マッチを売らなくなった少女(105)
あるところに少女がおりました。
冬の風に身を震わせながら多くの人が行き交う道の端にたたずみ、
「マッチいりませんか?」
と消え入りそうな声で訊ね続ける少女です。
「マッチなんてこんな時代に売れるはずがないわ」
雪の積もる石畳を明るく照らす外灯を見上げながら悲しげに呟きました。
薄橙色にちらちらと舞う粉雪が少女の心を冷やします。
こんな暮らしで生きていけるはずがない。
明日食べていけるお金があるわけでもない。
左腕に下げた籠に手を伸ばして、マッチを雪から守るために掛けていた布を取ると中から折りたたまれた紙切れを取り出しました。
私に残された道はもうこれしかない。
端と端をしっかりと合わせて畳まれていたチラシを開いて見つめ、固く決心をしました。
もうマッチ売りをやめてしまおうと。
タイトルで吹いたw
少女はマッチを擦りました。
少女の小指ほどの長さしかない短い棒の先端に薄橙色の明りが燈ります。
「私はやめる」
「何をやめるって?」
「もう貧しい暮らしはしたくない。でも、裕福になろうなんて思わない」
少女が小さく燃え上がる炎に息を吹きかけ大きく腕を振りました。
すると驚くことに、消え入りそうだった小さな火は瞬く間に膨れ上がり、たちまちに棒を柄にした爆炎の鞭へと変貌したのでした。
「私が望むのは人並みの生活。人並みの幸せ。ただそれだけ」
棒を横へ一閃。それに追従して燻ぶり黒い煙を吐きながら鞭がしなって空を斬ります。
「私はこの大会で優勝し! そして、自分だけの幸せを手に入れる!」
少女が声高に宣言すると鞭以上の熱量をもってギャラリーが湧きあがりました。
「私の悲願を達成する為、その踏み台になってもらいます!」
腰を深く落として前傾姿勢を取り、鞭を操る少女は異国の姫を見据えました。
この場を制して手に入るのは勝利者の余韻ではない。弱者を蹴落とした後悔と更なる強者を相手にする恐怖。
ですが、それを乗り越えて幸せを手に入れなければ少女に明日はありません。
相手の脚が動くコンマ秒差、少女は指で弾かれたはじきのように勢いよく飛び出しました。
初戦の相手は青と黄色のドレスがよく映える異国のお姫様。
いきなりの大物に委縮せず、どれだけ果敢に立ち向かえるでしょうか。
足元に何かが転がってきたのを感じ取り、それを目で確認するよりも早く横へ跳ねて回避します。
「すごいすごい。良い反応ね」
眼前の敵が微笑みながら賞賛を送ると同時に、お姫様に蹴り飛ばされた何かは爆音を上げて四散しました。
四方八方に飛散した果実と果汁が少女の白い頬を汚します。
「っ」
すぐさまそれを袖で拭いますが、感じたことのない違和感が残りました。
(なにこれ……、触れた部分がピリピリする)
「凄いでしょ? 今夜に備えた特別性よ」
純粋に、この時間をただただ純粋に楽しんでいるお姫様の笑顔には得体の知れない気味の悪さがあります。
「ただの果物じゃないよね」
ですが、それを乗り越えて幸せを手に入れなければ少女に明日はありません。
相手の脚が動くコンマ秒差、少女は指で弾かれたはじきのように勢いよく飛び出しました。
初戦の相手は青と黄色のドレスがよく映える異国のお姫様。
いきなりの大物に委縮せず、どれだけ果敢に立ち向かえるでしょうか。
足元に何かが転がってきたのを感じ取り、それを目で確認するよりも早く横へ跳ねて回避します。
「すごいすごい。良い反応ね」
眼前の敵が微笑みながら賞賛を送ると同時に、お姫様に蹴り飛ばされた何かは爆音を上げて四散しました。
四方八方に飛散した果実と果汁が少女の白い頬を汚します。
「っ」
すぐさまそれを袖で拭いますが、感じたことのない違和感が残りました。
(なにこれ……、触れた部分がピリピリする)
「凄いでしょ? 今夜に備えた特別性よ」
純粋に、この時間をただただ純粋に楽しんでいるお姫様の笑顔には得体の知れない気味の悪さがあります。
「ただの果物じゃないよね」
「ええ、何の果物か当てたら全部教えてあ・げ・る。ヒントは――」
友人に仕立てたばかりのドレスを披露するかのようにお姫様はスカート裾を持ち上げてその場をクルリと回ります。
するとどうでしょうか。スカートの内側から真っ赤な果実がごろごろと溢れ出てきました。
「――リンゴよ」
言うや否やお姫様はすらりと伸びた細く華奢な脚で果実を蹴り飛ばすと、幾つもの林檎が少女をめがけて飛来してきました。
「なっ?!」
不意の攻撃に慌てて鞭を振るいますが、虚を突かれた攻撃を完璧に防ぎきることはできません。
反応が遅れてしまい、幾つかの林檎が焼かれる前に少女の身体にぶつかりました。
幸いなことに先程のような爆発は起こりませんでしたが、もし、この林檎が目と鼻の先で実を散らしていたら……、そう考えると少女は自身の緊張感の無さを噛み締めました。
「安心して。まだまだあるから」
お姫様は続けざまにひらりと回転し追加の林檎を生み出すと、それを確認した少女は足元に散らばる林檎から離れようと駆け出した、まさにその時でした。
「あっ?!」
突如、激痛に襲われた足をもつれさせ、掌からこぼれた鞭が遥か前方に投げ出されて固い床の上を跳ねて遠ざかります。
「あぐっ! があああぁぁぁっああぁっ!!」
何が起きたのか状況の理解が出来ないまま少女の体は地面を転がりました。
薄っすらと開けた視界の先には、さっきまで何も無かった場所に無数の林檎の皮と黄色い果実、それに異様に泡立った果汁が散らばっていました。
(時差式っ!?)
今度こそ完全に油断をしていました。そして、それに気付くのが遅すぎました。
地面に横たわる少女にお姫様が蹴り飛ばした林檎の雨が降り注ぎました。
「私の林檎は収穫時期が早かったせいか、ちょっと酸味が強めなの」
くるりとスカートを宙に躍らせます。
「未熟なあなたに大人味のアップルは楽しめないわよね」
足元に積み重なる林檎の1つを掴み取り、
「次はとびっきりに甘い甘い夢を観させてあげる」
口に運んで齧りました。
そして、
「good night,little pretty princess.」
お姫様が口ずさんだ眠りの挨拶をトリガーに少女を埋もれさせた林檎が破裂しました。
「あー! あー! あー! あー! もうっ! スカートがぼろぼろじゃないの!」
試合を終えた少女はとても不機嫌そうに頬を膨らませました。
見るままに大層ご立腹。真っ赤にさせて怒っている顔は、前戦のお姫様が散々闘技場内に撒き散らせた林檎のようでした。
お世辞にも綺麗とは言えない身なりですが、穴の開いてしまった赤色のスカートは少女の大のお気に入りだったのです。
1つ1つの大きさは虫に食われたような程度の些細なものでしたが、数が集まればその規模変わってきます。
「あんな綺麗なお洋服を日常から着れちゃう富裕層には衣類1着の大切さなんて理解できるわけがないのよだからあんなに派手な戦い方が躊躇なく――」
愛用着のいたるところを汚され痛められた少女には堪えたらしく、誰に聞かせるでもなく延々と文句を垂れ流しまていました。
2回戦が始まるまでに時間的な余裕はまだまだあります。
痛んだスカートの一部を隠すように握り締めて、ロビーの一画に備え付けられた洋服直し専用のスペースに入りました。
「あ、こんばんは」
「こ、こんばんは」
どうやら中には先客がいたようです。
少女に気が付いた先客の女の子が柔らかく微笑んで会釈をしてきたので、少女もおずおずと頭を下げました。
もちろん少女は女の子に面識はありません。完全に初対面です。
見た目は少女よりも幼いのようですが、年上相手にも人見知りしない様子に少しだけ感心しました。
女の子は無料で貸し出されたローブを纏い、せっせと針を動かして純白のエプロンを縫っているところでした。
少女も女の子に倣ってクローゼットから何回りも大き目のローブを借りると内側で衣服を脱ぎます。
手近な椅子に腰を降ろすと、テーブルの端に置かれた裁縫セットを手元に引き寄せました。
「さっきの試合見たよ。お姉ちゃんすごかったね」
「そ、そう?!」
「すごかったよ」
さりげなくごく自然に少女が一番遠くの席を陣取ったにも係わらず、女の子は陽気な声で話しかけてきました。
意表を突かれた少女は声を上ずらせただけでなく素っ頓狂な返事までしてしまったことに、羞恥に顔を染めて顔を伏せます。
私は人見知りではなく優しい人に慣れていないだけ。あの子はあの子は可愛い年下の女の子。
思わぬ失態に熱くなった頬に手でぱたぱたと風を送りながら少女は心の中で何回も呪文のように繰り返し唱えました。
「お姉ちゃんはあのときなんで無事だったの?」
「あのとき?」
あのときはどのときですか、と記憶を探ります。
マッチを擦って生んだ大炎を間近で操るときのことか、はたまた林檎を林檎と判別できずに弾けさせたときのことか、それとも時差で破裂した毒々しい果実に足を掬われたことか……どれ?
思い当たる節が多くすぎて首を傾げると、エプロンの修復が一段落した女の子が少女に視線を移しました。
「沢山の林檎の下敷きになったときだよ」
「ああ、あれね。あれはマッチを擦ったのよ」
「……」
「表現が足りなかったわね。マッチを擦って新しい武器を作ったの」
女の子から向けられた学の無さを憐れむような寂しそうな視線に慌てて少女が言葉を付け足しました。
「マッチから武器を作れるの?」
「そうよ。人に見せたのはここが初めてなんだけどね」
「へー」
「ここからはちょっとお話が難しくなるわよ」
年上らしさを強調する為に少女は前置きを入れて説明を始めました。
林檎の山の中で数本のマッチに新しく火を付けると身体に近い果実から順番に焼いていった。
焦って最初から最大火力にしたせいで山の林檎が盛大に弾けてしまって非常に驚いた。
たぶん林檎が暴発したのはいきなり暖めすぎて内部の水分が一気に蒸発し、外側の薄い表皮だけでは急増した体積を持ちこたえられなかった。
少女が無事だったのは爆発した林檎にほとんど水分が残っていなかったから。
どれもこれも少女の推論でしたが、女の子は大好物のお菓子を見つけたかのように目をキラキラと輝かせて話を聞いていました。
それから結末までは早いものでした。
お姫様が林檎を蹴り飛ばすよりも早く少女は懐に入り込んで攻撃の態勢を取るだけで勝負は決まりました。
林檎を爆破させてしまえばお姫様は自身を巻き込みます。方や少女は腕をほんの少し動かすだけでお姫様の身を黒く焦がすことが出来ます。
決着はお姫様のギブアップという形で少女に軍配があがりました。
「お姉ちゃんかっこいい!」
「女の子にかっこいいなんて言わないでよ」
女の子の褒め言葉に照れ隠しで嫌がってみますが、褒められて嬉しくないわけではありません。
苦笑いで頬を掻く少女に女の子はパンくずを差し出しました。
「……これは?」
「お姉ちゃんの健闘に頑張ったで賞です! 頑張りました」
「あ、ありがとう」
小さな女の子に手渡された勝利のご褒美は小さなパンくず。
嬉しくもちょっと侘しいささやかな賞品に困ったような笑顔を浮かべ、お返しに女の子の頭を優しく撫でました。
『紅蓮の蛇が撓り大気を燃やした』とか書ければいいんだけど張ってから気付く悲しみ
地の文の練習してるだけだから! 語彙の確認してるだけだから!
良いから
次は赤頭巾だろ?
④
俺の知ってる童話と違う
少女に続いて闘技場に足を踏み入れたのは年端も行かぬ可愛らしい童女でした。
きょろきょろとあたりを見回しては不思議そうに小首を傾げます。
見た目と年齢に差異が無ければ、歳は8にも満たないくらいでしょうか。
少女のことが目に入っていない様子の童女はしばし周囲を見渡すと寂しげな表情になってその場に座り込んでしまいました。
「あの……迷子?」
心配になった少女が童女に歩み寄ります。
「……お姉ちゃん、誰? 私は……童女?」
声を掛けられてようやく少女の存在に気付いた童女が顔を上げて訊ね返しました。
「私はマッチを売るのが嫌になった……どこにでもいるマッチ売りよ」
近代化が進み電気が普及し始めた時代に路肩でマッチを売っていた世界で唯一の希少生物は途中から気まずそうに答えました。
腕に提げた小さな籠に入れている小箱を童女に見せると再び頭をひねります。
「童女ちゃんはどうしてここにいるの?」
「どうして……」
目的を訊ねられた童女は視線の先を少女から頭上へ移しました。
背丈に自身のある男の大人が5人縦に積み上がっても届かない遥か遠くの天井をぼんやりと眺め、しばらくして答えを見つけ出した童女が少女に向き直り、
「私ね。お婆ちゃんに会うためにここに来たの」
「お婆ちゃんに?」
「お母さんにね、お遣い頼まれてたの。葡萄酒とパイとチーズ……」
そう言って逆さに振られた籠から零れてきたのは、空になった酒瓶とチーズの欠片がついた包み紙。
食料と呼称できる物は一切そこに無く、あるのはその残骸と思しき塵だけでした。
「お姉ちゃんにはあげないよ」
お婆さんに渡すべき食料は既に食されている。しかし、童女はなおもお婆さんを探している。
食べ物と信じ込んでいる塵を届ける為に。
明らかな矛盾を平然と、それが当たり前であると言わんばかりに唱える童女に少女は今まで味わったことのない類の不気味さを感じました。
「あ、お婆ちゃんにお花を摘んであげないと」
籠を置いたまま童女がおもむろに立ち上がります。
言うまでもありませんが、屋内に設置された闘技場内に草花の生えるスペースなどはありません。
深みを増していく童女の奇行に少女は数歩後ずさりしました。
「やっ」
未知の恐怖に恐れおののく少女の心境など露知らず、童女は手足を縮み込ませると身体のばねを存分に使いこなしてぴょんっと飛び上がりました。
すると、不思議なことに可愛らしく飛び跳ねた童女の周囲に草が生えて花も開き、小さな小さな草原が出来上がりました。
何処から入ってきたのか、数匹の白い蝶が童女を慕うように辺りを飛び回ります。
異様としか形用のしようがない光景に、少女は更に足を数歩引きます。
しかし、これで確定しました。
この童女は決して道に迷った末にコロシアムに辿り着いたのではありません。そして第2戦の相手はこの童女で間違いありません。
鼻歌交じりにお花を摘む童女に少女は身構えます。
寸分の戦意も見せない童女ですが、相手は確実に初戦を制している実力者です。
小箱からマッチを取り出すして、いつでも臨戦態勢に入れるようにと側薬に頭薬を添えたところで少女の下準備は完了しました。
後は相手の出方を窺いながら燃え盛る鞭で相手を束縛するだけです。
するだけなのですが。
「やっ」
辺りの花を摘み終えた童女は、またもや目一杯飛び跳ねて次の草原を形成させます。
「……。」
花を摘んでは草原を作り、また花が摘み終れば元気よくジャンプする。
赤色の頭巾がピョンピョンと無邪気に跳ね回るたびに少女の戦意は削がれていきました。
私が戦うべき相手は本当にこの童女であっているのだろうか?
そんな疑念さえも頭に浮かんできますが、かぶりを振って余計な疑問を頭から追い出します。
この緊張感にかけた空気を作ることこそが相手の策略かもしれません。
愛玩動物のような無防備な姿を晒し、敵が牙を見せなくなったところで咽喉元を鋭利な爪で掻き切る。
抱いた人物像はなんとも残忍で狡猾ですが、童女が1回戦目を勝ち上がってこれた理由に適当なものを少女はそれ以外に見つけられませんでした。
ここでの悪手は相手のペースに飲まれること。最善手を自分の流れに敵を乗せると判断した少女は、花を選別する童女に近付きました。
少女の接近を敏感に察知した童女は鼻歌を中断して注意を少女へ向けました。
これでおそらく童女側も警戒態勢に入ったと感じた少女はマッチを1本擦りました。
ここではまだ火は大きくしません。相手がやる気を見せたところで一気に畳みかけるのです。
「やーっ!!」
お花摘みの一時を阻害しにきたと判断したのか、童女はプライベートゾーンに入り込もうとした少女を両手で押し返しました。
涙目と気の抜けた掛け声が気の緩みを誘います。
少女は惑わされません。
「戦わないの?」
棒の先で燃える火を童女に見せつけます。
負けじと涙で潤んだ瞳が少女の目を一心に見続けます。
「あなたが動かないなら私から勝負をかけるわよ」
「お姉ちゃんも邪魔するの?」
「私は目的があるの。手に入れたいものがあるの」
「私の邪魔をするの?」
「童女ちゃんが私の障害になるなら、私は童女ちゃんの邪魔をするわ」
平穏を望む子羊に少女は毅然と答えると、赤い頭巾を被った子羊は顔を俯かせてしまい、
「お姉ちゃんも邪魔するんだ……」
「え?」
突然に冷たくなった童女の声音に少女は狼狽しました。
「お姉ちゃんも私の邪魔をする。お姉ちゃんは狼だ」
「お、狼?」
あらぬ疑いを掛けられて動揺していると童女が勢いよく顔を上げました。
「お姉ちゃんは狼だ。狼はお婆ちゃんを食べた。狼は私の邪魔をして私も食べようとした」
「ちょっと待って。狼って何? 私、そんなの全然」
「猟師さんは狼を撃ってお腹を割いた。でも、そこにはもうお婆ちゃんはいなかった。もうそこにお婆ちゃんはなかった」
視界の隅で銀色に光る何かを捉えました。
「お姉ちゃんは狼だ」
考えるよりも早く後方に飛び退ると、ほんの一瞬まで少女が居た場所でジャックナイフが空を斬りました。
凶器を携えて歩み寄る童女の行動を戦線布告と理解した少女はマッチの火に息を吹きかけて腕を振ります。
空気を焦がして燃え盛る鞭のリーチは推定でもナイフの十数倍はあります。
お婆さんに狼、そして何故か籠の中から出てきたナイフと気にかかることが幾つもありますが、それは試合が終わってからじっくり聞き出せばいいこと。
自分の手元から排出される黒煙に眉をひそめながら少女はそう考えました。
すぐに勝てると思っていた時期が少女にもありました。
リーチの差に達観していた少女の余裕は2秒も掛からずして覆りました。
童女が現在手にしている得物はジャックナイフではなく、籠から新たに取り出したライフル銃です。
最初に籠の中身を拝見させてもらった時には塵しか詰まっていなかったはずなのに、童女はジャックナイフとライフル銃を確かに籠から取り出しました。
必死の思いで場内を逃げ回る少女を童女はなかなかうまく捉えられません。
空になったライフル銃を背後に投げ捨てると、また新たに次のライフル銃を籠から取り出します。
酒瓶の三分の一がはみ出ている籠からその何倍もの全長を持つライフル銃が尽きることなく出てくる光景は、無限に湧き出る林檎よりも衝撃的でした。
弾が尽きても弾の充填ではなく本体ごと補充されていては反撃のしようがありません。
痺れを切らして下手に近付けば、それこそ恰好の的になってしまいます。
「私はお婆ちゃんと会う。狼に食べられちゃったお婆ちゃんにもう一度会うの」
だから狼はいらない。
「狼もお婆ちゃんも知らないわよ!」
「狼は嘘吐きだ!!」
聞く耳を持たない童女にこれでも喰らえと、小箱から出したマッチを投げつけます。
ライフル銃を取り換える度に投げてはいますが、火の燈っていないマッチを脅威に感じるほど童女も臆病ではありません。
気にかける必要もない些細な抵抗に顔をしかめることもせず、ただ単調に引き金を引くだけの圧倒的な武力で力差を見せつけます。
童女が最初の銃を取り出してからどれほどの時間が経ったのでしょう。さっきまで響いていた銃声が唐突にピタリと止みました。
相手の人差し指に疲れが溜まったのなら好機です。少女はすぐさまマッチ棒の投薬を箱の側面に擦りつけて火を点けます。
対して童女は頭巾を被り直すとライフル銃の銃身を握り、銃床で床を小突きますと、一弾指の間に床に無造作に投げられていた銃達が童女の頭上で規則的に連なりました。
「なにそれ……」
いきなりの出来事に少女は呆気にとられてしまいましたが無理もありません。
童女が腕を縦に振れば縦方向に列が倍に増え、横に薙げば元の数と同じ分だけ新たな銃が現れて広がります。
ライフル銃が童女側の壁の半面を埋め尽くすまでにそう時間は掛かりませんでした。
「狼は嫌い」
童女の冷たい視線が突き刺さります。
「狼は人を欺く」
童女が腕を高く上げると、最後の列が埋まりました。
「狼は人を餌にする」
そのまま指を上に立てると銃口も従って上を向き、
「お姉ちゃんも狼だよね?」
降ろした人差し指を少女に向けると全ての銃口が標的を一点に狙い定めました。
ここまで大がかりなマジックを見せられて銃弾が消費済みということはないでしょう。
最後に1ステップ。童女がトリガーを引く合図を与えれば少女に鉛色の豪雨が降り注ぎます。
少女もそれを承知しています。承知したうえで終わりの質問に答えました。
「私も――」
息を吹きかけ腕を振ります。
「――狼だよ」
小さな棒切れから生まれた灼熱の鞭を童女に、正しくはその足元に散らばる無数のマッチ棒に向かって叩きつけました。
鞭を火種に貰い火を繰り返して童女を取り囲むように増幅された爆炎は、少女が腕を上げる動作でまるでカーテンを引くように童女の視界を奪い去ります。
態勢を極限にまで低くして前方に駆け出すと、カーテンの奥で発射の合図を童女がとったらしく、闘技場全体に銃声音がけたたましく響き渡りました。
内腿を銃弾が掠めます。しかし、少女は足を止めません。毒林檎の痛みもまだ残ってますが、それに負けて立ち止まればもっと痛い思いをします。
勢いを殺さずにカーテンの内側へ飛び込みました。相手の状態なんて確認するまでもありません。
ばらばらと床に崩れていく銃器の列を見れば童女に戦う気力が残っていないことは明白です。
酸欠で意識を失う前に試合放棄の意思を口にしてもらうか、頑なに拒めば意識を失ってもらうだけ。
少女の奇襲を予期していたであろう手に握っていたナイフをそっと奪い取り、心優しい少女は童女を抱き寄せて誘いました。
「美味しい空気が恋しいなら諦めよ?」
「うーっ! むぅーうっ! ひっく」
お陰様でスカートに新しく何箇所も穴が開きました。
ロングスカートにも関わらず脚の皮膚に銃弾が触れていれば当然です。
触れていなくても弾数からすれば当然です。
急激に劣化していくお気に入りを前にして目を涙で潤ませているのは、全身が隠れるローブが他の何よりも似合う少女でした。
「血も涙もない狼でも泣くんだ」
「狼じゃないから泣くの!」
隣の席でむくれ面をしながら少女を狼呼ばわりするのは先の試合で前髪を焦がしてしまったお婆さん想いの優しい童女です。
ぐすぐすと鼻を啜りながら童女の服を修繕しますが、ときたまに手を休めては病で床に伏した恋人を見るような目でスカートを見やります。
「私のは燃えた」
「分かってるけどね。それは知ってるんだけどね」
でも、それは童女がと、言い返してしまうような子供ではありません。
雪降る冬の温度で培った忍耐力を持ってすれば、年下がつける難癖は童話を読み書きかせられているかのような心地よさがあります。
「……お婆ちゃん。戻ってこないんだよね」
「……ごめんね」
「うん。ううん」
試合が終わり、童女が意識を取り戻してから聞いたお話です。
童女のお婆さんは何週間か前に狼に食べられていたそうです。
お婆さんの家にお遣いに行く途中、口八丁な狼に騙されてしまった童女は道すがら見た目のいいお花を摘みながらお婆さんの家を目指しました。
童女が道端のお花に夢中になっている間に狼はお婆さんの家へ押し入り、童女が来るよりも先にお婆さんをぺろりと平らげてしまいました。
お婆さんの家を童女ちゃんが訪ねてくる頃には時すでに遅し。お婆さんの衣装を借りてベッドに潜り込んでいた狼は赤ずきんも騙して食べようとしました。
部屋の隅に追い詰められて童女が運命を覚悟しかけたときに、たまたまお婆さんの家の近くを通りかかった猟師が窓から見えた室内の異変に気付いて駆け付け、狼を成敗しました。
けれど、お婆さんを失った悲しみと死の寸前まで追い込まれた恐怖で童女ちゃんは心が不安定なり、籠を中に当時の物を入れて持ち歩かなければ落ち着かないようになっていました。
童女の中であの日は無かったことになっていました。お婆さんがお家に居ないのは、病気が治って茸を取りに出かけているから。
朝から晩までお婆さんの家の玄関で待ち続けたこともありました。そして日暮れ前に迎えに来るお母さんも何も言わずに童女ちゃんの手を取って家に帰っていたそうです。
ところがある日に郵便受けに入っていたここのチラシを見てしまい、そして今日、親に黙って出てきたそうです。
涙を誘うなんとも不幸なお話です。でも、少女は童女に同情はしません。
可哀相だとは思いますけれども、それは別です。
「お婆ちゃんのことは受け入れます」
「え?」
「お婆ちゃんはもういないってちゃんと受け止めます」
「童女ちゃん……」
「それに私には狼がいます」
「狼? それって……」
「今度、葡萄酒とパイとチーズを持って遊び行くからね」
「……」
「よろしくね、狼さん」
少女はこの子に同情しません。
だって、こうやって前向きに進んでいるのですから。
面白い
どことは言わないけど2文続けて「そして」を使ってるの部分は気にせず読み流して
常時ネタ不足なんで安価ではないけどこれ使えよってのがあったら書いてくれると嬉しいです
あれこれ資料探してようつべで童話見てたら太陽登ってた。
赤ずきんちゃん可愛い。マッチ売りちゃんも可愛い。
鶴の恩返し
ヘンゼルとグレーテル
要望だけ書けばいいってもんじゃないだろお前ら……
読んでる人いるか分からんけど今日は間に合いそうにないから明日更新する
遅らせるのは嫌だから2日分ちゃんと
いばら姫
頑張れ
「狼が来た」
「誰が狼よ」
反射的に少女は言い返しました。
3戦目の相手は少女よりも少し歳上の少年。
鼠色の服に身長の三分の二はありそうな杖が特徴的です。
少女は少年を見て、ようやく戦いやすい相手がきたと思いました。
自分よりも体格がいい男性を見て戦いやすいと思うのは些かおかしいところがありますが、
これまでの戦いが見るからに高貴なお姫様と非力な童女だったことを考慮をすればその考えに至る理由もなんとなく理解できそうです。
小箱からマッチを出すと、今回は手早く擦って着火させます。
少女が着々と準備を進めているのに対して、不思議なことに少年はへらへらと笑っているだけです。
「狼が来た。狼が出たぞ」
「狼じゃないって言ってるでしょ」
陽炎越しの少年は背丈と同等程ある杖の先端を少女に向け、狼が出た狼が出たと際限なく繰り返すばかり。
小馬鹿にする態度に嫌気の差した少女は、さっさと勝負をきめる為、距離を鞭の射程圏内にまで縮めて豪快に腕を振り抜きました。
少年は少女の接近に合わせて数歩下がり、最低限の間合いを確保すると身体を逸らす最小限の動きだけで難無くその軌道から逃れます。
「狼が出た。狼が出たぞ」
「あんたそれしか言えないの?!」
「狼だ。狼だ!」
間合いを詰めながら何度も腕を振ります。水平に一閃、袈裟斬り、振り上げ、垂直方向への振り降ろし。
前進しながら繰り出される連撃にも少年は不快な印象を与える笑顔を崩さずに全てひらりひらりと避けてしまいます。
壁際へ追い詰めようとしても巧みな足捌きで方向転換をされて逃げられ、肝心の一撃が与えられずに熱気ばかりが少年を掠めるだけです
「ちょこまかとっ!」
「狼がいるぞ! 狼が来てるぞ!」
「そんなのいないわよ!!」
苛立った声で少女が否定して大きく踏み込んだ。その時でした。
いつの間に回りこまれていたのでしょうか。少女の背後で遠吠えがしたかと思うと、四足歩行の獣が飛びかかってきました。
「なにそれっ?!」
少女の顔よりも大きな前足が豪快に振られて眼前を通過します。
寸でのところでなんとか避けることが出来ましたが、動転した少女はつるりと足を滑らせて尻もちをついてしまいました。
「なんでいるのよ……」
突如現れた獣は腰の抜けてしまった少女に追撃せず、愛する飼い主の元へ歩み寄ると、大きな大きな図体を摺り寄せました。
少年の笑顔に不気味さが宿ります。
「狼が来たぞ」
少年の言った通り。そこにいたのは背丈が少女の二倍はありそうな巨大な狼でした。
優勢だと思っていたら立場が逆転していた。
新鮮味のある既視感にうんざりしながら、少女は燃え滾る鞭で狼を威嚇します。
「それ以上近付いたらこんがりよ!」
鞭を地面に叩き付けて火の粉を散らしても狼は恐れません。
牙の間から涎を垂らす狼に注意を向けながらも少女が気にかけるのは、やはり少年の方でした。
「狼が来た! 狼が出たぞ!」
どんなトリックで狼を召喚したかは知りません。真相が大変気になるところでございます。
最初から少年をずっと見ていたつもりでしたが、どこにも怪しい点は見られませんでした。
嘘から出た真とでも言うのでしょうか。
狼の登場を示唆する少年の繰り返しの言葉と、外部からの浸入が不可能の状況を考えれば、狼の出現と少年が絡んでいることは確定しています。
問題は少年のどんな行動が狼とリンクしているか。
前試合の童女が大量の銃に同時に指示を出していたのと同じで、見落としている関連性があるはずです。
「狼だ! おおか」
「うるさい! こっちは考え事してるのよ!」
「……狼だ!」
少女に杖を向けて言い放ちました。相手の神経を逆撫でするのが非常に上手い少年です。
間に猛獣を挟んでいなければ刹那の時間で丸焼けになっていたでしょう。
狼が地面を蹴り飛ばして少女に飛びかかってきました。
少女は瞬時の判断でぐらりと身体をよろめかせて向かってきた狼の腹の下に潜り込んで退避します。
そして、すれ違いざまに頭の後ろから身体の前方に腕を大きく振ると獄炎の鞭が狼の腹部を這う様に焼きました。
伸ばせば少女の手が白いお腹の体毛に触れる距離です。水分豊富な林檎も短時間で破裂させられる高熱に撫でられれば、ただでは済まない。
済まないはずでした。
『グルルル』
なのにどうしてでしょう。少女を飛び越えた狼は何事もなかったように口から鋭い牙を覗かせています。
「狼がいる!」
「ああ、もう! 黙ってなさいよ! まだいるの?!」
「狼が来たんだ! 放っておけば食べられちゃうぞ!」
勝手に喚く少年は無視をするに決めました。律儀に受け答えすると図に乗って尚更に口が止まらなくなると思ったからです。
「来るなら来なさい」
『グルル、……ガウッ!』
人語を解したのか、少女の挑発に一吠えで答えます。
ただし、その鳴き声が聞こえてきたのは前方からではなく、後方から。
背後に立つ不穏な気配に振り返ると、これもどこから湧いたのか、そこには今まで睨みを利かせていた狼と瓜二つの猛獣が咽喉を唸らせていました。
「……だからなんでよ」
『ワオーンッ』
『ワオーンッ』
片方が発した遠吠えにもう片方が声を重ねまると、それが狩りの時間を告げる鐘となりました。
前方向から迫る狼は鋭利な爪を豪快に振り抜き、後ろからは逃げた先で頭部を噛み砕こうと硬質な牙で食いかかる。
それをいなしても安堵していられる時間は与えてもらえず、追撃に頭から押しつぶさんとする前足がくれば、次は草を刈るような前足での薙ぎ払い。
隙の無い連携に、さすがに少女の顔から余裕が消えました。
「狼が来たんだ! 今度こそ本当に狼が来たんだ!」
蚊帳の外からは不快極まりない野次が聞こえてきます。
まずは目先の2頭。この大敵を片付けなければ少年に眼を飛ばすこともままなりません。
「私が相手にしなきゃいけないのは、あなたたちじゃないってのに!」
絶え間ない攻撃の間に僅かな機会を見つけて、ぴしゃりと鞭を鳴らします。
予期せぬ抵抗に怯んだのは1頭だけ。遅れて出てきた方は殺気に毛を逆立たせながら鋭い目で少女をぎろりと威圧しました。
鞭捌きと炎の熱に慣れてしまったようで、鞭を用いた警告にも微動だにしません。
「一緒に怖がってくれればいいものを」
少女は狼たちから距離をおいて得意な間合いを作り、態勢を立て直すと、すぐさま全速力で狼へ駆け出しました。
「丸焼きにしてやるんだからね!」
少女の動きを予測して捉えようと引っ掻いた爪は、咄嗟の横っ飛びで軌道を変えた少女のスカートを裂くだけに止まります。
その背後から大きく飛びあがって両手で抑えにかかる狼には前方に飛びこむことで回避し、仕事を終えたと勘違いして、悠長に肉球を眺める狼の鼻っ面に火炎の帯を叩き込みました。
『キャウンッ』
この声が小型犬のものであったなら、少女は盲目的に戦闘意欲と武器を投げ捨てて全力で抱きしめていたでしょう。
美味しい羊になりたくない、と少女は頭を必死に巡らせて打開する方法を模索しようとします。
「狼が出たんだ! 狼が! 狼が!」
その思考に少年の苛立つ叫びが割って入ります。
気にしていられません。頭の中の雑念と凶暴な狼を鞭で振り払いながら思索を続けます。
どこから狼は出てきた? どうして少年は狼が来ると繰り返し叫ぶのか?
「狼が羊を襲ってる! 早くしないと残さず食べられちゃうぞ!」
『グルルッ』
『ワオーンッ』
『ウワォーンッ』
狼の声が増えます。
最初に武器を恐れなかったのはどうして? 狼のお腹と鼻の頭では痛みの感じ方が違うのはどうして?
同じ問いを何度も何週も順番に巡らせて、そして1つの事柄が少女の頭の中で引っかかりました。
その疑問は少女に仮定を与え、同時に意識を集中させすぎてしまったせいで大きな隙を生んでしまいました。
「あがっ!」
片方の狼が太い腕で少女を勢いよく弾き飛ばし、地面を転がっている少女を踏み潰して制止させました。
狼は仰向けに倒れた少女のお腹を逃げられない様に力強く抑えつけます。
「は、離し……なさい。あ、ぐぅ……っ」
足音をこつこつと鳴らしながら少年が少女に歩み寄ります。
勝気な少女は苦痛の色を顔に滲ませながらも嘲笑う表情で言いました。
「あなたの嘘、信じてあげていいわよ」
鞭を握る手首を少年が踏みつけると、ぎりぎりと圧力を加えます。
「狼が来た」
「つっ……、あなたのペットがどれだけ増えようが関係ない。私が倒すのはあなただけ」
頭上の狼が辛抱できずに口をあんぐりと大きく開き、
「狼が出た。早くしないと羊が食べられちゃう」
「伝え忘れてたわ。私は羊じゃなくて――」
言葉が終わる前に少女の上半身に食い付きました。
「……狼が出た」
少年は狼の餌食になってしまった少女を見下ろしながら呟きました。
あまりにも凄惨な光景に泣き声を上げながら観客席を出ていく小さな姿を除いて、
その場にいる全員が黙りこみ会場全体がしんっと静まり返ってしまいます。
「くふ、ふふふ、あはははははははっ!!」
その中で1人の緊迫した空気を破る高笑いが闘技場内から響き渡りました。
狼は食事を中断して少年を一瞥しました。
笑い声の主は少年ではありません。
もちろんのこと、狼だってこんな人間らしい喜び方をするわけがなく、
「作り物としては最高傑作だよね、これ」
横たわっている少女が勝ち誇ったように言いました。
いきなりの出来事に面を食らった少年が思わず足を下げると、よっこらしょいっ、と呑気な声を出して少女が立ち上がります。
身体を起こすのに狼の足が邪魔になるなんてことはありません。
捨て身でタネを見抜いた少女に狼は噛み付くことはおろか、もう触ることもできなくなっているのです。
「あなたの嘘を信じてる間は狼がは出てこない。狼の虚影を本物と疑わなくなったときに、嘘は実態を持つようになる」
「狼が熱い炎を途中から怖がり出したのは、私が『触れない疑問』を狼の存在を肯定的に捉えて考えて嘘から真の存在にしてしまった」
「面白いよね。ついさっきまでビシバシ蹴られてたのに、今度は全然触れないんだから」
豊満な体毛に触れようとした手は毛の中にのめり込みますが、滑らかな毛質の感覚はありませんでした。
狼は悪戯を見咎められた子供みたく身体を縮み込ませ、
「くぅ~ん」
と、媚を売る弱々しい泣き声で上目遣いがちに少女を見ました。
「現金な子たちだこと」
どんなに動かしてもふわふわもふもふは得られず、何もない空間をかき乱す虚しさだけが募ります。
十分に幻影を堪能した少女は、でも、どこか不満そうな顔つきで少年の首に新品のマッチを押し付けた後、にっこりと微笑みました。
「ごめんね。前の試合でもう言っちゃったから」
手首を痛めつけられたお返しに少年を蹴り倒して、満面の笑みで踏みつけます。
「お、狼が出た……」
「そ、私は狼だよってね」
「えっぐ、……えう、あんまりだよぉ……」
爪に裂かれたスカートは綺麗に3本の裂け目を作っていました。
悪化の一途を辿る愛着のスカートに涙が止まりません。
上着には未だに傷一つついていないのに、どうしてスカートばかりがこんな不運に見舞われなければいけないのでしょうか。
ちくちくと針を動かして裂け目を縫う少女のすぐ隣。少女と同様に涙をハラハラと流しながらパンくずを口いっぱいに頬張る女の子がいました。
「お、お姉ちゃん。食べられちゃった」
涙でふやけたパンくずを袋から口へと一生懸命に運びながら女の子は言いました。
「ぐすっ、お姉ちゃん食べられちゃったの?」
「大きなお犬さんにぱくって、もしゃもしゃって、ひっく。怖くって、最後ま、まで見てないけど……」
「そう、なんだ。可哀相だね。私のスカートと同じくらい可哀相だよ。えうぅ」
少女の3戦目は2人に大きな衝撃を与えました。
糸で縫い合わせるだけでは見栄えが悪いので、裏側に折り込んだ布地の形作りにマッチ棒を組み込みます。
それでも部分的にぷらぷらと落ち着かないのでマッチの空箱を解体して縫い付けました。
そうして、思い付く限りの技巧を凝らすと、なんとか人様に見られてもいい状態にまで改善できたのでした。
けれど、どんどん変わり果て、原型から遠ざかる愛用着に悲しみが止まりません。
「お、お姉ちゃんはなんで泣いてるの? ぐすんっ」
「大好きなお洋服がね、ぼろぼろに」
「あ、お姉ちゃん。生きてた、ひっく」
「うん。お姉ちゃんだよ。生きて、るよ」
少女の生存に安堵して抱き着いた女の子の嬉し泣きと、少女の悲しみに暮れた泣き声は、まだまだ止まりそうにありませんでした。
2日分とか言って無理だったすまん。
いばら姫のペロー版が面白かったから内容改変してかなり特別扱いする。
俺の中では白熱させる予定だからそれでお許しくだ
ヤバイくらいキュンキュンする・・・これが恋・・・?
乙!!
楽しみ
>>51
うれしい
ありがと
まってる
「お姉ちゃん」
「なに?」
女の子は闘技場へ向かう少女のスカートの端を掴んで引き止めました。
さっきまで一緒にパンくずを摘まみながら談笑していたのですが、今の女の子からはその元気が感じられません。
「私ね、次勝ったら決勝戦にいけるの」
言葉の意味が理解できずに疑問符を浮かべますが、すぐに何かに気付いて組み合わせ票を確認しました。
これから始まるの4戦目は、決勝への切符を賭けた準決勝です。
「私ね、どうしても叶えたいお願いがあるの」
少女は床を見つめたまま話を続けます。
「今はいないけどね、お兄ちゃんがいたの。いつも優しくしてくれたお兄ちゃんがね。いたの」
それだけで女の子言わんとしていることが、少女に伝わりました。
この大会に参加する人たちは皆、何かしらの願いを持っています。
命を落とすかもしれない危ない大会に参加するほどです。その強い執着ぶりは欲望とも表現していいでしょう。
優勝者に与えられる賞品は、どんな望みでも1つだけ叶えられる権利です。
大金を手にしたい。財宝に囲まれて暮らしたい。名誉が欲しい。国を治めたい。そのどれもが思いのまま望みのままになる夢の権利。
少女が求めるのは『人並みの幸せ』でした。
そして、目の前の少女はきっと『兄』でしょう。
どこで生き別れたてしまったのか、それとも不運にも死別してしまったのか。
事の真相は女の子から聞き出すまでは分かりません。
女の子の頭を撫でながら少女は言いました。
「私も叶えたい未来があるの」
女の子が抱えてきた不幸を少女に明かしたとしても、返事を変えるつもりはありません。
既に3人を蹴落としました。3つの願いが消えました。
少女の願いを成就させるのに、もう2人分の絶望を必要とします。
スカートを握る手を優しく丁寧に残酷に冷酷に、両手で包んで引き剥がしました。
「私は強いよ」
少女はそう言うと、女の子の頬を愛撫して扉の奥へと消えました。
厚い金属の板の向こうからは大声援が聞こえてきました。
すぐに女の子の試合も始まります。
未来を、望みを賭けた大事な一戦を不戦敗にされてはたまりません。
急いで入場口へ走りました。
4戦目。場内の熱気は既に最高潮です。
少女の入場と同時に耳をつんざく歓声が四方八方から襲いかかってきました。
いよいよ大会も折り返し地点を越えて後半戦に差しかかりました。
武器の弾切れを心配して籠の中を今一度確認しますが、さすがは時代錯誤の売れ残り商品です。
不人気だったおかげでいらぬ心配をしたようでした。複雑な心境に額にしわを寄せます。
唐突に観客席が更なる大歓声に沸きました。どうやらお相手が場内に現れたようです。
身の丈はありそうな大斧をがりがりと引きずり、空いている片手でぽろぽろと小石を撒いています。
なんとも一風変わった入場に少女も注目せずにはいられません。
正面まで来ると女の子は歩みを止めて、少女に言いました。
「私は強いよ」
知っています。実力がものを言う世界です。相応の力を持っていなければとうに沈んでいます。
少女も女の子に言いました。
「マッチいる?」
友情価格よ、と付け加えると女の子は熟考した後に、首を左右に振りました。
見知った仲でも商品価値は上がらないそうです。少女は肩をすくめておどけて見せます。
試合前の最期の交流を終えて、両者が所定の位置に立って向かい合いました。
少女がマッチを手に持つと、女の子も大斧を両手で握ります。
火を点けると斧を大きく振り上げて、息を吹きかけて真赭の鞭を生めば、身体の前で斧を構えて応えます。
戦う相手に慰めも憐みも必要ありません。非情になって相手を蹴り落とすのが、ここでの最低限かつ最上級の礼儀なのです。
少女が口を開きます。
「私は人並みの幸せが欲しいだけ」
女の子が答えます。
「いなくなったお兄ちゃんを取り戻したい」
両者が秘めていたそれぞれの欲望を吐露して、戦いの火蓋が切られました。
見知った仲でも商品価値は上がらないそうです。少女は肩をすくめておどけて見せます。
試合前の最期の交流を終えて、両者が所定の位置に立って向かい合いました。
少女がマッチを手に持つと、女の子も大斧を両手で握ります。
火を点けると斧を大きく振り上げて、息を吹きかけて真赭の鞭を生めば、身体の前で斧を構えて応えます。
戦う相手に慰めも憐みも必要ありません。非情になって相手を蹴り落とすのが、ここでの最低限かつ最上級の礼儀なのです。
少女が口を開きます。
「私は人並みの幸せが欲しいだけ」
女の子が答えます。
「いなくなったお兄ちゃんを取り戻したい」
両者が秘めていたそれぞれの欲望を吐露して、戦いの火蓋が切られました。
>>60は重複すまん
女の子が牽制に白色の小石を投げつけます。
素直すぎる攻撃を、少女は身を翻して悠々と避けます。
反撃に出られない体勢になったのを確認すると、女の子は接近して重量のある片刃の斧を垂直に振り降ろしました。
しかし、これも落ち着いた判断で受け流し、逆に大きな隙を晒した女の子に裏回し蹴りを叩き込みます。
「あうっ」
小さな体は軽々と吹き飛びます。それでも斧を手放さない根性に少女は内心で拍手します。
女の子はすぐに起き上がり、また1つ、小石を掴んで放り投げます。
どのような意味があるのか少女には皆目見当は付きませんが、必ず何かの策があるに違いありません。
「ええええいっ!」
腰の脇に斧で斧を構え、少女に突進をしかけます。
無防備に走り寄ってくるようにも受け取れますが、真価を発揮するのは斧を袈裟切りと逆の軌道で斬り上げる瞬間です。
一見すると後方に身体をずらすだけでかわせそうです。ですが、その程度の判断力では、残念ながら5秒後に首が斬れます。
少女は足を前後に開いて前傾姿勢になりました。
斧の全長を目視のみで正確に把握出来ていないうちは、下手な回避行動は厳禁です。
十分な距離感を掴めないままどの方角に逃げようとも、最後の踏み込みが決定する距離と方向で全て対応されてしまうからです。
ただし、その攻め方に慣れていない相手に限り確実に意表を突ける逃げ道が存在します。
低めに腰をかがませると、雄叫びながら少女へ向かってくる女の子しっかりと見据えます。
それは前方への退避。
予想をしていなかった少女の突撃に、女の子は目を見開きました。
足し算のみで行った距離の計算に狂いが生じて、慌てて斧を斜め上に振り上げてしまいました。
少女は早計な斬撃を楽々といなし、がら空きとなった腹部に強烈な肘を打ち込みます。
思わぬ反撃に女の子はお腹を抑えてよろめき、弱々しくうずくまってしまいました。
手加減無用の真剣勝負とお互いに決め込んでいたのですが、一方的となった試合運びに少女は罪悪感を覚えました。
これでは場所が違っていれば、完全に弱い者いじめのていです。
ある種の気まずさに少女は頬をかりかりと掻いて、女の子が立ち上がるのを待ちます。
「わ、私……負けないもん。ぐすっ、負けちゃ、だめだもんっ」
小さく身体を丸めた女の子は涙声で呟きました。
その気持ちは少女も同じです。もっと言えばこの大会に名乗りを上げた人全員に当て嵌まります。
「棄権する?」
痛みに身体を震わせる女の子に声を掛けました。
ふるふると頭を横に振られます。
「じゃあ、立って。私が渇望してきた幸せは、死にもの狂いになってやっと手に入るの。私を後悔させないで」
勇気付けではなく、心の芯まで折らせろという魔女のような要求。
血も涙も容赦もない言葉に、女の子は足を震わせながらも立ち上がりました。
少女には女の子が何を躊躇っているのか、言われずとも伝わってきます。
心を通わせた人を斬りつける行為。それが女の子を躊躇わせているのです。
なので、少女は言いました。
「願いに代償を求められたら、私の腕一本とあなたの丸焼きまでなら安いもんよ」
これは戦場に立つ相手にできる勇気づけと挑発ですので、本心ではありません。
腕は1本でも失えば悲しいですし、女の子をカリッと香ばしく焼いてみたいとも思いません。
過激な励ましに女の子は小石を握って少女に投げつけます。
その気持ちは少女も同じです。もっと言えばこの大会に名乗りを上げた人全員に当て嵌まります。
「棄権する?」
痛みに身体を震わせる女の子に声を掛けました。
ふるふると頭を横に振られます。
「じゃあ、立って。私が渇望してきた幸せは、死にもの狂いになってやっと手に入るの。私を後悔させないで」
勇気付けではなく、心の芯まで折らせろという魔女のような要求。
血も涙も容赦もない言葉に、女の子は足を震わせながらも立ち上がりました。
少女には女の子が何を躊躇っているのか、言われずとも伝わってきます。
心を通わせた人を斬りつける行為。それが女の子を躊躇わせているのです。
なので、少女は言いました。
「願いに代償を求められたら、私の腕一本とあなたの丸焼きまでなら安いもんよ」
これは戦場に立つ相手にできる勇気づけと挑発ですので、本心ではありません。
腕は1本でも失えば悲しいですし、女の子をカリッと香ばしく焼いてみたいとも思いません。
過激な励ましに女の子は小石を握って少女に投げつけます。
こつんとお腹にぶつかって跳ね返ると、勢いを失ってころころと地面に落ちました。
機嫌を損ねると相手に物を投げつける姿は、まるで誰かさんにそっくりです。
ぐしぐしと袖で涙を拭うと、女の子は覚悟を決めた表情で少女を見上げました。
「腕1本取ったら私の勝ちだよ」
「丸焼きにしたら私の勝ちね」
年齢にそぐわない過激な誓約を交わし、2人は武器を構え直しました。
少女は背後からの強襲に、慌て飛び退いて難を逃れます。
標的を捉え損ねた斧は、床を砕いて切片を撒き散らしました。
なるほど、これは確かに女の子も躊躇うわけです。
「んっしょ」
可愛いらしい掛け声で斧を床から引き抜くと、周囲を見渡して愛しのお姉ちゃんを探します。
こんな事になるならば優しさなんて見せずにさっさと懐柔すればよかった、と少女は半ば本気で考えました。
なんとも腹黒い精神の持ち主です。
女の子は少女と目が合うと真剣な顔つきになり、その場にパンくずと小石を落とします。
すると、少女の視界がぐらつきました。ピントがずれたようにぼやけて、一瞬ですが平衡感覚を失います。
それが襲いくる予兆でした。女の子にとっては物理的な距離なんてあってないようなものです。
少女の目に映る世界が不鮮明なうちに、どこかの近場に突如として出現し、斧で斬りかかってきます。
女の子が動き出す直前から視界と思考を同時に阻害されるため、少女は機略縦横に動けません。
行動パターン自体は単純で予想がつきそうなのですが、それを妨害するめくらましが厄介な難敵でした。
視界が戻ると、今度は真正面です。身体全体を反らせた振りかぶりは、それだけで少女に死の恐怖を植えつけます。
反射的なバックステップで間一髪、難を逃れました。
けれど、両足の間のスカートが斧に捕まってしまったようで、膝辺りから最下部にかけての前面が見事にばっくりと割れてしまいました。
もう少し反応が遅れていれば、胴体か片足が真っ二つになっていたことでしょう。
これほどの実力ならば準決勝まで登ってこられるのも納得です。
「動きにくかったから丁度いいわ」
少女は強がってはみせますが、額から頬へ冷や汗が伝いました。
女の子は続けて小石とパンきれを手から離します。
眩暈をこらえて、女の子がいない方向を確認し、すぐさま立ち位置から避難しました。
全体重を乗せた渾身の一撃が破砕音を上げながら床に食い込みます。
確信はありませんが、眩暈の症状を引き起こしているのは千切れたパンです。
そして、なんらかの効果で移動を補助しているのが、闘技場に入ってからあちらこちらに散布している石ころ。
そこまではなんとなくの予想で辿りつけました。問題はその先です。
パンが煩わしい眩暈の原因と知ったところで、それを止める術がありません。
女の子が手放した瞬間になりふり構わず飛びついてキャッチなんて真似をすれば、程ない時間で上半身と下半身が斧によって分断されてしまいます。
では、猛撃を避けた後に間を空けずして火炎の鞭を見舞うのは……却下です。逃げから振り向きまでの時間もあれば、女の子は次の攻撃に移れます。
あれこれと画策しますが、思い浮かんだ遠回りな対処法や反撃手段は、どれもこれも片っ端から廃案となりました。
単純で強力な戦法に裏をかく奇略は通用しない。知っていましたが、大樹をなぎ倒す伐採道具を相手にするのです。
どんな反撃方法にするにしても、身の安全を念頭におきたくもなります。
「えいさっ!」
「くっ!」
斧が半月の軌道を描いて豪勢に足元を砕きました。
ぴしぴしと小さな石片が腕や顔に飛んできます。
疲労の気配を感じさせないタフな女の子は、一息つく間もなく小石とパンきれを手元から落下させます。
視界を好き勝手に狂わされてばかりの少女の足取りは、おぼつかなくなってきていました。
「ひだ……右ねっ!」
「はああっ!」
立っているのもやっとの状態でも、鉛のように重くなった足に限界まで力を込めて床を蹴り飛ばします。
女の子は空振った斧の遠心力に身を任せて、袈裟切りをぐるりともう1回転。
追撃までのラグが極端に短いという利点はあります。ですが、攻撃の合間であっても敵に背を向けるなど、本来は自殺行為にも等しい動きです。
少女の動きが鈍りだし、満足に身体が動かせなくなっているのを見抜いての大勝負でした。
これも虚空を裂くだけの結果に止まりましたが、息を切らして膝と手を地に着けた少女の姿を確認できたので収穫がありました。
少女に余裕はありません。どんなに時間をかけて焦らしても、持ちこたえられるのは数回だけ。
その間に勝負を決めなければ命が無くなってしまいます。
女の子は袋から小石を取り、力なく開いた手からそれを落とします。
小さな体は空間の壁を飛び越えて少女の真正面に出現し、腕高く斧を振り上げました。
これで全部終わりです。
女の子が思い描いていた笑顔だけの結末は、望み叶わずに幕を降ろしました。
「どうして?」
その一言には、いくつもの疑問が詰まっていました。
どうして避けなかったくれなかったの? どうして勝とうとしなかったの? どうして願いを捨ててしまったの?
「ねえ、どうして?」
どうしてパンを使わなかったの?
涙が止め処なく溢れる目を両腕で隠し、嗚咽を漏らしながら女の子は答えました。
「だって……死にた……ん……、死にたくなかったんだもんっ!」
高く火の粉を舞い上げる赤い炎が、床に投げ出された斧を飲み込んでぱちぱちと燃やします。
女の子が最後にパンを握らなかったのは、同情でも憐みでもありません。
それが、女の子に残された唯一生き残れる手段だったからです。
死にたくなかった。少女はその言葉の意味を、2人の決着に加熱するどころか落胆する観衆を見て悟りました。
女の子が見てきたのは少女の出る試合だけではありません。勝つための戦術を研究するために色んな戦いを観客席から眺めてきました。
そして、不幸にも絶対に勝てない相手を見つけてしまった。だから、臆病にも願いを放棄して生へと逃げてしまったのです。
女の子は泣きじゃくりながら言いました。
その女と戦えば絶対に生きては帰れないと。
ロビーの一画にある被服室には、いつもの2人がおりました。
少女は大きな切れ目を作ったスカートをちくちくと縫い合わせ、もう1人の小さな女の子は少女の膝に腰をかけて大人しく座っております。
時計の針がちくちくと音を鳴らして時間を刻みます。静かな部屋には2人だけ。
泣き声も会話もなく、2人は身体をくっつけて、ただただ無機質な時間を過ごします。
家の食べ物が底を尽きて捨てられた男の子と女の子は、暗く寒い森の奥で暖かいお菓子の家を見つけました。
ここでずっと一緒に暮らせると思っていたけれど、そこにいたのはこわいこわい魔女でした。
女の子は針を扱う少女の袖を握り締めました。少女は内側で震える女の子を優しく抱きます。
2人の兄妹はおそろしい魔女から逃げようと駆けだしましたが、不運なことに男の子だけは捕まって家の奥へと連れて行かれてしまいました。
女の子は必死になって薄暗い獣道をどこまでも走り、やっとの思いで森を抜けると、眼下に明るい小さな街が見えたのです。
大切な人のぬくもりは女の子の冷えた心を暖めて、止まったばかりの涙をいじわるにも流させます。
少女は縫い針から手を離して、両腕で優しく女の子を抱きしめると、身体をゆりかごにみたてて前後にゆっくり動かします。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
女の子は心の中で1人逃げたことを謝りました。何度も何度も謝りました。
口にしないと聞こえせんが、その声は大切な人にはしっかりと届いておりました。
相手の設定が強すぎて頭抱えてた。
連続1日飛ばし更新ですまんかったよ。
俺、
このss読み終えたら、
月光条例買って読むんだ
ごめん
今晩は間に合わんよ
明日必ず
見送る女の子の顔はとても悲しそうでした。
少女はそれが気に食わなくて、女の子の頭をわしゃわしゃとかき乱します。
「わっわわっ」
ぼさぼさになった髪の毛を慌てて指で梳かして落ちかせました。
「私は強いよ」
頬を膨らませて少女が言います。
「そうだよね。お姉ちゃんは強いもんね」
頑張って笑って見せますが、どうにも上手く表情が作れません。
少女がわしゃわしゃと髪の毛をかき乱します。
「わっわわっ」
慌てて指で梳かします。
「私は願いを叶えるよ」
少女の決意に満ちた表情に、女の子も少しだけ元気が出ました。
今度はちゃんと笑えます。
「勝ったら2回分のご褒美だよ」
少女は女の子と約束をして扉の奥へ消えました。
腰に提げた袋の中にはパンくずが1個だけ。
これも最後にパンを落とせなかった理由なのでした。
「こんばんは」
少女が入場すると、既にそこには綺麗なドレスを身に纏った令嬢がおりました。
身長や声の高さからして同年代だと想像できます。
街で見かける貴族が好むドレスと形容が異なり、時代の差を強く感じる懐かしのデザインでした。
それでも、生来からお洒落に縁の無かった少女は、1度だけでもいいからあの素敵なドレスに袖を通してみたいな、と思いました。
スカートに目を落として自前のスカートを持ち上げます。
ここに来る前までは薄汚れてはいましたが、継ぎ目1つない立派な姿でした。
今では、焼かれ、撃たれ、裂かれ、斬られ……、思い返すだけで涙が出てきます。
「私はね、100年が欲しいの」
感傷に浸っていると令嬢が言いました。
「100年?」
「そう、私は失った100年の歳月を取り戻したい」
少女が追い求めている願いとは規模が違いすぎて想像できません。
令嬢がふわりと微笑みます。
「今の居場所は私に合わないわ。私が本当にいるべき場所に帰りたいの」
学の無い少女には難しすぎて言葉の意味を正しく解釈できません。
とりあえず、すごいことを望んでるんだろうなあ、となんとなくで理解しました。
「100年を見たがっているのは私だけじゃないの。その人たちの為にも私は負けられない」
令嬢が身体に手を伸ばして弧を描くようにスライドさせると、僅かな隙間から小さな芽がぷつぷつと顔を出しました。
少女もマッチを箱から出すと、すぐに紅色の火薬から武器を生み出します。
吐息で灯火を揺らし、腕を振って宙を走らせれば、濃煙を立ち上らせる深紅の鞭が現れました。
少女はここで戦った女の子の言葉を思い出します。
『戦えば生きて帰れない』
「上等よ」
最後のウォーミングアップに素振りをすると、黒煙と陽炎の尾を引きながら周囲の空気を焦がします。
「そうよ。最後くらいはそうでなくちゃ」
新しい玩具を手に取ったときのように、令嬢は心の底から喜んで言いました。
「あなたに流れる赤色は、私のお花に似合うのかしら?」
先に動いたのは令嬢でした。
靴を石畳の床でこつんと軽く打ち鳴らすと、摘まめば千切れそうだった細い芽の数々が急激に成長を始めました。
周辺の地面を隆起させ、下から床を持ち上げて石畳を引き剥がし、幾重にも絡まり重なりあった細い蔓と薄い葉が擬似的な大樹を形作ります。
生えているのは巨木だけではありません。
主が悠然と腰かける樹を取り囲む様にして何本もの緑色の小高木が育ちます。
足元には草の茂みを表現するように、新たな命が数えきれないほど芽吹いております。
間近で森が生まれていく様を目の当たりにしていながら、少女の頭は現状の変化に追いつけていません。
今まで戦ってきた試合とは完全に異質で異様で異形な光景に、ただ放心顔で見惚れて息を呑むだけ。
身体を大きく揺さぶる震動と地響きが落ち着くころには、辺り一面が深い緑に埋め覆い尽くされてしまいました。
少女が見上げると、最初に形成された高木から伸びる枝に令嬢はおりました。
千歳緑色を成した高木の細い枝にちょこんと腰をかけて、少女の視線に気付くと遥か上からひらひらと優雅に手を振ってきました。
「なによ……これ……」
まだ、本当の意味での戦いは始まっておりません。
令嬢にとっては下準備を兼ねた観客を魅了する為のパフォーマンスです。
自身が創造した眼下に広がる深い森を一望し、令嬢は満足気に笑みを浮かべました。
「ええ、これはほんの前準備です。大会の終わりを知らせる短い余興。どうぞ、皆さんも席に座ってお楽しみください」
寒い冬の夜に突如として始まったのは、森を舞台にしたパーティです。
箱庭に立つ少女と主催の令嬢が、今宵の宴の大トリを務めます。
誰の耳にも届かない声量で、令嬢は閉幕の開幕を告げました。
足に絡みつこうとする蔦を蹴り飛ばし、腕に巻きつこうとする蔓を焼き切ります。
フィールド全体が令嬢の管轄下になった状態で、少女が足を休められる場所は1つもありません。
常時動き続けている少女は、早くも疲労が身体に圧し掛かります。
一歩踏み出せば周囲の植物がざわめき、得物を捉えようと細長い手を伸ばしてきます。
1方向だけではありません。前後左右に限らず、直下の足元から頭上を覆う擬似樹木から垂れ下がる偽物の蔦まで。
そのすべてを警戒して注意を払いながら、少女は場内の最奥にずしりとそびえ立つ本丸を目指していたのでした。
根城に近付けば近付くほど、下から伸びる芽は高さを増していきます。
序盤はかかとほどの背丈もありませんでしたが、距離も半ばに差し掛かるとその背は腰丈にまでなっておりました。
足場は緑の絨毯に隠れてしまっているので、駆け足ながらも必然的に慎重な足取りにならざるを得ませんでした。
「鬱陶しいわね」
新芽を踏み潰しながら少女は悪態を吐きました。
1本1本は大した太さでも無いので、前に進むのに掻き分ける必要もありません。
何度か場所を変えて試しましたが、手が届く範囲を焼き払っても、無限に湧く植物がすぐさま成長を始めて修復作業に入ります。
成果が得られないどころか、無駄に体力を減らすだけの結果に、少女は整地を断念したのでした。
それにしても足場は良心的です。事前に蔓を忍ばせた罠や落とし穴といったギミックがまだ出てきておりません。
偶然にも選んだ道がそうだったのか、元から設置していないのか。
前者であれば自分の運の良さを喜べばいいだけですが、後者だとすれば完全に相手に遊ばれているだけです。
まるで、自分をラットに見たててゴールに辿り着く姿をじっと観察しているような、そんな気分の悪さがありました。
これほどの大仕掛けを最初から見せつけてきて、ときたまに悪戯に蔓が足止めとして伸びてくる。
令嬢との位置関係を考え直して、不本意ながらも後者の可能性を選びました。
枝に座って呑気に両脚をぶらつかせている相手は、闘技場全体を掌握しているのです。
その気になれば、10も数え終わらずして少女の息の根が止めらるはず。
女の子が報せてくれていた圧倒的な力の差に、歯噛みせずにはいられませんでした。
かなり深くまで来ていたようで、気が付けば芽の高さが頭と同程度にまでなりました。
身長と同じ植物の芽とは不思議なものです。根から頭に生える双葉までのすらりと伸びた茎は均一の細さを保っています。
それでも自重に負けてうな垂れることなく背を伸ばしているのです。
自然の力強さを確認する場面でございますが、少女には関係ありません。
そんなことを考えようともせずに、これまで通りに根元から勢いよく踏み倒して前へとひた走るだけでした。
それからしばらくして、少女の頭がずっぽりと絨毯に潜ったところで、令嬢の心は次の遊戯への興味で一杯でした。
少女はマッチ箱が零れ落ちるのを防ぐために、籠に被せていた布をしっかりと持ち手に縛り付けます。
その後にゆっくりと態勢を下げると、少しの物音も聞き逃すまいと息を殺して周囲の様子を窺いました。
耳を澄ますと、緑色のカーテンの奥で蔦がしゅるしゅると身体を地べたに這わせているのが聞こえました。
どうやら令嬢が戦い方を変えたようだ、先程までとは丸っきり違う雰囲気に、少女はそう思いました。
蔓で模した腕くらいの太さの根が地面から一部顔を出して足を引っ掛けるようになり、
そのうえ身体を捉えようとする植物の動きにも激しさが加わりました。
まだ対処できる余地が残っているのは、令嬢の気分任せなはからいです。
憎らしい配慮に憤りを噛み締めて、少女はその場から飛び出しました。
音に反応して左右正面から接近する蔓との距離を足を止めずに耳だけで測ります。
十分に引きつけてから振り向き様に灼熱の鞭を勢いに任せて宙を泳がせると、
辺りの植物は瞬時に細かな灰となってちらちらと上空に舞い上がりました。
見通しが良くなったのもつかの間。
次の芽が出番に悦び、すぐに視界の有効範囲は元に戻ってしまいました。
植物が持つ驚異的な再生力には目もくれず、少女はとにかく先を急ぎます。
深い森をむやみに進めば迷子になってしまうのは言うまでもなく。
通ってきた道が一目で判別がつくようにと、左手に握った沢山のマッチを道しるべとして捨てて行ったのでした。
「やるじゃない」
令嬢は、時間潰しに使った蔦製の空中ブランコを止めて真下を眺めました。
視線の先には太った幹に手を添え、肩で息をしている少女がおります。
遊びも佳境に差し掛かりました。夢想している大団円を心待ちにしながら、令嬢は再びブランコを漕ぎ始めました。
道なき道をくぐり抜けてきた少女は、肩で息をしながら頭上をねめつけます。
のんびりとお手製のブランコを漕ぐお嬢様に恨みの念を飛ばすと、人の気も知らずに令嬢がひらとひらと手を振ってきました。
振り返しはしません。令嬢の友好的な振る舞いに、逆に少女は対抗心を燃やしました。
正面でずっしりと構える巨樹に灼熱の帯を叩き付けると、炎に触れた部分が大きく抉れます。
有効的な手段として斬り倒すことも考えましたが、道中で阻んできた萌芽と同じく、
痛めつけられた部分は内側から伸びてきた蔦によってすぐに修復されてしまいます。
伐倒するには時間が足らず、けれども早いとは言えない回復速度は、まるでそうしろと誘っているようでした。
令嬢に向けてびしっと人差し指を向けました。
今度はシカトされてしまいましたが、気合を入れる宣言みたいなものなので気にしません。
「絶対に引きずりおろしてやるから」
少女は意識を集中させて、幹に刻む螺旋を想像します。
箱庭の主に届く長い坂道を空想し終ると、深い呼吸を一息入れて、堅い緑の樹皮に火炎を走らせました。
そこに道がないならば、無理矢理に外皮を焼削し歩行可能な幅の勾配を作るまで。
坂の外からは侵入者を外部へ弾きだそうとする蔓が蠢き、背後からは傷ついた身体を修復させる足音が迫ります。
ひたすらに前方を焼き焦がし、ときには脇から入る邪魔者を焼打しながら、黙々と頂点を目指しました。
決戦の舞台は、すぐそこです。
少女が到来するその瞬間を待ち焦がれながら、令嬢は樹木から引き抜いた蔦を恋人のように抱きしました。
「お疲れさまです」
「蹴落としてやる」
令嬢は目の前に立つ少女を労いますと、なんとも暴力的な挨拶が返ってきました。
予想外の殺気立った一言に、およよ、と涙を流すふりをします。
「よくも私で散々遊んでくれたわね」
「遊んだなんてあんまりです。ちょっとだけ腕を試しただけじゃないですか」
「しれっと言ってくれるじゃない、のっ!」
「きゃっ、危ない」
悪びれない令嬢に一刀一足の間合いから踏み込んで鞭を振ると、半歩の後退だけでそれを軽々と躱しました。
「あなたと戦ってみたい。私は本気でそう思いました。こんな気持ちになったのは、ここに来て初めてです」
「私は最初からよ」
「残念です。あなたの初めてにはなれな、っとと」
「次はこんがりだから」
少女は令嬢との語らいに耽るつもりは微塵もありません。脅迫めいた言葉で威圧します。
令嬢は悲しみに沈んだ顔をちらっと見せて、すぐに平常の柔らかい顔つきに戻りました。
「お喋りが楽しめないなら始めましょう。私が味わった永い眠りを教えてあげるわ」
手の平を軽く叩きあわせると、周囲の光景が変容しました。
枝から望める緑一色だった森は、一帯に赤色の花を所狭して色合いを大きく変えました。
2人が立つ樹木も小刻みに巨体を震わせて、構築させている無数の蔓に数多の棘を生やします。
薔薇ばかりが咲き誇る闘技場にかつての面影はありません。そこに広がるのは、見る者を全てを魅了する蠱惑の花園です。
「これで最後でしょうね?」
「ええ、最後よ」
問い掛けに令嬢はふわりと微笑みます。
幸せと100年を賭けた最後の勝負が幕を開けました
令嬢の手元から伸びる茨を屈んで回避して、少女は大きく踏み込むと懐へ潜ります。
ですが、令嬢は焦りません。少女が鞭を握る右腕を茨で拘束して動きを止めると、くるりと背後へ回りました。
棘を腕に食いつき血をすする蔓を蹴り飛ばして強引に断ち、背面に繰り出された上部からの鞭を左腕で受け止めて袖の繊維に引っ掛けます。
痛みを伴いますが、腕を後方へ引っ張ると釣れたのは活きのいい令嬢です。
引き寄せるのに合わせて劫火の鞭を無防備な令嬢に鞭を叩き付けようと振りかぶり――
「つぁっ?! あああぁぁあぁっ!」
令嬢を囮に前方向から忍び寄っていた茨が右腕を強く縛り上げました。
「痛い?」
ぎりぎりと締め付ける力が強まり、棘が更に内側へと食い込みます。
「騙すようなことをしてごめんね。私も本当はもっともっと遊びたかったんだけど、あなたがびっくりさせるから」
がっしりと固定された右手から鞭を奪い取り、令嬢が靴で樹木を小突くと、
右腕を固縛していた茨が上方向へと延長し、少女を空中に吊し上げてしまいました。
「あっあっああああっ!!」
自重で肉を裂かれるような痛苦が右腕全体に広がり、少女は堪えきれずに涙を流して声をあげました。
「助力があってだけど、私を上から眺めたのはあなたが初めてよ」
「や、やだっ! 痛いよっ! 降ろしてよおっ!!」
「落ちるのが怖いのかしら」
少女の叫びと見当違いな発言をして令嬢が蔓に指示を出して、激痛を堪える為に服を握り締めていた左腕にも茨を伸ばします。
そして、手の平を服から強引に引き剥がして腕に提げていた籠を没収し、右腕と同様に固く締め付けると、苦痛に喘ぐ声が激しさを増しました。
「いい声ね。可愛いわ」
顔を背けたくなる悲鳴にも関わらず、令嬢はハープの調べでも聴いているかのように、少女を眺めながらほんのりとため息をつきました。
「特等席から見渡せる薔薇園は絢爛華麗でいいでしょう」
「そ、そんなの知らな、痛いっ! 痛いよっ、あああああっ!!」
「駄目よ、目を瞑ってちゃ。もったいないわ」
泣き叫ぶ少女とは対照的に、令嬢は聞き分けの悪い子供を嗜めるような口調で言いました。
麻で断ち縫われた少女の服は袖の付け根まで赤黒に変色させ、吸収しきれなかった血液が肌を伝って滑り、靴も赤色をじわりと滲ませます。
敗北の絶望も死の恐怖も感じないくらいに、少女の頭の中は痛みで真っ白になっていました。
「あっ、ぐぅっああ……っ!」
「そろそろいいかしら。ねえ、降りたい?」
「はぁはぁ、くぁっ、あぐぅっああっ!」
言葉も耳に入ってきません。
「あらあら、やりすぎちゃったかしら」
令嬢は了解を得ないままに高所から引き降ろして枷を外すと、少女は胎児の様にくるまって腕を強く抱きしめました。
「あ、あ、あ……ああ……」
咽喉から絞り出されるのは、呼吸に意味を持たない発音を重ねただけの苦しそうな声です。
髪の毛を掴んで強制的に上げさせた顔は、涙に濡れていて加虐心をそそられます。
「もう少しだけいいわよね」
「や、や――」
弱者は拒否権を持ちません。
「ああ、ああああっ!!」
令嬢の目の前で四肢を大の字で固定された少女は、再び激痛に大声をあげました。
「ああ、これよこれ……、ゾクゾクしちゃう」
自分の頬に手を添えて、令嬢は新しい快感に身を捩ります。
新発見ばかりをさせてくれる少女のことが、とても愛おしく思えてきました。
「今のあなたを殺めるのは土の上を這い回る羽虫を踏み潰すよりも簡単よ。
でもね、あなたを失ってしまうのがすごくもったいないわ」
「ぐぁっ、いぃっ! あ……っ、はぁはぁっ」
「痛くて口が利けないのね、可哀相に。緩めてあげるわ」
「はぁはぁ……んっ」
「だからね、降参してくれれば命は助けてあげる。たった4文字を声にするだけでいいの」
痛めつけられて疲弊した少女の心に、令嬢の甘い誘惑がじんわりと染み込みます。
「約束するわ。あなたは私好みの有望な人材。出来ることなら私も生かしておきたい」
少女の顎を持ち上げ、弱り切って眉根を下げた少女の顔をじっくりと観賞します。
「蹴落としてやる」なんて過激な発言をしていたときからは、想像しえなかった愛くるしい顔つきに、令嬢の顔が弛緩します。
「でも、少しでも私の機嫌を損ねるようなことをすると……」
茨に預けていた籠を令嬢が受け取ると、それを崖下に放り投げました。
「こうなるわよ」
言葉にするよりも分かり易い実演です。
落下音はしませんが、この高さから落とされた物の末路を予想するなんてのは容易です。
令嬢は膝をついて遥か下方を惨状を最後まで眺めているようですが、答えを言うつもりは無いようでした。
下手に説明するよりも相手に末路を想像させた方が何倍も恐怖心を植えつけられるからです。
眼下でマッチ棒が散らばるのを最後までしっかりと見届けて令嬢が立ち上がりました。
そして、少女からのいい返事を予想しながら笑顔で振り返り、
「さ、好きな方を選ん――」
少女が振るった灼熱紅蓮の鞭が令嬢を高みから突き飛ばしました。
「まっちはいりませんかー? まっちはいりませんかー?」
雪がしんしんと降り積もる街の一角には、寒さに身を縮こまらせる女の子の姿がありました。
女の子がいくら声をかけて立ちどまってくれる人はいません。
冷たい風でかじかんだ手を暖めようと、マッチで暖を取ろうとしますが、
すぐに思い返して、はぁっと温い息をふきかけるだけで我慢します。
「まっちはいりませんかー? まっちはいりませんかー?」
誰にも相手にされませんが、それでもめげずに手を伸ばし、一生懸命に声掛けを続けました。
「やめなさい。どうせ売れないわ」
冬の風よりも冷たい声が女の子の努力を否定します。
「……。」
その言葉は女の子を俯かせました。
「マッチなんて時代に合わないの。時代はガスや電気よ。産業が急激に先進化していっているのに、時代錯誤な旧式の」
「お姉ちゃんもちゃんと売ってください」
「……だって今日はご飯食べられるし」
女の子に注意されてむすっと頬を膨らませて拗ねているのは、雪の上で勇敢にも体育座りをしている少女でした。
機嫌を損ねた少女は、ぷいっと顔をそっぽへ向けます。
「……お姉ちゃん」
「……分かったわよ」
よっこらしょいと呑気な掛け声で立ち上がり、スカートにくっついた雪を手で叩き落とします。
「いててっ」
「大丈夫?!」
「う、うん。なんとか」
「もう、ゆっくりと立ち上がらないと傷が開いちゃうよ」
「えへへ、痛っ」
「あ」
「大丈夫大丈夫」
小さな赤色の斑点を滲ませた包帯を見て、女の子は心配そうに見つめました。
倒れないように補助をしてくれた女の子の頭を撫でて「平気だよ」と伝えます。
渡されたマッチ箱を手に持つと、街道に向かって声を上げました。
「マッチはいりませんかー?」
「いりませんかー?」
「マッチ美味しいですよー」
「おいし……ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
売り込みの手を休めて、女の子が少女に訊ねました。
「お姉ちゃん、負けちゃったけどかっこよかったよ」
「あー、うん」
そう言われて、少女は意識を失うまでの光景の一部を思い返しました。
令嬢が悠長に崖からの景色を堪能しているときに、少女は無謀にも茨の拘束から力ずくで右腕を引き抜きました。
ボロボロに裂けたのは服だけではありませんでしたが、咽喉まで込み上げた痛みの叫びを飲み込み、
持っていたマッチに火を点けて残りの拘束を焼き払いました。
そして、令嬢に気付かれる事無く背後まで忍び寄りはできましたが、
「そこから覚えてないのよね……」
令嬢を炎の鞭で突き落とした後に、少女の記憶はそこからしばらく途絶えていたのでした。
逃げ出したくなる衝動を堪え、最後まで見守ってくれていた女の子の話しによると。
気を失って倒れた時点で相手の勝利が確定したため、試合はそこで終了してしまったそうでした。
件の令嬢は落下中に蔓で作ったネットに身体を引っ掛けて事なきを得たそうで、
「お姉ちゃんをぎゅってしてました」
別れを惜しむ様に少女を抱擁した後、闘技場を出て行ったそうです。
個人情報ということでどのように願いを叶える儀式が執り行われたのかは、
優勝者であり当事者でもある令嬢と、その関係者しか知りません。
表彰式があるような大会ではないので、救護室で少女が目を覚ましたときに傍にいたのは、
お話好きな名医と女の子だけでした。
「善戦はしたわ。惜敗だから次は勝てる」
ぐっと拳を握って少女は言いました。
ですが、女の子が話したいのはそこではなくて、
「お姉ちゃんはマッチ棒捨てられちゃったよね?」
「あ、それね」
女の子の怪訝そうな視線に少女は得意げになって言いました。
「実は、1本だけありました」
「あったの? どこに?」
「秘密」
唇を尖がらせていじわる、と拗ねる女の子を宥めながら少女は考えました。
試合に勝てず仕舞いだった少女は、願いを叶えることができませんでした。
だから、今でもこうやって売れないマッチを手に持ち、道行く人に声を掛けています。
(でも……)
でも、形は違えど少女には人並み以上の幸せが訪れました。
怪我を忘れてぽかぽかと叩いてくる女の子を抱きしめると、人並み以上の幸せが驚いて「どうしたの?」と訊ねられました。
家族が増えたことで貧困さには拍車がかかりましたが、それでも少女は幸せでした。
黙っていると、人並み以上の幸せもそっと身を寄せてくれました。
しんしんと雪が降り注ぐ冬の道。
少女と女の子は、ようやく見つけた幸せの温もりをしばらくじっと感じていたのでした。
おわり
太陽が昇るまでが今日なんです
つまり今日は今日なんです
後半の投下遅れてすまんかった
見事なまでに乙!!
乙
おつおつ
月光条例好きな俺にはたまらんスレだった乙
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