北上「離さない」 (644)
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「整備くーん、戻ったよー。」
「北上さん、ご無事で何よりです。戦果はどうでした?」
「敵は潰したよー、今回もM・V・P。
まー、こっちは艤装が少し喰らったぐらいかなぁ。前に出てたから。」
「お怪我がなくて良かったです。艤装はこれなら大した事ないですね、すぐ直しますから。」
「ふふー、アタシの魚雷は伊達じゃないからね。これも整備くんのおかげだよ、ありがとね。」
北上さんは、ここの古参の一人だ。
練度も撃沈数もトップ、間違いなくエースと言える存在。
そして志願組でまだ若輩な俺にとっては、数少ない話の分かる人と言えた。
学生の頃に深海棲艦との戦争が始まり、俺も戦えないものかと思った。
しかしまだ17の小僧、司令官になるには時間が掛かりすぎる。
どうにかならないものかと思った時、海軍から朗報が届いたのだ。
それが艤装整備士の募集。
当時高校で機械工学を専攻していた俺は、これは呼ばれている!と、卒業後の進路をその道へと定めた。
そしていざ整備兵として配属され…艦娘達と接して最初に当たった壁は、何処か世代のズレを感じた事。
戦艦や空母勢は俺より4、5歳は違うし、駆逐艦達は俺よりずっと下だ。
俺もその頃は、社会に出たばかりの小僧。
まだ年齢差に不慣れだった故に、彼女達に対して必要以上に固く接してしまい、艤装の要望を上手く理解出来ているのか不安だった。
そんな時現れたのが、北上さんだった。
「アタシは軽巡・北上、今日からここの所属だから。まーよろしく。」
「初めまして!自分は整備士の『 』と申します!北上殿、何卒よろしくお願い申し上げます!」
今思えば、我ながら何ともガチガチな挨拶だ。
俺の場合は初対面に限らず、一月を経ても誰にでもその調子だったのだから、周りと上手く打ち解けられるはずもない。
そうして悪い方にも気合が入りすぎていた俺を諭してくれたのは、他ならぬ彼女だった。
「まーまー、力抜きなよ整備さん。君いくつ?」
「自分ですか?今年19になりますが…」
「あー、てことは今18なんだ?アタシは今年でハタチだから、君の1コ上だね。
ここ軽巡少ないから、歳の近いコいなくてねぇ。仲良くしてねー。」
彼女の性格と世代の近さで雑談もしやすかったし、艤装に対しての要望も聞きやすかった。
まず彼女と打ち解けた事で、次第に他の艦娘とも打ち解けられるようになり、俺はより良い艤装を組めるようになった。
気付けば配属から1年少々。ヒラの整備士に過ぎなかった俺は、その短期間で、ある程度工廠を任されるまでになれた。
今の俺がいるのは、間違いなく彼女のおかげだ。
「こないだ軍内の新聞に載ったらしいじゃん。
若き整備の星!なーんて言われちゃってさ。君も出世したねぇ。」
「まだまだですよ。異動した親方に言われたんです、お前はまだ人の倍ネジを回せ!って。
触れた数や図面を見た数だけ、血肉になりますからね。
艤装は皆を守る盾でもありますから、もっと良いものを組めるようにならないと。妖精達もやる気ですよ。」
「頑張るねぇ。ところでそんな君を見込んで頼みがあるんだけど。」
「何か壊れましたか?」
「最近ベスパが調子悪くてね、見て欲しいんだ。今度ご飯奢るから、どう?」
「お安い御用です。他の機械を触るのも勉強になりますし、持ってきてくださいよ。」
北上さんの愛車は、90年代の125ccのベスパだ。
現代的な要素が増したモデルとは言え、20年前の車体はさすがにあちこちガタも見える。
なるほど、これは少し掛かるな……。
「北上さん、時間食いそうなんで、今日上がったらそのままやっちゃいます。」
「いやいやそれは悪いよー、せっかくのお仕事終わりに。ゆっくりでいいからさ。」
「良いですよ、明日非番なんで。機械弄りしてた方がまだ健全に過ごせますし。」
「そう?じゃあお願いしようかなぁ。ありがとね!」
そうそう。どうせ明日は暇なんだ。
地元を離れてる以上友達もいないし、ましてや彼女なんて…あれ、何だかオイルが目に沁みるや。
そして一度北上さんと別れて、次々やってくる艤装を倒した後。
俺はようやくベスパの修理に取り掛かり始めた。
マフラー内の掃除をしたり、電装のチェックをしたりで気付けば2時間は過ぎて、今は21時。
あー、食堂行きそびれた。売店も閉まっちまったろうし…まあ良いや、後でコンビニでも行くか。
「やってるかーい。精が出るねえ。」
ノックもなく戸が開いたかと思えば、そこにいたのは北上さんだった。一体何の用だろう?
「どうしたんです?」
「いやー、食堂にいなかったからさ。そのままやっちゃってるのかなーって。
ほい、パンとエナドリ。どうせ食べてないっしょ?」
「お見通しでしたか…つい夢中になっちゃうんですよね。ありがとうございます。」
この時ばかりは、彼女が天使に見えたね。
いや、まあ頼んだのも彼女だけども。
「どんな感じ?」
「結構キテますね。フルの整備、最後にいつしました?」
「んー、確か最初の給料元手に買ったから…もう2年ぐらいはしてないね。
たまにオイルとブレーキ周り見てもらってたぐらい。」
「このクラスは車検無いからって、そりゃダメですよ。
今回は俺でもやれる範囲ですけど、これ以上ならバイク屋送りです。
メット被って道交法守ってりゃ安全って訳じゃないですよ?北上さん一人の体じゃないんですし。」
「ん?それは俺の北上サマでもあるって事かなぁ?」
「ここのメンバーとしての体でもあるって意味ですよ。」
「たはー、手厳しいなぁ。」
こんな軽口を叩き合えるぐらいには、随分と気の置けない関係になっていた。
彼女がこうやって俺をからかうのはいつもの事。さて、貰ったパンも食べたし、もうひと頑張りするか。
そして1時間。
「…明日出撃じゃないんですか?」
「いや、明日は休みー。」
北上さんはと言えば、そのままにこにこと俺の修理の様子を眺めていた。
その間俺はと言えば、黙々と作業を進めるのみ。
まさに今放った言葉が、1時間振りに発した声な訳で。
「ねえねえ。整備くんってさ、何でこの仕事就いたの?」
随分唐突な質問だなぁ、と思うも、これも北上さん相手ならいつもの事。
彼女はちょっと掴み所がない所があって、たまに脈略のない事を言ってきたりする。
まあ、あんまり艦娘さんには話したくない事なのだけど…彼女なら、いいかな。
「幼馴染ですかね。」
「好きな人が艦娘になったとか?」
「いや、違いますね。ガキの頃、近所に住んでた姉弟がいたんです。
その2人とは仲が良かったんですけど、ある時期を境に姉弟が引越しちゃって。
深海棲艦に、最初に襲われた街があったじゃないですか。2人の引越し先、そこだったんです。」
「……それで?」
「ニュースになった時、住民の生存は絶望的って報道されたんです。
もう顔もうまく思い出せないけど、あの2人の事を思い出して…俺も出来る事で戦わなきゃって思って。
すぐに参加したかったんですけど、この戦争は、実際に前線にいられるのは司令官クラス…目指すには、俺は若過ぎましたからね。士官学校だけで何年も過ぎちゃいますから。
で、そんな時、工業高校だったんで、進路の中に整備兵の募集があったんです。
だったら整備士として参加しようって、それで決めました。」
「そう、なんだ…。」
「だから、艤装は俺の魂なんですよ。俺の代わりに弾を撃ち、代わりに皆を守る。
弾1発、オイルの一差し。どれも手は抜けませんね。」
「うん…。」
この矜持に偽りはないけど、それを扱う人にとってはプレッシャーになる懸念があった。
だから今の話はせいぜい提督と、整備チームぐらいしか知らなかった事。
彼女に振り向かずに語りはしたけれど、何処となく、空気が冷たくなったのを背中に感じる。失敗だったかな…。
「まぁ、でも気にしないでくださいね。ガンガンぶっ放してナンボですから。」
「ん。ありがと。」
背中越しに聞こえたのは、いつものトーンに戻った声だった。
でも無理をさせてるような気がして、ふと振り返ろうとした。その時の事。
「ねぇ…ふたりの時は、“ユウ”って呼んでよ。」
肩にしなだれ掛かる腕の重みと、甘い匂い。
耳許で囁かれたそれは。成人祝いに提督に飲まさせられた、高いウィスキーの様な。
クラクラと回る、甘さと危うさを孕んだ声だった。
「北上さん、それは…?」
「アタシの本名。アタシも整備くんの事、ケイちゃんって呼ぶからさ。お願い。」
「は、はい…。」
一瞬、陸奥さんにでも抱き付かれたのかと思った。
でもそれぐらいその時の彼女は、余りにいつもと違っていて、艶かしく見えて。
俺はその豹変ぶりに、興奮よりも、少しの恐怖感を覚えていた。
「ふふー、ちょっとドキッとしたなー?愛いやつめー。」
「む。あんまりからかうもんじゃないですよ。」
「どーてー。いくじなしー。」
「あいにく工具が恋人なので。さて、続きやりましょう。」
自然といつものこんな掛け合いが出た時、内心ホッとしていた自分がいた。
さっきの彼女に感じた違和感を拭う様に、俺はまた、ベスパの整備に没頭していくのだった。
“ん…寝てたか…。”
朝の肌寒さで目覚めると、また工廠で寝落ちていた事に気付く。
もう何度ここで寝てしまった事やら、寝起きの体感で工廠だって事ぐらいわかるのだ。
オイルの匂いに、いつもの固い床…ん?頭の下が柔らかいぞ?俺、何枕にしてたっけ……
「北上、さん…?」
霞む目をこじ開けると、ふよふよと揺れるいつもの三つ編みが顔に触れた。
丁度見上げる形で目に入るのは、座った彼女の姿……って、膝枕!?
「ふぁ…おはよ。よく寝てたねー。」
にひひと笑いながら、彼女はくしゃくしゃと俺の髪を撫でた。
北上さん、ドラム缶背にして寝てたのか…ああ、悪い事しちまったなぁ。
「ケイちゃん、終わったー!って叫んでそのまま寝ちゃってたよ。さすがのアタシもびっくりしたねえ、こてんと倒れちゃってさ。
でもダメだよ?ちゃんと布団で寝なきゃ。」
「いや、いつもそんな調子なんで。でもすいません、背中固かったでしょう?」
「それはいいんだけどさー…今、北上さんって言ったでしょ?
ダメだよー、今はユウって呼んでくれなきゃ。」
「はぁ…。」
ああ、そうだった…でもそんな急に言えるかなぁ?
「ユ、ユウ、さん…おはようございます…。」
「んー!さん付け!敬語!70点!君とアタシの仲じゃないの、あたしゃ悲しいよ!
罰としてアタシとタンデムを命ずる!」
へ?そうだ!ベスパどこまでやったっけ!?
ほ……良かった、ちゃんと終わってる…。
「いやー、何とかなりましたね。徹夜した甲斐がありましたよ。
エンジン掛けてみましょうか…よし、OK!」
「んー、素晴らしいね。褒めて使わす。」
「ははー!殿!有難き幸せ!
……でも、今度からはマメにメンテして下さいねー。」
「善処しまーす。さ、行こっか?」
「へ?今からですか?」
「そ。ケイちゃんもバイク乗るでしょ?メット持ってきなよ、アタシ運転するからさー。」
いや、確かに俺もバイクは乗るけども…それはさすがになぁ。
そしてジャンケンにて勝ち取った結論はと言えば。
「ひゅー!きもちーねぇ!」
流石に女の子の後ろは気が引けたので、テストがてら、北上さんを後ろに乗せて海岸を走っている。
ふむ、回転も安定してるし、排気も滞り無し。我ながらよく出来た。
この時間はまだ交通量も少ないし、秋の朝は冷たい風が心地良い。
海岸線は良い朝焼けだ、実に絶景かな。
「ケイちゃーん!見なよ!何と平和な朝焼け!」
「そりゃーあんたらが必死こいて守ってますからね!平和でなきゃおかしいってもんですよ!」
「でもさー!ケイちゃんだってー!守ってるんだよー!」
「ありがとうございまーす!」
でかい風切り音と早朝テンションの組み合わせは、何とよくわからない事か。
でも、悪くない。あー、冬になる前に、久々に愛車出そ。
「ほい、コーヒー。」
「さんきゅです。」
一頻り走って、小さな海浜公園で一息。
いつもの休みは大体前日から朝までオイルに塗れて、起きても設計図ずーっと読んで……はぁ、こんな休みは何ヶ月振りだっけな?
「ねえねえ。」
「何でしょう?」
「胸当たってたのわかったかい?」
「ぶー!?」
朝日に舞うは、黒褐色の毒霧哉。
素っ頓狂な一言に面食らった俺は、せっかくのコーヒーを盛大に噴出してしまった。
「あはは、吹いてやんのー。」
「朝っぱらから何言ってんですか!?」
「ふあー、なんか眠いよー。肩貸してー。」
「ちょっとユウさん!?」
嘘だろ…ほ、本当に寝やがった…!
はあ、まあいいや…この人のフリーダムは今に始まった事じゃないし。
しかし、“ユウ”か…。
ぼーっと海岸を眺めていると、波の音や鳥の声が聞こえる。
戦争が始まって3年、海も随分平和になったよな…今では表向きは何事もなかったかのように、皆普通に暮らしてる。
でもあの街はもう、地図にしか無くて…あの子も、あいつも…。
思わず空き缶を握り潰して、それは予想より大きな音を立ててしまった。
ふと北上さんを起こしてしまっていないか横を向くと、何やら肩に冷たい感触がして。
ん?冷たい感触?
「めっちゃよだれー!?」
「んあ?ああ、ごめんごめん。」
「さて、これで手続きは以上だ。
うちのは君と同い年でね。まだ若いんだが、事実上のここの整備長だ。
少しでも負担を減らしてやりたい、しっかり支えてやってくれ。」
「はい。お噂はかねがねお伺いしておりますので。開発、戦闘共に、頑張ります!」
「よろしい。では、来週より宜しく頼む。」
「はい!兵装実験軽巡・夕張!着任致します!」
修正
二人が海辺へツーリングに出た、その日の事。
出張先へと赴いていた提督は、とある艦娘と面会していた。
今回の出張は、新たに赴任してくる艦娘との面談と挨拶が一番の目的。
そして事務手続きを終え、彼女は改めて提督と面談をしていた。
「さて、これで手続きは以上だ。
うちのは君と同い年でね。まだ若いんだが、事実上のここの整備長だ。
少しでも負担を減らしてやりたい、しっかり支えてやってくれ。」
「はい。お噂はかねがねお伺いしておりますので。
開発、戦闘共に、頑張ります!」
「よろしい。では、来週より宜しく頼む。」
「はい!兵装実験軽巡・夕張!着任致します!」
期待せざるを得ない
三つ巴か……今から胸が痛いぜ……
乙
期待
ここからメロンちゃんも絡んで来るのか。
オラワキワキしてきたぞ。
お読みいただきありがとうございます。投下します。
“ケイちゃーん!おいでよー!”
小さい頃、何度も見た世界に俺はいた。
あの頃はいつも3人で秘密の場所で遊んで、沢山笑って。
確か5歳の頃の記憶。名前だって覚えてる。
でも何故か、あの2人の顔だけはうまく思い出せなくて……
『プー!プー!プー!』
「………うるせえなぁ。」
パスコードの入力にイラつきながらスマホのアラームを止めれば、勝手知ったるいつもの部屋。
しかし画面には、こんな早くに緑色の通知が一つ。
誰だよ…げ、提督か。
あの人の個人連絡、大体ロクでもないんだよなぁ。
「はぁ、来週から新人さんが着任ですか…。」
呼び出しを喰らって何事かと思えば、どうやら新しく艦娘さんが入るらしい。
でも何で、わざわざ俺一人を呼び出したんだろう?いつもは大体、全体で告知するのだけど。
「まずはケイに話しておこうと思ってな。来週から来るのは、兵装実験軽巡だ。
様々な兵器を数多く積める艦なんだが、当人は技術畑の出身でな。
そこで今回は、艦娘兼工廠メンバーとして着任してもらう。これでお前の負担も、少しは減るだろう。」
「つまり、人手が増えるんですね?」
これは朗報だった。
今の整備チームは、親方が異動して以降、俺と妖精達で回してきたのだ。
一応俺の代理が出来る妖精もいるのだが、もう一人人間の技術者が増えるのは、やはり心強い。
しかし艦娘兼任か…うーん、使用者当人でもある視点から、何かアイディアが取れるだろうか?
「どんな人なんですか?」
「名門工科短大を、艦娘適正と本人の単位取得で、1年半で特例にて卒業だ。」
「エリートじゃないですか。」
「まぁ、な…喜べ、おまけにケイと同い年だ。
……いやー!おっさんとしてはな、お前も工具が恋人なんて言わずにだ!
少しは色の一つでも知ってほしいと思うんだよねー!はっはっはっ!」
「は、はぁ…分かりました、協力してより良い工廠にして行きますので。」
「ひゅー。言うようになったじゃねえか。その意気でよろしく頼むぞ。」
その後廊下を歩きながら、俺は新体制をどう整えて行くかを考えていた。
時折、人に「セルフブラック工廠」とからかわれるぐらい、俺は仕事に入り込んでしまう事があるらしい。
しかし、この時そっちにばかり気を取られていたのを、後に心底後悔する事になるのだ。
そうだ、この時の俺は失念していたのだ。
あの提督(ダメなおっさん)がニヤニヤ笑っている時は、大体ロクな事が起きない事を…!
「へー、新しい子来るんだ?」
「ほぼ工廠メンバー扱いですけどね。まあ、これでもっと良くできれば最高ですけど。」
「はー…あんたねぇ…。
いいかいケイちゃん?そういう時はだねえ、“これで少しは楽出来る”って言うもんだよ?」
「そういうもんですかね?」
「そういうもんだよー、うん。」
週に何度か、俺が上がる時間になると、北上さんはお菓子片手に工廠にダベりにやってくる。
これも気付けば出来上がっていた、長い習慣だったりする。
艤装修理や開発の時は、ずっと気を張っている。
だからかいざ上がれば糸が切れてしまい、しばらく工廠の椅子に座ってぼーっとしている事が多かった。
そうして暫く休んでも、結局いるのは工廠に変わりはなく。
アイディアや研究意欲が湧いてきたりすれば、すぐに実験出来る環境にある訳で。
ましてや休んでちょっと元気になってしまえば、今度はプライベートと言う名の機械弄りの始まりだ。
結局そのまま工廠で寝落ちしてしまう事も多くて、確か床に転がってたのを彼女に見付かったのが、事の始まりだったか。
今はなるべく帰るようにしたけど、当時は風呂入る為だけに部屋戻ってたような時期だった。
いやー…あの時の北上さんの笑顔、すげえ怖かったよね。
「休める時は休む。これは誰にとっても基本だよ。うん。」
「ですかねぇ。あ、北上さん、これうまいですね。」
「……今は“ユウ”、だかんね?」
まさかのいつぞやのデジャヴ再来。
はは…やっぱり怖いぞ、目の奥が笑ってない笑顔って……。
「話変わるけどさ…新しい子、いくつか聞いた?」
「俺とタメみたいですね。一応軽巡らしいですよ。」
「そうなの。写真とか見た?」
「いや、見てないですね。」
「ふーん…可愛いのかな。
あ、ぼちぼち戻るね。じゃあケイちゃん、まったねー。」
「また明日。」
そしてふと思い付いたように、彼女は足早に工廠を出て行ってしまった。
あら?でもいつもより全然早いな…まぁ、見たいテレビでもあるんだろう。俺もそろそろ帰るかなぁ。
……なんか今日、機嫌悪そうだったな。
薄明かりがぽつりぽつりと繋がる廊下を、コツコツと歩く靴音だけが染めて行く。
照明が照らす床には、北上の三つ編みの影がゆらゆらと揺れていた。
今は大体の艦娘が、自室で思い思いに過ごす時間だ。
故にすれ違う者もおらず、誰もその姿を目にする者はいなかった。
一人歩く彼女は、その影を見つめるように歩を進めている。
“工廠の人が増えれば、ケイちゃんも少しは楽出来るもんね…。
でも今みたいには、遊びに行けなくなるかなぁ…。”
不意に工廠で彼と語らう、日常と化した光景が、彼女の頭の中で広がる。
シャッターを降ろした工廠は、彼と彼女、それ以外は誰もいない世界だ。
余計な音も無く、日々の中からも隔離されたひと時。
そしてそこで笑う北上の顔が。
彼女の脳裏で次々と黒く塗り潰され、まだ形も知らない顔の女に書き換えられて行く。
その思考を繰り返すうちに辿り着いたドアを開け、彼女は無言のまま自室へと入る。
少し動かせば、すぐに電気のスイッチへ手は届く。
しかし彼女は、窓からの月明かりに照らされた部屋でただ呆然と立ち尽くしていた。
そしてその手がぎゅっと握られている事には。
彼女自身も、未だに気付いていない。
“…そんなのつまんないなぁ…さびしいなぁ…。
ねぇ、ケイちゃん……せっかく…せっかく…!”
『ぎりぃ…ぶちっ……』
不意に汗とは違う滑りを手のひらに覚え、彼女はそっと、それを部屋の虚空へかざしてみた。
薄明かりに照らされるのは、ぽたりぽたりと伝う、彼女の赤い命。
不思議と痛みはない。
手のひらに幾つか出来た傷をそっと確かめ、そして。
「あーあ、しょっぱいねえ…。」
舐めあげたそれと、目元から口に入り込むそれは。
真逆の色をしながらも、似たような味を彼女の舌に与えていた。
そうして自らの命の味を確かめると。
彼女はひとり。
薄闇の中で、嗤った。
おもろい
台詞と台詞の間に改行しろよ
読みやすいから今のままでいいよ
やる気が続く限り続けてくれ
改行無くても読みやすいだろ…
何ら問題を感じない
によって続きはよ
投下します。
「目的地 まで あと 2kmです。」
いやー、長旅だった。
一人車を走らせ数百km、ついにこの日がやってきた。
待っててねー、私の艦娘ライフ。ふふふ、ここならきっと…。
「今日だねえ。」
「ですね。どんな人が来るのか…。」
とうとう噂の新人が着任する日がやって来た。
経歴を聞く限りだと、何だか霧島さんを軽巡にしたような人が来る気がする…殴られたくねえなぁ。
同い年か…いや、でも一応「立場はお前が上司ね」とか提督に言われてるしな。ここはシャキッとしないと。
今は北上さんと昼メシを食べている所だ。
さすがに定食程ガッツリなんて気分でも無く、今日は売店の微妙なサンドイッチ。
俺がガチガチなのを察してくれたのか、彼女もわざわざ付き合ってくれていた。
緊張を紛らわそうと、こうして駐車場のベンチで日向ぼっこなランチとしけ込んでいる。
「まーまー、気楽にしときなよ。
そんな時は人って書いて飲めばいいって、はいお茶。」
そうしてペットボトルを勧めてくる手には、かなり大きい絆創膏が貼られていた。
何でも部屋でコケた時にやっちゃったらしいけど…。
「手、まだ絆創膏取れないんですね…気を付けてくださいよ、入渠じゃ治らないんですから。」
「だいじょーぶ!ハイパー北上さまだから!」
入渠で治せる怪我は、あくまで『艤装装着時の怪我』のみだ。
根本原理はまだ妖精達しか扱えないものだが、修復剤は、艤装の核にあたる艦の魂が記憶した怪我にしか作用しない。
連携が外れている間の適合者の怪我は、効果にカウントされないのだ。
手の怪我は、実際結構始末が悪い。
危なっかしいなぁ、ベスパ乗る時も気を付けて貰わないと。
そして何をするでもなく駐車場を眺めると、当然様々な車が停められている。
艦娘や職員のマイカーに、鎮守府所有の車、後はどっかの出入り業者のトラックやら。
が、それら全部まとめても、3分の1も埋まっていない訳で。
ここみたいな片田舎にはありがちだけど、実際こんな広い駐車場要らないよなぁ…もうちょっと工廠に土地くれ。
入り口だってあんな遠くに……ん?
「ケイちゃんどったの?」
「あれじゃないですかね、新人。」
甲高い排気音が聴こえたかと思えば、リフトアップされた何ともいかついジムニーが一台。
丁度俺たちからは顔が見えない位置に停めはしたけど、後ろ姿は確認出来た。
良かった、強そうではないな…。
「きっとかわいい子だねー、アレは。襲っちゃダメだよ?」
「俺を何だと思ってるんですか…。
でも確かに、後姿は美人っぽ……は?あ!?」
「ごめーん、手ぇ当たっちゃったー。」
「おおう…。」
耳削ぎ…耳削ぎはあかん……。
そして数時間が経過…が、ここで問題発生だ。
「何で今日に限って暇なんだよ……。」
今日はスケジュールの中に、出撃だけがすっぽり抜け落ちていた。
演習組と遠征班の帰着は、それぞれ明日と3日後。
おまけに今日は開発禁止と提督にお達しを喰らっている始末だ。
いつでも出迎えられるように待ってろって事なんだろうけど、それじゃ実験も出来ないしなぁ。
ん?通知?ああ、北上さんか。
“さっき全体挨拶終わったよー。
今提督が中案内してるから、そろそろそっち行くんじゃないかな。何あの子、ちょー可愛いじゃん。”
“いよいよおいでですか。部下とか初めてですからね、緊張しますわ。”
“ま、どーせすぐ慣れるっしょ。気張らずヤるのだ!若人よ!”
“ちょっとあんた、何でそこだけカタカナ。”
あの人、たまにオヤジ臭いよなぁ…。
まあ、そういうとこも、気取ってなくて良い所なんだけ…
「ケイー!たのもー!」
本物のおっさん来たー!?
提督…ノックはしましょうぜ…びっくりするなぁもう。
「おーう、埴輪みたいなツラしてんじゃあないの。
ほれほれ、シャキッとしたまえよ。噂の彼女の登場だぞ。」
「初めまして!兵装実験軽巡・夕張です!
主にこちらにお世話になるかと思いますが、よろしくお願いします!」
「ああ、初めまして、整備担当の××です。
先輩として至らない点もあるかと思いますが、共に良い工廠を作っていきましょう。」
「はい!」
よーし、我ながら及第点な挨拶だ。
特にオラつくでも弱々しくでもなく、ちゃんと落ち着いた感じでやれたぞ。
まぁ、実務の参加は明日からだろう。
今日はさくっと帰ってもらって、後は仕事の中でちょっとずつ交流を深めれば新体制が……
「あ、ケイ。ごめん、俺書類残ってるから帰るわ。
じゃ、後は若い者同士でごゆっくりー。」
おっさーーーん!!!空気読んで!空気!!
ああもう、帰っちまったよあの人…やべぇよ、とりあえずお茶でも出すか?
「お茶、飲みます?」
「ありがとうございます。ところで××さん、私と同い年なんですよね?20歳だとお伺いしてまして。」
「ええ、まぁ…あと、ケイで良いですよ。下の名前、ケイタロウなんで。」
何だろう、この同い年に敬語使うむず痒さ。
まぁ、しばらくすれば慣れるか……ん?何でこの子震えて…
「……すっごーーーい!!」
「のわぁ!?」
「本当にハタチなんだ!?あなた私とタメで整備長クラスでしょ!?何作ったの!?どんな整備するの!?
短大でも有名だったのよ、海軍に凄腕の若手がいるって!一度会いたかったんだー!」
「待って!顔近い!」
耳がぶっ壊れるかと思った。
な、なんだこいつ、急にテンション上げて……。
ん?あれ、何か既視感あるぞ、この感じ。
ああ…これアレだ、変態技術を前にした俺らと同じテンションだ…。
なるほど、間違いなくこの子もこっち側の人間って事か…。
「夕張さん、落ち着いて。とりあえずここの諸々は明日から見せるから。
大体どんな噂か知らないけど、そんな大それた奴じゃないし。普通に接してくれればいいから。」
「へ?ああ、ごめんなさい。つい…でも本当に同い年なのね?」
「ん?そうだけど…。」
「じゃあ私も呼び捨てでいいわよ。一応あなたの部下になるし。
これから長い付き合いになるし、何ならあだ名でも良いわ。」
あだ名かー、あんまり変なの付けてもなぁ。
仕事仲間だし、ここはシンプルに……。
「じゃあ、ユ……」
『ぞわ…………』
形容し難い寒気が俺を襲ったのは、その時の事だった。
なんだ…!?言い切ろうとしても、口が動かない。
嫌な汗が背中を伝い、まるでねっとりと舐められているかのような嫌な感覚が、ひたすらうなじを犯し続ける。
本能がこの先を口にするなと警鐘を鳴らし、脳はとにかくこの感覚から脱出しようと異常な速度で回転する。
そうだ、違う言葉を紡がなきゃ…!
実際は3秒にも満たなかったであろうその間は、まるで何時間もあるかのように俺には感じられた。
早く、早く違うあだ名を言わなきゃ……!
「夕張だし……そうだね、じゃあ、バリさんで。」
我ながらこんなかわいらしい子に、何と男前なあだ名を付けたものか。
だけどそんな風に振り返れたのは、寒気から解放された後だった。
最後まで言葉を紡いだ瞬間、まるで悪夢から覚めたように、その感覚が抜けたのだ。
一体何だったんだ……あ、やべぇ。ちょっと失礼だったかしら…。
「んー、まあ良いわ。じゃあ私も、ケイちゃんって呼ぶね。
明日から、同じチームの仲間としてよろしく。」
「ああ、よろしく。バリさん。」
不思議な事はあったものの、こうして新人・夕張との挨拶は終わったのだ。
さて…明日から色々大変だぞー。頑張ろう。
undefined
遡る事数分前。
工廠の周りは植樹が多く、夜は人通りも多くはない。
夜間もぽつぽつと照明があるとは言えど、それこそ探照灯程の強い光でもなければ、人影などはわかりにくいものだった。
その闇に紛れ、ひっそりと息を殺す影が一つ。
工廠の勝手口から提督だけが出て行ったのを確認すると、その影はゆっくりと、シャッターの方へと近づいて行く。
シャッター一枚であれば、耳を澄ませば中の音がそれなりに漏れてくる。
そしてその影は、じっくりと中の会話に耳を傾け始めた。
その影の正体は、北上。
彼女がケイに取った連絡も、実は工廠のすぐそばから送られたものだった。
『……すっごーーーい!!』
先程の夕張の大声が、シャッター越しに彼女の耳に触れる。
それを感じた時、彼女の眉は一度だけピクリと動いた。
『じゃあ私も呼び捨てでいいわよ。一応あなたの部下になるし。
これから長い付き合いになるし、何ならあだ名でも良いわ。』
『じゃあ、ユ……』
無表情なまま会話に耳を傾け、その言葉が聞こえた時。
“ダメだよー?ケイちゃん…『それ』はね、アタシのなんだから……。”
北上の顔は、あの怪我をした晩と同じ笑みを形作っていた。
血走るほどに瞼を開き、見えるはずのないシャッターの隙間を、食い入るように見つめたままで。
金属に阻まれた、妄想の中の彼女の視線。
奇妙な事にその視線はちょうど、彼のうなじに突き刺さるような角度で注がれていた。
それが放たれた瞬間はまさに。
彼が得体の知れない感覚に襲われた時刻と、寸分の狂いもなく符合していたのであった。
一通り会話を終え、勝手口から夕張が出て行くのを確かめ。
北上はずっと、姿が見えなくなるまでその背中を見つめ続けていた。
そして何事もなかったかのように、彼女はドアノブへと手を掛け…。
「ケイちゃーん、お疲れちゃん。夕張ちゃん、どだった?」
「ああ、ユウさん。まぁ悪い子じゃなさそうですよ。
しかし部下持つなんて初めてですからね、これから大変そうです。」
いつものように、工廠での団欒が始まる。
最初はユウと呼ぶ事にぎこちなかった彼も、今では二人の時は、自然と呼べるようになっていた。
そして彼が自身の本当の名を呼ぶ度に。
北上は、何度も優しく目を細めるのであった。
何度も何度も、嬉しそうに。
乙ー
ヤンデレ北上様いい…
貞子だってテレビから呪いを放ってくるんだ。北上さんがカメラからヤンデレ電波を放てないわけないやろ
投下します。
「さて、今日から実際に仕事を覚えてもらう訳だけど。何をやると思う?」
今日から本格的にバリさんを招いての勤務だ。
まぁ、機械工学の基礎は心配していない。
今彼女に必要なのは、まず現場での実機に触れる事。
そこで今日に向けて、とある素材を集めておいた。
まずチームとして必要なのは、俺と彼女の兵装に対する思考の擦り合わせ。
それを実際に触りながらディスカッションして行こうと言う寸法だ。
「建造?」
「いや、違う。関係はあるけどね。
今日やってもらうのは、近代化改修だ。」
「ほんと!?」
建造工程に於ける妖精達の役割は、あくまで缶と呼ばれる、艤装の核を作るまでの工程だ。
それを軸に実機を組み上げるのが、俺たち艤装整備士の仕事の一つ。
そして核そのものの建造はギャンブル的な要素が強い以上、被ってしまったり、目当てでない物ができてしまう事もある。
艦の魂は、残留思念から産み出されたクローン的な側面が強いらしく、時折戦地で妖精達がそれを回収してくる事もある。
(これが同型機が複数存在する理由だそうだ。隠語でドロップと言われている。)
しかし、そうしてあぶれてしまった缶も、一度完全な艤装に組み上げる義務がある。
他の適合者にあてがう為に他所へ送られたり、緊急時の予備として置いておくためだ。
そして、そこからもあぶれてしまう艤装も。
どちらも足りていたり、缶以外がダメになった、機械としての生命を終えた物がそれだ。
基本思想は、バイクのレストアと同じもの。
要は不要な艤装から生きているパーツを外し、現役の艤装をそれを使い強化する。それが近代化改修だ。
「ここに実験用に組んだ、綾波型の艤装がある。
まずは一度、これをバリさんのアイディアで改装してみよう。
改装に回す艤装は専用倉庫にあるから、そこから自由に使ってくれ。」
「いいのね?よーし、やっちゃうわよー!」
横に付いていても良いのだけど、一度本人にフルに組ませた方が良い。
俺もそうして親方に育てられたっけな。
彼女のセンスや思考もだが、途中で口を出さない事で、現在のスキルと修正点がより浮き彫りになるのだ。
上からで嫌な感じだが、まずは何処までのものか見させてもらうとしよう。
「で、新人ほっぽって、アタシとご飯を食べている…と。」
「今いいとこだから!だそうですよ。」
バリさんもやはり、こちら側の人間なようで。
スイッチが入ると寝食を忘れてしまうあたり、技術屋の特徴らしい。
昼の誘いを断られた俺は、一人うどんをすすっていたのだが…何故か余所行きの北上さんと鉢合わせ、同じテーブルを囲んでいた。
「今日はどうしたんです?そんなめかし込んで。」
「非番だからね。午後から大井っちと買い物ー。」
大井さんとは、北上さんが前にいた鎮守府の艦娘さんだ。
艦娘になった頃からの付き合いのようで、鎮守府同士が近いのもあり、今でも時折遊んでいるようだ。
メイクも服もばっちり、こうして見ると、なかなかいつもとイメージが違う。
元がいい人だから、何着ても大体似合うんだけども。
「夕張ちゃん、かわいいっしょ?目とかくりっとしててさー。」
「確かにルックスは良い方だと思いますけど、今はそれどころじゃないですよ。
仕上がったらチェックと話し合いが待ってるんで、今から胃が痛いです。」
「へー…お土産はデスソース?それともシュネッケン?」
「殺る気満々ですか。」
今日それ喰ったら、確実にトイレの守り神になるわ…。
北上さんと別れて工廠に戻れば、相変わらず夢中で作業するバリさんの姿が。
本当楽しそうにやるなー、良い事だ。
あんな悪そうな笑顔浮かべちゃって…俺も気を付けよう、うん。
「ケイくん、出来たよ!」
そして終業時刻に差し掛かる頃、ようやく完成したようだ。
どれどれ、どんなもんでございま……。
…………はい?
「バリさん……何これ。」
「夕張スペシャル。どう?」
そうして出来上がったものは、まさにマッドサイエンスの天使の分け前な逸品であった。
その瞬間、俺の脳内で北斗の拳とマッドマックスが合体事故を起こしたのは言うまでもない。
明らかに厳ついタービン周りやら、謎に4発と化した主砲やら。
変更点は挙げたらキリがないのだが、例えるならこれだろう。
カブにハーレーのエンジンぶち込んだ。
……綾波型どこ行った!?
「PCに記録されてたデータ見てね。
まず装甲の数値強化と、それに耐えうるだけのタービンのパワーアップ。
それと靴の艤装も速力を上げてみたわ。他にもね……」
「あー、うん…バリさん、ちょっといい?」
「なぁに?」
「そのデータ知ってるって事は、艤装関連フォルダ見たと思うんだけど。
その中にさ、各艦娘の身体測定と体力測定のデータ入ってなかった?見てない?」
「見てないけど……どうしたの?」
「マジか……」
大本営よ……まあ、艦娘研修メインじゃこんなもんなのか?
ある意味初日で良かったかもな…。
「強化に対するスキルと探究心は素晴らしいが、君の場合、根本的な詰めがまだ甘い。
例えばこれを、うちの漣の艤装と仮定してみようか。
それで、これが漣の測定データ。
まぁ身長体重、骨密度、握力と100m走の記録と色々あるんだけど…原則、缶と使用者が連携してる時の強化は、実身体能力に対して大体4~6倍なんだ。
その数値も結局、使用者の素の能力や、その時々の体調と精神に対して変動する。
だから戦艦みたいな人達は、鍛えられてる人が多いんだ。
練度判定に対する基準は、判断や操舵、射撃スキル以外に、素体の身体操作も加味される。
ここまでは、さすがに習ってるよね?」
「うん…。」
「で、例えばこの主砲の重さを量ってみるけど…これを見てくれ。
元が弾薬抜きで18kgだったのに対し、今は24kgある。
ふむ、艤装は…プラス23kgか。
トータル装備の総重量を考えると、今のあいつの能力に対しては、ちょっと重すぎるね。
戦力としての強化以外に、使用者の負荷もある程度考えなきゃいけないものなんだ。
因みに研修時の君のデータも届いてるけど、これをうちの現役組と比較すると…実例としては、一番わかりやすいかな。」
「うそ…皆こんな速いんだ…。」
「夕張と言う艦種は、通常より積めるからね。大本営としてはフル装備での速力を測ろうとしたんだろう。
だけど荷重が増えれば、当然速力は落ちる。
それで靴の艤装だけを強化しても、今度は使用者の脚が持たない訳。
だから実戦上の艤装に於いて重要なのは、強化と使いやすさのバランスかな。
あくまで艤装の数値由来じゃなく、一人一人の素体データを基準に俺は艤装を組むんだ。
同じ艦の適合者でも、肉体は違う訳だからね。
そうだなぁ…これはマル秘のフォルダなんだけど、これを見てもらうとわかりやすい。」
一応ロックを掛けてあるフォルダなのだけど、この職務に就く以上、彼女にもこれは見せる必要がある。
これは俺がリサーチを重ねて組み上げた、各艦娘の艤装の使用感想と要望、そしてそれらの達成率のデータ。
率直な物を引き出すのには、なかなか骨が折れたっけな…。
「俺が組んできた艤装は、これらを咀嚼・解釈し、実データと擦り合わせた上で組んできたものなんだ。
それで今こういう立場も貰えてるけど…何て事はない、俺はただ、なるべく艦娘の要望に応えようとしてただけなんだよ。」
「はー……。」
基本理念としては、これで伝わったろうか?
俺も最初は闇雲に強くしようとして、大分絞られたもんだった。
こればかりは、前線にいないとなかなか手応えのある物として掴めないんだよね。
艦娘でもあるバリさんなら、すぐ理解出来るだろうけど。
「バリさんの場合艦娘でもあるから、まずは自分のをカスタマイズすれば早いんじゃないかな?
実際の使用感の変化は、それだけ如実に出る。
艦戦の体は取ってるけど、どちらかと言えば、銃撃戦の概念の方がこの戦争は近いね。
それこそ手首が逝くような反動の銃なんて、誰も使いたがらないでしょ?撃つのはあくまで、素体だからさ。」
「………ま…。」
「ま?」
「負けたーーー!!完敗だわ!ごめんケイくん、正直ちょっとナメてた!」
あら、言いよるわこの子。
まぁ実際偉そうに言っても小僧だし、しょうがないけども……はぁ。
「あはは…でもバリさんはすごいよ。
アイディア自体は豊富だし、この厳つさでも、組み付けはちゃんとしてる。
俺なんて組み付け叩き込むために、何回ここに泊まった事やら…。」
「私もそんな調子よ?夢中になり過ぎると、色々どうでもよくなっちゃう。
高校までは小太りで、短大で研究ばっかしてたらどんどん痩せちゃってさ。
まぁそれはラッキーだったんだけど…その、ね…提督から話聞いてない?」
ん?何の事だ?
せいぜい飛び級ならぬ飛び卒業ぐらいしか聞いてないけど…。
「本当は来年の春に艦娘になる予定だったんだけど…。
研究に夢中になりすぎて…まさに今日みたいな事やって…その…研究室、爆破、しちゃって…。」
「へ?……はぁ!?」
「で、艦娘になるのは決まってたから、学校的にはクビにも出来なくて…。
そ、卒業認定やるから出てけ!って追い出されたんだよねー!あはははは…。
で、でも大丈夫だよ!もうさすがに懲りたから。」
おいおい…もしかして今日ここが吹っ飛んでた可能性、あったのかよ…。
数時間前の俺よ、貴様は自分の命をベットしたギャンブルに勤しんでいたらしいぞ。
あのおっさん、さては全部知ってたな…今度ラーメン奢らせよう。
そうして俺は、新たな相方に眩暈を覚えつつも、より良い工廠が作れる確信を得たのだった。
もっともこの時は、後に自分の記憶力の悪さを呪う事になるとは、少しも気付かなかったのだけど。
「……って事があったんですよ。いやー、なかなか爆弾娘ですね、バリさん。」
「あはは、面白い子だねぇ。でもさー、これで少しは任せられそうじゃない?」
その夜の事。
街から帰ってきた北上は、真っ先に工廠を訪れていた。
いつものテーブルを挟み、まったりと会話を楽しむ。
そして北上の座る椅子は、先程は夕張が腰掛けていたものだった。
ここからは、彼の顔がよく見える。
彼女が好んでこの位置に座るのは、そんな理由からだった。
「そうですね。少しは妖精たちを安心させてやれますよ…前は度々おやびんに閉め出されましたからね、休まなすぎて。」
「おやびんって、あのヒゲ生えた妖精ー?」
「そうそう。一応、彼が妖精たちの頭領なんで。」
「それだけ、皆ケイちゃんが頑張ってるの知ってるんだよ。
ねえねえ、今度休み合ったらさー、二人でツーリング行こうよ。ケイちゃんのバイクが良いなぁ。」
「俺のですか?結構デカいですけど。」
「だいじょーぶ!南の方の峠あるじゃん?あそこに足湯出来たんだって。
日々の疲れを忘れ、足湯でまったり…んー、侘び寂びよねー。」
そうして彼女は、コタツの猫のように笑ってみせた。
それは大井の前ですら見せない顔である事を、彼は知る由も無い。
そしてその視線は、再びテーブルの向こうの彼に注がれる。
彼の定位置は、丁度椅子を回転させればすぐPCデスクに向かえるよう配置されており。
今は北上の話を横で聞きながら、なにやら資料をまとめているようだった。
彼の目は、今もモニターへと注がれている。
それは周囲の動作に気付かぬほどまっすぐに向けられていて、北上は音を立てぬようそっと立ち上がると、背後へと近づいて行く。
そして。
「ケイちゃん…寒いでしょ。」
ふわりとケイの肩に掛けられたのは、北上の腕だった。
今は10月も半ば、確かに冷える頃だ。
だがエアコンだって回っているし、取り立てて寒さを感じる理由はない。
耳元や首筋に吐息が掛かり、それは皮膚の泡立つ感覚を次々に与えていく。
ケイはむしろ、北上の突然の行動にこそ寒気を覚え、振り払う事など出来ずにいた。
「ユウ…さん…?」
「ふふー…テンパってもちゃんと呼んでくれるんだー…いいねぇ♪嬉しいねえ♪」
健全な男子であれば、愛おしさ、あるいは性的興奮の類を覚える瞬間であっただろう。
しかしこの時ケイの中では、居心地の良さと、得体の知れない恐怖心が複雑に絡み合っていく。
そんな彼を敢えて無視したのか、北上はそっと彼の首筋へと顔を埋め。
『ちゅう……』
吸い付くようなキスをし、そして愛おしげにその跡を、ぺろりと舐め上げてみせた。
その強烈な感覚にケイの心身は凍り付き、動く事が出来ずにいた。
抱擁を強くする腕が、まるで蛇にでも絡みつかれているような感覚を彼に与え、北上がその顔を深く背中へと埋めた、その時。
「ケイくーん、そこに私の手帳………
ご、ご、ご、ごゆっくりーーーー!?」
「バリさん!?ちょ、ちょっと待って!」
忘れ物を取りに来た夕張は、その光景を目の当たりにすると、顔を真っ赤にして走り去ってしまった。
その瞬間に硬直が溶けたケイも同じく、顔を真っ赤にして俯いてしまっている。
北上はその様子をみて、からからと楽しそうに笑っていた。
「あははー、見られちゃったねぇ。
ちょっとイタズラしただけなのにさー。これは大変。」
「ユウさーん…あんたさぁ、ちょっと度が過ぎるんじゃあねえっすかねぇ!?」
「へ?いや、ごめん、ごめんってば…。
あ、あたしゃー痛いのは嫌かなーって…あは、あはは…あばばばばばばばば!?」
こめかみぐりぐりの刑、発動である。
これにはさすがのケイも相当怒ったようで、北上はしばしこめかみを押さえて呻くのであった。
「全く…変な噂になったらどーすんですか!?
バリさんはそういう子じゃないとは思いますけど…これ青葉さんだったら、笑えないですよ。
あんまりイタズラするもんじゃないですよ、もう。」
「…………アタシは別に、いいけどね。」
「……?今何か言いました?」
「いや、何もー。」
夕張が部屋に入った時、北上の顔は背中に抱き付いていた事で隠れていた。
故に本人以外は、誰も知らない。
夕張を目にしたその瞬間。
北上の口元が、ぎらついた笑みを形作っていた事を。
首へのキスが意味するのは、欲望。
それを北上が知っていたのかは、もはや知る由もなかった。
そして同時刻。
思わず工廠から逃げ出してしまった夕張は、息を切らして寮へと辿り着いていた。
どれだけ全力で走ったのか、もはや覚えていない。
彼女は激しく切れる息に従いロビーの自販機へと向かうと、迷わずにスポーツドリンクのボタンを押した。
そうしてジュースの冷たさと染み渡る感覚が心身を冷やした時、ようやく彼女は平静を取り戻す事が出来た。
飲みかけの缶を手にフラフラと自室へ辿り着くと、すぐさまベッドへと倒れ込んでしまう。
先程は予想外の光景にパニックに陥っていたが。
今はジワリジワリと、あの光景が、鮮明に彼女の中で再生されていた。
ふう、と一息を吐くと、彼女はベッドの側にある本棚へと手を伸ばす。
取り出されたのは一冊の、A4程のハードカバー。
それはアルバムのようで、彼女は食い入るように、とあるページを見つめていた。
そこにはとある学生達の集合写真と、それぞれの写真が記載されている。
端の方には厚い眼鏡を掛けた、少し顔の丸い少女の写真。
そしてその2列隣には、とある少年の写真があった。
アルバムのタイトルは、こう記されている。
『ーー年度ーー工業高校卒業アルバム』
“長くここにいれば、そんな事もあるわよね…”
夕張は一度微笑んでそのアルバムを閉じ。
“そう、そうよね……やっと、やっとまた会えたのに……。”
そして彼女の頬からは、一筋の水滴が落ちた。
いいねー
いいねいいね
翌日の事。
艦娘達の雑談や休憩は、食堂ではなく談話室で行われる事が多い。
カップコーヒーの自販機やソファなどがあり、会話のみを目的とするには最適な環境である。
時には艦娘のみによる作戦の打ち合わせも行われており、多くの交流と情報が飛び交う場だ。
まだ新人の夕張は、提督からのそんな情報を頼りにここを訪れていた。
事実上の工廠所属とはいえ、やはり交流は不可欠と考えての行動だ。
先日ケイから諭された件もあるが、少し寂しさを紛らわせたいのも、彼女の本音であった。
そして今夕張の対面に座るのは、青葉。
北上以上にここの古参にあたり、情報通でもあると聞いた彼女と話していたのは、尋ねたい事があったからだ。
「…工廠によくいる艦娘?あー、北上さんの事ですね。」
「北上…雷巡の方ですよね。」
「そうです。北上さんはうちのエースなんですよ!彼女について何か知りたいんですか?」
「昨日私が帰った後、工廠で話し込んでたんですよ。
私も来たばかりだから、どんな仲なのかなって。
今日聞きましたけど、ケイくんは先輩だよとしか言わないし…。」
「そうですねぇ、本当は交換条件と行きたい所ですが…。
からかいを超える誤解は、私も望みません。今回はサービスです。
あの二人、実はあれでも付き合ってませんよ。
ケイくんにとっては、一番仲の良い先輩兼艦娘と言ったところでしょうか。」
「付き合ってないんですか?いや、その…忘れ物取りに行ったら、ケイくんに後ろから抱きついてて…。」
「ああ、いつもの事ですね。」
青葉は食い付く事もなく、慣れたものだと言わんばかりにそう言って見せた。
一方夕張はと言えば、昨日の光景を思い出したのに加え、その言葉に一層肩を落とす。
「ケイくんにその気がないって方が正しいでしょうけどね。
端から見てても仲が良すぎるんですよ。
だから逆に、お姉ちゃんみたいなものとしか思われてないんじゃないでしょうか。
弟分にじゃれて遊んでると言った具合に。」
「お姉ちゃん、ですか…。」
「まぁ、北上さんの方は分かりませんけど。
彼、艦娘の間じゃ結構人気なんですよ?うちの若手職員の中では。
あの歳で整備長クラスですから、言っちゃえば将来有望ですし。
例えばあるお昼に、彼が丁度一人でご飯を食べようとしてたみたいで。
それである艦娘が、ケイくんがフリーなのを知っててちょっかい掛けようとしたらしいんですよ。」
「何かあったんですか?」
「その時は普通に、隣に座って話してたらしいんですけどね。
それで後から来た北上さんが、いつものゆるい笑顔でご飯食べてたらしいんです。
ちょっと遠くの席にいたみたいですね。
まぁ、最初はその子も気にしなかったらしいんですよ。
でも、時折北上さんと目が合って……目の奥が、全然笑ってなかっみたいです。
段々プレッシャーに耐えられなくなって、早めに切り上げたそうですね。
北上さん、その後鎮守府内の演習で、その子を開幕魚雷でワンパン轟沈判定に……」
「ひっ…!」
「不思議な人なんですよね。
嫌われてる訳でもないけど、そんなに誰かと深入りする訳でもなく。
ただ、今言った通り…ケイくんに関してだけは、相当にご執心のようです。
まぁ、ちゃんと仕事の邪魔にならない時間に顔出してるみたいですし、特に心配は無いと思いますが。
でも、二人きりの時は、邪魔だけはしないようにした方がよろしいかと。」
青葉の話を聞く限り、なかなか手強い相手だと夕張は捉えた。
しかし自分には果たしたい事もあれば、艦娘としての夢もある。
付き合っていないのならば、まだ大丈夫だ。
そう考えた夕張は、青葉に礼を済ませ、一路工廠へと戻るのであった。
「ただいま戻りました!」
「おかえりー。どこで休んでたの?」
工廠へ戻ると、ケイはコーヒーを片手に外でタバコを吸っていた。
どちらかと言えば童顔な彼が重めのタバコを吸う様は、何とも不釣り合いな光景を醸し出す。
一方夕張はタバコは好まないようで、それを見て渋い顔を浮かべていた。
「談話室よ。あなたタバコ吸うのね、止めるなら早い方がいいわよ?
ただでさえ、私達はオイルや薬品使う仕事なのに…。」
「せいぜい月に一度だよ。
いやー、久々に煮詰まっちゃってね…そんな時ぐらいしか吸わない。」
「どうしたの?」
「新兵器の開発がね。なかなか良い形にならなくて、どうしたもんかと。」
「なん…だと……?」
新兵器の開発と言うワードが出た瞬間、夕張の目はすき焼きの椎茸のごとくキラキラと輝き始めた。
一方ケイはと言うと、もはや心ここに在らずと言った具合に、魂を吐き出すかの如くタバコを吐き出す様。
そしてそんな彼のタバコを奪い、夕張は思いっきりそれを吸い上げると。
「ゲッホアアアア!!??」
何とも可愛げの無い咳を吐き、涙目になりながらもニヤリと笑って見せた。
「けほっ…ケイくん!魂吐いてる場合じゃ無いわよ!
一人より二人!アイディア出し合えば良いものできるかもしれないじゃない!ほら、戻ろ?」
「お、おい!」
ケイの手を引いて工廠へと飛び込めば、そこにはパーツと設計図が置かれていた。
それを見て何を作ろうとしているのか察した夕張は、ふふん、と得意顔を浮かべている。
これはいい、ここは相方として並ぶ良い契機になるではないか。
その予感を感じた彼女は、真っ先に愛用のツールボックスへと手を伸ばすのだった。
「終わった、わね…」
「ああ、終わった……。」
「「よっしゃ出来たぞおおおお!!!」」
時刻は午前3時。
テーブルの上にはぴかぴかの完成品が置かれ、そして床にはオイルまみれの男女が二人転がっていた。
二人とも酷いクマを浮かべてこそいるが、実にやりきった顔をしている。
ここまで辿り着くのに、およそ10数時間。
時に激しく討論し、時に各々得意分野のコラボレーションを経て、ようやく全ての作業を終えた。
「長かった…いや、バリさんいなかったらこりゃ無理だったね。」
「何言ってるのよ、そもそもこんなの、私じゃ思い付かないわよ。」
起き上がる気力も果ててしまったが、互いの健闘を讃え合う二人。
隣を向いて笑い合うと、実に力強いシェイクハンドを交わしていた。
それはまさに、お互いこれから良い仕事が出来ると言う確信を持てた瞬間であった。
そしてどこからともなく妖精達が現れると、小さな拍手でそれを見守っている。
夕張が工廠メンバーの一員として、認められた瞬間であった。
「あー、無理…」
「私も…」
そしてどちらともなく、すうすうと寝息を立てて眠ってしまった。
妖精達は二人に毛布を掛け、寝入ったのを見守ると、彼らも各々寝床へと戻って行った。
二人の手は、先程のシェイクハンドのままで。
夢も見ないほどの深い眠りに、彼らはしばしの休息を味わうのであった。
「くしゅんっ…!」
一方、その数時間前。
誰もが寝静まった頃、北上は自室で横になっていた。
少し風邪気味なのか、小さなくしゃみを一つ。
彼女は直後に身震いを覚えると、より深く布団を被る。
実は今日も、彼に会いに行こうと一度は工廠へ立ち寄っていた。
しかし中から聴こえる声と音に、ドアノブへと伸びた手を止め、しばし夕張が去るのを待っていたのだ。
だが、何時間待てども、一向に作業の音は止む気配もなく。
寒さに耐えかねた北上は、諦めて自室へと戻っていた。
開かれた携帯の画面には、ケイとのトーク画面が映し出されている。
そして打ち込まれたまま、今も送信ボタンを押せないままのメッセージがそこにはあった。
『ケイちゃん、会いたいよ。』
送信ボタンをタップしようとする指は、寸前で石のように硬直してしまい。
彼女はそのまま、アプリを閉じてしまう。
そして開かれた画像フォルダには、今まで何枚も撮ってきた写真が収められていた。
からかっては困り笑いをする顔や、工廠の前で誇らしげに笑う顔の彼。
彼に送り付けようと撮った、私服姿で可愛く映ろうと工夫を重ねてみた写真。
そして何度となく二人で撮った、様々な場所や季節の写真。
その時々、二人は常に笑顔だった。
しかし今の北上は、それとは正反対の顔を浮かべている。
不意に不快な疼きを感じ、彼女は自身の胸へと手を伸ばす。
ちょうど肩から片方の乳房へと走るそれは、彼女にとっては、何よりも生々しく存在を示すもの。
起き上がり、Tシャツとブラジャーを脱いで鏡に向き合えば。
そこには先程の疼き通りに、痛々しく跡を残す傷が走っていた。
そして鏡の中の彼女の瞳は。
どこまでも暗く、生気のない目をして。
鏡の隣、中ぐらいのタンスの上。
視線をそこに合わせれば、その上にはとある写真。
そこに写るのは、まだあどけない少女と、誰かに似た面影を宿す少年と。
そしてもう一人、その中では最も幼い少年が写っていた。
写真の端は焦げ跡や破れが目立ち、所々、汚れもまだ残っている。
「…………………。」
疼きが収まると、無言のまま服を着替え直し、彼女は再びベッドへと潜った。
思わず手に取った猫のぬいぐるみを、その中で強く抱き締める。
しかし彼の肩を重ねるにはあまりに小さいそれは、却って彼女の孤独感を、より現実のものとして実感させるばかりだった。
震えが、止まらない。
堪らず手を伸ばしたイヤホンを耳にはめ、ポータブルプレイヤーの再生ボタンを押す。
流れてくる歌声と言葉に、気持ちを少し吐き出せたような気がして。
彼女はようやく、少しずつ眠気を手に入れる事が出来た。
音楽も止め、再び彼女の耳には空気の音だけが響く。
しかしまどろみとその音の中で思うのは、やはり彼の背中のぬくもりだった。
“ケイちゃん……明日は、話せるよね?”
一抹の寂しさと体の寒気に孤独を感じながら、彼女はようやく眠りへと落ちた。
その夜彼女が見た夢は。
決して、明るいものと呼ぶ事は出来なかった。
投下します。
街中に響く悲鳴や爆発音が、呻き声と燃える音に変わるまで。
一体、どれほどの時間しか掛からなかったのだろう。
肩も胸も、もうズタズタ。
痛みももう感じない、きっとアタシは助からないんだ。
お父さんだったもの。
お母さんだったもの。
それが壁にべったりとへばりついて、ふたりはひとつになっている。
そうだ、あいつは大丈夫?ちゃんと逃げられたのかなぁ?
部活だもん、きっと学校で、うまく逃げてるよね。
ごめんね、姉ちゃんもうダメみたい。
この化け物のご飯になる。
ほら、銃をこっちに向けて、アタシの頭は吹っ飛ぶんだ……
「待てよバケモノォ!!姉ちゃんを離せ!」
だめ…だめだよコウちゃん…こっちに来ちゃ……
ああ、ばけもののじゅうが、あたまをふっとばして
おおきなくちが、そのまま
「いやああああああああ!!!」
北上が自身の悲鳴で目を覚ますと、そこは昨夜と違う天井だった。
真っ白な天井と、独特の匂い。
そこが医務室であると気付くと、不意に体の熱さとだるさが彼女を襲う。
そして視界の端に映る影に焦点を合わせると、そこには心配そうに彼女を見下ろす顔が一つ。
「ケイ…ちゃん……?」
彼女が昨夜待ち望んでいた人が、そこにはいた。
その存在に気付き、先程までの光景が夢であった事にようやく北上は気付いたのだ。
「随分うなされてましたね……。
点呼に来ないから様子見に行ったら、ひどい高熱だったみたいですよ?
それで、皆でここに運んだんです。」
どうやら自分は、ひどい風邪を引いてしまったらしい。
そこまで自覚出来た時、北上はやっと、自身の置かれていた状況を理解する事が出来た。
「ケイちゃん……怖かったよう…。」
そして痛む体を起こすと、彼女は縋り付くようにケイの胸へと抱き付いた。
ぽろぽろと涙が溢れ、彼の胸元が濡れようともお構いなしだ。
そうして子供のように泣きじゃくる北上の頭を、ケイは優しく撫でていた。
「落ち着きましたか?大丈夫です、怖い夢を見てたみたいですね。」
「うん……あ、今何時!?」
「ん?あー、11時半ですね。何か食べます?」
「そうじゃなくて、工廠は?ここにいて大丈夫なの?」
「いや、皆にお前が診てろ!って言われたんですよ。
今日は軽い仕事だけなんで、妖精達とバリさんで行けそうですし。」
「そう、なんだ……。」
昨夜、彼が徹夜で作業していた事を本当は知っている。
点呼は9時に始まる事が多い。
よく見れば心なしか疲労の色も見えるが、きっとそんな事はお構いなしに、報せを聞いて駆け付けてきたのだろう。
彼がそんな性格なのは、彼女が一番よく知っているのだから。
申し訳なさもあるが、北上は今日は、思い切ってそんな好意に甘える事とした。
「ケイちゃーん、暇だねー。」
「大人しく寝ててくださいよ?さっきまで点滴打ってたんですし。
はい、うさぎさん。これ食べたら薬飲んで寝てください。」
「女子か君はー、アタシより上手く剥きやがってー。はい、ん。」
「どうしたんです?そんな硬直して。」
「いやー、まだ腕の関節痛くってさ、ちょっと落としそうで。食べさせて欲しいんだよねー。」
「あー、付かぬ事をお聞きしますがユウさん、あなた今年でお幾つになられやがりましたでしょうか?」
「21歳。大人の色気満載の北上様だよー。
まーまー、そういうプレイだと思ってさー。」
「はい、聞こえません。何も聞いておりません。
はぁ、人の親になる前に、21歳児の面倒見る事になろうとは……あーもう、わかりました。
口開けてください、ほら、あーん。」
「んぐ………んー、ほいひー。ありがとね♪」
こんな他愛もない軽口が、彼女にとって、今は何よりの薬だった。
見たくもない夢を見ていたのだ、少しでも、人の存在を感じていたくもなる。
そして熱と胸の暖かさの中で、次第に彼女の意識はぼやけ始めた。
そんな中で、彼女はちょっとしたいたずらを思い付いた。
「んー、ケイちゃん、眠くなってきた。」
「薬が効いてきたんでしょう。冷えピタ替えます?」
「お願いねー……ふぁ…すう…すう…」
眠ってしまったフリをして、彼が額に触れるのを待つ。
彼の事だ、寝ていても律儀に冷却シートを替えてくれる事だろう。
そして予想通り古いシートが剥がされ、新しいシートに替えられた時。
寝ぼけたフリをして、彼女はゆっくりとケイの手首を掴み。
「いただきまーふ…」
夢の中で何か食べているつもりで、その指を優しく咥えた。
今どんな顔をしているだろうか?
突然の事に狼狽えているだろうか?
手の震えからそんなリアクションを想像しながら、しばしその感触を楽しんでいた。その時。
『ブー!ブー!ブー!』
小さなバイブ音が鳴り、それは彼の携帯のようだ。
がさりとポケットからそれを取り出す音が響くと、「もしもし」と応答の声が聞こえる。
そして次の瞬間、電話の相手が誰なのかを彼女は理解した。
「バリさん、どうした?」
その瞬間。北上の胸は、鉛を突っ込まれたような冷たさを覚えた。
薄く目を開けると、壁の方を見ながら通話に集中している姿が見える。
恐らくは仕事の話であろう、何やら専門用語が次々に彼の口からは飛び出していた。
“………ねー、ケイちゃん…。
今、誰が君の手を咥えてるのかなあ?そっちじゃないでしょ?
邪魔は嫌いだなー。
さっきのりんご、美味しかったなぁ…でもアタシ、メロンは嫌い……。”
不意に自身の顎に力が入っていくのを、彼女は抑えようとはせず。
そして。
「そのインパクトのビットなら、3番って振ってある引き出あーーーーーーーーっ!!!!????」
『ど、どうしたの!?』
「ワニワニパニックが起きた……。」
かり、と小さな音がしたかと思えば、北上の歯が指に食い込んでいた。
血が出るほどでは無いが、結構な痛みの咀嚼に、ケイは思わず叫び声を上げる。
そして北上はその声で起きたフリをして、じっと電話をする彼の姿を見つめていた。
『まだ医務室でしょ、何かあったの!?』
「い、いや、ちょっとした事故だ…とりあえずそれで大丈夫そう?」
『うん!ありがとー!』
「了解!また何かあったら連絡ちょうだい、お疲れ様ー。
……さて、ユウさん。何か言う事あるんじゃないでしょうか?」
「んぁ…アタシ?美味しいお菓子を食べる夢を見てたけど……?」
「俺の手はポッキーじゃないんですよ…見てくださいよこれ、歯型クッキリですよ。」
「アタシはトッポ派だね。」
「これが最後までぎっしりなのは骨!肉もカリカリしてないから!」
「まー病人だもん、美味しいものに飢えてたんだよー、許してちょうだい。
あーあ、本当にクッキリだねぇ、ごめんごめん。」
そう優しく手を取り、北上は微笑みながら、じっとそれを見つめていた。
付いた歯型を優しく撫で、そして微笑みながら、そっと彼の手を自身の頬へ当てる。
「ケイちゃんの手、冷たくて気持ちーねぇ。」
その手に何度となく頬擦りしながら、幸せそうに北上は笑っていた。
とても高熱を出しているとは思えない程の、幸せな顔で。
“自分の持ち物には名前書けって習ったけどさ……これ、立派なアタシのサインだよね?
アタシのだもん。誰にもお裾分けなんてしないから……。”
「ケーイちゃん♪」
「何です?ほら、また寝ないと。」
「撫でてくれたら寝る。」
「えー…全く、熱で幼児退行しちゃいましたか?しょうがないですね…。」
「ふふー。あ、でもちゃんと後でうがい手洗いしなよ?もらっちゃダメだかんね。」
「はいはい。」
そして髪を撫でる感触に目を細めながら、北上はようやく心地よい眠りへと落ちて行った。
うつらうつらと、今度は悪い夢を見ないままに。
そして二日後。
「ぶえっくしょーーい!!」
「ケイくん、オヤジ臭い。」
北上ほど重症ではなかったものの、彼もまた、軽い風邪を貰ってしまったようだ。
今は寝込むほどでは無いが、悪化されると業務に支障が出る。
いつもはこれは趣味だから!と無理矢理居残りする事も多い彼だが、くしゃみに悶える様を見て、夕張は無理矢理にでも帰す事にした。
「ケイくん、もう定時だよ。さあ帰ろうねー。」
「へ?あーー!それここの鍵!何で!?」
「それは君の部下たちの気遣いだよ。」
足下を見ると、一人の妖精がしたり顔で彼を見上げていた。
どうやらこっそりと鍵をスり、帰すように夕張に渡していたようだ。
さすがにここまでやられると観念したのか、ケイは項垂れて帰り支度を始める。
それを見て、夕張と妖精は小さくハイタッチを決めるのであった。
「で、なーんでついてくるんかなぁ?」
「そりゃもう、途中で戻ったりさせない為。」
夕張はちゃんと部屋に戻るか見張る為、彼の部屋までついてきていた。
旧来の大型寮を艦娘寮としてあてがっている為、こちらの職員寮は小さいが、まだ比較的新しい。
新品の匂いが残る廊下に羨ましさを感じつつ、彼の部屋の前に辿り着く。
そして鍵を開け、「じゃ、お疲れー。」と彼が扉を開けた瞬間。
「ダーッシュ!」
「あ!待て!」
するりと中に飛び込むと、見事に特徴の無い部屋が夕張の目には広がる。
本棚とPCとベッド、後目に付くのは、せいぜいバイク用品程度。
しかし彼女の目は、それに相反してキラキラとしていた。
「面白いもんなんて何も無いよ?大体寝に帰ってるだけだし。
ほら、ちゃんと寝るから。帰った帰った。」
「ん?卒アルはっけーん!」
「人の話を聞きなさい。全く、大したもん載ってないぞ?」
夕張がパラパラとアルバムを捲ると、彼女は迷いなく彼のクラスのページを開いてみせた。
そこには今より少しだけあどけなさの残る彼の写真以外、夕張の知るものは無いはず。
すぐに飽きるだろうとタカを括り、しばらく放っておいたその時。
「懐かしいね。あの先生どうしてるかなぁ。」
「………え?」
その言葉に、彼は自身の耳を疑った。
「君のクラスにさ、ちょっと太った地味な女の子いたよね?銀髪のさ。
地味子とか陰で言われてて、まあその通りな子だったよね。
……その子って、今何してると思う?」
「待て、何で君がそれを……。」
「研究に集中してても痩せたけど…それ以外も、ダイエット頑張ったんだ。
ケイくん、全然気付かないんだもん。逆に自信付いちゃった。」
ふとかつてのクラスメイトの記憶と、目の前の少女が重なり合う。
そうだ、確かに面影がある。
そうして驚愕に打ち震える彼を尻目に、夕張はいつもの明るい笑みを作り、こう言った。
「初めましてじゃ、なかったんだ……ここにいる夕張は、そこに写ってる私だよ。
久しぶりだね…ケイタロウくん。」
ナイスヤンデレ
いいぞ、いいぞ
素晴らしい
幼馴染雷巡vs同級生4スロ軽巡のガチバトルに期待。
あなたが~噛んだ~♪ 小指が~痛い~♪ って、歳がばれるぞ>>1よ。
はよはよはよ
これはこれは面白くなってきましたね~
投下します。
「久しぶりだね…ケイタロウくん。」
余りにも予想外の事態に、ケイは驚愕を隠せずにいた。
そうだ、言われてみれば確かにうっすらと声は覚えがある。
だが、余りにも目の前の存在は、記憶の中のそれとは別人に思えた。
そもそも元の目付きも眼鏡に阻まれてわかりにくい物であったし、第一少し太めだった覚えがある。
目立たなかった彼女と言葉を交わしたのは、学生時代はそれこそ何度あったのか。
現実と過去が交互に入れ替わり、彼の中ではもはや何がどうなっているのかすら思考する事が出来ずにいた。
「本当に、__なのか…?」
「嘘じゃないわよ。
でも…そうね、苗字で呼ばれるのは好きじゃないの。“ミユ”で覚えておいて。それが下の名前よ。
今まで通りバリさんでもいいし。」
「あ、ああ…。」
「ふふ、驚いた?いつ気付くかなーって思ってたんだけど…あの頃は、あんまり絡み無かったもんね。
まあ、だからと言って何が変わるでもなし!今まで通りよろしくね!」
「そうだな…バリさん、改めてよろしく頼むよ。
…しかし驚いたなぁ、人って変わるもんだわ。だってあの時のバリさん、ぶっちゃけデb…」
「…ドラム缶でぶっ飛ばされたい?それともセメント風呂?ん?」
「…何も言っておりません。はい。」
意外すぎる事実に面食らいはしたものの、平静を取り戻したケイは、ようやく事実を受け入れられた。
昔は縁が薄かったとは言え、むしろこれは、より良い工廠を作るにはいい事ではないか。
同郷にして同世代だ、育ちが近い故に取れる連携もあるだろう。
そう考え、彼は特に何が変わるでも無いと捉える事とした。
一方夕張はと言えば、全く違う事を考えていたのだが。
“ふふー、驚いてるわね。
あーあ、言っちゃったなぁ…北上さん寝込んでるから、今しか無いよね。
火事場泥棒みたいだけど、鬼の居ぬ間になんとやら。でも、これで少しぐらい…。”
思惑はすれ違いつつ、こうして同級生にして同僚と言う新たな関係が始まった。
一方その頃、北上はと言えば。
“暇だねー…やっと37.3℃か。はーあ。”
医務官の指示により、最低3日は安静にとの通知を受けた彼女は、今は自室にて大人しく過ごしていた。
相当に重い風邪だったらしく、昨日やっと入浴許可が出た始末。
ほぼ完治に近いが、待機命令を喰らっている手前、こうして部屋で時間を潰すほか無い。
そんな彼女の現在の楽しみはと言えば…
“ケイちゃん、そろそろ仕事終わったかな…また居残りしてなきゃいいけど。よーし、連絡取ろー。”
携帯を手に取り、北上はいつものトーク画面を開く。
大型バイクがアイコンのそれは、ケイのアカウント。
毎日のように連絡を取っている為、いつでも履歴の一番上に表示されるそれを見ると、彼女はにんまりと笑みを浮かべる。
風邪を移したくないとの理由から見舞いは断っているが、こうして他愛もないやり取りをするのが、療養中の唯一の楽しみであった。
『お疲れ様、お仕事終わった?』
そうして10分、20分。
遂には30分と経つものの、未だ既読すら付かない。
定時はとっくに過ぎているし、居残りをしていても、いつもなら一息ついている間に返信ぐらいは返ってくるのだ。
それがふと気掛かりになり、彼女はベッド側にある小窓のブラインドを開けた。
普段このブラインドは降ろしているのだが、4階にある彼女の部屋は、実は職員寮が見下ろせる位置でもある。
よくある3階建てアパートのような作りのそれは、彼女の部屋に対して窓側を向けて作られており。
照明の点灯で、在宅の有無が確認出来るのだ。
そして現在、ケイの部屋の電気は点けられていた。
“あんにゃろー。さては寝ちゃったかー?”
北上が積極的にこのブラインドを開けないのには、理由がある。
開いていれば、ついつい見てしまうからだ。
しかし彼女の部屋から見えるのはカーテンの掛かった窓か、開いていても、せいぜい床の一部が見えるぐらい。
元々彼は、あまり部屋にいないのだ。
まともに家主がいない部屋ををずっと眺めていたところで、彼女にとって意味は無い。
彼自身の存在を感じられなくては、大して価値のある事では無いのだから。
相変わらず消えない遮光カーテンの隙間から漏れる光に溜息をつき、再びブラインドを閉める。
そして不貞寝でもしようと横になり、数分後の事。
『お疲れ様です。俺も風邪気味みたいで、今日は定時で叩き出されちゃいましたよ。』
ようやく届いた返信の内容に、彼女は思わず眉をひそめた。
やはり移してしまったのだろうかと思い、少しの罪悪感に駆られながらも。
それでも嬉しさの方が勝ち、微笑みながら返信を打ち込んでいく。
『大丈夫?アタシの移ってたら相当重いから、無茶しないようにね。今部屋にいるの?』
『今は部屋です。今日はもう大人しくしとこうかと。
目え離したら戻るだろ!って、バリさんに部屋までついてこられましたからね。さすがに大人しくするっての。』
『ふーん、甲斐甲斐しいじゃん。
でもケイちゃん、いつもの行動じゃ説得力無いよー。』
“そっか、部屋まで来ちゃったんだ…アタシでさえまだなのに。”
さすがに彼の自室を訪ねるのには、立場もあってか未だに気が引けていた。
しかし同じ部署の夕張であれば、周りも余り気にしないのだろう。
不意に布団を掴む手が強まったのを、彼女は気付かないフリをしていた。
『はは、返す言葉も無いですわ…あと、衝撃の事実判明です。』
『どったの?』
『バリさん、何と高校の同級生だったんですよ。
見た目もイメージも変わり過ぎてて、俺全然気付かなかったですよ。彼女、昔は太ってましたし。
いやー、何とも不思議なもんですわ。』
『マジで!?』
その瞬間、北上の中で全ての線が繋がった。
ふと冷静になった時、度々彼女自身もおかしいと思っていたのだ。
何故自分は、ケイにちょっかいをかけた訳でも無いたかが新人に、着任前からあそこまで嫉妬していたのかと。
寧ろ彼の負担を減らしてくれる、有り難い存在ですらあるのだ。
そうだ、確かに構ってもらえなくなる不安はあったが、それでも自分の行動は度を超えていた。
しかしそれらの物事の理由も、今なら北上には理解出来る。
それこそ着任の話を聞いた時から、今まであまり信じていなかった、女の勘と言うものが働いていたのだ。
“間違いなく、その女はケイを奪いにくる”と。
“へー…そっかー。夕張ちゃん、やっぱりそうなんだー……。だからアタシ、あんなに…。
ふふー…気付いちゃったなー、気付いちゃったよー。あの子はアタシと…。
…でも、あげないから。”
まるで、戦闘時の様な獰猛な笑みを浮かべている事にすら気付かず。
彼女はその思考と感情に夢中になっていた。
ケイが夕張の話をする時に感じる寂しさと、好敵手をはっきりと捉えた喜びとで。
北上の心はまだら模様を描いていく。
やがてある程度その興奮も収まった時、再び微熱の気だるさが彼女を襲った。
一度冷えた頭の中は、今は部屋の孤独の寂しさで埋め尽くされている。
そして彼女の中にはある強い感情が芽生えた。
声が聞きたい、と。
北上の指先は、ひとひらの迷いもなく彼のアイコンを押し、通話ボタンをタップしていた。
程なくしてコール音が途切れ。
もしもし?と、聞き慣れた、しかし今は何よりも欲していた声が彼女の鼓膜に触れる。
それは北上にとっては、脳髄を蕩けさせるような安堵を与える声。
それに触れている間は、先程までの忙しない心の動きを忘れる事ができる。
それらの『殆ど』、僅かに残るもの以外は。
『どうしました?』
「んー、ちょっと人の声聞きたくて。さすがに暇なんだよねー。
ねえねえ、ところで夕張ちゃんの話マジなの?」
『マジですよ。上がり込まれて卒アルバッチリ確認済み、免許も見せられましたよ。
同級生じゃなきゃ絶対知らない事、全部知ってましたし。』
「部屋入ったんだ?」
『もう帰らせましたけどね。
他の奴らに見られたらだるいんで、勘弁しろよって話なんですけどねー。』
「あー、あの資材科の子とか?」
『ああ、確かにあいつチャラいんで危ないかも…。』
「こないだ長門さんにシメられてたもんねー。ふふ、あの時さー…」
他愛も無い会話に、思わず北上は顔を綻ばせていた。
今は回線越しの、二人だけの世界。
他の誰にも邪魔しようの無い世界だ。
そこにあるのは笑い合う声だけ、それ以外は何も無い。
例えば今ここに、夕張が横槍を入れてくる事も。
会話に夢中になりながら、少しだけその事を考えた時。
思わず、再び自身の口角が吊り上がった事を。
北上自身も、気付かずにいたのであった。
ゾクゾクワクワクする
投下します
「すげぇ匂いとハエだ…俺らが入れるようになってこれか…。」
「まだ見つかってない遺体が多いらしいな…いや、正確には一部が、か。」
高2の頃、深海棲艦の襲撃事件の1ヶ月後。
学校の休みを得て、俺はボランティアの一員として、瓦礫除去作業の一団に加わっていた。
深海棲艦と言う化け物が現れた。
街が一つ滅んだ。
そこに住む、殆どの人が殺された。
何もかもが現実味を帯びた言葉ではなかったが。
しかしその惨状を目の当たりにすれば、それは夢物語ではない事を思い知る。
「おい、遺体だ。こっちは軍の駐屯地の方が近かったよな?」
「ああ、すぐ連絡しよう。」
「誰か見付かったんですか!?う……!?」
「えらいな、よく吐かなかった。
触れると感染症の危険がある、ここは軍が来るのを待とう。」
ドロドロに腐って崩れていたそれは、『おそらく』人間の足であったもの。
込み上げる嫌悪感でやっと人間のものだと認識できたそれは、最早吐く事すらままならない衝撃を俺に与えた。
宅地の細い道路に飛び散った瓦礫をどかし、最低限の道を確保するのがこの一団の目的。
しかし道路に飛び散っていたのは、凡そここにあるべきものではなかった。
壁の板や、かつて使われていたはずの生活用品一式。
家々は弾丸によるものであろう穴が開き、燃えたものや崩れたものもあった。
「リーダー、これって…。」
「……もう見るな。見ちまえば情が移り、手が止まる。
俺たちが今やるべき事は、この道を空ける事だ。
被害者のためにこそ、今は情を捨てて集中しよう。」
落ちていたのは、血に染まったウサギのぬいぐるみ。
焦げ落ちた片耳と血のつき方を見れば、何となく何が起きたのかは理解出来た。
きっと持ち主は恐怖に震えて抱えたまま、頭を撃たれたのだろう。
焦点が変わるはずのないプラスチックの目は、ずっとその光景を焼き付けているように見えた。
手袋の合皮が、ぎゅっと軋みを上げる。
この時俺が怒りをぶつける先など、せいぜい自分の手のひらぐらいしかなかった。
後続するダンプに積めるものはそちらへ、積めないものは道の端へ。
塀に瓦礫を寄せていると、度々家々の表札が目に入る。
ここは5人家族、ここは6人…。
散らばった皿や、とっくに土へ帰った食事の残骸を目にする度、俺はその瞬間まで団欒を楽しんでいたであろう光景に思いを馳せた。
そして所々、至る所に残る血痕が。
それらの命が理不尽に踏みにじられた事を、俺に伝えてくるのだ。
「ケイ君と言ったね、君はどうして今回ボランティアに?」
「……幼馴染の引越し先が、この街だったんです。もう絶望的でしょうけど、せめて何か出来ないかって。」
「そうか……すまない、出過ぎた事を訊いた。」
ボランティアチームには、親族や友人がこの街にいる人が多かった。
じっと破壊されたアパートを見つめる人や、表札を見て涙ながらに作業をする人もいた。
ユウ姉ちゃんも、コウタも…皆、死んじまったのかな…。
わからないや、死体も見てない以上、何もわからない。
うちは両親が忙しく、3人の写真は、いつもおじさんとおばさんが撮っていた。
故に写真を持っておらず、小さかった俺はあの二人の顔を正確には思い出せないし、今どんな風に変わったのかも知らない。
それでも、大切な思い出。
いや、思い出『だった』。
せめて、せめて何か……そう思いながら作業を進めていた時。
「岩代……?」
忘れる筈もない名前を見付けたのは、その時の事だった。
おじさんとおばさんの名前は覚えていない。
だけどあの二人の名前だけは、忘れる筈も無い。
そこにあった表札は、二つ。
一つは、最初に見付けた塀に埋められた苗字だけのもの。
そしてもう一つは、違うスペースに貼られた家族全員の名が刻まれたもの。
気付けば俺の息は乱れ、目を逸らしたくなるのを必死で堪えながら、二つめの表札へ近付く。
『岩代トオル』…
『サヨコ』…
ああ、この並びは、夫妻の名前だ。
だけどその後も、まだ続いてる。きっと子供がいたはず。
固まりたがる首を必死に回し、次の欄へと、ガタガタと震える指を這わせた。
子供は二人……そこにあったのは。
『ユウ』
『コウタ』
それを目にした瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
そしてふと顔を上げた時、俺の目は門から家全体を俯瞰して視界に収める。
ドアにも縁側にも大きな穴が開き、家の中は丸見え。
不意にリビングの壁が目に入り、それは最初、『純粋な赤い壁紙の様に』見えた。
違う…あれは……血の…いや、小さい…そうだ、例えるなら人間が飛び散った…。
1人なんてもんじゃねえ……あの壁は、もっと…!
「うああああああああああっ!!!」
「ケイ君!?どうした!」
その時、俺は我を忘れ、半狂乱で叫ぶのみだった。
今もその時の表情筋の感覚は、よく覚えている。
それまでの人生の中で、最も怒りと悲しみを顔に出していた、その時の感覚は。
俺がどんな形でもこの戦争に参加すると決めたのは、その日の事だった。
※修正
「岩代……?」
忘れる筈もない名前を見付けたのは、その時の事だった。
おじさんとおばさんの名前は覚えていない。
だけどあの二人の名前だけは、忘れる筈も無い。
そこにあった表札は、二つ。
一つは、最初に見付けた塀に埋められた苗字だけのもの。
そしてもう一つは、違うスペースに貼られた家族全員の名が刻まれたもの。
気付けば俺の息は乱れ、目を逸らしたくなるのを必死で堪えながら、二つめの表札へ近付く。
『岩代トオル』…
『サヨコ』…
ああ、この並びは、夫妻の名前だ。
だけどその後も、まだ続いてる。きっと子供がいたはず。
固まりたがる首を必死に回し、次の欄へと、ガタガタと震える指を這わせた。
子供は二人……そこにあったのは。
『ユウ』
『コウタ』
それを目にした瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
そしてふと顔を上げた時、俺の目は門から家全体を俯瞰して視界に収める。
ドアにも縁側にも大きな穴が開き、家の中は丸見え。
不意にリビングの壁が目に入り、それは最初、『純粋な赤い壁紙の様に』見えた。
違う…あれは……血の…いや、それならもっと小さい…そうだ、例えるなら人間が飛び散った…。
1人なんてもんじゃねえ……あの壁は、もっと…!
「うああああああああああっ!!!」
「ケイ君!?どうした!」
その時、俺は我を忘れ、半狂乱で叫ぶのみだった。
今もその時の表情筋の感覚は、よく覚えている。
それまでの人生の中で、最も怒りと悲しみを顔に出していた、その時の感覚は。
俺がどんな形でもこの戦争に参加すると決めたのは、その日の事だった。
「………ゃん……イちゃん……」
“ん……誰だ……眠いや…無理……”
「起きろーー!!!」
「わぁ!?……いって~…ユウさん、耳引っ張んないでくださいよ…。」
うたた寝していたケイを起こしたのは、北上の大声だった。
ふと腕時計を見れば、20時。
そして夕張は休みで、今日は自分一人だった事を、彼はそこでようやく思い出したのだった。
「むしろ感謝しなよー、この北上様直々に悪夢から引っ張り出してあげたんだから。
……ケイちゃん、机で寝ながら泣いてたんだよ?」
「へ?ああ…そう言えば、ちょっと嫌な夢見てましたね。」
頭が覚醒し始めると、まずやたらとTシャツが張り付く居心地の悪さが襲う。
そして寝汗のせいか体温は上がっており、秋にも関わらず、彼は軽い暑さを感じていた。
「……どんな夢だったの?」
「んー…昔の夢ですね、嫌な思い出を少し。ユウさん、俺ちょっと外行ってきますわ。」
艦娘である彼女には、この話はしたくない。
それが彼の考えであり、ケイははぐらかす様な言葉を吐くと、デスクの引き出しを開ける。
そこにはたまに吸うタバコとライターがしまってあり、それを手に外へと出る。
工廠の横にある、あまり使っていない赤い吸い殻入れ。
そこでつなぎの上を脱いでTシャツだけになり、彼はようやくタバコに火を点けた。
夜風が汗で湿ったTシャツを通り抜け、フィルター越しに吸う空気は冷たい。
その冷気が、先程までの悪夢の熱をゆっくりと覚ましていく。
数日振りの11mgのタールは、ケイの頭をくらくらと酔わせ。
それがより、強張った心を虚脱させる。
魂を吐き出すように煙を吐けば、その目には月夜。
それらの冷たさと酩酊が、やっと現実に帰ってこれた事を彼に教えていた。
「煮詰まった時だけじゃなかったっけー?ヤンキーだねぇ。」
「……まあ、気が沈んだ時に吸う事もありますよ。気分です。」
後から付いてきた北上は、ケイの横に座ると、いつものゆるい口調でそう話しかけた。
その声が彼に与えるのは、安心感。
いつでもそうだ。力が入りがちな時ほど、彼女はそうやって力を抜かせるように彼に接してくる。
しかしそれ以降は言葉は無く、夜空へ立ち上る煙を、二人は呆然と見つめていた。
「ケイちゃんさー、どんな夢見てたの?」
「喰いつきますね、随分。」
「手、震えてるもん。」
細かい所までは、悪夢の名残は隠せていなかったようだ。
消えかけのタバコを持つ手は、未だ少しの震えを見せていた。
それを誤魔化すかのように、ケイは2本目のタバコに火を点け、肺の底まで沈ませるようにそれを吸ってみせた。
溜息を誤魔化すように、深く、深く息を吐く。
そして白い煙を見送り、彼は座り込む北上の隣へへたり込んだ。
「……俺、実はあの街に行ったんですよ。ボランティアで。」
「……そう、なんだ…。」
「死の跡しか、無かったですね。
街もめちゃくちゃで、遺体の一部や血の跡もたくさん…何もかも冷たくて……ずっと、その時感じたものが取れないんです。
ああ、人の生活の跡も、人間だったものも、こんなに冷たくなるんだって……冷たいですよ、死んだ世界なんて。全部冷たい…。
…俺は、あいつらだけは絶対に許さないです。」
「そっか……。
ねえ、ケイちゃん。」
「どうしま……!?」
その時彼は、初めてくちづけの感触を知った。
そして、永遠に感じられるような数秒が過ぎた直後。
少しだけの痛みが、彼の唇を襲う。
それは優しく、しかし傷を与えるように、彼女が唇へと噛み付いた痛みだった。
「ユウ、さん……?」
「柔らかかった?痛かった?血の味、するでしょ?」
月明かりに照らされ、彼女は優しく微笑んでいた。
まだ残る、彼女の唇の柔らかさ。
そして痛みと、鉄の味。
先程とは別の形で心臓は早鐘を打ち、ありとあらゆる感覚がケイを襲う。
そして呆然とする彼を。
北上は、優しくその胸へと抱きしめていた。
「ふふ、ぬくいっしょー?
だいじょーぶ、ケイちゃんもアタシも、ちゃんと生きてる!ね?」
「…………。」
あの時感じた冷たさと絶望が、少しずつ溶かされて行くのをケイは感じていた。
時に殺意で自分を塗りつぶし、時に仕事に燃え、機械弄りを楽しむ事で自分を塗り潰し。
そうして彼が自分の中に封じ込めていたのは、癒える事なのない深い悲しみ。
不意に、熱を持った涙が彼の頬を伝う。
「……今アタシがした事はさ、全部忘れてもいいよ。
でも、これは忘れないでね。
アタシもケイちゃんも、こうして生きてたから出会えたんだ。
Bしかないけど、胸ならいくらでも貸したげるからさ。たまには泣いていーんだよ。ね?」
「はい…ありがとう、ございます……。」
嗚咽を堪えながら、彼はその胸で静かに泣いた。
そして北上は、微笑みながらその肩を抱きしめていた。
その微笑みが何を意図してかは、彼女以外は誰も知らないまま。
“そうだよー、生きてたから、『また』出会えたんだ……。
ケイちゃん…かわいいかわいい、アタシのケイちゃん。
だからアタシの味も感触も、その傷もさ。
全部、全部覚えててね…?”
秋風に吹かれ、雲が通り抜けては月を隠し。
その明かりは、明滅を繰り返す。
そしてまた雲が晴れ、月明かりがその明るさを増した時。
それが照らした北上の笑顔がどのようなものであったのかは。
ギラギラと鈍く光る、月だけが知っていた。
この感じいい
気の利いたこと言えねーけどすごく良い
あんな悪夢を見た後だと1人物思いに耽りたい感じかと思ったけど、あんな風に優しくされると吾を忘れて泣きたくなるんかね
最後のお月様の表現すき…好き……
あああああ
投下します。
「ケイくん、唇どうしたの?」
朝、いつもの如く工廠に来た夕張は、真っ先にケイの唇が目に付いた。
意外に目立つその傷は、ぶつけたというには不自然な位置にあり、彼女はそれが気になったのだ。
「んー?ああ、ちょっとね。」
「そろそろ乾燥してくるし、癖になると結構引きずるわよ?リップ塗りなさい。」
「了解。」
いつもに比べればテンションも低く、目もどこか疲れている。
しかしそれ以外は特に様子が変わる事もなく、彼は淡々と仕事をこなしていた。
夕張は、ふと昨日の事が気になった。
彼女はまだ越してきたばかりであり、昨日の非番はそれに伴う用事が多く、工廠に顔を出す事が出来なかったのだ。
不意に、彼女の脳裏には北上の顔が浮かぶ。
何かあったのか、或いは何かをされたのか。
唇に傷と言う事実を前に想像を巡らせ、そして首を横に振って、彼女はすぐにそれらをかき消した。
“北上さんがじゃれてるだけだもんね…じゃあ、あの人が何かした?
むう、彼女ヅラしちゃって〜〜……!”
ゴミ箱を見れば、明らかにケイ一人分ではない空いた紙パックが捨てられていた。
おまけに片方はイチゴ牛乳、普段パックの緑茶かコーヒーばかり飲んでいるケイの趣味ではない。
誰の趣味かは、もはや一目瞭然だった。
昨日は恐らく、自分がいないのをいい事に、早めに訪ねていたのであろう。前の忘れ物の時の例もある。
そう考えると、夕張の嫉妬心はパチパチと火を上げ始めるのであった。
そして夕張は、おもむろに壁に貼られたホワイトボードに視線を送る。
いつも鎮守府の出撃スケジュールが書かれているそれは、今日は夜間出撃の部分が空欄となっていた。
本日の整備部門の退勤予定、17時。
それを確認すると、夕張はにんまりと笑みを浮かべる。
「ケイくん、今日終わったら暇?」
「まぁ、居残りしなきゃ暇だな。」
「私こっち来たばっかりでさ、まだ美味しいお店とか知らないんだよね。
良いところ知ってたら、教えて欲しいなーって。」
「外食かー…確かに最近してないな。いいよ、何食いたい?」
「そうね、最近冷えるし…お蕎麦とか。」
「美味いところ知ってる。」
「ほんと?やった!」
そして仕事が終わり、一度私服に着替えた二人は、一路駐車場へと赴く。
この辺りの地理を覚えたいと言う夕張の希望により、彼女の愛車で出発する話となり、いざ車へと乗り込もうとした。その時のこと。
「ん?キーレス動かない。電池切れたかな…まぁいいや、後で替えよ。
アレ?ロックも連動もしないわね…今開けるね。」
「でけえなこれ、よっと…」
「ふふん、夕張スペシャルよ。さーて……ん?」
「……どうした?エンジン点かないの?」
「ケイくん…私、昨日やらかしちゃったかも……。」
青ざめる夕張の目線の先には、見事にオンになったままのライトのレバーが。
しかしライト本体は、何の光も放っている様子は無く、よく見れば、ドア開閉時もルームランプが点いていない。
エンジニアである二人がこの状況が詰みである事を理解するスピードは、もはや光の速さであった事は言うまでもなく。
「大変申し上げにくいのですが…手遅れです。」
「ジムニーちゃああああん!!」
夕暮れの車内に、夕張の悲痛な叫びが響き渡るのであった。
そしてどうしたかというと……
「うーん!気持ちいいねー!」
「あんまり動くなよー!危ねえ!」
シャフトドライブ特有の音を響かせつつ、巨大な鉄の塊が走り出す。
車での移動を諦めた二人は、ケイのバイクにて出かける事とした。
バイクの後ろ、それもアメリカンに初めて乗る夕張は、終始ご機嫌な様子だった。
「ケイくん!夕焼けやばい!」
「それがここのいい所!しっかり掴まんなさい!」
「うん!」
バイクは一路、目的地へ向け走る。
鎮守府最寄りのコンビニを目印に曲がれば、国道に入り、後はメインストリートへ向かうだけだ。
そのコンビニは、鎮守府の者も愛用する店である。
大体の者は自転車などでここへ来る為、鎮守府が1日を終えた現在、店頭には結構な数の乗り物が停められていた。
その中に、一回り大きいベスパが一台。
今日はとある雑誌の発売日。
鎮守府所属のある艦娘は、それを定期的に買っていた。
太めの三つ編みを揺らしながら、彼女は雑誌コーナーの前に立っている。
そして聞き覚えのある音に正面を見れば、右から左へ、窓の外を黒いバイクが駆け抜けて行った。
タンデムしているうちの一人は男性であろう、フルフェイスから覗く髪は見えない。
そして後ろに乗っているのは女性であろう、ヘルメットの裾からは、ミディアムロングの銀髪が見えていた。
その音が街の方へ消えて行くのを見届けると、彼女は会計を済ませて外へ出る。
楽しみにしていた雑誌を買った彼女は、非常に機嫌の良さそうな薄笑いを浮かべていた。
愛車を駆り、夕暮れに気持ち良さげな笑みを浮かべながら、先程のバイクと反対方向へと走っていく。
そんな日常の穏やかな風景の中。
彼女は、終始笑顔だった。
「んー、おいひー。」
「ここは全職員の一押しだよ。あー、やっぱ天ぷらうめぇ…。」
鎮守府からバイクで20分、二人はとある蕎麦屋で夕食を摂っていた。
少し肌寒い今の季節、暖かい蕎麦は尚の事沁み入る。
ケイはその味に、昨日の心のめまぐるしさも、少しは癒されたように感じていた。
幾分柔らかさは取り戻しつつあるが、まだ顔に陰りがある。
夕張は彼のそんな様子を見て、むむ、とまたしても怪訝な顔を浮かべるのであった。
「今日元気ないわねー、どうしたの?」
「そう?いつも通りだけど。」
「顔疲れてるもん。昨日さ、何かあった?」
「何もないよ、どうした?」
「だってさ…目、腫れてるもん。」
しまった、とケイは思わず口を開けた。
こればかりは誤魔化しようが無い。観念した彼は、ある程度までは話す事にした。
「はぁ……高校の時さ、俺、公休ぶんどってボランティア行ったじゃん?
工廠でうたた寝してたら、その時の夢見ちまって…北上さんに慰められた。」
「あの街の時?そんな酷かったんだ…。」
「ひでぇなんてもんじゃ無かったね、アレは地獄だよ。
で、うなされてたのを叩き起こされてさ。
それで慰められて…何か、情けねえ所見せちまったなーってさ。」
彼のテンションが低かったのは、どうやら慰められた事に起因するらしい。
昔から無理をしがちなケイの事、恐らくそんな姿を北上に見せた事自体、落ち込む事なのであろう。
そして唇の傷の理由も、夕張には何となく察しが付いた。
恐らくそれは、当初の予想通りであろう事が。
しかし彼女は、それについては敢えて何も言わなかった。
「ねえ…ケイくんにとってさ、北上さんってどういう人?」
不意に尋ねられた言葉に、ケイはすぐには言葉を返す事が出来なかった。
しばし思案し、そしてようやく返事を返す。
「んー…姉ちゃんみたいもんかなぁ…。
俺、最初は気合入りすぎて、結構空回っててさ。それを諭してくれたのが北上さんで。
あの人がいなかったら、今こんな立場じゃなかったと思う。
ずーっと仲良くしてくれてる人だよ。まあ、スキンシップ激しいのはご愛嬌だけど…。」
「お姉さんね…ふーん…。私さ、てっきり付き合ってるもんだと思ってた。」
「げほっ!!…つ、付き合ってないって!第一俺、あの人に釣り合うようなんじゃないし…。」
思わず咽せるケイを見て、夕張はにひひと笑った。
それは彼のその様を見てと、もう一つ。
付き合ってはいないと、彼の口から聞けた。その事も、彼女が安堵した要因だった。
「さーて、帰るか。」
「やっぱり大きいわねー、この子。ふふー、女の子乗せるつもりで買ったー?」
「俺の趣味ですー、これ乗る為にわざわざ大型取ったんだよ。いいでしょ?この渋いVツイン。」
「ねえねえ、この子いじっていい?」
「ダメ。こいつは俺の彼女だから。」
「人に恋をしなさいよ…ほんと機械馬鹿ねぇ。」
日はとっく落ち、すっかり肌寒さを感じる時刻。
バイクの風は冷たいが、しかし夕張の胸は、暖かさで満たされていた。
“…お姉さんかぁ。距離が近すぎてもダメなのかもね。
それならきっと、私の方が……どれだけマーキングされてても、そればかりはね。ケイくん次第だもん。
……私、負けませんから。北上さん。”
彼の腰に回す片手の暖かさに、夕張は複雑な溜息を吐いた。
でも、今はこれでいい。きっと空いたその場所に近づける。
そう自分に言い聞かせ、彼女はじっと、ハンドルを取る彼の背中を見つめていたのだった。
Vツインの排気音と振動は、余計な情報を全てかき消して行く。
そしてケイのポケットにしまわれたものも、その存在をどれだけ主張しようとも、エンジンを止めない限り掻き消されるのだ。
『おーい。』
『ケイちゃん、お出かけー?』
帰り道の途中、彼の携帯には2件のメッセージが入った。
しかし運転中の彼は、それに気付くはずも無く。
そしてその送信された場所、北上の部屋。
テーブルの上には、夕方コンビニで買ってきたものが置かれていた。
そこには彼女が楽しみにしていた雑誌と、いつもの飲み物。
そしてもう一つ。
デザートのつもりで買っておいたのであろう、カットメロンの容器が一つ。
いつもこの時間なら来る返信を待ちわびながら、彼女はその一欠片に、深々とフォークを刺した。
口に運べば、じゅわりと滲み出る果汁の甘みが広がる。
しかし彼女の顔は、普段デザートを食べる時と違い、無表情なまま。
淡々と、そのメロンを口に運ぶのであった。
“もういい歳だし、好き嫌いどうにかしなきゃと思ったけどねぇ……何度食べても美味しくないねー、これ。
あーあ、アタシやっぱり『メロンは嫌い』…。
……本当に、大っ嫌い……!”
数分後の、彼女の部屋のゴミ箱。
そこには先ほど出たゴミも捨てられていた。
そして、空になったカットメロンの容器だけは。
白いラベルに血が滲むほど、粉々に握り潰されていたのであった。
夕張 メロン…
それでメロンなのか
メロンの無理やり感
夕張以外だったらどうしたんだとw
明石だったらタコでも憎むんかね?
ソース塗ってから出汁につけてグチャグチャにするにきまってるだろ
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
坊主憎けりゃBOSEも憎い……?
投下します。
「ケイ、今度夕張を借りるぞ。」
「どうしたんです?」
「そろそろかと思ってな。」
とある日、執務室に呼び出されたケイは、提督からこの言葉を聞いた。
そしてそれを聞いた瞬間、彼は深く落胆の顔を浮かべる。
彼の脳内では、とある計算が次々に構築されていく。
そして解が出た瞬間、彼のげんなり具合は一層深くなるのであった。
「やるんですか、アレ…資材の飛び方やばいんですけど…。」
「資材課には話は付けてある、後はお前の承認だけだな。
ま、あいつも籍は艦娘、一度は通るべき道だ。整備に関わるなら尚の事。違うか?」
「ですねー……はぁ、わかりました。今回のメンバー誰ですか?」
「そうだな…今回は青葉、龍驤、霧島、長門……それと、北上だな。」
「了解しました、準備しておきます。」
簡素なやり取りだけで通じるほど、この行事は鎮守府での通過儀礼と化している。
そしていつもは意気揚々と仕事に臨むケイが、相当にテンションが低い。
これから夕張が体験するのは、そんなしきたりであった。
「ケイくん、明日私初出撃だって!」
「もう知ってるよ…。」
それぞれの呼び出しを終え、工廠に出揃えば、対照的なテンションの者が一人ずつ。
片方は明日に備え急遽半休、そしてもう片割れは、明日使う艤装の整備に余念が無かった。
今彼が手を付けているのは、長門の艤装だ。
その様子をまじまじと見つめつつ、夕張は再び彼に話しかける。
「エース級のメンバーと一出撃だって!絶好のデータ取りのチャンスだわ!んー、上がるー!」
「楽しいピクニックだろうな、バリさんの中では…一応言っとくけど、遊びじゃないからね?
何が起きても受け入れる覚悟を決める事。いい?」
「う…ごめん……そんなに危ない海域なの?」
「敵ははっきり言って弱いよ。ただし…まあ、行けばわかるさ。
ここの通過儀礼って奴だよ。」
「うん…。」
失言だったかと夕張は我に返り、シュンとしてしまった。
一瞬だが、いつもの穏やかな彼とは違う目が見えたからだ。
艤装を組む時には魂を込めろ、とは彼の口癖だ。
直接では無いにしろ、ここにはここの戦いがある。
砲の一つ一つ、艦娘や人類だけでは無い。
弾丸の1発ずつが、彼の怒りも乗せて放たれるのだ。
ケイが不意に見せたギラついた目を見て、改めて襟を正さねばと彼女は思ったのであった。
「……生きて帰って来いよ、バリさん。」
「ちょ、ちょっとやめてよ…。」
「違う、メンタル的な意味でだ。俺達が何をする道具を作っているか、しっかり学んでくると良い。」
「う、うん……。」
一体何が始まるのだろうか?
彼女は不安に駆られながらも工廠を後にし。
そしてケイは明け方まで1人、いつも以上に真剣な面持ちで工具を握っていたのであった。
「メロンちゃーん、おっそいなぁ。早よおいでー。」
「お、置いてかないでくださいよー。」
そして当日。
今回夕張の世話役を務めるのは、軽空母の龍驤だ。
見た目こそ幼く見えるが、今日のメンバーの中では最年長。
早速夕張にメロンちゃんとアダ名を付け、手慣れた様子で引率をしていた。
他の面子も、見るからに歴戦の猛者だ。
そしてその中の一人、彼女にとっては意識せざるを得ない女がいた。
雷巡・北上
夕張にとってはケイを巡るライバルであり。
そして、未だに深い絡みの無い、謎多き女である。
“さっき挨拶した時も思ったけど、本当に読めない人よね…どんな戦いをするんだろう…。”
そうしているうちに、一同は目的の場所へと辿り着く。
まず龍驤が索敵と爆撃を行い、それが開戦の合図となった。
立ち上る煙が、龍驤の爆撃の跡を知らせてくる。
もう直ぐ会敵、遂に初めての戦闘だ。
一体何が起こるのか…そう息を呑む夕張に、龍驤が声を掛けた。
「メロンちゃん、今回は援護だけな。」
「え…。」
「うちの鎮守府流の、歓迎会や…終わったら焼肉な!北上ぃ!」
「あいさー。」
北上のゆるい返事と共に、ばしゅ、と小さな音が一つ。
そしてその直後。
夕張の視界の先で、『紫の水しぶき』が上がった。
“敵…?えっ…アレ、敵よね……?”
視認できたそれは、白い腕の生えた、紫がかった液体を撒き散らす塊。
それを全員が確認すると、一斉に戦闘が始まる。
激しい爆発音と、視界の先を覆う硝煙。
一歩引くように待機させられた夕張は、その先で何が起きているのかを、まだ知らなかった。
「おし、やったな……メロンちゃん、おいでや。今から煙晴れた後のもん、よう見とき。」
そして硝煙が引き、再び視界が晴れた時。
夕張は、思わず自身の口を覆わずにはいられなかった。
それは、肉の塊だ。
ただし一様に紫がかった体液を垂らし、所々、病的に白い肌の一部や手足の名残が見て取れる。
下顎のみを残す頭部。
逆に下半身がちぎれた敵。
敵の艤装の特徴である大きな歯はちぎれ飛び、無数に海面へと浮かんでいる。
「ユルサナイ…ミン、ナ…シズ…メ…」
上半身だけとなった敵の一人は、まだ息があった。
致命傷を負いながらも戦意は衰えず、殺気立った目でその顔は一同を睨む。
「ほんま、七代先まで祟るとはよう言うたもんや……せやけど、人を呪わば穴二つ、やで?」
そして龍驤は小型の機銃を取り出すと、躊躇いなくその頭を吹き飛ばした。
それは正しく、吹き飛ばしたという表現以外無い光景。
漫画や映画でよくあるような、額に穴が開くだけの光景では無い。
肉片がビチャビチャと音を立て海面に飛び散り、遂に夕張は耐え切れず、その場に嘔吐してしまう。
それを見て、龍驤は諭すように夕張に語り掛ける。
「メロンちゃん。敵さんブチ殺すっちゅうんは、こういう事や……キミやケイ坊の作ったもんは、この為にある。
自分らが作ったもんがどんな光景作るか、それをよう覚えとき。
これは人同士ドンパチやるんとは訳が違う、バケモンと人の、生き残り賭けた戦いやねん。
吐くっちゅう事はな、それでもまだ抵抗ある言う事や。
それを忘れてもらう為に、まずはザコしかおらんとこ探して、新人一人と強いメンバー出す。どう言う事をやるか見せる為にな。
で、後でたんまり焼肉かモツ鍋喰うまでが提督の作った新人歓迎のルールや。
この後は打ち上げや。
今日の店な、美味いホルモンやハツ、ぎょうさん置いとるで……はー、早よビール飲みたい。」
そう笑う龍驤は、夕張の目には狂気の沙汰にしか映らなかった。
思い返せば、先ほどの硝煙の中、皆一様に獰猛な笑みを浮かべて戦闘に臨んでいた。
そしてとある事実を思い出し、夕張はより一層戦慄を深める。
北上だ。
彼女だけは、何一つ表情を変えず、淡々とその虐殺に参加していた。
戦意も殺意も感じさせず、無感情に敵を殺す。
それは寧ろ、あの中では一際異様な物に夕張には感じられた。
その姿を一度思い出すと、夕張の脳裏からは、ずっとそれがへばりついて離れないままだ。
そしてちらりと北上を見れば、変わらずゆるい雰囲気で談笑している。
戦闘の興奮も勝利の喜びも無く、ただいつも通りにだ。
その姿を見た時、改めて夕張の背筋には、冷たいものが走ったのだった。
「かんぱーい!」
一度鎮守府へと戻り、一同は打ち上げ会場に移動していた。
龍驤イチオシの焼肉屋へと連れてこられた彼女の前には、色とりどりの肉が並べられている。
これが普段なら喜ばしい光景なのだが、しかし先程の光景がまだ生々しく残る今では、拷問に等しい。
そして壺漬けで出された牛ホルモンを見た辺りで、耐え切れなくなった彼女は、一度トイレに行くと席を立った。
用を足すフリをして個室に篭り、前日ケイの言っていた言葉を思い返す。
“俺達が何をする道具を作っているか、しっかり学んでくると良い。”
昼間の光景とその言葉が、交互に彼女の脳内でフラッシュバックする。
夕張が艦娘となった経緯。
それはケイにもう一度会いたいと言う事もあったが、それ以外にも、彼女にはとある夢があるからだ。
それを果たす為には、まずこの戦争を終わらせなければならない。
そしてその為にこそ、終わるまであの光景を繰り返す必要がある。
改めて現実を目の当たりし、彼女は自身の甘さに溜息を吐く。
しかし、負ける訳にはいかない。
まずはちゃんと肉を食べよう、と気を入れ直し個室を出た、その時だ。
「メロンちゃーん、待ってたでー。」
洗面台の前に仁王立ちで待ち構えていたのは、龍驤だった。
「龍驤さん…?あ!ごめんなさい!トイレ待ってました?」
「ちゃう、キミを待っとったんや。ほぼ初対面みたいなんもんやし、少し二人で話したいなー思うてな。」
「は、はぁ……。」
龍驤は明るい姉御肌といった風だが、見た目に反し、実年齢歳相応にどこか底が見えない印象も夕張は抱いていた。
聞けば鎮守府の艦娘でも1.2を争う年長、そう意識すると、思わず畏まってしまう。
するとそんな夕張を察してか、龍驤は優しく彼女の肩を叩いた。
「キミ、ケイ坊と同級生なんやて?提督から聞いたでー。」
「え、ええ、まぁ……。」
「カーッ、ええなぁ、青春やなぁ。で、工廠メインちゅう事は…北上の事、知っとるやろ?」
その名を聞いた時、夕張の目が物憂げな色を浮かべたのを、龍驤は見逃さなかった。
そして優しい眼差しを彼女に向けると、龍驤はある問いを投げ掛ける。
「ケイ坊ん事、好きなんやな…キミ、あいつ追って艦娘になったん?」
「それもありますね…私、高校の頃は最後まで告白できなかったので。でも、もう一つ夢があるんですよ。」
「夢?」
「世界中で、深海からの襲撃が起きたじゃないですか。
狙いすましたように、各国の街を一部ずつ滅茶苦茶にして…たくさんの人が亡くなって…。
今でこそ各国の戦いの末に、制海も日常も相当に取り戻したけど…襲われた場所は、未だに復興が進んでいない所が多いんです。
私はこの戦争を終わらせて、学んできた機械工学を、そこの復興の為に使いたいんです。
艦娘になったのは、実状を知り、それを後に活かす為で。
笑っちゃいますよね?さっきもゲーゲー吐いちゃってたのに。でも、本気なんです。」
そう語る夕張の目は、理想に燃える若者のそれだった。
龍驤はその横顔を見て優しく微笑むと、続けてこう語る。
「ええやないか、殊勝な心がけや。
うちの連中、結構無茶苦茶な理由でやっとる奴も多いさかい、キミは汚れんといてや。
しかしケイ坊かぁ…北上、手強いで?ほんまもう、ケイ坊に依存しきっとる。」
「依存、ですか…。」
「せや。付き合っとらん聞いた時、びっくりしたわ。それでも勝つ覚悟、ある?」
「……あります。」
「気に入った。まあこれも何かの縁や、仲ようしたってや。あ、ライン交換しよー。」
夕張にとっては、やっと同性の仲間を得たと思えた瞬間であった。
そうして談笑する声が響く洗面台の、その扉の向こう。
そこの壁に寄り掛かり、聞き耳を立てる影が一つ。
北上だ。
電話が来たと席を離れたフリをして、彼女は二人の会話を聞いていた。
察しと面倒見のいい龍驤の事、恐らくそう言う話も出るであろうと踏んでの行為。
そして彼女達が出てくる前に、彼女はアリバイ作りの為に入り口へと移動する。
その間、彼女はどこか楽しげだった。
“へー…夕張ちゃん、そんな夢があるんだ…。
でもアタシもさ、夢があるんだよ?
アタシは早くこの戦争を終わらせて、仇を取って……。
ああ、楽しみだなぁ。
そしたらケイちゃんと、ずっとずっと……。
その為にも、早くあいつら皆殺さなきゃ。”
その後携帯を耳に当て、彼女は5分ほど会話するフリをしていた。
それは演技とは思えないほどの自然な会話で、画面を見ない限りは、そうだとは思えない光景である。
そして架空の通話の相手。
それはやはり、ケイなのであった。
翌日の事。
回復休業という名目で、この日夕張は強制休暇となった。
それも含め新人の通過儀礼と言う事は、何度か通った道故、ケイも理解している。
そして提督の気遣いにより、彼は代わりに後日連休との通知。
今は夕張がいる手前、休まない訳にもいかない。
どう過ごしたものかと事務作業を片付けていると、随分と元気の無いドアの音が聞こえた。
「は〜いケイくん…」
「バリさん…顔、死んでるぞ?」
「一応口頭でも昨日の報告しなきゃってね…あ、すっぴんで来ちゃった…あはは…。」
「その目すっぴんかよ!?」
一瞬濃いメイクかと見紛う程の深いクマが、その目の下には刻まれていた。
話を聞くと、どうやら出撃と焼肉のダメージに加え、龍驤達にしこたま飲まされた様子。
未だ若干漂うアルコールの匂いに、ケイには昨日の地獄が手に取るように想像できた。
「龍驤さん、飲ませ方やばいんだよなぁ……隼鷹さんが呑んべえなら、あの人、強すぎて酒神様って言われてるから。」
「そのデータ、先に欲しかったわ…ウーハイ怖い……。」
「はは…俺の成人祝いの時、提督とあの人のダブルパンチだったよ…でも、見るべきものは見たんじゃない?」
「うん…殺傷効果の資料写真は見てたけど、やっぱりいざ現場に行くとね……ケイくんも?」
「ああ。俺は護衛艦で同行した形だけどね。ただ、サンプル用の回収作業はしたな…なかなかエグかった。」
「吐かなかったの?」
「復旧ボランティアの時、アレよりひどいの見たからね。」
「そう、なんだ…。」
高校時代は交流が薄かったが故、ケイがその当時何を見たのか、夕張は詳しくは知らない。
ただ、その一言。それだけで、彼が一体何を見て来たのかを想像する事しか、彼女には出来なかった。
今回の出撃で使用された弾薬や艤装は、全てケイの手が入った物だった。
それらを実際に使用し、戦闘を見た夕張が感じ取ったものは、とある感情。
強い優しさと、強い殺意。
彼女の艤装は、支給された状態の物よりもずっと扱いやすくセットアップされ。
そして弾薬は、通常よりも少し威力が上げられているのが感じられた。
特に北上の魚雷。
北上自身の腕も大きいのであろうが、通常の物よりブレも殆どなく突き進む魚雷に、夕張は彼のスキルの高さと、兵器に込める感情を強く感じたのであった。
「ケイくんの作るもの、やっぱりすごいね…あの魚雷、あれだけブレないなんて。」
「魚雷は一番得意だしね。俺は実際に戦える訳じゃないからこそ、装備そのものの精度を上げるのに命をかけるんだ。
……でなきゃ、1体でも多く奴らを殺せないから。」
「うん……ケイくんさ…。」
「どうした?」
「この戦いが終わったら、どうしたい?」
唐突な質問に、工廠の空気は張り詰めた。
ケイの内面を知るにつれて、夕張は彼の中にとある物を感じていた。
普段の優しさに隠した、激しい憎悪と危うさ。
それは、このまま彼自らを壊してしまいかねない程のエネルギーを抱えているように、彼女の目には感じられたのだ。
彼が何度も寝ずの番をしてでも整備にかける情熱には、その感情も強く根付いている事にも。
「私はね…この戦争を終結させたら、軍を辞めて復興事業に関わろうと思ってる。前線にいる事で経験を得る為に、艦娘になったんだ。
ケイくんは、どうしたい?」
「俺か……。」
その問いに対して、彼は考え込む様子を見せた。
そして少しの沈黙の後、こう言葉を返す。
「そうだな…この戦いの後、軍がどう体制を変えるかわからないけど…一つだけ、決めてる事がある。」
「何?」
「子供の頃、あの街に仲の良かった幼馴染が引越したんだ。
俺がボランティアに行った時、たまたま家を見付けてね。
壁中が、明らかに人間が飛び散った跡で真っ赤で…皆殺されたって、そこで理解した。
写真でしか見れなかったけど、元は静かな海沿いの、綺麗な街さ。
だからいつかと同じ海を取り戻して…その時に、花を供えたい。
それを叶えられたら、後の事はその時考えるつもりだ。」
「そっか……うん、叶えなきゃね!」
この時夕張は、精一杯の笑顔で応える事しかできなかった。
そしてその内心は、切なさと悲しみで満たされていた。
北上の露骨な好意に気付かない理由も、その言葉で理解出来たのだから。
彼の心の内は、戦いの事でしか満たされていないのだ。
バイクといった趣味にも精を出しているようなそぶりこそ見せているが、実際の所、自身の人生そのものを復讐の為に捧げようとしている。
鈍感なのではない。
そもそも恋愛をしたいだとか、人としての幸福が欲しいと言った概念が、彼の心の目には映っていない。
夕張は、自身の気持ちが届かない事以上に、そんな彼の危うさが悲しかった。
この戦争を終えた時、彼は生きる意味を見失ってしまいそうな。そんな気がして。
「じゃあ部屋戻るね、まだちょっとキツいわ……。」
「ウコン飲む?後で買っとくけど。」
「大丈夫!それじゃまた明日ね!」
工廠を出れば、丁度夕日が通り道を包む。
そしてそれに目を細めながら、彼女は黙々と寮へと歩き始めた。
「ばーか……。」
ふとこぼしたつぶやきは、カラスの声に掻き消され。
とぼとぼと歩く彼女の目には、西日が少しだけ沁みたのであった。
イイぞー、これ
乙
良い
投下します。
服を着替える時、いつも目に入るのは肩の傷。
もう痛みなんて無いはずだけど、たまにズキズキと疼くんだ。
痛むのは、皮膚の強張り?
いや、違う。きっとこれは……
独りの時、時折傷が疼くと、アタシはうまく息ができなくなる。
じっとうずくまって、まるで石にでもなったみたいに、床にへたり込んで。
そうして胸を押さえれば、心臓の鼓動が手に伝わる。
一個しかないリズム、ずっとずっとひとりぼっちの鼓動。
痛い。
はぁ、と深く息を吐いて、震える手をベッドの上の携帯に伸ばす。
この部屋にはいない、アタシの薬。
もしいなくなったのなら、アタシは一体どうなってしまうんだろう。
痛い。
例えば誰かに盗られたら?
例えばアタシ以外の手を取ったなら?
考えれば考える程、ズキズキズキズキズキズキと、肩の傷は強張りを増して行く。
イタイ。
ずっとずっとずっとずっと。
傷がふさがろうが、傷の疼きが実は大したものじゃないはずだろうが。
ずっとずっと、痛み続ける場所がある。
胸の奥なのか、はたまた脳みその奥なのか。
そいつはアタシのどこかで今も、パックリと開いたまま、だらだらと血を流し続けている。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイサビシイクルシイコワイカナシイニクイコロシタイシニタイ。
イタイ。
生きてるって事は、痛いんだ。
だから絆創膏も包帯も、薬も。必要なんだ。
気だるい雰囲気と言う包帯を巻いて、ゆるい口調と言う絆創膏を貼って。
『ユウ』と言うアタシを隠して、ハイパーな北上様になる。
でも、そこに痛み止めは無い。
震える携帯に手を伸ばして。
それが誰からの連絡なのかを確かめて。
アタシの中の痛みは、ようやくうるさい口を閉じてくれた。
その向こうに、確かに彼がいる。
その事実だけで、少しだけ、息が出来る。
今は何時だろう。
あの子は帰ったろうか。
まだ大丈夫かな。
そうだ、お菓子でも持って行こう。
早く早く、会いに行かなくちゃ。
いっそ食べてしまいたいぐらい、愛しいひと。
会えば何もかも吹っ飛んでしまう、痛み止め。
かわいいかわいい、アタシだけの……
だからこそ、本当の事はまだ言わない。言えない。
「連休ー!?こりゃ雹でも降るねー。」
ある日の夜、いつものようにケイと北上が工廠で話していると、随分驚く話が出た。
Mr.セルフブラックとからかわれる事さえある重度のワーカホリックなケイが、何と連休。
あまりに予想外な事態に、思わず北上も驚愕の顔を見せる。
「今はバリさんもいる手前、致し方なしですよ。
まぁ、最近大本営に睨まれてるって提督からも釘刺されましたし……しかしいざそんな話振られても、何したもんかなーって。」
「いつー?いつなのさー?」
「4日後からの3日間らしいです。
連休なんて、せいぜい帰省でしか取った事ないですよ…まぁ、1日ツーリングしてみて、後は設計書いて潰そうかなって。」
「ちょっと待ってねー……お、4日後アタシも休みだねー。
ねえねえ、前言った話覚えてる?」
「ツーリングですか?」
「そ。こないだ話した足湯ー。これは行くっきゃないっしょー。
もうすぐ冬だよ?バイク乗れなくなる前にさー。」
「そうですねぇ…まあ、どうせなら行っちゃいましょうか。走り納めに。」
「やた!ケイちゃんのバイク、初めて乗るなぁ。」
何度か頼んで愛車を見せてもらった事はあるが、実は北上が後ろに乗った事は一度も無かった。
せいぜい跨らせてもらったことがあるぐらいだ。
恐らく今まで女で後ろに乗った者は、以前彼女がたまたまタンデムしている姿を目撃した、夕張だけ。
その様に、より強い嫉妬と憧れを抱いていた。
今度こそ、そこに自分が乗れる。
しかも野暮用ではなく、ちゃんとした行楽としてだ。
そう考える程、北上の心はより一層弾んだ。
「ふふー、楽しみだなー。あ、ケイちゃん、前日居残りしちゃダメだかんね?」
「ふぐっ……!な、何の事でしょうか…?」
「はっはー、君の行動パターンなどお見通しなのだよ。」
夜更かししないよう釘を刺し、出発時刻もしっかりと決めた。
何を着て行こうか、晴れるといいな。そう考えながら、不意にあるメロディを口ずさむ。
「クツはわすれっぱーなーしーでも幸せだってー♪」
「何て曲です?」
「なぜか今日はって曲ー。今度貸したげる。」
北上は当日の事を想像しながら、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
お気に入りの曲の歌詞を頭の中で反芻しながら、彼女はとても幸せそうだ。
快晴の秋空と紅葉、そして側にはケイがいる。
2人だけの穏やかな世界。
それは何て、幸せな事なのだろう、と。
「ケーイちゃーん♪」
「何するんすか、撫でないでくださいよー。」
「へへー、楽しみだねー。」
「…そうですねー。」
あの晩以来、ケイはどこか元気が無い様子だった。
夢に見た過去の事もあったのであろうが、それとはまた別の事も絡んでいる様子。
夕張が、何かを言ったのだろうか?
そんな事を考えつつ、少しだけ柔らかく笑った彼の顔を見て、彼女は釣られて嬉しそうに微笑むのであった。
そして当日。
待ち合わせより早く駐車場にバイクを出し、ケイはエンジンを暖めていた。
久しぶりに袖を通したモッズコートに、いよいよ冬の訪れを感じる。
今年の走り納めを感じつつ、彼は愛車のタンクを優しく叩いた。
秋の朝は、鎮守府のある辺りは比較的冷える。
心地よい秋晴れを見上げつつ、エンジンから上る熱で暖を取りながら、待つ事数分。
「お待たせー。」
現れた北上も、色違いのモッズコートを着ていた。
今日はツーリングという事で、同じ事を考えていたのだろうか。
しかしそこはさすがに今時の女子。ちゃんとガチガチにならないよう、他の部分で可愛らしくコーディネートされている。
私服姿は見慣れた物だとばかり思っていたが、ケイはまじまじとその姿を見つめていた。
「そんなん持ってましたっけ?」
「こないだ買ったんだー。ほら、大井っちと遊んだ時。いいっしょー、ぬくぬくだよー。」
「お、確かにファーが俺のよりふかふか…良いなぁ。」
いつも通りな他愛も無い会話を交わしつつ、ヘルメットをかぶった二人はバイクへと乗り込む。
そして北上は頭を屈めて、ぎゅーっと彼の背中へと抱き付いた。
「ふふ、これで風防はばっちり。ぬくいねー。」
「ユウさん、それじゃ危ねえです。」
「こう乗るもんじゃないの?」
「こいつだとまた違うんですよ。こう、腰の辺りを……そうそう、その辺。
そこ掴んだら、後は流れに逆らわずで。」
「ありゃりゃ、これじゃおっぱい当たんないねー。」
「ぶっ!?あ、安全第一!ほら、出発しますよー!」
流れを遮るようにケイはギヤを入れ、アクセルを回す。遂に出発だ。
自分のベスパを駆る時とは違う感覚に、北上は思わず「おー?」と感嘆の声を上げる。
Vツインならではの重い排気音はあっという間に駐車場を抜け、いつもの道へ。
慣れ親しんだはずの道も、今日は随分キラキラして見える。
ふと視線を上げれば、秋晴れの空は爽やかさをより一層増していた。
今日は世間は平日。
駅へ向かう学生やサラリーマンの流れを見ながら、少しだけ贅沢な時間を過ごせている気がした。
そんな穏やかな休日の始まりに、彼女は思わずふふ、と幸せそうに笑ってみせたのだった。
そして1時間半程過ぎた頃。
「ケイちゃーん、今どの辺?」
「もうちょっとしたら例の峠入りますね。ちょっと寄り道して、一息入れましょう。」
そうしてケイは、とある所にバイクを停めた。
道の駅と呼ばれる、観光地によくあるドライブインの一種だ。
休憩も目的だが、ケイの目当ては観光案内のパンフレット。
峠の観光地では、携帯では回線が弱い事もある。
こうした所にあるパンフレットの類は、ライダー達にとっては強い味方なのだ。
「お。ユウさん、足湯までの通り道、まさに紅葉スポットみたいですよ。」
「へー、いいじゃん。楽しみだなぁ。あ、ちょっと売店見てかない?」
「そうですね、お土産でもあれば。」
二人が売店へと入ると、よくあるお土産コーナーが広がる。
地域の名産を使った様々なお菓子や保存の効くつまみ、そしてとある一角を見て、北上はケイの肩を叩いた。
「へー、ご当地キャラだって。かわいいー。」
「確かにかわいい。結構ぶさいのも多いですからね。」
「ねえねえ。」
「どうしました?」
「このストラップ2個買ってこうよ。ケイちゃんとアタシの分でさ。」
購入したストラップを、北上は早速自分のリュックに付けていた。
一方ケイはといえば、どこに付けたものかと思案中。そんな彼の顔を見て、北上はある提案をした。
「キーケースに付けたら?それならいつもカバンの中だしさ。」
「あー、その手がありますね。」
そしてキーケースからぶら下がる小さなぬいぐるみを見て、北上は満足そうに笑う。
互いが普段身に付ける道具に、お揃いのものが付いた。
それが彼女には、堪らなく嬉しかったのだ。
道の駅を出て、バイクは一路峠へと入る。
辺りが木陰に包まれるのに合わせて上を見上げれば、二人の視界には一面の紅葉が。
そして更に峠を登ると、今度は道路から、遠くに広がる海と、秋の色に染まる山々が見えた。
停車スペースにバイクを停め、二人はしばしその光景に見惚れていた。
各々普段は、硝煙とオイルに塗れる日々。
そんな騒がしい日々も、目の前の美しい光景に暫し忘れられたような。そんな気がしていた。
「はぁ、これぞツーリングの醍醐味かな。絶景ですね。」
「ねー。こんな良いところだなんて知らなかったよ。あ、そうだ。写真撮ろうよー。」
北上はケイの腕を掴むと、携帯のインカメラを立ち上げた。
ちゃんと周りの風景と二人が写るよう、彼女は体をグイッとケイに寄せる。
そして撮られた、満面の笑みで写る二人の写真。
それは彼女にとってまた新しく増えた、楽しい思い出となった。
バイクは再び目的地へ向け舵を取り、ようやく目当ての場所へと辿り着く。
高台に作られた、真新しい建物。
ここが今日目当てとしていた足湯と、食事処を兼ねた施設だ。
「とうちゃーく。んー、空気がうまいねー。」
「へー、あれ見てくださいよ。」
「どったの?」
「あそこの一面ガラス張りになってますね。景色見れるように作ってるかも。」
そして建物へと入れば、まさに予想通り。
足湯の壁側に寄りかかれば、峠からの景色が一望出来る作りになっていた。
そして平日という事もあってか、なんと他に客がいない。
ほぼ貸切状態の光景に、思わずほー、と二人は声を上げていた。
「いいねー。じゃ、早速。」
裾を捲って脚をつけると、先程までの冷えがじわじわと抜けて行くのがわかる。
その心地よい温度と絶景に、二人は暫し会話も忘れてまったりとしていた。
そして数分も過ぎた頃、ぽつりと北上が口を開く。
「夕張ちゃんと何かあったの?」
「…どうしたんです?」
「いや、何となく。最近テンション低かったからさー。」
「んー…何かあったと言うか、言われたんですよね。
この戦いが終わったら、どうしたい?って…。
バリさん、終わったら今度は復興に関わりたいって言ってましたよ。偉いなー、って思いましたね。ちゃんと考えてて。」
「ケイちゃんは?」
「無我夢中でしたからね。何となく、終わっても軍に残るんだろうなー、ぐらいしか考えた事無かったです。
戦争を終わらせて、前話した幼馴染の仇を討つ。それが何よりの目標ですし。」
現状として、今の戦争は数年をかけ、人類側の圧倒的優勢に持ち込まれている。
それは艦娘達や軍人達の決死の戦いの末に掴んだものであり、終結はそう遠くない未来に見え始めていた。
そして、それはいずれ、大きな環境の変化が彼らに訪れる事も示唆している。
「…花をね、供えに行きたいんですよ。」
「花?」
「ええ。幼馴染が最期に住んでた街は、海辺の綺麗な所で。それを取り戻せたら、行きたいなぁって。
この辺からは600kmぐらいありますし、ツーリングも兼ねてね。
それを果たしたら、戦争以降の事を考えたいって思ってます。」
「いいじゃん、その子達も喜ぶよ。ねえ、その旅さ……アタシもついてっていい?」
「そうですね…行きましょう!いい所ですよ。」
「やた!じゃあ約束ね!」
そうして北上は弾けるように笑い、ケイはそれを優しく見守っていた。
他愛もない話をするうちに、脚から来る暖かさに眠くなったのか。
彼女はいつの間にか、ケイの肩に頭を寄せて眠っていた。
耳元で聞こえる寝息を感じながら、彼の脳裏には様々な事が過っては消えて行く。
戦いの目的と信念。
まだ不確かな、その先の未来。
そしてもう一つ、彼の胸には去来するものがあった。
北上の寝顔を見て一度微笑むと、彼はガラス窓の景色を見て、ふぅ、と溜息をついた。
その目には少しだけ、安堵の色が増したように見えた。
二人を乗せたバイクは、夕暮れの峠を下る。
夕焼けの色と紅葉は、昼のそれとは一味違う表情を見せていた。
西日に目を細めながら、北上は今日と言う日の満足感に、嬉しそうな顔を浮かべていた。
「ケイちゃーん。」
「どうしました?」
「また来ようね。ここ、桜もすごいんだって。」
「そりゃ是非とも。次は花見ですね。」
また増えた約束に、彼女はきゅっとケイの腰を掴んだ。
その胸に訪れるのは、一抹の幸福と、複雑な想い。
“今日も本当の事、言えなかったなぁ…。
言えないよ。そしたらケイちゃんは、きっとアタシの事……。”
不意に疼く古傷は、一瞬彼女の息を乱した。
しかし目の前には、特効薬がいる。
その背中を見つめて。彼女はすぐに、その疼きを忘れる事が出来たのであった。
二人がツーリングへ出掛けた日の、昼下がりの事である。
提督とこの日の秘書艦である龍驤は、いつも通りに執務をこなしていた。
機密情報以外の雑務はPC作業にて行われており、二人の間に置かれたプリンターからは、時折各種資料やFAXが印刷されては吐き出される。
そして提督があるメールをプリントアウトし、龍驤へと手渡した。
それを見て、「あー、もうこの時期か。」と彼女も納得した様子。
「毎年2人はよこす義務とはいえなぁ…うちの18以上でまだ持ってへんの、おる?」
「こんな片田舎じゃ、車かバイク無いとキツいしな。
まぁ、希望制にしてみるか…大型の資格欲しい奴もいるかもしれないし。」
その書類には、こう書かれていた。
『秋の軍内自動車訓練合宿、受講者募集のお知らせ。』と。
乙
イイネ
投下します。
「おはようございます。提督、今日は何でしょう?」
「うーっす、連休はエンジョイしたか?少しはすっきりした顔してんじゃねえか。何?とうとうお店で一発抜いてもら…」
「ってませんから。ツーリング行って、後は設計書き放題でしたよ。その節はありがとうございました。」
「相変わらず冷てえなぁ…まあまあ、そんなお前にホットな話題だ。」
連休も終わり、ケイは早速執務室へと呼び出されていた。
提督が彼一人を呼び出す時は、重要な用事か、無茶なお願いかである。
そしてそれを見極める手段は、至極単純。
提督が提督然とした猫を被っている時は重要案件、それ以外の素のキャラでいる時はお願いの類だ。
主に開発での無茶なリクエストや、何かしらロクでもない私用の時のモード。
よって今回の提督からの話は、お願いの方らしい。
ケイの提督に対する冷淡な態度は、二人の信頼関係と、提督の堅い雰囲気嫌いによる所である。
これまで様々な案件をこなして来た故の砕けた関係だが、主にケイが災難を被って来たのは言うまでもない。
今回はどんなワガママが来るのか。
ケイがこれから来るであろう35歳児・役職大佐の世話に、磯風の焼いたサンマのような目を浮かべ始めると、目の前にはプリントが一つ。
「秋の軍内自動車訓練合宿……ああ、ノルマ最低2人の。」
「そうなんだよぉ〜、でもうち、車社会の片田舎じゃん?皆免許あるからどうすっかてさ。大本営もうるさいし。
誰か大型欲しい奴とかいない?宿代以外タダだし。3トン半駆る女はモテるよ?男も狩って積み放題だよ?」
「21股とかどんだけ肉食ですか。
うちじゃせいぜい2トンしか使わないですしねー…ああ、でも欲しがりそうなのはいるかも。」
「マジで!?じゃあお願いしよっかなー。」
「…1人ならラーメン、2人なら北口の回転寿司。」
「くっ…!北口のってかなりするとこじゃねえか…よし、飲もう!頼んだぞ。」
「了解しました。」
そしてプリントを片手に廊下を歩くケイの脳裏には、真っ先に緑のリボンが浮かんでいた。
普通免許しかない夕張であれば恐らく喰いつくであろうが、あともう1人は、誰に話しを振ったものか。
それを決めあぐねつつ、彼は3日ぶりに工廠の扉を開けるのであった。
「行く!」
駆け付け三杯ならぬ、駆け付け3秒。
ケイの思惑通り、夕張は即決で参加を決めたようだ。
いない間は少し大変になるが、そこは慣れたものだ。
さて、これであと一人。誰に声を掛けようか…と考えた辺りで、彼の携帯が震えた。
『今日お昼一緒に行こーよ。』
その通知を目に収めた時、不意に一台のバイクが彼の脳裏を走り、そう言えば免許は免許でも…と彼の中では解答が出た。
そして数日を経て、合宿当日。
迎えのバスは、隣の鎮守府から合同で発車する形となり。
夕張はそこに向かうべく、一人電車に揺られていた。
天気は快晴であり、実に爽やかな朝。
イヤホンからはお気に入りの音楽が流れ、彼女は大変ご機嫌な様子である。
「ねー♪そのてーをーたとーえ♪」
電車を降り、周りに人がいないと思った彼女は、調子っぱずれに歌を口ずさむ…が、不意に反対のホームにいたサラリーマンと目が合い、思い切り赤面してしまった。
これは恥ずかしい。同行者がいたら穴に入りたい程だ。
と、考えた辺りで、彼女はある事に気付く。
“そう言えば、今回他に誰かいたっけ……?”
隣の鎮守府へ現地集合と言われており、彼女は同行者の有無を確認していなかった。
上着に四つ折りして入れたのは、バス集合関連のプリントのみ。駅は出てしまったし、今からリュックとファイルを開けて資料を見直すのも手間だ。
余裕を持って到着したいと考えていた彼女は、ひとまず現地へと急ぐ事とした。
現地へ到着した夕張は手続きを済ませ、集合場所である駐車場にいた。
今回は艦娘のみの合宿のようで、見慣れない女性達がポツポツと集まり始めている。
「○○鎮守府、田中キヨミさーん。」
「はい。」
知らない名前が呼ばれたかと思えば、とある艦娘が係員に身分証を見せていた。
艦娘同士は艦名で呼び合うのが通例なのだが。
実は本名の秘匿義務は無く、一種のコードネーム兼役職名のようなものである。
立場も含め分かりやすくなるよう、一つの鎮守府内では通常、艦名で呼び合う事が推奨されている。
しかし今回は合同合宿の為、艦名が被らないよう本名で通す模様だ。
そう言えば、自分はまだあまり他の艦娘の本名を知らないな……と思っていた時、とある名前が呼ばれた。
「××鎮守府、川本ミユさーん。」
「あ、はーい!」
自分の名前が呼ばれ、夕張は首に下げた身分証を見せた。
一足先にバスに乗り込み時計を見ると、まだ出発まで30分はある。
外を見れば、また後続の人だかりが増えている様子だ。
そうして点呼の度に別の鎮守府の名が呼ばれていたのだが、10分ほど過ぎた辺りで、とある名前が呼ばれた。
「××鎮守府、岩代ユウさーん。」
聞こえてきたのは同じ鎮守府の、知らない名前だ。
誰だろうか?まあいい、これを機会に仲良くなれば良いではないか。と考えつつ入り口を眺めていると、まず一列目の座席越しに、黒髪が目に入る。
“黒髪……誰だろ?いや、まさかねぇ…え…?えーーーーーーっ!?”
そしてその影が段差を登り、フロアに現れた時。
夕張は、ぽかんと開いた口をごまかす事すら出来なかった。
「あれ、夕張ちゃんも来てたんだー?おはよ。」
「北上、さん……おはようございます…。」
彼女達にとって、それはそれは、実に濃厚な一週間が幕を開けた瞬間であった。
一方その頃、こちらはケイの工廠。
この日は他鎮守府との演習が組まれており、会場はケイ達の鎮守府が選ばれていた。
午前の演習を終え、ケイは使用された艤装の事後点検に勤しんでいた。
通常演習の際は、後片付けは会場の工廠で行われる。
他の工廠で組まれた艤装は、大いに参考になる。彼は自分の組んだものとの違いを確かめつつ、丹念に双方の艤装を点検していた。
そんな時、シャッターを開け放たれた工廠に入り込む影が一つ。
「ケイくん、久しぶりね。」
「ん…?ああ、お久しぶりです。どうしましたか?」
「ふふ、終わって暇してたから、久々に顔でも見ようかなって。北上さんも元気にしてるかしら?」
そこに現れたのは、かつての北上の同僚。
重雷装巡洋艦・大井。その人であった。
「お茶どうぞ。」
「ありがとう。」
隣同士な手前、度々大井の鎮守府とは演習を行っていた。
ケイ自身も北上から紹介され、彼女とは何度も話をした事がある。
しかし思い返せば、こうしてサシで会う事は初めてだった。
いざこうなると、何を話したものかとケイが困り始めた頃、大井は静かにその口を開く。
「この前南の足湯行ったみたいね、北上さんから写真が来たわ。」
「良いところでしたよ。大井さんが北上さんに教えてくれたんでしたよね?」
「そうね。あそこはうちの方が近いから、タウン誌に載ってて。因みに途中にラブホ街あったと思うんだけど、寄ってないわよね…?」
「ぶっ!?よ、寄ってませんって!!」
不意に切られたメンチと素っ頓狂な質問に、ケイは思わず茶を吹きそうになってしまう。
同性愛疑惑が出るほど北上にべったりな彼女だ。
しかし、単に友情の表現が激しいだけだと言う事は、彼も理解はしていた。
“北上のスキンシップが激しいのは、大井の悪影響では無いか?”と言う疑念も、彼の中には湧いてはくるのだが。
「ふふ、冗談よ。ケイくんがそういう人じゃないの、私も知ってるもの。…でも北上さん、様子が変とかは無かった?」
「いえ、その日は特に…。」
「その日は…?じゃあ、他は何か変わった事があったの?」
「あ。いえ……そう、ですね。心当たりはあります。」
「やっぱり…よかったらで良いのだけど、話してもらっても、いい?」
ケイはある程度は伏せつつ、最近起きた気がかりな事を大井に話した。
彼女はと言えば、何かを考えながらその話を真剣に聞いている。
そして粗方話し終えた頃。
大井は頭を整理するように湯呑みに口を付け、ようやく言葉を発する。
「ケイくん、改めてちょっといいかしら?」
「はい。」
「あなたに本名を呼ばせるようになってから、余計スキンシップが激しくなったのよね?」
「そうです。契機はそこだった気がしますね…。」
「そう…。あの子はね…本当はとても怖がりで、繊細な子なの。
そう見えないとは思うけど、それだけあなたには心を開いてるって事。本当の弟のようにね。
だからケイくん…北上さんが何を抱えていても、出来るだけ受け入れてあげて。
あなたの話をする時は、ずっと嬉しそうだもの。全く、妬いちゃうわね。
ふふ…そうね、もし北上さんを深く傷つける事があったら、海に沈めるから…なんてね。嘘よ。」
「は、はい……。」
少しプレッシャーを掛けるつもりで、大井はそんな冗談を飛ばしてみせた。
そして彼女は北上の親友であるが故に、様々な事を知っている。
例えば嬉しそうではなく、彼の話をする姿も。
“北上さん、仕方ないわね…でもケイくん、あなたはいつか本当の事を知る日が来るわ。私すら知らない、彼女をね…。その時、あなたはどうするかしら?”
心配を表に出さぬよう、大井はなるべくいつもの顔で接するよう努めていた。
彼はまだ、北上の抱える物の殆どを知らないのだ。
それこそ、彼女の肩に刻まれたものすらも。
「はい、こちら今回の部屋割りとなります。無くさないよう気を付けてくださいね。」
そして再び、北上と夕張のいる自動車訓練所。
初日は車両説明と学科のみで終わり、今は宿代わりの寮の説明を終えた所だ。
どのような規則性で部屋が振られているかは、特に説明はなかった。
常識で考えるならば同じ鎮守府で固める所だが、一縷の希望として、全体のあいうえお順であって欲しい。
夕張はそう考えつつプリントに目を通すが、その希望は、余りにもあっさりと打ち砕かれた。
「おー、夕張ちゃん一緒じゃん。良かった良かった。」
“どの口が言うか”と喉元まで出掛かったのを、夕張は必死に飲み込んだ。
移動までのバスの車内、北上は早々にイヤフォンを耳に入れて、自分の世界に入ってしまっていた。
勿論バスの中で会話はなく、漏れてくる音楽が絶妙に夕張の趣味に近いのが、却って気まずさを増すばかり。
余りにも妙な空気に、心がチアノーゼになりそうな気配を感じていた時、上の荷台からちゃり、と小さな音が一つ。
北上のリュックに付けられたぬいぐるみが、弾みで荷台から吊られた状態になってしまったようだ。
ん?見覚えがあるぞ、と夕張がそのぬいぐるみをよく見ると、工廠でも同じ物を見た記憶が蘇る。
そう言えば、ケイもキーケースに同じ物を付けていた。
確かこの前、ツーリングに出たと聞いたのを思い出した辺りで横を向くと…北上が夕張に視線を向けていた。
ふふん、と鼻息が聞こえてきそうなご機嫌な顔でだ。
ただし、目の奥が笑っていない。
それを目の当たりにした時、夕張の女の勘は全力でその存在を激しく主張した。
“ほぼ間違いなく、自分の気持ちは気付かれている”と。
そしておもむろにイヤフォンを外すと、北上は何事もなかったかのように夕張に話し掛ける。
「それ、かわいいっしょ?○○市のゆるキャラなんだってー。こないだケイちゃんの後ろ乗っけてもらってさー。」
「え、ええ、今年最後のツーリングって言ってましたし。
あのバイク大きいですよね。私も前一緒にご飯行こうとしたら車壊しちゃって、代わりに乗せてもらって……。」
「うん、知ってる。コンビニで見たもん。」
見られていたと知り、夕張は驚愕を隠せずにいた。
件のコンビニは、鎮守府の者がよく使う店だ。ましてやあの時は夕方、見られていてもおかしくはない。
その中に北上がいる可能性も、充分に高かったのだ。
「夕張ちゃん、バッテリー上げちゃったんだって?ダメだよー、ちゃんとライト切らなきゃ。ま、車の免許ないアタシが言ってもだけどさー。」
「車の方は持ってないんですか?」
「バイクの小型しか無いよー。だから今回来たんだよね。
アタシも乗せてもらってばっかじゃなくて、乗せてあげないとなーって。ケイちゃんを。」
何故そこで恍惚とした笑みを浮かべる。
どこへ連れて行く気だ。何をする気だ。ナニをするのか。
ネオン輝く峠の城か。それとも無人の駐車場か。
思わず夕張はまくし立てるように突っ込みたくなるが、しかしこちらが何かされた訳では無い。
いつか漫画で見たように素数を数えて気を落ち着かせようとすると、またちょんちょんと肩をつつかれ、今度はスマートフォンの画面を見せられる。
「これこないだのー。ケイちゃんが休めたのも、夕張ちゃんのおかげだよ。ありがとね♪」
そうして見せられたのは、先日撮られた峠でのツーショット写真だ。
紅葉を背景とした実に楽しそうなツーショットであり、北上は上手く収まろうと、ケイに密着して写っていた。
それはもう、ぴったりとだ。
普通であれば、今の感謝の言葉でこんな感情を抱くのは被害妄想だ、と夕張は考えていた。
そう、普通であればだ。
その写真を見せてきた時の北上が、清々しい程のふんす、とした顔を晒していなければ、の話。
“ふふ…もうやだ、帰りたい……爆発しろー、ちくしょー。ばかやろー。”
人間とは、こうも本音を上手く隠せるものなのか。
と、愛想笑いを浮かべる自身の表情筋にドン引きしつつ、夕張は10秒にも及ぶ溜息を心の中でついていたのであった。
「戻りましたー。」
「ん。おかえりー。」
そして時刻は戻り、現在。
食事を終えて宿舎に戻ると、先に北上が寛いでいた。
ベッドにごろりと横たわり、何やらゲームをしているようだ。
夕張はと言えば、その様子を気にしつつ、自分にあてがわれたベッドに腰掛け、イヤフォンを付ける。
せっかくのお気に入りの曲ではあるが、なかなかこの気まずい空気では頭に入ってこない。
そうしてアルバムも6曲目に入った辺りで、北上がちらりとこちらを見てきた。
何やら聴いているものが気になるらしく、夕張は一度プレイヤーを止めると、イヤフォンを外した。
「ごめんなさい、音大きかったですか?」
「いや、違う違う。夕張ちゃんもそのバンド好きなの?」
「北上さんもですか?」
「うん。もう切なくてさ、侘び寂びよねー。ところで夕張ちゃんさ…バッグから見えてるの、DS?」
「ええ、夜は暇になるかと思って。」
「ふふー…対戦やんない?」
そして二人は、互いのベッドに横になりつつ対戦を始める。
彼女達がプレイするのは、レースゲーム。
二人共やり慣れているらしく、CPUの車はほぼ空気と化した接戦を繰り広げていた。
「はい、赤甲羅。」
「えぐっ!?そこで仕掛けます!?」
「こういうのはギリギリがいいんだよー…のわっ!?もー、アイテム爆弾誰ー?」
「ふふー、私ですよー。はい、巻返しです。」
「やったねー……ーーー♪」
白熱した展開を繰り広げる中、不意に隣のベッドからは、小さなメロディが聞こえる。
どうやら北上はプレイしつつも、お気に入りの一曲を口ずさんでいるようだ。
「へー、その曲好きなんですね。」
「うん。言われてみたいもんじゃない?俺はどうしようもなく愛しい〜♪なんてさ。」
「意外とロマンチストなんですね、北上さん。」
お互い恋敵のはずだが、いざちゃんと話してみれば、存外趣味が合う。
ケイの事が無ければ、もしかしたら普通に仲良くなれていたかもしれないな、と夕張は思っていた。
しかし先ほど北上が口ずさんだフレーズを、『誰に言われたい』のか。
それについては、お互い触れる事は無く。
「よし!お風呂行くー!」
「あ!勝ち逃げ!待って下さいよー。」
そしてと共に浴場へと向かうと、まず北上は大きな三つ編みをほどく。
こうして見ると随分長いと夕張が思う間に、次に服に手が掛かり、そうして見えたものに、彼女は強い衝撃を受けた。
“えっ…この傷……。”
丁度右肩から乳房の外側へ走る、大きな傷跡。
肩の傷は特に、ショルダーバッグでも掛けているかのように大きい。
一体何で出来た傷なのか、夕張には到底想像が付かなかった。
「あー、ごめんごめん、びっくりさせちゃった?昔事故っちゃってさー、その時のなんだよね。ケイちゃんには、内緒にしてくれると嬉しいな。」
「事故…ですか。は、はい、わかりました…。」
風呂から上がり部屋へ戻ると、北上は一足先に、備え付けのドライヤーで髪を乾かし始める。
そして自分の方が終わり交代するかと思いきや、彼女は夕張を、鏡台の前に座るように促した。
「夕張ちゃん、やったげるよー。おいで。」
促されるまま椅子に座ると、優しい手付きが髪を通って行く。
サラサラと風と手が水気を払い、夕張の髪は北上よりも早く乾いて行った。
そして慈しむように、すっ、すっ、と優しく仕上げの櫛が通って行く。
「綺麗な髪してんねー。目もくりっとしててさ…お人形さんみたい。アタシすっぴん薄いからねー、羨ましいもんだよ。」
「そうですか?北上さん、それだけ長くても全然傷んでないじゃないですか。」
「いや、結構大変なんだよー。爆発しちゃうから、いつも三つ編みだしさ。
ふふ…でもほんと、綺麗な髪だよねぇ…。」
それは、突然の感覚だった。
一度ぞわりと皮膚が泡立ったかと思えば、へばり付くような首元への違和感が夕張を襲う。
優しく髪を撫ぜる手が通り抜ける度、それは首筋や耳に触れ、その度形容し難い感覚が夕張を襲う。
夕張はあまりにも強烈なその感覚に、後ろを振り向く事が出来ずにいた。
そして彼女の肩には、北上の腕が優しくしなだれかかる。
「くす……ほんとかわいい…かわいいねぇ、夕張ちゃんは…。」
ふぅ、と首筋に息を吹きかけられ、遂に夕張の恐怖は臨界点に達した。
自身の肩に隠れ、鏡越しでも彼女に北上の表情を伺い知る事は出来ない。
ただ一つ、北上の口が、声を出さずに何かを語った事。
それだけは、鋭利になった首筋の感覚から理解出来た。
「さ!おしまい!明日も早いし、夕張ちゃんもそろそろ寝よー。」
そして北上がいつものテンションに戻った瞬間、夕張は、一気に悪夢の様な感覚から解放された。
当の本人はと言えば、そそくさと布団に潜り、寝の態勢に入ってしまっている。
夕張もおずおずと布団に潜りはしたが、壁を向いて布団を被り、北上の姿が目に入らないように努めていた。
少し打ち解けられた気がしたが、却って北上の得体の知れなさを覗いてしまった気がした。
『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。』
昔見た海外の諺が不意に脳裏を過ぎり。
彼女は先程の事を忘れる様に、必死に眠りに就こうとするのであった。
こうして合宿は、まず1日目が終わった。
夕張が寝静まった頃。
北上はふと目が覚めてしまい、部屋のトイレへと向かった。
その後ベッドに戻る時。
夕張の寝顔を見て一度くすりと笑うと、彼女はベッドのヘッドボードに置いた、自分の財布を手に取る。
よくある革の長財布には、カードや現金がそれぞれ区分けされて入っている。
そして財布の一番端、せいぜい薄いカード一枚しか入らないであろう区画。
彼女はそれを引っ張り出すと、今日一番の笑顔を浮かべる。
それはわざわざプリントアウトした、先日撮ったケイの写真だ。
写真の中の彼は愛車と共に笑顔で写っており、北上は、それに釣られるように一層笑みを深くしていた。
“ちゃんと受かれば、また一歩進む……アタシ頑張るよ。楽しみだねー、ケイちゃん…?”
丹念に味わう様に写真に唇を這わせ。
そして北上は、終始幸せそうに、再び眠りへと落ちて行った。
このしっとりとした狂気感、いいぞ
たのしい 乙
投下します。
「ユウちゃん、夏休みの予定決めた?」
「アタシー?そだねー、バイトと受験勉強かなぁ。」
「お、前行ってた旅の準備?」
「そうそう、バイクの資金にね。卒業したら、行きたい所あるんだよねー。子供の頃住んでた街があってさー…。」
7月3日。
夏休みを前に、アタシは友達とそんな話をしていた。
高校最後の夏休みは、程々に楽しく、程々に目標を持って。
そんな事を考えながら。
進路の勉強もしつつ、やりたい事の準備もして、友達とも遊んで。
充実した夏を過ごしたいって、そんな風に思ってた。
「ただいまー。」
「おかえりー、今日も暑かったわねえ。」
「コウちゃんは?」
「コウタはまだ部活でしょ?夏だからねー、今が一番激しいんじゃない?」
「あいつ本当好きだねー。」
家に帰ればお母さんがいて、それからお父さんが帰って来て。
あとはお父さんよりちょっと遅く、あいつが泥んこになって帰ってくる。
「うーっす、ただいまー。」
「コウちゃんおかえりー!はっはー、今日も泥んこだねー!」
「姉ちゃんやめろっての!俺もう高校だぞ!?」
アタシには、2つ下の弟がいる。
コウタって言って、いくつになっても可愛くて可愛くてしょうがない、自慢の弟なんだ。
子供の頃はさ、____ちゃんと3人でいつも遊んでねぇ、こーんなちっちゃかったけど。
小学生に上がってからずっとサッカーをやっていて、高校になってからは余計にお熱だ。
おかげで最近は、いつも練習漬けで帰りが遅い。
中学に上がってからは、くっつくと嫌がるようになっちゃって、すっかり思春期だ。
むう、弟が冷たくて姉ちゃんは寂しいよー。
でもいくつになっても、家族みんなでご飯を食べるこの時間が、アタシは大好き。
学校に行けば友達がいて、家には家族がいて。
部屋で好きな音楽を聴いて、楽しみな予定が目の前にあって。
欲を言えば大きくなったあの子に、もう一度会ってみたいな、なんてさ。
今年も良い夏になればいいなぁ、って。
山や谷があっても、何やかんやこんな幸せが続くんだろうなって。
そう思っていた。
しちがつよっか。
みんなしんだ。
合宿二日目、時刻は0715。
朝食はスケジュール上一斉に行われる為、夕張と北上は、同じテーブルで食事を摂っていた。
昨夜北上に髪を乾かして貰った時に感じた、おぞましい感覚。
夕張はまだ若干それを引きずっていたが、北上はいつも通りだ。
あの時北上が、何らかの悪意を放っていた確証は、無い。
抱き着かれたのも、じゃれていただけとも捉えられる上、それこそ夕張の気のせいではないか、ともカタが付いてしまう案件である。
冷静に考えれば、確かにそうだ。
しかし夕張には、決して自分の被害妄想では無いような気がしていた。
「朝の味噌汁は生き返るねー。夕張ちゃんは別コースだっけ?」
「私は大型ですからね。でも教習車、ダンプかー…さすがにちょっと怖いですね。」
「大丈夫大丈夫、アタシなんか車初めてだよー?しかし一週間なだけあって、一日長いねー。」
今回行われる合同合宿は、艦娘向けに制定されたものだ。
退役後もある程度社会的に有利になるように、と言う配慮から始まったものだが、短期間での取得を目指す分、それなりにスケジュールは詰まっている。
夕張は大型研修、北上は小型車両を用いた基礎研修となる。
期間は個人によりおおよそ一週間~12日、それぞれ普通車と小型免許を所持する二人の学科は少なく、予定は一週間程だ。
まずはコースでの研修を経て、路上教習の開始を目指す。
配布された作業着を着た二人は、端から見れば立派に車を運転出来るように見えた。
「はっはー!遂にアタシの黄金の左足が火を噴くねー。」
「北上さん、アクセルは右足ですよ。バイクも右手でしょ。」
この人大丈夫か、と夕張は不安に駆られるが、こちらも初めて乗る大型車だ。
日頃運転には慣れているとは言え、車体は愛車の数倍。
だろうではなく、かもしれない。
教習所で習った事を改めて反芻しつつ、彼女達はいざ1限目へと向かって行くのであった。
同日、時刻1855。
彼女達は夕食を囲んでいたが、明らかに朝よりペースが遅かった。
二人共、垂れた頭と共に垂れ下がった前髪で、目元はすっかり影が出来上がっている。
「いやー、ハンドル切る時さー…レバーに手ェ当たって、ウォッシャー液、プシューってさー……。」
「私、乗ろうとしたら、お尻から落ちましたよ…車高高すぎて。教官にすごい笑われました…。」
朝の勢いは、一体何処へ行ったのか。
二人は完全に意気消沈といった様子である。
特に夕張は運転には自信があったらしく、なかなかにへこんでいる模様だ。
ああも変わるなんて…と、彼女の目は今も高い運転席からの景色が見えているらしい。
「夕張ちゃんの乗ってたトラック、確かあのメーカーだよね…。」
「そうですよ……まるで巨乳に弾かれて落ちた気分でしたね…。」
「五十鈴だけに。」
「私達には。」
「手の届かないあの高い丘。」
「………やめましょう。」
「……うん。やめよう。」
互いの胸を見合い、彼女達はまた違う物悲しさに襲われていた。
そして二人の脳裏には、とあるオリーブ色のツナギを着た男が浮かぶ。
そういえばあの男、自ら女の好みや下ネタを語る場面を、誰も聞いた事が無いそうな……と思い出した辺りで、より一層深い溜息を彼女達は漏らした。
“いや、でもアタシの方が勝ってるし…!”
“作業着越しでも分かる薄さ……!ふふふ…私のが3は違うわね!”
尚、実際は1cm程度しか差は無いようである。
他鎮守府の艦娘が、二人共風呂場で手を合わせ力んでいる姿を目撃した入浴後。
部屋に戻った二人は、前日と同じく、それぞれのベッドでまったりと過ごしていた。
前日と変わった事と言えば、疲労によりゲームをする余力が残っていなかった程度。
北上の方はと言えば、時折携帯をいじっている様子である。
ちらりと見えた壁紙には、緑色の通知。
時刻は2005。相手が誰であるかは、それだけで理解出来た。
そして北上はちらりと夕張の方を見ると、ふふ、と勝ち誇った笑みを浮かべた。
その瞬間、どこぞのローカル番組の如く、夕張の脳内でカチッと固い音が響く。
“あんにゃろー…私がいないからって寝泊まりしてるっぽいし〜〜!私とも仕事以外の話をしろー!”
夕張の方にも連絡は来るには来るのだが、そちらは完全に仕事の報告のみである。
今朝来ていた通知に至っては、試作品出来ましたの一言のみ。ログに残っていた時刻は、深夜を回った頃だった。
「ケイくんですか?」
「そー、昨日大変だったみたいだねー。演習組、大井っちに相当ボコられてたって。ケイちゃん、ちゃんと帰ってるかなー?」
「帰ってないと思いますよ?昨日1時とかにライン来てましたし。」
「へ、へー……そんな時間に何してたのかなぁ?」
「あれ?知りませんでした?また何か作ってたみたいですよ。」
「昨日、9時半にはおやすみですーって来てた……。」
北上に気を遣ったのと、久々にやりたい放題できる事にテンションが上がっていたのと。
恐らく両方ではあろうが、どうやらケイは、昨日は早々に北上との連絡を切り上げてしまったらしい。
しかし完成の報告は、夕張にはちゃんと来た。
ケイが勝手にやっているとは言え、仕事の一環なので、夕張に連絡が来るのはある意味当然なのだが。
北上は、どうやらそれが相当気に入らず。
一方夕張はと言うと、ほのかに顔が綻んでいる。
そして何やら笑顔になった北上はゲーム機を取り出すと、人差し指と中指を立て、夕張に向けてクイッと2回動かした。
「夕張ちゃーん…昨日の続きやろっかー……。」
「お?やります?今夜で勝ち逃げはストップですねー。」
「アタシのクッパは全てを吹っ飛ばす…!」
「赤いヘイホーに追い付ける奴は誰もいない…!」
結果は、破竹の勢いで夕張がボコボコにされて終了したとの事。
そして夜も更け、二人が寝静まった後の事だった。
“ん……今何時ー…?げ、まだ2時かぁ…。”
目を覚ましたのは、夕張だった。
昨夜は逃げるように寝てしまったが、さすがに今夜はもう少し余裕を持って眠れる。
彼女はそうタカを括ってはいたものの、いざ気持ちに余裕が出来ると、今度は慣れない寝心地に目が覚めてしまったらしい。
アプリを開くと、案の定仕事の報告以外無し。
はぁ、と溜息を吐いて毛布を被ると、何やら妙な音が耳に触れる。
「…………あ……う…」
耳を澄ませると、それは人の呻き声だ。
幽霊の様な気配は無い。となると、当然発生源は一つに絞られる。
“えーーっ!?ここでまさか…嘘でしょ…!?”
何やら不埒な想像が浮かんでしまうが、それは思い過ごしだと言う事に、夕張はすぐに気付く事となる。
苦しそうな呻き声に紛れ、とある言葉が聞き取れたからだ。
「おとうさん…おかあさん………コウ、ちゃん……。」
北上の方を向くと、苦悶の表情を浮かべる彼女の姿が映る。
そのただならぬ様に心配になった夕張は、恐る恐る北上の方に近づき、彼女の肩を優しく揺らした。
しかしなかなか起きず、2度3度と肩を揺らし時、不意に北上の瞼から溢れるものが見えた。
その様に一瞬夕張は躊躇いを覚えるが、このままではきっと良くない。
そして4度目に肩を揺らした時、北上はようやく、うっすらと瞼を開けたのであった。
「ふぁ……夕張ちゃんなにー?眠いよ〜。」
「何じゃないですよ、大丈夫ですか?すごいうなされてましたけど……。」
「そうなの?全然覚えてないよー…うわ、ひどい汗。」
不機嫌そうに目を覚ましたかと思えば、北上は何事も無かったかのように、寝汗に苦笑いを浮かべている。
しかし彼女の手は右肩に置かれ、その手が微かに震えていたのに夕張は気付いている。
押さえられたTシャツの裾は乱れ、少し肩の古傷が見えている。
そんな北上の姿は、夕張には、普段よりも小さいものに見えていた。
「んー…まあでも、確かに寝汗ひどいねー。また風邪引く所だったよ、ありがと。」
「何事かと思いましたよ…さて!もう一回寝ましょ!」
「ヘイホーに追われる夢でも見たかな…?」
「それをスターで粉砕しまくったのはあなたですー。今度は負けないんだから。」
そして今度こそ二人は床に就いたかと思われたが。
北上はこっそりと自分のリュックを漁り、底からある物を取り出していた。
それは、いつもは彼女の部屋にある猫のぬいぐるみ。
まだケイが新人の頃。
彼を無理矢理遊びに引っ張り出し、その時彼がゲームセンターで取ってくれた物だった。
北上はそれをぎゅっと抱き締めると、ここにはない温もりを想いながら、強引に瞼を閉じる。
少しでも温もりを求めるように、深く深く。
“ケイちゃん……もうアタシには、ケイちゃんだけなんだ…。
だから誰にも、渡さない……!”
固く閉ざされた瞼は、今度はまばたきを忘れる程、固く開かれ。
その視線は夕張を射抜く訳でもなく、ただ目の前に広がる暗闇を見つめていた。
彼女自身が抱えた闇を、じっと睨みつける様に。
合宿三日目。
詰め込まれたスケジュールの中で次第に慣れ始め、各々昨日より遥かにマシな運転を出来るようになっていた。
夕張は日頃の成果か、打って変わり順調に実技をこなし。
学科免除とは言え、何とダメ元で受けた仮免実技試験の合格を果たす。
そして北上も。
昨日は車の不慣れな設備に悪戦苦闘していたが、運転自体は感覚があるため、慣れれば非常にスムーズであった。
彼女は明日、実技試験となる。
「いやー、慣れれば案外何とかなるもんだねぇ。」
「ですねー…ああ、でも運を使い果たした気分。本試験で後厄来ないといいなぁ。 」
「去年お祓い行ったの?」
「お正月に行きましたよ。あ、お正月と言えば、提督からメール来てたの見ました?正月休みのスケジュール。」
さすがに全員一斉にとは行かない手前、今年もローテーション式で正月休みを回すとの通知が届いていた。
季節はもう11月、そろそろ年の瀬も見えてくる頃だ。
「私は実家かなー、猫がいるんです。モモって言って、もうほんと可愛いんですよー。」
「いいねー、アタシも猫飼いたいや。ま、休みでも実家帰んないけど。」
「帰らないんですか?」
「親とソリ悪くてねー、今回は寝正月でもしようかなって。弟いるけど、思春期だしさ。」
「そう、ですか……あ、そういえば北上さんって、出身はどこなんですか?」
「アタシ?____県だよ。夕張ちゃんはケイちゃんと同じだもんね。」
「そうです。でも____県ですか…北上さんの所は、大丈夫だったんですか?」
「ああ、襲撃?アタシの所は全然違う地域だったからねー、でもすごい騒ぎだったよ。」
それは何とも他愛の無い会話だった。
そして二人が部屋に戻ると、各々好きなように時間を過ごしていた。
北上は音楽を聴いており、少々お疲れの様子。
一方夕張は、スマートフォンで何やらネットサーフィンをしている様子だ。
彼女が調べていたのは、とある事件に関するニュース記録。
ふと気掛かりとなり、当時リアルタイムのものとして書かれた情報を探していたのだ。
そしてある記事を見付け、夕張は食い入る様にそこに目を通す。
『7月4日、____県__町にて発生した、未確認生物襲撃事件について続報が入った。
本日正午まで死者約1万8千名、行方不明者285名と発表されていたが、政府の記者会見によると、新たに3名の生存者を発見したとの発表があった。
この発表により、現在の行方不明者数は282名となった。
記者会見にて、__長官は生存者についての情報は一切開示出来ないと説明しており、生存者の容体や詳細は不明。
今後も捜索と遺体のDNA鑑定を進め、引き続き身元の確認を急ぐと表明した。
各国にて襲撃を行った未確認生物は、日本を襲撃したものも含め現在全て逃亡しており、捜索上の安全は確立された模様。
今後は各国の軍、警察、NPO法人により、捜索の拡大と生存者の救出を目指して行くとしている。
現在も尚親族等は立ち入り許可が出ておらず、引き続き捜索の進展が待たれる。』
“まさか、ね…考えすぎか…。”
ケイが整備の道に進んだ理由と過去。
北上の出身地と、肩の傷。
そして今見ている記事。
それらの情報は、ある可能性を夕張に提示しているが、それは余りに絵空事過ぎる。
「それは無いな」とすぐにその可能性を否定した夕張は、北上に声を掛け、ここ数日と同じように風呂場へと向かった。
しかし拭いきれない疑念は。
彼女の頭の片隅に、小さくこびり付いたままなのであった。
北上が夕張に恋人譲って祝福できるようになれば所謂ハッピーエンドだか さてさてイッチはタイトルヒロインで終わらせるのかどうか きになるきになる
乙
なんか勝手にこの作品のハッピーエンドを決めつけてるド戯けが居るな
ケイが無事に北上と付き合ってメロンが諦めるのも所謂ハッピーエンドだろ?
主さん、作品めっちゃ面白くて大好きです!
このまま完走頑張って下さい♪
ブーメラン飛んでんな
皆敢えて触れないでいたのにわざわざ触っちゃうんだもんなあ
投下します。
合宿四日目、時刻1214。
「北上さん、おめでとうございます!」
「ありがとね。はっはー、アタシにかかればちょろいねー。」
北上、仮免試験無事合格。
と言う訳で、二人は実に晴れやかな顔でパスタを食べていた。
夕張に続き、午後からはいよいよ彼女も路上へと出られる。
ただし、あと1点足りなかったら不合格だった事は、夕張には黙っていたのだが。
「さーて、路上もギッタギタにしてあげましょうかねぇ!」
「これからこそ気を付けてくださいよ?車はバイクと勝手が違うんですから。」
「う……ま、まーねぇ。」
年齢は、北上の方が一つ上である。
しかしこの数日で夕張は、完全に北上の突っ込み兼保護者と化している感もある。
そして各々車両に乗り込み、後から出る夕張は、トラックの運転席から北上の様子を見守っていた。
北上の乗るパジェロは、ゆっくりと教習所の門へと向かって行く。
軍の教習所は道路より低い土地にあり、出口は短い登り坂となる。
教習車はマニュアル。左右の安全を確認し、ウインカーもOK。
いざ行かん!と魚雷を放つようにサイドブレーキに手を掛けた瞬間。
『ぼすん!』
エンジンが止まり無音となった車は、悲しげにブレーキランプのみを点けていたのであった。
「路上って怖いねー…箱がでかくなるだけでああも脅威が増えるって…。
チャリとおばあさんは天敵だよ…蕎麦屋のおっちゃんは凶器だよ…。」
「はは…慣れですよ、慣れ。教官ブレーキ減らす所から始めましょうねー。」
「う……痛い所突くねぇ…。」
1日を終えて部屋に戻ると、朝とは真逆なテンションの北上がベッドに横たわっていた。
相当肝を冷やしたらしく、乾いた笑みと疲れた瞳に、夕張も思わず苦笑いを浮かべてしまう。
今回長く一緒に過ごしてみて夕張が思ったのは、北上は意外に感情表現が豊かで、少し子供っぽい所もあると言う事。
ケイが振り回されつつも長く仲良く出来ているのは、彼の面倒見と、北上の愛嬌にあるのかもしれないな、と考えていた。
そして彼が新人の頃からの付き合いだと言っていた事を思い出し、夕張はその当時の事を尋ねてみる事とした。
「北上さんって、いつからうちにいたんですか?」
「去年の5月ー。
今の提督が、上に雷巡になれる奴くれ!ってねだったらしいんだよね。それでアタシが隣から異動したの。
向こうは大井っちも木曾っちもいるし。」
「へー、じゃあケイくんよりちょっと後に?」
「そ。でもケイちゃんさ、その時は取り付く島もない子でねー…夕張ちゃんなら、心当たりあると思うけど。」
「…作業中、たまに本当に怖い時ありますね。」
「そー、それ。その時も愛想良くも出来る子だったけど、態度堅いし、目だけはずっとそんなんでさ。親でも殺されたみたいな感じでね。」
「今とは想像付かないですね…」
「これでも心開かせるのに苦労したんだよー?アタシ以外にもそうだったしさ。そうだねー、あの頃は……」
アタシが着任した時ね、まぁ各部署に挨拶回りしててさ。
それで工廠行った時にいたのがケイちゃんだったんだよね。
見るからに若そうで、春に来た新人かなーって思ってさ。
アタシも結構ナメた挨拶しちゃったんだ。
「新兵さん、今日君だけ?
アタシは軽巡・北上、今日からここの所属だから。まーよろしく。」
「初めまして!自分は整備士の笠木ケイタロウと申します!北上殿、何卒よろしくお願い申し上げます!」
何だこいつ?ってのが第一印象だったかな。
アタシも前いた所で新兵さんや新人なんかに会ったけど、ああもガチガチな挨拶する奴なんていなかったから。
で、ケイちゃんいつも帽子じゃん?
それでいざ頭上げて顔見たら、目だけはまさにさっき言った通りでねぇ。
一応愛想笑いしてるんだけど、親でも殺されたみたいな目でさ。
こっえー!って思ったよ。
「まーまー、力抜きなよ整備さん。君いくつ?」
「自分ですか?今年19になりますが…」
「あー、てことは今18なんだ?アタシは今年でハタチだから、君の1コ上だね。
ここ軽巡少ないから、歳の近いコいなくてねぇ。仲良くしてねー。
あ、ライン交換しよーよ。せっかくだしさー。」
なんかさ、ほっとけなかったんだよね。
それで無理矢理ライン交換して、その時はそのまま違う部署に行ったんだ。
で、食堂でお昼食べてたの。
アタシも新顔だったし、やっぱり色んな人が話しかけてくるっしょ?
その中にね、ある人がいたんだ。
「あなたが北上さんね、さっき工廠に来てたでしょ?」
「はい。あの、あなたは…。」
「さっきはちょっと手が離せなかったんだけど、ここの整備長よ。
あなた、さっきケイと話してたでしょ?連絡先まで交換して…凄いわね。」
「へ?」
「いやー、あいつには手を焼いてるのよ…才能はあるんだけど、まあガチガチで。
お願い!仲良くしてあげてもらえないかしら!?」
「は、はぁ……。」
来たばっかりでそんな頼まれ方したらさ、断れないじゃん?
アタシも気がかりだったし、それで何となく連絡してみたんだ。
『お疲れー、さっきの北上だよー。』
『お疲れ様です。何かご用ですか?』
『一応ね。ちゃんとアカ合ってるかどうかさ。』
『こちらで間違いないです。北上殿、何卒宜しくお願い申し上げます。』
もうね、ラインすらガチガチ。
手に負えないわー、って思ったよ。
そんで最初は日に2.3回やりとりしてたのを、ちょっとずつ食い付いて長くしてったんだ。
で、週に何度かお昼誘って、話しようとしてみたりさ。
でもあいつ、最初は仕事の話ばっかでさー。
その頃から居残り癖酷くて、親方から鍵預かっちゃあ、ずーっと自分のデスクで何かやってる子だったんだよね。
それである時、出撃があってね。
持ってった魚雷の中に、あいつの処女作も混じってたんだ。
「行っくよー…わぁっ!?」
これがもう、トンデモだったの。
反動凄いし、当たったんだけど何より威力上げすぎでさ…敵の肉片、アタシの所まで飛んできたもん。
それで一言言ってやろうと思って、工廠乗り込んだんだ。
「整備くーん、何アレー?強けりゃ良いってもんじゃな……」
それでいざ工廠開けたら、ケイちゃんがたんこぶ作って正座させられててさ。
アタシより先に、親方にこってり絞られた後だったんだよね。
「あ、北上さん。さっきはごめんねー、このバカがやらかしちゃって…。」
「は、はぁ……。」
「これに懲りたら使う人の事もしっかり考えなさい!あんたは人との関わりが足りないのよ、それじゃいくら素質があってもダメ!」
「はい…親方、すいませんでした……。」
それで親方が近付いてきてさ。
何かと思ったら、アタシに耳打ちしてきたんだ。
“北上さん、ごめんなさい。ちょっとこのバカ慰めてやってもらっても良い…?”
“えー!?アタシがですか!?”
“あなただからよ。”
「ほらケイ、北上さんも話あるみたいだし、今日は帰りなさい。今日の件はしっかり反省する事!いい?」
駐車場のベンチあるじゃん?
しょうがないからそこ連れてってさ、とりあえず座らせたんだよね。
漫画でキャラがへこんでる時さ、顔に影引いてあったりするっしょ?本当そんな感じでさ、目も当てらんない。
どうしたもんかなー、って思ったよ。
「はい、コーヒー。全くもー、男の子がそんなへこんじゃダメっしょー?」
「ありがとうございます…。」
「まー、アタシの話したかった事、親方が全部言ってくれたとは思うけどさ…。
正直使ったアタシも、肩がすっぽ抜けるかと思ったよ、アレ。」
「う……すいませんでした……。」
「……整備くん、こっち向いて?」
「何です…ふがっ!?」
ほっぺたつかんで、ぐいーってやったんだよね。
それでアタシ、ケイちゃんに言ってやったんだ。
「君はねー、まず笑顔が足りない。ついでに人に壁張りすぎ。
アタシ達って人間が使ってる武器は、君たち整備って人間が作ってるんだよ?人から人へ渡すもん作ってる奴がそれでどーすんの?
整備くん!君次の休みいつ?」
「3日後ですが…。」
「ふーん、ほうほう……ああ、アタシも休みー。
じゃあ整備くん、今度買い物付き合ってよ。」
「し、しかし軍人たる者、自分は休日も研究に充てると決めておりますので…。」
「ん?今何て言った?先輩の言う事聞けないってーの?」
「う……わかりました。」
それで無理矢理、連れ出す事にしたんだ。
で、いざ当日。
とりあえずゲートの所で待ち合わせしてたんだけど、どうせあんな堅物だし、だっさい格好で来ると思ってたんだよねー。
「北上殿、おはようございます。」
「おはよ……ん?整備くん…だよね?」
「そうですが…。」
いざケイちゃんが来たら、意外にちゃんとした格好でさ。
ああ、この子にも今時な時代があったんだ…って、あたしゃホロリときそうだったよ。
「意外とおしゃれだねー、芋ジャーとか着てくるかと思ってた。」
「学生の頃はまだ、気にしてましたからね。バイトして服買ったり。」
「ふーん。何?モテたい願望とかあったんだ?」
「戦争が始まるまでは、ですけどね。」
「ダメダメ。危ない仕事してるからこそ、プライベートも楽しまなきゃ。さ、行こっか。」
ここから○○市、近いっしょ?
あそこは栄えてるから、電車で連れてったんだ。
それでボックスシート座ってたんだけど、ケイちゃん、窓から海見て黄昏てたんだよね。
「なーにカッコつけてんのさー、お疲れ?」
「いえ、静かだなって。表向きは本当、世の中平和ですよね。」
「…最初の一年、世界中で相当やり合ったからね。その賜物だよ。
だからさ、たまには思いっきり遊ぶ!これ大事ね!」
馴染みの服屋連れてったり、ご飯連れてったりさ。とにかく町中ぶらぶらさせたんだ。
まー、街はいつも通りの休日だよ。
ケイちゃん、こっち来てからそうやって出掛けるの一度もしてなくてさ、すごい新鮮そうな顔してた。
それでお茶してた時かな?思い切って言ったんだ。
「んー♪ケーキ美味しー。」
「北上殿、頬に付いてますよ。」
「あ、ごめんごめん。ところでさー…北上殿って、やめてくんない?」
「い、いえ、やはり先輩には礼儀を持って…。」
「それがダメ。相手がガチの兵士ならともかくさ、どーせアタシ達なんて年頃の女の集まりだよ?
ガチガチで来られる方がやりづらいんだよねー、うちの提督知ってるっしょ?あの仕事以外のダメっぷり。
やる事だけちゃんとやってりゃいいんだよー。」
「は、はぁ…。」
「敬語はまあしょうがないよ?でも整備くんは堅すぎ。
もうちょっと砕けても良いんじゃないかなー、ほら言ってごらん、北上さんって。」
「はい、北上さん…。」
「まぁ、今回は許す。でもさ、もっとみんなにも素を出しなよ。なんか好きな事とか無いの?」
「んー…バイクですかね。実は着任前の休みに中免取ってて、次は大型取りたいんですよ。やりたい事があって。」
「お、バイク乗るんだ?アタシも普段ベスパだよー。」
「え、ベスパですか!?今度見せて下さいよ!
………あ。いえ、今の忘れてください…。」
「ふふー、テンション上がった君、初めて見たよ。それでいいの。」
テンション上がったケイちゃん、その時やっと見たんだ。
かわいかったねー。照れ具合で、如何にそれまで素を隠してたかわかってさ。
それで次ゲーセン連れてって、そしたらケイちゃんいなくてさ。
トイレかなーっと思って探したら、違うフロアにいたんだ。
「どこ行ってたのさー、探したよー。」
「ああ、ちょっと違う所見てたんで。」
「そういう事するとモテないよー?」
「はは、すいません……北上さん。」
「何?……わっ!?」
いきなりぼふって何か渡されたと思ったら、猫のぬいぐるみでさ。
びっくりしたよー?結構大きいんだもん。
「整備くん、どうしたのこれ?」
「いや、そこのUFOキャッチャーで取ったんですよ。今日のお礼です。
肩の力抜けましたねー、久々に人間らしい事したんで。
俺に足んないもの、なんか分かった気がします。ありがとうございました。」
「ふふー、すっきりした顔してんじゃん。でもびっくりだよー、いきなり渡すんだもん。」
「ふふ、サプライズって奴ですよ。」
その時ケイちゃんさ、初めてアタシの前でにかって笑ったんだ。
もうね、本当かわいかったよー。
この子、ちゃんと笑えるじゃんってさ。
「整備くん、ちょっとあっち行ってみない?」
「何かあります?」
「プリ撮ろうよ!」
「えー!?俺初めて撮りますよ…。」
それで撮ったのがこれ。
ケイちゃん恥ずかしそうな顔してるっしょー?
携帯変えても、これだけはちゃんと移したもん。
あいつの弱みだねー、今見せても恥ずかしそうな顔するし。
それからかな、ケイちゃんが今みたいな感じになってったのは。
「はい、おしまい!」
「北上さん、私からもありがとうございます…その時のままだったら、私も多分一緒に働けてないです。
…でも、そうなっちゃうぐらい本当にショックだったんでしょうね、あの件……。」
「幼馴染の件?夕張ちゃんも聞いたんだ。」
「はい。早く、勝てるといいですね…。」
「勿論。ケイちゃんの組んだ魚雷は最強だもん。勝ちに行くよー。」
この時アタシは、夕張ちゃんに嘘をついた。
いや、嘘と言うか、隠し事か。
そのまま消灯の後も眠れなくて、アタシはお気に入りの音楽を聴く事にした。
イヤホンからは少し枯れた声が流れて、その度に、アタシの中ではとある時期の事が蘇る。
『他でもないあなたが笑った事 それで僕の世界は救われたんだよ 本当さ』
そんなフレーズで曲が締められると、アタシの胸はぎゅっとなる。
あの時ケイちゃんが、イタズラが上手くいった子供みたいに笑って。
救われたのは、アタシの方だった。
初めて会ったって言ったけど、本当は違うんだ。
ずっとずっと。それこそあの事件の前から、もう一度会いたいって思ってた。
“ぼくねー、おおきくなったらユウねえちゃんと……”
子供の頃の、ありがちな約束が蘇る。
まさかねー…大人になった今、そうなりたいって願うなんてさ。
あの時の笑顔で、アタシは本当にケイちゃんに恋をしてしまった。
でもそれは、余計にアタシを掻き乱す。
その時アタシが何を思ったのか。
本当の事を知らない夕張ちゃんには、言わなかったけどさ…。
ケイちゃんに再会した時、夢でも見てるのかと思った。
普通なら、大人になれば顔だって忘れてる歳だ。
だけどその頃の写真を大事に持ってたアタシには、すぐにケイちゃんだって分かった。
本当はすぐにでも、抱き付いてしまいたかった。
でも同時に、アタシは大きなショックを受けていたんだ。
何でこんな危ない場所にこの子が!?
どうして戦争に!?
まさかアタシ達のせいで……
様々な事が頭を巡っては消えて、アタシは必死にそれを顔に出さないようにしていた。
もしかしたら、気付いてくれるかもしれない。
そんな淡い期待もあった。
でも、それはすぐに掻き消されたんだ。
“初めまして!自分は整備士の笠木ケイタロウと申します!北上殿、何卒よろしくお願い申し上げます!”
ケイちゃんは、アタシの事に気付いてはくれなかった。
あの頃からの時間の経過を考えれば、それは当たり前の事。
それでも嬉しかった。
全てを失ったアタシでも、もう一度会えた。
それは復讐と希死念慮だけで戦っていたアタシにとって、唯一の希望に思えたからだ。
だけど甘くないね。
再会したケイちゃんは、少なくともその頃の彼じゃなかったんだから。
愛想笑いをしててもわかる、人を殺してしまいそうな目。
憎しみと殺意と悲しさと、虚しさと。それが全部混ざった目。
一人で鏡に向かう時のアタシと、全く同じ目。
よりによって、彼がそんな目になっていた事。アタシはそれが堪らなく悲しかった。
もしかしたら、アタシ達のせいじゃないかって……そう思う程、傷口はズキズキと疼いた。
それからは、仲良くなろうと必死だった。
少しでも、本当のかわいいケイちゃんに戻って欲しくて、とにかく必死に向き合った。
そうやって色んな事をして行く中で。
アタシは、あの頃は知らなかった感情を彼に抱いた。
だけど……それは、アタシを狂わせていく。
家族も親戚も友達も、みんな死んだ。
アタシは、名実共にひとりぼっちになった。
アタシの大切なものは。
ゴミみたいに踏み躙られて、挽肉みたいにズタズタにされて、あいつらに全て奪われた。
残ったものは、不細工な肩の傷だけ。
もう水着も着れないし、この先誰かとえっちな事も出来ないねー、なんて。
他人事みたいに、乾いた笑いしか出なかった。
国はアタシの個人情報は守ってくれた。
名前を変える権利も与えてくれると言った。
だけどアタシはそれを全部断って、艦娘の適性検査を受けた。
死ななきゃいけないと思っていた。
どうせならあいつら道連れにして、恨みを晴らして死んでやるって、そう思って艦娘になった。
北上の適性が出た時。
艦としてのそれの史実を勉強する中で、これは運命だと思った。
球磨型は北上以外、みんな沈んだ。
まるでアタシそのものじゃないか!
アタシは部屋で一人教科書を見ながら、げらげらと笑っていた。
そうだ、アタシはこれから北上だ。
ひとりぼっちで生き残った北上なんだ。
北上と言う包帯で、『岩代ユウ』を塗り潰すんだ!
そう思って戦った。
慈悲も要らない。憎悪はなるべく胸に秘めて。
周りからは付かず離れず、風のように緩く。
ただ殺して殺して殺して。
負けても死ねる。
勝って生き残っても、後で首を吊ればいい。
あいつらに一矢報いる事ができれば、それでいい。
『岩代ユウ』を知っている人は、もうケイちゃん以外誰もいないのだから。
再会なんて、ありえない事なのだから。
そう思っていた。
だけどアタシは、再び出会ってしまった。
大きくなった彼に、恋をしてしまった。
そして封じ込めたはずの『ユウ』は、アタシの中で暴れだす。
幸せになりたいって。
ひとりぼっちはさびしいって。
生きたいって。
そう願っていた『アタシ』は、彼に甘える程に、その声を大きくしていった。
誰にも渡したくないと思う程度には、彼に毒されていた。
アタシは結局、自分を殺す事が出来なかった。
…でも我ながら、面倒な女だね。
そんなんになっても、アタシは本当の事は言えないままだったから。
もし彼が戦う理由が、アタシ達が原因だったら?
本当の事を彼に言ったらどうなる?
そう思う程。
嫌われるんじゃないか、人生が狂ったって思われるんじゃないかって、アタシは怖くなるばかりで…。
たまに、都合のいい男だとか、セフレじゃないかとか。
そう周りに陰口叩かれるぐらいには、宙ぶらりなまま、長い時間が過ぎていた。
でも、ベスパを直してもらったあの夜。
アタシは遂に、なけなしの勇気を出して訊いたんだ。
どうしてこの仕事に就いたのか?って……
“幼馴染みですかね。”
アタシのタガが外れてしまったのは、その時の事だった。
“ねぇ…2人の時は、ユウって呼んでよ……。”
そうやって抱き付いた時、アタシは体を何一つ押さえる事が出来なかった。
もう止められなかった。
いっそこのままどこかに攫って、犯して、閉じ込めて。
アタシ以外、誰も触れられなくなればいいとさえ思った。
アタシは本当に、狂ってしまった。
それでも気付いてはもらえなかった。
当たり前だ。
彼の中では死んだ事になっている。
今でも心の奥は憎しみでいっぱいで、整備の時はやっぱりそれが出ている。
名前を教えたって、気付いてなんかもらえないんだ。
でも、もうアタシはアタシを止められない。
ケイちゃんだけなんだ……本当のアタシを覚えているのも、本当に心を開けるのも。
誰にも渡したくない。
アタシだけのもの。
戦争が終われば、今度こそ全部を打ち明けるんだ。
ごめんなさいって、謝るんだ。
怒るかな?許してくれるかな?それとも泣いて喜ぶかな?
アタシ達がケイちゃんを、不幸にしたんだ。
例えば大好きなバイクの仕事をするだとか、大学に行くだとか。
彼が幸せに、平和に生きる道はいくらでもあった。
そうであれば、アタシは何も考えずに戦って、その平和を守ればよかった。
そうすれば、きっと死ねた。
生きたいなんて、また思ったりしなかった。
ケイちゃんをこんな道に引きずり込んだのは、アタシだ。
じゃあ、責任は取らなくちゃ。
彼を幸せにしなくちゃ。
アタシ達は、幸せにならなきゃいけないんだ。
それを邪魔する奴は、絶対に許しちゃいけないんだ。
ねぇ、夕張ちゃん……あんたとはこうでなきゃ、きっと仲良くなれてたよ。
でも……だめ。
やっぱりアタシは、ケイちゃんを好きなあんたを許せない。
気持ちがわかるからこそ、許してなんかあげられない。
死ぬのはさ、苦しいのはきっと一瞬。
傷だって、痛くてもいつかは塞がる。
アタシの傷が疼くのは精神的な物だって、お医者さんからお墨付きも貰ったよ。
でもね。
ずっと、ずーーっと……ぱっくり開いたまま、治らない怪我があるって、知ってる?
それはね………
ふふ……あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!
あー、楽しい!楽しくなってきちゃったよ!
夕張ちゃん……たのしみだねー………。
布団を深く被り、北上を声を押し殺して笑った。
瞼はぎょろりと開かれたまま、それは布団越しに夕張のベッドをじっと見つめ続けている。
そうして笑い声を上げそうになるのがやっと収まった頃、北上はゆっくりと、夕張の眠るベッドへと近付く。
髪をほどいて眠る夕張の枕には、彼女のさらりとした髪が広がっていた。
北上は起こさぬよう優しく、子供を眠らせるかの如くその頭を撫で、そして指に一つ、抜け落ちたであろう銀の髪が絡み付いた。
薄闇にそれをかざせば、その髪は間接照明によってキラキラと光を放つ。
北上は艶めいた笑みを浮かべたまま、それにじっくりとねぶるように舌を這わせていた。
これから深く傷付ける獲物の味を、確かめるように。
キレイに割り切れるとかうそだわなww
乙
乙です
コワイ!
ふふふ
投下します。
窓際とイヤフォン、それが私の指定席。
馬鹿ばっかりだって思ってた。
別に上手くやる気もないけど、波風も立てたくないし。
似た者同士がヒエラルキーからあぶれないよう集まっては、昼休みを消化して、それ以外は連絡も取らない。そんな毎日。
機械いじりと音楽だけが楽しみで、中途半端に丸い体と厚いメガネだ。
クラスの男子は、一体何人が私の本名を知っているのか。いや、女子も怪しいなぁ。
まあね、わかってる。私が周りから、どんな風に思われてるかなんて。
…悪かったわね、地味な子で。
あー……5月、来ちゃったなぁ…林間学校めんどい…。
合宿5日目。
着々と実技をこなし、この日も無事終了。
しかし自由時間の少ない合宿も、そろそろ疲労は困憊。代わり映えのない定食にも飽きが来ていた頃だ。
おまけに1日ずっと運転席に座りっぱなしのせいか、二人とも腰にだるさを感じていた。
それぞれ部屋ではスウェットにTシャツと言う格好なのだが。
夕張はうつ伏せで、ずれてパンツが見えるのも気にせず、いも虫のように這いながら、うー、あー、と声を上げ。
北上はスウェットの前後が逆になっているのも気にせず、『魚雷魂』と書かれたTシャツの裾に手を突っ込んでボリボリと腹を掻いていた。
因みに本日、二人共終日見事にすっぴんであった事も付け加えておく。
これでもうら若き乙女たち、片方に至ってはまだ成人式が済んでいない。
だが慣れない環境で一週間休みなしという状況では、女子力以前に、人間らしさを保つのがそろそろ限界が見え始める頃でもあった。
鎮守府ですら、疲労でいざという時ミスが無いよう、平均週2は休めと言う提督からのお達しが出ている。守ろうとしていないのは、ケイぐらいなものだ。
そして合宿所の夜間外出は、縛りが厳しい。
ここでやっているのはせいぜい昼の売店か、夜はロビーの自販機のみ。自動車訓練所である以上、酒などもちろん置いていない。
そろそろキツい。下界が恋しい。
夕張に至っては、昨夜自身が3トン半トラックになる夢を見たそうだ。
そんな末期感が溢れる部屋の中。
北上は、ぽつりとこんな言葉を漏らす。
「あー、ラーメン食いたい…ねえねえ、夕張ちゃん。ラーメン食いたくない?
こう今みたいな寒い時期にさ、あったかい醤油ラーメンをさ…。
国道の所にいいお店あるんだよー、あっさり醤油のワンタン麺で、もうワンタンぷるっぷるで、中は優しい味の肉汁がじゅわっとさ……ほら、これだよ。」
その瞬間、夕張は恐ろしい子を見たような顔を浮かべた。
それはその単語と写真一つで、俗世への回帰願望を想起させる禁断の存在。
どこからかラッパの音が聞こえるッ!無精髭の親父が黒猫を連れて現れるッ!
嗚呼、当り屋と書かれた旗など車の敵ッ!だけど今なら私はそこに突っ込めるッ!なんなら寸胴にレッツ・ダイヴッ!
などと夕張がイカれた一人芝居に耽る中、北上は携帯の動画サイトから流れるチャルメラのメロディに、乾いた笑みを浮かべていた。
「夕張ちゃん…そんなに飢えてたの…。」
「いやー…あははは……でも北上さん、メシテロは重罪です。
ラーメンも良いですけど、こんな時期は優しい味もいいですよねー……お蕎麦とか。」
「そ、それは!○○庵の天ぷらそば!」
したり顔で夕張が見せ付けてきた画像は、以前ケイに連れて行ってもらったそば屋のもの。
少なくとも二人の鎮守府所属の艦娘や職員は、例え車で20分掛かろうとも全員愛して止まぬ味である。
北上がごくり、と生唾を飲み込む音を、夕張は聞き逃さなかった。
「ふふふふふふ……あっさりと、しかし確かな芯のあるダシに、薫り高い風味の蕎麦…。
季節の野菜が使われた天ぷらは、かけ蕎麦と別皿にて提供され、そのサクサクとした食感を損なわずに味わえる…。
そしてここのデザートは蕎麦粉を用いた白玉…その格調高い風味と優しい甘みは、1日のストレスの全てを許せそうな気にさせる…。
さあ、あなたはうちに勤めて長いでしょう?新人の私よりも、いつでも、ずーーーっと、生々しく思い出せるんじゃありませんか?」
「ぐぬぬぬ……ならアタシは、このカードを切るよ。行け!××屋!」
「は…はーーーっ!?」
「くくくくく……効いてるみたいだねー?
ここは駅の北口商店街にある飲み屋でねぇ、オススメはホッケの干物……おろし醤油と共に口に入れれば、柔らかな身とジューシーな脂。そこはまさに天国…。
ビールで行っても最高だけど、ここの至高は実は燗酒なんだ……アタシはねぇ、ここで日本酒デビューを決めたよぉ?
そうそう、ここは週に何度かランチもやってる…もちろんホッケ定食もある。
こう、ホッケをご飯に乗せて口に含めばまるで天にも昇る心地…アタシも休みの日に、たまーに食べに行くんだー…。」
「ふぬー!なら私はですね……。」
いよいよタガが外れてしまったらしく、不毛なメシテロ合戦が繰り広げられていた。
そして粗方ネタを出し終えた頃、どちらともなくお腹すいたね…と哀しげな声を漏らし、ようやく彼女達は落ち着きを取り戻したようだ。
そしてその直後、北上の携帯が電子音を鳴らす。
「ケイちゃんだねー。そう言えば、あいつにも今日何食べたー?って聞いてたっけ。」
「うちの食堂、バリエーション豊富で飽きないんですよねぇ…うどんとか最高ですよね。」
「………はぁ!?」
「どうしま……!?」
そして突き付けられた画像に、夕張も思わず固まってしまった。
そこには3枚の画像。
ビビッドなオレンジに輝くサーモン。
名刀の如き輝きを放つ鰯。
何より、生きているかの如く芳醇な赤を纏ったマグロ。
彼女達もまた、写真加工アプリに馴染み深い今時な女子である。
故に背景のテーブルや湯のみを見れば、それが無加工である事に気付くのは容易い。
そして画像の後に送られたメッセージには、こう記されていた。
『今日は提督のおごりで、北口のあそこでしたー。貸しを返してもらったので。』
北上たちの鎮守府では、北口のあそこで通じるとある回転寿司屋。
そこは地元産の魚介をメインとした、少々値は張るが美味いと評判の店である。
それこそ年に一、二度、そこそこの覚悟を決めて行くような店だった。
直後、部屋にクスクスとした笑い声が二つ木霊する。
「ふふ…ケーイちゃーん……許されざるよそれはさー……。」
「ですよねー…私達は今お腹空いてるのに、これは重罪……ははは…。」
そして二人は互いを見合い、まるで天使の様な笑みを浮かべ。
「「あの野郎…!」」
そう怒りの声をハモらせると、ほぼ同時に携帯を猛烈な勢いでタップし始めた。
『ちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだい』
『食わせろ食わせろ食わせろ食わせろ食わせろ食わせろ食わせろ』
その直後、ケイのラインには、二人から同時にゲシュタルト崩壊を起こした怨念で埋まった文面が届く。
ケイはそれを見て戦慄を覚えるが、ひとまず冷静になれと言わんばかりに、ほぼ同時にとある文面と画像を送り付けた。
『そう言えば2日前、磯風が浜風にうどん作ってあげたみたいですよー。』
そして画像を開いた二人の食欲は一気に失せ。
とあるゲームのクリーチャーの如く、赤い涙を噴出しそうな気持ちに苛まれたという。
「赤いよ…赤いよ!」とは、のちの北上の弁である。
「はー…ケイちゃんってさ、隠れSなとこあるよね…。」
テンションの暴走も収まり、再び各々ベッドに転がる事数分。
北上は、夕張にこんな事をぼやいていた。
「いや、さっきの画像攻撃はオープンドSですよ…。」
「同級生なんだよね?昔からああいう所あった?」
「んー…実は、今ほど絡みはなかったんですよ。私高校の時は、いわゆる陰キャラってやつで…。」
「そうなの?意外だねー。」
「短大デビューってやつです、お恥ずかしながら。
小太りでしたし、音楽聴くか機械いじるしか興味もないような……まあ、冷めた小娘でしたね。裏で地味子とか言われてて。」
「それで音楽好きに?」
「ですね。元々結構拗らせてたんでしょうねー、中学2年生を。
そうだなぁ、ケイくんとあった話と言えば………」
あれは高2の頃ですかね。
うちの学校、2年のその時期は林間学校があったんです。
まあ、私はと言えば当然やる気なし。
宿以外は男女混合で4〜5人の組で〜とか言われて、そういうの大体5人じゃないですか?
別に喋んなくてもいいやー、他の4人でよろしくやってくれー、って思ってたんですよ。
それで班決めのクジ引きやって、ケイくんと同じグループになったんです。
その頃のケイくんって、本当普通の人で。
クラスの中心って程でも無いけど、可も不可も無くな感じで。
正直言うと、お互い烏合の衆ぐらいにしか見てなかったと思うんです。
で、ケイくんは元々アウトドア好きだったみたいで、やったら張り切ってたんですよ。
それこそ調理のこのセクションは誰が担当するだの、道具はどうするかだの結構考えてて。
ああ、今も仕事の時はその傾向ありますね。
その時私も話し合いにいたんですけど、内心「笠木うぜー」とか思ってました。
もう高2でしたけど、実質それが第一印象だったぐらいで。
“はー…だっるぅ…えーと、自由時間はこんなんだし、じゃあプレイリストはこれとこれと…。”
準備の日とかも、用意も適当に、ウォークマンに暇潰し用のプレイリスト入れる方に時間かけてたぐらいでした。
とにかく、さくっと行って帰りたかったんですよね。その当時は本当ダメな子だったんで。
中学の時の初恋もぐだぐだでしたし、対人関係も面倒臭くて。嫌な奴だったと思いますよ。
当日はバスの中も、やっぱりうるさくてですね…。
私、当時はヘッドフォン派だったんですけど、それでも男子の騒ぎとかが聞こえてきて、結構イライラしてたんですよ。
“あーもう、るっさいわね…ん?笠木何やってるのあいつ…”
ケイくん、その時ぼーっと窓の外見てたんですよ。それが意外で。
割と騒ぎに混ざってそうなイメージとか、勝手に持ってたんですよね。打ち合わせとかは結構グイグイ来てましたし。
それで現地に到着して、何となくその時の事聞いてみたんです。
「笠木くん、さっきバスで何見てたの?」
「ん?ああ、川本か。何って空だよ、空。」
「へ?空?」
「そう。天気雨っぽい雲とかねえかなーって。」
「予報は晴れだけど?」
「アテになんない。ここらの天気は変わりやすいんだよ。」
何言ってんのこいつ?って思いましたよ。
それで飯盒炊爨の準備に入ったんですけど、まさかの事態が起きましたね。
「川本、ちょっと手伝って。」
「何するのよ。」
「火をガードする。」
ケイくんが天幕張るぞ!っていきなり言い出して、頭おかしいんじゃないとか思いながら手伝ったんです。
で、いざ張ったら5分もしないうちに……
「雨だ……。」
「だから言ったでしょ?湿度が変わったからな。」
「はー…君、すごいわね…。」
調理組は水道の所でやってたんで、天幕の下は二人だけ。
でもお互い無関心な感じで、ぼーっと雨を眺めてました。
「長いわねー。」
「長いな。」
会話とか全く無いですよ、本当。
喋れないじゃなく、お互い喋る事無いみたいな。
それでしばらくしたら……
「川本、そろそろ止む。」
「あ、虹だ…。」
「すごいでしょ、こりゃ一級品だよ。 さーてそろそろもどあつぅ!?」
「大丈夫!?」
ケイくん、ジャージの裾まくって履いてたんです。それで炭が跳ねちゃって、カスがふくらはぎに直撃。
火傷自体はしてなかったんで、何やってんのよって思いましたね。
「まぁアレだ、これもアウトドアの味ってやつだ…。」
「涙目隠せてないわよ。大体、こんなの卓上コンロで良いと思うわ。」
「ロマンのわかんねえ奴ー。コンロってのはさ、一人キャンプで使うもんなんだよ。手鍋でチャルメラ啜ってさ。」
「へ?一人でやるの?」
「たまにね。近所の無料キャンプ場使って。」
変な奴って印象は、余計強くなる一方でしたよ。
その頃の私は、機械工学一辺倒。
そういうのは無駄ぐらいに思ってたんで、理解出来なかったんですよね。
その後他の3人も来て、カレー作りも始まって……そこからは、ケイくんとは全然話しませんでした。
と言うか、グループの中でも私は喋らなかったんですけど。
…今思うと、ばかだったなー、なんて。
それから夜も更けて、一番憂鬱な時間が来たんです。
林間学校と言えば、キャンプファイヤーじゃないですか。
まぁ、みんなで囲んで色々やるわけなんですけど、私はなるべく深入りしないようにしてたんです。
歌とか歌わさせられましたけど、口パクしてましたし。
それで許可はあったんで、各々花火始めたんですよね。
手持ちやらドラゴンやら、方々で火花が飛んで…私は、それを遠巻きに眺めてました。
「川本、やんないの?」
「パス。溶接機の火花の方がロマンチックだもの。」
そうやってぼーっとしてたら、ケイくんが声掛けて来たんです。
同じ班の面子放置してると先生に言われるし、そんな所かなーって思いました。
それで適当にあしらってたんですけど、いきなり花火渡してきたんですよ。
「はい、これ持って。」
「これ棒花火?返すわよ……って何やってるの!?」
「着火。」
それが結構激しいやつで、ぼしゅーって火を噴いてですね。
あばれん棒って名前だったかな?いきなり渡されたらびっくりするようなのですよ。
もう何するんだと思って、一言言ってやろうと思ってケイくんの方見たんです。
「笠木くん!何やらせるのよ!」
「いや、ぶすーっとしてたから。何事も楽しんでナンボかとね。
川本、何だかんだ見とれてたっしょ?今の花火。」
……何も、言い返せなかったですね。
びっくりもしましたけど、綺麗だなーってちょっと思ってたのも事実で。
やっぱりその頃は、周りに対してコンプレックスは強かったんです。
今思うと、捻くれて無理矢理自分を納得させてた節もあって。
でもケイくん、そんな私にでも、花火渡してくれたんですよね。
同じ班のよしみでしか無かったんでしょうけど…それでも、本当は嬉しかったんです。
「お次はドラゴン行くかー。」
「マジ?じゃあ離れないと…え!?ちょっと待って!」
「へ?おおっ!?」
ぱたんって、花火が倒れちゃったんですよね。
倒れたの自体は明後日の方向だったんですけど、びっくりして思いっきりケイくん巻き添えにしてコケちゃって。
アホな話ですよねー、普段散々溶接機で火花飛ばしてたのに。
それで二人とも地面に倒れて茫然自失な間に、あっという間に花火も終わっちゃって。
そしたら丁度、真上に星空が見えたんですよ。
「はー…今日は満天だなぁ。」
「…そうね。」
「さて…ほら川本、手え掴んで。」
そうやって、伸ばされた手を掴んだ時ですかね、初めて身内以外の男の人の手に触れたのは。
私とケイくんの学生時代にあった事と言えば、それぐらいでした。
それ以降は何も無かったのか、ですか?
後は卒業まで、またそれまで通りの感じに戻って、特に何もなく……ああ、でもその後、昨日の北上さんの話みたいな兆候はあったんですよ。
あの事件、3年前の7月だったじゃないですか?
私達のいた高校は7月後半から夏休みで、8月の暮れにはまた授業が始まるんです。
夏休み前は普段通りだったんですけど、ちょっと顔色が優れなさそうで…それで、夏休みが明けた後ですかね。
始まって最初の1週間、ケイくん学校に来なかったんですよ。担任からは、ボランティアで公休としか聞いてなくて。
戻ってきた時は普通だったんですけど…社会の授業とかで、時事問題を話題にする先生っているじゃないですか。
その時事件の話が出て、ケイくんは私の席から顔が見える席だったんですけど……
“笠木くん……だよね…?”
最初、別人かと思いました。
本気の作業中の顔、分かりますよね?
あんな感じの目で、ずーっと黒板に書かれた事件の話を見てたんです。
それで成績の方も、特に機械工学はいつの間にか学年トップになってて……多分あの事件を機に、必死に勉強したんだと思います。
授業の後とかも、金属加工の先生に自分から話聞きに行ってたりして。
クラスの中で一番に進路が決まったのも、ケイくんでした。
今思うと…やっぱり現地に行ってから、変わってしまったんだと思います。
…北上さんもケイくんに何があって、何を見たか聞いてますよね?
そうなってもしょうがなかったのかもしれないなって、今なら分かります。
だから艦娘になって最初に話した時、凄く安心したんですよ。
ああ、あの時のケイくんだなって。それが本当に嬉しくて。
私の方が変わり過ぎてて、最初は気付いてもらえませんでしたけどね。
「……まあ、こんな感じですかね。だから大したエピソードじゃないです。」
「いいなー、青春じゃん。しかし夕張ちゃん、話聞くと随分変わったんだねぇ。」
「色々捻くれてるのがアホらしくなったんですよ。
それで短大受かったあたりからこっそりダイエットして、入学までに13kg落としたんです。それまでとはさよならしようと思って。
ついでにメガネもやめて、髪も伸ばしたりして。
まあ、その後研究でこもってたら、胸も減りましたけど……。」
「……今度ダイエット方教えて。」
「いいですよ。ちょっと過酷ですけど…。」
北上さんには、その時私が何を感じたかまでは言えなかった。
あの時私が起こしてもらう時に見たのは。
多分、北上さんがぬいぐるみを貰った時と同じものだ。
あの頃、周りは皆バカばっかりだって思ってた。
捻くれて冷めた顔をして、そうやって、周りと上手くやれない自分をごまかしていたんだと思う。
だけど天幕の下で二人きりでいた時、私は不思議な居心地の良さを感じていた。
きっと私の意図とは別に、それこそ打ち合わせの時から気になっていたんだろう。
そして本当に恋に落ちてしまったのは。
二人でこけた時、屈託の無い笑顔で手を差し出された時だった。
……だけど、本当にそれっきりだった。
たまに挨拶を交わして、教室でバレないようにケイくんを目で追って。
夏休みが終わって、ケイくんが変わってからは、余計遠くに感じられていた。
そうしてあっという間に卒業だ。
実は今度こそ思い切って告白しようと、式の後にケイくんを探した。
でもそうするまで、少し迷ってたのがいけなかった。
私が探した頃には、ケイくんは友達と、とっくに学校を出た後で。
結局、私は最後まで告白する事は出来なかった。
それからは、余計に変わろうとした。
ダイエットは卒業前よりメニューを重くしたし。
ずっと短めのおかっぱにしてた髪も伸ばして、メガネだってやめた。
そうして短大が始まる頃には、少なくとも見た目だけは別人になれた。
生まれ変わりたかったんだ。
それまでの私も、告白出来なかった後悔も、全部忘れてしまいたかった。
短大は研究も遊びもバイトも一生懸命やったし、友達だって、あの頃よりたくさん出来た。
男の子に声をかけてもらえる事だってあって……でも、どうにも恋愛に関してだけは、私の心はなかなか変わらなかった。
時折、ふとケイくんの事を思い出してしまっていたんだ。
近寄ってくる人は優しげだったけど、あの時みたいな居心地の良さを覚える人はいなくて。
そんな毎日の中で、二つの出来事が私の道を決めた。
一つは偶然ネットで見た、世界各地の被害地域の現状。
海外のニュースサイトは国内と違って、報道規制があまりきつくはない。
そのサイトで目にした惨状は、私の想像を超える物だった。
その時ふと、夏休みが明けた時のケイくんの顔を思い出した。
私が見た情報は、1年以上経った荒れ果てた街の物。
もしかしたら彼は、まさに直後の、これよりひどい惨状を肌で感じてきたのかもしれないと。
そしてページをスクロールした時、とある物が私の目に飛び込んだ。
それはまさに絵空事、だけど誰かが夢に見ている事。
イメージ図と計画図と題されたそれは、現状の荒れ地をこう復興したい!と言う願いに溢れた、美しい未来予想図だった。
“そうだ、これを実現する為にこそ、私が学んでいる事はあるんじゃないか?”
ずっと好きで機械いじりをやっていた私は、初めてそれを誰かの役に立てたいと言う衝動に駆られた。
その為に何をするべきか。
時期は就活の始まりも近かった頃、どうその道に進むか考えていた時、二つ目の転機が訪れた。
「ミユー、季刊誌見た?」
「ああ、学校で出してるやつ?まだ見てないけど…。」
「この人ミユと同じ高校だよね?すごいねー、私達とタメで、海軍の技術コンテスト優勝だって!」
「え…ちょっと見せて!?」
その季刊誌に載っていたのは、ケイくんだった。
私が学生をやっている間にも、彼は前線で整備として戦っていた。
そうだ…復興以前に、戦争はまだ終わってない。
じゃあ、まず必要なのは…現状を知る事と、戦争を終わらせる事じゃないか。
そしてもう一つ、私の中にはとあるものが過ぎった。
“ケイくん……やっぱり、もう一度会いたいな。そしたら、今度こそ…。”
色んなものを変えて、あの頃の私は全部脱ぎ捨てたつもりでいた。
けれど、あの時の後悔だけは、ずっと私の奥で燻ったままだった。
このままじゃダメだって、私の中で声が聞こえた気がした。
そこからの行動は早かった。
ダメ元で受けた艦娘の適性試験は、何と適合ありの判定。
そして自分の名乗る物がどんな艦なのかを知る中で、私は運命を感じたんだ。
兵装実験軽巡・夕張。
当時の理想と技術の粋を集めたこれは、理想に突き進もうとする私そのものだって。
北上さん…彼がいなかったら、私は変われませんでした。
燻ってた私に、踏み出す勇気をくれたのは彼でしたから。
だから今、復讐の為に苦しむケイくんを見過ごす訳には行かないんです。
今度は私が、ケイくんを……。
北上さん。私、負けませんから。
あなたと私は、きっと良い友達になれる。
でも、これだけは…譲れません。
この合宿で、夕張と北上の間には、奇妙な友情が芽生えていた。
夕張はそこに、親愛と対抗心を。
北上はそこに、親愛と、そして……
北上は横になりながら、先程の夕張の話を頭の中で反芻していた。
何度も何度も何度も何度も。
舐め回し、ほじくり返し、言葉の間や、その裏の裏に隠されたものまで捲り上げるように。
何度も何度も、夕張の目の移ろいすら思い出しながら。
そうして彼女は、夕張が会話の裏に隠した殆どを理解していた。
“忘れられなかったんだねー…夕張ちゃん。そんなに頑張っちゃって、夢だって見つけてもまだ……。
チャラい男相手にしなくて良かったねぇ…あんた、男を見る目は確かだよ。
でもさー、二兎追う者は、一兎も得ないんだ。
アタシはね、ケイちゃんの為なら……ふふ、ふふふふふふふ………。”
夕張は、どこまで彼を知っているだろうか?
そんな事を考えながら、北上は込み上げる笑いを必死に抑えていた。
血液型や、誕生日。
好きな食べ物、嫌いな食べ物。
ここまでは、訊けば誰でもわかるだろう。
だが、些細な癖でわかる機嫌や、ふとした時に出る口癖。
色目を使った時のリアクションや、自分以外の女に対する距離感の取り方。
肌のぬくもりや、髪の感触。
いつか医務室で彼に縋り付いた時の、胸の厚み。
北上以外には、それこそケイ本人ですら凡そ理解し得ない彼の全て。
それを思い返しながら。
彼女は隠していた狂気めいた笑みを潜め、今度は妹を見守るような優しい瞳を、眠る夕張に向けていた。
“きっとあんたは、これからケイちゃんのかわいい所をたくさん見つけて、もっと好きになっていくんだ……アタシ達は、気が合うからさ。
だからね、アタシにはわかるんだ。
何をすれば、あんたが一番………。”
彼女が優しい瞳を向けていたのは、ごく僅かな時間だった。
続いて夕張に向けられたのは、感情の読めない漆黒。
狂気も殺意も無い、ただ輝きの失せただけの瞳だった。
溜まった疲労に飲まれ、北上もやがて眠りに落ちた。
しかしその日、夕張は得体の知れない夢を見たという。
終わらない夜道の上で、何処からともなく刺すような視線が彼女を追い続ける夢を。
乙
感動した!
投下します。
北上と夕張が合宿に出掛け、5日が過ぎた頃の鎮守府。
ケイはいつもの如く、黙々と作業に励んでいた。
ここ数日は夕張もいなければ、北上が遊びに来ることも無い。
特に会話も無く日々の仕事をこなし、居残りをした所で咎める者もいない。
彼はそれはそれで、別にどうと言う事は無いつもりでいた。
そんな静かな昼下がり。
しかし工廠の内線が、その静寂を破った。
「もしもし、工廠の笠木ですが。」
『おーう、ケイか。ダンディズム溢れる司令官様だ。なぁ、今日の予定知ってるか?』
「本日は出撃なし。午前中には昨日呉に行っていた演習組は帰着し、先程艤装の点検も終了。本日の行程は、現状全て終了ですね。
これから昼食べて、調整でもやろうかと思ってた所ですが……。」
『なら話は早え。今日はもう、待機っつう名目で整備課は半休な。あ、そうそう、これ命令だから。』
「マジですか。」
『マジだ。今夕張いねえんだし、暇な日ぐれえゆっくりしろい。俺もこの後打ち合わせでいねえし。
こうでも言わねえと、お前休まねえだろ?』
「う"…了解致しました。」
提督から告げられたのは、半ば強制の半休命令。
外を見れば、爽やかな秋晴れの空だ。
何となく気怠さを感じた彼は、一先ず外の空気を吸ってこの後を考える事とした。
工廠横の赤い灰皿の側にしゃがみ、気まぐれに久々のタバコを一本。
そう言えば、最後に吸ったのはいつだったろうか?と考え、北上に慰められたあの夜だった事を彼は思い出していた。
買い置きの缶コーヒーの半端な冷たさは、ぼやけた頭にはよく沁みる。
ラッキーストライクの苦味と、コーヒーの苦味。
覚醒を促すそれらは、却って疲れた体と頭を彼に伝えていた。
“今日はもう、昼食べたら帰って寝るか。”
そんな事を思いつつ、てくてくと食堂へと向かい、ケイはよく食べるうどんを注文した。
トレイを手に馴染みの席に座ると、いつもの景色が、今日はやけにがらんどうに見える。
一人で食べる事は、別段珍しい事でもないはず。
しかし週に何度か、目の前には誰かがいた。
そう言えば、もう5日程そんな事も無いな……と彼が思い返した辺りで、それだけ誰もいない期間が続いたのは、一年以上無かったことを思い出す。
“何か調子狂うなぁ…。俺、そんな奴だったっけ?”
別に今は昔のような硬さも無いし、誰とだって打ち解けて話せる。
たまに弄られはするが、皆良き鎮守府の仲間だ。
年下の艦娘達には懐かれている方だし、年長の艦娘達は信頼してくれている。
他の課の同期もいるし、提督は振る舞いこそダメ人間だが、人情と有能さを併せ持つ人物だ。
そうしてぼーっと座っているうちに、そんな仲間達が彼に話し掛けていた。
何て事も無い世間話だが、実に楽しいひと時。
しかし、何かが足りない。
ケイは何処となく空虚さを感じたまま食堂を後にし、まだ明るい自室へと戻った。
いつものワークキャップを机に置き、そのままドサリとベッドに横になると、予想よりも一瞬で眠りに落ちてしまう。
そして目を覚ますと、日はとうに暮れていた。
時刻は1930、ずいぶん長々と眠ってしまっていたようだ。
長い昼寝の後は、独特な感覚を彼にもたらしていた。
頭はすっきりしているのに、まるで現実感の無い、冷たい水のような静寂。
その静寂は、何故かノイズが鳴るような落ち着かなさを彼に与えている。
ふと、携帯に北上に渡された音楽を入れていたなと思い出し。
イヤフォンを入れて横になると、彼の耳には固いギターと乾いた声が触れた。
プレイリストを焼いた物を何枚か渡されていたのだが。
最初に入れていたアーティストは、比較的聴き易い曲調に反して、歌詞が非常に重かった。
しかし何故か止める事が出来ず、気付けばその曲は終わる。
そして次に流れてきたのは、切なげなイントロと、しゃがれた声の印象的な楽曲。
携帯には、その楽曲のタイトルが表示されている。
そのタイトルと楽曲は、何故か最近見た光景を彼に思い出させていた。
“さよなら最終兵器、か……。”
ただ憎き敵を殺す為の兵器を作り、海の静寂を取り戻し。
そして、亡き幼馴染達に、手向けの花を供える。
直接この手を血に染められないのなら。
代わりに、魂を込めた兵器を血に染めてやる。
そう思い整備に心血を注いできた彼が。
そのタイトルに、今は何を思うのか。
思考に耽る中、不意に彼の携帯が震えた。
『ついに明日卒検だよー。』
添付されていた画像には、作業着姿でニヒルな笑みを浮かべてハンドルを握る、黒髪の少女。
ご丁寧に何処からかサングラスまで借りて、まるでアクション映画のようなポーズを決めていた。
そうだ、もうこんな時間だ。
今なら終わっているだろうか?
そう思い、彼からは殆ど押した事の無い、彼女への通話ボタンをタップしていた。
『もしもし?珍しいねー、ケイちゃんから電話なんて。』
「ああ、今日は半休喰らってたんで。たまにはいいかなって。」
『ふふー、寂しかったの?』
「擦ってないか心配だったんですよ。バリさんはどうです?」
『あー夕張ちゃん?初日にトラック乗る時、お尻から落ち…』
『北上さん!?言わないでくださいよー!』
『…まあこんな感じ。ちょっと夕張ちゃんに代わる?』
「そうですね。ちょっと今後の話もあるんで…もしもし?」
『ケイくん?久しぶりー。ここでも私のドラテクが日を噴いてるわよ!』
「なるほど、バッテリー上げたのか。」
『んが〜……ま、まあ、私も北上さんも順調順調。そりゃウォッシャー液噴いた人とかいたけ…』
『夕張ちゃーん!』
「あはは、まあ色々あったみたいだな。でも二人とも順調そうで良かったよ。
ところで免許の本試験なんだけど、いつ頃行く?」
『平日だったらいつでもいいわよ。その辺は提督と相談で。そろそろ代わる?』
「了解。もしもし?ユウさん?」
『戻ったよー。ところでケイちゃん、あのお寿司について訊きたい事あるんだけどさー……』
「はは…あ、あれはですねー……」
会話に夢中になる中で、彼は昼に感じていた感覚をようやく忘れていた。
毎日のように聞いていた声。
それを耳にした時、高揚ではなく、落ち着きを感じていたからだ。
今こうして、整備以外の時間を笑って過ごせている事。
それを最初にもたらした声は、確かに電話の向こうにあった。
そうだ、もう少しで直接耳に入る。
慣れとは恐ろしいものだ。彼女達が帰って来れば、今日の違和感も薄れるだろう。
そう考えながら、ケイは暫し、笑い話に花を咲かせていたのだった。
「いやー、ケイちゃんも元気そうで良かったよ。お寿司の件はたっぷり訊いといたけどねぇ……ふふふ。」
「女子の食い物の恨みは恐ろしい、と学んでくれるといいですねー。全くもう、ズルいんだから。」
電話も終わり、二人はまったりと先程の話を振り返っていた。
今日は今までの中で最も難関だったが、ここ数日の甲斐もあって見事ハンコを貰った。
明日はいよいよ卒検。ここを越えれば、後は免許センターで手続きを踏むのみだ。
「楽しみだねー。ついにアタシも車デビューかー。」
「車も楽しいですよー。私も大型取ったら、大分仕事の幅が広がります。」
「ねえねえ、最初の車ってどんなんが良いと思う?」
「そうですねー、街乗りだけならやっぱりオートマで……」
受かったら何に乗ろうか、などと話しながら、明日に備えて彼女達は夢の中へ。
しかし北上は、いささか楽しみになりすぎてしまったらしい。
中古車サイトで気になる車にチェックを入れては画像を保存し、にこにこしながらそれらを吟味していた。
この車はたくさん積めるし。
あの車は悪路に強い。
ああ、これなんてかっこいいじゃないか。
遠足前の子供のように、彼女は近い未来のドライブに想いを馳せる。
助手席に座るのは、勿論ケイだ。
免許のある大井が安心だが、40km先に住む彼女を迎えに行くまでがまだ怖いし、やはり最初は彼が良い。
しかし明日は大事な日。
そろそろ眠らなくては、と彼女は目を閉じるが、なかなか上がったテンションは下がらない。
そうだ、こんな時はよく眠れる音を聴こう!
そう思いイヤフォンに手を伸ばし。
彼女はそれを。
『ポータブルプレイヤー』ではなく、『スマートフォン』へと差し込んだ。
イヤフォンからは、彼女が音楽以外では、何より愛する音が流れる。
それは当人の顔に対して少し低いが、まだところどころあどけなさが残る声。
優しげなその声は、北上の心の奥にじわりじわりと広がっていく。
先程の通話を全て録音した、その音声は。
やがて北上も眠りに落ち、そして朝が来た。
遂に最終日。
これが終われば、また彼に会える。
そう思いながら二人は眠い目をこすり、朝の支度へと向かっていった。
「では、こちら卒業証書となります。
××鎮守府のお二人は別で免許をお持ちですので、本試験は学科免除となります。
当日はこちらと身分証を免許センターにお持ちいただき、手続きを受けてください。
卒業、おめでとうございます。
軍属たる者、これからも人より無事故無違反でお願い致します。」
「「はい!ありがとうございました!」」
7日目正午過ぎ。
遂に卒業検定を終え、二人は晴れて合宿終了となった。
最初は冷戦状態だったが、この一週間で2人共随分打ち解けたように見える。
固いベッドもイマイチな定食も、今日でお別れだ。
そう思うと、少し感慨深いものを二人は感じていた。
「終わったねー…。」
「ですね…長い闘いでした。でも楽しかったなー。」
「…アタシもね。キツかったけど、戦闘から離れてたのも久々だったし。」
荷物を纏めて振り返ると、一週間お世話になった空っぽの部屋。
二人はそこにぺこりと一礼をし、そして意気揚々とバスへと歩を進めて行く。
「はー…いざ終わると、疲れましたねー。」
「お、提督からメールだ。え、マジ?やったよー。」
「どうしたんですか?」
「明日は午後からで良いから、二人で打ち上げでも行って来いってさ。飲み終わったら迎えに来てくれるって。
夕張ちゃーん、ここはやっぱりさー……。」
「ホッケテロ、ですね!よーし、ケイくんに送りつけちゃいましょー!」
時刻1430、バスは目的地に向けていざ出発。
待ってろホッケとポン酒!と彼女達はハイテンションで慣れ親しんだ街へと向かうのであった。
その日の夜、時刻2130。
ケイが工廠にこもっていると、今度は携帯に何やら着信がある。
表示された相手は、提督からだ。そしていざ出てみると…
『ケーイ、助けてくれ〜〜駐車場来て〜〜』
電話の向こうからは、何やら黄色い騒ぎ声も聞こえる。
一体何があったのか?呼ばれるままに駐車場に向かってみると、そこにいたのは。
「れいろくー、いくらバツイチらからって車になっちゃらめらよー。」
「そうれすよー、こんら軍服みらいにまっしろになっらっれ…らから奥さんに逃げられらうんれすよー。」
提督の白いクラウンにウザ絡みをする、黒と銀のバカが二匹。
一方本体こと提督はと言えば、運転中からバツイチの心の傷を抉られたのか、ちょっと涙目になっていた。
「いやー、車乗せるまではちょっと酔ってるだけだったんだ…でも走り出したら段々こいつら悪酔いしてさ……。
俺だって…俺だって好きでバツイチじゃねえんだよおおおおお!!嫁えええええ!カムバアアアアァッッックッ!!!」
酔っ払い二匹と、号泣する35歳児のシャウトが夜の駐車場に木霊する。
そんなエモーショナルな地獄絵図に、ケイはただ死んだ魚のような目を浮かべ。
「提督、お疲れ様です…とりあえずこいつら、一回縛りましょうか…ついでにあんたもどうです?」
そして愛用の腰袋からすちゃりとワイヤーを取り出すと。
彼の実に爽やかな笑顔が、月明かりにライトアップされるのであった。
ただし、こめかみは血走っていたが。
「やーだー!ケイちゃんの部屋行くー!」
二人がかりで一人ずつ運ぶのも考えたが、そうなるともう一人が放置になる。
残りにクラウンがボコられる!と提督に泣き付かれた為、二人は手分けして各々を部屋に送る事とした。
提督は夕張を、ケイは北上を。
そうして送ろうとはするのだが、北上はいよいよ駄々っ子の体を見せ始めていた。
因みに夕張はと言うと、魚雷をぶっ放したとだけ付け加えておく。
酔っ払いは加減を知らない。
担いで寮へと連れて行こうとするのだが、ベシベシ背中を叩かれる。
おまけに駐車場で問答しているこの状態で、寮の4階まで上がるのは至難の技と言えた。
エレベーターはあるが廊下の奥、とてもでは無いが辿り着ける気がしない。
いよいよ埒があかない。
困り果てたケイは、一先ず工廠へと連れて行き、落ち着かせる事にした。
「うー、ここ工廠ー?お水、お水ちょーだい……。」
「はいはい、自分で飲めます?」
「ちょっとキツイや…」
「じゃ、口開けて。ほら行きますよー。」
いざ水を飲ませると、多少は落ち着いたようだ。
一先ず備え付けの毛布を掛け、ケイはどうしたものかといつもの椅子に座る。
悲しきかな、酔っ払いの介抱はこの鎮守府では嫌でも慣れる。
ああそうだ、ビニール袋も出さないとと立ち上がると、彼は足首を掴まれ、思い切り倒れそうになった。
「っぶねー…ユウさん、掴まないでくださいよー。」
「えへへーケイちゃんだー…。」
ケイがしゃがみこんで北上の方を見ると、彼女はかわいらしく、毛布から顔と手だけを出していた。
しかしケイは今袋出しますからねと背中を向け、足元の棚を探っている。
そして北上はズルズルと毛布から這い出し、覆い被さるようにケイの背中へと抱き付いた。
「重いし酒臭いっす。リバースは勘弁してくださいよー、出すなら袋で。」
「つーめーたーいー。北上様の帰還だよー。喜びなよー。」
「幼児退行してなきゃ喜びましたよー。ほら、揺れると吐いちゃいますよ?降りた降りた。」
「やだ。ここあったかいもん。」
「はぁ…わかりゃーした。気分悪くなったらそこのビニール使ってくださいね。」
「んふー、わかってるねぇ。」
「しかしこうして話すのも、久々ですね。ユウさん達がいない間も色々ありましたよ。
羽生蛇そば…じゃなかった、磯風うどん事件に始まり。
そうですねー、後は駆逐の子達に腕相撲せがまれたり…それで最終的に長門さんが出てきてヘシ折れそうになって。
で、昨日廊下で由良さんとすれ違ったら、事故で髪ビンタを喰らったり…」
「へぇ……そうなんだー……。」
話を聞きながら、北上はすんすんと彼の匂いを嗅いでいた。
オイルと火薬の匂いと、ケイ自身の匂い。
その中に混じって、いつもより濃く他の女の匂いを感じる。
実際は気のせいであろう。
第一落ち着いたとはいえ、自分は今酔っている。
しかし会話の中で他の女の名前が出る度、匂いの種類が増えて行くように北上には感じられた。
自分に目的があったとは言え、一週間いなかった間に、他の女の匂いは増える。
中には自分がいないのを見計らい、そういう意図を持って接触した女もいるかも知れない。
ぎりり、と、奥歯の軋みが骨を伝う音を彼女は聞いた。
そして体を擦り付けるように、彼女はよりキュッと抱き付く力を強める。
「青葉さんがハンダ付けのコツ訊いてきたんですよねー…今度は一体何やらかす気なのか…」
「…ケイちゃん。もうわかったからいいよ。」
「大丈夫ですか?」
「うん。あのさ……」
この言葉を言ったら、どうなってしまうだろう。
少しでも意識させれば、壊れてしまうのか?
嫉妬心と葛藤。
秘めたる狂気を太らせ続けながら尚、彼女は今もその渦中にいた。
だけどやはり、悲しいものは悲しいし。寂しいものは寂しい。
久々に会えたのだ。
本当は思い切り抱き付いて、血が出るまで爪を立てて。跡を残して。
自分の匂いだけで、染めてしまいたいのだ。
今自分は、酔っている。
酔っているから、これも酔っ払いの戯言だ。
そう思い、キスをするように耳元へ顔を近付け。
秘密故にうまく言えない本音を、彼女はそっと囁いた。
「………今は、他の子の話はしないで。」
涙が滲んでいた。
後悔と嫉妬と、久々に会えた安堵で、彼女の中はもうぐちゃぐちゃ。
そこに『北上』は、いなかった。
いたのは、『岩代ユウ』と言う、ひとりぼっちの寂しがり屋だった。
「………わかりました。ところでユウさん、車買うんですか?」
「ん。どうしよっかなーって。あれば便利だけど、ベスパでも足りるっちゃ足りるんだよねー。」
「日頃の足なら、軽が良いんじゃないですか?それか軽のボディに白ナンの排気量のとかもあって……」
ケイは深く追求せず、ただ北上の頼みを優しく受け入れた。
北上はそんな彼の様子に、また涙が滲みそうになるのをぐっと堪え。
それを誤魔化すように笑い、彼との雑談に花を咲かせていたのであった。
北上は時折口近付けては、すぐにそれをすんでの所で止める動作を繰り返していた。
がぶりと肩に噛み付けば、彼の味を全身で感じ、その歯型は所有の跡になるであろう。
そうしてしまいたくなるほど、彼女はケイを離したくなかった。
いっそ酒の勢いに任せて、押し倒してしまおうか?
既成事実を作って、彼の責任感の強さに漬け込んで、自分に縛り付けてしまおうか?
黒い衝動はその首をもたげては声を上げ。
しかし彼女は、一つ一つその首をもぎ取って行く。
今はまだ、そうする訳には行かないのだ。
本当の事を打ち明けられない、今のままでは。
“ケイちゃん…どこにも、行かないでね。ずっとずっと、アタシのそばにいて。”
コートのファーを喉元に寄せて。
彼女はまだ、酷く酔っているような素振りでケイの肩に頭を寄せた。
ファーを寄せたのは、彼の背中に涙が滲まないようにする為。
嗚咽も出ず、うっすらと伝う涙はなぜ流れるのか。
その理由は、北上だけが知っている。
こうして合宿は終わり。
また彼女達の日々は始まっていくのであった。
すれ違う心が絡み合う先の、次のページへと向かって。
乙
投下します。
ほら、おとうさん、おかあさん。なんでかべにはりついてるのさ。
だめだよ、そんなところでねてちゃ。
べちゃり。
ぐちゃり。
べちゃり。
こうちゃんもだめだよー?
そんなにこぼしちゃって、もうこうこうせいっしょー?
ほら、ちゃんとくっつけなきゃ。
あれ?こうちゃんのあれ、どこいったっけ?
まー、あとでさがそ。さきになかみをあつめなきゃ。
ぐちゃり。
ぐちゃり。
ぐちゃり。
あれ?へいたいさん?
なんでこんなところにいるのさ?
ちょっと、やめてよ。はなしてよ。
ちいさいおねえさん、なんであたしをみてないてるのさ?
なにもおかしくないよ?
そんなにぎゅっとしないで、くるしいよ。
だって、みんなねてるだけなんだから。
ぐちゃぐちゃになって。
北上達が合宿から戻り、10日ほど。
もう12月も目前、季節は冬の気配を見せ始めていた。
鎮守府の駐車場には枯葉の絨毯が広がり、すっかり裸になった枝が、寂しげにその腕を空へと伸ばす。
コートがすっかり手放せなくなったな、と思いつつ、一人鎮守府周りを散歩していた北上は、ベンチへと腰掛けていた。
そして彼女は携帯を取り出し、駐車場にある車と画面を見比べながら、何か調べ物をしている様子。
表示されているのは、中古車の専門サイトのようだ。
ケイに直してもらって余り経っていないが、愛車であるベスパも、ガタつきが気になってきた。
そうは言っても20年ものだ、一体彼女で何代目のオーナーなのか。
そろそろ車にシフトするのも良いかもしれないな、と彼女は思案していた。
「おー、北上やないか。何してるん?」
そんな彼女に声を掛けたのは、ポニーテールに変えても分かる小さな体と、関西弁。
そこにいたのは、私服姿の龍驤だった。
見た目こそ駆逐艦と間違えられる容姿だが、これでも20代後半。
ここの艦娘達の、姉貴分と言える人物である。
「龍驤さんじゃん。お出かけ?」
「まあな。合宿お疲れやったなー、免許取れたん?」
「取れましたよー。ほら、ちゃんと普通って入ってるっしょ?」
「教習73式やろ?懐かしいなー、うちもよう転がしたわ。アレ、ダートでドリかますとおもろいねん。」
「龍驤さん、元々陸にいたんだっけ?」
「せや。艦娘適正出た時に海移ってな。その頃入れたら、もう勤続10年近くなるなー。」
「10年……龍驤さん、若さの秘訣教えてよー。
アタシが龍驤さんの歳になったら、きっと老けちゃうもん。」
「秘訣ぅ?無いわんなもん。婆さんの代からのちんちくりん家系や。
大体皆合法ロリ言うけど、中身はもう完徹キツいし、ツインテだって外じゃ人目気になって出来ひんババ…って何言わせんねん!
ま、まぁそれはええわ…ところで北上、車買うん?」
「んー。まだ決めかねてるところ。龍驤さんの車どれだっけ?」
「アレやな。参考までに見てみる?」
そうして連れて行かれた区画に停められていたのは、意外に大きめの黒い車。
運転席に座らせて貰うと視界が広く、これはいいなぁ、と北上は頷いていた。
「これいいねえ。なんて車?」
「ルノーのカングー。うちもメイン秘書艦やっとる手前、出張があるからなぁ。軽だと高速おっかないねん。ま、外車にしたんは趣味やけど。
トールワゴン言うて、もうちょい短いの日本車であるで?こいつのトランク削ったぐらいの。」
「へー。後ろとか、一人ぐらいなら横になれそうだねー。こういうの探してみよー。
……あれ?このCD、林檎の1stとミッシェル?でもAUX付いてるよね?」
「よう知っとるなぁ、キミら世代やないやろ。
基本ウォークマン繋いどるけど、たまに盤で聴きたなんねや。
…まぁ言うてもその辺、うちも後追い世代やけど。」
「ははーん、じゃあアレだ。盤で聴く時は、教えてくれた年上の元カレ思い出しながら…とか?」
「あっはっはー、はっ倒すで?」
「ごめーん。でもありがとね、参考になったよ。」
「そかそか。まあでかい買い物やし、じっくり決めえや。
あ、うちぼちぼち行くわ。人と約束してんねん。」
北上と別れ、龍驤は愛車のエンジンを掛けた。
そしていつものポータブルではなくCDを取り出し、そのアルバムをプレイヤーへと差し込む。
聴きたい曲へとスキップさせ、そしてスピーカーから流れてくるのは気怠い雰囲気の8ビート。
その楽曲は、とある夏の記憶を龍驤に思い起こさせていた。
それは3年前、まだ彼女が陸軍にいた時の事。
その時彼女が見た海は。
今聴いているアルバムのジャケットの様に暗く、荒れ果てていた記憶。
そして辿り着いた場所に広がる一面の赤と、そこにいた……
“……心までは、助けてやれへんかったなぁ…。
何企んどるか知らんけど、あないな顔して…。
…せやけど北上。いくら面影重ねた所で、死人は帰って来うへんよ。
それじゃ、皆可哀想や。ケイ坊も、キミもな。”
車内の広さを確かめていた時の、北上の顔。
それを思い出すと、彼女は何かを決めたようにキッと目を鋭くし、車を走らせていくのであった。
「……さて、夕張ちゃん。この中には諭吉さんがいます。何に使うでしょーか?」
「はい北上先生!その内の一人で私にご飯を奢る!」
「違うよー!これからアタシの車探しに行くんでしょー?」
その日の午後。
この日休日が揃った二人は、国道沿いのカフェで何やら話している様子。
どうやら夕張の付き添いで、中古車を探しに来ているようだ。
途中銀行に寄ったのだが、北上が今まで見た事も無いおろおろした顔で出てきたのを見て、夕張は盛大にコーラを噴き出していた。
封筒の中には、35万。
今までこれだけの現金を持ち歩いた事が無い北上は、これからの買い物が如何に大きいのかを全身で感じていた。
「は、ははは…やばいねー、この封筒…艤装並みに重いねぇ…。
いつか乗り換えるだろうと貯め込んで来た血と汗と涙……諭吉さん、福沢諭吉、諭吉さん……。」
「ふっ…いくら五七五で愛を語っても、彼はあなたの元を去って行くんですよ…。
さて、私の方でもリサーチして、信用出来そうなお店をリストアップしてみました。そこを回ってみましょう。」
今回夕張の運転で出掛けているのだが、彼女は非常に運転が上手い。
無茶な事はしないが、どんな道もそつなくこなすハンドル捌きに、思わずほえー、と感嘆の声を上げる。
そして自分は同じように出来るだろうか?と、不安にもなっていた。
そんな事を考えている内に、二人は目当ての店へと到着した。
そこはこの地方では中規模程度の、個人の中古車店だ。
夕張が他の職員や艦娘にリサーチした所、アフターケア込みならここが良いとの意見が多く。
車に関しては初心者の北上でも、ここなら安心できるだろうと選んだ店だ。
つい数週間前ならば、こんな風に北上とつるむとは考えられなかったな。
と、夕張は不思議な感慨に耽っていた。
そんな中、車を降りた二人は、事務所へ向けて歩き出す。
「どんなのにするんですか?」
「んー、トールワゴンってタイプにしよっかなって。
アタシも色々調べたんだけど、サイズもちょうど良いしさ。
まあ、ヤン車っぽいのも多いみたいだから、そゆのはパスで。」
そして店主の案内の元、北上の欲しい車種が纏められた一画へと招かれる。
該当するものは、凡そ8台。
そして今回用意した頭金と相談し、候補は5台となった。
北上は一台一台内装も確かめながら、どれが良いか考えている。
そして30分ほど後、遂に結論が出たようだ。
「んー、これ!」
彼女が選んだのは、可愛らしい名前を冠した白い車だ。
年式は少し古いが、走行距離はそこまででもなく、荷物もそれなりに積める。
ヤンキー的なパーツも無く、まさに女性好みと言った一台だった。
「おー、良いじゃないですか。そんなに傷んでもないですし。これで車デビューですねー。」
「結構物乗りそうだしねー。これなら買い物行って、やっぱ小さい!とかも無さそうだよ。」
希望に沿うものを見付け、北上はご満悦な様子だ。
この車なら街乗りにも使えるし、車高が低すぎて中が丸見えといった事も無い。
その気になれば、出先で昼寝も出来るだろう。
後部座席は膝さえ折れば、人一人ぐらいは横になれそうな車なのだから。
「良かったですねー、すんなり見つかって。」
「うん!納車楽しみだねー、来たら運転慣れないと。」
会計と手続きを終え、彼女達はそのまま街へと繰り出した。
そして北上は、数日後に来る新たな愛車に想いを馳せながら。
くすりと、静かに笑っていた。
同日、県内のとある街。
鎮守府からはかなり離れたこの街に、数人の男女が集まっていた。
皆一様にラフな私服姿だが、特に男性陣は鍛えられているのであろう、体格に恵まれた者が多い。
彼らは時折ボーリングをしたり、スポーツ施設などで遊んだりしている仲だ。
元々は同じ仕事の仲間であり、近況報告も兼ねてこうして集まっている。
そんな中に、小柄な女が一人。
それは、龍驤その人であった。
「軍曹、最近海の方はどうですか?」
「軍曹っちゅうんやめえや、田村でええわ。大体今は艦娘な。娘、やからな?
…まあ、相変わらずボコボコにしとるわ。皆あいつらはっ倒したる思うて頑張っとる。」
「もう3年になりますね…田村さんが艦娘なるー!って言って、陸を離れたのも。」
「せやな…あんなモン見たら、直でボコりたくもなるわ。」
「あの救助の時ですよね……あの女の子、今は元気になってるでしょうか。」
「さあな……ほんま、あれはあかん光景やったわ…。」
「…錯乱して、ご家族の脳や内臓を、一生懸命遺体に収めようとしてましたもんね…。」
「ああ、弟なんか目も当てられへんかった…下顎より上は無いし、下半身も奴らに齧られとってなぁ…。
あんなん、残った方はずっと辛いわ。
せやからうちはな、あいつらはっ倒したるって…決めたんや!」
金属バットの硬い音が、バッティング場に木霊する。
回を重ねるごとに、ホームランの的にぼん、と響く鈍い音は大きくなり、それは彼女の苛立ちを表しているかのようだった。
“ケイ坊もケイ坊で、なんか後ろ暗いもん抱えとるしな……せやけど北上、それじゃあかんねん。
寄っ掛かるんじゃなく、お前が自分の足で立ち上がらんと。
ほんまは色恋なんて首突っ込むもんちゃう。
せやけどすまんな、うちはメロンちゃん応援するわ…お前があの子みたいに、まっすぐ立てんうちはな!”
最後に一発、特大のホームラン。
それを境に龍驤はその場にへたり込み、呆然とネット越しの空を見上げるばかりだった。
その空の青は。
あの日命しか助けられなかった少女を、突き放さざるを得ない現実を。
嘲笑っているかのように、彼女の目には見えていた。
すごく面白い、乙
田村さんは北上さん達の古い知り合いなのかもとは男なのかきになる
泣いてた小さいお姉さんでないの?
乙
>中が丸見えといった事も無い
>人一人ぐらいは横になれそう
ケイくんがテープで縛られて横になっている画が浮かんでしまった
>可愛らしい名前を冠した
「ハイエース」って可愛らしいか?(困惑
こんな俺の性癖にどストライクなSSを見逃していたとは……
投下します。
3年前。7月5日、時刻0730。
陸軍臨時前線基地、医療班テント。
××町を襲撃した未確認生物は撤退が確認され、作戦は救出と捜索を主としたものに切り替えられていた。
テント内は、交戦時に負傷した兵でごった返している。
そして患者に住民の姿は無く、それが絶望的な現実を医療班に告げていた。
テントの外へ呼び出しが掛かれば、それは住民発見の合図。
しかし医師達を待っているのは、発見、回収された遺体の死亡確認のみだった。
辛うじて人の頭であるとわかるもの。
逆に、胴体以外全てが吹き飛んだもの。
或いは担架に人間状に広げられた、もはや性別すら不明な肉塊。
それら一人一人の心肺停止者に、自らの検死と言う、法的な死亡確認の烙印を押す。
それがこの時彼らが住民に対して行えた、唯一の医療行為だった。
そんな最中、医療班に一つの無線が入る。
『医療班聞こえとるか!?こちら第一救出部隊、田村アカネ軍曹!生存者発見や!』
「本当か田村軍曹!容体は!?」
『被害者は10代女性!肩部から胸部に掛けて外傷あり!意識あり!でも錯乱しとる!出血酷しや!
学生証にO型って書いとる!錯乱しとるから鎮静剤も頼むわ!』
「了解した!他に生存者はいないか!家族は!?」
『他は……他は、全員心肺停止状態や!生存者の救出の後搬出するで!』
「……わかった!助けられるだけ助けるぞ!慎重に運んでくれ!」
発見された少女は輸血と応急処置を受け、すぐさま隣町の救急病院へと搬送された。
搬送時、肩からの出血とは別に、少女の衣服は大量の血液で汚れていたと言う。
2日後、意識を取り戻した少女は、錯乱していた際の記憶を失っていた。
彼女が覚えていたのは、弟が自らを庇い、怪物に銃撃される場面まで。
つまり、遺体の詳細な状態は、彼女の記憶から失われているという事。
少女は真っ先に、家族の無事を主治医に尋ねた。
「夢なんでしょ!?あの化け物も全部!先生!アタシは事故っただけだよね!?」
家族は死亡したと言う医師の宣告に、激しく否定の言葉をぶつけ、そして医師の胸倉を掴んだ。
その余りに切迫した様子に、医師は残酷な現実を突き付けるか苦悩し。
遂に、少女を家族の遺体と対面させる決断を下す。
医師は少女を車椅子に乗せ、その病院の霊安室ではなく、まず車へと乗せた。
そして少女が連れて行かれたのは、警察署だった。
「君がこうして生きていて、遺品から君のご家族だとわかったから、皆ここにいる。
…誰かもわからなかった遺体は、鑑定の為に遠くに運ばれてしまったよ。炭化したものや、その場で荼毘に付されたものもある。
君の…遺族の確認が取れれば、すぐに葬儀の手配が出来る。引き取り人が現れた事になるからね。」
そんな馬鹿げた話、あるものか。
だってここは、よく遊びに来ていた隣町。
警察から10分も歩けば駅で、あとはいつもの電車で家に帰れる。アタシの街は、何も変わっていないんだ。
自分に必死にそう言い聞かせながら、医師が車椅子を押すまま、彼女はエレベーターへと乗り込む。
案内の警官が専用キーを差すと、通常は止まらない、地下1階へとエレベーターは下っていく。
そこは、警察の遺体安置室。
ステンレスの台が4台ほど置かれ、奥には金庫のような扉が横に4列並んだものが、合わせて3段あった。
警官が、その内真ん中の列の扉に書かれた札を確認する。
そして開け放たれた扉からは、白い冷気が漏れていた。
入り口に専用ストレッチャーを合わせ、中にあるそれはローラーの上を、まるで物のように引っ張り出される。
最終的に彼女の前には、3つの、黒い大きな布。
それは丁度人一人入れそうな、ジッパーの付いた袋だった。
彼女が昔、映画やドラマで見た事のある袋。
それが今。家族の名前が書かれた札をぶら下げて、目の前にある。
「……僕が、開けようか?」
「いえ……アタシが開けます。」
“ユウ、綺麗な海だろー?お前の名前はさ、こんな景色から取ったんだよー。”
痛む体を引きずり、彼女はまず、父の名が書かれた袋を開けた。
袋を開けた瞬間、想像を絶する臭いが彼女を襲う。
しかし臆する事なく最後までジッパーを開け、そこにいたのは、体の半分が潰れた遺体。
「間違いありません、父です……。」
だが、間違えようもなかった。
ひしゃげても尚、穏やかに瞼を閉じる姿は、いつも見ていた父親の寝顔そのもの。
“ユウ、おいしい?良かった、お母さん嬉しいわ。あなたたちが、何よりの宝物よ。”
そして次に、彼女は母の名が書かれた袋を開ける。
父と同じく、体は半分ひしゃげていた。
だが、半分だけでも優しく眼を細めるように眠る顔と、いつも彼女たちを暖かく包んでいた、綺麗な片手。
それを間違える事など、彼女にはありえない事だった。
「………母、です…。」
“姉ちゃーん、俺んとこ優勝したよー!へへっ、頑張った甲斐があったなー!
姉ちゃんの弁当のお陰かなー、ありがとな!”
最後、弟の名前が書かれた袋。
そのジッパーを開け。
そして彼女は、とうとう自らの膝を支える事が出来なくなった。
「……はは…ねえ先生、これ誰なの?
うそだよこんなの……うそだって言ってよ!!!」
弟のはずの遺体。
しかしそこに、表情は存在しなかった。
本来頭が、そして顔があるはずの場所には。だらしなく垂れ下がる舌だけがあった。
その遺体の頭部は、下顎より上が全て吹き飛んでいた。
少女は必死に、遺体の腹部をまさぐる。
弟の腹には、小さい頃に盲腸で縫った傷があるはずだ。
サッカーで鍛えた自慢の脚も、無い。
じゃあ、これは誰?大丈夫、きっと他人だ。
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
呪文のようにその言葉を唱え。
しかし、そのおまじないは、あっという間に打ち砕かれた。
腹部には、3cm程の小さな縫い傷がある。
それこそ何度見たかわからない、見慣れた位置にあるそれは。
間違いなく、弟である事を彼女に伝えていた。
いつも元気に笑う、愛らしい弟。
しかし安らかに眠る顔を見る事も、その笑顔の跡を見出す事も。もう、出来ないのだ。
「コウ、ちゃん…ごめんね…ごめんね……。」
頭のない遺体に、彼女は縋り付いていた。
しかし消毒され、そして冷蔵されていた遺体はとても冷たく。
頬を伝う涙ですら、それより遥かに暖かく。
その冷たさは。
肩のもの以上に深い傷を、少女の心に刻み付けたのであった。
「ありがとうございましたー。」
時は現在。
車の購入から一週間、遂に納車の日がやってきた。
鎮守府の駐車場には、新たに白い車が一台。
そしてオーナーである北上は、実に感慨深げにその雄姿を見つめていた。
「ふふふ……くーー!待ってたよー!アタシのポルテちゃーん!」
彼女の購入した車は、ポルテというトールワゴン。
軽ほど小さすぎず、ワンボックスほど大きすぎずなそれは、まさに買い物や行楽にという彼女の要望にぴったりな一台だ。
早速運転席に乗り、ぎゅっとハンドルを握ってみる。
遂に念願叶ったマイカーだ。
その感触に、彼女はしばし恍惚とした様子を見せていた。
そうだ、こんな時は早速ドライブと行かねば。
時計を確認し、彼女は携帯を取り出した。
そして呼び出された人物と言えば…
「……で、何でバイクしか乗らない俺なんでしょーか。」
「夕張ちゃん仕事っしょー?でも君は今日休みっしょー?
となると、ケイちゃんしかいないじゃーん!」
「何で工廠チームだけ…あー、た、例えばバリさんの上がりまで待つとか……。」
「夕張ちゃんは夜要員。まだ夜の運転怖いもん。」
「俺はそんなユウさんの方が怖いなーって…。」
「へー、言うねー…アタシのドラテク見ておしっこちびるなよー。」
「それダメな方!バリさーん!バリさーーん!!」
「うるさいよ!ほら出発ー!」
実にのろのろとした歩みで、車はまず駐車場の枠線から出ていく。
そして駐車場の出口で一時停止し、後はウィンカーを出して曲がるだけなのだが…
「あ、ごめーん。」
「ぐえっ!?」
北上のえげつないブレーキにより、ケイの体には盛大にシートベルトが食い込んだ。
まだ出口にすら到達していない。一体何事かとケイが涙目を浮かべていると、北上はおもむろに車のポケットを漁り始めていた。
「ちょっと待っててー、舞い上がってフロントにもこれ貼るの忘れちゃったよー。危ない危ない。」
「そ、それは…!」
取り出されたのは、1枚の若葉。
何と北上は、フロントに初心者マークを貼り忘れるという大失態を犯していた。
その光景に、ケイはいよいよ真紫の顔色を見せる。
「ユウさん、今からでも遅くないです!バリさん待ちましょう!」
「てててん♪集中ドアロックー。」
「秘密道具でも何でもねえっすよ!?」
これより彼を待ち受けるは、デスドライブ。
ポルテと言うかわいらしい名前のこの車だが、彼には脳内でどう書いても『棺桶』と読む事しか出来ないのであった。
「あー、快調ですね…。」
「でしょー?何年ベスパ乗ってたと思ってんのさー。」
「今の所は」と言いたいのを、ケイは必死に我慢していた。
まだせいぜい、最寄りのコンビニに差し掛かる所だ。
しかしいつもバイクで10分程度のこの距離が、今の彼には何倍もの長さに感じられていた。
目先には、見慣れたコンビニの青い看板。
ここを越えれば、遂に国道に入る。
今回北上が行こうとしているのは、枕を買い換えたいとの事で、隣町にある総合家具店だ。
ナビの表示には、残りおよそ12キロとの記載。
そしてこの片田舎の国道は、所謂輩運転の車が跳梁跋扈する、初心者にとっての鬼門である。
50キロ制限のこの道路ではあるが、警察のパトロールが無い限りは、皆60キロオーバーで走る。
おまけに所々一方通行の分岐があり、一つ分岐を間違えようものなら大変な迷子になる。
彼女もベスパの頃であれば、散々通った道。
しかし慣れない車となった現在、果たして無事に辿り着けるのか。
北上以上に、ケイの方に緊張が走っていた。
「ケイちゃん、車間距離ってあんな近いもんだっけ…。」
「後ろのダンプは気にしたら負けです、若葉マーク煽る時点でお察しですよ。安全運転で行きましょう。」
北上の車は、現在58キロで走っている。
法定速度内で走行しているものの、後続のダンプカーがぴったりくっついて煽ってきていた。
終いには、パッシングが2発。
追い越し禁止車線故に抜かれる事は無いが、ダンプは微妙に蛇行を繰り返し、尚も挑発をやめようとはしない。
「へー……いいねえ、しびれるねー…。」
「ダメですよケンカ買っちゃ。でも確かに危ないですね…ユウさん、コンビニあるんで一旦入りましょう。」
駐車場の時こそ危うい場面は多かったが、彼女が勘を取り戻すと、運転そのものはそこまで問題は無い。
しかしこのままでは良くない。ケイはコンビニに一度車を停めるよう促し、とりあえず深呼吸させる事とした。
「はい、ジャスミンティー。」
「ありがと。はー、幸先悪いねー、あんにゃろめ…。」
「バイクはある程度勝手に避けてくれますからね…まぁゆっくり行きましょう。
でもあそこの家具屋かー…ユウさん、ついでに俺も買い物して良いですか?
毛布工廠に持ち込んだままなんで、部屋の買わないと無いんですよ。」
「いいよー。毛布ぐらいなら余裕で乗るっしょー。
さて、そんじゃ気い取り直してしゅっぱ…」
その瞬間、ぶおおおん!と、虚しくエンジンは唸り声を上げた。
北上、ギヤをドライブに入れ忘れる痛恨のミスである。
「はーい、おーらーいおーらーい、はいストップー。」
「はー…やっと入ったよー…。」
立体駐車場に苦戦しつつ、何とか無事到着。
彼らが訪れた家具屋は、自社ブランドによる安価さが売りの大型店だ。
店内も非常に広く、そして置いてある商品も様々。
枕一つでさえ、目移りする程の種類が置かれていた。
北上が店内を見渡すと、家族連れやカップルの姿もちらほらと見える。
それらの他の客は、皆仲睦まじく笑い合い。
彼女はそこに一抹の羨望を感じつつ、隣を歩くケイに視線を移した。
しかし彼はと言えば、北上には目もくれず、何かを探している様子。
そして壁に貼られたとある物を見付けると、一足先にそこへ歩いて行ってしまった。
「あったあった。ユウさーん、案内図これですね。」
ケイが指差しているのは、店の案内図だ。
食器コーナーや棚のコーナーと分かりやすく記されているのだが…しかし彼らの目的は、各々の枕と毛布。
結局寝具コーナーに行けばどちらも程近い場所に固められているし、天井からも、コーナーの名前ぐらいはぶら下げられている。
わざわざ北上を差し置いて、案内板を探すまでもないのだ。
続いて寝具コーナーに行くと、毛布の棚は、枕の棚の二つ隣にあった。
ケイは「じゃ、ちょっと俺は毛布探して来るんで」と北上に声を掛け、目当ての通路へ向かおうとするが。
ここでとうとう、北上の堪忍袋の尾が切れた。
「まー待ちなって…ケイちゃーん、枕探し付き合ってよー…ね"?」
「は、はい……。」
がっしりと腕を掴む北上の顔を見ると、彼女はケイが恐れる、例の目が笑っていない笑顔を向けていた。
長い付き合いの中で、彼はこの顔はかなり怒っているサインだとよく知っている。
怒りの理由は今一つ理解出来かねるが、ここは大人しく従うべきだと彼の本能は告げていた。
そうして枕コーナーへ向かうと、当然多種多様な枕が置かれている。
種類ごとにお試し用のサンプルが置かれており、北上はそれらの感触を確かめつつ、枕を選んでいた。
「ふかふかだねー。んー、でもやっぱ低反発かな。よし、きーめた!」
「デカイの選びましたねまた。」
「睡眠は重要だよー。アタシも何もない休みは、とにかく寝るし。
ってなワケで、ケイちゃんの毛布見よっか!」
「じゃ、裏行ってみますか。」
「そう言えばさー、ケイちゃんの部屋ってどんなん?」
「ん?ああ、こんなですけど。」
そして見せられた写真を見ると、生活感の欠片もない部屋が北上の目には映る。
普段寝に帰っているだけとは言え、それでも余りにも無機質だ。
北上はその写真を見て、何やら渋い顔を浮かべていた。
そのまま毛布のコーナーに行くと、やはり北上は一つ一つを触り、感触と色を確かめている。
そして一つを手に取り、それをケイの前に差し出す。
「これおすすめ。値段そんな変わんないしさー。」
「へー、確かに良い触り心地…毛布って、結構違うんですね。工廠に置いたのとか、最初適当に選んでましたよ。」
「だーめ。ケイちゃんただでさえ部屋いないんだし、寝る時ぐらいちゃんとしたの使いなよー。
色も大事だよ?落ち着く色一個入れるだけでも、部屋の居心地って変わるんだからさ。」
「…うん、これにします。ありがとうございます。」
「ふふー。」
先程とは打って変わり、北上は実にご満悦と言った笑顔を見せていた。
ケイが普段使うものの中に、自分の選んだものが増えた事。彼女には、それがとても嬉しかったのだ。
「これで冬も安心かな。さて、帰りますか。」
「ねえねえケイちゃん。ちょっと寄り道していい?」
「良いですけど、どこ行くんです?」
「んー、行けばわかるかなー。」
時刻は1630。
しかし12月近くの今は、日暮れはとても早い。
結構な夕暮れ具合に後の運転が心配になるが、北上は非常に上機嫌だ。
車は駅前のメインストリートを通り、商店街はクリスマスムードの装飾がちらほら見える。
もうそんな季節か、と一年の早さを感じつつ、彼は窓からその景色を眺めていた。
そして街外れに出ると、車はとある大きな公園に停まった。
日はほとんど暮れ、随分遠くの方に橙が残るのみ。
どうしたのだろう?とケイが考えていると、北上は彼のコートの袖口を、キュッと掴んだ。
「こっちだよー。お、ぼちぼちだねー……ほら!」
17時の鐘が鳴った瞬間、二人の前には鮮やかなイルミネーションが広がった。
夕闇に浮かぶ光の芸術は、日常から離れた神秘的な光景を彼らの目に焼き付ける。
その光景に、ケイは思わずこんな声を漏らす。
「……すげえや。」
「ふふー、そろそろ始まってるって聞いたからねー。せっかく近く来てるし、ついでに見よっかなーってさ。」
“ケイちゃんとね”、とは。遂に北上は口に出す事が出来なかった。
普段の自分のノリであれば、いくらスキンシップをしても、後輩をからかって遊んでいる風にしか見えないし。そうとしか見てもらえない。
例え壊れそうな程の感情を抱えていても、全部そこに隠してしまえる。
だけどこんな如何にもな時だけは、肝心な事は言えないまま。
意気地が無いな、でも幸せだな、と、彼女は複雑な胸中に揺れている。
キュッとケイの袖を掴む北上の手が、代わりにそんな彼女の気持ちを語っていた。
その真意が伝わっているのかは、定かでは無いが。
触れそうで触れない、ちぐはぐな距離感の中。
二人はしばし、目の前のイルミネーションに見惚れていた。
数分後。とうとう完全に夜になり、二人は駐車場へ歩を進めていた。
平日の今日、本格的にイルミネーション目当てのカップルが集まってくるのは19時過ぎ。
中途半端な今の時間、公園の駐車場に他の車はいない。
車へと戻ると、暖房の熱がまだ残っており、それはとても眠気を誘う。
そうしてケイがあくびを噛み殺していると、何やら北上の様子がおかしい。
「あははー…やっべ……ケイちゃん、ちょっと今日時間かかってもいい?」
「どうしました?」
「眠いや……アタシ、30分ぐらい寝ていいかな…。」
北上は免許取得後、今日が最初の運転だった。
やはり緊張していたのであろう、どうやら疲労と睡魔に襲われてしまったらしい。
このままでは危険だとケイも了承し、北上は靴を脱いで膝を曲げると、コロリと後部座席に横になる。
「毛布使います?」
「いいの?」
「紐ほどいちゃえば開封ですし、別に気にしないんで。」
「ありがと。ねえねえ、ケイちゃん。」
「どうしました?」
「んー。」
助手席の横に白い手が伸びてくると、くい、くい、と、手招くような動作をしている。
後ろに来い、という事だろうか?
車を降りて後部座席を見ると、肩から毛布を掛けた北上が、座れと手招いていた。
「どうしました?俺いたら横になれませんよ?」
「はーい、枕ゲットー。」
「いって!?」
彼が座った瞬間、北上の頭が太ももに直撃した。
足を床に投げ出し、体だけを倒して横になると、丁度ケイに膝枕をしてもらっている体勢になる。
毛布にくるまりながら、北上はその寝心地ににへらと笑った。
「ふふー、極楽じゃー。」
「なーにやってんすか…ちゃんと寝てくださいよー。」
「もちろんだよー…ふぁ…。」
肩から抱き込むように毛布に包まれば、毛布の中には、彼女自身の匂いが広がる。
それらは結局身に付けた化粧品や、衣服の洗剤の匂いでしかないが。
しばらくはこの匂いに包まれて、ケイは眠る事になる。
そう思うと。
北上は、ケイをより独り占め出来たような、そんな気持ちに駆られていた。
北上の買った車は店頭にあった時点で、後部の窓に、薄いスモークが貼られていた。
それは日中は大して意味をなすものでは無いが、夜のこの暗い駐車場であれば、誰かに見られる事も無い。
この狭い密室は、二人だけの世界。
「いやー、人枕はぬくいねー。」
「俺は重いですー。目え覚めてきてません?」
頭から伝わる温もりは、確かにケイが生きている事を彼女に教えている。
冷たい枕とも、冷たい肌とも違うそれは。
彼女にとって、最も安心できる温度だった。
“あったかいねえ、ケイちゃんは……いつも寒いよ、アタシは。春も夏も秋も冬も。
ケイちゃんにくっついてないと、ずっと冷たい…。
ケイちゃんさ、死んだ世界なんて全部冷たいって言ってたよね……本当に、そうなんだよ。”
彼女をよぎる冷たさの元は、いつかの記憶。
鉄の扉の冷たさ。
部屋に置かれた器具の冷たさ。
開け放たれた扉の冷気。
そして3人の、赤黒く爛れた肌の……。
不意に、彼女の手はケイの頬へと伸びていく。
「ケイちゃん、おいでよ……。」
そう愛おしげに呼び掛ける北上と視線が合った時、ケイは何かに吸い寄せられるような感覚を覚えた。
キラキラとした、しかしどこまでも吸い込まれそうな瞳。
頭がぼやける。
何故だろう、目を逸らせない。
屈もうとする背中を、止める事ができない。
そうして少しずつ北上の唇へ近付き、彼女が頬から肩へ、絡み付くようにその手を動かした時。
『ヴィーー!ヴィーー!』
けたたましい振動音を鳴らしたのは、北上の携帯だった。
彼女は若干イラつきながら携帯を手に取り、誰かもろくに見ずに電話に出た。
そのままもしもし?と無愛想に電話に出ると。
数秒後、彼女は真っ青な顔を浮かべていた。
「あー、うん、ごめん……すぐ帰るから…あはは……あ!じゃ、じゃあまた後でね!」
「誰ですか?」
「いやー、ちょ、ちょっと寮でやらかしちゃってさ。当番忘れてたんだよねー!
あ、ケイちゃん!今日は着いたらすぐ逃げ…じゃなかった、帰った方がいいよ!巻き添え食うからさ!さ、出発ー!」
眠気も一体何処へやら。
北上は運転席に戻ると、そそくさと鎮守府への帰路を急ぎ始めた。
行きの危うさも何処へやら、車はすっかり手馴れた様子で迷いなく鎮守府へと帰っていく。
40分程すると、いつもの駐車場が見えてきた。
そして車はゆっくりと、恐る恐る駐車場へと入っていく。
北上の顔色は青さを増し、とうとう乾いた笑いすら浮かべている始末。明らかに様子がおかしい。
鎮守府の駐車場は、一応個人個人への割り当てがある。
レーン後ろの植え込みに看板を立ててそれを示しており、後は北上のレーンへ向かうだけという所に差し掛かり。
そして車のヘッドライトは。
コートとマフラーをたな引かせ、仁王立ちするとある影を照らし出した。
「ん?あいつなんであんな所に?」
「あ、あはは……あははははははは……ケイちゃん、ごめん。」
それは銀のポニーテールを夜闇になびかせ、『非常に良い笑顔』を浮かべている。
一見すれば美少女だが、しかしその背後からは凄まじい怒気が放たれていた。
そこにいたのは、夕張。
静かに一歩一歩近付いてくるその足は、ずしん、ずしんと言う擬音が聞こえてきそうなド迫力を放っていた。
そして夕張がバン!とボンネットに両手を乗せると、見開かれた血走る両目が二人をロックオンする。
「北上さーん……私言いましたよね?初運転は免許持ちがいないと危ないから、私が上がるまで待て、って……。
私ね、今日早めに終わるよう、一生懸命仕事片付けたんですよー…それで駐車場来たら、車ないですし…ふふふ、初ドライブはどうでした?どっかぶつけてませんよね?」
「あはは…ご、ごめん、その、舞い上がっちゃってついさ……。」
「つい魔が差した、で、人との約束すっぽかしますかねぇ?本当は素で忘れてたんじゃないですかー…舞い上がって。」
「うぅっ!?」
実に完璧な図星である。
実は購入時、北上は夕張と初ドライブに出る約束をしていた。
もちろん、北上の休みに納車日を合わせた上で、である。
しかしそれ以降は出撃や遠征が続き、夕張と顔を合わせる機会が少なく。
納車日が近付くにつれて舞い上がっていた北上は、すっかりその約束を忘れていたのだ。
一方夕張はと言えば、ルートをああしよう、夜にここならこういうケースも起こり得るだろう、と練習ルートを考え。
ケイが休日にも関わらず、なるべく早く終わるように、それは一生懸命仕事を片付けていたのである。
その結果がもぬけの殻の、北上と言う看板だけが虚しく残る駐車場。
これには流石の夕張も、遂に堪忍袋の尾が切れたようだ。
「大体ケイくんもケイくんだよー…何で止めないのかなぁ?
危ないわよー…私だって最初お母さんについてもらってたもん…ふふ…。
あんた達に二人に何かあったら大変でしょ!わかってんの!?
……あんた達、工廠へ来なさい。」
「「は、はい……。」」
「返事は一回!どもるな!」
「「はいぃ!」」
そして二人は1時間程、工廠で夕張からの熱い愛の説教を喰らったのである。
夕張を本気で怒らせるのはヤバいと、後にケイは語っていたそうだ。
そして夕張の怒りも収まった頃。
夕張と北上の胸中には、それぞれとある感情が過っていた。
“気持ちはわかるけど、全くしょうがないんだから…でも、抜け駆けはダメですよ?。”
“ちぇっ、もう少しだったのに…でも今回はアタシが悪いかー…まあいいや、今度こそ…。”
友情とライバル心が複雑に絡み合う中。
彼女達は仲直りと謝罪という事で、北上の奢りと運転でラーメン屋へと向かって行った。
因みにケイはと言うと、工廠で完全に石になっていたと言う。
そんな冬の始まりの、とある一日だった。
一方その頃、提督は執務室で、何やら頭を悩ませている様子だった。
PCの画面には、一部が真っ白な枠線。
そんな彼の様子を見て、秘書艦の龍驤が声を掛ける。
「何しっぶい顔してるん?ウンコ漏らした?」
「んなわけあるか。皆の冬休みどうすっかなってシフト組んでんの。
成人式ある奴ら、なるべく行かせたいんだよねー。冬休みのローテは最後になっちまうけど。」
「はー…キミ、ほんまそゆとこマメやなぁ。」
「節目は大事、な。
しかし困ったのは工廠組だな、あいつらどっちも新成人だかんなー…ああ、じゃああの手使うか。」
そうしてとあるメールを大本営へと送ると、提督は別の執務へと手を付け始めた。
軍人達にも、年末年始は訪れる。
これからの季節、公私ともにイベント事が目白押しだ。
本格的に暖房が欠かせなくなった執務室に肩を震わせると、提督は冬の訪れを感じていたのであった。
冬の訪れ
乙
短いですが、投下します。
ある冬の日、とある『北上』が沈んだ。
正確には、その艤装が、であるが。
その北上の適合者は赤毛のショートヘアの少女であり、敵の攻撃を受けた際、艤装は大破。
『その北上』本人は無事であったが、その際に、缶と呼ばれる5㎝四方のパーツの組み込まれた、背中の艤装を沈めてしまった。
缶は艤装の核にあたり、言わば心臓にあたる。
そして缶は妖精達の手により、もしもの際も海面に浮くように作られていた。
緊急時、缶だけでも回収出来るように、と言う措置としてだ。
赤毛の少女は新たな『北上』の艤装を支給される事で職務に復帰したが、沈めた古い方の缶は、現在まだ見つかっていない。
数日後、別の鎮守府の一団が出撃したその帰り。
彼女達は現場の海域を通るついでに、缶の捜索を手伝うよう指令を受けていた。
その一団の中には、件の『北上』とは対照的の。
黒く、そして長い三つ編みが印象的な、『もう一人の北上』がいた。
12月初旬、時刻1853。
この時夕張は、一人寮の廊下を歩いていた。
ガラスには霜が張り、塗り床をコツコツと歩く音は、妙に澄んで聞こえる。
そして2012と書かれたドアの前に立つと、彼女はこん、こん、と小さく2回ノックする。
「入りー」と中から高い声が聞こえ、ドアを開けると、黒いパーカーの小柄な女がそこにいた。
「メロンちゃーん、待ってたで。寒かったやろ、中おこたあるでな。」
この日彼女が訪ねたのは、龍驤の部屋だった。
「「かんぱーい。」」
彼女達は、女二人の飲み会を開いているようだ。
こたつにはつまみと缶ビール。
そして二人は最初の一口を飲むと、ふー、と小さな一息をついていた。
そして上がる話題と言えば、相場は決まっている。
「で、ケイ坊とは実際どうなん?」
「………進展、ナシですねー…。」
「ナシかー。」
「はい……ナシです…。」
そこまで言い切ると、夕張は更にもう一口、ぐいっと缶ビールを煽る。
だん!と缶を乱暴にこたつに置けば、何やら溜まった鬱憤を吐き出すように、今度ははぁー、と深く溜息を一つ。
その様子を見て、龍驤は苦笑いを浮かべていた。
「う〜…龍驤さ〜〜ん……。」
「まーまー、そんなん北上も同じやろ。
あの整備キチ振り向かせるなんて、並大抵やないわ。」
「本当ですよね…でも北上さん、車届いたその日にケイくん掻っ攫ってったんですよ?いくらなんでも危ないと思いません?
それもあって初日は教官代わりに付くつもりだったのに…納車に相当舞い上がってて、素で約束忘れてましたしね。」
「確信犯ちゃうん?」
「それを素でやるのが北上さんですよ。
あんた達に何かあったらどうするの?ってしっかりお説教しましたけど。
はーあ、買い物行っただけって言ってたけど、本当かな…。」
「…なぁ、それどこ行ったか訊いたん?」
「隣町の家具屋ですって。お値段以上なあそこですよ。」
「あっこのそばの公園な、今イルミやっとる。」
「ああ…そういう……。」
納車が何時頃かは、購入時に聞いていた。
そして店までの距離と彼らが帰ってきた時間を照らし合わせれば、どこかへ寄り道していた事は明白。
思いきり抜け駆けされたであろう現実に、夕張はより深い溜息をついた。
「で、メロンちゃん。キミはちゃんと押しとるん?」
「う…押せてないですねー…まずあの男にリビドーはあるのかどうか……。」
「手ェ掴んでおっぱい鷲掴みさせたらええやん?そんで股掴んで、ケイ坊のケイ棒が硬なってたら大丈夫や。」
「な、な、な、何言ってるんですか!さすがにそのー…それはちょっと度胸が…私まだ処…。」
「…まぁ、それ以上は言わんでええ。
となると、色仕掛けはあかんかー。キミにはハードル高いわ。
うーん、うちの若い頃、どんなんやったっけな…青っ白い時なんて、もう10年以上前やしなー。」
「あの、龍驤さんって実際おいくつなんですか…?」
「27やけど?春で28なる。いやー、甥っ子は2人おるし、もうババァやわー。あっはっはー。」
衝撃の事実に、あなたのようなババァがいますか!?と突っ込みたくなったのを、夕張は必死に押さえていた。
しかしこれは頼もしい、彼女の人生から何か学ぶ所は多いかもしれない。
より深く話を聞くべく、夕張はさらに一息ビールをあおる。
「龍驤さん…今までそういうチャンスって、どう作って来ましたか…!?」
「おうおう、んな目え血走らせんでもええやん。
んー、でも、んな特殊な事も無いで?
普通に遊んで、お互いええなー思たらどっちからか告って…まあ、そこに至るプロセスが大事やけど。また会いたいとか、誘いたいとか思わせんとやから。
ま、要は例えば同僚や同級生以前に、異性を意識させんと始らんっちゅーこと。
正直言うてな、キミの場合まだそこに辿り着いてへん思うわ。そこは思いっきり北上に抜かれとると思うで?」
「はは…ですね……。」
「ま、でも気に病まんでもええと思うわ。案外チャンスなんてポーンと降ってくるもんやで?キミ、年明け成人式やろ?」
「あー…すっかり忘れてた。でも正月休み、まだ出てませんよね。」
「提督な、そういうのめっちゃ大事にすんねん。そういう前提でシフト組もうとしとる。
ほんで、ケイ坊も成人式や。キミと地元一緒やろ?市町村は一緒?」
「市は一緒ですね…中学が別で。」
「そーゆーのって大体、式は市全体でやるやろな。君らも当然、同じ会場に行く。
せやから、おもくそ晴れ着姿見せたったらええやん。男はなー、女のそういうギャップ弱いでー?
ついでに言うたら、帰るまでの足は車禁止な。同じバスか電車押さえて、席は隣同士。」
「ほうほう、その心は?」
「長距離運転は疲れるし、集中せんとやからな。
でも公共の足やったら余裕あるし、雑談しつつ景色も楽しみつつで、ちょっとずつ距離も縮まる。
イチャついたりは出来ひんけど、最初の距離縮めには持ってこいや。
ほんで式のギャップで余計フラグ立てて、更に距離詰めて………帰る頃にはこう、ガブリや。」
手で獣が食らい付くジェスチャーを作りつつ、龍驤はニヤリと笑った。
伊達に年は食っていないと言わんばかりの顔に夕張は頼もしさを感じていたが……ここで、龍驤の顔は真剣さを取り戻す。
「まあ、こう偉そうに言うとるが…こう言う算段も、通じん事もあるけどな。全部は君次第や。」
「通じないこと、ですか…。」
「せや。例えばそうやなぁ……相手が元嫁引きずっとる男やったり、とかな。」
そう遠い目をする彼女を見て、夕張の脳裏には、とある軍服姿の男が浮かんだ。
いつも龍驤が秘書艦として近くにおり、そしてそんな事を口走っていた人物は…
「……!…龍驤さん、それって…。」
「…諦めきれんとズルズル行って、男なんてもう4年おらんわ。
3年もずーっと近くにおるけど、今でも逃げた嫁に勝てへんまんま。気い付いたら、漫才の相方みたくなってもうた。
あのアホ軽ーく見えて、女絡みの話全く無いやろ?そゆことや。
こうなったらあかんでー?キミは若いんやから、ちゃーんと、幸せ掴まんとな!」
「龍驤、さん……。」
「ん?どないした?」
「……私達、頑張りましょうよ!龍驤さんも諦めちゃダメです!」
「………!」
それは余りにも、真っ直ぐな目だった。
自分の願いは叶わないだろう。
ならば伝えられる事だけ伝えて、せめて後輩ぐらいには叶えてもらいたい。
気付かぬうちに自身が抱えていたそんな諦観を。
夕張の目が、まっすぐ撃ち抜いて来るのを龍驤は感じていた。
“あの世まで逃げてもうた嫁に、勝てるやろか……いや、戦場と一緒や。勝つ気でおらんとな。
若いって、ええなぁ……目え覚めたわ。
なぁ、北上、ケイ坊……お前らも……。”
「……せやな。頑張ってみよか。」
「そうれす!ほれら、かんらい!」
「ん?メロンちゃん…?」
「なんれすかー?わらしのはけがのへないっていうんれすかー?ほらいっきー!」
「ぶぅっ!?」
“酔いが、突然来るタイプ、やったんか……”
同日深夜。
寮の部屋には、小型冷蔵庫と小さなシンクが備え付けられている。
各々ジュースや酒を冷やしたり、簡単な料理をしたり。
どの艦娘も、かなりの頻度で有効活用している設備だ。
それは北上も、例外ではない。
買い置きのカットフルーツや、リンゴやミカン。
その時々の気分によって内容は違うが、彼女の冷蔵庫には何かしらの果物が入れられていた。
今日冷蔵庫に入っているのは、リンゴが二つ。
その一つを手に取ると、彼女はシンクへと向かう。
いつもリンゴを食べる時は、果物ナイフで切り分け、テーブルに置いてそれを食す。
今、彼女はシンクの上でそれを見つめている。
今日は丸かじりで食べる気分なのだろうか。
リンゴは彼女の細い指に包まれ…。
そして数分後、生ゴミ入れにはリンゴの残骸が捨てられていた。
その残骸は、リンゴの芯と。
粉々に砕けた、リンゴの身であった。
こわ…
流石にメロンを片手で砕く力は無いと思いたいな
スイカをおっぱいで破壊する重巡もいるのでセーフ
なんだ、ただの握力トレーニングか
投下します。
アタシの趣味の一つに、ダーツがある。
前いた鎮守府の頃、ちょっと街に出ればダーツ場があって。その頃に覚えた趣味。
今でもたまに大井っちと投げに行くし、部屋の壁には的が掛けてあるんだ。
暇な時とかさ、ベッドに座って、音楽聴きながら的に向かって投げてね。
アタシのスコアは、いつもなかなかいい感じ。
ソフトチップにデジタルの的だからって、舐めちゃいけないよー?投げ慣れてる奴の矢はね、スコンと鋭く当たるんだ。
紙ぐらいは、余裕で貫けるよ。
ちょっと厚くても、余裕余裕。
ほら、またど真ん中。今日も絶好調だねー。
『…壁にあの人の写真貼って 何度も刺して 何度も刺して…』
ヘッドフォンから聴こえて来るのは、アタシの大好きな曲。
こうして好きな曲を聴きながら、ダーツを投げる。それがアタシの気分転換の一つなんだ。
良い曲だねー…『それだけで許せたらよかったのに』かぁ……。
本当にね。
12月21日。
今日の演習はこの鎮守府で行われており、先程終わった所だ。
冬晴れの青空の下、工廠には演習を終えた艦娘が、次々とやってきていた。
「ケイさーん、寒いっぽい~~!」
「ふふ…この時期に頭から水被るとか……不幸だわ…。」
「はい、皆いつものね。さっさと降ろしてあったまってきなって。」
演習中は体を動かしているのでまだマシだが、冬の洋上は相当に冷える。
各々冬服を纏っているとは言え、やはり寒いのだ。
よってこの時期の工廠は、艤装を回収するついでに、艦娘達にタオルやベンチコートを渡す係でもあった。
しかし艤装搬入の間は、工廠のシャッターは開きっぱなし。
ケイもベンチコートにマフラー装備で作業に当たっているが、作業ついでに艤装の熱で暖を取らねば、なかなかに堪えるものがある。
殆どの艦娘に防寒着を渡し、残す所はあと一人。しかしまだ来ない。
そうやって工廠前で呆然と佇んでいると、ケイの体は突如重力を失った。
「ケイちゃーん、戻ったよー!」
「『北上さん』!?びっくりすんなあもう。」
「いやー、つい。艤装付けてないとこれ出来ないしさー。」
そこにいたのは、この日演習に参加していた北上だ。
彼女はケイの後ろに回り込み、ひょいっと彼を持ち上げて遊んでいる様子。
艤装と連携している時であれば、身体強化により、彼一人を担ぎ上げるぐらいは造作もない。
そして北上はそのまま腕の位置を変え、今度はケイにとある体勢を取らせる。
「ふっ…ケイ子、お前は俺のものだ……なーんて。一度やってみたかったんだよねー、男の子相手にヅカ風お姫様抱っこ。」
「なんなんすかね、この尋常じゃねえ屈辱感…。」
159cm女子による、177cm男子をお姫様抱っこ。
ここに青葉がいれば、このシュールな光景をカメラに収め、速攻で鎮守府中に新たなネタとして流布されていたであろう。
しかし今は、他には誰もいない。
そして北上の艤装を中に入れ、工廠のシャッターも降ろされた。
彼女にも防寒着を渡し、ケイはようやく一息と言った様子だ。
「いやー、やっと閉めれた…『ユウさん』、入渠前にお茶でも飲んで行きます?」
「おねがーい。」
北上はこの時、一際明るい笑顔を見せていた。
彼は鎮守府内にいる時、少しでも人目につく可能性のある場所では、決して北上の本名を呼ぼうとはしない。
それこそ本名を呼ぶのは二人きりで、密室か鎮守府の外にいる時。或いは工廠の外でも、夜のみだ。
それは彼なりの配慮なのだが、北上の胸中はいつも複雑だった。
元を辿れば、北上が半ば強制的に呼ばせるようにしたのだが。その配慮だけは、彼が自らしっかりと守っている事。
そして『北上さん』から『ユウさん』に切り替わる時。
この時は、彼女にとっては二人だけの世界に変わったサインでもある。
“君にだけは、いつでもユウって言って欲しいけどねー……本当はさん付けも要らないよ。”
いつもこうして複雑な気持ちになるが、二人きりになれた嬉しさには敵わない。
とは言え、早めに入渠に行かねばだ。そうしてお茶を啜っていると、そう言えば工廠の片割れがいないな、と言う事に気付く。
「あれ?夕張ちゃんいないの?昨日明日も仕事だーって言ってたけど。」
「今日は隣の鎮守府に貸し出しですよ。
隣の工廠が工事入るんで、勉強がてら手伝いに行ってもらってます。
喜んでダンプ転がして行きましたよ?ずーっと乗りたかったみたいなんで。」
「うちのダンプ見て、目えキラキラさせてたもんねー。
あ、じゃ入渠行ってくるねー!お茶ありがと!」
そして工廠を飛び出すと、北上は上機嫌でドックへと向かって行った。
今日はもしかしたら、夕張はこのまま寮へ直帰してくるかもしれない。
ならば、このままケイが上がれば独り占めできるかもしれないな、と言う期待に胸を膨らませながら。
そして18時になり、北上が改めて工廠へ顔を出すと…
「はぁ~~~……あ、北上さん、お疲れ様です……。」
そこにいたのは、汚れた作業着姿の夕張だった。
どうやら現地で土木作業も手伝わさせられたらしく、すっかり参っている様子。
椅子の背にしなだれ掛かり、もはや屍と化していた。
「ケイくん聞いてないよ~…私コンパクターとか初めて使ったわよ…。」
「はは…車と人貸してくれって話だったんだけどね……『北上さん』もこれ食います?向こうでお土産にクッキーもらったみたいですよ。」
「あ………う、うん!もらうねー!」
二人きりの時間を想像していた彼女にとって。
『北上さん』と呼ばれた際のズキリとした胸の痛みは、誤魔化しようが無かった。
オレンジペーストの入ったクッキーの酸味は、やけに酸っぱく思える。
相変わらずぐったりと項垂れる夕張を見て、北上は、最初より少し大きい音で二口目のクッキーを齧っていた。
“…空気読んで欲しいなー…いや、読んでるからここにいるのか……。”
ホワイトボードを見れば、それぞれ今日の予定表が書かれている。
本日の予定は、『夕張・AM9:00より○○鎮守府工事応援~直帰予定』と記されていた。
この鎮守府で指す直帰とは、寮の方への帰宅だ。
恐らくは…と考えた所で、北上は何とも言えない気持ちに襲われた。
「二人とも、アタシ先ご飯行くねー。」
「お疲れ様ですー。」
「お疲れ様で~す…私、もうちょっと休んだら戻ります……。」
いつからだろう。
こんな風に3人で軽く話して、そしてそのまま終わってしまう事が増えたのは。
心なしか、やはりケイを独り占め出来る機会は減ったように思う。
北上はそう考えつつ、とぼとぼと食堂から寮への道を歩いていた。
夕張の方は、恐らく北上が考えているような悪意はそこまで持っていないだろう。
しかしあの合宿を経て、予想外に仲良くなってしまったからこそ、彼女には理解出来ていた。
作為的で無くとも。
夕張の無意識の内には、そうはさせないと言う意識がある事ぐらいは。
何故ならケイの話をする時の夕張は。
自分がケイに対して向けるように、恋する女の顔をしているのだから。
自室へ入ると、北上は制服のまま、どさりとベッドへと倒れ込む。
点けたテレビの音を聴きながら、そうしてぼんやりとする間に番組はいつの間にかニュースからバラエティに変わり。
ゲラゲラと笑うタレント達の楽しげな声は、彼女には遠いものに聴こえていた。
“北上さん、かぁ…さびしいなぁ……。あ、もう1時間経ってる。”
体を起こし、なんとなくいつものダーツに矢を放るも。
目が霞んでいて、ソフトチップの先は隣の柱に当たり、ぺきょ、と情けない音を立てて床に落ちた。
ずっと天井の照明を見ていたせいだろうか。
何故か滲んでいた涙を拭い、北上は閉じたままの小窓のブラインドへと手を伸ばす。
開ければ丁度ケイの部屋が見えるが、どうせ今頃は部屋にでもいるか、まだ工廠にでもいるかだ。
工廠にいたとしても、きっとそこには夕張もいる。
夕食を摂ったばかりだが、何だか丸齧りでリンゴでも食べたい気分だ。
そう思いながら外を見れば、案の定電気の消えている彼の部屋。
そしてふとベッドから降り、大きな方の窓から顔を出して、北上は下を向いた。
丁度部屋から3つ程右下辺りに、夕張の部屋がある。
ここも電気が消えていたなら、いよいよその通りだろうと下を見て。
彼女は一目散に部屋を飛び出し、工廠へと走り出した。
時刻2024。
工廠の外には、赤い灯と紫煙が漂っていた。
煙の主は、ケイ。
温冷庫に突っ込んでいた缶コーヒーもすっかりぬるくなり、手は少しかじかみを覚えている。
しかしそれを気にするでも無く、茫然とした様子で紫煙を夜風に吐き出していた。
何かを考え込むような、それでいて、彼には珍しく気怠げな。
そんな目をしたまま、彼はじっと、波音に耳を傾ける。
「まーた変な夢でも見たー?」
そんな彼に声を掛けたのは、北上だった。
彼女は勤めていつも通りの声色を装い、本当は走って上がっている息を、必死に抑えていた。
そしていつかのように彼の隣に座ると、何を語るでも無くじっとケイの顔を見る。
ケイはと言えば、返事もせず、ぼーっと少し離れた波止場を見つめるのみ。
その目に映るのは過去のトラウマか、或いは別の感情か。
タバコを灰皿に放り込むと、彼はようやく口を開いた。
「ただの考え事ですよー。ちょっと頭ん中で、設計仕切り直してたんで。」
「本数増えたんじゃない?」
「え?」
「ケイちゃん、最近3日に一度ぐらいタバコの匂いするもん。」
あちゃー、と言った具合に、ケイは苦笑していた。
よく気付くなぁ、と思いつつ、残りの缶コーヒーをぐっと飲み干す。
ぬるくなった缶コーヒーは、妙に冷たく感じられた。
「ケイちゃん、ちょっとあっち行こうよ!」
北上は敢えて何を考えていたかは訊かず、突堤の方へと彼の手を引いた。
コンクリートに座れば、そこには冬の海と星空。
月明かりが波を照らし、その反射は星のように煌めき。
それは夜空と海が境界を無くしたような、不思議な光景を二人の前に広げていた。
「さっむー…すっかり冬だねー。」
「ですね。そろそろ雪でも来るかなぁ。」
「ねね、ケイちゃんマフラー貸してよ。」
ケイの着けていたマフラーは、かなり長いものだ。
北上はそれを借りて自分の首に薄く巻き付け。
続いて余った方を、彼の首へと掛けた。
「ユウさん、何やってんですか?」
「これなら共用だよー。アタシもケイちゃんもあったか、一石二鳥だねー。」
黒いマフラーは二人の首を繋げ、北上は嬉しそうにマフラーを顔に当てていた。
自分は何をやっているのだろう、と彼女は思う。
今まで気の置けない先輩に見えるよう振舞って来たし、スキンシップも、後でその範疇に収められるよう誤魔化して来た。
だけどこんな如何にもな事をしてしまえば、否が応でも異性を意識させてしまうではないか。
そう思いながらも、彼女はそうしたい気持ちを押さえる事が出来なかった。
マフラーで繋がれた体は、当然一定以上離れられない。
外すまでは、首輪のように自分と彼は繋がったまま。
そんな状況で、北上の胸にはとある想いが過っていた。
“…やーっと名前呼んでくれたよー。
幸せだなぁ……このまま死んじゃいたいぐらい。
今すぐ一緒に飛び込んだら、ずっと幸せなままなのかな。
このままマフラー引っ張りっこしてさ、お互いの首絞めたら…ずっとふたりでいられるかな。
そばにいてくれるのは、あったかいのはさ…やっぱり君だけだよ。
誰にも渡したくないや……今ここで、アタシも君も、死んじゃえばいい。
もう君以外、この世じゃ何も見たくないもん。
………そしたらさ、またみんなに…。”
それとなく、彼女はケイの手に自分の手を重ねようとする。
少しずつ距離を詰め、じっくり、じっくりと指を動かし。
そして少しだけ触れた彼の手が、寒さで生気を失った様に冷えていたのを感じた瞬間。
“ネ"エ、ヂャン……。”
彼女は、頭のない弟が呼び掛ける声を聴いた気がした。
一度、どくんと、肩の傷が脈打ったのを感じ。
彼女の脈拍は跳ね上がり、切れる息を誤魔化す事すら出来なくなった。
目の前にあるはずの、星や海も見えない。
そして今彼女の目の中には、ずるずると肉を引きずりながら彼女へと近付く家族達の姿が。
「みんな…!」
どれだけ変わり果てた姿となっても、大切な家族達。
北上は涙を浮かべながらも、笑顔で必死に彼らへと手を伸ばす。
だが、顔が半分ずつになった父母も。
顔が吹き飛んだはずの、弟でさえも。
確かに感じるのは、皆一様に、哀しげに彼女を見つめているという事。
「待って…行かないで…!」
母が、そして父が。
次々と踵を返し、彼女の元を離れ、遠くの暗闇へと消えて行く。
そして弟もまた、這いながら彼女の方を離れ。
最後に一度振り向いた時、彼女は確かに声を聞いた。
“ネ"エチ"ャン……ダメダヨ…コッチハ……”
「……ユ….さん!?……ユウ!」
「…………ケイ、ちゃん……?」
北上が意識を取り戻した時、そこは元いた突堤だった。
星々も海も、変わらずそこにある。
首同士を繋ぐマフラーも、そのままだ。
先程と変わった事と言えば、肩の疼きが消えた事と。
早鐘を打つ心臓と、震える手。
そして。
初めて、名前を呼び捨てで呼んでもらえた事だった。
「大丈夫ですか!?いきなり震え出したからびっくりしましたよ…。」
「……ケイちゃんさ。今、ユウって呼んだ?」
「へ?ああ、相当焦ってましたからね…本当大丈夫ですか?医務室行きます?」
「ううん、大丈夫だよ。だからさ…。」
体が軋みそうなほど強く、そして深く。
北上は、何かに縋り付くようにケイに抱き付いていた。
ぐすぐすと、胸元からは彼女の嗚咽が漏れる。
それを受け止めるように、ケイは優しくその肩を包んでいた。
「……ねえ、ユウって呼んでよ。もっかいだけでいいからさ。」
「……ユウ。」
「うん……ありがと…。」
“クリスマスなんて、ここじゃ無縁だって思ってたけど…ちょっと早いプレゼント、もらっちゃったなー…。
ケイちゃん、何も出来なくてごめんね。
いつかさ…おっきい幸せあげるから。だからずっと……。”
会話も途切れ、北上はただ、ふたりの命を感じていた。
ケイのぬくもりと、心臓の音と。
そして次第に落ち着きを取り戻す、自身の心臓の音。
辺りに響くのは、さわさわとさざめく潮風の音のみ。
その音はふたりを。
優しく。そして哀しげに包んでいた。
乙
ほんのり救いの糸口が見えてきた気がする
>>276
訂正
「救い」→「ハッピーエンド」
ハッピーエンド(片面
乙
この雰囲気が好き
光は見えたけど、すぐそこは闇なんだよなぁ
光が見えた? そんなものどこに……。
ああ、横にある闇が濃すぎて錯覚したのかな?
乙
もう更新は無いのかな?
投下します。
1月3日。
天候、雨。____県某所。
白い車を空き地に停め。
冬の雨が冷たく降り注ぐ道を、ブーツを鳴らして歩く影が一つ。
長い三つ編みを揺らしながら、傘ではなく、花束とを持つその女は。
未だ住人の帰りを待つように時を止めた住宅地を、黙々と歩いていた。
散らばった戦火の残骸を、僅かに雪の名残が覆い隠し。
しかしそれも、やがてこの雨で溶けて行くのだろうか。
或いは、夜には溶けた雪が凍り。
雪解けの氷が、粉々に砕け積み上がる残骸を、固く閉ざすのか。
彼女の、心の如く。
ふと女が上を見上げれば、そこには燃えた木の枝が、その枝を天へと伸ばしていた。
そして過るのは、いつかの夏の記憶。
この木が咲かせる花を見つめながら、家までの道を歩いていた、いつもの夕暮れ。
たまにここを歩きながら齧っていたアイスの味や、友人と花火を見るために、自転車で駆け抜けた夜。
よく帰り道で聴いていた曲や、叶わなかった初恋に涙を流した日の、ひぐらしの声や。
地震や台風の警報でもなければ、消防や救急でもない。
町中に響く、インターネットで一度だけ聞いた事のあるサイレン。
創作物の中の出来事のような、爆発音と悲鳴。
そして、ガラスと肉の砕ける音。
それらの記憶がふと蘇り。
一瞬、女の目はその枝の向こうをキッと睨んだ。
車から少し歩き、やがて彼女はある場所に辿り着いた。
それは丁度リビングの辺りに大穴の空いた、よくある2階建ての家。
靴のまま家の中へ上がると、女の目には赤茶けた壁が広がる。
女はそれを愛おしげに撫で、甘えるかのようにその壁に体を寄せていた。
リビングには粉々に砕けたテーブルと、一脚だけポツリと置かれた椅子が一つ。
その椅子に腰掛け女が目を閉じれば、彼女の脳裏には、まだここが荒れ果てていない時の光景が浮かぶ。
今はもう、その『かつて』を知るのは彼女だけ。
破壊されていない2階に上がると。
今度は記憶にそのまま埃を被せたような、時が止まった光景が広がる。
一つの部屋を開けると、そこにはサッカーボールと、壁に掛けられたユニフォーム。
そして学習机には、トロフィーを真ん中に誇らしげに笑う、とあるチームの写真が一つ。
丁度その、真ん中に写る少年。
それは爽やかで、まだあどけなさの残る笑顔を浮かべている。
その姿は、女の記憶の中の少年と変わらずにそこにあった。
続いて隣の部屋を開けると、今度は半袖のセーラー服が壁に掛けられていた。
こちらの部屋は物の多くが持ち出され、ラックが空となった箇所が目に付く。
しかし火事場泥棒と言うには、余りにも部屋が荒れていない。
恐らくは、元いた部屋の主が私物を持ち出したのであろう。
部屋の隅に積まれたファッション誌の日付けは、3年半程前のもの。
それがこの家が、時を止めた季節を示している。
机には、とある資料が積まれていた。
それは県内にある、美容学校の資料だった。
彼女はリュックから道具を取り出すと、黙々と、まだ無事な場所の掃除を始める。
空気を入れ替え、窓を拭き。
そして使い捨てのクリーナーで隅々を拭いて。
こうすれば多少なりとも、風化も誤魔化せる。
思い出の場所を、少しでも綺麗に残しておきたい。
そんな気持ちの表れだろうか。
最後、玄関に花束を置き。
女は車へと向けて、ぽつぽつと歩き出す。
そして一度振り返り、彼女はひどく寂しげに、こう呟いた。
「みんな……また来るね…。」
遡る事、12月30日。××鎮守府工廠。
年の瀬寸前のこの日だが、工廠には年末ムードは全く無かった。
冬休みこそ決まっているが、それは年明けのしばらく後。
ケイも夕張も成人式を控えており、彼らの冬休みは、そこと被るように組まれていた為だ。
そしてこの日、工廠はまさにそんな話題が出ていた所である。
「冬休みかー…実家に2、3日顔出せば充分なんだけどな。」
「まあまあ、もう観念しなって。招待状来たでしょ?」
「お袋からガッツリ転送済みだよ。スーツなんてまともに着た事ないっての。」
「私は着付けも押さえたわよ。一生に一度だもん、ちゃんとしないとね。
あ…そう言えばケイくん、大分髪伸びたわね。」
「ああ、そう言えばしばらく行ってないな…。」
いつもの帽子からはみ出る髪も、大分長さが目に付くようになって来た。
だが、言われてしまうと気になるもので。
ケイはそれまで気にしなかった髪を、無性にうざったく感じるようになっていた。
そして終業時刻となり、この日の工廠は店仕舞い。
丁度今日から冬休みの始まる者もいる。いつもより減った仕事と人の数に、二人はいよいよ年が明けるのを感じていた。
「皆実家かぁ…駅前も正月休み多いしな。あー…ダメだ、やっぱ髪切りてえ。」
「暮れじゃどこも閉まってるわよ?」
「そうなんだよなー…ま、しゃあないね。バリさん、それじゃ今日は終わりで。お疲れ様。」
「お疲れ様。この後どうする?」
「粗方試作は作っちゃったし、メシ食って部屋戻るよ。設計の下地でも書こっかなー。」
「あ、じゃあ私も行く。お腹減っちゃった。」
二人は工廠を後にし、食堂へと向かった。
そして夕張と席に座ると、見慣れた三つ編みが近付いてくる。
「お疲れー、二人も終わったとこ?」
「北上さん、お疲れ様です。明日で仕事納めでしたっけ?」
「そだよー、元旦から休み。アタシの寝正月が始まる!」
「ドヤって言う事じゃないですよー。あ、アレ録画しなきゃ。大晦日と言えばビンタですよ。」
「あったなー。そう言えば俺、熱血教師で止まってる。」
「ででーん!とね。アタシも明日はアレかなー。ケイ、タイキック!」
「俺ですか!?でも北上さん、今回旅も行くんですよね?」
「うん。車でぷらっと行ってこよっかなって。」
話題に上がるのは、やはり年末年始の過ごし方だ。
北上は2泊3日程、旅行にも行く様子。
成人式以外特に予定もないケイは、どうしたものかとしばし物思いに耽っていた。
そして冬休みの予定以外に、彼が物思いに耽る理由がもう一つ。
「ケイちゃん髪伸びたねー。休みは成人式っしょ?」
「さっきもその話出たんですよー。ま、向こう帰れば三が日も明けてるし、地元で切ろうかなって。」
「ケイくん地元だと、どこで切ってたの?」
「実家からチャリで10分ぐらいのとこだけど?」
「○○駅前のあそことかいいわよ?市内だし。
当日だと着付けで混んじゃうから、着いた日の翌日とか……」
そうして夕張とケイが話す様を、北上はたまに相槌を打ちつつ、微笑みながら見守っていた。
あの突堤での夜以来、ケイが北上と二人きりで話す機会は無いまま。いつもこうして、夕張を交えた3人で話している。
北上から連絡も来るのだが、どことなく距離があるような、そんな感覚をケイは覚えていた。
免許合宿の時もそうだったが、いつものノリが無いなら無いで、やはり違和感がある。
夕張と談笑する彼女をちらりと見ては、何となくの侘しさを彼は感じていた。
夕食を終え、各々部屋へと別れれば。
そう言えば自分達が戻るまで、北上と顔を合わせる機会が無い事にケイは気付く。
冬休みのローテーションの関係上、北上の休みの最終日と、工廠組の休みの初日は被っていた。
恐らくこれから10日以上、会う事は無い。
何だかな、と溜息を吐き、彼は自室へと戻って行く。
部屋は相変わらず、いつもの殺風景さを醸し出す。
今はいつかのように眠気に襲われていなければ、特に観たいテレビがある訳でもなく。
ふとPC前の椅子に腰掛け部屋を見渡すと、丁度ベッドが目に入る。
北上に勧められた毛布は、確かにこの部屋に於いては落ち着きを醸し出していた。
ケイの胸中を過るのは、いつかの彼女のぬくもりと、感触と香り。
そして未だ形を掴む事の出来ない、彼自身の中の何か。
何となくベッドに横になり、毛布にくるまると。
ただのまだ残る新品の匂いでしか無いはずなのに、どことなく落ち着くような。そんな感覚がした。
このまま、眠ってしまおうか。
そう思い上着を脱ぎ捨てようとした時、不意にポケットが震えた事に気付く。
『ケイちゃん、今ヒマしてる?』
そのメッセージを見た時、思わず微笑みが漏れた事。
それに彼は、気付いてはいない。
『ヒマしてますよ。どうしました?』
『さっき髪切りたいって言ってたじゃん?切ったげよっか?』
『切れるんですか?出来たらお願いしたいですね。』
『任せときなってー。工廠でいい?部屋だと色々アレだしさ。あ、古新聞だけお願いね。』
『大丈夫ですよ。先行って部屋暖めとくんで、また後で。』
そして工廠に戻り、今度はいつもの椅子に腰掛け
ぼーっと時間が来るのを待つ。
二つあるデスクの片割れは、今やすっかり夕張の私物で埋まっている。
以前より増えた人の跡を感じつつ、ケイはその間を随分長く感じていた。
そして5分ほど遅れ、がちゃり、といつもの扉が開くと。
「ユウさん、待ってましたよー。」
「お待たせー。ごめんね、道具探してたら遅れちゃったよー。」
そこに現れた北上の姿を目にした時。
ケイが覚えたのは、やはり安堵の気持ちなのであった。
「ふふーん、見て見て。結構本格的っしょー。」
「すげ、美容院で見るハサミだ。どうしたんですこれ?」
「髪いじるの、アタシの特技なんだー。これでも元美容師志望。ま、色々あって今艦娘だけど。
ケイちゃん、どんな感じがいい?」
「そうですねー、とりあえず普段切った後みたいな感じで…」
「じゃあ派手にイメチェンしてメンデi…「やめてください。」わかってるよー。」
軽口を叩き合いつつ、北上はケイにケープを掛け、霧吹きで髪を濡らしていく。
濡れた髪を撫ぜる感触から、やはり随分伸びていたのだな、と彼は思っていた。
余計な所を切らないようピンが当てられ、遂にハサミが入った。
「お客様、痒いところはありませんか?」
「その声違和感すげえんですけど…。」
「営業ボイスってやつだよー。」
ちょきり、ちょきりと。
バランスを取るように、最初は小さく、丁寧にハサミは髪を切っていく。
ハサミのリズミカルな動きは心地よい刺激を与え、少しずつ頭が軽くなっていくのをケイは感じている。
「こんな風にケイちゃんとゆっくり話すの、久々だね。
成人式だもんねー、かっこよくしなきゃね。」
「実家に軽く顏出しゃ充分ですよ。」
「まあまあ、たまにはスーツ着るのも大事だよ。」
ちょきり。
ちょきり。
ちょきり。
微調整を終え。
ハサミは次第に、より多く髪を切って行く。
ケープの溝には、ぱらぱらと切られた髪が落ちていた。
「バリさんとか相当舞い上がってますねー。」
「晴れ着は女の子のロマンだからねー。」
「車キツイからって、今回バスみたいですよ。ご機嫌でチケット押さえてましたわ。」
「ケイちゃんは何で帰るの?」
ぱらり、ぱらり、と切られていた髪はその量を増やし。
今度はバサバサと、より多くの質量を持った髪がケープへと落ちる。
北上は、手元とその毛束を交互に見ながら、ケイとの会話を重ねて行く。
「バスですね。バリさんが一緒に帰ろうよ!って、俺の分も勝手にチケット取ったんですよ。
お陰で帰る日同じになっちゃいましたけどねー。隣同士みたいです。」
「へぇ…………そうなんだ。
じゃ、下地終わり。次やるよ。」
北上は梳き鋏に持ち替え。
毛束を手に取ると、ハサミを横に入れて行く。
そして。
じょぎん、と。
そのハサミは、一際大きな音を立てた。
「バスって夜行?」
「夜行ですねー。寝れる気がしないですよ…。」
「夕張ちゃんの寝込みにイタズラしちゃダメだよ?」
「しません!」
「ふふー、どうだかー。さ、出来たよ。ほら鏡。
うーん、我ながらばっちり!どう?」
三面鏡をケイの目の前にかざし、北上は誇らしげな顔をしていた。
仕上がりを見て、ケイもその腕に驚いた顔を見せる。
どうやら満足してくれたようだ。
「すげぇや…こんな特技あったんですね。ありがとうございます。」
「どういたしまして!困ったらいつでも言ってよ、アタシとケイちゃんの仲だもん。」
「そうですね、またお願いします。」
「うんうん、素直でよろしい。いやー、可愛くなっちゃってー。」
北上は、切った後の感触を確かめるように、ケイの頭をわしわしと撫でた。
撫でられるのは少し照れ臭いが、悪い気はしない。
ケイはしばらくの間、彼女の指の感触に安らぎを感じていた。
「じゃ、戻るねー。あ、ゴミはアタシが片しとくからさ。」
「よいお年を。」
「うん、良いお年をー。」
切った髪や新聞などのゴミをビニール袋に詰め、北上は寮へと戻って行った。
そして一人残ったケイは、一度鏡で短くなった髪を見て。
ぱん!と両手で自身の頬を叩き。明日からも頑張ろう、と気合を入れ直すのであった。
ケイと別れた後、北上が自室へと歩を進めると、彼女の部屋の前には段ボールが置かれていた。
艦娘宛の荷物は、管理人がこうして各々の部屋の前に置いておくシステムとなっている。
実家からの仕送りや、ネット通販で購入したものなどがそれらの主だ。
今回北上宛に来たのは、通販サイトからの荷物のようだ。
どうやら、何かを頼んでいたらしい。
北上は、それに貼られた伝票を確かめ。
くすり、と。誰に見せるでもなく、艶めいた笑みを浮かべている。
伝票の差出欄には、こう書かれていた。
『手芸ショップ・○○』と。
そして時は再び、1月3日夜、××県某市街。
とあるビジネスホテルの一室で、女の声が響いていた。
「……うん。いい所でしょー?夕暮れも綺麗だよ。
あはは、一緒に見たいのー?いいよ、見せてあげる。」
文面は会話のようだが、響くのは女の声のみ。
旅先から、恋人に電話をしているのだろうか?
時折甘えるかのように、囁いていたりもしている。
しかし彼女の手に、携帯は握られていない。
「今は住んでないけどさ、たまに行って綺麗にしてるんだー。
大事な思い出だし、また住めるようにさ。
そうだねー……うん、それ最高だよ。アタシ達が使ってた部屋がそうなったらさ……やーだー、ケイちゃんのスケベー。」
テーブルには、何やら30cm程の影が一つ。
女の話し相手は、そこに座らさせられている。
フェルトで出来たカーキの服に、丸い手足の影。
そして同じくフェルトの帽子からは。
そこだけが『不自然にリアルに出来ている髪の毛』がはみ出ていた。
テーブルに置かれていたのは。
今もどこかの工廠で働いているはずの。
とある青年を模した、ぬいぐるみだった。
ヒッ…
ヒェェ
おっかねぇ
おつおつ
ヤンデレこえぇ
sage忘れすまん
おぉぅ…。嫌いじゃないわ!
乙
投下します。
「ねー。それでケイちゃんさ…」
1月4日。
とあるサービスエリアに、一台の車が停まっている。
持ち主である北上は長めの休憩がてら、友人と電話をしているようだ。
「前に大井っち言ってたっしょ?押してダメなら引いてみろってさー。
ちょっと距離置いたら、確かに落ち着かなそうだったよ。ほんと大井っち様々だねー。」
『ケイ君、なんだかんだで北上さんに敬意を持ちすぎてるフシがありますからね。ちゃんと女の子だ!ってわからせないと。
例の子よりは北上さんの方が長く一緒にいるんですし、過ごした時間は重いはずですから。苦肉の策ですけどね。』
「…まあね。ちょっと寂しそうだったよー…アタシもね。」
『ふふ、妬けちゃいますね。
でも彼、いい子じゃないですか。北上さんを任せられるくらい。』
「あはは、そゆこと言ってるからレズだって誤解されちゃうんだよー。最近大井っちはどうなのさ?順調?」
『彼ですか?相変わらずですね。たまにキツく当たっちゃう時もありますけど…』
「いいなー。そう言えばこないだ演習の時、まさにご本人から聞いたよー?
私を裏切ったら海に沈めるけどね…って言われたってさー。ロマンだねー、しびれるねー。」
『あー…あの人覚えてたんですか…酔ってたと思ったのに……。ま、まあ、それだけ大事って事です。』
「ひゅー、ご馳走様。」
北上にとっての親友であり、良き相談相手でもある大井は、艦娘の中で唯一、北上の一部の過去を知っている。
彼女が深海棲艦に襲われた街の、生き残りである事。その一点のみを。
故に北上の幸せを願い、親身に相談にも乗っていた。
しかし大井は、それ以上は何も知らない。
事件より遥か以前から、ケイと北上には繋がりがある事も。
北上が心の奥底に、大井が思う以上の澱みを抱えている事も。
何も知らずに、それは親身にアドバイスをしていたのであった。
1月5日、××鎮守府。
この日でケイ達の業務は終わり、明日より遅い冬季休暇が始まる。
仕事が終わり次第、夜行バスにて故郷へ向け出発。それも含めれば、なかなかハードな1日とも言えた。
そしてこの日の工廠での話題は、そこに纏わる物が挙がっていた。
「そう言えば冬休み貰うけど、誰が来るの?提督は代理借りたって言ってたけど…」
「まあ、信用出来る人だよ…。」
夕張がポツリとこぼした一言に、ケイは明らかに含みを隠しきれない様子。
ここの長である彼ならば、当然誰が来るかは聞かされているであろう。
何やら挙動不審な彼の姿に、夕張は眉間のシワを深くした。
「へー、どんな人なの?」
「ここの前の整備長。俺の師匠でもあるけど、今回は会わないしさ…あの人なら大丈夫でしょ。」
「…ヤバい人なの?」
「……ピンクの悪魔。」
「へ?」
その単語を聞いた瞬間、夕張の脳裏には、とあるゲームの可愛らしい主人公が浮かんだ。
しかしケイの方はと言えば、何やら頭頂部と首のあたりを押さえて渋い顔を浮かべている。
どうやらかつて感じた痛みが、フラッシュバックしているようだ。
「すげえ尊敬してる人なんだけど、キレると怖いんだよなぁ…何回ゲンコツ喰らったか。今から作り置きチェックからの、ダメ出し鬼ラインが怖い。」
「男の人?」
「いや、女の人…ある意味バリさんの先輩にあたる人だよ。ま、来るのは明日…………あ。」
会話の中で、工廠の勝手口に視線を寄せた瞬間。
ケイは開いた口を塞ぐ事が出来なくなった。
勝手口の曇りガラスには、人影が一つ。
そしてそのシルエットは、うっすらとピンク色を浮かべている。
「お邪魔しまーす。」
きいいいぃ……と、ゆっくりと扉が開き、その人物の全貌が見えてくると、夕張は憧憬の顔を。
そしてケイは、完全に絶望の顔を浮かべていた。
「ケイ、久しぶりー。元気してた?」
「ははは…お、親方…お久しぶりです……あれー?明日からじゃなかったでしたっけー…?」
「ここ、遠いもん。前日入りに決まってるでしょ。ついでにあんたの顔見に来たんだよ?
ねえ…ところでピンクの悪魔って、誰?ん?」
「はは……あはははは……。」
「わぁ…美人さんだ…。あ。は、初めまして!夕張と申します!」
「初めまして、工作艦・明石と申します!夕張さん、よろしくお願いしますね。
こいつの下は大変じゃないですか?付き合わされて休み無しとかやらされてません?」
「い、いえ、休みはちゃんともらってますので…あなたが前任の整備長さんですよね?
その、失礼ですが、皆親方って言うから逞しい人を想像してて…。」
「……敬語が取れたら本性が見える。」
「ケイ、何か言った?」
「いえいえ!滅相もない!バ、バリさん、この人も艦娘兼工廠メンバーなんだ…バリさんの先輩にあたるってのは、この事だよ。」
「嬉しいなぁ、私の後輩がここにいるなんて。あなたも同じ匂いがするわ…ねえ夕張さん、後でお茶でもしましょう!」
「はい!是非とも!」
マッドの気がある者同士、惹かれ合うのは宿命か。
そうして手を取り合う二人を見た時、ケイの脳裏には強力洗剤のラベルが脳裏に浮かんでいたと言う。 混ぜるな危険、である。
しばし呆然と打ちひしがれていると、今度は横からガチッと首にホールドを決められた感触が。
いつの間にか明石に背後を取られ、首ごと無理矢理彼女の脇の辺りまで屈まさせられる。
ケイはこの体制が何を意味するのか、心以上に体で覚えていた。
『楽しいお話』が待っている、ドナドナタイムの開始であると。
「夕張さん、ごめんなさいね。ちょっとこいつ借ります。少し長めに出て来るので。」
「は、離してください…。」
「だーめ。久しぶりに弟子に会えたし、『積もる話』は沢山あるもの…さっきの件とかね。」
「ハハハ…ゴメンナサイ…。」
「…………で、最近どうなの?」
工廠裏で缶コーヒーを飲みつつ、明石から出たのはこんな言葉だ。
尚、この間二つ程ケイの頭にはたんこぶが出来たと言う。
「どうって、仕事ですか?スキルが上がってきたなって自覚は出てきましたけど…。」
「そっちは工廠に転がってるの見れば分かるわよ。よくやってるのぐらい分かる。
そうじゃなくて…彼女とかどうなのって。」
「……いませんよ、そちらは変わらず。」
「へー…北上さんと、何かあった?」
「ぶっ!?」
「ケイは分かりやすいからね。ほらー、明石さんに言ってごらん?ん?」
「はー…ほんっと、隠し事出来ねえ人ですね…。まぁ、色々ありましたよ…特にここ最近は。」
「…好きなの?」
「………分かんないんですよね、自分の気持ちが。感謝なのか、恋愛感情なのか。
北上さんの行動も、よく分からないですし…泣いて抱きついてきたり、かと思えばそっけなかったり。
ずーっと、姉ちゃんみたいに思ってた人ですから…でも色々あって、よく分かんなくなっちゃいましたよ…。」
「そっか……まぁ、あの子も不思議な子だしね。悩め若人よ!なんてね。しっかり悩みなさい。」
“…まだ、心の故障の方は完璧じゃないか。ケイ、それはあんた自身がね…。”
明石は弟子であるケイの過去を、詳細に聞いている。
どのような過程を経て、どのような心情で今の仕事に就いたのか。その全てを。
故に彼女は、気付いている。
ケイが抱えた、とある故障を。
彼自身も気付いていないのだ。
復讐の為にこそ、それ以外を欲する事をやめた、頑なに溶着されたような心の扉。
北上と知り合って以降、本来の性格こそ見せるようにはなったものの、その根本は変わらないままだった。
手を貸すまでは出来ても、本当の意味でそれを破る事は、他者には出来ない。
明石は異動した今も、そんな彼の事を心配していた。
しかししばらく顔を見ない間に、少しだけそこに亀裂は入ったように彼女は感じていた。
年頃らしい事で悩むその顔は。
良くも悪くも真っ直ぐすぎた昔より、幾分人間らしくなったように明石の目には映っていたからだ。
「……ふふ。まあ、男の子は繊細だもんねー。でも、やっぱり決める時は男らしく!
と言うわけで、覚悟を決める時用にこれをあげるわ。酒保のお姉さんでもある私からの、プレゼント。」
「何です………お、お、お、親方!?これ何すか!?」
「何って、やっぱり武将は出陣の時は兜を被るじゃない?初陣じゃー!なんて。てへ。」
「その腹立つ舌引っこ抜きますよ!?」
“……予想より、状況は大変そうだけどね。
夕張さんも多分……鈍くてモテる男は楽じゃないわね。私があんたの立場だったら嫌だもん。
でもケイ、これはあんたにとっての……いえ、それぞれにとっての…。”
久々に愛弟子で遊ぶ感覚を楽しみつつ、明石は顔を真っ赤にして怒るケイを、優しく見守っていた。
少しずつ人間らしさを取り戻していく愛弟子に、安堵と心配の両方を抱えて。
「それじゃ、休みの間の流れはこんな感じで。」
「了解。妖精達も馴染みだし、後は任せて。ゆっくりしてきなさい。」
明石への引き継ぎを終え、遂に冬休みの始まりだ。
その後各々自室にて準備をし、21時過ぎ、夜行バスの出る駅前に向けて二人はタクシーを取った。
駅前に着き少し歩けば、人も疎らな深夜バスの停留所がある。
自販機のホットレモンをカイロ代わりに、二人はバスが来るのを待っていた。
ケイは片手にペットボトルを持ち、空いている片手は上着のポケットに突っ込んだまま。
そんな様子を見て夕張は、はぁ、と手を暖めるフリをして、白い息を吐き出していた。
“繋げばあったかいよ、なーんてね。言えたらいいのに。
……北上さんなら、こういう時言えるのかな。”
雪の無い、冬の夜だ。
遠くの車や風の音もやけに澄んで聞こえ、オレンジの街灯に照らされる景色は、妙に輪郭の濃さを増している様に見えた。
隣を見れば、ケイも同じ様に輪郭を濃くした様に見えて。
夕張の目には、彼も含めたその景色全てが、どこか遠くの事のように映った。
ふたりは、待合所のベンチに腰掛けている。
触れそうで触れない、20cmの距離。
手を伸ばしても、どこまでも空を切りそうだ。
そんな風に思えて、また一つ、ほう、と掌に息を吹きかける。
「……明石さんとさ、何話してたの?」
「色々と。いやー、久々にゲンコ喰らったけど痛えわ。バリさんもお茶してたよね?なんか言ってた?」
「ふふ、色々と。ひたすら機械の話してたけどね。」
「はは、何だよそれー。」
屈託なく笑うケイの顔を見れば、夕張の胸は温かさを増す。
だけどそれは、自分にとってだけだ。
ケイにとってはどうなのだろうか?
その笑顔は、仲間に向けるものにしか過ぎないのだろうか?
そう思えば、握ったホットレモンの温度も冷たく感じてしまうような。そんな気が、夕張にはしていた。
「あ、あれじゃない?」
「待ってましたー。」
ようやく到着したバスは、夜の高速道路を走り出す。
流れて行くオレンジの光は、次第に夕張の中で、その輪郭をぼやけさせて。
少し疲れている様子のケイは、会話もなくぼーっと窓を眺めている。
車内の暖房と振動は眠気を誘い、彼はいつの間にか眠ってしまっていた。
首を窓側に向け眠る、空いた左肩。
その空間を、夕張はぼんやりと見つめて。
“私も眠いなぁ………少しなら、いいよね?”
目を閉じて、ギリギリで意識を保って。
少しずつずれるように、起こさぬように。そっとケイの肩に頭を寄せた。
彼のモッズコートの厚みや暖房に阻まれ、体温を感じる事は出来ない。
しかし男性特有の肩の心地と、服越しでも少しは分かる、人のしなやかさと。
その感触だけで、夕張は幸せだった。
“起きたり、しないかな。お風呂も入ってきたし、シャンプーの匂いでドキッとしたりとかさ。
……無いよね。だって私は同級生で、今は仕事仲間で。それだけだもん。
ずっと好きだったのは、わたしだけだもんね…北上さんみたいに、支えてあげられた訳じゃない…。”
触れているはずなのに、何でこんなに遠いのだろう。
幸せなはずなのに、何でこんなに切なくなるのだろう。
凛とした外の景色に反し、心は斑模様。
やがて意識も斑になり、夕張は眠りへと落ちて行った。
“………ん。今どこだろ…。”
目を覚ますと、既に数時間が過ぎていたようだ。
コートのファーが頬をくすぐり、そういえばケイに寄りかかって眠っていた事を思い出す。
彼はまだ寝ているだろうか?そう思い体勢を直そうとすると。
「よく寝てたなー。よだれ垂れかけてたぞ?」
困ったような顔で笑うケイが、夕張の方を見ていた。
「あ……起きてたの!?ごめん…起こしてくれても良かったのに…。」
「疲れてたっしょ?悪いかと思ってね。」
“そっか、そのままにしてくれてたんだ……。”
小さな気遣いに、思わず嬉しさが込み上げる。
彼女は夢も見ない程熟睡していたが、それだけ心地よくいられたのだ。
時刻はもう朝の4時近く。
長い間、ケイはそのままで夕張を寝かせていたのであった。
「ちゃんと寝た?」
「30分ぐらい前に起きた。髪当たって目え覚めてさ。」
「あ….ごめんね…でも私も大分伸びたわね。そろそろ切らなきゃ。」
「北上さんに頼んでみたら?」
「そういえば北上さんに切ってもらったんだよね。じゃあ私もお願いしようかなぁ。」
ケイの口からその名が出た時。
ほんの一瞬、夕張の胸は小さく痛んだ。
北上は自分より多く彼に触れて、より長くの時間を過ごして。
今目の前にいる、ケイの綺麗に切られた髪も、北上の手が一つ一つ入っている。
そのつながりの深さが。
今の夕張には、とても痛い。
「ケイくん、帽子取れてるよ?」
「あ、悪いわるぶっ!?何すんだよ…。」
「ふふー。」
そして夕張は、外されたままのケイの帽子を手に取り、がぼりと少し強めに彼の頭に被せてみせた。
悪戯っ子の様に笑っては見せるが、その実、嫉妬もある。
こうしていつもの帽子を被せてしまえば、北上の手掛けた髪型という、恋敵の跡は見えないのだから。
「5時には着くんだっけ?」
「そうよ。迎えは来るの?」
「いや、電車。さすがに親起きてねえし。」
「私もそうね。着いたらまた待ちぼうけかー、あっちも大概田舎だもんね。」
ぽつりぽつりと他愛もない話をしつつ、1時間はあっと言う間に過ぎてしまった。
懐かしい地元の駅前に降りると、いつもの街より一段と風が冷たい。
朝焼けはまだ遠く、橙は山のかなり向こう側だ。
コンビニで肉まんとホットの飲み物を買い、二人は改札を抜けて駅の待合室へと入る。
人もまばらなそこは、ゴー、と小さな音を立てる業務用ストーブだけが唯一の熱源だった。
電車が来るまで、あと40分。
同じ市内だが、二人の実家はそれぞれ反対方向の駅にある。
先にケイの乗る電車が来て、その後に夕張の乗る電車が来る。
見送る形になるな、と。夕張はもそもそと、小さく肉まんを齧りながら思った。
冷えた待合室では、その熱さは沁み入る。
しかし、先ほど体を預けて眠っていた時の様な暖かさには、それは程遠いものに思えた。
「懐かしいねー。うちの高校の子達さ、よくあのコンビニ行ってたよね。」
「もうちょっと遅かったら、いつもの奥さんいたかもな。」
「あー、あのパーマの?名物おばさんだもんね。」
懐かしい駅舎に思い出話こそ咲くが、それ以上の話は出ない。
そしてあれよと言う間にアナウンスが響き、ケイの乗る電車がやってきた。
時刻は朝の6時前。
人もまばらなこの時間、誰がまともに乗り口など見るだろうか。
今マフラーを掴んで、唇を奪う。
そんな事だって出来るかもしれない。
じゃあ、と手を振り、彼は入り口へ向き直ろうとする。
そうだ、今しかないじゃないか。
夕張の手はそっと、ケイの方へと伸びて。
「…じゃあ、また式の時に。」
しかしその指が、マフラーを掴む事は無かった。
伸ばした手を掲げ、手を振る様に見せかけて。
閉まる扉の向こうに消える彼を、笑顔で見送って。
電車のテールライトが遠くに消える頃、夕張はようやく、表情と心を一致させる事が出来た。
冬の静寂が、耳にも心にも、きんきんと刺す様な痛みを与える。
イヤーマフ代わりのヘッドフォンを取り出し、かじかむ手でプレイヤーの再生ボタンを押して。
流れてくる音楽を口ずさむ、彼女の小さな歌声は。
夜明けのホームに、悲しげなメロディを落としていた。
同日夜。××鎮守府。
朝方旅行から戻った北上は部屋に帰り、しばし眠っていた。
そしてとある時間にタイマーをセットし、その音と共にようやく目を覚ます。
この時間ならきっと、電話をしても大丈夫なはず。
真っ先に携帯を取り出し、いつもの大型バイクのアイコンをタップして、通話ボタンを押して。
旅の無事と、地元はどうかという話と。
そんな話をしようと、北上は彼に電話を掛けていた。
『…はーい、もしもし……。』
「おそよー。まだ寝てたの?」
『ふぁ…家着いてから爆睡でしたよ…バスは落ち着かねえっす…。
ちゃんと帰って来れました?こすってません?』
「だいじょーぶ。おかげさまで良い旅行になったよ。」
“ふふ…眠そうな声もかわいいなぁ…。”
寝起きの気怠げなケイの声に、北上はより愛おしさを覚える。
手元には、手作りのぬいぐるみ。
フェルトの帽子を取れば、植え付けた髪の毛が顕となり。
それを優しく撫でては、寝惚け眼の彼を撫でてあげているような想像を彼女は掻き立てていた。
「バスって寝れないよねー。アタシも一回乗った事あるけどさ。」
『バリさんは爆睡でしたけどね。俺が寝てる間に肩の方寄っ掛かってて、先に起きたらよだれ垂れそうでしたもん。』
「へー……起こさなかったんだ?」
『疲れてそうでしたしね。それも悪いかと思って。』
「そっかー………。」
ケイに触れる度。
北上の心の奥は、いつかの冷たさを溶かされていくような感覚を覚えていた。
生きているぬくもりは、彼女の奥に閉ざされたものを溶かしていく。
孤独や寂しさ、拭いきれない哀しみ。
それらを、少しずつ、少しずつ。
そして。
彼女が無意識に、頑なに氷漬けにしていた狂気。
嫉妬。
独占欲。
支配欲。
憎悪。
殺意。
悪意。
それと、歪な愛。
氷から突き出た棘程度に過ぎなかったそれは。
次第にその姿を徐々に表している事をに、彼女自身も気付いてはいない。
それが徐々に、彼女の倫理や罪悪感を食い殺すように心を侵食している事にも。
会話を続けながら、ケイを模したぬいぐるみの、『その隣』へと北上の手は伸びる。そこには。
「それでさー……痛ぅっ!?いったー……」
『どうしました!?』
「いや、ちょっと前から手芸でもやろっかなーってさ。
テーブルのとこに道具置いててさ、ピンクッションに一個針刺し忘れてちゃったみたい。」
『大丈夫ですか?危なかっしいなー…。』
「大丈夫ー。アタシのハサミ遣い見たでしょ?』
『ものが違いますよー。ああ、ハサミ遣いと言えば、バリさんもそろそろ切らなきゃーって言ってましたよ。
話しといたんで、その内ユウさんに頼むんじゃないですかね。』
「お。そうなんだー、腕が鳴るねー。女の子の髪が一番切ってて燃えるよー。」
“へー……あの独特な色、やっぱり本物じゃないと無理だよねー…。”
この時北上は、『一際深い』笑顔を浮かべた。
口元が歪むほど深く、吊り上るような獰猛な笑みを。
北上が以前ネットショップで買ったものは、手芸の材料だ。
様々な色のフェルトと、それに合わせた糸。
そしてぬいぐるみ作成キットを、『2つ』。
「ピンクッションに針を一つ刺し忘れた」と、彼女は言った。
しかし実際にそこにあったのは、ピンクッションと同じ素材の。
似て非なる、とあるもの。
楽しげに電話をしながら。
彼女はそれに一つ、そしてまた一つと、深々とマチ針を刺して行く。
傍に置かれたケイを模したぬいぐるみの、その隣。
そこにあったのは。
フェルトで銀のポニーテールを模された。
何十本と顔中にマチ針を突き刺された、女の子のぬいぐるみだった。
親方って完全に男だと思ってたから以外(現実逃避)
針治療の練習かな?(現実逃避)
歪みが順調に進行中ですねえ(歓喜)
裁縫上手いね(白目)
投下します。
「ただいま……。」
はは…クセなんて、簡単には直らないもんだねー。
今は誰も返事なんか、しないけど。
あの事件の後、アタシは逃げるように隣の県に引越して、アパートを借りた。
敷礼不要、保証人不要。1Kユニットバス、人死にじゃない心理的瑕疵あり。
ちょっと歩けば風俗街な、栄えてる市街の隅にある住宅地。
身寄りの無いアタシが借りられたのは、そんな荒れた場所の一室だった。
多少下りた遺産をやりくりして、暇潰しにコンビニのバイトもして。
気晴らしになるかと思ってバイクの小型も取ったけど、バイク本体までは、買う気にならなかった。
だって今はもう、別に行きたい所なんて無いし。
ずっと欲しかったはずの免許には、マグロみたいな目ぇした、クマのひどい顔が載っててさ。何だかなー、って。
高校の編入手続きは、取らなかった。
どうせ逃げた先でも、何処から来たかと、肩の傷でさ。大体事情なんてバレちゃうんだから。
…好奇の目や同情なんて、向けられたくもなかった。
バイトから帰って、コートを乱暴に脱ぎ捨てて。
アタシが真っ先に向かうのは、タンスの上に作った、仏壇代わりのスペース。
その上には小さな遺影が3つと、小さくなったみんなのいる箱が3つ。
今日も、お線香をあげなきゃ。
部屋の右側の壁からは、よくわからない言葉と、いつもの喘ぎ声。
左の壁からは、いつもの人を殴る音と、怒鳴り声。
左の方は、「やめて」って女の声がして。
右側の喘ぎ声は、何だか悲鳴みたいに聞こえて。
うるさいなぁ、だから何なのさ。アタシの暮らしには関係ないよ。
まぁ、いいや…こうしてみんなに手を合わせてる時だけは、静かな気持ちでいられるんだ。
はーあ、テレビでも見るかぁ…。
「…対深海棲艦用特別国際連合軍による、深海棲艦討伐についての続報です。
_____事務総長の会見によると……。」
「…………何が討伐だよばーか、怪獣退治かっつーの。」
あの日から数日の間に、色んな国で同じ事が起こって。
それがあのバケモノどもからの、宣戦布告になった。
どこの国でも、こすい事に、海辺の小さな街を狙って虐殺をして。
バケモノの癖に無線電波か何かで、「戦争だ!海は貰った!」的な声明出したんだって。
後は眉唾な発表だらけ。
世界で秘密裏に妖精を使ってどうこうしてただの、それを使った兵器で討伐するだの。
アタシも公開された映像を見るまで、何それ?って感じだった。
公開されたらされたで、水上スキーじゃんって呆れたもんだけど。
そいつを使っての戦闘は、時折死人は出るけど順調らしい。
戦争だなんて言ってるけど、世間からしたら怪獣退治みたいなもの。
物流がどうだの株がどうだのって騒ぎになったのは、せいぜい最初の2ヶ月ぐらいだった。
今もあちこちで、小競り合いみたいな戦闘をしてるんだって。
東京にでかい爆弾が落ちた!みたいな話じゃないし、めちゃくちゃにされたのは、世間からしたら所詮片田舎でさ。
それこそ近い人や、縁のある人でも無い限りは、一瞬「怖いねー」とか「かわいそうだねー」で終わる話。
あの街で2万人近く、死んでるけどね。
人が死んでも、世間は関わりがなきゃそんなもんだね。別にいいけどさ。
……アタシだけは、絶対に覚えてるから。
「ケイちゃん、かぁ……今頃忘れてるよね。」
こうやって財布から古い写真を取り出して、ぼーっと眺めるのが日課になってる。
小さい頃住んでた街にいた、1コ下の近所の男の子。
あの街に住んでた頃は、いつもコウちゃんも入れて一緒に遊んでさ……楽しかったなぁ。
「ぼく、ユウねえちゃんとけっこんするんだー。」なんて言ってたっけ。
今どんなんなってるかな…この歳で改めて写真を見ると、おっきくなっても結構可愛い顔してそうだけど。
助けてくれる王子様になってくれないかなー、なんて。
……何考えてんだろ、アタシ。悲劇のお姫様気取りかよー。こんなんなって、今更会いになんて行けないしさ。
アタシの親族は、一族で水産関係の仕事をやってた。
アタシが6歳の時、お父さんも家業に参加する事になって、元いた街を離れて。
結局、そうしてあの街に固まってたから、近い親戚もみんな死んじゃったんだよね。
いつも一緒だった中学からのグループも、やっぱり同じでさ。
隣町からうちの高校に通ってた子達とも、こうなっちゃえば疎遠で。
もう、まともにアタシと関わってたのなんてケイちゃんだけかもなぁ…。
ああ、卒業したら、会いに行こうとしてたんだっけ……。
ぼっちだなぁ…あはは……あーあ、調べ物でもするかぁ。
そうやってスマホを開いて、調べるのはいつもの地図と土地の写真。
最初は自殺の名所とか調べてたけど、その分見回りが厳しいらしくてね。
アタシの日課は、こうして人に見付からない死に場所と死に方を考える事だった。
かわいそうだなんて、思われたくなかった。
無縁仏か、或いは自殺と思われないか。いっそ死体すら見付からないか。そんな死に方が良かった。
ああ、そうだ…例えば軍の施設に忍び込んだらどうだろうか?
そこでちょっと暴れれば、上手くいけば射殺してもらえて、身寄りの無い泥棒として処理してもらえるかもしれない。
そうやってアタシは、近くの軍事施設はどこか調べようとして、海軍のホームページに辿り着いた。
それで施設の項目を調べようとした時……アタシは、とある小さなバナーを見付けたんだ。
「艦娘適正検査、被検者募集……?」
確かニュースで、適合する素質がある女の子しか装備を使えない…って言ってたっけ。
そっか…それじゃ軍の女の人だけじゃ限界があるから、一般募集も…大々的じゃない辺り、きな臭いねー。
でも危ない仕事だもんね、下手すりゃ死んじゃうし……ん?死んじゃう?
……そうだ、これだよ!
適正が出ればあいつらに仕返しも出来て、上手くいけば合法的に死ねる!
希望なんて感覚は、あの日以来久々に感じた。
アタシはすぐに資料請求のメールを送って、暫く心の底から湧いてくる喜びに浸っていた。
みんな、待っててね……あいつら殺せるだけ殺して、アタシもそっち行くからさ…。
だからそれまで、見守って……。
そしてアタシは、タンスの上に手を伸ばして。
一欠片ずつ、3人の骨を飲んだ。
1月7日。15時。
夕張は実家のこたつにて、ぼーっとしていた。
テレビはつまらないワイドショー、傍には愛猫。
両親はそれぞれ出掛け、時折猫に顔を埋めては暇を潰している。
『ケイくん、ひまー。』
暇潰しのようで、結構な勇気を振り絞ったメッセージ。しかし未だ、既読は付かず。
普段仕事の話以外殆どやり取りをしない中で、こうして雑談を振るのが、夕張にとって如何に度胸が必要だったか。
ケイは、知る由もない。
『悪い、昼寝してた。何だよー、北上さん化か?
そう言えば昨日北上さんから電話来たよ。ちゃんと帰ってこれたって。』
30分後。やっと返信が来たかと思えば、出てくる名前は友人にして、恋敵。
しかも既に、昨日本人からその話は受けている。
彼に電話をしていたとは、一言も聞いてはいなかったが。
“最初の返信でこれかぁ……はーあ。今日はもう寝正月してやろうかな……むう。”
『ケイくんは予定無いの?』
『今日は地元組で飲み会。中学のだね。』
『パリピ。』
『の、介抱担当だよ。あんまり暴れるようなら介錯だけど。』
『なにそれ怖いんだけど。』
ケイはこの後、地元の友人達と出掛けるようだ。
如何にも帰省らしい過ごし方だが、そう言えば自分はどうか……と考えて、夕張は肩を落とす。
“こっちにこそ、友達って言える人いないなぁ…。”
中高は上っ面な人間関係だった皺寄せが、ここに来て暇という形で表れる。
通っていた短大は隣県であり、クビ同然で半年早く卒業させられた為、友人と呼べる間柄の者達はまだそちらにいる状態だ。
「モモー、おいで。今日は一日遊んであげるー。」
予想外に暇、そして意中の人は予定あり。
どうにもならない本日に、夕張は愛猫に猫じゃらしを振る以外出来ずにいたのであった。
“まあ、今日はしょうがいなか……直接会う時に、必ず……。”
頭の中で、夕張は様々な事をシュミレートしていく。
どう接しようか、どう魅了してやろうか。
愛猫の顎を撫でつつ、彼女は楽しげに、今後の事を考えていた。
2時間後、同市内。こちらはケイの住む地区。
着替えを済ませ、彼は暫し近所を散歩していた。
てくてくと歩き、すぐに辿り着いたのはとある家。
売りに出され、今は借家となっている、かつての幼馴染達の家の前。
主に近隣で増改築がある際に貸し出されているが、今は誰も借りていない。
ぽつりと、彼は独り、その家の前に佇んでいた。
ふと目を閉じれば、様々な記憶が蘇る。
もう顔も正しく思い出せない程昔。
しかし様々な事をして遊んだ記憶は、今も彼の中で、大切な思い出として残っている。
本当の姉弟のようだったな、と、寂しげに彼は微笑む。
ケイより一つ下の弟の方とは、よくこの家の前でサッカーをしたものだ。
一つ上の姉は色々な場所を知っていて、あちこちへ3人で探検に行った。
もし成人した今、再会出来ていたなら。
その頃の事を、笑って話せたりしたのだろうか。
そして彼の中で、いつかの血塗れの壁が蘇り。
彼の掌は、ぎりぎりと張り詰めた音を立てている。
「ユウ姉ちゃん、コウタ……仇は絶対に取るからな…。」
かつて四六時中放っていた、憎悪に囚われた目をしている事に、彼自身は気付いてはいない。
そんな時、不意に彼の携帯が震えた。
『お疲れー。今日の作戦無事終了だよー。親方、相変わらず美人だねー。』
そのメッセージは、北上からのもの。
電柱に寄りかかり、彼はそこへの返信を打ち込んで行く。
『お疲れ様です。大丈夫ですか?親方に殴られてません?』
『親方が厳しいのはケイちゃんにだけだよー。そっちどう?ゆっくりできてる?』
『おかげさまで。今近所を散歩中ですよ。』
『遊び行ったりしないの?』
『この後地元の奴らと飲みですね。』
『そうなの。』
淡々と、やり取りは続く。
そして立て続けに北上から来た、とあるメッセージを目にした時の事だった。
『その飲みってさ。女の子、いる?』
その瞬間、ケイの背筋には強烈な悪寒が走った。
“ケイ…ニ"イ……ネ………ンヲ…ダス…テ……”
後ろから聞こえた、とあるくぐもった声。
確かに、何かが背後にいる。
しかし不思議な事に、最初に感じた悪寒以外、恐怖は欠片も感じていなかった。
後ろを振り向くと、頭と脚が無い、ぐちゃぐちゃの『何か』がこちらを見ている。
頭が無い筈なのに、ケイは見られていると言う感覚だけは、はっきりと感じていた。
そしてそれを目にして尚、恐怖が一切湧いてこない事も。
懐かしさすら、感じている事も。
「コウタ、なのか……?」
瞬きをした、その一瞬。
その間に、『何か』はケイの前から消えてしまった。
彼は『何か』に呼び掛けた瞬間に、とあるものを感じていた。
顔が無い筈のそれが。確かに、悲しげに微笑んだ感覚を。
彼は一瞬感じた悪寒の正体を、この幻だと思い込む事となる。
しかしその元は、全く別の場所にあるという事。
それに彼は、気付いてはいない。
「っと…やべ、返さないとか。」
そう言えばやり取りの途中だった事を思い出し、ケイは慌てて返信を返す。
切れた会話の流れが、どことなく居心地の悪い辺りだ。
彼は何故か、妙に焦っている自分を感じている。
『いませんよ。予定は5人です。皆酒覚えたてなんで、介抱が大変そうですよ。』
『あー、ケイちゃんはうちでお酒慣れちゃったもんね。』
『そうですよ。車を提督と思って絡んでた奴らを介抱したりとか。』
『むー、それは言わないでよー。』
『あ、待たせてるんでぼちぼち行かないと。じゃあまた後で。』
『はーい。気を付けてね。』
気付けばもう、17時半だ。
最後に北上からうさぎのスタンプが送られたのを見て、彼はようやく、友人達の待つ駅前へと歩き出した。
正面から来る冬の風は、全身を撫ぜて行く。
そして珍しく帽子を外している彼の髪も、同じくさわさわと撫ぜられているように感じていた。
まるで、人の指が通っているかの様に。
夜、××鎮守府。
北上は1日を終え、ベッドに横たわりつつテレビを観ていた。
彼女の胸元には、添い寝するように置かれたぬいぐるみが一つ。
それはケイを模したぬいぐるみであり、時折赤子をあやすかのように、彼女はぬいぐるみの髪を優しく撫ぜている。
植え付けた髪の毛は、ケイ本人のもの。
指を通し、ぽんぽんと頭を叩き。
時折頬擦りと、優しく触れるような口付けさえ交わして。
そうすれば少しだけ、彼の不在の寂しさを紛らわす事ができるような気がしていた。
しかし、やはり本人のぬくもりには敵わない。
そろそろ足りない。
帰ってきたらどうしようか。
ああ、待ち伏せして、思いっ切り抱き付いてやろうか。
それとも車で迎えにいって、『寄り道』でもしてしまおうか。
月が明けたらバレンタインか。
勿論手作りだ。
何を作ろうか。
何を材料にしようか。
湧き上がる願望に、際限は無い。
そして、最早願望とも言い難い欲望にも。
そろそろ宴も中頃だろう、今どうしているだろうか?と思い立ち、彼女はメッセージを送ってみた。
数分もしないうちに、返信が二つ。そこには…。
「…………え?」
『他のも呼んだみたいで、始まる頃には芋づる式で15人ですよ。いやー、ちょっと介抱大変そうです。』
送られた写真には、楽しそうな飲み会の光景が写っている。
それは各々カメラに向けてポーズを決めた、『男女』数名の写真。
その写真を目にした時。
北上の肩の傷は、ずきん、と激しく脈を打った。
『ありゃりゃ、大変そうだねー。
気を付けて帰るんだよ?知らない人やお姉さんについて行ったりしないよーに!』
『いくつだと思ってんですか!ま、ちゃんと帰すんで大丈夫ですよ。慣れましたから。』
『お疲れ様でーす。あ、ちゃんと帰れたら連絡ちょーだいね。』
『了解です。』
何も気取らせないよう、彼女は努めていつものノリでメッセージを返した。
そして携帯の画面には、先程保存した画像が映されている。
北上は、そこに向けて指を伸ばす。
「あははは。」
指二本を滑らせて拡大。
指二本を滑らせて拡大。
指二本を滑らせて拡大。
ドラッグ、どいつだ?
ドラッグ、こいつか?
ドラッグ、それともこいつか?
誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ。
北上の目は次第に充血し、その瞳孔は写真の一人一人の顔を凝視して行く。
“へー……そっか、ケイちゃんが呼ばなくても、こう言う時って他の子が呼んじゃうこともあるよねー……。
手前のこいつかなぁ…?
それともこのチャラそうなこいつかなー?
いや、意外とこう言う出来る男っぽい奴とかさー…。
……誰だよ!?誰なのさ!?余計な事しやがって〜………!”
男女比は数えた所、10対5。
そして女性陣は各々バラバラに座っている。
ケイが携帯を横にして写真を撮る時の癖を、北上は熟知している。
いつもシャッターボタンは右手から。
撮影位置から一番手前に近い女までの席数を数えてみる。
その間、ケイと女の間に座っているのは一人のみ。
脳内で情報は箇条書きの様に流れ、それが北上の心に到達する度、激しい怒りに変わる。
だがある一点に達した時、ふっ、と。
その激情は、突然消え失せた。
“……あはっ♪
あ
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
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は
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は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
は
。
…ま、よーく考えてみれば、可愛い女の子はいないねー…手前の子も、如何にも緩そうな女子大生って感じだし…。
ああ、でもアレかー。ケイちゃんが相手しなくても、寄ってくる臭いのはいそうだし…。
それじゃケイちゃんかわいそうだもんねー?
帰ってきたらいーっぱい抱っこして、ちゃんとアタシとケイちゃんの匂いだけにしなきゃ……。
でもそっかあ、成人式かー…夕張ちゃんとかさ、晴れ着でちゃんとおめかしして来るよねー……ケイちゃん、それで落ちるとは思わないけどさ。
でもいつかは……あの子はねー…可愛いし、いい子だし……。
だからさ……。”
北上は、愛用のダーツを手に取る。
そしていつものように、流れるようなフォームでそれを投げ。
“………放っておく訳には、いかないよねぇ…!?”
ダーツが飛んだ、その先。
そこには顔中にマチ針を突き刺された、夕張を模したぬいぐるみが置かれ。
丁度その心臓の位置には。
深々とソフトチップのダーツが突き刺さっていた。
北上の狙いは、それこそ夕張の命なのであろうか。
それとも。そこに在るとされる、何かか。
ダーツの衝撃から、ぬいぐるみはまだ微かに揺れている。
その姿は、まるで夕張そのものがガタガタと怯えているかのように北上の目には映り。
彼女は、ニタリと笑った。
終局が近付いてきてますね……(白目)
カホゴダナー
カコダナー
まあ首なしの死体がお前危ないぞ気をつけろって危機を呼びかけても
何のギャグだよって感じだわな
いよいよ血が流れるのか……
乙
続きはよ
はよ
自分も続き待ってます!
続きに苦戦していました。投下します。
1月某日。鎮守府内、喫煙スペース。
建付け型の灰皿が置かれただけの、簡素なスペースに、一人タバコを吸う小さな影。
そこにまた一人、今度は違う影が近付いていた。
「お疲れ様です。ご一緒していいですか?」
「ん?ああ、明石か。久しぶり。キミが代わりに来とるんやったな、火ぃ要る?」
「いえ、着火不要なので。久々ですねえ、ここで一服入れるのも。」
「…ベイプにしたんか。まーた女子力狙ってまぁ。ケイ坊がタバコ手ェ出したん、誰の影響か覚えてへんの?」
「知りませーん、ラッキーの味なんて。私、そろそろ次の彼氏欲しいんで。」
「電子タバコだろうが、今日び吸うとる時点でモテへんわ。君も早よ、ぼっちアラサーの世界においでや。向こうはぼちぼち?」
「相変わらずですね。久々にこっち来ましたけど、ケイもちゃんと成長してて安心しましたよ…腕だけは。」
「…ほんま、腕だけはなー。ここはそんな奴ばっかで困るわ。」
「そうですか?北上さんとか、だいぶ丸くなったと思いますけど…。」
「昔みたいにあかんツラしたり、死体ブチ抜いたりせえへんようなっただけや。根っこは変わってへんよ。」
「……アカネさんが救助した時の事、覚えてないんでしたよね。」
「カナミ、敷地ん中じゃ龍驤って呼べや。いつもの飲み屋ちゃうんやから。」
「あなたこそ。…ケイの過去って、知ってます?」
「知らんけど?」
「あいつも、色々ありましたからね…あそこに引越した幼馴染の姉弟を、事件で殺されたそうです。今頃は、丁度北上さんくらいになってたみたいですよ。
…あれだけ仲が良いのは、互いに失った物を重ねてるからなのかもしれませんね。
それでも、多少なりとも幸せや日常って感覚を思い出してくれるなら……。」
明石の語る、ケイの過去。
それを聞いた時、ある可能性が龍驤の中を巡っていた。
ふう、と煙を吐き出し、それにメモを刻むかのように、彼女はかつての記憶を思い出していく。
「ほー……なるほどな。」
「それが最初、ケイが切羽詰まってた理由ですね。あいつも大概でしたから。忘れられませんよ、敵のサンプル回収の時のあの顔…。」
「知っとる。ま、仇討ちは大事やけど、死人に囚われすぎてもあかんちゅうこっちゃ。手段と目的が入れ替わる。それ程おっかない事も無いしな。」
「ですね……戦場では、それが一番危険ですし。」
「ほんまな。あのアホ共が成長せんと、赤マルとお別れ出来そうも無いわ。」
「禁煙したいんですか?」
「甥っ子どもの前じゃ吸えへんからなー。こないだ実家帰った時、妹に怒られてもうた。」
“明石……すまんけどキミの優しさは、きっとあいつらには逆効果や。”
冗談めかした笑みを浮かべつつ、龍驤は明石の話を反芻していた。
導き出される可能性に対して、どう確証を得るか。それをずっと考えながら。
1月9日。□□市民会館。
…より、徒歩15分程の写真店。
客が多く出入りする中、とある緑がかった銀髪の女が、今しがた撮影を終えた。
身軽にスーツと言うのも手だが、一生に一度。どうせなら晴れ着が良い。
慣れない着心地に手こずりながら、両親と別れた彼女は、一路会場へ向けて草履を鳴らしている。
冬の乾いた空気には、カラコロと鳴る足音はよく響く。
本日は快晴、雪の痕跡も無し。
意気揚々とホール前へと向かい、彼女は目当ての人物を見つけた。
「ケイくーん、おはよー。」
「お、バリさんか。気合入れてんなー。」
「……何だろ、すごい違和感。」
「言うなよ…ただでさえこの顔でこのガタイなんだから…。」
元が177cmに対して童顔と言うアンバランスなスペック故か、ケイはスーツ姿に対して自信が無い様子。
実際誰が見ても着こなせていないのだが、これはこれで、と夕張は微笑んでいた。
“ふふ、かーわいい。ああ、でもリアクション薄いなぁ…こんにゃろめ。”
「ケイくん、この後の予定は?」
「夜に中学の同窓会あるぐらいだな。」
「じゃあさ…後でお昼食べ行こうよ。」
「いいよ。すぐ終わるみたいだし。」
「了解。あ、じゃあ私席違うから、また後でね。」
式そのものは、中学単位で席が振られていた。
それぞれ違う席へと向かい、夕張は誰だ?とちらちらこちらを見てくる同級生達に、何とも言えない居心地の悪さを感じている。
“髪の色で分かれよなー…故郷でこそぼっちかぁ。まあいいか、ケイくんいるし。”
夕張の位置からステージ手前の方に視線を送ると、友人と楽しそうに談笑をするケイの姿。
何とも言えない気持ちに駆られつつ、始まった式の退屈なスピーチの数々に、夕張はしばし呆然と過ごしていた。
式が終わり、ホールの前には大勢の新成人達が、各々思い出話に花を咲かせていた。
中にはガラの悪そうな男や、昔それなりにヤンチャをしていた女もいる。
あまり関わりたくないな、と思っていた時、ポンと彼女の肩が叩かれた。
“ケイくんかな……!?”
「ねえ、君どこの地区の子?可愛いねー。」
そこにいたのは、見るからにヤンキー丸出しの、派手なスーツの知らない男。
ナンパ目的であろうが、慣れていない夕張は、いざそんな事をされると恐怖感で上手く逃げる事ができない。
強引にペースに巻き込もうと、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる男に硬直していると、今度は男の肩にポン、と手が掛かった。
「お取込み中しつれーい。その子高校の同級生なんだ。」
「笠木!?何だてめえよ、てめえの女かっつーんだよ!」
「いや、今の仕事の同僚。で、一応俺の部下にあたるんだよね。離してやってくんない?」
「あぁ!?っせーな、だから何だってんだよ!?」
「はは……笑ってるうちに離せって言ってんだよ。この野郎。」
「………っ!?」
“ケイ…くん……?”
その時夕張が感じたのは、安堵よりも、ケイへの恐怖感だった。
男に向かい薄ら笑いを浮かべるその目は、時折工廠でちらりと見せる、危うげなもの。
初めてまともに彼の『その顔』を見た夕張は、背筋に薄ら寒い物を感じていた。
男も同じ物を感じたのであろう、捨て台詞すら吐かず、そそくさと立ち去って行く。
そしてケイは、何事も無かったかのように夕張に声を掛けた。
「ふー、殴られるかと思ったわ…バリさん、大丈夫だった?あいつ中学同じでね、昔からしょうもないヤンキー。」
「う、うん、ありがと……ケイくん、まだちょっと怖いや。袖掴んでてもいい?」
「いいよ。アレじゃしょうがない。」
二人は会場を後にし、目当ての場所までの道を歩いて行く。
思い返せば先程の目は、昔授業中に見たものよりも、ずっと黒さの強いものだった。
北上が以前言っていた怖い顔と言うのは、あの顔の事なのであろう。
隣を見れば、いつもの穏やかな姿。
しかし、そこに隠したものの深さは、怒りを露わにした際顕著となる。
恐らくは仲間に危機が及んでも、過去のフラッシュバックが怒りに繋がる。
こうして穏やかに笑う今も、奥底には得体の知れない物がある。
普段の彼は、無意識にそれを覆い隠しているのであろう。
“……出来ればもう、あんな顔はして欲しくないな…いや、私がさせないようにしなくちゃ。”
改めて感じた心の闇に、夕張はキュッと、袖を掴む手を強めた。
それはまるで、彼女の胸の痛みに呼応するかの様で。
「ケイくん!初詣寄ろうよ!」
「ととっ…おいバリさん、引っ張んなって。せっかくだし行っちゃうかー?」
「えへへ、じゃあ決まりー!」
そうだ、ならば少しでも笑わせよう。
そう思い、彼女はケイの袖を引いて神社へと向かって行く。
会場近くの神社は、市内で最も大きな神社でもある。
まだ比較的多い参拝客の中を、二人は本堂へ向けて歩いていた。
賽銭と拝礼を済ませ、しっかりと願掛けをする。
夕張はちらりと、神妙な面持ちで手を合わせるケイの姿を横目で見ていた。
“何お願いしたのかな……まぁ、きっと私と似たようなもんだよね。言葉だけは。”
“みんな平和に、幸せに生きられますように”、と言うのが彼女の掛けた願い。
それは、自分も含めた全てと言う意味でだ。広義の意味では、彼女の恋も含まれたもの。
しかしケイの方は恐らく、『戦争の勝利』と言う、もっと具体的な願いであろう。
『その願いに、彼自身の未来や幸福は含まれているのだろうか?』
そう思うと、夕張の胸はズキリと痛んだ。
そして彼が礼を解いた時。
夕張の細い手は、彼の袖ではなく、寒さで冷えた手を掴む。
「ケイくん、おみくじ引こうよ!」
「走んなって、石段落ちるぞー。」
隣の販売所へ彼の手を引き、触れていたのは僅か数秒の事。
それでも夕張の胸は、それだけで暖かかった。
帰省した日の駅のような冷たさは、そこにはもう無かったのだから。
「さーて、何が出るかなー。お、中吉だ!」
「げ…俺凶じゃん、幸先悪ぃなー…。」
「なんて書いてあるの?」
「特に恋愛運酷いな。深い谷あり、乗り越えられれば良い方に転ず……だって。」
「あちゃー…まあまあ、あんまり気にしてもね。」
苦笑しつつおみくじを見せてはいるが、夕張には、どこか落ち込んでいるように見えた。
恋愛運の項目をもう一度見ては、ケイはまた物憂げな苦笑いを浮かべる。
それを目にした時、不意に見慣れた三つ編みが夕張の中で浮かんだ。
“妙に気にしてるわね……まさか、ね…。”
「ケイくん、あっちに結ぶ所あるよ。」
「お、じゃあしっかり結んでくかー。」
ケイがおみくじを紐に結ぶ手は、かなり丹念なものに見える。
それは、できるだけその通りな未来が来ないように、と言う意図があるように夕張には感じられる動作で。
“……誰の事、考えてるのかな。
今隣にいるの、私なんだけど…。”
先程のナンパも、仲間だから守ってくれた。
そして今こうして二人で遅い初詣をしているのも、同郷で、仲の良い仕事仲間だからで。
それはケイにとっても、或いは誰が見てもそれだけでしか無いのであろう。
自分以外にとっては、きっとそうなのかもしれない。
そこまで思考がよぎった時、夕張の喉は、思考より先に声を発していた。
その先にいたのは、丁度犬を散歩させていた、OL風の女性だ。
「すいません、写真撮って貰ってもいいですか?」
「いいですよ。成人式ですか?彼女さんお綺麗ですねー。」
「ああ、違いますよ。高校の同級生でっ!?」
「あ、ごめんケイくん。踏んじゃった。」
「ふふ、じゃあ撮りますよー。」
境内を背景に、晴れ着姿の二人が画面に収まる。
それはどこかあどけなさやぎこちなさの残る、まさにこれから成長して行くであろう二人の写真だ。
そんな姿に、撮影を頼まれた女性も思わず微笑んでいた。
「ありがとうございました!」
「どういたしまして。……お姉さん、頑張ってね。」
女性は去り際に、そう夕張に耳打ちをしてその場を後にして行った。
“そっか、少なくとも、浅い関係なようには見えてないんだ……。”
そう思うと、少しだけ勇気を貰えたような。
そんな気がして、夕張は改めて微笑みを深くしていた。
「後で送るねー。」
「了解。ここに初詣は初めて来たなー、いつも近所の神社だったしさ。」
「ねえねえ、さっき何お願いしたの?」
「戦争に勝てますように、ってね……まあ、終わった後に色々やりたい事出来たし。尚更。」
「お?なになにー?」
「幾つかあるけど……いやー、言うの?笑うなよ?
そうだなー、まずは戦争終わらせて…そしたらさ……」
これは夕張にとっては、とても嬉しい事だった。
少しずつでも、ようやく彼が未来を生きようとし始めた。
その兆候が、やっと見え始めたのだから。
その一言を、聞くまでは。
「……俺、北上さんに告ろうと思う。」
「……え?」
その瞬間。
夕張の時は、音を立てて止まった。
「……そ、そうなんだ…あはは、やっぱりね!本当仲良いもんね、最初付き合ってると思ってたわよ!」
「俺の中でも色々あったんだよ…まあ、玉砕覚悟って奴。
これで後輩にしか見れないんだよねー、とか言われたら立ち直れねえよ…。」
「大丈夫だって!ふふ…でも良かったわね。ケイくん、見ててちょっと心配だったもん。」
「何で?」
「……幼馴染の事、あったでしょ?それで結構根詰めてたりして…人間らしくなったかな、って。」
「…前言ってたじゃん?戦争が終わったらどうしたい?ってさ。俺なりに色々考えてんの。
あと、バイクの整備士の資格でも取ろうかと思っててさ。そのうち、もう少し人の生活に近い所でスキルを使おうかなー、って。
…ちょっとはこういう事考えるようになったの、バリさんのお陰だよ。本当に、大事な仲間だ!ありがとな。」
“……………あ。”
そう礼を言う彼の笑顔は。
10代の頃、彼女が恋に落ちた時と同じものだった。
しかしその笑顔は。今は彼女にとって、あまりにも痛い。
“……大切な仲間……か。
嬉しいけど、それより先は無いんだよね…。”
何故だろう。
何でこんなに、いつも通りに笑えるのだろう。
何でこんなに、何も変わらないのだろう。
本当は逃げ出したい、泣きたい。
しかしその時夕張は、いつも通りの態度を崩す事が出来ずにいた。
その後昼食を摂ったレストランも、駅までの帰り道も。
いつも通りの他愛も無い話をして、時折嬉しそうに北上の話をするケイを見て。
相談にすら、乗って。
「それじゃケイくん、また帰りにね!」
それでも尚、涙すら流す事が出来ず。
彼女はどこまでも明るい笑顔で、その影を見送る。
少し懐かしさを覚え始めた帰り道を歩き、家へと帰り。
着替えをして、両親と夕食を囲み、風呂を済ませ。
21時を過ぎる頃、ようやく彼女は、いつも通りの顔を外す事が出来た。
頭が呆然とする。
何が起きたのか、理解出来ない。
感情の正体が、掴めない。
彼女はまるで、酸素マスクを嵌めるようにヘッドフォンを付け。
とある曲の再生ボタンをタップした。
ベッドの上で壁にもたれ、囁くように、音楽に合わせ歌を口ずさむ。
そうして歌詞の一つ一つが夕張の中で反芻されるたび、彼女の中で、ゆっくりと感情が輪郭を濃くしていく。
それは、とあるロックバンドの、ひどく物悲しい横恋慕と失恋の歌。
何度かリピートする内に、彼女は部屋着の膝の上に、ポタポタと暖かな水滴が落ちている事に気付く。
“すっぴんで良かったな。マスカラやシャドウが残っていたら大変だな。”
などと、現実逃避をするように現実的な事を考えてはみるが。
彼女の涙に形作られるように、感情は次第にその姿を現し。
そしてズキズキと、胸の奥の痛みは強くなっていく。
同じ曲を、もう何度リピートしたのだろう。
プレイヤーは再びイントロを流し、歌い出しに合わせ、掠れた声はまた歌を口ずさむ。
ナイフを握れば、赤い糸をちぎれるのだろうかと歌う。その物悲しいメロディを。
やがて彼女は泣き疲れ、眠り。
次の日の朝、母親は心配そうに彼女の腫れた目を気に掛けていた。
それに対して彼女は、コンタクトで失敗しただけと言う。
昨日のように両親と談笑をして、母親と買い物に行って、夜は猫と遊んで。
彼女は、いつものように明るく振舞っていた。
1月11日。
夕張とケイは、帰りは昼の新幹線を取っていた。
バスよりも早く着ける上、特に眠い訳でも無い時刻。
二人は駅弁を食べつつ、堪能する間も無く猛スピードで流れて行く景色を見ていた。
会話は弾む。
しかし行きと少しだけ違うのは、幾分楽しそうに話をするケイの姿だ。
少しずつでも、未来に展望を抱けるようになった彼の姿は。
夕張にとっては嬉しくもあり、そして悲しくもある。
彼の描くそこに、彼女はいないのだから。
やがて夕方手前。慣れた駅に着き、今度は路線バスで鎮守府のそばへと向かう。
冬晴れの空と、遠くから聞こえる波の音。
その静けさは何故か、より切なさを掻き立てるように夕張には感じられた。
正門から敷地へと入ると、真っ先に、いつもこの時間は誰もいない駐車場が二人を出迎える。
ここを越えてしまえば、後はそれぞれの寮へと分かれるだけ。
仕事以外で二人きりでいられる時間は、あとわずかしかなかった。
「んー、帰ってきたわねー。」
「何だかすっかりこっちが板に着いちまったなぁ。旅に出た気分だったよ。」
「私もそうね。」
「まあ、こっちはこっちでいい所だし。明日からまたバリバリやるぜー。」
活気に満ちた顔で、ケイは笑う。
釣られて夕張も、笑う。
今歩いているのは、植林に囲まれた駐車場だ。
誰からも見えないし、誰もいない。
そこは二人だけの世界。そのはずだった。
「まあ…やっと、北上さんにも会えるしね。」
夕張の中を何が突き抜けたのは、その時の事だった。
“…………ダメだよ、ケイくん。
私だって…私だってずっと君の事……嫌だよ、そんなの…。
今君の隣にいるのは、誰?その人じゃないんだよ……私、なんだ……。
…このままじゃ、終われない!”
夕張はそっとケイに近付き、そのか細い手は、躊躇いなく彼のマフラーを掴んだ。
そして。
イケメン金髪王子須賀京太郎様のハーレムの受難
同時刻。鎮守府駐車場、植林。
息を殺してそこに身を潜めていたのは、北上だった。
いつ頃着くのかを、彼女はケイに尋ねていた。
幸い今日の仕事は早く終わった、やるなら今しかない。
そう考えた彼女は、今か今かと二人を待ち構えていた。
北上は、ずっと考え続けていた。
何が最も、人を傷付けるのか。
何が人を、生きながらにして苦しめるのか。
そして彼女自身、その答えを身を以て知っている。
それは、心の傷であると。
暴力など、怪我が治れば終わる。
ましてや命など奪った所で、苦痛はそこで終わる。
あくまでケイに疑念を抱かれないように。
そして、邪魔者の心だけに、消えないトラウマを植え付けられるように。
“ああそうだ。例えば今日みたいな状況なら、こうすればいいじゃんか。”
それは表面上は、せいぜい痴情のもつれで済みそうな。
至って平和的で。だが、夕張に対してだけは、最も効果的な方法だと彼女は考えた。
“……まだ、二人きりなんだよねー…。
ああ、痛いなぁ……痛い…痛い…痛い……!”
その姿を想像するだけで、肩の傷がズキズキと疼きを上げる。
しかし彼女は、釣り上がる頬を抑えきれずにいた。
北上と夕張は、気が合う。
例えば音楽の趣味やゲームの趣味、或いは好みの甘い物。
そして、同じ人を深く愛した、その事実。
故に、何が最もダメージを与えるのか。
それを彼女は、よく知っている。
入り口に血走った視線を合わせる。
馴染みのモッズコートと、緑がかった銀髪と。
それを目にし、彼女の中には喜びと不快感が激しく入り乱れる。
近付くな、離れろ、そこはあんたの場所じゃない。
まぁいい、それももうすぐ終わる。
ここまで近づけば、後は飛び出すだけ。
いつもの北上様で、駆け寄るだけなんだ。
この時北上は、その実正常な判断力を失っていた。
狂気に自らを浸し。彼女は、奪われまいと焦っている自分から目を背けていた。
歪みきった心の形は、様々な事を彼女に対して覆い隠していた。
例えばそれが、とある方向に変質する可能性。
それにすら、目を背けて。
その距離、残り5メートル。
北上は息を殺しながら、じっと獲物を待つ。
さぁ、来い、来い、来い!
来た!
そして彼女の目に飛び込んだものは。
“…………え?”
それは、夕張がマフラーを引く形で彼の体を引き寄せ。
ケイに口づけを交わした、その瞬間だった。
その行為はつい数秒前まで、北上が夕張の目の前で行おうとしていた事。
彼女が最も恐れ、故に夕張に対しても有効な攻撃だと思っていた事。
その光景が今、現実のものとして彼女の目の前にある。
北上は、まだ茂みに隠れている。見付かってはいない。
肩が痛い。
息が切れる。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。
動転する思考の中、彼女はその足を森の中へと向け。
それはわずか数秒にも満たず、しかし彼女には永遠のように感じられた。
そしてふと振り向いた時、そこには唇を重ねられたまま硬直するケイと、マフラーを掴んだままの夕張。
やはり現実なのだと、彼女の瞳孔は開閉を繰り返し。
彼女は、ふと夕張の視線が、自分の方を向いたような感覚を覚え。
“ひっ………”
逃げ出しながら尚も。
その橙の瞳から放たれたものに、戦慄を禁じ得る事が出来なかった。
林を抜け、回り道の末に自室へと逃げ込むと、彼女はそのままドアへと背を預けてへたり込む。
どれだけ走ったのか、呼吸は荒れ、汗もかなりかいている。
眩暈のように先程の光景がぐるぐると回り、それは瞳を閉じようが開けようが、否応なしに彼女の脳内を埋め尽くしていく。
“………ダカラ言ッタッショー、アンタハサー…。”
そこに突然、普段自分の頭蓋の中でしか聞こえないはずの声がした時。
彼女の胃は、強烈な嘔吐感を覚えた。
トイレに駆け込んで、胃の中の物を全てぶちまけ。
震えと涙が止まらない中、今度は肩の古傷が、立っていられない程の激痛を放つ。
“ネエ、聞イテンノー?”
頭も痛い、割れるようだ。
強烈な痛みと苦痛の中、彼女は再び響いたその声に、しかめていた瞼を開く。
そこにいたのは、姿見の無い個室で見えるはずもない、北上自身の姿。
だが、その幻は侮蔑の笑みを浮かべ、彼女を見下ろしている。
“ケイチャンハサー、誰ノ物デモナインダヨ?
夕張チャンノデモナイシ……マシテヤ、アンタノモノデモナイ。”
「あんた、誰、なの……!?」
“アンタハアタシ。アタシハアンタ。ソレダケダヨー?
……胸ニ手ェ当テテサ、思イ出シテゴランヨ。アタシハ、イツモソコニイル。”
先程とは一転し、北上自身の幻は優しげに微笑むと、いつの間にか見えなくなっていた。
頭痛も嘔吐感も、いつの間にか消えている。
そうして平静を取り戻した彼女の中にあったのは。
肩の痛みと、悪夢の後の様な、冷え切った感覚だけだった。
苦痛が引き、少し冷静さを取り戻した時。
彼女は何となくだが、先程の幻の正体を理解した。
僅かに残った、良心。
或いは、傷を負う前の自分なのだと。
“ははは……アタシ、バカみたいじゃん……。
あいつの…いや、アタシの言う通りだ…ケイちゃんは誰のでもないし、選ぶ権利だってあるもんね……。
なのに独り占めしようとして、せっかくできた友達だって目の敵にして…。
ああ、でも…そしたら何にも無いよ。
アタシにはもう、何も無い……。
間違ってるのかな……アタシは、誰も好きになっちゃいけないの…?
それでも、アタシは……どうしても……これ以上は、アタシはもう……。
ケイちゃん……君じゃなきゃヤだよ。寂しいよ。
ずっと、アタシのそばにいてよ……。”
ぽろぽろとこぼれる涙は、まるで彼女の狂気が、剥がれ落ちていくかの様で。
そうして露わになる心は、痩せ細り、包帯まみれになった血塗れのものだった。
狂気すら消え失せ、殺意も憎悪も剥がれ落ちた心。
そこにあるのは、果たして正常な心か否か。
狂気すら自覚して尚も、止められない何かか。
この瞬間、一人の狂人が消え。
そして、新たな何かが生まれた。
今、彼女の目の前に広がるのは。
囚われていた、どどめ色のまだら模様では無い。
そこにあったのは、どこまでも、どこまでも先の見えない。
孤独と、暗闇。
今回の投下は以上となります。
引き込まれるぅぅぅっ
コワスギル…
どうなるのかしら…
怖いってよりひたすら可哀想だ
乙
まだ70くらいまでしか読めてないけどおもしろい
続きはよ
はよ
すごい引き込まれますね…続きが楽しみです!
2週間も更新がないのは珍しいな
お待ちしてます
あ、自分もそう思っててちょっと心配
やっと帰ってこれました。投下します。
※今回若干過激な描写がございます、ご注意ください。
1月某日、夜。
鎮守府内の敷地には、プレハブ式の平屋が一棟建てられている。
それは普段、司令官用住居として使用されているものだ。
××鎮守府司令官、北川アツヤ。
彼はこの自宅にて、先程からじっと、PCのモニターを見つめていた。
PCも握られた受話器も、今は軍の専用回線のみが繋がっている。
そして受話器の向こうから語られるデータと、モニターに映る写真。
その内容を脳内で整理しつつ、彼は『それ』の脅威を想像していた。
「髪の長えレ級ねぇ……戦力としては実際どーなのよ?」
『交戦した部隊によると、戦力そのものは他の個体と大差ないようです。ですが…戦闘スタイルが異常なようですね。
こちらの撃沈を目的とせず、あくまで戦闘そのものに目的を見出している様子だそうです。』
「へー、なかなかのイカレだなぁ。で、俺らはどうすりゃいいのよ?殺すの?」
『送ったマップの、赤丸のゾーンが出没ポイントです。
集団で行動する様子もなく、獲物を見つけない限りは何もしてきませんので。なるべく、遭遇しないようにして頂ければ。』
「了解。ま、会ったら会ったで、うちの子達が自慢のロン毛を刈るだけだわ。」
『はぁ……北川大佐、そちらの鎮守府のあだ名をご存知でしょう?無闇に中身を出さないようにお願いしますよ。』
「ロールキャベツだろ?俺としちゃあ、ハンバーグが良かったんだけどなぁ。」
『それはあなた方がいつも作っているものです。』
「ありゃ深海魚のすり身だ。磯臭くて食えたもんじゃねえ。」
『とにかく、くれぐれも気をつけて下さいね!不要な交戦は避けて下さい!』
「わあったよ。じゃ、お疲れちゃーん。」
いつもの適当な返答で電話を切り、彼はすぐさまメールの文面をプリントアウトした。
そしてその無機質な文字に、じっと視線を落とす。
『該当個体名・戦艦レ級
外見的特徴・通常個体より長い頭髪を持つ模様。
被害状況・死者無し。6名中5名大破、中破1名。
戦闘時状況・中破した1名は、最も長く該当個体と交戦した模様。
最終的に中破者の肩部に外傷を残し、該当個体は撤退。
気に入った者に意図的に外傷を残し、再戦を望む傾向が見受けられる。
入渠により中破者の外傷は治療出来たものの、以降中破者はPTSDを患い、現在もカウンセリング治療、並びにデパス等の処方を継続中。』
“なるほどねえ……さて、どうしましょ。ま…遅から早かれ、ブチ殺すだけか。”
ブラックコーヒーを啜り、いつものセブンスターに火を灯し。
提督は紫煙を吐きながら、じっとそのプリントを見つめていた。
その目に浮かぶ感情は、いつもの掴み所のないもののままで。
提督の部屋には、小型の仏壇が置かれている。
そこには位牌が二つ。しかし、遺影は一つのみ。
位牌の片割れは、水子供養のものである為だ。
二つの位牌の裏には、こう刻まれていた。
『____年七月四日』と。
それは、3年半前の日付だった。
1月11日。
缶ビールの入った袋を手に、夕張は龍驤の部屋へと向かっていた。
今日は龍驤に、とある報告がある為だ。
しかしいつかのサシ飲みと違い、彼女の顔は晴れない。
「メロンちゃん……よう来たな、入り。」
ドアを開けた龍驤は、すべてを理解するように、優しく夕張に微笑みかけた。
こたつに入るよう促し、棚からつまみを取り出しつつ、龍驤は変わらず浮かない顔の夕張を見つめる。
龍驤もこたつに入りプルタブを開け、いつかと違い、静かに乾杯の声を掛け合った。
そこから数分、互いに言葉は無い。
しかし龍驤はイラつく様子も見せず、しょげた顔の夕張を優しく見守っていた。
「どうだったん?まあ、ざっくりとは聞いとるけど…。」
「龍驤さん…私…。」
そうしてぽつりぽつりと、夕張の口から、あの日の出来事が語られ始める。
“…それでも、私はケイくんが好きだよ。”
あの日、彼女がケイから無理矢理唇を奪った直後。
彼女は彼に、こう告げていた。
しかし彼の口は、ごめん、と言葉を発しようとして。
そしてその口を、夕張の手はそっと塞いでいた。
“……今は何も、言わないで。
戦争が終わってからでいいの。その時こそ、ちゃんと聞かせて…お願い、だからさ…。”
分かりきっていた回答。
そこに対する、拒絶と現実逃避。
ああ、なんてひどい自己満足なのだろう、と。
夕張は自分の行動に、重い自己嫌悪を抱いていた。
気のせいかもしれないが、あの時物陰から何か音が聞こえた気がした。
そして不意にそこを見つめた折、彼女が自覚できる程抱いた感情。
憤怒と、独占欲。
物音に対して、彼女の脳裏には真っ先に北上の顔が浮かんでいた。
それは彼女が想像していた事よりも、ずっと激しい激情を伴っていて。
それらの要素が、彼女をひどく自己嫌悪に陥らせている。
そんな様子が、話を聞く龍驤には、手に取るように理解出来た。
「最低ですよね、私…キープじゃないですか、こんなの。
なのにケイくんの口から北上さんの名前を聞いたら、自分を止められなくて……。」
「……まぁ、確かに褒められたもんとちゃうなぁ。
せやけど、メロンちゃんばっかりが悪い訳やないと思うで?」
「どうしてですか…?」
「ケイ坊はケイ坊でな、自意識が足らなすぎるわ。
そら伝えるべき事は伝えないかんけど、多少人の機微を察しようとするんもまた大人や。
どうせキミに気い遣うて、無駄にいつも通りに振る舞っとったんやろ?
誰にでも優しい男こそタチ悪いでな、そのへん。
ま…皆、まだまだ若いっちゅうこっちゃ。
……メロンちゃん、嫉妬心て特殊な感情やと思う?」
「いえ…そうは思わないですけど…。」
「せや。ええもんやないけど、誰でも持っとる普通のもん。
せやからこそな、そこに折り合い付けて生きてかなあかんねん。
今は厳しいかもしれんけど、キミなら大丈夫や。
……自分が間違いやと思うんなら、自分でそいつを乗り越えてみせえや。ケイ坊の気だって変わるかもしれへんやろ?」
「……龍驤さ〜〜ん……。」
「よしよし。さ、こっからは景気良く飲むでー!」
泣きじゃくる夕張をあやしながら、龍驤の中にはとある迷いが生まれていた。
北上とケイの繋がりに対する疑問と可能性を、夕張へと告げるべきか否か。その葛藤が。
“この子はそれ知ったら、今度こそ身い引いてまうやろな……。”
自分が抱く疑問は、恐らくほぼ間違いないであろうと言う確信が龍驤の中にはあった。
故に、その可能性は告げられないまま。
彼女はただ、優しく夕張を慰めていた。
同日、工廠。
ケイは一人居残り、いつもの如く実験を繰り返していた。
その瞳は、真剣そのもの。
だがそれは、いつもの敵への憎悪を技術として尖らせたものと違い、何かを忘れようともがいているかのような必死さを持っていた。
昨日は結局、彼は北上に会いに行ってはいない。
そして夕張の告白を断ろうとして口を塞がれた時の事は、彼の頭を悩ませていた。
それでも自分の気持ちは変わらない。
だが、断る言葉を吐ききれなかった事。
それはモヤモヤとしたものを彼の中へと落とし、振り切るように作業へ没頭していた。
集中力の世界にいる時は、彼は周りの音に気付かない事もある。
例えば工廠の戸を、息を殺すように開ける小さな音。
音を立てぬように近付いてくる足音。
そしてその肩に、何かが触れた時。
ようやく、彼は誰かが入ってきた事に気付く。
「………ユウ、さん?」
背後から絡みつく腕の主は、北上。
しかし彼女は一言も言葉を発さず。
身体をケイの背へと沈めるように、抱き着く力を強くしていく。
彼の頭の位置からは、その表情を窺い知ることが出来ない。
どういった目で、どのような顔でその行為に及ぶのか。
泣いているのか、笑っているのか。それすらも。
やがて胸元へと伸びた手は、ツナギの隙間へと入り込み。
「……っ!?」
そして撫ぜるように、舐めるように。
その指は、彼の素肌へと触れた。
続いてケイの耳へと北上の舌が這い、それは強烈な感覚を彼へと叩き込む。
それは快感ではなく、恐怖感でもなく。
ただ金縛りの如く、彼の動きを奪って行く感覚。窒息しているかのような息苦しさ。
見えない縄に囚われているかのような、拘束感。
彼が雁字搦めの感覚に犯される中、ツナギの襟をずらされ。
不意に、露わになった肩へと激しい痛みが走った。
噛み付かれ、そして付いた傷を舐め上げられている。
音も立てず、ぬらぬらと、北上はこぼれた血の一滴も残さぬよう、ゆっくりと舌を這わせている。
しかし尚も、石になったように彼は動けないまま。
硬直する彼を尻目に、北上は今度は正面へと回り、そのまま椅子の上の彼へと絡み付く。
その際彼の目に飛び込んだものは。
照明の反射以外、一切の光を映さない瞳だった。
優しくケイの手を取り、北上は自身が着ているパーカーの襟へその手を近付け。
自身の頬へ、そして首へと、まるで猫を撫でるかの如く、ケイの指を肌へと触れさせる。
そして彼の手首を使い、無理矢理ジッパーを開けさせると、はだけたパーカーの下には、キャミソール一枚のみの白い肌が。
だが、彼はその肌に走るものにこそ、固唾を飲んだ。
それは興奮ではなく、衝撃として。
刺青のように深く刻まれた、彼女の肩の傷に。
「見ちゃった?見ちゃったんだー?痛いしさ、寒いんだよねー……。
ねえ、ケイちゃん…あっためてよ。」
それはいつかのような月夜と違う。
噛み付くような、呼吸すら許さないような、暴力的な口づけ。
吸い込まれそうな瞳の圧力は、ケイの自由を尚も奪おうとする。
それは目の前のある今、よりその引力を強めて。
だが彼の震える手は、必死に北上の肩へとその手を伸ばし。
「………ユウ!やめろ!」
少ない息を振り絞るように、叩きつけるように。
北上を無理矢理引き剝がし、彼は声を上げた。
その瞬間。北上の目は、ようやくいつもの色を取り戻した。
まるで、憑き物が取れたかのように。
「……何があったんですか?黙ってちゃわかりませんよ。」
息を荒げながらも、彼の目は鋭く北上を射抜いていた。
北上ははだけたパーカーも直さず、床にへたり込み、呆然とケイを見つめている。
やがて一つ二つと、彼女の瞳からは雫が落ち。
「ユウさん!待ってください!」
何も言わず、北上は工廠から走り去った。
ケイは後を追おうとするが、向き直った北上は手を前に出し。
ようやく、声を発した。
「……来ないで。お願いだから。明日には、またいつものアタシに戻るから……じゃあね。」
そう笑う北上の顔は、まるで色を失ったかに見えて。
足を止めた彼はそれ以上、彼女を追う事が出来なかった。
走り去る背中を、呆然と見つめたまま。
やがて、その姿は彼の視界から消えていた。
夜闇の奥へと、吸い寄せられたかのように。
翌日。
ケイと夕張はいつものように艤装を艦娘達へ渡し、出撃に向けた準備をしていた。
しかしそれは、過剰なまでに、いつも通りを本人達が意識していたが故の事。
そして今日のメンバーの中には、北上もいる。彼女もまた、努めていつも通りに振舞っていた。
心の奥底に、とある決意を秘めて。
“嫌われちゃったかなー……でも、これでいいんだ。
アタシは本来の目的を、果たさなきゃいけないんだから。
……今日で、きっと全部終わる。ケイちゃんを___しちゃう前に、アタシが…。”
悲壮な感情を胸に、彼女を含む一団は、目的の海域へと向かっていく。
たった一発だ。わざと被弾して、どうせなら相打ちで、敵と共に沈む。
自爆して、家族と同じようにバラバラの死体になるのだ。
それこそが、自分の本来ここにいる目的ではないか。
自らにそう言い聞かせ、彼女は迷いを払うように深呼吸をした。
一団は順調に進み、しかし途中、旗艦である龍驤により待てのサインがかかる。
ここはこの頃噂の、危険な敵がいる海域が近い。一同は遭遇を避けるよう慎重に進むが。
突如、北上の肩に激痛が走った。
「北上?だいじょぶか?」
「あーごめん龍驤さん、だいじょぶだよ。いやー、まだ若いんだけどねー。」
周りに勘付かれる程、顔に出ていたのであろうか。
ミシミシと響く鈍痛は、進む毎に増して行く。
妙に息が切れる。
心なしか、眩暈も感じる。
まるで景色が交互に入れ替わるような、そんな感覚。
“ネェ……覚エテル?”
「………っ!?」
その異変の最中、不意にとある声が北上の中で響く。
それはいつぞやの幻と同じ、彼女自身の声。
そして直後、彼女の世界は暗転した。
“アンタサー、何デ生キ残ッタカ覚エテナイノ?
アレダケミンナグチャグチャデ、何デアンタハ肩ダケデ済ンダノカ……誰カ、ワザト残シタンジャナイカナー?
思イ出シナヨ……アノ時ノ事ヲサ…。”
囁く声が、あの時の記憶を生々しく北上の中に再生して行く。
そうだ、自分の肩に傷を付けたあのバケモノ、あいつはどんな容姿をしていた?
何故そこだけ、当たり前のように忘れていた?
恐怖で無意識に、そこだけバケモノであった以上は思い出さないようにしていなかったか?
目の前で両親を殺し、ニタニタと笑いながら自分の肩に傷を付けたあの笑顔。
最後、助けに来た弟の頭を撃ち抜いた瞬間の、揺れる長い髪。
弟の足を食いちぎった艤装の形状。
モザイクがかかったようにはっきりしなかったその記憶が、次第に生々しく形を取り戻していく。
「北上!止まれや!」
龍驤の声に現実へと連れ戻された時、彼女の先にいた者。
それは噂の敵と、身体的特徴が合致していた。
そして、たった今蘇った記憶とも。
髪の長い戦艦レ級。その姿が、現実のものとして。
「………見付けた。」
見付けた見付けた見付けタミツけたみツけた見ツけタミ付けたみつけた
その瞬間、北上の魂は込み上げる喜びに打ち震えた。
直後、敵から飛んできた弾を避けるべく、一同の陣は散り散りとなる。
だが北上は、はち切れんばかりの獰猛な笑みを浮かべ、照準をその先へと向けていた。
“神様っているんだね……アタシあんたは嫌いだけど、これだけは感謝するよ。
今日を最期だって決めてよかったよ…さぁ、一緒に死のうよ……ギッタギタにしてあげるからさぁ!!”
こっちを向けと言わんばかりに、牽制の魚雷を一発。
そして振り向いたレ級が北上と目を合わせた時、レ級もまた、恍惚とした笑みを浮かべていた。
「また会えたね」と、ニヤニヤとその言葉を形作って。
ありとあらゆる弾丸の雨が、北上の全身を掠めていく。しかし致命傷を狙ったものではない。
まるで一つの道を作るかのように、その弾筋は他の艦娘達の攻撃を弾き、そしてレ級と北上を囲っていた。
敵は間違いなく、この再会を楽しんでいる。
その意図を理解した時、北上の口は、より口角を鋭くした。
“いいねぇ…痺れるねぇ……あはは、あんたにはさ、一つやってあげたい事があるんだー…。”
恋人に駆け寄るかのような、全力の疾走。
節々の擦り傷からは血が流れ、それは花道のように北上の後へ続く。
そして敵へと近付いた、その瞬間。
遂に間近でその視線は重なり合った。
「キミ、生キテタンダァ…?ウレシイナァ、アイニキテクレタノ?」
「はは…アタシも嬉しいよ……あんたを殺せる日が来てねえ!!」
機銃を打ち込むが、これは牽制だ。
北上の真の目的は、よりレ級の元へ近付く事。
それこそ直接触れられるほど、もっと近くへ。
しかし敵も攻撃の手は緩めない。北上の肩にも腕にも、次々と穴が空いていく。
だがそんなものは彼女には関係ない。
敵の艦載機の間合いより内へ、もっともっと近くへ。
魚雷はあくまでシメだ。彼女の目的は、詰め寄ってこそ果たされる。
「アハハ、イイヨ。ヤッパリ可愛イネェ…キミハ。」
ズタボロの北上を目の前にし、レ級はうっとりとした表情で彼女の元へと近付いて行く。
レ級の艦載機は未だ他の艦娘の攻撃を防ぎ、また、その硝煙は二人を外界から見えなくしている。
恐らくは近距離から嬲り殺しにするか、優勢を良いことにじっくりと観察するか。それがレ級の狙いだろう。
だがそれは、同時に北上の狙いでもあった。
「可愛イコガイルト思ッテ、キミノコトハ取ッテオイタンダァ……アハハ、傷付ケテ残シチャエバ、ズット私ノコト覚エテテクレルト思ッテサ…。」
「へぇ……クレイジーでサイコだねー…ヘドが出るよ。」
「ユックリ齧ッテアゲルカラ、イッパイ鳴イテヨ……。
アーア、アノ時ノアレッテ、君ノ弟?ツマンナカッタナァ…鳴カナイシ、ヤッパリ人間の肉ッテマズイシ……。」
「人間喰わないなら、何であんな事したのさ……。」
「ウン!ソッチノ方ガ楽シイカナッテ!」
「へー……そうなんだ…。」
明るく笑うレ級の様に、北上は静かに言葉を返す。
北上の傷は、どう見ても出血多量だ。
だが、アドレナリンだろうか。彼女は意識もはっきりしていて。
そして、何よりも今、「心の底からこいつを殺したい」と思っていた。
レ級は油断しきっている。
ニヤニヤと北上を見下ろし、これから行う事を何よりも楽しみにしている。
「フフ…キミノ血ノ匂イ、イイ匂イダヨ……ペロペロ舐メチャイタイクライサ……。」
だが、それこそが北上の狙い。
甘えるように近付いてきたレ級の顔へ、北上の手がそっと触れた。
その瞬間。
「ギャアアアアアアアアッ!!??」
レ級の顔からは、おびただしい量の血が溢れ出した。
「あは………あははははははははははははははは!!!!どう!?生きたままツラの皮剥がされた気分はさぁ!!」
北上の片手には、半分程引きちぎられたレ級の顔の皮膚が握られていた。
レ級は恐怖と痛みにガタガタと震えながらも、尻尾の艤装を用い抵抗を試みようとする。
しかしその前に、北上は根元からそれを引きちぎって見せた。
「アギッ…アァアアアアァアアアアァアアアアァアアアッッッ!!!!???」
「文字通りの下の口ってねー。あはは、でもやっぱ上の方塞がないとうるさいかー。ま、いいや。
あの時アタシさー、気絶してて見てないんだけど……弟の脚、随分とゆっくりかじってくれたみたいだねぇ…。
……だからあんたの脚、ゆーっくり、引きちぎってあげるよ。」
「ヒッ…!?ヤ、ヤメ……アギッ!?ギエッ!?アアッ!アァアアアアァアアアッッッ!!!」
根元からじわじわと痛みを加えるように、北上の指は、じっくりと肉を、そして骨を引きちぎっていく。
その苦悶の声と表情は、まるでチョコレートの様で。
甘く、そして重く、北上の胸の中に入り込んでいた。
「ア……ウウ……ア…ガ………。」
その拷問の全てが終わった時。
北上は、マネキンの様に海面に打ち捨てられたレ級を見下ろしていた。
これだけズタボロに追い込んでも、尚の事彼女の奥底で茹だるマグマは、その熱を上げ続けている。
まだだ、まだ足りない。
だってこいつは、こうしてまだ虫の様に生きている。
湧き上がる熱は、尚も彼女の中で悲鳴を上げていた。
今、自分はこいつにどう映っているのだろう?と、彼女は考える。
恐らくは、悪魔にでも見えているのだろう。
血に塗れ、殺戮を楽しみ、ただただ己の目的の為に闘う。
それは、自分は憎い敵と何も変わらないという事だ。
望んでこうなった、敵と同じ場所まで堕ちた。
だから、誰かを愛し愛される事など、本当は有り得ない事なのだ。
そう思った時、彼女は乾いた笑みを浮かべた。
死を目前とした生物は、最後の抵抗を試みる。
それはレ級も例外ではなく、引きちぎられたはずの尻尾は、北上に向けて砲撃をしようとするが……。
ぐちゃりと、その尾の頭は踏み潰されていた。
「最後の抵抗ってやつ?ダメだよー…あんたは全部、アタシの手で死ぬんだから……。」
だらしなく涙と涎を垂らし、恐怖に打ち震えるレ級を、北上はその胸に抱きかかえた。
色こそ違うが、あの日と同じように、北上は血塗れ。
どう足掻こうとずっと同じだった、血塗れの世界。
だが、それももう終わる。
全ての元凶と共に、自爆をする事で。
“ずっと、そうだったなー…”
この3年半の記憶が、次々に北上の脳裏を過る。
全てを失った日。
死に場所を求め、荒れた暮らしを送った日々。
艦娘となり、血に塗れた日々。
ケイと再会した日。
笑い合った日々。
触れた時に感じた、ぬくもり。
そして最後まで、伝えきれなかった想い。
それら全てが、映画の様に彼女の中に流れて。
“これで良かったのかな………うん、これで良いんだ…。
これ以上生きてたら、アタシはアタシを止められない。
ケイちゃん………ばいばい。”
そしてその瞬間。
彼女の世界は、真っ白になった。
“水……あの世って、こんなんだったんだー……。”
目が覚めた時、北上は水の上を漂っていた。
どこまでも青い空と、慣れ親しんだ海にも似た心地。
周りに誰もおらず、他には何も無い。
そこは、徹底された孤独。
ここが地獄なのかと、彼女は薄く笑う。
何も変わらないじゃないか、生きていた頃と。
無に還る事も出来ず、漂うだけなのだ。
そう考えた時。
ずきりと、北上の体は痛みを感じた。
“痛い……?あれ?これさっきの傷……レ級の血も……。
アタシ、生きてるの……?”
何かの、気配がする。
目を動かし、そっとその気配の主を探すと。
そこには、応急修理女神がいた。
それはケイが、夕張が赴任した時、初めて共同で開発した。提督以外には極秘の機能だった。
艦載機のコクピットに用いられる、特殊な刻印がある。
それはテレポートの効果を持ち、撃墜時、そこから妖精達は脱出を図る。
それを応用し、艤装の内側にそれを刻む。
これは艦載機のものと違い、刻印に亀裂が入る事で応急修理女神を呼び出せるように、新たに開発された魔法陣。
妖精達が魔法陣を開発し、夕張が応急修理女神を使うべき、危険なダメージが及ぶ箇所を何度も計算し。
そしてケイが、一人一人の艤装に丹念に刻印を刻んだ。
艦娘達の命を守る、そのためだけの機能だ。
ケイが使いやすい艤装を目指したのも、強力な武器を開発してきたのも、全ては敵を殺す為。
それは、その為に全てを捧げてきた彼が。
初めて、命を守る為だけに発案した機能だった。
“何も、すっきりしなかったなぁ……みんなの仇、やっと取れたのに…。
ケイちゃん……君は、アタシに生きろって言うんだね……。
会いたいなぁ…今すぐ……会いたいよ。”
伸ばした指の隙間に広がる空は、どこまでも青い。
ぽろぽろと頬を伝う涙は、海へとこぼれ落ちて。
それはとても暖かく、まだ生きている事を彼女に告げていた。
その涙は、愛おしさや、切なさ。
そして、とある絶望を、彼女へと与える。
“もうダメだね……アタシはきっと、アタシを止められない。
ごめんね、ケイちゃん……。”
心臓の鼓動と涙は、彼女の戦争がまだ終わってはいない事を告げていた。
それは人類と深海棲艦の戦いとしてだけではなく。
彼女の心の戦争は、まだ続いていく事を意味していた。
現実として残る戦闘海域は、数える程に迫っている。
だが北上の心には、今もまだ、数えきれないほどの戦場が増え続けていた。
例えこの戦争を、終える日が来たとしても。
その心の終戦は、遥か先にあるように、北上の目には映っていた。
むしろ、この戦争を終えた時こそ。
彼女の戦争は、始まるのだと。
彼女の心臓は、そう告げていたのだった。
今回の投下は以上となります。
乙
乙
おつ
おつです!
救う為の努力が実るのは凄いよなあ…
おつです
乙
悪名高きレ級を出オチ同然に使い潰すなんて前代未聞やな
続きはよ
はよ
保守
保守
続きはよ
はよ
hosu
まだかな
イベ中だからかな
続き待機
>>400getしたかったけど、しおいちゃんの数字だからこれはこれで良しとする
続きはよ
はよ
まだかな
続きと終わりが凄い気になる…
めっちゃ楽しみに待ってます!
ちょっとずつで良いので更新お願いします!
保守
まだかな
メリークリスマス保守
完結するまで「離さない」
保守
>>409
上手い事言うたなオイ
二ヶ月かぁ
保守&よいお年を
明けましておめでとう保守
ほしゅしゅ
続きはよ
はよ
保守
保守
まだかな
皆様保守ありがとうございました。楽しみにしてくださっている方々、お待たせしてしまい申し訳ございません。
私生活の都合によりマイペースとはなってしまいますが、また少しずつ再開して行きます。
「北川大佐…こちらが、今お話させていただいた艦娘の資料となります。」
1年半前、××鎮守府執務室。
沈痛な面持ちで北川提督の対面に座るのは、隣の鎮守府の司令官だ。
彼が手渡したのは、とある艦娘のプロフィール。
そこには生年月日や経歴の他、とある調査結果も記載されていた。
「……心理カウンセリングの結果、加虐嗜好、並びにPTSDと躁鬱の傾向あり。
平時はマイペースな人格を演じる傾向も見受けられる。
着任初期、多くの戦果を上げるも、戦闘時の記憶に欠損多数。
原因は過去のトラウマによる精神状態の異常と思われる。
○○年の××町深海棲艦襲撃事件の生存者であり、その折家族、親類は全員死亡。天涯孤独となる。
医務官の判断としては早期退役、並びに心療内科への通院を推奨し………。
…へー。あの子、適性検査の時はカウンセリングやんなかったんだ?相変わらず、うちの親方様は杜撰だねえ。
で、うちで異動を受け入れるって話でいいんだな?」
「はい……その、北川大佐であれば、きっとあの子を……私には、とてもではありませんが……。」
「異動はOKだ。雷巡候補も欲しかったしな……ただ、条件が一個ある。」
「は、はい……その条けっ!?」
「とりあえず、一発殴らせてもらった。それが条件だ。
……理由はどうあれ、てめえは部下を見放したんだ。それだけはそのツラで覚えとけ。
怨恨持ちって奴かね……任せとけ。腕の見せどころって奴だ。」
その艦娘の資料に記載されていた名前。
本名・岩代ユウ
彼が当時手にしていた資料は、今××鎮守府に所属する『北上』、その人の物であった。
戦いの、2日後。
北上は担がれ帰港した直後に意識を失い、そのまま軍の病院へ入院となった。
入渠にて怪我こそ完治できたものの、暫く静養が必要との診断が出た為だ。
ここはいつもの鎮守府より、遠くの街。
彼女はひとり、ベッドで呆然と、窓に広がる空を眺めていた。
“結局、生き残っちゃったなー…。
船の方の北上も、こんな気持ちだったのかな……。
寂しいな、なんてね。”
彼女の脳裏によぎるのは、意識を失う直前の事。
必死に自分へと駆け寄る、愛しい者の姿。
しかし彼が触れるより先に意識は遠退き、彼女は気付けばこの病室にいた。
目覚めたのは、今日の朝だ。
軍医から現状の説明を受けたきり、まだ彼女の病室を訪れる者などいない。
他の患者もいない、彼女でしかベッドが埋まっていない部屋。
そんな静寂が、妙に冷ややかに思えていた。
音楽が聴きたいな、と思うも、プレイヤーが手元にある訳もなく。
そうして痛みすら感じるような静寂に溜息を吐くと、コツコツと、やや速い足音が彼女の耳に触れた。
「………ケイ、ちゃん…?」
扉を開け放ったのは、ここに来る事は無いと思っていた存在。
見れば寒さで全身は震え、ヘルメットを小脇に抱えている。
この寒さの中、わざわざ冬籠りをさせた筈の愛車を引っ張り出して駆け付けたのだと、その姿を見た時、彼女は理解した。
「ここに入院したって聞いて…大丈夫ですか?」
優しい笑みを浮かべて、彼は北上のベッドへと近付く。
ケイが一歩一歩近付く程、彼女の視界は滲んで行く。
あの夜、あれだけの事をしでかした筈で。しかし彼は、何も変わらずそこに現れた。
そんな現実がとても嬉しく。
そしてとても、怖く思えた。
しかし今、彼女の中で一番強いのは。
触れたいと言う、その想いだった。
「………ケイちゃん、ありがと…。」
いつか風邪をひいた時と同じように、彼女はケイの胸に、そっと顔を沈めた。
泣き顔を見られたくなかった。
そして、きっと顔に出てしまっているであろう、仄暗い欲望も、見せたくはなかった。
カーテンに囲われたベッドは、隔絶された世界。
しかし尚も彼女の心は、より強い閉鎖を望む。
“鍵、掛けちゃいたいな……ずっと、ずっとこのままがいい。
あったかいなぁ、ケイちゃん…。”
縋り付く腕を強め、より温もりを求め。
それでも優しく髪を撫でてくれる手は、何よりも愛おしい。
何も言わずにいてくれる彼の優しさは、まるで麻薬のようだった。
永遠に、自分のそばに縛り付けてしまいたくなるほどに。
彼女の奥に流れる寒さは、今も癒えてなどいないのだから。
“君だけだよ…アタシをあっためてくれるのは…。
もう何も、憎くないんだよ。あいつらも、夕張ちゃんも。
でも寒いんだ……ずっと…だからケイちゃん、アタシを…。”
ケイは日が暮れるまで彼女の手を握り、その間、ふたりの間に言葉は数える程。
だが、それが何よりの幸福だった。
あっという間に、彼が帰らなくてはならない時間となるまで。
「また来ます。お大事に。」
「ありがと…ケイちゃんも、風邪引かないようにね。
ねえケイちゃん…おいで。」
そしてどちらともなく、口付けを交わし。別れ。
そこにかつて彼女が抱えていたどろどろとした色は無かった。
代わりに、そこにあったものは。
「ひかる♪きえる♪ひかる♪きえる♪」
数十分後。
夕暮れの、北上以外誰もいない病室。
手持ち無沙汰な彼女は、ぽつりぽつりと、好きな歌を口ずさんでいた。
「きえろーチャイナドレスのおんなー♪」
マイナー調のメロディ。
それに対して、彼女はとても楽しげに、微笑みながらそれを口ずむ。
「でんえんとしせんれっとうれっとうかっこーかっこー♪かみさまー♪」
その目には、夕日が映る。
窓枠と夕暮れは、瞳に反射し。
「ころしてやる♪」
そこに、夕暮れ以外の光は存在していなかった。
「バリさん、戻ったよ。いやー、寒い寒い。」
「あれ?今日休暇でしょ?どうしたの?」
「部屋のコーヒーメーカー、壊れたの忘れてた…一杯もらっていい?」
ケイが鎮守府へ帰ると、真っ先に向かったのは工廠だった。
夕張は丁度、1日の仕事を終えて一息と言った所らしい。
こうした終業後の一息も慣れた光景だが、夕張は、彼が寒さに震えている理由を理解していた。
朝方、覚えのあるバイクの音を聞いていたからだ。
わざわざ冬籠り中の愛車を出してでも、早くに出掛けた理由。そんなものは、一つしかない。
「…北上さん、元気そうだった?」
「ああ、ちょっとやつれてたけどね…病院のご飯きついから、早く食堂の食べたいってさ。」
「じゃあ、戻って来たら焼肉ね。前に龍驤さんに連れてってもらったとこがさ…。」
たわいもない世間話をしつつ、しかし内心は落ち着かない。
夕張には、知りたい事があったからだ。
会話の中で質問をする機会を伺いながら、彼女は長く抱えていた可能性と疑問を、脳内で整理していた。
その答えはおそらく、彼の言葉を聞けば分かると。
「この戦争も、もう少しって所だな…だからこそ、前以上に気を張らないと。」
「そうね…ケイ君、早く仇取れるといいね。」
「そうだな…色々やりたい事もあるし。」
「ねえ、そう言えばさ……幼馴染って、どんな子達だったの?」
ここだと言うタイミングで、彼女は遂に、核心に迫る一手を放った。
敢えて深くは聞かないでいた、彼の過去。
そこにこそ、今知らねばならない事があると。
「幼馴染か…近所に住んでた姉弟でね。俺の一個上の姉と、一個下の弟。
俺、親が家建てた時に地元に引っ越して来てさ。
まだ友達もいなくて、一人で虫とか採っててさ。
そんな時に声掛けてくれたのが、その二人。
そこからは色々やったなぁ…サッカーしたり、秘密の場所とか作ったり。
その二人がいなかったら、地元で上手く暮らせてなかったよ。本当の兄弟みたいでね。
姉ちゃんの方には、俺、大きくなったら姉ちゃんと結婚するんだ!とか言ったなぁ。
弟にサッカー教えたら、みるみる内にはまってさ。
5歳ぐらいの時かな…姉弟があの街に引っ越して。
それで高校の時に、あの事件が起きた。
死者も生存者も、報道規制敷かれてたでしょ?
SNSはあてにならないし、国も亡くなった人の身内にだけ知らせ送ってさ。
ネットに流れる情報なんて、どこまで本当か分からなくて。
だから確かめる意味でも、ボランティアに行ったんだ。」
「それで…ケイ君、前にそこで確証は得たって言ってたけど…。」
「…そう、前言った血の跡。
たまたま家を見つける前から、被害者の腐敗した遺体の一部を何度か見付けてね…どれだけ激しい攻撃だったのか、よく分かって。
それで姉弟の家で、一人分じゃ済まない血の跡を見た。
色んな遺体を見た直後だったからね…助からなかったのは、すぐに分かったよ…。
どれだけ凄惨だったのか…みんな、どれだけ虫ケラみたいに殺されちまったのか…!
だからその時、決めたんだよ…どんな立場でもいいから早く軍に入って、あいつら皆殺しにしてやるって…!」
この時夕張の目には、ケイの震える拳と。
そして夕張が恐怖すら感じる、彼のあの顔が映っていた。
ごめん、と一言こぼし我に返るケイの姿に、罪悪感を感じる。
だが、それでも深く関わった以上、知らなければならないと夕張は決めていた。
自分の恋の行方も。そして、もう一つ決めたとある事も。
全てを結ぶピースは、そこにあると確信しているが故に。
「…良かったらその二人の名前、教えてもらってもいい?」
艦娘の本名の秘匿義務は、原則本人の意思が尊重される。
免許合宿の時のように本名がやり取りされる場も、あくまで同型艦の適合者が複数いる場合だ。
例えば整備員や事務員などには、わざわざ言わない者もいる。
北上はと言えば、「女の秘密」だと、ケイに自身の苗字までは明かしていなかった。
ラインの名前も本名と関係ないものに設定し、他の艦娘にも殆ど明かしてはいない。
ユウと言う名前以外、彼は知らない。
そして彼が名前を知っている事は、夕張も知らない。
だが夕張は、とある予感を感じていた。
「…岩代ユウと、岩代コウタ。それが二人の名前さ。
もう顔も上手くは思い出せないけど…それでも俺にとっては、一生忘れられない二人だよ。」
その瞬間。
彼女の中で、全てが繋がった。
今回の投下は以上となります。
おつおつ
復活嬉しいです!
待ってましたー
やったぁ!!!
乙や!
待っとったでー!
乙おつ!
頑張れ~
乙!
連日の保守が、今、すべて報われたっ・・・!
乙です!
いよいよ絶叫極大のクライマックスが近づいてる予感
乙
遅かったじゃないか…待ちわびたぞ
投下します。今回は若干のグロ注意です。
とある年の6月。
鎮守府地下、霊安室。
かつて軍人の遺体保管用として使われていたステンレスの寝台には、とある怪物が数体寝かされていた。
それは深海棲艦の遺体、軍内ではヲ級やタ級と呼ばれる個体のものだ。
「この遺体は、今日あなたが作った兵器で死んだものよ。ケイ、よく見ておきなさい。」
当時整備長を務めていた、工作艦・明石。
彼女の隣には、まだあどけなさの抜け切らない青年がいた。
後に若干二十歳にしてここの整備長を任される事となる、笠木ケイタロウ。
この日使われた弾薬や艤装は全て、彼の手が入ったものが使用されていた。
明石の手掛けたものとの、殺傷効果の差異。そのデータを取る為だ。
「この貫通射創を見て。射入創は右腹部から、そして射出創は脊髄の左側、肩甲骨下の辺り。
致命傷は与えているけど、ストレートには抜けていない。体内で軌道が変わって、盲貫射創になりかけているわ。貫通力が甘いわね。
最初は全体的にパワーが強過ぎたけど、今回のは逆に、少し弱い。」
「なるほど…例えばもしこれが徹甲弾のケースだと仮定して、装甲部に当たった場合、貫通力の不足が致命傷を与えられない可能性もあると。」
「そう。今度はこっちのヲ級を見て。
魚雷で左下半身が吹っ飛んでるけど、致命傷はあくまで機銃による顔面への掃射。
初回と違って推進力の調整は上手く行ったみたいだけど、弾頭の爆発力とのバランスがまだ悪いわね。
発射の負担を減らし、しかし着弾時の爆発力は落とさず。これが重要な所よ。」
「そうですね…ありがとうございます、参考になりました。」
「確かに甘い点は多いわね…でもケイ、あんたの入隊期間で実戦投入されてる事自体、本当にすごい事なのよ?
普通はまだ、調整の勉強から抜け出せないレベルだもの。そこは驕らず、でも誇る事。いい?」
「はい!もっと良いものに出来るよう精進していきますので!だってそうなれば…………。」
“え…?ケイ…その顔………。”
この頃のケイはまだ周囲への態度が堅く、愛想笑い以外の笑顔を周囲に見せていない頃だった。
手術着とマスクに隠され、互いの表情は伺えない。
だが明石には、マスク越しでも彼の『ある変化』が手に取るように分かった。
「……もっとたくさん、あいつらを殺せますから。」
この時初めて、心からの笑みを見せた彼の目元。
それは強烈な恐怖と、絶対に彼を最後まで見守ると言う誓いを明石に与えたのであった。
とある夜、龍驤の部屋。
いつものビールではなく、テーブルに置かれているのはコーヒーが二つ。
そして龍驤の対面には、夕張が座っていた。
以前の沈痛な面持ちとは違い、夕張の顔には困惑が浮かんでいる。
煙草を薫せながら、龍驤はそんな彼女の言葉が出てくるのを、優しく見守っていた。
「……龍驤さん。私、気付いちゃいました。北上さんの正体は、ケイくんの幼馴染だって…。
免許合宿の時、本名が呼ばれてたんです。それでケイくんに、幼馴染の名前を訊いたら…。」
「そか…うちも前、明石からケイ坊に昔何があったんか聞いたわ。
せやろなとは思うとったけど…まさかほんまになぁ…。」
「……北上さんの肩に、大きな傷があるんです。
きっとあの事件の傷で…どんな気持ちで生きて、ケイくんと再会してから、今までどんな気持ちで隠してたんだろうって考えたら……。」
「…その傷の事なら、よう知っとるよ。縫う前もほんまズタズタで、女の子に付いてええもんやなかった。」
「知ってるんですか?」
「…あいつは錯乱しとったから覚えてへんけど、あん時あいつを救助したんは、うちや。
陸におった時、うちは救出部隊の隊長やっとってな。そん時の捜索で発見したんやけど…まぁ、ひどいもんやった。
両親は半身吹っ飛んで壁にひっついとるし、弟なんて頭吹っ飛ばされた挙句、下半身ぐちゃぐちゃに齧られててな。
弟のそばに金属バット落ちとって…北上ん事、庇おうとしたんやと思う。
北上な、吹っ飛んだ家族の脳ミソや腹わた、一生懸命遺体に戻そうとしとったよ。ヘラヘラ笑いながらな。
もうええんやって声掛けて、抱っこしたけど…うちも血や肉片でびちゃびちゃになるぐらい、あいつは血塗れやった。」
きゅ、と、夕張が拳を握り締める音が響く。
その表情には、言い知れない怒りが浮かんでいた。
部屋にはコーヒーの香りと、ランダムでPCから流される音楽。
その中で龍驤は、淡々と言葉を続ける。
「そん時は、助けられたと思うとった。
…せやけどそないなもん、命だけやったわ。
北上が前の鎮守府配属された頃か。隣との合同作戦で再会してな…ああ、やっぱこっちの世界に来てもうたんか思うたよ。
忘れられへんわ…サイコな笑顔浮かべて、死体までブチ抜いて。
ケイ坊が配属されたすぐ後か、あいつがこっち来たんは。
初めはな、ケイ坊に出会ってええ方向向いたんかと思った。
でもそうやなかった…あいつはケイ坊に寄っ掛かって何とか保っとるけど、本質は何も癒えとらん。
冷たいけどな。結局、自分で折り合い付けなあかんねん。心の傷なんてもんはな。
誰かに寄っ掛かっとる内は、何も解決せえへん。
まぁこうは言うても…モヤモヤしたもんは、あるけどな。
うち、メロンちゃんの心意気は好きや。
せやけど同時にな、このままやと北上は、ケイ坊を傷付けるんちゃうか思うてな…キミの事応援しとるのは、それもあった。
…黙っとって、すまんかったな。」
「…龍驤さん、何も謝る事は無いですよ。
むしろお礼を言い足りないぐらいで…本当に、みんなのお姉ちゃんじゃないですか。
みんなの事、それだけ一生懸命考えてくれて。ありがとうございます。」
「…おおきにな。」
少し恥ずかしげに微笑む龍驤を見て、釣られて夕張も笑った。
彼女の中で、何かしらの決断は出たのだろう。 少しだけ、夕張の顔は晴れやかに見える。
「龍驤さん。私、今の話を聞いて、今までの事も考えて…決めた事があるんです。」
「何?」
「本当の事を言うと…最初ケイくんから北上さんに告白したいって聞いた日……北上さんの事、殺したいって思っちゃったんです。
でも龍驤さん、言ってくれたじゃないですか?
それは誰でも持ってる普通のもので、そこに折り合いを付けて生きなきゃいけないって。
自分の気持ちをどうするかは、まだ答えは出せません。
でも、ケイくんは私の大切な人で…北上さんは、私の大切な友達で。
だから結果がどうあれ、私は___」
翌日の夜。
ケイはこの日、珍しく提督専用住居である、鎮守府内の平屋へ招かれていた。
「たまには飲もうや!」と、飲みの誘いの常套句で呼ばれはしたものの、実は提督の家で飲むのは初めての事。
些か落ち着かない様子で、彼はインターホンを押した。
「うーす、お疲れちゃん。まあまあ、上がってくれや。」
ともすればチャラいとも言われかねない、いつもの軽い態度。
しかし一度玄関を跨げば、整頓され、インテリア等も考えられた廊下がケイを出迎えていた。
リビングに通されるとテーブルを挟み、それぞれ二人掛けと一人掛けのソファが置かれている。
一人掛けの方は使い込まれている様子で、いつも提督がそこに座っているのが見て取れた。
「お客様だかんなー、でけえ方座んなよ。」
トレイにグラスとアイスペールを乗せ、提督はそれをテーブルへと並べる。
注がれたウィスキーは、何やら高価そうな雰囲気を纏ったボトルに入っていた。
いつも提督と交わす酒とは違う雰囲気に、彼は緊張を感じていた。
「「乾杯。」」
煽る一口目は、強い風味と旨味を舌にもたらす。
“確かに美味いが、本当にこの味を理解するには自分はまだ若すぎるのだな”と、この時ケイは考えていた。
「戦争も、終わりが近えな……どうよ、仇討ちは果たせそうか?」
父が子に語る様に、提督はそう投げ掛ける。
ケイは少し逡巡した後、真っ直ぐに提督の目を見、そして言葉を返した。
「…ええ、仇討ちは果たせそうです。」
「そうか…この戦争を終わらせたら、お前は軍に残るのか?」
「そうですね…暫く残って、でもいずれは退役するつもりです。やりたい事が出来たので。」
「成る程ね………いやー、良かったわ。だってお前よ、入った時は噛み殺さんばかりのツラでドライバー握っててな。
俺おしっこちびるかと思ったわー、はっはっはっ!」
「そんなんでしたか?確かに堅かったですけど…。」
「いや、マジマジ。入った頃とかやべえ新人が来た!って持ちきりだったもんよ。
懐かしいなー…お前も随分成長したな。まだまだだけどよ。相変わらず女っ気ねえし。」
「そこまで頭回りませんでしたよ……仇討ちで一杯でしたから。」
「お?過去形ってこたぁ、今はちげえの?」
「物好きなおっさんには黙秘権を行使します。」
「はっはっはっ、言うねー。」
思えばこうして軽口を交わし合うのも、もう何度重ねたものか。
しかし戦況が進めば、それもいずれなくなる。
不謹慎な気もしたが、少し寂しい様な。そんな気もケイは感じていた。
「ま、今日来てもらったのは、たまには若人の参考に、おっさんの話でもしてやろうと思ってな。」
「まーた逃げた奥さんの話ですかー?提督が未練タラタラなのはよーく知ってますよー。」
「……実は嫁が出てった先は知ってるぜ。そこだ。」
「………え?」
そう提督が指差した先には、小さな仏壇が一つ。
今まで離婚したものだと思う話し方をされていたが、そこにある物を見た時、彼が妻と別れた理由をケイは理解した。
「逃げてんだろ?あの世によ。ったく、旦那置いて遠く行きやがってよ。」
「奥さん、亡くなられていたんですか…。」
「皆には黙ってたがな。お前以外じゃ、龍驤ぐらいしか知らねえよ。
もっともあいつにも、ただ死んだとしか言ってねえけど。
……今日はな、お前にその話をしてやる。何か参考になるかと思ってな。」
「は、はい……。」
「……3年半前だ。7月4日、この日はよく覚えてるだろ?」
「………!!」
そして提督は、自らの過去を語り始めた。
ありゃ結婚して3年ぐらいの時か。
当時の俺は少佐でよ。
とは言ってもなりたてだ。何やかんやで、しょっちゅう海に出ててよ。日本中飛び回ってた。
それでもまあ、結構無理してでも、非番の度に家帰ってたんだわ。
嫁の顔は出来れば毎日見たかったし、何よりその時の俺には、帰りたい理由があった。
子供がな、嫁の腹の中にいたんだよ。
そりゃもう、何よりの楽しみだ。
帰る度少しずつ大きくなる腹や、耳を当てた時の心音。
何より、あいつの幸せそうな笑顔。
絶対に守りたいと思ったし、その為にも仕事頑張らなきゃなって思ってた。
そんな日々が続いて…8ヶ月ぐらいになった頃か。
出産の準備で、嫁が暫く実家に帰る事になってな。その時は夏の始まりで。
あいつは、あの町の生まれだった。
7月4日の夜だ。
緊急警報と出動要請。その時100km離れた海にいた俺の部隊は、すぐさま指定の海域に向かった。
…海から火の手を見て、心底愕然としたよ。よりによって、見覚えのあるあの町だ。
結婚の挨拶の時、あいつと遊覧船で沖から眺めてた景色が、地獄絵図になってた。
上陸しようにも、海にはあいつらがうようよいる。
そりゃ派手にドンパチやってよ。でもどっちも引かねえみてえな状態で、こっちも怪我人どんどん出て……ちっとも進まねえんだ。
そうしてる間にも、遠くの銃声や悲鳴も、火の手もどんどんでかくなっていきやがる。
へへ…ウケんのがよ、あいつら軍人は戦闘不能にしても、なるべく殺しゃしなかったんだ。
どんだけ味方が殺られても、それだけは守っててな。
……代わりに、一般人は徹底的に皆殺しだ。
さぞや楽しかったろうよ。俺らの守るべきモンを、次々に目の前で殺してくのはよ。
そうやって必死に殺り合ってる内に、夜明けが来た。
潮が引くみてえにあいつらが撤退してよ…全部いなくなった時、ようやく陸に辿り着けた。
俺のデコッパチに、でっけえ傷があんだろ?これはその時のだ。
上陸した時、俺の目の前にあったのは地獄だ。
炭化した死体、飛び散った死体、ブチ抜かれた死体。
どこもかしこも、瓦礫と死体しかねえ。何度か来た綺麗な港町は、跡形もなかったよ。
だけどな…人間意外と、道って奴は覚えてるモンだ。
記憶を頼りにあいつの実家に着いて……そこには、陸の救出部隊がいた。
「海軍の方ですか!?よくぞご無事で…救護要請ですか?」
「そんなもんはとっくに呼んだよ…頼む、この家に入れてくれ。」
「………どうしてでしょうか?」
「…嫁の実家だ。身重の嫁が帰省してる。」
「……出来ません…あなただからこそ、この先は見せられません!!」
初対面の陸の隊員がよ、俺の一言で泣きながらそんな事言うんだぜ?
その瞬間、俺は部隊ん中に突っ込んだよ。
制止も片っ端から振り切って、リビングに突っ込んで。
…確かにそこにいたよ。嫁も、子供もな。
「はは…おいおい、何のギャグだよ……なぁ…つまんなすぎんだろ…。
ははは……ひひ…嘘だろオイ………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!」
嫁は、腹を裂かれて死んでたよ。
側にはへその緒が付いたまんまの、首がちぎれた赤ん坊の死体。ちぎられた頭は、嫁の腹ん中に突っ込まれてた。
後で検死の結果分かったんだがな…最終的な嫁の死因は腹の傷での失血じゃなく、ショック死だったんだと。
生きたまま腹裂かれてよ…子供を取り出されて、目の前でくびり殺されたって事だ…。
嫁の目は開いたまんま、涙の跡があった…それが何よりの証拠だ。
男の子か女の子かは、生まれる時の楽しみにしようって言っててな。
検査でわかっても、性別はまだ言わないでくれって医者に頼んでた…近くにあった子供の死体は、女の子だったよ。
どっちの名前も、もう考えててな。
女の子だったら、ユウナにしようってあいつと相談してて……火葬場の蓋を閉める時、初めて名前を呼んだ。
……娘の名前を呼んだのは、それが最初で最後だ。
嫁の目を閉じたし、最後にキスもした。
血の味と死臭と、冷たさ。それしかなかったけどな。
二人とも、そのまま煙になっちまって、小さくなって。今はそこの仏壇にいる。
……ま、そんな話さ。
「……………。」
「……どうした?顔が怖えぞ?」
「………提督。この戦争、絶対に勝ちましょう。こんな事、早く終わらせなきゃいけない。」
「お前ならそう思うだろうと思ったよ。で、絶対そう言うと思った……だかしかーし!」
急に出された大声に驚くと、ケイは頬を掴まれ、そして思い切り横に引っ張られていた。
それは丁度、笑顔を形作らせるように。
「イイデスカケイサーン!それはそれ、これはこれデース!
…そりゃ連中は100回ブチ殺しても飽き足らねえよ。だがよ、まだ生きてる俺らの人生は続いてく。てめえはまだ若え。
やりてえ事できたんだろ?ブチ切れんのは整備ん時だけにしろ。それ以外は笑っときゃあ良いんだよ。
はい!じゃあ仇討ち以外で今一番やりたい事発表!女か?女なのか?んー?」
「はは…あんたねえ…まあいいでしょう、ぶちまけましょうか。
俺はー!幸せにしたい人が!できました!」
「え?マジなの?」
「そこ真顔ですか!?」
「へへ…いやー、成長したなってな。誰かは何となくわかるから、訊かねえけどよ。」
「……まだ告白してないんで、内密にお願いしまーす…。」
「了解。まーまー、そんじゃもっかい乾杯な。」
「……ん?ショットグラス…?」
「うちはカクテル系もいっぱいあるぞー。テキーラ?それともイエガー?」
「殺す気ですか!?」
「へへへ…爆発しやがれリア充…。」
「大人気なさすぎでしょ!!」
「そんなもんはお母さんのお腹に置いてきました!」
「ふざけんなこの35歳児!!」
そうして騒がしい夜も更け。
ケイも部屋へと戻り、提督は一人、洗面所で鏡に向かっていた。
“あの話して、俺に怒りを覚えねえか……よく出来た部下を持ったよ。
ケイも、北上も…龍驤や夕張も…いや、ここの奴ら全員か。
俺はてめえの復讐の為に、あいつらの恨みや事情を利用してるだけだ。
まあいい死に方は、出来ねえだろうな…….なあ、そうだろ?お前らんとこには、俺は行けねえ。”
蛇口をひねり、提督は手に取った水を激しく顔にぶつける。
冬の水は、温度以上に冷たく感じられる。
そして何かを決意したかのように、彼は作戦時以外見せない鋭い目を鏡に向けた。
“ケイ。お前は、俺みたいになるなよ。”
心の中の声は、誰に聞こえるでもなく。
電気の消された洗面台は、夜の闇へと包まれるのみだった。
同日。△△市内、軍病院。
見舞いに来ると言う同僚に頼み、北上は自分の携帯を持って来てもらっていた。
彼女はそれを使い、何やらネットサーフィンをしているようだ。
開かれているのは地図のアプリ。
そして時折webブラウザに切り替えては、その度乗り換え検索をしているらしい。
スクリーンショットとブックマークをいくつかし、そうして集めた資料を見ては、彼女はご満悦と言った様子。
まるで旅行の計画を立てるかのように、北上は歌を口ずさみながら、楽しそうにその動作を繰り返していた。
「あなーをーほっているー♪じぶんがはいるあなをーほってーいるー♪」
地図で調べられているのは、スーパーやコンビニ。
彼女がしきりに気にしているのは、駐車場の見取り図だった。
そして集めた資料の中で、最も理想的な条件の物を見返した時。
彼女は、とても嬉しそうに微笑んでいた。
今回の投下は以上となります。
おっつおっつ
やーん怖い
乙ですー
乙。
提督のcvが藤原啓治で聞こえてくる…
うおおお!ここに来て連続更新!!
ありがてえありがてえ
乙
昔すぎて度忘れしちゃったけど、この作品の提督って今回初登場なのかな?
何度も出てきてるぞ見直せ
みんな溜まってるなぁ
最初からもっかい読もう・・・
乙
北上がラストで歌ってた歌、どっかで聞いたような
amazarashiってバンドの「穴を掘っている」って曲だね、その前にベッドで歌ってたのは「ムカデ」。
好きなバンドが、好きな作品に出てくるのって嬉しい。
待ちに待った更新…
はー、これは助かる…
保守
続きはよ
はよ
キリ悪くなっちゃったな
何のキリが悪いんだか何で退けなくなったんだかさっぱり分からん
>>468
話がまだ続きそうな感じで切られたからこのまま落とせば非難轟々だぜってことだろJK
保守
>>1を脅してるつもりなんだろうか
頼むから何も喋らずにいてくれないか
投下します。
「ユウ、おめでとう!」
今日はアタシの誕生日。
友達も、家族も。みんな祝ってくれた。
嬉しいなー。今年はさ、親からハサミを貰ったんだ。
ちゃんとした、髪を切るためのハサミのセット。これを持って、アタシは来年から地元の美容学校に行く。
…嬉しいな。頑張らないと。
「姉ちゃん、おめでとな!」
「コウちゃんもありがとねー。んー、かわいい奴めー。」
「それはやめろっての!!」
あはは、このスキに撫でまくってやろうと思ったのにー。
今年もいい誕生日を迎えられたって思えた。
とても幸せだと、そう思っていた。
後になって、アタシは自分の生まれた日の偶然に、心底嫌気が差したけど。
7月3日。
アタシの誕生日で、軍艦としての『北上』の進水日で。
そして、あの日の前日の事。
北上がレ級との決戦を終え、2か月半が過ぎたとある春の日の事。
艦娘を保有する国全てによる連合軍は、遂に深海棲艦の本拠地を叩いた。
ケイたちが開発した機能は、非常救命装置として全ての艤装に標準装備とされ。
その活躍もあり、遂に敵の本拠地を制圧。全ての深海棲艦は、駆逐された。
そのメールを、ケイは拠点の基地で受け取っていた。
提督と、北上やケイら選抜された者たちは、海外の戦地へと派兵されており、鎮守府にはいない。
メールに添付されたそれぞれ全参加者と、xx鎮守府の者たちとで撮られた集合写真。
それだけが、彼らの無事と勝利を実像として伝えている。
「終わったんだな…。」
長きに渡る彼らの戦争は、余りにもあっけなく終わった。
今の所、喜びの言葉は無い。
今は安堵と、まだ空虚な実感と。それだけで彼の胸はいっぱいだった。
基地はそれぞれの国に区画が割り振られ、その中をさらに細かく、各鎮守府のテントが建てられていた。
今xx鎮守府のテントにいるのは、ケイひとり。
他の部署の者は喜びの余り、皆テントの外へと飛び出してしまっていた。
外からは、各国さまざまな言語が入り乱れた、喜びの叫び。
その中で彼は一人、とある予備の砲身へと手を伸ばした。
組み込みも何もされていない、撃てない砲身。
それをこめかみに当て、彼はそこにないはずのトリガーを引いた。
直後、手放された砲身は、カラカラと床を転がり。
ケイは、その場に力なく膝をついていた。
“ユウ姉ちゃん…コウタ……仇は、取ったよ…。
好きな人も仲間も守れた…なあ、何か言ってくれよ………なあ…!”
コンクリートの地面を、ひとつ、また一つと水滴が濡らしていく。
戦いを終え、愛する者や仲間たちの無事を確かめた今。彼の胸へと去来するもの。
それは、例え仇を取れたとしても。決して取り返せない喪失への、深い悲しみだった。
二度と彼らは、消えた命は戻らない。
深い憎悪や狂気とたゆまぬ努力、その中で得てきた願いと、希望と。
その果てに彼は今、その現実をようやく受け入れる事が出来ていた。
この日、彼の戦争は終わり。
そして少年は、ひとつだけ大人になった。
だが、まだ終戦を迎えていない者が、ひとりだけいる。
それは、彼が最も愛する___
4月26日。
この街にも桜前線が訪れる中、鎮守府は静かだった。
終戦を迎え、最前線に派兵されていた者たちも戻り、約2週間。
艦娘各々は終戦にまつわる残務処理も終え、大半の艦娘には終戦記念として、一月半の長期休暇が与えられていた。
国際条約により、一部の残党狩りに携わる者以外の艤装は、全て解体となった。
2週間かけ全ての艤装を解体し、工廠にはそれらのパーツが山積みとなっている。
ケイたち工廠組の長期休暇も、明日からようやく始まる。
そしてこの日、ある者の恋が終わった。
“振られちゃったなー…まあ、覚悟はしてたけど。”
最後の艤装を解体した後。
夕張は改めて、ケイに自分の想いを伝えた。
「……ごめん。俺の気持ちは、やっぱり変わらないよ。」
彼の心は、冬と変わらないまま。
はっきりと告げられた謝罪の言葉と彼の表情に、食い下がる事など彼女には出来なかった。
覚悟を決める時間が空いていた事も大きいのだろうが、思いの外、彼女の心は晴れやかだった。
10代の頃に伝えきれなかった想いを、ようやく伝える事が出来た。
それだけでも、決して今までは無駄な時間ではなかったと、今はそう思える気がして。
“何か実感わかないなあ……でもあの二人がちゃんと付き合ったら、泣くんだろうな。”
想像の中のふたりの幸せな姿は悲しくもあり、楽しみでもある。
いつかの駐車場で抱いた、自己嫌悪に陥るほどの激情が消えた事に安堵し。
そして、あの日の唇の感触を思い出しては、どこか切ない気持ちになり。
それでも、少しでも未来に向けて顔を上げて行こうと、彼女はそう思っていた。
ただ、気がかりな事がある。
それは北上の心の傷と、彼女がいつ真実を彼に告げるのか。その2点だ。
“大丈夫だよ。ケイ君ならきっと、北上さんを受け入れて、助けてあげられる。”
だが夕張は、気付いていない。
いや、それこそケイ以外、その本質の片鱗を覗いた者などいなかったのだ。
北上の抱えるものが、ここの者たちの想像を、遥かに超えるものであるなどとは。
4月28日。早朝。
1台のバイクが、鎮守府を出て行った。
タンデムをしているのは、とても幸せそうな男女。
春の日差しは心地よい風を彼らに与え、桜のシャワーはその幸福を祝福しているかのようだった。
ずっと前からの、二人の約束だった旅路。
やっと戦いを終え迎えられた、未来への道。
バイクはその中を、迷いもなく進んでいく。
ハンドルを握る青年は、とある決意を胸に秘めていた。
今は亡き大切な者たちの家に花を手向けた時、自分の戦争はようやく終わると。
そしてその時が来たら、彼女に想いを伝えようと。
背中には、彼の大切な人。
幸せそうに微笑む彼女がミラーに映るたび、彼もまた、釣られて微笑んでいた。
「ケイちゃーん。」
「どうしました?」
「ふふ、いい天気だねー。わびさびだねー。」
こんな何でもないやり取りが、今は何よりの幸福だった。
守るべき笑顔がある。それだけで、どこまでも強くなれそうな気さえしていた。
途中に寄った丘の景色や、二人で食べた食事の味。
それゆえ一つ一つの世界の煌めきを、噛み締めるようにバイクは進んでいた。
15時を過ぎる頃、少し日が傾いたように感じられた。
この日の目的地はもうすぐ、宿は彼女が押さえてくれている。
そんな中、彼女は彼に声をかける。
「ケイちゃんごめーん、トイレ行きたい。
あ、この先にコンビニあるって。ちょっと寄ってもらっていい?」
バイクは看板の指示通り、とあるコンビニへと入っていく。
それは田舎によくある、異様に駐車場が広く、周りには畑しかない店だ。
駐車場はL字になっており、店内からの死角側にバイクを止めるスペースがある。
各々用足しと買い物を済ませ、バイクへと戻る。
バイク用のスペースは、国道沿いからは見えない。
真横に白い車が停められており、日当たりが悪いな、と思いつつヘルメットを持ち、彼はある事に気付く。
「そういえばそこの車、ユウさんのと同じのですね。」
「そだねー。アタシの昨日メンテに出したんだー、何か調子悪くてさ。」
「ちょうど向こう帰ったら戻ってくる感じですか?」
「そ。まだまだお世話になるからねー、ちゃんと直してもらわないと。」
そのまま彼がヘルメットに両手をかけた時。
後ろにいた彼女が、不意に声を掛けた。
「………ケイちゃん、ごめんね。」
その直後、彼の意識は途切れた。
目を覚ますと、見知らぬ部屋に彼はいた。
嗅ぎ慣れない匂い、どこか埃っぽくもある。
それがよくあるレイアウトの洋室だと気づいた時、彼は自身の身に起こった異変を理解した。
“縛られてる…!?”
手足の自由は奪われ、ベッドに縛り付けられている。
口には猿轡、唯一自由の利く視界は、必死に状況を整理しようと、薄暗い部屋のあちこちへ視線を動かし。
そしてこちらを見つめる、生臭さすら感じるじっとりとした視線に気付く。
“ユウ、さん……?”
「やっと起きたー?もうお昼近くになっちゃうよー。
ふふ、ケイちゃん…ここ、どこかわかるかなあ?」
そう質問を投げかけながら、彼女は彼に絡みつくように圧し掛かる。
優しく撫でてくる手と、彼女の甘い香り。その感覚の中、おぞましい感覚が彼を襲った。
首筋にべろりと、彼女の舌が這わされたのだ。
「ふふふ…おいしいねー……もうさ、誰も邪魔なんかしないんだよ?
ねえケイちゃん…ここはさ、アタシの実家なんだ。それで、これからケイちゃんの家でもあるの。
ねえ……アタシが誰か、わかる?」
唐突に投げかけられた質問は、彼の混乱をより深くしていく。
目の前にいるのは、最愛の人に違いない。
だが、今はまるで別人のようにも見える。
そんな彼の姿を愉しむように、彼女は艶めかしい笑みを一層深くした。
「ま、忘れちゃっててもしょうがないよね…何年前だって話でさー。
……ねえ。アタシの苗字、教えてあげるよ。『岩代』って言うんだー……。」
「……!?」
その直後、彼女は自らの結ばれた髪にナイフを入れた。
左右のもみあげが結び目から切られ、そしてトレードマークだった三つ編みも、乱暴に切り落とされる。
先ほど告げられた名前と、そこに出来上がった彼女の姿。
それは衝撃的な現実を、彼へと突きつける。
「あの頃のアタシ、ミディアムだったもんねー……どう、思い出した?
ひどいよケイちゃーん…結婚するんだーなんて言っといて、ずっと気付いてくれないんだもーん。
あはは、お父さんもお母さんもコウちゃんも、君が見た通りみんな死んじゃったよ?
でもアタシは……ずっと、ずーーーっと……君のそばにいたんだー…。
『久しぶり』だね、ケイちゃん。アタシはユウ姉ちゃんだよー?
君の幼馴染の。」
馬乗りでそう笑う彼女は、彼ですら見た事のない笑顔を浮かべていた。
彼女は息を切らし、はだけた服から覗くのは、いつか見た深く長い傷。
初めて間近で見たそれは、柔肌には全く似合わない、余りにも痛々しい赤みを呈していた。
そうして恐怖と驚愕に打ち震える様を見て。
彼女の目は一層ぎょん、と見開かれ。
ギラギラとした瞳孔は、さらに吊り上がる口元と相まって、宿された狂気を何一つ隠す事を拒絶する。
「ふふふ…びっくりしてる?そんな顔もかわいいねー…」
一転し優し笑みを彼に向けると
頬を撫で、馬乗りのまま、肩が軋まんばかりに強く彼を抱きしめた。
「離してほしい?ダメだよー、ケイちゃん……」
そして彼女は。
彼の耳元で、こう甘く囁く。
「離さない。」
今回の投下は以上となります。
最終章に入りました。牛歩ではありますが、完走を目指します。
待ってました!
ついにタイトル回収……最終章楽しみにしてます!
かわおそろしい
これでエンディングでもおかしくない流れ…
これでもまだ続くのか!最終章楽しみです!!
北上スキーなことにかけては人後に落ちない自負があるが
これは俺には書けない北上さま
完走楽しみです
乙!
興奮がおさまんねえ!
保守
投下します。
とある3月の事だ。
夏場はバーベキューや釣り客で賑わうこの川原も、この時期は人も疎らになる。
そこである女が、一斗缶に火を起こしていた。
炎はパチパチと音を立てるが、そこにはまだ薪以外は何も無い。
暖を取ると言った様子でも無く、女は火が強くなるのをただ待っているようだ。
そうして炎を眺めていると、女の脳裏には、いつか見たとある映画の光景が浮かぶ。
それは登場人物の、ペット商にしてサイコパスの老人が、殺して解体した人間の骨を火にくべるシーン。
確か老人は、「元気でなー!」と言って骨を投げ入れていたか。
そのシーンを思い出し、同じ事を呟きそうになるものの、彼女はそれをグッとこらえていた。
本当の別れの言葉は、まだ早いのだから。
これはあくまで下準備なのだ。
誰かを殺して火にくべる訳じゃなし。要らないものを燃やして処分する、ただの断捨離に過ぎない。
だが、愛着のあるものを処分するのは、些か気合がいるものだ。
そうだ、こんな時は自分を奮い立たせねば。
そう思い、彼女は歌を口ずさむ。
これは必要な事なのだと、己に言い聞かせる為に。
袋の中にはゴミ。きっとよく燃えるであろう、フェルトで出来たゴミだ。
それを取り出し炎に投げ込むと、彼女の歌は、丁度サビへと入っていた。
「だけどさいごがきたときにねー♪もうこれでおわりというときはねー♪」
パチパチと焼かれていくのは、人を模った2つのゴミ。
それは何故か髪の燃えるような異臭を放つが、焼かれているのは、ただのぬいぐるみに過ぎない。
だが、楽しげな歌声に反して。
それを見つめる彼女の目には、悲壮な決意が浮かんでいた。
「メロンちゃん、ラーメン食い行かへん?」
北上達が出発した日の事、龍驤は夕張にこんな誘いをかけていた。
彼女は全てを察していたが、そこに敢えて触れずにいた。
夕張が話せるようになるまでは、少しでも励ましてやりたいと。そう思っての、外出の誘いだった。
元気よく行きます!と答えはしたものの、夕張の目は、やはりどこか空虚だ。
それを切なげに見守りつつ、龍驤は駐車場へと夕張を招く。
真昼の駐車場は、よく日が当たる。
春の陽気に目を細めつつ、二人は龍驤の車が停められている区画へと向かう。
その時の事だ。
ふと遠くを見た龍驤が、何故か違和感を感じていたのは。
「んー?なあメロンちゃん、何か変やない?」
「どうかしました?」
「いや、何か足りひんなぁって…まぁ今実家行っとる子も多いし、車出てるせいやと思うけど…。
……ん?なあなあ、北上の車ってどこ停めてあったっけ?」
「確か…あの奥の区画でしたね。日が当たると車暑くなるからー、って、わざわざあそこ選んだんですよ。」
「……!?」
指差された方角を目にした時、龍驤に電流が走った。
龍驤は奥の方へ駆け出し、慌てて夕張もそこに着いていく。
一体どうしたのか?
ある程度奥へ近付くと、龍驤は急に立ち止まり、そして唖然とした顔を浮かべていた。
「急にどうしたんですか?」
「………なぁ。何で北上の車、無いん?」
そこで彼女が目にしたのは、北上と書かれた看板だけを残す、空の区画のみ。
龍驤を襲っていた嫌な予感は、この時確信へと変わった。
彼女は、駐車場の管理棟へと走る。
「おっちゃん!」
「おーどうした龍驤さん?」
「何で北上の車無いん!?あいつ何か申告してた!?」
「えーとね、確か…ああ、昨日しばらく修理に出すから、区画空くって言ってたよ。」
「……龍驤さん、どうしたんですか?」
「メロンちゃん…買うたのあの中古車屋やんな?修理工場もやっとる。」
「ええ、そうですけど…。」
「すぐ電話や!あかん…やな予感するわ…!」
「どうやった?」
「修理には出してないみたいですね…北上さん、あそこ以外お店は知らないはずですけど…。」
龍驤はその返答を聞くと、何かを考え始めた様子。
そして暫くした後、彼女は夕張に声を掛ける。
「執務室、行くで……マスターキー借りにな。」
龍驤の乱暴なノックの後、返事を待たず、だがゆっくりと執務室のドアが開けられる。
提督はそのただならぬ様子を見て、平時は見せない鋭い目を彼女達に向けていた。
「提督、寮のマスターキー貸してや。」
「どうしたよ?誰か倒れたのか?」
「ちゃうけどな…確かめなあかん事がある。北上の部屋や。」
「……持ってけ。」
提督は深く追求せず、あっさりと鍵を龍驤へ手渡した。
その際交わる二人の視線は、互いに何かを察し合っていたようだ。
ただならぬ事が起きているという、その事実を。
「おおきに。……後で話あるわ、また鍵返す時にな。」
動転した様子の夕張を尻目に、つかつかと廊下を進み、龍驤は北上の部屋の前へと辿り着いた。
きい、と開けられた扉の向こうは、至って普通の部屋。
夕張の制止も聞かず、彼女はそこの一つ一つの棚を開けて行く。
“……随分古い薬やな。処方は…あの件のしばらく後か。
ソラナックスにワイパックス……精神安定剤ばっかや。あいつ、出されたもん飲まへんかったんか…ん?”
出て来た古い薬の袋を見ていた時、彼女はある事に気付いた。
一錠も開けられていない精神安定剤の束の中。
その症状であれば、恐らくは大半の場合一緒に処方される薬が無い事に。
“眠剤が無い……それだけ使うたとは考えにくいな。
それに、何でこんな古いもん棚の手前にあんねや…最近出したっちゅうこっちゃな。”
続いてゴミ箱を見るが、こちらに目ぼしい物はない。
だが不自然だ。ゴミ出しの日は4日前、しかしゴミ箱は全くの空。
旅の準備をしていたのならば、相応にラベルやビニール等のゴミも出ていてもおかしくはない。
「龍驤さん!あれ…」
夕張の大声に振り返ると、彼女は震えながら、壁の方を指差していた。
そこにはデジタルのダーツ盤と、何本も矢の刺さった一枚の写真。
そこに写っていた者は……
「どういうこっちゃ……あいつ、何で………!!」
場所は再び、執務室。
提督と二人は、真剣な面持ちで向かい合っていた。
現在起こっている可能性と対策、それについて話し合いをする為だ。
「ケイが拐われた可能性がある…ねえ。」
「既読も付かんし、電話も出えへん。メロンちゃんがやっても同じや……北上も、同じくな。」
「なるほどな…証拠は無いが、部屋の様子を聞く限り、何かあったと見て間違いねえだろうな。」
そして提督は、おもむろに金庫へと向かう。
中から取り出されたのは、大型のジュラルミンケース。
指紋認証で鍵を開け、彼はそこからある物を取り出す。
「一応持ってけ、お前らの缶だ。こいつだけでも、身体強化とバリア張るぐらいは出来る。
さすがに生身の女の子じゃ危険だからな。処分が重てえから、内緒にしてくれよ?」
「提督…信じてくれるんですか!」
「トラブルを未然に防ぐのもまた、運営だ。
早とちりならそれで済む、気がすむまで行ってこい。」
「ありがとうございます…!」
「おおきにな……メロンちゃん、少し外してもろうてええ?提督と話しある。
連絡するさかい、あとでうちの部屋来てや。」
夕張に退室を促し、執務室には二人きり。
龍驤は口火を切るように、まず先手を打った。
「“アッちゃん”…どこまで知っとった?キミなら転居歴から出生地、全部見る権限持っとるはずや。
あの二人が近所だった事ぐらい、知るには造作も無いやろ。」
「北上の異動の話からだな…他にも家族構成や歳、その辺のデータとケイの話照らし合わせりゃ、まず間違いねえと思ったよ。」
「……北上が、ケイ坊に執着しとったんも全部か?なんかやらかす可能性も?」
「ああ。使えると思ってな。
憎悪と守るべき者ってなぁ、戦場に於いては兵士の最高のスパイスだろ?
あいつぁ恨みもあって、ケイを守りたいとも思ってた。そんでケイもああだ。
あいつらはよく働いてくれたよ…お陰でこの戦争は勝てた。」
「じゃあキミは、全部わかってて放っといたんか…。」
「ご名答!北上は暴走を制御さえ出来れば、最強の駒だ!そしてストッパーたるケイも同じく、最高の整備でもってそれをサポートしてくれる…。
そこで駄目押しの夕張だぁ…ケイの事好きだったのは予想外だったがよ。
良い具合にあいつは、あの二人を掻き回してくれたよ……ギリギリでこそ、兵はより強くなるってなぁ!
へへ…そいつをwin-winって言わねえで、何て言うんだよ?」
「……………っ!」
直後、彼の胸元は軋みを上げた。
下から伸びる手はギリギリと襟を締め上げ、彼の頭を否応無く下へと下げる。
その先にいた龍驤は、戦場以上に獰猛な目を浮かべていた。
「歯ぁ喰い縛らんかいこんのクソボケェ!!歩けんようなるまでどつき回したるわ!!
うちが何も知らん思うとるんか……そんなに奥方と子供殺したあいつらが憎いんか!?あの子らの人生利用してでも!!おお!?」
「………っ!?」
「………これでも陸じゃ、24で軍曹まで行った女や。
キミの奥方については、ツテで調べは付いとる…悪いとは思ったがな。」
「ちっ……バレてたのかよ…。」
「そらキミも、すんなりこの件受け入れるわな…後ろめたい思わんような奴やったら、こんな世迷言に許可なんか出さへんやろ。」
「……知らねえな。俺は至って冷酷無比な司令官様だ。
残念ながら、俺はこう言う奴だ。そして今回の部下の不祥事は、全身全霊を以て誰一人お咎め無しなぐらい揉み消さなきゃならねえ……俺の出世の為にな。」
「………預けとるうちの拳銃、寄越し。キミの分もや。」
「何でだよ?」
「メロンちゃんに貸す為や……それと、司令官の自害防止の為な。」
「……….チッ…。」
「何年キミの秘書艦やっとる思うてんねん…少なくとも、ここじゃ一番キミの事は知っとる。
…今回の戦争、ムカつく事に最終ん時は、キミは選抜指揮官の一人やった……要は、それだけこの国の海軍にとっては英雄や。
そんなんが遺書遺して、拳銃自殺しての嘆願。
マスコミにバレたらヤバいし、流石の上も動くやろな……まぁ、確かに揉み消しとしちゃ手っ取り早い…。
大方根回しするだけして、ことの顛末見届けたら、ズドンと逝く気やったんやろ?
…せやけどな。」
その直後の事だ。
彼の唇に、龍驤の唇が重ねられたのは。
呆気に取られた彼を無視するように、龍驤は言葉を続ける。
「…ほんまに申し訳ない思うんやったら、生き延びて償い。理由はどうあれ、あの子らの司令官はキミしかおらんねん。
あの子らもうちも、キミに着いて来たから勝てた…死んだら皆泣くわ。キミも生き残ってこそ、ほんまの終戦やないか。
…うちはあの時、北上の命しか助けてやれへんかった。
その後ここで会った子達も、大なり小なり抱えとってな。助けになってやれたんかは、今も分からん。
それでもうちは…あの子らが進む為の踏み台ぐらいには、なるつもりでおるよ。キミも含めてな。
……一人じゃ時計の針進められへんねやったら、うちも一緒に押したる。一緒に生きよ。」
「………“アカネ”。へっ…わあったよ。ちょっと待ってろ。」
再び開けられた金庫から銃を取り出し、提督はそれを龍驤へと手渡した。
そして部屋を出て行こうとした彼女は振り返り、とある物を提督へと投げ付けた。
それは彼女にとって、とても大切な物。
だが、もう手放さなければいけない物だった。
これは彼女なりの、決意表明だ。
「……こいつは、カッコカリの指輪か?」
「せや。うちがいつも中指にしとるやつ。カッコカリなら中指でええやろ思うてな。
……薬指は昔から、ずーっと空けとるでな。じゃ。」
そう去り際に左の薬指を立て、子供のように龍驤は笑った。
そして提督は一人椅子に座り、こうひとりごちたと言う。
「………いやぁ、良い女だわあいつ。」
龍驤の自室にて、彼女達は出発の準備をしていた。
龍驤が夕張を部屋に呼んだ理由は、装備を貸す為だ。
この先何が起こるか分からない。
そしてとある危険要素についても、龍驤は確信を持っているが故の準備。
龍驤個人で集めた、潜入活動に必要な道具の数々。
それを夕張に渡し、自らも同じ物を身に付けていた。
「缶だけで出来るのは、あくまで身体強化と防御壁だけや……それに、北上も持っとると見てええ。」
「え!?提督が管理してるのに、どうやって…。」
「他所の北上が、缶沈めた件あったやろ?アレ探すんうちらも手伝ったけど、そん時あいつもおったんや。見付けて隠してたんやろ。
180近くあるケイ坊を、そんなデカないあいつが一人で拐える思うか?缶の強化使うて、上手い事やったと見て間違いないやろな。
…あいつの練度やったら、本気出せばコンクリぐらいはブチ抜けるかも知れへん。そこで一応、こいつを持ってきた。」
「拳銃、ですか…。」
「せや。モノ自体は普通の9mmやけど…弾がちと特殊でな。
メロンちゃん…対艦娘用兵器の噂、聞いた事ない?」
「ええ、眉唾だとばかり思ってましたけど、粛清用の兵器があるって…。」
「それがこいつや。これは司令官クラスと、一部の軍人上がりの艦娘にしか支給されとらん。
こいつは艦娘の装備と違って、深海の弾を参考に作られとる。あいつらのより強力に、確実に艦娘ブチ抜けるようにな。
…ドカンとは行かんけど、ヘッドショットぐらいは決めれるわ。」
「なんでそんな物が……。」
「……国も四の五の言うとる場合やなかったっちゅうこっちゃ。
艦娘については、適正さえあれば原則前歴は不問…中には殺し目当てのサイコパスや、戸籍ごまかしとるスパイやテロリストが混ざっとる可能性もある。
もしそう言う奴がおって暴走した場合、歯止めが必要やってな…まさか今んなって持ってくとは、思わんかったけど。
…メロンちゃん、一丁はキミに貸す。」
「…………!!」
手渡された銃は、実際よりも遥かに重く感じられた。
もしもの際、自分に撃てるのか?
その自問自答は、彼女を駆け抜けて行く。
安全装置を掛け、すぐにポシェットへと銃をしまった。
どうかこれを使う事がないよう、ひたすらに祈りながら。
「メロンちゃん、キミの車借りるわ。
さっき提督からパスもろうてGPS探してみたけど、二人の携帯、あの街へのルートで止まっとる。
途中でどっかに隠したんやろな、100%あっこで間違いない。
あっこは今警察もロクにおらんし、人攫いには持ってこいや…いざって時は、ダート突っ切るで。」
車は唸りを上げ、あの街へ向けて走り出した。
彼女達の、最後の戦場へと向かって。
そこに何が待つのか。
暗闇の奥へと突っ込むかのように、車は高速を駆け抜けて行った。
LEDのランタンが、嫌にギラつく部屋。
そこでずっと、ベッドに縛り付けた彼を見つめていた。
随分怯えてるね……そりゃそうかー。
でも大丈夫だよ…怖くないからね……ふふ、かわいいねぇ…。
アタシは動けない彼の髪を優しく撫でて、その感触を楽しんでいた。
「ケイちゃーん、喉乾いたっしょ?水飲ませてあげるよ…。」
猿轡を外すのは、一瞬だけ。言葉なんか出させない。
口に含んだ水を、キスで無理矢理彼の口へ流し込む。ついでにアレも。
散々舌を入れて、だけど彼が絡めてくる事は無くて。
次第に薬で意識が遠退いていったのか、彼は眠っていた。
水と薬を飲ませた時。
怖いのか悲しいのか、ケイちゃんはよく分からない目をしていた。
いいよ、その顔だよ…もっと見せてよ。それでいいんだ。
ふふ……そろそろ夕張ちゃんあたり、気付くかなぁ?多少ヒントは残してきたもん。
そう、これでいいんだ……アタシの最後の戦争を終わらせるのに、必要な事。
敵はずっと、いつでも近くにいたんだから。
アタシは負けない。
これは、その為の戦いなんだ。
夕張ちゃん、早くおいでよ……ふふ、楽しみだなー…。
ふふふふふふふふふ……。
今回の投下は以上となります。
期待イケメン金髪王子様の須賀京太郎様の出番早よ
乙。修羅場すぐるねえ。
乙です!
アカネさんマジかっけえww
乙!
ヤベェなこれハマる
デスゲームでも仕掛ける気だろうか
・・・・そして>>504、お前は誰だ
>>508
マルチポストくんなのでスルー上等でいこうず
保守
北上様の戦後か
投下します。
ぎりぎりと首を絞めたり、ナイフを突き立てたり。
その度に彼の口や刺し傷から、真っ赤な血がこぼれていく。
最後はいつも、同じなんだ。
同じ事をアタシにして。幸せで、満たされて。
笑いながら事切れる、その瞬間だ。
たまにそんな夢を見た時、必ずそこで目が覚める。
目を開ければ慣れたベッドと、冬の朝の寒さと。それと、嫌に火照った体。
あーあ。そっか、まだ2月か。そりゃ寒いよね。
それでふと違和感を感じたアタシは、そいつの正体に気付くんだ。
“げ…濡れてんじゃん…。”
あの夢を見た後は、大体こうなんだ。我ながらこの瞬間は、いつも死にたくなる。
パンツを履き替えて、歯を磨いて。今日は休みで…ああ、何も予定入れてないや。
ケイちゃんも夕張ちゃんも、ましてや遠くの大井っちも、今日は誰も空いてない。
本当に、何もない休日だ。
食堂も顔出す気しないし、買って置いたパンしか食べたくない。
ゴロゴロして、何となく点けたテレビはつまらない情報番組。
誰かが不倫しただの、どっかで人殺しがどうだの、ボーッとそれを流し見してたら、とある特集に切り替わって。
それは、アタシの目を釘付けにした。
“あれから3年半、深海棲艦襲撃事件の生存者の今を追う…えぐいねー、感動ポルノって奴?”
はっきり言って、そんな特集を組むテレビにヘドが出た。
でも頭では皮肉を吐いても、アタシはそこから目を逸らせなくて。
大方、アタシと同じくあの地獄を潜った人なんて、ロクな生き方しちゃいないだろうと。そうタカをくくってインタビューを観ていた。
出てきたのは、アタシと変わらないぐらいの女の子だ。
年頃の女の子らしい服を着ていて、口元しか映らない顔でも、アタシより可愛い子だって事ぐらいは分かって。
だけど鎖骨や頬には、アタシよりもずっと目立つ傷。
奴らの爪痕だって、同じような傷のあるアタシにはすぐ分かった。
「家族はみんな亡くなって…辛い事や思い出したくない事は沢山ありますけど、今はやっと、前を向いて生きていける気がします。
今は自分の花屋を開くって夢に向かって勉強をしていて…。」
ボイスチェンジャー越しでもわかる、はっきりとした意志。
お花屋さんで働いて、毎日笑顔を見せて。
今は新しい街にも馴染んで、優しい彼氏だっているんだって。
それは同じ境遇のアタシとは、似ても似つかない生活だった。
肩の傷がズキズキと疼いて、涙が出た。
だけどそいつは痛みや感動なんかじゃなくて、もっと下卑た涙だ。
…分かってるよ。どんな目に遭ったって、まともな奴はまともだって。
アタシの頭がおかしいだけなんだ。そばにいてくれる彼やみんなにこんな気持ちを持つアタシは、狂ってるんだって。
テレビのその子と自分を比べては、惨めで不様で、涙が止まらなかった。
艦娘ってさ、バケモノって言われる事もあるんだって。
そりゃそうだね、ヒトを超えた力を手にしたヒト。そんなのなんて、バケモノか。
でもアタシなんて、艦娘じゃなくたってもうバケモノだ。
人でなしって、そういう事じゃんか。
心が人間やめてたら、もうそれはバケモノじゃんか。
だからアタシは、『その時』が来たら____
手首はベッドに。
足はガムテープでぐるぐる巻きにして。
アタシは今、実家のベッドに一番欲しかったものを縛り付けている。
ああ、アタシ、また寝ちゃってたんだ…でもしょうがないよ、あったかいんだもん。
肩の傷だって、こうして寄り添っていれば疼いたりしない。
「ケイちゃん…起きたら、またお話してあげるよ……。」
昔出された睡眠薬が、今役に立つなんて思わなかった。
あの時主治医さんに紹介されて、一度だけ強引に行かされた心療内科。
カウンセリング受けて、薬も沢山出されたけどさ…どれもアタシには、必要無かった。
心配しなくても、手首なんて切らないよ。この肩の傷があるから。
わざわざそんなとこ切らなくたって、嫌でも生きてるって思い知らされるんだ。
あ、起きたんだ?
じゃあ、お話をしてあげるよ。
「お薬、まだちょっと効いてるみたいだねー…じゃあ目が覚めるまで、ゆっくり聞いててよ。
ケイちゃんさー、アタシが着任した時の事覚えてる?
アタシはすぐに君だって分かったんだ…ふふ、どれだけ大っきくなっても、ケイちゃんはケイちゃんだもん。
でも最初、君怖かったよー?嚙み殺しそうな目って言うのかな、ずっとそんなんでさ。
アタシ、すごいショックだったんだー…子供の頃のさ、可愛いイメージのまんまだったから。
…ねえねえ、子供の頃って言えばさ、君はアタシに言ったよね?
“大人になったら、ユウ姉ちゃんと結婚するんだ”って……ゆびきりげんまん、したよね?
アタシ達、もう大人だよ?ふふ……。」
ベッドに縛り付けたのは、手首。指は緩く握られたまま。
アタシはそこにナイフの柄を握らせて、丁度刃がこっちを向くようにして。
自分の手で、彼の手を無理矢理固定させた。
「ねぇ……何すると思う?それこそさー、高い指輪なんかより、もっと価値のある事だよ。
ほら、嫌がっちゃダメ…落としちゃダメだよ?君の手で、アタシに刻んでよ…。」
固定させたナイフに、そっと手の甲側を近付ける。
アタシはその刃先に左の薬指を這わせて、付け根に横一文字に、赤い切り傷が入った。
薄い傷。
だけどズキズキと痛む、確かな傷。
それは丁度表からは、指輪みたいな筋を描いていて。
アタシは、それを思い切り彼に見せ付けた。
「えへへ…結婚指輪だよね。あ、でもアタシだけだから、これじゃまだ婚約指輪かー……ねえ、アタシからもあげるよ。」
握らせたナイフを奪って、今度はケイちゃんの左手を力づくで押さえ付けた。
アタシぐらい慣れちゃえば、缶を使ってても、力加減は朝飯前。
例えば今なら…そうだね、格闘家に無理矢理押さえ付けられてるぐらいの加減かなぁ。
だから君は、アタシからは逃げられないんだ。
ほら、大丈夫だよ…そんなに痛くしないからさ……。
一瞬びくりと手が動いた頃には、もうアタシと同じ傷が引かれていた。
お揃いの、真っ赤な指輪。じわじわと滲んでいた血は、気付いたら随分と、ポタポタと真っ赤に垂れ流されていた。
彼の左手から流れるものと、押さえ付けるアタシの左手から流れるもの。
それが混じり合って、左手同士は血で繋がって…ああ、赤い糸って、きっとこう言う事なんだ。
その瞬間、ぞくりとした熱が脊髄を駆け抜けたのを、アタシは強く感じていた。
……ふふ、気持ち悪い女だねー、アタシは。
「……みんなの最期、教えてあげるね。
下の壁が赤かったのはねー…お父さんとお母さんが、半分吹っ飛んでへばり付いた跡なの。
コウちゃんはアタシを守ろうとして…頭、ほとんど吹っ飛ばされちゃったんだー…それもあの壁に飛び散ったと思う。
霊安室で対面したらさ…ゴミみたいに死体袋に入ってて、すごい冷たかった。
ずっと冷たいし、痛いんだよ……ほら、本当のアタシを見せてあげる。」
はだけた上の服を脱いで、ブラも外して。
『こいつ』を覆い隠すものは、もう何も無い。
下着着けとくだけでも、ぱっと見の印象は違うんだ。
それでも人からしたら不細工なものだろうけど、まだ多少のごまかしは効く。
でも上裸になれば、もうそんなまやかしも効かない。
彼の前に晒されたアタシの傷は、一体どんな風に見えているんだろう。
ケイちゃんの目から、薄く涙が伝って行くのが見えた。
……きっと、怖いんだろうな。
アタシはそれを、ぺろりと舐め取って。それすら自分の肌より暖かく感じて。
縋り付くように、彼の胸元にのしかかる。
「………大好きだよ、ケイちゃん。もう、離さないから。」
のしかかったまま、胸元に彼の頭を抱く。
否応無しに彼の頬に傷も触れて、それは一体どんな感触なんだろう。
このケロイドの感触は、バケモノに抱かれているような心地なんだろうか。
興奮も欲望も、彼が抱いている気配は無い。
ただ、アタシの胸元を濡らす涙の感触が。
あったかくて、とても痛かった。
もう何時間、車は走ったのだろうか。
見た事の無い、遠くに海の見える景色。
そこを突っ切るのは、一台の軽のジープだ。
ICを降り、更に20km程向かった先。
そこに向かう過程で、夕張達の目にはとある看板が飛び込んで来た。
「この先40km間コンビニ無し、20km先公衆トイレあり…龍驤さん、これって…。」
「…そいつが、この街への入り口っちゅうこっちゃ。誰も住んどらん以上、店作ってもしゃあないからな。
ここでマトモに復興が成されたのは、せいぜい線路と国道だけや。あとは自販とトイレしか無い。」
「建物、まだ綺麗なのが沢山あるのに…。」
「ここは入り口やからな。あの件の被害食ったんは、もうちょい先や。
被害地域から近いこの辺の住人も、気味悪がって殆ど引っ越してもうたらしいな。」
道行く車以外無人の街は、異様な不気味さと寂寥感を放っていた。
そして車が進むにつれ、徐々に焼けていたり、穴の空いた建物が見え始める。
その光景に、夕張は息を呑んでいた。
「……メロンちゃん、ここはまだ序の口や。
そろそろ曲がる。そしたらほんまの修羅場や。」
国道から住宅地へと曲がり、そこには多数の廃墟が広がっていた。
先ほど以上に傷んだ家が多く、どこも玄関先には真新しい花や、腐って風化した花。
それらの供え物の多さが、この街でどれだけの命が奪われて行ったのかを、雄弁に物語っていた。
「うちの部隊が救助向かった時な、そこらに死体が転がっとったよ。
肩から上ない女の子、無駄に噛み砕かれたおっさん…でもあいつら、人肉食自体はせえへん。
何でそないな事したか言うたら…鹵獲した奴尋問したら、答えたわ。楽しいからやて。
勝って終戦こそしたけど、今でもハラワタ煮えくり返るわ…まぁ、あくまで『戦争に勝っただけ』やしな。
奪われたモンや遺されたモンの心は、何も癒えとらん。北上がええ例や。」
「…私が北上さんと同じ境遇だったら、同じ事をしてたかもしれません。
まともでいられる自信は…私も、ありませんから。」
「…………ああ、うちもや。
あいつの部屋にあった写真、見たやろ?今も苦しんどるんかもしれんな。」
北上の部屋にあった、大量のダーツが刺さった写真。
それを見た時。夕張の脳裏には、彼女と北上が共通して好きな、とあるバンドの楽曲が過っていた。
そして北上の意思も、何となくではあるが、彼女はそれらから感じ取っていた。
北上の真の狙いは、恐らく今起こっている事態の先にあると。
「メロンちゃん。今更やけど、車で待機しとくって手もあるんやで?制圧やったら、うちは陸ん時散々訓練したさかい。
…ほんまにあかん時は、タマの奪り合いも有り得る。キミの身まで危険に晒す事は無い。」
「龍驤さん…私、前話しましたよね。決めた事があるって。」
「……ああ、キミらしいな思うたわ。」
「今が……今がきっと、その時だと思います。
私、実はケイくんに改めて告白して…振られたんです。
結末は出ちゃったけど…これだけは、変えられません。」
この時龍驤の脳裏に、あの日夕張が語った決意が蘇っていた。
その言葉と共に、彼女が見せた笑顔も。
“でも、ケイくんは私の大切な人で…北上さんは、私の大切な友達で。
だから結果がどうあれ、私は___
___二人が苦しむのなら、どちらも助けたいって思います。仲間ですから。”
「そか…なら、うちも全力でサポートしたる。アホの子のケツ、叩き直しに行こか!」
龍驤はアクセルをより深く踏み、車は遂に、目的地まであと5kmを切った。
エンジンは唸りを上げ、先へ先へと向かって行く。
私達はここにいると、遠くまでその存在を誇示するかのように。
………音がするね。聞いた事ある音だ。
待ってたよー、遅いじゃん…ずっと待ってたんだからさ…。
ケイちゃんはまた眠らせて、今度は簀巻きにした。
準備はよし、装備だって万全だよ。
役者が揃わないと、お話は進まないもん。
ははは…いいねえ、しびれるねえ。
滾っちゃうよ……今までの戦場の中で、一番燃えちゃうかもしんない。
ほら、音がどんどんでかくなってくよ…この音が止まったら、それが合図。
止まった。
車のドアの音、足音は…二つか。誰か味方連れて来たかな?
まーいいや、知ったこっちゃない。
夕張ちゃん…たくさん遊ぼうよ……ふふ…あはははははははははは!!!!
さあ…ギッタギタにしてあげましょうかねぇ!!
今回の投下は以上となります。
おつおつ
動けない上に見せ付けられる分、相当辛いよなあ…
乙
これほどまでに恐ろしい「ギッタギッタにしてあげましょうかね!」が未だかつてあっただろうか
とうとうクライマックスか・・・
恐ろしいっていうか何というか
狂ってるなあ
投下します。
縛られた俺を見て、彼女は笑う。
頭が追い付かない。飲まされた薬が、抜けきらない。
記憶の中のあの子と、目の前のユウが繋がって、余計糸は絡まって行く。
晒された胸。この人には似合わない、痛々しい傷。
薬指の傷から流れる、赤い命。
混濁する意識の中で、一つだけ確かな感情が俺を突き抜けて行く。
悲しい。
俺は一体、この人の何を見ていたんだろう。
どれだけの苦しみを持って、北上としてのユウを演じて来たんだろう。
バカは俺だ。
何も癒してなんて、やれちゃいなかったんだ。
抱き締めてくる彼女の胸は、いつかのように優しくて。
だけど、触れる傷の感触は、何よりも痛々しくて。
それが悔しくて、笑顔が痛くて。
ただ、涙が止まらなかった。
「ここやな……メロンちゃん、降りる前に装備全確認。
ゴーグルとマスクはええな。作業着の下に着てもらったチョッキ、ちゃんと締まっとる?サバゲ用やけど、無いよりマシや。それと渡した7つ道具の場所も。
うちが先入るから、後を付いてくる事。ワンゾーン動く度合図出す、それまでは先に出んようにな。」
「はい…!」
彼女達は、遂に件の家に辿り着いた。
庭越しに見える、穴の開いたリビング。
そこにはケイの話通りの、赤茶けた壁が二人を出迎えている。
3年半が経過し、鮮血が退色した今尚も、その夥さだけは生々しいままだった。
ここで起きた惨劇を想像し、夕張は息を呑んでいた。
「一応言うとくけど、この家におるとは限らん。あいつの車見付けてへんからな。
まず、一番怪しいとこから探してくって寸法や…まぁ、おったらおったで、音でもう気付かれとるやろ。
メロンちゃん、降りる前にも一個確認や。こう言う片田舎の危険性、キミなら分かるやろ?」
「危険性…家庭の凶器ですか?」
「せや。斧にノコギリ、果てはチェーンソー。
田舎は武器になるもん置いとる家多いでな、缶の防御モードは常に入れとき。」
「…はい。」
缶の防御モードとは、使用者の任意により、全身を膜のように覆うバリアだ。
しかしそれも、完璧ではない。相手によっては切れたり貫かれたりはせずとも、殴られるのと同程度のダメージが来る事もある。
例えば、相手が同じく缶を使用している艦娘などであった場合だ。
龍驤の助言を受け、缶を入れたウェストポーチのベルトを、夕張は入念に締め直していた。
同時に、自身の心も改めて締めるように。
「準備はええか?車降りた瞬間行く。はい、3、2、1……GO!」
車のドアを開けると同時に、二人は真っ先に玄関へと駆け寄る。
まず龍驤が瞬時にトラップの有無を見極め、GOサインを出した瞬間、続いて階段を駆け上がった。
2階には、扉が3つ。
それらは左右に1対2で振られていたが、龍驤は迷わず右奥の部屋へと近付く。
“子供部屋やったら、まずベランダと反対側や…埃はこっちの方が動いとる、ここでクロやな。”
夕張にサインを出し、彼女を後ろへ付かせる。
龍驤の拳銃は、利き手に合わせ右腰のホルスターに。
左手がドアノブへと伸びる。ゆっくりと、音を立てぬようノブが回されて行く。
右手は拳銃に。そしてノブが回りきり、一気に扉が開かれた、次の瞬間。
「げっほっ!?」
二人を出迎えたのは攻撃ではなく、部屋中を覆い隠す色とりどりの煙。
その煙の中、奥の方にわずかに光が見えていた。窓だ。
幸いゴーグルは、二人の目だけは守っていた。その窓にうっすらと、人を担いだ影が見える。
髪をミディアムにまで切った、だが、見間違えようも無い影。
「北上さん…!」
「ふふ、夕張ちゃん…バーカ!!」
二人が窓の方に駆け出した時には、北上はケイを担いで飛び降りた後。
2階から飛び降りた勢いでそのまま隣家の屋根へ飛び乗り、北上はそのまま30mほど離れた家へと着地する。
そしてそこのガレージから、勢いよく白い車が飛び出して行く。
リモコンスターターにより、予めエンジンが掛けられていたのだ。
「クソがぁ!しくったわ!待ち伏せかいな!」
「龍驤さん、私達も!」
「いや……待ち。メロンちゃん、一旦車戻るで!作戦変更や!」
車に戻ると、龍驤はタブレットを取り出し、地図とネットを調べ始めた。
そしてとあるデータを見付けた際、彼女の中で目星は付いたらしい。
タブレットの画面には、近隣のある場所の地図が映し出されていた。
「しくってもうたな…完全にあいつん中じゃケイ坊監禁してゴールや思うとった。その前提で流れ考えてもうたわ。
でもさっきので一個分かったわ、あいつは追手が来る事を予期しとった……いや、むしろ迎え撃つ気で準備しとる。でなきゃあないな用意して、わざわざ待たへん。
ケイ坊拐ったんは、1番の目的やないかもしれへんな…。」
「……決着を、つける気なのかもしれません。」
「キミとか?」
「いえ……もしかしたら北上さんは、自分の________」
「……………!
……止めないかんな。それが当たりなら、最悪の結末や。
メロンちゃん。この地図の場所と、このブログ見てみ。 」
手渡されたタブレットには、とある工場見学についてのブログ。
そこには製品の味や、会社の住所等が書かれていた。
それは地図上の、今は名前の無い住所と符合している。
「『イワシロ水産』…これって!」
「会社のサイトはもう消えとるけど、あいつの親族の会社やろな。あいつの狙いがそうなら、ここに逃げたと見てええ。
そうと決まれば善は急げや……メロンちゃん、舌噛まんようにな。」
「え?龍驤さ…きゃあ!?」
エンジンが掛かると同時の猛烈なバックと、急ハンドルによる衝撃が夕張を襲う。
現在地と、目的地へ向かう為の方角は、龍驤の脳内で構築されているようだ。
最短ルート、そして現在車を取り巻く周囲の条件、それらを総合し、車が向かった先は。
「り、龍驤さん!あそこって…!」
「ポリ公も道路も無いわ!すまんなメロンちゃん!最短突っ切るで!」
車は更地を跳ね上がり隣の道へ出ては、更に次の更地へ滑り込み、次々ショートカットを決めて行く。
そして5分もしない内、遂にとある廃墟が彼女達の目に飛び込んで来た。
所々が崩れ、恐ろしげな雰囲気を纏う白い建造物。
道路に落ちた『イワシロ水産』と書かれた看板のみが、そこがかつて何の工場であったのかを物語っていた。
「……あった、あいつの車や。」
「龍驤さん、何を…。」
「念の為な。逃走防止や。」
煽るように、わざとらしく停められた北上の車を見付けると、龍驤はタイヤに深々とナイフを突き立てた。
敵の退路は絶った。少なくとも、これで自分達の車以外、ここに動ける車はもう存在しない。
龍驤は再度建物を見て、深々と溜息を吐いていた。
「この工場、結構でかいな…ちと、覚悟決めた方がええかもしれん。
なあ、例えば銀行みたいなデカいとこで立て篭もりあったとして、制圧作戦を立てるとする。そゆ時、何が必要になると思う?」
「制圧作戦……見取り図ですか?」
「せや。例えばこれが銀行強盗とかやったら、大元や系列店に頼んで見取り図もらって、どこから入るか、内部はどうなっとるか、そう言う算段も立てられる。
それこそ下水からの潜入や、窓からの状況確認と突入だって出来るわ。
でも今この状況は…なかなか危険やな。ここの内部データが何も無いし、知っとる奴もおらん。」
「………まずいですね。」
「厳密には、知っとる奴が一人おるがな……ほれ、あっこの壁んとこ見てみぃ。サッカーボール落ちとるやろ?あいつの弟、あそこ借りてよう練習しとったんやろ。
ここに越して来たん、6歳ごろらしいな。裏を返せば…その頃から、あいつの遊び場やったって事や。」
「じゃあ…北上さんは、内部を知り尽くしてるって事ですか…。」
「せや。今のうちらは、初見でバイオやるようなもんや。
実戦でも本来こう言う作戦は、先に偵察入れるけど……今のうちらは、二人っきりやで。」
先程以上の緊張感が、二人を襲う。
入り口はいくつもある。
搬入口、事務所経由の通路、倉庫への勝手口。
そして、施設内の区画もまた同じく。工場と倉庫、事務所からなるこの施設の、一体どこに潜んでいるのか。
二人はまず、一番隠れる場所の少なそうな事務所から入る事とした。
ガラス扉を開け、更に廊下の扉を開けると、広がるのは荒れ果てた薄暗い事務所だ。
いくつかの窓には穴が開き、壁には砲撃の跡。
机や書類には血痕が残っており、床には人が倒れていたであろう、大きな赤いシミがいくつかある。
事務所奥には社長室があり、ここで北上の祖父が仕事をしていたらしい。
机と椅子には、やはり血痕が残っていた。
「見取り図無いかな…ん?」
引き出しの中には、種類ごとにファイリングされた資料がある。
だが、『設備関係』とラベルの貼られたファイルのみ、中身は抜かれているようだ。
舌打ちをしてファイルを戻した時、龍驤はある事に気付く。
「なぁメロンちゃん、この短時間でここまで隠滅できると思う?普通こんな状況なら、ケイ坊隠す方優先するやろ。そう言えば北上の奴、冬休み何しとった?」
「旅行に行くって言って、3日ぐらい空けてましたね。」
「ここに来とったって事やな……。」
見取り図が手に入らない以上、ここにこれ以上用は無い。
扉を開け、再び事務所へと出た時の事だ。
「落ちとるのも納品書ばっか…ん、あの机、妙に綺麗やな?」
不自然に空いた机には、カサカサに枯れた花束と、紙が一枚置かれていた。
ざっと見た時、そこには見覚えのある字が、殴り書きで走っている。
そしてそれを手に取り、ちゃんと目を通した時。
二人を、衝撃が襲った。
『家に誰もいないここにおじいちゃんもいないタエのいえもよっちゃんのいえもだれもいないいないいないいないいないいないみんなどこいったのどこいったのどこいったのこわいよさびしいよみんなどこいったのたすけてたすけてこれおとうさんのつくえなんでおとうさんどこにもおかあさんもこうちゃんもいないのなんでなんでなんでだれもいないいないないどこいってもまっかまっかまっかまっかまっかまっかまっかみんなあいつらがみんなころしたんだころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてころしてやるみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな
けいちゃん たすけて』
「……………っ!」
「………メロンちゃん、フラッシュバックって知っとる?
例えば事故った場所行ったり、こっぴどい振られ方した相手とデートした場所行ったりした時、その時の恐怖心やトラウマが、一気に襲ってくる現象。
あの事件の生存者な、たった11人や……国の扱いじゃ、アレは災害やなくて、テロ事件みたいなもんでな。
軍が粗方片した後、警察の方で現場検証もやった……北上、親戚や友達の検死や現場検証も、立ち会わさせられたんかもな。
家にも花束落ちとったの見たわ。何軒か回る内にここにも花束供え来て、いよいよフラッシュバックが来たんやろ。
殴り書きして、正気保とうとしたんちゃうか。」
「龍驤さん、絶対に助けましょう……二人とも…!」
「分かっとるよ。次、行こか。」
二人は事務所を後にし、続いて工場へと足を踏み入れる。
異臭の漂う工場内は先程以上に薄暗く、すり身を作る機械やベルトコンベアが、時を止めたように佇んでいる。
人が隠れられそうなスペース、或いは人を隠せそうなスペースは多い。
大釜の中や通路の隅、怪しい場所を調べながら、二人は先へと進む。
途中には、段ボール梱包の機械。
コンベアに繋がる出口には、暖簾状にゴムが張られている。
そこを夕張が覗く。しかし何も無い。
そうして二人は先へ先へと進み、工場の奥へと差し掛かる時。
「…………みーつけたっ♪」
「…!?メロンちゃん!後ろや!」
「え……!?」
ベルトコンベアを駆ける音が響き、振り返る頃にはもう背後までその影は迫っていた。
その正体は、北上。
その手には大型のハンマーが握られている。
これが通常の相手の攻撃なら、防御壁により、屁ほどでもないだろう。
だが相手は同じく缶により強化された人間、そして凶器は刃物ではなく、鈍器。
防御壁は爆撃や銃弾、刃物には強いが、それでも一定以上の衝撃は伝わる。
それが、通常なら頭が砕け散る一撃だとして。
例え防御壁越しでも、艦娘のその一撃は負傷の可能性を孕んでいる。
「メロンちゃん!!」
龍驤は銃を抜くが、ダメだ、間に合わない。
そして振りかぶられた鉄塊は夕張を目掛け。
『ごしゃ…!』
鈍い音が、薄闇の中に響き渡った。
今回の投下は以上となります。
またいいとこで切るねぇ…
乙
わくわく。
乙ですよー
乙です
やっぱ色々とキツイな
乙
投下します。
整備士になったばかりの頃、よく夢を見ていた。
それは、女の子が泣いている夢。
沢山の怪物に囲まれて、ただただ「[ピーーー]」と言われ続けていじめられている。
俺はそいつらを、作った兵器で片っ端から殺した。
それで全部殺した後、その子を慰めようとする。
だけどいつも最後は同じで。
その女の子は笑いながら、喉を描き切って死んでしまう。
そこで周りを見渡すと…あたりに散らばっている肉片は、怪物じゃなくて、全部その子のものなんだ。
そして自慢の兵器で俺は頭をブチ抜いて…そこで、目が覚める。
この夢を見なくなったのは、彼女に出会ってからだった。
ずっと、姉ちゃんみたいなもんだと思ってた。
でもそれも、お互いの名前を呼ぶようになってから、少しずつ変わった。
笑えるようになったのも、人らしくいられるようになったのも。
全部、彼女のお陰だった。
整備士になって心から笑えた瞬間の殆どに、いつも彼女がいてくれた。
緊急救命装置を考えたのも、思い返せば、ふとあの笑顔を思い出した時だったっけ。
それは尊敬の念だと、思い込もうとした。
恩人だと、思い込もうとした。
でもこの感情は、そうじゃなかった。
これが恋だと気付くには、とても時間がかかったけれど。
あの夜の事だ。
彼女の傷を初めて目にした、あの夜の事。
初めて彼女の持つ暗闇を、目の当たりにした夜。
そばにいて欲しいと思う以上に。
幸せにしたいと、少しでも笑って欲しいと。そう思ったんだ。
いつもどこか無理にゆるく振舞って、笑っているような気がしてた。
それはきっと、間違いじゃなかったんだろう。
だけど俺は……それに気付くのが、あまりにも遅かったんだ。
すっかり成長した彼女の正体にすら、気付く事も無いままで。
俺は今、彼女に縛られて、どこかに監禁されている。
これは、愛だ恋だと感情を右往左往させていた分際で。
彼女から目を逸らし続けてきた、俺への罰なのだろう。
ぽたり、ぽたりと、赤い液体が床に滴る。
それは北上の一撃が、夕張の頬を掠めた末の傷。
夕張の背後にあった機械は、その金属板を無惨にひしゃげさせていた。
数秒の静寂の後、かつん、と固い音。
折れたハンマーの頭が飛び、床に着地した音だった。
夕張の前には、吐息の掛かりそうな距離で北上の顔が。
その表情は、全てを覆い隠すような不気味な薄笑いを浮かべて。
「あーあ、やっぱこんなんじゃ折れちゃうかー…せっかくメロンジュースにでもしてやろうと思ったのにねー。
……待ってたよー、夕張ちゃん。あ・そ・ぼ?」
夕張は対照的に、傷も気にせず北上をキッと睨み付ける。
怒りと憐れみが入り混じったその視線に、北上はより愉悦の色を深くした。
「…ケイくんを、どこにやったんですか?」
「あはは、教えるわけないじゃん。悔しかったら探してみなよ!」
「待ちなさい!」
北上は踵を返し、再び薄闇の中へと駆け出して行く。
ここの死角は彼女の方が熟知している。素早く闇に紛れ見えなくなりかけた時、今度は反対側から銃声が響いた。
龍驤が、無言で闇の中へ引鉄を弾いていたのだ。
「龍驤、さん…。」
「……威嚇射撃や。銃声に反応した時、逃げる足音がデカなるのは本能的なモンやからな。炙り出しや。
逃げた方は…あっちか。あっこは多分、倉庫の方やな。」
指示に従いそちらの方へ歩くと、そこにあった機械に弾痕が一つ。
今まで実感が無かったが、その痕でようやく、自分や龍驤が持つ銃が本物である事を彼女は理解する。
“これは今までの兵器と違い、人が人を[ピーーー]為のものなのだ”
その実感を得た時、不意に掌が汗ばむ感覚を彼女は感じ取っていた。
“何とか撒いたね……拳銃かー、艦娘用の粛清兵器、実在してたんだね…。”
逃げ込んだ闇の中、北上は切れる息を必死に殺していた。
だが彼女の中では銃への恐怖心よりも、その期待の方が勝っている。
まさに用意したこの舞台に於いて、より良い演出の為の道具が現れた。そこに対して、彼女は釣り上がる頬を抑える事が出来ずにいた。
“ふふ、いいねー…いよいよそれっぽくなってきたよ…。
かかってきなよ…龍驤さんの事だもん、どーせあんたも持ってるっしょ?
夕張ちゃん………あんたには、主役になってもらうよ。”
機械の梯子を使いダクトに入り込むと、彼女はその中を匍匐前進で進んで行く。
その最中、彼女は次の場所で何をするべきか考えていた。
“でも、厄介者もいるねー…あの年増ロリ、アレでなかなか切れ者だもんね。”
北上の描くシナリオは、ある側面では予想を上回っている。
だが同時に、そこに厄介な邪魔者も増えた。
それを排除する為の予測と作戦。
この場所を知り尽くしている北上は、どうその障害を排除するかを、ゲームを楽しむかのようにニヤニヤと笑いながら想像していく。
“殺すのはダメ、一人でも観客が増えるなら越した事は無いもん……でも、観客はステージに乱入しちゃダメなんだよ?
龍驤さん……あんたには恩があるけど、観客に戻ってもらうよ。
アレは作戦に使うにはちょっとマヌケだけどさー…まー、紙吹雪ってやつ。”
ダクトの先は、かつて第一倉庫と呼ばれた場所へと続いている。
そこに大量のとある物が眠っている事を、北上は熟知していた。
夕張達が辿り着いたのは、広大な倉庫だった。
一段毎に荷役パレットに積まれた段ボールが、未だに堆く壁を成しているその場所は、何処からでも攻撃が来る危険性を感じさせる。
龍驤の銃は先程と違い、ホルスターではなく常時右手に。
一方夕張は、未だに銃を抜けずにいた。
「乾物も色々作っとったらしいな…メロンちゃん、警戒せえよ。どっから段ボールブチ抜いて来るかわからん。」
彼女達の足音は、抑えても固い床では否応無しに響く。
北上はその位置を探りながら、とある袋をナイフで開けては、ひたすら大型の段ボールに中身を入れていた。
北上は黒のセットアップを纏い、自身の姿を隠す為の対策は施していた。
彼女のいる場所は、夕張達からは見えない位置。
ましてや二人が予測するような、段ボールの陰ですらない。
龍驤は、艦娘としても提督代理を務められるスキルを持つ手練れだ。
戦況分析や咄嗟の判断力、そして陸軍時代にこなした数々の訓練。その存在は、夕張にとっては頼もしいものだろう。
それは北上にとっても例外ではなく、演習で敵に回った時は、出し抜かれる場面も多々あった。
だが北上は、こう考えていた。
“戦場に慣れている分、無意識のセオリーがあるはずだと。”
例えば直接攻撃、不意打ち。それらについては見抜かれる。
では、兵器でない物での攻撃はどうか?
缶の強化を得ている今の自分なら、この高さでも平気なはずだ。
飛び降りて一瞬、その隙を狙う。
北上がひたすらその何かを入れている段ボールには、こう書かれている。
『業務用薄切りかつお節1kg×20袋入』と。
北上は今、段ボールの山に隠れた、細く張り巡らされた中二階にいる。
「こっこだよー!バカどもー!」
二人がそこに振り向いた頃には、倉庫中に舞うかつお節が視界を塞いでいた。
その一瞬だ。迷わず龍驤に突進し、北上は彼女を突き飛ばす。
そして構えたサバイバルナイフは彼女の腹ではなく、そこに巻かれた物へと向かう。
「しもた!」
北上が切り裂いたのは、缶の入ったウェストポーチのベルトだった。
ウェストポーチは北上の手に渡り、そして缶の有効範囲から離れた龍驤は、その勢いのまま荷役パレットへと後頭部をぶつけた。
軽度の脳震盪が意識を揺らがせたその隙、北上は段ボールの山の裏側へと回り、勢いよくその山を蹴り倒す。
走馬灯のようにゆっくりと動く龍驤の視界。
降り注ぐ段ボールには、かつお節10kg入りの文字。それらの段ボール、そして木製の荷役パレットが大量に、彼女の小さな体へと降り注いだ。
「龍驤さあああん!!」
夕張の悲鳴が響くと同時に、どさどさと大量の段ボールが崩れる音が響き渡る。
その混乱の僅かな隙に、北上は奥の扉へと逃げた後だった。
二人が気付かなかった、外からは死角になる区画。第二倉庫と呼ばれる場所へと。
「龍驤さん!龍驤さん!」
崩落した段ボールに埋もれ、龍驤の体は見えない。
夕張が何度も必死に呼び掛けた末、聞こえたのは弱々しい声だった。
「いつつ………メロンちゃん、ここや……。」
「龍驤さん!…良かった!怪我はありませんか!?今助けますから!」
「してやられたわ…缶、盗られてもうた……。
とりあえずうちは自力で出れるわ、こんなん昔よう訓練したからな……ただ、ちょっち時間掛かるなぁ…メロンちゃん、これ渡しとくわ。」
僅かな隙間から投げ出されてきたのは、龍驤の拳銃だった。
そしてその銃身には、僅かに血が付いている。
夕張はそれを手にした時、思わず息を飲んだ。
「すまんけど、今はうちの事はほっといて、あいつ追っかけるのを優先しい……それとな、ケイ坊見付けたらまずは___。」
「………はい。」
「はは、なっさけないわー…ま、こいつは結局あいつをほっといてもうたうちへの罰かもな…。
メロンちゃん、必ず北上もケイ坊も、みんな連れて鎮守府帰るんや…君なら出来る。」
「………はい!任せてください!」
「頼むで…うちも、後から行くから……あのアホ、一発イワしたってや……キミは独りやないって、教えたって…。」
龍驤の銃を受け取り、夕張は一人先へと急ぐ。
“ちょっち喰らってもうたなー…こらこのまま気絶コースやな。
これで起きて、あの子の言う通りやったら笑えんわ……メロンちゃん、頼むで。”
その足音が、遠くに消えて行くのを聞き届け。
龍驤は痛みの中、一人静かに意識を手放した。
最後の扉の向こう、そこが最後の海域だ。
彼女達の、心の海に於ける戦争の。
“北上さん…さっきの攻撃はやっぱり…。
あなたの思い通りになんて、絶対させません。”
そこに挑む夕張の目には、強い決意が浮かんでいた。
第二倉庫の奥で息を殺し、北上は静かに座り込んでいた。
彼女の描くシナリオの最終章は、扉の音と共に始まる。
その時が来るのを、ただじっと待っていた。
彼女の物語に於ける、勇敢なヒロインが現れるその瞬間を。
“さーて、そろそろ終盤かな…。
王子様を攫った悪い魔法使いは、勇敢なお姫様に助け出されました…。
それで悪い魔法使いは……。”
そこまでモノローグを巡らせ。そして。
「_____ヤケを起こして、ひとりぼっちで死にましたとさ。
めでたしめでたし…ってね。」
その物語の結末を口にした時。
彼女は、哀しげに微笑んでいた。
今回の投下は以上となります。
※一箇所ミスがありましたので訂正。失礼致しました。
第二倉庫の奥で息を殺し、北上は静かに座り込んでいた。
彼女の描くシナリオの最終章は、扉の音と共に始まる。
その時が来るのを、ただじっと待っていた。
彼女の物語に於ける、勇敢なヒロインが現れるその瞬間を。
“さーて、そろそろ終盤かな…。
悪い魔法使いに攫われた王子様は、勇敢なお姫様に助け出されました…。
それで悪い魔法使いは……。”
そこまでモノローグを巡らせ。そして。
改めまして、今回の投下は以上となります。
おつ
おつおつ
投下します
とある休日の事だ。
北上は愛車を走らせ、1人買い物へと出ていた。
カーステレオからは、彼女が普段よく聴いている曲達がランダムで再生され、北上はそれに合わせて鼻歌を口ずさんでいる。
買ったものはガムテープやロープに、黒の作業着と安全靴。
いつでも旅に出られるように、それらを早速スペアタイヤのスペースへとしまっていた。
今日は土曜日。
ホームセンターには、様々な人々がいた。
幸せそうな家族に、何か探しに来た様子の学生達。
それと、笑い合い、休日を謳歌する恋人たち。
彼女は一人買い物に出る時は、そんな人々を眺めているのが好きだった。
かつてあった日常や、いつか夢見ていた事。
そんなものを思い出せる気がして、胸が暖かくなるからだ。
帰り道のカーステレオからは、いつも通りの音楽。
それに合わせて口ずさむ、信号待ちのひと時。
閉ざされた空間の、孤独な時間。
「こんなーよるはーきーえーてー…♪しまいたいとよくおもうけれどー…♪おまえなんかーきえてーしまえー…♪」
そんな中で、次のフレーズを口ずさむ時。
「なんできょうまでいきてたんだ…♪」
バックミラーに映る自身の姿を見ながら。
彼女は、笑っていた。
重く、鉄の扉が開く。
スライド式の扉の向こうには、やはり薄暗い倉庫が広がるのみだ。
夕張はすぐにそこに踏み込む事はせず、まずは積まれた段ボールの陰を一つ一つ目視で確認していく。
ここは、これ以上先は無いはず。
北上の真意が夕張の予測通りなら、間違いなくここで待ち構えているはずだ。
視線を奥の方へと移して行くと、先の方に、黒い靴が見えた。
足首を縛られている。間違いなくケイだ。
だが夕張は駆け寄らず、あくまで慎重に歩を進めて行く。
彼女のウエストポーチと、龍驤から貸された時には使われなかったホルスターには、今はそれぞれ拳銃がある。
周囲に警戒しながら、少しずつ、少しずつ彼の元へ。
「ケイくん…。」
そのゆっくりとした動きの末、遂に彼の元へと辿り着いた。
声を掛けてみるも、やはり返事は無い。龍驤の見立て通り、睡眠薬で眠らさせられているようだ。
拘束は猿轡に、足首と手首。そして腕ごと押さえつけるように、体に縄が巻かれている。
取り出されたのは緊張感を表すように、震える刃先。
そして一箇所の縄にナイフが入り、拘束の一つに切れ目が入った直後。
『ばんっ!』
「!!」
鉄扉が荒く閉ざされ、倉庫は更に暗さを増した。
だが幾分闇に慣れた今なら、例え相手が闇に紛れるような格好をしていても見える。
いや、むしろ逆なのだろう。恐らく今夕張に相対する者は、見える事すらシナリオの内に組み込んでいる。
奇襲を掛ける気など、最初から存在しないのだ。
今夕張の目の前にいる、北上と言う女には。
「……………っ!」
「待ってたよー、夕張ちゃん……ここ、いいっしょー?映画のラストシーンみたいだよねー。
まー…かつお節なんてトラップに引っかかるマヌケどもで、拍子抜けしちゃったけどさー…あれ?そう言えば龍驤さんいないねぇ?どこ行ったのさー?」
北上は、そうわざとらしく下卑た笑みを浮かべてみせた。
ギリギリと鳴る、奥歯の軋み。夕張は自身の頭蓋骨の中で、その音が激しく鳴らされたのを感じている。
「……あなたが、段ボールの下敷きにさせたんじゃないですか。」
「おー、おっかないねぇ。可愛い顔が台無しだよ?」
「北上さん……いや、岩代ユウ!!
…あなたがケイくんの幼馴染だって事は、根拠は揃ってるんです…何でこんな事を…!」
「……っ!
…まー、ここにいるって事は、あたしの正体に気付いてたって事だと思ってたけどさ…龍驤さんかな?目敏いもんねー。
ふふ……これ見てよー…良い指輪っしょー?」
そう突き付けられた北上の左薬指には、赤い切り傷。
それを恍惚とした顔で舐め上げる北上の顔を見た時、夕張の背筋には例え難い戦慄が駆け抜けて行った。
「ケイちゃんにもさー、同じのあげたんだー…あ、もちろんアタシのは、ケイちゃんにもらったんだよ?ナイフ握ってもらってさ。
赤い糸ってさ、あるんだねー…こう、薬指同士の血が繋がってさー……。
ふふ、綺麗だったよー、アタシとケイちゃん以外、誰も繋がってない……そう、アタシとケイちゃん以外、要らないんだ…。」
「質問に答えなさい……言え!何でケイくんが好きなのにこんな事をした!!」
「えー?教える義理なんて無いよー…。
そうだねぇ、強いて言うなら………ずーっと、邪魔だったんだよねー…あんたの事がさぁ!!」
衝撃が夕張の頬を駆け抜けて行ったのは、直後の事だった。
あっという間に近付かれた彼女は、北上の拳をその体に受けていたのだ。
朦朧とする意識の中、彼女の口の中を鉄の味が支配していく。
そして北上は彼女の足を掴み、その体を違う方へと投げ飛ばした。
「かはっ……!」
打ち付けられた背中には、激しい痛み。
肺の空気を全て吐き出し、それは彼女の呼吸を一瞬途切れさせる。
痛みにへたり込んだままの彼女に向け、カツカツと靴音が近付く。
前髪の影に隠され視線は伺えないが、口元にはうっすらと笑みが。
傷めつけられた夕張を見て、北上は一層口元を吊り上げていた。
「今だってそうだったもんねー……わざわざ来ちゃうし、ケイちゃんの近くにもいるしさー…ほんと邪魔。
ずっと邪魔だったんだよ?ぽっと出のあんたが、アタシ達の間に割り込んで来たのが。
もうねー……ぶっ殺したいぐらい邪魔。メロンは大人しく切られて食われちゃえばいいんだよー、アタシ、メロン大っ嫌いだけど。」
「はは…言いますね……告白する勇気もなかったクセに、2年近くも囲って…ケイくんがかわいそうだと思いませんでした?
どうせ他の子がケイくんにアプローチしても…追い返してたんじゃないですか…?
ケイくんの人生は、ケイくんのものです…。
おもちゃを取られたくない子供なんですよ、あなたは……本当に、クソガキです。」
「あははははは!!言うねー!!
…………うるさいよ。」
鳩尾に、深い一撃。
夕張は堪らず胃の中のものを床にぶちまけ、吐瀉物には血が混じっていた。
だが、彼女の目は死んでいない。
“余裕ぶってるわね……今だ!”
北上が愉しげに苦しむ自分を見下ろしている一瞬の隙を突き、足首へと一気に手を伸ばした。
「………っ!?」
踏み止まろうとする足を、先程吐いた吐瀉物の所へと引き込む。
それに滑り倒れた所に、すかさず夕張の拳が振り下ろされた。
頬への一撃に北上の顔へ激痛が走るが、二撃目は咄嗟に体を転がす事で何とかかわした。
起き上がった北上の鼻からは、ぼたぼたと血が流れ始める。
しかし北上もまた、心が折れる気配は見せてはいなかった。
「やってくれたねー……汚いメロン汁撒き散らしやがって…!」
ふらつく夕張の頬を、再び拳が貫く。
だがそれは、北上も例外では無い。
「さっきからメロンメロンうるさいんですよ…こんの偏執狂!!」
今度は夕張の拳が、北上の頬を貫いた。
互いのダメージは重なり、最早殴る事は出来ても、避ける事は難しくなりつつある。
倉庫の中には、ひたすら彼女達の声と、殴り合う音だけが響いていた。
「あんたにさー……何がわかんのさ!!」
「…っ!わかりませんよ…それでも…止めなきゃいけないんですよっ!!」
「……っ!いってー…はは、やっぱムカつくよあんた…良い子ちゃんすぎてさ!!」
「うっ…!奇遇ですねー…私も、あなたみたいに積極的な人は嫌いですよ…私には出来ませんからぁ!!」
これは海戦の時のような、遠距離や兵器での戦いではない。
ましてや格闘技のような技同士のぶつかり合いもない、ただの泥臭く、無様なキャットファイトだ。
さながら心の海の浅瀬で殴り合うような、互いの意地のぶつけ合いだ。
だが、艦娘としてではない、人と人同士の魂のぶつかり合いがそこにはあった。
次第に、彼女達の顔には薄笑いが浮かんで行く。
それこそ夕張が、銃を抜いてしまえば形勢は逆転出来るかもしれない。
だが、互いへの文句を言い切ってから殴る、そんな不自然な律儀さの殴り合いを、彼女達は止める事が出来なかった。
そんな中、夕張が不意にあるメロディを口ずさむ。
「…壁にあの人の写真貼って…何度も刺して……♪」
「…………!?」
「……死にやしないけど…それだけで許せたらよかったのに…♪
ねえ、良い曲ですよね…。」
それを聴いた北上の顔に焦りが浮かんだのを、夕張は見逃さなかった。
「あはは…あんたもあのバンド好きだもんねー…アタシの事?許せないのってさ。」
「ええ、ある意味あなたの事ですよ……私の気持ちでは無いですけど。
北上さん、あなたの部屋のダーツ板に写真がありました……いっぱい、ダーツが刺さってましたね。
どうして、自分の写真にあんな事をしたんですか?」
「!?………何の事?知らないなー…。」
「……あなたが殺したいのは、私でも、ましてやケイくんでも無い……。
…ケイくんを好きになりすぎて、殺してしまいそうなあなた自身だったんじゃないですか?
彼の気持ち、本当は気付いていたんでしょう?
だけどあなたは…自分の手からケイくんを守る為にこそ、こんな騒ぎを起こして、わざと嫌われようとして……。
___ひとりぼっちで、死のうとしているんじゃないですか?」
強い意志を宿した目が、北上を射抜く。
北上はその視線に俯き、一瞬薄笑いを浮かべるが、それもすぐに消え。
「うるさいなぁ、黙ってよ………黙れえええええええええええええっ!!!!!!!」
彼女の激しい咆哮が、倉庫の中に響き渡った。
今回の投下は以上となります。
おつー
2人が仲良しに見えてきた
仲良死
乙~
いやー心臓バックバクだわ
乙
ケイ坊が愛の力で北上さんを更生させるって信じてるで
投下します。
二人が倉庫で戦いを繰り広げる中、その屋外では、激しい風が吹いていた。
荒涼としたこの土地で吹く風は、冷たい。
荒れ果てた社屋の外には、かつて北上の弟が使っていたサッカーボールが転がっていた。
ここで何度となく練習を重ねたのだろう、それは既にボロボロで。
それを年月による風化が、更に表面を荒く痛め付けていた。
そこに、また一陣の風が吹く。
その風は激しい音を立て、ボールをころころと、元あった場所から遠ざけて行った。
ボールの主の姉がいる、第二倉庫の方角へと向かって。
「うっ…………!」
咆哮の直後には、既に夕張の襟に両手が掛かっていた。
ギリギリと引きちぎらんばかりに詰め寄る北上の視線は、未だに前髪と影に隠され伺えない。
だが、それまで一切見せて来なかった激情が、北上の指越しに夕張へと伝わっていた。
「あんたに何がわかんのさ……!!
何度もケイちゃんを殺す夢見て、その度幸せな気になってさー……アタシ、起きると濡れてたんだよ…?」」
「…!?」
「どーせ龍驤さんから、アタシに何があったかなんて聞いてるっしょー…あの時助けてくれたの、あの人だもん。」
“…あいつは錯乱しとったから覚えてへんけど、あん時あいつを救助したんは、うちや。 ”
その時、夕張の脳裏にいつかの龍驤の言葉が過った。
そして、その後彼女が発した言葉も。
“北上な、吹っ飛んだ家族の脳ミソや腹わた、一生懸命遺体に戻そうとしとったよ。ヘラヘラ笑いながらな。”
「北上さん、まさかその時の記憶が……。」
「あはは、やっぱ聞いてたー…?
いいよ、もうそこまでバレちゃってるなら、お話をしてあげる……。」
アタシが例のレ級とやりあった時さ、「思い出せ」って頭ん中で声がしたんだ……アタシの声でね。
それで思い出したんだよ、アタシの家族を殺したのがあいつだった事も……ついでに、アタシがあの時何をしたのかも。全部ね。
弟が頭撃ち抜かれて、あいつの尻尾が向かってった所で途切れてたんだ。
だけど……ふふ、思い出したんだー…弟がぐちゃぐちゃ脚を噛み砕かれる音も………アタシがみんなの内臓や脳ミソ、体に戻そうとした時の感触も……。
ねえ、死んだ世界って、どんなのか知ってる?
あの時は夏だったなー…お父さんやお母さんの腸や心臓も、弟の脳ミソも、最初はあったかくてさー……だけどそれが、どんどん冷たくなってくんだ…。
冷たいんだよ…それが染み付いたら、そこはずっと冬なんだ。
春も夏も秋もどっか行って、ずっと冬。
後で身元確認させられてさ。思い出す前は死体に触れたの、そこの記憶からだったんだけど…全部、繋がっちゃったよね。
龍驤さん、アタシを見つけた時、抱き締めてくれたんだ。
でもやっぱり寒くて、痛くてねー……その後も、何に触れても何も変わらなかったよ。
実際はあったかいはずなのに、心だけ、人に触れると冷たいって思うようになってさ…。
その後高校も編入しないで中退扱いにして、しばらくフリーターみたいな事やってて。
復讐するだけして死んでやるって思って、艦娘になったんだ。
そんなんでも艦娘になる前から、あの件の前から、ケイちゃんにはまた会いたいって思ってた……そしたら、あそこにいたんだ。
でも…ケイちゃんは、アタシ達の件のせいで変わってた……だから、心開いてもらおうと必死だった。
少しでも、元のケイちゃんに戻って欲しくてさ。
前話した事、あるっしょ?アレには続きがあってさ…。
「整備くん、今日冷えるねー。」
「まだ梅雨前ですからね。」
「………えいっ。」
「何すんですか。」
「ふふー、温度の補充ー。」
帰り道で、じゃれるつもりでケイちゃんの手え掴んだらさ……あったかいんだ。
人のあったかさを感じられなくなったアタシが唯一感じられたのが、ケイちゃんのぬくもりだった。
だけどさー、麻薬みたいなもんだよ。
ケイちゃんの事、異性として好きだって自覚してさ…それでダメ押しのそれで。だんだんね、アタシは狂って行ったんだ。
この人がいないと、生きていけないって……いっそ、ずっとアタシに縛り付けちゃいたいってね。
後はヤク中と変わんないね。
イカレてたアタシは、それこそケイちゃんにちょっかい掛けようとした子は追っ払ったし…あんたの事だって、最初は再起不能にしてやろうと思ってた。
でもさ、告白なんて出来なかったなぁ。
本当の事、言わなきゃいけないからね。アタシは君の知ってる方のユウだよって。
ケイちゃんの人生も、あの件で狂ったんだもん…ふざけんなって思われるよねって。嫌われるだろうなって。
そう思ったら、怖くてね。
冬休み終わる時さ、夕張ちゃん、駐車場でケイちゃんに無理矢理キスしたっしょ?
アタシね、実はあの時隠れてて…見ちゃったんだ。
そこで目が覚めたんだよ。
アタシは狂ってるんだって、やっと理解出来たんだ。
あんたの言う通り、ケイちゃんの人生はケイちゃんのもの…アタシは、単に薬の切れたジャンキーみたいなもんなんだって。
ただ、もう手遅れだったよ…それでもアタシは、自分を止める事が出来なかったんだ。
レ級とやり合う前の夜ね、アタシ、ケイちゃんの事襲っちゃったんだ。
意識もボーッとしててさ、ケイちゃんに止められて…やっと正気になった。
その時思ったんだ。
「このままじゃ、本当にケイちゃんを殺しちゃう。」って…。
だから次の出撃で死のうって、そのつもりでいた。
そこであのレ級を見付けて、全部思い出して……でも、アタシはそこでも死ねなかった。
あの機能さ、ケイちゃんが発案したんだってね…優しすぎるなって思ったよ。
ケイちゃんがアタシのお見舞いに来てくれたの、知ってるよね?
そこでさ…本当に初めてだよ、ちゃんとキスしてくれたのは。アタシが無理矢理しちゃった時はあったけどね。
ああ、こんなアタシの事、好きでいてくれてたんだって。
きっと目標を果たしたら、気持ちを伝える気なんだろうってさ。全部、全部わかった…。
それでもアタシは、変わらなかったんだ。
そうやってケイちゃんに触れたら、何度も何度も、首を絞めたくなって、心臓を刺したくなって。
もうダメなんだ…いつかアタシは、絶対ケイちゃんを殺しちゃう。
だってさ、そこでアタシも死ねば…幸せなまま終わり。
……これ以上何かをなくす事なんて、ないじゃんか。
そんなの、アタシのワガママなんだ。
人間ってさ、お皿と一緒なんだよ。
一度割れたら、二度と元には戻れない。
それはアタシがどれだけ狂ってるって自覚したって、もう覆らないんだ。
だからアタシなんか、もう人間じゃないんだよ…ただのバケモノ。
ケイちゃんが他の子と接してたり、あの時の事を思い出すと、肩の傷が疼くの。
きっとね…こいつはずっと、もうアタシがバケモノだって事を教えてくれてたんだ。
あいつらもアタシも、大して変わらないんだって。
最初は心中する気で、攫う計画立ててたんだよ?
でも何でまた実行したかって言うとねー……嫌われたかったんだ。それも徹底的に、顔も思い出したくないくらいに。
例えば普通に振られたってさ、人って未練が残るっしょ?
だからさ…あいつは狂ってた、クソみたいな女だったって思われるような事してさ、それで…。
____アタシ一人が死ねば、ハッピーエンドだって。
だからこれが、アタシの最後の戦争。
アタシが、アタシっていうあいつらと大差無いバケモノに勝つ為の戦争なんだ。
ケイちゃんはね、幸せになるべき人だよ。
こんなバケモノなんかじゃなくてさー…例えばあんたみたいな、本当にいい子とくっついた方が良い。
あんたには、その為のヒロインになってもらう気でいたんだ。
攫われた王子様は、勇敢なお姫様に助け出されて……二人は幸せに暮らして…。
悪い魔法使いは、ヤケになって死にました。めでたしめでたしってね…。
「どう?これでわかったっしょ?」
北上は話を終えると、乾いた笑みを夕張に向けた。
夕張は俯き、押し黙ったまま。そんな彼女を無視するかのように、北上は懐からあるものを取り出した。
ギラギラと鈍く光る、一振りのサバイバルナイフを。
「計画はちょっと狂っちゃったけどさー、ま、こんだけやれば大丈夫っしょー。
それじゃ夕張ちゃん……じゃあね。」
ナイフは北上自らの、白い首筋へと向かって行く。
ここで彼女が自刃を果たせば、事件は終わるだろう。それで全てが収まるのかもしれない。
だが。
『パンッ!』
カラカラと転がる音が響き、ナイフはその刀身を床に横たえていた。
夕張の手には、硝煙を上げる拳銃が。彼女の放った弾丸が、ナイフを弾き飛ばしたのだ。
それを構える夕張の目には、激しい怒りが浮かんでいた。
「さっきから黙って聞いてれば、勝手な事ばかり言うわね………。」
「………っ!?」
「私ね、ケイくんに告白したの。勿論振られちゃったわ…その前も、ケイくんからあんたの話を色々聞いた……。
あんたはムカつく所もいっぱいあるけど、あんたと仲良くなってからは楽しかった…馬鹿な話もしたし、色々買い物行ったり飲み行ったりもしたよね…。
……何がバケモノよ!ケイくんが…どれだけあんたに救われてたか分かんないっての!?
確かにケイくんは、私の大事な人でもあるけど…あんたも、私の大事な友達よ。
そんな二人だから、私は身を引いた……だから私も、ワガママを言うわ。
___あんた達は、幸せになる義務がある。
……“ユウ”。私はぶん殴ってでも、あんたを死なせないわ。
目の前で苦しんでる友達を、放っておく訳には行かない!」
それは初めて夕張が銃を抜き。
そして彼女が、初めて友人として北上の本当の名を呼び捨てた瞬間だった。
直後、拳銃が遠くへと投げ捨てられた。
北上のサバイバルナイフも砕け、自決する為の道具はもう無いように見える。
だが北上は、隠されたもう一つの武器の存在を察している。
「これで、自殺の道具はもうないわね…気絶するまで殴るわよ。あんたの根性叩き直してあげる!」
「夕張ちゃん…ポーチのそれちょうだいよ……龍驤さんの事だもん、どうせあんたに自分の渡してるっしょ…。」
「………!?……渡さないわ。これは使う気もないけど、あんたに渡す気もない!」
「強情だねー……じゃ、いいよ。
…気絶させてでも奪ってあげるからさぁ!!」
再び殴り合う音が響く中、倉庫の外では変わらず強い風が吹いていた。
裏口の小さな扉は、開け放たれたまま。彼女達もその存在には気付いていない。
その風に流され、そこを一つのゴミが通り過ぎた。
それは隅に横たえられている、ケイの方へと向かって行く。
ボロボロに傷んだ、今はもう使われていないサッカーボールが。
今回の投下は以上となります。
乙!
おつおつ
歪むなら歪むなりに必死だけど、やっぱり救われて欲しいよなあ
乙
サッカーボールはどう役に立つのだろうか
それとも単にメタファー的なサムシングなのか
死んだ弟の骨説
>>585
サッカーボールが骨壺代わり?
投下します。
“どこだ…ここ……。”
見知らぬ床の感触の中、ケイは目を覚ました。
何度となく飲まさせられた睡眠薬は、重い副作用をもたらし。
混濁する意識の中、彼は現実と夢の狭間にいる。
そのぼやけた世界の中、言い争い、殴り合う音が彼の鼓膜に触れる。
だが、体が動かない。ぼやけた視界と意識の中、周囲の音だけが生々しく彼の中で響いている。
彼の愛する者と。
故に、彼が想いに応える事は出来なかった仲間と。
その二人が、戦いを繰り広げる音。
そして、次々語られていく事実。
尚も混濁する意識の中を、それらの言葉が駆け抜けて行く。
悪い夢を見ているかのような感覚が、彼を襲う。
語られて行く真実は、彼の中にあった彼女の笑顔を、次々と曇らせて行く。
境界を失った意識の中で、それはまるで、彼自身がその言葉の中にいるかのような、彼女そのものとしてその世界を見ているような。
そうした感覚と、激しい胸の痛みを彼に与えていた。
“普通じゃない……あの傷、何があったんだろう。
いつもゆるい雰囲気だけど、絶対何かあるよな……。
無理に話してくれなくてもいい。何かあるなら、俺が……。”
北上に襲われたあの夜。
彼が誓ったのは、例え真実を彼女が話せなくとも、心の傷があるならば癒すと言う事だ。
深く繋がりを持つ一方で。
彼は、北上の過去についてはあまり知らなかった。
彼女自身が、触れられるのを避けたがっているのを感じ取っていたからだ。
いや、知る事を避けていたのだ。
話したがらない事を無理に訊き出す事は、彼女にとっては無神経な事だと考えたが故に。
だが、今は後悔が彼を襲っていた。
“そうして気を遣っているつもりでこそいたが、それこそが、彼女自身から目を背ける行為ではなかったのか?”
彼女の正体、争いの中で語られる過去。
彼自身が今囚われているこの街で、かつて見てきた景色。
北上の正体に気付かずにいた自身と、そこに対する彼女の気持ちへの想像と。
異なる地獄と地獄が繋がり、それらが次々と、彼の脳裏で新たな地獄を形作って行く。
それらが積み重なり、繋がり、彼の心は北上のいる世界に近付いて行く。
そして、彼女との美しい思い出が、その地獄と交互に再生される。
そこは、どれだけ崩れた世界だったのだろう。
そんな最中にあっても、彼と過ごす時間の中では、彼女は嬉しそうに笑っていた。
ケイもまた、かつては狂気と憎悪に囚われた人間だった。
復讐の為にこそ、整備としての腕とセンスを磨く事に心血を注ぎ。
そして自身の手掛けた兵器が生み出した屍の山を見ては、言い知れぬ快感と手応えを感じるまでに至っていた。
明石がかつて恐怖を感じた、その際の彼の笑顔。
徐々に復讐や平和を願う事を通り越し、ただただ、自身の生み出した兵器が敵を殺すと言う事に生きる目的を見出しかけていた、危険なその表情と心。
それらが次第に薄れていったのは、いつからだったのか。
誰に、出会ってからだったのか。
彼の意識の境界は、徐々に現実へとその天秤を傾けて行く。
その中で彼女の言葉が、より深く彼の耳へと触れる。
「人ってさ、お皿と一緒なんだよ。
一度割れたら、二度と元には戻れない。」
「だからアタシなんか、もう人間じゃないんだよ…ただのバケモノ。」
「____アタシ一人が死ねば、ハッピーエンドだって。 」
その時の事だ。
彼の背に、転がり込んで来たサッカーボールが触れたのは。
その瞬間、とある声が響いた。
“ケイ兄……姉ちゃんを、助けてくれ…!”
それは冬に故郷で聞いた幻聴と、同じ言葉。
だが、以前のくぐもったものではなく、今度ははっきりと聞き取れた。
一瞬だが、ケイの目の前にはいつかの肉塊ではなく。
『彼』の成長した姿であろう、とある少年の、寂しげな微笑みが映った。
それを見聞きした時。
ケイの意識の天秤は、遂に現実へとその秤を振り切る。
そして、激しい感情が彼を襲った。
“…………ふざけんなよ。
ユウ…お前がバケモノなら、俺は何なんだよ……俺が、誰に救われたと思ってんだよ…!
コウタ、分かったよ……今度は、俺があいつを……!”
肉体そのものは、まだ薬の副作用に侵されていた。
だが意識を取り戻した今、彼は自分の手の中に、ある物が握られている事を理解出来た。
龍驤は夕張に銃を託した際、とある助言を彼女に与えていた。
“ケイ坊見付けたら、まずは全身の拘束解こうと思わん事や……途中で北上に襲われる可能性あるからな…。
ええか…最初に手首の拘束から解いて…次に、渡した道具の内の……
___隠しナイフを握らせるんや。”
仮に途中で失敗した際でも、人質が自力脱出出来る可能性を上げる為の手段。
拘束が解かれているのは、手首のみ。
そして今、彼の手には夕張により隠しナイフが握らさせられていた。
視界の先には、再び殴り合う彼女達の姿。
その手前、彼から近い位置には____
隠しナイフを開き。彼はまず、胴への拘束にナイフを入れ始めた。
「………あぐっ!?」
夕張の体が、壁へと叩き付けられる。
この戦いの中で、もう何度目だろうか。
彼女の体力とダメージは、遂に限界へと達していた。
立ち上がる事すら気力だけでやっとの状態に陥り、無情にも、北上の腕はそんな彼女の腕を押さえつける。
抵抗を試みようとするが、上手く動く事が出来ない。
北上の手は、遂に彼女のウェストポーチのジッパーを空けた。
「あはは……もーらいー…。」
「だ…め……絶対に…させない……。」
「……ダメだよ。ケイちゃんが起きる前に、全部済ませなきゃいけないんだもん……。」
拳銃と缶を奪われ、夕張は必死に手を伸ばす。
だが、もう間に合わない。
引き金に指がかかり、北上のこめかみを銃弾が通り抜けるまで、あと数秒も無い。
その瞬間だ。
『ぱんっ…!』
サッカーボールが壁に当たり、一瞬北上の意識がそちらへ逸れた。
「ユウ!こっちを見ろおお!!」
大声に反応した時、そこにあったもの。
それは立ち上がるケイの姿と。
その手に握られた、夕張が投げ捨てた拳銃。
その銃口は、北上へと向かい。
それを目にした瞬間、彼女の世界はスローになった。
そのゆっくりとした世界の中で、彼女は体を、その軌道へと向けて。
“ケイちゃん……。
ああ……アタシ、最期までワガママだったなー……。
やっとわかったよ……アタシはきっと、せめて………
_____君に、殺されたかったんだ。”
その瞬間、彼女は天使のように微笑み。
放たれた銃弾が、その体を突き抜けていった。
今回の投下は以上となります。
伸びなければ、次回で最終回となる予定です。
続きはよ
おつです!
いよいよかあ…
乙~
来てしまったか・・・とうとう終わりが
乙
「体を突き抜けていった」って事は、肩かもしれないからまだワンチャンあるよな!?な!?
投下します。長くなりますが、今回が最終回です。
んぁ…朝かー…。
うえー…頭いた…昨日飲み過ぎちゃったかー。
体も痛いねー…ま、まあ、昨日はあの後激しかったし……いや、運動不足なだけか。言い訳はやめよ。
でも懐かしいね、艦娘の頃の夢かぁ…荒れてたなぁ、あの頃。
ふふ、でも今はさー…。
隣を見れば、すうすうと寝息を立てる彼の姿。
もう何年前だっけ?今で同棲始めて3年ぐらいだから……ああ、5年は経ったのか。
気持ちよさそうに寝ちゃってー…つっついてやろ。
ほれー、起きなよー。君の彼女が寂しがってるよー?
「んー……?ああ、おはよ。」
「おはよー。ケイちゃん見なよ、いい天気だよー。」
「……っと、確かになー。ユウ、花見でも行くか?」
「いいねー。よし!じゃあ着替えよっか。」
少し離れた公園まで、ぷらぷらと歩く日曜日。
桜の季節の木漏れ日はあったかくて、何とも穏やかな風が吹いている。
「そう言えばさ、今朝あの時の夢見たよ。」
「…戦争の時のか?」
「うん。あの頃は色々あったけど、若かったなーって思ったよ。荒れてたよねー、アタシ達。」
「まあね。でも今は二人でこうして過ごせてる。それで良いんじゃないか?」
「そうだねー…うん!」
そうだよ。こんななんて事ない日が、今は幸せなんだ。
帰ってごはん食べて、いつものバラエティ観て。また次の休みは何しよっかなんて考えてさ。
アタシの左手には、宝石の入った指輪がある。
これがもうすぐシルバーのに変わって……ケイちゃんの左手にも、それと同じ指輪が嵌まる。
色々あったけどさ、今は生きてて良かったなって、そう思えるんだ。
ふふー、満開だねー。戦争終わってあの峠に行った時も、パーって咲いててさ。
6月の式の時も、晴れたら良いな。
「ケイちゃーん。」
「何?」
「ふふ、一生離さないから。」
「…心配しなくても、離れないっての。」
夢みたいだよね、こんな毎日。本当に夢みたいだ。
……そう、夢だから幸せだった。
だってこれは。
ある夜に、アタシが見た夢だったんだから。
硝煙が立ち上り、そこから数秒。
どさりと、静かに、そして重く物音が響いた。
1秒、2秒。続いて、3秒目。
その静寂を経て、ようやく目の前の出来事に、青年が声を上げる。
「………ユウ!!!」
彼女の本当の名を叫んで駆け寄り、彼の目に入ったのは。脇腹から血を流し倒れる北上の姿。
息は荒く、黒い服越しでもはっきりと分かる出血が、容赦なく現実を突き付けていた。
本来であれば素人の、ましてや薬の副作用で朦朧としていた彼の狙撃など、せいぜい威嚇射撃で終わるはずだった。
だが、北上は言ってしまえばその道のプロだ。
彼女は発射の瞬間、まるで愛しい者を抱くかのように弾道が自らを貫く軌道へ立ち、両手を広げていた。
彼が愛して止まぬ、愛らしい笑顔を向けて。
「北上さん!」
「ユウ!しっかりしろ!!」
「あはは…ケイちゃん……起きちゃったの…?」
「お前…何で自分から……。」
「……嬉しいなぁ、やっとタメ口きいてくれたね……。
いいんだよ、これで…アタシ達のやり取りさ…聞こえてたったしょ……?
ケイちゃんを…アタシから守るには……これ、しか……無いんだ……アタシは…きっと君を殺しちゃう、から…。」
「……馬鹿野郎!生きてたから出会えたんだって、お前が言ったんじゃねえか!」
「……あったねー、そんな事…。
アタシ、ケイちゃんにまた会えて、本当に嬉しかったよ……生きてて良かったって、思えた…。
……アタシは…馬鹿なんだ……。
誰にも、君を渡したくなかった……でも、嫌われたくなくて…本当のことも、言えなかった……。
みんな死んじゃってから…ずっと、寂しかったんだ…ひとりぼっちで、寒くて……ケイちゃんだけだよ、あっためてくれたのは…。そんなのさ…君に、寄っ掛かってるだけなのに……。
ケイちゃんは幸せに、自分の人生を生きて……それが一番いいんだ……アタシ達の為に、仇なんて討たなくてもさ…。」
抱き上げるケイの腕を伝う血は、次第に冷たさを増していた。
二人にとって、この冷たさは覚えがある。
死の温度。
かつて嫌という程曝された、終末の冷たさ。
それが今、溢れた北上の血液によって、ケイへと伝っていく。
「ねえ、ワガママ言ってもいいかなー…?
ほんとはね……こんなんじゃなきゃ、君と生きたかったよ……ずっと、君ん中にいたかった…。
あそこの足湯でお花見もしたかったし…花火大会とかも行ってみたかったな……浴衣着てさ……。
でも、それももうおしまい……アタシは狂ってるから、君とは生きられないからさ ……。」
「ユウ!!」
「ケイちゃん……ギュッとして…?
……うん、あったかいねー……もう、心残りはないよ……君の手で、死ねるんだもん……。
___大好きだよ。ありがとう、ケイちゃん……。」
そして瞼が落ちかけ、彼女の命の灯が消える。
その瞬間。
「ねえ……さっきから…なーに見せ付けてくれてんのよ!!」
「ぶっ!?」
北上の頭上から 、とある液体がぶちまけられた。
「へ……?痛くない…あれ、アタシ…死んじゃったんじゃないの……?」
「残念、生きてるわよ。はー…やっと本音を言う気になったわね…ハラハラしちゃったわ。
言ったでしょ?“あんたは死なせない”って。
艤装展開時の怪我しか治せない…つまり裏を返せば、缶と連携してる間の怪我には有効って事。
さて、何でしょうか?」
北上が突然消えた痛みと怪我の感覚に狼狽える中、夕張はしたり顔で謎かけをしてみせる。
この独特の匂いは、彼女も嗅いだ事がある。
その正体は。
「ん……?あ!これって!!」
「そう。バケツの中身よ。」
夕張はウェストポーチ以外に、腰にドリンクホルダーを付けていた。
中身は本当に危険な時の為に、出発前に彼女がくすねておいたもの。
ペットボトルに詰められた、高速修復材。
それは未だに缶と連携している北上の銃創にも、効果を発揮するものだった。
「ついでに言うと血痕を見る限り、あなたの怪我は、脇腹の端を抜けたくらいね。
これなら簡単に死にはしないけど…まあ、失血で気絶とかはあるかも。
でも焦ったわよ…ナイフで掻っ切るとかならまだ間に合ったかもしれないけど、即死なんてどうにも出来ないもの……全くもう、手間かけさせて。
…観念しなさい。あなたはどうあっても死なないわ、私達がいるんだもん。」
呆気にとられたまま、北上は手を動かしてみる。
動く。
次に、足に触れてみる。
ちゃんとある。
頬をつねっても、顔に触っても同じだ。
彼女は、今もこうして生きていた。
「ユウ……。」
「………はは、また生き残っちゃったなー…。」
諦めなのか、呆気に取られているのか。
北上は、乾いた笑みを浮かべていた。
だが、それでも彼女には、変えられない事がある。
「死ぬのはもう、無理そうだねー……アタシ、とことん死神に嫌われてるみたい。
でも、みんなとはお別れだね。
さっきの通りだよ…アタシ、自分でも何するかわかんないもん。みんなのそばにいちゃいけないんだ…。
…退役して、遠くの街にでも行くよ。ごめんね…。」
口をついたのは、別れの言葉。
それは自らを危険と思い、恋人や仲間を想う故に吐き出された言葉だった。
彼女の顔には、諦めの色が浮かんでいる。
ケイはそんな彼女の手を、優しく掴み。
「……そんなに言うなら、やってみろよ。」
彼は隠しナイフを握らせ、それを自らの首に突き付けさせた。
「ケイ、ちゃん……?」
彼の目は、真剣そのものだ。
それは戦時中、整備の際に見せていた顔と全く同じ、射抜くような鋭い目。
「はぁ…はぁ……。」
息が荒くなるのを、北上の肺は感じていた。
刃先が薄く肌を切り、ケイの首筋にわずかに血が滲む。
それを目にした彼女の中を、様々な激情が駆け抜ける。
興奮と黒い衝動が、獣の如く声を上げる。
“ここで彼を殺せば、永遠に彼は自分のものだ”と。
「どうした?これで俺はお前のもんだぞ?
やれるもんならやってみろ、お前に出来るならよ。」
挑発するように、ケイはニヒルな笑みを浮かべた。
そうだ、このまま刃先を深く刺せば、その欲望は叶う。
このまま切り裂いて、命を奪えば__
震える刃先。
35.8℃の液体が、今まさにこぼれようとしている。
その液体が、床に溢れる時。
『からん……。』
ナイフも、同時に床へと落ちた。
「出来ない…………出来ないよ!!
ケイちゃんを殺すなんて……アタシには出来ない!!」
床にぽたぽたと染みを作る、35.8℃の液体。
それは、血液と同じ成分の。
彼女の、暖かな涙だった。
子供のように泣きじゃくる彼女を、ケイの腕が優しく抱きしめる。
そのぬくもりは、今の彼女が最も欲していたもの。
優しく囁くように、彼は口を開いた。
「……だから言ったろ?お前はそんな奴じゃない。何がバケモノだ…じゃあ、俺は何なんだよ?
俺さ、あそこに来た頃は、心の底からは笑えなかったんだ。
お前に出会って、初めてちゃんと笑えた気がした。それ以外じゃ、それこそ俺の兵器が殺した奴の死体を見た時ぐらいでさ。
あのままだったら、今頃どうなってたろうな……俺の方が、よっぽどバケモノだったんだよ。
それを人間に戻してくれたのは…いつもそばにいてくれたのは、お前なんだ。
ユウ…ずっと、気付いてやれなくてごめんな。苦しかっただろ?ひとりぼっちで……。」
「ううん…もう何年も前だもん……アタシも、写真持ってたからケイちゃんの事すぐわかったぐらいで…。
でも…怒ってないの?アタシ達のせいでケイちゃんは、そんな風に…でも、アタシは生きてたのに、ずっと黙ってて…。」
「……どの道、俺はあの件がある限り、この道を生きてたよ。
そうでなくても、大勢の命が奪われたんだ…例えばユウ達が引っ越してなくても、俺は軍にいたと思う。
だから、お前が気に病むことなんて何もないんだよ。」
「ケイちゃん…。」
「ユウ、改めて言うよ。聞いてくれ。」
彼は北上から腕を離し、その両手を彼女の肩に掛けた。
真っ直ぐに向き合わせるように。
そして、自分もそこから目を逸らさないように。
自覚できるほどの、緊張の色が浮かぶ。
今までの人生、今日が一番緊張する日なのかもしれない。
だが、これこそが彼の人生の。
そして彼女達の人生にとっての、祝砲となるのだ。
深く息を吸い、遂に心のトリガーは引かれる。
「北上さん……いや、ユウ!好きだ!俺の彼女になってくれ!!」
「うん……いいよ!よろしくね!」
この瞬間、ようやく真の終戦が訪れたのだった。
“良かったなぁ……ほんと、身を引いた甲斐があったわ……。”
そう思いつつ二人を見守る夕張の肩に、ちょんちょんと何かが触れる。
振り返るとそこには……。
「……………終わったんやな。」
「龍驤さん!?怪我は大丈夫なんですか…?」
「なーに、落ちてもうたけど、海戦のに比べたらすぐ戻ってこれたわ。
しかしまぁあんのアホども…ほんま、まるーく収まって良かったわ……あ、うちの缶どないなった?」
「あ、そう言えば北上さんに取られて…。」
「……なぁメロンちゃん、あないな事ある?」
「………!?」
倉庫の空中に、浮かぶ影が二つ。
それは夕張と龍驤の缶であり、続いて北上のウェストポーチにも異変が起こった。
「おっ!?缶が!!」
ポーチを突き破り、北上の缶も空中へ。
それらは同じ場所に列をなすと、眩い光を放ち、砕け散ってしまう。
破片による銀色のシャワーが、スクリーンのように倉庫に降り注ぐ。
その銀幕の中に、次第に幾人もの影が映し出されて行く。
その人々は。
「タエ…よっちゃん……それに、おじいちゃんも……。」
今は亡き、北上の友人や親族。
それらの人々が次々に現れては、笑顔で北上に手を振り、そして彼方へと消えて行く。
そんな中、聞き覚えのある声が彼らの耳に触れた。
“ケイ君、娘を頼むよー。泣かせたら化けて出てやるからなー!はっはっはっ!”
“……ユウ、幸せにね。ケイ君、よろしくお願いします。”
「お父さん…!お母さん…!」
“姉ちゃん、ケイ兄……またな!!”
「コウちゃん………うん!またね!」
北上は、彼らを笑顔で見送っていた。
そこにかつての悲しみはなく、心を込めて、送り届けるように手を振った。
“全く世話ばっかりかけんだからさー……じゃあね、アタシ。”
「あんたは…?ふふ、まーいーや。じゃあね!」
最後に聞こえた声。
それはかつての彼女自身だったのか、それとも、艦としての北上の魂だったのか。
それは結局分からないまま。
だが、彼女はその光にも、心からの手を振っていた。
やがてそれらの光も消え、倉庫には元通りの薄闇が広がるばかり。
だが、元通りでないものもあった。
「缶、砕けてもうたなぁ……ま、これでうちらも、もう艦娘やないって事やな?なぁ、ユウ?ミユ?」
「あれ龍驤さん、アタシ達の本名知ってたの?」
「あのなぁ…これでもうちの鎮守府やったら、正確には艦娘兼少尉なんやで?キミらの本名ぐらい知っとるわ。
まぁええわ…せやからキミらも、アカネって呼びや。」
「アカネさん!」
「アカネおばさん!」
「こらぁユウ!!お前は営倉送りやー!」
こうして彼女達の戦争は終わり。
艦娘としての彼女達もまた、終わりを迎えた。
ここからが、新たな日々の始まりとなるのだ。
「疲れてもうたわー、うちら先帰るで?また鎮守府でな。」
「じゃあみんな、帰ってきたら焼肉行くわよ!祝賀会ってね!」
「うん!楽しみにしてるよー。」
「あ、ユウ。キミは帰って来たら、しばらくうちのマッサージ機やからな…?ぶつけた頭痛いわー。」
「あははは……ア、アカネさん、ごめんなさい……。」
車は荒れた街を離れ、途中にある休憩ゾーンへと停まった。
自販機でコーヒーを買い、龍驤はそれを片手にタバコに火をつける。
問題児達の後始末も付き、彼女にとってもようやくの一息だ。
一方、助手席の夕張は。
「どないしたー?えらいたそがれてまぁ。」
「いえ…負けたなーって……もう、あんな見せ付けちゃって…。」
「メロンちゃん…?」
そう微笑みながら、窓の外を見つめる夕張。
だがその頬を、涙が伝っていた。
龍驤は肩へと伸ばし掛けた手を止め、じっと彼女の言葉を聴いている。
「ほんと、清々しいぐらいの振られっぷりですよ…。
終わっちゃったなーって…ほんとあいつら……幸せにならなきゃ、許さないんだから……!」
「ミユ…おいで?」
「………アカネさん…ひっ……ぐすっ……。」
「大丈夫やて…キミならまた、ええ恋出来る。失恋は女を磨くチャンスや。
キミはええ子や…だから今は、思いっきり泣き。」
「ぐすっ……ありがとう、ございます……。」
そう子供のように泣きじゃくる彼女を、龍驤は優しく撫でていた。
夕張もまた、ようやく恋の終わりを受け入れる事が出来た。
そして彼女は恋と引き換えに、かけがえの無いものを得た。
この日。
彼女は恋のライバルを失い、そしてユウと言う名の親友を得たのであった。
“ほんま、あいつら幸せにならんとこの子にイワされてまうで……。
ん?そう言えば、何か忘れとるような……?”
「さて、アタシ達も行こっか?」
「そうだな……バイクも拾い行かないとだしなー。あ、もしかしたらあのコンビニ、駐車違反になってたりして……。」
「あ、あはは……ごめん…。」
「いや、まあそれは別に……あれ?車何か変じゃない?」
「傾いてるね…。」
「げ…パンクしてんじゃん。これナイフだな…あ、もう片っぽも…はぁ、アカネさんか?ユウ、携帯持って………ユウ?」
「あはは…。」
「なぁ、そう言えば携帯って……。」
「△△駅のコインロッカーに、隠した、よね…。」
「ここ、公衆電話とか…。」
「うん、死んでる……アタシ達、今お財布しかないね……。」
「マジか…。」
「マジだね………。」
「「……誰か助けてえええええええ!!!!」」
この後二人は必死に歩き。
最終的に、派手なネオンのホテルに入ったそうな。
6年後。夏。
「暑いわね…。」
駅前でそうひとりごちるのは、緑がかった銀のストレートを揺らす女。
夏の日差しはじりじりと照り付け、先程まで電車の冷房に当たっていた彼女は、すっかり参ってしまった様子。
彼女の左手の薬指には、婚約指輪が光る。
しかし同棲中のお相手はと言えば、本日は留守番の模様。
彼女は今日、親友に会うためにこの街を訪れていたからだ。
川本ミユ、26歳。元『夕張』。
終戦後、一年程軍の整備として勤務した後、現在は建機会社で設計・開発に携わる。
かつて深海棲艦の襲撃により壊滅した、××町の復興プロジェクトに勤める会社が携わっており、彼女は建機部門の副主任を務めている。
秋には、現在の交際相手と結婚を予定。
「もしもし?」
『メロンちゃーん、今どこおる?』
「さっき着いて駅前ですけど、今どこにいます?」
『ロータリーんとこにカングー停まっとるやろ?そこや。中涼しいでー。』
彼女がロータリーへ向かうと、電話の相手が言う通り、一台の黒い車が停まっていた。
窓から手を振るのは、側から見れば車を運転出来る年齢に達していなさそうな女。
しかし、彼女の先輩にあたる女だ。
北川アカネ(旧姓・田村)、34歳。元『龍驤』。
終戦後、当時の××鎮守府司令官・北川アツヤと結婚。
現在は退役し、2児の母。
子育ての合間に、時折近所のヤンキー達を『教育』している姿を見るとか見ないとか。
二人が乗る車は駅を離れ、とある住宅地へと向かって行く。
こうして会うのも半年ぶりか。
積もる話に花を咲かせつつ、夏の日差しに照らされる街を眺めていた。
「今日お子さん達は?」
「旦那も休みやから、任せてきたわ。
いやー、相変わらずデレデレでなー。出張行ってても毎日電話来るし、家おったらおったでもうずーっと離れんし。
ありゃうちの子らに彼氏出来たら、旦那殴らないかんやろなあ…写真見る?」
「かわいー!結構アカネさんに似てきましたねぇ。」
「ほんまそれや…もうちっと旦那の遺伝子継いでくれたら良かったんやけどな…。
旦那が逮捕されかけた話あったやろ?今から心配でたまらんわ…。」
「ああ、あの援交と間違えられた件……。」
「身分証見した時のポリ公のツラ、傑作やったで。うち、そん時三十路やったのに。メロンちゃんは最近どない?」
「式の準備がそろそろですねー…ふふ、でも最近、お腹がちょっと、太ったのとは別でゆるんできて……。」
「だいじょぶだいじょぶ!まだ26やろー?幾つになっても心はお姉さんや!
………ええか、肌がシャワー弾かんようなってからが地獄なんや……。」
「やめてください、確かに最近弾きが…。」
相変わらずな会話を繰り広げつつ、車は目的地へと辿り着いた。
ここはかつて、ある少女が住み。
そして、二人の片割れが、今尚仕事で関わっている街だ。
今日彼女達がここを訪れたのは、旧友の引越し祝いの為。
車を降りた二人の前には、真新しい建物だらけの街が広がっていた。
何故ならここは、かつて一度は滅んだ街なのだから。
「はーい。」
呼び鈴を鳴らすと、男の声が聞こえてきた。
そして開けられた玄関からひょっこりと顔を出すのは、ヒゲを生やした男。
「おー、久しぶり。待ってたよ。」
「ケイくん、引越しおめでとう!」
「ケイ、また似合わんなあそのヒゲ…。」
「え?やっぱダメっすか?いや、一応偉くなったし、威厳でも出そうかと…。」
「新喜劇みたいになっとるわ。」
笠木ケイタロウ、26歳。元××鎮守府整備長。
終戦後退役し、バイクメーカーへ再就職。
そこの新製品開発部門にて、プロジェクトリーダーを務めている。
彼の開発した製品は評価が高く、売り上げも好調との事。
××町復興プロジェクトの一環で開発部門が移転し、この度同町へ引っ越してきた。
そしてケイに続き、今度はとある三つ編みの女がやってきた。
何年経っても変わらないゆるいオーラ。
だが、幾分年月を経て、落ち着きも放っている。
ノースリーブのゆるいワンピースを纏う彼女の肩からは、傷が見えている。
今はもう、それを隠す理由も無いのだ。
「お、来たー?待ってたよー!」
「ユウちゃん!会いたかったー!」
「あはは、ミユっち痛いー。」
「オウオウ、早々に百合百合しいなぁ…。」
「はは…ま、まあ、大井さんともいつもあんな感じですよ…。」
笠木ユウ(旧姓・岩代)、26歳。元『北上』。
終戦後退役し、高卒認定試験を受験し、合格。
その後しばらくは美容師アシスタントとして働き、国家試験に合格するも、結婚を機に退職。
現在は、子育てに集中している。
「あ!ミユおねえちゃん!」
「おー、大っきくなったねー。久しぶりー。」
「ほんま成長早いなー。なあなあ、うちのこと覚えとるー?」
「アカネおばさん!」
「お…おばっ……おばっ…!?」
「ふっ……アカネさん…子供は、本質を見抜くんですよ…。」
「メロンちゃん…裏切りよったな…!」
笠木コウタロウ、2歳と8ヶ月。
笠木家の長男坊。やんちゃ盛り。
好きなものは、お父さんとお母さん。
最近、兄弟が欲しい。
「ま、まあええわ…てなわけで、キミらの引越し祝いや!改めておめでとな!」
「ありがとうみんなー。」
こうして久々の再会に、一同は湧いた。
今はかつての血生臭い世界は、存在しない。
だが、戦友達の絆は、今もまだ続いているのだ。
これからも、これからも。
そうして仲間と盛り上がった翌日の、日曜日。
かつて北上だった女は、息子と共に近所を散歩していた。
荒れ果てていた街も今やすっかり整備され、かつての地獄の後は無い。
だが海辺のとある場所には、大きな石碑が建てられていた。
そこに刻まれている、約1万8千名の犠牲者の名。
その中には、彼女の家族も含まれている。
石碑を一度撫でると、彼女は息子の手を引いて、小さな堤防へと上がる。
そこから見えるのは、どこまでも青く雄大な、静かな海だった。
過去に同じように青かった記憶も、血の赤に染まった記憶も。
そして、また取り返す事の出来た海も。
全ては、彼女の中にある。
「おかーさん、きれーだねー。」
「そうだねー…ここはさ、昔は色んなことがあったんだ。」
「ねーねー。」
「なーにー?」
「なんでぼくのなまえはコウタロウなの?」
「ふふ…コウくんが大っきくなったら、教えてあげるね。
アタシの大事な人達の名前から、コウくんの名前は出来てるんだ。」
「だいじなひと?」
「うん。コウくんも、いつか出来るよ。」
「ぼくね、おとーさんとおかーさんがだいじなひと!」
「……ふふ、ありがと。」
「おー、ここにいたのかー。」
「あ、やっと来た。しゃーないっしょー、ケイちゃん起きないんだもーん。」
「わりいわりい、寝落ちしちまった。」
「もぅ…じゃ、帰ろっか。」
「そうだな…まあ、実はもう準備してるし。」
「え!?いつの間に!びっくりするじゃんかー!」
「ふふふ、元整備長は料理も得意なんだよ……。!
コウ、今日はなー、おかーさんの___」
そして手を取り合い、3人は家へと歩き出す。
やっと手にした、平和な日々を歩む為に。
“明日でもう、何年になるんだろ?
ほんと、色んなことがあったなー……辛かった事、死にたい事、いっぱいあったけどさ。今、アタシは幸せだよ。
みんな…きっとこの先何があっても、アタシは強くなれる。
だからさ…アタシはこの手だけは。
___離さないから。”
7月3日。
今日は彼女の誕生日。
夏の太陽の下。
彼女が家族に向けた笑顔は、何よりも輝いていた。
北上「離さない」・終
これにて全編終了となります。
思い付きで書き始めたSSですが、当初の予想から外れ、オリ要素や独自設定だらけの内容となり、筆者も四苦八苦する結果となりました。
途中諸事情により筆が止まった時期もありましたが、ここまで完走出来たのは、お読みいただいた皆様の応援のお陰です。ありがとうございました。
次回は当分書きたくないなと思いますが、もし書く機会があるならば、次はもう少しコメディチックなものを書きたいなと思います。
夕張には損な役回りを背負わせてしまったので、その内おいしい思いをしてほしいなとも。
依頼出してきます。
超乙
正直艦これの事あんまり知らないで車やバイクの方に惹かれてて読んだけど超面白かったぜ
久々に良質なハッピーエンドだった
最後に聞きたいんだがケイのバイクのモデルって何?
モトグッツィ?
完結乙でした
最後は大団円になって本当に良かった
乙でした!
メッチャええ話や…乙!
お疲れ様でした!
もっとイチャイチャしててもよかったのにw
乙!
文句無しのハッピーエンドですっ!
2度目のタイトル回収、多少は予想できてたけどいざ実際に見てみるともう感動と興奮でヤッフゥゥゥウウウウァ!!
……失礼、取り乱してしまいました
ともかく乙
新作にも期待してます
最高すぎる(サムズアップ
引き込まれる内容で面白かったです!
乙!
こんだけ長いのをよく書ききってくれた
間違いなく良作だった
>>631
ドラスタ1100だと思って読んでたわ
多忙により依頼出すのが遅れてしまいました…。
皆様、本当にありがとうございました。
>>631 ドラスタ1100のイメージで書いておりました。
おつかれさまやで ずっと追っててよかったわ 次も楽しみにしとる
みんな幸せになって良かった…
超乙でした!!
乙。このスレ見て北上さんに指輪もありかと思い始めたよ
おつ
いい作品をありがとう
このSSまとめへのコメント
イッチの艦これ世界の考察がしっかりしていて面白い
北上の病み具合が読んでて心地良い、続きに期待
どっちのキャラも好きだから、えげつなく書いてるのを見て、楽しみにしてるます
期待してます
…これ面白すぎじゃね?
面白いなー、続き期待
読者が楽しめる病み、応援してます
こういうの大好き 読んでて楽しいし凄く沈める 時系列しっかりリンクしてて艦これ考察も面白い 頑張ってください!
文才すげえわ、続編待ってます
何これ、凄いゾクゾクする。 続きに期待してます。
最高っすわ…。
やっぱ多少地の文あると引き込まれますね。
続きを待っています。
工作員お疲れ
き、北上さん。愛が強い・・・
イイネ!
ドロッドロッの展開を期待したい
この人の文才ヤベェ
ゾクゾクする
ハ…ハッピーエンドは…
……なさそうですね
続きが気になるところですね~
期待です。
待ってます
この北上さんが聞いてる曲気になるな
ここ半年ぐらいずっとこのスレの更新に一喜一憂していたのだけれども
amazarashiか、まさかここで見掛けるとは思いませんでしたわ
更新途絶えたかと思ってたけど年明けてから来てたか
続きが気になる
続きが気になる…
期待します!
ついにタイトルが来ましたな…のんびりでも続きをお待ちしています。
ケイが告白しようと決めただけに報われないなぁ
くらいまっくす!!!
楽しみでちでち
くらいまっくす!!!
楽しみでちでち
長い間お疲れ様でした、ずっと追いかけていた作品の終わりに立ち会えて良かったです。
面白かったです!お疲れ様でした!
乙ー
長かったねww
お疲れ様でした!凄く面白かったです
お疲れ様でした!凄く面白かったです
お疲れ様でした。とても面白かったです
乙です!
楽しかった〜
乙です