「藤原肇がそれを割る日」 (114)

「植木鉢、ですか」


「いつ捨てようかなって、ずーっと思ってはいるんだけどね」

 夕美さんは、そう言って苦笑してみせます。


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  ***

 ――何よりも大事なのは見極めだ。

 その人にのみおさまる器の形を、よく考えなさい。

 見た目の美しさ、格好の良さを言っているのではない。

 機能美という短絡的な言葉で言い表せるものでもない。

 どうありたいか。どう使ってほしいのか。

 どう表現すべきなのか。

 よいか、肇よ。

 我々の役割は、それを見出し、選び取り、形にしていくことだ。

 その人の器を――。

  ***

 小さい頃は、工房があまり好きではありませんでした。

 おじいちゃんが、気に入らない自分の作品を次々に割ってしまうのです。

 私は、何であんなに手間をかけて作ったものを自分で壊すのか、分かりませんでした。

 何より、おじいちゃんが壺やお皿を割る音はとても大きく、怖くて、よく泣いていました。


 初めて自分で作ったのは、6歳の時です。

 無理矢理座らされ、大声で泣きながら何度も手を払う私に、おじいちゃんも泣きたくなったそうです。

 ですが、焼きあがったそのお皿を手にした時――。

 私は、とても嬉しくて、両親だけでなく、仲の良い近所の友達にも見せて回りました。

 食事の時は、必ずそのお皿に取り分けてもらいましたし、終わったら自分の手で綺麗に洗わなくては気がすみません。

 洗剤を使いすぎて、洗い場を泡だらけにする私を見て、お母さんは呆れて笑いました。


 それをきっかけに、料理をはじめとした家事も手伝うようになったのを覚えています。

 もちろん、陶芸を好きになったのも。


 陶芸をきっかけに、夢中になれたものもあります。

 私の場合、それはちょっと奇妙で――でも、とても素敵な出会いでした。

「あ、あのっ!」
「?」

「ひょっとして……び、備前焼、だったりしますか?」

 近所のお総菜屋さんへ買い物に出ていた私を、女の人が呼び止めました。

 恐る恐る、私の着ている作務衣を指さします。


 あぁ、これ――確かに、土だらけです。

 お総菜のおばちゃんは、いつものことなので気にされないのですが、お世辞にも他所行きの格好ではありません。

「はい」

 ですが、恥じることでもありません。岡山が誇る、日本一の陶芸品に携わる者という自負があります。

 それに興味を持ってくださった他県の方にも、その良さを知ってもらわなくては。

 なぜこんな山奥まで来られたのかは分かりませんが、道にも迷っているご様子です。

「よろしければ、すぐそこに私の家の工房がありますので、ご覧になりませんか?」

 お誘いしてみると、その人は「ぜひっ!」と元気に応えてくれました。

 体験教室は、時間の都合もあり、ご希望ではなかったようです。

 曰く、高校の卒業旅行で来たものの、友達とはぐれてしまい、携帯の電池も切れてしまったとのこと。

 ただ、嬉しいことに、備前焼は旅の目的の一つだったそうで、私との偶然の出会いをその人は喜んでくれました。

「すみません、コンセントまで貸してくれるなんて」

 充電器をお持ちで良かったです。


「この中に、あなたの焼いたものもあるんですか?」

 一通り眺めた後、彼女は、ふと私に問いかけました。

「小さいですが、その湯呑みや、その下にあるお皿は、私が仕立てました」
「これ? うわぁ……うん、すごいっ!」

 何がすごいかは分かんないけど、と、正直に付け加えてくれたことに、何だか好感が持てます。

 それに、彼女は義理ではなく、とても素直な気持ちで、私の作品を良いと言ってくれているような気がしました。


「じゃあこれ、くださいっ!」

 ご両親へのプレゼントにと、私の作品である一組の湯呑みを選び、私に再度微笑みかけました。

 まるで、そこに花が咲いたかのような、綺麗で眩しい笑顔です。

 お会計を済ませ、湯呑みを渡したところで、充電していた彼女の携帯が鳴りました。

 はぐれた友人の方は、近くの広場にいるそうです。


「……ユミさん、とおっしゃるのですね」
「えっ?」

 盗み聞きをするつもりは無かったのですが、電話口からしきりに彼女の名を呼ぶご友人の声は、とても大きいものでした。

「うん! 私、相葉夕美。神奈川から来たんだ。あなたは?」
「私?」
「そう、名前。こんなに良くしてもらえたから、せめて名前だけでも知りたいなぁって」

 そう言った後、夕美さんは慌てて手を振りました。

「あっ、いや! ごめんなさい、もちろん嫌ならいいんです。プライバシーとか、色々あるもんね」
「いえ」

 名乗るほどの者ではありません、と答えようかとも思いました。でも――。


「肇、と言います。藤原肇」

「肇ちゃん……何だか、カッコいいね!」

 夕美さんは、私の名前を褒めてくれました。

 男っぽいかも知れないけれど、おじいちゃんが付けてくれた自分の名前が、私は好きです。

 だから、名前で呼んでもらえるように、ちょっとだけ名前を強調します。


「よろしければ、また岡山にお越しください」
「うんっ! 今度は陶芸教室にも来たいな」

 角を曲がるまで、時々こちらを見ながら大きく手を振る夕美さんを見送りました。


 とても明るく、元気な方だなぁと、別れた後も何だか笑みが零れてきます。

 またこちらに来るのは、一年か、何年か後でしょうか――そう思っていました。

 再会の日は、それから一ヶ月も経たないうちに訪れました。

 それも、岡山ではなく、東京で、です。


「あーっ、肇ちゃん!」
「……夕美さん!?」


 なんと私達は、同時期に、CGプロという芸能事務所のプロデューサーという方から、アイドルとしてスカウトされたのです。

 夕美さんがスカウトされた理由は、分かります。

 とても綺麗で可愛らしく、笑顔が眩しい人なので、アイドルにはピッタリだと思います。

 一方、私は岡山の山奥で、土を練ってきたに過ぎません。

 自分を卑下するつもりはありませんが、アイドルとは私にとって、思いもよらない別次元の世界でした。


 しかし――この未知なる世界に挑戦し、応えてみたいと思いました。

 トップアイドルなるものへの道を、私に見出してくれた、プロデューサー――Pさんの期待に。

 おじいちゃんを説得するのはさぞ苦労するだろうと、覚悟しました。が――。

 どうやら、おじいちゃんはPさんを気に入ったようで、何も言わず送り出してくれました。

 同期生ということもあり、一緒になれる機会も多かった私達は、再会してすぐに打ち解けました。


 夕美さんは、慣れない東京での私の暮らしを助けてくれます。

「といっても、私地元は神奈川だから、ネイティブじゃないんだけどね」

 そう言って夕美さんは笑いますが、右も左も分からない私にとって、神奈川はほとんど東京です。

 事実、岡山には無い食べ物屋さんや、服屋さん、都内の観光地もよく連れて行ってくれました。

「とても面倒見が良い人なんですね、夕美さん」
「こっちこそ、この間お世話になったばかりだもん」

 年上でありながら、夕美さんの言葉遣いは可愛らしいなぁと、度々思いました。

 レッスンも、夕美さんと一緒でした。

 先生のご指導は、時に厳しくもありましたが、夕美さんはいつも私を褒めてくれます。

「肇ちゃんってさ、何だかすごく要領が良いよね」

「えっ?」
「一度言われたことは、肇ちゃん、絶対間違えないもん」


 確かに、気をつけていることではあります。

 先生が何のために、どのような思いで、私に指摘をするのか。

 それに意識を傾け、見極めることが、大事であるような気がしたので。

「見極める?」
「おじい……祖父が、よく私に言っていた言葉です」

「本質を捉える、っていうヤツかな?」
「それが、できていれば良いなぁと」
「バッチリだよっ!」

 もし夕美さんの言うことが本当なら、私が培ってきた陶芸の経験も、この事務所で糧になっているのでしょうか。

 異なると思っていた世界は、意外にもどこかで繋がっているのかも知れません。

 初めて人前に出たお仕事は、先輩の方々のバックダンサーでした。

『レイジー・レイジー』という、一ノ瀬志希さん、宮本フレデリカさんのお二人による、地方営業のお手伝いです。

 お二方は、お仕事中だけでなく、行き帰りの車の中でも、とても個性的で愉快な人です。

 私も夕美さんも、ずっと驚かされてばかりでしたが、おかげで初舞台にも関わらず、とても落ち着いて臨むことが出来ました。

「いやいや、私はガッチガチだったよ。肇ちゃんが肝据わりすぎだよ」

 私も、自分のことで手一杯でしたので、夕美さんがそんなに緊張していたことを知りませんでした。

 まだまだ、精進が足りません。


 ですが、その日を境に、舞台に立つお仕事が増えました。

 バックダンサーとしての私達が高く評価された、というよりは、きっかけはたぶんフレデリカさんです。

 彼女が移動中の車内で撮影し、ツイッター?――に公開した私と夕美さんの寝顔が、なぜか評判だったようです。

「こういうの上げる時は前もって俺に確認させろ、って言ってんのにアイツら……」

 と、Pさんは言っていましたが、目は笑っていました。

 涎が垂れている夕美さんの横でピースしていた志希さんを、夕美さんは後で怒っていましたね。ふふっ。

 この時から、私と夕美さんは、二人で一組として認知されていました。


 相性、というものはあるようです。

 明るく元気な夕美さんは、舞台の上ではお客さんの注目の的です。

 私はというと、あまり喋るのは得意ではないので、必要な時以外は夕美さんの隣でぽつんと立っています。

 ただ、たまに夕美さんがはりきりすぎて、話が長くなってしまいそうになると、少し彼女の服の裾を引っ張ってあげます。

 そうすると、

「あぁっ、ごめん肇ちゃんありがとう! ではでは~……!」

 と言って、無事に予定通り進行していくのです。

 そのやり取りが、どうやらお客さん達には面白かったようです。

 陰と陽、太陽と月――もちろん、私が陰で、夕美さんが陽ですが、その非対称性はきっと良いものでした。


 ただ、普段頑張ってくれている夕美さんに、どうしても甘えてしまっている、という負い目もあります。

 なかなか自分から、夕美さんのように積極的に喋ることが出来ず、このような立場に甘んじてしまい――。

「そんなことないって!」
「えっ?」

「何か喋らなきゃー、沈黙が怖いよーって、勝手に暴走しちゃってんのは私なんだしさ。
 肇ちゃんがいなかったら、きっと私、色んな人を困らせてるよ」

「いえ、私こそ、夕美さんにばかり働かせてしまって悪いなぁと」


「本当にそう思ってる?」
「えっ……」

 ズイッと身を乗り出し、いつになく意地悪そうな顔をして、夕美さんは「むふふ」と笑いました。


「じゃあさ、今度私の家に来ない? ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」

 夕美さんは、都内のマンションに一人暮らしでした。

 お部屋に入ると、夕美さんらしい可愛い小物ばかりです。それに、とても良い匂い。

 いいえ、これは――どれも、お花?


「肇ちゃん、こっち来てみて」

 誘われるがままリビングを抜け、夕美さんがベランダの窓を開けると――。


「わぁぁ……!」

 色とりどりの花々が、ベランダ一面に咲いています。

 まるで、近郊の鮮やかな色という色を、緑という緑をこの一角に凝縮したかのようです。


「バルコニスト、って言うんだ。事務所の寮だと、こういうの厳しくってさー」

「そう言えば、ベランダがこれだと、洗濯はどうされているんですか?」
「浴室乾燥機」
「お、おぉ……」

 そう言えば、私の住んでいる寮にもあったような――一度も使ったことが無いのですが。

「というわけで、肇ちゃんにはこれから私のフラワーアレンジメントを手伝ってもらいます」

「フラワーアレンジメント?」

 あまり聞き慣れない言葉に小首を傾げる私に、夕美さんは得意げに鼻を鳴らしました。

「まぁ、生け花みたいなもんかな。でも花瓶とかじゃなくてこういう……」

 台所から、白いお皿のようなものを二つ、夕美さんは持ってきました。

「……しょ、っと。こういうスポンジにお花を差していくの。やってみない?」


「夕美さんは、お花が好きなんですね」
「うん、大好き!」

 そう言って、夕美さんはテーブルの上に広げた新聞紙に、先ほどベランダで摘んできたものであろう花々をパァッと並べました。

「うまく言えないけど、生きてるって感じに、元気をもらえるっていうかさ。
 小さな種や苗木から辛抱強く育って、ついに綺麗な花を咲かせるって、すごいことだって思うの」


「そういうの、当たり前だって笑う人もいるんだけど、全然当たり前なんかじゃない。
 生きるって、実はとても大変なことで、この子達は文句も言わずに厳しい冬を乗り越えて頑張ってこんな綺麗な花を咲かせてるんだよ。
 私なんて、学校の勉強が難しいとか、事務所のレッスンやお仕事が大変だとか、文句言ってばかり。なのに…」

「あっ……」

 熱っぽく語った自分に気づき、夕美さんは紅潮させた顔を伏せ、手を振りました。

「続けてください」
「からかわないでよぉ……ごめんね、変な話しちゃったよね」
「いえ」

「夕美さんの話、分かります」
「えっ?」

 夕美さんは、顔を上げました。キョトンという音が聞こえてきそうな、拍子の抜けた表情です。

「生の象徴、という意味で、これほどのモチーフは無いと、私も思います。
 こうして改めて見ると、どれも皆美しいものですね」


「肇ちゃんっ!」
「わっ!?」

 急に私の手を取り、夕美さんは目を輝かせて言いました。

「その言葉が聞きたかった!」

「ふむふむ。じゃあ改めて……始めましょっか」
「はい」

 そう言ってみたものの――。


 どうしたものでしょう。


「難しく考えない方がいいよー♪」

 鼻歌を歌いながら、夕美さんは慣れた手つきで次々に花を生けていきます。

 感性、というものでしょうか。


 おそらく、陶芸よりも、明確な完成形が無い世界。


  ――我々の役割は、それを見出し、選び取り、形にしていくことだ。



 おじいちゃん――私、表現の幅を広げる機会に出会えたかもしれん。

 名前も知らない、オレンジ色の花を手にします。

 それを中央に。

 次は――薄い青の、差が高くて細長い花。これは――横に。


 赤――とても強い色です。

 それに大きいから、あまり前に持ってくると、他の花が隠れてしまいます。

 なので、奥の方にドンと――。


 ――なるほど。どちらの角度から見せたいかを意識しなくてはならないのですね。

 見る角度に特段の定まりが無い陶器と違い、生け花とは、ある種の絵画的、劇場的な美の追究であるのかも知れません。

 では、主題となるモチーフは――この舞台の主役は誰か。

 見る人にも伝わるような物語性があると、よりこの作品には深みが生まれるような気がします。


 正解は無い――でも、私の答えはきっとある。

 見出さなくては。誰をどう配置すれば、私は納得のいく物語を表現できるのか。

 緑は草原、というのは安直です。

 しかし、それゆえに誰にも伝わりやすいという強みがあります。

 そうなると、空は青です。背の高い、先ほどの細長い花を生け直します。

 オレンジは、草原の木になった果実。赤は太陽――しかし、あまりに大きいので、遠近感を意識してなるべく奥へ。

 その果実を採ろうと手を伸ばす主役は、この白くて綺麗な子。

 彼女が果実を採る理由は、飢えているからでも、仕事だからでもありません。

 きっと、そこに見出した非日常的な楽しみとの出会いが、彼女は嬉しくて仕方がないのです。

 だから、その踊るような喜びを表現しようと、わざと大袈裟に角度を付けてみます――よし。

 いやもうちょっと――よし。

 そこへ、草原を吹き抜ける一陣の風が――。



「…………あはは。おーい、はじめちゃーん」


「……えっ?」

「肇ちゃん、何度話しかけても全然気づかないんだもん。すっごい集中力」

 いつの間にか、夕美さんは私に紅茶を淹れてくれていました。

 それと――。

「ぬふふふ」
「!?」

 携帯の動画機能で、私が生け花に没頭する様子を撮影していたのです。

「け、消してください!」
「Pさんに送ったらOKもらえたからさ、もう上げちゃったよ♪」
「えぇっ!?」

 夕美さんも、ツイッターというのをやっていたようです。

「おぉ、すごいすごい。リツイート伸びてるねー」

 う、裏切りです――もうっ!

「あはは、そのふくれっ面もいただき!」
「やめてってば!」

「というわけで、完成! 大作だね、肇ちゃん」
「は、はぁ……」

 いざ、見直してみると、何だかごちゃごちゃと、よく分からないものになってしまいました。

 伝えたいものが多すぎて、どうにも独りよがりな作品です。

「いやいや、そんなことないって。すごく伝わるよ!」
「えっ?」

「肇ちゃんの、絶対これは表現したいものがあるんだ! っていうパッションは伝わる!」
「それが何かは……?」
「よく分かんないけどねっ!」

 夕美さんはこういう、少しザックリした所があります。初めて私の実家の工房に来てくれた時もそうでした。

 でも、悪い気はしません。

「それじゃあ、頑張った肇ちゃんに、私から――」
「?」


「はいっ! お誕生日おめでとー!」

「……えっ!?」
「Pさんからこっそり聞いたんだ、肇ちゃんの誕生日」

 夕美さんは、さっきまで自分で作っていた生け花を、そのまま私に差し出しました。

「タイトルはずばり『肇ちゃん』。
 肇ちゃんのしっかり屋さんで真っ直ぐな感じを、青いキキョウの花で表現してみました。
 ちなみに花言葉は、“誠実”とか“清楚”とか、“永遠の愛”なんて。えへへっ」


 この6月15日に、わざわざ夕美さんが私を家に呼んだのは、このためだったのだと気づきました。

 手伝わせると言いながら、一緒に楽しみを分かち合い、思いの込めた生け花を私に送るために。


「あ、あの……キキョウは、たぶん凛さんのイメージかと…」
「えっ!? そ、そっかごめん! ていうか誕生日だもんね、もっと色んな花を使って豪華な感じの方が…!」
「いえっ! そうじゃなくて、その……!」

「私が、こんな素敵なものを……本当に、受け取って良いのでしょうか?」
「あはは、当たり前じゃない! 肇ちゃんにしかあげられないよっ」
「私にしか……」


 そっと手に持ってみます。

 すごい――夕美さんが表現してくれた私が、心にストンと落ちてくるようです。


「ありがとうございます……こんなに素敵なプレゼントは、初めてです」
「大袈裟だよぉ。えへへっ♪」

 ここまでされたからには、私も何かお返しをしなくては気がすみません。

「夕美さんの誕生日、教えてください。今度は、私が自慢の作品をプレゼントする番です」
「あー、んーとね。私の誕生日もう過ぎちゃった」

「えっ!?」

 バツが悪そうに、夕美さんは右の頬を指で掻きます。

「ちょうど2ヶ月前だね、4月15日。新年度が始まるとすぐ来ちゃうんだ」
「そ、そんなぁ……!」

 ガックリと、その場に崩れ落ちます。
 いえ、ならば来年。来年に――!

「いやいや、いいって。4月って皆忙しいでしょ? そういうの慣れてるから、大丈夫だよ」
「そういう問題じゃありません! 絶対に、ちゃんと、お返しをします!」

「じゃあ、今度もし夏休みとかがあったら、肇ちゃんの実家に遊びに行っても良い?
 ほら、陶芸教室」


「……おぉっ」

 なるほど――そうでした。なにも誕生日にこだわる必要は無いですね。

「意外と肇ちゃんって、思い込んだらこう、クッて、視野がアレしちゃうカンジだねー」

 実は、実家には月に一度、定期的に帰っていました。

 アイドルになることを許したとはいえ、おじいちゃんはまだ、私に後を継がせたいのです。

 私の技量が落ちることの無いように、工房に呼ばれては一緒に土をこねます。

「そんなの建前で、本当は単に肇の顔を見たいのよ。もちろん私達もね」

 とは、お母さんの弁です。


 7月下旬頃、連休をお互いに確保できた私と夕美さんは、一緒に岡山へ行きました。

 お父さんは夕美さんのファンらしく、しきりに工房の高い水差しを彼女に薦めようとします。

 おじいちゃんは、そんなお父さんを一喝し、私達に向き直りました。

「来なさい」

「わ、私、こんな格好で良かったのかな……?」

 工房に着くと、夕美さんは小声で私に耳打ちしました。彼女は、いつものスカート姿です。

「今日夕美さんに作ってもらうのは簡単なものなので、そんなに汚れないと思いますよ」

 でも、私は着替えないとおじいちゃんに怒られます。


「……わぁ」

 いつもの作務衣に手拭いを頭に巻いて、工房に戻ると、夕美さんはため息を漏らしました。

「肇ちゃん、やっぱカッコいいね」
「そ、そうでしょうか?」
「うん、初めて会った時も思った!」

 職人って感じ、とのことです。悪い気はしません。

 陶芸教室でよくご案内するのは、湯呑みやお茶碗、お皿――男の人だと、ぐい飲みなどもあります。

 夕美さんは、お茶碗を選びました。


「力は急に入れすぎず、でも、しっかり固定させて……そうです、足をゆっくり踏んで」

 夕美さんは、集中するのが苦手と言っていましたが、とても上手です。

「そ、そうかな? あぁっと」
「集中です。絶対に視線はそらさないように」
「うぅぅ……」

 口をギュッとつぐんで、すごく真剣な表情の夕美さんは、何となく新鮮に感じます。

 そう言うと、たぶん集中を欠いてしまうので、私も黙って見守ります。



「ふぅ……先生、どうでしょう?」

「私は、先生ではありませんよ」
「冷静に返さなくていいじゃん、もう~。あはは」

 夕美さんは恥ずかしがるように笑いますが、とても良い出来です。

 素直に感想を言うと、夕美さんは子供のように喜びました。


「肇ちゃんも、何か作らないの?」
「私は……」

 おじいちゃんをチラッと見て、答えます。

「花瓶を作ってみようかと」
「うわぁ、何だか難しそう……ひょっとして、私のために?」
「はい」

 照れるなぁーと言いながら頭を掻こうとして、夕美さんは慌てて手を引っ込めました。

 危ないところでした。手は泥だらけです。

「そんな時に便利なのが、この孫の手ですよ」

 パッと取り出してみせたのが自分でもおかしく、二人で忍ぶように笑いました。

 夕美さんに、もう一つ何か作ってみることを提案しましたが、彼女は断りました。

 私が作業している様子を、間近で見ていたいのだそうです。

 動画も撮ると言いだして、ちょっと困りましたが――渋々、了承しました。

「大丈夫、おじいさまにもご了解はいただきますので!」

 そう夕美さんがグッと親指を立てると、おじいちゃんはまんざらでもなさそうでした。

 おじいちゃん――もうっ。


 花瓶は、何度か作ったことはありますが、お茶碗等と比べると、個人的に難易度は少し高めです。

 ですが、いつまでも不得手のままにしておく訳にもいきません。

 何より、今回は夕美さんにプレゼントするためのもの。

 夕美さんにおさまる花瓶の姿――。

 お花でいっぱいのあの部屋、その中に置かれる場所、使ってもらいやすい形状――。

 既に見出しています。後は、この手で形にするだけ。


 焦らず、慎重に――。


 できる限り、細長い形状にしようと思います。

 夕美さんのお部屋は、小物がたくさんありますから、場所を取らず、かつ調和するように。

 でも、ちょっとだけ遊び心を――。



 ――――。

 ――――。


 ――――――。



 ――一旦ろくろを止め、慎重に確認します。

「で、できた……?」


 ――篦目(へらめ)を付ける位置は、ここが良いかな。


「あ、聞こえてない、ね……」

 焼き物は、ろくろで成型する場合、その多くが左右対称の形状をとります。

 お茶碗もお皿も湯呑みも、決まった向きが無い方が使いやすいというのもあるかも知れません。

 特に備前焼は、日常生活の中で長く使われるうちに人の手に馴染み、深みが出る陶器でもあります。

 私も、おじいちゃんの教えに従い、使いやすさを重視して作ってきました。


 ですが、夕美さんのお部屋で生け花を経験した時、知りました。

 人に見せたい方向を、意識するということ。

 扁平な世界にアクセントを与えることで、そこに注目させ、作品に奥行きを持たせる技法。

 アイドルのステージにも、通ずるものがあるような気がしてなりません。

 それに気づかせてくれた喜びを、私は、この花瓶に込めたかったのです。


 もう一度ろくろを回し、微修正を加え、止めました。

 竹篦を手に取り、夕美さんが持ちやすい位置に、慎重に篦目を加えていきます。


 そして、仕上げに――。

 私が、花瓶の口を篦でグイッと歪ませた時、夕美さんが小さく声を上げたのが聞こえました。



「…………終わり、です」



「ぶはぁ~~っ!」

 ふぅ、とついた私のため息に、夕美さんのとても大きなため息が覆い被さりました。

「すっごい集中して作るもんだから、息が詰まったよ~。私、自分で作った時よりも疲れちゃった」

 携帯をしまい、首を回しながら肩をトントンと叩いて、苦笑いを浮かべます。

 撮影しなければ良いのになぁ。

「………………」

 成型を終えたものを、おじいちゃんが厳しい表情で目利きします。

 この時間が一番、苦手です。



「…………何かを掴んだ気でおるようだな」


 歪な口を指差し、おじいちゃんがボソリと呟きました。

 その瞬間、私の心臓が大きく跳ねます。


「方向性は、悪くはない。が……強い思いがあろうと、それを満足に形にできんことには話にならん。
 まだまだ精進が足りんぞ」

 おじいちゃんは、冒険心にも似た私の思いを感じ取ってくれました。

 厳しい言葉も、裏を返せば、精進さえすれば良いものになるという評価の現れです。

「はい」

 私は、強く頷きました。


「前から、思っていたんだけどね」


 夕美さんは、ヒョコッと横から私の顔を覗き込みました。

「肇ちゃんの、「はい」っていう短い返事、私好きだよ」


「ふふ……そんなことで褒められたのは、初めてです」
「だって、そう思ったんだもん」


 夕美さんが撮影した動画は、またしてもファンの方々の間で評判になったようです。

 その日から、私と夕美さんは、定期的にお互いの家を行き来するようになりました。

 私が夕美さんに生け花を教えてもらい、夕美さんは私の実家に同行してくれます。

 無理しなくて良いですよと言っても、夕美さんは鼻息を荒くして岡山まで来てくれるのです。

“フラアレ神経”がモリモリ刺激されるのだ、とのことです。


 夕美さんの生け花は、私の作品にもすごく良い影響を与えてくれます。

 おじいちゃんも、表現力が豊かになったと、珍しく褒めてくれました。

 一方で、「独りよがりになりつつある」と厳しく戒めることもあるので、慢心は許されません。


 おじいちゃんは、夕美さんの陶芸も、その腕前を褒めます。

「技巧は無いが、雑味も無い。素直で良い筋だ」

「雑味が無い、って、何だかお酒みたいですね。飲んだことないですけど」

 そう夕美さんが笑うと、おじいちゃんも笑いました。めったに無いことです。

 弟子にならんかと、おじいちゃんはどこまで本気なのか分かりません。

 そして――。


「夕美、肇……すごかったぞ。お前ら、あんなライブパフォーマンスいつの間に覚えたんだ?」

「えへへー、それは企業秘密だよ。ねー肇ちゃん?」
「はい」
「同じチームだろうが」


 アイドルの活動にも、私達の交流は良い影響を与えていました。


 それまで私は、お客さんが私達に何を求め、何を期待するか――受け手側の観察にのみ固執していたのです。

 しかし、お客さんに対し、自分が一番輝いて見える位置、角度、仕草や振り――そして表情。

 自身をどう表現し得るかという、自分を分析し見つめ直す力を、養うことができている気がします。

 それまで少し苦手意識を持っていたビジュアルレッスンも、先生に褒めてもらえることが多くなりました。

 目に見えて表現力を身につけている理由をはぐらかす私達に、Pさんは憤慨してみせます。

 でも、やっぱり目は笑っていました。

「グラビアの仕事も増やしていこうと思うんだけど、今の二人なら問題無いよな?」

「はい」
「やらしぃのじゃないヤツなら!」

 ふふ、そうですね――なるべく露出の少ないものであれば、きっと大丈夫です。


 そうしてお仕事が着実に増えてきた、12月半ばの頃でした。

「クリスマスパーティー用にさ、キャンドルアレンジも作ろうよ」

 そう言って、夕美さんは自宅のパソコンの画面を私に向けました。

 なるほど、蝋燭の周りを花で囲むのですね。

「でも、冬に咲かせる花というのは……?」
「大丈夫。シクラメンとかポインセチアとか、結構あるんだよ? 造花でもいいし」
「そうなんですか」


「ところでさ、肇ちゃんはお正月は、実家に帰るの?」
「はい」

 おかげさまで、私達も以前と比べて随分とお仕事が増えました。

 一方で、仕事でも無い限り、正月はちゃんと帰るようにと、おじいちゃんに厳しく言われていたのです。

 Pさんが配慮してくれたおかげで、正月は何とかお休みをいただけそうです。

「まぁそうだよね。私も帰らないとなぁ」
「その間、この花達の水やりなどは、どうしましょう?」
「あぁ、それも平気。こういう、ペットボトルで作ったヤツがあるんだ」
「うわぁ、なるほど」

 夕美さんは、今まで知らなかったことを私にたくさん教えてくれます。

「でも、外に置いてある子達は、出る前に中に入れとかないと……もう入れちゃおうかな」
「手伝いますよ」
「結構重たいよ?」
「これでも力持ちなんです」

 腕をまくってみせると、夕美さんは「ほほぉー」と頷いてくれました。


 リビングに段ボールと新聞紙を敷いて、二人でバケツリレーのように植木鉢を中に入れていきます。

 ツタを巻いているものは、架台ごと、二人で両端を持って運びました。

 改めて見ると、かなりの量です。

 置き場所をあれこれ整理しているうちに、思ったより時間がかかってしまいました。


「うえぇぇ、一気に狭くなっちゃった……パーティーの後にすれば良かったね」

 足の踏み場も無くなるほどお花で一杯になった部屋を前に、夕美さんは困ったように頭をポリポリと掻きます。


「それなら、パーティーは私の部屋でやりませんか?」
「えっ?」

 私の寮部屋は、夕美さんの家よりも狭いですし、テーブルも小さいですが、皆さんが座れないほどでもありません。

 それに、同じ寮住まいで同郷の瑛梨華ちゃんや、お世話になった志希さん、フレデリカさん等、参加予定の人達にとって集まりやすい場所でもあります。

「さっすが肇ちゃん!」

 遅くなってしまったし、キャンドルアレンジは後日作ることにして、お暇しようとした時でした。


「……これは?」


 随分、くたびれた容器が、リビングの隅に置かれているのが目に入りました。

「あぁ、それ?」

 えへへ、と、どこか困ったような夕美さんの声が後ろから聞こえます。



「植木鉢、ですか」

「いつ捨てようかなって、ずーっと思ってはいるんだけどね」

 夕美さんは、そう言って苦笑してみせます。

「安物だったし、壊れちゃってるし、捨てちゃっても構わないんだけどさ。
 やっぱこういうの、何を植えたヤツだっていう思い出もあるから」


「夕美さんは、物も大切にされる優しい人ですね」
「優柔不断、ってのをすごく遠まわしに言ってたりしない? それ」

 疑るように覗き込む夕美さんの目を、私はやんわりと否定します。


「そう言えば、最初に岡山に来られた時」

 ふと、私は気になっていたことを思い出しました。

「備前焼も旅の目的と言っていましたが……夕美さんは、本当は何をお探しだったんですか?」

「本当は、って?」
「ご両親用の湯呑みが、本当にお求めの物だったのかなって」
「あぁ~……」

 微妙に鋭いところを突くなぁ、と、夕美さんはまた苦笑しました。


「本当はね、植木鉢が欲しかったんだ……ネットで見てさ。備前焼の植木鉢」

「では、どうしてあの日は、湯呑みを?」

「高かったから……っていうのはウソだけど」

 えへへ、と照れながら彼女は――。


「肇ちゃんの作ったものを、その時は買いたいって、思っちゃったんだよね。
 もちろん、肇ちゃんが作った植木鉢があれば、それが良かったのかも知れないけど」


「そうだったんですか」
「あぁ、ううん! 別に義理立てしようとか、そういう気持ちじゃなかったの。本当だよ?
 単純に、肇ちゃんに興味を持って、というか、その……」

 顔を赤くさせながらモジモジと取り繕う夕美さんが、何だか可愛らしいです。

 それに――。


「ふふっ……大丈夫です。ありがとうございます、夕美さん」

 義理ではなく、いつも素直な気持ちで私に接してくれているのは、初めて会ったあの日から、分かり切っていることです。


 やはり、ちゃんとした形で、私はこの人に、感謝の気持ちを伝えなくてはと思いました。

 家に帰り、その日のうちに、実家のおじいちゃんに連絡を取ります。

「窯焚きの日だと?」


 通常の体験教室で用いる電気釜なら、特に時期を選ばずに焼くことができます。

 しかし、登り窯や穴窯と呼ばれるような、昔ながらの本格的な窯で焼き上げるとなると、大仕事です。

 岡山に窯元はいくつかありますが、窯焚きを行う時期は年に2回。春と秋のみです。

 春だと、例年なら3月下旬から4月初旬に行われるので、うまくいけばピッタリ――。


「イムラさんとこに頼めば、おそらくは3月末までに窯詰めをして焚くだろう」

 やった! 思わず拳を握りしめます。

 おじいちゃんの言った窯元なら、窯焚きにかける期間は10日間、その後焼き物を冷ます期間に5日間かけます。


 そうです――うまくいけば、窯出しの時期が、ちょうど夕美さんの誕生日と重なります。

 こんなに良くできた話があるでしょうか。

 プレゼントするものは、もちろん植木鉢です。

 元々、焼き物の植木鉢は一般的にも広く用いられているものであり、備前焼も然りです。


 陶磁器の多くは、釉薬(ゆうやく)と呼ばれるガラス質の液体で表面を覆うことで、模様を付けるほか、水漏れを防いでいます。

 しかし、備前焼の場合、その釉薬を使いません。

 およそ10日間以上もの長期間、高温で焼き締めることで、「投げても壊れない」と謳われるほど堅く、水漏れもしない陶器が出来上がります。

 それに、細かな気孔があり通気性に優れるため、備前焼は元々、花瓶や植木鉢に適した陶器とも言えるのです。

 夕美さんへのプレゼントとしては、花瓶と同じくらい打ってつけのものです。


「どうしても、イムラさんとこの登り窯で焼きたいものがあるの」

 そう言って、おじいちゃんに窯元へ話を付けるようお願いします。

 話は帰ってから聞くと、おじいちゃんは何も言わず了承してくれました。

「うーん……」

 自宅でノートを広げ、慣れないデッサンと一生懸命格闘します。

 絵は不得手なのですが、手を動かさないと、頭の中にあるイメージは具体化できません。


 順当に考えれば、まん丸の植木鉢が最も簡単です。

 ですが、私はなるべく左右非対称のものにこだわりました。

 高いと低い、直線と曲線、平滑と凹凸――陰と陽。

 完璧な美とは違う、私達を暗喩させた不完全性を内包させることで、これからも成長し続けようという願いを込めたかったのです。


 紙粘土で、簡単な試作品を作ってみます。

 こんなにも検討段階で力を入れたのは、初めてのことです。

 今回ばかりは、電動ろくろを使わない、手びねりでの成型にならざるを得ないでしょう。

 後日、クリスマス用のキャンドルアレンジメントを作る間も、私は夕美さんの部屋を注意深く観察しました。

 部屋の外に置くのか、中に置かれるべきものか。

 中の場合は、床か、テーブルの上か――あるいはトイレか、玄関か。


「? ……肇ちゃん?」


 なるべくなら、部屋の中に置いてもらえるものを作りたい。

 ですが、あまり大きすぎて、場所をとってもいけません。

 一方で、毎日夕美さんの目に留まり、元気を与えられるような位置――。


「おーい、肇ちゃーん。どこ行くのー?」


 一番はやはり、玄関の下足入れの上のカウンターが良いと、当たりを付けます。

 親指と人差し指を広げ、1、2、3――カウンターの幅は、大体40センチくらいでしょうか。

 身度尺という、体の部分に倣った寸法の取り方も、陶芸の世界には関わり合いの深いものです。


「えっ、もう帰る? ……肇ちゃん?」


 この位置に、この向きに――ドアを開けた時、正対しないので、多少角度を付け――。

「肇ちゃんってば!」
「はっ!?」


「じぃぃぃ~~……」

 夕美さんが、ものすごく訝しげな目で私を見つめ――もとい、睨んでいます。

「ちょ、ちょっと部屋の中を、散歩したくて」
「散歩できるほど広くないんだけど、私の家」

 どう見ても不審な行動をとっていた私を、夕美さんはあまり深く追求しないでくれました。

 クリスマスパーティーも、大きな問題は無く――Pさんのご尽力もあり、あくまで表面上はですが――終えて、いよいよ正月です。


 夕美さんは、わざわざ駅まで私の見送りに来てくれました。

「何だか、結構な大荷物だね?」
「いつもと違って、長期間の帰省になりますから」
「あぁ~」

 咄嗟にもっともらしいことを言ってみせました。

 検討用の資料として買い込んだ、ガーデニング関連の雑誌が詰まっていることは、秘密です。


 固い握手を交わし、夕美さんと、東京ともしばしのお別れです。

 待っていてください、夕美さん。

 自慢のそれを、きっと作り上げてみせます。

「出来るのか?」

 私のデッサンと紙粘土の試作品を交互に見ながら、おじいちゃんは私に問い質しました。

「手びねりなど、お前ろくにやったこと無いだろう」

 そう――私はこれまで、電動ろくろによる成型がほぼ主流である日用品ばかりを手がけてきました。

 ろくろを使わず、自分の手で成型した経験も無い訳ではありません。

 ですが、これだけ大がかりなものを手びねりで作るのは、私にとって未知の経験でした。


「それは的外れだよ、おじいちゃん」
「何?」

 私が口答えをするのは珍しいことではありませんが、癪に障ったのでしょう。

 厳しい目を向けるおじいちゃんに、しかし――私は、ここで引く訳にはいきません。


「出来るものしか作らんなら、私はこの先も一生出来るものしか作れん」



 ――ふぅ~、と、おじいちゃんは長いため息を吐き、ニヤリと笑いました。

「いっぱしに、生意気を言うようになったのぅ、お前も」

 正月休みなど無いと思え――そう言って、私とおじいちゃんの格闘が始まりました。

 手びねりは玄人向け、という不文律がある訳ではありません。

 ろくろでも当然、美しい形状に成型するには熟練した技術が必要になります。

 また、体験教室には手びねりコースもあり、ウチの場合、お客さんとしては半々か、ろくろコースの方が少し多いくらいです。


 ただ、繰り返しになりますが、体験教室でご案内するのは、その多くがお皿やお茶碗、湯呑み等の小物類です。

 大掛かりな物になると、成型にかかる時間も難易度も、手びねりの場合、大きく変わってきます。


 大物は、一つの土塊から成型するのではなく、土を順次継ぎ足しながら成型する手法をとります。

 紐作りという、紐状に伸ばした土を上から足していき、篦で叩きながら成型していくのです。

 ろくろなら数十分程度で成型できる規模でも、紐作りによる成型は1週間以上かかる場合もあります。

 ただ、ろくろと比べ、紐作りにより成型された備前焼は、丈夫で色合いにも味が出る――のだそうです。

 私としても、未だ実感として得た知識ではありません。

 お正月以降、まとまったお休みを取れる保証はありません。

 この期間でどこまで手応えを掴み、完成度を高められるかが勝負です。


 ちょっとでも気を抜くと、おじいちゃんの檄が飛びます。

 レッスンの先生より、やはりおじいちゃんの方が厳しいと、改めて思います。

 ですが、当然、へこたれる訳にはいきません。

 おじいちゃんが何のために、どのような思いで、私を叱責するのか。

 アイドルを始める前から、それだけは既に見極めているからです。


 ただ、ずっと作業をしていると、どうしても手が痺れます。

 手拭いに巻かれた頭が汗で蒸れ、少し痒いので、孫の手を取ろうとすると、おじいちゃんが怒ります。


 痒くなるなど土に集中してない証拠だ、って、そんなこと言ったってしょうがないでしょ!

 構わず孫の手で頭をボリボリ掻きます。

 おじいちゃんうるさい。ちゃんとシャンプーしとるわ。もうっ。


 どれだけ衝突があろうと、絶対に良いものにしたいのです。

 そんな些細なことだけではありません。

 成型が佳境に近づくと、作品の仕上げ方についても、私とおじいちゃんはさらに喧嘩するようになりました。


 篦目の付け方、口の傾斜のさせ方等――もちろん、長年の経験に基づくおじいちゃんの小言には、耳を傾けるべきと頭では分かります。

 ですが、これは私が夕美さんにプレゼントするものです。

 最終的には、私の意思を尊重してほしいのですが、おじいちゃんも譲りません。

 むぅ――!


「何か、おじいちゃんが二人になったみたいやねぇ」

 お雑煮を食べながら、ムッツリとしかめ面をする私達を見て、お母さんが呆れて笑いました。


 絶対に、良いものにしなくては――。

「……こんな植木鉢、初めて見るわ」

 おじいちゃんが苦言を呈しますが、百も承知です。

 成型を終えたそれは、口が水平ではなく斜めに切った形をしており、左右だけでなく上下も非対称です。


 それは、土を水平に盛ったとき、後背部がまるでステージ背面の壁のようになることを狙ったものです。

 当然、ステージに立つのは色とりどりの花々――すなわち、私達アイドルです。

 厚みをできる限り薄くしたのは、夕美さんの元気で軽やかな明るさの現れ。

 そして、わざと歪に付けた篦目は、成長の余地を残している私達の不完全性の演出に他なりません。


 不完全――だけど、今の私の全力を、これに込めたつもりです。


「……ありがとう、おじいちゃん」
「焼き上がってから言いなさい」

 それでも、ごめんね。生意気いっぱい言って。

 窯詰めの日には呼んでもらえるよう約束をして、私は東京に帰ります。


 絶対に――絶対に、良いものにしなくては――!

 ――――。


「みんなーー!! 今日はほんとうに、来てくれてありがとーー!!!」

 夕美さんが、満面の笑顔で大きく手を振ると、会場がさらに大きな歓声に包まれました。

 こんなに喜んでくれるファンの方々の存在に、私も嬉しくなります。


「寒い日が続いてますので、どうか暖かくして、おやすみくださーい!」

 精一杯、大きな声で私もそれに応えると、優しい返事とともに、数えきれないサイリウムの光が左右に乱れ飛びました。

「お疲れ様! 今日のステージもバッチリだったな!」

 Pさんが、新年一発目のライブを終えた私達を労ってくれました。

 まだソロライブを組めるほどではありませんが、こうしてトリを務めさせていただく機会も増えた気がします。

 ――――。

「ただ、正月休み挟んだからかな? ちょっと動きが固かった気もするな。
 まぁ全然問題ない! これからも頑張ろうな!」
「うん! ありがとう、Pさん!」

 スタッフの方々に挨拶してくると言って、Pさんは楽屋を出て行きました。

 ――――。


 ドリンクを二口ほど飲み、息をつきます。

 火照った体の中を、冷たいドリンクが流れていく道筋が分かるようです。


 ――――。



「ねぇ、肇ちゃん」

「何か……あったの?」



「……えっ?」

 夕美さんが、心配そうな顔で私を見つめています。

「な、何かって……」


「ごめんね。私の勘違いだったら、本当にごめんなんだけどさ……」

 モジモジと、一生懸命言葉を選んでいたようですが、夕美さんは意を決したように――。


「年が明けてから……肇ちゃん、何だか、怖い顔ばっかり、してるように見えたから……」

「怖い顔……?」

 咄嗟に私は、携帯を取り出しました。

 最近、ようやく私もスマートフォンに買い換え、ツイッターも始めました。

 私自身はあまり呟くことはせず、専ら他の方々の更新を確認するためのものです。


 フレデリカさんのアカウントを確認します。

 思った通り、今日のライブを観に来てくれると言っていた彼女は、撮影した動画を――おそらく無許可で――ツイートしていました。

 その動画を見る限りでは――。

「何か……変だったでしょうか?」


「……うん」

 夕美さんは、どこか寂しそうに、頷きます。

 満点かはともかく、それなりに良い表情は出来ている気はします。自分では、何が変だったのか分かりません。


 ――――。


 いいえ――それは、嘘です。


「肇ちゃんはさ……最近、お仕事、楽しい?」

「え……」


 夕美さんは、真っ直ぐ私の目を見ています。でも――。

 こんなに寂しそうな彼女の顔は、見たことがありませんでした。


「……もちろんです」


「違うなぁ……」

「えっ?」


「雑味があった……って感じかな」

 ふふっ、と小さい愛想笑いをして、また先ほどまでの表情に戻ってしまいました。

 コンコン、とドアをノックする音が、部屋に響きます。

 夕美さんが「どうぞ」と答えると、案の定Pさんでした。

「いやぁ~他社さんのお偉方がたまたま来ててさぁ、大変だったよ。ようやく解放されて……ん?」


 私達を交互に見て、Pさんはキョトンとしました。

「何だ、まだ着替えてなかったのか? 準備したら帰るぞ、俺先に車で待ってるからさ」
「うん」

 そう言って、早々に部屋を出て行ってしまいました。

「……Pさんってさ。大雑把っていうか、割と色々と気にしない人だよね」

 そう言って、えへへと笑った夕美さんは、やはりどこか寂しそうでした。


「ちょっと、トイレに行ってくるから……先に車、戻ってていいよ」
「……はい」

 夕美さんはゆっくりドアを開け、そのまま後ろ手に、パタン――と閉じていきました。


 雑味、か――。


  ――……もちろんです。


 押しつけがましい返答になってしまったと、後になって気づき、私は唇を噛みました。

1時間ほど席を外します。
大体半分くらいです。1時半頃までに終わる事ができればと思います。

 おかげさまで、お仕事は順調です。

 藍子ちゃんがMCを務めるラジオのゲストにも呼んでいただきましたし、この間は、ローカル局の旅番組にも出演しました。

 もちろん、夕美さんも一緒です。


 フレデリカさんや周子さんが急かすので、私もなるべく、ツイッターをやってみますが、ままなりません。

 皆さんのような、楽しい話題を提供することが、どうにも不得手です。

「ハジメちゃんのツイートに楽しくないことなんて無いよー♪ だいじょぶ気にしないで、アタシも気にしてないし」
「フレちゃんは色々気を付けた方がいいけどねー。例のクリスマスパーティー、だいぶヤバかったんでしょ?」
「んもーシューコちゃん、それは言わないデリカ☆」

 お二人は、いつも本当に賑やかで、楽しそうです。



 ――窯詰めの日が、刻一刻と、近づいてきます。

「仕事やレッスンを入れないでほしいだって?」

 事務室で、Pさんがビックリして私を見ました。


 約三ヶ月後、GWには、各事務所を代表するアイドル達による一大フェスを控えています。

 その善し悪しが、その後のアイドルの人気を左右すると言われるほど、正念場となるフェスです。

 光栄にも、私と夕美さんも、そのフェスに参加させていただくことが決まっていました。


「4月のこの日と、その前日の二日間だけです。それ以外なら、私も夕美さんも、ちゃんと頑張れます」

「あぁ、何だビックリした。ずーっとかと思ったぞ。まだ先の話だから、たぶん調整は可能だけど……あっ」


 Pさんが、頭をポリポリと掻いた後、私に向けて手刀を切りました。

「悪い。その前日の方だが、午前中だけグラビアの仕事が入ってるんだ。前々からずっと頼まれててさ」

「あぁ……大丈夫ですよ。それくらいは平気です」

 午前中の撮影なら、それほど時間はかからないだろうと、これまでの経験で分かります。

 昼過ぎの新幹線に乗れば、夕方か夜には、岡山に着くはずです。

「ん? その日……あー、私の誕生日だー!」

 後ろで聞いていた夕美さんが、大きな声を上げました。

「むふふー、ひょっとして肇ちゃん、何かプレゼント期待しちゃっていいのかなー?」

「えぇ、夕美さん。とびきりです」

 胸を張って答えます。絶対に――。

「ハッハッハ、何だよそういうことか。分かった、その日は俺が全力で死守しよう」

 ドンッ、とPさんが胸を叩きます。

「ただ、本番はしっかり頑張ってくれよ? フェスに出れなかった子らのプロデューサー達からも、俺プレッシャーかけられてんだからな」


 笑い合う私達――それから私は、夕美さんに誘われ――。

「何か、久しぶりだね」

 夕美さんの部屋で、フラワーアレンジメントです。


「そういえば、中に入れた鉢は?」

「あぁ……この間、一人で出し直しちゃった」
「言ってくれれば…」
「あぁごめんね! いいのいいの、こう、セッティングの仕方とか、考え込んですごく時間かかっちゃうし、付き合わせちゃうの悪いしさ」

 手を振って、夕美さんはことさら、大きな声で笑いました。

 何かを誤魔化すように――。

 最初と比べると、私もようやく少し、慣れてきたような気がします。

 夕美さんのように、あまり悩まず、感性で花の生けたい位置が見えるようになってきました。


 ――――。



 ――――。



 ――――――。





 ――私は、あまり自分から喋る方ではありません。

 一方で、この部屋で、こんなに沈黙が流れたのも、今までに無いことです。


 人のせいにする訳ではありませんが――夕美さんがずっと黙っているのが、その理由に違いありませんでした。

 そして、黙っている理由も、何となく分かります。

 彼女はおそらく、私の言葉を、待っているのです。


 夕美さんの方を、そっと見ます。

 夕美さんは、一見すると黙々と、自分の作業に集中しているように見えます。

 しかし――やはりどこか、精細を欠いているようでした。

 手の中で花をモジモジと回したり、紅茶に手を伸ばそうとして引っ込めたり、落ち着きがありません。


「夕美さん」

 私は、この沈黙が、耐えられませんでした。

「ありがとうございます。お気遣い、いただいたようで……」

 私に言いたいことがあるはずなのに、それを隠している夕美さんに、イライラしてしまいました。


 そして、それ以上に――自分の気持ちを押し殺し、夕美さんに社交辞令じみた皮肉を言う自分に。



 ――とうとう、手が止まりました。

 私の方から、手を動かす音すら聞こえなくなったのを感じ取ったのでしょう。

 やがて夕美さんの手も、止まりました。


「肇ちゃん」

 夕美さんの、こんなに小さい声は、初めて聞きます。

「ごめんね、変な気を回しちゃって……緊張、してるんだろうなって、思ったからさ」


「えぇ、そうですね」

 私は、努めて冷静に、言葉を選んで、彼女に答えます。

「何せ、私達の今後のアイドル人生を占うフェスです。しっかり研鑽を積んで…」

「ウソ」

「……え」


「肇ちゃんが、そんなに気負っているの、フェスのせいじゃないでしょ?」

 ――――。


 しばらく、沈黙が流れ――。

「……はい」

 観念したように、私が返事をすると、夕美さんは息を一つ吐きました。

「言い辛いことだったら、何も言わなくて、いいよ。言えるようになったらで、いいから」

 夕美さんも、とても言葉を選んでいるような――いや――。


「ただ……肇ちゃんを追い詰めているものが、私のせいじゃなければ、いいなって……」

 単純に、とても声が小さくて――まるで、必死に泣くのを堪えているような、そんな声でした。


「ごめんね……自分でも、自意識過剰だ、って思う」

「いえ……! ……私こそ、すみません」


 ――――。

 ――外で、電車の走る音が聞こえます。

 冬はとても日が落ちるのが早く、まだ17時にもなっていないのに、辺りはすっかり暗くなってきています。


「……今日は、そろそろ失礼します」

「そうだね……明日も、早いしね」

 私の住んでいる寮は、夕美さんの家から30分も離れていません。


「今日は、あの……本当に、すみませんでした」
「な、何言ってんの! 私こそ、何だかごめんね。ヘンだったよね」

「いえ、本当に……でも、これだけは、言わせてください」


 私は、たぶん今日初めて、夕美さんの目をしっかり見ました。

「私の気負いは、夕美さんのせいでは、決してありません。いつか……ちゃんとした形で、お見せします」


「ありがとう、肇ちゃん」

 別れ際、夕美さんはようやく、穏やかな笑顔を見せてくれました。

 それからおよそ一ヶ月後――夕美さんから、お誘いを受けましたが、初めて断りました。


 ちょうど、窯詰めの日だったからです。



 夕美さんは――何も言わず、了承してくれました。

 いつもお世話になっている窯元は、山奥にある実家の工房から、車で麓まで降りて20分ほどの所にあります。

「おう、藤原さん」

 窯元のご主人は、車から降りたおじいちゃんの側へ歩み寄り、握手を交わしました。

「今日はワシのだけでなく、孫のモンもひとつ面倒見て欲しい」
「分かってますよ、むしろそっちが本命でしょ?」

 チラッと、ご主人がおじいちゃんの後ろに目をやります。


 それを両手に抱え、モソモソと車から降りる鈍臭い私を見て、ニヤッと笑いました。

「肇ちゃん、しばらくだね。雑誌見とるよ、全国ネットに出るのもそろそろかい?」

「私は……いえ、今日はそんなことより」
「ハッハッハ、分かっとる分かっとる」


 それを渡すと、ご主人はまじまじと見つめ、ため息を漏らしました。

「ほぉ……いや~若いコの感性ってのぁ、さすがにすごいね。どう焼き上がるか楽しみやわ」

 窯元さんの登り窯には、4つの部屋があります。

 一番下の部屋にくべられた薪火の熱が、順にその上層、陶器を詰めた部屋をかけ登り、煙突を抜けていくのです。

 主な燃料となるのは、油分の多い、岡山県産の赤松の割木を、およそ10トン。

 10日間、昼夜を通して薪をくべ続ける、大変な作業です。


 そして、窯炊きと同じくらい重要となる工程が、今日の窯詰めです。

 作品を窯のどの位置に、どの向きに置くか。縦に置くか横に寝かせるのか。

 熱のかかり方だけでなく、灰の飛ぶ位置も考慮するのは、それによって焼き物にかかる模様も変わってくるからです。

 二つとして同じものが生まれないこの模様は、窯変(ようへん)と呼ばれ、備前焼の大きな特徴の一つです。


 やり直しのきかない、一発勝負――そして、狙った通りに窯変を起こすこともできません。

 いかに焼き上がりをイメージし、作品を詰めていくか、慎重に検討するため、窯詰めだけでも一週間近くかかります。

 でも――。

「もうちょい火元の近い所に置くか?」

 ご主人は、私の作品を優先的に配慮し、詰めてくださいました。

「い、いいんですか?」
「だって大事なモンなんでしょ? こういうのは図々しくやったもん勝ちよ、気にすんな」

 ご主人は豪快に誘い笑いをしながら、しかし、とても真剣に微調整を繰り返します。

「あまり近いと、割れるかもしんねぇな。厚みも均一じゃないようだし」

「すみません……」

「いや、こういう冒険しまくってる作品、オレぁ好きだ。良いモンになるといいな、藤原さん」

 そう言って、ご主人はおじいちゃんに同意を求めましたが、

「知らん」

 と、無愛想に返します。もう、せっかくお世話になる窯元さんに、なんて態度っ。

「ワハハハ。あのジイさんが壺を割る音を目覚まし代わりに、オレらぁ育ったようなもんだ。
 今更いいってことよ。さて――」


「ここで、いいかな?」

 最後のチェックです。信頼のおける窯元さんが、入念に調整してくださった位置と向き。

 文句の付けようがありません。私は、大きく頷きました。

「はい」

 4月になり、学校も新学期が始まりました。

 アイドルである私がどのクラスになるのかは、校内の先生や生徒達にとって、高い関心事でもあったようです。

 昨年、仲の良かった子達とは――良かった、同じクラスです。

 どうしても休みがちになりますので、また、ノートを写してもらわなくてはなりません。

 お仕事でも学校でも、地元でも、私は他の方々のお世話になってばかりです。


 そして、フェスに向けたレッスンも佳境が近づくとともに――。


「どうした、藤原っ! 半拍遅れているぞ!」


 夕美さんの誕生日が――窯出しの日が、すぐそこまで迫ってきました。


「らしくないな、何をボーッとしている……おい、聞こえているのか藤原!」

「は、肇ちゃん……?」

「トレーナーさんが心配していたぞ。あんなに集中力の無い肇は初めて見るって」

 椅子から立ち上がり、Pさんは私の前で少し屈んで、私の顔を心配そうに見つめました。

「調子悪いようなら、無理しなくていいぞ? 俺から他の子達に代役頼むから……」


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 予定した新幹線に乗れるなら、何も問題はありません。

 踵を返し、足早に事務所を出ます。

 さっさと終わらせないと――。

 その日のお仕事は、旅行雑誌に使われる写真の撮影でした。

 普段着のまま、等身大の女子大生としての快活な格好で臨む夕美さん。

 一方、それとは対照的に、私は着物姿です。

「うわぁ、いいねー肇ちゃん、すっごく似合ってる!」

 浴衣とかは普段でもよく着ていましたので、着物は私としても特に抵抗はありません。


 数点、撮影するだけと聞いているので、おそらく1時間程度で終わるでしょう。

 岡山へ向かう新幹線の時間までには、十分間に合います。


 とうとう、この日が来たのです。



「えっ……機材トラブル?」

「?」

 スタッフさん達が、バタバタと慌ただしく動き回っているのが見えます。

 準備は終わっているので、こちらはいつでも撮影は可能なのですが――。


「す、すみません。ちょっとカメラマンさんの機材に不具合があったみたいで……。
 換えのパーツというか、カメラそのもの? を調達するのに結構時間かかっちゃうみたいなんですよ」


「え、えぇ!?」

 思わず、私は現場のスタッフさんに問い質します。

「時間かかっちゃうって、どれくらいですか!?」

「うえぇ、と……どれくらいかな。たぶん行って帰ってだから、2時間くらい…」
「2時間……!」

 今は10時。新幹線は、13時過ぎに東京駅を発ちます。


「最悪、自由席になっちゃうけど、一本後の新幹線に乗る?」

 私の心中を察した夕美さんが、コッソリと提案してくれます。が――。


「絶対に、絶対にその時間までにはお仕事を終えたいんですっ!」

「そうは言われましてもぉ……今日来てくれるカメラさん、なかなか忙しくてですねぇ。
 今日中に撮らないともう原稿の納期にも間に合わないんすよ」

「こっちだって、今日は外せない大事な用事が……!」

「肇ちゃんっ」

 夕美さんの弾くような声に、私はハッと振り向きました。


「スタッフさん達も一生懸命なんだよ。私達だけが、ワガママ言っちゃダメだよ」


「……はい」


 とにかく、時間まで待つことになりました。

 ――できる限り、です。

「! …………ッ! ……」



 遠くでスタッフさん達が奔走する声を聞きながら、スタジオの隅の椅子に腰を下ろし、ジッと堪えます。

「たまたま近くに来てる代わりのカメラマンさんが捕まらないか、探してたりするのかな」

 夕美さんが、私を慰めるように、ボソッと独り言を言います。


 チラッと、時計を見ました。

 11時10分――ここから東京駅までは、1時間ほどかかります。

 撮影に割ける時間が、どんどん削られていきます。

 どうか、早く――。



「えっ……えっ、ちょっと待って、あと2時間!?」

「!?」

「いや、勘弁してくださいよ! もうこっちスタンバってんすよ!?」

 スタッフさんが必死に電話で誰かと話しています。

 非常に、良くないことが起きているのは、傍目にも明らかです。


「そんな……わ、分かりました。とにかく急いでください、CGプロさん達も限界っぽいので」

 電話を切り、大きくため息をついて、スタッフさんが私達に駆け寄ってきました。


「あのぉ、本当にすみません非常に言いにくいことなんですけどぉ……なんか、踏切で事故があったみたいです。
 すごく渋滞してるみたいで、しかも迂回できないみたいなんすよ。それで、あとぉ2時間以上…」


「もういいです」

 私は、席を立ちました。

 えっと声を漏らすスタッフさん。慌てて、夕美さんが私の肩を手で押さえます。

「私達……いいえ、私にとって、どうしても譲れないんです。今日だけは。
 すみません。どうか分かってください」

 スタッフさんが必死な顔で食い下がろうとしますが、どうしても話を聞く気にはなれません。

 こうしている間にも、時間が――!

「い、いやいやいやマジですみませんって! 俺達、今日の企画成功させないと色んな人達に迷惑が…!」

「迷惑っ……私達への迷惑は、どうでもいいんですか!? さっき私、ちゃんと…!」

「落ち着いて肇ちゃん! 待ってあげようよ。いくらなんでも、さすがにそういうのまずいよ!」


「だって……だって……!」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、何が何だか分かりません。

 子供の頃の、大声で泣く私――おじいちゃんの手を何度も払った記憶が、今の私に重なります。

 どうしようもなく身勝手なのは、分かっています。

 信用を売り物にするこの業界で、依頼された仕事を放って私用を優先させたと知れ渡ったらどうなるのかも。

 でも、逸る気持ちが、どうしても抑えられません。私は――。

 私は、アイドルである以前に、藤原肇という個の人間なんです。

 選択をしろと言われれば、私は迷わずアイドルの自分を捨て、すぐにでもあれを迎えに行きます。

 納得を迫る理性と、子供じみた感情がない交ぜになり、それが溢れ出るのを堪えることができません。


「あんまりです……私は、ただ……なのに、ずっと……!」


 夕美さんの――大切な人の、今日のために、ずっと――!

「は、肇ちゃん……」



「ヤッホー☆ 呼ばれてないのにフレデリカー♪」

「へ……?」


「いや、呼ばれたから来たんやん」

 満面の笑顔で手を振るフレデリカさんと、その後ろで呆れたように腰に手を置く周子さんがそこにいました。


「ど、どうしたんですか?」

 夕美さんが聞くと、周子さんは――。


「夕美ちゃん達のプロデューサーさんに頼まれてさ。
 女子大生と和服美人、ってコンセプトなら、ウチらでもいけるかなって。スタイルもそう変わんないし」

「髪色的にもフレちゃん、割と夕美ちゃんっぽいでしょ?
 いやー持つべきものはおフランス産のナチュラルキューティコーだよねー♪」


「Pさんが……?」

 以前から、私の様子を心配していたらしいPさんは、予めフレデリカさん達に代役を頼んでくれていたのです。

「ほれほれ、時間無いんでしょ? 肇ちゃん、さっさと脱げ~い!」
「えっ、うえぇ!?」
「ここはCGプロが誇るナンバー2和服美人のシューコちゃんに任されよう。ちなみに高いよ?」

「よいではないか☆よいではないか」
「い、いや私これ私服だから! フレデリカちゃんはそのままでいいんだって!」 
「ンー? じゃあ後でね?」
「何が!?」


「あ、ありがとうございます! どうか、どうかよろしくお願いしますっ!」

 スタッフさんが、ほとんど土下座もせんとばかりの勢いで二人に頭を下げます。


 お二人がその場を引き受けてくれたおかげで、私達はそのまま東京駅へ向かい、予定された新幹線に無事乗ることができました。

 東京駅から岡山駅までは、およそ4時間。

 そこから在来線に乗り継ぎ、私の家には着くのは、たぶん夜になるでしょう。


「…………」

 しばらく私達は、無言でした。

 夕美さんも、先ほどのこと――私が、醜く騒いでしまったことには、触れないようにしてくれていました。


「…………」


 でも、やっぱり――そういうのは、良くありません。


「夕美さん……」

「ん?」


「ごめんなさい……自分でも、信じられない我が儘を、してしまいました」

 冷静になれば、この新幹線にこだわる必要なんて、無かったんです。

 多少遅くなろうと、何本か遅らせてでも、今日中に――いや、明日でも良かった。

 家に着くことさえ出来れば良かったんです。なのに――。


「ううん」

 夕美さんは、首を振りました。

「あんなに感情的になった肇ちゃんを見たの、初めてだったから、少しビックリしたけどね」

 えへへっ、と――俯きながら、夕美さんは少しだけ、笑いました。


「他の人達に迷惑をかけたのは、良くなかったけど……肇ちゃんにも、しっかりした考えがあってのことだって、私、知ってるもん」


「……しっかりだなんて、とんでもありません」

 本当に、自分勝手でしか――。

「しっかり屋さんだよ、ちゃんと。肇ちゃんは」

「えっ……」

「ここ最近、ずっと口数が少なかったのも……一生懸命、我慢していたんだよね」

 夕美さんは、そっと私の手を取りました。

「口を開くと、抱えてる不安とか、不満とか、嫌な言葉をふとした拍子で皆にぶつけちゃいそうで、それが怖くて……だから、我慢していたんでしょう?」


「肇ちゃんは、ずーっと私や、皆のことを想ってたんだね……よく、我慢してきたね」



 私は――目を瞑り、黙って首を振りました。

 違いますと、言おうとしましたが、言葉が出ません。

 夕美さんは、窓の外を見ています。

 私の方を、見ないようにしてくれています。


 静岡を過ぎました――たぶん、そろそろ窯出しが終わった頃でしょう。

 最寄り駅に着く頃には、辺りは真っ暗でした。

 予め待ち合わせをお願いしていたお父さんの車に急いで乗り込み、家に向かいます。

 夕美さんを乗せて家に行くのは、何度もありましたが、こんな遅い時間に行くのは初めてです。

 いつもと違う、街灯が無い真っ暗な山道を登る間、夕美さんは少し緊張しているようでした。

 そして、私も――。


 いよいよ、その時が近づいてきます。

 あぁ、家が見えた時――ようやく、私は気がつきました。


 その先に待っているのは明るい結末であると、信じて疑わなかった。

 その時が近づくにつれ、黒い不安が膨れあがり、抑えきれなくなっていることを。

「私、居間で待ってた方が、良いのかな?」

 私の目的が工房にあることを、夕美さんはとっくに察していたようです。

 私は、車を降りて、無言で頷きました。


 その時、玄関のドアが開き、おじいちゃんが出てきました。

「おう……ご苦労だったな」

 工房の方へ、顎を向けます。

 私は、やはり無言で頷いて、足早にそこへ向かおうとすると、

「肇」

 と、おじいちゃんが呼び止めました。


「イムラさんがな……お前に、すまん、と」



「えっ」

 ――――。


 ――それは、素晴らしい出来映えでした。

 私が思い描いた非対称性が、篦目が、陰と陽が――そして、想像以上に見事な窯変が、さらなるアクセントを与えています。

 備前の陶芸に携わってきて、備前焼を好きで良かったと、心から思える代物です。



 大きなヒビが、それの背面――ステージの壁をイメージした箇所に入っていたことを除いては。

 誰もいない、ひんやりとした工房で、私はそれを手に持ち、しばらく立ち尽くしていました。

 放心状態と言っても、良かったかも知れません。


 焼く前から、窯元のご主人が懸念されていたことではありました。

 そこは厚みが他より少し薄く、耐力的にも脆い箇所です。

 しかし、厚くすればかえって重たくなり、バランスが悪くなって後ろに転がってしまいます。

 それより、元々不安定な形状であるため、焼き上がり後、冷ます間の収縮が不均一となってしまった可能性もあります。

 つまり――どうやったら防げたのかは、今の私には分かりません。


 窯元さんのせいではありません。単に、私のこだわりのせい。

 私の技量不足です。

 急に、自分がすごく、恥ずかしくなりました。


 おじいちゃんの言うとおりです。

 私は結局、どこまでも独りよがりだったのです。

 この作品に与えたコンセプトだけでなく、無理を言って窯元さんに窯炊きをお願いしたのも。

 今日ここに来るまで、一人で気負って、色々な人を不愉快にさせて、迷惑をかけたのも、全部。


 夕美さんへのプレゼントを建前に、私の自分勝手を、通したいだけだったんです。


 それが――こんな――!

 こんな結果になるなんて――!

 私は一体、何なんでしょうか。



 私は、それを両手に持ち――。


 高く――高く掲げ――。





 ――――ッ。

 ッ――――。



 ――――――。





「肇ちゃん」

「…………夕美さん」


 いつまで経っても工房から出てこない私を、心配したのでしょう。


「…………」

 彼女は、私の様子を見て、全てを悟ってくれたようでした。



「……お願いが、2つだけあるんだけど、いい?」

「お願い?」


「まず…………それを一旦、置いてもらえるかな」

「…………」

 言われた通り、机の上に置きます。

「ありがとう。それから……あぁ、ごめんね。2つじゃなくて3つだったね」


「涙を拭いて」


「…………」

「うん…………ありがとう」



「じゃあ、最後のお願い……少しだけ、語ってもいいかな?」

「えっ?」


「この間みたいに、熱くなっちゃうかも知れない……何言いたいのか、分かんなくなっちゃうかもだけど」

 この間――たぶん、お花が好きだと語った時の、あのことを言っているのかと直感しました。

「どうぞ」

「えへへ……ありがとう」


「ガーデニングを、しててね? 私……んーと、さ。とにかく花が好きなの。それは、本当に」


 夕美さんは、手を後ろに組んで、下を向きました。

「色んな花があるんだけど、皆大好き。だって、皆生きてるから。精一杯、頑張ってるから。
 私も、そんな子達のために、お世話している時、あぁこの子達の生に寄与してるんだーって。
 この子達のために、私もいるんだーなんて。自分がすごく、素敵で優しい人になれたように思えて」

 その通りです、と言おうとした所で、夕美さんは言葉を切りました。

「でも……」


「そんなの、正しくないの。本当は、全然違うんだ……綺麗事の、上っ面なの」

「上っ面?」

 私には、夕美さんの言うことが、よく分かりません。

「花を生かすために、私は何度も選択をしなくちゃいけないんだ」

「選択……」

 夕美さんは、天井を見上げ、大きく息を吐きました。

「数えきれないくらい、何度も、何度も摘み取ってる」


「綺麗な花を咲かせるために、その妨げになる雑草を、たくさん摘み取っているの」


 ――言いたいことが、少しずつ見えてきたような気がします。


「おかしいよね。すっごい矛盾してるじゃん、って自分でも思うよ。
 生きてる元気をもらえるとか言って、綺麗な花を咲かせる方を可愛がるくせに、その横に生えてる10や100の雑草を殺すんだよ」

「今まで、どれだけの命を奪ったのか、分かんないくらい、たくさん殺したよ」

「仕方が無いことです」

「そう言って、簡単に片付けられればいいんだけどね」

 夕美さんは、笑いました――やはりそれは、初めて見る笑顔です。

 とても悲しそうな笑顔でした。


「可愛い子を選択したら、それ以上の命を捨てなくちゃならない。
 すごく残酷なことをしてるって自覚が無いと、私にとって、それはガーデニングじゃないの。きっと……」


 夕美さんは、机の上に置いてあるそれを、指差しました。

「きっとそれの中でも、私は、同じことをすると思う。
 ステージの上で、自分の好きな可愛い子を生かして、そうじゃない子達を切り捨てる」


「まるで、アイドルの世界みたいに」

「……ッ!」

「奇遇だね……私、ずっと似てるなぁって思ってた。
 アイドルも、こんな感じなんだろうなぁって、それがさ……その植木鉢、ステージそっくりに見えてさ。
 私がずっと直面して、思い描いてきた世界、そっくり」


「私、雑草になりたくない……でも、雑草だと言われて、切り捨てられた子達も、ずっと多いんだよね」


 ――何を言ったら良いのか、分かりません。

 夕美さんは、私よりもずっとこの世界の過酷さを、ガーデニングを通して既に受け止めていたのです。



「……えへへっ、やっぱり、何か変な風になっちゃったね。でもね?
 やっぱり私、それでもガーデニングは好きなの」

 もう一度、笑いました――心なしか、先ほどよりも、明るくなっています。

「だって、選択をしたら、それを大切にしなくちゃって、思えるから」

 ちょっと俯いて、首を振って、また顔を上げます。

「省みたらいけないと思うの。捨てちゃった子達のことを省みたら、その子達が余計に可愛そう。
 ……ううん、そんなの、言い訳でしかないし、私の勝手な思い込みだよ。でも……そう思うようにしてる」


 夕美さんは、後ろに組んでいた手を、胸の前で握りしめました。

「その子達を犠牲にした分、ちゃんと自分で選んだ子達は、しっかり咲かせてあげなくちゃって。
 綺麗に、輝かせてあげなくちゃって。そうでなきゃ、その子達を捨てた甲斐が無いもの!
 自分の身勝手な選択を、自分がちゃんと受け止めなきゃ、ダメだよって! 私、ずっと思うの」


「自分の選択を……自分だけは、肯定して、大切にして、しっかり生かさないとって……私、思うんだ」



「…………」

「……あっ、えへへ……ごめんね! 何が言いたいんだって話だよね!? よし、ごめんごめん!」

 顔をゴシゴシと拭いて、夕美さんはピシッと気をつけをしました。

「結論を言います!」

「私は、肇ちゃんには、それを割ってほしくありません」


「……はい」

 何となく、ホッとしました。

 それは、そうだろうなと思います。自分へのプレゼントを――。

「あっ、ううん! ウソウソ、今の正しくない。言葉が足りないな、えーとね……」

「えっ?」



「肇ちゃんには、私のために、それを割ってほしくありません」

「……夕美さんの、ために?」

 夕美さんは、鼻を鳴らしました。なぜか、どこか得意げです。

「それを割るのも、割らないのも、肇ちゃんの自由だよ。
 どっちを選択したとしても、私はそれを尊重する。でも……」


「誰かのためとか……もちろん、誰かのせい、っていうのもダメ。
 他の人の器に自分を嵌め込んでいったら、どんどん“肇ちゃん”じゃない、丸っこくて特徴の無い、普通の人になっちゃうと思う」

「器……」

「ううん、変なこと言ってるなぁ……でも、言いたいこと、きっとそういうことなの。
 肇ちゃんは、誰にも媚びたり、阿るようなこともしない、しっかりした器?“肇ちゃん”っていう個を持っていて、私はそれが大好き」


「だから……」

 大きく深呼吸をして、夕美さんは私の目を、もう一度見ます。


「肇ちゃんには、絶対に私や誰かのためじゃなく、自分のために選択をしてほしいの。
 そして、その選択に誇りを持って。絶対、私だけは肇ちゃんの味方だし、何があってもその選択を尊重するよ。ねっ?」

「夕美さん……」

「自分で選ぶから、自分が一番それを大切に出来るんだって、思うから」


 夕美さんは、今日一番の――。

 いえ――いつか見て、今まで少しだけ忘れていた、とても眩しい笑顔です。


「凜としてて、しっかり屋さんで、でもちょっとだけ頑固で、視野がアレしちゃう、真っ直ぐな子――。
 私が好きな、雑味が無い肇ちゃんでいてほしいから、自分のために、それを選択してほしいんだ」


「…………」

「あれ? 返事は?」

「ふふ……」


 涙を拭いて――負けないくらい、しっかりとした笑顔で返します。

「はい」


 私も、そういう雑味の無い自分――いえ、そうあろうとする自分。

 そして、それを好いてくれる夕美さんが、好きです。

「あはは、それそれっ! うん、よろしい!」

「はい……それと」

「お誕生日、おめでとうございます、夕美さん」

「言うの遅くない? あはははっ!」

「ふふっ……」


 どんな自分でありたいか。

 それを見出すために、自分のための選択が必要なのだと、彼女は教えてくれました。


 ありがとうございます。夕美さん。


 私は、夕美さんに頷くと、改めてそれに向き直り――。

 大きく、深呼吸をして――。



 両手で持ちました。


  ***

  ***

「……肇ちゃん? おーい、肇ちゃん」

「えっ?」


「えへへっ……肇ちゃん、結構ボーッとしぃだね?」


 本番直前にも関わらず、少し、あの時のことを思い出していたようです。

 舞台袖に立つと、会場の地鳴りのような歓声が、すぐそこまで聞こえてきます。

「夕美さん」

「ん?」


「これからも、よろしくお願いします」

「……うん! こちらこそ、よろしくね、肇ちゃん!」

「はい」

 どちらともなく手を差し出し、ぎゅっと、握りました。

 結局、私はそれを、割ることが出来ませんでした。


 どこまでも独りよがりで、我が儘を通したそれは、夕美さんへの誕生日プレゼントである以上に、私そのもの。

 雑味ばかりの、未熟な私そのものでした。

 我が身可愛さとは、このことでしょう。

 夕美さんにそれをプレゼントすると、彼女はとても喜んでくれました。

 何だかんだで、やはり割らないことを願ってくれていたのだと思います。

 その日から、ちゃんと花を生けて、玄関に飾ってくれています。


 でも、もし今後、自分が作り上げていくそれを、私が――。

 藤原肇がそれを割る日が、いつか来るとしても――。

 今の私なら、それを素直な気持ちで肯定し、大切にすることが出来ると思います。

 夕美さんがいてくれるなら、きっと――。

 すぐそこに見える会場を、満員のお客さん達を見つめます。

 なぜこの人達が今日ここに集まり、期待に満ちた声を上げてくれるのか。

 何を期待されているのか。そして――私達はなぜここにいて、それにどう応えるべきなのか。


 私と夕美さんが、これからも選択を繰り返しながら、見出していく道。



「見極めました。行きましょう」

「うん!」


 私達は、輝くステージに飛び出しました。


~おしまい~

この二人は何となく仲良さそうだなぁと思いながら書きました。
ただ、キャラだけでなく、備前焼等の専門的な話についても不勉強が多いです。
変なところがあったらすみません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、失礼致します。


良かった



相葉ちゃんはやっぱり、笑顔で誰にでも優しい子であるのが似合うなぁ

良かった・・・乙

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