ふふ、いやしいわ
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──プルル。
「はい、283プロダクションです──ああ、美城のプロデューサーさん! 先日は大変お世話になりました。ええ、おかげさまで、あの企画は好評でしたよ。さすがの手腕でしたね。はい、はい。わかりました、社長にも伝えておきます。ええ、それでは。はい、はい。失礼します」
──プツ、プー、プー、プー……
「──……ふぅ。作業、続きをしないとな」
今日は事務所にはづきさんがいない。修行の旅に出ていったのがつい先日の出来事。大陸を中心に巡ると言っていたが、事前に聞いたスケジュールから察するに今頃は恐らくモンゴルあたりだろうか。『パワーアップして帰ってきた私を、楽しみにしてくださいね~』と旅立つ前に言っていたが、これ以上パワーアップすると本当に超人にでもなってしまうんじゃないか、と手つかずの作業の山に、思わされてしまう。
いくら片付けても終わりが見えない。自身の仕事に、普段任せっぱなしになってしまっているはづきさんが担当してくれる仕事。はづきさんが普段事務作業をやってくれることにどれだけ助けられているかを実感している。
『あいつは超人だからな……いなくなるとよくわかる』
事務作業を片付ける俺の代わりに営業へ出掛けた社長もそんな風に言っていたな。本当に、その通りだと思う。
──カタカタカタ……
『円香ちゃん、き、今日のレッスンすごかったね……!』
『……アイドルって、簡単だと思ってたけど。あんなことまでさせられるなんて』
『あは~、雛菜は楽しかったけどな~? 透先輩も楽しかった~?』
『──ふふっ、そうだね。楽しかったかな。特に、樋口が面白かった』
『あ、わかる~。あはぁ~♡ 円香先輩、すっごく変な顔してたから雛菜も笑っちゃった~』
『……バラエティレッスンなんだから、それでいいでしょ』
『ま、円香ちゃん、可愛かったよ!』
『ふふっ、小糸ちゃん、それトドメだね。樋口、顔真っ赤になっちゃった』
『ぴゃっ!? ごご、ごめんね円香ちゃん!』
『……小糸は悪くないから。気にしないで』
キーボードを打鍵していると、外から賑やかで仲の良い声が聞こえてきた。
そうか、もうそんな時間か。モニターに表示された時間を見ても間違いはない。窓から差し込む陽の色は赤くなっていた。
──ガチャン。
「ぷ、プロデューサーさん、おつかれさまです!」
扉を開けて一番目に入ってきたのは小糸だった。続いて、後ろから円香、透、雛菜の順番に中へと入ってくる。
四人とも制服姿だ。レッスン後は直接帰っても大丈夫と言っていたんだけど、わざわざ寄ってくれたらしい。
「おつかれさま、小糸。それにみんなも、レッスンおつかれさま」
「うん、おつかれさま。プロデューサーは疲れてるね」
「そうでもない、つもりだけど。そう見えるか?」
「まばたき、いつもより回数が多いよ。疲れ目だ」
「ああ、ずっとモニターを見ていたからかな……明日から目薬を持ってくるか」
「はぁ……情熱を燃やすのは結構ですが、疲れを隠せないくらいならちゃんと休憩を取ってください。いい大人ですよね」
「う……すまない、そうだな。休憩はきちんと取るよ」
そう言えば昼休みからずっと、休んでいなかった。見抜かれて彼女たちに心配をかけたらいけないな……
「プロデューサーはいっつも頑張りすぎ~。お仕事が楽しくて幸せなら、それでもいいけど~。無理はだめだよ~?」
「はは、雛菜の言うとおりだな。気を付けるよ」
「あは~~~♡ ところで~ねぇねぇプロデューサー、雛菜、今日のレッスン頑張ったから~、ね~?」
「ね、ね~って……」
雛菜が近寄ってきたと思うと、片腕にしがみつきながら、上目遣いに何かを主張してくる。
しばらく困って、周囲に視線を向けると、円香は冷たい目で見ているし、透はいつも通り。小糸だけが困った様子を察したのか、「ひ、雛菜ちゃん!」と呼びかけていたが、雛菜は離れる様子も、何かを求める素振りもやめはしなかった。
ど、どうしたらいいんだ?
「むぅ~~、雛菜、頑張ったときは褒めてほしいし撫でてほしいって、前に言ったよね~?」
「あ、ああ……そうか。そういうことか。うん、おつかれさま。今日もよく頑張ったな、雛菜」
「あはぁ~~♡ うんうん~雛菜頑張ったよ~」
どっと気が抜ける。他のみんなが見ている中だと、さすがに少し恥ずかしさもあるけれど……雛菜が望んでいるなら俺の恥ずかしさなんて、大したことではない。
そう思っていたら、なぜか透が雛菜の後ろに並ぶように立っていた。その後ろに、おずおずとしながらも小糸も続いて。
「ねぇ、プロデューサー。私たちも頑張ったよ」
──……ええっと。
困って円香を見る。
「どうぞ、存分に楽しんだらいいんじゃないですか。あなたにとてもお似合いの姿ですよ、ミスター・ドンファン」
「あ、ちょっと、円香」
「……別に、なんにも思ってないから」
「え、なんて──」
「なんでもありません。私はお茶でも買ってきますから、それまでどうぞお楽しみください」
──────
────
──
……………………。
このあいだから、円香がおかしい。何がどうおかしいのかと言われると具体的にこうだ、と言えるわけではないのだが、なんというか、おかしい。元気がないわけではない。かと言って逆に元気過ぎるわけでもない。表面的にはいつもの樋口円香だ。余計な対応をすればすげなくあしらわれ、冷たい目で見られる。
そう、いつも通りのはずだ。……いつも通りのはずなんだ。
けれど、やっぱり違和感がある──
「何を考え込んでいるんですか。休憩を取れとは言いましたが、何分もぼうっとしろとは言っていませんよ。ミスター・サボタージュ」
ヒュッと背筋が伸びる。そこでようやく意識が思考の内側から外側へと戻ってきた。事務所の入口には今まさに考えていた樋口円香が立っていた。円香は「ふぅ」、と呆れたように溜め息を吐きだしてから、「仕方ない人」、と呟きながらソファに腰を掛けた。ふわりと隣から甘ったるい匂いが届いた。
それから左肩にふわふわの赤みを帯びた毛髪と、ほんの少しの体重がかかる。「もたれているわけではないです、少し置いているだけです。勘違いしないでください」、と円香が睨みを効かせてくるので、きっとそのとおりなんだろう。
「ああ、少し休憩し過ぎていたよ。ありがとう、円香」
ちょうど作業にも一段落がついて休憩をしていたところだったが、ついつい円香のことを考え込んでしまっていた。
当の本人に話しかけられたのには少し驚いた。
「それだけですか」
「それだけって?」
「なんでもありませんよ。事務所にやってきた人間へ挨拶もできないなんて可哀想な人だと思っただけですから」
そこまで言われてやっと気が付く。そうだった、円香はさっき来たばかりだった。
「おはよう、円香。今日も頑張ろうな」
「それだけですか」
「え──まだ何かあったか?」
「……いえ、別に。あなたに期待はしていません」
円香はソファから立ち上がり、事務所から外へと向かった。
……こういうところだ。違和感というか、おかしいというか。円香のことがわからない。もちろん、元々円香のすべてを理解できているわけではなかったし、そんなことができるとも思っていない。それでも自分なりに理解しようとしてきて、最近ではやっと円香のことを少しだけわかってきたかもしれないと思っていたが、振り出しに戻った気分だった。
少しでもわかってきた、なんて思っていたこと自体がそもそも俺の思い上がりだったのかもしれないけど。
「──……あ」
コトン、コトン。
卓上にカップが二つ置かれた。円香がコーヒーを淹れてきてくれたようだ、ホットを買ってきてくれたのだろう、黒色のそれからは白い蒸気がユラユラと上っている。
「コーヒー、ブラックでしたよね」
「あ、ああ、わざわざ買ってきてくれたのか。ありがとう」
「別に。自分の分を買ってくるついでですから。そのくらいなので、お礼は必要ありません」
「いや、こういうのはやっぱり礼儀だからさ……」
「つまり社会人としての規則を守っただけ、と──……ああ、さすがですね。ミスター・コンプライアンス」
「そういうわけではなくて──ああ、くそ。すまない、どうにも言い回しが上手くなくて」
「別に、なんでもいいですよ。気にしていませんから」
う……失敗したな。今のは完全に、言葉の選択を誤った。礼儀だから言っただけ、なんて言われて良い気をする人間がいるはずもないというのに。
「──……そんなあからさまにへこんで、同情でも引きたいんですか。残念ですが、私はそれほど単純ではありません。
ただ、そう……それなりの誠意、というものを見せていただけるなら、貴方の気を楽にさせてあげてもいいですよ」
──……誠意?
「大したことないですよ。ただ──あなたは少しだけ、私にてのひらを貸せば、それだけで十分ですから」
おわり。
一秒間になでなでを30往復すればいいのですな
おつおつ
こんなにデレていいのか円香ッ!
円香……円香……
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