食蜂「さよならが迎えに来ること」 (102)



・上食…と上琴


・☆を倒して1年後


・インさんはイギリスに帰った


・歌ネタを取り入れた、夏の恋物語です


・OKならどうぞ!



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…………………………。



首筋に垂れた一筋の汗が、蜂蜜色の匂いをふわりと巻き上げ、上条の鼻腔を通り過ぎた。彼は恥ずかしそうに彼女から目を背ける。



上条の視線の先には、点々と立ち並ぶ屋台の灯り。わたあめを作る機械の音。イカ焼きの煙、並んだお面、浴衣を着た人々。騒がしさと煙と熱が流れては、めまぐるしく入れ替わっていく。



彼はもう一度彼女の方を見た。蜂蜜色の長い髪を後ろでくくり、赤い花が施された簪でまとめた彼女。白い菊の絵が施された黒い浴衣を、白の帯で包んでいる彼女。そんな彼女は、頭を抱えてその場で固まっていた。





「おいおい。そんなベタなリアクションとりますかね?」



「う、うるさい! 思った以上に冷却力が高かったのよぉ!」



涙目で彼女は上条に訴える。彼女の左手に握られた、半分ほど残ったレモン味のかき氷が、少しずつ液状になっていっている。



やれやれといった顔をしていると、不意に彼女の視線が少し上に上がったことに気づいた。上条は後ろを振り向く。



同時に、上空に大きな花火が咲き乱れた。ドォンという音が、いくつもの光の線を連れて地上に降り注ぐ。





「おー。始まったか」



ぶっきらぼうに上条はいった。先ほど上がった一発につられ、次々と夜空に色取り取りの花火が上がっていく。



「ねぇ」



彼女の声に彼は振り向いた。彼女は少し顔を赤らめ、胸に秘めた想いを発する。



「来年も、また一緒に来てくれない?」



彼女の問いに、上条は笑い、彼女の顔に近づく。縮まる距離に連れて、彼女の胸に湧き出た予感が顔の紅潮を増していく。





「へ、ちょ、あの」



彼女は覚悟し、思いっきり目を瞑った。だが彼が触れたのは髪だった。軽く触れた指の感触につられ、彼女は目を開ける。



「てんとう虫。お前の頭についてたぞ」



上条の右手の人差し指の先に、てんとう虫が張り付いている。彼女はため息を吐いた。すると、てんとう虫は羽を広げ、花火に吸い込まれるように夜空へ飛び立っていった。



それを見届けけて、彼は言う。



「当たり前だろ。また、来年もよろしくな」





不意に吹いた夜風が、彼女の後ろにあった屋台の風車たちをカラカラと回した。彼はまた花火を見始める。



「上条さん」



彼はまた振り向いた。すると目の前に、ストロースプーンに乗ったかき氷が添えられていた。思わず口を開けると、彼女は素早くそれを口の中に押し込み、するっとストローを抜く。



「……お前」



上条は呆れ顔と恥ずかしさの混じった表情を浮かべる。対する彼女は、華やかな笑顔でこう言った。



「来年も、よろしくねぇ」








この数日後、上条は瀕死の重傷を負い、彼女を記憶出来なくなる。






これは、そんな悲劇とは無縁のポートレート。






甘く愛しい、花火のような淡い一瞬。












オレンジ色の光が窓から差し込む、常盤台中学の寮の一室。御坂美琴は後輩の白井黒子に見守られ、浴衣の着付けをしていた。



「よいしょ」



蝶のように広げた浴衣の、右側の浴衣の端を腰に持っていき、余った左側をグイッと引っ張る。整えた左右の軸のバランスを崩さないように浴衣を巻いて行くと、彼女の腰のラインがくっきり浮かび上がってきた。



「よっしゃ。後は……」



着崩れ防止の紐を腰に巻き、おはしょりを作り、襟を整える。整えた上半身を支える紐を巻いた後、その上から帯を蝶結びで巻いていく。





「出来たっ。黒子どうかな?」



前側で整えた蝶結びを後ろに移動させ、美琴は黒子の方を向いた。白地の浴衣にあしらわれた紫の藤と帯が、彼女に少し大人びた印象を植え付けさせる。



「ええ。それでいいと思いますの。しかし、お姉さま張り切ってますわね」



少し低めのトーンで黒子は呟いた。彼女も既に緑の浴衣に身を包んでいる。



「ん? ま、まあね。アイツも、誰かを祭りに誘うなんて始めてだって言ってたから」



黒子から目を背け、薄く頬を染めながら美琴は唇にグロスを塗る。不意に視線を黒子に移すと、その瞳に涙が溢れ帰っていた。





「え? く、黒子?」



「うう……お姉さまのその麗しい姿をこれからあの類人猿に独り占めされると思うと、悔しくてなりませんの~~!!! お姉さまぁ~~!!!」



黒子は泣きながら美琴に抱きついた。美琴は困惑しながらも、彼女の頭を撫でる。



「そんなに言わなくても……大丈夫よ。花火の時はみんなで見るつもりだし。だから、そ、それまでアイツとってことだし」



「いいえお姉さま! 今の類人猿は油断できませんの! この1年で着実にお姉さまと距離を詰めてきた今、お姉さまと2人きりになんてしたら……アァァァッーーー!!!」



「ちょ、うるさい! 寮監に気づかれちゃうでしょ! ほら、早くテレポートして。行くわよ」



頭を抱え奇声を発する黒子を宥めながら、美琴は彼女と共に寮を抜け出した。









息を吸うと、鼻に流入したぬるま湯につけたような空気が、全身を汗ばませる。上条はその感覚を打ち消すように、手にした いちご味のかき氷を頬張った。



「うおっ! ァアーッ! きたきたきたきた来ましたよー」



「やかましい。かき氷くらい黙って食えんのかお前は」



隣から15センチサイズの元魔神、オティヌスのツッコミが入る。彼女は上条家の飼い猫、スフィンクスの背に乗っている。2人は祭りの屋台が並んだ場所から少し離れた、河原のほとりのベンチに座り、先ほど購入したかき氷とペットボトルに入ったお茶を側に置き、美琴が来るのを待っているところだ。





「そんなに言うんなら食べてみなさんな。ほれ」



上条はペットボトルのキャップを開け、そこに掬ったかき氷を乗せオティヌスに渡した。どこで買ったのか、彼女用の小さなスプーンまで付けてきている。



「しかし、このペットボトルのキャップは、さっきまでお前が飲んでいたやつのそれだよな? つまりこれは間接キ」



「オイオイ! そんな細かいとこまで意識してねぇよ! いらないなら別にいいよ」



「誰がそんなこと言った! 食うに決まってるだろ!」



オティヌスはキャップに乗ったかき氷を食べ始める。悪くないな。などと呟く彼女を横目で見ながら、上条は自分のシャツを引っ張る。





白地に緑のラインを敷いたTシャツに、ベージュの短パンと履き慣れたスニーカー。いかにも金欠の学生らしい、色気のないファッションに思わず苦笑した。インデックスもイギリスに帰り、金銭的にも余裕が出たので今度いい服を買おう、なんて思った。



「なあ」



かき氷を頬張るオティヌスが彼に問いかける。




「お前、本当に決めたんだよな?」



冷静な声で発されたその質問に、彼もまた落ち着いて返す。



「ああ。何だ? 妬いてんのか?」



「だな。正直悔しいよ。だが、お前が悩み、想いやった末に決めた相手だというのなら、私は是非応援したい」





それに、とオティヌスは付け足す。



「お前の中に、私の存在はちゃんと根付いている。それが分かるだけでも私は幸せだよ。デート、楽しんでこいよ」



そう言ってオティヌスは微笑んだ。上条もそれに釣られて微笑み返す。



「ありがとなオティヌス。やっぱりお前は、俺の最高の理解者だよ」



「何を今更」



そう言って次の一口を口の中入れたオティヌスだったが、そこで異変が起こった。





「うおっ?! 何だこれは。あ、頭が痛い! 理解者っ! 何とかしてくれ!」



うめき声を上げだしたオティヌスを見て笑い、上条は彼女の頭を人差し指で撫でた。彼女の下のスフィンクスが欠伸をする。



「少しは俺の気持ち分かってくれたか? これが夏の風物詩だよ」



「な、なるほど……。まさかデンマークでマイナス15度を体感した私がこんなものにやられる日が来るとはな」



未だ頭を抱えて項垂れるオティヌスを、上条は指先で撫で続ける。すると、背後に気配を察知した。





「何イチャついてんのよアンタら」



上条は顔を青ざめさせ振り向く。浴衣姿の御坂美琴が、鋭い瞳でこちらを睨んでいた。その隣には憎悪に滾った目で同じくこちらを睨む黒子がいる。



「み、御坂さん? これはですね、いわゆる応急処置的な奴でして、決してそんな思惑があったわけでは」



「それが今から女の子と2人で遊ぼうとする男のやること? ほんっとデリカシーないわねアンタって」



美琴はフンと鼻息を鳴らし、そっぽを向く。



「美琴! すまん! この通りだ! 今日は何でも奢ってやるから堪忍してくれ!」



上条は彼女の前に立ち、両手を合わせ頭を下げる。彼女はそんな彼を横目で見ながら、少し笑った。





「か・み・じ・ょ・う・さ・ん?」



2人の間に、眉間に皺を寄せた黒子が割って入る。上条は慄き半歩後ずさった。



「今日はくれぐれも、節度を持ってお姉さまと遊んでくださいまし。もし妙なことや邪な感情が垣間見えた時は、いつでもこの黒子が成敗してやりますの。風紀委員の腕章にかけて」



「随分と私情で使うんだなオイ! そ、そんなに睨まなくても変なことなんて考えてねぇよ。なあ?」



「へ? え、ええ。そうね、アハハハハ」



彼の質問に、美琴は頬を染めて目を背けながら笑った。そして、行くか。と言った彼は彼女を連れ、屋台の灯りの方へと歩いていった。



2人の背中を黒子は目で追う。その瞳はどこか取り返しのつかない状態のものを眺めているような悲壮感を漂わせていた。





「お前、あの女の後輩のようだな」



黒子は左横を向いた。スフィンクスに乗ったオティヌスが、かき氷を食べながら自分に問いかけてきていた。



「心配せずとも、あの男はお前が思っている以上にずっと強いし、一本筋のある奴だよ。相手の気持ちを無視して妙なことなど起こすことなどあり得ない。私が保証する」



「は、はぁ……」



黒子は反応に困った声でそう返す。



「さて、花火が上がるまで適当に彷徨くとしよう。行くぞスフィンクス」



ニャーと返事をしたスフィンクスは彼女を乗せて屋台の方へと歩き出した。



(上条さんの側によくいるあの方、あれは結局生きた人間なんですの……?)



15センチサイズの存在が意識を持ち、喋りかけて来ることに慣れていない彼女は、1人取り残された状態でそう思った。









「……で、最初に欲しかったのは、結局それなわけなんですね」



「な、何よ。私がこれ好きなことくらいもう分かるでしょ?」



脈打つように光る屋台の群れの間を歩きながら、熱の立ち込める周囲に気後れしないよう、大きめの声で2人は喋る。美琴の手には、お面屋で購入したゲコ太のお面が握られている。



「はいはい。ゲコ太ストラップ手に入れるために俺とペア契約したぐらいだもんな。あの時は互いに恥ずかしい真似したぜ」



横目でチラと彼を見て、彼女は言う。





「覚えたんだ。あの時のこと」



「そりゃあだって、あれが初めて2人で出かけた時だろ?」



美琴は頬を赤らめ、小さな声でうんと頷いた。



「それに」



上条は続ける。



「1度記憶を失って、お前との思い出も随分と消えちまった。だから今この時、お前と居れる時間は、できるだけ忘れたくねぇんだ」



それを聞いた美琴の心は、羽毛のように軽くなった。彼の横顔を見つめ、彼女は幸せの染み渡った顔をする。





(このバカは……そう言うことを臆面もなく言うんだから)



美琴はゲコ太のお面を後頭部にぶら下げた後、彼の左手を握り、引き寄せた。



「お、おい。美琴?」



「次、あれ買って。言ったでしょ? 何でも奢るって」



美琴が指差したのはわたあめの屋台だった。上条は苦笑し、彼女に連れられ屋台に向かう。



それから、互いにわたあめを頬張りながら、色んな屋台を回った。射的、金魚すくい、スーパーボウルすくい、焼き鳥、りんご飴。弾ける火花のような鮮やかな瞬間が、2人の顔を幸せに彩り、その一瞬一瞬を記憶に焼き付けていく。





ふと上条は携帯を取り出した。花火が上がるまで、後1時間を切った所だった。彼は携帯をポケットにしまい、三分の一ほど残ったりんご飴を丸かじりし、咀嚼する。



「そういや、アンタ結局留年したんでしょ?」



飲み込んだりんご飴のベクトルが反射される感触が喉元に走った。



「ははは。笑えよ美琴。仮にも何度も世界を救ったヒーローと呼ばれし男は、出席日数という絶対的な壁の前に手も足も出ませんでしたよ。1つ下の学年と学ぶ居心地の悪さと吐き気を催す疎外感。お前には分かるまい」



彼の顔から楽しさが小麦粉に息を吹きかけたように霧散した。





「まあ、落ち込まずに今度こそ頑張れば卒業できるわよ。私も勉強手伝ってあげるからさ」



「敗者に情けをかけないでくれ! 苦しい! それに、お前だって高校受験の勉強あるんだし、気安く頼る訳には行かねぇだろ」



「大丈夫よ。だって、アンタの高校でしょ? アンタ手伝いながら合格するくらい余裕よ」



「は? お前何言って」



「私」



美琴はそこで立ち止まった。




「アンタの高校行くから」



上条は言葉を失い、その場に立ち尽くす。



「……え、ええっ?! おいおいおいおい! 待て美琴。早まるな。お前ならもっと上狙えるだろ。何だってわざわざあんな普通の」



「もう決めたのよ」



そう言う美琴の目に迷いはない。上条は何故そうも頑なな信念を持つようになったのか、純粋な疑念を抱いた。



「何でまたそんな……まさか俺が留年してまだ高校にいるからとかじゃないだろうな?」





その瞬間、美琴の顔は彼女が手にしたりんご飴の色彩と近くなった。



「……え?」



「え? あ、いや、あの、だからその……」



美琴はキョロキョロとさせた視線を、最終的に上目遣いの位置に落ち着かせ、彼に言った。



「来年も、よろしくね」



上条は息を飲む。艶やかに光沢を放つ彼女の唇に目を奪われ、心臓の脈が次第に早くなる。





「美琴」



彼はじっと美琴を見つめる。



「今日さ、大事な話が」



その時だった。



「理解者ー!!!」



聞き覚えのある声に、2人ははっとし周囲を見渡す。すると、上条の踵に手で叩かれた感触が走った。彼は振り返りしゃがみこむ。





「オティヌス? どうしたんだよ?」



「ス、スフィンクスを見なかったか?」



彼女は手を膝に着き、息を荒げながら彼に問いかける。



「え?」



「あのバカ猫! 私が目を離した瞬間何処かへ逃げやがったんだ! お前見てないのか?!」



「ええ?! マジかよ。ちょっと……美琴すまねぇ。探してくるわ。その辺で待っててくれ」



上条は手をかざし、オティヌスを肩に乗せて走り去った。取り残された美琴はため息を吐く。






(大事な話って……まさか、告白とか?)



その言葉を振り払うように、美琴は勢いよく首を振った後、残ったりんご飴を全部頬張った。



(い、イヤ! あの朴念大魔王に限ってそう簡単に期待しちゃダメよ! いくら下の名前で呼んでくれるようになったからって、そこからそう簡単にそっちに行かないのがアイツじゃない!)



丁寧に自分に言い聞かしながら、美琴はりんご飴を飲み込み、近くのポリバケツに棒を捨て周りを見渡す。そこで風車を売っている屋台の隣に円柱形の石椅子を見つけた。彼女はそこに向かうとする。






「御坂さーん☆」








引き止めるような背後からの猫撫で声に、美琴は眉をひそめた。彼女は振り返る。



「あらぁ? 随分と気合力のある浴衣着てるじゃない? その割にはお相手の姿が見えないけどぉ。ひょっとしてハブられちゃった?」



「ちょっと用事でどっか行っただけよ。大体、アンタも見るからにボッチそうなんですけど? 今日はお忍びですか女王様?」



「ヤァだ。その言い方すっごい腹立つ」



簪でまとめられた蜂蜜色の長い髪。白い菊が施された黒地の浴衣に白の帯。そして強調された豊満な胸元。常盤台中学の女王にして犬猿の仲、今最も会いたくなかった人物、食蜂操祈がそこにいた。





「ハァ……どうせアンタのことだし、私の邪魔しに来たんでしょ?」



その問いに、食蜂は意味深な笑みで応える。



「アンタが過去にアイツと何があったなんて知らないし、詮索する気もないけど、今日は本当に大事な日なのよ。お願いだから邪魔しないで」



美琴は頭を掻き、やれやれと言った顔で彼女に言った。



「邪魔、ねぇ」



食蜂は笑みを崩さずそう言う。





「まあ私は別に何もする気はないけどぉ、後ろの人たちはどうなのかしらぁ?」



彼女は美琴の後ろを指差す。振り返ると、そこには見知った3人がいた。



「御坂さん? 何で1人でいるんですか? 上条さんと遊んでたはずじゃ?」



水色の浴衣を着、後ろ髪を一括りにした佐天涙子が水ヨーヨーを片手に美琴に問いかけた。右手には黒子が、左手にはオレンジの浴衣を身にまとった初春飾利がズルズルと焼きそばを食べている。



「あ、ああ……それがさ、アイツの連れのペットがどっか行っちゃってさ、探しに行ったのよ」





「ええー! タイミング悪いなあ。って、そんな時にうっかり遭遇しちゃった私たちも間が悪いか」



佐天はヨーヨーを叩きながら笑う。美琴は彼女の放った『うっかり』という言葉に何かを察し、食蜂の方を見た。



「アンタまさか」



食蜂は悪戯げなウインクを彼女に見せた。



「ッ! アンタねぇ!」



美琴は彼女に迫ろうとした。だがそこで、後ろから浴衣の衿を引っ張れた。



「お姉さま! どうせ今1人なら、私たちと一緒に周りましょう!」



「いいですねー。御坂さん一緒に行きましょ」





衿を引っ張る黒子に同調するように、初春が右手の裾を引っ張る。まさかと思い彼女らの目を覗き込むと、虹彩が星型のマークになっている。



「ちょっと! どういうつもりよ食蜂!」



怒鳴る美琴に対して軽く手を振る食蜂。すると背中から佐天に押されて次第にこの場から移動し始める。



「御ー坂さん! 少しだけですよぉ。一緒に遊びましょ?」



「佐天さん? 食蜂! 邪魔すんなって言ってんでしょ! ちょっと!」



やがて美琴は人混みの中に消えていった。食蜂はふうと息を吐き、夜空を見上げる。地上の屋台の灯りにさざめくような薄い星明かりが目に侵入してくる。





食蜂は視線を前に移した。すると、人混みを掻き分け、見覚えのある影がこちらに近づいてくる。彼女の口角が自然に上に上がってきた。



足を少しだけ前に運び、近づく彼を向かい入れる。突如目の前に現れた笑顔の彼女に、彼は素っ頓狂な顔をして、こう言った。






「えっと……誰?」






「初めまして。私は食蜂操祈。御坂さんの友達よぉ☆」








そう言って食蜂は上条にウインクした。もう何十回も彼とやったこのやり取り。彼女は笑顔で、いつものようにこなした。



「あー美琴の……なあ、アイツどこ行ったか知らねぇか?」



「さあ? 全然分かんないわぁ」



「マジか。どうしようかこれ……」



困り顔で頭を掻く彼を見て、食蜂は彼の背後にいた、水玉模様の浴衣の少女に気づいた。艶めく黒髪をツインテールでまとめた彼女は、目じりに涙を溜めて俯いている。





「どうしたのぉその子?」



「そうなんだよ。さっき知り合いの猫見つけた後に、今度は泣いてるこの子と遭遇しちまってさ。何でも一緒にきた男の子と逸れたようで。ほっとくわけにもいかないだろ?」



上条はしゃがみ、少女に話を伺う。逸れる前に彼が何を言っていたのか。心辺りのある場所はないか。逐一丁寧に聞いていく。食蜂は柔らかな微笑みを浮かべた。



(あなたって本当に、いつまで経っても真っ直ぐな人ね)



途端に少女の虹彩が星型に変わった。上条はえ、と驚き立ち上がる。



「ふむふむ。なるほどねぇ。となると……」



彼女の目を覗き込み、ブツブツと言った後に食蜂は周りを詮索した。そして見つけた黒い浴衣の男に迫り、肩に下げたバックから取り出したリモコンを彼に向ける。すると男の虹彩は少女と同じよう星型になった。





「あれ? 私何を」



「あ、大丈夫なのか? おいアンタ一体何したんだ?」



正気を取り戻した少女に上条は懸念の声をかけ、その後食蜂の側に向かう。食蜂の目の前の男の虹彩はいつの間にか元に戻っており、男は首を傾げながらその場を去る。



「あの子とあの男の人の記憶を覗いたのよぉ。私の能力は『心理掌握(メンタルアウト)』。精神に関することなら洗脳でも読心でも何でもござれの学園都市第5位の能力なんだぞ☆」



「ご、5位って、お前超能力者なのか?! マジかよ……まあ美琴の友達だしありえなくはないか」



「この説明も、もう何度目だったかしら?」



「へ?」



「何でもないわぁ。ホラ、行きましょ。その子の元に連れてってあげる」



食蜂は上条の手を握り、勢いよく駆け出した。少女も後を追うように走り出す。



「おい、ちょっと!」



彼の声には耳を寄せず、食蜂は笑っていた。それはどこか、痛みを感じさせるような切迫した笑いだった。









3人は屋台から離れた所に位置する鉄橋の、高架下に辿りついた。夜の鉄骨とコンクリートの硬質な暗さと、川面に浮かぶ白い月が風に煽られては元に戻っていく様が、動のエネルギーを放つ向こうとは対照的な、静の印象を与えている。



「ほら、あそこ」



食蜂が指差した先には、コンクリートの斜面に腰掛け、近くの石を適当に掴んでは水面に投げる、灰色の浴衣を着た少年がいた。暗がりでよく見えないが、髪は茶色がかったような色彩だ。



「おーい!」



少女の声に、少年は立ち上がりこちらに向かってくる。



「どこ行ってたの! 心配したんだよ!」



大声で怒鳴りながらも、今にも降り落ちそうな瞳でそういう少女に、少年は気まずく視線を逸らしながら弁明する。





「悪かったよ。ちょっと人に酔っちゃってさ。勝手に居なくなったのは本当ゴメンな」



「もう! ほら、一緒に行こ。もう離さないからね!」



「おいやめろバカ! 恥ずかしいよ」



少女は少年の手を強く握り締め、2人に深々と頭を下げ、手を振った後に彼と一緒に屋台の方に向かっていった。



「いやぁ~。青春ですなぁ」



腕を組み、しみじみとした顔で上条は呟く。





「上条さぁん」



振り返ると、食蜂は先ほど少年が座っていた斜面に腰掛け、こちらに手招きをしていた。



「ちょっとだけ、お話しない? ほんの10分ほど」



その問いに、上条は戸惑いつつもポケットの中から携帯を取り出す。花火が上がるまで後37分。美琴を探す時間を加味しても、まだ大丈夫かと思った彼は彼女の側に腰掛けた。



そんな彼らの様子を、鉄橋の陰に隠れて見ている人物がいた。





(ちょっと?! 何簡単に誘われちゃってんのよ! アンタ今私とデート中なのわかってんの?!)



洗脳が解けた佐天らを振り払い、ゲコ太のお面を預けた後、必死の尾行の末ようやくここに辿りいた美琴は、ひとまず食蜂の企みを知ろうとするため、こうして物陰から2人の会話に耳を傾けていた。



「それで、話って?」



「御坂さんのことだけどぉ、最近上条さんと仲良くしてるそうじゃない? 私心配になっちゃて。御坂さんって結構野蛮力高めだし、ヒドい目にあってないかなぁって」



(大きなお世話よ!)



美琴は心の中でツッコむ。





「ははは。まあ、あいつのビリビリにはいつも苦労させられてるよ。この前だって、一緒にプール行った時うっかりあいつの胸に頭当てちゃってさ。水辺でビリビリは危ないっつっても聞かなくて」



「えぇ? 御坂さんの胸に? それ頭大丈夫だったのぉ? ほとんどクッションなしよ。骨と骨がぶつかったも同然よぉ?」



「おいおい。そんなこと言うなって。どんな荒地にもやがて花は咲くんだよ」



(ぶち殺すぞ! 何のフォローにもなってないわよ!)



掌にバチバチと紫電を鳴らしながら、鬼の形相で美琴は2人を睨む。






「んー、その希望は儚い運命を辿りそうねぇ。だってもう中3よ? それなのに去年と全く変わってないわぁ。大陸プレートの方がまだ動いてるんじゃない? 同い年として悲しくなっちゃうわぁ」



「お、同い年?! お前中3かよ! それでその胸……」



「あぁら? ドキドキしちゃった? しっかし暑いわねぇ~」



食蜂は胸元の衿を掴み、何度もはだけさせ風を送り込む。その度に、豊満な肌色が上条の視線に紛れ込む。



「うおおおおおおっ?! ちょ、やめなさい! 年上のお兄さんの獣性を刺激するな!」



(とりあえず、あんたら死体確定よクソッタレ!)



赤らめた顔を両手で隠す彼を背後から睨み、拳を握りしめた美琴は歯をくいしばり心の中で宣言した。





「うふふ。まあ私のこれも1年の努力の末なんだけどねぇ。昔はあんまり豊満力が足りなくて馬鹿にされたもんだから、見返してやりたくてねぇ」



食蜂は胸元に視線を落とす。



「あ? 馬鹿にされたって、酷い野郎だな。誰なんだそいつ?」



「私の大切な人」



目を瞑り、慈しむように食蜂は語り出す。



「私を自殺から救ってくれた人。生きる希望を与えてくれて、何度も私の憂鬱を笑い飛ばしてくれた、世界で一番、大好きな人よぉ」





「へえ……そいつ今何してんだ?」



「内緒っ☆」



人差し指で口を防ぎ、食蜂は言った。美琴はこのやり取りに推測を張り巡らす。



(ひょっとして、その大切な人ってのがアイツのこと? でもアイツはそんなこと覚えてないって。てことは、記憶を失う前の出来事ってわけか)



「でもいいじゃねぇか。そんな風に思える誰かがいるってのは」



「そうねぇ」



何でもないような口調で食蜂は返す。そして上条の目をじっと見つめ、言葉を発した。





「ねぇ。上条さんは、御坂さんのことが好きなの?」



美琴は息を止め、それに呼応するように周囲の音も掻き消えた。水面の静けさが川岸の2人を包み込む。



(え、ええええええ?! はぁ?! アイツ急に何聞いてんのよ! 私がここにいるってのにそんな質問、いや、でも、ていうかアイツは……)



美琴は軽くパニックになりながらも、息を吸い、質問の行く末を受け止めようとした。



「ああ。もちろん好きだぜ」



上条はサラッとそう返す。その物言いからして、それは人間的な意味としての好きだということが容易に察せた美琴は、表情を暗くさせた。





「ああそう。でも、それって恋愛としてではないわよねぇ?」



「いや」



最後の疑問系に微かな熱を帯びた食蜂の言い分を遮り、彼は言った。



「言ったろ? 好きだって。俺はアイツが好きなんだよ」



それを聞いた美琴の顔はさっと固まり、食蜂は、温度を失った陶器のような笑顔で、そうと答えた。





「いつでも安らげるような居場所でも、誰よりも分かり合える仲でもない。喧嘩もするし、何考えてんのか分かんねえ時もある。それでもアイツは、そんな溝を何度も飛び越えて俺の横に居ようとしてくれた」



上条は微笑み、頬を掻く。



「凸凹とした関係だけどよ、だからこそなのかな。いつの間にか、そんなアイツのひた向きな姿に惹かれちまってたんだよ。他の誰にも抱かなかった感情が、今俺の中にあるんだ」



食蜂は川面を見つめながら、口角を上に上げ続けた。





「俺の人生は、数え切れないほど大切な人との出会いに支えられている。でも、違うんだよ。美琴はただ大切ってだけじゃない。上手く言えないけど、離したくないんだ。ずっと近くにいてほしいし、時には我儘もぶつけたい。エゴだなんだって言われても、無条件で思いっきり愛したい」



彼は照れた笑顔で、食蜂の方を向いた。



「まとめると、恋しちゃったってわけですよ。上条さんは」



その瞬間、美琴の心臓は跳ね上がり、皮膚を突き破りそうな高揚感と共に全身が真っ赤になっていく熱さを感じた。彼女は両手で顔を覆い、鉄橋のコンクリートを背にしゃがみ込む。



(嘘、嘘嘘嘘嘘! 嘘でしょ?! あ、アイツが? 私のこと……)



心が遥か天空に舞い上がったかのように、体がフワフワして落ち着かない。そんな彼女の耳に、彼の言葉が飛び込んできた。





心が遥か天空に舞い上がったかのように、体がフワフワして落ち着かない。そんな彼女の耳に、彼の言葉が飛び込んできた。






「って、初対面の人にここまで言うのも何かアレだな。惚気てるみたいで恥ずかしいぜ。美琴には内緒にしててくれ。俺から伝えたいんだ」






美琴の心が、急速に落ち着きを取り戻し彼の言葉を吟味し始める。



(……え? 何言ってんの?)





彼は今確かに『初対面』と言った。



そんなはずはない。



彼と食蜂は何度も会っている。現にこの目でちゃんと確認している。



大覇星祭の時やエレメントの襲撃の時にだって顔を合わせていたはずだ。



それならば、何故そんな言葉が口から出る?



「……じゃないわよ」



「へ?」



俯いた食蜂がボソリと何かを呟いた。彼は耳を傾けようと、彼女の顔に近づく。












その時だった。彼女は勢いよく顔を上げ、上条の唇にキスをした。












上条も、傍で覗いていた美琴も、世界が漂白されたような無音に支配され、何も言えずにその現実を目に焼き付ける。



3秒後、食蜂は顔を下げ、呆然としている彼を真正面に捉える。



「初めてじゃ、ないわよ」



右目から、細い涙が垂れ落ち頬を伝った。



「初めてじゃないわよ! 何回も何十回も会ってる! その度にあなたは私のことを忘れちゃうのよぉッ!」



それが合図だと言わんばかりに、彼女の口から感情の激流が溢れ出す。





「忘れ、る?」



「そうよ! いい? あなたは過去、私の命を救うために瀕死の重傷を負ったのよ。その時に私の能力の影響で脳の記憶の経路が破損。私のことを認識できない体になっちゃったのよ! 私の大切な人っていうのはあなた。世界で一番大好きな人っていうのは、あなたのことなのよぉッ!」



ボロボロと涙を零す彼女を見て、美琴の記憶にとある言葉が蘇ってきた。



ー私が説明しても彼忘れちゃうんだからしっかりしてよねえー



エレメントの襲撃。学園都市を摂取50℃超えの大熱波が襲ったあの日、常盤台中学の食堂に集まった自分と上条に対して、彼女が言っていたこの言葉。



その時は引っかかりを覚えつつも、深く意識せず聞き逃したこの台詞に、そこまでの悲劇が込められていたことなど美琴は想像できなかった。





「ふざけないでよ! さっきから人の心を無視したことばっかり言って! 初対面の人? そんな風に思える誰かが居て幸せ? その大切な人に覚えられない悔しさがあなたに分かるの?! この1年と、今日だって、あなたと御坂さんがどんどん仲良くなっていくの見て、私がどんな気持ちだったと思う? あなたの大切な人の中に、私がいないのがどれだけ辛いのか分からないでしょぉッ!」



止まらない涙と、迸る思いの礫を叩きつけられるがままの上条は、口を開き、何も発せないままただ為すがままに彼女の激昂の的になる。



「私だって! 私だってあなたの幸せを願いたいわよぉッ! おめでとうって、言いたいのよ。それなのに、あなたはそれすら私にさせてくれない。私が何を言ってもあなたの中には残らない! もう少ししたら、さっきのキスどころか私の顔すら思い出せなくなるのよぉ! 何でよ! 何であなたの中に私はいないのよぉ! こんなに好きなのに、こんなに想ってるのに、何で……」



食蜂は水滴を散らし、立ち上がり、走り去った。上条は微動だにせずその場で固まり、美琴は物陰の自分に目もくれず走り去る彼女の背中を眺める。





(何やってんだろう。私)



石階段を上がり、アスファルトの土手を走る彼女の脳内に、理性が語りかける。



(あんなこと言ってもあの人は覚えられないのに。あんなこと聞かなくても、十分分かってたはずなのに)



彼の心が美琴に傾いていることなど、とっくに知っていた。



それなのに、してしまった愚かな質問。その結果得られたものは、空っぽのキスと行き場のないこの悲しみ。





(ああ。そうか。結局)



彼の幸せだけを願っていたはずだった。心からの笑顔で迎えたいと思っていたはずだった。彼のように、まっすぐになりたいと誓ったはずだった。



(期待してただけなのね。いつか、自分の元に帰ってくることを)



信じたくなかった。



彼が自分を思い出さないまま、誰かのものになるなんて。



自分の力を持ってしても、捻じ曲げられなかったそれを、受け入れるなんてとても無理だった。



いつか必ず自分を思い出し、そして、ずっと側にいてくれる。



その願いは。



その幻想は。



今日、完全に砕かれた。





「何よ……何なのよぉ……」



大きく息を荒げながら彼女は立ち止まり、膝をつく。そして、アスファルトに落ちた雫の染みを見て、その場にしゃがみ込んだ。



彼にとって完全な過去となった辛さ。



自分の誓いを裏切った弱さ。その悔しさ。






ー当たり前だろ。また、来年もよろしくなー








記憶の中で、そう言って笑う彼の幻影。その背後で咲き誇る花火。



その全てが、胸を焦がす黒い炎に変わり、粘つく吐き気を引き起こす。



「嘘ばっかり……」



拭う袖がふやけてもまだ、絶望と自己嫌悪に溺れた自分の救いにはならなかった。ただ垂れ落ちる水滴が、浴衣の黒地に吸い込まれては消えていった。



「ねえ」



背後からの声に彼女は顔を上げ振り向く。



「御坂、さん?」





憐憫の目でこちらを見る美琴がそこに立っていた。食蜂は頬のわだちを拭き取って立ち上がる。



「さっきの話、本当なの? アイツがアンタを記憶できないって」



食蜂は息を呑んだ。そして顔に、簡易工事の笑顔を組み立てる。



「ヤァだ。覗き聞きしてたのぉ? 御坂さん趣味力悪いわよ? ひょっとして全部見てた? ならごめんなさいねぇ。あの人の唇私が先に奪っちゃった☆ でも、どうせすぐ忘れるから心配しないでぇ」



いつもの様なお惚けた素ぶりも、全てを知った今では空疎しか感じられなかった。美琴は無言で彼女を見る。





「アラァ? 顔が怖いわよぉ? 別にいいじゃなぁい。両思いなんだし、これからキスなんて腐るほどできるわよ。あんなことやそんなことだってねぇ。気が済まないんなら好きにすればいいわ。殴って気が晴れるんならやって見なさいよぉ。ホラ」



此の期に及んでこんな最低な台詞が口から出る自分に、心底見下げ果てながらも笑顔は崩さなかった。美琴は足を前に出す。今ならどんな痛みでも受け入れる覚悟ができていた彼女は、眉1つ動かさなかった。



だが美琴は食蜂に人差し指を指し、下から睨むような体制で彼女に告げた。



「殴りはしない。その代わり、これから1つ言うことを聞いてもらうわ。拒否権なんかないのは分かってるでしょ?」



冷たい怒りと、奥底に憂いを秘めた瞳に睨まれた食蜂は、何も返せずにそのまま彼女の言うことに耳を傾けた。









何かが、掌をすり抜けていった気がした。



上条はただ自分の右の掌を見つめ、そう感じた。



「おっと、今何時だ?」



不意にポケットから携帯を取り出す。花火が上がるまであと30分を切っている。





「ヤベッ。行かないと」



これから逸れた美琴を探していたら、一緒に花火を見るのに間に合わないかもしれない。焦りを覚えた彼は素早く立ち上がった。



「何やってんのよ」



左手から、今から探そうとした声が現れた。彼は視線を移す。手を腰に当てた美琴が呆れ顔でそこに立ってちた。



「全く。また余計なトラブルに巻き込まれたわね」



「わ、ワリィワリィ。迷子になった女の子とその連れ探しててよ」





「ふーん。アンタ1人で?」



「ああ……いや、途中で誰かに助けてもらったけど、誰だったっけ? 思い出せねぇや」



「……そう」



美琴は息を吐き、彼の隣に座った。また吹き出した夜風が、川面を震えさせ月の破片を広げていく。



「もうすぐ花火だな」



「そうね」





何でもない会話で間をつなごうとするが、すぐにそれは途絶えた。それでも尚、2人の間の沈黙は心地よく、甘い匂いを秘めている。



「なあ」



上条は用意された言葉の中から、迷わずそれを取り出した。



「俺お前が好きなんだよ」



夜風と静謐が、2人の間を埋めていく。余りにも自然な選択の後に、歯止めの効かない想いの流出をコントロールしながら、拙い言葉で続きを言っていく。





「す、好きつっても、あれだぞ? 先輩後輩とか、そう言うんじゃねぇからな? だから、その」



「分かってるわよ」



美琴も落ち着いた様子で、躊躇いのない想いを告げた。



「私も、ずっとアンタのこと好きだったから」



彼女は眩しく笑った。上条の顔が、急激に血の気を帯びる。





「え、えええええええええッ?! え、嘘?! い、いつからでせうか?」



「本当に気づいてなかったんだ。もう1年も前から、ずっと好きだったんから」



「い、1年。あ、てことはつまり」



「今日から新しい関係、よろしくね」



美琴は膝を折り曲げ、その上に頭を乗せながらそう言った。





「あ、ああ。任せろ。何があっても絶対不幸にはさせねぇよ」



「アンタが言うと説得力なさ過ぎるわ」



「オイ! 本当だよ! 幸せにするから!」



美琴は笑い、それにつられて上条も笑い出す。何者にも邪魔できない幸せが、誰にも絶つことのできない繋がりが、2人の間に満たされていった。



「それじゃあ」



彼女は彼に詰め寄り、人差し指を指した。



「彼女として最初のお願いよ。ちゃんと聞いてくれる?」









「……えっと、さっき美琴と別れたのがあの辺、か?」



上条は人混みを中を潜るように走っていく。花火が上がるまでもう20分もない。人々の熱気も上がっていき、屋台の混雑も極めて行く中、彼は携帯のメモ帳に記した事柄を随時確認していく。



(これからみんなで花火を見る約束をしてるんだけど、そこに誘ってやりたい奴がいるの。名前は食蜂操祈。ちゃんとメモっときなさい)



「ったく、メモなんかしなくてもそれくらい大丈夫だよ」



姿の見えない彼女に対して愚痴る彼は、立ち並ぶ屋台を見渡し特徴を掴もうとする。こうして見るとどれもこれも似通った光を放っており、分かりづらいなどと思った。





(さっきアンタと別れた場所の近くにあった、風車を売ってる屋台の側で待たせているわ。黒地に白い菊こしらえた浴衣を着てる、無駄な胸の脂肪が特徴的な女よ。そいつをちゃんと、私たちの待ってる土手に連れてきて)



「おいおい。どれだよ風車売ってる屋台って」



湧き出る汗が焦りも引き連れて肌を伝う。背後で焼いているケバブの匂いと煙を振り払い、彼はまた進み出す。



(ああ。良いけど、友達なのかそいつ?)



(……冗談。この世で1番反りの合わないクソッタレよ。今日でより確信したわ)



「あ、あった! あそこか!」





上条は人混みの向こう、左斜め前方に目的の屋台を見つけ、そこへ走り出す。



(ええ、じゃあなんで?)



(別に。ただ)



ようやくたどり着いた屋台の手前で、膝をつき息を整えた。顔を上げると、屋台の隣の石椅子に座っていた見知らぬ少女が、こちらを驚いた目で見て、立ち上がっていた。



(アンタが誰かを悲しませている姿なんか、見たくないのよ)





上条はその少女に目を凝らし、携帯のメモ帳を再度確認する。



その少女、食蜂操祈は、顔を俯かせて彼と目を合わさないようにした。



(何をやりたいのか分からないけど、無駄よ。彼はもう私を忘れている。帰ってくるのはいつも通り、誰だっけーーー)



上条は、彼女に語りかけた。












「……食蜂、操祈。だよな?」












不意に吹いた夜風が、彼女の背後にあった風車たちをカラカラと回した。それから数秒の間、空白の世界が2人を包んだ。



「あの、えっと……え?」



上条は息を止めた。目の前の彼女の瞳から、大粒の涙が溢れていた。取り乱すでも顔を歪めるでもなく、ただ自然に身を任せて流れ出したそれは、静かに頬を垂れていく。



「おい大丈夫か?! なんかあったのか? あのさ、美琴が向こうで花火を一緒に観たいって言ってんだけど、食蜂さん? アンタで間違いないよな?」



彼女は涙を拭い、華やかに笑う。





「ええ。そうよ。私が食蜂操祈。よろしくねぇ」



余りにも眩いその笑顔に彼はたじろぎながらも、すぐに美琴の顔を思い出し気を引き締めた。



「オッケー。そしたら、一緒に」



言い終わる前に、食蜂は彼の手を握り、引き寄せる。



「行きましょう。一緒に☆」



そう言って食蜂は彼を連れて走り出した。彼は戸惑いながらも手をしっかり握り、彼女についていく。その確かな彼の温もりが、彼女の顔を消えない笑顔で埋め尽くしていく。





自分を思い出しわけじゃない。



この瞬間は幻想に過ぎない。



それでも、人の心は、たったこれだけのことで軽くなれる。



愚かで、甘く、何よりも愛しい。



人混みを駆け抜ける2人の姿に、時折過去の瞬間が織り混ざっていく。



風車のように、くるくると巡り回っていく。



もう戻らないその時を、噛みしめるよう彼女は前に進む足に、力を込めていった。









「ねえねえ上条さん! どうなんですか?! 遂に御坂さんと……」



美琴たちと合流し、川辺の土手で花火が上がるのを待っている上条は、目を輝かせる佐天に詰問を受けていた。彼の背後にはスフィンクスに乗ったオティヌスが、憂いと歓迎を織り交ぜた笑みでその様子を見ている。



「その、まあ、この度彼氏になることになりました」



「うわあ~! おめでとうございます! 長かった! ほんっとうにおめでとうございます!」



「ふえぇぇ。い、いよいよ御坂さんも……」



上条の右手としっかり握手しながら賛辞を述べる佐天と、その横でトマトのように紅潮させた顔を両手で包む初春。だが彼はそれよりもその後ろで冷ややかな目をしている黒子が気になって仕方なかった。





「あのさ、白井。これは決して邪な感情とかなわけでは」



苦し紛れな弁明をしようとする上条に向け、黒子は微笑んだ。



「おめでとうございます上条さん。お姉様のこと、よろしくお願いしますわね」



想像より遥かに柔らかい対応に彼は安心と肩透かしを覚え、ああ、と少し間抜けた口調で言った。



「ねえねえ。聞かせてくださいよ~。上条さんいつから御坂さんのこと好きだったんですか~?」



「え? いやあそれは」



「まあ今年の春くらいからは既にお花畑になってたんじゃないか? 私に言ってきたもんな。御坂を見てると胸が苦しいって」





「オティヌスさああああああん?! そういうプライベートは謹んでいただけませんか? その辺を汲んでこそ理解者だよね?!」



「きゃあああっ! 青春ですなぁ。オティヌスさんでしたっけ? 詳しく聞かせてくださいよぉ」



そうして会話を続ける上条と佐天とオティヌスを横目で流し、初春は黒子の元に向かった。



「いや~白井さんも大人な対応ができるように」



初春はそこで言葉を噤んだ。黒子は唇を噛みしめ、瞳に涙を溢れさせていた。





「うわあああああああああん!!! お姉ざま~!!! あああああああああ!!!」



自分の胸元に飛び込んできた黒子を、初春は何も言わずに抱き返した。



そこから少し離れた所で、土手に腰掛ける食蜂は、そのやりとりを見ながら笑みを浮かべている。目元をよく見ると、微かに赤く腫れていた。



「目ぇ腫らしちゃって。ちゃんとアイツに名前、呼んでもらえた?」



振り返ると、腰に手を当てている美琴がそこに立っていた。彼女は何も言わず食蜂の右隣に座る。





「ええ。でも、どういうつもりなの?」



食蜂の質問に、しばしの沈黙を挟んで美琴は答える。



「アイツがアンタを記憶できなくても、さっきみたいに人伝の情報として、ちゃんと記録すれば大丈夫ってことが分かったじゃない。こうやって私みたいな人を増やして、アンタを覚えるようにしていけば、いつか、アイツの脳にも変化が起こるかもしれないわ」



彼女は溌剌とした声でそう言う。食蜂の目が大きく見開いた。



「1人で抱え込んでんじゃないわよ」





美琴は薄く笑う。



「私も手伝ってあげるわ。アイツがアンタを覚えてくれるようになるのを」



抑えられない戸惑いが顔を伝っていく。食蜂は堪らずか細い声で彼女に聞く。



「何で、あなたがそこまで」



美琴は先ほどとは違う、悪戯げな笑みを口に貼り付けた。





「弱みを握っとくことに越したことはないでしょ?」



これ以上ない、最良の返事だった。澄み渡るような安心を次第に取り戻した食蜂は、同じく悪戯げに笑う。



「あなたのそういうとこ、本当に嫌いだわぁ」



周囲には人だかりが増え始め、間も無く夜空を彩る花火に心を弾ませる人々の声が耳を覆う。美琴は佐天たちに囲まれた上条の方を見た。



「当麻ー!」



彼女の声に、彼は佐天たちに一瞥しすぐ側まで近寄る。





「へいへい。どうした?」



「今日は何でも奢りだったわよね? 今度はかき氷お願い。私はいちご味ね。アンタは?」



話を振られた食蜂は驚いた表情をする。



「分かったよ。で、そちらの人は……」



「食蜂操祈。私の同級生」



美琴の助力により、気を取り直したようにああと言った彼は食蜂を見る。





「食蜂は何がいいんだ?」



彼の呼びかけに、食蜂は無邪気な笑みで答える。



「レモン味で、お願いするわぁ」



了解、と言った彼はそのまま屋台の方に向かおうとする。そんな彼を背後から美琴が引き止めた。





「あ? 何だよ」



「アンタ、今のちゃんと携帯のメモに書いてなさいよ」



「はあ? さっきから上条さんの記憶力をバカにしてるんですか? それくらい大丈夫だって」



「当てになんないから言ってんのよ。いいから書きなさい」



執拗な促しに渋々携帯を取り出す上条。そんな2人のやり取りを見て、食蜂は静かに笑う。





(そう。あなたは私を思い出したわけじゃない。そうやってまた、何度も忘れちゃう。仮に私を思い出せたとしても、もうあなたは、私の側にはいられない)



食蜂は夜空を見上げた。闇に浮かぶ点々とした星と、灰色にちぎれた雲の残像。後5分もすれば色鮮やかな火の花で埋め尽くされるそれを見ながら、胸に淡い思いを描いていく。



(でも、やっぱり私は諦められない。何度でもあなたに会い続けて、いつか本当に私を思い出せる日が来るのを、待つことをやめられないの)



彼女は手を伸ばし続ける。



届かない光に焦がれても尚、奇跡を祈り続ける。



何度もさよならを重ねた奇跡の先に、本当の未来が待っている。



そこで、今度は自分の口から、ちゃんと別れを告げよう。


期待!!!







だから、






「さよならが迎えに来ること」






最初から分かっていたとしたって。






もう一回。もう一回。






何度でも君に会いたいーーー








※後書き



最後まで読んで頂いた皆さん、本当にありがとうございます。



暑気厳しき折柄書かれたこのSSですが、最後の引用と、タイトルからお分かりの通りMr.Childrenの「HANABI」をモチーフにして作りました。



というのも、新約11巻で食蜂さんの悲痛な過去が明らかになった後、この曲を聴いた時、僕の中で歌詞シンクロ率がエラいことになり(特に2番のサビ全部)いつかこの2つを掛け合わせたいと思っていたのです。



あと、前作(白垣根「花と虫)の感想の中で「長すぎワロタ」という旨の書き込みあったので、今作は比較的コンパクトに、贅肉を落とし短くまとめることを心がけました。夏休みで暇のある方、お盆休みでやることのない方などは、片手間でも読んで頂ければ幸いです。そんな暇のない方は暑さとブラック上司に負けないよう、お仕事頑張ってください。



このSSはMr.Children25周年と、コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-と、ガッキーと、食蜂さんが原作でも救われることを応援しております。



それでは、ご視聴ありがとうございました!


おつ


面白かった

奇跡を待つ食蜂も、文字通り死ぬ程頑張ってる御坂も、二人とも良かったと言える結末になればいい

おつおつ 切ない
面白かったです

かなり良かった
乙でした

おつ

でも上食関係ないよね

おつおつ
こういうの好き

美琴は本編で健気に上条さんのため身体張り続けた甲斐があったか

乙でした!!

原作でも救われて欲しいなぁ

禁書3期か・・・・・・

新約18巻の御坂と食蜂の合体シーンが浮かんだわ

奇跡を待つ食蜂と必死で追い着こうとする御坂

どうして常盤台のレベル5のお嬢様はこんなにも一途で健気なのだろう

このSSスレまだ残ってたのか
良いSSだったな

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