電「軍艦と人間、その境界で生きる」 (265)





――――――貴様は「兵器」だ。





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◆1人目の司令官さん


──────

「貴様は兵器だ。黙って人間様の指示に従っていればいい」

私が艦娘として初めてこの鎮守府に着任して告げられたのは、お前は人間ではなく、「駆逐艦・電」という、只の兵器として生まれた存在に過ぎないという事なのでした。


「返事は?」

「……はい、なのです」


その司令官さんは30代前半の若い司令官さんでした。

先の作戦では深海棲艦に大打撃を与えた立役者でもあり、司令官さんは他の司令官さんよりも圧倒的な戦果を挙げていました。

ですが、軍人さんとは思えない程、肥満体で、肌には油が浮き、目をギラつかせて、まるで怒鳴るように私たちに命令しました。

司令官さんにとって、私たち艦娘は人間以下の存在、戦争の道具としてしか見ていませんでした。





『艦娘は深海棲艦と戦う兵器である』




私たちがこの世に生まれた意味は、何時の時代からか出現した深海棲艦と戦い、戦果を上げることなのでした。

勿論、それを否定するだけの自己意識を艦娘ひとりひとりが持ち合わせています。

でも、そうはしませんでした。


それは艦娘として生まれた性のせいかもしれません。

例えこんな司令官さんでも、私たちにとっては絶対的存在、謂わばお父さんでもあり神さまでもありました。

当然、逆らえるはずも無く、その言葉通り私たちは戦いました。


当時の私は本当に何も知らない子供なのでした。

うん、知ってるよ。


司令官さんは他の司令官さんよりも圧倒的な戦果を挙げていました。


――数多の艦娘の犠牲の上で、なのです。


敵の主力部隊に攻撃を仕掛け、その注意をひきつける事が、当時、私が所属していた部隊の任務でした。

私たちの部隊が先行して攻撃し、敵の注意がこちらに引いたところを狙い、主力部隊で挟撃する。


――言ってしまえば、囮、捨て駒でした。


私たちの部隊は、進軍する主力部隊の為、敵を釣り、消耗される、謂わば撒き餌となっていたのです。

私は戦争の道具どころか、道具以下の存在として扱われました。


朝起きて、碌に傷も癒えぬまま出撃し、突貫を繰り返しては敵艦の攻撃を受け、死に物狂いで主力部隊の到着まで戦い、帰還しました。

そんな日々の繰り返し。


私は何度も生死の境を彷徨い続けました。

それでも司令官さんからは、そんな私たちに対して何の言葉も無く、それどころか最低限の補給しか与えられませんでした。


本当は戦いたくない。

死にたくない。

誰も傷つけたくない。


今振り返ると、そんな感情を心の何処かに抑え付けて、戦っていたのだと思います。

それでも、私は疑問を抱くことをしなかったのです。


一緒になった部隊の皆も同じで、沈む事に何の疑問を持たず、光が消えた目で、ただ敵を見据え、突貫していきました。

私がこんな状況で生き残れたのは奇跡としか言いようがありませんでした。


──────

「よう、チビ! 別の囮部隊から転属してきたんだってな」


そんな生活が半年近く続いたある日、私は別の囮部隊に転属させられました。

そして、とある軽巡艦のお姉ちゃんと出会いました。


「可哀そうに、さっさとくたばった方がどれだけ楽だったか! 希望は持つなよ、転属したってやる事は変わらんぜ?」

「……」

そう言ってケラケラと吹っ切れたように笑うお姉ちゃんは、他の部隊に居た仲間とは違い、目に光がありました。


「まぁ、これも何かの縁だ、よろしくな」

「……よろしく、なのです」

これが、軽巡のお姉ちゃんとの最初の出会いなのです。


名前は聞きませんでした。

いえ、もしかしたらどこかで聞いていたかもしれません。

しかし、囮部隊という性質上、直ぐに沈むであろう互いの名前を憶えても無駄だろうと分かっていたから、無理に覚えようとはしませんでした。


その代わり、私はお姉ちゃんの事を「お姉ちゃん」と呼び、お姉ちゃんは私の事を「チビ」と呼びました。



お姉ちゃんの名前を聴けなかったのは、私の一生の後悔のひとつなのです。



──────

そのお姉ちゃんの戦い方は、正直言ってしまえばあまり真面目なものではありませんでした。


他の部隊の皆とは違い、敵を倒すつもりは最初っから無く、敵の眼前に砲撃し水柱を上げさせるなどして、なるべく相手の視界を遮ったり、こちらの攻撃が当たらないであろう遠距離から攻撃を仕掛けたりなどしていました。


そして、主力部隊が到着すれば適度に戦っているフリをし、戦いのドサクサに紛れて後退する。

他の部隊の皆が突貫を繰り返す中、お姉ちゃんだけが近からず遠からずの距離を保っていました。


それもあってか、部隊の皆からは嫌われ、孤立していました。

しかし、お姉ちゃんはどこ吹く風と言った様子なのです。


ある日、お姉ちゃんのそんな姿に居た堪れなくなり、私は声を掛けました。

「なぜ、こんな不真面目な戦い方をするのですか?」

「あ? どういう意味だ?」


「私たちは艦娘として生まれた以上、戦って死ぬべきではないのですか?」


そうお姉ちゃんに尋ねると、お姉ちゃんは皮肉な笑いを浮かべ、吐き捨てるように言いました。


「俺も艦娘に生まれた以上、死ぬなら戦って死にてぇよ」

「それなら……」

「でも、こんな囮なんてつまらない事、ましてはあのクソ野郎の下で死ぬのはごめんだね」

「えっ……?」


私はそのように司令官さんに悪態を付く艦娘を、この時初めて見ました。


艦娘は司令官さんに絶対服従。


そんな暗黙の了解をお姉ちゃんはいとも簡単に否定したのです。

私はそんなお姉ちゃんの言葉に少なからず驚愕しました。


「適切かつ、妥当にだ。要は適当でいいんだよ」


困惑する私を思ってか、お姉ちゃんは私の頭に手を乗せて、言葉を紡ぎました。


「所詮、俺たちは囮部隊だ。殴り合いは主力部隊にまかせときゃいい。俺たちは適当に敵の注意をひきつけて、適当なところで逃げるだけさ」

その手はとても温かかったのです。


「……俺の事がチビからどう見えるかは知らんが……俺だって必死なんだよ」

お姉ちゃんはそう言い、私の上に乗せた手で私の髪をぐしゃぐしゃと撫でてから、その場を立ち去りました。


その後ろ姿はどこか悲しそうなのでした。


──────

それ以来、私は行く先々でお姉ちゃんの後を追うようになりました。


理由は今でも分かりません。

ですが、少なくともお姉ちゃんの事が放って置けなかったのは確かなのです。


最初、お姉ちゃんは私の事を避けていました。

今思うと、他の部隊の皆から自分と同じように私が嫌われないようにする為の、お姉ちゃんなりの優しさだったのかもしれません。


でも、お姉ちゃんも思うところがあったのか、段々と私に接するようになり、戦場での戦い方や生き残り方を教えてくました。


「いいかチビ? 俺たちは所詮、兵器で人間様の言いなりだ。だが、海の上では多少なりとも自由は利く。だから、海での立ち回り方には注意しろ」

「海での立ち回り方、なのですか?」

「ああ。無謀に突っ込めば早死にするし、臆病だと人間様に目を付けられ、どっちみちあの世行きだ。ある程度、人間様のノルマを遂行できればそれでいい。主力部隊と違って、あのクソ野郎はあまりこちらの部隊の事なんで考えてないからな……程々に、その場の流れに身を任せればいいんだ」

「その場の流れに身を任せる……」

「そうだ。それが長生きするコツだ」


私はお姉ちゃんが言っている意味がいまいちピンと来ませんでした。

私は首を傾げた後に、お姉ちゃんに話しかけます。


「ええと……気を抜いて戦うって事ですか?」

私の言葉を聞いたお姉ちゃんは、腕を組み、しばらく考えた後に答えました。


「……ちょっと違うな。戦う時は常にリラックスして相手の出方を見ろって事だ。一瞬でも気を抜いたら反応が遅れるし、逆に入れすぎて敵が予想外の動きをしてきたら、対処できなくなる。固くならず柔軟に対処する事さ。力を入れるな、でも精一杯戦えってな……つまり」

お姉ちゃんは指先で自分のこめかみの辺りをトントンと叩きました。


「身体は使うな、頭を使えって事だ」


やはり、ちょっとピンときません。


「何て言うか、難しいのです……」

「まぁ、最初の内は難しいさ。それは慣れろとしか言えん。だが、これを意識するのとしないとでは大違いだ。多少なりとも生き残ることが出来るぜ」


生き残る、というお姉ちゃんの言葉に私はうなだれました。


「生き残ると言っても私たちは囮部隊なのです……いくら頑張ってもいつかは……」



そうなのです。


いくら頑張っても、行き着く先は「死」という現実なのです。



しゅんとした表情で言葉を紡ごうとする私に対して、お姉ちゃんは私の頭に上に手を乗せて、いつものように私の髪をぐしゃぐしゃと撫でました。


「チビ、そう悲観するなよ。こう考えればいいんだ」

その顔はとても優しい顔でした。



「どうせ何時か死ぬなら、流されるだけ流されて、ギリギリまで生きてやろうってな」



私はお姉ちゃんのそんな顔を見て、私も生きれるだけ精一杯生きてみようかなと思いました。



それから私は、お姉ちゃんが言った事を守りました。


兵器として生まれてきた私たちとしては、この戦い方は間違った戦い方なのかもしれません。

ただ、お姉ちゃんの言った通りにしなければ、私はとっくの昔に沈んでいたのです。



──────

お姉ちゃんと出会ってから1年近く経った、ある大規模作戦の時です。

私たちの部隊はいつも通り囮部隊として、敵の主力部隊をひきつける役割を担っていました。


途中までは順調でした。

いえ、いつも以上に順調なのでした。


「……チビ、気をつけろよ。こりゃあ、何かあるぜ……」

お姉ちゃんもいつもと違う敵の様子に怪訝そうな顔で私に忠告しました。


やがて主力部隊が到着し、司令官さんの指示の下、いつも通り敵の部隊の殲滅にあたります。

ここで空母の誰かが索敵を行っていたら、敵の動向を探る事が出来てたかもしれません。





『……!? 3時、9時の方向に敵影っ! 数は……きゃあっ!』




結論から言うと、お姉ちゃんの予想は当たりました。

気が付いた時にはもう遅く、主力戦力を含めた私たち前線部隊は敵の挟撃にあっていました。


司令官さんが命令して突貫を仕掛けた部隊は、敵の主力部隊ではなく、敵の囮部隊なのでした。

それは、私たちが今までやっていた囮作戦と同じ戦法なのでした。



敵部隊の弾幕が主力部隊を囲みました。

沢山の敵戦艦からの一斉砲撃です。

嵐のような横殴りの砲弾の雨が、一瞬にして辺り一帯に降り注ぎました。



今までにない事である為、司令官さんもパニック状態になっており、司令塔を無くした主力部隊はまともな指示を受けないまま、次々と沈んでいきました。

当然、囮部隊も無事では居られず、様々な方向からの砲弾で、部隊の皆が瞬く間に沈んでいきます。



私は気は抜いてはいません。

いつでも動けるように頭を働かせていました。

ですが、あまりにも降り注ぐ砲弾が多い為、私は対処のしようがありませんでした。


1発目。私の脇腹を掠め、小破しました。

2発目。私の右腕を掠め、大破しました。

3発目。私の目の前に着弾。恐らく戦艦の夾叉弾なのです。


そして、4発目。砲弾が私の眼前に迫りました。



――ああ、あっけないのです。



そう思い、私は目を瞑り、その瞬間を待ちました。


そして、横から何かに押されるような衝撃を受けました。



──────

「畜生……痛てぇなあ……おいチビ、目を開けろ。どんな事があろうとも、目の前に起きている出来事に最後まで目を背けるな」


その声に私は目を開きます。



そして、私の眼前に飛び込んできたのは、片腕が吹き飛ばされ、その腕先から大量の鮮血を流す、お姉ちゃんの姿なのでした。




「お……お姉ちゃん……そ、その腕……!」

「……なぁに、腕が1本無くなった程度だ……それよりも」


私は直ぐにお姉ちゃんに駆け寄り、失った腕先から流れる血を止めようと両手で押さえつけました。

ですが、お姉ちゃんはそれを拒み、携帯していた包帯を腕に巻きつけながら、私に言葉を投げかけます。


「よく聴けチビ……この戦はどう見たってこっちの大敗だ……この様子だと後援部隊もすぐ撤退を始めるだろうな……このままだと俺たちは主力もろとも海に沈む事になる」

先程よりも砲弾の雨はおさまっていましたが、それは敵戦艦が次弾装填の為、砲撃を行っていないからでした。


ですが、それも時間の問題です。

もうすぐ、2回目の斉射が私たちを取り囲むことは分かりきっていました。



「……チビは、南に20海里言った所に小さな島が点々としている場所に全速力で向かえ。あそこなら敵をうまく撒いて、撤退する部隊と合流出来るはずだ」

「じゃあ、早く行くのですっ! 」


しかし、お姉ちゃんは首を左右に振りました。


「悪いがこの傷だ。もう逃げ切れるだけのスピードが出ないんだよ……」

「そんな……」

「それに残党狩りの追っ手も直ぐやってくるだろうしな……誰かが少しでも止めなきゃならねぇ……だからな、チビ」



私はお姉ちゃんの諦観した表情で察しました。


私はその先の言葉が聞きたくありませんでした。





「お前だけで行け。敵艦は俺がひきつける」


でも、時間がそれを許してくれませんでした。



「い……いやです! 嫌なのです! お姉ちゃんも一緒に行こうよっ……!」


私はお姉ちゃんに詰め寄り、必死に止めようとしました。


「チビ、分かってくれ。少しでも追っ手の注意を引かなきゃ、俺たちまとめてあの世行きなんだ」

「それでも、お姉ちゃんとなら一緒に生きて帰れるよ……その腕もきっと治るのです!……もしダメでも、私がお姉ちゃんの腕の代わりになってあげるのです!……だから……だからっ!」



私は怖かったのです。


この時分かったのが、私は他の艦娘とは違い、私にとって最も大切な存在が、司令官さんの存在ではなく、お姉ちゃんの存在だという事なのでした。



私はその存在を失う事がとても怖かったのです。



私の目からは、ぼろぼろと涙が零れ落ちました。

お姉ちゃんは何時もの優しい笑みを浮かべ、口を開きます。



「泣くなよ。所詮、俺は艦娘だ。生まれた時から戦って死ぬつもりだったぜ。それに、誰かを守って死ねるなら……これ以上の名誉はねぇよ」

「死んじゃダメなのです……! 私……お姉ちゃんが居なきゃダメなのです……」


そうなのです。

私はお姉ちゃんが居たからここまで頑張ってこれたのです。

今まで生きてこれたのです。



私はお姉ちゃんが居なくなった後、私ひとりで生きていく自信がありませんでした。



「お姉ちゃんが行かないのなら……私も一緒に……!」




私のその先の言葉を遮るように、お姉ちゃんは泣きじゃくる私の頭の上に、残された側の手を乗せ、いつものように私の髪をぐしゃぐしゃと撫でました。



「はは……思えば碌な事がない一生だったが、今になってやっと分かったわ」



その時のお姉さんの顔は、先ほどの諦観した表情とは違い、今まで見たことないほど、生き生きとしていました。






「俺はこの時の為に、流されるまま生きてきたんだってな」





そうして、お姉ちゃんは迫りくる多数の敵艦を見据えました。


「チビ……俺からの最後の頼みだ。お前は生きろ。それで俺が今まで生きてきた意味を証明させてくれ」

「お姉ちゃん……」


私はもう、お姉ちゃんに何を言っても無駄だろうと思いました。

そして、お姉ちゃんの最後の頼みを、私は断る事なんて出来ませんでした。



私は、もはや何も言えませんでした。




「行けっ! もうすぐ2回目の斉射がくる!」



私は泣きながらお姉ちゃんに大きく頷き、その場を全速力で離れ、南へ向かいました。

私はわんわん泣きながら、一度もお姉ちゃんの方を振り返らず、お姉ちゃんが言っていた場所へと向かいました。



そして、お姉ちゃんが最後に私に投げかけた言葉だけが、ずっと頭に残り続けました。





「じゃあな、電……強く生きろよ」



――お姉ちゃんの名前を聴けなかったのは、私の一生の後悔のひとつなのです。





──────

敵の追っ手はなく、私は撤退する部隊に上手く合流する事が出来ました。


でも、お姉ちゃんが戻ってくる事は最後までありませんでした。

結局、主力・囮部隊問わず、前線で生き残ったのは私を含む、数名の艦娘だけでした。



帰港して直ぐに目に入ったのは、先程の戦いで混迷を極めた鎮守府の姿でした。




慌しく重傷者を運ぶ衛生班。

泣け叫び戦友を弔う艦娘。

大本営からの応援や憲兵さん達でごった返す港。



私も大破していたという事もあり、有無を言わさず入渠ドッグに運び込まれました。



運ばれる途中、数名の憲兵さんに拘束された司令官さんの姿が目に映りました。


最初は抵抗していましたが、大本営から派遣された高官さんの顔を見るや大人しくなり、そのまま憲兵さんに引き摺られて行きました。

後から聞いた話によると、艦娘庇護派が多い大本営にとって、司令官さんの存在は目に余るものがあり、今回の作戦の大失敗で近々軍事法廷にかけられるみたいです。



その司令官さんがどうなったかは私にはわかりません。

ですが、司令官さんは、私たちの目の前に二度と姿を見せる事はないだろうと思いました。


そして、その大本営の高官さんが臨時としてその場の指揮を引き継ぎ、この事態は収束したのです。






――――――だから、電ちゃんは兵器なんかじゃないよ。立派な「人間」だよ。







◆2人目の司令官さん





──────


「やぁ、新しく着任した――だ。よろしく頼むよ」


先日の地獄から抜け出してから、しばらくゴタゴタが続いた後、新しい司令官さんが着任しました。

そして、司令官さんの指揮の元、鎮守府内の組織の見直しが行われました。


その司令官さんも30代前半の若い司令官さんなのでした。


ですが、軍人さんとは思えない程、性格は温厚で、背は低く、顔立ちは幼く、そして大きく輝かせた目が特徴で、私たちにいつもニコニコと話しかけてくれたのです。

他の艦娘の話によると、大本営の重鎮である海軍中将さんの一人息子との事でした。




私が以前所属していた囮部隊は、組織の見直しの際、最初から存在しないように静かに解散され、その存在は大本営の暗部として戦争の闇に葬られました。


そして、私は前線から、しかも囮部隊で生き残ったという実績を買われ、秘書艦および後援部隊の旗艦に抜擢されました。


私は秘書艦業務を行いながら、遠征任務や近海防衛任務の旗艦として戦い、他の艦娘たちに戦い方を教えました。

以前の囮部隊と比べればずっと楽ではありました。


それでも私は、軽巡のお姉ちゃんの教えに従い、程々に任務を遂行し、そして一度たりとも気を緩める事はしませんでした。




──────

司令官さんが着任して以来、ひとりも沈む事はありませんでした。


ですが、それは主な任務が近海防衛や遠征任務が中心だからなのです。

その分、戦果は上がりません。


普通なら、結果を出さない司令官さんに対して、大本営から何かしらの通達があってもいいものでしたが、海軍中将さんの息子と言う事もあってか、あまり大本営も強くは言えませんでした。



仲間が沈まないという事はとても良い事なのだと思います。


しかし、私にとっては、戦場で生死を彷徨っていた日常が、私の日常だった為、この任務が少ないという非日常は、とてもむず痒く感じました。


それは一部の艦娘たちも同じで、口には出さないものの「自分は実は必要とされていないんじゃないか」というフラストレーションが溜まる一方なのでした。




──────


「何故、司令官さんは前の司令官さんみたいに、もっと私たちに命令を与えないのですか?」


私はそれもあり、秘書艦業務の際、執務机に座っていた司令官さんにその事を投げかけました。


「……電ちゃん?」

「私たちは兵器なのです」

「……それは……」


司令官さんは苦虫を噛んだような顔をして言葉を詰まらせましたが、それを気にせず、私は言葉を紡ぎます。



「艦娘として生まれた以上、戦って死ぬべきではないのですか?」






「それは違うっ!!」





突然、感情を爆発させた司令官さんの返答に、私は思わずぎょっとしました。

普段、温厚だと思っていた司令官さんだからこそ、尚更なのです。



司令官さんは、執務机から椅子を蹴り倒しながら立ち上がると、ずかずかと私の前に歩み寄ります。



正直、怖かったのです。



そして、司令官さんは私の両肩に手を置き、その大きな目で私の顔を覗き込みました。




「ごめんね、今まで辛い思いをさせちゃって……でも、もう大丈夫だからね、これからは僕が君たちを人間として過ごせる様に頑張るから」

「え……?」


その時の司令官さんの目はとても印象的で、今にも涙を零しそうなほど潤んでいました。




「いいかい? それは、前任である司令官が勝手に言ってた事なんだよ。電ちゃんは艦娘として確かに戦っているけど、こうやってちゃんと話もするし、喜んだり悲しんだりもする。つまり、感情があるじゃないか。そんなこと兵器には絶対出来っこない」

「……」


確かに私たちは喜んだりも悲しんだりもします。

こうやって他の人たちともコミュニケーションが取る事も出来ます。


「それに。そうやって疑問を抱くって事こそ、立派な人間だという証拠じゃないのかな?」


疑問だって抱きます。

死生観についても幼心ながら理解しているつもりです。


「兵器だったら、そんな存在理由なんて疑問に思わないでしょ?」

「……」


「だから、電ちゃんは兵器なんかじゃないよ。立派な人間だよ」




しかし、私は司令官さんの言葉に対して、素直に喜ぶ事が出来ませんでした。

その言葉は、この時の私にとっては、酷く狼狽させるだけのものなのでした。



何故なら、今まで「兵器」として生きてきた私が、突然君たちは「人間」であると告げられても、正直、困るだけなのです。



勿論、司令官さんの顔を見れば、それが善意であると言う事は重々承知なのです。

しかし、司令官さんのそうした行き過ぎた善意こそ、私が今まで兵器として生きてきた立場、「艦娘」としての立場を否定してしまったのです。




「そうなのです……私が間違っていたのです。ありがとうなのです、司令官さん」

私は作り笑いで司令官さんに答えました。


司令官さんは私の返事を聞いて、ほっと胸を撫で下ろし、いつもの温厚な表情を浮かべ、私から離れました。


「それじゃあ、この話は止めにしよう。もう、一五○○だし、ちょっと休憩しようか? 間宮さんのアイスクリームでも食べようよ」

「……はいなのです!」




ごめんなさい、司令官さん。


私は司令官さんの善意を受け取るには、兵器としてあまりにも長い時間を過ごしてきました。



私は終業後、囮部隊時代には決して寝たことがないような、質素ながらもふかふかなベッドに身を沈め、こんなとき軽巡のお姉ちゃんならどうするのだろうかと、何度も考えたのです。


しかし、答えは出ませんでした。



私は「兵器」としての戦い方は軽巡のお姉ちゃんから教わりましたが、「人間」としての生き方については何一つ教わる事が出来ませんでした。




──────


「あら? 書類のここの部分、間違っているわよ」

「あ……本当なのです」


秘書艦として私の他にもう一人、空母のお姉さんが居ました。

司令官さんが着任された際に、一緒に着任した方なのです。



私は空母のお姉さんの事を「お姉さん」と呼んでいました。


軽巡のお姉ちゃんとは違い、名前は今でもきちんと覚えていますが、私にとっての「お姉さん」は空母のお姉さんの他には居ませんから、今でも「お姉さん」呼びなのです。


お姉さんは、再編成された主力部隊の旗艦でもあり、私とは秘書艦業務の際によく一緒にお仕事をしたのです。




いつも戦ってばかりいた、私にとって秘書艦業務は初めての経験でした。

当然、秘書艦になった頃は、書類不備や資材の数字間違いなど失敗ばかりなのでした。


私はこの時、秘書机に座り、書類の作成業務を行っていました。

お姉さんは時々、私の横に立って、こうして私のミスを指摘してくれたのです。




「……ごめんなさい」

「どうして謝るのかしら。確かにまだまだ不慣れでしょうけど、誰にだって失敗はつきものよ」

「なのですが……正直、私にこの仕事が務まるのですか?」


お姉さんはちょっと考え込んでから、答えました。


「……確かに人それぞれ向き不向きはあると思うわ」

「そうなのです……今まで海でずっと戦ってきた私が秘書艦なんて務まるはずないのです……」




そう呟き、しょんぼりとする私に対して、お姉さんは私が座っている椅子の後ろへと立ち、ゆっくりと私の肩に手を乗せました。


「いいこと、電ちゃん? 最初は誰だって初心者なのよ。誰にだって失敗する事はあるわ。それこそ私でさえ時々間違える事もあるしね。大切なのはどんなことでも精一杯にやる事よ」

「精一杯、なのですか?」


「そうよ。何事も精一杯頑張る事が大切なのよ。電ちゃんは頑張り屋さんだし、それに飲み込みも早いから、その内、立派にこなせる様になるわよ」

「……ですが」




そうは言っても、失敗するのはとても辛いのです。

せっかく、こんな私でもこのように期待されているのですから、その期待に応えようと精一杯頑張ってはいるのです。



部隊の旗艦でしたら上手くこなすことが出来ます。

ですが、秘書艦業務は直ぐに失敗してしまいます。



私は海のように中々上手くいかない、私自身に苛立ちを覚えました。

お姉さんのように上手く仕事が出来ない、私自身に苛立ちを覚えました。



その様子を察したお姉さんは、座っている私の頭を自身の胸へと引き寄せて、そっと私の頭を撫でました。





「そうねぇ……後は転び方を学ぶことかしら?」

「……転び方、なのですか?」


お姉さんを見上げる形で顔を向けてみると、お姉さんはとても優しい微笑みを私に向けていました。




「ええ。当たり前だけど、好きで転びたがる人なんて居ないわ。だから、みんな必死に転ばないようにする方法を学ぶのよ。でも、そういった人は転んでしまった時に立ち上がれなくなってしまうの。転び方や起き上がり方を知らないからね。前もって転び方を学んでおけば、直ぐに立ち上がって歩く事が出来るわ」


ですが、そう話すお姉さんの微笑みには、どこかしら影があったのです。


「転ぶ事を恐れていると、歩けなくなってしまう。かと言って、知らないで進んでいたら、いつか転んでしまって、立ち上がれなくなってしまうのよ」


もしかしたら、お姉さんは、私以上に苦労を重ねてきたのかもしれないのです。



「いっそのこと、転んでしまっても、失敗してしまってもいいやって考えていた方が、肩の荷が下りて、不思議と失敗も減っていくものなのよ」


お姉さんは私から離れ、私が座っている秘書机の前に移動し、とても穏やかな笑みを投げかけました。





「大切なのはどんな事も精一杯にこなして、もし転んでしまったら、何も考えずに立ち上がり、例え一歩ずつでも前に進むことよ」

「一歩ずつでも前に進む事……」


「そうよ。だから、電ちゃんも無理とは言わず、もうちょっとだけ頑張ってみたらどうかしら?」



その時の私の目には、お姉さんと在りし日の軽巡のお姉ちゃんの姿が重なって見えました。



「……はい、なのです! もうちょっとだけ頑張ってみるのです!」



そのせいか、もうちょっとだけ頑張ろうと思ったのです。






空母のお姉さんの言う通りに、失敗してもいい、けれども頑張って続けてみよう。

少しでも前に進む事が大切なんだと思いながら、不慣れな秘書艦業務を頑張ったのです。



不思議なものなのです。

気が付けば、昔ほど失敗は無くなり、秘書艦業務は今ではすっかりお手の物になりました。




──────


今の司令官さんが着任して1年が経過しました。

相変わらず任務は少なく、戦果は上げられませんでしたが、ふと気が付けば、司令官さんが指揮するこの鎮守府に慣れてきた私が居るのです。



「君たちは人間だから。こう言った季節のイベントも楽しまなくちゃね」


そう言って司令官さんは、季節の催しを率先して開きました。


お正月から始まり、節分やバレンタインデーのチョコレート作り、鎮守府内での細やかなお祭りやクリスマス、秋刀魚を取って食べたりなど、前の司令官さんでしたら考えられないような催しを開きました。


どれもとても楽しい時間なのでした。




──────

また、ある日、私が風邪をひいてしまって何日も寝込んでしまった時は、お姉さんが看病してくれたのです。


「大丈夫? 無理しちゃダメよ。電ちゃんはゆっくり良くなる事だけを考えればいいのよ」

そう言ったお姉さんは、おかゆを食べさせてくれたり、毎晩、私の手を握ってくれたのです。



「女の子は綺麗でなくっちゃね」

お姉ちゃんは私の身体を拭いてくれたり、着替えさせてくれたり、私の髪を梳いてくれたりもしてくれました。



「焦らなくてもいいわ。一歩ずつ前に進んでいけばいいのよ」

そう言ってお姉ちゃんは、私が眠るまで、赤ちゃんをあやす様にぽんぽんと私の胸を叩いてくれたのです。




私はその時初めて、「人間」としての温もりを感じたと思うのです。


「人間」としての幸せを感じたと思うのです。


こうした細やかな幸せが「人間として生きる」という事なのでしょうか。


もし、そうで無かったとしても、お姉さんから貰ったこの温もりを、私は一生忘れないでしょう。




──────

「そういえばお姉さんは、司令官さんとは長い付き合いなのですか?」

お昼休憩の際に、ふと司令官さんの事をお姉さんに尋ねてみました。



「ええ、かれこれ5年近くになるかしら。あの人とは士官学校からの付き合いになるわねぇ」

「士官学校、なのですか?」


そういってお姉さんはしみじみとした表情で、昔の事を回想していました。



「ええ。私、最初は士官学校に所属していたのよ……あまりいい思い出は無いかしらね」


そう言ったお姉さんの表情には影があり、とても弱々しい笑みを浮かべていました。




「当時はまだ、今よりも艦娘を好く思っていない人が多かったの。それはもう、この頃の艦娘たちに対する風当たり強さは凄まじいものだったわ……ある日、私が4、5人の士官生に絡まれちゃってね」

『お前は艦娘だから、黙って俺たちの言う事を聞け』

「って感じに脅されたのよ。まったく酷いものだわ」


お姉さんは悲しみを吐き出す様に、ひとつ吐息を吐きました。




「正直、それもあってか、私も半ば諦めていたのよ……艦娘として生まれた以上、人並みの幸せなんて望めない、なんてね」



艦娘として生まれた以上、人並みの幸せなんて望めない。



私はその言葉の重さに、思わず口を閉ざし、俯いてしまいました。





「その時の私はちょっぴり自暴自棄になっていたのかしらね。誘われるまま、その人達に着いて行こうとしてしまったのよ」

「……」


「それで、たまたま通りかかったあの人が助けてくれたの。それが最初の出会いね」


そう言うとお姉さんは、先程のしみじみとした表情に戻りました。



私は先ほどの重い言葉を振り払うように口を開きました。


「……そうだったのですね……なんていいますか、まるで映画みたいで、とてもロマンチックなのです」


しかし、そう言う私とは裏腹に、お姉さんは先程のしみじみとした表情とは打って変わって、ばつの悪そうな表情を浮かべました。




「……正直、そんなにロマンチックな場面では無かったわ」

「どういう事なのです?」

「だって、あの人がずかずかと近づいて来たと思ったら……」

「思ったら?」



「私の存在を無視して、いきなり私に絡んでいる士官生に殴り掛かったのですから」





私は驚愕しました。

何時もの温厚そうな司令官さんのイメージとはかけ離れていた行動だったからなのです。


「私もその時は本当びっくりしたわ……その後は蜂の巣をつついたような大乱闘よ。その士官生たちはあの人よりもずっと身体が大きい人が多かったんだけども……そんな事お構いなしに暴れまわったわねぇ。あの人も血を流してボコボコだったけど、相手の方が顔の形変わってるんじゃないかってくらい酷かったわ」


お姉さんはばつの悪そうな、けれどもどこか懐かしい遠い日を回想するような表情で続けました。


「それにあの人、相手の耳に噛み付いて、引き千切ろうともしてたわねぇ。流石にその時には監督官が来て、止めてたけど……半分以上引き千切れてたみたいたっだし……多分そのままだったら相手の耳が無くなってたんじゃないかしら?」



私は、司令官さんの事を少し勘違いしてたかもしれません。

私はこの話を聞いて、今の司令官さんの認識を改めないといけないのかもしれないのです。




「……よくそれで司令官さんは無事で居られたのです」

「……海軍中将のお父様の一人息子でもありますからね。その時、多少なりとも、お父様の口添えはあったかもしれないわ」



なるほど、と私は頷きました。

軍人さんは縦社会、それが中将さんともなれば多少のごたごたぐらいは無かったことにするでしょう。



──私が生きた囮部隊と同じように。





「それでしばらく経ったある日、たまたまあの人に会ったからお礼を言ったのよ。そうしたらあの人ったら」

『あいつらは君たちの気持ちを理解できないクズだ。だから、ムカついて殴り掛かっただけだ。別に君の為ではない』

「って言ったのよ」



そして、お姉ちゃんはどこか憂いを含んだ表情を浮かべました。




「ただ、あの時のあの人の背中はとても悲しそうだったわ」

ふと昔、私が「私は兵器です」と言った際に激高した司令官さんの姿を思い出しました。



「多分だけど、真面目で正義感が強すぎるあまり、誰も親しい人が居なかったんじゃないかしら」

その時の司令官さんは、激高こそしていたものの、その表情はとても悲しい顔をしていました。



「こういう衝突を度々起こしている事もあってか、真面目な優等生だったはずなのに、士官学校一の問題児として監督官たちも煙たがってたみたいだしね。それで、何となく放っておけなかったのよ……でも、気が付けば、苦しい時も楽しい時も、あの人といつも一緒だったわ」


「確かに司令官さんはちょっと怒りっぽいところもあるけど、見た通りとても優しい方なのですね」

私の言葉を聞いて、お姉さんも嬉しそうに口を開きます。




「ええ、まだ司令官としては未熟ですが、とてもお優しいお方ですわ。さっき話したみたいに、ちょっと正義感が強すぎるところもあります。でも、実際のあの人はああ見えてとても繊細で弱い人なのよ」


私は2人はずっと苦労してきたんだなと思いました。



「それに……確かに私は艦娘だけど、こうやって人間として生きる事をあの人は許してくれたわ」

そして、お姉さんはうれしそうに左手薬指に付けた指輪をさすっていました。



「まだまだ戦争中ですけど、それが終わったら、二人で一緒に暮らそうって言ってくれました」

その表情はとても生き生きとしていました。




正直、羨ましくもありました。



私は、昔は「兵器」として扱われて生きてきましたが、今は「人間」として扱われ、生きています。

私もこんな風に生きられたらいいなと思ったのです。



何時かは、私もこんな風に「人間」として幸せに生きていける。

そういう希望を抱かせてくれる瞬間なのでした。




もし、神さまが居るとすれば、その人はとても意地悪な人なのです。





──────


さらに半年が過ぎた時に、事件は起きたのです。

それは、私が秘書艦として執務室で司令官さんと共に、事務作業を行っていた時の事でした。



『提督! 大変です! 南方海域に展開中の主力部隊が大規模な敵部隊の急襲に遭いました!』





突然、執務室のドアを開けて入ってきたのは、作戦室で部隊の戦況をモニタリングしている艦娘のひとりでした。


「なんだってっ!? 馬鹿な……あの海域には大規模な部隊は展開していない筈……! それで部隊の皆はっ!?」


その報告に司令官さんは立ち上がり、執務机から身を乗り出して、モニター係の艦娘の言葉を待ちます。

私も同じく秘書机から立ち上がって、その報告に耳を傾けました。




『大破多数の報告あり。現在、部隊は戦闘区域を離脱し、後援部隊の護衛と共に帰港途中との事です……』


「そうか……よかった……そうだ! 彼女はどうしたんだい!? 彼女もケガを?」



彼女とはお姉さんの事なのです。

この時、お姉さんは主力部隊の旗艦として任務に当たっていました。




『提督……落ち着いて聞いてください……』



しかし、ゆっくり胸を撫で下ろす私と司令官さんとは裏腹に、その言葉を聞いたモニター係の艦娘は青ざめた表情で、その震える唇を開きました。



『その際、部隊の撤退を援護した旗艦である空母の――ですが……部隊の皆を庇って……』




「……え」







『轟沈しました』






──────


――もし、神さまが居るとすれば、その人はとても意地悪な人なのです。


余りにも、突然すぎる出来事なのでした。



私はお姉さんが沈んだ事を実感できず、司令官さんの言葉を待たずに、衝動に駆られるように艤装を展開し、何名かの錬度の高い艦娘たちを引き連れ、南方海域に向かいました。



しかし、結果は無駄でした。





大規模部隊の影は既に無く、巡回する小規模の敵部隊との接触が殆どでした。



そして、私はお姉さんが沈んでしまったと報告書にあった場所に向かいました。

そこにお姉さんの影は、どこにもありませんでした。


只々、海と空の境界が四方の水平線まで広がっていました。



その海は、先程まで戦闘が行われていたとは思えないほど、残酷なまでに澄み渡っていました。




帰港後、一緒に出撃した艦娘に帰還報告を依頼し、私はそのまま自室のベットに倒れ込みました。



そして、お姉さんが居なくなったという実感が湧かなかったのにも関わらず、私は一晩中わんわんと泣きました。


軽巡のお姉ちゃんが居なくなった時と同じぐらい、わんわんと泣いたのです。




──────


しばらく泣いた後、泣きつかれた頭で、ある考えが浮かびました。



もしかしたら、軽巡のお姉ちゃんも空母のお姉さんも実はどこかでひょっこり生きているのではないか。

そういった幻想を抱きました。



でも、いくら待っても、軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんが私の目の前に現れないという現実で、その幻想は塗りつぶされてしまったのです。




──────


「……司令官さん、入るのです。ごはんを持ってきたのです」

「……」


その後、私は司令官さんが普段寝泊りしている部屋に毎食ごはんを運びました。

正直なところ、お姉さんが居なくなった事がとても悲しくて、仕事どころではありませんでした。


「司令官さん……何か食べないと、身体に悪いのです……」

「……」


ですが、それ以上に今の司令官さんの姿はとても痛々しく、放って置けるものではありませんでした。




お姉さんが居なくなったその日から、私や他の艦娘たちの声が司令官さんに届く事はありませんでした。

最初に見せた司令官さんの、大きく輝かせた目がまるで無かったかのように、水底のように深く、光の無い目で、ただ部屋の真正面を見つめていました。


ニコニコとした表情も、激情する表情も、まるで嘘だったかのように、今では空虚な表情を浮かべています。

ただ司令官さんは、時々譫言のようにお姉さんの名前を呟きました。



私はごはんを食べさせる為にスプーンで司令官さんの口元にごはんを運びました。

しかし、胃が受け付けない為か、食べても直ぐに戻してしまいます。


なるべく清潔に保てるように身体を拭いてあげたり、着替えを手伝ったりもしました。

しかし、その時でさえ、司令官さんはまるで糸の切れた人形の様に虚空を眺めていたのです。



私は悲しみを押し殺し、他の艦娘たちが心配しないように秘書艦として最低限の業務を行いました。


また、主力部隊での戦闘経験が豊富な艦娘に戦闘に関する指揮を任せ、防衛任務だけを行うように指示しました。

その艦娘は、司令官さんのやり方に多少なりとも反発を抱いていた艦娘でしたが、流石に司令官さんの様子を見た以上、その姿を憐み、その指示を承諾してくれたのです。




──────


「……やぁ……電ちゃん」


「……司令官さんっ!? お身体の方はもう大丈夫なのですか……?」



そんな日々が1か月も続いた、ある日。


ふと司令官さんが執務室にやってきました。

大分やつれてはいましたが、目には幾分か光が戻っていました。





「……ごめん……心配かけたね……でも、もう大丈夫だよ」


そう言った司令官さんは、おぼつかない足取りで執務机に座りました。

私は司令官さんの体調を気に掛けながら、事務作業を行いました。



その時の司令官さんは手紙を書いていたのです。

そして、しばらくの後、手紙を認めたかと思うと、後はずっと執務室の窓から外の海を眺めていたのです。



その海は残酷なほど、蒼く澄み渡っていました。





「……何故、彼女は死ななければならなかったんだろうね」


数刻の後、司令官さんはぽつりと弱々しい声でつぶやきました。


私はその言葉を聞いて、書類から目を離し、司令官さんを見据えました。

司令官さんの表情は、どこか諦観したような表情でした。



「司令官さん……」


「全て僕のせいだ……僕が彼女を戦地に送らなければ……僕が……彼女を殺したんだ……」




私は居ても経ってもいられず、司令官さんの元に歩み寄り、そして座っている司令官さんの頭を自身の胸へと引き寄せて、そっと頭を撫でました。



「大丈夫なのです。司令官さんは何も悪くないのです……」



私は子供に言い聞かせるように何度も「司令官さんは悪くない」と語りかけました。


司令官さんは、私に身体を委ねるように、ただひたすら、私の胸の中で泣いていました。




──────


「電ちゃん」


司令官さんが泣き止んだ後、司令官さんは顔を上げました。

その顔はどこか憑き物が落ちた様子で、以前と同じ優しい顔になっていました。



「ありがとう。それと……ごめんね」



そして、司令官さんは私の胸から離れ、私の肩にぽんと手を乗せた後、執務室を去りました。



「ごめんね」と謝った意味が解ったのは、もう少し後の事なのでした。





──────



次の日、司令官さんは姿を消しました。



残されていたのは、司令官さんのお父さん、海軍中将さんに宛てた1通の手紙だけでした。

私は中身を読んでいないので、その内容は分かりません。



すぐに海軍中将さんの指揮の元、捜索隊が組まれ、私も一緒に司令官さんを探しました。

しかし、1週間、2週間しても司令官さんの姿は見つかりませんでした。



1か月の後に、大規模な捜索は行われなくなり、その後、捜索は打ち切られました。


結局、司令官さんが何処へ行ったのか、何一つ手がかりは見つかりませんでした。




ですが、私は思うのです。


――司令官さんは恐らくお姉さんの元へ向かったんだと思うのです。




その後、以前臨時に指揮を執った大本営の高官さんから、次の司令官さんが着任するまでは、私が最低限の指揮を行うようにと指令されました。

空母のお姉さんに秘書業務を教わっていたお陰で、最低限、鎮守府維持の為の活動を行うことが出来る事もあり、私はその指令を受けました。




私は秘書机に座り、大量に送られてくる資料を眺めながら、在りし日のお姉さんと司令官さんの事を回想しました。



結局、お姉さんは死ぬときは「人間」としてではなく、「兵器」としてその職務を全うしました。

そして、「人間」である司令官さんも彼女の後を追いました。





ふと、ある考えが私の脳裏を横切りました。



もし、軽巡のお姉ちゃんでは無く、私が身代わりとなって沈んでいたら。

もし、空母のお姉さんでは無く、私が身代わりとなって沈んでいたら。



どうして私だけが生き残ってしまったのでしょうか。



その事だけが、ただ疑問として頭に残りました。


しかし、その答えは、いくら考えても見つからず、結局は私が生き残ってしまったという事実だけに行き着きます。






──次の司令官さんは、一体どんな人が来るのでしょうか。





『貴様は「兵器」だ』


いっそのこと、このまま「兵器」として生涯を閉じた方がどれだけ楽だったでしょうか。

ですが、そう指示を出してくれる司令官さんはここには居ません。



『電ちゃんは立派な「人間」だよ』


しかし、「人間」として生きていいという希望も司令官さんに与えられました。

ですが、その司令官さんもここには居ません。






私は──。



私は、「兵器」として生きていけばいいのか、「人間」として生きていけばいいのか。

この先、どちらを選んで生きていけばいいのか、私にはわかりませんでした。



いずれはどちらかを選ばなければいけないでしょうが、私は結局どちらも選べませんでした。



私は、そんな中途半端な私の存在が嫌になりました。

私は、兵器としても人間としても生きる事を許されない、「艦娘」という私自身の存在が嫌になりました。



軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんが沈んでしまったのに、こんな中途半端な私が生きていて、果たして許されるのでしょうか。



こんな私に生きている意味なんて、本当にあるのでしょうか。






戦争はまだ続きました。




もし、私が平和な世界に生まれたなら。


もし、私が艦娘として生まれなければ。



もう少し、違った生き方が許されたのでしょうか。







――――――そう感じるのは、君は「兵器」でもあり「人間」でもある、「艦娘」だからなんだよ。







◆3人目の司令官さん



面白いな、これ



──────


「この度、着任する事になった――だ。よろしく頼む」


前任の司令官さんの失踪からしばらくの後、新しい司令官さんが着任しました。



40代ぐらいの司令官さんは、とても変わった人なのでした。

身なりはキチンとしてはいましたが、その顔は、お年に似合ず、死んだ人の様な顔つきなのでした。

まるで、失踪前の前任の司令官さんのようなのです。



最初の頃は、他の艦娘たちもその司令官さんの姿に不安がり、大本営が死人を送りつけてきたと揶揄される事もありました。

たったひとつ、死人と違うところを上げるとすれば、水底のように深く、静かに光らせた柔和な目だけが、司令官さんは死人ではないと物語っていました。


その目は、私が見た他のどの司令官さん達にも無かったものなのです。




──────


この時は、戦争も既に佳境に入っており、深海棲艦との戦いも、よりいっそう激しさを増して行きました。


それもあってか、大本営はこれ以上の戦いは共倒れの可能性があり、更には国民の間に厭戦感情が蔓延していた事もあり、深海棲艦側との交渉が可能だという事が判明してからは、ある程度の譲歩の元、停戦に持ち込もうとする動きがありました。


しかし、それが末端に伝わるわけもなく、私たちは相変わらず戦争を繰り返していました。

そんな中で唯一うれしい事があったとすれば。




「あら! 久しぶりじゃないの、電!」





「えっ……暁ちゃん? それに……」



「電、давно не виделись(久しぶりだね)」

「久しぶり、電! 元気だった?」



「響ちゃん、雷ちゃんまで……どうしてみんな、ここにいるのですか?」



艦娘として一緒に生まれたお姉ちゃん達と再会出来た事なのです!



「あれ、聞いてなかったのかい? 今日からここの鎮守府に配属になったんだ」

クールな口調で話す響ちゃん。


「そういうことよ! 私が来たからには安心しなさい」

ふふん、と鼻を鳴らす暁ちゃん。


「それにしても電は秘書艦なのね! お姉ちゃんとして誇らしいわ! でも、何かあれば私に頼ってもいいからね!」

腰に手を当て、ニカっと八重歯を見せる雷ちゃん。



みんな、昔見た時よりもずっと大人っぽくなってはいましたが、性格はあまり変わっていなくて、とても安心しました。


それだけが、私がこの戦争の中で得られた喜びであり、幸せなのでした。





──────


「それにしても、司令官さんは凄いのです」

「……凄い、とは?」


この司令官さんはとても無愛想なのでした。


基本的に私的な事を話そうとはしません。

会話も事務的に済ますことが殆どでした。

こうやって話しかけている間でさえも書類から目を離そうとはしません。



最初、会った時はあまり良い印象を受けませんでした。



『貴様は「兵器」だ』

そう言った、最初の司令官さんと同じ事を言われるかと思いました。

でも、そんなことは一言も発さずに、ただ淡々と私たちに指令を下しました。




「これだけの戦果を挙げておきながら、誰も沈める事がないのです。何か秘訣でもあるのですか?」


しかも、司令官さんは私が知っているどの司令官さん達よりも戦果を挙げていました。

それなのに、大破はあっても、艦娘を沈めさせる事はありませんでした。



職務以外でしたら司令官さんは、私がお昼に誘えば断る事はしません。

私が話しかければ、余程の事がない限り、話を返してくれます。



ですので、決して悪い人ではない筈なのです。



戦艦や空母からは短く的確な指示を飛ばす事で信頼が厚い司令官さん。

軽巡や駆逐艦からはぶっきらぼうながらも相談に乗ってあげる司令官さん。


そんな事もあってか、比較的みんなから慕われていました。




――正直な所、この時の私は、この司令官さんの事が苦手でした。


決して悪い人ではない筈なのです。


ですが、司令官さんが私の事を、艦娘たちの事をどう思っているのか、全く解らなかったのです。


それでも、何とか会話を重ねて司令官さんの事を理解してみようと、私は頑張ったのです。




「自ずから然るだ」


しばらくの沈黙の後に、司令官さんは顔を上げ、私の方へと顔を向けました。

そう答えた司令官さんの顔は、戦果を上げたとは思えないほど、とてもつまらなそうな顔でした。



「流れに無理やり乗ろうとするとこちらの損害が増えるし、逆に憶病になっていたら相手に主導権を握られてしまう」

「ええと……ごめんなさい、よく解らないのです」


「難しく考えない方がいい。戦いは全て簡単な駆け引きだ。相手が引いたなら、こちらが押し、相手が押してきたら、こちらが引く。そうやって流れのまま戦う。これさえ出来ていれば、まず負けはしない」


どこかで聴いたことがある返答に私はドキリとしましたが、司令官さんは言葉を続けます。




「そして、何も考えず、成すべき事を淡々と成す事だ。戦果が欲しい、地位を上げたい、もっと上手く出来ないか……そうした欲に目を奪われない事だ」

「欲、なのですか……?」

「ああ。欲に目を奪われては、今、目の前に起きている現実に目を背けてしまう。そして、知らぬ間に現実の波に飲み込まれてしまう」



司令官さんは小さな溜息を一つ吐きました。



「これは陸での戦いの話だが、例えばナイフを持った相手が君に迫ってきたとしよう。君は逃げられない、凶刃は君の直ぐ目の前だ。君ならどうする?」

「ええと……」



私はしばらく考えた後に、答えました。


「……無我夢中で何とかしようとするのです」




司令官さんは私の言葉に一瞬嬉しそうな笑みを浮かべましたが、直ぐに無表情に変わりました。


「その通りだ。相手に勝ちたいとか相手を倒して賞賛されたいとか、ナイフが迫ってきている瞬間にそんな事を考える輩など何処にも居ない。仮にそう言った事を考える輩が居るとすれば、それは目の前で起きている現実に目を背けていると言う事に他ならない。それが欲だ」


そうして司令官さんはもう一度小さな溜息を吐きました。


「海での戦いも同じだ。君たちを指揮する私が欲の波に飲み込まれれば当然、その場で戦う君たちもその波に飲み込まれる。陳腐な言葉だが、欲なく淡々と任務をこなす。そうでもしなければ、司令官は務まらん」





私は、こんな風に戦局を大観して、実際に戦果を残している司令官さんの事を、只々凄いと思いました。


「やっぱり司令官さんは凄いのです! 私ももっと司令官さんを見習わなくちゃ、なのです! 私も部隊を指揮する旗艦なのですから、司令官さんのように、旗艦として皆を沈めさせないようするのです!」



私は目を輝かせて、そのように司令官さんに答えました。



私がもっと早く司令官さんにその事を教わっていれば、きっと軽巡のお姉ちゃんも空母のお姉さんも沈まなかったかもしれないのです。

その事だけが悔やまれます。



ですが、まだ間に合うはずなのです。

これならお姉ちゃん達も――。



「駆逐艦・電」






「残念だが、それは君の驕りだ」



「え……?」



しかし、私の考えとは裏腹に、司令官さんは、先程のつまらなそうな表情とは打って変わり、只々、無表情な顔で、私に諭すように言葉を投げかけました。





私は司令官さんのその言葉に思わず辟易しました。


司令官さんのその時の目は、まるで海底のように深い眼差しなのでした。

その目が私に言葉を紡がせる事を躊躇わせました。


私にはその眼差しが、とても恐ろしいもののように感じさせられました。




「人の生き死に、それは天のみぞ知る。私や君がいくら策を弄した所で、時の運によっては部下が沈む事だってある。そこは自然の流れに任せる他ない。私は司令官として、その流れの中で私の全てを表現するだけだ」

そう言った司令官さんは、先程と表情を変え、在りし日の軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんが見せた様な笑いを私に投げかけました。



「それで部下が沈み、他の部下に恨まれたり、刺されたりしても、私は一切文句は言わんよ。私が指揮をした結果だ。あるがまま受け入れよう」

その微笑はとても悲しく影がありましたが、とても優しい顔なのでした。



「この波を上手く乗り切れば、直に戦いも終わるだろう。それまでは、よろしく頼むよ」




──────


その後も司令官さんは、皆を沈めさせる事無く、戦果を挙げていきました。


気が付けば、この鎮守府は以前よりも戦力が増し、今では重要な拠点の一つとなっていたのです。

その功績から、司令官さんは何度も勲章を貰いました。



しかし、司令官さんは相変わらずつまらなそうな顔で、まるで腫物を扱うように勲章を戸棚の奥へとしまい、粛々と任務をこなしていきました。





──────


「司令官さん。もしダメじゃなければ、お姉ちゃん達や鎮守府の皆と一緒にクリスマスパーティーを開きたいのです」


クリスマスの数日前。

ふと私は、空母のお姉さんと前任の司令官さんの事を思い出し、今の司令官さんに提案しました。



「軍紀を乱さなければそれでいい。君の好きにしたまえ」



司令官さんは何時もの仏頂面とは裏腹な言葉を私に投げかけてくれましたので、私は司令官さんの代わり、秘書艦として、季節の催しを率先して開きました。


クリスマスから始まり、節分やバレンタインデーのチョコレート作り、鎮守府内での細やかなお祭りやお正月、秋刀魚を取ったりなど、前任の司令官さんと同じように、でも今度はお姉ちゃん達と協力して催しを開きました。



どれもとても楽しい時間なのでした。



その後も私は、秘書艦として頑張りました。

お姉ちゃん達と戦いに出る事もありました。

でも時々、休みをもらってはお姉ちゃん達と遊んだりもしました。


その時ほど「兵器」とか「人間」とかを考えずに過ごせていた時間は無かったと思います。




──────


「……ねぇ、電」


「……ん……暁ちゃん? ……どうしたの?」


そんな日々が続いて早1年。

お姉ちゃん達と同じ部屋のベットで寝ていたある晩のことです。


暁ちゃんが寝ている私を小さく揺さぶって起こし、語りかけました。



「……少し、怖い夢を見てしまったのよ。一緒に寝てもいいかしら?」

「うん……いいよ」


私がそう言うと、暁ちゃんは私の布団へと潜り込み、そして私をそっと抱きしめました。



「……暁ちゃん?」

「……」


しばらくの後、暁ちゃんは意を決したように私へと視線を投げかけました。





「……電はさ……この戦争が終わったら、どうするか決めてるの?」


「……え?」






『日本国政府、深海棲艦との間に停戦協定の兆し! 締結秒読みか!?』



この頃には、深海棲艦と停戦協定を結ぶ為の専門の機関が国で組織され、日夜、交渉に当たっていました。

それもあり、戦争はまだ続いていたものの、連日そうしたニュースが世間を騒がせていました。



誰だって戦争は嫌なのです。



日に日に増す終戦ムード。

私は終戦後の事なんて考えていませんでした。



「……まだ決めてないのです」




「そう……私ずっと考えていた事があるの」

暁ちゃんは優しく、そして凛とした表情を私に投げかけました。



「この戦争が終わったら、鎮守府を出て、私たちと一緒に暮らさないかしら?」



その表情はとても生き生きとしていたのです。




私は暁ちゃんの表情を見て、とても断る訳にはいかず、二つ返事で首を縦に振りました。



それを見た暁ちゃんは、安心した表情で私を強く抱きしめました。

その温もりはとても温かったのです。



「そう! よかった、実はもう響と雷にはこの事を話していたのよ。これで皆仲良く暮らせるわ」




ごめんなさい、暁ちゃん。

正直、私はどうしたら良いか決めかねているのです。



私は終戦後の事なんて考えていませんでした。

いえ、考えないようにしていました。




だって「兵器」としても「人間」としても中途半端に生きてきた私が。

鎮守府の外で人間として生きられるのか、ましてや戦後、どうやって生きていけばいいのだろうか。



全く答えが見つかっていなかったからなのです。





──────


「こちら駆逐艦・電より作戦室。定時連絡、輸送部隊に異常なし。予定通りの海路で○二○○に入港予定。どうぞ」

『作戦室より駆逐艦・電。了解、継続して暁、響、雷と共に輸送任務に当たれ。通信終わり』



「……どうやら何事も無く終わりそうだね」

「そうね、響。怖いくらい順調に行ってるわね。レディーとしてはちょっと刺激が足りないかしら」


終戦が近い、ある冬の日の事です。

私たち姉妹は、他国から輸入される資源を母港へと運ぶ遠征任務に就いていました。




「……あれ?」

「どうしたのです、雷ちゃん?」


「……あそこの孤島で何か動かなかった?」


そう言って雷ちゃんは、直ぐ先にある輸送ルート上に存在する孤島を指さしました。



怪訝そうな表情で響ちゃんは孤島を見据えます。

「ソナーには反応なし……待ち伏せ、かもしれないね」




響ちゃんの言葉に私たちに緊張が走ります。

暁ちゃんはゆっくりと砲塔の安全装置を解除しました。


「どうするのよ? 私たちの任務はあくまで資源輸送任務よ。敵の数にもよるけど、交戦したら、任務どころじゃなくなるわ」


お姉ちゃん達の視線は、旗艦である私に向けられます。

私は寸秒の後、考えをまとめて、口を開きました。


「……とりあえずは何時でも攻撃できるようにゆっくり静かに進むのです。敵を見つけ次第、直ぐに指令室に連絡しながら撤退。敵の数によっては資源をその場に投棄する必要もあるのです」




お姉ちゃん達はその答えに満足したように頷きました。


「そうね……雷の見間違えって事もあるけど、油断は出来ないわよね」

「そうだね。じゃあ、任務を続けようか」

「んー、腕が鳴るわね!」



そうして、私たちは敵が待ち伏せしていた場合の事を考え、船速を下げ、孤島へと近づきました。

流石にこの戦争を生き抜いてきただけあって、お姉ちゃん達の錬度は高く、その動きに無駄が何一つありませんでした。



私たちは孤島の岩陰を利用し、敵から不意打ちを受けないよう、警戒しつつ、資源を運びました。




「!……待って、岩陰に誰かいるのです」



私は声を潜めてお姉ちゃん達に投げかけます。

その言葉にお姉ちゃん達にも緊張が走りました。




「……クソッ……艦娘ドモメ……」






私が岩陰で見つけたのは、大破した空母ヲ級なのでした。

雷ちゃんは恐らくこのヲ級の影が動くところを見たのでしょう。



勿論、大破しているので攻撃能力はありません。



それに、今の時間は夜なのです。

見た限りフラッグシップでは無い為、いまの時間帯に艦載機を飛ばす事は出来ないはずなのです。




「……そういえば昨日、ここから近い場所で別の鎮守府が大本営の指示を無視して大規模な戦闘を行ったらしいわ。多分、その生き残りかしら……」

声を潜めて暁ちゃんは言います。



「こちらには気づいてない……他に人影は無し……どうするんだい?」

辺りを警戒しつつ、私に指示を促す響ちゃん。



「怪我しているわ……罠かもしれないけど、いくら敵でも放っておけないわよね……」

雷ちゃんは複雑そうな顔を私に投げかけます。



いくら敵とはいえ、戦闘能力を失った敵を撃つのは、流石に躊躇いました。

再びお姉ちゃん達の視線は、旗艦である私に向けられます。




「……私が行くのです。あの位置なら、敵からの奇襲があっても上手く対処できるのです。念の為、お姉ちゃん達はいつでもサポート出来るようにお願いするのです」


しばらくの後、私は意を決してお姉ちゃん達に言いました。

その答えにお姉ちゃん達は頷いて同意してくれました。


「……分かったわ。気を付けてよ、電」



そうして私はお姉ちゃん達から離れ、ヲ級に砲塔を向けつつ、ゆっくりと近づきました。


おつつ
寝落ちかな



「……!」


ヲ級は私の接近に気が付くと、直ぐに艦載機を発艦させる準備をします。


「ク……来ルナッ!」


しかし、大破して、しかもフラッグシップでは無い普通のヲ級である以上、その行為は只の見せかけに過ぎないのは分かっていました。



近付くにつれて、ヲ級の表情は鮮明に私の目に映りました。

それは怒りなのか恐怖なのか分かりませんが、ただ、恨めしそうな表情で私を見据えています。



この様子から、待ち伏せという線は薄くなりました。

恐らくは暁ちゃんが言っていた通り、別の鎮守府との戦いでの生き残りなのです。



私は海と陸とでお互いが話せる距離まで近づき、口を開きました。



「……怪我をしているのですか?」





しかし、私の言葉とは裏腹に、その言葉を聞いたヲ級の顔はみるみる怒りに染まりました。



「ウルサイッ! ドウセ殺ス癖ニ、ヨクソンナ台詞ガ吐ケルナッ!」



私は殺すつもりは全くなかった為、ヲ級の思わぬ返答に辟易してしまいます。



「……畜生ッ……私達ガ何ヲシタッテ言ウンダ! 確カニ戦争ヲ始メタノハ私達ダガ、ソンナノハ始メダケジャナイカ!」



ヲ級はさらに私に対して言葉をたたきつけました。

その言葉は只々、私の心を抉りました。




「結局オ前達ハ、私達ヲ都合ノ良イ敵ニ仕立テ上ゲテ、タダ自身ノ保身ヤ自己満足ノ為ダケニ私達ヲ殺シテイルダケジャナイノカッ!……聞イタ話ダト、貴様ラノ言ウ提督ハ、私達ヲ殺シタ数ニヨッテ、勲章ヤ地位ガ決マルミタイダッテナ……違ウカッ!?」


「それは……」



私は口を開こうにも、反論の言葉が見つかりませんでした。

私たちの司令官さんは違うと言いたいところなのですが、少なくともヲ級が言った言葉は間違ってはいなかったからです。



「オ前ラハ、イツモ私達カラ奪ッテイク……!」



ヲ級はその目から大粒の涙を流しました。

ただヲ級の嗚咽だけが、月明かりが照らす、冬の孤島に響き渡りました。



「……部隊ノ仲間ハ皆死ンデシマッタ、残リハ私一人ダケダ……モウ嫌ダ! 頼ム、殺セ、殺シテクレッ! ソレデ貴様ラハ満足ダロ!」



そうして、藁をも縋るような目で私の砲塔を見据えました。





私は――。



私は悟ってしまいました。

結局、敵と言っても私たちと何ひとつ変わらないのだと。



感情も抱く、コミュニケーションも取れる。

ましてはこうやって死を懇願してきたのです。



そう考えると、深海棲艦は、私たち艦娘と何ひとつ変わらない存在なのです。



では、私のやってきた戦いの意味は。


私が生きてきた意味は。




「貴様ラハ所詮、人間ニ使ワレルダケノ兵器ニ過ギナイ」


『艦娘は深海棲艦を倒す兵器である』



「ソレトモ同情カ? ハッ、兵器風情が人間ノ真似事ナンテ滑稽ダナ!」


『貴様は「兵器」だ』




「殺スナラサッサト殺セ! 精々、私ノ首ヲ犬ノ様ニ咥エテ持ッテ帰リ、人間様ヲ喜バセルガイイサ!」





私はその言葉で今まで失われていた何かを思い出しました。


その時、私の目に映っていたのは、死を望むヲ級の姿ではなく、今まで私たちが沈めてきた、深海棲艦のひとりに過ぎない、敵の姿なのでした。




ええ、そうなのです。

私は兵器なのです。


艦娘は深海棲艦を倒すのが任務なのです。



軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんが沈んでしまったのに、こんな中途半端な私が生きている。



その存在理由だけが、中途半端な私が生きている意味なのです。

その存在理由だけが、私の中途半端な存在を許してくれるのです。





そして、ここで倒さなければ、お姉ちゃん達に危険が及ぶのです。





もう、私は、「お姉ちゃん」を失いたくは無いのです。





「……」


私は涙でぐちゃぐちゃになったヲ級の顔に、砲塔を向けました。



私は艦娘である以上、ここで撃たなくてはならない。


敵を倒さなくてはならない。


お姉ちゃん達を守らなくてはならない。



そういった脅迫概念が私の心を支配しました。






「……」


ヲ級は泣きながら、私を見据えます。



そうだ、それでいい。

それが本来あるべき艦娘の姿だ、とでも言わんばかりの表情なのです。





そして、私は――。









――私は静かにお姉ちゃん達に合図を送りました。




心配そうに私を見るお姉ちゃん達はすぐに意図を察したのか、一言も話さずに資源を牽引し、その場を離脱します。



「……この付近には私たち以外に艦娘はいないのです。もし、撤退するのなら今の内なのです……私たちに攻撃するようなら、その時は撃つのです」



私は各自に支給された最低限の航行が可能になる応急処置キットをヲ級へと投げ渡し、直ぐにその場を去りました。


背後で何か言葉が聞こえましたが、私は耳を塞ぎ、全速力でお姉ちゃん達の後を追いました。





──結局、私は撃つことが出来ませんでした。



それは、古の救命艦の記憶からきた行動なのか、私にはわかりません。



もし、助けた敵がその場で自害したとしても。

もし、助けた敵がその場で攻撃してきたとして、お姉ちゃん達に害が及ぶとしても。

もし、助けた敵が他の艦娘に沈められてしまう運命を先延ばしにするだけだったとしても。



例え、どんな結果になろうとも。



今、この瞬間に助けないという選択肢は、その時の私にはありませんでした。



それしか、考えられませんでした。





──────


『駆逐艦・電。遠征直後で悪いが至急、執務室に来るように』


帰港後、私たちを出迎えたのは、基地内のスピーカーから聞こえる、抑揚のない司令官さんの声なのでした。



「……もしかして、敵に備品を渡したのがバレたのかしら?」

「帰投したばかりだってのに、全く司令官ったら……」

「だけど、これはちょっとまずいね……電?」



「……」




私はと言うと、先ほど敵が言った言葉が頭から離れず、青ざめた表情で俯きました。

そして、追い打ちを掛けるようにスピーカーから発せられる司令官さんからの呼び出しに、ただ恐怖しました。



私はとても怖かったのです。

あの司令官さんからどんな言葉が発せられるのか私には想像が付きませんでした。



恐らく、1人目の司令官さんでしたら私に処罰を加えたでしょう。

恐らく、2人目の司令官さんでしたら私を許してくれたでしょう。



分かり切っている事ほど、気が楽な事はないのです。



司令官さんは今回の出来事に対して、私にどんな評価や価値を下すのでしょうか。

司令官さんは今回の出来事に対して、どんな意味を与えるのでしょうか。



そして──。






「電」



「……暁ちゃん」






暁ちゃんは、私に呼びかけて、私のすぐ近くまで歩み寄ると、そのままそっと私を抱きしめました。



その温もりは今の私には勿体ない程、とても温かかったのです。





「怖いのは分かるわ。司令官に何て言われるか分かんないんだものね」

そう言って、ぽんぽんと私の背中をさすりました。



「……でも、大丈夫。きっと何とかなるわよ」



しばらくの後、私から離れ、暁ちゃんは凛とした表情を投げかけます。


その表情は、以前見せたようにとても生き生きとしていました。





「電は私たちの大切な妹なんだから……もし、司令官が見放しても、例えどんな事があっても……私たちだけは決して電を見放さないわ」




次いで、響ちゃんと雷ちゃんも私を見据えました。


その表情は、暁ちゃんと同じく、とても生き生きとしていました。




「今度は必ず護るよ。最後まで、みんな一緒だ」


「そうよ、電! 私たちがいるじゃない! 何も心配する事はないわ!」





私はお姉ちゃん達に泣きそうになりながら答えました。


「……はい。ありがとうなのです」


私はお姉ちゃん達の言葉を胸にしまい込み、お姉ちゃん達と別れ、ひとり執務室へと向かいました。




──────



「……ごめんなさい、お姉ちゃん」



執務室へと向かう廊下の途中。

私の口からぽつりと漏れた呟きと同時に、お姉ちゃん達の励ましの声が、風のように何処かへ消えたような錯覚を覚えました。



私は甘えん坊なのです、弱い妹なのです。



中途半端な、ダメな妹なのです。



それなのに、お姉ちゃん達の優しさについつい甘えてしまう。

そんな私が嫌になりました。



私はお姉ちゃん達だけは私を受け入れてくれると期待してしまいました。

そんな打算を持ってしまう、私自身が嫌になりました。





そして、お姉ちゃん達がそんな私のせいで、軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんみたいに、ある日突然、居なくなってしまう事がとても怖かったのです。


私はふらついた足取りで、執務室へと向かいました。




──────


「……作戦室からの報告書及び衛星写真には、君は大破した空母ヲ級と接触。その後、応急処置用の備品を明け渡し、離脱したとある」


一枚の報告書を流し目で見ながら話す司令官さんの声色はとても冷たいものでした。

何も言わず、ただ俯いている私をしばらく見つめた後、言葉を続けます。


「いくら終戦があまり遠くない未来とは言え、まだ戦争中だ。これは立派な内通行為と言える」


司令官さんは深い溜息を吐きました。



「駆逐艦・電、本件について何か言い分は?」





その溜息は、私に対しての失望なのでしょうか。

それが司令官さんの私に対しての評価なのでしょうか。



私は私が今まで生きてきた事の意味が更に無くなったような錯覚を覚えました。



私は無理やり口を開き、司令官さんに返答しました。



「ごめんなさい……全て事実なのです……」


「……そうか」




司令官さんはもう一度深い溜息を吐き、書類から目を離し、私に視線を投げかけました。


その静かな目は、いつもの柔和な目とは違い、まるで海底のように深い眼差しなのでした。



「では、何故このような事をした?」


「……それは」




私は答えようとしました。







──待ってなのです。



そもそも、私は何故あのような行動をとったのでしょうか。





『電ちゃんは「人間」だよ』

『ソレトモ同情カ? ハッ、兵器風情が「人間」ノ真似事ナンテ滑稽ダナ!』


何故、私は敵を助けたのでしょうか。

これではまるで敵の言うように、「人間」の真似事なのです。



──滑稽なのです。




『貴様は「兵器」だ』

『貴様ラハ所詮、人間ニ使ワレルダケノ「兵器」ニ過ギナイ』


そうなのです。

私は「兵器」なのです。

深海棲艦を倒すのが任務なのです。

それが私が、今まで生きてきた意味なのです。



──ですが、その任務を全うできませんでした。






でも、あの時の私はそれ以外考えられませんでした。

敵を助ける以外、考えられませんでした。



私のやってきた意味は。

私が生きてきた意味は。



結局のところ、私の今まで生きてきた意味を、私自身が否定してしまったのです。






──こんな私に生きている意味なんて、本当にあるのでしょうか。





「……」

「……答えられないのか?」



沈黙は続きます。

時間が解決してくれればどんなに楽だったでしょうか。



ですが、司令官さんの海底の様な目がそうさせてはくれませんでした。



どう話せば、司令官さんが納得してくれるのか。

どう話せば、司令官さんに弁明できるのか。



私は何か話そうをしますが、考えがまとまらず、喉から先、声が出てきませんでした。



司令官さんはそんな私をただ静かに見つめ続けますが、数分の後、諦めたように口を開きます。






「……この場合、規定では軍規違反による処罰を与えねばならん。当然、連帯責任で君たち姉妹もだ」



その言葉に私は絶望しました。


私は青ざめ、震える唇を必死に開き、叫びました。





「そんな……! お姉ちゃん達は関係なく、全て私の勝手な判断でやったことなのです……! 処罰でしたら私だけ……!」


理性的な言葉を司令官さんに投げかけ、弁明しようとしますが、月並みな言葉しか浮かばず、やがて感情を吐き出せないもどかしさに下唇を噛み、俯きました。



そのもどかしさからか、すっーと私の目から涙が零れ落ちました。





私の軽率な行動が、結果としてお姉ちゃん達に迷惑を掛けてしまったのです。



私は何よりもその事が、一番辛かったのです。

私は心の中でお姉ちゃん達に謝りました。



ごめんなさい。


こんなダメな妹でごめんなさい。





今回の出来事で、お姉ちゃん達は私に対して失望するかもしれません。

もしかしたら、笑顔で許してくれるかもしれません。


ですが、どちらにせよお姉ちゃん達に迷惑を掛けてしまった事には変わりありません。



今はまだいいかもしれませんが、中途半端な私は、この先、お姉ちゃん達に沢山迷惑を掛けてしまうのです。


そして、その結果、お姉ちゃん達が私のせいで、突然居なくなってしまう。


私はその事がとても怖かったのです。





私はこの時、お姉ちゃん達と一緒に居る資格なんて私には無いのだと、はっきりと分かりました。



いっその事、これを機にお姉ちゃん達と距離を置こうと思いました。



その方が、ずっと楽なのです。

ひとりの方が、誰にも迷惑を掛けないから、ずっと楽なのです。



涙を流す私を、司令官さんは、ただ見つめていました。

司令官さんが次にその口を開いたその瞬間こそ、お姉ちゃん達との別れだと思いました。


そして、司令官さんは、口を開きました。





「だが、今回の問題はそうした任務や軍規、公についての問題ではない。君の理念について、君自身についての問題だ」



「え……?」





司令官さんの思いがけない返答に私は、泣きながら司令官さんに目を向けます。


司令官さんは今まで被っていた帽子を脱ぎ、先程よりも、深く輝いた眼差しを私に投げかけました。



その目からは、どこか懐かしい温もりを感じさせられました。






「つまり、私はそうしたつまらない建前を抜きにして、君の本心が聞きたいのだよ」


──私の本心?



私は司令官さんの言葉の意味を理解する為に、司令官さんの言葉を心の中で反芻しました。



「何を考え、何を思い、その行動に出たのか? 君の行動理念はなんだ?」


──私の行動理念?





「先程の質問に何故、答えられないのか教えよう」


まるで、私の心の底に優しく触れるような、深く透き通った声で、司令官さんは語りかけます。



「それは、君自身が君自身の言葉で語ろうとしないからだ。だから、こういう時に上手く言葉が出なくなる」


──私自身の言葉?




「君は頭がいい、それに慎重派だ。公の場所で本心や感情を吐露して語った時に発生するリスクを理解している。だが、この問題が解決しない以上、君は同じ行動を何度も取るだろう。だからこそ、私は君自身の言葉を聞いておきたいのだ」


この時、私は私の心の中で何かが外れた音を聞きました。


「上手く取り繕うとするな。私を司令官だと思うな。言葉足らずでもいいから、他の誰でもない、君自身の本心を表現してみろ」


司令官さんはその何かを更に外そうと言葉を投げかけます。


「君の理念は何だ? 敵を打ち倒す事か? 敵味方問わず手を差し伸べる事か?」



そして、司令官さんは一呼吸の後、私の心にぶつける様に言いました。







「君は艦娘として何故、このような行動を取った?」







まるで、濁流のように私の心に押し寄せてくる司令官さんの言葉に、私は眩暈を覚えました。


頭が真っ白になり、顔から血の気が引くのが分かりました。

足元から床が無くなるような感覚を覚えました。

胃液がこみあげてくるような感覚を、口を塞いで必死に押さえつけました。



私の行動理念とは一体何なのでしょうか。


私の生きている意味とは一体何なのでしょうか。






私は──。


私はあまりに「兵器」として生きようとした時間が長すぎました。

私はあまりに「人間」として生きようとした時間が長すぎました。



中途半端に生きた時間が、あまりにも長すぎました。



私は私の心の中の感情を必死に探しました。

私は私の心の中を表現する言葉を必死に探しました。





私は──。


そう、私は――。




私は、ふと私の心の奥底に触れた感覚を覚えます。

かちり、と何かが噛みあった音が私の頭に響きました。



その音と同時に、世界に色が戻りました。

足元から伝わる床の感覚が戻りました。

先程までの吐き気が何処かへ消えていきました。





私は顔を上げ、今、まさに目の前に居る司令官さんを見据えます。



「……おかしい……ですか?」



そして、私の心の奥底で見つけた、ふたつの感情が、私の口から吐き出されました。






「戦争には勝ちたいけど、命は助けたいって……おかしいですか?」






もういいのです。


「私たち兵器が、例え傷ついた敵でも助ける姿は、人間である司令官さんにとっては滑稽なのですかっ!?」


私は生まれて初めて、「司令官さん」に向けて、私の心情を吐き出しました。


「人間みたいに振る舞ってはおかしいのですかっ……!?」


司令官さんの言った通り、私自身を表現することに決めました。



「兵器としての任務は全うできず……人間としての幸せを願うこともできず……どちらにもなれない中途半端な私はどうすればいいのですかっ!?」


ひとつ、吐き出されたのは、叫びにも近い自己否定の感情でした。



「暁ちゃん、響ちゃん、雷ちゃんは……そんな私みたいな、中途半端な妹でも、決して見放さないって言ってくれたのです……外の世界で一緒に暮らそうって言ってくれたのです……」


ふたつ、吐き出されたのは、そんな私を受け入れてくれたお姉ちゃん達への謝罪の感情でした。



「ですが……ダメなのです……こんな中途半端な私が、外の世界で生きていけるはずなんてないのです……お姉ちゃん達にたくさん心配を掛けてしまうのです、たくさん迷惑を掛けてしまうのです……」


ごめんなさい、暁ちゃん。

ごめんなさい、響ちゃん。

ごめんなさい、雷ちゃん。




「こんな私のせいで、大好きなお姉ちゃん達が居なくなってしまうのは、もう嫌なのですっ!」






こんな私に、お姉ちゃん達の妹で居る資格なんて無いのです。


こんな私と、一緒に住む資格なんて無いのです。




「私は……鎮守府の外で人間として、生きていく自信がありません……この鎮守府の中で兵器として、生きていく自信がありません……お姉ちゃん達と一緒に生きていく自信がありません……」


このふたつの感情は、司令官さんに向けられた感情でもあり、私自身に対しても向けられた感情なのでした。




「そんな私は……この先、どうやって……生きていけばいいのですかっ……!?」







私の目から涙がぽろぽろと零れ落ち、執務室には私の嗚咽だけが響き渡りました。


私はただ、司令官さんの言葉を待ちました。



もう疲れたのです。

これで最後にするのです。





「貴様は兵器だ」と言われたらそう生きる事に決めました。


鎮守府で一生を過ごそうと決めました。



「君は人間だよ」と言われたらそう生きる事に決めました。


外の世界で一生を過ごそうと決めました。



私は司令官さんの言葉に従う事に決めました。





そして、お姉ちゃん達とは別々に生きようと決めました。



その方が、ずっと楽なのです。

ひとりの方が、誰にも迷惑を掛けないから、ずっと楽なのです。



お姉ちゃん達が私のせいで居なくならなくて済むのです。

それが、一番正しい選択のはずなのです。






司令官さんは執務机から立ち上がり、私の目の前までゆっくりと歩み寄ると、私の目線の高さまでしゃがみ込み、涙が零れ落ちる私の目を捉え、口を開きました。



そして、司令官さんの発した言葉は、私の期待を大きく裏切りました。






「あるがまま生きる事だよ」





その声は、何時もの司令官さんのぶっきらぼうな口調ではなく、今まで聞いたことのないような、とても優しく、そして温かい声でした。

その眼差しは、いつもの柔和な目に加え、先程よりも更に温かいものでした。


「……あるが……まま?」


私は司令官さんの言葉を反芻しました。




「そう感じるのは、君は兵器でもあり人間でもある、艦娘だからなんだよ」


「かん……むす……」


「そうさ。軍艦としての電、人間としての電。そして、その中間の艦娘である電。どれも君自身だ」


司令官さんは、優しく頷き、言葉をつなぎます。




「兵器として戦う事が出来るし、人間として例え敵でも助ける事が来るんだ。白か黒かではないよ。その中間。言ってしまえば、君はそのどちらでもあると言えるかな」


そう言って司令官さんは、私の目の前で手に持っていた報告書を破り、ポケットの中にしまいました。



「だから、君の考えは、何もおかしくはないよ」





そうして、司令官さんは私の手を優しく握りました。


「いいかい? 『兵器として生きろ』、『人間として生きろ』は、君が出会った者たちが勝手に植え付けた君のイメージに過ぎないよ。例え司令官という肩書を持っていたとしても、化けの皮を一枚剥げば、それは只のちっぽけな人間に過ぎない」


その手は昔、軽巡のお姉ちゃんが頭を撫でてくれた様に温かかったのです。


「そんな者たちの言葉に惑わされちゃいけない。どちらかにならなければいけないという考えを捨てなさい。それだと、君の世界をより窮屈にしてしまう。艦娘にとっては、どちらも等しく重要な要素なんだ。どちらかを拒絶して、いずれかの極端に縋り付いた先は、何てことはない……限界という名の行き詰まり、つまりは破滅を意味する」


その手は昔、空母のお姉さんが握ってくれた様に温かかったのです。


「問いを深めるのも大切だけど、自分の存在を素直に認める努力をしていく事の方がもっと大切だよ」


その手はさっき、暁ちゃんがそっと抱きしめてくれた様にとても温かかったのです。




「だから、君はどちらとしても生きていいんだ。少なくとも私が許そう」






私はしゃくりあげたまま、司令官さんに問いかけます。


「……こんな中途半端な私でも……いいのですか?」


その問いに、司令官さんは優しく答えます。


「むしろ中途半端の方がいい。それは他の誰にもない、すごく大きな強みだ。それは、君はどちらにもなれるという、無限の可能性を秘めているという事だからね」


私はしゃくりあげたまま、更に司令官さんに問いかけます。


「……こんな私でも……生きている意味があるのですか?」



その問いに、司令官さんは力強く答えました。






「だからこそ、君は今、生きてここに居ると言える。艦娘・電としてね」



おもしろい



私は先程よりも、ずっと大きな声を上げて泣きました。



やっと肩の荷が下りました。


やっと中途半端な私を認めてくれる人がいました。



私は囚われていました。


どちらかで生きる必要はない、どちらとしても生きてきた事が大切だったんだと。



やっと私の存在意義が解りました。


こうやって「艦娘」として、「電」として生きている事こそ、私が今、生きている意味だったんだと。



面白くて一気読みしてしまった、続きはよ

電ぁぁぁ……!(´;ω;`)

支援

天ちゃん…

素晴らしい



──────


しばらく泣いた後に、私はふたつめの感情の存在を思い出しました。


「ですが……それでも、この先お姉ちゃん達に心配や迷惑を掛けてしまうです……こんな私のせいで、お姉ちゃん達が居なくなってしまうのは、もう嫌なのです……」




私は影のある表情、けれども期待した目で司令官さんに打ち明けました。


それでも、司令官さんなら何か教えてくれるのではないかと。



――私が今まで生きてきた意味を教えてくれた様に、何か答えを示してくれるのではないかと。





私の考えを察したのか、司令官さんは、私の手を離して、立ち上がると、執務室の扉を一概しました。


「……もう十二分に、心配や迷惑を掛けてると思うけどね。ほら」


その表情はとても嬉しそうなのでした。







「「突撃っー!!」」








突如、かわいい怒声と共に開かれた執務室の扉から姿を現したのは、箒、バール、フライパンでそれぞれ武装した、お姉ちゃん達の姿なのでした。





「そこまでよっ!! 電から離れなさい!」


箒を槍の様に上段に構える暁ちゃん。



「Ура! 司令官、今すぐ電から離れて。でないと痛い目にあってもらうよ」


バールを2本、下段十字に構える響ちゃん。



「電を苛める奴は、例え司令官でもこの雷様が許さないわよ!」


フライパンを剣道の様に中段に構える雷ちゃん。




お姉ちゃん達は、私と司令官さんとの間に一瞬にして立ちふさがり、思わず後ずさった司令官さんへと、重心を低くして詰め寄ります。


私は唖然として、その光景を眺めていました。





お姉ちゃん達は最初、戦闘態勢で執務室に突入してきました。


ですが、司令官さんのニコニコとした表情のせいか、次第に司令官さんへの進撃の速度を弱めていきます。



「って、あら? 何か思っていた展開と違うわよね?」


「でも、さっき電の泣き声が聞こえたが……」


「あれ? これはもしかして、私達……とんでもない勘違いを?」



そして、お姉ちゃん達はそれぞれの構えを解き、3人で円陣を組んで話し合った結果。



お姉ちゃん達は、自分達の間違いに気が付きました。





気が付けば、司令官さんは今までに見たことないような屈託のない笑顔で呵呵大笑していました。


お姉ちゃん達もその声で余計、困惑しています。



「な……なんで……」





その光景とは裏腹に私は言葉を投げかけました。


お姉ちゃん達はお腹を抑えて笑う司令官さんを余所に、深刻そうな声を出す私に視線を向けました。



「普通に考えて執務室に武装して押し入るのは、重罪なのです。タダではすまないのです……」





その時のお姉ちゃん達の目は、信念を持ったように熱を帯び、凛と気高いものなのでした。


そして、その表情はとても生き生きとしていました。



その表情は、在りし日の軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんの表情を思い出させました。



「なんで……そんな危険を冒してまで、私の事を……」





その言葉にお姉ちゃん達は、当然じゃないと言わんばかりの表情を浮かべました。


そして、暁ちゃんは手に持っている箒を片隅へ投げ捨てて、私の前へと歩み寄ると、そっと私を抱きしめました。



「言ったじゃないの、電は私たちの大切な妹なんだから……もし、司令官が見放しても、例えどんな事があっても……私たちだけは決して電を見放さないわ」





私は今日、何回泣いたのでしょうか。


その言葉に思わず涙が零れ落ちます。




「……迷惑ではないのですか?」

「お姉ちゃんに迷惑かけないで、誰に迷惑かけるってのよ! もっと甘えていいのよっ!」


その言葉に雷ちゃんがニカっと笑って返答し、手に持ったフライパンを隅へと捨ててから、私を抱きしめました。



「……みんな居なくならないのですか?」

「どんな事があっても最後まで一緒だ」


その言葉に響ちゃんが静かな微笑みを浮かべ返答し、手に持ったバールを隅へと捨ててから、私を抱きしめました。





やっと分かりました。


結局、全て私の思い過ごしだったみたいなのです。



私は間違っていました。


私はお姉ちゃん達を失う事を恐れる余り、お姉ちゃん達を拒絶していたのだと思います。


それよりも、軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さん、みんなと一緒に生きてきた時間が一番大切だったんだと気付いたのです。



私はひとりで勝手に気持ちを抱え込んでいたのです。


ですが、私はもう、気持ちをひとりで抱え込まなくていいのです。





だって、こうして何時だって私の事を心配してくれる強いお姉ちゃん達が居るのです。


どんな事があっても助けに来てくれる強いお姉ちゃん達が居るのです。


こんなにも優しくて強いお姉ちゃん達が居るのです。



私はそれだけで、幸せなのでした。



それに今まで気づけなかった私は、ダメな妹なのです。





「いい姉さん達じゃないか」


くつくつと純真に笑いながら、空気を読んで話を聴いていた司令官さんが、私に言葉を投げかけました。



「君の姉さん達は、君の事が、君と同じくらい大好きだから、迷惑とか打算とか、そんなくだらない利害関係を抜きにして、こうやって身を挺してやってきたんだ。こうした繋がりはこの世のどんなものよりも大切なんだよ」


そう言って私たちに歩み寄る司令官さん。



「だから迷惑とか考えずに、さっき私にぶつけたように、姉さん達にも色々感情をぶつけてごらん。もちろん最初はぎくしゃくするさ。けれども、最後にはきっと丸く収まるよ」


その表情はとても穏やかな表情なのでした。



「残念だけど、どんなに離れたくなくても、生きている以上はいつか別れの時は訪れる。けど、今ではないよ。もし、近々そんな状況に陥ったとしても、君たちならきっと乗り越えて行けるよ」





そうして、司令官さんは先程とは打って変わって、凛とした声を発しました。



「さて、駆逐艦・暁、響、雷。執務室にいきなり、しかも、武装して押し入ってきた訳だが……無論、電も連帯責任だ。君たち、覚悟は出来ているだろうな?」



私たちはその言葉を合図に、一列に並びます。


しかし、お姉ちゃん達の目は先程と同じく、信念を持ったように熱を帯び、凛と気高い目で司令官さんを見据えました。





「ええ、出来ているわ」


「ああ、何時でも」


「どんときなさい」



「……なのです!」





私もお姉ちゃん達と同じ目をしていたと思います。


とても生き生きとした表情を浮かべていたと思います。



お姉ちゃん達となら、どんな困難にでもきっと乗り越えられる。


そんな、私たちの自信の表れなのでした。



それを見た司令官さんは、今までに見たことのないような、生き生きとした、とても嬉しそうな表情を投げかけました。





「処罰だが……駆逐艦・暁、響、雷。これからも姉妹艦として駆逐艦・電の力になってあげなさい。駆逐艦・電はその好意を素直に受け入れる事。私からは以上だ」



その答えを聞いたお姉ちゃん達の表情は、何を当たり前な事を、と言わんばかりの表情なのです。






「そんなの当然よ!」


「だってね」


「そうよ、私たちは」





ありがとうなのです、お姉ちゃん達。


この時のお姉ちゃん達のこの言葉に、私はどれだけ救われたのでしょうか。






「「電のお姉ちゃんだからねっ!」」





──────



『日本国政府と深海棲艦との間に正式な停戦協定が結ばれ、早1ヶ月となりました。これにより双方の関係は回復傾向にありますが、依然として戦時中の爪痕が……』



「ふむ……確かに駆逐艦・電、並びに暁、響、雷の解体申請を受理した」


こうして、深海棲艦と正式な停戦協定が結ばれた事により、私たちの戦争は終わりました。


「各種申請がある関係上、30日間の猶予期間の後、艤装の解体作業を行う。解体後は退役艦保障の元、一般人として生きることになる。当然、軍事機密漏洩防止の為、君たちが艦娘だった事は秘匿される」


司令官さんの顔つきは、戦時中のまるで死人のような顔つきではなく、憑き物が落ちたかのような、歳相応の表情を浮かべていました。





「随分、簡単に申請が通ったのです……」

「戦時中ならこんな簡単に申請は通せない」


司令官さんはつまらなそうに言葉を吐き捨てました。


最近知ったのですが、司令官さんは何か苛立ちを覚えている時によく、つまらなそうな表情を浮かべるのです。

恐らく、戦時中ずっと仏頂面だったのは、こんな簡単な申請さえも通さなかった軍部への苛立ちからきた表情なのでしょう。


「停戦協定も結ばれたし、まず軍縮は免れない。大本営からもなるべく、個人の解体申請は受理するよう指令が降りてきている」






そうなのです。

司令官さんは私たちが思っている以上に優しい人なのです。


いつも司令官さんは軍部に対して、怒りを抱いていました。

それを他の艦娘たちに悟られない為、心配を掛けさせない為、あえて表情を隠していたのです。


それでも時々、軍部への、そして司令官として艦娘たちに接せねばならない自分自身への怒りを、溜息という形で露にしていたのです。





「あの……私の秘書艦業務の方は大丈夫なのですか?」

「君の他にも秘書艦業務が出来る子は居る。その子はまだ居るって言っているから、その辺は安心するといい」

「そうなのですか……」



私はそれだけが心残りでしたが、これで心置きなく鎮守府を去れます。



しかし、以前、吹っ切れたとは言え、まだ私の中に蟠りが残っていました。






「……まだ、今後どうするか決めかねているのかい?」


それを察してか、司令官さんは帽子を脱ぎ、私に優しい声で問いかけました。

これが、司令官さんの素の姿なのです。


「はい、なのです……でも……」



ですが、ひとつだけ心に決めた事があります。



「とりあえずはお姉ちゃん達と一緒に暮らす事にしましたのです」


「そうか、それが一番いいよ」


私の答えに、司令官さんも微笑を浮かべて返答してくれました。





「あの……司令官さんはこの先どうするのですか?」


ふと私は、司令官さんは戦争が終わってからどうするのだろうかと気になり、尋ねました。



「そうだな……」



司令官さんはしばらく考えた後、以前私に投げかけた、海底のように深く鋭い目で答えました。

昔は怖かったこの眼差しですが、司令官さんの心の内幕を知った今では、その眼差しが心地よくも感じられました。



「戦後処理で追われるだろうから、当分はここの司令官として過ごすよ……その後は立ち居地はどうあれ、贖罪の旅に出かけるつもりだ」


「贖罪の旅、なのですか……?」





贖罪という言葉を口にした司令官さんの目に、迷いはありませんでした。


「そうさ。流れのままなったとは言え、気が付けば、私は君たちを使って彼女たちと戦うように命令したんだ。これを罪と言わなくて何て言う?」

「それでしたら……」


命令されてやったとは言え、実際にやったのは私たちなのです。

私もお供した方がよろしいのでしょうかと、言おうとしたのです。


しかし、司令官さんは私の言葉を手で遮り、言葉をつなげました。





「いや、君は兵器としてこの戦争に参加したんだ。それを使ったのは私たち人間だよ」

「ずいぶん都合のいい所で私たちを兵器扱いするのですね」


私はいたずらな笑みを浮かべて、司令官さんに言いました。

それを見た司令官さんもいたずらな笑みを浮かべます。


「まぁ、そういうことにしておきなさい。君たち兵器の罪は、それを使った私たち人間の罪だ。仮に君たちに罪があるとすれば、それはすべて私が引き受けよう」

「分かりましたのです。司令官さんはそう言うのでしたら、私は何も言わないのです」

「ありがとう」




司令官さんはそう言った後、執務机から立ち上がると、執務室の窓へと近づき、外を一概しました。


「敵味方問わず、君みたいに悩んでる子達がたくさんいるんだ。咎人はどんな形であれ、一生を捨てて彼女たちの為に贖罪せねばなるまい。それが殺し、殺されるように仕向けた司令官の罪で、私の生きる意味なのさ」




生きる意味、と言う言葉に私はドキリとさせられました。


そして、私は前々から疑問に思っていた事を司令官さんに投げかけました。


「司令官さん」

「なんだい?」

「司令官さんは今、生きる意味と言いましたが……結局、私たちが生きたあの戦争には何の意味があったのですか?」




それを聞いた司令官さんは、執務室の窓を開け、私を手招きしました。


私は、とてとてと窓へ近づきました。

司令官さんは窓の外に見える海を指さします。


その海は、ちょっと前まで戦争があったとは思えないほど、とても穏やかな波を立てていました。

地平線の果てまで広がる蒼空が広がっていました。


そして、穏やかな海風が執務室に流れ込み、私たちの頬を撫でたのです。


季節はもうじき春なのです。




「戦争自体に意味なんて無いよ。あの波と一緒さ。それは自然に発生した一つの時代のうねりに過ぎない。もしあるとすれば、この戦争は君や私にとっての一つの通過点に過ぎないって事かな」

「通過点?」

「そうさ。君はまだ年端も行かない少女なんだ。そう考えると、この戦争は君にとっては人生の最序盤の出来事に過ぎないよ。そして、この戦争が終わり、新たに一つの始まりを迎えようとしている」


窓際に居る私たちに気が付いたのか、窓の外では他の艦娘たちが遠くから手を振っています。

司令官さんは微笑を浮かべて、手を振りかえしました。





「大切なのは、この戦争中に軍艦の電として生きたことでもなく、人間の電として生きたことでもないよ。その境界、艦娘である電として生きた事が大切なんだよ。そして、戦争が終わった以上は、その艦娘でもない、あるがままの電として、生きる意味を探す必要があるかな」

「それが見つかるのは……当分先になりそうなのです」

「……これは誰にでも言える事だが、あるがままの自分、そして生きる意味を見つけるには並大抵ではない努力と時間が必要だ。中には一生掛かっても見つからずに人生を棒に振る者も居る」


私はその言葉を聞き、少し影を落とした表情のまま、海を眺めました。

司令官さんも海を眺めつつ、しばらくの後、柔らかな微笑を浮かべました。





「なぁに、自ずから然るさ。大切なのはどんな形であれ、自分自身の無理のないペースで、少しずつでも流れ続けることだ。何事も焦ってはいけない」






「あ……」


そうなのです。


司令官さんのこの言葉で、私はやっと分かったのです。





「流れに身を任せ、何事も精一杯行動する」


この司令官さんは、軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんと同じ様な生き方をしていたのです。



「人生にはどうしても自分の力では対処出来ない事が多々ある。運命とも呼べるかな。だけど、その流れに逆らってはいけない、上手く流れのまま進まなくてはいけない。その流れ……現実に目を背けてはいけない。これが簡単に見えて一番難しい事だ。その境界を見極めない者は、いつか自分を見失い、壊れてしまうからね」


だから、あの時の私は、司令官さんと仲良くなろうと話しかけたのです。



「その流れの中で、あるがままの君を表現する為には、精一杯行動する事が大切なんだよ」


だから、司令官さんに私の本心を吐き出せたのです。





「……辛く苦しい時もあるだろうが、君にはとても心強い姉さん達が居る、もし何かあればすぐに頼りなさい。そうした関係こそ、この世で一番尊いんだ」


――ありがとうなのです。司令官さん。





「でも、忘れちゃいけないよ。君の歩く道を最後に決めるのは、姉さん達でも私でもない。君自身だよ」


――ありがとうなのです。軽巡のお姉ちゃん、空母のお姉さん。





「そうやって長い目で見て、精一杯流れ続ければ、君が考えているよりももっとずっと遠くへ行ける。そうやって流れ着いた果てに、きっと答えが見つかるよ」





――私はもう迷わないのです。








◆エピローグ





──────


「電ー、早くしなさい! 学校遅刻しちゃうじゃない!」

「は、はいなのです!」


私はしばらくの後、お姉ちゃん達と共に鎮守府を去りました。

今では退役艦保障の下、鎮守府からちょっと離れた街で、お姉ちゃん達とみんな仲良く暮らし、学校に通っているのです。


3人目の司令官さんとは時々、メールでやりとりをしているのです。

もっとも、戦後処理や深海棲艦側との交渉、艦娘や深海棲艦のアフターケアなど、各地を奔走していてとても忙しそうでしたけど、ちょっと前に尋ねてきた司令官さんの顔は、戦時中よりもずっと生き生きとしていました。





『俺はこの時の為に、流されるまま生きてきたんだってな』


『こうやって人間として生きる事をあの人は許してくれたわ』


ふと、在りし日の軽巡のお姉ちゃんと空母のお姉さんの顔を思い出しました。

司令官さんの言う生きる意味とは、そういうことなのでしょうか。





私は思いました。


お姉ちゃんもお姉さんも、例えどんな境遇でも、自分を見失わないように自分のペースで、精一杯生きていたんだと思います。



──結末は私にとっては、とても悲しいものなのでした。


ですが、精一杯生きたからこそ、2人は艦娘として、生きる意味を見つける事が出来たのだと思うのです。






そう考えると、なんだか不思議な気分なのです。


そう考えると、今、生きている私たちは、そうした皆の生きる意味を積み重ねた上に立っているのです。



その生きる意味の最果てに、私は生きているのです。


その最果てを、宙ぶらりんで、私は歩いているのです。



その最果ての先、私は何処へ向かうのか、今の私には見当がつきませんでした。






結局、あの戦争は私にとっては通過点でしかありません。

また、私は自分自身が兵器か人間かという答えに自信を持って答えられません。


でも、少なくとも戦争中、私は兵器でもあり人間でもある、「艦娘」として生きてきました。


だからこそ、戦争が終わった以上は、「艦娘」として生きてきたという経験を糧に、そのどちらでもない、あるがままの「電」としての生きる意味を探さなければならないのです。


正直なところ、それをこんな私が見つけられるのだろうかと、時々不安になります。






「電ー、何やってるのよ! 遅れるわよー?」


でも、お姉ちゃん達となら、私はもっとずっと強くなれるような気がしたのです。



「早く行こう。みんなが待ってる」


お姉ちゃん達となら、私はもっとずっと遠くへ行けるような気がしたのです。



「まったく、世話が焼けるんだから!」


お姉ちゃん達となら、私は何時か答えを見つけられるような気がしたのです。






『どうせ何時か死ぬなら、流されるだけ流されて、ギリギリまで生きてやろうってな』


『焦らなくてもいいわ。一歩ずつ前に進んでいけばいいのよ』


『なぁに、自ずから然るさ』





「すぐ行くのですー!」





そして私は、私に生きる意味を教えてくれた、皆の言葉を信じて、今日も玄関の扉を開けたのです。





Fin.



◇あとがき


稚拙な文章ですが、最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。

本SSのメインテーマは「境界で生きる」、「あるがまま、流れのまま生きる」、そして「生きる意味」です。
また、サブテーマは「姉妹愛」となっております。

軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんのモデルが誰であったのかは皆様のご想像にお任せします。

投稿途中、様々なご感想をお寄せ頂き恐悦至極に存じます。
正直なところ、ここまで予想外の反響を頂けるとは思いませんでしたので、私自身、胸が一杯でございます。

もし、ご機会がございましたら、その時は何卒よろしくお願い致します。


◇追記


投稿前に校閲は何度か行いましたが、
改めて読み直してみると文法的誤りや表記揺れなど細かなミスがかなり多い作品となってしまいました。

大変恐縮ではございますが、脳内変換でカバーして頂きたく存じます。

他にもあるかもしれませんが、
念の為、致命的なミスだけは下記に書き留めておきます。

─────────

>>23
しゅんとした表情で言葉を紡ごうとする私に対して、お姉ちゃんは私の頭に上に手を乗せて、いつものように私の髪をぐしゃぐしゃと撫でました。

しゅんとした表情で言葉を紡ごうとする私に対して、お姉ちゃんは私の頭の上に手を乗せて、いつものように私の髪をぐしゃぐしゃと撫でました。

>>36
その時のお姉さんの顔は、先ほどの諦観した表情とは違い、今まで見たことないほど、生き生きとしていました。

その時のお姉ちゃんの顔は、先ほどの諦観した表情とは違い、今まで見たことないほど、生き生きとしていました。

>>52
こうやって他の人たちともコミュニケーションが取る事も出来ます。

こうやって他の人たちともコミュニケーションを取る事が出来ます。

>>75
そして、お姉ちゃんはどこか憂いを含んだ表情を浮かべました。

そして、お姉さんはどこか憂いを含んだ表情を浮かべました。

─────────


それでは皆様、ごきげんよう。


読み応えがあって面白かった

お疲れ様です、面白かった


めっさ面白かった
一つだけ、一概→一瞥かと

乙乙でした!

>>255

ご指摘頂き誠にありがとうございます。

ご指摘通り、正しくは「一概→一瞥」です。

こうしたご指摘は書いている当人だと中々気づけないものですから、
私にとっては非常にありがたいです。

おつおつ
面白かった

素晴らしかった
乙なのです

良かった

一気読みした
いいものを見た

すごく暖かくて、だが読み応えある作品だった。
いい作品に出会わせてくれてありがとう。

素晴らしい作品でした
ありがとう

面白かった電ちゃんが艦娘として平和に過ごすことを願うよ

一気読みした
面白かった乙乙

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年12月24日 (日) 21:43:11   ID: gmFis-sW

めいさく

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