一ノ瀬志希「犯人はこの中に」 (38)

地の文あり
微グロ注意です

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窓から差し込む朝日に後頭部を焼かれて僕は目を覚ました。デクスに突っ伏していたためだろう、唾液が鼻腔に入り込んで嫌な臭いがする。
腕時計を横目で覗くと、今は朝6時を少し過ぎた辺り。
まだもう少し寝ていられる。早朝にスケジュールが入っているアイドルはいなかった。開催までひと月を切ったニューイヤーライブに向けての調整のためだ。低迷していたアイドル部門の事業がやっと軌道に乗って、彼女たちに無理をさせずに済むだけの余裕が生まれた。これは僕らプロデューサーが今年してきた仕事の最大の成果と言って良い。それと引き換えに、自分を含めたスタッフの負担は随分と増加したけれど。

昨晩も衣装のデザイン案を書類にまとめるために徹夜をしなくてはならなかった。作業にひと段落がついた頃には午前4時。仮眠室に向かうことさえ億劫で、そのまま寝てしまったことを覚えている。

「お目覚めかな?」
 聞き覚えのある声が頭上からした。頭を上げて視線を前方へと向ける。白衣を着た少女が両手にマグカップを持ち立っていた。一ノ瀬志希。僕が担当しているアイドルの1人だ。

彼女を形容するには、何を置いても先ず天才と呼ぶほかない。恵まれたプロポーション、聞いた者を惹きつけて止まない美声と歌唱力。アイドルとしての才も多分にある。

だが一ノ瀬志希の名を日本中に知らしめているのは、その優れた頭脳によるところが大きいだろう。

志希は11歳の時に米国の大学へと入学し、16歳で博士号を取得している。18歳で帰国するまでの7年間に、彼女は19編の論文を発表しその全てが高い評価を得ていた。専門分野の異なる研究者の間でも彼女は有名人だった。

アイドルになってからも、その智力は遺憾なく発揮されている。あらゆるクイズ番組でクイズ王の名を欲しいままにし、挙句出禁になった。志希はまさしく「天才」という言葉の具体例そのものだ。

そんなアイドルのプロデュースなど楽に違いないと考える人間もいるかもしれない。だがそれはとんでもない誤解だ。彼女は天才という人種にありがちな一種の幼児性とも呼ぶべき屈折した性癖を持っていた。

興味の赴くままに辺りをブラつき、何かに異様な執着を見せたかと思うとあっさりとそれを捨ててしまう。失踪など日常茶飯事だ。先日など、植え込みのツツジを摘み摘み歩いて待ち合わせ場所を通り過ぎ、そのまま現れなかった。彼女の複雑怪奇な人間性と無限軌道の好奇心に僕らは毎日振り回されている。

「あぁ、おはよう。どうしたんだい、こんな早くに」

「いやぁ、遅くまで頑張ったキミを労おうと思ってね。あぁ!なんて健気な志希ちゃん!」

恭しく両手に持ったマグカップの内1つを僕のデスクへと置きながら言う。中身はコーヒーだった。濃く煮出された真っ黒な液面に無精髭が伸びた、だらしのない男の顔が写っている。



「あぁ、ありがとう。でも2度寝をするつもりだったんだ」

そう言ってマグカップを彼女へと返す。

「えぇー!超人気アイドル一ノ瀬志希ちゃんが淹れたコーヒーだよ!?プレミアものなのにー」

不満そうに唇を尖らせる志希。カップを僕の鼻先へと突き返してくる。立ち上る湯気と快い香りが寝ぼけた頭を刺激する。銘柄など気にしたことはなかったが、良い豆を使っていそうだ。

「どんな情報が付加されてたとしても、コーヒーはコーヒーだよ」

きっと喉が渇いていれば、親の仇が淹れたものだって僕は喜んで飲むだろう。

志希は自分のマグカップへ口をつけ、不意に真顔になった。

「まぁ、茶番は終わりにしようか。キミだってこんな時にノンビリ寝ていられるなんて思ってないよね?」
「こんな時?」

素っ頓狂な声でオウム返しをしてしまった。暫時、志希の目から発せられる視線が僕の顔面の上を動き回る。どんな些細な変化も見逃さないよう、丁寧に、執拗に。実験中の試料へと向けられるような、冷淡と熱狂とがないまぜになった光が彼女の目に宿っている。

僕は耐え切れずに俯いてしまった。何も後ろめたいことなどないというのに。

「キミもなかなか大物だね」

志希は呆れたように大きな目を更に見開いて、深呼吸をしてみせる。

「鼻を利かせてみなよ。分かるでしょ?コーヒーじゃ誤魔化せない非日常の香り……」

 言われた通り、周囲の大気を鼻から取り込んでいく。日々の営みの残滓が鼻を抜け、胸へと広がる。汗、スタドリ、インク、それからドーナツ……。それらに混ざって生臭く鉄っぽい異質な匂いを知覚した。

「血……?」

 我が意を得たり、という顔をしてバチリと指を鳴らす志希。

「Exactly!」

慌てて辺りを見回すと、それはソファに倒れていた。青ざめた顔の男。慌てて駆け寄る。

目は苦悶のために見開かれ、舌が口からだらしなく垂れ下がっていた。左手は喉元へ爪をたてるようにして首を掴んでいる。そしてなにより目を惹くのは右手首がないことだ。切断面こそ裾に隠れて確認できないが、流れ出した血液がベージュのソファにソフトボール大のシミを作っている。男の頭のすぐ横には切り離された手首と大きな鋸が置かれている。まるで手向けの品のようだ。死んでいることは誰の目にも明らかだった。

僕は抜けそうな腰をなんとか支えて後ずさる。

「これは一体……」

志希は死体の傍らに立ってコーヒーを飲んでいる。

「あたしが部屋に入ったら、あったんだー。朝から志希ちゃんびっくりだよ」

 まるでサンタからのプレゼントのような緊張感のない説明。

「見たところ呼吸困難を起こしていたみたいだね。アーモンド臭はしないし、散瞳が見られるしアトロピン辺りかにゃー。まぁこれだけじゃハッキリとは分かんないけど」

死体に碌に目もやらずにスラスラと所見を語る志希。僕が寝ている間に観察を済ませていたのだろう。そんな姿が今はとても頼もしい。僕は職業柄サスペンスやホラーを頻繁に鑑賞する。だが本物の死体が放つ、瘴気とも呼ぶべき異様な存在感を前にしてはそんなチンケな体験など何の役にも立たない。こわごわと志希の背中越しに眺めるのが精一杯だった。

ソファのサイズから推測するに身長は170cm前後。体型は中肉中背。頭髪には僅かに白髪が混じっている。年齢は40代といったところだろうか。服装はグレーのコートに紺のジーンズ。死体の尋常ならざる様子と対照的に男の容貌は平凡だ。

志希は躊躇う様子も見せずに男の肛門に挿しておいた体温計を引き抜く。

「やっぱり35度かー。平熱が何度か分からないけど死後30分から2時間ってところかな。死後硬直もまだみたいだし」

含みのありそうな微苦笑を浮かべて小さく頷く。そしてまた、僕の顔を見つめてきた。今、志希の興味の対象は死体ではなく僕のようだった。自分の視線が揺れるのが分かる。

志希は体温計で死体を、指で僕を指して言う。

「キミでしょ?」

志希は一体何が言いたい?

「キミが、このおじさんを殺したんでしょ?」

またあの視線が僕の目を捉える。大きくて碧い、まるで吸い込まれそうな虹彩。はい、そうですと思わず認めてしまいたくなる迫力がある。蠱惑的とはこの目のようなものを言うのだろうか。

「そんなはずないだろう」

思いの外、冷静な反応ができたことに自分で驚いてしまった。疲れているせいかもしれない。

心臓が早鐘を打っている。呼吸のペースが速くなる。そういった身体の反応を精神が俯瞰しているような、あまり気持ちの良くない感覚。

志希は黙ってデスクの上のPCをこちらに引き寄せて、教えた覚えのない僕のPINコードを打つ。青い鍵の形をしたショートカットアイコンがクリックされて入室管理ソフトが起動する。我がCGプロは良家の子女たちが何人か在籍しているためか、規模に見合わない堅牢なセキュリティを敷かれていた。全ての部署の扉は個別にIDが割り振られたカードキーを通さなくては開けることができない。このソフトは扉のカードリーダーと連携しており、入退室の履歴を閲覧できる。

今日の履歴には僕と志希の名前しかなかった。僕は夜食をコンビニへ買いに、02:07に退室して02:24に戻ってきていた。志希は今から47分前、05:19に入室したようだ。
それらが意味することくらい、天才でなくたって分かる。

「やっと気づいた?」

僕の肩に寄りかかって志希が囁く。冷徹で、少し憂を込めて、それでいてなお得意げに。

「犯行があった時間より後に部屋を出た人間はいない……」

この部屋で隠れられそうな場所と言えば、机の下か給湯室くらいだろう。机の下には今現在誰もいない。給湯室も志希がコーヒーを淹れる際に訪れているはずだ。

つまりは僕たちの存在を無視すれば、この部屋は密室だった。

「だいせーかーい!つまり容疑者はキミとあたしだけ。でもって自分が犯人じゃないことをあたしは知っている。つまり、犯人はキミ以外あり得ない」

 滅茶苦茶だ。そんな理屈が通ってたまるものか。

「冗談じゃないよ……。僕だって人を殺した覚えなんてない」
「うんうん、そう言うと思ったよ。だって犯人はみんなそう言うものでしょう?」

 志希は頷きながら言う。小馬鹿にしたような態度が頭にくる。自分が無実であることは僕にとって自明だ。それを証明する手段が何もないことが口惜しい。

一方で志希が犯人であることも信じがたい。それは別に「志希は殺人を犯すような人間ではない」などという、彼女の人格に対する勝手な解釈ではない。そういった類の思考は傲慢に過ぎないと、僕はあまり豊富とは言えない人生経験によって学んでいた。

では志希が犯人ではない根拠は何かと言えば、その犯行の稚拙さだった。志希の頭脳と知識をもってすれば自分に繋がる証拠など容易に隠蔽できる。彼女が犯罪を行い、かつ警察から本気で逃れようと思えば、今のように容疑者の1人として挙げられることはあり得ないだろう。

だから犯人は必ず他にいる。

「キミの何も知らない子羊ちゃんの演技も飽きちゃったし、いい加減白状しようよー」

声のトーンが下がってきていた。志希はもう、僕が犯人であることを確信しているようだった。頭の中にはすでに、外部犯の存在を完全に否定するだけの材料が揃っているのだろう。
だからといって、犯した覚えのない罪を告白するわけにはいかない。

「誰かがドアを開けている間に出入りするのはどうだろう」

犯人は予め被害者を拘束する。コンビニを出て事務所へと向かう僕の後をつけ、入室の際に一緒に部屋へ忍び込む。僕が寝ている間に犯行を終えて、志希が入室するためにドアを開けている間に外へ出る。
これならば履歴を残さずに部屋を出入りできるはずだ。

「出るのは絶対に無理だよ。入る分にはキミの背後にいれば良いけれど、出るときは死角がないからね。ドアが開いているせいぜい5秒の間にあたしから隠れながらドアを通るなんてできると思う?」

ドアの近くに遮蔽物はない。開くのを待っていたらたちまち志希に見つかっていただろう。かといってどこかに身を隠し、志希の視界に入らないようにドアへ向かうには時間が足りない。

ならばもしや、と思い窓に目をやる。しかし全ての窓のクレセント錠はロックのためのつまみと共におろされていた。

「見てのとおり窓は全部施錠されているから、中の誰かが閉めたわけじゃない限りそれも不可能だよ」

志希は喋りながらキャスターのついた僕の椅子に座って、給湯室へ向かう。新しくコーヒーを淹れるつもりのようだ。

「僕は閉めていない」
「もちろん私も。もし、嘘をついて犯人を庇っていたら無実の主張とは矛盾するよね」
「罪の定義だなんて法曹に任せておけばいいよ。僕は殺人なんかに一切関わっていない。君もそうだと信じている。何か他に可能性はないのかい?例えば死亡推定時刻を偽装するとか」 

 外部犯があり得ないのなら、アリバイ工作が行われたと考えるしかないだろう。

「エアコンで体温を変えたりはできるだろうね。でも体温の低下を加熱で誤魔化せば死後硬直は早まる。だから体温が残っていて、かつ硬直が始まっていない今の状態を作り出すのは無理じゃないかな」

指紋をつけないように裾を掴んで、僕は死体へと恐々手を伸ばす。その感触は生きている人間とさほど違うを感じなかった。
 
「じゃあ、カプセルか何かを使って時間差で殺したんだ」
「あの切り取られた手首、出血が少なすぎるんだよね。多分心臓が止まった後に切断されている。つまり犯人は被害者が息絶えた後、現場にいなくちゃいけなかった」

給湯室から聞こえる志希の声はあっけらかんとしていた。

詰みだ。僕の頭が考え得る全ての可能性はみんな否定されてしまった。この部屋が完璧な密室で、犯行が今から2時間から30分前までに起きていることは最早疑いようがない。

僕らは黙ってしまった。互いが犯人だと主張し合っても平行線なのは分かりきっている。この異常な環境でそんな不毛な行為をする体力はお互い残っていないようだった。
コーヒーを淹れる音が部屋で響いている。ほんの数分がとても長く感じられる。重苦しい沈黙が部屋を支配していた。自分の罪を認めてしまうようで、このまま時間が流れていくのが恐ろしい。
コーヒーを口にしながら志希が椅子に乗って帰ってきた。その出来に満足しているのだろう、笑みを浮かべている。僕と置かれている状況は変わらないはずなのに、ここまで余裕でいられるのが不思議だった。

「おかしいじゃないか」

つい口をついて出てしまう。一度出ると止まらない。不安と興奮が僕の舌を加速させる。

「そもそもこの事件はおかしいんだ。なんだって芸能事務所の中で関係者でもない、見ず知らずの男が殺されているんだ」

愚痴、というよりはただの駄々だ。大の大人が現実を認められずに逃避している。情けなくなってくる

「実際に起きている以上その理由を考えるのはナンセンスだよ。現にあたしとキミ、どっちが犯人でも動機が分からないし」

 志希は僕に目もくれず淡々と言う。

しかしその刹那彼女は跳ね起きた。自分で自分の発した言葉に驚いたかのように。

志希は四つん這いになってしまいそうな程に前のめりになって、ちひろの事務机へと駆け寄る。

「そうか!ナンセンスなんだよ!この事件はナンセンスそのもの!」

落ち着きなく書類の束や文具たちをかき回す。整理されていた領収書が舞い上がり床に散乱する。誕生日に僕が贈ったアロマディフューザーが倒される。こぼれたオイルが周囲を濡らし、ムッとするような芳香が漂う。

志希は横倒しになったペン立てからハサミを手に取り、遺体が来ているコートの右裾を切り始めた。

「やめろ!現場を保存しないと!」

僕の静止をよそに志希はそれを続ける。
しかし、彼女の突飛な行動に僕はむしろ安堵を覚えていた。理不尽な現状を打開する手立てを示してくれるのではないかと期待したのだ。だから、それ以上止めるようなこともせずに志希の所作を見守る。
刃は肩口まで達すると、向きを変え縫い目に沿って袖を切り取ってしまった。

「一体何を閃いたんだい?」
「うーん、何って言ったらいいのかなー。推理……というよりも願望? 」

 志希は両手で握った袖を見つめながら言う。

「この際何だって良いよ。とにかく教えてくれないか、この異常な状況を生んだ原因を」

 志希は黙って頷き、袖を手前に引いた。

何かがごろりとソファから転げ落ちる。テーブルの脚にぶつかって静止した。それは前腕だった。肌は青白く血の気がない。
ぎょっとして男の方へと目をやると、肩から伸びている腕は肘から先がなかった。

「これは一体……」

口にしてから、死体を見つけた時に発した言葉と同じだったと気づき僕は苦笑する。

「自分の腕じゃないんだよ、これ」

つま先で件の腕をこづいて志希は言う。

「どういうことだい?申し訳ないけれど君の言葉の意図が掴めない」
「右腕のない男が、誰かから貰ってきた腕を自分のコートの袖に通して手首を切った。キミがおねむの間にね。そして、自分で毒を飲んだ。」

 自分自身に確認するかのように、ゆっくりとした口調で志希は言った。

「言葉の意図は分かったけれど、今度は意味が分からない……」
「意味なんてないよ。いや、意味そのものはあるんだけど、それはこのおじさんにしか理解ができない代物なの」

志希は両手を大げさに広げて言う。呆れているのは僕にだろうか、死体の男にだろうか。

「つまりは、この男が僕の後をつけて事務所に侵入したことも、どこかの誰かの手首を切ったことも、自殺も。全てまとも動機は存在しないと言うのかい?」
「狂ってる」

「そう、狂ってるんだよ」

志希の表情は得意げだったが、どこか困惑の色が見えた。自分の回答が正しいことに驚くのはきっと初めての体験だろう。

現場が密室。事件の正体が自殺だったから。
手首の出血が少ない。予め用意した他人の腕だったから。
どちらも説明がつく。

なぜ現場にCGプロを選んだのか。被害者の男が狂人だったから。
なぜ他人の腕を自分の腕に見立て、切断したのか。同上
男の行動に合理的な理由を求めなければ、だが。

僕はすっかり冷え切っていたコーヒーを一口啜って乾いた口内を潤す。無性に胸がざわついた。覚えのない罪を着せられずに済んだというのに。

「まぁ世の中には理解が及ばない変人がいるってことだよ」

 言うべきことは全て言った、とばかりに志希は背もたれに身を預け天井を見上げた。完全に脱力モード。好奇心を満たし、自分に降りかかる火の粉を払えた以上、もはや彼女にとって事件のことなんてどうたって良いに違いない。

「君が言うと説得力があるね」

皮肉もどこ吹く風、志希は天井に顔を向けたまま器用にマグカップを傾けてコーヒーを飲んでいた。

終わりです

打切の漫画みたいな終わり方だな

海ガメのスープみたいな話?
もしかしてマジで理由ないの?解決編は?

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