少女「ある日森の中、クマさんに出会った」(38)

人里から遠く離れた場所にある、広大な原生林──

ひとたび足を踏み入れれば二度と出ることはかなわぬと恐れられるこの森を、

堂々たる足取りで歩む一人の少女があった。



少女「…………」ザクッザクッ…

少女「このあたりでいいかな」



少女は不敵な笑みを浮かべると、耳につけていたイヤリングを地面に落とす。

すると──

ガサッ……



体長3メートル、体重は700キロをゆうに超えるであろう、巨大なヒグマが現れた。

眼光は鋭く、針のような体毛に覆われながらも、内に潜むぶ厚い筋肉は、

これでもかといわんばかりに存在を誇示していた。



クマ「お嬢さん……お待ちなさい」

少女「来たわね」ニヤ…



クマは少女が落としたイヤリングを拾うと、圧倒的握力で握り潰した。

粉末と化したイヤリングをばら撒いたその目には憎悪が宿っていた。

クマ「お嬢さん……」

クマ「この森──私の縄張り(テリトリー)でイヤリングを落とすという行為……」

クマ「それがなにを意味するか、知らぬワケではあるまい」

少女「もちろんよ」



一言発するごとに、クマの殺気が高まっていくようだ。

少女は緊張を勇気で押さえつけ、クマを指差した。



少女「その行為が意味するのは──森の主(あなた)への挑戦状!」ビッ

クマ「ふむ……まだ若いのに博識なことだ」

クマはゆっくりと首を振ると、ため息をついた。



クマ「しかし、その若さゆえか……」

クマ「どうやら相手の戦力を認識する力にいささか欠けているようだ……」

クマ「考えてもみたまえ」

クマ「君のような齢(よわい)十を過ぎたばかりであろう小娘が──」

クマ「数十年もの間、この森の食物連鎖の頂点に君臨する私に勝てるはずもあるまい?」

クマ「先ほどのイヤリングの件は忘れてあげよう」

クマ「お嬢さん、お逃げなさい」

少女「ずいぶんとお優しいことだけど……」

少女「もしかして優しいんじゃなくて怖いんじゃないの?」

クマ「?」

少女「自分より遥かに若い小娘に、負けてしまうのが……」ニィィ…



“お前は負けるのが怖いから優しいふりをして、戦いを避けようとしている”

この言葉はクマの体内を巡る血液を、脳天に駆け上がらせるに十分な効果を持っていた。

──次の瞬間!!!

少女「セイイィィッ!!!」



メキィッ!

飛び上がりつつの、上段廻し蹴り(ハイキック)。

少女の右足が、クマの左頬にめり込んでいた。



クマ「ほォ……」グラッ…

少女「ぬんッッッ!!!」



ズドンッ!

少女、渾身の正拳突きが、クマの鳩尾部分をえぐる。



少女(手応え……ありィ!)

少女「チェイヤァァァッ!!!」



クマは無防備である。殴る蹴るもやり放題だ。

少女は手足を全速駆動させ、持てる限りの打撃技を叩き込む。



ズドドドッ! ドドドッ! ドガッ! バキィッ!



少女「ハァッ、ハァッ……油断大敵ってやつよ」

クマ「…………」シュゥゥ…

クマ「……ふむ、やはりな」

少女(口がきける!? バカなッ! ウソよ、ウソに決まってるッ!)

クマ「お嬢さん」

クマは地面に落ちている枯れ葉をつまみ上げた。



クマ「君の打撃はこの枯れ葉よりも軽く──」ハラ…



近くになっていた木苺を口に頬張る。



クマ「不意を突けば私を倒せるというその心根……」モグッ…

クマ「…………」モニュ…モニュ…

クマ「この木苺よりも甘い」ゴクン…

少女「な……なんですってぇぇぇっ!」



最大級の侮辱を受けた少女が、全速力で突っかける。

勢いのまま右ストレートを叩き込もうとするが──



クマ「軽く、甘く──そしてなにより弱すぎるッッッ!」

パァンッ!!!



爆薬のような破裂音。

クマの掌による一撃(カウンター)が、少女を弾き飛ばした。

ようやく少女が着陸を許された時には、クマとの距離は20メートルも離れていた。



少女「ガ、ガハァッ……!」ブハッ

少女(なんて一撃……ッ! も、もう動けない……!)



全身を痙攣させる少女に、クマは無慈悲に間合いを詰める。

クマ「もはや意識を保っているだけで精一杯、という風情だな」

少女「こ、殺せっ……!」

少女「あたしは挑戦状を叩きつけた……。死ぬ覚悟くらい、できてるわよっ……!」

クマ「お嬢さん、なにゆえ私に闘いを挑んだ?」

少女「…………」

クマ「黙したまま死ぬか。それもまた武術家よ」

クマ「しかし、もし未練があるのであれば、生き残るために足掻くのも、また武術家」

クマ「生きるも死ぬも自分次第──さァ、どちらを選ぶ?」



爪を光らせながらのクマの言葉に、少女は涙を流し始めた。

いかに強がってもしょせんは子供、“死”を覚悟できていなかった部分があったようだ。

少女「あたしの家は……道場なのよ」

クマ「ホウ……」

少女「あたしは道場を受け継ぐため、毎日毎日鍛え続けた……」

少女「なのに──」



父『我が道場を継ぐのは、キサマの兄に決まっておろうがッ!』

父『しょせん雌に過ぎぬキサマに我が道場を継げるワケなかろうッ!』

父『夢想妄想も程々にせいッ! 今すぐこの道場から立ち去れいッッッ!』



父であり師匠でもある男からの冷酷なる宣告。

少女の夢への道は、あっけなく閉ざされることになった。

クマ「なるほど……」

クマ「だから父や兄に自らの力を知らしめるため──」

クマ「半ば自棄になっていた部分もあろうが、私に挑んだというワケか」

少女「そうよ……」

少女「この大森林の主をあたしの拳で屠れば、きっと父ちゃんはあたしに……って」

クマ「…………」

クマ「どうだ……お嬢さん。私に弟子入りしてみんか?」

少女「え……」



クマからの勧誘(スカウト)。

少女にとってはあまりにも思いがけない言葉であった。

クマ「君の道場継承……」

クマ「父と兄、二人を倒せばイヤでも納得せざるをえまい……」

クマ「どうだ?」

少女「…………」プルプルッ…

少女「や、やるわ……」

少女「あたし、あなたの弟子になるッッッ!」

クマ「…………」ニィ…



辺り一面に轟く少女の声。

クマと少女──奇妙な師弟が誕生した瞬間であった。

ザシュウッ!

クマが大木に爪で傷をつける。



クマ「我々クマが縄張りを示す時にやる行為だ」

クマ「これをやれ」

少女「こんなのできるワケないじゃない! あたしにはそんな爪ないんだから!」

クマ「ならば、道場を継ぐのは諦めることだ」

少女「…………!」ムッ

少女「やってやるわよ!」

少女「でやぁぁぁっ!」ガッ

少女「ハァァァッ!」ガッ

少女(ほとんど傷がつかない……! 木ってこんなに丈夫だったの……!?)

クマ「どうした!? 続けんかァッ!」

少女「分かってるわよ!」ガッ ガッ

クマ「速度だ! 速度を伴わねば破壊力は生まれんッ!」



少女は幾度も、幾度も、指と爪を樹木にぶつけた。

結果、五指は骨折、脱臼し、爪はシールのようにはがれたが、少女はやめなかった。

全ては打倒父と兄の為──

少女の傷ついた手指は、そのダメージとは裏腹に破壊力を増してゆく。

狂気と呼んでも差し支えないほどの執念は、やがて──



ザシュッ!

少女「や、やった……ッ!」

少女(あたしの手が、あの丈夫な木の幹を切り裂いたッ!)

クマ「よくやった、お嬢さん」

クマ「しかし、いかな技とて動いている相手に当たらねば意味がない」

クマ「次の特訓に移るぞ」

少女「分かったわ!」

大森林を横切る、小さな川にたどり着いた二人。

人の手を拒み続けてきたその水の流れは、ある種の神秘さすら漂わせていた。



クマ「この時期、この川には鮭が泳いでいる」

クマ「これを獲るのだ」

少女「そんなんでいいの?」

少女「こんなの簡単よ。すぐ終わらせてやる!」ジャボッ…



膝まで水に浸かり、泳いでくる鮭を見据える少女。



少女「そこッ!」シュッ



ザパァンッ!

少女「あ、あれ……? たしかに狙ったのに……」

クマ「鮭の動きは速い……。なおかつ、川では動作が制限される」

クマ「動きの先を読み、なおかつスピーディに狩らなければならぬ」

少女「…………」ゴクッ

クマ「さぁ、狩りを続けろ」

クマ「でなくば、君は今晩メシにありつけんぞ」

少女「分かってるわよッ!」



ザバァッ! バシャァッ! ザバァン!



水面と鮭の動きに全神経を集中させ、川に手刀を繰り出し続ける少女。

しかし、なかなか獲物を捕えることができない。

シャッ!

数時間に及ぶ格闘の末、ようやく一匹、鮭を確保することができた。



少女「や、やった……」ハァハァ…

クマ「うむ、動きの鈍い鮭であったが、まぁよかろう」

クマ「さぁ、食すがよい。君の獲物だ」

少女「え、このまま……?」

クマ「ウマいぞ」



さすがに生魚を焼くことも切ることすらせず食すのは躊躇していた少女であったが──

やはり空腹には勝てず、一気に鮭の腹にかぶりつく。

少女「…………」モニュ…モニュ…

少女(あ、イクラの感触がたまらない!)プチプチッ

少女「オイシイ……!」

クマ「だろう?」ニィッ…

クマ「無論、生魚ゆえ寄生虫も多いが、お嬢さんならば全てを血肉に変えられるだろう」

少女「ええ……ワカるわ」

少女(鮭の皮、身、内臓、さらには寄生虫までもが──あたしに力を与えてくれるッ!)

少女「オオオオオオオオオオッ!!!」メキ…ミキ…



鮭に秘められた生命力全てが少女に宿ったかのように、少女の肉が躍動する。

これすなわち、成長(レベルアップ)の瞬間であった。

クマ「さて、寝るとするか」

少女「え、まだ鍛錬したい!」

クマ「お嬢さん、君の肉体は君が自覚している以上に疲弊している」

クマ「休むこともまた修業──心得よ」

少女「……分かったわ!」



ほら穴で死んだように眠る二人。

しかし、二人の肉体は睡眠中も進化することをやめなかった。

それからというもの──

少女は苛烈な修業を次々と課され、それをこなしていった。



少女「ハイィィィィッ!」ベリィッ

クマ「ホウ……ついに自在に木の皮をえぐれるまでになったか」



少女「破ッ!」ザバァンッ

クマ「鮭を二匹同時に捕えるとは──見事なり」



少女「だだだっ、だっ!」シュバババッ

クマ「スキありィ!」ビュオッ



そして、冬を越し、季節が春に差しかかろうという頃──

少女は脱皮を果たしていた。



少女「イ~イ感じ……」

少女「心も、体も、みなぎってるのがワカる」

クマ「ふむ……」

クマ(この森に入りたての頃は、赤子に毛が生えた程度の存在感であったのに──)

クマ(今や成獣さながらの闘気を発しておる)

クマ「ゆくか……父と兄のもとへ」

少女「ええ!」

クマ「達者でな……。お嬢さん、お出発(にげ)なさいッ!」



クマと別れた少女は、まっすぐ道場へ向かった。

父と兄を屠るため──

木造建築の古びた道場。

かつて少女の夢であった場所、夢を閉ざされた場所。

そんな喜びも悲しみも詰まった生家に、数ヶ月ぶりに少女は帰還を果たす。

すると──



父「アアアアア~~~ッ!」

父「娘よ、よく戻ってきてくれたァ~ッ!」

少女「と、父ちゃん!?」



視界に飛び込んできたのは、号泣する父の姿だった。

あまりに予想外の展開に、少女の鍛え抜かれた心も困惑してしまう。



少女「どうしたのよ、いったい!?」

父「アイツ……アイツが道場を継がないって出ていって……」

少女「ええっ!?」



兄『冗談じゃないよ。道場なんか継ぐワケないだろう?』

兄『ボクは勉強して、弁護士になるんだ!』

兄『あ、もちろん父さんに学費を出してくれ、なんていわないから安心してよ』

兄『道場なら妹に継がせてあげなよ。あんなに熱心だったのに可哀想に……』

兄『だけど、あんな仕打ちをしたからには、もうここへは帰ってこないかもね』

父「し、しかも……お前にした仕打ちを知った門下生も次々出てゆき──」

父「オォォ……」

父「オオオオオォォォォォ~~~~~ッ!!!」

少女(兄ちゃん……素質はあたしや父ちゃんの上をゆくけど)

少女(性格は……まったく武術家向きじゃなかったものね)



少女は優しかった兄の姿を思い返していた。

兄は瓦を割ると、その瓦を哀れみ墓を作るような青年であった。

きっと弁護士となっても、その優しさで大勢の人を救うことになろう。

自分とは似ても似つかぬ兄が、少女には誇らしかった。

少女「ほら、泣き止んでよ」

父「ウゥゥ……」グシュッ…

少女「道場ならあたしが継ぐから……。やり直そ、一から」

父「ウン……」

少女「ただし、道場の名前は変えさせてもらうわよ」

父「なんだとォ!?」

少女「イヤならあたしも出てく」

父「ぐ、ぐぐっ……。好きにするがよい……ッッ」



実娘の飴と鞭の前に、百戦錬磨の父もあっさりと陥落(おち)た──

その後、道場は『森之熊惨道場』と名を改め──

脱皮を果たした少女のもと、隆盛を誇っている。



少女「大木をえぐるが如く、敵を切り裂き──」

少女「川を上る鮭が如き逞しさで、逆境をハネのけ──」

少女「冬眠(ねむ)るように精神を落ちつかせ、何事にも動じるなッッッ!」

「オスッ!」 「オスッ!」 「オスッ!」 「オスッ!」 「オスッ!」



父(雌と侮っていたが、成長したな。娘よ……)

父(ワシもうかうかしていると、抜かれてしまうかもしれんな)

そして、これは極秘であるが──



少女「また遊びに来たわ……」ザッ…

クマ「少しは腕を上げたんだろうね……?」

少女「ええ、今日こそ膝ぐらいはつかせてみせるわ。クマさん」パキポキ…

クマ「それは楽しみだ」ニィ…

少女「じゃあ……このイヤリングを落としたら、開始ね」スッ…

クマ「来いッッッッッ!!!」



少女とクマの親交は現在も続いているという。





                                   ─ 完 ─


面白かった

将来は美女と野獣になるんですね

おつおつ


ほのぼのな歌が少年漫画の読み切りになったような気分だ

冬眠しないで訓練に付き合うって偉いね!

おつ!
もしかしてやたら強いシンデレラのss書いてた人?

脱皮後の少女が劇画調で想像されるわ
こういう勢い好きよ

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