【モバマス】「高垣楓とOwlのワルツ」 (189)

このSSは
速水奏「虚像と実像と偶像」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/kako/1386936344
北条加蓮「幸福なお伽噺」
http://ex14.vip2ch.com/test/mread.cgi/news4ssnip/kako/1387887733
と関連性があります
読まなくても問題ありません


・オッドアイに関して言及
・765アイドルネタ
・微量の独自設定
を含みます
これらが苦手な方はご注意下さい


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1391865427


「いいよー楓ちゃん。次はカメラの方に目線お願い」

カメラマンの声が、静かで肌寒い公園に響きます

私がその声に応えて無機質な一つ眼へと視線を送ると、これまた無機質なシャッター音が鳴りました

カメラが入ってきた当時は、写真と共に‘魂を取られる’と信じられていたらしいです

もしそれが本当なら、私はとっくの昔に死んでいるでしょう

いや、それは本当で、既に‘私’は死んでいるのかもしれません

期待


スカウトされてなんとなく始めたモデル業も今年で五年目を迎えました


最初の数年こそ新しいことの連続でやりがいに満ち溢れていましたが、慣れとは恐いもので、今では日常の連続にしか思えなくなっています


業界が造り出した流行の服を着て写真を撮る


季節毎に様々な変化やイベントこそ有るものの、結局のところそれの繰り返しです


そこに私の意思はありません


『っくしゅん…!』


ちょぴり冷たい風が服を素通りします


春物特集なのですから生地が薄いのは仕方ない


発売日に合わせるために、冬の気配が残るこの時期に撮ることも納得できます


でも、私じゃなくてもいいじゃないか


モデルの仕事は服が主役であって、服の魅力を引き出せるのなら誰でもいいんじゃないだろうか


こんな考えが浮かぶのも、きっとこの肌寒さのせいです


明日は暖かくなるのかな


なんとなく空を見上げます


目に入ったのは、固く閉ざされた桜の蕾と澄み渡る青い空


「いいね、楓ちゃん。手も挙げてみよっか」


そうだ、撮影中だった


真面目にこなさなくては


従順な人形にならなくては


「うん、これぐらいでいいかな。お疲れさま」


『ありがとうございました』


あっけなく終わってしまいました


あとは撤収して、事務所に報告をして、やっと解放されます


今晩はどこで呑もうかな


すっかり事務所の近くの居酒屋は顔馴染み


毎日この時間を楽しみに生活しているようなものです


「楓さん、車の準備できましたよ」


マネージャーさんを待たせていました


早く報告して帰りたい


年甲斐もなくうきうきします

高垣楓(25)
http://i.imgur.com/mA4eiDk.jpg
http://i.imgur.com/k2p9STF.jpg


マネージャーさんは運転中にラジオを流します


何もない社用車に流れてきたのは二人の少女の声


「はい、次のコーナーにいきましょう!次は“発見!!金の卵”!」


「このコーナーは、あらゆる分野で活躍が期待される新人さんをゲストにお招きしてお話を伺う、というものです」


「なんとっ!今日は私たちと同じアイドルの方がゲストです!」


今では不動のトップアイドルとなった天海春香と、孤高の歌姫と呼ばれる如月千早がパーソナリティを努める‘はるちはラジオ’だ


「それでは自己紹介をお願いします」


「はい!皆さん初めまして、島村卯月です!よろしくお願いします!」


「はい、よろしくお願いします」


「ねぇ、千早ちゃん。私、何となく親近感を覚えるよ」


「ええ、そうね。言いたいことは分かるわ。どこが似てるかは分からないけど」


「そんなっ!私なんかが春香さんと似てるだなんて…」


「……ねぇ、卯月ちゃん。“無個性”って言われない?」


「え、はい…よく言われますが…」


「そこだよ!私達が似てるの!」


「案外簡単に見つかったわね、共通点」


「卯月ちゃん!今日は何でも相談してね!一緒に頑張ろう!」


「はい!」


‘個性’


モデルに要らなくて、アイドルに必要な要素


モデルの中で、私の個性はとても強い方です


そもそも、人類においてオッドアイを持つ者は極少数


そのオッドアイを持つ私がモデルで、無個性に悩む少女がアイドルとは何と皮肉なことでしょう


しかも、そのオッドアイがアイドルとは真逆の性格に造り上げたというのですから、自嘲めいた笑みも自然と溢れます


オッドアイは必ず好奇の目に晒されます


それが幼児であろうと成人であろうと


ある者は綺麗だと誉め、ある者は訝しげな態度をとります


どちらであろうと、視線を集めることにかわりはありません


私も例外ではなく、その視線を煩わしく思い、いつしか他人からの干渉を拒むようになりました


周りの言葉を拒絶して、安全な殻に隠れたまま成長した人間は、他人に意思を伝えるのが苦手になります


精神的な引きこもりという表現が合うかもしれません


意思さえ上手く伝わらないのに、夢を与えるなんて無理な話


意思の要らないモデルには打ってつけですが



「楓さん、着きましたよ」


マネージャーの声で事務所の駐車場にいることに気がつきました


思いの外、考え込んでたようです

島村卯月(17)
http://i.imgur.com/HZR1rfy.jpg
http://i.imgur.com/S5iKWdR.jpg

#
事務所への報告を終えて帰路につきます


街の灯りが季節外れのイルミネーションのようで、呑んでないのにほろ酔い気分


そんないい気分も、すぐに冷たい風に吹き飛ばされてしまいました


夜の冷え込みは冬と大差なく、まだまだコートが手放せません


こんな日は、熱燗に限る


最近見つけた、隠れ家的なお店に行くことに決めました


今日も今日とて一人酒


人と呑んだ経験は数えるほどしかありません


自分のペースで呑める一人酒の方が性に合うのです


そんな私にとって隠れた名店というのは凄くありがたい


この店も、路地の奥まったところにありますが、日本酒を専門に扱っており種類も豊富です


引き戸を開けると大将の男前な声が飛んできました


この雰囲気も、たまらない


カウンター席に座り、お気に入りのを注文して、ツマミで迷いました


「鮟鱇なんかどうですか?そろそろ旬も終わってしまいますよ」


突然の声に狼狽える


大将じゃない


隣に座っていた男性から声を掛けられたようです

「高垣楓さんですね?初めまして、CGプロのPと申します」


彼は私に名刺を押しつけながら名乗りました


不審者ではあるが、同業者らしい

CGプロと言えば、さっきのラジオに出てた島村卯月の事務所のはず

アイドル事務所の人が私に何の用なのか

そもそも何故私の名前を?



「だいぶ困惑されていますね」


いい笑顔で言われた


『CGプロのプロデューサーさんが、何の御用でしょうか』


「あれ?CGプロとそちらで移籍交渉が行われているのはご存知ないですか?」


なんですか、それは


初耳です


「…その様子だとご存知無いようですね。秘密だったのかな。あちゃー…」


「このこと、内緒でお願いしますね」


それは無理なお話で

お酒の席に秘密は無し


『内緒にしますから、詳しく教えていただけませんか?』


我ながら、狡い頼み方


「あー…、はい。まぁ、いずれ知ることですし」


「近々、そちらからCGプロに二名ほど移籍する事で話が進んでいるんです」


「そのうちの一人が貴女、高垣楓さんです」


大体読めてたけど、はっきり言われるとまた違います


「そして、貴女を担当するのが私です。今日は挨拶をしておこうと思いまして」


『私はアイドルになるということですか?』

「アイドルでも女優でも歌手でも、もちろん今まで通りモデルでも、高垣さんが望むならできますよ」


「けど、」


「今日の撮影を見させてもらって考えが変わりました」


「貴女はアイドルをやるべきです」


今日の、見てたんですか


『あの、お言葉ですが、私考えとか伝えるのが苦手で……アイドルはちょっと…』


「ん-……」


「確かに、意見や考えは口に出して伝えるものですが、」


「アイドルが売るのは想いや夢」


「それらは、伝わるものです」


酔ってるのかな、この人

「そんな胡散臭そうな顔しないでください」


表情に出てましたか


『どうしてアイドルなんですか?』


「もったいないから、です」


もったいない…?


「その表情です。そんなに様々な表情があるのに、今日見せて貰ったのは天気の事でも考えているような表情だけ」


惜しい、ハズレです


「貴女はもっと自分を知るべきなんです」


「モデルとして求められる“高垣楓”だけでなく、高垣楓を知るべきです」


「そうすれば、考えも伝えやすくなりますよ」


お酒が来ました


しかし、まだツマミを頼んでいません


「おっと、すみません。つい話し込んでしまいました」


「それじゃあ、おつまみに烏賊はいかがですか?」


『ンフッ』


酔ってますよね


「やっと笑った」


なんでドヤ顔なんですか


少し、アイドルに興味が湧きました

レスと画像ありがとうございます

#
あの日から三日が経ちました


今日は社長から呼ばれています


『失礼します』


「おお、来たね」


座るように促され、ふかふかのソファーに腰掛けます


「今日は大事な話がある」


内容は予想通り


「移籍、ですか」


「うむ、うちとしては君を手放したくはないんだが…あちらさんがどうしても、ということでな。なに、新興プロダクションではあるが――


社長のつまらないお話は止まりません


どこか言い訳でもするような口調よりも、口元のソースが気になります


あ、今日の晩御飯どうしよう


作り置きのは今朝食べちゃったし


一人暮らしは何かと大変です


そんなことを考えていたら話は終わっていて


その後、マネージャーから細かい事務的な話を聞き、この日は解散となりました

#
CGプロでの担当者と対面する日


「初めまして、CGプロのPと申します」


彼は素知らぬ顔で同じ挨拶をしてきます


『初めまして、高垣楓です』


CGプロではスカウトした人が担当するとか


ということは、私はPさんに選ばれたようです


意味の無い対面は滞りなく終わり、後は書類上の移籍日を待つのみ


彼に連れられてCGプロへ見学に向かいます


「CGプロに関して大まかな説明をしてしまいますね」


移動の車内で、後部座席に座る私に話し掛けてきました


「CGプロは三つのプロダクションが合併して成立した芸能事務所です。芸能事務所となってますがアイドル事務所ですね」


「もちろん、先日述べた通り、希望とあらば女優やモデルもできます。まだ誰もいませんが…」


「アイドル部門に関しましては、所属アイドルを性格や容姿に基づいて三つのグループ、cute・cool・passionに分けて活動しています」


「どこに属するかは話し合って決めましょう」


「さぁ、着きましたよ」


「CGプロへようこそ」

#

目の前にそびえ立つのは大きなビル


とても新興プロダクションとは思えない規模です


「事務所としての機能以外にアイドルの為の設備が充実していますからね。大きくならざるを得なかったんです」


どんな設備があるんだろう


「トレーニングルーム等の仕事に直接関係する物からカフェやエステルーム、シャワー室に併設してサウナまでありますよ」


ほー、芸能事務所とは思えない設備

もはや娯楽施設です


『あ、あの…温泉は…?』


「流石に温泉は無いですね」


……そうですか


「温泉、お好きなんですか?」


はい、それはもう


「よし、そういうことも含めてプロフィール作りをしましょう」


『前の事務所からそういう資料は貰っていないんですか?』


「ええ、基礎的な身長や体重のデータは受け取りましたがそれしかないんですよ」


それ以外の情報を欲しているようです


「うちは本人の個性をそのまま売り込む方針なので、趣味や好みを最大限に生かしたいんです」


「そのために詳細なプロフィールを作っています」


私を売り込む

改めてモデルからアイドルに転身したことを実感させられます

#

「ええっと…一応確認しますね。和歌山県出身、年齢は23歳、身長171cm、体重49kg、スリーサイズ81-57-83。これらを計ったのは約一年前」


『はい』


前の事務所からのデータを読み上げる


「そして誕生日は6月14日、星座は双子座、血液型がAB型で左利き。趣味は温泉めぐり」


新しく付け加えられたデータ?も読み上げる


「お酒は?」


『好きですよ。特に日本酒』


「それも加えときましょう」


また一つ増えた


「それでは、次にグループ選択…」


……?

「……の前に一つ確認です」


「アイドルでいいんですね?」


そう、私はアイドルになるのだ


流されるようにここまで来てしまったが、これが私の行く末を決める最終選択だろう


正直不安だらけ


年齢や表現力に関しては尚更


でも、これ以上モデルを続けても無機質な、変わらない日常が続くだけ


いや、いずれそれさえ崩壊する


ならば、変えなくては


他の生き方を知らない私は、この機会を逃すわけにはいかない


『はい』


「分かりました」


「それでグループなんですが、高垣さんには歌や演技を中心としたCoolをお勧めします」


『PassionやCuteは…?』


「Passionは持ち前の運動能力や明るさを生かしてバラエティ方面。Cuteは王道アイドルといったところです」


その選択肢ならCool以外は無理です


「消去法でCoolを勧めた訳ではありません」


「高垣さんは綺麗な声をしています」


「歌手に向いていると思いますよ」


そうなのだろうか


『そういう事なら、Coolでお願いします』

#

まさか、初日に後悔するとは


成り行きとはいえ、アイドルを選択した私を恨みます


移籍後初めてのレッスンを、Pさんの担当するもう一人のアイドルである渋谷凛ちゃんと行いました


彼曰く、“手っ取り早くアイドルが分かる”から


ええ、分かりましたとも


ヴォーカルにおいても、ダンスにおいても桁違い


これでまだ新人だと言うのだから目眩がする


「大丈夫ですか?」


ダンスレッスンでへばった私を気遣ってくれる


十歳下の彼女が眩しい


『え、えぇ……なんとか』


「プロデューサー」


「うん、高垣さんのレッスンはこれで終了です。凛は二人が来るまで休憩しててくれ。身体冷やすなよ」


「わかった。楓さん、立てますか?」


肩を借りて壁際に移動します


「どうでしたか?初めてのレッスンは」


彼がタオルとドリンクを渡しつつ聞いてきます


『ンクッ………疲れました』


なんとも言えぬ味のドリンクです


「モデルとは運動量が違いますからね。これから慣らしていきましょう。ヴォーカルの方は、声量こそ足りませんが、音も安定していてとても良かったですよ」


「この後はここで凛達のレッスンを見学しててください」


さっきも“二人が来るまで”って言ってましたし、誰か来るのでしょう


凛ちゃんは柔軟体操をしながら先程のレッスンのビデオを観ています


余裕の無い表情の私も映っていて情けないやら恥ずかしいやら


そんな私の隣で踊る凛ちゃんは、どこまでもクールな澄まし顔でどこか楽しげ


まさにCoolアイドルです

「「すみません!遅れました!」」


突然レッスンルームの扉が勢い良く開かれました


「おお、やっと来たな。柔軟したら始めるぞ」


「っと…その前に。こちら高垣楓さん。本日付でうちの所属アイドルとなった元モデルさんだ」


彼の紹介を受け、軽く会釈します


「初めまして!本田未央です!よろしくお願いします!」


「初めまして、島村卯月です!一緒に頑張りましょうね!」


『こちらこそよろしくお願いします』


太陽みたいな明るさと純粋な愛らしさをそれぞれ持った二人の少女に少し圧されます


凛ちゃんをCoolの代表格とするなら、PassionとCuteは彼女達なのでしょう


彼が補足説明をします


「凛と卯月と未央はCGプロ初のユニット、“ニュージェネレーション”として売り出しています」


「彼女達がこけたら、恐らくCGプロも消えるでしょうね」


なら、こんな設備投資しなければいいのに


「それ故に、彼女達の実力は中堅以上に鍛えられてます」


そうだったのか


「いやー、そんな誉められちゃ照れるなー」


「準備はすんだのか、未央」


「うん!ばっちし!」


「よし!じゃあ、まず“輝く世界の魔法”を通しでいくぞ。見られてることを意識しろ!」

見直したら独自設定が微量じゃない
ごめんね

面白いから続きはよ

#


“手っ取り早くアイドルが分かる”


その言葉を反芻します


凛ちゃん達はレッスン後すぐに、卯月ちゃんのプロデューサーに連れられてラジオ局へ向かいました


「どうでしたか?初めてのレッスンは」


『楽しかったです』


「それは良かった」


事実、楽しかった


今日見せて貰ったのは一曲のダンスのみ


それも、歌は無し


なのに楽しく感じた


凛ちゃんの‘魅せる楽しさ’が

未央ちゃんの‘踊れる喜び’が

卯月ちゃんの‘笑顔にする幸せ’が


混ざりあって、強まって

私を突き動かした


夢や想いは伝わるもの、か


私にできるのだろうか

#
家に帰って、Pさんから教わったストレッチとマッサージを実践


ふと思い出し、ラジオのつまみを回します


「さあて、今日もこのコーナー、“発見!!金の卵”!!」


「このコーナーでは――


裏話も豊富な‘はるちはラジオ’


今日のゲストは彼女達のはず


「それでは、自己紹介をお願いします!」


「はい!ニュージェネレーションの島村卯月です!」


「本田未央です!!」


「渋谷凛です。よろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


「これまた三者三様のユニットだね。確かCGプロ初のユニットって聞いたけど」


「はい!そうなんです!」


卯月ちゃんは二回目とあってリラックスした声


半面、凛ちゃんと未央ちゃんは緊張気味かな?


「なんでも、私達を起爆剤にして他の娘も売り出していく、みたいなことをプロデューサーさんが言ってました」


「ほほーう。てことはCGプロには卯月ちゃん達以外にも金の卵が潜んでるということですな」


「そうなんです!今日なんか凛ちゃんのプロデューサーさんが凄い人をスカウトしてきたんですよ!声の綺麗な人で――


「ちょ、ちょっと卯月。そんなことまで言っちゃっていいの?」


ナイスストップ、凛ちゃん


「だーいじょーぶだよ、しぶりん。まだしまむーのプロデューサーさん笑顔だし」


ちょっと、未央ちゃん


「ば、番組的には……」


「どんどんぶっちゃけちゃって!」


……春香さん


「許可も降りたところで、島村さん。その声の綺麗な方はやはり歌手寄りということかしら?」


……千早さんまで


「え?いや、まだ方針とかは決まってないと思いますけど……」


「そう…。私としてはぜひ歌手の方に進んでもらいたいわ」


「千早ちゃん、最近は‘孤高の歌姫’なんて呼ばれてるもんね。ライバル登場かな?」


アイドルになって一日目


いきなり大きな壁が立ちはだかりました

#

翌日、会議室でPさんと打ち合わせです


「お待たせしました」


Pさんがたくさんの書類を抱えて入ってきました


「昨日の疲れは取れましたか?」


『筋肉痛は遅れてやってくるんですよ?』


「まだ二十代でしょうに、何言ってるんですか」


さすがに十代の子達とのレッスンは堪えますよ


「それでですね、今日お呼びしたのは今後の活動方針と初めてのお仕事に関してです」


「昨日のはるちはラジオはお聴きになりましたか?」


『はい。なんか凄いことになってしまって…』


「あれはあんまり気にしないでくださいね。千早さんなりのジョークですから」


「でも実際に、高垣さんには千早さん並の、もしくはそれ以上の歌姫を目指していただきたい。それだけのポテンシャルは秘めていますから」


なんと、まぁ


「すなわち、私としてはヴォーカルを軸として売り出していきたいと考えています」


『私に、できるんでしょうか』


「できます。昨日のレッスンで確信しました」


私はただへろへろになっただけなんですが


「まぁ、昨日の今日で決められないと思いますし、路線変更はいつでもできますので何かあれば言ってくださいね」


「えー、それともう一つ。さっそくお仕事の話です」


たくさんの書類のなかから一つの資料を抜き取って渡してきました


「凛に行かせようと考えてたんですけど、温泉がお好きということだったので、スイーツと温泉巡りの番組を一つ」


凄く行きたいです


「気に入っていただけたようで何よりです。これにはCute所属の三村かなこちゃんもスイーツ担当として一緒に行きます。既に会ってますか?」


『いえ、まだニュージェネレーションの子達としか…』


「それでは、撮影自体は先ですが、後で顔合わせしましょうか。他の所属アイドルとも、まだそんなに人数いませんからすぐに顔合わせできるでしょう」


『はい』


「ここまでで何か質問ありますか」


『あ、あの…歌を中心にということでしたがそういうお仕事は…?』


「まだ先になりますね。きちんと基礎を作ってから歌手デビューと考えています。ドラマや映画の主題歌を取れたら理想的ですね」


彼はきちんと考えてくれていたらしい


私より私の事を考えてくれてるのではないだろうか


『分かりました』


「……」


『どうかされましたか?』


「あ、いえ何でもないです。この後は宣材写真の撮影になります。さっそくスタジオに移動しましょう」

#

まず私服の撮影から


元モデルの意地で滞りなく終わらせる


「いやー、いいね楓さん。P君もどこにこんな逸材隠してたんだい?」


「居酒屋で見つけたんですよ」


「なんじゃそりゃ」


「半分嘘です。モデルさんだったのを引っ張ってきました」


「ああ、なるほどね。どっかで見たことあると思ったよ」


Pさんとカメラマンさんは仲が良いらしい


冗談の言える同業者がいるのは何となく羨ましく感じます


「高垣さん、次はこの衣装でお願いします」


渡されたのは緑を基調としたドレスのような衣装とステッキを模したマイク


スタイリストさんに手伝ってもらって着替えます


このステッキ、とても素敵


そんなこと言えるわけもなく


あとでPさんにでも言おうかな


いや、やめとこう


「おっ、準備できたね。じゃ、早速撮っちゃおっか」


「……」


撮影が始まりました


先程までとは違い、カメラマンさんの指示だけが聞こえます


この感覚、懐かしい


‘私’の居場所だ


おや?


Pさんが赤いカードに何か書いています


「ちょっとすみません」


そのカードを渡してきました


表は赤、橙、黄の混ざったデザインに Kaede の文字


本来、これも小道具の一つなのでしょう


裏をめくると、Pさんの字が



“そのステッキ、素敵ですね”

『ふふっ』


「おっ!いいね、楓さん!ちょっとポーズ取ってみようか!」

またPさんのドヤ顔


なんだか楽しくなってきました

#

「お疲れさまでした。すごく良かったですよ」


撮影を終えて、彼が労いの言葉を掛けてくれます


『ありがとうございます。Pさんは狡いですね』


「さて、何のことでしょうか」


『さぁ?何でしょうね』


「そんな事より、一枚とても良いのがあったので早速印刷して貰いました。これです」


そこに写っているのは、悪戯っ子のように微笑む私


『こんな表情できるんですね』


私が私じゃないみたい


「楽しそうですよね」


『楽しかったですから』


「それは良かった」


『はい、本当に……』


“想いや夢は伝わるもの”ですね


『……こうして見ると、自分はアイドルなんだって実感が沸いてきました』


もう、私は人形なんかじゃない


『ふふっ、今更って感じですけど…。改めてよろしくお願いしますね、Pさん?』


「はい、お任せください。楓さん」

日付越えそうなので酉を

レスありがとうございます
最後までお付き合いいただけたら幸いです

#

今日はついにかな子ちゃんと番組収録です


お仕事で温泉に行けるだなんて夢のよう


しかも三泊四日だなんて


ロケ地は歴史ある温泉街


スケジュールも大雑把なもので、のんびりと撮影まで待機です


かな子ちゃんが焼いてきてくれたクッキーをいただきながらのちょっとした休憩時間


会話が弾みます


「すみませーん。最初の撮影なんですけど……」


そんな時間も、スタッフさんの声で終止符が打たれました


恐らく、温泉かスイーツ、どちらを先に撮るかの相談のはず


一瞬、かな子ちゃんと視線が交錯します


彼女の目もまた真剣そのもの


でも、私だって負けられない


先手は、貰った


「温泉とスイーツ、どち――」


『温せn「スイーツ!!」


……被せられるとは


「――らを、うおっ……あ、はい分かりました。それではあそこのお団子屋さんから撮影始めますので準備お願いします」


かな子ちゃんの満足そうな顔


悔しいもっと声量があれば……


『Pさん……』


彼を見つめます


「楓さん、団子屋のあと温泉なのでそんな落ち込まない下さい」


『私、ヴォーカルレッスン頑張りますね』


「え…あ、はい……え?」

酉付けといて忘れるという

あれ?つかない


#

夜の11時


一日目の撮影を終えて、本日三回目の温泉


カメラは無しのプライベートです


熱燗をあおると、水面の三日月が揺らぎました


だだっ広い露天風呂で、満点の星空と揺らぐことのないお月様を独り占め


散りかけの桜もまた風流です


お仕事で来ていることなんか忘れてしまいそう


いつもこんなお仕事ならいいのに


Pさんにおねだりしてみようかな


彼のことです


我が儘だと知っていても無下にはしないでしょう


いつもいつも、彼は私の意思を第一に考えてくれています


私は何か返せているのかな


せめて、素直に感謝の言葉が出ればいいのに


伝えたい事は沢山あって


つのる想いが、穴を空けるかのように胸を苦しめる


この気持ちは何でしょうか


この苦しさは何でしょうか


私には分からない


“想いや夢は伝わるもの”だけど、私が分からないなら伝わりようが無いじゃないか


伝えたいな……


処理しきれない感情を押し流すためにお酒を飲み干します


嘲笑うかのように、三日月が揺れていました


#


撮影からニ週間


あの番組がオンエアされる日がきました


事務所のテレビの前でPさんと凛ちゃんと共に待機です


「どうだった?楓さんの初仕事は」


「凄く良かったよ。さすが元モデルなだけあって、魅せ方をわかってる」


『いえいえ、Pさんのおかげですよ』


「いやそんな、楓さんの実力です」


『Pさん、ずっと働いてくれてましたよね。お陰様で気持ち良くお仕事ができたんですよ』


「ははっ…そう言って貰えるとプロデューサー冥利に尽きるってもんです」


「あ、始まったよ」


リポートをしながら番組を進めていく私とかな子ちゃん


最初のお団子屋さんではかな子ちゃんがよく喋ります


ふふっ…本当に美味しそう


あれ?スイーツと温泉、分業体制でリポートだったけど、私、喋ってたっけ?


ナレーションが入って次の場面に切り替わります


次は……温泉、だ


「色っぽいなぁ…この仕事、楓さんに回して正解だったね。プロデューサー」


「凛には凛の魅力はあるが、確かに。喋ってないことでより一層艶やかさが引き出されてる。ディレクターさん、やるなぁ」


やっぱり、レポート忘れてました


撮り直さずにOKがでたのは、ディレクターさんがそう判断したからなんでしょう


ナレーションが私の代わりに説明をしてくれています


結局、私が喋っていたのはかな子ちゃんとの雑談のみ


こんなので良かったのでしょうか


「いやぁ、大変良かったですよ。楓さん。実に素晴らしかったです」


良かった


ちゃんとPさんからのお仕事をこなせてた


「……鼻の下伸ばしちゃって」


あらら、凛ちゃんがちょっと拗ねてる


可愛らしいので、少しだけ悪戯を



『そうなんですか?Pさん』


「いや、そ、そんなこと……」


『ふふっ…なら今度また行きませんか?…二人っきりで。Pさん、あまりゆっくりできなかったでしょう?二人っきりで、温泉に浸かりながら熱燗を呑むんです』


「ちょっ…か、楓さん!」


焦ってる焦ってる


凛ちゃん可愛いなぁ


PさんはPさんで顔を紅くしてるし、からかいがいのある二人です


『ふふっ…お顔、真っ赤ですよ。Pさん』


「なっ…からかわないでください!全く…冗談も程々でお願いしますよ」


そう、これは冗談


でも“いつか”なんて思ってしまうこの気持ちは、冗談なのでしょうか

#

時の流れは残酷で、暖かさは暑さへと変わり、私の周りも大きく変化しました


まず、あの番組の準レギュラーを頂けたこと


それが切っ掛けで、私の知名度が上がったこと


その知名度のお陰でお仕事が増たこと


お仕事の内容は様々で、女優をやったり、モデルをやったり、地方のイベントに出たり


今日も温泉街でのイベントを終えて、新幹線に揺られています

一泊する予算は無いそうで、日帰りの小旅行みたい


そんな感じの、忙しないけど張り合いのある毎日です


けどそんな中、変わらないものも


歌に関する事だけは変わっていません


ヴォーカルレッスンを続けています


確かにあの日‘頑張る’って言いましたけど…


外へ目を向けると、夕焼けに染まる入道雲が目に入りました


のんびりと流れていくその様は、私を揶揄しているみたい


ゆっくりと、ゆっくりと


雲になりたいなぁ…



……さ…でさん、楓さん!」


『あ、はい』


「乗り換えですよ。急いで下さい」


『分かりました』


それともう一つ変わらない、大事なもの


Pさんとの距離感


だじゃれを言い合ったり、皆で呑みに行ったり


正に仲のいい仕事仲間といった感じで、心地いい距離感です


事務所の方達もいい人ばかりで、昔の私からしたらこんな大勢で呑むなんて考えられないでしょう


そういえば、最近はあのお店に行ってない


一人酒自体、減ったような


目まぐるしい変化があれば、雲のような変化もある


そういうことなのかもしれません


それでも、この距離感だけは変わって欲しくない


かつて憧れた、冗談の言い合える関係


居心地が良くて、暖かい

「ちょっと楓さん、ぼーっとしすぎです。迷子にならないでくださいよ」


『ふふっ…大丈夫ですよ。三浦さんじゃないんですから』


「心配だな…」


『そんなに心配なら…』


左手を差し出す


『お願い、できます?』


そんな関係だから、からかいたくなる


「……しょうがないですね」


あら?


彼の右手が私の左手に触れます


彼の小さな仕返し


その効果は絶大で、心臓をキュッと締め付ける


夕焼けに染まるプラットホーム


彼の顔も、紅く染まっていました


彼に引かれて進む私


Pさん、貴方はどこまで連れていってくれますか?


貴方に付いてきて、私の世界は一変しました

次は何を見せてくれますか?


貴方となら、どこまでも行ける


こんな確信が浮かぶのは、何が原因なのでしょうか



私は、どこまで行くのでしょうか

#

翌日、オフを満喫していたら、Pさんに呼び出されました


‘良いニュースがあります。暇だったら事務所に寄ってください’


簡潔なメールでしたが、私の心を騒がせるには十分


急いで事務所に向かいます


『おはようございます』


「おっ、おはようございます。早いですね」


『何事かと思って』


「急いできたんですね。寝癖、立ってますよ」


『…ちょっと失礼します』


寝癖を直して、Pさんの元に戻ります


「ん。それじゃあ、先に会議室に行っててもらえますか?チーフ呼んでくるので」


『え、チーフプロデューサーですか?』


「はい。今日は直々にお話があるんですよ」


チーフプロデューサー

担当アイドルを持たずに、事務所全体のプロデュース業を担っている方です


そんな方からお話があるとは…

自然と緊張してしまいます


「お待たせしました。楓さん」


『お疲れさまです』


Pさんは満面の笑みを、チーフさんはたくさんの資料を携えて入ってきました


「初めましてかな、高垣さん。最近の活躍、確と届いてるよ」


『ありがとうございます』


「どうだい?モデルから転身したことで何か変わったかな」


『そうですね――


近況に関して当たり障りのない会話が続きます


チーフさんはお話が好きなようで、緊張して相槌ぐらいしか返せない私とでも楽しそうに話しています


隙を見てはPさんに助けを求めますが、彼は良い笑顔を返すだけ


戸惑ってる私を見て楽しんでいるようです


「最近のレッスンはどうかな?Pからはヴォーカルに重点を置いていると聞いたけど」


『はい。歌のお仕事は無いんですが、ずっとヴォーカルレッスンだけは続いています』


「調子は?」


『最近は肺活量も声量も増えて、トレーナーさんにも誉められるようになりました』


ちょっとした自慢です


「それじゃあ、そんな高垣さんにプレゼント」


チーフさんが一枚のCDを差し出してきました


『…これは?』


「とある映画の主題歌となる予定の曲」


「これを高垣さんに歌ってもらいたい」


『……』


『私が?』

「うん」


『映画の?』

「うん」


これはドッキリ?


「ドッキリではありませんよ」


Pさんが口を開きました


「実はこれ、だいぶ前から計画されていたんです」


「CGプロで音楽関係の活動をしているのは今のところ三ユニット、ニュージェネレーション・あんきら・ファミリアツインだけで、ソロがいません」


「そこで企画されたのが五人同時ソロデビュー」


「その五人に選ばれたのが固定ファンを持つ各ユニットから一人ずつ、凛・双葉さん・莉嘉ちゃん。それと、ユニットを組んでないものの知名度のあるかな子ちゃん」


「そして、確かな歌唱力を身につけた楓さん、です」


正直、何が何だか


話についていけません


『それで、いきなり映画の主題歌ですか?』


「そこはPが頑張った」


チーフさんが説明を引き継ぎます


「この企画が持ち上がった時に、僕の知り合いから“映画の主題歌が決まっていない。いい人を紹介してくれないか”って話があってね」


「それをPに伝えたら、“これこそ歌姫に相応しいデビューだ”って言って、高垣さんのレッスン風景を映したビデオを持って監督さんに売り込みに行ったんだよ」


「音楽に関しては無名なのに、取って帰ってきたときは驚いたな」


「監督さんが気に入ってくれたんですよ」


『そう、なんですか』


とんでもないことが、私の知らないとこで動いていました


移籍の時もそうでしたが、CGプロは秘密が好きなのでしょうか


「それで、昨日ついに曲が出来上がりました。これが譜面で、あと台本です。どんな映画か把握しといてくださいね」


『あっ、この監督って…しかも主演が三浦…あず、さ……え…?』


「はい。話題性抜群で、相応しいでしょう?」


とんでもないなんてもんじゃない


それこそ、興業収入トップ10入りが目されるような映画じゃないか


「その話題性に耐えうるだけの良い曲が出来上がってますし、何よりそれだけの実力はついていますから」


「それに、これは始まりなんですよ」


「少し遠回りしましたけど」


「“歌姫・高垣楓”は、この‘こいかぜ’から始まるんです」

#


「うーん…」


唸っているのはトレーナーの明さん


私を担当してくださっているトレーナーさんです


私に課された‘こいかぜ’は声が裏返りやすく、伸びる部分も多い難しい曲


きっかけはどうであれ、真面目にヴォーカルレッスンを受けてきて正解でした


レッスンが始まって二週間


ようやく通しで歌えたのです


私の感覚では、音は外してないしミスもしてないはず


彼女は何に困っているのでしょうか

『あの…私どこか失敗していましたか…?』


「い、いえ…そうじゃないです!音程はバッチリでしたよ!」


「ただ、なんというか…言葉で表しにくくて…うーん…」


「歌は素晴らしかったんですけど…伝わらない、と言いますか…」


『伝わらない…』


「楓さん、この曲の第一印象はどんなふうに感じました?」


『すごく壮大だなぁ、と』


「他には?」


『他……』


「質問を変えましょう。歌詞を読んでみて、いかがでしたか?」


『……青春、ですか?』


「え…いや、確かに恋愛を歌っていますけど、これは違いますよ」


『そうなんですか?』


「はい。これは切ない大人なラブソングですね」


「自分の恋心に気づいて、戸惑って、でも前を向く。そんな歌です」


ふむ…なるほど


「冗談じゃなくて、本当に分かってなかったんですか…」


頭を抱え込む明さん

渋谷凛(15)
http://i.imgur.com/5TL4Wko.jpg
http://i.imgur.com/beyGOj7.jpg

本田未央(15)
http://i.imgur.com/h6RlWPR.jpg
http://i.imgur.com/dQhUJZt.jpg

島村卯月(17)
http://i.imgur.com/HZR1rfy.jpg
http://i.imgur.com/S5iKWdR.jpg

トレーナー:青木明(23)
http://i.imgur.com/RUuOYni.jpg

それも束の間、私の目を見据えて口を開きます


「歌には感情、歌詞には意味があるんです」


「意味を理解して初めて感情が宿るとも言えます」


「感情の無いモノに何か伝えることなんかできませんから、音符を辿ることより大切かもしれません」


「例を出すと、如月さんですね。彼女はカラオケで五十点台を出すこともあるそうです」


「そんな彼女の歌は、心に響いて共感を呼びます」


「それこそ如月さんが真摯に歌に向き合ってきた証拠なんです」


音程より感情を優先する、ということでしょうか


『でも、楽譜通りじゃないと言うのは、歌手として、プロとしてはどうなんでしょうか』


「私は、楽譜というのが作曲者の意図を伝える媒介だと思っています。歌詞もそう」


「それを解釈して、声を媒介にファンに届ける」


「それが歌手じゃないでしょうか」


伝えるために意味を理解して、感情を得る


“理解する”

簡単そうで難しい


「あっ、す、すみません!偉そうに言ってしまって…」


『いえ…ありがとうございます。おかげで何か掴めたような気がします』


「そうですか…?それなら良かったです。それじゃっ、歌詞の意味を考えてもう一度いきましょう!」


『はい。あっ、大人っぽくアダルティに、でしたっけ?』


「……」


彼女の視線が痛い


違ったかな


「…今日の残りは曲の解釈を一緒にしましょうか」


今日のレッスンも長引きそうです

#


『うーん…』


「どうですか?じっくり読んでみて、分からないところとかあります?」


『えっと、このフレーズ』


『“2人の影 何気ない会話も 嫉妬してる 切なくなる これが恋なの?”』


『恋なんですか?』


「え、そこですか?それは恋ですよ、間違いなく。相手のことを愛してる故の嫉妬ですね」


『へー…』


「へーって…経験無いですか?」


『いえ、ありますよ。はい』


「……」

『……』


「楓さん程の美人なら経験豊富そうですけど、意外ですね」


信じてくれない

意地悪です

「男性とお付き合いしたことは…?」


『好意を寄せていただいたことはありましたけど…』


「お断り?」


『はい…“お付き合い”というのがよく分からなくて』


「楓さんから、というのは?」


ああ、彼女の目が輝いてる


女子の目です


ガールズトークです


『い、いえ…無いですね』


「えー!意外です!でもそうなると困りましたね。‘こいかぜ’自体ラブソングですし…」


あ、そっか

さっき感情がいかに大事か教わったばかりでした

「今、そういった感情とかは…」


『…分からないです』


「うぅ…困ったなぁ…あんな偉そうな事言っちゃったのに…」


「こうなったら理解してもらうしか…私は恥ずかしいから…そろそろ終わっただろうし」


何か思い付いたのか、明さんは内線に手を伸ばします


「あ、ごめんね…今忙しい?……そうなの?………それじゃ第2レッスン室に来てもらえない?……うん、聞きたいことがあって……うん、分かった」


『どなたか呼んだんですか?』


私の問いに満面の笑みで答えます


「はい、妹を」

#

「えぇっ!?“恋”を教える?」


すっとんきょうな声をあげたのは明さんの妹の慶ちゃん


「そ。慶は今も恋する乙女でしょ?だから、ね」


「え、なっいや、何でいきなり…」


「これ読んでみて」


「これは、詩?」


事の顛末を説明する明さん


「それで、私が楓さんに教える、と」


「そう」


『ごめんなさい。迷惑かけてしまって』


「い、いえ!気にしないでください!」


「でも、恋なんて教えるモノでもないし…」

「慶は、例えば好きな人を思い浮かべたとして、どんな風に感じるの?」


「どんな風にって…こうなんかキュッと締め付けられるような」


『締め付けられる?』


「はい。胸が苦しいというか…息が詰まる?みたいな感じです」


「他には?」


「後は…一緒にいたいとか、もっと親密な関係になりたいとか思ったり。でも、いざ近づくと今の関係が壊れるのが恐くて…」


「うんうん」


「それと、ちょっとした仕草にドキッとしたり、何かとその人のことを考えちゃったり…って何言わせるのお姉ちゃん!!」


「いや、ありがとう。ためになったよ」


「うぅ…恥ずかしい…」


そっか、それが“恋”っていう感情なんだ


苦しくて、切なくて

分かりたくなかったかもしれない


でも向き合わないと


『ありがとう、慶ちゃん』


「…何か掴めたんですね?」


『確信は、無いですけど…』


「それでは、今日のレッスンはこれで終わりにしましょう」


『でも、まだ時間は…』


「何か掴めたなら、それを整理してください。それがレッスンです」


『……はい』

ルーキートレーナー:青木慶(19)
http://i.imgur.com/Sp5vR13.jpg

#

事務所を出るとムッとした空気に包まれます


すっかり夏となった今は寝苦しい毎日


不意に空を見上げると、見事に真ん丸なお月様が浮かんでいました


今日は、疲れた


明さんは‘整理してください’なんて言ってくれたけど、私は分かってるし理解もできてる


認めたくないだけ


ああ、駄目だ


こんなんじゃお月様に笑われてしまいます


堂々と輝くお月様


私も、本当なら輝くべき人間


そのために彼は頑張ってくれている


それなのに、この感情は裏切りです


どうも、頭が動かない


今日は呑もう


久しぶりにあの店で


そうと決まればあとは早い


あの歌を口ずさみながら向かいます





“満ちては欠ける 想いが今”


“愛しくて溢れ出すの”


“舞い踊る風の中で”


“巡り会えた この奇跡が”


“遥かな大地を越えて”


“あなたと未来へあるきたいの”

#

今何時でしょう


腕時計を確認


十一時三十八分


もう、こんな時間


早く帰らないと


彼が来るかも、なんて甘い期待をしていたから


酔いのせいでしょうか


年甲斐もなく浮かれちゃって


でも会いたい


まだ事務所にいるかな


どうせ通り道だし、ちょっと寄ってみよう

#

事務所の灯りは消えていませんでした


彼である保証は無いけど、僅かな可能性に賭けて扉を開けます


「あれ?楓さんじゃないですか。どうかされましたか?」


ビンゴ


小さくガッツポーズ


『さっきまで呑んでまして、灯りがついてたので寄ってみたんです』


「そうでしたか。いいなぁ、あの路地裏の店ですか?」


『はい。Pさんと出会ったお店です。今度、また一緒にどうです?』


「ええ、ぜひ。それにしても懐かしいですね。あの時は驚きましたよ。あんな店に楓さんが居るなんて思いませんから」


『あら、偶然だったんですか?てっきりストーカーされたのかと…』


「なっ…偶然ですよ。ひどいなぁ…」


『うふっ…冗談、ですよ。でも、何だか運命的ですね』


「そうですね。運命…か…」


“運命”だなんて、意識してしまう


「そうだ、今日のレッスンはどうでしたか?トレーナーさんからの報告では‘だいぶ進んだ’とありましたけど」


『ええ。今日は大きな収穫がありましたよ。そうだ、せっかくなので聴いて貰えませんか?』


今なら、感情を込められる


「お、歌ってくださるんですか?ぜひお願いします」


『では、よく聴きいてくださいね…』




これが、貴方に捧げる最後の‘こいかぜ’になるかもしれませんから

『いかがでしょうか?』


「…素晴らしいです」


「具体的に言うと、凄く感情がこもっていて、引き込まれました」


『今日、進んだ点がそこなんです』


「感情を込める、ですか?」


『はい』


そのあとも、彼は私の歌を褒めてくれました

でも、私が聞きたいのは違うこと

なけなしの勇気を振り絞ります


『あの、Pさん』


「はい、どうしました?」


『私が、この歌のような感情を抱いているとしたら』

『その…』


「歌のようなって、恋愛感情ですか?」


『……はい』


「うちは恋愛禁止ではありませんよ」


『え……?』


「あ、ただバレないようにお願いしますね。事務所が許しても世間が許してくれないので」


事務所内なら大丈夫ということ?それなら……


『ふふっ……。これで安心です』


「それは良かったです。それにしても、楓さんの想い人が羨ましいですよ」


『そうですか?』


「ええ、楓さんのような方に好意を寄せられて、喜ばない男はいないでしょう」


『Pさんも……』


「え?」


『いえ、何でもないです』




Pさんも、喜んでくれますか?

第一部はここまでになります

続きはバレンタインに

画像やレス、とても心強かったです
誰も読んでいないんじゃないかと思って恐くて…

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました

続きが気になる。
乙でした

修正

>>21
×「移籍、ですか」
○『移籍、ですか』

乙乙

自分は台本形式でしか書けないから、ちゃんと小説形式で書けるのは素直に尊敬します。

楽しく読めていますので、続き待ってます。

>>80
>>82
ありがとうございます


修正
>>1の過去作のURLが間違っていたようですね

速水奏「虚像と実像と偶像」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1386936344

北条加蓮「幸福なお伽噺」
北条加蓮「幸福なお伽噺」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1387887733/)

これで大丈夫かな

修正
>>77
×『では、よく聴きいてくださいね…』
○『では、よく聴いてくださいね…』

やっと書き溜め終わりました

今から投下します

零時に間に合うかな…

おっ、お待ちしてました。

#

ちりん、ちりん


風鈴の音が事務所に束の間の涼しさをもたらします


風鈴って、人が鳴らそうとしても綺麗に鳴らないんですよね


あれって何故なんでしょうか


『Pさん』


「はい」


『風鈴ってどうして鳴るんですか?』


「風が吹くからです」


あ、そうじゃなくて


質問を間違えた

「ちなみに風が来なくて泣きそうなのが私です。扇風機を占領しないでください」


えー…


「露骨に嫌そうな顔しても駄目です。楓さんのプロデュース業が進みませんよ」


『それは私じゃなくて、壊れたエアコンのせいです』


「書類の山が終わらないと今日は飲みに行けませんからね」


それは大変だ


首振りのスイッチを押します

「ああ…やっと風が来た」


『いつ直るんですか?』


「早くて明後日だそうです。業者の方も忙しいらしくて」


『今年、暑いですからね』


「楓さんの家はエアコン無いんですか?」


『ありますよ』


「それならオフの日にこんな暑いとこへ来なくとも……」


Pさんに会いたかったから
なんて言えるわけもなくて


『一人でいると、考えちゃって』


だから、二番目の理由を答えます


「収録のことを、ですか?」


『はい』


‘こいかぜ’の収録が一週間後に迫った今、一人でいるとプレッシャーに押し潰されてしまいそう

「大丈夫ですよ」


そんなとき、彼の声を聞くと落ち着けます


彼の声は魔法みたい


「昨日のレッスンだってバッチリでしたし」


これも“恋”なのでしょうか


「これまで、出来ることは全てやって来たじゃないですか」


私の居場所は彼にあって


「だから、自信を持ってください」


彼の居場所はどこにあるんだろう


「楓さんは私の自慢のアイドルなんですから」


彼にとっての私は――


私は只の担当アイドル、なのかな

#

「この映画がどんなコンセプトか分かってる?」


‘こいかぜ’の収録


監督さんからキツいお言葉をいただいています


「これ、悲恋物なのよ」


「それなのに楽しそうに歌われちゃぁねぇ……」


明さんと造り上げたものを否定されているよう


彼を想い、彼の為に歌う


アイドルとしては失格だけど、それが一番‘こいかぜ’を表現出来ると結論が出たはずなのに


「三十分休憩とるから、修正しといてね」


『はい』


どうしましょう


監督さんが何を求めているのか分かりません

「楓さん、お疲れ様です」


また変な味のドリンクを渡されました


『ごめんなさい』


Pさんが頑張って取ってきてくれたお仕事なのに、ちゃんとこなせていない


「まだ謝らないでください」


「次に向けてやるべき事はあるはずです」


そうは言っても、どうしたらいいのでしょうか

『Pさん、“悲恋”てどんな感覚なんですか?』


「“悲恋”ですか……監督も仰ってましたね」


『はい。いまいち掴めなくて』


「辞書的に言えば、悲劇に終わる恋、ですね」


『それを、歌で』


「いや、監督が求めているのはもっと感覚的な事…」


彼の眉間に皺が寄ります


「うーん…大人っぽく、ですかね」


『大人ですよ?私』


「歌の話です。今の楓さんの歌は恋する乙女といった感じですから」


乙女じゃなくて大人なんですって


「そうですね…あの夜に歌っていただいたような、そんな雰囲気」


「それが一番合ってるかもしれません」


あの時だって彼の為に歌いました


違うのは、時間と酔いぐらい


「あの時は聞いてて切なくなるような、何か覚悟を決めたようなモノが伝わってきて」


「とても悲しい歌に聴こえたんです」


伝わるもの、なんですね


覚悟、してましたから


プロデューサーに恋したアイドル


この悲劇を終わらせる覚悟を

#

「やればできるじゃん」


『ありがとうございます』


「期待した通りだ。P君、て言ったっけか」


「はい」


「彼女、気に入ったよ。ビジュアルもいいし。演技はできるのか?」


「小さな役で経験を積ませています」


「それじゃあ、機会があれば使わせてもらおうかな。独特な雰囲気で癖があるが面白い」


「本当ですか!?ぜひよろしくお願いします」


「ああ、今日はお疲れ様。また頼むよ」


「はい!ありがとうございました」


ぺこり、と一礼


また大きな事が動いた気がしないでもないけど、ひとますホッとします


『ホットな日にホッとする』


「ぶれないですねぇ」


これが私ですから


「その余裕があるなら大丈夫そうですね。さあ、事務所に帰りましょう」

#

事務所への報告を終えたら、彼に連れ出されました


彼のマイカーに揺られて流れ行く景色を眺めます


外の賑わいとは対照的に、車内は少し寒い


車のクーラーは好調そのもの


後部座席から膝掛けを取り出します


あ、これニュージェネレーションの膝掛けだ


彼の車はアイドルグッズが溢れていて、膝掛けだけでも三枚ほどあります


「クーラーは自分で調節してください。あ、他は弄らないでくださいよ」


私を何だと思っているんでしょうか


『Pさん、どこに向かっているんですか?』


横顔がにんまりと笑った


「ささやかな、お祝いです」

#

落ち着かない


普段から居酒屋ばかりの私には、こんな洒落たバーは浮き足立ってしまいます


『あの、ここってドレスコードとか…』


「ありませんよ。あったとしても、楓さんの服装なら大丈夫です。とても似合ってますから」


私服をさりげなく褒められて少し照れます


「とにかく呑みましょう。今日はお祝いなんですから」


「まだPV撮影とか残ってますけど、取り敢えず収録成功を祝って」


「そして、これからの楓さんの活躍を祈って」


「『乾杯」』


口付けをするかの様に、グラスが触れ合いました

#

「もう、この業界に入って六年目なんですか」


『ええ。高校在学中にスカウトされて、卒業後すぐに事務所に入ったので』


昔話なんて、初めてする


酔えない雰囲気で酔いたくない気分


「私より先輩なんですね」


『Pさんは?』


「二年目です。大学出て、テレビ局で下働きしてたらスカウトされたんです」


『Pさんが?』


「はい。社長にスカウトされました」


『可笑しいですね』


「はい」


顔を向かい合わせて笑い合う


「社長にはスカウトしていただいてとても感謝しています。この仕事、とても楽しいですから」


『私も、Pさんにスカウトされて良かったと思いますよ』


『モデルの時より沢山の思い出ができて、とても楽しいんです』


『いつも、ありがとうございます、Pさん』


どうしても、言葉にしたかった気持ち


ようやく言えました


あら?


Pさん、目頭を押さえて…


「す、すみません…感極まっちゃって」


「ははっ…プロデューサーになって一年目にいきなり二人を担当して」


「右も左も分からないから、がむしゃらにやって来て…」


「振り返る暇もないぐらいに忙しくて…」


「これでいいのか、何て思ってましたけど」


「楓さんこそ、こんな私に着いてきてくれてありがとうございました」


「これからはもっと忙しくしていきますからね」


彼は一人で悩んで、苦しんでいたのでしょう


私は彼を頼れるけど、彼は頼れる人がいないのかもしれない


私を頼ってくれてもいいのに


まだ、頼りないのかな


『私も、頑張りますから』


「はい。でも焦りは禁物です。じっくりいきましょう」


『あんましゆっくりしているとお婆さんになっちゃいますよ。もう二十四ですし』


「え?」


「あれ、誕生日…六月十四日…ああ」


今度は落ち込んでいます


泣いたりへこんだり、本当に忙しない人です


『どうかされたんですか?』


「誕生日祝おうと思ってたのに…本当にすみません。忙しかったなんて言い訳にしかなりませんけど…」


誕生日を最後に祝って貰ったのはいつだったかな


遠い昔の記憶


『いえ、そのお気持ちだけで十分ですよ』


大事にされてるんだなぁ、としみじみ感じます


「本当にすみません。だいぶ遅れてしまいましたけど、何かプレゼントを用意しますので。欲しい物とかあったら仰ってください」


あ、それなら…


『いいんですか?』


「私にできる範囲の事でお願いします」


Pさんの気持ちが知りたい

というのが本音だけど


『じゃぁ、歌を下さい。Pさんが作った歌を』


歌詞や曲から読み解くことは覚えましたから


「歌、ですか。しかし私は作曲できませんよ」


『作詞だけでもいいんです』


『私の為の歌を、お願いします』

#

ここは、ドイツ


ビールとソーセージの国


窓から入ってくる風は、その香りを纏っています


ああ、行かなきゃ


私を呼んでいる


素足で石畳の冷たさを感じながら歩き出す


この先の幸福へ向けて


「はい、カット」


その声で歩みを止めて、映像チェックをしているPさんの元へ戻ります


今日はPV撮影


コンセプトは‘囚われのお姫様’


恋に囚われた女性を城に幽閉されたお姫様で表現しています


“どうせやるなら本物の古城を使おう”


監督を務めることになったPさんの一声でドイツへ飛ぶことになりました


ビールが飲める


そう喜んだ私の期待は裏切られ、予算の都合からギチギチのスケジュール


観光なんてありません

『どうでしょう』


「オッケーです」


「見事に、愛する人の元へ向かおうとしているのが伝わってきます」


『ビールの元へ、ですけど』


「そこは嘘でも想い人と言ってくださいよ」


既に近くにあるのより、手に入らない物の方が恋しいんです


チェックを続けていくと少し気掛かりなことが


『あっ、ちょっと止めてください』


「どうしました?」


『これ、スカートの中見えてませんか?』


「確認してみます」


巻き戻して、コマ送り


今回の衣装は随分とスカートが短くできています


「大丈夫です。見えてはいませんね」


それは良かった


撮り直しは大変です


『やっぱり、スカート短すぎませんか?足元がすかすかします』


「意図的に短くしてますから」


あら、Pさんの好みなのかな?


「アイドルとしての楓さんの強みはビジュアル面、中でもスタイルの良さです」


「それを最大限に生かす衣装ですので、我慢して貰えませんか?」


「使える武器は使わないと」


そうですよね


私の魅力を最大限に引き出さないと、映画に押し潰されてしまう


こっちは無名の新人なんですから


『ええ、大丈夫です。少しスカートがスカスカするだけですから』


「ウフッ……」


「……一回目は堪えられたのに」

#

着いてしまった、空港


結局、一滴も飲むことができませんでした


早め早めに詰めていけば最終日ぐらい飲めると踏んでいたのに


だから、頑張ったのに


ぴったし予定通り


流石は私のプロデューサー


初の海外ロケでも見事に切り盛りしました


『はぁ……』


自然と溜め息もでます


「そんな落ち込まないでくださいよ。お土産で買ったじゃないですか」


『本場のビアバーで飲みたかったんです』


「頑張ればまた来れるかもしれませんよ」


『本当ですか?』


「ええ。ゆくゆくは海外展開も視野に入れてますから。売れればドイツツアーなんかも可能です」


それは朗報だ


『Pさん、早く帰って頑張りましょう』


「そうは言っても、遅れることはあれど早まらないのが飛行機です」

#

ドイツ再訪はいつになるやら


帰国後、私の活動は殆どが休止状態となってしまいました


映画の情報が公開されたせいです


有名監督が作り、三浦さんを筆頭に名だたる俳優、女優の方々が出演するこの作品


そこに突如起用された無名の歌手が注目を集めないはずがありません


しかもその名を検索に掛けても、出てくるのは主に温泉のこと


憶測が憶測を、話題が話題を喚ぶスパイラルに陥ったのです


こちらとしてもそれを利用しないはずもなく、準ですがレギュラーを頂いているあの番組以外の活動を休止


これにより、無駄な情報流出とイメージ固定を防ぎ、さらなる注目を集めようとしました


しかし、完全にコントロールすることはできないもので


しまいには、私の経歴も相俟って“巨匠と神秘の女神の秘密の関係!?”などという事実無根の記事が出る始末


直ぐにそのことは否定されましたが、私の名は‘神秘の女神’と共により一層広まりました


急激な加熱が急激に冷めることを恐れた事務所は、私のPVの一部とソロデビュー計画の発表を前倒しに


これがちょうどよいタイミングで、CGプロ全体が注目を集めることに成功します


しかし、当の本人は仕事が無く暇を持て余していて


まさに台風の目です


映画公開は十二月一日


CD発売もそれに合わせるので、暫くはのんびりできそう

#

そんな悠長な事を言ってた自分が羨ましい


発売された後は目が回るような忙しさです


クリスマスやお正月等、イベントも多いこの季節


休まる暇がありません

CDの方も好調で、五人全員が二週連続でシングルランキングにランクイン


その中で、私と凛ちゃんは一ヶ月に渡りトップ5をキープしました


予想以上の反響に忙しいのは私達だけでなく、Pさんや事務所のスタッフもてんてこ舞い


特にPさんは、担当している二人が売れたことで一際忙しそう


しばらく擦れ違うような日々が続きます


今日だって、一人でイベントに参加し、無事終えてきました


彼は次のイベントの調整と営業に走っています


信頼されてると思えば嬉しいけど、寂しさはますます増すばかり


どんな駄洒落にさえ、笑ってくれた人はいない


それがどれ程大きな事か


CDデビューしただけでこの孤独感です


‘孤高の歌姫’を背負う千早さん


その苦労と背中を垣間見た気がしました


タクシーの車窓を流れていくのは静かな景色

寂しげな風鈴の音が聴こえます

#

そんな毎日が落ち着きを取り戻し始めた頃


久しぶりに彼との飲み会です


寒さが身に染みるこの季節はやっぱり熱燗に限る


二人で熱燗を煽るのは出会った時以来かもしれない


そう思うと、まるで走馬灯の様に今までが思い出されました


そこで、ふと気がつく


まだ貰ってない


『Pさん。曲、まだでしょうか』


「ああ、私が作詞をするという曲ですね」


『忘れてました?』


「いえ、ただ音楽に疎くて。全く作詞が進まないんです」


「また忙しさを理由にして申し訳ないですが、最近の事もありますし、もう少し待っていただけませんか?」


『大丈夫です。忙しいのは分かっているのに、急かすようなことを言ってごめんなさい』


「お待たせしてるのは事実ですし……良い曲を渡せるようにしますから」


『はい。楽しみにしていますね』


「でも、それとは別にそろそろ新しい曲にも取り掛かりましょうか。‘こいかぜ’だけでは永くは持ちませんからね」


『そうですね……取り敢えず今は呑みましょう。お仕事の話はまた明日で』


「そうしましょう。せっかく楓さんと呑めるんですからね」


『そうだ。どうせなら今、今年の分のプレゼントをリクエストしてもいいですか?』


「もう一曲ってのは勘弁してくださいね」


『一曲で十分ですよ。そうじゃなくて、』


『二人で旅行に行きたいです』


「私と、ですか」


『慰安も兼ねて。労るなら、本来私が企画すべきでしょうけど、こうでもしないとPさんは動かないでしょう?』


本音を建前で隠す


我ながら狡い女だ


「はははっ、そう言われちゃぁ休まざるをえませんね」


「そうすると……」


彼は手帳を探しだしペラペラと捲っていきます


「誕生日より一ヶ月程早くなってしまいますが、いい日がありますね」


『そんな先まで予定が分かるんですか?』


「ええ、びっしりですよ」


『その日にいったい何が…?』


彼が口角が上がる


久しぶりに見る楽しんでいる顔だ


「都合のいい日が、あるんです」


#

居酒屋を出ると、今にも泣き出しそうな夜空が広がっていました


星も月もない


街灯だけが頼りの世界


「今日は雪が降るそうです」


隣に彼が立つ


舗道に伸びる影が触れ合います


『雪、ですか』


「ええ」


もう、そんな季節か


もうすぐ一年


あっという間だったな


「楓さんと出会って、そろそろ一年ですね」


『ふふっ……』


「どうしました?」


『いえ……』


彼は事務所へ、私は自宅へと歩き出します


肩が触れ合うような距離


「こうやって、二人で歩くのも随分久しぶりな気がします」


『寂しかったんですからね』


「すみません。今が踏ん張り時ですから」


『分かってますけど……』


歩みを止め、彼の右手を握る


「楓さん?」


『恐いんです』


「え?」


一度溢れた言葉は止まらない


『Pさんがここまで導いてくれて』


『CDデビューも大成功して』


『Pさんとなら‘歌姫’だって狙える』


『いや、なるんだ』


『Pさんとの夢を叶えるんだ』


『そう、思えたのに』


『隣には貴方が居ないんです』


『それでも世界は回り続けて』


『私はどこに向かっているんでしょうか』


私の行く先は貴方の居ない世界なのでしょうか


『この手を、離さないでください』


『私を導いてください』


恐いんです


貴方の居ない世界が



「それはできません」


いやだ


どうして?


「‘歌姫になる’」


「その言葉を待っていました」


「私が導く時間は終わりです」


「これからは共に歩いていきましょう」


要領を得ない


『どういうことですか?』


「一年前、活動方針をヴォーカル中心でいくことに決めましたよね」


「あれが暫定的であったことを覚えていますか?」


古い記憶を探る


有ったような無かったような


「だから、私は選択肢を提示してきました」


「もちろん歌手活動の布石としての意味もありましたが、女優業やバラエティの仕事を取ってきました」


「でも、楓さんが‘歌姫’を選んだ今、導けるのはここまで」


「私はここから先を、‘歌姫’への道のりを知らないんです」


「だから、共に歩いていきましょう」


「前に立つ手を引くことはできませんが、隣に立ち、支えていきますから」


手を握り返された


弱い痛みが心地いい


隣でも手を繋ぐことはできるんだ


それなら、何を怯えようか


「ああ、雪が降ってきましたよ」


『初雪、ですね』


「帰りましょう。風邪をひいてしまう」


『手、離さないでくださいね。冷えてしまいますから』


「……しょうがないですね」


強く握りしめる


はぐれないように

見失わないように


ゆっくりと歩を進めます


「今日は送りましょうか?」


楽しい時間は短い


いつの間にか事務所の前に来ていました


『いえ、少し夜風に当たりたいので』


「そうですか。気を付けてくださいね」


『ええ、大丈夫です。ではお休みなさい』


「お休みなさい」


彼に背を向ける


「楓さん」


数歩も進まないうちに、呼び掛けられました


彼は満面の笑みを浮かべて言います


「いい歌詞が、書けそうです」

#

ソロデビュー計画の後、CGプロは大躍進を遂げました


一番大きな変化はアイドルの人数が大幅に増えたことです


Pさんの担当アイドルもニ人増えて四人に


二人でも忙しかったPさんがさらに忙しくなりました


さらに、私と凛ちゃんのセカンドシングル発売が拍車をかけます


身体を壊さないか心配です


彼は今も書類の山と奮闘しています


彼の仕事振りを見ていると面白い


次々に書類の山が小さくなって


また、ちひろさんが積み上げる


ルーチンワークのように見えますが、ちひろさんが言うにはこのペースでこなせるのがおかしいぐらい複雑だそうです


私には事務仕事は分からないので、ただ眺めるだけ


ちひろさんも、満足そうにPさんを眺めています


「今日は飲みに行けそうにないです」


満開の桜を夕日が照らす頃、Pさんは私にそう告げました


「すみません。今度埋め合わせしますから」


『いえ、いいんです』


『それより何か手伝えることは有りませんか?』


「んー…、そうですねぇ…。じゃあこれを良く読んどいてください」


『次のお仕事、ですか』


「だいぶ前からオファーを頂いてたものです」


『高原でのCM撮影…』


「お気に召されましたか?」


『ええ。ここ、行ってみたかった場所です』


「それは良かった」


『あ、でもこれ間違ってます。日程が五日間になってますよ』


今までは、この距離ならせいぜい一泊


予備日を考えてもニ泊です


「お、早速見つけましたね」


ニヤッと不敵な笑みを見せつけられる


「それ、間違いじゃないんです」


「一日目と二日目は撮影、三日目は予備日」


「残りのニ日は、早めの誕生日プレゼントです」


『え、それって…』


「はい。お仕事のついでみたいで申し訳ないんですが、こうでもしないと行けなくて…」


『Pさんは大丈夫なんですか?お仕事忙しいんじゃ…』


「社長が許してくれまして、‘この機会に君も休んでこい’と」


「それに、その間の事務仕事はちひろさんが請け負ってくださるそうです」


「えっ」


帰り支度を整えていたちひろさんが顔を上げます


「何故か、ちひろさんの分の書類が数枚だけ混ざってたんですよねー」


頬がひきつるちひろさん


バレないと思ったんでしょうか


「しょ、しょうがないですね」


彼はニッコリと微笑む


「まぁ、それは冗談なんですけど」


どんっ、と机に置かれた書類の束


「ちひろさんにも誕生日プレゼントです」


「今日は帰しませんからね」


かつて、これ程までに色気ない口説き文句があっただろうか


#

青い空、白い雲、そして遠くには雄大な山々が立ち並ぶ


雨上がりの澄んだ空気を肺に取り込むと、それだけで心が洗われます


CM撮影二日目


一日目は生憎の雨で、今日へ撮影がずれ込みました


昨日とは打って変わっての晴天

柔らかな風が草原を吹き抜けます


今は休憩中で


少しばかり一人で散歩を楽しんでいます


それにしても、気持ちいい


新緑の木の葉はそよ風に揺られ、芽吹いた草は水滴を纏い光を反射します


世界が生き物の季節の到来を祝福しているかのよう


蝶は舞い、小鳥達が歌う


私も歌っちゃおうかな


これだけ離れてれば聞こえないだろうし


ありったけの想いを込めて


“ココロ風に 溶かしながら”


“信じている未来に つながってゆく”



“満ちて欠ける 想いはただ”



“悲しみを消し去って しあわせへ誘う”



“優しい風 包まれてく”



“あの雲を抜け出して鳥のように”



“like a fly ――


ぱちぱちぱち


背後から一つの拍手


「歌い方、変えましたか?随分前向きに聴こえましたが」


『分かりますか?流石は私のプロデューサーです』


「何か心境の変化でも?」


『それもありますけど、解釈を少し変えたんです』


「前向きに?」


『はい。最後の一節だけ』


「PVでも、最後は愛しの人の元へ歩みだしますからね」


『囚われからの、脱出』


恋心に囚われた女性


そこから逃れることはできない


それならば受け入れてしまおう


受け入れてしまえば、恋する乙女は強く、自由になる


私がそうであったように


「そろそろ再開ですので戻りましょう」


彼がスーツをかけてくれる


「いくら暖かくなったとはいえ、山は冷えますから」


私が、肩も背中も出てる衣装のままだったのを気にしてくれたらしい


「身体、冷やさないでください」


彼のスーツは風を通さなくて、とても暖かかった

#

陽はすっかり沈んでしまいました


昨日撮る予定だった夕焼けのパートも、しっかり終わらせることができ、明日から予定通りの休暇です


その前に……


『Pさん』


彼の部屋へ顔を出す


老舗の旅館で、鍵なんかは付いていません


「おや、覗きは感心しませんよ」


彼は私を何だと思っているんでしょうか


『……そんなこと言う人はこれが呑みたくないんですね』


秘蔵の日本酒を掲げて見せる


「ごめんなさい」


『素直でよろしい』


彼の対面に腰を下ろす


「コップはあります?」


『あっ……忘れてました』


「ちょっと借りてきますね」


『すみません……』


一人、彼の部屋に取り残されます


ふと外を見ると真ん丸のお月様


私の心みたいに満たされています


灯りを消したらもっと風情があるかもしれない


そう思い、照明の紐に手をかける


一瞬、暗闇


直ぐに目が慣れ、部屋が月の明かりで満たされます


光に当てられ、一升瓶が輝いてる


すごく、おいしそう

「おまたせし……」


彼が帰ってきた


「楓さん?」


『はい?』


「どうかされたんですか?」


『いえ、月を見てたんです』


「ああ…今日は満月でしたね」


『真ん丸のお月様です』


「とても、綺麗な月ですね」


『お団子が食べたくなっちゃいます』


「……」


『どうかされました?』


「いえ、楓さんは楓さんだな、と思いまして」


私は私ですよ


「さ、呑みましょう。このお酒、好きなんですよ」


よほど好きなんでしょう


急いでコップを借りてきたのか、Pさんのお顔は真っ赤です


彼と語らい、笑い、酌み交わす


気付かぬうちに、夜は更けていきました

#

『はぁ……』


安堵の溜め息も出てしまう


昼間から温泉に浸かれるだなんて、この上ない幸福です


お酒を抜くように、ぬるま湯にじっくりと


ここの高原は温泉が有名で、むしろ温泉の方が有名で、温泉街は日帰り入浴者等で賑わいます


そうはいっても今日は平日


そこまで人は多くありません


のんびりと、温泉街にある様々な湯を満喫していきます


のんびりし過ぎた


男の人の入浴は短いと聞きますし、きっとPさんを待たせているに違いありません


急いで身支度を整えて彼を探します


あれ?どこにいるのでしょう


彼が見当たりません


まだ温泉に浸かっているのでしょうか


「あのー……」


若い女性の声


『はい?』



振り返ると大学生くらいの女の子が二人


「高垣楓さん、ですよね?」


あら、私を知ってくれてるみたい


『はい』


「きゃーっ!!すごーい!本物本物!」
「こんなとこで合えるなんて!ファンなんです!サイン下さい!」


いきなりのテンションアップ


周りの注目を一気に集める


『は、はぁ……サインくらいなら……』


彼女達の求めに応じていると、いつの間にか周りに人垣ができていて、次々にサインや写真を求められます


そこから聴こえてくるのは



“綺麗、顔小さい”
“本当にオッドアイなんだ”
“ちょー大人っぽい”



まるで見せ物のような

動物園の動物のような気分




恐い

やめて、私を見ないで



貴方達が見てるのはテレビの中の私でしょ?




それは本当に‘私’なの?


「はい、すみませーん」


彼が人垣を割って来てくれた


「高垣楓は現在慰安旅行中、即ちプライベートですのでこういうことはイベント等でお願いしまーす」


あっさりと助け出される


「取り敢えず宿まで急ぎますよ、楓さん」


ここから宿まではそれなりの距離


彼は、後をつけられていないか気にしつつ早歩きで進みます


必死で付いていく私は震えが止まりません


「あと少しです」


彼の声だけが頼り

#

「本当にすみません」


部屋につくと直ぐに謝られました


『いえ……求められるまま答えてしまった私が悪いんです』


「私が注意していれば……」


彼の声を聞き、手を握ることで震えは治まりました


人の視線がこれ程までに恐いだなんて……


今まで逃げてきたから?


違う


この恐怖は……


『Pさん』


『Pさんは私を‘何’だと思いますか?』


「楓さんは楓さんですよ」


『私は私ですか?』


「ええ」


『でも、あの人達は、ファンの方々は』


『‘私’を通して‘高垣楓’を見ていたんです』


『私は‘誰’ですか?』


モデル時代に戻ったようだ


‘私’を殺して、‘高垣楓’を着る


「‘高垣楓’も‘楓さん’も貴女ですよ」


『けどっ――


「確かに」

私の言葉は遮られ、
彼は言葉を続ける

「ファンは‘楓さん’を見ていません」


「ファンはテレビの中の貴女しか知りません」


「いや、それでしか知れないんです」


「だから、誤差が生まれる」


「だったら、知らしめるしかないじゃないですか」


「“私が、高垣楓だ”と」

『私が、高垣楓……』


『じゃあ、高垣楓は…?』


「分かりません」


「それは貴女以外には誰も分からないことです」


「言ったはずです」


「貴女は‘高垣楓’を知るべきだ、と」


私は、何だろう



お酒が好きで、
温泉が好きで、
駄洒落が好きで、


そして、一人の男性に恋をした、夢見る乙女



そろそろ二十五になる女性とは思えない


でも、それが確かに私なんだ


「納得していただけましたか?」


『はい。大丈夫です』


心の靄が晴れたような気分だ


「それじゃあ、これからの事を考えていきましょう」


「もう、ここには居られませんからね」


なっ……


『な…何故…?』


「何故って、バレてしまいましたから。宿が見つかるのも時間の問題です」


晴天がゲリラ豪雨に


「急いで支度してください」


「忘れ物とかしないようにお願いします。あと浴衣を着たまま帰らないように」


彼は私を何だと思っているんでしょうか


『そういうPさんだって……あれ?スーツなんですか?』


「白昼堂々、アイドルと男性が浴衣姿で歩くわけにはいきませんからね」


「プロデューサー、またはマネージャーだと思われるようにと」


『ということは、温泉に入ってないんですか?』


「ええ、脱いでスーツに皺が付くのはみっともないじゃないですか。一日中着ますし」


『私が入ってる間は……』


「ここって、いろいろ見る所有るんですよ。結構楽しいです」


それはいけない


彼にも休んで貰わないと


『決めました』


『温泉付の宿に行きましょう』

#
電車とバスに揺られて約二時間


着きました


初仕事の思いでの地


「懐かしいですね」


『はい』


あの日散りかけていた桜は、青々とした葉を付けています


「どうしてここに?」


『ここならPさんもゆっくりできますし』


『何より、好きなんです。この温泉』


ここから、Pさんに引かれ始めた


けど、これからは違う


隣を歩いていくんだ


Pさんの言葉の意味を理解できた今、もう一度、始まりの地に


「そうでしたか」


「もう一度、ここでお仕事してみますか?」


『させていただけるなら、ぜひ』


「何かしたいこととかありますか?」


『したいこと……』


「希望、ですので深く考えずに」


『そうですね…可能ならライブがしたいです』


始まりの地に、貴方への想いを捧げたい

「ライブ、ですか」


『難しいですよね』


「単独はまだ難しいですけど」


「ニュージェネレーションとかと合同なら可能かもしれません」


『本当ですか』


「はい」


「そうなると…うちからそんなに引っ張って来るわけにはいかないので…」


「うーん…四曲」


『四?』


「あと四曲は身に付けましょう。それだけあればライブが成り立つはずです」


さらっと言い放ちましたけど、結構大変ですよね


「さあ、休暇が終わったら大忙しですよ」


一番苦しむはずなのはPさんなのに、どこか楽しそう


ふふっ…つられて笑顔になってしまいます


『一緒に、頑張っていきましょうね』

#

忙しい、何てものじゃありませんでした


休暇直後


暖めていた新曲を二曲収録したサードシングルを発売


イベントや番組出演などをこなしつつ、直ぐにファーストアルバムに取り掛かります


そこには今まで発表した五曲に加え、新たに書き下ろして貰った三曲を収録


そしてリリース


この間、僅か二ヶ月半というハイペース


何をこんなに急いでいるのか、とPさんに聞いたところ


スポンサー獲得のため


だそうです


なんでも今年のクリスマスには、CDデビューした十五名によるクリスマスライブが計画されているそうです


そのために更なるスポンサーが必要になり、


そのスポンサー候補の方々にお見せするのが、秋頃に開催が決定した温泉ライブ


そこで既に知名度の高いユニットの他に、ソロで最も名をあげた私を多く起用したいらしく、このようなハイペースとなりました


いわゆる、大人の事情です


そして、結果から言ってしまえばライブは大成功


クリスマスライブの開催が決定しました


ハイペースなリリースだからといっても、手は抜いていません


サードシングル、ファーストアルバムとも好調で


中でも、ファーストアルバムがウィークリートップを記録


‘第二の歌姫’と呼ばれるまでになりました


でも、まだまだ


千早さんには届かない


もっと上に


Pさんとなら、歌姫に手が届くはず

#

『とりっく、おあ、とりーと』


「……」


『……』


『とりっ――


「あ、聞こえてますから」


『……』


「楓ちゃん、何歳?」


『にじゅうごさい』


「何やってるんですか?」


『ハロウィンを少々…』


「はぁ……」


呆れられました


「舌足らずな感じ、上手ですね」


誉められました

「確かに今日はハロウィンですけど…」


『子供達がやっていたので私も何か貰えるかな、と』


Pさんが頭を抱えます


見たこと有るような無いような


「じゃあ、そんな楓ちゃんにはこれをあげましょう」


『わーい』


「はい、新曲です」


『……』


「……」


『……』


「嫌そうな顔しないで下さいよ。頑張って作詞したんですから」


『……え?』

今なんて?


「一年と五ヶ月、本当にお待たせしました」


「ようやく、お渡しできます」


ということは……


『これ……』


「はい。私が作曲させていただきました」


『あ、ありがとうございます』

『あの、大切に歌いますから』

「まぁ、取り敢えず読んで、聴いてみてくださいよ」


「CDプレイヤー取ってきますね」


ファイルを開けて歌詞を取り出す



そこに書いてあったのは




“雪の華”

#

ヘッドホンを外す


「どうですか?」


彼の不安そうな顔なんて始めてみました


『私、この歌大好きです』


「良かった……」


気に入らないはずがない


彼が私のために書いてくれたんだから


『これはフォースシングルに、ですか?』


「ああ、はい。それもそうなんですが……」


「クリスマスライブ」


「そこで歌って貰いたいな、と」


『クリスマスライブで、ですか』


「はい。ライブで初披露ということです」


『それって……』


「危ないのは承知です」


「でも、今の楓さんの実力ならいけると考えています」


「そしてなにより」


「楓さんがこの曲を“好き”と言ってくださったんです」


「私はその言葉を信じたい」


そこまで、信頼してくれてる


『分かりました』


『私もPさんを信じます』

#


“のびた人陰を 舗道に並べ”


“夕闇のなかを君と歩いてる”


“手を繋いでいつまでもずっと”


“そばにいられたなら泣けちゃうくらい”



うん、ここは普通



“風が冷たくなって”



“冬の匂いがした”



“そろそろこの街に”



“キミと近付ける季節がくる”


うん、ここも普通

次だ


“今年、最初の雪の華を”


“2人寄り添って”


“眺めているこの時間に”


“シアワセがあふれだす”


“甘えとか弱さじゃない”


“ただ、キミを愛してる”


“心からそう思った”




……直球ですね、Pさん


何だか恥ずかしい


歌詞のはずなのに
Pさんに言われてるような……


いや、自惚れは良くない


Pさんはきっと私に合う歌詞を書いてくれただけなんだ


そう、だからその顔をやめてください、明さん


「‘雪の華’、楓さんは歌いやすそうですね」


感情移入しやすいのは確かです


だからといって、簡単なわけではありません


『早く練習しましょう』


『時間はありませんから』


クリスマスライブまであと二週間


最後の仕上げに取り掛かります

#

ライブ会場を見渡す


広い


飲まれてしまいそう


酒は呑んでも飲まれるな


ライブは……


「楓さん」


「こんなとこにいましたか」


……


「どうしました?」


『何も思い付きませんでした』


「駄洒落が?」


『はい』


「ぶれないですねぇ」


「そろそろミーティングです」

「行きましょう」


『はい』


彼の横に立ち、歩調を合わせる


「緊張、してます?」


『してますよ』


『けど、心地良い緊張です』


『あとはやるだけなんだな、って』


「やれることは全てやりましたからね」


『ええ』


『それに、Pさんが書いた歌を、私が唄うんです』


『やれないはずがありません』

楽屋の前に着いた


「楓さん」


「“歌姫・高垣楓”の真髄、見せてやりましょう」


『はい』

#
クリスマスライブから二週間が経ちました


私はまたPさんの事務仕事を眺めています


彼は私に気付いてないようで、黙々と書類の山を片付けていきます


「ただいま戻りました」


今帰ってきたのは速水奏ちゃん


Pさんの五人目の担当アイドルです


この娘が、なかなかの曲者


「Pさん」


「ん、お。おかえり。一人で大丈夫だったか」


「ええ、問題なかったわ」


「そうか、それは良かった」


「それで、用事って何?」


「ああ、忘れるとこだった」


「奏、料理できる?」


「あんまりやらないけど、得意な方だとは思うわ」


「テレビでバレンタイン特集があるんだ。そこのミニコーナーでアイドルがチョコを作るってあってな」


「えっ、テレビ?」


「うん。奏に合いそうだなーって」


「ふーん。それって私からチョコ欲しいってことかしら?」


ほら、さっそく


「甘いものは好きだな」


するり、とかわすPさん


「どうせなら、チョコより甘いキスをあげましょうか?」


あ、これはまずい


助け船を出さないと


『チョコよりちょこっと甘い…ふふっ』


二人の視線が私に向かう

「楓さん、いたんですか。そうだ、楓さんもやってみませんか?」


話題の矛先も私に向かう


これは予想外


『おつまみを作るのは得意なんですけど…お菓子はちょっと』


「そうですか。分かりました。それで奏、どうする?」


「ええ、やってみるわ。少し緊張するけど」


「よし。それじゃあそう返事しとくな」


話が纏まったようです

『Pさん、私にはバレンタインのお仕事は……』


「ありますよ。ちょっと待ってください」


がさがさと書類の山を漁ります


「あった。二件ですね」


「一つは新作チョコのCM出演依頼」


「もう一つは音楽番組」


「バレンタイン・冬のラブソング特集」


『……それって、割りと人気ありますよね』


「バレンタインの鉄板番組ですね。しかもライブ枠を貰えました」


『曲はやっぱり‘雪の華’ですか?』


「はい」


クリスマスライブと同時に発売された‘雪の華’


大ヒットを記録し、ミリオンに迫る勢いです


「受けますか?」


『もちろんです』


受けないはずがない


「楓さんは、バレンタインに誰かへ贈りますか?」


Pさんには聞こえない場所で、奏ちゃんが聞いてきました


考えたことも無かった


『奏ちゃんは贈るの?』


彼女が贈るとしたら、おそらくPさんでしょう


「私は、Pさんに贈ろうかと」


あら、直球


「普段、お世話になってますし」


「記念日って便利なんです」


「贈り物に言い訳ができますから」


なるほど


奏ちゃんは面白い考え方をします


「それに、チョコで結ばれる恋があるんだから、商業主義でも万歳、てね」


ふふっ……これは負けてられないかな?

#

二月十四日


私はスタジオに一人でいます


撮影は随分と前に終わりました


今はスタッフの方々が後片付けをしています


楽屋に戻れば良いのでしょうけど、何となく戻れない


ここで、彼に聴いて欲しかった


そんな願望の現れなのかもしれません


『来てくれるって言ったのに…』


彼が忙しいのは分かっています


でも、伝えたかった


歌以外の形で


直接的な表現で


想いを具現化した物は、私の手の上

速水奏(17)
http://i.imgur.com/3wejc2k.jpg
http://i.imgur.com/AHKRE87.jpg


今日は運がなかったんだ


もう、私も行かなくちゃ


一つ、一つ、と減っていく想い

次に伝えられるのは何時になるかしら


最後の一つを手に取り思案します


「ここにいましたか、楓さん」


「探しましたよ」


『遅いですよ、Pさん』


「すみません」


『こっちです。こっちに来てください』


セット裏に彼を引っ張り込む


『ほら、見てください。私が食べちゃって、残り一個しかありません』


「はははっ、食べちゃたんですか」


『Pさんが遅いから……』


「遅れた私を許してくれるなら、その一個を頂けませんか?」


『欲しいですか?』


「はい」



『それじゃあ、遅れた罰です』


唇にチョコを宛がう




『ここから、取ってください』



『ほら、早くしないと溶けちゃいますよ?』




「……本気ですか?」




もちろん


『本気、です』




『Pさんは気づいてくれませんでしたが』



『ずっと、ずっと、貴方を想っていました』



『私達がアイドルとプロデューサーであることは分かっています』



『でも、伝えたかったんです』


『“想いは伝わるもの”』




『これが嘘だと分かった時から』




『ずっと伝えたかった』





『私の想い、伝わってください』



彼は困ったような、今にも泣きそうな、そんな複雑な顔をしています



「“想いは伝わらない”」



「確かに、そうなのでしょう」



「よく分かりますよ」




「私も同じですから」



『えっ――




聞き返す前に左手を引かれる



急接近


彼が、近い



「でも、こうも言いましたよね」



「恋愛禁止ではない、と」





チョコが溶け、





二人の影も溶けていく





ここから先は、





月さえも見ることのできない





大人で、アダルティな――




以上になります

こんな時間に画像ありがとうございました

いろいろと補足したいことはありますが、取り敢えず眠いのでまた明日に

何か質問等がありましたらHTML化されるまでの間、お答えしたいと思います

ここまで読んで頂きありがとうございました

乙乙。

Pは作詞なん?作曲なん?

>>185
ありがとうございます

>>186
Pは作詞です

>>186
>>160でのミスですね
ご指摘ありがとうございます

一応、ここでお借りした楽曲に関して載せておきます

・こいかぜ
作詞/貝田由里子
作曲・編曲/NBGI(担当:椎名豪)

・雪の華
作詞/Satomi
作曲/松本良喜

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