澪・聡「「ここにいる!!」」(404)
夏休み夏厨劇場。
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2010年12月。
学校から自宅への帰路の途中にあるコンビニに、俺は自転車を走らせて向かっていた。
俺はいつもそのコンビニをある人との待ち合わせに使っていた。
俺の名前は[田井中 聡]。部活と勉強に明け暮れるただの高校一年生だ。
コンビニに着くと待ち人は既に店の前にいた。制服に身を包み長い黒髪にちょっとだけつり目の整った顔立ちの女性。その背にはベースという楽器が収納されたソフトケースが背負われていた。
彼女の名前は、『秋山 澪』。高校三年生。姉の幼馴染で親友で、憧れのお姉さんだった人。そして今は俺にとっていちばん大切な女性(ひと)……。
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「澪姉。早かったね」
「ああ。学園祭も終わって、軽音部(ぶかつ)も落ち着いたからな。今は部室に行ってもお茶を飲んで少し喋ってくる位だから。まぁ律達はあそこで勉強もしてるけどな」
「そうなんだ。姉ちゃんや澪姉は今年受験だしね」
「……そんな事より、そろそろ店に入って何か買わないか?少し寒いしあんまりお店の前で喋っててもしょうがないしな」
「うん、そうだね」
それから俺たちはコンビニで買い物をして、店を出ると俺は自転車を押して。そして澪姉は歩いて近くの公園に向かった。
2010年6月
俺が高校に入学して最初の夏。俺はある思いを胸に適当な理由をつけて澪姉を街に連れ出した。買い物をしたり、食事をしたりしての街からの帰り道。俺は緊張を振り切って前を歩く澪姉に声を掛ける。
澪姉は少しだけ顔をこちらに向けて「何だ?」と言った。澪姉の表情(かお)はよく見えなかった。
「み、澪姉。前に俺が今の高校に受かったら、なんでもお願いを聞いてくれるって言ったよね」
「ああ。言ったぞ。約束したからな。私に出来る事なら何でも聞いてやる」
相変わらず澪姉の表情は見えない。俺は不安にかられつつも覚悟を決め、拳を握り締め、
「み、澪姉!お願い!!お、俺と付き合ってくれ!!!」
俺はありったけの勇気を振り絞って、ダメ元で告白した。
「……ああ、いいぞ。付き合ってあげる」
少し――俺にとってはある意味、永遠とも言えるような――間の後。振り向きざまに澪姉は笑顔でこたえた。
とびきりの笑顔だった。綺麗で、可愛くて、少しはにかんで、でもどこか嬉しそうで。俺はその笑顔とまさかのokの返事に、上気した顔のまましばしの間、呆けてしまった。
「どうした、聡?」
「み、澪姉、ほ、ほんとにいいの?俺なんかでいいの?」
ずっと好きだった。多分、小さい頃に姉ちゃんが初めて家にこの人を連れて来てからずっと……。
綺麗で優しくて少し怖がりなところも可愛い、おれの憧れの人。その人と付き合うことが出来るなんて俺はにわかに信じられなかった。
「お、お前だったから、こんな約束をしたんだ。待ってたんだぞ、お前がこうやって言ってくれるのを、高校に受かってから、ううん、約束した(あの)時からずっとな……」
「でもやっぱり嬉しい……ありがとう聡。改めてこれからもよろしくな」
少し赤い顔をして澪姉は言ってくれた。
「こ、こちらこそよろしく!」
俺もかなりテンパリながらも、どうにか言葉を返す。
こうして、俺と澪姉は付き合うことになったのだった。
でも今にして思うと。自分からは告白せずに回りくどい事をして俺から言わせる辺りは、なんか澪姉らしいかなと思うのだった(回想終わり)。
「澪姉はやっぱり姉ちゃん達と一緒の大学に行って、バンドも続けるんでしょ?」
コンビニ近くの公園のベンチに座り、そのコンビニで購入したホットの缶コーヒーを飲みながら俺は何となしに訊いてみた。
「うん……うん、そうだな。そうなるといいな……」
澪姉の返事は何故かどこか曖昧だった。澪姉と姉ちゃんが軽音部で一緒にやっているバンド、たしか、『放課後ティータイム』(だったかな?)のメンバーは本当に仲が良くて、姉ちゃんが部長ということもあってか、前はよく家に集まって打ち合わせとか、何故かゲームとかやってたり。ここ最近は引退したのにも拘らず、部室に集まって受験勉強をやっている位である(澪姉は俺の為に、早く上がってくれている様だけど)。
姉ちゃんもみんなで同じ大学に行くって言っていたし、てっきり澪姉も同じ考えだと思っていた。
それに姉ちゃんが受ける大学位なら、澪姉なら問題なく通る筈だ。もしかして、それとは別に何か思うところがあるのだろうか?。
「そういうお前は期末テストどうだったんだ?ちゃんと勉強と部活両立できているのか?」
澪姉はこの事についてあまり話したくないのか、逆に俺に訊いてきた。
「うん、どうにか。部活ももうすぐレギュラー取れそうな感じだし、勉強も大変だけどなんとかついていってるよ」
「これも澪姉が俺の高校受験の時に勉強の仕方まで教えてくれたお陰だよ」
俺が通っている高校は自慢じゃないが、澪姉や姉ちゃんが通う桜ヶ丘よりも偏差値的にもう一つレベルの高い進学校だ。
当然ながら元々の俺の学力では受かる筈が無かったのだけど、澪姉があの約束をしてくれた上に勉強も見てくれたお陰で、俺もここぞとばかりに奮起した。
そして今でも信じられない位の命懸けと言ってもいい程の猛勉強の末。どうにか奇跡的に受かる事が出来たのだった。それだけでも澪姉には本当に色んな意味で感謝してもし切れない。
「そうか。それならいいんだ。でもごめんな。せっかく付き合っているのに特に最近は勉強を見るどころか、二人で出掛ける事も殆ど出来なくて」
澪姉は少し顔を曇らせて申し訳なさそうに言う。
「しょうがないよ、澪姉、今年受験だし。でも今もこうして俺に会ってくれているし、俺はそれで充分だよ。あっそうだ、受験が終わってひと段落ついたら、二人でどこかに遊びに行こうよ」
「――――――!―――////」
澪姉の言葉と微笑みと言う弾丸に、俺はずっきゅーんと心臓を撃ち抜かれた様になってしまい俺は固まってしまう(もちろん、嬉し過ぎて)。
「そろそろ行こうか」
それから他愛の無い会話を幾つかした後。澪姉に促されてベンチから立ち上がると、俺たちは公園を出てまずは澪姉の家に向かう。無論。大事なお姫様(かのじょ)を無事に送り届ける為だ。
「やっぱりこの時期は日が落ちるのが早いな」
澪姉が空を見上げながら言ったので、俺も沈みゆく夕日を見上げながら「そうだね」と応えながら、ふと見上げている澪姉の横顔を見た。
斜陽に照らされた澪姉はやっぱり綺麗だった。勿論いつ見ても綺麗なんだけど。黄昏てゆく景色と相まって、愁いを帯びた様に見える表情(かお)は、また何時もと違った魅力があった。
こんな女性(ひと)が俺の彼女で、しかも同じ時間を共有しているのかと思うと、堪らない気持ちになる。いつまでもこの時間が続いてほしいと心から願った。
だけどそんなささやかで、でもとても贅沢な幸福を願う想いと時間を奪ったのは、同じ空から嫌でも聞こえてくる、ジェット機とはまた少し違った噴射音を轟かせている、最近話題のあの宇宙船だった。
「リシティア号……。こんな低空で飛んでいるの初めて見た……やっぱ凄いな……」
今までも何度か飛行しているのを見たことがあるが、こんな近くで見たことはなかった。
『リシティア』号。金属版白磁のような外装。優美な曲線で描かれた三角定規を立体化したかの様な外観をした国連宇宙軍の最新鋭恒星間宇宙戦艦(コスモナート)……。なんでも亜光速で宇宙空間を跳ぶ事が出来るらしいマンガにでも出てきそうな夢の宇宙船だ。
元々。人類がスペースシャトルに乗って月に着陸してからの宇宙関連の技術、開発の進歩は飛躍的なものがあったのだけど、『タルシアンショック』という事件以降はそのタルシアンの技術も吸収して、ついにはこんなガンダムみたいな宇宙時代を感じさせる代物まで造り出してしまっていた。
今回。そのリシティア号が日本にやって来たのは、タルシアンプロジェクトの一環として、この夢の宇宙船に乗ってタルシアン追跡調査をする為の乗組員(クルー)の募集をする為という事らしかった。
確かプロジェクトの出資額や貢献度に比例配して、募集枠千人の内、約二百二十人を日本人クルーで占めるという話だった。
この数字はプロジェクトを主導しnasaを擁しているアメリカより多いらしく、その理由として出資額(これによって日本(わがくに)の公共事業がほとんど行われなくなって不況になる程)の多さ。
そしてタルシアン技術を応用した光エネルギー増幅還元システム(日光とかで得たエネルギーを何倍にも増幅させ、尚且つ貯蔵する事が出来るといったもの。ソーラーパネルの超進化版と言ったところらしい)や亜高速航行と言った技術を世界やnasaに先んじて日本が開発したからであるらしい。
この技術によって初めて莫大なエネルギーを必要とする『星間亜光速移動』が出来る宇宙船を作ることが出来たからであった。と、言う事を学校やテレビでしきりに言っていた。
だけど素朴な疑問として俺が思うのは、何故クルーを国連宇宙軍の精鋭にしなかったのかという事だ。千人くらいならすぐに集める事が出来るだろうに。何か妙な感じがした。
そんなリシティア号が俺たちの頭上を超低空で通り過ぎていくのと同時に、機体の左右から五機づつ。合計十機の人型の機体がリシティアから飛び出し、編隊を組みながらリシティアに並走する様に飛行していた。
「あれってトレーサーか!?すげー!!」
俺は初めて見る機体に興奮して叫ぶように言った。
トレーサーとは人型の探査機で、リシティア号に配備されている『それ』は、タルシアン・ショック以降に開発され、その技術が随所に応用されている次世代の最新気鋭だった。
陸海空はもとより宇宙空間をも自由自在に動ける万能マシン。言うなれば、ガンダムのモビルスーツみたいなものだ。あのtvの中の存在が現実の世界で実用化され、実際に稼働している……。
そのパイロットに憧れる者も多かったし、事実、俺もその一人だ。
「でも。恒星間宇宙戦艦(コスモナート)が飛んで、トレーサーもパイロットが乗って訓練しているという事は本当にやるんだよな……」
俺は間近で見る宇宙船と人型ロボットに興奮を覚えつつも、同時にあの「いつ」、「どこで」行われたのかすら判らない選抜選考で選ばれたメンバーが、実際にリシティアにトレーサーに乗って、宇宙の彼方に飛んで行ってしまうという夢みたいな話が、急に現実味を帯びてきてどこか言い知れぬ不安にかられた。
「なあ…聡……」
俺は声を掛けられてはっとなって慌てて振り向く。リシティアとトレーサーに気を取られて、澪姉をほったらかしにしてしまった事に気付いた。
「あ、澪姉ごめ―――」
俺は言いかけて言葉が詰まる。澪姉は俯いていた。そしてふるふると微かに震えている様に見えた。
そして不意に顔を上げると、これなでに見た事もない表情(かお)で俺に告白する――――。
「私、あれに乗るんだ」
と―――。
こんな感じで書き込んでいこうと思っております。
新聞とかで毎日載っている読み物を読む様な感じで、
読んで下さると有り難いです。
それでは。
悪くないけど
けいおんキャラ出す意味はあるの?
様子見!
「…………???あれに乗るって、あれ?」
あまりに唐突。予想外にも程がある一言に文字通り固まった末、空に向かって指を指しながら我ながら何とも間抜けた口調で返す。
「ああ、そうだ」
「そうだって……。澪姉マジなの!?」
「ああ、いろいろ考えたけど、私はあれに、リシティアに乗ろうと思う」
「な、何を言ってるんだ澪姉!?澪姉はこれから受験して、姉ちゃん達と同じ大学に行くって言ってたじゃないか!」
正直。訳が分からない。澪姉は何を言ってるんだ?。何かのどっきりなのか?。俺の頭の中は色んな?マークで一杯に埋め尽くされる。
「ごめんな聡。でも…もう決めたんだ……」
その声を聞いて、少し頭の中が整理されてくる。澪姉の声は静かだったけど、その中に揺ぎ無い強い意志の様なものが感じられた。
あの怖がりの澪姉が宇宙戦艦(アレ)に乗って宇宙…それも人類未踏にも程がある位の宇宙の彼方に行ってしまうかもしれない。それを行くと決めるのに、一体どれだけの決意と覚悟があったのだろうか?。
「……でも澪姉。一体いつ、どうして選ばれたの?澪姉が選考試験なんて受けるとは思えないし……」
「そもそも、いつどこで試験が行なわれたのかすら俺は知らない」
幾分落ち着いて?くると、今度は様々な疑問が浮かんできた。よくよく考えると不思議な話だった。募集はかけていた<らしい>のに、全く詳細の分からないクルー募集。
更には澪姉の人となり知っている人ならば、彼女が頼まれたってこんな募集に応募するわけがないという事。
そう思ったり考えたりすればする程に、俺の頭は益々こんがらがってくる。
「桜高の文化祭が終わって一週間後位に防衛庁の人が家に来て、パパとマ――りょ両親と私に「是非試験を受けてほしい」って言って来たんだ……」
「多分、あの時の様子からみて、両親には前もってある程度の事を、伝えていたんだと思う」
「その少し前からお母さんの様子もちょっとおかしかったし……試験はさいたまの航宙自衛隊の支部と言う所でやったんだけど、会議室みたいな所で五人の面接官を相手に自分の性格の事とか簡単な質問や面談をしただけで終わって、その日の内に電話で合格の通知があったんだ……」
「…………」
「今にして思うと、この時の面接には私しか居なかったみたいだし、最初からと言うか十月に学校でやった身体測定の時に決まっていたんだと思う……」
「面接の時に面接官の人が新型トレーサーに乗るには先天的な資質が必要だって言う様な事を言ってたし、測定時にそれを調べたんだろうな」
『タルシアン特別法』……国家が関与するタルシアン関連の計画に関して、すべての国民には可能な限り協力する義務がある。五年前に国会で議決された法律……。
発足当時は様々な物議を醸し出したものだけど、確かに国家によって決められた法律に対して、たかだか国民の一小市民が意義を唱えてもどうにもなる筈も無く<滞りなく>施行された法律。
「で、でも。それならどうしてそんな大事な事を、今まで何も言ってくれなかったんだ!」
法に対する人権無視とも言える様な理不尽さと、そして澪姉にとって俺は頼りにならないと、思われていても仕方ないのかも知れないけれど、まがりなりにも彼氏である俺に対して何も相談してくれなかった事に、俺は苛立ちを隠せずにどうしても語気が強くなってしまう。
「仕方なかったんだ…守秘義務があったから。この事は絶対に口外しては駄目だって防衛省の人に言われたんだよ」
「口外する事で、これからの選考試験ひいては国家いや世界的プロジェクトの妨げになりかねないって。最悪。何かしらの罰があるかもしれないとまで言われたんだ……」
「だから誰にも言えなかった……でも、お前にだけはどうしても秘密にしておきたくなかった。だから、お前にだけ打ち明けたんだ。律にだってまだ言ってないんだぞ。でも……ごめんな聡。今まで言えなくてほんとにごめん」
「澪姉……もういいよ。今こうして言ってくれたし」
澪姉が申し訳なさそうな表情で言ってくれた事に、俺はどうしても少し嬉しさを覚えてしまう。長年の親友である姉ちゃんよりも先に俺に言ってくれた事が素直に嬉しかった。
「でも、この事は誰にも言っちゃダメだぞ、律にもだ」
澪姉は念を押す様に注文をつけた。澪姉と二人だけの秘密……そう思うとちょっとした優越感に浸れた。
「うん、判ったよ澪姉。約束するこの事は誰にも言わない。でも、それで肝心の出発日は何時になるの?」
「正直に言って、正確な日時はまだ分からないんだ。多分…今日明日って事はないとは思うけど……」
「そっか……じゃあ入隊の日が決まったらすぐに教えて。俺もそうだけど、姉ちゃんや軽音部の人たちもちゃんと送り出したいだろうから、みんなで送行会をやろう」
「うん」
「あと、クリスマスは二人っきりで祝って、年が明けたら初詣に行って……でも…俺やっぱり少しでも澪姉と一緒にいたいよ」
「うん。私も聡と少しでも一緒にいたい……」
妙なテンションになって、色んな思いがごちゃ混ぜになって、顔と胸が熱くなっていくのを感じながら、思わず普段なら恥ずかしくてとても言えない様な事を言ってしまったにも拘らず、澪姉がそれに応えてくれたのが嬉しかった。
そして、そうこうしている内に、いつの間にか澪姉の自宅の前まで来てしまっていた。
「でも、思ったより澪姉は強いね」
「私が…強い?」
「だって、これから宇宙に連れて行かれるってのに、思ったよりも大丈夫そうだから。俺だったら不安でどうにかなっちゃいそうだよ」
「そうか、強いか……そうか、そうだな…何といっても私はお前の<澪姉>だからな」
澪姉はそう言って俺に笑顔を見せてくれた。俺の大好きな澪姉の笑顔。
……でもこの時の『それ』は、どこかいつもと違っていた様に見えた気がした。
澪姉を自宅に送り届けると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。その何処か暗く重い冬空の下。自転車に乗って帰る途中ふと、澪姉の両親の事が頭に浮かんだ。
おじさんやおばさんは今どんな思いでいるのだろうか。特におばさんは澪姉の事をすごく可愛がっているみたいだから、悲嘆に暮れているのではないか、とか。
そんな事を考えている内に家に着くと、姉ちゃんは既に家に帰っていてリビングで寝っ転がりながらテレビを視ていた。
こんなんで受験大丈夫かなどと思うが、夜は机に向かっている様だし、何だかんだで高校受験の時に無理目と言われていた桜ケ丘にもちゃっかり受かっているのだから、まぁ大丈夫なんだろう…………と、思う……多分……。
澪姉があの事を姉ちゃんに言っていないのはこの事もあるのだと思う。
小学校…もしかしたら幼稚園からの仲で、高校、大学まで同じ学校に通おうとする程の親友が、ある日突然に宇宙の彼方に行ってしまうなんて知ったら、もう受験どころではないだろうから。
その後。俺は夕食を済ませて自室に入った。その途端に澪姉が…大好きな彼女が遠くに行ってしまうという事実が実感として込み上がってきた。
さっきまでは大丈夫だったのに。今頃になって急に云い様のない不安感と喪失感に襲われ、胸が苦しくなり心と身体が震えてくる。
当事者ではない俺でさえこうなのに当事者である澪姉の心苦はこんなものではないに決まっている。
あのちょっと怖い話や映像を見たリ聞いたりするだけで、耳を塞ぎ、目を瞑りしゃがみ込んでブルブルと震えていた澪姉があんなにも気丈にいて……いや、気丈なフリをしていたんだ。
<そんな事>ですら気付かないなんて俺は馬鹿だ。これじゃあ何時まで経っても<澪姉の弟>のままじゃないか……。
俺は澪姉にもっと掛けるべき言葉は無かったのか。出来る事は無かったのか?俺は別れ際で見せたあの笑顔を思い出すと、胸を強く掻き毟られる思いがした。
だが、未だ入隊の日が知らされていないのなら、まだ当分先の話なのだろう。年越え、いや、もしかしたら年度を越えるのかもしれない。
それならばその間に『何か』をしてあげられればいいのではないか?。
今はそう思い込む事で、俺はどうにか精神(こころ)を鎮める事が出来た。
次の日。俺は澪姉にさっそくメールを送ってみたのだが、何時まで経っても返ってこなかった。
電話をしても繋がらない。嫌な予感がして、俺は澪姉の家に直接尋ねようと思ったけど、へタレな俺は情けない事に事実を知るのが怖くて行けなかった。
姉ちゃんも訝しげに思って俺が止めるのも聞かずに秋山宅に行ったようだけど、どうやらおばさんに上手くはぐらかされた様だった。
その澪姉から突然のメールが届いたのは、最後に逢ってから一週間後。
発信先は月軌道上のリシティア号の艦内からだった……。
つづく。
これから段々と読めるものになっていくと思いますので、
夏休みとかでよく視る再放送でも視る感じで、
ぼんやりとした感じで読んで下さると有り難いです。
ほしのこえか
2012年4月
3,2,1、……0!発射!
<アラームが鳴った!>
<先ずは索敵。全方位に集中……ターゲットは…………いた!>
火星の上空で待機していた私は、慎重にトレーサーの加速ペダルを踏み込み、スクリーンに映し出されるターゲットに慎重に近づいてゆく。
「よし…ターゲットロックオン!いけ!!」
そして、唯一の装備であるミサイルの射程距離内まで接近すると、照準をターゲットに合わせ、狙いを定めてトレーサーのバックパックからそれを撃ち放つ。
「当たれ!!」
私の叫びを乗せて射出された四基の缶ジュース大のミサイルは、白いエイの様な姿のターゲットに向かって、それぞれ微妙に違う軌道を描きながら飛んでいく。
しかし敵もさるもので、本物エイのような動きで一基目をかわす。
「何度も逃がしてたまるか!」
興奮して男の人みたいな叫び声を上げてしまうけど、そんな事をいちいち気にしてなんかいられない。
そして一基目とは違う軌道を二基目に選択させると二基目は一期目をかわした敵の動きに合わせて軌道を修正させることに成功し、どうにか命中する。
そしてミサイル自体は弾頭が装填されていない為にそのままターゲットを貫通し火星の星空を突き抜けてゆく。
そしてターゲットが居なくなり行き場を失った三、四基目のミサイルも、同じ様な軌道を描いていた。
「ふう……」
私は火星の上空から赤い大地と銀色の建造物が建っている地上を見下ろし、こちらに視線を送っている十数機のトレーサーと、教官の姿を見た。
その後、もう一体の模擬機もなんとか撃破して私の訓練は終了した。
<やっぱり実践方式だと難しいな……>
訓練が終了して私は火星基地内のシャワー室でシャワーを浴びながら、私は溜息交じりに心の中で呟く。
ここに来る前の月面基地ではコンピューターでのシミュレーションも何度もこなしたし、実際にトレーサーを起動させてからの基本動作も習得して、シミュレーションでもそれなりの結果を出す事が出来るようになった。
だけど…やはり仮想とはいえ実際に敵がいる中での戦闘は勝手が違っていた。
今回の訓練では三体中二体に命中させられたものの、こちらの武器はミサイルだけだったとはいえ、仮想タルシアンは武装なし反撃なし回避のみ。という条件だったにも拘らず全弾命中させる事は出来なかった……。
やっぱりシミュレーションの様にはいかないという事を思い知らされる。
<こんな事で大丈夫かな……って、ダメだダメだ弱気になるなしっかりしろ私!>
私は何度も首を振ってネガティブになりそうなのをどうにか奮い立たせて回避する。
私はどちらかと言うとネガティブ思考みたい……そういえば律も「それで澪は結構損をしているよな」とか言ってた位なので、気を付けないとすぐに落ち込んでしまう。
そうこう考え事をしている内に身体を洗い終えるとシャワー室を出て、基地支給のトレーナーに着替えると、更衣室のロッカーに荷物を置いたまま、その足で食堂に向かう。
食堂には既にたくさんの人がいた。テーブルには私と同じ位の歳の女の子達が、既に食事を終えてお喋りをしていたり、黙々とケータイをいじっていたり思い思いの食事の時間を過ごしていた。
私は殆ど学食で食事をした事が無かったので、女子校の学食はこんな感じなんだろうな……と、ふと思った。
私は支給されたidカードをセンサーにかざし、カウンターから食事を載せたトレーを受け取るときょろきょろと食堂を見回す。
「秋山さんっこっち、こっちよ!」
私に掛けられた声の方を向くと、その声の主は手招きをしてどこにいるのかを教えてくれていた。
「曽我部先輩、お待たせしました」
私は少し足早に其方に向かうと声の主に挨拶をして、空いている椅子に座る。
『曽我部 恵』先輩。彼女は桜ケ丘高校の一つ上だった先輩で、和の先代の生徒会長だった人だ。
明るい茶色のロングの髪。つり目気味で理知的なすっとした顔立ちは、私の一つ上とは思えない程に、綺麗で大人びた印象を受けた。
そして今は私の志望校だった女子大の学生で、休学して選抜調査隊に入隊している。
あの和にして、聡明な印象(イメージ)を抱く程の人ではあるが、何故か文化祭で私たちのライブを観て私をいたく気に入ったらしい。
そして私のファンクラブを立ち上げた挙句、卒業が近づくと別れるのが名残惜しいからと私にストーカーまがいの事をする様な人なのだった。ちなみに後任のファンクラブの会長を和に押しつけている。
だけど…そのお陰で右も左も判らない、知り合いもいないと思われたクルーの中で声を掛けてくれた事は、人見知りの私にとって本当に有り難い事でとても感謝をしている。
……ん、そういえば、顔立ちと言えば前に唯に「澪ちゃんてナンとかっていう韓国の女優さんに似てるよね」とか言われた事を何故かふと思い出した。ってナンとかって誰だよまったく……。
「いただきます」
今日の夕食(火星に朝、昼、夜があるのかはよく判らないが)はご飯に豆腐のお味噌汁。里芋の味噌和えに金平ごぼう、といった紛う事なき和食の献立だった。
どうも火星基地(ここ)での食事は和食が多い様に思えた。
リシティアの乗組員(クルー)約百三十人の内の大半は日本人(私や曽我部先輩の様な選抜トレーサー組みは百人全員)だからであろう。そして、トレーサー乗り百人は全員女性だった。
「うん、やっぱりここの野菜は美味しいわね。最初は純火星産で水耕栽培って聞いてどうかと思ったけど、やっぱり技術の進歩って凄いわね。もしかしたら有機野菜より美味しいかもしれない」
里芋を箸でつまみながら、曽我部先輩は感嘆の声を上げる。
確かに食事はおいしかった。でもお菓子やデザートの類は、あるにはあるのだけど正直に言って私にはそんなに美味しくは感じられなかった。
やっぱりお菓子に関しては軽音部で食べていた、ムギの持って来るお菓子に舌が慣れてしまったのだろうか……。
ふとムギのお菓子が食べたくなると同時に、あのほんわかした雰囲気の少女の顔を思い出す。
とは言ってもちょくちょくメールのやり取りはしているのだけど、彼女たちと会えない時間と距離が…私を少し感傷的にさせた。
「秋山さんそれで訓練の方はどう?中々調子がいいみたいに見えたけど。三回中二回も命中させていたみたいだし」
「……あっ、はいそうですね」
ぼうっとムギたちの事を思い出していたところに声を掛けられた私は、はっとなって取り合えず相槌を打った。
「私なんか三回中一回だけだったし……秋山さん最初はあんなに怖がっていたのに大したものだわ。才能あるわよ秋山さん」
「そ、そんな才能なんて……な、馴れですよ馴れ、後たまたま調子が良かっただけですから。それに怖い怖くないなんて言っていられる状況ではない事位は、流石の私でも判りますよ」
あと、自分用のトレーサーにスティぐまと名付けたら、妙に愛着が湧いてきたから……などとは流石に言えなかった。
「そうね貴方の言う通りだわ。あっそう言えば私達の隣のエリアで訓練してて、三回とも命中させていた娘がいたのって知ってる?」
「えっ?私は知らないですけど……」
「その娘、確か長峰って名前の娘なんだけど、入隊した時はまだ中学生で多分だけど全クルーの中で最年少と言う話よ」
「そうなんですか。凄いですね……」
最年少で覚えの早い才能ある女の子か……どんな子なんだろう、やっぱり唯みたいな人なのかな?。
「秋山さん。ほらあの娘、あのジャージの娘」
私がこんな事を考えていると、食堂を見回していた先輩は少し離れた所を指差しながら私に言った。
その指の先にはジーンズを上下に身に付けた、私と同じくらいの年の派手な感じの娘と、おそらくは出身校のものと思われるジャージ姿のショートカットの大人しめな印象を受ける中学生くらいの女の子がいた。流石に唯とはちょっと感じが違うなと思った。
「ちょっと話し掛けてみない?」
「……私はいいです。席もちょっと離れていますし」
人見知りの私には天才肌っぽい最年少って聞いただけで、近寄りがたくて尻込みをしてしまう。それに一緒に食事をしているジーンズ姿の女性(ひと)も何か怖かった。
「そう、秋山さんがそういうならしょうがないわね。ところで大好きな聡君とはどうなの?ちゃんと連絡(メール)し合ってる?」
「えっ?……あの、その……まぁ…それなり…には……///」
不意に聡の話題を振られて(不意でなかったとしても)私はしどろもどろになってしまい、最後の方は消え入りそうな声になってしまった。
「大事にしなきゃ。と言うかこまめにメールしなきゃ駄目よ。ただでさえそれしか連絡方法が無いんだし」
「ましてやこんなにも離れているんだから……でもこれって、本当の意味での究極の遠距離恋愛よね」
「そ、そんないいものじゃ……そ、そういう曽我部先輩はどうなんですか?ほんとはいるんですよね彼氏くらい」
私はどうにかして話を逸らせようとして切り返す。
「何度も言わせないで、私は『澪ちゃんファンクラブ』の会長だった女よ。当然…彼氏なんかいないわよ……」
「ここに来て最初に秋山さんがいたって知った時は、ほんとに運命の赤い糸で結ばれているんじゃないかと思ったもの」
「……でも貴女(あなた)といろいろ話していく内に彼氏がいるって判って、その時は結構がくって落ち込んだのよ」
ムギ辺りが聴いたら目をきらきらさせそうな事を先輩は言う。冗談なのか本気なのか判らないところが、余計に私の気を揉ませる。
「でも、秋山さんに彼氏かぁ……聡君て確か軽音部の田井中さんの弟さんなのよね。でも、桜高のアイドル秋山澪ちゃんを彼女に出来るなんて、一体どんな子なのかしら?」
「ア…アイドルって……なに訳の分からない事を言ってるんですか。そ、それに聡は彼氏と言っても弟みたいなものです」
「……ただ…優しくて。私の事を慕ってくれて。それに時々カッコ良いと思える時がある位で……」
「あらあらそうなの。御馳走さま……ふふ、やっぱりいい人みたいね。大事にされてるのね」
「―――――はい///」
今の私は、恥ずかしさで顔が真っ赤になっているに違いない。でも、否定しなかった。そこだけは否定したくなかった。
「わ、私の事より先輩はどうなんですか?今はいないにしても先輩なら彼氏くらい直ぐに見つかりそうなのに」
「そんな事ないわよ。まあ、チャンスがあるとしたらこの火星基地での訓練期間位だし、ここを出たら他に中継基地があるにせよ、殆んどがリシティア内での生活になる」
「リシティアの男性クルーは殆んどが私達の倍以上の歳の人ばかりだし、他の艦もそう。それに私達、選抜トレーサー組はこの艦ばかりか、全艦女性ばかりで男性の訓練生は一人もいないって話よ」
「トレーサーを操縦する資質の他に何かの意図があるのかもしれないけど、正直に言ってあまり良い事は思い付かないわね」
先輩の表情が少し曇った感じになる。やっぱりこの人でも分からない事や不安になる事があるのだろうか。
………と言うか話が微妙にすり替わった気もしたけど、こちらとしてもこの際、その方が都合が良かった。
「そうですか……分かりました。あと、もう一つ聞きたい事があるんですけど……」
「いいわよ。何でも聞いて頂戴」
「タルシアン・ショックの事です。なんだか少し気になるところがあるんです……」
――――タルシアン・ショック。今から八年前に起きた。『ここ』火星での事件。
今から八年前。有人火星探検隊が偶然発見した『タルシス遺跡』。
そこには何者かが生活をしていたであろう都市の様な建造物、そこで生活していたと思われる大・小タルシアンの化石の様なものが発見された。
それは正に地球外知的生命体の存在が実証された事であり、当然の様に世界は大騒ぎになった。そしてすぐさま遺跡の脇にベースキャンプが設けられ調査を開始。
その後。第一次文明調査団が組織されて火星に派遣された。
しかし、調査団による本格的調査が開始された数日後に様相が一変してしまう。遺跡の半分以上とベースキャンプが丸ごと消滅してしまったのだ。
数少ない生存者の証言によって、これは事故ではなくタルシアンによる破壊行為である事が分かった。
何でも遺跡から出土した化石とそっくりの大タルシアンが出現し、キャンプと遺跡を破壊したとの事だった。
その翌年には、大タルシアンの一群が映っている映像もtvやネットで公開されている。
その後は米国主導による国連決議で、タルシアン条約が早期成立。各国独自の非常事態宣言を発令した。
そして国連は侵略戦争という最悪のシナリオを最優先で考慮し、全地球規模での防衛システムの構築。
更には国連加盟主要国の宇宙軍(日本は航宙自衛隊)を母体に国連宇宙軍が編成された。そしてその計画の一環としてタルシス調査団が組織され、私達がそのクルーに選ばれてしまったのだった。
「……あの後。一度もタルシアンに遭遇してないですよね」
「そうね。少なくともそんなニュースは無いわね」
「だとすると、タルシアン側は地球を侵略する気が無い様にも思えますけど……」
「……………」
「それならどうして彼等(は)タルシアン・ショックなどと言う破壊行動をしたのでしょうか?」
私の話を聞いて先輩は形の良い切れ長の眉を寄せて、少しの間考える仕種をする。
「そうね。一番に考えられるのは、やっぱりタルシス遺跡に彼らにとって見られたくないモノ、都合の悪いモノがあって、地球人がそれを発見しそうになったから……」
「それを何らかの方法で知って、どこからかショートカット・アンカーを使ってやって来て問答無用に阻止をした。と、いう事じゃないかしら」
「……そうですね。やっぱりそれが一番自然な理由ですよね……」
先輩の考えは多分、正しいと思うし、私にしてもそうとしか考えられなかった。でも…私の心の片隅には何かもやもやしたものがあった……。
「もういいなら、そろそろ行きましょうか?」
「あ、はい。あまり食堂に長居するのもなんですし」
「あ、そうそう、今やってる集中訓練が終わったら、火星観光に連れて行ってくれるそうよ。勿論その中にはタルシス遺跡も入っているから、実際に見てみて色々考えてみるのも良いと思うわ」
「そうなんですか。楽しみにしてます。それでは先輩、おやすみなさい」
「おやすみなさい秋山さん。また明日」
食堂を出て先輩に挨拶をして別れると、私は洗面所と更衣室(ロッカールーム)で置いていた荷物を回収すると、基地とを繋ぐ連絡路を通ってリシティア内の自室に戻った。
自室に戻り明日の支度を済ませると、私はトレーナーからパジャマに着替える。
そしてベッドに腰掛けると早速、両親や律達にメールを送る。
入隊した当初は軍隊(?)に配属される訳だから、知り合いはおろか家族にさえも連絡が出来ないのかと思っていた。
でも連絡が出来なかったのは入隊から月に到着してオリエンテーションが終わるまでの最初の数日間だけで、それからは通話や画像を送る事とネットは禁止だったけど、携帯でのメールの送受信は自由だった。
この状況下でメールが出来るのと出来ないのでは全然違っていた。特に入隊当初の事を考えると、もしメールも出来なかったら、私は今ここにはいないのかもしれない。
それが良かったか悪かったかは別として……。
「あとは、聡かな……」
私は呟くと今日の訓練の内容とか、食事の内容等、思い付いた事を打ち込んで送信する。
そして私はメールを送った後、壁に立て掛けてあるベースの『エリザベス』を握るとベッドの上で弾き始める。
何かと緊張する訓練とここでの生活の中で、一人になって自室でエリザベスを弾いていると精神(こころ)が落ち着いてくる。
拉致されたかの様な急すぎる入隊のお迎えの時に、慌しい中どうにか持って来れた数少ない物の一つがこのベースだった。
住居はクルー一人一人に個室が与えられ、部屋は当然の如く防音対策もバッチリで、アンプに繫いでもいないベース位は、いくら弾いても音が漏れる事は無かった。
これはクルーのプライバシーを守ったり、ストレスを少しでも軽減させる為の配慮であるらしくて、その為リシティア内のスペースのかなりの部分を居住区に充てているみたいだった。
一通り弾き終わると私はエリザベスを元の場所に戻し、そのまま倒れ込む様にベッドに寝転んで、枕の横に何時も置いてある『さとぴょん』をぎゅっと抱きしめる。
さとぴょんは私と聡が付き合い始めてから、聡が初めてプレゼントしてくれた、うさぎのぬいぐるみで、エリザベスと同様に私の宝物の一つだ。
エリザベスを弾いている時と同じく、さとぴょんを抱いている時もいつもなら安心して眠りにつけるのだけど……今日はいつもと違っていた。
さとぴょんに触れる事で聡を想い出すのと同時に、曽我部先輩との会話も思い出してしまい、その途端に今迄どうにか抑え込んできた不安な気持ちが、どっと私に襲いかかって来た。
今はメールを送れば聡は必ずと言っていい程、返信してくれている。
でもその内に返してくれなくなるんじゃないかとか、実は義理でメールしてくれているだけで、私の事なんてとっくに見限っていて、既に他の女の子と仲良くなってるんじゃないかとか……。
そんな思いを振り払おうとすればする程、不安な気持ちがより一層強く大きくなってゆく。
離れ離れになってからの時間と距離が長くなっていく程に彼への想いが、その存在がどんどん強くなっていく。
何時からだろう。いつの間にか好きになっていた。小学生の頃に律の家で初めて彼を見た時は、私に弟がいない事もあってか、彼の事をかわいい弟として見ていた。
それが彼が中学生になった頃から少しづつ見方が変わってゆき、三年になる頃には、かわいい弟からカッコいい男の子として彼を見るようになっていた。
そして今は大好きな彼氏(こいびと)として、私の心(はぁと)のスペースを誰よりも大きく占める様になっていた。
「聡……逢いたいよ。聡……」
あの日。聡に選抜クルーに選ばれた事を告白した時、私はあえて<澪姉>として気丈な態度をとった。
心のどこかで、まだ自分は彼の姉みたいな存在だという思いがあったのかもしれない。
でも本当は、聡の胸に縋りつきたかった。弱音を吐いて、泣きじゃくって、その胸に甘えたかった。
出来る事なら私の手を引いてこのままどこかに連れて行ってほしいとさえ思った。
でも……出来なかった。あそこで聡に縋ってしまったらもう駄目になって戻れないと思ったから……。
辛くて、苦しくて、泣いて泣いて泣き腫らして、それでもやっとの思いで覚悟し、決意したものが、あっさりと決壊したダムの水の様に流されてしまうと思ったから。
でも本当は、こんな所に来たく無かった。律、唯、ムギと一緒に大学生活(キャンパスライフ)を送りたかった。聡ともっと一緒に居たかった。もっともっと精いっぱいの恋愛をしたかった……。
「聡……夢の中ならこの距離も縮められるのかな……カミサマお願いします。夢の中だけでも二人だけの時間を下さい……」
無意識に泪が頬を伝わっていく。
私は更にさとぴょんを強く抱きしめ、不安な気持から感傷的な気持ちになっていくのを感じながら、それでも静かにゆっくりと眠りに就いていった……。
つづく。
読み難かったら申し訳ないです。
2012年4月
澪姉が行ってしまって、もう一年と四カ月が過ぎようとしていた。
俺ももう高校三年生、そろそろ進路を考えなければならない時期にまで来ていた。
澪姉は今、火星に居るらしい。その澪姉が入隊してしまった時に月から送られて来た最初とその後の何通かのメールを要約すると、俺に選抜調査団に選ばれた事を告白した日の深夜に突然、防衛省の人間がやって来らしい。
そして本日より入隊するので一時間後に出発するから早急に準備して欲しい。
と一方的に告げられて、荷物をまとめたりして慌しい中で気付いたら彼らの車の中だったという事。
入隊から月基地でのオリエンテーションが終わるまでの間は一切の連絡が許されなかった事。
クルーの中に高校の先輩がいて、何かと気に掛けて貰っている事もあって、今のところ何とかやっているという事。
あとは姉ちゃんがこの事を知ったら動揺すると思うので。ちゃんと受験を受けられるようにサポートしてやってほしい。という事だった。
取り敢えず澪姉が無事入隊して、思いのほか元気そうで良かったと思う反面、直ぐに泣いて帰って来たらどう慰めようか、などと考えている悪い自分もいた。
そして、直ぐにメールを返信した後で最初に考えたのは、どう姉ちゃんを宥めようかという事だった。
姉ちゃんにも当然の如く澪姉から同じ様な内容のメールが送られている筈だ。
何と言っても一番の親友が何の前触れも無く、突然どうやってもこちらからは手が届かない宇宙(ところ)に行ってしまったのだから。これで、平静に居られる方がおかしいと思う。
案の定。姉ちゃんは酷く取り乱して終いには「澪はんが月へ還ってしもうた。澪はんの正体はかぐや姫だったんや」などと、全く訳の分からない事を関西弁風に言ってしまう始末だった。
冗談のような話はさておき、事実を知った姉ちゃんは最初は冗談かと思ったのか「おかしーし」とか言って笑い出し。
次に冗談では無いと判ると「何で私に何も言わず行っちまったんだバカ澪は!」などと言って怒り出し。
怒り疲れると「澪が私を置いて遠くに行ってしまった」などと言って泣き出した。
泣き疲れると今度は「おい聡!お前この事を知ってたんならどうして私に言わなかったんだ!!というかお前、澪の彼氏だろ?彼氏なら叩いてでも『彼女』を止めるもんだろ!!!このへタレ!!!!」などと言って怒りの矛先を俺に向け、一通り俺を罵倒すると、今度は澪姉の事を心配しだし、終いには上に述べた妄言をおろおろと言ってしまうのだった。
その数日後、今度は「澪が帰って来るまで大学には行かない。帰って来た時に私達だけ上の学年だったら、澪が寂しがるからな」などと(そう言えば、昔見たアニメで主人公が事故で意識を失っている間、自身も学校に行かないで一緒に留年してしまうという、主人公依存にも程があるヒロインが居た事を思い出しながら)そういった感じの事まで言い出す等、正に澪姉が心配した通りの展開になってしまった。
だが、澪姉に姉ちゃんの事を託された以上(まあ、そうじゃなくても一応、家族だし)
何とかしなければならないと思って宥めたり、叱咤したり、澪姉の事を引き合いに出したりして、苦心の末どうにか立ち直らせたかと思えば、落ち込んでいた時の反動か、「よーし!こうなったら澪の分まで頑張っちゃうぞー!それで澪が帰って来たら、私の事を梓と一緒に律先輩と呼ばせてやるんだ!」などと叫んで、俄然、気合とやる気を出し、昼夜を問わない猛勉強の末、姉ちゃんは第一志望の女子大に合格。
幸い他の軽音部の人たちも全員、同じ大学に合格した様で俺もほっとしていた。
かくいう俺も何時かは行ってしまうという事を知っていたとはいえ、この不意打ち同然の突然の電撃入隊にはショックを隠せなかった。
澪姉の為に結局何も出来なかった事。何よりも期限不明(とうぶん)の間、会えなくなった事が現実となって俺を苦しめた。
それでも知っているのと知らないのでは違うもので、ある程度の覚悟が出来ていた事。メールでの連絡の取り合いが可能な事。
そして澪姉は暫らくの間、留学しているのだと都合よく解釈する事で、どうにか形だけでも立ち直る事が出来た。
まあ、どうにもならなくなった時は、友人の鈴木をカラオケに誘ったりして、思いっきり歌う事でストレスを発散させたりしていたのだが。
それから俺は澪姉を通じて彼女のメールとか、パソコンとかを使って自分で調べたりして、現在の宇宙開発等を知った事も多かった。
まず驚いたのが、携帯のメールに関しては宇宙からでも普通に送る事が出来るという事。
知識として知っていたのだけど、実際に月から火星から届いたのには正直驚き感動した。
少なくても太陽系からなら、光速の早さでクリアに送受信できる様だ。しかし、それならばと一度、澪姉に直接電話を掛けてみたのだが、流石に繋がらなかった。
技術的には問題無い様なのだけど、どうも通話や画像の送受信に関してはブロックが掛けられているらしかった。
今現在。月を中心に三万人以上の人が宇宙で働いているのだけど、こと宇宙に関する情報…特にタルシス遺跡の出土品から得られたタルシアン文明の超テクノロジーの情報は、米国を中軸とする『国連宇宙軍』と『nasa』によってほぼ独占され、一般には情報規制されていた。
その様な宇宙情報関連の現状の中で、タルシアン調査団の情報『だけ』は例外的に数多く報道されて規制も比較的穏やかだった。
人類共通の謎の外敵タルシアンの脅威に曝(さら)されていると、人々に認識させることによって、計画の正当性を強調させるのと同時に、ある程度、調査団の情報を公開する事で、元々一般人である選抜クルーへの処遇が人道的なものである事を示して、非難を避けようとする狙いがあったのかもしれない。
この様に澪姉のメールは彼女の日常生活や訓練内容、安否を知る事が出来るのと同時に、今まで遠い世界の話だった宇宙を一気に身近なものへと感じさせ、俺に宇宙への興味を抱かせた。
最初のメールが送られて来た月では、主にトレーサーの基本的動作の習得に時間を充てられたみたいだった。
殆んどの選抜メンバーが習得出来た中、澪姉もどうにか習得できた様だった。
中には精神的なものや事故等で落伍者が出て、地球に帰還した人もいたみたいらしかったのだけど、悪いとは思いつつも、<それでもいいから還ってきてほしい>などと、どこか心の片隅で思ってしまう自分が居た。
月での訓練が終わると、火星に移っての訓練になるわけなんだけど、ここでの訓練内容は対タルシアンを仮想した戦闘訓練に特化したもののように思えた。
元々トレーサーは惑星調査が目的で開発された物だが、その装備品によっては戦闘型モビルスーツと言われてもおかしく無いものになる。
仮想タルシアンを敵とみなし、撃つ、斬る、破壊する訓練(こうい)は、この計画の当初の目的であるタルシアンを追跡調査しコンタクトを取り、その目的や情報を得るというものとは反対に、これではまるで彼等(?)との戦闘になるのを前提にしているとしか思えない様に思う。
澪姉達は調査員としてではなく戦士として養成されているのと同時に、命の危険に晒されているのと同じなのではないかと心配になって来る。
その後のメールによると、火星での訓練がひと段落したら火星の名所(オリンポス山、マリネリス峡谷、タルシス遺跡等)を観光した様だった。
そして火星を出たらその次は木星のエウロパに向かい、更には冥王星まで進み、そこではショートカット・アンカー探索をするらしかった。
俺が調べた限りショートカット・アンカーとはワープ専用ゲートみたいなもので、タルシアンが幾つか太陽系及びその周辺に設置したまま、置き去りにして何処かに往ってしまったというものらしい。
そして何度かの実験の結果、一応『問題』無く使用できることが判明したと言うものだった。
俺は木星に基地があるなんて聞いた事もなかった。
ネットのもどこにも情報の無い機密事項なのではないのかと、知ってしまった事に妙な焦りを覚えたけど、それよりも冥王星と言う単語が俺と澪姉の距離を物理的にも精神的にも更に大きくさせた。
幼い頃。図鑑等で見た太陽系の最も外側にある準惑星。
光速で跳べば大凡五時間程度の距離でも、ある意味リアルな感覚として何十何百光年先の星々よりも、その果てしない気の遠くなる様な距離感を感じさせた。
そして、ゆくゆくはショートカット・アンカーを使いこなし、澪姉達はタルシアンに近づいてゆくのかもしれない。
確かにショートカット・アンカーで彼ら(?)の軌跡をたどって往けば、彼らと接触できる可能性はかなり高くなると思う。
しかし、彼に接触出来たとしてそれからどうなるのか、無事に任務を達成出来たとしてどうやって還ってくるのか?。
ショートカット・アンカーを使用すれ(つかえ)ば一瞬にして何光年も先まで跳んで行けるのだろうだけど、今まで見付かったアンカーは全て一方通行で<行き>のものに入ってしまったら<帰り>のアンカーを使わない限り自力で帰らなければならない……という代物らしい。
しかも仮に見つかったとしてもどこに出るのか入ってみないと判らないので、迂闊には使えないというものだった。
リシティアにはハイパードライブと言うワープ装置はあるにはあるのだけど、それにしたって不安な事ばかりだ。
正にスケールが大き過ぎて考えれば考える程、気の遠くなる話だった。
それから、ある日を境に澪姉からメールが送られて来る件数が急に増えた。
内容は俺の大学受験の事。艦隊生活等の他愛もない事。それから頻(しき)りに俺の日常や高校生活等を聞いてくる様になった。
結構細かいところまで聞いてくるので俺は少し辟易気味だったのだが、こんな状況下であっても俺の事を心配してくれるのかと思うと嬉しくもあった。
とにかく俺としては澪姉が無事に任務を終えて、出来るだけ早く帰ってきてほしいと願うばかりだったし、情けない話だけどそう願う事しか出来なかった……。
と、言うか既に宇宙軍に特別に選ばれたメンバーとして入隊して、それ相応の年棒と将来が約束されているであろう澪姉よりも、寧(むし)ろ今年受験なのに未だにどの大学、学部にするのかすら決めていなくて、何となく一日一日を過ごしている状態の俺の方が、心配しなければならない状況なんじゃないのかと、思わざるを得ないのだった……。
つづく。
2012年8月
白い雪が深々と降り積もる聖なる夜。
街に広場に立てられた、電飾や煌びやかな飾りに彩られたクリスマスツリーの周りには、数多くの恋人達が、寒さと温もりを共有し合う様に寄り添いながらツリーを見上げていた。
そして、私の傍らにも、私を包み込むようにして寄り添ってくれている男の子がいた。
「澪姉、寒くない?」
その人は優しい声で私を気遣ってくれた。
「ううん、充分、温かいよ……いや、やっぱりちょっと寒いかな……」
そう言って私は、より強く密接に彼の腕をぎゅっと抱き締める。
身体よりも心が温かく、いや火照っていくのを感じる。
彼は…田井中 聡。私の、愛しい人……。
「ツリーきれいだな」
私は何となしに呟く。
「み、澪姉の方があのツリーよりもずっときれいだよ……」
彼は、ぎこちないながらも心を込めて言ってくれた。
「うれしい……」
「澪姉s……」
「……澪って言って」
「………………み…澪……」
彼は少し照れくさそうに、それでも真剣な眼差しで私を見つめる。
「聡…さん……」
私は少し見上げる様に彼を見つめ、唇を少し窄(すぼ)めて、そっと目を瞑る。
「澪……好きだよ……」
呟くと同時に彼の顔が近付いていくのを瞳を閉じていても感じる。そして、彼と私の唇がそっと重なっt――――
…………………
………………
…………
………
『――――山さん、秋山さん!』
「あっ、あ、ひゃい!」
不意にコクピットに叫ぶような声が響き、スクリーンの一部に曽我部先輩の顔が映し出される。
少し前に見た夢を思い出しながらその世界に浸っていた私は吃驚して、現実世界に引き戻される。
「どど、どうしたんですか?先輩」
我ながら何とも間の抜けた声だった。まだ少し…呆けている様だ。
『どうしたもこうしたもないわよ。もう交代の時間よ』
先輩は半ば呆れた様に言った。時間を確認すると確かに、リシティアを出てから8時間が経とうとしていた。
私は今、冥王星にいる。これまでの訓練でトレーサーの基本操縦をほぼマスターした私達のここでの任務は、ショートカット・アンカーの探索とタルシアンの監視だった。
とは言っても、探索、索敵そのものはトレーサー内蔵のコンピューターがやってくれるので、私達がやる事と言えば、気になった所を自由に飛び回る位なのだけど、私達はこれを艦ごとに3班に分けて8時間交代で行っていた。
『また、聡君の事を考えていたんでしょ』
先輩には珍しい少し非難する様な声だった。
「そ、そんな事、考えてませんよ!/////」
図星だったけど…流石に恥ずかしくて、肯定する事は出来なかった。
『どうかしら、このところ頻繁にメールしてるみたいだし……』
『あっそうだ。任務が終了して地球に帰ったら、聡君と田井中さんに言ってあげようかしら?秋山 澪さんは大事な任務中に聡君とのいちゃいちゃラブラブなふわふわdream時間を妄想してましたって』
「せ、先輩のいじわる……」
『冗談よ。まあ正直に言って私達が飛び回って捜したところで、ショートカット・アンカーなんかそう簡単に見つからないでしょうし、今のところタルシアンだって出てきそうにないもの……』
『そうね探索を兼ねたストレス解消と思えば、少しくらい気を抜いても良いと思うけど、あんまり抜き過ぎても駄目よ。秋山さんただでさえ、この所ぼうっとしてる事が多いみたいだし』
「そ、そんな事……」
言いかけて私は口籠る。確かに最近は特に不安になったり、聡の事を考えてしまう事が多くなった。
時折、無性に聡や律達に逢いたくなって仕方なくなる事もあった。宇宙に出て一年以上経つというのに、今迄で一番強いホームシックに罹ってしまったのかもしれない。
だが、そうなってしまったきっかけを作ったのは、明らかに火星での食事の時の曽我部先輩との会話からだったのだけど、今こうして私に注意している当の本人は、そんな事、微塵も感じていないんだろうな……。
『とにかく、帰艦しましょう。四房さんも戻って来てるから』
四房さんは、冥王星(ここ)に来る前、火星から木星に移動した頃に曽我部先輩に紹介されて知り合った人だ。
彼女の駆るトレーサーは私達よりもかなりリシティアから離れていた所を探索していたのだけど、こちらに向かって来るのが望遠モニター越しに確認出来た。
ここ最近は、私と先輩と彼女の三人グループで探索する事が多くなった。
四房 立旗(よつふさ たつき)さん。
ショートカットでくせ毛が魅力の元気な性格の女性で、私より2つ年上の短大生だった人だ。
入隊年次に卒業だった為に、短大は卒業扱いになったらしい。
かくいう私も入隊後、桜高から卒業扱いの連絡と卒業証書が来た。と、ママからのメールがあって。何とか卒業だけは出来たのだと、ほっとした事を覚えている。
この時。私は律達と一緒に卒業したかったと思うのと同時に、入隊に関しては守秘義務があったはずなのだけど、どうやら学校等の機関には前以って、それとなく伝えていたんだなと思った。
彼女は本来なら卒業と同時に幼馴染の彼と結婚する予定だった様で、もしかしたら特例として入隊を拒否出来たかも知れなかった(=選抜クルーの中に既婚者や正社員だった人は基本いないらしい)のだけど、彼女は敢えて入隊する道を選んだ。
四房さん曰く彼は「お前がそれを望むなら何時迄でも待っていてくれるって言ってくれたし、除隊したらお金がいっぱい貰えるから、そのお金で彼と結婚式を挙げて、ついでに家も建てちゃうんだ」と、微塵も疑いも不安も感じさせない口調で嬉しそうに私と先輩によく言っていた。
私は、そんな彼女がとても羨ましかった。
「分かりました」
私はそう応えるとスティぐまを反転させ、曽我部先輩の駆るトレーサーと共にもう粗方他のトレーサーが帰艦をし終えているリシティアの着艦ゲートに向かって、アクセルペダルを踏む。
その時だった!突然、コクピット内に警戒アラームが鳴り響く。
スティぐまに乗って初めての警戒アラームに、私の身体に緊張が奔(はし)る。私は先輩との回線を一時的に切って警報(アラーム)の内容に耳を傾ける。
『タルシアン来襲!タルシアン来襲!!トレーサー部隊は発艦準備に就け!』
まさか――――!?のタルシアンの来襲に一気に私の心拍数が上昇する。
私は任務を終え地球に帰還する為には、一度タルシアンと接触して、ある程度の何らかの成果を上げなければならい。と考えていたので、タルシアンと出来るだけ早く邂逅出来ないかと思ってはいた。
だけどいざ本当に現れた今、不意打ちに近い形とはいえ、それまでの気持ちは一気に吹っ飛んでしまい、緊張と不安と恐怖でとても接触なんて出来る精神状態ではなかった。
全く……律辺りに<相変わらず澪しゃんはへタレだな>とか言って笑われても、とても文句を言えそうもないな……。
『探索作業中のトレーサーは、直ちに各母艦に帰艦せよ!』
艦からの指示に内心安堵したけど、念のため索敵をすると赤い反応点が一つ、他のどのトレーサーよりも私達を示す三つの緑の点の近くにあった。
「うそっ!近い!!」
私の後頭部辺りの血が一気に引き、上昇し続けている心拍数が一時的に止まったかのような錯覚を覚える。
『秋山さん!大丈夫。落ち着いて戻り――――!!?四房さん―――!!!?』
先輩が、私を促そうとしたかと思うと、不意に信じられないといった叫び声を上げる。
私は刹那、索敵モニターを視ると四房さんを示す緑の点が、何を思ったのかタルシアンを示す赤い点に向かって真っすぐに向かって往くのが視えた。
私と先輩はすぐさま四房さんとの回線を開き、必死に止めに懸かる。
『大丈夫、大丈夫。様子を見るだけだから心配いらないって。話せば分かる奴等かもしれなし、何かあったとしても、一体だけだから何とかなるって』
『……それに…こんなチャンス滅多にないよ!』
四房さんは少し興奮気味に言った。確かに、タルシアンに何らかのアプローチが出来るかもしれない貴重な事態かもしれないが、彼ら(?)の動向が分からない以上、タルシアン・ショックの件もあるし……とても危険だ。
『おーいっ、そこのタルシアン。私と話を――――!えっ!うそ!さ、三体―――!?』
四房さんの驚いた声が、回線を越しに響き渡る。
索敵モニターの赤い点はひとつの筈だったのだけど、いつの間にか三つになっていた。
最初から一つでは無く、点が重なっていただけだったんだ!!!。
『大丈夫!話せば分かる筈!…………私は…帰るんだ!』
四房さんは自分に言い聞かせるように叫ぶと、私達の再三の制止の声を振り切って、三体のタルシアンに向かって驀(ばく)進していく。
私達も直接彼女を止めようと、必死になって追うけど彼女とタルシアンとの邂逅までにはとても追い付きそうもなった。
そしてついに、三つの赤い点と一つの緑の点とが一つに重なってしまった。私はトレーサーのズーム機能を使うと、辛うじて四房機とタルシアンの姿が確認出来た。
遠目だがはじめて見る本物のタルシアンは、くすんだ銀色をした亀の様な姿をしていた。
私はその姿に、軽音部の部室で飼っていた、スッポンモドキのトンちゃんを思い出したが、今視ている存在(モノ)そんな可愛らしいモノじゃない……。
≪人類全体の侵略者(てき)≫になるかもしれない未知の存在(シロモノ)だ。
『発進!トレーサー部隊発進!!』
やっと発進命令が回線から聞こえたが、私と先輩を含めて余りにも遅過ぎた。
『わ、私達は地球という惑星(ほし)から来たんだ。まずは話し合わないか?こっちに私たt――――!!!!?きゃっッッ―――!!』
言い終わらない内に三体のタルシアンは四房さんを三方から囲い込み、触手の様なモノから、一斉にビームの様なものを容赦なくトレーサーに撃ち込む。
モニターに絶望的な光景が、容赦無く映し出される。
至近距離、しかも三方から同時に放たれた光線を回避出来る筈もなく、恐らくは防御用バリヤーを張る事も出来ずに、トレーサーを貫いて往く……。
そして……間もなくトレーサーは爆散し破片が四散する。
「よ、四房……さん……イヤ!……いやぁ……返事して……返事……」
もう既に回線は途絶えていた。私は目の前(モニター)越しの絶望が信じられずに、何度も彼女の名前を呼んだ。でも、何も返って来る事は無かった。
「今行きますから!!!!」
私は叫び、トレーサーを彼女の逝た場所に向かわせようとする。それをトレーサーでトレーサーを抱き締める様に、曽我部先輩が止める。
「は、離して下さい!四房さんが!四房さんが!!助けないとっ!!」
『ダメよ!今行ったら、アナタまでやられてしまう!』
「そ、そんな事!早く助けないと四房さんが!」
尚も食い下がる私を先輩は必死に食い止める。
『もう、遅いのよ………』
「先輩、何を言って――――」
モニター越しにだけど、初めて見せ付けられる本物の人の『死』。その衝撃に私は未だ現実を受け入れられずに取り乱してしまう。
だけどそんな私を必死に止める先輩を見て、私は…はっと我に返る。
『もう遅いの……彼女の生体反応が完全に消えてしまった……私達が知っている四房さんはもう、居ないの……この世界のどこにも居ないのよ……』
泣いていた。音も立てないで、先輩の目から泪が流れていた。先輩だって私以上に今すぐにでも彼女の元へ行きたい筈だ。一縷の望みを持って、助けに行きたいに決まっている。
でも…行かなかった。ううん…行けなかった。私がいたから。こんな状態の私を連れて逝くのも、放って逝くのも、先輩の矜持(しんじょう)が責任感(つよさ)が許さなかったんだ……。
「う、ううぅ……うわああああぁぁぁぁぁぁ―――――」
泣いた。泪が止まらなかった。今迄…必死になって流れない様に溜めていたものが、泪と一緒に流れて行ってしまう様な気がした。
でも……止まらなかった。止めようともしなかった。
『戻りましょう、秋山さん……』
時を見計らって、曽我部先輩が優しく慰める様な声で促してくれた。
私は「はい……」とだけ応えて、スティぐまをリシティアに向けた。
この時。四房さんを撃った三体のタルシアンの内の一体が、別のトレーサーによって斃されていた事に、この時の私は気付きもしなかった。
『タルシアン群体出現。トレーサー隊、緊急帰艦せよ!』
リシティアに向かい始めて間も無く、再びアラームが鳴る。
「群体って……だとするとあれは偵察隊とかだったのかしら?」
曽我部先輩が怪訝そうに言った。私は今の状況がよく判らなかった。余りのショックで思考能力がかなり低下しているのが自分でも判る。
「でも…トレーサー全てを帰艦って、どういう事でしょうか?」
ぼうっとする頭の中で、必死に現状を把握しようと努める。
『判らないわ。群体の数にも由(よ)るのでしょうけど、リシティアや他の艦で艦隊戦を行うのか、撤退するのか……どちらにしても私達は早く帰艦した方がいいみたいね』
『群体までの距離、一二〇〇〇キロ。個体数数百以上。続々と増殖中!』
「えっ?数百!?何も無い所から……せ先輩もしかして……」
「ええ、やっぱり此処にもショートカット・アンカーは有ったみたいね。尤も、この状況下ではどうにもならないけど……」
『取り敢えず…兎にも角にも数からして今の私達にどうこう出来るものではないわね』
「やはり、一時撤退するのでしょうか?」
『どうかしら。現状ではそうなるしかないと思うけど。司令官次第でしょうね』
タルシアンは何をしたいのか?やはり私達を敵と見做(みな)して殲滅をしようとしているのか。それとも他に何かあるのか?私にはよく判らなかった。
分かるのは今私達は危機的状況にあって、配置マップを確認すると、既に赤い点がマップ上に侵食するかの様に拡がり艦隊に急迫していた事だ。
赤い点は恐らくはショートカット・アンカーかと思われる地点から更に続々と湧き出ていた。
やはり先程の三体のタルシアンは偵察、斥候隊で私達を発見した所で群体を呼び出したのであろう。
しかし、この不意打ちに近い状況では余りに分が悪いし、私自身…とても戦えるような精神状態ではなかった。
それでも、どうにか私達はやっとの事で、リシティアに辿り着き回収待ちのトレーサーの後ろに着く事が出来た。
『艦隊はタルシアン群体との接触を回避する。これよりハイパードライブに入る。ミッション中のトレーサーは全機、直ちに帰艦せよ。帰艦を急げ、ワープアウト・ポイントは、暗号化して伝える。各艦、ワープイン・タイムを一分後に設定させる。では、カウントダウンを開始する』
どうやら間に合った様だ。私は少しほっとして安堵の息をもらす。
次々にトレーサーが回収されていく。残りは私達と、後ろから近づいて来る二機を残すのみとなった。
『警告!タルシアン接近!』
「えっ!何で!?」
残り時間三十秒の処で、私はコンピューターの音声に驚きの声を上げ周りを確認する。
見るとタルシアンが一体、最後のトレーサーの背後に迫っていた。
だが進入角度から見て、タルシアンはあのトレーサーを狙っているのではなく、私達…延(ひ)いてはリシティアに狙いを定めているんだ!!と私は直感する。
最後のトレーサーもその事に気付いたのか、そうはさせまいと恐らくはビームブレードを繰り出すけど、タルシアンはトレーサー諸共これを避わしリシティアに迫って来る。
もしここで攻撃を受けた場合。仮に私達が回避したとしても回収ゲートに被弾した場合最悪の場合ハイパードライブが使えなくなる。
そうなればタルシアンの大群に囲まれて、なす術もなく袋叩きに逢うだけだ。
<戦うしかない>私は折れてしまった心を無理矢理に繋ぎ止めて奮い立たせる。
そして敵近くのトレーサーに当てない様に狙いを定め、震える手でミサイルの発射ボタンを押そうとする。
その瞬間だった。急にタルシアンの動きが止まる。見るとタルシアンに避わされたトレーサーが、今度は脇をすり抜けるタルシアンにワイヤーを打ち込んでいた。
そしてワイヤーを巻き戻すと一気に距離を詰め、背後からビームブレードで一気にタルシアンを引き裂くと、タルシアンは血飛沫の様なモノを勢いよく上げながら肉片になって飛び散っていく。
「す、凄い……」
私はスクリーンに映った光景に思わず呟いていた。タルシアンの恐怖に打ち克つ精神力。一瞬の判断力。トレーサーの操作能力……。
その全てが自分とは比べ物にならないと痛感する。それ位に流れる様な一連の動作は見事だった。
『早く入るわよ!。ワープが始まっちゃう!!』
曽我部先輩は少し焦った感じに促すと、半ば引き込まれる様に私は機体を艦内に収容させる。
そのすぐ後に最後の機体、あのタルシアンを墮とした機体がゲートに回収されたとほぼ同時に、既にワープエンジンを稼働させていたリシティアを光の粒子が包み込み、空間が一気に歪曲しそしてワープが始まる。
私は不思議な感覚に包まれていくのと同時に、聡達にメールを送っていない事に気付いた。ハイパードライブで一光年以上跳ばされてしまうと、次にメールが届くのは一年以上かかってしまう。
しかし時既に遅くリシティアは光の粒子と共に。私は宇宙空間から様々な不安と共に私の存在(すべて)が消えしまうかの様に、更なる暗闇に吸い込まれていった……。
聡、お願い待ってて。私を忘れないで……。
私は暗闇に包まれながら、祈るような想いで心の中で呟いていた……。
つづく。
2012年8月
この年。澪姉から届いた最後のメールは冥王星からのもので、大体いつものと変わらない内容に加えて、『冥王星は何か寂しい感じがする』といった感想や、『早く還る為には本当は見付けたくないのだけど、一度はタルシアンと接触して彼らの目的を探る必要があるのかな』等の内容だった。
それに加えて『ある程度の成果を上げなければならないのだけど、今のところ幸か不幸か現れる気配は無いので、恐らくは近い内に太陽系の外に跳ぶ事になると思う』と言った内容のものもあった。
しかし、ある日を境にほぼ毎日届いていたメールがぷっつりと途絶えてしまった。そして、その原因は数日後に判明した。
艦隊がタルシアンと遭遇し小規模の戦闘が行われた事。
更にこの戦闘を回避する為に、1・1光年のハイパードライブによるワープが行われた事が、非公式だけどニュースで発表されたからだ。
更にこの三日後。死者が一名出たと新たに発表された時には、不覚にも頭の中に最悪のイメージが浮かんできてしまった。
澪姉が一年以上メールが届かなくなる事を事前に知らせないのはおかしい。何か不測の事態が起こったとしか思えない。そう考えると死者一名と言うのが澪姉である可能性を……悔しいけど否定する事ができなかった。
澪姉は生きている。俺はそう信じたい。いや信じなければならないと思った。彼女を信じて待つ。それが彼氏である俺の義務であり……権利だ。
何れにせよ一年以上待たなければならないのではあったが……。
だけど、ただ何もしないで一年以上も待つのは流石に辛すぎるので、それならば澪姉と俺をここまで翻弄するタルシアンに、とことん付き合ってやろうと思った。
俺にとってそれはタルシアンを研究できる大学を志望する事であり、幸か不幸か部活の方は最後の大会も早々に敗退して引退してしまったので、受験勉強に集中できる状態にあった。
調べた結果。タルシアン関連を主に研究する学部のある大学は一校しかなかった。『大坊』という校名の大学だった。それなら話は早い。俺は早々に大坊大学を受験する事に決めた。
それにつけても今回の事件について改めて思う。何故に澪姉がこんな目に遭わなければならないのか。彼女はそれまでは平凡の範疇に入るただの高校生だった筈である。
それが何故、遥か宇宙まで連れて行かれて、挙句は宇宙人(エイリアン)と戦わされねばならないのか。そんな云われは全く無い筈だ。理不尽にも程がある。
何時から日本は国連は全体主義になってしまったのか。改めて怒りと焦燥感が噴き上がって来る。
そして、その様な憤りを感じているのは当然俺だけでは無かった。
元々。今回の調査団の件は宇宙関連としては例外的に情報が公開されている方ではあった。
それでも閉鎖的ともいえる国連宇宙軍や日本政府に対する不信感は募る一方で、今回の事件。
その中でも特に選抜メンバーから犠牲者が出て、更に何故か頑なに犠牲者の氏名が公表されなかった事が特にメンバーの家族等から一気に不信感を噴出させた。
その一環として選抜メンバーの家族、親類、近しい者達がネットやマスコミを使って、選抜メンバーのほぼ完全なリストを作り上げてしまい、それがマスコミを介して発表されたのだった。
選抜メンバーの情報は政府としても公表したくは無い情報(もの)だったのだろうけど、既に抑え切れない程に不満や不信感の噴出が強くなっていた。
リストを作り上げた事で、更に疑念を募らせることになった事があった。
それは選抜された日本人二百十八名の全てが女性で、更にその平均年齢が十八・六歳であった事だ。
そのこと自体は少なくとも俺は澪姉からのメ―ルで何となく気付いていたのだが、改めてこの事実を突き付けられると何とも胡散臭さを感じずにはいられなかった。
この件は当然、国会でも議論の対象になった訳なのだけど、防衛大臣の回答はトレーサーの設備、装備を充実させることによりその分スペースを確保する事になり、男性より小柄な女性の方が適しているからとか。
女性の方が狭い空間での集団生活におけるストレス耐性に優れているとか言う事だったのだけど、全部が嘘ではないにせよ疑わしさを隠し切れるものでもなかった。
そもそも澪姉自身トレーサー操縦の適正で選ばれたのだと思うという事をメールで記しており、その他にも様々な要因が含まれている様に感じた。
しかし。その様な人権擁護の世論(こえ)も、タルシアン再び来襲と云う事件が、侵略に対する恐怖心を煽り、防衛論議の世論(おおごえ)にかき消されて逝くのだった……。
だけど、今の俺にとってはそんな世間の声などどうでもよかった。ただ、今は新たな目標に向かって突き進むだけだ。
澪姉が無事であることを信じてはいるのだけど、確定していない以上は何かに没頭していないと不安でどうにかなりそうだった。
そして俺は何かを…俺を縛り付けるものを振り払うかの様に、受験勉強に没頭してゆくのだった……。
つづく。
2013年6月。
『大坊大学』……1981年創立の伝統校でも新設校でもない歴史を誇る文系理系、医学部まで揃える総合大学である。その学部、学科数は多岐に亘(わた)っていて、その数は日本の大学で最も多いとされている。そしてこの大学の人気は非常に高く今や私立で言えば早慶と肩を並べる程だった。
その人気の理由は、その学科の多さや、私立としては最も安いとされている学費という事もあるが、最大の理由はその就職率の高さにあった。
何でも、この大学の創立者の一人で学長でもある人が、元、バリバリのトップ営業マンで就職を希望する学生に対して『自分を企業に売り込む』ノウハウを徹底的に伝授させ、実践させる事、しっかりとした学生一人一人の適正判断による入社後の離職率の低さ。それらの積み重ねによる、過去の実績も相まってこの不景気の中、圧倒的な就職率を誇っていた。
だけど俺がこの大学を選んだのは、就職に有利などと言う現実的な理由では無かった。日本の大学でただ一つ、俺の学びたいものがある学校だったからだ。
俺は田井中聡。今年から大坊(この)大学に通っている、只の大学生だ。
『地球外文化学部・総合文理学科』。この全く洗練されていない名前の学科が、俺の在籍している学科だ。今のところ主にタルシアンの研究をする学部なのだが、いかんせんそのタルシアンの研究自体あまり進められておらず、史学、文化人類学、工学、化学にすら分けられない位でその全てを纏めて学ぶというある意味、破天荒な学科であった。
澪姉を宇宙へ連れて行ってしまったタルシアン。俺と澪姉を引き離しやがったタルシアン。俺はタルシアンに対する憎しみにも似た感情と、そんな奴等に対する興味、そして、澪姉に少しでも近づきたい。そんな想いで俺はこの学科を、大学を選んだ。後悔は今のところしていない。多分……、
はっきり言って澪姉の事が無かったら、偏差値的に考えても受ける事すら考えなかったと思う。実際、内容がカオス過ぎて比較的競争率の低いこの学科でも、俺にとっては非常にレベルが高く、本当に彼女の事が無かったら今考えても自分でも恐ろしくなる位に集中して勉強などしなかっただろうし、ここを受ける事を知った姉ちゃんに「聡。お前、大坊受験するんだって?冗談は顔だけにしとけ?」などと、真顔で言われた事を覚えている。
兎にも角にもこの名門校に合格出来たのもある意味、澪姉のお陰とあって改めて感謝しているのではあるが、もう二年以上逢えていない上に一年近く連絡も取れない事、受験で色んなエネルギーを使い果たしてしまった事も相まって、彼女の事を忘れる事はないにしても、彼女の居ない生活に慣れてしまってきて次第にその存在感が薄くなってしまっているのも事実になってしまっていた。
「あの。ちょっといいかな?」
入学して二か月ほど経ち、そろそろ大学生活にも慣れてきた頃、講義で疲れた頭を休めようとキャンパスで適当な場所を探している時に不意に後ろから声を掛けられる。その聞き慣れない声に少し驚いて振り向くとそこには、黒髪ロングの小柄な女性が俺のすぐ後ろで、ニコニコした表情(かお)で俺を見ていた。
「えっ!?―――み―ぉ―――」
俺はその女性の容貌(かお)を見て一瞬声が詰まる。
似ていると思った、澪姉に。いや改めてみるとやはり別人だと判るのだが、一瞬、澪姉が少し小柄に幼くなって還って来てくれたのかと思ってしまった。
「あなた、田井中 聡くんだよね?律先輩の弟さんの?」
「あ、あの。し、失礼ですけど、どちら様でしょうか?」
どうも、姉ちゃんの知り合いらしく俺の名前も知っている様で、確かに俺もどこかで見た事がある様な気がするのだが、思い出せそうでどうにも思い出せなくてもやもやする。失礼なのは判ってはいるのだが、思い出せない以上、素直にこう言うしかなかった。
「あーやっぱりわからないかな……」
彼女は少し残念そうに言うと、両手を後頭部に回し、耳の後ろの辺りの髪を左右で掴み、ツインテイルを作って見せた。
「あっもしかして、軽音部で姉ちゃんの後輩だった?」
この髪形には見覚えがあった。確か姉ちゃんが高校生の時にたまに家に来ていた軽音部の中の一人だった人だ。そういえば、姉ちゃんが女友達を家に連れて来た時なんかは、妙に恥ずかしくなって、禄に挨拶もせずにそそくさとどっかに行ってしまっていた事を思い出した。
「うん、中野、中野 梓。お久しぶりで良いよね?田井中くん」
「あ、はい。お久しぶりです。中野さん」
そういえば、大学に受かった時に姉ちゃんが「まぐれでも受かってよかったな」などと、散々に言ってくれた後、「そういえば、梓も大坊だったよなぁ」。とか言っていたのを何となく思い出した。
「ねぇ、田井中くん。これから講義ある?」
「え?いや、今日はもう無いですけど」
「そう。よかった。私ちょっと時間空いちゃって暇してたんだ。立ち話もなんだし、時間あるならそこでちょっと話さない?」
「ま、まあいいですけど……」
「ほんと?じゃあ行きましょ」
言うが早いか中野さんはにこっと微笑むと、俺の腕を絡める様に引っ張って喫茶室の方に向かって行った。
「中野さん、獣医学科なんですか!?」
喫茶室でコーヒーを啜りながら、目の前で紅茶に口を付けている女性(ひと)の話を聞いて少し驚いた。大坊大の医学部と言えば私立最高峰の難易度で、旧帝大の医学部と肩を並べる程だ。その中では比較的受かり易い獣医学科とはいえ、情けない話ではあるけど俺では死んでも受かる自信が無かった。
「うん。高校の時、部室でスッポンモドキっていう種類の亀を飼っていたんだけど、私が三年になって間もない頃に、ある日突然、病気になっちゃって死にそうになって病院に連れて行ったんだ。もう駄目だって思ったんだけど、どうにか先生が治してくれて、この時は本当凄いって、私もこんな風になりたいなって思って。それまでは律先輩達と同じn女に行こうかとか思っていたけど、将来の事考えてこっちにしたんだ」
ちょっと子供みたいでしょ?と、中野さんはちょっと照れくさそうに言って、それから「その亀は、今は私の家で飼ってるの」と付け加えた。
「田井中くんこそ、『地外』なんて珍しいと思うけど」
「ははっ、俺なんかもっと子どもっぽいですよ。俺の小さい頃からの知り合いが今宇宙に居て、俺も宇宙に興味を持ったからです。将来とかあまり考えずに決めちゃいました」
そう言っている内に、俺は気恥ずかしさを覚えて頭を掻いた。
まあ、中野さんに疑問を覚えられても仕方がない。なんせ、地外ナンかに入って来る様な奴は<キ地外>などと他の大坊生に揶揄される位だし……。
「…………知ってる人って。もしかして、『秋山 澪先輩』の事?」
「はは、やっぱりわかりますよね。澪姉って、えーと俺は子どもの頃からこう呼んでいるんですけど。やっぱり気になっちゃって。彼女の事も、タルシアンの事も……」
もっと言えば澪姉は俺の彼女で、少しでも近付いた気分になりたくて入った。などとは流石に言える筈もなかった。
「ふーん、そうなんだ。やっぱり仲が良かったんだ……。ねえ?田井中くん。次の土曜か日曜日、時間ある?」
「えっ?土曜の午前以外なら大丈夫ですけど……」
突然の想定外の言葉に、俺は反射的にこたえてしまう。
「じゃあ、今度の日曜日にどっか行かない?私ちょっと暇になっちゃって、一緒に暇潰してくれたら嬉しいな」
中野さんは俺の顔を覗き込む様にして、上目づかいに見ながら言った。
「ひ、暇潰しに行くだけですよね……」
「?…うん。そうだけどダメかな?」
「……いいですよ。俺も丁度、暇ですから」
俺は少し迷った後、ついokの返事をしてしまう。澪姉に悪いと思いつつも、その澪姉に逢えない寂しさや苛立たしさもあった。それと同時に彼女が居ない事に慣れてきてしまっている自分もいた。
そして、これはデートなんかじゃなくて、ただ単に大学の先輩に連れられて暇潰しに遊びに行くだけだ。と、自分自身に言い聞かせ納得させる。
だが正直に言って中野さんの上目づかいは、どきっとするほど可愛かった。一目見た時に澪姉に似ていると思った容姿は伊達じゃ無い。澪姉とはまた違った魅力があった。この魅力に抗える男がいるだろうか?いや、いる筈が無い(反語)と、思う。多分……。
それに言い訳じゃないけど、軽音部時代の澪姉の事も色々と聞きたいと思った事も事実だ。と思う……。
「よかった。それじゃあ、今度の日曜日11時に新宿駅の西口でいいかな?」
「いいですよ。日曜日の11時に新宿駅の西口ですね?」
「うん。それでいいよ。いい、田井中くん。くれぐれもドタキャンはダメだからね」
中野さんは念を押すように言ってからニコッと微笑む。やっぱり可愛い。もし俺と澪姉の歳が反対だったら、こんな感じだったんだろうか?想像してみて正直それも良いなと思ってしまった。
「それじゃあ私、この後講義があるからこれで。次の日曜、楽しみにしてるね」
そう言うと中野さんは伝票を持って席を立ったかと思うと、そのままさっさと行ってしまった。俺は色々な意味での急展開に半ばあっけにとられた感じで、冷めてしまったコーヒーを啜りながら、何故、中野さんみたいな女性(ひと)が俺なんかに声を掛けたんだろうとか、よく俺の事なんかの事を覚えていたなあ。とか、ぼんやりと考えていた。
つづく。
次の日曜日。俺は約束の15分前に待ち合わせ場所に着いたのだが、そこには既に中野さんが俺の事を待っていた。
「済みません。お待たせしちゃいましたか?」
約束に遅れた訳ではないので、別に謝る必要もない気もするのだが、待たせてしまったのは事実なので取り合えず謝る事にした。
「んーん。私も今来たところだから。ごめんね、余計な気を使わせちゃって、今日が楽しみでちょっと早く来ちゃった」
中野さんはちょっと苦笑気味に、はにかんだ感じで言った。やっぱりかわえぇ。服装も落ち着いた感じの水色っぽいチェニックとワンピースも似合ってるし、それに今日は、薄っすらとだが化粧も映えていて、特にピンク系の色の口紅に彩られた唇は艶っぽいと言うか、そこはかとない色気があった。
「早速だけど、田井中くん。お昼まだでしょ?」
「ええ、まだです」
「じゃあ、まずはお昼にしましょう。この近くに良いお店があるんだけど、そこでいいかな?」
「分かりました。お任せします」
何か大学で再会(?)してから、ずっと中野さんのペースに引っ張られている気もするけど、別段、不満も無いので特に気にする事も無かった。
「このお店お料理もそうだけど、何と言っても紅茶とケーキが美味しいの。今でも律先輩達、元軽音部の人達とたまに来るんだ」
中野さんに案内された店は、落ち着いた感じのカフェでそこそこにお客の入りも良かった。俺は彼女に勧められるままに、ケーキと紅茶がセットに付いたランチセットを注文する。中野さんは軽音部のみんなとよく利用すると言ったのだが、俺もよく澪姉とのデートで軽音部のみんなでよく行くという店に連れて行かれたものだけど、この店は初めてだった。こう言う事で澪姉の居ない時間と距離の永さを否が応にも痛感させられる。
「それで、澪姉はどうしたんですか?」
食事を終え食後のケーキと紅茶に口を付けながら、俺は中野さんの話を聞いていた。
「あの時は……って田井中くん、澪先輩の事ばかり聞くんだね」
中野さんは少し拗ねたというか、咎めるというか呆れた様な口調と表情で言った。
「あっ、す、済みません。つい……」
俺はちょっとばつが悪くなって謝る。だが正直に言って何を話していいのかよく判らない。共通の話と言えば大学の話と、姉ちゃんと澪姉の事位しかないのだが、大学の話をここでしてもしょうが無いし、別に姉ちゃんの話なんか聞きたくも無い。そうなると、澪姉の事を聞くしか無くなってしまう。かと言って目の前の本人を差し置いて、こうもここにはいない人の話をされては誰だっていい気分はしないだろうし。流石に失礼な話だという事はこの俺でも判った。
「もう、しょうがないなぁ。それじゃぁ―――」
「こ、ここの支払いは、俺がしますからっ」
中野さんが何か言おうとしたのを遮りながら、俺は皆まで言わせない様に言った。俺のkyぶりのせいで彼女の気分を悪くさせたのだから、ここは潔く腹を括るしかない無いと思った。だが、当の本人は「えっ?」と、一瞬、きょとんとした表情(かお)になる。
「い、いや……お詫びに何かしたいなと思って……」
予想外の彼女の反応に、俺はしどろもどろになってしまう。
「……田井中くんが、澪先輩の事ばかり聞くから、私がそれに怒っていると思った?」
「え、い、いや……その……」
「まったく……そんな事で私が怒るわけないデス。まぁ、ちょっとは気になったけど……それ位しか今は話す事も無いだろうし。仮に怒ったとしても私から誘ったんだもの、その相手に奢って貰おうなんて思う訳がないデス」
そう言う中野さんの口調はちょっと怒ってるぽかった。
「済みません。俺が浅はかでした。じゃあ、お詫びとかそんなんじゃ無くて、俺に何か出来ない事は無いですか?」
俺が改めて言うと、今度はにこりと微笑(わら)ってこう言った。
「うん。じゃあ田井中くんに次に行く所を決めて貰おうかな……」
俺と中野さんは映画館の前に居た。彼女に次にプランを決める様に言われた俺は、色々悩みつつ最終的に暇潰しにはベタ過ぎると言っても良い【映画鑑賞】を選択した。
はっきり言って俺は澪姉以外の女の子と二人っきりでどこかの出掛けた事なんて無いし(姉ちゃんは除く)。どこに行ったらいいのかなんてさっぱり判らない。基本的に俺は流行り物とか遊びとかのスポットとか、そう言った事に対しては自慢じゃないがかなり疎いのだ。と、言う訳で沢山の選択肢がある様で、結局は映画(これ)位しか選択肢が無かったのであった。因みに(?)澪姉とのデートは、メシを食べてナンのプランも考えず、その辺をブラブラするのが殆んどだった。と、いうかそれでよく間が持ったなと、今にして思う。それでも俺は澪姉と一緒に居るだけで充分楽しかったし、彼女も楽しそうにしていたけど実際にはどうだったのかな、と、今更ながらに反省する。
「どの映画にしよっか?」
映画館の前で上映中の映画の宣伝ポスターを眺めながら、中野さんは俺に聞いてきた。
「うーん。そうですねぇ、どれにしましょうか……」
目星もつけなくて映画にしてしまった事を反省しつつ、俺は幾つかのタイトルを見ながらその紹介分を読んでみた。
「えーと『ヤッテヤルデスの逆襲』……。何々、謎の怪奇生物<ヤッテヤルデス>が学園の生徒や教師に襲い掛かりその恐怖は更に……学園を舞台に繰り広げられる、戦慄の学園パニックホラー。ヤッテヤルデスの正体とは?その目的とは何か?あなたはこの恐怖に耐えられるか?……って何だこりゃ」
ポスターには何とも安い宣伝文句と、そのヤッテヤルデスらしき蜘蛛みたいな身体と言うか、女性らしき顔をした胴体に髪を束ねた様な肢が生えているという、何とも奇怪なシルエットがあった。しかし、その顔をどこかで見た事がある様な気がして、俺の隣に居る女性の顔をちらりと見たが……そう思った事自体を無かった事にした。
「田井中くん、ホラーとか好きなの?」
「あ、いや、ちょっと目に付いただけで……あっこれなんてどうですか?」
流石に女の子と二人でホラーと言うのも何なので、咄嗟に目に付いたものを指差す。
「『好きです、あさ子先生』……これって恋愛もの?」
中野さんはポスターを見て少し怪訝そうな顔をする。その表情が気になって俺もポスターと紹介分を見てみる。そこには『美貌の音楽教師と眼鏡が魅力の生徒会長との女子高を舞台に綴られる禁断の愛のドラマ……』って、何だこりゃ?俗(?)にいう百合物ってやつかな?これは少なくとも俺が中野さんと観るには、まだハードルが高すぎる。
「……やっぱりやめときましょう……ん、あれは確か……」
俺はある作品のポスターに目が止まる、これはそう言えば……。
「中野さん。これナンかどうですか?」
俺はその作品のポスターを指差しながら言った。
「『ジーニアス』?これってアニメ?」
「みたいですね。あの俺の友達に鈴木ってやつがいるんですけど、そいつがこの前この映画が面白いって前に俺に言って来たんですよ」
「俺もちょっと気になってたのを思い出したんですけど、やっぱり中野さんはアニメなんて視ないですよね……」
「ううん、そんなこと無いよ。それにこの映画、私の友達も弟に勧められて観てみたら、ところどころ気になったとこがあったけど面白かったって言ってたし。うん。いいよこれにしましょうか」
中野さんは何か思うところがあるのか、ポスターを見てから俺に言った。
そして俺達はチケットを購入して、次の上映時間までその辺をブラブラしてから映画館に足を踏み入れたのだった。
つづく。
「……映画、何と言うか、何とも言えない感じでしたね……」
「そうね。私は出てくる人達の殆んどに妙な既視感を感じたし」
「そうですね。俺にも何人かいました」
「と、言うか私っぽい人はあっさり殺られちゃったし……」
「…………………」
俺は中野さんの言葉に流石に返す言葉が見つからなかった。
そんなこんなで俺達は、映画館を出て街をブラブラ歩きながら、映画の感想などを話していた。そう言えばいつの間にか会話も随分とスムーズになった気がする。
時刻は17時をとうに過ぎていたがまだ空は明るかった。
「ねえ、田井中くん」
不意に、中野さんが俺の名前を呼ぶ。
「なんですか」
「まだ、時間あるかな?」
「大丈夫ですよ。どこか行きます?」
俺がそう答えると、中野さんは一呼吸置いてこう言った。
「じゃあ、これから飲みに行こうよ―――」
「ねぇ田井中くぅん。これから田井中くんの事、聡くんて呼んでもいい?」
どこにでもある居酒屋チェーン店のテーブルで、カシス・オレンジを飲みながら、中野さんはほんのり上気した顔で俺に聞いてきた。
「は、はい。いいですよ。俺の事は何とでも呼んで下さい」
俺は生ビールを一口飲みながらそう応える。
「じゃあ私の事は梓と呼んでね。何なら『あずにゃん』と呼んでくれてもいいにゃあ///」
赤い顔を更に朱に染めながら、中野さんは少しはにかんだ感じで真面目な性格の彼女では素面ではとても云えない様な事を俺に言ってきた。
「あ、あずにゃん……?」
「そうにゃあ。唯センパイは私の事をそう呼ぶんだにゃあ」
唯先輩?確か軽音部の人の中にそう呼ばれていた人がいた様な気がする。
それにしても中野さんはかなり出来上っている様だった。そんなに呑んではいない気もするけど、かなり弱いのだろうか?あと、言われてみれば確かに酔った所なんかは、特に猫っぽい感じがするし、猫にマタタビ、あずにゃんにアルコールと言った所だろうか?。
「な、中野さ―――」
「あ、ず、さ」
「あ……梓さん。ちょっと呑み過ぎなんじゃないですか?大丈夫ですか?」
俺は流石に少し心配になって、中野、いや梓さんに声をかける。
「うん。らいじょうぶだからぁ。ねっさとひくんももっと飲もっ」
梓さんはうふふと笑いながら、俺に自分の飲みかけのグラスを差し出す。
俺は流石にこれは駄目だと判断して伝票を持って席を立ち、半ば強引に梓さんの腕を引っ張る様に会計を済ませ店を出る。梓さんは不満そうな表情を見せ、実際に声に出して抗議するが流石に聞いていられない。
流石にこのまま帰すのはまずいと思った俺は、近くの公園の様な広場のベンチに梓さんを座らせ、そのすぐ隣に設置されている自販機からお茶を買ってそれを彼女に手渡す。
「少しは、落ち着きましたか?」
俺は少し時間を置いて隣で座っている梓さんに声を掛ける。これからの事を考えると少し頭が痛くなった。もしこのままの状態だったら、そのまま家に返す事なんて出来ないし、勿論、俺の家なんてのは論外だ。姉ちゃんも丁度大学の寮から帰って来てるし……でも、よくよく考えると最悪、姉ちゃんの頼る事になってしまうのだが、何とかしてそれだけは、色んな意味で避けたかった。
「ねぇ、聡くん……」
俺が色々と思案していると不意に声をかけられる。先刻までとは違う声色に急に酔いが醒めたのだろうかと、俺は安堵と少しの戸惑いを覚えた。
「はい、何ですか?」
「……聡くんと澪先輩って、どんな関係なの?」
梓さんは俯いたまま訊いてきた。俺は正に不意を突かれて一瞬口籠ってしまう。訊いた本人の表情は俯いたままなのでよく判らないが、顔色はまだ少し赤いし酔っている事は間違いないとは思うのだけど、その声と顔は真剣なものに見えた。
「えっ……お、俺と澪姉って……い、いや、そ、それは、姉の幼馴染で、その繋がりで、俺も小さい頃からの知り合いd――」
「そんな事を聞いているんじゃないのっ!ねぇ…澪先輩は君にとってどんな女性(ひと)なの?」
梓さんが顔を上げて俺の顔をじっと見詰める。何故か思い詰めた様な顔をしていた。
それにしても、店を出るまではあんなに酔っている様に見えたのに。急に酔いが醒めたのか。もしかしたら、最初からそんなに酔ってはいなかったのだろうか……?だが今はそんな事を考えていてもしょうがない。
「……お、俺と澪姉は付き合っています。もう二年以上逢っていませんけど、少なくとも俺はそう思っています」
俺はここではぐらかす様な真似はしてはならないと判断し正直に答える事にした。
「そう。そうなんだぁ、そっか…やっぱり……ねえ、聡くん。何で私があの時声をかけたり、二人で遊びに行こうなんて誘ったのか分る?」
「…………」
「私ね、軽音部の集まりで律先輩の家にお邪魔して、そこの玄関で初めて聡くんを見かけた時から、ずっと気になってたの。聡くんはそれからも私達を見るとすぐにどっかに行っちゃてたけどね。だから大学で君を見かけて、律先輩からそれとなく君が大坊に入学し(はいっ)た事を聞いて、びっくりしたけどこれは何かの縁が有るんじゃないかって思って君をずっと捜してたの」
「何度か見かけるんだけど色々とタイミングが合わなかったりして、中々声が掛けられなかったんだけど、あの時やっと声が掛けられて……その時は嬉しかったな」
梓さんはちょっと照れくさそうに言ってから笑う。紅かった顔が更にもう少しだけ朱に染まった気がした。
「…………」
俺は何も言わず、いや、言えずにただ黙って彼女の話を聞いていた。こう言う時になのを言えばいいのか、俺の浅い人生経験では答えを導き出す事は出来なかった。
「ねぇ、聡くん。私とつk―――」
「あ、梓さんっちょっと待って下さいっ」
俺は、もしこの流れで告白でもされたらこのまま流されてしまいそうで、それを何とか押し留める。
年上の女性(ひと)に対して失礼かもしれないが、梓さんは可愛い。普段から可愛くて、酔った時も可愛い。そして今みたいな時も可愛いと思ってしまう。でも、俺には澪姉がいる。逢えなくても彼女を忘れる事なんて出来ない。
「……じゃあ、お友達になってくれない?それならいいかな?今は……今はそれでいいから……」
梓さんの表情(かおいろ)から朱が薄くなっていく。そしてどこか悲しそうに笑った。
俺にはそんな梓さんの願いを断れる程の強靭な精神力を持ち合わせてはいなかった。
「でもね、聡くん……」
梓さんは何か言いかけて口籠る。俺は「何ですか?」と言うと。彼女は一瞬溜めを作ってから意を決した様に話し始める。
「聡くんはこれでいいの?確かに聡くんと澪先輩は恋人同士かもしれない。でも、もう2年以上も会っていない上に、1年以上も連絡すら取れていない。そればかりか生きているかどうかすら判らない」
「私も勿論、冥王星での事は知ってる。あれから私はおろか、君や律先輩にすら連絡が来ていない事も知ってる。私だって澪先輩の事を心配しているし、無事に出来るだけ早く帰って来てほしいと思ってる。でも……」
もう一呼吸置く。
「でも…もういいんじゃないかな」
「いいって、何がですか?」
俺の心が次第に不穏になっていく。
「聡くんはもう十分に待ったと思うよ。勿論、私には君と澪先輩が今までどのような関係を築いてきたのかは判らない。二人には二人だけの大切な聖域が存在する(ある)と思う。そしてその聖域(かんけい)は君を縛り付けている」
「そして私はその聖域を土足で踏み躙ろうとしているのかもしれない。でも、もし澪先輩が生きていてまだ君を必要としていたとしても、当の本人はいつ帰って来るのかすら判らない。もうすぐなのかもしれないし、何年、何十年。いえもう帰ってこないかもしれない。聡くんはそれでも待ち続けられるの?」
「…………」
「……ごめんなさい。凄く意地悪な事を言っているのは自分でも判ってる。でも、君がどんなに望んでも、お互いに求め合ったとしても君の手は澪先輩には届かない。触れる事は出来ない。でも……」
梓さんは思い詰めたような表情で、俺の右の掌を両手でぎゅっと少し強く、でも優しく包み込む様に握る。
「私なら…触れられる処に居る。ぬくもりを感じられる。私は君のすぐそばに居る」
「梓さん……」
「今はまだ無理かもしれない。でも、いつかきっと。君を縛り続ける聖域を私が取り払ってあげる。ううん。やってやるデス」
そう言って微笑む梓さんからは妙な使命感の様なものと同時に、心地よい温かさも感じられた。俺は不覚にも心のどこかで強張っていた『何か』がほぐれて行く様な気がした。
「あ、梓さん……」
「聡くん……」
「.……もう時間も遅くなりましたし、そろそろ帰りましょう」
「……ふふっ。うん、そうね。帰ろっか」
梓さんは一瞬、何とも言えない様な表情をした後に微笑んでそれに応じた。
「大丈夫。ここまででいいよ。後は自分で帰れるから。今日はほんとに有難う。とっても楽しかった。また付き合ってね」
俺は出来るだけ近くまで送って行くつもりだったのだが、駅に着くと梓さんはそれをあっさりと拒否して、さっさと改札口を通って行ってしまった。
俺は少し心配になるのと同時に、ほっと胸を撫で下ろしている自分がいる事に気づく。はっきり言って危なかった。このまま押し通しられていたら、そのまま押し切られそうな位だった。それ程迄に今日の梓さんは魅力的だった。何よりも俺に今一番足りていないものを、欲しているものを与えてくれる様な気がした。正直、また逢いたいと思ってしまっている自分がいた。
その後、俺と梓さんは時折二人でどこかに遊びに行ったりするようになった。
彼女の高校時代の先輩や同級生達とのライブにも招待されたりもした。こんな所で姉ちゃんと顔を合わせるのもなんだが、梓さんの招待という事もあって行く事にした。この時、姉ちゃんは何か言いたそうだったけど敢えて聞く事もしなかったし、俺も敢えて何も考えないようにした。
姉ちゃん達の演奏は思ったより様になっていて正直驚いた。中でも澪姉の事を歌にしたと思われる、『cosmos way』を聴いた時は思わず泣きそうになった。
あと、驚いたのが友人の鈴木のお姉さんが、梓さんと同級生で彼女と軽音部でバンドを組んでいたという事実だ。鈴木の家で何度か見かけた事もあったし、あのボンボンと言うかモップと言うか、兎に角あの髪形は一度見たら忘れられないので、もしやと思って確認したらやっぱりそうだった。向こうも俺の事をなんとなく覚えていて、向こうもなんとなく気にはなっていた様だった。
梓さんと一緒に居るのは楽しかった。可愛くて、でもちょっとお姉さんしてて、でもどこからか妹みたいな感じもして。俺はどんどん惹かれていくのを感じていた。そして彼女の言う処の俺と澪姉の聖域が、とろける様に削られていく心地よさも感じていた。
でもそんな日々が過ぎて行くとともに、ある思いが日増しに強くなっていった。澪姉の事だ。あれから一年以上が経ち、もうすぐ澪姉の生死が判明する頃だ。そろそろ俺も決断しなければならないと思った。
俺はどうするのか?どうしたいのか?俺は悩んだ。本来ならば悩むところでは無いのかもしれない。でも俺は悩んでしまったし、そんな自分を自己嫌悪したりもした。だけどこれは、けじめを付けなければならない事であり、決断しなければならない事位は判っていた。
そして俺は悩み抜いた末に一つの決断(こたえ)を導き出した。そして、もう迷わないと心に誓う。
俺は『けじめ』を付ける決意をした……。
2013年9月。
その日は雨が降っていた。雨空で薄暗くまだ9月だというのに肌寒ささえ感じた。
この日、俺は梓さんに学内の喫茶室で話がしたいと連絡していた。あの日、彼女と学内(ここ)で初めて会った時に使った喫茶室とはまた別の喫茶店。ここを選んだのは、ここが一番落ち着いて話が出来る店づくり(くうかん)だったからだ。そして彼女は急な話にも関わらず、『行ける』という返事をしてくれた。
俺は約束の時間より少し早めにそこに着くと、彼女は既に喫茶室の一角のテーブル席に座って俺を待ってくれていた。
俺は彼女に目配せして彼女がそれに気付くのを確認すると、カウンターに行って紅茶とコーヒーを注文し、トレイにそれが置かれると俺はトレイを受け取って彼女のテーブルへと向かう。席について彼女に紅茶の入ったカップを差し出すと彼女は「ありがとう」と言ってカップに口を付ける。
「おいしい」と梓さんは本当に嬉しそうに言ってくれた。だけどもう一つ既に彼女の前に彼女が注文したらしきカップが有ったのだけど、そのカップにはまだ殆んど紅茶(なかみ)が残っていた。
「ふふ、聡くんから誘ってくれるなんて珍しいね。でも、嬉しい」
梓さんは微笑みながらそう言ってくれた。でもその笑顔は気のせいだろうか、雨が降る前の曇り空の様な印象を受けた。
「梓さん。今日はいきなり呼び出してしまって済みませんでした。どうしても今日、言わなくてはならない事が有って……」
俺は軽く頭を下げながら言った。どうしても今日言わなければならない。『結果』が出てからでは遅いという義務感の様なものが有った。
「……大事な話なの?」
「はい」
「……そう。じゃあ、外に出て話してくれないかな?」
「まだ降ってますよ。それに今日は少し寒いですし」
俺には梓さんの真意がよく判らなかった。
「どうしても、外に出て話したい気分なの。だめ、かな……?」
梓さんは遠慮がちだが頑なな面持ちだった。恐らくは彼女なりの思惑が有るのだろう。
「分りました。外に出ましょう」
俺には断る理由は無かった。否、その資格も無いように思えた。そして、「お茶もういいですか?」と断ってから、片そうとする彼女の手を制してカップを片づける。三つ有るカップの内、一つだけが空になっていた。
俺と梓さんは学内の広場へと移動する。雨が降っているのと、講義棟から離れているせいか、周りには俺たち以外には殆んど人はいなかった。
俺は目の前で傘を差している、小柄で華奢な女性と向き合う。これから言わなければならない事を考えると、気が重く、胸が締め付けられる思いがした。
「あ、梓さん……」
「はい」
彼女はこれから俺が何を言わんとしている事を察しているのか、瞳(め)は不安の光を湛え、身体は寒さのせいもあってか微かに震えている様に見えた。俺はその姿に一瞬、躊躇するも意を消して彼女に伝える。
「梓さん。御免なさい。俺はやっぱり彼氏として澪姉を待ちます」
こんな俺に好意を持ってくれる様な女性を振るなんて、罰当たりにも程が有る事は百も承知していた。でも俺にはもう澪姉しかいないと結論し(きめ)た。だから、ここではっきりさせなければならないと思った。澪姉からの結果(メール)が届く前に。そうじゃ無ければ二人に対して失礼だと思った。
「……判ってた。最初から判ってたんだ。私なんかが澪先輩に勝てっこない事くらい。律先輩の家で聡くんと澪先輩、二人のやり取りを見ていた時から、判って、いたの……」
「梓さん……俺は―――」
「でも、それでも私は聡くんの事が好き。大好きなの。どうしてか分らないけど初めて見た時から気になってた。初めてのデートで好きだってはっきりと判った。デートする度にどんどん大好きになってくのが分った。聡くんは優しくて、澪先輩の代わりなのかもしれないけど、こんな私でも大事に思ってくれてるって判ったから……」
「ねぇ聡くん。私じゃ駄目なの?澪先輩じゃないと駄目なの?…………お願い。私を澪先輩じゃなくて私を選んでよっ!聡くん!!」
梓さんの悲痛な声が雨の降るキャンパスに響く。そして、雨音に掻き消されていく。
「俺、梓さんみたいな綺麗で素敵な人に好きだって言われて本当に嬉しいです。俺には本当に勿体ない話だと思います」
実際、もし澪姉との関係が今と違うものだとしたら、俺は手放しで喜んで梓さんと付き合っていたに違いなかった。
「それならっ―――」
「済みません。俺にはもう澪姉しかいないって。決めたんです」
俺は馬鹿だ、大馬鹿だ。俺がはっきりとしなかった為に、梓さんの好意と優しさに甘えてしまった所為でこうなってしまった。梓さんを傷つける事になってしまった。全ては俺の弱さが招いた結果だ。
「澪先輩はここにはいない。ずっとずっと遠い処。いえ、もしかしたらもうこの世にさえ居ないのかもしれない。でも、私はここにいる。もっと、もっと私を見てよっ。見えない人の事なんか見ようとしないで、見えるっ目の前にいる私を見てよっ!」
「私は聡くんと二人でいられるなら。もう先輩達に会えなくなってしまってもいいとさえ思ってる。だから、お願い……だから……」
梓さんは形振り構わず尚も喰い下がり、首を大きく左右に振りいやいやをする。子ども……まるで玩具を欲しがる子どもの様だ。だがそうさせてしまったのは俺だ。もうこれ以上、逃げる事も甘える事も許されない。
「そんな事を言っては駄目だ梓さん。それに、確かに俺と澪姉は離れ離れになっている。どんなに手を伸ばしても届かない宇宙(ところ)にいる。でも想い(こころ)だけは本当に細いのかもしてないけど、何処かで繋がっているって事を思い出したんです」
「………………」
梓さんは静かに俺の話を聞いてくれている。俺は一度、頷いて話を続ける。
「丁度、今から一年くらい前です。俺が大坊(ここ)を受験する為に勉強をし始めて少し経った頃です」
「ある時突然、澪姉の事が強く脳裏に浮かび上がったんです。まるで澪姉の思念(こえ)が宇宙を越えて、俺の脳裏に直接届いた様な感じでした。彼女と共に見た事、感じた事、話した事、共有した事、それらが鮮明に思い出されたんです」
「彼女の存在が、私は<ここにいる>って感じる事が出来たんです。そして俺も<ここにいる>俺はずっとここで澪姉を待っているって。いえ、何時か追いついてみせるって強く、強く念じる様に彼女にこの思いが届く様に願いました」
「だから俺は彼女が生存し(いき)ている事を確信していますし、彼女が還って来るのを何時までも待ち続ける事を改めて心に誓ったんです」
受験やら何やらで愚かにも忘れかけてしまっていたあの時の事が、梓さんとの出会いと告白によって彼女にとっては皮肉にも改めて思い出された。口には絶対出せないが彼女に感謝する。これで俺は何の迷いも無く澪姉を待ち続ける事が出来ると。
「だから俺は―――」
「いいっ、もういいよっ。分ったから、もういいよぉ……。ごめんね聡くん。わがまま言ってほんとにごめんね……解っていたのに……ほんと解ってたのに……」
梓さんは自分言い聞かせるように言うと、差していた傘を地面に置いて雨空を仰ぎ見る。雨はそんな彼女を容赦なく濡らしていく。
「えっ!?ちょっと!」
突然の彼女の不可解な行動に一瞬、呆気に取られつつ、俺は慌てて彼女に近づこうとするも彼女に「来ないでっ!」と制止される。
次の瞬間。彼女から嗚咽する音が聞こえてくる。
「う……うぅ……にゃあにゃあ……にゃあぁぁぁ……」
梓さんは泣き顔のまま猫の様に泣いていた。
「……泣いてなんかいないよ。私、あずにゃんだから…猫だから…泣いてるんじゃなくて鳴いてるだけだから……だから心配しないで、大丈夫、私は大丈夫だから。だからお願い。早く、早く何処かに行って……」
「梓さん…………」
「にゃあぁん.……にゃああぁぁぁん…………」
嗚咽がどんどん強くなっていく。でも泪は雨に流されて見えなかった。彼女は俺に心配をかけまいとして、泪だけは見せまいとしてこんな行為をしたのだと思った。
俺はそんな彼女を愛おしいと思い掛けたが、やめた。そんな事を想う資格は今の俺には無いと思ったし、何より失礼極まりない。俺が今彼女に対して出来る事は、一刻も早くここから立ち去る事だけだった。
俺は彼女に深々と頭を下げた後、足早にこの場を去る。彼女に感謝と謝罪の念を抱きながら。梓さんの鳴き声が雨音によって掻き消されていった……。
その日の夜。俺の携帯に一通のメールが届いた。澪姉からだった。
文面は最後の方で途切れていたのだけど、内容から見てワープアウト後に発信されたものに間違い無さそうだった。
澪姉が生きている事を確信してはいたけれど。確定した事は素直に嬉しかった。安堵した。本当に良かった。そしてもし今日、梓さんに伝えられなかったら一生後悔するところだったと思う。
俺は改めて澪姉が一刻も早く還って来てくれる事を心の底から願った。
つづく。
④
2012年8月。
冥王星からのワープアウトが完了し、暗闇だった艦内や格納庫(コンテナ)、そしてスティぐまにも電源が入り次第にコクピットも明るさを取り戻していく。
しかしほんの数秒の事なのだけど、ワープの時のあの感覚、身体の中から直に揺らされ掻き回される様な感覚、自身の存在が別の次元に移行す(つれていかれ)る気が遠くなる様な感覚はこの先何度体験したとしてもとても馴れることは出来そうになかった。
『シリウスラインβ』……。ディスプレイにはそう表示されていた。データによるとここは周りに何の星系も無い所謂『虚無空間』で、他のシリウスラインとを繋ぐ中継点と言う事らしかった。
何故この様な場所に出たのか少し考えればすぐに判りそうなものだが、生憎、今の私は色んな事が重なり過ぎて頭がそこまで回らない状態にあった。
「四房さん……」
ワープによる不快感から少しづつ解放されていくにつれ、少しずつ頭の方もはっきりとして来る。その時にまず頭に浮かんだのが彼女の事だった。
見た目が少し派手っぽくて最初に曽我部先輩に紹介された時は、彼女に対して少し苦手なタイプかなと言う印象だった。でも話していくにつれ、気さくで人との距離感を測るのが上手で、案外まじめな所があるのも私にとっては接しやすかった。多分、私に対してそれなりに気を遣ってくれていたのだと思う。
そんな彼女が良く見せていた、屈託のない笑顔が浮かんできてより悲しくなった。彼女はもうこの世のどこにも居ない。スクリーン越しだけど、私の見えている処でタルシアンに命を奪われてしまった。
これは訓練でもシミュレーションでもない。紛れもない<実戦>――殺し合い――なんだ。
私は途方に暮れる。もう、どうしたら良いのか判らなくなってきた。悲しいのと、苦しいのと、不安と恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
「うわああああああぁぁぁぁっっ―――!!!」
身体がガタガタと震えて来る。私はついに耐え切れなくなって、コクピットの中で叫んだ。咽喉がどうにかなって終いそうな位、思いっきり叫んだ。学園祭のライブでもこんなに声を出した事は無い。それ位に気持ちが治まらなかった。
叫び疲れて、気持ちが少し落ち着きを取り戻すと、私はコクピットのハッチを開き、機体から出て目の前に設置されたタラップを使ってフロアに降りる。その格納庫の出口に曽我部先輩がいた。彼女は私を待ってくれていた。
私は彼女に感謝の意を込めて一礼すると急に何かが込み上げ、ついに我慢が出来なくなって彼女の胸に飛び込んで泣いてしまった。もしかしたら、この時、彼女も泣いていたのかもしれない。でも泣き止んで、彼女の顔を見上げた時、目の周りが少し赤くなっていたけど、彼女は泣いてはいなかった。そして精一杯の笑顔で私を迎え入れてくれた。
本当に、この人はどこまでも強い人だ……・。
格納庫から出てシャワーを浴びた後、先輩と別れて自室に入ると私はすぐさま倒れる様にベッドに転がり込む。目一杯、泣いて叫んで気分が少し晴れたかと思ったら、今度は急に疲れがどっと押し寄せてきた。私は気持ちのままにそのまま眠って終おうとしたのだけど、まだ聡達に何の連絡もしていない事に気付いて、慌てて飛び起きて取り敢えず聡達にメールを送る。
一光年以上離れた所から送る携帯のメール。案の定、携帯のディスプレイには<398日16時間××>と言う途方もない着信予定時間が表示されていた。
このメールが届く頃には恐らく聡は大学生になっているのかと思うと、また少し寂しくなった。時の流れが無情であると感じずにはいられなかった。私の知らない時間をあいつは生きているのかと思うと途端に哀しくなった。
それでも本当に届くのなら良しとするしかないし、もしかしたら劇的な何かがあって、このメールが届く前に帰還出来るのではないかという希望的な観測も僅かだけどあった。そして家族や律達にもメールを送ろうとした時に、艦内放送で私と曽我部先輩に艦橋からの呼び出しが聞こえてきた。
先程も自分では無い様だったので良くは聞いていなかったけど、誰かが呼ばれていたみたいだった。でも流石に自分の名前が呼ばれたとあっては耳に入らざるを得ない。
私は一応身なりを整えて自室を出ると、ちょうど曽我部先輩が私の部屋のインターホンを鳴らそうとしていたところだった。私は改めて先輩に挨拶をすると二人で艦橋に向かう。
私達トレーサー乗り(オペレーター)の居住スペースと、艦橋を中心とした操艦スタッフ。つまり女性陣と男性陣との居住空間は厳然と隔てられていて、両スタッフが顔を合わせる事は殆んど無かった。
勿論私も艦橋に行くのは初めてで、技術スタッフ以外の男性スタッフを見たことが無かった。その所為もあって艦橋までの道のりは緊張したものだったけど、隣に曽我部先輩が居てくれたお陰で何とか竦まずに済んでいた。
艦橋に向かう途中に一人の少女とすれ違う。私はショートカットで何処かの学校のジャージ姿のこの女性に見覚えがあった。確か長峰さんと言う最年少の子だ。彼女も私達に気付いてお互いに軽く会釈をする。どうやら私達より先に呼び出されたのが彼女で、今はその帰り道だった様だ。
私達が艦橋に到着すると、そこで私達を待っていたのが艦長ではなくて、その上、いや全クルーの長である艦隊司令官であると聞いて流石に驚いた。そしてそのまま指令室に案内される。指令室があるという事は、それはそのままこの艦つまりリシティアが艦隊全体の旗艦である事を示していた。
指令室(そこ)には五十代位の青い目の男性、ギルバート=ロコモフ司令官がいて、私達を招き入れてくれた。映像では何度か見た事があるのだが、実際に対面したのは初めてだった。只でさえ人見知りの私は、それだけでかなり緊張してしまう。隣に居る曽我部先輩も私程ではないにせよ緊張した面持ちだった。
「ふむ。ソカベくんとアキヤマくんですね。ごくろうさまでした」
胸に中将の階級章を付けた司令官は、流暢な日本語と柔らかい口調で私達を向かえ入れ、椅子を勧めてくれた。そして私達が軽く会釈をして座ると、彼はやや沈痛な面持ちと口調で私たちに話しかけてきた。
「今回の事で初めての犠牲者が出てとても残念に思っています。貴女方はそのヨツフサくんと最も親しくしていたと聞いています。心中お察しします。ヨツフサくんのタマシイが安らかに、天に召される事をお祈りします」
そう言ってロコモフ司令官は黙祷する。
「貴女達を呼んだのは他でもありません。あの時、貴女達はそのヨツフサくんから最も近い距離にいてコンタクトも取っている。こんな事があって、ココロを痛めているのは重々承知していますが、その時の事を解る範囲で良いですから教えてくれませんか?」
司令官が顔を上げるとそう私達に問い掛けた。口調は変わらず穏やかなものだったが、目つきが鋭くなり私はその視線に射抜かれる様な錯覚を覚えた。
「私達もすぐそばにいた訳ではありませんし、直接に目撃した訳ではないのですが、彼女はタルシアンを発見するとすぐさまそこに向かって往きました。彼女なりに何か思う処があったのだと思います。私と秋山さんは何とかして止めようとしたのですが、彼女は私達の制止を振り切って行ってしまいました。そして、彼女がタルシアンに話しかけた時に三方を彼らに囲まれ、いきなり三方から……ビームを……放たれて……それで四房さんは…………」
曽我部先輩は淡々とした口調で話し始めるが、最後の方になると言葉が途切れ途切れになり押し殺した様な口調になっていた。私は小刻みに震える先輩の肩を無意識の内に抱いていた。
「『彼ら』はイキナリ攻撃してきたのですか?」
「はい。聞く耳持たないといった感じでした」
先輩の代わりに私が答える。先輩に頼ってばっかりではいけない。
「ふむ、そうですか…………ワカリマシタ。もう大丈夫です。辛い事を話してくれて感謝しています。どうぞ部屋に戻ってゆっくりと休んで下さい。それから急な事で済まないが、明後日、艦隊は此処のショートカット・アンカーを使っての地球から八・六光年離れた場所へのワープを行う。必要な連絡(こと)等があったら今の内に済ませておくように。此処まで来たらもう後戻りはできない。今はツライでしょうが、何とか気を持ち直してほしい」
少しの間、考える仕種をした後、司令官は穏やかではあるが、聞き様によっては有無を言わせぬように聞こえる口調で私達に伝える。
200レス悪い人の夢。
「「八・六光年…………」」
私と先輩はハモる様に途方もない数字を呟く。
そして私達は無言で席を立ち一礼をして退室をしようとした時、司令官は何かを思い出したかの様に私達に声を掛ける。
「ああ、そうそう。此処に来る途中に他の女性クルーとすれ違ったと思うのだが、知っているかもしれないが彼女はナガミネくんと言って、少なくともヨツフサくんを攻撃した三体のタルシアンの内の一体を彼女が斃してくれた様だ。もし、気が向いたら一度話をしてみてはどうかな」
「本当ですか?」
私は少し驚いた口調で言い司令官はうむと頷く。そして私達はもう一度一礼をして退室した。
後になって、この時に色々聞きたい事やこれから起こる事について思い当たる節が有ったのだけど、この時はとても訊ける状態ではなかったし、あまり推測してもしょうがないので考えるのを止めた。
食堂はいつもの活気が無かった。火星にいた辺りと比べるととても同じ集団であるとは思えなかった。
冥王星での初めての本物のタルシアンの来襲。初めての犠牲者。ハイパードライブを使っての一・一光年のワープ。更に追い打ちをかけたのが、先刻クルー全員に伝えられた、ショートカット・アンカーを使っての八・六光年のワープ大移動。
私達にとって何一ついい話なんて無かった。いつ帰還でき(かえれ)るのか判らない。それどころか、もしかしたら死んでしまうかもしれない。そんな不安感や恐怖、焦燥感が、この室内全体の空気を重くしていた。
そんな中、私と曽我部先輩は長峰さんを見付けると流石に今度は声を掛ける。
「あの、長峰さん…ですよね?」
「あ、は、はい」
長峰さんは突然、特に親しいわけでもない私達に声を掛けられて、きょとんとしながらも返事をしてくれた。
その後、彼女と四房さんの事を始めとして幾つか言葉を交わした。
彼女は控え目でおとなしい感じの子だったけど、私は彼女に対してどこか芯の強さの様なものも感じていた。
食事を終えて自室に戻ると、途端に気が重くなった。明後日には八・六光年先の遥か彼方まで跳んで行ってしまう。さらには、帰りのショートカット・アンカーは見つかってはいないという話に私は途方もない気持ちになる。
「また、送り直さないとな……」
私は自分でも認識できる程、虚ろ気味に呟くと、携帯のメールを再び書いていく。両親に、律達に、殆んど同じ内容の文面を送る。
あとは……。
「聡……」
私は、両親達に送ったメールと同じ文を張り付け、そして更に記す。
―――もう、いつ戻れるか判らない。もし、私が帰る前に、お前に好きな人が出来たら、その時は、私の事は気にしないで、その人と付き合ってほしい―――
と……。
「うう……」
携帯のディスプレイに泪がぽたぽたと堕ちる。でも、彼の事を考えればもうこれ以上う、いつ帰れるのか判らない私を『待ってて』なんてとても言えない。私が彼の人生の邪魔になってしまってはいけない。
本当に、悪い夢なら覚めて欲しい。
私は、そんな事を願いながら、いつの間にか、疲れ果てて眠りに就いていた…………。
つづく。
ワープアウトした宇宙(くうかん)。そこには、
太陽があった。
だけど、それは私の知っている太陽ではなくて、全く別の太陽に似た『シリウス』と呼ばれる恒星。
でも、そこには太陽系と同じ様に惑星があり、その中の第四惑星は地球と非常によく似た環境の惑星(ほし)である事が判っていた。
ショートカット・アンカー発見時の事前調査で発見されたこの第四惑星(ほし)は、
『アガルタ』<地底にある伝説上の都市の名称>
と、名付けられていた。
ワープ前夜のランチルームにて私達に伝えられたアガルタ調査計画は、大雑把に言うと、短期的にはタルシアンの痕跡を含むアガルタ全土の調査。長期的には此処を拠点として、更なるタルシアン調査を展開するといったものだった。
ワープアウト後、艦隊は直ぐにアガルタの衛星軌道に入り、半日かけて惑星(アガルタ)全土の衛星写真を撮りかなり高精度の地図を完成させていた。
この地図を基に各艦ごとの調査担当エリアが振り分けられた。それから更に各艦ごとの調査隊の編成がなされ、エリアを細分化、各隊員(クルー)の割り当てが決められた。
此処での調査は地上に降りるトレーサーと、艦中に残るトレーサーを半々にしての十二時間の交代勤務になった。支障なく調査が行われれば、一か月程で全区域を調査できる予定らしい。
私を乗せたスティぐまは、大気圏を突破してアガルタ上空に出る。
「すごい……」
私は空から見るアガルタの景観に思わず息を飲んで呟く。
そこには、『緑』が有った。
見渡す限りの自然。
もう、月のベースキャンプ以来、二年近く見る事の出来なかったものが、此処にあった。緑色の景色が眼前に広がり、そこには山が有り、谷が有り、平野が有り。その中を縫うようにして川が流れていた。
こんな光景は見た事も無いのに何故か懐かしさを覚えながら、決して黒では無い綿雲が漂う空を降下していくと更に地上の様子を伺い知る事が出来た。
更に降下すると小さな点の様に見えるけど、確かに鳥の様な生物が群れを造って空を飛んでいた。
私と共に降下した五十機のトレーサーは、二千メートルにまで降下したと同時に一斉
に散開する。更に近くのエリアを担当する五機の僚機とも担当エリアが近付くにつれて、それぞれのエリアに散開して往った。
一人になった私はそのまま地上に降り立つと同時に地面が震え、それに驚いたのか物陰からカピバラっぽい小動物が勢いよく飛び出し一目散に走り抜けて行った。
人の手が全く入って無い手付かずのままの自然。私の家は都会の真ん中にある訳ではないのだけど、それでも純粋な自然と言うものは無かった。だから、この景色はとても新鮮なものの筈なのにどこか懐かしささえ覚えた。灰色と黒色の世界に慣らされ、居続けされていた私は、この様な『生きている色』に飢えていたのだと思う。
私の担当エリアはこの辺りを拠点とした百キロ四方というものだった。
私は先のミーティングで言われた通り、そこを、大地を踏みしめながら歩行していく。
トレーサー越しなのだけど、自然に感じられる重力と感触が心地よかった。
もう幾程か黙々と歩く続けているけど、景色そのものは殆んど変る事は無かった。担当エリアのマップを見ても暫くは殆んどが平地で、少なくとも人口建造物といったタルシアンの痕跡は見つかりそうも無かった。
「ふぅ……」
今日のところは地球以外の星の物珍しさや、自然に対する感動も手伝って何とかなりそうだが、もしこの先一ヵ月間このまま何も変わり映えが無かったらと思うと、思わずため息が漏れる。
更に歩を進めて行く内に段々と風が強くなり、雲行きが怪しくなってくる。そして更に二時間ほど過ぎるとまだ明るい空からぽつぽつと、そして更に強くにわか雨の様に雨が降り出してきた。
二年近く見る事の無かった雨が、大地を、トレーサーを、そして私の心を濡らしていく。
そして雨が止み、その雲間から陽光が差し込み景色を変えてゆく。
私はそんな変わりゆく景色を眺め、空を仰ぎ見る。その懐かしいけど幻想的な眺めに、忘れようとしていた想い(もの)がこみ上げ溢れ出して来る。
一度は決心していた聡への決別の思いが、心に建てた筈の壁が、心に降る雨に一瞬にしていとも簡単に溶かされ流されてゆく。
「やっぱり諦める事なんて出来ない……逢いたい。やっぱり逢いたいよ、聡…………」
私の目からまた、泪が零れ堕ちた。
情けない話だった。地球から八光年以上離れたシリウス(ここ)まで跳ばされた時に諦めた筈なのに。そう決めた筈だったのに。もうその決意が崩れ落ちてしまった。
宇宙に出てから何度か目の泪を流してしまった。私はこうも脆くて弱い存在だという事を思い知らされた。女々しいとは正にこの事だ。それでも判ってはいてもこの想いをとても抑え切る事は出来なかった。
こんな星(ところ)に来なければ、宇宙なんかに出なければ、四房さんは死なずに済んだ。私は律達と一緒に学生生活を送れた。あいつらと音楽を続ける事が出来た。みんなでバカやって笑い合う事が出来た。聡と一緒に人生を歩んでいく事も出来た!。
タルシアンさえ出て来なければ、全部、当たり前の日常として送る事が出来た!。
「ちくしょう!タルシアン!!ちくしょう!!!」
悲しくて、苦しくて、辛くて、憎くて、腸が煮えくりかえる位の怒り。でも、どうにもならなくて。もう、思いっきり声を出して泣くしかなかった。コクピットに私の嗚咽が逃げ場も無く響いた。
「なぁ聡。どうしたらお前に逢えるのかな。お前に逢えるなら何だってやってやるのにな…………」
一通り泣き腫らした後、軽い脱力感に浸りながら私はシートにもたれ掛かって、コクピットの無機質な天井を見上げながら何気なく呟く。
その時、ふと人の気配を感じた。
「えっ、何!?」
反射的に身体を起こしながら声を出した瞬間、眩しい光が目に飛び込んできた。その刹那、幾つもの見覚えのある映像が脳裏を掠めて行く。
誰もいない高校の教室。軽音部の部室。その机に並べられたティーセットとケーキ。学園祭のライブで演奏した講堂。聡と学校帰りによく立ち寄ったコンビニ。聡とよく他愛も無い話をした公園。密かに聡の試合の応援をしに行ったグラウンド。デートの時に勇気を出して胸をドキドキさせながら、さりげなく(?)聡の腕に抱きつく様に腕を絡めた時の私……。どれももう懐かしい。此処に来るまでは当たり前の事だったけど、今となってはとても幸せだったと思う、数々の大切な想い出の映像(きおく)。
でも、その中に異質なモノを感じた。とても嫌な感じのする、こちらを盗み見る様な強い視線。
<タルシアン―――!?>
映像が消え代わりに何かが私の目を掠める。私はそれをタルシアンであると直感し、反射的にスクリーンに目を向ける。
その瞬間。私の意識はコクピットを抜け出し、外の草原にふわふわと浮遊していた。
そして、その自分と向き合う様にして私を見詰める少し幼くなった自分?。
「ねぇ、やっとここまで来たね」
幼い私がどこか優しい口調で話しかける。
「大人になるためには痛みも必要だけど、あなたたちならずっとずっと先まで、もっと遠い銀河の果てまでだって行ける。……だからついて来てね。託したいのあなたたちに」
幼い私の言葉に、私の心はざわつく。
「もう、私にとってはそんな事はどうでもいいんだよ。私はただ聡に逢いたいだけなんだ。あいつと一緒に同じ時間を過ごしたかっただけなんだ…………」
何の為に此処まで来たのか?その全てを否定するかの様な事を、私は幼い私に言い放つ。また、泪が出た。その瞬間。私の意識は桜高の音楽準備室(ぶしつ)にいた。私は誰もいないティーセットの並べられたテーブルの前に坐わって泣いていた。誰もいないのにティーセットだけが並べられているのが余計に寂しかった。
西日が部室を、ティーセットを夕焼け色に染め上げていく……。
「大丈夫。きっとまた会えるよ」
涙を流す自分を今度は大人になった私が優しく慰める。
大人の私はそれじゃあと背を向ける。また場面が変わり、私は体育館のステージの上にいた。ドラムセットが、ギターが、キーボードがそこに置かれていた。
私は私を追い掛けようとするもステージと観覧席との段差に気付き、一瞬、躊躇してしまう。だが意を決して飛び降りようとするとそこにはもう誰もいなかった。体育館も楽器のセットもいつの間にか消えてしまっていた。
スクリーンにはアガルタの草原が広がっていた。
雨上がりの草原が生き生きとした姿を私に見せる。あの雨上がりの独特の匂いが匂ってきそうな気がした。
<何だったんだ。今のは?私は白昼夢でも見ていたのか?>
私は夢にしてはやけに生々しいイメージに首を傾げる。
大小の自分(あれ)は、タルシアンだったのだろうか?何の為に敵である私にあんな映像を見せ、私に語り掛けてきたのだろう?。
私がそんな事を思案している時だった―――。
私に知らせる警戒音がコクピットいっぱいに鳴り響く。
『タルシアン出現、タルシアン出現!』
刹那。スクリーンがミッションマップに切り替わる。
『各地で出現したタルシアンが、調査隊を襲っている。全隊員に告ぐ。直ちに応戦せよ』
「……これが、お前達の言う痛みか!!」
私が声に出して叫ぶと同時に、天空から光る巨大な何かが猛スピードで地上に落ちる。かなり遠くではあったけど、それが大地に突き刺さり巨大な火柱を上げるのがはっきりと見えた。それはさながら、インドか何処かの神話にあったインドラの矢の様だった。
「お前達は…私達とそんなに戦いたいのか?」
私は顔を伏せ、押し殺した声で呟く。
戦わなければならないのなら、それしか帰り道が開けないのであれば。
タルシアン(やつら)を斃すことが、戦い(いたみ)を乗り越える事だと云うのなら!
<やってやる!やってやるさ!!>
私は顔を上げる。この時の私は多分いつもの私が見たら、びびってぶるってしまう程に怖い顔をしていたのだと思う。
この時。私の中で『何か』が切り替わる。
<聡ともう一度逢う為だったら、戦いでも、殺し合いでも何だってやってやる>
<それで、望みが叶うのであれば―――>
私は顔を上げる。そして――――
私は、戦う決意を、した……。
つづく。
ここは書いてて一番出来が良かった様な気がする。
2013年9月。
澪姉から届いた二通目のメール。
俺は自室でそれを見た瞬間。
「何じゃこりゃー!!!」
と、松田優作ばりに叫び声を上げると、何処かから「うるせーぞ!聡!」
と、寄生虫…ではなくて帰省中の姉ちゃんの罵声が聞こえてきたが、その少し後に、
「何じゃこりゃー!!!」
と、松田優作ばりの叫び声が聞こえてきたので、姉ちゃんにも澪姉から同様のメールが届いたのであろう。
それだけ、このメールは俺達に衝撃を与える内容だった。
八・六光年という遥か彼方のシリウス星系まで跳んでしまった事、彼女からの事実上の
fa権行使の権利を与えられてしまった事。
主な内容はこの二点なのだが、二つとも俺に大打撃を与えるのには十分な内容だった。
雨の中。梓さんを振ってしまってそんなに時間を置かずに届いた一通目のメールに喜んだ後に届いた二通目(こ)のメール。正にぬか喜びとはこの事で、持ち上げるだけ持ち上げて一気に落とす。まるで、フリーフォール式の断崖喉輪落としを喰らったかの様な感覚に打ちのめされた。
ふと、梓さんの顔が脳裏に浮かび上がる。
あんなに素敵な笑顔を泣き顔にしてしまった自分。
お姉さんだった彼女を駄々っ子みたいにさせてしまった自分。
でも今にして思うとあの時、彼女が猫みたいな真似をしたのは彼女なりの優しさと、年上としてのプライドだったんじゃないかなと思う。
自分はそんな彼女を振ってしまい、しかもその唯一無二の理由である澪姉(おおもと)は、梓さんの言った様に本当にいつ帰って来るのか判らなくなってしまった。
たった一年でこの有様だ。この先の事を考えると、俺の気まで宇宙の彼方に飛んで行ってしまった様な感じになってしまう。
ハイパードライブは恐らくは当分使う事は出来ない。ハイパードライブで消費するエネルギーと機体に掛かる負担は相当なもので、一度使ってしまうと相当量のエネルギー補給と、安全の為の大掛かりなメンテナンスが必要になり、エネルギーはともかくメンテナンスに関しては、リシティアの整備クルーの人数と設備では恐らくは間に合わない。そして万が一敵からの攻撃を受けようものなら尚更である事を大学の講義で聞いていた。
仮に新しいショートカット・アンカーを発見したとしても、安全面を考えればそう簡単に使う訳にはいかないし、もしかしたら任務続行か何かで使わせて貰えないのかも知れない。
もし任務によるものでなければ、このメールを送ってから一年経っても澪姉が帰ってこない事を考えると、ショートカット・アンカーを使っての帰還は考えにくい。亜光速エンジンを使っての帰還となると地球まで単純に考えて十年半以上。今現在判っているシリウス=地球間の中継点である、シリウスラインα迄でも大体八年半くらいはかかってしまう。
尚且つ困った事はこれからはこちらからも、そして向こうからも事実上連絡が取れなくなってしまった事だ。単純に考えて双方からのメールが届くのは八年六カ月かかってしまう上にちゃんとメールが届くのかも怪しい。一・一光年から届いたこのメールでさえ文字化けが有った位だ。とてもまともに届くとは思えない。
<もう、澪姉からのメールを『ただ』待つのはやめよう。>
俺は俺の決めた道を歩んでいこう。そしてもうその進むべき道はもう決めている。正確には今、決めた。取り合えず澪姉が戻る、或いは迎えに行ける時までは一人で歩いていこう。
万が一、澪姉が他の人と一緒になっていたとしても、その時はそれを受け入れ笑顔で迎え入れよう。祝福しよう。
もう、迷わない。
俺は改めて、一人密かに自分の人生(みち)を見い出して定めた。
つづく。
2012年9月。
コクピット上のサブモニターが調査マップから戦闘ヘックスに切り替わる。
アガルタ全土に散った五百の緑の点の近くに、敵である事を示す赤い点が纏わり付く様に溢れ出て来る。
そしてアラームが鳴り響くと同時に、私を示す点の近くに赤い点が現れたかと思うと、天空(そら)から一体のタルシアンが現れ私に襲い掛かって来た。
物凄い勢いで急降下して来るエイ型のタルシアンは、私に向かって触手の様なモノから光線(ビーム)を放つ。
私はそれを躱すと上空へと飛び上がり、すれ違いざまにタルシアンの腹の辺りを斬り裂く。タルシアンはブシューと血飛沫の様なものを上げながら浮力を失い、そのまま地面に叩き付けられる。
今の私には恐怖は無かった。そんなものを感じられる程、心に余裕など無かったし其れほどまでに追い詰められていた。だけど心は不思議と落ち着いていた。まるで視界が俯瞰している様な感覚になっていた。
その時、再び警報が鳴る。
『軌道上、タルシアン群体出現!トレーサー部隊、地上戦終了後、直ちに各所属の母艦を救援せよ!』
アラームと同時に緊急メッセージが告げられる。リシティア中心のマップに切り替わると、その周辺は見る見る内に赤い色に埋め尽くされていき、同時に調査の為に散開していた艦隊も続々とリシティアの周りに集結していく。ロコモフ司令官は艦隊決戦を決断したのだと周りの状況と緊急メッセージから私はそう判断した。
私はもう一度アガルタの地上マップに切り替える。赤い点も緑の点も次々と消えたり動いたりしていた。もう、地上戦は終結しようとしている様だった。
私はスティぐまのバーニアを噴射させ更なる上空へと飛び上がり、リシティアの元へと向かう。どうしても気になって再び地上に目をやると、幾つかの砲煙が上がっているのが分かる。戦況を知らせるディスプレイを確認すると、【トレーサー部隊―21】【タルシアン―17】と表示されていた。もう既に二十機以上のトレーサーが沈んでいる事を示す無情な数字。タルシアンはこの地上戦は決戦前の<ふるい落とし>とでも言いたいのだろうか?。
そして私は大気圏突入の為のバリアを張る。大気圏を抜けるとそこにはリシティアを中心とする艦隊や、続々と集結していくトレーサー部隊。そして、それらを取り囲む様に対峙する大小タルシアンの軍隊が揃う決戦の場があった……。
私は扇形に陣形を張る艦隊に加わると同時に通信ディスプレイに信号が入り、曽我部先輩の姿が映し出された。
「秋山さん。無事だったのね。よかった……」
先輩は私の無事を確認すると、心底ほっとした様に胸を撫で下ろして安堵した表情(かお)で言ってくれた。こんな時でも自分よりも私の心配をしてくれるところが、いかにも先輩らしい。と思った。
「戦況は?地上戦はどうだったんですか?」
私は、改めて先輩に確認を取る。
「あまり芳しくは無いわね。リシティア配備の百機の中だけでも既に二十機以上やられてる。あえて誰とは言わないけど、その中には私達の見知った顔もあるわ」
先輩は私の問いに柳眉を寄せ、重苦しい表情と口調で私に告げる。
「私のところにも敵(タルシアン)が襲って来たけど、運よく何とか撃退出来た。秋山さんのところにも来た?」
「私のところにも来ましたけど、どうにか沈めました」
「……そう。その様子なら大丈夫みたいね。でも、これからが本番。今からは出来る限り一緒に戦いましょう。その方が多分生き残れる可能性が高いわ」
先輩の言葉に私は黙って頷く。そうこうしている内に次々とタルシアンも集結し態勢を整えていく。この戦いは越えなければならない痛み。この痛みを越えなければ私の望みは叶えられない。私はそう自分に言い聞かせて先輩の機体の横に並ぶ。
そして、私が思っていた以上に静かに、戦いの火蓋が切って落とされた……。
遂に戦いが始まってしまった。戦いの直後こそ静かであった戦場が、時間が経つにつれ次第にその激しさを増してゆく。
私はふと、隣で戦況を見つめているであろう、澪ちゃんの機体(トレーサー)に目をやる。
彼女と合流してから幾つか言葉を交わしたのけれど、私はどこかいつもとは違う『違和感』みたいなものを彼女から感じていた。決して冷たいという感じではないのだけど、何処か機械的な、何と言うか余計な感情を削ぎ落としたかの様な印象を受けた。
<やっぱり、澪ちゃんもアガルタで『あれ』を体験したのかしら?>
惑星アガルタで視た映像(?)、初めは幼い私。その後に視た『痛みを乗り越えろ』と言う、今の私とそんなに変わらない姿の私……。彼女(?)の言葉によって、澪ちゃんの精神が劇的に変化したのかもしれない。
今の澪ちゃんからは、臆病さや恐れみたいなものは全く感じない。あの冥王星やシリウスラインの時とは別人の様だった。
だけど、その変化に対する不安感みたいなものは、私は感じなかった。むしろ頼もしさの様なものさえ感じる。
「先輩!来ますっ!!」
突然の彼女の声に私ははっとなって、メインスクリーンに慌てて眼を向ける。タルシアンが一体、私達に向かって襲い掛かって来ていた。タルシアンは更に距離を詰めて来ると、私達を狙って紅いビームを放ってきた。私は焦りながらシールドを張るが、その時には既に澪ちゃんはビームを躱し、一気に距離を詰めるとビームブレードでそれを一閃する。その瞬間タルシアンは血の様な物を大量に噴出させながら、生命エネルギー(?)を全て失い宇宙に漂う。
私は彼女の一連の動作に目を見張った。全く無駄のない動きに見えた。そして、彼女のビームブレードは私には細いが鋭い日本刀の様に見えた。その動作、エネルギー消費ともに極力、無駄の無い攻撃だった。
この瞬間、私は自分の役割を悟る。私は彼女の盾になり出来る限り防御に徹し、彼女の攻撃をサポートするという事を。
もし、この戦いで生き残りいつか帰る事が出来たとしても、その時に彼女の隣にいて彼女を支える役は聡君であって私じゃない。それなら、せめて今だけは私に彼女を支えさせて欲しいと思う。少しでも彼女の隣に居させて欲しいと思う。
私は喜んで彼女の『盾』になる事を決めた。
タルシアンが攻撃を仕掛けて来る。私はそれをバリアシールドで防ぎ、ミサイルやバルカンで攪乱する。その隙に澪ちゃんがタルシアン(それ)をビームブレードで斬り裂く。
この一連の殺陣の様な動作が私達の戦法になった。澪ちゃんが攻撃、私が防御に徹する事で一つの事に集中する事が出来、確実に戦果を上げていく。
とかく、澪ちゃんの戦いは凄かった。恐らく彼女は反射や勘に頼ったものではなく、相手の僅かな動作から計算して、それからの動きを見極め、それに対応する戦い方をしているのだと思う。そして、その的確な判断能力と操縦技術も見事だった。
言ってしまえば、トレーサーパイロットとしての天性(さいのう)は、あの長峰さんの方が上なのかもしれない。でも、澪ちゃんにはそれを十分補える程の、俯瞰的視点と思考と的確な状況判断能力があるように思えた。
私は学生時代を含む今までの澪ちゃんを見てきて、怖がりな所や恥ずかしがり屋な所。つまり自分に対する自信の無さが、彼女の本来持っている高い資質を引き出し切れていなくて勿体ないと思っていた。
だけど今の彼女からはそれらを感じない。でも決して驕っている訳でもない。これが本来の彼女の姿だと思える。そしてその実力(ちから)はやっぱり凄かった。
そして十数体位のタルシアンを沈めた頃、リシティアから補給の為の帰還命令が伝えられる。私達はそれを受けると一段落した後に一転してリシティアに帰艦した。
曽我部先輩と共にリシティアに帰艦すると、私は休憩を兼ねた補給を行っている合間に無理を言って自分の部屋に戻らせてもらった。そして、急いで部屋の戻るとすぐさまパイロットスーツの中のシャツをhttのtシャツに着がえ、そしてベッドに置いてあるさとぴょんを抱える。更に一瞬エリザベスに目がいったけど流石にやめておいた。
htttシャツが私に勇気を与えてくれて、さとぴょんが私に安心感を与えてくれる。決意した戦いとはいえ、当然ずっと平常心ではいられない。だから私はこの二つが必要だったし実際、手にして心強く感じた。
そして、また急いでコンテナに戻る。
丁度、補給が終わった頃で整備クルーが私を見付けると、急いで戻る様に言った。私はそれに従いそのクルーに頭を下げると、再びスティぐまに乗り込む。その際、クルーの人がさとぴょんを抱える私を見て、一瞬、怪訝そうな表情(かお)をしたけど何も言わないでくれた。私はもう一度、軽く頭を下げるとハッチを閉め、発進許可が出たと同時に再び戦場に飛び出していく。
リシティアを再び飛び出した私を、曽我部先輩が待ってくれていた。
「無事に用事は済んだの?」
先輩の声は優しかった。
「はい。力強い味方を連れて来ました」
私はちょっと、照れくさそうに言う。
「そう。それならもう安心ね。征きましょう、秋山さん」
「はい」
私達は、再び戦場へと向かって征った……。
最後になるだろう補給を済ませ、再度、出撃する頃には敵の攻撃は更に苛烈さを増し、徐々に追い詰められつつあった。
今までは二人で戦っていた戦友(せんぱい)とも、タルシアンの度重なる攻撃により遂に分断され先輩と逸れて仕舞っていた。
私は、ついに一人になった。
この頃には既にリシティア配属のトレーサーも五十(はんすう)を割っていて、補給の為のゲートを死守する事すら困難になっていた。最後の補給と言ったのはこの為だった。
「当たり前だっ!!」
私はコクピットの中で吐き捨てる様に叫んだ。
パイロットは私を含めその殆んどが、女子高生や女子大生と言うそれまで戦いのたの字も知らない様な小娘。素人中の素人の集まりだ。実践の恐怖に実力(くんれんのせいか)を出せずに散ってしまった命も沢山あると思う。
むしろ余りの恐怖に恐慌をきたして、総崩れにならかっただけでも奇跡だと思う。もしかしたら選抜メンバーの選考時に、この様な状況下に於いての耐性も鑑みたのだろうか?ふと、そんな考えが頭に浮かんでくる。
『警告』
『右方より、タルシアン接近。二基編隊、距離七〇〇』
索敵コンピューターが機械音声そのままに私に新たな脅威の接近を知らせる。曽我部先輩の安否は勿論心配だけど、今はそれより自分が生き残れるかどうかで頭が一杯だった。私は自分の薄情さ身勝手さに嫌気が差すが、こんな所で死ぬわけにはいかない。
私はこれからの戦いに備えてミサイルやバルカン砲の残弾数や、エネルギーの残量を確認する。
ここから戦いは更に苛烈に、苦しくなっていくだろう。
<命、かけて>
私の命を掛けた生き残る為の戦いが、再び開始された……。
索敵に反応したタルシアンがすぐそこまで迫っていた。二体の亀型のタルシアンは私の目前まで迫ると二手に分れる。挟み撃ちを狙っていると判断した私は、自分により近い方のタルシアンに接近しながらミサイルを一基撃ち込む。
タルシアンはそれを避わすと同時に、私は敵(その)懐まで接近し、ビームブレードで一閃する。そして、そのタルシアンが肉片となって沈むのを待たずに、私は宙返りをする様に反転しもう一体に迫る。そいつはビームを放ってきたけど、私はシールドを張りそれをやり過ごすと、甲羅の部分に飛び乗りブレードを突き刺す。ブレードを引き抜くと同時に血飛沫の様なものが噴き出てもう一体も沈ませた。
「はーはー」
緊張の連続で口の中が異常に乾く。ホルダーからドリンクパックを取り出しそれを吸う。機体のエネルギーは勿論、私自身のエネルギーにも気を配らないといけない。
もう戦況からして、リシティアに戻っての補給は受けられそうもない。
私は…いや、私たち全員がそこまで追い詰められていた。
この時点でリシティア所属の僚機は既にゆうに五十機を割っている。
考えるのも嫌だが桜高の3年2組のクラスメイトが、突然半分以上いなくなってしまった事を想像してしまい目の前が真っ暗になった。
「ダメだ駄目だっ、余計な事は考えるな」
私はぶんぶんと首を振り雑念を振り払う。今すべき事はリシティアを守る事だ。仮に私だけが生き残ったとしても、リシティアが沈んでしまったら帰る事が出来なくなってしまう。それでは全く意味が無い。
戦況は明らかにこちらの分が悪いと思う。こちらは兵力が限られており増援も不可能。且つ、既にその兵力も半数以下になっている事に比べ、タルシアン側の兵力は底が見えない上に、その母艦である大タルシアンもまだ五十近く(かなり)の数が控えていた。
トレーサーと小タルシアンの性能(つよさ)だけで判断すれば、トレーサーに分があると思う。だけどパイロットの練度(しつ)を考えれば、その差は無いに等しいし兵力差を考えれば明らかにこちらが不利だ。
そして戦況は既に消耗戦の様相を呈していた。このまま劇的な何かでもなければ、こちらが先に限界を迎えてしまう。しかし戦場は静まったり何かが起こるどころか、更に敵の攻撃が苛烈なものになっていた。
所々にタルシアンの残骸に混じって、トレーサーの残骸も幾つか見付けてしまう。それを見る度に私の気持ちが、何とも言えない居た堪れない気持ちになる。
「とにかく、まずはリシティアを守る!!」
恐怖心はアガルタに捨ててきた。そして今はネガティブな感情を捨てる様に叫ぶ。『リシティアを守る』。今はそれだけしか考えない様に努めた。
「!?」
その時だった。リシティア(かんたい)方面から、凄まじい迄の閃光が放たれる。睨み合う様にして対峙していた、戦艦と大タルシアンがお互いに向かって主砲を撃ち合い始めた。その凄まじい迄の光の奔流が、放たれ、ぶつかり、光爆する様は、正に眼が焼きつく様な。この世の物とは思えない壮絶な光景だった。
しかしその、鮮やか過ぎる光景は、次第に凄惨なものになって逝く。
両者のビームは次第に力比べの様相を呈し、互いに少しも引けない所まで来ていた。そして更に信じられない事に、大タルシアンは紅いビームを放ちながら、蒼いビームで応戦するコスモナートにじりじりとにじり寄って行く。そして遂にその中の一つが、断末魔を上げる様に内部から閃光が放たれたかと思うと、熱膨張を起こし始め真っ赤になり、そして膨張がピークになると内側から歪な放射状に光条を放射して一気に爆散する。
そして、その光景は連鎖的に起こって逝く。
爆散したのは大タルシアンの方だった。
「よしっ!」
リシティアに向かうのも忘れた様に、この光景に見入っていた私は思わず喜びの声を上げる。少なくても火力と装甲ではこちらが勝っている。このままいけばもしかしたら、艦隊戦での勝利=この戦いでの勝利。を納める事が出来るかも知れないという希望が湧いてくる。
だけど大タルシアンは後方に待機していたものが、再びコスモナートに一対一の力比べを挑んで来る。こちら側は前線の九艦と後方に控える旗艦『リシティア』の全十艦。敵(タルシアン)は、それをはるかに上回る数を有している。
恐ろしい迄の消耗戦、総力戦。しかもこちら側は一度根負けしたら、人的にも物的にもあらゆる意味で替えが利かない。正に崖っぷちの戦いだった。
あまりの緊張感に、背筋に、冷たい物が流れる。
そして恐れていた事態が起こる。
大タルシアンと艦首を突き合わせていた内の一艦が遂に限界を迎えて、あの白かった装甲がみるみる赤熱色に染まっていき、最後の焔と光を放ち爆散し沈んでいく。そしてそれは恐ろしい負の連鎖を呼び込み、次々と連なる様にコスモナートが同じ様に爆散し、そして沈んでいく。
救命艇が出てこない事から恐らく、中のクルー達は爆発する前に逃げる間もなく艦体が赤熱色に染まる頃には……嫌な想像が脳裏をよぎる。
大タルシアンの隊列は最後だったのに、まるでそれを狙ったかの様に大タルシアンがコスモナートが相討ちをするかの様に次々と沈んで逝く。
そして残ったのは最後の大タルシアンと、後方に控えていた艦隊旗艦リシティアのみとなってしまった。
「何だ、何だんだよ。これは……」
私は呆然となって呟く。こんな事ってあるか?一瞬にして九隻もの艦隊が、沢山の命が爆発と共に消えて逝く……信じられない絶望的な光景だった。
私は堪らなくなって思わずさとぴょんを何かに縋る様に力一杯に抱き締めていた。
<此処までする必要があるのか!これがお前達の言う『越えなければならない≪痛み≫』
なのか!それにしたって非道過ぎる!!お前達は私達からどこまで奪えば気が済むんだっ!!!>
身震いがして来る。怒りに、悲しみに、絶望に、そして痛みに。だけど私はそれを無理矢理に押さえ付ける。
私がやるべき事はただ一つ。
――最後の希望――
「リシティアを守る!!」
私は何度口にしたか判らないこの言葉を叫ぶと同時に、スティぐまをリシティアに向けて急加速させる。
しかしそれすらも叶わず、私の行く先を待ち構えていたかの様にタルシアンの群に阻まれる。
かなりの数だった。
これだけの数を相手にしてすぐにリシティアに辿り着くのは正直…難しい。それどころかこの状況で生き残れるかどうかすら怪しかった。
「くそっどこまでもバカにして!!」
だけど。今の私には逃げるとか、回避するという選択肢は最初(ハナ)から無かった。
そして私が立ち塞がる敵に立ち向かおうとした。その時だった――――。
「!!あれは!」
物凄いスピードでリシティアに向かって征くトレーサーが、かなり離れた所だけどスクリーンのほんの片隅に映る。私はこの一機にリシティアの命運(こと)を託そうと思った。あのトレーサーとパイロットに任せておけば大丈夫。
何故だか分らないけどそんな気(よかん)がした。
「よし」
私は意識を切り替える。
今。私がやるべき事。それは、たった一機でリシティアを守りに征った彼女の為に、此処で出来るだけ敵(よけいなやつら)を引き付けて、彼女に振りかかる火の粉を少しでも振り払う事。
「これが私の最後の戦い。『命(すべて)』を懸けて戦い抜いてやる!!お前達が私達に痛みを課すのなら、お前達にも相応の代償を支払わせてやる!!!」
私はビームブレードを構え機体の全身にバリアを張り、タルシアンに向かってバーニアを噴出させた。
―――私は今。ここを最後の戦いの場所と決めた……。
つづく。
スティぐまのビームブレ―ドが蟹型のタルシアンの胴体を斬り裂く。もう何体斃したのか判らない。相当数は減らした心算だったけど、未だかなりの数が残っていた。
「やらせるかっ!!」
その内の一体が私を回避してリシティアに向かっていくのを察知した私は、そいつを猛スピードで追いかけ、バルカン砲で動きを止めブレードで薙ぎ払う。その時、他のタルシアンの攻撃(ビーム)を受け、機体が大きく揺れ酷く揺さぶられる。
身体が、脳が、苦しいと悲鳴を上げる。
機体(スティぐま)の、そして私のエネルギーが底を突くのが先か、その前に戦いが終わるのが先か。全ては、リシティアとそれを守るあのトレーサーに掛かっていた。
ソーラエネルギーシステムによって、ある程度のエネルギーの補給は出来るものの、立て続けに攻撃を受けたり無駄な攻撃や動きをしていては、いずれ補給も間に合わなくなりエネルギーもすぐに底をついてしまう。
精神(こころ)強く奮い立たせないとすぐに折れてしまいそうな、そんな命懸けの消耗戦だった。
もう、どれだけ繰り返しているのだろう。バルカンとミサイルを放ち、ブレードで斬り
裂く。しかし、それでも敵の数は多く、次第に攻撃を受ける事が多くなっていく。
「がはっ!」
何度か目のビームの直撃を受け、私はその強烈な衝撃でコクピットのどこかに強かに額を打ち付ける。余程強く打ったのか、痛みと共に、額からぬるっとしたものが流れたみたいだった。止血する間もないのだけど、幸いそれが目に入る事は無かった。
体力が、エネルギーがみるみる削られていく。その度に心が折れそうになる。だけどその度に精神(こころ)を奮い起たせて敵に向かって征く。
だけど、それでも敵の攻撃は終わりを見せず、私の気力が遂に限界を迎えようとしていた。
いよいよ私も最後なのか?と、半朦朧とした状態で諦めかけた瞬間。何かが、私の脳裏に飛び込む様に飛び込んで来た。
「聡!」
それは、一番大切な人だった。
彼の顔を、声を、笑顔を、優しさを、まるで彼がすぐ傍に居るかの様に、鮮明に私の心の目に映し出される。
彼とデートをしている私がいた。特別な事は何も無かったけど、一緒に居て、話して、ほんの少し触れるだけで、楽しくて、嬉しくて、ドキドキして、幸せだった。
<聡!>
澪姉の声が聞こえた気がした。遠い遠い遥か彼方から聞こえる俺を呼ぶ声。俺は大学の受験勉強をしていた手を止め、部屋の窓から夜空を見上げる。その夜空に一際輝く、輝ける星が一つ。俺にはそれが精一杯に命を燃やし、輝かせ、自身の存在を知らせる、澪姉そのものに見えた。
その星から聞こえる、
ほしのこえ。
澪姉は生きている。必死に自らの命をかけて……。そして、自惚れかも知れないけど、俺を求めている。俺も彼女を求めている。
だから。俺も頑張るから。澪姉に少しでも追いつける様に。俺なりのやり方で……。
<それに、澪姉がどんなに遠くに居ようとも、俺の心はどんな事があっても澪姉のすぐそばに居るから……>
「澪姉。俺は何時か澪姉に追いついてみせる」
聡の声が聞こえた気がした。
もう一度、彼の声が聞きたい。彼に触れたい。
そうだ!どうしても悔みたくない!!こんな所で死ねない!!!。
私には逢いたい人がいる!帰りたい場所がある!!。
だから私はっ!!!。
「全力で生きたいんだ!!!!」
私は心からの叫び声を上げる。気力が、生きたいという気持ちが今まで以上になっていくのを感じる。
もう出し惜しみはしない。全力で私の全てを懸けてタルシアンと戦ってみせる!!。
「私は、私は!」
<俺は、俺は!>
「聡」 <澪姉>
「私は」 <俺は>
「「ここにいる!!」」
私は叫び戦う。自身の存在を大切な人に伝える様に。
私はここにいるよって、感じて貰える様に…………。
斬って斬って斬りまくる。その度に攻撃を受け強く揺さぶられるけど、もう気に掛ける事はしない。自分が終わって終う前に、リシティアを、それを守るトレーサーを信じて戦うしか今の私は考えない。
「最期だ!!」
私は、タルシアンの正面にブレードを突き刺し、渾身の力で薙ぎ祓う。体液が勢いよく噴き出しスティぐまは返り血(それ)を浴びる。
そして私は目に映る最後のタルシアンを斃した。
夥(おびただ)しい数のタルシアンだったものの残骸が、戦場に、私の眼前に漂っていた。恐らくスティぐまの機体(からだ)には夥しい程のタルシアンの返り血(?)に染まっているのだろう。
スティぐまは最早バリアすら張れない状態で、腕や脚等はかなり破損しており、特に防御の為により多くの攻撃を受けた右側の腕と脚は破損部分がスパークを起こしていて、もう使い物にならなくなっていた。
機体のエネルギーは底を尽き、私は強烈な疲労と脱力感に襲われた。身体が、指先すらまともに動かない。もう声さえもまともに出せない程で、私もスティぐまも正に満身創痍だった。
そして、私はやり切ったという満足感と達成感で、そのまま意識が失いそうになる。
その時だった――――。
私の視界に一体のタルシアンが飛び込んで来る。斃し損なったのか?新たにやってきたのか?それは判らない。判る事は、今の私には精神的にも物理的にも、もうこいつを斃す術が無いという事だった。
「さ…と…し…」
私は出せない声でそれでも愛する人の名を紡ぎ出し、最後の力を振り絞ってさとぴょんをぎゅっと抱き締め目を瞑る。
最後は彼を想いながら迎えようと思った。
その時、暗い瞼の奥の世界の片隅に、微かな光が生まれた。
<………………>
いつまで経っても攻撃されない事を怪訝に思った時、機体の両肩をがしっと何かに掴まれる衝撃を感じて私は恐る恐る目を開ける。
スクリーンにはタルシアンではなく、トレーサーが心配そうな表情(?)で私を見詰めていた。
『み、澪ちゃ――秋山さんっ秋山さん!大丈夫!?』
聞き慣れた声が聞こえる。サブモニターに目をやるとそこには曽我部先輩が今にも泣きそうな顔と声で、必死に私に呼び掛けてくれていた。
「せん……ぱ…い…………」
先輩の声を聞き、姿を見て、私は安心感を覚えて、そのまま意識を失った……。
2021年3月。
その日の早朝。俺は羽田野教授に呼ばれ、彼の研究室に来ていた。
今の俺の立場上よく教授に呼び出しを喰らう事はあるのだが、こんな早朝に呼ばれるなんて事は殆んど無かった。
そんなことよりも今、俺が気に掛かるのは先日の臨時のニュースで報じられた選抜隊のニュースだった。
シリウス星系でタルシアンとの大規模な戦闘があり、多数の犠牲者があったものの勝利を収めたというニュースだった。シリウスラインからの八年七カ月ぶりのニュースに、翌日の朝刊にも3d動画付きの特別紙で一面に掲載されていた。
澪姉からのメールから、殆んど間を空けずに報じられた速報。
俺は彼女の無事を確信しつつも、多数の犠牲者が出たという処がやはり気になって、ネットやら何やらで出来る限り真相と詳細を調べようとしたのだけど、元々、情報量も少なく距離が距離なだけに通信も上手くいかないのであろう、色んな所から情報が錯綜して調べれば調べる程に訳が判らなくなってしまっていた。
生存者の発表もまだ公式発表はされておらず、どこで調べたのかあちこちで独自の発表がされていたのだけど、その中に澪姉の名前が有ったり無かったりしてどうにも信憑性の乏しい物ばかりだった。あれから澪姉のメールは届いておらず、こうなるとあのメールが戦闘前なのか後なのかによってだいぶ印象が変わって来る中で、もやもやした気持ち中での教授の呼び出しだった。
その中で俺はある予想と言うか期待を持って研究室(ここ)に居る。この期待の為だけにこの大学に入り、この教授のゼミを選び、この教授(ひと)の助手をしていると言っても過言ではない。
そして、教授が研究室にやって来た。挨拶を交わし二、三言、言葉を交わした後に教授が俺を呼び出した理由を告げる。
「シリウス星系から帰還中のリシティア号からの救援信号が入り、航宙自衛隊からも救助艦を出す事になった。私も調査研究の為その艦に同乗する事になったので、助手である君にも付いて来て貰いたい」
「君は……その為に私の下に付いたのだから。当然、付いて来るのだろう?」
その言葉を聞いた瞬間。正に万感の思いがこみ上げてきた。
俺の長年の希望が、叶った瞬間だった……。
そしてその数時間後、俺の携帯にメールが届いた。
澪姉からのメールだった。
<確信が>、<確定>に変わった瞬間だった……。
2012年9月。
目が覚めてゆっくり『それ』を開けると、そこに柔らかい光が差し込んで来た。
少しざわついている様子の中。私の目に心配そうな面持ちで私の顔を覗き込んでいる、曽我部先輩の姿が映った。
「……せん、ぱい……?」
まだ少し頭がぼうっとしている様だ。でも少しずつ意識と記憶が戻って来る。それが確かなら、私は先輩に助けられて恐らくはまだ生きている筈だった。
「痛(つ)っ」
意識が戻った瞬間。上半身に鈍い痛みが奔る。どうやらあの戦いで相当、打撲や打ち身をした様だ。こめかみの辺りを触ると額の傷に包帯が巻かれていた。
「み、澪ちゃ……あ、秋山さんっ。よかった気が付いたのね」
私のぼんやりした目に涙ぐむ先輩が見えた。その表情(かお)を見て、ふとなんだかちょっと可愛いと思ってしまった。
「せ、先輩……私生きているんですね?先輩が助けてくれたんですね。それで、戦いはどうなったんですか?終わったんですか?」
私は逸る気持ちを抑える事が出来ずに、捲し立てる様に先輩に訊いてしまう。
「ええ、終ったわ。最後の大タルシアンが沈んだのと同時に、小さいのも一目散に何処かに行ってしまったみたい。あの時、秋山さんを助けようとした時が丁度その時だったみたいね」
「だから、私が助けたんじゃないわ。敵が勝手にどっかに行ってしまっただけ」
先輩はどこか申し訳なさそうな表情(かお)で答えてくれた。
「いえ。先輩がいてくれなかったら、今ここに私はいないと思います。現にスティ――私の乗ったトレーサーをリシティア(ここ)まで運んでくれたのは先輩なんですよね?」
「ええ。でも私が貴女にしてあげられたのはそれだけよ」
「いえ。先輩は他にも私にとっては本当に沢山の事をして頂きました。本当に感謝しています」
私は先輩の言葉に首を振りながら言った。私の言葉に偽りは無かった。先輩がいてくれたからこそ。こんなにも脆くて、弱い私を支えてくれたからこそ、こうして私は生きていられたのだと思う。本当に伝えきれない位、感謝している。
「そう言ってくれると嬉しいわ、ありがとう秋山さん……」
先輩はちょっとはにかんだ表情(かお)で言った。
「それじゃあ、私達は勝ったんですか?」
「多分……ね。そう言う事になると思うわ。あの時の状況から考えるとにわかには信じられないけれど……」
今度は困惑した表情で先輩は言う。
確かに不思議な話だった。確かに個々の性能ではコスモナートが、トレーサーが確実に上回っていたと思う。でも、物量(せんりょく)という点に於いては敵(タルシアン)の方が圧倒的に多かった筈だ。この戦力差をひっくり返すのは奇跡に近い程に。でも、実際にその通りになった。
でも、それは本当に奇跡だったのかとも思う。あの時のタルシアンの戦法は明らかにおかしかった。物量任せのゴリ押しや、囲い込んでの砲撃をしていれば、確実に勝てた筈だった。でも彼(?)らは必要も無いのにわざわざ一騎打ちめいた事をやって、更には相討ちまがいの特攻みたいな事までしていた。
こうなってくると本当に彼(?)等は私達に勝つ心算だったのか?と疑問に思えてくる。
もしかしたら、これがアガルタで彼(?)等言っていた痛みを越える試練のシナリオだったのかもしれない。ギリギリの所まで追い込んで、私達の限界を超える力を測ったのかもしれない。私達が更なる宇宙に飛び出せるのか。彼(?)等が託したい<何か>を地球人(わたしたち)が託される資格があるのかを。彼(?)等も相応の痛みを負う事も厭わずに、私達を験(ため)した。
それに私達はギリギリに所で応えた。と言う事になるのだろうか?そしてその全ては、タルシアン側の思惑通りだったのかもしれない……。
「秋山さん……あきやまさんっ……澪ちゃん!」
はっ!?。
「えっ?あ、は、はいどうしました。先輩?」
先輩の呼び掛けにかなり深く考え事をしていた私は、我に返っ(はっとし)て慌てて返事をする。ん?今澪ちゃんって聞こえた様な……?。
「もう。秋山さんがまた何処か遠くに行っちゃったのかと思ったわ」
先輩が苦笑気味に言う。どうやら澪ちゃん発言(さっきの)は空耳だったようだ。
「あの、先輩」
「どうしたの?」
「勝ったのは判ったんですけど、最後、どうやって勝ったのですか?」
私は目覚めてからずっと気になっていた事を先輩に聞いた。
「うん、それがね。私はその時は秋山さんを探してて殆んど見てなかったのだけど、最後はたった一機のトレーサーが大タルシアンを沈めたみたいなの」
「トレーサーが大タルシアンを?それもたった一機で?」
「ええ。何でもエネルギーを全開にして、ビームブレードの長さを最大にして大タルシアンを両断したらしいわ。やったのはあの『長峰』さん。やっぱり凄いわね彼女は」
先輩はそう言うと私とは少し離れたベッドで、あの派手目の人と話している彼女の方を向いた。
「そうですか。やっぱり……」
私は何となくそうなんじゃないかと思っていた。あの時、私が敵に囲まれてリシティアに戻れないところで、ちらりと視えたリシティアに向かって往ったトレーサーはやっぱり長峰さんだったんだ。私は無意識に彼女だと感じたのかもしれない。だからあの時、妙な安心感が有ったのだと納得した。
「本当に凄いですね彼女は。私なんかとは全然違う。私なんかあの時はリシティアを護るどころか、自分の身を護るので精一杯だった。いえ、最後は先輩と彼女に助けられた様なものですから、自分の身すら護れなかったのですけど……」
私は少し自嘲気味に言った。もしあの時。立場が逆であったなら、私は大タルシアンを沈めるどころか、今こうして先輩と話す事なんて出来なかったと思う。リシティアをいかに護るべきなのか位しか考えられなくて、大タルシアンを沈めようなんて考えもしなかったろうし。ましてやビームブレードの出力を全開にして、巨大な剣(ブレード)を造り出すなんていう発想はとても浮かばなかったと思う。全く私は詩(ポエム)や作詞をしているくせに、妄想ばっかりで想像力が全くない事を痛感してしまう。
「そんな事は無いわ秋山さん。確かに今回の戦いで表彰があったとして、mvpに選ばれるのは彼女なのかもしれない。でも、贔屓目無し見ても私だったら迷わず貴女を選ぶわ。何と言っても貴女はたった一機(ひとり)でタルシアンを69体も沈めたんだもの。これは断トツの数字。間違い無く貴女が撃墜王(エース)よ。(ごにょ)それに私もいつか澪ちゃんと69・・・(ごにょごにょ)」
最後の方は何故かごにょごにょと小声になって聞き取れなかったけど、先輩の言わんとしている事は(最後以外は)判った。
「でもね……」
「!?」
突然、先輩は私を抱き締める。
「秋…ううん。澪ちゃんが無事で、またこうしてお話しする事が出来て本当に良かった……。澪ちゃんと逸れてしまった時。心配で心配でどうしようもなかった。あなたに逢いたい、護りたい気持ちで一杯だった。その気持ちだけで戦えた。生き残れた。ありがとう澪ちゃん。あなたのお陰で、今こうして私は生きてあなたに触れられる。話し合える。でもそれなのに…結局あなたを護れなかった。ごめんね、本当にごめんね……」
曽我部先輩はそのまま崩れ落ちる様に頭を下げて私の胸に辿り着くと、「ふえぇぇぇ」と言った感じで泣き出した。嗚咽をして子どもの様に泣きじゃくった。どんな時でも気丈だった先輩の子どもの様だけど、大人の涙……。
この人は本当に大人だ。私がどう背伸びをしても、逆立ちしたとしても全然届かない位の……。
そして子どもの様に泣きじゃくる先輩に普段からのギャップからか、私は不覚にも『萌え萌えキュン♡』してしまい、いつの間にか先輩の頭をなでなでしていた。全く。本当に先輩はずるい位大人だ。
「それで。どれくらいの人が生き残れたんですか?」
先輩が落ち着いたのを見計らって私は訊いた。正直。聞くのが怖かったけど目が醒めてからずっと気になってもいた。
「リシティア以外の操艦クルーは残念だけど生存者はいないわ。私達選抜メンバーは他の艦の人達も含めて、全部で百七十二名。その全ての人たちが当たり前だけど、リシティアに収容されているわ。リシティアの操艦クルーと合わせて全部でおよそ二百名が生き残った全てよ」
「あと、トレーサーは百三十機までしか収容スペースが無いから、破損状態の酷い物から廃棄されたわ。残念だけど秋山さんのスティg……トレーサーも廃棄されてしまったみたい。いくらボロボロだったとはいえ、一番活躍した機体なのにね……」
先輩は、やや沈痛な面持ちで答える。
「……そうですか……」
約千人いた選抜メンバーが、たったの百七十二人。八割以上の同僚がたった一日でいなくなってしまった事に、私は少なからずショックを受ける。だけど同時にそんな中で生き残れた事を幸運に思った。神。いや、聡に感謝した。あの時。彼の声が聞こえなければ、彼を想い出さなかったら多分、いや絶対に私は今ここにはいないだろう。
「調査隊(わたしたち)はこれからどうなるのでしょうか?」
「正直に言ってこれ以上の探索は無理だと思うわ。正直に言ってしまうけど少なくとも私はもうこれ以上、調査する気力も義務感すら無いわ」
「こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、他のメンバーも同じだと思う。ここまで士気が落ちに落ちた状態ではとてもこれ以上の進行は無理だと思う」
「最後に決断するのは司令官だけど。余程の馬鹿野郎(ゆうしゃ)でもない限り、これ以上の調査は無理と判断して退却を選択するんじゃないかしら。生きて帰って調査報告もしないといけないでしょうし。これは私の希望的観測でもあるけどね」
「やっぱり、そうなるのかな……」
「ええ。もう艦隊ですら無くなったこの状態で次に攻撃を受けたら、それこそ全滅間違いないでしょうしね……」
「そうですね……そうか。帰れるのか……」
じわじわと歓びに似た感情が溢れて来るが、まだ決まった事ではないので実感としてはいまいちだった。
ロコモフ司令官が珍しく私達選抜メンバーの前に姿を現す。
これからの事の説明会が有りランチルームを説明会場にしたのだけど、他の艦の生き残りのメンバーも加わった事でかなり手狭になってしまい、テーブル等スペースを取るものは全て片づけられたのだけど、それでも椅子に座れずに立ち見をしている人も少なくなかった。
メディカルルームに居る治療中の負傷者を除いてほぼ全員出席していた。
私は周りを見回すと、知らない顔の方がずっと多かった。そして、見知った顔の多くがいなくなっていた。その代わりに様々な国籍と人種の私と同年代の女の子達がいた。
皆、戦いの疲労と多くの仲間を失った悲しみで、とても沈んだ空気が場を支配していた。
「まず、今回の戦いで、尊い命を落とされた隊員の方々の、ご冥福をお祈り申し上げます」
司令官が挨拶をすると此処が日本人が配属されていた艦だからか、司令官は会場を見回しながら、英語とかでは無く日本語でそう切り出した。
「また、戦いに加わったみなさんのご健闘にも感謝します。みんなよく闘ってくれました。みなさんの奮闘の結果、艦隊は勝利を勝ち取る事が出来ました」
ぱらぱらと日本人及び日本語が解る人達。翻訳機を持って来ていた人達から、まばらな拍手が起こる。正直に言って私も複雑な気持ちだった。ここまでの甚大な被害が有ったのだ。はっきり言って勝った気が全くしなかった。普通なら負け戦だ。
「しかしながら、艦隊は多大な犠牲を払う事になりました。残念ながら、艦隊任務を維持継続することは極めて困難になりました。わたしは、艦隊司令官の責任をもって、すみやかな退却を決意しました」
この言葉が出た瞬間。先ずは日本人クルーから、そしてその表情や行動から察した全てのクルーから盛大な拍手と歓声が上がり、ランチルームが喧騒に包まれ重苦しかった空気が一気に吹き飛んだ。
この時、曽我部先輩がいきなり抱きついてきたけど、私も感極まって思わず抱きつき返してしまった。
「負傷者のなかには、一刻を争う重篤(じゅうとく)者もいます。直ちに地球へ向けリシティア号は帰還します。しかし、帰りの旅は長期間にわたることになる。今回の戦いで、リシティアも軽微ながら損傷を受けている。艦体に負担をかける航法は避けなければならない。そこで、地球に救援を求めることにした。我々は、地球に救援の信号が届く八年七ヶ月の時間をめいっぱいに使って、移動を試みる。航法コンピューターの支援で、シリウスと地球を結ぶ線上にあるアンカー・ポイント<シリウスラインα>まで到達できることが確認されている。<シリウスラインα>は地球から二・一光年に距離にある。従って、我々は六・五光年を八年七ヶ月かけて旅する事になる。なお、相対理論効果により、亜光速航法中の艦内経過時間は、加速・減速期間を含めた約四年。出発は三時間後。我々クルーは直ちに航法準備にかかる。きみたちは出発まで自由に過ごしてかまわない。では……」
司令官は、言うだけの事を言うと、これからやることが山ほどあるのだろう、気忙(ぜわ)しげに、ランチルームから退出した。
私は自室に入るなり勢いよくベッドにダイブを敢行し、その脇に鎮座している<戦友>さとぴょんを思いっきり抱き締める。一瞬。上半身に色々な痛みが奔ったけど、そんな事は殆んど気にならなかった。
さとぴょんはスティぐまが廃棄されてしまう時に、その担当者が気を利かせてくれて、回収して部屋まで届けてくれていた。もしこの時、一緒に廃棄されていたら相当なショックを受けていたと思う。
あの時。エリザベスは持って行かなくてよかったと思う。もしあのまま無理に持って行ったとしたら、当然ぼろぼろに、特にネックなんかは確実に折れていたに違いない。
スティぐまとの別れもやっぱりショックを受けたけど、その名の通り聖痕(きず)を負って、私を守護してくれたのかと思うと胸が熱くなる。私はありったけの感謝の気持ちと、せめて宇宙(ほし)の海で安らかに眠ってほしいという思いを込めて祈った。
さとぴょんを抱き締めながらごろごろしていると、次第にじわじわと涙が出てきた。でもこれは今までの物とは違う。悲しさや寂しさではなく、喜びからくる嬉し涙。
宇宙に出てからの初めての嬉し涙だった。
帰れる、帰れるんだ――――。
「あっ」
そう思った瞬間。私ははっとして飛び起きて携帯を手に取る。出発する前に今度こそ次に送れるのは八年以上先になってしまう。もしかしたら、結果的にはあまり変わらないのかもしれないけど。でもやっぱり、どうしても今ここで送っておきたかった。
両親に律達に送る。でも、聡に送ろうとした時にその手が止まってしまう。その前に、彼に別れようと言っても差し支えが無い内容のメールを送ってしまっていた。その彼は私を待っていてくれているのだろうか?そうでなくても、一度位は会ってくれるのだろうか?。
不安が急に混み上がって来て、それまでの浮かれ気分が吹き飛んでしまった。
でも、私は意を決して彼にメールを送る決意をする。都合が良いのかもしれないけどそれでも、彼を信じて。自分から振る様な真似をして信じるというのもなんだけど、それでも、ありったけの想いを込めて送信ボタンを押す。
―――――これが届く頃、お前はどこにいるんだろうな、
誰と居るのかな。
私は生きている。生き残れたのもお前のお陰だ。
ありがとう、聡。
でも、ごめん。迷惑かも知れないけれど、私は
お前に逢いたい。もう一度だけでもいい、お前に
どうしても逢いたいんだ。
私より年上になった、あなたに逢いたい。
還る事が出来る喜びと、不安を感じながら。 ―――――
届け届け届いて、この私の想い、彼の元に・・・・・・。
一度だけでもいい、
miracle
timeください!
私は、カミサマに一生のお願いをした。
――――私は、今、帰りの途についています。
ずっとずっと好き、大好き。
だから、私が帰るまで待ってて、お願い!――――
リシティアが亜高速航行に入る直前。私は聡にもう一度メールを送る。
はっきり言ってずるいメール。しかもちょっと恥ずかしい内容。でも、それでも自分の気持ちに嘘は付けない。なりふり構ってはいられない。
八年後(いま)帰るから必ず待っていてくれよ、聡。
そんな私の。そして生き残った人達の様々な思い思いの想いを乗せたまま、リシティアは帰りの航路に入って往った…………。
2021年4月。
新型コスモナート。
リシティア型(タイプ)の時よりも小型化されており且つ、内部の居住空間等の施設スペースは拡充されている。エンジンの小型、高性能化の改良が成功したからだ。
更にエンジンの改良化によって、自立ハイパードライブの距離が飛躍的に向上し、今まで一光年そこそこだったものが、最大三光年までに到達距離が延びた。実はこの新型ハイパードライブユニットの開発に関しては、俺もほんの少し絡んでいるのだけど、ほんとに少しなのでどこら辺りなのかは割愛させてほしい。
あとこの新型コスモナートには、まだ開発段階だけど超光速通信システムが搭載されているらしいのだけど、正直この辺りはよく判らない。今にして思えば通信技術に関しても手を着けていればよかったと思うけど。そこはもう、この分野の研究者の方々に頑張ってもらいたいと思う。って、ナンか偉そうだな……。
俺がこの新型コスモナートに乗艦できたのは、ただ単に羽多野教授の助手だから、と言うだけじゃなくて(まぁそれが殆んどなのだけど)、一応、ハイパードライブの研究者としての役割を求められたという事もあった。
何と言ってもこのコスモナートは航宙自衛隊。延いては国連宇宙軍の最新鋭の機体であり、今この艦に乗艦している者の内、自衛隊や宙軍以外では七人。内、五人が防衛大関係者なので、純粋な一般人は教授と俺だけと言う事になる。流石に世界的権威で政府にも顔が利く(例のエネルギーシステムの利権か何かで恩を売ったらしい)羽多野教授の助手であってもそれだけで乗艦できる程、甘い物ではなかった。この分野を専攻し(やっ)ていて本当に良かったと思う。
もっとも。俺があの羽多野教授の助手になれたのも、ゼミを選ぶ時に俺が教授に、澪姉の事。俺と彼女との関係。俺がどんな気持ちで彼女を待っているのか、どうしてこの学部を専攻したのか等々、懇切丁寧に感情を込めて話した結果。教授に俺の『熱意』が伝わって彼のゼミに入る事が出来。且つ彼の助手に就く事が出来た。そうこれは熱意が通じたのであって、決して脅しとか、彼の良心につけ込んだ訳ではない。と、思う。
その代わり、教授の下に付いている以上、それなりの事はやっているつもりだ。
そういう訳で俺は今、月のベースキャンプから、新型コスモナートに乗艦して十日目。ようやく火星軌道と木星軌道の中間点である、ハイパードライブ無規制域に到達していた。
ここまで随分と掛かったのだけど、安全上の理由からハイパードライブはともかく、亜光速エンジン迄使えないとはどういう事なのだろうか?。
前の(リシティア)型(タイプ)ならともかく、この新造艦ならそんなに誤差無しで行ける筈で、加速、減速に必要な距離もかなり短くなった筈なのに……。まあ、国連と主要国家間で取り決められた事だし、何らかの諸々の事情が有るのだろう。
三月に教授からこの話を聞かされて、四月に入っ(しばらくし)て、教授と俺は自衛隊からさいたまの航宙自衛隊基地に呼ばれて、それからシャトルに乗って月面基地に移動した。このシャトルに乗っていたのは、教授と自分。防衛大の関係者の七名と、あとは自衛隊員の数名で、既に少し前に出たシャトルで、殆んどの乗組員は既に月面基地に到着していた。
この時間差が生じたのは、どうもリシティアからの通信状態が良くないらしくて、リシティアがどこに向かって帰って来ているのか、中々判断でき(はっきりし)なかったかららしかった。
それから。この月面基地から新造艦に乗り込んで出発した。
新造艦に乗ってすぐ、ドイツ人らしき通信技師から、艦内案内図入りの冊子を渡されたり、艦内の案内や艦内生活の案内を受けたりした。
新造艦の乗組員(クルー)はベテランと思われる人が殆んどだったけど、その中で只一人。俺と同じ位の年齢(とし)の乗組員(ひと)を見付けた。彼は忙しそうに艦内を行き来していたのだけど、一段落付いたと思われる所を見計らって思い切って声を掛けてみた。
名札には、<noboru terao>と書かれていて、彼は俺より一つ年下で、『寺尾 昇』という名前の新人の通信技師だった。俺が彼の事を気になったのは、彼が数少ない俺と同年来の乗組員(クルー)と言う事もあったのだけど、何より彼がこの時に持っていた写真をちらりと見たからだ。
写真には中学生くらいの、ショートカットの夏の制服姿の女性が写っていた。
<もしかしたら>と思って彼に聞いてみたら、案の定。彼が言うにはこの写真の女性は彼の親しかった友人で、選抜隊のメンバーの一人だった。
彼…寺尾さんの話を聞いていく内に、これまでの俺と驚くほど似ていると思った。
ある日突然、彼女が行ってしまった事。学生時代に自分とはまるで釣り合わない様な女性に告白されながら、彼女が帰って来ると信じてそれをフイにしてしまった事。それだけではないだろうけど彼女に少しでも近づきたい、会いたいという理由で進路を決めてしまった事。そして、今。自分の選んだ道が間違っていなかったと思っている事。
最初はあまり話したがらない様子だったけど、俺も澪姉の事を話したら、同士だと思ってくれたのか、彼は少し照れくさそうに今までの経緯を話してくれた。でも、しきりに写真の娘は彼女なんかじゃないと否定していた。
だけど。恋人でも何でもない人。いや、たとえ恋人だったとしても、十年以上も待ち続ける事は難しいだろうし。それどころか、結果的にここまで迎えに来ている事を考えても、少なくても只の友人なんかじゃなくて、本人達が気付かないだけで付き合っているに等しい間柄だったんじゃないかなと思う。
まあ。自分だけ相手の女性の写真を見るのも何なので、俺もこそっと、というか、半ば強制的(ここぞとばかり)に寺尾さんに澪姉の写真を見せる。彼はそれを見て「きれいな人ですね」と、当たり前の返事をしたのだけど、当然とはいえやはりそう言われると、自分の事でもないのにやっぱり嬉しかった。
ただ。もし万が一にもそんな事は無いと思うのだが、澪姉が帰って来た時にその隣にヤローがいて俺は既にお払い箱という、とんだ哀愁ピエロ状態だったという状況が、突然脳裏に浮かんできてしまい、その居た堪れなさ過ぎるという思いが、今まで浮かれていた分妙に強く感じてしまった。
そんなこんなで改めて今、新造艦はハイパードライブの無規制域に到達していた。
ここからが俺の仕事だ。ハイパードライブを安全確実に出来るだけエンジンに負担をかけない様に跳躍させる。その作業の補助をするのが、一応、外部の人間である俺がこの艦に乗せて貰っている理由だ。
「よし」
俺は気合を入れて、エンジンに向き合った。
ハイパードライブにスイッチが入り、徐々に稼働していく。俺はエンジンの状態や計器類に目をやり、数値や状態に異常が無い事を確認する。何となく俺の本来の仕事と違う気がしないでもないのだが、これも重要な役割だし、とにかく今は与えられた仕事をこなすだけだ。
そして。ハイパードライブによる跳躍(ワープ)が開始された。
ワープアウトが無事に完了する。俺は正直に言って特に何かした訳じゃないけど、ほっと胸を撫で下ろす。そしてすぐさま艦の位置を確認して、更にリシティアの現在地の確認作業が始まる。そしてそんなに時間を掛けずにリシティアの位置が確認され、こちらから到着の連絡を入れる。
リシティアは既に邂逅地点であるここ、シリウスラインαへ向け、亜高速航行から通常の航行に切り替える為の最終減速に入っているらしい。
到着予定日は五日後と言う事で予定より三日ほど遅れているらしいのだけど、今まで待ち続けた十年間の時間に比べたら、本当に微々たる。いや、そんなものは無いに等しいものに思えた。
そして予定日まで三日となった時、ついにリシティアとの通信も可能となり、頻(しき)りに双方での、連絡調整や打ち合わせが行われている様だった。
もうこちらは邂逅地点での受け入れ準備を整えている。あとはリシティアが無事に此処に到着するのを待つだけだ。
そして、到着予定日が明日に迫った時に、俺の携帯にメールが届く。
澪姉からのメールだった。
――――今私は、地球から2光年離れた場所からメールを
送っています。このメールが届く頃、あなたは何
を、しているのでしょうか?何処に居るのでしょ
うか?あなたにとって、このメールが迷惑メール
になっていなければいいな。その時に、あなたと
一緒にこのメールを読む事が出来る事を願って。
もしかしたら、その時には名字が<田井中>にな
っているのかもしれない<澪>より。 ――――
澪姉からのメールは恥ずかしいメール禁止。とか言ってしまいそうになる内容だったけど素直に嬉しかった。まだ俺を必要としてくれているのだと、心底安心した。もう心配する事は何もない。後は彼女を温かく迎え入れるだけだ。
それにしても澪姉は今頃、あまりに速いメールの着信に吃驚しているのかもしれない。このメールの内容から言っても、二年後に届く事を想定してのメール(もの)だろうから尚更であろう。俺は澪姉を更に吃驚させてやろうと思い、あえて送り返すのを止める事にした。再会した時の澪姉の顔がどんな顔になるのか楽しみだった。
翌日。
遂にリシティアと新造艦が無事に邂逅し、両艦を繋ぐドッキングが完了した。
開通した瞬間。大勢の乗組員(クルー)が押し寄せて来るに違いない。そしてその中には澪姉がいる―――。
俺は来るべき時に備え、大きく深呼吸した。
2021年4月。
アガルタを発(た)って八年七カ月。実質の経過時間は約四年。リシティアは、亜光速航行から通常航行に入り三日。遂に地球からの救助艦との邂逅地点である、シリウスラインαに辿り着こうとしていた。
この間、私は当然何もしなかった訳ではないけど、やはりどうしても閉塞感や、退屈を感じる日々であった事は否めなかった。
でも、それももうすぐに終わる。もう邂逅地点はすぐそこだ。
私はアガルタから此処までの実質四年間の事を何となく思い返す。
出発直後のリシティアは戦いの影響や、乗組員(クルー)の増加で、かなりバタバタしていた。
居住スペースも当然いっぱいになり空き部屋全てを宛がっても、まだ全員は入りきれないので一部を相部屋にする事になった。私も出来れば協力しようかなと思っていたのだけど、当然の如くルームメイトになるのは曽我部先輩になる訳で、先輩は何故かこの事に対して物凄く乗り気のご様子だったのだけど、この時の先輩のはぁはぁした妙に興奮した表情(かお)が、私の瞳(め)には、先輩の皮を被った狼(けだもの)に視えてしまい、先輩には丁重にお断りさせて頂いた。かと言って他の人と相部屋となるのも私の社交性(せいかく)ではとても無理だったので、申し訳なかったけど一人部屋にして貰ったりした思い出等々がおぼろげに思い出された。
そう言えばもうすぐ着く事でテンションが上がって、勢いで前日に聡にメールを送ってしまったのだけど、二年後に届くのを見越しての内容だったのに何故かすぐに届いてしまった事に私は疑問と驚きと共に、物凄く恥ずかしくなってしまった。本当に「えっなんでっ!?」と言う感じだった。
でも、聡からの返事は無い。一体どういう事なのだろうか?やはり何かの間違いで、私のメールは届いていないのか?それとももう返信する気が無いのか?前者ならまだいいけど、後者だとしたら……。
私は此処に来て、まさかのどんより状態になってしまった。
でも。そんなネガティブオーラも、リシティアが遂に邂逅地点に到着したと同時に吹き飛んでしまった。
そして遂に。私達と地球とを繋ぐ事になる、希望の艦(はこぶね)とリシティアが邂逅し、二隻の間を繋ぐ橋が渡される。
そして今。希望の扉が開かれた――――。
2021年4月。
通用ゲートが開かれた途端、総勢百七十二名の若い女性の一団が、俺の想像を遥かに上回る勢いで一斉に新造艦(こちら)側に押し寄せてきた。
事前の段階で混乱が予想されていたので、俺も自ら進んで簡単な案内係をさせて貰う事になったのだけど、若い女性達のそれこそ黄色い津波の様な押し寄せ方に正直、圧倒されてしまう。周りを見回すと案の定、寺尾さんも女性陣の怒濤の要求に四苦八苦している様だった。
俺は女性陣のやれ飲み物は、トイレは、私の部屋はどこ?といった数々の問い合わせに名簿を見て応えながら隙を見て周りを見回すけど、澪姉の姿は未だに発見出来ずにいた。名簿にはキッチリと名前が載っているのは確認済みなのでこの中に居るのは間違いないのだけど、見る顔見る顔が皆同じに見えてしまい何か少しおかしくなりそうになる。
そしてやっと落ち着いて来て一息吐いた時だった。不意に、携帯のメール着信音が鳴る。
俺の心臓がそれこそショックで停まってしまうんじゃないか、と思う位に跳ね上がる。そして俺は少し震える手でメールを確認する。
――――なあ、聡。お前今
どこにいるんだ?――――
俺は即座に送り返す。
――――俺はここにいるよ。
澪姉から見えるところに
俺はいるよ。 ――――
また、澪姉からのメールが入る。
――――なあ、わたしは幻を
見ている訳じゃないよな――――
勿論、すぐに送り返す。
――――幻じゃないよ。
俺は澪姉を迎える為に
此処まで来たんだ。
此処までしか来れなか
ったのだけど。
ねぇ、澪姉。
澪姉はどこにいるの?――――
「さ、とし…………」
『その時』。どこからか声が聞こえた。一時期よりはましになったものの、未だ喧騒が支配する空間の中で、小さくてか細い声だったけど俺には他の雑音(おと)が急に静まったかの様にその声がはっきりと聞こえた。
「さとし……」
今度はもっとはっきりと俺の後ろの方から聞こえる。
「聡!私はここだ!!」
俺は、反射的に後ろを振り向く。そこには長い黒髪にちょっとつり目でジャージ姿の、美少女いや、絶世の美女がいた。その美女は信じられない物を見る様な眼で、立ち尽くす様に俺(こっち)を見ていた。
「澪姉!!!」
その瞬間、俺は脇目も振らず飛び出していた。他に何も見えなくなった。目の前にいる、一番の宝物以外は。
「聡!!!」
そしてその宝物も、俺の名を叫んで駆け出してくる。そして俺は、その宝物を、澪姉を強く抱き締める。もう離さない。何が遭っても絶対にこの宝物を絶対に手離したりしない。
そんな事を想いながら、俺は万感の想いを込めて澪姉を抱き締める。俺のこれまでの十年はこの時の為にあったんだと実感した。
私は……幻でも見ているのだろうか?。
私の目の前に少し大人になった感じだけど、聡にとてもよく似た男の人がいた。彼を見た瞬間。一瞬、時が止まったかの様な錯覚を覚えた。それ位の衝撃だった。
私は、恐る恐るメールを送る。
返事はすぐに返って来た。
――――俺はここにいるよ。
澪姉が見えるところに
俺はいるよ。 ――――
あまりに信じ難い事にもう一度、確認のメールを送る。
またすぐに返事が返って来た。
私を迎えに来たというメール。
あれは聡なんだ。十年。私の実質は六年だけど、逢いたくて逢いたくて、それでも逢えなくて、想い焦がれた男の子(ひと)……。その彼が、今、私の目の前にいる。幻なんかじゃない!夢でも妄想でもない。本物の彼がそこにいるんだ!!。
だからリシティアで最後のメールを送った時、すぐに着信したんだ。
聡は二・一光年離れた(こんな)所まで、私を迎えに来てくれたんだ。
そんな想いが、正に万感の想いが一気に込み上がって来る。
「さ、とし……」
想いが強すぎて声が出ない。いや、今出さないでどうする!。
「さとし……」
まだだ、もっと、もっと出すんだ!。
「聡!私はここだ!!」
私は叫んだ。想いの限り、彼を求めた。
「澪姉!!!」
「聡!!!」
聡はこっちに振り向くと、私の名を叫んでこちらに駆け出してくれた。私も半ば無意識に彼の名を叫び、彼に向かって駆け出していた。
そして二人が重なる瞬間。彼に、聡に抱き締められる。私も負けじと彼の背に腕を回す。
ずっとずっと求めていた、夢見ていた感触が、ぬくもりがここにあった。
もっと強く抱き締めて欲しい。それこそ壊れる位に抱き締めて欲しい。
もう離さないで欲しい。
今、私は今まで枯渇していた何かが、急速に満たされていくのを感じていた……。
「澪姉……逢いたかった。本当に逢いたかった……」
十年間。待ち続けた想いを込めて抱き締める。
「聡……私も、私もずっとずっとお前に逢いたかった……」
聡に抱き締められて、幸せに包まれるとはこういうものなのかと実感した。
ああカミサマ。dream time をくれてありがとうございます……。
「聡。背伸びたな」
確か離れ離れになった時は、私と同じ位の背丈だった筈だ。それが今は私よりも少し高くなっていた。
「澪姉を待ち過ぎて、ラーメンの麺みたいに伸びちゃったよ」
恐ろしい程つまらない事を俺はこの時上手い事を言ったかのように、満面のドヤ顔になりながら言い放つ。
「ははっこいつめ。益々カッコよくなっちゃって、全く以ってけしからんな」
私はドヤ顔すらカッコいい王子様の顔を見つめ、満面の笑顔を浮かべる。
「……ちょっといいかしら?」
「!?」
一瞬。氷の大剣で貫かれた様な感覚を感じたのと同時に、大量の冷水の様な声をかけられる事で急に現実に戻された俺は、その声が発せられた方を見る。そこには赤茶色の長い髪の女性がいた。
澪姉よりも少しつり上がったつり目の、顔立ちの整った大人の女性と言う印象だった。
そして我に返って周りを見てみると、他のクルーの面々が俺と澪姉を何となく遠巻きに囲む様にして、ドン引きした感じで「バカップル爆発しろ!」とでも言いたげな様子で、冷ややかな視線を俺達に浴びせていた。
「もしかしてあなたが、澪ちゃんのいいひとの田井中聡君?」
声の主はこちらに近づくと、まるで俺を値踏みするかの様に見ながら言った。
「は、はい、そうですけど……あっもしかして、貴女が曽我部さんですか?澪姉のメールによく名前が出ていた……」
「ええ…そうよ。秋山さん、いえ、澪ちゃんとはこの十年<実質六年だけど>、『誰より』も仲良くさせて貰っていた曽我部です」
曽我部さんはそう言うと、にこっと微笑む。綺麗な笑顔なんだけど、何処か目が笑っていない気がする。
「やっぱりそうですか。あの今回の件では、うちの澪姉が大変お世話になったみたいで、本当に感謝しています」
そう言って俺は、軽く頭を下げる。
「……うちの?……いつからあな……まあいいわ」
曽我部さんは、何かを言い掛けるのをやめて、俺の耳元に顔を寄せると、
「田井中君。もしこれから先、澪ちゃんを泣かせる様な事をしたら、ころ……した後で私が……」
と、ぼそっと俺に囁いた。
「は、はい……そうならない様に、き、気を付けます……」
俺は彼女の囁きに言い知れぬ恐怖を感じながら、震えた声で辛うじてこたえる。
「そう…それならいいのよ。澪ちゃんとはこれからも仲良くさせて貰う心算だけど、二人の邪魔になってしまうから、それじゃあもう行くわね。澪ちゃんまた後でね。……それから田井中君」
「は。はいっ」
「『これから』よろしくね」
そう言い残すと曽我部さんは、再び微笑んで何処かに行ってしまう。いや寧(むし)ろ行って下さったと言うべきか……。
「……えっ!?これから?」
俺は去り際の科白に再び言い知れぬ不安を感じ、どっとかいた汗を拭う。
「……曽我部さんってまさか……ゆr……」
「先輩には入隊してから今まで、いろいろとして貰っていてな。本当に感謝しているんだ」
俺はいろいろな事なら良いけど、エロエロな事までして貰っては無いだろうな、と、一瞬不安に思ったけど、澪姉の様子を見る限りそんなことは無さそうで善かった。多分だけど……。
「そんなことより……」
澪姉が待ち切れないといった感じで、俺の腕にしがみ付いてきた。まるで、この十年分を少しでも取り戻そうとしているかの様な感じだった。
「私はずっとお前とこうしていたかったんだぞ」
十年前(あのとき)はなかなか出来なかったけど、今なら周りなんて気にしないで、こうやって聡に甘えられる。私はそれだけ我慢してきたし、待ち焦がれていた。もう此処まで来たら、周りの目なんて自分の羞恥心なんて構ってはいられない。私がこうしたいからするんだ。
多分。今、周りにいる人達は私達の事をバカップルとでも思っているに違いない。でもそれがどうした。そう思うならそう思うが良い。私はこうなる事をずっと夢見ていたんだ。
それがバカな事であるなら私は、喜んでバカになりたいとすら思う。
「み、澪姉・・・」
あの、恥ずかしがり屋だった澪姉がこんなにも積極的になってくれるのは素直に嬉しいけど、そうなればそうなる程に俺たちに突き刺さる周りの氷の矢の様な視線が痛かった。
特にリシティアの人達は少なくとも、この十年の(うちゅうにいる)間はそう言う事とは無縁であっただろうから、尚の事、し・ね!氏ねっじゃなくて死・ね!とか、さっさと爆発しろっ!的な不穏な眼差しを送りつけて来るのも解る気がするのだけど……。
あっ。そう言えば寺尾さんはどうなったのだろうか?彼も彼女と無事に再会できたのだろうか?。
そう思い出して俺は彼を最後に確認した、自動販売機の方に目を向ける。
寺尾さんはそこに居た。そしてその彼女と思しき女性(ひと)も。だけど――
<落ち着いてる―――――!!!>
どうやら無事に再会できた様だけど、その再会シーンは妙に落ち着いた、大人の雰囲気というか、むしろ初々しい感じだったけど、少なくとも恥ずかしさ丸出しのバカップル(おれたち)よりは遥かに……。
<確か寺尾さんは俺より一つ年下で、彼女さんも彼と同級生と言う話だったよな……>
それどころか澪姉に於いては、実年齢ではその俺よりも更に二つ年上である。俺は俺達と彼らの再会のリアクションの違いっぷりに、膝から崩れ落ちそうな程に呆然とし、そして愕然とした。
ある意味、完全なる敗北。
これではバカップルと蔑まされて、冷たい視線を送り付けられるのも無理は無い……。
「でも聡。どうしてお前がシリウスライン(こんなところ)に居るんだ?制服も着てないし、自衛隊に入隊した訳じゃないよな?それならどうして此処まで来れたんだ?」
澪姉が不思議そうな顔で言う。それはそうだ。こんな所まで選抜メンバーの関係者で迎えに来たのは、俺と寺尾さんだけだと思うし。実際に寺尾さんは航宙自衛隊員だけど、俺は自衛隊員ですらない只に一般人だ。その俺がどうしてこんな所にいるのか、澪姉が怪訝に思うのも無理は無いと思う。
「うん、それはね……ちょっと長くなるから申し訳ないけど後で言うよ。これでも一応、まだ仕事中なんだ。だから…今日の仕事が終わったらゆっくり、十年間(これまで)の事を話そう。これからは時間はいっぱいあるんだ。もう、焦る必要はないよ」
俺は澪姉に微笑みながら、ちょっと勿体付けるように言う。そうだ、これからは二人の時間は沢山あるんだ。ゆっくりとこれまでの事、そしてこれからの事を話し合っていきたいと思う。
「うん、そうだな。もう私もお前も突然何処かに行ってしまうなんて事は無いしな。後でゆっくり…ゆっくりとお話し(おはなし)しような」
そう言って澪姉も俺に微笑み返してくれる。やっぱり可愛い。いや綺麗だ。
「なぁ聡・・・」
仕事に戻ろうとした俺を澪姉が呼び止める。
「えっ何!?」
俺が振り向いた瞬間、澪姉は再び俺に抱きついてきた。
「ありがとう聡。此処まで来てくれて、私を待っていてくれて、こんなに幸せな事は無い……私は本当に幸せ者だ……」
澪姉は泣いていた。俺の胸の中で泣いていた。そんな澪姉が堪らなく愛おしかった。
「当たり前じゃないか。俺は何時だって、たとえどんな事があっても澪姉だけだよ」
こんな恥ずかしいセリフを俺はのうのうと言ってしまう。こんなことしか言えないけど、でも…言わずにはいられなかった。
「……ありがとう聡。これからもよろしくな」
「うん」
俺はもう一度、澪姉を抱きしめ返す。俺は改めてもう、これ以上の物は無い。俺にとって世界一の宝物をもう二度と手離さない、幸せにしてみせると、心に固く誓った……。
つづく。
乙
「なあ、お前もそう思うだろ、梓」
澪先輩がそう言って私の方を向く。十年ぶりに見る大人になった澪先輩の姿はやっぱり綺麗で……私よりもずっと大人に見えた。
私の髪形は十年前からずっと、ロングのストレート…『あの時』のままだ……
私にとっては未だ、女として澪先輩は憧れの女性(ひと)であったし、あの男性(ひと)も澪先輩一筋なのに、私だけがもう諦めている筈なのに、彼の事をまだ未練がましく未だにずるずると引き摺ったままだからだ。
そんな事もあって…私の心は複雑だった。
勿論。澪先輩が帰って来てくれて嬉しい気持ちは本物だ。でも、私に先輩をお迎えする資格があるのか、それが判らなかった。
「澪先輩……」
私の声がちょっと震えたものになってしまう。動揺しているのが丸判りだ。私と聡君、いや、田井中君とは、あれからも付き合いが無かった訳では無かった。
とは言っても、たまにお茶を飲んだり、学校の事とかを話したりする程度で、二人だけで何処かに行くなんて事は振られて(あれ)からは無かったのだけど。
大学院を卒業後、私はとある大きな動物病院に就職する事が出来た。そして今は研修医として経験を積んでいる。でも、来年か再来年には何とか独立するつもりだ。
卒業したと言っても、まだまだ勉強する事や調べたい事が山程あるので、資料閲覧や収集等でお願いして、未だ大学のお世話になっている。
田井中君は大学に残る様なので、大学(そこ)で会って、話をする機会が多かった。
そして…澪先輩の生存がはっきりして帰って来る事が分った時、私はよりによって愚かにも彼に澪先輩の事を相談してしまった。
私の相談を受けた彼は、笑って「大丈夫ですよ、それなら俺も同罪ですから、その俺が言うのですから大丈夫です。どうぞ、遠慮する事無く、澪姉に会ってあげて下さい。その方があの人も喜ぶと思いますから」
「まあ、ここだけの話ですけど、俺が誰よりも先に逢える予定なんですけどね」と言って、少し照れくさそうに笑って答えてくれた。
彼はそう言ってくれたけど、私にはまだ少し、不安や罪悪感みたいなものが残っていた。だから<もう一歩>が踏み出せずにいた。
「梓……」
純が心配そうな表情(かお)で私を見つめる。私が、失恋した『あの時』から立ち直る事が出来たのは、ひとえに彼女と、もう一人の親友である憂のお陰だった。
あの時…雨の中…傘も差さずに泣いていた私の携帯にメールが届いた。純からだった。そのすぐ後にもう一通来た。
……憂からだった。内容は二人とも、何となく気になったからメールしたのだけど、今から会えないかな?今、どこにいるの?といったものだった。
私は…今すぐにでも二人に逢いたいと思った。でも同時に、こんなずぶ濡れの野良猫みたいな惨めな姿を見せたくないという気持ちもあった。
でも…この時は何よりも温もりが寄り掛かるものが欲しかった。
聡君には、ああ強がったけど、実際には心がぼろぼろになって、今にも崩れ落ちそうだった。
私はつまらないプライドを捨て、縋る思いで二人に連絡した。身体が冷え切って、悴(かじかん)でまともにメールを打てなかったので、直接電話した。
二人は私の声と口調で、何となく察したようで、すぐに大学(ここ)まで来てくれた。そして、ずぶ濡れの私を自らが濡れるのも厭わないで抱き締めてくれた。
そのぬくもりが本当に心地よかった。
憂が電話から聞こえる音や声で察したのか、気転を利かせて着替えとタオルを持って来てくれた。純が温かい飲み物を持って来てくれた。
そして…私の話を聞いてくれた時に、二人が私の事の様に、一緒に泣いてくれた……。
私はこの時、改めてこの二人が私の親友でいてくれて本当に良かったと思った。
もしこの二人がいなかったら、何時立ち直れたのか判らない。本当に二人には感謝し切れない程感謝している。
そんな事もあって、澪先輩を迎えに行こうと決意した私は純に伴われて、ここまで来たのだけど、いざ、澪先輩の前に立つと、案の定、気後れをしてしまう。全く私はなんてヘタレなんだ……。
「あ、あの、澪……せん……ぱい……」
私がどうにかして何か言おうとした瞬間。
「梓……」
澪先輩は、私の名前を紡いで、突然、私を軽く抱き締める。
「澪、せんぱ……い……?」
「ごめんな、私が居ない事でお前に辛い思いをさせたな・・・でも、これからも私の友達でいてくれるか……?」
澪先輩が私の耳元で優しい声で、囁く様に言った。
「……澪先輩はずるいです………」
澪先輩は……この人は全部知っているんだ。多分、田井中君に大凡(おおよそ)の話を聞いたのだろう。その上で、私をそして田井中君を許したんだ。
そして、大袈裟なのかも知れない、いやきっと彼女の言葉には「聡は私のモノだから、もうちょっかいを出すなよ?」という、警告の意味合いも含んでいるのではないかと確信する。
私はこの時、澪先輩は本当に大人に…『ずるく』なったと、思った。
「梓……」
「でも、私も澪先輩とずっと友達でいたいです……」
これは、私の偽らざる本心でもあったし、それ以前にこう言うしか選択肢は無かった。
「ありがとう梓……」
澪先輩は私の言葉を聞いて、満足げに頷く。
「でも……」
だからこそ言ってやりたい。
「でも……何だ?」
澪先輩は怪訝な顔をする。
「でも、今も田井中……いいえ、聡君とはお友達なんですよ。今でも、時々ですけど逢っているんです」
「なっ!?」
予想だにしない言葉(はんげき)だったのだろう。澪先輩が明らかに、面を喰らった表情(かお)になる。
私はちょっとだけすっとした気分になって、更にここぞとばかり畳み掛ける。
「澪先輩。私は<あずにゃん>ですから、先輩がうかうかしていたら、いつの間にかに<ドロボウ猫>しちゃうかもしれないデス」
「――――ッ!!」
言ってやった!言ってやったデス!!勝てない戦いと言う事は最初から判っていたけど、それでも一矢報いてやりたかった。
言ってやった事で何か心の奥底で欝屈したものが取り払われて晴々した気分になる。
私がそう言って澪先輩に満面のドヤ顔を見せると、私と澪先輩の間を緊迫した空間が支配する。
「…・・・ほほう……あの頃よりも更に言う様になったな梓……いや、実質的には今は、<梓先輩>かな?」
澪先輩が一瞬たじろぎかけたが、予想よりも早く体制を立て直した瞬間だった。
「やっほーみんなーあっ澪ちゃんもう来てたんだ。改めまして、澪ちゃんおかえりー。お久しぶりだね!澪ちゃんっ!」
唯先輩の…明るくも、気の抜けそうな声が聞こえて来た……。
つづく。
唯の声と思わしき声が聴こえたので、私は一旦、梓との不穏な会話を中断して、声のした方を向く。
この時に律とムギが、私と梓(こっち)を見てニヤニヤしているのが視界に入ってイラっとしたが、あえて無視をする。
まあ、梓とは今度キッチリ話を着けるとして<当然、聡にもな……>視線の先には、和が正に両側に平沢姉妹を従えて、と言った感じでこちらに近づいて来るのが見えた。
しかし、何故か従えている様に見える和よりも、従っている様に見える唯の方が得意げな顔をしているのだが……。
「おかえりなさい澪。ごめんなさいね。先に曽我部先輩の所に行って挨拶してきたから、ちょっと遅れちゃったわね。唯と憂だけでも先に貴女の処に行っていいわよって言ったのだけど私に付いて行くって聞かなくて……」
「そんな事はいいよ和。私もあの人には凄くお世話になったしな」
私は和に穏やかに返す。むしろ先に先輩の処に行ってくれてよかったと思う。梓との件も含めて…………。
「澪ちゃんおかえり~」
「お帰りなさい、澪さん」
「ただいま、和、唯、憂ちゃん」
私は微笑んで三人に挨拶を返した。
和はすっかりキャリアウーマンと云った出で立ちで、キッチリとスーツを着こなしていた。唯と憂ちゃんもスーツに身を包んでいたが、憂ちゃんはともかく、唯はまだスーツに着られている感じに見えた。
「和……今…一番忙しい時なんだろ?来てくれた事はとても嬉しいけど、無理させちゃってないか?」
「ふふ、心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。憂と唯のお陰で、何とか調整付けられたから」
「それならいいけど……でも今月から始めたばかりなんだろ?」
「ええ…やっと今月から、事務所を立ち上げられたわ。ちょっと早いかなって思ったけど、独立するのが夢だったから
「憂も随分慣れてきたし、唯もよくサポートしてくれたから、思い切って独立しちゃった」
「そうか……和は凄いな……」
私は和の行動力と言うか、志の高さに素直に感心する。
和や唯のメールで知らされてはいたけど、和は律達や私も受ける予定だったn女子大ではなく、別の大学の法学部に進学した。
そこで在籍中に司法書士の資格を取得して、大学に通いながら、司法書士事務所で経験を積んでいたと言うのだから大したものだと思う。
あと、弁護士では無くて司法書士を選んだと言うのが、何処か和らしいなと思った。
「そんな事はない……って事の無いわね。これでも結構、頑張ったから」
和は少し照れくさそうに、それでも本当に努力したのだろう、珍しく謙遜せずに何処か誇らしげにこたえる。
「そう言えば憂ちゃんもだったかな?」
「ええ、憂も大学の卒業年次に資格を取ってくれたお陰で予定より早く独立出来たわ。彼女も唯に付いていって、n女に行くのかと思っていたけど、まさか私と同じ大学を選ぶとは思わなかったけど」
「えへへ…・・・高3の時に和さんからこの話を聞いて、和さんは大学で好きな事をやってからじっくり考えて、それでも自分に付いて来てもいいと思うなら、大学を出てから資格を取ってくれればいい」
「その間の面倒は見るからって、と迄言ってくれたんですけど。この話を聞いた瞬間から居てもたってもいられなくなって、頑張って和さんと同じ大学に行くことを決めたんです」
「だって、社会人になっても和さんとお姉ちゃんと一緒に、しかも自分達のお城(じむしょ)を持つ事が出来るなんて、夢の様な話でしたから、少しでも早くそうしたいなって思ったんです」
憂ちゃんはちょっと気恥ずかしげに、でも、願いが叶ってとても嬉しそうな顔をした。
今の生活がとても幸せなのだろう。こうして見てみると、憂ちゃんはもしかしたら、唯よりもずっと甘えん坊なのかなって思う。
「それで、唯も和の処に就職しているんだよな?もしかして、唯も資格を習得し(とっ)たのか?」
「うん、持ってるよ。パソコンとか簿記とか、あと秘書検定とか、いっぱい取ったよ」
「あと教員免許もねっ」と、唯は自慢げに、ふんすっと胸を張る。この辺りは高校生(あ)の頃と変わっていないなと思った。
「でも、肝心の司法書士とかはもっていないんだな?」
私は純粋にそう思っただけだけど、聞き様によってはちょっと意地悪と取られかねない事をつい言ってしまう。
「うん、持ってないよ。司法書士とかってすっごく難しいし、正直、あんまり興味も無いんだ。私は和ちゃんのサポート(おてつだい)がしたいだけだから
「だから、和ちゃんが事務所を開くまで学校の非常勤講師(せんせい)とか、派遣とか、資格の学校とかに行ってたんだよ。和ちゃんの支えになれる様にね」
唯はそう言うと、ドヤ顔っぽい表情になって、また、ふんすと胸を張る。
「そうか…じゃあ念願通りになったんだな」
唯は唯でそれなりに努力をしていたんだな、と、妙に感心してしまった。
「そうだよ、和ちゃんに永久就職だよっ。ね、憂」
「うん。そうだねお姉ちゃん」
憂ちゃんも唯に同調すると、二人で和の左右の腕にぎゅうっと抱きつく。うーん。高校時代ならともかく、二人とも結構イイ歳なんだけどなぁ。と私はちょっと辟易してしまう。
和もそんな二人にちょっと困り顔をしていたが、これだけ魅力的な姉妹二人に、これ程までに慕われるのだから、やはり和(このひと)はただモノではないのだと思う。
「でも、私は唯にも取り敢えず行政書士とかを取って貰いたいと思っているの。そうなれば少しでもお給料を上げられるし」
和は私に向かって言う。唯は「べつにいいよー。だって和ちゃんが、一生養ってくれるもん」と、何故か頬を膨らませる。
「もう、何を言っているのよ。これは貴女の為なの。でも、私に就いて来てくれた以上、少なくても貴女と憂が結婚するまでは責任を以って面倒はみる心算だけど。でもその分、私を支えて、助けてね」
「「うん、そのつもりだよ和ちゃん」」
和の言葉に唯と憂ちゃんが見事にハモって応える。
「「でも、和ちゃん以外の人とは結婚しないけどねー」」
と、その後にまた、冗談っぽくハモってまた姉妹でぎゅーと抱きつく。
そんな二人に和は「もうっ」と呆れ顔をしていたが、その表情はやはり何処か嬉しそうな満更でもない様にも見えた。
私はそんな、いつまでも変わらない三人が、どこか可笑しくて、そしてとても羨ましいと思った。
それから皆で食事等をして、律達と別れたその日の夜。
十年ぶりに帰った自宅で私は両親にささやかなお祝いをして貰った。
十年ぶりに食べた母の料理は涙が出る程美味しくて懐かしくて、そして父と初めて飲んだお酒はほんの少し苦かった。
そして、その次の日。私は律に呼ばれて街中にあるとあるライブハウスに来ていた。この時私は場所がライブハウスとあって、何があっても良い様にと一応、エリザベスを背中に背負って行く事にした。
指定された時間通りに行くと、私を待っていたのかそこの係りの人に案内されて、フロアの扉を開けて貰う。そこには、
「澪ーおかえりー」
「澪ちゃんおかえり~」
「澪ちゃんお帰りなさい」
「澪さんお帰りなさい」
「澪先輩お帰りなさい」
「澪お帰りなさい」
「「「「「「秋山さんお帰りなさい!!!!」」」」」」
律が、唯が、ムギが、梓が、憂ちゃんが、鈴木さんがステージの上で、そしてその下のホールには和を始めとする見覚えがある面々。
桜高の3年2組のクラスメイト、そして今はもう山中姓ではなくなったさわ子先生が一斉に「おかえり」の声を浴びせてくれた。
みんな大人になって少し<中にはだいぶ>顔つきが変わったけど、見覚えのある級友(ひとたち)が私の帰りを祝ってくれていた。
もうあれから10年以上経つと言うのに皆、私の為に集まってくれて、にこやかな顔で私に声を掛けてくれた。
それだけでも私は感極まって泣きそうになったと言うのに、律達≪放課後ティータイム≫の演奏が始まって、そして恐らくは私の事を歌ってくれたのだろう『cosmos way』と言う曲を聴いた時は、不覚にも耐え切れずにまた泣いてしまった。
それからは私もhttに復帰させて貰って、皆と一緒に演奏した。エリザベスをリシティアに持って行けたおかげで、簡単な音合わせだけですぐにあの時の様にみんなと演奏する事が出来た。念のために持って来て本当に良かった・・・。
やっぱり聴いてくれる人が居て、みんなで演奏するのは最高に楽しかった。10年ぶりなら尚更だ。
私は帰って来られて本当に良かったと、改めて心の底から実感していた…………。
つづく。
2011年5月。
十年以上前。俺と澪姉が最後に逢った、ある意味『はじまりの公園(ばしょ)』。俺はここのベンチ前である人が来るのを待ち侘びていた。
勿論。その人とは澪姉の事だ。
宇宙(シリウスライン)で再会して地球に戻るまでの間はお互いの時間を縫って逢う事は出来ていたのだが、新造艦から月面基地でシャトルに乗り換え二便目のシャトルで澪姉が、そして最後の便で俺が地球(こっち)に戻ってからは、宇宙に出ている間に溜まりに溜まった仕事に追われ、澪姉も取材やら何やらで多忙を極め、只の一度も逢えずにいた。
だけど、どうにか調整をつけて今日やっと互いの都合が合い逢える事になった。そして話し合いの結果、公園(ここ)で落ち合う事になったのだった。
「まだ、来ないな……」
約束の時間にはまだ少し早かったが、待っている間そわそわするのも何なので、何となくぼんやり考え事をする事にした。
澪姉が居なくなってしまった後に急速に開発が進んだモノが二つあった。
エネルギー増幅システムとトレーサーの事だ。
澪姉が宇宙に行ってしまってからそれ程期間を置かずに起こった大地震と大津波。その余波で起こった原発の事故。
その時に配備されたトレーサーは澪姉達が駆っていたものに比べて数段性能が落ちるものだったが、それでも救助や瓦礫の撤去作業。原発施設の調査等、被災地の復旧復興に相当な成果を示した。
そして、原発の事故によりクリーンエネルギーの必要性が叫ばれた時に一気に世界中から注目を浴びたのが、光エネルギー増幅還元システムであり、その技術を独占している日本であった。
これにより、言い方は悪いかもしれないが、震災の被害(ダメージ)を復興の礎(エネルギー)に換えて日本は石油に変わるエネルギー革命を興し、その盟主になった。
トレーサーもこの件で一気に災害救助や建設作業での汎用性が認められ、その必要性が叫ばれ一気に開発が進んだ。その結果、現在のモデルは澪姉達のものには及ばないものの、その性能は格段に上がり且つ、操縦さえ覚えれば乗り手も選ばない、ある意味純地球産の高性能の機体の開発に成功していた。
そして、今のところは平和活用されてはいる様だが、これが軍事目的に利用されない事を願うばかりだ。
そして、この二つの技術が宇宙由来のものだった事もあって、その結果この分野にこれまで以上に注目が集まる事になり、その将来性から大学も文理問わずに宇宙系学部に人気が集中してしまうと言う事態になってしまった。
この事を思い出す度に俺は本当にギリギリの(いい)時に受験できたなと思う。
ある意味、一寸先は闇とはこの事だと思う。よくは判らないが…………。
大学と言えば、澪姉がこの9月から大坊に編入して来るらしい。澪姉曰く、シリウスからの帰還中、彼女はリシティア内で様々な作業の手伝いをする傍ら、国連規定の大学の通信課程を受けて修了したらしい。
国連大学とは本来は修士・博士課程相当の機関なのだが、今回の調査隊は現役の学生が殆んどの為、特別に学士課程の通信カリキュラムを組んで貰っていたらしい。
卒論も提出済みでこれが通れば晴れて大学卒と言う訳らしいのだけど、本人は「改めて大学に通いたい」という訳で、年齢的な事も考慮して3年次編入という事になったらしい。
澪姉の他にも大坊を始め他の大学に編入、入学を希望する人、復学する人達も多いと言う事らしかった。
実際の所。彼女達の受け入れを希望する大学は、宇宙学部の有る大学を中心にしてかなり多かった様だ。
実際に宇宙に出て更にタルシアンと戦闘を経験した数少ない生き残りであり、宇宙生活も長いという余りに貴重な体験をしたと言うのだから、引く手数多と言うのも当然だと思う。
更に国どころか国連の推薦状迄あるのだから、大坊だろうがどんな大学でもほぼフリーパス状態なのだと思うし、今回の件ではどう見ても不可解な計画内容且つ、一般人の死傷者が余りにも多い事に、国連は世界中から非難を浴びた事に流石に堪えたのか「彼女たちの今後の人生に於いて出来る限りの保障と支援を行う」「また亡くなられた方々とそのご家族にも同様の補償をさせて頂く」と声明を出しているのでこれ位は当然の事だと言えた。
地獄の受験を乗り越えてどうにか合格した俺からすれば羨ましい限りなのだが、彼女達は実際に本当の戦場(じごく)を潜(くぐ)り抜けたのだから、これ位の報酬(こと)は当然の事なのかもしれない。
報酬と言えば、彼女達がこの遠征で受け取った給料も相当なものだったらしい。
正確な額は教えてくれなかったけど澪姉曰く「『ジャンボ宝くじ』が当選した位」は有るらしかった。
これまた羨ましい限りなのだが、彼女達の功績を考えればもしかしたらこれでも少ない位かもしれない。
という訳で、澪姉が9月から大坊に通うと言う事なのだが、そのこと自体は立場が違うとはいえ元々n女に通う予定だった彼女と、同じ学校に通う事が出来るのだから嬉しいに決まっている。だけど、問題は恐ろしい事にあの曽我部さんも澪姉と一緒に入学してしまうと言う事だ。
はっきり言ってリシティアでの彼女との出会いは、真面目にトラウマもので、あの時彼女が俺に言った「これからよろしくね」という言葉がこの事だったのかと思うと、大仰かもしれないけど背筋が寒くなる思いがした。
あの時味わわされた、氷の短剣。いや氷の大剣を突き立てられたかの様な感覚は当分忘れられそうもなかった。
とはいえ、来てしまうものはどうしようもないので、俺も覚悟を決め、腹を括るしかなかった。
……………。
「うーん…まだかな……」
俺は腕時計を見ながら溜息を吐く。約束の時間にはまだ少し早いが、未だ澪姉が来る様子は無かった。
今まで…と言っても十年以上前なんだけど、待ち合わせした時は寧ろ澪姉の方が先に来ていた事の方が多かったのに……。
<宇宙生活が長かったから少し生活のリズムが変わったのかな……?>
俺は若干不安な気持ちになりながら、そんな事を考えていた。
宇宙と言えば、今後再開されるであろう第二次調査隊の事をふと思い出した。
どうも今現在、調査計画そのものが見直されているらしい。その発端となったのは、澪姉達がアガルタで遭遇したと言う、奇妙な映像であるらしかった。
リシティアで澪姉に聞いた話だと、タルシアンは地球人(わたしたち)に、何かを『託したい』『ついて来て欲しい』といった様な事を伝えて来たらしい。
そしてその為には、『痛み』も必要であると…………。
そして、この体験(えいぞう)が澪姉だけでなく、他の生き残った選抜メンバーも同様の体験をしたと言うのだから、とても個人の幻聴や妄想で片付けられない事であるし、タルシアンが初めて地球人(じんるい)に直接に伝えて来た、言語による貴重なメッセージとしてとても無視できるものではない事は容易に想像が付く。
ただ、このメッセージをあの戦いで命を落としてしまったメンバーも聞いたのかどうかは、永遠の謎になってしまったのだが…………。
そもそも人類がタルシアンという存在を知ったタルシス遺跡の爆発事件自体が、タルシアンが引き起こしたものではなく、何かしらの人為的要因(ミス)による事故ではなかったのかという説も出始めていた。
そして、爆発(そ)の時にタルシアンが現れたのはただの偶然だったのではないか、という見解をする識者もここにきてちらほらと出始めていた。
遺跡の爆発を事故ではなく襲撃として、その後タルシアンを敵と見做す事にして、事故の過失を無かったものとし、タルシアンという敵を作る事で世論の非難を躱し、尚且つ危険という事で他国や民間が手を出せない状態にして、タルシアンの技術や科学を独占してきた米国政府の陰謀だったのではないか?。
最初の段階で、米国はそして世界(じんるい)は間違った選択をしてしまったのではないか?という議論があちこちで交わされていた。
だけど俺はどちらにせよ、澪姉達が巻き込まれた戦闘<たたかい>は避けられなかったのではないかと思う。
タルシアン側がアガルタで『託したい』その為には『痛みが必要』と伝えてきた以上、『何か』を託す為には痛みに耐えられる位の、そして『彼等』の試練を乗り越えられる程の精神と力が無ければ話にならない。
と、タルシス遺跡を爆発させてしまった程度の科学力、技術力しか持たない愚かで無知な地球人(じんるい)を試したのではないか、と俺個人は思っている。
だからタルシアンは自らのテクノロジーを人類が盗み応用していく様をも黙認してきたのであろうし、その成果を確認する為に彼等自身が犠牲になるのも厭わずに、澪姉達と交戦したのではないか?。
「タルシアンの戦い方は何処か不自然だった。勝てる戦いだったのに、何故か勝とうとはしなかった様な気がする……」
と、澪姉がリシティアで俺に疑問を投げ掛ける様に話してくれた様に、タルシアンにとってあのアガルタでの戦いは、人類を試す試練であり試験ではなかったのではないかと思う。
何にしても何が真実なのかは今もまだ解らない。タルシアンが依然、人類にとって未知で脅威の存在であることには変わりは無いし、何よりも澪姉が生きて帰って来てくれた事だけで俺には充分だった。
と、まあこういった経緯もあって第二次調査隊は当初の予定よりも規模を縮小し、その目的をアガルタの環境調査と、澪姉達が発見したアガルタ遺跡の調査に限定すると言う事になったらしい。
その澪姉も、除隊となる時にロコモフという司令官から、「その時にはまた来てほしい」とスカウトされたらしいのだが、澪姉は流石にもうこりごりだと断固として断ったらしかった。
正直に言って、俺としては断ってくれて本当に良かったと思う。
シリウスラインαからの帰還中。リシティア内にて曽我部さんに散々、澪姉のトレーサーパイロットとしての腕は相当なものであり、実際にアガルタ決戦時の撃墜数は全パイロットの中でトップだったと言うのだから、司令官が引き留めるのも当然だと思った。
だけどあの澪姉が敵とはいえ、生物かも(えたいの)知れないモノを大量に撃墜したと言うのだから、一体彼女に何があったのだろうかと考えただけで、少し身震いしてしまう。
「うーん……」
俺はそんな何処か説明と言うか纏めじみた事を考えながら、再び時計に目をやろうとした時だった、
「聡。ちょっと待たせちゃったかな?」
俺の耳に一番聴きたかった人の声が聴こえ、俺の目が一番見たかった人の姿が、この瞬間この目に映った…………。
「ううん。俺も今来たところだよ」
本当は、これまでの総括的な事を考え思い返す程度の時間は待ったのだけど、澪姉がほぼ時間通りに来てくれた事だし、特に何か言う話でもないので、俺は笑顔を作って手を振り、澪姉を安心させる様に言葉を返す。
「そうか……それなら良かった。家を出る前にちょっとばたばたしてしまったから、ちょっと焦っちゃったんだけど……」
澪姉はそう言うと少しぎこちない笑顔を見せる。そんな澪姉の顔には、まだ使い慣れていない感じがするけど、精一杯さが伝わって来る様な化粧が施されていた事に俺は目を見張った。
十年前はこうしたデートの時も殆んど化粧らしい化粧などしていなかったのに……。
服装だってそうだ。十年前デートの時でさえは殆んどパンツルックにトレーナーだったのが、今や落ち着いたシックなデザインのワンピースと薄手のカーディガンという、俺から見れば相当おしゃれな出で立ちである。
俺の不意打ちだったとはいえ、リシティアで十年ぶりに再会した時もジャージ姿だったと言うのに……。
恐らくは十年以上もの間、おしゃれとは全く無縁の環境(せかい)にあったであろう澪姉が、今、ここで、俺に逢う為に、精一杯のお化粧とおしゃれをしてくれている……。
そして、その準備と選択の為に時間ぎりぎりになったのかと思うと、苦言どころか感動で胸が熱くなってきた。
かく言う俺は、gパンにトレーナーという、恐ろしい程お洒落さの欠片も無い出で立ちで、ナンか逆に大変申し訳無くなってくるのであるが……。
「澪姉……とってもきれいだよ……」
俺は思わず恥ずかしくて顔から火が出かねない様な事を、思わず呟く様に言ってしまう。
「ふふ……ありがとう聡。準備に少し時間が掛かっちゃったけど、その甲斐が少しは有ったかな?」
澪姉はそう言って、はにかみと嬉しさが要り混ざった様なそんな笑顔を俺に見せる。
かわええ。全く以ってかわええ。けしからん位かわええ。
「ああ…そうだ聡。昨日、国連大学から卒論が通ったって連絡があったんだ。これで心置きなく大坊(だいがく)に通えるよ。私は宇宙史学だから聡とは専攻も立場も違うけど、今までよりも一緒に居られるな」
「うんそうだね。まさか澪姉と一緒の学校に通えるとは思わなかったよ」
俺は本当に世の中何が起こるか判らない事を実感する。
それから俺達は少しの間、他愛のない会話を交わす。そんな中、澪姉が何かを思い出したのか不意に声を上げる。
「あっそうだ聡」
「ん?どうしたの」
「私が地球(こっち)に還って来た時に、みんなが私を迎えに来てくれた話はもうしたよな?」
俺達を乗せた新型コスモナートが月面基地に到着して、そこからシャトル便に乗り換えて地球に帰還した時、俺は教授のお付きという立場もあって、澪姉と一緒に帰るどころか、帰るシャトル便(ひにち)すら違ったのだから、当たり前だけど澪姉の友達とは顔を合わせる事も出来なかった。
まあ、澪姉を迎えに来た『みんな』の中には当然、姉さんも入っていたので顔を見せないで済んでほっとした面もあったのだが。
だけど、その話はあの後、メールやら電話やらで何度も聞いていた。まだ言い足りない程とても感激した出来事だったんだな。と、俺は妙に感慨深げに、のほほんとしながら思った。
「律も、ムギも、唯も、和も、憂ちゃんとかもみんな来てくれてな……」
「うん…うん。姉さん達が迎えに来てくれたんだよね」
俺は、澪姉の話にのんきに相槌を打つ。
「その中に梓の姿もあってな」
「うんうん」
俺は何も考えずに再び相槌を打つが、この時、澪姉の声色が微妙に変わった事に愚かにも気付く事が出来なかった。
「うんそうそう。あz……中野さんも凄く澪姉に逢いたがっていたからね」
あの時、梓さんから相談を受けた俺は、リシティアで澪姉と再会した後に俺と彼女との事を<微妙にそれとなく当たり障りのない様に>澪姉に伝えていた。
「その時さ、梓が私に教えてくれたよ。『今でもたまに逢っている』ってさ」
俺はこの時初めて澪姉の様子の変化に今更ながら気づく。
「えっ……!?あっそうそう。はは、澪姉も知ってると思うけど、中野さんは今や動物病院の獣医師(せんせい)になっているから、大学に資料を閲覧しに来たりするんだよ」
「はは…会っているって言っても、その時に挨拶を交わす程度で、他には全然何も無いよ……はは、凄いよね。澪姉の後輩だった人が今や中野医師(せんせい)になっているんだからさ。時の流れって怖いよね」
何度も引き攣った愛想笑いをしながら、俺の額からいよいよ厭な汗が噴き出してきた。
い、いや俺は嘘は言ってはいないし、そんなにやましい事はしていない筈だ……多分……。
「そうかそうか。挨拶程度か……その挨拶を交わす程度の関係でしかない『中野医師(せんせい)』さまが私にこう言うんだよ……」
「……………何って?」
「私がうかうかしていたら、『私からお前をドロボウ猫する』ってさ、それはもう満面のドヤ顔で言うんだよ」
「――――――!?!?!?」
その瞬間、俺の額、いや身体全体から大量の冷たい汗がどっと溢れる。な、ナンという事を言って下さるのですか梓しぇんしぇい……。
「いやいやいや……はは…じょ、冗談が過ぎるなぁ。あz――中野せんせいは……澪姉を吃驚させようと思って言ったんだよ。はは、ホントに冗談言うならもっと面白い事を言えばいいのに……」
俺は、どう返せばいいのか判らずに、取り敢えず冗談である事を強調する事にするしか出来なかった。でも、ホントにナンで急に、しかも澪姉にそんな事を言ったんだ?あれから本当に何も無いし、もうとっくに終わった事なのに…………。
「そうか、そうだよな。あれは、あの宣戦布告(セリフ)は梓なりのサプライズだったんだな」
そう言って澪姉は再び俺に笑顔を見せる。だが、その目はしっかりと笑っていなかった。
そして澪姉は、俺の両肩を両手でがしっと掴む。
「なあ、田井中研究員(せんせい)」
「はい。な、何でしょうか……秋山さん」
「曽我部先輩から聞いたかもしれないけど、私はこれでもタルシアンとの戦いで、撃墜数が全クルーの中で一番だったんだよ」
「はは……聞いてるよ……澪姉は凄いね……」
「お前をドロボウ猫されたら、私はまたトレーサーに乗ってしまいそうだよ。私が『それ』をどうするかは解るよな?」
「………は、はい。肝に銘じておきます……」
俺は、その時の状況を幾つか想像して、その余りの恐ろしさに震えながら、コクコクと何度も頷く。
「うんうん。私は信じているからな。田井中先生」
「は、はいっ信じていて下さいっ秋山さんっ!」
俺はそう答えるしかなかった……。
あと、これは後日談になるのだが。澪姉と曽我部さんが大坊に編入してきた時に、どうしてそうなったのか大坊のobとogである俺と中野せんせいが、澪姉と曽我部さんの編入祝いを催すという、俺にとっては地獄の(satsugai)イベントとしか言い様のない催しをする事になるのだが、これはまだ先の話なのでここでは割愛させて頂く。
と云うか割愛させて下さい……。
「まあ、それは取り敢えずはいいとして……」
澪姉はそう言うと、俺の顔をまじまじと覗き込むように見つめる。
「……ん?ど、どうしたの?」
面と向かってあんまりじろじろ見られると、流石に少し気恥ずかしくなってくる。
「聡……本当に大人になったんだな……そっか今はもう本当に私の方が年下になっちゃたんだな……」
澪姉はしみじみと言った感じで「もうこれまでみたいに聡なんて呼べないな。ふふ」と、言葉を続ける。その表情は何処か嬉しそうにも見えた。
確かにアガルタからシリウスラインα迄の帰路を亜高速航行戻って来た事により、地球(こちら)の八年七ヶ月が澪姉達には約四年の体感時間という事になり、これによって澪姉の実年齢は二十八だけど、実質的には二十四歳という事になり、二十六歳の俺の方が年上になってしまったのだった。
「み、澪姉……いいよ別に今までど―――」
「いいや」
澪姉は俺の言葉を遮って首を横に振る。
「これからは『澪』って呼んで」
「!?」
俺は澪姉の予想外の言葉に一瞬言葉を失う。
「み、み・・・おね・・・」
「み・お」
「―――!……み、澪……」
「はい。聡さん///」
「―――――!!!」
澪姉のこれまでずっとずっと俺のもう一人の姉だった人の初めて聞くはにかみを含んだ甘える様な声と表情に、俺は一発で参ってしまった。
うーもう辛抱堪らん!!!
「み、澪!!」
俺は何か堪らんものがこみ上げて来て半ば無意識に澪姉、いや澪を強く抱き締める。
澪姉は突然の事に吃驚したのだろう、一瞬、身体を強張らせるがやがてそれも無くなって、俺にその身を委ねてくれた。
そして、暫くの間抱き締めた後、俺はそっと少し身体を離し、澪の顔をじっと見つめる。
「澪……好きだ。愛してる」
真昼間から、しかもどこにでも有る様な公園で、有り得ない程の余りにも恥ずかし過ぎる事をなに真顔でやらかしているんだこのやろうと、興奮しつつ心のどこかで思ったが、もうどうにも止まらなかった。身体が口が心(おもい)が勝手に動いてしまう。ああ!もうどうにでもなれ!!このやろう!!!。
「はい。私も聡さんの事を愛しています……」
澪は顔を真っ赤にさせながらそれでも、真剣な顔ではっきりそう言うと、そのまま目を閉じて口角を少し上に向ける。
「澪……」
俺は彼女の両肩を軽く掴んで引き寄せ、もう一度愛する人の名を呟くと、彼女に倣って俺も目を閉じ、そして彼女の唇に俺の唇をそっと重ねる。
何を隠そう、今まで何をやってきたのか、これが初めての澪姉の唇はとても柔らかくて、でも心地よい弾力があって、正に幸せの感触(?)だった。
そして唇を離し再び澪姉の顔を見つめる。彼女の顔はほんのり朱に染まり、でも、とても幸せそうな顔をしてくれていた。多分、俺も同じ様になっているに違いない。
「私の『夢』がやっと一つ叶ったよ・・・・・・」
「えっ?」
「ううん。何でもない。何でもないよ」
澪姉はキスをした時よりも更に顔を真っ赤にして、首をぶんぶんと横に振る。
「それよりも……」
「私……聡さんと行きたいとこや、やりたい事がいっぱいあるんだ……もちろん付き合ってくれるよね?」
澪姉が子どもっぽい表情で少しはしゃぐ様に俺に言った。
「うん。俺も澪n……いや澪と一緒だよ。これから精一杯、十年分(これまで)を取り戻そう」
「うん」
澪姉が目じりに少しだけ涙を溜めて、でもとても嬉しそうな最高の笑顔を見せると、俺の手を握り公園の外に向かって引っ張っていく。
「時間がもったいないから早く行こっ聡さん」
「うんそうだね澪」
俺は澪nいや、澪と一緒の時間に居られる幸せを噛み締めながら、もうこの手を離さない。これからは俺が澪を守り抜いてみせる『絶対』と心に誓う。
初夏の陽光と風をその身に浴びて、俺は秋山 澪と云う名の愛しい人の顔を見つめて、全てのはじまりだったこの公園(ばしょ)を後にしながら、俺はこの人と共にこれから新たに歩んでいく人生(みち)を思い浮かべていた……。
おしまい。
予定よりずっと時間がかかってしまいましたが
ナンとか終わらせる事が出来ました
有り難う御座いました。
けいおんでnlは正直読みたくないが書き上げた根性は見上げたものだと思う
乙乙
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