、事態はどんどん悪い方向へと進んでいる。

このままでは、本当に──


千歌「……大丈夫だよ」

ダイヤ「え……?」

千歌「私……諦めないから」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「だから、今はカレー! 作ろ?」

ダイヤ「……ええ、そうですわね」


腹が減っては戦は出来ぬですわ。

しっかり、ご飯を食べて……どうするかを考えないと、いけませんものね。





    *    *    *





千歌「これでよし! あとは煮込むだけだね」


カレールーの投入も終えて。

カレーは鍋の中でぐつぐつと煮込まれている。


ダイヤ「あとは、これですわね」


お玉にはちみつを垂らす。


千歌「……? はちみつ?」

ダイヤ「? どうかしましたか?」

千歌「はちみつ入れるの?」

ダイヤ「……? はちみつ入れないのですか?」

千歌「……??? 普通入れない気がするけど……」

ダイヤ「え……?」


お玉いっぱいのはちみつをカレーに投入しながら、わたくしは怪訝な顔をする。


ダイヤ「……はちみつ、入れないのですか……? 我が家では昔から、はちみつを入れているのですが……」

千歌「そ、そうなんだ……黒澤家のカレーの隠し味なんだね」

ダイヤ「……昔から、当たり前のように入れていたので、疑問に思ったことがありませんでしたわ……」


お玉にはちみつを垂らしながら、少しショックを受ける。

……他のご家庭では、はちみつは入れないのですわね……。


千歌「って、え!? まだ入れるの!?」

ダイヤ「黒澤家のカレーはお玉2杯分のはちみつをいつも入れているので……」

千歌「…………そ、そうなんだ」


そのまま、はちみつを投入して、煮込みながらかき混ぜる。

小皿に味見用にカレーを少しだけ取って、一口──


ダイヤ「……ふふ、いつもの味ですわね。おいしいですわ」

千歌「ホントに?」

ダイヤ「千歌さんもどうぞ」


同じように小皿にカレーを少しだけ取り、千歌さんの口元に運ぶ。


千歌「ん……。……あ、確かにコクがあっておいしいかも……」

ダイヤ「でしょう?」

千歌「ただ……甘口カレーみたいだね」

ダイヤ「そうですか?」


そんなに甘いでしょうか……?

もう一口、頂いてみますが……。やっぱり、カレーと言えばこの味だと思うのだけれど……。


千歌「あ、でもでも、チカはこのカレーの味も好きだよ」

ダイヤ「当然ですわ! 我が家のカレーなのですから!」

千歌「うん、完成するの楽しみだね」

ダイヤ「ええ!」


あとは野菜をよく煮込んで完成ですわね。





    *    *    *





千歌・ダイヤ「「いただきます」」


今日も今日とて、二人で食事を頂く。

なんだかんだでここ数日はいつもこうして千歌さんと一緒にご飯を食べている気がしますわね。


千歌「んー! やっぱり、カレーっていつ食べてもおいしいよね!」

ダイヤ「ふふ、前にルビィも同じようなことを言っていましたわ」

千歌「あはは、言ってそう」


二人で食事を楽しむ最中。


千歌「ダイヤさん」


千歌さんが自分から話を振ってくる。


ダイヤ「なんですか?」

千歌「……ちょっと、今後の話をした方がいいかなって……」

ダイヤ「…………」


わたくしのスプーンが止まる。


ダイヤ「……今ですか?」

千歌「……後回しにしても、よくないかなって」

ダイヤ「それは……」

千歌「また急に……予想出来ないことが起こるかもしれないし」

ダイヤ「…………」

千歌「明日から……練習もあるし」


確かに明日は午後からAqoursの練習があります。

救いなのは午前中は果南さんが家の手伝いで出られないため、午後までの時間は自由参加ということになっていることでしょうか……。


ダイヤ「……とりあえず、午前中の練習は休みましょう」

千歌「うん……お昼まで起きられないもんね」


こういう休日の練習スケジュールの場合、午前中から積極的に参加しているのは、わたくし、千歌さん、曜さん、梨子さん、花丸さん……それと、ルビィの6人。

善子さん、鞠莉さんはお昼まで寝ていることが多く──というか、鞠莉さんは根本的にルーズなので──果南さんも家の手伝いや準備のため遅れることが多い。


千歌「明日の午前練習は4人かな……」

ダイヤ「……まあ、善子さんの家にルビィと花丸さんが今日まで泊まっているので、一緒に練習に参加すると思いますわ」

千歌「あ、それもそっか。……5人もいればどうにか練習出来るよね」

ダイヤ「ええ、きっと大丈夫ですわ」


やはり彼女はAqoursのリーダーらしく、練習状況の心配をしている様子です。

確かに練習の主導はメニュー管理をしているわたくしと、実質ダンスリーダーの果南さんがやっている節があります。

三年生が不在のときは千歌さんが牽引している様子ですが……。

明日に関してはそういう人員が全員いない練習になってしまいそうなのが、懸念なのでしょう。


ダイヤ「そんなに心配しなくても、皆さんしっかりしていますから、大丈夫だと思いますわ」

千歌「うん……まあ、そのメンバーなら曜ちゃんがまとめてくれるかな」


ダンスなら曜さん。歌唱訓練なら、ピアノが弾ける梨子さんと歌が得意な花丸さんも居ますし……。

きっと、大丈夫でしょう。


ダイヤ「わたくしたちは、お昼以降の参加。……夜明けは5時頃なので、11時には目覚ましをセットしておきましょう」

千歌「うん、そうだね」


まあ……それはいいのですが。


ダイヤ「明日……ちゃんと曇るかしら……?」

千歌「……うん」


晴れてしまうと、千歌さんは屋外でのダンス練習は厳しいかもしれない。


千歌「一度家に寄って……帽子取ってこようかな」

ダイヤ「それがいいかもしれませんわね……」


気休め程度かもしれませんが……ないよりはきっと良いでしょう。

そして、もう一つ……大きな問題が……。


ダイヤ「千歌さん……その……」

千歌「……うん、お昼にキバがあったら、さすがに練習に行くわけにはいかないよね……」


……そう、千歌さんの吸血鬼化は確実に進行し、加速している。

吸血衝動を始め、前日、前々日のことはほとんどアテにならないのではないかという疑念が払拭できない。

今日も日が沈んですぐに、完全に吸血鬼化してしまっていたし……もしかしたら、日が昇っても吸血鬼状態から戻らないという可能性は否定出来ない。

ただ、逆に言うならそれはそのときになってみないとわからないということでもある。


ダイヤ「明日は慎重に様子を見ながら、どう動くかを考えた方がいいかもしれませんわね……」

千歌「……後ね、今……30くらいだよ」

ダイヤ「…………! ……吸血衝動のことですか?」

千歌「……うん」

ダイヤ「…………」


正直、今はこの話題をするつもりはなかった。

この事実は、あまりに千歌さんの精神に負荷を掛けすぎると思ったからです。

ただ、彼女は自分からこの話題を振ってきた。


千歌「……あのね、思ったんだ」

ダイヤ「……?」

千歌「どんなに認めたくなくても、実際に衝動は抑えられないわけだし……それだったら、目を逸らしてもなんにもならないなって」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ちゃんと、認めて……それから、どうするか、何が出来るか考えないと……どんどんどんどん、悪い方向に進んでっちゃうだけな気がするんだ」

ダイヤ「……今、そのように言えるのは、本当に偉いですわ……」


一番辛いのは本人でしょうに……。


千歌「うぅん……今こういう風に考えられるのは、私を応援してくれる人が居るんだって、ちゃんとわかったから。待っててくれる人がいるなら、私はまた戻らないと──」


──Aqoursとしてのステージに……。


千歌「だから……逃げたくない」

ダイヤ「……わかりましたわ。そこまでの覚悟があるのでしたら、わたくしも変に気を遣って、この話題を避けるのはやめにします」

千歌「うん、ありがと。そうしてくれると嬉しいかな」

ダイヤ「とりあえず、現段階から出来る範囲で次の吸血時間を考えてみましょう」

千歌「うん」


読めないと言うのが正直なところなのですが……。

とは言っても、吸血衝動はあくまで吸血時に欲求がリセットされて0になり、そこから100に向かって増大していくと言うことには変わりありません。

問題はその欲求の増大速度なのです。

吸血によるリセットを行わない限り、欲求が勝手に減っていくことは基本的にない。

それがないだけでも、少しは予測を立てやすい条件にはなっていると言えなくもない。


ダイヤ「初日──保健室で会ったときは0時過ぎくらいだったでしょうか……」


時計を見る余裕がなかったので、正確な時間は覚えていませんが……恐らくそれくらいだったと思います。


千歌「その次の日は、1時前くらいだったよね」

ダイヤ「ええ。……そうなると、この間のタームは24時間ほどですわね」


ただ、それ以前は二日間が我慢の限界と言っていました。

つまり、わたくしが事情を知ってから、二日目の時点でこのタームは半減してしまっている。

これが単純に吸血鬼化がずっと進行していたからなのか、もっと他の理由があるからなのかはわかりかねますが……。


千歌「さっきのは……内浦までのバスに乗った時間から考えると、19時半前くらいだっけ……」

ダイヤ「……つまり、18~19時間と言ったところ」


単純計算で75%ほど吸血のタームが短くなっている。


ダイヤ「仮に次も同じように75%ほど短くなっているなら、次は13.5時間──朝の7時半頃と言うことになりますが……昼の時間はそもそも別枠と考えた方がいいかもしれませんし……」


日中は吸血衝動が減る……欲求の増大進行が減るとまで言い切れるかはともかく、影響がある可能性を考慮して、日の出ていない時間帯だけをカウントしてみると……。


千歌「えっと……夜の時間は吸血した1時前から、夜明けの5時過ぎまでと……バスの中で日が落ちてからの時間を合わせたくらいになるのかな」


そうなると、次の吸血までのタームは最悪5時間以下の可能性がある……。

現在は21時前なので……およそ2時間で0~30%まで欲求が増大進行していると言うなら、単純計算でも6時間ちょっと……。


ダイヤ「……そうなると、次は0時~2時前後……。最悪、夜明けまでにもう一回ある可能性もありますわね……」

千歌「……起きてる間に3回……」

ダイヤ「……もちろん、まだ可能性の話なので、どうなるかはわかりませんが……吸血欲求がどれくらいかはこまめに言ってください」

千歌「うん、わかった」


悪化していく状況の中──千歌さんと出会った日から数えて、3日目の夜中の時間へと突入していく……。





    *    *    *




──時刻0時。


ダイヤ「……日付が変わりましたわね。どうですか?」

千歌「……今……70……くらい……」


7割まで達すると、千歌さんはだいぶ苦しそうな様子になってくる。

ただ、この時点で100に達してしまうという最悪のペースではないのに、少しだけ安心する。


ダイヤ「このペースだと……やはり、次は2時頃だと思いますわ」

千歌「うん……」

ダイヤ「何か、欲しいものとかありますか……?」

千歌「……トマトジュース……飲みたい」

ダイヤ「わかりました……すぐに持ってきますわね」

千歌「うん……」


千歌さんは餓えに耐えながら、横になってじっとしている。

こうなってしまうと、他のことに集中も出来ないため、あとは限界が来るまで待っているしかない。

せめて、少しでも気が紛れるようにと、彼女の欲しいものを聞いては持ってきている。

……とは言っても、先ほどから頼まれて持ってくるものは、冷たいトマトジュースと噛み付いて我慢するためのタオルくらいです。

もうそろそろ……千歌さんの近くを離れるのも危険な状態になってくる。

今のうちに何本か、トマトジュースもタオルも纏めて持って行きましょう……。

目的のものを冷蔵庫から取り出し、すぐに千歌さんの元へと戻る。


ダイヤ「千歌さん、トマトジュースですわ」

千歌「うん……ありがと……」


コップに注いであげる。


ダイヤ「……どうぞ」

千歌「いただきます……」


千歌さんは半身を起こして、トマトジュースをコクコクと飲み干していく。

飲み干して、コップを置くと──


千歌「……ぅ……っ」


呻き声と共に、目尻に涙が浮かんでいた。


ダイヤ「……大丈夫……?」

千歌「うん……」


千歌さんは軽くかぶりを振る。

血への餓えでどんどん理性が働かなくなり、感情のコントロールも出来なくなってきているのかもしれない。

恐らく、今彼女の中ではいろんな感情が渦巻いてぐちゃぐちゃになっているのではないでしょうか。

この状態に、立ち向かうという覚悟と勇気。自分がこれからどうなるかわからない恐怖。そして、わかっていてもどうにもならない自分の情けなさ。

全てがごちゃまぜになって、苦しんでいる。


ダイヤ「千歌さん……何かして欲しいことは、ありませんか?」


今わたくしに出来ることは……少しでも彼女の話を聞いて、力になってあげることくらい。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「……ぎゅって……して欲しい……」

ダイヤ「……わかりましたわ」


こうすることで不安が和らぐなら、いくらでも……そう想いながら、彼女を抱きしめる。


ダイヤ「……これでいい?」

千歌「……うん」


ぎゅーっと抱きしめながら、頭を撫でる。

抱きしめた千歌さんの身体は……震えていた。


千歌「……ダイヤさんが傍にいてくれると……安心する……」

ダイヤ「ふふ……なら、よかった」

千歌「……ダイヤさんが……私を……人間に、繋ぎとめてくれる……」

ダイヤ「…………」

千歌「……ちょっと……弱音……吐いて……いい……?」

ダイヤ「ええ、もちろん。……いくらでも聞きますわ」

千歌「えへへ……ありがと……。…………恐いよ」

ダイヤ「…………」

千歌「私……ホントに吸血鬼になっちゃうのかな……人間じゃ……なくなっちゃうのかな……。……恐いよ……」


その言葉に胸が締め付けられる。

今彼女の中にある恐怖は、きっとわたくしには想像も出来ないような果てしない恐怖なのだろう。


千歌「……恐いよ……っ……」

ダイヤ「…………っ……」


繰り返される千歌さんの言葉に、思わず抱きしめる腕に力が篭もる。

何を言えばいいのか、わからない。

またいつもと同じように、元に戻れる、大丈夫、と言えばいい……?

いや……そんなわかりきった気休めを言って何になるのか。

今そんなことを言っても、彼女の不安を一抹さえも拭ってあげることすら出来ない。


千歌「私……人間じゃなくなったら……一人ぼっちで……生きてかなくちゃ……いけないのかな……」

ダイヤ「……いえ、一人になんか……させませんわ」

千歌「え……」


気付けばわたくしは、そんな言葉を選んでいた。

──この慰めが正しいのかわからない。

わからないけれど……。


ダイヤ「もし貴方が吸血鬼になってしまっても……わたくしはずっと傍に居ますわ……」

千歌「……ダイヤ……さん……」

ダイヤ「もし吸血鬼になってしまった貴方のことを、誰かが嫌って、恐がって、遠ざけて……皆の傍に居られなくなったとしても……わたくしだけは貴方の傍に居るから……」

千歌「……ほんと……?」

ダイヤ「もちろん。黒澤の女に二言はありませんわ」

千歌「……そっか」


千歌さんの震えが、少しだけ治まったのがわかった。


千歌「……少しだけ……恐くなくなった……」

ダイヤ「……それは、何よりですわ」


これは酷く無責任な誓いなのかもしれない。

それでも、わたくしは……今本心から、そう言えたと思う。

千歌さんだけを、このような真っ暗闇に置いていくなんてことは……絶対にしない。

何が自分にそこまで言わせているのか。

同情なのか、友愛なのか、プライドなのか、義務感なのか……それとも──

……もしくは全部なのか。

それはわからない。わからないけれど……。

ただ、一つ言えることは……。


ダイヤ「わたくしは……千歌さんには笑っていて欲しい……。だから、貴方が少しでも笑ってくれるなら……貴方の傍に居ますから……」


今口にした、その気持ちには、嘘偽りがないと。確信を持って言える。


千歌「……うん……っ」


ぎゅっと……強く強く抱きしめて。

ただ、耐える。

刻一刻と刻まれる秒針の音を聴きながら──わたくしたちはただ、耐え忍ぶ……。





    *    *    *





──2時、10分前。


千歌「……はっ…………はぁっ…………」


抱きしめたままの千歌さんの呼吸はどんどん荒くなっていく。

肩が上下に動き、全身に冷や汗をかいているのがわかる。

密着した身体には、激しくなっていく彼女の心拍がダイレクトに伝わってくる。

まるで、全力疾走をしたあとなのではと疑いかねないような状態です。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……はっ……はっ……い、ま……きゅうじゅう……ご……くらい……」

ダイヤ「……そろそろ、血を吸う準備をしましょう」

千歌「う、ん……」


もう十分、千歌さんは我慢したと思います。

想定時間ギリギリまで耐えてくれた。

夕食前に貼り直した絆創膏を剥がし、髪を纏めてゴムで縛って、首筋を露出する。

そのまま、千歌さんを抱きしめるようにして、いつものように自らの左首筋の辺りに彼女の頭の後ろに右手を添える形で引き寄せる。


ダイヤ「よしよし……よくここまで我慢しましたわね……」

千歌「…………ぅっく……っ」


優しい言葉を掛けながら、頭を撫でると、千歌さんが小さくしゃくりをあげた。

きっと、また泣いているのだと思う。

彼女が一番苦しいのは……もしかしたら、我慢しているときよりも、血を吸うこの瞬間なのかもしれません。

だから……わたくしは精一杯優しい言葉を選んで、あとは彼女に委ねることにしました。


ダイヤ「あとは、千歌さんの好きなタイミングで血を吸ってくださいませね……。わたくしはいつでも大丈夫ですので」

千歌「……ダイヤ……さん……っ」


抱きしめたままだった千歌さんが急に腕を背中の方に回してくる。

そして、そのまま強い力で抱きしめてきた。

……気付けば抱き合う形になる。


ダイヤ「よしよし……」


わたくしは震える彼女の頭を撫でる。


千歌「……ふ、ぅ……ふぅーーー……っ……」


千歌さんは肩を大きく上下させながら、大きく息を吸っている。

それに伴うように、背中に回された手が、指が、爪が、痛いくらい背中に食い込んでくる。

もう本当に限界の限界。最後の抵抗をしているのでしょう。

自分が──人間でなくなる瞬間への最後の抵抗を……。


千歌「…………は……っ……ぅ…………血…………」

ダイヤ「はい……いいですわよ」

千歌「……ゃだ……血欲しい……血、飲みたくない……」

ダイヤ「千歌さんの好きなタイミングで……」

千歌「……血、血……血…………」


──ガブリ。

急に首筋に鋭利なものが刺さってくる感触がした。


ダイヤ「……っ゛……」


千歌さんの後頭部に回した腕に力を込めて、首の方へと引き寄せる。

彼女が出来るだけ、何も考えずに、血を吸えるように……。


千歌「…………ちゅぅーーー……」

ダイヤ「…………ん……ぅ……♡」


また、抗いようのない快感が、全身を駆け巡る。

ただ、もうこれで4回目……少しはわたくしも慣れたはず……。


千歌「…………ちゅ、ちゅーー…………」

ダイヤ「……は……っ……はっ…………♡」


漏れる息に勝手に艶が混じる。


ダイヤ「……ふぅーーー……ふぅーーーーー……♡」


意識的に深く息をして、自分を保つ。

思考が痺れて、靄が掛かってくる感覚に必死に抵抗する。


千歌「…………ん、ちゅぅ…………」

ダイヤ「……んっ……♡ ぁっ♡ ゃっ♡ だめっ……♡」

千歌「…………ちゅぅ…………」

ダイヤ「ん、ぁっ♡ だ、めっ♡ きゅうけつ、なが……っ……♡」

千歌「…………ちゅー…………」

ダイヤ「……♡♡ ぁっ♡ だめっ♡ すき♡ すきっ♡ これすき……♡」

千歌「…………ん、ぷはっ……」

ダイヤ「は、はっ♡ ちかさ……っ♡」

千歌「は……はっ……ダイヤさん……終わったよ……」

ダイヤ「ぁっ……はっ……♡ ちかさん……♡ すき、すきぃ……♡」

千歌「……!?」

ダイヤ「ちかさん……すきぃ……♡ すきすきすき……♡」

千歌「え、ちょ、だ、だいやさ……」


──ドサリ。


千歌「え、ま、ちょっと……///」

ダイヤ「ちかさん……♡ ちかさん……♡ ちかさん……♡ すき……すきぃ……♡」

千歌「ぇ……ぁ……/// だいや……さん……/// ……わ、わたし……も……///」

ダイヤ「…………ちか、さ……。……え……?」


──思わず、目の前の光景に目をパチクリとさせてしまう。

何故、わたくしは千歌さんを押し倒してるのでしょうか。


千歌「え……あ……ダイヤ……さん……?」

ダイヤ「!?/// し、失礼致しました!?///」


思わず、飛び退くようにして離れる。


千歌「……ぁ……」

ダイヤ「ご、ごめんなさい、千歌さんっ!? チャームに掛かってたとは言え、わたくしは何を……!!」

千歌「…………うぅん、平気だよ」

ダイヤ「……本当に、ごめんなさい……」

千歌「…………大丈夫だよ。血ありがとね」

ダイヤ「い、いえ……」


今もっとも落ち込んでいるタイミングであろう彼女に対して、わたくしはどうしてこう……。

──チャームで我を忘れてしまっているとわかっていても、自己嫌悪せざるを得ない……。


千歌「……あと、3時間くらいで夜明けだね」

ダイヤ「え、ええ……」

千歌「さっきはごめんね……。ぎゅってしてなんて……」

ダイヤ「え……? ……い、いえ、問題ないですわ」

千歌「うん……」

ダイヤ「いいのですわよ。千歌さんの不安が和らぐなら、あれくらいのこと」

千歌「……うん、ありがと。……ダイヤさん優しいね」


──恐らく吸血直後だからだと思いますが……。

千歌さんは酷く落ち込んだ顔をしていた。

声にも覇気がない。


ダイヤ「軽く、お夜食を作りましょうか……ご飯を食べれば、少しは元気も出ると思いますので」

千歌「ぁ……うん……。チカも手伝うね」


いつのものように、吸血行為のあとは……何か元気の出ることをしましょう。

少しでも千歌さんの力になれるように……。


千歌「………………はぁ………………」





    *    *    *





お夜食は、カレー用に炊いたご飯が余っていたので、簡素な塩むすびを作ることにしました。


千歌「んしょ……んしょ……」


二人で大きめなお皿に、握ったおむすびを乗っけていく。

……ふと、千歌さんがやたらお皿の端っこの方におむすびを乗せていることに気付く。


ダイヤ「千歌さん? もしかして、お腹が空いていたのですか……?」

千歌「……え?」

ダイヤ「いえ……お夜食なので、そんなに量を作るつもりはなかったのですが……。随分お皿の端っこに乗っけているので……」


お皿の端から中央まで埋め尽くすほどにおむすびを作ったら、相当な量になってしまいます。


千歌「あ、いや……こっち側がチカの分ってわかりやすいようにした方がいいかなって思って」

ダイヤ「え?」

千歌「……だから、そっち側がダイヤさんが作ったおむすびね」

ダイヤ「え、えっと……。……あの、千歌さん」

千歌「……ん?」

ダイヤ「わたくし、別に誰が握ったとか……そういうことは気にしませんわよ?」

千歌「…………」

ダイヤ「むしろ、千歌さんが握ってくれたおむすび……食べてみたいですわ」

千歌「……誰が作っても塩むすびなんて変わらないよ」

ダイヤ「そうですか? 握り加減で食感が違うかもしれないではないですか」

千歌「……それは……まあ……」

ダイヤ「今更、そんな遠慮なんて……千歌さんらしくありませんわ」

千歌「…………私らしさって何?」

ダイヤ「……え?」

千歌「……あ、いや……ご、ごめん……なんでもない……」

ダイヤ「……い、いえ」


……なんでしょうか。何故か空気が……重い気がする。


千歌「…………私が握ったおむすび……何があるかわからないから……」

ダイヤ「え……?」

千歌「……吸血鬼が握ったおむすびなんて……なんか変な毒とかあるかも」

ダイヤ「……?? ち、千歌さん、どうしたのですか……?」

千歌「……そんな汚いもの、ダイヤさんに食べさせられない」

ダイヤ「き、汚いって……。そのようなことありませんわ……!」

千歌「……わかんないじゃん」


千歌さんは悲しそうな顔をしながら、淡々とおむすびをお皿に乗せていく。


千歌「ダイヤさんまでチカのせいでおかしくなっちゃったら……」

ダイヤ「だ、大丈夫ですわ! そんなおむすびを食べたくらいで……──」

千歌「わかんないじゃん!!」

ダイヤ「っ!?」


千歌さんが大きな声をあげる。


千歌「……あ、ご、ごめんなさい……。夜なのに……」

ダイヤ「……い、いえ」

千歌「…………」

ダイヤ「…………」


二人で黙り込んでしまう。


ダイヤ「……千歌さん、少し考えすぎですわ……。気になってしまうのなら、わたくしが二人分作りますので……」

千歌「…………うん」

ダイヤ「……すぐ部屋に戻りますから」

千歌「…………わかった。……チカが握った分は先に食べてるね」


千歌さんは自分が握った分だけ、先に小皿に取って、部屋に戻っていく。

その折、


千歌「……ダイヤさん」


名前を呼ばれる。


ダイヤ「なんですか?」

千歌「……吸血された直後って……あんまり、覚えてないんだよね……」

ダイヤ「……え、ええ……ぼんやりしてしまって、正直記憶には自信がありませんわ……」

千歌「……うん、わかった……」


千歌さんはそれだけ聞くと、とぼとぼとわたくしの部屋へと戻っていったのだった。


ダイヤ「…………」


 千歌『ダイヤさんまでチカのせいでおかしくなっちゃったら……』


ダイヤ「……チャームのことでしょうか……」


チャームはある種、思考の支配に近い。

吸血された対象が、吸血した相手に性的に興奮し、求めるようになるというのは、吸血する側にとってとにかく都合の良い洗脳効果と言っても過言ではない。

ただ、吸血の際に自動で掛かってしまうものである以上、わたくしにはどうにも出来ず……。

それはそれとしても……千歌さんは吸血以外にも、もしかしたらチャームが発動してしまうんじゃないかと言う懸念があるのかもしれない。


ダイヤ「……気にするなと言っても、無理かもしれませんが」


加えて……わたくしがチャームに掛かっている間、千歌さんに何かとんでもないことを言ってしまったのでしょうか……。

……吸血直後から、千歌さんは酷く落ち込んでいたし、その可能性は高い気がする。

その状態のわたくしの言葉が彼女を傷つけてしまったのだとしたら、それは本意ではない。


ダイヤ「……また、謝らないといけませんわね」


何を言ってしまったのかは……わたくしには確かめる術はありませんが……。

正気でなかったと言うことを伝えて、誠心誠意謝るしかない。


ダイヤ「……はぁ……」


せめて、チャームに対抗することが出来れば……。





    ♣    ♣    ♣




千歌「……はぁ……。なんであんなこと言っちゃったんだろ……」


ダイヤさんは散々気を遣ってくれてるのに……なんであんな態度取っちゃったんだろう……。

自己嫌悪が止まらない。


千歌「………………」

 ダイヤ『ちかさん……♡ ちかさん……♡ ちかさん……♡ すき……すきぃ……♡』

千歌「…………私が……無理矢理言わせたんだ……」


ダイヤさんの気持ちを捻じ曲げて。洗脳して。操って。


千歌「……ぅ……」


気持ち悪くなってくる。

きっとそれが、私にとって、都合の良い言葉だったから。

ダイヤさんはそう言ったんだ。


千歌「………………」


なのに、なのに……。


千歌「どんだけ……自分勝手になれば、気が済むんだろう……」


一人で呟いて……苦しくなる。

あるわけないのに……あれが、ダイヤさんの本心だったら……なんて……──。





    *    *    *





ダイヤ「──千歌さん、戻りましたわ。申し訳ないのですけれど……戸を開けてもらってもいいですか?」

千歌「あ……うん」


大きなお皿を両手で持っているため、戸が開けられない。

なので、千歌さんに開けてもらう。


ダイヤ「ありがとうございます」

千歌「……うん」


彼女の表情は未だに暗いまま。

……やはり、わたくしが何か言ってしまったのでしょう。

おむすびの乗った大皿を置いたところで、


千歌「……ダイヤさん、さっきはごめんなさい」


千歌さんがわたくしに向かって頭をさげてきた。


ダイヤ「!? あ、頭をあげてください……! 貴方は悪いことなんか一つも……」

千歌「うぅん……ダイヤさんのこと……困らせる態度、取っちゃった……ごめんなさい」

ダイヤ「……その原因は、わたくしなのでしょう?」

千歌「原因……なんて……」

ダイヤ「わたくしが、チャームされたときに……貴方に何か言ってしまったのよね」

千歌「………………」

ダイヤ「千歌さん……聞いて」


ちゃんと、誤解を解いておかなければ。


ダイヤ「……チャームされている間にわたくしが言っていることは、本心ではないのですわ」

千歌「……!!!」

ダイヤ「自分でも情けないと思うけれど……チャームされている間は、自分でも何を言っているのか覚えていないのです……。だから、その間にわたくしが言ったことは気にしないで──……千歌さん?」


そこまで話して、


千歌「……ぅ……っ……。……わ、かった……っ……」


彼女がぽろぽろと泣いていることに気付いた。


ダイヤ「!? ち、千歌さん……!?」

千歌「……あ、はは……ご、めん……」

ダイヤ「……っ」


わたくしは一体彼女に何を言ってしまったのか。

相当傷つくことを言ってしまったのかもしれない。

本意ではないで許されないようなことを……言ってしまったのかもしれない。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「き、気に……しない、で……っ……。……最初から……っ……チャームの間に、言ったことは……聞かないって……約束、してたもん。……忘れるね……」

ダイヤ「……ごめんなさい……」


必死に涙を拭いながら、千歌さんは笑顔を作る。


千歌「それより……っ おむすび食べよっ? お腹空いたな……っ……」


わかりやすいほどの空元気。何を言ったのか本当にわからない。だけど、彼女を深く傷つけてしまったことはわかる。


ダイヤ「…………」

千歌「……ほ、ホントに気にしないで! 本心じゃないってちゃんと言ってくれて……むしろ、吹っ切れたから!」

ダイヤ「千歌さん……はい」


千歌さんはおむすびを手に取って、口に運ぶ。


千歌「あむ……っ……。……わ、ダイヤさんの作ったおむすびおいしいねっ! さっきダイヤさんが言ったとおりかも……握り加減がチカの作った適当なやつと全然違っておいしいよ……っ!」

ダイヤ「え、ええ……ありがとう」


……もう千歌さんはこのやり取りは終わりにしようと暗に言っている。

それならば、わたくしもこの件は終わりにしなくては……。


ダイヤ「あむ……。……おいしいですわね」

千歌「でしょっ?」


目の前の千歌さんが気になって、全然味を感じない塩むすびをお腹に詰め込むのでした。





    *    *    *





──時刻は5時前。


ダイヤ「今、どれくらいですか?」

千歌「ん……40……うぅん、50くらいかな」

ダイヤ「そうですか……この分なら、このまま夜明けを迎えられそうですわね」

千歌「うん」


正直、心底ホッとしている。

あんなことのあった直後に、またチャーム状態になりたくなかったので……。

千歌さんもわたくしをチャーム状態にしたくないでしょうし……。

遅かれ早かれ次はあるにしても、今このタイミングでないに越したことはない。


ダイヤ「今のうちに、お布団を敷いておきましょうか」

千歌「あ、うん」


5時になったらすぐに就寝して──11時にはちゃんと起きていたい。

二人分の布団を押入れから出して、敷く。


千歌「あとは……時間になったら寝るだけだね」

ダイヤ「……ええ」


今日も長い夜でした……。

やっと夜が終わり、明日からは更なる試練が待っている。


千歌「…………」


布団の上で、千歌さんは座ったまま、ぼんやりと自分の両手を見つめていた。


ダイヤ「…………」


 千歌『……吸血鬼が握ったおむすびなんて……なんか変な毒とかあるかも。……そんな汚いもの、ダイヤさんに食べさせられない』


わたくしの中で、どうしても千歌さんのあの言葉が納得出来ていなかった。

……今後、こんなことを気にされていては、何かと困ることもあるだろう。


ダイヤ「…………よし」


小さな声で覚悟を決める。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「……ん?」


──不意を打つ形で、


千歌「っ!?」


千歌さんの両手を、包み込むようにわたくしの両手で握りこむ。


千歌「っ!!! は、放して!!!」

ダイヤ「千歌さんの手は、汚くなんてありませんわっ!!」

千歌「っ!!!」


千歌さんの瞳を覗きこみながら、ちゃんと言う。


ダイヤ「千歌さんの手は……今日も温かい。人間の手ですわ」

千歌「わ、たし……」

ダイヤ「この手に吸血鬼的な要素は何も感じません……それに、人と手を繋ぐと、安心しませんか……?」

千歌「…………」

ダイヤ「ルビィは……いつもそう言っていました……。……お姉ちゃんが手を繋いでくれると、安心するって……」

千歌「……で、も……」

ダイヤ「それに、さっき千歌さんも仰っていたではないですか……。わたくしが人間に繋ぎとめてくれているって……」

千歌「…………」

ダイヤ「……今更、貴方の手を放したりしません……。放してあげたりなんか……致しませんわ」


この手が、貴方を人間に繋ぎとめておく手であるならば、尚更。


千歌「…………」


千歌さんは何かを言おうとして、口をもごもごさせるものの……結局何も言わずに口を噤む。


ダイヤ「……それとも、わたくしが隣にいるのは嫌ですか?」

千歌「い、イヤなわけない!!」


千歌さんは今度は喰い気味に答える。


ダイヤ「なら……貴方の手はわたくしが握ります。わたくしが繋ぎとめますわ」

千歌「……っ」


真っ直ぐ瞳を見つめながら言うと、千歌さんは目を逸らす。

目を逸らして、しばらくすると、またわたくしの瞳の方に視線が戻ってきて──また逸らす。

そんなことの繰り返し。

しばらくそれが続いた後、


千歌「…………………………じゃあ……一生……放さないで……」


千歌さんは消え入りそうな声でそう言うのでした。


ダイヤ「ええ、問題が解決して、貴方が元の生活に戻れるまで……絶対に放したりしませんわ」

千歌「………………うん」


一先ず、これで仲直り。

時刻は丁度、5時になろうとしていました。


千歌「……ふぁ……」

ダイヤ「……眠りましょうか」

千歌「……ぅ……ん……」


千歌さんが急にうつらうつらと船を漕ぎ出す。

吸血鬼の眠る時間。

わたくしも釣られるように急に眠くなってきたので、そのまま横になる。


ダイヤ「……おやすみなさい、千歌さん」

千歌「……おやすみ……なさい……」


そして、二人で眠りに就くのでした。





    *    *    *





──翌日。……と言うか、お昼頃になって、わたくしが目を覚ますと。


千歌「……すぅ……すぅ……」

ダイヤ「…………」


またしても、胸の中で千歌さんが寝息を立てていた。


ダイヤ「…………はぁ」


2日連続で何をしているのかしら……。

体勢を見るに、千歌さんが飛び込んできたと言うよりは、わたくしが抱き寄せたのだと思うし……。


ダイヤ「……わたくし、もしかして寂しいのかしら」


高校生にもなって、実は一人で寝るのが寂しいとか……?


ダイヤ「……妹離れ出来てないのかしら」


鞠莉さんにも、果南さんにも散々言われては『そんなことはない』と言い返していますが……。

そんなことあるのかもしれませんわね……。

とはいえ、千歌さんをルビィの代わりのように扱ってしまうのはよろしくない。


千歌「……すぅ……すぅ……」

ダイヤ「…………」


可愛らしい笑顔を前にして、一人で勝手に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも──とりあえず、寝起きの状況確認のために周囲を見回す。


ダイヤ「……11時、5分前ですか」


ギリギリ目覚ましより早く起きてしまったようですわね。


ダイヤ「……まあ、起きましょうか」


布団から這い出ると──


千歌「ん……ぅ……? ……あさ……?」


千歌さんも釣られて目を覚ます。


ダイヤ「あ、ごめんなさい、起こしてしまいましたわね……。……とは言っても、直に目覚ましが鳴るのですが」

千歌「んゅ……だいじょうぶ……ぁふ……おはよ……」

ダイヤ「おはようございます、千歌さん。もう起きられる?」

千歌「……うん、起きる」


千歌さんはもぞもぞと布団から這い出てくる。


ダイヤ「えっと……とりあえず……あーん」

千歌「んぁー……」

ダイヤ「ありがとう」


千歌さんの歯を確認する。


ダイヤ「…………」

千歌「ぁー…………」


──カシャ。

例の如く写真に収める。


千歌「……どう?」

ダイヤ「……気のせいかもしれませんが……少し、犬歯が長い気がしますわ」

千歌「え……」


先ほど撮った写真を表示して、彼女に見せようとして──


ダイヤ「あ、あら……?」


うまく写真が撮れていないことに気付く。


千歌「どうしたの?」

ダイヤ「ごめんなさい、少しカメラの方向がずれてしまったみたいですわ」


撮った写真は室内のやや上の方を写していた。


千歌「もう一回撮る?」

ダイヤ「そうしましょう」


何度も撮っていたためか、手癖で撮っていたのが原因でしょう。

今度はちゃんと撮影画面をよく見ながら──


ダイヤ「あ、あら……??」


口を開けている、千歌さんにカメラを向けても──何故か先ほど同様、部屋の上の方が表示されてしまう。


ダイヤ「……故障?」

千歌「え、私のスマホ壊れたの……?」

ダイヤ「……何度やってもカメラが勝手に上の方に行ってしまって……」

千歌「なんでだろ……?」

ダイヤ「困りましたわね……」

千歌「あ、でもでも、比べるだけなら、前の日撮ったやつと、実物を見比べればいいんじゃない?」

ダイヤ「……それもそうですわね」


カメラは別のものを用意しておきましょうか……。

とりあえず、昨日同じ時間に撮った写真と千歌さんの歯を見比べてみる。


ダイヤ「……やっぱり、少し長い気がしますわ。……もう、閉じていいですわよ」

千歌「……ん。……吸血鬼化が、進んでるってことかな……」

ダイヤ「……かもしれません」


正直なところ、ここまでは予想出来ていました。

どんどん加速する吸血衝動……こうなったら、次に起こりそうなことは、昼にも吸血鬼化の現象が現われる可能性。

千歌さんも覚悟は出来ていたのか、割と落ち着いていました。


ダイヤ「とりあえず……どうしましょうか」


吸血鬼化が進んでいるとなると、今日の午後からのAqoursの練習……参加するか、否か。


千歌「……私は出来るなら参加したい」

ダイヤ「……まあ、そうですわよね」

千歌「無理そうだったら、諦める……だから、とりあえず練習に行く準備しよ?」

ダイヤ「わかりました」


そうなると……まずはお風呂……。

と、思ったのですが。


ダイヤ「……お風呂、入りますか?」

千歌「……正直、入りたくないかも」

ダイヤ「ですわよね……」


吸血鬼化が進んでいるなら、夜と同様、水との相性もきっと悪くなっているでしょう。

そうなると、お風呂は千歌さんにとって酷く居心地の悪い環境になってしまう。


ダイヤ「見た感じ……相変わらず髪もさらさらですわね……」

千歌「すんすん……。汗のニオイとかもしないかな」

ダイヤ「……身嗜みに問題がないなら、とりあえず……大丈夫かもしれませんわね」


まあ、うら若き乙女が、お風呂に入らないという事実には少しだけ思うところがありますが……。


千歌「それじゃ、ダイヤさんだけ、お風呂入っちゃって? その間に私がお布団畳んで、ご飯作ってるから」

ダイヤ「わかりました、それではお願いしますわ」


その方が効率もいいでしょうしね……。

わたくしはさっさと入浴を済ませるために、脱衣所へと向かう。

脱衣所に向かう途中、廊下の窓から外を見ると──


ダイヤ「……今日も、いい天気ですわね……恨めしい程に」


外ではこれでもかと言うくらいに太陽が照り付けていた。





    *    *    *





──脱衣所で服を脱いでいる途中。


ダイヤ「……あら?」


部屋着のポケットに何かが入っていることに気付く。

取り出して──


ダイヤ「……ひっ!!!」


思わず小さく悲鳴をあげながら、それを投げ捨てた。

──カランカラン。


ダイヤ「……え?」


音を立てながら、落ちるソレは──善子さんから貰ったロザリオだった。


ダイヤ「……え……??」


……何故、今わたくしはロザリオを投げ捨てた……?

千歌さんの希望なので、基本的にロザリオは携帯しています。

昨日も部屋着に着替えた際に、部屋着のポケットにロザリオを移しましたし、持っていることはなんらおかしなことではない。


ダイヤ「……疲れてるのかしら……」


疲れていることは間違いない。

わたくしも千歌さんもここ数日は確実に消耗している。

軽く忘れかけていたから、仰々しいロザリオを見て、一瞬不気味に思ってしまっただけかもしれない。

どっちにしろ、このまま床に落としたままにしておくわけにいはいかないので……と、思い拾い上げようとしたら──


ダイヤ「…………?」


落ちているロザリオに伸ばした手が止まる。

何故だか、これには触ってはいけない気がする。直感がそう言っている。

……なんだか。


ダイヤ「……このロザリオ……気持ち悪いですわ……」


不快害虫を見たときのような嫌悪感がする。

気持ち悪い。


ダイヤ「……え?」


──ハッとする。


ダイヤ「わ、わたくし……何を言っているの……?」


ロザリオが気持ち悪い……?

再び、ロザリオをよーく見てみる。

なんら変哲のない。ロザリオですわ。


ダイヤ「………………本当に疲れているのかしら」


改めて、床に落ちたロザリオを拾い上げる──と、

ロザリオを持った手が震えて、再びロザリオを落としてしまった。


ダイヤ「……な、なんですか……これは……?」


何故か、ロザリオが手に持てない。


ダイヤ「…………」


そのとき、ある可能性が頭を過ぎる。


ダイヤ「……ま、まさか……そんなはずありませんわ」


思わず、かぶりを振って頭に浮かんだ可能性を打ち消す。


ダイヤ「そ、そうですわ! お風呂に入れば……!」


とりあえず、ロザリオは後回しにして、わたくしはさっさとお風呂へと入ることにした。

服を脱いで、浴室へと足を運ぶ。

お湯を沸かす暇はなかったので、手早くシャワーを浴びようとノズルを捻ると──


ダイヤ「きゃぁっ!!!?」


シャワーから、水が飛び出した。


ダイヤ「ひっ……」


水はすぐにお湯に変わり湯気を立てながら、流れていく。

それを見ていると、酷く気分が悪くなった。


ダイヤ「…………な、に……なに……? なんで? なんでですか……?」


冷や汗が止まらない。

十字架のロザリオが気持ち悪かった。

シャワーから流れ出す水を見て、驚いて悲鳴をあげた。

まさか……まさか……これでは……。

いや、そんなはずはない。

未だシャワーヘッドから出続けているお湯に、手を伸ばす。

──これはただのお湯です。

いつも自らの身を清めてくれる、お湯。

手を伸ばす。

──シャアアアア。水音が欲室内に響く。


ダイヤ「……これはただのお湯ですわ」


自分に言い聞かせる。

水が流れている。

怖い怖い怖い。


ダイヤ「こ、怖いわけないでしょう!?」


心の声に、自問自答するように声をあげる。


ダイヤ「……ぅ……」


──シャアアアア。

音を立てながら、お湯を撒き散らすシャワーに手を伸ばす。

意を決して、一気に近付く。


ダイヤ「……っ……!! ………………ぁ──」


──気付けば、わたくしはシャワーのお湯を全身に浴びていた。


ダイヤ「は……はは……。……そ、そうですわよね……お湯が怖いわけありませんもの。……普通に浴びられるではないですか」


全く、気のせいと言うのは怖いものですわね……。


ダイヤ「……は、早く……浴びて千歌さんの元に戻らないと……」


わたくしは自分に言い聞かせるように、手早く髪と身体を洗い始める。

……その間、何故だか浴び続けるお湯は、身体中を虫が這っているかのような不快感があったことから、必死に目を逸らしながら──





    *    *    *





──あの後、脱衣所の落ちていたロザリオは普通に拾い上げることが出来た。


ダイヤ「……はぁ」


酷く気疲れしてしまった。

ロザリオが気持ち悪いと思ったのも、恐らく気のせいでしょう。……恐らく気のせいでしょう。


千歌「あ、ダイヤさん。おかえり……どうしたの? 顔色悪いよ……?」


戻ってきて早々、千歌さんに心配されてしまう。


ダイヤ「い、いえ……なんでもありませんわ」

千歌「そう……?」


……思うことはたくさんある。ですが、これは絶対に千歌さんに伝えてはいけない類の問題。

もし……もし、わたくしの懸念が事実だとしたら……。

いや、やめましょう……。伝えたくないのなら今考えるべきではない。


千歌「じゃあ、ご飯にしよ? 作ったから」


言われてちゃぶ台の上を見ると──目玉焼き、白米と海苔が用意してあった。


ダイヤ「まあ……! 千歌さんが一人で用意したのですか?」

千歌「うん。お味噌汁もあったらいいかなって思ったんだけど……水が使えないから諦めた。あと調理器具……洗えなかったから放置してます」

ダイヤ「問題ありませんわ。あとでわたくしが全て片付けておきますから。それにしても、千歌さん料理上手ですわね」

千歌「ん、まあ……お父さんに簡単な料理くらい覚えろってうるさいんだよね」

ダイヤ「千歌さんのお父様に?」

千歌「お父さん板前だから……」

ダイヤ「まあ、そうでしたの?」

千歌「あれ? 言ってなかったっけ? ……それに目玉焼きは得意だから! ご飯はよそっただけだけど……」

ダイヤ「いえ……味わって食べますわ。いただきます」

千歌「ふふ、召し上がれ」


目玉焼きに醤油を少しかけて、頂く。


ダイヤ「……ふふ、おいしい」


思わず笑みが零れる。おいしいのも勿論なのですが……何より、昨日おむすびを作りながら、あんなことを言っていた千歌さんが手料理を振舞ってくれていることが何よりも嬉しかった。


千歌「よかったぁ……目玉焼きなんて、誰が作ってもそんなに変わらないけどね」

ダイヤ「真っ黒コゲになっていたら、大分味が変わりますわよ?」

千歌「まあ、そうだけど……それは目玉焼きというか、焦げた卵だし。チカにも醤油ちょーだい」

ダイヤ「はい、どうぞ」


千歌さんも目玉焼きに醤油をかけて、食し始める。


ダイヤ「千歌さんも醤油派ですか?」

千歌「ん? んー……醤油でも塩でもソースでも食べれるけど……。普段は白だしが好きかな」

ダイヤ「白だしですか? ……珍しいですわね」

千歌「あはは、まあ少数派だよね。でも、おいしいんだよ?」

ダイヤ「そうなのですか……今度試してみようかしら」

千歌「目玉焼きに何かける論争って、いつまでも決着つかないよねぇ……チカは白だし派だから、高見の見物だけど。……あ、ちなみに今のは苗字の高海と掛けた──」

ダイヤ「それは説明しなくていいです。……果南さんは塩派だったかしら」

千歌「あ、うん、そうだよ。曜ちゃんは醤油派だからダイヤさんと同じだね」

ダイヤ「まあ。曜さんに少し親近感を覚えますわね」

千歌「同じ家に住んでるから、ルビィちゃんも醤油?」

ダイヤ「ええ。というか、目玉焼きと一緒に出てくる調味料が醤油しかないので、自然と……」

千歌「あー……そういうのあるよね。私も自分で用意しないと、お母さん白だし全然出してくれなくて……大体厨房行ってお父さんに貰ってる。梨子ちゃんみたいにお料理好きだと自然といろいろ試すんだろうけどなぁ」

ダイヤ「ちなみに梨子さんは何をかけるの?」

千歌「梨子ちゃんはケチャップって言ってた気がする」

ダイヤ「なるほど、ケチャップですか……少数派ですわね」

千歌「白だしほどじゃないけどね。他の皆は何かけるんだろう……鞠莉ちゃんとか、とてつもない高級な調味料とかで食べてそう」

ダイヤ「……というか、日常的に目玉焼きを食べているのか疑問ですわね……。さすがに食べたことがないということはないと思いますが……」

千歌「花丸ちゃんは醤油か、塩胡椒ってイメージかなぁ」

ダイヤ「確かに花丸さんの家も和風料理が多いみたいですからね。あとは……善子さんかしら」

千歌「善子ちゃん……タバスコとかかけてそう」

ダイヤ「ありえますわね……」


二人で他愛もない会話をしながら、ご飯を食べる。

……よかった、千歌さん。少しは元気になってくれて……。

──程なくして、


ダイヤ「ご馳走様でした」

千歌「おそまつさまでした♪」


食べ終わる。


ダイヤ「それでは、あとはわたくしが片付けて置きますから。千歌さんは制服に着替えていてくださいね」

千歌「……練習だけだから、練習着で行っちゃだめ?」

ダイヤ「ダメです。学校に行くなら制服を着ていかなければ」

千歌「ちぇ……はーい」


お皿とお茶碗を持って、厨房へと足を運ぶ。

千歌さんの言う通り、調理器具はそのままにしてあったので、一緒に洗うために流しに下ろして……。


ダイヤ「…………わたくしは大丈夫ですわよね」


変に意気込んでも意味がないので、洗い物のために蛇口から水を出す。


ダイヤ「…………」


流れている水を見て、顔を顰める、

明確に言葉にしづらいですが、不快感的なものがなくはないと言ったところ。


ダイヤ「……手早く洗ってしまいましょう」


多少違和感こそあるものの、千歌さんのように触れないと言うことはなかった。

そのまま二人分の食器と、調理器具を洗い終えて、さっさと部屋に戻る。

わたくしも制服に着替えないといけませんし。


千歌「あ、ダイヤさん、おかえり」


部屋に戻ると、千歌さんがいつもの制服姿になっていた。


ダイヤ「わたくしも早く着替えないと……」


時計にちらりと目をやると、時刻は12時を指していた。

そろそろ出ないといけませんわね。

自室に掛けてある制服に近付き、部屋着のポケットから出来るだけ視線を向けないように、サッとロザリオを制服のポケットにしまってから、すぐに着替え始めた。





    *    *    *





──玄関。


ダイヤ「千歌さん、忘れ物はないですか」

千歌「うん、だいじょぶー」

ダイヤ「……忘れ物はなさそうですが、リボンが曲がっていますわ」

千歌「え、うそ?」

ダイヤ「今直しますから、じっとして……」

千歌「別に授業とかあるわけじゃないし……適当でも……」

ダイヤ「制服の乱れは心の乱れです。授業の有無とは関係ありません」

千歌「ダイヤさん御堅いなぁ……」

ダイヤ「生徒会長なので。……これでよし」

千歌「えへへ、ありがと」


そのまま、玄関に腰掛けて靴を履く千歌さんに、


ダイヤ「はい、日傘」

千歌「あ、うん! ありがと!」


日傘を手渡す。

これがないと、こんな快晴日和に外を出歩くなんて、自殺行為ですからね……。

むしろ吸血鬼でなくても、日傘が欲しいくらいで……。

わたくしも自分で使う用の日傘を傘立てから、取り出して。


ダイヤ「それでは……行きましょうか」

千歌「うん」


二人で玄関を出る。

正午過ぎなので、太陽は一番高い。

日影は出来辛い時間帯なものの、建物の中に日差しが入ってくることもあまりない。そんな時間。

千歌さんが脚が日向に出た、途端。

──ボウッ

燃えた。


千歌「!!!?!!? あっづ!!!!?!!?」


そのまま、脚がもつれて、千歌さんが前方に倒れこむ。

つまり、全身が日向に投げ出されて。

──途端に火達磨になった。


千歌「──────ッ!!??!?!!??」


もはや言葉にすらなっていない、悲鳴が響き渡った。

わたくしは──目の前の光景に対して、脳が理解を拒んで、動けなくなっていた。


千歌「あついっ!!!!! あづっ、あぁあ゛ぁ゛ああぁぁぁ゛!!!!! あづい、あづい!!!! あづいあづい゛あ゛つ゛い゛っ!!!!!!!!」


千歌さんが目の前で絶叫しながら、のたうちまわっている。

なんで、千歌さんは燃えているの……??

千歌さんが……燃えている……??

燃えてる……!!?


ダイヤ「千歌さんっ!!!!!!」


脳がやっと意味を理解して、わたくしは飛び出した。


千歌「あづいっ゛!! あづい゛あづい゛よぉ……っっ!!!!!!!」

ダイヤ「千歌さん!!!!」


無我夢中で千歌さんの身体を掴んで軒下に引っ張り込む。


千歌「はっ……はっ……はっ……はっ……!!!!!」

ダイヤ「千歌さんっ! 大丈夫ですか!?」


幸いな事に、日影に引っ張り込むと、千歌さんの身体の炎はすぐに鎮火した。


千歌「……は……は、ははは……」


千歌さんは焦点の合わない目で、日向を見て、変な笑い声をあげていた。


ダイヤ「……っ! 今すぐ、部屋に戻りましょう!!」

千歌「あ、ははは……」


強引に千歌さんを引きずるようにして、家の中に引き返す。


ダイヤ「千歌さんっ!! しっかりしてっ!!」

千歌「……あ、ははは……」


千歌さんは……気付けば、笑いながら、ぽろぽろと涙を流していた。


ダイヤ「……っ」


どうにか、力の限り引っ張って、玄関まで引き返してこれた。

ここまではさすがに日の光は入ってこない。


ダイヤ「千歌さんっ!!」


改めて、状態を確認するために、声を掛ける。

その際に燃えてしまった全身を確認する。

燃えたのは一瞬だったためか、火傷痕のようなものは見えないですが……。

激しく暴れていたためか、腕に痛々しい感じの大きな擦り傷が出来ていた。


千歌「あ、はは……? いき、てる……?」

ダイヤ「大丈夫です!! 生きてますわ!!」

千歌「そっか……死んだかと……思った……っ……。……ぅ……うぅぅ、うぇぇぇぇ……っ……」


千歌さんはそう言いながら、自分の身体を抱くようにして縮こまり、さめざめと泣き出した。


ダイヤ「……怖かったですわね……大丈夫、ちゃんと生きていますわ……」

千歌「うっぐ……っ……ひぐっ……ぅぅぇぇぇ……っ……んぐ……っ……ひっぐ……っ……」


千歌さんを抱きしめて、慰めながら……。わたくしも混乱していた。

何が起こっている……?

いや、起こったこと自体は単純です。

燃えた。

吸血鬼が日光に焼かれて燃えた。


千歌「……ぅっぐ……ひっぐ……ぅっく……」

ダイヤ「…………」


いえ……状況確認も大事ですが、今は千歌さんを安全な場所に避難させることが最優先ですわ。


ダイヤ「千歌さん……部屋まで歩けますか……?」

千歌「……ぅぐ……っ……ぅん……っ……」


覚束ない足取りの千歌さんを支えながら、わたくしはどうにか自室へと引き返しすことにしたのでした。





    *    *    *





ダイヤ「…………」

千歌「すぅ…………すぅ…………」


あのあと、千歌さんは錯乱に近い状態で、ずっと泣き続けていました。

よほど怖かったのでしょう……。

全身火達磨になったのです、当たり前ですわ。

擦り傷だらけになった腕は千歌さんが泣きじゃくっている間に手当てをしてあげましたが……。

その間も、痛い痛いと子供のように泣き叫んでいました。

相当混乱していたから仕方がないのですが……手当てをせず放っておくわけにもいきませんでしたし。

──そして、その後、泣き疲れたのか、気絶するように眠ってしまいました。

とりあえず、毛布だけ掛けてあげて……。

わたくしは一人考える。

とんでもないことが起こった。

吸血鬼化は確かにずっと加速していた……だけれど、まさか突然日光で燃えるようになるとは思わなかった。

しかし、現実に起こった以上は認めるしかない。そして、そこから導き出される考えは──


ダイヤ「……吸血鬼化の進行と共に、今までなかった吸血鬼性が現れ始めている……?」


それしかなかった。

勝手に千歌さんにはないものだと思い込んでいた。でも、違った。ただ、要素として“まだ”出現していなかっただけに過ぎなかった。


ダイヤ「……そういえば」


起きてすぐにもおかしなことがあった。


ダイヤ「写真……」


スマホのカメラで千歌さんをうまく撮影することが出来なかった。

……カメラが勝手に天井の方を撮ってしまうというバグ。

時間がなかったから流してしまいましたが……そんなバグ、普通ありえるのでしょうか?

天井を撮ってしまったのではなく……千歌さんが写らなかっただけなのでは……?


ダイヤ「…………」


化粧台から、手鏡を取り出して、千歌さんに向けてみる。


ダイヤ「! ……そういうことでしたのね」


予想した通り、千歌さんは手鏡には映っていなかった。

吸血鬼の要素──鏡に映らない。

レンズだって広義の意味で言えば鏡面です。

きっとあの時点で彼女はもうすでに鏡には映らなくなっていた。

そしてこれも、吸血鬼性の進行によるものだと考えて、間違いないでしょう。


ダイヤ「考えてみれば……昼に吸血鬼性を保ったままだった時点で、日光にはもっと注意するべきでしたわ……」


自分の考えの甘さに思わず唇を噛む。

とりあえず、取り急ぎ今日はわたくしと千歌さんは練習を欠席するという連絡を曜さんと果南さんに送った。

それはいいとして、このあとどうする……?

本日は善子さんの家に泊まりに行っていたルビィも帰ってくる。

別にルビィが帰ってくること=千歌さんを置いておけなくなると言うわけではありませんが……。


ダイヤ「ただ……いつまでも誤魔化すことは絶対に無理ですわ……」


千歌さんとわたくしの家は近いため、最悪吸血衝動に耐えられなくなったら、千歌さんに自宅に呼んで貰う形でどうにか対処をしようと思っていましたが……。

もう、こうなってしまっては本当に千歌さんを一人にするわけにはいかない。それこそ何かの拍子に日光に焼かれて焼け死んでしまうのではないか。

じゃあ、どこに行く……?

千歌さんの家に泊まる……?

いや、それも結局、他の人にバレるリスクは大して変わらない。

千歌さんのご家族もいますし、すぐ隣には梨子さんの家もある。


ダイヤ「人払いがちゃんと出来ている場所……どこか……」


考える。


ダイヤ「…………学校に戻る……? いや、日中が逆に危険すぎる……」


むしろ日中こそ隠れ続けられる場所が必要なのです。

そうなると……部屋を借りる……。


ダイヤ「ホテルの部屋なら……」


それなら、自由に出入りが出来るし、仮に出てこなくても誰に咎められることもない。ただ、問題は……。


ダイヤ「そんなお金……用意出来るわけありませんわ……」


どんなに安い宿泊先だったとしても一泊3000円程度が恐らく下限でしょう。

しかも今はゴールデンウイークの真っ只中、値段も上がっているでしょうし、そもそも部屋が確保出来るかもわからない……。

加えてわたくしと千歌さん二人で泊まったら、それこそ手持ちから考えてもゴールデンウイークを乗り切ることすら難しいかもしれない。


ダイヤ「どうすれば……」


せめて、格安のホテルを知ってる人がいれば……。


ダイヤ「……ホテル? ……格安ではないですが……いるではないですか、身近に」


わたくしはすぐさま、そろそろ起き抜けて来て練習に行く準備をしている頃合であろう、幼馴染に電話を掛ける──





    *    *    *





千歌「ん……んぅ……」

ダイヤ「千歌さん……? 目が覚めましたか?」

千歌「ダイヤ……さん……?」

ダイヤ「おはよう」

千歌「ん……おはよ……」


千歌さんはぼんやりとしながら、身体を起こす。


千歌「……?」


周囲を見回して、少し不思議そうな顔をしたあと。


千歌「…………っ!!」


思い出したかのように、顔色を真っ青にして、震えだした。


ダイヤ「大丈夫ですわ……ここまで日の光は差し込んできませんから」

千歌「ダイヤ、さん……」


そう声を掛けながら、震える千歌さんを抱きしめる。

彼女はしばらくの間、震え続けていましたが……。

抱きしめたまま、背中を撫でてあげていると……次第に震えは収まって来ました。

落ち着いてきたのを確認して、


ダイヤ「千歌さん……日が沈んだら、淡島に行きましょう」


そう伝える。


千歌「淡島……?」

ダイヤ「ええ、鞠莉さんに頼んで……部屋を用意してもらいました」

千歌「……鞠莉ちゃんに話したの?」

ダイヤ「いえ……とりあえず、部屋を用意できないかとだけ打診したら、了承は得られたという状態ですわ。今後どれくらい追及してくるかは……会ったときにどうするか次第だと思います」

千歌「そっか……」


鞠莉さんに伝えるかは……正直微妙なところです。

実際ホテルオハラに着いてから理由を聞かれるかもしれませんし、その際に誤魔化しきれないと感じたら説明するしかないでしょうけれど……。


千歌「今何時……?」

ダイヤ「17時過ぎですわ」

千歌「17時……じゃあ、練習終わっちゃったね……」

ダイヤ「今日は仕方ありませんわ……それよりも今は直近のことを考えましょう」

千歌「うん……」


ちょうど、そのとき──玄関の方で物音がする。


ダイヤ「……時間的にルビィが帰ってきたのかしら……少し出てきますわ」

千歌「あ、うん……」

ダイヤ「千歌さんはもう少し眠っていていいですからね……」

千歌「うん……ありがと……」


わたくしは、千歌さんにそう残して、玄関へと向かう。

玄関では、ルビィが腰掛けて靴を脱いでいるところだった。


ダイヤ「ルビィ、おかえりなさい」

ルビィ「あ、お姉ちゃん! 起きてて、大丈夫なの?」

ダイヤ「ええ、特にわたくしの体調が悪いわけじゃないから」

ルビィ「? そうなの? 練習お休みしてたから、体調が悪いんだと思ってたんだけど……」

ダイヤ「実は今、千歌さんがわたくしの部屋で休んでいますの」

ルビィ「え? 千歌ちゃんが?」

ダイヤ「ええ。……実は練習に向かう際に、道でたまたま千歌さんが日射病で倒れてるところを見つけてしまって……」

ルビィ「え!? だ、大丈夫だったの……?」

ダイヤ「一先ずは落ち着いたわ。お医者様に連れて行きたかったんだけど……生憎ゴールデンウイークのせいでどこもお休みで……」

ルビィ「そうだったんだ……だから、お姉ちゃんと千歌ちゃんが揃ってお休みだったんだね……」

ダイヤ「ええ……。千歌さん、リーダーだから責任を感じてしまっていて……。あまり他の人には言わないであげて貰える?」

ルビィ「うん、わかった!」


千歌さんが眠っている間、延々と考えていた言い訳でルビィを誤魔化す。

かなり嘘だらけですが……。千歌さんが日光で燃えたので練習に行けませんでしたなどと言うわけにもいきませんし……。

そして、心は痛みますが、まだ嘘を吐く必要があります。


ダイヤ「あと、鞠莉さんがお医者様を紹介してくれるらしくて……この後で千歌さんと一緒に淡島の方に赴く予定なの」

ルビィ「そうなんだ」

ダイヤ「だから、今日はあちらの方に泊まることになると思うわ。お母様やお父様に何か聞かれたら、そのように伝えてくれる?」

ルビィ「わかった」

ダイヤ「それと……まだ千歌さん、眠ってるから静かにしてあげてね」

ルビィ「はーい」


……さて、あとは時間になったら淡島に赴くだけですわね……。





    *    *    *





ダイヤ「それでは千歌さん、行きましょうか」

千歌「う、うん……」


時刻は18時半。

日没時間を過ぎて、太陽の光を浴びる心配はなくなった。

ただ、保険として、千歌さんには大きめのレインコートを目深に着て貰っている。

これなら人に見られても千歌さんだとわからなくする効果もあるでしょうし……。

千歌さんの手を引きながら、夕闇の時間が始まった内浦を北上していく。


ダイヤ「千歌さん……体に異常はありませんか?」

千歌「うん……大丈夫」


船着場まではやや歩く。

もう定期船はとっくに終わってしまっているので、これも無理を言って鞠莉さんに迎えを回してもらった。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「……ごめんね」

ダイヤ「どうしたのですか、突然」

千歌「私のせいで……途方もないことに……巻き込んじゃってる……」

ダイヤ「……わたくしが自分が意思でここにいるのですわ。貴方が気に病むようなことではありません」

千歌「…………」


確かに、最初はどこかで、どうにかなるだろうと思っていた気がします。

だけれど、状況はどんどん悪化し……解決の糸口がどこにあるのか、だんだんわからなくなってきている。

そもそも、未だに千歌さんが吸血鬼から元に戻る方法については全く思いついていないのです。

起こったことの対処に追われ続けて……あっと言う間に3日間が過ぎてしまった。


千歌「……ねえ、ダイヤさん」


手を引いていた千歌さんが、急に足を止めた。


ダイヤ「千歌さん……?」

千歌「……もう、いいよ」

ダイヤ「……え?」

千歌「……もう、ここまででいいよ」

ダイヤ「……? ……あ、ああ……一人で歩くということですか? ですが、レインコートのせいで周りが見づらいでしょう? 港までちゃんと一緒に──」

千歌「そうじゃなくて……。……ダイヤさんが、ここまでしてくれる理由……ないよ」

ダイヤ「…………!」


千歌さんの言葉に驚いて、思わず目を見開いた。


ダイヤ「な、何を言っているのですか……?」

千歌「……ここ3日だけでも、ダイヤさん、チカにつきっきりで……それどころか、解決するかもわかんないことに、これ以上ダイヤさんを巻き込めないよ……」

ダイヤ「……っ……絶対解決しますわ……! いえ、解決してみせますわ!!」

千歌「日の当たらない場所さえあれば……あとは静かに暮らせばきっと生きていけるよ……」

ダイヤ「その場所だって、これから交渉するのよ……? どれだけの期間使わせてくれるかもわからない……」

千歌「きっと……死ぬ気で頼み込めば、鞠莉ちゃんなら許してくれるよ……」

ダイヤ「血はどうするのですか……?」

千歌「……どうにかする」

ダイヤ「なんですか、そのいい加減な理屈は……!!」


だんだん、イライラしてきて、声が大きくなる。


千歌「だって、そうじゃないとダイヤさんの時間も自由も、全部チカが奪っちゃうじゃん!!」

ダイヤ「そんなこと気にしなくていいのですわ……わたくしは何がなんでも、貴方を元の世界に返します」

千歌「……もう……ダイヤさんに迷惑掛けたくない……」

ダイヤ「迷惑だなんて思ってませんわ」

千歌「ダイヤさん優しいから……そう言ってくれるけど……」

ダイヤ「……どう言えば納得してくれるのですか」

千歌「……ここで見捨ててくれたら……納得するよ」

ダイヤ「お断りしますわ。ここまで来て見捨てろですって……? そんなの絶対イヤですわ」

千歌「なんで……」

ダイヤ「何度も言ったではありませんか。わたくしは貴方を見捨てない。途中で投げ出したりなんて絶対致しませんわ」

千歌「……らしくないよ」

ダイヤ「……は?」

千歌「……ダイヤさんってすっごく頭いいんだもん!! 私、ダイヤさんのそういうところがすごいなってずっと思ってたんだもん!!」

ダイヤ「……効率よく切り捨てろと」

千歌「…………」

ダイヤ「もっと賢い選択肢を選べと? その賢い選択肢が貴方を見捨てることだとでも!?」

千歌「だってそうじゃん!! もう、解決なんか出来ないよ!!」

ダイヤ「そんなのまだわからないではないですか!! いや、解決するまでやれば解決しますわ!!」

千歌「なにそれ!? ダイヤさんの言ってる理屈の方が無茶苦茶じゃん!!」

ダイヤ「わたくしが無茶苦茶言ったらいけないのですかっ!!!」

千歌「え……」


問答を続けるうち……気付いたら頭に血が昇って、普段だったら言わないような言葉が勝手に口をつく。


ダイヤ「解決するかわからない……? ええ、そうですわ!! わたくしも、これからどうすればいいのか全然わかりませんわ!!」

千歌「……っ」

ダイヤ「でも、もしここで諦めて……自分の時間も自由も戻ってきて、全部なかったことにして日常に戻っても……そこに千歌さんが居ないではないですか……!」

千歌「……!」

ダイヤ「……それでわたくしが喜ぶとでも……? あそこで見捨ててよかった、自分の世界に一人戻ってよかったなんて……わたくしがそう言いながら生きていけると思っているのですか!?」

千歌「……でもっ」

ダイヤ「わたくしはっ!!! ……諦めたくないっ!!」

千歌「……ダイヤ、さん……」

ダイヤ「周りの人のこと考えて、自分を押し殺さなくちゃいけないことなんてたくさんありましたわ!! 果南さんと鞠莉さんのこと、ルビィとのこと、スクールアイドルのこと、家のことも……!! 押し殺して、我慢して、大人な振りして、賢くなった振りして……その度、たくさん後悔して……失って……」

千歌「…………」

ダイヤ「きっとわたくしはこれからも、たくさん後悔して、たくさん失うのです……きっと、自分自身で選ぶことすら出来ない、運命に翻弄されて……。だけど、今は違う……! わたくしはわたくしの意思で、後悔しないために、千歌さんと戦う道を選ぶ……! 自分の意思で諦めることを選んで、千歌さんが居ない世界で後悔して生きるなんて……そんなのそれこそ死んだ方がマシよ!!!」


気付けば肩で息をしていた。

自分でも驚くくらい声を荒げた気がする。


千歌「………………」

ダイヤ「これでもまだ納得出来ないのですか!?」


俯く千歌さんに向かって言うソレは、もはや癇癪に近かった。


千歌「でも……」

ダイヤ「……!!」


頭がカッと熱くなる。

どうして、わたくしの言葉は伝わらないの? いつも、いつもそうだ。


ダイヤ「わたくしはっ……!!」

 「はい、ストップ」


後ろから頭をぱしっと叩かれた。


ダイヤ「な……」


驚いて振り返ると、


鞠莉「はぁ……いつまで経っても来ないと思ったら。なんで往来でケンカしてるの?」

ダイヤ「ま、鞠莉さん……」


そこにいたのは鞠莉さんだった。


鞠莉「こんな風に捲くし立てられても困っちゃうわよね、チカッチも」

千歌「……!」


千歌さんがレインコートのフードを目深に被りなおす。


鞠莉「……ま、ダイヤから頼まれた時点でかーなーり、訳アリなんだってのは想像してたけどね。……とりあえず、船乗ってくれないかしら? これ以上船着場で待たされてたら退屈で死んじゃいそうだから」

千歌「わ、私だけでいいから……!」

ダイヤ「っ!! まだ、そんなことをっ!!!」

鞠莉「千歌もダイヤも、ストップ」

千歌「……っ」

ダイヤ「こんな状況で黙っていられるわけ……!!」

鞠莉「ダイヤ」


鞠莉さんが真面目な声音でわたくしの名前を呼ぶ。

普段、あまり感じない威圧感に思わず、怯む。


鞠莉「……少し頭冷やした方がいいヨ。今のままじゃ、落ち着いて会話出来ないでしょ」

ダイヤ「…………」

鞠莉「チカッチも。一方的についてくるなって言ってるだけじゃ、ケンカになっちゃうだけなんだから。……島に着いてからでも、帰るかどうかは決められるでしょ? 今はとりあえず移動してからにしない?」

千歌「…………わかった」

鞠莉「ダイヤも、それでいいよね?」

ダイヤ「……はい」


わたくしたちは鞠莉さんの先導される形で、船着場まで再び歩き始める。

その間、わたくしは──死んでも放してやるものかと半ば意固地になり気味に千歌さんと手を繋いだまま……船着場を目指すのでした。





    ♣    ♣    ♣




鞠莉「ホテルオハラまで、出して」


鞠莉ちゃんがそう指示すると、クルーザーは淡島に向かって動き出した。

私が船室の椅子に腰を降ろすと、鞠莉ちゃんがその横に腰を降ろす。

ダイヤさんはと言うと……。


 鞠莉『ダイヤは頭に血が昇りすぎ。少し風にでも当たった方がいいヨ。別に船の上ならどうやっても逃げられないから、安心して頭冷やしてくるといいヨ』


と言って、鞠莉ちゃんが半ば無理矢理、甲板に追い出してしまいました。


鞠莉「……そのレインコート、着たままなのね。今日は雨とか降らないけど」

千歌「……」

鞠莉「ま、話せないなら別に詮索はしないけど……。それにしても、あそこまで素のダイヤ……久しぶりに見たかも」

千歌「……え?」


素……?


鞠莉「ダイヤが頑固なのは知ってると思うけど……あれで結構わがままなのよ?」

千歌「……そうなの?」

鞠莉「思い通りにいかないとすーぐ不機嫌になるんだから」

千歌「……そんなところ、見たことないよ」

鞠莉「そう? 練習サボってると、鬼のように怒るじゃない」

千歌「そ、それは厳しくしないと、皆が上達しないから……」

鞠莉「チカッチはダイヤのこと、大人だと思いこみすぎ」

千歌「……?」

鞠莉「そんなの方便に決まってるじゃない。誰よりも上達して、誰にも負けない、ダイヤの思い描く理想のスクールアイドルの形に近付きたいがためのエゴなのよ、あれは」

千歌「……でもそれって、わがままなのかな?」

鞠莉「それも、立派なワガママよ。ただ、ダイヤはホンキでそれがいいことだと思ってるから、タチが悪いの。だから、いざ爆発しちゃっても、言ってることは自分の考えを押し通すことばっかりで一歩も譲らない。一度意見が直交したら、全然うまくいかなくなっちゃう」

千歌「…………」

鞠莉「だけどね……ダイヤはいつだって、皆が良い方向に行くためのことをホンキで考えてる。だから、皆ついてきてくれるし、いろんな人から慕われてるのよ」

千歌「……そう、なんだ……」

鞠莉「だから、今回も。事情はよくわからないけど……心の底から、千歌の力になりたいって気持ちだから、ダイヤは貴方のことを助けているんだと思うわ」

千歌「…………でも」

鞠莉「ダイヤは自己犠牲でやってるわけじゃないの。むしろ、覚悟が足りてないのはチカッチの方なのかもね」

千歌「え……」

鞠莉「自分一人で抱えて、一人の世界に逃げ込むなんて簡単だもん。でも、人はそれだけじゃ生きていけない。自分一人で出来ることなんて高が知れてるからね。だから、手を取り合って協力して、何かを為すの」

千歌「……うん」

鞠莉「でも、一緒に頑張るってことは絶対どこかで相手に迷惑を掛ける、苦労させる。そういうものなの。でも、それは必要な迷惑だし、必要な苦労。もちろん心苦しい部分もあるかもしれないけど……それでも、何かを為すために同じ方向を向いて、一緒に進んでいくために分かちあわなくちゃいけないもの」

千歌「……」

鞠莉「少なくともダイヤは貴方と同じ方向に進みたいと思ってる。ダイヤにはもうとっくに貴方の苦労を背負う覚悟がある。だから、千歌、貴方もダイヤに背負わせる覚悟をしないといけないのかもね」

千歌「背負わせる……覚悟……」

鞠莉「背負って背負わせて……それをお互い受け止めて、一緒に前に進んでいくことを認め合う。そういうの、なんて言うかわかる?」

千歌「……なんて言うの……?」

鞠莉「信頼って言うのよ」


千歌「……信頼」

鞠莉「ま、ダイヤと別々の道がいいって思ってるなら、話は別だけどね。ただ、見てる限り、一緒に来て欲しいけど、千歌が一方的に遠慮してるように見えたかな、私には」

千歌「…………」

鞠莉「千歌」

千歌「何……?」

鞠莉「ダイヤのこと、好き?」

千歌「……うん、好き」

鞠莉「一緒に居たい?」

千歌「一緒に居たい」

鞠莉「じゃあ、どうしてダイヤと離れようとするの?」

千歌「……ダイヤさんの邪魔したくないから」

鞠莉「ダイヤが貴方のこと邪魔だって言ったの?」

千歌「それは……」

鞠莉「迷惑だって、言われた?」

千歌「……迷惑なんかじゃないって言われた」

鞠莉「じゃあ、そうなんだヨ。その言葉だけは、ちゃんと信じてあげて欲しいかな」

千歌「…………」

鞠莉「まあ、最後は自分で決めればいいけどね。ただ、ちゃんとダイヤと話し合ってから決めた方がいいとは思うヨ」

千歌「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「あんな性格だから、気持ち全部ぶつけ合うのは大変かもしれないけど……。全部本音をぶつけあってさ、答えを出すのはそれからでいいんじゃない?」

千歌「……うん」

鞠莉「……ま、わたしは今二人の間になんの問題があるのか全くわからないんだけどね」

千歌「あはは……ごめん」

鞠莉「いいわよ、詮索しないって言ったし。……っと、そろそろ着くわね」


──気付けば、フェリーの窓の先に、ホテルオハラが見えてきていました。





    *    *    *





鞠莉「これ頼まれた条件の部屋の鍵ね」

ダイヤ「……ありがとうございます」

鞠莉「監禁とかしないでよ? さすがにそういうことの幇助したってなったら、ホテルの問題になっちゃから」

ダイヤ「するわけないでしょう」

鞠莉「知ってる。だから、部屋貸すんだし」

ダイヤ「感謝していますわ」

鞠莉「ん。ダイヤ」

ダイヤ「なんですか?」

鞠莉「信頼してるわ」

ダイヤ「……知ってますわ」


全くこういうとき、ああいう言葉が口をつくのは欧米人の悪いところだと思いますわ。

こういうものは言葉にしないからこそ美しいのに……。

まあ……信頼してると言われて悪い気はしませんが……。

鞠莉さんに背を向けて、千歌さんの手を引いてホテルへと歩き出す。


千歌「鞠莉ちゃん……ダイヤさんのこと、信頼してるんだね」

ダイヤ「……まあ、付き合いも長いですし。お互いのこと、嫌と言うほどわかってますからね」

千歌「そっか……。……ねえ、さっき鞠莉ちゃんが言ってた条件って何? 特別な部屋なの?」

ダイヤ「ええ。内側からも外側からも、鍵がないと施錠開錠が出来ない作りになっている部屋ですわ。吸血衝動があるときでも、外に出て誰かを襲ったりしないでしょう」

千歌「……そこまで、考えてくれてたんだ」

ダイヤ「……千歌さん、誰かを襲うことを……すごく怖がってましたから」

千歌「……うん、ありがと……」

ダイヤ「…………いえ」

千歌「…………」


なんとなく、ここで会話が途切れてしまった。

……あとは、中に入ってから。

これからどうするか、長い話し合いをすることになりそうですわね……。





    *    *    *





件の部屋は地下にあった。


ダイヤ「地下なら、日が当たる心配もありませんわね……助かりますわ」

千歌「うん……」


二人で部屋に入ってから、施錠をする。


ダイヤ「鍵はわたくしが持ちますわ」

千歌「……」

ダイヤ「それとも、まだ一人でどうにかするなんて仰るつもりだったりしますか?」

千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なんですか」

千歌「ダイヤさんが何考えてるのか、ちゃんと聞きたい」

ダイヤ「さっき全て言いました。わたくしは絶対に諦めたくないし、貴方を見捨てるつもりもありません」

千歌「うーんとね、そうじゃなくて……どうして、見捨てないでいてくれるの?」

ダイヤ「どうして……? ……どうして、ですか」


少し頭を捻る。理由なんていくらでもありそうですが……。


ダイヤ「……そうですわね。貴方が同じAqoursの仲間だから、でしょうか」

千歌「Aqoursの仲間だったら、誰でも助けるの?」

ダイヤ「当たり前ですわ。仲間なのですから」

千歌「……ふふ、そっか」

ダイヤ「……どうして笑うのですか」

千歌「ここで、チカだからって言ってくれれば、それはそれで納得したかもしれないのに、素直だなぁって」


言われてみれば……そうかもしれない。


ダイヤ「……まあ……事実なので」

千歌「ふふ……そっか。ダイヤさんらしいかも」

ダイヤ「逆に聞きたいのですが……逆の立場だったら、貴方も同じように助けるのではないですか?」

千歌「……確かにそうかも」

ダイヤ「なら、そういうものなのですわ。仲間は助ける、当たり前ではないですか」

千歌「うん……そうだね」

ダイヤ「ただ……その前提の上で」

千歌「?」

ダイヤ「貴方と二人で、過ごす中で……たった3日間でしたけれど、わたくしは心の底から千歌さんの力になりたいと思わされることが何度もありました」

千歌「……」

ダイヤ「貴方が恐いと思うなら、その恐怖を和らげてあげたい。泣いているなら、涙を拭ってあげたい。苦しんでいるなら、少しでも楽になれるように一緒に考えたい。そう、思ったのです」

千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「そして何より……貴方はAqoursに必要なのですわ。皆を繋いで結ぶ力のある貴方は……絶対に必要な人。そんな千歌さんが……貴方だけが、人から繋がりを断たれて、一人ぼっちになるなんて……やるせないではないですか」


何度もその繋ぐ力に、結ぶ力にわたくしたちは救われてきた。なら……。


ダイヤ「今度はわたくしが、貴方を繋ぎ止めて……救ってみせますわ」

千歌「……そっか」

ダイヤ「納得、していただけましたか?」

千歌「……もう一個聞いていい?」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「……どうなったら、解決だと思う?」

ダイヤ「……また、皆でスクールアイドルが出来るようになったら、解決ですわ」

千歌「……そっか」

ダイヤ「出るのでしょう? スクールアイドルフェスティバル」

千歌「……うん!」


千歌さんは頷いて、わたくしの手を握ってきた。


千歌「ダイヤさん……お願い、チカのこと……助けて……。……チカ、人間に戻りたい……。皆とまた一緒にスクールアイドルがしたい」

ダイヤ「ふふ……そんなこと最初から知っていますわ」

千歌「そっか……ダイヤさんは最初っから、知ってたんだね……」


千歌さんはそのまま、わたくしの背中に腕を回して、抱きついてくる。


ダイヤ「ち、千歌さん……?」


ケンカ腰の状態が続いていたところに急にハグをされて、少し動揺してしまう。


千歌「……イヤなこと言ってごめんなさい……。ダイヤさん……ずっと、チカのこと考えてくれてたのに……」

ダイヤ「い、いえ……その……。……わたくしも……強く言いすぎましたわ……ごめんなさい」

千歌「うぅん……全部チカのためを想って怒ってくれたんだもんね……ありがとう、ダイヤさん……」

ダイヤ「えっと……その……。……わ、わかっていただけたなら……問題ありませんわ」


もっと、言い合いになると思っていたので、思った以上にすんなり納得してもらえて、逆に拍子抜けしてしまいました。


千歌「ダイヤさん……一緒に、考えよう……」

ダイヤ「……ええ、勿論ですわ」





    *    *    *





その後、わたくしは一先ず、千歌さんと和解したことを鞠莉さんへ報告しに行くことにしました。

場合によっては、わたくしだけは本島に戻るかもという話だったので、残ると決まったなら決まったでちゃんと報告しないと鞠莉さんも困るでしょう。

船着場に向かおうと、ホテルのエントランスホールから外に出ようとしたところで──


鞠莉「あ、ダイヤ。終わったの?」


鞠莉さんはエントランスホールのソファで紅茶を飲んでくつろいでいるところだった。


ダイヤ「随分くつろいでいますわね……」

鞠莉「だって、どうせ残るんでしょ?」


鞠莉さんは、まるで見てきたかのように言う。


ダイヤ「盗聴でもしていましたの……?」

鞠莉「そんなわけないでしょ……。それで、チカッチにはなんて言ったの?」

ダイヤ「……千歌さんには想ったことを言いましたわ」

鞠莉「……どーせ、チカッチはAqoursに必要だからーとか言ったんでしょ」


鞠莉さんは、まるで、見てきたかのように、言う。


ダイヤ「……盗聴でもしていましたの……?」

鞠莉「ダイヤ……もっと、素直に自分の気持ち言わないと、いつか後悔するヨ?」

ダイヤ「え……? わたくし……ちゃんと、言ったつもりですが……」

鞠莉「……はぁー……。自分の気持ちに対してもにぶちんなんだから……じゃあ、わたしが代弁してあげる」

ダイヤ「は、はぁ……」

鞠莉「ダイヤは……ただ、チカッチと一緒に居るのが楽しかっただけなんだヨ」

ダイヤ「……え」

鞠莉「義務感とか、プライドとかじゃなくてさ……ただ、チカッチともっと一緒に居たかったってだけ」

ダイヤ「…………えっと」

鞠莉「ダイヤ、ずーーーーっとチカッチの手握ってたじゃない」

ダイヤ「!?/// そ、それは……!!///」

鞠莉「クルーザーに乗るときに、手を放して、頭冷やして来いって言ったとき、ものすっごい寂しそうな顔してたし……」

ダイヤ「し、してませんわっ!!!///」

鞠莉「そう? 何がなんでも放したくないって顔してたけど」

ダイヤ「どんな顔ですか!?/// まあ、確かに……放したくない……と、想っていた節はありますけど……」

鞠莉「Love…愛だネ~」

ダイヤ「そ、そんなんじゃありませんわ!!///」

鞠莉「いやどう考えても愛でしょ……」

ダイヤ「わ、わたくしはあくまで仲間を助けるために……」

鞠莉「そのために、ホテルの一室を頼み込んで確保してもらったり、挙句そばについてお世話をしてあげるの? メンバーだから? ……違うでしょ」

ダイヤ「え……いや……」

鞠莉「千歌だからでしょ」

ダイヤ「…………」

鞠莉「普通、同じグループの仲間だからって理由だけじゃ……相談に乗ったり、解決方法を考えるところ止まりよ。ましてや、宿泊先の斡旋とか、ずっとそばについて手を繋いでてあげるなんて……ただの仲間にしてあげる親切心を超えてるわよ」

ダイヤ「…………そ、そう……でしょうか……」

鞠莉「……千歌と手繋いでて……安心してたのは、実はダイヤなんじゃない?」

ダイヤ「…………」

鞠莉「……まあ、これ以上はホントにおせっかいだから、あとは勝手にして。……ただ、自分の気持ちには素直にネ」

ダイヤ「……はい……」


普段はお気楽能天気な理事長で苦労ばっかり掛けさせられている気がするのに、こういうときは核心ばかりついてくる。

全く、鞠莉さんには敵いませんわね……。

……まあ、彼女の言う通り、もう少し……千歌さんと素直に接してみるのも、いいのかもしれませんわね……。





    *    *    *





ダイヤ「千歌さん、戻りましたわ」


鞠莉さんへの報告を終えて、部屋に戻ってくると、


千歌「う、ん……おかえり……」


千歌さんはベッドの上で苦しげに息を切らせながら、丸くなっていた。


ダイヤ「!? 千歌さん!?」

千歌「あはは……次の吸血時間……近い、みたいで……」


……言い合いになっていたせいで忘れていましたが、時刻はもう20時半を回ったところ。

夜明け頃に50%ほどまで欲求は進行していたのですから、そろそろ時間が来てもおかしくない。


ダイヤ「今、どれくらいですか?」


部屋の戸の鍵を閉めながら訊ねる。


千歌「80……うぅん、85……くらい」

ダイヤ「……となると、あと1時間くらいでしょうか」

千歌「うん……」


千歌さんが横になっているベッドに腰掛けて、手を握る。


千歌「ダイヤさん……?」

ダイヤ「傍に居ますわ」

千歌「……うん。……傍にいて……」


横になっている千歌さんの手を握りながら、逆の手で髪を撫でる。

相変わらずサラサラの髪ですが、軽く前髪を掻きあげると、額には珠のような汗が浮いている。

その汗をポケットから取り出したハンカチで拭いてあげる。


千歌「えへへ……」

ダイヤ「もう……何笑っているのですか……」

千歌「ダイヤさんが……優しくしてくれて、嬉しい……」

ダイヤ「全く、現金なんですから……」


先ほどまで、あれだけもう自分に構うなと言っていたのに……。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「また、ぎゅーって……して欲しい……」

ダイヤ「……わかりました」


千歌さんの背中に腕を回して、抱き起こす。

すると、千歌さんもわたくしの首に腕を回してくる。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「チカのことぎゅってするの……イヤじゃない……?」

ダイヤ「嫌なわけないでしょう?」


そう伝えると、


千歌「えへへ……そっか……」


千歌さんは嬉しそうに微笑みながら、更に密着してくる。

わたくしは彼女の背中をゆっくりさする。

千歌さんはじっとりと汗をかき、服が濡れていた。

汗の匂いがした。


ダイヤ「…………」


やはり、餓えに耐えるのは苦しいのでしょう。


ダイヤ「千歌さん……辛かったら、いつでも血を吸ってください……」

千歌「う、ん……」


千歌さんはわたくしの胸の中で小さく頷いた。

──ただ、二人で抱き合いながら、限界が来るのを待つ。

これも何度も繰り返してきたこと。

ふと、思う。……何故、何度も繰り返してきたのでしょうか。

何故抱きしめたまま、待つのでしょうか。

抱きしめると、千歌さんが安心してくれるからでしょうか。

……それもあると思います。

ですが、それだけではない。


ダイヤ「…………」


さっき、ちゃんと素直に言うように言われたばかりですものね……。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「ん……?」

ダイヤ「千歌さんとこうして抱き合っていると……すごく安心しますわ」

千歌「……ほんと?」

ダイヤ「ええ……千歌さんが、ちゃんとここに居るんだって……すごく安心しますわ」


今思い返してみれば、わたくしも、ずっと不安だったのだと思います。

いつ彼女が彼女でなくなってしまうのか、わからなくて。

ちゃんと手を繋いで、抱きしめて、存在を意識していないと……高海千歌さんという人間があやふやになってしまう気がして。


ダイヤ「千歌さんが居なくなってしまったら……わたくしは悲しいですわ」

千歌「ダイヤ、さん……」

ダイヤ「貴方の為だけじゃない……わたくしの為にも、ここに居てください……ここに居させてください」

千歌「……うん」

ダイヤ「そして……一緒に元の世界に、帰りましょう……」

千歌「うん。……ダイヤさん」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「……一緒に元の世界に戻るために……今は、血をください」

ダイヤ「ええ」


千歌さんが自らの意思で、首筋に顔を近付ける。

口を開けて──


千歌「──ぁむっ」


噛み付いた。

──キバが突き刺さる感覚と共に、わたくしは深く息をする。


千歌「……ちゅぅーー……」

ダイヤ「…………っ……♡」


また快感に襲われる。

下唇を強く噛んで、耐える。


千歌「……ちゅぅちゅぅ……」

ダイヤ「………………っ……ふ、ぅ……♡」


息が漏れる。思わず、千歌さんの背中に回した腕に力が入る。

密着すればするほど──ドキドキ、ドキドキと胸の鼓動が早くなっていく。

頭がぼーっとしてくる。千歌さんの温もりと、千歌さんの匂いで思考が埋っていく。

血が抜けていく感覚が、酷く気持ち良い。


ダイヤ「ふ、ぅ……………ん…………っ…………」


必死に歯を噛み締めて、快感に抵抗する。

流されたくない。


千歌「……ん……ぷはっ……」

ダイヤ「……ん゛っ…………♡」


キバが抜ける感覚に、身体がビクリと跳ねる。


千歌「ダイヤさん、終わったよ……」

ダイヤ「へ……え……? お、終わった……の……?」

千歌「うん、終わり。血、ありがと」

ダイヤ「そう……です、か……」


力が抜けて、思わず一人で横向きに倒れこむ。


千歌「ダイヤさん!? 大丈夫……?」

ダイヤ「ち、ちょっと……疲れた……だけ、ですわ……」


酷く疲れた。だけれど……達成感があった。


ダイヤ「チャームに……呑まれ、ません、でしたわ……」


ギリギリでしたが……今回の吸血行為中、一度も意識が途切れた覚えがない。


千歌「ほ、ほんとに……?」

ダイヤ「わたくし……何か、変なこと、言ったり……していましたか……?」

千歌「う、うぅん! 何も言ってなかった……!」

ダイヤ「なら、よかった……」


未だに心臓はバクバクと激しく音を立てていますし、酷い疲労感のせいで動ける気が全くしませんでしたが……。

これは大きな進歩でしょう。

チャーム中にお互いの言葉や意思に齟齬が生まれる心配がこれで大きく減る。

今回で5回目……いい加減わたくしの身体も吸血行為に慣れて来たということなのかもしれません。


ダイヤ「これ、で……チャームを、気にして……吸血を、躊躇する、必要……なくなりました、わね……」

千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「ただ……少し……休ませて……くだ、さい……疲れ、ました……」

千歌「うん……頑張ってくれて、ありがとう……」


倒れこんだままのわたくしの横に、倣うように千歌さんも寝転がり、そのまま胸に顔を埋めてくる。


ダイヤ「千歌……さん……?」

千歌「……その……こうしてた方が安心するし……ダイヤさんも、動けない間、チカがくっついてた方が……安心なのかなって」

ダイヤ「なるほど……」


腕を持ち上げるのもかなりだるいという状態でしたが、どうにか千歌さんの背中に片腕を回して、抱き寄せる。


ダイヤ「……お互いこれが一番安心するみたいですから……しばらく、こうしていましょうか……」

千歌「うん……。……ダイヤさん、心臓の音、すごいね……」

ダイヤ「……そう、かもしれません……」


チャームに思考を呑まれなくなったとは言え、効果がなくなったわけではないと言うことでしょう。


千歌「……あの、どんどん早くなってるけど……大丈夫……?」

ダイヤ「そう、ですか……? まあ、一時的なものだと、思いますので……直に収まり、ますわ……」

千歌「ならいいけど……」


──実のところ、直に収まると言った割に、このチャームによる心拍数の増大は、結構な時間収まらなかったのですが……。

まあ、身体に特段影響があったわけでもないですし……無理に抵抗した反動なだけかもしれませんし。これは余談でしょう。


千歌「……このまま、寝ちゃう?」

ダイヤ「眠れるなら……それもいいかもしれませんわね」


酷い倦怠感なのに、何故か目が冴えているのが憎らしい。

まだ起床してから10時間も経っていないから、仕方がないかもしれませんが……。

結局──わたくしが動けるようになったのは、それから2時間も後のことです。

それまでの間、ただわたくしたちは、お互いの存在を噛み締めながら、ぼんやりと時間を過ごしたのでした。





    *    *    *





──時刻は23時前。

わたくしは鞠莉さんの部屋に訪れていました。


鞠莉「あら、ダイヤ。いらっしゃい。どしたの?」

ダイヤ「いろいろ確認をしようと思いまして……」

鞠莉「確認?」

ダイヤ「……あの部屋、いつまで使わせてもらえますか?」

鞠莉「ん……あの部屋使う人なんて滅多にいないし、いいわよ好きなだけいてくれても。1週間くらい?」

ダイヤ「……あ、えーっと……」

鞠莉「? ……1ヶ月?」

ダイヤ「…………いつまで使う必要があるかわからないと言いますか」

鞠莉「Why? どゆこと?」

ダイヤ「その……なんと、言いますか。……問題が解決するまで貸していただければ」

鞠莉「……その問題ってなんなの?」

ダイヤ「それは……その……」


思わず口ごもる。言ってもいいものなのでしょうか……。


鞠莉「まあ、言いたくないなら無理に詮索しないけど……。その口振りだと解決の目処が立ってないってことかしら?」

ダイヤ「……そうですわね」


先ほど千歌さんと口論になったときも口にしていましたが、正直今後どうしたものか見当もつかない状態です。


鞠莉「その問題って……今日、練習来なかったのと関係あるわよね」

ダイヤ「まあ……はい」

鞠莉「明日は練習行くの?」

ダイヤ「たぶん……難しいですわ」

鞠莉「解決しないと、練習に参加出来ない感じ?」

ダイヤ「……はい」


詮索はしないと言った割に、鞠莉さんの誘導尋問が始まっている。

いっそ、このまま打ち明けてしまった方がいいのかしら……。


鞠莉「全く、ダイヤも大変そうね。連休直前に吸血鬼に噂の見回りしてたと思ったら、今度は何故か千歌を匿ったりして……ん……?」

ダイヤ「…………」

鞠莉「……もしかして、この二つ、関連してるの?」


勘が良すぎる。このまま誘導尋問を受け続けると、確実にバレる。


ダイヤ「関係ないですわ」

鞠莉「ま、そりゃそうよね。見つかったのはネズミって言ってたし」

ダイヤ「そうですわ。吸血鬼なんて、眉唾な話とっくに忘れていましたわ」

鞠莉「ふーん。……その割に善子とマルに吸血鬼の話聞いたりしてたのね」

ダイヤ「……!? い、いや……その……」


カマを掛けられた。


鞠莉「…………」

ダイヤ「…………」

鞠莉「ダイヤ、力になるよ?」

ダイヤ「…………」


鞠莉さんはなんとなくアタリが付いているのかもしれない。

いや……まさか、千歌さんが吸血鬼化していて、わたくしと一緒に元に戻る方法を探しているなんて、ピンポイントな結論に至っていることはないと思いますが……。

どうするか、悩みましたが──


ダイヤ「…………いえ、なんでもありませんわ」


悩んだ末にわたくしはそう答えた。


鞠莉「…………そ」


わたくしには懸念があった。

巻き込んでしまうと……鞠莉さんにも影響があるかもしれない。


ダイヤ「鞠莉さん、一つお訊ねしたいのですが」

鞠莉「何?」

ダイヤ「今日の日差しは……どうでしたか」

鞠莉「日差し……? 普通だったと思うけど」

ダイヤ「真夏のような強烈な日射ではありませんでしたか?」

鞠莉「……? 普通にこの季節の日差しって感じだったけど……。……むしろ、ちょっと控えめってくらいじゃないかしら」

ダイヤ「そうですか……」


……やはり、そうだ。

わたくしが思っていた日差しの感覚と、鞠莉さんの感覚が著しくズレている。

今日の日差しは、絶対に日傘が必要だと思うくらいにきつかったと記憶している。

結局、千歌さんが日光で燃えて引き返したため、わたくしはほとんど日には当たってはいないのですが……。

加えて、それだけではない。

水──主に流水への不快感。ロザリオ──十字架への嫌悪感。そして日光への過敏な反応。

この3つの要素はどう考えても──わたくしにも大なり小なりの吸血鬼化が起こっていることを指し示していた。

こうなってしまった原因の特定は難しいですが……これも、恐らく千歌さんには勝手にないと思い込んでいた吸血鬼要素──血を吸った対象を吸血鬼化すると言う、吸血鬼の能力の一つなのではないでしょうか。

彼女は吸血鬼化が進む中で、日光下で燃える、鏡に映らない等の吸血鬼性を新たに発現してしまったのと同様に……吸血対象の吸血鬼化と言う吸血鬼要素も持ってしまった、と考えるのが状況証拠としては一番有力な気がします。

この事実は……協力者にも、相当な危険が及ぶ可能性を示唆しています。

吸血対象をあくまでわたくしだけに絞れば問題ないのかもしれませんが……あやふやな存在に対して甘い考えで、ここまでに想定を何度もひっくり返されています。

今後も何が起こってもおかしくない……。

そこまでわかった上で、鞠莉さんに事情を話すべきかと言われると……。


鞠莉「──おーい、ダイヤー?」

ダイヤ「……え?」

鞠莉「話聞いてる?」

ダイヤ「あ、すみません……少し考え事をしていて……」

鞠莉「……まあ、ダイヤと千歌が抱えてる問題は、わたしに迂闊に言えないことだって言うのはわかった」

ダイヤ「……すみません」

鞠莉「ついでに解決の目処も立っていない。解決しないと練習にも出て来れない」

ダイヤ「…………」

鞠莉「……ま、ダイヤがチカッチのハートを独占したいからってことにしておいてあげる」

ダイヤ「……!?/// ……で、では、そういうことにしておいてください……///」


これで納得して、部屋も貸してもらえるなら……そういうことで納得してもらいましょう。


ダイヤ「……ところで、一つお聞きしたいのですが」

鞠莉「What?」

ダイヤ「なんで、あのような部屋があったのですか……? 自分で頼んでおいて、まさか本当にあんな部屋があったなんて……」

鞠莉「ああ……なんか、元々はどうにもならない病気を患った患者とかを匿う部屋として作ったみたいなのよね」

ダイヤ「どうにもならない病気……?」

鞠莉「精神錯乱が起こって暴れちゃう人とかをやむを得ず閉じ込めておくとか……。重度の日光過敏症で、外に出られない人とかね」

ダイヤ「どうしてわざわざホテルに……」

鞠莉「さあね……詳しいことはわたしも知らないけど、名残って言ってた気がするわ」

ダイヤ「名残……?」

鞠莉「淡島ってもともと無人島だったでしょ? だから、感染症とかで迫害されて、追いやられた人の隔離先だったんじゃないかって話があってね」

ダイヤ「感染症……」

鞠莉「日本でも戦前戦時中なんかはたくさん感染症もあったって言うし……この辺にもあったんじゃないっけ? チホービョーとか言うやつ?」

ダイヤ「ちほーびょー? ……ああ、地方病ですか」


さすがに詳しいと言うほど詳しくはないですが、確か山梨は甲府盆地一帯で長い間問題になっていた感染症のことだったはず。

当時の富士川水系だった浮島沼──現在の沼川です──でも発症例があったため、沼津も本当にギリギリ感染範囲内でした。なので、家の史書で少しだけ目にしたことがあった気がします。


鞠莉「今は日本の感染病ってほとんどないけど……そういう歴史的な名残と、あとはゲンカツギ? 的なものもあったのかもしれないわね。ほら、狂犬病とか一応まだ撲滅してないし、いざってときの為にね」

ダイヤ「……狂犬病」

鞠莉「光を恐がるし、精神錯乱で暴れることとかあるって言うし……それこそ、そういう病気の患者を意識して作られた部屋なのかもね」

ダイヤ「そうですか……」


花丸さんが言っていたように、吸血鬼と関連付けられて語られることのある、狂犬病患者のために作られたのではないかと言う部屋に、本物の吸血鬼を匿っているなんて、皮肉な話ですわね……。


鞠莉「まあ……わたしの記憶が正しければ、あの部屋を使ってるのはあなたたちが初めてよ。だから、沼津で未知の感染病が大流行でもしない限り、当分の間は使ってても問題ないと思うわ」


あの部屋を追い出されるときは、それこそ世界の危機なのかもしれませんわね……。

何はともあれ、当分の宿泊先は確保されたと言うのは非常にありがたいことです。


ダイヤ「ありがとうございます……しばらくお世話になると思います」

鞠莉「言ってくれれば簡単なまかないくらいなら、出してあげられると思うから。必要だったら言ってね」

ダイヤ「何から何まで……感謝しますわ」

鞠莉「気にしないで。……それより、千歌のこと、お願いね? さすがに居なくなられたら皆も困るから」

ダイヤ「ええ、承知していますわ」


鞠莉さんとの会話を終えて……わたくしは部屋を後にしたのでした。





    *    *    *





──明けて、時刻2時。


千歌「……ちゅー……ちゅぅー……」

ダイヤ「……ん…………ふ、ぅ…………♡」

千歌「…………ん、ぷはっ」

ダイヤ「……ん゛……♡」

千歌「ダイヤさん、終わったよ」

ダイヤ「は……はひ……っ……」


通算6回目の吸血行為を終えて、千歌さん方へ倒れこむ。


千歌「わわ!? 大丈夫……?」

ダイヤ「す、すみません……うまく力が、入らなくて……」

千歌「んーん。……気にしないで」


千歌さんに抱きとめられながら、身体に力を込めてみるものの……筋肉が弛緩してしまっているのか、全然思うように動けない。

やはり、吸血はノーリスクと言うわけにはいかないようですわね……。

ただ、理性を飛ばさずに耐えるコツみたいなものがだんだんわかってきた。


千歌「んっしょと……」


千歌さんに抱きかかえられながら、横になる。


ダイヤ「ありがとう……千歌さん」

千歌「うぅん……むしろ、ごめんね……。吸血の度に疲れちゃうよね……」

ダイヤ「いえ、気にしないでください」


さて……チャームをどうにか乗り越えたのはいいとして。


ダイヤ「……そろそろ、本格的に今後どうするか考えないといけませんわね」

千歌「うん……そうだね」


千歌さんにはまだ言っていませんが……わたくしの吸血鬼化が取り返しのつかないところまで進んでしまったら、更に対処は厳しくなる。

二人してお風呂に入れないくらいなら可愛いものですが……日中全く出歩くことが出来なくなったりしたら、それこそ詰みかねない。


千歌「どうしよ……」


千歌さんが先ほど同様、わたくしのすぐ横に横たわりながら、困った顔をする。

千歌さんの方から、ほんのり汗の匂いがした。


ダイヤ「……汗を流すために、お風呂くらい入りたいですわよね」

千歌「?」

ダイヤ「いえ……先ほどから千歌さん汗を……かい、て……? え……?」


わたくし、今……自分でなんて言いましたか……?


ダイヤ「……千歌さん……汗をかいているのですか……?」

千歌「え……い、言われてみれば……そうかも……? ……あ、あれ??」


最初の晩にしたやり取りを思い出す。


 ダイヤ『余り、汗の臭いはしませんわね……』

 千歌『ぅ……そういうこと言いながら、ニオイ嗅がないでよぉ……』


ダイヤ「千歌さん、失礼しますっ!」


身体を捩って、寝転がったまま千歌さんに近付きニオイを嗅いでみる。


千歌「う、うぇぇ!?/// ダ、ダイヤさん!?///」

ダイヤ「……汗のニオイがしますわ」

千歌「!!?!?///// 言わなくていい!!!!//// 言わなくていいっ!!!!!!////」


これはどういうことでしょうか……。

吸血鬼は汗をほとんどかかない、ないし吸血鬼は汗のニオイがしないという大前提が間違っていた……?

確かに焦ったときや苦しいときに脂汗をかくということはありましたが……。

いや……汗をかかないと言うよりは、肌や髪が常に最高のコンディションに保たれるという考えを……。


ダイヤ「え?」


肌が最高のコンディションに保たれるという話の根底にあるのは確か……再生能力を端にした考察だったはず。

それによって、肌の傷や痕がないために美しい肌や、髪になっているはずなのに……千歌さんの腕を見る。


千歌「えっと……?」


そこには昼に火達磨になりながら、のたうち回って転がったときに出来てしまった擦り傷の治療をし、当てているガーゼがあった。


ダイヤ「……どうして気付かなかったのでしょうか」

千歌「……? ……このケガがどうかし……て……? え……? なんでケガしてるの?」

ダイヤ「千歌さん!! ガーゼを外してください……!!」

千歌「う、うん!!」


相変わらず身体にうまく力が入らず起き上がろうとすると、身体が震えるけれど、それどころではない。

千歌さんがガーゼを取ると──そこには治り掛けの擦り傷があった。


千歌「こ、これ……」

ダイヤ「……かなり、治って来ていますが……まだ擦り傷がある……」


──つまり。


ダイヤ「再生能力が失われている……?」





    *    *    *





千歌「どうして、急に……」

ダイヤ「…………」


何故急に再生能力が失われたのか。

千歌さんの肌は刃物で傷つけても傷口がすぐに塞がってしまうところを目撃している。


千歌「……擦り傷には弱いとか……?」

ダイヤ「その可能性もなくはないですが……」


とは言っても、千歌さんは保健室で出会ったときも、錯乱しながらあちこちに身体をぶつけたり、床や壁に身体を擦っていた気がする。

それでも傷一つない、綺麗な身体だったことはその日のうちにお風呂で確認している。

元から、擦り傷は治り辛いと考えるよりは、再生能力が極端に低下していると考えた方が合理です。


ダイヤ「……どちらにしろ、汗のニオイがしたことの説明になりませんわ」

千歌「ぅ……/// そ、そのことは……忘れてよぉ……///」


何故そんなことが起きたのか。物事の起こっている順番から考えて、原因は……。


ダイヤ「太陽の光に焼かれたから……?」


その可能性が非常に高い。


ダイヤ「…………ですが、解せないことがありますわ」

千歌「解せないこと?」

ダイヤ「再生能力を失ったという割に……火達磨になったのに、千歌さんは火傷一つ負っていませんでした」


一瞬であれば、もちろん軽傷で済むのかもしれませんが……微塵も火傷痕がないなんてことがあるのでしょうか……。


千歌「私……そんなにすごく燃えてたの? 正直熱かったことしか覚えてなくって……」

ダイヤ「……ええ、全身炎に包まれていましたわ」

千歌「……そっか。でもダイヤさんが日影に引っ張り込んでくれたんだよね。大丈夫だった……?」

ダイヤ「大丈夫……? 何がですか?」

千歌「いや……だって、燃えてるチカを引っ張ったんだから、ダイヤさんも熱かったんじゃないかなって」

ダイヤ「……え?」

千歌「え?」


……言われてみればそうです。

千歌さんに微塵も火傷痕がないと言うのなら……何故、わたくしにも火傷痕が微塵もないのでしょうか。

改めて、自身の腕を確認してみますが──


ダイヤ「火傷した痕なんて……全くない。というか……熱さを感じた覚えがない」


無我夢中だったから、熱さに気付かなかったという可能性もなくはないかもしれませんが……。

だとしても、実際炎に触れたら火傷ぐらいするはず。


ダイヤ「どういうこと……? あれは実は炎じゃなかった……?」

千歌「……もしかしたら」

ダイヤ「?」

千歌「太陽の光で燃えてたのは吸血鬼のチカで、吸血鬼のチカが燃えちゃったから、人間のチカが出てきたとか……?」


そんないい加減な仕組みなのか……言いたいところですが、根本的に吸血鬼化なんて仕組みがよくわからない現象が起こっているのです。

千歌さんの言っている通りの可能性は十分にある。

どちらにしろ、これは解決の糸口になるやもしれない可能性です


ダイヤ「千歌さん」

千歌「な、なに?」

ダイヤ「一つ試してみたいことがありますわ」


わたくしはここまでの話を受けて、一つの提案をすることにしました。





    *    *    *





ダイヤ「──……ん……んぅ……」

千歌「むにゃむにゃ…………」


目が覚めると、わたくしの胸の辺りで、千歌さんがむにゃむにゃと言っている。

…………。


ダイヤ「……はっ!?」


ばっと起き上がる。


千歌「んにゅ……? ……だいあさん……?」

ダイヤ「ね、眠ってしまいましたわ……夜明けと共に実験を始めようと思っていたのに……」


夜明けの時間にあわせて試そうと思っていたことがあったのに、日の出の時間と共に、急激な眠気に襲われて眠ってしまった。


ダイヤ「今、時間は……?」


自分の携帯を手に取って開いてみると──


ダイヤ「11時……」


昨日の起床と大体同じ時間でした。

地下階故に日の光は全く入ってきませんが、体内時計はまだまだ優秀に機能しているようで安心する。


千歌「今から実験する?」

ダイヤ「ええ……ですが、千歌さんは危ないので部屋の中にいてください」

千歌「うん、わかった」


……と言うわけで、予定より、かなり出遅れましたが、わたくしは一人外に出ることに致しました。





    *    *    *





──ホテルの外に出ようとしたところで、


鞠莉「Hello. ダイヤ」


鞠莉さんに声を掛けられる。


ダイヤ「おはようございます、鞠莉さん」

鞠莉「もうお昼よ? まあ、わたしもさっき起きたところだけど……」

ダイヤ「……午前練習始まってますわよ」

鞠莉「午前練習……そんなのあった気がするわね」

ダイヤ「はぁ……」


普段だったら怒っているところですが、本日わたくしは午後練習含めて不参加なため、咎めることは出来ない。


鞠莉「んまあ、今からその練習に行くつもりだったんだけど……。ダイヤはやっぱり休み?」

ダイヤ「ええ、まあ……千歌さんを置いていくわけにもいきませんし」

鞠莉「そ。じゃあ、なんかあったら携帯に連絡してね」

ダイヤ「わかりましたわ。いってらっしゃい」

鞠莉「……なんか、ダイヤにいってらっしゃいとか言われると変な感じね……。いってくるわ」


鞠莉さんが出かけて行ったあと、わたくしはホテルオハラの裏口階段に足を向ける。

鞠莉さんや、わたくしや、果南さんが普段通用口として利用している階段です。

エントランスホール側は少し人目が気になるので、裏口に来たのですが……。

その際外を見てみると、今日も晴れている、絶好の練習日和のようです。

裏口の階段の途中、踊り場で、僅かに日が差し込んでいる場所を見つけて、一旦辺りを見回す。


ダイヤ「人影は……ありませんわね」


入念に人の目がないかを確認する。

大丈夫そうです。

確認を終えたら、千歌さんにお願いしたものを入れた袋を取り出して、ピンセットで1本摘んで取り出す。

──それは千歌さんの髪の毛です。


ダイヤ「……千歌さんが火達磨になったとき、確かに頭部も燃えていた」


つまり、髪も太陽で燃えると考えて良い。

そのまま、ピンセットで摘んだ髪を、日向に晒すと……。

──ボッ。

案の定髪の毛は一瞬で火に包まれ……しばらくすると、鎮火した。


ダイヤ「……! ……千歌さんの言う通りでしたわ」


そして、その燃えたはずの髪の毛は──ピンセットの先で綺麗に形を残したままでした。





    *    *    *





──その後も何本か同様の実験をしてみましたが……。

同じように全ての髪の毛は、余すことなく、同じ様相の燃えない髪の毛へと変わることを確認しました。

ついでに……わたくしが触れても熱くない──つまり、人間には害のない炎だと言うこともわかる。


ダイヤ「……これが実験結果ですわ」

千歌「じゃあ、もしかして……」

ダイヤ「太陽の光を浴びれば……人間に戻れるかもしれません。……ですが……」


……ただ、問題がある……。

髪の毛ならまだしも……実際にやるとなれば、千歌さんが燃えるのです。

しかも、あくまで髪の毛で十数本で実験をしただけ。

千歌さんの身体が燃え尽きない保証なんてどこにもない。


千歌「私はやるよ」

ダイヤ「…………千歌さん」

千歌「だって、やっと見つけた元に戻れるかもしれない方法なんだもん」

ダイヤ「…………命に関わるかもしれませんわ」

千歌「……そう、だね。でもやる」

ダイヤ「……そうですか」

千歌「ただ……ちょっと、覚悟したいから。今日すぐには……」

ダイヤ「わかりましたわ。どちらにしろ、人払いができていないと、出来ませんから……」

千歌「うん、わかった。……えっと……少しだけ、一人にしてもらっていい?」

ダイヤ「承知しました」


わたくしはそう言って、一人部屋を後にする。

……覚悟を決めるのに、千歌さんなりにいろいろ思うことがあるのでしょう。

実際、元に戻るためとは言え……全身を焼かれるなんて、相当な恐怖のはず。

しかも、簡単な検証はしたとは言え、命の保証がない。

たった、一日で覚悟を決めろというのすら、酷なのではないでしょうか……。

……ですが、彼女がやると言っている。

他に術が見つかる保証もない。

なら……わたくしはわたくしに出来ることをするしかない。

──電話を掛ける。

prrrrr....prrrrr....

しばらくコール音が続いた後、


鞠莉『ダイヤ? 何かあった?』


鞠莉さんに繋がる。


ダイヤ「重ね重ね申し訳ないのですが……お願いがありまして」

鞠莉『いいヨ。わたしに出来ることならなんでも言って』

ダイヤ「ありがとうございます……それで、お願いしたいことなのですが……──」





    *    *    *





──夜18時半。日の入の時間。


千歌「お世話になりました」

鞠莉「思ったより、すぐ解決したのね」

ダイヤ「……これから解決しに行くのですわ。それより、頼んでいたことは……」

鞠莉「夜中~朝までの間、浦の星女学院に通じる道を封鎖して欲しいって話でしょ? 理事長権限使って手配しておいたわ。浦女を貸切にして何するつもりなの?」

ダイヤ「それは……秘密ですわ」

千歌「うん、私とダイヤさんだけの秘密」

鞠莉「あらあら……イケナイことしちゃダメよ?」

ダイヤ「/// そんなこと、しません///」

千歌「イケナイことって?」

ダイヤ「千歌さん、行きますわよ」

千歌「え、あ、うん」


鞠莉さんに用意してもらった、船で本島を目指す。

──揺れる船の中で、千歌さんに話しかける。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん……?」

ダイヤ「……元の世界に、帰りましょうね」

千歌「……うん!」


わたくしたちは決着をつけるために、浦の星女学院を目指します。





    *    *    *





千歌「……なんか、もうすでに懐かしいな」

ダイヤ「……久しぶりに訪れたような気がしますわね」


わたくしたちは、いつも練習をしている屋上へと足を踏み入れていた。


千歌「夜に来ることってほぼないけど……星がよく見えるね」

ダイヤ「そうですわね……しばらくは天体観測しながら、待つことになると思いますわ」


わたくしは、簡易的なテントを組み立てながら、千歌さんの言葉に受け答えする。


千歌「わ、テント?」

ダイヤ「一応泊まりなので……これも鞠莉さんに用意して貰いましたわ」

千歌「なんか、キャンプみたいでワクワクするね!」

ダイヤ「ふふ……そうですわね」


テントを手早く組み終えて、中に二人で腰を降ろす。


千歌「テントの中って以外と、居心地いいかも……」

ダイヤ「キャンピングマットがしっかりしているから、これなら横になっても大丈夫そうですわね」

千歌「うん!」

ダイヤ「……吸血欲求はどれくらい?」

千歌「えっと……50くらい」

ダイヤ「では、次は……22時過ぎくらいですわね」

千歌「うん」


きっとそのあと……4時過ぎにもう一回……。

今後のことを考えていると──くぅぅぅ~~~……。


千歌「あはは、お腹空いたね」

ダイヤ「はぁ……/// 最後まで締まりませんわ……///」


どうして、いつもわたくしのお腹が鳴ってしまうのかしら。


千歌「ご飯にしよっか」

ダイヤ「そうですわね」





    *    *    *




千歌「あむ……」

ダイヤ「……あむ……」


二人でサンドイッチを食べながら、星を見上げる。


千歌「サンドイッチ、おいしいね!」

ダイヤ「ご飯まで用意してもらって……鞠莉さんには結局お世話になりっぱなしでしたわ」

千歌「そうだね……」


水筒から、トマトジュースをコップに注ぐ。


ダイヤ「はい、どうぞ」

千歌「えへへ、ありがと」


千歌さんに手渡してから、わたくしも自分の飲む分をコップに注ぐ。


千歌「ダイヤさんもトマトジュース飲むの?」

ダイヤ「……今日は千歌さんと同じ物が飲みたいと思って」

千歌「そっか、じゃあ乾杯しよ!」

ダイヤ「ふふ……トマトジュースで乾杯する日が来るなんて思いませんでしたわ。乾杯」

千歌「乾杯!」


二人でトマトジュースの入ったコップをコチンとぶつける。


千歌「えへへ……」

ダイヤ「ふふ……」


何故だか、二人して笑ってしまう。


千歌「……ダイヤさん、ありがと」

ダイヤ「なんですか急に」

千歌「ここまで……一緒に居てくれて、ありがと」

ダイヤ「……大変なのはここからですわよ」

千歌「わかってるけど……でもお礼言いたかったんだ」

ダイヤ「……そう」

千歌「うん」


なんだか……すごく穏やかに時間が流れている。

食事を終えたあとも……なんとなく、ぼんやり夜空を眺める。

二人で空を見つめながら、どちらからでもなく、自然と手を繋いでいた。


千歌「…………」

ダイヤ「…………」


お互いの存在を確かめ合うように……ぎゅっと手を繋いで過ごす。

ただ、それだけなのに──何故だか……すごく胸が温かかった。




    *    *    *





──22時半。


ダイヤ「今どれくらい?」

千歌「ん……90くらい……」


テントの中でいつものように抱き合う形で訊ねる。


ダイヤ「……その割に、落ち着いていますわね」

千歌「血は飲みたいけど……ダイヤさんがそばに居てくれるから……なんか、安心してる」

ダイヤ「……そう」


千歌さんの頭を撫でながら……いつものように、自分の首筋に誘導する。


ダイヤ「千歌さん……貴方の好きなタイミングで」

千歌「うん……血、いただきます。……ぁむっ」


──ブスリ。

キバが突き刺さってくる。


千歌「……ちゅぅー…………」

ダイヤ「…………ん…………♡」


ぎゅーっと千歌さんを抱きしめる。


千歌「…………ちゅー…………」

ダイヤ「……千歌さん…………ん…………♡ ……おいしい……?」


訊ねると、千歌さんは血を吸いながら、コクコクと小さく頷く。


ダイヤ「……そう……よかった…………ふ、ぅ…………♡」


千歌さんの背中を撫でながら、血を与える。

千歌さんはある程度吸ったところで、


千歌「……ぷはっ」


吸血を終えて、キバを引き抜く。


ダイヤ「……ん゛……♡」


相変わらず、この歯が抜ける瞬間だけはどうしても声が漏れてしまう。


千歌「……血、おいしかったよ……ダイヤさん、大丈夫?」

ダイヤ「ええ……」


千歌さんにもたれかかる形のまま返事をする。

もう理性が飛ぶこともなくなった。我ながらよく慣れたものです。

──相変わらずドキドキと心臓がうるさいですが、まあいいでしょう。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「なぁに?」

ダイヤ「しばらく……このままでいいですか?」

千歌「えへへ……うん」

ダイヤ「ありがとう……」


やはり吸血後は倦怠感でしんどいのですが……。

こうして千歌さんと抱きあったままいると、不思議とホッとする。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ダイヤさん……」


抱き合って、存在を噛み締めて。

夜は更けていく。





    *    *    *




ダイヤ「南東から南の空──少し低い場所で光っている星、わかりますか?」

千歌「んーっと……あ、あった」

ダイヤ「あれがアンタレス。さそり座の心臓部。そのアンタレスの右上から下に向けて伸びているS字に連なっている星たちが、さそり座ですわ」

千歌「……あ、確かにさそりに見えるかも」

ダイヤ「そして、さそり座から左上に……大きな横倒しの五角形、わかりますか?」

千歌「横倒しの五角形……あれかな?」

ダイヤ「ふふ、きっとそれですわ。それがへびつかい座。へびつかい座の周りにぐねぐねと伸びているのがへび座ですわ」

千歌「へび……へび……」

ダイヤ「ぐねぐねの先、上の方にある小さな三角形、あれがへびの頭ですわ」

千歌「あ! へびだ!」

ダイヤ「ふふ……そして、そこから左に視線をずらしていくと……大きな三角形が見えてきますわ。これが有名な夏の大三角」

千歌「まだゴールデンウイークだよ?」

ダイヤ「ゴールデンウイークでもこの時間になると、見ることが出来るのですわよ」

千歌「へー」

ダイヤ「まあ、果南さんの受け売りなんですけどね。……それぞれの頂点にあるのはベガ、アルタイル、デネブですわ」

千歌「どれがどれ?」

ダイヤ「一番下に見えるのがアルタイルですわね。上の方にあるのがベガですわ」

千歌「じゃあ、真ん中くらいの高さにあるのが……」

ダイヤ「ええ、はくちょう座の尾に当たる部分……デネブですわ」

千歌「はくちょう座はわかるよ! ノーザンクロスだよね!」

ダイヤ「まあ、物知りですわね」

千歌「十字の星座、かっこいいから覚えてた!」

ダイヤ「ふふ、千歌さんも果南さんと星をたくさん見ていますものね」

千歌「うん! でもー正直ーあんまり覚えられなくてー……」

ダイヤ「物語を思い浮かべながら見ると、覚えられますわよ。ノーザンクロスは翼を広げたはくちょう座、その両端にいるベガは織姫、アルタイルは彦星。七夕の夜には、はくちょう座が二つの星の架け橋となってくれますわ。お話の中に出てくる鳥はカササギですけれど」

千歌「はくちょうはカササギなの?」

ダイヤ「ギリシャ神話でははくちょう座ですが……七夕伝説は古代中国のお話ですからね。中国ではカササギに見えたのでしょう。ですが……広い世界の別々の場所で、同じように星を見て、鳥を見出したのだとしたら、少しロマンチックな気がしますわね」

千歌「……確かに、そうかも……」

ダイヤ「百人一首にもあの夜空のカササギを詠んだ歌がありますのよ。 『かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける』 中納言家持の歌ですわ。七夕の日、織姫と彦星を逢わせるために、かささぎ連ねて渡した橋──天の川にちらばる霜のような星の群れの白さを見ていると、夜も更けたのだなぁと感じてしまいます。そんな歌ですわ」

千歌「天の川があるの?」

ダイヤ「今の季節は少し見づらいですが……七夕頃になるとカササギが天の川の上に橋を作っているところが、綺麗に見ることができますわよ」

千歌「そうなんだ……! 見てみたいなぁ……」

ダイヤ「ふふ……じゃあ、七夕が近くなったら、また一緒に見に来ましょうか」

千歌「ホントに?」

ダイヤ「ええ、約束ですわ」

千歌「うん!」





    *    *    *




ゆっくり回る夜空を二人で旅しながら、気付けばだんだん空が白んできた。

時刻は4時半過ぎ。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「最後の……吸血、かな」

ダイヤ「……そうですわね」

千歌「…………」

ダイヤ「どうしたのですか」

千歌「うぅん……なんでもない」

ダイヤ「そう?」

千歌「うん」


……やっと、終わる。

この長いようで短かった、吸血鬼の彼女と過ごした時間も。

不謹慎なので、口には出来ませんが──思い返してみると、少しだけ寂しい気持ちもあるかもしれません。

先の沈黙……もしかしたら、ですが……千歌さんも少しだけ寂しいと思ってくれたのかもしれません。


ダイヤ「千歌さん……」


ぎゅーっと抱きしめる。

もうこうして、彼女を抱きしめる理由も、なくなってしまいますから。

忘れないように、強く抱きしめる。


千歌「ダイヤさん……」


それに応えるように背中に回された彼女の腕にも、力が篭もるのがわかった。


千歌「……酷いこと言って良い?」

ダイヤ「……聞いてから考えますわ」

千歌「……血、いっぱい吸っていい?」

ダイヤ「それは酷いことなのですか?」

千歌「だって……ダイヤさんはごはんじゃないもん」

ダイヤ「ふふ……そうね」

千歌「……でも、ダイヤさんの血……おいしいから」

ダイヤ「それは褒められてるのですわよね。……血の味を褒められるなんて、もう今後ないでしょうけれど」

千歌「あはは、そうだね。ダイヤさんの血の味を知ってるのは……チカだけだね」

ダイヤ「……じゃあ、最後ですから。……好きなだけどうぞ。ただ、死ぬほどは吸わないでくださいね?」

千歌「それってどれくらい?」

ダイヤ「えーっと……500mℓペットボトル1.5本分くらいでしょうか」

千歌「絶対そんなに飲めない……お腹たぽたぽになる」

ダイヤ「じゃあ、安心ですわね……どうぞ」

千歌「うん……──ぁーむっ……」


──キバが首筋に突き刺さってくる。


ダイヤ「……っ……」


最後の吸血。


千歌「…………ちゅぅ……ちゅぅ……」

ダイヤ「…………んっ…………♡」


噛まれた辺りからぞわぞわとした刺激が拡がっていって、声が漏れる。


千歌「…………ちゅー……ちゅー……」

ダイヤ「…………ちか、さん……♡ ……わたくしの血……おいしい、ですか……?♡」

千歌「…………ちゅ、ちゅ……」


千歌さんは吸い付きながら、コクコクと頷く。


ダイヤ「……そ、う…………んっ……♡」


何故だか、千歌さんが美味しそうに血を吸ってくれると、嬉しいなと思った。

これもチャームの一種なのでしょうか。

……きっと、そうなのでしょう。


千歌「…………ちゅ、ちゅ、ちゅぅー…………」

ダイヤ「ふふ…………♡ …………いっぱい、飲んでください…………♡」


心臓がドキドキと早鐘を打つ。


千歌「…………ちゅーーー……ちゅーーー…………」

ダイヤ「……は……ぁ…………♡ ……ちか……さ……ん…………♡」


そろそろ、まずいかも……。

頭の中に靄が掛かり始めた、そんな頃合で、


千歌「……ん、ぷはっ」


千歌さんが口を放した。

キバが抜ける。


ダイヤ「……ん゛……♡」

千歌「……は……ふ……ふぅ……おいしかったよ……」

ダイヤ「ふふ……それは……なにより、ですわ……」


たくさん血を吸われたせいなのか、いつもより長い吸血だったからなのか、輪をかけて身体に力が入らない。

また、千歌さんにもたれかかるようして、抱きしめてもらう。


千歌「ダイヤさん……」


……夜明けまでもう20分もない。

千歌さんはわたくしを抱きしめたまま、震えている。

抱き返したいが、脱力してしまって、抱き返すための力が入らない。

ただ、ただ時間が過ぎていく。

千歌さんが震えているのを感じながら──ただ、ただ時間が過ぎていく。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「……はい」

千歌「……いってくるね」


夜明けと共に彼女の口から出た“さいご”の──覚悟の言葉。

そして、彼女は……わたくしから離れて、テントの外へ──夜明けの世界へと一人で旅立った。





    ♣    ♣    ♣





──テントから出る。


千歌「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……っ……」


心臓が意味不明なほどの早鐘を打っている。

脚がガクガクと震えている。


千歌「は……はっ……はっ……はっ…………!!」


あと1分もしない間に、ダイヤさんと二人で確認した──夜明けの時間だ。


千歌「…………はっ、はっ、はっ、はっ」


脚だけじゃない、腕が、膝が、ガタガタと震えだす。


千歌「っ……!!」


拳を握りこむ。


千歌「……止まれ……っ……!!!」


声を出したら、その拍子にカチカチカチと音が鳴り始める。

口が震えていた。


千歌「……っ゛!!!!」


思いっきり噛み締める。無理矢理震えを押さえつける。

怖くない、怖くない、怖くない、怖くない、怖くない。

景色の遥か先──東の空が光を帯びていく。


千歌「……っ!!!!!」


──怖い!

あと何秒。

もう10秒もない。

怖い、怖い、怖い。

怖い!!!

息が出来ない。

全身が震える。

恐怖で心臓が壊れそうだ。

指先の感覚がない。

頭がぐわんぐわんする。

地面がぐにゃぐにゃする。

ダメだ、ダメだ、ダメだ……!!!

無理、無理、無理……!!!!!


千歌「はっ!!! はっ!!!! はっ!!!!」


太陽が顔を出す。

私を焼き尽くす、焔が顔を出す。


千歌「っ゛!!!!!!!」


──そのとき。

声がした。


 「──千歌さん、頑張って──」

千歌「!!!!! うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」


叫んで脚を踏みしめて。

夜が──明けた。

太陽光線が真横から私に照り付ける。

──ボウッ!!!!!!

音を立てて、全身が一気に燃え盛る。


千歌「あっづ!!!!!!!!!」


第一声の悲鳴と共に、熱が一気に全身を焼き尽くす。


千歌「っ゛ぁ゛ああ゛あぁ゛ああぁあ゛ッッッッ!!!!!!!!!!」


燃えてる。身体が燃えてる。


千歌「あづ、あ゛づぃ!!!! あ゛つ゛いっ゛!!!!!! あ゛つ゛い゛ぃ゛っ!!!!!!!!」


熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!!

熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!!!!!!!!!!

熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!

全身が焼き切れる。


千歌「あ゛つ゛……ぁ゛──」


意識が遠のく。


千歌「──……っ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁぁぁ゛!!!!!!」


熱で意識を無理矢理戻される。

地獄。

死ぬ。

熱い。


千歌「……あ゛つ゛、あ゛つ゛ぃ゛よ゛ぉ……」


あ、もう。ダメだ。

たぶん死ぬんだ。

生き物って痛かったり、熱かったりすると、死ぬんだ。

そんな当たり前のことが頭の中を過ぎって行く。


千歌「ぁ……ぁ……ぁ……ぁ……ァ」


死、ぬ。


 「千歌さん」


千歌「ぁ……」


 「あとちょっとだから……」


千歌「ぐ……っ゛……」


 「頑張って……」


千歌「……は、ぁ……はぁ……ぁ……」


身体の感覚がなかった。

……たぶん、これが死ぬってことなのかな。


 「千歌さん……」


声がする。

大好きな声。

私の大好きな人の声。


 「千歌さん……」

千歌「──ダイヤ……さん……」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……ダイヤ、さん……?」

ダイヤ「千歌さん……よく、頑張りましたわね……」

千歌「…………ぁ」


ダイヤさんの言葉で、我に返る。

全身を包む炎は──消えていた。


千歌「……生き……てる……」

ダイヤ「……ええ……っ……」

千歌「…………ぁ……っ」


膝から崩れ落ちる。


千歌「ぁ……っ……ぁっ……」


生きてることを実感して、涙が溢れてきた。


ダイヤ「千歌さん……っ」

千歌「ぅ、ぅぁっ……ぅぁぁぁ……っ……生きてる……っ……ぅぐ……っ……生きてるよぉ……っ……」

ダイヤ「ええ……っ!!……生きてますわ……っ……!!」

千歌「……ぇぐ……っ……生きてる……よぉ……っ……ぁぐっ……ぇぐ……ぐずっ…………うぇぇぇぇ……っ……」

ダイヤ「……千歌さん……っ……!! ホントに……っ……ホントに、よく頑張りましたわ……っ……!!!」


──こうして、私の……太陽との戦いは終わったのでした。

……太陽との戦いは。





    *    *    *




ダイヤ「これは?」

千歌「善子ちゃんがよく持ってるやつ」

ダイヤ「ちゃんと名前を言いなさい……」

千歌「ロザリオ」

ダイヤ「正解。持ってみて」

千歌「うん」

ダイヤ「何か思うことは?」

千歌「……特に。無」

ダイヤ「無ですか……じゃあ、次。これは、なんですか」

千歌「ニンニク」

ダイヤ「食べてみてください」

千歌「え、生!?」

ダイヤ「冗談ですわ」

千歌「冗談きついって……」


全てが終わったあと……わたくしは自宅で千歌さんと最後の確認を行っていた。

十字架、大蒜は問題ない。


千歌「それより……お風呂入りたい」


……流水も問題なさそうですわね。


千歌「……ダイヤさんと一緒に入りたいなー」

ダイヤ「……片付けたら行きますわ」

千歌「ほんとに? 嘘ついたら怒るからね」

ダイヤ「ちゃんと行きますから……」


……千歌さんの吸血鬼性は完全に消滅したと言っても過言ではなかった。

加えて不思議なことに、わたくしに発現していた、症状もまるっと全て消失していた。


ダイヤ「……千歌さんの力による吸血鬼化だったから、千歌さんが人間に戻ったら一緒に戻ったということなんでしょうか……?」


まあ……戻ってくれたのなら、何よりなのですけれど。

──大蒜を新聞紙で包み、保存用のジップロックに入れてから、チルド室に入れる。

ロザリオは……今度善子さんに返さないといけませんわね。

……ただ、自分用のロザリオを今度買いに行きましょうか。

十字架が本当に効果的な魔よけになると、嫌と言うほどわかったので……。


ダイヤ「さて……わたくしもお風呂に」


 「──ミギャアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」


ダイヤ「…………そういえば千歌さん……擦り傷だらけでしたものね」


さぞ傷口にお湯が染みることでしょう。

お風呂から聞こえてくる悲鳴に肩を竦めながらも、わたくしは千歌さんの元へと歩く。


千歌「死ぬ!!!! 痛すぎて死ぬ!!!!!」

ダイヤ「それくらいじゃ、死にませんわよ……全く」


やっと、騒がしいいつもの千歌さんが戻ってきてくれて。


ダイヤ「……ふふ」


わたくしは少しだけ笑ってしまった。


ダイヤ「千歌さーん? 久しぶりのお風呂なのですから、肩まで浸かって100まで数えるのですわよー?」

千歌「んなぁ!!!? ダイヤさんの鬼!!! 悪魔!!!! 吸血鬼ぃーーーー!!!!!!」


だけれど、少しだけ変わった千歌さんとの関係に、何故だか少しだけ期待に胸を躍らせて、

わたくしは、ここからの道を、また始まった道を──千歌さんと共に歩いていこうかなと、そう思った、とあるゴールデンウイークの出来事でした。

ちかだいもっと流行れ




    *    *    *










    *    *    *




……さて、あれから少しだけ時が流れました。


花丸「ここが……スクールアイドルフェスティバルの会場……! 凄いずら~!」

善子「クックック……堕天使ヨハネの闇のパワーを解放するステージには相応しいわね」

梨子「解放するのはいいけど、ミスしないようにしてよ? 善子ちゃん」

善子「善子じゃなくて、ヨハネよ!!!」

曜「でも、ホントにおっきいね! さすが東京の会場……」

果南「いや~腕が鳴るね。こんな立派なステージ見たら、自然と気合いが入っちゃうよ」

鞠莉「そうだネ~。この最高の会場でわたしたちの最高のPerformanceを見せ付けてあげましょう!」

果南「だね!」

ルビィ「えっと……さっき確かに、見えたんだけど……」

善子「ルビィ? 誰か探してるの?」

ルビィ「あ、うん……さっき……。……あ、いた!! 理亞ちゃーん!!!」

理亞「ルビィ?」

聖良「Aqoursの皆さん! お久しぶりです」

果南「Saint Snowも、もう来てたんだね」

聖良「ええ。本番前にステージの雰囲気に慣れておきたいと思って……」

理亞「本番前なんだから、それくらい当たり前」

ルビィ「理亞ちゃーん!!」

理亞「!? 引っつくな!?」


スクールアイドルフェスティバルの会場に訪れたわたくしたちは、会場の大きさに圧倒されていた。

この場に集められた大勢のスクールアイドルの中で、本日共に参加するSaint Snowの二人も含め、皆さん本番前に非常にテンションが上がっている。


ダイヤ「いつも通り、騒々しいですわね」

千歌「でも、これくらいが私たちらしいよ」

ダイヤ「ふふ、そうかもしれませんわね」

千歌「……それにしても、スクールアイドルフェスティバルかぁ」

ダイヤ「? どうかしましたか?」

千歌「一時は……本当に出られないかもって、思ってたから……」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ダイヤさん……ホントにありがと。……ダイヤさんが居てくれたから、今チカはここに居られるよ」

ダイヤ「いえ……全部千歌さんが頑張ったからですわ。わたくしはちょっと手を貸しただけ」

千歌「んーん……そんなことないよ」

ダイヤ「……最後に決めたのは千歌さんですから」

千歌「……ん、じゃあ二人の力ってことで」

ダイヤ「ふふ……それでもいいですけれど」

鞠莉「何イチャイチャしてんのよ」

ダイヤ「イチャ……!?/// し、してませんわ!!///」

千歌「えっへへ……」

鞠莉「チカッチったら、幸せそうに笑っちゃって……」

曜「千歌ちゃーん!! こっち見てよー!! このセットすごいよー!!」

千歌「え、ホントに!? 今いくー!!」


曜さんに呼ばれて、千歌さんは飛び出して行ってしまう。


ダイヤ「ぁ……」

鞠莉「あらあら、フラレちゃったわね」

ダイヤ「……やかましいですわ」

鞠莉「まだ告白してないの?」

ダイヤ「……千歌さんとはそういうのではありませんわ」

鞠莉「はぁ……相変わらずだね。チカッチかわいそー」

ダイヤ「減らない口ですわね……」

鞠莉「マリーはかわいい後輩の味方デスから」

ダイヤ「はいはい……」


……あのあと千歌さんとの関係は特別変わったりはしなかったのですが……。

最近は時折、休みの日に家で一緒に料理を作ったりしている。

先ほどのように、鞠莉さんが『早く告白しろ』とせっついてくるのですが……。わたくしは今の関係で満足しています。

わたくしたちには、これくらいの距離感が丁度いいのですわ。

……ただ、少しだけ……少しだけですが。

あのときの、吸血鬼の問題を一緒に解決したときの距離感が、なくなってしまったことが少しだけ寂しいと思っているわたくしが居るのを……少しだけ感じることがあります。

あれだけ苦労したというのに……人間というのは業深い生き物ですわね。


千歌「ダイヤさんもー!!! 早く早くー!!!」

ダイヤ「はーい、今行きますわー!!」


……ですが、いいのです。


千歌「えへへっ!!!」


千歌さんが……今は満面の笑みで笑ってくれているから。




    *    *    *





千歌「……いよいよ本番だね。皆でいっぱい練習してきた、最高のステージを作るために。あとは今持ってる力を精一杯ぶつけるだけ!! 皆で全力で輝こう!! Aqours──」

9人「サーーーーーーン、シャイーーーーーーーーン!!!!!」




    *    *    *





千歌「今日のステージは本当に最高だった……!!」

梨子「うん……ホントに夢みたいな景色だったね」

曜「ああ、もう……今でも思い出して踊っちゃいそうだよ!」

果南「せっかくだし、踊っちゃう?」

鞠莉「いいネ! 皆でLet's dance party!!」

ダイヤ「人の家で踊らないでください!」

ルビィ「あはは……家の中で踊られたら、さすがにお父さんとお母さんに怒られちゃうかも……」

花丸「せっかくの打ち上げだから、盛大に食べるずら」

善子「……って、あんた帰りもいろいろ買い食いしてたのにまだ食べるの!?」

花丸「打ち上げは別腹ずら」

善子「はぁ……ホントあんたの胃袋どうなってんのよ……」


スクールアイドルフェスティバルを終えて、沼津に帰還したわたくしたちは、我が家──黒澤家で打ち上げを行っていました。

全く騒がしいことこの上ない……。


善子「……あら? 飲み物もうなくなっちゃったわね」

ダイヤ「あれ、本当ですわね」

千歌「あ、それじゃ、私取りに行くよ」

ダイヤ「お願いしてもいいですか?」

千歌「うん、任せてー」

善子「あ、千歌! 私も手伝う」


千歌さんと善子さんが飲み物を取りに部屋を出て行く。

まあ、千歌さんなら、我が家の厨房には詳しいですから、任せておけば問題ないでしょう。




    ♣    ♣    ♣





千歌「えーっと……コーラとー。みかんジュースとー……」

善子「千歌、あんた随分慣れてるわね?」

千歌「ん? 何がー?」

善子「ここ、ダイヤとルビィの家なのに、冷蔵庫とか躊躇なく開けてるし……」

千歌「あ、うん。よくダイヤさんと一緒にここでご飯作るから」

善子「え? ダイヤと一緒に?」

千歌「うん、お休みの日とかにね」

善子「……へー。ちょっと意外かも」

千歌「そう?」

善子「千歌とダイヤってそんなに距離感近かったのね」

千歌「……ちかだけに?」

善子「いや、掛けてないから……」


一通り、飲み物を取り出して。


千歌「これくらいあればいいかな」

善子「そうね」


善子ちゃんと一緒に皆がいる部屋に戻る。

廊下を二人で歩いている際に、


善子「……なんかこういう感じの家っていいわよね」


善子ちゃんがそんなことを言う。


千歌「そうなの?」

善子「まさに和って感じの家……自分の家じゃないのに懐かしい感じがするというか……。……前世の血が騒ぐというか……クックック」

千歌「そういうもんなんだ」

善子「廊下から見える中庭とかかっこよくない?」

千歌「いや、よくわかんないけど……」


善子ちゃんはお家がマンションだから、そう思うのかもしれない。

まあ、確かにお庭があるのはいいよねー。

そう思いながら、中庭に続く窓に目を向けて──


千歌「………………ぇ?」


私は目を見開いた。





    *    *    *




鞠莉「コップが空よ!! ダイヤ!!」

ダイヤ「飲み物がないだけです……今千歌さんと善子さんが取りに行っていますから──」


そのときだった。


 「いやあああああああああああーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」


家中に絶叫が響き渡った。


ルビィ「ぴぎっ!?」 花丸「ずら!?」 果南「え、何!?」 鞠莉「What!?」 梨子「ひ、悲鳴!?」 曜「え、え!?」

ダイヤ「!!? 千歌さんっ!!?」


千歌さんの悲鳴が聞こえて、反射的に部屋を飛び出す。


果南「あ、ちょ、ダイヤ!?」


悲鳴の聞こえてきた方向に走ると、


千歌「い、いやっ……いやっ……!!!」

善子「え、ちょ、ど、どうしたのよ!? ち、千歌!?」


千歌さんが口元を両手で覆い隠しながら、蹲っていた。


千歌「み、見ないで……お、お願い……」

ダイヤ「……!」

善子「え、えっと……」


これは……まさか……。


ダイヤ「千歌、さん……」

千歌「……ダイ、ヤ、さん……」

善子「ダ、ダイヤ……千歌が……」


善子さんは蹲った千歌さんの前でおろおろとしていた。

わたくしは周囲を見回して……。


ダイヤ「……!!」


すぐさま、廊下の障子を閉める。


ダイヤ「…………」

善子「ダイヤ……?」

千歌「……見ないで」


さて、どうしたものでしょうか……。


果南「千歌!! どうかしたの!?」

曜「千歌ちゃん……! 大丈夫!?」


遅れて、果南さんと曜さんがわたくしたちの元へとやってくるが──


千歌「来ないでぇっ!!!!!!」

果南・曜「「!?」」


千歌さんが大声で二人が近付くことを制止する。


千歌「来ないで……来ないで……」

曜「えっと……」

果南「千歌……?」

ダイヤ「…………お二人とも、ここはわたくしに任せて貰えませんか?」

曜「え……」

果南「いや、でも……」

ダイヤ「千歌さん……少し気を張っていたので、疲れているんだと思いますわ。わたくしが話を聞きますので……」

果南「い、いや……そういう感じじゃ」

曜「……そ、それに話だったら私も……!」

鞠莉「──……曜、果南」


気付けば二人の後ろから鞠莉さんが肩を掴んでいた。


鞠莉「ここはダイヤに任せましょう」

果南「鞠莉……?」

曜「え、いや、でも……」

鞠莉「いいから……。ダイヤ、任せるわよ」

ダイヤ「ええ、任されましたわ」


そのまま鞠莉さんは二人を強引に部屋に連れ戻す。またしても事情を聞かずに気を利かせてくれた鞠莉さんには感謝しかない……あとでお礼を言わないと。

……さて。


千歌「………………」

ダイヤ「千歌さん……」

善子「えっと……あの……これ、どういう状況なの……?」

ダイヤ「……その、説明が難しいので、今は追及しないで貰えませんか……?」

善子「……いや、こんなの見てほっとけって言われても……」


善子さんはそういいながら、千歌さんの前にしゃがみこむ。


善子「千歌……どうしたのよ」

千歌「……善子、ちゃ……ひっ!!!!?」


千歌さんが善子さんを見て大きく後ずさる。


善子「!?」

ダイヤ「……! 善子さん、それ外してもらっていいですか……?」

善子「……それ?」


わたくしが指差したソレは……。


善子「ロザリオ……?」


善子さんが首から提げていたロザリオだった。

先ほどまで身に付けていた記憶はなかったので、恐らく首から提げてシャツの中にしまっていたのだと思いますが、この騒ぎの際に勢い余って外に出てきてしまったのでしょう……。


千歌「はっ……はっ……はっ……!!!」

ダイヤ「善子さん……お願いします。何も聞かずに、それを外していただけると……」

善子「……まあ、いいけど。じゃあダイヤ、預かってくれる?」

ダイヤ「ええ、わかりました」


善子さんからロザリオを受け取り、ポケットにしまう。


善子「…………」

千歌「……っは、っは」

ダイヤ「千歌さん……もう、大丈夫ですから」


千歌さんは未だ口元を両手で覆ったままだった。

とりあえず、善子さんに席を外してもらわないと……。


善子「……はぁー、全く困ったものね」

ダイヤ「善子さん……申し訳ないのですが、一旦席を──」

善子「ほんっと、人間って面倒ね。ちょっと自分の見た目が変わっただけで大騒ぎしちゃって」

千歌「!?」

ダイヤ「……!?」

善子「……ま、窓ガラスに自分の姿が映らないのはさすがにびびるか」

千歌「!!?!?」

ダイヤ「!!!」


わたくしは咄嗟に、善子さんを押しのけて、千歌さんを庇うようにして、二人の間に割って入る。


善子「っと……ちょっと、あんた生意気ね。人間の癖して」

ダイヤ「……貴方……誰ですか……」

善子「私? 私はヨハネよ」

ダイヤ「……いつもの善子さんとは雰囲気が違いすぎますわ」

善子「あーだから……」

ダイヤ「……?」

ヨハネ「私は善子じゃなくて、ヨハネ。吸血鬼のヨハネよ」


そう目の前の善子さん──もといヨハネさんは改めて名乗りをあげるのでした。





    *    *    *





ダイヤ「──沼津の……えっと」

ヨハネ「バス停の上土がわかりやすいと思うわ。さんさん通りと139号線の交差点の辺り」

ダイヤ「えっと、そこまでお願いしますわ」


黒澤家の送迎の運転手に目的地を伝えて車を出してもらう。


千歌「…………」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「……そう警戒しないでよ。別に害意はないわよ」


何故今こうして、わたくしと千歌さんが善子さん──もといヨハネさんと一緒に送迎車に乗っているのか言うと……。



──────
────
──


ヨハネ「とりあえず、どうしたいの? 吸血鬼化を隠したいの?」

千歌「!!!」

ダイヤ「…………」


自らを吸血鬼のヨハネと名乗った彼女は、明らかに吸血鬼のことを知っている。

と言うか──気付けば彼女の歯は鋭利なキバになっていた。

善子さんも割と犬歯が鋭く、八重歯気味ではありましたが……さすがにキバと言えるほどのものではなかった。

となると……。


ダイヤ「貴方……吸血鬼なのですか?」

ヨハネ「いや、だからそう言ったじゃない……」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「とりあえず、吸血鬼化を隠したいなら、ここに居るのはよくないんじゃない? いつまでもここでぼーっとしてたら、またさっきの二人が心配して戻ってくるかもしれないわよ」


……確かに、ヨハネさんの言う通りかもしれない。


ダイヤ「わかりました。一旦場所を移しましょう……千歌さん、立てますか?」

千歌「……う、うん」


千歌さんを支える形で立ち上がらせる。


ヨハネ「とりあえず、善子の家に行きましょう。あそこなら、吸血鬼にとって便利なものもあるから」

ダイヤ「便利なもの……?」

ヨハネ「あんたたちみたいな、吸血鬼もどきじゃ知らないようなことがいろいろあるのよ」

ダイヤ「…………」


──
────
──────



そして、今に至る。


ダイヤ「…………」

千歌「…………」

ヨハネ「…………」


三者の間に積極的な会話はない。

ドライバーも居ますし、ここで込み入った話をするわけにもいかないので仕方がないですが……。

時折、


千歌「ダイヤ、さん……」


千歌さんが不安そうにわたくしを呼ぶ。


ダイヤ「大丈夫ですわ……わたくしが居ます」

千歌「……うん」


そんなわたくしたちを見て。


ヨハネ「仲良いわね」


ヨハネさんが話を振ってきた。


ダイヤ「……どうも」

ヨハネ「……手厳しい反応ね。……久しぶりに人と話したんだから、もうちょっと優しくして欲しいわ」

千歌「久しぶりなんだ……」

ヨハネ「ええ……本当に久しぶりな気がするわ。普段は寝て過ごしてるから」

ダイヤ「普段は寝てる……。いつ振りなのですか?」

ヨハネ「あー……あんま覚えてないわね。善子が配信するのを覚えてからは、全然夜に寝てくれなくなったし」

ダイヤ「夜しか活動できないのですか?」

ヨハネ「ま、そんな感じ」


当たり障りのない会話だと、この辺りが限界でしょうか……。


ヨハネ「……別に変な探りいれなくても、聞かれたら後で教えてあげるわよ」

ダイヤ「……!」


……遠まわしに探っていることがバレている。


ヨハネ「私も、横からつつかれるようなことされるのは、正直プライドが許さないタチだし」

ダイヤ「……?」

千歌「横からつつかれる……?」

ヨハネ「ま、着いたら話すわよ」

ダイヤ「……」


夜の闇の中を──送迎車が沼津に向かって進んでいく。





    *    *    *





ヨハネ「ただいま」

善子母「あら、おかえりなさい……ヨハネちゃん……?」

ヨハネ「ちょっとわけありでね」


そう言いながら、ヨハネさんが背後に立つわたくしたちを肩越しに親指で指す。


千歌「お、お邪魔……します……」

ダイヤ「夜分遅くに失礼します」

善子母「あら……こんにちは。ルビィちゃんのお姉さんと、梨子ちゃんのお隣さんの子よね」

ヨハネ「どっちも善子と同じAqoursのメンバーよ。……ま、見たことくらいはあるか」


ヨハネさんの口振りからして、善子さんのお母様はヨハネさんのことを知っているようですが……。


ヨハネ「ちょっとマジで緊急事態だったから、私が出てきちゃってるけど……フォローお願いしていい?」

善子母「……はあ、わかったわ」


善子さんのお母様は、肩を竦めながら了承する。

……いくつか、気になることはあるのですが……。


ヨハネ「それじゃ、とりあえず善子の部屋に行きましょ」

ダイヤ「……千歌さん、行きましょう」

千歌「う、うん……」


ヨハネさんのあとをついていきながら、


ダイヤ「あのヨハネさん……えーっと、善子さんのお母様? ……貴方のお母様にもなるのですか? あの人は……」

ヨハネ「ん? ……ああ、あの人は人間よ。人間100%」

千歌「……人間100%……? 100%じゃない人がいるの?」

ヨハネ「ま、いるわね。ハーフとか言うやつ。いまどきハーフも滅多に見ないけどね。さ、部屋入って」


二人で部屋に通される。


ダイヤ「……じゃあ、貴方はそのハーフとやらなのですか?」

ヨハネ「いや、私は純度100%の吸血鬼」

ダイヤ「……はい?」

千歌「お母さんは100%人間なのに……?」

ヨハネ「……まあ、この辺ややこしいから順番に話すわ。まず、何が知りたい?」


どうやら自由に質問していいらしい。

なら、出来るだけ多くの情報を引き出しましょう。


ダイヤ「……貴方は何者ですか?」

ヨハネ「吸血鬼よ。吸血鬼のヨハネ」

ダイヤ「善子さんと貴方は……どういう関係ですか」

ヨハネ「あー……同居人? 一つの身体に一緒に住んでるみたいな」

ダイヤ「多重人格ですか?」

ヨハネ「大体あってるわ。ただ、あんたたちの言う多重人格とはちょっと違うけど」

ダイヤ「……? どういうことですか?」

ヨハネ「善子は普通の子だけど、私は善子の吸血鬼性だけ切り離された人格みたいに考えてくれればいいわ」

ダイヤ「……余計に意味がわかりませんわ」

ヨハネ「そうねぇ……まず前提として、善子の父方に吸血鬼の血がものすっごく薄く混じってるの」


ダイヤ「……はい?」

ヨハネ「ただ、ホントに極限まで薄まっちゃってるから、日常生活で気になることって全くないんだけどね。吸血鬼の血は0.1%くらいじゃないかしら」

ダイヤ「…………」

千歌「えっと……吸血鬼って、子供を産んで増えるの……? 吸血して増えるんじゃ……」

ヨハネ「眷属化と子孫繁栄は別よ。眷属化で出来るのはあんたたちみたいな吸血鬼もどき。純血や混血の吸血鬼はちゃんと人間みたいに子供を作らないと出来ないわ」

千歌「も、もどき……」

ダイヤ「……その吸血鬼の血を持った人とやらはどこに居たんですか?」

ヨハネ「吸血鬼って意外と多いわよ? 世界中に伝承があるくらいなんだから。それにこの辺には吸血鬼が大量に放りこまれてた場所があるじゃない」

ダイヤ「放り込まれてた場所……?」

ヨハネ「ほら、淡島だっけ」

ダイヤ「……は!?」

千歌「え、淡島……?」

ヨハネ「ま、今は残ってないみたいだけど……。数百年レベルは昔の話になっちゃうけど、吸血鬼は見つかり次第ああ言う離島に幽閉されてたりしたのよね。ほら、吸血鬼って流水が苦手だから、島の脱出が大変だし、隔離に向いてるのよね」

ダイヤ「…………」


眉唾な話だと一蹴したいところですが……この話には心当たりがあった。


 鞠莉『淡島ってもともと無人島だったでしょ? だから、感染症とかで迫害されて、追いやられた人の隔離先だったんじゃないかって話があってね』


以前、鞠莉さんから聞いた話です。

つまりホテルオハラのあの地下室は、感染病の人間の隔離先だった名残が、たまたま吸血鬼にとって都合の良い場所になったのではなく……。


ダイヤ「元々、吸血鬼の隔離先の名残だから、吸血鬼にとって都合のいい環境になっていた……?」

ヨハネ「ああ……なんか吸血鬼の集落になってたなんて話もあったかもしれないわね。ま、ほとんどは駆除されちゃったけど」

千歌「駆除……?」

ヨハネ「吸血鬼って嫌われ者なのよ。だから、正義のヴァンパイアハンターとかに殺されちゃうの」

千歌「そ、そんな……!」

ヨハネ「だから、多くの吸血鬼ってのはたくみに自分の姿を隠す方法を持ってるのよ。……まあ、善子に流れてる血はその淡島の吸血鬼の生き残りが元の血っぽいけどね」

ダイヤ「……吸血鬼が実在するという前提はなんとなくわかりました」

ヨハネ「いや、厳密には実在はしないわ」

ダイヤ「……はぁ??」

ヨハネ「……ま、めちゃくちゃややこしい話だから、これはあとで話すわ。それで前提がわかった上で何を聞こうとしてたの?」

ダイヤ「……ええっと……ヨハネさん。貴方はどうして純度100%の吸血鬼なのですか? 吸血鬼だけを切り離したというのもよく意味がわかりませんわ」

ヨハネ「まず私の吸血鬼性は隔世遺伝なの」

千歌「かくせーいでん……?」

ダイヤ「……先祖返りということですか?」

ヨハネ「そういうことね」


隔世遺伝──親に現れていない、先祖の遺伝上の特徴が、子に現れる現象のことです。

わかりやすい例だと、両親に血液型がA型かB型なのに、その子供の血液型O型だったりすることがある、ということでしょうか。

これは両親に発現こそしていないものの、元々O型の因子を持っていて、その因子を偶然濃く受け継いだ場合O型になると言われています。


千歌「せんぞがえり……?」

ダイヤ「ええっとですね……先祖返りというのは……」

ヨハネ「たぶん、血液型の隔世遺伝とか例に出すと、その子の頭ショートするわよ」

ダイヤ「…………確かに」

ヨハネ「極限までわかりやすい例を出すと……人間ってもともと猿でしょ?」

千歌「あ、うん。お猿さんから進化したんだよね」

ヨハネ「今の人間には猿みたいな尻尾はないけど……極稀に、昔の姿を思い出しちゃったのか、尻尾が生えた人間が生まれてくることがあるのよ」

千歌「あ……! テレビで見たことあるかも!」

ヨハネ「それが先祖返り。わかった?」

千歌「なんか昔の姿を思い出して生まれてきちゃうってことだね! わかった!」

ダイヤ「…………」


まあ、概ねそれでいいのでしょう。たぶん。


ダイヤ「つまり、先祖返りで強い吸血鬼性を持って生まれてきたのが貴方だと?」

ヨハネ「そうよ。だけど、強い吸血鬼性を持ってると、さっきも言ったとおりヴァンパイアハンターとかに見つかってすぐ殺されちゃうの。だから、封印術を使って吸血鬼としての人格を切り離して封印することによって普段は隠してるの」

ダイヤ「…………封印術ですか」


また眉唾な話が……。


ヨハネ「方法はそんなに難しくないわ。ロザリオみたいな吸血鬼が苦手なもので、普段外に出て来れないように蓋をしちゃえばいいのよ」

千歌「あ……だから、善子ちゃんっていっつもロザリオとか持ち歩いてたの……?」

ダイヤ「いや、あれは趣味では……」

ヨハネ「ま、趣味っちゃ趣味だろうけど、刷り込みはでかいと思うわ」

ダイヤ「え……そうなのですか」

ヨハネ「中学生とかで嵌まっちゃうのはままあるけど、善子の場合は幼稚園とかのときからよくわかんないこと言ってたみたいだしね」


よくわかんない存在によくわかんないこと言っていた、なんて言われているのはある意味不憫ですわね……善子さん。


ダイヤ「……では、もしかして先ほどわたくしの家で貴方が出てきたのは……」

ヨハネ「そ、封印用のロザリオをダイヤに渡しちゃったからよ。まあ、封印が弱まるってだけで、私が自分の意思で出てこようとしなければ、出てこないことも出来るんだけど……」

千歌「じゃあ、どうしてヨハネちゃんは出てきたの……?」

ヨハネ「……あーそれね。横からつつかれてムカついたからよ」

ダイヤ「さっきも言ってましたわね……。ですが、どういう意味ですか?」

ヨハネ「せっかく落ち着いてた千歌の吸血鬼性を、また無理矢理覚醒させたアホがいるってことよ」

ダイヤ「………………せっかく落ち着いてた?」


……まるでその言い方では……。


ダイヤ「貴方、以前千歌さんが吸血鬼化していたことを知っていたのですか……?」

ヨハネ「だって、千歌を吸血鬼化させたの、善子だし」

ダイヤ「…………」


無言でヨハネの胸倉を掴む。

>>172 訂正



千歌「せんぞがえり……?」

ダイヤ「ええっとですね……先祖返りというのは……」

ヨハネ「たぶん、血液型の隔世遺伝とか例に出すと、その子の頭ショートするわよ」

ダイヤ「…………確かに」

ヨハネ「極限までわかりやすい例を出すと……人間ってもともと猿でしょ?」

千歌「あ、うん。お猿さんから進化したんだよね」

ヨハネ「今の人間には猿みたいな尻尾はないけど……極稀に、昔の姿を思い出しちゃったのか、尻尾が生えた人間が生まれてくることがあるのよ」

千歌「あ……! テレビで見たことあるかも!」

ヨハネ「それが先祖返り。わかった?」

千歌「なんか昔の姿を思い出して生まれてきちゃうってことだね! わかった!」

ダイヤ「…………」


まあ、概ねそれでいいのでしょう。たぶん。


ダイヤ「つまり、先祖返りで強い吸血鬼性を持って生まれてきたのが貴方だと?」

ヨハネ「そうよ。だけど、強い吸血鬼性を持ってると、さっきも言ったとおりヴァンパイアハンターとかに見つかってすぐ殺されちゃうの。だから、封印術を使って吸血鬼としての人格を切り離して封印することによって普段は隠してるの」

ダイヤ「…………封印術ですか」


また眉唾な話が……。


ヨハネ「方法はそんなに難しくないわ。ロザリオみたいな吸血鬼が苦手なもので、普段外に出て来れないように蓋をしちゃえばいいのよ」

千歌「あ……だから、善子ちゃんっていっつもロザリオとか持ち歩いてたの……?」

ダイヤ「いや、あれは趣味では……」

ヨハネ「ま、趣味っちゃ趣味だろうけど、刷り込みはでかいと思うわ」

ダイヤ「え……そうなのですか」

ヨハネ「中学生とかで嵌まっちゃうのはままあるけど、善子の場合は幼稚園とかのときからよくわかんないこと言ってたみたいだしね」


よくわかんない存在によくわかんないこと言っていた、なんて言われているのはある意味不憫ですわね……善子さん。


ダイヤ「……では、もしかして先ほどわたくしの家で貴方が出てきたのは……」

ヨハネ「そ、封印用のロザリオをダイヤに渡しちゃったからよ。まあ、封印が弱まるってだけで、私が自分の意思で出てこようとしなければ、出てこないことも出来るんだけど……」

千歌「じゃあ、どうしてヨハネちゃんは出てきたの……?」

ヨハネ「……あーそれね。横からつつかれてムカついたからよ」

ダイヤ「さっきも言ってましたわね……。ですが、どういう意味ですか?」

ヨハネ「せっかく落ち着いてた千歌の吸血鬼性を、また無理矢理覚醒させたアホがいるってことよ」

ダイヤ「………………せっかく落ち着いてた?」


……まるでその言い方では……。


ダイヤ「貴方、以前千歌さんが吸血鬼化していたことを知っていたのですか……?」

ヨハネ「だって、千歌を吸血鬼化させたの、善子だし」

ダイヤ「…………」


無言でヨハネさんの胸倉を掴む。


千歌「わ、わー!!? ダイヤさん、ストップ!! ストップ!!?」

ダイヤ「大丈夫ですわ、一発殴るだけなので」

千歌「だいじょばない!! 全然だいじょばないから!!」

ヨハネ「ただ、あれは事故よ。故意じゃない」

ダイヤ「事故……?」

千歌「というか……今ヨハネちゃん。吸血鬼化させたのは善子ちゃんって言ったよね……」

ダイヤ「……言い間違いではないのですか?」

ヨハネ「千歌の言う通り、吸血鬼化させたのは善子よ。私じゃない」

ダイヤ「何が起こればそんなに事故が起こるのですか……」

ヨハネ「血が混じると、起こりうる」

ダイヤ「どうすれば善子さんと千歌さんの血が混じるのですか!!!!」

ヨハネ「いろいろ方法はあるけど……SEXしたら血液感染って起こるわよ?」

ダイヤ「…………」


無言でヨハネさんの胸倉を掴む。


千歌「ダ、ダイヤさん!!! ストップ!!!」

ヨハネ「ま、冗談だけど」

ダイヤ「真面目に話しなさい」

ヨハネ「ゴールデンウイーク前、やったら激しいダンスやってたでしょ?」

ダイヤ「……えーと、確かにやっていた気がしますわね」

ヨハネ「あの曲、善子と千歌と曜にやったら激しいダンスパートがあるじゃない。練習中に、千歌と善子が思いっきりぶつかって……」

千歌「……あ!! それで二人で転んで擦りむいちゃったんだっけ……あのときはごめんね」

ヨハネ「いや、私に言われても困るけど。……そんときにたまたま傷口から血が混じった」

ダイヤ「…………」


ふと、千歌さんとしていたやり取りを思い出す。


 千歌『最近ダンスが難しくて、苦戦してた気がする……』

 ダイヤ『……ダンスが難しくて、吸血鬼化するのですか……』


ダンスが難しくて吸血鬼化している人がいましたわ……。


ダイヤ「……まあ、確かに事故と言えば事故ですが……迂闊ではないですか?」

ヨハネ「迂闊?」

ダイヤ「血によって伝染するとわかっていたなら、もっと慎重に扱うべきだったのでは……」

ヨハネ「……ま、血が混じるってこと自体が基本的にありえないから、警戒が薄かったことは認めるけどね。ただ、それだけじゃ吸血鬼性の感染なんてしないわよ」

ダイヤ「え……で、ですが実際に千歌さんは……」

ヨハネ「たぶんだけど……その子、そもそもそれなりの吸血鬼因子を持ってるのよ」

ダイヤ「!?」

千歌「え!?」

ヨハネ「私と同じ淡島の生き残りがルーツの因子だとは思うわ。ヨハネほど極端じゃないだろうけど、千歌もその因子が先祖返りで普通の人より濃く顕在してるんじゃないかしら。そうでもない限り、簡単に吸血鬼化なんてしないわよ。それで吸血鬼化してるんだったら、2世紀くらい前の病院の患者なんて全部吸血鬼になっててもおかしくないわ」


確かに病院の衛生観念が発達したのは、ここ150年くらいだと言うのは聞いたことがあります……。

当時のお医者様は血の付いたままの服で次から次へと手術をこなしていたため、感染病が絶えず多くの犠牲者が出たと言われていますし……。

もし、ヨハネさんの言う通り、吸血鬼が思った以上に多く存在していて、簡単に吸血鬼性が感染してしまうのだとしたら、そういう時代には簡単に吸血鬼パンデミックが起こっていてもおかしくはない。

……つまり。


ダイヤ「もともと強い吸血鬼因子を持っていた千歌さんと、更に強い吸血鬼因子を持っていた善子さんの血が混じってしまって……それが原因で千歌さんは吸血鬼化してしまったということですか?」

ヨハネ「そういうことね。そこらへんの極限まで薄まった吸血鬼の血を持ってる人間じゃ、こうはならない。たまたま強い因子を持った二人だったから、こうなっちゃったってわけ」

ダイヤ「……なるほど、それはわかりました。……では、横からつつかれたと言うのはどういうことですか?」

ヨハネ「さっきも言ったけど……無理矢理千歌の吸血鬼性を覚醒させたアホがいるのよ」

ダイヤ「……千歌さん、最近善子さん以外と血が混じるようなこと、ありましたか……?」

千歌「え……ないと思うけど……」

ダイヤ「ケガの治療をしてもらったとか……」

千歌「ダイヤさん以外はないかな……」

ヨハネ「あら、オアツイじゃない」


ヨハネさんが茶々を入れてくる。


ダイヤ「…………コホン///」


思わず、わざとらしく咳払いをして誤魔化してしまう。


ヨハネ「……まあ、たぶん今回に関しては血が原因じゃないと思うけど」

ダイヤ「……? どういうことですか?」

ヨハネ「千歌は一回吸血鬼化しちゃった影響で、吸血鬼化しやすい身体になっちゃってるのよ」

千歌「……そうなの?」

ヨハネ「そうなの。……そこにとんでもなく強い影響力のある吸血鬼の血を持ったやつ……そうね、せいぜい薄くて50%くらいの吸血鬼の血を持ったのが近くに来たせいで、その妖気に引っ張られて、無理矢理、吸血鬼性が覚醒しちゃったんじゃないかしら」

ダイヤ「はい……?」

千歌「あ、あー……漆の木の近くに行くと、触ってなくてもかぶれちゃうってやつだよね。お母さんが言ってたよ。スパシーバ効果ってやつ」

ダイヤ「『スパシーバ』はロシア語で『ありがとう』と言う意味ですわ……。プラシーボ効果ね。……いや、プラシーボ効果で吸血鬼になるのですか……?」

ヨハネ「ほら、吸血鬼とか狼男とか、その辺の妖怪って満月の夜にめちゃくちゃ強くなったりするじゃない? 元々外的要因に左右されやすい怪異なのよ」

ダイヤ「そんなあやふやな……」

ヨハネ「そうよ、あやふやなのよ」

ダイヤ「……? どういうことですか?」

ヨハネ「吸血鬼って、イメージの存在なのよ」

ダイヤ「……さっきもそのようなことを言っていましたわね。厳密には実在しないとかなんとか……」

ヨハネ「そうね。その話」

ダイヤ「よく意味がわからないのですが……実際に吸血鬼が実在したから血が残っているのではないですか?」

ヨハネ「ちょっと概念的な話になっちゃうんだけど……吸血鬼って本当にいると思う?」

ダイヤ「……はい?」

千歌「ここに居るけど……」


いや……このタイミングで目の前にいるだろうなんて回答を求めて質問をする意味はない。少し考える。


ダイヤ「……この場合の居ると思うかと言うのは一般論の話ですか?」

ヨハネ「話が早いわね、そういうことよ」

ダイヤ「……なら回答としては、多くの人は知ってはいるが信じてはいないだと思いますわ」

ヨハネ「じゃあ、犬は居ると思う?」

千歌「……犬は居るよね? ……ウチにも、しいたけ居るし」

ダイヤ「……まあ、100人に聞いたら100人が居ると答えると思いますわ」

ヨハネ「それが、居るか居ないかの認識の差なのよ」

千歌「……?」

ダイヤ「……つまり、どれだけの人間が実在を信じているかの割合で、存在があやふやさが変わるということですか……?」

ヨハネ「そういうことよ。まあ、厳密には人間が、と言うよりは意識が、な気はするけど」

千歌「……どういうこと?」

ヨハネ「ちょっと千歌には難しすぎるから、幽霊的なものって考えてればいいわ。信じてる人にしか見えない的な」

千歌「ふーん……?」

ダイヤ「……人間原理的な話ですか?」

ヨハネ「厳密には全然違うけど……人間に観測されることによって存在してるって意味で言ってるなら、概ね理解の方向性は間違ってないわ」

ダイヤ「……ふむ」

ヨハネ「この世の全ては須く、認識されることによって存在出来る」


……本当に概念的な話になってきました。

言いたいことはわかるような、わからないような気はしますが……。


ダイヤ「ですが、その理屈だと……珍獣などはどうなるのですか? 知名度の低い動物は、存在があやふやになってしまうではないですか」

ヨハネ「存在自体は十分あやふやだと思うけど……でも、写真とか……それで納得しなかったとしても、動画を見せれば多くの人間は存在すると信じるだけの根拠になると思うわ」

ダイヤ「……まあ、確かに」

ヨハネ「ただ、吸血鬼はそうはいかない……」

ダイヤ「……? ……あ、なるほど……吸血鬼はレンズに映らないから、動画や写真に残せない」

ヨハネ「そゆこと、大多数の人間を納得させるだけの証拠を用意することが出来ない。だから、画一的に存在を証明する方法がない。さて、この現象を的確に言い表した言葉……ダイヤなら知ってるんじゃないかしら」

ダイヤ「……悪魔の証明」

ヨハネ「正解」


……まあ、本来は悪魔は例えなので厳密に悪魔を証明出来ないと言う意味の言葉ではないのですが。

ただ、わたくしがさっき言ったように、あやふやな存在か否かの判断基準はこの言葉に適用出来るかだと言うことでしょう。


ヨハネ「吸血鬼は存在があやふや……多くの人は存在を信じていない。だけど、多くの人が吸血鬼を知っている。あやふやな存在である吸血鬼はそんな人々の“知ってる”で形作られた存在だから、ものすごく明確でわかりやすい多くの特徴を有している」

ダイヤ「十字架や大蒜、聖水、流水、日光が苦手……」

ヨハネ「そう。多くの人が吸血鬼は“そう”だと知っているから」

ダイヤ「…………だから、千歌さんはトマトジュースが好きだったのですね」

千歌「?」


わたくしは以前、吸血鬼はやたら通俗的で、生き物と言うよりはキャラクターに近くはないかと言う疑問を抱いたことがある。

これはまさにその通りで……。


ヨハネ「世間一般に吸血鬼はトマトジュースが好きってイメージが定着してたからよ」


確かに最初から、そういう理屈の存在であるならば、わたくしが吸血鬼に対して思っていた疑問もほとんどが解決する。


ヨハネ「んで、話を戻すけど……満月によって、強化される性質を持つ吸血鬼なわけだけど。……強い外的要因によって影響を受ける怪異だと思う? 思わない?」

ダイヤ「その聞き方は誘導な気もしますが……。影響を受けると思いますわ」

ヨハネ「それが、千歌が他の強い吸血鬼の力を受けて、吸血鬼化しちゃった理由よ。ただまあ、強いて言うなら、力が強いだけで吸血鬼化させられちゃうなら、もっと世界中吸血鬼だらけになってると思うから、たぶん千歌に強い影響力を持っている存在だとは思うわ」

ダイヤ「……理屈はわかりました。では、具体的にその吸血鬼とやらはどこの誰なのですか?」

ヨハネ「……さぁ……?」

ダイヤ「さぁ!? ここまで言っておいてわからないのですか!?」

ヨハネ「しょうがないじゃない……強い吸血鬼ってのはさっきも言ったけど、隠れるのもうまいのよ……。悔しいけど、格下からじゃ妖気そのものがあるのはわかっても、何処の誰か、出所が何処かまではわからない。せいぜい空間内に妖気の強いやつがいるというのがわかるってのが関の山よ」

ダイヤ「…………そんな」


ここに来て手詰まり……。

……と言うか、


ダイヤ「ちょっと待ってください」

ヨハネ「何?」

ダイヤ「なら、どうしてわたくしたちをここまで呼んだのですか? 解決方法を教えてくれるのではなかったのですか?」

ヨハネ「解決方法?」

ダイヤ「どうすれば、千歌さんが元の人間に戻れるのか……」

ヨハネ「ないわよ、そんな方法」

ダイヤ「な……!!」

千歌「え……」


ヨハネさんはあっけらかんとそう言う。

当たり前でしょ、とでも言いたげに。


ヨハネ「本来吸血鬼化した人間が元に戻る方法なんてないわ。時間を掛けて、血を薄めることは出来るけど……。血はずっと体内で作られ続けるしね。骨髄が吸血鬼化していなければ、血を作れば作るほど、割合的に吸血鬼度は減っていくでしょ? 逆に骨髄が吸血鬼のものなら、作られる血は吸血鬼の血だから無理だけどね」

ダイヤ「えっと……あの……それでは、ヨハネさんはわたくしたちに何を……」

ヨハネ「まあ、さすがに気の毒だから、吸血鬼化を進行させず、減衰させる手段を教えようと思って」

ダイヤ「そんなことが……可能なのですか……?」

ヨハネ「ええ。さっきもいったけど、吸血鬼はイメージ体だから、吸血鬼っぽいことをすればするほど、吸血鬼化は進行していくし、しなければ停滞して、あとは血が時間経過で勝手に薄めてくれる」

ダイヤ「吸血鬼っぽいこととは……?」

ヨハネ「能動的な吸血鬼っぽいこととしては、吸血行為ね。あれは一気に吸血鬼性を加速させるわ」

ダイヤ「……!!」

千歌「え……」


つまり、わたくしが良かれと思って、千歌さんに血を飲ませていたのは……実は彼女を吸血鬼に近付けていた、と言うことですか……?


ヨハネ「ま、我慢出来なくなって襲っちゃったら、それこそ吸血鬼のイメージ通りだからね。我を忘れる前に、血を吸ってもらうってのは考え方としては間違ってないわ」

ダイヤ「は……はい……」

ヨハネ「まず、千歌」

千歌「え……あ……はい」

ヨハネ「増血剤を飲みなさい。血をたくさん作る薬よ。出来るだけ真っ赤で、飲んだらいかにも血がたくさん出来そうってやつの方がいいわ」

千歌「……うん」

ヨハネ「直接の吸血は……そうね多くて一週間に一回。それ以外は、指とかから出た血を貰ったり輸血パックがいいわね」

千歌「……うん」

ヨハネ「あと、入浴はちゃんとした方がいいわ。水はそもそも妖気と反発するって信じられてるから……その性質を中和するって考えられてるハーブを浮かべると、だいぶ楽になるわ。シャワーとかはタンクまるごとハーブのお湯にしないとだから、頻繁にはきついかもしれないけど……」

千歌「…………うん」


ヨハネさんが千歌さんに説明する中──わたくしは……。

全然ヨハネさんの言っていることが頭に入ってこなかった。

元に戻る方法は……ない……?

そんな……そんな、ことって……。





    *    *    *





ヨハネ「それじゃ、私が言ったとおりにするのよ? そうすれば、多少不便だなくらいの生活には落ち着くと思うから」

千歌「……うん。……ありがとう、ヨハネちゃん」

ヨハネ「別に、お礼はいい。私も善子の目の前であんたが吸血鬼化するのは都合が悪かったってのもあるし」

千歌「……? どういうこと……?」

ヨハネ「善子は、自分が吸血鬼だってことは一切知らない。ヨハネが起きている間のことは善子の記憶には一切残らない。あの子は自分が吸血鬼だなんて、考えたこともない。そのお陰で、善子は強い吸血鬼因子を持っていても、日常生活に一切不便を感じずに生きることが出来てる。日光は苦手だけど……浴びても大丈夫だし、大蒜も食べられる。流水も怖がらないし、水に不快感もない」

ダイヤ「…………そういうカラクリでしたのね」


吸血鬼はイメージの存在。吸血鬼性をヨハネさんに全て託して切り離している善子さんは、自身が吸血鬼であることを知らなければ、その性質を大きく緩和することが出来ると言うことだろう。

もちろん、それだけではなく……周りに吸血鬼の性質を熟知した人間たちのサポートによって成り立っているのだとは思いますが……。


ヨハネ「だから、善子には絶対吸血鬼のことは言わないで。……あの子に吸血鬼の存在を認識させない、それが私のレゾンデートルでもあるから。あの子が人間として生きるために、私が存在してるから」

ダイヤ「……ええ、承知しましたわ」

千歌「……うん、わかった」

ヨハネ「それじゃね、頑張りなさいよ」





    *    *    *




──帰りの車中。


千歌「えっと……これがハーブで、こっちが増血剤……」

ダイヤ「……はい」

千歌「……あと、注射器」

ダイヤ「……はい」

千歌「…………」

ダイヤ「…………」

千歌「……ダイヤさん、もうチカ元に戻れないって」

ダイヤ「…………」

千歌「でも、頑張れば普通の生活は出来るってヨハネちゃん言ってたし……頑張るね」

ダイヤ「……はい」

千歌「…………」

ダイヤ「…………」


正直、ショックだった。

彼女のためを思って、吸血行為をされる対象になったつもりだったのに。

自分はずっと千歌さんを苦しめていただけだったのでは、と。


千歌「……ダイヤさん、ごめんね」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ごめん……ごめんなさい……」

ダイヤ「どうして、謝るのですか……」

千歌「……チカがダンス上手なら、よかったんだよ」

ダイヤ「……違いますわ」

千歌「善子ちゃんとぶつからなければよかった」

ダイヤ「……違います」

千歌「転んでも受身が取れればよかった」

ダイヤ「……違う」

千歌「ケガしても……すぐに起き上がれば……」

ダイヤ「……千歌さん」


抱きしめる。


千歌「…………」

ダイヤ「貴方のせいではありませんわ……」

千歌「…………」

ダイヤ「……いろいろあって……お互い疲れたと思います。今日はもう……考えるのは止めましょう?」

千歌「……うん」


これからまた……いろいろ考えなくてはいけない日々が始まるのですから……今日くらいは、もう休みたい……。


千歌「…………ダイヤさん……私、ね……」

ダイヤ「……なぁに……?」

千歌「…………うぅん……やっぱり、なんでもない……」

ダイヤ「……そう……」


千歌さんを抱きしめる。

わたくしは怒ってないし、迷惑だなんて感じないし、貴方の力になりたいと心から思っている、という気持ちを伝えるには……一番それがいいと思ったから。

彼女が何を言いかけたのか……わからないけれど……。


ダイヤ「……千歌さん」


ただ、名前を呼んで、抱きしめることにした。

──真夜中の内浦を、黒塗りの車が進んでいく。

その中で……家に到着するまで、二人で肩を落として、抱き合っていました。





    *    *    *





──十千万旅館前。


ダイヤ「……本当に今日は一人で大丈夫ですか?」

千歌「うん……。明日は学校あるし、準備しないといけないしさ」

ダイヤ「そうですか……。何かあったらすぐに連絡してくださいませね」

千歌「うん、ありがと」

ダイヤ「明日の朝は迎えに行きますわ」

千歌「うん、待ってる」


千歌さんの希望で彼女は今日はそのまま帰宅。

千歌さんを見送った後、


ダイヤ「──家まで、お願いしますわ」


わたくしも自宅へと帰還する。

──自宅に帰り、玄関で靴を脱いでいると、


ルビィ「お姉ちゃん……」


ルビィが奥から顔を出す。


ダイヤ「……ただいま、ルビィ」

ルビィ「お、おかえりなさい……」

ダイヤ「打ち上げ、途中で抜け出してごめんなさい」

ルビィ「い、いや……それはいいけど……」

ダイヤ「皆さんは……さすがにもう帰りましたか?」

ルビィ「あ、えっと……」


しどろもどろなルビィの後ろから、


鞠莉「……ダイヤ、おかえり」


鞠莉さんが顔を出した。


ダイヤ「鞠莉さん……。……ルビィ、ちょっと鞠莉さんと話がしたいので」

ルビィ「あ……う、うん、わかった……ルビィはもう寝るね。おやすみなさい……」

ダイヤ「ええ、おやすみなさい」

鞠莉「Good night. ルビィ」


ルビィはなんとなく、この会話には加わってはいけないというのを雰囲気で察したのか、すぐに自分の部屋へと戻って行った。


鞠莉「他の皆は帰った。……と言うか帰した」

ダイヤ「……ありがとうございます」


靴を靴棚にしまって、鞠莉さんを連れ立って自室へと戻る。


鞠莉「……千歌は?」

ダイヤ「だいぶ落ち着きましたわ」

鞠莉「……そ。…………」


鞠莉さんは軽く相槌を打ったあとに、少し悩む素振りを見せましたが、


鞠莉「……ねえ、ダイヤ。これ、もしかしてゴールデンウイークのときの続きなの……?」


意を決したかのように、踏み込んでくる。


ダイヤ「……ご想像にお任せしますわ」

鞠莉「ねぇ、ダイヤ……話して……お願い」

ダイヤ「…………千歌さん、少し疲れてナイーブになってるだけですわ。ここしばらくずっと忙しかったですから」

鞠莉「ダイヤ……」


状況が前と同じなら、もしかしたら鞠莉さんには話していたかもしれない。

だけれど──


 ヨハネ『せっかく落ち着いてた千歌の吸血鬼性を、また無理矢理覚醒させたアホがいるってことよ』


今回は身近にヨハネさん以外の吸血鬼がいることがわかっている。

それが……誰だかわからない。

そうなると……前以上に迂闊にこの話を人にするわけにはいかない。


鞠莉「…………わかった。話せないなら、聞かない」

ダイヤ「……すみません」

鞠莉「……帰るね」

ダイヤ「送りますわ」

鞠莉「いい。迎え呼ぶから。それより、ダイヤ」

ダイヤ「なんですか……?」

鞠莉「ちゃんと休みなヨ? ……酷い顔してるよ」

ダイヤ「……ご忠告、痛み入りますわ」


このとき、自分がどんな顔をしていたのか。

鏡を見なくても……なんとなく、わかっていました。

……これから訪れる日々に対しての、不安に染まった……疲れた顔をしていたんだと思います。





    *    *    *





布団で横になったけれど、全く寝付けなかった。

あまりにいろんな情報が一気に入ってきて、頭がパンクしそうでした。

そして、何よりも……。


ダイヤ「吸血鬼が他にもいる……」


その事実がずっと頭の中を回り続けていました。

吸血鬼……誰なのかしら。

候補から外せる人間は、当事者の千歌さん、他の吸血鬼の存在を知らせてくれた善子さん……そして、ヨハネさん。

わたくしも自分が吸血鬼の家系だなんて聞いたことはない。なら同時にルビィも候補から外れる。

とは言っても……。


ダイヤ「残り……5人……」


この中に吸血鬼がいるのだとして……もし、それを黙ったまま、千歌さんを再び吸血鬼化させた者が居るとするなら……。

わたくしも、千歌さんも……どうやって、仲間たちを信用すれば良いのかがわからない。


ダイヤ「果南さん……」


少し常人離れしたアスリート気質の彼女。あの体力や筋力、運動能力の源泉が吸血鬼の力だったとしたら……?


ダイヤ「鞠莉さん……」


鞠莉さんも、もし最初から千歌さんが吸血鬼化してしまったことを知った上で、わたくしたちに協力してくれていたんだとしたら……?

事情も聞かず、ありとあらゆることを手際よく斡旋してくれたのは、事情を知っていたからなのでは……?

そんなことを思い浮かべてから、


ダイヤ「わ、わたくし……何を考えているの……?」


かぶりを振る。

鞠莉さんが吸血鬼なら、千歌さんの吸血鬼化を解くのを手伝う理由なんてないじゃない。


ダイヤ「……もし、もっと他の目的があるんだとしたら……」


そもそも、淡島は吸血鬼と密接な土地だったと、今日知ってしまった。

そうなると、あの島に住んでいる鞠莉さん、果南さんは否が応でも怪しく思えてしまう。

……でも、淡島がルーツの吸血鬼の血は、千歌さんや善子さんのように本島にも存在している。

なら……他の人たちだって、嫌疑の対象ではないでしょうか。


ダイヤ「曜さん……」


千歌さんと距離が近い彼女は……千歌さんに及ぼす影響も大きいのではないでしょうか。

吸血鬼がイメージの存在だと言うならば……千歌さんへの影響力が大きい曜さんも怪しい。


ダイヤ「影響力と言う意味なら……梨子さんも」


梨子さんは家が隣で物理的な距離が千歌さんと最も近い。

それに東京生まれ東京育ちの梨子さんのルーツについては、全く見当もつかない。

彼女こそ、強い吸血鬼の血を受け継いだ子だったと言われたら……それはそれで、納得してしまいそうだ。


ダイヤ「じゃあ、花丸さんは……?」


花丸さんは他の4人に比べると、少しイメージは和らぐ……。和らぐが……。

彼女は吸血鬼に詳しすぎる気がする……。博識で知識に貪欲な人だと言えば、それまでなのかもしれませんが……。


ダイヤ「ダメ……わかるはずない……」


一度怪しいと考え始めたら、全てが怪しく思えてくる。

こんな状態で誰が吸血鬼かなんて特定出来るはずがない。

……そもそも、特定してどうするの?

特定出来たら、その吸血鬼はわたくしたちにどういうアクションを起こすのでしょうか。

わからない……。わからないことが多すぎる……。

延々といろんな考えが頭の中をぐるぐると回り続ける……。

──……結局、わたくしはその夜、一睡することも出来なかった。





    *    *    *





──翌朝。本日は6月3日月曜日。

徹夜明けでガンガンする頭のまま、千歌さんの家に足を運ぶ。

十千万旅館の暖簾をくぐると、


千歌「あ、ダイヤさんおはよ」


千歌さんが玄関に腰掛けて待っていた。


ダイヤ「えっと……」


わたくしは彼女の様相を見て、少し困惑した。


千歌「えっと……どうかな」

ダイヤ「どう……って……」


千歌さんは……冬服を身に纏っていた。

もう、衣替えも終わったと言うのに。


千歌「えっと……長袖の方がいいかなって、思って」

ダイヤ「……あ、ああ……なるほど」


出来るだけ太陽の光を浴びないようにとのことらしい。


千歌「学校、いこっか」

ダイヤ「え、ええ……」


わたくしは必要になると思って、自宅から持ってきた日傘を手渡す。


ダイヤ「使ってくださいませ……」

千歌「わ、ありがとっ! ……日傘も自分用の買わなくちゃなぁ」

ダイヤ「……え?」

千歌「だって、いつまでも、ダイヤさんの借りてるわけにもいかないじゃん。今度見に行かないと……」

ダイヤ「……そ、そう……ですわね」





    *    *    *





二人で浦女行きのバスを待つ。


ダイヤ「……調子は……どうですか……?」

千歌「ん……前のときの最初の頃みたいな感じ。朝になると歯は元に戻るし、鏡にも映るよ。日差しはきついけど、燃えたりはしないかな。……って、燃えてたら今バス乗ってるどころじゃないよね、あはは」


笑えない。


千歌「大蒜と十字架は無理だけど……水はね、ヨハネちゃんに貰ったハーブがあれば触っても全然平気だし、飲み水にも出来るみたい! ただ、基本はお風呂に使うやつだから……あんまりたくさん飲み水に使っちゃうとなくなっちゃうかも」

ダイヤ「……トマトジュース……また買わないといけませんわね」

千歌「そうだねぇ……いっそコレを機にトマトジュースソムリエでも目指してみようかなぁ……利きトマトジュースとか出来たら、なんか特技になりそうだし!」

ダイヤ「ふふ……なんですか……それ……」


なんでしょう、この会話は……。

千歌さんの明るい口調なのに、何故か胸が苦しくなっていく。


ダイヤ「……今後のこと……どう、しますか」

千歌「ん……?」

ダイヤ「血を吸う頻度とか……」

千歌「あ、うん……一週間に一回が限度って、ヨハネちゃんも言ってたから……土曜か日曜の夜に……いいかな」

ダイヤ「ええ……わかりましたわ」

千歌「あれね、増血剤って思ったより効果ある気がするんだっ。今飲んでるのはヨハネちゃんにわけてもらったやつだから……これもお休みの日に買いに行かないとだけど」

ダイヤ「……血が欲しくなったら……いつでも、言ってくださいね……」

千歌「あ……うん。吸血以外で貰うとき……あるかもしれないから、そのときは、お願いするかも」

ダイヤ「ええ……それで、他のことは……」

千歌「他?」

ダイヤ「どうやって……元に戻るか」

千歌「……それはもう、いいかなって」

ダイヤ「え……?」


わたくしは驚いて、目を見開いてしまう。


千歌「だって……もともと、なりやすかったんでしょ。ならしょうがないかなって」

ダイヤ「しょうが、ない……って、そんな……!!」

千歌「いやでも、改善してくようにはするよ? 不便なのはイヤだもん」

ダイヤ「そういう話、では……」

千歌「そういう話だよ。考えようによっては、なんかちょっと困った体質みたいなものでしょ?」

ダイヤ「そう……でしょうか……」

千歌「そうだよ。それにちゃんと対策すれば、ちょっと不便に感じる程度までは改善出来るってヨハネちゃんも言ってたし!」

ダイヤ「…………」

千歌「あ、そういえばね、日焼けクリームもちょっといろいろ見ておいた方がいいかなって……絶対効果ありそうだもん!」

ダイヤ「…………」

千歌「それとね──」


もう、聞きたくなかった。

脳がこれ以上聞くことを拒否していた。

千歌さんが……自分が吸血鬼であることを、受け入れようとしていることを──わたくしは上手く受け入れられなかった。

学校に着くまでの間、ずっと千歌さんは喋り続けていましたが……果たして彼女が何を喋っていたのか、わたくしは全く理解が出来なかった。





    *    *    *





お昼休み。

気付いたら千歌さんの教室に足を運んでいた。

キョロキョロと教室を見渡す。


梨子「あれ? ダイヤさん」

ダイヤ「梨子さん……千歌さんは?」

梨子「あ、えっと……なんかお昼休みと同時にどっか行っちゃって……。それより昨日、大丈夫でしたか?」

ダイヤ「昨日……ええ、千歌さん……少し疲れていただけみたいなので」

梨子「そうなんですか……」

ダイヤ「それはともかく……千歌さん、探してみますわ、ありがとうございます」





    *    *    *





──なんとなく千歌さんの行き先には見当がついていた。

そして、見当通りの場所で──


千歌「…………くぅ……くー……」

ダイヤ「…………」


千歌さんは昼寝をしていた。

ここは保健室。わたくしが千歌さんが吸血鬼になってしまったことを初めて知った場所。


ダイヤ「…………」


ベッドに腰掛けて、彼女の頭を優しく撫でる。


千歌「…………ん」


彼女は眠りながら、時折苦しそうな表情をする。


千歌「…………ぁ、っぃ……ょぉ……」

ダイヤ「…………」


寝言から……きっと悪夢を見ているんだとわかるけれど、

起こしちゃいけない気もする……。

千歌さんは……絶対に今朝はほとんど寝ていないはずだ。

……いや、吸血鬼化が続くのなら、眠れないのはこれからもだ。

だから……休み時間の間はせめて、寝かせてあげないと……。


千歌「…………ぁ……っ……ぃ…………ぁ……っぃ…………」





    *    *    *





果南「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー……。ストップ」


果南さんが手を止める。


果南「ダイヤ、大丈夫……? へろへろだけど……」

ダイヤ「え……? ……ああ……まあ、はい」

果南「……全然大丈夫じゃなさそうだけど……」

ダイヤ「…………」


大丈夫なわけがないでしょう。

思わずそんな言葉が口から飛び出しそうになり、口を噤む。

頭がガンガンする。

寝不足のせいで、思考がまとまらない、気持ち悪い。

一度そう思ったら、もうダメだった。


ダイヤ「……ぅ……」


思わず口元を押さえて蹲る。


千歌「ダイヤさん!?」


千歌さんが、いの一番に駆け寄ってくる。


ダイヤ「……千歌……さん……」

千歌「大丈夫……? 気分悪い……?」


なんで、わたくしは千歌さんに心配されているのでしょうか。

立場が逆ではないですか……。


千歌「……ちょっと、ダイヤさん保健室に連れてくね」

ダイヤ「………………」


もう何かを言う気力もなかった。

考えたくなかった。





    *    *    *





保健室のベッドに横になって。


千歌「ダイヤさん……何か欲しいものある?」


千歌さんがわたくしを見下ろしている。


ダイヤ「…………」

千歌「……眠い? 目の下、隈酷いよ……?」

ダイヤ「…………」


ああ、そうだ……眠いのですわ。

軽く目を瞑る……。


ダイヤ「…………」


だけれど、眠れる気がしなかった。

頭の奥がずっとチリチリとしているような感覚がする。

眠くて、頭がガンガンしているのに、何故か眠れる気がしない。


千歌「…………ごめん、チカのせいだよね」

ダイヤ「…………違います」

千歌「……あのね、もう心配しなくて……大丈夫だから」

ダイヤ「……なにが……?」

千歌「……ちゃんと受け入れる覚悟……したから」

ダイヤ「…………」

千歌「……これからもいっぱいダイヤさんに迷惑掛けちゃうかもしれないけど……ちゃんと頑張って生きてくから……」

ダイヤ「……千歌さん、迷惑なんかじゃ……ない、ですわ……」

千歌「……うん、ありがとう……」

ダイヤ「……千歌さんは……もう決めたのですわね。吸血鬼として……生きていくことを……」

千歌「……うん」


あっさりと肯定されて。

もう悲しいとか、虚しいとか、やるせないとか、そういう気持ちにもなれなかった。

頭が回ってないのも原因かもしれない。

彼女が、自分で決めたのなら……わたくしも、覚悟を決めないと、いけないのかもしれません。


ダイヤ「ちか……さん……」

千歌「……なぁに?」

ダイヤ「……ずっと……そばに……」

千歌「……っ……。……うん……っ」

ダイヤ「…………すぅ……すぅ……」

千歌「……おやすみなさい、ダイヤさん──」





    *    *    *




──6月4日火曜日。


千歌「えへへ、見て見て」

ダイヤ「まあ、ストッキングですか?」

千歌「うん! 脚が露出なくていいかなって思って履いてみたんだけど……思った以上に履き心地よくって!」

ダイヤ「とても似合っていますわ」

千歌「ホント? えへへ……これからはストッキング女子になるのだ!」





    *    *    *





──6月5日水曜日。


千歌「ダイヤさん、学校って帽子被って行っても平気?」

ダイヤ「登下校の間なら問題ありませんわ。あまり派手なのは、困りますが……」

千歌「えっと、これ……なんだけど……」

ダイヤ「可愛らしいつば広帽ですわね」

千歌「これ……被って行っていい?」

ダイヤ「ええ、いいですわよ」

千歌「やった! えへへ」





    *    *    *





──6月6日木曜日。


ダイヤ「手袋ですか……?」

千歌「うん。ちょっと日差し気になっちゃって……白手袋ならおしゃれかなって」

ダイヤ「……いいと思いますわ」

千歌「ホントに?」

ダイヤ「ええ……きっと似合いますわ」

千歌「えへへ……」





    *    *    *




果南「ねぇ……最近千歌、変じゃない……?」

曜「もう熱くなってきたのに……ずっと冬服着てるよね……」

梨子「急にストッキングになったし……いっつも帽子被ってるし……。なんか手袋してるし」

善子「そういえば、昨日いいアームカバー知らないかって聞かれたわね。なんか、日焼け対策に目覚めたらしいわよ」

花丸「え、千歌ちゃんが……? 珍しいこともあるずらね……」

ダイヤ「…………」





    *    *    *





曜「はぁ……」

果南「どしたの、曜?」

曜「私……千歌ちゃんになんかしちゃったかな」

果南「なんかあったの?」

曜「千歌ちゃん……最近声掛けても、一人で行動したがるというか……」

梨子「……たぶん曜ちゃんだけじゃないよ。教室移動のとき声掛けても、気付いたら一人で先に行っちゃってたりするし……」

曜「私たち避けられてる……?」

果南「考えすぎじゃない……? ……あ、でも言われてみれば最近回覧板も持ってきてくれないなぁ……」

ダイヤ「…………」





    ♣    ♣    ♣





千歌「…………」


千歌「なんで部室、ガラス張りなんだろ」


千歌「…………今日はちゃんと映ってる……」


千歌「あ、はは……考えすぎかな……」


千歌「あ、はは……」


千歌「…………ぐす……っ……」


千歌「…………なんで、チカだけこんな目にあうの……?」


千歌「………………もう、やだ…………やだよ……っ……」


千歌「…………誰か…………っ…………助けて…………っ……」




    *    *    *




千歌さんは徐々に口数が減っていき、一週間もしないうちに、誰とも話さなくなっていった。

梨子さんや曜さん曰く、授業中はずっと寝ているらしい。

昼休みは、すぐに教室から居なくなって……保健室で寝ているようです。

放課後の練習も、次第に無断で休むことが増えていった。

メンバーはしきりに心配して声を掛けているけれど、千歌さんは『なんでもない』の一点張り。

わたくしが話しかけても、ぼんやりと相槌を打つばかりで。

……土曜の夜に、血だけ飲ませに彼女の家に行くが。

吸血を終えると、


千歌「ありがと……おやすみなさい」


その言葉を残して、千歌さんとの時間は終わる。

そして……6月18日火曜日──

それ以降、ついに千歌さんは学校にすら来なくなった。





    *    *    *





──6月20日木曜日。

十千万旅館、千歌さんの部屋の前。


ダイヤ「千歌さん……起きてる?」


返事はない。


ダイヤ「……家の人にあげてもらいました。……入りますわね」


戸を開けて、部屋に入る。

彼女の部屋の中はどこから持ってきたのか、衝立のようなものがあちこちに置かれていて、部屋の中は日中だと言うのに、薄暗い。

そして、そんな部屋の中の隅っこ。ベッドの上で、千歌さんは毛布に包まって、縮こまっていた。


千歌「……何……?」

ダイヤ「……学校、来ませんか?」

千歌「……行きたくない」

ダイヤ「……そうですか」

千歌「……ダイヤさんこそ、サボり?」

ダイヤ「……ええ、そうですわね」

千歌「……生徒会長なのに」

ダイヤ「……そうですわね」


千歌さんが居る方に歩を進めようとして──


千歌「来ないで」


制止される。


ダイヤ「…………」

千歌「…………」

ダイヤ「……血、足りていますか……?」

千歌「…………」

ダイヤ「土曜にあげて以来ですわよね……」

千歌「……吸血鬼って思ったより頭悪いみたいでさ」

ダイヤ「…………?」

千歌「……一度餓えると、おもちゃの手錠も外せなくなるんだよ。鍵の使い方わかんないみたい」

ダイヤ「…………そう」

千歌「…………」

ダイヤ「…………もう、外に出ないつもりですか……?」

千歌「…………外は人間が生きる世界だよ」

ダイヤ「……っ! 貴方は人間ですわ!!」

千歌「違うよ。私は吸血鬼、化け物だよ」

ダイヤ「……っ」

千歌「日光が怖い。水にも触れない。鏡にも映らない。人を襲う。化け物」

ダイヤ「違いますわ!!! 貴方は人間ですわ!!!!」


思わず、千歌さんの元に駆け寄る。

駆け寄って、手を握る。


ダイヤ「貴方は……人間ですわ……」

千歌「……ダイヤさん……もう、いいよ」

ダイヤ「よくないですわ……!!!」

千歌「……バチが当たったんだよ」

ダイヤ「バチ……?」

千歌「私ね、せっかく一度人間に戻れたのに……ずーっと思ってたんだ」

ダイヤ「……?」

千歌「また、吸血鬼に戻れないかなって」

ダイヤ「…………」

千歌「そしたら……また、ダイヤさんが私のそばに居てくれる……ぎゅってしてくれる。……私の大好きな、大好きな、ダイヤさんが私のことだけ考えてくれる、私だけ見てくれる、私のこと守ってくれる、私に優しい言葉を掛けてくれる、私は……」


千歌さんは悲しげに言う。


千歌「──……醜いね」

ダイヤ「そんなことありませんわ……」

千歌「あるよ……迷惑掛けたくないとか言ってた癖に……ホントはダイヤさんを縛り付けたかっただけなんだって」

ダイヤ「……千歌さん……貴方がそう言うのなら、わたくしも貴方に謝らないといけません」

千歌「……なに?」

ダイヤ「……わたくしも、貴方が吸血鬼でなくなってしまったとき……すごく、寂しかった。貴方の傍に居る口実がなくなってしまうのが、悲しかった。……貴方を抱きしめる理由も、手を握る理由も、すぐ傍でいろんなことをお話する理由もなくなってしまうと……ずっと思っていた」

千歌「…………」

ダイヤ「わたくしたちは……一緒ですわ、同じ気持ちですわ、千歌さん」


千歌さんを抱きしめる。


ダイヤ「千歌さん……大好きですわ……心から……貴女のことが大好きですわ」

千歌「…………」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……く、くく……あはは……」


急に、千歌さんは笑い出す。


ダイヤ「千歌……さん…………?」

千歌「……吸血鬼って怖いね、自分の思い通りだね」

ダイヤ「え……な、なに、言って……」

千歌「ダイヤさんが私のこと好きなの……チャームのせいでしょ」

ダイヤ「!!!!? そ、そんなこと……!!?」

千歌「ないって言い切れる?」

ダイヤ「それ……は……」

千歌「……私自身にも……制御が出来ない、魅惑の能力に掛かってたんじゃないって……言い切れる?」

ダイヤ「…………」


力強く抱きしめたはずだった腕から力が抜けていく。

自然と腕が下がる。


ダイヤ「この気持ちが……嘘……?」


思わず、自分の両手を見つめる。

今まで何度も彼女を、自分の意思で抱きしめ、繋いだはずの手が──震えていた。


千歌「……ごめんね。チカがダイヤさんの心も壊したんだ」

ダイヤ「…………嘘」

千歌「自分に都合の良いように捻じ曲げて、自分のことを好きになるように仕向けて」

ダイヤ「……嘘」

千歌「……洗脳した」

ダイヤ「嘘よっ!!!」


掻き消すように、声をあげた。


ダイヤ「千歌さん!!! 好き!!! わたくしは貴女が好きです!!! 大好きですわ!!!!」

千歌「……ごめん、そんなこと言わせて……」

ダイヤ「……っ……ち、がう……わたくし……は……」

千歌「……人を惑わす……化け物なんだ、私」

ダイヤ「…………っ」

千歌「……だから、もう私に構わないで……ダイヤさんは……元の世界に、人間の世界に……帰って……ね?」

ダイヤ「…………」


何か言わないと、と思うのに、声が出ない。


千歌「……ありがと、ダイヤさん……。ここまで、チカを支えてくれて──ありがと……っ……。……ばいばい──」




    *    *    *





──あのあと、気付いたら自宅の自分の部屋に居た。

どうやって家に帰ったのか、記憶がない。

それくらい、ショックだった。

やっと千歌さんに気持ちを伝えたのに、大切な気持ちを、大好きな人に伝えられたのに。


ダイヤ「嘘……だった……」


──全部、嘘だった。


ダイヤ「……滑稽……ですわね……」


自分が大切にしていた気持ちは……作り物だった。紛い物だった。


ダイヤ「……っ……ぅ……っ……、……わた、くし……っ……」


涙が溢れてきた。

きっとこれが生まれて初めて流す、失恋の涙というものなんだと思う、だのに──

この涙も……紛い物だ。


ダイヤ「…………ぅ、ぐ……うぅ……っ……。……ぁ、ぁぁ……っ……」


……それが紛い物だとわかった今でも──悲しさが自分の中で渦巻いて、どうにも出来なかった。

なら……もう、涙と共に……全部流してしまおう。


ダイヤ「ぅ、ぁあぁぁ……っ……!! ぁぁぁ、ぁあぁ……っ……」


声をあげて泣くなんて、いつ以来だろう。

激情に反して、何故か頭の隅っこでは、そんな自分を俯瞰したような思考が浮かんできた。

自分でも驚いてしまうくらい久しぶりに……心の底から悲しくて泣いていた。

……今、泣いて……忘れてしまおう。

泣いて、忘れて……終わりに、しましょう……。





    *    *    *




──6月21日金曜日。

心が空っぽだった。

抜け殻のようになるというのはこういうことなのかもしれない。

授業を受けていても、全てが頭を素通りしていく。

途中果南さんと鞠莉さんが話しかけてきた気もするけれど、内容はよく覚えていない。

空っぽの頭の中で、時折考えるのは、


 『ダイヤさん』 『ダイヤさん!』 『ダイヤさん……』 『ダイヤさん!?』 『ダイヤさん……っ』


千歌さんのこと、だけ。

頭の中で、記憶の彼女が……わたくしの名前を呼んでくれる。

……気付けば、放課後だった。


ダイヤ「練習……生徒会……」


……やらなければいけないことがあるのに。

……どうでもよかった。

千歌さんが居ないなら……もう、どうでもいい。

わたくしはカバンを持って下校した。

生まれて初めて、生徒会を無断でサボった。





    *    *    *





家に帰っても、何もやる気は起きなかった。

ただ、ぼんやり、何をするでもなく座っている。

手持ち無沙汰で……何気なくポケットに手を入れると、

硬いものが手に当たる。


ダイヤ「……?」


手に取ってみると、


ダイヤ「……ロザ、リオ……」


打ち上げのとき、善子さんから預かった、ロザリオだった。返し忘れていた。


ダイヤ「……や、やだ……っ……」


千歌さんと過ごした時間を思い出して、また、勝手に涙が溢れてくる。


ダイヤ「き、気分転換をしましょう!!」


自分に言い聞かせるように立ち上がる。

こういうときは──


ダイヤ「そうですわ!! 好きなものを見て、ストレスを発散して──」


棚を見て、手に取ったのは──


ダイヤ「……っ!」


いつの日か、千歌さんと一緒に見た。スクールアイドルフェスティバルのDVD。


ダイヤ「……また、一緒に……見たかったですわね」


思わず呟いて、


ダイヤ「! ……い、いけませんわっ!!」


ぶんぶんと頭を振る。

少し顔を洗った方がいいかもしれない。

──洗面所に行った。

千歌さんと一緒に覗き込んだ鏡があった。

──厨房に行った。

千歌さんが飲んでいた、トマトジュースのダンボールが置いてあった。中を見ると、最後の一本だけ残っていた。

飲んだ。

トマトジュースの味がした。

──千歌さんとの思い出がない場所に行きたかった。

縁側に行った。

琴があった。

いつか千歌さんに聴いて欲しかったなと、想った。

──家から飛び出した。

千歌さんと歩いた道があった。

千歌さんと見た海があった。

千歌さんが生きてきた──町があった。

──わたくしの心の中に、千歌さんが居ない場所なんて……もう──


ダイヤ「──どこにもあるはず……ないじゃない……っ」


それくらい、寄り添った。抱き合った。手を繋いだ。言葉を交わした。心を寄せた。

なのに、なのに……これは嘘で、紛い物で……。


ダイヤ「わたくし……っ……わたくしは……っ……」


もう、どうすればいいのか、わからなかった。

自分の気持ちがわからなかった。





    *    *    *





ダイヤ「…………」

近くの砂浜でぼんやりと海を見つめていた。

波の音だけ聞いて、出来るだけ考えないように。

──ザザーン、ザザーンと言う音だけ聞いて……。


 「……はぁ、はぁ……こんなところに居た……」


背後から声がした。


ダイヤ「…………」

善子「はぁ……はぁ……ダイヤ…………」


善子さんだった。


善子「皆、探してるわよ……?」

ダイヤ「……どうして?」

善子「どうしてって……千歌に続いて、ダイヤもいなくなったからに決まってんでしょ!」

ダイヤ「……そう、ですか……」

善子「普段……無断で練習休んだりしないのに……連絡入れても全然反応ないし……何かあったんじゃないかって……」

ダイヤ「……そう」

善子「……何かあったの?」

ダイヤ「……そう、ですわね……」

善子「…………そう」


善子さんは、わたくしの隣に腰を降ろす。


ダイヤ「…………善子さん」

善子「ん?」

ダイヤ「自分が信じられなくなることって……ありますか……?」

善子「……この堕天使ヨハネが自分を信じられなくなるなんてこと、ありえないわ」

ダイヤ「……そうですか」

善子「…………。……あるわよ、いっぱい」

ダイヤ「…………」

善子「自分の気持ちなんて、わかんないことだらけよ。きっと皆そうよ」

ダイヤ「………………」

善子「……それが今のダイヤが悩んでることなの?」

ダイヤ「……自分が、大切にしていたはずの気持ちが……偽物だとわかったら……どうすればいいのでしょうか」

善子「偽物……?」

ダイヤ「大切だと……想っていたのに……それが、紛い物だったら……どうすればいいのでしょうか」

善子「……よくわかんないけど」

ダイヤ「…………」

善子「自分の気持ちに偽物も本物もないんじゃない?」

ダイヤ「……え?」

善子「だって、それを想ってるのは自分なんでしょ?」

ダイヤ「…………」

善子「何を基準に偽物とか本物とか言ってるのかはわかんないけど……。そう想ってる自分が居るなら、それ以上のことってないんじゃない?」

ダイヤ「…………そう想ってる自分」


善子さんの言葉を聞きながら、ぼんやりと海の先を眺める。

太陽が沈もうとしていた。


善子「……はー、生徒会長様はなんか難しいことで悩むのね……大変そうだわ」


善子さんは呆れたような口振りで、砂浜に勢いよく寝そべる。


ダイヤ「…………」


日が沈んだ。


善子「…………」

ダイヤ「善子さん……わたくしは……」

善子「…………」

ダイヤ「……? 善子さん……?」

ヨハネ「……ロザリオ、返しなさい」

ダイヤ「え?」

ヨハネ「……封印が弱まって困ってるのよ」

ダイヤ「……ヨハネさん……?」

ヨハネ「……この前ぶりね。調子悪そうじゃない」

ダイヤ「……お陰様で……」

ヨハネ「……さっさと元気になってくれないかしら」

ダイヤ「どの口が言うのですか……」

ヨハネ「吸血鬼周りの問題で凹まれると、善子に波及する可能性があるでしょ。困るのよ」

ダイヤ「……そんなこと、言われましても」

ヨハネ「……んで、何さっきの青臭い若者みたいな悩みは」

ダイヤ「……なんで聞いているのですか。普段は寝てるのでしょう?」

ヨハネ「ロザリオ返してもらわないとだから、善子の中から聞いてたのよ。んで? さっきのは何よ」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「自分の気持ちが紛い物だったとか、何言ってんだかって感じ。自分の気持ちにくらい自分で責任持ちなさいよ。これだから、人間ってめんどくさい」

ダイヤ「……貴方たちはいいですわね。気持ちを作れる側で」

ヨハネ「気持ちを作れる……? 何の話?」

ダイヤ「チャームで……人の心を操れるではないですか」

ヨハネ「……は」

ダイヤ「……元からそうなら……悩まないのかしら」

ヨハネ「……く、く」

ダイヤ「……?」

ヨハネ「……く、ぷぷぷ……! もしかして、あんたが悩んでるのってそんなこと?」

ダイヤ「……そ、そんなことですって!? わたくしは真剣に!!!」

ヨハネ「あんた、チャームのこと……根本的に勘違いしてるわよ」

ダイヤ「……え?」





    *    *    *




──十千万旅館。

千歌さんの部屋の前。


ダイヤ「千歌さん!!! 入ります!!!」


戸を開けて、衝立を押しのけて、中に入る。


千歌「!? な、なんでまた来たの……!!」


千歌さんは手錠をして、それをベッドの脚に括りつけて、床に蹲っていた。

たぶん、夜になったから、吸血欲求への対抗策としてだろう。

だけれど、今はそんなことはどうでもいい。


ダイヤ「千歌さん!!」

千歌「な、なに……?」

ダイヤ「好きです」

千歌「……!」

ダイヤ「貴女が好きです。誰よりも好きです。大好きですわ」

千歌「……」

ダイヤ「わたくしの……嘘偽りない、心からの気持ちですわ」

千歌「……そんなこと言いに来たの」

ダイヤ「ええ、大切な気持ちなので」

千歌「チカが作った……嘘の気持ちの癖に」

ダイヤ「嘘ではありません、わたくしが自分で考えて、自分で想って、自分で辿り着いた、わたくしの気持ちです」


千歌さんの前で膝を折り、近くに置いてあったおもちゃの手錠の鍵を拾い上げて、鍵穴に差し込む。


千歌「…………チャームがここまで言わせるの……? ダイヤさんにここまでさせるの……?」


手錠が外れた手を擦りながら、千歌さんがわたくしを睨みつけてくる。

だけれど、わたくしは彼女に伝える。


ダイヤ「千歌さん……よく聞いてください」

千歌「……?」

ダイヤ「千歌さんのチャームに人の心を操るような効果は……ありませんわ」

千歌「……え?」


──────
────
──


ダイヤ「勘違いとは……どういうことですか……?」

ヨハネ「高位の吸血鬼ならともかく、吸血鬼もどきの千歌に洗脳効果のあるチャームなんて使えるわけないじゃない」

ダイヤ「……!? そ、そんなはずありませんわ! わたくしは実際にチャームを受けて……」

ヨハネ「性的快感はあるだろうし、その場で軽い催眠に近いものは発生するかもだけど……せいぜい長くて10秒くらいでしょ?」

ダイヤ「…………そ、それは」

ヨハネ「そんなの洗脳なんて言わないわよ。マジの吸血鬼の洗脳ってもっとヤバイわよ? 完璧に心酔しきって、平気で自分の命投げ捨てるようになるレベルのものなのよ?」

ダイヤ「それでは千歌さんのチャームは……」

ヨハネ「……ドーパミンとか、そういうのが分泌されたりはしてるかもしれないけど……せいぜい吊り橋効果レベルのものだと思うわよ? それがでかいと感じるか、小さいと感じるかは、個人の感性による気もするけど……──」


──
────
──────



先ほど、ヨハネさんから聞いたことをそのまま話すと……。


千歌「ほん……と……?」

ダイヤ「ええ……本物の吸血鬼に聞いたのですから、間違いありませんわ」


千歌さんは目をパチクリとさせる。

わたくしは──千歌さんの両肩を抱くようにして。


ダイヤ「改めて、言いますわ……。千歌さん、好きです」

千歌「ぁ……」

ダイヤ「貴女のことを……世界で一番、想っていますわ……」

千歌「……ダイヤ……さん……っ……」


千歌さんの目から涙が溢れ出して、ポロポロと零れ落ちる。


ダイヤ「……千歌さんは?」

千歌「っ……!! わたしも、すき……っ!! ……だいやさん、が……すき゛……っ……! ……だいすき゛ぃ゛……っ……!!」

ダイヤ「……なら、やっぱり……わたくしたちの気持ちは、同じですわ……」

千歌「ぅっ……だいやさ゛ん……っ゛、すき、だいすき゛……、ぇっぐ……せ゛かいでいちばん、すきなのぉ゛……っ……」


千歌さんは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、泣きすぎて震えた声で、想いを告げてくれる。


ダイヤ「ふふ……嬉しい……今わたくし……幸せですわ」

千歌「わた゛し゛も……うれし゛ぃょぉ……っ……」

ダイヤ「もう……可愛い顔が台無しよ? 笑ってください」

千歌「ぃぐっ……ぇっぐ……だいや、さん……っ……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「だいや、さぁん……っ……」

ダイヤ「ふふ……ここに居ますわ。ずっと……貴女の隣に……」

千歌「ぅぇぇぇ……っ……」


わたくしはやっと想いが通じ合った貴女を──千歌さんをぎゅっと抱きしめたまま。

千歌さんが泣き止むまでの間、彼女を撫でながら、愛を伝え続けたのでした。





    *    *    *





千歌「…………ぐすっ」

ダイヤ「落ち着いた?」

千歌「…………うん……」

ダイヤ「ふふ、よかった」

千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「酷いこと言って……ごめんね。ダイヤさんの気持ち……嘘だなんて言って……」

ダイヤ「……正直、かなり傷つきましたわ」

千歌「!? ご、ごめんなさい……」

ダイヤ「だから……責任取って、ちゃんと傍に居てください。傍に居させてください……」

千歌「ぁ……ダイヤさん……」

ダイヤ「いいですわね?」

千歌「……うん」


ぎゅーっと抱きしめる。

気付けば……部屋の中はもう真っ暗だった。


ダイヤ「もう……すっかり夜ね」

千歌「うん……あ、あの、さ……」

ダイヤ「? なんですか?」

千歌「……その……血、吸って……いい……?」

ダイヤ「……もう、仕方のない人ね……」


今さっきまで、それをしたときに起こる現象について、あれこれ言い合っていたところなのに。


千歌「あの……ね……ダイヤさんの血が欲しい……」

ダイヤ「……それは吸血鬼的な愛の告白なのかしら?」

千歌「そうかも……」

ダイヤ「……わかりました。ただ、今吸ったら1日フライングだから、次の土曜まで我慢ですわよ?」

千歌「うん……」


千歌さんの手を引いて、ベッドに腰掛ける。


ダイヤ「千歌さん……来てください」

千歌「……うん」


ベッドに腰掛けるわたくしに対面で跨るようにして、千歌さんが抱き付いてくる。

そして──


千歌「血……いただきます。……ぁむっ」


噛み付いた。

──ブスリとキバが突き刺さってくる。


ダイヤ「……ぁっ……♡」

千歌「……ん、ちゅぅー…………」

ダイヤ「…………は、ぁ……♡ ……ちか、さ……♡」


快感が背筋を走る。吐息が漏れる。


ダイヤ「……はっ……はっ……♡ ちか、さ……♡」

千歌「…………ちゅぅーーー…………ちゅぅー…………」

ダイヤ「んっ……♡ んぅ……っ……♡」


快感で力が抜けて、千歌さんの体重を支えきれなくなり、そのままベッドに背中から倒れこむ。


ダイヤ「はっ……♡ はっ……♡ ちか、さ……ん……♡」

千歌「……ちゅ、ちゅぅ…………ちゅぅぅ…………」

ダイヤ「……んぅっ……♡」


千歌さんに押し倒される形で吸血される。


ダイヤ「はっ♡ はっ♡ ちかさん……♡ おいしい……?♡」

千歌「……おぃひぃ……♡」

ダイヤ「よか、った……♡」

千歌「……ちゅぅー……」

ダイヤ「……ひ、ぁぁ……♡」


千歌さんの背中に回した腕に力が篭もる。

ぎゅっと抱きしめて、彼女の温もりを感じながら、血を与える。

──程なくして、


千歌「……ん、ぷは」

ダイヤ「ん゛っ♡」


吸血が終わり、キバが引き抜かれた。


千歌「は、は、ごちそうさま……♡」

ダイヤ「は、は……♡ ちか、さん……♡」


そのまま千歌さんを抱きしめる。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「……は、ふぅ……」


抱きしめたまま、少し待っていると、吸血の余韻も収まってくる。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「今の吸血……今までで一番幸せだったかも……」

ダイヤ「ふふ……わたくしも同じことを想ってましたわ……」

千歌「えへへ……おんなじ……」


千歌さんと顔を見合わせて微笑みあう。

目の前に、可愛らしい顔があった。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「ん」

ダイヤ「……目、つむって」

千歌「……うん」


千歌さんが目をつむった。

そのまま──


ダイヤ「──……んっ」

千歌「んっ……」


──接吻を交わした。

ファーストキスは──鉄の味がした。

目を開けると、


ダイヤ「ふふ……///」

千歌「……ほぁ///」


至近距離で再び目が逢う。


千歌「……ダイヤさん……/// もっと、ちゅー……/// したい……///」

ダイヤ「……わたくしも……同じ気持ちですわ……/// ん……っ」

千歌「……ん……っ」


幸せな時間に、心が満たされていく。

日も完全に落ちきって、部屋の中も暗いけれど、

至近にいる貴女の顔を確かめながら、何度も何度も口付けをする。

もう、何も遠慮する理由もないから。

わたくしたちの心は通じ合っているから。

ただ想うがままに……お互いを求め合うのです──。





    *    *    *




ダイヤ「んぅ…………」

千歌「くぅ……くぅ……」


目が覚めると、千歌さんがわたくしの胸の中で、可愛らしく寝息を立てていた。


ダイヤ「ふふ……」


なんだか、嬉しくなってしまう。

千歌さんと……恋人同士になったのだと改めて実感する。

恋人と迎えた、初めての朝ですわね……。


ダイヤ「……そういえば時間は」


部屋の壁掛け時計に目をやると──時刻は11時を指していた。


ダイヤ「寝坊ですわね……」


今日が土曜日でよかった。


千歌「むにゃむにゃ……」

ダイヤ「ふふ……幸せそうな寝顔」

千歌「……らぃぁさぁん……」

ダイヤ「ふふふ、はぁい」

千歌「……しゅきぃ……」

ダイヤ「わたくしも好きですわよ…………ちゅ」


眠ったままの愛しい人のおでこにキスをした。


千歌「……えへへ……」

ダイヤ「ふふふ……」


全く幸せそうだし……わたくしも幸せな気持ちでいっぱいですわ……。





    *    *    *





昼過ぎに二人で起き出して。


ダイヤ「千歌さん……わたくし、ずっと考えていたのですが……」

千歌「? なぁに?」

ダイヤ「人間に戻る方法……やっぱり、もう一度探してみませんか?」


そう提案をした。


千歌「…………人間に」

ダイヤ「……はい。ヨハネさんは元に戻る方法はないと言っていましたが……本当にそうなのでしょうか」

千歌「……っていうと?」

ダイヤ「千歌さんは一度……完全に吸血鬼性がなくなるところまで、人間に戻っていますわよね」

千歌「うん。それがなんかすごい他の吸血鬼? の影響で元に戻っちゃったんだよね」

ダイヤ「ええ。……ですが、わたくしヨハネさんの口振りに……実は少しだけ引っかかるところがありまして」

千歌「引っかかるところ?」

ダイヤ「はい。……ヨハネさんの口振りでは、一度吸血鬼化した人間は、時間を掛けて血が薄まっていく以外の方法では吸血鬼性を薄めることすら出来ないようなニュアンスで言っていた気がするのですわ」

千歌「……言われてみれば」

ダイヤ「ですが、千歌さんが以前、人間に戻った方法は……違いましたわよね?」


そう……血を薄めたのではなく、吸血鬼の部分を太陽の光で焼き尽くしたのです。

ヨハネさんはこの方法については一言も言及しなかった。

危険な方法なので、あえて触れなかったという可能性も十分ありますが……。


ダイヤ「ヨハネさんは……吸血鬼部分だけを燃やせるということを知らないのではないでしょうか?」

千歌「……そんなことあるのかな? ヨハネちゃん本物の吸血鬼だし……」

ダイヤ「知っていたら知っていたで、それから諦めても遅くないでしょう……確認してみる価値はあるとは思いませんか?」

千歌「それはそうかも。わかった、聞いてみよう」

ダイヤ「ええ!」


さて、問題は……ヨハネさんとのコンタクト方法ですわね。

昨日砂浜で会ったときに、ロザリオは返してしまったので、また封印状態になっていると思いますし……。


ダイヤ「夜の時間帯に……どうにか善子さんを呼び出して、ロザリオを外してもらうしかない」

千歌「……それなら、チカにいい考えがあるよ!」

ダイヤ「いい考え……?」





    ♣    ♣    ♣





──時刻17時。

沼津の駅前で辺りを伺いながら待つ。


 「え? 駅前の……どこよ?」

千歌「! きた!」


声のする方を見ると、善子ちゃんが電話を片手に駅前を歩いている。


善子「……だから、どこよ!? 駅の樹のところって!? 待ち合わせ下手か!?」


タイミングを見計らう。


善子「駅の正面側から見て真っ直ぐって……えーっと、一旦駅の方を……え──」


善子ちゃんとばっちり目が合う。

このタイミング──


千歌「!!」


私は脚に力を込めて、駆け出す。


善子「ちょ!? 千歌っ!!? 待って!!!! ごめん、ダイヤ!!!! あとで掛けなおす!!!!」


善子ちゃんが電話を切って、追ってくるのを確認しながら、振り切らないように、でも追いつかれないようにダッシュする。


善子「千歌っ!!!! 待って!!!! 逃げないでっ!!!!」


沼津の駅前から、一気にさんさん通りを南下していく。

ここから約1kmの徒競走……!!


千歌「はっ!! はっ!! はっ!!」


久しぶりに思いっきり身体を動かしている気がする。

でも、意外と身体はしっかり動く。

吸血鬼化のお陰で体力が増えてるのかもしれない。


善子「千歌……っ!! ……げほっ!! 待って……!!!」

千歌「……おとと」


ちょっとペースを上げすぎた。

不自然にならない程度に少しペースを下げながら走る。

大通りを一直線に走りぬけ──目的地が見えてきた。

ここらへんで──


千歌「はっ……はっ……」


疲れた振りをして、ペースを一気に落とす。


善子「!! 超加速!!!」


その瞬間、善子ちゃんが一気に走りこんでくる。


千歌「……ふふ」

善子「千歌ぁぁぁぁっ!!!!」


そのまま、善子ちゃんにタックルされるように捕獲された。


千歌「あ、あちゃー……捕まっちゃった……」

善子「はぁっ!! はぁっ!! 捕まっちゃったじゃない……わよっ!! あんた学校にも、来ないで……っ! どこ行ってたのよ……っ!!」

千歌「えっと……自分探しの旅?」

善子「皆心配してるのよっ!?」

千歌「あはは……ごめん」

善子「は……はぁ……もう……。……まあ、元気そうで、安心した」

千歌「……うん。善子ちゃん、汗だくだね」

善子「あ、当たり前……じゃない……駅前から、全力疾走、してきたのよ……ってか、あんた……なんで、全然汗、かいてないの、よ……」

千歌「鍛え方が違うので」

善子「同じメニューこなしてるわよ!? ちょっとやめてよ、ヨハネがサボってるみたいじゃない!」


善子ちゃんと問答をしているところに──


ダイヤ「善子さーーん!!」


ダイヤさんがやってくる。よし、打ち合わせ通り。


善子「ダイヤ!?」

ダイヤ「はぁ……はぁ……善子さんが走ってるところが見えたので……」

善子「あ……ごめん。でも、あんたが待ち合わせ下手なのがいけないんだから……って、それどころじゃないわよ、ダイヤ!」

ダイヤ「……あら、千歌さん」

千歌「やっほー」

善子「……へ? なんで、驚かないのよ、あんたたち……?」

ダイヤ「あら……言ってませんでしたっけ、最初から千歌さんも呼ぶ予定でしたのよ?」

善子「は? ……あ、いや、だから沼津の駅前に……? ……いや、でもなんで逃げるのよ」

千歌「追いかけてくるから?」

善子「逃げるんじゃないわよ!? あーもう……汗かき損じゃない……」

千歌「まあまあ♪」

ダイヤ「どちらにしろ、善子さんの家にお邪魔するつもりだったので」

善子「え、そうなの?」

千歌「うん♪ 私たち二人で“ヨハネ”ちゃんに会いに来たんだからね♪」

ダイヤ「ええ」


私とダイヤさんは二人で、“ヨハネ”ちゃんに向かって、ウインクをしてみせた。





    *    *    *





──津島家。


善子「ごめん……ちょっと、シャワー浴びてくる。部屋で待ってて」

千歌「おかまいなく~」

善子「あんたのせいで汗だくなんだから、少しは申し訳なさそうにしなさいよ!? 部屋のもの勝手にいじらないでよね……」


そう言って、善子さんはシャワーを浴びに部屋を出て行った。


千歌「……うまく行ったね」

ダイヤ「あとは、察してくれるかどうかですが……」


──数分後

部屋の扉が開き、部屋の主が戻ってくる。


ヨハネ「……待たせたわね。人間ども」

千歌「! ヨハネちゃんだよね?」

ヨハネ「はぁ……あんまり何度も何度も呼び出さないでよね。記憶が飛ぶ分、善子に違和感が残るんだから」


どうにか、うまく行きました。

シャワールームに入る際はさすがにロザリオは外すでしょうから。

ロザリオを外したら、あとはヨハネさんが外に出て来てくれるのを待つだけという寸法です。


ダイヤ「すみません……ですが、どうしても確認したいことがあって」

ヨハネ「確認したいこと……? まさか、またチャームの……」


ヨハネさんがわたくしたちをじーっと見つめて。


ヨハネ「……へー」

千歌「ん……な、なにかな///」

ダイヤ「……コホン///」

ヨハネ「そんなにぴったりくっついておいて、どうもこうもないでしょ……ま、そっちに関してはうまくいったみたいね」

ダイヤ「まあ……お陰様で」

千歌「えへへ……///」

ヨハネ「……んで、聞きたいことって何?」

ダイヤ「吸血鬼から……人間に戻れるかについてですわ」


わたくしは話を切り出す。


ヨハネ「……だから、そんな方法ないわよ。じっくり、血の割合を減らしてくしかないって言ったじゃない」

ダイヤ「本当ですか? 本当にそれしか方法はないのですか?」

ヨハネ「はぁ……今更隠す理由もないでしょ。ないわよ。それ以外は微塵もない、存在しないわ」

千歌「!」


やはり……ビンゴでした。


ダイヤ「……もし、その方法があると言ったら?」

ヨハネ「……はぁ?」

ダイヤ「そもそも……千歌さんはどうやって一旦、吸血鬼化を解除したか、知っていますか?」

ヨハネ「極力吸血我慢して、血を薄めたんでしょ……?」

ダイヤ「違いますわ」

ヨハネ「……なんですって?」

千歌「私は……日光で吸血鬼の部分を焼き尽くしたんだよ」

ヨハネ「は……?」


ヨハネは千歌さんの言葉に、目を見開いて驚く。


ヨハネ「はぁ!!? そんなことしたら、燃え尽きて……。……いや、待てよ……千歌の吸血鬼化は本当にレアケースもレアケース……」


ヨハネさんはしばらく考えた後、


ヨハネ「ちょっと詳しく聞かせてもらえないかしら」


目論見通り、わたくしたちの話に食いついてきました。





    *    *    *





ダイヤ「──という風に、吸血鬼性を日光で焼き尽くしたのですわ」

ヨハネ「…………」


わたくしたちは、ヨハネさんに日光を使った吸血鬼化の解除の方法をお話しました。

その間、彼女はわたくしたちの話を興味深そうに聞いていました。


ヨハネ「……なるほどね」

ダイヤ「一通り聞いてみて、どう思われましたか?」

ヨハネ「……まあ、まず思ったのは、めちゃくちゃなことするわねってことかしら」

千歌「あはは……確かに、死ぬほど熱かった」

ヨハネ「でしょうね。普通の吸血鬼だったら、絶対死んでるわ」

ダイヤ「普通の吸血鬼だったら、とは?」

ヨハネ「吸血鬼にとって、日光ってのはホントに弱点中の弱点なのよ。吸血鬼状態で日光に当たると細胞単位で燃えるように出来てるの」

ダイヤ「確かに吸血鬼は日光で灰になると言いますからね」

ヨハネ「ただ……千歌は吸血鬼もどきで、しかも人間の部分もまだかなり残ってたから……燃えたのは表面の吸血鬼の細胞だけだった。だから、その下から残った人間が出てきたと考えられなくもない」

ダイヤ「他の吸血鬼はこういう方法を試したりはしないのですか?」

ヨハネ「そもそも……吸血鬼から戻れるって発想がなかったからね。しかも太陽の光を浴びるってのは文字通り自殺行為だから……。……その上でどうして千歌が助かったのかの考察をするなら」

千歌「するなら?」

ヨハネ「吸血鬼性の発現する血が身体に入り込むとするじゃない。その血を端に徐々にそれが身体に伝染してくものって考えて欲しいんだけど……その吸血鬼の血は全身を巡りながら、徐々に身体の細胞を吸血鬼の細胞に置き換えていくの」

ダイヤ「……なんだか、ウイルスのようですわね」

ヨハネ「感染病と同視されるイメージのせいかもね。それに引っ張られてこういう発現方法なのかもしれないわ。──えっと、話戻すわね。その細胞だけど……人間部分が多い吸血鬼もどきなら、吸血鬼部分が燃え尽きても、十分人間としての部分が残ってたってことなんじゃないかしら」

ダイヤ「少々曖昧ですわね」

ヨハネ「まあ、私も考えたことがなかったから……。ただ、出来たって言うのは大きい。せいぜい、千歌とダイヤ、あんたたちの常識の範囲内では、吸血鬼もどきはそれで人間に戻れるというイメージが定着したってことになる」

千歌「イメージが定着した?」

ヨハネ「一度出来たってことは、たぶんまた出来るってこと。前にも言ったけど、私たち吸血鬼はイメージの存在だから、常に性質そのものは人からどう認識されてるかで書き換わっていくのよ」

ダイヤ「なら、もう一度同じように吸血鬼の部分だけ消せば……」

ヨハネ「……まあ、また元に戻れるとは思うわ」

千歌「ホントに!?」

ヨハネ「ただ……元に戻っても、更にまた吸血鬼に戻ることがあるってのも事実よ」

ダイヤ「……そうですわね、その事実もわたくしたちは認識してしまっている」

千歌「じ、じゃあ……吸血鬼化するたびにやれば……」


ヨハネ「それでもいいけど……やっぱりリスクがでかい方法だとは思うわ。たまたま、うまく行っただけで、もし身体の重要な器官が吸血鬼化してたら、それが焼き切れて死ぬ可能性は十分にあるわ。それに……」

千歌「それに……?」

ヨハネ「そのたびに死ぬほど熱い思いするのに耐えられる?」

千歌「……無理かも」

ダイヤ「…………ヨハネさん」

ヨハネ「ん?」

ダイヤ「もしかして、なのですけれど……吸血鬼性って、そもそも極限まで血が薄まれば、普通の人間レベルのものには戻るのですか?」

ヨハネ「戻るわよ。ただ、因子が残ってる以上、何かの拍子に一気に吸血鬼化しちゃうってことがあるってだけ。今回の場合は圧倒的に強い吸血鬼に引っ張られて血が覚醒しちゃうってことね」

ダイヤ「……でしたら、千歌さんを吸血鬼の方に引っ張ってくる原因を絶てば、千歌さんは実質人間に戻れるのではないですか?」

ヨハネ「……まあ、理論上はそうだけど」

ダイヤ「けど?」

ヨハネ「…………」


ヨハネさんは黙り込んでしまう。


ダイヤ「……方法があるなら、教えて下さいませんか?」

ヨハネ「……理論上あるにはあるけど……実現不可能なことは方法とは……」

ダイヤ「教えて下さい……本当に出来るか否かは、聞いてからでも判断出来ますし……」

ヨハネ「……。…………外的影響を受けて吸血鬼化するってことはよ?」

千歌「うん」

ダイヤ「はい」

ヨハネ「自分より、明確に大きな存在だから、そういう影響を受けちゃうってことじゃない?」

ダイヤ「ええ、そうですわね」


今回の話は相互作用ではなく、強い個体に引っ張られて血が覚醒してしまうと言う話です。


ヨハネ「……なら、自分たちが影響を受けないほど、大きな存在になればいい」

千歌「……? どういうこと?」

ヨハネ「……まあ、簡単に言っちゃうなら、自分を吸血鬼化させてる吸血鬼を超越しちゃえば、そいつから影響を受けることはなくなるんじゃないかって話」

ダイヤ「……なるほど」

ヨハネ「ただ……妖気だけで、周りを覚醒させるって、ホントに半端じゃない個体だと思うのよね……。そいつらを超えることなんて……」

ダイヤ「ちなみに超える……というのは」

ヨハネ「……いろいろあるとは思うけど……明確に上下の優劣が着くことで上に立ったほうがいいから、戦って勝つとかかしら」

ダイヤ「個人戦ですか?」

ヨハネ「……? 千歌が持ってる、吸血鬼性の要素が上回るかが問題だから……個人戦じゃないかしら」

ダイヤ「……言い方を変えますわ。……もし、千歌さんの能力で眷属化した個体の力は……千歌さんの能力として数えられますか?」

ヨハネ「……は……? あ、あんたまさか……」

ダイヤ「どうなのですか?」

ヨハネ「……それが千歌の能力で作られた眷族なら、千歌の吸血鬼性と考えて問題ないと思うわ」

ダイヤ「そうですか……安心しましたわ」

千歌「どういうこと……?」

ヨハネ「……つまり、ダイヤは──あんたと協力して、ヤバイ吸血鬼を倒そうと思ってるってことよ」




    *    *    *





ダイヤ「……あとはその吸血鬼が誰かの特定ですわね」

ヨハネ「…………」

ダイヤ「何か、わかりませんか……?」

ヨハネ「ねえ、話を進める前に……ダイヤも千歌も……本当に何倒そうとしてるかわかってる?」

ダイヤ「……わたくしたちより遥かに強い吸血鬼ですわ」

ヨハネ「二人掛かりだからって、勝てる相手じゃないわよ?」

千歌「んー……でも、それが出来たら全部解決するんだよね?」

ヨハネ「んまあ、そうだけど……」

千歌「なら、やってみる価値はあるよ。それに……」

ヨハネ「……それに?」

千歌「……ダイヤさんと二人なら……なんか、出来ちゃう気がする」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ダイヤさんとなら……なんでも出来る気がする。なんか一緒にいるだけで、勇気とパワーが無限に溢れてくるというか……!」

ダイヤ「ふふ……そうですわね」

ヨハネ「…………」


ヨハネさんはわたくしたち二人を交互にじーっと見つめた後に、


ヨハネ「…………まあ、もしかしたら、もしかするかもね」


そう言った。


ダイヤ「ヨハネさんからお墨付きをいただけたので……改めて、その吸血鬼の特定を致しましょう」

ヨハネ「別にお墨付きってほどのものじゃないけど……宝くじで1等当てるくらいの確率はあるかもねって話よ」

千歌「でも、ゼロじゃない!」

ヨハネ「……ま、いいわ。んで、吸血鬼が誰かだっけ?」

ダイヤ「ええ。……もうこれは虱潰しで当たっていくしか……」

ヨハネ「虱潰しねぇ……」

ダイヤ「ルビィは候補から外れますので……5人の内の誰かだと思うのですが……」

ヨハネ「5人……? ……いや、Aqoursの中にはいないわよ」

ダイヤ「え……!? で、ですが身近に千歌さんに大きな影響力を持っている人間なんて……」

ヨハネ「いやだって……千歌の吸血鬼化が解けてから、また発現するまでの間に毎日接してるのに、なんであのタイミングだったのよ。Aqoursメンバーだったら、吸血鬼化が解けてもまたすぐに吸血鬼化してるはずじゃない」

ダイヤ「……あ……」


言われてみれば単純な話でした……。

千歌さんに影響力のある人間と言う話だったので、勝手にAqoursメンバーだと思いこんでいましたが……タイミングが合っていません。


ダイヤ「タイミング……?」


逆に言うなら……あのタイミングに出会った人物なのでは……?


ダイヤ「あのタイミングと言えば……」

千歌「あ、スクールアイドルフェスティバル……!」

ヨハネ「……確かに、スクールアイドルフェスティバルに参加してたスクールアイドルなら、千歌に対して影響力を持っているって言えるわね」


ですが……。


ダイヤ「スクールアイドルフェスティバルの参加ユニットは数十組……その中から更にメンバーとなると、数百人以上……この中から、絞りきるのは……」

ヨハネ「まあ、その中でも強いチームだとは思うけどね」

ダイヤ「強いチームですか?」

ヨハネ「強い吸血鬼って、とんでもないカリスマ性を持ってるのよ。……わかりやすく言うと、無差別チャームみたいな……。見てる側が自然と魅了されるくらいの圧倒的な存在感を持ってるって感じかしら」

千歌「確かに有名なチームには、そういう人っているよね……」

ヨハネ「あとは、もっといかにもな特徴があればねぇ……」

千歌「いかにもな特徴?」

ヨハネ「ほら……結局普段は吸血鬼性を隠す工夫をしなくちゃいけないわけじゃない? 善子だったらロザリオを身に付けてるとか……。まあ、目に見えない封印術だったらお手上げだけど……いっつも大蒜、首から提げてるスクールアイドルとかいないの?」

ダイヤ「居るわけないでしょう……」

ヨハネ「聖水携帯してるやつとか」

千歌「いないよー……」

ヨハネ「あとは……名前縛りとかかしらね」

ダイヤ「名前縛り……?」

ヨハネ「実物より効果は薄いけど……名前を付けることで封印することも出来るのよ。名で縛るとか言うでしょ? 大蒜とか十字架って名前のスクールアイドルいないの?」

ダイヤ「居るわけないでしょう!」

千歌「スクールアイドル……聖水」

ダイヤ「千歌さんまで……」

千歌「……セイントアクア……」

ダイヤ「いや……聖水はHoly water……え?」

千歌「……あ、あれ……?」

ダイヤ「よ、ヨハネさん!!」

ヨハネ「ん?」

ダイヤ「名前による封印って……どれくらいの自由度があるのですか!?」

ヨハネ「……象徴性がしっかりしてれば、割と自由度は高い思うけど……。……あ」


居ましたわ……名前で吸血鬼を縛っている、スクールアイドル……!


千歌・ダイヤ・ヨハネ「「「Saint Snow!!」」」

ヨハネ「『Saint Snow』⇒『聖なる雪』⇒『聖雪』……雪は溶ければ水になるし……確かに、効果はありそうね」

千歌「Saint Snowなら存在感もこれでもかってくらいあるし……」

ダイヤ「彼女たちの象徴である雪の結晶も……確か聖なるものの象徴として、神性を見出す解釈がありましたわよね」

千歌「あ……それ、なんか学校で聞いたことあるかも」

ヨハネ「さすがミッションスクールの生徒ね……。雪の結晶構造が自然物だと思えないほど綺麗な幾何学模様としてるところからって話よね……。Saint Snowの象徴が雪の結晶だって時点で、それも名前に内包したダブルミーニングだと思うわ」

千歌「あとSaint Snowって衣装によっては十字架とかもつけてたよね」

ダイヤ「つまり……」

ヨハネ「たぶん、ビンゴよ」

千歌「やったぁ!」

ダイヤ「後は……これが聖良さんなのか、理亞さんなのか……」

ヨハネ「……徹底的に名前で縛ってるなら、聖良かしらね。両方って可能性もあるけど……」

ダイヤ「……それでは……確認をしましょう!」

ヨハネ「……確認?」

千歌「どうするの?」

ダイヤ「実際に会いに行きます!!」





    *    *    *





善子「……ねえ、なんで私、函館に居るの?」

千歌「昨日一緒に行こうって約束したじゃん!」

善子「そうだっけ……?」

千歌「そうだよ!」

善子「……言われてみればそうだった気も……」

ダイヤ「どちらにしろ、旅費はわたくし持ちなので、気になさらないでください」

善子「……まあ、そういうことなら……」


本日6月23日日曜日。わたくしたちは突貫で函館まで訪れていました。


千歌「それにしても……ホントに函館に来ちゃうなんて……」

ダイヤ「善は急げと思ったので……。それより、千歌さん、聖良さんたちに連絡は付きましたか?」

千歌「うん、大丈夫。19時半ごろに聖良さんたちのお家に行くって伝えてあるから……」

ダイヤ「ありがとうございます、千歌さん」

千歌「うんっ♪」


お礼を言いながら、頭を撫でてあげると、すごくご機嫌になる。

わたくしの彼女……可愛いですわ。


善子「……なんかいちゃいちゃしてる。……ってか、このタイミングで函館居て……明日学校行けるのかしら……?」




    *    *    *





……さて、何故19時半に行くと連絡したかと言うと……。


 ヨハネ『会うなら日が沈んでからにしなさい。そうじゃないと、ヨハネが外に出られないから』


とのこと。

確かにわざわざ善子さんを連れて来たのに、ヨハネさんが出られないのでは来て貰った意味がほとんどない。

付いてきて貰って、実際外に出るのはヨハネさんと言うのは、善子さんには申し訳ないですが……。

日没時間は19時15分頃。なのでこの時間に設定しました。

件の時間になって──今は鹿角姉妹のご実家の甘味処の前に居ます。


ヨハネ「……あー……これ違和感バリバリ残るわよね……。あんたたち、どうにか後でフォローしておいてよ……?」

千歌「お任せを!」

ダイヤ「承知しました」

ヨハネ「それじゃ……行くわよ」


3人で店へと入っていく……──。


聖良「いらっしゃいませ──皆さん、ようこそいらっしゃいました」

理亞「ん……来たんだ、いらっしゃい」

千歌「聖良さん、理亞ちゃん、こんばんは!」

ダイヤ「スクールアイドルフェスティバル以来ですわね」


まずは友好的に──


ヨハネ「んで、どっち?」

千歌「!?」

ダイヤ「!? ヨ、ヨハネさん!!」

理亞「どっち……? 何が?」

聖良「…………どういう意味でしょうか」

ヨハネ「……反応からして姉の方ね。空間内にダダ漏れだから、まどろっこしい話は抜きでいいかなって」

理亞「は……? 善子、あんた今日は輪を掛けてキャラきついけど……」

聖良「……どうやら、私にお話があるみたいですね」

理亞「ねえさま……? 善子のいつものアレだから、気にしなくても……」

聖良「理亞、ちょっと私の部屋にお通しするから、店番お願いしていい?」

理亞「え……わ、わかった……」

千歌「その間、理亞ちゃんは私とお話しよ?」

理亞「……? まあ、いいけど……」


千歌さんがそう言って、カウンター越しの理亞さんの前に腰を降ろす。

千歌さんはヨハネさんの提案で、一先ずは会話には参加しないと言うことになっている。

もし、姉妹のどちらかが──もうほぼ確定しましたが──故意に千歌さんを吸血鬼化しているのだとしたら、密室で相対するのは危険だと言うことだったので、千歌さんは残った姉妹とのお話担当ということになっている。


聖良「ダイヤさんと……ヨハネさんとお呼びした方がいいんですかね? どうぞ、こちらへ」

ヨハネ「……ダイヤ、行くわよ」

ダイヤ「……はい」


二人で聖良さんの部屋へと進んでいく。


ダイヤ「……先ほどの口振り、ヨハネさんの正体には勘付いていますわね」

ヨハネ「向こうが格上だからね……封印状態解いてたら隠すのは無理よ」


こそこそと二人で話していると、


聖良「大丈夫ですよ、心配しなくても、何もしてこなければ、何もしませんから」


と、聖良さんが前を歩きながら、わたくしたちに向かって言葉を向けてくる。流石吸血鬼……耳が良い。


ダイヤ「…………」

ヨハネ「そりゃ、何よりね」

聖良「……ここが私の部屋です。どうぞ」


聖良さんの部屋の中に通される。


聖良「好きな場所に腰掛けてください。……まあ、ゆっくりお茶でも飲みながらする話をしにきたわけでもなさそうですけど」

ヨハネ「話が早くて助かるわ」

聖良「それで、何用ですか? あまり理亞の前でその話はしないで欲しいのですが……」

ヨハネ「……理亞は吸血鬼じゃないの? あんた、かなり血濃いでしょ?」

聖良「理亞も吸血鬼ですが……本人は知りません」

ヨハネ「……ちなみに血の濃さって聞いたら答えてくれるの?」

聖良「両親共に75%の吸血鬼ですので、私も理亞も75%ですよ。理亞は自覚がないですし、かなりきつく吸血鬼性を封印しているので、ほとんど影響はないですけど」

ダイヤ「……聖良さんは影響があるのですか? 日中はどうやって……」

聖良「函館の日差しなら、燃えた先から再生すれば間に合うので……」

ダイヤ「え」

ヨハネ「吸血鬼ジョークよ、真に受けない」

ダイヤ「…………」


なんとわかり辛いジョークなのでしょうか……。


聖良「私も基本的に、きつめの封印をしているので……」


聖良さんはそう言って、服の内側からロザリオを取り出す。


ヨハネ「ユニット名も含めて……何重にも封印してるのね」

聖良「やたらめったら人に知られていいものでもないですからね……ただ」

ダイヤ「……ただ?」

聖良「パワー全開なら、ホントに燃えてる先から再生しても間に合いますけど」

ダイヤ「……こ、これも吸血鬼ジョークですか?」

ヨハネ「……これはたぶんマジのやつね」

ダイヤ「…………」

聖良「それで……遠路はるばる、函館まで何をしに?」

ヨハネ「単刀直入に言うと、千歌があんたの影響で吸血鬼化した」

聖良「……そうだったんですか」

ヨハネ「その口振りだと気付いてなかったわね?」

聖良「スクールアイドルフェスティバルの会場内に何人か吸血鬼の気配がしていたのは気付いてましたが……わざわざそれが誰かまで詮索するつもりもなかったので。それにしても、近くに居ただけで吸血鬼化するとは、千歌さんは随分感応性が高いんですね?」

ヨハネ「それに関しては、まさにその通りね……超希少種ってレベルだと思うわ」

ダイヤ「あの……聖良さん」

聖良「なんですか?」

ダイヤ「千歌さんを……元の人間に戻すことは出来ないでしょうか?」

聖良「無理ですね」


即答される。


ダイヤ「…………」

聖良「こちらから、何かアクションを起こしているというならまだしも……勝手に影響を受けて吸血鬼化してしまった人に、私が出来ることは、何も……」

ヨハネ「ま、それは無理よね……」

聖良「それはともかく……お二人は私に何を話しに来たんですか? 今後吸血鬼化しないように、千歌さんに近付かないで欲しいという話でしょうか」

ヨハネ「……そうね、それもありかもだけど」

聖良「けど?」

ヨハネ「……千歌とダイヤはもっと根本的な解決を望んでるわ」

聖良「ほう……」

ヨハネ「あんたの影響を受けても、吸血鬼化しない……元の人間に戻ることを望んでる」

聖良「……つまり、果し合いを申し込みに来たと……」


聖良さんの目が赤く光った気がした。


ダイヤ「……はい。聖良さん、貴方に勝って、千歌さんと一緒に人間の世界に戻りたいと思っていますわ」

聖良「……わかりました」

ダイヤ「……いいのですか?」


思いの外、あっさり了承されて、拍子抜けする。


聖良「ただ……内容が内容なので、一切手加減できませんけど……」

ヨハネ「ま……手加減されて勝ったとしても、相手を超越したことにならないしね……」

聖良「ダイヤさん」

ダイヤ「な、なんでしょうか……」

聖良「最悪、死にますよ」

ダイヤ「……!」

聖良「いえ……違いますね。……十中八九、貴方も千歌さんも死ぬことになると思います」

ダイヤ「……」

聖良「それでもいいと言うなら、お相手します」


死ぬ……。

あまりに軽々しく、その単語が出てきて、反応に窮する。


ヨハネ「……最終判断は千歌とダイヤに委ねるとして、日取りをこっちから指定していいかしら?」

聖良「どうぞ」

ヨハネ「7月3日水曜日の深夜0時で」

聖良「7月3日ですか……」


聖良さんが部屋に掛けてあるカレンダーに目を配る。


聖良「なるほど、いい日取りですね……承知しました」

ヨハネ「じゃあ、交渉は終わりね。……さっさと撤退するわよ」

ダイヤ「え、で、ですが……」

聖良「もう帰ってしまうんですか?」

ヨハネ「ええ、これからこいつらを鍛えないといけないみたいだから」

ダイヤ「え?」


ヨハネさんはわたくしを指差しながら、そう言う。


聖良「そうですか」

ヨハネ「ただ、言っておくけど……」

聖良「?」

ヨハネ「たぶん、千歌もダイヤも化けるわよ」

ダイヤ「……ヨハネさん……?」

聖良「……それは楽しみですね」

ヨハネ「帰るわよ、ダイヤ」

ダイヤ「は、はい……失礼します、聖良さん」

聖良「はい、また今度」


わたくしたちは、話を終えて、聖良さんの部屋を後にした。





    *    *    *




理亞「──そ、ルビィ頑張ってるんだ……」

千歌「うん、それでねー……あ! ダイヤさん、ヨハネちゃん、お帰り」

ダイヤ「ええ、ただいまですわ」

理亞「話、終わったんだ」

ヨハネ「ええ、邪魔したわね」

理亞「別に……邪魔だとは思ってないけど」

ヨハネ「今日はこれでお暇するわ」

理亞「……あんたたちホントに何しに函館まできたの?」

ヨハネ「いろいろよ」


そう言って、ヨハネさんはさっさと店から出て行ってしまう。


ダイヤ「千歌さん、行きましょう」

千歌「あ、うん。……あ、えっと、これ代金ね。白玉ぜんざいおいしかったよ、ごちそうさま」

理亞「ん……次来るときは……ルビィも連れて来てよね……」

ダイヤ「ええ、そうさせて頂きますわ」





    *    *    *





──夜の函館をホテルまで歩く道すがら。


ダイヤ「あの、ヨハネさん」

ヨハネ「ん?」

ダイヤ「先ほど言っていた……鍛えるというのは……」

ヨハネ「……ああ」


ヨハネさんは、わたくしの質問に思い出したかのように声をあげる。


ヨハネ「あんたたちに、吸血鬼戦のやり方を叩き込もうと思って」

千歌「吸血鬼戦の……やり方?」

ヨハネ「……戦い方を知らなかったら、あんたたち一瞬で肉団子にされるわよ」

千歌「に……!?」

ダイヤ「教えてくれるのは有り難いですが……どうして、そこまで協力的なのですか?」

ヨハネ「ん?」

ダイヤ「その……今更言うのもなんなのですが……。ヨハネさんはわたくしたちを助けなくても、困らないのではないかと思いまして……」

ヨハネ「まあ……そうね……。気まぐれっちゃ気まぐれなんだけど……」


ヨハネさんはわたくしと千歌さんの前に歩み出てから振り返る。


ヨハネ「……高を括ってる、高位吸血鬼をぎゃふんと言わせたいな、なんて思ってね」

ダイヤ「ぎゃふんと……ですか」

ヨハネ「本来吸血鬼って下克上とかしないのよ。お互い干渉しないし、あんまり群れないし、基本バレないように生きてるから」

千歌「そうなんだ……」

ヨハネ「だから、ホンキで取りに行くって言うモノ好きたちに力を貸して、ホントに出来るのか見てみるのも……悪くないかなって。あと……」

千歌「あと……?」

ヨハネ「あんたたちには……それだけのことを出来る可能性が、ある。……私の直感はそう言ってる、それだけ」

ダイヤ「そうですか……。ならば、その期待に応えないといけませんわね」

千歌「うん!」

ヨハネ「じゃ……ホテルに帰ったら早速特訓ね」

千歌「え、今日からやるの!?」

ヨハネ「当たり前でしょ……そんなに時間ない上に、今のあんたたちクソザコなんだから」

ダイヤ「クソザコですか……手厳しいですわね」

ヨハネ「あと……死ぬほどきついから、覚悟しておいてね」

千歌「臨むところだよ!!」


さあ、Xデーまで、あと9日……。





    *    *    *





ヨハネ「まず千歌、出来ることを増やしましょう」

千歌「出来ること?」

ヨハネ「今のままじゃ戦闘技術が少なすぎる。吸血鬼の能力は応用が利くから、いろんな技を教えるわ」

千歌「わかった!」

ヨハネ「ただ、その前に……喉渇いたから、トマトジュース買ってきてくれない?」

千歌「了解であります、コーチ!」

ヨハネ「ゆっくりでいいからねー」


千歌さんはトマトジュースを探しに、ホテルの部屋を飛び出して行った。


ダイヤ「……この近くにトマトジュースなんて売っているのでしょうか?」

ヨハネ「ま、だいぶ探さないとない気がするわね」

ダイヤ「…………何かわたくしにしか出来ない話でも?」


千歌さんを遠ざけたと言うのは、そういうことでしょう。


ヨハネ「いや、ホント話が早くて助かるわ。……あんたがホンキで首突っ込むつもりなのか、最後の確認をしておきたくて」

ダイヤ「最後の確認……?」

ヨハネ「……わかってると思うけど、あんたも千歌と同じ吸血鬼もどきになる。もし、聖良に勝てなかったら……仮に生き残っても、千歌と一緒に吸血鬼として余生を送ることになるわ」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「訓練の時点で……吸血鬼にしか出来ない技をいくつも教えるから、千歌には強めの吸血鬼化をしてもらうし、その際に正しい眷属化のさせ方も教える。そうなったら、後戻りは出来ない」

ダイヤ「そうですか……」

ヨハネ「自分は千歌と体質が違うとかは思わない方がいいわよ。眷属化は、かなり強く結び付くことになるから、千歌の吸血鬼化が進行したら、それに釣られてダイヤも吸血鬼化することになる」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「あんたがいくら一人で、吸血鬼の世界から逃げおおせても、千歌が吸血鬼化したら、あんたも千歌に引っ張られて吸血鬼化する。そういう風になる覚悟はある?」

ダイヤ「もちろんですわ」

ヨハネ「……即答ね」

ダイヤ「わたくしは……もう逃げないと決めたのです。千歌さんと一緒に最後まで戦い抜くと、そして一緒に帰ると……約束したのですわ」

ヨハネ「…………野暮なこと聞いたわね。わかった、じゃあ手加減しないわ。……ダイヤ」

ダイヤ「なんですか?」

ヨハネ「……あんたたちは私が責任を持って強くしてあげるから……絶対やりきりなさい」

ダイヤ「ありがとうございます……よろしくお願いしますわ!」


さぁ……特訓開始ですわ──




    *    *    *










    *    *    *




──7月2日火曜日。

時刻は──20時。


千歌「わ! 高いたかーい!」

ダイヤ「もう……はしゃぎすぎですわよ」


今は千歌さんと二人で函館山をロープウェイで登っているところです。


千歌「でも、これから、私たち戦うんだよ? アップしないと!」

ダイヤ「ロープウェイ内でくらい静かになさい……」


騒がしい千歌さんに嘆息しながらも、ロープウェイの窓から空を眺める。

暗闇の中に──闇に溶けるように存在する、丸い輪郭。

本日は新月です。



──────
────
──


ヨハネ「まず、戦闘を行う日は新月よ」

ダイヤ「新月ですか?」

千歌「満月じゃないの?」


吸血鬼がフルパフォーマンスを発揮出来るのは満月だと思うのですが……。


ヨハネ「確かにあんたたちが一番パワーを発揮出来るのは、満月の夜だけど……。それは向こうも同じ。加えて純度が違うから強化倍率も桁が違う」

千歌「どれくらい違うの?」

ヨハネ「あんたたちが満月で10倍パワーアップするんだとしたら、聖良は1万倍くらい強くなるわ」

ダイヤ「なるほど……それはまさに桁違いですわね」

ヨハネ「ただ、吸血鬼はとにかくピーキーな怪異よ。吸血鬼の性質が強ければ強いほど、新月による能力低下倍率も大きくなる。あんたたちのパワーが10分の1くらいになるとしたら、聖良のパワーは100分の1くらいになるわ。これがホンキで戦う聖良に対して勝機を見出せる要素の一つ」

ダイヤ「それでも、10倍しか違わないのですわね……」

千歌「せっかくなら、低下倍率もサービスして欲しい……」

ヨハネ「文句言わないの。それに強さの絶対量が違いすぎるから、これでもパワーで逆転出来るなんて思っちゃダメよ?」

千歌「はーい」

ダイヤ「承知しましたわ」


──
────
──────



千歌「それにしても……ヨハネちゃんの特訓、きつかったなぁ……」

ダイヤ「千歌さん、泣いてましたものね」

千歌「ダイヤさんも泣いてたじゃん」

ダイヤ「あれはたぶんまともな精神構造をしていたら、誰でも泣きます」

千歌「だよねぇ……」


普段なら反論しているところかもしれませんが、もうそういうレベルではなかったので。

苦しいとか、きついとか言う次元ではなく。

その日の訓練が終わったときに、自分が泣きながら訓練を受けていたことに気付く、そういうレベルです。


千歌「ま、でも……」


千歌さんが身を寄せてくる。


千歌「ダイヤさんが一緒に居てくれるから……頑張れたよ」

ダイヤ「ええ……わたくしも同じ気持ちですわ」

千歌「うん……♪」


ロープウェイは──間もなく、山頂に到着します。





    *    *    *





千歌「わーーー!!!! 絶景ーーーーー!!!!」

ダイヤ「これは……確かに絶景ですわね」


函館山の山頂から見える夜景は観光名所としても有名ですが……。

これは本当に綺麗ですわね。

二人で並んで夜景を眺めていると──


千歌「えっへへ……」


千歌さんが寄り添ってくる。


ダイヤ「ふふ……」


その肩を抱く。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「ダイヤさんと一緒に居たら……チカ、無敵だから」

ダイヤ「ふふ、頼もしいですわね」



──────
────
──


ヨハネ「千歌、ダイヤ、あんたたち、訓練以外は基本的に二人で過ごしなさい」


沼津に戻っての特訓一日目でヨハネさんにそう言われた。


ヨハネ「出来るだけイチャイチャしてなさい」

千歌「いちゃいちゃ……///」

ダイヤ「何故、それを命令されているのでしょうか……」

ヨハネ「……勝機があるとしたら、こっちは二人ってことよ。これは圧倒的なアドバンテージと言ってもいい」

ダイヤ「圧倒的、ですか?」

ヨハネ「何度も言ってるけど……吸血鬼はイメージで性質が決まる。だから、自身の強さを信じてくれるパートナーが居るってことは、お互いを強化出来るファクター足りうる」

千歌「なにそれ!? じゃあ、チカたち無敵じゃん!! ダイヤさんと一緒にいたら、絶対負けないもん!!」

ヨハネ「そう! その意気よ、千歌! お互いを信頼して、支え合って、鼓舞し合うことによって、どこまでもビルドアップ出来る。だから、パートナーをよく見て、知って、良いところをたくさん褒め合いなさい。そしたら、あんたたちは無敵だから!」


──
────
──────



ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん?」

ダイヤ「目、つむって」

千歌「えっへへ……このままキスしたら、歯ぶつかっちゃいそうだね」


確かに今はお互いキバが生えているから、気をつけないと……。


ダイヤ「気をつけますわ」

千歌「うん、上手にシてね……」


二人っきりの展望台で、千歌さんを抱き寄せて──


ダイヤ「……ん」

千歌「……ん」


口付けを交わした。


千歌「……えへへ」

ダイヤ「千歌さん……好きよ」

千歌「うん……私も、大好き」


函館山の夜景をバックに、二人で抱きしめ合う。

……数時間後には死線の中に居るであろうに、なんだか不思議な感じですわね。

いえ……だからこそ、でしょうか。


千歌「ヨハネちゃん……今も準備してるのかな」

ダイヤ「きっと、気を遣ってくれたのだと思いますわ……」


ヨハネさんは日が落ちてすぐに、


 ヨハネ『人払いの結界の準備するから、あんたたちはデートでもしてきなさい』


と言われ、今こうして二人っきりで過ごしている。


千歌「それにしても……ヨハネちゃん、人払いの結界なんて作れるんだね」

ダイヤ「本物の吸血鬼恐るべしですわ……実は善子さんのやってる儀式もバカに出来ないのかもしれませんわね……」

千歌「全部終わったら、ちょっと真面目に教えてもらおうかな……」

ダイヤ「ふふ……それもいいかもしれませんわね」


──ブッブ。


ダイヤ「あら?」

千歌「ん、携帯?」

ダイヤ「ええ……。……鞠莉さんからですわ」

千歌「なんて?」

ダイヤ「生徒会の仕事の報告ですわ」


前回聖良さんに宣戦布告をしたあと──沼津に帰りはしたのですが……。

日が沈んだら特訓を開始、日付変更と共にヨハネさんの指導が始まり(善子さんが就寝するので)、夜明けと共に泥のように眠り、起きたら日が沈みかけている。

そんな日々の繰り返しだったので学校に行く余裕など全くなかったため、千歌さんとわたくしは季節外れのインフルエンザと言うことで学校を休んでいます。

その間、鞠莉さんは文句一つ言わず……ずっと、わたくしの仕事を代わってくれていたようで……。

今回の一件。鞠莉さんにはずっと影で支えてもらってばかりでしたわね。

いつか、ちゃんと恩返しがしたいですわ……。


ダイヤ「千歌さんには皆さんから、連絡来ていますか?」

千歌「うん、毎日来るよ。チカが引きこもってた間も……毎日来てた」

ダイヤ「そう……」

千歌「今はちゃんと返事してるよ。来週くらいからはちゃんと登校出来るって言ってある」

ダイヤ「ふふ、では、ちゃんと帰らないといけませんわね」

千歌「もっちろん!」


──時刻はそろそろ22時が迫ってきている。


ダイヤ「……そろそろロープウェイが終わってしまいますね……下山しましょうか」

千歌「うん」


夜景を後にして、下山をする。

約束の時間は0時──刻一刻と戦いのときが迫ってくる。





    *    *    *





千歌「──……ちゅぅー……ちゅぅー……」

ダイヤ「……ん……っ……千歌さん、おいしい……?」

千歌「んー! ……ちゅ、ちゅー……っ……」

ダイヤ「ふふ…………♡」


今は一旦ホテルに戻ってきて──最後の吸血の真っ最中。

この戦いが終わった後は……訓練のためにかなり強くなった吸血鬼化をゆっくり抜かなければいかないため、今後も何度か血を与える行為は続けることになりそうですが……。

とはいえ、吸血鬼化を維持するような頻度で行う吸血行為はきっとこれが最後でしょう。

訓練中は何度も血を飲ませていたので、さすがに刺激にも慣れてきた気がします。


ダイヤ「……千歌さん……」


ぽんぽんと背中を叩く。吸血を終わって欲しいという合図。


千歌「……んー……ちゅー…………」


ですが、千歌さん無視して血を吸い続けている。


ダイヤ「……千歌さん、吸いすぎですわ」

千歌「……ん、ぷはっ……ちぇ」

ダイヤ「ちぇ……では、ありません……。この後のこともあるのですから、少しは遠慮してください」

千歌「はーい……それじゃ、そろそろ行く?」

ダイヤ「いえ……その前に……」

千歌「?」


わたくしはホテルに備え付けてある、冷蔵庫を開いて、中からソレを取り出す。

真っ赤な液体の入った瓶。


千歌「!? そ、それは……!!」

ダイヤ「一本16,200円……最高級トマトジュースですわ」

千歌「買ったの!? え、飲んでいいの!?」

ダイヤ「ええ、戦いの前に祝杯と致しましょう。……あーあと……ヨハネさんが夕食を用意しておいたからと言っていましたわ。戦いの前に食べるようにと……えーっと……」

千歌「ごはん、ごはんっ!」

ダイヤ「これですわね……」


ヨハネさんが用意したらしい、ビニール袋の中からパックに入れられたソレを取り出す。


千歌「……ん、なにこれ?」

ダイヤ「……大量の鳥レバーと豚レバー……」

千歌「……つまみみたい」

ダイヤ「トマトジュースのつまみですか……あ、あと野菜もあると……」

千歌「あ、サラダもあるなら多少はアッサリして……」


同じようにビニール袋の中から、取り出したソレは……。


ダイヤ「……ほうれん草の缶詰ですわね」

千歌「ポパイじゃないんだから!!!」

ダイヤ「戦闘前に鉄分を補給しておけということでしょうか……。まあ、頂きましょうか」

千歌「もっとなんかオシャレなご飯がよかったなぁ……グラタンとかさ……」

ダイヤ「まあ……せっかく函館に居ますしね……」

千歌「蟹グラタン!」

ダイヤ「ふふ、いいですわね」

千歌「蟹、蟹食べたい!」

ダイヤ「全部終わったら食べに行きましょうね」

千歌「うん!」


とりあえず、千歌さんとわたくしの二人分、グラスにトマトジュースを注いで。


千歌・ダイヤ「「いただきます」」


トマトジュースを一口煽る。


千歌「ほぁ……!!」

ダイヤ「まぁ……!」


二人揃って感嘆の声が漏れる。


千歌「めちゃくちゃおいしい……!! さすが最高級!! 16,200円!!」

ダイヤ「本当においしいですわ……トマトジュース特有の癖みたいなものが全然感じられない……」


多少ドロリとはしていますが、甘味と酸味が程よい感じで混在し、何よりコクがある。味はしっかりと感じるのに、トマトジュース特有の青臭さがほとんどなく、非常に飲みやすい。


ダイヤ「これは……いくらでも飲めてしまいそうですわ」


今の自分の味覚が吸血鬼に寄っているとは言え、そういう贔屓目なしにしたとしてもこれはおいしいと言える。


千歌「はぁーーーー!!! おかわりっ!!!!」

ダイヤ「ふふ、味わって飲んでくださいね」


奮発してよかったかもしれませんわね……。

飲み物ばかりじゃなくて、レバーにも手をつけないと……そう思いレバーを口に運ぶと、


ダイヤ「……! これも随分良いレバーですわね……」

千歌「ホントに? ……あむ……。……わ、確かに……おいしい」


焼きたてではないのに、柔らかいし、レバー特有の血なまぐささが比較的抑えられている。


ダイヤ「ヨハネさん……良いモノを選んできてくれたのかもしれませんわね」

千歌「っ……! なんか、泣けてきちゃうなぁ、もぉ……」

ダイヤ「ふふ……そうね」


短い間だったとは言え、なんだかんだでここまで付き合って、わたくしたちを鍛えてくれた、いわば恩師です。

そんな恩師からの最後の餞別と言うことなのでしょう。


千歌「きっと……このほうれん草も……」


千歌さんが缶詰の中にフォークを突き刺して、取り出したほうれん草を口に運ぶ。


千歌「……普通のほうれん草だ」

ダイヤ「ふふ……わたくしにもくださいな」


二人でのんびりと、最後の食事を楽しみ──食べ終わった頃には時計は23時半を指し示していた。

……わたくしたちは、最後の戦いに臨むために、身支度を整えてホテルを後にします……。





    *    *    *





──今回、戦闘を開始するのに指定した場所。

旧函館区公会堂前に向かう道すがら、


ヨハネ「ん」


ヨハネさんが街路灯に、もたれかかって待っていた。


ヨハネ「来たわね。……似合ってるじゃない、その衣装」

ダイヤ「ふふ、ありがとうございます」

千歌「うん! 自分たちでもそう思う!」


──わたくしたちは、この戦闘に備えて、衣装を用意していました。

千歌さんが着ている服は、いつぞやの堕天使スクールアイドルのときに着ていた、ゴスロリ衣装。

リボンも黒、トレードマークのヘアピンも黒を基調にハートをあしらったデザインで上半身は黒一色。

脚は真っ黒なクロス・ストラップ・シューズに、真っ白なフリルハイソックスで飾っている。

そして、あのときは衣装を着ていなかったわたくしも、ゴシック調の肩出しのプリンセス・ドレスに、黒のオペラ・グローブ。

脚には真っ白なフリルサイハイソックスと、真っ黒なストームパンプスでコーデし、おまけに頭にはゴスロリ衣装で使うブーケのようなミニハットを被っている。


ダイヤ「なんだか……本当にリトルデーモンになったみたいですわね」

千歌「うん! なんかゴスロリ衣装してると、ホント悪魔っぽいというか、吸血鬼っぽいなって!」

ヨハネ「ふふ、そう思えるのはいいことだわ。間違いなく、千歌とダイヤの吸血鬼性にプラスの方向に働くはずよ」


吸血鬼としてのイメージをより強固にするために、こうして今日のために用意したのです。

いわば、これがわたくしと千歌さんのバトルドレスということですわね。


ヨハネ「二人とも、訓練中も散々言ったけど……殺す気で戦いなさい」

千歌「……うん」

ダイヤ「わかっています」

ヨハネ「それくらい相手は強い、格上の吸血鬼。ホンキで殺すつもりで行って、やっと勝てる可能性が僅かにあるってくらいの賭けなんだからね」


ここまで、文字通り血を吐くような訓練をして来ました。

それでも尚ここまで念を押されるというのは……そういうことなのでしょう。

心して挑まなければならない。


ヨハネ「……あと、この一帯の結界は張り終えた。結界内で壊したものとか建物は……あとで妖気で修復出来るから」

千歌「お、おお、便利……」

ダイヤ「最後まで、ありがとうございます……」

ヨハネ「ま、最悪全部終わった後に聖良にも手伝わせるつもりだし……気にせず思いっきり戦ってきなさい」


ヨハネさんはそう言っておどけたあと、


ヨハネ「……千歌、ダイヤ。教えられることは全部教えたつもりだから」

ダイヤ「はい」

千歌「……うん!」

ヨハネ「後は……勝って来なさい」


そう激励してくれる。


ヨハネ「んでもって……ちゃんと、帰って来なさい。戻ってこないと……善子が哀しむから」

千歌・ダイヤ「「はい!」」

ヨハネ「それじゃ……行ってらっしゃい」

千歌「行ってきます!」
ダイヤ「行ってきますわ」




    *    *    *




──二人でぎゅっと手を握って、踏みしめる。

一歩一歩、踏みしめて。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん」

ダイヤ「本当に……いろいろなことがありましたわね」

千歌「だね……濃密すぎて、ここ2ヶ月くらいで何年分くらいの経験したんだろって思うよ」

ダイヤ「ふふ、そうね……ですが、そんな長かった戦いも……これで終わりですわ」

千歌「うん。……なんかさ」

ダイヤ「はい」

千歌「終わるって思ったら、ちょっと寂しいね」

ダイヤ「ふふ……同じことを考えていましたわ」

千歌「あんなに大変だったのに、変なの」

ダイヤ「うふふ……ホントにね。……千歌さん」

千歌「なぁに?」

ダイヤ「勝ちましょう」

千歌「うん」

ダイヤ「勝って……一緒に、元の世界に──帰りましょう」

千歌「うんっ!!」


約束の場所に着くと──


聖良「……来ましたね」


聖良さんが、公会堂の門の前に立っていた。


千歌「こんばんは」

ダイヤ「ごきげんよう」

聖良「……さて、戦う前に……何か話したいことはありますか?」

千歌「うーん、そうだな……」


千歌さんは少し悩んだあと、


千歌「……全部終わったら、また同じステージで踊りたいな」


聖良さんにそう伝える。


聖良「……そうですか、それは素敵なお誘いですね」


聖良さんは肩を竦めて笑う。


ダイヤ「……そのために手加減なんてやめてくださいね? そんなことしたら……──聖良さん、死んでしまうかもしれませんから」


わたくしは不敵に笑う。


聖良「……言うじゃないですか。ホンキで私に勝てると思ってるんですね」

ダイヤ「もちろん。勝ちに来たのですから」


もう覚悟は決まっている。わたくしも、千歌さんも。


聖良「いいでしょう……なら、お互い全ての力を出し切って──殺し合いましょう」

千歌「……行きます……!!」


──時刻は、0時。

夜空にその輪郭だけを浮かべる真っ黒な新月に見守られる中、

最後の戦いが──始まった。




    *    *    *





聖良「……それでは」


聖良さんが、服の中からロザリオを取り出し──投げ捨てる。

それと同時に、


聖良「この姿……人に見せるのは本当に久しぶりですね」


キバが生えてくる。それと同時に──


ダイヤ「……なるほどどうして」

千歌「…………」


とてつもない妖気があふれ出してくるのが、わたくしたち紛い物の吸血鬼でもわかる。

肌がビリビリとし、その存在感に思わず屈服しそうになる。


聖良「降参しますか?」

ダイヤ「それも吸血鬼ジョークですか?」

千歌「降参なんて、しないよ!」

聖良「そうですか……残念です」


聖良さんは肩を竦める。


ダイヤ「……千歌さん、どうぞ」

千歌「うん──ガブッ」


わたくしが合図をすると、千歌さんが躊躇なく首筋に噛み付き、血を──


千歌「……ん、ぶ……っ……」

ダイヤ「……ん……」


──わたくしに“注入”してくる。



──────
────
──


ヨハネ「吸血鬼戦において、これからあんたたちに教える主な要素は5つ。まず最初に眷属化について教えるわ」

ダイヤ「血を吸うことによって、吸われた対象が眷属化するのですわよね」

ヨハネ「ええ、眷属化の程度は、吸われた血の量や吸血回数に比例するんだけど……千歌はそれだけだと、強い眷属化は出来ないわ」

千歌「強い眷属化?」

ヨハネ「とりあえず、千歌。いつもみたいにダイヤに噛み付いてみて。……ダイヤ、覚悟はいいわね」

ダイヤ「ええ、いつでもどうぞ」


髪をまとめて右肩の前に垂らして、いつものように左首筋を露出する。


千歌「じゃあ、噛むね」

ダイヤ「はい」

千歌「──あむっ」

ダイヤ「……っ……」


──キバが突き刺さってくる。


ヨハネ「それじゃ、そのまま……吸うんじゃなくて、血をダイヤに注ぎ込んでみて」

千歌「ふぉふぇ!? ふぇふぃるろ!?」

ヨハネ「よーくイメージすれば出来るわ。噛み付いた部分から、自分の血液をダイヤに押し込む感じ。……ダイヤ、最初は痛いかもしれないけど、我慢しなさい」

ダイヤ「……は、はい……」

千歌「……やっふぇみゆ……──ん、ぐ……」


普段はここから、何かが抜けていくような感覚だったのですが──


ダイヤ「……っ゛!!」


何かが無理矢理侵入してくる違和感がする。


ダイヤ「な゛に゛……っ゛……!! こ゛れ゛……っ゛……!!」


侵入してきたものが首筋から拡がっていき──どんどん身体が熱を帯びていく。

それと同時に、全身が痙攣を起こし、


ダイヤ「い゛っつ゛……っ!!!!」


痙攣を起こした部分が全身に響くような鈍痛を生じ始める。


千歌「!! らぃぁしゃ……っ!!」

ヨハネ「千歌、やめるなっ!!」

千歌「!!」

ヨハネ「半端なことしたら、眷属化の完遂に時間が掛かるわ。ダイヤはとっくに覚悟して眷属化を受けてる。あんたが躊躇するな」

千歌「……っ」

ダイヤ「千歌……さ、ん……だい、じょうぶ……だから……!!!」


わたくしとヨハネさんの言葉を聞いて、千歌さんが頷く。

それと同時に── 一気に千歌さんの方から、何かが押し込まれてくる。


ダイヤ「ぃ゛……き゛……っ!!!」

ヨハネ「全身が眷属化を受け入れて……一気に吸血鬼の特徴が現出するわ。急激な身体の変化のせいで、痛みが走る。あともうちょっとだから、頑張りなさい」

ダイヤ「は゛……い゛……っ……!!」


ヨハネさんの言う通り身体が急激に変化しているのが、わかる。

筋繊維一本一本が強靭なものに発達し、骨が頑強に重鈍になっていく。全身の神経が昂ぶって、肌が髪が、この空間に存在する空気の形を認識している。

耳には、いつもは聞こえないような微かな環境音が届き、近くに居る存在全てに違うニオイがあることが嗅ぎ分けられる。

そして──メキメキと音を立てながら、急激に犬歯が伸び始めている。


ヨハネ「……もういいわよ」

千歌「……ん、ぷはっ」

ダイヤ「……っ゛……」

千歌「ダイヤさんっ!!」


千歌さんのキバが首筋から離れると同時に崩れ落ちる。


ダイヤ「だ、大丈夫……です……」

ヨハネ「……それが、眷属化。ダイヤ、貴方は今完全に千歌の眷属になった」

千歌「ダイヤさん…………。ぁ」


千歌さんがわたくしの瞳を覗き込んで、声をあげる。


ダイヤ「……?」

千歌「ダイヤさんの目……紅い」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「それも吸血鬼の特徴よ。私も千歌も、元々瞳が赤っぽいから目立たなかったけど……ダイヤはわかりやすいわね」


吸血鬼は鏡に映らないので、わたくしに確認する術はないのですが……。どうやら、間違いなく吸血鬼化したと言うことですわね。


ヨハネ「眷属化によって、ダイヤ、あんたも吸血鬼化した。吸血鬼化すると、まず身体能力が著しく向上する」


そう言って、ヨハネさんは空き缶を放ってきたので、咄嗟にキャッチする。


ヨハネ「たぶん、空き缶程度なら、軽く握るだけで、ぺしゃんこになるわ」


言われた通り試そうとして──


ダイヤ「……あ、あら?」


気付いたときにはすでに、空き缶はぺしゃんこになっていた。


ヨハネ「眷属化した直後だからね。力の加減がまだわかってないみたいね」

ダイヤ「……これ、ものすごいパワーですわね」

ヨハネ「千歌のときと違って、無理矢理、急激な吸血鬼化をさせてるからね。ただ、ちゃんと加減出来るようになりなさい。気をつけないと、そのパワーで自分の身体を破壊しかねないから」

ダイヤ「……わかりましたわ」

ヨハネ「んで、千歌」

千歌「あ、はい!」

ヨハネ「今みたいにダイヤに血を与えるとダイヤは強化される。逆に、いつもみたいに血を吸えば千歌が強化される。これが相互で吸血鬼化を維持する基本よ。覚えておきなさい」

千歌「らじゃー!」

ダイヤ「わたくしが血を吸われたとき……わたくしの能力が弱体化するということは?」

ヨハネ「大丈夫よ、そういうもんじゃないから。むしろ吸われた場合でも多少血が混ざるから、吸血鬼化は進行するわ。あくまで、意図的に吸血鬼化を激しく進行させ、眷属化をさせるための方法ってだけだから」

ダイヤ「なるほど……わかりましたわ」

ヨハネ「ん。……それじゃ、次だけど──」


──
────
──────


千歌さんから血が送り込まれて来て──身体が熱を帯びる。


千歌「……ぷはっ」

ダイヤ「…………」


吸血鬼の力が漲ってくる。


聖良「お互い準備万端のようですね。どうぞ、先手はそちらに譲りますよ」

ダイヤ「それはどうも」

千歌「……行くよ……!!」


千歌さんが身を沈める──

刹那。

彼女の踏み込んだ足元の石畳が音を立ててひしゃげる。


千歌「ふんっ!!!!」


下半身のバネを利用して、飛び出した千歌さんの拳は──

聖良さんの背後にあった公会堂の門を、一発で吹き飛ばした。


聖良「……なるほど」

千歌「っ!! 外した……っ!!」


──違う、回避された。

聖良さんは最小限の動きで、千歌さんの拳を避けた。


千歌「っ!!!」


が、千歌さんは門を吹っ飛ばした拳をそのまま、振り下ろすように次の攻撃に派生する。


聖良「……ちゃんと吸血鬼の力の使い方は身につけてきたみたいですね!」


聖良さんはその拳も身を捻るように躱し、回避の勢いで全身を捻るように回転させながら、


千歌「……!!!」


千歌さんの背中に回し蹴りをお見舞いする。


千歌「がっ……!?」


しなやかな体運びとは裏腹に──

やや上方から打ち付けるような蹴りを受けた、千歌さんの身体は、見た目からは考えられないような威力で、激しく石畳にたたきつけられる。


ダイヤ「千歌さん!!」


そのまま、千歌さんの身体は、石畳を割り砕きながら跳ねて──数メートル単位で浮き上がる。


聖良「…………」


聖良さんが腰を低くする。

追撃するつもりだ。

わたくしも脚の筋肉に一気に力を込め──千歌さんの方へ向かって、一直線に飛び出す。


ダイヤ「千歌さんっ!!」

聖良「!! 来ますか……!! なら、まとめて潰します!!」


直後、聖良さんも弾けるように地を蹴って飛び出す。

わたくしは、空中で千歌さんを抱き留めながら、聖良さんに目を向ける。

──拳を引いて飛んで来る。

空中で身を捻る反動で、叩き付けようとしてくる拳を、


ダイヤ「はぁっ!!!」


わたくしは踵落としの要領で、彼女の拳を下方に向かって蹴り飛ばす。


聖良「!!」


空中で無理矢理拳を上からはたかれて、聖良さんの姿勢が崩れる。

そして、それと同時にわたくしが今し方、抱き留めた千歌さんが──


千歌「……爪っ!!!!」


わたくしの身体の陰から、聖良さんに爪の先端を向け──それが聖良さんに向かって一気に“伸びていく”。


聖良「……!!!!」



──────
────
──


ヨハネ「──吸血鬼の戦闘能力の中で、特に重要なのは肉弾戦と密接に関係している、肉体強化と肉体変化よ」

千歌「肉体強化と肉体変化?」

ヨハネ「そ。肉体強化ってのは、五感、筋力、瞬発力、動体視力、根本的な体力やスタミナ、皮膚や筋肉、骨と言った体組織の強靭化のこと。さっきダイヤが空き缶ぺしゃんこにしたみたいに、吸血鬼化さえしちゃえば常時発動するわ。ただ、これだけだと運動性能が飛び抜けてる頑丈な人間みたいなものね──飛び抜け方が人間離れはしてるけど」

ダイヤ「肉体変化というのは?」

ヨハネ「名前の通り、こんな感じに──」


気付くと、ヨハネさんの爪が伸び──


千歌「ひぃ!?」


千歌さんの首元に突きつけられていた。


ヨハネ「爪を伸ばしたり、本来とは違う形に身体の形状を変化させる能力よ」

千歌「こ、こわいこわいこわい!!」

ヨハネ「爪はあくまで一例だけど……」


そう言いながら、ヨハネさんは爪の長さを戻していく。


千歌「……っほ」

ヨハネ「あんたたちは二人とも、すでに肉体変化を経験してるわ」

千歌「ほぇ?」


言われて少し思案する。本来とは違う形に身体の形状を変える……。


ダイヤ「…………キバですか」

ヨハネ「その通りよ」

千歌「あ、これか!」


本来、人間の歯は伸び縮みはしない。

ですが、吸血鬼性の現出とその解除のサイクルの中で、千歌さんの犬歯は何度も伸び縮みを繰り返していた。

これはどう考えても本来の人間の歯にある性質ではない。


ヨハネ「ただ、キバに関しては吸血鬼化してる間は勝手に変化しちゃう部分だけどね。コツはいるけど、同じような原理で爪とかも伸ばしたり縮めたり出来るわ」

千歌「どうやるの?」

ヨハネ「単純よ。伸びるようにイメージする」

千歌「伸びるように……イメージ……。……いや、伸びないんだけど」

ヨハネ「イメージが足りないのよ……。もっと爪先に神経を集中させて」

千歌「し、集中……」

ヨハネ「流れる吸血鬼の血が、爪の先一点の集まってくイメージよ」

千歌「…………いや、伸びないんだけど」

ヨハネ「もっと頑張りなさいよ……」


伸びる、イメージですか……。

わたくしは目をつむって、指先に集中する。

先ほど吸血鬼化したときに、全身を巡る血が、急激に自らの肉体を変化させていった感覚を思い出す。

千歌さんから与えられた吸血鬼の血の通った部分が、変わっていく感覚……。

キバが生えていくときと、同じような感覚で──

先端。指の先端をイメージ。一番先端なら……まず、中指……。中指の先端に血を、意識を集めて、それで爪を伸ばすような……イメージ。


ヨハネ「……へぇ」

千歌「え、すご」

ダイヤ「……出来ましたわ」


目を開けると、中指の爪が鋭利に伸びていた。


ヨハネ「大したもんね」

ダイヤ「先ほど、急激な肉体変化を経験したばかりでしたので……イメージがしやすかったのだと思いますわ」

ヨハネ「次は中指以外も同時にね。慣れれば爪なんかはかなり自由に伸び縮みさせられるようになるわ。肉弾戦において、鋭利な爪はかなり有効な武器になるから、絶対会得しなさい」

千歌「ら、らじゃー! 頑張る!」

ダイヤ「他に肉体変化出来る部位はあるのですか?」

ヨハネ「ん、んー……そうねぇ。本物の吸血鬼なら、肉体変化どころか動物に変化したりも出来るから、動物の特徴を身体に現出させることも出来るんだけど……」

ダイヤ「わたくしたちには無理ですか?」

ヨハネ「……無理ではないけど、習得するには時間が足りないわね。……それでも、一個は無理にでも習得させるつもりだけど。絶対に必要なスキルになると思うから。……ただ、今はとりあえず爪ね」

ダイヤ「わかりましたわ」



──
────
──────


──千歌さんから伸びる鋭利な5本の爪は、空中で制御の利かない聖良さんを完璧に捉える。

この位置取りなら、回避は出来ない……!!


聖良「くっ……」


千歌さんの爪はそのまま、聖良さんの肩に突き刺さる。


聖良「っ!!」

千歌「……とりゃぁ!!!」


千歌さんはそのまま、腕を振るって、聖良さんの肩を切り裂く。

長く太い爪に弾かれるようにして、彼女の身体が後方に吹き飛んだ。

──ガシャンッ!


聖良「……ぐっ!!!」


そのまま、聖良さんは門柱に音を立てながら叩き付けられ、声をあげる。


千歌「ダイヤさん、ありがとっ!!」

ダイヤ「いえ、大丈夫ですか!?」


二人で着地をしながら、千歌さんが攻撃を食らった部位を見てみると、

もうすでに傷の再生が始まっていた。


千歌「うん、そんなに思いっきり食らったわけじゃなかったから……これくらいならすぐに再生出来るよ」

ダイヤ「ならよかった……」


これなら、応急手段を取る必要はまだない。

一方で聖良さんも、


聖良「なるほど……この短期間で随分しっかり、鍛えてもらったようですね……」


肩の大きな裂傷痕を再生しながら立ち上がる。

やはり、再生が早い。


千歌「……死ぬほど辛い訓練を受けたから……」

聖良「みたいですね……思ったより楽しめそうで、安心しています」


言いながら、聖良さんは千歌さんと同じように、爪を伸ばし始める。

ただ、先ほどの千歌さんの不意打ちの刺突とは違う。

伸びた10本の爪は、近接戦闘用に10cmほどに伸ばし、鋭利な形状を保っている。


千歌「ダイヤさん、下がって」

ダイヤ「はい」


そして、千歌さんも同様に10cmほどに両手の爪を揃えて、相対する。

なんかもうラブライブでやる必要性が皆無すぎるわ


──────
────
──


ヨハネ「近接戦は基本的に千歌がすること」

千歌「ん、わかった」

ダイヤ「わたくしは前に出ない方がいいのですか?」

ヨハネ「基本的にはね」

ダイヤ「わたくし運動神経はそこまで悪くないのですが……」

ヨハネ「そうは言っても、近接戦は瞬発力と動体視力、反射神経の勝負だからね……肉体強化はあくまで強化だから、元の能力が高いほど、強化されたあとも強いわけだし。まあ、理由はそれだけじゃないし」

ダイヤ「というと?」

ヨハネ「あんたは千歌と違って、眷族でしかないから、千歌よりも再生能力が弱いのよ。だから、直撃を受けたらそれが一発で致命傷になりかねない」

ダイヤ「……なるほど」

ヨハネ「もちろん、それについても対応策を教えるつもりではあるけど……。あくまで基本的には千歌が前衛に出た方がいいわ」

ダイヤ「ちなみに……再生能力の違いというのはどれくらいですか? ……というか、そもそも千歌さんもどれくらいの再生能力なのか……」

千歌「あ、それは私も気になるかも」

ヨハネ「そうね……あんたたちの吸血鬼性だと……。千歌は手とか足の先なら千切れても、再生出来ると思う。内臓もある程度は大丈夫。ただ、身体が真っ二つになったら、さすがにきついでしょうね……」

千歌「丈夫だね……。……で、でも千切れるのはイヤだなぁ……」

ヨハネ「大丈夫よ、痛みに慣れるために何度か再生訓練で手足は潰すつもりだから」

千歌「え」


それは大丈夫なのでしょうか……。


ヨハネ「ダイヤの場合は切断部位の再生は無理だと思うわ。骨折とかが限界かしら」

ダイヤ「……わかりました。なら、腕の骨、折って貰っていいですか?」

千歌「ダ、ダイヤさん!?」

ダイヤ「慣れる必要があるのでしょう? ……なら、出来るだけ早い段階から始めて、慣れてしまわないと」

ヨハネ「いい心掛けね。……ただ、ダイヤ、あんたの場合は再生にもコツがいるから、それを説明してからにするわ」

ダイヤ「コツですか……?」

ヨハネ「特に骨折は再生にコツがいるのよ」

千歌「コツ……骨だけに!?」

ヨハネ「失敗すると、えぐいことになるから……」

ダイヤ「……詳細がよくわかりませんが、そういうことでしたら、話を聞いてからにしますわ」

千歌「え、ちょ、無視しないでよぉ!?」


──
────
──────



聖良「…………」

千歌「…………」


相対する二人の吸血鬼が、爪を構えて、じりじりとにじり寄る。


ダイヤ「…………」


わたくしはとにかく、聖良さんの動きに注力する。

膠着した状態から──


聖良「──」


一瞬、聖良さんの影が揺れる。

──右!!!


千歌「!!!!」


頭の中で叫ぶと共に、千歌さんが上半身を大きく右に逸らす。

──ヒュンッ!!!

風を切る音と共に、さっきまで千歌さんの上半身があった場所を聖良さんの大爪が薙いでいた。


聖良「……!!!」

千歌「で、りゃぁ!!!!」


攻撃を回避した千歌さんが、逸らした上半身を膂力で無理矢理戻しながら、その勢いを利用して、爪撃をやり返す。

──ザシュッ!!


聖良「ぐ!?」


鋭利な刃物で肉が切り裂かれる音と共に、千歌さんの斬撃が直撃した聖良さんの肩口から、鮮血が飛び出す。


聖良「っ!!」


痛みによろけるように、身を落とした聖良さんは──そのまま、思いっきり左脚で地面を踏みしめる。


ダイヤ「!」


──跳んで!!


千歌「!! やぁっ!!」


千歌さんが咄嗟に跳ねると、


聖良「!?」


今の今まで千歌さんが立っていた場所に、聖良さんの右脚によるローキックが放たれていた。

──ローキックとは言うものの、その威力は薙いだ先から、石畳が抉れるようなとんでも威力なのですが。

空中に跳んだ千歌さんは、先ほどのように再び自分の爪先を聖良さんに向け──


千歌「つ、めっ!!!」


──爪を伸ばす。

至近距離で勢いよく伸ばした爪は、今さっき切り裂いた、聖良さんの肩口の傷に突き刺さり、


聖良「ぐっ!!!」


そのまま、一気に身体を貫いて、背後の門柱の根元に突き刺さる。

──動きをホールドした!!!


聖良「……はぁっ!!!!」


が、聖良さんは気合いの掛け声と共に、フリーの右手で、肩を貫く千歌さんの爪をグラップし、

力任せに握りこむ。

──メキメキメキッ!!!


千歌「いっ!!?」


血管の浮き出る程の馬鹿力で握り込まれた爪は、相当頑丈で頑強なはずなのに、音と共にヒビが入っていく。


聖良「はぁっ!!!」


──バギンッ!!!

硬いものが崩れる音と同時に、


千歌「いった゛っ!!!!!」


千歌さんが悲鳴をあげる。

不安定な状態から、爪で相手を貫いたばかりだった、千歌さんは、爪が砕けた痛みに驚いて、


千歌「っ!!」


脚を滑らせ、後方に向かってバランスを崩した。


聖良「──ッ!!」


その隙を見逃さないと言わんばかりに、聖良さんが前傾姿勢になりながら、飛び出そうとした、

ところに──


ダイヤ「──……はぁっ!!!」

聖良「……がっ!!!?」


わたくしが、滑り込むように、千歌さんの前方に躍り出て、

飛び出そうとした聖良さんの頭部に掌底突きをあわせる。

勢いの乗った、聖良さんは躱すどころか、自らの勢いを利用されたカウンターの要領の掌底に顎が上がる。


聖良「……ッァア゛!!!」


──が、聖良さんは気合いで、すぐに顎を引いて体勢を戻す。


ダイヤ「それくらいは、やってきますわよねっ!!」


これくらいは読んでいる。

わたくしはそのときにはすでに身を屈ませていて、

──屈んだわたくしの頭のすぐ上、空を切りながら拳が伸びてくる。


千歌「ぉぉりゃぁ!!!!」


体勢を立て直した千歌さんが、わたくしの頭上から、体重を乗せた拳を、聖良さんの顔面に叩き込む──

──ドグムッ!!!

吸血鬼の膂力によって繰り出される拳が大きな鈍い音を立てて、聖良さんに直撃した。


千歌「……入った!!」


……いや──


聖良「……はぁ、はぁ。やるじゃないですか……」

千歌「!?」

ダイヤ「!!」


聖良さんは千歌さんの拳を頭突きで相殺していた。

──わたくしはすぐさま、反転し、下半身に力を込める。


聖良「はぁぁっ!!!!」


わたくしの背後で聖良さんが足元の石畳に向かって両手を合わせて思いっきり、地面に叩き付ける。

その衝撃で、わたくしたちの足元が──バキバキッ!! とド派手な音を立てて、破壊され、砕かれた岩石が襲い掛かってくる。


千歌「わっ!!?」

ダイヤ「くっ……!!」


準備していたのが幸いだった。

そのまま、下半身のバネを利用して、千歌さんを抱えるようにして、一気に離脱する。


聖良「……避けますか」

ダイヤ「はぁ……はぁ……」


どうにか逃げおおせてから、背後を振り返ると、


千歌「じ、地面が……」


聖良さんが殴りつけた地面は、隕石でも落ちてきたのかと言わんばかりに、凹みを作っていた。

直撃してたら致命傷でしたわね……。逃げられてよかった……。


聖良「……大したコンビネーションですね」

ダイヤ「…………」

千歌「私とダイヤさんの、愛の力です!」

聖良「愛の力ですか……それはロマンチックですね。……随分深く眷属化で結びついているみたいですね。しかも、主従間で相互に」

ダイヤ「……バレてる……」


出来れば気付かれないに越したことはなかったのですが……。



──────
────
──


ヨハネ「はい、じゃ、一旦休憩」

千歌「は、はひぃ……」

ダイヤ「はぁ……はぁ……」


二人してヘタリ込む。


ヨハネ「お疲れ様。再開は5分後ね」

千歌「ご、5分!?」

ダイヤ「や、休めない……」

ヨハネ「短期間でいかに体勢を立て直すかも訓練よ。ほら、さっさと休憩しないと時間なくなるわよ」

千歌「き、休憩になってないぃ……」


ええと……5分で出来ること……まず、水分……トマトジュース……。


千歌「わかった、持って来るね」

ダイヤ「お願いしますわ……」


──『増血剤も今のうちに飲んでおかないと……』


ダイヤ「増血剤、増血剤……」

ヨハネ「……?」

千歌「トマトジュース取ってきた!」

ダイヤ「はい、増血剤ですわ」

千歌「わ! チカが思ってることわかったの?」

ダイヤ「え? 飲んでおかないとと、言っていたではありませんか……」

千歌「え? 口に出てた?」

ダイヤ「ええ、よく聞こえてましたわよ。ねぇ、ヨハネさん?」

ヨハネ「……いや、言ってなかったわよ」

ダイヤ「え?」

ヨハネ「ついでに言うなら、トマトジュースのことも口に出てなかったわよ」

千歌「?? ダイヤさん、まずトマトジュースって……」

ダイヤ「……?」


千歌さんと二人、思わず顔を見合わせる。


ヨハネ「……ちょっと、二人ともいいかしら」

千歌「……? う、うん」

ダイヤ「なんでしょうか……?」


そう言って、ヨハネさんは、ポケットからトランプを取り出す。


千歌「トランプ?」

ヨハネ「動体視力の訓練に使おうと思って持ってきてたんだけど……ちょっと、別のことを試してみようと思って」


そういいながら、ヨハネさんはわたくしにカードを一枚だけ投げ渡してくる。


ダイヤ「? なんですか?」

ヨハネ「千歌は見ないように。ダイヤはそれに書いてある数字とマークを頭に思い浮かべてみて」

ダイヤ「は、はい……」

千歌「? わかった」


手渡されたカード……♣のK。


ヨハネ「千歌、ダイヤの持ってるカードは何?」

ダイヤ「……は? い、いや、それはいくらなんでも……」

千歌「……♣のK」

ダイヤ「え!?」

ヨハネ「……次」


ヨハネさんはさらにわたくしに三枚のトランプを投げ渡してくる。

先ほど同様に見てみる。

──右から♥の3、♦の10、♣のQ。


千歌「♥の3、♦の10、♣のQ」

ヨハネ「右から? 左から?」

千歌「右から」

ダイヤ「!? う、嘘!? ど、どういうことですか!?」

千歌「なんか……ダイヤさんの見てるものがわかる……」

ヨハネ「じゃ、次は逆ね。千歌」

千歌「あ、うん」


千歌さんに5枚のトランプが手渡され、千歌さんがそれを手の中で開くと同時に──イメージが流れ込んできた。


ダイヤ「!? ……右から、♥のK、♠の10、♠の9、♦のJ、Joker」

千歌「あ、あってる……」


わたくしの解答を聞いて、驚いた顔をしながら見せてくれたトランプは──右から、♥のK、♠の10、♠の9、♦のJ、Jokerだった。


ヨハネ「あら、ストレートじゃない」

ダイヤ「い、いや、そういう問題ではありませんわ!!」

千歌「こ、これって、どういうこと……??」

ヨハネ「……精神がリンクしてるわね」

千歌「精神がリンク……?」

ダイヤ「精神が繋がってる……ということですか……?」

ヨハネ「ダイヤには前、話したと思うけど……吸血鬼の眷属化って主と従者の間で強い結びつきが生まれるの。その中でも一際強い信頼がある場合、主は従者の考えてることがわかるようになることがあるのよ。……そうね、言うなれば使い魔の見ている映像を遠目で見れるテレパシーみたいな感じかしら」

千歌「あ! だから、私はダイヤさんの見てるものとか、考えてることがわかるんだ……。……あれ? でもなんでダイヤさんもチカの考えてることわかるの?」

ヨハネ「……だから、これは本当に僥倖も僥倖……本当に、心の底から結びついている主従だと、従者から主の方向へも精神がリンク出来ることがあるの」


……つまり。


ダイヤ「わたくしと千歌さんは……///」

千歌「心の底から、結びついてる……/// ……な、なんか、照れちゃうね……///」

ヨハネ「全く、ラブラブで羨ましい限りね……善子だったらリア充爆発しろって言ってたところよ」


ヨハネさんはそう言って、肩を竦めた後、


ヨハネ「……ただ、これは本当に聖良には絶対にないアドバンテージよ、活かさない手はない」


トランプを床にばら撒く。


千歌「? トランプするの?」

ヨハネ「しないわよ」


気付けば、もう一箱新しいトランプを取り出していた。


ダイヤ「……? 何をするのですか?」

ヨハネ「千歌とダイヤは背中あわせになって。……まず、先に千歌ね。千歌はトランプがばら撒いてある方を向いて座って」

千歌「う、うん、わかった」

ダイヤ「……はい」


そして、ヨハネさんはわたくしの横斜め前に立って。


ヨハネ「今から私がトランプを投げるわ」

ダイヤ「はい」

ヨハネ「ダイヤはそのトランプの柄と数字を目で追って」

ダイヤ「……投げたトランプをですか」

ヨハネ「そうよ。そして、千歌は……そのまま、私が投げた柄と数字のトランプを手で払って頂戴」

千歌「え、後ろでやってたら、チカ見えないけど……」


なるほど。ようやく何をしようとしてるのかが、わかってきました。


ダイヤ「わたくしが見て、それを瞬時に千歌さんに精神リンクで伝達して……千歌さんがそのトランプを取るということですわね」

ヨハネ「そういうことよ」

千歌「あ、なるほど!」

ヨハネ「これによって、動体視力、瞬発力……そして、お互いの精神リンクによる意思疎通の訓練を同時に行うわ。トランプが半分になったらそこでリセット。そしたら、千歌とダイヤは役割を交代する」

千歌「わかった!」

ダイヤ「承知しました」

ヨハネ「百発百中になるまで、やるからね。覚悟しなさいよ──」


──
────
──────



その後の訓練でわかったのは、精神リンクによる意思疎通は、近くに居れば居るほど強くなるということ。

触れているときが最大、違う空間に居るとほとんどわからなくなる。

ただ、離れていてもお互いがどの位置にいるのかだけは、高い精度で認識することが出来ます。

制約があるため、万能なテレパシーとまでは行きませんが……言葉を交わす暇のない戦闘中でも意思疎通が出来るのは仮にバレてしまったとしても、十分なアドバンテージと言えるでしょう。


聖良「しかし、驚きました……。貴方たち、本当に吸血鬼もどきですか? すでに、下手な混血種よりも強いかもしれませんよ」

千歌「ふふんっ! すごいでしょっ」

ダイヤ「それは、光栄ですわね。光栄ついでに──」


聖良さんを見据えて、言う。


ダイヤ「──本気を出していただけますか?」

聖良「……気付いてましたか」

ダイヤ「……いくらなんでも、弱すぎますわ。わたくしたちに毛が生えた程度の強さではないですか」

千歌「じ、自分で言わなくても……」

聖良「……軽く脅かして、諦めて貰おうと思っていたのですが……。……仕方ないですね」


そう言って聖良さんが両袖を捲くると──


千歌「……ひぃぃ!?」

ダイヤ「……ロザリオ」


先ほど投げ捨てたのとは別に、両腕にもロザリオが巻きつけてありました。ここまではロザリオ一個分の封印を解除しただけだったと言うことです。


聖良「……もう一度お訊ねしていいですか」

ダイヤ「……聞きましょう」

聖良「……本当に、死にますよ」


冷たく、言い放たれる、死の宣告。


千歌「死なないよ」

聖良「……」

千歌「だって、負けないもん」

ダイヤ「わたくしたちは本気の貴方に勝たないと、意味がない。どうぞ、本気で殺しに来てください」

聖良「…………残念です。ですが、その覚悟には──敬意を払います」


そう言いながら、両腕のロザリオを──最後の封印を聖良さんは引きちぎった。

──瞬間。


千歌「っ!!!!」

ダイヤ「こ、れは……!!!」


聖良さんから溢れ出す、妖気が──バヂバヂと、音を立てて空気中で爆ぜる。

これが、本物の──


ダイヤ「吸血鬼……!!」


他の吸血鬼なんて、ヨハネさんと、無自覚な理亞さんくらいしか見たことがありませんが……。

それでも、目の前の聖良さんがとてつもない強さだと言うことが直感で理解出来た。


聖良「……後悔しないでくださいね」


聖良さんが再び爪を伸ばす。

そして──腕を薙いだ。


千歌「ダイヤさんっ!!」

ダイヤ「!!」


千歌さんが反射的にわたくしに覆いかぶさるようにして、一緒に地面伏せる。

次の瞬間──

聞いたこともないような、轟音と共に、背後の公会堂の2階部分が──消し飛びました。


聖良「…………」


これで、いい。彼女は間違いなく本気になった。


ダイヤ「さあ、ここからが本番ですわよ! 千歌さん!!」

千歌「うん!! 行くよ!!」


第一関門突破。本気の聖良さんとの戦いが始まりました。





    *    *    *





ダイヤ「はぁぁ……っ!!!」


伏せった姿勢のまま、手と腕に力を込めて、石畳に爪を立てる。

──バキメキという、音と共に指ごと、石に食い込んでいく。


千歌「爪っ!! 食い込めぇぇぇ!!!」


千歌さんも同様に、

食い込むほど前腕で踏み込んだまま、


千歌「ゴーーー!!!!!」

ダイヤ「はいっ!!!」


更に後ろ足によるパワーも乗せ、二手に分かれて、同時に飛び出した。

聖良さんの両側面を取るように、わたくしは向かって左側、千歌さんはその逆側に飛び出す。


聖良「……挟み撃ちですか」


丁度三人が一直線になる両側面を取って踏み込み、そこから鋭角に曲がるようにして、両側から聖良さんに飛び掛る。


ダイヤ「はぁぁぁぁっ!!!!」

千歌「うりゃぁぁぁぁっ!!!!」


両側から、爪撃による襲撃。

だが、聖良さんは、


聖良「はぁっ!!!」


左脚で思いっきり震脚をし、


千歌「いっ!!?」


その反動で、飛び掛ってくる千歌さんの目の前に、畳替えしの要領で地面が捲り上がって聳え立つ。

石畳どころか、その下のコンクリートも纏めて捲り上げ、2メートル近い分厚い岩の壁が千歌さんの前に立ち塞がる岩畳返し──が、


千歌「──どりゃぁっ!!!!」


その岩壁は、一瞬で千歌さんの爪によって切り伏せられ、横薙ぎに真っ二つにされた、岩の壁の向こうに千歌さんが見える。

──だが、相手の狙いは防御ではない。


千歌「!!」


聖良さんは、岩を捲り上げた時点で、千歌さんの方には背を向けていた。


聖良「まずは貴方です!!」

ダイヤ「!!」


岩はあくまで、標的をわたくしに絞るための時間稼ぎ。

わたくしはこちらに向かってくる、聖良さんに向かって、爪を袈裟薙ぎに振り下ろす。

聖良さんも即座に爪を伸ばし──ギャギャギャと、耳障りな音が響き渡る。

お互いの斬撃が鍔競り合う。

──いや、鍔競り合ってのは、ダメだ。

正面からの攻撃による力比べは、千歌さんでないとまず勝ち目がない。

わたくしは──


ダイヤ「……ふっ!」


伸ばした爪を──瞬時に引っ込めた。


聖良「っ!?」


振り下ろされていたはずの爪が急になくなり、聖良さんの爪撃は斜め上方にすっぽぬける。

斬撃をギリギリで躱すように、身を屈め、摺り足で前方に身体を運びながら、一気に腕に力を込める。


ダイヤ「はぁぁっ!!!!」


勢いの乗った掌底突きを、彼女の腹部に叩き込んだ。


聖良「……ぐっ!!!」


いくら彼女が肉体を強化していると言っても、こちらももはや常人のパワーではない。

防御をしっかりしていなければ、ダメージは通る。

そして、更に──


千歌「どーーーりゃぁぁっ!!!!」

聖良「ぐっ!!!!」


背後の千歌さんの爪が再び、彼女の背中を斬り付ける。

聖良さんが背中から出血する。

確実に攻撃が届いている。

畳み掛ける──


ダイヤ「ふっ──」

千歌「やぁっ!!」


わたくしは勢いを殺さないまま立ち上がりつつ、軸足を使って回転し、裏拳で後頭部を──

千歌さんは前傾から爪で切り裂いた直後に、手で地面をついてから、体幹で強引に身を捻り、カポエイラのような蹴りを、聖良さんの右腹部に──

同時に叩き込む。


聖良「がっ、ぐっ!!!!」


真っ向からのパワーでは勝てない。

だけれど、コンビネーションによる手数ではこちらが圧倒的に有利。


聖良「な、め、るなぁっ!!!」


聖良さんは普段出さないような、荒々しい言葉遣いで叫びながら、


千歌「ぎゃわぁっ!!?」


腹部に刺さった千歌さんの右足首をグラップする。

──そのまま、一気に握力で握りつぶす。


千歌「──んぎゃあああぁぁあぁあっ!!!!!」

ダイヤ「!!! 千歌さんっ!!!!」


千歌さんの絶叫が響く。

が、助ける間もなく、


聖良「──……」


聖良さんの手は背後のわたくしにも伸びてくる。


ダイヤ「──っ!!」


わたくしは、咄嗟に摺り足で体勢を整えながら、後ろ手に伸びてくる彼女の手首を掴み──

極めながら引き摺り落とすにようにして、自分の横に向かって投げ飛ばす。

合気道の隅落しに近い投げ技です。


聖良「っ゛!!」


柔術ならパワーで劣っていても、相手の力を利用出来るので、攻撃が通りやすい。護身術として習っていてよかった。

転ばされた反動で、聖良さんのグラップした手が千歌さんの脚から離れる。

聖良さんの拘束を逃れた千歌さんは、


千歌「!! うおぉぉぉぉぉっ!!」


すぐさま無事な方の脚で強引に立ち上がり、

そのまま、逆の脚を振りかぶって──


ダイヤ「え!? 千歌さんっ!!!?」

千歌「くぉぉぉぉんのぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」


サッカーボールキックを倒れている聖良さんに炸裂させた。


聖良「がはっ──!!!?」


完璧に蹴撃が決まり、聖良さんが10メートル以上吹き飛ぶ。これは確実に大きなダメージだ。

──が、同時に、


千歌「いったぁぁーーーー!!!!? 足もげた!!!? 絶対もげた!!!!!」


握りつぶされたばかりの足で蹴り飛ばすから……!!!


ダイヤ「って、足がない!?」

千歌「いいいいいいい!!!?!? ホントにもげてるうぅうぅぅぅ!!!?」


さっき握りつぶされた、足首から先がキックの勢いと共にすっぽ抜け、足首があったであろう場所からは血がだらだらと流れ出していた。

わたくしはすぐさま、駆け寄り、


ダイヤ「千歌さん!!! 吸って!!!」


彼女の顔の前に首筋を差し出す。


千歌「ガブッ!!!!」


躊躇なく、噛み付いた、千歌さんは、


千歌「ちゅぅぅーーーー!!!!」


一気に血を吸い上げる。

──すると、


千歌「ぷはっ……はぁ……はぁ……た、助かった……」


ちぎれてなくなったはずの足首がみるみるうちに再生していく。


──────
────
──


ヨハネ「再生訓練の前に、再生の知識として……他の吸血鬼性同様、この超再生は、千歌がダイヤから血を吸えば千歌の再生力は著しく強化され、逆にダイヤに血を与えればダイヤの再生力が強化されるわ」

ダイヤ「ということは……千歌さんが大きなダメージを受けたときは、わたくしがすぐに血を飲ませに行く必要がありますのね」

千歌「逆にダイヤさんが傷を負ったら、チカが血を注入する……」

ヨハネ「そうね。ただし、血を飲みすぎたら、当たり前だけど、ダイヤが貧血で失神するから、出来る限りダメージを受けないのに越したことはないかしらね……。まあ、そうも言ってられない激しい戦闘にはなると思うけど」

ダイヤ「回数の目安はどれくらいですか?」

ヨハネ「うーん……食事的な吸血だと一回50mℓくらいなんだけど……。ケガの治癒ってなると、かなり多めに吸う必要があるから、200mℓ近く吸われるとして……」

ダイヤ「致死量は800mℓ程度でしたか……」

ヨハネ「短期間だとそれだけ失血すると、失血性ショックを起こす危険があるわね……。まあ、かなり無茶して1ℓが限度だと思うわ」

千歌「えっと……1りっとるって、何みりりりっとる?」

ダイヤ「……1ℓは1000mℓですわ」

千歌「じゃあ、多くても5回が限度……チカがあんまりダメージを負いすぎちゃダメってことだよね……大丈夫かな」

ヨハネ「一番心配なのは、あんたの学力なんだけど」

ダイヤ「右に同じですわ……」


ヨハネさんと二人で嘆息してしまう。


ヨハネ「それはともかく……千歌、再生訓練するわよ」


ヨハネさんはそう言いながら、木槌を取り出す。


千歌「うっ……じ、持病の癪が……」

ヨハネ「大丈夫、そんなの忘れちゃうくらい痛いから」

千歌「え、癪って痛いの……?」

ダイヤ「癪って、胃痛や虫垂炎、胆石等の激痛のことですからね……」

千歌「へー……」

ヨハネ「……って言いながら、何逃げようとしてんのよ」

千歌「……ぅ、だって……」

ヨハネ「いくら再生出来るって言っても痛みはある。激痛に耐えられなかったら失神もする。もし、敵の目の前で失神なんてしたら、それこそミンチにされるわよ」

千歌「ミ、ミンチはやだ……」

ヨハネ「再生能力も慣れれば向上出来る。これは吸血鬼戦には絶対必要な訓練なの。覚悟決めなさい」

千歌「……わ、わかったよぉ……。……で、でも、ちょっと待って……心の準備を……」

ヨハネ「ていっ」


ヨハネさんが問答無用と言わんばかりに、木槌で千歌さんの足先を叩き潰す。


千歌「!!?!!??! んぎゃああああああああ!!?!? 足ぃ!!!? 絶対潰れた!!!!?」

ヨハネ「潰したからね。はい、再生を意識」

千歌「い、いいいい、い、い意識って言われてもぉ!!!?」

ヨハネ「はい、遅い不合格」


言いながら、今度は逆の足を叩く。


千歌「んぎゃあああああああっ!!!!!」

ヨハネ「死ぬ気で再生しなさい。10秒で元に戻ってなかったら、また叩くから」

千歌「鬼ぃ!!!!」

ヨハネ「吸血鬼よ。……はい、10~」

千歌「再生再生再生再生再生っ!!!! 戻れ戻れ戻れ戻れっ!!!!」

ダイヤ「…………」


なんと過酷な訓練なのでしょうか……。

千歌さんは泣きながら絶叫していますが……実はこの訓練直前にヨハネさんから言われていたことがあって、


 ヨハネ『ダイヤ、千歌が傷つくのを見るのは辛いかもしれないけど……あんたは千歌の負傷状況を把握してる必要がある。眷属化の意思疎通にも限界があるし、辛くても絶対に目を逸らさないように、目を瞑らないように、慣れなさい』


わたくしは、千歌さんをしっかり見ていないといけない。


ヨハネ「──……はい、いーち」

千歌「待って、お願い、待って、許してっ!!」

ヨハネ「敵待ってくれませーん。はい、ゼロ」


──ドン。


千歌「んぎゃああああぁぁああぁああっ!!!??」

ダイヤ「…………」


確かにしんどいですわね……これ。主に千歌さんが……。というか、ヨハネさんがちょっと楽しそうな気がするのは、気のせいでしょうか……。

まあ、それはともかく……。


ダイヤ「……わたくしたちは、これが必要になるようなことを、為そうとしているのですものね……」


──
────
──────



千歌「……よし、ちゃんと動く」


千歌さんはすぐさま自分の足がちゃんと再生しているかの確認を済ませる。

訓練の成果か、痛みに対して動揺が随分減った。


千歌「ダイヤさん、いける?」

ダイヤ「ええ」


返事をしながら、わたくしは聖良さんの方から目を離さない。今は吹き飛ばした際に巻き上がった土煙のせいで聖良さんの姿は見えないが……油断は出来ない。

この戦闘に置いて、わたくしは二人分の目です。

ヨハネさんからも言われているのですが、状況判断能力は千歌さんよりもわたくしの方が高いと言うことから、基本の前衛肉弾戦を千歌さんに、後ろからの戦局判断をわたくしにという割り振りをしています。

ただ……コンビネーションでどうにか、凌いでるものの、封印を完全に解いた聖良さんのパワーはまさに段違い。


ダイヤ「そろそろ、わたくしが前に出る必要も出てくるかもしれません……」


わたくしにもヨハネさんから伝授された秘策がある。

それなら、リスクはあるが、一時的に彼女の攻撃を無力化出来る可能性もある。

わたくしがそんな覚悟を決める中、その端で千歌さんは、


千歌「……だいぶ、さっきのケガで出血しちゃったな……もったいない」


ちぎれた足首の先から流れ出た、血溜まりを見ていた。


千歌「……この血は“使おう”」


千歌さんがその血に手を添える。

──刹那。

前方の土煙が揺れた。


ダイヤ「!! 千歌さんっ!!!」


──突如、土煙を切り裂いて、真っ赤な長い鋭利なものが飛び出してくる。

眼前に迫る、投擲物。

──ガインッ!!!

それはわたくしの目の前で、金属同士がぶつかる音が弾ける。


ダイヤ「っ!!!」

千歌「ふぬぬぬっ!!!!」


目の前に躍り出て、攻撃を受けながら踏ん張る千歌さんの足元が、その飛んできた投擲物のパワーで、音を立てながらひび割れる。


千歌「──うぉりゃぁぁぁ!!!!!」


が、千歌さんはその手に持った大きな得物でどうにかその投擲物を弾き返す。


千歌「ダイヤさんっ!! だいじょぶ!?」


千歌さんが──大きな真っ赤な剣を構え直しながら訊ねてくる。


ダイヤ「ええ、大丈夫ですわ!!」

聖良「……これも、防ぎますか」

千歌・ダイヤ「「!」」


弾き飛ばされて、ヒュンヒュンと風を斬りながら、宙を舞う真っ赤なソレ──血色の槍をキャッチしながら、

聖良さんが睨みつけてくる。

先ほど千歌さんが思いっきり攻撃を叩き込んだと言うのに、立ち上がった聖良さんの傷はもうほとんど再生していた。


聖良「……本当にヨハネさんは優秀な教官だったようですね。この短期間で血液操作まで教わったんですか」

千歌「へへんっ! 自慢の師匠なんですよっ!」


千歌さんは自慢げに鼻を鳴らしながら──血で出来た大剣の切っ先を聖良さんの方に向ける。


──────
────
──


ヨハネ「さて……ここまで、最初に教えるって言った5つの要素のうち、眷属化、肉体強化、肉体変化、超再生の4つまで教えたわけだけど……次が最後の項目。血液操作よ」

千歌「けつえきそーさ……? DNAとか調べるやつ?」

ダイヤ「たぶん、その捜査ではなく……コントロールの操作だと思いますわ」

千歌「あ、そっちか」

ヨハネ「まぁ、正確には超再生と肉体変化について、まだ教えてないことがちょっとあるんだけど……これは扱えると、応用が利く技術だから、先に覚えて出来るだけ長めに訓練を積んで貰うわ」

千歌「わかった! それで、どんな技なの?」

ヨハネ「そうね……実際に見せた方が早いわね。よく見てなさい」


そう言って、ヨハネさんは自分の腕にキバを立てる。

そして、そのまま、キバの先で引っ掻くように、腕を傷つけた。


千歌「わっ!? ち、血が!」


千歌さんの言う通り、傷口から血が流れ出す。

ヨハネさんはその傷口に手を添え、引くような素振りをすると──


ダイヤ「!! それは……ナイフ……?」


彼女の手には真っ赤な血色のナイフのような形状のものが握られていた。

気付けば、傷口は塞がり、血は止まっていた。


ヨハネ「吸血鬼の血液は、ある程度自由に形状や硬さを操れるの。だから、こういう風にして武器として取り出せる」

千歌「か……かっこいい……!!」

ヨハネ「でしょう? しかも鉄より硬い」

千歌「え、血なのに?」

ヨハネ「ヘモグロビンって要は酸化鉄だからね」

千歌「……?」

ダイヤ「……酸化鉄の方が、鉄より硬いのですわよね。加工が難しいので貴金属のような工業用途にはあまり使われませんが……」

千歌「???」


千歌さんは意味がわからないのか、頭の上に疑問符を浮かべて首を捻っている。


ダイヤ「……とりあえず、硬い武器が血液から作れるくらいの認識でいいと思いますわ」

千歌「ふーん……?」

ヨハネ「……ただ、これにもデメリットはある。しっかりとした武器を作るにはかなりの血液が必要だから、その分消耗することになる。身体の外に血液を放出しちゃうわけだしね」

ダイヤ「なるほど……それは諸刃の剣ですわね」

千歌「血さえあれば、どんな武器でも作れるの?」

ヨハネ「ええ。もちろん、自分の血液限定だけどね。血液量に比例して、重く、大きく、複雑な武器が作れるわ。だから、重鈍で緻密な武器ほど、血液を大量に消耗する」

千歌「そっかぁ……じゃあ、めちゃくちゃでかい武器とかは難しいんだね」

ヨハネ「それだけじゃなくて……思った形に固定するだけでも結構コツがいるから、何度も試して練習する必要があるわ。あと……」

千歌「あと?」

ヨハネ「詰まるところ、これもイメージによって作り出す能力だから、イメージ力が一番大事。自分がイメージしやすい武器ほど作りやすいと思うわ」

千歌「なるほど! ちょっとやってみる!」

ヨハネ「え? ま、まあいいけど……最初はうまくいかないわよ」

千歌「──ガブッ!」


千歌さんは早速先ほどのヨハネさんのように、腕に噛み付き、キバで傷をつけて血を流す。


千歌「よしっ! それじゃ……やっぱり、武器と言えば剣!!」


そう言って、傷口に手を添えて……引っ張りだすような仕草をすると──


ヨハネ「!? う、うそ!?」

ダイヤ「まあ……!」

千歌「ニシシ……!」


千歌さんの手には血色の片手剣が精製されていた。


ヨハネ「い、一発で……? 爪は未だに全然出来ないのに……」

千歌「ふふんっ! 子供のころから、アニメとかゲームにある、身体から武器を取り出すみたいなの憧れてて、一度やってみたかったんだよね! まさか、ホントに出来る日がくるなんて思ってなかったよ!」

ダイヤ「幼き日の憧憬から、イメージしやすかったということですか……どんな形で人生の経験が役に立つのかわかったものではありませんわね」

ヨハネ「なんにしろ、習得が早いに越したことはないわ! この能力はイメージが働くなら、とにかく応用が利くわ! ガンガン幅を広げなさい!」

千歌「らじゃー!!」


これに関しては肉体変化と違って、千歌さんはかなり得意な様子です。


ダイヤ「それでは、次はわたくしですわね……」

ヨハネ「あ、うん。ダイヤにもやってもらうんだけど……」

ダイヤ「? けど?」

ヨハネ「あんたには別の血液操作も習得してもらおうと思ってる」

ダイヤ「別……ですか?」

ヨハネ「前にも言ったけど……あんたは再生能力が千歌に劣るから、前衛における対応策を教えるって」

ダイヤ「そういえば、言っていましたわね……」

ヨハネ「あんたは千歌以上に血液の保持が重要だしね。今から教える血液操作は、その欠点も補える。だから、ダイヤにはその操作方法をマスターしてもらうわ──」


──
────
──────


千歌「いっくぞぉぉぉぉ!!!!」


千歌さんが掛け声と共に腰が屈めながら、脚に力を込めていく。

その踏みしめだけで、地面が軋み、ヒビ入る。

──こちらもエンジンが入ってきたようです。


千歌「たりゃぁぁっ!!!!」


その踏みしめた脚の反動を利用して、千歌さんが一気に跳躍し、聖良さんに飛び掛る。

そのまま中空で、血の大剣を振りかぶり、


千歌「どっぜぇぇぇいっ!!!!」


思いっきり振り下ろす。


聖良「……」


一方聖良さんは冷静に、血の槍の柄の部分を前方に構える。

千歌さんの大剣が、槍の柄にぶつかると同時に、

──バキメキ!! とド派手な轟音を立てながら、地面が先に割れ砕ける。

吸血鬼同士の真っ向からのパワーのぶつかり合いによって、フィールドが先に耐えられなくなっている。

ですが、そんな攻防の中でも聖良さんは冷静だった。


聖良「……ふっ!!」


攻撃を受けている、槍の後方部分を掴んでいる方の手で叩くように、柄を斜めにし、


千歌「!!」


千歌さんの攻撃を受け流す。

力任せの縦方向の攻撃は、斜めになった槍の柄を滑り落ちて、

──ズガンッ!!! と言う音と共に地面にめり込む。


千歌「わっ!?」


千歌さんの身体がその衝撃に持っていかれる、

そして、聖良さんはその一瞬を見逃さない。


聖良「フッ!!!」


体勢を崩した千歌さんに向かって、今しがたフリーになった、彼女の片手から鋭利な爪が一気に伸張し襲い掛かる。


千歌「!!」


千歌さんも咄嗟に身を捻ろうとするが、間に合わない。

ですが、


ダイヤ「──はぁっ!!!」


千歌さんを飛び越えるように、後ろから跳躍したわたくしが、上方から踵落としで、叩き落す。

──千歌さんには触れさせない!!


聖良「防ぎますよね!! 知ってますよ!!」

ダイヤ「!?」


──読まれた!?

と、思った瞬間、槍の柄の途中から枝分かれするように、“更に柄”が飛び出して来た。


ダイヤ「嘘っ!?」


──防御!? 間に合わない!!?

避けようとどうにか、着地した直後の身体を強引に捻る。

だが努力も虚しく、そのまま高速で飛び出してきた、柄がわたくしの前腕を捉える。

──ボキッ。

嫌な音が身体中を響くように駆け巡る。


ダイヤ「──っ゛!!」


──激痛。

腕の骨が折れると共に、衝撃で後ろに吹っ飛ぶ。


千歌「くぉんのっ!!!!」


千歌さんは地面にめり込んだ大剣を、引き抜く勢いを利用したまま、振り上げる。


聖良「おっと、当たりませんよ」


が大振りな攻撃。

聖良さんは身体を逸らして回避する。


千歌「っ!! ダイヤさんっ!!」

ダイヤ「だ、いじょうぶ、ですっ!!」


地面を転がりながら、折られた腕を一瞬見る。

前腕が向いてはいけない方向に曲がって、ぷらぷらしている。

折られた部位を正確に把握し、更に明確な激痛が襲ってくる。

が──思考を止めるな。


ダイヤ「っ゛!!!!」


逆の手で、折れてぶら下がっている状態の部分を掴む。

──前腕、完全に宙ぶらりんになってるということは、前腕の二本の骨……尺骨、橈骨が両方逝ってる。この二本の骨は前腕の回転によって位置関係が変わってしまう。折られた瞬間の腕の向き、思い出して、戻せっ!!!

頭の中で、激しく思考しながら、ぷらぷら状態の腕を折れる以前と同じ位置に引き寄せる。


ダイヤ「──っづぅ!!!!」


もちろん、この動作でも激痛が走る。

が、これは絶対必要なことなのです。

──次の瞬間には、腕の骨は癒着し、元に戻っていた……間に合った。


──────
────
──


ヨハネ「そんじゃ、ダイヤ。超再生の教えてなかった項目について教えるわ」

ダイヤ「千歌さんはいなくてもいいのですか?」

ヨハネ「千歌は肉体変化の補習中。せめて、爪が自由に伸ばせないと話にならないから」


ここでも補習させられるのですか……不憫ですわ。


ヨハネ「それに、千歌には超再生についてこれ以上詳しく教えてもあんまり関係ないしね」

ダイヤ「……? どういうことですか?」

ヨハネ「そもそも、超再生って言っても、再生の仕方には2種類あるの」

ダイヤ「2種類?」

ヨハネ「そ、2種類。細胞再生と復元再生よ。ただまあ、名前だけ言われてもあんまりピンと来ないと思うけど……」

ダイヤ「え、ええ……何が違うのか全然わかりませんわ」

ヨハネ「違いを簡単に例えると……細胞再生は治癒、復元再生は巻き戻しに近いかしら」

ダイヤ「巻き戻し……?」

ヨハネ「ちょっと考えてみて欲しいんだけど……もし治癒力が著しく上昇したとしても、切断された手や足が元に戻ると思う?」

ダイヤ「……言われてみれば、戻るわけないですわよね……トカゲやヒトデじゃないのですから」


目の前で何度も千歌さんがやられてるのを見ていたから麻痺していたけれど……。

そもそも人間にそんな能力は備わっていない。いくら治癒能力が向上していたとしても、なくなった部位欠損が元に戻るはずがない。


ヨハネ「ただ、吸血鬼の治癒力はそれを可能にする。その仕組みは概念の組み直しにある」

ダイヤ「概念の組み直し……ですか……?」

ヨハネ「『もともとこういう形であった。だから、こういう形に戻る。』それによって、壊れた部位を、元のイメージに戻す。だから──」


ヨハネさんは、言いながら爪を使って服の上から自分の肩を軽く切りつける。

すると──


ダイヤ「! 元に戻っていく……!」


肩の傷が、ではない。

一緒に切った服が“元に戻っていく”。


ヨハネ「これが復元再生。“元の形に戻す”超再生よ。だから、吹っ飛んだ手首だろうが、足だろうが……それどころか、身体でなくてもいい。身につけてる道具や、着ている服、応用すれば建物さえも“元に戻す”ことが出来る」

ダイヤ「……あの」

ヨハネ「何?」

ダイヤ「これって再生と言うより……」

ヨハネ「創造よね」

ダイヤ「は、はい……」

ヨハネ「ダイヤの言う通り、これは厳密には再生ではない。吸血鬼の不死のイメージが作り出した、同じ物を“作り出す力”よ。だから“復元”なの」

ダイヤ「な、なるほど……」

ヨハネ「ただ、この復元再生はそもそも強い吸血鬼性が要求される。だから、眷属のダイヤには安定して出来るか微妙なのよ。……まあ、頑張れば服くらいなら元に戻るかもしれないけど」

ダイヤ「! わたくしは再生力が弱いと言っていたのはそういうことでしたのね」

ヨハネ「そういうこと。千歌は十分な領域まで吸血鬼性が達してるから、ある程度までは勝手に復元再生される。だから、そもそも細胞再生について教える意味がないのよ」


つまり回復能力に関しては千歌さんはわたくしの上位互換ということだ。


ダイヤ「それで、その細胞再生というのは……?」

ヨハネ「細胞再生は根本的な治癒能力の向上。切れた皮膚の傷口がすぐに塞がったりするのは見たことあると思うけど……。これは筋繊維や骨と言った生命維持活動の上で代謝・修復・治癒されるものの速度と能力を爆発的に向上させる再生能力のことよ」

ダイヤ「こちらはまさに治癒なのですわね」

ヨハネ「ただその性質上、細胞再生だけだと、厄介なことがいくつかあってね」

ダイヤ「厄介な事?」

ヨハネ「普通骨折したら、どうする?」

ダイヤ「えっと……」


普通骨折したら、固定して、癒着するのを待つ──


ダイヤ「……! 固定する前に骨細胞が修復を始めてしまう……!!」

ヨハネ「正解。さすがの理解の速さね」


つまり、骨が折れて腕が曲がってはいけない方向を向いてしまったとき、細胞再生による超再生が働くと、腕がその方向のまま固定されてしまうということ。


ヨハネ「骨は筋肉にも密接に繋がってる。一個がいい加減な再生をすると、それに連動して身体のあちこちに不具合が生じる。最悪戦闘外でなら、一個ずつ砕くのと再生を慎重に管理すれば治せなくはないけど……ま、死ぬほど辛い思いすることになるけどね」

ダイヤ「骨折の再生にはコツがいると言っていたのは、そういうことですか……」

ヨハネ「ええ。だから、骨折したら、すぐに自力で元の位置に戻して骨を癒着させる必要がある」

ダイヤ「…………」


ただ、これは……つまり。


ヨハネ「当たり前だけど、痛覚がある。折れた痛みを感じながら、ちゃんとどうすれば骨が正しく癒着するかを判断する必要がある」


そういうことですわよね……。


ヨハネ「まあ、骨折しなければいい……って言いたいところだけど、吸血鬼戦はパワーが桁違いだから、攻撃が掠っただけで骨折なんて当たり前の世界。やらないわけにいかない」

ダイヤ「……お願いしますわ」

ヨハネ「!」


腕を前に出す。


ダイヤ「やるしかないのなら……やりますわ」

ヨハネ「……いい度胸ね。きっと、再生訓練に関しては千歌よりも、ダイヤの方がきついわ」

ダイヤ「……話を聞いているだけで、そんな気がしますわ……ただ……ちょっと、待ってください……」

ヨハネ「…………」


息を深くする。

呼吸を落ち着けねば……。

これから、骨を折る。

恐らく激痛だろう。

覚悟をして、臨まねばいけ──バキッ。


ダイヤ「……え?」


思考を中断する音が聞こえて、目を開けると──右前腕が変な方向を向いて、ぷらぷらとしていた。


ダイヤ「──ッづあぁぁああぁぁあぁぁ!!!!?!!??」


自覚した瞬間、激痛が走り、絶叫する。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!


ヨハネ「遅い!!!」


そう言って、ヨハネさんが折れた前腕の先を持って、無理矢理もとの場所に戻す。


ダイヤ「いぎぃぁぁぁぁぁあぁぁっっ!!!!!!」


自分でも聞いたことのないような、絶叫が腹の底から飛び出てくる。


ヨハネ「……再生が始まるから、直に痛みは治まるわ」

ダイヤ「ぐっ……あっ……は、はっ……はっ……はっ……」


気付けば、ぼろぼろと涙を流し、飲み込みきれなかった唾液やらなんやら、いろんな液を流しながら、わたくしは床に横たわっていた。


ヨハネ「……悪いわね、不意打ちで」

ダイヤ「はっ……はっ……はっ……はっ……」


ヨハネさんの言う通り痛みはすぐに治まってきたはずなのに、呼吸が全く落ち着かない。

……千歌さんだって不意打ちで慣らす訓練をしていたのに、わたくしのときだけ心の準備をする時間があるわけなかった。

考えが甘かった。


ヨハネ「ただ、痛みでのた打ち回ってたら、あっと言う間にへびの玩具みたいになるわよ。折れたと認識したら、反射で腕を元の場所に戻すくらいの気でいなさい」

ダイヤ「はっ……はっ……は、い……」

ヨハネ「じゃ、続けるわよ」

ダイヤ「は、はい……っ」


立ち上がろうとして、

脚に力が入らない。


ダイヤ「はっ……はっ……はっ……」


自分の意思に反して涙が溢れてくる。


ヨハネ「……心を折るのが目的じゃないからね。10秒あげるから、ちゃんと自分の脚で立ちなさい」

ダイヤ「はっ……はっ……は、い……っ……!」


無理矢理、自分を律して、立ち上がる。


ヨハネ「……4秒で立ったわね。上出来よ」

ダイヤ「はっ……はっ……はっ……」


自分が恐怖で泣くなんて考えたこともなかった。

でも……それでも……わたくしは覚悟をしたはずだ。


ダイヤ「ふーーーーーっ…………!!!!」


思いっきり息を吐いて、呼吸を無理矢理落ち着かせ──ボキッ。


ダイヤ「ぐ、ぎっ、ぁぁっ!!!」


──折れた腕を、すぐ、確認。

折れてる。折れてる。折れてる。


ダイヤ「折れてる、腕、骨、折れて」

ヨハネ「……ダメ、不合格」


再びヨハネさんに無理矢理元に戻される。


ダイヤ「ぎぃぃぃぃっ!!!!!!」


戻してもらったときの痛みで蹲る。

──ダメだ、折れてることを認識しただけでは。そこからどうしなくてはいけないのか判断しないと。


ヨハネ「自分の中で、何がダメだったか反省しながら、繰り返すわよ。立ちなさ──」

ダイヤ「──お、ねがい……しま……す……っ……」

ヨハネ「……よし、よく立った。続けるわよ」

ダイヤ「っ……はいっ……!」


──
────
──────



地獄のような訓練のお陰で、腕は無事です。


ダイヤ「千歌さんは!?」


すぐに前方に視線を戻す。


千歌「くぉんのっ!!!」

聖良「ふっ!!!」


──ガキン、ガキンと硬い音を響かせながら、

千歌さんと聖良さんは得物で打ち合っているところだった。

今のところは無事……ですが、


聖良「はっ!!!」

千歌「くっそぉっ!!!」


──ガインッ!!


千歌「とぉりゃぁぁっ!!!」

聖良「ふっ!!!」


──ギィン!!!


聖良「はぁっ!!!」

千歌「くっ!!!」


──ガキッ!!!

聖良さんの方が余裕がある。

千歌さんの攻撃は見切られ気味だし、聖良さんの攻撃を受け流すのも精一杯と言った様子。

だけど、どうする……?

前に出ても、あの得物は形を変えて襲ってくる。

威力はそこまでではないにしろ、わたくしが前に出ても、またすぐに骨を折られる。

そんなことを考えている間に、


聖良「はっ!!!!」


──ガ、キンッ!!!


千歌「わぁっ!!?」


千歌さんの大剣が弾き飛ばされてしまった。


ダイヤ「千歌さんっ!!!」

聖良「そこですっ!!!!」


──左っ!!!


千歌「ぐ、ぎぃぃっ!!!」


その隙に突き出される、槍の刺突を、わたくしの視界からの思考共有によってギリギリ躱す。

身を捻った体勢から、


千歌「爪ぇ!!!」


前方に腕を突き出して、近距離で爪を伸ばす。

──が、


聖良「当たりませんよ!!」

千歌「っ!!!」


聖良さんは爪が伸びてくることを予測していたのか、最小限の動きで完璧に回避し、


聖良「ふんっ!!!」


槍を横なぎに振るって、


千歌「がっ!?」


それが千歌さんのわき腹に命中し、吹っ飛ばされる。


ダイヤ「千歌さん!!!」


わたくしは、全速力で千歌さんが吹き飛ばされた先に、急行する。


千歌「ぐ、ぅ……だい、じょうぶ……」


千歌さんは槍による攻撃を受けて、わき腹から大量の出血をしているが、どうにか内臓までは届いてないようだ。


ダイヤ「血を!!」

千歌「うん……っ……──ガブッ!!」


これで、吸血再生は2回目……。


聖良「……当たる直前に、吹っ飛ばされる方向に自分で飛んで、威力を殺しましたか。良い勘ですね」


言いながら、聖良さんが槍を構えてゆっくり迫ってくる。こちらは先ほどから不意打ちが多いことから、一応様子を伺っているのかもしれない。

──さあ、どうする?

一旦離脱して、攻撃の隙を伺った方がいいかもしれない。

読まれることはあっても、選択肢の多い中からの不意打ちなら、まだ通るには通るはず……。


聖良「……もう爪の不意打ちは通りませんよ」

ダイヤ「!」

聖良「千歌さん、肉体変化が完璧じゃないですよね? 爪を伸ばすとき、『爪』と叫ばないと伸ばせないんじゃないですか?」

千歌「ぅ……」

ダイヤ「っ……」


不味い、バレてる。

──そう、千歌さんは結局肉体変化に関してだけはどうしても完璧な習得は出来なかったのです。

ヨハネさん曰く、


 ヨハネ『吸血鬼の能力は結局イメージ出来るかどうかだから、どうしても出来ないものは出来ないのよね……。逆に能力のイメージとどれくらい相性がいいかによって得意能力も決まるんだけど……──』


そして、代替案として出されたのは発声することによって、無理矢理イメージを固めるという手法。

これは逆に千歌さんと相性がよく、これまでの修得状況からは考えられないくらいスムーズに肉体変化を出来るようにはなったのですが……。

逆に言うなら手の内を晒さないと千歌さんは、肉体変化が出来ない。いずれバレるとは思っては居ましたが……。

どうする……こちらは手数勝負なのに、攻撃の癖がバレているのは厄介なディスアドバンテージです。


千歌「ダイヤさん」


思考を中断したのは、千歌さんからの耳打ち。


ダイヤ「? なに?」

千歌「……真っ向勝負しよう」

ダイヤ「…………」

千歌「このままじゃジリ貧だよ。大火力を叩き込まないと、再生も追いつかれる」


確かにそうかもしれない。


ダイヤ「大火力の確保はどうするのですか?」

千歌「チカに考えがあるよ!」

ダイヤ「……わかりました、なら信じますわ!」


わたくしは立ち上がり、


ダイヤ「──ふんっ!!!!」


両脚を力の限り踏ん張り──地面に自分の両の足をめり込ませる。


聖良「……観念したということですか?」


聖良さんは大槍を突撃刺突体勢に構える。

──これから千歌さんが、大火力による攻撃をするまでの時間を稼ぐ。

わたくしの秘策を使えば、恐らく可能です。

リスクはありますが……最初からリスクを背負わずに勝てる相手ではない。


聖良「……まさか、貴方が私の攻撃を受け止めるつもりですか?」

ダイヤ「ええ、そのつもりですわ」

聖良「……本当に死にますよ?」

ダイヤ「そのちんけな槍でわたくしが殺せるとお思いなら、どうぞ一思いに突き殺してくださいな」

聖良「……いいでしょう、その挑発──乗ってあげますよっ!!!」


聖良さんが地面を蹴って飛び出した。

さあ──タイミングを計れ……!!

これから、わたくしは──盾になりますわ!!!


聖良「はぁぁぁっ!!!!!」


聖良さんの大槍による、刺突が……わたくしを捉えた──

──ズンッ!!!

聖良さんの刺突の衝撃は激烈なもので、その威力は刺突対象だけでなく、発生した扇形の衝撃波で周囲の地面すら捲り上げる。

──わたくしの背後を除いて。


聖良「──なっ……!?」

ダイヤ「…………」


聖良さんの槍は、完璧にわたくしに身体に切っ先をぶつけたまま──静止していた。


聖良「そ、そんなバカなっ!?」


初めて、聖良さんが本気で驚いた顔をした気がした。


──────
────
──



ダイヤ「体内で血を固める……?」

ヨハネ「ええ、そうよ」


千歌さんが端で血液操作の修行する中、わたくしに提案されたのはそのようなことでした。


ヨハネ「何も血液は外に出てなくてもいい。身体の中にある血液だって、自分の血液なんだから操作対象になるわ」

ダイヤ「え、ええ……まあ、理屈の上ではそうだと思いますが……」

ヨハネ「これなら、ダイヤは失血のリスクは負わなくていい。再生の不十分さを補うための、防御の向上にもなる」

ダイヤ「それでうまくいくのですか……? 血液は体内に流れているのですから……体内の血を固めても肉体を守る術にはならないのでは?」


攻撃が血管に届くまでの部位が犠牲になるのではあまり意味がないような……。


ヨハネ「ダイヤ、よーく考えなさい」

ダイヤ「?」

ヨハネ「血なんて、薄皮一枚先まで切れたら流れ出てくるのよ」

ダイヤ「…………まさか、毛細血管」

ヨハネ「そういうこと」


人間の身体は太い血管だけでなく、全身の細胞一つ一つに酸素を運ぶために、微細に枝分かれした大量の血管が張り巡らされています。

つまり、ヨハネさんが言いたいのは……。


ダイヤ「全身の毛細血管の血液までくまなく硬質化させろと言うことですか」

ヨハネ「ええ。これは全身に毛細血管が張り巡らされてることをちゃんとイメージ出来ないと実現出来ないけど……出来れば絶対防御にもなりうるわ」

ダイヤ「……絶対防御……魅力的な響きですわね」

ヨハネ「硬度10のあんたには、ぴったりだと思わない?」

ダイヤ「誰が硬度10ですか──と、言いたいところですが……ええ、わたくしにぴったりの戦法ですわね……!」



──
────
──────


ダイヤ「──わたくしは……盾ですわ。絶対に壊れることのない、無敵の盾!!」


自信があった。

自分の硬さには。

イメージ出来た。

どんな矛にも負けない無敵の盾が。

世界一硬い、ダイヤモンドの名を冠する盾になれる、自負があった。


聖良「……っ!!」


聖良さんが再び驚いたような表情をした。

ここまででなんとなく気付いたのですが、吸血鬼は理不尽なほど、自身の強さや能力に自信を持っている。

これはヨハネさんにも該当することで、基本的に自分が優れていると言う高圧的な部分が存在する。

それは自分が吸血鬼と言う種族から来る驕り。

だから、真っ向から挑発すれば確実に乗ってくると踏んでいた。

だがその上で、それを真っ向から止められたら……どうなる?


ダイヤ「動揺してますわね」

聖良「!! くっ……!!」


聖良さんが槍の切っ先を引いた。

──背後から、千歌さんの気配。


ダイヤ「タイミング、完璧ですわ!!」

聖良「!?」


言うと同時に、わたくしは硬質化を解除し、その場に伏せる。

そして、その瞬間、頭上を──巨大な血色の大槌が、


聖良「っ!!!?」


横薙ぎに聖良さんに叩き付けらた。


千歌「かーーーっとばせーーーーっ!!!!!!」


10mはあるであろう、とてつもない長さの柄に、先端には不恰好な血色の巨大な塊。

完璧に直撃した、聖良さんは、


聖良「が、ぁぁぁあぁぁぁぁっ!!!!!」


腕がひしゃげ、肩まで骨ごと砕かれ、持っている血の大槍も一緒に割り砕かれながら──


千歌「いーーーーっけええええええーーーーー!!!!!!!!!」


──ヒュンと、風切る音と共に、吹き飛ばされ、

先ほど2階が消し飛ばされた公会堂の1階に叩き付けられた。

──だけでは済まず、その威力でガラガラと、音を立てて公会堂が崩壊を始め、彼女はガレキの山に飲み込まれた。


千歌「よっしゃ!! ホームラン!!」

ダイヤ「や、やった!!」


しかし、大火力を用意すると言った千歌さんを信じはしましたが……まさか、ここまでの大火力とは……。


千歌「ニシシ……! すごいでしょ!!」

ダイヤ「ええ! しかし、この大槌、どうやって作ったのですか!?」


この重量、威力、大きさ……どう考えても千歌さんの血液だけでは足りない。


千歌「えっと、実はね、このハンマーの中には……」


そういいながら、千歌さんがハンマーヘッドの辺りの血液を少しずつ、減らしていくと、


ダイヤ「……!! 千歌さん……貴女、天才ですわ」

千歌「えへへ、でしょでしょっ!!」


血色の塊の中から──大きな瓦礫が顔をだした。

恐らく、聖良さんが戦闘中に割り砕いた、大量の石畳やコンクリートです。

それを集めて、薄く延ばした頑強な血液の塊で風呂敷のように包み、長い柄をつけて、円心力を乗せて叩き付ける……。

ハンマーヘッドのサイズは一辺が2メートル以上もある……。詳しい重量はぱっと出せませんが、コンクリートの比重を考えると、この大きさなら5t近いはず。

それを吸血鬼の筋力、10mもある柄によって生まれる遠心力、そして5tもある巨大な塊で殴りつけられたら……いくらわたくしたちより強い混血の吸血鬼だってひとたまりもない。

これを思いつきで、作ったのは、まさに千歌さんの自由な発想だからこそ、実現した必殺の一撃……!


ダイヤ「千歌さん!! 貴女は本当にすごいですわ!!」

千歌「えへへ~!! ダイヤさ~ん!」


勝利を讃える抱擁を交わそうとした──刹那。


千歌「っ!!」


千歌さんが突然、ビクリと肩を竦ませた。

──何かと思いましたが、わたくしも一瞬遅れて、理解する。

禍々しいほどの殺気が、こちらに突き刺さってきていることに。

──ドンッ!!

前方から突然押される。


ダイヤ「!?」


千歌さんがわたくしを両手で思いっきり突き飛ばしていた。


千歌「避けてぇぇぇ!!!」


わたくしと千歌さんの間に出来た、空間に──


ダイヤ「!?」


真っ黒な何かが、ゆうに音速を超えるであろう速度で、

衝撃波と共に、通り過ぎる。


ダイヤ「っ!!!!」


音の壁を突き破って、至近で空気の爆縮が起こり、轟音に晒された鼓膜が破れる。

それだけではない、前方を通り過ぎる影こそ避けたものの──

──バギリッ!!

衝撃波に掠った、右脚の骨が曲げ折られる。


ダイヤ「っ゛!!!!」


背中から、地面に落ちた瞬間、折れた脚に目を向ける。

──右脚が脹脛の辺りから折れた、下腿の骨、頚骨・腓骨、重要な骨、頚骨優先っ!!

手を添えて、思いっきり、脚の骨を元の位置に戻す。


ダイヤ「ぐ、ぅっ!!!」


──ヨハネさんと確認した人体構造によれば、腓骨は頚骨と骨間膜で繋がっている、太い頚骨さえ繋がれば、腓骨も付随して正しい位置に戻るっ!!

頭の中で激しく思考しながら、骨折を修復し、破れた鼓膜も意識を集中して、秒で再生する。


ダイヤ「っ……!! 千歌さんっ!!!」


わたくしを突き飛ばした、千歌さんの方を確認する。


千歌「っ……!!」


千歌さんはすでに、上空に飛び去る高速の飛翔体を目で追っていた。

脚や胴体は無事なものの──わたくしを突き飛ばすために、前に突き出していた両手首より先が消し飛んで、大量に出血していた。


ダイヤ「!! 千歌さんっ!!」


わたくしはすぐに吸血による回復を行うために、身を起こそうとして、


千歌「来ちゃだめ!!!」

ダイヤ「っ!!」


制止される。


千歌「今すぐ血固めてっ!!」

ダイヤ「ですがっ!!」

千歌「いいからっ!!!」

ダイヤ「っ……」


言われて、全身の血液を硬質化した瞬間──

──ギィンッ!!!

大きな音ともに、巨大な斬撃が全身の表面を撫でる。


ダイヤ「っ!!!」


驚いて思わず、目を見開く。

千歌さんの言うことを聞いていなかったら、細切れにされていた。

そして、見開いた目で、上空の──開かれた闇の翼を見る。


聖良「──……本当に丈夫ですね……辟易します……紛い物の癖に……」


聖良さんが煌々と星が瞬く夜空をバックに、真っ赤な瞳でわたくしを見下ろしていた。

その背に大きな蝙蝠のような翼を背に生やして──。



──────
────
──


ヨハネ「──次で私から教えるのは最後の項目よ」

千歌「や、やっと最後……」

ダイヤ「……前に言っていた肉体変化の言っていないことですか?」

ヨハネ「ええ、そうよ」

千歌「肉体変化……うー、苦手なんだよなぁ」


千歌さんは言いながら頭を抱える。


ヨハネ「まあ、それは頑張ってもらうしかないわ。……話戻すけど、肉体変化の説明をしてる際に動物の特徴を身体に現出させることも出来るって言ったじゃない」

ダイヤ「ええ、言っていましたわね」

ヨハネ「原種の吸血鬼が変化出来る動物は狼、犬、猫から昆虫とかまで、いろいろ出来るんだけど……あんたたちに身につけて欲しいのは、最も吸血鬼のイメージに近い動物──」

千歌「あ、コウモリだ!」

ヨハネ「そう、正解」


確かに吸血鬼と蝙蝠のイメージはかなり密接な気がしますわね。


ダイヤ「わたくしたちは蝙蝠に変身出来るようになればいいのですか……?」

ヨハネ「いや、完璧な変身はあんたたちには恐らく出来ないわ。だから、習得して欲しいのは──蝙蝠の翼よ」

千歌「翼……」

ヨハネ「ここまでいろいろ能力を揃えて来たけど……もし相手が翼で空を飛べた場合、ほとんど勝ち目がなくなる」

ダイヤ「確かに……相手が自由に飛び回れるのでしたら、手が出せなくなってしまいますからね」

ヨハネ「だから、あんたたちの吸血鬼性からすると……ちょっと無茶振りかもしれないけど、蝙蝠の翼はどうにか習得してもらうわ」

千歌「わかった! でもどうやるの?」

ヨハネ「ただ、イメージするだけよ。自分の背中に翼が生えるのをイメージして」

千歌「わかった! ……ふぬぬ……」


千歌さんが顔を赤くしながら唸り始める。背中に力を入れているのだろう、たぶん。


ダイヤ「……しかし、イメージと言われても、本来わたくしたちに、翼は生えていないですから、イメージがし辛いですわね……」

千歌「ふ、ぬ、ぬ、ぬううううう!!!! ……ダメだ、無理だ」

ヨハネ「ま、そうだろうと思ってたから……見本を見せるわ」


ヨハネさんはそう言いながら、わたくしたちに背を向ける。


千歌「……見本?」

ヨハネ「よーく、見てなさいよ」


ヨハネさんがそう言った──瞬間。

──バサッと音を立てながら、


ダイヤ「!」

千歌「ほ、ほわぁ!!!」


ヨハネさんの背中に大きく立派な蝙蝠の翼が生えていた。


ヨハネ「こんな感じよ」

千歌「ヨ、ヨハネちゃんすごい!!」

ダイヤ「随分立派な翼ですわね……」

ヨハネ「もともとヨハネがよく翼を生やすコスプレしてるせいもあって、イメージの相性がいいのよね。私が一番得意な吸血鬼の能力なの」

千歌「そうなんだ!」


吸血鬼はイメージのしやすさによって、習得しやすい能力が変わると言っていましたが、それは本物の吸血鬼にも同様の性質のようです。


ダイヤ「……ちょっと近くで見てもいいですか?」

ヨハネ「いいわよ」


ヨハネさんに許可を貰って、翼を近くで観察する。

特に翼の根元……生え際を見ると、服を破って生えてきている。

まあ、服自体は復元再生で繊維が元の形に戻ろうとするため、翼の根元に吸着しているのですが……。

服の上からシルエットを見る限り、肩甲骨の辺りから生えてきている。

確かに人の形に翼を生やすならここが最適だろう。


ダイヤ「触ってもいいですか?」

千歌「え!?」

ダイヤ「形をしっかり確認したくて……」

ヨハネ「別に私はいいけど……」

ダイヤ「……けど?」

ヨハネ「あんたの彼女は不満そうよ?」

ダイヤ「え?」


言われて振り返ると、


千歌「……むー」


千歌さんがむくれていた。


ダイヤ「え、えっと……千歌さん?」

千歌「ダイヤさん、他の子の身体に触りたいんだ」

ダイヤ「!? ち、違いますわ!? これは訓練の一貫であって……!」

千歌「そーだよね、訓練訓練……むぅ」

ダイヤ「ぅ……」

ヨハネ「いやーなんか大変そうね」


言いながら、ヨハネさんがケラケラ笑う。


ヨハネ「ま、いいから触ってみれば?」

千歌「……」

ダイヤ「…………」


背後から千歌さんの不機嫌オーラが漂ってくる。

というか、精神リンクのせいで千歌さんの不機嫌な感情が直で流れ込んでくる。

や、やりづらい……!


千歌「ふーんだ……どうせ、チカはめんどくさいやつだもん」

ダイヤ「そこまで思ってないですわ!」

ヨハネ「ほらダイヤ? さっさと習得しないと恋人の機嫌がどんどん悪くなってくわよ?」

ダイヤ「ぐ……」

ヨハネ「ほーらほーら、翼周りの筋肉の形まで、手が覚えきるまで、じっくりねっとり触っていいのよ?」

千歌「……………………ダイヤさんの変態」

ダイヤ「だから、わたくしはそのようなこと考えてませんわ!? ヨハネさん、貴方さては楽しんでますわね!?」

ヨハネ「くくく……恋人のために、せいぜい必死に頑張りなさいよ──」


──
────
──────



──当初の予定通り、聖良さんは飛行手段を持っていた。

こうなると、わたくしたちも飛行戦闘に切り替えねば──

翼を展開するために、血液硬化を解こうと思った瞬間、


千歌「まだ、解いちゃだめっ!!!」


再び響く千歌さんの大声、

それと同時に──


聖良「──はぁっ!!!!」


わたくしに向かって、聖良さんが急降下して、拳を叩きこんでくる。


ダイヤ「っ!!!!!」


硬化したままの身体が接地している、フィールドが音を立てて割り砕ける。

──またしても、千歌さんの判断に救われた。相手が思った以上に速く、硬化を解除していたら、お腹に風穴を空けられていた。


聖良「……千歌さんの勘は大したものですね、動物並の危機察知能力ですよ?」


実際、千歌さんは訓練中から既に、とにかく勘がよかった。

所謂、野生の嗅覚と言われるものが強いのかもしれません。だからこそ、分析判断が追いつかないときは千歌さんの判断に従った方がいい。

その方針のお陰でこの短時間に二度も命を救われることになった。


聖良「そして、その血液硬化……理不尽なほどの強度ですね」


そのまま、マウントを取るような形で、聖良さんが拳を振り下ろしてくる。

拳のインパクトと同時に、衝撃で周囲の地面が音を立てて陥没していく。


ダイヤ「っ……!!」

聖良「これだけ攻撃しても砕けるのはフィールドばかり!! ただ、その能力……弱点がありますよね」

ダイヤ「…………」

聖良「全身を硬化するということは、動けないということ!!」


再び拳が振り下ろされる。

どんどん、身体が地面にめり込んでいく。


聖良「そして……時間無制限ではないですよね?」

ダイヤ「!!」


──不味い、欠点もバレてる。

聖良さんが、みたび拳を振り上げる──

が、その瞬間、


千歌「──ダイヤさんをぉぉぉぉぉぉ!!!! 放せえぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」


千歌さんが跳び蹴りで突っ込んでくる。


聖良「……っち──」


聖良さんは、千歌さんを認識すると、すぐさま飛び立って回避する。

──聖良さんに攻撃を透かされた千歌さんは、キックの勢いで地面をぶっ壊しながら着地すると、すぐ様反転してわたくしの元に駆け寄ってくる。


千歌「ダイヤさん!! 大丈夫!?」

ダイヤ「ええ、お陰様で!! それより、千歌さん!! 血を!!」

千歌「うん! ──ガブッ!!!」


わたくしが硬化を解除すると同時に、千歌さんがわたくしの首筋に噛み付き、三回目の吸血治療を行う。

すでに素の再生能力によって、再生しかけていた両手が、吸血によるバフによって完璧な形へと徐々に戻っていく。

これで一安心──


聖良「隙だらけですよっ!!!!」


──が、息吐く暇もなく、上空から聖良さんが攻撃を仕掛けてくる。


千歌「!?」

ダイヤ「っ!!」


──まだ、吸血が終わっていない……!!

吸血の刺激のせいで、力が抜けているが、気合いで全身の筋肉に力を込める。

吸血したままの千歌さんをお姫様抱っこで抱えて、全身の筋肉をバネにし、受身の要領で強引に跳ねる。


聖良「はぁぁぁっ!!!!」


爪を構えた聖良さんが迫る。

跳ねた軌道の先は、死地。

だから、わたくしは──軌道を変えるために、羽ばたく。


聖良「なっ!」


すんでのところで、聖良さんの爪撃を躱す。

わたくしは、千歌さんを抱えたまま──


聖良「……翼まで」

ダイヤ「さぁ……ここからは空中戦ですわ」


大きな黒い翼を背の生やし、羽ばたいていた。


千歌「……ん、ぷはっ!」

ダイヤ「大丈夫ですか、千歌さん」


吸血を終えた千歌さんに確認する。


千歌「うん! ありがと、助かった!」

ダイヤ「無事でなによりですわ」

千歌「こっからは自分で飛ぶ! ──翼ぁっ!!」


千歌さんが大きな声で叫ぶと同時に、彼女の背中にも黒い大きな翼が生えてくる。

翼も爪同様、肉体変化への苦手意識のせいで、千歌さんは声に出さないと展開は出来ない。

ただ、翼は爪と違って、何度も頻繁に出したり引っ込めたりはしないので、そういう意味では相性がいい。


聖良「…………全く、この短期間でいくつ技を仕込んできたんですか?」


聖良さんが空中で体勢を立て直しながら、こちらを睨みつけてくる。


千歌「爪っ!!」


千歌さんも対抗するために、爪を伸ばす。

睨み合いの中、聖良さんは言葉を続ける。


聖良「肉体強化や爪の変化は、超再生はともかく……精神リンク、血液操作、そして翼まで……。……特にダイヤさんの硬質化は驚きました。血液変化にあんな使い方があるなんて……。……強者が使う戦い方ではありませんが」

ダイヤ「…………」


真っ向から攻撃を受け止められたのに相当プライドが傷ついたらしい。

先ほど考察したとおり、種族特有の高い誇りが、ソレを許してくれないのでしょう。

最も、先ほど聖良さんに指摘された通り、わたくしの血液硬化も弱点がいくつかある。

一つは硬化中は全く動けなくなること。身体の先の先の毛細血管まで硬化してしまうので、身体の自由はほぼなく。移動したり、筋肉を稼動させる動作はほぼ無理です。

二つ目も聖良さんに指摘された通り……この能力には時間制限がある。血液を硬化するということは、血液の本来の『酸素の運搬』を阻害してしまう。なので、酸素の供給が絶たれた細胞たちは長時間血液硬化をしていると、壊死してしまうのです。

だから、先ほどのように一人のときにマウントを取られると実質詰み。この能力は千歌さんと言う矛と、わたくしという盾が両方揃っていないと、そもそも成立しない。

そして、三つ目の弱点。性質上、この能力は飛行しながらはほとんど使えない。

ですので、出来れば再び地面に引き摺り下ろしたいのですが……。


聖良「……この空で、闇に霧散する塵にしてあげますよ」


聖良さんが構える。

地上戦を望むのはもう無理かもしれない。

となると、


千歌「……さあ……行くよ!!!」


千歌さんに頼るしかない。

わたくしは序盤同様、後方からの二人分の目の役割をする。そのために、後ろに下がるのと同時に──


千歌「──!!!」

聖良「──!!!」


二つの夜の翼が、一気に加速し真っ向から、相対する。

一気に音の速度で肉薄した両者の爪がかち合う。

両者が鍔迫り合い、ワンテンポ遅れて、空気たちが思い出したかのようにビリビリとその身を震わせ、轟音をあげる。


聖良「……はぁっ!!!」

千歌「っ!!」


──ギィンッ!! と硬い音を立てながら、千歌さんが弾き飛ばされる。

ノックバックした千歌さんがすぐ顔を上げるが、


千歌「!? いない!?」


いつの間にか彼女の視界から姿を消した聖良さん。

──横ですわ!!!


聖良「はぁっ!!!」

千歌「!!」


聖良さんは、高速軌道で、一度千歌さんの視界にわざと外れてから、高速で切り返しその勢いを乗せた鞭のような蹴りを千歌さんに叩き込む。

精神リンクによる指示で、ギリギリ腕によるガードは出来たものの、


千歌「っ゛!!!」


──バキメキッ!! と音を立てながら、千歌さんの腕の骨が軋む音がする。


ダイヤ「っ!!!」


咄嗟に聖良さんの、背後から攻撃を加えようと、飛び出すが──


聖良「ふんっ!!!」

ダイヤ「っ!?」


聖良さんが背後に向かって爪で空気を引っ掻き衝撃波を飛ばしてくる。

わたくしは身を捻り回避をする。


ダイヤ「……読まれたっ!?」

聖良「相思相愛ですね!! 瞳に映ってますよ!!」

千歌「ぐっ!!」


──千歌さんの瞳に映りこんだわたくしの姿を見て、攻撃を察知された。

これが鏡だったらこうはいかないのに、吸血鬼の身体だと、吸血鬼の姿が映ってしまう。

これじゃ近付けない……!!

だが、注意を逸らしただけでも、聖良さんの攻撃の勢いは多少削げたようで、


千歌「くぉんのっ!!!」


千歌さんが折れた腕で、強引に聖良さんを押し返す。


聖良「くっ……!」


押し退けられ、空中を後退る聖良さんに、千歌さんが自身のひしゃげて血が噴き出す腕の傷口を向けると──

そこから、血で出来たナイフが3本飛び出す。


聖良「ぐっ!!」


ナイフは聖良さんの肩、わき腹、大腿にそれぞれ突き刺さるが、


聖良「こんな威力じゃ、止まりませんよっ!!!」


聖良さんは、翼による推進力で強引に千歌さんに再び肉薄し、


千歌「がっ!!!?」


千歌さんの首根っこをグラップして締め付けた。


ダイヤ「千歌さんっ!!!」


わたくしはすぐさま救出するために、接近しようとするが、

聖良さんはそれを許さないために、千歌さんを掴んだまま、高速で上昇していく。


ダイヤ「は、速いっ!!」


聖良さんは上昇しながら、千歌さんの首をギリギリと締め付けていく。


聖良「このまま、握りつぶしてあげますよ……!!」

千歌「ぐ、がっ……は、な、せぇぇぇぇ……っ……!!」


千歌さんは両手を使って聖良さんの手を引き剥がそうとしているが、

ケガの再生の真っ最中の片腕のせいか、力負けし徐々に首が絞まって行く。

千歌さんは脚もじたばたさせながら、必死にもがく。


ダイヤ「千歌さんっ!!」


わたくしはどんどん引き離されていく。

聖良さんの飛行速度が速すぎて追いつけない。

──どこ……!?


ダイヤ「!?」


千歌さんの声が頭に響く、


ダイヤ「どこ……!?」


千歌さんが何かを探してる……。

……!! そうか!!

──全神経を目に集中して、聖良さんを凝視する。

そして、精神リンクで、そのイメージを千歌さんに送る。

徐々に遠ざかっているから、どれくらい鮮明に送れるかはわからない、賭けだ。

──が、結果から言うと、この賭けには勝った。


千歌「くぉん、のぉっ!!!」


千歌さんの蹴りが、


聖良「ぐっ!!?」


聖良さんの大腿に突き刺さった血のナイフを捉え、押し込むようにして、そのまま更に深く突き刺す。


聖良「ぐ、ぅ……!! 悪あがきを……!!」

千歌「が、ぁぁぁぁ……っ!!!」


聖良さんが腕に力を込めてトドメを指そうとした瞬間、

──聖良さんの上昇が止まり、ガクリと落ちる。


聖良「!? なっ!?」


聖良さんが、驚きの声を上げる。


千歌「ニシシ……チカたちの作戦勝ち……!!」


──千歌さんが蹴りによって、ナイフを深く突き刺したのは、ただの攻撃のためじゃない。

“自分の血に触るため”だ。


ダイヤ「血に触れれば、再び操作の対象になる、そして──」

聖良「んなっ!?」


聖良さんはそこでやっと気付いた。

千歌さんが脚で押し込んだ血のナイフが──自分の脚を貫いて背後に回っていることを、


千歌「薄く長く伸ばした血を、無理矢理翼まで伸ばしたよ!!」


そして、形を変えた血のナイフが──


聖良「翼が……っ!!」


──彼女の翼を、根元から切り落としていた。

驚いて聖良さんが怯んで腕の力が弱まった瞬間。


千歌「うぉりゃああぁぁっ!!!!」

聖良「がっ!!!?」


千歌さんが頭突きを食らわせる。

その衝撃で、聖良さんの手がぱっと離れて──


聖良「くっ、ぐ……!!」


揚力を完全に失った聖良さんは一人で自由落下を始める。


聖良「翼、くらい……また、すぐに……!!!」


彼女は言いながら、再び翼を展開しようとするが──


聖良「!? 翼が!? 出ない!? 何故!?」


翼は伸びてこない。


ダイヤ「無理ですわ……ソレの頑丈さは、貴方も知っているでしょう」

聖良「……!?」


聖良さんの切り落とされた翼の生え際は──千歌さんの固まった血が蓋をするようにコーティングしていた。


聖良「さっき翼を切った血!? つ、翼が!!!?」

ダイヤ「この高さまで、逃げてきたのが……仇になりましたわね」


千歌さんの元に近寄り、


千歌「……かぷ」


四度目の吸血回復をしながら、落ちる聖良さんに目を向ける。


千歌「……んく、んく……」

ダイヤ「……勝負、ありましたわね」

千歌「……ん……ぷはっ! 私たちの勝ちだよ!!」

聖良「──くっそぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!」


似つかわしくない汚い言葉を吐いた後、聖良さんは地面に激突し──動かなくなった。





    *    *    *


──────
────
──


──決戦の日の前日。


ダイヤ「……ふぅ」


訓練を終え、トマトジュースを飲みながら、一人で休憩をしていると……。


ヨハネ「ダイヤ、今いい?」

ダイヤ「ヨハネさん?」


ヨハネさんが顔を出した。


ダイヤ「ええ、今千歌さんも呼び戻しますわね」


千歌さんはベッドのある部屋でゴロゴロしていたいとのことだったので、呼んで来ようとすると、


ヨハネ「いや、ダイヤだけでいいわ」


そう言う。


ダイヤ「……? はい」


ヨハネさんがわたくしの目の前に掛けた。


ヨハネ「……これで、概ね、訓練は終了よ。よく頑張ったわね」

ダイヤ「あ、ありがとうございます……でも、そういうことは千歌さんにも言ってあげた方が……」

ヨハネ「さっき言ってきた。……だから、ダイヤにも」

ダイヤ「そ、そうですか……」


彼女なりに最後の労いの言葉は一人ずつ、言ってくれているのかもしれない。


ヨハネ「……ただ、ダイヤには、それとは別に、最後に一つお願いがあるの」

ダイヤ「お願い……ですか?」

ヨハネ「ええ」


ヨハネさんはゆっくりと息を吸い込んでから──


ヨハネ「……千歌のこと、お願いね」


そんなことを口にする。

お願いって……。


ヨハネ「そんなこと言われなくてもって顔してるわね」

ダイヤ「それは……まあ……」


恋人ですし……。


ヨハネ「……あのね、千歌って優しいでしょ」

ダイヤ「え、あ、はい」

ヨハネ「あの子は……戦うことを無意識に躊躇すると最初から思ってたのよね」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「だから、訓練の間……ずっと、千歌の道徳観念を壊す教え方をした、わざと」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「敵の骨を砕き、肉を裂き、身体を潰して、勝ちを取れって。それが吸血鬼の戦いだって」


ヨハネさんは俯き気味に言葉を続ける。


ヨハネ「自分の身体が千切れて、血が噴き出して、骨が砕けて、身体が潰れても、戦う意思を諦めるなって、何度でも立ち上がって、敵を叩き潰せって」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「絶対必要だと思ったから、そうした。あの子が人間に戻るために、絶対必要だと思ったから……だけど、人間に戻ったあとは、私は何も出来ない」

ダイヤ「…………なるほど」

ヨハネ「だから、ここで歪んじゃった千歌は……また貴方が、ダイヤが繋ぎ止めてあげて。……無責任かもしれないけど」

ダイヤ「……いえ、ありがとうございます……わたくしたちの為に、そこまで考えてくださって、教えてくださって……」


ヨハネさんは後ろめたいと思いながらも、わたくしたちのために全力で稽古を付けてくれていたと言うことですわね……。


ヨハネ「……あ、あんたたちの為じゃないし……千歌が変になっちゃったら……善子が哀しむから……」

ダイヤ「……ふふ、そうですか」

ヨハネ「……なんで笑うのよ」

ダイヤ「ヨハネさんは、善子さんのことが、本当に大切なのですわね」

ヨハネ「……当たり前よ。……あの子は、私なんだから……」


ヨハネさんは、何かに想いを馳せるような……そんな表情をしながら、


ヨハネ「私はあの子の影だから……私がやったことで、あの子が哀しむなんて……あっちゃいけないことだから」


そう言う。


ダイヤ「……そうですか」

ヨハネ「ええ。……ま、そういうことだから、お願いね。戦いの最中もだけど……戦いの後も──千歌の傍に居てあげて」

ダイヤ「はい……誓いますわ」


わたくしは力強く、頷いた。


ヨハネ「あと最後に」

ダイヤ「?」

ヨハネ「吸血鬼と戦うときの一番大切な心構えを言っておくわ」

ダイヤ「はい」

ヨハネ「吸血鬼と戦うときは──」


──
────
──────



千歌「はぁ……はぁ……」

ダイヤ「……ふぅ……」

千歌「……ダイヤさん!!」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「勝ったよ……!! 私たち、やったよ!! やり遂げたよ!!」

ダイヤ「ええ……全て、終わりましたわね……」


これでやっと……終わる。

長かった戦いが、これで全て収束したのだ。


千歌「ぅ……っ……ぐす……っ……」

ダイヤ「ち、千歌さん!?」


千歌さんが突然目の前で泣き始めて、吃驚してしまう。


千歌「いや、その……ご、ごめん……っ……安心したら、なんか涙が……っ……」

ダイヤ「……そうですか……。よく頑張りましたわね……」


千歌さんの頭を撫でる。


千歌「うぅん……全部、ダイヤさんが居てくれたからだよ……」

ダイヤ「いいえ……貴女が最後まで戦い抜いたからですわ」

千歌「……うぅん、チカ一人じゃ……絶対無理だったよ……」

ダイヤ「いえ、貴女が為したことですわ」

千歌「……あははっ」

ダイヤ「ふふふ……」


おかしくて二人で笑ってしまう。


千歌「じゃあ……二人のお陰」

ダイヤ「ふふ……そうですわね」


ここまで、二人で支えあって、辿り着いた勝利。


千歌「……えっと、これからどうするんだっけ」

ダイヤ「とりあえず、ヨハネさんに報告した方がいいのかしら……?」

千歌「……ねえ、ダイヤさん」

ダイヤ「……なぁに?」

千歌「聖良さん……死んじゃったのかな……?」

ダイヤ「いえ……ヨハネさん曰く、戦闘不能にしても、死ぬと言うことはほぼないと言っていましたわ」

千歌「そっか……よかった」

ダイヤ「戦闘不能まで追い込めば、さすがに勝敗はついたと言っていいでしょうしね……」


言って、戦闘不能になった、地上の聖良さんに目を向ける。


ダイヤ「……?」


──目を向ける。


ダイヤ「あ、あら……?」

千歌「……? どしたの?」


キョロキョロと見回す。

何度も、視線を泳がせながら確認する。


ダイヤ「聖良さん……は……?」

千歌「……え?」


──先ほど墜落して、動かなくなったはずの聖良さんが……いない!?


ダイヤ「な、なんで!? 一体、どこに……!!」


焦る。

背筋を嫌な悪寒が走り抜ける。


 「……貴方達を舐めていました」


──突然、声がした。


千歌「……う……そ……」

ダイヤ「そん……な……」


声の方向──新月を背にした、闇の中に、


聖良「…………」


彼女は浮かんでいた。

立派な闇の翼を羽ばたかせながら──


聖良「さすがに……死んだかと思いましたよ」

ダイヤ「なん……で……」


あそこから、どうやって。


聖良「再生しました」

千歌「再……生……?」

聖良「貴方達もよく知る、吸血鬼の力で……再生しました」

ダイヤ「う、そ……でしょ……」


地上の建造物が豆粒に見える、そんな高さなのに。

そこから直下に向かって落下したのに。


聖良「この高さだと吸血鬼が死ぬなんて……誰に聞いたんですか?」


誰にも聞いてない。

むしろ、こう、言われた。


 『吸血鬼と戦うときは──絶対に相手の力を侮っちゃダメよ』


ヨハネさんに、こう、言われた。

呆然としていると──いつの間にか千歌さんの背後に回りこんだ聖良さんが、


千歌「がっ……!!」


千歌さんの首根っこを背後から掴む。


ダイヤ「!! 千歌さんっ!!」


やっと我に帰る。

まだ戦闘は──終わっていない……!!


聖良「……もう、貴方達をただの紛い物だなんて思いません。……対等な敵として、全力で──潰します」


言葉と共に、聖良さんが千歌さんを持ったまま、一気に飛翔する。


ダイヤ「!? お、お待ちなさい!!!」


──聖良さんは飛行速度をぐんぐんあげながら、この場を離れようとしている。

わたくしと千歌さんを引き離そうとしている……!?


ダイヤ「千歌さん!!!」


わたくしは前方、飛び去る聖良さんを、全速力で飛行し、追いかける──





    ♣    ♣    ♣





千歌「ぐ、ぅぅぅ……!! は、な……せぇぇ……っ……!!」

聖良「……いいじゃないですか、もう少し一緒に空の旅を楽しみましょう」

千歌「い、や、だ……!!」

聖良「……酷いですね」


──ギリギリと首が絞められる。

だけど、これまでみたいに、押し潰そうとしていない。

今はダイヤさんと私を引き離そうとしているみたいだ。

こうなったら、自分一人でどうにかするしかない──

爪を伸ばして突き刺そうとして──


千歌「あ……れ……?」


気付く。

手首から先が──ない。


千歌「あ゛……!? っ゛!!?!?」


気付いて、激痛に襲われる。

いつの間にか、手首を切り落とされていた。

これじゃ爪が伸ばせない。


聖良「……手首ぐらいとっくに跳ね飛ばしてますよ」


そう言いながら、聖良さんは爪を見せびらかしてくる。


千歌「ぐ……ぅ……っ……!!」


──なら、血の武器……!!

切り落とされた手首の先からナイフを──


千歌「ん……っ!!! ん……っ!!! なんで出ないの!?」


何かが詰まったような感覚がするだけで、武器が出ない。

よく見ると、私の傷口は真っ赤に染まっているのに、血が流れ出していない。


聖良「先ほど、貴方に見せて貰ったので」

千歌「……!! 血で蓋!?」


聖良さんは自分の血液を固めて、私の傷口に蓋をしていた。

ダメだ……!! 打つ手がない……!!


聖良「もう貴方達を見くびったりしません……二人を切り離して、逃げ場のない空間に追い詰めて……殺します」

千歌「……っ!!!」


ホンキだ。

聖良さんが本当の本当に、ホンキで“勝ち”に来ている。

そして、そのために戦いの場を移している。

高速で飛翔する、聖良さんの行く先に見えたのは──高い塔。

あれは、知ってる。観光したときに見たことがある。


千歌「五稜郭タワー……!?」

聖良「ええ、よくご存知で」


聖良さんはタワーの目の前で制止した、後──

振りかぶって、


千歌「や、やめっ……!?」

聖良「……死んでください」


私を思いっきり、タワー内部に向かって投げ飛ばした。





    *    *    *





──上空を必死に羽ばたきながら、聖良さんを追いかける。


ダイヤ「千歌さんっ!!!! 千歌さんっ!!!!!」


必死に名前を呼ぶ。

精神リンクで呼んでいるので、声に出す必要はないけれど、自然と声を張り上げていた。

それくらい切羽詰まっている。

ですが、もう距離が遠くて、精神リンクはほとんど切れている。

位置だけは把握出来るのですが……。


ダイヤ「とにかく!! 早くっ!!!」


全速力で翼から推進力を生み出して、聖良さんたちを追う。

千歌さんの気配を追いかけて、見えてきたのは──


ダイヤ「……五稜郭タワー……!? こんなところに、何を……!」


そのときだった。

丁度五稜郭タワーの目の前で制止した、聖良さんが振りかぶって──


ダイヤ「……!!!!! 千歌さんっ!!!!!!!」


千歌さんをタワーの展望階内部に向かって、投げ飛ばした。

──ガラスが砕け散り、轟音を響かせながら、タワーが揺れる。


ダイヤ「千歌さんっ!!!! 千歌さんっ!!!!!?」


絶望的な光景に、もう千歌さんのことしか考えられなかった。

聖良さんがすぐ傍にいるはずなのに、千歌さんの安否を確認することにしか、頭が回らなかった。

千歌さんが叩き付けられて砕けた外張りのガラスがあった場所からタワー内部に侵入する。


ダイヤ「千歌さんっ!!! 何処っ!? 千歌さんっ!!!!」


内部を奥に進むと、中央の大きな柱の辺りに──ボロボロになった千歌さんが転がっていた。


ダイヤ「!!!! 千歌さんっ!!!!」


すぐに駆け寄り、抱き起こす。


ダイヤ「千歌さんっ!!!」

千歌「…………ぃ…………ゃ……さ……」


か細い声で千歌さんが喋る。

両腕はほぼ前腕部分が全て吹き飛んでいる。

右脚は複雑骨折を起こしてぐちゃぐちゃに曲がり、左脚に至っては膝より先が無くなっている。

全身にガラス片が突き刺さり、その衝撃で切れたのか、片耳が千切れかけている。

肩やわき腹、太腿にも大きな裂傷、腹部からも血が滲んでいる。

幸いなことに、胸部は無事ですが……何より出血が酷すぎる。


ダイヤ「千歌さん!!! 今すぐ血を!!!」


千歌さんの顔の前に首を差し出す。


千歌「ぅ……ん………………」


か細い声と共に、わたくしの首筋に噛み付こうとするが──


千歌「………………が、……ぼ……っ…………」


吐血した。

吐いた血がわたくしの首筋を真っ赤に染め上げる。


ダイヤ「……っ」


こんな怪我です。いくつか内臓が潰れていてもおかしくない。

いや、考えている場合じゃない……!!


ダイヤ「千歌さん!! 頑張って!!」

千歌「…………ぁ……む……っ……」


千歌さんのキバの先がわたくしの首筋に触れる。

だが、食い込んでこない。


ダイヤ「千歌さん……!!」


頭を後ろから手で押すようにして、無理矢理食い込ませる。


ダイヤ「吸って!!」

千歌「…………ん……ちゅ……ぅ……ちゅぅ…………」

ダイヤ「!」


良かった……! ちゃんと吸ってくれた……!


千歌「ちゅぅ……ちゅぅ…………」


血を吸うたびに、千歌さんの身体は再生していく。

血を与えさえすれば、上昇した治癒力で後は勝手に出来るところまでは再生するはずだけれど……再生そのものには、まだしばらく時間が掛かる……。

そう思った瞬間──コツコツと何かが歩いてくる音が響いてくる。


聖良「……どうも」

ダイヤ「っ!!!」


誰かなんて言う必要もない。


聖良「……まだ生きていましたか。さすがですね」

ダイヤ「……千歌さんには……指一本触れさせません」

千歌「…………ん……くぷぅ……」


千歌さんの背中をポンポンと叩いて、吸血をやめさせる。

意識が朦朧としているようだけれど、どうにかその合図は理解してくれたのか、ゆっくりとキバが引き抜かれた。

わたくしは千歌さんを庇うように、目の前に立つ。

──が、立った瞬間、視界が揺れる。


ダイヤ「ぁ……?」


視界を覆う黒い靄のようなものと共に、意識が掻き消されそうになって、


ダイヤ「……っ!!!」


思いっきり脚を踏みしめて、堪える。


ダイヤ「ぁ……は……は…………はぁ…………」

聖良「もう、5回目の吸血……血が全然足りなくて苦しいんじゃないですか?」

ダイヤ「ぐ……ち、かさん……は……わた、くしが……まも、る……」


両腕を広げて、全身の血を硬質化させる。

ただでさえ血が足りないのに、更に血流を止める技だから、意識が朦朧としてくる。


聖良「……大した愛ですね……敬意を評して、拳で沈めてあげますよ」

ダイヤ「どう……も…………」


千歌さんが回復するまで、時間を稼がないと──

それがお情けだとしても、わたくしが聖良さんを引きつけて、聖良さんの攻撃に耐える。


聖良「……先ほどの、リベンジもありますから」


完璧に受け止められたことを払拭しようということらしい。そこに挑発を被せる。


ダイヤ「ふ、ふ……わた、くし……むて、きの……たて……ですの、よ……」

聖良「…………らしいですね」

ダイヤ「ち、か、さん……も、ほめ……て……くれ、た……ちか、さんが……しんじて、くれるなら……むて、き、です……わ」


どんどん意識が遠のいていく。

でも血液硬化は解くな。

死んでも攻撃を受けきる。

わたくしは無敵の盾。

お互いを信じることで強くなれる、わたくしたちが──千歌さんが認めてくれた、無敵の盾。

絶対に負けることはない。


聖良「…………」


聖良さんが脚を踏み込みながら、腕を引く。

──来る。


ダイヤ「……!!!!」


最後の力を振り絞って、全身をくまなく硬化させる。


聖良「──はぁっ!!!!」


──お腹に拳が突き刺さった。

ただ、弱い。

先ほどの殴っただけで、衝撃波によって周りを吹き飛ばすアレとは比べ物にならないほど、弱い。

弱──


ダイヤ「ごぶっ…………」


変な声が出た。

気付いたときには、胃から内容物を吐瀉していた。


ダイヤ「ぁ……?」


膝が落ちる。

膝が落ちたということは、硬質化が解けたということだ。

同時に、鉄の味とニオイが上ってきて、


ダイヤ「ご、ほっ……がぼ……っ……」


吐瀉に続いて、血を吐いた。


聖良「……なるほど、こうすれば攻撃が通るんですね」

ダイヤ「は……ぁ……はぁ……」

聖良「吸血鬼の力に頼るだけではなく……人間として身に付けた、武術や技術を応用する……。勉強させられました」

ダイヤ「……な、にを……いって…………」


ぼんやりとする頭で、至ったのは……。


ダイヤ「……よろい……どお……し……」


衝撃をロスなく伝えて、鎧などの上から内臓等に攻撃をする、武術の一つ。


聖良「やったことはなかったので……一撃で殺せなかったのは、申し訳ないです。苦しいでしょう」

ダイヤ「…………」


見様見真似で、ここまでやる時点で、天才ではないですか……。


聖良「……それでは」


聖良さんが腕を振り上げる。

トドメでしょう。

でも、いい。


ダイヤ「──まに、あった」


わたくしを背後から飛び越えて、


千歌「──あぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!!!!!」

聖良「!!!」


躍り出てきた千歌さんの拳が──聖良さんに突き刺さった。

ロスだらけのデタラメの破壊力のパンチが聖良さんの立っていた足場ごと、一気に吹き飛ばす。


千歌「はぁ……!! はぁ……!!」

ダイヤ「ちか……さ、ん……」

千歌「ダイヤさん!!」


千歌さんはすぐさま、わたくしの首筋に噛み付いて──


千歌「ん、ぶ……」


血を注入してくる。


ダイヤ「……はぁ、はぁ……」


血を与えられ、暗くなっていた視界が少しずつ戻ってくる。

アッパーした、再生力でダメージを受けた内臓も再生していく。

わたくしは見据える──聖良さんの吹き飛ばされた先を。

半壊した五稜郭タワーの前で──


聖良「…………」


彼女は大きな翼で羽ばたいていた。


聖良「……本当に大したものですよ」


聖良さんは言いながら──片手の爪でもう片方の手首を切り落とした。

そして、そのままその傷口をこちらに向けてくる。


聖良「まさか、自分がこんな捨て身の……吸血鬼らしくない技を使うとは思いませんでしたが……貴方達には全力で勝ちたい……全て押し潰します」


──全て押し潰す。

何をしようとしてくるのか、直感的に理解できた。

血液操作で作った重鈍な血の塊で──押し潰すつもりだ。


千歌「……ふぅーーー!!!」


千歌さんが拳を打ち鳴らす。


ダイヤ「千歌さん……!」

千歌「ダイヤさん!! チカを信じて!!」

ダイヤ「!」

千歌「チカ……ダイヤさんが信じてくるなら──無敵だからっ!!」


そう言って、千歌さんは笑う。

わたくしは立ち上がって、彼女の背中におでこをつける。


ダイヤ「もちろんですわ……信じていますわよ。千歌さん……」

千歌「うん!」


わたくしたちは、聖良さんと相対する。


聖良「…………」


聖良さんの傷口から──赤が膨張する。


千歌「……!!! いくぞぉぉぉぉぉ!!!!!!」


千歌さんが脚を踏み込む。


聖良「潰れろ……!!!」


聖良さんから、血の柱が飛び出してくる。


千歌「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!」


──千歌さんの拳が、大血柱を正面から叩く。

両者のインパクトの瞬間に、衝撃波が生じ、周囲の瓦礫を吹き飛ばす。

建物が揺れる。

ただ、おでこをくっつけたままの背中は──揺れない。

わたくしの信じた貴女は──揺るぎない。


千歌「う、ぉ、ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」


大血柱を受ける千歌さんの拳の先の皮が捲れる。

力を込めすぎた、腕の筋肉は血管が切れ、血を噴き出す。

ただ、わたくしは、

──信じている。

この人は──貴女は──千歌さんは。

わたくしと一緒なら。

──無敵だ。


ダイヤ「千歌さんっ!!!!!!! 勝ってっ!!!!!!!!」

千歌「おおぉぉぉぉっ!!!!! りゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」


千歌さんが突き出した拳の先で──

──ビキィッ!!!!

巨大な血の柱に、ヒビが入った。


千歌「ぶ、っこわれ、ろおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!!!!」


千歌さんの雄叫びと共に──巨大な血の塊は、

音を立てながら、粉砕されたのでした。


千歌「……は……はっ……はっ……」

ダイヤ「千歌さん……っ」


思わず、彼女の背中に顔を押し当てる。


千歌「……まだ……」

ダイヤ「……!」


そうだ、まだ戦いは終わっていない。

わたくしは顔をあげる。

もうボロボロになってしまった、展望室の外では、相変わらず聖良さんが羽ばたいていた。


聖良「……ふふ、ははは……そうですか」

千歌「……防いだよ」

聖良「……そうですね」

千歌「……何度でも防ぐよ」

聖良「……そうなんですか」

千歌「……ダイヤさんが居てくれる限り、私は無敵だから」

聖良「……そうなんですね」


聖良さんは呆れたように肩を竦めた。

──次の瞬間、千歌さんの目の前に出現し、首根っこを掴む。


ダイヤ「!! 千歌さん!!」

千歌「…………」

聖良「…………」


そのまま、二人は睨み合う。


聖良「何度殺しても、復活しますね」

千歌「ダイヤさんが、傍に居てくれるから」

聖良「愛の力と言うやつですか」

千歌「はい」

聖良「そうですか……」


聖良さんは千歌さんの首根っこを掴んだまま、


聖良「それでは……もう次で最後にしましょうか」


そう言うと同時に──直上に向かって超高速で飛び出す。


ダイヤ「っ!?」


千歌さんごと──空へ、タワーの天井を突き破って、空へ──


ダイヤ「千歌さんっ!!!!!」


わたくしも追いかけるために、空へと飛び出す。

──羽ばたけ、翼を動かせ!!!!

風を切り、雲を抜け、どんどん上昇していく。

高度はぐんぐんとあがり、気温が下がり、酸素が足りず苦しい、吐息が凍りつく。

でも、止まるな。

千歌さんの傍に──千歌さんの傍に……!!

千歌さんの居る場所に!!!





    *    *    *





辿り着いた上空で、聖良さんは止まっていた。


聖良「……千歌さん、ダイヤさん」


語りかけてくる。


聖良「どうして、吸血鬼は下克上をしないのか、知っていますか」


聖良さんは独りでに話す。


聖良「……下位吸血鬼は、上位吸血鬼に絶対に勝てないからです」


聖良さんは一人で話す。


聖良「……何故だか、わかりますか?」


聖良さんは問うてくる。


聖良「それは……再生能力が違うからです」


聖良さんは答える。


聖良「吸血鬼は何度でも甦る。私は、貴方達が死ぬ回数よりも、多く死んでも死にません」


聖良さんは続ける。


聖良「酷い傷でも、死にません、身体がぐちゃぐちゃになろうが、粉微塵になろうが、死なないんです」


聖良さんは悲しそうに、


聖良「死ねないんです」


言う。


聖良「……きっと、私はどこかで死ねる人たち羨み、嫉妬していたのかもしれません。普通の人間として、生きることが出来る人間たちを。私のそんな曲がった心が貴方達を吸血鬼の世界に──引き摺り込んだ」

千歌「…………」

ダイヤ「…………」

聖良「だから、最後は……死に比べで、違いを明確にして、終わりにしましょう」

千歌「死に……比べ……」

聖良「……ここは高度1万メートルほどの上空だと思います。ここから、地上に向かって、千歌さんごと急降下します」

ダイヤ「!!」


そんなことしたら、千歌さんの身体も、聖良さんの身体も、バラバラになる。


聖良「……そうしたら、紛い物の千歌さんは再生出来ず──死ぬでしょう」

ダイヤ「や、やめてくださいっ!!!」

聖良「……ただ、私は……死なない。……再生する」

千歌「私は──私たちは負けないよ」

聖良「そうですか……その諦めの悪さ、私の知ってる千歌さんで安心しました」


聖良さんが、千歌さんの首を掴んだまま、下方を向く。


ダイヤ「やめてっ!!!!」


わたくしは、千歌さんを掴む手を放させるために、聖良さんの腕に掴みかかる。

──が、ビクともしない。


聖良「貴方達は……本当に強い、吸血鬼ですね。身も、心も……貴方達二人揃えば、その力は……私以上だと認めてあげてもいいでしょう」

ダイヤ「……!」

聖良「ただ、貴方達の命は、眷属化していても……別々です。再生力も二人で一つだったのなら、勝ち目はありませんでした。ですが、それは一つに出来ない」

千歌「…………」

聖良「最後に勝敗を決するのも、吸血鬼の血の濃さなんですよ。それが──吸血鬼なんです」


翼が、大きくしなった。


聖良「……さようなら──」


首を掴まれた千歌さん、聖良さんの腕に組み付くわたくし、

そして、吸血鬼──聖良さん。

三人の闇の翼は、上空1万メートルから真下に向かって──射出された。





    *    *    *





──音よりも速く、落下していく。

地上に衝突するまで後30秒もないだろう。


千歌「……ふぅぅぅぅーーーー!!!!!!」


落下する中、千歌さんが腕を伸ばす。

聖良さんの肩を掴んで──


聖良「まだ、抵抗しますか? もうこの速度に乗ったら、貴方達の揚力では逃げられませんよ」

千歌「ぐ、ぐ、ぐ……!!!」


聖良さんの腕の力に抵抗しながら、顔を聖良さんの方に近付けていく。


聖良「結局最初から貴方達に勝ち目なんかなかった。ただ、それだけのことです」

千歌「ぐ、ぬ、ぬぬ……!!!」


千歌さんの顔が──聖良さんの首筋に辿り着き、


千歌「──ガブッ!!!!!!」


噛み付いた。


聖良「…………」

千歌「ぐ……ぶゅ……」


血を聖良さんに注入し始める。


聖良「眷属化しようと言うことですか……無駄ですよ、貴方一人の吸血鬼性は私より劣っている。自分より下位の吸血鬼の力では眷属化は出来ません」


──そう、下位の吸血鬼では、血を注ぎ込んでも吸血鬼化は出来ない。


ダイヤ「その通り、ですわ……!!」


わたくしも落下する中、聖良さんの腕から、肩へと手を移し変え、


聖良「……? な、何を……」


千歌さんの逆側、聖良さんの、


ダイヤ「──……ガブッ!!!!」


首筋に──噛みついた。


聖良「!!!?」


貴方は言っていましたね。


 聖良『貴方達は……本当に強い、吸血鬼ですね。身も、心も……貴方達二人揃えば、その力は……私以上だと認めてあげてもいいでしょう』


千歌さん一人の吸血鬼性では足りない……だけれど、

──二人でなら、吸血鬼性が上回っていると……!! 聖良さんはそれを認めた……!!


ダイヤ「……ぶ……ぐ……」


わたくしも千歌さん同様に、血を注ぎ込む。


聖良「まさか!!!? 二人で一人の対象を眷属化!!!?」


──今更気付いても、もう遅いですわ。

貴方は油断したのです。

自分の強さに驕って、血に驕って、わたくしたち“二人”の持つ可能性を──見落とした。


千歌「……ぐぅ……!!!」
ダイヤ「…………ん、ぐぅぅ……!!!」


二人で血を流し込む。千歌さんとわたくしの血を……!!


聖良「やめっ!!!!? や、やめてくださいっ!!!!」


聖良さんが焦って、わたくしたちを引き剥がそうとしますが、


聖良「ぐ、く……ぁ……!!!」


もうここまでくれば感覚が“それ”を理解させてくる。

彼女は、聖良さんは──千歌さんと、わたくしの、眷属になった。


聖良「そんな……そんな、バカな……こと……」

千歌「ぷはっ……!! だから言ったじゃないですか、私は──私たちは負けないって……!!」

ダイヤ「ぷは……。……聖良さん、覚えておいてください。吸血鬼と戦うときは──絶対相手を侮ってはいけないんですよ」

聖良「っ!!!! あぁあぁあぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」


聖良さんが、絶叫する中、


ダイヤ「千歌さんっ!!!」

千歌「うんっ!!!! 伸びろ爪ぇ!!!!」


二人で爪を伸ばし、身体を捻りながら、千歌さんの首を絞めていた聖良さんの手首を、切り落とす。


聖良「あぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」


わたくしは解放された千歌さんに抱きつき、


千歌「ダイヤさんっ!!! 跳ぶよ!!!」

ダイヤ「ええ!!!」


千歌さんと同時に、聖良さんを踏みつけるようにして──跳ねた。


聖良「……くっそおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」


聖良さんを踏み台にして、跳ねて、二人で羽ばたく。

だが、それでも揚力が足りない。

下方に向かってついた勢いを殺すのにはパワーが足りない。


千歌「あがれ!!! あがれ!!!! あがれぇぇ!!!!!」

ダイヤ「あとちょっとなの!!!! お願い!!!!」


二人で懸命に羽ばたく。

だけれど、空の中を落ちていく。

どんどん地面が近付いてくる。

羽を必死に羽ばたかせる。

お願い、お願い、お願い──!!!

でも、速度は全然殺せない、


千歌「ぐ……くっそぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

ダイヤ「……っ!!!!!」


──もう、ダメですわ。

わたくしは千歌さんを庇うために、腕を伸ばして──


ダイヤ「千歌さ──」

千歌「ダイヤさんっ!!!!」


逆に千歌さんがわたくしを庇うように、抱きしめてくる。

ああもう──わたくしたちは、このようなときでも……同じ気持ちなのですわね。

……せっかくここまで来たけれど、あと少しだったけれど……。

最期に隣に貴女が居てくれて──よかった。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ダイヤさん……」

 千歌「──大好きだよ──」
ダイヤ「──大好きですわ──」


……………………。

……………………。

……………………。

………………?


──衝撃はいつまで経ってもこなかった。

わたくしたちは……死んだの……ですか……?


──バサ、バサ。


大きな翼が羽ばたく音が聞こえた。


 「──全く……最後まで、世話が掛かる子たちなんだから」

千歌・ダイヤ「「……!!」」


ああ、この声は……。

目を開くと、

力強い、大きな翼を広げた──わたくしと千歌さんの恩師が、わたくしたち二人を抱きかかえて、闇夜の中を飛んでいた。


千歌「……ヨハネちゃん……っ!!!!」
ダイヤ「……ヨハネさんっ!!!」

ヨハネ「──二人とも……よく頑張ったわね」

千歌「ぅ……っ……ぇぐっ……よはねぢゃぁぁぁん……っ……!!!」

ヨハネ「って、わああっ!!!? 鼻水つけるんじゃないわよっ!!?」

ダイヤ「ふふ……っ……もう、良いところ、持って行くのですから……っ……」


闇夜の中、世界一頼りになる、大翼に抱かれながら、

わたくしたちは地上に──元の世界へと、戻っていくのでした。





    *    *    *




──地上に戻ってくると……。


聖良「…………」


聖良さんが地面に横たわっていた。

すでに完璧にいつもの姿に再生している。

本当に恐ろしい回復力です。


聖良「……私は負けたんですか?」

ヨハネ「ま……実質負けかしらね。あんたがこの二人より下位の吸血鬼になったのには間違いないし」

聖良「そう……ですか……」


聖良さんは返事をしながら、空を仰いだ。


千歌「あ、あの……聖良さん……」


千歌さんが聖良さんの方に歩み出ようとして、


ヨハネ「……千歌」


ヨハネさんが、それを止める。


千歌「ヨハネちゃん:……?」

ヨハネ「あんたは勝って人間に戻るんだから。……もう吸血鬼のこいつと関わらなくていい」

千歌「え、な、なんでそんなこと言うの……!?」


千歌さんが抗議の声をあげる。


聖良「……千歌さん、ダイヤさん」

千歌「!」

ダイヤ「……」

聖良「次は、スクールアイドルの舞台で、会いましょう……人間の舞台で」

千歌「……!」


それっきり、聖良さんは口を閉ざしてしまった。

わたくしたちは、人間に戻るために……彼女の吸血鬼としての威厳と尊厳を奪ったのです。

あと出来ることがあるならば……この世界から立ち去り、次会うときは人間として、接して欲しい。

吸血鬼側の視点では、そういうことなのかもしれません。


千歌「……わかりました、次はまた一緒にスクールアイドルとして……」


少ない言葉でしたが、千歌さんにも何か感じられるものがあったのかもしれません。

それ以上は深く追求はしませんでした。


ヨハネ「……さて、あんたたちは先に二人で帰りなさい」

千歌「え? ヨハネちゃんは……?」

ダイヤ「ヨハネさんはきっと……後始末が……」


言いながら、傍らの塔──五稜郭タワーを見上げると……。

展望階がなんの大災害に襲われたのかと言わんばかりの惨状に見舞われていた。


ヨハネ「そうよ、これから夜明けまでに直さないといけないんだから。聖良、あんたも責任持って手伝いなさいよね」

聖良「…………」


まあ、確かにわたくしたちは、このレベルのモノの復元再生は絶対に出来ないので、もう後は本物の吸血鬼のお二人に任せるしかない。


千歌「でも、朝までどうしよっか……」

ダイヤ「ホテルに戻りますか……?」


飛行機までは時間もあるし……。


ヨハネ「いや、あるじゃない」

千歌「? あるって、なにが?」

ヨハネ「あんたたちには……空を飛べる翼が」

ダイヤ「!」

千歌「あ……」

ヨハネ「……もう、二度とこの世界には戻ってこないんだから、最後に二人で楽しんできなさい」

ダイヤ「ヨハネさん……」

千歌「……うん! 行こう! ダイヤさん!」


そう言って千歌さんが走り出す。


ヨハネ「ダイヤ」

ダイヤ「はい」

ヨハネ「あと……よろしくね」

ダイヤ「はい、お任せください。ヨハネさんも、お元気で」

ヨハネ「そういうのいいから……いつも居るわよ、善子と一緒に」

ダイヤ「……はい!」


わたくしも千歌さんが走って行った方向に歩き出す。


千歌「──ダイヤさーん!! はやくはやくー!!」

ダイヤ「……はーい! 今行きますわー!」


そして、駆け出した。

千歌さんの元へ──千歌さんの、傍へ。


ヨハネ「…………」

聖良「…………」

ヨハネ「……行っちゃったか……」

聖良「……情でも湧きましたか?」

ヨハネ「まさか」

聖良「……そうですか」

ヨハネ「……ええ、そうよ」

聖良「……ヨハネさん」

ヨハネ「あん?」

聖良「私は……これからどうなるんでしょうか」

ヨハネ「……さあね。吸血鬼モドキの眷属化された混血なんて聞いたことないし。……しかも一人の対象を二人で一緒に眷属化するってのも聞いたことないし。どうなるのかは、私にもわかんないわ」

聖良「まあ……そうですよね」

ヨハネ「ただ、事実として、あんたは眷属化された。それは揺るぎないんじゃない?」

聖良「……違いないですね」

ヨハネ「ま、今もこうしてすぱっと再生したんだし……序列が変わっただけで、そんなに変わることがあるとは思わないけどね」

聖良「……吸血鬼にとって序列は大きいんですけどね」

ヨハネ「それはそれよ……さ、早く起きて結界内の修復、手伝いなさい」

聖良「事前術式……組んでますよね?」

ヨハネ「さすがに組んでるわよ。なかったら、朝までに終わんないわよ」

聖良「わかりました、すぱっと終わらせましょうか」

ヨハネ「よろしくね。……終わったら、善子を沼津に送るまでやってもらわないとなんだし」

聖良「……私は随分コキ使われるみたいですね」

ヨハネ「横から突っついてきたことへの報いよ。いいから、敗者はキリキリ働きなさい。痕跡が残って困るのはあんたも同じなんだから」

聖良「……仕方ないですね」





    *    *    *




千歌「えーっと……方角は……」

ダイヤ「大雑把に南ですわね。飛びながら微調整しましょう」

千歌「わかった! それじゃ……」

ダイヤ「……ええ」


差し出された、千歌さんの手を握る。


ダイヤ「帰りましょうか……内浦に」

千歌「うんっ」


──トンッと二人で地面を蹴って、飛び立つ。


ダイヤ「誰かに見られないように……一気に高度を上げますわよ?」

千歌「はーい」


そのまま、ぐんぐんと上昇していく。

すぐに、函館の町並みが遠ざかっていく。


千歌「わーー函館の夜景、ここからでも見えるねー!」

ダイヤ「深夜ですから、もう町の灯りはほとんど見えないですが、きっと時間帯によっては函館山以上の絶景なんでしょうね……。……それより飛ばしますわよ?」

千歌「え、ゆっくりお散歩したいなー」

ダイヤ「あまりゆっくりしていると、日が昇りますわよ。そしたら、二人で燃えることになりますけれど、いいの?」

千歌「よっしゃー!!! 全速前進!! 私たちのスピードは世界を取れる!! いくぞー!!!」

ダイヤ「ふふ、そうですわね」


──わたくしたちは空を飛翔する。


千歌「風がきもちいいーー!!!」

ダイヤ「今更ですけれど、わたくしたち……本当に空を飛んでいるのですわよね」

千歌「生きてる間に自分の翼で飛ぶ日が来るなんて思わなかったよ!」

ダイヤ「比喩以外では、普通一生ありませんからね」

千歌「……なんか、すごい経験だったね」

ダイヤ「……そうですわね」


まさか、吸血鬼の噂を鞠莉さんから聞いたとき、こんなことになるとは思ってもみなかった。


千歌「なんか、死ぬほど大変だったけど……終わってみると、案外楽しかったかも」

ダイヤ「……では、もう少し吸血鬼として頑張ってみますか?」

千歌「それは、いいや……やっぱり人間に戻りたい」

ダイヤ「ふふ、そう」

千歌「人間として……大好きなダイヤさんと一緒に過ごしたい」

ダイヤ「千歌さん……ええ、わたくしも同じ気持ちですわ」

千歌「うんっ」


二人で大空を駆けながら、故郷へ帰る方角に目を向けると──


千歌「うわぁーーーー!!! 見て、ダイヤさん!!」

ダイヤ「……!! はい……!!」


丁度、その方角には、まるで水平線に向かって流れ落ちていくかのような、縦に走る巨大な運河がそこにはあった──ミルキーウェイですわ。


千歌「天の川…………!!」

ダイヤ「……こんな綺麗な天の川を見たのは……生まれて初めてですわ……!」

千歌「えっへへ……学校の屋上でした約束、果たせたね」

ダイヤ「ええ……」


指差して、天の川をなぞる様に。


ダイヤ「天の川を上の方に登っていくと──わかりますか」

千歌「うん! 彦星!」

ダイヤ「ええ」


──わし座のアルタイル。そして天の川を挟んで、右上方に、こと座のベガが見える。


千歌「あれが織姫様で……天の川を滝登りしていった先にあるのが……カササギ座!」

ダイヤ「ふふ……はくちょう座ですわよ?」

千歌「チカ的には、はくちょうより、カササギがいいの!」

ダイヤ「そうなのですか?」

千歌「うん! 白い翼じゃなくて、黒い翼がいい!」

ダイヤ「あら……吸血鬼の感性になってしまったのかしら?」

千歌「そうじゃないけど……あのね! チカ、実は気付いちゃって!」

ダイヤ「? 何がですか?」

千歌「あのね! 織姫様って実は──吸血鬼だったんじゃないかって!」

ダイヤ「まあ? ……それは新説ですわね? でも、どうして?」

千歌「ほら、天の川が間にあるでしょ? だけど、吸血鬼だから怖くて近寄れないの。だけどね……黒い翼が架け橋になって、彦星様に会わせてくれるんじゃないかなって……!」

ダイヤ「ふふ、なるほど。では、カササギはヨハネさんですか?」

千歌「うん! と言うか、きっと実はコウモリなんだよ!」

ダイヤ「あれはこうもり座だったのですわね? うふふ、それは大発見ですわね」

千歌「それでね! それでね! 織姫で吸血鬼のチカをね、迎えに来てくれるんだよ!」

ダイヤ「うふふ、わたくしは彦星様ですのね」

千歌「うん! ダイヤさんは……私の彦星様だよ……」


千歌さんが繋いで手をぎゅっと握ってくる。


千歌「やっと……会えたよ、彦星様と」

ダイヤ「……ええ」

千歌「何度も、泣いてるチカを見つけてくれて……ありがとう」

ダイヤ「貴女が泣いていたら……何度でも見つけて、抱きしめますわ」

千歌「うん……ダイヤさん……」

ダイヤ「ふふ……なぁに……?」

千歌「これからも、ずーーっと……一緒だよ」

ダイヤ「ええ……傍に居ますわ。いつまでも……──」


わたくしと千歌さんは、二度と経験することがないであろう、夢のような夜空の中で──

愛を語らい、確かめ合い、笑い合って、飛び続けるのです。

いつまでも、どこまでも続く、この星空のように……永遠に──




    *    *    *










    *    *    *




──8月も終わりに近付いて来て、蝉の声が五月蝿い今日この頃。

夏休みも終盤に差し掛かっている中でも、Aqoursは練習を続けています。

ただ、午前中だと言うのに、このうだるような暑さ……。

さすがに今日は皆さん、朝の自由参加はパスしているかもしれませんわね。

わたくしはお気に入りの日傘の影から、晴天を見上げて──


ダイヤ「──本当に……今日もいい天気ですわね」


そうぼやきながら、バス停から学校への長い坂道を歩く。

…………。

浦の星女学院に着いて、一先ず屋上へと足を運ぶと……ガラガラの屋上の中に先着が居た。


ダイヤ「今日もやっているのですか?」


軽く呆れながら、声を掛ける。

屋上の床に大の字になって寝ている、貴女に。


千歌「んー……だって、気持ち良いんだもん」

ダイヤ「いや……なんか、この季節にやられると、干からびて引っくり返ったカエルを見ている気分になるのですけれど……」

千歌「えー、酷いなー」


千歌さんはぷくーっと頬を膨らませる。


千歌「だってさ……お日様がこんなに元気に輝いてるんだよ? いっぱい浴びないと損じゃん」

ダイヤ「……ふふ、そうですか」

千歌「ダイヤさんもやらない?」

ダイヤ「……そうねぇ」


以前だったら、日焼けしたくないので、絶対断っていましたが……。


ダイヤ「少しだけよ?」


まあ、たまにはいいでしょう。


千歌「やった! 横にどうぞ!」


そう言って、千歌さんの横にごろんと転がる。

全く、他の人が居たら、はしたなくて、こんな姿見せられませんわね。

──寝転がると、空からご機嫌な太陽の光が降り注いでくる。

確かに気持ち良いけれど……暑い。


千歌「……えへへー、ダイヤさーんっ♪」


何故か、横で一緒に転がっている千歌さんが抱き付いてくる。


ダイヤ「……暑いですわ……」

千歌「イヤ?」

ダイヤ「……半々くらい」

千歌「そこはイヤじゃないって言ってよー」

ダイヤ「……千歌さん、汗すごいではないですか」

千歌「あははー……仕方ない。人間だから」

ダイヤ「もう……」

千歌「……すんすん……ダイヤさんも汗かいてるね」

ダイヤ「人間ですからね。……というか、ニオイを嗅がないでください」

千歌「ダイヤさんは人の汗のニオイ嗅ぐくせに」

ダイヤ「……意外と根に持つタイプなのですわね?」

千歌「ねーねー」

ダイヤ「もう、今度は何?」

千歌「……ちゅーしよ」

ダイヤ「……晴天の下で?」

千歌「うん」

ダイヤ「真剣な目ね」

千歌「ダイヤさんとお日様の下に居られることは……絶対幸せなことだから」

ダイヤ「幸せ繋がりということ?」

千歌「うん」

ダイヤ「……じゃあ、仕方ないわね」


横に居る千歌さんに手を添えて──


ダイヤ「ん……」

千歌「ん……」


軽くキスをした。


千歌「……えへへ」

ダイヤ「……それでは、練習しましょうか」


そう言って、起き上がる。


千歌「って、えー!! それだけ!? 余韻的なのないの!?」


千歌さんも釣られるように起き上がりながら文句を言ってくる。


ダイヤ「余韻も良いですけれど……」

千歌「?」

ダイヤ「千歌さんと二人で練習する幸せも……わたくしは欲しいですわ」

千歌「わっ何その殺し文句……めちゃくちゃ嬉しい……」

ダイヤ「千歌さんと、二人で喋って、二人で手を繋いで、二人でご飯を食べて、二人で一緒に笑い合って、たまに二人でケンカして、二人で泣きながら仲直りして……」

千歌「えへへ……ダイヤさん」

ダイヤ「なんですか」

千歌「チカも同じ気持ちだよ」

ダイヤ「ふふ、知ってますわ」


不意に、千歌さんに顔を近付けて、もう一度軽くキスをした。


ダイヤ「それでは……始めましょうか」

千歌「はーい!」


──晴天の中、千歌さんと二人で踊っていると、やっぱりあのときの出来事は、夢物語だったんじゃないかと思うときが今でもあって。

だけれど、今千歌さんの隣に居られるのは、あの夢物語が実際にあったからに他ならなくて。

……いや、どうなのでしょう。

もしかしたら、そんなことがなくても、今は当たり前のように隣に居てくれる貴女と、どこかで結ばれていたのでしょうか。

それがどうだったのか確かめる術はないけれど……。

きっと、大事なことは……歩いてきた道の先で、乗り越えてきた壁の向こうで、今貴女とこうして一緒に、貴女の隣で踊っていることなのでしょう。

だから、そんな当たり前の幸せを噛み締めながら……わたくしたちは、太陽の下で、今日も笑い合うのですわ──





    *    *    *





 我らが学び舎、浦の星女学院──この学校には、こんな噂があります。

 深夜の校舎内、場所は保健室。

 そこから、夜な夜な、『血……血……』……と、血に餓えた呻き声が聞こえてくるそうです。

 そう、これは、もしかしたら、実はアナタの隣で何食わぬ顔をして紛れ込んでいるかもしれない。

 そんな──────吸血鬼の噂、ですわ。





<終>

終わりです。お目汚し失礼しました。


明けて七夕なので、もしよかったら、夜空を見上げて天の川と夏の大三角を探してみてください。

ここまで読んで頂き有難う御座いました。

また書きたくなったら来ます。

よしなに。

乙です!
めちゃめちゃ好みの話でした
また次の話も楽しみにしてます!


途中の吸血鬼化が進んでいく過程に緊迫感と焦燥感あって良かった
あと深く事情を聞かない鞠莉ちゃんいい子

急にバトル展開になって笑った
銀刀とか持ち出すかと

元ネタまったく知らないけど読んでよかった。

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