風俗嬢と僕 (951)

ネオンライトがギラギラと輝く街。脂ぎったおっさんやキャッチの兄ちゃん、色気を撒き散らす女と、様々な人がそこを歩いている。

彼女にフラれた腹いせに風俗へ。

自分がこんなに短絡的な人間だとは思ってもいなかった。とはいえ、止める気もない。

デリヘルやソープといった様々な業種があるのは何となく知っていたけど、金銭的にも高価なところには行きづらくて。少しは敷居が低そうなピンサロに僕は向かっていた。

雑居ビルの5階に店はある。別にどの店でも良かったんだけど、ネットで検索したら上位でヒットしたからという理由だけで、僕はそこに狙いを定めた。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1429106557

エレベーターに乗り込んで、それが上昇するのと共に胸の鼓動が速くなる。

浮気をしようとしてるわけでもなければ、自分は18歳だって越えている。生活費や仕送りに手を出しているわけでもなく、大学の授業の合間にこなしているバイトで稼いだ金で遊ぼうとしている。

後ろめたさを感じる理由はないはずなのに、どこか悪いことをしている気がするのはなぜだろうか。

何となく気後れしてしまったけど、乗り込んでしまったエレベーターは故障もせずに無事に5階まで到着してしまった。

扉が開いて一歩踏み出してみると、そこには受付の兄ちゃんが扉のそとで待ち構えていた。

「いらっしゃいませー! お兄さん、どう?」

おっさんというよりは兄ちゃんと言うべきか、ホストの出来損ないみたいな金髪ミディアムの男が胡散臭く笑いながら話しかけてきた。

「えーっと、はい。お願いします」

何と返事をすべきかも分からず、変なことを言ってしまった気がするが、口から出てしまったことは仕方ない。

了承の返事に気を良くしたのか、男は早口に言葉を続けた。

「あざまーすっ! 今ね、一番人気のゆうちゃんが空いてるんですよ! 初めての来店なら、指名料込みでこの値段! お得ですよ!」

そう言って彼は看板の料金表を指さした。正直、他の店との相場とか人気とかあまり分からないけど、その値段自体は予算の範疇ではあったし、店の前に立っているのも何となくの恥ずかしさと後ろめたさがあったので、二つ返事で了解した。

「じゃあそれで」

「あざまーすっ! それじゃ、料金頂戴しますね。こちらの待合室で長かったら爪を切ってお待ちくださーい」

提示された金額通りの紙幣を渡して、カーテンで仕切られただけの待合室のボロい椅子に腰かけた。

……こんな感じなんだ。

やたらうるさくてポップなBGMが流れていて、とてもエロいことをするようなムードには思えないけど、そういう店なのには間違いがないはずだ。

何となく異世界にきてしまったような戸惑いと、 後ろめたさと、でも悲しいかな男としてやっぱり期待するものもあるわけで、今までの人生で経験したことがないようなテンションになっている。

平日の昼間ということもあってか、他のお客さんはいないみたいだ。一人で落ち着かない気持ちになっていると、やっと店員から呼びかけられた。

「お客さん、来てください」

言われるがままに待合室のカーテンを潜ると、禁止事項を読み上げられた後にブースの指定をされた。

店内は柵か何かで分割してブースを作っているらしく、僕はそのなかで3番ブース、一番奥だった。

「それではごゆっくりどうぞー!」

男はブースの前まで案内すると、そんな言葉を残して待合室や受付の方へ戻っていった。

「ごゆっくりって言われても……」

柵はやたらと低くて立ってる人からは丸見えみたいだし、そもそも今は何をして待っていれば良いのかも分からない。

とりあえず床に座って黙って待つ。そういえば、一番人気ってことしか聞いてないからどんな女の子がきてくれるのかすら分かっていない。

勢いだけでここまできてしまったな、なんて独りごちてもどうしようもないんだけど。

数分待ったところで、場内アナウンスが聞こえた。

『ゆうさん、3番ブースへどうぞっ』

その声と共に入口からの気配を感じると、女の子がブースの入口に立っていた。

「こんにちはー! 初めまして、ゆうですっ」

視線を上げてみると、黒髪をミディアムボブにした、ちょっと小柄な女の子が立っていた。

女性や女といった表現よりは少女の方が適切だろうか。薄暗くて顔ははっきりと見えてないけど、醸し出している雰囲気や動作は何となく同年代のものに思えた。

「どもー」

ぺこり、と頭を下げて挨拶を返すと、彼女は靴を脱いでブースの中に入ってきた。

「初めまして? だよね! わかーい! お兄さん、いくつ? あ、言いたくなったら言わなくていいよー」

早口でガンガンまくしたてながら、彼女は僕の正面に座した。正面から見た彼女の顔はやっぱり幼くて、さすがに未成年ということはないだろうが、僕より歳上でもないとは思う。しかし、それでも顔の造作はさすがというべきか綺麗なもので、美人ではなくとも美少女という言葉がぴったりと当てはまりそうだった。

「あー、えっと、21、です」

何となく歯切れが悪い返事になってしまったのは、この空間に飲まれているからか、彼女の美貌に怖じ気づいているからか。

「えっ、今年21になったの? 同い年? 今年22になるの?」

その問いかけと共に彼女は僕の手を取って、上下に揺らしてきた。手を繋ぐなんて今まで何度もしてきたことなのに、やっぱりドキドキしてしまうのは何でだろう。

「あ、今年21、です。4月で21になりました」

「えー、最近じゃないですかー! 同い年だー、やったー! 私は6月で21になりますー!」

「あ、でもやっぱり同い年なんだ」

歳上ではない、という読みが当たってふと呟いてしまった。彼女は目敏く……ではなく、耳敏くそれを聞いたようで、問い返してくる。

「やっぱりって?」

「いや、同い年くらいかなー、って思ったから。雰囲気とかさ」

「あ、そう? 若いお客さんって珍しいから、私にしてみたら皆同い年みたいに見えるけど」

そう言って彼女はふふふっと妖しく笑って見せた。

「今日は何でこの店に? 風俗通いが趣味なんですか?」

「まさか! 初めてですよ、初めて!」

慌てて彼女の言葉を否定すると、彼女は意外そうに目を丸めた。

「あら、そうなんですか? ほら、一人で来てるみたいだから慣れてるのかなって思って。初めてなんですね、そっか」

そういって彼女は意味深そうに頷いて見せた。それが何だか可笑しくて、僕は思わず笑みを漏らす。

「あっ、やっと笑った?」

彼女はしてやったりという顔でにこっと笑うと、言葉を続けた。

「お兄さん、緊張してるのか知らないけどずっとガチガチだったから。少しは気が緩んだ?」

「そんなに?」

「そりゃもう、これから職場の上司に怒られますー! みたいな顔だったもん」

「上司なんていないけどね」

そう言うと、彼女は目を大きくして驚いた。

「えっ、社長?」

なんでそうなるんだよ、と思わず苦笑を洩らし、言葉を返した。

「いや、学生だから」

「あー、学生さん! 私が高卒だから、その発想は無かったなー。大学生?」

その質問には肯定の意をこめて頷いて見せた。

「通りで若く見えるわけだー。うわー、珍しい珍しい」

ぺたぺたと僕の顔を触りながら、彼女はすっと僕の隣に来た。綺麗に整った小さな顔が僕の目の前まで近づいてきて、思わず目を逸らしてしまう。

「もー、何で顔そらすの?」

拗ねたような上目づかいでこちらを見つめてくる。仄暗い部屋の中でもはっきりと分かるくらい彼女の目は大きくて、吸い込まれそうになる。

「これから私たち、楽しいことするんじゃないのー?」

猫撫で声をあげながら、彼女は僕の胸元に顔をうずめた。何だか良いにおいがする。

「ね、こっち見て?」

そう言うと同時に彼女は僕の両頬を手で挟み、顔を合わせた。

頬が熱くなるのを感じる。彼女はそのまま顔を僕と同じ高さに持ってきて、すっと耳元で囁いた。

「お兄さん、こんなお店に来るなんてエッチだね」

彼女の言葉は僕の羞恥心を煽りながら、耳元で紡がれる。

「何をしたくてここに来たのかな? ゆうに教えて?」

小さな声と共に吐息を感じて、少し身震いしそうになってしまう。何だろう、恥ずかしいんだけど、嫌じゃない。

「えっと……」

言葉を続けられずに悶えていると、彼女は責めるように呟きを止めない。

「言ってくれないと分からないよ? 何でお兄さんはここに来たのかなー?」

うふふ、と笑ったところまで計算しているのだろうか。何にせよ、このまま黙っているのは許してくれないらしい。

「それは、えーっと……」

「うんうん」

彼女は言葉の先を心待ちにしているかのように頷きながら待っている。

「彼女にフラレた心の傷を癒しに? かな?」

「へっ?」

予定外の返事だったのだろうか、彼女は間抜けな声をあげてきょとんとした目で僕を向いた。

そりゃ、こんなところであんな質問をされたら、普通はエッチをしに来たとか言うべきなんだろうけどさ。

「この間、彼女にふられて。思ったより傷ついてたから、人生経験も兼ねて?」

疑問調なのは、これが果たして何の人生経験になるのか自分でも分かっていないから。

「ふられたの? お兄さんが?」

その問いかけには、首肯で返事を示そう。

彼女は僕を見ながら、純粋そうに問いかけた。

「えー、何で? 何でふられたの?」

な話すと長いようで短いんだけど……」

そして僕は自分の経緯を彼女に話し始める。

僕と彼女は共通の趣味をきっかけに仲良くなった。話すのも楽しかったし、二人で遊ぶことも少なくなかったし、気づいたときには僕は恋に落ちていた。

しかし、彼女には彼氏がいたし、それは叶わぬ恋だと自覚していたからこそ、僕はそれを胸のうちにしまっていた。つもりだった。

ある日、彼女と二人で飲みに行くと、酔った勢いで僕は口を滑らせてしまった。

『付き合ってほしいとかじゃないけど、僕が好きなのは君なんだ』

漏れた言葉を受け止めた彼女は、彼氏と別れるから付き合ってほしいという返事をくれ、僕たちはめでたく恋人同士になった。

クズやんけ

20歳前後なら男でも女でもヤりたい盛りだしな

おう、続きまだ??

もちろん、悪いことをしているという意識はあった。『付き合ってほしいとかじゃない』なんて言葉は彼女を選んだ時点で意味をなしてないし、彼氏にしてみたらただ彼女を奪われたのと何も変わらない。

告げた時点では、僕だって深望みをしていたわけじゃない。それは本当のことだ。

ただ、自分の胸のなかにある気持ちがたまりすぎて、苦しくて、伝えてフラれて縁が切れた方がすっきりするんじゃないか、解放されるんじゃないかと思って。本当にそれだけだったんだ。

でも、目の前に人参がぶら下げられてしまった。それに飛び付かないバカ……いや、賢人はどれくらいいるだろうか。

今まで胸に秘めてた気持ちが報われると知ってしまったら、それを拒むことなんて僕には到底できなかった。

付き合い始めたばかりの頃は、僕は有頂天になって浮かれていた。次のデートはどこに行こう、彼女は何が好きなんだろう。

想像もしてなかった幸福が訪れた僕の頭の中はそんなことでいっぱいだった。

とはいえ、不安が全く無いということでもなかった。

例えば、彼女の元彼氏は超有名企業に勤めるエリートサラーリーマンで、そんな男の後に僕みたいな学生と付き合って、彼女は満足するのだろうかとか。彼女自身がとても美人であったが故に、自分の容姿がひどく情けなく思えたりだとか。

言ってしまえば、僕はとてもネガティブな人間なんだと思う。気持ちを告げた時にもうまくいくとは思ってなかったし、自分のことが嫌いで、自信が持てないんだ。

そんな不安や焦りを感じた僕は、『とにかく何とかしないといけない』という方向に進んでしまった。

何をすべきかも分からないのに何かをしないといけない、成長しないといけないという気持ちになって、資格の勉強をしてみたり、ファッション雑誌を読み漁ったり、色んなことに取り組んだ。

勉強もファッションも嫌いじゃないんだけど、『したいからする』ではなくて、『しないといけない』という義務感で始めたそれは、僕のなかで重荷になっていた。

サッカーをしたい、本を読みたいとかそういう欲を押さえて、義務感を消化することを続けていくうちに、僕は疲れてしまったんだ。

そして、そうやって精神を疲弊させてるところで彼女に告げられた言葉はこれだった。

『今は誰かと付き合いたいとかじゃなくなったから、別れよう』

僕が何かしたから、至らぬところがあったから、とか言われたなら、満足はしなくても納得はできたのかもしれない。

ただ、その言葉を聞いた時に、納得もできないそれを否定することも、彼女を責める気持ちも出てこないほど僕の心は疲弊していた。その結果として、行き場のない気持ちは僕自身を責めることでどうにか落ち着かせようとしてしまった。

僕がもっとかっこよければ良かったのに。

僕がもっと将来性があれば良かったのに。

そんな自責の念が僕を縛って、別れた後もしばらくは落ち込んでたし、何かをしなきゃいけないという気持ちでいっぱいだった。

僕はダメな人間なんだ、屑だ、人の彼女を奪うようなやつなんだ。

頭のなかをそんな言葉が巡りめぐって、そして僕は限界を迎えた。

半月ほど高熱にうなされ、それはストレスから来たものだったらしい。慣れないことを続け、自分を縛っていると、人間は案外脆いらしい。

そしてその体調を崩して倒れている間、僕はあることを考えていた。

『仮に僕が完璧な人間だったら、彼女は僕の前から消えなかったのだろうか』

きっとその答はノーだと、僕は結論付けた。

それはある意味で逃げの解答なのかもしれないけど、そう考えるしかなかったんだ。

勿論、僕は自分のことを立派な人間だと開き直ってそんな答を出したわけじゃない。どちらかといえば、自分が屑なのは自覚している。

でも、彼女の別れたいとか付き合いたいってわけじゃないって気持ちは、僕に対して向かっているけど、きっと僕に限った話でもなくて。

仮に僕より立派な人間がいたとしても、彼女はその答を出したんだろう。

ならば、僕も少し息を抜こう。

一度倒れたことで冷静になった僕は、そんな結論を出した。

今まではちょっと気をはって頑張りすぎたから、ちょっと落ち着こう。遊んでみよう。

そんな気持ちで、今までにしたことがないことをしてみたり、行ったことがないところに行ってみたりをしているうちに、今日、ここに来ることを決めたんだ。

どんな場所なんだろうって興味もあり、彼女と別れてからも自己処理をするような気力もなかったのもあり、無駄に勇気を振り絞れるような精神状況だったのもあり。

こんな異世界みたいなところだとは思わなかったけどね。

「……って、ことがあったんだよ」

ここに来るまでの経緯を彼女に話してみると、すっと気分が楽になったことに気がついた。誰にでも話せるような内容でもないと思って、今まで誰にも話したことはなかった。

それなのに、今日会ったばかりの、僕の名前も知らないような人に話して楽になるとは、何とも変な話だ。いや、知らない人だからこそ話せたこともあるんだろうけどさ。

「へぇ……大変だったね」

彼女は半分同情したような、半分対応に困ったような目でこちらを見てきた。そりゃ、初対面の客にこんなことを言われても困るんだろうけどさ。

「まだその元彼女のこと好きなの?」

「え、いや、もうそうじゃない……かな」

少なくとも、まだ好きだったらこういう店には来てないと思うし。倒れて答を求めている間に、彼女への気持ちも徐々に消化してしまったんだと思う。

ありえない仮定として、もし今から彼女に「よりを戻したい」と言われても、きっと断ってしまうと思うし。嫌いになったというよりは、そうやって振り回されるのに疲れて、もう関わりを持ちたくないと言うべきなのかな。きっと彼女も、屑な僕にそんなことを言われたくはないんだろうけど。

「そっか! じゃ、次探そうよ、次! 私なんてどう?」

そう言って彼女が浮かべた笑みは、何だか脆くて儚くて。冗談に冗談で返そうとしても、つい見とれてしまって何も言葉にできなかった。

冗談を言ってるはずなのに、目は何となく寂しそうな。それがなぜなのか僕には分からないけど、とにかく僕にはその笑顔がひどく寂しいものに見えた。

「ねー、黙ってないでさ、つっこんでよー! それとも、本当に私にしちゃう?」

その言葉を耳にして、やっとツッコミを口にする。

「お姉さん、名前も知らないでしょ?」

そう言うと、彼女はしまったという顔をして僕を見た。

「あ、そうだった! その話を聞く前に知っとかないといけなかったかなー! お兄さん、お名前は? あ、偽名でもいいけどね。あと、私はおねーさんじゃなくてゆうだから!」

元のハイテンションに戻った彼女は、僕の顔を見て首をかしげた。偽名でも良いと言われても、パッと思い付くような偽名もなくて、僕は名前をそのまま告げた。

「カズヤ、です」

あの話をした後に自己紹介なんて、改めて何だか変な気がしてきた。

彼女は僕の名前を何度か呟いた後に、僕の顔を両手で挟んだ。

「カズヤね、おっけー! カズヤみたいに若いお客さんって珍しいし、もう忘れないから!」

儚さも脆さも感じられない、ニコニコした笑顔を浮かべながら彼女がそう言ったところで、アナウンスが鳴った。

「あっ、時間だ……」

彼女はバツが悪そうにそう呟いた。そっか、僕が自分語りをダラダラとしているうちに、思ったよりも時間は進んでいたらしい。

「ごめんね……スッキリしに来たのに……」

申し訳なさそうな表情の彼女に、僕は否定と感謝を伝えよう。

「いや、話聞いてもらえて楽になれたんで全然……むしろ、俺の全然面白くない話に付き合ってくれてありがとう」

彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべたままではあったけど、「ううん、それならよかった。ありがとね」と言い、僕にブースから退出するように促した。

立ち上がってバッグを持とうとしたところで、彼女は思い出したかのように「あっ」と声をあげた。どうしたんだろうと、僕は彼女に疑問の眼差しを向ける。

「名刺、渡してもいいかな? また来てもらえるか分からないけど」

特に断る理由もないので、了承の返事をすると彼女は名刺らしきカードを取り出して、ペンで何かを書き足していた。よしっ、と一言呟いたかと思うと、それを差し出してきた。

「頂戴します」

なんて、冗談混じりで返しながらそれを受けとると、そのまま腕をひっぱられた。

「おっと……」

そんな焦り声を漏らした瞬間、僕の唇に柔らかい何かが触れた。それが少しだけ熱のこもった彼女の唇だと気づいたのは、ほんの一瞬後だった。

「ごちそうさまでしたっ」

満足そうに彼女が言ったのを呆けて見てしまった。きっと、凄く間抜けな顔だったと思う。

「立場、逆じゃない?」

そんな言葉がその直後に出てきたのは、自分でもなかなか頑張ったなって感じだ。

「確かにー! ま、細かいことは気にしないの!」

そう言って、彼女は僕の手を引っ張って入口まで連れていく。

「ありがとうございましたー! 時間見てなくてごめんね!」

「いえいえこちらこそ……ありがとうございました」

そんな、何とも分からないやり取りを終えて、僕は店を出ていった。

何だか不思議な気持ちだった。最初に感じていた背徳感は全く無くなっているし、抜いてもらったわけでもないのに気分もスッキリしている。何だか、いろんな意味で異世界で異常な体験をしていた気がする。

「……すごいなぁ」

そんな呟きと共に、僕は家路に向かう。

これが、僕と彼女の出会いだった。

おつんつん

あの店に行ってから、もう二週間ほど過ぎた。GWも過ぎてしまい、服装も一段と軽くなった。気が早い人は、もう半袖のTシャツだけだったりする。

大学の講義を終えた僕は、所属しているサッカーチームの練習場所へと移動をしているところだ。

大学の部活やサークルではなくて、社会人のチームだ。一応、県のリーグ戦にも登録していて、今は一部リーグに所属している。

入学当初は体育会系の部活に入ろうと思っていた。しかし、それなりに勉強をしてそこそこの国立大学に入ってしまった結果、みんな勉強を頑張って入学したからなのだろうか、スポーツは趣味という程度で、それほど高いレベルでもなく、入部をためらってしまった。

そこで、外部でチームを探していたところ今のチームを見つけたのだった。県リーグとはいえ元プロや高校サッカーで全国大会に出たような選手も所属していて、少なくとも部活でやるよりは張り合いがある。

元カノと付き合っていた時や悩んでいた時も、自主練であったりチーム外でボールを蹴る時間はなくなってしまったけど、チームに参加しているときは何も考えずにいられた。ボールを蹴ってる瞬間、追いかけている瞬間は、それだけで頭が一杯になるんだ。

学生の僕は時間に融通がきくからか、一番乗りで会場に着くことが多い。

まだ誰もいないグラウンドに到着すると、バッグから荷物を取り出して、近くに誰もいないことを確認すると手早く着替えた。

今はまだ陽があるから半袖でも大丈夫そうだけど、練習が本格化する夜には少し冷えそうだと感じ、プラクティスシャツの上にピステを着ることにした。シャカシャカした素材のピステは、今の時間には少し暑い。

そのままベンチに腰かけてスニーカーを脱いで、スパイクに履き替える。足裏にあるポイントの突き上げるような感覚は、何度感じても楽しさを伝えてくれる。

これからサッカーをするんだ。

そんな気持ちにさせてくれる感覚。

いいね

SSで地の文は敬遠してたけど、これは読みやすい

期待

ベンチを立ち上がると、土のグラウンドに向かって一礼をして外周を軽く走る。本当は綺麗な芝のピッチがいいんだけど、県リーグレベルの社会人がそんなところでいつも練習をするのはとてもじゃないが無理な話だ。

二周を走り終えると、サッカー部にはお馴染みのブラジル体操を始めた。一人で掛け声をあげながら、足を伸ばしたりステップを踏んだり。端から見ると不審者なんだろうな。

軽く汗をかいたところで自分で持ってきたボールを蹴ろうと、一度ベンチに向かっていると人影が見えた。

「あ、カズくん。相変わらず早いね」

そんな声をあげたのは、マネージャーをしてくれているミユだった。一歳下の彼女は、ヒロさんというお兄さんと一緒にうちのチームに来ている。

「ヒロさんは? まだ?」

そう尋ねると、彼女は首を横に振って肩をすくめて見せた。

「今日はちょっと遅くなるって、家を出るときに言ってた。忙しいんだって」

そっか、と残念そうに僕は返す。

ヒロさんは2年前まではプロとしてプレーをしていた選手だ。二部リーグの選手だったとはいえ、さすが元プロと言うべきか、うちのチームでは段違いに上手い。

プロを自由契約……要するに、クビになってからは、地元のこの町で就職をしてうちのチームでサッカーを続けている。

サッカーも上手くて、クビになってもすぐに仕事も始めて、落ち着きもあるのに人当たりもよくて。僕の憧れの人だ。

「ま、ヒロ兄以外の人も何人か遅れるって連絡があったし、大人はみんな忙しいんだろうねー」

うんうん、とミユはなぜか自慢げに頷いた。うちのチームの出欠連絡は、基本的にマネージャーにすることになっている。最初は監督にすることになっていたらしいんだけど、監督が適当な人だったせいで僕が加入して一年経ち、ミユがマネージャーとして入ってからは彼女が基本的に連絡役を勤めている。

監督はヤマさんという、三十路を越えた人が選手兼任監督を勤めているんだけど、どうにも適当な人で連絡をしたことも忘れられていることがよくあったんだ。十歳も下の僕が言うことではないけど、あれでよく監督をやっていられるな、と思う。選手としては凄いんだけど。

「そっか、まぁ、来る人だけでやるしかないからなー」

企業が運営するチームではないから、どうしても僕たちの練習は仕事や学校の予定に左右されてしまう。酷いときは、10人も集まらないことだってある。

それでも僕も、チームメイトもサッカーをする。理由もなくて、理屈もない。

ボールを追いかけること、蹴ることが好きなままに大きくなった子どもの集まりだと、以前ヒロさんは言っていたけど、本当にその通りだ。

「じゃ、ちょっと蹴りながら待っとくよ」

「はいはい、じゃあ私も給水の準備してくるねー。がんばって」

そんな言葉を残すと、ボール、有名な漫画の言葉を借りるなら『友達』と共に、僕は土のグラウンドに向かっていった。

「カズ、この後暇か? よかったら、一杯行かないか?」

練習後、ヒロさんに声をかけられた。

僕が飼い主に向かって尻尾を降る犬のようにヒロさんを慕っているからか、彼も僕のことをかなり可愛がってくれているんだけど、飲みに誘われるのは珍しいことだった。

曰く、「アルコールは怪我と体力の回復を遅らせる。もちろん多少の酒は良薬かもしれないけど、飲みすぎるのはサッカー選手としてはマイナス面が強すぎる」とのことだ。

チームの飲み会には参加するし、多少は飲みはするけど、摂生するときは摂生する。プロではなくなっても、当時から持ってたプロ意識は抜けてないらしい。

そんなヒロさんに酒を飲もうと誘われたのは少し意外だったけど、断る理由もない僕はすぐに了承した。

どうしたんだろう、珍しいな。

「じゃ、着替えたら行くか」

「はいっ」

理由は何であれ、ヒロさんと一緒に食事に行くのは久しぶりだし、嬉しさのあまりに僕は慌てて着替え始める。

「何か食いたいものあるかー?」

「肉っ! 食べたいです!」

その質問には素直すぎるくらい、間髪を入れずに返事をする。練習後の肉ってなんであんなに美味しいんだろうね。

ヒロさんは笑いながら分かった分かったと言い、僕もつい笑ってしまった。何か、こういうのって良いな。

「えー! 二人でご飯? ずるい! 私も!」と抗議の声をあげたミユを止めるのにはかなりの時間がかかったけど、どうにかそれを振りきった。

「悪いな、あいつ、お前のこと結構気に入ってるから。俺とじゃなくて、お前と飯食いたかったんだと思うけど」

そんなヒロさんの言葉に、いやいやと否定を入れながらも、僕は目の前で良い色に変わりつつある肉を見ていた。

焼肉って、人によって焼き加減の好みが違うから難しいよね。鶏と豚はしっかり焼くけど、牛肉は本当に分からない。

「カズ、最近調子良いよな。何か良いことあった?」

「良いこと……ですか?」

うーん、たぶん無いよなぁ。大学の授業は相変わらずめんどくさいし、バイトも特に代わり映えしない。

「何かこう……迷いが吹っ切れたっていうか、プレーするのが楽しそうっていうか。スッキリしてるよ、最近」

その言葉で思い浮かべたのは、あの店での出来事だった。

誰にも話せなかった心のモヤモヤがスッキリしたのが、サッカーにも繋がったのかな。

「あー、なるほど……最近、ちょっと気にしてたことが無くなったからですかね」

「あ、そうなんだ? 何にせよ、それなら良いじゃん。俺なんか、今もモヤモヤしてるよ」

最後の一言で、ヒロさんは急に声のトーンを落とした。ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干すと、追加でまた一杯注文した。

「どうしたんですか?」

ヒロさんらしからぬ行動に、恐る恐る尋ねてみた。僕なんかが触れて良い話題なのか分からないけど、ここで聞かないなんてとても無理な話だ。

「フラれたんだよ」

「えっ」

予想もしてなかった言葉に、つい声をあげてしまった。ヒロさんの彼女は、確かプロだったときからの付き合いだと聞く。

もう数年は付き合っているし、再就職をしてからしばらく経ち、そろそろ結婚かなと思っていたのに。

「っていうのに加えて、代表もだよ」

「代表……?」

脈絡のないその言葉に、僕は首をかしげた。彼女……代表? 代表って何だ?

「この間、アジア予選の代表が発表されただろ」

あ、サッカー日本代表のことか。でも一体、それがどうしたって言うんだろうか。

「シンヤが選ばれてるんだよ」

吐き出すように口にした名前は、今回初めて代表に招集された選手の名前だった。一部リーグで中盤の選手ながらもゴールを重ね、アシストランキングだけじゃなくて得点ランキングでも上位に名を連ねている。

待望の招集に日本中のサッカーファンは彼のプレーを楽しみにしていると専ら評判なんだけど、ヒロさんは不機嫌そうだ。

「それが……」

僕の言葉を遮るように、ヒロさんは言葉を重ねた。

「あいつ、チームメイトだったんだよ」

ああ、そういえば。

言われてみると、確か彼は去年までニ部のチームでプレーをしていたはずだ。そして、そこでの活躍が認められて一部のチームに今季から移籍したと、雑誌の特集記事を読んだ記憶がある。

しかし、元チームメイトだったのなら、彼の代表選出は喜ばしいことなんじゃないんだろうか。

そんな謎は残るけど、僕からヒロさんにそれを尋ねるのは何だか躊躇われてしまった。

「俺がクビになった理由、カズに話したかな?」

投げられた言葉は、またも脈絡の無いように思えたものだった。僕は黙って首を横に振ると、ヒロさんは言葉を紡ぎ始めた。

俺と同期で高卒新人だったのが、シンヤだったんだ。

もちろん俺たちはすぐに仲良くなった。友達だし、チームメイトだし、仲間だった。

入団初年度はお互いにロクに出番がなくて、二人で自主練をしたり、愚痴りあったり。

お互いに活躍するとそれを励みに練習に打ち込んで、仲間だけど負けたくないなって思ってた。

二年目になって、俺たちのチームの主力選手の先輩が抜けたんだ。一部のチームに引っこ抜かれて、チームとしてはピンチだけど俺達としてはチャンスだなって。ポジションも同じだったから、これを機にレギュラーになってやるって野心を持ってね。

その年の開幕前のキャンプで、紅白戦をしたんだ。レギュラーチームに入ったのは、シンヤじゃなくて俺だった。

プレースタイル的に俺の方が先輩に近いものがあったっていう幸運もあったのかな。でも、そこで良いプレーをしたら開幕スタメンも夢じゃないって思って、俺は気合を入れてその試合に臨んだんだ。

自分で言うのも何だけど、前半はかなり良いプレーが出来てさ。あのプレーなら、先輩がいてもレギュラーを争えたんじゃないかってくらい。チームとしても良いペースで点を奪って、紅白戦だけど圧勝って感じ。

ただ、後半。あれが起きたのは後半だったんだ。

後半が始まってからも、レギュラーチームの優勢は変わらなかった。

俺たちはボールを支配して、相手チームも防戦一方って感じでさ。

そんな雰囲気の時に、俺とシンヤがマッチアップしたんだ。ボールを持ってるのはもちろん俺で、ディフェンスがあいつ。

勝ってるし調子も良いからって天狗になりかけてた俺は、シンヤ相手に股抜きをしたんだ。

足の間をボールが通って、俺も脇を通り抜けて。やったと思った直後に、倒れたてたんだ。

後ろからシンヤにスライディングをされて、それがモロに右足に入ってたんだ。

出たくなんかないのに担架でピッチの外に追い出されて、そのまま病院に行ったら全治半年だ、って。

試合に出られない間にあいつはチーム内でレギュラーになって、俺はそのまま出番をなくしてしまった。

初めてそんな大怪我をしたからかな。それ以来、後ろからの接触プレーが怖くて、どうしても抜いた相手を気にし過ぎてしまうんだ。

県リーグレベルならそれでも通用するけど、プロの世界ではそれじゃダメでさ。

その年ともう一年は面倒を見てもらえたけど、結局それが遠因で、二年前にクビになったんだ。

シンヤともあれ以来気まずくて、退団してからは連絡を取ってない。

「あいつのせいじゃないってことは、分かってる」

ヒロさんは、絞り出すように漏らした。

「あんな状況で股抜きなんかされたら誰だってイラつくし、接触プレーを怖がってしまうのは俺の心が弱いからなんだ」

「じゃあ……」

「でも」

逆接の言葉で感じたのは、強い感情だった。理屈を超えた感情だ。

「もしあそこで怪我してなければ、今ごろ代表にいたのは俺かもしれない。そう思うと、どうしてもスッキリした気持ちで応援も出来ないんだ」

俺って嫌な奴だよな、とヒロさんは自嘲気味に呟いた。

「そんなことないです」とも、「それはシンヤが悪いですよ」とも、僕は言えなかった。

ヒロさんの「あれさえなければ」という気持ちも分かるし、とはいえ怪我のリスクはサッカー選手である以上、当然背負っているものだ。自慢できるものではないが、僕だって骨折や捻挫の経験はある。

消化しようとしてもしきれないモヤモヤを、ヒロさんも感じているんだろうか。

「悪いな、こんな空気にしてしまって。ちょっと愚痴をさ、聞いてもらいたかったんだ。お前くらいしか話せないからさ。ミユにこんな話を聞かれると心配されるし」

その言葉を最後に、ヒロさんは空元気なのか笑えてない笑顔で僕に「肉食え、肉! 体作って、今週の試合も勝つぞ!」と言った。

その言葉にも僕は返事が出来なくて、ただ頷いてトングで肉をつつくだけだった。

あの焼肉から一週間。

アジア予選が始まり、シンヤも代表デビュー戦でゴールを決める活躍をした。その試合後は、うちのチームでもシンヤの名前がよく出てきた。

彼の名前を耳にするたびに、ヒロさんは複雑そうな表情で相槌を打っているし、僕も何だか晴れやかな気分とはいかなかった。代表が勝ったら、普段は嬉しいのにね。

大学も練習も無い休日は久しぶりで、家に引きこもるか悩んだけど、ちょっと出掛けてみることにした。どうせ一人で家にいても落ち着かないしね。

七分丈のお気に入りのサーマルカットソーに、ちょっとダメージの入ったジーパン、スニーカー。夏が近づくとサンダルを履く人も多いけど、中学生の時の部活の顧問に「サンダルなんか履いて怪我してサッカーできなくなったらどうするんだ! 靴を履け!」と言われて以来、卒業した今もその教えをずっと守っている。

ファッション、流行りの服が好きってことじゃないけど、お気に入りの服を着るだけで少し楽しい気分になる。

浮かれない気持ちも少しはマシになって、僕は行くあてもなく町をうろつく。

信号待ちで顔をあげてみると、大型スクリーンにシンヤが映し出された。以前の代表戦の得点シーンが流れた後に、『絶対に負けられない』というお決まりのテロップが流れている。

それを眺めながら、あの日のヒロさんの話を思い出すと少し憂鬱な気持ちになった。

誰が悪い、どちらが悪いとかではなくて、お互いが本気だったから起きてしまったことだとは思う。

とは言え、それはあくまで僕の感覚での話だ。正直、プロとか代表とか話のスケールが大きすぎて、何だか違う世界の話のようにも感じてしまう。

違う世界……?

その言葉に、何だか引っ掛かりを覚えた。

そういえば、僕のモヤモヤを解消してくれたのも異世界のような場所で、彼女に話したことがきっかけだった。

また行ってみようかな。

そんな軽い気持ちで、僕の足はあのビルへと向かった。

まだ早い時間ということもあってか、僕はすんなりと店内に誘導してもらえた。

以前と同じブースに座っていると、場内アナウンスが耳に入った直後に彼女の姿が見えた。

「あっ、カズヤ! こんにちはー、また来てくれたんだ?」

靴を脱ぎながら彼女は僕に挨拶をした。

忘れない、との言葉通りなのかスタッフが何か伝えたのか分からないけど、彼女はとりあえず僕の名前は分かってくれているらしい。

「あっ、名前覚えてるんだ」

「そりゃ覚えてるよー! あんな話をここで聞いたの初めてだもん! おまけに抜いてあげられなかったしさー」

少し口を尖らせて、拗ねたような口調でそうぼやいた。

「で、今日は? 今日こそスッキリしに来たの?」

彼女はそう言いながら僕の左頬に右手を添える。相変わらず吸い込まれるような瞳に見つめられ、自分でも胸の鼓動が高鳴るのが分かってしまう。

うんいいね

「えっと……」

完全に話しを聞いてもらいに来てたけど、よくよく考えるとここはそういう場所で、僕の行動はひどくお門違いなものの気がする。

「ん? 違うの?」

「ちょっとお話をしに……」

「またー?」

「やっぱり迷惑?」

「いや全然! でも、私で良いの?」

私で良いの、というよりは。

「お姉さんだから良いのかも。知らない人だから話しやすいこととか、あるじゃん?」

その説明に納得したのか、うんうん頷きながら「よし、ドンと来い!」なんて言って胸を叩いた。ノリ良いな。

「あっ、でもね」

そう言ったかと思うと、彼女は僕の唇に人差し指を当てた。

「お姉さん、じゃなくて、ゆう、だから。お分かり?」

ね? と、笑いながら彼女は念を押してきて、僕は顔を赤くして頷く。

しかし、いざ話すとなるとなかなかどうして、説明が難しいんだよね。前みたいに自分のことだったら包み隠さず全部話せるけど、ヒロさんもシンヤも預かり知らぬところでプライベートを曝されるのは嫌だろう。

「ちょっと説明が難しいんだけど……憧れてる先輩がいてさ。最近、落ち込んでるみたいで」

「うんうん、何で?」

ここの説明が一番難しいんだけど。

言葉を選びながら、慎重に話を進める。

「同じタイミングで入社した人が一人いるらしいんだ。でも、最初は自分の方が優秀だったのに、不幸な事故で出世できなくて、もう一人が出世したらしくて。祝ってあげたいのに、事故さえなければ……って思ってしまうんだって」

プロサッカー選手だって社会人なんだから、入社という言葉で誤魔化してみたり、怪我を不幸な事故と言ってみたり。ニュアンスが変わって伝わらないか心配だけど、これ以上の説明は今の僕にはできなかった。

「そうなんだー、へぇ……」

「それで落ち込んでるし、彼女にもフラレたらしくて、二重に落ち込んでるらしいんだよね」

「何だ、カズヤの仲間じゃん」

そんなツッコミを入れて、ゆう……ちゃん、はニヤけ顔になった。

「でも、人の心配ができるくらいならカズヤはもう大丈夫そうだね。カズヤはその先輩に元気になってもらいたいの?」

「うーん……元気になってもらいたい……なのかな……?」

改めて問われると、その返事には少し戸惑ってしまう。いつも通りのヒロさんになってほしいとは思うんだけど、ヒロさんだって人間なんだから、苦しさを捨ててほしいなんてことを僕が願うのも過ぎたことだ。

僕はいったい、どうしたいんだろう。どうなってほしいんだろう。

「やっぱりさ、カズヤの憧れてる先輩もさ、落ち込んでるってことはそれだけ悔しくて、好きでやってることなんでしょ? それなら、その悔しさは大事にしないといけないんじゃないかな」

前回と同様に、ユーロビートな音楽が騒がしくなる部屋のなかで、ゆうちゃんは言う。

「悔しかったり悩んだりするのは、それだけ好きだからなんだよ。好きじゃないことで辛いなら、逃げてしまえばいいもん。でも、それから逃げられなくて辛いなら、それは受け止めて消化するしかないんじゃないかな」

言いきると、「ごめんね、偉そうに」なんて申し訳なさそうに付け足した。

「なるほど……」

「だから、カズヤは特別何かするとかじゃなくて、その先輩が悔しさを消化しきれてるかどうかを気にしてあげればいいんじゃないかな。それこそ、辛そうなら話を聞いてあげるとか。言葉にすると楽になること、あるでしょ?」

それは確かに、正しく以前ここで体験したことだ。

「でもさ、その先輩もカズヤのこと信頼してるんだろうね。そんなこと話してくれるなんてさ」

羨ましいな、と彼女は言った。何が羨ましいのかは分からないけど、とても寂しそうな声色で。

「何の先輩なの? カズヤはまだ学生だったよね? その人は働いてるみたいだけど」

まあ、これくらいは話しても問題ないよね。働きながらサッカーをしてる人なんていくらでもいるし。

「今、大学じゃなくて社会人のチームでサッカーしてるんだ。そのチームの先輩」

「あっ、サッカーやってるんだ! 言われてみればやってそうだよねー!」

「そう?」

「うん、胸板しっかりしてるし、足もちょっと太いし、見た目チャラいし」

「チャラいって……」

関係あるの? と苦笑すると、彼女は大真面目な顔でこう返した。

「サッカー部への偏見ですっ!」

何だそりゃ。 つい吹き出して笑ってしまったよ。そんなイメージがあるのか……チャラくないんだけどなぁ。

「社会人のチームかぁ……試合とかもあるの?」

「もちろん。県のリーグ戦にも登録してるし、天皇杯っていうトーナメントも予選に出るし、結構本気なチームかな」

「サッカーしてるカズヤ、ちょっと見てみたいかも」

「はいはい」

「もー、何でそんな冷たい反応なの?」

リップサービスを流してしまうと、そんな苦情を入れられた。真に受けるのも何か、ねぇ。

「えー、本当だよ? 試合の予定とか教えてよー」

「えーっと……来週末に、天皇杯の予選があるけど……」

会場は、このお店からもそう遠くない場所にあるサッカー場だったはずだ。芝のピッチに、小さいながらもスタンドもついているところだ。今は、そこで試合をするのが待ち遠しい。

「へぇー、近いんだね。何時から?」

「14時キックオフだったかな? たぶん」

「なるほどなるほど……って、店外デートは禁止なんだけどねっ」

「デートなの?」

そんなふざけたやり取りに、やっぱりリップサービスじゃないかと少し残念がってしまう自分もいた。

「私、サッカーの試合って生で見たことないんだよね。テレビニュースで日本代表のハイライトは見たりするけど。誰だっけ、今注目されてるの。えーっと……」

「シンヤ?」

名前を隠していたとはいえ、さっきまで話していた彼がこんな風に名前が出てくるとは思っていなかった。

「そうそう! 最近よく見るなぁって思って!」

サッカーにあまり興味が無い人にまで知るようになるくらい、代表の影響力っていうのは強いらしい。

「ま、僕はあんなに高いレベルで試合できないからね。先輩とかはやっぱり上手いんだけど」

「じゃあ、その先輩を見に行っちゃおうかなぁ……嘘だけど」

そんな下らないやり取りをしているうちに、その日の僕らの時間は終わった。

風俗で働こうと思ったきっかけは、楽に稼げそうだったから。

高校を卒業した私は、勉強が嫌で進学もせず、だからと言って正社員として就職もせず、ダラダラと生きていた。

でも、そんなことをいっても私だって年頃の女なんだから、苦しい思いをして働きたくもないけど、遊ぶお金は欲しかったんだよね。それで選んだ道が風俗だった。ピンサロならホテルに行ったりはしないから本番とかの心配はないし、色々と相手をしないといけないキャバクラとは違い、ヌいてあげたらそれで終わりだから面倒なこともなさそうだし。

最初はおじさんのそれを扱うのに戸惑いもしたけど、馴れてしまえば若いイケメンも脂ぎったおじさんも同じものだと割り切れるようになった。

とはいえ、風俗だって人気商売なんだから流行り廃りがあるわけで、いつまでもこんなことをしているわけにもいかないよね、とは思い始めていた。成人式が終わったあたりからかな。やっぱり、20歳を越えた儀式って、日本人の感覚としては大きいみたい。

そんな風に転職を考えていた春に、変なお客さんが来た。

歳も私と同じ男の子で、風俗に来たっていうのに脱ぎすらしないで、寂しそうな目をしたまま失恋話を始めてきた。

話すだけ話すと、彼は憑き物が落ちたみたいにすっきりした表情で退店していった。

普通に恋愛をするとあんな風に落ち込んだり悩んだりするんだ、って思うと、今度は私が少し寂しくなってしまった。私の恋愛は、普通ではないと自分で思っているから。

よくある話かもしれないけど、私はホストにハマっていた。

私のお客さんはおじさんが多いしたまには若い男と話してみたい、と軽い気持ちで踏み入れたのは深い沼だった。

そこで私の対応をしてくれた男を応援したい、ナンバーワンにしてあげたいと思い、私は彼に貢ぎに貢いだ。

ブランドのスーツや財布、現金だって渡したし求められたらセックスだってした。

それでも、これだけは分かっている。

私は彼の彼女にはなれない。

彼が好きなのは私じゃなくてお金や体であって、それがあるなら私じゃなくても良いんだっていうのは、私が一番知っている。

彼は私以外の女も平気で抱くし、貢がれたものも気に入ったなら使う。要するに、私は彼にとって彼女どころか、何番目の女ですらないんだ。私の前で、他の女の匂いを隠そうとしない。

それで他の女に負けたくないと貢ぐ私って、本当にバカだよね。でも、止められないの。

とても面白い
期待

彼女はおろか、貢いでいるからセフレにすらなりきれてない私は、ドロドロの底無し沼にハマって抜け出せないでいた。

ピンサロで働いているのと同じで、このままじゃダメだって分かっているのに止めることもできない。

きっと、私はこのままじゃ幸せにも不幸にもなれないんだろうな。たぶん彼に女ができても私たちの関係はなくなりはしないだろうし、逆にずっと女ができなくても私は彼女にはなれない。

私も似たような接客業だから分かるけど、お客さんと付き合うのってめんどくさいみたいだしね。

お客さんでいるときは相手の気を引こうと貢いだり健気にいたりするけど、立場が恋人になってしまうと、人間は欲深くなってしまうらしい。

表向きはお客さんと店外で会うのが禁止されてるうちの店でも、お客さんと付き合ってる子は今までに何人かいた。でも、彼女たちは全員、付き合ってしばらくすると「あんな人とは思わなかった」って口にするようになるんだ。

今までは男が女の子に合わせてお店に来たり、プレゼントを貢いだりしてたのに、恋人みたいに対等な関係になってしまうとそれが変わってしまうからなのかな。

そういうのを見てきた私はお客さんと付き合うとか店外で会うとかってめんどくさいと思ってたのに、自分が客として貢ぐ側になってしまうと、貢いでいく方の気持ちも何となく分かるようになってしまった。

対価を払い続けている限り、よっぽどのことがない限り彼は私を拒まない。そして、彼が納得するだけの対価を払えてる今は、彼の優しさを得ることができる。

ビジネスライクなwin-winの関係で、私たちは結ばれている。その優しさを失うのが怖くて、私は彼に貢ぐのをやめられない。そして貢ぐのをやめられないからこそ、私は今の仕事を離れることができない。

何度か、彼から離れようとしてみたこともあった。

合コンに行ってみたり、友達に紹介してもらったり。高校の同級生がモデルをしていたから、彼女に誘われた合コンでは芸能人やスポーツ選手、お笑い芸人みたいな華やかな世界の人にも会えた。

そこで何人かに気に入られてお持ち帰りはされても、恋人同士にはなれなかった。

華やかな世界に住む彼らに対して、私が怖じ気づいてしまったんだよね。だって私、ホストに貢ぐ風俗嬢だよ? 他の人がそれをどう思うのか分からないけど、私の感覚だとどう考えても私じゃ彼らには釣り合わないと思うんだよね。

それに、彼らもたぶん本気じゃないし。一晩遊ぶ相手として、私はちょうどいい女なんだと思う。連絡先も交換しないことだってあったし。

そういう華やかな世界じゃない人に対しても引け目は感じてしまって、恋人なんて作ることもできないままに彼から離れることができずにいた。

ホストに貢ぐという歪んだ形の恋愛に溺れた私にとっては、カズヤのように彼女にフラレて落ち込む普通の恋愛が、何だか眩しかったんだ。

「エリ、俺もう行くから」

私の本名を呼んで、アキラ……ホストの源氏名なんだけど、彼は私の部屋から出ていった。私はベッドの上で上半身だけ起こして「いってらっしゃい」と声を投げ掛けた。

昨日の夜、終電を逃したから泊めてくれと連絡された私はそれを受け入れた。彼がうちに来ると、いつも同じベッドで体を重ね、朝になるとさっさと帰ってしまう。

最初はそれに冷たいなぁなんて拗ねていたけど、それにももう慣れてしまった。辛いことへの適応力はわりとすぐに身につくようにでかなているらしい。

寝ぼけ眼のままにベッドから出て、テレビをつけてみると、スポーツニュースが流れ始めた。私とちょっとしか変わらないような歳のサッカー選手が、日本代表の試合で活躍したらしい。得点シーンを流しながら、「彼の活躍が、今後の日本代表には必要不可欠です」なんてコメントも聞こえてきたり。

必要不可欠、か。

私はきっと、誰からも必要になんてされてない。定職にもつかずフラフラしている私のことを家族は呆れて見てるし、アキラだって私のことは都合の良い女だとしか思ってないはずだし、お客さんだって私より上手い女の子、可愛い女の子がいたらそっちに流れてしまう。

私がいなくなったところで、何の問題もなく世界は回る。

そんな私と対照的に、日本代表という大きな舞台で、多くの人に求められている彼を見るのは何だか辛かった。

テレビを消して、出掛ける支度を始める。良い天気だし、ショッピングに行こうかな。

シャワーを浴びて身嗜みを整えて、お気に入りの服を着て。それだけでちょっと幸せな気分になった私は、欲しい夏服を思い浮かべながら町へ飛び出した。

何着かの服が入ったショッピングバッグを手に、私は散歩をしている。

あんな仕事をしているとどうしても不健康な生活リズムになりがちだから、休日に散歩をするのは嫌いじゃないんだ。ダイエットにもなるしね。

町を抜けて、ちょっと落ち着いた河原に出てきた。そのまま堤防沿いを歩いてみると、心地よい風が吹いてきた。

長袖を着ると少し暑いくらいだったし、もう夏は近いのかもしれない。

季節の変わり目に感じがちな、ノスタルジックな感傷に浸っていると、河川敷でサッカーをしている人たちが目に入ってきた。

へぇ、こんなところで練習してる人たちもいるんだ。

その方向に目を向けたまま歩いていると、彼らは大人で、私と同じような歳の人であったり、もしくはおじさんのような人であったりということに気づいた。みんな、気持ち良さそうな笑顔でボールを追いかけたり、声を出したりしている。

彼らはどうしてボールを蹴るんだろう。追いかけるんだろう。

好きだからやってることなんだろうけど、運動音痴な私からしてみたら、これからドンドン暑くなっていくというのにあんなに汗をかきながら走っていくのは苦行にしか見えない。スポーツ好きな人って、マゾなのかな。

それに、失礼なことを言ってしまえば、彼らがプロの選手や日本代表の選手になるのはきっと無理だと思う。

スポーツ選手って名門の高校、大学で鍛えられてプロになるイメージなんだけど、こんな河川敷でボールを蹴っている彼らは、環境的にも年齢的にもそういうところまでは辿り着けないんじゃないかということは、素人の私でも分かる。

それでも彼らは楽しそうに、自分達がサッカーをすることに対して何の疑問も持たずに走り回っている。

その純粋さがどこから来るのかも分からない私は、もしかしたら人として大切な感情の何かが欠けているのかもしれない。

堤防を歩きながら夕焼け空の下、私は自分自身への寂しさも感じながら家路に向かった。

いつも通り仕事をしていると、私の指名が入った。

長く働いているからなのか分からないけど、一応うちの店で一番人気な私を予約せずに指名してすぐに入れるのは珍しいことだ。どんなお客さんだろう、初めての人かな。

そんなことを考えながらブースへ向かうと、いつかの変なお客さん、カズヤがいた。

私が覚えていることを彼は意外そうにしていたけど、カズヤみたいな人って珍しいからそうそう忘れるはずがないよね。

以前は本来の仕事ができなかったから今日こそは、と思っていたのに彼は今度も脱ぎすらしなかった。相談内容は、自分のことではなくなってたけど。

カズヤの話を聞いていると、彼はどうやらその先輩に信頼されている……というか、頼られているのかなって感じ始めた。

人間って汚い部分を絶対に持ってると思うんだけど、それを他の人に見せるのってかなり難しいことだから。他の人も自分と同じで人に見せたくないところがあると分かっていても、自分からそれを見せるのはかなりの勇気と、相手への信頼が必要だから。

きっとその先輩にとって、カズヤは必要な存在なんだろう。そう思うと、つい羨ましいという言葉が漏れてしまった。

カズヤの話を聞き進めると、彼はサッカーをしているらしい。それも、大学の部活やサークルではなくて、この間見かけたような大人のチームで。

同世代とやった方が感覚の近い友達も増えて楽しいと思うのに、何でわざわざとは思ったけど、そんなことを私なんかがお客さん相手に指摘するのも気が引けて、黙っておくことにした。

天皇杯が何かはよく分からなかったけど、試合もある、ちょっと本格的にやっているチームなんだってことだけは何となく私にも分かった。

河川敷を散歩しているときに感じた寂しさの原因が、カズヤのサッカーしている姿を見てみたら少しは分かるのかな。私と同い年だし。もう、全く知らない人ってわけではないと思うし。

冗談半分興味半分で試合の予定を聞いてみたら、私の休日と被っていた。

とは言え、店の中でそういうことをこれ以上話してしまうと、スタッフやほ他の女の子に目をつけられてしまう。

私はそこで話を打ち止めるように冗談だと彼に告げ、彼もそれが分かっていたかのように反応をしていた。

そりゃ、二回しか会ったことのない風俗嬢がプライベートのサッカーを見たいなんてことを本気にするのは、よっぽど女気の無い男くらいだろう。カズヤにはこの間まで彼女がいたらしいし、そんな人は本気にしないってことも分かっていた。

その後はカズヤのサッカー話を聞いていた。小学生の時に始めたんだけど、初めは練習が辛くてクラブに入ったことを後悔してたとか、でも同じ学年で最初に試合に出してもらえるようになって、楽しくなってきたとか。

歳が近いからなのか、それとも話が面白いからなのか。カズヤと話していると時間が流れるのが速くて、あっという間に終了の時間が訪れた。

「あ、時間だ……」

私がそう呟くと、彼は申し訳なさそうにこう言った。

「何かごめんね、いつも話してばかりで……」

「ううん、私は話せて楽しいし、全然。むしろ、ありがとうね、来てくれて」

その返事に、少し安堵の表情を浮かべて彼は一息ついた。そんなに気にしなくて良いのに。

イケずに終わるとそれについて文句を言われることはたまにあるけど、カズヤみたいに謝ってくる人なんて、他にはいない。

ただ、安くはないお金を払って来ているはずなのに、これで良いのかなとは思ってしまう。私以外にもそういうことを話せる人を作った方が良いんじゃないかな……っていうのは、聞かれてしまったらスタッフに怒られちゃうから黙っておくけど。

「じゃ、行こっか」

立ち上がった彼の手を恋人繋ぎにして、私たちは歩き始めた。

特別なことはしなくて良い、辛そうなら話を聞けば良い。

そんなアドバイスをもらった後の練習で会ったヒロさんは、少し機嫌が良くなっているように見えた。到着してスパイクに履き替えているときは鼻歌なんか歌ってたし、心なしか笑顔も漏れているみたいだった。

練習時間より少し早く着いたヒロさんと僕は、雑談をしながらアップとしてグラウンドの外周を走っている。

「カズ、相変わらず調子良いよな。次の試合、ゴール狙っていけよ」

「いやー、いつも狙ってるんですけど、結果がですね……」

伴わないんだよなぁ。シュートを打っても、良いコースにそれが向かっても、なぜかキーパーのファインプレーに阻まれたり、ポストに当たって外に弾かれたりしてしまう。

「それより、何かヒロさんご機嫌じゃないですか? 何か良いことでもあったんすか?」

その問いかけに、ヒロさんは嬉しそうに返してくれた。

「この間の合コンで仲良くなった子がさ、今度の試合を見に来てくれるってさっきメールが届いてたんだ。だから、勝っていいとこ見せないとな」

うわっ、もう次を見つけてるんだ。さすがヒロさん。

長い付き合いの彼女と別れて1ヶ月経つか経たないかというくらいなのに、もう新しい彼女を作ろうというのにはさすがに驚いた。試合中の攻守だけでなく、恋愛でも切替は早いらしい。

「確かにそれは、絶対勝たないとっすね。やってやりましょうよ、良いパスお願いしますよ。っていうか、ヒロさんもゴール狙って下さいよ」

そんな軽口を返すと、「当然だろ、俺が決めるのはもう前提なの」と笑い飛ばされ、僕もその笑顔に安心しながら笑い返した。

うん、シンヤの件は分からないけど、二つあった苦しみのうち片方が解決するなら、ヒロさんも少しは気が楽になるかもしれない。

これは、次の試合は是が非でも勝って良いところを見させてあげないといけないな。

そんな不純かもしれない動機で、僕は試合へのモチベーションを高めていった。

ヒロさんの機嫌が回復しつつあるのを見たからなのか、僕も今日の練習では気分よくプレーができた。

イメージ通りのボールコントロールであったり、シュートであったり。不調気味だった得点感覚も戻りつつあって、練習の最後に開かれたミニゲームでは何ゴールか決めることができた。

最後に、選手兼任監督のヤマさんが来週末の試合までの予定を僕たちに説明して解散となった。天皇杯予選ということで、県リーグの僕たちより上のカテゴリーのチームとの試合も行われる。もちろんそれだけ厳しい試合も増えるけど、強い相手と試合をするのは嫌いじゃない。

負けたいって訳じゃないんだけどね。何だろう、強い相手に勝つことが楽しいのかな。勝つから楽しいっていうのも、何かちょっと違う気がするけど。

初戦の相手は同じ県リーグ一部のチームということなので、そこで勝たないと上のカテゴリーのチームとは試合ができない。

ヒロさんのためにも、自分の楽しみのためにも、絶対に負けられない。

そう思うと気合いが入ってくるのと、やっぱり試合は楽しみだからって、自然と笑いが漏れてくる。

「カズくん、気持ち悪いよ」

そんな僕を見ていたのか、ミユが近づいてきてボソッと呟いた。

「良いじゃん。楽しみなんだよ、試合」

「好きだねぇ、本当に」

ベンチに腰かけてスパイクの紐を緩めていると、彼女も僕の隣に座ってきた。

「今、汗くさいから近寄らない方が良いよ」

「みんな汗くさいからどこにいても一緒だよ。それならカズくんが一番マシだから」

そんなことを彼女がいうものだから、耳ざとくそれを聞きつけたヤマさんが「おいおい若者たち! 練習場でいちゃついてんじゃない! カズ、お前はグラウンド10周だ!」なんてふざけて言い始めた。それを聞いたチームメイトもみんな笑ってるし、ヒロさんも「カズが弟か……いや、妹をお前にはやらんぞ!」なんて言っている。

「いやいやいや……」

何なんですか皆さんそのテンションは。

「えっ、カズくん、私じゃ嫌だ?」

いや、そんなことを言ってる訳じゃないし。いやでも良いって言ってるわけでもないし……って、何を考えてるんだ僕は。

ヒロさんの機嫌が回復しつつあるのを見たからなのか、僕も今日の練習では気分よくプレーができた。

イメージ通りのボールコントロールであったり、シュートであったり。不調気味だった得点感覚も戻りつつあって、練習の最後に開かれたミニゲームでは何ゴールか決めることができた。

最後に、選手兼任監督のヤマさんが来週末の試合までの予定を僕たちに説明して解散となった。天皇杯予選ということで、県リーグの僕たちより上のカテゴリーのチームとの試合も行われる。もちろんそれだけ厳しい試合も増えるけど、強い相手と試合をするのは嫌いじゃない。

負けたいって訳じゃないんだけどね。何だろう、強い相手に勝つことが楽しいのかな。勝つから楽しいっていうのも、何かちょっと違う気がするけど。

初戦の相手は同じ県リーグ一部のチームということなので、そこで勝たないと上のカテゴリーのチームとは試合ができない。

ヒロさんのためにも、自分の楽しみのためにも、絶対に負けられない。

そう思うと気合いが入ってくるのと、やっぱり試合は楽しみだからって、自然と笑いが漏れてくる。

「カズくん、気持ち悪いよ」

そんな僕を見ていたのか、ミユが近づいてきてボソッと呟いた。

「良いじゃん。楽しみなんだよ、試合」

「好きだねぇ、本当に」

ベンチに腰かけてスパイクの紐を緩めていると、彼女も僕の隣に座ってきた。

「今、汗くさいから近寄らない方が良いよ」

「みんな汗くさいからどこにいても一緒だよ。それならカズくんが一番マシだから」

そんなことを彼女がいうものだから、耳ざとくそれを聞きつけたヤマさんが「おいおい若者たち! 練習場でいちゃついてんじゃない! カズ、お前はグラウンド10周だ!」なんてふざけて言い始めた。それを聞いたチームメイトもみんな笑ってるし、ヒロさんも「カズが弟か……いや、妹をお前にはやらんぞ!」なんて言っている。

「いやいやいや……」

何なんですか皆さんそのテンションは。

「えっ、カズくん、私じゃ嫌だ?」

いや、そんなことを言ってる訳じゃないし。いやでも良いって言ってるわけでもないし……って、何を考えてるんだ僕は。

「ほら、トレパン脱ぐから後ろ向いて」

そんな下手な誤魔化しが僕には精一杯だった。ミユからは「つまんないなぁ」、外野からは「カズー、意気地ねぇなぁ! 空気読めよー」なんてクレームが聞こえてくるけど、それを適当に流して僕は下を着替えた。

他の人たちも着替え終わって、車所持組は各自車で帰宅。僕も普段は帰りはヒロさんに車で送ってもらってるんだけど、今日はヒロさんが噂の女性と会う予定があるらしく、急いで帰ってシャワーを浴びるということで、自分で帰ることになった。

ヒロさんの妹であるミユも一緒に普段は三人で帰ってるんだけど、今日はヒロさんだけ車で僕とミユは歩いて駅まで向かうことになっている。ミユなんか、一緒の家に帰るんだから車に乗れば良いのに。

ヒロさんは車に向かう前に「さっきはあんなこと言ったけど、お前が義弟になるのは全然オッケーだから!」なんてニヤニヤしながら言ってきた。まだそのネタを引っ張りますか。

とはいえ、ミユもどうしてわざわざ僕と一緒に帰るんだろう。他のチームメイトにもやや冷やかされながら二人で帰り始めると、ミユが口を開いた。

「カズくんさぁ、明日早い? 今晩、時間ある?」

「大丈夫だけど……」

どうしたんだろう、珍しいな。

今までにもミユとご飯に行ったこととか、うちに遊びに来たことはあるんだけど、そういう時はいつもヒロさんも一緒だった。二人でそういうことになるのは何だか新鮮で、変に緊張してしまう。

「ごめんね、急に。ちょっと話したいことがあるの。ご飯行こ?」

そう言って彼女は俯き調子で歩く速度を速めた。何となく、暗い空気だ。

いつもバカみたいなやり取りをしているからかな、こんな雰囲気は何だか気まずい。僕、何か悪いことしたかな。

グラウンドから駅に向かう道中にある、落ち着いた雰囲気のレストランに僕たちは入った。

店内で一番奥の席に案内され、適当にオーダーをすると彼女は口を開いた。

「あのね、カズくん。私ね、浮気されたの」

「はっ?」

つい口から変な声が漏れちゃったよ。何を言いだすんだ、こいつは。

「浮気って……誰に?」

「彼氏に……っていうか、他にある?」

「ミユに彼氏いるとか知らなかったし……」

「言ってなかったしねぇ」

言ってなかったしねぇ、じゃないよ。急にそんな話をされても僕はどんな反応をすればいいのか分からない。

私の彼氏って大学の先輩なんだけどね、カズくんと同い年で一歳上なの。

ユウヤっていうんだけど、結構かっこよくて人気だったのね。でも、浮気されたからって言うわけじゃないけど、女癖も悪いって有名で。

そんな彼氏だってヒロ兄とか親にバレたら色々めんどくさいから、秘密にしてたんだけどね。

付き合うようになったきっかけは、私が受けてる授業を彼も一緒に受けてたっていうことだったんだ。彼、朝が弱いらしくてさ。一限の必修授業の単位を二年生の時に取れなくて、三年生になった今取ってるらしいのね。

それで、少人数の授業だから仲良くなって、一緒にご飯食べたり遊んだりしてたら告白されたのね。

さすがに知り合って日も浅いし、女癖悪いらしいって友達に教えてもらってたからさ、私もちょっとどうかなって思ったの。でも、かっこいい先輩の彼氏がいるっていう状況に憧れてたのかな、オッケーしちゃったのね。クズだよね、私って。

最初は彼も優しかったの。デートに連れて行ってくれたり、プレゼントをくれたりさ。

でもね、だんだんそれが減ってきて、こう……言いづらいんだけど、ヤルだけやって帰るみたいなことも増えてきて。

なんだかなぁって思ってたら、この間ホテルから女の人と出てくるところを見ちゃったのね。

そこまで話したところで、オーダーしていた料理をウェイトレスが運んできた。

ミユはオムライス、僕はハンバーグのセット。両方にかけられているデミグラスソースの香りが広がって、ついお腹が鳴りそうになる。

「わー、美味しそ」

彼女はそう呟くと、「食べていい?」と確認しながらも既にスプーンを手にしていた。そして、確認なんかしなくて良いと返すより先に既に頬張っている。

僕も両手を合わせて小さく「いただきます」と呟いた。

「礼儀正しいね」

「いや、普通のことだから」

ていうかさ、みんなやってなさすぎるんだよね、いただきますって。ご馳走さまもだけどさ。

別に感謝の気持ちがー、とまでは考えてないけど、子供の頃からそれはクセになっていて、しないと食べる時に落ち着かないんだよね。

箸で割って口に入れてみると、肉汁とデミグラスソースの味が広がってついつい頬が落ちてしまう。

ミユも無心でオムライスを口に運んでいて、どうやら話は一旦置いておくつもりらしい。

さっきまであんな話をしていたのに、無言になっても気まずい沈黙と感じないのはきっと料理が美味しいからなんだろうな。

サッカーのトップ選手のプレーを見てる時と同じかもしれない。素晴らしいものは、僕たちを嫌な気持ちから遠ざけてくれる。

二人して黙々と食べていると、あっという間にお皿は空っぽになった。

「で、ミユはどうしたいの?」

食事で中断されてしまった話に戻ろうと、僕は口を開いた。

「どうしたいって?」

「いや、その彼氏と今後……」

別れたい、とか。言及したい、とか。

「んー、特に何も」

「何も?」

そんなので良いの?

「だって女癖悪いって有名だったから私が注意したところで変わらないだろうしさ。嫌われたくないし」

「じゃあ何で僕にその話を……」

何か意見でも求められるのかと思ってたのに、そういうわけではないのかな。

「誰かに聞いてほしかったの。彼氏がいるってことは幸せだから秘密にできても、愚痴って話してどうにかなることじゃなくても、聞いてもらいたいじゃない?」

なるほど。最近似たようなことを言われた気がするし、僕は割と聞き手としては優秀なのかもしれない。

「惚れた弱味なのかな、浮気とかしないでほしいんだけど、それを言って別れるよりは辛くても彼と繋がっていたいの」

そう言って、ミユは笑った。どこかで見覚えがある、寂しそうな笑顔だった。

レストランを出ると、彼女は「私もカズくんと二人でご飯に行ったって秘密を彼に作ったから、これでおあいこだね」と小さく呟いた。

秘密のなかにも大小はあると思うんだけど、ミユが納得するならそれはそれで良いのかな。

「彼のこと、初めて話したんだよね。大学の友達にも、まだ付き合ってるって報告はしてないし」

「それはそれは光栄です」

「うん、誇りにして良いよ」

そんな軽口を話せるようになったから、ミユも少しは気が紛れたのかな。根本的な解決はできてないけど、嫌な気持ちが少しでも減ったなら僕も付き合った甲斐があるというものだ。

「そういえば、この間はヒロ兄とも二人でご飯に行ってたよね。何の話してたの?」

「えーっと……」

困った。彼女に心配をかけないためにヒロさんは僕と二人だけの状況を作ったのに、そんな聞かれ方をされるとは。

「いいよ、隠さなくて。知ってるから」

「えっ」

「彼女にフラレたって愚痴でしょ?」

あ、そっちか。

「今朝ね、ヒロ兄に教えてもらったの。あれでも繊細だからね。すぐに新しくいい人に会えて良かった。試合を見に来てくれるってウキウキだったし、来週末は絶対に勝ってよね」

「もちろん!」

そう返すと、彼女は笑った。つられて僕も笑った。

試合に勝つ。そんなシンプルなことが、僕たちにしてみると何より大事なことなんだ。

良い天気だ。

前日の雨のと好天の日差しで、これこそ日本の夏みたいな蒸し暑さ。芝の上って、こういう日はめちゃくちゃ暑い。感覚としてはサウナみたいにムシムシする。

ウォーミングアップを終えた僕たちは、ヤマさんの指示を受ける。今日は都合で不参加のメンバーもいないから、ベストメンバーで試合に挑める。

僕は右のサイドバックでスタメンだった。うちのチームのフォーメーションは基本的に4-4-2、ディフェンダー四人に、中盤がダイヤモンド型になってる四人、そしてフォワードが二人という、少し古いタイプのシステムを採用している。ちなみに、ヒロさんは中盤の前、いわゆるトップ下というポジションでスタメン。

「今、もう来てるんですか?」

「バカ、そんなこと今聞くな」

ピッチに入場する前、ヒロさんに彼女候補の話をふるとそんな風にあしらわれた。そりゃそうだよな、今は試合に集中しないと。

審判による装飾品やスパイクのチェックが終わると、僕たちはピッチに向かって歩みを進める。

さぁ、熱い時間を始めよう。

良い天気に、芝のピッチ。少ないながらもスタンドには観客もいて、僕としては申し分ない環境だ。

白線を跨いでピッチに入った瞬間、熱が一層強くなったのと同時に、僕の中の何かのスイッチが入った。

たまにあるんだよね、負ける気がしないって日。サッカーは個人スポーツじゃないから僕一人がどんなに良いプレーをしても勝てない日はあるし、その逆もある。それでも、今日は何だかいけそうな気がする。

キックオフの笛が鳴るのが待ち遠しくて、円陣を終えた後も小走りでポジションについた。

チラッとヒロさんを見ると、試合に集中した顔になっていた。うん、女の人が来てるからって気負ってもいなければ緊張してもいなさそうだな。これなら良いプレーが期待できそうだし、僕も負けていられない。

両チームがポジションに着いたのを確認すると、審判が笛を強く吹き、相手チームのキックオフで試合が始まった。

お、良さげなSS発見

序盤にゲームを支配したのは僕たちだった。元々リーグ戦の順位もうちの方が高いし、実力通りって言えば実力通りなのかな。

守備機会はあまりなかったけど、僕もタイミングを見てオーバーラップを仕掛けてクロスをあげたりして。

その中でもヒロさんの出来は出色していて、フォワードにスルーパスを通しまくり、シュートも放ってポストに当てたり。

……とか言ってるけど、まだゴールが入っていないんだけどね。

前半30分が近づいてくると、僕たちとしてもそろそろ得点が欲しくなる。焦るような時間じゃないけど、これだけ支配していて点が取れないのはもどかしい。

右サイドバックという名前で、ほぼ右ウイングフォワードのポジションについてる僕は中央にいるヒロさんからパスを受けた。

「カズー! ゆっくり!」

相手は既に守備のブロックを固めていて、焦って攻めてもそれを壊すことは難しい。そして、それを壊せるドリブラーは僕じゃない。

攻め急ぎたい気持ちをグッと堪えて、僕は受けたパスを一度ヒロさんに預けて、パスを蹴った足でそのまま前線に走り出す。

対面していた相手ディフェンダーは、ヒロさんにプレッシャーをかけずそのまま僕を追いかけてくる。

しかし、ヒロさんに付いていたディフェンダーも、僕を警戒して右サイドへのパスコースを消そうとプレッシャーをかけていった。それをヒロさんは見逃さない。

右の僕から出たパスをそのまま流してトラップして相手をいなすと、左フォワードにスルーパス。

ピッチを裂くように蹴られたボールの先に走り込んだフォワードは、ボールを丁寧にコントロールする。オフサイドはない。

そのままキーパーしか残ってないゴールに向かってドリブルをして、キーパーの位置を確認して流し込むようにシュートを放った。

見事にキーパーの逆をついたボールはそのままゴールに吸い込まれ……ポストに当たって跳ね返った。

そのボールを慌てて追いかけた相手ディフェンダーがクリアした。

こんなチャンスを作ってもまだ決められないのか……ヤバイな。

時間が経つにつれて焦りが増して、その焦りは解消されることなく前半終了の笛が響いた。

「崩せてるんだけどなぁ」

ベンチに引き上げると、ドリンクを飲みながらヤマさんが困ったように呟いた。そう、決定機は作れているのに得点が入らないから問題なんだよね。

惜しいシュートが何本も続くのは、外から見ると押してるように見えて、やってる側からすると実にフラストレーションが溜まるものだ。事実、僕も攻め急ぎたい気持ちを堪えてプレーしている。

全く攻撃の形が作れていなくて決められないのはチームとして解決できても、最後の決定力は個人の能力で、練習することでしか向上させられない。

つまり、この試合においては下手な鉄砲数打ちゃ当たるというか、『とにかくシュートを入るまで打ち続ける』ということが最善策なのである。

それしかないよなぁ、という雰囲気が蔓延してきたときに、ヒロさんが話し始めた。

「カズのポジションを上げましょうよ。右のフォワードに入れて、もっとゴール前に顔を出させましょう。こいつは最近調子良いし、ゴール前に置いたら何かしてくれそうな気がするんですよね」

「えっ、僕、フォワードなんか遊びでしかしたことないんですけど……」

オーバーラップしたり、ゴール前に顔を出すのは好きだけど、あくまでそれは試合中の流れでの話だ。戦術として、ディフェンダーではなくて中盤の右に入ることはあっても、フォワードまでいったことはない。

ヤマさんもどうしたものかと思案した顔で僕とヒロさんを交互に見ている。

負けたら終わりのトーナメントで、ぶっつけ本番のフォワードをやる度胸なんかネガティブな僕にはない。これで僕が決定機を外したらと思うと、試合中とはとは違う汗をかいてしまいそうだ。

「カズ、お前……いけるか?」

とはいえ、試合には出たくても出られないメンバーもいる。お気楽な学生の僕とは違って、仕事をしているチームメイトは、貴重な休日を使ってこの会場に来ていて、試合に出られなくても声を出したり応援をしてくれたりしている。

ここでできませんなんて言うことも、僕にはできない。

「自信は無いんですけど……とりあえずやってみます……」

いけます! とは返事は出来ずとも、肯定のニュアンスで僕は返答した。

そんな僕を見て、ヤマさんも何となく不安だったんだろうけどヒロさんの提案を受け入れることにした。

ただし、条件が一つ。後半15分までに得点が動かなければ、僕は交代して本職がフォワードの選手を投入するというものだ。

つまり、僕に与えられたフォワードとしての残り時間は15分。

ハーフタイムを終え、ピッチに向かっているとヒロさんに声をかけられた。

「良いか、俺がボールを持ったらお前はとにかく前に行け、相手ディフェンダーの裏を狙え」

「でも僕、タイミングとか分かんないっすよ。オフサイド抜ける練習とかしてないし……」

だって僕、基本的にディフェンダーだったし。

「良いから。お前のところに俺が絶対届けてやるから。カズはただ、前を向け。走り出せ 」

ヒロさんのあまりに自信ありげな口調に、つい僕は「了解っす」と返事をしてしまった。

パスを受けられたところで、僕が決められるかどうかは僕次第なんだけどね。とりあえずヒロさんの指示通りに動いて、そこからはなるようにするしかない。

キックオフの時、こんなハーフウェーライン付近のポジションにいるのは新鮮だけど、何だか違和感がある。

審判が笛を響かせ、僕の15分の戦いが始まった。

相手チームのキックオフのボールが中盤の選手に下げられた瞬間、僕はそれを追いかけてチェイシングをする。

相手チームはボールをポゼッションしようとするんだけど、前線から僕ともう一人のフォワードのプレッシャーを受けて慌ててロングボールで逃げる。

僕の代わりに右サイドバックに入った選手がそのボールを拾い、パスを回し始めると、前半と同じように後半も支配権を握ったのはうちだった。

ゴール前まではいけても、そこから決めきれない。

僕もシュートは打ててるんだけど、キーパーに阻まれたり、ゴールから逸れてしまったり。それに、フォワードとしての守備なんて慣れてないから、どこまでプレッシャーをかけに行けばいいかも分からず、とにかく走り続けていた。15分も経つ前に、限界が訪れそうなくらいガムシャラに走る。

正確な試合時間を刻むデジタル時計なんかこの小さな競技場にはなくて、申し訳程度にスタンドに設置されているアナログ時計を見てみると、残り時間は2分ほど。僕と交代予定のフォワードもアップを終えて、ユニホーム姿になる準備をしていた。

15分で、僕はまだ何もできていない。いくらシュートを打とうが、プレッシャーをかけ続けようが、ゴールを決められない限りは与えられた役目は果たせていない。

走り続けて体は限界に近いんだけど、根性とか意地とかそういうものなのかな。何か分からないんだけど、それでもとにかく走る。

いよいよ交代が近づいて、第四の審判が交代予定の選手のスパイクや装具品チェックをしているのが目に入った。

くそっ、まだだ。まだ僕は何もできていない。このまま交代することなんて、僕にはできない。

苦し紛れに相手チームが蹴ったボールはうちのキーパーまで届いて、そこから恐らく僕にとってのラストプレーが始まった。

キーパーはそれをディフェンダーに預け、更に中盤の底の選手、いわゆるボランチへと運ばれる。

相手チームもしっかりと守備陣形を作っていて、雑な攻撃では壊せそうにない。中盤で横パスを回して揺さぶってみても、相手チームの選手はしっかりと陣形を整えたままスライドして修正してくる。

そんなとき、すっとヒロさんが少し下がり気味のポジションを取った。相手のマークが少し薄くなったのを察知したボランチは、そのままヒロさんにボールを預ける。これが僕のスイッチだ。

ヒロさんが前を向いてボールを触った瞬間、僕は一気呵成に走り出した。

「来い!」

ボールを要求する声よりも早く、ヒロさんからのロングパスは蹴り出されていた。

少し低めの弾道で、弾丸のようなそのパスは玉足が速い。

全力で走る僕の少し上を、そのボールは通過していく。中央からやや右サイドへの角度があるパスは、そのままタッチラインへ向かって転がっていく。

相手チームのディフェンダーは追いかけるのを止めている。間に合わないと思っている。

僕だって、普段ならここまで必死に追いかけたりはしないかもしれない。それでもこれは、僕にとってのラストプレーだ。ここでプレーが止まると、僕は交代してしまう。

最後の燃料を使い果たすかのように、僕は足を運ぶ。前へ進む。

勢いが死に、ゆっくり進むボールがタッチラインを越えそうになった瞬間、僕はスライディングでボールが外に出るのを食い止める。

副審の旗を確認する余裕なんかない。ただ、この際どいプレーに主審の笛が鳴らないということは、まだボールは生きている。プレーができる!

立ち上がってドリブルを開始すると、相手ディフェンダーが慌てて戻ってくるのが目に入った。でも、もう遅い。

ヒロさんからのパスを追いかけるのをやめていた相手と僕には、かなりの距離がある。

右サイドからゴールへ向かうと、ペナルティエリアに入ったところでキーパーが飛び出してくる。ただでさえ角度がない場所なのに、更にコースが狭まる。

あ、無理だ。

直感的にそう感じた。前半もこういう場面でシュートを打ち、枠を外したり止められたりというシーンがあった。

時間的にもこれが最後のプレーで、これを外すと今日の僕の試合は終わってしまう。

コースを丁寧に狙ってシュートを打つ決心をしたところで、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

僕にパスを出した人のその声はペナルティアークのあたりから聞こえてきて、顔をあげて確認すると、そのまま彼に優しくパスを出した。

僕のシュートコースを消しに来ていたキーパーはそのパスに反応できるわけもなくて、パスを受けたヒロさんはそのパスをインサイドで丁寧に流し込む。

何も邪魔をする者がいなくなったゴールにそのボールは転がっていき、そして小さな白い波が起きた。

ヒロさんはゴールを決めるとそのままに僕に駆け寄ってくる。

「やったな! カズ!」

頭をめちゃくちゃに撫でられながら、僕もヒロさんの背中を叩く。

「ナイパス、ナイッシューっす!」

二人で歓喜を爆発させていると、遅れてきたチームメイトも混ざってきて小さな輪ができた。

みんな、「やったな!」「よく走った!」と僕を叩きながら言ってくれる。

その輪が一段落したところで、主審が僕たちに早くプレーを再会するよう笛を鳴らして促した。

「君、交代だから」

主審にそう言われたので確認すると、交代選手が立っていた。そっか、交代か。

得点が決まるまではいられたとはいえ、最後までプレーしたかったな。

そんな残念さもあるけど、慣れないポジションでのプレーに疲れていたのも事実で、交代選手とハイタッチをしながら僕は白線の外に出ていった。ピッチに一礼も忘れずに。

ベンチにいたチームメイトからも声をかけられて、ミユからも「大活躍じゃん」と言われた。

自分のゴールって結果を出せなかった後悔、最後までプレーできない悔しさなんかはあるけれど、とりあえず今はチームの応援だ。

失点した相手チームはその後、攻勢に出てきた。危ないシーンも何度かあったけど、逆に前がかりになってきた分守備が甘くなっていた。

僕の代わりに入ったフォワードの選手がキーパーとの一対一を制して二点目を決め、そのまま試合終了を告げるホイッスルが響いた。

どうにか勝利はできたけど、課題の多い試合だったよな。

ベンチを空けて、スパイクからトレーニングシューズに履き替えると、僕はヒロさんと一緒に競技場の外でクールダウンのジョギングを始めた。

「ナイッシューです」

一点目のシーンを振り返ってそう話しかけると、ヒロさんは僕の背中をバシッと叩いた。何か今日、叩かれすぎじゃない?

「何言ってるんだよ、あんなのお前がパスに追いついた時点でお前のゴールだよ。よく追いついたよ」

そんな風に誉められると、何だかむず痒い。嬉しいような、止めてほしいような。

「お前に届けるとかいいながら、お前が届かせてくれたしな」

キョトンとした顔でヒロさんを見返すと、「後半開始前に言っただろ、お前にパスを届けるって」と、恥ずかしそうに言った。

「いやいや、あの厳しいパスだから相手も追いかけなかったわけですし……」

「でももっと楽に、ていうかお前に決めさせられるようなパスを出したかったんだよなー、くそっ」

「そんな良いパスもらっても、僕が決められるかは……本職じゃないですし?」

「何だよー、待ってますって言えよー! またお前が前でプレーするなら、その時待ってろよ」

そう言うと、ヒロさんは照れ隠しか少し走るペースを上げた。それが何だかおかしくて、少しニヤけながら僕もついていく。

「ヒロくん!」

後ろから、どこか聞き覚えのある声でヒロさんを呼ぶ声がした。

「あっ、サキちゃん」

サキちゃん……?

まさかと思って振り返った先には、はっきりと覚えてる顔。

二ヶ月ほど前、僕に対して「今は誰とも付き合う気はない」と話した元彼女が、そこには立っていた。

遅くなりましたが、面白そう、良いね等のコメントをありがとうございます。
安価つけてレスをするとコメントクレクレになりそうで言いづらかったのですが、本当に嬉しいです。

SSで地の文は敬遠されがちだと思いますが、読んでくださる方がいることをモチベーションに更新しております。

ありがとうございます。

いいところで止めるねぇ

「あっ……」

驚きと共に漏れた呟きに、ヒロさんが「どうした?」と問いかけてくる。

「……初めまして」

少しためて、彼女から聞こえてきた言葉はそれだった。

初めまして、か。

「どーも、初めまして」

その言葉を返すのが精一杯で、「ヒロさん、お邪魔そうだから先に失礼しますね」と薄ら笑いを残して、返事も待たずに僕は走り出した。

後ろから呼び止めるヒロさんの声が聞こえたけど、それも無視して僕は逃げる。

ヒロさんたちが見えなくなるくらい走って止まると、そこはスタンドに繋がる階段だった。僕たちの試合が今日の最終試合だったからか、歩く人は誰もいない。

階段を数段上って、僕は膝を抱えて座り込んだ。

なんだよ、くそっ。

言葉にならない感情は、子供じみた文句に変換される。

そりゃ、ヒロさんはいい人だよ。僕だって憧れて、ああいう風になりたいなって思う。

でも、サキは「誰とも」と言った。誰とも付き合いたくない。その言葉は、僕に向かった言葉であっても僕に対してだけではないと思っていた。

違うのかよ、僕が嫌になっただけじゃないか。

それならそうと言ってくれたら、ヒロさんの恋路を素直に応援できたのかもしれない。でも、現実は違う。

モヤモヤではなくて、ドロドロした汚い感情が僕に浮かんでくる。ハッキリ言うなら、憎悪が近いかもしれない。

あんな女が幸せになるなんて許せない。そして、あんな女に惹かれるヒロさんもヒロさんだよ。

そんな、自分のことを棚にあげたガキくさい心。

その汚い心を認めたくない自分と、どうしても恨んでしまう自分。

二つの感情のぶつかりは目から雫を、口からは息を押し出した。

まだ好きとか、うまくいきそうなのがショックとか、そんなのじゃない。

ヒロさんには幸せになってほしいし、文句をつけたい訳じゃない。フラれたことだって仕方ないしと思うし、新しい恋を見つけるのだってサキの自由だ。

でもこんなのって、こんなのってあるかよ。

膝を抱えて頭を埋め、僕は嗚咽をし続ける。

ハイブランドのシルバーのアクセサリーをプレゼントにアキラのお店へ行くと、彼は上機嫌で対応してくれた。

本当に分かりやすい。男ってバカだね、それで貢ぐ私はもっとバカなんだけど。

「今日、行く?」

「どこに?」なんて聞くことはない。プレゼントを渡した日は、彼はホテルで私を抱く。ほとんどお決まりなことなんだけど、形だけの確認はされるんだよね。

黙って頷いた私の頭を撫でながら、彼は嬉しそうにアクセサリーの入った紙袋を眺めている。

私よりアクセサリーが好きなんだよね、知ってる。

私じゃなくて貢いでくれる女が好きなんだよね、分かってる。

このままじゃ幸せになれないことも、自分が間違ってることも。

やめたいのにやめられないの。辛いよ。

それでも私は今日も彼に抱かれる。ベッドの上で彼を感じて、一瞬の充足感に身を委ねる。

ホテルから出ると、彼はプレゼントの礼を言ってタクシーに乗り込んだ。

自分のものでもないネックレスひとつにバカみたいなお金を出して、偽物の幸せを買う私をいつまで続けるんだろう。

「幸せになりたいなぁ」

つい呟いたのは、心の声。

さっきまで満足してたからなのかな、急に寂しい気持ちになった。その満足すら本当に満足できてるのかは分からないけど。

家に帰っても一人で辛くなるだけだし、どうしよう。

特に目的もないけど、家に帰りたくないから散歩。たまに捕まる水商売のキャッチをあしらって、町の外に向かっていく。

30分くらい歩いたところで、スポーツ公園が見えてきた。そういえば、カズヤたちはここで試合をするって言ってたかな。

公園って名前だから、小さな学校のグラウンドみたいなところを想像してたけど、スタンドがあったり陸上のトラックに囲まれてたり、何だか思ったより本格的だ。

こんなところでサッカーをするのって、どんな気持ちなんだろう。見に来る人たちは、どんな人なんだろう。

街灯の光でしか見えない芝のグラウンドは、何だか神秘的な雰囲気すらある。明るい時だと、どう見えるんだろう。

あまりに縁遠い世界で想像もつかないけど、少し興味が出てきた。

私はその日を待ちながら、お仕事に励んだ。

天気は快晴。昨日の雨が嘘みたいにカラッと晴れた空の下、私はスポーツ公園へ向かっている。

14時からって話だったから、ちょうどそれくらいに到着するようにお昼を食べて家を出たんだけど、この時間は日差しがキツくて日焼けしそう。

敷地に入ると夜とは全然違う空気を感じた。何て言うんだろう、変な例えかもしれないけどお祭りみたい。

競技場に近づくにつれ、その熱みたいなものはどんどん強く感じられるようになって。

スタンドに繋がる階段を登ろうとしたとき、中から強い笛の音が鳴り響いた。試合が始まったのかな。

少し小走りに階段を登ると、壮大な景色が広がった。

期待

実際にスタンドから見てみると、サッカーのコートってすごく広い。綺麗な緑色が太陽に照らされて、普段は暗いところで働く私には何だか眩しすぎる。

「すご……」

思わず呟いてしまうほど、私はそこに吸い込まれていた。

しばらくボーッと眺めていたけど、立ったままでいるのも何だか変な気がして、少し陰になってるベンチに座ることにした。ちょっとお尻が痛いし、贅沢かもしれないけど背もたれがほしいな。

文句も程々に、試合に意識を戻した。遠目だからどれが誰かはパッと見分からないけど、みんな一生懸命なのはすぐに分かる。声を出して、走り回って、たまにはこけちゃったり。

何が楽しくて、彼らはあんなに汗をかいているんだろう。

10分ほど見たところで、やっとカズヤが分かった。スタンドに近い方で、たぶん攻撃よりは守備をする人なのかな? それにしては、ずいぶん相手陣地に近い気もするけど。

素人も素人な私は、ゴールが入る以外にどんなことがあるのかはあまり分かっていない。ボールが外に出たら手で投げて、反則があったらフリーキック。オフサイドは、名前だけ聞いたことがある。

そんな私でもカズヤのチームが何となく良い感じなのは分かる。ボールをいつも持ってるし、相手チームはシュートを打つことすらまだできていない。

それでもまだカズヤたちもゴールを決められていないのは、何だか不思議。やっぱり気持ちとしてはカズヤを応援してるからかな、惜しいシーンが続くと私もイライラしてしまう。

イライラは続くんだけど、何となく気づいたのはカズヤと10番の選手が上手いってことだ。

かなり押してる中でも、その二人は相手チームに全くボールを奪われない。余裕って感じ。

10番の選手からパスをもらったカズヤは、そのボールを止めるとすぐに返した。

あんなすぐに返しちゃうパスに、何か意味はあるんだろうか。

カズヤはパスを返してすぐに走り出したけど、彼にパスは出ずに逆側の選手にボールが向かった。

パスももらえないのに、何であんなに走るだろう。カズヤのあの走りは、骨折り損のくたびれ儲けのように私には見えた。

そんな私の気持ちを知るはずもなく、彼はまだ走る、走る。つい目を惹かれてしまう真剣さと純粋さで、彼は走る。

笛が二回鳴って、選手たちは一度グラウンドから出ていった。サッカーが前半と後半に分かれているっていうのは何となく知ってるから、これがその間の時間なのかな。

何が何か分からなかったり、考え込んでしまったり、カズヤの姿に惹き付けられたり。

サッカー自体がよく分かってない私にも、前半はあっという間に終わってしまった。手汗をかいてるのには、自分で驚いてしまった。

スタンドの階段を降りたところに、自販機があった気がする。何か飲みたいな。

日陰から出ると、蒸し暑さが一層強くなる。こんな天気のなか、あんなに走れる源は何なんだろう。本当に同じ人間なのかな。

階段を降りて自販機に向かうと、女の子がじっと私を見てきた。誰だろう、知り合いではないけど、何だか品定めするような目付きだ。

違和感を感じながら会釈をすると、彼女も一応礼を返して去っていった。謎だけど、気にしても仕方がない。

あっ、もしかして私が美人過ぎて見ちゃったとか?

心でボケても誰もつっこんでくれるはずもなく、私は炭酸ジュースを片手にスタンドへ戻った。

前半はあっという間に終わったのに、後半が始まるまでの時間はやたらと長く感じた。

冷たかった缶ジュースがぬるくなった頃、選手が出てきた。カズヤは10番の選手と何かを相談しているみたい。

その相談も終えて、選手が広がったときに気がついた。カズヤ、ポジションが変わってる? 今までは守りのポジションにいたはずなのに、今度は10番の選手より前にいる。

後半開始の笛がなると、カズヤは全力でボールを追いかけ始めた。一生懸命に、ガムシャラに。それはグラウンドから離れたスタンドで見ても、はっきりと感じ取れた。

前半より早いペースでダッシュを繰り返して、遠いところにパスされてもまだ追いかける。

走っているのはカズヤのはずなのに、なぜか私が息苦しくなってくる。鼓動が早くなる。

風俗で自分語りとかあるある過ぎwww
続きをお願いします。

そんなところまで追いかけても、どうせパスされるじゃない。何で追いかけるの?

それが素人の私だから持つ感想なのか、他の人もそう思ってるのか分からない。でも、明らかに無駄に見える走りを彼は止めない、諦めない。

まだ後半が始まったばかりなのに、焦っているのかな。前半とは何か違って見える。

そんな彼の姿を眺めていると、カズヤのチームの10番がボールを持った。カズヤは走りはじめて、大きな声でボールを呼び込む。

でも、出てきたパスは厳しいもので。外に向かって流れていくボールを追うペースを、相手選手も緩めてるのに、カズヤは全力で追いかけている。

何で。何で走るの。ボール出ちゃうよ。またその後に頑張れば良いじゃない。無駄だよ。

そんなことを思っているのに、口から漏れてきた呟きは真逆のもの。

「……がんばれ」

ボールはそのまま白線に向かっていく。勢いは落ちているけど、それでも着実に。

ああ、もう出ちゃう。やっぱり、無駄なんだよ。

そう思った私に、新しい絵が目に入った。パスを出した10番が、相手ゴールの方に向かって全力で走り出したんだ。

相手チームの選手も申し訳程度に走っているんだけど、二人ほど全力ではなくて。たぶんボールが出ると思ってるのかな。

みんなが無理だと思ってるところで走る二人は何だか滑稽。滑稽なのに、笑えない。

追いかけるカズヤとボールの距離は少しずつ、少しずつ縮まっている。まさか。追い付くの?

いよいよボールがラインを越えようという時に、カズヤはボールに滑り込んだ。縮まっていた距離はゼロになって、ボールはグラウンドの中に止まる。

スタンドにいる、多くはない観客から今日一番の歓声が上がった。間に合ったの? ボールが出る前に、カズヤは追い付いたの?

ろくにルールも知らない私はキョトンとするだけなんだけど、グラウンドの彼はもう立ち上がってドリブルをしている。あんな勢いでスライディングしたのに、痛くないのかな。

相手チームの選手も慌てて戻っているけど、カズヤには全然追い付けそうにない。

外からゴールに向かってドリブルしていくカズヤの顔は、何だか楽しそう。あんなに走り回って、ボロボロになって、さっきもスライディングをして。楽ではないことのはずなのに、彼は今、笑っている。

ゴール前に一人だけ残っていたキーパーが、慌ててカズヤに向かって近づいていく。今までもこういうシーンが何度もあって、その度に外してしまっていた。

どうするんだろう。また外してしまったら、さっきの頑張りも意味がなくなっちゃうのに。

カズヤがドリブルのスピードを落とした時、彼の名前を呼ぶ10番が後ろから走ってきていた。このために、他の誰よりも早く走り始めてたんだ……!

丁寧なで優しいパスをカズヤからもらった10番のシュートを妨げる人はもういない。カズヤが追いかけていた時みたいに転がったボールは、ゴールの線をしっかり越えてネットを揺らした。

カズヤと10番は二人で喜びを爆発させている。遅れて、後ろから走ってきたチームメイトもそこに加わる。

プロの試合でもなければ、彼らはこれでお金を稼いでるわけでもない。ゴールが入っただけ。ただそれだけ。

ゴールを決めたからお給料が増えるわけでもなければ、有名になるわけでもプロになれるわけでもない。

それでも彼らは輪になって喜んでいる。これこそが最大の喜びだというように、顔をクシャクシャにしているのがここからでも分かる。喜びすぎて、審判に笛を鳴らされるほどだ。

彼らがここまで喜べる理由が、私には分からない。その一方で、そんな風に考えてるくせに、胸には何か熱いものが残っているのも事実で。

言葉にできない何かが、私を焚き付けてくる。今までに感じたことがない気持ちだけど、嫌じゃない。

これが何か分かれば、カズヤたちの気持ちも分かるのかな。

理由の分からない胸の高鳴りを感じていると、カズヤがベンチに向かってきて、代わりに一人の選手が入っていった。交代しちゃったのかな、残念。でも、点が入るまで出てて良かったなぁ。

私がいなくなっても世界は回るように、カズヤが交代しても試合は続く。

胸が高鳴ったまま試合観戦を続けていると、相手チームも反撃をし始めた。

あっ、危ない! シュートがカズヤたちのチームに向かうと、それだけで何だか不安な気持ちになるし、逆に攻めてると「いけー!」って思っちゃう、不思議。

そのまま攻めたり攻められたりの時間が続くと、久しぶりに10番の選手がボールを持った。カズヤが交代した後もずっと存在感を放っていたけど、今度はどんなプレーをするんだろう。

前を向いてボールを持った彼は、右足でボールを叩いた。点と点が線で結ばれるように、カズヤと交代した選手の走る先にボールが送られた。

すっごい、綺麗!

さっきのカズヤみたいにキーパーと一対一。でも、あの時とは違ってゴール正面からだからかな、その選手が放ったシュートは難なくキーパーの脇を抜けて、ネットが再び揺らされた。

一点目同様に輪が出来て、相手選手もうなだれてる。

観客の「やっぱりオオタは上手いよ」「パスで勝負あったな」なんて話し声が聞こえてきて、10番の選手がオオタさんだと私は知った。サッカーの分からない私でも綺麗と思うようなパスを出すくらいだから、あの人ってすごい人なんだとは思っていたけど、名前も知られてる程なんだ。

そのまま試合が進んでいって、もうすぐ終わりかな、なんて思ったときに、隣に女の人が座ってきた。

うわー、すっごい美人だ。

ウェーブを少しかけて、ふわふわの茶髪が背中まで伸びてる。目鼻立ちはくっきりしてるし、着てるシャツワンピも安くは無さそうな生地感。肌の色は白くて、胸元には女の子に人気なブランドのネックレスが飾られている。

さっき私を見ていた子の時は冗談で考えてたけど、こんな美人がいたら、つい見つめてしまう。

誰かの彼女とかなのかな。それか、親戚? うーん。

座ってからはずっと携帯をいじっていた彼女を見ながらそんなことを考える私を不審がったのか、こちらに不思議そうな視線を向けられた。慌てて会釈をして試合に視線を戻したんだけど、すぐに試合が終わってしまった。

他の観客たちは帰り支度を始めて、徐々に席を立っている。隣に来た女の人も、座って早々だというのに立ち上がった。終了間近に到着して、試合も見ずに携帯をいじって、それでもう帰るんだ、何をしに来たんだろう。まぁ、私も人のこと言えないくらい何をしに来たか分からないんだけど。

元々少なかった観客はどんどん減っていき、私は最後の一人になるまで座ったままだった。

何て言うか、圧倒され過ぎて、見てただけなのに私はちょっと疲れていた。全然走ってもないし、日陰に座ってただけなのにね。何でだろう。

選手たちもグラウンドから出ていって、空っぽになったスタンドから空っぽになったグラウンドを眺める。

綺麗な緑は、夕焼け空に照らされている。何か、青春っぽい景色だ。

一息吐くと、私は階段を降りていって小さなスタンドの最前列に立って柵に手をかける。

こんなに近くにあるのに、柵の向こう側は遠い異世界みたいだ。私なんかは、入りたくても入れない世界。

そう思うと何だか無性に悲しくて、泣いちゃいそうになる。柵を握る手にも力がこもる。

その世界に行きたいなんて思ったことはなかった。今だって、何であんなことしてるんだろうなんて考えてた。

それでも彼らはなぜか輝いていて、理由も分からないけど憧れすら持ちそうになる。

寂しさを隠すように頭を小さく振って、グラウンドに背を向けて帰り始めた。

スタンドを出て階段を降りようとすると、折り曲げられて小さくなった背中が目に入った。何だか見覚えのある後ろ姿だ。

階段を降りるにつれ、その見覚えは確信に変わる。カズヤだ。

ユニホーム姿からジャージ姿になってるから階段の上からじゃ分からなかったけど、彼は今、なぜか分からないけどこんなところで膝を抱えている。

背中が小刻みに震えて、鼻をすする音も聞こえる。

どうしたんだろう。試合には勝ったし、活躍もしたはずなのに、何で彼は泣いているんだろう。

状況が状況なせいで何が何かも分からないまま、私は少しずつ階段を降り、彼に近づいていく。

声、かけない方がいいかな。お店のルール的にも良くはないし……っていうのは、ここに来た時点で言い訳にしかならないんだけど。こんなところに来て泣いてるってことは、カズヤも人目につきたくなかったのかもしれないし。

でも。彼の隣に並んだとき、私はそのまま黙って階段に座った。お気に入りのデニムが汚れることなんて気にもせず。

無視なんて、私にはできなかった。

理由なんて分からない。でも、そういうことって誰もが経験あるんじゃないかな。優しくしたいとか、泣いてる理由が知りたいとかじゃなくて、ただ単に放っておけなかったんだ。言ってしまえば、私のわがまま。

励ましたいから、元気になってほしいからカズヤの隣に座ったんじゃなくて、ここで私が黙って通りすぎちゃうと家に帰った私がモヤモヤしそうだから。

隣に座った私に気づいているのかいないのか、彼はまだ顔をあげようとはしない。

かける言葉も見つからない私は、彼の背中に右手を伸ばした。

寂しそうに揺れる背中を、そっと撫でる。今までもお店でカズヤの体に触れたことはあったけど、その時とは違うように感じるのは気のせいなのかな。

急に触れられて驚いたのか、カズヤは小さく頭を動かしてこちらを向いた。目は充血していて、頬は普段より痩けて見えた。

「えっ……」

驚きの呟きを漏らす彼に、私は労いの言葉を投げ掛けた。

「試合、お疲れさま。かっこよかったよ。勝って良かったね」

「いやいや……えっ……な、何で?」

泣き顔のまま、カズヤは疑問を投げ掛けてきた。まぁ、それはそうなんだけどさ。ちょっと意地悪をしてみよう。

「何が何でなのー?」

「いや、何でいるの……っていうか……」

「見に来るって言ったでしょ? 信じてなかったのー?」

「いやいやいやいや……」

やけに「いや」って言葉を使うなぁ、口癖なのかな。そんなどうでもいい感想は置いておくとして、私は彼の背中を撫でながら言葉を続けた。

「凄いね、上から見ててもカズヤってうまいんだなって思ったよ」

「いや、俺なんか全然……」

「謙遜しないでいいから。私、正直サッカーのことなんて全然分からないまま来たけど、カズヤのプレーが何ていうか……一番だった」

上手いっていう言葉が入るのか、凄いって言葉が入るのかは分からない。ただ、カズヤの姿が私の胸を揺さぶったのは事実で。

「あんなに走り回って辛そうなのに、楽しそうだなって。目が離せなかったの」

黙って私の言葉を聞く彼は、少し照れ臭そうに頭を掻いた。

「あ、ありがとう」

「だから本当に、かっこよかったよ」

「いやいや……最後だって結局、ゴール決められなかったし」

「でもその前のパスに追いついたところとかさ。間に合わないと思ってたのに、スタンドも凄い盛り上がってたよ」

それはそれは、と他人事のように彼は呟いた。

「もうー! 本当だよ! カズヤはもっと自分のしたことの凄さに気づきなよー!」

「いや、だって僕、仕事できてないし。点取るためにポジション変わったのにさ……」

「でもさ、カズヤがあそこで走って追い付いて、点が入ったでしょ? 勝ったんだし、その悔しさはまた次に解消すれば良いじゃない。それに……」

そこまで言った後、何と続ければ良いか分からず言葉に詰まってしまった。

感動した? 違うよね。うーん、何て言葉を言うのが正解なんだろう。

「それに?」

言葉の続きを求められて、私の口から出てきたのはこれだった。

「また見に来たいな、って思ったよ」

「お、うちのチームのサポーターになっちゃう?」

「サポーター?」

キョトンとした表情で問い返した私に、カズヤは説明をしてくれた。

「ファンっていうか応援団っていうか……ほら、日本代表の試合だったら『VAMOS ニッポン』って歌ってたりするじゃん?」

「えー! 無理だよ無理!」

あんな少人数しかいないスタンドで、テレビで見るような応援なんて絶対無理。恥ずかしいし、そもそもサッカー自体がまだ、ろくに分かってないし。

……まだ?

「それは冗談にしても、よかったらまた見に来てよ。見てくれる人がいるって、やっぱり嬉しいしさ。うちのチームくらいだと、基本的に家族とか関係者しか見に来ないから」

そうなんだ。やっぱり、さっきスタンドにいた人たちはみんな知り合いなのかな? 楽しげに話してた人もいたし、オオタさんって名前を知っていたのもその関係だろうか。

あの美人さんは誰かの恋人なのかな。それこそ、オオタさんとかお似合いっぽいけど。

おつ

「何かね、知らない人たちが『オオタさんが上手い』って話してたんだけど、あの人が前にカズヤが話してた先輩?」

「オオタさん……ああ、ヒロさん。そうだよ、あの人、上手いでしょ?」

へぇ、ヒロさんって言うんだ。

彼の名前を口にするとき、カズヤは何だか複雑そうな顔をした。この間は慕っていて心配で仕方ないって感じだったのに、どうしたんだろう。

「うん、サッカーを知らない私でも、あの人は別格だなって思った。でもね、カズヤも同じくらい上手いなって思ったよ、本当だよ」

「あー、うん。ありがとう」

「そういうとこー! もっと喜んでよ!」

本当に、もうちょっと自分に優しくしてあげなよ。同じくらいって言ったけど、上手さじゃなくて心に残ったのはオオタさんじゃなくて、カズヤのプレーなのに。

日もそろそろ陰ってきて、夏が近いとはいえ少し涼しくなってきた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」

いつまでもダラダラ話しててもカズヤに迷惑かけるしね。

立ち上がって、汚れたお尻の辺りを手で払った。まあ、話して楽しかったし多少の汚れや傷みは仕方ないかな。

そのまま歩いて行こうとする私を、彼は不思議そうな声色で呼び止めた。

「……聞かないの?」

背を丸めて泣き始めて、どれくらい時間が経っただろう。

きっと今、僕はどうしようもなくみっともない姿なんだと思う。やりようのない悲しさを堪えられずに泣いてしまう、小学生みたいな僕。

情けないと分かってはいるんだけど、泣くという行為以外にこの辛さを消化する方法を僕は知らなかった。

サキは僕の試合を見に来たことはなかった。サッカーをしていることは知っていても、試合を見に来ることなんて話にあがりもしなかった。

だからこそ、今日こんな事態になったんだろうけど。チーム名も知らなければ、チームメイトの話もしてなかったから。

僕のサッカーなんて、彼女に見せられるようなものじゃないと思っていたんだよ。プロでもないし、サッカーを頑張ったからと彼女と釣り合う男になれるとは思えなかったんだ。

それよりは勉強をして、元彼に負けないように良い企業に就職してっていうのが大事なことだと思っていたから。その結果倒れちゃって、開き直って今に至るんだけど。

そんな勘違いのツケが、こんなところでも出るなんて想像もしなかった。

予想外のショックにただ震えていた背中に、暖かいそれが触れた。

背中で動く手は、優しさに触れているような気がして。

顔を上げると、これまた予想外の顔がそこにはあった。

彼女はさも当然のように試合の感想を話してきて、僕の頭はそれを正確に処理できない。

何で? えっ、何でいるの?

そんな僕の疑問を笑い飛ばすかのように、彼女は信じてなかったのなんて聞き返してきて。いや、あれを信じる人はそうそういないと思うんだ。

彼女はその後も泣いてたことには何一つ触れず、背中をさすりながら試合について話してくれた。

ヒロさんの名前が出てきたときには、驚きとさっきのことを思い出してしまった。そっか、やっぱりゆうちゃんから見ても、ヒロさんは上手いんだ。そりゃそうだよね、腐っても元プロだし。僕とはレベルが違う。

申し訳程度に足された僕への評価を聞き流すと、怒られてしまった。いや、ヒロさんと比べて僕が下手くそなことは、自分が一番理解している。

しばらく話すと、彼女は満足げに立ち上がった。

あれっ、それで良いの?

何だろう、ほら、あの状況で背中を撫でて、でも理由は聞かないなんて、そんなことがあるだろうか。

構って! 聞いて! ってことではないんだけどさ、でも何か違和感がある……っていうのは、結局誰かに聞いてほしい言い訳なのかもしれないけど。

立ち去ろうとする彼女に、つい僕から声をかけてしまった。

「えっ」

何を? と、彼女は問いかけてきた。

「いや、何て言うか、ほら……」

泣いてた理由を、なんて自分で言い出すのは恥ずかしくて。

「何、話してくれるの?」

そう言うと、彼女は再び僕の隣に座った。察しが良くて助かるよ。

そういえば、こんなに明るいところで彼女を見るのは初めてかもしれない。何だか不思議な感じだ。

「こんなところで、ただの客の話を聞いてもらって良いのか分からないけど……」

「良い試合を見せてもらったから、そのお礼に聞いてあげるよ。でも、お店には内緒にしてね」

そんな前置きをしつつ、僕は事の顛末を話し始める。嘘みたいな、それでも本当の話だ。

面白い
エタらないことを願う

「へぇ……へぇぇ……じゃあ、オオタさんとカズヤの元彼女が今、良い感じなんだ……」

言葉にされると、何だか変な感じがする。でも、その通りだよね。僕は黙って頷き、それを返事にした。

丁寧に言葉を選んで、僕は絡まってしまった心の紐をほどこうとする。

「何て言うか……ヒロさんには幸せになってほしいし、ミユが他に好きな人を作るのは分かるよ。恋愛って、理由を説明できないものじゃん。でも……」

でも。

その言葉で、僕の心はキツく縛られている。

理由じゃないんだよ。ヒロさんのことは今も尊敬してる。サキのことは本当に今は吹っ切れている。それでも、納得はできないんだ。

>>109

「~~。サキが他に好きな人を作るのは分かるよ。恋愛って、理由を説明できないものじゃん。でも……」

に訂正です。

「でも、辛いんだ?」

続きを言えずにいると、彼女が言い足してくれた。

「苦しいよね、辛いよね。大丈夫?」

再び僕の背中に触れたそれは、さっきよりも僕の心に直接呼び掛けているようにも思える。感覚的なものなんだけど、すごく居心地が良くて。

「カズヤはね、難しく考えすぎなの。どうにかしようとしすぎなの」

その言葉に僕は首をかしげた。そんな僕を見て、彼女は再び口を開く。

「辛い時は辛い。悲しい時は悲しい。それで良いんじゃないかな。今聞いた話だって、カズヤが何かを頑張ったからって解消される辛さじゃないでしょ?」

「うん……うん」

僕がヒロさんよりサッカーが上手くなったら、今の気持ちがなくなるわけではない。サキに付き合おうと言われても、僕は断るだろうし、辛さがなくなるわけでもない。

確かに、彼女の言う通りではある。

「辛いなら辛いで、カズヤがその気持ちを消化しないといけないの。それにはさ、もちろん何かを頑張って消化できるものもあれば、時間が経つのを待つしかなかったり、何かの事件とかきっかけが必要だったりさ。ケースバイケースなんだろうけど」

ゆうちゃんの言葉に相槌をうちながら、僕の心の底にあった黒い感情が少しずつ薄れていくのを感じる。

何だろう、この感覚。

有名なカウンセラーのありがたい講義でもなければ、特別なことを言われてる訳でもないと思う。

それでも、この言葉が僕には必要だったんだと自分で分かる。

「でもね、カズヤは全部を頑張ることで解消しようとしてると思うの。それじゃ辛いよ、疲れるよ、抱えきれないよ。だからさ、私なんかに言われたくないかもしれないけど、少し肩の力を抜いていこうよ」

ねっ、と彼女は微笑んだ。

夕焼け空の下で、太陽みたいに。

「私は全然頑張れなくて、時間とかきっかけとかを待っちゃうから。恋愛だって、誰かと別れたら次に好きな人ができるまでは引きずっちゃうし。だから、カズヤみたいに頑張れる人ってすごいなって思うの」

背中を撫でていた手を止め、軽く叩きながら「こーの、頑張り屋さんめー」なんてふざけて言ってくるんだから、ちょっと笑っちゃったよ。

辛い気持ちがゼロになったわけじゃないのに、笑えてるんだから、僕はどれだけ彼女に救われたんだろうか。

「だからさ、私もカズヤみたいにちょっとずつ頑張れるようになるから、カズヤは私みたいにゆっくりできるように意識してみよ?」

「……うん、そうしてみる」

「よくできましたー、良い子だねぇ」なんて言いながら今度は僕の頭を撫でてくるんだから、ゆうちゃんには敵わないなって思う。

「一応、今は僕の方が歳上なんだけど?」

同級生の世代とはいえ誕生日を迎えたし。

……あっ、そういえばゆうちゃん、6月が誕生月って言ってたかな。何日なんだろう。

「良いの、何かカズヤ可愛いし。見た目チャラいのに純粋だし。良い子良い子」

その後に、「あっ、うちの店に来るような子は良い子じゃないかな?」なんてニヤけながら言ってくるから、反応に戸惑っちゃったよ。

「まぁ、冗談は置いとくとして。辛かったら、頑張らなくても良い時だってあるんだよ。辛いときに何もしないのって焦ったりしちゃうかもしれないけどさ」

「うーん……そうなれるように頑張る……」

「ほらまた頑張るって言ったーだめー」

「それは言葉のアヤじゃん」

僕は笑った。彼女も笑った。何だろう、何なんだろう、この感じ。

「あっ、カズくん、ここにいた! 探したー! 全く連絡つかないんだから……」

声が聞こえて、顔をあげると僕のバッグを持ったミユがそこにはいた。

「あ、ああ……ごめん」

「ごめんじゃないよー! もうみんな帰っちゃったし、ヒロ兄は女の人と出掛けちゃったし、カズくんの荷物を置いとけないから私が探せって言われるし!」

「分かったから……」

すごい剣幕で捲し立てられて、申し訳なさと恥ずかしさが混在している。ダウン中に逃げちゃったから、携帯も財布もバッグの中に入れたままだったもんね……そういえば。

「あー、じゃあ、私はそろそろ帰るね?」

少し気まずそうに言って、ゆうちゃんは階段を降り始めた。

えーっと、えっと。

「ありがとう!」

何か言わなきゃと思って口から出てきたのはそれだった。試合を見に来てくれて、話を聞いてくれて、ありがとう。

「こちらこそっ」

気持ちいい笑顔と共にその返事を残し、彼女は階段下のミユにも会釈をして帰っていった。

何だか、ミユがゆうちゃんの顔を一生懸命見ているものだからどうしたんだろうとは思ったけど。

「あの人、カズくんの彼女?」

バッグを受け取りに階段を降りると、そんなことを言われたからつい吹き出しそうになったよ。まさか、まさか。

「へぇー……そっか」

何だか意味ありげに呟くミユを見ていると、「何でもない」と言い足した。何も聞いてないけど。

その後、僕は階段下の自販機でミユにジュースを奢らされるハメになり、散々説教を受けながら帰路についた。

濃すぎる一日。辛かったのに、何だろう、嫌じゃない日だった気がする。

プレゼントを片手に、僕は町を歩いている。

あの試合から数日が経った。まだ完全にモヤモヤが無くなったわけじゃないけど、それでも沈んだ気持ちだけということもない。少しずつ、それは薄くなってきている。

時間が解決してくれることもあるんだ、って実感してる最中だ。たぶんこのまま、いつか自然に無くなってるんだと思う。

ゆうちゃんに感謝して、誕生日が今月だって前に話してたし、何かプレゼントをしようと思った。

アクセサリーは重いよね、でも何が好きなんだろう……そういう話ってあんまりできてなかったからなぁ……。

そんなことを考えながら買ったものが、右手に持っている紙袋の中に入っている。

ゆうちゃんの働くお店に一度行ったんだけど、彼女は二時間ほど待たないと空かないらしいと言われ、予約だけして暇を潰しに出てきたところだ。

「予約が埋まってる」という言葉を聞いてチクリと胸が痛んだのは、たぶん気のせい。

どうやって暇を潰すか考えて、とりあえず本屋に入った。

サッカーバカだと自分でも思うけど、本屋に来るといつも最初にサッカー雑誌をチェックしに来てしまう。小説とか漫画とかも好きなんだけどね、小さい頃からの癖だから仕方ない。

スポーツ雑誌のコーナーに着いて、何か面白そうな記事がないかチェックをしていると、シンヤが大きく写った表紙が目に入った。

その雑誌を手に取ってインタビュー人気は目を通す。主な内容は、代表選手としての意気込みと、海外移籍の噂についてだった。

ヒロさんは凄い人とチームメイトだったんだな。

そんなことを改めて感じながら、僕はそれを棚に戻した。

僕とほとんど歳が変わらないのに、国を代表する選手としてインタビューを受け、サッカーをすることでお金を稼いで生活をしているシンヤ。

遠い遠い存在で、追いかけても追いかけても届かない存在の気がする。

何で僕はサッカーをするんだろう。

好きだから、っていうのはもちろんそうなんだけどさ。好きだから、ってだけで終わらせられるのかな。分からないや。

考えすぎるのは僕のよくない癖だと自覚している。そこで考えるのをやめて、他のコーナーへ移動を始めた。

もうしばらく、何を見て暇を潰そう。

結局本屋で暇を潰し、いつもの薄暗い部屋のブース内でゆうちゃんを待った。

少しなれちゃったのかな、異世界感も薄れてしまった気がする。

「あー! 来てくれたんだ、ありがとー!」

いつも通り、ニコニコしながら彼女は近づいてきた。僕も座ったまま会釈で返事をする。

「ね、今日はどうしたの? またお話? それとも?」

ニヤニヤしながら僕の正面に座る彼女を見ると、胸が高鳴った。

何か緊張しちゃうよね。でも、初めて来たときに感じる緊張とは違うものの気がするけど。

「何しに来たと思う?」

そう言った僕を見て、彼女は首をかしげた。

「えー、気持ちよくなりに? とうとう?」

少し僕との距離を詰めて、彼女は「いやらしいー」なんて笑った。

何て言うか、ここに来てる時点でいやらしいのは否定できないよね。でも、残念ながら違うんだよね。

「えーと……」

脇に置いたままの紙袋を手にすると、そのまま彼女に差し出した。

「6月が誕生日だって前に言ってたから……これっ!」

言い訳みたいに理由を言わないと、それを渡すことすら恥ずかしかった。

僕ごときにプレゼントを渡されても困るかもしれないし、何か場違いなことをしてしまった気がしなくもない。でも、渡したかったんだから仕方ないよね。

「えっ、私に?」

頷いて返事をすると、彼女はおそるおそる手を伸ばした。

「ありがとう……めちゃくちゃ嬉しい……!」

あれ、何か予想と反応が違う。「マジでー? やった、ありがとね!」みたいなノリで来るかなって思ったのに。

「誕生日、覚えててくれてたの?」

「いや、日は知らないんだけどさ。初めて来たときに6月が誕生月だって言ってたから」

「よく覚えてるねぇ……」

うーん、やっぱり、僕なんかがそれを覚えてて祝うって、何かちょっと気持ち悪かったかな……? 引かせてしまった?

「あの、迷惑だったら捨ててね」

「そんな迷惑なものなの?」

意地悪そうに笑って問われて、それには首を横に振った。全力で。

「冗談だよ、本当に嬉しい! ありがとう! もしかして、これをくれるために今日来てくれたの?」

「いや、まぁ……そうだけど……」

気持ち悪いよなぁ、僕。

「今年初めて祝ってもらっちゃった……! やったね」

そう言って、彼女は紙袋を胸元に抱えた。何て言うか、演技だとしても慶んでもらえたら嬉しいよね。

「ちなみに、何日が誕生日なの?」

今後のために……と言いそうになったけど、こんな本名すら知らない、不安定な関係の一年後なんてあるのかどうか分からないから黙っておくことにした。

「えっ、今日だよ、今日。だから、偶然かもしれないけど本当に嬉しいんだよね」

カズヤの話を聞いた私は、素直に驚いた。

偶然ってあるんだなぁ。

カズヤの元彼女が、オオタさんの新彼女候補。そしてカズヤはオオタさんに憧れてる。それは心中穏やかじゃなくて当然だよ。

辛そうな彼を何とかしてあげたくて、私が伝えた言葉が適切だったのかは分からないけど、少しは元気になってくれたみたいで安心した。

本当に、彼は頑張り屋だと思う。

サッカーの試合を見ていても感じたし、聞いた話もだし、お店で聞いたときもそう。自分でどうにかしようとして、その重さに負けてしまいそうになっても、それでも自分でやり遂げようとしてる。

それが正解なのか私には分からないけど、でもそんな彼が私にはとても眩しく見えるのも事実で。

アキラとの関係性も、これ以上前に進むことはないって知ってるのに、止めるという決断すらできない私とは大違いだ。泥沼から抜け出そうとはしないくせに、「辛い」「止めたい」って心で思うだけで、本当にどうしようもない。

待ってたわん(はぁと)

カズヤの話には、正直驚いた。

偶然ってあるんだ。世間って狭いなぁ。

カズヤの元彼女が、オオタさんの彼女候補。そして、カズヤはオオタさんのことを尊敬している。

それは確かに気まずいよね、ショックだよね。分かるよ、辛いよね。

抱えきれない辛さを自分で処理するのって、その辛さをもっと強くすると思うの。少なくとも、私にとっては。

辛いことをどうにかするのって頑張らないといけないし、その頑張るってことが私はできないんだよね。

「このままじゃダメ」「辛い」「苦しい」とは言うくせに、アキラという泥沼から抜け出そうとしない私。時間が解決してくれるものでもないって、きっかけが必要だって自分で分かってるのにね。

カズヤに言葉をかけながら、それとは逆のことを私は自分に言い聞かせていた。

変わらなきゃ。私も、頑張れるようにならなきゃ。

うわっ、何か更新できてなかったみたいで
>>122を書き足してしまいました……

見なかったことにしてください……すみません!

ダイジョブキニスンナ
更新楽しみに待ってるよ。

カズヤに言葉をかけながら、自分に言い聞かせていた。

変わらなきゃ。私も、頑張れるようになりたい。

そんな決心染みた感情を持ったところで、私の行動は変えられないんだけどね。結局、アキラに誘われたら私は彼と寝るだろう。誘われなければ寂しくなって、勝手に凹んでしまうだろう。

私っていう人間の弱さが、自分でもよく分かるの。

変わりたいという気持ちだけで変われるなら、今ごろ私は聖人君子になれているはずだしね。気持ちだけで変わるのは難しいよ。

そんな風にモヤモヤして数日が過ぎ、私は誕生日を迎えた。

高校を卒業して最初の年は、高校の友達がお祝いしてくれた。

でも、去年は誰からも祝ってもらえなかった。大学や専門に通ってもいなければ、職場の女の子とも特に親しいわけではない。独り暮らしを始めていたから家族も連絡がなくて、寂しい誕生日だったなぁ。

ホストにハマったのには、二十歳になってお酒も飲めるようになったし、その寂しさを埋めたいって気持ちもあったのかもしれない。まあ、それがどうしたって話なんだけど。

寂しさを埋めるためにホストに通い、抜け出せなくて辛くなるなんて思ってもいなかった。

アキラも私の誕生日なんて興味を持っていないだろうし、どうせ私は今年も誰にも祝われないまま一人で歳を重ねるんだ。

別にいいんだけどさ、でもやっぱりちょっと寂しい。

どうせ誰にも祝われないなら、明日は出勤前に買い物に行こう、自分で自分にプレゼントを買ってあげよう。 アキラのお店に行くかは、仕事が終わって決めよう。

そう決心すると、私は何か欲しいものを探してファッション雑誌のページを開いた。

かなり奮発して、お高いブランドのアクセサリーを自分にプレゼントした私はご機嫌だった。

たぶん、私みたいな歳の女が持つには分不相応なブランドなんだろうけどね。いつもアキラにばかり高価なブランド品を貢いでいて、自分には安いものばかりだったから、たまには良いよね。

ウキウキした気持ちで出勤すると、今日は予約が一杯入ってた。普段はあんまり忙しくない方が嬉しいんだけど、今日は頑張ろうって気持ちになれる。指名料も稼げるしね、アクセサリーの分を稼いで、また自分にプレゼントしてあげよう。

裸になっては服を着て、裸になっては服を着てを繰り返す。まあ、誕生日だからってお仕事まで特別になる訳じゃないからね。いつも通り。

そんな感じで慌ただしく働いていると、この間の試合からそう日も経っていないのにカズヤが待っていた。

どうしたんだろう、また悩み事? まだあの日のショックを引きずっているんだろうか。

たぶん彼は、私にそういう行為をしてほしくてこのお店に来ているわけではない。

それは何となく分かっているんだけど、それじゃあ悩み事の相談なのかなって考えると、そんなに次から次へと悩んでるのかな、なんて考えちゃったりもする。

何となくしないとは分かっていても、行為をするかどうかだけは一応は確認しないといけない。冗談めいて彼に声をかけてみると、彼は紙袋を差し出して来た。

「えっ、私に?」

いや、確認しなくても私にだって分かってるんだけどさ。何でカズヤは私の誕生日を知ってるんだろう。

私の疑問に対する返事を耳にすると納得したけど、よく覚えてるなぁと感心したりもする。

カズヤが4月生まれっていうのは、お客さんの歳を覚えるためだと思って私は意識してたけど、まさか私のそれを覚えてくれているとは思っていなかった。覚えているどころか、プレゼントまで用意してくれてるとは想像したこともなかった。

誰にも祝われないと思っていた矢先、予想外の人に祝ってもらえた私は嬉しさのあまりにオーバー気味に喜んじゃった。不自然なくらい。だって、それだけ嬉しかったの。

私の誕生日が今日であることをカズヤに伝えたら、「じゃあ、良い日に来たね、僕」と笑っていた。本当にそうだよ。

それにしても、このプレゼントは一体なんだろう。何だか気になるんだけど、本人の前で開けるのは失礼だよね、たぶん。

プレゼントを確認するタイミングを失ったまま、話は進んでいく。先日のショックも少しは和らいだのか、その話は出てこなくてちょっと安心したよね。

「……あっ、それ」

私は彼の胸元を指差した。そこに飾られていたのはネックレスで、それはさっき私が買ったブランドと同じものだった。

「そのブランド、好きなの?」

「えっ?」

カズヤは急に話を変えた私についてこれなかったみたいで、何のことか分かってないみたいだ。彼の首にかけられているそれをツンツンと指先でつつきながら、私は彼に示して見せた。

「これ、ネックレス。可愛いなぁ、って」

「ああ、これ? うん、お気に入り」

「良いよねー。私も、さっき自分へのプレゼントにそこのアクセサリーを買ったんだ」

今思い出しても、嬉しくてちょっとにやけそうなくらいだ。

「えー、いいなー。僕はあれだよ、去年二十歳になったときに、ずっと使える良いものを買おうと思ってバイト代を貯めて買っただけだから。だから、気合い入れたい時に付ける勝負アクセサリー……みたいな?」

「じゃあ、今日は気合い入ってるの?」

「たぶん?」

何それーって突っ込むと、彼も何だか恥ずかしそうに笑った。

そっか、やっぱり私たちくらいの歳だと、そんなに簡単に買えるものじゃないんだよね。

私にしてみれば高価とはいえ、何だかんだこのお店で働いてアキラに貢がなければ普通に手が届くくらいの額でも、カズヤにとってはお金を貯めて買うものだし。

私がこのお店で働いて得たものは、お金と狂った金銭感覚なのかもしれない。

そこから、カズヤの好きなファッションの話とか、逆に私のお気に入りのブランドの話なんかをしていると終了時間になった。

「本当に……ありがとね!」

彼を出口まで送ったあと、紙袋を抱えて私は彼にお礼を告げた。

カズヤは「大したものじゃないから」なんて言うから、私は軽く叩いちゃったよ。大したものだろうがそうでなかろうが、私にとっては大事な大事なプレゼントだ。

早く仕事が終わらないかなぁ、紙袋の中には何が入ってるんだろう。

カズヤが来る前以上に浮かれて、私はお仕事を終えた。すぐにでも中を確認したい気持ちでいっぱいだったんだけど、何となくお店でそれを開けるのは勿体ない気がした私は一度家に帰ることにした。

ちょっと大きな紙袋。でも、中身はそんなに重たくない。

家に帰りつくや否や、私はテーブルの上に置いた紙袋を閉じているシールを剥がした。

「……うわぁ……」

中に入っていたのは、ストローハット。俗にいう麦わら帽子だった。お洒落な雰囲気なのをチョイスしてるのはさすがだけど、何でカズヤはこれを選んだんだろう。

それを被って姿見で確認すると、ちょっと良い感じ。今日買ったアクセサリーにも合うかもしれない。

いつまでも部屋の中で被ったままでいるのも変な気がして、名残惜しさを感じつつもそれを紙袋に入れようとする。袋を開き、帽子を手に持ったところで、私は底に残っていた封筒の存在に気がついた。

表面には『ゆうちゃんへ』という文字。裏面のシールを丁寧に剥ぎ、中身を確認する。

僕なんかに手紙を渡されても困ると思うから、あれだったら捨ててください。

この間は本当にありがとう。お世話になりました。何て言うか、ゆうちゃんに話を聞いてもらえて本当に楽になりました……っていうのは、初めて来たときからいつもなんだけど。

6月に誕生日だって言ってたから、何かお礼にプレゼントと思って、これにしました。「また見に来たい」って言ってくれたのが本当なら、これから暑い日が続くし、熱中症対策にも?被ってもらえたら嬉しいです。
安物だし、趣味じゃなかったら捨てて。ごめん。

気持ち悪いこと書くけど、ゆうちゃんに会えて本当に良かったです。変な気持ち悪い客だって思ってるかもしれないけど、でも、僕は本当に色々と救われました。

良い一年にしてね。本当に、おめでとう!

「……律儀だなぁ」

手紙を読みながら、つい苦笑いしてそんなに感想が漏れた。

そんなに遠慮気味に言わなくても、カズヤのことを気持ち悪いお客さんだと思ったこともなければ迷惑だなんてとんでもない。ただ、変な人とは最初に思ったけどね。

何て言うか、カズヤは一生懸命なんだと思う。手紙もそうだし、プレゼントだってそう。私の「また見に来たい」って言葉を覚えてこのハットを探してくれたんだろうし、かといって押し付けじゃなくて手紙でそういう風に説明してくれたり、メッセージをくれたり。初々しいっていうよりは、一生懸命。

ただ高価なアクセサリーをアキラに貢いで喜ばせようとする私とは大違いだ。金額じゃないもんね、プレゼントって。

カズヤは私の好きなブランドも知らなければ、手紙にも書いてたみたいに、私が自分で買ったブランドのアクセサリーみたいに高価なものでもないんだとは思う。

それでも、カズヤからのプレゼントは私の胸を揺さぶる。それはきっと、言葉にするなら感動というもの。

人の暖かさに、久しぶりに触れた気がする。

アキラと体を重ねているときにも感じたことのない暖かさ。私自身、もう長い間忘れていた気がする。

帽子を片付けるのが何だか急にもったいなくなって、それをカラーボックスの上に飾ることにした。

うん、可愛い。

それを見てニヤけていると、私はあることを思い出す。

そういえば、アキラのお店に行かずに帰っちゃった。でも、何だか幸せだから今日は良いや。カズヤに祝ってもらえたし。

飾ったハットを眺めてにやけながら、私は自分で買ったアクセサリーも確認して幸福に浸っていた。

おかしい。

この間の試合からミユがやたらと僕に近づくようになった。元々歳が近かったり、ヒロさんの関係で仲良くはあったんだけど、ヒロさんがいない時に遊びに誘われたり、ご飯に誘われたり。それまでは基本的にはヒロさんがいるときだったのにね。

そうそうヒロさんといえば、走ってサキの前から逃げたことに関して「彼女さんが美人だったから緊張して逃げちゃいましたー、すみません」って謝ったら、「まだ彼女じゃねーよ!」と笑って許してくれた。ごめんね、ヒロさん。

話を戻すけど、そんな感じでミユはなぜか僕といることが増えてきて、ヒロさんには「カズが義弟になる日も近いな」なんて言われちゃったよ……なりませんから。

ミユのお誘いは、ご飯とか遊びには付き合うけど、さすがに僕の家に来たいっていうことは断るようにしている。彼氏に誤解されたらめんどくさいしね。まぁ、ご飯くらいならやることはやってないって分かるし許されるかなっ……ていうのは僕の個人的な感覚なんだけど。

とにかく、不自然なくらいミユは僕を誘ってくる。

まぁ、彼氏の話なんかも聞いちゃったし、ちょっとは心を開いてくれたからこそなのかもしれないけど。


前から読んでた。応援してます

とはいえ、あの後彼氏とどうなっているのかはは教えてくれないんだけどね。

ただ、「あのサッカー場にいた人、カズくんの彼女じゃないの? 本当に?」とはやたらしつこく確認するようになってきた。どうしたんだろう、一体。

プレゼントを渡してからはお店にも行けなかったし、試合会場で会うことも無かった。僕は僕でテスト勉強が忙しかったり、天皇杯予選で勝ち進んでるから練習に励んだり。ゆうちゃんは、あの言葉がリップサービスだったのかもしれないしね。一回来てくれただけでも感謝しないとね……うん。

寂しさを感じながら自分に言い聞かせて、僕は練習に向かう。

今週末はいよいよ予選の決勝だ。相手はキックスっていう、アマチュア最高峰のリーグであるJFLに所属するチーム。正直、かなり格上。

とはいえ、勝てない相手じゃない。今年は調子もよくないみたいで、JFLじゃ下位をうろついている。

キックスに勝てば、本大会に出られる。本大会に出れば、プロとも試合ができるかもしれない。

それをモチベーションに、今日も僕はボールを蹴る。

練習を終えて荷物をまとめていると、ミユに声をかけられた。

「ねね、カズくん。このあと、空いてる?」

「空いてるけど……」

僕のその返事に、周りにいたチームメイトが声をあげる。「カズも隅におけねぇなあ!」「ヒロー、妹が危ないぞ!」なんてね。いや、良い歳の大人なんだからもうちょっと落ち着きましょうよ。

「ねー、カズくんち、今日行っちゃだめ?」

「ダメ」

その即答には、ミユは口を尖らせて「何でー」と不満げだ。いや、お前も彼氏がいるならそんな簡単に一人暮らしの男の部屋に来たいとか言うなよって。でも、ヒロさんがミユの彼氏のことを知ってるかどうかは分からないから、その説明をして良いのか分からないんだけど。

「じゃあご飯いこうよー」

「まぁ……それくらいなら……」

「決まりっ! ほら、早く早く」

彼女は手を叩いて僕を急かす。チームメイトも囃し立ててくるけど、何なんだ、みんな。

お疲れさまでしたーと声をかけながら、僕たちは帰り始める。

今日は何だか天気が良くなくて、夜から雨が降るらしい。

「雨が降る前に帰りたいなぁ」

僕がそう呟くと、ミユは「カズくん、傘忘れたの? ちゃんとしなよー」なんて言いながら自慢げに折り畳み傘を見せつけてきた。

「はいはい、さっさと食べてさっさと帰ろうな」

そう言うと、僕らは帰り道のレストランに入った。ミユの彼氏の話を聞いたお店だ。

以前と同じメニューを注文して、僕らは雑談を始める。キックスに勝てるかな、とか。ヒロさんの彼女候補ことサキの話とか。ちなみに、ミユはサキが僕の元彼女だってことは知らない。

「それにしても、ヒロ兄の新彼女、可愛くて驚いちゃったよ」

「ヒロさんが言うには、『まだ彼女じゃない』らしいけど?」

「いーや、あれは付き合うね。間違いないよ。絶対そのうち付き合い始める」

絶対だよ、絶対。ミユはそう言い足して、僕に同意を求めてきた。

「……うん、そうだね。そうだと思う、付き合うと思う」

歯切れは悪くなったけど、それを認めることへの躊躇いはどんどん薄くなってきた。時間が経つにつれ、僕の暗い気持ちは薄くなっている。

理由は時間なのか、それとも他にあるのかは僕にはまだ分からないけど。

「ねぇ、カズくんは? 彼女作らないの?」

「どうした急に」

話に脈絡がないぞ。

「いや、カズくんって見た目チャラいのにそういう話をあんまり聞かないなーって」

「……僕、そんなにチャラそう?」

ゆうちゃんにも言われたし。

「チャラいよー! 髪色明るいし、長いし、アクセサリーもつけて私とチャラチャラご飯に来て! チャラい!」

「分かった、もうミユとはご飯に来ない」

「冗談だって冗談! でも、見た目はチャラいよー、うん」

そっか……ちょっとイメチェンしようかな……悩む。

「で、彼女は?」

誤魔化したつもりなのに、しっかり話を元に戻されてしまった。うーん、本当に最近は何かおかしいな。どうしたんだろう。

「前も言っただろ、いないって」

「じゃああの女の人は何ー?」

「いや、だからただの知り合い……」

その言葉に、自分でちょっと傷ついたりね。知り合いって言っちゃっていいのかな。

「ただの知り合いとあんなに密着して、背中撫でさせながら話したりするの? やっぱりチャラいよ」

ああ言えばこう言うなぁ、本当に!

「何、どうしたの。最近、ちょっとおかしいよ、ミユ。前はそんな話全然してなかったじゃん」

「おかしくないよー、カズくんに興味わいちゃっただけー」

だめー? なんて上目使いで聞いてくる。いや、ダメとは言ってないけどさ。でもやっぱり、何かおかしい。

「カズくんは私に興味ない?」

「いやー……ねぇ」

そんなこと、急に聞かれても困る。ていうか、本当にどうしたんだ、こいつ。

「無いのー? 傷ついた……」

落ち込むフリをするミユを見て、僕は本格的に心配になってきた。

何だ、こいつ、もしかして彼氏にフラレてか何かのショックでこんなテンションになってるのか? まあ、そうだとしても言われるまでは聞かないでおこう。めんどくさいしね。

「ほら、カズくん、年下の女の子が落ち込んでるんだよ。慰めてよ」

これまた、ざっくりした要求で。

「僕以外に興味持ってる人がいるから……」

「やだー、カズくんがいいのー」

何なんだ、本当に。今日はいつにも増して、変なテンションになってる。

「ほら、もう良い時間だし、帰ろう」

声をかけると、ミユは駄々をこねるような声で「もうー? 早いよー、まだ大丈夫だよー」と言ってくる。いやいや、あんまり遅いとヒロさんも心配するだろうしね、ご家族も。

嫌々言いながら、ミユはバッグを手に持ち支度を始めた。

お会計を済ませてドアを開けると、軽く雨が降り始めていた。しまった、遅かったか。

お店の人が傘を貸そうかと声をかけてくれたけど、このくらいならどうにかなりそうだ。お礼を伝えながら断って、僕達はレストランを後にした。

「カズくん、相合い傘したかったから借りなかったんでしょ?」なんて調子の良いことを言ってくるから、ミユの頭を軽く叩いてやった。全く、どうしたっていうんだ。

「痛いよー、カズくんに叩かれたー、DVだよ、DV」

「誰がDVだよ、誰が」

「傷物にされちゃった……責任とらせてやる……」

そんな、下らないやり取りをしながら僕たちは駅へ向かう。

練習場は少し外れた場所にあるから、駅までは少し距離があって。帰り道にはアパレル系のお店の通りがあったり、ホテル街があったりもする。ごちゃごちゃした町だよなぁ。レストランも結構練習場寄りのところだから、駅まではまだ長い。

二人でダラダラ話しながら歩いていると、少しずつ雨足が強くなってきた。しまった、素直に甘えて傘を借りるべきだったかな。

足取りを速めても、駅に着く前に雨は本降りになりそうな気配を感じているんだけど、今更どうしようもないし……コンビニでビニール傘を買うのは負けた気がして嫌だし。

「雨、強くなったね」

傘を開いているミユは、他人事のようにそう呟いた。

「……入る?」

「いいって、折り畳みなんだから二人も入れないだろ」

その返事には小さく「つまんないのー」なんて愚痴をこぼされながら、二人で並んで歩く。

話すだけ話したからか、少し沈黙。その分、雨が地面を叩く音が耳に入ってきて、それがどんどん強くなってきた。

それはとうとう僕も耐えられないくらいになって、駅に向かって走りながら、雨宿りできそうなところを探す。

クズしかいねえ

びしょびしょになった服の裾を扇ぎながら、雨の様子を見る。

強いなぁ、しばらくはやみそうにない。

どうしたものかと考えていると、後ろからひょこひょこと歩くミユが追い付いてきた。

「うわー、大丈夫?」

「大丈夫に見える?」

傘を持っていたミユはそこまで被害がないみたいだけど、僕は結構やられてしまった。一度家に帰って練習に向かったから、教科書とかプリントみたいに雨に負けそうなものが少ないのがせめてもの救い。

ため息をつきながら雨がやむのを待っていると、後ろから「すいません」と男女二人組に声をかけられた。

うわっしまった、ここ、ホテルの出入り口か……ミスったなぁ。

傘をさす彼らに道を譲りながら、僕はここに逃げ込んだことを少し後悔する。

「入っちゃう?」

顔をミユに向けると、彼女はホテルのドアを指差している。

何言ってるんだ、こいつ。

「お前、いい加減に……」

「だってさ、雨やまないと思うよ。カズくん、傘ないでしょ。それに、そんな濡れてたら電車にだって乗れないよ。どうするつもりなの?」

そこまで言われると、少し言葉に詰まる。

「……それは駅についてから考えるけどさ」

「ここで入った方が絶対良いと思うんだけどなぁ。風邪引いちゃったら、週末の試合に響くよ?」

「いや、だから入らないって」

「そんなに私と一緒に入るのは嫌だ?」

「いや、だからそういう話じゃ……」

「じゃあ良いじゃん、入ろうよ。私だってこんな雨のなか歩きたくないよ」

「本当に最近どうした? 大丈夫?」

「私はいたって普通だよ、大丈夫」

いや、普通じゃないから……って言っても認めようとはしないんだろうな、たぶん。

「いや、お前、やろうとしてること、彼氏と同じことじゃん。それ分かってるの?」

言って良いのか分からなかった、と言うか、たぶん言っちゃダメなことなんだろうけど、僕はそれを口にしてしまった。

だって、こうでも言わないと入ると言うまでここで口論をすることになは気がしたから。

僕の言葉を聞いたミユは、表情を曇らせて俯いた。

言の刃を向けてしまったことを悪いとは思うけど、でもこう言う以外にミユを止める方法も思い付かなくて。ごめん。

しばらく黙っていたミユは、顔をあげて僕を見た。目を合わせて、決意を込めた目線だ。

「そんなこと、分かってるよ」

「じゃあ何で……」

「分かってるけど、傷つけられた私はどうすれば良いの? 傷ついただけで、それで終わりなの?」

「どうすればって……」

何で、今なんだろう。

いや、タイミングの問題じゃないのかもしれないけどさ。ほら、前に僕に話してきたタイミングでだったら、浮気されたショックでって分かる。

でも、あの時は割と冷静に辛さを処理できていたように思える。あれからしばらく経っているのに、何で今更。

「何で私だけなの。ねぇ、カズくん、教えてよ」

そんなこと、僕に言われても困る。困るけど、それを言葉にすることも僕には出来なかった。

「そんなに私って魅力がない? すぐに浮気されるほど、私から誘ってもエッチしたいとは思えないほど魅力がないの? ねぇ!」

そう叫ぶ彼女の目は雨以外の何かで濡れていて。

傘をさして歩いてる人たちは、ホテルの前で立って口論をする僕たちを好奇の目で見ながら通りすぎる。たぶん、痴情のもつれか何かに見られているんだろうな。

「そんなことは……」

実際、ミユは可愛い子だと思う。気さくで、マネージャーとしても気が利くし、顔だって愛嬌があって可愛らしいって感じで、少なくとも嫌われるような子ではない。

でも、だからと言って僕が彼女を抱くことはたぶんできない。

「……」

沈黙を回答にすることしか、僕には出来なかった。

「……もういいっ、帰るっ! カズくんの、バカ!」

その言葉を残して、ミユは走って僕の前から消えてしまった。

ホテルの前で立ち尽くして、僕は彼女の背中を目で追いかける。

それしか、僕には出来なかった。

乙!大量投下は嬉しいね


登場人物全員好きになれないのに、このSS自体は好きな不思議

あの日のミユとの気まずさは無くならないまま、僕たちは天皇杯予選決勝、キックス戦を迎えた。

あれから二回開かれた練習で会っても特に会話もなくて、チームメイトも「痴話喧嘩かー?」なんておちょくってくるけど、ミユはそれにも反応しない。僕は「そんなんじゃないっす」ってヘラヘラ誤魔化しといた。

あの日から降ってはやみを繰り返していたけど、空は今日も雨模様。

芝のピッチは少し重たくなっていて、ヘビーな試合になりそうだ。幸い、アップをしてみた感じでは水溜まりはまだ出来てないみたいだけど。

それに、雨っていうのはある意味で都合が良い。格上に挑むのに、不確定要素は多ければ多いほど良いからね。

蒸し暑さを感じながら、ステップを踏んで僕は体を暖める。

右サイドバックでスタメンとなった僕は円陣を終えてポジションにつき、ヤマさんがミーティングで話していたゲームプランを頭のなかで繰り返す。

前半は、基本的にディフェンシブに試合に入って無失点で乗りきる。そして、後半になって相手が焦ってきたところで隙を狙ってカウンター。言ってしまえば、弱者の兵法だ。

審判が笛を吹いて試合が始まる。

相手チームのキックオフで始まると、僕の方にロングボールが飛んできた。キックオフ後のロングボールはそんなに珍しいことではないけど、今日は雨だということもあってかこういう蹴り合いが増えそうだ。

そのボールをトラップすると、プレッシャーをかけに来た相手選手が視界に入ったのですぐに蹴り返す。セーフティーなプレーをしないと、こういう日は本当に危ない。

ひょっとして、ビッチ の人かな

予想通りの大味な展開で、試合はどんどん進んでいく。お互いに中盤をほとんど省略して、前へ前へロングボール。そのこぼれ球を誰がとるか。そんな試合。

たぶん見てる人は退屈なんだろうけど、やってる方はなかなかヘビーなんだよね、こういう試合って。

内容はつまらなくても、時間は着々と流れていく。このまま前半を無失点でいけたら、僕らにも勝機はある。

僕とマッチアップすることの多かった左サイドの相手選手は、リスクを負いたくないのかなかなか勝負を仕掛けてこない。僕も人のことは言えないけどね。

実力的にキックスの中ではそんなに上手いわけではないのか、彼には一対一の局面では今のところほとんど負けていない。

試合は膠着状態に陥って、お互いにロングボールを蹴ってもシュートまでは結び付かないことが増えてきた。いいぞ、このままだ。

そんな油断が良くなかった。

ボールを受けた僕がセンターバックへ出した横パスは、試合中に出来てしまった水溜まりで止まってしまった。

それを狙っていたキックスのフォワードはボールを拾い、そのままゴールに向かってドリブルを始める。

慌てて僕もセンターバックも戻るけど、相手は独走でキーパーと一対一を迎えた。コースを狙うシュートではボールが止まる可能性を恐れたのか、飛び出しているキーパーもお構いなしに思い切り右足を振り抜かれた。

カァン! と、乾いた音が鳴って、ボールはゴールの外に弾かれた。

危ない……ゴールポストに助けられた。

「カズー! パス速度気を付けろ!」

前にポジションを取っていたヒロさんからは叫び声が聞こえてくる。僕もそれに右手を上げて了解と表した。

本当に、雨の日は何が起きるか分からない。

ほっとしたのも束の間、ゴールキックを拾ったキックスは、逆サイドから崩しにかかった。雨で止まらないように少し浮いたボールでパスを回し、スルーパスを通される。

うちのチームのセンターバックが一枚釣りだされてしまい、ゴール前にはもう一人のセンターバックと僕しかいない。相手はフォワード二人に右サイドの選手の三人。

ふわりと浮かせられたクロスは、相手チームの長身フォワードにぴったりと合っていた。

競り合いにいったセンターバックも、綺麗に点と点が線で結ばれたようなそのボールには触れることができなくて。

前半34分、キックスが先制ゴールを決めた。

その後は、勢いに乗ったキックスが試合のイニシアチブを握った。

僕たちは防戦一方になりながらも、どうにかゴール前で跳ね返し続ける。とてもじゃないが、カウンターなんて狙えそうもない。

ロングボールどころか、クリアすらままならぬまま、前半終了の笛を待つ。

くそっ、まだ鳴らないのかよ!

無失点に抑えていたからと動いていた足も、徐々に疲れを実感しつつある。サッカーはメンタルのスポーツって本当だね。

とにかく相手がボールをもったらすぐにプレッシャー、パスをされたらポジションを取り直してっていうのを繰り返し、勝ちの目なんて見えない試合は時間が流れる。

嫌な時間は永遠にも思えて、でも永遠なんてものは現実にはあり得なくて。何度目か分からないキックスのシュートが枠を外れたとき、神の笛が鳴らされて前半が終わった。

ハーフタイムのベンチでは、皆声を出す余裕もないくらい疲れている。晴れてると暑さで体力がなくなるんだけど、今回は雨のぬかるみだけでなく、精神的にもキツイ。

ヤマさんは「まだ一失点だ、いけるいける!」と根拠は無いけど前向きな声を出している。

「どうやって相手を崩すかが問題だよ」

「いや、こんなピッチじゃ崩すにも崩せないよ……パスも止まりやすくなってきたし……」

他のチームメイトもこの調子だ。八方塞がりとは認めたくないけど、現状ではどうやってて点を取りに行くかの案も出せない。

ピッチ中央付近は水溜まりが増えてきてる。サイドはともかく、真ん中の選手はパスを出すのも一苦労って感じ。

「カズ、お前の対面どうだった?」

その声をかけてきたのはヒロさんだった。

「7番っすか? いや、仕掛けてこないから何とも……でも、他の選手ほどじゃないかも」

「だよな、お前のサイドで危なくなったのは、パスが雨で止まったあのシーンだけだし……」

少し考える間をおいて、ヒロさんは全体に呼び掛けた。

「後半、右サイドを起点にしましょう。雨で真ん中は使えない。それに、カズの対面の選手は正直キックスの穴だ。狙わない手はない」

ヤマさんの方を見て、ヒロさんは「どうですか?」と確認を取る。

試合前のゲームプランが壊れた今、藁にもすがる気持ちなのだろう。ヤマさんはそれに頷き、チームメイトも同意した。

審判が選手をピッチへ呼び戻す笛が鳴り、僕たちは雨の中へ戻っていく。

この試合に勝てなければ、先はない。それなら勝つしかない。

そんなシンプルなことだけを考えて、僕はポジションへついた。今度はスタンドに近いサイドで、ベンチの選手からの声もよく聞こえる。

雨が降り続くピッチの上で、強い音が響いた。

後半が始まってしばらく経つと、僕は小さな自信を持ちつつあった。

ハーフタイムを挟んだおかげか、相手チームの勢いは落ち着いている。加えて、カズさんの「相手の7番は穴」という発言が正しかったのか、今のところ彼にボールを取られる気はしない。

ドリブルを仕掛けてないから、奪われようがないっていうのもあるけどね。こんな雨では、下手にドリブルをして奪われてしまうのは怖い。穴とはいえ、格上のチームでの話だしね。

ハーフタイムでの立て直しが利いたのか、少しずつ、僕たちも攻めの形を作れるようになった。相変わらずロングボールがメインのつまらない形ではあるけど。

少しずつ7番を押し込んで、僕が高いポジションを取れるようになってきた。悪くない流れだけど、時間を考えるとそろそろ同点にはしておきたい。

中盤を省略したロングボールをうちのセンターバックが怪って、競り合いから零れたボールをヒロさんが拾った。

今だ!

予選の最初の試合だったかな、ヒロさんがボールを持ったら前に走り出せってやつ。それを今、僕はしている。

全力で右のライン際を走り、ヒロさんからのパスを呼び込む。

低いライナーで僕の走る先へドンピシャのパスが届けられた。さすがヒロさん。

ゴール前を確認すると、7番に追い付かれる前にクロスを上げた。

後半が始まってからはずっと僕のサイド、右サイドをメインに使っていた。必然的に相手もこっちに人数を割くことになり、ゴール前にもディフェンダーは固まっている。

じゃあ、空いているのは? 簡単な問題だよね、逆にある左サイドの選手だ。

僕の蹴ったボールは人の密集していたゴール前を飛び越して、逆サイドの仲間へと届けられる。

雨の中、転がったボールは止まってしまうかもしれないけど、浮いたボールなら綺麗にミートすればそれだけで飛ぶ。

ダイレクトで合わせるのは難しいけど、彼は見事に押さえられたボレーを放った。

それは美しささえ感じられる弾道で間隙を縫い、ゴールネットへ突き刺さった。

退屈な試合展開から生まれたビューティフルゴールに、雨の中でもこんな試合を見に来るような物好きな観客たちは歓声をあげる。

今のボレーは、たぶん10回に3回成功するかどうかの偶然だ。まぁ、決まったっていうことが一番大事なんだけどさ。

喜びを爆発させるチームメイトを見ながら、僕はスタンドに設置されている時計を確認する。サッカー用のデジタル時計がない競技場だから、アナログ時計だし大体の残り時間しか分からないんだけど。

あと20分か、このまま勢いに乗れたらいける、勝てる!

そのまま目を離し、ゴールを決めた殊勲者にハイタッチで称えようと彼のところに向かおうととして、見覚えがあるものが目に入った。

あれ、あのハットって。

こんな雨の中、帽子を被っている人なんてそうそういない。

「ははっ」

何だろう、嬉しい気持ちになって、同点の喜びだけじゃなくてにやけちゃったよ。

試合が再開されると、相手の動揺は手に取るように分かった。ロングボールの精度は落ちてるし、そのこぼれ球への反応も悪い。

前半の失点後の僕たちみたいだ。一番の違いは、たぶん彼らが僕たちより格上だということ。焦りは僕たちよりかなり強いはずだ。

その一方で、うちのチームは勢いに乗っている。ハーフタイムでの作戦変更がハマったという事実も、僕たちにある種の自信を与えてくれた。

イケイケムードでシュート放ち、キックスがそれを防ぐ時間が始まった。

とはいえ、さすがはJFLのチームと言うべきか、最後の最後でしっかりと蓋をしてくる。シュートは打てても得点まではなかなか結び付かない。

延長に入れば、さすがに相手も立て直してくるだろう。そうなると、地力で勝るキックスが有利になってしまう。

かなり高いポジションを取っていた僕は、ヒロさんから横パスを受け取った。中盤の右サイドの選手は、ほとんどフォワードみたいなポジションを取っている。

目の前には7番が立つ。

今までは、僕は雨だからといって安全なプレーを心がけて仕掛けずにパスで逃げていた。

でも、ここでそれをするのが本当に賢いプレーなのか?

本能としか言えない

気づいたときには、僕は7番に向かってドリブルで勝負を仕掛けていた。

カズヤから貰ったプレゼントは、中々使うタイミングが無かった。

いや、被りたいとはいつも思ってたよ。でもさ、折角なら試合を見に行く日に使いたいじゃない。

カズヤのチームのことは、あの後インターネットでサッカー協会のホームページを見て試合結果は追っていた。次の会場とか時間も掲載されていたんだけど、お仕事が入ってなかなかい行くことは出来なかったんだけどね。

カズヤもあの日からお店に来なくなって、何かちょっと寂しさを感じていた。

その寂しさを埋めたかったのかな、アキラに会いに行っちゃったの。彼も何かイライラしてたのかな、珍しくプレゼントも持ってない私を抱いた。ホテル代は私持ちだったけどね。

良くないことだって本当に分かってるし、変わりたいって気持ちも本当だ。それでも、やっぱり変われないくらい私はクズ。

雨模様の天気と同じで、私は私に嫌気がさしていた。いつものことって言えば、いつものことなんだけどね。

でも、カズヤたちの試合結果をみていると、何だか胸が晴れるんだよね。

「あっ、また勝ってる!」「もう準決勝かー」なんてね。関係者でも何でもないのに、何でだろう。

何だかその言葉に特殊な響きを感じて、私は決勝戦の日はお休みをもらうことにした。カズヤたちが決勝に残れるかも分からないのにね。

不思議なことに、私は彼らが決勝に残ると心の底から信じていた。理由なんて分からないけど、でも、本当に。

そんな私の期待通りと言うべきか、カズヤたちは決勝まで勝ち進んだ。

それがどれくらい難しいことなのかは分からないけど、とりあえず決勝戦ってだけで何だか凄いんだろうなってことは分かる。

久しぶりに見に行けるという期待と裏腹に、雨模様の天気は続いていた。当日の朝も、天気は良くない。

こんな雨の中で帽子を下ろすのはどうかと思ったんだけど、いよいよ行けるということで、我慢できなくなってそれも頭に被っちゃった。

歩いて行くかタクシーで行くか悩んだけど、歩いてみることにした。カズヤたちは雨でも傘も ささずに走るんだし、少しくらい私も歩いておこう。

そんな風に考えた自分に自分で驚きもしたんだけどね。カズヤに会う前の私なら、「タクシーに乗るお金くらい持ってるのに、乗らないはずがない」と思っていただろう。

会場に着くと、ちょうど試合が始まる頃だったみたい。スタンドの雨が振り込まない席を見つけて、私はそこに座った。

グラウンドの上で選手が丸くなっていて、声をあげたあとに散らばっていく。カズヤはスタンドとは逆に向かっていった。

試合が始まると、ボールの蹴り合いが始まった。前の試合だったらオオタさんがドリブルをしたり、カズヤが前にいったりしてたんだけど、今日はそんなこともない。

ポーンってボールが飛んでいって、ドンってヘディングをして、そのボールを拾ったら攻められる。相手に拾われたらそれが入れ替わるって感じ。

カズヤたちのチームはどっちかって言うと攻め負けてるのかな。相手チームが長いボールを蹴る回数が多く思える。

でも、点に動きもないし、試合展開も同じことの繰り返しで退屈になりかけていた時に、カズヤのパスが水溜まりで止まった。

「危ないっ」

口にするつもりはなかったのに、いつの間にかそれは声になっていた。

幸い、相手がシュートを外してくれたけど自分が何か失敗をしてしまったかのように焦っちゃった。

オオタさんがカズヤを注意する声が聞こえてきて、私もそれに心の中で同意した。危ないよ、本当に!

追いついた
サッカーのことは分からんけど
描写が細かくていいな

ゴールキーパーの蹴ったボールは相手に拾われて、鋭いパスがカズヤとは逆サイドに蹴られた。

ゴール前の人数は相手の方が多くなっちゃって、素人目にも危ないシーンだと分かる。何か背の高い選手も多いし、ゴール前にも蹴られたら危なそう。

私の嫌な予感は当たったのか、高くてふわっとしたボールがゴール前に上がって、相手選手がヘディングするとネットが揺らされた。

あーあ、決められちゃった。

相手チームには応援団……サポーターって言うんだっけ? みたいな人たちが何人かいて、彼らは喜びの声をあげている。多くはないけど、自分のことのように盛り上がっていて、ゴールを決めた選手も彼らに向かって手を突き上げていた。

何かちょっと羨ましいなぁ、ああいうの。

カズヤたちはと言うと、すぐにポジションを取り直して試合再開に備えている。

「顔あげろ! 次だ次!」

そんなカズヤの叫び声も聞こえてきた。一点取られたくらいじゃ、もちろん諦めないよね。

追いついた
引き込まれるようにここまで読んだ

それからは相手チームがカズヤたちのゴールに迫るシーンが増えてしまって、見てる私のハラハラも同じように増していく。

いつ二点目を決められてもおかしくないってくらい、カズヤたちはシュートの雨を浴びている。それでも、最後のところで踏ん張ってボールを弾き出したり、体に当てて逸らしたり。

あんな勢いのボールが体に当たっても、すぐに立ち上がってプレーをしている。痛くないはずがないのに、何でそんなに頑張れるんだろう。

こんな雨の中、痛い思いをしてまで続けたいものなのかな、サッカーって。

……こんな日に見に来る私も、相当物好きなのかもしれないけど。

そんな突っ込みを心の中で入れていたら、ボールが外に出たところで前半が終わった。

前半を終えてベンチに向かうカズヤを眺めていると、そこにいる女の子が目に入った。マネージャーかな? そういえば、前にカズヤを迎えに来た子に似てる気がする。

それで仲良しだったんだ……へぇ、そっか。

少し胸がズキッとした。懐かしいような、でもとても辛いような痛み。いつも感じてる気もするし、久しぶりに感じた気もする。

彼女はカズヤに一言もかけずに、他の選手にタオルやドリンクの入ったボトルを配っている。不自然なくらい、カズヤを避けて。どうしたんだろ、喧嘩中?

サッカーを見に来たというのに、私はそんなどうでもいいことばりを気にしていた。ダメだ、ちょっと彼から目を離しておこう。

相手チームのサポーターも、さすがにこの時間は応援を止めるらしい。雨の中でもこんなに応援してくれる人がいるなんて、彼らは幸せ者だね。

カズヤのチームにはサポーターなんていないみたいで、相変わらず少数の関係者が小さく纏まって見ているみたいだ。

そこから外れてこんな席でこそこそ見ている私は、もしかしたら変な人に見えるのかも。

そんなことを考えているうちに、選手が出てきた。前みたいにカズヤが前に来ていることもなくて、前半と同じようなポジションについた。後半はスタンドに近いサイドだったから、カズヤのプレーが見やすそうだ。

笛が鳴って、選手は再び走り始めた。

気のせいかな、後半になってからカズヤがボールを触る回数が増えた気がする。

私が彼を見てるからかもしれないけど、前半よりカズヤからパスが出てることが多いと思うんだよね。

ドリブルをしないからボールを持ってる時間が短くて分かりづらいけど、でもカズヤを中心にチームが動いてそう。

前みたいにポジションが変わったとかじゃないから、パッと分かることじゃなかったんだけど、前半より攻められてる時間も減った気がする……というか、むしろカズヤたちが押せ押せになってる。

シュートも打てるようになったし、前半みたいに相手ばかりが攻めてる訳でもない。

カズヤを応援しながら見ている私には心地いいリズムで試合が進むようになった。負けてるんだけどね。

とはいえ相手も決勝戦まで進むチームなだけはある。シュートを打たれても、決めさせてはくれずに試合は進んでいる。

オオタさんも、今日はなかなかボールに触ることがない。水溜まりでオオタさんのあたりは蹴りづらそうだし、相手選手もオオタさんがボールが来るとすぐに邪魔しに来る。

時間が着々と進んで、試合をしているわけではない私も焦り始める。

準優勝と優勝って、何か違うのかな。……賞金? 負けて失うものが何かは分からないけど、今はとにかくカズヤたちに勝ってほしい気持ちだけで心の中でエールを送る。

そんな時、オオタさんがこぼれ球を拾った。

半端なところですが、コメントありがとうございます。

>>156
2ちゃんにSSを落とすこと自体久しぶりなので、たぶん別人だと思いますが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

頂いたレスが本当に励みになってます。
もちろん完結まで書くつもりですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

本当に、ありがとうございます。

この絶妙な軽さがいい
おつ

それに呼応して、カズヤは前に走り出す。以心伝心ってこういうことなのかな、寸分の狂いもないパスがカズヤの足元に送られた。

相手の7番を簡単に振り切ったカズヤは、ボールを中に向かって蹴りあげた。それは弧を描きながら完全に空いてた選手に届けられて、カズヤのパスをそのまま叩いたボールはゴールに突き刺さった。

あまりに華麗なゴールに相手チームのサポーターは呆然としていて、それ以外の人たちは歓声をあげている。私から見ても、あのゴールはすごいって分かる。

ゴールを決めた喜びを爆発させる選手が走り回る中、カズヤはスタンドをじっと見ていた。どうしたんだろう。ああ、時計を見てるのかな。

残り時間はまだある。このままなら、カズヤたちの逆転だってできそうな気がする。頑張れ。

心の中でそう唱えたとき、カズヤがこちらを見てふっと笑った気がした。……気がした、それだけ。

同点になると、それまで以上にカズヤたちのチームは攻勢に出た。目に見えない流れっていうものがあるのなら、今、彼らはそれに乗っている。

シュートを打って、跳ね返されたボールを拾ってまたシュート。前半とは立場が逆になったように、弾丸の雨を浴びさせる。

でも、それはどうしてもゴールまでは辿り着けなくて。やっぱり前半みたいに、相手チームも踏ん張りを見せてくる。

後半終了まで点が入らなかったら引き分け? それとも延長とかあるのかな。決勝だから、白黒つけないわけにはいかないよね。

シュートを打っても入らないストレスは、私に無力さを痛感させる。あとちょっとなのに、そのちょっとをどうにかする力が私にはない。

残り時間が5分くらいになった時、カズヤがパスを受けた。いつもはそこからすぐにゴール前に浮いたパスを入れているのに、今回は何だか雰囲気が違う。

中に向かってドリブルを始めようとして、相手の7番も少し遅れてそれについてくる。この試合で初めてのドリブルは7番にも予想外だったのか、対応がぎこちない。

中央は水溜まりで蹴りづらそうなのに、何であっちに向かって、ドリブルで勝負をしかけるの?

私のその疑問を嘲笑うように、カズヤは右足の外側の面ででボールを軽く触って今度は外に逃げる。

上手いっ!

雨で滑るグラウンドで、急な切り返しに対応出来なかった7番はカズヤを見送るだけ。

右サイドはまだどうにかドリブルはできそうな状態で、彼はそのまま深く、深く突き進んでいく。雨の中に吹く風みたいに、その姿は力強く見える。

我慢できなくなったのか、ゴール前を固めていたディフェンダーがカズヤに向かって走り出した。

それを視界に入れると、カズヤは同点弾のふんわりしたボールとは真逆の、ゴロではないけど低くて速いパスをゴール前に向かって思いきり蹴った。

それはゴール前でワンバウンドすると、濡れた芝に触れたからかな、つるっと滑って速度が変わった。

ごちゃごちゃになったゴール前で、その変化は対応しづらかったみたいだ。

守るために人数をかけていたゴール前で、相手チームの選手の足に当たったそれはゴールに向かっていく。

キーパーも、味方に当たったボールは予想外みたいで対応が遅れた。

決してカッコいいシュートではなかった。というか、シュートですらないんだろうけど。

カズヤのゴール前に蹴ったボールは、ネットを弱く、それでも確実に揺らした。

「やったぁ!」

気づいた時には立ち上がって、私は大きな声をあげていた。黙りになっちゃった相手チームのサポーターとは正反対にね。

何だろ、今までならこんな風に喜ぶことなんてなかった。ゴールが決まったからといって私が何かあるわけではない。でもそんなことなんて関係なく、私は喜んでいる。

芝の上ではカズヤがチームメイトに囲まれて、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

何で彼は、あんなに急にドリブルを始めたんだろう。

それまではすぐにパスをして、自分で勝負を仕掛けることなんてなかった。なのに、さっきはいきなり挑んで、そして結果に結びつけた。

そこに何かの意図があったのか、たまたまやってみてたまたま上手くいったのかは、私には分からない。

でも、勝負を仕掛けなければ今の喜びはなかったわけで。

胸の底から、いつかもあった熱を感じてる。それは前よりも強くて、そして私にある種の衝動を焚き付ける。

勝負をしなければ状況を変えることはできない。当たり前のことを、今更教えられた気がする。

変わりたいけど変われないっていうのは、私が勝負を仕掛けていないからなのかな。寂しいからアキラと寝るとか、貢ぐとか。それは結局現状維持でしかなくて、行動としては何も変えることはできてない。

特別なことは何もない、アマチュアサッカーのただの1プレー。

それが私に与えた衝動は、計り知れない。

変わるためには、私が動かないといけない。きっかけを待ってるのじゃダメなんだ。

立ち上がったまま、呆けてそんなことを考えていると、周囲の視線を感じて慌てて座る。

そういえば大きい声も出しちゃったんだ、恥ずかしい。

グラウンドに視線を戻せば、カズヤたちも試合再開のためにポジションにつこうとしているところだった。

彼がこっちを見てる気がするのは自意識過剰なのかな。彼は私の方を見たまま自分の頭のあたりを指差して、そのまま右手を突き上げた。

……あっ、帽子? じゃあ、あれは私に?

恥ずかしさなのか何なのか、私は顔が赤くなるのを感じる。でも何だか、嫌じゃない。

試合が再開するけど残り時間はあと僅か。チームの勢いも、得点数も、カズヤたちは相手を圧倒していて。

数分の後、彼らの優勝を伝える笛が響いた。

カズヤたちは喜びのあまりに雨の中を走り回り、相手チームは項垂れたり、グラウンドに倒れてしまったり。

こんなに喜んだり悔しがったりできるほど夢中になれるものがあるのって、何だか羨ましいな。

彼らがサッカーをする理由、好きな理由なんて私には分からない。

でも、少なくとも「これが好き!」と言えるものが思い当たらない私には、彼らはとても輝いて見えた。

服とかカフェとかは好きなんだけど、それも流行りに乗っかっているだけだし。流行りが変われば、私はそれまでに好きだと思っていたものへの興味も無くしてしまう。

彼らのそれは何だかそういう好きとは別次元のものに思えて、自分を恥じそうにすらなる。

好きなものって、どうしたらできるんだろ。

選手たちはぐちゃぐちゃのグラウンドで整列をして、スタンドに向かって礼をした。その直後、ベンチに座っていたカズヤのチームメイトたちも走ってその列に向かっていく。

歓喜の輪が再び作られて、みんな抱き合って喜んでいる。スタンドにいる人たちも、拍手で彼らを称える。もちろん私も。

しばらくして、カズヤはその輪から外れて小走りでスタンドに近づいてきた。

関係者っぽい人たちは「カズー、最高ー!」「カズくんかっこよかったよー!」なんて叫んでいる。今日の主役は間違いなく彼だったし、当然だよね。

彼らに「ありがとうございます! 本戦も応援お願いします!」って返事をしながら、カズヤはこちらに向かってくる。本戦……って何だろう。

私は傘を開いてスタンドの最前列へ向かう。カズヤも私の方を見上げていて、目があった。

「帽子、被ってくれたんだ」

二点目が決まった直後みたいに頭を指しながら、彼は言った。私は頷いて、大きな声で返す。

「かっこよかった! 優勝おめでとう!」

その言葉を耳にすると、カズヤは少し恥ずかしそうに俯いて、ありがとうと返事をくれた。

何かお互いに恥ずかしくなって、少し沈黙が起きてたら、カズヤを呼ぶ声が聞こえた。あ、オオタさんだ。

「ちょっと待って、時間あるなら待っててくれたら、後でそっちに行く!」

その言葉を残して、カズヤはオオタさんに向かっていった。

二人は仲良さそうに話しながらベンチに向かう……と思ったら、オオタさんが振り替えってこちらに手を振ってきた。私が小さく振り替えしてみると、カズヤが彼を肘で軽く小突いて笑いながら再びあちらに進んでいく。

仲良いなぁ、本当に兄弟みたい。でも、あの様子なら元カノの件で気まずいとかじゃないみたい。良かった。

その奥から、表情はよく見えないけどマネージャーの女の子がこちらを見ているから、ペコリと頭を下げてみた。

反応は無かったから、私を見てるわけじゃないのかもしれないけどね。

後で来るって言葉を信じて私は再び雨の振り込まない席に戻ったんだけど、カズヤのチームの関係者っぽい人からすごい話しかけられちゃった。

「カズくんとはどんな関係なんですか?」

「彼女?」

「サッカー好きなの?」

大体は、そんな感じで。

どんな関係かって聞かれたら、返事に困っちゃうよね。風俗嬢とお客さん……今となっては、そんな関係では無い気がする。友達? それも何だか違うよね。

「ちょっとした知り合いです」としか、私には言えなかった。その言葉に自分でちょっと傷ついたんだけどね。

サッカーが好きかと聞かれたら、それも少し返事に困る。カズヤの応援は楽しかったけど、それ以外の試合を見たこともない私にしてみれば、サッカーが好きなのかどうかもよく分からないし。

何だか中途半端に色々とぼかした返事しかできない私を、彼らは暖かい目で見てる。どうしたんだろう、一体。

ベンチでは引き上げる準備が始まっていて、私に話しかけていた人たちも、彼らに会いに行く準備を始めた。

「待つんじゃなくて、カズくんのとこまで行きなよー」

そんな風に勧められもしたんだけど、さすがに私がカズヤに声をかけに行くのは何だか図々しい気がした。

どうしようかな、でもあの言葉が本当なら出向かせるのも悪いよね……うーん。

そんな風に悩んでいると、ユニホームからジャージ姿になったカズヤが階段から現
れた。

「お早い到着で」

「カズー、色気づいてんじゃねぇぞー」

そんな風に茶化しながら、関係者の人たちはカズヤとは入れ替わりで階段を下りていく。

カズヤはカズヤで顔を赤くして「そんなのじゃないっすから!」なんて返事をしてる。そっか、そんなのじゃないよね。

試合に負けた相手の応援団は早々に帰り支度をして出ていってたし、スタンドには私たちしかいない。何か、少し緊張する。

何て言おう、何を伝えよう。

感動した? おめでとう? かっこよかった?

言葉を探して黙ってしまった私に、彼は言葉を投げかけた。

「ありがとう」

「えっ?」

何が? と言葉を続けると、彼は笑って返事をした。

「いや、見に来てくれて。試合中に気づいてさ、嬉しかったよ、本当に」

「あ、もしかして同点に追い付いた時?」

「そうそう、時計見ようと思ったらさ、こんな雨なのにハット被ってると思って」

思い出し笑いみたいに笑うカズヤに、私は不機嫌な顔を作って反論する。

「だって、せっかくプレゼントしてくれたんだから被りたかったもん。試合見に行くまで我慢しようと思って、やっと来れたから」

その後、ふざけ半分で「似合う?」と帽子の鍔を手にして見せた。

「うん、似合う似合う」

「何それ、適当じゃない? 」

本当にー、と彼は必死に弁明するから何だか可愛く思えて、ついからかいたくなっちゃった。

「本当に似合う? 可愛い?」

首を上下に動かす彼を見て、言葉を続けた。

「じゃあ、元カノと私はどっちが可愛い?」

「そんなのゆうちゃんに決まってるじゃん」

「えっ」

どうせカズヤは焦ってしどろもどろになると思い、「冗談だよー」なんて誤魔化すつもりだった私は、その不意打ちの言葉に反応できなかった。

顔を赤くして、「そっか……あ、ありがとう」なんて返事をするのが精一杯で、逆に私が恥ずかしくなった。でも、嬉しいのは隠せなくて、つい笑みがこぼれちゃいそう。

気まずくはない沈黙が流れているとき、階段から足音が聞こえてきた。そちらを見ると、マネージャーらしき彼女。

「いい加減にしなさいよ!」

そう叫ぶと、彼女は私のもとにむかって走ってきて。

「人の彼氏とヤっといて、カズくんまで手を出そうとしてんじゃないわよ!」

その言葉が聞こえた瞬間、私の左頬は彼女の右手に弾かれていた。

あーやっぱこうなるのね

>>ミユ
  _, ,_  パーン
 ( ‘д‘)
  ⊂彡☆))Д´) >>ゆうちゃん

いいぞ

私の彼氏は女癖が悪いって有名だった。

でも、顔も良いし友達としては悪い人じゃなかったし、付き合おうと言われたときも断る理由は見つからなかった。

でも、楽しい時間はすぐに終わる。

浮気されるのって本当に辛かった。私に魅力がないって言われているようなものだもん。

最初の浮気は許したくはなくても、特に指摘はできなかった。

そういう可能性があることを考えての付き合いだったし、カズくんに話を聞いてもらえたから少しは楽になれた。

でも、だからといって何かが解決したわけではない。

それはあくまで私が傷つくきっかけであっただけで、悪夢はそれからも続いた。

彼から漂う女の香りに、私は悪酔いしていた。

最初は嫌な気持ちだったのに、徐々にそれにはなれていって、むしろ『彼氏に浮気されて可哀想な私』であることに心地よさすら感じつつあった。

カズくんだって、微妙に気を使ってくれるし。

その優しさに甘えちゃった私は、彼に依存していく。

たまにいるでしょ、彼氏がいるくせに男友達といつも一緒にいるような子。あんな子達の気持ちが、今の私にはよく分かる。

彼氏には認められなくても、カズくんは私のことを認めてはくれなくても否定もしない。それはぬるま湯みたいなものなんだけど、だからこそ抜け出ることもできない。

彼氏からも抜けられず、カズくんからも抜けられず。

気持ちの悪い湯加減に、私は中毒のように沈んでいく。

天皇杯予選が近づくと、チームの練習日も増えたりして彼氏と会う日が減って、逆にカズくんに会う日も増えた。

そうなると、私はどんどんカズくんへの異存が増していって、逆に彼氏も他の女と遊びに耽る。そしてそれに対する苛立ちで、カズくんへの異存が更に強くなる。悪循環ってこういうことなのかな。

カズくんって優しいから、多少鬱陶しくても本気で拒否してこないしね。だからこそぬるま湯なんだけど、それにつけこんで私はどんどん彼と一緒にいる時間が増えていく。

まるで、私がカズくんの彼女だと勘違いしそうなほど。

そんな勘違いをしかけていた頃。天皇杯の初戦勝利を告げる笛が鳴り、スタンドを振り返った私は見覚えのある顔を見た気がした。

それは何だか嫌なところで見た気がして、確信は持てないけど、彼氏がホテルから出てきた時に見た顔だとしか思えなくなってしまった。

そして、試合後に半行方不明になったカズくんを探しに行ったときに、私は彼女を見た。サッカーの試合会場にいるには少しお洒落しすぎな格好に見えたし、彼女はここにいるには不自然な気がしてしまった。


投下される時間がある程度決まってると嬉しいわ

会釈をして私とすれ違う彼女からは、腹立たしいくらいに余裕を感じる。

ベンチから遠目で見た感じと少し印象が違うけど、彼女がカズくんのことを意識してるのはすぐに分かった。

そして、それから私はカズくんへの依存が強まっていく。

私のものではないのに、奪われるって思っちゃったんだよね。彼氏ではないけど、もはやカズくんは私にはいなければ困る存在だったもの。

嫉妬なのか、それとも別の感情なのか分からないけど、彼女にカズくんを譲りたくなかった。

カズくんまでいなくなったら、私は誰に頼って良いのか分からないから。

練習が終わるといつも何かに誘ったし、ヒロ兄が彼女候補と予定がある日でも私はカズくんと一緒にご飯にいったり、遊びに行ったりした。

カズくんも家に行きたいって要望以外は大体叶えてくれたしね。

辛いときは優しくしてくれて、気も使ってくれて。酷い言い方かもしれないけど、彼は私にとって本当に都合が良かった。

カズくんの存在で、私は心の安寧を得ていたのに、私はまたも見たくもない光景を目にする。

彼がホテルから出てきた時に連れていた女は、カズくんと仲睦まじく話していたあの女だった。

練習場と駅の間にホテル街があるせいで、私は偶然にも傷つけられてしまった。

そっか、彼は性欲が満たされるなら、私以外の女とも平気で寝るんだよね。それで私が傷つけられるなんて、お構いなしに。

そっか、それなら私も同じことをしてやろう。

他の男と寝る痛みを彼氏に、好きな相手を他の人に奪われる痛みをあの女に教えてやろう。

屑しかいねえ…けどなんか引き込まれるんだよなぁ…
一旦乙

乙!サッカー描写をもっと細かくすると野沢尚の龍時並みに面白くなるね

それまでは心地いい逃げ道だったカズくんを狙うのは、自分で自分の首を絞めるようなものだった。

でも、それをしないことには私の復讐は達成できない。

自分が苦しんででも、私が感じた辛さを二人にも感じさせたかったの。歪んでるよね。

私がそんな風に苦しむ決心をしていても、カズくんは中々私を受け入れてくれなかった。遊んではくれるけど、そういう空気にはならないし、手を出そうともしてこない。

あの女より魅力が無いから、カズくんは私に何もしてこないのかな。

そのコンプレックスは焦りへと変わり、あの雨の日へと繋がる。

カズくんは頑なに「彼女じゃない」とは言ってるけど、お互いがお互いに気にかけているのは外から見ているとすぐに分かる。

このままだと私は逃げ場を失うどころか、カズくんにまで否定されてしまう。

何よりもそれを怖がった私は、大雨という幸運の手助けを口実にホテルへ誘った。

あんなに直接誘うつもりはなかったのに。

私のワガママな誘いに彼が乗るはずもなくて、そんなの心のどこかで分かっていたはずなのに落ち込んじゃって、逆ギレして捨て台詞を残して。

幻滅されちゃったよね。

カズくんが、彼氏みたいに性欲を満たすために誰とでも寝るような男だったらよかったのに。それなら、私の復讐はあっさり叶えられたのに。

カズくんを使って復讐しようとしてる私が悪いっていうのは分かってる。でも、カズくんに八つ当たりみたいな怒りを持たないことには、私は耐えられそうになかった。

悪いのは私じゃなくて、誘いに乗ってこない意気地無しのカズくん。あの女と付き合ってるわけじゃなかったら、私に手を出しても何の問題もないじゃない。

私はカズくんに逃げることすらできなくなって、更に復讐にも失敗しちゃった。

それからはずっとカズくんとは会話も出来ないし、彼氏にも会う回数は減っていった。最近はイライラしてるみたいで、会ったら喧嘩しちゃいそうな気がするし都合が良いって言えば都合がいいのかな。

イライラとモヤモヤが重なりに重なって、天皇杯予選の決勝を迎えた。

感情としてはそんなのでも、試合は試合だ。

ヒロ兄の美人な彼女候補は、今日は来ないらしい。雨だしね、いつもいつも来るわけにはいかないだろう。

彼女を初めて見た時は、あんまり美人なものだから芸能人かモデルかと思った。何か見覚えあるなーって気がして見てると、売れてる女優に似てるのかなって。腐っても元Jリーガーのブランドは強いんだろうね、あんな美人を捕まえるなんて。

彼女が来ないからってヒロ兄のモチベーションが低いわけでもなく、カズくんもあの雨で風邪をひくことなくスタメンとして普通にプレーをしていて安心した。

自意識過剰かもしれないけど、私があんなことを言っちゃったせいでメンタルに変な影響を与えてしまってるんじゃないかって気になってたから。

格上の相手に善戦をしている。

当初のゲームプランとは違うけど、あれだけ攻められた前半を一失点で乗りきったのは大きい。

ハーフタイムを迎えると、私は選手に声をかけながら給水ボトルやタオルを配る。カズくんにも渡そうと思ったけど、ベンチにいた控えの選手が渡してしまってたし、渡すものもないのに声をかけられるような雰囲気でもなくなってる私は、黙って彼を見ていた。

勝利には得点が必要だけど、点をとるための手段が見つからない。皆が悩んでいるなか、ヒロ兄はカズくんを起点にしようと提案した。

ヒロ兄、本当にカズくんのことを買っている。家でもよく「あいつはあの自己評価の低ささえ無くなればもっと良い選手になれるのに」って言ってるし。「今はまだ俺より下手かもしれないけど、そのうち絶対俺より良い選手になれるよ」とも。

ヒロ兄だけじゃない、チームメイトもカズくんのことを評価している。だからこそ予選初戦で急なフォワードへのポジションチェンジや、今日の戦術だって反論しないわけだし。

いじられキャラなのは、愛されてるからなのかな。

とにかく、カズくんは後半からは試合の主役に決まった。

そして、彼はその期待に応える。まるでヒーローみたいに。

一点目はカズくん以上にシュートを決めた人が目立つスーパーゴールだったけど、二点目は圧巻だった。

あのシーンでのドリブルを読める人はそうそういない。カズくんはそれまでドリブルを封印していたし、こんな雨の日に勝負を仕掛けられるのはよっぽどのテクニシャンだけだ。

カズくんもテクニックはある方だし普通にドリブルしてもいいはずなんだけど、怯えるようにパス、パスの選択だった。それがヒロ兄も言ってた自己評価の低さでもあるんだろうけど。「自分がドリブルしても取られちゃう」ってね。

だから、あのシーンでカズくんがドリブルを仕掛けたのは意外だった。何であそこで勝負したのか分からないけど、でもそれは結果に繋がった。

汚いゴールだったけど、価千金だ。

喜びの輪は崩れていき、カズくんはスタンドに向かって拳を突き上げた。珍しい、いつもはハイタッチとかハグはしても、スタンドの観客へパフォーマンスをすることは滅多にない。

決勝の価値あるゴールだから、テンションが上がってるのかな。

それが私の勘違いだと知ったのは、試合を終えた後だった。

チームメイトと喜ぶのもそこそこに、彼はスタンドに向かっていく。

それを目で追いかけると、奥にはこんな雨の日に麦わら帽子を被った女が見えた。

雨で視界はよくないけど、あの女だってすぐに分かった。

大きな声で会話をしてるから、こっちまで内容がきこえてくる。聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなやり取り。なのに、少し羨ましいとすら感じちゃう。

私はあんたのせいでこんなに傷ついているのに、何でそんなにカズくんと仲良く楽しそうなの。

ズルいよ、何で、私だけが傷つくの、ねぇ、何で?

ヒロ兄がカズくんを呼びに行くと、彼は後でスタンドに行くと告げていた。

あんな女の幸せなんて、私が崩してやる。

彼女の頬を叩いた私は、そのまま勢いで彼女を罵倒する。

「そんなに人の男とヤるのが楽しい? ねえ、私の彼氏じゃ満足できないからカズくんにも? 答えなさいよ!」

そのままもう一度手を振り上げた時に、困惑した顔のカズくんが私の手を止めた。

「な、何か分からないけどさ、落ち着けよ」

彼の言葉は私という火に油を注ぐようなもので、私は流れで彼に向かって叫ぶ。

「カズくんもカズくんだよ! こんなビッチにデレデレしちゃって! カズくんだって、飽きられたら捨てられちゃうんだよ!」

何の考えも無しに言葉は流れていく。

そして言葉と一緒に、目からは涙が流れていく。

「ズルいよ、私だって幸せになりたいよ!」

どうしようもなく惨めさを感じた私は、その言葉だけ残すとカズくんの腕を振り払い、走って逃げ出した。

これでもう、本当に逃げられるところなんて無くなったのに。

言葉の意味を理解するまで、私は身動きがとれなかった。

状況が状況過ぎて、私は何も分からないまま目の前から聞こえる言葉を拾っていく。

カズヤは戸惑った声色で彼女を制しているみたいだけど、それも振りきって叫んだ彼女はそのまま走って私の前から消えた。

彼氏と寝た? えっ?

それってつまり、あの女の子がアキラの彼女ってこと?

そういうこととしか思えないけど、それにしてもそれにしてもだ。カズヤの件といい、世間って狭すぎる。

「だ、大丈夫……?」

相変わらず戸惑ったままのカズヤは私に声をかけてきた。大丈夫……ではない、たぶん。

「えっと……」

お互いに何て言って良いのか分からなくて、さっきとは違う気まずい沈黙。

「とりあえず……帰るね……」

それが今の最善策としか思えなかった。私も混乱しているのに、彼に話せることなんて何もない。

「気を付けて」と、彼は言った。

もう既に痛い目にあったのに、何に気を付ければ良いんだろう。


複雑だな

あと一応メ欄にsaga入れた方がいいと思う

家に帰りついた私は、濡れた体をシャワーで暖める。

あの子がアキラの彼女?

その疑問だけが頭の中をぐるぐると回る。アキラって、特定の女を作るような人だったんだ。それでも私を抱くあたり彼もクズだよね……類は友を呼ぶって言うけど、私と似た者同士ってことかな。

頬の痛みはもうないけど、胸の痛みは取れなかった。でもそれは、アキラや彼女に対する怨みのせいじゃなくて。

きっとカズヤに幻滅されたであろうという現実が、私には辛かった。

夢も情熱もなくて、だらだらと風俗を続けて、ホストに貢いで人の彼氏と寝るような私。

現実に引き戻された気がする。私と彼は、生きる世界が違うという現実に。

>>199
ありがとうございます!
龍時は影響を受けた本のうちの一冊なので、レスを見たときめちゃくちゃ嬉しかったです。

>>210
ご指摘ありがとうございます。
気を付けようと思いながら、ほぼ毎回sage忘れてました……!
今後、気を付けます。

sageじゃなくてsaga!
必要ないかもだけど反応するワードが出たときに雰囲気崩れる

試合中にあんなことをしてくれたり、話しかけに来てくれたりで勘違いをしていたけど、彼と私の間には壁がある。

スタンドとグラウンドを分ける柵なんてものじゃない。私が立ってる暗い場所からは、彼のいる明るい場所へは辿り着ける気もしない。

勝手に私が仲良くなった気がして、勝手に私が落ち込んでる。別に、私とカズヤが親くなったわけでもないのに。

変わりたい、変わらなきゃって思いだけでは変われなくて、そのタイミングを私は逃してしまった。

だから、クズのままでいる私に神様が罰を与えたのかな。

シャワーで体は流せても、私の罪は洗うことができない。これからどうしようかということすら決められず、私は声もあげずに涙を流した。

>>213
sagaっていうのが何か分かってなかったんですが、これで大丈夫ですか?
お早いご指摘ありがとうございます。

プロをクビになってから、ここまで本気でサッカーを続けるとは思ってなかった。

県リーグなんかJFLですらないし、今までみたいにお金をもらえるわけでもない。

ただ、クビになったからといってそのままサッカー自体を止める踏ん切りもつかなくて、遊び感覚で入ったつもりだったんだ。

そんなところに、カズはいた。

特別、上手い訳じゃなかった。経歴を聞いても全国的には名もない地方の高校でサッカーをしていたらしいし。中学時代に県トレに入り、高校では県ベスト8。

乙?

昔の俺に比べたら、何てことはないキャリアだ。俺は、あの頃のカズの歳では一応Jリーガーだったしね。

ただサッカーをしたいだけ、友達が作りたいだけなら大学でやれば良いのに。こんな社会人チームをわざわざ選ぶなんて物好きだな。

それがカズへの第一印象だった。

プロをクビになって、夢もモチベーションも無くしていた俺はチーム加入当初は適当にプレーをしていた。

このレベルだったら、半分トラウマになっていた後ろからのプレッシャーがあっても簡単にかわすことができるしね。

手を抜いてるわけじゃないけど、情熱を捧げてもいない。

そんな俺なのに、カズは犬のようになついてきた。

練習が終わるといつも近づいてきてアドバイスを求められたり、ご飯行きましょうってさそわれたり。

最初は俺の「元Jリーガー」って肩書きに寄ってくるミーハーな奴かと思ったんだけど、それは自意識過剰な勘違いだった。

加入して一ヶ月くらいでやっと気づいたんだけど、あいつってマジでサッカーが好きなんだよ。

だから、自分よりサッカーが上手い俺の話を訊いたり一緒にサッカーをするのが楽しかったみたいなんだ。

それは俺がいつの間にか忘れていた「サッカーは楽しいんだ」って気持ちを呼び起こしてくれた。

プロはもちろんだけど、高校も全国区の強豪に所属していた俺にとっては、サッカーはしばらくは辛いもの、苦しみながらやるものだった。

自分が出た試合でミスをして負けると、ポジションは奪われてるかもしれない。クビになってしまうかもしれない。

楽しさ以上にその恐怖が強くなってしまって、はっきりとしたタイミングは分からなくても俺はサッカーを楽しめなくなっていた。

sageも入れるならsage sagaってスペース空ければ両方入る

練習をするのは、楽しいからでも上手くなりたいからでもなくて怒られたくないから。

勝ちたいのは、それが嬉しいからじゃなくて居場所を無くしたくないから。

俺も周りにいたヤツらも、それが普通だったんだ。

だからこそ、カズみたいなやつは新鮮だった。

好きだから練習をする、好きだから上手くなりたい。何てシンプルな答なんだと思うけど、それに気がつけるやつって実は少ない。

そしめ、あいつの情熱は人を巻き込む。

俺だけじゃない。チームメイトの話を聞いても「カズみたいな若いヤツには負けてられない」「カズにばかり良い顔はさせてられない」と、何かを口にしなくても周りはあいつに負けじと前に進もうとする。

カズは自主練に付き合ったりするといつも「ヒロさん、ありがとうございます」って言ってくるんだけど、感謝したいのは俺の方だよ。

サッカーって、楽しいもんな。

サッカーの楽しさを思い出させてくれたカズに恩返しをしたくて、少しでも長く練習に付き合った。

技術だけじゃない、飯を食いながら戦術の話をしたり、プロ時代の話をしてやったり。

カズはそれを目を輝かせながらうんうん頷いて聞いて、そしてどんどん上手くなっていった。

県トレに入れてたんだから基礎技術がなかったわけでもないし、試合中の状況判断や戦術適応力が上がったあいつはビックリするくらいサッカー選手として伸びた。

後で聞いたんだけど、あいつの高校って顧問の先生も未経験者の素人で、自分達で戦術を練ったり練習メニューを作っていたらしい。それでベスト8までいけるくらいなんだから、少し教えただけで成長するはずだよ。

そんなカズが、浮かない顔で練習に来る時期がしばらく続いた。

いつもバカみたいにニコニコしながらボールを蹴ってたくせに、何だか落ち着かない顔だし、自主練もせずにコソコソ帰っていく。

どうしたのか心配だったけど、カズは大学生だ。俺は高卒でプロ入りしたから大学生がどんな風に生きてるのか知らないし、きっと俺の分からない何かがあるんだろう。

相談されたら聞いてやろうと思っていたら、その直後に体調を壊してしばらく練習を休みやがった。そっか、浮かない顔だったのは体調が悪かったからなのか。

復帰してからもしばらくはキレが悪かったみたいだけど、前に比べると表情も明るくなっていた。

うん、もう心配はないかな。

そんな時、テレビのニュースでシンヤの代表入りを俺は知る。

ちっちゃい男だよな、そんなことで落ち込むなんて。『代表入りおめでとう。頑張れよ』ってメールも打つだけ打って送信はできなかった。

悪いことは続くもので、その直後には彼女にフラれた。

この一年、慣れない仕事に一生懸命だったから遊ぶ時間もろくになかったしな。それを止めることはできなかったけど、でもやっぱり辛いものは辛い。

色々苦しくて、ついカズに頼っちゃったよ。あいつも何て言って良いか分からなかったみたいだけど、聞いてくれただけで少しは楽になれた。

とはいえ、根本的な解決にはなっていない。彼女にはフラれたままだし、シンヤへのコンプレックスみたいなものは俺を縛っている。

そんな時、気分転換にと職場の同僚が合コンに誘ってくれた。そこで出会ったのがサキちゃんだった。

いいねぇ、こうゆう深い話
大好き

最近売れてる女優に少し似てる彼女は「最近彼氏と別れて寂しいんです」と言った。それが親近感をつくったのかな、彼女と俺は仲良くなっていた。

彼女の元彼もしていたらしく、ちょっとサッカーに興味があったらしい。プロだった頃の話をすると楽しそうに話を聞いてくれた。

「サッカーやってるとこ見てみたいなぁ」

その言葉に、今も社会人リーグで続けていることを話すと、いつか試合を見に来てくれるってさ。連絡先を交換して、その合コンからもやり取りは続けていた。

そして天皇杯予選の初戦、彼女はとうとう試合を見に来てくれることになった。当然、それだけ俺のモチベーションも上がる。

浮かれた気持ちでカズにもその話をすると、なぜかあいつまで嬉しそうだった。自分のことでもないのに変なやつだよな。でも、それがカズの良いところでもあるか。

予選の初戦を迎えた。

彼女からはメールで「用事があるから到着が遅れちゃう、ごめんね」って連絡が来てた。着いた時に負けてたらカッコ悪いよな。

カズにはお気楽に「もう来てるんですか?」なんてお気楽に声をかけられちゃったよ。注意はしておいたけど、これくらいリラックスできてるなら緊張は心配無さそうだな。

同じ県リーグの相手とはいえ下位にいる相手だからそこまで苦戦はしないと思っていたのに、最後の最後でゴールを決められないまま試合は進んでいく。

こういう試合って、攻めてる方がキツいんだよ。体力的にじゃなくて、精神的にだけどさ。

前半だけで大量得点をしていてもおかしくないくらい圧倒していたのに、スコアは動いていない。

何かを変えなければ、状況は変わらないように思えた。

面白くて最初から一気に読んでしまた
つづき頑張って下さい

何を変えれば好転するのか。

試合の大まかな流れ自体は悪くない、ただ最後のシュートが入らないだけ。こういうのって、実力だけじゃなくて運とか雰囲気とか、そういうのもあるんだよ。良い感じなのに何かダメ、みたいなことってサッカー以外にもあるよな。

そういうものを引き寄せられるやつって、何かを持ってるヤツなんだ。これは俺の経験則なんだけど、ただ上手いだけのヤツじゃなくて、『持ってる』ヤツじゃないと、こういう停滞した雰囲気は壊せない。

そんなの、うちのチームではあいつしかいない。

「カズのポジションを上げましょうよ」

その言葉は、俺からしてみれば当然の答だった。

カズはフォワードを経験したことがないみたいだけど、この一年で戦術理解度もかなり上がった。全く出来ないということはないはずだ。

それならば、あいつの持ってるものに賭けてみよう。

同じサッカー選手として認めるのは悔しいけど、うちはカズのチームだ。

まだ実力的には負けてるとは思ってない。でも、たぶんチームメイト全員がカズのことを何かしらで認めている。

サッカーに対する情熱であったり、能力のノビ方だってそうだ。この成長速度だったら、もしかしたらそのうち俺なんか相手にならないくらい上手くなるかもしれない。

そんなあいつがゴールに近づけば、きっと何かが起きる。あいつが起こせなくても周りがどうにかしてやれる。

そんな風に俺に思わせるのも、アイツの才能の一つかも。本当に不思議なやつだよ。

自信無さげに返事をして、ピッチに向かうカズに声をかけた。

相変わらず自信無さげだよ。一年でサッカーは上手くなっても、そういうところはまだまだだな。

こいつは俺を信用してくれてるみたいだし、少しでも自信を持たせてやろうと思って柄にもなく「絶対届けてやる」なんて言っちゃったよ。

了解っすとは言われたけど、大丈夫か、本当に?

とはいえ、もう後半開始の時間だ。あとはプレーで自信を持たせてやるしかない。

試合展開は前半同様にうちが攻め続けて、相手が防いでの繰り返しだ。

決定的に違うのは、カズが体力配分も無視して前線からプレッシャーをかけていることだ。元々ディフェンダーだから守備に手を抜けないのか、追い付けそうにない相手にまで全力でプレッシャーをかけている。

そのおかげで相手のロングボールやクリアの精度は前半よりかなり落ちて、結果としてそのボールをうちのチームが拾う回数も増えた。意味のないように見えるカズの頑張りは、そういうわかりづらくも明確な結果に繋がっている。

とはいえ、カズに与えられた時間はたったの15分だ。そろそろ決めないと、あいつは交代させられてしまう。

カズが全力で相手選手にプレッシャーをかけ、その勢いにビビったのか蹴られたボールはうちのキーパーまで送り届けられた。

このボールを、アイツまで届けてやる。

ディフェンダーからボランチにパスが渡った時、すっと引き気味に動いた。

前半から点が入らないフラストレーションで前へ前へとポジションを取っていた俺のその動きに、マークについてた相手選手の対応が遅れた。

ジダンの得意技だったマルセイユルーレットのようにパスをトラップし、一発で前を向く。相手選手がプレッシャーをかけに来てるけど、それと同時にディフェンスラインの裏へ走り込むカズが目に入った。

言ったこと、ちゃんと分かってるじゃん。

カズの走る先を目掛けて、俺は足を振り抜いた。しまった、ミートポイントがずれて思ったより強い球足になったかもしれない。ディフェンダーを気にして焦ったか。

ミスパスになりそうなそのボールを、俺自身諦めていた。

でも、カズは愚直に追いかけている。間に合いそうにないパスに向かっている。

『俺が届けてやる』

後半に向かう前、カズに言った言葉が頭に浮かんできた。

俺が届けられなかったパスを、あいつが届けさせてくれるかもしれない。受け取りに行ってくれるかもしれない。

それは衝動となって、俺の足を前へ運んだ。

確信は持てない。でも、あいつはきっと俺のパスを受け取ってくれる。

引き気味のポジションからロングボールを出したせいで、カズとの距離はかなりある。

短距離走みたいに全力で相手のゴール前に向かって走ると、カズも俺以上の懸命さで走っている。そんな姿を見せられると、手を抜くことなんてとても出来ない。

どうにか追いついたあいつは、シュートコースも消されてしまったのにモーションに入ろうとしている。くそっ、もうちょっとだ!

「カズっ!」

その声はどうにか間に合って、カズはドフリーになった俺にパスを出した。

それをゴールに流し込むというカズに比べたら何てことはない自分の仕事を終えると、俺はあいつに向かって向かっていく。

カズのそのプレーでノることができたからか、二点目のスルーパスは自分でも改心のものだった。

気持ちよくパスが通って、それはカズに代わって入った選手がきっちり決めてくれた。

気持ちいい! こういうプレーができるから、やめられないんだよな。

そのまま試合を終えて、カズと一緒にダウンへ向かう。「ナイッシューです」じゃないよ。お前がナイスプレーだよ、自慢しろよ。

それにしても、カズにこそ二点目みたいな綺麗なパスを通してやりたかった。俺がこいつに決めさせてやりたかったのに、むしろこっちが決めさせてもらっちゃったよ。

ちくしょっ、でも、試合に勝ったからまだまだ予選は続く。恩返しはまたの試合だ。

そんな時、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。

おつ

声の主はサキちゃんだった。

そうだ、カズにも紹介してやろう。そう思って顔を向けると、あいつは驚いたように小さく声を漏らした。どうしたんだ?

サキちゃんが挨拶をすると、カズもそれに返事をする。

「お邪魔そうだから帰りますね」の言葉だけを残して、急に走って逃げていくし。追いかけるか悩んだけど、サキちゃんをここに一人置いておくわけにもいかない。

気ぃ使わせてしまったな。悪い、カズ。

ダウンのストレッチをしながら、彼女と話を始める。

続きが気になりますねぇ

「試合、スゴかったね、買ったんだね!」

彼女はカズのことをとりあえず置き、そんなことを口にした。違和感すら感じるくらい唐突だったけど、あいつを気にしててもどうしようもないもんな。面識がある俺ならまだしも、サキちゃんは初対面な訳だし。

「カッコ悪いところ見せられないからね、気合い入っちゃったよ。二点目のシーン、見てくれた?」

「うん、すごいシュートだった!」

えっ、すごいシュート?

自分で言うのも何だけど、あのシーンは俺のパスで勝負あったと思うんだけどなぁ。フォワードは決めるだけって感じで……まあ、初心者の子ならやっぱりゴールがすごく見えるのかもね。

何となくの違和感は拭えないけど、そういう感想は人それぞれだし、初心者なら尚更だろうし仕方ないのかな。

腑に落ちないまま会話を続けるけど、何か変な感じだよなぁ。うーん。

「ヒロ兄、こんなとこにいたー! もうみんな帰り支度しちゃってるよ!」

何だかんだ長い間話していたのか、不満気な声をあげながら近づいてきたミユは、一緒にいたサキちゃんを見て「あれ、お邪魔だった?」なんてぬかしやがった。お前はカズを見習えよ。

「あのー……どこかでお会いしたことありましたっけ?」

なんて冗談半分で言ってるから、売れてる女優に似てるからってそんなこと言うなよって突っ込んでおいた。

「あー、確かに似てますね! 美人さんだー、うわー……」

まじまじとサキちゃんを見るものだから、早く行けと指示を出す。

「あのさ、カズ、空気読んであっちに行ったから探しに行ってもらっていい?」

「何ー、妹を紹介もしないでさー。ヒロ兄の妹のミユっていいます。こんな兄ですがどうかよろしくお願いしますっ」

その言葉を残して、サキちゃんにペコって頭を下げるとミユは指した方に向かって行った。うーん、もうちょっと落ち着きを持てないのか、あいつは。

「妹さん、可愛いね」

「そう? 俺はもう少し落ち着きをもって育ってほしかったなー」

それこそ、カズみたいにね。あいつも半分弟みたいなものだと思ってはいるけど。

ミユとカズが結婚すれば、あいつは義弟かー。悪くないなぁ、あの二人で引っ付いたりしないかな。

そんな下らない妄想をしながら、サキちゃんとの時間を過ごす。

彼女がサッカーのことは知らなくても、俺はガールフレンドにれを求めたりはしない。普通に話すとそれなりに息もあってると自分で思うし、このままうまくいけたらいいな。

面白い

今日はお休みか

おつ

あの日以来、ミユとカズの距離は縮まっていた。ていうか、ミユが一方的にカズくんカズくん言ってるだけだけど。

俺としてはその二人が仲が良いのは嬉しいんだけど、何かちょっと違和感もあるよね。今までは三人で遊ぶことが多かっただけに、仲間外れ感……みたいな。

ミユは「ヒロ兄、この間カズくんと二人で焼肉に行ってたでしょー。その仕返しだよー」なんて言ってたけど、どこまで本気なんだか。

天皇杯予選を勝ち進むにつれ、ミユのカズへのアプローチはどんどん積極的になっていた。つい聞いちゃったもんね、「お前、本当にカズのこと好きなの?」って。「どう思う?」ってはぐらかされちまったけど。

ある日、仕事の関係でたまたま練習に行けなかった日の夜に家に帰ると、ミユがめちゃくちゃ落ち込んでたんだよね。カズにフラレたのかと思ったけど、次の練習ではそれまで以上にカズに近づいていってるし。

我が妹ながら、めんどくさくて分かりづらいやつだよ。

女の気持ちとかよく分からないし、妹だったり可愛がってるやつのことではあっても自分のことではない。

首を突っ込むのも野暮だし。

それに、他人のことばかりを気にしているわけにはいかない。

あの後、サキちゃんと二人で遊びに行ったりはしても、彼女はサッカーの試合には来なくなった。興味がないものに付き合わせるのも悪いしね。

遊んでて楽しいとは言ってくれてるし、そろそろ告白考えないといけないよなー。

よし、天皇杯が終わったら告白しよう。

それまではたぶん、サッカーと仕事で忙しくて付き合うことになっても今とそんなに変わらないだろうし。ちょっと落ち着いてから、告白しよう。

だからまずは、週末の決勝だ。

ここ数日、引っ越しの準備でなかなか更新できませんでした。
今晩か明日からは以前通り更新するつもりなので、お付き合いしていただけたら嬉しいです。

期待

待ってる

マッテル

降ったり止んだりの一週間、勝負の日は雨だった。これは番狂わせを予告する希望の雨か、それとも俺たちの気持ちを暗くする絶望の雨なのか。

何にせよ、タフな試合になりそうだ。

入場するときに横目でチラッとカズを見たけど、普段通りで安心したよ。何て言うか、最近はミユと気まずそうだったからさ、そういうのをピッチの上に持ち込むようなやつじゃないって分かってるけど、やっぱり少しは心配しちゃったよ。

試合が始まると、案の定ロングボールの蹴りあいが始まった。俺の頭の上をボールが行ったり来たりして、フォワードが競り合ったこぼれ球を拾いに行くのが今日の俺の仕事だ。

ご丁寧にも、キックスはこんな雨の日でも俺に一人マーカーをつけてきた。ちょっと荒っぽいな、こいつ。

明らかに俺が先に触れそうなボールでも、結構ガツガツ当たりに来る。ハードワーカーと言えば聞こえはいいけど、こんな雨の日にそんな選手にマークされたらたまったもんじゃない。

セカンドボールを拾いに走ると、後ろから足が伸びてくる。

JFLはアマチュアではトップリーグだし、今までの相手よりはかなりレベルが高い。準決勝の相手までは余裕をもってプレーできたけど、今回はそうもいかないみたいだ。

あの日のトラウマが脳裏をよぎって、相手に遠慮するように俺はボールを譲ってしまった。接触プレーを怖がるなんて、ダサいにも程がある。小学生だってそんなことをしたら怒られるよ。

それでも、あの時の激痛やプレーができなくなる恐怖が相手から逃げさせる。

雨が強くて滑りやすいから、その恐怖は更に増す。勢い余って相手の足が俺の足に突っ込んでくると思うと、逃げ出したいとすら感じてしまう。

雨の日は予測できないことが起きてしまう。だからこそ番狂わせが起きやすいんだけど、それは相手にとっても同じことだ。

カズのパスは水溜まりに負けて止まってしまい、相手選手がそれをかっさらってシュートを放った。ポストに当たったそれはゴールとはならなかったけど、この試合で1番危ないシーンでもある。

カズに注意を呼び掛けたけど、しっかりしないといけないのは俺の方だよな。マーカーを避けてばかりじゃボールは拾えない。

そんな考えとは裏腹に、キックスはうちのゴールへの壁を破った。綺麗に左サイドを崩されて、長身の選手に合わせられちゃったね。

あれはある程度の選手が揃ってるチームだからできることだ。うちのチームがあんなハイクロスを上げたところで、長身の選手が揃ってるキックスのセンターバックに弾き返されるだけだ。

さて、どうやって崩したものか。

その答が出せないまま、俺たちは前半をビハインドで終える。

一点負けてるからには、ゴールを決めなければ勝ち目がない。とはいえ、前半と同じ作戦でどうにかなるとも思えない。

あのマーカー、怖いし。自分で認めるけど、前半のブレーキ役は俺だった。接触プレーを怖がって、セカンドボールを拾えないことが多かった。

雨だからレフェリーもファールの基準が普段と違いそうだし、滑るし、とにかくビビってるのが自分でも分かる。

そんな風に自分が足を引っ張っていることは自覚していても、交代を申し出ることはできない。このチームは精神的にはカズで成り立ってるのチームだけど、技術面では俺が引っ張らないといけないこともある。でも、接触は避けたいんだよ。怖いんだよ、やっぱり。

……あ、カズだ。

頭のなかに浮かんだのは、カズに試合を作らせるプラン。要するに、普段の試合で俺がやってることをカズにさせるってこと。

真ん中はプレーしづらいし、カズの対面は正直大したことはない。

それっぽい理由を言ってみたけど、自分が怖いものから逃げたいって気持ちが一番強かった。ごめんな、カズ。

後半が始まると、徐々にペースが変わってきた。

相手の勢いがハーフタイムで落ち着いたっていうのもあるけど、カズが試合を作り始めたのがやっぱり正解だったかな。

ロングボールメインの作戦なのは変わらないけど、カズはキックの精度も悪くない。試合の流れは徐々にうちに呼び込めている。

ただ、カズが臆病なプレー、無難なプレーを終始選択しているのが気がかりだ。いや、まあ良いんだけどさ、雨だし、それで良い感じになってるわけだし。

ただ、勿体ないな、とも。

カズはこのピッチでもサイドでなら普通にドリブル出来る程度には技術がある。そして、ボールを奪われるリスクがあっても、勝負をしかけない選手は怖くない。

宝の持ち腐れだよ、カズ。

やめんの?

俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、カズは少しずつ位置取りを高めて積極的にプレーをし始める。

安定感っていうか、チームの流れが良くなったからカズも落ち着いてプレーできるようになったみたいだ。

ロングボールが多い戦術なのはそこまで変えられなかったけど、前半みたいに真ん中の選手じゃなくて、サイドの選手が蹴ることで角度がついてアーリークロスみたいになっている。

そのおかげかな、前半ほど相手に綺麗に跳ね返されることは減ってきた。真っ直ぐ向かってきたボールは、正面を向いて競り合えるディフェンダーが有利だけど、角度がつくとそれが幾分難しくなるしね。

カズが流れは引き寄せた。

あとは結果だ。

引き込まれる
自分もくずだから共感出来るところがあってもやもやするけどそれがいい

相手を押し込み始めると、うちのチームのラインが少しずつ上がっていく。その分カズや左サイドバックからのロングボールの精度も上がってきて、自然と競り合いのこぼれ球も拾いやすい場所に落ちることが増えてきた。

雨のピッチでスタミナが無くなりつつあるのか、相手チームのマーカーのプレッシャーも少しずつ弱くなってきて、こぼれ球を拾いやすくなっている。あとはどこで勝負を仕掛けるか、だよな。

そんなとき、久しぶりにセンターバックがサイドを経由せずにロングボールを放った。

不意をつかれたのか、こぼれ球は俺の目の前に落ちてくる。マーカーもプレッシャーをかけてくるけど、弱くなったそれには前半ほどの恐怖心はなかった。

ボールを受けると、すぐに今日の主役になるべきカズを見る。そこだ。

いつかの試合で言ったみたいに、俺がボールを受けるとすぐに走り出したらしいアイツの走る先にボールを送る。

よしっ、完璧っ!

そのボールを受けたカズは、簡単にセンタリングをゴール前に蹴るのではなくて逆サイドへと飛ばし、そして綺麗な弾道でそれがネットに突き刺さった。

チームメイトはスーパーゴールを決めたやつに向かって走り出す。

プロの試合でも滅多に出ないようなダイレクトボレーだったけど、その前のカズも完璧だった。俺がパスを出す前に走り出すタイミング、クロスをあげる状況判断にその制度、文句無しだ。

上手くなったな、カズ。

親心みたいにそう思う。嫉妬してしまいそうなくらい、あいつは上手くなった。誉めても謙遜するんだろうけど、それでも本当に。

喜びの輪に向かって走りながらカズを見ると、少し笑っていた。やっぱり、良いプレーをしたって手応えがあるのかな。

「もう一本いくぞ!」

言葉にして、気持ちを奮い立たせる。

チームメイトからの返事、特に大きいカズの声。

まだ同点。このまま押しきる、そして勝つんだ!

試合が再開すると、俺たちのペースで試合が進んでいく。

キックスも格下と思っていた俺たちにここまで苦戦するとは思っていなかったのか、予想外の展開に慌てている。この動揺につけこまない手はない。

どんどん前線へのボールを増やし、相手のラインをズルズルと押し込んでいく。その結果、それまで以上にゴールに近い位置でプレーができるからチャンスが増えて、また相手が下がるって好循環。

それでもゴールを決めさせてくれないのはJFLの意地ってやつ? このまま押し込んで、でも逆転できずに延長になると、チームの雰囲気は確実に落ちる。

今は同点ゴールって魔法で疲れを感じづらくなってるけど、確実にみんなの動きは落ちている。雨でぬかるんだピッチのせいで、キックスを含めて全員の動きはにぶくなっている。

カズと俺くらいかな、元気なのは。とにかく、俺たちが動けるうちにゴールを決めないとヤバイ。

ボールを受けた俺は、もはやサイドバックどころかウィングに近い位置まで上がっているカズに何の気無しに横パスを預けた。

そのままゴール前へロングボールか、リターンのパスを受けるか。

俺ですら、そう考えていた。なのに、目に入り込んだのは予想外の光景。

アイツはボールを運び、勝負をしかける。

この試合、カズはほぼ全てのプレーを3タッチ以内で終わらせていた。トラップしてパスやロングボール、とにかく勝負をしていなかった。少なくとも、俺の記憶にあるうちでは。

そんなカズが、この時間になってドリブルを始めた。予想外なのは7番だけじゃなかったはずだ。

慌ててプレッシャーをかけにいった相手を、アウトサイドで急に方向転換をしてかわす。体力も無くなりかけている7番はそのターンについていけず、濡れたピッチに足を奪われ転けてしまう。

これでもう、アイツは独走状態だ。邪魔をするものはない。カズは抉るように相手陣内を突き進んでいく。

ゴール前はガチガチに固められていて、さっきはフリーだった逆サイドの選手もしっかりマーカーがついている。

少しでもゴール前の人数を増やそうと、俺もそこに向かって走りながらカズの行く先を見る。

これ以上進ませるのはマズイと判断したのか、ディフェンダーがカズにプレッシャーをかけにいこうとした、その時。

カズは楽しそうに笑みを漏らして、ゴール前へ弾丸のようなボールを蹴った。まるで、同点ゴールの時に俺があいつに出したパスみたいに。

雨で濡れた芝に触れた瞬間、そのボールは加速する。イレギュラーなそのボールは、変化に対応できなかった相手選手の足に当たると、ゴールに向かって角度を変えた。

同点弾に比べると、技術的には大したことのないものかもしれない。見映えも良くはない。

それでも、そのとき以上の歓声と歓喜が爆発した。

「カズーー!」

声をあげてカズに向かって走っていく。後ろからはチームメイトも後をついてくる。

「よくやった!」

「良い判断だった!」

「俺の同点弾が霞むじゃねぇか!」

みんながみんな、カズを囲んで称えていく。やっぱりうちは、こいつのチームだ。こいつのプレーで、チームが前に進んでいける。

喜びを爆発させているのはスタンドもそうみたいで、観客も声をあげてカズの名前を呼んでいる。

ポジションに戻りながらカズがそちらを見ると、何だか謎に自分を指差しながらスタンドにガッツポーズを見せた。

決勝のこの場面での得点に、シャイなあいつも珍しくパフォーマンスするくらいテンション上がってるのかな。

「このままいくぞ! 集中!」

そのテンションは維持したまま、油断はしないように声をかける。まだ試合は終わってない、あと少し、乗り越えてやる。勝ちきってやる。

試合終了を告げる笛が鳴ると、喜んで走り回るチームメイトを視界に入れながら、俺は腰に手を当てて一息ついた。

勝った。格上相手に、泥臭く勝った。

この雨は不幸を示唆する雨じゃなくて、番狂わせの雨だったんだな。試合前に考えてたことを思い出して、自分で少し笑ってしまった。

「おめでとう」

声をかけられた方に目を向けると、キックスのキャプテンがそこにはいた。

「オオタくんだよね、昔J2のクラブにいた」

「あっ、はい……知ってたんですか?」

試合にもろくに出られずに退団したのにね。詳しいな。

「そりゃ、相手のエースのことくらいは調べるさ」

彼は笑いながら、言葉を続ける。

「試合が始まるまでは、君を押さえれば勝てると思ったんだけどね。あとは県リーグレベルの選手だから、圧倒できるだろうって」

「始まるまで、ですか?」

何となく、言いたいことは分かっている。それを確認するように、わざわざ俺は聞き返した。

「あのサイドバックだよ。驚いたね、うちの若いやつなんかよりよっぽどしっかりしてるよ」

彼はカズの方を見た。何だろうね、自分のことみたいに嬉しい。

アイツは自分が誉められていることなんか思ってもいないんだろうな、笛が鳴ってしばらく経つのに、まだチームメイトと喜んでるよ。

「うちはアイツのチームですよ。みるみるうちに上手くなってますし」

「君と一緒にプレーできてるのも大きいんだろうね、息がピッタリで敵ながら感心させられたよ」

悔しいぐらいね、と呟いた。試合相手のことを認める、それも負けた直後になんてそうそう出来ることじゃない。

「まぁ、本戦でも頑張ってよ。俺たちに勝ったんだから、せめてJ勢と戦うところまではさ」

その言葉を残して、彼は落ち込んでいるキックスの選手に声をかけに向かっていった。

「すげぇなぁ……」

何か、器の大きい人だ。あんな人に認めてもらったんだし、本戦で恥ずかしい試合をするわけにはいかない。

挨拶のためにハーフウェーラインに向かって歩きながら、俺は頭のなかで試合をイメージする。

キックス以上に手強い相手を前に、満員のスタンドでパスを出して、ゴールが決まるところを。そして喜びの輪の中心では、カズが立って拳を突き上げてた。

気持ち良さそうだな。

……でもとりあえず、今日は疲れた。

挨拶が終わると、改めて歓喜の輪が広がった。

今度はそこに俺も加わって、ビューティフルゴールをあげたチームメイトに「まぐれ爆発させやがってよぉ!」なんてふざけて声をかけてやる。

みんなでワイワイしていると、カズがいつの間にか抜けていることに気がついた。どこ行ったんだ、あいつ?

きょろきょろ視線を泳がせていると、スタンドに向かっているのが目に入ってきた。

キックスのキャプテンが誉めてくれてたことを教えてやろうと思ってカズを追いかけていると、何やらスタンドにいる女の子と大声で会話をしている。

何だ、アイツ、やることやってんじゃん。

邪魔するのも悪いけど、この後は表彰式もある。後でゆっくり話してもらおうと、カズに呼び掛けた。

「カズー、表彰式!」

少し意地悪ににやけながら声をかけると、カズは女の子に「ちょっと待って、時間あるなら待っててくれたら、後でそっちに行く!」と言い残してこっちに向かってきた。

「何だよ、彼女?」

「違いますっ」

否定はするけど、カズの顔はちょっと紅かった。たぶんまだ付き合ってはいないのかな。でもたぶん、これから。

「カズをよろしくー!」

振り返って、彼女に向かって叫びながら手を振ってみると、あの子も遠慮ぎみに返してくれた。

「やめてくださいよっ」

そう言うと、カズは俺に無理矢理前を向かせて軽く肘を入れてくる。

悪い悪いと返しながら笑いかけると、「全くー」なんてこぼしながらもカズもニヤニヤしていた。何だよ、試合中のテンションが高かったのは、ゴールの喜びだけじゃなかったのね。

おつ
勝ったか
熱かったな

表彰式も終えると、カズはそそくさとスタンドに向かって行った。一緒にダウンをするのが試合後の恒例なんだけど、今日はそれも逃がしてやることにしよう。

カズ以外のチームメイトは濡れたユニホームを脱いで体を拭きながら、試合の感想を話し合っている。その大体は「勝てるとは思わなかった」「カズ、やっぱり上手くなってるよ」みたいなものだった。まあ、試合前に負けたいと思うやつはいないだろうけど、絶対に勝てるって信じていたやつはいないんじゃないかな。

「今日は祝勝会だな!」

ヤマさんがそう言うと、一斉に湧いた。まあ、今日くらいは良いよな。俺も久しぶりに飲みたいし。

前にカズと飯行った時は俺も暗い話をしてしまったし、今日は楽しくアイツと飯を食おう。そうだ、それであの女の子の話も聞きだしてやろう。

ミユ、ライバルいるじゃん。

そう声をかけようと思って妹の姿を探してみると、ミユもいつの間にか消えてしまっていた。さっきまでその辺にいた気がするのにね、どこ行ったんだ、あいつも。

カズのこと追いかけた……とか? 嫉妬? うーん、分からない。

別に今すぐ用事があるわけじゃないけど、何となく嫌な予感がして俺はミユを探しにその場を離れた。

ヤマさんには「すぐに移動して飲みに行くから、さっさと見つけて来いよ」って言われちゃったよ。カズのことは触れないあたり、ヤマさんも微妙に空気を読んでるのかも。

カズがスタンドに行くって言ってたから、傘を片手にとりあえずそっちに向かう。

途中、すれ違ったチームメイトの家族とか恋人とかに「あざーしたっ! 妹、見ませんでしたか?」って聞いてみるとすれ違ったって言われた。

間違いない、あいつはカズを追いかけてる。

「今日はヒロくんの美人さんがいない代わりに、カズくんにかわいこちゃんが来てたわね」なんて笑ってくるから、俺も愛想笑いを返しといた。

それにしても、ミユ、何しに行ってるんだよ。空気読んでやれよー。そりゃ、俺もカズと上手くいけば良いなって思ってたけどさ。それにしても、邪魔はやめてやれよ。

妹に心のなかで文句を言いながら、引き留めるためなのか何なのか、俺はスタンドに向かって階段を上る。

その時、スタンドから叫び声が聞こえた。何だか聞き覚えのある、女の声だ。

戸惑いながらこのまま進んで良いものかと思っていると、ミユが傘もささずに上から姿を現し、走って階段を下りてきた。俺のことをチラッと視界に入れてはいるみたいだけど、立ち止まる気配は全くない。

「おいっ、どうしたんだよ」

呼び止める俺の声も無視して、あいつは去って行こうとする。腕を掴んで止めてやりたいけど、階段でそんなことをするわけにもいかなくて。ミユを追いかけながら俺も登って来たばかりの階段を下りていく。

せっかく試合にも勝ったっていうのに、どうしたんだよ。こいつ、やっぱりカズのこと本気だったのか?

「おい、ミユっ!」

最後の段から地面に降りたとき、俺はミユの肩を掴んで振り向かせた。

「っ……!」

息を殺したまま向き合った目は充血していて、頬が塗れているのは雨のせいだけじゃないってことがすぐに分かった。

「……ごめん、先に帰るね」

その言葉を耳にした俺は、制止を振り切って走りだしたミユを、引き留めることができなかった。何でかは分からないけど、その強さに押し切られた。

「何なんだよ……」

俺の呟きは、雨が地面を叩く音でかき消された。

予想外の展開が起きるのは、サッカーの試合に限ったことじゃなかったらしい。

ゆうちゃんを見送った後、僕はどうすべきか分からずにスタンドにぼーっと座っていた。

何だろう、何があったんだろう。

頭の中を整理できなくて、僕はひたすら出来事を振り返る。

キックスとの決勝戦、僕たちは勝った。そして、ゆうちゃんも試合を見に来てくれていた。

ここまでは良し、良かったことだ。夢でも幻でもない、現実だ。

そして、試合が終わって僕はここに来た。ゆうちゃんと話していた。ミユが来た。

ミユの言葉を頭のなかで繰り返す。

それは、僕にしても何だか認めるのは辛いものだった。でも、さっき起きた出来事も、ミユの発言も、きっと夢幻ではなく現実なんだ。

スタンドから見るピッチは、何だか遠い場所みたいだった。

さっきまであそこで試合をしていたはずなのに、辿り着ける気がしない。

それと同じで、さっき会っていたはずのゆうちゃんも、すごく遠いところに行ってしまった気がする。

今、目の前にいないからとか、そんな理由じゃなくて。彼氏がいるから? それも違う気がする。

でも、はっきり分かったことがある。

僕は彼女のことを何も知らない。

少し浮かれすぎてたのかな、身の程知らずと言った方が正しいのかもしれないけど。勝手に身近に感じていて、そのくせ実は何も分かっちゃいなくて。

あいも変わらずドロドロしてんなあ…おいw

何ておめでたいやつなんだ、僕は。

自嘲してしまうくらい、僕は浮かれていた。

少し幸せなことがあると、すぐに自分がダメなやつだってことを忘れてしまう。

試合でちょっと良いプレーが出来たからとか、ちょっとゆうちゃんと良い雰囲気になれたとか、ただそれだけで幸せな気持ちになって。

「救いのないやつだよな」

吐き捨てるように、言い聞かせるように呟いた言葉は、他の誰にも届かないまま僕の心だけに痕を残した。

チームメイトが盛り上がっている祝勝会も、僕は浮かれない気持ちで参加していた。ヒロさんも理由は分からないけどテンション低くて、ミユも来てはいなかった。

そして決勝以降の練習に、ミユは来なくなっていた。

こう言っちゃ悪いけど、少しホッとした自分もいる。どんな顔をしてミユに会えば良いか分からないし、それはたぶん向こうもそうだと思う。

ヒロさんはチームメイトにミユが来ない理由を聞かれていたけど、「テスト勉強が忙しいらしいっすよ」って誤魔化してた。その度に僕は「カズー、お前も勉強ちゃんとしろよー」なんて茶化されるんだけど。

そして、ヒロさんも何となく僕との距離を置いている気がする。いや、距離を置いているって言うよりは気を使われてるのかな。

雰囲気が悪いわけでもないんだけど、何かちょっと今までとは違う感じ。本戦に向けていくなら、今のままじゃダメなんだろうけど。

天皇杯本戦の一回戦、僕たちは幸運にもホームゲーム……というか、地元のスタジアムでの試合となった。

アウェーゲームだと遠征費とかも必要になってくるしね。結構助かる。

相手はそこ県リーグ一部に所属しているチームらしい。名前も聞いたことがないようなところだ。

そして、そこに勝てばシードされているJ2のクラブとの試合が待っている。二部とはいえ、輝かしい経歴を持ったエリートたちの集まりだ。

自分の力がどこまで通用するのか、試してみたい。

そんな気持ちがある一方で、もう一つ、僕には思うものがあった。そのクラブは、奇しくもカズさんがかつて所属していたクラブだった。

恩返しではないけど、カズさんがうちのチーム で頑張っているところを、勝利って形で証明したい。

それが、僕に色んなことを教えてくれたカズさんへの恩返しにもなる気がするから。

そんな願いも込めつつ、微妙な空気の中で今日も僕は汗を流す。梅雨はもう過ぎてしまって、夏が近づいている。

最近更新多くて嬉しい

>>275
これ誰視点なんだ?

>>277
寝ぼけながら打ってたから完全に呼称を間違えてました……

カズさん→ヒロさん

で修正していただけたら助かります。
というわけで、カズヤ視点です。

ゆうちゃんはもちろん、ミユとも決勝戦の日から全く顔を会わせていない。

お店に行こうかなって思わなかったわけじゃないけど、行ったところであの日みたいに何て言って良いか分からない時間を過ごすことになる気がしたし、それなら行かない方が懸命ってものではないだろうか。

ミユのことはカズさんがたまに他のチームメイトに話しているのが聞こえてくるけど、やっぱり元気がなさそうとか落ち込んでるとかそんな話ばかり。

何なんだろうね、本当に。

不運とか偶然とか、そんな言葉で片付けて良いものなんだろうか。

僕という人間が、そういう不幸を呼んでいるんじゃないだろうか。

被害妄想だってことくらい自分でもわかっているんだけど、そんな風に考えてしまうくらいにはどうすべきかの見当もつかない。

完全にとばっちりなんだが、ここからさらに拗れそうなんだよなあ。

こういう屑女が実際いるから困る
ミユもゆうも

屑しかいねえ
…自分見てるようだな…

そうは言っても時は流れ、本戦はどんどん近づいてくる。

楽しみな気持ちはあるんだけど、それ以上に不安が強い。今の雰囲気で勝てるんだろうか、惨敗するんじゃないか、って。

こういうとき、後ろ向きな自分の性格が嫌になる。まぁ、好きな時なんてないんだけどね。

微妙な空気の練習を終えて、一人暮らしのマンションに真っ直ぐ帰るとすぐにシャワーを浴びる。

汗と一緒にこの負の感情も流せてしまえばいいんだけど、そんなことは全くなかった。

濡れた髪をタオルで拭っていると、携帯はメールの受信を知らせる通知ランプが光っていた。今どき、メッセンジャーアプリじゃなくてメールを受信することなんて、迷惑メール以外ではそうそうない。

どうせ迷惑メールだろうな、なんて思いながらも、僕は携帯を手に取ってその内容を確認する。

私は私のことが嫌いだ。

頭も要領も良くなければ、何か励めるものもあるわけではない。他の人より恵まれているところがあるとすれば、それは外見くらいだと思う。

可愛いね、美人だねって言われるのは気持ちが良いし、嬉しいよ。

でも、そんな唯一の長所であるはずの容姿ですら、私では敵わない相手が身近にいた。

お姉ちゃんは私よりちょっとスタイルが良くて、ちょっと目が大きくて。

こういうのを微差は大差って言うのかな、お姉ちゃんを見た人はみんなお姉ちゃんを好きになる。

今までの彼氏もそうだった。

お姉ちゃんが悪い訳じゃないって分かっていても、私にはそれがコンプレックスで。

美人で自慢の姉が、その一方で私の悩みの種でもあった。

私が大学に入学する頃、モデルを始めたお姉ちゃんはどんどん有名になって、気がつけばドラマにも出たりする女優にもなっていた。

そんなお姉ちゃんと自分を比べると、私には何もない。

それを認めるのが寂しくて、悔しくて、お姉ちゃんより幸せになってやると私は誓った。

でも、そんなの私だけの力では無理だ。そう考えた私は、男に頼ることになる。

お姉ちゃんに会わせさえしなければ、男は私のことを好きでいてくれる。私に特別な魅力があるわけじゃないのにね。顔がちょっと綺麗で良かった。

条件の良い男、例えば有名会社に勤めているだとか、高学歴な男だとか。そんな男を捕まえては、より良い条件の男が出てきたらそっちに移る。

クズだね、私って。でもそうしないと、私はコンプレックスに押し潰されそうだった。

これはカズの元カノ視点か

何回男を乗り換えていったか分からない頃、私はカズヤに出会った。

特別人気なわけではないバンドのライブに、カズヤは来ていた。私はボーカルの顔が好きでファンだったんだけど、彼はボーカルの歌声と作詞が好きだったらしい。

割とイケメン揃いのそのバンドには男のファンは珍しくて、興味本意で私から声をかけたのがきっかけだったかな。

そのライブの後にご飯に行って、連絡先を交換した。

当時の彼氏は結構歳の離れた働いている社会人で、羽振りは良くても話して楽しいとかそういう感情はあまりなくて。付き合いも長くなりかけてて、倦怠期ではないけど少し飽きみたいなものもあったのかな。

一方で、カズヤは大学も良いところだったし、歳も近くて話していても楽しくて、かなりの優良物件のように思えた。

乗り換えちゃおうかな。

そう考えてた矢先、私はカズヤに告白をされた。

付き合えなくても良いから自分の気持ちを知ってほしい、それって何てワガママな願いなんだろう。まあ、私もそれに乗っちゃったんだけどね。

カズヤと付き合うことになってから、しばらくは本当に楽しかった。

でも、物足りないのも事実で。

今までのデートは彼氏がお金を出してくれてたけど、お互いに学生となるとそうもいかない。ていうか、私の方が一歳上だからむしろ私が出さないといけない気すらするよね。

車もなければ大人の余裕もない。

無くなってから、それまであったもののありがたみに気づくって本当だよね。

カズヤと付き合い始めてしばらく経つと、何だか彼も少し変化が出てきた。

言葉にするのは難しいんだけど、何か焦ってるっていうか追い込みすぎてるっていうか。

好きなことを夢中になって話してるときのカズヤの顔が私は好きだったんだけど、その顔を見る機会がどんどん減っていった気がする。

その代わり、勉強を頑張ってるとか資格をとろうと思ってるとかそういう話が増えてきて、カズヤといて楽しいと感じる理由がどんどん無くなっていった。

……っていうのは、まあ言い訳なんだけど。

要するに、私は失ったものが大きく思えてしまったんだ。やっぱり、私はカズヤみたいな優しさや楽しさより、お金とか容姿とかスペックとか、もっと世俗的で汚そうな魅力に惹かれてしまう人間だったみたい。

そんな私が別れる理由として告げたのは、今は誰とも付き合う気がないという言葉だった。

私は私のクズさを自覚はできても、それを誰かにさらけ出せる強さは持っていなかったの。

だって、「お金無いじゃん」「大人の余裕無いじゃん」なんて汚いことを言う度胸は私にはなかったから。

カズヤとはライブで知り合っただけだから、今後会うことはもうないだろうし。

私がそのバンドのおっかけを止めさえすれば、もう二度と会うことはないはず。そんな軽い気持ちで言った言葉が、あんな風になるなんて思いもしなかったわけだけど。

マダー

カズヤとは別れた私だけど、そんな付き合って別れての繰り返しに少し疲れつつもあった。

だってさ、上を見ればキリがないもの。

良い条件の男がいても、更に良い条件の男が現れたらそこに乗り換えてを繰り返すと、終わりはいつまで経ってもこない。

それは果たして、幸せと言えるんだろうか。

そもそも、良い男って何なんだろう。私が求めていたお姉ちゃん以上の幸せって何なんだろう。

玉の輿にのること? それとも、私を大事にしてくれる人を見つけること?

そんな疑問が頭の中を過ってしまって、私は恋愛休暇をとることにした。少し冷静になろうって。

でも、私は自分のことを認められたい、お姉ちゃんみたいにはなれなくても、私を魅力的だという証明がほしかった。そして、その証明をしてくれるのは、私は男という存在しか知らなかった。

ナンパしてくる男、大学の同級生、誘われるままに遊んで寝る私を見かねたのか、友達が私を合コンに誘ってきた。あんな生活をするくらいなら、誰か彼氏を作らせた方が安心だって思ったらしい。

そこで出会ったのがヒロくんだった。

歳は私と同い年で、地元の普通の企業に勤めているらしい。合コンに誘ってくれた友達の同級生みたい。

正直、スペックとしては普通なんだけど、彼の『元プロサッカー選手』っていう肩書きは、私には何だか魅力的だった。

仮に彼とは付き合わなかったとしても、ここでコネを作れば有名な選手と知り合えたりするかもしれないし。それに、ヒロくん自身だって嫌な人じゃなかった。

付き合う前のズヤに似てたのかな。私にはさっぱり分からないサッカーの話を、目を輝かせながら語って、途中で慌てて「ごめんね、興味ないことを話して」って謝るあたりとか。

恋愛感情としての好きなのか、人として嫌いじゃないの好きなのかは分からないけど、私はヒロくんとの距離を近づけていく。

休暇なんて言ってたけど、結局のところ私は中毒なんだと思う。

恋愛、もっといえば、男に囲まれてないと心配で不安。私の存在意義を証明してくれるのは、男という存在でしかないから。

私を取り巻く男がいないと、自分に優れたところがあるなんて思えない。生きている意義を見出だせない。数少ない『短所ではない』と思えているものが容姿である以上、それは仕方ないことなんだ。

だから、私を口説こうとするヒロくんからの「時間あるなら試合を応援しに来てよ」なんてめんどくさいお誘いにものってあげたの。

だって、応援に来てほしいって、つまり私を求めてくれてるってことだから。私の存在を求めてくれてる、認めてくれてるってことだから。

ズヤの不意討ちにやられたwwww

>>295
全く気づいてませんでしたwww
気を付けます……!

試合を見に行くって約束した日は、嫌ってほど太陽が輝いていた。

暑いなぁ、めんどくさいなぁ。

そもそも私、サッカーに興味なんてないし。サッカー選手で知ってるのは、最近結婚して世間を騒がせた日本代表のイケメンくらいだ。

とはいえ、約束した以上見に行かないわけにもいかない。

そんな私は、試合終了間際に会場に着けば良いんじゃないかと名案を思い付いた。

だってさ、どうせ会うのは試合が終わってからなんだし。ちょっと遅れちゃった、なんて言えばきっと彼も疑いはしないだろう。

カフェでランチを食べて、コーヒーを飲んで、それからゆっくり向かうことにしよ。

その後に起きることなんか考えず、私は呑気に予定を立てていた。

ゆっくりし過ぎて試合終了に間に合うか際どかったけど、どうにか試合中には会場に到着できた。

スタンドにはまばらにしか観客がいなくて、昔プロだった選手でもこんな環境で試合をしてるんだと思うと、勝手に寂しい気持ちになってしまう。

私のイメージには、テレビで見るような大観衆を前に試合をしてるものしかなかったから。

まあ、そんなことを言っていても仕方がない。

適当に席を探していると、私と同世代くらいの女の子が、集団から少し離れたところで熱心に試合を見ていた。

明らかに関係者とか身内とかばかりの中に、急に入るのも変な感じがして、私はその子の隣に陣取って携帯を触る。

サッカー、見てても分からないし。つまらないし。

スコアボードを見ると、ヒロくんのチームが勝ってることだけは分かった。それで十分。

私は液晶に向き合って、試合が終わるのをただ待った。日傘忘れちゃったな、早く終わらないかな、焼けちゃうよ。

赤ちゃんと僕スレかと

試合終了を告げる笛がなると、私は立ち上がって階段を下っていった。

何にせよ、勝って良かった。負けて落ち込んでるところを見るよりは、興味がないサッカーでも勝った試合の方がヒロくんもご機嫌だろうしね。

綺麗ではないお手洗いで化粧を直す前に、メールを入れてはみたけれど、携帯を見てないのか返事はない。

うーん、まぁ、試合を見に来るって義務? 約束は果たしたんだし、直接会わなくても彼に嫌われることはないだろう。

そのままお手洗いから出て、試合会場を出ようとすると見覚えのある後ろ姿があった。

その隣の背中にも何となく既視感を覚えつつも、私はヒロくんの名前を呼ぶ。

ヒロくんと、そして遅れてカズヤと視線がぶつかった。

予想外の事態に、私は戸惑いよりも先に逃げ道を見つけた。たぶん、今までの男からもそうやって逃げてきたみたいに、本能的に、反射的に。

「初めまして」

その言葉を聞いた彼は、落ち込んだような、何かを察したような、今までに見たことがないような顔で返事をくれた。

ヒロくんに一言残すと、カズヤは走ってその場を去る。

普通、罪悪感を覚えるべきなんだろうね、こういう時って。でも、私の感情は違った。

安心とか落ち着いたとか、そんなもの。

カズヤとの過去を暴露されなくて良かったとか、あの様子なら今後もカズヤからはバレないだろうな、とか。

クズだなぁって自分でも思うけど、私は自分のことしか考えられない人種なんだ。

面白い
泉優二て生きてるのかな

ヒロくんも良いようにカズヤが気を使ったと勘違いしてくれたし、一難去ったと思えば試合の話になってしまった。当然って言えば当然なんだろうけど。

試合を全く見ていない私には、差し当たりの無さそうな返事しかできない。

サッカーについて素人だってことは彼も知ってるから、特に何も突っ込まれることはなかったけど、危ない危ない。

ほっとしたのも束の間、今度はヒロくんの妹さんが現れた。

私の顔を見て、見覚えがあると言った彼女に、ヒロくんは似ている有名人としてお姉ちゃんの名前をあげた。

そう、私はお姉ちゃんに似ている。言うなれば劣化版お姉ちゃん。

私の唯一の長所である外見は、お姉ちゃんに似てはいるけど、それは私にとっては決して誉め言葉ではない。

似ているっていうのは、敵わないっていうのにも同義語だから。

更新止まってるぞ

とはいえ、そんなことで落ち込んでいるわけにもいかなくて、私は何ともないフリをして相手を続ける。

妹さんが去った後も、今後の試合の予定とか、私の気なんて知らずに「あいつ、カズって言うんだけど、すげぇ良いやつだからさ。もしまた見に来てくれるなら仲良くしてやってよ」なんて言うヒロくんを見ると、果たして彼は私のどこに好意を持ってくれたのか疑問になる。

やっぱり、顔? 外見?

そんなことを考える自分が嫌になるのと同時に、不安にもなる。

私の存在を認めてくれる人は、そしてそれを証明する魅力って、結局お姉ちゃんよりは劣っている容姿なのかな。

答のでない疑問だってことは自分でも分かってるんだけど、それでもまた考え始めてしまう。こういうのをドツボっていうのかな。

ヒロくんの話は少しずつ、少しずつ、私の頭の中を通り抜けていった。

あの日以降、私はヒロくんやカズヤたちの試合を見に行っていない。

カズヤにまた会うと気まずいって言うのが主な理由なんだけど、ヒロくんが何も言って来ないあたり、やっぱりカズヤは私たちの関係を黙っているのかな。

まあ、先輩にわざわざ話すようなことでもないだろうしね。

ヒロくんとはたまに遊んだり、連絡を取ったり。付き合ってはないけど、そろそろかなっていうのがずっと続いて、おあずけをくらってる感じ。

サッカーが楽しいのかな、彼から来る内容は試合の結果とか、デートのお誘いかのどっちかのことが多いし。

天皇杯? って言うんだったっけ? 大会で勝ち進んでるからそれで忙しいのかな。サッカーって、彼女とか恋愛とかより大事なんだろうか。私にはその感覚は分からないけど。

恋愛中毒の私には、私を魅力的だと証明してくれる男が欲しかった。

だから、結局ヒロくんと仲良くなっても恋人にはなってない以上、私を求めてくれる男と早く関係を持ち続けていた。

それはやっぱりナンパしてきた男とか、他の合コンで知り合った男とか。

世の中、好きな人としかヤりたくないって言う人もいるみたいだけど、私にしてみると、そんな精神的なことなんて何一つ関係がない。

事をする最大の理由は、どんな理由であれ私を求めていることがハッキリと分かるから。

だから、私を求めてくれないヒロくんに対してフラストレーションがたまる。そして、私を求めようとしないからこそ、ムキになって彼に自分を求めさせようとしてしまうんだ。

最近ペース落ちてるけど楽しみにしてるから是非完走してほしい

そんな風に、どうやってヒロくんを最後まで追いつめるか悩んでいると、彼からメッセージが届いた。

内容は「試合に勝ったから、次は決勝戦。よかったら応援に来てね」というものだった。

彼からストレートに見に来てほしいって言われたのは、あの日以降では初めてだった。だからこそ、私も行かずに済んだっていうのもあるんだけど。

カズヤに会うリスクはあるけれど、ここで行くと言えば彼は私を求めてくれるのだろうか。

悩んでも答はでなくて、「考えておくね」と先延ばしにするだけの返事をしておいた。どうせ、そんな答なんて延ばしたところで決められないくせにね。

>>309
最近仕事やその他諸々忙しくて中々更新できなくてすみません……
必ず完結させます。ありがとうございます。

楽しみにまってるよー

今日の朝に見つけて一気読みしちまったよ。完走まで頑張ってくれ

乙、これは久しぶりの名作になる予感…

試合の日が近づいてきても、私は行くか行かないかを決めかねていた。考えておくって返事をした時点で、こうなることは分かっていたんだけどね。

繰り返すと、私はサッカーに興味はない。

でも、ヒロくんを落とさないことには、私の自尊心であったり欲であったりを満たすことは出来なくて。試合の応援にいくということが、その欲を満たすうえでマイナスになることは、きっとないはず。

うーん、どうしよう。

めんどくさいな、でも行ったらヒロくんも私のものになってくれるのかな。

悩んで悩んで、私は結論を出した。

晴れてたら、行かない。日焼けしちゃうから。でも、そうじゃなければ。

うん、そうしよう。

雨の降るなか、私は新しく買った傘で雨を防ぎながらサッカー場に来た。

甲斐甲斐しいわね、私も。

正直かなり面倒だったけど、一度決めたことだったし、梅雨に備えて買った新しい傘がお気に入りだったっていう理由で私はここまで来た。

前回は試合を全く見ずにヒロくんと話して、試合についての会話でちぐはぐになってしまったのが自分でも分かったから、少しは真面目に試合を見ようと後半が始まるくらいには到着した。

スタンドに着いて、雨の当たらない一番後ろのベンチに座る。ないとは思うけど、カズヤに気づかれたくないし。

何列か前には、やたらし集中して見てる女の子がいた。前もいた子かな? この雨のなか、やたら可愛い帽子を被っている。

ちょうどハーフタイムが終わって、選手たちがグラウンドに散らばろうとするところだった。ヒロくんは……いた。カズヤと並んで入ってきてる。

この間も一緒にいたし、やっぱり仲は良いのかな。私としては複雑だけど。

スコアボードを見て、現時点でヒロくんのチームが負けているのは分かった。

でも、素人の私が見ても、何となくヒロくんたちの方がボールを持っている時間が長かったり、相手陣地で試合を進めているように感じられた。でも、負けてるってことはやっぱりそういうわけでもない?

ただ、カズヤがボールを触る機会が多いのは、私が知り合いだからとかそんなのを抜いたもしても、はっきりと分かった。

知り合いが試合に関わる時間が長いからか、以前のように携帯を触ることもなく、試合を何となくぼーっと眺めている。

シュートを打ってもなかなかゴールとはならなくて、面白いとはあんまり感じないんだけどね。

素人には、サッカーの試合時間はあまりに長すぎる。カズヤはボールを持ってもすぐにパスだし、ヒロくんもあまり関わりはしない。

だんだ飽きそうになってきた頃、ヒロくんがびゅーんって擬音が聞こえてきそうな速いパスをカズヤに送った。

うわっ、すごい、何かちょっとかっこいい。

乙!
完走を前提とするんじゃなくて、書きたいコトを全部書くというようにすれば、いいんじゃね?
何故ならば俺が読みたいからww

走り抜けてそのパスを受けたカズヤは、仲間選手にぴったり合う浮き球を返した。

そして、それを止めることなく放たれたシュートはネットを揺らした。

何がとか技術的なこととか、具体的なことは分からないけど、凄いゴールだってことだけは私にも分かった。少ないとはいえ、観客も湧いてるしね。

グラウンドの上の選手たちは喜んで走り回っているんだけど、最後のパスを出したカズヤは少しゆっくりと顔をあげて、こちらを向いた。

何となく、見つけられたくなくて私は俯き気味になって彼の様子を見る。何を見てるんだろ、時計?

分からないけど、何だか遠目に見て満足気なのは雰囲気で分かった。動転に追い付いたから……なのかな。

試合が再開すると、それまで以上にヒロくんチームは相手チームを攻め立て始めた。

カズヤがその攻撃の中心となっていて、自然と私の目はそこに惹き付けられる。

全然近くからではない。遠くから、サッカーをしているカズヤをただ眺めているだけ。

それなのに、私には何となく確信を抱いていて。彼はきっと、輝いた目をしている。

付き合う前や、付き合い始めたばかりの頃、私が好きだったものだ。

懐かしくて、でも、それはもう私が近くで見ることができないとも分かっている寂しさもあって。

自分から手放した彼が、何だか惜しくも思えてしまう。

カズヤがパスを受けると、急にドリブルを開始した。

相手を抜こうとして、見事にそれは現実のものとなって。

サッカーなんか全然わからないけど、カズヤのそれは私を……ううん、たぶん、カズヤのチームを応援する人たちみんなを魅了している。

応援したくなるって気持ちだけじゃなくて、何て言えばいいか分からないんだけど。ほら、アイドルは歌とダンスが上手くなくても人気な子がいるみたいっていうか。

スター性? それも違う気がするけど、とにかく目を離させてくれない。

初めて試合を見に来た日には全然試合を見てなかったから気づかなかったけど、誰もがカズヤに目を向けてしまうような。そんな雰囲気を、今のカズヤは持っている。

相手陣地に切り込んで行くその姿を、目で追いかける。

この間まで私のものだったはずのカズヤは、私の手から逃げていくように走っている。手放したのは、私からだったはずなのに。

彼が蹴った強いボールはそのまま相手選手にぶつかって、ゴールへ転がって入った。

前の席に座っている女の子は、立ち上がって声をあげた。応援団も、カズヤの名前を叫んでいる。

喜びを爆発させるカズヤとヒロくんは、何だか本当に血の繋がった兄弟みたいに見える。

……今日はヒロくんのために来たはずなのに、カズヤばかりを追いかけてた。

そんな現実に気づいて、少し呆然としてしまったり。ヒロくんを落とすために来たはずなのに、今、私はそれ以上にカズヤに魅力を感じてしまっている。

頭を軽く横に振って、その考えを消し飛ばそうとする。

私はヒロくんのために来た。カズヤのことなんか、惜しくも何とも無い、ただの元カレ。今までに捨てるように別れてきた男たちと同じで、私を幸せにしてくれる男ではなかった。

何度も何度も繰り返して言い聞かせていると、試合再開に向けてポジションに戻ろうとするカズヤがまたこちらに目を向けた。

見ちゃダメだって、また俯く。なのに、私の目はしっかりと彼を視界の端に捉えてしまっている。彼は自分の頭のあたりを指さして、ガッツポーズを見せてきた。

あっ、帽子?

他の人は分からなかったかもしれないけど、最後列に座っていた私には何となく彼が意味していることは分かった。

私のちょっと前に座っている女の子の帽子について、カズヤはアピールをしている。

何、あの子がカズヤの新しい女なの?

ヒロくんを目当てで来たはずなのに、昔の男のことで嫉妬みたいな……いや、みたいなじゃない。これは嫉妬だ。

私より前にいるから顔も見えないし、二人がどんな関係かも分からないけど。それでも、私は何だか二人が仲が良いってことが分かっただけでも、モヤモヤした気持ちになってしまう。

自分から離れていったはずなのにね。

そんな気持ちで心の中が埋まっていると、試合は終わってカズヤ、ヒロくんたちのチームは優勝していた。

試合が終わると、カズヤがスタンドに近づいてきた。

私の前に座っていた女の子は、スタンドの最前列まで小走りで向かっていった。その初々しさが、何だか私には眩しすぎる。

カズヤは、もう私なんか眼中に入りすらしないことは分かっていても、やっぱり気づかれるのも何だかなぁって気が少しはしていて、背中を向けて帰り支度をするフリをする。

スタンドの最前列とはいえ、グラウンドとは結構高さが違うから、カズヤの声も彼女の声も気持ち大きめになっていて、その会話は私にも筒抜けだった。

少女漫画でも無さそうな、思春期みたいな青春みたいな会話が私の耳に入ってくる。

被ってくれたんだ、って……あの帽子はやっぱりカズヤからのプレゼントなんだ。

かっこよかったなんて、言わなくても分かるでしょ?

一々そんな風に考える私もその度に何だかイライラしてしまって、もう耐えられない。

最初はヒロくんに声をかけて行こうと思っていたはずなのに、二人の会話を耳にしたくなくて、誰にも気づかれないように私は足早に会場から去っていった。

面白い…!!

同じく

試合、実は見に行ってたんだ。おめでとう、かっこよかったよ!

そんなメールすら送れないまま、日々は過ぎていく。

私の頭の中を埋めているのは、ヒロくんじゃなくてカズヤになっていた。

私と付き合っているときには見せなかったような初々しさで、あんなに輝いていた。私が今、どんなにワガママな感情を抱いているかは、自分が一番理解できているつもりだ。

それでも、私はカズヤが私から離れて他の女に向かっていくのが何だか辛い。寂しい。

ある意味、否定を目の前で見せつけられたからなのかな。

私が良い女じゃないから、執着せずに次の女に向かわれてるっていうか。

少なくともカズヤの様子からは、私のことなんか微塵も引きずって無さそうに見えた。まるで、お姉ちゃんだけじゃなく、あの子の方が私よりずっと良い女だってみたいに。

ううん、そんなことはないはず。

自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。

あの子を好きになったのは、私と会ってないから。話してないから。私と会えば、カズヤはあの子より私を好きになるはず。間違いない。そうだ、そうだよ、会えば良いんだよ。そうすれば、カズヤだって昔みたいに私を求めてくれるんだ。

そんな名案に気がつくと、私は充電器に繋いでいた携帯電話を手に取った。

携帯電話に映った番号は、登録されてないものだった。

誰だろう……見覚えのある番号だから、今までに繋がりのあった誰かだとは思うんだけど。

僕は連絡を取らなくなった人とか、会わなくなった人のアドレスとか電話番号を時々整理している。だから、たまに誰か分からない人から電話がかかってくると困るんだよね。

消さない方がいいのかもしれないけど、それは何だか邪魔くさくて結局消してしまうのはやめられない。

とりあえず、電話を受けて声で確認しよう。

スマホの液晶をスライドさせて、電話を受ける。

「もしもし?」

『もしもし、カズヤ? 久しぶりね』

「……サキ?」

まさかと思いながらも、僕はその声にはっきりと聞き覚えがあった。

「そうだよ。え、分からなかった? 番号変えてないんだけどなー」

フラレて体調を崩した後、僕は色んな未練を断ち切るためにサキの連絡先であったり、写真であったりを全部消してしまった。女々しいって言われたらそれまでだけど、あの頃の僕にはそうすることでしか諦める方法がないように思えたから。

それからはサキから連絡が来ることもなかったし、彼女からコンタクトをとってくるなんてことは考えもしなかった。

だから、何て反応して良いか分からなくて。

「この間、試合を見に行ったんだ」

この間……予選の初戦のこと? それならあまりに今更過ぎるし、それがどうしたというのだろう。

僕にはサキの意図が分からなくて、彼女の言葉と何の脈絡もないって分かっているけど、問いかけてみる。

「何? 今更何の用? 何で電話してきたの?」

言葉がキツくなってしまうのは、きっと僕がまだまだ子供だからなんだろうけど。


深夜に一気読みしてしまった
ゆっくりでいいから完結までしっかり書いてくれ

「カズヤがさ、凄い勢いでドリブルしていって、ゴールが入ってっていうのを見て。かっこよかったよ」

「いや、だから、何? どうした?」

まさか、そんな感想を言うためにわざわざ電話をしてきたのだろうか。

「ああ、ありがとう。それだけ? 切るよ?」

僕からサキに話すことは、何一つない。

ヒロさんと付き合うなら、どうぞご自由にって感じだし。

「待って、違う、違うの」

「じゃあ何?」

違うって言ったって、僕からサキへ用事がないように、逆だって全く無いように思える。あの「初めまして」以外、僕たちは別れて以降何の関わりもなかったはずだ。

おお…おお…

「あのね、相談したいことがあるの」

「そんなのヒロさんに聞いてもらいなよ」

「ダメなの、ヒロくんじゃ。カズヤじゃないとダメなの」

「何でだよ。それなら他の友達でも良いじゃん。悪いけど、他をあたってよ」

冷たいとかキツイとか思われても、それが当然ってものじゃないだろうか。僕だっていいように傷つけられたのに、何で僕がサキの相談なんかに乗ってあげないといけないんだろうか。僕は仏じゃなければ、今や都合の良い男でもない。

「ヒロくんのことなの」

小さく、彼女は呟いた。

「えっ」

「ヒロくんのことで、相談したい事があるの」

「だから、それなら 僕じゃなくて……」

「ううん、カズヤじゃないとダメなの。カズヤが一番、ヒロくんのことを分かってるでしょ?」

そんなことを言われると、すぐに否定の言葉が出てこない。

尊敬して憧れる先輩との仲をそんな風に言われると、あまり強く否定することもできなくて。

「カズヤ達にもそういう風なのか分からないけどね、ヒロくん最近元気がないの」

それには、僕にも思い当たる節があった。

元気がないっていうか、明らかに僕との距離を掴み損ねている感じ。それは、僕に限った話じゃないんだろうか。

「カズヤ、何か知らない?」

「……」

頭に浮かんできたのは、ミユとの一件だった。

練習にも来なくなったミユを心配しているのかもしれないし、もしかしたら決勝戦後、スタンドで起きた出来事を見かけていたのかもしれない。

「……分からない」

僕に返せる言葉はそれだけだった。

「そっか……」

「それだけ? 悪いけど、その件に関してなら力になれないから、もう切るよ」

ていうか、むしろ僕が聞きたいくらいだし。ヒロさんは、何があってあんなに変に気を使うようになってしまったんだろう。

「続きがあるの」

「はっ?」

まだあるの?

「私ね、ヒロくんに乱暴されてるの」

クズ揃いのこのSSの中でもサキは別格だな!

「はっ?」

何を言ってるんだ、こいつは。

「ヒロくんさ、何でか分からないけどストレスがたまってるみたいで……。この間、遊んだ時にさ」

「いやいやいやいや、待てって。乱暴されたって、何、ヒロさんに?」

まさか、ヒロさんがそんなことをするはずが無い。

「そうだよ……って、言ってるじゃない」

「嘘はやめろよ」

「嘘じゃないの……本当に……ひっく……」

電話越しに聞こえてきたのは泣き声。いや、嘘泣きなんだろうけどさ。

「あのさ、何、騙して楽しい?」

苛立ちを募らせながら、僕は彼女を責め立てるように言葉を続ける。

「僕がヒロさんよりサキを信じると思う? 自分が何をしてきたか考えなよ」

正論すぎる

「何で、信じて……ひっく、くれないのぉ……」

「信じられるような情報もないし、ヒロさんはそんなことする人じゃないから」

少なくとも、僕にとっては『ヒロさんがサキに乱暴をする』ことと、『サキが嘘をついていること』では、後者の方があり得ることに思える。

「何でよぉ……ひっく、私が、こんなことで嘘をついて、何の、得になるって……」

「知らないよ。でも、悪いけどそういうことだから」

これ以上話を聞くつもりにはなれなくて、僕は電話を切って、そのまま電源も落とした。

急に連絡を寄越してきたと思ったら、一体どうしたっていうんだろう。ただでさえ、ヒロさんとの間に微妙な空気が流れているし、試合も近いというのに、余計な茶々を入れないでほしい。

もしかして、以前受信したメールもサキからだったのだろうか。

添付されていた画像を見て、誰が送ってきたのか、何で送ってきたのかは分からないけど、悪意だけは明確に察知できた。

使い捨てのフリーアドレスだったから、誰からのものなのかは分からなくて、それが尚更不気味さを際立たせてもいた。

「最近、何かおかしいよなぁ」

まるで、呪われているみたいに。

とはいえ、呪われていようがそうでなかろうが日々は過ぎて、試合も近づいてくる。

勝とう。まずはそこからだ。ここまで他のことで呪われているなら、サッカーでくらいは良いことがあってほしい。

おおお…

カズヤに失望されようと、人の彼氏と寝やがってと罵られても仕事は毎日やって来る。

ネオン街の風俗やらキャバクラやらが集まったビルに、いつもより浮かない顔で今日も向かう。

仕事、嫌だなぁ。

働きたくないっていうよりは、外に出たくないっていうか、人と顔を会わせたくないっていうか。

ビルの汚いエレベーターに乗って、自分のお店へと近づいていく。

カズヤは初めてここに来たとき、どんな気持ちでこのエレベーターに乗ったんだろう。

ふと、そんなことを気にしてしまった。「今から風俗で遊んでやるぜー」なのか、それとも「緊張するなぁ」なのか、それとも別のものなのか。

「おはようございまーす」

スタッフに挨拶をしながら開店前の店内に入っていく。

女の子の待合室の中には、うちのお店の中では数少ない、私より歴が長い先輩がすでに到着していた。珍しいなぁ、いつもは私が一番なのに。

「おはよう」

「あっ、おはようございます」

挨拶を返すと、彼女は私に問いかけてきた。

「珍しいわね、私の方が早いなんて。今日はゆっくりしてきたの?」

「ゆっくり、というか……」

スタンドでの出来事を考えると、夜に眠れなくなってしまったから寝坊しちゃったんだけどね。

それを言うのも何だか躊躇われて、私は言葉を濁す。

「いや、そうですね。ちょっとゆっくり……」

「そう。何だか目も充血してるし、大丈夫? 体調悪いなら休みなよ」 

「……そんなにですか?」

「うん、めちゃくちゃ目が腫れてるし。何、辛いことあった?」

「辛いこと、なのかな……」

辛いこと。

あれを辛いことと言っていいのか、私には分からなかった。だって、あれは自業自得でしかないわけだし。

私がホストにはまっていなければ、あんなことは起きなかった。カズヤっていうお客さんとこそこそ会わなければ、競技場にも行ってなかった。

そういえば、と考えを巡らせる。

彼女も以前、お客さんと付き合っていたことがあったと噂で聞いたことがある。スタッフには秘密にしていたけど、女の子同士ではそういうことって何となく広がっていくものだ。

今日はまだ、スタッフもそんなに出勤していなくて店の前に立っていた一人だけのはずだ。

私は彼女に少し近づき、小声で問いかける。

「あの、ちょっと聞きたいんですけど……」

「私に? 何?」

「あの、昔お客さんとお付き合いしてたって、本当ですか?」

「……私?」

彼女は目を大きくさせながら、問い返してきた。

「はい、噂で聞いて……」

「それは何、興味本意で聞いてるの? それとも、あなたがそういう状況だから?」

「付き合って、ではないんですけど……」

言葉を濁すことしか、私にはできなかった。

「お客さんのこと、好きになっちゃった?」

その質問には答えずに、答えられずに、私は彼女の目を見つめる。

彼女も何かを察したように私を見返し、小さく呟いた。

「野次馬根性、ってわけではないみたいね……」

「えっ?」

「ううん、その通りよ。そういう時も、私にはあったわ。噂で聞いた子によく尋ねられるけど、興味本意の子には話しても楽しい話じゃないからね」

「あっ……ごめんなさい」

失礼な質問を直球で投げ掛けた自覚はあるんだけど、彼女の場合はどうだったのか。

「ううん、いいわ。今落ち込んでるのは、それが原因?」

「何かされたとか、言われたとかじゃないんですけど……。ただ、ちょっと何て言うか……自分でもどうしたら良いか分からないんです」

「だから、私を参考に?」

それには、私は頷きで返す。

「変わってるのね。普通、そういうことって隠そうとするものじゃない? 一応、禁止されてるわけだし」

「どうせいつかは噂になるなら、変わらないじゃないですか」

本当は、彼女の今までの問いかけから、きっと他の女の子には話さないだろうって思ったのと、藁にもすがる気持ちだからっていうのがあるんだけど。

「あはは、確かにね。私もそうだったし」

ふぅ、と一息ついて、彼女は言った。

「良いわ、話してあげる。でもあくまでこれは、私の場合だからね」

ちょうど一年前くらいかな、たまに来るお客さんがいたの。

顔も悪くないし、話も面白かったし、ある日こそっと連絡先を書いた紙を渡して、それからお店の外でも会うようになったのね。

『その時からもう好きだったんですか?』

うーん、どうなんだろうね。でも、嫌いじゃなかったし、もしかしたら好きだったのかも。

それで、一ヶ月くらい経ったときかな、彼に付き合って欲しいって言われて。

まあ、悪くないしいいやって軽い気持ちで始めたの。軽い気持ちでね。

『罪悪感とかは……』

何に対する?

あ、お店のルール? 無いわけじゃないけど、あんなのって形式だけみたいなものだから。

好きでもないお客さんから言い寄られたときの逃げ道っていうか……私だって嫌いじゃないんだから、いいやって思ったのね。

なかなか進まない悲しい

で、付き合い始めたわけだけど。

噂で聞いてるかな、私を可愛がってくれていた彼が、彼氏彼女っていう立場になったら変わっちゃったのね。

浮気されたり、体ばかりを求められたり。

普通にデートすることなんて、すぐになくなちゃった。

でもね、それをやめてほしいって言っても、『お前だって仕事で他の男とヤッてんだろ』って言われたら、私は何も返せなかったの。

最後までヤッてるわけじゃなくても、もう同じことだって。

それで、衝突とか喧嘩とか増えちゃって、彼も元々遊び好きな人だったみたいだから、やめさせることもできなくて。

『お前に仕事を辞めろとは言わないけど、お前が他のやつとヤッてるんだから俺もヤる』ってね。

そういうのに疲れちゃって、別れちゃった。

……私の話は、こんなところ。知ってることばかりだったらごめんね。

とまってるぞ

彼女の締めの言葉に、私は首を横に振って返事をする。

「いえ……あの、ありがとうございます。話しづらいこと、話してくれて」

「良いのよ、別に。参考にならなさそうなことでごめんね」

ただ、と続けた言葉に耳を傾ける。

「やっぱり経験者からは、それは推奨はできないわね」

それ、つまりカズヤとのこと。

「こういうお店に来てる時点でさ、人への愛情とか純情さとか、そういうのが無くてもヤレる人だってことだしね」

少し哀しそうに、彼女は呟いた。

風俗は金銭と行為の交換で、つまりカズヤも好きな人じゃなくてもヤりたいからここに来たってこと。

いや、まぁ実際にするわけじゃないんだけど、それは大した問題じゃない。

「止めろとは言わないわ。どの口がって話だし。あとは、あなたが決めることだから」

そう言って、彼女は立ち上がって「お手洗い行ってくるね~」と扉を開けた。

あとは私が決めること。決断力の無い、この私が。

うむ

私が決めるべきことは、一体何なんだろう。

今は、それすら分からなくなりつつある。

カズヤとのことを決めるのか、今の自分を変えることなのか。

そもそも、私は彼のことを好きなのか、そうじゃないのか。

もちろん、人としては好き。そうじゃないと、わざわざ試合を見に行ったりなんかしない。

とはいえ、明らかに彼を「好き」だと認識しているにも関わらず、アキラに会ってしまう自分もいる。

アキラとは付き合っているわけではないから浮気とか二股ではないんだけど、じゃあ私は誰に対して愛情とか純粋さを抱いているんだろう。

私は何が好きで、誰を愛して、何に救いを求めているんだろう。カズヤとの関係性の終着点に、何を求めているんだろう。

疑問だけが頭の中をいったりきたりするうちに、私を呼ぶスタッフの声が聞こえてきた。

こんな状況でも、私は愛情もなく男と行為を行う。

それが私の、今のお仕事だから。

忙しいそうだが頑張れ
完結させてくれればそれでいい

決めるって何を?

その疑問に決着をつけられないまま、夏は通り過ぎていく。

天皇杯初戦は8月の終わりに決まった。会場は予選の決勝と同じ会場だから、見に行こうと思えば行ける場所だ。

とはいえ、行くかどうかは未定。私が行くことで、カズヤに迷惑をかけちゃいそうだし。

世間は夏休みに浮かれているけど、私はそんな気持ちにもなれなくて。

例えば、本当に、例えばの話。

カズヤが私のことを、女として好きでいてくれたとしよう。そして私も、カズヤのことを男として好きだとしよう。

だとしたら、私はどうすることが正解なんだろうか。

っていうか、正解なんてあるのかな。

現状のぬるま湯を抜け出したいとは前々から思っていたけど、だったらどうすれば抜けることができるのか。

色んな事が分からないまま、私は仕事と家の往復に日々を費やす。

アキラにも、もう会いに行く気にはなれなかった。

少なくとも、彼に会うということが「正しいこと」ではないということくらいは、私にも分かったから。

アキラに貢がないとなると、手元にはお金が残っていく。

使い道、他に無かったしね。貢ぐ以外にもアキラに会いに行くために服とか買ってたけど、それももうないし。

家に帰ってテレビをつけると、アジアの大会に出ているサッカー日本代表がニュースに映っていた。

いつかカズヤとお店で話した選手、シンヤが負け試合で一人気を吐いてゴールを決めたところを繰り返し流している。

この冬、ヨーロッパのチームに移籍するのではないかと噂されているらしい。

やっぱり私には遠い世界の話なんだけど、今となっては彼と同じくらい、私にはカズヤも遠い存在に思えてきた。

日本代表のニュースが終わると、私は台所に向かって夜食を作り始める。

料理は嫌いじゃない。自炊すると好きな味付けにできるし、何となく、料理が得意な女って響きが可愛い気がするし。

まあ、それでモテたことなんて一度も無いんだけど。

自虐を心の中で入れながら、私はニュースを流し聞きして包丁を手にした。

お盆を過ぎると、いよいよ天皇杯が間近に迫ってくる。

応援に行きたいという気持ちと、私が行ったらまた迷惑をかけるのではって気持ちと、まだ決着はつけられていない。

そもそも、カズヤは私に会いたくないんだろうし。

あれ以来、お店にも来てないし。

そこまで考えて、私は何だか申し訳ない気持ちになる。

カズヤは今までに体も行為もしていないのに、お金を払って私に会いに来てくれて、プレゼントの帽子まで買って来てくれていた。

それなのに、私は彼に何をしてあげたんだろう。

試合後の疲れた体に、トラブルに巻き込んじゃって。

やっぱり、行かない方が良いのかな。

そこまでは何度も考えるんだけど、だからって行かないという決断もできない。

誰かがどっちかに、背中を押してくれたら良いのに。

そんな都合のいいこと、ありえない話なのにね。

考えても仕方ないから、私は久しぶりに買い物に出かけることにした。

まだ暑いけど、秋物の服も並んでいるだろうし。

ショッピングモールをしばらくうろうろしてみても、欲しい服は見つからなかった。

前だったら、アキラが好きそうな女の子の服を買い漁っていたんだけど、今はそれをする気になれないし。

カズヤはどんな服の子が好きなんだろう、あの美人さんが着てたみたいな服?

そんなことを考えても、答を誰かが教えてくれるわけでもなく、空しい気持ちになるだけ。
  
結局、私は荷物を何も増やさずにショッピングモールから出ることになった。

はぁ、何しに来たんだろ、私。

そのまま帰るか悩んだけど、それも何だか寂しい気がする。

少し歩いてみようかな、まだ夕方だし。

蒸し暑さはあるけど、曇っているから日差しはあまりきつくない。家と仕事の往復ばかりで不健康な生活を過ごしていたし、たまにはそんなのも悪くないかもしれない。

一歩、踏み出してみる。

うん、何かちょっと良いかもしれない。

私はあてもなく、そのまま歩き続ける。どこまで行くかも決めてないけど、何かちょっと楽しくなってきた。

気づくと私は、来たことも無いような場所まで来ていた。

周りも暗くなってきているし、そろそろ潮時かもしれない。

良い運動になった……って思うあたり、私もだいぶ変わってしまったのかな。たぶん、カズヤのせい……おかげ、なんだけど。

どうせだから、初めて来た場所で、初めて行くお店でご飯を食べてから帰ろうかな。 

適当にお店を探しながらうろついていると、何だか落ち着いていて雰囲気の良いお店を見つけた。

個人経営みたいな、小さいお店だけど、それがお洒落でちょっと可愛い。

うん、決めた、ここにしよう。

入口のドアを開けると、店員さんが私を席に案内してくれた。 
 
……あれ、この人、どこかで見た気がするんだけどな。どこだろ、思いだせないや。

夕飯には微妙に早い時間だからか、今はお客さんは私しかいない。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

その声の響きも、聞いたことがあるような、ないような。

……ダメだ、思いだせない。

モヤモヤしながらも、それを考えるのを一旦止める。

混雑する時間になる前に注文して、迷惑にならないうちに帰ろう。

気持ちを切り替えてメニューを見てみると、洋食のセットが並んでいた。

うーん、どれにしようかな。悩む。

早く注文しようとは思っていたけど、こういう時、私は優柔不断なんだよね。

どうしよう。

そうやってメニューとにらめっこをしていると、ドアの開く音がした。

チラッとそちらに視線だけ向けると、私はその顔に思わず声を漏らす。

うん、どんどん続けて

ってかカズヤみんなが言うほど酷くは感じない
なんなら気持ちわかるまである

「あっ」

その声に、彼はこちらを一瞥した。

「あれっ、カズの……」

「こんばんは」

ぺこり、と頭を下げた私に、彼は言葉を続ける。

「俺、分かる? カズのチームメイトなんだけど……」

「もちろん、オオタさん……ですよね?」

「あっ、分かるんだ、凄いね、あの一瞬で」

それはお互い様というものではないだろうか。私がカズヤの知り合い……なのかは分からないけど、そうだって分かるあたり、彼の記憶力も凄いと思う。

「いえ、あの、その前にも試合を見に行ったことがあって、上手いなぁと思って」

「そう? ありがとう。今日は一人?」

「あ、はい。散歩してたらお腹が空いちゃって。オオタさんも一人、ですか?」

「あー、うん。恥ずかしいんだけどね、練習が終わって誰も捕まえられなかったから、今日は一人」

そうなんだ。カズヤはオオタさんのことを慕っていたのに、都合が悪かったのかな。まあ、私が口出しすることじゃないか。

なるほど、と私が言葉を漏らすと、彼は私に問うてきた。

「えーと……ごめん、名前を聞いても?」

「あ、えっと……」

何て言えば良いんだろ、本名……は、カズヤも知らないのにオオタさんに先に教えるのも何か変な感じかな。

「ゆう、って呼んでください。そう呼ばれることが多いので」

源氏名なんですけどね、とはもちろん言えなくて。

「了解ですっ。えっと、俺はオオタで間違ってはないんだけど……ヒロって呼んでもらえたら。カズもそう呼んでるからさ」

「あっ、はい。ヒロさん、ですね」

「申し訳ないんだけどさ、俺、一人だからさ。もし嫌じゃなかったら、ご一緒させてもらっても良いかな? あっ、カズに申し訳ないとかなら全然断ってくれていいから!」

とは言われれても、私がオオタさん……ヒロさんとご飯を食べることには特に問題はない。むしろ、カズヤのことを聞いてみたいし。

もちろん、と返事をしようとしたところで、店員さんがやっとヒロさんの案内にやって来た。

店員さんは、ヒロさんの顔を見ると驚いたように目を大きくし、彼に声をかける。

「オオタくん?」

「えっ、あれっ、もしかして……」

どうしたんだろう、お知り合いなのかな。

面白いよ

「キックスのキャプテンの……」

「こんばんは……というよりは、いらっしゃいませ、なのかな」

挨拶をする名札には、YAGISAWAと書かれていた。

キックスといえば、この間の試合でカズヤやオオタさんが試合をした相手のはずだよね。だから見覚えがあったんだ。

「ヤギサワさん……の、お店なんですか?」

ヒロさんが驚いたように問いかけると、彼は笑いながらそれを否定する。

「いやいや、奥さんの実家の店なんだけど、今日はちょっと手伝いにね。えっと、彼女は……お連れの方?」

「えっと……カズ、うちのサイドバックやってたあいつの……」

「彼女?」

いやらしさも無く、というか単純な疑問のように、ヤギサワさんは私に問いかけてきた。

「いえ、違うんですけど……はい」

歯切れ悪く返事をすると、彼はこれ以上この話題に触れないようにオオタさんに話を戻した。

「っと、それで、お一人様?」

「あー、そのはずだったんですけど。えっと、彼女と同じ席で」

「かしこまりました、どうぞ」

茶目っけありげに最後だけお堅い言葉を残して、ヤギサワさんは、ヒロさんのお水とメニューを取りに厨房に向かって行った。

「ごめんね、失礼します」

ヒロさんも席に座って、戻って来たヤギサワさんから手渡されたメニューに目を通している。

そうだ、私も注文を決めないと。

「ヤギサワさんのお勧めは?」

「俺が頼むのはハンバーグかな。でも人気が一番あるのはデミグラスのオムライス」

「じゃ、俺はハンバーグのセットで。ゆうちゃんは決まった?」

「あ……じゃあ、オムライスで」

こういう時、勧められたもの以外を注文することって出来ないよね。何を頼むか決めてなかったから良いんだけど。

ヤギサワさんはオーダーを伝えに厨房に向かうと、そのまま中に残っているみたい。お客さんがまだ私たちしかいないとはいえ、他にもすることがあるのだろう。

「今日、練習だったんですか?」

とりあえず、同じ席に座った以上何かを話さないと気まずく感じてしまう。

共通の話題なんてカズヤしか見当たらないし、そこに近そうなことを聞いてみよう。

「あ、うん。天皇杯も近いしね」

「今月末? でしたっけ。そうそう、出場おめでとうございます」

今さらだけど、一応賛辞も贈っておこう。

「ありがとね。また応援に来てくれるの?」

「それはまだ……考え中です」

考えて、結論がでるのかはわからないけど。

「そっか。まぁ、来れそうならうちのホームだし是非来てもらえたら。カズも最近元気ないし、嬉しいんじゃないかな」

「そうなんですか?」

どうしたんだろ、夏バテ……とかじゃないかな。私のせい?

「最近、会ってないの?」

「あ、はい」

そもそも、会おうとしても会いようがないから。

カズヤがお店に来るか、私が試合を見に行くか。その二択以外、私には彼に会う手段も連絡をとる手段もない。

「じゃあ、そのせいなんじゃない?」

だってカズは明らかに君のこと好きそうだし。

そう、彼は笑いながら呟いた。

冗談なんだろうけど、私は顔が赤くなるのを止められない。冷房の利いた室内なのに、熱くなってきて仕方が無い。

「いや、そんな……」

「そう? 俺、あいつの浮いた話聞かないし、絶対そうだと思ってたんだけど」

あ、そっか、元カノのこと、ヒロさんは知らないのか。

「妹がカズのこと好きそうだったから、残念なんだけど」

「あ、妹さんがいるんですか?」

「そうそう、うちのチームのマネージャーみたいなことしてるんだけどね」

……あの子か。アキラの彼女。

でも、カズヤのことを好きそうって、一体どういうことなんだろう。

私には二人に色目を使うなと言って来て、彼女はカズヤも狙っている?

「そう、なんですね」

薄く相槌を返し、続きを促す。

「そうそう。まぁ、気のせいなのかもしれないけど。君とカズが仲よさそうなの見て、ちょっと落ち込んでたし」

「妹さんに、悪いことしちゃいましたかね」

そんなこと、全く思ってないんだけど。
 
でも、お兄さんであるヒロさんには何の罪もないし、とりあえずそう返しておくのが無難なのかな。

「いやいや、それはカズが選ぶことだし。まぁ、本当に、良かったら試合見に来てよ。俺も応援してくれる人は多い方が良いしさ」

「……はい、行けたら」

悩んでいたのが決まったわけではないけど、そう言われると行こうかなって気になってしまう。

元々、心の底では行きたい、カズヤを見たい、会いたいって気持ちがあったのは分かっていたことだし。

ちょうど話が落ち着いたところで、ヤギサワさんがオーダーした料理を持ってきてくれた。

「お待たせしました、ハンバーグと……こっちがオムライス。で、何、天皇杯の話?」

「あ、はい。よかったら応援に来てね、って」

「君、あのスタンドにいた子? 行ってあげなよ、次はともかく、勝ってプロと当たるようになったらサポーターに圧倒されちゃうよ、まいるぜ」

「あ、経験者は語る……ってやつですか?」

その言葉に、ヒロさんは笑って返すけど、私はわけがわからなくて問い返す。

「プロ……って、どういうことですか?」

「あれ、天皇杯のことはあんまり分かってない?」

大会の名前が天皇杯、次の試合が近くで開かれて、相手のチームは他の都道府県の代表。私に分かっているのはそれだけだった。

「えっと……日本一、を決める大会……なんですよね?」

私の曖昧な問いかけに、ヒロさんは答を教えてくれる。

「そうそう。そうなんだよ。でも、アマ日本一じゃなくて、プロもアマも合わせた大会なんだ。プロは予選免除だけどね」

「えっと……それって……」

「だから、勝てば勝つだけプロと試合が出来るってこと。正月に決勝のテレビ中継とか見たことない?」

「今は決勝も正月じゃないけど」

そんな些細なツッコミも耳から通り過ぎるように、私はショックを受けていた。

「プロってことは……あの、日本代表選手とかとも……」

「まぁそうだね、そういうチームと当たれば、だけど。次に勝っても、うちが当たるのはニ部だから」

「でも、オオタくんも所属してたチームだし、思うものはあるんじゃない?」

茶化すようにヤギサワさんが口を挟む。

所属していたチーム?

驚きを表情に映していたのか、ヒロさんは私に説明をしてくれる。

「あれ、カズから聞いてない? ……って、自意識過剰か。一応、ニ年前までプロだったんだ、ニ部チームのベンチメンバーだけど」

「えっ、」

頭の中でどんどん新しい情報が更新されていって、私はうまく処理をできずに声を漏らすだけだ。


大変かもしれんが書き溜め方式に替えた方がいいかもね
一回の更新量があんまり多くないから少し読みにくい
まあ完結さけてくれれば嬉しいよ

乙!

俺は別に今のままでも良いというか、>>1のやりやすいペースで何も問題無いけどなぁ

更新の仕方に口だして作者がそれに替えてエタったのを何回か見たことある
外野の意見はスルーを推奨しつつ次回の更新も楽しみにしてます!

その声に反応して、ヒロさんは説明を続けてくれる。

「まぁ、早い話がクビになってさ。それで、今のチームに入って趣味でサッカーしてるわけ」

「はぁ……そうなんですね……」

プロっていう言葉は、やっぱり私には縁遠い世界の言葉にしか聞こえなかった。

じゃあ、カズヤは元プロ……っていうのがどんなに凄いことかは分かってないんだけど、とにかく凄い人たちとサッカーをしてるってことなの? 

「おいおい、俺は趣味でサッカーやってるやつに負けたっていうの?」

「あー、いやいや、あれは偶然……」

「それを本番で出されたら実力負けだって。本当に、あのサイドバックの子には参ったよ」

「あいつは趣味っていうか……サッカーが生きがい見たいなやつなんで。あ、カズのことね」

私にそう補足をしてくれて、ヤギサワさんも名前を知ったようだ。

「カズって名前なんだ? かーっ、名前までサッカー向きときたもんだ。キングかよ」

「それ、あいつに言ったら喜びますよ、ファンだから」

私でも何となく名前を聞いたことがある選手の通称が出てきて、私はクスリと笑みを漏らした。そういえば、考えたこともなかったけど、あの名選手と同じ呼ばれ方だ。

「本戦はあの子がキープレイヤーだろうなぁ……たぶんうちと同じで、他のチームも君のことに意識が向いてるだろうし」

「ニ部のベンチプレイヤーなんて、そんなに気にするもんでもないですよ。スカウティングされたら、むしろあいつの方が厳しいと思いますし」

その会話を耳にして、何となくカズヤが誉められているのは分かった。

元プロのヒロさんと、同じくらいなのかは分からないけど、とにかく評価されているカズヤ。

思っていた以上に、私と彼の距離はあるのかもしれない。

「まぁ、とにかく頑張ってよ。そして俺が言えることじゃないけど、冷める前に食べてね」

その言葉を残して、ヤギサワさんは厨房に戻って行った。

頭が混乱してすっかり忘れてしまっていたけど、美味しそうなオムライスが目の前には置かれている。

「いただきます」

手を合わせて挨拶をする。

何となくだけど、料理を食べる前に挨拶をしないと落ち着かないんだよね。自分で作った料理を家で一人で食べるとしても、それはつい癖で言ってしまう。

「お、礼儀正しい。じゃあ俺も……いただきます」

冗談っぽくそう言い残し、ヒロさんはハンバーグに、私はオムライスに手を伸ばした。

なんだろう、見た目は普通にどこの洋食店にもありそうなオムライスなんだけど、何て言って良いか分からないけどすごく美味しい。

卵はふわふわで、デミグラスソースも絶妙で、中には懐かしい感じのケチャップライス。

「美味し」

 
つい、ヒロさんが目の前にいるのを忘れて独り言が漏れてしまう程。 

それは彼も同じだったようで、「うまっ」と漏らしながら、どんどん手を動かしていく。

美味しいものを食べるとなると、ついついそれに夢中になって会話は減ってしまう。私は黙って手を動かしてオムライスを口に運び、ヒロさんはハンバーグを咀嚼する。

気づいたらお互いの目の前のお皿は空っぽになっていた。

「お、早いかなと思ったけどちょうど良かった? サービスだから。コーヒー飲める?」                           
いつの間にか厨房から戻ってきていたヤギサワさんは、アイスコーヒーのコップを二つ、私たちの目の前に置いた。

>>372 >>373 >>374
ご意見ありがとうございます。
書き溜めも考えているのですが、当面の間は書き溜める余裕もなさそうです。
とりあえずしばらくは現状維持の投稿をしつつ、
週末や休日に書き溜める余裕がありそうでしたら、その際はまとめて投下するように意識したいと思います。

ぼちぼち2,3レス投下のほうが俺は好きだけどな

完結してくれるならどんな投下頻度でもいいよ

「ありがとうございます……、すいません」

「良いの良いの、若い人は気を使わなくて。で、オオタくんたち、実際どうなの、調子の方は」

「うーん……良くはない、ですね」

その返事に、ヤギサワさんは肩をすくめて言葉を漏らす。

「ちょっと、初戦は勝ってよ? 試合後にも言ったけどさ、プロとやるくらいまでは」

「それはカズに期待……ってことで」

ね、と私の方を見て笑うカズさんに、私は苦笑いで返す。

「ま、何にせよやっぱりカズくん? がカギになるんだね。俺も試合、見に行くからさ、応援するよ」

「ありがとうございますっ。やれるだけ、やってきます」

「おうおう、楽しみにしてる」

あ、何か良いな、こういうの。

敵なのに敵対してるわけじゃないっていうか、仲間っていうか。

男同士って、こういう入り込めない世界があるよね。

「羨ましいなぁ」

「何が?」

つい想いを言葉にしてしまったら、ヒロさんが問いかけてきた。

「いや、何ていうか、仲間……みたいな感じがして。チームメイトじゃないのに、良いなって」

「そう? でもさ、ゆうちゃんだってもううちのチームの仲間じゃん」

「えっ」

「違うの? 応援してくれない?」

「いや、してますけど……良いんですか、私なんかで」

「良いも何も、大歓迎だよ。特にカズは、そう思ってると思うよ」

あはは、とヤギサワさんは声を漏らして笑った。

何だろう、何だろう。この感情を正しく言葉にできないけど、それでもまとめるなら、ただただ嬉しい。

「……本当ですか?」

「うんうん、ていうか、嘘つく必要もないじゃん。本人に聞いてみる?」

ヒロさんは携帯を手にして、私に問いかけてくる。

「いやっ、それはさすがに……」

嫌じゃないけど、まだ平気な顔をしてカズヤと話せる自信は無い。

「そう? カズも元気出ると思うし……嫌じゃなかったら」

嫌というわけではもちろんないけど、私なんかで良いのだろうか。

私なんかが、あんなに迷惑をかけてしまったカズヤとまた話してしまって良いのだろうか。

「無理にとは言わないけど……」

そう言われてしまうと、急に惜しくなってしまうのが人間の心情じゃない?

悩んでいたのは本当なんだけど、でも、今を逃すと次はもっと悩んでしまって気まずくなってしまって、そんな気がした。

「……はい、お願いします。すみません」

「良いの?」

その確認には頷いて気持ちを表すと、ヒロさんはスマートフォンを操作して耳に当てた。

「あ、カズ、俺。今、大丈夫? 電車に乗ってない?」

どうやら、カズヤはまだ練習からの帰り道みたいだ。

確認をとったヒロさんは、「カズ、ちょっと電話代わるわ」と私の名前を出さずに耳から電話を話し、私に差し出してきた。

それをおそるおそる耳に当てると、ヒロさんは椅子から立ち上がり、「ちょっと話してくるから、ごゆっくり」と言い残し、ヤギサワさんと入口から店外へ出て行ってしまった。

「もしもし……」

「……えっ」

「えーと、私。ゆうです……」

「えっ、何で? 何で、どういうこと? ちょっと待って、何?」

カズヤはまるで状況が読めてないようで、同じことを何度も繰り返す。

まぁ、事情がすぐに飲みこめる方がおかしいんだけどね。

「落ち着いて、ご飯食べにきたらね、たまたまオオタさんに会ったの。それで、オオタさんが気を使ってくれて、電話させてくれたの」

「あっ、なるほど……って、今どこ? ヒロさんも練習帰りってことはもしかして近く?」

「えーっとね……」

散歩しながら来た道だから、ここを何て説明したらいいのか分からない。

何て伝えようと思っていると、張り紙にレストランの名前が見えた。私がそれを伝えると「……あっ、分かったかも、ちょっと待ってそこ向かうよ」と言ってきた。

「えっ、えっ」

そうなると、今度は私が混乱する番がやってくる。

「あっ、迷惑だったら止めるよ、ルール……だったよね?」

「いや、迷惑とか嫌とかじゃないんだけど……」

ルールなのはそうだけど、それ以上に会いたい気持ちがあるのは間違いない。

ただ、彼は良いのだろうか。

「会ってくれるの?」

あんなことに巻き込んでしまったのに。

それは言葉にできずにいると、カズヤは素で問いかけてきた。

「何で? むしろそれ、僕が言いたいんだけど」

それこそ、何で……なんだけど。

でも、きっと彼はそれを聞いても困るだけ、戸惑うだけなのかもしれない。

これが私の幸せな勘違いでなければ嬉しいんだけど、もしかしたら彼は私のせいで迷惑をかけられたとは、思っていないのかもしれない。

そんなことを考る私は、お気楽で頭が空っぽな女なのかもしれない。それでも良い。カズヤが迷惑じゃないと思っていてくれたのなら、それだけでもう私の悩みなんて無くなってしまう。

「……ううん、何でもない。楽しみ」

「ちょっと急ぐから電話切るね、また後で」

そう言い残すと、電話は切れてしまった。

……えっ、今から来る?

電話が切れて冷静になると、急に慌て始める私がいた。

どうしようどうしよう、そんなことになると思ってなかった。買い物に行ってたから服はおかしくないと思うけど、ここまで歩いて来たし汗臭くなってないかな?髪崩れてないかな?

そんな心配をしていると、ヒロさんたちがドアを開けて戻って来た。

「カズ、何か言ってた? 元気出てそうだった?」

「いや、何か……あの、こっちに来るって」

ヒュー、と八木沢さんは口笛を吹いてみせる。

「やるねぇ、彼」

「それくらい、プレーにも積極性があると良いんですけどね」

私はお礼を言いながら携帯電話を返して、荷物を持ってお手洗いに向かって席を立った。

髪型……うん、崩れてない。メイク……も、大丈夫。よし。

お手洗いの鏡でゆっくりと自分の顔をチェックする。仕事の時は薄暗いからよく見えないと高をくくっているんだけど、今日はそういうわけにもいかない。

深呼吸をして、お手洗いの扉を開けて、自分の席に向かおうとしたところで、入口が開いた。

「おい、おせぇよカズ」

「いやいやヒロさん……あんな急に……」

本当に急いで来たらしい、カズヤは汗を流しながらの登場だった。

「こんばんは」

私の声に、彼はこちらに目を向けた。何だか久しぶりのような、そうでもないような、不思議な感覚。

私は今ここで、彼と会っている。目を合わせている。それだけで、ある種の奇跡のような気がしてしまう。

「……こんばんは」

「ほら、じゃあカズ、後は二人で行ってこい」

笑いながらヒロさんがそう言うと、冗談のようにカズヤも返す。

「行ってこいって、どこにですか」

「そりゃ、お前が考えろ。俺は今からヤギサワさんと大人の話があるんだよ」

「ヤギサワさんって……あっ、こんばんは。キックスの……」

「こんばんは。ほら、女の子を待たせるなよ、行ってきな」

「えーっと……じゃあ、行く?」

その問いかけに、私は困ったようにしつつも頷こうとしてあることを思い出す。

「あっ、お会計……」

「そんなこと気にしなくていいから。オオタくんとカズくん? に、次の試合で勝ってもらうからそれが代金、ってことで」

プレッシャーかけないでくださいよ、とオオタさんが笑いながら突っ込む。ヤギサワさんも笑いを隠しきれない様子で言葉を続ける。

「ほら、行ってらっしゃい。俺は今からオオタくんと渋い大人のオトコ談義をするからさ」

「ありがとうございます……ごちそうさまでした」

申し訳ない気持ちもあるけど、こういう時は厚意に甘え無い方が失礼だと思う。

ぺこりと頭を下げると、カズヤは入口のドアを開けてくれる。

「じゃ、行こっか」

どこに行くか分からないけど、と照れ隠しのように笑うカズヤにつられて、私も笑ってしまった。

後ろから「暗いから気をつけて」と声をかけられると、それにお礼を告げてドアを閉めた。そのドアに吊るされていたのはcloseの文字。

……あ、そうか。気を使ってくれてたんだ。

私がカズヤと電話をしている時に、他のお客さんが来て邪魔をされないように。邪魔なのは私なんだろうけど。

それにしても、改めて状況を考えると何だか緊張してしまう。

会いたくて、でも会えないと思っていたカズヤが隣にいる。それも、予想外に。

何となく、お互いに声をかけられないままお店から離れるように歩き始めた。気まずい沈黙ではないけど、私には話さなければいけないことがある気がする。

「「あのさ」」

話を切りだす声が重なって、私たちは視線を合わせた。お互いに小さく笑いながら、相手の言葉の続きを待つ。

「えっと……どうぞ?」

「ううん、カズヤからいいよ?」

「えっ、いいよ、大したことじゃないし」

「じゃあ尚更。私は、カズヤに話さないといけないと思ってたことだから、きっと長くなっちゃうし」

おつ!

待ってました!

「えっと、うん、じゃあ、はい」

私はずっとドキドキしているけど、細かく言葉を区切って返事をするカズヤも、少し緊張しているのかな。そうだったら、少し嬉しい。

「あの、この間の、大丈夫? 怪我とかしてない?」

この間の、という時に、彼は自分の頬を指さした。

あの女の子、ヒロさんの妹さんに、平手打ちをされた箇所だ。

「うん、平気平気」

実際、その瞬間にぱちっと痛んだだけだし。

「そっか、良かった。あの……巻き込んでごめんね」

「巻き込んで、って?」

どういうことだろう。私がカズヤを巻き込んだのであって、彼が私を何かに巻き込んだりしただろうか。

「いや、ほら、事情もあんまり分かってないけどさ、せっかく応援に来てくれたのに、あんな風になっちゃって……」

「ううん、悪いのは私だし……あのね、その話を聞いてほしいの」

歩いたまま話すのも何だし、と言いたして、私は近くのコーヒーチェーンを指さして入らないか誘ってみた。

頷いた彼を見て、私たちは店内に足を踏み入れ、注文を済ませて席に着く。さっきコーヒーを飲んでしまった私はジュースみたいに甘いフラぺチーノを、カズヤはコーヒーをテーブルに置いた。

「ちょっと長くなるから、ごめんね」

そして私は語り出す。私自身の、堕落した物語を。

えっと、まず最初に、あそこで働き始めたきっかけなんだけど、楽してお金を稼ぎたかったからなの。うん、もうダメ人間だよね。

それでね、お金はそこそこ、まあ私達の歳にしては金持ちだなってくらいには稼げたんだけど、今度はそのお金をホストに使うようになっちゃったの。

アキラっていうホストだったんだけどね、私は彼女でもないし、あっちだって彼氏でもないんだけど、ヤるだけヤっておしまい、みたいな。

彼女になれないって分かっていても、私は彼に貢ぐことをやめられなかったし、抱かれたらやっぱり嬉しかったの。
 
でも、このままじゃいけないって漠然と思ってた時に、カズヤに会って。

最初は若くて珍しいお客さんだなって思ってたの。でも、たまにだけど、カズヤ以外にもお店に来てもエッチなことをしないお客さんもいたし、そういううちの一人かなって。

そう思ってたんだけど、でも何か違うなって。

どこが他のお客さんと違うかは分からないんだけど、羨ましかったのかも。

同い年でも、私は何にもない、ただの風俗嬢。でもカズヤは好きなことがあって、それを追いかけていて。そんな目標があって前に進んでるカズヤが、羨ましかったんだと思う。

正直ね、何でサッカーしてるんだろうって思ってたの。見に行ったのだって、応援とかより興味本意っていうのが正直。だって、お金にもならないのに何で苦しい思いをして走るんだろう、追いかけるんだろうって。

でも、あの日カズヤのプレーを見て、感動したの。

嘘じゃないの、本当だよ。私みたいなクズに言われても嬉しくないかもしれないけど、本当に。これだけは信じてほしいの。

変な話、救われたんだ。

プロじゃない、お金にもならない。それでもカズヤは走ってて、ボールを追いかけていて、人を夢中にさせて。

覚えてるかな、初めて見に行った試合で、他の人が諦めたボールをカズヤが追いかけて、そのままゴールになったプレー。

技術的なこととか私は全く分からないけどさ、理由じゃないんだなって教えてもらった気がするの。

「何でお金にならないサッカーをするの」とか「他の人が諦めてるのに何で追いかけるの」とか、私は理由ばかり探してしまっていたのね。

私は臆病者で楽をしたがるダメな女だからさ、理由が無ければ頑張らなくて良いやって思っていたのね。

高校を出て進学をしなかったのは、勉強を頑張る理由が無かったから。定職につかなかったのは、働きたい理由が見つからなかったから。

唯一の理由が「遊ぶお金が欲しいから」っていうもので、だから何となく、今の仕事についたの。

続き楽しみにしてる

楽な仕事じゃないけど、嫌なことばかりでもないよ。

カズヤにも会えたし、私と会えて良かったって言ってくれる人もいたり、可愛いねって褒めてもらえたり。でも、好きでやってるわけでもなくて。

カズヤの試合を見てね、今のままじゃいけないって本当に思ったの。

私は何が楽しくて生きてるんだろう、何を追いかけているんだろうって。

買い物をするとか、美味しいものを食べるとか、楽しいことはいっぱいあるんだけどさ、カズヤにとってのサッカーみたいなものが、私には無いってことが、恥ずかしくなってきたの。

でも、思うだけで行動に移すこともなかなかできなくて。アキラ、ホストね、彼にも貢ぐのもやめなきゃって思っていたんだけど、それも無理で。

変わりたいけど変われなくて、どうすればいいんだろうって。

あの女の子いたじゃない、この間、スタンドに来た子。あの子の彼氏がさ、たぶんアキラなんだと思う。

アキラって源氏名だから、私も本名は知らないんだけど、それ以外思い当たる節は無いから。

彼には、女の子がいっぱいいるから。私はそのうちの一人だったってだけの話。

……ごめんね、面白くもない話をダラダラと。

たぶん、私のそういうダメなところが重なって、この間みたいなことになったの。

全く関係のないカズヤを巻き込んじゃって、本当にごめんね。

そこまで言い切って、黙って聞いてくれていた彼の顔を恐る恐るのぞいてみた。

きっと私は失望されてしまっただろう。こんな話を聞いて、そうじゃない方が変だと思う。

「そっか」

小さく、彼は呟いた。

困らせてしまったかな、そうだよね。急に自分語りをしちゃって、何て言って良いかもわからないよね。

「ごめんね、変な話をしちゃって」

でも、それでも、私は彼に話さないといけないと思ったの。本名も伝えてない、連絡先も教えてない、それでも私は、彼に対して誠実でいないといけない気がした。偽りの自分なんてかっこいいものじゃなくて、堕落した私の嫌なところを彼には見てもらう必要があった。

誰にも見せていない、私の 汚い部分を、好きな人だからこそ見てもらいたかった。

誰にも胸を張れない私を、認めてはくれなくても知っては欲しかった。

カズヤのまっすぐさは、私じゃなくてサッカーに向いているものだ。それでも、私も彼のように、何かに対してまっすぐでいたかった。誠実になりたかった。そしてその何かは、自分の好きなものじゃないとダメだった。

あんなに憂鬱だったのに、カズヤに会えるってだけで嬉しくなってしまった。カズヤがもしかしたら私に会うことを嫌じゃないのなら、幸せだと感じてしまった。

そして私は気づいてもしまった。

私は、カズヤのことが好きだ。

おつー

おつ
長く追い続けてきたけどそろそろ終わりそうで悲しいな

「ううん、話してくれてありがとう」

ありがとうは、私のセリフだ。

最後まで口を挟まずに聞いてくれて、ありがとう。

軽蔑されても、これで彼が私に近づかなくなっても、それは仕方が無いことだ。

このまま自分のことを黙って、汚い部分を見せずに彼に近づいていくよりは、ずっと良い。

それが、私なりの誠実さだった。

「でも、何で僕に話してくれようと思ったの?」

勇気が必要なこと……だよね。

と、彼は言い足した。

確かに怖かった、というか、今でも怖い。話を聞いたカズヤが、私のことをどう思っているのか。良い感情ではないとしても、どれくらい私のことを嫌いになったのか。

でも、それを乗り越えようとする勇気をくれたのも、あなただった。

「言ったじゃない、変わりたいと思うきっかけをくれたのは、カズヤだったから」

あなたの姿を見て、私は本当に変わりたいと思えた。

そして、もし私が本当に変われるとしたら、やっぱりカズヤの前で変わらないといけないと思ったの。そこで変われなかったら、私はきっとどこでも今までの私のままだったから。

「私を軽蔑したかもしれないけど、でも、きっかけをくれたカズヤに聞いて欲しかったの。私のわがままに巻き込んじゃって、ごめんね」

「ううん、迷惑なんて全く。聞かせてくれて、嬉しかったよ」

「嬉しかった?」

「だってさ、僕はゆうちゃん……いや、『貴方』のことを何も知らないから。身の程知らずだって思うんだけどさ、あの後改めて思ったんだ、貴方のことを何も知らないなって」

『貴方』と言ってくれたことが、何だか暖かい言い直しに感じられる。

堕落した私である『ゆう』ではなくて、新しく『私』を見てくれているきがして。

ただの勘違いで、私に対して距離を置こうとしているだけかもしれないけど、それでも、私は嬉しかった。

「……何も話せなくて、ごめんね」

「いやいや、謝ってほしいとかじゃなくて!」

慌てて言葉を続ける彼に、私は耳を傾ける。

「ほら、名前も知らないし、僕から会おうと思うとお店でしか会えないし。寂しい、って思うことも間違ってるんだろうけど、でもやっぱり会えて嬉しかったんだ。会いに行こうかなって思ったけど、お店じゃどんな顔して会えば良いか分からなかったし。迷惑かなって」

それには首を横に振って見せる。

私だってカズヤに会いたかった。ただ、会う手段が無かっただけで。

良い

それでも、私は彼に気持ちを伝えることができない。

彼の会いたいという気持ちが、イコールで好きであったとしても、私はそれを確かめることもできない。

臆病な言い訳なのかもしれないけど、今の私は彼に到底つりあっていない気がする。彼が私を嫌っていなかったとして、それでも私なんかが隣に立っていていいのだろうかと思ってしまうの。

「……また、応援に行っても良い?」

だから私の口から出てくるのは、そんな言葉。

本当は、伝えたい気持ちはもっといっぱいあるのに。好きだってことを伝えたいのに。

それを彼に言葉で伝えることが、今の私にはできない。

本当は、胸を張って見に行けるだけで嬉しいはずなのに、欲深い私は、もっともっとと欲しがってしまう。

カズヤにはもっとお似合いの女の子がいるのかもしれない。元カノだったらしい、サキさんも凄い美人だったし。私なんかが好きでいても、どうしようもないのかもしれない。

そんなのは、結局ただの言い訳に過ぎないんだけど。

カズヤに拒絶されるのが、今の私には何よりも怖い。もちろん、カズヤにだって女を選ぶ権利がある。私に対するカズヤの好意がどういった類のものか分からない私には、その一歩を踏み出すことができない。

私は乞うように彼を見つめる。どうか臆病な私を許してほしい。

「うん、こっちからお願いしたいくらい」

そう言って、カズヤは笑って私を見た。安心させてくれる、太陽みたいな笑顔だ。私には、眩しすぎるくらい。

「じゃ、気合い入れて応援に行くね! もう迷惑はかけないように、後ろの端っこで見てるし、終わったらすぐに帰るから」

カズヤが応援に来ても良いと言ってくれても、問題が解決したわけではない。彼女からしてみたら私なんかただの二股女で、見たくも無いにちがいないだろう。

「あ、うーん……そっか。話せないのは残念だけど……そうだよね、うん。」

残念がってくれるのは嬉しいけど、私にはそうするしか方法が無い。また彼女の前でカズヤと話していたら、次はもっと酷いことが起きるかもしれないから。

「あの、迷惑じゃなかったら、だけど……」

言いづらそうに、カズヤが声を出した。

「どうしたの?」

キョトンとした目で、私は問い返す。今まで散々彼に迷惑をかけていたのに、彼にどんな迷惑をかけられても、私には責める権利なんてない。

「連絡先、交換してもらっても良いかな?」

やっぱり迷惑だよね忘れて、と彼は言い足したけど、忘れることなんてできない。

「……そんなことで良いの?」

むしろ、それは私が望んでいることでもある

支援

最近本ばっか読んでるけど、そこらの本よりこのSSのが面白いわ

やっと追いついた。人間の暗い部分を書いてるのに絶妙に甘くて物凄い好みだな、更新頑張ってくだされ

「良いの?」

不安そうな目で、彼は私を見返してくる。

それはこっちのセリフなのに。今にも「冗談だよ」って言われるんじゃないかって怯えていたのは私なのに、彼のその可愛さすら感じる視線に、私はつい笑ってしまいそうになる。

「もちろん。私も、カズヤの連絡先、知りたかったし」

何かこれ、携帯を持ったばかりの初々しい学生みたい。こんな歳になっても、連絡先を交換できるというだけで、私はこんなに舞い上がってしまいそうになる。

彼との距離が、一つ縮まったことを実感できるから。私が素敵な人間になったとか、カズヤみたいになれたとか、そういうことじゃないんだけど。それでも、私はただただ嬉しい。

「えっと、赤外線ある?」

私のその言葉に、カズヤは「あ、アドレス?」と聞き返した。

彼の携帯画面を覗いて見ると、スマートフォンユーザーの大半が使っているであろうメッセンジャーアプリが立ち上げられていた。

「あ、そっか。そっちの方が良いよね」

連絡先の交換なんて、高校を出てから滅多にしなくなったから、ついつい昔の感覚でそっちを選んでしまった。大学生だと連絡先を交換する機会もいっぱいあるだろうし、簡単なアプリの方が便利なんだろう。

私も彼にならってそのアプリを立ち上げようとすると、彼にそれを制された。

「待って、 僕も赤外線準備するから。せっかくだし、アドレスと番号交換しようよ。そしたらアプリでも追加されると思うし」

彼のその優しさに、私は甘えることにした。

アプリが嫌ってわけじゃないんだけどさ、何か軽い気がするんだよね。グループで複数人と話せたり、可愛いスタンプを送れたり、メールにはない便利な機能もあるんだけど、だからこそ軽い……っていうか。

「本当は、僕もアドレスと番号知りたかったし。ただ、重たいかなって?」

「重たいって?」

「ほら、アプリならさ、僕のこと嫌になったらすぐに拒否できるけど、メールと電話も拒否できるとはいえ個人情報じゃん。良いのかな、って」

そんな杞憂を真面目な顔で話されて、私はつい笑いをこぼしてしまった。

「良いに決まってるじゃない。カズヤこそ、良いの? 私、悪い女だよ?」

「自分でそんなことを言う人に悪い女はいないから。ほら、早く」

気づくと、彼は赤外線を既に準備していた。送信の彼に合わせて、私は受信をする。

「シイナ……っていうんだね、苗字」

「うわ、そっかそこからか、今さらだよね。何か恥ずかしい……」

照れたように俯く彼を見て、今度は私が送信するように準備をする。俯いたまま、カズヤも受信ボタンを押して、私の個人情報が、彼の携帯に流れていく。

「送れた?」

「……うん、きた。そういえば、僕、名前も知らなかったんだよね」

ゆうちゃん、が当然の呼び方になっていたから、何の違和感もなかったけど。言われてみれば確かにそうだ。

「これ、ぼくはどっちの名前で呼ぶべき?」

「どっちって?」

「この名前と、『ゆうちゃん』」

「えー、カズヤの好きな方で良いよ。呼びやすい方で」

本当は、もちろん本名の方が嬉しいんだけど。とはいえ、呼び慣れた方が恥ずかしくないとか、そう言う気持ちも分かるからわがままは言わないでおこう。

「そっか、分かった」

彼は腕時計をチラっと見た。私もつられて携帯で時間を確認すると、楽しい時はすぐに過ぎるからか、それとも私が緊張しすぎたせいかは分からないけど、もうかなり良い時間だった。

「時間大丈夫? そろそろ、帰ろうか」

彼にそう聞かれて、私も頷く。本当はもっと話したいんだけど、もう今までみたいにあやふやな繋がりじゃない。私たちは、明確に繋がっている。

連絡先を知っているから繋がっているっていうのも、ちょっと機械的な気もするけど。

「それじゃ、行こうか」

私の分のコップも持って、彼はそう言った。その小さな優しさすら、とても嬉しいものに思える。

素敵な服の掘り出し物があったわけでもなければ、宝くじにあたったわけでもない。私のこの気持ちが満たされるかどうかも分からない。

なのに、私はこの夜をきっと忘れないと分かった。

それくらい、大切な時間だった。

サッカー日和というにはあまりに強い日差しだ。八月も終わりだというのに、残暑が猛威をふるっている。

天皇杯初戦、やっとここまで辿りつけた。

会場は予選決勝と同じでも、空気感が違う。

テレビの中継も入っているし、お客さんの数だって少なくは無い。やっぱり、予選と本戦って何か違う。

「何だよ、カズ、緊張してんのか?」

ロッカールームでの円陣を終え整列していた僕に、後ろからヒロさんが声をかけてきた。

「いやいや、武者震いですよ」

「ははっ、頼もしいことで」

ヒロさんとの空気は、あの夜以来元通りになってしまっていた。

大したことは無い会話……っていうか、挨拶くらいしかしてないのにね。不思議だけど、そういうことって結構あるのかもしれない。

勝つぞ、と言ってヒロさんは僕の背中をバシッと叩いた。それに応えるように、僕は手を挙げる。

アンセムが流れ始めて、前方に並んでいた人たちからピッチに向かって足を進め始めた。

高揚感と緊張が良い感じに胸にこみあげてくる。さあ、ゲームを始めよう。  

このまま平穏に
と思っても、色々問題が燻ってるんだよな
先が怖い
けど読みたい

試合が始まってすぐに、一つの事実に気がついた。 

彼らは、チームとしてはキックスほどのレベルではなく、ワンマンチームだってこと。

所属しているリーグという肩書きだけではなく、実際の選手の能力もキックスには劣っているように思える。一人を除いて、の話ではあるけれど。

油断とか慢心とかじゃなく、勝たないといけない相手だと思う。次に当たるプロと少しでも良い試合をしたいと思うのなら、圧勝とは言わずとも、手こずって良いチームではない。

相手にとってもそれは当てはまることなんだろうけどね。

気がかりは、ディフェンダーなのに僕のマークが厳しいこと。普通だったらディフェンスのオーバーラップなんて、そのタイミングでケアをするだけなのに、今回は逆サイドにボールがあるときでも、中盤のサイドの選手が僕を見てきている。

光栄なことなんだけど、僕より意識すべき人はいるはずなのにね。それこそ、予選決勝でスーパーボレーを決めた選手とか。

僕をケアしている彼は、試合前のミーティングで要注意選手としてあげられていた。高校時代には選手権で全国四強まで進み、大学でもユニバーシアード代表に選ばれるほどの選手だと、ヤマさんは警戒を呼び掛けてきた。

相手チームのなかでは例外とも思えるくらい、技術レベルが高い選手だ。

プロになってもおかしくない世界でやってきた選手と、僕は今日マッチアップをしている。

彼に負けると、僕が穴として狙われてしまうことになる。絶対に負けることはできない。

僕がそんなにVIP待遇でケアをされている一方で、ヒロさんにも当然ながらマンマークが付けられている。

うちのチームの決定機は、ほとんどヒロさんを経由してのものだ。そのヒロさんにボールが渡らないとなれば、必然的にチャンスは減ってしまう。

ヒロさんも僕も、なかなか厳しい試合になりそうだ。

僕と対面する相手のエース……イヌイというらしい彼は、一対一の局面でボールを持つと必ず個人技で勝負を仕掛けてくる。

ボールを失わないことを第一に考えて、バックパスや横パスを多用しがちな僕とは、言わば真逆の選手だ。

そして、その個人技は当然のことながらレベルが高い。

キックスよりリーグカテゴリは低いはずなのに、前の試合の数倍、僕は圧されている。

決定機を作らせないことに一生懸命で、カットインのコースを消すことに従事すると、今度は深く切り込まれてクロスをあげられる。

相手フォワードの決定力が低いからか、センターバックが頑張っているからか、或いはどちらのおかげでもあるのか、まだ得点は決められていない。しかし、それも今のままだと時間の問題のように思える。

試合自体は防戦一方とは言わずとも、現状では僕のサイドはイヌイに好き勝手されている。

カバーに来ないボランチが悪い

サイドバックは忙しすぎる
オーバーラップとかしないと怒られるし
したらしたで守備が疎かとか怒られる

イヌイにパスが渡る瞬間に近づいて圧を与えようとしても、彼はぴたりと足元にボールを納めて見せた。

中央へのコースを切っているから、縦に仕掛けてくるしかないのは分かっている。

イヌイは一瞬だけ中央へ切り込むように右足アウトサイドでボールを押し出そうとする。それに反応して、僕の重心が移動した瞬間、ボールは予測していたのと逆方向に転がっていた。

かつてのブラジル代表のエースが得意としていた逆エラシコというフェイントだ。練習でやってる選手はいても、実際の試合で使うには相当な技術が必要な技を、イヌイは簡単にやってのけた。

僕をあっさりとかわした彼は、そのままダブルタッチ気味に左足でボールを前に運んで僕に背中を見せつけてゴールに向かって斜めにドリブルを始める。

もちろん、僕だってこのまま独走をさせるわけにはいかない。すぐに体制を立て直して、縋るように彼を追いかける。
 
カバーに入ったセンターバックが引っ張りだされたスペースに、二列目から相手選手が飛び出してくる。そして、イヌイは簡単にそこにパスを出した。

やばい、ボランチが振り切られている。

ボールウォッチャーになっているこっちサイド、右センターバックはイヌイのパスアンドゴーの動きに気づいていない。

くそっ、間に合え!

ボールサイドに関わらず、ドがつくほどフリーになっているイヌイの背中を追いかける。幸いにも、彼はドリブルが巧みであっても俊足というわけではないらしい、間に合えっ。

二列目の選手は、届いたパスをそのままランウィズザボールのように大きく前に蹴りだして走りだした。

センターバック二枚が挟み打ちのようにそこを目指していくと、それをあざ笑うかのように彼はイヌイに向かってリターンのパスを出す。

技術的な問題なのか、そのパスは精度に欠けて少し長いボールとなっている。

いける、間に合う。

夢中で走って、イヌイがボールに触れる直前にスライディングで右足を伸ばす。

どうにかつま先に当たったそれは、そのまま縦に流れてタッチラインを割った。イヌイは、伸ばした僕の足につまずいて倒れてしまったけど、笛は鳴らずに流してくれた。

危ない、今のは僕が簡単に振り切られてしまったせいだ。

「二列目気をつけろ!」

自分の反省は心の中で消化すると、立ちあがりながらボランチに注意を促す。
 
倒れたままのイヌイに手を差し出して立ちあがらせる。

「やるじゃん、間に合うとは思ってなかった」

「そっちこそ、あんなフェイント持ってるとは」

そんな言葉を交わすと、彼はコーナーに向かった。

決定機は免れたとはいえ、まだまだピンチだ。

ボールをセットした彼は、右足でゴールに向かってくるボールを蹴って来た。

幸いにも高さはこちらの方があるようで、先程はウォッチャーになってしまっていたセンターバックがそれを跳ね返す。

そのボールをヒロさんが拾って前を向くと、すぐに相手選手がプレッシャーをかけてくる。

混戦状態から逃げ出すためにクリアしたボールを相手選手が拾うと、コーナーのままサイドに張っていたイヌイに、アタッキングサードで再びパスが渡る。

ゴール前からポジションを戻していた僕と、再びマッチアップ。

今度は何をしてくる?

不思議だよね、上手い選手が相手チームにいるって自分たちにとっては良いことじゃないのに、でもこんなにワクワクしてしまう。

イヌイを止めることができたら、勝つことができたら、僕はまだまだ上手くなれる気がする。

今度は縦に突っかかってくる。どうにかダッシュで対応しようとすると、足裏で急にボールを止めて急停止をした。それに反応をして体の動きを無理にブレーキをかけた瞬間、イヌイは再びボールを前に運んだ。

プルプッシュというフェイントだ。ぱっと見では華麗な足技でじゃないけど、あのキレで繰り出されたら足止めするのも楽じゃない。

再び振り切られた僕は、つい手を彼に伸ばしてしまった。

強い笛が鳴って、審判が僕に近づいてくる。

強い口調で注意を促されたけど、カードは貰わずに済んだ。危ない、このやられようだとどこかで一枚はもらう羽目になるかもしれないけど、今はまだ前半だ。それにはあまりに早すぎる。

イヌイは立ち上がり、ボールをセットしようとする。

薄く笑っているように見えるのは、僕を手玉に取ったという勝利感からなのだろうか。

くそっ、見てろ。

そんな悔しさもそこそこに、僕はフリーキックの壁に入る。

中央の選手に向かったボールはやはり弾き返すことができて、こぼれ球がヒロさんの前に落ちた。

そのまま前を向き、マーカーが寄せてくるよりも早く、前線に張っていたフォワードに向かって強いグラウンダーのパスを出した。

ところで4-4-2なの?中盤はダイヤモンド形?

それあんまり関係なくないか

久しぶりにこちらが攻撃する番だ。

フォワードは相手のセンターバックを背負ったまま、ヒロさんからのパスをキープしてためを作っている。

フリーキックのキッカーになっていたイヌイに追いつかれる前に、全力で前に向かって走る。とにかく枚数を増やさないと、数的不利ではカウンターのカウンターにされてしまう可能性が高い。

全体が押しあがり始めたところで、キープしていたボールはボランチに一旦落とされた。

「来い!」

そのボールを要求するのは僕の仕事だ。

中央から一気に右サイドに展開されたボール、僕はそれをトラップしてそのままサイドをえぐる。

ドリブルを始めると、どうしても普通に走るよりは遅くなってしまって、後ろからイヌイの足音を感じてしまう。

一か八か、僕の選択はアーリークロスだった。

ゴール前にはフォワード1枚と、縦パスを入れてから走っていたヒロさんの二枚。

高さでは五分……いや、うちのチームの方が低い。

一瞬の判断で、高くて緩い弾道ではなく、低くて早いライナー性のクロスを上げた。

後ろからイヌイがスライディングで足を伸ばしてきたけど、それより一足先にボールはゴール前に向かって飛んでいく。

やだ
この子格好いい

その弾道を見届けた直後、僕はイヌイの足に引っ掛かって転倒する。

しかし、クロス自体はゴール前に飛んで行ったからか、審判がプレイオンを宣告してプレーは続いた。

どうなった?

ボールに合わせる音が聞こえて、倒れたままに慌てて首をそちらへ向ける。ゴール前では、後ろから走り込んできたからかヒロさんがフリーでいて、しかしダイレクトボレーをふかしてしまっていた。

珍しいな、あれくらいフリーだったら枠内には飛ばせる技術があると思うんだけど。
                     
審判はゴールキックに移る前にプレーを一度止めて、イヌイに注意をしに来た。

彼はそれに頷きながら、僕の手を引っ張って立たせる。

「大丈夫か?」

「もちろん」

こんなことで怪我なんかしていられない。イヌイとのマッチアップは楽しいし、勝てばもっと楽しくなってくる。こんなところで怪我をするわけにはいかない。

立ちあがって彼の肩を叩いていると、ヒロさんからも確認の声が聞こえてきた。

「カズー! 大丈夫かー!」

それには、僕はサムズアップで返事を帰す。流れのプレーだったし、モロに入ったわけじゃない。

ちょっと大げさだな、なんて思いながら、僕はゴールキックに備えてポジションをとる。

それからも、僕とイヌイのマッチアップは勝ったり負けたりの繰り返しだった。僕は勝負をしかけるタイプではないから、要するに抜かれたり止めたり、ってことだ。

イヌイの個人技は圧倒的だけど、周りの選手が彼のレベルに追い付けていないから、そこに助けられている感はある。本来なら、都道府県リーグレベルの選手ではないんだ。

彼の活躍で、県リーグでは首位を独走、次は地域リーグに昇格しそうな勢いだってミーティングでは聞いたけど、彼はなぜこのチームでサッカーをしているんだろう。もっと上のチームにも入れたはずなのに。

いや、試合中に余計なことを考えるのはやめておこう。とにかく今は、イヌイをどうやって止めるかに集中しないと。

前半も着々と時間が過ぎ、そろそろ前半終了が近づいて来た。

どちらかといえば押してる相手からすると、前半中に一点を奪いたいだろうし、逆にうちは耐えて後半に希望を繋ぎたい。

ここが正念場だ。

相手センターバックがボランチに預けたパスが、そのままイヌイに渡った。

対峙しないと分からない、何かをしそうな選手ってこういうことなのかな。今までにマッチアップしてきた選手の中ではヒロさんしかもっていなかったような、華やオーラみたいな何かを、彼には感じてしまう。

きっと、僕には持つことができないものだ。

それでも、だからと言って諦めるわけにはいかない。

半身の姿勢になって彼の仕掛けに備える。

さぁ、来い。

右の足裏でボールを転がすように前に進め、そのまま左足のインサイドでカットインを狙ってくる動きを見せてきた。

そうはさせないと中央への切りこみを防ごうと動くと、彼の左足はボールに触ることなくまたいでいき、そのまま更に縦に進まれた。

シンプルなインサイドシザースではあるけど、何度も何度も練習したのか、天性のものなのかその動きにつられてしまった。

そのまま独走されそうになって、つい右手が彼の背中を掴みそうになる。

縋るように伸ばしても、それは届かぬところまで進んで閉まっていた。

まずい、この時間に失点だけは避けないといけない。リードされて前半が終わると、うちのチームには絶望感が、相手チームには楽観的な感情がわいてくるに違いない。

後ろから全力で追いかけつつ、ゴール前の枚数は足りているのを確認する。

技術で負ける僕ができるのは、頭をつかってその分をカバーすること、考えてプレーすることだ。

クロスなら対応できる。問題はシュート。でも、それにはこのままでは角度が無さすぎる。

必ずどこかで中に向かってくるはずだ。そこで追いつく。

僕の読みとは裏腹に、彼はほとんど中に向かうことなくサイドを縦に切り裂いていく。

読まれている?

だとしても、少しくらい中に向かった方がフェイントの幅も広がるし、クロスだって質が高くなるはずだ。

ドリブルの彼よりは純粋に走っているだけの僕の方が早くて、徐々に彼の背中が近づいて来た。

よし、ここで体を当てる。

その決心で体を当てようとした瞬間、彼はボールを右足のアウトサイドに引っかけて止めた。そのブレーキに、タックルを仕掛けていた僕の体は反応できずに勢い余って倒れそうになってしまう。

そんな僕をあざ笑うかのように、彼は僕の背中を抜けて中央へカットインしていく。もうペナルティエリアの中で、彼から見てゴール前左ななめ45度。巻いてシュートを打つには絶好の角度だ。

視線をゴールに向けてシュートモーションに入った。センターバックが慌てて寄せに行ったところで、彼は冷静にアウトサイドでゴール前のディフェンダーに優しくパスを出した。

そのボールがぴったりとフォワードに渡り、足が振り抜かれそうになった瞬間、そのボールはクリアされ、前半終了を告げるホイッスルが二度鳴らされた。

スライディングで足を伸ばしたのは、他でもないうちのチームの10番、ヒロさんだった。

サッカーの描写がどんどん詳しく書かれてきて嬉しい

「チェッ、ちょっと弱かったか」

イヌイは反省の独り言を漏らすと、僕に近づいて来た。

「お前、やるね」

そう言って肩をぽんぽんと叩くと、彼は自分のベンチに向かって歩いていった。

やるね、だって? こんなにボコボコに崩されて、攻撃のパターンもほとんど作れていなかったというのに?

試合はともかく、少なくとも前半の『勝負』においては、僕は彼に完敗だった。いや、元の実力差を考えたら当然のことかもしれないんだけど。

落ち込んでいるというよりは、能力差を見せつけられて落ち込んだというべきなのかな。あれだけ上手くても、彼はプロにはなれなかったのだろうか。

少し肩を落として俯き気味に歩いていると、ヒロさんに急かされた。小走りで追いついて、並んでベンチに向かう。

「前半を無失点でいけたのは大きい、良い働きだったよ」

励ましなのか慰めなのか、ヒロさんは僕にそう言ってくれる。

「いや、全然……形は作れなかったし、崩されまくってたし……」

足りないよ

「あのな」

ヒロさんは、強い口調で僕に言い聞かせる。

「イヌイを抑えるっていうのは簡単なことじゃないんだよ。で、どんな形であれお前は前半は無失点に抑えた。それで良いの」

分かったか、と確認するような目つきで僕を見てくるから、分かりましたと答える代わりに頷いた。

本当は、釈然としないんだけどさ。でも、たしかにこれは僕とイヌイの勝負じゃない。僕たちと、イヌイたちの試合なんだ。個人のマッチアップで負けても、チームを勝たせないと意味が無い。

ベンチに戻ると、自分で給水ボトルを拾いに行く。

今まではミユが渡してくれていたけど、彼女は相変わらずうちのチームに顔を出さない。練習だけでなく、試合にまで来ないって言うのはちょっと予想外だった。

ヒロさんとの関係は回復しても、ミユとはその機会もないままだった。何て話して良いかも分からなくて、連絡すらできていない。

チームメイトなんだから、一緒に戦いたかったって言うのは、本心。

気まずいから、来てなくて良かったというのも、本心。

「おい、カズ、聞いてるか?」

そんな声で、頭がミーティングへ戻される。

「えっ」

「バカ、集中しとけ。イヌイとのマッチアップで疲れてるのも分かるけど……後半、お前がキーマンだぞ」

後半の作戦はこうだ。

イヌイは個人技でガンガン仕掛けてきて、相手チーム全体が彼に信頼感を置いている。当然だ、彼のレベルは明らかに傑出している。

そして、そこに隙がある。

イヌイは攻撃に特化した選手だから、守備に限ってはこのピッチ上で標準程度のレベルでしかない。

ただ攻撃は最大の防御という言葉通り、彼が守勢に回ることは滅多にない。イヌイが勝負を仕掛けると、シュートなりラインを割るなり、何らかの形でプレーが止まり、守備の形を作られてしまうからだ。

しかし、流れの中では彼が仕掛けてきた時にできる、裏の広大なスペースはカバーされることなくぽっかり空いていることが多い。本来カバーに入るべき選手が、イヌイのサポートをしやすいポジションに入ることが多いからだ。

つまり、そのスペースをつくことができれば、必ずチャンスが出来る。

そのために重要なのは、イヌイにやりきらせないこと。流れでボールを奪いきってしまうことだ。

「要するに……」

「まぁ、簡単な話、お前がイヌイに勝てってことだよ。マッチアップで」

「いやいや……あんなにボコボコにされてたのに……」

実際、攻撃する余裕なんて全くないほど、赤子の手をひねるより簡単に僕は手玉に取られていた。

それなのに、彼を止めてカウンターを狙え? 無茶だ、できるとは思えない。

冷静にそんなネガティブなことを考えているのに、ワクワクしてしまっている自分もそこにはいた。

彼からボールを奪えたら、カウンターを決めることができたら。それはどんなに気持ちが良いことだろうか。どんなに爽快なことだろうか。

「とにかく、チームとしての後半の攻撃プランは右サイドのカウンター。で、カズの負担が大きくなるから、そこのカバーとフォローは忘れずに」

オッケー? とヒロさんが全体に確認をして、それぞれが返事をする。

「最近、ヒロのほうが俺より監督っぽいよな」

そんな愚痴を、ヤマさんはこぼしていたけれど。

ハーフタイム終了を告げる笛が鳴らされて、僕たちはピッチに戻っていく。

イヌイと視線がぶつかると、彼は僕に笑って見せた。

『後半はお前を抜いてゴールを貰う』

そんなメッセージが込められている気がした。

僕も、やれるもんならやってみなという気持ちを込めて笑い返しておく。自信はないけど、実力で負けているのに気持ちでも負けるわけにはいかない。

視線が外れて、笑顔を止めてはっと気付いた。

数年前のブラジル代表のエースは、プレー中でも笑顔を絶やさなかった。サッカーを純粋に楽しんでいるから、漏れてしまうらしい。

前半の僕はどうだ?

守備に忙殺されて息があがってしまっていたとはいえ、楽しめていたのだろうか。笑えていたのだろうか。

イヌイみたいに凄いプレイヤーとマッチアップできる、この試合。もっと楽しもう。そうしないと、ここまで来た甲斐がない。

さっきの意識的な笑みではなく、今度は心の底から湧いてくる感情で口角が上がって来た。

「よっし、一本いこうぜ!」

一人で笑うのはちょっと恥ずかしいから、それを誤魔化すようにチームに喝を入れた。後半、僕はイヌイに勝ってみせる。勝負でも、試合でも。

おつ

相手は前半通り、イヌイを起点にゲームを作ってきた。

後手の対応と言われたらそれまでだけど、前半以上にうちのチームも右サイドを固めてそれを迎え撃つ。

イヌイにボールが渡ると、まずディレイさせて人数を増やす。僕が抜かれてもカバーに入った選手が彼を再び足止めして、逃げのパスを流させる。

そのボールをカットできたらチャンスになるんだろうけど、安全なバックパスが多かったり、フォローするポジションが的確なせいだったりで、なかなか上手く攻撃に結び付けられない。

イヌイのドリブルがゴールラインを割って得たボールで、自陣後方からのビルドアップを始める。僕も右サイドいっぱいに張ってポジションを取って、そのボールを受ける準備を始めた。

センターバックが僕に出した緩いパス。それを狙われていた。

少しルーズに僕を見ていたイヌイが、全力でボールに向かって走り始めた。パススピードが速くないうえに、ルーズに見られているという油断から、それを一気にインターセプトされてしまう。

僕とセンターバックの間で奪った勢いそのままに、イヌイは縦に向かって突き進んでいく。

まだぁ?

サッカー描写がつまらない訳ではないのだけどどうしても話が進んでる気がしなくてむず痒い

更新が停滞していてすみません……!
来月中には完結するように書きためているので、まだ読んでいただけているならもう少々お待ちいただけると幸いです。

了解
面白いから端折らずに完結させてくれ

面白い 読んでるよー
楽しみに待ってるよー

ゆっくりで構わんよ~
なんだかサッカーしたくなってきた

サッカーの展開描写とプレイヤーの心理描写がうまくて恐れ入る。映像でイメージできるくらい。
カズには『お前ン中のジャイアントキリングを起こせ』って言葉、ピッタリだ。

続き楽しみにしてます。

まだかな

まだ書き溜め途中なんだろ

まだか

まもなく1ヶ月だのぉ

書き溜めファイトです

スピードに乗ってパスカットをした彼と、ボールを待っていた僕。

速さの差は歴然で、僕より後方にいたパスを出してきたセンターバックでさえ、フォローに間に合いそうもない。

少しずつ、中央に向かって角度をつけながらイヌイはボールを運ぶ。

逆サイドのセンターバックもカバーに入っているけど、枚数が足りていない。足りない枚数を埋めに僕もダッシュはしているけど、ポジション取りを高くしていたせいでどうしても間に合いそうにない。

ペナルティエリアに侵入されたあたりで、キーパーが我慢できずに前へ飛び出した。イヌイのシュートコースはかなり限定されたけど、当然ゴールはガラ空きになっている。

前半とは違い、今度はキックモーションを入れるまでもなく、彼はフォワードにパスを出した。

カバーに入っているセンターバックが体を寄せて守ろうとしたけど、無人のゴールに向けてボールを流し込むだけの、簡単な仕事だ。

相手フォワードはそれを完遂してみせた。

誰にも邪魔をされることはなく、そのボールはゴール内側の白線を越えた。

待ってた!

試合が再開すると、一層激しさは増してきた。
イヌイサイド偏重の攻撃を繰り広げてくる彼らに対抗するように、うちのチームも僕にボールを預ける。
一緒にプレーをしてわかったイヌイのすごいところはプレー自体に限らない。仲間に絶大な信頼を受けているところだ。
イヌイなら組み立てられる、イヌイならマークが厳しくてもどうにかしてくれる。そんな信頼関係がなければ、これほど彼にボールは集まらない。
僕はというと、失点もしたし、得点に繋げられてもいない。信用してくれという方が難しいはずだ。
それなのに、皆は僕にボールを預けてくれる。任せてくれる。
その信用に応えたくて、僕は自分に出来るプレーを最大限に活かせるように頭を回転させる。ベストな選択、ミスのない、迷惑をかけないプレー。それこそが最善だと、僕に求められるものだと信じて。

ゴールを決めた選手とイヌイが抱き合いながらゴールを喜ぶ。それを横目に、僕は両手を叩いて仲間を鼓舞する。
「切り替え! 次とるぞ、次!」
その言葉は、自分に言い聞かせるためでもある。ここ最近、先制点を取られる試合が多すぎる気がする。予選初戦、決勝、今日。重要な試合で立ち上がりが悪いのはうちのチームの課題でもある。
審判に促されて、イヌイたちは自陣に戻っていく。一瞬、彼と目があった。イヌイは不適な笑みを浮かべて、僕に一本指を立てて見せた。
『まずは一点、お前から奪った』
そんな、挑発じみたサインだろうか。悔しいことに、失点は僕のサイドからだし、何も言い返せやしないんだけど。



※投下順を間違えました、すみません。
先程の投稿より、こちらを先に投下予定でした。

残り時間が15分ほどになったところで、イヌイがボールを持った。
ドリブルを始めた彼に、予選よりは多く入った観客が歓声をあげる。イヌイが何かをしてくれそうな期待を、観客が抱いている。
彼がヒールリフトを仕掛けてきた。僕はどうにかボールを頭にかすらせて、タッチラインの外に追いやった。観客は溜め息を漏らす。
くそっ、雰囲気までイヌイに持っていかれてる。これが華のあるイヌイと、僕程度の選手の差なんだろうか。
色んなものに押し潰されそうになる。マッチアップする相手とのレベル差に、僕に任せられた仕事の重さに。
それでも、それでも。

「カズヤー! ナイスカット!」
そんな声が、スタンドから聞こえてしまった。今までは、聞こえなかったのに。声色だけで、誰か分かってしまう。
「カズ、いいぞ! 次だ、次!」
「これ凌いでカウンターいくぞ!」
ピッチの上からも、声が聞こえてくる。
これだけもて遊ばれると、自分では僕がイヌイに勝てるなんて思えない。期待もできない。
それでも、応援してくれてる人がいる。信じてパスを出してくれる仲間がいる。
応援してくれる人、信じてくれる仲間がいるから、諦めることができない。そんなかっこいいことは、僕には言えない。
ただ僕は、信用されたい。認められたい。
イヌイみたいに、プレーでチームを引っ張れる存在に。ヒロさんみたいに、うちのチームの中心に。
華やかな彼らのようにはなれないと言い聞かせてはある。それでも結局は、その望を捨て去ることなんて出来ていない。

どんな形でも良いから、僕は僕で認められたいと強く願う。
泥臭くても、みっともなくても、下手くそでも。イヌイみたいに、僕はなりたい。
でも、そのためにはどうすれば良いんだろう。華麗な足技を持つことが、彼みたいになれるということなのだろうか。それとも、ヒロさんみたいにリーダーシップを伴った存在感を持てば良いのか。
残り時間も短く、徐々に焦りが出てきている。くそっ、こんなところで負けるわけにはいかないのに。
恨めしい、惜しい、悲しい、焦り、そんな感情が顔に出ていたのか、マッチアップをしているイヌイに声をかけられる。
「アンタさぁ、勿体ないよね」
そんな、どういうことなのかも掴めない言葉。
意味がわからないという目で彼を見つめ返すと、言葉を続けた。
「せっかく上手いのにさ、無難なプレーばかりだし。それに、今もそんな顔してる」
「そんな顔って?」
オウム返しのように問い返すと、それには答えず彼は言った。
「もっとやりたいようにやってみろよ。せっかく楽しい試合をしてるんだぜ?」

今日から再び、書き貯め分を少しずつ投下していきます。
今月内とは言っていましたが、年内一杯くらいまでかかるかもしれません……!

改行し損ねていたのは自分のミスです。
色々とすみません…!

おっ、大量投下か
書きたいコト全部書いてくれ
最後まで付き合うぞ

「楽しい、試合」

一言、僕は呟いた。

後半が始まる頃の胸の高鳴りを、僕は忘れてしまっていたのだろうか。

試合を任された重さに、押し潰されそうになっていた。イヌイにやられ続けて、勝てないとも思った。それでも僕を信じてくれる仲間の信用を失いたくなくて。

そんなことをごちゃごちゃと考えるのが、僕のやりたいサッカーだったんだろうか。

サッカーを始めた頃は、ただただ楽しくて仕方がなかった。失敗してもボールを蹴ることが楽しくて、上手くいくともっと気持ちが良い。

その気持ちを、今の僕はなくしているんじゃないのか。

サッカーは、自分の存在意義を認めさせる道具じゃない。自分の価値を見いだすためのものじゃない。もしそうだったとしても、一番根底にあるべきものはそれじゃない。

僕は、サッカーが好きだ。

ハッと目が覚めた気がした。彼に目を合わせると、彼は満足げに頷いた。

「さぁ、もっと楽しもうぜ」

そんな一言を、言い残して。

「カズ!」

オーバーラップを仕掛けた僕に、ヒロさんがボールを供給する。前にボールを運ぶと、相手ディフェンダーが目の前に立ちふさがった。

……ここで、いつも逃げてたんだな。

今まで通り、フォローに入ったボランチにパスを出す。そんな単純なパスフェイント。

それでも、今までパス一辺倒だった僕のそれは、効果が絶大だ。

完全にそちらへ重心が傾いていたディフェンダーを置き去りにして、相手陣地を抉っていく。

そのままクロスをあげようとしたところで、ヒロさんがやや後方から走り込んできているのが目に入った。

強いゴロでマイナス方向にパスを出し、ヒロさんの足下にそれが届いた。

ワントラップを入れて、シュートを放とうとする。

その瞬間、スライディングにいく相手選手の脚が、後ろからヒロさんの軸足ふくらはぎに入った。

強い笛が鳴って、レフェリーがその選手にレッドカードを提示した。

「おいっ、お前! わざと削りやがったな!」

「うっせぇ! レッド貰ってんだからお互い様だろ!」

「割にあわねぇんだよ!」

相手と仲間がもみくちゃになって争っている中、ヒロさんは踞ったまま立ち上がれない。

「ヒロさん!」

声をかけながら近づいても、ヒロさんは反応がない。

「大丈夫ですか?」

審判が担架をピッチ内に呼び寄せても、ヒロさんに反応がない。

削られたとはいえ、そこまでの痛むほどの強い接触では無かったと思う。それでも、ヒロさんは立ち上がれない。

左足を押さえたまま、彼は声も漏らさない。

何度か、首を左右にふった。

「無理そう、ですか?」

その問い掛けにも、彼は、左右に首を振った。何にせよ、一旦は外に出ないと試合が再開できない。

担架に乗るように審判に指示されると、ヒロさんはそれを拒否して自分で立ち上がった。

その頃には争いも一段落していて、スライディングを仕掛けた相手はピッチを退こうとしている。

ピッチの外に向かう前、ヒロさんは僕を呼び寄せた。小走りに彼に向かうと、一言だけ僕に告げた。

「悪い、昔を思い出しただけだ。すぐに戻る」

そのまま、ヒロさんは歩き始めた。

昔……あぁ、そうか。そうだった。

ヒロさんのかつての悩みに繋がっていた、プロ時代の怪我。

それは確か、後ろから受けたスライディングが原因だったと、彼は言っていた。

だからか。僕は一人で納得する。

前半、イヌイからスライディングを受けたときにオーバー気味に心配していたのは、自身に置き換えていたのかもしれない。

何にせよ、これはチャンスだ。残り時間が少ないとはいえ、数的有利に立った。しかも、相手ゴール前でフリーキック。

いつもは、セットプレーのキッカーはヒロさんの仕事だ。でも彼は、今はいない。

「俺、蹴ります」

無意識に、その言葉が出てきた。

周りにいたチームメイトは驚いた目で僕を見る。当然だよね、今までなら絶対に自分からそんなことは言わなかったから。

「いけるか?」

「大丈夫か?」

問いかけに、僕は頷いて答える。心配はされても、誰も否定はしないでくれた。

各々がポジションに散っていき、僕はボールをセットする。

サッカーを始めたのは、あるサッカー選手に憧れたからだった。

親が見ていた、日本代表の試合。背番号10の左足から繰り出されるフリーキックは、サッカーのことなんて何も知らない僕にさえ、感動を覚えさせた。

それから彼に憧れて、何度も何度もボールを蹴った。今のチームではヒロさんがいるから、フリーキックを蹴る機会なんて無かったけど。それでも、一人で自主練習は続けてきた。

あの頃の気持ちを思い出せ。彼みたいになりたいと、日が暮れてもボールを蹴るのが楽しくて仕方がなかった、あの頃を。

狙うのは、ゴール左上。

相手キーパーとの駆引きは、特にしない。コースを読まれていても、必ず決まるコースに蹴ってやる。

助走を始めても、その自信は無くならない。左足で踏み込んで、右足のインフロントで擦るようにボールを叩いた。

キーパーの動きも、ボールの動きもスローに見える。こぼれ球を狙う選手は、ゴール前に雪崩れていく。

そうだ、そのコースだ。キーパーの動きは適切だった。それでも、止められはしないという確信がある。

僕の右足に打たれたボールは放物線を描いて、キーパーの指先から数センチ先を通りすぎた。

一瞬の静寂が、ネットを揺らす音を伝えてくれた。その次に聞こえたのは、歓声とホイッスル。

ゴール来た乙乙
年跨いだとしても構わんのでいつも楽しみにしてるよ

少し内容とんでたから読み直してきたわ
乙です

すげえ
まさかFKという形で決めてくるとは
期待

左足の痛みは大したことは無かった。ただ、メンタルには強いダメージ。

後ろからスライディングを受けた俺は、立ち上がることもできないままに足を押さえる。

カズが名前を呼びながら近づいて来たのは分かったけど、それに返すこともできない。

大したことはない、はずなのに。どうしても立ち上がってすぐにプレー再開へ向かうことはできなかった。

残り時間わずかで、セットプレーのチャンス。それも、俺の得意な位置だ。それなのに、今すぐそのボールを蹴れるようなメンタルではない。

いくつかの問い掛けに首を振って答えると、落ち込んだ気持ちを震い立たせて、どうにか立ち上がってピッチの外に出ることにした。

足は……うん、大丈夫だ。

カズを呼び寄せて、一言伝える。心の機微に敏感なやつだ、あれできっと分かってくれるだろう。

ピッチの外に座って冷却スプレーを当てながら、プレーが再開されるのを見守る。

キッカーは……カズか。実力的には妥当、だけど意外でもある。

勝負がかかった場面、あいつは逃げがちだったから。普段のプレーもそうだし、こういう場面でもそうだ。プレッシャーがかかる場面で、あいつは無難で妥当、みんなと同じ。そんな選択が多かった。自信がないとか、遠慮してるとか、性格的なものもあったんだとは思う。

近くにいない俺には、その選択がカズ自身のものなのか、それとも任されたものなのかは分からない。

それでも、あいつはそこに立つことを選んだ。逃げ出さないことを、選んだんだ。

このフリーキックの結果を問わず、それは成長であると、俺は信じている。だから今は、成長したカズを信じる。

あいつの蹴るフリーキックは、きっと決まる。

カズが助走に入った時点で、ボールの軌道の予想はついた。

小細工は入れずに、俺のその予想のままにボールが放たれる。

文句のつけようもなかった。プロでも触れそうにない、完璧なコースに完璧な速度でそれは向かった。

「やりやがったな!」

「すげぇ、すげぇよ!」

そんな声に追われながら、カズはピッチの外にいる俺の元に向かってくる。

「カズ!」

「ヒロさん!」

そのまま俺に飛び付いてきて、返すように強く抱き締める。そして、遅れてきたやつらも集まると、みんなでカズをもみくちゃにする。

でっかくなったな、と父親のような気持ちにすらなってしまった。

俺がこのチームに入ったときは、ちょっと上手いだけのガキだったのに。今となっては、みんながこいつに信用をおいている。昔のブラジル代表じゃないけど、『戦術はカズだ』って言いたくなるほど、こいつはうちの真ん中にいる。

本人にその自覚はなかっただろうけど、さっきのフリーキックでそれは一段と強くなった。

審判に促され、ポジションに戻るあいつらと一緒に、俺も許可をもらって再びピッチに入った。

「さっきのフリーキック、カズが蹴るって誰が決めたんだよ」

ジョギングで戻りながら、隣を走るカズに問いかけてみた。

照れ臭そうに笑って、「僕が蹴りたいって言いました」と答えるこいつは、これからきっともっと上手くなる。

でも、それを口に出すのは同じサッカー選手として少し悔しさもあって、言葉の代わりにあいつの背中を強く叩いてやった。

俺も、変わらないとな。

残りわずかな後半はあっという間に終了を迎えた。

うちのチームにとって、予選を含めて延長戦は初めてだ。体力面に不安が残るけど、カズはむしろ後半から動きがキレてきた。この調子なら、初めての延長でも、むしろうちが有利かもしれない。

延長が始まる前に、俺はカズに話しかけた。

「カズさ、何でフリーキック蹴ろうと思ったの? いや、すげぇ良いボールだったよ。でも、そういう主張するの、珍しいじゃん」

その問い掛けに、カズはこんな答えをくれた。

「イヌイに言われたんです。楽しめって。試合は楽しいのに、サッカーって楽しいのに、そんなプレーばかりで楽しいのかって」

イヌイ……あの、カズのマッチアップの相手か。

「俺、サッカー好きです。楽しいし、上手くなりたい。でも、ミスが怖いからチャレンジもできてなくて。イヌイにそれを言われて、サッカーを始めた頃のことを思い出して」

「始めた頃って?」

「その頃って失敗してもボールを蹴るのって楽しかったな、って。上手くいく方がもちろん楽しいけど、失敗しても楽しい。だから、失敗を怖がらずにボールを蹴れたんだって。それを思い出したら、今の僕って本当に楽しめてるのかなって思って……」

「だから、失敗を恐れずにフリーキックを蹴れた?」

その言葉に、カズは頷いた。

「はい。だって、ミスするかもしれないから、成功したら嬉しいんだなって気づいたんです。だから今、めちゃくちゃ嬉しいです!」

「今さらかよ!」

そんな突っ込みが、横のヤマさんから入った。「あの時はびびったぜ、急に俺って一人称になるしさ」「かっこつけやがって!」そんな茶化しを入れられながら、カズは赤面して話をまとめようとする。

「とにかく! 延長はもっと仕掛けていくんで、フォローお願いします!」

サッカーの楽しさ、か。

延長前半が始まったピッチ上で、ポジションを取りながら俺は考えていた。

楽しいとは、いつも思う。好きだなってことも自覚している。ただ、その本質が何なのか、俺は言葉には出来ない。

カズの言っていることもサッカーの本質の一部ではあり、そして全体でもあると思う。

上手くいかなくても楽しいし、上手くいくともっと楽しい。

サッカーに対する感情は、とてもシンプルだ。

今までの俺は、余計なことばかり考えていたのかもしれない。

シンヤに対する嫉妬。カズに対する希望。怪我に対する恐怖。

それら全てを、サッカーに結びつけて考えていた。サッカーをする上で、それは切り離すことが出来ないことだと思っていた。だから、プレーしながら考えてしまう。

「ヒロさん!」

俺の名前を呼んでパスを求める、弟みたいな後輩に教えられた。

「カズ!」

答えて、あいつの求めるパスを出してやった。何とも嬉しそうに、そのパスをトラップしている。

楽しいから、俺はサッカーをする。楽しいから、上手くなりたい。

「カズ、中!」

楽しいからこそ、俺は勝ちたい。もっとこいつらと上にいきたい。

仕掛けるフェイントでイヌイの重心をサイド方向にかけさせると、逆をついて中を向いたカズが、バイタルエリアに強いパスを出した。

そこに走り込んだ俺は、ゴールに向かってボールをコントロールする。

ゴールが……見えた!

後半終了間際と同様に、右足を振り上げてキックモーションに入る。

そうはさせぬとセンターバックがゴールを隠しにきた。振り上げた足をそのまま振り降ろし、キックフェイント変更すると、体を硬直させていたディフェンダーは反応ができずにぽっかりとゴールが開いて見えた。

ここしかないというコースが見えて、今度こそと左足を振り上げた。そこで、俺の危機察知能力みたいなものが警鐘を鳴らし始める。

「後ろ!」

カズの声が聞こえた。何だ、そういうことか。

ボールを左足で軽く浮かせ、俺自身もジャンプする。後ろからスライディングを仕掛けていた相手のボランチは、信じられないという目で俺を見上げているのが視界の端に映った。

悪いけど、もう立ち止まるわけにはいかないんだ。これ以上カズに置いていかれないためにも、俺も進まないといけない。

ジャンプした体を寝かせながら、右足ボレーでボールを叩いた。

「すげぇ! スーパーゴール! さすがヒロさん!」

そんな声をあげながら近づいてくる後輩に、わざとらしく作ったドヤ顔で言ってやった。

「上手くいくと、やっぱり楽しいな」

相手のボランチクズすぎワロタ

はよ

まだ?

終わらないなら終わらないでいいから11月中とか年内とか期待させないでくれ…

がんばってクレー

左利きのフリーキッカー…背番号10…俊さんはすごいもんな……わかる……

続き楽しみにしてます

サッカーの醍醐味はドリブルで相手を抜き去ること。

そう信じて疑っていなかった。それは今も変わっていない。

子供のころはひたすら上手くなりたい一心で、周りの誰よりもボールを蹴り続けた。そして、周りの誰よりも上手くなった。 

無名の公立中学で県ベスト4まで勝ち進んだところで、スカウトされたんだ。それがきっかけで、俺の環境は一変した。

専用のグラウンドがあって、サッカー部ってだけで注目をされる、応援もされる。中学までとは大違いの環境だ。

そんな学校でも、俺は一年の頃から試合に出ることが出来た。何となくだけど、プロになるのかなって気もしていた。

大きな勘違いだった。

一年の冬に出た全国高校選手権、一回戦で俺達は大敗を喫して、そこで気づいた。

俺みたいな選手は全国に大勢いる。ちょっと強いチームで、ちょっと上手い選手。俺なんて、そんな程度の評価だ。

そりゃそうだ。一年前まで無名中学にいた俺が、そんなに簡単に全国トップレベルまで駆け上れるほど、サッカーは甘くない。

それでも、諦められなかった。理由なんて無い。俺はサッカーが好きだ。それだけで、負けたくない理由、下手だと認めたくない理由には十分だろう。

昔みたいに誰よりもボールを蹴った。誰よりも上手くなろうともがいた。

足技に磨きをかけて、得意なフェイントが出来て、今までよりもっと色んな方法でディフェンダーをかわせるようになった。

その結果が、最後の冬の全国四強だ。途中では、一年の冬に負けた相手にも勝つことが出来た。成長していることを実感できたし、いよいよ俺もプロの道が見えてきたと思った。

けれども、現実っていうのは甘くない。

『軽いプレーが多すぎる』

『ドリブルに偏重しすぎていて、怖さが無い』

こんな評価が積み重なって、俺を獲得しようとするチームは現れなかった。

有名大学からの推薦の話があったのは素直に嬉しかったけれど、そんな評価をされてしまった俺はどこを目指せば良いのだろうか。

だって、軽いと評されてしまったプレーは、俺にとってサッカーの醍醐味だ。楽しい事を我慢しなければいけないものなんだろうか、サッカーって。

そんな哲学的な悩みを抱えながらも、俺はプレースタイルを変えなかった。

俺は好きなサッカーをしたい。好きなプレーで、サッカーを楽しみたい。

けれども、大学でもその評価は変わらなかった。チームでは主力。ユニバ代表にも選ばれた。でも、プロクラブからは扱いが難しいという理由で敬遠される。

プロにはなれないと漠然と気づき始めた時に、進路についてどうすべきか考え始めた。

サッカーをやめることは、きっとできない。

でもプロになることもできない。俺は何でサッカーを始めたんだったっけ。

そんな堂々巡りの思考を繰り返すうちに、一つの結論が導き出せた。

高校に入って以降、俺はサッカーでプロを目指すこと、上に昇り詰めていくことばかりを気にしていたんじゃないかなって。

プレースタイルを変えないで、周りに認めさせてやる。

気づかぬうちにそんな意地が出来てしまっていたんじゃないかと、その時に初めて気がついた。

上手くなりたいのはサッカーを楽しむためじゃなくて、周りを認めさせるために変わっていたんだ。

そこで、俺は中学時代までの仲間とサッカーをする道を選んだ。こいつらとサッカーをしていた頃が、一番純粋にサッカーを楽しめていた。そんな気がした。

大学の名前のおかげか、Uターン就職もあまり困らずにできたのは幸いだったね。 

地元の社会人チームに声をかけて集まって、リーグ戦を戦って。昔取った杵柄ってやつかな、気がついたら、天皇杯本戦に出場が決まっていた。

社会人チームも高校もそれほど強いところがない県だったっていうのもあるんだろうけどね。

元々楽しみたくて帰って来たはずなんだけど、勝ってしまうといけるところまでいってやりたいと思うのがサッカー選手ってやつだ。

どうせならプロクラブに勝って、俺を取らなかったことを後悔させてやる。

逆恨みみたいな感情だけど、ドロドロした気持ちでもない。ただ、俺は自分のプレーを、評価してくれなかった人たちに見せてやりたかっただけだ。

ただ、俺以上にその感情を抱いていたのはチームメイトだった。


予選の準決勝くらいからかな。ラフプレーだったり、プロフェッショナルファールだったりがちらほら見え始めた。

昔からずっと、俺のことを認めてくれてる。プロのスカウトに、今の俺を見せる機会を与えようとしてくれている。

これを自分で言うのはかなり恥ずかしいんだけど。でもたぶん、俺ってこいつらにとっての希望でもあったんだと思う。

このチームの中で言えば、客観的に見て俺の実力はずば抜けて高いところにいる。実績も、能力も。

だから、俺を陽のあたるところまで連れて行ってやるって気持ちを持ってくれていたんだと思うんだ。

でも、それは間違った方向で現れ始めてしまった。そしてそれを止めることも、俺にはできない。

だってこいつらがラフプレーをしてしまっているのは、俺のためでもある。それを止めることなんて、俺にはできない。

ここにきて相手視点?
どこに向かってるんだ

いいんだけどねー
ちょっとサッカーに寄りすぎ感ある
更新頻度が少ないからからサッカーのSSに見える

メインはサッカーだから当たり前だろ

サッカーよりでもいいじゃないか乙

進み方がカイジとハンターハンターを足して2で割ったような感じ

完走すれば名作なんだけど、これは尻切れになるパターンだなあ。もったいない

完走はしてくれそうだけどここからじゃ最初のイメージとは違うゴールになりそうだな
例えば日本代表に選ばれるとか

ここからスペインに渡って未完に…

俺は、正しい道を歩けているのだろうか。

楽しいサッカー、自分がしたいサッカーをするために俺はこのチームに入った。それなのに、仲間は勝つために楽しさを犠牲にしているんじゃないのか。

漠然とそんな不安が脳裏を過るけど、そんな自問の答は出るはずもない。

『つまらないサッカーだけど試合には強い』と評されるチームと、『面白いサッカーをするけど弱い』チーム。どちらが正しいかなんて、それを考える人の主観によるものだ。
 
勝つことに重点を置く人なら前者が魅力的に映るだろうし、そうでなければ後者になる。

もちろん両立できるのが最高なんだろうけれど、それができるチームなんて世界中を探してもほとんど存在していない。ヨーロッパのトップリーグの、更に選ばれたチームくらいのものだろう。

俺だってサッカー選手なんだから、試合には勝ちたい。でも、だからと言って楽しさを捨てるのであれば、このチームに来た意味が無くなってしまう。

やりたいサッカーと、勝つために必要なこと。その取捨選択ができないままに、本戦まで勝ち進んでしまった。

俺のマッチアップの相手は、実力としては相手にとって不足無し、といった感じだ。

予選決勝のビデオを一度見てはいたんだけど、仮にもユニバ代表やってきた俺からしてみると、ずば抜けて上手いわけじゃない。ただ、たまに魅せるプレーをするタイプだ。

ポジション的にはこういう呼び方をするのは相応しくないのかもしれないけれど、ファンタジスタって感じ。

ただ、そのプレー以外には怖さが全くない。なぜか分からないけど、仕掛ける姿勢がほとんど無いのがその原因だろう。サイドバックってことを考慮しても、あまりに攻撃参加する頻度が低すぎる。

ディフェンスは普通に上手いし、技術だって無いわけじゃない。ただ、怖くない選手であれば、ボールをロストしてもそこまで危険なことにはならない。そういう意味では、やりやすい相手かもしれない。

前半から、俺はいつも通り自分で仕掛けるプレーを中心に選択をしていく。

気持ちよく相手を抜けると、快感だ。相手が上手ければ上手いほどその気持ちよさは強くなる。


荒らしその1「ターキーは鶏肉の丸焼きじゃなくて七面鳥の肉なんだが・・・・」

信者(荒らしその2)「じゃあターキーは鳥じゃ無いのか?
ターキーは鳥なんだから鶏肉でいいんだよ
いちいちターキー肉って言うのか?
鳥なんだから鶏肉だろ?自分が世界共通のルールだとかでも勘違いしてんのかよ」

鶏肉(とりにく、けいにく)とは、キジ科のニワトリの食肉のこと。
Wikipedia「鶏肉」より一部抜粋

信者「 慌ててウィキペディア先生に頼る知的障害者ちゃんマジワンパターンw
んな明確な区別はねえよご苦労様。
とりあえず鏡見てから自分の書き込み声に出して読んでみな、それでも自分の言動の異常性と矛盾が分からないならママに聞いて来いよw」

>>1「 ターキー話についてはただ一言
どーーでもいいよ」
※このスレは料理上手なキャラが料理の解説をしながら作った料理を美味しくみんなで食べるssです
こんなバ可愛い信者と>>1が見れるのはこのスレだけ!
ハート「チェイス、そこのチキンを取ってくれ」  【仮面ライダードライブSS】
ハート「チェイス、そこのチキンを取ってくれ」  【仮面ライダードライブSS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1450628050/)


>>1を守りたい信者君が取った行動
障害者は構って欲しいそうです
障害者は構って欲しいそうです - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1451265659/)

まぁだぁ?

誰かが定期的に発言しないとスレ落ちそうで怖い!ww
それだけ期待ということで

保守

今までにこいつより上手いやつとは何人もマッチアぬプをしてきた。

それでも、こいつからはそいつらから感じなかった何かを感じる。

それが何か、言葉にするのは難しいんだけれど。華があるとか、チームのエースとか、そんなんじゃない。もっと抽象的で、でもきっと凄く大切な何か。

だからかな、こいつを抜いた時の快感は今までにないくらい気持ちいい。

俺がノってプレーできているとか、天皇杯本戦という高揚感を抜きにしても、今日の試合は楽しい。気持ちいい。

こいつも楽しんでるのかな。そう思って、つい顔色を窺っちゃったよ。活き活きした顔で、俺を見返してきてやがる。

本当に、楽しそうにサッカーをするやつだな。でも、それこそが一番大切なことだよ、なぁ。

俺たちは好きでサッカーをやってるんだ。楽しまなきゃ嘘だって。

久しぶりに来たか

ほしゅ

一夜漬けで追いついた
次楽しみにしてるぜ

面白い。サッカーしないけど屑な人間に感情移入しちゃってます。おつ!

天皇杯本戦という緊張感からか、スコアはなかなか動かない。試合自体はうちのペースになってるんだけど、最後のところで決めきれない。

良い位置で貰ったフリーキックも、相手センターバックに跳ね返されてしまった。そしてそのボールは、相手のエース、10番の選手に拾われた。

……やばいっ。

守備が得意じゃない俺でも、あの10番が相手チームでキープレーヤーの一人なのは理解している。今まではうちのマーカーの頑張りで自由にさせていなかったけど、今回はそうもいかなさそうだ。

自陣に向かって走り始めたところで、俺のマーカーだったサイドバックを確認……もうあんなところにいるのか!

気がつけば、あいつはもうハーフウェーライン手前まで既に辿り着いている。単に切替が早いのか、それともチームメイトがパスをくれると信じているからなのか。

何にせよ、俺も戻らないと枚数が足りない。パスを受けたあいつを全力で追いかけるけど、間に合わない。アーリークロスをあげようとした瞬間、スライディングで足を伸ばす。

ボールにギリギリ間に合わなかった俺の足は、振り抜かれた相手の足を掠めていく。

悪い、怪我はしないでくれよ。久しぶりに楽しいマッチアップなんだ。こんなことで途切れさせたら、色んな意味でモヤモヤしてしまう。

倒れていたから見えはしなかったけど、シュートはゴールを外れたみたいだ。

審判からの注意をハイハイと聞き流しつつ、倒してしまった選手も怪我はなかったのが分かって安心した。

相手のエースの心配する声が聞こえてくる。そっか、カズっていうんだね、こいつ。

その後も、スコアは動かないまま時間が進んでいく。前半のうちに一点は欲しい。これだけ攻勢に出ていてノーゴールなのは、後半の士気に関わってくる。

恐らく前半のラストプレー。ボランチからパスを受けた俺は、カズと向かい合う。

さあ、いくぜ。

フットサルよろしく、足裏でボールを運んで仕掛けるタイミングを計る。軽くカットインを仕掛ける仕草を見せて、重心移動の瞬間……ここだ!

イメージ通り、俺のフェイントに引っ掛かってくれた。そのまま勢いをもって相手陣地を切り裂いていく。

後ろから追いかけてくる気配を感じる。綺麗に抜き去ったとはいえ、このままカットインを狙うと追い付かれるかもしれない。

敢えてそのまま縦に縦にと切り込んでいく。そして、カズの体が俺に並んだ瞬間、ボールをアウトサイドで引っかけて急ブレーキ。

ここまで全力で追いかけてきたところで、この切り返しには耐えられないだろう。予想通り、もう一度綺麗に抜き去った。しかもそれは、ゴール近くの絶好の位置。

今度こそ、そのままカットインしてゴールを見据える。相手センターバックがつられてコースを消しに来る。そこだっ!

元々そいつがいたところが、ぽっかりとスペースになっていた。そこに走り込むフォワードに、寸分の狂いも無いようにインサイドで優しくパスを出す。

キーパーが飛び出してシュートコースを消そうとする。でも、ペナルティエリアど真ん中では限定すると言ってもたかが知れてる。もらった!

俺のパスを受けたフォワードが慎重にワントラップをして、シュートを打つ……瞬間。ボールは、ゴールとは逆側から伸ばされた足にクリアされた。

まさか。そこはスペースになってたはずなのに。

前半終了を告げる笛と共に見えたのは、相手の10番だった。こいつ、危機察知して戻ってきたのか? ボランチより先に、トップ下が?

ナイスカバーとしか言いようがない。これでダメなら、点が取れるまで攻め続けるまでだ。

こいつらからゴールを奪えたら、どんなに気持ちが良いだろうか。

「お前、やるね」

そんな言葉がつい漏れちゃったよ。ふざけてるわけじゃないんだけどね。

やっと来てくれたか

なかなかゴールが奪えないけれど、試合はうちのペースで進められている。ハーフタイムのベンチの空気も悪くない。

「あとは決めるだけなんだよなぁ」

「一点は決めときたかったわ」

「やっぱりオオタは凄いわ、最後のカバーとか」

そんな雑談を挟みながら、後半の戦術を話し合う。

相手のストロングポイントとうちのストロングポイントが、偶然にも被っている。

自分で言っちゃうけど、俺とカズのことだ。となれば、ここは引いてはいけない。

「前半通りだ。イヌイのサイドを起点にして、相手を折る」

いけるな? と、確認するように監督が俺の顔を確認してきた。

自信を込めて頷くと、おおっと盛り上がる。

「良いか、あとはゴールだけだ! さっさと一点取って、勝ちにいくぞ!」

その声に応えて、俺たちは前半通りのメンバーでピッチに向かって行く。

ふと、カズを探してしまった。後半こそ、お前を完全に抜き去って得点を決めてやる。

そのシーンを想像すると、つい笑みがこぼれちゃったよ。

さあ、まだまだ楽しもうぜ。

風俗嬢どこいった
飽きたのか?

ほしゅ

>>504
諦めろ
もう>>1には無理だろ

待ってる

後半も俺とカズのマッチアップは続く。

絶対抜いて決めてやるって気持ちと、中々そこまでいけないことが嬉しいっていう相反した気持ちが俺の中に湧いてくる。簡単にやらせてくれないからこそ、挑み甲斐がある。

それにしても、一対一強いなコイツ。楽に仕事をさせてくれないのは前半で分かっていたけど、本当に骨が折れる。

……個人技で魅せるっていうのが俺のプレースタイルだけど、それだけで挑んで勝てるほどサッカーは甘くない。それは、挫折と言って良いのか分からないけど、ユニバ代表の時にも学んだことだ。

それなら、違った形の駆け引きをすればいい。

前半からカズのケアを意識してはいたけれど、意識的にマークを緩めた。コイツにパスが渡されるように、絶妙な間合いで。

その餌に、相手センターバックが釣られてくれた。

俺との間合いが広くなっているカズに、緩い横パスを出した。最初からそれを狙っていた俺は、ボールに向かって全力でダッシュを仕掛ける。

それにいち早くカズも気づいたみたいだけれど、もう遅い。

カズを振り切るように、普段の細かいタッチとは違ってランウィズザボールのように大きく蹴り出して前に進む。

センターバックがスライドして対応しにきたところで、俺は中を確認する。g

俺のドリブルコース、パスコース、シュートコース、その全てを消そうと中途半端なポジショニングでプレッシャーをかけてきた相手センターバック。そいつの足がギリギリ届かないコースを狙って、俺はボールをゴール前に転がした。

逆サイドのセンターバックもうちのフォワードを捕まえきれていなくて、そのパスは見事にゴールに繋がった。

予選とは違い、結構な数が入っている観衆が沸いた。

「ナイスパス!」

ゴールを決めたフォワードが勢いそのままに俺に向かって飛びついてきた。後ろからチームメイトも重なってくる。

まず、一点だ。

自陣に戻ろうとしたところで、チラッとカズを見てみると目が合った。良いね、闘志を向けられてる感じがする。

今の勝負は俺の勝ちだ。今度こそは、個人技で勝ってやる。そんな決意を込めた笑みを浮かべてやった。

再開後、先制点を決めて余裕を感じるようになったからかな。今まで以上に俺は個人技で抜くことに固執し始めた。

見る人によってはスタンドプレー、軽いプレーと言われても仕方がないのかもしれない。それでも、うちのチームはそれを認めてくれている。そして、期待してくれている。だからこそ、俺はカズを個人技で抜き去らないといけない。

勝負を仕掛けて止められる。抜けそうで抜けない。綺麗な形は作らせてくれない。その繰り返しだ。

それでも楽しい。俺はやりたいサッカーをやらせてもらえている。他でもないこのチームで、俺は俺のしたいサッカーをできている。

ヒールリフトで頭を超えさせようとすると、カズの頭に掠ったボールはタッチラインを割った。くそ、これも反応するか。

それにしても、こいつ、サッカー好きなのは感じられるのに、本当に窮屈そうなプレーばかりだね。

「アンタさぁ、勿体ないよね」

そんな言葉が、つい口から漏れてしまうくらいには。

必死なのも、勝ちたいのも分かる。でも、何かに怯えているように見えるのは、それが理由じゃないはずだ。

楽しい試合、楽しいサッカー。好きでやってることなのに、何がそんなに怖いんだろう。

俺たちはプロじゃない。負けたらクビになるわけでも無ければ、生活に困ることだってない。そこは、俺たちがアマである所以だけれど。

こんなに俺が楽しんでいるのに、カズがそんなに窮屈そうだったら悲しいよ。お前っていうライバルがいるからこそ、俺はこの試合を楽しめているんだから。

「もっとやりたいようにやってみろよ。せっかく楽しい試合をしてるんだぜ?」

相手チームの選手にしてみたら、余計なお世話かもしれないけど。それでも、俺はカズにも楽しんでいて欲しいんだ。

不思議な気持ちだけど、こんな好ゲームは滅多にできるものじゃない。敵とか味方とか関係なく、俺は単に良い気持ちでこの試合を終えてほしい。勝敗はあるんだろうけど、それを超えた感覚だ。当事者になってみないと、説明するのは難しい。

「楽しい、試合」

そう呟いた後に、俺を見返してきた目は、何だかそれまでの視線とは変わっている気がした。勿論、いい意味で。

そうだよ、その目をしたお前に俺は勝ちたいんだ。

ジャイキリ


待ってた

お久しぶりだな忙しいのかな?

もしかしたら、俺は余計な一言を漏らしたのかもしれない。

そんな後悔をしそうなくらい、こいつのプレーは変わってしまった。今まで以上に積極的にプレーに絡んで、挑戦してくる。

今までは俺の突破を防ぐことに重きを置いていたようなプレーだったのに、今度は攻撃にも顔を出すようになってきた。

ただでさえ手強い相手だったのに、更に強くなっちゃったよ。でも、嫌じゃない。

ワクワクした気持ちはそれまでより高まっていて、コイツとの勝負がますます楽しみになってきた。

一進一退の攻防が続き、試合終了が近づいてきた。勝負で完勝はできなくても、試合は貰ったな。次に戦う時は、個人技でも抜き去ってやる。

そんな油断が災いした。

ギアを上げてオーバーラップを仕掛けたカズに、振り切られてしまった。オオタからのパスが、カズに渡った。

俺には守備に欠けているということは、悲しいことにチームメイトも承知していることだ。だから、うちのディフェンダーもすぐに対応してカバーに入ってきた。

残り時間もあと僅か。ここは大事に行きたい場面のはずだ。

一旦預け返して、裏を狙いに来るか? それなら挟み撃ちにするより、正確なパスを出せるオオタのマークを厚くしたい。

「10! 10のケアしろ!」

オオタの背番号を叫んで、チームメイトに意思を伝える。

そして俺の読み通り、カズは横パスを出した。かと思った。

「えっ」

驚きのあまり、一瞬止まってしまうくらい、それは見事なフェイントだった。たぶん、あの場にいたやつら全員がつられてしまったとしまったと思うくらいには。

気が付いた時には、アイツはうちのディフェンダーを置き去りに、サイドを独走していた。

サイドを独走したカズは、そのままうちのセンターバックを引っぱり出したところでマイナスのクロスを上げた。

そこには誰も……いた。オオタだ。こいつだけ、さっきのキックフェイントを理解して一早く走り出していたんだ。何なんだよ、お前らの信頼関係は。

うちのディフェンダーは振り切られてしまっている。……間に合わない。

オオタがボールを綺麗にコントロールして、シュートモーションに入った瞬間。やられたと思った。

その瞬間、後ろから追いかけていたうちの選手がオオタの足を削った。

……またか。

勝つためには仕方のないプレーかもしれない。それでも、これは果たして正しいのか? 止められない俺は、これで良いのか?

そんな自問とは関係なく、ファールを犯したチームメイトは退場、オオタは負傷で一時離脱。フリーキックはカズが蹴るみたいだ。

嫌な予感がする。とんでもない瞬間に出くわしているような気もする。理由なんて無いけど、ただ何となく。

このフリーキックは決まる。そんな、嫌な確信だ。

さっきのカズのキックフェイントから、そんな嫌な雰囲気があったんだ。今までにも何度か経験したことがある。

そしてその予感は的中してしまった。ビューティフルゴールだ。敵ながら天晴と言いたくなるくらい。

喜びを爆発させているアイツらが何だかまぶしいよ。さっき、俺が言った言葉は何だっけな。

本当に、嫌になるくらい楽しんでやがるぜ。

「ラフプレー、やめようぜ」

その一言を言えないまま、延長が始まった。

簡単に言えるんだったら、もっと前から言ってるよ。そんな、勇気が出せなかった言い訳を自分に言い聞かせながら。

オオタへのプレッシャーは相変わらず厳しいし、カズに対するディフェンスも今まで以上に強くなった。

それでも、こいつらの勢いはなかなか止められない。ゴールまでは結び付かなくとも、決定機の数はこれまでとは段違いに増やされてしまっている。

向かい合ったカズは、輝いた目で俺に仕掛けてきた。止めるっ。

同点フリーキックのきっかけとなった、カズの仕掛け。それを意識しすぎたあまり、今度はそれがフェイントとして有効になってしまっていた。

仕掛けるような重心移動はフェイクで中を向かれてしまった。スイッチを入れるパスがカズからオオタに渡る。

……ヤバい。ただでさえ一人少ないうちが、ここで決められてしまえば逆転はかなり難しい。

オオタのシュートコースを潰したセンターバックはあっさりかわされて。そしてうちの選手が、またオオタの足に向かってスライディングしている。

勝つためには仕方のないことだ。ここで止めないと、さすがに厳しい……。

あのフリーキックと同じように、オオタが倒れる光景を思い浮かべた。でも、それは現実のものとは違って。

後ろからのスライディングを察知したオオタは、見事にそれをジャンプでかわした。そして浮かせたボールをそのまま叩き、ゴールネットに吸い込まれていく。

目に見えて、うちのチームの士気は落ちてしまった。

一人少なく、残り時間もあと僅か。勢いも相手チームにある。スーパフリーキックに、ビューティフルゴール。あんなゴールを見せられて、意気消沈するなという方が難しい。

……ここまでかな。

諦めているわけじゃない。それでも、厳しい状況であるのは間違いない。

試合は再開したけれど、うちのチームは動きが悪い。それは俺を含めてなんだけど。

防戦一方な展開になって、どうにか得点だけは許していない。そんな状況。

相手チームのシュートが外れて、うちのゴールキック。たぶんこれが途切れたら終わってしまうのかな。

ポジションを取っていると、俺のマークについてきたカズが一言呟いた。

「楽しめてます?」

普通に考えると、煽ってるように聞こえるんだろうだけど。こいつの目は純粋に俺を見てきている。

楽しめよって言った俺の気持ちと一緒だと思う。こいつは今、この試合を楽しんでいる。

それなら、俺も楽しまないといけない。いや、違った。負けそうになって悔しくて、プロフェッショナルファールへのモヤモヤがあって忘れていただけだ。

この試合は、楽しい。そして俺はカズを抜きたい。勝負に勝ちたい。試合にも勝ちたい。まだ試合は終わっていない。

ゴールキックの競り合いのこぼれ球を拾ったボランチに、大声でパスを要求する。

足元に届いたそれを、自分の間合いでコントロールする。

さぁ、最後の勝負だ。いくぜ。

最後は俺の一番得意な形で勝負してやる。

縦にじわじわとドリブルを仕掛けていくと、ゆっくりとコースを限定するかのように間合いを詰めてきた。

わざと少しボールタッチを大きくして、餌のようにカズの目の前に差し出す。

そして、一気にプレッシャーを強くしてきた、その瞬間。

ギリギリのところで自分が先にタッチできるところに置いていたボールを、左足裏で引いてクライフターンをきめる。

よし、かわした。

そのまま中を向いてカットイン。斜め45度が俺の一番得意な角度だ。憧れていたイタリア代表の選手が、この角度からのシュートを得意としていたから、俺も真似して練習していたらいつの間にかそうなっていた。

チームメイトいわく、イヌイゾーン。ここで決めて、PK戦までもっていってやる。

右のインフロントで擦るようにインパクト。

その瞬間、抜き去ったはずのカズの足が視界の端からすっと入り込んできた。

俺のキックの直後、カズの足にあたったボールはコロコロと転がり、相手センターバックのもとに向かう。それが強く蹴り返された瞬間、俺の天皇杯本戦は終わりを告げた。

チームメイトはピッチの上に倒れて泣いたりしているけど、不思議とそんな悲しさはない。

それより、スライディングで倒れたままのカズに手を伸ばしてやった。俺の手をつかんだこいつは、まっすぐに俺の目を見返してくる。

「何で、最後間に合ったんだ?」

それが一番の疑問だった。完全につり出してやったと思ったのに。

「イヤらしいなって思ったから」

「は?」

どういうことだろう。イヤらしい?

「うちの失点シーン。あれ、わざと自分のマークを弱くしてつってきたじゃないっすか。だから、ああいうイヤらしいプレーがあるかもしれないっていうのは、頭の中にあって」

「それだけで?」

「あと、あれだけ個人技を持ってるのに不自然にボールタッチが大きかったから。たぶん何かやってくるなとは思ってたんで」

……ははっ、大したもんだ。そこまで読まれていたんなら、ぐうの音も出ない。

「完敗だよ。すごいのな、お前。カズって言うんだっけ?」

「どうも。イヌイさんですよね? 高校選手権、テレビで見てて覚えてます。見てて面白い選手だなって、印象的だったから」

そんな風に褒められるとむずがゆいし、でもやっぱり悔しいね。

待ってた
イヌイ視点も面白いな

やっと追いついた
一筋縄でいかないキャラばかりで面白い

「光栄だな。楽しかったよ、サンキューな。ナイスゲーム!」

そう言って、改めて右手を差し出した。今度は立ち上がらせるためじゃなくて、健闘を称えるために。

「こちらこそ、ありがとうございました」

握り返された手は、熱を感じる。サッカー選手の熱だ。今の今まで、死闘を繰り広げていた熱だ。

それに勝てなくとも、胸を張れる程度には応えることができた自分を誇りに思う。次は、負けない。

手を放し、肩をぽんっと叩いて背中を向けたところで、最後に言い足された。

「『楽しめよ』って言われたの、忘れません! イヌイさんとのマッチアップ、めちゃくちゃ楽しかったです!」

真っ正面から、こんな恥ずかしくなるようなことを言われたのは初めてだ。それでも、嫌じゃない。こいつ、良いやつだな。

「次は負けねぇから」

振り向かずに、そう言い返してやった。今度はカズ以上に俺が楽しんでやる。そして、試合に勝ってやる。

まだ泣いているチームメイトのところに向かって、整列するように促した。

「ほら、行くぞ」

「悪い、悪いな……」

どうした? 何が悪いんだろう。負けたのは俺がカズに勝てなかったからであって、こいつらのせいじゃない。

「お前をプロに勝たせてやりたかった、なのに、なのに……」

漏らした言葉は嗚咽交じり。

間違ってたんだと思うんだ。俺が楽しいサッカーをできていたのは、こいつらのおかげ。それなのに、ラフプレーとか汚いプレーをこいつらにさせてしまっていた。苦しいところを、他人に投げてしまっていた。

悪いのは俺であって、こいつらじゃない。もっと上手くなって、正々堂々としたプレーでチームを勝たせてみせよう。こいつらにも、サッカーを楽しませてやろう。

それが俺なりの贖罪であって、チームメイトの恩返しだ。

だから。

ああ、畜生。今日はいい天気だ。負けたことすら、何だか正しく思えるくらいには。

デルピエロゾーン懐かしい

『お疲れさま。一回戦突破おめでとう! カズヤのシュート、すごかった!』

そんな、素人みたいな感想のメールをカズヤに送りながら、家路を辿る。素人みたいっていうか、素人なんだけどね。

一点目のシーンを思い出す。ううん、正確にはその前のカズヤのドリブルのシーンから。

あそこから、何かが変わった気がする。外から見てる、それもサッカーのことを詳しく分からない私じゃ、言葉にするのは難しいんだけど。

でも、あれが何か大切なプレーだったことだけは分かる。

このまま帰ろうかな、とは思ったけど、少しお腹が空いてしまった。15時開始って、微妙な時間だからお昼も軽くしか食べなかったし。

外食して帰ろうかな……そんな考えが頭に浮かぶと、行きたいお店はヤギサワさんのところしか思いつかなかった。あそこのオムライス、本当に美味しかったんだもの。

そうと決まれば私の行動は早い。少し遠回りにはなるけど、散歩で行けない距離でもない。

暑さは気になるけど、ダイエットだと思って歩くことにした。

カズヤたちが勝ったからかな、私も嬉しくて足取りは軽い。

浮かれた気持ちで歩いていたら、携帯から着信音が鳴り始めた。画面を確認すると、カズヤから。

『ありがとう! あのシュートは自分でも会心だったよ! 今日、忙しい?』

『ううん、今日は空いてるよ。お休みだから』

もしかして、お誘いかな? どうしよう、急にドキドキしてきた。

その返事はすぐに返ってきた。

『もしよかったら、ご飯行かない?』

何だろう、緊張してくれてるのがその文面だけで伝わってきて、可愛いような、こっちまで照れてしまうような。

私に断る理由なんてもちろんなくて、快諾の返事を送っておいた。

うーん、どうしよう。会場に引き返したほうがいいのかな。

さっきとは違う着信音が鳴り始めた……っと、電話。どうしよう、それはまだ心の準備ができていない。

とはいえ、出ないわけにもいかなくて。どうか可愛い声で出られるようにと思いながら、画面をスライドさせて電話を受ける。

「もしもし……カズヤ?」

「あっ、よかった、ごめんね、急に」

「ううん、誘ってくれて嬉しかった。お疲れさま」

彼の声の後ろは、まだ少しガヤガヤしてる。チームメイトの人とかと一緒なのかな?

「今、大丈夫なの? 後でかけなおそうか?」

「あ、いや、もう外に出てるから。ダウンとシャワーでこんな時間になったけど」

「そっか。えっと、どうすれば良い? どこに行けば良いかな?」

その問いには、会場最寄りの駅を告げられた。うん、それならここからそう遠くはない。

了解の返事をして、電話を切った。

……待って、これってデート?

待ち合わせ場所に着いても私のドキドキは収まらなくて、どうしようどうしようって一人で頭の中を騒がせている。

もっと可愛い服を着て来れば良かった。貰ったハットを被ってるのは当然だけど……暑い、あんまり気合を入れた服を着て行ったらああいう競技場で浮くって分かってきたから、結構ラフでカジュアルな服しか着てない。

うわー、一回帰りたい。

どれくらい時間かかるのかな。今から近くのお店で適当に見繕う?

そんな現実的じゃない案さえ頭の中に浮かんでくる。ああ、どうしよう。

悩んでいれば悩んでいるだけでカズヤの到着が近づいてくる。

カズヤ、オシャレだし。女の子のファッションにも色々好みがありそう。本当の私はもっと……いやもっととは言えないけど、もうちょっとは可愛いの。いつもの私はもう少しマシなの。分かってくれるかな。

そんな言い訳染みたことを考えていたら、後ろから声をかけられた。

「ごめん、待ったよね」

「ううん、全然……」

心の準備すらできてませんでした、とは言えなくて。

振り向いた先にはカズヤがいた。ジャージ姿で。一瞬驚いて言葉が止まったけど、そっか、試合帰りだもんね、よくよく考えると当然だ。

「? どうかした?」

その私の反応に、不思議そうに問い返してきた。

「いや、ジャージ姿って新鮮だなって。さっきまで悩んでたのがバカみたい」

「悩んでたって?」

「今日、かなりラフな格好で来ちゃったから。カズヤはおしゃれだから、幻滅されないかなって」

そういうと、彼は一瞬止まった。そして、顔を真っ赤にした。

「……僕、着替えて来ようか?」

小声で、そっかジャージ姿じゃんそういえば……ダメじゃん……なんて呟いている。

私が盲目なのかもしれないけど、そんなところすら可愛く思えてくる。そういうことが頭に浮かばないくらい、私に会いたいって思ってくれてた……っていうのは、私の勘違いかしら。

「ううん、全然。そのままが良い。私だってこんな感じだしさ。ほら、行こうよ」

面白いかも

ねーちゃんの登場待ってた!

なんかねーちゃん超久しぶりじゃね?

決まり悪そうに頷いて、カズヤは歩き始めた。それが何だかおかしくて、つい笑ってしまいそうになる。

アキラといたときには、考えられなかったことだ。見返りを求めず、求められずにご飯に行くだけでこんなに嬉しい気持ちになるなんて。ラフな格好で出かけて、それをお互いに恥ずかしがるなんて。中高生みたいな気持ちかもしれないけど、それでも私は嬉しい。

……手、繋ぎたいな。嫌じゃないかな。図々しいかな。

そんな、甘酸っぱい気持ちを抱いてしまう程度には。

彼の歩幅に合わせて手を伸ばそうとして、でもちょっと遠慮しちゃって。

私の好きと、カズヤの好きが違ったらどうしよう。そんな心配をしてしまうと、どうしてもあとちょっとの指先を触れ合わせることができない。

「ね、どこ行くの?」

信号待ちで止まった時に、ドキドキを抑えるために話しかけてみた。

「あ、ごめん。食べたいものある?」

「ううん、初デート、どこに連れて行ってくれるんだろうって」

私自身の緊張を誤魔化すために、カズヤにもわざと意地悪っぽくデートって言ってみた。良いよね、そう言ってしまっても。少なくとも、私はデートだと思っているし。

「デートって」

冗談っぽく復唱してきたけど、顔が赤くなっているのは誤魔化せていない。こういうところが可愛いんだよね。

「この間、ヒロさんといたレストランあるじゃん。あそこで良い? っていうか、あそこに行きたいなって思って」

「うん、行こ行こ。私もあそこ、また行きたいなって思ってたから」

カズヤと一緒に、とは言い足せなかったのは恥ずかしかったから。それにしても行きたいところが被ってるのって嬉しいね。軽く運命感じちゃった。

信号が変わって、周りの人が歩き出した。そして、私の手にはカズヤの手が触れてきて。

「デート、でしょ?」

さっきの恥ずかしそうな顔とは打って変わって、悪戯っぽい笑みを浮かべている。本当に、彼はズルい。

今度は私が赤面を誤魔化して、俯き気味になってしまう。それでも触れあった指先の力は緩められない。できるだけゆっくり歩きながら、私は幸せを噛みしめ
る。

……好きだなぁ。

仲が進展してるな
出会いはともあれ初々しいなww

いいね!

「いらっしゃいませ」

お店に着かなきゃいいのに、なんて私の惚気た願い事なんて叶うはずもなく、あっという間にヤギサワさんのお店に着いた。

声をかけてくれたのは女性だった。ヤギサワさんは今日はいないのかな。そういえば、奥様の実家のお店って言ってたっけ。

案内された席に座って、メニューを開いた。

「前、何食べてたんだっけ?」

「オムライス。お勧めらしいよ、ヤギサワさんが言ってた」

水を持ってきた店員さんが、私の話し声に反応した。

「あら、旦那の知り合い? ……君たち、何か見たことあるわね」

そう言って、私たちの顔を交互に見返す。そして視線はカズヤのジャージに向かって。

「あ、わかった。この間試合してたよね、うちの旦那と。ジャージで分かったわ」

ジャージと言われて、またカズヤが恥ずかしそうになってしまう。

「あ、はい。その節はお世話に……。すみません、こんな服装で」

「あはは、良いのよ。そんなにお高いお店でも無いんだし、気軽に来てよ気軽に」

ありがとうございます、と二人でぺこっと頭下げてしまった。

「で、ご注文はお決まりかしら? 仕事もしないとね」

その問いかけには二人でオムライスと答えた。

「かしこまりました。旦那も好きなのよ、オムライス。たぶん、後で来ると思うから」

一気に読みました。
とても面白いです。完結まで頑張ってください。

>>534
面白いの知ってるからsageてくれないか

その一言を言い残して、彼女は厨房に向かっていった。

ふと、向き合ったカズヤと目が合った。……うわ、何か急に緊張してきた。

この間は私の話を聞いてもらっていたし、お店ではカズヤからの相談を聞いたりしてたけど、今日みたいにゆっくり話せる状況に改めてなってしまうと、何を話そうって頭の中がパニックになる。

「今日、見に来てくれてたんだよね、ありがとう」

「あっ、ううん、楽しかったから。サッカーってカズヤに会うまでちゃんと見たことなかったけど、面白いんだなって最近思うようになってきたの」

実際、凄いパスとかシュート……としか形容できない時点で素人なんだけど、そういうのがビューンっていくのは見ていて面白い。あんな風に思い通りに蹴れたら楽しいだろうなって。

「本当に?」

そう言って目を輝かせる彼は、少年みたいで。同い年のはずなのに、何だかお母さんみたいな気持ちになってしまう。

「本当に。ねぇ、カズヤは何でサッカーを始めたの?」

それは純粋な興味本位だった。サッカーが楽しいからっていうのはわかるんだけど、それは始める理由じゃなくて続ける理由だろうし。

「えっとね、憧れている選手がいるんだ。分かるかな」

そう前置きをして伝えられた名前は、私でも聞いたことのあるサッカー選手だった。数年前までは日本代表だったかな? 海外で活躍していたころ、流し見ていたスポーツニュースとか、父親が読んでいたスポーツ新聞なんかで見たことがある気がする。

「その選手がさ、凄いフリーキックを決めた試合があって。それをテレビで見て、あんな風になりたいなって憧れて」

結局、なれなかったんだけどね。

そう言い足した彼は、少し照れくさそうで、でも寂しそうで。

「なれてるよ」

つい、私は無責任にそんなことを言ってしまった。無神経だったかなとは思ったけど、私の本心は止められない。

「私はさ、カズヤの試合を見てサッカーって面白いなって思ったの」

私がカズヤに惹かれているからとか、知ってる人たちが試合をしているとか、そんな理由もあったのかもしれない。

それでも、最初は何でサッカーをしているのか理解すらできなかった私にとっては、それは長足の進歩だと思う。

理由があって何かをするわけじゃないって、こういうことなんだって教えられた気がする。

「だからさ、私にとってカズヤは、カズヤにとってのその選手みたいなものなんだよ」

誇張表現なんかじゃなくて、これは本心だ。憧れているといっても、過言ではない。

試合中の彼のまっすぐさに、情熱に、ひたむきさに。それに惹かれて、私は彼から目が離せなくなってしまったのだから。

「本当に?」

「本当だよ。だって私、最初はサッカーのことなんて分からなかったもの。それなのに、今じゃ試合を見に行くのが楽しみで仕方ないの」

不思議だよねって自分で思う。

「うん、ありがとう。そう言ってもらえるなら、次も頑張らないと」

「あ、そっか。次って……ヒロさんが昔いたチームなんだっけ?」

そんなことを、以前このお店に来た時にヤギサワさんが話してた気がする。

「あれ、詳しいね」

そう呟いたカズヤは、少し複雑そうな顔をしていた。

「どうかした?」

「あっ、いや、何でもないよ」

そうかな。それにしては、ちょっと気になる感じだったけど。

カズヤが何でも無いって言うなら、何でもないんだろう。それならそれでいいや。

「でも、ヒロさんが昔いたチームってことは……プロのチームなんだよね」

「あれっ、そんなことまで知ってるの?」

まただ。少しだけなんだけど、ちょっと不機嫌そうな、複雑そうな表情。

「それも前教えてもらったから。ね、やっぱり、どうかした?」

「うーん……」

今度は思案染みた顔になっていた。言って良いのかな、ダメかなってちょっと躊躇っている表情。

「あ、言いたくないならいいよ。ごめん、何回も聞いちゃって」

カズヤにだって、言いたくないことはあるよね。今まで色々相談してくれたから、つい無神経に踏み込みすぎてしまった。

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

少しうつむいた後、彼は私の目を見つめた。改めて視線が合うと、少しドキッとしてしまう。

「呆れないでほしいんだけどさ、一つ聞いていい?」

一旦乙してイイのかな?

俊輔かな?

「えっと、うん?」

改めてどうしたんだろう。何かあった? 私が何か気に障るようなこと言っちゃった?

ドキドキしながら彼の言葉を待つ。ほんの一瞬のはずなのに、何だか凄く長い時間にも思える。

「あのさ、えっと……」

歯切れが悪いまま、彼は言葉を続けた。

「ヒロさんのこと、好き?」

「はっ?」

それはあまりに予想してなかった質問で、思わず間抜けな声が出た。

好きって、私が? ヒロさんを? どうして?

その『好き』ってどういう意味で? もちろん、人としてはいい人だと思う。でも、それはカズヤの聞いてる『好き』とは、きっと違うニュアンスだと思うし。

「良い人だとは思うよ。でも、そういう意味での好きではない、かな」

「そっか……うん、わかった」

「何で? どうしてそう思ったの?」

そう聞くと、凄く気まずそうに、そして恥ずかしそうに彼は言葉を漏らした。

「いや、だって……結構ヒロさんのことについて詳しいし。一緒に食事もしてたし。僕が女の人だったら、ヒロさんみたいな人を好きになるかなぁ、って……。ごめん、変なこと聞いた。忘れて忘れて」

あれ、もしかして、これって嫉妬? 嫉妬されてる?

嬉しいような、ちょっといじってみたいような。道中ののデート発言じゃないけれど、ちょっとつっついてみたくなる好奇心が沸いてきた。

「ね、嫉妬してる?」

ちょっと煽るみたいにニヤニヤしながらそう言ってみると、彼は俯き気味に頭をかきながら頷いた。

「そうだよ、嫉妬してたよ。だから、ヒロさんが羨ましくて今日ここに誘ったんだよ」

そんなことしなくても、私が好きなのはカズヤなのに。子供みたいな嫉妬心も可愛く思えてしまうっていうのは、さすがにちょっと惚気過ぎなのかな。

嬉しくてつい頬が緩んでしまいそうなのを、どうにかこらえてニヤけ顔をキープする。

「へぇ……そっかそっか、嫉妬してたんだ。そっかそっか。何で?」

どうせまた照れて、彼は言葉を止めてしまうんだろう。

「何でって……いや、好きだからだけど」

白熱した試合から一転二人のやり取りにニヤニヤする乙

電話後のサキの反応が見たいねぇ

えっと……好き?

いくらネガティブなことを自覚してる私でも、これは浮かれて良いのだろうか。好きって、そういう意味で? そういう意味の好きじゃないと嫉妬はしないよね? ね?

さっきまで意地悪をしてたのは私だったはずなのに、気づけば立場は逆転してしまっていた。手をつなごうってなった時もそうだったけど、こういう不意打ち、本当にズルい。

つい俯いてしまった顔をあげて、チラっとカズヤの顔を様子見してみた。

意地悪で言われたのかな。でも、彼の顔からはそんな嫌らしい表情は読み取れなくて。

きっと、本心で言ってくれてる。照れもせず、変ないやらしさもなく、だからこそ言われた私は顔を真っ赤にしてしまう。

何ていえばいいんだろう。私も好き? でも聞かれてるわけじゃないもんね。でも言わないのもおかしい? ああ、どうしよう。

「えっと……うん」

うん、じゃないよ私! それだけじゃないでしょ! もっと言いたいことはあるはずなのに、あるはずなのに口に出来ない。

でも、今までの、そして今日のカズヤの試合を見て思ったのは、変わらないと思ったなら行動しなければいけないということだったはずだ。

行動するって……そういうことだよね。

「私も好きだよ」

とうとう言ってしまった。……言ってしまった!

好きって口にするの、いつ以来だろう。何かさ、そういうことを口にするのって恥ずかしくなってしまってた気がする。

アキラに対しても言ったことはなかったし、その前の遊びの人に対してなんかもってのほかだ。

捨てちゃいけないはずの純粋さを捨ててしまって、代わりに間違えた『大人像』を手に入れたつもりになってたのかな。

そんな勘違いを捨てさせてくれたのは、まぎれもなく彼の純粋さだ。

それが私に向けられた純粋さじゃなくて、サッカーに対する純粋さっていうのにすら妬けてしまいそうなほど、私は彼に惹かれている。好きになってしまっている。

気持ちを言葉にするのって、こんなに緊張することだったかな。

彼の反応を見たいような、でもやっぱり怖いような。

乙だわ

くそビッチでも風俗嬢でもいい!

いいかな?
いやー、どうかな

やっと追いついた!
結構ドロドロしてるのにめちゃくちゃ面白いな!

恐る恐る、彼の顔を覗くように視線を上げてみる。

視線が合った。逸らしたくても逸らせない。……いや、逸らしたくなんてない。

やっと、彼と本当の意味で向き合っている。自分の気持ちを隠さずに伝えることができた。気恥ずかしいけれど、これは私の本心だ。それを伝えたのだから、もう逃げはしない。

ニコッと微笑んだ彼も、少し照れている。これは、私の言葉を喜んでくれたから……ってことで良いんだよね?

「ありがとう」

その一言で、何だか報われた気持ちになる。

「私こそ、ありがとう」

本当に。

出会ってから半年も無い期間。それに、お店の外で会うようになってからはもっともっと短い期間のはずなのに、彼にはいろんなことを教えられた。救ってもらった。

その彼に、好きだと言われてしまった。こんな幸せが、私に訪れて良いのだろうか。

「お待たせしました」

幸せに浸ろうとしていると、ヤギサワさんの奥さんがオムライスを持ってきてくれた。

そうだった、レストランの中で何を告白し合っているんだろう。思い出すと、少し顔が熱くなってきた。

ご飯を食べる前に、手を合わせて。

「「いただきます」」

と、声が被った。オムライスから視線を上げて、再びカズヤと向き合う。

ふふ、と笑みがついこぼれてしまう。何だろう、どうでもいいことのはずなのに、こんなところまで気が合うと嬉しくなってしまう。

「息の合ったカップルで羨ましいわぁ」

厨房に戻ろうとしていた奥さんにそう声をかけられた。

違います……とは言いたくないし。でもそうなの? 本当にそういうことで良いの?

「あはは、ありがとうございます」

ちょっと恥ずかしそうにそう言って、カズヤはこちらをチラッと見てきた。

少しニヤけた顔で、首だけ上下に動かしちゃった。カズヤも、ちょっとだけ頷き返してくれて。

……うん、そうだ。そういうことだよね。

「ごちそうさま……は私だけか。出来立てのうちに召し上がれ」

奥さんはそう言い残して、今度こそ厨房に入っていった。

良いの? って聞き返したくなるけれど、それはそれで何だか悪い気もして聞き出せない。

「……嫌じゃない?」

スプーンに手を伸ばしたところで、小声で問いかけられた。

その言葉の真意をすぐには読み取れなくて、首をかしげてしまった。嫌じゃない……嫌なことなんて、何もない。

それが『自分が恋人で嫌じゃない?』という問いかけならば、私が聞き返したくなるくらいお門違いだ。

今、私が嫌に感じたことなんて何もない。

「嫌じゃないよ」

そう言って、小さく首を横に振った。それを見て、安心したようにカズヤは息を吐いた。

「じゃ……よろしくお願いします」

小さく頭を下げて。そして照れ隠しのように言葉を重ねた。

「ほら、冷めないうちに食べよ」

ほらほら、と今度はカズヤに急かされた。

さっきまでより幸せで、その気持ちだけで以前のオムライスより美味しく感じてしまう。

ああ、今日は何て素敵な日なんだろう。

ちょうどオムライスを食べ終えた頃、ヤギサワさんがお店のドアを開いた。

「あれ、カズくん……へぇ、上手くいった?」

カズヤと私の顔を見比べながら、楽しそうにそう言った。この間の経緯を知られていると、ちょっと恥ずかしい。

「おかげさまで。その節は色々と……」

「どういたしまして。それにしても、今日はナイスゲームだったね。おめでとう」

「ありがとうございます」

そこまで返事をしたところで、ヤギサワさんは厨房にいる奥さんに名前を呼ばれた。

「おっと、忙しくなる前に着替えないと」

言い残して、彼も厨房に向かっていった。先日も手伝いで入ってたみたいだし、結構忙しいのかな。オムライスしか食べたことは無いけど、味は確かだし。

「美味しかった……」

空っぽになったお皿を目の前に、カズヤがそう漏らした。うん、私も初めて食べたとき、そんな感動を覚えたんだっけ。

ギャルソンスタイルに着替えて出てきたヤギサワさんに、コーヒーの追加オーダーをお願いした。

コーヒーを持ってきてくれたヤギサワさんは、小さいガトーショコラと生クリーム、そしてフルーツが添えられたプレートを二枚、テーブルの上に置いた。

「あれ、頼んでないですけど……」

「初戦突破祝い……と、まあその他色々のお祝い。まだ忙しくなるまでには時間あるから、ゆっくりしていってよ」

ありがとうございます、と頭を下げて、ありがたく頂くことにする。こういう好意には、甘えないほうが失礼ってものだ。

フォークで小さく切って、ガトーショコラを一口。

「……美味しい!」

思わずそう言ってカズヤと目を合わせ、ヤギサワさんを見てしまう。

甘すぎず、ビターすぎず。淹れてもらったコーヒーに絶妙にマッチしている。

「今日はオムライスもだけど、妻が手作りしてるからね。自慢じゃないけど、料理は上手いんだ」

「本当ですか?!」

美味しい市販品を見つけてるのかなぁと思うほど、それはよくできた味だった。

手作りでこんなケーキを作れたら楽しいだろうなぁ。オムライスもあんな風に作れるなんて。

「魔法使いみたい……」

そんな子供じみた感想を、つい漏らしてしまった。

「あはは、魔法使い。良いね、聞かせてみよう」

そう言って、ヤギサワさんは奥さんを呼び寄せた。

「ちょっと、邪魔しちゃ悪いでしょ……」

そんな文句を漏らしながら、でも楽しそうに奥さんはこちらにやって来た。

「彼女がね、お前のことを魔法使いみたいだって。オムライスもケーキも褒めてくれてたよ」

「あら、本当に?」

その問いかけに、カズヤと二人で頷いた。

「嬉しいわ。えっと、お姉さん……料理はお好きなの?」

作るのも、食べるのも、嫌いではない。でも、得意かとか趣味って言えるほど好きかと聞かれたら、それも違う気がして。

「うーん……得意ではないんですけど。でも、美味しいものは好きです。こんな風に作れたらなぁって思います」

「それじゃ、うちでバイトしない?」

「えっ」

あまりに突拍子もない提案に、つい声が漏れてしまった。

「おいおい、この子にも都合があるだろ。ごめん、気にしないで」

「あっ……そうよね、ごめんなさい。うちの店、人手不足だから、つい」

イイぞー

乙!
ついに元風俗嬢になるのかな?

3日かけてじっくり追いついた
めちゃくちゃ面白い
読みながらセンター試験に出てきそうな文章だなぁと

でも同じ場面を複数人の視点で何度も何度も見せられるとちょっと冗長かな、面白いんだけどね

最初は驚いて声を漏らしてしまったけれど、私はむしろ乗り気になっていた。

いつまでも今の仕事を続けられると思ってもいなかったし。カズヤと付き合う……ってことになるなら、風俗嬢を続けるのは彼も良い気はしないだろう。というか、私が申し訳ない気持ちにもなってしまう。

「バイト……良いんですか?」

そう問い返すと、奥さんは「えっ、良いの?」と驚いた。さっきと立場が逆だと思うと何だかおかしい。「気を使わなくていいんだよ。思い付きで言っただけだから、本当に」とは、旦那さんの方のヤギサワさんからのフォロー。

「いえ、あの……やってみたいです。ご迷惑じゃなければ、お願いします」

幸い、貯金は少なくはない。アキラに貢いでいたとはいえ、将来の不安を感じ始めた時期から、ある程度のお金は貯金するのが癖になっていた。

今までふらふらしていた私がすぐに正雇用の職に就くのは難しいだろうし、何よりこのお店で働けるというのは魅力的だ。幸せな気持ちにしてくれる場所だなって、二回しか来たことはないけど思っていた。

「嬉しいわ。えっと……名前と電話番号と住所……」

それらを書くのに適切な紙が見つからなくて、奥さんは申し訳なさそうに紙ナプキンを渡してきた。「ごめんね、後でちゃんと他の紙に書き写しておくから」と。

アンケート用に備え付けられていたボールペンで記入していると、カズヤがぽつりと「……みたいだ」と漏らした。それを聞いたヤギサワさんも、プッと笑いをこぼす。

きょとんとして顔を上げると、カズヤは海外の有名選手のエピソードを話し始める。

「今、世界一じゃないかって言われてる選手なんだけど。子供のころの彼をスカウトしようとした人が、プレーを一目見て、今すぐにでも契約しようって紙ナプキンで契約書を作らせたって話があるんだ。だから、それっぽいな、って」

説明をした後、またおかしくなってきたのか彼は笑い始めた。

「まぁ、うちの店からしたらそんな感じだよ。これで俺も手伝いに来なくて済む」

そう言い足して、ヤギサワさんもまた笑った。

「私からしてみたらそんなもんじゃないわ。待ち望んでいたんだから……今日はいい日だわ」

口々にそんな風に言われると、むずがゆい用な照れくさいような。実際、まだ働けているわけじゃないんだけど。

私は誰にも求められることもないと落ち込んだこともあったっけ。あの頃からしてみると、信じられないくらい進歩している。

記入し終えて奥さんに渡すと、彼女はそれをまじまじと見て、そして私に視線を移した。

「それじゃ、改めてよろしくね。えーっと……エリカちゃん?」

「はい、よろしくお願いします」

席を立ってぺこりと頭を下げると「礼儀正しいわね、良いわ」と一言。それだけでちょっと嬉しい。

「エリカちゃんって言うんだ? それで、あだ名はゆうちゃん? 珍しいね」

ヤギサワさんが当然の疑問を漏らした。そっか、この間ヒロさんと話してる時も源氏名を名乗っちゃったから、当然の疑問だ。

「そう呼ばれることが多くて」

そう返すと、ヤギサワさんはそれ以上深く問いかけてくることは無かった。こういうところが大人だなぁって思う。

ドアの開く音がして、新しいお客さんが入って来た。

「いらっしゃいませ」と声をかけ、ヤギサワさんが接客に向かう。

「……それじゃ、いこっか。忙しくなりそうだし」

カズヤにそう声をかけられて、私も頷いた。

「それじゃ、出勤日とかについては電話するから」そう言って、携帯番号の書かれた紙ナプキンを私に渡し、奥さんも厨房に戻っていった。

お会計を済ませて、ヤギサワさんに「ごちそうさまでした」と声をかける。「次も楽しみにしてるよ」って言われちゃった。二人でお礼を返して、扉を開けた。

夏の終わりを告げるような、ちょっとノスタルジーを感じる夕焼け空。それでも、寂しさとか切なさより、私は幸せな気持ちで満たされていた。

「行こう、エリカ」

そう言って、私に手を伸ばしてきた。……初めて名前で呼ばれちゃった。

返事をするのも恥ずかしくて、私は頷いて手を繋いだ。暖かい手だ。幸せをくれる手だ。いつか私も、彼に少しでも返したい。

これからのことなんて、何も不安はないと思っていた。

まだ、やるべきことはたくさんあるのに。

とてもよい…

カズヤに拒絶された私は、何もする気がわかなかった。

ヒロくんからの連絡も、返しはするけど適当になってしまってる。もう、返さなくても良いはずなのにね。

私は結局何を求めているんだろう。何をしたいんだろう。

カズヤと別れたのは社会的な地位とかお金とか、そういうのが欲しかったから。そのはずなのに、その理由すら揺らいでしまっている。

何をもってカズヤを好きになったんだろう。何でヒロくんに惹かれつつあったんだろう。

そんなことばかりを考えていると、日が昇ってもすぐに沈む。答なんて見つかるのかな。というか、あるのかな。

気づけばあっという間に夏の終わりが近づいていて、ヒロくんから久しぶりに試合があるんだって内容のメッセージがきた。

もう見に行く必要もない。そのはずなんだけど、一方で期待もあった。

ヒロくんとカズヤをそういう気持ちで見比べて見れば、私の悩みを解消する種が見つかるかもしれない。

表向きは、応援に行くとは返事をしなかった。できなかった。罪悪感とかじゃなくて、単に面倒なことになるかと思って。カズヤにはヒロくんに乱暴されてるって言っちゃってるし。

返事は案外あっさりと「そっか、残念」くらいのもので、私も少し安心してしまう。

気づかれないように普段とは少し違ったラフな格好をして、好きじゃないけど眼鏡もかけた。こういう地味な格好の方が会場に溶け込みやすいっていうのは、以前見に行った時に気づいて良かった。

暑すぎる日差しの中、試合をする彼らをスタンドの後ろの方から眺める。カズヤもヒロくんも、今日も二人とも試合に出てるみたいだ。

サキか

 サッカーのことなんて全然分からない私は、ただ二人の走る姿を目で追うだけ。ピンチとかチャンスとか、何となくしか分からないし。

 ……来たの、間違いだったかな。

 これを見続けて、私は何かを得られるとは到底思えなかった。やっぱり私はダメな人間で、カズヤに惹かれてしまってたのも単に悔しかったからなのかな。

 考えるのも億劫になってしまった。前半が終わった笛が鳴ったところで、私はグラウンドに背中を向けて歩き始める。

 出口に向かって歩いていると、視界の端に見覚えのある麦わら帽の女の子が入って来た。……うん、可愛いけど、私ほどじゃないよね。きっとカズヤはああいう子を新しく好きになっただけで、私が彼女に劣っているというわけではない。

 そんな言い訳なのか、負け惜しみなのか。自分でも分かっているんだけど、言い聞かせてそのまま外へつながる階段へさしかかった。

 そこで、またもや見覚えのある顔の子が目に入る。それも、ここにいるのはふさわしくない気がする。俯き気味に歩く彼女に、私はつい声をかけてしまった。

「ミユちゃん?」

 私の問いかけに、彼女は驚いたように顔をあげた。しまった、今から帰ろうとしてるのに、何で声かけちゃったんだろう。ベンチじゃなくて客席にいることが驚きで、つい呼び止めちゃった。

 ぺこりと頭を下げた彼女は、戸惑った感じで私を見つめ返してきた。うん、私もどうしようか困ってる。

「えーっと……」

 どうしよう。「一緒に試合見る?」っていうのは違うよね、そもそも私帰ろうとしてたんだし。「ベンチにいなくていいの?」っていうのも、何か問題があってこっちにいるんだったら、気分を害してしまうかもしれない。

 何も考えずに名前を呼んだ自分を責めながら言葉を探していると、彼女が口を開いた。

「今日も来てくれてたんですね。兄も喜ぶと思います」

 そう言って笑顔を作る彼女は、何だか以前の印象とはかなり違う気がする。

 以前会った時はもっと明るくて、愛嬌があって、自然と笑顔が零れている印象だった。その彼女が、今は無理して笑っているような。

 それに気づいたのは、私が男に対してキャラを作っているからかもしれない。自分でやっていると、自然な笑顔とそうでないものの見分けは案外簡単にできるようになる。

「……何かあった?」

 無神経にも、私はそこに踏み込んでしまった。というよりも、彼女の話を聞きたかったというのが本音かもしれない。

 自分が悩んでる時って、他人の悩みを聞きたくなるんだ。そうすると、悩んでいるのは自分だけじゃないって思える気がして。

 彼女に解決策をあげることはできないだろうし、そんな親切心で私が踏み込んだわけじゃない。単に、私の悩み、今のこのモヤモヤを、ミユちゃんの話で上書きしようとしているだけだ。

 とはいえ、それを私みたいな、ちょっと会ったことがあるだけの女に話してくれるかどうかは、また別問題なんだけど。

 戸惑った表情を見せた彼女は、どうしようと思案しながらこちらを窺ってくる。

 私は彼女に対しても表情を作って見せる。男を騙してきたように、親切心で声をかけているように見えるような表情。

「聞いてもらえますか?」

 彼女の確認には首肯で返事をすると、「立ち話も何なので」とスタンドの日陰になっている座席向かって行った。さっきとは逆方向だから、ヒロくんたちのチームの応援団からは離れてしまっている。良いのかな、こっちに来ちゃって。

 適当な席を見つけて腰かけた彼女に、一席分のスペースを空けて私も座る。近いような、遠いような。試合はまだ再開してないから、応援団の声も無いし話し声は聞こえるんだけどね。

「すみません、ありがとうございます」

 恐縮したように一言だけ残すと、彼女は語り始めた。

 えーっと。私、こんなのなんですけど、一応彼氏……なのかな。まあ、そんな感じだと思ってた人がいたんですよ。

 で、その人、本当にダメな人なんです。女遊びの悪い噂もあれば、同じ大学なんですけど授業にも中々出てこなかったりで。

 少なくとも良い人ではないっていうのは分かってたんですけど、それでもたまに優しかったりかっこよかったりで、好きになっちゃって。

 すみません、こんな話で。惚気じゃないんですけど。

 それでですね、まあその、女遊びが激しいってところなんですけど。友達の彼女……彼女なのかな。好きな人? と一緒にホテルに入ろうとしてるところ、見ちゃって。

 噂では聞いてたけど実際に目の当たりにすると、凄いカッとなっちゃって。

 先日、友達とその女の子がいるときに、女の子につい手をあげちゃったんですよ。……最低ですよね。そういう人だって分かってて彼のことを好きになったのに。

「手をあげたっていうのは……」

一息ついたところで、私は問いかけた。

「平手打ちです。悪いのは彼女だけじゃないって、一番悪いのは私の彼氏だってわかってるんですけど、幸せそうなところを見てると、つい」

「そっか……」

何だろう、ドロドロしてるなぁっていうのが正直な感想だ。

この子に比べたら、私なんて悩むこともないのかもしれない。ヒロくんもまだ私の彼氏だったわけじゃないし、カズヤだってもう昔の男だ。

私がそう割り切ることさえできれば、それで終わってしまう。

「今日、ベンチに入ってないのもそれが理由なんです。友達……、うちのチームにいるから」

「えっ」

どういうこと? ということは、ヒロ君のチームメイトの彼女が、ミユちゃんの彼氏の浮気相手? 何それ、世間って狭いなぁ。

「カズくん……分かります? えっと、この間お会いした時に私が探してた、兄が可愛がってる子がいるんですけど」

波乱来そうだなww

期待

まだか…

出てきたのは、私にも覚えのある彼の名前。

「カズくんに罪が無いのは分かってるんですよ。……カズくんの彼女にも。だって、私が怒ってるのは二人に対してじゃなくて、彼氏に対してだし」

ミユちゃんの言葉を、私は黙って聞き続ける。言葉を挟む余裕なんて、私にはなくて。

「それでも、そういう人だって知ってて好きになった手前、彼を叱責することもできなくて。たまったモヤモヤが、その時爆発しちゃって。それ以来、気まずくて練習にも行けないし、カズくんにも会えないし」

辛さを誤魔化すような曖昧な笑みで「すみません、変な話をしちゃって」と彼女は言い足した。

頭の中をフル回転させて、何と言えばいいのかを考える。

「……大変だったんだね」

結局出てきたのは、そんなありきたりな言葉でしかなかったんだけど。

彼氏に対して、そこまで傾倒することが私にはできない。だって、私にとっては彼らは道具でしかなかったから。自分の価値を証明してくれる道具。

ダメになったら買い替えるし、不満ができればより良いスペックのものを求める。それは誰もが持つ欲求だと思う。不満を持ちながら、それでも相手を好きでいることが、私には理解ができない。

『じゃあ彼氏と別れて、他に好きな人を作れば良いじゃん』と、私なら考えてしまう。それでもこの言葉は、きっと彼女が求めているものとも違う気がして。

乙!
忙しいのかな?

>>571
今年中の転職を目指して、勉強したり準備をしたりしつつ、仕事も忙しくなってきたのでどうしても更新がなかなかできなくて……

読んでくださってる方々には申し訳ないことではありますが、もう少し長い目でお待ち頂けたら嬉しいです。
ただ、何があってもこの作品は書き上げます。

更新が途切れ途切れですみません。

「本当はちょっと、羨ましかったんです。カズくん、良い人だから。誰か他の人のものになっちゃうの、悔しくて」

「そうなの?」

昔は私の男だったのよ。

そんな自慢は虚しいからやめておこう。カズヤは今、あの麦わら帽の子に捕まえられてるんだから。

「良い人ですよ。私の愚痴にも付き合ってくれたし、サッカーも上手いし。……友達として、大好きです」

「友達として、で良いの?」

意識して付け足されたような言葉を、私は確認するかのように繰り返した。

「はい。だって恋してるのは、結局カズくんじゃなくて、彼なんです。カズくんみたいな彼氏を持てる子は幸せだろうなって羨ましいけど、カズくんと付き合いたいわけじゃないから」

「……そっか。大人だね」

私なんかより、よっぽど。

少しでもいいなと思ったら、そっちに移り気してしまう私なんかとは大違いだ。こういうのを誠実さって呼ぶのかな。少し違う?

「でも、彼とは別れようかなとは思うんです」

「えっ?」

実生活が転機なのか無理をなさらず
まったり楽しみにしてます
女同士の探り探りな会話はハラハラする乙です

思いがけない言葉に、私はつい声を漏らしてしまった。

「やっぱり、結構辛いんですよ。分かってたはずなんですけどね。好きだけど、それ以上にきつくなっちゃって」

そう言って淡く笑う彼女は強そうで、でも儚くも見える。

彼女の気持ちがいまいち分からない私は、どこか欠けてしまっているのだろうか。

好きなのに辛いっていう二項対立。辛いことからは逃げ出せば良いって思うのは間違いなんだろうか。

言葉を返すことができないままでいると、応援団から歓声があがった。どうやら選手たちが出てきたみたいだ。

「あ、ヒロ兄出てますよ」

どうやら彼女の気持ちもひとまず落ち着いたみたいで、目線はグラウンドに向かっていた。

うーん、帰りづらくなっちゃった。まぁ、あと一時間もないんなら見てあげてもいいか。どうせ今日で最後になると思うし。

試合が始まると、彼女は黙ってしまった。

この暑さの中、座ってるだけでも項垂れてしまいそうなのに、彼女は一生懸命応援している。

そんな彼女がここにいるのは何だか不思議な気がしてしまう。やっぱりベンチに行くべきだったんじゃないのかな。

途中で「帰るね」って声をかけたくなったんだけど、横を向く度にその真剣さにつられてしまって、ついつい目線を戻してしまう。

もうそろそろ終わりかな、負けちゃうのかな。

カズヤが相手を抜いてヒロくんにパスを出した瞬間、隣でミユちゃんが小さく呟いた。

「危ない」

えっ? という声は、言葉に出来なかった。

強い笛が鳴ったかと思えば、ヒロくんは綺麗な芝生の上に寝転んだまま起き上がれない。

「ヒロ兄……!」

声にならない声で、彼女は名前を呼んだ。

グラウンドの上では選手同士が揉めていて、カズヤはその中ヒロくんに駆け寄っている。

大丈夫かなぁ、心配だなぁ。

私としては、それくらいの他人事にしか思えなくて。

結局、私は当事者にはなれていなかったんだと思う。ただヒロくんからの好意を得ようというためだけに、ここに来ていたから。

担架に乗せられて、ヒロくんは外に運ばれていった。

ミユちゃんは心配そうな目線を彼に向けて、拳を握り締めていた。

何でそこまで、他人に感情を向けられるんだろう。家族だから、チームメイトだから、さっきの話で言えば恋人だから。

言葉に出来る繋がりだけで、人は他人をそんなに大切に思えるのかな。

哲学みたいなことを考えながらもグラウンドを眺めていると、ヒロくんが倒れた場所にボールを置いたのはカズヤだった。

「あの子、カズくんです」

言われなくても知ってるんだけど、私は黙って相槌をうった。

「たぶん、決まりますよ」

その直後、彼女は言い直した。

「決めます。必ず決めてくれます」

その言葉には、熱がこもっていた。不思議に思った私は、つい聞き返す。

「その違い、大事なんだ。彼、そんなに上手いの?」

「上手いですよ。でも上手いからっていうより……」

「いうより?」

「何て言うんでしょうね。信じてるというか、決めてほしいっていうか。あれだけサッカーに正面から向き合ってるカズくんが決めないと、他に誰が決めるんだっていう」

少し恥ずかしそうに「見てないと分からないですよね、すみません」と言い足されて。

フリーキックの準備ができて、笛が鳴った。

助走を始めたカズヤはボールを右足で蹴って、それは綺麗な弾道でゴールに向かって進んでいく。

乙、もっと読みたい

ゴールに突き刺さったそれは、強い歓声を呼び起こした。隣にいたミユちゃんも、立ち上がって拍手をしてる。

それでも、私の心は何も動かされることはなくて。

すごいなぁ、良かったね。

それで感想は止まってしまう。私は何でもないから。カズヤのチームメイトでも、ヒロくんの恋人でもない。

映画とか本とかでもそうなんだけど、結局私とは違う世界での出来事だから。

私が関わることは、私のいる世界の出来事で、だから感情を揺さぶられる。今回のは、私に関係のない世界の出来事だ。だから、何とも思えない。

きた!

同点……ってことは、延長になっちゃうのかな。そうなったら、もう帰ろう。時間が無いからって言ってしまおう。

喜んでいるミユちゃんには悪いけど、カズヤが活躍してもそこまで興味を持てなかったし。

私の予想は的中して、同点のまま後半が終了した。

「ごめんね、この後外せない予定があって」

当然のように嘘を吐いて、私はスタンド席を立った。「それなら仕方ないですね」と残念そうに呟くミユちゃんにごめんねと伝えて、そのままグラウンドに背を向ける。

もう彼女にも、ヒロくんにも、きっとカズヤにも会うことは無いだろう。狭い世界だということは改めて思い知ったけど、やっぱり私には向いていない。

綺麗な恋愛をするには、私は汚れ過ぎているのかもしれない。もしくは、今までの罰が当たってしまったのかもしれない。

きっと彼らは世間一般で見るにはキラキラしている、純粋な人たちで。私はそれを食い散らかそうとする悪女。

悪女には、彼らを利用することはできても向き合うことはできない。眩しくて、目を背けてしまって、だから理解ができなくて。

さようなら。

心の中で、ぽつりと呟いた。私には分からない価値観を持った彼らに、別れを告げる機会はきっともうないだろう。

否定するつもりはない。それでも、私は彼らと一緒にいることはきっとできない。

ヒロくんには悪いことしちゃったかな。それだけは少し申し訳なく思う。それでも、今までの行いを考えるとヒロくんだけに罪悪感を感じるのも変な感じだ。

私はただ、自分のためだけに動いてきたのだから。今までも、そしてこれからも、きっと。

さ、新しい男を探さなきゃ。私を満たしてくれる、新しい男を。

いつも通りのこと。今まで通りのこと。

それなのに、今はなぜか心が晴れない。

初戦を終えて家に帰ると、玄関の外でミユが気まずそうな顔で待ち構えていた。

「お疲れさま。勝てて良かったね」

「……おう」

「ごめんね、今日。行かなくて」

行けなくて、と言わないあたりが正直者だと思う。ミユは言葉を続けた。

「もう大丈夫だから。もう問題ないから。次から、ちゃんと行くよ」

何があったのか聞くのは、きっと野暮なんだろう。だから俺はただ信用する。妹のことを、ただ信じてやろうと思う。

きっとこいつも何かと戦っていて、それが辛くて休んでいただけなんだと。

「分かった。お前が来てくれると、みんな喜ぶよ」

「……本当に?」

「当然だろ。仲間なんだから」

妹に対してそんな言葉をかける自分に、少し気恥ずかしさも感じてしまうけど、それでも事実だ。

乙!
エタらなければいいからしっかり進めてくれ

いい感じに時々あげる
いやーにくいね

「ありがとう」

改めて言われたその言葉に返事をするのは、何だかとても恥ずかしくて。返事をせずに、俺はそのまま玄関のドアを開けた。

「そういえば、今日来てたよ」

「誰が?」

もっと言うなら、どこに?

「サキさん……? だよね、名前。スタンドにいたよ」

と言ったところで、ミユはしまったという顔になった。ベンチには入らなかったのに、スタンドから見てたっていうのが気まずいんだろうな。その辺はもう触れずにいてやろう。変につついて、また気まずくなる方が嫌だしね。

「あ、いや、ほら、たまたま隣に座ることになってさ、うん。忙しいからって、延長入る前に帰っちゃったけど」

「いいよ、もうそれは。そっか、来てたんだ」

嬉しいような、複雑なような。

スマホを取り出すと、サキちゃんからメッセージが入っていた。

『今日の試合、途中までしか見られなかったんだ。ごめんね。妹さんによろしくね。』

それだけ。

『ありがとう、伝えとくよ。今日も何とか勝てました』と返したら、すぐに返事がきた。

『これからしばらく忙しくなりそうだから、遊んだり試合見に行ったりできなくなりそうかも。ごめんね』

って。まあ何となく避けられてるなとは思ってたし。理由は分からないけど、まあ人間関係ってそういうものだろうし。

『そっか、了解です。またそのうちね。無理はせず』

既読表示はついても返事は来なかった。

きっともう、連絡をとることもなくなるんだろうな。なぜか分からないけど、それは確信めいていた。

寂しいけれど、でも俺にはサッカーがある。次は古巣との試合だ。

気持ちを切り替えるためにも、俺はシャワーを浴びるべく服を脱ぎ始めた。

夕飯のカレーを食べながらローカルニュースを見ていると、天皇杯の放送が始まった。

「さすが本大会。ちゃんとカメラ入ってるんだね」

と、ミユがニヤけながら言った。うん、もう普段のこいつだ。ちょっと安心するよ。

うちの失点シーンが流れたあと、アナウンサーがすぐに「しかしここから逆襲が始まります」と言葉を続けた。

カズがボールをセットし、フリーキックを決めたシーンが流れると、ミユが言葉を漏らした。

「これ、本当にすごかったよね。カズくん憧れの選手みたい」

Jリーグで歴代最多FKゴールの記録を持つ選手の名前を、ミユは呟いた。

そっか、あの選手のことが好きなんだったっけ。天皇杯で勝ち進めば、その選手とも試合する可能性があるもんな。

そのまま流れで俺の逆転ゴールが流れると、「よっ、ヒーロー!」とバカみたいな煽りがミユから聞こえてきた。

「まあ、次からだよ。次からが本番」

「勝たなきゃね」

「もちろん」

プロだからといって尻込みしてはいられない。元々、知ってるやつらがまだ多いチームだしね。恩返し、しないとな。

保守

そのままテレビを眺めていたら、全国版のスポーツニュースにテーマが移った。

野球と比べると、サッカーの扱いは微々たるものだ。今日開かれたJリーグの試合が、ダイジェストで流れ始める。

「あっ、シンヤさん」

ミユがポツリと呟いた。画面の中では、シンヤが相手のディフェンダーをチンチンにしてやっている。ボールがまるでダンスパートナーのように、あいつは踊る。

『ディフェンダー二人の間を割って、シュート! これが決勝点となり……』

アナウンサーの言葉も途中で、テレビを消した。

昔のあいつより、段違いに上手くなってやがる。日本代表で揉まれてるからなのかな。

「……勝たなきゃね」

さっきの言葉とは違うニュアンスに聞こえるのは、俺だけだろうか。

そうだ、シンヤと試合するのは俺も待ち遠しい。勝たなければ、そこまで辿りつけられない。

カズのために、チームのために、自分のために。俺は勝たなければいけない。

「任せろよ」

根拠のない自信だ。アマチュアがプロに勝つなんて、年に1,2チーム出てくるくらいだ。その中に、俺たちは入る。

追い付いちまったぜ
乙!

そんな決心をするのは簡単だけど、現実にするには高い壁がある。とにかく、まずは目の前の一戦だ。

「ごちそうさま」

食器を下げようと椅子から立ち上がると、テレビから更に気になる言葉が続いてきた。

『今日の試合、大活躍だった彼ですが、気になるのは今日、スクープされた噂ですね。モデルから女優まで、幅広く活動をしているエミさんとの交際は事実なのでしょうか。プレーからもプライベートからも、目が話せない彼に今後も注目です』

あらら、いっちょ前にスキャンダルなんか撮られちゃって。もうすっかりスターだな、なんて。

「あれ、それってあれじゃん。ほら、サキさんに似てる……」

「あー、そうそう。似てるよな、本当に」

「どこかで見たことあるなー、って思ったもん。今日も私、見とれちゃった」

そんな軽いやり取りをしつつ、手に持ったままだった皿を運んでいく。

「洗い物、私がやるから置いといて。ゆっくり休んでよ」

「お、サンキュー」

気を使ってくれたのかな、試合後だし。何にせよ、今日は疲れた。お言葉に甘えてゆっくり休んで、次の試合に備えさせてもらおう。

乙!

まだかな?

一週間なんてあっという間に過ぎてしまい、とうとう初めてのJチームとの対戦を迎えた。

幸い、隣の県のチームだということもあり大がかりな移動はなかったが、それでもアウェーゲームという雰囲気を肌で感じ取ってしまう。緊張感は初戦の比ではない。

更に言えば、J2チームとはいえ、相手はプロ。胸を借りるつもりはさらさらないが、未体験のレベルになるのは間違いない。

そんな中、落ち着いてるヒロさんはさすがだ。昔所属していたチームということもあってか、リラックスした様子でアップをすすめる。

綺麗な芝の上でパス回しをしていると、相手チームのサポーターによるチャントが始まった。大声で選手の名前を叫んで鼓舞をする。スタンドでプロの試合を観戦したときに耳にするそれとは全く違う。圧倒される。

「おい、びびんなよ」

そんな僕の様子を見てか、ヒロさんが声をかけてくれる。頷いて、パスを返す。

「お前の対面、負けんなよ。タメだぜ、あいつ」

そう言って、ヒロさんはフォルツァの8番を指差した。

名前はよく聞く、ユース史上最高傑作。U17ワールドカップの試合をテレビで見たこともある、左サイドのスペシャリスト。タカギという名前を、僕たちの世代で知らないやつはほとんどいないだろう。

「任せてくださいよ」

「……カズ、変わったね、やっぱり」

驚いたように、ヒロさんは漏らした。

「変わった?」

「前はそんなかっこいいこと言えるやつじゃなかったから。自信ついた?」

ゆうちゃんのおかげ? とからかうようにヒロさんは笑った。軽く背中を叩いて突っ込みを入れてやる。

「悪いって。今日もかっこいいところ見せてやれよ」

おつ

その言葉を残した直後、フォルツァ側のゴール裏スタンドからヒロさんの名前がコールされた。

凱旋試合とは言えないかもしれないけど、相手選手として帰ってきたヒロさんに対する彼らからのエール。

ヤマさんに確認をとって、ヒロさんは小走りでバックスタンドに向かって行った。

最前列に陣取るサポーターと大声で何かを話しているのが遠目に見える。やっぱりすごいな、あの人。

数分のやり取りを終えたヒロさんは、そのままフォルツァのピッチ脇を通りながら戻ってくる。途中、顔見知りらしい選手やコーチにも声をかけられ、ハイタッチを交わしている。

戻ってきたヒロさんは、僕の隣に並ぶようにジョッグ。かけられた言葉は、熱が込められていた。

「今日、絶対勝つぞ。絶対に」

まだかな?

円陣から放たれて、僕たちは各ポジションに着く。対面のタカギを見据えると、一瞬目が合った気がした。ぞくっと寒気がするような、一流プレイヤーの目つきだ。

少し怯えて視線をそらすと、今度はヒロさんと目が合った。タカギのそれとは真逆に心強い。

試合前、ヒロさんは『良い試合をしような』『頑張れよ』と、声をかけられたらしい。

「自分たちが勝つと信じて疑ってない。なめてんだよ、あいつら。俺たちのこと」

『たち』に力を込めて、悔しそうにヒロさんはそう言った。

僕たちがヒロさんの足を引っ張っているから、ヒロさんまでなめられてしまう。そう思うと、何だかいてもたってもいられなくなって。

「よっし、最初集中して入りましょう!」

大きな声で、チームメイトに声をかけた。驚いた目でみんなが僕を見つめて、すぐに「任せろ!」「最初な!」「落ち着いていこうぜ!」と返事が返ってきた。

そうだ、スタンドの雰囲気とか、相手の肩書なんかに負けるわけにはいかない。僕たちは僕たちなりの、できるプレーをやるしかない。

決意を胸にしまったところで、試合開始の笛が響いた。

4-2-3-1の両サイドがフォルツァの強みだ。タカギがいる左サイドに、元日本代表がいる右サイド。

そのサイドアタックを中心に、1トップの長身の外国人フォワードにクロスを当てる。シンプルだけど、それだけに力強い。

190cmを超えるような相手FWに対抗できるようなセンターバックはうちのチームにはいない。どうにか自由にさせないように体を当てるのがいっぱいいっぱいだ。

「できるだけクロス上げさせるなよ。上げさせたら失点につながると思え」と、口酸っぱく言われていた。

タカギはイヌイみたいなドリブラータイプではなく、クロスの精度が高い、クラシックなタイプのウイングだ。整った顔立ちも相まって、元イングランド代表のイケメン選手を彷彿とさせる。

彼にボールが入った瞬間、前を向かせないようにプレスをかける。特別足元の技術が高いわけではないから、フリーで前を向かせなければイヌイ程は怖くない。

ガツガツしたプレスに仕掛けることを諦めたのか、受けたボールをバックパスで返した。

「あんた、やるじゃん」

それに合わせてポジションを取り直していると、タカギはニヤニヤしながら声かけてきた。

『アマチュアの割には』みたいなニュアンスがこもっているように思えるのは、僕が卑屈だからなのだろうけど。

「オオタさん、どう? そっち行ってから」

「どう、って……見ての通りだけど」

初のプロチームとの試合に浮き足立ってる僕たちを、引っ張ってくれている。実力だけじゃなくて、精神的にも。

「頼もしい先輩、かな」

「ふーん」

興味無さそうに、タカギは相槌をうった。何だよ、自分から質問したくせに。

「それじゃ、期待はずれかな」

そう言い残して、彼は僕から離れていこうとする。

期待はずれ? どういうことだ?

「言った通りだよ。今のプレーがオオタさんの今の実力なら、がっかりしたってこと」

気づかぬうちに声にしてしまっていたらしい。タカギは言葉を続ける。

「あの人、シンヤさんとポジション争ってたんだぜ? 正直、尊敬してたよ。それが今、都道府県リーグの王様気取ってるようじゃ、期待はずれだってこと」

試合するの楽しみにしてたのに、と最後に愚痴のように呟いた。

だったら。

「それなら、俺が楽しませてやるよ」

自信はなくても、不敵に笑って見せよう。僕がタカギを押さえる。チームを勝たせる。そしてヒロさんを認めさせる。

それしか、僕にはできないから。

「やってみな」

タカギも笑い返してきた。今度も馬鹿にはしてそうだけど、少しは楽しそうに。

どうにか前半の15分をスコアレスで乗り越えて、試合は膠着状態に入った。

一方的なサンドバッグ状態は避けられたけど、今度は攻め手に欠ける。

相手センターバックはしっかりとゴール前に蓋をしているし、ヒロさんにも相手のダブルボランチのうちの一人が常にケアをしている。

試しにアーリークロスを何度か上げてみたけれど、相手センターバックは冷静にそれを跳ね返す。高さ勝負じゃフィジカルで負けるうちには分が悪そうだ。

タカギにボールが入る、プレスをかける、ボールを下げさせる。

パスを受ける、出しどころがない、横パスを出すかアーリークロスをクリアされる。

ダメだな、じり貧だ。このままじゃ実力差が徐々に出て、どこかで一本取られてしまう。

格上相手には、ラッキーパンチでも先制点がほしい。

「来い!」

右サイドいっぱいに張って、ボールを要求する。トラップする前にルックアップすると、タカギが寄せてきているのが目にはいる。

「もっかい!」

トラップをせずにパスの出し手にリターン。そのまま前方に向かって全力でダッシュをかける。

こちらに全力で寄せに来てたタカギはストップはできても折り返せず、僕に向かって手を伸ばすも届かない。

よし、抜けた!

リターンボールをランウィズザボールの様に大きく前にトラップし、スピードに乗って相手陣地を割っていく。

ほしゅ

ゴール前にボールを放り込んでも通用しないことは分かっている。できるだけ切り込んで、球足の速いクロスで混戦を狙うしかない。

相手サイドバックがこちらにプレスをかけに来たところで、ヒロさんとワンツーでそれをかわす。

よし、このままいける!

センターバックがスライドしてこちらにずれてきた。その穴を埋めるかのように、ボランチが一枚ポジションを下げる。そこだ!

ファジーな守備陣形をつくように、そこの間に低いクロスを蹴りこんだ。

逆サイドのセンターバック、そしてボランチの間にうまく通ったボールに、二人とも一瞬動きが止まる。

そこに走りこんだのはうちのフォワード。ワンタッチで上手くコースを変えたシュートは、キーパーが反応するよりも早くにネットを揺らした。

スタジアムの大半は静寂。そしてほんの一部の歓声。

「ナイッシューっす!」

「ナイスクロスだよ、バカ!」

異様な空気の中、僕たちは歓喜の輪を作る。プロ相手に、こんなにあっさり先制できるとは思ってもいなかった。

ジャイアントキリングを起こす時って、意外とこんなものなのかな。いや、油断するにはまだ早すぎるけど。

やれる、いける、勝てる! 根拠のない自信が、少し現実味を帯びてきた。

審判に促されて、自陣に戻っていくとヒロさんに声をかけられた。

「今の、続けろよ。まだ狙えるぜ、あのパターン」

「了解っす」

嬉しそうな笑みで頭を叩かれた。よし、もう一本だ。

「集中していきましょう!」

自分に言い聞かせるように大声を出す。そうだ、まだまだ始まったばかり。

お、続き来てた

試合が再開すると、タカギとのマッチアップは激しさを増してきた。

「粘るねぇ、アマチュア」

「リードされてるのはどっちだよ?」

そんな煽りあいが始まるくらいには、彼も僕もヒートアップしている。最初にヒロさんのことを馬鹿にされたからかな、ダメだ、落ち着け。

前半35分を回ったところで、タカギにボールが渡った。認めたくないけど、イヌイの時にも感じたような雰囲気を持っている。一流の雰囲気だ。

タカギの視線が一瞬中に向いた。ワンツー?

そう思った時には、半身で構えていた僕の両足の間をボールが通過していた。

油断していたわけではない。それなのに、フェイントもなく、意識をずらしてタイミングだけでここまで綺麗に股を抜かれるとは思ってなかった。

屈辱的なプレーに、つい手が出てしまう。横を通り抜けようとしたタカギのシャツを、つい掴んでしまう。

笛が鳴って、審判がダッシュで近づいてきた。やばい、カード貰う?

「落ち着いて! もう一回やったら出すから」

強い口調ではあったが、どうにか注意だけで済んだ。ほっと安心してるところに、タカギは不満そうに「カードでしょ、今の」と漏らしている。

あまり認めたくはないけど、確かに今のは出されても文句は言えないプレーだった。

「カズ、切り替えろ!」

ヒロさんの叫び声が聞こえて、手を上げて返す。そうだ、カードは出てない。結果オーライだ。

おつん

まだかな?

ヒロさんに手を上げて返事をし、壁としてポジションを取ろうとした時だった。

タカギはボールをゴール前に放り込んだ。あれ、プレー止まってない?

ゴール前に走り込んだ相手フォワードはドフリー。キーパーは慌てて飛び出す。

間一髪、パンチングでボールは弾かれた。直後に衝突して倒れ混むキーパーと相手フォワード。

笛が二回鳴って、プレーが止まる。

「おい! プレー止まってただろ!」

「カードでしょう!」

うちの選手が主審に対して抗議に向かうが、審判はそれを拒絶する。

「うっせぇなぁ。一回しか笛鳴ってなかったでしょうが。ちゃんと聞いとけっつーの、アマチュア」

挑発するような言葉遣いに、うちの選手は激昂してタカギに詰め寄っていく。バカ、手を出すな。

タカギとうちのディフェンダー陣の間に立って、両者を引き離そうとする。

「ヤマさん!」

ゴール前から大きな声が聞こえてきたかと思うと、負傷したキーパーの負傷状況を確認していたディフェンダーが手で大きな丸を作っていた。

本大会は監督に徹しているヤマさんが、サムズアップで応える。

うん、よかった。相手フォワードもどうにか立ち上がっている。

「これ以上不要な発言したらお互いに警告だから!」

審判のその一言で、うちの選手もタカギもしぶしぶながらもバラけていく。

「アイツ、あんなやつだったか?」

争いを落ち着けに来てたヒロさんが、呆れたように呟いた。

「とにかく、カズも挑発にのるなよ。試合荒れてきてるから」

「分かってますよ」

荒れ試合になると不利なのは間違いなく僕たちだ。フィジカル面で、あまりにディスアドバンテージがありすぎる。

先程の衝突でキーパーチャージの判定が下され、ゴール前からロングボールが飛んだところで時計をちらっと見る。

まだ前半30分……長い試合になりそうだ。

試合は熱を加えつつも、膠着状態に入ってきた。相手サポーターのブーイングが耳に入ってくるのは、僕たちに対してなのか、それとも不甲斐ない自チームを奮い立たせるためなのか。

「出せ!」

タカギがボールを要求するも、相手の外国人ボランチはそれを飲まずに逆サイドに展開した。

「何だよ、出せよ下手くそ」

自チームの選手に毒づくタカギに目をやると、それは自分に回ってきた。

「金魚の糞みたいについてきやがってよ。邪魔なんだよ」

「僕程度が邪魔になるんなら、プロはもっと邪魔なんじゃない?」

挑発に挑発をもって返すと、一言「調子に乗るなよ」とだけ呟いて、彼は中にスライドして絞っていく。

悪くない、むしろ良い。イヌイのような超絶個人技持ちの選手よりは、僕としてはやりやすい相手だ。

再びタカギが外に開き、僕もそれに合わせて移動する。

要求された通り、タカギの足下にボールが入る、そこだ!

一気に間合いを詰めて、プレッシャーをかける。トラップミスでこぼれたボールをかっさらい、そのまま縦に向かってランウィズザボール。

瞬間、後ろから足が伸びてきた。トップスピードに乗った勢いが、刹那でゼロになる。

何が起きたかも理解できないまま芝の上を転がって、空を見上げると強い笛が鳴った。

審判が早足に駆け寄ってきて、僕を見下ろすタカギにイエローカードを示した。

スタンドからはブーイング、うちの選手は「後ろからだろ?!赤でしょう!」と主張しに審判に詰め寄る。

「おい、カズいけるか?」

「……っす、たぶん」

争いには相変わらず我関せずなヒロさんは、心配そうに近づいてきた。

ちょっと右足首に違和感を覚えるけど、プレーできないレベルではない。打撲になりそこねた程度に、足を捻ったかな。

立ち上がって、右足を軽く左右に振る。……うん、いける。

「おっけーです、やれます」

「おう、無理すんなよ。厳しかったら外出とけ」

審判に詰め寄っている両チームの選手の熱も落ち着いてきたみたいだ。うん、残り時間はあとちょっと。このまま前半は締めて終わりたい。

「前半!集中していきましょう!」

声を出してチームメイトを鼓舞する。まずは前半、リードして折り返すために。

こんな面白いSSを見逃してたとは…

前半終了を告げる笛が鳴ると、スタジアムからため息が聞こえてきた。

プロチームのサポーターである彼らが期待していたのは、アマチュアチームに上の世界の厳しさを見せつけることだったのだろう。

その期待も虚しく、拮抗したゲームで、スコア上ではビハインドでの折り返し。とても、彼らが満足できる試合ではないはずだ。

しばらくして、チャントが叫ばれ始めた。こういうの、ちょっと羨ましいけどね。うちのチームの応援団は、大して人数もいないし……っと。

そんな風に思ってたら、ゴール裏から名前を叫ばれた気がする。……あ、いた。

リーグ戦ほどの観客じゃないとはいえ、一人の声に気がつくことってそうそうない。……うん、でもあの帽子。あの声。

彼女がいるゴール裏に、煽るように両手を上げて見せた。

あと半分だ。乗り越えて、勝って、まだまだ僕たちは上にいく。

カズくんたちの次の試合相手がプロチーム相手だとは聞いていたけど、いざスタジアムに到着すると雰囲気に圧倒されてしまった。

会場付近を歩いている人も今までより全然多いし、相手チームのユニホームを着ている人たちも大勢いる。スポーツニュースで見る、日本代表のサポーターの人たちみたい。

こんなところで試合するんだ。すごいなぁ。

でも、相手がプロってことはめちゃくちゃ強い? ぼろぼろに負けたりしない?

そんな、期待と不安とが入り交じってる。

あんまりサッカーのことを知らないのも何だか恥ずかしくて、あの日から少しずつサッカーの勉強も始めたんだ。

相手チームのフォルツァはプロ二部リーグで、四位。一部リーグに上がれるかどうかの狭間の順位らしい。

天皇杯はそういう昇格とかに関係ないみたいだから、それなら少しくらい手加減してくれないかな。失礼かな。

タカギって選手は私たちと同年代で、世代別日本代表にもずっと選ばれてる。……っていうのはカズヤに教えてもらったんだけど。

階段を上ってスタンドに着くと、逆側のスタンドは今までの人たちの数十倍ってくらいお客さんが入っていた。

>>618
すみません、一番最初の言葉は
カズくん→カズヤ
です……。

そして試合中の描写の時間軸がぐだぐだになっているのも更新後に気がつきました……

待ってた!

「うわぁ……」

今までとの光景の違いに小さく歓声をあげながら、私は適当な席を探す。

後ろの方が見やすいんだけど、近くで応援したい気持ちもある。

どこがいいかな。悩んじゃうな。

うろうろしている私を、「あ、ゆうちゃん」と呼びかけてきたのは、聞きなれた声だった。

「こんにちは」

Tシャツにデニム、足元にはスニーカーというカジュアルな服装を身にまとったヤギサワさんが、私を手招きしている。隣には、奥さんの姿も見える。

「良かったら一緒に見ない?」

「はい、ぜひ!」

誰かと一緒に見たこと、今までになかったし。サッカーをよく知ってるヤギサワさんと一緒に見た方が、色々教えてくれそうかなってちゃっかり考えてしまったり。

「こんな暑い中応援に来るなんて、健気ねぇ。」

「お前なんて、この間の試合も見に来てくれてなかったもんな」

「あら何、私の応援が無いから負けたっていうの?」

そんな仲睦まじいやり取り。良いなあ、こういうの。なんかちょっと羨ましい。

「あ、出てきた」

やや劣勢になっていたヤギサワさんが、話を逸らすようにピッチを指さした。

「カズくん、今日もスタメンだね。良かったね」

そう言って私の肩をたたく奥さんに、ヤギサワさんが言葉を返す。

「あの子は外せないよ、チームの柱だから。あとオオタくん」

「分かってても、ドキドキするもんなの。ね?」

そう言って私に同意を求めてくるものだから、あいまいに頷いてしまった。

スタメンじゃない……というか、試合に出てないことは今までにあまり考えたことがなかった。けど、そうだよね。途中交代だってあるし、作戦とかによって選手って変わったりするみたいだし。

「お、タカギも出てるじゃん。同級生でマッチアップだ」

ヤギサワさんが呟いた一言に、つい反応してしまう。

「あの人……うまいんですよね? 大丈夫かな」

「うーん。上手いは上手いよね、プロだし。でも、期待されてたほど伸びられてないのかな」

世代別日本代表って、結構曖昧なものらしい。そこで選ばれてても、実際のワールドカップに出たりする日本代表までいけるのって更に一部。それに、世代別代表経験が無くて代表選手になる人も結構いるらしい。

「そういうもの……なんですね」

「ま、遅咲きの選手だっているしね。だからまぁ、カズくんのことだから、上手くやれると思うよ」

試合が始まると、ヤギサワさんの言う通りの試合展開になった。

ボッコボコに負けるんじゃないかって不安はどこへやら、互角の試合を繰り広げている。

相手チームのサポーターが大声で応援しているんだけど、それに負けじと私も心の中でカズヤの名前を叫ぶ。

時折「あっ」とか「危ないっ」みたいな言葉になってしまって、ヤギサワさん夫妻はそれを見て笑っている。

オオタさんがゴール前でパスを受けると、相手チームからブーイングが聞こえることが多い気がする。不思議そうに見ていたのか、「昔の仲間だから。それだけ、怖がってるのさ」と教えてくれた。

そっか、そうだった。オオタさん、このチームにいたんだ。

「タカギとも負けてないね、カズくん。やるじゃん」

「は、はいっ」

何だろ、私のことじゃないんだけど、私のことみたいに嬉しい。

その返事をしたところで、少し客席がどよめいた。

カズヤがタカギを振り切って、相手陣地を切り裂くようにドリブルをしている。

サッカー描写になるとコメが減ってる気がするが楽しみに読んでるよ。
頑張れ!

カズヤが蹴ったボールはゴールに繋がって、喜びの輪ができていく。

「すごい! すごいすごい!」

プロ相手に、リードを奪った!

技術的なことなんて何一つ知らない私だけど、スコアでは今、カズヤたちはプロより上にいる。それって、素人の私からしてもすごいことのように思える。

声を上げてはしゃぐ私に、奥さんが両手を上げてハイタッチを求めてきた。それに応えて、女二人できゃっきゃと騒ぐ。

「カズくん、やるわね! 堂々としてる!」

「また化けたな……何かあったのかな」

「何かって?」

旦那さんのヤギサワさんが漏らした言葉が気になって、私は問いかける。

「俺たちと試合したときよりさ。……さっき、こいつが言ってたけど、堂々としてるっていうか、自信を持ってるというか」

何て言っていいか分からないけど、何か良くなってる。言い足して、ヤギサワさんもカズヤ……というか選手たちに向かって称賛の拍手を贈った。

「楽しむようになった、って言ってました」

先日、ヤギサワさんのお店……今は私のバイト先だけど、あそこから帰ってるときにカズヤに聞いたんだ。

フリーキックでゴールを決めたときから、何でか変わって見えた気がして。

そしたら、言ってた。

「相手選手に言われたらしいです。もっと楽しめって。『失敗するかもしれなくても、挑戦しないと喜べる成功がないことに気がついて。だから、成功とか失敗とか抜きに、挑戦すること自体を楽しむようになった』って」

一息で言いきって、少し恥ずかしくなって顔が赤くなった。でも、もう少し言い足すべき言葉が、私にはある気がする。

「でも、カズヤの言う通りだなって、私も思うんです」

それを言葉にするのは、さっきより恥ずかしいけれど。

「私も変わりたいって思ってて。あの時、お店で働いてみないか誘われたとき、挑戦することを選んで良かったなって思うんです」

風俗は、やっと最後の出勤を終えたところだった。盛大に、とは言わないけれど、最後の日にはお客さんがプレゼントを持ってきてくれたり、別れを惜しんでくれた。

あそこではナンバーワンって立場になれてたけど、今の仕事はそれとは全然違う難しさがあって。

上手くいかないことも多くて、落ち込んじゃうこともあるし、収入も微々たるものになったけど、私は今の道を選んだことは間違ったとは思っていない。

あのお店で働くようになって、自分が料理を好きだって気がつけたし。自宅作るのは自分が食べるだけだから好きで当然だと思っていたけど、お店でもたまに調理を手伝わせて貰って、自分のためだけじゃなく、料理自体が好きだって気がついた。

「だから、あの時、誘ってくれて本当に嬉しかったです。……ありがとうございます」

最後に声が小さくなってしまったのは、こんなところで改めて話してることが、改めて恥ずかしくなったから。

おつ

試合はその後も五分五分の展開が続く。がんばれ、がんばれ。

熱を込めて試合を見つめると、ピッチのカズヤとタカギもヒートアップしてやり合ってる。

でも、それだけプロの選手を、世代別? とはいえ、日本代表になれるような選手を本気にさせてるってことだ。それがすごいことだってことは、いくら私が素人でもわかる。

タカギにでたパスを、カズヤがかっさらった……その瞬間だった。

「危ないっ!」

背もたれのないベンチから立ち上がって、私は叫ぶ。

カズヤの後ろから、タカギの足がスライディングで伸びてきた。笛が鳴って、審判、続いて選手たちが一斉にその場に走り寄ってくる。

「うわ、黄色か。後ろからだし赤でもよかったと思うけど」

ヤギサワさんがそんな感想を漏らすと、奥さんがそれを窘めた。

「ばかね、そうじゃなくて、カズくん大丈夫かしら」

「うーん、ここであの子が抜けるときつくなるよなぁ。大丈夫だと信じたいけど……」

だからそうじゃないって、と奥さんは呆れたように呟いた。二人のやり取りを笑えないほど、私は動揺してしまって。

1から追いついてしまった
面白いです乙

私がタックルされたわけじゃないのに、自分の足まで傷ついてしまったように感じている。痛い。

駆け寄ったヒロさんに少し返事をして、カズヤは立ち上がった。

「良かった……」

脱力して、私は腰を下ろした。奥さんも「良かったわね、大丈夫そう」と声をかけてくれたので、うんうんと頷く。

そのまま試合が再開して、走り出したカズヤを見てほっと息を吐いた。

サッカー選手がどれくらい怪我をするのかとか、どれくらいそれが辛いのかとか、私には分からない。

分からないけれど、彼からサッカーを取り上げてほしくないって気持ちは本物だ。

彼が私の希望であって、その希望から光がなくなるようなことは、あってほしくない。

ううん、そんな分かりづらいものじゃなくて、単純にカズヤがサッカーをしているところをもっと見たいんだ。それが楽しくて、刺激を受けて、だから私もがんばりたいって思わせてくれるからだ。

だから私は祈る。この試合も勝って、彼がもっと楽しめる試合が続くことを。私に光を見せてくれることを。

前半終了を告げる笛が鳴ると、横にいる二人はお手洗いに去っていった。

その隙に、スマホのスポーツサイトで他会場の結果をちらっと見てみた。今日勝ったら、次にカズヤたちとあたるチームは……この試合の勝者だ。

気になって詳細を開いてみる。あ、前半で三点差もついてる……ってことは、次の相手はこのチームなのかな。

スタメンの選手……知らない人が多いけど、名前を聞いたことがある人も何人かいる。サッカーに関して素人の私が聞いたことがある時点で、たぶん日本代表クラスなんだろうけど。

その下に書かれてたベンチメンバーを見ていると、つい「あれ、この人……」と声が漏れてしまった。

「お茶とコーヒーと炭酸、どれがいい?」

ヤギサワさんが缶を差し出しながら戻って来た。私は立ち上がって「あ、お茶……いただきます。ありがとうございます」と受け取る。

「あの、ちょっと教えてほしいんですけど……」

「ん、何?」

「この選手って……日本代表の人ですよね?」

スマホの画面で気になった人のプロフィール画像を見せながら、私は問いかける。

「ああ、シンヤ。うん、そうだよ。今ブレイク中。どうしたの?」

「いや、今日勝ったら次にあたるチームどんなところだろう、って思ってたら、私でも知ってるような人がベンチにいたから……」

怪我なのかな? って。

「ああ、ターンオーバーってやつだよ。日本代表の試合があって、リーグがあって、天皇杯があって、他にもカップ戦があって。休憩しながら出てるのさ」

「へぇ……そういうもの、なんですね」

「天皇杯でアマチュア相手とかだと、若手の練習にもなるしね。だからって手を抜いてるとかではないんだけど」

そう言って、ヤギサワさんは冗談ぶって、でも目は本気で言い足した。

「今は目先の試合を応援しないとね。今日勝たないと、次はないんだから」

それは自分に言い聞かせてるような、私に向かって言ってるような、分かるのは本気で言ってるんだなってことだけで。

はいっ、なんて、大きな声で返事をしちゃった。

おつ

後半に向けて、選手たちがピッチに戻って来た。選手交代は、どうやら無さそうだ。とは言っても、私が分かるのはカズヤにオオタさん、タカギに外国人選手くらいのものだけど。

「カズくん、良かったね。」

それがどういうことか分からなくて首を傾げていると、奥さんが言葉を足してくれた。

「交代してなくて、というか、怪我がなくて? 前半、痛がってたから」

「あ、ああ。はい、本当に」

「前半で様子見して、ハーフタイムで交代とかもたまにあるからね。でも、本当に何ともなさそうね」

頷いたと同時に、後半開始の笛が鳴った。

ここにいる私が出来ることなんて何もないけど、だからこそエールを贈ろう。

「がんばれ」

呟いて、ピッチを見つめる。がんばれ、がんばれ。

試合は膠着状態で進んでいった。

大きなピンチは無いんだけど、カズヤとタカギがマッチアップするところはどうしてもハラハラしてしまう。

「あっ」とか、「いけっ」とか、つい声に出ちゃう。

カズヤが仕掛けることより、タカギに仕掛けられることの方が圧倒的に多いしね。ポジションのせいなのか、試合展開が押されてるからなのかは、私には分からないけど。

後半も20分を過ぎたところ、カズヤがボールを受けようと縦に走り出した。

スタンドまで聞こえてくるような大声で、カズヤはボールを要求した。

そこにボールが届きそうな、瞬間だった。

前半の光景がフラッシュバックしてくるような、そんな光景。それなのに、嫌な予感はその時以上だった。

ボールに触れた瞬間、後ろから伸びて来た足がカズヤを刈り取った。

「いやっ……」

立ち上がって、ピッチを、カズヤを、呆然と見つめる。ああ、神様。

いつもそうだった。

子供の頃からサッカーエリートだった俺は、大した挫折もなくプロになった。小学生の頃からうちのユースに所属していて、県トレ、ナショナルトレセン、アンダー代表。そうやってステップアップしていくことにも、自分がプロになるってことにも、一度も疑問を持ったことがなかった。

アンダー12から代表にいたおかげで、同年代でそこそこやるなって奴らとは少なからず交流もあった。各地の上手い奴らがその時々で召集されて、次第に呼ばれなくなったり、いつの間にか常連になっていたり。

でも結局中心にいるのはガキの頃から一緒だったやつらで、俺もそこから外れることはない。

ずっと続いていくと思っていた。思い違いだった。

俺の所属しているチームは二部リーグだっていうのに、他の奴らは一部リーグ、それどころか海外で活躍し始めたやつだっている。

それは俺にとって耐え難い屈辱だった。

この世代のトップを走り続けて来た自負もあったし、プライドもあった。他の奴らに、俺が劣っているわけではない。

ただこのチームに、二部チームにいる限り、この劣等感が薄れることがないということも、何となく分かっていた。

俺が一部にあげてみせる。それが、俺の評価を上げる要因になるのなら。

言い聞かせながら、やっとの思いでスタメンを確保した時だった。

ついこの間まで同じチームにいたシンヤさんが、フル代表に選ばれたと耳にした。

これが一部と二部の差なのかな。注目度も違えば、評価も変わってくる。決心が強くなると同時に、焦りが出て来たことも、はっきりと俺は分かっていた。

サッカー選手の旬は短い。攻撃的なポジションの選手は、守備的な選手のそれより顕著に。

アンダーの世界大会で戦ったブラジル代表の選手は、スペインのビッグクラブでエース級の活躍をしている。あの試合、後半ロスタイムで勝ち越された雪辱も果たせていないというのに、俺はいつまでここで燻っているのか。

早く一部に上がりたい、もっと上の世界で戦いたい。

気持ちと裏腹に、チームは昇格圏内を確保しきれない程度に勝ったり負けたりを繰り返す。

くそ、こんなはずじゃなかったのに。

リーグ戦もままならぬまま、アマチュア相手の試合が始まる時期に突入した。

カップ戦を舐めてるわけじゃないけど、俺は出ないかなって思ってた。リーグ戦に力を入れるために、ターンオーバーでベンチ要員かな、くらいに。

その予想は大きく外れて、うちは完全なベストメンバーで臨むと監督から指令が下った。曰く、「勝ち癖をつけるためにアマ相手にも全力で」ってこと。

悪いけど、俺はこいつらを相手にしてる場合じゃないんだけど。そんな不満を監督に言えるはずもなく、試合に向けてのミーティングで、興味深いことに気がついた。

シンヤさんとポジションを争ってたヒロさんが、相手チームにいる。

「オオタ以外はサイドバックのこいつ。ポリバレントな選手で、色んなポジションをこなしてる。バランスのいい選手だ」

コーチの解説を聞き流しながら、俺はヒロさんのプレーを見ていた。そう言えばこの人、元々はシンヤさんよりレギュラーに近かったんだよな。

おつん

俺には理解できない感覚だ。

プロになって、日本代表になって、海外にいって、世界最優秀選手賞を取る。

子供の頃からブレたことのない目標を持ち続けてきたからかな。今更アマになってサッカーを続けるということは、俺にとっては屈辱的なことに思える。

それでもヒロさんはサッカーを続けている。ビデオで見る限り、お世辞にも強いチームとも思えない。

都道府県リーグなんて、想像もつかない。ユース出身の俺は、学生時代のリーグ戦ですら日本を二分割したリーグだった。

今のヒロさんと試合をして、得られるものなんてある気がしない。

とはいえ、試合に出ろというのが監督命令なのであれば、それを拒否することだって当然できなくて。

あまり乗り気でないまま、俺は試合当日を迎えた。

マッチアップの相手は、俺とタメのやつだった。もちろん聞いたこともない名前。

しょっぱいやつと当たってしまったな。ま、ポジション的にヒロさんとは被らないって分かってたし、せいぜい可愛がってやるか。

途中、うちのサポーターに挨拶するヒロさんにも頭を下げといたら、「負けないからな」だってさ。試合前は何とでも言えるしね。

試合が始まると、思いの外やるなってことは分かった。たかが都道府県リーグと思っていたけど、これならここまで勝ち残っていたのも分からなくはない。

とは言え、所詮その程度だ。アマにしてはやる、ってだけ。そして、そこで埋もれてしまっているヒロさんも、結局落ちぶれてしまっているんだなって。

彼の背中の10番は、アマチームだから与えられたものだ。うちのチームでは、つけることができなかった。

がっかりしたな、っていう気持ちが半分。やっぱりな、って安心感が半分。

ここまで勝ち進んできたことについて、驚きがなかったわけじゃなかったんだ。もしかしたらビデオで気がつかなかっただけで、誰かすごい選手がいるんじゃないかって。何かすごい戦術があるんじゃないかって。

でも違った。結局、ここまで来たのはただの実力で、そしてそれ以上ではない。

つまり、ヒロさん達の挑戦はここまで。俺達がプロの壁を見せつけて、それで終わりだ。ここから先は、上に行くやつらの世界だ。

俺が、上の厳しさを教えてやる。

それは過信だった。

一瞬の隙を疲れて、先制点を奪われる。喜ぶヒロさんたちを見ながら、苛立ちは募っていく。

あんなマグレでここまで喜べるなんて、幸せなやつらだ。喜べば喜ぶだけ、負けた後で辛くなるだけなのに。

そう思っていたのに、試合が再開しても俺たちは点を奪うことができない。たかがアマチュア、格下だと思っていたやつらに。

目の前に立つこいつも、イライラさせてくれる。

同世代なのに、今まで一度も名前も聞いたことがないような。今日試合をしなければ、一生会うこともなかったようなレベルのやつに、スコア上では負けている。

耐えられない。

俺は上に行くんだ。下のやつらを見ている余裕はない。俺は勝つ。勝って勝って、「タカギは落ちたな」なんて言ってる奴らを見返してやる。

こんなアマチュア相手にしてられない。

勝つ。

勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ。

苛立ちと焦りと、いろんな感情がごちゃ混ぜになる。こんなことをしてる場合じゃない。こんなところで負ける場合じゃないんだ!

それなのに、点は取れない。目の前に立つアマチュアを相手に、満足に崩すことも出来ない。油断した隙にフリーキックを放り込んだくらいだ。

俺の横をすり抜けて、スペースに駆け出そうとするこいつを、俺は後ろから刈り取った。

フラストレーションから出たプレーだ。これでいい、大人しくしろ。お前らなんて、すぐに俺たちに蹂躙されるんだから。

イエローカードが提示されて、それがより一層苛立ちを際立たせる。

まるで、警告をもらわないと俺がこいつを止められないと。俺がこいつに劣っているという証明のような気がしてしまう。

そうじゃない。そうじゃないんだ。

俺はプロだ。俺は上手い。このピッチにいる誰よりも、俺が一番上手い。

その後、ろくなチャンスを得られないまま、前半終了の笛が響いた。

ロッカールームに向かっていると、ピッチを出る間際にヒロさんが話しかけてきた。

「お前、そんなやつだったかよ。ラフプレー、気をつけろよな」

何を甘えたことを言ってるんだろう。自由契約になって、気持ちまでアマチュアになってしまったのか?

「何言ってるんすか、あんなの、こっちじゃ当たり前ですよ。アイツこそ、痛がりすぎじゃないっすか?」

「お前……」

何か言葉を言いかけて、それを飲み込んだヒロさんは相手のロッカーに足早に向かった。

何だよ、言いたいことがあれば言い返せよ。

ロッカールームに戻ると、監督の怒声が響き始めた。

「何という体たらくだ! お前ら、相手は都道府県リーグだぞ?! あんなのに苦戦してるから、昇格争いだって泥沼にはまってるんだよ!」

ぎゃーぎゃー感情を叫んで、改善の策を与えられない無知さを棚にあげた監督の怒りが爆発している。

「タカギィ! お前、あんなところでカードを貰う必要あったか?! 考えてプレーしろ!」

その言葉が、俺にどう響くと思ってるんだろうか。少なくとも、プラスになると思ってるならこいつは本気で無能だ。

「っす、気を付けます」

適当に返して、この場を切り抜ける。

監督の怒りはゴールを決められないFW、そして失点をしてしまったDFとどんどん矛先を変えていく。

「……とにかく! 後半はさっさと一点返して、落ち着きを取り戻せ! いいな!」

落ち着きを取り戻すのはどっちだよ、と心の中で苦笑しつつ、円陣を組んで声を出した。

カズヤ無事でいてくれ……

おつ

後半が始まっても、試合は思ったように進まない。J2のリーグ戦と変わらないような、五分の試合展開だ。

勝って当然と思っていた試合で、この時間帯までビハインドだということが、俺だけじゃない、チーム全体の焦りになっている。

雑なロングボール、パスミス、シュートミス。ミスさえなければまだやりようはあるのに。

「出せ!」

サイドからピンポイントのクロスをあげて、さっさと追い付いてやる。

その要求に対して馬鹿正直なボランチがパスを出した。そのボールだった。

俺の鼻っ面を掠めるように、トラップする直前のボールをかっさらわれた。

邪魔なんだよ。ここで勝ったところで、お前たちに何が残る? お前たちとは、やってるサッカーが違うんだよ!

後ろから伸ばした足に、引っ掛かってカズは倒れ混んだ。

笛が鳴って、主審が近づいてくる。

「退場だろ!」

「赤出せよ、赤!」

相手チームの選手が怒鳴り続け、うちの選手は主審の行く手を阻むように取り囲む。

「次やったらもう一枚出すからね? 落ち着いて!」

主審から告げられたのは、警告の言葉だった。

「甘いでしょう?! 何で?!」

「何回目だと思ってるんですか?!」

口々に抗議の声が聞こえてくるけど、主審のジャッジは覆らない。そうだよな、ここで俺に赤を出してジャイアントキリングの一因を作る、そんな判定を下す勇気がないから、前半から判定が甘かったんだもんな。

目の前で倒れたままうずくまるカズに、主審とヒロさんが声をかけている。

ヒロさんはベンチに向かって大きく×マークを出した。これでやっと、こいつが消える。

「大丈夫っす、ただの打撲……」

「バカ、次があるんだよ。休んどけ。任せろ」

次がある? 次ってなんだ? 俺たちに勝つってことか?

おかしくなってきて、つい苦笑。まだあと20分もあるのに、一点のリードだけで俺たちに、プロに勝てると思ってんのかよ。

「本気っすか?」

安い挑発だと分かっていても、それを口にせずにはいられなかった。苛立ちを隠せない。

「お前みたいなヘタクソ相手に、カズを重症にするわけにはいかないんでな」

カズと交代で出てきた16番は、いかにもアマチュア選手って感じだ。

こいつならいつでも抜ける。……いや、あいつを抜けなかったと認めている訳じゃないけど。

プレッシャーをかけようとしてるんだろうけど、全然甘い。どうぞ抜いてくださいと言われているようなもんだ。

16番の横をするっと抜けて、ゴール前にセンタリングを上げる。うちのFWが競り勝っても、シュートは枠を外れてしまった。

うん、リズムはできた。この調子ならいつでも追い付ける。

時計をちらっとみると、後半30分を経過したところだった。ロスタイムをいれると20分近く残っている。これなら、延長までいくこともなく逆転できるな。

ゴール前の人員を増やすべく、センターバックの一枚が同点になるまで相手ゴール前に張り付いている。ターゲットが増えた分、俺もクロスをあげやすくて助かる。

両サイドからどんどんクロスをあげて、波状攻撃を繰り返す。それなのに、なかなかゴールを決めることができない。

まだか、まだか、そろそろ決めてくれ。

ゴール前、最後のところで跳ね返される。ブロックされる。枠を外れる。

運がない。少しでもこっちに運があれば、もう大差をつけていてもおかしくないのに。

「ヨアン!」

シュートを外し続ける、頼りにならない外国人フォワードの名前を苛立ちと共に叫びながらクロスをあげた。いい加減決めやがれ。

頭一つ、相手ディフェンダーより高く飛んだヨアンが放ったヘディングは、クロスバーを叩く。

「クリア!」

相手チームの誰かが叫んだその声と共に、ボールが再び跳ね返された。

……まずいっ!

守備にほぼ全員を割いていた相手チームのうち、数少ない前線に残っていた選手。そのうちの一人のヒロさんの足下に、それは渡ってしまった。

前を向いてドリブルを始めるヒロさんに、もう一人残っていた相手の9番が連動して動き出す。

うちのセンターバックは一人少ない状況だ。数的にはまだ一人勝っているとはいえ、これはヤバイ。

ヒロさんやってやれ

「ディレイ!」

遅らせろと声を張って叫ぶけど、半端な間合いで止まってしまったうちのボランチを、ヒロさんはパスフェイク一本であっさりと抜け出す。これで数的同数。

全力でヒロさんの背中を追いかけながら、どうにか遅らせてくれとチームメイトに祈る。

実力の上では、どう考えてもうちが上なんだ。枚数さえ負けてなければ、失点はない。

残る2人のうち、サイドバックがパスコースを切りながらヒロさんにプレスをかけていく。そうだ、それで良い。

少しず減速をして、速攻から遅行へ切り替えようと、ヒロさんは一旦ボールを右足裏で転がす。その隙に、サイドバックが更に近づいて圧をかけようとした、その時。

アウトサイドでちょこんと触ると、股を抜いて抜け出された。くそっ、遅行はフェイクか。あんな初歩的なもんに引っ掛かんなよ!

心の中で呪詛を吐きつつも、少しずつヒロさんの背中は近づいている。まだ間に合う。

センターバックがシュートコースを消すべく、9番のマークを緩めて、少しずつ近づいて行く。それで良い。ボカしておいてくれ。

しかし、そんなものを気にしないといった風に、ヒロさんはドリブルを続ける。もうすぐ、ペナルティーエリアにまで入られてしまう。

さすがにまずいと、ボカしていたセンターバックが寄せに行った時、また一度減速。9番のポジショニングを確認するようにルックアップ。

シュートモーションに入った、その軌道に体を投げ出すうちのディフェンダーを嘲笑うように、右足アウトでパスを出そうとした、その時だった。

止める!

近づいたヒロさんに向かって投げ出すように、俺は滑り込む。ボールを目がける余裕はなかった。どんな形であれ、ここは止めないとダメだっていうのは分かる。プロフェッショナルファールってやつだ。

あーあ、やっちまった。

強い笛がなって、主審が近づいてくる。さすがにこれは、退場だろ。自分で分かる。

イエロー二枚目、ではなくて、一発でのレッドカードが掲示された。

怒号とともに詰め寄ってくる相手選手を無視して、倒れ込んでいるヒロさんに近づく。

「大丈夫っすか?」

この人が後ろからのタックルに恐怖心があるのは覚えていた。悪いことをしたかなと思う一方で、これで精彩を欠いてくれればと思う自分もいる。

いつの間に、こんな風になってしまったんだろう。

焦ったり、勝つために手段を選ばなかったり。勝つことでしか、自分の存在意義を示せないと。

でも、それがプロってことだ。タックルにビビる、臆病者のあんたとは違う。プロとして戦うっていうのは、こういうことなんだ。

「……お前さ」

立ち上がりながら、ヒロさんは口を開いた。

「楽しいか? サッカーやってて」

真っ直ぐな目で、見つめられた。どこかで見たことのある目だ。

ハーフタイムに言おうとしたのはこのことだったのかな。

「楽しいか、って……」

俺にとって、サッカーは。

「……」

あれ、俺にとって、サッカーって何なんだっけ。仕事。上に上るための手段? 上ってなんだ? 何で俺は、上を目指してるんだ? 稼ぐため?

いや、そんなことじゃなかったはずだ。

「ほら、早く出ていって!」

答えを見つける前に、主審が笛を吹いてタッチラインに向けて背を押してきた。

そうだ、何で俺は、上を目刺し続けてきたんだろう。

ペナルティーエリア少し手前。距離は大体、20mくらいかな。

ボールをセットして、先程の出来事を振り返る。

タカギ、上手かったのに。何であんな風になっちまったんだろうな。焦って、苦しみの中プレーしているみたいで。

「いや、俺も同類だったのかな」

少なくとも、クビになった直後は。カズと出会ってなければ、俺もあんな風になっていたのかもしれない。

右足の爪先で軽くピッチを叩くと、少しだけ違和感。でも打撲ではなさそうだし、これならいける。

意識をゴールに向けて、審判の笛を待つ。残り時間はあとわずか。このチャンスを外すわけにはいかない。

壁に入っているのは、かつてのチームメイト。何人か初顔合わせもいるけど、何だかあの頃の練習を思い出すようで懐かしい。

俺の癖……なんてものがあるのか分からないけれど、少なくとも得意なコース、苦手なコースは知られている相手だ。

やりづらさはあるけれど、だからこそ破り甲斐があるってものだ。

あの頃の自分から、成長しているところを見せるために。自分を獲得していたことは間違えてなかった、そして自由契約にしてしまったことは間違っていたと、試合後に思わせられるように。

狙うコースは決めている。成功するかどうかは五分ってところ。けれど、不思議と失敗する気はしない。

強い笛がなって、助走を始める。キーパーはギリギリまで動かない。

狙いは変えず、右足インステップで強くインパクト。壁に入った選手たちはそれを遮るように懸命に飛ぶ。

その下を、ボールは通りすぎていく。

あの頃いつも狙っていた、壁を越えるカーブ気味のシュート。

その面影すら感じさせないような、速い弾道のグラウンダーのボール。コースをギリギリまで見極めようとしたキーパーは最後まで動けずに、ネットを揺らすそれを視線で追いかけることしか出来なかった。

「っしゃぁ!」

叫んで、ベンチに向かって一直線に走る。それを後ろから追いかけてくるのは、今のチームメイトだ。かつてのチームメイトは、下を向いて繊維を喪失している。

「ヒロさん!」

氷嚢で足を冷やしていたカズが、タッチライン際まで出てきて名前を叫ぶ。

そこに飛び込んだ俺、そして他の選手たちで、大きな輪が完成した。

「ヒロ! お前やっぱすげぇよ!」

「いくぞ、勝つぞ!」

頭はグシャグシャに撫でられて、背中はバシバシ叩かれて、でもそれが気持ちいい。

主審にポジションにつくように指示を受けて、自陣に戻っているとカズの大きい声が聞こえた。

「一本集中! ゼロでいきましょう! ゼロで!」

二部相手とはいえ、プロを相手にこんな声を出せるやつじゃなかったのにな。

頼もしい後輩の成長に負けたくなくて、俺も大きな声でそれに応える。

「もう一本! とりにいきましょう!」

試合終了を告げる笛は、それから10分ほど経って鳴り響いた。

スタジアムからは、何とも言えない声が盛れている。決して歓声ではなく、かといって落胆でもない。

整列をして、審判、次いでフォルツァの選手と握手を交わす。

「やられたよ、次もがんばれよ」

「あんなコースに撃たれるとは思ってなかったよ。やられたわ」

「オオタ、お前、上手くなったな」

そんな声。

上手くなったな、っていうのはやっぱり嬉しいね 。クビになったけど、それから成長できているってことなら、そうなったのにも意味があったと思えるから。

握手を終えると、ベンチメンバーと一緒にゴール裏のサポーター席に向かった。

大勢いる訳じゃないけど、お金を払ってまで応援に来てくれている、心強い仲間だ。

一礼して頭を上げれば、前の方にヤギサワさん、奥さん、それにゆうちゃんがいる。

「ほら、行ってやれよ」

カズにそう言うと「もう、やめてくださいよ!」と恥ずかしがるフリをしつつも、嬉しそうに近づいていった。

それをニヤニヤしながら眺めていると、今度は逆のゴール裏からうちのチーム名のコールが聞こえてきた。エールを送ってくれてるのかな。

みんなでそっちに向かって頭を下げると、今度は「オオタ」コールが響き始める。

ヤマさんに「行ってこいよ」と声をかけられ、試合前と同様に小走りでそちらに向かった。

「ありがとうございました! 次も頑張ります!」

辿り着いて、大きな声を張って叫んだ。

「オオター! お前、嫌なくらい、良い選手になったな! 今更上手くなりやがって!」

コールリーダーの中年のおじさんが、拡声器で叫ぶと他のサポーターが笑い声をあげた。

「次も勝てよ! ジャイアントキリングに期待してるからな!」

そう言って、再び大きな声でチャントを叫び始めた。クビになったとき、もう聞くことはないと思った声援だ。

熱くなるものを感じながら、俺は頭を下げた。この気持ちは、次も勝つことでしか返すことができない。

「ありがとうございました!」

もう一度叫んで、小走りでロッカールームに向かう。同じくロッカールームに戻ろうとしてたカズと、俺しかもういない。

「ナイッシューです」

プレイヤーズトンネルの手前でちょうど合流したカズに、そう声をかけられた。

「俺も決めとかないと、プレースキッカーをカズにとられるからな。あれから焦って練習したのさ」

「またまたー、そんなの、ありえないっすから」

こういうところは昔と変わらないんだな。プレーしてるときは、あんなに雰囲気が変わったっていうのに。

トンネルの中に入ると、一人、待ち構えてるやつがいた。

「……すみません、大丈夫でしたか?」

カズと俺にラフなタックルをかましてきたそいつは、まず最初にそう言った。

「大したことないよ。なぁ、カズ?」

「冷やしてたらもう大分良くなったんで」

「……よかった」

何と言って良いのか分からず、言葉を探すように、そいつは口を開く。

「……サッカー、楽しくなかったです」

それがどういうことかは、すぐに分かった。

「苦しかったんだな」

その場にいなかったカズは何がなんだか分からない、といった顔で、俺の表情を窺うように視線を寄越してきた。

「僕、戻っときますね」

気を使ってそう言ったんだろうけど、敢えて「いや、いてくれ」と返す。カズがいてくれた方が、たぶん分かりやすい。

「勝たなきゃ意味がないと思ってました。代表に入れなきゃ、やってても仕方ない。俺、プロだし。勝つことが仕事だし」

自分に言い聞かせるように、言葉を続けていく。

「ヒロさんのことも、最初はバカにしてた。クビになったくせに必死こいて勝ち進んで、バカみたいだなって。勝ったところで何にもならないじゃないですか。なのに何で? って」

そうだ。俺も最初はそうだった。

フォルツァをクビになって、県リーグなんかでサッカーを始めたのは、ただの惰性だって。

「でも、何か違ったんです。何か分からないけど……何か……何か……」

その感情を表現するのが難しかったのか、言葉を詰まらせながら俯いて、少し間を開ける。俺たちは、ただ黙って言葉を待つ。

「……羨ましかった」

そう言ったタカギの目からは、雫が伝っていて。

「楽しそうだな……羨ましいなって。俺、ずっと、そんな風に、おも、思えなくて」

ずっとエリートコースを歩んできてたこいつが、そういう風に感じるのも分からなくはない。

フォルツァはプロリーグ発足当時は名門で、ユースも力を入れられていた。だけど、一度二部に降格してからは、メインスポンサーも離れてしまったせいか大した補強はできなくなってしまった。少なくとも、強豪というイメージはなくなってしまいつつある。

「代表のやつらに置いていかれてしまうって。悔しくて! でもどうにもできなくて……何で? 何で俺はこんなところにいるんだ? って……」

「分かるよ」

その同意は、俺の本心だった。

「俺も最初はそうだった。クビになったあと、うちに参加したのだって、ただ『サッカーをしない自分』がイメージできなかったから。ただそれだけだったから」

横で黙って話を聞いてたカズが、視線だけこちらに向けてくる。

大量更新おつ

乙です
いつも楽しみにしてます

おつ

ヒヤヒヤするな

更新おつ
ドキドキですわ

「レベルだって、今までにいたどのチームより低かったよ。周りを駒扱いして、王様プレーして自己満足するつもりだった」

「そうなんすか? 全然」

全然気づいてなかった、とカズは漏らした。そんなカズに視線を送って、俺は言葉を続ける。

「こいつ、カズとマッチアップして、タカギはどう感じた?」

「どうだった……って」

考え込むように言葉を止めて、タカギはカズを見つめる。

「ウザかったっす。マッチアップしてて、あんなに楽しそうにプレーされると」

「だろ、そういう奴なんだよ、こいつはさ」

呆れ声をわざと作って、肩を竦めて見せる。

「こいつがさ、今よりもっと下手くそだったくせに、『サッカー教えてください!』ってさ。うぜぇくらいグイグイ来るんだよ。でもさ、そういうの、今、お前はあるか?」

好きだから上手くなりたい。好きだから高い世界を見てみたい。その順番であるべきなんだ。

少なくとも、俺にとってのサッカーは。

返事をできずに俯くタカギから、今度はカズに向かって言葉を渡す。

「なあ、カズ。お前は何でサッカーしてんの? 高校でも大した実績も残せなくて、それでも今までサッカーをしている理由は?」

本当は、今となっては大した選手になっているんだけど。言っても謙遜するだろうし、黙っておこう。

「何でって……好きだから? としか……理由……ないっすね」

その言葉に満足した俺は頷いて、並んで立つカズの背中を叩いた。

「そういうことだよ。こいつも、お前も、俺も。最初は好きで始めたサッカーだろ。それはさ、プロだろうがアマチュアだろうが、変わらないんだ」

俯いていた顔をあげて、タカギは俺の言葉に耳を傾ける。

「勝つから楽しいサッカー、っていうのもあるさ。プロなら尚更だ。でもさ、『負けても楽しいサッカー』があるっていうのも、真理じゃないか?」

今となってはアマチュアになった俺の遠吠えに聞こえるかもしれない。それでも、俺のこの言葉が少しでもタカギに届けば良いと願う。

「こいつな、最初は本当に下手くそだったんだよ。選抜も県トレ止まりだし、個人戦術もろくなもんじゃない。二年前のタカギと比べたらお話にならないよ」

それでも、カズは上手くなった。上手くなるまでやめなかったから。上手くなるまで諦めなかったから。

その根元にあるのは、『サッカーを好きだからやめられない』という気持ちだ。

「タカギはさ、上手いよ。技術もある。でもさ、カズは技術がお前程は無くても、すげぇ才能を持ってたんだよ。分かるか?」

サッカーの世界には才能は二つある、っていうのが俺の最近の持論だ。

先天的にサッカーが上手いという才能。ボールタッチだったり、キックセンスだったり。世間一般が言う天才っていうのは、はこっちなんだと思う。

でも、もう一つの才能こそが、簡単なようで難しい、真の才能なんだと思うんだ。

「勝ちたい気持ちが悪いわけじゃないさ。でもさ、そのために苦しいサッカーを続けるのって、嫌だろ?」

頷くタカギを見て、言葉を重ねた。

「カズはさ、いつ見ても楽しそうなんだよ。勝ちたい気持ちを持った上で、サッカーを楽しんでる。それってすげぇ才能だと思うんだ」

サッカーに限った話じゃない。全て、そういうことなんだと思う。

何かを本気で取り組むと、そこに辛さや苦しさは現れてくる。

問題は、その辛さや苦しさをひっくるめて楽しめるかどうかだ。その壁を見ても、そいつを好きになれるかどうかだ。

「わりぃ、説教臭くなっちまったな。要は、もっと楽しめってことだよ。偉そうに言えた義理じゃないけどな」

纏まりなく話してしまったことを反省しつつ、数歩歩み寄った俺はタカギの肩をポンと叩いた。

「ちょっと忘れてしまってただけで、お前もサッカー、好きだっただろ?」

キザだったかな、なんてこんなシーンで思うことじゃないんだろうけど。

「……はいっ。ありがとうございます!」

そう言って、タカギは頭を下げた。

居心地悪げにカズも俺の隣まで出てきた。そりゃそうだよな、悪い悪い。

「じゃ、お前もリーグ戦頑張れよ。俺たちも次頑張るわ」

言い残し、立ち去ろうとしたところで、タカギは「あ、ちょっと待って」と言い足した。

「ユニホーム交換……」

ゲームシャツを脱いでアンダーシャツ姿になったタカギは、緑色のそれを右手にカズに差し出した。

「えーっと……」

困ったようにカズは頬をかく。

すぐに代わりのユニホームが準備できるプロとは違って、うちは自前でユニホームを用意している。同じ番号の予備なんて、あるはずもない。

不思議そうに首をかしげるタカギに何と伝えるべきか。

……まぁ、良いか。次の試合までにもし間に合わなくても、空き番号にガムテープを貼ったり、やりようはある。

「いいよ、カズ、交換しなよ」

責任は俺がとるから、と心のなかで付け足して、カズに促す。

大丈夫かな、という表情は隠せないまま、お互いの手にはさっきまで相手が着ていたユニホームが渡った。

「カズ、次は負けないから。またやろうぜ」

タカギの目は、それまでの色とは違う気がした。ガキの頃、どうしても勝ちたいライバルを見つけたような、まっすぐな瞳だ。

「こっちこそ。もっと上手くなってやるから」

試合中の口八丁なやりとりとは違う、認めあった相手に対するやり取り。こいつら、良い関係になるかもな。

お姉ちゃんが日本代表のサッカー選手と噂されていることを、情報番組で見かけた。

私の相手は元プロのヒロくんだった。

そんな、比べる必要がないようなところまで比べてしまう私が自分で嫌になる。嫌になるけど、やめられない。

私の幸せの基準はいつまでたってもお姉ちゃんだ。そこを目に見えて越えられない限り、私は幸福になることはできない。

「……歪んでるよね」

分かってるんだけど。

分かっているからやめられるんだったら、とっくに私は幸せになれていた。

人と比べることって、明らかな優越感を得ることもできれば、代わりに劣等感も容易く与えられてしまう。

おつ

カズ、ヒロさん、良かった……!

あの日から、色んな男と遊んだ。

イケメンもいれば、お金持ちもいた。私の虚栄心を満たしてくれそうな人が、外見目当てで私にすり寄ってくる。

バカばっかりだ。みんなバカ。

私みたいな女のどこが良いんだろう。顔がよくて、愛想を振り撒いて。結局表面上しか見られないから、付き合いも表面上だけになってしまう。

本当はもっと踏み込んでほしい。もっと私のことを知ってほしい。

お姉ちゃんに対する妬みも劣等感も、それを男で解決しようとしているところも。汚いところを見た上で、私を選んでほしい。

でもそんな汚いところを晒すこともできなくて。

綺麗な私、愛想よく振る舞う私しか見せてないのに、汚い私に気がついてっていうのは、少女漫画とかファンタジーの世界だ。

全部分かってるのに、それでも私はその願いを諦められなくて、そして沼にはまっていく。

日本代表の選手と付き合う姉への劣等感を、そこんじょそこらの男で拭うことはきっとできないだろう。

こうなったら質より量?

そんなことを考える自分に嫌気がさして、テレビの電源を切る。

幸せを誰かと比べることは、間違ってる。

小学生が道徳の授業で習うようなことを頭の中で呟くけど、それでもどうしても、と思ってしまう自分は打ち消せない。

私が幸せになれない最大の理由は、幸せなはずなのに「でもお姉ちゃんはもっと幸せだ」って思い込んじゃう自分自身。

「……幸せになりたいなぁ」

その幸せが、どういうものなのか自分自身では分からないけど。

いっそ、お姉ちゃんがいなければ良かったのに。それなら、私と比べる相手もいなかったのに。

それが八つ当たりだってことが分かってはいるんだけど。

何となくいいな。でもやっぱり違う。この人かな? うーん、だめだ。

ちょっとした小金持ち、ちょっとしたイケメン、そんなんじゃ、お姉ちゃんに勝てない。

そう言い聞かせては、この男でもない。あの男でもない。

そんなことを繰り返していては、堕ちるところまで堕ちてしまうということも、分かってはいる。

色んな事を分かったうえで、それでも私は止められない。病気みたいなもので、意地みたいなものでもある。

ああ、誰か私を肯定してほしい。お姉ちゃんと私が並んで、私を選んでくれる人がいてほしい。

それが『身の丈にあっているから』とか、『女優にまでなったお姉ちゃんは遠い人だから』とかいう理由ではなくて、私を私だから選んでほしい。

でも、そんな王子様がいたとしても、今の私はきっと選ばれないだろう。

欲にまみれた、悪女の私を。

外見だけでなく、きっと内面もお姉ちゃんに遠く及ばない。それなのに、お姉ちゃんより幸せになりたいと願うのは、それこそ身の丈に合わない願いだ。

ドキドキ……

一気に読み耽ってしまった……
無理のない更新、楽しみにしてるで!

身の丈に合わない幸せを求めた先に待つ破滅へ、私はただ進んでいっている。

その日の合コンは、読モをやってる同級生がセッティングしてくれたメンバーだった。相手は同じく読モ、売れかけの俳優、ローカルアイドル。

顔はそこそこ。うーん、将来性を考えたら俳優くんが良いのかな。

品定めをしながら可愛い子ぶってお酒をちびちび飲んでたら、俳優の子……タイシくんが隣に座って来た。

「サキちゃんって大学生なんでしょ? サークルとかやってないの?」

「私? ううん、何も。バイトと勉強で……。タイシくんは?」

いや、勉強なんて全然なんだけどね。男漁りをしてるなんて、間違っても言えないから。

彼は大学に通いながら仕事をやっていると聞いた。正直そんなに興味があるわけじゃないけど、社交辞令として問い返した。

「うん、サッカーのサークルに」

「へぇ、サッカー」

何だろう、今はサッカー少年期間なのかな。サッカーをやってる人との出会いが多すぎる。

「あれ、その反応。サッカー好きなの?」

その問いかけには、首を傾けて「少し?」と返すだけにしておいた。

その返答に苦笑する彼に、私は問い返す。

「サッカー、好きなんだ。プロになりたいとか思わなかったの?」

「思ったよ!」

力強く返された。一瞬場が止まってしまうほどに。

ごめんごめんと周りに謝って、言葉を続けた。

「ごめんね、力はいちゃったよ。プロにね、なりたかった。なれなかった」

曰く、高校生の時に試合で戦った相手に敵わないと思った。曰く、そこまでの才能が無いと気が付いた。

「でもね、好きなんだ。だから、やめられなくて」

「そっか。でも、良いね。そういう好きなものがあるって」

私には、無いから。

悲しくなるからそれは言葉にしないけど、できないけど、それをきっと彼も察したみたいで。

「嫌いとかじゃなければ、サッカー、見に行かない? 今度の試合のチケット、二枚持ってて」

会場は、ちょっと遠いけど行けなくはない、コンサート会場にもなるような場所らしい。

もうサッカーは見ないと思っていたんだけど。キープ候補からのせっかくのお誘いだし。断るのも悪いかな。

「いつなの?」

返って来た日程は、たまたま予定が空いていた。こういうの、運命っていうのかな。なんちゃって。

「うん、大丈夫。楽しみ!」

その返事に、彼は嬉しそうに携帯を差し出してきた。連絡先を交換しよう、ってことらしい。

頷いて、私は携帯電話を操作する。こうやって、私はどんどん罪深くなっていく。どんどん深くはまっていく。

これで良い。これで良いの。

これが私の生き方だから。

フォルツァとの試合を終えた私たちは、ヤギサワさんのお店にお邪魔していた。祝勝会の準備をしてくれていたらしい。

もし負けたら残念会で……ってことで、気を利かせて店休日にしてくれてたんだって。すごいよね。

ヒロ兄、カズくん、ヤマさん、他にも都合がついたチームメイトに、そしてゆうちゃん。

ゆうちゃんは最初は「私は部外者だし……」って遠慮してたんだけどね。ヤギサワさんたちが半ば無理やり。

謝らなきゃ。この間のこと。急に叩いちゃって。酷いこと言っちゃって。

そう思ってはいるんだけど、カズくんも微妙に気を使ってるし、彼女は彼女で色んなところでカズくんとのことを冷やかされててたり、お手伝いをしてたりでタイミングをつかめない。

「ね、ミユちゃん? よね? 悪いんだけど、ちょっと手伝ってくれないかしら」

ヤギサワさんの奥さんからそう言われて、私は厨房の中に入る。大皿に盛られた料理を見て、「うわぁ」と声を漏らす。

「すごい、美味しそう」

「すごいでしょ? それ、あの子が作ったのよ」

「えっ、そうなんですか?」

可愛いだけじゃなくて、料理も得意なんだ。すごいなぁ。

「それ、運んでくれる? それが終わったらこっちも」

奥さんからの指示を受けて、いい匂いがするお皿を運び始めた。

ホールに出ると、男たちはただお酒を飲んで、料理を食べて、大騒ぎしてる。

うん、貸し切りにしてくれてなかったら、こんなテンションの男を受け入れてくれるお店はきっとない。

「いやほんとさぁ! 勝てるとは思ってなかったぜ、マジで!」

「ヒロのフリーキックよ!」

「ていうかカズ、お前ちゃっかりタカギと交換してんじゃねぇよ! 羨ましいわ!」

とにかく声がでかい。そして料理を持っていくとそれに群がっていく。とても、数時間前に死闘を繰り広げていたのと同じ選手には思えない。

それでもまぁ、今日くらいは特別だ。プロに勝ったんだしね。ヒロ兄も、普段よりお酒が進むのが早いみたい。

今日くらい、大騒ぎしていてもきっと罰は当たらない。

料理の提供も落ち着いて、みんな酔っ払い始めた頃、やっとゆうちゃんが解放されたみたいでキッチンに戻って来た。

「二人ともお疲れ様。もう大丈夫だから、ゆっくりして。何か飲みたいなら、ご自由にどうぞ」

そう言われて、二人で顔を見合わせちゃった。奥さんはそのままホールに向かって行って、ヤギサワさんと何か話している。

何となく気まずい空気が流れて、無言になってしまった。

口を開かなきゃ、と思えば思うほど、それができなくて。どうしよう、何て言えばいいんだろう、って。

「あの、ちょっと、外で話せないですか?」

私が言いたくてたまらなかったその言葉を、彼女から口にしてくれた。

頷いて返事をして、裏口から外に出る。

どうしよう、何を話されるんだろう。仕返しされちゃう? 怯えながら、それでも仕方ないと私は彼女の言葉を待つ。

涼しげな風が吹いて、彼女の長い髪を揺らした。それを視線で追っていると、目が合って。

「あの……」

言いづらそうに、彼女が漏らして、続いた言葉は。

「ごめんなさい」

その言葉がどういう意味なのか、なぜ彼女から言われたのか、つい考えてしまった。私が言おうとしてた言葉なのに。

きょとんとした顔を見て、彼女が言いづらそうにしながらも口を開く。

「あの、えっと……アキラ……っていうか、あの、うん……」

「アキラ?」

「あっ、そっか源氏名……えっと、彼氏……さん?」

ああ、そういうことかと納得しつつ、何か釈然としない。アキラって何だ? 誰?

「えっと……ううん、私こそ、すみませんでした。急にぶっちゃって。酷いこと言っちゃって。ごめんなさい」

謎を感じているうちに、言いたかった言葉はするっと出てきてくれた。

彼女が首を横に振って、「ううん、私こそ。ごめんなさい」と。

埒が明かなくなるので、「謝り合いはここまでにしましょ」と提案して、ゆうちゃんもそれに頷いた。

「あの、アキラって?」

もしかして、私が勘違いでぶっちゃたのかな。そうなら、謝っても謝りきれないことをしてしまった。どうしよう、どうしよう。

「あの、私、彼のお客さんだったの」

「お客さん?」

wktk

女って隠し事隠さず話したら許されたって勘違いするよね
自分に酔っちゃダメ

彼女の話す事実は、まるでフィクションの物語みたいで。そんなことが本当にあるのだろうかと思ってしまう。

でも、納得してしまうところもあって。

ホストしてたから、朝の授業落としちゃったんだ、とか。女遊び激しいって噂があったんだ、とか。

そもそも彼のバイトが何なのかをはっきりしらなかった私もダメだったんだろうけど。

「ゆう」が源氏名で、「エリカ」が本名だとか。ホストの私の彼氏? なのかな、に、貢いでいたとか。

彼女の言葉が、私の耳にすらすら流れてくる。

カズくんに会って、このままじゃダメだと思ったこと。ホストに貢ぐのをやめたこと。

そこまで話して、彼女は意を決したような視線を私に向けた。

「でも、そんなの言い訳にしか聞こえない……ですよね」

許してほしくて話しているのではないと、彼女は続けた。

「じゃあ、何で……?」


「あなたにしてみれば、私の秘密を知ったからといって辛かったことがなくなるわけじゃないだろうし。私の事情なんて、知ったことじゃないだろうし」

自虐めいた口調で、彼女は口を開いた。

「私は弱いから、だから、あなたにこの話をしないわけにはいかないなって」

自己満足に付き合わせちゃってごめんね、って。

「過去の私を無くすことはできないから、あなたの辛かったことを無くすことはできないし。それでも、聞いては欲しかったの。言い訳にしか聞こえないのも分かってる。分かってるけど……」

ごめんなさい、って言葉が、聞こえた気がした。

「……もういいです」

だって、私が辛かった事実は無くならないから。そんな言い訳を泣きながら言われても何になるわけでもない。

私の彼氏と寝た事実は、無くなるわけではない。

それでも、彼女はその事実に向き合っている。

辛いこと、苦しいこと、嫌なことから逃げ出さない道を選んで、私の目の前にいる。

カズくんだったりヒロ兄だったり、私の尊敬する人たちと同じ道を、彼女は選んだ。

「……もう昔のことです。気にしないでください」

そもそも、私が被害者ぶるのも変な話なんだから。

女癖が悪いことも知っていて、そういう現場を目撃することを覚悟した上で付き合って、なのにいざ直面すると悲劇のヒロインを気取って。

喜劇でも、もうちょっとまともな台本があるんじゃないかな。

私は可愛そうな子だって思ってた。

だって、浮気されちゃったから。彼がホテルから女と出てくるのを見ちゃったから。

でも、それって私が最初から覚悟してたことだった。覚悟した上で、私はその道を選んだんだった。

それなら、その痛みを受け入れこそすれど、彼女に向けるのは間違ってた。

「……私の方こそ、ごめんなさい。ぶっちゃって」

言いたかったそれは、すんなり滑り出てくれた。

「ごめんなさい。私、羨ましかったんです。カズくんと幸せそうで。いいなって。妬ましかった」

私は辛いのに。私は大事にされてないのに。

「だから、嫉妬しちゃって。……ごめんなさい」

「ううん、私がきっかけだから……」

「いえ、私の彼氏が……」

言い合ってると、つい笑いそうになっちゃった。そんな状況じゃないのにね。

「……やめましょ、謝り合いは。……よし! おわり!」

二度手を叩いて、赤くなった目で彼女は私に微笑みかけた。

「こんなこと言うと、虫がいい話と思われるかもしれないけど……」

躊躇うように言葉をためて、問いかけられた。

「私と友達になってくれない?」

おつ

「友達……」

聞き慣れた言葉のはずなのに、彼女から聞こえたそれは不思議な響きがした。

私の彼氏と寝た女。私がビンタした女。

でも、カズくんの彼女。私の大切な友達の、とても大切な彼女。

「……私でよければ」

悩むことなんてなかった。カズくんからの話を聞いても、ヒロ兄からの話を聞いても、彼女が悪い人とは思えないから。

ううん、むしろあの二人と似ているのかもしれない。人間らしくて、でも眩しくて。

「えっと……お名前……」

彼女から問われて、私はつい笑っちゃった。名前も知らないまま、何を話していたんだろう。

「ミユ、です。えっと……」

「エリカ、でお願いします。あっちの名前は、もう捨てちゃったから」

はい、と返事をすると、エリカさんはそれを嗜めた。

「友達なんだから、敬語もさんもい要らないから。……良いよね?」

上目使いで見られて、つい女の私でもドキッとしてしまった。やっぱりカズくんは面食いだ。

「う、うん、分かった」

「やった、嬉しい。私、そういう仕事してたから友達少なくて。仲良くしてくれたら嬉しいな」

きゃっきゃとはしゃぐ彼女を見て、ふと疑問が頭に浮かんできた。

「でも、どうやってカズくんと知り合ったの? 友達の紹介とかなのかな、って思ったんだけど……」

さっきの言い分だと、そんなわけでも無さそう?

「うーん……えっとね」

他の人たちには内緒だよ、ってお決まりの台詞を枕詞に、彼女は口を開いた。

彼と彼女の話もやっぱり不思議な、それでも素敵な物語。幸せな物語を聞きながら、彼女と私の微妙な距離感も近づいていく。

夜風に吹かれながら、綺麗な月の下で過ごす時間は、とても良い夜だった。

二回戦から三回戦までは二週空く。

間の週末で、エリカと二人でうちの大学を散歩することにした。大学に通ったことがないから、どんなところなのか来てみたかったらしい。

「わー、こんな感じなんだ。広いね、すごい。ちっちゃい町みたい」

「それは言い過ぎだって」

苦笑しつつ、気持ちは分からないこともない。棟移動の授業の時は、もう少し狭くしてくれと呪いたくもなる。

「ね、学食とか、私も入れるのかな?」

「あー、うん、大丈夫……と思う」

ちょうど近くにカフェ風に造られた、落ち着いた雰囲気の学食があったから、そこに入ってお茶をすることにした。

休講日の昼過ぎということもあって、部活やサークル終わりの学生で少し混雑していたけど、座れなくもない。

僕の手帳を二人掛けのテーブルに置いて、二人でレジに向かう。

「色々あるんだねぇ」

何を食べるか決めかねて、彼女はメニューとにらめっこしている。

「お勧めはオムライスかな」

「どこにいってもそればっかりじゃんかー」

そんな夫婦漫才を挟みつつ、僕はオムライス、彼女はメンチカツを頼んでシェアしようってことで落ち着いた。

「メンチカツ、今のお店に無いから。あったら良いな、とは思うんだけど」

そんなことを考えて注文を決めるあたり、仕事意識高いなぁ、なんて。

二人まとめて支払うとレジのパートさんに告げると、表示された金額を見て「安い……!」と驚く姿も何とも新鮮で。

「ごめんね、支払、ありがとう。頂きます」

「いやいや、今日は僕のホームだからさすがにね。安かったでしょ?」

「うん、驚いた! 凄いね、学食って」

話しながらテーブルに向かうと、僕を呼ぶ声が聞こえた。

「あれ、エリカ?! 何で? あ、カズくん!」

おつおつ

確保してたテーブルの二つ手前の女子グループの中に、よく知った顔が混ざっていた。

「えっ、何で二人で?」

問われて、事情を説明すると「あー、そういう……なるほどね」と頷き始めた。

一体何があったのか分からないけど、あの食事会以降、二人は連絡を取りあったり仲良くなってるようだ。

とてもそんな仲になれるような関係とは思わなかったけど、女って不思議だ。

二人して消えたと思ったら、いつの間にか楽しそうに話しながら戻ってきて、『カズくんがエッチだってことを教えてもらったよ』なんて。

まあ、いいや。僕も好きな二人が仲良くしてくれるのは嬉しい。

「今日の練習一緒に行こうよ~」

「え、私も行って良いの?」

本当に、仲がよろしいことで。

少し離れたところで二人を見ていると、女子グループのうちの一人から「あれ、もしかして……」と声をかけられた。

「ミユのいるチームの……カズヤくん? だよね?」

「あぁ、はぁ……」

今週に入って、何度かこういうことがあった。

ローカルニュースとか、友達づてとか。サッカー部ではないやつが、天皇杯でプロに勝ったらしいっていうのは、体育会系の部活があまり活発でないうちの大学では面白い話題の一つみたいで。

体育会系サッカー部のやつには入部しなよと勧誘されるし、ちょっと面識がある、くらいのやつには今みたいに興味本意で話しかけられたり。

そういうのに慣れてない僕は、ただ焦るだけなんだけど。

「すごいね、がんばって!」

でも、こんな風に応援してくれるのは素直に嬉しい。今までは『部活にもサークルにも入ってない、ちょっと変なやつ』みたいに見られてたしね。

「うん、ありがと」

チラッとエリカとミユに視線を向けると、その子は「ほら、デートの邪魔しちゃ悪いでしょ」と声をかけてくれた。

「あ、ごめんごめん。それじゃ、またあとでね」

エリカもそれに頷いて、僕たちはやっと席に着いた。

頂きます、と二人して呟くと、続けて尋ねられた。

「さっきの子、知り合い?」

「ううん、知らない。ミユとも大学の中で話すことって、あんまりないし」

ミユはうちのマネージャーだけじゃなくて、インカレのテニサーにも入ってるらしく、学内の顔は広い。社交性って、そういうところに出てくるよね。

「へぇ……そっか。さっきみたいなことってよくあるの?」

「さっきみたいな?」

「知らない子に話しかけられたり?」

「先週の試合のこと知ってる人からはたまに、かな?」

「そっか……」と呟く彼女を見て、「どうした?」と問いかけると、モジモジと返事を聞かせてくれた。

「何て言うか、遠い人だなって。すごいなって。知らない人がそんな風にカズヤのこと知ってるって、凄いよね。」

「いや、全然……」

この間の試合だって、ヒーローだったのはフリーキックを叩き込んだヒロさんだし。

だらだらと二年以上書き続けてしまってますが、今もお付き合いくださってる皆様には感謝しかないです。
励ましのコメント等々、いつもありがとうございます。

今回の天皇杯はいわきFC以外にも番狂わせが多くて個人的には嬉しい限りです。

今後も書けるときには書き進めていくので、どうか最後までお付き合い頂けますと幸甚です。

という、700区切りの挨拶でした。
ではではまた本編で。

おつ


ここまで付き合ったんだから最後まで付き合うさ
しかしジャイキリ多いな今大会

乙乙 いつまでだって付き合うぜ

「凄いよ!」

ちょっと語気を強めて、彼女は続けた。

「この間の試合だけじゃないよ。ずっと前から、凄いなって……うまく言葉にできないけど、嘘じゃなくて」

何て言って良いのか言葉を探すように、一瞬の間が出来て。

「パワーを貰えるっていうか……見てて『すごいな』で終わらない感じ? 私もやらなきゃって。だから私は、今ここにいるの」

ニコッと、彼女は笑った。そんな風に誉められることなんてないから、ぎこちなく笑い返してしまったよ。

「本当だよ?」

付け足して、彼女はお箸を手に取った。

「ここで話すの、恥ずかしいね。食べよ食べよ」

二人して頂きますと呟き、僕もスプーンでオムライスを削った。

「……うん、美味しい」

そう言って笑う彼女の目に映る僕も、今度は上手く笑えているみたいだ。

食事を進めて、お互いの注文をシェアしてみたり。うん、メンチカツも美味しいね。

「何か、夢みたい」

呟いた彼女に「何が?」問うと、ニコニコしながら答えてくれた。

「こんな風に、カズヤとデートが出来て。ミユって友達が出来て。遊びにだけど、大学にも来れて」

「夢じゃないよ……うん、夢じゃない」

僕からしても、夢みたいなんだけど。

あんな形で知り合って、こういう風に付き合って、天皇杯も勝ち上がって、出会ってから今日までのことが本当に夢みたいで。

「……うん、そうだよね」

噛み締めるように、彼女も言葉を繰り返した。頷いて見せると、頬を緩めて頷き返してくれた。

ああ、何かこう、幸せだね。これで良し。

そう思ってた。

一瞬、エリカの顔が曇ったのが分かった。僕がそれに気づくが早いか、俯いて顔を隠す。

「……どうかした?」

「ごめん、ちょっとだけ、ちょっとだけ待って」

小声で返されて、無言で頷くと沈黙が続いた。

何があったのか分からないけど、数十秒が過ぎて、恐る恐るエリカは顔をあげた。

「……アキラ……あの、ホスト……が、いたから……」

ああ、そうか。今の幸せにボケていたから、忘れてしまっていた。その男、つまりミユの彼氏になるんだろうけど、そいつも同じ大学だったんだ。

「……行こっか」

「ううん、ちょっと待って」

あれ、なんで。

「ミユの席に向かってる……ちょっと様子見してもいい?」

問いかけには、頷いて返す。何もなければ良いんだけど、何かあるなら備えておいた方が良いだろうし。

二人して無言で向かい合い、交互にちらちらと視線をミユの方に向ける。

そんなミユはというと、向かい合って座っていた友達と一緒に立ち上がり、外に出る準備をしている。

「……もしかして、今から別れ話?」

エリカがぽつりと呟いた。

「別れようと思ってるとは、聞いてたから」

別れ話って、こんなにドキドキするものなんだ。

今までフラれたことはあっても、自分から別れを切り出したことはなくて。ずるいのかもしれないけど、友達についてきて貰ってて良かった。

呼び出した場所に、まさかエリカとカズくんがいるなんて思いはしなかったけど。

慌てて移動しようって言っちゃった。

席を立って、三人で敷地内の別のカフェへ歩いて向かう。

……うん、良かった。エリカのことには気がついてないみたい。もうこれ以上、あの二人に迷惑をかけるわけにはいかない。

外に出ると、残暑の陽射しが私たちを襲ってきた。

「あっちぃなぁ……」

ぼやく彼の気持ちも分からなくもない。

足早に移動して、三人分のアイスコーヒーを注文すると奥の方の席に座った。

「……で、何? 話って」

久しぶりだ

おつん

「あの、ね。うん、あの、別れて、ほしいの」

言葉が途切れ途切れになったのは未練ではなくて。

かつて抱いていた好意を、もう持っていないということを告げるのは、相手を傷つける言葉の気がして。

今までに言われたことはあっても、自分からそれを口にしたことはなかったから。慣れてなくて、戸惑っちゃって。

私のそんな戸惑いを意に介せず、彼の反応はあっさりしたものだった。

「あーー……そう。そっか、分かった」

その言葉に、何だかほっとしたような、拍子抜けのような。

特に引き留められたり理由を聞かれたりもないあたり、やっぱり私は都合の良い女だったんだろう。

情けないような、気がつけて良かったような。

「話って、それだけ?」

尋ねられて、一瞬止まってしまった。

聞きたいことは、色々とある。

何で私と付き合おうと思ったのか。都合の良い女なら、彼にはきっと他にいる。

それならなぜ、彼は私を選んだのか。

ただ、それよりも先に口から出てきたのは。

「私のこと、好きだった?」

聞くべきではないことなんだろうね、きっと。

それでも、口から滑り出てしまった。一番気になってしまった。

私がもう持っていない好意を、彼に求めるのはきっとお門違いな話。

「好きだったよ」

その言葉で、残念そうな作り笑いを見せる彼。

私たちは嘘をついてサヨナラをする。

「ごめんね……」

思ってないけど。

本当に妥協も打算もなく、お互いが純粋に、ただ好きなだけな人と付き合うことって、難しいことなんだろう。

だから恋愛小説や映画の中の恋愛に憧れてしまう。あれも一種のファンタジーなのかな、たぶん。

立ち上がって、彼は言った。

「それじゃ、また」

またね、を返す前に、彼は渡しに背を向けた。

あまりにもあっさり、私たちは終わってしまった。友達に「お疲れさま」と声をかけられても、何だか実感がわかないくらいに。

執着されるほどの魅力もなくて、やっぱり私はたまたま選ばれた、都合の良い女の一人だったのだろう。

付き合ってて疲れるとか苛立つとか、そういう歪んでいる関係性。不健康な付き合い。

それを断ち切る勇気を得られたのは、きっとあの二人のおかげだよね。

ファンタジーな、映画やドラマのような恋をしていた二人。ある意味私も出演者なんだろうけど。

憧れているだけじゃなくて、私もその舞台の主演になりたくなってしまった。だから、悲劇のヒロインをいつまでも続けているわけにはいかなかった。

今日の練習、エリカも見に来てくれるらしいし、みんなカズくんを冷やかすんだろうな。私もそこに混ざってやろう。

今はそんなモブキャラだけど、いつきっと。

彼女と付き合い始めたのは、気まぐれのはずだった。

子供の頃から容姿に恵まれていたおかげで、女に不自由したことはない。小中高、恋愛というものに関心を持つような年頃になってから、頭が悪そうな表現になるけど、とにかく俺はモテ続けてきた。

女に一方的に好かれるということは、言い換えれば男からの顰蹙を買うということでもあり。

ヤンキーのボス的存在の女に好かれたという理由で呼び出された……のは中学の時か。高校だと、友達の彼女に手を出したと噂されて、弁解も通じずに縁が切れたり。

いいんだけど。結局嫉妬だし。

ただ、その開き直りのなかに、空しさも混在していた。気がついたのは、高校生の時だった。

顔が良いからという理由で釣れているのであれば、例えば大事故に遭うとか、野球のライナーがぶつかったとか、何かのせいでこの顔を無くしてしまうと、俺には何も残らない。

それを解消する方法が何なのか分からなくて、とりあえず勉強をした。

勉強ができればそこそこの大学に行けるだろうし、そうなれば就職だって上を目指せる。特に目標もやりたいこともなかった俺は、漠然としたゴール、空虚感の解消を目指して勉強して、その甲斐か運良くか、今の大学に合格できた。

そしたらまぁ、今まで以上にモテたね。

今まで勉強ばかりしていて、大学デビューしたての女。学外だと、学歴でも釣れるし。

社会的地位と容姿……社会人になれば金もなんだろうけど。それがあれば、女は一方的に寄ってきた。

俺はそれを選ぶ側、遊んであげる側だった。

ある時、悪友に合コンに誘われた。誘われたというより、女を呼ぶエサになってくれってことなんだけど。

それを俺本人に言ってくるあたり憎めないやつで、了承したんだよね。

そこに彼女はいた。

名前は、サキといった。

おつ

一目見て、彼女がこちら側の人間だってことは分かった。

そして、同族嫌悪のような、親近感のような、不思議な気持ちを抱いた。

近づいてはダメな気もしたし、もっと彼女を知りたいとも思った。

合コンが進んでいくと、彼女から誘われた。

危ない臭いを感じながらも、やっぱり俺は逃げられない。

事を終えて部屋を明るくすると、彼女がどことなく今流行りの女優に似ていることに気がついた。

「よく似てるって言われない?」

何気なく、投げ掛けた一言だった。

「あはは、分かる? また言われちゃった」

さも慣れてる、という様子で、サキは笑った。空しい笑顔だった。

「何か、ごめん?」

誉めたつもりだったんだけどな。でも、あの女優を好きじゃない可能性だってあるわけで。軽率だったかな。

「ううん、嬉しいよ?」

そう言って、今度は彼女が問い掛けてきた。

「……どっちが可愛いと思う?」

真っ直ぐな目だった。合コン中はもちろん、事の最中だって見せなかった、鋭い視線だ。怖ささえ感じるくらい。

「そりゃ、サキちゃんだよ」

そう返す以外に、何と言葉にできようか。

「女優さん、テレビでしか見たことないし。サキちゃんの方が、いい女だよ」

普通だったら半笑いでしか言えないような言葉が、すらすらと出てきた。

「……嘘ばっかり」

その言葉を残して、彼女はうっすらと涙を浮かべた。そこから先の言葉は、なかなか出てこなかった。

俺はただ彼女を見つめるだけで、彼女も俺を見つめるだけだった。

数十秒か、数分か、数十分か、沈黙が無くなるまでの時間は長かった。

そして、それを壊したのは。

「……優しいね」

その一言だった。その一言だけ残して、彼女はシャワーを浴びるべく、俺に背を向けた。

どうしたんだろう。何の涙なんだろう。

頭のなかで考えても勿論答えは出ないけど、代わりに彼女はさっさとシャワーから出てきた。今度はちゃんと、悲しくない笑顔だった。

ホテルを出る前に、連絡先だけ交換した。

きっと連絡を取ることはないんだろうけど。

またね、と言い合って、俺たちは分かれた。

待ってる。

それからほどなく、俺はホストを始めた。

楽して……ってわけではないけど、他のバイトより稼げたし、長所も活かせた。向いてるなって、自分でも思ったよ。

そこにいるのが楽しくて、朝まで働いて昼から寝ぼけ眼で大学に向かう。

そんな日々を過ごしていたら、必修単位を落としてしまった。

進級後、再履すれば良い授業だったから助かったけど、留年なんかしてしまったらたまったもんじゃない。

新入生の女にチヤホヤされながら、年下に混ざって講義を受けた。それを受けている時点で、チヤホヤされるべき先輩じゃないのにね。

あまり大人数の講義じゃないから、ほぼほぼ仲良くなった時だった。そこに群れない数少ない女に、ミユがいた。

大学デビューした女、元々ヒエラルキー上位にいた女は、少なからず俺に友好的な態度をとっていたし、そうじゃない奴は僻んでいるような奴ばかり。

そうじゃない例外だったミユに、俺は興味を持ったんだ。

話を聞けば、兄貴のいるサッカーチームの手伝いをしているとか。マネージャーをしたいなら大学でやればいいのになんて思ったりもしたけど、そういうところを含めて気を惹かれてしまった。

プライドもあったのかな。いままで女に無関心な態度をとられたことがあまりなかったから。

被ってる授業でこっちから話しかけたり、ちょっかいを出したり。

向こうも嫌ってるわけではないみたいだから、普通に仲良くなれはした。でもそれ以上、踏み込んでくる感じでもなくて。

ミユのその態度が、何となく懐かしい気持ちを呼び起こした。初恋っていうか、初心っていうか。

こう……言葉にできないもどかしさ、みたいな? もっと近づきたい、でも何だか恥ずかしい、みたいな?

付き合った後にわかったけど、俺と付き合うまで彼氏がいたこともなかったらしいし。

そんなミユのもどかしい態度に焦らされて、俺もつい本気になってしまったよね。

付き合い始めて最初の頃は、その新鮮さに俺もドキドキした。本気だった。

でもそれって、やっぱり新鮮で久しぶりだったから美味しく感じただけであって、俺の根本的な人間性は変わってなくて。

やっぱりミユより気軽にあそべるような、遊び慣れた女だったり、弁えてる女の方が性に合っていたんだ。

基本的には貢いでくれる客へのサービスだったんだけど、一回だけ、サキちゃんに呼ばれたこともあったな。

「彼氏と別れちゃったから」

フラれちゃった、じゃないあたりがやっぱり俺と同じ人種だなって思う。

「君と一緒の大学なんだけど。真面目すぎるっていうか、飽きたっていうか……」

聞いてもいないのにそういう事情まで話してくるのは、何度も会ったわけではないけどらしくない気がした。

「悪い子じゃなかったんだけど……」

「けど?」

「私が悪いから……悪い女だから、っていう開き直りのために、抱かれたかったの」

分かるような、分からないような。

「俺じゃなくても良かったんじゃん?」

「そうね、でも君が、一番後腐れなく抱いてくれそうだから」

だって何か、私と似てる気がするし?

そう笑う彼女には、敵わないなと思ったよ。心から。

私と似てる気がする。

その言葉が、それからも頭に残ってはいた。

ミユのことは、嫌いじゃない。それどころか、今まで知り合った女の中では一番惹かれているとすら思う。

それを自認しているのに、俺は他の女と遊んだり抱いたりするあたり、間違いなく褒められた人間性ではないだろう。少なくとも、マジョリティな倫理観では。

とはいえ、それをやめることも俺にはできなかった。言ってしまえば、それが俺の人間性だから。

サキちゃんが言っていた「自分が悪いことを開き直る」って、たぶんそういうことだ。自分がそういう人間だから仕方ないと、それを悪だと認識していると自分に言い聞かせている。

いつか罰があたるとは思っていた。思っていたけど、それがこんなに唐突だとは思っていなかった。

おつん

平静を装ってその場を去ったけど、無性にムシャクシャした。

悪いのは俺だし、それは元々分かってたし、それでも何だか落ち着かない。誰かにこの苛立ちをぶつけたかった。

そうだ、あいつを呼ぼう。別にミユじゃなくても、俺には女がいる。

俺に貢いでくれる女。最近はあんまり会ってなかったけど、俺から連絡したらきっと拒みはしないだろう。

メッセージを飛ばしてみたけど、既読はすぐにはつかなかった。以前なら即レスで来てたのに。

大学にいてもやることはないし、一旦家に帰ろう。夜は仕事だし、あいつから返事もあるかもしれない。

裏口に抜ける坂を下っていると、楽しそうに歩くカップルを見かけた。

休校期間まで、学校でいちゃついてんじゃねーよ。どうせブスだろ?

馬鹿にするつもりでそいつらの顔を横目に眺めた。

「あれ、何で?」

聞き慣れた……いや、慣れていた声で呼びかけられた。

おずおずと視線をそちらに向けると、予想通りの顔があった。タイミングが悪いというより、持ってないというか、何ていうか。

「いや、彼と会いに……」

そう言って、カズヤを紹介すると、一歩前に出て「ども」って挨拶をした。気まずそうに。

「何、彼氏? こいつの?」

その言葉には、強い苛立ちが込められているようで。フラれた直後なわけだろうから、そりゃそうか。

プライドが高いのは薄い付き合いだった私でも十分に分かったし。

「そうですね、彼氏です」

動き出したか……

おつ

「へー、カレシ、カレシね……」

値踏みするような目で、カズヤを見る。隣にいて不快になる、攻撃的な視線。

やめてと叫びたくなる気持ちをグッと堪えて、時間が過ぎるのを待つ。

「それじゃ、こいつのこと知ってんの?」

何を、とは言わなかったし聞かなかった。

私たちの関係を。私たちの過去を。

「聞いてます、全部」

その言葉を聞いたアキラに、同様の色が見えた。そうだよね、眩しいよね。昔の私と同じ貴方には、彼は眩しすぎる。

「へぇ、物好きもいるもんだ」

吐き捨てるように呟いた言葉は、暗い何かを孕んでいた。私たちのことを羨んでいるのに、それを認めたくないから。

まだか?

「話ってそれだけ? もう私たち、行かなきゃ」

それに気が付いた私は、ここを離れたくて。

過去の自分を思い出して嫌な気持ちになったのもあるけど、カズヤと彼をこれ以上向き合わせるのは辛いから。カズヤに申し訳ないから。

でも、カズヤは言葉を紡いだ。

「物好き? いや、最高の彼女なんで」

惚気だ。これはどういうシチュエーションで聞いても惚気だ。

こんな状況でも、つい赤面してしまうくらいには、まっすぐな惚気。

つい周りに他の人がいないか見てしまうくらいには、私は動揺してしまった。よかった、誰もいない。

安堵したのも束の間で、今度はアキラの顔色を窺うように視線を向けた。

「何、お前、こーいう奴が好きなの? 俺とヤレるって分かると、尻尾振ってついてくるビッチだよ?」

挑発するように、わざと汚い言葉を使っているのは分かるけど。それが事実なのも認めるけど。

それでもやっぱり、傷ついてしまうのはわがままなのだろうか。

更新キター!

私がそういう人間だということは自覚している。それでも、それを他人に改めて言われるのは辛い。

「いや、それは昔の話でしょ?」

苛立ちを懸命に隠した声色で、カズヤが返した。ごめんね、私のせいで、私がそういう人間だったせいで、カズヤに辛い思いをさせてしまって。

「昔って、つい最近じゃん。何、こいつがそんな簡単に変われるような女だって思ってんの?」

「信じてるんで」

「安い言葉だな」

鼻で笑って、アキラはカズヤを睨んだ。ああ、もう、やめて。カズヤは何も悪くないのに。

「安いかどうかは、あんたが決めることじゃないですから」

「そういうのが、安いって言ってんだよ。『信じてる』なんて言って、裏切られたらどうすんだよ」

カズヤに出会ったばかりの頃の話を思い出した。

彼は元カノに、『今は誰とも付き合う気がない』という理由でフラれて、でもその子はヒロさんと合コンで出会ってて。

それを裏切りというか、嘘というかは分からないけど、信じていた人に嘘をつかれるということを、カズヤは経験してしまっていて。

それで落ち込んだからこそ私は彼と知り合えたんだけど、その出来事を掘り返されたような気がした。いや、アキラはそんなこと知らないんだろうけど。

「その時はその時でしょ。信じた俺が悪かったなって思うだけ。最初から裏切られるのを怖がって、人を信じられないよりはよっぽどマシだと思うんで」

ヒュー!かっこいい!

現実の天皇杯は残すは決勝のみだな

まるで子供の夢物語みたいな言葉。それなのに、アキラはさっきまでの嘲笑が出てこなかった。

綺麗な言葉でお茶を濁しているわけではないから。カズヤが本気だから、本気でそう思っているから、アキラは返せない。

本気で生きている人の、本気の言葉って、本当に重い。

軽薄に生きて、何となくで生きて。気づかないうちに、それが普通になってしまう。かつての私みたいに。

子供の頃に持っていた夢とか、信条とか。現実を見ているっていう言葉に負けて、いつの間にかそれを口にするのも恥ずかしくなってきて。

まっすぐに生きることって、本当に難しくて、だから私たちは、弱い人たちは、それを笑うことで憧れを隠そうとする。

そうはなれなかったから。そうなりたくて、逃げてしまったから。

私がそこから逃げてしまっていることに気が付けたのは、カズヤのおかげで、それは本当に幸運なことだと思う。

カズヤはカズヤで、辛いことがあって、もしかしたら逃げた先の道で、私と会えたのかもしれない。

でもそういう偶然を運命だとするのなら、やっぱり彼は強い人だったんだ。そして、私もそうなりたい。強くなりたい。憧れていた世界に行きたい。

「騙されても良いとは言わないけど。でも、騙されてたとしても、俺が好きで付き合ってるんで、信じてるんで」

それだけ言って、カズヤは私の手を引いた。行こう、って。

アキラは何かを言い返したそうな顔をして、でも言葉は出てこなかったみたいで、ただ私たちの背中に視線を向けていた。振り返ることはしなかったけど、それははっきり分かっていて。

「あの……ごめんね」

申し訳なくて、手をひかれながらカズヤに謝ったら、何が? って返されちゃった。

「いや、あの、私のせいで……」

「何が?」

「いや、さっきの……」

ああ、と合点がいったように声を出して、彼は首を横に振った。

「全然、悪くないじゃん」

「……ありがと」

不思議そうに彼は首をかしげたけど、分からないままで良い。あなたは、分からないままで良い。

それでも私は救われたんだ。貴方の言葉に。救われたの。

いよいよ、シンヤとの試合までたどり着いた。何となく、不思議な感じがする。夢みたいな、来ると信じていたような。

本戦出場が決まった時から、意識してなかったと言えば嘘じゃない。ただ、何となく現実的にも思えなかった。

あいつは日本代表。俺はアマチュアの中でも大したことがないレベルの王様気どり。

相手にならないのは分かったうえで、それでも負けたくない気持ちがわいてくるのは欲張りなんだろうか。

予選が始まった時から、何だか色んな事があった気がする。サッカーのことだけじゃなくて。

彼女にフラれて、サキちゃんに会って、上手くいかなくて……っていうのは置くとして。

カズがやたら成長したり、ミユがサボったり、カズと気まずくなったり、色々も色々。

そんな濃い一年だったからこそ、ここまで来るのもあっという間だった気もすれば、紆余曲折あったような気もする。

「明日、絶対勝ちましょうね」

軽いコンディション調整とミーティングのみの練習を終えて、帰り道の別れ際にカズヤが言った。

「当然だろ」

軽口のように返してみたけど、やっぱり気持ちは落ち着かない。

「俺、シンヤ抑えるんで。ヒロさんがゴール決めて、勝ちましょうよ」

熱くなる言葉を投げてきた。それが出来れば、どんなに痛快なことだろうか。

相手はプロチームの強豪。エースは日本代表。

ターンオーバーで主力がどれくらい出てくるかは分からないけど、ベンチに入りくらいはするだろう。うちが善戦すれば、あるいはあいつも出てくるかもしれない。

「言ったな? じゃあお前、完封しろよ?」

「うっ……善処します」

「バカ、そこは任せてくださいって言うんだよ」

本当に、試合中の頼もしさとは違って、こういうところは治んないんだよな。

でも何か、少し気楽になったよ。

俺はもう、プロじゃない。こいつもまだ、プロじゃない。負けてもどうなることはない。取って食われることも無ければ、クビになることもない。

「が、頑張ります……」

「おう、頼むぜ。俺も頑張って一点、決めるから」

「はいっ」

威勢よく返事をして、カズは背中を向けた。明日の試合は、たぶんアイツ次第だ。いや、今までの試合もそうだったけど。

今はまだ頼りない背中だけど、明日の試合中には、きっと、もっと。

頼むぜ、エース。

熱すぎる夏を通り過ぎて、涼しい風が吹き始めた。良い天気だ。

格下の僕たちからしてみると、大雨で強風みたいな日の方が或いは都合が良いのかもしれないけど。絶好のサッカー日和だ。

前回の試合以上に、スタジアムの規模は大きい。リーグ戦ほどではないんだろうけど、相手のサポーターの数も多い。

このスタジアムで日本代表が試合をしていたのを、何度も見ていた。勿論僕が憧れていたあの選手も、ここでボールを蹴っていた。

感動を抑えて、これからも試合に気持ちを向ける。

昨晩はタカギからメッセージも届いていて、『勝てよ』っていう一言だけだったんだけど、それが何だか認められている気がして嬉しかった。

下手な励ましとかじゃなくて、勝てる相手だと思ってくれている気がして。

相手チームのスタメンは、やはりというかなんというか、ターンオーバーで若手が主体だった。複数人いる日本代表も大半がベンチスタートで、シンヤも当然温存されていた。

「後悔させてやろうぜ」

ドレッシングルームで組んだ円陣で、ヒロさんが言った。

「良い試合じゃない。前回だって、俺たちはプロに勝てた。一部も二部も俺たちも変わらない。同じサッカー選手だ。やってやろうぜ!」

おお! と声をあげて、僕たちは入場口に向かった。ベンチに先に向かうシンヤと目が合って、すぐに逸らされた。

そりゃそうだ、僕は彼を知っているけど、その逆はそうではない。

今日で覚えさせてやる。

心の中でそう誓って、主審に促されて緑輝く戦場へ歩みを進めた。

おつ
待ってた

陸上トラックのない、サッカー専用スタジアム。

キックオフ前に相手選手たちと握手を交わしていると、声をかけられた。

「タカギから話は聞いてるよ、舐めてるとやられるぜって」

すれ違いざまの言葉だったので返すことはできなかったけど、タカギと同じアンダー代表のマツバラだった。

そうか、こいつはスタメンなんだ。テレビで試合を見ていて、同じサイドバックとしてリスペクトを覚えた。絶妙なタイミングのオーバーラップに、粘り強いディフェンス。今日は対面のマッチアップだ。

若手主体ではあれど、相手チームのスタメンにも知ってるやつは何人もいる。もう一人のアンダー代表であるオカモトにも、同じように声をかけられた。

そして一番後ろには、フル代表にも選出されているイトウが、代表勢では唯一のスタメンとして待ち構えていた。

すげぇ、こいつらと試合するんだ。

日本代表を多数要するマリッズは、今年もリーグ戦でダントツの首位をキープしている。シーズン中ではあるけれど、彼らが実質日本一であることに疑いは無い。

きっとこのスタジアムにいる人たちは、誰もがマリッズの勝利を疑っていないだろう。

僕たち以外は、きっと誰もそれを望んでいない。テレビで見ている人たちですら、殆どが。

それでも僕たちは今日も走る。追いかける。蹴る。勝ち目がなくても、それを望む人が少なくても、それでも僕らは止められない。

プロじゃない僕たちがサッカーをすることが、何に繋がるか分かっていなくても、それが何かに繋がっていると信じているから。

いや、繋がっていなくても良い。僕らはただ、それだけで良い。

審判が時計を一瞥して、笛を鳴らした。長い90分の始まりだ。

センターサークルから下げられたボールを、アンカーのオカモトがいきなりロングボールでこちらサイドめがけて放り込んできた。

マリッズ伝統である4-3-3のフォーメーション。左ウイングのサイトウと競り合うと、まるで岩に当たったような衝撃で弾き飛ばされた。当たりの強さに定評がある選手だと知っていたけど、まさかこれほどとは。

競ったボールを、いきなりオーバーラップを仕掛けてきたマツバラが拾った。やばい、誰もついていない!

立ち上がってすぐに追いかける。くそっ、身体能力も高い。ドリブルをしているマツバラの方が、僕より早いって何なんだ。

センターバックが釣り出され始めたところで、ハイボールのクロスを上げられる。

プルアウェイの動きでマークを外したイトウが、そのままヘディングでボールを叩いた。

勢いのあるボールがゴールに向かって……バーを叩いてゴールラインを割った。

「挨拶代わり、ってやつ」

ゴールキックに備えて自陣に戻るマツバラが、すれ違いざまに僕の肩を叩きながら呟いた。

「こいつ……」

面白い。やられたら、やり返すまでだ。

ロングボールで相手陣地に飛んだボールは、当然のように競り負けて再びオカモトの足元に落ち着いた。

先ほどとは違い、ショートパスで組み立てながらうちの陣地に入り込んでくる。テレビで見てると何気なく見えるそのパスすら、同じピッチに立つと洗練されたものに見えてしまう。

逆サイドに展開されたボールは、お手本通りのワンツーでうちのディフェンスを避けるように運ばれていく。

クロスに備えてエリアに入り、マークを確認。こいつとの競り合いに勝てる自信はあまりないけど、流れの中で渡すこともできなくて。

「ファー!」

そいつが叫んで、ボールを呼び込んだ。やばいっ。

焦ったのも束の間、そのクロスはキーパーがしっかり処理をした。ナイス。

「出せ!」

守備に戻ってきていたヒロさんが、そのままボールを要求した。ワンハンドスローで、キーパーがボールを供給する。

今だ!

守備の意識が緩慢になっているサイトウから逃げ出すように、僕は右サイドを駆け上がった。ドリブルで運ぶヒロさんに要求して、ボールを受ける。

ハーフウェーラインを超えたあたりで、マツバラが緩やかにプレッシャーをかけてきた。

さっきまでの軽薄なキャラクターとは違って、こいつの守備は粘り強い。ディレイで間合いを詰めて、ルーズになった瞬間奪いに来るディフェンスを何度も見てきた。

追いついた
面白いし、更新ゆっくりでもエタらないように頑張ってほしい

単独での突破を諦めて味方の押し上げを待とうとしたけど、どうやらそうもいかないらしい。

すぐにオカモトがピッチ中央からこちらに寄せてきた。さすがに1対2でキープすることは難しい。

オカモトがそれまでにいたスペースに入り込んだヒロさんにボールを返して、そのまま右サイドをもう一度フリーランニング。マツバラも僕を視界に入れながら下がっていく。

ヒロさんはボールを受けるとそのまま中央突破を試みる。戻って来た相手のインサイドハーフが体を当てにいくけど、足裏でボールを止めて旧ストップ。

ダッシュで戻って来た相手はそのブレーキについてこれず、ヒロさんは再び自由になった。

ペナルティアーク付近から徐々にプレスをかけにきた相手センターバックを確認して、徐々にこちらサイドに流れるよう進路を変更してきた。

それを確認すると、僕もヒロさんに近づいていってボールを呼び込む。

ペナルティの右あたりで、右アウトでスイッチのような優しいパスを受けた。

「あまい!」

マンマーク気味に流れた僕についてきたマツバラがそれを受けた僕についてきた。大丈夫、それは分かってる。

ヒロさんについていたセンターバックとマツバラがすれ違うタイミングで、その二人の間を狙ってスルーパスを通した。

僕にボールを預けたまま流れていったヒロさんに、それは自分でも絶妙だとわかるタイミングで渡った。

間を通すボールに意識を取られた相手二人は一瞬止まってしまい、結果としてヒロさんも僕もフリーになった。

一瞬の躊躇の後、マークにつくは人員はそのままに相手二人は追いすがって来た。

もう遅い。

そのまま右サイドからゴールに向かって抉っていくようなドリブルを仕掛けるヒロさん。

スイッチの勢いのままにペナルティアークからゴール前に入っていく僕。

もう一人のセンターバックが我慢ならんとヒロさんに寄せたタイミングで、やっぱり絶妙なパスが返って来た。

完璧なパスを出せて、完璧なパスで返って来た。

ただそれだけのことが嬉しくて、気持ちよくて。気づいた時には右足に何の感覚も残らない、でも確実にそこにボールが当たった感触が残っていた。

一瞬の静寂の後、今までのサッカー人生で一番の喝采が耳に入って来た。

ここまでジャイキリ繰り返してたら取材あるだろうな
できたらnumberあたりにね

カズヤくんの株が止まらない

前半幾分も経つ前の先制点。誰も予想してなかった展開。

ジャイアントキリングのお膳立ては十分に揃っているように思えた。

でも、再開された試合展開はそれを感じさせすらしない、一方的な蹂躙だった。

アーリークロスで相手フォワードが競り勝つ。中盤を崩されてスルーパス。ミドルシュートでこじ開けられる。

自力の差がはっきりと出た展開で、スコアが間違っているのではと勘違いしてしまいそうな程疲弊してしまっている。

「伸ばせ!」

「プレーを切れ!」

とにかく少しでも相手陣地に近づけようと縦に縦に蹴って、跳ね返され続けて。戻ってきたボールをまた蹴って。

肉体的な疲労と精神的な疲労が一気に押し寄せてきた。

良いお年を

あけましておめでとうございます。

新卒で就職したての頃に、このまま現職に流されたくないという思いで書き始めて、
2年半以上が経過してしまいました。
今でも読んでくださってる皆様には感謝の念しかありません。

私事なのですが、今春に転職を控えております。
現職に就いてすぐに書き始めた作品はそれまでに書き上げたく、
三年近い月日をかけてしまいますが、必ず完結させるつもりです。

どうか皆様、最後までお目通し下さいますと幸いです。

それでは新年も、よろしくお願いいたします。

いつも楽しみにしてます。
公私ともにがんばってください。

あけおめ
3月までに終わらないに五ペソww

まー自分のペースで頑張ってね ずっと楽しみにしてる

終わりのない波状攻撃に、ついファールでプレーを切ってしまった仲間に向かって大声で叫ぶ。

「そこで止めんな!」

左サイドの端の方、ゴールまで35メートルほど。プレー中ならアーリークロスの距離ではあるけれど、セットプレーではきっと恐ろしいボールが入ってくるだろう。

精度の高いセットプレーこそ、相手とのフィジカル差が出るものだ。それを分かっているから、つい苛立ちの声色になってしまう。

アマとプロとの違いは数えるとキリがないくらいだけど、その根底にあるのは身体能力であり、生まれつきのもの。

もちろんそれが全てではないし、ポジションによって求められる資質も違う。それでも、やはり物理的な高さ、強さ、速さの差はちょっとやそっとのことでは埋められない。

戦術って言葉があるのも、弱者がその差を埋めるために頭を使っているからこそだ。

「マーク確認しろ!」

「9! 9番のマーク外れてる!」

「ショートあるぞ!」

確認に確認を重ねて、少しでもその差を埋めようとしている。

流れの中では僕がマッチアップをしているサイトウのマークは、当たりに強いセンターバックに任せているが、それでもやはり不安は不安だ。

僕は少し下がり目でセカンドボールを待つオカモトを視界に入れつつ、こぼれ球に備える。

おつ

ファーサイドのサイトウにピンポイントで合わせられたボールに、どうにかうちのディフェンダーが追いすがる。

腕をうまく体の前に入れられて、ガードされてはいるものの、体を当てて自由には動かさせない。

叩きつけられたボールはゴール前に固まっていたうちの選手に当たって、こぼれ球がペナルティーアークのオカモト、そして僕の近くに転がってくる。

二人とも並走してボールに向かってダッシュ。幸いにも彼はそこまでスピードがあるタイプではない。

どうにか足を伸ばして先にボールに触れると、そのまま前方のタッチラインに向かってクリアをする。

「集中だ! もう一回!」

一旦プレーを切って、守備を仕切りなおす。スクランブルな状況での失点はできるだけ避けたい。

相手の波状攻撃を耐えるだけにしては長すぎる時間がまだ残っているのに、力押しで負けたとなるとこの試合に未来はない。

最悪、失点するにしてもパワープレーじゃなくて崩された方が、試合後半に希望が持てる。

パワープレーが有効だと分かれば相手もそれをさらに多様してくるし、そのサンドバック状態が続く方が、メンタルとしては痛い。

綺麗に崩されての失点はある程度織り込み済みだ。どのみち、実力の面ではこちらがはっきりと負けている。

僕らが起こすべきは順当な勝利じゃない。奇跡だ。

「マーク確認しろ! 11オッケー!」

サイトウの番号を叫んで、受け渡し返されたサイトウに自分がつくことをチームメイトにアピールする。

チラッと視界に入った時計は、まだ前半20分を過ぎたところだった。

長すぎる波状攻撃に、終わりの予感はまだない。

おつ

「本当は、プロどうしの試合になるかと思ってたんだけど」

タイシくんがそう言い訳をしながら連れてきてくれたのは、大きなスタジアムだった。

歌手がコンサートをするのに使うこともあるような、立派な会場。それなのに、プロじゃない人たちも試合をできるんだろうか。

中に入ってみると、ウォーミングアップをしている選手たちが芝生の上で走っていた。

米粒みたいな大きさにしか見えないけど、存在感が光っているのは何となくわかる。お姉ちゃんみたいなオーラだ。

適当な席に座ってぼーっと眺めていると、スピーカーから選手紹介の声が響いた。

「背番号10、シンヤ スガ!」

「あ、この人知ってる」

お姉ちゃんの彼氏だ。いや知らないけど、彼氏って言われてる人だ。

「あ、良かった。知らない選手ばっかりじゃ申し訳なくて……」

本当は相手チームにもオリンピック代表候補の選手とかいる予定だったんだけど、負けちゃって。と、彼は言い足した。

他にもちらほら聞いたことのある名前の選手がコールされた。オカモトって、最近のニュースで聞いたことあるし。

「相手チームは、どんな選手がいるの?」

興味があるふりをしておかなきゃ、と私は彼に問うた。たぶん、いや間違いなく、分からないんだろうけど。

ばつが悪そうな表情で、彼は返した。

「元プロの選手がいるらしいけど……ごめん、アマチュアチームまでは俺も分かんないや」

直後、スタジアムDJから続けて呼ばれたチーム名は、私がよく知るものだった。

「えっ……」

動揺を隠せなくて、つい声を漏らした。

「どうしたの?」

まさかそこに、私の知り合いが何人もいるとは思いもしないだろう。私は首を横に振って動揺を隠した。

口にしなければいいことだ。後ろめたい気持ちがあるわけではない。悪いことをした自覚はあるけど、それも私が言わなければ彼の知るところではない。

「そっか。それにしても、このチーム凄いよ。県リーグからここまで来るのって、奇跡みたいなものだもん」

そう言って、彼は入場口で配られたプログラムに目を通した。

『王者のプライド対下剋上軍団』という煽り文句が書かれたそれには、選手紹介の写真が載っていて。

下剋上して、ヒロくんやカズヤはここまで来たのだろうか。この大きな舞台に。

「奇跡って、どれくらい?」

奇跡に程度なんて無いんだろうけど。それでも奇跡と評されるような偉業を、彼らは為しているのだろうか。

難しそうに考えながら、彼は教えてくれた。

「うーん……県リーグの上に地域リーグ二部があって、その上にJFLがあって、その上にプロリーグが三部……段階で言ったら、6段階上まで一気に上ってるからね」

それを何と比較していいのかわからないけど、とにかくすごいことなんだろう。

「ごめん、うまく言えないや。でも、全国区のスポーツニュースになったりはするレベルかな」

「そっか。そうなんだ。ありがと」

芝生の上では、ヒロくんらしき人と、シンヤらしき人が口を交わしている。

何だか、遠い人になってしまったように感じる。私から離れていったはずなのに。私が切ったはずなのに。

なのに今は、私じゃ手が届かない人のように感じる。

カズとロングボールを蹴りながら芝のコンディションを確認する。畜生、フォルツァにいた時でもこんなに気持ちのいいピッチは無かったぜ。

少し水をまかれているから、バウンドしてからの伸びがある。低い弾道のスルーパスは球足に気を付けよう。

同じことを思っていたのか、向かってきたのはそんな弾道のボールだった。

「ナイスボール!」

叫んでカズにサムズアップしてみせる。嬉しそうに、あいつは手をあげて返してきた。

よし、変にリキんだり緊張してる感じもない。プロなら一部も二部も変わらないな、くらいに開き直ってくれてるんならいいけど。

ボールを蹴り返そうと助走にはいったところで、後ろから名前を呼ばれた。

「よぉ、久しぶり」

片手をあげて近づいてきたのは他の誰でもない、俺のライバルだった男。今となっては、手が届かない存在だけど。

「おう、よろしくな」

握手して、いくつか簡単な言葉を交わした。良い試合をしよう、お前の彼女があの女優って本当かよ? 内緒に決まってんだろ。

嫉妬とか、罪悪感だとか、そういうのはもうお互いに関係がない。

目の前にいるトッププレイヤーに、今の俺がどこまでやれるのか。あの日から、どれだけ差をつけられて、どれだけ近づけられたのか。

全ては試合が終わればわかることだ。

「俺、今日ベンチだから。楽しませてくれよ」

暗に、『引っ張り出すような展開にしてくれよ』と言っているのだろうか。挑発されているのなら、こっちだって。

「悪いけど、勝たせてもらうから。うちにはエース様がいるんで」

そういって、俺はカズに視線を向けた。気を使ってんのか、頭を下げただけでこっちに近寄る気配はなかったけど。

「そっか。そんじゃ、楽しみにしてる」

背中を向けたアイツからは、オーラを感じた。俺の知っているあいつにはなかったものだ。

「早めに出番をくれてやるよ!」

最後に大声で叫んだら、片手をあげて返された。くそぉ、余裕だね。

はよ

おつ

整列して試合前の握手を交わすと、いよいよ緊張感が増してきた。

そうだ、俺はこのピッチに立ちたかったんだ。プロにいた時には立てなかった場所に、俺は今立っている。

フォルツァをクビになった時、俺のサッカー人生は終わったと思っていた。ここから先は落ちるだけなんだと。

そうじゃなかった。カズがいた。信頼できるチームメイトがいた。だから俺は今、ここにいる。

試合開始の笛が鳴ると、早い展開でマリッズが攻めてきた。全員が全員代表クラスの選手だ。この展開は想定していた。

耐える時間が長くても、ワンチャンスをものに出来たらわからない。前半は失点をしないことが最優先タスクだ。

とりあえずの俺のマッチアップはオカモトだ。カズやタカギと同世代の世代別代表でキャプテンをしていた。年下ながらに、プレーを参考にしていたこともある。

ロングボールにショートパス。足元の技術以上に、そのキックの精度がうちとしても妬ましい。

ボールポゼッションされてしまうと、ディフェンダーは警戒心を解くことができない。たとえ『持たされている』という状況であっても、マイボールかそうじゃないかでディフェンダーにかかる圧は全然違う。

長短のパスを織り交ぜながら、オカモト、マツバラ、イトウのトライアングルを中心に常にゴールを脅かしてくる。

キーパーがキャッチしたボールを、カズが要求した。前がかりになっていた相手を出し抜くにはこのタイミングしかない。逃すと、守備の意識を高められてしまうだろう。

即座に意識を攻撃に切り替えて、ピッチ全体を意識する。俯瞰の視野は持っていないけれど、首を振って極力多くの情報を仕入れる。

サイトウはプレスを諦めて緩くジョグ、マツバラと……オカモトが二枚で挟みに行っている。それなら俺はフリーだ。

オカモトの離れたスペースに入り込み、ボールを呼び込む。そのままドリブルで仕掛けて、カバーに入って来た相手をいなすとそのまま右サイドに流れていく。

釣られてセンターバックが流れていくのを確認すると、そのまま中央に割って入ってきたカズにボールを預けるする。

カズを追うことに必死になっていたマツバラに、俺を追いかけるセンターバック。スイッチした瞬間の一瞬のフリーズを見逃さず、リターンのボールが返って来た。

ボールを受けた瞬間、今までにない絶頂感が脳裏に走った。イメージ通りだ。カズがボールを要求してからここまで、全部。

俯瞰は持っていないと思っていたけれど、ここまで思い通りの絵を描けたのは初めてだ。サッカーゲームをしているように、俺は最初からこれを狙っていた。見えていた。

ドリブルでボールを運び、もう一人のセンターバックがどうしようもなく半端にプレスをかけてきた。でも、もう手遅れだ。

俺の描いた絵は、完成した。最後のパスを、しっかりとカズはゴールに流し込んだ。最後の一筆を入れ切った。

今までに感じたことのない感動だ。初めてのキスとも、何度あったか分からないゴールよりも、どんな歓びとも比べられないくらい今の俺は高ぶっている。

このプレーのために俺はサッカーをしていたのだとしか思えない。その絵を共に作った仲間は、顔をくしゃくしゃにして走り寄って来た。

こいつとなら、どこまででも行ける気がする。こいつとなら、さっき以上のプレーができる気がする。

「ヒロさん!」

「バカ、お前、すげぇよ! 勝つぜ!」

言葉にならないんだよ、お前。すげぇよ。シンヤとプレーしていた時だって、今ほど気持ちいいプレーはできなかった。

仲間たちが集まって来たところで、檄を飛ばす。

「集中しろよ!ここからだ!」


再開した試合では、マリッズが先ほど以上の猛攻を仕掛けてきた。

今季四冠の可能性を秘めたこのチームが、アマチュアに負けるなんてあってはならないことなのだろう。相手の外国人監督もピッチサイドに立って、怒鳴り声をあげ続けている。

オフェンシブハーフの俺はほとんどボランチ状態だし、アンカーのはずのオカモトはハーフウェーラインから下がることは無い。

クリアしたボールは敵ディフェンダーがあっさりと拾ってしまい、オカモトから組み立てられていく。そしてそれをどうにか跳ね返し続ける。ただその繰り返しだ。

この展開だと、いつか必ず失点してしまう。

そう思っていたのに、思いの外うちのチームはよく耐えている。そこには「カズばかりに良いかっこをさせてられない」っていう先輩の意地もあるんだろうけど。

ディフェンダー陣をはじめ、全員で攻撃を跳ね返す。昔のイタリアみたいに、ゴール前にとにかく人数をかけて鍵をかける。

見ていて面白いサッカーではないだろう。マリッズのサポーターからは延々とブーイングが鳴り響いている。好きにしてくれ、それで勝たせてくれるならいくらでも文句を聞いてやるよ。

前半30分を過ぎて、相手の監督の叫び声が一瞬止んだ。そしてサポーターもブーイングから一転、歓声が上がる。

ああ、分かってしまった。もう出番か。

苦しくなるなと現実を理解しつつも、誇らしい気持ちもでてきた。

どうだ、言った通り出番は思ったより早かっただろ?

プレーが切れると、主審の笛と同時にスタジアムDJが大声で叫んだ。

「背番号10、シンヤァ ミズノがピッチに入ります!」

盛り上がってきたな

>>770
普通に苗字間違えてますが『シンヤ スガ』です。。。。
大変失礼しました。。。

あの日から、ずっとこの日を待っていた気がする。

今でも足裏に感覚が残っていて、それが俺の苦悩の原因だった。

タックルにいったのはサッカー選手としての本能だったし、あれがあの時の俺に出来る精一杯のプレーだった。ただ、そのプレーが必要な状況だったのか、本当にそこに嫉妬や羨望はなかったのかと問われると、否定もできない。

たかが紅白戦で、そんな削り合いをする必要があっただろうか。

同い年で、俺より前にいたヒロの未来を消してしまったのは、他でもない俺なのではないだろうか。

そんな悩みを打ち消すように、俺はサッカーにのめりこんだ。サッカーをすることでしか、その悩みからは逃れられなかった。

フォルツァのスタメンに定着した俺は、シーズン終了後に一部の名門クラブに声をかけられた。ちょうど、若い中盤の選手を探していたらしい。

その頃からかな。ヒロのことは気にしないように努めた。俺がここに来るのに必要な過程だったのだと、割り切ろうとした。

時間が解決してくれたと言えば聞こえは良いけど、要は事実から目を逸らしたんだ。

だって、何も気にしなければ俺には輝かしい未来がある。このチームでスタメンを確保出来たら、代表にだって入れるだろう。海外だって視野に入る。

それなのに、一々過去のチームメイトの負傷を気にしてられるかっていうんだ。ヒロは不運で持ってなかった。俺は持っていた。それだけの差だ。

言い聞かせて、サッカーに没入していた頃に、先輩の声かけの下で合コンが開かれた。

フォルツァにいた時には見向きもされなかったようなモデルやアイドルに囲まれて、何だか居心地が悪かった。

やっぱりだめだ、俺はこういう場には向いてない。サッカーでいくら上にいけても、女性関係をうまく築ける自信はなかった。

プロになってから、ずっとサッカーばかりしてきたから。そりゃ、一般の女性だったら付き合ったことくらいある。

とはいえ、野心と魅力と美貌を持った女たちを真っ向から相手に出来るほど、経験があるわけでもない。

幸い、先輩たちは良い感じに酒が回っているようで、俺はそっと立ち上がった。

本当はそんなに飲んでもいないけど、飲み過ぎて気分が悪くなったとでもメールすれば、きっと彼らも責めることはないだろう。

店を出る前にお手洗いに立ち寄って用を足し、ハンカチで手を拭きながら外に出ると、そこに彼女がいた。

「シンヤくん、もう帰るんですか? よかったら、ご一緒しても?」

名前を思い出そうとしても、大勢の女性を一気に覚えられてはいなかった。

ただ、第一印象が瞳が綺麗な女性だったということだけは、しっかり記憶に残っていた。

「サエです。三度目は、無いですよ?」

そう言って悪戯気に笑う彼女は、とても魅力的に見えた。

ご一緒しても、なんて言っても大したことはしていない。

その頃はまだ、今ほどサエも売れている女優ではなかった。モデルとしては有名だったけれど、俺みたいにその世界に疎い人間は知らないような存在で。

ちょっと有望なモデルと、ちょっと有望な若手プロサッカー選手。パパラッチなんてついているはずもない。

店を出るとタクシーを捕まえることもなく、どことなく歩き始めた。

こういう時、何を話せばいいんだろう。「何でモデルに?」とかかな。それって合コンで言ってたっけ。席が離れてたから分からない。

というか、そもそも何で俺に声をかけたんだろう。それこそイトウさんだって、他にも元代表選手だっていたんだ。

プロ全体で見れば有望株かもしれないけど、あの場にいる中では、俺は一番の外れくじだという自覚はあった。

「今、何で私がシンヤくんに声をかけたか考えてるでしょ?」

図星を射抜かれて、うっと声を漏らしてしまった。どうやら俺はポーカーフェイスにはなれないらしい。

嬉しそうに彼女は笑って、答えをくれた。

「私もあそこが息苦しかったから、仲間が欲しくて」

おつん

「仲間って?」

そこまでつまらなさそうにしていたつもりもないんだけど。まるで同類のように言われて、何だか不思議な気持ちになった。失礼な言い方をされた気もするけど、不快な気持ちになることもない。

「あそこにいて、何か得るものあった?」

その本質的な問いかけに、イエスと答えることはできなかった。

確かに綺麗な女性と一緒にいて、楽しい時間を過ごすことはできたのかもしれない。でも、それが何だというのだろう。

それでサッカーが上手くなるわけでもなければ、刹那的な快楽以外に得られるものは何もない。

「私だって、事務所の先輩に声を掛けられなければ絶対に行かなかったから。君も似たようなものでしょ?」

その問いかけには、首肯で返事をしよう。図星だし。

トイレから出た時とは、何だか彼女の印象が変わってしまった。もっと純粋で綺麗な人のような印象だったのは、瞳の強さに引っ張られたからなのかもしれない。

夜の街を歩きながら、俺たちは会話を続けた。とりとめもない内容だった。どんなサッカー選手になりたい、どんな女優になりたい、理想の人はどんな人だ、逆にこういう人は嫌だ。

「気が合うね」

その言葉通り、彼女の選択で俺が不快に感じるものは一つもなかった。

きつい言い方をするところもあったし、優しいだけの女でないことはすぐに分かった。それでも、彼女に対して嫌悪感を抱くことは無かった。

「私の夢はね、妹に誇られる人になることなの」

「妹さん、いるんだ?」

「ええ、大好きなの。でも、あの子はそうでもないみたい」

わざとらしくついたため息では、悲しみの色は隠しきれていなかった。

なれるよ、なんて軽々しく言うこともできなくて、俺は彼女の横顔を見つめる。容姿に特別なコンプレックスを持っているわけではない俺でも、妬ましく思うほど整っている。

そりゃ、こんなに可愛い姉妹がいたら比べられる方はたまったもんじゃないだろう。

「貴方の夢は?」

即答できずに、思案する。

世界一のサッカー選手になる、なんて漠然とした夢を大声で話すには恥ずかしい歳になってしまった。

今の歳で今の立ち位置で、それに値するといわれる賞を受賞するのは現実的ではない。ワールドカップ優勝なんて以ての外だ。

自分が本当になりたいものになれないことを自覚した上で、それで俺の夢って何なんだろう。

「……ワールドカップに出て、海外のクラブに移籍することかな」

それくらいは、叶えられる夢だ。今のチームで頑張れば代表選手には手が届くだろうし、それが達成できるなら海外への移籍も開かれてくる。

「大きい夢だね。私の夢なんて、ちっぽけだよ」

「そんなことないよ」

そう言うしかないけれど、少し意外でもあった。日本一の女優になりたい、というタイプだとも思わなかったけど、そんなすぐに叶えられそうな夢を抱くようなタイプにも見えなかったからだ。

少し沈黙が続いて、彼女をタクシーに乗せて返すことにした。

連絡先を交換して見送ると、すぐにメッセージが飛んできた。

「お互い、夢を目指して頑張ろうね」だって。何だか高校生のメールみたいで何だか気恥ずかしい。

適当なスタンプを送ると、既読がついてやり取りは止まった。

今シーズンは頑張らないとな。20代前半で海外に出ないと、ステップアップはかなり難しいものとなる。最低限はスタメンを隠して代表に入る。遅くとも来シーズンには移籍する。

それが俺の最低ラインだ。ヒロの分まで俺が上に行くことが、恩返しでもあり贖罪でもあるだろう。

見てろよ、ヒロ。お前の分までやってやるからな。

その誓い通り、俺はブレイクを果たした。

スタメンを確保して、代表入り。描いた通りの未来だ。

そのうちに、サエちゃんともちょくちょく遊びに行くようになった。何となく、他の人たちと違う雰囲気を感じたというか、何というか。

彼女は一生懸命だった。目標に、夢に。「妹に誇られるために、私は妥協したくない」と平気で言うような女だった。その一生懸命さに惹かれて、俺も前に進むことができた。

いつしか彼女は新進気鋭の女優となり、俺は海外移籍を噂される日本代表選手になっていた。

「日本代表になれば、世界が変わると思ってたんだけどな」

ある日、デート中に俺がそう言ったことがある。

周りはおだて、評価し、持て囃してくれるけれど、俺自身が大きく変わったわけではない。

「それはシンヤがまだ夢を叶えてないからだよ。私だって、世界は変わってない」

「本当に?」

ゴールデン帯のドラマでヒロインを演じ、今や日本で彼女のことを知らない人はほとんどいなくなっている。

知名度も、美貌も、ついでにお金も。普通の人が求めるものは既に得てしまった彼女でも、世界は変わってないとは信じがたい。でも、日本代表になった俺だってそれは同じか。

「私の夢が叶ったわけじゃないから」

そう言って、彼女が「シンヤもでしょ?」と問い返してきた。

あの時言った夢。日本代表になりたい。海外移籍をしたい。その夢が叶えば、俺の世界は本当に変わるのだろうか。とりあえず日本代表だけでは、変わらなかったわけだけど。

「妹さんとは、最近は?」

「何も。ドラマの感想すら無いわ」

盆正月などで顔を合わせると普通に話すらしいけど、それ以外はやり取りをすることもないとは聞いていた。それでも、自分の姉が活躍するのは嬉しいものではないのだろうか。姉妹って分からないもんだ。

世間からは俺たち二人は成功している、不自由無い生活をしていると思われているだろう。いや、実際そうなんだけど。

それでも何か足りない気がしてしまうのは、贅沢なんだろうか。それとも、大事な何かが欠けてしまったんだろうか。分からないけど、俺に出来ることはサッカーしかない。

リーグは独走状態だし、カップ戦も勝ち進んでいる。今シーズン4冠を置き土産に、俺は海外へ行く。もっと大きな選手になる。

そうすることで、この言いようのない苦しみから抜け出せると思っていたから。ヒロに対する罪悪感は、見ないふりはできても消えることはなかった。それならもう、遠くに行くしかない。アイツがどこまで頑張ってもいけなかった世界にたどり着いて、俺がここにいることを正当化したかった。

サッカーをするのが苦しくて、それでも俺にはサッカーしか残っていなかった。

苦しみから抜ける方法もサッカーをすることでしかなくて、麻薬のようにそれを繰り返す。サッカーをすることで苦しんで、サッカーをすることで救われる。

そんな時、あるスポーツニュースが目に入った。

アマチュアチームのジャイアントキリング特集だった。

天皇杯では、毎年何チームはプロチームを倒して上がっていく。そのたびに取沙汰されるのが常である。

今年のそれを起こしているのは、どうやら都道県リーグレベルのチームらしい。そんなところがJFLだったり二部を倒したりしてるんだから、そりゃ見ている方は痛快だろう。

うちのチームが次に当たるのが確かそこだったと思い出して、そのまま何の気なしにニュースを見続けた。俺が出るとは限らないんだけど。

本戦一回戦、二回戦の映像でゴールシーンが映される中で、最後にフリーキックを決めた背中にやけに見覚えがあった。

固有の選手名は上がらなかったが、何となく懐かしい感じ。でも、俺が知っている彼とは似ているようで違う雰囲気の選手だった。

まさか。その時はそう思っていた。

しかし、試合に向けてのミーティングでその名前を耳にすると、やはりそうだったとも思えてしまった。

ヒロはあんなところで終わる選手じゃなかったと思い安堵する一方で、俺のせいでアイツのサッカー生命を壊してしまったのではないかとも思った。

次に会うと、酷く罵られてしまうのではないだろうか。お前のせいだと謗られるのではないだろうか。

そんな心配をしても意味がないことだと分かったうえで、そういうことを考えてしまうのが人間ではなかろうか。

「なぁ、次の試合、見に来てもらえないかな?」

サエにそう言ったのは、不安な気持ちを少しでも和らげたかったからだった。

「珍しいね。いつ?」

日程を伝えると、彼女は「うーん、仕事が入ってる……行けたらね」という素っ気ない返事だった。

とはいえ、誘った理由も情けないものなんだから、強く来てくれというのも恥ずかしくて。結局それで話は終わり、運命の日を迎えた。

ピッチ上に立つヒロは、俺の知っているヒロのままだった。テレビの液晶越しに見たヒロとは何だか違う。

良かった、俺の知ってるアイツだった。

チームメイトとパス交換するアイツに挨拶に行くと、やっぱりアイツは良いやつだ、今まで通りに接してくれた。

空白の期間に俺が勝手に作ってしまっていたしこりは、現実にはなかった。

それならば、その期間に俺が上り詰めて積み上げてきたものをヒロに見せてやるのが、唯一できることだろう。

ターンオーバーでベンチスタートを言い聞かされていた俺は、勝っている展開だと出番はないだろう。

楽しませてくれよ、と口にすると、ヒロはやや不服そうにこう言った。

「悪いけど、勝たせてもらうから。うちにはエース様がいるんで」

エースと指した彼は、ヒロとパス交換をしていた男だった。俺たちよりまだ若そうだ。たぶん、二十歳かそこら。

へぇ、そんな奴もいるんだな。負けず嫌いのヒロにそう言わせるなんて、よっぽどのもんなんだろう。

「早めに出番をくれてやるよ!」

そう叫ぶヒロに手をあげる。悪いけど、お前らがどんなに頑張っても、俺たちは負けない。そこにある力の差を見せつけることだけが、俺に出来ることだから。

しかし意外や意外、いざ始まってみると試合はうちのチームが劣勢を強いられている。

いや、展開自体はうちが押しているのに、スコア上ではうちが負けてしまっている。ヒロと、エースくん……カズヤって言うらしい、二人の見事な連携で失点をしてしまった。

あの崩しは確かに見事で、ヒロがエースと呼んだのも頷ける出来だった。

とはいえ、そこからの展開はうちのシュート練習になっているわけだけど。それでも一点が遠いのはうちの苦しいところだ。

それをどうにかするために、俺みたいな主力がベンチに控えているわけだけど。

案の定、早い時間にアップの指示が飛んできた。ブラジル人のうちの監督は、負けている展開だとすぐに手を打ちたがる。熱い性格がプラスに働くこともあれば、今日みたいな展開だと短気に交代枠を使っていく。

「スガ! 出番だ!」

ヒロの言葉通り、前半から出番を与えられるとは想像もしていなかったけど。まあ良い、俺の実力を見せるのに十分な時間を与えられたと思うことにしよう。

ベンチからの指示に細かいものは無い。「とにかく早めに同点にしろ」なんて、小学生にも言わないだろう。とはいえ、同点にさえできれば好きにプレーをしていいというのなら、望むところだ。

タッチライン際に立つと、スタジアムから声が上がって来た。いつものリーグ戦よりは少ない声だけれど、それは確かに俺の背中を押してくれる。

プレーが切れるとスタジアムから一層大きな歓声が上がり、スタジアムDJが俺の名前を叫んだ。

ピッチに入るや否や、オカモトが近づいて監督の指示を確認しに来た。とにかく早く追いつけってさ、と伝えると、呆れたように苦笑いを返された。

「ボール、俺に預けてくれ。ロングだけじゃ相手固いから下から崩す」

「はいっ」

サイトウを使って、サイドから崩しにかかる。ボールを預けると、そのままバイタルエリアに向かって走る。そのままワンツーを要求しようとしたところで、相手の10番、ヒロの右手が俺の背中に触れた。マークしているぞ、という意思表示だ。

「出せ!」

全力で前進して、その手の感触がなくなったところで要求通りのボールが戻ってくる図が見えた。

そこでカズヤの足が伸びた。

お手本通りのようなインターセプト。わざとルーズに守っていたのか、俺にボールが入ることを最初からイメージしていたかのようにそれは奪われてしまった。

俺のマークについていたはずのヒロは、カズヤからのボールを受けるとそのまま前に進む。

そうか、ヒロは俺のマークを外してしまったんじゃない。こいつがインターセプトすると読んで、敢えて残っていたんだ。

アマチュア相手に出し抜かれた恥ずかしさと、不甲斐なさと、失望。それらを感じる前に、今はボールを奪い返さなくてはならない。

「ディレイ!」

ヒロをチェックするオカモトに大声で遅らせろと指示を出す。マークを外されたとはいえ、すぐそこだ。挟み込めばなんてことは無い。それに、この二人以外は守り疲れでろくに押し上げることもできていない。

オカモトも簡単には抜かれないように適切な間合いを取って、時間をかけて対応する。前線に一人残っていた敵フォワードが下がってボールを受けに来て、ヒロが一旦そこにボールを出す。

しかし、うちのセンターバックのプレッシャーに耐えられず、ボールはダイレクトでヒロの足元へ。今だ!

オカモトがヒロに体を当てて、ボールを奪い返す。テクニック面は現役時代の財産が有れど、フィジカルは一朝一夕でプロには太刀打ちできないだろう。

奪い返したボールを再度要求し、トラップする前にルックアップで状況を確認する。前線は二人、サイトウはフリー。……フリー?

「後ろ!」

1乙

なんて良いところで・・・

言葉の方向へ意識を向けると、直後に足が伸びてきた。このスパイク、さっきと同じ足だ。

ここまで読んでるのか? さっきヒロにボールを預けた時は、右サイドを駆け上ろうとしていただろう?

こんな芸当が出来る選手は、代表のチームメイトのサイドバックくらいしか知らない。それに二人とも、海外のトップクラブで活躍する一流選手だ。

たかがアマチュアの若造が、なぜをそれをできるのか。こんな選手が今まで埋もれていたとは考え難い。

疑問はあれど、そんなことを考えていられる局面ではない。

身体をボールとカズヤの間に入れて、キープを試みる。よし、この体制になればファール以外で取られることは無い。

ヒロはまだ倒れたままで、オカモトはフリー。一旦預けて作り直す。

「左使え!」

サイトウを再び使うように指示し、その通りのボールが通った。よし、今ならうざったいこいつもここにいる。チャンスだ。

すぐに動きなおし、ペナルティーアークを目指してダッシュする。カズヤもそれを追いかけてくる。正解だ、今更サイドに流れるよりは俺のマークを続けた方がいい。

間違ってない、間違ってないけど、それでもどうしようもないことを教えてやる。

カットインの動きの前に中の状況を確認すべくルックアップしたサイトウに、手でグラウンダーを示してパスを求める。ゴール前のディフェンダーの動きは重い。これならイケる。

縦に行く動きを一瞬見せ、ふらついたディフェンダーをサイトウが右アウトサイドでかわす。そのまま低くて速い球筋のボールが、ペナルティアークに届いた。

トラップする前にゴールを確認すると、相手ディフェンダーが一人突っ込んでくるのが見えた。

右足のインサイドで少し大きめにトラップし、トップスピードでプレスをかけてきた敵をかわす。よし、打てる!

そのまま左インフロントで擦って蹴る、左ポストギリギリを抜けるイメージのシュートの絵。それを完成させようと左足を振り抜いた。

ボールは寸分も違わずに綺麗な弧を描き、ネットを波打たせた。ヒロがゴールを決めた時とは違い種類の歓声が響く。

オカモトやマツバラが近づいてくるのを、当然だと言わんばかりに軽いハイタッチで迎える。

すれ違いざまのカズヤの顔は、暗い色が映っていた。当然だろう、あれだけスプリントを繰り返していたにも関わらず、結果としてそのプレーで失点をしてしまった。

これが実力の違いだ。ヒロには悪いけど、この現実を見せてやるのが俺の今日の仕事でもある。

「一本返すぞ!」

ヒロが飛ばした檄にも、返事は小さい。

善戦していた格下チームが、失点を機にメンタルを折られることは少なくない。このまま一気に畳みかければ、前半のうちに試合を決めることだって難しくはないだろう。

「カズ、切り替えろ!」

個人名をあげてそう言ったのは、期待なのか何なのか。しかしそれは酷だろう。さっきのプレーで俺が見せたのは、格の違いだ。

確かにカズヤの判断は間違っていなかった。プレッシャーのかけ方も、奪いに行く位置も、攻守の切り替えも。

ミスが無いのに失点をしてしまったというのは、純然たる実力差以外の何物でもない。

これが現実だ。ヒロ、お前たちのチームは俺たちより弱い。お前の言うエースは、俺には通用しない。

光るものがないわけではない。もしかしたら、数年後にはプロのピッチに立つ可能性だってあるだろう。

それでも俺には自信があった。ヒロには負けない。ヒロがエースだと言うのなら、カズヤにだって負けない。

日本を出る前に、その結果だけは残しておきたかった。サッカーの苦しみから逃れるために。今の一点はその第一歩だ。このまま、俺は抜け出してみせる。

一気に読んでしまった
次の更新も楽しみにしてるぞ

シンヤが嫌な奴じゃなくて良かった。
素直にどっちも頑張って欲しい!

「うわー、やっぱうまい。すげぇっ」

興奮しているタイシくんを横目に、私は少しだけ、残念な気持ちになった。

心のどこかで、ヒロくんが、カズヤが、奇跡を起こすことを期待していたんだ。

誰も予想していない勝利が見られたら、それは私の希望にもなり得るから。お姉ちゃんに対するコンプレックスに対しての、向き合い方になるかもしれない。

それでも、やっぱり現実って甘くはない。本物がそこに出て来ると、あっという間にやららちゃった。

「今の、スガが上手く相手を振りほどいたんだよ。あの相手も悪くなかったけど、さすが代表って感じ」

簡単に解説をしてくれたその言葉から読み取れたのは、単純な実力差だった。つまり、カズヤも良くやったけど失点したってことでしょう?

お姉ちゃんの彼氏と、私の元カレ。その差を見せつけられたような気がして、勝手に落ち込みそうになる。

「うん、上手かった。すごーい」

努めて棒読みにならぬよう意識して、そう返した。心にも思ってないことなんだけど。

やっぱり、今日来たのは間違いだったのかもしれない。

同点になったのをきっかけに、ヒロくんたちは前半が終わるまでの10分で更に二点を追加されてしまった。

二点目は、遠くからのシュートのこぼれ球に詰められて。三点目は、ヘディングゴール。

前半が終わる笛が鳴る頃には、隣にいたタイシくんの興奮も冷め気味だった。当然だと言わんばかりのその反応に少し腹が立ってしまうのは、判官贔屓をしてしまっているからなのかな。

「お手洗い、行ってくるね」

立ち上がって階段を上りながら、良からぬことを考える。もう帰っちゃおうかな、なんて。

これ以上見ても辛いだけだから。サッカーなんて見に来なければよかったかな。

彼らに私の姿を重ねることは間違っているのだろう。いつかのニュースで見た、どこかの議員が「サッカーの応援をしてるだけで他人に自分の人生を乗せるんじゃない」SNSに投降して、炎上したことが急に脳裏を過った。

今日の組み合わせを知ってから、知らず知らずのうちに、彼らが勝てば何かが変わると思っていた。自分で何もしてないくせに、それでも私は救われたかった。

そのためには、人に任せるしかなくて。誰かが奇跡を起こせるなら、私だって起こせるかもしれない。でも私がその「誰か」になれるかなんて分からなくて、自信も無くて、だからその奇跡のために頑張るなんてことはできない。

私が弱いから。ううん、私だけじゃない。世の中のほとんどの人は、たぶんそうだ。誰かの起こす奇跡を自分に重ねたくて、自分自身は頑張ることが出来なくて。

入場口をくぐって、スタジアムの外に出た。

物語の主役になり損ね、やられ役のピエロになった彼らをこれ以上見ることは無理だった。

タイシくんには「ごめん、体調悪くなっちゃって」とでもメッセージを送れば許されるだろうか。

送信ボタンを押してスマホをバッグに仕舞うと、済んだ声で名前を呼ばれた。

聞き覚えのある声に反応して顔を上げると、私が出演している物語の主人公が、そこにはいた。

妹と気まずくなり始めたのはいつからだったか、はっきりとは覚えていない。

大体で言えば、あの子が中学に入ったくらいの頃だったかな。その頃は私も「ああ、家族仲がいいっていじられるのが嫌なんだろうな」くらいにしか思っていなかった。

良く似た容姿で、同じ環境で育ち、自慢の妹のことを、私は好きだった。世間で言えばシスコンと呼ばれるのかもしれないけど、私は彼女に対して並々ならぬ愛情を抱いていることを自覚していた。

思春期が終われば、また妹と仲良くしたいと思っていた。

たまたま街で声をかけられてモデルを始めたのも、妹に憧れられる姉でいたいと思ったからだった。お金も貰えるし、オシャレの勉強もできる。

長い思春期を終えれば昔みたいに仲良し姉妹になれると信じていたのは、私だけだったみたいだ。

私がどんな仕事をしても、妹がもう思春期と呼ばれるような歳を過ぎてしまっても、私たちの仲は気まずいままだった。

「お姉ちゃん、凄いね。自慢のお姉ちゃんだよ」

その一言を聞きたいがために、私は少しでも大きな晴れ舞台に出られるように働いた。

モデルでダメなら女優。これがだめなら歌手にでもなろうか、歌の練習しなくちゃ。

そうやって少しでも前に進もうとして、私は今の立ち位置を掴んだ。色んな人がキレイだねと声をかけてくれる。色んな人がチヤホヤしてくれる。

それでも心は満たされない。

お金とか、名誉とか、そんなものが欲しいわけじゃない。ただ妹に認めてほしいというだけの願いが、どうしても叶わないの。

他人からしてみたら理解されない望みだとしても、私は心の底からそれが欲しかった。世のどんな男から甘い言葉を囁かれるよりも、妹からの賛辞を望んでいた。

この世界を選んだことが間違っていたとするならば、私は迷わず芸能界を引退するつもりなのに。

それなのに、誰もそんなことを教えてはくれないから、今日も私は仕事をこなす。

ドラマの撮影が思ったよりも巻いて、思ったよりも早くフリーの時間が出来た。そういえば、シンヤが試合をすると話していたのは今日だった。

行けると話してはいないから関係者席は用意されていないけど、せっかくだし見に行ってあげても良いかな。誘ってくれたってことは、迷惑ではないよね。

タクシーに乗って行先を伝えると、運転手さんに「お姉さん、だいぶコアなサポーターだね」と話しかけられた。決勝でもない天皇杯を見に行く女性サポーターは、そう多くはないんだろうね。

スタジアムについてお金を払うと、当日券売り場の看板を探してきょろきょろ辺りを見渡した。試合は既にハーフタイムを迎えているらしく、スタジアム外に人影はない。

うーん、初めて来るからよくわからないな。サッカー自体はシンヤの影響もあって見るようにはなったけど、生で見るのは初めてだから。

こっちかな、と勘で進んだ方向に、一人女性が歩いていた。うん、あの人に聞いてみよう。

少し早足で近づくと、だんだんと近づいてくるその表情には見覚えがあった。ううん、そんなもんじゃない、私はこの子を知っている。

「サキ?」

確信しながら名前を呼んだ。どうしてここにいるんだろう。試合を見に来たなら帰るには早すぎるし、そもそも何でサッカーの試合なんかを見に。サキの元カレがサッカーを好きだというのは母から聞いたことがあったけど、それなら彼氏も一緒じゃないのかな。

「お姉ちゃん……」

連日更新お疲れ様です!
お姉ちゃんも良い人だったか……

おつ
大量更新ありがたいな

つい最近見つけてやっと追いついた…
お疲れ様です!

↑すみませんスペルミスりました…

「久しぶり、だね。今年はお盆に会えなかったから」

平静を装って話しかけてるけど、結構今、ドキドキしてる。シンヤと会う時より全然。

「そうだね。彼氏の試合を見に来たの?」

あれ、シンヤのこと、知ってたんだ。私のこと、知ってくれてたんだ。

たったそれだけのことで有頂天になる程、私は彼女に近づきたかった。触れたかった。抱きしめたくなる衝動をグッと堪える。

「うん、仕事が早く終わったから。サキは?」

「私は……試合を見にきてたんだけど、ちょっと、体調が悪くなっちゃって」

体調が悪い? あまりそういう印象は受けなかったけど、それが本当なら送って行った方が良いのかな。

「大丈夫? 家まで送るよ?」

と言うか、サキは一人で来てたのかな? 彼氏と一緒だと思ってたんだけど。もしかして試合が盛り上がりすぎて、サキだけで帰そうとしてるとか? それならその男には相応の罰を課さなければならないだろう。

「ううん、ありがとう、大丈夫」

「でも……」

やっぱり心配だ。それに、久しぶりに会えたんだからお姉ちゃんらしいことをしたいと言う気持ちもあった。

「うん帰ろう。私も一緒に帰るから、ほら、タクシー拾おう」

おつ

ねーちゃんが一番危ない気がする

>>756
おっしゃる通り引越し準備に追われて月内完結は難しげです、、有限不行ですみません。
ただ、しっかり更新は続けていきますので、そう近くないうちにはゴールする予定です。

もう少々、お付き合い頂けますと幸いです。

>>803
日本語が不自由すぎましたが、そう遠くないうちに、です。

乙。無理しないでねー。まったり待ってるよ。

そこまで言うと、サキも強く拒絶することはしなかった。

さっきタクシーを降りた方向に戻って行くと、運良く一台止まっていた。ラッキーって続くものだね。

一人暮らしをしているサキの自宅の方向を運転手に告げたところで、「家、知ってたんだ」と驚いたように声をかけてきた。

「あ、うん。お母さんから聞いてたから」

さすがに呼ばれてもないのに押しかけるなんてことはしなかったけど。そう離れてもない距離に住んでる妹なんだから、何かあった時に駆けつけられるくらいの準備はしておきたかったから。

俯き気味に表情を隠して、感情があまり読まない声で「そっか」と一言。そこから沈黙が始まってしまった。

何か話したいな。でも体調が悪いなら黙っておくべき?

数秒悩んだけど、結局欲が勝ってしまった。

「試合、どうだった? どっちが勝ってた?」

さすがにプロのシンヤ達が負けるとは思っていないけど、相手チームも勢いは凄いみたいだから。

勢いとか流れとか、そういうのって目に見えないから怖いし、実感がない。私自身、今 女優としては多分その状況なんだろうなって思う。

だけど、それを自覚してしまいかけてるから、きっと私のピークは今なんだろう。

その期間を少しでも長く続けるためには、それに気がつかないフリをしないといけない。自分がまだまだだと思い続けないといけない。

慢心、とは少し違うかもしれないけど。神様は、それを求めようとしない人にしか、目に見えない奇跡を与えようとしない。

相手チームの勢いも、スポーツニュースて取り上げられたあたりから目に見えるものに、気がつけるものになってしまいつつある。

「マリッズが勝ってるよ。シンヤさんが出てから、3点取って、3対1」

言葉が出てくるまでに時間はかかっやけど、それを聞いてやっぱりな、と安堵する。そうだよね、アマチュアの快進撃って、そうは続かないよね。

サキはそこから口を開くことはなく、代わりに運転手さんが言葉を発した。

「お姉さんたち、マリッズサポなの? 良いねぇ、こんな美人に応援されて、選手も嬉しいだろうね」

その言葉に愛想笑いと薄っぺらい謙遜を返そうとすると、続いて「あれ、お姉さん見たことあるな。テレビの人?」と問われてしまった。

「はぁ、まあ、ちょっとだけ……」

その返事に気を良くしたのか、中年のおじさんはどんどん話しかけて来た。普段ならこういうのも迷惑だとは思わないんだけど、隣にサキがいる状況では少し鬱陶しい。

どうしようと思いながらもそれに対応をしていると、サキは目を閉じて寝始めた。

「すみません、妹が寝たので静かに……」

おつん

そう伝えると、運転手さんも「そうですね、すみません」と一言謝って、静かに運転に集中し始めた。心無しか、運転自体もさっきよりは丁寧になった気がする。

道中、気になってスマホで試合のスコアを確認すると、後半が始まったばかりのところで、スコアは3-1のままだった。うん、これなら心配はいらないかな。

そのまま液晶を暗転させて、「近づいたら起こしてください」とだけ伝えると、私も目を閉じて眠りについた。

最近、眠れてなかったから。仕事疲れたな。でも今日はいい日だな。サキがもし帰って体調良くなってたら、ご飯にでも誘ってみようかな。

そんな幸せな考えを反芻させていると、底なし沼にはまったように眠りについてしまった。

「お客さん、そろそろ着きますよ」

その声で起こされると、もうサキの家はすぐそこという場所だった。妹はと言えば、私より先に起きてたらしく、詳細な場所を案内しているところだった。

「よく寝てたね、疲れてたの?」

その一言は、さっきまでとは少し違う、暖かさを帯びている言葉の気がした。どうしたんだろ。

「ちょっとね。サキこそ、体調は?」

「ん、割と良くなったかな。ごめんね、心配かけて」

タクシーはサキの指示通りにすんなり進んで、私が起きて間も無く、目的地に辿り着いた。

運転手にタクシーチケットを渡して、サキの自室に案内される。シンヤの家に初めて行った時より全然緊張する、なんていうのは、きっと彼に言ったら怒られるんだろうけど。

玄関にあるパンプスに見覚えがあるなと思ったら、私が以前撮影で履いたものだった。言葉にはしなかったけど、それが私の影響でなくとも、ちょっと嬉しい。

バッグを置いて時計を見ると、シンヤたちの試合があと10分残ってるかどうかくらいの時間だった。

「ごめん、テレビ借りていいかな?」

直接見ることは出来なかったけど、せめてテレビでくらいは見守ってあげないとバチが当たるかもしれない。

了承の言葉が返ってくると、リモコンを操作してお目当ての番組を探す。今日の試合は割と注目されてるらしく、放送が組まれていたはずだ。

適当にチャンネルを変えていくと、緑の芝生でドリブルをしようとする選手がアップで映ってきた。まだ幼く見える表情の彼は、対面のシンヤに勝負を仕掛けていく。

ボールが動いていく中で、ふと左上のスコアが視界に入ってきた。

「」

めっちゃ続き気になるやんけ

最後の「」が気になって晩飯食べ過ぎた

>>809 追記


「何で……」

後ろから声が聞こえて振り向くと、驚いた顔でサキがテレビを凝視していた。

前半を終えて2点差。下馬評に比べたら善戦と呼べる内容なんだろうけど、心中はモヤモヤして仕方がない。

一失点目は僕の責任だ。シンヤのところでボールを奪いきれば、あんなに簡単にボールを展開されることもなかった。

そこからの二失点はおまけみたいなものだ。無失点で抑えてるという希望で踏ん張っていたのに、その根拠がなくなれば崩壊してしまう。

つまり、三失点は全て僕の責任と言っても過言ではない。

「やられちまったなー……見事に」

ロッカールームに向かう中で、ヒロさんに声をかけられた。今までの試合、前半だけでこんなに疲労困憊しているところは見たことがない。

「僕のところですよね、すみません」

シンヤを抑えるから、なんて言ってたのが恥ずかしくなるくらい、コテンパンにしてやられたんだけど。

それでも、このまま引くことはできない。

「後半、抑えます」

そこまで言うと、ヒロさんは嬉しそうに笑った。

「お前、やっぱ変わったね」

キョトンとした顔のカズに問いかけた。

「お前さ、日本代表になれると思ってる?」

「いえ」

即答だった。まあそりゃそう答えるだろうね。アマチュアの県リーグにいる選手がそこから日本代表になるなんて、現実的な話ではない。

それでもだ。それでも、俺はこいつに期待をしている。

「それじゃ、日本一になれると思う?」

「それも……ないですね」

何をもっての日本一かはともかく、今の俺たちで例えるなら天皇杯優勝がそれだろう。

でも、それもこいつは信じていない。

「この試合に勝てるとは?」

「……思わない、けど、勝ちたいです。ううん、勝つと思ってます。まだ終わってないのに、諦めたくない」

少しずつ、期待した通りの言葉が出てきた。

「後半、シンヤを抑えられるか?」

がんばれ!

いいねぇ

言葉はなく、コイツはただ頷いた。

それで良い。

気づいてるのかな、マリッズは日本一のチームで、シンヤは日本を代表する選手なんだぜ?

それを抑える、勝つってことは、さっきお前が自分で否定した可能性を肯定することなんだ。

分かってねぇんだろうな、そういうこと。

目の前のことでいっぱいで、先のことなんか不安だらけで。

大会前にこいつに「シンヤとマッチアップしたらどうする?」って尋ねるとどんな反応したんだろうな。少なくとも今のような反応ではないはずだ。

少しずつ、目の前の壁を破っていった結果が今のカズだ。俺たちだ。

「そういうところだよ」

変わったっていうのは、そういうところだ。

この半年で成長したよ。お前も、たぶん俺も。

「後半、仕掛けるぞ」

「はいっ!」

問い掛けが終わると、ヒロさんは僕の背中をバシバシ叩いた。

結局、何が変わったのかはよく分からないけれど、きっと悪い変化ではないんだと思う。

その疑問以上に、今はとにかくこの試合に勝ちたいという気持ちと、悔しさが半々で入り混ざっている。

シンヤに多少やられるのは想定していても、こんなに圧倒的に差を見せつけられるとは思ってなかったから。

ロッカールームにたどり着くと、吸水しながらヒロさんが再び話しかけて来た。

「お前、あの失点が自分のせいとか思ってないよな?」

「いや、あれはどう考えても僕の……」

「バカ、倒れたままだった俺の立場ないだろ。むしろ俺のせいだっつーの」

軽く頭を小突かれた。そう言われてしまっては、言い返すことはできない。

ベンチに腰掛けてスパイクの紐を締め直しながら、頭の中で気持ちの整理をする。

うまくいったのは言うまでもなく得点シーンだ。あのプレーが連続してできるなら、まだまだ戦える。

「1点目のシーン、良かったよな」

全く同じことを、ヒロさんも思っていたらしい。頷いて返すと、ヒロさんは嬉しそうに笑った。

おつ

ほしゅ

「ああいうプレーがまたできたらさ、まだ点は取れると思うんだ。まだ諦めるには早すぎるよな」

言い足して、ヒロさんは立ち上がった。

「後半、カズをもっと押し上げさせるんで! 1点目みたいなシチュエーションを作っていきましょう!」

大声で話し、チームメイトを見回した。

それまで「マリッズやっぱすげぇわ」「レベルが違いすぎ」と愚痴のような、負けるのが決まっているような話をしていたチームメイトも、ヒロさんの言葉に耳を傾けている。

「二点差ならまだ後半詰められます! コイツがシンヤを後半は0に抑えるって豪語してるんで、点を取れさえすればまだチャンスはありますから!」

確認するかのようにヒロさんは僕に視線を向けた。士気を高めるためなのか、僕をいじって場の雰囲気を軽くしたいのか分からないけど、僕がやるべきことはそれだけだ。

立ち上がって、ヒロさんに負けない声で言った。

「後半、シンヤ抑えるんで! 削りますよ?! 勝ちにいきましょう!」

応、と大きな声がロッカールームに鳴り響いた。力強く、希望の音を含んでいた。

後半が始まると、マリッジの勢いはやや落ち着いていた。前半を二点リードで終えたことにより、勝ちパターンの試合になったと思っているのだろう。

ボールをポゼッションして、無理な攻撃は仕掛けてこない。格上のサッカーだ。

後半、うちはフォーメーションを少し弄った。右サイドバックだった僕は、アンカー気味のフリーマン。要するに、守備時はシンヤにマンツーマンで密着し、攻撃時は上がれるだけ上がってこいって話。

基本的に攻められることが多い中、僕はシンヤへのパスコースをとにかく絶って、一瞬でもマイボールになると今度は一生懸命離れてボールを受けようとする。

後半、10分が近づいたところで、シンヤに話しかけられた。

熱いねぇ

「やるじゃん、結構」

あくまで上から目線なその言葉には、自分が日本のトップであることを自負している誇りを感じた。嫌味でも挑発でもなく、純粋にそう思って口にしているのが分かる。

ボールから視線はそらさずに、その声に言葉を返す。

「そいつはどーも。ヒロさんに鍛えられてるんで」

「どっちかっていうと、君がヒロを鍛えてそうだけど」

「まさか」

やり取りの間もボールとシンヤへの意識は外せないから、一向に気が抜けない。何より有効な守備手段は、ボールを持たせないことだ。

ポジションを変えたことによって、この10分だけで前半と同じくらいの疲労を感じている。これがシンヤの重圧でもあり、実力でもある。

「オカモトたちとタメなんだって? 代表歴は?」

「そんな大層な肩書きはないっす。県トレ、それも候補止まりっす」

今この場に立ってることすら不思議な立場だからね、僕。

ヒロさんはもちろん、県トレだったり国体候補だったり、学生時代の肩書きだけなら僕より上に選手はうちのチームにもいくらでもいる。

「よくここまで来たね、それで」

今度も馬鹿にするニュアンスはない、驚きの顔を見せる声色だった。

「僕たちも自分達で驚いてますわ」

オカモトがボールを持った瞬間に下がって受けに走ったシンヤを追いかける。僕のチェックを確認して、オカモトは横パスで落ち着ける。

「正直、驚いたよ。アマに君クラスの選手がいて」

「いやそんな、全然っす」

イヌイだってヤギサワさんだってアマチュアの選手だし。僕なんて本当に、全然。

「謙遜は良いから」

「いや、マジで」

大したことないですから、と口にしかけて戸惑った。今、日本代表選手を相手にして一生懸命やってる僕を、たとえ謙遜であっても否定はしたくない。

僕を信じてくれる仲間がいる。僕にシンヤを預けてくれた人がいる。

それは信頼であって、僕に対する評価でもある。それを僕だけが否定することは、彼らに対しても失礼だろう。

「こっちに、プロに来ようとは?」

そんなこと、夢にも思ったことはなかった。目の前に相手に勝ちたい気持ちだけでここまで来た。

僕個人がどうじゃなくて、チームが勝つことしか考えていなかった。

ほしゅ

できたらsageてくれよ

子供の頃は夢見ていたプロになりたいという気持ちは、ここまでにくる過程でなくしてしまっていた。

自分という選手の程度が知れていたから。

夢を語るには実績というものが求められて、それが無いと周りは嘲笑う。現実を見ろ、お前には無理だという言葉で押しつぶされてしまう。

だから僕は躊躇った。もしくは忘れようとしていたのかもしれない。

夢を語る勇気を持てなかったから。

実績も根拠もなく大きな夢を語れるほど、僕は現実を見ていないわけではなかった。

あんなに上手い誰々ですら無理なんだから、僕にはもっと無理だろう。人と比較して自分の立ち位置を確かめて、自分の夢を切り捨てていった。

高校に入る頃には、サッカーで食っていくなんてことは考えもしなくなっていた。

適当に勉強してそこそこの大学に進んで、ちょっといい企業に入れたらいい人生だったな、と。

プロの選手になるような人たちは、もっと異世界の住人に見えていた。

同級生のタカギも、オカモトも、マツバラも。

僕が学生の頃から全国区の有名人で、そういうやつらがプロになるものだと信じていたし、事実そうだった。

初めてボールを蹴った時の感動に、試合に出た時の緊張。ゴールの感動に勝利の喜び。

そういうものは、彼らのものでなければ価値が無いと思っていた。彼らが試合に勝てば多くの人が喜ぶ。一方で、自分の勝利は自分にとっての感動だけで、それを誰かに分け与えられるような存在ではないと。

それが、この大会を通じて少しずつ変わって来たのかもしれない。

サポーターができた。本気の選手と本気のマッチアップをした。もっと勝ちたいという火が燃えた。

この衝動を抑えるなんて無理だ。20も超えた大人になって、何を語ってるんだと言われるかもしれない。それでも、それを見ぬふりをすることこそが、一番恥ずかしいことだと本能が告げている。
「あんたたちに……」
 
いざ言葉にするのは勇気が必要で。目の前に立つシンヤに対して、そんなことを僕が言って良いのか。

終わって恥ずかしい思いをするのは、きっと僕なんだけど。それでもこの衝動に抗うことはできない。ー

「マリッズに勝ってから考えます」

相手のサイドハーフがオカモトに返そうとしたボールを、ヒロさんがインターセプト。それを感じ取るや否や、シンヤから一気に離れるように、全力でダッシュしてサポートに入る。
「出せっ!」

前線に一枚だけ残しておいたフォワードが裏に抜ける動きを見せてボールを要求するも、相手のディフェンダーは高いラインでオフサイドをかけられるように少し高く設定する。

速攻を諦めたヒロさんは、すぐ隣までフォローに入った僕に一旦ボールを渡す。

トラップをするまでに、前線の状況をもう一度確認。フォワードはオフサイドポジションからポジショニングを取りなおそうとしている。僕には正面からオカモトがチェックをかけていて、ヒロさんの方には後ろからシンヤが向かっている。

押し込まれる展開が長く続いただけに、後ろからの押し上げにはあまり期待ができない。
 
トラップしてもう一度前線の状況を確認すると、キーパーのポジションがやや前目になっていることに気が付いた。

マリッズの高いディフェンスラインをフォローするために、彼は裏に抜けたボールを処理する必要がある。そのため、必然的にゴールから離れた位置に立つことが多くなる。

これはギャンブル。

外せばせっかくのマイボールを簡単にロストしたとディフェンダーからは不満が出るだろうし、そうなれば決定打となる4失点目が入る可能性がある。

確信はない。入る方がミラクルで、むしろ落胆の瞬間を迎える方が現実的だ。

それでも、この閃きに従わなければならないということは気がついていた。

さっきのシンヤの言葉に熱くなっていたのかもしれない。いつもの僕ならできない選択だった。これを愚行と呼ぶか成長と呼ぶかも、人によるだろうし結果によるだろう。

それでも僕にとっては、これは成長だ。今までに無い選択肢を手にして、それを選んだ。

オカモトがもう一歩近づいてくる前に、右足を振りぬいた。

ボールを蹴った感覚が右足の甲に残って、それは初めてインステップキックに成功した時の感動に似ていた。

こういう気持ちを味わいたくて、僕はボールを蹴り始めた。サッカーを選んだ。

ボールは曲がる気配も落ちる気配もなく、まっすぐゴールに向かっていった。

「キーパー!」
 
シンヤの叫ぶ声が聞こえた。同じ方向から、ヒロさんが驚いた目で僕を見ていた。

ボールは最高到達点を超えて、少しずつ落ちながらゴールに向かって進んでいく。その速度はキーパーがダッシュするよりもまだ速い。

今も確信はない。それでも、信じたい。奇跡は自分でも起こせるものだと。

いけええ!

おつ

「ねぇ、パパ。何でマリッズじゃなくてこっちの席なの?」

ハーフタイムに入ってすぐ、後ろの席に座る子どもがそう話しているのが聞こえてきた。

声の主は声変わりもまだしてなさそうな年頃の小学生だった。マリッズの試合を見に行こうと連れてこられたのか、マリッズサイドではなくて私と同じゴール裏にいることが不満らしい。

「まぁ、子どもからしたらそうだよなぁ」

今日も隣で解説をしてくれているヤギサワさんは、苦笑いをしながら呟いた。一番階段側の席にヤギサワさんが座り、並んで奥さん、そして私。

カズヤたちのチームが快進撃を進めているのは、一部サッカーファンには話題になっているみたいなんだけど、やっぱり子どもからすると日本代表選手のいるマリッズの方がより気になるのは仕方ない。

スタンドの観客も前回の試合に比べたら多いけど、やっぱりマリッズのそれとは比べ物にならない。

「やっぱシンヤはすげぇよ。相手が悪かったな」

「ジャイアントキリングもここまでかな」

そんな人たちが思い思いの感想を言いながら階段を上っていく。これが現実なんだろう。サッカーに詳しくない私でも、マリッズとの力の差があることは分かる試合展開だった。

「ったく、何やってんだカズのやつ」

不意にカズヤの名前が聞こえてきて、視線を階段の方に向ける。カズヤの知り合いかな、と思ったけれど、何だかその顔を見たことがあるような、無いような。

「あれ、タカギくん?」

ヤギサワさんが呼び止めて、階段の彼が足を止めた。

ああ、そうだ、思い出した。カズヤの前の試合相手のタカギさんだ。試合の後に仲良くなって、連絡先も交換したと写真を見せて貰ったことがある。「あんな凄いやつに認められるなんて、普通ありえない」って謙遜してたっけ。

「えっと……すみません、どなたでしたっけ」

首を傾げながら彼がヤギサワさんに問いかける。「ああ、ごめん。俺たちは――」と、簡単に自己紹介をして、「今日は一人?」と返す。

「ああ、はい」

「よかったら、一緒に見ようよ」

「まぁ……いいっすけど」

そう言うと、彼は階段から入ってきて、タカギさんの分も含めてドリンクを買いにいった奥さんの席に座った。

「タカギっす」

ぺこっと頭を下げられたので、私も簡単に自己紹介をして挨拶をする。

「カズヤから話聞きました。色々とお世話に……」

「奥さんみたいだね」

と、ヤギサワさんが奥から茶化してきた。

「え、何、カズの彼女? ですか?」

「えーっと……はい」

彼女かどうかを聞かれることなんて、ここしばらく無い経験だったからちょっと答えるのも恥ずかしい。

少し顔が赤くなってるのにも、体温が上がるのにも自分で気がつく。

「何だあいつこんな美人と付き合ってんの、ずるっ」

それを聞いてタカギさんは笑った。ちょうど奥さんも戻ってきたタイミングで、買ってきてくれた缶コーヒーを受け取るときに「褒められたからって、浮気しちゃだめよ」なんて。

しないってば、もう。

そこからしばらく私を弄っていると、選手がピッチに出てきた。まだそこにはカズヤがいるのが見える。

「後半、どう見る?」

その様子を見て、ヤギサワさんがタカギさんに声をかけた。

詳しいことは聞いても分からないけれど、彼らの解説付きで試合を見られる私はきっとかなりの幸運なんだと思う。

「やっぱりシンヤ抑えないとどうしようもないっすね。それを誰がするかだけど……」

「一人しかいないよね」

そう言って、二人とも合わせたように私の顔を見てきた。タカギさんに席を取られて、私の奥に座った彼女には「旦那次第、ってことね」と呟かれた。

……もうっ!

後半が始まってすぐに、カズヤのポジションが前半とは違っていることに気が付いた。

シンヤの近くをずっとうろうろして、ボールを持たないように邪魔をしている。守備をしていることは前半と変わらないけれど、仕事内容はかなり変わったように思える。

「やっぱりシンヤのマーカーはカズくんだね」

「ヒロさんつけたら攻め手が無くなりますしね、あいつしかいないでしょ。でも、それはそれでヒロさんのパスを誰が受けるんだって話だけど」

前半程の速い攻めをマリッズもしなくなっているのは、リードしている余裕からなのかな。カズヤが頑張っているからか、シンヤにボールが行くことも中々無い。たまにボールを触っても、前半みたいに凄い勢いで攻めるパスを出したりはしない。

「効いてるねぇ、カズくん」

「でも、攻めなきゃ勝てないっすよ。どこかのタイミングでスイッチ入れないと……」

言葉が早いかプレーが早いか、オオタさんが相手のボールを奪った。それに連動するかのように、カズヤは凄い勢いでシンヤから離れていく。当然、シンヤはそれを追いかけるんだけど、カズヤの切り替えが早すぎて少し追いつけそうにない。

ヒロさんが奪ったボールをそのカズヤに預けると、正面から他の選手が近づいてくる。

「同世代対決じゃん」

「俺に勝ったんだから、オカモトくらい抜いてもらわないと」

タカギさんのその言葉は現実のものとはならなかった。カズヤは近づいてくる選手が邪魔をするよりも早く、右足を振りぬいた。

前にいた選手はそのパスを追いかけるそぶりもなく、果たして誰に出したボールなのかは分からなかった。

ピッチの真ん中より手前から蹴られたボールは、虹のような軌道でゴールに向かって進んでいく。

「まさか?」

「打ったのか?!」

驚いた声を二人が上げた。誰も予想していなかったその軌跡は、私が願うところに向かって伸びていく。まるでゴールに向かって線で結ばれているんじゃないかと思うくらい、一直線にそれは走る。

キーパーの頭を越した。そして、ネットが揺れる音が聞こえるんじゃないかというくらいの静寂と、刹那の後に湧いた歓声。

「やりやがった!」

「おい……おいおいおい!」

男性二人が立ち上がって叫ぶ。奥さんは私に抱き着いて、「すごい、すごいすごい!」と繰り返す。

この感情を感動と評していいのか、私には分からない。それくらい、大きな衝動が胸に残った。

火照っているのは暑いからだとか、興奮だとか、そういう次元ではないと思う。

他の観客も立ち上がって「やべぇ」「あいつ、何者?」と声をあげている。マリッズのサポーター席に行きたがっていた子供も「すごいね!」と父親に話している。

ピッチに立つ当の本人は、中途半端に転がって帰っているボールを拾いあげて走って戻っている。歓声でここまで聞こえないけど、「まだいけるぞ!」とでも叫んでいるのだろう。手を叩きながらチームを鼓舞するような動きをしている。

マリッズを相手に、勝つことを諦めないからこそそういう姿勢が出るんだろう。

やっと私が絞り出せた言葉は「頑張れ」だけだった。

まだここが、彼の望む場所ではないから。健闘することじゃなくて、勝つことを望んでいるのだから、応援する私がこれで満足していいはずがない。

そしてそれだけじゃなくて、まだ言いようのない何か、今はまだ分からない感情が心に引っかかっている。

何か分からないことがもどかしくて、でも確かにそれは私の中で燃えている。ただの嬉しさとか感動とかじゃなくて、何か。

試合再開の笛が響いてハッとして、私は再び試合に集中する。そうだ、今はとにかく、カズヤたちに勝ってほしい。私が見たことのない景色を見せてほしい。

「展開変わったな」

タカギさんの独り言の通り、再び試合はお互いが攻め合う形になってきた。変わったのは、防戦一方ではなくなってきたこと。

「カズくんのロングシュートで、相手キーパーがディフェンスラインの後ろをケアしづらくなったからね。その分ラインが下がって、プレッシャーも弱くなってるのさ」

ヤギサワさんも少し興奮しているのか、普段はもうちょっと私でもわかるように噛み砕いて説明してくれるんだけど、今回はちょっと難しく表現した。

わくわく

いいねぇ

まだぁ?

しゅ

忙しいのか?

仕事とプライベートがバタバタしてました。
今晩から再びぼちぼち更新します。

試合展開と同様に、カズヤとシンヤの戦いも熱を帯びて来たように見える。日本代表を相手に、互角に戦っている。

「何かさぁ……何なんだろうな」

タカギさんがいじらしそうに、言葉にしづらそうに口を開いた。

「すげぇし、カズに頑張って欲しい、けど」

逆説から繋がった言葉は、私の胸にスッと入った。

「悔しいわ」

悔しい。

その感情を、もしかしたらずっと私は持っていたのかもしれない。

彼は最初は持たざる者だった。少なくとも、私と出会った当時は。

それは見えない才能とかセンスとかいう抽象的なものではなくて、他人からの評価であったり能力であったり、だ。

彼は懸命に努力をしていた。前に進んでいた。その姿勢に強く惹かれた。

彼が今、こうやってその努力の結果を見せているのは、そこまで歩みを止めなかったからだ。花開くまで諦めなかったからだ。

言葉で言うのは簡単でも、それを実行できる人は少ない。

待ってた

諦めないという誰にでも出来るはずの行為を、実際に選択することは難しい。

それを続けることに、夢を追うことに理由は無いけれど、諦めることには理由があるから。

一つでも理由が見つかれば、それを免罪符にすることができる。そして、その方が確実に楽だから。

夢が見つからない、というのも一つの理由。敵わない相手がいる、というのも同じく。

「あいつ、すげぇよ」

タカギさんは言った。何も知らない人から見れば、プロがアマチュア選手に何をと思うかもしれない。

「うん、凄いね」

ヤギサワさんもそれに同意した。10近くも年上の彼が何を、と思う人もいるだろう。

たまたまシンヤ相手に良いプレーをしているからとか、ナイスゲームだからとか、そんな理由じゃない。

私たちが彼に抱く敬意には、そんなありふれたものじゃない。

例えば海外サッカーの動画を見た時。或いは今日、シンヤが魅せるプレー。

そういう感動とは別種のものが、私の、私たちの胸を打つ。

「頑張れ!」

もうすでに、十分頑張っている彼には酷な言葉かもしれない。それでも、そう言葉にせずにはいられない。

チャントというらしい、サッカー用の応援歌をカズヤたちは持っていない。それでも、私たちと同じ気持ちでこの試合を見ている人がいることは分かる。

「オオタ! 行け!」

「6番潰せ!」

思い思いの言葉で、彼らは背中を押そうとしている。今までにカズヤ達を見たことが無い人もだ。

それが誇らしくて、やっぱり悔しくもある。一生懸命に生きる彼が眩しすぎて、私がそれを放棄してしまっていたことが恥ずかしくて。

でもだからこそ、彼は私の希望でもある。

誰にでもできるそれを止めなければ、あんな風になれるとも知っているから。光輝けるから。

ピッチ上の希望に向かって、大きな声をもう一度エールを送る。

「カズヤ、いけーっ!」

そしてそれは、いつかの私にも届くように。

今までも頼もしい後輩だと思っていたけど、今日のこいつは段違いだ。

シンヤとマッチアップする年下の男に、俺は嫉妬や敬意を覚えるほどの頼もしさを感じ取っていた。

こいつはマジで、後半は完封するな。

そんな予感がする。予感というには、あまりに確証が強いけれど。

二点目のシーンは圧巻だった。今までのサッカー人生でも一番、鳥肌が立った瞬間だった。

この天皇杯を通じて、カズは大きく成長してきた。その中でも、段違いなステップアップだったのは間違いない。

少なくとも、あのゴール以降はカズがシンヤを抑えるというよりは、逆のパターンになる方が多い。

負けてられない。あいつばかりに良いところを見せられるわけにはいかない。

基本的には守備のポジションのあいつがこれだけスコアを動かしていて、オフェンシブな俺がオカモトに抑えられたままで良いはずがない。

「出せ!」

カズの持っているボールを要求する。プレスをかけに来たシンヤをいなして、カズは俺の足元に正確なパスを送った。

ボールをトラップした瞬間、後ろからオカモトの圧を感じる。さすが世代別代表のキャプテンを務めるだけはある。後半になってもその迫力に衰えはない。

前を向こうにもそれはできず、カズにリターンで返したボールは、シンヤが伸ばした足に触れてタッチラインを割った。

そのままシンヤは下がってきて、オカモトに耳打ちをしたかと思えば俺に近づいてきた。

「ヒロが、あいつがエースだって言った意味が分かったよ」

「だろ」

どや顔で返してやったけど、そこには隠し切れない悔しさもあった。

確かに、カズがうちのチームで最重要だと自分で理解もしているし、それを言った。しかし、対戦相手にそれを認められるのはやはり悔しい。

マーカーが変わったのも、よりディフェンシブなオカモトの方が、カズを潰せると判断したからだろう。まだ一点リードしているマリッズは、このリードを守れって勝てると踏んでいる。

「負けられないな」

カズには。

頼りになる後輩だけど、まだ背中を見せられるわけにはいかない。先輩には先輩なりの意地があって、口では認めたふりをしても、やっぱりまだ負けたくはない。

「悪いけど、勝つのはうちだ」

マリッズには負けられない、と思われたのか、シンヤにそう返されてしまった。そうじゃない。そうじゃないんだ。

ニコっと笑って返してやった。お前を抜いて、過去の自分も、今のカズも、超越してやる。

後半30分を過ぎた。カズのゴールで乗った勢いも、少しずつ落ち着いてきている。もう5分も経てば、マリッズは完全に時間稼ぎに入ってくるだろう。今も、マイボールになれば落ち着いた雰囲気でパスを回している。

一方でうちはと言えば、カズがオカモトに抑えられつつある。さすがに、同世代で守備が本職の選手を相手にプレーするのは、今のカズでもまだ厳しい。ボールを失うまではせずとも、仕掛けることもできていない。

なかなかうまくいかない。このままだと、負けてしまうかもしれない。

なのに俺は今、サッカーを楽しんでいる。最高だ。負けそうだからとかじゃない、この試合をもっと続けたい。

ボールを受けたシンヤを潰しにかかる。

パスを貰った俺を削りにくる。

ドリブルでしかける。

タックルされる。

一進一退だ。勝ててはないけど、負けてもいない。

味方ディフェンダーが相手のクロスを跳ね返し、そのこぼれ球をカズが拾う。

「出せ!」

それを足元に要求して、シンヤからのプレスを受ける前に前を向いてトラップする。

前線にはフォワードが一枚張っているだけで、相手の守備陣はブロックを形成して守る準備ができている。

ここでパスを出しても、簡単につぶされてしまう。せめて、俺がシンヤを抜いて相手のディフェンダーを吊りださないと、枚数で負ける。

仕掛けよう。

この試合、カズに任せっきりだった。あれだけ臆病なサッカー選手だったカズが、今や格上のマリッズを相手に堂々とプレーしている。勝負をしている。

俺が逃げるわけにはいかない。そして目の前に立つのは、日本代表だ。俺たちの、日本でサッカーをしている奴らなら誰もが憧れる存在だ。

そいつに勝負を仕掛けられるなんて幸せは、これから先の人生であと何回あるかも分からない。

行くぞと決意して相手選手、シンヤを見据える。シンヤもボールに集中しつつ、一瞬、目が合った気がした。いや、確信だ。目が合った。そして口元が緩んだ。

懐かしいな。俺たちはいつも、こうやって勝負をしていた。練習をしていた。

天皇杯本戦、俺たちからすると大一番だというのに、それを忘れてしまう懐かしさだ。俺の目の前にはシンヤしかいない。

景色が変わった。緑の芝生の上、ここはスタジアムではなくて練習場だ。抜いた抜かれた、今のフェイントはどうやった、そんな話をしていた場所が俺の目に映る。

さぁ、今からお前を抜いてやる。

おつ

引き込まれるな

ボールを突いて、シンヤが飛び込んで来たくなりそうな位置に置いた。ここで奪いに来たら、一気にスピードで抜くつもりだ。

しかし、やはりそんなに簡単には吊られずに、構えて俺が本当に仕掛けるのを待っている。

ボールを再び拾い、今度はシンヤにフェイントを仕掛ける。背番号11が似合う、キングと呼ばれる名選手が得意とする跨ぎフェイント、シザーズ。

あの頃、俺はこの技でシンヤを抜いてきた。自信のある技だ。

右足でボールを跨ぎ、左足アウトサイドで進もうとした方向にシンヤの体が動いた。バレてたか。

昔は読まれてても抜けてたのに、やはり日本代表になるほど成長をすると話は違うらしい。

「ヒロさん!」

叫んだカズがボールを欲しがるジェスチャーを見せている。後ろを走るオカモトのプレッシャーはあるけれど、あいつに預けなおすのも手か?

視線をそちらに向けた、その時だった。

シンヤの目線と集中が、明らかにカズに向けられた。

今しか無い。

俺の右を走るカズが追い越そうとした瞬間、シンヤの左側にボールを進めた。

カズの方に向けて重心をかけていたシンヤはそれにはついてくることが出来ず、俺はシンヤを振り切った。

後ろから伸びてきた手を右手で叩く。このチャンスは逃せない。

シンヤを抜き去って、残るは奥に構えるディフェンダーだけだ。

センターバックの一人が徐々に近づいてくる。こいつを躱せば一気にチャンスになる。

おつ

ヒロさん覚醒か?

復活しましたね。
お久しぶりです。

深夜vipに書き直し含めて再掲していましたが、こちらの投稿をしながら、あちらに再掲版(修正版)を落としていこうと思います。

引き続き、よろしくお願いします。

待ってるよ

じわじわと相手センターバックとの距離が縮まる。シュートコースが徐々に狭くなっていくが、ここから打ってもキーパーに容易にセーブされるだろう。

大きく右足を振りかぶりシュートモーションを入れる。相手ディフェンダーは一気に距離を縮めに来るが、重心はまだ傾いていない。シュートを放たずにフェイクをを入れて、左に流れていくけど相手はそのまま俺に体を当てに来た。

それなら、だ。

右足のヒールでボールを後ろに転がした。お前ならそこにいるだろ?

シンヤを追い越したカズが、そのまま俺のフォローに入って流れてきていた。ペナルティーアークのど真ん中で、カズはボールを足元に収めた。

オカモトも、シンヤも、他のディフェンダーも。誰もがカズの運動量についてこれていない。

技術じゃない、気持ちだ。ボールを拾ってここまでノンストップで走り続けてきた結果がこれだ。誰にでもできるはずのことを、愚直に続けてカズはそこにいる。

悔しいかな、フィニッシュは結局カズ任せなのが。それでも笑いが堪えられない。

「打て!」

ボールを叩く音が聞こえた。

強めに張られたネットに叩き込まれたボールが跳ね返って、俺の方に向かって転がってくる。相手キーパーがうなだれている。

ははは、ハットトリックだ。笑っちゃうね、こいつは。

シュートを決めた当の本人は、転がってきたボールを走って拾いに行く。そして手に持つと、俺の方に駆け寄って来た。

「ヒロさん、ナイスパスです! もう一点いきましょう!」

駆け足にそのままセンターサークルに向かうカズの横を並走しながら、背中を叩く。

「いたっ!」

「バカお前、もっと喜べ、ハットトリックだぞ?」

遠慮がちに近寄って来たチームメイトがカズとハイタッチを交わす。たぶん、本当は皆もっと称賛してやりたいんだろうけど、本人がそれ以上に早く試合を再開したがっているからね。

「勝ってからにしますわ」

本当に頼もしい後輩だね、こいつは。

おつ

乙です。
結局カズが決めたのか

おつ

ほしゅ

三点目を決めた。ハットトリックを成し遂げたのは、公式戦では初めてだ。

今ままでのサッカー人生で一番の舞台で、一番のプレーをできている。その喜びを爆発させるよりも、僕は勝利が欲しい。

スタジアムの雰囲気が変わったのがはっきりとわかる。うちのチームがボールを持った時の歓声が大きくなる。

一方で、試合は徐々にうちの不利な展開になっていた。元々のフィジカル差に、攻め込まれれる展開。守備陣は限界が近づいている。

前半は今のようにフリーマンではなくサイドバックに専念していたから、その辛さは分かっている。このままいくとジリ貧だ。延長になると、間違いなくうちが負ける。

それが分かっているからこそ、マリッズも追いつかれても無理には攻めてこない。普通、追いつかれると焦って攻撃に出たくなる場面でもそうならないあたりが、さすがの試合巧者と相手を誉めたくなってしまう。

ボールが近づく気配が無くても、オカモトが僕から離れる気配はない。膠着状態を打破したくて動き出しても、中々離れてくれない。

時計の針が進んでいく。残り時間、ロスタイムを入れても十分はないだろう。

ヒロさんはボールを受けてもシンヤのせいで思うようにプレーができない。ディフェンダーがいちかばちかで蹴ったボールも、フィジカルに勝る相手ディフェンダーが簡単に跳ね返してポゼッションされる。

ここまで気持ちだけでやってきた。技術では勝てないし、フィジカルでも勝てないから、走って走って、ボロボロになりながら同点に追いついた。

それでも、相手は落ち着いている。格下の、アマチュアの僕たちに追いつかれても、勝ち方を知っている。

シンヤがボールを受けて、ヒロさんがプレッシャーをかける。落ち着いた様子で、そのボールをサイドバックに預けられた。

延長に入ると勝ちがないと分かっていても、時間つぶしのそのボールにプレスをかけることもままならない。時間をうまく使われている。

サイドバックからオカモトに入ったボールに、今度は僕が寄せていく。

ガツンと体を当てられて、弾き飛ばされそうになる。上半身がぐらつきながらもどうにか踏ん張って、今度はこちらから当たりにいこうとすると、それより一足先にパスを出された。

急には止まれない勢いでタックルに入っていた僕は、そのままオカモトにアフター気味にタックルに入る。先ほど弾き飛ばしてきたのと同じ相手だとは思えないほど簡単に倒れた。

笛が鳴ってプレーが止まる。オカモトは痛くもないのに寝転がって、ゆっくりと芝に手をついた。

僕が差し伸べた手をオカモトはしっかりつかみ、体重をかけながら立ち上がった。パンツに付着した芝を叩きながら、「悪いな、うちも負けられないもんで」と笑った。

主審が近づいてきて、オカモトに二、三声をかける。右手をあげて、大丈夫とアピールをする。そのまま今度は僕に向かって、「アフターには気を付けて」と注意を促してきた。

時間が無い焦りをぐっとこらえて、了承の意を込めて僕も手をあげる。

笛が鳴っても、そのボールはゴール前に放り込まれることは無い。ショートパスで、しっかりとポゼッションしてくる。

オカモトは僕から離れる気配はないし、かといって他の選手も相変わらずそれを奪いにいくことはできない。

残り時間はない。ジリ貧だ。このまま真綿で首を絞めるように殺されていくしか道が無いのか。

ここまで来て、同点に追いついて、それでも負けてしまえば一緒だ。ボールを蹴るのは楽しい。楽しいけど、だからといって健闘すれば負けても良いと思えるほど甘い気持ちでサッカーをしているわけでもない。

残り時間の確認で、スタジアムの時計を見上げた。

そして見えた。あの麦わら帽子が。

聞こえた。「がんばれ」という声が。

その瞬間、僕の足は動き出していた。ボールを持つディフェンダーに向かって、ダッシュでプレッシャーをかけにいく。

どうやって剥がそうとしても剥がれなかったオカモトは、僕の突然のその行動についていっていいのか判断をしかねているようだ。少しずつ、オカモトの気配を感じなくなる。

僕の追いかけた先のディフェンダーが慌てて出したパスは、精度を欠いて中途半端なところに零れた。

ヒロさんがそれを拾いに行って、慌てて近くにいたセンターバックがクリアをする。タッチラインを割って、久しぶりにうちのボールになった。

歓声があがる。うちの背中を押してくれる声だ。両手を振り上げて、声をあげた。

「もう一点だ、勝つぞ!」

頑張れ
続きずっとたのしみにしてる。

おつ

画面に映し出されていたのは、2-3という数字だった。

得点を増やしているのはカズヤ、ヒロくん。私が見限った男たち。そして追いつかれたのは、シンヤ。お姉ちゃんが選んだ男だ。

前半で実力差を見せつけられたはずなのに、諦めないで走るカズヤがカメラに抜かれた。ボールを持ってシンヤに仕掛けると歓声があがっているのが、テレビ越しでもはっきりと分かる。私がそこにいた時と、明らかに雰囲気が変わっていた。

「どうしたの?」

私が漏らした言葉に、お姉ちゃんが問いかける。

何で、カズヤたちは諦めずに走り続けられるんだろう。

何で、叶わないような相手でも追いかけることができるんだろう。

何で、私はこんなことをしているんだろう。ここにいるんだろう。

一生懸命に生きたかった。

それがどういう生き方を意味するかは、人それぞれなんだろうけれど。

ただ、私がそうはなれていないことを、この試合が、カズヤがヒロくんが、言外に語り掛けてくる。

スコア上で負けていても、彼らはちっとも負けていない。ビハインドで時間も少なく、格上相手に諦めてしまいそうな状況でも、彼らは走り続けている。一生懸命さが、液晶越しでも強く伝わってくる。

大人になればなるほど、懸命に生きるということができなくなってきた。

失敗する怖さを知っているから、手抜きすることの落さを覚えたから、或いは勇気が持てないから。

だからお姉ちゃんに嫉妬した。お姉ちゃんみたいになれないとあきらめて、彼氏に、パートナーにそれを求めた。

女優になりたいわけでもモデルになりたいわけでもない。胸を張って、自慢のお姉ちゃんの隣に立ちたかった。所詮お姉ちゃんの劣化版だと思われたくなかった。

それがどうして、こうなってしまったんだろう。

「大丈夫?」

返事をできない私を心配して、お姉ちゃんが隣に立った。

テレビの中ではボールを持ったヒロくんの横を、そして彼に対面するシンヤの横を、カズヤが追い抜いた。もう残り時間は僅か、疲れているはずのカズヤは、そんなことを微塵も感じさせないくらい軽やかに走っている。

そして、それに乗じたヒロくんがシンヤの逆を取った。

「あっ」

きっとマリッズを、シンヤを応援しているであろうお姉ちゃんは、そのシーンを目にして声をあげた。

ボールはそのままゴール前に運ばれていく。特別なことは何もなかったように見える。ただ走って追い抜いただけ、そんなカズヤに気を取られて、逆をつかれてしまっただけ。

誰にでもできることだ。走り続けてきただけ。

ただそれだけで、彼らは日本を代表する選手を抜いた。ネットを揺らした。ゴールを決めて見せた。

アップで抜かれた二人を見て、強く思う。私が本当にしたかった生き方は、きっとそれだ。

真っすぐに生きたかった。お姉ちゃんに嫉妬したくもなかった。頑張り続けていられる私でありたかった。テレビに映る彼らのように、自分が好きなものに懸命でありたかった。

子どもの頃に抱いた夢は、大好きな服をデザインすることだった。でも、作る道に進むより、着るだけの生き方が楽だった。だから私は諦めた。

いつもそうだった。同じことを繰り返してきた。選択肢が出てくるたびに、楽な道を選ぶことが増えてきて、そして今の私が出来上がった。

好きなことに対しても、好きな人に対しても、一生懸命になれない自分がここにいる。

「なれるかな」

声にした時に、涙があふれた。

「あんな風に、なれるかな」

言葉を足せば足すほどに、涙が止まらない。そして、それを誤魔化したくて言葉はもっと増えていく。

「私、お姉ちゃんのことが嫌いだった」

「好きな人たちが、みんなお姉ちゃんのことを好きになっちゃうから」

「お姉ちゃんの引き立て役にしか、私はなれないと思ってた」

本人には言えなかった言葉がすらすら出てきてしまう。一番汚くて、一番見せたくなくて、でも一番の本音が音の形になっていく。

お姉ちゃんは私の横で、何も言わずに黙って聞いてくれている。それに甘えて、私がは言葉を続ける。

「だから私は嫉妬だと自覚したうえで、それでもお姉ちゃんが嫌いだった」

「お姉ちゃんみたいになれないなら、せめて彼氏くらい、オトコくらい、お姉ちゃんより良い人を捕まえてやるって思ってた」

「でもそれ以上に、私は自分のことが嫌いだった」

私は自分のことが嫌いだった。それに偽りはない。そのはずだけど。

「嫌いなつもりだった」

付け足したのは、本当はそうじゃないと気づいたから。

「お姉ちゃんのせいじゃないって分かってるっていうフリをしたかっただけ」

「自分でも分かってるけどそうしちゃう、理解してほしいっていうポーズだった」

「本当に嫌いなら、嫉妬なんてせずに変わろうとするともんね」

それも言い訳だった。

自分のことを嫌いなふりをして、許されようとしているだけだ。全部そう、ポーズでしかない、形でしかない。

「今試合してるの、私の元カレたちなの」

急に話題が変わったからか、それとも中身にか、お姉ちゃんは驚いたように「そうなんだ……」と呟いた。

「さっきの点を決めた子、良い大学の子なのわ、パス出した人は元プロ。少しでもいいオトコを捕まえてやるって、付き合ったり別れたり」

「酷いことするのね」

お姉ちゃんは笑った。

「怒らないの?」

「怒らないわよ、私はあなたのお姉ちゃんよ?」

何だろう、その理論は。涙を垂らしながら、少しだけほっとした。

お姉ちゃんは私の背中に手を添えた。

「それで? 今日は彼らの応援に?」

「ううん、また他のオトコに誘われて。まさかあの二人がそんなところで試合をするとは思ってなかったから」

だけど彼らはそこにいた。

「私が嫉妬したお姉ちゃんのオトコと同じ舞台で、みんな頑張ってる」

「ただ、前半を見ると『シンヤには敵わないんだ』って思ったの。素人目で見ても、あの人が出てから一方的だった」

「才能のある人には、特別な人には敵わないんだっていうのが見せつけられている気がして、見ていられなかった」

自分とお姉ちゃんを見ているようで。

「でも、違った」

「諦めないから、同点になってる」

「走り続けたから、特別な人たちにも負けずにこうなってる」

だから。

「私も変わりたい。……変わりたい。頑張りたい。人生を浪費したくない、諦めて過ごしたくない」

良い話になってきた!

妹の告白に耳を傾けていた。

ショックがないわけじゃない。むしろ、驚きすぎて言葉が出なかったというのが正しいのかもしれない。

妹の重荷になっていたんだろうか。サキが私に心を開いてくれなかったのは、私を嫌いだったからなのか、って。

ただ、妹の自慢の姉でありたかった。それだけだった。それだけで走って来た私は、空回りをしていたんだろうか。

背中に添えた手からは、妹が震えているのを微かに感じる。嗚咽は零さないけれど、涙は止まっていない。

「私はお姉ちゃんの隣に立ちたかった。お姉ちゃんに見劣りしない妹でありたかった」

「お姉ちゃんが可愛いからでも女優だからでもない。私が誇れる私は、お姉ちゃんの隣にいても恥ずかしくない私だと思っているから」

その一言に、今度は私の胸が震えた。疼いた。

私がなりたかったのも、サキに誇られる姉だったから。

「私は」

口を開いた。漏れてしまった言葉じゃない、自分の意思でのものだ。

「私は、サキに誇られる姉でいたかった」

「名女優になりたいわけでも、スーパーモデルになりたいわけでもなかった」

もしかしたら他人はその感覚を理解してくれないかもしれない。それでも、その願いが私の本心なの。

誰よりも先サキに認められたかった。他のファンが誰もいなくなっても構わない。

「あなたに『自慢のお姉ちゃん』って言われかった」

「……私に?」

「そう、サキは私の一人の妹だもの。妹の誇りの妹になりたい、っておかしいかしら?」

彼女は首を横に振った。

背中に添えた手を離し、私はサキに向き合ったわ、

「私達、昔はよく似てるって言われてたよね」

「私達、似てるよ」

「私もサキも、根本は一緒だもの。ただ、お互いに恥じない自分でありたかっただけ」

ただ、そこからの選択肢が違っただけ。

私がシスコンと呼ばれる程に妹を諦められなかったのとは違って、彼女は私を拒絶した。諦めてしまった。

「サキは、間違えちゃってたよね」

本人が自覚していることを、重ねて他の誰かに指摘されることは、分かっていても辛く感じるものだ。

でもこれは、姉としての私の仕事なんだと思う。

サキに認められたくて、そして拒絶されて、でもまだやり直せるのなら。

「間違えちゃったら、どうしないといけないんだっけ?」

誰にでも分かることだ。ただそれを、大人になると認めることは難しい。変な自尊心だとか、失敗を認めたくないだとか、子どもの頃に無かった感情が邪魔をする。

でもサキが求めている生き方は、きっとその言葉を必要としている。

一生懸命に生きるためには、まず自分と向き合わなければならない。自分という存在を認めて、そこから始まるものだから。

「ごめん、なさい……」

ぽつり、と彼女が口にした。頬を流れていた涙が、今度はぽつぽつと落ちるほど大粒のものになっていく。

「ごめんなさい」

「ごめんなさいごめんなさい」

大きな声をあげながら、サキはわんわん泣き始めた。先生に怒られた悪ガキみたいに、純粋な涙を流していた。

「私、色んな人に酷いことをした」

「カズヤにも、ヒロくんにも、今日も酷いこと」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

それを認めることができるのであれば、きっとサキは立ち直れる。今からでも、まだ前に進むことができる。

「うん、それなら、私じゃなくて本人に言いに行かなきゃね」

サキは頷いて、私もそれに微笑んだ。

「サキなら、出来ると思う」

真っすぐな生き方を。懸命に前に進むことを。

その選択肢を本気で選びたいから、だからここで告白したんだと信じているから。

言わずに済むことだった。私を認めず、自分の非を認めない生き方を続けることだってできたはずだ。それなのに今、ここでその気持ちを聞けたのは、今から一生懸命に生きるという決意表明なんだろう。

「本当に?」

「だって、私の妹だよ?」

どんな演技よりも、一番綺麗な笑顔が顔に出ている自覚がある。本心だから。

「……説得力がすごいね」

今度はサキも、泣きながら微笑んだ。少しずつ涙が落ち着いてきて、笑顔を見せる余裕ができたらしい。

涙が止まって、嗚咽も落ち着いて、そして今度は、私に問いかけた。

「何でお姉ちゃんは、私をそんなに信じてくれるの?」

それは、もちろん。

「だって私は、サキのお姉ちゃんだもん」

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サキも腐った人間じゃ無かったんやな…

ぼくのパパは大人のチームでサッカーをやっている。そんなパパの姿を見て、ぼくもサッカー少年団に入った。

4年生のぼくでも試合にスタメンで出られるくらいだから、上の学年にもあまり上手い人はいない。負ける試合が多くてもたまには勝って、勝利の嬉しさを覚えてきたところだった。

そんな折、夏休みに開かれた大会で、僕たちはぼろ負けしてしまった。

相手チームには、ナショナルトレセンっていう、大きな選抜チームみたいなのに選ばれている6年生がいた。その人は、うちのチームの先輩が三人でボールを奪いに行ってもすいすい抜いてゴールを決めた。

悔しさと同じくらい、すごい人だなと思った。きっとぼくはあの人みたいにはなれない。

へたくそなくせに、と思われるだろうから言えないけど、ぼくはプロサッカー選手になりたかった。今の日本代表、スガシンヤみたいになって、いつか同じピッチで試合をするのが僕の夢だ。

そんな僕の夢が、叶わないかもしれないと思ったのはそれが初めてだった。

落ち込んでいる僕に、パパが言った。

「サッカーの試合、見に行かないか?」

そう言って連れてこられたのは、シンヤのいるマリッズの試合だった。初めて、生でシンヤがサッカーをするところを見られる。

会場のお祭りみたいな雰囲気も、初めてプロの試合を見に来たということも、全てが僕をドキドキさせてくれた。

まとめに入ってるのかと思いきや

おつ

>>894
表記ブレブレですが『ぼく』でお願いいします。。

ただ一つ残念だったのは、マリッズの応援席じゃないことだった。どうせ見るなら、そっちが良かったのに。

よくわからないチームの応援をしている人がちらほらいるくらいで、マリッズのゴール裏とは人数が違った。

「ねえ、パパ。この相手チームって一部?」

ゴール裏のどの席に座るか悩みながら聞くと、パパは首を横に振った。

「プロのチームじゃないんだよ。お父さんと同じ、社会人リーグのチームなんだ」

お父さんと同じ? ってことは、お父さんもシンヤたちと試合をすることがあるんだろうか。

あまり仕組みが分かってないままに首を傾げていると「お父さんたちは、このチームに負けたんだ」と言った。

そうなんだ。よくわからないけど、とりあえず相手が弱いチームなんだなってことは分かった。プロリーグでも一位のマリッズに、プロですらないチームが敵うはずがない。

席に座ると、ちょうどスタメンの発表が始まった。シンヤはスタメンじゃなかった。

「えー、シンヤ、スタメンじゃないんだ」

「はは、まぁ、シンヤがいなくても勝てるって思われてるんだろうなぁ」

そううまくいかないと思うけど、と言い足したパパの気持ちが、この時は分かっていなかった。

試合が始まると、思った以上に相手チームは良い試合をしていた。

ぼこぼこにしてマリッズが勝つと思っていたのに、先制したのは相手チームだった。それも、たまたま入ったゴールって感じじゃなかった。

ぼくの隣でパパが「すげぇな!」と興奮している。パパはどうやら相手チームを応援して見ているらしい。

確かに、ゴールを決めた選手と10番の選手はちょっと上手かった。少なくとも、マリッズの選手と比べても明らかに下手くそって感じではない。

そんな感想を伝えると、「そうそう、その二人をよく見てな」と言われた。10番の選手は元々はプロだったとも、その時に教えられた。

「じゃあ、パパは元プロとも試合をしてたの?」

「うん、そうだな。ただ、パパたちは敵わずに負けちゃったけど」

そう言った後に、言い足した。

「実際に戦ったからこそ、お前にも見てほしかったんだ」

真剣な顔で、パパはそう言った。

一点取られて焦ったのか、その後すぐにシンヤが出てきた。

会場中から大きな声援が湧く。ぼくも大きな声で「シンヤだ!」と声をあげた。

遠くから見ても、一人だけオーラが違うように見える。ピッチの上にいる人たち、特にマリッズの選手から見えてたそれよりも、一回りも二回りも大きい。

輝いて見えた。華やか過ぎるステージの上で、特に華やかな位置にシンヤは立っていた。

そしてその輝きは、ボールを持つとさらに強くなった。

負けている状況から出場したシンヤは、まるで魔法使いみたいにマリッズを生き返らせた。相手チームの選手がいないみたいに見えた。

この間の試合でナショナルトレセンの選手がぼくたち相手に見せたように、圧倒的な力だった。

あっという間に三点を取って、マリッズは逆転して見せた。前半が終わる頃には、周りにいた人たちからも「シンヤはやっぱ上手いなぁ」とか「頑張ってたんだけどなぁ」って、マリッズが勝ちそうだなという声が聞こえてきた。

当然だと思う。マリッズに勝つなんて、プロでも難しいことを、プロですらないチームがやってしまうことは無理だ。

それなら、何でパパはマリッズのサポーター席で試合を見せてくれなかったんだろう。

いくら相手チームと試合をしたことがあるからといって、10番やゴールを決めた選手を見せたいだけなら、マリッズの応援席に入れてほしかった。

そんな気持ちを隠せなくて、パパに声を出して尋ねた。

「何でマリッズじゃなくてこっちの席なの?」

どうせなら、大きな声でシンヤを応援したかった。輝いてる人、憧れの人の背中を押したかった。

確かに、相手チームも頑張ってはいるように見える。見えるけど、それだけだ。シンヤみたいなオーラもなければ、特別上手い選手がいるわけじゃない。

ぼくの純粋な疑問に、パパは言った。

「うーん。お前はやっぱりマリッズの方がかっこよく見えるよな?」

その質問に、ぼくは黙って頷いた。

「相手チームはどう思う?」

「頑張ってる」

頑張ってる。……うん、頑張ってはいる。

「そっか。うん、それなら、後半も見ていてほしいんだ」

パパはそれ以上、答えてくれなかった。はっきりとした答えが無いのなら、やっぱりマリッズの席に入れてくれればよかったのに。

あっちの方が入場料が高いのかな、とか、パパはマリッズを好きじゃないのかな、とか考えていたら、後半が始まった。

3-1のまま試合は進んでいく。前半で勝ち越したからか、マリッズの攻撃も少し落ち着いたように思える。

とはいえ、相手チームも攻め手がなさそうだ。パパが注目している二人は、シンヤとオカモトに押さえられている。

そう、マリッズはシンヤだけじゃない、オカモトにマツバラ、サイトウと他にも有名な選手がいっぱいいる。そんな人たちと比べても圧倒的な存在感のあるシンヤは、やっぱり凄い。

ぼーっとそんなことを考えている時だった。

ハーフウェーラインのあたりで、ボールが蹴られた。ドン、と音が響いた。

ロングパスかなと思ってボールを眺めても、その先には誰もいない。大きくゴールに向かって飛んで行った。

キックミスかな。

そう思ってボールの行方を目で追いかけていると、少しずつ周りの人たちがざわめきはじめた。ボールはゴールに向かっている。……ボールがゴールに向かっていく!

パスでもミスでもない、シュートだと気がついた時に、ボールはゴールの中におさまっていた。

パパが立ちあがって「マジか!」と叫んだ。他の人たちも騒ぎ出している、

こういう視点もあるのか

すごいシュートだった。漫画とか、日本代表の試合とかでたまに見るような距離からのシュート。それも、ゴールに入ることは滅多にない。

そしてそれを見せてくれたのは、マリッズじゃなかった。シンヤでもなかった。

ぼくの胸がぶるっと震えたのが、自分で分かった。

ぞくぞくして、そわそわして、陽の強さだけじゃない熱さを感じた。

「すごい」

「すごいね!」

言葉にすると、その熱さはもっと強くなった。

シンヤみたいな選手ではなくても、シンヤと互角にやり合っている。

その姿が、ぼくを強く勇気づけてくれた。

「な、凄いだろう、あいつ」

パパは嬉しそうに言った。ゴールを決めたことよりも、ぼくの「すごい」という言葉に喜んでいそうだった。

「ああいう風になってほしいんだ」

そう言って、パパは視線をピッチに戻した。

ああいう風に、なれるだろうか。

シンヤみたいになれ、と言われたら、今までの僕だったら喜んで頷いていただろう。ただ、この間の試合で自信を無くしてから、その気持ちは弱くなってしまっていた。

でも、あの選手みたいになら、なれるかな。分からない。

会場の雰囲気が、どんどん変わっていく。マリッズを倒せ、という空気ができあがっていく。

その空気に押されてか、知らず知らずのうちにぼくもその気になってしまう。

もしかしたら、もしかしたら。

マリッズを倒してしまうかもしれない。

それを成し遂げるのはぼくじゃないのに、なのに、どうしてか興奮してしまう自分がいる。

ぼくのことじゃないんだ。ぼくがマリッズに勝つわけじゃない。シンヤになれるわけでも、シンヤを抜くわけでもない。

なのに、期待してしまう。自分のことのように、わくわくしてしまう。

「行け―!」

10番の選手がシンヤにドリブルを仕掛けた時に、大きな声を出して叫んだ。

そして、その僕の期待通りの光景が僕の目の前に広がった。

シンヤを抜いた。そしてゴールが決まった。同点に追いついた。

スタジアム中が、正確にはマリッズのサポーター以外が、大きな声をあげた。

今までに聞いたことが無い、感じたことがない、見たこともない光景だ。

ぼくの中の熱は確かに火を灯した。それは憧れとか、夢だとか、シンヤに対して持っていたのとは違う気持ちの熱だ。

「なれるかな」

呟くと、パパがぼくを向いて言った。

「なれるさ」

誰に、とか、何に、じゃなく。でもそれは、たぶんこの場にいる人なら皆分かってくれるとおもう。

「あんな風に、なれるかな」

諦めない人に、ぼくはなりたい。

シンヤが相手でも。点差が離れても。プロが相手でも。どんな状況でも諦めない人に、ぼくはなりたい。

同点に追いつかれても冷静にパスを繋ぐマリッズに、周りの人たちはイライラしてるみたいだ。

「それでもプロかよ!」

「ベスメンでアマ相手だろ!」

と、少し怖い声色で野次を飛ばしている人もいる。でも、その気持ちもわかってしまう。

正々堂々戦ってほしい。いや、マリッズも卑怯なことをしているわけじゃないことを分かったうえで、でもやっぱりこんな試合にならないでほしいと思う。

シンヤなら、ぼくが憧れたシンヤなら、きっともっとスマートにやってくれるはずだ。それなのに、目の前で見える光景はそうではなかった。

一方で、相手チームの選手はもう動きにキレがない。きっと延長になると、体力切れで負けるだろうということが見え見えだった。

だからこそ、マリッズはこうやって時間を潰しているんだろう。より確実に勝つために。

それがプロとして正しい作戦だとはわかるけど、それで納得できないぼくはやっぱり子どもなんだろうか。

頑張れ、と声にした。でも、応援をしても届かないことだってある。

時計を見ると、残り時間は少なくなっている。やっぱり、いい勝負はできても勝つことはできないんだろうか。

そんな諦め半分の気持ちでいると、少し前の席にいるお姉さんが大きな声をあげた。

「カズヤーっ! がんばれ! がんばって!」

大きな声だった。細身で華奢なお姉さんからは想像できないくらい、大きな声だった。近くの席にいた人たちも、少し戸惑ったような顔で見ていた。

お姉さんが叫んだ瞬間、ピッチの選手がポップコーンみたいに弾けた。そんな風に見えるほど、キレのある動きをした。

「ナイスプレス、カズ!」

「カズくん、もうちょっと!」

お姉さんと並んで座ってた男の人たちも、大きな声で叫んでいた。他の人たちも「いけ!」「ここで決めろ!」と大きな声をあげている。

カズって呼ばれてる選手は、その希望を背負って走っている。言葉がカズに集まって、そしてその思いがあの選手に集まっている。光っているようにすら見えてくる。

オーラじゃない。シンヤが持っているそれではない。

ただ、応援してしまう何か、彼に期待してしまう何かがあることが、ぼくにも分かる。

だから彼に向かってここからエールを送る。

「がんばれ!」

お姉ちゃんに負けないくらい、大きな声で叫んだ。

頑張れ!

羽が生えた気分になっている。

スタジアムの雰囲気に、マリッズと戦える試合展開に、一番力になる応援に。

足は疲れて動けないはずなのに、一方でいくらでもこの試合を続けていたい気持ちになる。

とはいえ、チームメイトにそれを求めることはできない。自由にプレーさせてもらっている僕と比べて、やっぱりディフェンダーの負担は大きい。

だから僕が試合を決める。他ではない、僕が決める。俺がやるんだ!

「くれ!」

スローインで得たマイボールを要求する。残り時間は少ない。ラストプレーか、あと1プレーか。

ボールを受けたヒロさんが僕にボールを預けた。さぁ、勝負だ。

対面したオカモトにドリブルで仕掛けていくが、クロスステップで冷静に対応される。シンヤが挟みに来ていることを理解して、一旦ヒロさんに預け返す。

シンヤのマークから外れたヒロさんがボールを運ぼうにも、他の選手がプレッシャーをかけにきてうまく事は運ばない。

このまま時間をかけて攻めても、きっとうまくはいかないだろう。

そもそもの試合巧者はマリッズなんだ。サッカーがうまいのもマリッズ。

相手の土俵で勝負をしようというのが間違っている。

僕たちがここまで来れたのは気持ちでしかなかった。僕たちより上手い相手はいくらでもいた。

負けたくない気持ちだけで、走り続ける覚悟だけで、シンヤたちと戦えるところまで来た。

乙乙 熱い展開だ

まだかな

待ってます

今日投稿予定です。

ボールを持ったヒロさんがシンヤに仕掛けていく。

それに対して、シンヤは無理にボールは奪おうとはしない。ここで奪いきらなくても、後ろでどうにでもできると思っているのかもしれない。

ゆっくりボールを運べてはいるけれど、このまま時間を潰されたら、下手したらこのプレー中に後半が終わってしまうかもしれない。

技術で勝負する場面ではない。

「来い!」

ヒロさんの方に近づいて、足元を示しながらボールを求めた。イメージはとにかく強いパス。

その期待通りのボールが来た。

追いかけてチェックに入ったオカモトをいなすように、右足アウトで触れたボールはブリッジを描きながらオカモトの背中を通る。気持ちは闘牛士だ。

さぁ、ここからが鬼門。


すぐに切り返して背中を追って来たオカモトを振り切るように、ボールを大きく運ぶ。

ランウィズザボールと呼ばれるそれは、もう引退したブラジルの名手が得意としていたプレーだ。中高生時代、彼に憧れて練習をしていた甲斐があった。

どうにかオカモトに追いつかれないくらいのスピードで運んでいると、相手最終ラインが近づいてくる。

ハーフウェーライン付近で前にはディフェンダー、後ろにはオカモト。もたもたしていると挟み撃ちに合ってボールを失うことは目に見えている。

しかも、ここでどうにかしないとゲームオーバー。僕たちの挑戦はきっとここで終わる。

いよいよ詰んでるな。

終わりすぎていて、逆に楽しくなってくる。ここを乗り越えられたら、新しい景色を見ることができる。

大きめに転がしたボールに追いついて、フォローに入ったヒロさんにパスを出した。

そして、手で大きく前方に示しながら、あらん限りの力で足を前に運ぶ。

「裏にくれ!」

僕のケアに来たディフェンダーの更に裏、縦パス一本で僕がこいつらより走りきれるか。

単純な勝負だろう? キックアンドラッシュはサッカーの原点だ。

ヒロさんの右足から、芸術的な軌道でボールは前に飛んだ。

緩くバックスピンがかかったそれは、キーパーが飛び出すには躊躇する、しかしディフェンダーが処理するには僕を相手にしないといけない場所に落ちることを確信した。

屈強なディフェンダーが僕に体を当ててくる。

吹っ飛びそうな圧を堪えて、どうにか踏ん張って前に進む。競り合いに強い分、スピードがそこまでないタイプの選手なのは分かっている。

だからこそ、ここで倒れなければまだ勝機はある。

腕を相手の前に入れて体を割って入らせようと試みるも、その最中で体を当てられると体勢を崩してしまう。

オカモトが後ろから近づいてくる気配も感じる。今ここで前を取れないと、おそらく挟まれてアウト。

ここが最後のチャンスだと、体制が崩れながらも腕で相手を押さえて、ブレた重心のままディフェンダーの前に体を持ってきた。

すぐに相手が僕に当たってきて、強い圧に負けて僕は倒れこんだ。気持ちだけで体を強くすることはできない。

ファールを取ってもらえるとは思えなかった。自分が無理に体を割り込んだ上に、シチュエーション的にはダイブと受け取られてもおかしくない。

でも、だからこそ。

ファールが欲しい場面だからこそ、僕がそうしたのだと相手が油断したのかもしれない。

会場の雰囲気は僕たちを応援している。審判がそれに飲まれてファールを取ると思ったのかもしれない。

相手は両手をあげてノーファールだとアピールをして、歩調を緩める。オカモトもそれを確認するかの様にペースを落とし、審判に目をやった。

僕は立ちあがって、転がるボールを追いかけた。

審判の笛は、鳴らなかった。

笛が鳴るまでプレーを止めるな。

小学生でも、監督から口酸っぱく教え込まれることだ。それでも、いざという局面でそれをすることは存外難しい。

転がっていたボールは僕の足元に落ち着いた。

目の前にはキーパーと、そしてゴールしかない。

キーパーが飛び出してきた。少しでもシュートコースを狭めようと体を広げて近づいて来た瞬間、右足インサイドでボールを流し込んだ。

ボールはキーパーの股を抜く。遮るものは何もない。

後ろからヒロさんの叫び声が聞こえる。ゴールの奥にあるバックスタンドから、愛しい声が聞こえる。

ボールはゴールの内側におさまった。笛が三回鳴った。

そして僕たちは伝説を作った。

ふぉー!!!

本編は今週末完結予定です

本編はってことは、外伝があるのか?
期待してる

wktk

まだかな

それからの話を少しだけしようと思う。

まず、サキの話からだ。

マリッズ戦を終えて次の練習日、練習前に彼女はお姉さん一緒に来た。

「謝りたいの」

彼女はそう言った。今まで見たことがない、真っすぐな目だった。

語り始めた彼女の物語は、正直なところ、遠い異世界の話に思えた。女優のお姉さんがいる、ってことすら知らなかったわけだし。

それにもう、昔の話だ。

ヒロさんも僕も「気にしないでほしい」とだけ伝えた。それ以外に伝えられる言葉もなかった。

帰ろうとする二人に向かって、「せっかくだし、練習を見ていきませんか?」とエリカとミユが誘ったのは意外だったけど。

でもそれは成功だったのかもしれない。華のある二人がいるおかげで、その日の練習は今までで一番盛り上がった。

不純な動機かもしれないけど、それでもプラスはプラスだ。

待ってた!

練習中もその後も楽しそうに話す四人を見ると、今までに起きていたごたごたが嘘のように思える。ミユがエリカをビンタしたことなんて、遠い昔のことのようだ。

練習後にダウンを終えて着替えていると、エリカとサキが一緒に僕のところに来た。普通なら修羅場だよね、元カノと今の彼女が一緒にいるなんて。

「今、この子と付き合ってるんだ?」

いきなり本題に触れるエリカに苦笑しながら、僕は肯定する。

「そっか。……幸せそうでよかった。私が言えることじゃないんだけどね」

「初めて会ったとき、サキさんに振られたショックで泣きそうでしたからね、カズヤ」

「それは盛ってる!」

僕の突っ込みに、一瞬の間を空けて三人で笑った。それができるくらいには、僕と彼女たちの間にわだかまりは無くなっていた。

「都合のいい話だけど、私はカズヤに会えて良かった」

「うん。僕もエリカと会えて……良かったと思う。今となっては、だけど」

「やっぱり傷つけた?」

「うん、ショックで泣きそうになるくらいには」

その言葉に、もう一度三人で笑った。

「……最後に、お別れの握手を?」

そう言って、彼女は手を差し出してきた。エリカはそれを見ながら、僕に微笑みかける。どうやら「任せた」という言外のメッセージらしい。

「握手……はいいけど。でもさ。最後に、ではないでしょ?」

「え?」

「これからも応援してよ。うちのチームのこと。みんな、美人姉妹が来たって喜んでるから」

その言葉に、彼女はおかしそうに笑った。今までで一番、心の底から見せる笑顔だと思った。

「喜んで」

そして迎えた天皇杯の次戦、僕はいよいよ憧れの選手と対面をする。

子供の頃、サッカーを始めるきっかけになった人だ。ヨーロッパ最強のチームを決める大会で赤い悪魔にフリーキックを沈め、僕は彼の虜になった。

今となっては不惑を迎えた彼は、チームではレギュラーとは言えない立場になってしまっている。それでも天皇杯ではターンオーバーということで、スタメンで試合に出てきてくれた。

試合は僕たちが負けてしまった。マリッズに勝って燃え尽きていたとか、自力の差だとか、いろいろな要因はあるんだけど。

僕たちの挑戦はそこで終わってしまった。

世間から見ると、たまに出てくるアマチュアの割には健闘したチーム、という形なのかもしれない。

それでも僕はこの一年で多くのものを得た。

タカギという友人に、好敵手たちとの好ゲーム。憧れのナカムラにもらったユニホームは、きっと一生褪せることはない。

大会に敗れてしばらくすると、タカギから僕に連絡が来た。

『うちのチームに練習参加しないか』

最初は冗談だと思ったその言葉も、スカウトの人から直接連絡が来たあたりから現実味を帯びてきた。

どうやら天皇杯で当たって以降、うちの試合を何試合か見に来てくれていたらしい。

ヒロさんに相談すると「俺も同じ話をもらってる」とのことだった。

「どんどん遠い人になっていくね」

エリカはそう言って嘆いていたけど、僕は何も変わってはいない。

タカギ経由で連絡をとるようになったオカモトやマツバラからも『早く一部に来い。ていうか、代表に来い。一緒にやれる日を楽しみにしてる』と連絡が来た。

代表なんて、現実味がなさすぎる。でも、天皇杯前の僕からすると、プロの練習参加なんてそれ以上に現実味のない話だった。

だから、いつかきっと。

周りは就職活動の準備で忙しくなっている中、僕がこんなに夢を追い続けていいのだろうかと思うこともあった。

もし練習参加をして認められなくて、結局就職活動となるなら今から諦めるべきではないのだろうか、と。

でも、エリカが言ってくれた。

「私はサッカーをしているカズヤに惹かれたんだよ。カズヤを見て、私も変わりたいって思えた。それをもっといろんな人に見せてあげてほしいし、それができるのって、サッカー選手なんじゃないかな」

そうだ、僕はサッカーが好きだ。何事にも代えがたく、だからいい年をした大人になっても続けてきた。

それを仕事にするチャンスを与えられて、自分が望んでいるのに、自らそれを諦める理由なんてどこにもない。

結局、練習参加だけでは認められず、僕は年明けの冬季キャンプにも参加させてもらうことになった。ヒロさんは一足先にサインを結んだというのに。

県リーグで優勝し、地域リーグに昇格することが決まったチームメイトからは『二人も主力に抜けられたら困るんだよー』と笑われているが、それでも応援はしてくれている。

そして、一年が経った。

>>927
サキとエリカが部分的に入れ替わってる?

>>932
ご指摘の通りです。。
脳内変換ありがとうございます。

満員のスタジアムからは各選手のコールが聞こえる。一年前の僕には想像がつかなかった光景だ。それでも僕はここにいる。

前に並ぶタカギがニヤけながら「おい、緊張してんな」と声をかけてきた。

「ダイジョーブ」

「カタコトになってんぞ」

近くにいたチームメイトがどっと笑った。うーん、自分じゃ気づいてないけどそんな固そうに見えてるのかな。

ひとしきり笑った後、「集中!」という声で再び引き締まった気持ちになる。一緒に入場する男の子と手をつなぐと、彼は僕を見ながら言った。

「ボク、カズヤ選手みたいになりたいです」

「え?」

「去年マリッズとの試合を見て、カズヤ選手みたいになりたいなって。いつかカズヤ選手と一緒にサッカーをするのが、僕の夢なんです」

そう言ってにこっと笑う彼は、昔の自分とダブって見えた。こんな僕でも、憧れの選手といわれる日が来るなんて。

「できるよ、きっと」

誰でもそうだ。叶うまで諦めないという気持ちをもって進み続ければ、いつか叶う日は来る。

「僕も楽しみにしてるよ、君とサッカーができる日を」

キラキラした目で、彼は頷いた。

入場のアンセムが鳴り始め、タカギの背中も前に進み始めた。それに合わせて、僕も足を進める。

「わぁ」

視界が開けてくると、少年が感動の声を漏らした。スタンドではなくピッチでその光景を見るのは僕も初めてで、心臓がバクバクと鳴っているのに自分で気づいた。

落ち着きなくスタンドを見回すと、そこに彼女がいた。試合を見るときは、彼女はいつもその帽子を被るから間違えようがない。関係者席よりも声を出して応援できるからと、彼女はその席を望んでいた。

聞きなれた声で名前を呼ばれた気がして、整列したままそちらにサムズアップするとタカギから「バカ、やめろ」と窘められた。

「そんなことできるなら緊張してると思ったのは気のせいか?」

「ダイジョーブ、って」

うん、もう大丈夫だ。どこにいても、サッカーはサッカーだ。そしてどこにいても、きっと彼女は僕の背中を押してくれる。

セレモニーを終えてピッチに散らばると、目の前には広大な緑と、それを囲む青い景色が改めて目に入る。

少年に恥じぬ試合をしたい。いいプレーをしたい。勝ちたい。でもやっぱり、一番は楽しみたい。

主審が時計を一瞥すると、笛を鳴らした。一斉に選手が走り出す。

さぁ、楽しい時間の始まりだ。

というわけで、本編はこれにて終了です。
四年もかけて終わり方がこれ?と思われる方もいらっしゃると思いますが……。

番外編というか、タイシ編、アキラ編も考えてはいたのですが、冗長かなということで省略していました。
イヌイ編も不要だったのかなと思う一方で、あそこもカズの一つの転機になるので入れたいな、と。
また時間があるときに、その二編は書けたらと思っています。

そしてこの板への投稿は推敲もできないまま即興で書いているところも多かったので、
矛盾や>>927のような凡ミスも多々あり、大変失礼いたしました。

しっかりと推敲、ある程度の改稿や改定をしたものを、いつかどこかでまた書きたいなと思っています。

投稿当初からお付き合いくださった方も、今回の更新でたまたま見かけた方も、
たまに見に来てくれていた方も、この話に一度でも目を通して下さった全ての方に最大限の謝辞を。

飽き性の自分がエタらずに四年かけてでもこの話を書き終えられたのは、皆さまのおかげです。

最後までお付き合い、ありがとうございました。
またどこかで自分の話を読んで頂けると幸いです。

本当にありがとうございました!



(以下自分語りです)

この4年間でいろいろと環境が変わりましたが、サッカーを再び本気でやれる環境に来ました。
それも、カズヤたちと同様に、元Jリーガーたちがいる世界で本当に自分がやることになるとは思っておらず、
かなり背伸びした世界に入って来たと自分でも思っていますが、頑張ろうかな、と。

そして執筆方面でもちょっとだけ夢が叶いました。
いつかまたその話ができるようになったら、また聞いてもらえると嬉しいです。

それではまた!

おつかれさん
いい話をありがとう
自作も楽しみに待ってるがリアルでカズヤのように羽ばたいてくれww

ラブコメかと思いきやガチガチのサッカー小説だった。でも当初から読んでて完結は感慨深いものがある。もう4年にもなるんだな。是非どこかでまた読みたい。カクヨムにでもまとめて上げてほしい

乙でした。最初タイトル詐欺かと思ったけど、サッカーやってたからずっと見てた。
>>1も新しい世界で頑張ってねー!また新作期待してます。

>>936
ありがとうございます!
カズヤみたいな覚醒はもう難しいかもしれませんが…(笑)

>>937
本当に、こんな遅レス更新にお付き合いいただきありがとうございました。
改題してカクヨムに載せる方向で考えているので、よければ是非そちらも!

>>938
タイトル詐欺は自分でも感じていました(笑)
サッカーをやっている人に読んでもらえてたというのが励みになります!
実際にやってる人からするとリアリティなく感じるのかなとも思いつつ書いていたので……
ありがとうございました!

ずっと追いかけてたよ乙でした!

全部読んだ!最高だったよ!
他にも書いてるの、ないの?

>>940
遅くなりました!
ありがとうございました。また次回作も読んで頂けると幸いです。

>>941
ありがとうございます!
ss vipになぜかスレ立てられなくなってしまったので、相変わらずエロ要素薄目の予定ですがSS vip Rに投稿開始しています。
『二世アイドルは自由に焦がれる』というタイトルなので、よろしければそちらもぜひ!


いくつかのまとめサイトに頂いているコメントも拝見しました。
皆さま本当にありがとうございます!

うお、完結してたんだな これまで楽しく読ませてもらってた ワクワクしてなんだか勇気を貰った気分だ お疲れ様 ありがとう

>>943
こちらこそ、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
少しでも前に進む原動力になれたなら幸いです。

私事の宣伝ですが、7/4発売予定の『ショートフィルムズ(学研)』内、
『カメはウサギを』という作品を掲載して頂くことになりました。

初めての商業誌掲載ですが、これをきっかけにもっといい作品を書けるように頑張ります。

よろしければぜひ、ご一読下さい。

続編構想中です。
近日中に始めます。

>>947
楽しみにしてるよ

続編というかは微妙かもしれませんが、こちらで続きを書き始めました。
今度はもっと短く纏まった話になるような構想ですが……

お楽しみいただけると幸いです。

アイドルと僕 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/i/read/news4ssnip/1598965268/)

ワールドカップ盛り上がってるね

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